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畚野参考人 予算執行面で、私
たち研究といいますのはやはり弾力的な運用がどうしても必要であるといつも
考えております。
二年ほど前に、一年半ほどになりますか、
科学技術庁の
科学技術政策
研究所が、
民間の
日本の有名な大企業、典型的な企業十
幾つかのそれぞれの
研究部門の
責任者、例えば
基礎研究所の所長さんであるとか
研究推進本部長だとか、そういう方を一人一人呼ばれまして講演あるいはヒアリングという形で
意見を聞かれまして、それをまとめられた報告書がございます。その中で、
民間企業が最近
基礎研究も進めてきていると。これにつきましては、
民間企業が
基礎研究をやるについてはそれなりの目的がありまして、将来いずれは
自分たちの商品に結びつくであろうというところで必要な
基礎研究をやっておられるわけでありまして、かつてはそこの
部分は技術導入でやっておられたのですが、それが認められなくなった、あるいは
民間企業に体力が出てきたということでやっておられるわけでありますが、それを進めるについてどういうことを注意しておるかということを
幾つかの項目を挙げておられます。その中で、例えば「創造的
研究に重要な項目」ということの中に「予算運用のフレキシビリティーを確保する」というのがございます。
それで、
現実の問題としまして私
たちの場合について申し上げますと、今御
質問ありましたように、現在の会計法規が予算費目非常に細分化しております。
一つ、これも私
たちの
研究所の例を挙げまして失礼なんですが、私
たち、先ほど申し上げましたように情報通信関係の
研究をやっておりまして、特に御承知のようにNTTの民営化以後、有線
分野も含めて全部カバーする
責任が出てきております。予算、要員等について手当てがないものですから、非常に
責任だけがふえて非常に苦しい状態であるわけでありますが、それは別としまして、そういうことで通信のネットワークの
研究もやっておりますが、これには外部のいろいろな
機関と共同で
研究をやるわけであります。
ここで、今からいいますと一年半前、平成二年の十月ごろですが、その
研究の
計画を進めております中で、通信の専用回線を借りなくちゃいかぬということがわかったわけであります。十月という時期も悪かったのですが、十月というのはもう既に、当時は平成二年でありますが、平成三年度の概算要求を出した後でございます。ところが、この専用回線を借りるには、通信専用回線料という項目で予算を要求して認めていただかなくちゃいかぬ、普通の電話料からはもう払えないというのが現在の予算
制度でございまして、したがいまして、平成二年の十月にそれがわかったわけですから、平成三年度の予算に間に合わない、平成四年度からしかない、一年半後しか
研究がスタートできないというような状況に陥ったということであります。
そのほか、例えば旅費でございます。外国旅費が少ない。これは私
たちだけではなくて
大学の先生方も皆おっしゃるわけでありますが、例えば私
たちの
研究所は、先ほど申し上げました九十
幾つの
国研の中で大きい方から、比較をするパラメーターによりますが、五番から八番程度のところに入っておりますが、職員が四百三十人ほど、そのうち
研究者が二百八十人ほどでございます。この中で一年間に、毎年郵政省から国の旅費で認めていただいて外国の学会で発表できるのは十件足らずでございまして、いわば一生に一回行けるかどうかということになります。
これは行政の方とは違いまして、
研究というのは、外国の権威のある学会で発表するというのは
研究の
一つの締めくくりあるいはエポックでございまして、ここで成果を発表しないと
研究のプライオリティー、優先性を主張できないことになります。そういう
意味で、もしここで発表の機会を失いますと、それまでにその
研究にかけました費用とか
努力というのが全部むだになる、外国のあれになる。これは具体的な例は、例えばオゾンホールの問題なんかでもやはりそれに似たような例がございまして、あれは
最初は
日本の
研究所がデータを手に入れたわけでありますが、今はイギリスが発見したというようなことになっているというようなこともございまして、そういうようなことがいっぱい起こる。そういう
意味で私
たちは、この外国の学会で発表するような旅費というのは、
研究費の中の一部では当然あるべきだと思っております。
さらに、私が
最初申し上げましたように、特に
研究者の意識の
改善、改革、資質の向上をやっている。したがいまして、中での
処遇も今までと違うやり方をやっております。すなわち、成果に基づいてその評価をやって、
処遇もそれに大きく基づいてやる、いわゆる成果主義でございますが、ところが、おまえは成果が上がっておらぬじゃないか、いや、発表の機会が得られなかった、なかったというような言いわけすらできるというようなことで、非常にやりにくいのでございます。
この際、ちょっと申し上げさせていただきたいのですが、
研究と行政というのはいろいろな
意味でカルチャーが違います。違ったやり方をしないと効果は上げられないということでございます。
研究の方は行政と違うわけであります。
ところが、例えばこの予算のやり方
一つとりましても、外国は非常にフレキシビリティーのあるやり方、年度を繰り越すようなこともできるし、それから、例えばオーストラリアなんかではワンポケットになっております。予算は全部
一つ。その中でどういうふうにでも使える。これはアメリカとか欧米の先進国でも、やはりそれに近い仕切りがありましても非常に大ざっぱでありまして、ちゃんとした理屈が通れば、お互いにそれをクロスして使うことができるような形になっております。
ところが、
日本の場合、先ほど申し上げましたように費目が非常に細分化されておりまして、これは誤解を恐れずに申し上げますと、極端な言い方をしますと、
日本は、私
たちの
研究はもうすべて行政のシステムで動いている。なぜかというと、
日本にはかっては本当の
意味での
研究がなかったのではないか。したがって、いろいろなひずみを抱えながらも、行政のシステムで
研究をやってきたような形があった。しかし、やはり一番初めに申し上げましたように、
日本の
研究そのものが変わることが求められて、本当の
研究をやらなくちゃいかぬということで今矛盾が噴出し始めているのではないか。今やはりそういうことについて
考えていただいて、これを
改善する方向へ持っていっていただきたいというのが希望でございます。