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1992-02-04 第123回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成四年二月四日(火曜日)    午後一時開会     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     会 長         中西  一郎     理 事                 尾辻 秀久君                 大城 眞順君                 赤桐  操君                 和田 教美君                 立木  洋君                 粟森  喬君                 猪木 寛至君     委 員                 井上 吉夫君                 加藤 武徳君                 沓掛 哲男君                 木暮 山人君                 下稲葉耕吉君                 田村 秀昭君                 野沢 太三君                 林田悠紀夫君                 一井 淳治君                 翫  正敏君                 角田 義一君                 細谷 昭雄君                 三石 久江君                 矢田部 理君                 山田 健一君                 上田耕一郎君    事務局側        第一特別調査室  下田 和夫君        長    参考人        国際日本文化研  梅原  猛君        究センター所長        東京大学名誉教  近藤 次郎君        授        明治学院大学教 武者小路公秀君        授     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○外交総合安全保障に関する調査  (「九〇年代の日本役割-環境安全保障の  あり方こについて)     ―――――――――――――
  2. 中西一郎

    会長中西一郎君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査会を開会いたします。  外交総合安全保障に関する調査を議題といたします。  本調査会は、「九〇年代の日本役割-環境安全保障あり方こをテーマとして調査を進めてきておりますが、本日は、参考人方々の御意見を聴取し、質疑を行います。  本日は、参考人として国際日本文化研究センター所長梅原猛君及び東京大学名誉教授近藤次郎君に御出席をいただいております。また、彼ほど明治学院大学教授武者小路公秀君にも御出席をいただく予定であります。  この際、梅原近藤参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  梅原参考人近藤参考人におかれましては、お忙しい日程にもかかわらず本調査会に御出席を賜りましてまことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。  本日は、「九〇年代の日本役割-環境安全保障あり方こにつきまして忌憚のない御意見を伺い、今後の調査参考にいたしたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。  議事の進め方でございますが、まず、梅原参考人近藤参考人の順序でそれぞれ十五分程度と申し上げでありますが、そう時間にこだわらないでいただいて結構でございますので、御意見をお聞かせいただきたいのであります。その後、午後三時三十分ころまでの二時間程度質疑を行いたいと存じます。  本日は、あらかじめ質疑者等を定めないで、委員には懇談形式で自由に質疑応答を行っていただきます。質疑を希望される方は挙手を願い、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。  なお、意見の陳述、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、梅原参考人に御意見をお述べいただきたいと存じます。梅原参考人
  3. 梅原猛

    参考人梅原猛君) 梅原でございます。  参議院外交総合安全保障に関する調査会に、思いがけなく私のような者を呼んでいただいて大変光栄に存じます。その問題意識でございますが、環境の問題が日本安全保障にかかわりがあるのじゃないかという形できょうは我々が呼ばれたと思いますが、その問題意識は私ども常に感じていたことでございまして、参議院の識見に対して私は厚く敬意を表したいと思います。  私は、実は、環境問題すなわち人間と自然の関係について、哲学者としまして既にもう三十年も前からこの問題を中心に思索を続けてまいりました。また、私が所長をしております国際日本文化研究センターというものも、もちろん日本のことを研究する、しかし、もはや日本日本のことを知っただけではいけない、世界を見て日本研究をしなくちゃならない。それでありまして、我々の機関は、大勢の外国人を招いて、そして国際的な総合的な視点日本研究を行っている機関でございます。  そういう日本研究共同研究が多く行われているのでございますが、二年前から文部省で重点研究というものをいただきまして、これは予算が毎年一億ぐらい出るのでございますが、そこで自然科学社会科学人文科学が共同して文明環境というような問題に取り組んでいるのでございます。この成果について後ほど少しお話し申し上げますが、そういうふうでありまして、私は、個人としても、また私の所属する国際日本文化研究センターとしましても、この問題について強い関心を持っているわけでございます。  それで、お話しをいたしたいと思いますが、予定の時間は十五分でございまして、十五分で何万年の人類文明の姿をお話ししなくちゃならないので、まあはしょってお話しするしか仕方がございません。どれだけお答えできるかしれませんが、足りない部分は御質問いただければ幸甚に思います。一応プリントを用意しておりますので、それに沿ってお話しいたします。  まず、今現在における日本の地位でございます。  それは私は、一応日本は、近代日本は成功であったという視点に立ちます。それはなぜかといえば、やはり経済的に大変繁栄した。もちろん日本は、富のストックは大変まだ乏しいのでございますけれども、一応、今経済的に最も成功している国であるということは言えるわけでございます。それを私は一応評価したいと思うんです。  プリント(一)の、「なぜ日本経済成長は可能であったか」ということについて、話せば長くなりますのでこれは略させていただきます。御質問がありましたら、私なりの見解を持っておりますのでお話ししたいと思います。  ところで、そういう経済成長を成し遂げた「現在の状況」でございますが、これは残念ながら、日本という国は何の国家理想も持たない国であるというふうに世界から見られている、そして理想らしい理想世界に向かって日本は提示していないという現況だというふうに思います。  戦後の世界をリードしましたアメリカ及びソビエト一つの大きな理想を持っていた。その理想が正しいか間違っているかは議論の分かれるところでございますが、ソビエト社会主義という理想を持っていた、アメリカはまた自由主義近代主義という理想を持っていた。そのような理想があるから世界をリードできたのでございまして、日本に何の理想もないとしたならば日本は困った国だということにならざるを得ない、世界ひんしゅくを買わざるを得ないというふうに私は考えております。金もうけ以外には何も理想がない国というものは、私の周囲でも金もうけ以外に何にも取り柄のない人間というのは嫌われると同じように、金もうけ以外に何の理想もないような国は、私は世界ひんしゅくを買って国家安全保障大変都合の悪いことになるというふうに思っています。  だから、何らかの理想を出さなくちゃならないときだと私は思いますが、御承知のように、前の戦争で大分懲りておりまして、前の戦争と同じような理想では困るということになります。私は、このような状態におきまして環境問題こそ日本が提示し得る客観的な理想である、しかも、二十一世紀においては環境問題が最もホットな人類の問題になる、そういう問題について日本は十分発言できる、理想を提示し得る伝統を持っているというふうに考えるのでございます。  それでは、どういうわけでそういうことが言えるかというのが第二以下でございまして、現在の地球環境の問題に対して憂慮しない人はありません。多くの科学者が心から心配している。日本でも、日本を代表するような、例えば福井謙一先生とか利根川進先生というような立派な学者が、地球の将来はもう長くはない、人類の将来は長くはないとおっしゃるわけでございまして、これは深刻な問題になっていることは間違いないんです。  その環境汚染の実態につきまして、後から近藤先生から詳しい説明があると思いますので私の説明は避けまして、一体環境汚染はいつ起こったかという問題でございます。環境汚染はつい最近起こったことでもなく、あるいは近代文明とともに起こったことではなく、環境汚染のよって来るところは既に大変古いんだ、農耕牧畜文明がつくられたときから環境破壊は起こっているというふうに私は思います。  実は、私は、昨年の九月から十月にかけましてギリシャとトルコの旅をいたしました。このギリシャというものは我々哲学者にとってはあこがれの土地でございます。私も若いときにギリシャ哲学を勉強したのでございますが、その思い出のギリシャ土地を訪ねましていろいろ感動する場面がたくさんあったのですが、それとともに驚いたのは、ギリシャの山に一本の木もない、見事なはげ山でございます。そして、山がないと川がない。水は一遍に流れますから川がない。川がないと水に石灰分の土砂が流れ落ちますから海岸に魚がいないわけです。そしてその上に、木がないから火がない。著しい環境破壊を目にしたわけでございます。  これは、古代文明発生地であるギリシャばかりではございません。古代文明が栄えたところ、四大文明と言われますメソポタミア地方エジプト地方、インドのインダス川流域、そして中国古代黄河流域、これは見事に環境破壊が行われている。ほとんど森はなくて、ほとんど砂漠でございます。  これは何によって起こったかというと、明らかに農耕牧畜でございます。その農耕は特に小麦農業でございます。小麦農業はほぼ一〇〇%牧畜を伴います。そういたしますと、森林を耕してそこを小麦畑にする。小麦畑にできないところは牧草地にするということで、たちまちその森は切られていく。有名なレバノンの杉というのがありまして、レバノンにはうつうつたる森林があったわけですが、今はレバノンの森の面影もございません。  こういうふうに、農耕牧畜は森を壊していったわけでございますが、それとともに、巨大な建物の建築、これは大量の木材が要ります。有名なギリシャエンタシスというのは、あれは石で膨らみをつけているんですが、もともと木でつくったんです。木でつくった柱のまねを石の柱でしまして、石の柱にエンタシスの膨らみがあるわけでございますが、それは大量の木材を消費する。それから船でございます。船は、皆さんギリシャで御存じのように、「イリアス」とか「オデュッセイア」という話があります。あれは戦争航海の話でございまして、戦争航海のために船をたくさんつくる。それは大量の森の破壊に通ずる。そして最後に、金属器の鋳造が行われて、またこれが森の破壊を助勢するということでございまして、この農耕牧畜文明、そしてその上にできた都市文明というのがやっぱり自然破壊を行ったということは否定すべくもありません。  これは、大変おもしろいのでございますが、最初都市文明をつくったのは今のメソポタミア地方にいるシュメール族でございます。そのシュメール最初王様ギルガメシュの叙事詩が残っているわけですが、王が最初になしたことは、森の神の殺害であったということでございまして、森の神の殺害というのは森を切ってもよろしい、森を切るべきであるという主張になっていく。そういうような思想がだんだん人類思想になりまして、とうとう「第一次環境破壊」と私が書きました農耕牧畜による環境破壊が進んだわけでございます。  こういう思想とともに、人間だけは特別だ、人間だけが神様の恩寵を得ている、そしてそれは自然の支配権を持っているというような思想が出てまいります。こういうようなことで第一次環境破壊が行われたわけでございますが、だんだん森が少なくなって文明は滅んでいった。そして今度は、森のあるところを求めて文明はやってきた。そして、近代において文明中心になったのは北ヨーロッパでございますが、そこにうつうつたる森がある。そしてアメリカにまた森がある。日本にまた森がある。現在栄えているところは全部森があるところでございます。その森のあるヨーロッパ近代文明は生まれたのでございます。  この近代文明の理念というのはもう神様は信じない、そして人間を第一に信ずる。「コギト・エルゴ・スム」というデカルトの言葉は、思惟する人間が神であるということなんです。そして人間は自然を知る、自然を知るのは科学である、そして自然を征服する、自然を征服するのは技術であるということでありまして、人間と自然を対立させて自然を知り自然を征服する、こういうような哲学近代哲学でございます。こういう哲学工業文明とぶつかりまして大規模自然征服が行われる。それが近代文明でございます。そして、その自然の征服によりまして人類はかつて考えられないような豊かな富を持ったわけでございます。  それは大変結構なことでございますが、そして今申しましたように、文明は森のあるところを求めて文明中心地が移っていったわけでございますが、今や工業文明の大規模破壊はもはやその一地方文明の栄える地方じゃなくて世界の森を壊している。それが今の環境破壊現状でございます。  それでは、こういうような現状において日本はどういう貢献ができるかということでございます。  私は、ここで皆さんにぜひ記憶していただきたいんですが、日本はまだ森が多いのです。日本の森の面積は、日本全体の六七%はまだ森でございます。そして、いろいろ計算がありますが、その六七%の中で約四割は天然林です。天然林といいましても決して人が入っていないということじゃなくて植林をしていない、天然に任せてある、多くは雑木林でございますが、この雑木林が一番自然が豊かなところでございます。そういう森が文明国の中で飛び抜けて多い。先進工業国でありながら森の面積が飛び抜けて多い。次がカナダでございましょうか、それは三〇%、日本の半分ぐらいでございますが、そういうことでございます。六十何%を超える森があるのはブラジルに匹敵するわけでございます。隣の中国なんか決して、必ずしも先進国と言えませんけれども、森は二〇%少してございます。  一体、どうしてこういうことになったのか。自然はまだ大変恵まれているんです。どうしてこういうことになったのかという理由でございますが、これはよく考えているのでございますが、第一に、幸か不幸か日本農業文明が入るのが遅かった。農業文明が入るのが今から約二千年前でございます。正確に言えば二千三百年前、それを弥生時代の初めと言います。千七百年前、二千年を挟みまして上三百年下三百年、その六百年の間が弥生時代でございますが、この六百年の間に日本農耕国家になったわけでございます。だから、世界的に見て農耕牧畜成立は約一万年前、そして米農業成立も約一万年前でございますから、それと比べれば約二千年前というのは実に遅い。遅いということが非常に有利でございまして、そしてやはり日本には、弥生文明以前の縄文文明狩猟採集文明が非常に基層文明として根強く残っているわけでございます。  その基層文明縄文文明というものは狩猟採集文明でございまして、この狩猟採集文明というものは森の文明というふうに私どもは言ってもよいかと思います。人間が森の中にいて、生きとし生けるものと共存していた文明でございます。そして、けものをとり過ぎないように、来年もまたこのけものや魚が来るように、いつもそういうことについての生態学的な配慮に非常に富んだ文明でございます。皆さん、出世魚というのがありますか、あれは魚が出世して名前を変えるわけではございません。あれは縄文時代以来の生態学的配慮でございまして、一年、二年の魚の名前を変えることによって保護したんです。こういう名前の魚はとってもいいけれども、こういう名前の魚はとってはいけないという生態学的な配慮があるわけでございます。そういうのが日本基層にある縄文文明でございます。  こういうふうに、農業文明がおくれて基層文明が、日本におきまして狩猟採集文化である縄文文明が優勢であったということが日本に森の残った原因でございますが、もう一つ日本農耕というのは稲作農業であった。稲作農業というものは小麦農業よりはるかに自然破壊度が少ない。これは私は大事なことだと思います。なぜならば、この稲作農業は田は平たい平地の水の引けるところしかできない、それはおのずから限定されるんです。それからもう一つは、稲作農業牧畜を伴わない、養豚以外は牧畜を伴わないんです。牧畜というものが大変な自然破壊を伴うわけでございますが、稲作農業自然破壊度が非常に少ないということが言えるわけでございます。それにもう一つ稲作農業には水が要る、水が要るにはやっぱり森がなくちゃならない。実は、その森と水、水と海というのは恋人のような関係にある。そしてまた、森の養分が海へ入って、海には魚がたくさんいるということになります。  私は、日本は森と海と川の文化だったというふうに思いますが、そういうふうに稲作農業というものはやっぱり森がなくては生きられない農業でございまして、森を保護せざるを得なかった。もちろん森をつぶしたという面もありますが、一方において森を保護する面も稲作農業は持っていたわけでございます。それで日本には今のような森が残ったわけですが、ただ、物質的な森が残ったということではなくて、日本文化の精神の根底にそういう森の文化がある。  これの詳しいお話はできませんが、神道というものはもともとこういう森の文化から出た宗教です。それは明治以後、国家神道化になりましたけれども、本当の、もと神道自然崇拝の一語に尽きます。それから仏教も、山川草木悉皆成仏というような言葉日本で生み出しますが、山や川も草や木も仏であるということになります。そういうことでございまして、最後にいよいよお話しいたします。  そういうふうな形で森を保存してきた文明でございまして、これが工場文明の到来、新しい文明明治以後到来したわけでございますが、その文明はちょうど田の文明農業文明が森の文明と調和したように工場文明が森の文明、田の文明と調和しなくちゃならない、それが私は現代の日本の課題であると思います。そういう文明伝統を持っているわけでございますから、環境破壊が二十一世紀世界の大きな問題になってきたときに、日本日本伝統に森の文明がある、だからその森の文明人類はこれからやっていこうじゃないかということをはっきり主張できるのじゃないかというふうに私は思っております。  森の文明原理は何か、時間が参りましたのでもう詳しく述べることはできませんが、それは共生循環でございます。共生というものはやっぱり生きとし生けるものの共生、いろんな動物と植物と人間共生じていかなくちゃならないということと、もう一つは、人類同士共生じていかなくちゃならない。この人類共生で一番難しいのは、恐らく南北の共生でございます。そういう共生の理論が実はこの森の文明の中にあるということでございます。  それからもう一つは、循環でございます。循環というものはやっぱり大きく人生も循環しているということでございまして、芭蕉の奥の細道の「月日は百代の過客にして行がふ年も又旅人也」というのは、この循環原理を述べたものでございます。俳句というものはまさしく循環の芸術でございまして、時間が参りましたので、御質問がありましたらまた詳しくお答えしたいと思います。  とにかく、森の文化共生循環哲学ということを日本文化的に世界に十分主張し、そして世界環境問題の解決に貢献する伝統を持っているということを申し上げたいわけでございます。  これで終わりたいと思います。(拍手)
  4. 中西一郎

    会長中西一郎君) ありがとうございました。  次に、近藤参考人にお願いいたします。近藤参考人
  5. 近藤次郎

    参考人近藤次郎君) 本日は、参議院外交総合安全保障に関する調査会にお呼びいただきまして、参考人として「地球環境保全とわが国の貢献」という題で私の考えておりますことをお話し申し上げる機会を与えてくださいましたことは大変光栄に存じます。  私は、昭和五十二年まで東京大学に勤めておりました。その後、環境庁所管国立公害研究所、現在は国立環境研究所に移りまして、副所長所長といたしまして筑波に八年間勤務いたしました。その後、日本学術会議環境庁中央公害対策審議会会長をしておる者でございます。  さて、一ページをごらんいただきますと、右の方の旗印の中に書いてありますことが、このごろいわゆる新聞等で騒がれております地球的規模環境問題でございます。右の端の方に書いてありますところは、例えば海面が上昇して住むところがなくなって水浸しになってしまう、生態系が変化する、生物多様性が減少する、土壌がなくなって砂漠化が進む、こういうことでございますが、このほかにも旗印に書いてありますようにいろいろな地球的規模環境問題というのが出てまいっております。  その根本原因は、やはり人口が非常にふえてきた。梅原先生お話しになられたギリシャ文明時代は、恐らく世界じゅう人口が、日本で申しますと弥生時代より前かもわかりませんが、全部ひっくるめて一億には足らなかったであろうと思われます。それが御承知のように現在は五十三億になりました。十七世紀の終わりと申しますと大体今から三百年近く前になりますが、そのころ世界じゅう人口が大体十億であったのですが、この間にこんなに人口がふえてきております。今世紀の初めは十六億でございました。それが現在は五十三億、今世紀の終わりに五十四億、来世紀の二〇二五年ごろには八十五億、そして二〇五〇年までに百億になろう、こういうふうに人口がふえております。そうしますと、どうしてもエネルギーをたくさん使わなきゃならない。食糧の問題があります。そして経済活動をしなければならない。それによってここに申しましたような地球的規模環境問題というのが出てまいります。こういう問題を解決するには国際条約というのを設けて解決するというのが、これは政治家方々がお考えになることであろうと思いますが、二ページに書いてございます。  この二ページは、現在環境問題と言われている地球温暖化の問題、オゾン層保護の問題等々から動植物の絶滅の問題まで書いてございます。それらの中で、既に国際条約としてでき上がっておりますものも書いてございますし、現在考えている、その準備ができているものも書いてございます。例えば、地球温暖化問題に対しましては、気候変動に関する政府間パネルというのができ上がっておりまして、ことしの六月にブラジルで行われます。国連のブラジル会議、UNCEDにおきまして、少なくとも気候変動枠組み条約というのが締結される準備がされております。あるいは、この中に書いてありますように、一番下のところでごらんいただきますと、生物学的多様性保護条約、これは動植物の種類が全体で一千万種ぐらいあるんですが、一年間に千種以上が森林破壊等によりましてなくなっていきます。  こういうものを保護しておかないと、例えば、バイオテクノロジーが発達いたしまして、我々が飲んでおります薬はすべてバイオでできたもの、あるいは私たちが食べております食糧もと森林の中に生えておった草等からできたものであると言われておりますが、そういったものがなくなってしまうと、これはこれだけ科学が発達いたしましてもまだアミーバのような下等な生物すら人工でつくるということができません。たんぱく質まではやっとつくることができるようになりました。アミノ酸もつくれますが、しかし、ノミ一匹つくれないというのが現在の科学でございます。そうしますと、いわゆる遺伝子というものがなくなってしまいますとこれは大変なことになる、将来の人類科学にとって新しいものができてこないということになってしまうと思います。  そこで、「日本貢献」という三ページのところをおあけいただきますと、ことしは御承知のように、ブラジルのリオデジャネイロにおきまして、六月一日から十二日にかけまして環境国際会議地球サミットというのがございます。ことしか一九九二年でございますからちょうど二十年前の一九七二年、日本環境庁ができた翌年でございまして、先生方よく覚えていらっしゃると思いますが、そのころ日本は大変な状態で、水俣病はある、四日市ぜんそくはあるという大変な公害があった。公害国会がありまして、環境庁が発足したのは御記憶のとおりであります。  その二十年を期しまして、ことし、環境と開発に関する国連の国際会議、省略してUNCEDと呼んでおりますが、それがございます。ここで、どういうことが合意されるのだろうかということはもちろんまだわかっておりませんが、下準備ができておりまして、まず最初は、地球環境憲章、これは地球環境についての大法則を、精神的なものが中心になると思いますが、高くうたおうということであります。  その次が、温暖化防止の枠組み条約ということでありまして、地球が温暖化するというのはいろいろな原因がありますけれども、それは私たちが石油や石炭を燃しまして大気中の二酸化炭素、炭酸ガスとも申しますが、これがふえる。これはもうはっきりした測定したデータがございまして、五十年ほど前と比べましても二酸化炭素の濃度が大変に上がっているということがもうはっきりしております。これが上がりますというと、太陽から来る光は通過させますが、一たん地面を暖めた光は赤い光になる。赤外線ストーブのような光ですが、これを大気中の二酸化炭素がつかまえてしまう。そうなりますと、結局、地球の過熱と冷却というバランスが崩れてしまうことになりますから、地球全体が暖かくなるだろうと言われております。どれくらい暖かくなるかと申しますと、地球全体で摂氏二度から四度ぐらいでありますが、これははっきりしておりまして、実験をしてもそのようになるのであります。そのようになりますと、雨の降る場所が変わってきたり、あるいは雪が降る場所が変わってきたりいたします。  日本ではどんなことになるかというと、去年は台風がたくさん来まして、九州へも上陸いたしまして大変な被害を与えました。バングラデシュあるいはインド洋の島々でも大きな被害が出ましたが、あれは御承知のようにエルニーニョという現象でありますが、そのことでもわかるとおり、太平洋の一部分の温度がちょっと上がっただけであのような大きな被害が出る。したがって、気象が大変変わってきまして、二、三度温度が上がるだけで十二月になっても台風がやってくるということが起こるかもわかりません。  その次が、先ほど申し上げておりました生物種の多様性保護するための条約であります。  梅原先生からお話がありましたが、森林保護条約、これは特に熱帯雨林と申しまして、ブラジルにはアマゾンの大変な密林がございますし、ボルネオにも大密林がございます。この辺からパルプ材をとってまいります。これは熱帯雨林だけでなくて、タイガといいまして、今はロシアになりましたがシベリアにも針葉樹の密林がございまして、そういうところから木を切ってパルプにして使っておるのでありますが、そのために森林破壊されているということが問題になっております。この森林保護する条約をつくろうではないか。  アジェンダ21というのがありまして、この21は、御承知のように、二十一世紀に向けての地球環境保全の実際の行動計画、この中には大気汚染防止、水質汚濁防止あるいは今の生物森林と、こういういろんなことが書いてあります。廃棄物の処理も入っておりますが、これが大変なことでありまして、これを実行するにはどれくらいお金がかかるか。特に途上国は、このように地球をしたのは先進国がいろんな資源を収奪して持っていって壊してしまったんだ、地球が汚れたのはお前たちの責任だ、だから途上国を援助しなきゃいかぬ。それを計算してみますというと、ことしになりまして発表されたのでありますが、大体一九九〇年ぐらいの状態で六百億ドル要ると。二〇〇〇年になったら、毎年毎年の話ですが、どういうためかといいますと、途上国に経済援助をする、それと環境保全。  環境保全の中には、このアジェンダ21の中に書いてありますことは、例えば下水道が途上国で普及していないために住宅環境が非常に悪い、衛生環境が悪い。そういうものも支援しなきゃならぬ。途上国へ下水道をつくると、上水道だってない、上水道ももちろんつくらなきゃなりません。やりますと大変なお金がかかるのは当然でありまして、結局二〇〇〇年ごろには千四百億ドルが必要である。これは開発に関する委員会というのがありまして、そこで世界開発研究所というところで試算した値でございます。これをどう負担するかということはその後問題になると思いますが、大変難しい問題でありまして、この地球サミットがどのように運営されるかということについては私どもも大変大きな関心を持っております。  それは、先進国の間で足並みがそろっていないということが一つであります。御承知のように、今アメリカ合衆国は非常に景気が悪い。二酸化炭素の排出を防止するというようなことになりますと、日本ではもうどこでもやっておりますが、アメリカでは二酸化硫黄、SO2でさえ脱硫装置というのをまだ十分につけていないくらいでありますから、これまでやるとなると大変なことになるのであります。しかし、やらないとは言えませんから、地球が温暖化するなんて言ったって、天気予報さえ当たらないではないかと。だから、来世紀地球が二度から四度上がると、そのときになって対策を立てても間に合うではないか、今この景気の悪いときに何かやるのは反対だと。  ECは、それと反対でございまして、御承知のように、オランダのように土地が低いところがある、EC全体としてもこれはぜひやらなくてはいけないと言っております。  もう一つは、南北問題でありまして、途上国は先進国の責任においてすべての環境問題を解決するだけでなく、根本は途上国が貧困であるからだ、だからその貧困を直すためにお金を出さなくてはいけないということでありまして、日本はECとアメリカ合衆国、先進国と途上国、その間に入りましてこのUNCEDでは大変苦労するだろうと思います。  アメリカの上院議員でテネシー出身のアルバート・ゴア、御存じの方いらっしゃると思いますが、前にアメリカ合衆国は戦略構想、SDIというのを言い出しておりまして、これも国会で御議論いただいたと思いますが、それに対しましてSEIということをこのごろ提唱しております。それは戦略的環境構想というものでありまして、アメリカはもっと前へ出て、一体環境をどうするんだということを世界の第一国として言うべきである、主張すべきであると、こういうことを言っております。  そのために、我が国でも、御承知のように、ことしの四月十五日から十七日にかけまして東京賢人会議というのを竹下元首相が招集なさいまして、世界じゅう方々が集まって議論をする。主として先進国でございます。先進国はとにかく途上国援助ということが強く言われます。かといって、余り援助をして、あなたのところの木を切るなとこう言いますと、途上国の人はこれは主権の侵害だと、木を切ろうと川をとめようとこっちの勝手ではないか、あなた方が外から偉そうな顔をして押しつけるな、こういうことを言われるものですから非常に難しい。お金の問題だけじゃなくて、そういった途上国の対応も御議論になると思います。  世界環境議員連盟、これはここの先生方の中にもお入りになっておられる方があられるかもわかりませんが、これも行動を起こそうということでございます。  四ページでは、今度は「科学・技術的貢献」ということでありまして、科学的にわからぬ、天気予報も当たらぬではないかということで、もっと当たるようにしようではないか、大きなコンピューターを使いまして計算をすることができますからやろうということで、きょうも実は日本学術会議の講堂を使ってやっております。IGBPというのがありまして、これは国際地球圏、Gというのは地球圏、ビというのは生物圏、プロジェクトというのがございますが、これは我が国も加盟しておりまして、我が国の科学者、きょうは学術会議に約三百人の科学者が集まっております。これはもう二百の学会に所属している科学者が来ておりまして、議論をして、今、日本でどれくらい貢献ができるだろうかということをやろうとしております。IGBPは今世紀中の企画でございまして、二〇〇〇年に終了しようということであります。  地球環境産業技術研究機構、これはリサーチ・インスティチュート・オブ・イノベーティブニァクノロジー・フォー・ジ・アースといいまして、関西に現在建設中でございますが、長過ぎるものですからRITEと申します。これをつくりまして、ここでは二酸化炭素を固定化しようと。二酸化炭素を固定するのは何でもないんです。あれは冷却してやるか圧力を加えてやりますとドライアイスにすることができる。しかし、ドライアイスがたくさんできても、しまっておくところがないんですね。ほっておきますとまた気体になってしまいますから、それではだめでありまして、二酸化炭素に水素を加えてメタノールにしよう。メタノールにしたらもう一遍燃料として使えるではないか等々を含めましていろいろな研究がやられておりますが、それをこのRITEでもいたしております。  UNEPというのは、一九七二年の国際会議の結果できた組織でございますが、そこのトレーニングセンターを大阪市、それから滋賀県守山へ誘致しよう、そして途上国の人を訓練してあげようと。  そのほか、ICETTというものもございまして、これは四日市にできたのですが、ここで技術移転をやろうということであります。  「経済的貢献」といたしましては、これからはODAを環境問題の支援のために使わなくてはならない。技術移転、これは途上国の方ではただで技術をよこせ、特許料なしでよこせ、こう言われておりまして、これは大変難しいことでありますけれども、しかし、環境に関することについては何かODA絡みで政府の方でお考えいただいて、技術は途上国に対して余り特許料を取らないでトランスファーすることができるとありがたいなと思っております。  そこに千二百五十億ドルと書いてございます。先ほど私は千四百億ドルと申し上げたんですが、いろんな算定の方法がありまして、千二百五十億ドルとしましても、これは日本円にいたしまして十五兆円に相当します。これをどうやるかということは難しいことであります。  「TAX」と書いてありますのは、これは別に貢献税のことを言っておるんじゃなくて、アメリカ合衆国は一リットルのガソリンをわずか三十五、六セントで売っておるわけです。日本は大体一ドルぐらいでございます。それを見てみますと、アメリカはやっぱりむだ遣いしておる、もっとアメリカの人たちはタックスをかけて石油、ガソリンを高くしなさい、そうしたらむだ遣いをやめるのではないかということでありまして、これは一種の市場メカニズムを導入するということであります。課税問題というのは国会でお決めになることでございますけれども、そういう市場メカニズムをうまく使ってアメリカは資源節約をしなければならないと私どもは思います。アメリカの人はそんなことは言いません。ことしは大統領選挙の年だからそんなことはできやしないよとこの間も言っておりました。  その次は、一般の市民としてどういうふうに貢献するか。これは要するに、地球的に問題を考えて行動は足元からということでありますし、それからできるだけ物を大事にする。これは梅原先生に例えばよくわかると思いますが、私たち日本人の先祖は非常に物を大事にした。そして、おばあさんがつくってくれた、着た着物をお母さんも着て、そして娘が結婚するときにも着る、こういうことをやった。これはもう日本文化の特色でありまして、ちゃんと反物の大きさが標準サイズになっておるものですから、娘が大きくなっても縫い直すとちゃんと着られるようになる。  家でもそうですね。柱の長さというのはもう決まりておりまして、それでもって大きな部屋でも小さな部屋でもできる。こういう非常にうまいリサイクリングができているんですが、今のコンクリートの住宅は、もう壊してしまったら瓦れきの山であって、どこへ持っていっても使うことができない、そういうことはやめなければならないと思います。  NGOというのは、草の根運動の団体でありまして、こういう人たちは往々にしていわゆる反体制の過激な人たちの集まりというふうに見られがちでありますが、実際世界的に見ますと非常にいいことをやっておられるのでありまして、そこには二つほど例が書いてございます。  ことしの初めにブッシュさんが来られました。その後アメリカから環境の専門家も来ておりました。主に政治家の方たちですが、東京でセミナーをやりました。そこで出た話としては、軍事費が世界じゅうで一兆ドル便われておる。インドは八十四億ドル使っておる。これはインドのGNPの三・三%。しかもODAを二十一億ドルも受け取っている。ベトナムは半分軍事費に使っておる。こういうことは世界じゅうでやめるようにしたらどうだということが言われております。  CO2につきましては、アメリカが非常に消極的であるということでございます。  あとは、やや専門的な図が六ページ、七ページにございまして、最後に、ことしの一月の十五日に新聞に書きましたものを、大変汚くて恐縮でございますが、つけてございます。  以上でございます。(拍手)
  6. 中西一郎

    会長中西一郎君) ありがとうございました。  以上で梅原近藤参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより質疑を行います。  先ほど述べましたように、本日は自由質疑形式で質疑応答を行っていただきます。御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、質疑のある方は、私から指名をさせていただきますので、挙手をお願いいたします。
  7. 尾辻秀久

    ○尾辻秀久君 それでは、両先生にお尋ね申し上げたいと存じます。  これまで、この調査会では、地球環境現状やとるべき対策について議論をして調査してまいりました。今回、両先生方には、これまでの調査とはまた若干異なりまして、地球環境問題について考えるべき一つ視点として環境人間あるいは人類とのかかわりの問題を提起していただきました。大変啓発されました。御礼を申し上げます。  そこで、梅原先生は、本年一月一日付の読売新聞の「論点」で、「もう科学と技術は、長い間彼らが親友としていた進歩と欲望という友人を捨てて、この共存と」、きょうは先生は「共生」という言葉をお使いになったようでございますが、そのときには「共存と循環という新しい友人と現しくしなければならない。」と指摘をされておられます。ここで言っておられる共存と循環原理こそが梅原先生環境問題に対する基本的な認識でおありだろうと考えるのであります。  また、近藤先生は、同じく「論点」で、その後すぐであったようでございますが、お書きになったものをお示しいただきましたけれども、昨年五月六日付の日本経済新聞で環境文化に関する懇談会の報告書を取り上げておられまして、「人々は科学に基づいて適正な行動をして、環境人間とのつながりを深め、それを特定の個人や集団の独占物とは考えないことを主張した。」と述べておられます。こうした大変重要な御指摘をしておられます。  そこで、このようなことを私たちがといいますか、人々がどのように知るか、あるいはそうした意識を持たせるのか。まさに新しい意識改革が必要であろうと思うのですが、これをどうやって行っていくのか。これはまさに私たちの課題でもございますので、先生方の御意見をお聞かせいただければ大変ありがたいと存じます。
  8. 近藤次郎

    参考人近藤次郎君) それでは、近藤から最初にお答えさせていただきます。  和辻哲郎さんという方がおられまして、この方は梅原先生よりは大分前の哲学、特に倫理学を講義なさった方ですが、有名な「風土」という本が岩波書店から出ております。この本の中に倫理観というか、自然に対する考え方ですが、住む地域に、環境によって非常に影響されるんだということを言っておられます。  例えば、砂漠の民であるフセインが、今度の湾岸戦争環境に対して大変大きな破壊をやった、環境テロと言われている。しかし、ああいうことは日本人はどんなことがあってもやらぬと私は信じますが、砂漠にいる人というのは非常に荒々しい気持ちを持っております。  和辻先生の説によると、インドから東の方のモンスーン地帯、日本もそうでございますが、ここら辺は熱くてしかも湿度が高い、こういうときはじっともう耐え忍んでいるよりほかしょうがないというので忍従する、我慢するというのがインド、中国、韓国、日本、こういう国々の倫理の基本になっている、こういうように述べておられます。  こういうことで、環境の問題を議論しようとしまして、環境を守るというのはこういう倫理観に基づいて守らなければならない。環境倫理というのを日本だけで言っておるならわかりやすいんですが、お互いに同じような環境ですからわかりやすいんですが、世界の人にも通じる原理で言おう、こういうことにいたしますと、その共通の環境にいないものでありますし、また共通の宗教も持っておりませんので、みんながキリスト教ならばキリスト教の教えを引用することができますけれども、私どもの考え方を理解してもらうことはできない。唯一共通の尺度は、自分がそうでありますが、やはり科学ではないだろうか。つまり一足す二が三であるという話なら世界じゅうの人に理解してもらえる。ですから、私たちの環境文化の基本は、二酸化炭素がふえたら地球が温暖化して、その結果困るのだということをきちんと科学で解明する。これならば宗教が違っても北にいる人も南の人もわかるのではないか、こういうことで科学を基本に据えたのであります。  その次は、やはりお金があるからといって大きな自動車に乗るあるいは広い地域を独占してそこで遊ぶ、そういうのはやっぱり貧しい国の人たちのことを考えあるいは隣の人のことを考えるといけないのではないかというようなことが、環境文化の懇談会で昨年の四月一日に環境庁長官に答申を申し上げた私どもの見解でございます。  ただ一つ、多分梅原先生から御反論があろうかと思いますので予防のために一言申し上げさせていただくならば、私は確かに科学が基本であるということを申し上げましたが、科学でまだわかっていないことがたくさん実はあるんだということを知っておりまして、まだまだ私たちはその意味において科学をもうちょっとやって、つまりもっと天気予報がぴしゃっと当たるようにしなきゃならないと考えております。  以上でございます。
  9. 梅原猛

    参考人梅原猛君) 尾辻先生の問題は大変難しい問題でございまして、十分お答えできるかどうかわかりませんが、私は今の状態を、法華経というお経がございますが、法華経の火宅の比喩だというように考えております。家がぼうぼう燃えているのに、中にいる子供たちはいろいろ戯れている。火の燃えるのを知らずに何か戯れているというふうに、そういうことを法華経に書いてあります。どうも私は今の日本の繁栄というものは、本当に家がぼうぼう燃えてきたのに、家の燃えるのも知らずにまだ戯れている、私を含めて世の日本人はそういう比喩で私はいつも考えているんです。  環境破壊という恐ろしいことが起こっていて、やがて我々人類の未来に人間が住めなくなるような世の中が来ても、そういうことを知らないで、あるいはわざと知らないような顔をして遊びにふけっている。私はそういう人間のイメージが浮かび上がるわけでございます。  私は、この問題は今までの人類がまだ経験したことのない重大な問題である。そして、文明の質を、農耕牧畜が始まって以来の人類文明を反省して、新しい文明をつくっていかないと人間は生き残れないんじゃないかというふうに思っております。その原理がやっぱり生きとし生けるものとの共生と、共存というふうにも言いましたが、共生の方がよりよいかと思います、共生です。  今、近藤先生の話によると、毎年一万七千もの植物や動物の種が絶滅している、これは重大なことなんです。河合雅雄君の話だと、実は、日本において明治までは絶滅した動物、植物の種はない。しかるに、明治以来、ニホンオオカミを初めたくさんの動物、植物が絶滅した。特に戦後、植物の絶滅した数は多いということでございます。  私は、それをやっぱり食いとめていかなくちゃならない、生きとし生けるものと共生する、そして神様は生きとし我々の地球をたくさんの生物でもって囲んだのです。この生の多様性世界、これはすばらしい世界です。これを我々は守っていかなくちゃならない。そういう文明の原則を変えないといけない。そのためには人間のわがままを抑制しなくてはならないというふうに思います。今のように自分の我欲を満たせばよいというような生き方、それを善としたならば、やがて人類は滅んでいくだろう、滅びへ邁進するだろうというふうに私は考えております。  そして、今言いましたように循環――私は生物で一番大事なことは自分の子孫を残すことだと思っているんです。私は孫が生まれてかわいくてしょうがないんですが、なぜ孫がかわいいかわかりませんでしたけれども、やっぱり循環ということが人類生物にとって一番大事なんだ、同じ生命がだんだん残っていくということが一番大事なことでございまして、そういう循環、宇宙そのものが循環でございますが、生命そのものも循環でございます。そういう原理の上にもう一遍文明を立て直さなくちゃならないというふうに私は思っております。  私は、政治家の方はやはり一番力を持っていられる方だと思います。だから、私は政治家の方がそういう文明の課題に目覚めて、人類を長持ちさせるような方向に持っていっていただきたいと思うんです。  今、近藤先生のお話をお伺いして気づいたのでございますが、アメリカヨーロッパと違ってなかなか環境保護に熱心ではないということでございます。アメリカ近代主義の徹底した国です。アメリカ近代主義で人工的な国をつくった。ヨーロッパ近代主義ヨーロッパの土壌から生まれたものでございまして、他のいろんな原理と共存しているわけでございますが、アメリカは人工的に近代主義の国家をつくったんです。近代主義というのは技術万能の考え方でございまして、やはり人間が絶対の善で、そして自然を支配することはいいことだ、そしてすばらしい豊かな文明をつくったのでございます。この近代主義が今歴史によって大きく裁かれている、そういう無理な国のつくり方が今大きく裁かれているんじゃないか。その点、比較的ヨーロッパは健全でございます。  日本は、近代国家になりましたけれども、その日本の国家原理の中に非近代的なものが含まれている。一時代前の我々の先輩たちは非近代的なものは日本の悪だというふうに考えていましたけれども、非近代的なものにかえって健全なものがある、非近代的なものの中に不健全なものもありますが、健全なものもある」だから、日本アメリカのような文明の行き詰まりを経験しなくても済むのじゃないか。  特に、今、和辻先生のお話が出ましたけれども、例えば和辻哲郎先生の立てた倫理は人間の倫理。人間の倫理というのは、人と人との間、人間というのは人と人との間、倫理は人と道徳、倫理というものは人と人との間に成立するというので、ヨーロッパの個人倫理と違った立場をとらえたんです。私の共生哲学というのもそういうものと一抹のつながり、共生循環というのもそういうものとつながりがあると思うんです。  そういうふうに、私は日本伝統に基づいて、地球のこの今の状態は私は近代主義の誤りだと思いますが、これをやはり警告していくということ、それを哲学や文学で私は表現していく、それに一生をかけたいというふうに思っています。  政治家の方は、我々のような自由な物書きではないのでございまして、やはり政治は慎重であるべきだと思いますから、すぐに学説を取り上げてそれを実行するというのは難しいとは思いますが、そういう思想を考えていただきまして政策の中に取り入れていただければ私ども学者は本当に満足して一生を終えることができるというふうに思います。
  10. 尾辻秀久

    ○尾辻秀久君 どうもありがとうございました。
  11. 赤桐操

    赤桐操君 まず、私は梅原先生にお伺いしたいと思うんです。  水と稲作と森の循環といいましょうか、こうしたお話をお伺いいたします。  私は、千葉県の銚子で生まれ、そして黒潮の流れで育った人間でございますから、先生のお話については大変身にしみて感ずるものがございます。  そういう立場でお話を承っておりましたが、私どもが育つころはまだ浜大漁におか満作という言葉があったんです。これは私は共通した一つ循環からきていると思うんですね、今お話を承って感じたんですけれども。私が旧制中学のころになりますというと田んぼで大分化学肥料が使われるようになってきて、これが利根川から海岸に流れてくる。そのためにプランクトンが大変少なくなってきておる。なだの魚が稚魚を追うことができなくなってきている、稚魚は海浜で育ちますので。そういうことをよく私聞かされたことがあるんです。最近で言えば二百海里というのがありますけれども、昔は近海が漁場でございまして、そこの魚がなくなって、だんだんと沖へ出るようになってしまったんですね。  今のお話の中では、まだそれでも日本の場合においては森と水と田んぼですか、この関係は今日なお健在である、一〇〇%ではないが六七、八%ぐらいの健全さを持っているということを伺ったわけであります。しかし、ずっと考えてみますると、これは私は大変大事な原則だと思って伺っておりましたが、これをもとに復活させて、少しでもダウンさせないようにしていくということのためには大変な努力を必要とすると思うんですね。  問題は、結局、近代文明によってこれは破壊されてきておるわけです。その近代文明というのは人類が生み出したものである。日本もこれを大きく発展させるために、明治以来大変な努力をしたと思うんですね。しかし、この流れは今も続いておる。これからますます動いていくだろうという中で、一体これをとめるにはどうしたらいいのか、あるいはまた、調和させていくための原則を見出すにはどうしたらいいか、こういうことで悩むわけであります。先生は精神的な面でお説きになられましたけれども、私ども政治の立場にある春といたしましては、同時に具体的に何かやはり施策を出さなきゃならぬ、こういうことになるのでありまして、もう一歩ひとつ突っ込んだ御意見をお聞かせいただければありがたいと思います。これが一つです。  それから、近藤先生にひとつお伺いしたいと思うのでありますが、地球環境問題で一番大きな問題というのは温暖化の問題だと思うんですね。説明を申し上げる必要はないと思いますが、結論的に申し上げて、二酸化炭素の発生は、生産活動だけではなくて日常生活からも出てくるものだ。しかも、人類はどんどん合ふえている、こういう状況の中で、果たして総排出量を抑えていくことができるんだろうか。そしてまた、森林面積がどんどん今減少してきている。悪いことばかり重なるという状況になってくる中でいろいろ現実的な施策もとられておるようでありますが、今とられている例えば二酸化炭素の回収あるいはまた除去、固定化処理、こういった方法は本当に有効性があるのかどうなのか、見通しはどうなのか、こういう問題についてお尋ねいたしたいと思います。  以上、両先生にお願いいたしたいと思います。
  12. 梅原猛

    参考人梅原猛君) 先生のおっしゃる問題は、実に重要な問題でございます。  私は、福井謙一先生と対談したことがございます。そのときに福井先生はこう言われたんです。今まで科学と技術は人間が自然を征服することに役に立った。これからの科学技術は自然と共生じ、自然を尊敬することにある。私はこの福井先生の言葉が忘れられないのでございます。先生は非常に自然がお好きな方でございまして、本当は生物学者になりたかったけれども科学者になったんだというふうにおっしゃっています。  私は、技術の低い段階ならば自然環境保護しながら生産を高めるということはなかなかできない。しかし、技術が非常に高度に進めば、同時に、非常に経済的に品物を生産し、しかも環境破壊が全く行われないような形で物を生産することはできる。ちょうど科学技術が人間の体のようになりまして、きちんと排せつ物も処理して、それを自然に返して、そしていい製品ができるということも可能になるというふうに私は思うんです。  今までの科学技術の言葉には、生態系破壊することが悪であるという言葉は書かれていない。それが悪であっても、科学技術も生態系保護する形で発展すべきだということになりますと科学技術そのものも変わってくる、私はそういうふうに思います。長い目で見れば、多少回り道でもそうするより仕方がないことがだんだんわかってくるというふうに思いますので、先生のおっしゃっている共存はやはり可能である。その道を探らねばならないというふうに思います。  私どもの身近な例で見ますと、京都の鴨川にダムを建設する計画がございました。そのダムを建設すると、鴨川にはオオサンショウウオがおりまして、そのサンショウウオが死んでしまうということでございまして、住民が困りまして私どものところへ来まして、みんなで署名してダムの建設をやめてもらいました。そのかわり、土木の人とよく相談して自然環境保護するような形の河川改修をする。自然環境破壊しない形で技術を進めていくというような形のものを考えるということで大体その話し合いはつきましたけれども、そういうふうにやっぱり科学と技術の性格が変わってこざるを得ないだろうというふうに私は思っております。
  13. 近藤次郎

    参考人近藤次郎君) お答え申し上げます。  せっかく資料がございますから、もしできましたら六ページをおあけいただきたいと思います。  ただいまの赤桐先生の御質問地球温暖化は二酸化炭素、CO2が排出されるからであります。人間がたくさんおって、我々は御承知のように呼吸して、酸素を吸収して二酸化炭素を吐き出しておりますが、大体重油の一リットルを燃しますと千五百リットルの二酸化炭素が出てまいります。私どもは一日に二酸化炭素をどれぐらい出しておるか、実は勉強してまいりませんで申しわけございませんが、せいぜい五百リットル、肺活量から考えてみておわかりいただけると思いますが、五百リットルまでいかないと思います。人間が幾ら大勢集まりましても、その人いきれで窒息したという話は聞いたことがございません。ですから、まず人間がふえるということは、呼吸することによって直接相手に迷惑をかけるということはないかと存じます。  それでは、どうするかということでございますが、六ページの図をごらんいただきますと、「石炭 石油 天然ガス」、これは燃料によって二酸化炭素の出る量が違いますから、例えば天然ガスを使うというのは、二酸化炭素の発生から見まして同じ電気にかえるといたしますと、天然ガスを使う方が大変有利でございます。  その次は、「エネルギー変化」、つまり燃料が持っております熱エネルギーを電気エネルギーにかえるわけですが、それを上手にかえるということによって同じ一トンの石炭を燃してもっとたくさんの電気をとる、こういうふうにすればよろしいと思います。その方法も技術的に解決されておりますし、「燃料電池」あるいは「電磁流体発電」、この電磁流体発電もまだ実用化されておりませんけれども、こういうものを使って発電することができますというと、将来技術といたしましては二酸化炭素の発生を抑えることができる。しかし、ゼロにすることはできません。少なくすることはできるということで上に書いてあるとおりであります。  それならどうするかというと、再利用するということでありますが、これは先生が御指摘になられましたように、いろんな方法を今検討中でございます。先ほど申し上げましたように、これをメタノールにかえるということができますが、そのメタノールにただでかわってくれるならよろしいんですけれども、触媒を使う、あるいは装置を使う。そうしたら、それを運転するのにまた電力が要ると仮にいたしますと何をやっているのか、勘定してみるとエネルギーを余計使っていることになっちゃうという御指摘のとおりでございます。これは、これから私ども非常に慎重に計算をし、計画をやっていかなければならないと思っております。  下に書いてございますのは、それはそんなことをしなくても二酸化炭素を発生させないで電気をつくることができる。それは御承知のいわゆる原子力発電、もう一歩進みまして核融合による発電、右に書いてございますが、「DlT」というのはこれによって核融合発電、そういう問題がございます。  そのほか、太陽の熱を使う太陽電池あるいは水素発電、バイオ、生物を使う、地熱を使う等々ございますが、まだまだこれらは全部十分でございません。現在、都市で使います大量の電気を賄うにはこれらは十分でございません。  ただ、この中で実用化されておりますのは原子力だけでございます。原子力につきましては、右に書いてありますように、これをどうやって安全に使うかということが大岩な問題でございまして、この図はそのようなことを示したものでございます。  以上でございます。
  14. 和田教美

    ○和田教美君 私も、両先生に同じような質問になるかもしれませんけれども、少し観点を変えまして、この六月にブラジルで開かれます環境と開発に関する国連会議、つまり地球サミットとの関連でそれぞれ御質問をいたしたいと思います。一この地球サミットの共通スローガンといいますかテーマは、「持続可能な開発」ということでございます。この持続可能な開発というのは、将来の世代の欲求を損なうことなく、今の世代の欲求を満たすような節度ある開発、こういうふうに定義されておるわけでございます。こういうふうに定義すればわかりますけれども、これの実現は非常に困難なことではないかというふうに思うんです。特に問題は、既にもう準備会議の段階から出ております南北の対立てす。これがどういうふうに解決していくのか、私たちも非常な危惧を持って見ておるわけでございます。  梅原先生にまずお聞きしたいんですけれども、梅原先生共生という考え方を非常に強調されました。最近我々の間にも、総合的な安全保障という問題を考える場合に共生の理論というものをどうしても取り入れなきゃいかぬという考え方があちこちに出てきておりまして、二、三日前もそれを中心とする国際会議もやったわけでございます。  共生ということを考えても、梅原先生は、この問題を解決するためにはやっぱり我々の生きざま、つまり近代文明というものに対するあり方というふうな問題に突き当たらざるを得ないということを先生は前々からおっしゃっておりますけれども、端的に持続可能な開発ということを考える場合にも、南の国々は要するにもっと発展しなきゃいかぬ。GNPもどんどん伸ばさなきゃいかぬということを中心に考える。北の方はそれに対応して、景気が悪いからやはり成長は続けなきゃいかぬというふうなことを言っていたら、全体として解決にならないということになるわけで、結局、北は少しスローダウンしなきゃいかぬという問題。  そうすると、我々の生活のレベルを下げなきゃいかぬ、ライフスタイルも変えな。きゃいかぬというふうな問題に立ち至るだろうと思うんですね。そういう意味では、やはり精神の問題、生きざまの問題、こういう問題にどうしてもいかざるを得ない。そこに共生という問題の非常に重要なポイントがあると思うんですけれども、その辺について先生はどういうふうなお考えを持っておられるか、お聞きしたい。それが一つです。  それから、近藤先生には、私もそういう問題を解決するベースが科学であることは事実だと思います。しかし、例えば今のCO2の問題が今度のブラジルでの会議の一番の焦点だと言われておるわけですけれども、先ほどからもお話がございましたように、アメリカはCO2の規制のはっきりした基準を決めるということについて非常に消極的ですね。この間も北欧の女性の総理大臣が来られて、そして日本の総理大臣に対してアメリカを少し説得してくれというふうな注文もついたということでございますけれども、この問題について果たして今度の会議でそういう基準というものができるのかどうか、この点をどういうふうに見ておられるか。  この間、新聞に国際的なNGOのアンケートの回答が出ておりましたけれども、両論ありますね。非常に悲観的な見方をするNGOと楽観的な見方をするNGOと二つあるわけですけれども、先生はどういうふうに見ておられるますか。  それともう一つ、先ほどお触れになりました千二百五十億ドル毎年かかるという環境対策のための資金ですが、この問題はアメリカが非常に渋っている。それから、ヨーロッパ先進国も今は景気が余りよくないということで渋っているというふうな状況の中で、日本は大体どのくらい負担すべきなのか。湾岸戦争のときの九十億ドルという指標がございますけれども、それに見合うぐらいのものは必要なのかどうか、出さざるを得ないのかどうか、その辺の先生の御見解をひとつお聞きしたいと思います。  この二点でございます。
  15. 梅原猛

    参考人梅原猛君) 大変難しい問題でございます。実は、私はユネスコの国内委員をしているのでございますが、御存じのようにユネスコにおいて、アメリカもイギリスも脱退して、日本は多大の金を払っている。日本が一番たくさんのお金を出しているわけでございます。だけど余り意見は出さない。金は出して意見を出さないというのは、ある意味で言うとゆかしい風習か日本的な謙虚さだとも言えますが、とてもそれは謙虚ととられない。やっぱり金を出すにはしっかりした主張をしなくちゃならないというふうに私は思います。ブラジルのこの会議も、今先生のおっしゃったように恐らく金を出さなくちゃならない、これは相当出さなくちゃならないと思うんですが、それにはやっぱり日本は言うべきことは言わなくちゃならない、はっきりした主張を持つべきだと。  そこで、環境対策においてアメリカがおくれているとしたならば、日本は西欧側と一緒になってアメリカを説得する。しかも、その説得の原理は、日本文明原理の中に入っているということをはっきり主張すべきであると。もし金だけ出して主張が何にもなかったら、これほど日本がばかにされるいいチャンスはないと私は思っています。ばかにされていいのならいいですけれども、私は自国がばかにされることにいい気持ちを持っておりません。だから、私は、はっきりそこは主張していただきたいというふうに思っております。  それで、先生のいわゆる共存の、共生の中で南北の共生は大変難しいと、おっしゃるとおりでございます。大変難しいと私は思います。しかし、日本がこの問題に対してきちんとした態度をとる、文明原理の中に解決の方向はあるというふうに考えたならば、例えて言うと、アフリカの砂漠化が進行しているところに森の義勇軍というようなものを出す。そしてできるだけ森を広げていく。森を広げていくことによって必ずまた生産と結びつく。すぐには結びつきませんが、必ずそういう生産と結びついてくるのがあります。そういう長い目で見た文明の先頭に立つべきであるというふうに私は考えております。  それから、近藤先生からお聞きしますと、公害防止技術について日本は一番すぐれていると。そういう公害防止技術を、日本で最高度の技術をつくって、そういうことに関しましては特許だとか面倒なことを余り言わずに、それを開発途上国の中に貸し与えて、そして開発途上国が公害のない開発を進めていくことができたら、私は、世界の人たちに日本は感謝されこそすれ、日本が恨まれることは決してないだろうというふうに思います。  我々のライフスタイルの変革ですが、まず、リサイクル可能ではないものをできるだけつくらないようにするというようなことも考えなくちゃならないんです。私のそばにはむだなものが多過ぎるように思います。むだなものが多いということは決して生活――むだを排せよということは生活水準を下げろということではない。まずむだを省くことから始めていくべきだと。だから、リサイクルが不可能なことはなるべくしないようにする。ゴルフなんということも余り褒められたものじゃないだろう。ゴルフをやるなとは言いませんが、余り褒められたことではないだろう。山が汚染されるということはやはり褒められることではない。  実は、あそこは里山でございまして、我々が死ぬとまず最初に行くのはあの里山でございますが、里山がゴルフ場になりましてもう我々の行くところがなくなった。ゴルフの球を打っていると祖先の霊にはっと当たったりして、祖先は痛い痛いと言っているかもしれないというふうに、やっぱり一種の霊魂のリサイクルの場所を何か不可能にしたような感じが私はいたします。  そういうふうに、文明の全体にリサイクルができないものはなるべくやめていこうという検証が必要である。そういうようなことにあえてたえられないと日本は本当に共生の国にならないだろう、世界から尊敬される国にならないだろうというふうに私は思うのでございます。
  16. 近藤次郎

    参考人近藤次郎君) たくさん御質問があるようでございますので、先ほどの御質問に手短に答えさせていただきます。  まず、今度の地球サミットで、気候変動枠組み条約がうまくいくかどうかということでございます。これは全くわかりませんが、今強く反対しておるのは、先ほどから出ておりますとおりアメリカ合衆国でありまして、我が国はどういう行動をとるかということが、各国の新聞記者もたくさんおりますし、非常に注目されてくると思います。  私は、ほかの国に気兼ねしてどうこうというのでなくて、やはり信念を持って言うべきことは言うと。実はCO2を抑えるということは、御指摘のとおりなかなか難しいことでございますけれども、我が国は一九九〇年の十月にいわゆる行動計画を閣議で発表されました。そういうこともありますので、一九九〇年レベルまで一人当たり抑えるということはもうちゃんと言っておられます。まずそれくらいのことはやろうではないか、強い信念を持って発言をすることがまず一つございますが、極めて難しくて、私の見るところ成否半々ではないかと思います。  次に、千二百五十億ドルの膨大な支出を、もしアジェンダ21が通って決まったら、出すことになったらどうするか。その仕組みは、一つの大きな国際基金をつくりまして、その国際基金で支出する。日本だけがやることはとても不可能であります、できません。九十億ドル出すのでも大変だったわけでございますからできません。ですから、千二百五十億ドルも、私は数字としては無理だと思いますが、たとえその十分の一でも難しいと思いますけれども、そういう基金をつくりまして、そして各国のGNPに応じた比率で拠出する、多分そういう線で合意される。これは大変難しくて、経済界からも御反対がありましょうし、アメリカ合衆国ももちろん反対すると思いますが、できるとすればせいぜいその線であろうと思います。  第三番目には、せっかく貢献するならば、日の丸が外からわかるような貢献をするということが非常に大事なことでありまして、梅原先生も御指摘になられたように、例えば東京の空は昭和四十年、五十年ごろは向こうが見えないくらいでありましたが、こんなにきれいになりまして、富士山も見える。これは日本の公害防止技術がい私は世界の水準を知っておりますけれども、日本は格段にすばらしい。しかし、お金がかかります。だから、そこまできれいにするまではいかないでも、途中までやっても、途上国の状況を見てみますとうんときれいになりますので、お金を出すということは無理ですが、技術移転という形で、つまり我々が知っているノウハウを教えてあげるということで、お金に換算しても大きな金額に相当するのではないか。日本がやるとすれば、さしあたってこういうところから手をつけなければならないと思います。  以上。
  17. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 上田でございます。梅原先生近藤先生、ありがとうございます。  お二人に若干質問させていただきたいんですが、梅原先生のお話で、工場文明が第二次の地球環境破壊で限界にぶつかってきた、そこで森の文明、特に日本の稲作、田の文明、この見直しが必要だとおっしゃることは共感いたします。環境保護というのは自然の保護で、空気、水、森、川を守ろうということなので、哲学としてそういうものをみんなのものにすることは大変大事なことだと思うんですね。梅原先生日本理想として環境を提起されたことは、国際貢献でPKOなんという風潮の中では私も大変共感するんですが、アメリカは人工の近代主義だ、ああいう問題も生まれている。日本近代主義の中には非近代主義がある、非近代主義の中には健康なもの、健全なものがあるとおっしゃって、神道、仏教なども森の文明だったというようにお話しになりました。  そこで、一つちょっと疑問に感ずるのは、今の環境破壊というのは工業文明のオール否定で克服できるかどうか。特に工業文明の中の多国籍企業の論理というか、多国籍企業の文明といいますか、それが今の地球環境破壊の大きな原因で、特に最近二十年間がすごかったというデータなんかもありますので、そういう点では先生のお話の中にはやや日本的、復古主義的な感じがするんですね。復古主義だけではこれは克服できないだろう。  例えば、先生も南北問題が一番難しいとおっしゃったんですが、熱帯雨林の破壊で一番よく言われるのは焼き畑農業、焼き畑文明でしょう。しかし、焼き畑文明というのも、あれはもともと循環共生になっていたんですね。それが今みたいにひどくなるのは、日本の多国籍企業の進出で森をどんどん切っていく、そこで道ができて、焼き畑農業も森の奥まで進んでいくということがありますので、だから南北問題を解決する際にも、日本として日本の多国籍企業のそういう文明をどう国家的に国民的に克服していくかという哲学が必要なので、今復古主義的という批判をするつもりはございませんけれども、やはり新しい国家の戦略、計画、思想、行動、条約等々に多国籍企業の論理を乗り越えるものが要る、要請されているんではないかと思いますので、それをひとつ質問させていただきたいんです。  それから、近藤先生にお伺いしたいんですが、地球サミットというのはなかなか重要な会議で、私、雑誌「公害研究」に載った座談会を、去年の四月号を読みましたら、環境庁地球環境部長の加藤さんが、UNEP事務局長のトルバさんが昨年八月のナイロビ会議で、九二年会議人類が生き残れるかどうかのラストチャンスだと言われた、それを聞いて電気に打たれたような気がした、そうおっしゃっているんですね。  それで、国際自然保護連合、国連環境計画、世界自然保護基金が新しい世界環境保全戦略というものを発表されて、これも私、一応ざっと読んだんですが、読んでみると、先ほど私がちょっと言ったような現在の多国籍企業の論理を乗り越えるための戦略、行動計画がかなり詳細に練り上げられているんです。  ところが、日本政府の地球サミットに提出される「環境と開発 日本の経験と取組」、きょうのこの審議のためにいただいてざっと見たんですけれども、そういうものは全くないんですね。ただずっといろんなことを、外務省が編集したというんですけれども、並べているだけで、実際には長良川河口ぜきの問題にしても高尾山の問題にしても、日本にいる五百種の鳥のうち二百三十種の鳥がいるという三宅島の問題にしても、結局、政府の行動というのは環境破壊を実際には推し進めているという状況がありますので、先生からごらんになった日本政府の地球サミットヘの取り組み、これは率直にどういうふうに感じておられるか、これをひとつお伺いしたいのです。  それから、近藤先生にはもう一点、今、和田議員からも提起がありましたが、資金の問題ですね。この「かけがえのない地球を大切に」、「持続可能な生活様式実現のための行動」、こう銘打ってある中には、資金で一番力を入れて書いているのは軍事費の削減なんです。二カ所にわたって書いてあるんですが、「本戦略遂行に要する全費用をまかなってもまだ巨額を余すという軍事費」ということが書かれていて、先生のきょう提出していただいたデータにも、世界の軍事費一兆ドルとなっています。だから、毎年千二百五十億ドルというのも軍事費の八分の一ぐらいで済むわけで、世界銀行の元総裁のマクナマラ氏は、日本に来たとき、八千億ドルの軍事費のうち四千億ドルは世界の経済発展のために使うべきだという御主張だったんです。  この地球環境人類の生き残るラストチャンスと言われる地球サミットで、結局、資金がどう出るかというのは特に南北問題で一番大事なことなので、だれが見ても、一部の人を除いては、これはむだな費用だというのが軍事費だと思うので、これにもそういう提起があるんですけれども、近藤先生のその点についてのお考えをお伺いしたいと思います。  以上でございます。
  18. 近藤次郎

    参考人近藤次郎君) それでは、お答えさせていただきます。  まず、私、一番最初の図に書いてございますように、地球環境の悪化の問題はやっぱり人口でございまして、日本明治になりますまで大体二千五百万から三千万、実にきれいな国であったと言われております。現在は御高承のとおり一億二千万、五倍になっておりまして、明治の昔に返るというわけにも、これだけ人口がふえますと何とも難しいことだと思います。  それならどうするかというんですが、これはやっぱり大勢の人がきれいに暮らす工夫があるだろう。何も人口を無理やりに減らさなくてもきれいにすることができる。それは一つは、上下水をきれいにするとか環境を浄化する、いろいろな機器をつけたり装置をつけたりすることによって浄化することができるということです。  多国籍企業の問題がございました。我が国が批判されますのは、必要以上に、余りに大量に物をつくり過ぎるということ。アメリカからも自動車をつくり過ぎるということで批判をされておりますが、やはりその国の本当に必要なニーズに合わせた生産をするということが必要でございまして、私は大量生産卵悪いとは申しません。    〔会長退席、理事大城眞順君着席〕  つまり、人口が五倍にもなっていますから、明治の初めのような生産をすればみんなが寒い思いをして、そしてひもじい思いをしなければなりませんから、それは科学技術を使って大量生産をするのは必要でございますけれども、必要以上にやっておるのではないかということは考えなくてはなりません。それから、三番目に軍事費の問題です。私は、これは上田先生ひとつ大いに頑張っていただいて、軍事費は先ほど申し上げましたように、これ以外に千二百五十億ドル捻出する方法がございませんので、世界じゅうにそういう合意ができるようにぜひひとつ進めていただきたいと思います。  私も東京大学におりましたときは航空学科におりまして、宇宙及び飛行機をやっておりました。近代の飛行機は、戦闘機をつくったり爆撃機をつくったりした技術が転用されて今我々がしょっちゅう乗るような飛行機が出てきたということは否定できないのでございますけれども、しかし、これも戦闘機と我々が乗る今のボーイング747は同じ技術がというとそうではございませんので、これは非常にむだですが、お互いにやめませんと、うちだけやめてすっからかんにしておきまして、も、隣から攻めてこられたときにそれではだれが守るのかということになります。    〔理事大城眞順君退席、会長着席〕  ここのところはせっかく総合安全保障という調査会でございまして、私はそちらの方の専門でございませんので何とも申し上げられませんけれども、世界じゅうの一兆ドルもある軍事費、しかも、私もっと悪いと思うのは、自分の国を守るために自分の国で軍事費を使うのはこれはしょうがないんですけれども、いわゆる死の商人と言いまして、武器をつくってよそへ売ってそしてもうけて、よそで紛争がもっと盛んに起こる、こういうのはそれだけでも何とかやめてもらえないかなと思います。軍事費の問題、大変難しい問題で、私はそう思っておりますけれども、これも相手のあることでございましてなかなか難しい。  それこそ本調査会の主題でございましょうが、あと武者小路先生もいらっしゃると思いますので、私は甚だ不十分でございますが、これくらいでお許しいただきたいと思います。
  19. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 日本政府の取り組みについてはいかがですか。
  20. 近藤次郎

    参考人近藤次郎君) 日本政府の取り組みにつきましては、一生懸命やっておるというところはひとつぜひお酌み取りいただきたいと思います。  ただ、各省庁で何しろ今度の予算案で五千億ですからね、この地球環境問題。あんまりたくさん盛り込んで書くものですから、焦点がぼけてしまっておるのは御指摘のとおりでございます。
  21. 梅原猛

    参考人梅原猛君) きょうは思いがけないことがたくさん起こるんで、外交安全保障で私が呼ばれることも思いがけなかったんですが、共産党の上田先生から多少の批判はあるもののお褒めいただいたのは実際思いがけないことでございます。  恐らく、私ほど赤旗に悪口を書かれた人は少ないだろうと。ここ三年来で何十回出ましたか、ひどく悪口を言われまして、まだ続いているようでございますが、上田先生、どうか余り悪いやっじゃないからと、赤旗に余り書かないように言っていただきたいと思います。  先ほどの赤桐先生からのお話でございますが、循環という思想はやはり大変大事な思想でございまして、この前、岩手県に講演に行きましたら、岩手県の漁村の方が森の保護のスローガンを募集したら「森は海の恋人」だと、大変それはすばらしいスローガンでございまして、実際そのとおりでございます。森の栄養が海に入って海の魚が育っていく。森のないところに海はない。森と海が恋人であるとしたら川は仲人でございまして、この仲人のおかげで日本は長い間稲作農業をやってきたのです。だから、森と海と川というのは一体でございます。  近藤先生から和辻哲郎さんのお話がございましたけれども、和辻さんの「風土」という本は二つの大きな言葉があるんです。一つは、ヨーロッパには雑草がない。ヨーロッパは全部牧畜ですから雑草は全部飼料でございまして、ヨーロッパに雑草がないということと、日本の海が海である、ヨーロッパの海は海ではない。それはやっぱり森がないので海に栄養がいかないんで海にほとんど魚がいない。そういうわけでございまして、やっぱり森と海と川はセットと、こういうところからどうしても森と海と川を守っていかなくちゃならないという運動が出てまいりました。  この点について共産党さんは熱心でございますが、私はその点については共産党さんに敬意を表したい。随分悪口を言われまして敬意を表するのはつらいんでざいますが、敬意を表したいと思っております  それから、私の方は復古主義的な色彩があると言われましたけれども、そうかもしれませんが、決して私は技術に反対ではございません。先ほど申しましたように、技術は一定の発展段階にいきますと排せつの方もきちんとすると。どうも今までの技術というのは胃袋の方だけ拡張しまして、排せつの方はしっかりしなかった。人間の体は排せつまできちんとやる。そういうふうに人間の体に科学技術が従うべきだ。排せつもきちんとやる技術、だから、一つ工場の中で自然に還元できないものはつくらない、そういうふうに技術はなるべきだというふうに私は思っております。  だから、私は古代に、昔に返れというふうに申しておりません。考え方としてむしろ森の文化、狩猟採集時代の考え方の方が地球を長持ちさせる。そういう森の文化の考え方と、つまり共生循環の考え方と科学技術が結びつくのがこれからの人類の生き方じゃないか、あり方じゃないかというふうに考えております。だから、私はそれは復古主義だというふうに考えておりません。伝統を新しく生かす生き方だと思うんです。日本伝統というと何かずく国家主義というふうに考えられますが、縄文時代までさかのぼると、それはむしろ国家主義ではない、世界に共通でありまして、そしてそれは自然を大事にするという考え方でございまして、私はそれは決して復古主義ではないというふうに思っております。  先生のような理論家と徹底的にけんかしてみたいと思いますが、これはまた別の機会にさせていただきたいと思います。  どうもありがとうございました。
  22. 猪木寛至

    ○猪木寛至君 簡単に質問させていただきます。  私は、子供のときにブラジルに移民いたしまして、ちょうどブラジリアという町が今できておりますが、遷都しまして、当時は恐らくジャングルだった、シングー族なんという裸族がまだいた時代なんです。それがこの二十年ぐらいの間にまさに裸になりまして、インディオも洋服を着ているような状況に変わってきている。そういう変わっていく状況を私もよく見させてもらいまして、一つ土地改良という部分で、微生物を使ってやっておるんですが、これはその土地土地に必要な栄養素というか、あるいは微生物を利用したことをやっておりまして、この微生物世界というのはまだ本当に入り口に差しかかったぐらいのところじゃないかなという気がするんです。  もう一つは水の問題で、これはやはり微生物を使って浄化していくということで成功いたしまして、水でも二つありまして、大きな湖とか河川の汚染という問題について好気性の菌を大量に培養しまして、それを放流してその環境をつくってやる。これは大変みんなびっくりされるんですが、本当に短期間で浄化がなされていく。ことし行われる環境会議、今まさにリオの海岸はもうどろどろだし、そこへ流れ出している湖、それももう汚染がひどい。これはリオに限ったことではありませんけれども、世界じゅうでそういう汚染が進んでおりますので、一つは、工業排水を微生物で処理いたしまして、染色工場の排水であったり、フィルム工場の排水、こういうものを処理して川へ放流してやる。  それと、大気汚染の問題ですが、いろんな問題があってこれの解決案というのは大変難しいんでしょうけれども、とりあえず今できる技術として、日本の中にあるんですが、石油、油の中に不完全燃焼を起こす硫黄酸化物であったり、そういう部分だけをバイオで中和させてしまうというか、これが結局、完全燃焼を起こすというか、従来の自動車の燃料というのは七〇から八〇%しか燃えない、残りがすすになったり大気汚染になるわけですが、この二〇%の部分を中和さすことによって九十何%の燃焼効率に変わる、それが一つは大気汚染の抑制になるんじゃないか。  とにかく、開発途上国ではもうひどい。曲もひどいし、機械も古いしというようなことで、そんなことを私自身今やっておりまして、この間リオに行って、今回の環境サミットに提言してきたんです、この四つの問題についてひとつ実証いたしますからということで。  そういうことで、環境会議はぜひ成功してもらいたいと思うんですが、その状況を見ますと、甚だそういう状況にないという、だから会議会議だけで終わってしまうという可能性がある。環境という問題がことしブームみたいに騒がれて、そしてこの会議が終わった後にブームが去ってしまったような、これではいけないと思いまして、その辺についてこれからの十年。  それから一つは、やはり子供たちのスパンというのは非常に長いと思うんですね。これから五十年、六十年。百年の大計とは言わないにしても、そのくらいのスパンで物が見られるような考え方を持つべきじゃないか。  そういうことで、余り時間がありませんので、ひとつこれからの見通しだけについてちょっと簡単に御意見をいただきたいと思います。
  23. 近藤次郎

    参考人近藤次郎君) 大変大事な御指摘を賜りました。  特に、猪木先生がおっしゃるように、バイオの技術というのはこれから非常に希望が持てるものでございまして、例えば、農業を使いますとセミもトンボも皆死んでしまうんですが、稲をかんだら死ぬ、農業を使うかわりに稲の中へそういうのを入れまして、バイオで稲の害虫だけを殺しちゃう、こういう農業が開発されようとしております。  さて、今後の十年を見通して、確かに新聞等ではこのブラジル会議を盛り上げて書くと思いますが、その後はがさっと下火になる。そうしますというと、地球環境問題も一時の花火で終わるかと、こう思いますが、過去の例を見ますと必ずしもそうでもございませんで、やはり二十一世紀にこの問題は続くと思います。  そこで、私は、先生方に特にお考えいただきたいのは、環境教育ということをぜひ提唱して、文部省等におかれても考えておりますけれども、ぜひこれを激励していただきたい。これからの子供たちに環境教育をやるということは非常に必要でありますし、特にそれは我が国だけでなくて途上国の人たちにもぜひとも伝えることが必要であります。  七二年の、二十年前のストックホルムの国際会議のときには、途上国の人たちは我々は公害が欲しいんだというくらい、経済開発と取引をして公害があった方がいいくらいだと、こう言っておられたんですが、そういうこと言わないようにしてもらうためには、やはり環境の大事なことを途上国の人もわかっていただくということが非常に必要だと思います。  以上でございます。
  24. 梅原猛

    参考人梅原猛君) 時間がございませんので簡単にお答えします。  私は、やっぱり先進国の責任が大きいと思うんです。先進国は途上国に豊かな富を与えることはできなかったけれども、かえってひどい環境汚染を与えたということについて、先進国は責任を持つべきだというふうに私は考えているんです。私はブラジル現状を知りませんけれども、相当ひどい現状であろうというふうに思います。  それから、環境問題が一時の流行に終わるかというと、私は終わらないと思うんです。ということは、環境破壊はますます激しくなっていきますから、忘れようとしてもこれは忘れられない問題でございます。だから、近藤先生がおっしゃったように、やはり環境教育をしていく、子供に自然に親しむことを教えていく、それが非常に大事だと、共生循環の大切さを子供のときから教えていくということが非常に大事だと、これは世紀の課題でございます。  先生のおっしゃったように、スパンを長いスパンで持てば、この問題はやっぱり最重要な問題として議論せざるを得ない。我々の物書きもそういうことを頑張りたいと思いますから、政治家皆さんもそういう形でぜひ教育の現場においてそういうものを入れていくように運動を願いたいというふうに思っております。
  25. 猪木寛至

    ○猪木寛至君 ありがとうございました。
  26. 粟森喬

    粟森喬君 私は、環境問題を考えるときに、一つは、人口の抑制とか科学のさまざまな抑制とか、そういうことを考えなかったら基本的に問題は解決しないと思うんです。例えば日本の場合、今一億二千万人と言われていますが、むしろ日本の国土なりから見たら六千万人ぐらいが適正だと言われています。しかし、六千万に減らすというのは、戦争でも起きない限り、あるいはコレラみたいなものがはやらない限りそれは不可能でございますから、これを維持するというか、科学なり思想の立場で本質的にそれを正当化する論というのがまだ非常に弱い。  環境という立場から見ると、これは大変だこれは大変だと言って現象面からは出てくるけれども、本質論として言うならば、大量生産大量消費ということが今の時代ではやっぱりだめだと。それを抑制していくということを正当化することを科学者が論じ、哲学者が論じるという時代にならないとどうもいけないんではないかと。  ところが、日本の場合でも、例えば経済成長率をそれじゃゼロにするといったら政治家も経済学者も大騒ぎして、とてもじゃないがそれじゃやっていけない、こういう論理になると思うんです。私は、例えば人口問題なんかも、いわゆる政治行為的にやっている一つの例は中国だと思いますが、必ずしも余り適当ではない幾つかの矛盾も出てきている。こういうことなども見ながら、いわゆる一つの流れがありながらもそういう抑制をする、そして現状を維持する。例えばそれが何となく保守主義みたいとか復古主義と言われる場合も時としてはあるんですが、もう少しこの辺のところについて、今の世の中の物の考え方の価値観の出発点としていま一度整理する時代に来たんではないかと思っているんですが、そのことについて両参考人に多少の御意見をいただければと思います。
  27. 近藤次郎

    参考人近藤次郎君) 人口の問題、これは御指摘のとおりでありまして、これが環境問題の根源であるということは一ページに書いたとおりでございます。  それなら、人口抑制はどうしたらとまるかということでありますが、これは日本などをごらんになりますと、日本は確かに人口はふえておりますが、昔と違いまして年寄りが死ななくなって、参考人になって意見を述べたりしておるからでございまして、そういう意味で人口がふえている。昔の人生五十年だったら日本人口はこんなにふえておりません。  そこで、それなら人口をほかの国もふえないようにするためにはどうすればいいかというと、やはり衛生状態をよくしてあげて、そして女性の地位を向上させてあげる、この二つが非常に大事だと思います。そうすれば、苦労して子供をたくさん産むということはなくなる。生まれた子供は必ず育つということが保障されているならば日本のように子供は少産少死ということでふえない。したがって、人口問題も解決する。要は、そういうことを途上国の中国や時にインド、こういう国々にどういうふうに普及するか、それに我々がどう力をかすことができるか、それは非常に難しい問題でございまして、お隣へ行って、おたくは貧乏だからもう子供を産むのをやめたらどうですかと、こういうことはなかなかそれこそ言えない難しいことでございます。  以上。
  28. 梅原猛

    参考人梅原猛君) もう時間がございませんから、簡単にお答えいたします。  ライフスタイルを変えなくちゃならないというのはまさにそうでございまして、実は二十五年ほど前でしょうか、アメリカからある学者が来まして、そのころアメリカで大変人気のある学者でございまして、そしてNHKで、これからは使い捨ての時代だと、人間も使い捨てろというふうなことを言ったんです。私はそれの質問者で出まして、使い捨てとは何事だと、人間の使い捨てなんというのはもってのほかだと言いましたら、梅原アメリカの大先生に失礼なことをしたというふうに言われた、日本人に物すごく批判されたわけでございますが、今二十五年たってみると、私は私どもの方が正しかったというふうに思うのでございます。  そういう使い捨ての文化というものは、私は今のバブル経済とつながっていると思いますが、これを考え直していく。ある意味で言うと、アメリカの今の停滞というものはそういう使い捨ての文化ということと非常につながっているというふうに私は思うんです。その意味で、私はやっぱりライフスタイルを変えていかなくちゃならないというふうに思うんです。ライフスタイルを変えながら、どうして生活の水準を落とさないようにするかということが私は非常に大きな知恵を必要とするところだと思います。  それから、もう一つ人口問題でございますが、お隣の中国には道教思想というものがありまして、道教思想は産めよふやせよという考え方で、その考え方はたくさん子供を産んでおけば老後が必ず大丈夫である、そういうことでございまして、老後の心配は、社会福祉というものが徹底できればむやみに産むという考え方は少なくなるだろうというふうに、近藤先生のおっしゃるとおりでございます。これは大変難しい問題でございますが、これを解決しないと人類の共存も共生もできない。つまり、開発途上国の方で人口が爆発的にふえる、援助すればするほど人口がふえるということになりましたならばこれは将来に大変な問題になってくると、こういうものを理性的に処理する国際的な機関が必要になってくるだろうというふうに私は思っております。
  29. 木暮山人

    ○木暮山人君 本日の外交総合安全保障に関する調査会に対しまして、参考人の両先生の貴重な御意見をお聞かせ願えてありがたいと思っております。  それで、これに対するところのいろんな質問が出て、大体終局に近づいてきていると思うのでございますけれども、せっかくの機会でございますからひとつ両先生に質問させていただきたいのでございます。  日本の国是から見まして、世界の中の日本、これから二十一世紀に向かって日本がどの方向に進むかという進み方の方向をこの調査会としてはある程度確定していかなきゃならないと思うんです。  今まで長い間の日本の政治を見ますと、あの荒廃の中から追い抜打追い越せ、それでみんな追い越しちゃって、はたと今度はリードしなきゃならない、どうやってしたらいいか、顔がない日本、基本的な物の考え方がはっきりしない日本。その中で単に政策論争に貴重な時間を割いて今までみたいにしていったら、ソ連のように七十五年たてばもう崩壊してしまう、こんなことを日本は繰り返したくないと私は考えておる者の一人でございます。  そういう観点から、非常に幼稚な意見でございますけれども、近藤先生にはせっかくチャートをお示し願いましたもので、このチャートによってまだ足りない部分が多少あるんじゃないかと。それは紫外線の問題、それからオゾン層、バンアレン帯の問題、こういう問題がこのチャートの中に一つ出ていないということ。それと、ではどうやりましたちこの問題を正常な状態に戻せるかということになりますと、このチャートのバランスをどうやったらいいかというまず見通し。これは難しい問題でございますから、端的に言えば人口を三十億にすればいいんだよと、その三十億にするにはじゃどうやったらいいのかと。それともう一つは、オゾン層を破壊しないためには人工衛星を上げなきゃいいんだと。例えば人工衛星を一発上げれば五十キロぐらいの穴があいちゃう。その穴から太陽の光線が直接地球に当たる、そうすればその当たったところは大体二度から三度温度が上がる。三千個も四千個もこの地球の上に温度の上がる部分ができたら、おのずと海流の流れ方、対流、気候等に変化を来す、こんなような雑駁な考えですがあると思うのでございます。  それともう一つ、第二は人口問題ですが、ふえる。これは女性としてといっても女性だけで人口がふえるわけじゃございませんですから、これは大変なことで、この間、韓国へ行って従軍慰安婦問題でやられてきました。やはりこの問題は私は大変な問題だと思うんですね。これをどうやったら抑止できるか。  それともう一つ、南方雨林ということを言っておりますけれども、すぐ南方雨林は焼き畑農業に関連させていって、そして日本がやったんだと、こう言うんですね。しかし、私は南方雨林の一番ど真ん中のラーダタンというところにしばらくいたこともある。また、ルソン島にもいたことがあります。それで、その南方雨林の一番主力であるシロセラヤとアカセラヤの樹齢をどうやって判断するのか。世界の学界ではシロセラヤと、アカセラヤの樹齢はきっとだれもわからないと思うんです、ただみんな切るだけでですね。しかし、あれを切った場合、その木の下の下木が全部枯れてしまうんです。ということは、やっぱりセラヤの樹齢何万何千年かのものにカバーされて下のジャングルというものは成り立っているわけですね。そういう森羅万象の流転というものがどこかで人工的に一つ断ち切るともうそれが継続していくわけですね。これは、例えば南方雨林から波及する問題、それと宇宙のいわゆるオゾン層を破壊したことによる大気の変化、それともう一つ人口、この人間生物学的な問題からいきますと、特に紫外線と人間の生体との関係は大変なことになっていると思うんですね。  それと、こんなことを言ったら大騒ぎになりますけれども、生体の遺伝子に対する影響、こんな問題につきまして、この外交総合安全保障調査会日本の今からの行くべき方向を、学者であらせられます先生たちの一つの見通し、こうやるべきなんだ、こうやってくれという切なる願いが学問の中から叫びとして出てくるんじゃないか。それを我々政治家が社会党だ共産党だと言わずに、その目標に向かってぱっとやる。軍事費なんてどうでもいい。そんなもので今論争しているときじゃなくて、もっと大切な問題がある。それをみんなで一刻も早く解決する方法について先生たちの高邁な英知をおかりしようというのが参考人によるところの意見を聞かせていただくこの会じゃないかと、こんなふうに思うんでございますが、結論的に何か簡単にひとつお教え、御指導賜ればと思います。
  30. 中西一郎

    会長中西一郎君) 三石さん、どうぞ御質問してください。まとめてお答えいただきますから。
  31. 三石久江

    ○三石久江君 三石です。私ごとですけれども、梅原先生には四、五年か五、六年前に京都で講演を聞かせていただきました。それは、たしか地方政治ということでのお話だったと思います。そのとき私は政治家になるとは思っておりませんでしたけれども、そのときやっぱり女性も政治に向けなければならないなというふうに気がつかせていただいたんではないかなと思っております。  参考人の方の論文をずっと読ませていただきまして、梅原先生の「人間と自然の関係を根本的に変えないとだめだ」ということと、「もう一度母なる土地人間は帰らなくてはならない。」というのに感銘を受けました。そして、近藤先生のはこの中に三つのシナリオがある、三つ目のところで「環境と調和して生きる」、こう書かれてあるのを見て、私はまだ二年半の政治家ですので、この「調和して生きる」、具体的にどう生きたらよいのかと、その論文を見ながらしばらく考えたわけです。  ソ連、東欧を中心とする社会主義体制が崩壊して、いわゆる自由主義体制が勝利したと言われています。従来の社会主義国では計画経済が破綻し、競争原理に基づく自由経済への移行が進められていると聞いているわけです。しかし、私どもの日常生活の周囲を見てみますと、自由競争の行き過ぎで目を覆う面が大変多いんです。環境破壊の重大な原因になっているのではないかなと思うわけです。  そして、私は地球環境ということから言えばこのことは小さいことなんではないかなと思いながら、日常生活でこれでいいのかな、これでいいのかなと主婦的感覚で考えておりました。私は、五日に一遍ほど買い物に行くんですけれども、そこでいつでもいただいてくるビニールの袋、取っ手のついた袋を一カ月間どれだけ手に入るかということを調べたことがあるんです。五日に一度買い物をいたしますと、家族二人なんですけれども、ほとんどが食料品で一カ月に六回になりました。一回に持ち手のついた袋、大中小合わせて五袋から六袋、ただのビニールの袋は食品ごとですので十枚から十二枚。合計手つき袋だけで二十八枚、ただの袋は何と四十枚余りにもなりました。  そこで、私はその袋を何かにならないかなと考えたんですけれども、どうしても生ごみを入れて捨てるしかない。それは週に一回出すわけですから、大体四袋か五袋ですね。小さい袋というのは本当にたくさんいただきますけれども、ほとんどが余ってしまう。幾らためてもためても何にもならないということを考えまして、この袋というのは最初からごみになるためにつくられたんだなと思うようになりました。そして、日本じゅうの世帯で捨てられるこのビニールの袋は莫大なものになる、どれだけになるんだろうかというふうに考えると何かそのビニールの袋が悲しくなってしまいました。  そしてまた、一日に何百万部と印刷される新聞、政治欄から経済、社会、スポーツ、娯楽欄、広告まで全部に目を通すことはないでしょう。しかし、読者層を広げ、販売部数を確保するためには避けられないことなんですね。その新聞にまた毎朝挟み込まれる広告にしても、生産された品物を販売するためにまことに確率の低い消費者を当てにして、むだを承知で大量にばらまいていますしかし、これは紙の再生はあると思います。ところが、スーパー、デパートヘ行きますと、商品の陳列だけのためのトレー、またアルミのパックが家庭へ帰ればみんなごみになるわけです。  私たちは、この外交・安保でごみの山へ行ってきました。もう驚いて帰りました。そこでその資源が浪費されているということを見たわけです。販売競争に勝つためのやむを得ないことなのでしょうけれども、競争に生き残るためとはいえ、余りにもむだが多過ぎると思うんです。資源の浪費が甚だしいと思います。その浪費が環境破壊の一翼を担っているのであれば、これは何とかしなければならないと思うわけです。  以上はほんの一例にすぎませんけれども、コンピューターの紙の浪費、商品輸送のための段ボール箱の浪費など、まだまだたくさんの例があります。森林資源の消費もあらゆるところで見られます。  そこで、野放しの自由競争ではなく、節度ある計画性に基づく経済、すなわち崩壊したと言われる計画経済が環境的に持続可能な経済として見直されるべきではないかと私は思うんですけれども、いかがなものでしょうか。
  32. 近藤次郎

    参考人近藤次郎君) 木暮先生が御指摘になられましたが、この私の図には実はオゾン層破壊も入っております。  どうしたらいいかというのは、この上流にさかのぼってそして手を打つということでございまして、一番源流は確かに人口増加でございますが、そこへ手を打つのはなかなか難しゅうございますから、例えばCO2を出さない、SO2を出さない、あるいは出たものを吸収する、そこに手を打つ、これがその一つでございます。  三石先生が御指摘になられました問題は、私の資料では七ページに書いてございまして、要するに、廃棄に至るまでメーカーが責任を持つ、つまり全部を考えてつくるということが必要であるということになると思います。  ビニールの問題は大変難しい問題でございますが、私が先ほど申し上げたRITEという研究所では、捨てればもう土にかえってしまう、そういうビニールを現在開発中でございます。しかし、それにしてもやっぱり使い捨てにしないことが一番大事なことでございますから、そこは御指摘のとおりでございます。それもできないことではないということです。  最初に御質問がありましたが、実は一言だけ申させていただきますと、中国でどうして砂漠がゴビにできたかというと、キツネがたくさんおるものですから、キツネの皮をとろうと思ってキツネをたくさんとっちゃった。キツネをとりましたらウサギがふえた。ウサギが雑草を食べて砂漢になった。こういうことを中国科学者は言っております。  先ほど御指摘の南方の雨林の下、それは非常に複雑な生態系がある。我々がその木をうっかり切りますというと、そこの様子がすっかり変わってしまう。ウサギやさらに小さい虫たちにとっては大変な変化が起こるということでございまして、大変いい御指摘を賜りました。  私、参考人として出てまいりましたけれども、諸先生のお話を伺っていて確かに私も大変勉強させていただきましたことを最後に御礼申し上げたいと存じます。
  33. 梅原猛

    参考人梅原猛君) 木暮先生から愛国の言葉をいただいたわけでございますが、学者先生の高邁な意見が欲しいということでございますが、このごろの新聞を読みますと国会は余り高適なところじゃないというふうに思っておりますが、学者もそんなに高邁ではございませんので、高邁な意見を申し上げられるかどうかわかりませんが、私は国会の場でも日本理想というような問題を一遍ぐらい議論していただきたい。日本のあるべき理想というのを議論する場であってほしい。こういうことについて自民党から共産党までやっぱり日本のあるべき理想について論じて、そして我々が聞いていてどこがいいんだろうというような判断ができるような、そういう国会にしていただければよろしいというふうに私は思っております。  木暮先生がおっしゃったように、もはや日本理想を求むべきところなんです。ソビエトアメリカが掲げていた理想はほぼ崩壊したと。それにかわって新しい二十一世紀理想人類に必要なんです。その理想を掲げるべきであるというふうに思います。  きょうの私の話は、環境という自然と人間とが共生じて、そして循環を続けていくというのが新しい人類理想として掲げることもできるし、また、そういうことを掲げる伝統が十分に日本にあるということをお話ししたわけでございます。  日本神様というものを考えるに当たっても、実は日本で一番古く尊敬された神様は火の神様なのでございます。火の神様というものは、その昔、縄文時代には囲炉裏でいつも生活していたんですが、やはり人間の一番近いところにいて人間と神の媒介者、神と神の媒介者というのでありまして、まずこの一番近いところにいる。あの世とこの世の媒介者と。我々が仏壇に火をつけたり、それから薪能で薪に火をつけるのも、あの世の人を呼び寄せる媒介者としての仲なんです。  これから日本は、この媒介者としての神を崇拝した方がいいだろう。それはやっぱり共存の神でございます。アマテラスさんが太陽さんの化身でございますが、これもどう考えるかといいますと、アマテラスノオオミカミという人格神と考えるのではなくして、やっぱり日本文化の根底には自然を神とする考え方があったんだと。しかも、昔、日本では太陽さんというのを永遠の光源体というふうに考えていなかった。永遠の光源体と考えますと、太陽でもって世界征服しようということになりますが、決して永遠の光源体と考えなくて、太陽は生きとし生けるものを代表して毎日生死を繰り返す。夜になって死の国へ行って朝よみがえる。  日本人が一番崇拝するのは二見浦から出る太陽でございますが、それはやっぱり夜の世界、死の世界を克服して生き返ってきた。そして、あの二見浦の二つの岩はその門の柱なんです。そしてあのしめ縄は死の世界と生の世界の境界をあらわすのでございます。私は、生きとし生けるものはすべて循環をあらわす、その代表が太陽なんだという考え方なんです。太陽の生死に従って我々は起きてまた眠るんだ、覚せいと睡眠をするんだ、だから眠りというのはやはりひとときの死なんだと。そういうような考え方がやはり日本の考え方でございまして、古事記におけるアマテラスオオミカミも一たんお墓の中に入って、あれは死んでまたよみがえってくるというような太陽でございます。  私は、やはりそういう自然のリズムと一緒に生きている、それがやっぱり日本文化の根底の中にある。そういう文化、それは同時に媒介の神ということ、火の神の崇拝にもなる。だから、やはり日本国家というのはそういう共生循環の立場に立つべきであると。私は、そういうのが新しいライフスタイル、新しい理想になり得るということを信ずるものでございます。  きょうは、皆様からいろいろな御質問をいただきまして、そして私は現実の非常に厳しい問題もよく知りました。また、近藤先生のお話も久しく聞くことができまして本当に勉強になりました。  私から言いますと、学者は理想を掲げて、そして政治家がそれを実現するものだと。その実現するときは三十年後になるのか何年後になるのかわかりませんけれども、学者はやっぱり自分が理論的に正しいことだと思ったらそれを一と言い続けるものだというふうに私は思っております。  きょうはいろいろ教えていただきましてありがとうございました。
  34. 中西一郎

    会長中西一郎君) 梅原参考人及び近藤参考人に対する質疑はこの程度にとどめます。  梅原近藤参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙の中、長時間の御出席をいただきまして、貴重な御意見を賜りました。まことにありがとうございました。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。  ありがとうございました。(拍手)  速記をとめてください。    〔速記中止〕
  35. 中西一郎

    会長中西一郎君) 速記を起こしてください。  引き続き、参考人の御意見をお伺いし、質疑を行います。  明治学院大学教授武者小路公秀君に御出席をいただいております。  この際、武者小路参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  武者小路参考人におかれましては、お忙しい日程にもかかわらず本調査会に御出席を賜りましてまことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。  本調査会は、「九〇年代の日本役割-環境安全保障あり方こをテーマとして調査を進めてきておりますが、武者小路参考人から本テーマに沿って忌憚のない御意見を伺い、今後の調査参考にいたしたいと存じます。よろしくお願いを申し上げます。  議事の進め方でございますが、まず、武者小路参考人から三十分程度意見をお伺いいたします。その後、午後五時ごろまでの一時間程度質疑を行いたいと存じます。本日は懇談形式で自由に質疑応答を行っていただきます。  なお、意見の陳述、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、武者小路参考人に御意見をお述べいただきたいと存じます。武者小路参考人
  36. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) 武者小路でございます。  きょうは、大役を仰せつかりまして大変張り切って、できる限り御参考になるようなことを申し上げたいと思いますけれども、最初の三十分の私の話はむしろ問題提起という形で、後ほどの諸先生方の御質問、またいろいろな意見をいただきまして、補足させていただければと思います。  それで、きょうの私の問題提起は、梅原参考人近藤参考人のお話の後を継ぎまして、むしろ安全保障との関連で環境について問題を提起するようにという御依頼がございましたので、そのような形で問題を提起させていただきたいと思います。  環境安全保障ということをどう考えるか、まず、安全保障についての考え方を先に整理させていただきまして、そこから環境の問題を安全保障という形で考える場合に出てまいりますいろいろな問題について提起させていただきたいと思います。  安全保障ということの定義を先にさせていただきたいと思いますのは、先ほどの梅原先生のお話に即して申しますと、工業化の文明時代に国家を中心とする安全保障ということが出てまいったわけですけれども、環境問題は国家の安全保障であるとともに、そうでない面もあるわけで、その意味でもう一回安全保障というものの考え方そのものを問い直してみる必要があるということから安全保障の定義をさせていただきたいと思います。  そういうふうな定義をし直すということは、必ずしも環境問題についてだけではなく、国際政治学者の間でも、例えばバリ・フーさんというイギリスの先生がやはり同じように安全保障をもう一回考え直して、国家と安全保障関係を考えるところから見直さなければいけないということを言っておりますので、これは単に環境安全保障の問題には限られないわけです、  そこで、とりあえず一つ安全の定義、それから第二に安全保障の定義ということをさせていただきたいと思います。お配り申し上げてある要旨をもとにしてお話をさせていただきたいと思いますが、安全とは、ある主体、この主体は個人であったり、あるいは村とかそういう共同体であったり国家であったり国際社会であったり地域であったりいろいろしますが、そのある主体が何物にも脅かされないで、その欲する生活を送ることができる状態を安全という。つまり、脅かされないということが安全だということです。  安全保障の定義という場合に大事になってきますのは、安全保障とは、ある主体がみずから自分で自分の身を守る、または他の主体によって、例えば個人が国家によって守られ、国家が国際社会によって守られる、そういう形で安全さが守られていると信ずることができるようなそういう主体間の関係をつくり出す、そういう制度が安全保障という制度だというふうに考えたいと思います。  その場合に、安全保障の対象というものが出てまいりますが、普通、安全保障の対象は軍事的な脅威ということに限られていますけれども、むしろ以上の定義によりまして、ある主体の生活全体についての安全にかかわるのが安全保障の対象である。あらゆる問題が、生活のあらゆる面が入る。しかし、具体的には生活の領域別に、だれによって、どのような手段を用いて安全保障が制度化されるかというさまざまな場合が考えられるわけです。  そこで、先ほど申しましたように工業化が始まります十六世紀ヨーロッパででき上がりました国家安全保障という考え方は即軍事的な安全保障、即国防という形になったわけでございます。これはよく言われることでありますけれども、国家は何の安全を守るのかと申しますと、その市民の、その国民の生活の安全を守る。その生活とは何かというと、生命と財産という形に整理したのが近代国家とその市民との関係の特徴でございます。つまり、生命を保障するというのは、軍事力によって生命が脅かされることから守ると。それからもう一つは財産。財産というものは経済的な側面で、経済的な財産を守る、私的所有権を保障するというのが国家の役割であったわけでございます。この生命、財産というのは、要するに市民の人間としての生活全体ということを近代的な状況の中で整理し、安全の政治的な側面が生命を守ることであり、経済的な側面が財産を守るという形であらわしたというふうに考えたいと思います。  ところで、この安全のもう一つの分類の仕方が最近行われておりまして、それは内発的な安全保障と外発的な安全保障、つまり自分で自分を守る安全保障と、ほかのものによって守ってもらう安全保障と二つございます。近代国家がねらった安全保障は内発的、内側から自分が自分を守る。フランス革命のとき、フランス市民がフランスのナシオンを守るというときに国民皆兵という制度ができ上がったのはそのためでございます。しかし、兵器体系がいろいろ進歩するに伴いまして、特に核兵器が出てくるに及びまして、この自分が自分を守るということは国のレベルでもできなくなってしまった。そこで、核保有大国が核の傘を差しかけてそのブロック内の小さい国を守ってあげる、そういう形の外発的な、外からの安全保障というものが出てまいったわけでございます。  このことは、軍事力の面でいろいろ問題になるかと思いますけれども、特にこのことを強調しますのは、環境問題をとらえる場合にどう考えるか、つまり外から守られる外発的な安全保障ということで考えるのか、それとも、先ほど問題になりましたごみ処理の問題も含めて、自分が自分の手で自分の環境の安全を守るという内発安全保障を主とするかという立場の違いが出てまいるわけでございます。  安全保障の対象というものがいろいろ変わってまいりましたのは、工業化に伴いまして富国強兵ということで国家の経済成長の持続を安全保障の重要な対象とするようになったからでございます。そういう意味で、植民地に始まる工業化の背後地の確保ということが大国の国家安全保障もとになり、また植民地であった国は政治的な独立を守る、あるいは経済的な自立を守るということが安全保障の基本になったわけでございます。  その場合に、経済というものを持続させるということが安全保障一つの大きな問題になってまいりましたことと関連して、最近、持続可能な開発ということが環境問題についても言われるようになったわけでございます。つまり、国家が経済を発展させる、それを守るのが安全保障であり、それが持続できるような条件をつくり出す。つまり、環境によって持続が不可能になってしまったのでは環境の安全が守られていないということになりますので、そういう意味で環境安全保障は持続可能性ということを強調するようになったと思われます。  ところが、その場合に二つ問題が出てまいります。  つまり、持続可能性ということをどこでとらえるかというところで、国家の安全と国際社会の安全の組み合わせということが問題になるわけです。そして、国家だけのレベルでは環境安全保障は守られない。例えばCO2の問題ですとか、グローバルな工業化の影響による環境安全保障が脅かされるような状況は、国際的に、例えば国連による共同安全保障の制度化あるいは覇権国、アメリカ中心とする、あるいはアメリカヨーロッパ日本が外発的な安全保障体制をつくっていく、そういう問題が出てきております。  それと、もう一つございますのは、個人、つまり市民の安全と国家の安全が必ずしも同じではないという問題が出てきております。市民の安全を国家が保障するというためには、近代西欧の議会民主主義あるいは国際法秩序、そういうものが必要であると同時に、また、国家にいろんな問題を処理できる、安全を保障する能力がなければならないわけです。現代の世界では国家自体が防ぎ得ないような環境などの脅威があらわれてきておりますし、国家自体が軍事独裁などの形で市民の安全を脅かすということもありますし、あるいは国家が進めている工業化のために、例えば熱帯雨林が伐採されてそこに住んでいる人たちの個人の安全が脅かされる。そういう意味で、個人あるいはエスニックグループあるいは先住民族の安全というものを国家が保障するどころか脅かすという問題が出てくるわけでございます。  そのような状況の中で、環境問題と安全保障をつなげて考えます場合に、これは風変わりな定義になってしまいますけれども、環境問題をどうとらえるかという場合に、環境問題は実は人間の工業活動によって自然生態系の生活が脅かされる。ですから、そういう脅威から自分を守る、自然が自分を守ることが環境問題であると。環境問題を安全保障という立場からとらえますと、要するに、敵は人間なんだというようなことさえ考えられるのではないかと思います。つまり、自然生態系の自己再生産能力とその安定復元力、先ほど梅原先生のお話にありました循環の問題を含めて、これを脅かすものが要するに工業化であるという問題がございます。  しかし、そこで環境の安全をどう守るか。工業活動によって生態系が脅かされている状況を考える場合に、これはいろんなレベルが出てまいります。つまり、CO2の問題などは、グローバルな形で全地球の温度が上昇するという形での国際あるいは地球的な規模での安全保障が問題になります。それのほかに、例えば酸性雨の問題などになりますと、国家が国境を越えてほかの国の環境を汚染することになりますので、これはむしろ国家間の安全保障の対象になります。あるいは、先ほど申しましたように、特定地域の生態系を国家の活動あるいは国家が保護している工業活動が脅かす場合には、国家に対する地域社会、地域住民の安全保障問題というのが起こるわけでございます。  そこで、今日専ら日本で、あるいは欧米で問題になっております環境安全保障は、どうも問題を外発的な形でとらえているのではないかと思われるわけでございます。つまり、環境の安全を全地球的な規模でとらえ、全人類の工業活動を集約して、その結果が地球環境の安全を脅かす、そういう場合に維持可能な工業活動をつくり出すのが環境安全保障の目標であるということが唱えられているわけでございます。その意味で、日本では環境サミットと呼んでおります国連の開発と環境問題の会議が開かれるわけですし、そのような外発的な立場でG7が開発途上の国々に対してもCO2を出すなど、炭酸ガスを出しては困るということで、外から規制をしようという工業先進国による外発的な環境安全保障の推進というものが今進められておるわけでございます。  実は、この問題に関しまして、ブルントラント委員会の報告書が非常に注目をされておりまして、ブルントラント報告には持続可能な開発ということが叫ばれて、これが今方々環境問題の一番根本的な考え方になっておりますけれども、実は、ブルントラント委員会のラテンアメリカからの委員は途中で抜けているわけでございます。なぜ抜けたかと申しますと、持続可能な今日の工業化というものはそれを持続するに値しないものであると。今の工業化を進めるということは第三世界にとって貧困を非常に増大させるだけで、今の工業化そのものを見直さなければいけないのに、工業化を進めることを前提にして持続可能性を考えるような委員会には参加できないと言って、メキシコのゴンサレス・カサノバ委員が要するに自分で席をけ立てて出ていっているという事情は余り知られていないわけでございます。  その問題と同時に、外発的な環境安全保障にはクラブ財と私が呼ばせていただきたいと思う問題があるわけです。つまり、工業化の維持可能性を、要するに、いろんな問題が起こっても、とにかくぎりぎりの線で保障しようということは先進工業諸国にとっての重要な利害事項である、それは疑いを入れません。ですから、金持ちクラブの中の公共財という意味で維持可能な工業化を進め、その枠の中で環境が汚染された場合に、その汚染されたものを回復させるためのお金をみんなで出し合う。これは例えて言えば、ゴルフクラブの会員がゴルフコースを汚染から守ると、しかし、ゴルフはあくまでも自分たちだけでやるのだと。そういうクラブ財として環境問題を先進工業諸国が取り上げているという批判が第三世界の国々から起こっているという問題がございます。それと同時に、先進工業諸国の間では、このクラブ財というものをヨーロッパアメリカ日本の間で、これはだれか払わなければいけないけれども、だれが払うのか。要するに、自分が払わなくてもほかの国が払うべきなんだということでいろいろ問題が起こりつっあるわけでございます。  それから、それと並行したアプローチですけれども、環境問題をグローバルに外発的にとらえるのではなくて、むしろローカルに地域社会の環境安全保障を図るという立場から考えようという動きが、これは第三世界だけではなくて、先進工業諸国の一部のオールターナティブと言われている今の工業化とは別の工業化、今のライフスタイルとは違うライフスタイルを求めている人たちの間でそういう考え方が出てきております。  例えば、最近も日本に来ていましたけれども、フィリピンのモラレスさんという人が中心になってやっております村おこし運動がございますが、これは要するに、それぞれのフィリピンの中の海辺の村は海辺の生態系、川のそばあるいは森の中の村は森の生態系とか川の生態系、それぞれのローカルな生態系と共存する形での、なるべく農業中心としてなるべく環境に優しい、しかし、それと同時に、経済的な生活が保障されるような村おこしをしようという動きがございます。これはまさに個人、共同社会レベルの環境安全保障をねらった試みとして注目されるべきですし、また、環境安全保障をする場合の日本の援助の対象としては、むしろそういう草の根レベルでのローカルな内発的な環境安全保障というものから積み上げていく、そういうアプローチが大事なのではないかと思われるわけでございます。  もちろん、グローバルに考えることも大事ですが、その場合にも環境安全保障には福祉政策的な側面があるということをお考えいただけるとありがたいと思います。つまり、環境の安全は、工業化における余剰の集中、資源の集中、エネルギーの過度の集中というものを抑え、また、その反面をなす資源などの乱開発を禁止し、生態系における物質循環、エネルギー循環、先ほど梅原先生が強調されていた循環というものを制度的に適正なものにしていく。それは市場メカニズムでは達成できない。市場メカニズムはむしろ規模の経済で、大量生産、大量消費、大量廃棄ということになりますので、それとは違う福祉経済型の積極的な国家の介入、国際社会、国連の介入というものが必要になってまいります。  それからもう一つは、もしも環境の安全というものをそれぞれの共同社会、村レベルのローカルな内発的な環境安全保障ということを中心にして積み上げていこうということになりますと、ある環境に見合ったような規制を外から無理に押しつけるのではできないことなので、どうしてもそれぞれの地域の地域住民が納得するような形で、しかも、その間の環境問題をめぐる争いが起きないような形で環境問題を処理していかなければいけないという問題があるかと思います。これはまさに日本的な共生、すみ分けというものを実現していく、そういう必要があるのではないかと思います。これは、軍事的な安全保障でよく言われる信頼醸成、お互いに相手を信頼して一緒にやっていこうということを、これは国家の間だけではなく個人の間でも共同体の間でもやっていく、そういう信頼醸成の措置というものが講じられなければならないと思います。  今度の環境サミットも、南北間の信頼が十分にないところで開かれるために恐らく余り成功しないであろうという見通しがあるのは、環境に関する信頼醸成措置が非常に大事だということを示していると思います。そして、信頼醸成措置というものはやはりお金がかかるということもありますので、経済援助というものの中で信頼を醸成する、南北の間の信頼を醸成するような形の援助をするということもこの環境安全保障の大きな問題になるのではないかと思います。そういう意味で、国際的に環境安全保障をする場合に、これは多少これまでお話のあったことと矛盾するかもしれませんが、グローバルな問題だけではなく、むしろローカルな問題を大事にし、トップダウン、外発的な安全保障ではなくてボトムアップ、つまり下からの積み上げでこの制度をつくっていく必要がある。具体的に言えば、日本日本の周りのアジア・太平洋地域の安全、環境の問題から取り上げていくというようなことが必要になる、これは百瀬先生が既に御指摘になったことと思います。  そこで、日本の役割についてですが、これは改めて申し上げるまでもなく、環境安全保障はまさに日本国憲法の平和的生存権という考え方に合致するという側面が一つございます。それからもう一つは、総合的な安全保障ということをこのお集まりで御検討いただくことが非常に妥当だと思いますのは、環境安全保障は要するに総合的な安全保障環境的な側面にすぎないのだ。これは米欧日のクラブ財としてとらえるような形であっては困るので、むしろ内発的な環境安全保障というものをアジア・太平洋などの開発途上諸国とともに検討し、そこから信頼を醸成して、その信頼の醸成はただ環境問題の解決だけではなく、アジア・太平洋における総合的な安全保障の一環として役に立つ、そういうことが必要ではないかと思われるわけでございます。  そのような観点から、この信頼醸成、そして地域の下からの積み上げの環境安全保障ということで、六点について簡単に御提案申し上げさせていただきたいと思います。  一つは、国家レベルのODA政策、援助政策において環境とのリンケージをつけるつけ方で、下からの積み上げ方式、村おこし、そういう内発を重視するという原則が大事だということ。  第二には、企業レベルで、地域共同体における環境安全保障を外部から妨害しないという自主的なガイドライン、ルールというものをつくる必要があるのではないかということ。  第三番目には、地方自治体レベルで、日本と地域開発途上諸国間に、環境信頼醸成のための交流というものをそれぞれの土地柄によって起こしていく必要がある。  第四番目には、民間運動、NGO、これは既にここで参考人によって指摘されたことだと思いますけれども、民間運動レベルでの環境情報の交換と環境問題についての意見調整、これを政府、企業レベルでも政策に盛り込んでいくということ。  第五番目には、科学技術政策、研究開発投資においてグローバルな問題の解決のための科学技術も大事ですけれども、むしろ村おこしとか地域共同体レベルで環境安全保障に役立つような、第三世界の発展に役立つような適性技術を開発する。  それから最後に、既に指摘された環境教育の問題ですが、環境教育を地球環境の安全ということだけではなしに、各地域社会ごとの環境安全保障における市民、住民の役割、ごみの処理とかそういうことを出発点にして、そこから積み上げて地域自治体の役割だとか国家の役割について考える。そして、それをどう調整していくかという教育が必要ではないかと思われます。  以上、簡単でございますが、問題提起とさせていただきます。
  37. 中西一郎

    会長中西一郎君) ありがとうございました。  以上で武者小路参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより質疑を行います。御発言は着席のままで結構です。  それでは、質疑のある方は私から指名をさせていただきますので、挙手をお願いいたします。
  38. 大城眞順

    ○大城眞順君 大変貴重な御意見をちょうだいいたしまして勉強になりました。  それで、後半において参考人は盛んに、グローバルも大事だけれども、やっぱりローカルになすべきこともたくさんあるんじゃないかと。これがいわゆるシンクグローバリー、アクトローカリーという言葉も出ておるぐらいですけれども、これはローカルあるいは国家レベルあるいはグローバルレベル、同時に進行していかないと地球環境というものは守れぬのじゃないか。それを同時に、やるためにはどういった手段があるのか。いろいろあるんでしょうけれども、やはり南北の問題とか、環境中心にして環境と経済、環境とあるいは人権、人種、環境文化環境と教育、いろいろなことが想定されるわけですけれども、例えば日本の場合には、島国ですからそれなりのアクションプランを持って、あるいはまた、東南アジア等々との連携の上においてそれなりの地域の環境に対する取り組み方もできると思うんです。大陸に行きますと、大きい国であろうと小さい国であろうが環境にはボーダーレスになっているわけですよね。それは空の汚染、海の汚染、あるいは陸の汚染等、この三つとも絡んでいろいろ地球が汚染されているわけです。  私、過般、驚いたことに、こんなにまで経済と結びつくのかなと考えたのは、チリのサンティアゴで、本来ならばサンティアゴの町の姿というものは非常にきれいらしいんですけれども、もうスモッグがいっぱいで全然見えないんですよ。どうしたのかといったら、やっぱり二酸化炭素、CO2です。バスであろうがあるいは一般自動車であろうがあるいはタクシーであろうがみんな有鉛ガスです。ヨーロッパから来た有鉛ガスを使う。無鉛ガスじゃないんですよ。ますますひどいわけですね。一つのメジャーメントとしてどのくらいの環境基準かというと、たばこを吸わない人が一日に二箱吸っているのと同じなんだと。二個吸っている人は四個吸っているのと同じなんだと。もう人体に対する影響は明らかに大変な危険があるわけでございます。  このことを向こうの人に、何でこれをきれいにしないんだと聞いたら、いや日本人はこれをきれいにしろしろと言うけれども、商売を考えているのじゃないかと。ドイツのベンツを初めとしてヨーロッパから入れて有鉛ガスを使っておるけれども、やはり無鉛ガスを使うためにはいろいろ技術の発達した日本の機械を買いなさいとくるはずだから、あなたたちは商売のためにそう言っているんだろうというようなことしか言わないんですね。これは非常に厄介な問題で、これは一例ですけれども、そういうふうに経済と絡んでくるのがたくさんあると思います。  先ほどの参考人のお話でも、いわゆるCO2の規制、削減というものにアメリカは極めて消極的なんだと。それがやはり最近の情報にもあらわれているけれども、ブラジルで六月に行われるアースサミット、これのアジェンダ21をいかにして生かしていくかという具体的なプランにいたしましても、先ほどODAの問題もありましたけれども、あとODAに対して先進国の十二カ国が〇・三五から一%ふやしていけば千五百万ドルぐらい集まるので、これだけで何とかできるんじゃないかという試算もしているわけです。  しかし、この数字をもとにいたしまして、例えば二〇〇〇年に一九八八年の水準で安定させるという計算で、そして二〇二〇年には二〇%削減するとのシナリオでカーボンタックスをやろうじゃないかと、二酸化炭素税をですね。こういうようなことをブラジル・サミットの事務局は言っているんですけれども、これはアメリカの商務省はこんなことはけしからぬと。ということは、そういったやり方でまいりますと先進国で三、四%、そしてまた日本アメリカに次ぐ各国でも一、二%の経済成長率が下がる、こういうことですね。  この、下がるということがどう影響してくるかというと、アメリカ日本だけでも世界のGNPの四〇%という話ですけれども、そういったことからすると大変な大不況が来る、それまでやる必要はないんじゃないかというのがアメリカ商務省の意見のようでございます。だから、そういったところは、環境の問題は大変だなと思うことは、単に環境と経済をこうしましょうああしましょうという言葉でなくして、やはり二十一世紀環境に対する全世界の統一された哲学がないと大変難しい問題だな、このように私は考えております。  なぜアメリカが消極的なのか。ああいった大国が消極的だと、先ほどもお話がありましたけれども、幾らブラジルで大会議をしてもただ会議だけに終わるんじゃないか、こういうことなんです。  先ほどに戻りまして、ローカルあるいは国家レベルあるいはインターナショナル、グローバルレベルというふうな、これは大変広大な計画を立てないと、一方ではやっても一方でおくれてしまうと全くアンバランスとなるし、一方でおさめたものがそこに流れてきてまた同じことになっちゃうということになりますので、その辺全体として参考人はどうお考えになっておるか、いろいろローカルとか国家レベルのお話をお聞きしましたんですけれども。
  39. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) 今、大城先生の御指摘は皆大変ごもっともで、重要な点を御指摘いただいたと思います。  その場合に、ローカルな点を私が強調いたしましたが、グローバルな問題ももちろん大事だということは完全に私もそう思います。私がローカルな問題を大事にしなければと申しましたのは、今御指摘になりましたように、実は、CO2の問題は非常に経済に影響があるから、余りすぐに乱暴に規制してもらっては困るということをアメリカなんかが言っているわけです。  その場合に、幾つか論争の対象になるような研究が行われておりまして、アマゾニアの熱帯雨林の破壊というものは今のところは平気である、グローバルにはCO2はまだ大丈夫余裕があるということを研究して発表している学者もいるわけです。ですから、グローバルな問題としてだけCO2の問題をとらえますと、多少は熱帯雨林を伐採してもまだ大丈夫だということで油断が出てくるので、やはりローカルに、とにかくアマゾニアに住んでいる先住民族の方たちの環境破壊されて自分たちは生活できない、そういうローカルな問題をそれぞれ大事にしていく、そこから全体も考えるということになると、何と申しますか、グローバルにはまだ大丈夫だからもう少し汚染をしようという暴論が防げる。その意味でローカルなことを、グローバルも大事ですけれども、グローバルということで余り言うと困るという問題を指摘したかったわけでございます。  それから、CO2の問題で、カーボンタックスはいろいろな議論がございますが、これに関連して先ほどの南北問題のことでひとつ御参考までに申し上げたいと思います。  これはマレーシアに本部があります第三世界フォーラムというところで、今度のリオデジャネイロの会議に備えて参加する第三世界の国々の外交官に配る小冊子を私子に入れましたら、そこで一つ強調されておりますのはCO2問題で、これはうっかりするとごまかされてしまう。しかし、CO2を出して今まで地球の大気を汚染してきたのは既に工業化を遂げた国々であるから、やはりCO2をどういう国が幾ら出していいのかという排ガスの割り当てをする必要がある。その割り当て制をつくった上で第三世界はこれから工業化するのだから、ある程度CO2を出しても仕方がないということで割り当てをたくさんもらおうと。その後が非常に虫がいいと私は思いますが、CO2を出す割り当てをたくさんもらって、要らない割り当ては第三世界の国が今度は先進国に売るのだと、自分の方でCO2をこれだけ出してもいいという許可以下に抑えることができた場合にはその差額をアメリカとか日本とかヨーロッパに売って、そしてそのかわりにお金をもらう、これは立派な経済的な取引であるという考えも出ているわけでございます。  ですから、そのような状況の中で、どのようにして工業化と環境保護というものの折り合いをつけるかというときには、グローバルに考える必要はありますけれども、経済的な弱者、経済的にこれから出ようとしている国々の立場というものを日本も積極的に、ただ金で助けるだけじゃなくて、その考え方もある程度理解してあげて、そしてある程度金をもうけても、それは正当な金もうけでいいと思いますけれども、やはり第三世界の国々の事情というものを考えに入れた形で経済問題とのリンケージを処理していく。そういう立場を打ち出すことができれば、先ほど、媒介者というようなお話が梅原先生から出ていましたけれども、日本が自然と人間の仲介者だけじゃなくて、先進国と発展途上国の仲介者になることができるのではないかと思います。
  40. 赤桐操

    赤桐操君 「日本の役割」というところで、先生は、「環境安全保障と平和的生存権 環境安全保障は、平和的生存権を日本国民のみならず全人類の基本権とする日本国憲法の大原則をもとに、日本の総合的安全保障政策の主要な柱として推進されるべきである。こういう基本的なことを述べておられるわけであります。  私もそうだと思うんでありますが、今まさに米国と旧ソ連、この大きな激変といいましょうか関係が発生いたしておりまして、言うなれば、ポスト冷戦ということが大変な段階に来ておると思うのであります。こういう脱冷戦と軍縮の方向というのは一つ時代の一大潮流とも言うべきものでありまして、アジアにおいてもこれはもう太平洋地域全体にも発生してきている、こういうように思っております。言うなれば、米ソの関係が新たに変わってきている。同時に、それは日米の関係だけではなくて、新しいアジアにおける関係がいわゆる秩序として求められてきている、そういうように理解しなきゃならない状況に来ていることは事実だと思うんですね。  こういう中で、私は、これからアジア地域において日本がこういった方向づけの中のリーダーシップをとりながら定着させていくということになると大変なことだろうと思うのであります。  それにはまず、日本自体が変わっていかなければなりませんが、ことしの予算全体を見るというと残念ながらそこまでいっておりません。これはこれからの議会の審議の中にゆだねることになると思いますけれども、そういうような展望を考えてみるときに、日本は、具体的にもう一歩、隣国との関係とかアジア地域におけるところの新しい時代をつくるための役割が大きく求められてきていると思うのでありますが、これについて先生のお考えを伺っておきたいと思うのであります。
  41. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) 今、御指摘の、日本と隣国との関係は非常に重要な段階に入っていると思います。きょうは環境安全保障のことですので、余り脱線をしないように、環境の問題を中心とした形で日本が隣国との関係を調整して、そしてお互い共通の総合的な安全保障にどういうふうに貢献できるかということについて申し上げさせていただきたいと思います。  まず第一点は、日本の工業力をどういうふうに使うか、日本の技術力をどう使うかという場合の基本的な姿勢の問題があるかと思います。  先ほど、チリで排気ガスを出す自動車でないものを日本が売り込むということへの、これは日本金もうけではないかというふうにチリの方で考えているというお話がございましたが、相互的な信頼を醸成するという場合に、日本に対して金もうけをするために環境も使うのではないかという不信感がどうしても隣国に非常にあるということを前提にして対処していく必要があると思います。  これは、私が東南アジアの友人に言われたことですが、日本的に言えばマッチポンプではないかという話です。つまり、例えば熱帯雨林の伐採をしておいてそしてもうける、そして今度、伐採をした後で熱帯雨林を再生させるための技術を、援助ではあるかもしれませんが、結局はまた日本の企業が潤うような形で金が動く。そうなると、マッチで火をつけて環境を汚染して、その後で今度は環境を回復するというポンプを持ってきてまたもうける。そういうような形の、これは誤解であることを願いたいのですが、そういう考え方が非常に強い。少なくともそのような疑惑を起こさせないような形で、日本の工業活動を相互補完的な形で、自然と共生するような形で東南アジアなどに、あるいは太平洋その他のところでどのように展開するかという問題があります。これは私企業の問題ではありますけれども、ガイドラインとかいろいろな制度化というものが必要になってくると思います。  もう一つ、簡単に申し上げさせていただきたいと思いますことは、環境問題を中心とする経済関係は、もっともう一歩下がって申しますと、工業化の利益というものだけをもとにして総合安全保障を考えるか、あるいはむしろ南の国々との共生もとにして総合的な安全保障を考えるかという問題が実は基本的にございます。  その点では、湾岸戦争日本がある程度しか協力しなかったことは非常にいいことだったと思いますが、しかし金は出した。これは要するに、石油という工業化のために非常に大事な財が脅かされた場合にはそこに出ていって安全を守るという非常に外発的、そして先進工業諸国の利益に基づく安全保障、そういうものが支配的な考え方、これは少なくともアメリカの場合の考え方であったと思うので、そういう安全保障観ではなく、むしろ共生もとにした、よりどころにした自然との共生、そして南北の共生というものをもとにした安全保障、そういう総合的な安全保障を立てることが必要ではないかと思います。
  42. 和田教美

    ○和田教美君 先ほどのお話で、いわゆる外発的な先進工業国中心の覇権主義的な環境安全保障はいけないというか、それよりも内発的な、世界各地域でいろいろ特殊性もあるんだからそれを積み上げていくというボトムアップ式な環境安全保障が特に必要であるということを強調されました。そして、その観点からNGO、それから自治体間のネットワークというふうなことを強調されて、提言にもそういうことをおっしゃっておるわけですが、今の環境の危機というふうな議論の中で、どうもグローバルな環境安全保障論みたいなものが余りにも強過ぎるので、そういう点で先生の提起は非常に新鮮だと私も同感いたします。  そこで、一つお聞きしたいんですけれども、特に自治体間のネットワーク、自治体の環境安全保障という問題を非常に重視されているということと、NGOを非常に強調されておるということについてでございます。  まず、自治体間の問題については、日本にも一つの先例があって、環境庁ができたころに公害国会などと盛んに言われた、公害問題に対して自治体が果たした役割は非常に大きかったと私は思うんですね。公害防止条例をつくったり、それからいわゆる上乗せ、横出しなどの環境基準、それから総量規制の導入とか、そういったことが国の環境政策、公害政策にも影響して今日のようないわば公害防止の先進国とも言われるような状況になってきているというふうに思うんです。そういう意味では、国際的にこれを当てはめた場合に、やはり自治体間の国際的なネットワークということが必要だろうと思うんですけれども、その点について先生はどういうふうにお考えかということが第一点。  それから、NGO、今度の地球サミットでの特色はNGOが大量参加するということだと思うんですけれども、地球サミット自体は大して成果が上がらなくても、NGOがどういうふうな発言をし、その影響力がどういうふうになるかということを私は注目しているんですけれども、NGOの問題について、ほかの国と比べると日本のNGOというのは非常に強力なところもありますけれども、全体としてはまだまだ何といいますかひ弱だという感じがするんですね。やっぱり政府レベルで何か資金的なバックアップが必要な段階ではないかと。特に、開発途上国でいろいろNGOが活動しておりますけれども、押しなべて資金面での貧弱性ということに悩んでいる状況ですね。できれば〇PAとコネクションをつけて結びつけるというふうなことができないのかどうか、その辺のところの問題について先生は何かアイデアがないかどうか。大変具体的な質問ですけれども、ひとつお答えを願いたいと思います。
  43. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) 今、御指摘の自治体、それからNGOの役割ということについてお答え申し上げます。  まず、自治体の役割ということでございますが、一つは、日本の自治体の予算を全部集めると国家の予算よりも大きくなるという話も聞いておりまして、その意味での日本の自治体の経済的な可能性ということが一つ注目されてよろしいかと思います。  ただ、もう一つ、積極的な役割が果たせるのは、環境問題はやはりローカルな生態系の問題を大事にするということになりますと、それぞれの地方自治体が独特の固有の生態系をつくっているということがあります。そして、同じような生態系を持った第三世界なら第三世界、あるいはアメリカとかヨーロッパの自治体と情報を交換することでその生態系とどういうふうに共生することが、ローカルにどんなことができるのかという情報交換が、経験の交換ということが一つ大事であろうかと思います。  それからもう一つは、具体的に例えば東京ですとか、あるいは神奈川県ですとか、あるいはその他大阪あたりの外国人労働者が働きに来ているところでは、人間の移動ということで、地域がマニラならマニラとか、バングラデシュのどこかの地域と人間なつながりができている。ですから、そのことを中心にして協力していくということが信頼醸成の基礎にもなるかと思いますし、そのところで環境難民、環境移民という問題も、第三世界から日本に移ってきている人たちの問題は、実は環境問題と無関係ではないということがあるわけです。ですから、その点での協力もできると思いますし、またそれを始めている地方自治体も出てきていると思います。ですから、その可能性は非常に大きい。  ところが、NGOにつきましては、実は、今度の環境サミットでNGOが多少困惑している問題は、ブラジル自体のNGOが、この環境サミットは自分たちの人権を十分に考えていないということでボイコットする運動が起こっております。特に、アマゾニアの先住民族を支援しているグループが、あのサミットはまやかしものであるからボイコットすると、それでほかの国のNGOは実は困って、自分たちは一生懸命出ようと思っているのに地元のNGOが出ない。そういうような問題さえもあるわけで、この問題をどう解決するか、これはNGOの問題でもありますし、環境サミット自体がNGOから信頼を受けていないという信頼醸成――やはり大国指導型で、ブラジルもそれに乗っかっていくんだということに対するブラジルの中の批判がありまして、それをどう乗り越えるかということは、国の間の関係でNGOの立場あるいは民間の立場というものを十分見ていっていないことのあらわれが実は今度の環境サミットに出ております。その問題があります。  それからもう一つ、NGOと援助、ODAとのリンクの問題ですが、ある東南アジアの国では、NGOを政府が今たくさんつくっておりまして、GONGOとかなんとかということを言う人があります。ガバメントがオーガナイズした非政府組織という矛盾したものができている。つまり、援助の受け皿として政府が金がもらえないなら、政府が今度はNGOのチャンネルで金を吸い上げて、そして使おうということを利口に考えている東南アジアの国もあるわけで、NGOさえ通じれば援助がうまくいくというものではないかという問題があります。ですから、その問題は非常に複雑で、NGOは大事なんですけれども、どう盛り上げていくのかというところで、信頼醸成の問題ですとか、送り手の側の日本の政府もそうですが、受け入れ側の相手側の政府もこのNGOに対してちゃんとした考え方をしないとNGOの力はなかなかつかないという問題があるかと思います。
  44. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 武者小路先生、ありがとうございました。  地球環境安全保障関係で、こういう充実した理論的整理と展開は私も初めてお聞きしまして、特に、内発安全保障、外発安全保障の問題、クラブ財、ゴルフクラブ財的先進国地球環境との取り組みの問題、それから個人レベル、市民レベルの問題、それから日本のアジア・太平洋地域の環境問題との取り組みなどの提言、非常に重要な指摘だと思うんですが、二点お伺いしたいと思います。  先進国にとっては、環境と開発の関係がこれまで一番大きな問題で、その理論的整理は、おっしゃったブルントラント委員会での持続可能な開発という概念でほぼ整理されたというのが定説なんですね。私、これを読んだんですが、国際自然保護連合、国連環境計画、世界自然保護基金の新世界環境保全戦略、これも持続可能な開発という原理で、全体かなり力作だと思うんですけれども、展開しているわけですね。ただ、南北問題については高所得国、低所得国という整理でかなり効果的な整理と援言だと思うんですけれども、先生のおっしゃったブルントラント委員会で、メキシコの代表が先進国の経済は持続するに値しない経済だと、そういう批判で退場したというお話がありましたけれども、今度の地球サミットも南北問題がやっぱり最大の問題だろうと私も思うんです。  先進国が後進国に対して、発展途上国に対して環境に優しい経済をちゃんとやれということを言っても、自分たちの今の経済のやり方、これまでのやり方を根本的に直さないと、発展途上国の方から先ほど言われたCO2の配分権をしゃ先進国に売るぞというような意見が出ても、批判する権利はないというような状況が生まれると思うんですね。  そこで、これまでの地球環境問題の取り組みの中から生まれた持続可能な開発というほぼ一般的に認められつつある概念のかわりに、南北問題の解決をも含めた新しい定義というか、目標というか概念というか、これをどういう方向で探るべきだろうか。大きな問題ですけれども、考えていらっしゃることがあったらお聞きしたいと思う。これが第一点です。  第二点は、日本がアジア・太平洋地域諸国の環境問題と積極的に取り組む問題、それから市民レベル、地域住民の環境問題との取り組みで政府の責任が重要だというふうにおっしゃったんですが、また、双方に共通する問題として、日本には環境アセス法がない、環境法もないということがあるように思うんですね。環境アセス法を提案されながら財界の反対で結局アウトになって、そのままなんですね。だから、東南アジアに進出する企業が、日本国内でできないことを進出して平気で公害多発をやるということもあるし、そういうことをとめる法律が日本の国内にしっかりないということがやっぱり大問題だと思うんです。  東京都には環境アセス条例があるんですけれども、これも全くいいかげんなもので、例えば臨海副都心のあの計画について言うと、全体の環境アセスはなくて個々の事業のものだけやると。個々の事業についても都知事が自分でアセスをつくって、それを都知事が受け取って、それで審査するというようなとんでもないものになっていて、あれではもう役に立たないと思うんです。  そういう点で、日本国内の大きな政治の課題はたくさんありますけれども、アジア・太平洋諸国の環境問題との関係、それから地域レベル、市民レベルの環境保護運動に対する政府の責任として日本環境アセス法を、いいものを制定するということがあるように思うんですけれども、以上二点についてお伺いします。
  45. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) まず、第一点についてお答え申し上げます。  大問題を提起されましたけれども、これは受け売りによって返事をさせていただきたいと思います。  これは、両方ともラテンアメリカの理論なのですが、一つは、先ほど申しましたメキシコから出てきている考え方で、持続可能性というものを、環境的な持続可能性と同時に社会的な持続可能性ということを大事にするべきである。つまり、自然との関係で、生態系との関係で工業化が持続可能であっても、社会の中で、社会というのは国際的な社会でしょうけれども、要するに南北間の貧富の差が拡大するようでは持続可能ではない、だから社会的な持続可能性も大事にすべきであるという主張がございます。持続可能性という言葉を使う以上は、やはり社会面での、国際面での、経済面での持続可能性ということも大事にするということで私も賛成です。  もう一つは、今度の環境サミットが行われる国の隣のアルゼンチンにバリロチェ研究所という研究所があって、そこで環境問題の研究をしておりますが、その基本的な理論は、非常に乱暴に要約しますと、環境問題と南北問題は根は同じである。それはなぜかというと、要するに、お金とか物とかエネルギーとか、いろんなものがあるところに奪われていく、だからあるところに過度に集中していく、そういう過密過疎の状況が出てくるからそこに環境問題が出てくる。過疎のところでは、乱伐だとかいろいろな形で、本来そこにある生物の種だとか木だとか、そういうものがどんどん切られるという過疎問題が起こり、片方ではそういう財が集まるからごみの処理の問題だとかいろいろな問題が出てくる。だから、両方の問題はやはり経済が非常にゆがんでいるからであると。  これは、窮乏化というんでしょうか、貧困化というんでしょうか、要するに、今日の経済が基本的に貧困化、窮乏化を促進しているその結果が環境にも悪影響を及ぼし、第三世界の方にも悪影響を及ぼし、貧困化という意味では、金持ちの国々も実は経済的には金持ちにはなっているけれども、環境の汚染で結局は貧困化しているんだというような考え方がありまして、私はそういうふうな考え方で考えた方が、ただ小手先で援助を出して環境が汚染されたところを何とか直すというよりも大事ではないかと思います。  第二のアセス法についてでございますが、アセス法ができることは非常に望ましいと思いますが、日本だけにアセス法ができますとますます日本の企業がアセス法のない国に避難していくということで、環境問題を日本が輸出することになりかねないということを恐れます。その意味で、アセス法をつくらないということを言っているのではなくて、日本だけでつくるのではなくて、国際的な条約の形でアセス法が開発途上の国々でも同じ基準が設けられる、企業がそこに逃げた方が得だという、そういう避難場所がないようにした上でアセス法を確立していくという必要があるかと思います。  その場合に、アセス法は御指摘のように、アセスされるべき主体が自分でアセスメントをするという行政指導型のアセスメントではなくて、第三の、つまり市民でもあるいは企業でも国家でもない主体が裁判権の自立と同じような形でなければいけない。これは、スカンディナビア諸国にオンブズマン制度というのがありまして、環境オンブズマンというものもスカンディナビアにあります。ですから、これは夢のような話ですが、日本だけじゃなくて、日本の周りの国々も含めてアジア・太平洋の国々の間で環境を守るための条約を結んで、そして国際的なオンブズマン制度をつくる、そしてそれに日本が参加する。  これは、PKFとは非常に違った形で環境安全保障を守るための日本貢献に、要するに、日本の技術を持ったオンブズマンが環境汚染の問題を調べて、ここまではこういうことをやってもいいけれども、こういう工場を建ててはいけないとかそういうことをオンブズマンが裁定する。そして間に入って信頼を醸成するという国際的な環境オンブズマン制度が日本の提案によってでき上がることを期待したいと思います。
  46. 下稲葉耕吉

    下稲葉耕吉君 きょうは、貴重な御意見を承りまして勉強させていただきました。  今の上田先生の第一の質問とも関連するわけですが、トップダウン、ボトムアップの話とも関連いたしまして、私どもODA、特に技術協力というふうな面につきまして政策的な判断をし、また政府にいろいろ御意見具申し上げる立場にあるものですから、そこで一問だけ簡単なんですが、先生の御意見を承りたいと思うんです。  と申しますのは、食糧の安全の問題なんです。環境問題とも関連いたしますが、食の安全の問題。御承知のとおり戦後日本は大変食糧不足でございました。化学肥料や農業を一生懸命使いました。生産性を上げるためにいろいろやったわけです。そして現在非常に裕福になってきている。ところが、ことしの農水省の予算を見ますと、初めて環境保全型の農業の推進ということで化学肥料や農業を使わない農業というものを推進しよう、技術開発のために、農業の推進のために私の見るところ相当程度の予算を初めて組んだと思うんです。こういうふうなものを食の安全ということから、日本国民はどんどん推進していくと思うんです。  ところが、戦中戦後の状態よりもっとひどい状態の今アフリカを中心とする貧困、飢餓に飢えているところで今申し上げました農法というものを推進しますと生産性は余り上がりませんね。金がかかりますでしょう。もう飢餓で飢えて死んでいるそういうふうな人たちに対する支援の方法として、戦後我々がとった化学肥料、農業を一生懸命使った生産性の高い農法というものを推進されますか、それとも、現在我々がようやく向いてきているような農法を推進されるか、これは難しい選択だと思いますが、先生はどちらの選択をとられましょうか。
  47. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) 大変難しい御質問でございますが、私はやはり自然農法を選ばせていただきたいと思います。  その理由は幾つかございますが、まず第一の問題は、これはこういう逸話がございます。パプアニューギニアから日本農業技術の勉強に来た人が自然農法に非常に関心を持っていた。これはなかなか環境問題に意識が強いのかと思いましたら、そうではなくて、実はいろいろな肥料を使う農法をやりたいんだけれども、それには金がかかる、だから自然農法の方が自分たちの国には似合っているのだということで自然農法を一生懸命勉強して帰ったという話を聞きました。これはどれがどういうところに金がかかるか、実は自然農法といってもいろいろありますし、生産性の問題もありますので問題は難しいのです。  もう一つ同じような問題がありますのは、いわゆる緑の革命、グリーンレボリューションに対する評価の問題がございます。これは技術的にはすばらしい成果をおさめたということになっていますが、社会学者、経済学者の立場から見るといろいろ批判がございます。つまり、新しく出された稲の品種、そしてラテンアメリカの方では麦の品種ですが、その品種改良は当然化学肥料を大量に注ぎ込まないと育たない品種になっているようで、その化学肥料を買うことができる富農と、そのお金がない貧農との間の要するに村の中の貧富の差が非常に大きくなって、その結果村の中のいろいろな争いが出てきている。ですから、グリーンレボリューションは失敗であるという話がございます。その意味からも、南北問題の中、そして南の状況の中ではやはり自然農法の方がいいのではないかと思います。  ただ、昔からの自然農法をそのままやるというのではなくて、むしろ自然農法をバイオテクノロジーとかそういう技術を使って開発する必要がある。これはラテンアメリカの人のまた受け売りですが、ブラジルなんかのアマゾニア地方にはパンの木という木がありまして、その木の実は麦とか米と同じぐらいにたんぱく質の栄養価が高い。ところが、麦とか米は、稲は商売になりますからすごくたくさん金をかけて品種改良の研究がなされている。けれども、パンの木を改良してローカルに、その地域の住民の栄養がよくなるための研究というのは、金もうけにならないからだれもやってくれないという話がございます。  ですから、自然農法をやって、つまり化学肥料を入れるという手もありますけれどもそれを入れないで、しかも自然農法で多収穫ができるような品質を開発するということは決して技術的に不可能ではないというふうに思いますので、むしろ自然農法の方に科学技術の研究開発を向けていくというようなことができれば理想ではないかと思います。
  48. 翫正敏

    ○翫正敏君 去年の六月に書かれた先生の論文が資料で参っています。ポスト冷戦、ポスト湾岸戦争世界が重大な分岐点にあるという認識のもとに、国連の役割をめぐってタカ派とハト派のせめぎ合いというものがあると。タカ派というのは、「国連安全保障理事会で、米国がその「力を背景とする正義」の覇権的リーダシップを遺憾なく発揮して「新世界秩序」を築くことに期待をかけて」いる。ハト派というのはそうではなくて、「国連への世界中小諸国の期待と信頼を失わせ、これが国連の第三世界における活動」、そういうことをしていると困難になるということで軍縮問題というものを重要視する、そういうことが書いてございますが、それから半年たちましてこういう動向はどういうふうに変化してきていると分析しておられますか。今後についてはどんなふうに見ておられますか。
  49. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) この文章を書きました後で起こりましたいろいろな出来事から見ますと、ますますタカ派とハト派の考え方の違いというものが浮き彫りになってきているように私には思えます。  つまり、タカ派と私が言いました考え方は、国連を一つの先進工業諸国の利害を守るための正当性を根拠とするということで、安保理事会での拒否権を持っている国々が、特にアメリカ中心になって国際的な問題を解決していくというその立場が非常に強く出てきております。そして、第三世界の国々を中心として、先ほど申しましたように、もちろん先進工業諸国からはお金をもらいたいし、面と向かって抵抗するという国は極めて少ないわけですが、しかし、第三世界の中で先進国主導型の、工業諸国主導型の世界が固まっていくことに対する非常な危機感が生まれていると思います。そして、それが先ほど申しましたように環境サミットに対するボイコットというような形であらわれてきていると思います。  ですから、環境問題についても、先進国主導型ということで開発途上国を引きずり込むということは、お金でっることはできますけれども本当の信頼関係は生まれない。信頼関係が生まれないような状況の中で環境安全保障ということを考えることは非常に無理が出てくるというのがハト派的な考え方で、その意味ではやはり信頼を譲成するということを中心環境安全保障というものを考えていかないと、実は、一時ユネスコからイギリスが脱退するいうことがありましたけれども、このまま続きますと今度は第三世界の国々が国連からどんどん脱退していくという傾向が起こる、恐らくまあこれは四、五年とか十年のオーダーでしか出てこない、今すぐには出てこないでしょうけれども起こる危険性がありまして、そうなると国連が国際的な安全保障の」つのよりどころとなることができなくなってくる、そういう危険性が実は待っているのではないかということを心配しております。
  50. 中西一郎

    会長中西一郎君) 武者小路参考人に対する質疑はこの程度にとどめます。  武者小路参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙の中、長時間の御出席をいただきまして、貴重な御意見を賜りました。まことにありがとうございました。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後五時八分散会