○正森
委員 今相当長く説明していただいたんですけれ
ども、局長はみなし法人課税に重点を置きながら説明をされたんですが、もちろん事業主報酬というのも大きな論点ですが、私が申しておりますのは、これから
議論いたしますのは、単に事業主だけでなしに、生計を一にする親族に対する労賃の支払いといいますか、自家労賃の問題を、事業主であるなしにかかわらず全般的に理論的に分析するということで
お話をしているわけであります。
今の局長の考え方は、言ってみれば、
個人企業に対しては結局世帯課税ですね。今大きくうなずかれましたけれ
ども。
ところが、それが困るということになったんじゃないですか。考え方としては、理論的な接近の方法と、それから同時に公平性の観点という接近方法も必要であります。例えば、同じ程度の
個人企業でも、法人になった法人成り企業と青色申告企業と白色企業というので余りにも課税負担がアンバランスであることは、それでいいのかという
議論が一方にあるわけであります。例えば法人になれば、社長に報酬を払うのは当たり前の話でありまして、大きく言えば松下幸之助さんなんというのは年間大体十二億円ぐらい配当やら何やらありますし、文字どおり大きな企業のオーナーでありますが、社長在任中は社長としての給与をもらっておられて、だれ一人それに対して疑問に思う者はない。あるいは親族であっても従業員として給料をもらうのは当然である。これは法人としての考え方で当然ですね。ですから、同じような小さな企業でも法人成りでやる、法人になったらそれが認められるのに、法人にならないものは不公平ではないかということで青色申告というようなのが出てまいり、青色申告が出てくれば今度は白色の場合でも一定認める必要があるのではないかということになってきたわけで、物の本によりますとこう言っているんですね。「戦後
個人主義思想が発達し、法人企業とのアンバランスが、いわゆる世帯課税に対して批判が起こってきた」ということを言われた上で、こう言っているんですね。世帯課税というのはシャウプ勧告、あそこから出てまいったんですけれ
ども、「直ちに昭和二十七年の改正で青色申告の場合に限り親族従業員に対する給与の支払いが当時は五万円限度で認められる。その後、昭和二十八年の改正で、あるいは二十九年、三十六年というように改正されまして、十八歳ならどうだとか二十五歳ならどうだとか、あるいはいや、一律二十歳だとかこそれから控除額が種々変わってまいったことは御存じのとおりであります。これは一々言いますと大変ですから省略いたしますが、で、「昭和三十七年の改正で青色事業専従者については年齢を二十歳に引き下げまして、そしてその控除限度を二十歳以上が十二万五千円、二十歳未満は九万五千円、白色事業専従者の控除額は七万五千円」というように、こうなってまいり、さらに昭和四十二年の改正で四十三年からは、青色事業専従者については控除限度額を廃止して完全給与制が認められた、これは御存じのとおりであります。そして、白色事業申告者も順次引き上げられて五十九年に四十五万円ですね。現在が四十七万円というようになっているはずであります。
そこで、そういうぐあいに変わってきた歴史を見ますと、世帯課税というのが、戦後の
個人の尊厳を重んずるという
個人単位の考え方からは、事業主の配偶者あるいは事業主の親族あるいは子供であって生計を一にする者というようなものはあくまで事業主の附属物と見て税法上も世帯課税をするということは、これはいろいろな
意味で問題があるのではないか。例えば年金や健康保険の点でも、自分が独自の人格で給与をもらっているのから比べたら著しく不利な扱いを受けるし、という中で、今言ったような歴史の中で専従者の控除その他が認められてきたと私は思うわけであります。
そうしますと、今回の改正というのは、もちろん青色申告の特別控除で従前のものが認められる点もございますが、ある
意味では、こういう大きな歴史の流れに逆行する面がないとは言えないということを指摘する必要があると私は思うわけであります。
そこで、私が弁護士だから言うわけではありませんが、ここに最高裁の判例があるのです。あるいは主税局も既に御存じかと思いますが、最高裁判所の判例と判例評釈を一そろえ持ってまいりました。それで、これはどういうことを言っているかといいますと、これは最高裁判所民事判例集第二十二巻八号に載っている損害賠償請求事件で、判決の日は昭和四十三年八月二日、第二小法廷でありますが、「企業主が生命または身体を侵害されたことにより生ずる財産上の損害額の算定基準」ということになっている判例であります。
この判例は岡山県の例で、岡山県の畳表の販売等をやっておられた方が自動車事故で死亡なさったわけであります。それに対して第一審の判決と第二審の判決が異なりまして、上告されて、最高裁が結局それに決着をつけたという判例なんです。細かい金額は省略しますけれ
ども、その考え方というのは、畳表をスクーターに乗って一生懸命売り歩くというような全くの
個人経営ですから、それが自動車事故に遭って死んだら、御案内のようにその人が死亡したことによって奥さんや家族が受ける損害額はどれぐらいであるかということになれば、その人が年間どれだけ稼いておったか、余命年数といいますか、労働年数が
幾らあるか、それを弁護士用語でホフマン方式といいまして、中間利息を引いて、それでどのぐらいの額になるかというようなことで判決ができるわけであります。
そのときに一審と二審の判決が違いまして、その人が稼いでおって税務署へ届けたその金額は全部失われた利益だというように見る判決と、そうではない、その人が死んだ後もその仕事を奥さんや皆が引き継いで、御主人が生きておったときから比べると収入はうんと減ったけれ
ども何とかいけた、そうするとその差額がまさにその人が頑張ったことによる稼ぎ分ではないかという二つの見解に分かれまして、結局、最高裁判所は、労務価額説と言うのですが、後の方の、その人が稼いでおった全額ではなしに、その人がまさに労働によって寄与したその額がその人の稼ぎ高であり、それを損害賠償すれば足りるんだという判決を出したんですね。これが、いろいろ判例評釈を見ますと、税務の上で学者が自家労賃をどう考えるかという上でいろいろ引用されているわけであります。
一部読んで見ますので、
大臣も法律に縁のないあれで御退屈でありましょうが、実はこれは専門的に見るとなかなかおもしろいのですよ。判決は「
個人企業は会社企業等と異り、経営者
個人を離れて別個独立の存在を持つものではなく、あくまでも経営者
個人に従属するものであるから、経営者
個人がその企業を通じて挙げ得る利益は総て経営者
個人に帰属し、将来の得べかりし利益の喪失についてもその理を異にしない。」いいですか、大きく言えば、
基本的に言えば主税局長がとっている態度はこの態度なんです。そうでしょう。経営者
個人が稼いたものは経営者
個人で、分離できないんだ、だから特殊な場合にだけ自家労賃をごく少額認めるだけで、あとは全部事業主の所得として事業所得をかけるのが正当なんだという考え方はこういう考え方になるんです。これがこの判決の二審の考え方なんです。
それを最高裁は「原判決の見解は驚くべき非常識なものと言わざるを得ない。」こう言っているんですよ。大分前の話だけど、
日本の最高裁判所は、大蔵省の考えは実に非常識なものと言わざるを得ないと。
蓋し、資本主義経済においては
個人企業といえ
どもその企業の営業上の利益は、企業管理者の智識能力をも含む
個人的労務によるもの、外に資本の活用・資本の利子・老舗・商標権・特許権・営業免許権などによる資本的収益が含まれるのみならず、更に店舗の規模、場所的利益等の物的設備、従業員の智能労務等の人的
組織による各収益が含まれており、これらが全体として有機的に統合結集されて営業的活動をなし営業の全収益を産み出しているものである。
こう言いまして、いろいろ
議論をして、結局その事業主本人が自分の努力によって、自分の経験、特殊なことによって、そして生み出したものがその人の得べかりし利益なんだ。だから、特別にその人が亡くなったために事業がもう全部できぬようになったと、特殊な技能を持っている人もおりますね、そういう場合は別がもしらぬけれ
ども、それ以外はそういうように考えるべきだということで、これを労務価額説と言うのですが、そのことで二審の判決に比べると損害額は非常に減額された。つまり、
個人事業者でもその稼いだものが全部自分の所得だということはないと、こうなっているのです。
で、えらい長くなりましたが、そういう考え方からいいますと、シャウプ勧告来とってきた世帯主単位ということで、自家労賃の、それが事業者本人であろうと、生計を一にする家族であろうと、その労働力寄与分を経費として認めない、所得税法五十六条に明文でそうなっているわけです。そういうのはおかしいんじゃないんですか。法人の場合はそんなもの、オーナーの社長であろうと何であろうともらっているし、自分の長男を働かして、うちの二階に置いておっても、堂々と給料をもらっている。それを
個人企業の場合には引かない。
幾らやっても四十五万、四十七万しか引いてやらないというようなことは、これは新憲法の、世帯が単位ではなしに、
個人が
個人として尊重されるという考えから見ればおかしいんであって、あなた方は、それが不満なら法人になりゃいいじゃないか、青色申告の承認を受ければいいじゃないか、そういう道があるのにやらないんだからそれは白色てしょうがないと言いますけれ
ども、それはそうではなくて、白色が法人になれないには資本の
関係や何かいろいろ理由もあるんだから、法人であれ青色であれ白色であれ、業務形態が相似ている場合には税法上それほど大きな差異のないような手段をとるのが当然じゃないですか。私は外国の法制も調べてみましたが、そこでも、
アメリカ、イギリスその他でも、一定の限度はありますよ、家族の場合には契約書がきちんとしておることが必要だとか、その支払われる賃金が世間の常識から離れたものではいかぬとか、時間が、きちんと働いているとか、そういう条件が書いてあります。
ちなみに言っておきますけれ
ども、それも全部引用しようと思ったけれ
ども時間がないからやめますが、私が今言ったことの理論的な問題は、泉美之松さん、よく御存じでしょう、あなた方の大先輩で国税庁長官が、「税についての基礎知識」という定価三千八百円の本にちゃんと書いておられるんですよ。私はそれを勉強して、ある
意味では受け売りしながら、最高裁判例など若干新しいこともつけ加えて、正森理論で申し上げておるわけで、だからあなた方の先輩も考えておられる
議論を言っておるんですよ。
私は、もちろん今度のこの法案の改正でどうこうしろと言ったって、それは無理でしょう、残念ながら我々も少数派ですし。少数も少数、一人ですからね。ですけれ
ども、やはり高木さんは、中長期的というようなことをさっき言っておられましたけれ
ども、そういう点はやっぱり考えてみる必要があるんではないかというように思います。主税局長は、技術的に今できませんと言われると思いますが、
羽田大蔵大臣、もし弁護士的なわかりにくい
議論も一部はおわかりいただけたとすれば、判例が難しいのはよくわかっておりますし、御感想などお伺いして次に移りたいと思います。