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1992-02-25 第123回国会 衆議院 予算委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成四年二月二十五日(火曜日)     午前九時四十五分開議 出席委員   委員長 山村新治郎君    理事 中山 正暉君 理事 原田昇左右君    理事 町村 信孝君 理事 村岡 兼造君    理事 村上誠一郎君 理事 串原 義直君    理事 野坂 浩賢君 理事 松浦 利尚君    理事 草川 昭三君       相沢 英之君    愛野興一郎君       粟屋 敏信君    井奥 貞雄君       池田 行彦君    小澤  潔君       越智 伊平君    越智 通雄君       狩野  勝君    唐沢俊二郎君       倉成  正君    後藤田正晴君       左藤  恵君    志賀  節君       戸井田三郎君    萩山 教嚴君       浜田 幸一君    原田  憲君       平田辰一郎君    増子 輝彦君       松永  光君    松本 十郎君       村田敬次郎君    村山 達雄君       柳沢 伯夫君    井上 普方君       伊東 秀子君    加藤 万吉君       小岩井 清君    新盛 辰雄君       関  晴正君    高沢 寅男君       筒井 信隆君    戸田 菊雄君       水田  稔君    山元  勉君       和田 静夫君    石田 祝稔君       日笠 勝之君    冬柴 鐵三君       木島日出夫君    児玉 健次君       三浦  久君    中野 寛成君       楢崎弥之助君  出席国務大臣         法 務 大 臣 田原  隆君  出席政府委員         法務省刑事局長 濱  邦久君  委員外出席者         証     人 塩崎  潤君         参  考  人 鈴木 善幸君         塩崎証人補佐人 長谷部成仁君         予算委員会調査 堀口 一郎君         室長     ————————————— 委員の異動 二月二十五日  辞任         補欠選任   越智 伊平君     萩山 教嚴君   越智 通雄君     狩野  勝君   鹿野 道彦君     平田辰一郎君   井上 普方君     高沢 寅男君   日野 市朗君     山元  勉君   吉井 英勝君     木島日出夫君 同日  辞任         補欠選任   狩野  勝君     越智 通雄君   萩山 教嚴君     越智 伊平君   平田辰一郎君     増子 輝彦君   高沢 寅男君     井上 普方君   山元  勉君     日野 市朗君   木島日出夫君     三浦  久君 同日  辞任         補欠選任   増子 輝彦君     鹿野 道彦君     ————————————— 本日の会議に付した案件  平成四年度一般会計予算  平成四年度特別会計予算  平成四年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 山村新治郎

    山村委員長 これより会議を開きます。  平成四年度一般会計予算平成四年度特別会計予算平成四年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題といたします。  この際、政府から発言を求められておりますので、これを許します。田原法務大臣
  3. 田原隆

    田原国務大臣 いわゆる共和事件につきましては、東京地方検察庁が、平成三年七月二十二日から十月九日まで、五次にわたり、株式会社共和の元取締役社長森口五郎及び元経理担当取締役倉正樹丸紅株式会社の元鉄鋼第二本部鉄鋼プロジェクト営業部部長代理久保田和良及び元鉄鋼第二本部本部長堤林正並びに株式会社アール・アンド・ディー・エンジニアリング実質的経営者山本松夫合計五名をいわゆる商社金融を仮装した詐欺等の事実で東京地方裁判所公判請求し、続いて、本年二月一日及び同月十七日に、いずれも、元北海道開発庁長官阿部文男衆議院議員受託収賄の事実で、森口贈賄の事実で、それぞれ東京地方裁判所公判請求し、これをもって捜査を終了いたしました。  本事件に関しましては、種々の疑惑が連日のように報道されたところでありますが、検察はい刑事事件について捜査を行い、犯罪が存在することにつき合理的な疑いを入れないだけの証拠が収集された場合に公訴を提起し、裁判所に法の正当な適用を請求するという職員に基づき、かつ、その権限範囲内で、厳正公平、不偏不党の立場を堅持しつつ、法の定める手続にのっとって真相究明に当たり、法と証拠に照らして適正な事件処理を行ってきたものでありまして、捜査処理具体的内容等は、引き続き政府委員から御報告いたします。
  4. 山村新治郎

  5. 濱邦久

    濱政府委員 引き続きまして、捜査処理具体的内容等につきまして御報告いたします。  いわゆる共和事件につきましては、平成三年五月二十七日に破産宣告を受けた株式会社共和経営内容に不透明な点があったことから、東京地方検察庁捜査を開始し、平成三年七月二日以降、同社本社事務所等数カ所捜索を実施して証拠書類を押収するとともに、同日から同月二十二日までの間、四次にわたって、同社取締役社長森口五郎及び元経理担当取締役倉正樹丸紅株式会社の元鉄鋼第二本部鉄鋼プロジェクト営業部部長代理久保田和良及び元鉄鋼第二本部本部長堤林正並びに株式会社アール・アンド・ディー・エンジニアリング実質的経営者山本松夫ほか一名の合計六名を詐欺等の事実で逮捕して取り調べるほか関係者取り調べを遂げた上、森口、十倉、久保田堤林及び山本の五名を同事実により東京地方裁判所公判請求いたしました。  公訴事実の要旨は、株式会社共和取締役社長森口五郎及び元経理担当取締役倉正樹丸紅株式会社の元鉄鋼第二本部鉄鋼プロジェクト営業部部長代理久保田和良及び元鉄鋼第二本部本部長堤林正並びに株式会社アール・アンド・ディー・エンジニアリング実質的経営者山本松夫らが、それぞれうち数名において共謀の上、建設会社等から鉄骨製品購入等注文を受けた丸紅株式会社が、これを同社名義注文書により他の商社等に発注し、当該商社等がこれをさらに株式会社共和に発注し、同社がこれを建設会社等に納入するとともに、その代金決済は、丸紅株式会社から注文を受けた当該商社等が先に株式会社共和に対する代金支払い、その後に丸紅株式会社から注文書記載売買代金支払いを受けるという、いわゆる商社金融取引を装って商社等から鉄骨製品売買代金等名下全員等を願取しようと企て、昭和六十三年十二月十二日ころから平成二年十月二十四日ころまでの間、合計十二回にわたり、東京都内株式会社共和事務所において、丸紅株式会社作成名義に係る有印私文書である架空鉄骨製品文書合計十二通を偽造して、これを飯田産業株式会社ほか三社の商社等役員らに対し、真正に成立したもののように装って交付して行使し、同人らをして、先に株式会社共和代金支払いをしても、後に当該商社等丸紅株式会社から当該文書記載のとおり売買代金支払いを受け得るものと誤信させ、よって、昭和六十三年十二月十九日ころから平成二年十一月二日ころまでの間、合計二十五回にわたり、当該商社等から、合計四十五億五千六百七十三万八百四十五円の振り込み入金及び額面合計二十三億四千百六十七万三千五百八十五円の約束手形の交付を受けて、これを願取したほか、昭和六十三年十一月上旬ごろから平成二年十一月七日ころまでの間、合計四回にわたり、東京都内株式会社共和事務所等において、建設会社丸紅株式会社に対して債務を負担していることを確認する内容当該建設会社役員作成名義に係る有印私文書である架空通知書等三通及び丸紅株式会社商社から購入した商品の代金を支払うとの内容丸紅株式会社作成名義に係る有印私文書である架空支払い通知書一通を偽造して、これを丸紅株式会社審査部部長らや当該商社職員らに対し、真正に成立したもののように装って提出または交付して行使したというものであります。  なお、逮捕された六名のうち、起訴された五名を除く一名につきましては、平成三年十月九日、犯行くの関与の度合いが低い等の理由により起訴猶予処分に付しました。  同事実の捜査過程におきまして、同社から元北海道開発庁長官阿部文男衆議院議員に対する資金の流れが存在することが判明し、これについては贈収賄罪嫌疑が認められたことから、東京地方検察庁では、鋭意捜査を進めたところ、阿部議員に対する受託収賄罪嫌疑及び森口に対する贈賄罪嫌疑が濃厚となったので、本年一月十三日以降、衆議院第一議員会館内の阿部議員事務所等数カ所捜索を実施して証拠書類を押収するとともに、同日、阿部議員及び森口を同事実で逮捕して取り調べるほか関係者取り調べを遂げた上、二月一日に阿部議員及び森口を同事実により、さらに二月十七日に両名を別件の受託収賄罪及び贈賄罪の事実により、それぞれ東京地方裁判所公判請求し、これをもって捜査を終了いたしました。  二月一日公判請求に係る公訴事実は、平成元年八月十日から同二年二月二十七日までの間、北海道開発庁長官として、北海道総合開発計画についての調査及び立案、これに基づく事業の実施に関する事務の調整及び推進、北海道開発予算一括要求並び北海道東北開発公庫に対する指導監督等事務を所掌する北海道開発庁事務を統括し、職員の服務を統督する職務に従事していた阿部議員が、株式会社共和取締役社長森口から、同元年八月中旬ごろから同二年一月中旬ごろまでの間、数回にわたり、東京都内料亭等において、第五期北海道総合開発計画に盛り込まれている函館−江差間の高規格幹線自動車道及び札幌市内建設予定全天候型スポーツ施設であるホワイトドームの各建設事業につき、これらの建設予定箇所等に関する情報を内報されたいこと、ホワイトドーム建設事業主体株式会社共和取引先企業を参入させ、その関連工事株式会社共和に受注させることを札幌市等に働きかけされたいこと、及び株式会社共和北海道上磯町において計画中のリゾート総合開発事業北海道東北開発公庫から融資が得られるよう同公庫に働きかけされたいこと等の請託を受けて、その報酬として供与されるものであることを知りながら、同元年八月下旬ごろから同二年一月中旬ごろまでの間、合計六回にわたり、東京都内料亭等において合計八千万円の現金供与を受け、また森口同旨現金供与したというものであり、また二月十七日公判請求に係る公訴事実は、同様の職務に従事していた阿部議員が、森口から同元年八月中旬ごろから同二年一月中旬ごろまでの間、数回にわたり、東京都内料亭等において同様の請託を受けて、その報酬として供与されるものであることを知りながら、同年一月下旬ごろ、衆議院第一議員会館内の阿部議員事務所において一千万円の現金供与を受け、また森口同旨現金供与したというものであります。  いわゆる商社金融を仮装した詐欺事件をも含めた事件処理の結果は、公判請求した者が六名、不起訴処分に付した者一名であり、他に刑事事件として訴追するに足りる犯罪嫌疑を認め得るものはありませんでした。  本事件においては、株式会社共和経営状況が乱脈をきわめておりましたために、捜査は約二百三十日の長期間に及び、その間、捜査に専従した検察官は三十名、検察事務官は四十名、その他捜索差し押さえ等に加わった捜査員は約四百名であり、取り調べ対象者の数は延べ約二千八百名、捜索箇所は約七十カ所、押収証拠品は約五千七百点に上っております。  なお、以上申し上げた事実以外の事実に関する捜査結果について付言いたします。  その一は、受託収賄罪による起訴に係るものを除く株式会社共和から阿部議員に対する資金提供に関する犯罪成否等についてであります。  東京地方検察庁におきましては、株式会社共和から阿部議員に対して多額の資金が提供されたとの報道等をも視野に入れ、株式会社共和から阿部議員に対する資金提供の全体につ岩、贈収賄政治資金規正法違反の点を中心として捜査を尽くしましたが、贈収賄につきましては、起訴に係るもの以外の資金提供趣旨北海道開発庁長官たる国務大臣または国会議員としての職務権限とは関係がなく、あるいは当該職務資金提供との間に対価性が認めがたいなどの理由により、また、政治資金規正法違反につきましては、これらの資金提供が公職の候補者としての阿部議員に対する政治活動に関する寄附と認めがたいなどの理由により、いずれも訴追するに足りるものは認め得ませんでした。  その二は、阿部議員に係るもの以外の犯罪成否等についてであります。東京地方検察庁におきましては、この点につきましても、贈収賄政治資金規正法違反嫌疑の有無を中心として捜査収集した証拠に基づき検討を続けましたが、これらの犯罪嫌疑ありとして訴追するに足りるものは認められませんでした。  以上がいわゆる共和事件捜査結果についての御報告であります。
  6. 山村新治郎

    山村委員長 速記をとめてください。     〔速記中止
  7. 山村新治郎

    山村委員長 速記を起こしてください。     —————————————
  8. 山村新治郎

    山村委員長 平成四年度総予算について、塩崎潤君より証言を求めることにいたします。  この際、証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。  昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によって、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになっております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証人証人配偶者、三親等内の血族もしくは二親等内の姻族または証人とこれらの親族関係があった者及び証人後見後見監督人または保佐人並びに証人後見後見監督人または保佐人とする者が、刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのあるときであります。また、医師歯科医師、助産婦、看護婦弁護士弁理士公証人、宗教の職にある者またはこれらの職にあった者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについても、本人が承諾した場合を除き、宣誓または証言を拒むことができることになっております。  証人宣誓または証言を拒むときは、その事由を示さなければならないことになっております。  証人が正当な理由がなく宣誓または証言を拒んたときは一年以下の禁錮または十万円以下の罰金に処せられ、また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。  一応このことを御承知おき願いたいと存じます。  次に、証人補佐人助言を求めることが許される場合について申し上げます。  すなわち、証人は、宣誓及び証言の拒絶に関する事項に関し、補佐人助言を求めることができることになっております。  助言は、その都度証人委員長にその旨を申し立て、その許可が得られた後に認められるものであります。  なお、補佐人は、みずから発言すること及びみずから証人に対して助言することはできないことになっております。  次に、今回の証人喚問についての理事会申し合わせについて申し上げておきます。  その第一は、資料についてであります。  証人は、証言を行うに際し、資料を用いることは差し支えありませんが、委員長許可が必要であります。また、これらの資料は、いずれも当委員会に提出していただくことになっております。  その第二として、証人メモをとることについてでありますが、尋問項目程度は結構でございます。  なお、補佐人メモをとることば構いません。  以上の点を御承知おきください。  それでは、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めることにいたします。全員起立を願います。     〔総員起立
  9. 山村新治郎

    山村委員長 議院証言法第五条の三の規定によりまして尋問中の撮影許可しないことになっておりますので、これより塩崎潤君の証言が終了するまで、撮影は中止してください。  それでは、塩崎潤君、宣誓書を朗読してください。
  10. 塩崎潤

    塩崎証人     宣誓書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、  又、何事もつけ加えないことを誓います   平成四年二月二十五日          衆議院議員 塩崎  潤
  11. 山村新治郎

    山村委員長 宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  12. 山村新治郎

    山村委員長 御着席ください。  これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は、証言を求められた範囲を超えないこと、また、御発言の際には、その都度委員長許可を得てなされるようお願い申し上げます。  なお、こちらから質問をしているときには着席のままで結構でございますが、御発言の際は起立して発言をしてください。  なお、委員各位に申し上げます。  本日は、申し合わせの時間内で重要な問題について証言を求めるのでありますから、不規則発言等、議事の進行を妨げるような言動のないよう特に御協力をお願い申し上げます。     —————————————
  13. 山村新治郎

    山村委員長 これより証人に対して証言を求めます。  まず、委員長より委員会を代表しまして、総括的にお尋ねして、その後、委員各位発言を願うことといたしております。  それでは、私からお尋ねいたします。  あなたは、平成元年六月ごろ、阿部文男議員を介し、共和の依頼により丸紅東京本社において春名和雄丸紅会長と面談し、共和丸紅との取引について仲介をした。その謝礼として共和から二千万円をあなたが受領したと言われていますが、その事実関係経緯について説明してください。
  14. 塩崎潤

    塩崎証人 証言の前に、簡単に、委員長おわびのごあいさつをさせていただきたいと思います。  すべて私の不明不徳、軽率な行動によりまして、国政の上に重大な影響を及ぼし、国民の皆様方に大変な御迷惑をおかけいたしましたこと、そしてまた、私の支持者に甚大な御心配をおかけいたしましたことを心からおわびを申し上げますとともに、反省反省を重ねまして、証言法趣旨に従って、誠心誠意例証言を申し上げ、皆様方の御理解を求めたいと思います。何とぞよろしくお願い申し上げます。  さて、今委員長から、丸紅共和との間の私の仲介の問題について御質問がございました。  御指摘平成元年六月ごろであったと思うのでございますが、阿部代議士から、共和丸紅との取引関係を円滑にするように丸紅春名会長のところに頼んでもらえまいかと、このようなお話がございまして、私は、当日丸紅本社に参りまして春名会長にお目にかかりまして、私の、阿部代議士が伝えました共和陳情趣旨は、大商社に比べて金繰りの苦しい企業は時に取引関係円滑化を欠く、このようなことを心配しての陳情趣旨だと考えましたので、私は、そのような趣旨から春名会長共和をよろしくと、このようにお願いしたのでございますので、春名会長は、担当者を研究せしめるというような御返事であったように思っております。  その陳情の結果につきましては、共和側から詳しい報告もありませんでしたけれども、それから一カ月後ぐらいに、共和森口社長大川常務がその点はっきりいたしませんけれども、私の会館にやってまいりまして、先日はありがとうございました、ただいま阿部代議士のところに参りましたが、阿部代議士は御不在でございますので、阿部代議士から本来ならお渡しすべきでございますが、私がかわってお渡しいたしますということで、今委員長指摘の二千万円の全員を受け取りました。  私は、この二千万円という金額は相当大きい金額であると直観したのでございます。これはどういう趣旨かいろいろと考えてみたんですけれども、そのときは、共和丸紅との関係についての私の陳情のお礼という意味、しかしそれだげじゃなくして、この金額から見ると、私の政治家としての活動をこれからもさらに活発化して応援してやろうと、こういった意味全員ではないかというふうな、直観的ではございまするけれども、印象を持ってこのお金を一たん受け取ったのでございます。  ところが平成三年、つまり二年たった後の七月二日、共和森口社長が逮捕されまして、詐欺というような理由起訴されたという新聞報道を見まして惜然としたわけでございます。私は、大会社である、世界的な商社である丸紅と、また、鉄骨で名の知れた共和との間にこのような仮装的な取引のようなものがあるというようなことは全く認識をしておりませんでしたけれども、しかし、少なくともそのような取引に二年前に陳情をしたというようなことは、もう大変私にとってショックでございまして、私は、この二千万円は大変心苦しい、政治家として受け取ることは許されないお金だと、こんなふうに思。いました。  そうして、七月の八日ということをはっきり覚えているんですけれども、弁護士のところに、私の親しい弁護士のところに相談に参りまして、この金を返したいがどうしたらいいかと、このような相談に行ったこともございますし、労働省の労働基準局長をしておりました、共和会長でございました岡部君のところに相談に行ったこともございます。そして、思いあぐねて、時間はかかりましたが、結局阿部代議士に、何とかこの二千万のお金共和側に返してもらえないかとお願いいたしました。阿部代議士も真剣に検討していただいたようでございまして、それではひとつ二千万持ってこいと、返してやるということで、私は十一月の中旬、阿部代議士に二千万手渡して返すことを依頼したわけでございます。  そのほか、いろいろ後日物語もたくさんあろうかと思いますが、一応このような委員長の総括的な御質問に対しましてお答えを申し上げたいと思います。最初に申し上げたように、本当に大変な、軽率な、陳情趣旨についても勉換もしないで行動をしたことを皆様方に心からおわびを申し上げまして、報告としたいと思います。
  15. 山村新治郎

    山村委員長 あなたは、平成元年十二月、佐世保重工業東京本社板垣舜二郎専務を訪ね、森口五郎共和社長を紹介し、共和鉄骨加工メーカー三和鉄構買収することについて話し合うことを依頼した、その謝礼として資金提供を受けたと言われておりますが、その事実関係経緯について説明していただきたい。
  16. 塩崎潤

    塩崎証人 私は、ただいま委員長の御指摘の、共和三和鉄構買収する、そのために森口社長板垣佐世保重工業専務に紹介したというような記事は、実は新聞で見てこういうことがあったかなと思って思い出したぐらいの短い期間の出来事でございました。  御指摘のように、平成元年の、たしか予算編成の大変忙しいころでございましたが、森口社長から、今事務的に三和鉄構買収について話が進んでいるから、佐世保におきますところの買収専門家で、専門家と申しますか責任のある専務でありますところの板垣専務に紹介をしていただけないかと、こういう話がございましたので、私は彼を伴って、わずか十分間ぐらいでございましたが、板垣専務さんに、こういう趣旨共和森口社長を御紹介申し上げるからお互いに話し合ってもらえないか、こういうことを申し上げたのでございます。私は、その結果について許しぐどう在ったか、聞いてないような記憶を持っております。まして、本件に関して全員をいただいたというような覚えは全くございません。
  17. 山村新治郎

    山村委員長 いわゆるあなたのファミリー企業である有限会社今日社が取得した松山三番町の共和所有土地に関し、共和が同土地を担保として当時の協和銀行から八億五千万円の融資を受けていたこと、また、同土地所有権共和から今日社へ移転される直前に国税当局による差し押さえが解除となったことについて、本委員会の質疑の中で、あなたが関与したのではないかとの指摘がなされました。  松山三番町の共和所有土地を取得するに至った経緯と事実関係について説明してください。
  18. 塩崎潤

    塩崎証人 この問題も含めて、私は李下に冠を正さずという言葉を、私自身がもう少し身につけなければならないことを痛感するものでございます。  今、八億五千万円の融資、それからもう一つは滞納処分の差し押さえの解除の問題を例示されまして、この土地の、共和がどのようにして取得したか、この土地を私の関係会社がどのようにして買ったか、これについての概要を御説明しろという委員長のお話だと思うわけでございます。  まず、共和がこの土地をなぜ買ったかということでございます。  松山には、私が共和本社役員を知る前から、共和あるいは共和物産と言っておりましたが、支店がありまして、その支店長は私の旧制中学の後輩でございまして、大変親しい男でございますが、同時に、支店長として料理部長をしていたようでございます。そして、松山でもそうでございますが、レストランづきのテナントビルをつくりたい、その用地を探したい、こんなことを計・画をして、盛んに私に話していたことを思い出すのでございます。  私は、このような話から、共和役員に、先ほど来委員長指摘土地が買うことはどうか、そして、今多分に利用度の低い土地ばかりでございます、そのあたりは割合繁華街に近い土地でございますが、開発の専門家としての共和が一体として開発することができるかどうか、ひとつ研究したらどうか、こんなことを、先ほどの支店長の話かう私はそう、何と申しますか、考えまして申し上げたわけでございます。開発の専門家松山によこしまして、広く研究したようでございます。  そして、後で気がついたのでございますが、私はそんな大きな計画と思わなかったのですけれども、三番町ビルというような、相当広い土地を利用する、そのあたり一帯の土地買収して高層のビルを計画していたようでございますが、このような計画のもとに、それでは買収しますということで、平成二年二月の八日でございましたか、買収をしたわけでございます。  そのときに八億五千万の融資があったことを知っておるかというお話が、今御質問もございましたが、私は実は知りませんでした。ただ、土地の、二億六千万円程度の土地についての融資はあるであろう、こういうふうに想像をしておりましたが、八億五千万、このような金額融資まであのときにあるということは、想像もつかなかったわけでございます。今、私の想像するところでは、しかし共和側としては、これだけの開発をするからこういった資金計画が要るんであろうということで、銀行に提出したものであろうと思うわけでございます。  次は、私の関係会社が共和からこの土地を買ったという、購入したという問題でございます。  共和は、開発に行き詰まったのかどうか、私も理由はよくわかりませんけれども、ともかくも平成二年の十一月二十六日に倒産をいたしました。倒産直後、亡くなりましたが、先ほどもちょっと名前を出しましたけれども、当時は会社の整理に一番力を入れておりました岡部共和会長が私のところに参りまして、共和は開発計画で失敗した、開発のできないところ、途中の未完成の地域については、これを早く売却して身軽、になって再建したい、したがって、この松山土地も隣地である塩崎先生の方で買い取ってもらいたい、こういう要求が倒産直後にあったことを、まず申し上げなければならないと思うわけでございます。  第二に、倒産直後一番心配いたしましたのは、担保権者であり債権者でありますところの銀行でございました。倒産の二日か三日後ぐらいに、私の事務職員のところに参りまして、この土地を購入する気があるかどうか、このような打診があったわけでございます。そうしてそれから、共和側の管財人の代表も入れまして、裁判所の財産保全処分が出ておりますから、聞くところによりますると裁判所とも連絡をとりながら、当該土地の売却の話について話し合いが事務的に行われたということを、私は後から報告を受けたのでございます。  したがって、先ほど委員長の御質問がありましたが、五月十日に和議申し立ての取り下げがあって、五月の二十七日でしたか、破産宣告があった。その間の中間でありますところの五月十七日に、いきなり当該土地の購入があったというのはいかにも唐突ではないか、このようなお話がございましたけれども、私が申し上げたいのは、先ほど来申し上げておりますように、共和側あるいは銀行側の要望に応じて、もう倒産直後からこの話をしていたことを、ぜひとも御理解を願いたいと思うのでございます。  どうしてそれがおくれたか。いやそれは、実は十二月の二十一日に、共和の法人税の平成二年八月期の中間税金が申告がなかったために、みなし税金という言葉、これはもう先生方にはもう御案内のとおりでございますが、みなし税金が発生して滞納になった。したがって、十二月の二十一日に差し押さえの登記がありました。担保権なら別かもしれませんけれども、やはり税金の差し押さえだから、これは税金の差し押さえの解除を待とうではないか、こういうことになったわけでございます。  そこで、税金の差し押さえの解除は四月三十日に行われた、こういうふうに言われておりまするけれども、言われ、それがまた私の関与で行われたのではないかと言われておりますけれども、これはもう先生方御案内のとおり、中間申告の税金は確定決算によって精算される、そして確定決算が欠損ならばこれは中間みなし税金といえども消滅する、そして繰り戻しで還付請求があれば税金は還付されるという仕組みは、法律上御案内のとおりでございます。そして、国税徴収法の上でも、税金が消滅すれば差し押さえは解除するという仕組みになっていることも御案内のとおりでございます。私も大蔵省の時代、そこまで詳しく詳しく勉強したわけじゃありませんが、今度勉強して、なるほど租税法律主義というものは非常に厳格なものだな、こういうふうに思ったわけでございます。こういう趣旨で、私は介入はできるはずがないというふうに、法律上の仕組みであるというふうに申し上げたいわけでございます。  以上、意を尽くしておりませんけれども、しかしながら共和という会社が倒産し、まあそのために何か塩崎潤という男が不正常なことをしたのではないかという御疑問を持たれたことに対して、御回答になるかどうかわかりませんが、一応委員長の御質問に対して御報告を申し上げる次第でございます。
  19. 山村新治郎

    山村委員長 以上をもって私からお尋ねすることは終わりました。  次に、発言の申し出がありますので、順次これを許します。村岡兼造君。
  20. 村岡兼造

    ○村岡委員 ただいま山村予算委員長尋問事項に対して、ある程度詳しく御答弁がございました。予定の時間も大分おくれておりますので、一問一答形式でお願いしようと思いましたが、一つの問題にまとめて質問をいたしますので、できるだけ重複にならないように、しかしあるかもしれません、具体的に質問をいたしたいと思います。  まず、丸紅関係についてでありますが、共和丸紅との鉄骨取引について塩崎証人丸紅春名会長に、先ほども答えがありましたけれども、新聞等では三十分ぐらい会談をしたというようなこともございますので、その模様をお話しを願いたい。また、その際、後日発覚した架空取引の件について、知っていて、ある程度知っていて依頼されたのかどうか、このこともお聞かせを願いたい。  さらに、先ほど二千万円受領いたした、こういうことがございましたが、証人は一たん受け取った二千万円を後日、阿部代議士に返還した時間的なこともございます。先ほどの御答弁もございましたが、もう一度、どういう理由なのか、また、その時期等についてもお答えを願いたいと思います。  さらに、報道によりますと、共和から受け取ったとされる二千万円を、証人は個人所得として修正申告されているようでございますけれども、これは本当でありますかどうか、また、どのような理由でそのような処理をしたのか、お聞かせを願いたいと思います。  以上でございます。
  21. 塩崎潤

    塩崎証人 まず第一に、三十分間程度話した内容はどんなことかということでございます。記憶も薄れておりまするけれども、私は春名会長ともう大変じっこんでございまして、いろいろと雑談もし、経済の状況なぞも話したことでございます。そして、私は今内容はよく知りませんけれども、これがまた私は軽率だったと思うわけでございまするけれども、共和との関係の円滑、とにかく難しい中小企業資金繰りのときに、私は資金繰りが一番大事だと思っているぐらい、おったわけでございまして、架空取引というような関係は全く考えませんでした。そんなような話をお願小して、相当まあ粗雑な話でございますが、私の今までの考え方、やはりお互いに話し合って解決していただくようにお願いしたわけでございます。架空取引のことは、先ほども申し上げましたが、全く存じませんでした。  それから、二千万円の返還の問題でございますが、悩み悩んだ結果、十一月の中旬、阿部代議士がやっとこれは返すことができるように自分はなったと思うからということでございましたので、私はこれを、阿部代議士を信頼して二千万円渡しました。  それを、返還もしたのにどうして修正申告をしたんだ、個人所得と見たのか、こういう御質問でございまして、私はもうこの問題ぐらい悩んだ問題はございません。率直に申し上げて、これはまた、ひとつ皆様方の今後の政治資金規正法の中の改正の中でも明らかにしていただきたい大きな問題だと思うぐらいでございます。先ほど沌申し上げましたように、謝礼というほかに、同時に政治資金的な性格があったんではないかというふうに私は直観したと申しました。しかもまだ、翌年選挙もあったせいもありまするけれども、ともかくも私は、この二千万円は個人的な用途じゃなくて、政治活動にその年じゅうぐらいに使ったような気がするわけでございます。  さて、これが政治資金ならば、同じく政治資金も雑所得でございまするけれども、費用が比較的甘目に認められて、ゼロになれば申告は要らない、しかし、政治資金なら政治資金規正法上の報告その他の規制がある、こういうことになるわけでございます。  しかしながら、どうも政治資金というものは、考えてみますと、まだまだこれも明確じゃありませんけれども、やっぱり政治家を一般的に応援する、特定の政治家のサービスと関係の少ない、全く関係ないとは私は思いませんけれども、そして金額も比較的少ないもので浄財が政治献金、こういうふうに考えますと、私がたまたま頼まれましたこの二千万円という全員はやはり謝礼ではないか。平成元年に受領して平成二年の申告の際考えなきゃいけなかったわけでございますが、この所得が何かということ、これはもうなかなか解決ができない、詳しく申せば幾らでもあるのですけれども、できない問題で、悩み悩んでいるうちに、そのうちに申告期限を徒過した。  そして、問題が起こって初めて私は今度は真剣に考える、深刻に考えるようになってきたことは、大変申しわけないわけでございまするけれども、考えました結果、これはやはり平成元年に帰属し、個人に帰属した所得、謝礼所得、雑所得と観念すべきであり、したがって、政治資金に使ってもそれは費用にならない。私どもいただく原稿料が政治資金の費用に充てることは認めないでやっぱり収入に入れて申告しておることが示しますように、そのような形で申告すべきではないのか、こんなことで思いあぐね、悩んで、二年もおくれましたけれども、平成四年の二月の六日に二千万円で修正申告をさせていただいた次第でございます。  いろいろ、殊に税金に携わった者といたしまして大変申しわけなく思うのでございますが、このような悩みがあったことをひとつ御理解を願ってお許しを得たいと思います。
  22. 村岡兼造

    ○村岡委員 次に、松山市の三番町の土地の問題についてでございますけれども、報道ではさまざまな形で報道されております。調べたところでは、この土地は坪内寿夫氏が所有し、来島興産が管理していた土地でありまして、証人がもともと購入を希望されていたと聞いておりますが、その点はどうか。  また、この土地がいろいろ、先ほどの話でわかりましたけれども、共和の和議が取り下げられて、そして破産の宣告を受ける直前の間と、こういうことで非難されておるわけでございますけれども、一般的に考えますと、いろいろな事情があったにせよ、大変私どもから見れば法律的には何でもないけれども軽率ではなかったか、その点の事情をもう一度詳しく御答弁願いたいと思います。
  23. 塩崎潤

    塩崎証人 もう総括的に村岡委員の御指摘のように、まさに私は軽率そのものの行為であったような気がいたしまして、誤解を招いたことに対して本当に心からおわびを申し上げなければならないわけでございます。  この土地は、二十年来私の旧事務所で現在駐車場に使っております、まあ青空駐車場でございますが、隣にあってほとんど利用されていなかった、廃屋があったような土地でございます。私は、できたならば一体利用できないかというふうなことで買い入れを申し込んでおりましたが、私が考えましたことは、このあたり一体開発する方がはるかに松山の経済全体のために役立つのではないかというようなことで、開発の力が私よりもはるかにありますところの共和、そのときはそうあったと私は思っておったわけでございまするけれども、その共和に売り、共和が倒産したものですから、先ほど来申し上げておりますように、共和の希望、そしてまた銀行の希望によって私がこれを引き受けてやっぱり一体利用をする方がよかろうと、こんなふうな気持ちで購入したわけでございます。  しかもまた、私は十一月の二十六日から購入しまして、平成二年の十一月二十六日から平成三年の五月の十七日までの間にこの関係が、話し合いが行われたというふうに考えていただきたいのでございますけれども、どうも五月の十日の和議申し立ての取り消しから破産宣告、五月二十七日ですか、わずかの間のどさくさの取引じゃないかというふうに見られましたのはもう大変残念なことでございます。私は長い期間の準備ででき上がったというふうに御理解をお願いをしたいと思うところでございます。
  24. 村岡兼造

    ○村岡委員 予定の時間も大分経過いたしておりますので、最後の質問を申し上げたいと思います。予算委員会でもたびたび質問が出ましたが、宏池会との関連についてであります。  今回の共和に関する問題は、宏池会の総裁選挙のための資金づくりと関係が言われておりますけれども、この点を御説明を願いたいと同時に、また、証人は派閥の諸経費を分担する立場にもあったと思いますけれども、共和からの提供を受けていたのはその資金づくりの一環であったのではないかと、こうも言われておりますので、この二点について明確にお答えを願いたい、こう思っております。
  25. 塩崎潤

    塩崎証人 私の関する限り、共和が宏池会の資金づくりの対象になっているというようなことは全くないと思っております。まず最初に、私の二千万の中から宏池会に出されたということは全くありません。  それから、総裁選づくりの対象になっているのではないかということも時々情報で言われますけれども、御案内のように、共和平成二年の十一月二十六日に倒産して翌年の五月の二十七日に破産決定をされたような会社でございます。総裁選は、御承知のように十月の半ばに、昨年の平成三年の半ばに行われたわけでございますから、その倒産会社に宏池会の資金づくりの対象にするというようなことは、私は全体的な、私が申し上げることじゃないかもわかりませんけれども、関係がない、また、そんなような力はない共和ではないかと、こんなふうに思いますし、全く宏池会の総裁選の資金づくりなどとは関係のない問題だと思っております。
  26. 村岡兼造

    ○村岡委員 以上で終わります。
  27. 山村新治郎

    山村委員長 これにて村岡君の発言は終了いたしました。  次に、加藤万吉君。
  28. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 まず最初に、共和丸紅との関係。今の証人の話では、春名会長にお会いをして共和資金繰りが極めて詰まっているのでよろしくというお話だけだった、こう言いますが、なぜ資金繰りが悪かったのかという実態は御存じなかったんでしょうか。  同時にまた、あなたが春名会長とお会いになった一カ月後、丸紅共和との間では弁済契約書、これは私手元に持っていますが、これを結んでいらっしゃいます。したがって、単なる経済問題の雑談ではなくして、弁済契約を結ぶためにどういう話し合いをすべきか、こういうお話があったんではないでしょうか。
  29. 塩崎潤

    塩崎証人 私は経済を一般的に考える傾向があったせいかもわかりませんけれども、中小企業と大商社あるいは製造企業との間にはこのような常に資金問題で金繰りの苦しさから取引が行われない、これを私はこの問題で円滑になるように言ってくれと、こんなふうに理解して、まあ勉強不足であったことは本当に申しわけありません。そして、それが弁済契約とかならまあともかくとして、架空取引があるというようなことを知っておれば、春名会長のところへ行くようなことは私としては絶対に考えられないところでございます。  弁済契約ができたということも、私は森口君から報告もありません。
  30. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 既に、当時丸紅は審査部長を中心にして六十三年の八月から部内調査を始めていらっしゃいました。同時に、鉄骨プロジェクトの先物の契約その他含めて審査をするという状況であったわけですね。すなわち、丸紅共和との取引は中止をする、こういう状況になったわけですよ。この状況は一年前からもう起きているわけですから、当然あなたは、なぜその取引が中止になったのか、なぜそういうことを丸紅が審査をされたのか、春名会長と極めて親しい仲だ、こうおっしゃっていますから、このことはおわかりになっておったんじゃないですか。
  31. 塩崎潤

    塩崎証人 私は、企業取引、特に個々の企業取引内容については全く、何と申しますか素人と申しますか、知らないものでございます。そして、春名会長鉄鋼のことだからわからないというふうに申されて、担当者に研究を命ずるということでございます。そして、そのようなことならば、私もうかっでございましたけれども、森口社長にもう少し確かめて、私の政治的な活動、特に陳情のような場合にはお互いの話し合いで解決するように紹介することが政治家の一番の大事な役目で、内容についてはやはりお互いの話し合いを持っていくべきである、こういうふうに思ったものですから、うかつにもそのような事実についての勉強が足りませんでした。この点はもう率直におわびを申し上げなければならないと思っております。
  32. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 先ほどその結果については、議員会館森口社長報告に見えた、こういうお話でございましたが、平成元年の七月の上旬に森口社長、阿部文男、原田代議士、山下代議士、赤坂の料亭でお会いになったんじゃないですか。その際には、どんな話が行われたのですか。  例えば、今言いましたような弁済契約などについてその後の処置についてお話があったのか。あるいは、阿部文男代議士はこの後入閣をしていらっしゃいますが、こういう点についてのお話があったんですか。
  33. 塩崎潤

    塩崎証人 期日も場所も記憶に薄れておりますけれども、阿部代議士の呼びかけで会合があって、私は出席したことがございます。しかし、そのようなところで仕事の話と申しますか、難しい、特に難しい話は私どもはしたことないと思っておりますし、私どもの会合は単なる雑談、あるいは何と申しますか休養、こんなような感じの話でございます。特に阿部代議士が大臣になったというような意識はないような感じがするような会合でございました。
  34. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 その会合が行われた後、二千万の授受が行われているんです。まあこれは報道によるところですが、阿部代議士は当時一億円共和に要求をした。がしかし、交渉の結果といいましょうか、話し合いの結果でしょう、五千万に話し合いがついて、そのうちの二千万があなたに授受されて、あと三千万は阿部代議士に渡った、こう言われているのです。あなたは阿部代議士に三千万が行ったということを御存じですか。
  35. 塩崎潤

    塩崎証人 全く存じません。
  36. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 二千万の授受が極めて多額であり、あなたは謝礼としては多過ぎる、政治資金活動にしては、という疑問を持たれながらも授受をされた、こう言われています。二千万の授受は、一体これは何だったんでしょうか。あなたはそのときにどういう理解で二千万をお受け取力になったのですか。
  37. 塩崎潤

    塩崎証人 先ほども委員長の御質問に対してるる申し上げたことの繰り返しになるかもわかりません。私はもう直観的に、この金額は大きい、しかしこれはやはり私の、何と申しますか将来の政治活動への支援を含め、そしてこの共和丸紅との関係円滑化についての私の努力を評価して謝礼としてこのような金額を持ってきたのではないか、こういう二つの私は性格で、しかしなかなか割り切れないところでございますが、政治献金というものは多分に謝礼という意味がないというふうなことは思いませんけれども、その二つの要素が混在した金だと思って受け取りました。
  38. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 両方とも、あなたは大蔵省の主税局長までやられた方ですから、仮に政治献金であれば政治資金規正法に当然収入支出として計上されるべきであるし、また、もし謝礼という形であれば所得として当然申告される、このことを十分承知の上で、この時期においては、平成元年の七月の時期においては二千万は政治的な裏金として受け取る、こういうことではなかったのですか。
  39. 塩崎潤

    塩崎証人 この問題についても、私の悩み、まあ苦しみの形で委員長に御報告を申し上げたようなところでございます。  さて、これが政治資金であるかあるいは個人に帰属する所得、雑所得であるか、この区別はなかなか難しいと思うのでございます。この区別が私は考えているうちに選挙になって修正——正規の申告をすることを怠ってしまった。政治資金ならばこれはもう所得税の申告は要らない、しかし政治資金規正法上の制約があると思ったんですけれども、そこは両方の観念が交錯をしたために、大変申しわけないわけでございますが、修正申告、二年おくれましたけれども、私は、個人に帰属するところの謝礼、所得として修正申告をさしていただいて、お許しを得たいと思っているところでございます。
  40. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 主税局長をやられて税務には極めて明るい、しかも著書もいっぱいあるあなたですから、よもや、その時期にお忘れになったとか選挙がお忙しかったなんというと、やはり詭弁ですよ。私は、やはり悪意、意図的にあなたは政治資金の裏金としてお受け取りになった、こう認識をせざるを得ませんですね。  さてそこで、この二千万は今年に入りまして修正申告をされました、雑所得として。どうですか、あなたの所得は平成元年は所得税で千四百十四万円です。どのくらい収入があったかわかりませんが、これを逆算してみますと大体三千万から。三千五百万ぐらいのお金でしょう、年間の所得がですね。そうすると、二千万という金は、これは六割、七割に匹敵する金ですよ。まさに、税で言う適税率が極めて高い、これをこのまま放置をされておったわけですね。そして平成四年になりまして修正申告をしたから、それで万事逃れるというものではないでしょう。  これは政治家である塩崎さんにお聞きをしたいのです。本来、こういうものが仮にアメリカあたりであれば議員立法で厳しく議員のその職を問われるという問題、私はそういう認識をしますよ。あなた、今そのことについてどういう政治的な責任をお感じですか。
  41. 塩崎潤

    塩崎証人 もと主税局長をいたしておりました者として、加藤委員のおっしゃるように、私は大変恥ずかしいことだ、申しわけないことだと思っているところでございます。  私は、この二千万円を個人的な用途にしておれば本当に申告をしなければならぬということがすぐ気がっくわけでございますが、これはもう御承知のように政治資金として、政治活動の費用として使ったわけでございます。しかし、収入があるからといって、所得、個人所得を政治資金に、特に雑所得を政治資金に使ったといえども、簡単に費用にならないことはもう御案内のとおりでございます。二千万は確かに大きな金額でございます。そういった意味で、申しわけないのでございまするけれども、しかしみずから進んで、二年おくれましたけれども修正申告という制度を利用さしていただいて、そして税金を納税をしてお許しを得たい、こういうふうに思ったわけでございます。  そして今、そこでおまえは議員としてどのように責任を感ずるか、このような御質問がございました。私もこの問題でどのように責任をとるか、この点についての深い反省を持ってこれから考えていきたい。しかしながら、政治活動をさらに清潔に、そしてまた活発にすることによってまた私どもの有権者の声にこたえていきたい、これが今の私の直観的な考え方でございます。
  42. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 松山土地の件ですが、先ほどあなたは、共和森口社長松山にレストランを中心とするビル建設を計画をされて、それによってあの土地共和買収がされた、こうおっしゃいました。そうじゃないんじゃないですか。確かに共和が取得をしたことは事実ですが、その土地の隣は、あなたが先ほど証言されましたように、あなたのもとの事務所土地、今日で言えば今日社の土地ですよ。したがって、今日社の土地松山土地とを含めて、さらに周辺を買い上げて、そこでビル建設をするという計画はあなた自身の計画じゃなかったんですか。これは協和銀行の、あなたが出されました、今日社が出されましたビル建設計画を見ますと、共和とあなたとの、今日社との共同の計画書が出されていますね。これに基づいて八億五千万の担保が根抵当として設定されているのです。これは私は協和銀行の方からお聞きをしましたから間違いはないでしょう。どうなんですか。
  43. 塩崎潤

    塩崎証人 先ほども申し上げておりますように、私には、あのあたりの土地は、全体三、四百坪あろうかと思いますが、その土地を開発する技術もまた力もありません。しかし、もったいない土地だから、共和に買ってもらえば、共和がみずからの開発の経験、知識、技術を生かして開発できるな、こういうふうに思ったわけでございます。そんなようなことで協和銀行は共同計画者みたいなような印象を持たれたようでございます。私は共和側に、開発がどんどん進めば私の土地でもひとつ売ってもいいよ、こんなことはつぶやいたことがあることを思うわけでございますが、そんなに早くいくはずがない、私は一つの土地を開発するのでも、五十坪の土地でも大変な労力と資金等を必要とすると思うわけでございますし、その付近の一帯の土地は相当地価が高いところでございますから、そう簡単にいくはずがない。しかし、共同計画ということは私は全く後で聞いた、後で聞いて驚いたわけでございます。しかし、土地は必要に応じて売ってもいいよということを言ったことは私は覚えております。  そんなようなことで、一応の何件かの土地について八億五千万の、土地を全部含めて融資が行われ、融資を申請をして、そしてこれが担保になっていた、こういうふうに私は今想像するわけでございます。それ以上、八億五千万の融資があったというようなことは、平成二年二月の八日でしたか、土地購入されたときがその日でございますが、そのころにそんなような具体的な計画があって、そのようなまた大きな金額融資をされているということは全く存じませんでした。
  44. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 摩訶不思議なんですね。あなたは共和がその土地を開発してビルをつくる、こう言って、今、私どもの土地はむしろ買い上げてもらうような、そういう状況下に私は認識しておった、こうおっしゃいました。ところが、二年の六月の二十九日ですか、あなたのところの今日社は登記の変更をされているのですよ。この登記の変更、ここに登記抄本がございますが、これは従来の書籍、サービスというそういう営業項目から不動産関係、すなわちテナント関係を含めた営業品目に、営業品目を定款の変更をされているのですよ。明らかにそれは今日社がその土地を含めてそういう事業をやるという計画じゃないですか。
  45. 塩崎潤

    塩崎証人 確かにそのころ定款の変更があったことを私は記憶しておりますが、特にこの問題があるから定款を変更したのではございません。私は、私の政治事務所、さらに今申しました駐車場さらに他のビルも持っておりますので、これらについて売り買いがあることがある、そうすれば出版業という定款だけでは不十分だから、これは直しておいた方がやはり会社の行為として是認されるのではないか。全く他意がございません。今申したように、李下に冠を正さずということのように、私はもう本当に思うわけでございます。そのような関係は全くないことを申し上げたいと思います。
  46. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 共和が買い上げた土地は、その家屋をすぐ廃屋にいたしまして、いわゆる取り壊しをいたしまして、その後駐車場に使っていました。これは今日社が持っている駐車場と連係する、運動するものです。しかも、そこの駐車場料金は今日社に納めたという報道もなされております。  となりますと、共和土地を買った時点で、既に今日社はその土地の家屋を取り壊しをして駐車場として使うということも用意をされておったわけでしょう。そして、あなたのおっしゃるように、そういうものを含めて、仮におっしゃることが正しいとして定款の変更をしたとしても、極めて不自然な行為じゃないですか。あなたは、本来共和がそこを、レストランを初めテナントシステムのビルを建設するということが主体で、私はここの土地を売る、そういう意図であった、こうおっしゃいましたが、事実関係は全く違うんじゃないですよ。
  47. 塩崎潤

    塩崎証人 共和は二月の上旬にこの土地を買いまして、私は早速開発が進むものだ、こういうふうに思っておりました。少なくとも駐車場ぐらいにはするというようなことを伺っておったような気がするわけでございますが、なかなかその開発と申しますか、利用が進まないのはなぜだろう、こんなふうに不思議に思ったわけでございます。しかしながら、駐車場に少なくともして土地の利用はやっていこうじゃないかというようなことを伺ったことがありますので、私は私の関係会社の職員から聞いたわけでございまするけれども、共和の方々と話をして、廃屋同然の家屋を壊す、そして整地をして駐車場ぐらいにひとつ使っていく、こういうことでまず解体の費用を共和に対して請求書を出しました。これは、平成二年の八月ごろぐらい、六月から八月ぐらいの間、ところだと思います。  それから、整地費についても共和の名前で請求書を私の事務所が代行して出したわけでございますが、しかしながら、その金額の返済はありませんでした。そうして、何とかこの土地を利用した方が、駐車場の要求が強いものでございますから、どういう形で、これは私は契約が正確になかったことは残念でございますが、契約の相手となる人たちが恐らく大変金繰りに困ったころの時期だと思うわけでございますので、率直に申してなかなか契約の相手が出てこなかった、そこで、恐らく契約をするまでの間の代行の意味で、駐車場として利用してその代金をいただいているんではないかと思うわけでございます。  しかし、そのときに解体費用が大体、解体費用と整地費が二百万ばかりかかっているようでございます。担当者の気持ちでは、これと駐車場代とをやはり相殺でもしなければこれは大変なことになるのではないかというような気持ちを持っておりましたが、これはいろいろ法律的に整備されてない、私は、これはこれから破産管財人とでも、また新しく契約の相手を求めて正式な法律上の契約をしなければならない、こんなふうに思っております。
  48. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 共和が和議申請を行いまして、そして倒産に至る経過は、先ほど証言があったとおりです。さて、共和平成三年の五月の九日、取締役会で和議の取り下げと破産申請の決議を同時に行っているんですね。同日、行っているんですよ。ところが、証言にもありましたように、和議の取り下げと倒産の破産宣告、すなわち平成三年の五月の二十七日までの間に約十日間の空白があります。そして、その五月の十七日に共和から土地を取得をされているんです。前から準備をされていたと、こういうお話がありました。そのことも伺います。  例えば、塩崎廣榮さんが協和銀行に参りまして、そして、この土地は私のものですから、いわゆる今日社のものですから、できる限りここに回してほしい、いわゆる取得ができるようにしてほしいという資金融資なども以前から行われていたと、これは事実があります。融資の要請ですね、融資の要請を。  が、しかし、いかにもこの十日間の空白の中に登記をするということは、あなたと前の整理人である松井元一さんとの話し合いが持たれてなされたのか、あるいはその裁判所のそういう動き、いわば和議の取り下げ、同時に破産宣告という時期をずらす、十日間の空白をつくることを恣意的に行われて、その間に土地の取得を行われたのか、これは極めて政治家として、本来ならば債権者にその土地は債権資産として残すべき要因のものでなかったかと私は思うのです。ところが、そこであなたのところに土地の取得がいっていることは、極めてこれは政治家としてもあるべき行為ではなかったのではないか、かように私は思います。  まあ、これは先ほど証言がありましたから少し延ばしますが、さて、それで、五月の十七日、取得をされました。その取得のお金協和銀行から一億八千万円短期融資を受けられて、あなたか子持ちの八千六百万余のお金を加えて二億六千二百四十万円でお買い取りになりました。協和銀行に当初申し出たのは二億八千万円、協和銀行融資を申し入れをされたんじゃないですか。短期融資を受けられたことは事実ですか。事実かどうかだけでいいです。
  49. 塩崎潤

    塩崎証人 私は、このような支払いについて、支払いとか決済とかにつきましては、私の経理担当者の会計士にいろいろお願いしているところでございまして、私が正確に証言できるかどうかは少し心配なんですけれども、おっしゃるように一億八千ばかり短期融資を受けて、五月の十七日にこの土地を取得したことは事実でございます。
  50. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 この一億八千万円の短期融資は、協和銀行に対しては担保も何も設定されてませんね。
  51. 塩崎潤

    塩崎証人 私はこの点も確かめてみましたが、協和銀行のお話では、担保を設定しよう、隣の駐車場を担保にとろう、こういう準備をしているところ、その次の私どもが資金を調達して一億八千万の弁済をしたから担保をとることはしなかったんだ、こんなようなことに聞いております。
  52. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 金融機関である協和銀行が担保なしで一億八千万の金をお貸しをする、融資をする、まさにこれはあなたが主税局長であった時代の協和銀行、いわゆる銀行に対するさまざまな政治的な影響力の中から生まれたんじゃないですか、そういう疑問を持ちますよ。  それから、一億八千万のお金は五月の二十七日にお返しをしています、協和銀行に。約その間は十日間です。なぜ、一億八千万の金ができる、自己資金が八千六百万余ある、この際に、協和銀行融資をお頼みになったのですか、一億八千万円。必要性はないじゃないですか、現金がもしあるとするならば。もしそのお金が手持ちの金であったとするならば、一億八千万円といういわゆる自己資金以外の金はどこから調達されたのですか。
  53. 塩崎潤

    塩崎証人 十七日ごろには自己資金は一億円ぐらいしか調達されていなかったわけでございまして、二億六千二百四十万円でございますか、その他の費用も要るんでしょうけれども、土地を買う金が足りませんので、銀行にお願いをして、一億八千万の短期融資をお願いしたわけでございます。担保がないからと、私の政治力でというようなお話がありましたが、今銀行に対して大蔵省の元官僚がこれだけのものを貸せとかいうようなことは私はできるとは全く思っておりませんので、これはひとつ誤解のないようにお願いをしたいと思うところでございます。  そして、結局、この資金の調達は、私と私の家内とそして私の長男と、三人が調達いたしまして、そして一億八千万の債務を弁済いたしました。
  54. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 四月の二十四日に大蔵省がこの差し押さえを解除しまして、五月の十七日、いわゆる売買が成立する条件というものを、協和銀行の担保設定の解除、その前の大蔵省の差し押さえの解除、これに対して、先ほどもありましたが、あなたの政治力が発揮をされて大蔵省に対する差し押さえ解除をしたのではないか、こういう疑いが持たれています。  同時に、今も申し上げましたように、一億八千万のお金が、塩崎さん、率直に言ってどのくらいの資産家か私は知る曲もございませんが、十日間の間にこの金が調達をできるということは常識的には考えられない。一億八千万の短期融資をお願いをし、担保をつけて徐々に返済をするというならばこれは常識的には考えることはできますけれども、常識的には、八千万の金が既に出ているのですから、合計で二億六千万の金を一カ月の間に家族を含めて調達をする、現金で、このことは、率直に言って我々庶民の感覚では得られない感覚ですよ。事実そうだったんですか。それとも、これは、協和銀行が一億八千万円の処理について何か別途の形で処置をされた、こういうように私ども疑いたくなる要素があるんですが、いかがですか。
  55. 塩崎潤

    塩崎証人 私は、協和銀行が特別な形で私のために資金を調達したというようなことは考えられません。私も私の家内も、貯蓄は、もう私も七十五歳でございますが、所得を毎年、今申されたような金額のもとで持っておりますから、預金口座を持ち、さらにまた割引債等を所有をしているわけでございます。その資金を調達するために、普通預金あるいは定期預金の解除、それ等をいたしまして、私が一億二千万、家内が一億二千万、私の長男が三千万、この資金を調達しまして今日社に振り込んで、これでもって銀行くの債務をなくしたところでございます。
  56. 加藤万吉

    ○加藤(万)委員 終わります。
  57. 山村新治郎

    山村委員長 これにて加藤君の発言は終了いたしました。  次に、草川昭三君。
  58. 草川昭三

    ○草川委員 草川でございます。  大変御苦労さまでございますが、先ほど、共和の方から、丸紅春名会長と会った一カ月後、会館へ二千万円持ってきたのは森口社長大川常務だとおっしゃいましたが、それは大川常務のことではないでしょうか、お伺いします。
  59. 塩崎潤

    塩崎証人 先ほど来申し上げておりますように、三年も前の話でございますので記憶力が薄れておることと、私にとって共和といえばどうも森口社長がすぐ頭に思い浮かぶせいでございます。時に、聞いてみますと、それは大川常務ではないか、こんなことも聞いております。その記憶が、私は、顔の印象等から見ると、どうしても大川君がどのようなお顔だちであったかということが時々思い出せないものでございます。その程度の関係でございますので、そこの点は、大川常務であったかもしれません。
  60. 草川昭三

    ○草川委員 二千万というお金は大変高額なお金だというお話がございました。そのとおりだと思うのです。それで、問題は、将来の政治活動支援と謝礼意味だ、こう受けとめたとおっしゃっていますが、政治資金規正法の届け出をしておられませんね。もう一度その点だけ念を押します。
  61. 塩崎潤

    塩崎証人 先ほどもるる申し上げましたように、これが政治資金であるか、雑所得である謝礼であるか、もう大変悩んだわけでございます。これをどっちかというように割り切っていただける方が、私に教えていただける方があったら本当に当時助かったのでございますが、いつも政治家はこれで悩んでいるんだな、こんなふうに思うくらい悩んだものでございます。あるときは謝礼と思ったり、あるときは政治資金ではないかと思ったり、いろいろするわけでございますが、そういった意味で、むしろそのときは個人的な所得ではなかろうかという感が強かって、私は政治資金報告等についての、しなかった。悩んだ結果で、そしてまた、翌年選挙があって、私の頭が相当乱れてきたこと、こんなことによるものだ、こんなふうに思っておりますので、御理解を願いたいと思います。
  62. 草川昭三

    ○草川委員 御高名な塩崎先生のお言葉とも思えないわけでございまして、それだけの金額があれば、当然のことながら、所得なら所得、そして政治活動のためならば政治資金規正法に届け出をする、あるいはまた、翌年の選挙があったわけですから、公職選挙法の収入の欄に記載をする、当然のことではないだろうか、それが私は政治家だと思うわけであります。  そこで、結果としてこれは裏金ではなかったのか、こう私は思うのですが、塩崎さんにお伺いしますが、結果としてこの金は裏金であったということを認められますか。
  63. 塩崎潤

    塩崎証人 私は、裏金であったことをその後気がついたようなわけでございます。そのときはやはり会社として恐らく謝礼意味で持ってきたと思いましたが、後でこれは裏金であるな、そんなことが私のどの所得に属するかということを大変悩ました大きな原因でございました。これもお許しを得たいと思います。
  64. 草川昭三

    ○草川委員 そこで、ことしになりまして先生は二千万円を修正申告をしたというお話でございますが、いわゆる雑所得として申告をした、こういうように今聞いたわけですが、間違いはないのでございますか。
  65. 塩崎潤

    塩崎証人 また、税法は草川先生の方がお詳しいかもわかりませんけれども、この所得は謝礼、としていわゆる雑所得、政治家所得も雑所得だと思うのでございますが、経費の見方が違うような気がするわけでございます。これもいろいろ問題がございますが、雑所得といたしまして、そして経費のかからないものとして二千万円申告をいたしました。
  66. 草川昭三

    ○草川委員 政治活動としての雑所得ならば、当然、講演会とかテレビの出演だとかさまざまな形の所得になるわけでございますが、この場合の二千万の雑所得というのは、役務の対価、すなわち口きき料、紹介料としての、私は、認識がなければ雑所得としての申告はおかしいのではないかと思います。この点は私の意見でございますから、あえて御答弁を求めません。  続いて、大分の宅地開発の現場の訪問のことについてお伺いをしたいわけでございますが、平成二年四月十六日、共和は大分で宅地開発の竣工式を行っております。当時、塩崎先生は総務庁長官であったと思うのでございますが、これに御出席をなされたのでしょうか。
  67. 塩崎潤

    塩崎証人 私は工場の落成式には出席しませんでした。ただ、ちょうどその日が日曜日だったと思うんですけれども、選挙区に帰っておりまして、大分は、私のところからコミューターという小さな飛行機で三十分ばかりで飛べるところでございます。宏池会の方々が、あるいは地元の方々、地元と申しますか、地元の代議士の方も来ておられるということを聞きましたので、ごあいさつに行って、あしからずということで直ちに帰ってまいりました。
  68. 草川昭三

    ○草川委員 塩崎先生はそのとき、今おっしゃいましたように四月の十五日は日曜日でございまして、宅地開発の竣工式の前の日でございますね、前の日に今言われましたように参加をされております。その夜は大分の料理屋さんで共和関係者の方々とお会いになっておられるわけでございますが、その席に同席された方々を思い出していただきたい、あるいはまた何をお話しになったかお伺いしたいと思います。
  69. 塩崎潤

    塩崎証人 これもまた記憶が薄れておりますけれども、何を話したかといいますと、恐らく私はあしたは出席できないおわびを主として申し上げたことが一番だと思っているところでございます。その願いのために行ったわけです。  ほかのどのような方々が出席されておるかということにつきましては、いつもたくさんお会いする方々ばかりがあるものですから、どのように特定するか、これはもう非常に難しいことでございまして、記憶が薄れてなかなか申し上げられないような状況をひとつお許しを得たいと思うわけでございます。
  70. 草川昭三

    ○草川委員 その大分の構団地の宅地開発の竣工式が翌日の十六日でございます。十七日に共和の九州工場の落成式がございまして、鈴木元総理も御出席になられ、いわゆる宏池会の御関係の方々がたくさん双方の竣工式に参加をなされております。今御答弁あそばされましたように、宏池会の方々がたくさんお見えになるときに塩崎さんも参加をしようということで行かれたと思うのでございますが、塩崎さんはそのとき総務庁長官という役職ではなかったのでしょうか。公務と私ごとあるいはまた派閥との関係、それを一体としてこの共和とおつき合いをなされたことに対する御反省はどうでしょう。
  71. 塩崎潤

    塩崎証人 草川先生の、委員のおっしゃるように、私はこの点についても本当に李下に冠を正さぬの意味においても反省をしなければならないと思っております。たまたまそれが日曜日であったものでございますから、やはり何と申しますか政治家の礼儀としてごあいさつをした方がよかろう、お断りした方がよかろう、こんな気持ちで行ったわけでございまして、お許しを得たいと思います。
  72. 草川昭三

    ○草川委員 では次に移りまして、先生は平成元年の八月、共和が主催をしました阿部代議士北海道開発庁長官の就任祝いに出席をされておみえになりますが、お車代として百万円を受け取られたのかどうか、お答え願いたいと思います。
  73. 塩崎潤

    塩崎証人 たくさんの会合がありますので覚えておりませんけれども、阿部代議士と会合はしばしば一緒になったことがございます。それが大臣の祝賀会であったかどうかは記憶がありません。そして、今の百万円の車代については記憶がございません。
  74. 草川昭三

    ○草川委員 記憶はないということでございますけれども、それは忘れたという意味でおっしゃっているのか、全く受け取っていないという意味で断定的にお答えになっているのか、どちらでしょう。
  75. 塩崎潤

    塩崎証人 時々会合などに出ますと、帰りにお土産が渡されたりすることがあるのでございますが、そんなようなこともありますので、しかし、百万円という金額について、これがもらったという記憶は全くございません。
  76. 草川昭三

    ○草川委員 では、先ほども少し質問が出たわけでございますが、次に移りますが、共和三和鉄構買い取り交渉、いわゆるSSKの話でございますが、これは一応成功したということになっておりますけれども、それに対する謝礼というものを塩崎先生は受け取っていないというようにお答えになっておられますけれども、あなたの秘書あるいはあなたの関係する後援会などがその時期に共和から献金を受けたという事実はございませんか。
  77. 塩崎潤

    塩崎証人 私は、秘書にしても後援会にしても、共和からその三和鉄構謝礼として資金を受け取ったということは全く聞いておりません。
  78. 草川昭三

    ○草川委員 では麹町倶楽部の方へ移りたいと思いますけれども、麹町倶楽部の会員権を、これは一口一億円と言っておりますけれども、大手の企業に総務庁長官在任中に努力をされた、共和からの販売の依頼を受けられたのかどうか、あるいはまた具体的に何社かにそういう口ききをなされたのか、お伺いしたいと思います。
  79. 塩崎潤

    塩崎証人 私は、麹町倶楽部の会員権の販売について私が経済界の方々に働きかけた、こんなような記事を見て惜然といたしました。私はそのような覚えはありません。つまり、麹町倶楽部は、私はあのときの話、また今調べてみましても、到底、幻のクラブと申しますか、できないものであろう、こんなできないものの会員権を買う人がいるはずがない。そして値段も、私は今一億円というお話を聞きましたけれども、初めて伺うようなわけでございます。恐らくゴルフ場の設立が難しいときに、会員権をできないものについて売っていくようなことは私はあり得ないと思っております。
  80. 草川昭三

    ○草川委員 あなたが同席をされました宴席の席上、共和側は——宴席の席上というのは、鈴木元総理が御出席になっている宴席なんです。午後もお伺いをしますが、その席で共和の方から新しく麹町倶楽部というのをつくりたい、そのためにはぜひ高名な鈴木元首相に名誉理事長になっていただきたい、あるいはまた発起人の代表になっていただきたいという宴会があるんです。それに塩崎先生は御出席なされていると我々の調べではつかんでおるわけであります。麹町倶楽部は、これはもう幻のクラブだとおっしゃいましたが、鈴木元総理が名誉理事長を受諾されたことを御存じなかったんですか、そのときに。
  81. 塩崎潤

    塩崎証人 私は、そのような麹町倶楽部の設立に関する会合に出た記憶がございません。そして私の、鈴木会長に、きょう御参考人でございましょうから御参考人としてお話があろうかと思いますが、そのような話について私は記憶がございません。
  82. 草川昭三

    ○草川委員 麹町倶楽部の理事就任の要請を平成二年の九月に受けられているのではないでしょうか。
  83. 塩崎潤

    塩崎証人 阿部代議士から理事になってくれというようなお話があったような記憶はあるんでございますが、私は総務長官でございますので理事に就任することはできないとはっきり申し上げた記憶はあります。
  84. 草川昭三

    ○草川委員 要するに、総務庁長官時代のお話であるということは明確に今お答えになっておるわけでありますし、それから理事の就任要請を受けて断っだということも言っておみえになる。鈴木元総理に対して、あなたは受けてはいけないという御忠告をなぜなされなかったのでございましょうか。
  85. 塩崎潤

    塩崎証人 私は、麹町倶楽部に関心は全くなかったからで、昨今の状況から見てゴルフ場の建設というものは大変難しいことだ、こんなふうに思っておりましたから、関心を示さなかったことでございます。またしかし、人に自分の意見を申し上げて一つのことを断念させるようなことは、私としては好まないところでございます。
  86. 草川昭三

    ○草川委員 時間がございませんので次へ移りますが、塩崎先生は共和との関係は阿部さんより私は深いという認識を持っております。それで、共和からの別の形でございますけれども、共和からの依頼を受けて金融機関に対して融資の口ききをなすっておみえになると思うんでございますが、共和に対して金融機関を紹介したこと、あるいは口ききをされたことはございますか。
  87. 塩崎潤

    塩崎証人 最初に草川先生が申されました阿部代議士よりも私の方が関係が深いということは、私はどうもその点はどういう趣旨で言っておられるのかわかりませんが、私自身はそのように全く考えておりません。やはり、共和に最も関心を持って共和を大切にしていったのは阿部代議士だと、こういうふうに思っているところでございます。  そこで、今金融の問題でございますが、具体的にどのような金融機関にどのことを申し上げたか、これをぜひとも伺っていただかないと、ともかくもう大変古い話でございます。私どもはいろいろの陳情を扱うことが多いわけでございます。どのような金融機関にいつごろ話しされたことがあるかということをひとつ伺わしていただかないと、私も実は年も七十五歳にもなりましたので、記憶力の間違いをぜひとも避けたいと思いますので、お願いしたいと思います。
  88. 草川昭三

    ○草川委員 御紹介をされたことについての御否定がないというように受けとめて、最後に時間がもうございませんので一問。  塩崎先生が東京地検に提出をされました上申書の写しというものをぜひ私はこの国会に提出をしていただけないだろうか、これは塩崎先生にお願いをすることでございます。特に、上申書の内容とただいまの証言内容等が一致するかどうかも確認したいと思うんですが、その点お答えを願いたいと思います。
  89. 塩崎潤

    塩崎証人 上申書を私が出したということは、検察庁から公表されたことでもございません。上申書は検察庁に出すものでありまして、私はこの点については、私がここでお答えすることでひとつ私の上申書の内容がどの程度のものか想像が恐らくおつきだと思います。こういう点で、ひとつ上申書よりも私の証言をぜひとも聞いていただきたいと思うところでございます。
  90. 草川昭三

    ○草川委員 以上です。御苦労さんです。
  91. 山村新治郎

    山村委員長 これにて草川君の発言は終了いたしました。  次に、木島日出夫君。
  92. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたは共和からもらった二千万円について二年後大変ショックを受け、思いあぐねて平成三年の十一月中旬、阿部代議士に二千万を返すことを頼んで返したと証言なさいましたが、その金は阿部代議士を通じてその後どのように処理されたか確認しておりますか。
  93. 塩崎潤

    塩崎証人 御指摘のように、思いあぐんだ結果、結局阿部代議士が最も返すことができる人だ、こういうふうに思いまして、平成三年の十一月半ばごろ返しました。(木島委員「その後の処理がどうかという質問です」と呼ぶ)その後の処理は、御承知のように、私は返ったものだと思っておりましたが、しかし、松井管財人のところから、破産財団の中に入っていないという御忠告がございましたので、私は再び阿部代議士に、この二千万円のお金を払い込み、破産財団に戻したいから私のところに戻してもらえないか、こういうふうにお願いいたしました。二月の十九日に私のところに戻ってまいりまして、二月の二十日に破産財団に振り込みまして、管財人の松井管財人に領収書をいただきました。このような経過でございます。
  94. 木島日出夫

    ○木島委員 そうすると、去年の十一月中旬からことしの二月までの間、三カ月、四カ月間ですね。阿部さんはあなたの依頼をお受けしないで返さなかったということになるんですね。
  95. 塩崎潤

    塩崎証人 私は、阿部代議士阿部代議士なりに大変な努力をされたと思うんでございますが、思ったようにいかなかった。そしてまた、いろいろ大変忙しくなってきてついに逮捕という状況にもなったものでございます。そんなような関係で、破産財団に返却するまでのゆとりがなかった。先般保釈を受けられましたので、この点を秘書を通じてお願いいたしましたら、今のような手続がやはり阿部代議士らしく誠実に行われまして、二十日に破産財団に戻すことができましたことを、私は大変おくればせでございますが、おわびを申しながら御報告を申し上げたいと思います。
  96. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたの証言によると、共和役員は、本来阿部代議士を通じて渡すべき二千万だが、阿部代議士が留守だったのであなたに直接渡すといって、あなたに議員会館で二千万円渡したということですね。そうであれば、あなたはこのことを当然阿部代議士報告してしかるべきだと思うが、当時報告しましたか。
  97. 塩崎潤

    塩崎証人 阿部君は、阿部代議士はそのことを存じているつもりだと思っておりまして、特に正確に報告はいたしませんでした。
  98. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたから報告もしないのに、なぜ阿部代議士はあなたが二千万もらったことを知っていると推測するんですか。その根拠は何ですか。
  99. 塩崎潤

    塩崎証人 私は、阿部代議士のことですから私が申し上げても信憑性があるかどうかわかりませんけれども、それはいろいろの知り方があるんじゃないでしょうか、共和関係者から聞いたかもし札ませんし。その点は私は関知をしておりませんし、恐らく存じているものだと、二千万円を受け取っていただいたことからも私は想像できると思っております。
  100. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたは、阿部代議士が、あなたが丸紅に口ききをしたことに関して三千万もらったかどうか、今は知ってますか。
  101. 塩崎潤

    塩崎証人 全く存じません。
  102. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたが昨年十一月中旬、思いあぐねて阿部代議士に二千万渡して、返してもらいたいというお願いをしたときに、じゃ阿部さんはもらってないかどうか、そのときそういう話、阿部さんとの間で出なかったんですか。
  103. 塩崎潤

    塩崎証人 私はそういうことを政治家が口にすることは適当ではないと思うわけでございますが、阿部代議士自身も返却について悩んでいたような形跡があったことを私は今思い出します。
  104. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたが共和の依頼で丸紅東京本社にお願いしたのは、平成元年六月の春名会長に対する一回だけだったですか。ほかにありませんでしたか。
  105. 塩崎潤

    塩崎証人 私はそのほかに、御紹介で太田専務さんなどその他の方々にお目にかかったような、その後、あります。しかし、私は言われるほど丸紅の方々にお目にかかって議論した、議論と申しますか、事務的な方々に事務的な話をしたとかという記憶はほとんどありません。
  106. 木島日出夫

    ○木島委員 今あなたの口から太田さんの名前が出ましたが、あなたは春名会長に会った後、同じ問題で丸紅東京本社の責任者であった太田三治統括役員にも同じお願いをしているのではありませんか。記憶の喚起を求めます。
  107. 塩崎潤

    塩崎証人 私は詳しい話をしなくても春名会長が恐らく伝えられた、こんなふうに思って、私はもう大体、先ほど来申し上げておりますように、取引内容についてよく存じませんので、詳しい話はしたことがありません。
  108. 木島日出夫

    ○木島委員 それでもこの件で太田さんと話をした記憶はあるんですね。
  109. 塩崎潤

    塩崎証人 太田、当時は専務さんでしたか、お会いしたことはあります。
  110. 木島日出夫

    ○木島委員 同じくそのころ、この問題で東京丸紅本社の臼井昭八郎本部長に対してもお願いをしているのではありませんか。
  111. 塩崎潤

    塩崎証人 先ほど来申し上げておりますように、そういった問題はすべて春名会長の御指示で皆さん方が研究されている、そして共和と話し合っていると思っておりますので、私は特に、そのようなことをお願いするにも知識がないわけでございますから、よろしく頼むぐらいのことは言ったかもわかりませんけれども、特にお話をした記憶が今のところありません。
  112. 木島日出夫

    ○木島委員 時間がありませんので最後の質問ですが、あなたは平成元年十二月十四日東京銀座の金田中で、共和と第一不動産の関係者から招待を受けて、鈴木元総理や阿部、当時の北海道開発庁長官あるいは原田元建設大臣などと一緒に飲食をしたことはありませんか。
  113. 塩崎潤

    塩崎証人 政治家のあれでは、慣行ではないんでしょうけれども、たくさんの会合に出ることが私の、何と申しますか、習慣でございます。選挙区から来るとかいろいろありまして、そのときにそのような会合があったかどうか、特に今言われた方がおられたかどうかについては記憶がございません。
  114. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたは、平成元年七月から今日までの間に、あなたの所属する派閥である宏池会に対して政治献金を上納したことはありますか、ありませんか。
  115. 塩崎潤

    塩崎証人 詳しい資料を持って検討をしたわけでありませんけれども、政治資金報告で届け出をしたと中にあればしたと思います。これはもう慣行的なものだと私は思って、もう数年前からしたことがあります。
  116. 木島日出夫

    ○木島委員 終わります。
  117. 山村新治郎

    山村委員長 これにて木島君の発言は終了いたしました。  次に、中野寛成君。
  118. 中野寛成

    ○中野委員 御苦労さまでございます。  まず、先ほど来の同僚議員の質問の中で、松山土地を今日社が買い取る場合に、御本人が一億二千万ですか、そして奥様の名義、そして御長男が三千万、こういうことで証言がございましたが、ここに第二次海部内閣のときの資産公開のペーパーがあります。塩崎総務庁長官、これによりますと、土地、家屋、株、かなりお持ちではありますが、預貯金などということになりますと、これは預金が一千万、郵便貯金三百万、奥様の名義ということになりますと今日社への出資が六百七十五万円、こういうことになっているわけでありますので、結局わずか十日間足らずの間にトータルとして二億六千万円、この調達というのは、確かに資産家ではありますけれども、このどれをどういうふうに処分して調達をされたのか、この際御証言をいただきたいと思います。
  119. 塩崎潤

    塩崎証人 委員にお願いしたいんですけれども、わずか十日じゃなくして、平成三年の十一月から買い入れを、特に協和銀行の御指導でやってきたものでございますから、そう急ということよりもいろいろの準備を私どもはしてまいりました。で、それが急と言われますのは、先ほど申し上げましたように、十二月の二十一日でございますか、突如として財産の差し押さえの通知が税務署から参りまして登記をされる、これは困ったなということで、話し合っておる共和側の破産管財人側と申しますか、それから銀行、そして私どもの事務側は得たざるを得ない、この間は準備していこうじゃないかということでございます。  そして、その私の資産、負債でございますが、御承知のように普通預金については報告が要らないことになっておるようでございますし、割引債等についても要らない、定期預金だけ報告しろというような慣行であったと思いますので、そういった意味で、私どもは普通預金の中からこれを出していった。その普通預金はもちろん直ちにあれになりませんから、その中に割引債を売ったりしてこれを調達していったことは間違いのないところでございます。
  120. 中野寛成

    ○中野委員 実は共和森口元副社長昭和六十二年に青森県三沢市長の収賄事件で逮捕をされているわけであります。そして平成三年四月に青森地裁で有罪判決を受けております。懲役二年、執行猶予五年であります。平成三年四月といいますとこの土地取引がございました一カ月前でございます。というふうに考えますときに、例えばその間、言うならば刑事被告人から依頼を受けて丸紅に行き、そしてSSK本社と話をし、そしてこの土地取引をしていた、こういうことになるわけであります。まして幾たびかお会いになっておられる。ほかの阿部代議士やそのほかの人たちともお会いになっておられる。そういうことの中でこういう話が果たして全くなかったと言えるだろうか。これは素朴な疑問として思うはずであります。まして土地取引の一カ月前に懲役二年、執行猶予五年の有罪判決を受けた人ということになりますと、これは全く知らなかったというふうには言えないのではないか、こう思わざるを得ないのであります。  そういう意味では、前年の平成二年十一月ごろからその土地買収の話をということでありますけれども、しかし、その土地共和がSSKから買い、そしてま夫その共和から今日社へ売られる、まさに関連している人たちの中でぐるっと回されているわけであります。こういうことを知らなかったということではとても常識として考えられないんでありますが、御存じの上で、むしろこれら一連の土地取引関係についてはお急ぎになった、お急ぎになったがために短期融資も受けざるを得なかったというふうなことが考えられるわけでありますが、これらの一連の動きについてはどうお考えですか。
  121. 塩崎潤

    塩崎証人 森口社長の経歴については、本当にうかつにもそのような事実があるということは知りませんでした。もう大変私は人を見る目がないし、また軽率につき合ったことを本当に後悔をし、反省をし、皆様方おわびを申し上げなければならない。今後はよほど信用の調査もしながら、そしてまた性格の調査もしながらつき合わないと大変なことになるということを今しみじみと感じて、今ではありません、もう本当にしみじみと感じさせられて、これからひとつお許しを得て勉強さしていただきたい、こういうふうに思うわけでございます。  今土地の問題について佐世保重工のお話が出ましたが、私は、佐世保重工については板垣専務さんに一回だけお会いしただけでございます。土地関係するようなことは全くないかと思いますし、逆に佐世保が損をしたのか、あるいは共和が得をしたのか、共和が損をしたのか、こんなようなことでいろいろな評価をされているわけでございます。あの土地が佐世保重工の関係共和が取得したり、私に譲られたりということはないと思います。  そして時間は、先ほど正確に申し上げましたように、もう亡くなられましたけれども、労働省の基準局長であった岡部会長が、もうぜひともひとつこれを引き取ってもらって共和を助けてくれと、本当に泣いての頼みでございました。恐らく松山だけではなく、いろんなところも財産処分が行われていると思うわけでございますし、私は、それが佐世保重工の関係でできたというようなことは想像もつかないところでございます。
  122. 中野寛成

    ○中野委員 佐世保重工の関係でとは申しておりませんで、この土地の流れの経緯でSSKの名前を出したのでございますが、もう一つ、二千万円の件についてお尋ねをいたします。  二千万円、お受け取りになられたのが平成元年七月十日ごろ、阿部代議士に返してくれとお渡しになられたのが平成三年十一月中旬、実に二年四カ月たっているわけであります。その間、我々といたしましては二千万という金額はまあべらぼうな数字でございますけれども、いずれにいたしましても、私と塩崎先生との金銭感覚が違うことは差し引いたといたしましても、この二千万円を受け取られるときにやはり、これは何であろうかということは当然考えられるし、また相手に確かめるということも当然あるであろうと思うのであります。  しかもこれは、いろいろなことが発覚をしたから慌てて、悩み、それからまた時間がかかったが返したとおっしゃられたわけでありますけれども、本来受け取られたときのその金銭感覚といいますかへ政治資金等々に対する、政治家と金の絡みに関する考え方が整理をされていなかった。むしろそういうことから考えますと、先ほども指摘されておりましたけれども、裏金としての処理ということを念頭にお持ちになったとしか考えられないのでありますが、再度お尋ねをいたします。
  123. 塩崎潤

    塩崎証人 もう先ほど来たびたびおわびを申し上げておりますように、二年後に返却するようなことは私は本当に恥ずかしいことだと思っているわけでございます。しかし、とにかくその私の関与が仮装取引みたいなことに関係する、このことがもう私を本当に深刻に悩ましたもとでございます。その関係でもう一刻も早く私は、七月二日とおっしゃられましたが、七月八日に弁護士さんのところへ飛び込んで、ひとつ早くと思ったわけでございます。そんな関係が非常におくれましたことは、もうざんきにたえないわけでございます。心からおわびを申し上げたいと思います。裏金ということにつきましては、なるほどこれは裏金がなということを後に認識したようなわけでございます。  それから、所得をどう認識したか、所得と申しますかお金を。大変私も悩んだもう最大の問題でございました。先ほど申し上げましたように、謝礼意味と同時に政治資金としての、政治資金と申しますか政治活動費の援助という二つのものを持って、しかも私の二千万の使途は、私的な用途に使ったんじゃなくして、翌年選挙がありましたけれども、その年でも政治活動にもう全部使った費用でありますだけに私は悩んだわけでございます。この二つの性格がもうちらちらして、どのように割り切ったらいいか、割り切れなかった。これからはひとつぜひとも先生方にお願いして、これもアメリカでも問題になっておると聞いておりますが、今度の政治資金規正法の中で政治資金の概念、それから公開の仕方、そしてまた税法上の雑所得、その経費、あるいは損益通算、こんなような問題についても、これはぜひとも国会で、一番の御経験がおありでございましょうから御検討していただいて、政治家も民間の方もこれに従えるような方策をぜひともとっていただくように心からお願いしたいと思います。
  124. 中野寛成

    ○中野委員 終わります。
  125. 山村新治郎

    山村委員長 これにて中野君の発言は終了いたしました。  次に、楢崎弥之助君。
  126. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 進民連の楢崎弥之助です。  証人には大変御苦労さんです。もう私が最後ですから、時間が四分しかございませんから、返答はイエス、ノーという形でぜひお願いをしたいと思います。  証人は、平河経済研究会という任意団体並びに贈賄起訴されております森口共和社長社長をいたしております共和グループの一つである共和五大、五つの大と書きます、共和五大という会社を御存じでしょうか。
  127. 塩崎潤

    塩崎証人 共和五大という会社につきましては、これは阿部代議士の御紹介で存じております。(楢崎委員「平河経済研究会は」と呼ぶ)記憶は薄れておりまするけれども、何か五大の社長が平河経済研究会という会合をつくって、これからひとつ政策の勉強をしていこうというようなことを数年前、もう記憶にないくらいの古い年ぐらいだと思います、平成の時代じゃないかと思いますが、あったような気がいたします。
  128. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 平河経済研究会の会長は、証人であります。そして事務所は、その第一会館の裏にありますTBR三階、共和五大と同じ部屋にあるはずであります。  もう一問だけ。  その共和五大の取締をしておりまして、共和五大の前身であります株式会社、共和が抜けて五大という時代、五大の社長をしておりました西尾知幸という人から証人は依頼をされて、五、六年前になると思いますけれども、小倉の東映会館、これは西尾さんの所有の物件です、これを担保として証人は、ひろぎんファイナンス、これは頭取は多分大蔵省出身だと思います、から三十億円を超す融資のあっせんをされた事実があると思いますが、いかがでしょうか。
  129. 塩崎潤

    塩崎証人 今考えてみますと大変古い時代の話で、もう七十五歳の私の頭ではなかなか記憶が呼び起こせませんけれども、東映会館について、ひろぎんファイナンスという会社でございましたか、(楢崎委員「銀行」と呼ぶ)そういう会社に電話をしたことの記憶はございます。
  130. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 これで終わります。  大変頭脳の方はしっかりしていらっしゃると思います。終わります。
  131. 山村新治郎

    山村委員長 これにて楢崎君の発言は終了いたしました。  以上をもちまして、塩崎証人に対する尋問は終了いたしました。  大変御苦労さまでございました。御退席いただいて結構でございます。
  132. 塩崎潤

    塩崎証人 どうもありがとうございました。どうも皆さんありがとうございました。
  133. 山村新治郎

    山村委員長 午後一時より再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時十三分休憩      ————◇—————     午後一時一分開議
  134. 山村新治郎

    山村委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  平成四年度一般会計予算外二件について、参考人鈴木善幸君に対して質疑を行います。  議事の進め方といたしましては、初めに委員会を代表して委員長から総括的な問題についてお尋ねし、次いで委員の質疑にお答えをいただく形で進めたいと存じます。  まず、委員長から鈴木参考人にお尋ねいたします。  共和問題に関連して、世上、あなたが株式会社共和から阿部文男議員を介して共和麹町倶楽部名誉理事長への就任などの要請を受けられ、その謝礼金が阿部文男議員に託されたと言われております。  この際、あなたと株式会社共和との関係並びに共和問題に関し、あなたの御所見があればお聞かせください。
  135. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 参考人として率直にお話を申し上げたいと存じます。  私は、いわゆる共和問題につきましては、根幹にかかわったとは考えておりません。しかし、共和計画をしておりました麹町倶楽部のことに関連いたしまして、いろいろ世上私に対して誤解を生むような結果になり、各方面にいろいろ御迷惑、御心配をおかけいたしましたことにつきまして、深く遺憾に存じておるわけでございます。今後このようなことが再び起こらないように私としては十分注意をし、また最善を尽くしていきたい、このように考えております。  今委員長からお尋ねがありました点につきましてお話を申し上げますが、私はこの共和計画いたしました麹町倶楽部の構想なりあるいは計画なりには参画はいたしておりません。ただ、平成元年の十一月ころであったと記憶をいたしておりますが、阿部文男代議士からこの麹町倶楽部の設立発起人代表になってもらえぬか、これを引き受けてくれないかという要請があったわけでございます。私は、最近この会員制のいろんなクラブ、特にゴルフ場でありますとかそういうものの設立につきましては、いろんな不測の問題が起こっております。トラブルも絶えないというような状況も見ておりますので、そのような会員制クラブの発起人代表というようなことは一切お受けしない、いろんな方面からいろんな御相談がありますけれども、全部お断りをしておるというようなことで、阿部代議士に対しましてもはっきりとこれをお断りをいたしておいた次第でございます。  その後、御承知のように衆議院の選挙が行われました。私は高齢でもございますので引退を決意をいたしまして、私の長男に後を託しまして現役を退いたわけでありますが、その四、五月ころであったと記憶をいたしておりますが、再び阿部君を通じまして、この麹町倶楽部の設立ができた暁においては何とか名誉理事長に就任してもらえぬかという要請があったわけでございます。私はこれに対しまして、なかなか麹町倶楽部のこの問題はユニークな内容を、聞きますと持っておるようでございます。医療とそしてレジャー、あるいは社交というようなものをミックスした新しい構想のクラブでありまして、果たしてそういうものが立派にできるであろうかどうかということにつきましても私は危惧を持っておったわけでございますから、これが果たして会員も集まり、そして立派に完成するであろうかどうかということを見届けた上でなければ、これはうかっにお引き受けするわけにいかない。もし途中でいろいろなトラブル等があった場合におきましては、会員の皆様にも御迷惑をかけるし、社会一般にも大変な御批判も出てくるわけでございますから、私の立場としては軽々にお受けすることができないということで、これに即答を避けたわけでございます。  そして、重ねての要請に対しましては、まずこのクラブが立派に完成をした暁に、そして理事会等において満場一致で名誉理事長に推薦を受ける、そういうようなことをはっきり見きわめた上で、それではひとつ考えよう、同僚である阿部君の重ねての要請もございましたので、そのように内諾を与えたような次第でございます。  この麹町倶楽部の名誉理事長就任の問題につきまして、世上いろいろの憶測、批判の報道がございました。これに絡んで政治献金がなされたのではないかとか、あるいは報酬等が約束されたのではないか、そういうような報道等もあったわけでございますが、共和関係共和開運の資金につきましては、これは、一切私はこれを受けておりません。このことをこの国会を通じまして国民の皆さんの前にはっきりとしておきたい、このように考えておるわけであります。
  136. 山村新治郎

    山村委員長 以上をもちまして、私からお尋ねすることは終わりました。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中山正暉君。
  137. 中山正暉

    ○中山(正)委員 中山正暉でございます。  私どもの大先輩であられます元総理大臣鈴木善幸先生に参考人としてお出ましをいただくことを、本当に御引退をなさって悠々自適の御生活、そして八十一歳の御高齢で、血圧の問題その他、私どもどう配慮をすればいいかと大変に憂慮をいたしておりましたが、かつてその場で総理大臣としてお座りになっておられた時代をほうふつとさせるお元気な姿できょうはお出ましをいただきましたことに、まず私ども所属自由民主党を代表いたしまして、心からありがとうございますとお礼を申し上げたいと思います。(拍手)  思い起こしますと、昭和二十二年に国会にお出ましになられて、そして昭和三十五年には初めて郵政大臣として御入閣になられました。池田勇人総理大臣、お亡くなりになりました池田先生からも大変厚い御信頼、そして大平先生からも大変な御信頼を受けられて、最後は総理大臣等の重職を綴られて、総理大臣としてこの日本のために御貢献をいただきましたことにも私どもは心からの敬意を表しておる次第でございますが、あの池田内閣、昭和三十五年のときには一兆円予算と、一兆円を超えたといって、所得倍増論など、今から思い起こしましたら、今回この予算委員会で審議をしております予算全体七十二兆二千百八十億という、七十二倍の予算を審議する委員会となったわけでございますが、この予算を通しますためには、鈴木先生が全力を挙げてその実現に努力をされました宮澤内閣の執行体制に対するどうしても越えなければならない疑惑問題に対して、解明に一役買ってやろうというおぼしめしできょうはお出ましをいただきましたが、過去にも総理大臣をされた中曽根康弘先生が、これはロッキード委員会でございましたが、お出ましになっておられまして、そしておっしゃっておられますことが、抜き読みをいたしますと、「国民の皆様方を前にいたしまして、皆様方の御質問をお受けしてこ「誠実にこの事件を解明して私に対する誤解を一掃いたしたい。この機会が来たことを非常に喜んでおるわけでございます」「自分の手も、自分の魂も決して汚れてはいない、国民の皆様を裏切ったようなことは断じてない、このことを冒頭申し上げさしていただきたいと思います。」これは第八十回国会、五十二年の四月の十三日のことでございましたが、そうおっしゃっていただいております。  鈴木元総理もそういうお考えでお越しをいただいたものと存じますが、特に第一の問題というのは、この件に関しまして非常に取りざたされておりますのは、大臣就任のために総理経験者など政界の有力者に多額の献金が行われるということが話題となっております。鈴木先生に阿部代議士から一千万円が提出されたというようなことが、その金の趣旨というのは、その授受の経緯というのが派閥ぐるみである、宏池会と金の関係というようなことを言われておりますわけでございますが、これは大臣就任をされた方々全体の名誉にかかわる問題でございますので、まず、六十一年の九月までは宏池会の会長をしておられました鈴木先生から、その点に関してお話を伺わせていただけたらありがたいと思います。
  138. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 世上いろいろ言われることがあるわけでありますが、しかし私は、今回の宮澤内閣に限らず、今までの内閣におきまして、組閣に当たって入閣のためにいろいろの工作がなされる、また陰でいろんな猟官運動的な動きがある、こういうようなことが伝わることがございますけれども、私の長い間の政治生活を通じましてさようなことは決してなかった、こういうことをはっきり申し上げてよろしいのではないか、このように存じております。  なお、具体的に今お話がございましたが、阿部君の入閣に当たって、その工作の一環として私に一千万円の政治献金がなされたのではないか、こういう御質問がございました。前段で申し上げたとおりでございますが、特に私は宏池会の会長をもう数年前に退いておりまして、宏池会の人事その他全般の運営は宮澤喜一現総理がやっておられるわけであります。そういうようなことからいたしまして、私が閣僚の推薦に関与するとかあるいはこれを強く推進をするとか、そういうようなこともございませんし、またやったこともないわけでございます。  この一千万円の問題については、せっかくのお尋ねでございますからお話を申し上げますが、平成元年の九月ころであったと思います。私の赤坂の事務所に阿部君がお見えになりまして、そして、あいさつはおくれましたけれども長年の悲願であった入閣も今回果たすことができました。私は昭和四十四年に函館地区から初めて出馬をし、政界入りをいたした当時から、鈴木先生には大変御指導、御支援をいただいております。ということは、恐らく彼は、函館が北洋における水産の、漁業の基地でもあったというようなことで、水産関係のこの漁民票といいますか、そういうものは相当のウエートを占めておる。私が水産議員としてリーダー的立場にございましたものですから、彼の選挙区にはしばしば参りました。選挙のときなどは何遍も応援に実は駆けつけたわけでございます。そして初当選を見事に果たした。自来当選七回、その友情はずっと続いてきたわけでございまして、阿部君が今回長年の念願であった入閣を果たしたということで私のところにあいさつに見えた、こういうことであったと私は受けとめておるわけでございます。  その際に紙封筒に入れたものを持参をいたしまして、これは私のほんの気持ちばかりのものでございますがどうかひとつおおさめを願いたい、こういうことであったんでありますが、私は、これはどういう趣旨のものか、むしろ君が今度大臣になられたについては僕の方からお祝いを上げにゃいかぬような関係である、特にこれから君は本当に一人前の政治家として活躍をされるわけだから、政治活動には資金も要るだろう、だからこれはひとつ持って帰って大いに働いてもらいたい、こういうことで押し返したわけでございますが、これに対して、せっかく持ってきたものであるから恥をかかせないでください、お預かりを願いたい、もし要る場合にはいつでもお願いに上がりますから、こういうことで置いて帰ったというふうなことでございます。  私は、後で茶封筒を調べてみまして、それが一千万円の大きなお金であったということを知りまして、すぐ阿部君の部屋に電話をいたしまして、先ほど君の持ってきたものを調べたが相当大きなお金だ、これは君は、再三言ったのに置いていったからお預かりをしておくけれども、要るときはいつでも言ってくれ、こういうことを念を押して実は預かっでおいたというようなものでございます。
  139. 中山正暉

    ○中山(正)委員 先ほどもお話がございましたが、御令息も後を継がれて宏池会におられまずし、それから女婿、いわゆるお嬢様の御主人も宏池会に所属をしておられます。その宏池会に対する愛情そして阿部代議士に対する同志としてのお気持ちがそんなことになったのであろう、私も十分にこういうお気持ちはわかる次第でございますが、一説によりますと、マスコミその他の報道では派閥ぐるみの資金づくりであったのではないかというような疑いを受けております。  特に、共和が、株式会社共和が主催をいたしました宴会へ宏池会の幹部が出席をしていたという話もございますし、またこれはマスコミのテレビの画面でも流れたのでございますが、新しい九州の工場の竣工式に御出席をなすったというようなことも報道されておられます。九州、お嬢様の御主人が九州出身の代議士でいらっしゃいますから、私はそこへお出ましになるような、そんな都合からお出ましになったのではないかという推測をいたしておりますが、その辺の関係を少し明らかにしていただけたらなと存じます。
  140. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 共和関係の宴会あるいは祝賀会等にもしばしば出ておるのではないか、またそういうような関係から、共和から相当資金が流れておるのではないか、世上、これは宏池会の派閥ぐるみのスキャンダルではないか、金集めではないか、こういうようなことが報道もされてまいったことも私承知をいたしております。  これは私も大いに反省をしておるところでございますが、国会議員を引退したからといって、やはり私は政界の長老でもあるわけでございますから、その日常の進退は慎重の上にもやっぱり慎重でなくちゃいけない。いろんな会合に呼ばれるごとに、それに気軽に出て祝辞を述べたり、一緒に飲んだりというようなこと等については十分やはり慎重な配慮、注意が要るのではないか、こういうことを今実は深く今回の経験からいたしまして反省もいたしておるような次第でございます。  福岡県の飯塚の隣の稲築町でございますか、あそこに共和が九州の新工場をつくられた、その竣工式に私は出席をいたしました。これは、最初は阿部君の方からでございますが、大分の何かリゾート開発の方の着工式ですか、それと連ねて日程をっくっておったようでございまして、大分の方にも出てくれというお話があったのでございます。しかし、私は、大分の方には特別御縁もなかったようなこともございまして、福岡の方だけ出席をするようにいたしました。  と申しますことは、御承知のようにこの稲築町の隣の飯塚には私の三女が麻生太郎君のところに今嫁いております。孫も二人実はおるんでありまして、しばらく会っておりませんし、しばらくぶりでひとつ会ってやろうということで実は前の日に出かけまして、そして前の日は飯塚のゴルフ場でゴルフもやったり、孫やなんかと弁当を食べたりして団らんをして、そして翌日のこの祝賀会に列席をしたわけでございます。地元初め福岡県の各方面の御歴々も出ておられました。奥田知事さんも出ておりまして祝辞を述べておったわけでありまして、祝辞の内容はほとんど私同様の祝辞でございましたけれども、そういうようなことで、やはりあの地方としては相当大きな工場であるということで、地方の、地域の開発にも役立つだろうということで大分喜んでおったような次第でございます。  そこで、肝心の宏池会ぐるみの資金集めのこれは問題ではないかという御指摘でございますが、宏池会の方を、新聞がそう報道しておりますので私も調べてみました。そういたしますと、はっきり阿部君から宏池会に入っておりますのは一千万円だけでございまして、政治資金規正法によって正規に届け出がなされておるようでございます。その他は全然入っておりません。また、宮澤君初め幹部のところにも行ってないように私は感じておるわけでありますが、御承知のように共和はその後、平成二年から三年にかけまして大変な、バブルに手を出してああいう経営内容になった、破産宣告までやったというようなことであって、そういうような事情から御推察をいただいても、宏池会がこの共和から多額の資金を引き出すようなためにいろいろのことをやったというようなことは、これはいろいろ誤解を招く報道等であったと私は考えておるわけでございます。
  141. 中山正暉

    ○中山(正)委員 共和の実態というのが後でわかるということで、私は、功成り名遂げて総理大臣までおやりになった鈴木善幸先生がそんな妙な話に入られるはずがないと心から御信頼を申し上げておりまして、特にすっかりもうおじいちゃまにお返りになってお孫さんのお顔をごらんになりたいという、そんなお気持ちで行動されたということが今よくわかったわけでございますが、しかし一般的には政治家と経済界との癒着という問題が大変取りざたされる昨今の風潮でございまして、またバブル経済の中からそんなふうな風潮が出てきております中で、先ほどもちょっと冒頭にお話がございましたが、いわゆる会員制のレジャークラブ、麹町倶楽部の計画について内諾の謝礼に一千万円の問題があったとか、それからまた一億円というお金が流れだというような報道がございますので、大変恐縮でございますが、その件に関しましてもう一度御確認をいただければありがたい。  特に、新聞報道では一億一千万円とか一億六千万円とか二億三千万円とか、金額が非常にまちまちでございます。元老、重臣と言われる御存在の元総理が傷つかれるということは日本が傷つくことだと私は思っておりますので、この場にお出ましいただきました機会に、それらのことに関しましてひとつ御答弁がいただけたらありがたいと思います。
  142. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 冒頭にも申し上げましたように、一千万円の献金とかあるいは一億の献金とかあるいはいろいろ伝えられるような金額が報道されておりますけれども、共和関係資金共和絡みの資金は、私は絶対に受けておりません。これは、この委員会を通じまして国民の皆さんに明確にひとつ申し上げておきたい、こう思っております。
  143. 中山正暉

    ○中山(正)委員 きょうはそういう意味でお出ましをいただいてお話をいろいろ承ったわけでございますが、これから政治改革その他、宮澤内閣に課せられました問題は種々、日本のために解決をしなければならない問題でございます。  どうぞまたお体に御留意をいただきまして、御自愛をいただきまして、お元気でひとつ今後の日本をお見守りくださいますようにお願いをし、私どものような若輩者から大変失礼な御質問を申し上げましたことを恐縮に存じておりますが、きょうのお出ましに再度ありがとうございましたとお礼を申し上げまして、一日も早く我々はこの予算が通過するために、今後、御懸念なすっておられます日本の将来のために自由民主党として頑張りたいと誓いをここにいたしまして、きょうの質問を終わらせていただきたいと思います。  ありがとうございました。
  144. 山村新治郎

    山村委員長 これにて中山君の質疑は終了いたしました。  次に、松浦利尚君。
  145. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 社会党の松浦でございます。  きょうは、平成四年度予算審議のために、高齢である身にもかかわらず我々の審議に参考人として御出席いただきましたことを、日本社会党・護憲共同を代表いたしまして心からお礼を申し上げたいと存じます。まことにありがとうございます。  それでは、一、二、鈴木先生にお尋ねをさせていただきます。  今、一千万円の授受に関しまして、阿部代議士から入閣祝いだということでお受け取りになった、しかしそれは預かるという形で、後刻本人に返したという、そういうお話がございましたが、その前に東京都の高級料亭で、鈴木先生は阿部議員から紹介を受けて森口共和の元副社長にお会いになったことがございますか。
  146. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 いつの会合のことを御指摘になっておるか知りませんが、阿部君の申し出もございまして、共和森口さんですか、には一、二度お目にかかったことがございます。
  147. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 大変失礼なお尋ねになりますが、その後阿部議員が一千万円を先生のお手元にお持ちになったのじゃないですか。
  148. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 ちょっとそれは事情が違うようでございます。  と申しますことは、先ほど中山さんの御質問にもお答えをいたしましたが、阿部君が、長年の悲願が実現した、もう選挙区の人たちも大変喜んでおる、そういうようなことで、長い世話になった私にまずお礼をしたいということで見えたのは九月でございます、入閣間もないころであったと思いますが、しかし今松浦さんから御指摘になりました会合は、秋も深まった十一月ころの会合ではなかったか、このように考えております。
  149. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 それでは、もう一遍確認のためにお尋ねをいたしますが、阿部議員が一千万円を持ってきたのは九月でございますか。阿部議員が一千万円を先生のお手元に封筒に入れて持ってこられたのは九月でございますか。間違いありませんですか。
  150. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 さようでございます。
  151. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 それではさらにお尋ねをいたしますが、その間阿部代議士から、先ほどお話のありました麹町倶楽部の発起人になってくれないかというような要請があったことは御記憶でございますか。
  152. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 阿部君を通じまして発起人代表になってほしいという要請があったことは、そのとおりでございます。しかし、私は先ほどお答えを申し上げましたように、発起人代表などというものは、いろいろの方面からいろいろのことで要望があるけれども全部お断りをしておるということで、この阿部君の申し出につきましてもかたく断った、こういう経過になっております。
  153. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 今、お断りになったそうですが、そのお断りになった時期はいっでございますか。そのお断りになったのはいっでございますか。
  154. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 多分十一月ころであった、こう思っております。
  155. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 その後、先ほど中山委員の御質問にお答えになっていましたが、麹町倶楽部の名誉理事長に就任することの内諾をされました。しかし、その内諾をされたときには、共和の松浦社長あるいは岡部会長森口社長の連名による要請でございましたか、あるいは口頭でございましたでしょうか。
  156. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 その名誉理事長就任の要請がございました時期は、衆議院の選挙がもう既に終わりまして、私が現職を退いた後でございます。大体四、五月ころであったと記憶をいたしております。確かに要請書というようなものを私の事務所に、会長社長、副社長三者連名のものが出てまいりました。これは新聞にも、朝日新聞でございましたか、写真入りで実は出ておるのでございますが、その要請書の中には、私がはっきり断った発起人代表、これも一緒に、一緒くたに要請書の中に書いてある。  いろいろ私が先ほど来お話をいたしますように、こういうレジャー関係の会員制クラブというのはとかく問題が起きやすい。そういうようなことから慎重に私は対応をいつもしてきたわけでございますが、その要請書を見た場合に、これはだめだ、こういうようなことではだめですよと。阿部君にも言っておるように、発起人代表は私は絶対に受けるわけにいかない、発起人にもなるわけにいかない。これが立派に完成をしたことを見届けて、そして理事会において、理事会が運営の責任等を持つわけでございますから、理事会において満場一致で名誉理事長就任の要請が行われた場合に、そのときひとつ実態を見て考えようということで、阿部君の顔もございましょうから、内諾を与えた、こういう経過になっております。
  157. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 委員長に申し上げます。  御高齢ですから、もし立ったり座ったりが御疲労があるようでしたら、委員長の了解を得て、座ったまま、私の場合はお答えいただいて結構です。
  158. 山村新治郎

    山村委員長 それでは先生、座ったままお願いします。松浦さん、ありがとうございました。
  159. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 さらにお尋ねをいたしますが、その名誉理事長御就任に当たりまして、これは森口共和社長発言でありますが、先生の事務所のあります赤坂の興和ビルでございますか、そこに九〇年の四月ごろ、紙袋に五千万すっ入れて森口社長阿部議員が一緒にお持ちをして、先生のところには阿部議員がその二つの袋を持って上がった、合計一億でありますが、そういう報道がされておるわけであります。しかも、こうした報道はいろんな新聞等にも出ておるわけでありますが、そういった事実はございますか。
  160. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 お言葉に甘えまして、座ったままお答えいたします。  さようなことは全くございません。
  161. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 森口社長は一千万円につきましても、先生と顔合わせした名刺代だということで阿部議員に渡した。また一億円についても、名誉理事長に御就任いただいたかどうかということは定かではありませんけれども、そうした問題の謝礼として一億円を先生の手元に運んだ。こういうことが言われておるわけでありますが、これは先生が指摘をされたわけでありますが、阿部議員と対決もしていい、対決してもいい、こういうことを言われたわけでありますが、これは阿部議員が先生の名をかたってこうした行為に出た、こう御判断になりますか。
  162. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 そういうような大変な、重大な疑問点がございます。そういうようなことで、私は今でも、その機会が来れば阿部君とその点をはっきりさせたい、このように今でも思っておるわけでございます。  と同時に、既に検察が身柄を拘束をし、また資料も全部押収をされて厳しい捜査を続けておるわけでございますから、私は、この司直の公正な審査によりまして事態が明確になり、私に対する今お話しになったような点もはっきりすることを切に願っておるような次第でございます。(拍手)
  163. 山村新治郎

    山村委員長 御静粛に願います。
  164. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 先生は検察当局から共和事件について何か連絡があったとか、あるいは照会があったとか、そういうことはございますか。
  165. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 ございました。私は、この検察捜査に協力する意味合いから、弁護士を通じまして私の承知している事情は全部報告をいたしておいたわけでございます。
  166. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 それが上申書でございますか。
  167. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 我々の世界では別の、報告書とか参考資料とかいうことになるだろうと思いますけれども、司法、検察の世界ではああいうものは上申書として扱っておるようでございますが、事情はそういうことで報告をして協力をした、こういうことでございます。
  168. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 その上申書の中に、先ほど先生が中山委員にお話しになりました一千万円は阿部議員に返したというふうに書いてあると報道されておりますが、事実ですか。
  169. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 そのとおりでございます。
  170. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 さらにお尋ねをいたしますが、先ほど、阿部議員の一千万円は入閣したときには、大変私たちは野党で政権をとったことがありませんのでわからないことを質問して恐縮ですが、何か入閣されると、当時宏池会の会長さんあるいはお世話になった先輩のところに、こんなに一千万円というちょっと私たちは理解できないのですが、そういうお金を持っていくということが事実ほかにもたくさんあるのでございますか。
  171. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 私はそういうようなものが慣例的に行われておるとは存じておりません。また、私が内閣を組織したとき、あるいは改造したときもさようなことはございませんでしたし、そういうことがあってはならない、このように考えておるわけでございます。しかし……
  172. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 これも大変新聞の報道ですから正確ではないかもしれませんが、ここにある新聞の切り抜きを持ってきたのでありますが、その中で先生は、「政治家同士で、(たとえば)宮沢君との間で、あるいは河野君」と、河野君というのは河野洋平さんのことですが、「河野君や粕谷君やみんな宏池会の連中は、」——失礼しました、申しわけありません、河野さんです。「河野君や粕谷君やみんな宏池会の連中は、盆暮れや何やらで面倒みたり付け届けがあったり、そんなことはある」というようなことを記者の質問に答えておられるわけでありますが、与党では、特にこれは宏池会ということですからほかはないのかもしれませんが、こういうことがしょっちゅうあるんでございますか。あるいは億単位という金がやはりそこで動くんでございますか。
  173. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 これは誤解があってはいけませんが、常識の範囲でお祝いをしたり、そういうようなことはございますけれども、そう大きな金でどうこうというようなことはございません。全く常識の範囲と御承知いただきたいと思います。
  174. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 大変参考になりました。  さらに今度はほかの問題についてお尋ねをいたしますが、これも先ほど中山委員の御質問にお答えになっておられますからくどくどとはお尋ねをいたしませんが、女婿の麻生議員が経営をして、麻生議員の会社と言った方が、企業と言った方が正確でしょうが、先ほどゴルフをされたと言われましたが、それは飯塚ゴルフ場、こういうところでございますか。
  175. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 さようでございます。ちょうどその日は昼から雨模様になってまいりまして、それで午前中ハーフだけで切り上げたわけでございますが、私の娘が弁当持参で孫を連れてゴルフ場へ参りまして一緒に食事をした、弁当を食べたというようなことを思い出しております。
  176. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 その麻生飯塚ゴルフ倶楽部の敷地に隣接して共和の九州工場、そしてまた稲築町の隣であります桂川町というところになるのですが、福岡の、この桂川町と稲築町にまたがって麻生飯塚ゴルフ倶楽部というのがあるわけですが、そちらの方に共和計画をしておるリゾート開発地域、こういうものがあると、隣接してあったということは御承知でございましたか。
  177. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 全然知りません。
  178. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 今申し上げたところでゴルフをなさった後、翌日共和の新設工場に御出席になされた。そのときに亡くなられた故本村参議院議員もおられたようでありますが、ほとんど宏池会の方々が御出席になさっておった。その帰りがけに、これも新聞報道によるのでありますが、お車代として三百万鈴木先生に渡された、こういうことが共和関係者から新聞に報道されておるわけでありますが、そういう事実がありますか。
  179. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 お車代とかさようなものは一切ございませんし、受け取ってもおりません。
  180. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 それでは、さらに角度を変えて次の問題についてお尋ねいたしますが、八九年の十二月の十四日、これは日付を特定しておりますが、八九年の十二月十四日、午前中の質疑でもちょっと出ておりましたけれども、きのうの午前中の質問で出ておりましたが、銀座の高級料亭で阿部議員、当時の閣僚二人の総務庁長官あるいは建設相、それから森口社長あるいは佐藤行雄第一不動産社長らの宴席に先生御出席になった記憶がございますか。
  181. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 その会合、第一不動産の佐藤会長も出ておられた、こういうことを今松浦先生おっしゃったんですが、私は佐藤さんと宴席でお目にかかったのは一回だけでございます。大体佐藤さんは余り存じ上げておりませんで、どこかのパーティーであるいはすれ違い的に会ったことはあるかもしれませんが、宴席等で御一緒したことは一回しかない。  その一回は、これは私の割合はっきりした記憶にあるのですが、平成二年の三月の十九日でしたか、ということは、その日、実は一つキャピトル東急で六時からの会合がございまして、私はそこへどうしても出にゃいかぬ、前々からの約束がございまして、そういう会合があるので、阿部君からの御案内があったけれども私はその方の会合には出るわけにいかないというようなことを申しましたら、いや、もうちょっとでもいいから顔だけ出していただきたい、こういうことでございました。その場所は、銀座の料亭でなしに赤坂の、これは今問題にしておられるようでございますからはっきり申し上げますが、川崎でございます。そこへキャピトル東急の会合を終えましてから私おくれて顔を出したのでありますが、それはもう八時半前後であったと思うのでありますが、相当その席はアルコールも入っておったし、にぎやかでございました。それから、遅く私が参りましたから先にもう中座してお帰りになった方もあったようでございます。また、プロ野球界の著名なOBなんかもおられました。そういうところでございますから、もう何も込み入った話はございませんでしたが、顔を出して二、三十分で私も失礼をした、こういうことでございます。
  182. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 それから立ち入ってお尋ねをいたしますが、共和麹町倶楽部の最初のゴルフコースが九〇年三月設計承認、それから五月の九日土木会社との工事契約締結、そして九〇年の五月十六日その報告とお祝いを兼ねた会合が行われたと私たちは確認をいたしておるわけでありますが、その席上に森口元副社長阿部代議士、それから土木建設会社担当幹部、この土木建設会社の担当幹部というのは、お亡くなりになりました池田勇人先生の時代からの宏池会の末広会という土建業者のメンバーの幹事の一人という方が御出席になってお祝いの宴席があった、その中で鈴木先生もそこに参加をしておられた、こういう話であります。そしてまた、これも推測の域を出ないかもしれませんが、この末広会の幹部、幹事の人が、このゴルフ場の受注に当たって先生のお骨折りが過分にあった、同時に阿部代議士の相当の力があった、こういうふうに言われておるのでありますが、そういう点についてお聞かせをいただきたいと思います。
  183. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 その会合の記憶は、私今思い出せないわけでございますが、ちょっと日程を調べてみましても、その辺の前後にいろいろな会合がございましたが、ちょっと私、定かでございません。
  184. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 それでは、さらに締めくくり的にお尋ねをさせていただきますが、阿部議員は釈放されております。先ほど中山委員の御指摘によりますと、北海道出身の水産関係者として先生が大変面倒を見てこられた方だ、こういうふうに聞いておりますが、釈放された後、先生にごあいさつがあったでしょうか、あるいは先生の方から、こういった報道がされておゐ事実について、先生の疑いを晴らすために本人に確認をとられるというようなことがあったでしょうか、お聞かせいただきたいと思います。
  185. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 阿部君が釈放されてからまだ会う機会がございません。現在、彼の所在がどこであるのか、これもなかなかつかめないというような状況でございます。しかし、松浦さんが御指摘になりましたように、阿部君と私とのこの新聞等で報道されるような接点、特に金の授受についての接点については、これはどうしても明確に私はさせたい、このように思っております。
  186. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 これも先生にとっては大変な屈辱を受けられるような、誤解を受けられるような事件だったと先生は思っておられると思うのでありますが、こうした森口共和の副社長、そしてその間に仲介をとった阿部議員、こうしたお二方について今先生はどういう心境を持っておられるのか、お聞かせをいただければと思います。
  187. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 先ほども申し上げましたように、長年宏池会の同志として政治活動をともにし、苦楽をともにしてきた、そして水産界におきましてもいろいろ協力し合ってきたという阿部君が、私を利用するといいますか、私の名を使っていろいろのことをやっておるというようなぐあいには私は今でも信じてはおりませんけれども、しかし、新聞等の報道ではいろいろ問題がそこにあるようでございます。私は、司直の厳正な取り調べと並行しまして、早い機会に食えますれば、その点は明確にしたい、こう思っておるわけでございます。
  188. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 さらに、阿部議員を通じて森口元副社長は、宏池会に対する資金援助として五千万、あるいは何が幾らということで再三にわたって宏池会に金をもらいたいということから、森口社長は、その都度多額の資金阿部代議士を経由して宏池会等に流れておるものと信じて発言等がされておるわけでありますが、阿部さんの一千万円以外には鈴木総理にもないし、また宏池会にも一千万円しか入っておらないということでありますが、それ以外に阿部という議員の名前で献金されたことは一銭もないし、また共和からはゼロだ、こういうことをここで御確認いただけますか。それは事実でございますか。
  189. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 重ねてこの議場を通じまして明確にいたしておきます。さようなことは断じてございません。
  190. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 最後に、後輩の私が大先輩の鈴木先生にこういうことを申し上げると大変失礼になるかもしれませんが、実はこれも新聞の先生の談話でございますから、間違いがあれば訂正をしていただきたいのですが、地検から何か連絡があったかという記者の質問に対しまして、先生は電話も何もない、一国の総理をやった者に東京地検が事情を聞けるか、こう言って反論をされたと記事になっておりますが、これは正確でございますか。
  191. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 極めて不正確でございます。  と申しますことは、私は、法の前には万民平等でなければならないという気持ちでは全くそのとおりに考えておるわけでございます。しかし、法の前に平等ということは、法の前に人権が守られ、人権が擁護される、何人もそのように擁護されなければならない、こう私は考えておるのでありまして、それが民主政治の原点だ、このように考えておるわけでございます。  そこで、あのときの記者の諸君のあれは、私は根幹には何にも関係ないよというようなことをるる話をして、もう枝葉の枝葉、こうしつこく言うものですから、そういうようなことを、いかに検察といえども、総理大臣であろうがだれであろうがむやみに引っ張って取り調べをするというようなことは、そういうことはあり得ない、そういう趣旨で申し上げたということをここで述べておきたい、こう思います。
  192. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 そのとおりだと思います。私は、きょう先生が御出席をいただきましたことに心から敬意を表します。そしてまた、共和問題はあまねく国民に大きな誤解を与えておるという気がしてなりません。それだけに先生の名誉を晴らすためにもさらに共和問題を追及して、解明して、先生のそうしたお気持ちを晴らすことをお約束をいたしたいと存じます。  きょうは本当にありがとうございました。
  193. 山村新治郎

    山村委員長 これにて松浦君の質疑は終了いたしました。  次に、草川昭三君。
  194. 草川昭三

    ○草川委員 公明党・国民会議の草川でございます。本日は大変御苦労さまでございます。  私どもは、共和事件の全容解明なくして政治改革、政治倫理の確立はできない、こういう立場でございますので、ぜひ鈴木元首相の御協力をお願いを申し上げたいと思うわけであります。数々の御無礼な発言をするかもわかりませんが、お許しを願いたいと思うわけであります。  それで、先ほど阿部元長官が一千万、鈴木先生のところに入閣のお礼という気持ちでお金を持ってきた、それで返した、こういうお話でございましたが、返されたのは一体いつなのでしょうか。
  195. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 お答えをいたします。  それが大分、阿部君が私のところに預かってほしいと言って置いてまいったのと返した時期の間に相当時間的な開きがございます。  そこで、ちょっとそのことを申し上げておきたいのですが、先ほど……(草川委員「いつごろかということだけで結構ですから」と呼ぶ)返したのは、取りに来たのは平成三年の十一月の十四日でしたか、返した日はもうはっきりしております。
  196. 草川昭三

    ○草川委員 これも大変恐縮ですが、一千万というお金は大きいわけでございますが、大分返される間に時期があるのですが、普通ならば先生が所得として申告をなされるか、政治資金規正法に基づく届け出をなされるのではないだろうかと思うのですが、双方なされなかった御反省はありや否や、お伺いします。
  197. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 それは先ほど来お話を申し上げたように、あれこれ阿部君と言い合った末、とにかくせっかく持ってきたんだから預かっておいてほしい、要るときはまたお願いに来ますからというようなことで、私もその点は念を押して預かった、こういう経過になっておりまして、私はこれの処理については大変これは困ったなという感じを持っておったわけでございます。  そこで、これは預かったものでございますから、所得という処理はできない。また、政治資金規正法でこれを処理したい、こう思いましたけれども、預かったものでございますから、収入とするわけにもいかない面がございます。そこで、まあ常識的な取り扱いで、善意の保管者ということで間違いのないように保管をしておいた。  しかし、これは大変重要な問題でございますから、ぜひひとつ委員長政府委員、自治省あたりからこの預かり金の処理なんかについて法的な見解をお伺いしておきたい、こう思うのですが。
  198. 草川昭三

    ○草川委員 大変恐縮ですが、世上そういうことを裏金と言っておるわけであります。  そのことだけ申し上げまして、次に移りたいと思うのでございますが、共和との宴席に何回出られたかという御質問でございますが、一回か二回という御答弁でございますが、三回と違いますか。
  199. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 裏金の問題はちょっと違いますから、その点は……(草川委員「わかりました。それは結構です」と呼ぶ)  それから、会合はまあ三回ぐらいあったかもしれません。
  200. 草川昭三

    ○草川委員 三回だというように御理解をさしていただきたいと思います。  それで、この宴会に三回参加をされたことについての御反省はございますか。
  201. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 先ほども払お話をいたしましたように、政界を引退いたしましたといっても私も政界の長老という立場にございますから、軽々にいろんな会合だとかいろんな宴席だとかそういうところに出て無用の誤解を受けるようなことがあってはならない、今回のことで本当に懲り懲りしたわけでございまして、反省をしておるところでございます。
  202. 草川昭三

    ○草川委員 私は一回、二回、三回の日時を一々申し上げませんが、当初お会いになった日時等々がいわゆる今回の、法務省が中間報告も本日しておりますが、いわゆる受託収賄事件請託の場所になるわけであります。先ほど来からそれを意識して避けられて、第一不動産の会長との会合を避けられておりますが、私は、全体の流れを大きく検察は取り上げておる、こういうように考えておるわけであります。そのことだけ申し上げておきたいと思うのです。  それで、その九州工場落成式への参加でございますけれども、平成二年四月の十七日でございますけれども、この落成式には多くの国会議員の方々が御参加をなすっておみえになりますが、いわゆるそれらの方々はすべて宏池会の、宏池会に所属をされる国会議員の先生方ではなかったでしょうか。
  203. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 今の問題にお答えする前に、会合は三回ぐらい出たと言いましたけれども、第一不動産の佐藤さんが出た会合には二回は出ておりません。これはもうはっきり申し上げておきます。その一回は三月十九日であるということです。私がバッジを外した後です。  それから、今の九州、福岡のところには先ほど来申し上げたように我が党の議員さんも出ておりました。と同時に、地元の県会議員あるいは知事さん、そういう方々も多数お見えになっておったわけでございます。
  204. 草川昭三

    ○草川委員 実は、鈴木先生が共和の九州工場の落成式に参加をされた際に、共和が茨城県に建設を予定していました麹町倶楽部緒川コースの造成工事を、あなたの知り合いの土木建築会社に仕事が発注されるよう森口氏に依頼をされたのではなかったのでしょうか。
  205. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 さようなことはございません。恐らく請負工事者が決まったのは、正常な形の営業活動の結果そうなされたもの、こう思っております。
  206. 草川昭三

    ○草川委員 まだ次の質問があるのでございますが、私の調査では、鈴木先生が共和の九州工場落成式に出席をされたのが四月の十七日であります。その直後の四月の二十日に東京の共和本社阿部代議士とともに訪問をされております。緒川コースの造成工事に関して、さきに九州で依頼をいたしました土木建築会社の御下命願、御下の命の願い、御下命願、すなわちあなたの知り合いの土木建築会社にゴルフ場の工事を命じてくださいという趣旨の書類を共和にお渡しになられたのではないでしょうか。
  207. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 さようなことはございません。新聞でいろいろ、このゴルフ場のコースの造成の問題で新聞が書いておりましたから、その後事情を聞いてみました。そうしましたら、最初内定しておったのは鹿島建設であった、こう聞いておるのです。鹿島建設は何といっても日本のトップのこれは建設会社でございますが、これは実は三代目は岩手県の出身、私の県の出身なんです。ですから、岩手県とは非常に御縁の深いところでございまして、まあお互いに政治家だからよくわかるのですが、そういうところは大事にしなければならないわけでございまして、天下の鹿島に決まっておるやつを、何でこれをほかの方へ持っていかにゃいかぬか、そういうことは全然ありません。
  208. 草川昭三

    ○草川委員 大変恐縮でございますけれども、その会社に決まっておったのを変更なされる運動をされたのではないでしょうかと質問をしておるわけです。
  209. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 と申しますことは、鹿島に内定しておるやつを変更するようにですか。ですから、今申し上げたように、三代目が私の県の出身である鹿島建設、しかも天下の鹿島建設がやることになっておったやつを、それをほかの方へ持っていくようにするというようなことは、私自身にはそんな気持ちもないし、それは何のメリットもない、私の選挙についても。それはもう常識としてお考えいただきたいと思うのです。
  210. 草川昭三

    ○草川委員 では、共和本社阿部代議士と鈴木先生は同行なされた事実はお認めになりますか。
  211. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 それは一遍伺いました。
  212. 草川昭三

    ○草川委員 阿部さんと一緒にお伺いをされた趣旨を御説明願いたいと思うのですが。
  213. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 それは趣旨といっても特別な趣旨はないんでありまして、まああえて言えば、あそこは鉄鋼加工メーカー、とにかくビルやなんの、鉄骨やなんのメーカーとしては割合に有力な会社である。しかもあの会社で、全国に散らばっておる工場にそれぞれ設計者を置くんでなしに、本社に置いて、そしてそれで全部でコントロールしてそこで設計したものを通報するとか、そういうようなことをやっているというようなことがいわば一つの特色がな、参考になったかなという感じはするんですが。
  214. 草川昭三

    ○草川委員 ちょっと御答弁の趣旨がわかりませんけれども、要するに、麹町倶楽部の名誉理事長就任の条件として、実は先ほどおっしゃいました鹿島建設ですか、その大きな会社が、新しい先生が推薦なされた会社にかわる、かわる条件として名誉理事長の就任をなされたというわけですが、それは違うわけですか。
  215. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 それは全然違います。
  216. 草川昭三

    ○草川委員 はい、わかりました。  じゃ、次の質問に移らさしていただきますけれども、先ほど来から出ておりますように、鈴木事務所共和が一億円を持参をしたということの件についてお伺いしたいと思うんでありますが、共和からの一億円は麹町倶楽部の名誉理事長を引き受ける謝礼として阿部氏を通じて受け取ったんではないか、こういう疑問があるわけです。今、先ほどの御質問でそれはないという、こういう明確な御答弁でございました。ところが、私どもいろいろと、大切な問題でございますんで、それなりに我々も勉強さしていただいておるわけでございますけれども、この一億円を鈴木事務所に持っていったということを阿部さんは言っておるわけでございますけれども、あなたの秘書を通じてもらったというような事実はないのでしょうか、どうでしょう。
  217. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 さようなことは断じてございません。
  218. 草川昭三

    ○草川委員 秘書は、大変恐縮でございますが、何人おみえでございましょう。
  219. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 現在は、もう現職を退きましてから、秘書は二人おります、男性一人と女性一人の。
  220. 草川昭三

    ○草川委員 共和との連絡役、鈴木元総理自身が共和にも阿部さんと訪問したことがある、こうおっしゃっておられるわけでございますから、何かと共和との連絡役があったと思うんでございますが、その窓口になられた秘書はどなたさんでございますか。
  221. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 ほとんど共和との窓口は阿部文男代議士なんですよ、これは。ですから、直接共和会長だとか社長だとか副社長だとかに物事を相談したり連絡したりということはほとんどございません。全部阿部君、阿部君を通じて、彼が連絡をする、こういうことでございます。
  222. 草川昭三

    ○草川委員 それで、一人は女性、一人は男性とおっしゃってますけれども、その男性の秘書さんというのはどのようなお名前の方でございますか。
  223. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 内澤と申します。
  224. 草川昭三

    ○草川委員 この平成二年四月ごろ、鈴木首相の事務所のあるビルの入り口で阿部氏は森口氏から一億円を受け取り、ビルに入ったということまで言われているわけであります。しかも、それが紙包みに二つに入った。二つに入った紙包みの上にはガムテープでそれが張ってあったというような描写まで今報道をされておるわけでございますが、内澤氏に確認をして、いま一度国会にそういうことはないという御報告がお願いできるでしょうか。
  225. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 今私がここではっきり言明申し上げておる以上は、秘書からも確認した上で御答弁を申し上げておる、こういうことです。
  226. 草川昭三

    ○草川委員 はい、わかりました。じゃ、秘書に御確認をなすった上での御答弁で、一億円の授受はない、こういう御答弁だと思います。  そこで、ではもう時間がありませんので、鈴木元首相が東京地検に上申書というものを提出をされておるわけでございますが、この上申書の中にはいろいろな状況報告等がなされていると思うんでございますが、ぜひその写しを我々国会の方にもお見せ願えないでしょうか。改めて、一番最初に申し上げましたように、真相究明のために我々は努力をし、政治改革という大命題があるわけでございますが、御協力願えるかどうか、お答え願いたいと思います。
  227. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 私がこの場で先ほど来御答弁申し上げておる点、お尋ねの点はみんな核心の諸点であろうかと思うんでありまして、私が申し上げたことは、検察の方に私が報告をしたことと全く変わりはございませんので、御了承をいただきたい。
  228. 草川昭三

    ○草川委員 検察庁の方ではないでしょうか。もう一回。警察とおっしゃっておられますが。
  229. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 いや、検察です、検察
  230. 草川昭三

    ○草川委員 検察庁と……。はい、御無礼しました。御無礼いたしました。  検察庁の方からの事情聴取をお受けなすったことはございませんか。
  231. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 先ほど来申し上げるように、この捜査に協力する意味で、事情をお聞きしたいというものですから、私は弁護士さんに文書にしましてそれを提出をさしておる、こういうことでございます。
  232. 草川昭三

    ○草川委員 最後になりますけれども、どうでしょう、阿部元長官がうそを言っているのか、あるいはまた森口氏がうそを言っているのか。使途不明金二十二億、管財人の方々からも政治家に渡ったところの金を返還しようという動きがございます。これは国民大変注視をしておみえになるわけであります。その中の一つの動きとしてただいま、大変恐縮でございますが、鈴木元総理にも御出頭願っているわけであります。どうかこれを——御参考人としておいで願っているわけでありますのでございますから、この御参考人として今お答えになっておられますけれども、阿部氏がここの証言台にもし立って違うことをおっしゃったならば、あるいはまた森口氏がここへおいで願いまして鈴木元総理のおっしゃったことと違うことを言われたとするならば、どうなるんでしょうか。私は改めて、鈴木総理が証人であろうと何であろうと出てくるお気持ちがあるかどうか、最後にお伺いをいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  233. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 それは予算委員長を初め予算委員会でお決めになることでございますから、それに服する方針です。
  234. 草川昭三

    ○草川委員 以上で終わります。
  235. 山村新治郎

    山村委員長 これにて草川君の質疑は終了いたしました。  次に、三浦久君。
  236. 三浦久

    三浦委員 参考人にお尋ねをいたしたいと思います。  参考人は冒頭——どうぞお座りになったままお答えいただきたいと思いますが、冒頭に、私はいわゆる共和事件につきましては根幹にかかわったとは思いません、こういうふうにおっしゃられましたね。そうすると、根幹にかかわった人はだれだと思っていらっしゃるのでしょうか。
  237. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 私は、この共和事件の根幹というのは、一つは詐欺事件と申しますか、そういうような商取引上のトラブルですね、これを明らかにすることが一つだろうと思いますし、それから、いわゆる北海道開発庁権限陳情、請願等との間の職権に絡む受託収賄とか、そういう問題がこの共和事件の根幹である、こう思うんでありまして、この一部の計画である麹町倶楽部の発起人の代表世話人を受けろとか、あるいはできた後のその名誉理事長を受けるとか受けないとか、そういうものは私は根幹ではないと、こう思っていますよ。
  238. 三浦久

    三浦委員 そうすると、阿部文男代議士はその根幹にいるという御趣旨だろうと思いますが、次にお尋ねしたいのは、きょうの参考人の陳述では、共和の麹町倶楽部の名誉理事長、この就任の要請に対して内諾を与えた、こういうことをおっしゃられました。この内諾を与えた結果、実際にどうなっているのかということなんですね。  私ども調査をしてみました。この麹町倶楽部の会員権を販売する役目を担当しているのは、株式会社中央企画というところであります。ここに私ども行って聞いてみましたが、鈴木さんが名誉理事長になる、そういう情報は知っておったと、こう言うのですね。そして、まあいろいろ販売活動をした。そうすると、元総理というあなたの肩書が一民間会社の利益を生み出すための営業活動、これに効果的な役割を果たしていたということになるわけですが、そのことについて元総理としてはどういうふうにお考えでございましょうか。
  239. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 これは、私のこの問題についての考え方、基本的な姿勢というのは、今までるる御質問がございました中でお述べ申し上げたように、とにかく発起人代表、発起人ということになりますと、この方々が会員募集の中心になってこれを指導して、リードして会員募集等をやるということでございます。したがって、私はそういうような会員制のクラブの発起人代表などということは一切受けないと、こういうことをかたく申し上げておる。そしてこの名誉理事長就任につきましても、まず立派にこれが完成をする、会員の募集その他についてもトラブルがなく完成をして、そして理事会において満場一致の推薦をされたと、そういうでき上がった段階において名誉理事長の問題は考えてみましょう、こういう内諾を与えた、こういうことであって、まだできもせぬ、しかも結果的には、御承知のようにこれはできなかった、幻に終わったということでございまして、私は何もそういう段階で利用されるものとは考えていなかった。
  240. 三浦久

    三浦委員 申し上げておきますけれども、この麹町倶楽部の会員権というのは、九〇年の十一月の一日に発売されました。それで、十一月の二十六日に和議申請でもって倒産したわけですね。その間にどのくらい会員権の申込者があったかというと、三百名あったのですよ。こういう事実だけ参考人に申し述べておきたいと思います。  それで、ちょっと次に移りますけれども、あなたが麹町倶楽部の名誉理事長の就任要請、これを受けられた後に共和本社に行かれたことはございませんか。
  241. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 そういう記憶はございません。私が先ほど公明党の方にお答えしたように、一回だけ行ったということは申し上げておきますが。
  242. 三浦久

    三浦委員 まあ、そのときあなたは、背広姿で行きましたけれども、この共和のユニホームに着かえで、そして社内をずっと視察して歩いだということを我々聞いておるのですよ。非常に印象に残ったというわけですね。だから、その時期、それはまあ一回行かれたというのですが、その一回の時期はあなたが名誉理事長の就任を依頼された後だったのか前だったのか、それをちょっとお尋ねしたい。
  243. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 そういうユニホームを着たとかなんとか全くあり得ないことです。そういう作り事を根拠にして私はここであなたに御覧聞を受けても、答えようがない。
  244. 三浦久

    三浦委員 これは我々が直接共和の人から聞いたお話ですから、あなたが否定されても我々は直接聞いているわけですから。  質問を続けたいと思います。  あなたがこの名誉理事長の就任、これを依頼されたときに、共和という会社はどういう会社だったのか、それからまた麹町倶楽部というのはどういう事業計画を持っていたのか、そういうことをお調べになりましたでしょうか。
  245. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 株式会社共和についての財務事情やなには、これは全然詳しいことは承知いたしておりません。ただ、この麹町倶楽部の構想につきましては大筋的に、医療とレジャーとそして社交を兼ねた会員制のクラブ、こういうようなユニークな形のクラブであって、私はこれが本当にできるのかどうか非常に注目をしておるわけでありますけれども、私は関係者に対して、これは立派にできればいいがなかなか難しいんじゃないか、後で羊頭狗肉と言わ札るようなことになるとこれは大変なことになるぞ、社会的にも御迷惑をかけることになるから、そういう点は慎重の上にも慎重に扱い、立派なものをつくらにゃいかぬぞということは、これは苦言として申し上げたことがあります。
  246. 三浦久

    三浦委員 事業計画について私ども調べてみました。詳しいことは時間がありませんので言いませんけれども、大体三百億円の預託金が入るような計画になっておりますね。それで、経費ですね、これは百億円です。ですから、これが完全に会員の募集ができるということになれば、この共和に二百億円の金が入るという、そういう大規模な事業だったということははっきりしているわけであります。ですから、これが成功すれば当然参考人に名誉理事長になってもらって箔をつける、そしてこれが成功すれば二百億円もうかるのですから、共和としてはあなたに一億円払っても何の痛いもかゆくもないと、そういう状況だったということですね。  だから私は、この阿部文男が、阿部文男代議士が、この一億円を共和に要求し、そして共和がこの一億円を払った、阿部文男に払ったというふうに思うわけですけれども、あなたのお考えはいかがですか。
  247. 山村新治郎

    山村委員長 これにて三浦君の質疑は終了いたしました。  次に、中野寛成君。
  248. 中野寛成

    ○中野委員 ぎょうはどうもありがとうございます。また、おかけになったままでどうぞお願いします。  若干お尋ねをさせていただきますが、今問題になっております共和関係者、またその中で、特に森口社長とお会いになられたきっかけと、どういうふうな御紹介のされ方をされたのでございましょうか、お伺いいたします。
  249. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 実は私、十数年前から高血圧症に悩まされておりまして、新宿の水町クリニックというところに月に二回ぐらい参りまして、血圧をはかったり心電図をとったりいろいろ診療を受けておるわけですが、そこにたまたま森口氏がやはり患者として来ておられた。後で聞きますと、あそこの共和という会社の嘱託医も水町医師がやっておるということをお伺いしました。
  250. 中野寛成

    ○中野委員 それで、この森口社長とお会いになられたのは最初はどこでございましょうか。
  251. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 そういうような患者同士ということもございまして、水町クリニックに参りましたとき応接で名刺をちょうだいしたというのが最初でございます。
  252. 中野寛成

    ○中野委員 阿部代議士がその後は共和と先生との間を取り持った形になっておるわけでありますが、この阿部代議士と一緒にお会いになられたのはいつごろになるんでしょうか。
  253. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 これは平成……(中野委員「時期よりも、どういう状況かを」と呼ぶ)ああそうですか。大分後のことでございまして、阿部君にこういう夕食会があるから私にも出てくれという御案内を受けまして、行ったところで共和森口君にもお目にかかって、そのときはほかの方々、議員さん方も数名おられた席でございました。
  254. 中野寛成

    ○中野委員 それから後に、例えば御令息が御出席をされました釜石工場の落成式のこと、そしてまた麹町倶楽部のこと、福岡工場の落成式のこと等々と、こうおつき合いがつながっていったと思うのでございますが、その中でこの森口元副社長共和の創業者の息子ということでございますけれども、正体といいますのは、けさほども塩崎さんにお尋ねしたのでありますが、この森口社長というのは、昭和六十二年、青森県三沢市長の収賄事件で逮捕をされまして、当時は刑事被告人であったわけであります。その後、平成三年四月に青森地裁で有罪の判決を受けているわけでございますが、これらのことについては御存じだったでしょうか。
  255. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 残念ながら知らなかった、こう思います。
  256. 中野寛成

    ○中野委員 知っておられたとしたら、その後のおつき合いはありましたでしょうか。
  257. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 対応がまるで変わっておっただろうと思います。
  258. 中野寛成

    ○中野委員 この一連の動きを見ますと、鈴木先生に対しましてこの阿部文男代議士のやり方というのが、最初の一千万円のことにつきましては、これは共和の金であるということは御存じなかったということでございますから別にいたしまして、例えば宴席のセット、それから釜石のこと、福岡のこと、とりわけこの麹町倶楽部のことに関連をいたしましては、随分としつこいお願いを阿部代議士がしているというふうにどうしても見受けられるわけであります。  これらのことについて、余りにも、幾らその同じ宏池会に所属をした代議士とはいえ、ぢょっとうさん臭いのではないか、何か首を突っ込み過ぎてないかとかというふうなことを長年の政治経験からして先生はお察しにならなかったでございましょうか。
  259. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 先ほど来申し上げましたように、発起人代表ということにつきましてはこれはもうかたくかたく断ってあったわけでございます。ところが、選挙が終わりまして私がバッジを外しましてから、発起人はほかの財界のOBの方々、こういう顔ぶれの方々をお願いしました、そしてできた暁にはこういう方を理事さんに御就任願うことも承諾を受けております、ついては名誉理事長を私にぜひ引き受けてくれ、こういうことで、そこで先ほど来申し上げたようないろんな条件を満たすならばこれは考えよう、その時点で立派にできた暁には。こういう結果になったわけでございます。しかし、最後にはこれは幻の構想に終わって存在しない、こういうことになったわけでございます。
  260. 中野寛成

    ○中野委員 例えばその麹町倶楽部のことについてのしつこい依頼活動、それからまあ福岡工場にいらっしゃいましたのは、お孫さんにお会いになるお楽しみも御引退後でございますからおありだったというお気持ちもあったかもしれませんけれども、この共和阿部代議士との関連からして、かなりしつこい先生へのアプローチが行われている。共和がどんな会社であったかということはお聞きになられたことあるのでしょうか、福岡工場では随分褒め上げておられますが。
  261. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 共和につきましては、鉄骨加工メーカーとしてはこれは比較的名の通った会社であった、こう思っておりますが、このレジャーその他バブルの方へ、不動産やなんかに手を出してからの共和の財務状況、経営内容というものは私には全く外部からはわからなかったというのが実際でございます。
  262. 中野寛成

    ○中野委員 先生のきょうの御答弁等をお聞きいたしますと、言うならばその自分の後輩の、しかも同じ派閥に所属した代議士に実際上は随分と利用をされ裏切られたということになるわけであります。また、先ほどの一億円の問題も、新聞報道によりますと、エレベーターに乗るところまでは森口社長一緒だったけれども、ここから先はわし一人で行くからと言った、こういう報道がなされております。そのとおりだとしますと、エレベーターの中からどこかへ一億円が消え去ってしまったことになるわけでございます。このようなことは、まさに言うならば鈴木先生を初めといたしまして宏池会の多くの皆さんを利用したということになるわけでございます。  こういう状況というのは、ある意味では政界の持ちつ持たれつの性格や企業との関係、そういうことについてついついこう麻痺してしまうというふうな、基礎的なこの日本の政界の土壌みたいなものが、そういう行為、犯罪といいましょうか、それを許すような土壌になってしまっておったのではないかという気持ちが大変強くするのでございますが、最後に先生のそういうことに関します御感想を承れればと思います。
  263. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 おっしゃるような心配が私は本当にあるのではないか。私自身、今回共和事件にこういうような形で巻き込まれてしまって本当に残念だと思っておりますし、それだけに政治家の身を持するにもっと厳しくなくちゃいけない、こういうことを痛感をいたしておるわけでありまして、深く反省もいたしております。政界の方々もこれを機会に、ひとつ政界の浄化と刷新、こういう、もし間違ったことであればそういう風土をひとつ改めるように今後とも御努力を願いたい、こう希望しておるわけであります。
  264. 中野寛成

    ○中野委員 ありがとうございました。
  265. 山村新治郎

    山村委員長 これにて中野君の質疑は終了いたしました。  次に、楢崎弥之助君。
  266. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 進民連の楢崎弥之助です。  御高齢で大先輩の鈴木先生に対して若輩の私どもがこういう形でお伺いするのはまことにじくじたるものがございますが、役目柄御寛恕をいただきたいと存じます。  亡くなった中川一郎代議士は私の九州大学の後輩でありまして、よく知っておりました。——————————————————————お聞きになったことございますか。
  267. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 全然それは存じませんでした。
  268. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 六十一年の総選挙のときに、先生は選挙にはお強い方でしょうから、車なんか、選挙車なんかお乗りにならないと思いますが、共和からお手伝いに来たんではございませんか、選挙の。
  269. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 それはございません。
  270. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 これをお教えをいただきたいんですが、鈴木先生が根幹に自分は触れていないと言う場合、国会は真相を解明するところでございますから、政治的、道義的責任のある議員はその根幹の中には、先生の認識としては入らないわけでしょうか。
  271. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 道義的な問題までお触れになりましたが、本当にこの共和の問題にしても、突如として出てきた問題ではなしに、政治風土の中から生まれてきておるといたしますならば、戦後四十数年にわたって政治に携わってきた私にも大きな責任がある、このように痛感しています。
  272. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 ありがとうございました。終わります。
  273. 山村新治郎

    山村委員長 これにて楢崎君の質疑は終了いたしました。  以上をもちまして、鈴木参考人に対する質疑は終了いたしました。  御苦労さまでございました。御退席いただいて結構でございます。
  274. 鈴木善幸

    ○鈴木参考人 ありがとうございました。
  275. 山村新治郎

    山村委員長 次回は、明二十六日午前十時より公聴会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後二時五十二分散会