○
鈴木貞敏君 朝来、非常に多角的にいろいろの論議がございましたけれ
ども、まず、
大臣、御
就任おめでとうございました。
食糧供給地域としての同じ東北県人として御
就任になって大変心強く、これからの御奮闘を心からお祈りいたします。
率直に言いまして、今、
日本農業は、大化の改新、廃藩置県あるいは戦後の農地解放、それに続く第四のシュトルム・ウント・ドラングのそういう非常に激しい変化の時代に来ているということ。第一次産業のあらゆる部面がそうなのかなというふうな
感じでございますけれ
ども、朝来の非常に深刻な、あるいは真剣な討議を聞いておりまして感ずることは、私も長い間治安
関係にずっとお世話になっておったわけでございますけれ
ども、
日本の治安というのは非常に高水準にある、一体その理由は何だということを
外国人によく聞かれました。
そこで、私なりに、それは島国であるとか警察制度がいいとか、全国一本の法律であるとか、あるいは警察に対する民間の協力、防犯とか交通とか、いわゆるボランタリーなそういう組織というのが非常に強力である。あるいはまた、ガンコントロールとか麻薬に対する取り締まりとか、そういう先制的な取り締まり、こういったものが行き届いているということなどいろいろ挙げられるわけですが、最大の理由は、やはり
日本民族というものが農耕民族である。水と土地というものを
中心に、そこに集落を築き、そこに連帯性を持って、社会帰属意識というものが非常に強い。そういう
一つの精神構造といいますか、そんなところがあずかって
日本の治安のよさを支えている最大の理由なんじゃないかというようなことを
外国人等に申し上げると、うん、なるほどそうかというようなことでうなずかれたような経験が多いわけ。でございます。そんな経験を踏まえて、
日本人である人はだれでも
日本の農村、
農業を何としても守っていかなくちゃならぬというのは、これはもう何人も異存がないわけでございます。
そういう中で、朝来の御
議論のように、今、
日本がまさに
ウルグアイ・ラウンドで、最大の輸入国であり、
基礎的食糧的なそういう持論で、肉弾三勇士と言ってはなんですが、やっている。そういうときに、
日本のそれをサポートしてもらいたい、また、もらうべき
立場のマスコミが何で挙げてそういう
政府の
方針なりをサポートする
立場に立たないのであろうか。私も大変これは奇異な
感じでございまして、相当その面の
議論が朝来からあったわけでございますけれ
ども、私なりに、これは戦後の経済原則一辺倒主義というか、あるいは利益追求一辺倒主義というか、そういったものの潮流というか、そんなものにすべてが流されておるのかなというふうなことを
考えてみたり、あるい、はまた一面において、
日本人の勤労観というか、労働観といいましょうかを私も改めて
考えてみました。
大正十四年ぐらいに出ました「
代表的
日本人」という中で、内村鑑三が
日本の
代表的人物として二宮尊徳を挙げているわけでございます。これは農政の聖人として挙げているわけです。そのほか、学者は中江藤樹であり、軍人は西郷隆盛であり、あるいは宗教家は日蓮というようなことで、五人の人を挙げているわけですが、この二宮尊徳が、私も小学校時代に二宮尊徳の銅像とともに育ったという年代でございますけれ
ども、改めてこれを見ますと、小田原藩で農政改革をやった。封建時代ですから、今に当てはめたら古いことを言うなと、こういうことでございますけれ
ども、しかし、ここで内村鑑三が訴えているのは、まさに農民の愛と勤勉と自助ということを非常に強調しているわけですね。要すれば一言、「金銭を與へ租税を免除するは、彼等の困窮を援助するの途ではない。」というふうなことを殿様に綿々として訴え、農民にいかにしてやる気を起こさせるか、その手だて等も書いておる。これを英文で全国に配ったわけですね。その際、
代表的
日本人として二宮尊徳というものが大正時代に世界に知られた。こういうことであろうかと思うわけでございます。
そういう面での勤労観というものが、三Kとか七Kとかいうものを含めて、先ほど
大臣の言われた物の豊かさという中においてお米のありがたさなり
農業に対する感謝の気持ち、こういったものがどんどんなくなっていく。新嘗祭、神嘗祭なんというのは何か皇室のどこかでやっているというぐらいの感覚で、勤労感謝の日というものに一般化されてしまっておるということを含め、すべて歴史というものが、口では農は国の基と言いながらも、そういうものはどんどん変わっていく。そこには
一つの大きな精神構造の変化があるのかなというふうなことも
感じます。
また一面において、
農業の自己完結化といいますか、例えば経済
団体がたくさんある、産業としての
農業であればそこに参加して、一緒に窓口を開いて、どんどん生産者め
発言がそこに出てきてしかるべきなのに、何か
一つ完結して独立しているというようなところにおいて共感性が浮かばない。そこでマスコミも、
農業団体なり生産者に対する
理解というものは非常に薄いんじゃないかというふうなことを
感じたり、あれやこれや、何でこんなに
日本のマスコミが、しかも世界最大のマスコミ王国と言われる
日本で、挙げてあらゆる新聞が歩調をそろえてこんな論調になるのはどういうことかと。
もう長い間ウルグアイで
日本の
主張を掲げておる。しかも
田名部大臣も、
大臣の
発言として、世界最大の
食糧輸入国である、自給率は先進国中最低であるということ。最大の
課題である
輸出補助金、これの撤廃なくして国内支持の削減は受け入れられない。さらにまた、
基礎的食糧であり、生産調整をしている農産物の
関税化は受け入れられない、負担を負う輸入国が受け入れられるような
内容にすべきだと。ある新聞には、系統立てて
大臣のその
主張もちゃんと書いておる。しかし、残念ながら中央紙はそういう系統立てたことは何も書いていない。むしろ
自由化、
自由化の線に沿った記事だけが、ある
意味においては針小棒犬に、ある
意味においては先ほど来の論議のように、どうもそっちだけにウエートを置いたあれで書いておるということでございます。これは非常に長い長い
一つの下地のもとにそういうふうになっているだろうと思いますけれ
ども、
大臣は何がどうなのかわからないというふうな御
発言も先ほどお伺いしたんですが、マスコミはむしろ
日本の国益を守る、あるいは農村、
農業を守るという
立場から大いにサポートすべきなのに、一体何でこんなになってしまったかということを
大臣はいかにお
考えでしょうか。