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参考人(
武者小路公秀君) 武者小路でございます。
きょうは、大役を仰せつかりまして大変張り切って、できる限り御
参考になるようなことを申し上げたいと思いますけれども、
最初の三十分の私の話はむしろ問題提起という形で、後ほどの諸先生方の御
質問、またいろいろな
意見をいただきまして、補足させていただければと思います。
それで、きょうの私の問題提起は、
梅原参考人、
近藤参考人のお話の後を継ぎまして、むしろ
安全保障との関連で
環境について問題を提起するようにという御依頼がございましたので、そのような形で問題を提起させていただきたいと思います。
環境の
安全保障ということをどう考えるか、まず、
安全保障についての考え方を先に整理させていただきまして、そこから
環境の問題を
安全保障という形で考える場合に出てまいりますいろいろな問題について提起させていただきたいと思います。
安全保障ということの定義を先にさせていただきたいと思いますのは、先ほどの
梅原先生のお話に即して申しますと、工業化の
文明の
時代に国家を
中心とする
安全保障ということが出てまいったわけですけれども、
環境問題は国家の
安全保障であるとともに、そうでない面もあるわけで、その意味でもう一回
安全保障というものの考え方そのものを問い直してみる必要があるということから
安全保障の定義をさせていただきたいと思います。
そういうふうな定義をし直すということは、必ずしも
環境問題についてだけではなく、国際政治学者の間でも、例えばバリ・フーさんというイギリスの先生がやはり同じように
安全保障をもう一回考え直して、国家と
安全保障の
関係を考えるところから見直さなければいけないということを言っておりますので、これは単に
環境安全保障の問題には限られないわけです、
そこで、とりあえず
一つ安全の定義、それから第二に
安全保障の定義ということをさせていただきたいと思います。お配り申し上げてある要旨を
もとにしてお話をさせていただきたいと思いますが、安全とは、ある主体、この主体は個人であったり、あるいは村とかそういう共同体であったり国家であったり国際社会であったり地域であったりいろいろしますが、そのある主体が何物にも脅かされないで、その欲する生活を送ることができる状態を安全という。つまり、脅かされないということが安全だということです。
安全保障の定義という場合に大事になってきますのは、
安全保障とは、ある主体がみずから自分で自分の身を守る、または他の主体によって、例えば個人が国家によって守られ、国家が国際社会によって守られる、そういう形で安全さが守られていると信ずることができるようなそういう主体間の
関係をつくり出す、そういう制度が
安全保障という制度だというふうに考えたいと思います。
その場合に、
安全保障の対象というものが出てまいりますが、普通、
安全保障の対象は軍事的な脅威ということに限られていますけれども、むしろ以上の定義によりまして、ある主体の生活全体についての安全にかかわるのが
安全保障の対象である。あらゆる問題が、生活のあらゆる面が入る。しかし、具体的には生活の領域別に、だれによって、どのような手段を用いて
安全保障が制度化されるかというさまざまな場合が考えられるわけです。
そこで、先ほど申しましたように工業化が始まります十六
世紀の
ヨーロッパででき上がりました
国家安全保障という考え方は即軍事的な
安全保障、即国防という形になったわけでございます。これはよく言われることでありますけれども、国家は何の安全を守るのかと申しますと、その市民の、その国民の生活の安全を守る。その生活とは何かというと、生命と財産という形に整理したのが
近代国家とその市民との
関係の特徴でございます。つまり、生命を保障するというのは、軍事力によって生命が脅かされることから守ると。それからもう
一つは財産。財産というものは経済的な側面で、経済的な財産を守る、私的所有権を保障するというのが国家の役割であったわけでございます。この生命、財産というのは、要するに市民の
人間としての生活全体ということを
近代的な状況の中で整理し、安全の政治的な側面が生命を守ることであり、経済的な側面が財産を守るという形であらわしたというふうに考えたいと思います。
ところで、この安全のもう
一つの分類の仕方が最近行われておりまして、それは内発的な
安全保障と外発的な
安全保障、つまり自分で自分を守る
安全保障と、ほかのものによって守ってもらう
安全保障と二つございます。
近代国家がねらった
安全保障は内発的、内側から自分が自分を守る。フランス革命のとき、フランス市民がフランスのナシオンを守るというときに国民皆兵という制度ができ上がったのはそのためでございます。しかし、兵器体系がいろいろ進歩するに伴いまして、特に核兵器が出てくるに及びまして、この自分が自分を守るということは国のレベルでもできなくなってしまった。そこで、核保有大国が核の傘を差しかけてそのブロック内の小さい国を守ってあげる、そういう形の外発的な、外からの
安全保障というものが出てまいったわけでございます。
このことは、軍事力の面でいろいろ問題になるかと思いますけれども、特にこのことを強調しますのは、
環境問題をとらえる場合にどう考えるか、つまり外から守られる外発的な
安全保障ということで考えるのか、それとも、先ほど問題になりましたごみ処理の問題も含めて、自分が自分の手で自分の
環境の安全を守るという内発
安全保障を主とするかという立場の違いが出てまいるわけでございます。
安全保障の対象というものがいろいろ変わってまいりましたのは、工業化に伴いまして富国強兵ということで国家の
経済成長の持続を
安全保障の重要な対象とするようになったからでございます。そういう意味で、植民地に始まる工業化の背後地の確保ということが大国の
国家安全保障の
もとになり、また植民地であった国は政治的な独立を守る、あるいは経済的な自立を守るということが
安全保障の基本になったわけでございます。
その場合に、経済というものを持続させるということが
安全保障の
一つの大きな問題になってまいりましたことと関連して、最近、持続可能な開発ということが
環境問題についても言われるようになったわけでございます。つまり、国家が経済を発展させる、それを守るのが
安全保障であり、それが持続できるような条件をつくり出す。つまり、
環境によって持続が不可能になってしまったのでは
環境の安全が守られていないということになりますので、そういう意味で
環境安全保障は持続可能性ということを強調するようになったと思われます。
ところが、その場合に二つ問題が出てまいります。
つまり、持続可能性ということをどこでとらえるかというところで、国家の安全と国際社会の安全の組み合わせということが問題になるわけです。そして、国家だけのレベルでは
環境の
安全保障は守られない。例えばCO2の問題ですとか、グローバルな工業化の影響による
環境安全保障が脅かされるような状況は、国際的に、例えば国連による共同
安全保障の制度化あるいは覇権国、
アメリカを
中心とする、あるいは
アメリカ、
ヨーロッパ、
日本が外発的な
安全保障体制をつくっていく、そういう問題が出てきております。
それと、もう
一つございますのは、個人、つまり市民の安全と国家の安全が必ずしも同じではないという問題が出てきております。市民の安全を国家が保障するというためには、
近代西欧の議会民主主義あるいは国際法秩序、そういうものが必要であると同時に、また、国家にいろんな問題を処理できる、安全を保障する能力がなければならないわけです。現代の
世界では国家自体が防ぎ得ないような
環境などの脅威があらわれてきておりますし、国家自体が軍事独裁などの形で市民の安全を脅かすということもありますし、あるいは国家が進めている工業化のために、例えば熱帯雨林が伐採されてそこに住んでいる人たちの個人の安全が脅かされる。そういう意味で、個人あるいはエスニックグループあるいは先住民族の安全というものを国家が保障するどころか脅かすという問題が出てくるわけでございます。
そのような状況の中で、
環境問題と
安全保障をつなげて考えます場合に、これは風変わりな定義になってしまいますけれども、
環境問題をどうとらえるかという場合に、
環境問題は実は
人間の工業活動によって自然
生態系の生活が脅かされる。ですから、そういう脅威から自分を守る、自然が自分を守ることが
環境問題であると。
環境問題を
安全保障という立場からとらえますと、要するに、敵は
人間なんだというようなことさえ考えられるのではないかと思います。つまり、自然
生態系の自己再生産能力とその安定復元力、先ほど
梅原先生のお話にありました
循環の問題を含めて、これを脅かすものが要するに工業化であるという問題がございます。
しかし、そこで
環境の安全をどう守るか。工業活動によって
生態系が脅かされている状況を考える場合に、これはいろんなレベルが出てまいります。つまり、CO2の問題などは、グローバルな形で全
地球の温度が上昇するという形での国際あるいは
地球的な
規模での
安全保障が問題になります。それのほかに、例えば酸性雨の問題などになりますと、国家が国境を越えてほかの国の
環境を汚染することになりますので、これはむしろ国家間の
安全保障の対象になります。あるいは、先ほど申しましたように、特定地域の
生態系を国家の活動あるいは国家が
保護している工業活動が脅かす場合には、国家に対する地域社会、地域住民の
安全保障問題というのが起こるわけでございます。
そこで、今日専ら
日本で、あるいは欧米で問題になっております
環境安全保障は、どうも問題を外発的な形でとらえているのではないかと思われるわけでございます。つまり、
環境の安全を全
地球的な
規模でとらえ、全
人類の工業活動を集約して、その結果が
地球環境の安全を脅かす、そういう場合に維持可能な工業活動をつくり出すのが
環境安全保障の目標であるということが唱えられているわけでございます。その意味で、
日本では
環境サミットと呼んでおります国連の開発と
環境問題の
会議が開かれるわけですし、そのような外発的な立場でG7が開発途上の国々に対してもCO2を出すなど、炭酸ガスを出しては困るということで、外から規制をしようという工業
先進国による外発的な
環境安全保障の推進というものが今進められておるわけでございます。
実は、この問題に関しまして、ブルントラント委員会の報告書が非常に注目をされておりまして、ブルントラント報告には持続可能な開発ということが叫ばれて、これが今
方々で
環境問題の一番根本的な考え方になっておりますけれども、実は、ブルントラント委員会のラテン
アメリカからの委員は途中で抜けているわけでございます。なぜ抜けたかと申しますと、持続可能な今日の工業化というものはそれを持続するに値しないものであると。今の工業化を進めるということは第三
世界にとって貧困を非常に増大させるだけで、今の工業化そのものを見直さなければいけないのに、工業化を進めることを前提にして持続可能性を考えるような委員会には参加できないと言って、メキシコのゴンサレス・カサノバ委員が要するに自分で席をけ立てて出ていっているという事情は余り知られていないわけでございます。
その問題と同時に、外発的な
環境安全保障にはクラブ財と私が呼ばせていただきたいと思う問題があるわけです。つまり、工業化の維持可能性を、要するに、いろんな問題が起こっても、とにかくぎりぎりの線で保障しようということは先進工業諸国にとっての重要な利害事項である、それは疑いを入れません。ですから、金持ちクラブの中の公共財という意味で維持可能な工業化を進め、その枠の中で
環境が汚染された場合に、その汚染されたものを回復させるためのお金をみんなで出し合う。これは例えて言えば、ゴルフクラブの会員がゴルフコースを汚染から守ると、しかし、ゴルフはあくまでも自分たちだけでやるのだと。そういうクラブ財として
環境問題を先進工業諸国が取り上げているという批判が第三
世界の国々から起こっているという問題がございます。それと同時に、先進工業諸国の間では、このクラブ財というものを
ヨーロッパと
アメリカと
日本の間で、これはだれか払わなければいけないけれども、だれが払うのか。要するに、自分が払わなくてもほかの国が払うべきなんだということでいろいろ問題が起こりつっあるわけでございます。
それから、それと並行したアプローチですけれども、
環境問題をグローバルに外発的にとらえるのではなくて、むしろローカルに地域社会の
環境の
安全保障を図るという立場から考えようという動きが、これは第三
世界だけではなくて、先進工業諸国の一部のオールターナティブと言われている今の工業化とは別の工業化、今のライフスタイルとは違うライフスタイルを求めている人たちの間でそういう考え方が出てきております。
例えば、最近も
日本に来ていましたけれども、フィリピンのモラレスさんという人が
中心になってやっております村おこし運動がございますが、これは要するに、それぞれのフィリピンの中の海辺の村は海辺の
生態系、川のそばあるいは森の中の村は森の
生態系とか川の
生態系、それぞれのローカルな
生態系と共存する形での、なるべく
農業を
中心としてなるべく
環境に優しい、しかし、それと同時に、経済的な生活が保障されるような村おこしをしようという動きがございます。これはまさに個人、共同社会レベルの
環境安全保障をねらった試みとして注目されるべきですし、また、
環境安全保障をする場合の
日本の援助の対象としては、むしろそういう草の根レベルでのローカルな内発的な
環境安全保障というものから積み上げていく、そういうアプローチが大事なのではないかと思われるわけでございます。
もちろん、グローバルに考えることも大事ですが、その場合にも
環境安全保障には福祉政策的な側面があるということをお考えいただけるとありがたいと思います。つまり、
環境の安全は、工業化における余剰の集中、資源の集中、エネルギーの過度の集中というものを抑え、また、その反面をなす資源などの乱開発を禁止し、
生態系における物質
循環、エネルギー
循環、先ほど
梅原先生が強調されていた
循環というものを制度的に適正なものにしていく。それは市場メカニズムでは達成できない。市場メカニズムはむしろ
規模の経済で、大量生産、大量消費、大量廃棄ということになりますので、それとは違う福祉経済型の積極的な国家の介入、国際社会、国連の介入というものが必要になってまいります。
それからもう
一つは、もしも
環境の安全というものをそれぞれの共同社会、村レベルのローカルな内発的な
環境の
安全保障ということを
中心にして積み上げていこうということになりますと、ある
環境に見合ったような規制を外から無理に押しつけるのではできないことなので、どうしてもそれぞれの地域の地域住民が納得するような形で、しかも、その間の
環境問題をめぐる争いが起きないような形で
環境問題を処理していかなければいけないという問題があるかと思います。これはまさに
日本的な
共生、すみ分けというものを実現していく、そういう必要があるのではないかと思います。これは、軍事的な
安全保障でよく言われる信頼醸成、お互いに相手を信頼して一緒にやっていこうということを、これは国家の間だけではなく個人の間でも共同体の間でもやっていく、そういう信頼醸成の措置というものが講じられなければならないと思います。
今度の
環境サミットも、南北間の信頼が十分にないところで開かれるために恐らく余り成功しないであろうという見通しがあるのは、
環境に関する信頼醸成措置が非常に大事だということを示していると思います。そして、信頼醸成措置というものはやはりお金がかかるということもありますので、経済援助というものの中で信頼を醸成する、南北の間の信頼を醸成するような形の援助をするということもこの
環境安全保障の大きな問題になるのではないかと思います。そういう意味で、国際的に
環境安全保障をする場合に、これは多少これまでお話のあったことと矛盾するかもしれませんが、グローバルな問題だけではなく、むしろローカルな問題を大事にし、トップダウン、外発的な
安全保障ではなくてボトムアップ、つまり下からの積み上げでこの制度をつくっていく必要がある。具体的に言えば、
日本は
日本の周りのアジア・太平洋地域の安全、
環境の問題から取り上げていくというようなことが必要になる、これは百瀬先生が既に御指摘になったことと思います。
そこで、
日本の役割についてですが、これは改めて申し上げるまでもなく、
環境安全保障はまさに
日本国憲法の平和的生存権という考え方に合致するという側面が
一つございます。それからもう
一つは、総合的な
安全保障ということをこのお集まりで御検討いただくことが非常に妥当だと思いますのは、
環境安全保障は要するに総合的な
安全保障の
環境的な側面にすぎないのだ。これは米欧日のクラブ財としてとらえるような形であっては困るので、むしろ内発的な
環境安全保障というものをアジア・太平洋などの開発途上諸国とともに検討し、そこから信頼を醸成して、その信頼の醸成はただ
環境問題の解決だけではなく、アジア・太平洋における総合的な
安全保障の一環として役に立つ、そういうことが必要ではないかと思われるわけでございます。
そのような観点から、この信頼醸成、そして地域の下からの積み上げの
環境安全保障ということで、六点について簡単に御提案申し上げさせていただきたいと思います。
一つは、国家レベルのODA政策、援助政策において
環境とのリンケージをつけるつけ方で、下からの積み上げ方式、村おこし、そういう内発を重視するという原則が大事だということ。
第二には、企業レベルで、地域共同体における
環境安全保障を外部から妨害しないという自主的なガイドライン、ルールというものをつくる必要があるのではないかということ。
第三番目には、
地方自治体レベルで、
日本と地域開発途上諸国間に、
環境信頼醸成のための交流というものをそれぞれの
土地柄によって起こしていく必要がある。
第四番目には、民間運動、NGO、これは既にここで
参考人によって指摘されたことだと思いますけれども、民間運動レベルでの
環境情報の交換と
環境問題についての
意見調整、これを政府、企業レベルでも政策に盛り込んでいくということ。
第五番目には、
科学技術政策、
研究開発投資においてグローバルな問題の解決のための
科学技術も大事ですけれども、むしろ村おこしとか地域共同体レベルで
環境安全保障に役立つような、第三
世界の発展に役立つような適性技術を開発する。
それから
最後に、既に指摘された
環境教育の問題ですが、
環境教育を
地球環境の安全ということだけではなしに、各地域社会ごとの
環境の
安全保障における市民、住民の役割、ごみの処理とかそういうことを出発点にして、そこから積み上げて地域自治体の役割だとか国家の役割について考える。そして、それをどう調整していくかという教育が必要ではないかと思われます。
以上、簡単でございますが、問題提起とさせていただきます。