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公述人(滝井義高君) ただいま御紹介いただきました
田川市長の滝井義高でございます。
本日、参議院の
予算委員会におきまして、
平成四
年度の
一般会計予算並びに特別会計あるいは
政府関連の
予算の
審議に当たって
公述人としての栄を得させていただきましたことを心からお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
方丈記に、古都既に荒れ果てたり、新都いまだ成らず、生きとし生ける人の心は浮雲の思いをいたせりというのがあるんですが、今我々
地方自治体から見るとそういう感じがするわけでございます。
東京というのをごらんいただきますと、実に華麗でございます。まず、
東京にどんなものが集まっておるだろうかというと、人も金も物も情報も文化も集まっております。最近は御存じのようにエビが集まるわけです。エビは金のうんと集まるところに集まります。かつてロンドン、ニューヨーク、そして今や
東京でございます。
最近はさらにもう
一つ東京に集まるものができました。それはカラスでございます。なぜカラスが
東京に集まるだろうと調べてみましたら、我々は飽食の時代でございまして、ホテルその他でもう五千円も一万円もするビフテキをほとんど食わずに捨ててしまう。ホテルのボーイさんがそれを明け方になると全部ビニールの袋に入れてごみ捨ての方に持っていく。そうすると先にだれかが来てそれを失敬して食べるわけですが、そのビニールの袋を開いた後にカラスが来てそれを食べるわけです。したがって、代々木の森には何千羽というカラスがやってきております。私は九州でございますが、九州のカラスは来ていないようですが、この近郊の千葉県や埼玉県や神奈川県のカラスは
東京に者やってきてそして悠々と
生活をする、そういう姿が出てきているわけです。
そういうように物が
東京に集まった結果、
東京は一体どんな姿になっておるかというと、
東京はごみの山になったわけです。今、猪口
先生もお話しになりましたが、ごみの山になって処理の方法がない、一体これをどうするんだという問題がまだ未解決でございます。
そして同時に、水が不足をし始めた。電力は夏場でも御存じのようにうんと使うわけですから、ピークはむしろ夏場に来る。冬に来るんじゃなくて夏場に来るというような状態になりまして、そして交通が渋滞をします。まだ基本的な統制も行われない。交通が渋滞をする。通勤ラッシュのときには電車に押し込まれなければならぬ。こういう状態が出てきました。したがって、交通が渋滞をし遠方から通ってくるんですが、
東京の中に
住宅を求めようとしても
住宅がない。そして
地価が上がっておる。給料の一年分ところじゃない、十倍も二十倍もしないと土地が家が買えないという状態になってまいりました。
最近顕著にあらわれたのは、
東京が非常に乾燥し始めました。
東京が乾燥すると一番先に被害を受けるのは、隣にいらっしゃるんですけれども、女性の肌が荒れるわけです。だからクリームが余計に売れるわけです。こういうようになりました。それで、最近は
東京の杉の木がどんどん枯れていくわけです。何で枯れるだろうと学者が調べてみたんです。それは酸性雨があるいは何かほかの大気汚染であろうかと思ったら、そうじゃない。
東京湾を埋め立てて
東京湾の
方向にビルが林立をするから、
東京湾から湿気のある空気が
東京に入ってこなくなったわけです。したがって木が枯れました。木が枯れて緑がなくなると人間の心に砂漠ができます。砂漠ができると非行が始まってくるわけです。そういう姿に
東京がなってしまったわけです。
もう少し
東京の姿というのをごらんいただきますと、どういう形になっているかというと、金融とか文化とかあるいは高度な技術の開発、商品開発、そしてその販売の経路あるいはアフターサービス、マーケティング、こういうようないわば頭脳に属するところが全部
東京に来ております。したがって、
東京というのは頭脳でございます。頭脳である。それじゃ具体的に
生産する手足はどこかというと、我々田舎に
生産が展開をされているわけです。
東京におけるそういうものは、付加価値が非常に高いものが
東京に集まります。そして、付加価値が安い三Kに属するようなところが田舎に展開をされておる、こういうのが
東京と田舎との関係になってまいりました。
そうしますと
東京というのはどういう形になったかというと、どんどん
東京は繁栄をするけれども、人間が非常に住みにくい町になりつつある。我々田舎というのはどういうようになってきておるかというと、主体性を持ちたい、自主性を持って地域の幸せをつくりたいと一生懸命に考えておるけれども、なかなかうまくいかない。苦悩のみがあって
地方は多くの悩みを抱えておる、こういう状態です。
そこで、中曽根政権のときに、こういう状態ではいかぬと。初めは
東京一極集中主義を強化するということであったんですが、それではいけないというので多極分散型の国土政策をとることにしていただいて法律をつくっていただきました。しかし、時既に遅し。佐渡へ佐渡へと草木がなびくように
東京へ
東京へと全部、人も金も物も情報もカラスもエビも
東京になびくことになってしまったわけです。
こういう状態になった
東京を一体どうするんだ、なぜこういう状態になったかをもう少し根本的に分析してみる必要があるんじゃないか。いろいろたくさん理由はあるんですけれども、大きな柱で言うと三つあると思っております。
一つは、
日本の産業構造が急速に変わってまいったということです。特に高度
成長以来変わってまいったということです。
どういうように変わってきたかというと、例えば私の方の九州で、ちょっと名前を挙げるのはぐあい悪いかと思いますけれども、まあ大きな会社ですから名前を挙げてもいいのかもしれませんが、産業構造がどういうように変わったかというと、九州で言えば一番よくわかるんですけれども、かつてトンの産業が発達しておりました。トンとは何か。鉄、石炭、造船、セメント、みんなトンでございます。このトンの産業と農業でもっておったわけです。ところが、御存じのようにだんだん高度
成長になって、サービス産業、いわゆる情報化、国際化というような形がぐっと出てまいりました。サービス産業がどんどんふえてくるということになりますと、サービスとかあるいは情報とかというのは田舎におってはうまくいかないわけです。どうするか。
例えば、怒られるかもしれませんけれども、八幡製鉄というのは新日鉄のまさに支柱的な会社でございました。しかし、それが九州の果ての八幡におって
東京から遠く離れておると世界の新日鉄たり得なくなる。なぜならば、情報、技術革新というのが入ってこない。どうしても情報が集まる
東京に行かざるを得ない。こういう形で、君津の横の富津に頭脳は全部移ることになります。そうなりますと、名前を挙げるとまたぐあいが悪いんですけれども、釜石と同じような
地方の製鉄に八幡製鉄は下がってしまうことになるわけです。
八幡製鉄というのはそういう状態ですけれども、これは技術革新をしなきゃいかぬから、シームレスパイプをつくるのには電算機を用いて高度の技術を用いてつくることになるから、それは製鉄は製鉄なりに技術は革新しております。それはどうしてかというと、プラントを韓国その他に送るから悪い鉄の製品は向こうから入ってくる、それをより高度のものにしないと負けてしまうから高度のものにしていく。これは賃金の格差があるからなかなかうまくいかぬところがあるんですが、そういう形になってきました。
石炭は、御存じのように、石油に負けてつぶされました。そうすると、韓国のセメントはトン当たり一万円、我々の内陸部でつくるセメントは一万二千円、二千円の格差があるから、内陸部のセメント会社は調整会社になって海岸のセメント会社がフルに運転をする、こういう形になってきた。したがって、だんだんそういうトンの産業は衰退してきました。そして、半導体とか自動車とかそういうものが都市にだんだん集まってくるという形、特に
東京近郊、関東にそれが集中することになります。
私の方で
企業誘致戦略を組んでおります。これはノウハウだからよそに言っちゃいけませんよと言われて組んでもらった。どういうようにノウハウを組んだかというと、我々は九州ですから、会社が本社を
東京に持っておって、全国的シェアの製品をつくる工場がたった
一つだけ
東京の南部にある、こういう会社に目をつけなさい、それを全部訪問してその会社に、もし大震災が起こったらあなたのシェアはなくなってしまうよ、だからあなたはどうぞ九州にいらっしゃい、我々は土地を安く提供しますよ、こういう誘致の方針をとりなさい、これは
一つのノウハウとして
日本の一流のコンサルタントに教えてもらったんですが、そういうことでやってみました。十五社ぐらいがその網にひっかかったんですが、最終的にはなかなかうまく話がつきませんでしたけれども、トンがだんだんなくなればそういう形になってくることになるわけです。
ところが、最近はちょっと情勢が違ってきた。それはどうしてかというと、関東と名古屋あたりでは、自動車産業でごらんいただきましても、もう労働力と
地価が高くなって工場を拡張する余地がなくなってしまった。だから、それならば東北とか北海道とか九州の労働力があって
地価の安いところに行こうかということで、トン以外の産業が徐々に
地方に来始めておるというのが現状でございます。したがって、そういう
日本の産業構造というのががらっと変わってきて、そしてそれが
東京一極集中主義、あるいは関東圏、
東京圏というものを形成することになったというのが
一つでございます。
それは国内的な事情ですが、もう
一つは国際的な事情でございます。
日本は貿易
大国でございますが、今お話がありましたけれども、人権小国でございます。貿易がどんどん拡大していきますと債権国になってしまうわけです。
日本は世界第一の債権国になりました。債権国になると、当然借金をしている国々は
東京に来て商売をする、
東京に
企業を持ってくる、あるいは金融で
東京と交際しなきゃならぬ、こういう形になるので金融とか
企業の本社が全部
東京へ
東京へと集まってくることになったわけです。すなわち、
日本の債権国としての力というのが
東京に物を集める、いわゆる吸引する形になってきました。これが大変重要な第二の点です。
第三の点は何かというと、
日本は昭和十六年に戦時体制に入りました。戦時体制に入って以来、
日本の機構というものは統制
経済になって官僚機構が非常に強くなりました。いわば、ほとんど重要な政策の立案その他というのは、国会ももちろん
審議をいたしたわけですけれども、もとをつくる体制というのは官僚機構が持ってきた。それが非常に根をおろしました。むしろ外国から言わせれば、
日本の官僚機構というのは大したものだ、世界一だ、優秀な人材がおる、こう言われるぐらいになった。
この官僚機構というのがどういう形が出てきたかというと、御存じのように、製品の画一化を図ったわけです。教育の画一化を図ったわけです。そして、
東京は頭脳で田舎は
生産をするという形、そして新しい近代的な文化の創造というのは
東京で全部やる、こういう形になってきました。
こういうように、
日本における産業構造の
変化、すなわち長大重厚型から短小軽薄型に移行する過程の中でどうしても
大都市に物が集まる、特に
東京に集まる。かつては
東京、名古屋、大阪と三つの圏域に集まっておりました。しかし、最近は名古屋、大阪というのはずっと地盤沈下して、はるかに
東京の方がすぐれてきたわけです。そういうように、国際的な理由国内的な理由
日本の官僚行政機構というもの、こういうものがきちっと
東京体制を整えているわけです。
それならば、一体どのようにごれに
対応していくかということが問題でございます。これは
対応の仕方はいろいろあるんですけれども、まず国会の
先生方が今おやりいただいておるのは
東京自身がどうみずからを変えていくかという問題、いわゆる遷都論でございます。
東京をどっかに移転する。展都、分都、一遷都といろいろありましたが、一番代表的なのは、もう
東京をどっかに移すという、これは国土庁長官の首都移転問題懇談会が初めて極めて具体的に出していただいたわけです。
それは、
東京から六十キロ以遠に首都を移す、しかもそれは九千町歩である、そして
人口六十万、それに要する
予算は十四兆である、こういうように打ち出しました。これは何を
意味するかというと、結局行政と政治をよそに移そう、そして同時に商業機能は
東京に残しておく、
経済機能は
東京に残しておく、こういう政治と行政と
経済というのを分離するのが恐らくその底流にあるんじゃないかなと推定をしたわけです。
今まで三十年代から首都移転論というのは随分いろいろ起こりましたけれども、うたかたのように消えてしまったわけです。しかし、今度のこの案というのは割合迫真力を持っている感じがします。竹下さんのときに、各省が一機関をよそに移すと。なるほど幾つか移ったんですけれども、これは移すといってもやっぱり
東京圏の中で移ってしまって、
東京圏を緩和することにはならなかったわけです。そういう
意味では、今度の国土庁長官の私的諮問機関におけるこの案というのは、今までは夢のまた夢でしたが、比較的可能性のある案じゃないか。これは国会の諸
先生方が特別
委員会もおつくりになっているから、本腰にこれをおやりになっていただくかどうか。
これは、まず第一に国会を移しましょう、それから官庁を移しましょう、こうなっておる。それに大学を半分ぐらい、東大の二千人なら二千人の定員を千人にして、千人をどっかに移してもらえばなおいいんじゃないかと私は思っているんですけれども、そういう
意味でこれはぜひひとつ国会で真剣に御検討いただきまして
東京の内部から改革をしていく、そういうものが必要だと思います。
それから、今度は我々
地方から言う分でございますが、まず
地方から言う分はどういうことになるかというと、最近いろいろなものが書かれておりますが、一番大事なものは何かというと、今まで私たちがもう昭和の初めごろから
地方に権限を渡してください、事務事業の再
配分を
地方にやってください、あるいは臨調の土光会長はイワシを食べながら貧しい
生活をして、おれは行政改革に生命をかけてやると言ったんですけれども、あの土光さんの臨調もほとんど
実現しないままにきております。補助金は依然として十四兆ありますし、そしてそのほかの権限も全部中央に残ってわずかなものが我々に来る、こういう形ですから
地方は自主性を持とうとしても悩み多き
地方になってしまっている。
そこで、どういうのが今出てきておるか、どういうことを我々が志向するかというと、まず第一に道州制でございます。やはりこの際、
東京も
一つの
地方と見る。
東京を中央と言うから役人が
地方に行くとどさ回り、田舎に左遷された、こうなるわけです。
東京も
地方、我々も
地方、
東京と我々とを対等に物を見る習慣を一遍我々はつけてみる必要があると思うんです。
例えば道州制にすると、北海道は六百万の
人口があります。六百万というとスイスに等しいわけです。しかも、北海道というのはアメリカに近いわけです。羽田から行くよりすっとアラスカにすぐに行けるわけです。そして、北方領土問題を解決するのにも、あそこが道州制である
程度主体性を持つと案外早くいくかもしれないというようなこういう形でして、そこに札幌府なら札幌府、北海道なら北海道の府を置いて、そして学識経験者の何人かが行って討議をしてその方針を決めていく。もう県会は廃止して、できれば自治体と府が直接結びつくということになればなおいいかもしれぬ。中間のものがなければないほど民主主義は直通をしていくわけですから、いいかもしれません。そういうものが
一つ出てきたわけです。
ところが、最近新聞を読んでいましたら、九州は独立してみませんかというような記事が出てき始めたわけです。独立しなさいという論が出た。九州は千三百三十万おるわけです。これは世界で
人口でいったらどのぐらいになるでしょうか、五十五、六番ぐらいになると思います。そういう形になってきた。
どうして九州が独立したらいいという論が出るかというと、まず
一つの問題として九州は一本の
高速道路もできていないんです。博多から鹿児島に行くのも未完成でございます。人吉からえびのはまだ未完成。太陽は東から上っできます。東から上ってくるけれども、御存じのように、東の方は
高速道路は未完成です。横断
道路も未完成でございます。新幹線もありません。十年先ぐらいしかないんです。十年先にできるかどうかわからないわけです。そして、国際空港がまだ地域が決まらないんです。
こういう状態の中で、九州の産業構造はトンからリゾート、そして自動車産業のようなもの、いわゆるハイテクに変わってきつつある。あるいはシリコンアイランド、こういうように高度の半導体をつくる
企業に変わってきた。産業構造がどんどん変わるのに昔ながらの過疎の姿で、鉄道もできなければ新幹線もできない、空港もできない。そして、一生懸命に研さんしておったリニアモーターカーはいつの間にか山梨県に持っていかれてしまって、九州は一体どうなるんだ、こういう形で九州の人たちは、これはなるほどな、独立してみたらおもしろいかもしれぬぞ、こういう論が
一つあるわけです。
しかし、独立論というよりかもう少し
東京に
対応するような力をどうやってつけるかという
一つの提案としてあるのが、中国と四国と九州との三つが、毛利元就の三本柱じゃないけれども、手を握る必要がある。そして、関門の架橋がある、本四架橋がある。架橋がないのはあるいはトンネルがないのはどこかというと、伊予の国と豊後の国がない。この伊予と豊後をつなげばちょうど三つの島がきちっと
一つのものになってくる。それにNIESを加える。韓国、台湾、香港、シンガポール、あるいはASEANを加えると、これならば
東京に対抗できるであろう。
すなわち、
東京も
地方、我々も
地方、そういう形のものを考えないと今までのマンネリ的な考え方では
地方の発展はない、
地方には望みがない、夢とロマンがない、こういうことが既に学者の中にも言われ始めましたし、週刊誌や本やあるいは新聞の中にもそういうものが出始めたわけです。これはやはり政治というのは先手必勝ですから、できるだけ先を見て、そしてそれを推進していただくのが国会の仕事じゃないかなと思っているわけです。
さらにもう
一つ具体的に申し上げたいんですけれども、それは何かというと過疎でございます。
御存じのように、三千三百の自治体の中で千百六十五だったと思いますが、過疎地があるわけです。これはもうどんどん過疎が最近また進み始めておるわけです。御存じのように、どんどん若者が出ていきます。若者が出ないようにしよう、
企業を誘致しようというときはだめです。なぜだめかというと、過疎地には
道路ができないんです。
道路があればうまくいくわけです。この
道路、アクセスがないところに半身不随が起こってしまう。今いろいろな人が言うんですけれども、これはもう後継ぎがないとかなんとかじゃない。この際、過疎地に
道路を思い切って投資をやってつける。そして、農業と地域の分化をどうやるかということを考える必要があると、もう今九州の有識者でそういうことを言う人がたくさん出てきました。
今、過疎は多分二千三百億ぐらいの過疎債と、それから辺地積が七百二十億ぐらいあると思います。こういうものをもう少し有効に使って
道路を、過疎地から熊本なら熊本に一時間で行ける、北海道の札幌に三十分で行ける、そういう形にできると過疎というのはぐっとよくなる。ところが今、青年が出ていく、子供がいない、そしておじいちゃんもおばあちゃんも山からおりなきゃならぬという時代になっている。
日本は
大都市の近郊だけにミニ
東京と同じような集中が起こって、周辺は全部過疎になりつつある。
九州に
人口五万の都市が五十あります。そのうちの四割の二十二は
人口が減りつつあるわけです。九州の中で
人口が、六十年と六十五年の国勢では熊本県が○・八か九、福岡県が一・二、わずかしかふえていないです。こういう形の国土政策というものをそのままにしておったのでは
日本の未来はないんじゃないか。頭でっかちになって足腰はみんな弱くなってしまう。やはり我々は頭を使い足腰を使うところに有機体としての人間が生きていくことができる、こう思うわけでございます。
ぜひひとつそういう点で大所高所から
日本全体の国土政策をお考えいただきまして、田舎に住む人も心優しき幸せが持てる体制をつくっていただくことを祈念いたしまして、終わります。(拍手)