○小森
委員 法廷に
関係を持たない私のことですから、運動的には頭へ入れておきましょう。もしそういうものが本当にあるならなぜそのときに出さなかったかという問題が今度は出てくるわけですから、運動的には頭へ入れさせておいていただきたいと思います。
それで、実は地下足袋の問題について、ちょうどその人のお兄さんがとび職をやっておるので地下足袋を履く。おまえが自白しないのなら兄貴だな、それなら兄貴の方へ行こうか、こうやられると、この前も、院内の方の四十人
委員会ができる、あそこで
質問したことがありますけれ
ども、おまえが白状せぬのだったらあしたおまえの家の前へパトカーが行くよ、孫が学校へ行くのに、うちのおじいさん何したのだろうかということになるよ、それてもいいか、こうやられると、軽い罪だったら、おじいさんは孫にそういうところを見せたくないから、それじゃ判を押して帰りますと言って次々に百何十人がうその自白をして、とうとう百何十人まとめてうそだったということがばれて無罪判決になったという事件があったですね。あれと同じように、つまり取り調べのときに、おまえ、これ言わぬのならこうだぞと言って相手に非常に精神的な打撃を与えるようなことをやったら大概往生するのですよ。
だけれ
ども、この場合は死刑とか無期とかになりそうな事件であるのに、どうして地下足袋のことも、いや、兄貴の地下足袋を履きましたというようなことを言ったのかというと、それは兄貴に罪を着せたくないということと、もう
一つは、おまえこれを自白したら、おまえが若いときにけんかをしてどこかで何かやったとか、あるいは酒を飲むなり近所の鶏をせしめてきて、若い者がよくやることですわな、鶏を絞めて殺して食べたとか、傘やあるいはジャンパーを借ったのをおまえは友達に返しておらないなとかさまざまなことを言って、これを全部合わせたら十年以上になるんだよ、それよりはこれ一件で十年にしたらいいじゃないか。法律的知識も何も、小学校三年生ぐらいの学力しかないのだから、ごまかしほうだいにごまかされるわけですね。そういうことで自白をしたと我々は見ています。そうしたら、その自白が非常にあいまいなんだから、客観的な証拠というものを
一つ一つ積み上げて判断をしてもらわなければならぬけれ
ども、今の、女の子を抱えるといったって、雨のしょぼしょぼ降る日に関東ローム層というずるずるするところでできないですよ。
それから、今回は幸いにして
法務大臣が建設
関係の
技術者でありますので私はちょうどよいと思うのですけれ
ども、ある死体を埋めた、つまり土を掘った場所とその大きさというのは、細かい
数字は私は持ってきていないけれ
ども、人間を埋めるのだから、大体二メートルぐらい、ここを一メートル五十ぐらい、深さを一メートルぐらい掘っておるわけですね。そうすると、立方積を出すと、二メートルの一メートル五十で三平米を一メートル掘るのですから、三立米ということになりますわな。それで、割合やわらかい土地ですから能率的に掘れると思うのですけれ
ども、雨の降っていた日なんですからスコップについてどうもならぬと私は思うのです。それがどれくらいの時間帯に掘られたのかというようなことも裁判官は考えていないですよ、記録を読んでみると。掘れた言うから掘れた、掘った言うから掘ったんだろう、こう言うけれ
ども、脅迫状を持っていった時間、殺害の時間、うろうろした時間、あれやこれや全部署り出しておるのですから、それが本当にできるかできぬかということだって考えようと思えば考えられるでしょう。
同じ建設
関係いいましても、
法務大臣は工学博士で、私はスコップを持った人間です。つるはしを使わずに、スコップへ足をかけてずっと入るような土地を掘るのに、つぼ掘りといいまして、一人前の土方仕事のできる、つまり
労働者という意味。昔は人夫と言っておりましたが、丈夫というような意味で丈夫と言っていた。あれは丈夫やと。丈夫というのは、朝から晩まで一立坪、だから大立米掘るのですよ。しかし実際は、単価表へ入れるときには、
大臣、あなたも専門家ですから御
承知だと思いますけれ
ども、大概三立米くらいしか掘らぬような歩掛かり表になっているでしょう。三立米の歩掛かりで請け負った請負師が六立米掘ってくれたらもうけなんですね。だから、大立米掘ったら、二時半に済もうがあるいは四時半に済もうが、きょうは帰れ、出面は一人前つける。これが要するに我々備後の方では小間割りと言って、単純な請負、その日の仕事の請負ということでやっておりましたが、それが掘れるかという問題も
一つありますわな。ずっと判決書を読んでみたら、いろいろ疑問な点はあるが、しかし総じてやったと思われる、これしかないよ。
一つ一つ答えてないよ。
殺し方も、警察の方の鑑定、それはありますけれ
ども、ほかの人は、ほとんどの人がそれとは違う、扼殺ではないと言っておるわけでしょう。それを扼殺。するとずっとずれていって、しまいに扼殺と絞殺の併用であるというように判決の中身もずれていますわな。こうなるとこれは信用のおきようがないと思いますが、どうして
一つ一つの事実を厳密にできないのですかな。
例えば地下足袋は、桑畑のところを犯人が遁走したということに筋書きからなっていますわな。身の代金二十万円を要求した者がおったということは事実で、警察官が何十人か張り込んでおったけれ
ども逃げられた。その足跡を石こうでとったのですけれ
ども、それと
石川一雄の兄貴の地下足袋とは大きさが違うということで問題になった。ところが、駆けて逃げよるときにずっずっとずる、ずったら石こうの型をとるのは大きくなる、こんなことを言っておるわけです。それは確かにそうでしょう。私らもそんなことは経験則で幾らでも経験しております。しかし、そうしたら、裏の山型もついて、福助足袋なら福助足袋、月星なら月星、裏の型までそれと同じように動いておるかどうかということまで
検討しておるのでしょうかね。もうさまざまな疑問点が出てくるのです。
これは刑事補償法に大きな
関係を持つが、人を死刑にするとか無期の判決をするようなことについては特に厳密の上にも厳密を期さなければいかぬと思うが、どうして、いやこれはこう思う、ああ思う言って裁判官の心証にだけ逃げるのでしょうかね。その前に捜査の問題があるわけだが、捜査はどうしてそこらを厳密にしなかったのでしょうか。現に判決の中でも言っていますよ。捜査がずさんであったという非難は免れないと言っておるでしょう。寺尾裁判長、そう言っておるでしょう。その辺のことをちょっと聞かせてください。