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冬柴委員 なぜなのだろうということをいろいろ私なりに
考えてみました。
指紋というのは全く不思議としか言いようがないのですけれども、現在地球上には約五十三億人の人類、人間が住んでいるわけですけれども、その一人一人が違うのだ、万人不同だ、非常に不思議なものです。そして、しかもこれは終生変わらない。もしここがけがで皮がめくれても、またできてきたときには同じ
指紋ができる、これほど不思議なものはない。したがいまして、こういう
指紋を採取するということは、
同一人性を
確認する上におきましては科学的に非常にすぐれていて、これにかわる
手段はないと言っても差し支えないものだと思います。
ところが、一般市民生活の場では
指紋というものが個人を識別する
手段として有効には働いていませんね。銀行で何億の定期預金をする場合でも、預金した人とおろす人の
同一性を
確認しなければいけないわけですけれども、このような有効な
手段があるにかかわらず、
指紋を押してくれとは言わない。むしろ、
署名あるいは
写真あるいはその人の住所、生年月日、時には親族関係というような係累、こういうものを明らかにすることによって
同一性を識別するという
手段を選ばれているわけであって、その
意味では日常生活、このようなすばらしい
手段があるにかかわらず、これが有効に使われないという事実がここにあるということが
考えられるわけです。
そうすると、
指紋というのが利用できるのは何だろうということを
考えてみますと、
指紋をきれいに採取をして、そしてそれを集積して分類して、それから対比鑑識等の能力を備える、こういうような組織体を備えたものしか使えない識別方法だなというふうに思うわけであります。じゃ、それはだれだ。これは国家権力しかありません。無
差別に多くの人から
指紋を採取し、それを集積し分類し、そしてそれを鑑識によって分けるという作業ができるのは国家しかないと思います。また、許されないと思います。したがって、国家権力による特定個人の識別あるいは
管理あるいは把握というためにのみ威力といいますか価値を有するものでありまして、それを離れではほとんど有意性を持っていない
手段だということがわかるわけであります。そのように
考えるわけであります。
そうしますと、
指紋を採取するというのは常に個人と国家権力というものの対峙というような場で行われるということがそこに
考えられるわけでありまして、常に緊張感が伴います。また、これが強制されるという場合には国家というものに対する抵抗感、拒絶感、拒否感というものが起こってきますし、拒否してもなお強制されるという場合にはそれに対する無力感というもの、そういうような心的葛藤というものがそこに生じてくる。その点で
写真を撮られるというのは、ゆえなく撮られることについては拒否反応がありますけれども、案外我々、
写真を撮りたいのだけれどもと言われるとそれに抵抗なく応じる、そこに違いがあるのかな。また、
署名を求められる。これもゆえなく
署名を求められたら拒否しますけれども、何らかの
理由があれば、余り大きな国家
目的とかなくても
署名をすることにはそんなに抵抗はない、そういう本質的な違いがある。だから、自分固有のものを国家に保管されるということに対する何とも言えない屈辱感と言う人もありましたし、無力感ということを言った人もありますし、そういうところからその気持ちというのは出てくるのかなというふうに私なりに
考えてみたわけであります。
〔
委員長退席、星野
委員長代理着席〕
ところが、私はもっと重要なことがあると思うのですね。我々は無意識のうちに、きょうこの場でも
指紋をここに残しています。ここへこう押しただけで、私がここにいたということを完璧に証拠立てられるという性格があります。したがって、一たん国家に
指紋を採取されたという、それが保管分類されてしまったという後には、我々は日常無意識に振る舞っている所在、行いというものが、国家がその気になれば後から完全にその存在証明というものをとられてしまうという、我々ちょっと
考えられないような重大な結果が起こる可能性を秘めている。そういうものに対する不安を我々はいつも
指紋採取というものについて持つがゆえに憶する、そういうものを表白したくないという気持ちが本能的にあるのではないかというふうに思うわけであります。
物の本によれば、投票の秘密ということは憲法上保障されているわけですけれども、一たん
指紋をとられてしまいますと、労をいとわなければ、投票箱に投入されたあれを全部
指紋採取すれば、
冬柴鐵三がだれに投票したのかということを確定することができます、投票用紙から
指紋を採取すればできるわけですから。そういう恐ろしいことすら
考えられるということになりますと、まさにみだりに
指紋を採取されない権利というものは、この最高裁判決の射程距離に入らなければなりませんし、プライバシーの権利そのもの、その
内容になっている、そういうふうに私は思うわけです。したがって、国家はこういうものに対しては慎重でなければならないし、あやふやな
目的での採取は絶対許されないということがわかっているはずです。
それで、私は、こういう
考えの
結論として、
指紋押捺を意思に反しても強制できる場合というのは、
指紋というものを通じて国家が把握しようとする当該個人に関する情報事項というものが
指紋の照合によってしか把握し得ない、いわば代替性がない、そういうものでなければならないんじゃないかなということが
一つ、それからもう
一つは、今挙げた国家
目的以外に少なくともその
指紋は流用されないという保障
措置がとられる、そういうようなこと、この
二つの大きな要件をクリアした場合に初めて意に反して
指紋が採取できるんではないか、こういうふうに思い至ったわけです。これは私の
指紋押捺強制に関する基本的なスタンスといいますか自分の思想といいますか、そういうものであるわけですけれども、
法務省は、この
外国人登録を超えた
指紋採取、余りそういう場面はないわけですけれども、どのようにお
考えになっていらっしゃるのか、この点についてお伺いをしたい、このように思います。できれば
法務大臣、いかがでしょうか。