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1991-11-21 第122回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成三年十一月二十一日(木曜日)    午後一時一分開会     ―――――――――――――   委員氏名     会 長         中西 一郎君     理 事         尾辻 秀久君     理 事         下稲葉耕吉君     理 事         赤桐  操君     理 事         和田 教美君     理 事         立木  洋君     理 事         粟森  喬君     理 事         猪木 寛至君                 井上 吉夫君                 大城 眞順君                 加藤 武徳君                 沓掛 哲男君                 木暮 山人君                 田村 秀昭君                 永野 茂門君                 成瀬 守重君                 野沢 太三君                 林田悠紀夫君                 宮澤  弘君                 一井 淳治君                 翫  正敏君                 角田 義一君                 細谷 昭雄君                 三石 久江君                 矢田部 理君                 山口 哲夫君                 山田 健一君                 黒柳  明君                 上田耕一郎君                 井上  計君     ―――――――――――――    委員異動 十一月十二日     辞任         補欠選任      下稲葉耕吉君     片山虎之助君 十一月十三日     辞任         補欠選任      片山虎之助君     下稲葉耕吉君 十一月二十日     辞任         補欠選任      一井 淳治君     吉田 達男君 十一月二十一日     辞任         補欠選任      山口 哲夫君     喜岡  淳君      吉田 達男君     一井 淳治君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     会 長         中西 一郎君     理 事                 尾辻 秀久君                 大城 眞順君                 赤桐  操君                 和田 教美君                 立木  洋君                 粟森  喬君                 猪木 寛至君     委 員                 井上 吉夫君                 沓掛 哲男君                 木暮 山人君                 下稲葉耕吉君                 田村 秀昭君                 永野 茂門君                 成瀬 守重君                 野沢 太三君                 林田悠紀夫君                 宮澤  弘君                 一井 淳治君                 翫  正敏君                 角田 義一君                 細谷 昭雄君                 三石 久江君                 山田 健一君                 上田耕一郎君                 井上  計君     事務局側        第一特別調査室  下田 和夫君        長     参考人        筑波大学教授   進藤 榮一君        静岡県立大学教  毛里 和子君        授        一橋大学教授   山澤 逸平君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○参考人出席要求に関する件 ○外交総合安全保障に関する調査  (「九〇年代の日本役割-環境安全保障の  あり方このうち安全保障あり方について)     ―――――――――――――
  2. 中西一郎

    会長中西一郎君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  本日、山口哲夫君が委員辞任され、その補欠として喜岡淳君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 中西一郎

    会長中西一郎君) 理事補欠選任についてお諮りいたします。  委員異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 中西一郎

    会長中西一郎君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事大城眞順君を指名いたします。     ―――――――――――――
  5. 中西一郎

    会長中西一郎君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  外交総合安全保障に関する調査のため、本日の調査会筑波大学教授進藤榮一君、静岡県立大学教授毛里和子君及び一橋大学教授山澤逸平君を参考人として出席を求めることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 中西一郎

    会長中西一郎君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ―――――――――――――
  7. 中西一郎

    会長中西一郎君) 外交総合安全保障に関する調査を議題といたします。  本調査会は、「九〇年代の日本役割-環境安全保障あり方こをテーマとして調査を進めてきておりますが、本日はこのうち、安全保障あり方について参考人方々の御意見をお伺いし、質疑を行います。  本日は、参考人として筑波大学教授進藤榮一君、静岡県立大学教授毛里和子君及び一橋大学教授山澤逸平君に御出席をいただいております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人方々におかれましては、お忙しい日程にもかかわりませず本調査会に御出席を賜りましてまことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。  本日は、安全保障あり方につきまして忌悼のない御意見を伺いまして、今後の調査参考にいたしたいと存じております。よろしくお願い申し上げます。  議事の進め方でございますが、まず、進藤参考人毛里参考人山澤参考人の順序でそれぞれ三十分程度意見をお伺いいたします。その後、午後五時ごろまで二時間三十分程度質疑を行いたいと存じます。  なお、意見の陳述、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、進藤参考人に御意見をお述べいただきたいと思います。進藤参考人
  8. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) 世界は非常に新しい世界に入っているというのが私の安全保障に対する基本的な考え方前提にございます。  恐らく、あと数年して我々が直面するであろう、我々が手にするであろう二十一世紀というのは、十九世紀的な世界とも違う、二十世紀的な世界とも違う、全く新しい世界になるだろう、そういうふうに考えます。確かに、今世界の各地でさまざまな紛争が起き、さまざまな混乱が生じております。しかし、恐らくこの紛争にしろ混乱にしろ、そういった一連のいわゆる一九八九年の東欧ソ連革命以来続いている今日の事態というのは、国際社会における地殻変動あらわれにほかならないというふうにとらえてよろしいかと思います。  時間が非常に限られておりますので、なるべく簡単に申し上げたいと思いますが、大きく言って私はきょう三つのことを申し上げたいと思うんです。  一つは、地殻変動の持っている意味でございますね。今の国際社会を揺るがしているさまざまな出来事、これは一体何なのかということをとらえるときに、私ども国際社会表層部における、表面における変化としてとらえるべきではなくて、根底から国際社会が変わり始めているそのあらわれなんである、そうとらえていきたいと思うんです。そうとらえることなくして、恐らくこの後毛里先生が御説明なさる天安門事件にしろあるいはペレストロイカにしろ、東欧革命にしろ中東危機にしろ、ここ数年立て続けに目まぐるしく起こっている一連事態の説明は不可能であるというふうに考えます。それは先ほど申しましたように、十九世紀的、二十世紀的な近代的な世界からの離脱である、新しい世界を今我々は手にしているんだというふうに考えていいと思うんです。  それじゃ、その新しい世界は一体何であるのかという問いかけに対して、私はこう答えることができると思います。  第一に、それは帝国終えんしつつある時代なんだろうと。帝国終えんというのは要するに、巨大な国家が地理上の版図を広げてそこに支配権を確保し、そしてそこから利益を収奪していく、利益を手にしていくという、そういった巨大な帝国時代がもう終わりに来ているんだろう。あるいはヘゲモニーの終えんであるというふうに申し上げてもいいと思います。その根底には何があるのかというと、やはり軍事力自体意味を持たなくなってきたんではないのか。いや、たまさか意味を持っても、それは極めて限定的な意味しか持ち得ない時代になっているというふうにとらえていいと思います。これが一つです。  二つは、そこに当然、なぜそれじゃ軍事力意味を持たないのかという問いかけが出てくると思うんです。依然として軍事力を持っているというとらえ方もあると思います。そして私もまたそれに同意します。しかし、同意するにもかかわらず、やはり軍事力の持っている意味の相対的な比重というのは極めて低くなり続けているんだというふうに申し上げていいと思うんです。  第一に、やはり諸国家間の相互依存関係が非常に密になってきているということだと思うんです。ある国がある国に対して人質をとり合う状況、これが今日の世界現実だと思うんです。これはかって吉田茂首相側近たちに繰り返し繰り返し語ったことで、私はその側近方々からお聞きしているんですが、パールハーバー・アタックは、もし日本アメリカ資本を受け入れでいたならば真珠湾攻撃はなかったろう、あるいは少なくとも日米開戦はなかったろうということを彼らは言い続けるんですね。この現実は何かといいますと、要するに、アメリカ資本日本にあって、日本がそのアメリカ資本人質にとっているような状況のときにアメリカ日本を攻撃することはできないだろうと。この吉田の戦後語り続けた言葉意味というのは今日現実化しているだろう。物と金を軸にして国境の壁を越えて、例えばアメリカ資本あるいはアメリカの物が日本に次々に流入してきている。しかも、それが単に金の形態である投資に関しましても、投資形態自体がかつてのように証券投資ではなくて直接投資になっている。丸ごとアメリカの工場が日本にやってくる、日本の日産自動車がアメリカにやっていくという事態。このこと自体日米摩擦をいかに厳しくしても、日米摩擦がどんなに険悪になっても第二の真珠湾攻撃はあり得ないということを私どもが断言できるゆえんであります。相互依存の深まりという言葉で私どもは呼びます。  相互依存があるいは相互依存という言葉自体がもはや不適切になるくらい国家間の壁の低さ、諸国家間の物と金と人と情報とテクノロジー、この相互交流の波を断ち切ることがリスクを伴うほどの膨大なコストを伴う事態に今日至っているんだと。それゆえに、例えばアメリカ日本に対して対日貿易赤字を減少するためとか、あるいは米開放を迫るために軍事力を行使するという、かつてだったら十分考えられた事態が今日考えられない事態になっていますね。同じことが日本に関しても言えます。フランスドイツがかつてあれだけ仇敵の仲であって不倶戴天の敵であったにもかかわらず、今日フランスドイツ戦争できなくなっている、戦争するということ自体が想定不可能な状況に至っているというヨーロッパの現実はそのことを示しているというふうに申し上げていいと思います。  二つ目軍事力の持っている役割が相対的におびただしい低下を示さざるを得なくなったということの理由は、軍事力を持てば持つほど経済力がなえていかざるを得ない、経済力が衰退していかざるを得ないという現実があるんですね。  これはなぜなのか。一つは、軍事力の性格の変化です。軍事力自体技術資本集約型のものに変わっているわけです。膨大な技術を食う。膨大な資本を食う。例えば技術に関して言えば、RアンドDという、リサーチ・アンド・デベロプメントという研究開発費によって軍事力に占める技術力の、技術投下技術係数というものをはかることができるわけですけれども、一九三〇年のアメリカの全国防予算におけるRアンドDの比率というのは一%しかございませんでした。朝鮮戦争を境にしてそれが一〇%を超え、今日二〇%になっている。アメリカの全RアンドD費の七割が軍事費に向かっている。フランス、イギリスが四割から五割、西ドイツが二割内外、日本は一〇%までいっていません。このこと自体日本経済発展を支えた平和国家の理念であることは疑いない。低武装国家自体日本経済発展を支え、アメリカがどんなに頑張っても日本に勝つことができない、少なくとも経済的技術競争においては勝つことができないという現実を引き出している軍事力の質的な変化です。  さらにつけ加えて言えば、産業構造が変わりました。長大重厚型の産業構造から軽小短薄型産業構造に変わるわけです。第二次産業革命の軸でありました重厚長大型産業構造からハイテク型の産業構造への変化軍事力にも及びます。そうすると、その結果、軍事力自体基幹産業から離脱していくという現実が出てくるわけです。そのことが再びアメリカをして基幹産業部門における衰退というものを引き出していかざるを得ない。  そしてさらに、第三に言えることは、軍事力の持っている限界というのはやっぱりナショナリズムですね。ナショナリズムの強さというのは十九世紀、二十世紀的な世界とは全く違った状態になっているというふうに申し上げていいと思うん です。  私がこういうふうに申し上げできますと、それじゃ進藤先生湾岸戦争はどうだという御反論が出てくると思うんです。しかし、これは現実を見誤っていますね。一つは、湾岸戦争軍事力が、ハイテク兵器が非常に威力を持った持ったとCNNプラスNHKあたりで、あるいは日本テレビ網が連日連夜パソコンゲームさながらの画面を茶の間に持ち込んでいるわけですけれども現実はどうであったのかということを見てまいりますと、必ずしもあそこでハイテク兵器威力を持ったというふうに言えないですね。  これは、最近アメリカで明らかになり始めている。例えば私の手元にある、これはほかからの引用なんでございますが、アメリカの議会でマサチューセッツ工科大学のポストル教授イスラエルの資料をもとにして米下院軍事委員会で明らかにしたところによると、一月十七日、十九日、イスラエルアメリカパトリオットミサイル、もうこの名前はテレビでおなじみだと思いますけれども、このパトリオットミサイルを配備する前と後を調べるわけです。これはイラクスカッド攻撃用ミサイルです。スカッドミサイルに対してアメリカは一月十九日にパトリオット地対空ミサイルを配備するわけですけれども、この前と後で一体テルアビブにおける地上の被害はどうであったのかということの数字が出てまいっているんです。  死者に関して言えば、配備される前はゼロ、配備された後は一人。負傷者に関しては百十五人対百六十八人。つまり配備される前は百十五人、配備された後は四割増の百六十八人。アパート損壊、これは家屋ですね、家屋損壊に関して言えば二千六百九十八戸対七千七百七十八戸。これは約三倍です。一体パトリオットミサイルがどれだけ威力を持っていたのかということの虚像がここに明らかになっているというふうに申し上げていいと思うんです。  それじゃ、単純な質問で、なぜパトリオット威力を持たなかったのかということになるかもしれません。テルアビブ上空パトリオットスカッドが撃ち合いますと、撃ち合った弾丸の残骸が下の市街地へ落ちてくるわけです。その結果、逆に負傷者が五〇%ふえ、アパート損壊率が三倍から四倍にふえたという現実を我々は手にするわけです。ハイテク兵器威力を我々は過大評価すべきでないということが第一点です。  第二点に関しましては、一体なぜアメリカが二月の二十八日に停戦を行ったのかという疑問でございます。地上戦を一週間そこそこしか戦っていないわけです。なぜそうなのか。それともう一つ単純な疑問は、中東アメリカがあれだけ勝った勝ったと。確かに四月の上旬、あるいは三月から四月にかけて私もちょうどメキシコ、アメリカにおりましたけれども、あの時期アメリカは、それこそもうパレードもやりまして大変な勝利の、ユーフォリアという言葉がはやりましたが、勝利陶酔感ですね。日本を撃退して以来の、正確に言うと八月十五日以来の勝利陶酔感に浸っていたアメリカであったわけですけれども、それから半年たった後の中東状況はどうなのかという単純な疑問が出てくるわけです。  何も変わっていないですね。フセインはあそこにおります、依然として。確かにクウエートからフセインの軍隊は撤退しました。しかしそれ以外は何も変わっていません。いや、変わっていないところか、逆にイラク国内中東状況はもっと混迷の度を深めているというふうに、あるいは紛争の度合いを深めているというふうに申し上げて差し支えないと思うんです。  これはなぜかといいますと、一つは、あそこで地上戦を戦ったらアメリカはとてつもない泥沼へ入っていかざるを得ないという現実があるわけですね。ジャングルの戦争ではなくて砂漠の上の戦争、しかも三月十七日のラマダンを境にして中東ナショナリズムというものが燃え上がります。気候状況変化によって地上砂漠の上の温度が五十度を超えるという、これは軍靴が溶けてしまうんですね。第三世界、遠い世界における戦争先進国は戦えないという現実が明らかなんです。だからこそ地上戦一週間余りで停戦したんではないのかという当然の結論が出てくる。そして、だからこそブッシュクルド族反乱を唆し、イラクサダムフセイン権力基盤を内側からそごうとしたんだという当然の結論が出てくるわけです。あるいは、だからこそシーア派反乱を逆に唆し、イラク内に内紛状況を起こしていこうとするブッシュの対イラク戦争湾岸戦争戦略が出てくるわけです。  しかし、御承知のように、湾岸戦争事態戦争前と後とでは逆に混乱の度を深めているとしか言いようがないと思いますね。少なくともパレスチナ問題が解決されない限りベーカーの和平交渉は失敗するでしょう。今、新聞に和平可能の記事が出ておりますけれども、私は、この条件が撤去されない限り、つまり第三世界ナショナリズム先進国の側が積極的に容認するという、アメリカ国内におけるユダヤ票を無視してもなおかつパレスチナの独立を認めるというこの一線が貫かれない限りこれは不可能です。インポシブルヘの挑戦を行っているというふうにしか言えません。  そう申しますと、湾岸戦争で一体アメリカは勝ったのかどうなのかという単純な疑問が出てくるわけです。逆に言うと、じゃなぜ湾岸戦争に踏み切ったのかというもう一つの疑問が出てくるわけです。これは最近さまざまな箇所で明らかになっていますし、かつて私も論文に書いたことですけれども湾岸戦争アメリカはもうイラククウエート侵攻を全部知っているわけですね、AWACSその他によって。これは当時既に開戦前からインテリジェンス・ニュースその他で報道されていることなんです。そして、グラスピー駐イラク大使がそのことを繰り返し繰り返しイラクフセインから通告されていたにもかかわらず、自分たち経済制裁すらイラクに対して行わないということをブッシュ言葉としてイラクサダムフセインに言明しているわけです。要するに、侵攻を誘ったという現実は消えませんね。  そうなりますと、一体何のために中東戦争が戦われたのかという極めて単純な疑問が出てくるわけです。歴史文書が解禁されておりませんし、私どもの推察というのはあくまでも幾つかのアンノーンファクターを組み込んだ形での結論へと至らざるを得ないわけですけれども、ともかくただ一つはっきり言えることは、第三世界における戦争というのはハイテクによって勝つことというのはなかなか難しいだろう。恐らくアフガンでソ連が負け、ベトナムでかつてアメリカが負けたと同じょうに、中東戦争でもアメリカは勝つことができないという現実があるというふうに申し上げていいと思います。  さて、そういった国際社会変化というものを前提に見てまいりますと、私は今や軍拡競争時代から軍縮競争時代へと入ったというふうに申し上げて差し支えないと思うんです。領土を持ってそして安全保障を確保するという考え方自体がもう現実のものでなくなったのです。なぜかというと、例えば日米安保にしろNATOにしろ、その同盟体制前提であった仮想敵国がなくなっちゃったわけですよ。ソ連という国自体がもうなくなりますね、消えつつある。もちろん、中国脅威だって、これは毛里先生がお触れになることかもしれませんが、中国日本に対する脅威だって考えられないです。  この間、外務省文書が解禁されまして、一九五五年高碕達之助氏が周恩来と会見したとき、周恩来はこういうふうに高碕達之助に言うんですね。あなた方は中国脅威としているけれども一体高碕さん、中国に船が何隻あることを御存じですかと言うんです。船は一隻もありませんよと。軍艦という言葉じゃない、船という言葉なんです。船が一隻もないのにどうして日本を攻撃できますかと言うんですね。  私が見るところ、日本安全保障政策というのは基本的に架空脅威の上につくられてきたというふうに申し上げて差し支えないと思うんです。 しかし、架空であっても、意識の上にそれが脅威と感じられている限り一定の軍事力保障というものがなければいけないという論理が成り立つと思うんです。それは認めた上で、なおかつ脅威自体が、ソ連脅威がなくなった、中国脅威もなくなった、それなのになぜ日本軍拡を続けるのかという単純な疑問が出てくるわけです。なぜ、戦闘機のF15を百七十七機も買い続けようとするのか、これは一機百億しますからね、一機百億の兵器を百七十数機買い続けるこの単純な外交における愚かさというんでしょうか、愚行というんでしょうか、その現実が見えてくると思うんです。意味ありませんね。  NATOはもはや現実を変えて、これもまた転型期にあってもうコメコンが、ワルシャワ条約機構がなくなりましたから、NATO自体戦略体系を変え、戦力構造を変え、そして軍縮を続け戦術核を八〇%まで削減するという方針へと転換しているわけです。しかも、恐らく私の見るところ、NATOの中にこれからソ連が入るでしょうし、旧ワルシャワ条約機構国が入ってくるという事態になってくると思うんです。ということは、敵のないNATOができ上がるだろうと。それなのになぜ日米安保にしろ何にしろ架空の敵を前提にして、虚構の敵の脅威前提にして日本安全保障政策を考え続けるのかという非常に時代おくれというのか、何かET的な、過去に向けてのバック・ツー・ザ・フューチャー的な発想が日本の政治、外交に強過ぎるというふうに私は思います。  核問題というのは、これから非常に大きな問題として出てくると思います。例えば北朝鮮の核、これは非常に危険なものです。これは核開発進行中であるというふうに見て差し支えないと思うんです。ですから、これに対してさまざまな外交交渉を通じてこの核の開発をはっきりと阻止するというその一点は私は外交の基軸に据えて構わないと思うんです。にもかかわらず、それじゃ一体なぜAWACSをまた買おうとするのか、かぜ当然北朝鮮あるいは沿海州を射程に入れることのできるF15を百八十機も持ち続けるのか。湾岸戦争のときに、海部さんはこれを八機さらに買うことをアメリカ側に約束し、機種の増大へとつなげているわけですけれども、なぜそういうことをするのかということです。日本外交安全保障政策には哲学がないというのか、哲学がないんではなくて政策自体がないんじゃないのかというふうに思います。これはやはり憂うべきことではないかというふうに申し上げていいと思うんです。  さまざまなことを申し上げてきましたけれども、最後に二つほどつけ加えさせていただきたいと思うんです。  ソ連をめぐる意味づけに関していろんな見方があります。私は、もうソ連共産主義体制というのは終えんしたというふうに見ます。共産主義は終えんし、マルクス・レーニン主義型の社会主義というのは歴史の使命を終わったというふうにとらえていいと思うんです。なぜそれじゃ歴史の使命を終わったのかというと、これはやっぱりソ連社会が西側と同じような社会に変わってきたというふうに見ていいと思うんですね。私のこの小さなエッセーの中に書いてありますので、時間が限られておりますからこれをお読みいただければいいと思いますが、まあ一言で言うと、ドストエフスキーの時代は終わったんだと、あるいはかってチェーホフに我が国は西ヨーロッパに比べて二百年おくれていると言わしめたあのロシアの農民人口八割を抱え、文盲、非識字率七割、八割に達している、高等教育がほとんど普及していないおくれたロシアが過去のものになって、あすこにもまた西側社会と同じように、我々と同じような形の市民社会が登場し、そのこと自体が一党支配体制は、後衛と前衛の差がなくなるわけですから、なくなった段階にあって前衛党は役割終えんせざるを得ない。だからソ連国旗というものは変わらざるを得ない、労農国家でなくなるわけです。  これは、ブルーカラー層がいわゆる鉄の鎖以外失うものもないと言われた未熟労働者はもう極めて少数派になって、やはり多数派のホワイトカラー層であり熟練労働者であるという事態、農民人口が一九%を切るという事態、こういった状況の中でいわゆるかつての労農国家終えんし、そして農村型社会から都市型社会に変わり、市民社会が登場した段階にあって一党支配は終えんし、中央指令型経済システムは終えんせざるを得ない、市場経済の導入だと。ですから、この流れというのはもはや不可逆的なものだというふうにとらえていいと思うんです。つまり、内側からする変化ですから。これが地殻変動意味だというふうにとらえていただいていいと思うんです。  しかし、だからといって資本主義の勝利だというふうにとらえるのは極めて皮相な見方でありまして、それじゃ資本主義の総本山であるアメリカがそれだけ栄えているのかというと、御承知のようにリセッションに入りておりますし、それから三百万のホームレスを出しておりますし、軍拡は依然として質の軍拡を続けているような状況にも一方でございます。そういったことを見ますと、私どもは総じて新しい世紀の到来に対して、新しい時代の到来に対して十分な時代変化の読みをし切っていないんではないのかというふうに思うんです。  この後、山澤先生がアジアNICSの話を御説明なさると思いますけれども、アジアNICSの場合も韓国を含めて内側からする市民社会の登場です。このことが技術力を強め、経済力を強め、一党独裁体制を崩壊させているんだ、崩壊させようとしているんだというふうにとらえていいと思うんです。新しい世界です。  東西関係という、東西対立という言葉自体がなくなりました。恐らく南北関係という言葉もかつてのような形ではもう使えなくなる時代が到来しているというふうに申し上げていいと思うんです。軍事力はその役割を極めて少なく、限りなくミニマムなものにしていかざるを得ない時代へと突入している。軍拡競争時代から軍縮競争への時代へ突入している。アメリカソ連も、西欧諸国が軒並み軍縮を続けている状況がある。むしろ、内向きに国内体制を整備し、国内民生生活を充実させ、民衆の、市民の生活を豊かにし、本当の意味で豊かにしていく。過労死のない状況をつくり出していくという安全保障政策が内政政策としての意味を持ち始めている時代が今来ているんだというふうに申し上げていいと思うんです。ボーダーレスの時代の登場というのはそのことを意味するものだというふうに申し上げて差し支えないと思います。  ちょうど時間が一時半になりましたので、この辺でとりあえずは終わらせていただきます。
  9. 中西一郎

    会長中西一郎君) ありがとうございました。  次に、毛里参考人にお願いいたします。毛里参考人
  10. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 私は、現代中国国内政治及び国際関係の中での中国ということを専門にしております。かつこの夏二カ月、アジアにおける社会主義の終えんを見きわめるということで中国、モンゴル、そしてソ連極東部を回ってまいりました。その経験を含めて、中国を中心として東アジアの状況というものを少しお話しさせていただきます。  そして、基本的には御参考までに提出いたしましたレジュメに沿ってお話しいたしますが、日本安全保障との関連で私の考えることを最後につけ加えさせていただきたいと思います。  第一に、現在、とりわけ一九九一年八月二十一日のソ連のクーデター失敗ということによって、最終的に存在していたソ連社会主義というものが崩壊した。これが中国及びベトナム、そしてモンゴルその他の、あるいは朝鮮民主主義人民共和国も含めましてアジアのいわゆる社会主義国に与えた影響というところで、とりわけ中国においては極めて深刻な影響がございます。  一つは、社会主義というイデオロギーあるいは体制ですね、党を中心としたシステム、これが七十年やった結果失敗したという厳然たる事実。それからもう一つ中国にとって非常に衝撃であったのは、いわゆるソビエトがかつてのロシア帝国 を継承したいわゆるソビエト帝国であるという点からいいますと、中国もかつての中華世界を継承した中国帝国であるということが言えますが、その点で、連邦国家としてのソ連の崩壊は中国における国家統合の面での非常に大きな問題を突きつけた。つまり、中国自身も将来、民族問題を抱え、現在ある国家統合が崩れる可能性があるというその二点において中国に非常に深刻なショックを与えたということが言えます。  ただし、私が観察するところ、あるいは今回の旅行を通じて観察するところ、中国ソ連事態に対する対応というのは極めて強気であります。中国中国式社会主義でもって国内の内政は変えない、最後まで守り切るということを公式に表明しておりますし、ソ連の連邦国家の解体ということについては、ロシアナショナリズム中国への脅威という形で、むしろ予想に反する対応を示しているところが印象的でありました。つまり、ソ連事態あるいは社会主義体制自体の本質的な変化というものを中国が本質的にはまだ受け入れる状況には至っていないということが言えます。したがって、私は、中国が現在ある体制、国内の非常にかたい体制、そういうものをしばらくのところ堅持するだろうというふうに見ざるを得ないわけですが、それにはそれなりの根拠があるように思います。  一つは、ソ連中国の社会主義システムは、中国が非常に緩いシステムであったとすれば、ソ連自身は非常にリジッドな、かたいシステムであり、かつそれなりに機能していた。中国においては、緩いシステムにおいて社会主義の原理というものがそれほど機能していなかったという本質的な違いも一つの要因になります。  それからもう一つ中国ソ連との今後の歩みの違いを裏づける根拠として、中国ソ連の国際的な地位というものがあります。ソ連のペレストロイカ及びそれの挫折というのは、結局ソ連世界のスーパーパワーであるという虚構が破れたと言わざるを得ないと思いますが、つまり、膨大な軍事負担あるいはアメリカとの対抗によって経済的にもあるいは政治的にも破滅したと言わざるを得ないわけですし、中国の場合には、既に一九七〇年代から、中国が発展途上国であるというふうに自己規定を明らかに変えました。むしろ、中国は発展途上国として弱いということを武器にしてそれ以後の経済建設と対外政策を進めてきたという、そこら辺での基本的な肩にのしかかった負担というんでしょうか、その辺での違いが非常に大きいと思います。  それからもう一つは、国民性というような問題もあります。今回、私が中国ソ連、モンゴルを回ってみて非常に痛感しましたのは、ソ連が市場化に入るという中で、その市場化の、あるいはマーケットメカニズムというものに対する、あるいは競争の原理というものに対する、あるいはもっと通俗な言葉で言えば金もうけということに対するソ連人もしくはロシア人の未熟さと申しましょうか、そういうものを非常に痛感いたしました。それに対して中国の場合には、どんな原則があれとにかくもうけるという、その非常な強烈なエネルギーと意欲あるいは技術というものを持っております。そういうところでの違いもあらわれたと思います。  それからもう一つ中国がここ八〇年代に入って対外開放と経済の活性化政策という二本柱で国の近代化を進めておりますけれども、今日のところそれなりの成果というものを、現代中国四十年を考えた上で非常に画期的な成果を表面的には獲得しております。それの最大の要因は非常に実利的な対外開放政策であり、もう一つ国内の非社会主義的な部門に対する活性化である。つまり社会主義そのものに対する改革というものをこれまで中国が行ったわけではない、非社会主義的な部門をそれだけふやすということによる改革であった、それが中国においては経済の活性化を現在もたらしているということが言えます。それらの点から考えまして、今後、中国が八〇年代を通じて展開してまいりました対外開放政策と、国内経済の非社会主義的な部門の拡張というような政策を今後続けていくことによってある程度の経済的な成長を実現するということは今のところまだ可能であろうかというふうに思います。  それから第二番目に、東アジアあるいは東北アジアというような点から考えてみますと、今回極東、ウラジオストクあるいはイルクーツクあるいはウランバートル、それから中国東北地方をずっと回ってまいりましたけれども、その東北アジアにおいて東西対立という非常に緊迫した国際環境の激変というもののメリット、これを最も享受しているのが中国であるというふうに私は思いました。中国商品がこの地域のあらゆるところに浸透しております。明らかに東北アジアにおいての中国の経済的な優位というものはここ二、三年来非常に顕著になってきておりまして、東アジアにおける緊張の緩和あるいは二極対立の構造の根本的な崩壊というものは、恐らく東北アジア地域における中国経済圏というものを可能にするほど中国の経済的な浸透というものが顕著になっているという事実であります。後ほど山澤先生の方からアジアの経済的な地域協力のお話が多分展開されると思いますが、中国自身、アジア・太平洋地域の経済協力に非常に期待をかけております。とりわけ中国の場合には、東北アジア地域においてそのサブシステムとして東北アジアの一つの経済協力圏をつくりたい、そのことによって中国の近代化に貢献させたいという非常に強い熱意が見られますし、現在のところそういう状況で進んできております。  それから第三番目に、一九八九年六月四日に中国天安門事件が起こりました。これ以後の二年間あるいは二年数カ月を振り返ってみたいと思いますが、天安門事件を契機に、アメリカの八〇年代の対中政策は、中国の近代化に全面的にコミットするというのがアメリカの対中政策でありましたけれども、これ自身が基本的に間違っていたんではなかろうかという非常に強い反省が一時期アメリカの内部にありました。つまり中国の民主化あるいは中国経済発展ということが西側の国々が考えるほどスムーズにいかない、本質的にやっぱり違う体制なり体質なりを持っているということを天安門事件は突きつけたわけです。それまでのアメリカの対中政策というのは、明らかにアメリカ的価値観と、それからアメリカ的な価値観を通して見た中国認識というものによってのみ対中政策が構築されていたという点で非常に大きな反省を迫られました。それに対して、日本の対中政策自身は、天安門事件を経てそれほど大きな変更なく、中国の安定と経済発展、これがアジア地域における日本安全保障の非常に大きな一つの柱であるという観点から対中政策が継続的に行われてきたというふうに私は理解しておりますが、それを踏まえた上で天安門事件以後二年間の中国外交について少しお話しさせていただきます。  中国外交は、一九八九年があろうがなかろうが、既に一九八二年に今日につながる一つの原則というものを一応確定したというふうに私は考えております。これを中国自身は対外政策の重大な調整――中国は変更とかいうことを、政策の変更と言うことを好みませんので、重大な調整という言葉で表現いたしますけれども、つまり一九八〇年代初頭において中国はイデオロギー、国家の体制あるいは南北の非常な対立、矛盾、こういうものを一応押さえた上でそれに左右されない極めて全方位的な外交というもので、中国経済発展に有効な対外政策と外交というものに基本的に転換いたしました。この点について中国の指導部の内部に指導部の内部はさまざまな考え方がありますけれども、この点については指導部の内部に一応のコンセンサスができているというふうに考えられます。したがって、一九八九年の天安門事件以後も、中国外交は対日政策を初めとして基本的には八〇年代初頭からの非常に活発な経済外交と非常に実利的な外交を展開してきました。  その後、対日関係はおくとして、対ソ関係においてことしの五月に江沢民総書記がモスクワを訪 問いたしました。そこで、ゴルバチョフ書記長、当時の書記長が二年前に北京に来てやり遂げなかったこと、つまり異常な事態の中でやり遂げなかった非常に長期的な経済の協力の枠組み、それから国境の安全の確保といったようなものをこの段階で実現いたしました。  対米関係について少しお話しをしたいと思います。  対米関係は、一言で言えば非常に冷却しておりましたけれども中国側は対米関係の正常化こそ中国の九〇年代外交の基本であるという観点からそれなりの努力を続けた結果、今回の、つい先日行われましたベーカー国務長官の訪中、それによる一つの大きな進展というものにようやくたどりついたというところであります。  それから、注目されるのは対ベトナムあるいは対インドシナあるいは対東南アジア関係の非常な調整であります。今回、つい一週間ほど前ですか、ベトナムの書記長及び首相が中国を訪れまして、共同コミュニケが発表されました。党関係、そして国家関係を含めて完全に正常化をなし遂げました。これは十三年ぶりのことであります。七九年以降断絶していた関係が完全に回復したということになります。  これらの点から考えますと、中国外交中国の中身を内政、経済、そして外交の三本で考えるとすれば、天安門事件以降ほとんど成功した、非常に成功している唯一の分野というふうにあるいは言えるかもしれません。  中国の基本戦略はまずとりあえず国境の安定ということが非常に重要になっております。これは、ベトナムとの今回の国交正常化が国境の問題についての協定を結んだということにも示されておりますし、それからソ連との正常化において国境問題の確定に非常な神経を使っております。国境の安定。それから第二番目は、同レベルの経済レベルにある国々との非常に相互補完的な、あるいは中国にとって極めて有利な経済的な交流関係を強めるということ、これはむしろ非常に攻勢的な経済戦略としての経済協力ですね。それから第三番目が西側からの外資及び技術の導入であります。これは天安門事件以後どれほどイデオロギー的に、あるいはソ連の今回の政変以後いかにイデオロギー的に保守的な流れが強くなってもこの点については捨てられない。むしろ非常に積極的に外資、技術の導入については今後も展開するだろうというふうに思います。これが今回の米中関係の正常化への第一歩でありますベーカー訪中の一つの側面であると思います。  ただし、中国の現在の外交戦略の基本的などうしても譲れない線というのはやはり内政不干渉ということであります。かって三月、全国人民代表大会で、李鵬総理が外交原則の十二原則というのを掲げました。問題は、平和五原則を含めたさまざまのことが書かれておりますけれども、絶えず中国が繰り返していますのはその順位でありまして、順位がどう変わるかということですが、一貫して第一位に挙げられているのは、イデオロギーの別なく内政は干渉しない。体制、イデオロギー、こういうものは自国内の国民が選択する、これについて外国は干渉はならないという点であります。この場合のイデオロギーというのは社会主義だけではありません。例えば民主主義も中国にとっては非常に重大なイデオロギーであります。ですから、アメリカが人権外交その他をある意味では武器にしてさまざまな対中外交を行いますけれども、これについて中国は非常にセンシティブな反応を示します。  要するに、中国としては、一九七〇年代までグローバルなパワーではないけれども、グローバルなパワーを目指したいという非常に強い望みを、期待を持っておりましたけれども中国が今日掲げております外交の基本的な観念というのは、むしろ地域の、大国のうちのワン・オブ・セム、一つとして発展していきたいという非常に限定されたものに変わったというふうに私は考えています。  問題は、今後の中国及び東アジアということでありますけれども、私は、中国は現在、むしろかつて六〇年代、七〇年代に韓国及び台湾が歩んだ道、つまり非常に経済的には外との関係において、つまり経済環境を強化すること、外的な刺激によって国内経済の近代化を図るということと同時に政治的には非常に強い独裁体制をとる、いわば開発独裁型の国として進んでいくだろう、これがどこまで進むかはわかりませんが。したがって、その意味では社会主義というカテゴリーで中国をくくるよりも、むしろかつての非常に大きな韓国、非常に大きな台湾として中国を認識した方がむしろ当たっているように思います。  ただし、現在中国は経済ないし政治的には一応の安定が保たれておりますが、不安材料は決して少なくはありません。一つは、権力闘争なり考え方の違いなりというものが厳然として中国の現在のリーダーシップの中にあると。これは、実利的な近代化政策を進めるか、あるいは保守的なイデオロギー的なものを依然として死守するかという点でも大きな違いがありますし、それからあるいは軍事力によってあえて権力を保持するか、あるいは経済発展によって間接的に権力を保持するかというやり方の違いもございます。  いずれにしても、現在の最高の指導者であります鄧小平さん、これがポスト鄧小平の不安というものは消えているわけではありません。それから中国が不安であるというもう一つは、中国経済が現在のところ、こういう言い方をすると差しさわりがあるかもしれませんが、言ってみればバブル経済であるということはどうしても否定できないわけですね。つまり、非常なしわ寄せがさまざまなところに来ております。国営経済の部門、肝心な部門が決してうまくいっておりません。将来、恐らくは価格の高騰によってインフレの再燃なり、あるいは現在中国ではゆがんだ経済発展に伴う汚染が非常に進んでおります。中国の汚染の問題というのは多分アジアの環境の問題と非常にかかわり合うことでありましょうから、この点については多国間あるいは国連による中国近代化とこの地域の汚染との問題で、恐らく今後必要になる課題であろうかと思います。  それで、問題は、朝鮮半島の状況というのは依然として対立の状況が続いているわけですけれども中国が朝鮮半島について非常に慎重ではあるけれども非常に現実的である。つまり、今回ソウルでのAPECに中国が加入したときに、盧泰愚大統領と銭其シン外相が初めて会見しました。それから、両国外相会談も行われました。この事柄が象徴するのは、むしろ中国の実質的な韓国承認である。それの形をどういう形で整えるかということについては恐らく時間がかかると思いますけれども、恐らくは韓国もそれに乗っかった形での実質的な国家関係の樹立という状態で、韓国自身もとりあえずは無理をしないという状況が続くと思います。  それで最後に、東アジアの新しい国際秩序と、日本安全保障ということで私が考えますところを少しだけお話しいたします。  かつて、東アジアの緊張の状態、これは軍事的な対立があり、イデオロギー的な対立があり、政治的な対立がありましたけれども、これの中身は何かといえば、一つは東西の対立というものでありました。もう一つの対立というのは、アジアの国々が国民国家ないし民族国家として非常に未成熟であり、あるいは完成されていない。例えば朝鮮半島がそうですし、ベトナムもそうですけれども、この民族の統合あるいは国民国家の形成の過程と、それから東西対立が絡んだという点にアジアの緊張が長引いた非常に大きな要因があろうかと思います。  それから、東アジアのかつての緊張した国際環境の第三の要因として、もう一つ中国脅威というものがあったかと思います。これはとりわけ東南アジアにおいて、そして朝鮮半島においてやっぱり中国脅威という問題が重くのしかかっておりました。これは車事的脅威というよりはかなり政治的な脅威であり、かつ文化的な脅威として認識されていたと思います。中国自身はこれを ずっと否定してきましたけれども。そして、そこの根底にはアジアにおけるソ連の軍事的なプレゼンスというものがあったと思います。  ところが、今振り返ってみまして、こうしたものは九〇年代に入ってほとんどが消滅したということが言えます。東西対立の枠組みもしかり。それから、国民国家自身はイデオロギーではなく、経済のレベルで国家統合をやろうということで朝鮮半島もあるいはインドシナも進みつつあります。それから、中国脅威自身は、むしろ中国の今日までの非常に抑制された対外政策によってある程度のところ、潜在的にはともかく、かなりのところ除去されている。としますと、現在東アジアの状況というのは戦後四十数年間初めて見るいわば平和的な、しかも初めての平和へ移行する協調の時代を我々はようやくこの九一年に目にすることができたというふうに私は考えます。  そうした中で、日本にとって日中関係をどうするかというときに、時間がもうございませんけれども、私は二つの点で中国とのおつき合いを考えておくのが必要ではなかろうかと思います。  一つは、中国をいわば経済的にあるいは安全保障の面でいかに国際的な枠組みの中に入ってもらうかということだろうと思います。政治的にはともかく経済協力と安全保障の面での一定の枠組みの中に中国、いやしくも核兵器を持っております中国をいかに枠組みの中に中国との合意によって入ってもらうかということであります。その点で言えば、今回のベーカー訪中によって中国が核不拡散条約に正式に入る、それから、ミサイル関連技術の輸出規制についてのガイドラインを中国が認めるということはその意味で私は非常に大きな意味があるというふうに考えています。  それから、日中関係にとって日本が第二番目に考える点というのは、言うまでもなく中国近代化に対するとりわけ物的な人的な援助だろうと思います。この二つはどちらが優位に立つということではなく、この二つの点は、日中関係が日本のアジア外交にとってほとんど中心的な柱である以上やはり非常に重要なことだろうと思います。  それから、最後にもう一つ日本の貢献というところで、これが間接的安全保障につながるという意味では、私は、とりわけアジアの発展途上国に対する文化的な人的な貢献というものが非常に必要だろうと思います。  今回、私はモンゴルに行ってまいりました。モンゴルは二百万の人口であります。非常に大きな問題を抱えておりますし、うっかりするとまた中国に併合されたりあるいはどこかにすっ飛んでしまいそうな非常な小国でありますけれども、モンゴル自身が新しい国づくりの気持ちに盛んに燃えております。そうした中で、モンゴルにとって今一番足りないものは、もちろんお金もありますけれども、基本的に足りないのはやっぱり人材である。モンゴルの人材、これはソ連がこれから市場化あるいは民主化あるいは科学化のロシア、これをどう実現していくかにとって核心になるのはやっぱり人材だろうと思います。その意味日本がこの点では非常に貢献できる。文化的そして人的な貢献を日本が行う。これがアジアにおける日本安全保障に大きくつながるんではないかというふうに私は考えます。  以上です。
  11. 中西一郎

    会長中西一郎君) ありがとうございました。  次に、山澤参考人にお願いいたします。山澤参考人
  12. 山澤逸平

    参考人山澤逸平君) 山澤でございます。  本日、私に与えられました課題は、ASEANを中心といたしましてアジア・太平洋地域の経済発展日本が一定の役割を果たしているということを説明いたしまして、そのような経済的役割を通じて日本総合安全保障に貢献していくことを明らかにすることだ、こういうふうに考えております。  しかし、アジア・太平洋地域の経済も変化していきますし、その中で日本役割を規定しているいろいろな政策環境も変化してまいります。一九九〇年代の日本のかかわり方は、当然それに合わせて変えていかなければならないわけでございます。私は、次の三つのステップで私の課題に対するお答えを申し上げたいと思います。  私の一枚紙のレジュメがございますが、まず第一番に、一九八〇年代後半にアジア・太平洋地域は大変な発展を、高度経済成長をいたしましたけれども、その中で日本とのかかわりが大変深まっております。その関係をそこでまず御説明申し上げます。二番目に、既に昨年からその関係に変化が生じ始めております。新しい、それがまさに一九九〇年代の初めの時点における日本を取り巻く環境、経済環境であると申してよろしいかと思います。その中でいろいろな経済政策問題が起こってまいりまして、日本に対して日本がそれにどうこたえるかということが問われているわけでございます。最後の三番目に、アジア・太平洋地域における政策問題ということに焦点を絞りまして、それを取り巻く世界全体の動きとも関連づけまして、日本がとるべき政策ということを論じたいというふうに思います。  まず、一九八五年の九月にプラザ合意というものが先進国の間で行われまして、これをきっかけに急速な円高化が進行いたしました。さらに、それに続けて、日本は金融財政政策を大変拡張的な方向に転換いたしまして、その結果、国内的には五年近くに及ぶ戦後最長の好況を実現いたしました。他方、国外的にも日本の好況というものがアジア・太平洋地域に波及いたしまして、この地域全般の高度成長に結実した、こう申し上げてよろしいかと思います。  このプロセスをざっと見てまいりましょう。  プラザ合意で円高になりますと、日本で生産をしてもコスト高で輸出ができない。そこで、特に労働を多く使う労働集約的な産業の分野では、韓国や台湾に生産を移す動きが出てまいりました。しかし、韓国や台湾の為替相場も日本に合わせて上がってまいりましたし、また賃金の上昇も出てまいりますと、今度はタイやマレーシアヘと生産を移す動きが出てまいりました。それはさらにはインドネシア、フィリピンヘと移ってまいりまして、コスト競争力のある地域を求めて移転していったわけでございます。各国がどのような産業に競争力を持っているかということを比較優位と申しますけれども、その構造がアジア各国で急速に変化いたしましたのが一九八〇年代の後半の現象でございます。  それに合わせまして産業が、まず日本からアジアの新興工業国である韓国や台湾、香港、シンガポールヘ、そしてそれがASEANの諸国へと移ってまいりました。国内生産をする前には輸入をしているわけでございますので、国内生産でまず輸入代替をする。その後で外国に輸出するようになる。こういう現象が日本、アジアの新興工業国、それからASEANの順に引き続いて起こっていったわけでございまして、これはガンが群れをなして飛んでいくのになぞらえまして雁行形態的発展と申します。この現象がアジア・太平洋では顕著に見られたわけでございます。この雁行形態的発展の英語訳でございますフライング・ワイルド・キースというのが大変有名になりまして、アジア・太平洋での望ましい経済変化の方向を示すものとして使われてきております。  このようにアジア地域の、特にアジアの日本、アジアNIES、それからASEANの諸国の間の経済の結びつきが強まってまいりますことを経済統合と申します。特にこれが特定の地域で起こりますと地域経済統合と申します。  同じような地域経済統合がヨーロッパでも生じております。しかし、ヨーロッパでの地域経済統合とアジア地域での地域経済統合とは大変大きな違いがございます。ヨーロッパではローマ条約であるとか単一市場白書という法律的な基礎をまずつくりまして、そのもとで民間企業がそれに合わせて国境を越えて活動するようになっていく。  それに対してアジア地域では、そのような法的な基礎とか条約というものが全くない状態でございます。それが民間の貿易、投資の必要に応じて自制的に国の間の結合が強まっていく、それを機 能的統合と呼んでおります。ヨーロッパ地域の制度的統合に対して、この地域は機能的統合でございます。そしてそのような制度的、法的な裏づけがないにもかかわらず、この地域の経済成長率はヨーロッパのほぼ二倍に当たるような高い成長率を持っている。このことをまずひとつ御認識いただきたいと思います。  この中で日本が果たしました役割は、専ら金と物を提供したというふうに申し上げてよろしいかと思います。もちろん生産を開始するためにはお金が、資本が必要であります。またそれらを、すべてもともとの原料や部品の段階から生産することは難しゅうございますから、まず初めはそういうものは輸入をする。それを提供したのは、これもまた日本でございます。したがいまして、これらの地域の経済発展の中には、日本が物や金を提供するということが大変密接に組み込まれたわけでございます。  一九八〇年代の末には、アジアの新興工業国やASEANの諸国から、アメリカやヨーロッパヘの工業品の輸出が急に伸びてまいりましたけれども、それをつくるのに必要な部品や中間財は日本が提供いたしました。したがって、これらの諸国はヨーロッパやアメリカに対する輸出が伸びると同時に、日本からの部品や中間財の輸入がふえていくという構造になっているわけでございます。これが一九八〇年代の後半の大変目覚ましいアジア地域の高度経済成長のメカニズムでございました。この動きがもう昨年前半で終わりまして、後半から日本の対外投資も減り始めましたし、八〇年代後半のブームにも区切りがついてまいりました。それはそれなりにいろいろな問題を生んできております。これが今日の課題の一九九〇年代におけるアジア・太平洋地域の経済の初期条件を規定しているというふうに申し上げてよろしいかと思います。  そこで、私はそれを幾つかに分けて整理してございます。  まず第一に、アメリカやヨーロッパの景気後退がかなり進行してまいりました。これはアメリカの方が顕著でございまして、それよりはヨーロッパは軽微でございます。弱い程度でございますが、しかし、ヨーロッパも先ほどのお二人の御報告にもございましたように、東欧地域への支援ということから大変支援疲れが生じてまいりまして、その意味で景気後退ということは免れないような状況であります。  そういう影響を受けまして、ヨーロッパもアメリカもアジアの諸国にとりましていずれも重要な主要な輸出先の市場でございましたから、それらが景気後退をし、輸入が減るということの影響を受けまして、アジア地域の景気も次第に後退していくということが避けられない状況であります。インドネシア等ではもう既に経済計画を下降に調整いたしまして、少し低い成長のペースに入れつつあります。もちろん、アメリカやヨーロッパのような二%であるとか三%という。ような成長率ではなくて、景気後退をするとはいっても、五%、六%の成長は遂げるでございましょうが、しかし過去数年の八、九%、一〇%というような高い成長はどうも望めない状況であります。  さらに、八〇年代後半の高度成長の中で、これらの諸国は大変急激な構造変化を経験しております。全体として所得水準は上がりましたけれども、その中でいろいろな経済、社会、政治的な問題が生じてまいりました。所得格差が拡大したということ、ないしは所得の上昇を上回る消費意欲が拡大したということ、さらに、経済的に所得が上昇し消費がふえるに従い、それとあわせまして政治的な民主化の要求が大変強まってまいりました。また、いろいろな制度的な規制の撤廃をしたり、その自由化を要求するという動きが出てまいりました。いわばこれらのアジア諸国は、この高度成長の裏で政治、経済、社会的に制度、構造の再編成に取り組んでいる、こういうふうに申し上げてよろしいかと思います。  しかも、このような困難な調整をこれからは景気後退の中でやらなければいけない大変厳しい状況にあるわけでございます。日本も来年は景気後退が免れないところでございます。しかし、日本の輸出競争力は大変強いわけですので、アメリカやヨーロッパだけでなく、アジア地域に対しても大きな貿易黒字を持つ。その貿易黒字が拡大していく。アジア地域の方から申しますと、対日貿易不均衡ということが生じているわけでございます。この結果、当然これら諸国と日本との貿易摩擦の再燃は避けられないわけでございます。一九九〇年代初めのアジア・太平洋地域の経済環境というのは大変厳しいものになりまして、その中で日本が新しい役割を果たすということが要求されるというふうに思われます。  それは、簡単に申しますと、今までのようか物や金だけではなく、技術を提供することであります。技術を提供して、これらの諸国が専ら日本に依存している輸入を自分のところで生産ができるようにしてやり、さらにそれを輸出することができるようにしてやることである。さらに、その輸出品を日本が引き受けて輸入してやることであります。つまり、技術の提供と同時に市場も提供してやらなければいけない。これは一九八〇年代後半とはさま変わりの状況になってきているというふうに申し上げていいかと思います。さらに、単に二国間の関係だけではなくて、世界的な枠組みの中でこれらの諸国の利益を図ってやる必要があります。  後に述べますように、現在世界では、特にヨーロッパ、アメリカで地域主義化ということが進行しております。これに対して、外国との貿易に依存する度合いが大きいアジアの諸国にとりまして、アメリカやヨーロッパからその結果締め出されるのではないかというおそれを抱いております。日本は既に活発な投資行動を行いまして、それらの地域にいろいろな生産拠点を設けてしまいまして、ある意味ではもうそれに対する準備が完了しているというふうにも申し上げることができるかと思います。しかし、アジアの新興工業国、ASEANの諸国は今その段階に取りかかったところでございまして、これらの諸国が地域主義への傾斜を強めて壁を高くいたしますとそこから締め出されてしまう。この意味日本日本のシェアだけを考えればいいのではなくて、周りのアジア諸国の利益も代表して、このような地域主義を抑えるような方向に努力しなければいけないのではないかと思います。  このようなアジア・太平洋地域の機能的な経済統合の進行、そして新たな、しかもそれが世界的な景気後退の中で摩擦が多発しているような状況になってくるのに対して、これから日本の政策というものはどういうふうに全体として組み立てられなければいけないでありましょうか。  これまでの日本のアジア諸国に対する協力と申しますかアジア諸国に対する政策というのは、その3の(1)に書きましたようなもので要約できるかと思います。一般特恵関税制度と申しますのば、実は日本が発展途上国に対して関税を低くしたり、ないしは全く免除いたしまして、発展途上国からの輸入をふやすようにしてやる制度でございます。これは一九七一年から実施いたしまして、もう既に二十年それを続けてきております。そして、この制度を利用して日本に輸出をふやしてまいりましたのが、特に工業品の輸出をふやしてまいりましたのがアジア諸国でございます。韓国、台湾、中国が三つの最も大きな受益国でありましたし、それに続いてASEANの諸国があります。これが一つ。  二番目に、日本の政府開発援助、ODAはその半分近くが、一時的には半分以上がこのアジア地域に集中したことがございます。今はそれを修正してだんだんそれが少なくなってきておりますけれども、依然としてアジア地域が日本の開発援助の対象になってきているということは事実でございます。  さらに、それに加えましていろいろな形での産業協力、それは産業発展をするためのインフラの整備であるとか、中小企業や農業の生産性を引き上げるためのいろいろな協力等々の形が実施され てきております。これが民間の貿易、投資の面でのアジア諸国に対する集中と相まって、アジアの新興工業国、ASEANが日本に対して大変親近感を高め、そして日本、ASEANのパートナーシップというものが培われた基礎になったということは否定できないでありましょう。  しかし、今や日本とASEANの関係は、より違ったものに、新しい形に移行する必要があります。先ほど申し上げました景気後退と対日赤字が拡大する中で、日本に対する要求は再び強まってまいりましょう。それを扱う場は、今までは専ら二国間交渉でやってまいりましたけれども、これからは新しい話し合いの場が、二国間交渉ではなくてもっと多角的な多くの国が参加した形で行われなければならなくなってまいります。  現在進行しておりますガットのウルグアイ・ラウンドが成功すれば、ガットのメカニズムが整備され、強化されまして、そういうもとでこのような摩擦を処理することができるだろう思います。このような整備され、強化されたガットのルールと申しますのは、日本にとってだけではなくてASEANにとっても初めての経験でございます。今回のウルグアイ・ラウンドというのは、ASEAN諸国が正式に貿易交渉に参加した初めての機会でございまして、その意味でも今までとは違った、つまり二国間だけで話し合いをして説得をするというのではなくて、より透明性の高い多角的な場での議論ということが必要になってくるわけであります。  もう一つの、地域経済主義が広がってきたということについて申し上げたいと思います。  御存じのように、今世界では、来年完了いたします予定のECの九二年プログラムとか、アメリカ、カナダ、メキシコ三国間で交渉が進んでおります北米自由貿易協定といった地域貿易自由化の動きが活発になっております。その理由の一つは、先ほどちょっと申し上げました現在大詰めを迎えているガットのウルグアイ・ラウンド交渉による世界大の貿易自由化がたとえ妥結に成功したとしても、初めの期待をかなり下回った小さな貿易自由化にとどまると予想されていることがあります。つまり、どの国も貿易自由化を望んでおりましても、それぞれ農業とかサービスとか知的所有権とかの分野で利害関係が対立してまとまらない、そのかわりに、利害関係が似通っている近隣の国々の間で貿易自由化を進めようという動きが地域貿易自由化でありますが、一方域外の国はそれから排除される結果になることを心配するわけです。  昨年暮れに、ウルグアイ・ラウンド交渉が予定どおりに終わらなかったときに、マレーシアのマハティール首相が、ヨーロッパや北アメリカの地域貿易自由化の動きに対抗して東・東南アジアでもグループをつくって地域貿易自由化を推進しようと呼びかけたわけですが、その裏にもこのようなおそれがあったわけであります。マハティール首相は日本がこのグループに積極的にぜひ参加するよう求めてまいりました。しかし、この提案には東アジア経済グループに含まれないアメリカやオーストラリアが猛反対いたしました。世界で最も高い成長率を実現している東・東南アジアの市場から排除されてしまうということを恐れるからです。このような批判を受けまして、ASEANはことしの夏にマハディ一ルの提案を修正してつくり直しまして、排他色を薄めた東アジア経済協議体、EAECと申しますが、これを提案し直したのですが、アメリカは反対の立場を変えずに、先日日本を訪問したベーカー国務長官も日本にEAECに参加しないように要請したと新聞で伝えられました。  日本としても、東・東南アジアにECや北アメリカに対抗する地域貿易グループをつくるよりも、もっと開かれた貿易体制を維持して、世界大の貿易自由化を推進するべきだと考えています。このような理由から、日本アメリカも次に申し上げるようなもう一つのアジア・太平洋地域における協力の枠組みを強める方向に動いたわけでございます。それが先週、韓国のソウルで開かれましたアジア・太平洋経済協力閣僚会議、英語でAPECでございます。これは、第一回会議がオーストラリアのホーク首相の提案で二年前に開かれまして、昨年はシンガポール、今回の韓国の会議は第三回目でございます。従来は太平洋を囲む十二カ国が参加をしております。今回のAPECの閣僚会議が大きな注目を集めましたのには幾つか理由がございます。  まず第一には、中国と台湾、香港のいわゆるスリーチャイナが新たに参加したことでございます。これは、太平洋協力の中に太平洋を囲む主要国が次第にすべて含まれていく方向に動いているということを確認するものであります。この会議には太平洋の北に位置するソ連と太平洋の東側のメキシコも強く参加を望んでいたのですが、この方は今回は見送られました。  第二番目に、この会議で日本が強く主張いたしまして、域内の貿易自由化を初めとして人材養成などの幾つかの経済協力案件を具体化しようという動きが高まってまいりました。これには、投資技術移転の促進であるとか、エネルギーの安定供給であるとか、海洋資源の保全であるとか、電気通信網の整備であるとか等々がございます。これまで太平洋地域での経済協力を閣僚レベルで話し合うだけの組織だったわけですが、それぞれの政府に提案して、それを具体化していく推進役になっていくというふうに考えてよろしいかと思います。  第三に、常設の事務局を設けようという機運が高まってまいりました。これまでAPECは閣僚会議のもとに各国の政府の局長級で構成される高級事務レベル会合というのが設けられておりまして、毎年一回の閣僚会議の間の活動を進めてまいりました。しかし、経済協力が具体化してまいりますと、常設の事務局を持たない不便がいろいろ出てきます。もっとも、新しい国際官僚組織をつくることはお金がかかるものですから各国の財政当局が反対しておりまして、簡単に実現するわけにはいかないでありましょう。しかし、早晩シンガポールとかジャカルタといったようなASEANのどこかの首都に小さな事務局が設けられることになるのではないかと思います。  参加各国間の経済協力の調整・推進役をするという意味では、ちょうどパリに本部がありますOECD――経済協力開発機構の太平洋版ができることになります。OECDには日米などの先進国は皆参加しておりますが、太平洋の経済協力を議論するにはヨーロッパのパリではなくてやはり太平洋の現場でなければいけないという面があります。加えて、OECDの方は先進国だけのグループですが、APECの方は先進国だけでなく発展途上国も加わったユニークな経済協力組織になります。先ほど申し上げたような理由で、こちらの方を積極的に進めるという機運が出てまいりましたのが先週でございます。  もちろん、APECも一つの地域グループですけれども、ヨーロッパや北米の自由貿易協定よりはるかに緩い地域協力を目指しておりまして、貿易摩擦がますます激しさを増している世界経済の中で、より広い開かれた太平洋協力の拡大こそ日本の進むべき方向だと思います。  以上が、一九九〇年代の初めの時点におきましてアジア・太平洋地域で生じている経済的な変化であり、政策環境の変化でございます。その中で日本役割というものも変化していきますし、それに合わせて調整をしながらアジア・太平洋地域の経済安定、発展というものに尽くしていくということが私は日本総合安全保障にとって非常に重要な一環であるというふうに信じております。  どうもありがとうございました。
  13. 中西一郎

    会長中西一郎君) ありがとうございました。  以上で参考人方々からの意見の聴取は終わります。  速記をとめてください。    〔速記中止〕
  14. 中西一郎

    会長中西一郎君) 速記を起こして。  これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  15. 尾辻秀久

    尾辻秀久君 きょうはどうもありがとうございます。  まず、進藤先生にお尋ねしたいと思います。  このところ軍備管理、軍縮の動きには目覚ましいものがあります。中距離核戦力の全廃に始まった米ソ軍縮交渉の進展は、米ソ関係の新たな展開との相乗効果もあって、通常兵器の削減、戦略兵器の削減の合意に至りました。また先ごろは、短距離核兵器の削減についてアメリカ側が行った初めての一方的削減提案に呼応して、ソ連のゴルバチョフ大統領も大幅な削減方針を示すといったように、これまでの軍縮交渉には見られなかった状況あらわれております。もっとも一方には、米ソ双方が既に不要になった兵器を削減しているにすぎないといった見方もあるようでありますが、しかしこのような状況を歴史上初めて核軍縮競争時代が到来したとの意見もあるわけであります。  この辺につきましては、先ほど先生いろいろお話しいただいたわけでございますけれども、このような軍縮交渉の当面の進展というものを先生はどのようにとらえておられるか、お尋ねしたいと思います。
  16. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) いわゆる米ソ軍縮交渉をして、不要になった核兵器を削減しているにすぎないのだという観察も一方ではありますけれども、私はこれは間違っていると思います。NATO戦術核八〇%削減するというのは、いや、あるいはそのとおりかもしれないというふうに申し上げてもいいんですが、要するに、不要になったから削減しているのであって、戦術核八〇%要らなくなったわけです。だから減らしているのであります。私の見るところ、恐らく戦略核、戦術核、これは五〇%から八〇%まで削減されていくだろうと。  八〇年代冒頭にマクナマラあるいはかつての駐ソ大使のケナンが、核兵器は五百発でいいという構想を出したんです。この時代にやはり入っていると思うんですよ。半減しさらに五百発までいいという、そういった時代だと思いますね。  米ソ軍縮交渉という言葉を我々は今全く不自然に思わずに使っておりますけれども、もうソ連がないですからね。米ソ軍縮交渉なんという言葉自体もう成立しない時代になってきていると思います。そんなふうに思いますと、私は核がゼロになるというふうには思いません。  私は、八五年にマクナマラとインタビューしたことがあるんですけれども、いわゆるSDIへの道という感じですね。要するに、例えばアメリカ側から見た場合に、対ソ戦略としての核ではなくて、第三世界の、例えば、よかれあしかれカダフィとか金日成とか、あるいはイスラエルとか、サダムフセインとか、そういった潜在的核保有国、しかもいわゆる要塞国家といいましょうか、安全保障に対する過度に過敏な国家に対する不可測な行動に対する抑止力としての兵器、核を持つという、そういった形態に変わっていくと思うんです。基本的に、対ソ戦略としての核兵器の必要がなくなったということは、要するに五百発でも十分なわけですね。ソ連自体ももちろん核管理というもう一つの問題を抱え込んでおりますけれども、そういうふうに思います。大体そんな感じで私はとらえております。だから、限りなく核軍縮は進むだろう。  それで、いわゆる核からSDIないしはCDIとも言うんですけれども、通常コンペンショナル・ディフェンス・イニシアチブというのか、要するに、アメリカハイテク、スリム化した兵器への転換を行い続けるんじゃないかなというふうに思います。ただ、ソ連と違ってアメリカの場合は軍産複合体が残っておりますから、中東和平交渉を片一方でやりながら、片一方でサウジに対してパトリオットをさらに十四基売りつけるという行為を行うわけですね。この辺、日本はノーと言えない。アメリカに対してきちっと言うべきところは言わなければいけないと思います。  安全保障政策は、日本は社会党も自民党も一国平和主義だと思うんですよ。一国だけの安全保障であればいいという観念はこれはもう通用しなくなっているんです。例えば中東戦争の一番引き金になったのは、中東に対して米ソが、あるいはフランスがとにかく武器輸出を十年間やり続けてきたことですから、これがサダムフセインをして戦端を切らせた一番根底にある理由なんであって、この武器輸出をきちっと抑えるように、日本平和国家として新しい二十一世紀安全保障に向けてのグローバルな地球安全保障に向けての政策を堂々と言ってしかるべきだと思いますね。最近アメリカ人と話していますと、日本はもっと声を大きくしてくれということをよく聞きますね、知識人、官僚双方から。
  17. 尾辻秀久

    尾辻秀久君 そのとおりだろうと思います。  そこで、もう少しお尋ねしたいんですが、今の先生のお話のように、今日ソ連の軍事的脅威というのは確かに薄れております。私どもが心配するのは、そのことにかわって核の無秩序状況が生まれる可能性があるのではないかということであります。その一つは、ソ連帝国の崩壊による核拡散のおそれであります。先生御指摘のとおりであります。  そこで、今先生のお話なんでありますけれども、具体的に核の拡散防止ということに絞って具体的に今後どのような措置をとっていったらいいとお考えなのか、お尋ねいたします。
  18. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) 大きく言って三つ言えると思います。  ソ連に関しましては、御承知のようにウクライナ、それから白ロシア、ロシア共和国、それからカザフ、これに戦略核が配備されておりますが、戦術核の撤去というのは時間の問題であって、実はそれほど過大に危険視しなくてもいいというふうにも言えますけれども、各共和国に分散した戦略核をどうしていくかということですね。これがかつての、つい九月末のゴルバチョフに対するブッシュの核軍縮の呼びかけであって、一方的軍縮新提案であって、こういった形で恐らくこれからロシア共和国を軸に対ソ軍縮交渉、核軍縮交渉というのが進んでいくと思いますね。これはもうアメリカ側は外交の切り札としての経済援助と絡ませながら進めていくし、それからこの間、ロシア共和国の軍事副大臣に当たるロパージンというのが来たので私どもは会ったんですが、ロパージンは八〇%核を削減させたいというふうに主張しておりまして、逆にウクライナは独自の核を持っていくという動きがあります。しかし、これに関しては経済援助と絡めて、西側は明確に核拡散に対する対応をしていくべきだと。そのためにも西側自体が一方的な核軍縮を進めていくという、つまり核削減を相手側から引き出すための交渉の武器というのを二つ、三つ、あるいは複数の形で出していくべきだというふうに思います。これが一点です。  それから二つ目は、第三世界に対する核拡散です。特にこれは北朝鮮、アジアに関して言えば、残ると思うんです。あるいはイスラエルの問題、イラクの問題。これはやはり核拡散防止をもっと積極的に進めていくような形で、僕はその点では今の自民党の対北朝鮮政策を支持するんですけれども、しかし裏側があることを忘れちゃいけないと思うんですよ。裏側というのは、他のアジア諸国家国防予算を全部合わせただけの国防予算にもまさる国防予算日本は組んでいるわけですよ。そのこと自体が北朝鮮内部におけるタカ派を利し続けているんだと、タカ派に有利に働いているんだと。僕は北朝鮮内部でもかつてのルーマニアと同じように、あるいはキューバの中でも、改革派と保守派との激しい力のせめぎ合いがあるというふうに見ています。その意味からも、我々の側でむしろ軍縮を進めるような方向をとっていかない限り、朝鮮問題はなかなか解決が難しいだろう。いや、解決は可能なんだけれども、積極的に日本の側からそういった措置もあわせてやるべきだというふうに思います。  AWACSを日本は買うとか買わないとかと今アメリカに言われていますけれども、AWACSは今使えるところ、北朝鮮向けですからね。こう いった兵器日本が買うこと自体が、あるいはAWACSの代替兵器を買うこと自体が北朝鮮の保守派を利していくという、緊張緩和に対する歯どめをつくり上げていくという、そういった機能を持っていることをお忘れになっていただきたくないと思うんです。  それから、三つ目の問題は核拡散防止問題で、これはやっぱり通常兵器防止と一緒なんですね。通常兵器の防止というものをお忘れにならないでいただきたいと思うんです。先進国が軍需産業を富ませるために、あるいは軍需産業に息つぎの場を与えるために通常兵器の輸出をし続けるという事態、これはやっぱり日本のような国でなければ、堂々とそれをやめるべきだという発言ができないんじゃないかと思うんですよ。もっと日本は国際的な貢献をその意味ですべきだというふうに思います。  以上三点です。
  19. 尾辻秀久

    尾辻秀久君 進藤先生にもう少しお尋ねしたいんですが、湾岸戦争を契機に国連の役割というものが改めて認識されています。東西冷戦時代が終わりを告げ、やっと国連は本来の機能を果たす機会がやってきたとも言えるのではないかと思うわけでございますが、先ほど先生はボーダーレス化という言葉も使っておられますけれども、そうした中でポスト冷戦期の国連はどのような機能を果たすべきであるとお考えになっておられるか、お尋ねいたします。
  20. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) まさに御指摘のとおり、国連の役割というのは非常に増大してきている、増大せざるを得ないというふうに私は見ております。アメリカはもはや一国で世界秩序を維持できないことは一財政的にも軍事的にも明らかであるし、かといって、ソ連アメリカに対抗する政策として、いわゆる力の均衡を保持した形で秩序を維持することもできなくなっているという事態の中で、超国家組織としての国連の役割はこれからますます増大してくるだろうと。  その場合に、遺憾ながら国連創設当時に構想されていた国連軍自体を国連は今持っておりませんから、その意味で、国連平和軍というものが、PKOに対する期待というのがこれからますますふえていくと思います。いわゆる国連憲章における第六章と第七章の間の空白を埋めるものとしての、六カ四分の三というふうに呼びますけれども、六カ四分の三章の対紛争処理機構としての国連平和維持活動、国連平和維持軍というものに対する期待がこれからますますふえていくし、その役割というのが出てくると思うんです。遺憾ながら国連の予算が非常に少ないし、例えばPKO予算だけでも今約七億ドルしかないんですね、今年度の予算というのは。これは余りにも少ないと言えるし、そしてそれに対してやはり日本がPKOに積極的に貢献していく、積極的に対案を出していく姿勢を私は持っていくべきだというふうに思います。  しかし、残念ながらこれは具体的な政策の問題になりますので余りちょうちょうすべきことでないかもしれませんけれども、自民党さんが考えているPKOというのは、これはちょっと的外れじゃないかと思うんですね。もし自民党さんがPKOをはっきり出すんだったら、私、PKO大賛成なんですけれども、出すんだったら日本の自衛隊を軍縮すべきですね。必要なくなっているわけですから。一〇〇%減らせとは言いませんけれども現実の問題ありますから、二〇%でもいいし、三〇%でもいいし、五〇%でもいいし、八〇%でも減らして、そしてPKOというものに対するはっきりとした国際貢献策を打ち出すべきだと。  しかし、そのときにもう一つの問題は、指揮権の問題だと思いますね。あるいは中正の問題、要するに国連コントロールの、シビリアンコントロールのきいた形でのPKOというものを打ち出していくべきだと。それは、日本の憲法と共存できる形というのは、ノルディックカントリー型の、つまりデンマークとかスウェーデンとか、ああいった国々が保持しているPKOと同じような種類のPKOであるべきだというふうに思います。  いずれにしても、国連に対して日本はもっと積極的に現実に対応した政策を打ち出すべきだというふうに思います。
  21. 尾辻秀久

    尾辻秀久君 きょうは、とにかく先生方の御意見いろいろお伺いしてみたいと思っておりますので、さらにお尋ねをしたいと思います。  今度は進藤先生に、さらに毛里先生にも同じことでお尋ねをしたいと思います。  最近になってアメリカは新たなアジア・太平洋政策を明らかにいたしました。今月十二日のブッシュ演説及びベーカー国務長官の十一日の講演とフォーリン・アフェアーズの論文がそれであります。その中で、アジア・太平洋地域の安全保障については、ヨーロッパにおけるCSCEのような包括的な安全保障システム、すなわち言いかえるならばCSCAということになるのでありましょうが、そういうものではなくて、従来型の二国間関係の積み重ねでいくのだと言っております。  そこで、お二人の先生方に、冷戦後のアジア・太平洋地域における安全保障の枠組みをどのように考えていったらいいかということでお尋ねをいたします。
  22. 毛里和子

    参考人毛里和子君) アジアの安全保障の枠組みということですが、ヨーロッパとアジアが歴史的に戦後史において東西対立のありようが非常に違っていたということが一つあります。それからもう一つは、国家の形成というんでしょうか、国家間関係、安全保障のみならず国際関係のシステムがヨーロッパとアジアにおいてかなり違うということもあります。  先ほど私申しましたように、アジアにおける緊張の要因というものはさまざまの要因が錯綜してできてきた。例えば東西対立あるいは国民国家の形成過程における問題、それから中国その他の具体的な脅威、そういう問題がある中で、私自身は、アジアの安全保障の枠組みとして成熟したヨーロッパ型のものを今想定するのは恐らくまだ難しいように思います。  ただ、これはかって、何というんでしょう、ソ連が存在したときにというんでしょうか、ソ連が終始熱心に包括的なアジアの多数の国を含めた安全保障の枠組みを、広義の枠組みをつくり上げるということを絶えず主張してまいりましたけれども、私自身は今あのようなことから考えますと、二国間の積み重ねと同時に、やはりアジアの安全保障問題について広域の協議を行う段階にようやく入ったんではなかろうかという印象を持ちます。先ほど申しましたように、例えば中国安全保障の国際的な枠組みに入ってもらうということもその一つでありますし、もはや二国間関係だけではない新しい協力の枠組みづくりについてアジアの主要な国、例えばインドなども含めた、アジアといってもまださまざまな問題があります。どこで紛争が起こるかわからないという状態にありますので、そういう中でマルチの安全保障を協議する機構というものをもう出発させていい段階に来たというふうに思います。  ただし、それはヘルシンキのような形での合意にたどり着くには非常に時間がかかりましょうし、そのための時間というものは、それと成熟というんでしょうか、日本も含めた成熟だろうと思いますが、そういうものがヨーロッパ以上に恐らく必要だろうというふうに考えています。
  23. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) 基本的には毛里先生と同じ意見です。  やはりCSCEにかわるCSCAに向けての交渉の時期が来ているというふうに私はとらえます。  ベーカーの論文の中で、二国間関係の積み重ねということを強調しているわけだけれども、論文の背後を見ますとよくこの趣旨がわかるのでありまして、軸はやっぱり日米関係ですよ。日米安保に手をつけないということなんですね。なぜ日米安保に手をつけないのか。これは要するに下手に手をつけますと、パンドラの箱のふたをあけて何が飛び出してくるかわからないというおそれがあります、日本ナショナリズムの台頭という時代もございますから。その辺を恐れてのことだという ふうにも読めますし、いずれにしろ現状維持からの離脱から来るおそれというものがあるんでしょう。  同時に、アメリカはその前後に、例えばソロモン国務次官補とフォード国防次官補代理が対アジア戦略において前方展開戦力を維持するということを言っているわけです。この前方展開戦力を維持するその一環がAWACSであり、F15であり、P3Cなんですね、全然変えてないんですよ。特にアメリカは平和の配当が回ってきていないものですから、軍需産業が今生産ラインをとめることに対して非常な抵抗をしているわけですね。アメリカは今不況に入っておりますから、このアメリカのリセッションに対する、しかもこれは選挙対策と絡んでまいりますから、そうなりますと、これは下手に手をつけられないというところだろうと思うんです。  逆に、アメリカのトップレベルの国務次官、国防次官レベルで出してきている具体的な政策は何なのかというと、要するに日本兵器を買わせるということなんですね。日本軍縮でなくて、日本軍拡してくれということを要請しているんですね。これは僕は日本の主体性のなさだと思いますね。その裏の絵が、要するに二国間交渉の積み重ねの中でという意味のもう一つ意味だと思うんです。もちろんこれは、例えば韓国問題をにらんだときに、今はまだその時期に来ていないというとらえ方もできますし、そういったポジティブな面を評価してもよろしいのですけれども、しかし同時に、やっぱりアメリカが持っているこういう日本の負担増に努力してもらいたいというこのポジション自体を、私ども日本はノーと言える日本にならなければ私はいけないと思いますね。それが成熟国家としての、国際国家としての日本役割だと思うんです。日本外交がないと言われるゆえんだと言って差し支えないと思います。
  24. 尾辻秀久

    尾辻秀久君 引き続き毛里先生と、それから次の質問は山澤先生にもお答えいただきたいと思います。  近年、アジア地域で、国境を越えたいわゆる地域経済圏というものが各地で形成されつつあります。申し上げるまでもないんですが、一番進んでいるのが香港と広東を中心とした経済圏と、もう一つは台湾と福建との間の経済圏なのであろうと思います。挙げていけば切りがありませんけれども、韓国と山東半島を中心とする経済圏などなどいろいろございます。これらの動きを見ておりますと、アジア地域においては政治よりも経済においてポスト冷戦が先行していると見えないこともないのではないかと思うわけでございます。  ですから、アジア地域における安全保障の秩序を確保するためにはむしろ経済関係の方から入っていった方がいいのかもしれないなと思うわけでございますが、そういった意味からいきますとAPECなどはまさにアジア版CSCEなのかもしれません。こうした見方について先生方はどのように見ておられるか、お考えをお聞きしたいと存じます。
  25. 山澤逸平

    参考人山澤逸平君) 尾辻先生のおっしゃられたことに私はほぼ賛成でございます。  私は、これまで経済学を勉強してまいりましたし、経済的な関係というものがかなり国際関係の土台になっているということを信じておりますし、そして今その場に経済的な貢献を通じての日本役割ということが大変高く評価されてきている、期待されてきていると思いますので、おっしゃるとおりだというふうに思います。  一つ、先生が中国と周りの国々との間の関係を御指摘になりましたので、その点について付言させていただきますが、ことしの五月に私は北京で行われました会議に出席いたしました。これは学者の集まりで太平洋経済開発会議というものでございます。中国に台湾からも香港からも韓国からも経済学者が参加いたしまして、参加国はAPECの十二カ国にほぼ匹敵しております。  その中で、特に私が興味を持ちましたのが中国の周りの新興工業国、台湾、香港そして韓国の間の関係でございます。この間の貿易関係が大変高まってまいりました。これを論文の報告者はトリオと呼んでおりましたけれども。もちろん香港というのはその後ろに中国の貿易というのがございます。これは外交関係から申しますと、韓国と中国の間はございませんし、台湾との間もございませんけれども、そういう経済関係は盛んに進行している。実はまさにおっしゃるような地域経済的な高まりがそこで起こっているわけでございますけれども、それが今後も続けて発展していくかどうかということについて私は政治的な安定を保証してくれる仕組みが大変効くのではないかというふうに考えております。  この地域は、マハティール首相が提案いたしました東アジア経済圏ということのまさに真ん中になるわけでございますが、そこで関税を下げたりいろいろな経済的な制約を取り除くということよりも、まず第一に中国が今後も開放政策を続けて、そうしてそう簡単にその関係を断ち切らないということを保証してくれること、そういう面での経済発展に対する政治的な安定性の保証をしてくれることが恐らくこのトリオとの間の関係発展を進めるでございましょうし、中国の市場開放化ということにも大変貢献するだろうというふうに思います。そのための話し合いの場というのがいわゆる貿易ブロックなどというものではなくて、それがマハティール首相の東アジア経済協議体というもので議論をされて、全く隔絶してしまってお互いに疑心暗鬼でいるのではなくて、中国も韓国も台湾も香港も全部集まってそこで議論をして、そしてそこで信頼感を築き上げていくということがこの地域の経済協力をさらに進めるために必要であろうというふうに思います。
  26. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 中国を中心に八〇年代を考えてみますと、確かにおっしゃるように経済からスタートした。言葉は余り適切ではありませんけれども、なし崩しに政治的な緊張の緩和という方向に進んだということは御指摘のとおりです。それがむしろある意味で賢い現実的な選択であったということも事実だろうと思います。まさに中国はそれの果実と言うんでしょうか、今、特に中国の辺境地方においては物すごい経済活性が進んでおります。したがって、そこでは十分に果実を受けているということがあります。  ただ、山澤先生が今おっしゃったように、今後こういう状態がいつまで続くだろうかということに対する不安材料がないわけではないということがあります。一つは、アメリカ経済を含めた国際経済の状況がどうなるかにある程度かかっているというところもあろうかと思います。全体的な経済状況が比較的よいという中での経済圏、経済圏というのは固まった経済圏じゃなく何とない経済圏ですけれども、そういうものができてきているけれども、むしろそういうものが国際的な経済、特に南北関係とかそういう形での問題、紛争が大きくなってきた場合にどうなるかという問題がありましょうし、それと政治的な不信感というものが完全には除去されていないという状況でそれがマイナスに働くかもしれない。むしろ八〇年代後半、とりわけ八〇年代後半が経済から入った緊張の緩和である。九〇年代はアジアにおいては政治的な関係を含めた信頼感の醸成というものを目指さないといけないというふうに私は考えております。
  27. 尾辻秀久

    尾辻秀久君 毛里先生に、中国の問題について改めてお尋ねしたいわけでございます。  先ほどの先生のお話の中に、中国が今日の状況をみずからどのように定義づけようとアジアのもう大変な大国であることは間違いございません。また、華僑の活動なんかがあるわけでございますから、周辺にも大変な影響力を持っておる国でございます。  そこで、私どもとしては当然その動向というのは注目せざるを得ないわけでございますが、ずばり今後の中国は改革・開放路線を維持するのかどうか。先ほどの先生のお話の中で御示唆もあったんじゃないかと思うんですけれども、私の理解力が乏しかったかなと思いつつ、ずばり先生はどう見ておられるか、改めてお尋ねをさせていただき ます。
  28. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 中国のことについてずばりお答えするというのは非常に難しいことでございまして、これは一般に将来のことについてそうですけれども、私は中国、とりわけこの十年間に一〇%近い成長率を記録してきたという、中国の歴史上も非常にまれなる繁栄を今もたらさしているわけですけれども、いろいろ問題は抱えておりながら、今の世界中国が自分を相対化したという点、これがやっぱり基本的に中国が現在の対外開放政策を続けるということの根拠になります。  したがって、中国世界において文化的にであれイデオロギー的にであれ何であれ、リーダーシップを能力以上に発揮するというようなことを考えていない以上、それからもう一つ中国が少なくとも今貧しいと、追いついていかなければならないというふうに考えている以上、中国の対外開放政策というのはすべての中で一番合理的な選択である、そういう点から考えますと、これが変わるということを近い将来において予測するのは非常に難しいということです。
  29. 尾辻秀久

    尾辻秀久君 山澤先生にお尋ねいたします。  今後の太平洋協力を円滑に進める上で、この地域の環境問題は避けて通れない、このように思っております。私どももこの調査会、随分この問題で勉強させていただいてもきております。しかも、我が国は多くの場合熱帯雨林や種の減少などで被害を与えていると非難をされてもおるわけでございます。こうした問題に我が国は今後どう対応してアジア・太平洋地域の発展と繁栄に貢献していったらいいのか、先生のお考えをお聞かせいただきたいと存じます。
  30. 山澤逸平

    参考人山澤逸平君) 環境問題が大事であることは全世界的な合意が得られつつあるというふうに思います。今はサステーナブルデベロプメント、持続可能な発展という概念が普及しておりまして、これは環境を悪化させる状況経済発展を続けることはできない、どうしても環境と両立するような形で進めなければいけないという形になり、それが世界共通の努力目標になっていると思います。  ただ一つ日本役割とも絡めまして申し上げたいことは、実は世界的に環境問題が重要視されている中でもなお先進国を中心とした環境派と、それかも発展途上国側の成長派の対立が残っているということでございます。実はマレーシアであるとか発展途上国の中には、先進国が環境を非常に重要視するのは結構であるけれども、しかしそれによって発展途上国の成長をとめるという要求をするということに対して大変警戒心を持ち、反発をしております。  日本は、その二つの間に入ってその間をコーディネートして環境と成長を両立させるような道を追求していかなければいけないのではないでしょうか。その意味で、技術や資金協力ということを通じまして環境を汚染させることを極力抑えるような成長戦略をとらせる、そういうところにこそ私は日本の、大変お金も技術も持っているわけでございますので、果たすべき大きな役割があるというふうに思います。
  31. 赤桐操

    赤桐操君 まず最初に、私は進藤参考人にお伺いをいたしたいと思います。  ここ数年来、世界がまことに目まぐるしく動いてまいっております。戦略核から通常兵器に至る軍備管理あるいは軍縮の進展、中ソ関係の和解、東欧の激変あるいはソ連の政変、NIES諸国などの経済的な台頭、湾岸戦争と、まことに私どもの目前の動きというものは目まぐるしく、歴史が大きな音を立てて動いているという実感がいたしているわけであります。  これら一連変化が東西の冷戦の終えんという形で一般的にはとらえられていると思うのであります。もちろん私もそれは一面では正しい認識だと思います。しかし、昨今の一連変化というものを見てまいりますと、単に戦後四十数年間続いた冷戦構造の終えんという枠組みだけでは完全にとらえることはできないのではないか、EC統合に象徴される経済のボーダーレス化や、日米構造協議に見られる内政問題の国際問題化などが問題を一層複雑にしてきている、こういうように思っておるわけであります。  このように、現在、世界で進行しつつある状況根底には、何世紀に一度とよってよい大きな歴史的な変化といったものがあるのではないか、十八世紀以来の近代主権国家、国民国家という枠組みが今大きく変わってきているのではないだろうか、こういうように感ぜられるわけであります。  さらに、情報革命という視点からとらえまするというと、まさに産業革命以来の変化が政治、経済、社会、文化のあらゆる面で起きてきている、また今後も起きていくであろう、こういうように感ぜられます。  世界は今、大変不透明で不確実性の時代だ、こう言われておりますが、こうした中で今後の世界のシステムといいましょうか、特に安全保障の枠組み、こういうものについてどのようにとらえていったらよいのか、先生のお考えを伺いたいと思っております。
  32. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) 今御指摘になった東西冷戦の終えんに関する御見解、私は全くそのとおりだと思います。  これは単に東西冷戦の終えん、一九四五年以来の東西対立の終えんであるばかりじゃなくて、十八世紀以来の近代主権国家を軸にした国際体系自体の古い世界の崩壊なんだ、そう申し上げていいと思います。それがボーダーレス世界の登場でありECの登場であり、あるいはECとASEAN、さらにコメコンがこれに一緒になりますね。それからソ連が崩壊し、ある種の連邦制ができるでしょうし、これ自体帝国の崩壊であって再びボーダーレス化の方向へ向かう、分権化の方向へ向かう兆しである、その過程であるというふうにとらえていいと思います。あるいはNAFTAにしろあるいはAPECにしろ、こういった動きすべて国境の壁が限りなく低くなり続けている二十一世紀への胎動であるというふうに見ていいと思います。  かつて、内政不干渉の原理が国際社会の原理としてもてはやされてきたし、それはそれなりに歴史的な意味を持っていたわけだけれども、そういったボーダーレス化の世界になりますと、御指摘のように内政問題が外政問題になるんですね。例えば日本の労働慣行のおかしさあるいは補てん問題、要するに国際社会のルールに合致していない日本資本主義体制のあり方自体が問題になってくる。内政不干渉の原理でなくて内政干渉の原理が国際社会の原理として登場してきているんですね。これが今の日米摩擦の構造協議の構造協議たるゆえんなんですね、日本の構造を変えろということですから。  この間もEC・日本シンポジウムというのを私どものところでやったのですけれども日本の評判は悪過ぎますね。日本資本主義のあり方というのは人間の顔をしていない、サラリーマンがサラリーマンとして人間らしい生き方をしていない社会じゃないか、チロリスティックステートだという表現までECの連中は言いましたし、フォルクスワーゲンの取締役は、とにかく日本はアンフェアだと言うんですよ。労働時間のそれは二千五百時間対千六百時間という差ではこれは実質二千五百時間と申し上げていいし、銀行に関しては三千時間と申し上げていいと思うのですけれども、これはやっぱりマージャンのひとり勝ちじゃないかというふうに思います。  安全保障の問題というのは、国内問題になってきているというふうに言っていいと思うんです。敵がもう想定できない状態だ。ただあるのは、残念ながら今の国際社会というのは十六世紀、十七世紀の社会構造を残した中東とかあるいは若干の修正を加えて言えば中国とかミャンマーとかそういうところがあるわけですね。ボーダーレスの世界の中で、グローバルに一体化した世界の中で、十六世紀、十七世紀世界と二十一世紀世界が併存し合ってせめぎ合っているという状況があるものですからサダムフセインが出てくる。だから、これに対するソフトランディングを我々は字 全保障の核として考えていかなきゃいけないだろう、それがさっき尾辻議員が御指摘なさったように国連安全保障という考えだと思うのですね。グローバルな安全保障だと思います。  そういったものをもっと具体的に、日本は積極的な貢献策を出していくという時代に来ているんではないか。一国中心主義で近代主権国家の十九世紀、二十世紀概念にとらわれる限りやっぱり自衛隊、セルフディフェンス・フォーシズなんです。これは僕は時代の波に洗われ始めているというふうに申し上げて過言ではないというふうに思います。
  33. 赤桐操

    赤桐操君 同じ観点になりますが、毛里参考人にお伺いいたしたいと思います。  毛里参考人中国研究が御専門のようでございます。アジア地域にも徐々ではありまするけれどもポスト冷戦の波が押し寄せてきている、こういう状況の中でさまざまな二国間関係の進展と和平、和解の動きまた軍備管理や軍縮の方向、こうしたものが大変大きく期待が高まってきておるわけであります。参考人は、北東アジアは対立と抗争に明け暮れた近代以来の歴史で初めて協力と対話の時代に入ったと、このような認識を示されているわけでありますが、このポスト冷戦期における北東アジアの平和と安定のための構図、先ほど御説明の中で若干触れられたように思うのでありますが、もう一度この点詳細にお伺いできればありがたいと思います。
  34. 毛里和子

    参考人毛里和子君) アジアにおけるポスト冷戦の状態からいかに固定的、安定的な平和の枠組みをつくり上げていくかという今はその過渡期にあるわけですが、アジアにおいては、これは東北アジアだけではなくて東南アジアも含めた今私は東アジアという言葉を使いますけれども、その東アジアにおける紛争の終結というのは、ベトナム、カンボジア問題での平和的な和解というものがようやくことしに実現したと、これが実態としてどう根づくかということがまだクエスチョンでありますけれども、そういう中で東アジアにおける安定状況をいかに固定するかということについて、正直言いまして、先ほど言いましたような二国間関係ではない多国間のフォーラムをつくるというような非常にあいまいなものしかまだ構想の段階には残念ながらなってないというふうに思います。  ただ、去年、私はある国際会議で、東アジアの状況は非常に流動的である、国民国家の言ってみれば成熟した関係というものもこれまで構築していないというところからみるとヨーロッパとは随分違うということで、ヨーロッパ型安全保障のシステムというのはまだ非常に遠い先の将来のことだと。おととしですか、モスクワでのシンポジウムのときにソ連と論争した記憶がありますけれども、今九一年になってみて、私はそれよりももっと速いテンポで東アジアにおいて他国間フォーラムでもって共通のアジアの安全保障、それから平和の枠組みをつくろうというような状況が割に速いテンポで生まれてきているというふうに今認識しております。  それをどういうふうに構想するかということは、現在出ておりますのは恐らくソ連側がかつて出した構想しかございません。アメリカも構想自体としてはない。ましてや日本もないという状態の中で現在手探りの状態だろうと思います。私はむしろ、相互信頼感というものをつくり出せるような政治的フォーラムをつくり上げるということがまず第一ステップではなかろうかということを考えています。
  35. 赤桐操

    赤桐操君 毛里参考人に重ねて伺います。  ソ連も、御承知のとおり我々とは大変近い国になってきている。それで朝鮮半島の問題も平和を志向する方向へ動いてきている。そういう状況等も考えてみると、日本海を中心としたこの地域一帯の地域性というものが非常に問われてきているんじゃないかというように私は感じているんですが、それと今の構想の問題についてはどのようにお考えになりますか。
  36. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 日本海をめぐる地域性が問われているということのおっしゃっている正確な意味がつかめているかどうかわかりませんけれども、私の理解した限りで申し上げれば、ソ連脅威の消滅ということは、先ほど議論がありましたように現実だろうと思います。私はかってから、つまり七〇年代に果たして本当にソ連脅威が直接の脅威としてあったんだろうかということさえ問われなくちゃならないと思いますけれども、ましてや中国の軍事的な脅威などはなかったわけです。ただ、特に八〇年代末に入ってのソ連の軍事的な脅威というのは、北東アジアにおいては完全に消滅している。むしろ、ソ連脅威というものは、混乱とそれから経済的な破滅ということから来る全然別の種類の不安定要因というくらいに変わった、むしろそれは支援するという形でしか脅威の除去はあり得ないというふうに変わったと思います。  それから、朝鮮半島自体、これは朝鮮半島においては状況が非常に不透明であります。私は、実はことしの十月に中国でのシンポジウムに参加しまして、そこで非常に驚いたというんでしょうか認識を新たにしたのは、中国と韓国との国交の問題ということについて、クロス承認の問題ですけれども中国側はこれについて、私どもの話に対して従来は非常にけんもほろろでございました。ところが、韓国と朝鮮民主主義人民共和国の国連加盟以後、中韓関係が非常に進展したということを中国自身表明し、韓国に対する中国の態度というのはかなり変わったというふうに私はその会議で感じました。朝鮮半島をめぐる状況というのは、一つは経済の論理で現実が進行している。少なくとも北に対しては北が脅威になり得る状況を周辺から非常にやわらかく包囲するというような状況中国がつくり出した。あるいは周辺諸国がつくり出すことによって緊張、あるいは紛争化を完全に避けられる状態は現在生まれているというふうに私は思います。したがって、数年前の北東アジアの状況あるいは日本海の状況と、現在の日本海をめぐる軍事的な状況とはやっぱり基本的に変わっているというふうに私は認識しています。  ですから、その点でいえば、日本安全保障政策というものも軍事力安全保障を確保するかという観点から、根本的な発想の転換を迫られるというふうに思います。
  37. 赤桐操

    赤桐操君 山澤参考人に伺いたいと思います。  世界経済の発展段階がいろいろさまざまな形で進んでおりますけれども、そうした中で、一方にはソ連東欧諸国の経済状況があります。また、失われた十年と言われる八〇年代を経験しております。そして、貧困と経済悪化に苦しむ発展途上国が存在いたしております。他方には、歴史上まれに見る経済成長を達成しているNIESやASEAN諸国があるわけです。私はこうしたアジア・太平洋地域の経済発展のダイナミズムを世界経済の発展につなげていくことはできないものだろうか。NIES諸国やASEAN諸国の成功があのような形で行われてきておるわけでありますが、この可能性というものを、同時にこの発展の構図を発展途上国一般に適用するということはいかがなものであろうか、これについて我が国は何ができるか、先生のひとつ御意見も伺いたいと思います。
  38. 山澤逸平

    参考人山澤逸平君) 赤桐先生の御質問に二段階に分けてお答えしようと思います。  現在、先生の御指摘になられました発展途上国の中で、特に貧困な地域というのはアフリカのサハラよりも南部のいわゆるサブサハラの諸国と言われる国々であり、もう一つは南アジアの国々であります。これらの国々と同じ発展途上国と呼びましても、先生のおっしゃられたアジアの新興工業国、それからASEANの諸国とはかなり条件が違ってまります。  先ほど申しましたように、アジア・太平洋地域ではAPECというグループができ上がりまして、これはパリに本部のあるOECDが金持ちクラブ、パリ・クラブと呼ばれたのに対して、発展途上国も含んだ経済協力機構であるユニークなものだというふうに申し上げましたけれども、今出 し上げたような非常に貧困な発展途上国がそこから外れているということを申しますと、これも第二の金持ちグループという批判を恐らくは一九九〇年代の後半とか二〇〇〇年には受けることになるだろうと思います。この地域の韓国、台湾等は当然もう既に先進国化しておりますし、ASEAN諸国もそれに続いておりますので、もしこのままで行けば、私は、この地域は第二の金持ちグループになってしまう。  ここで、アジア・太平洋の経済協力クループのなすべきことは、自分たちだけの経済発展を図るということではなくて、それよりもやはりグループ全体としてより後進のアフリカ、南アジアの諸国に援助の手を差し伸べていくことだろうと思います。日本は当然そういう方向に経済協力を引っ張っていかなければいけない。それでなければもう一つの金持ちグループができ上がるだけになってしまうというふうに思います。  第二番目に、それではこの地域で成功したことがアフリカや南アジアの諸国に適用できるかということになりますと、これはかなり難しいというふうに申し上げざるを得ないだろうと思います。実は、ちょうどこの地域で成り立ちましたのは、先ほど私が雁行形態的発展というふうに申しましたように、日本からアジアの新興工業国に産業が移転しまして、それからさらにASEANと、こうつながり合っている。リーダーがあるし、それに追随していくフォロアーがあるという関係でございます。  ところが、そういう関係がどうもサブサハラや南アジアの地域には見つけることができない。そういう地域でどこが日本役割をするのか、どこがアジアのNIESの役割をするのか。ラテンアメリカの場合は私はかなりの程度アメリカ合衆国であり、メキシコであり、そうしてそれよりも後進の南米の諸国というふうにつながり合いが結びっけられるかと思いますけれども、そちらはまだ状況のよろしい方でございます。  今は、債務累積の問題が徐々に改善してまいりまして、その方向に動き出していると思いますけれども、しかし、御指摘のアフリカ及び南アジアにつきましてはそういうメカニズムがまだ存在していない、余りに較差が大き過ぎる。これに対しては別種のアプローチということの方が私は適しているのではないかと思います。そういう諸国は世銀等から市場経済化ということを要求されましてその方向を急いでおりますけれども、一足飛びに市場経済化は無理であって、やはり基本になるような食糧、衛生、それから本当の基本的なベーシック・ヒューマン・ニーズ、BHNというものを提供することが必要でありますし、私はそれにはどうも国連や世銀等を通じた、二国間ではなくて世界的な、多角的な援助のアプローチという方法が適切ではなかろうかというふうに思います。
  39. 赤桐操

    赤桐操君 それでは最後に、進藤参考人にひとつお伺いしたいと思います。  今日の国際的な課題としては地域紛争の防止とか貧困の解決、環境破壊の防止、いろいろありますが、こうした問題の解決のために我が国はどのような貢献が可能であるかどうか。今の我が国のように、国際貢献というと専らPKOへの自衛隊の参加の問題が議論の大半を占めている。これはどうも国際的な面からするならば、いささかずれた論議ではないんだろうか、正常ではないのではないか、こういうように私は考えております。  真の国際貢献とは、我が国が持っているすぐれたものを国際社会の公共の利益に提供することであって、また、それが世界から最も期待されていると思うのであります。それはすなわち、資金や技術の提供、また日本の平和主義あるいは平和的な経済発展モデルを世界に広めるということだと、こういうように私は考えます。日本の資金を南の国々の貧困の解消や地域紛争の防止のために効果的に用いるということは特に重要ではないのかなと。より具体的な方策としては、例えばODA等の援助を行うに当たっては、軍事費の削減なり軍事費が一定水準以下であるといったような条件を付しながら、こうしたものに対するODAの援助を行っていくというような配慮は、まず今日当面の最大の必要な問題ではないかなと。  日本の貢献策全体につきましてお考えをひとつ伺いたいと思います。
  40. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) 私、三月から六月までメキシコにいたんですけれども、メキシコで聞く声というのは、日本は軍事貢献してほしくないという声です。これはトップ官僚層から普通の知識人に至るまで共通した見解だというふうに見ていいと思います。これは、韓国もそうだし、東南アジアもそうだし、中国に私どもが行ったときでも、中国日本の軍事貢献策のPKO参加、つまり日本政府が今進めようとしている形のPKO参加に対しては非常な反発があります。だから私は、日本外交を知らないんじゃないかと思うんです。アメリカ日本に軍事的な形で今参加してもらうこと自体アメリカ兵器産業と一つは結びついているということがあることを忘れてはいけないと思うんですよ。  そればかりじゃないです。おっしゃるように、第三世界の貧困というのが最大の課題であるし、それから、さっき毛里さんが御指摘になったけれどもソ連帝国の崩壊に伴って出てくる帝国からの共和国の独立状況の中で、僕はやっぱり辺境の逆転という現象が出てきていると思うんです。例えば極東ソ連、東北中国日本海圏、これが一つの経済圏として成立してくる。今まで辺境と見られていた裏日本が逆にあそこで相手方を見つける。日本海に向かって一つの経済圏をつくり上げていく、経済交流、経済協力の可能性をつくり上げていく、それがおくれた中国社会なりおくれた極東地域に対する日本一つの積極的な経済貢献策として出てきておかしくないと思うんですね。  同じことは、沖縄とか鹿児島は辺境ですけれども、台湾が一人当たりGNP六千ドルを超える今日、逆に東南アジアと経済協力することによってここに一つの緩やかな経済圏ができてくる。そうすると、そういった経済的、財政的あるいは技術協力、つまるところ教育の普及ですね。それがやっぱり第三世界の近代化への離陸を早めていくんだろうと。それが僕は最大の安全保障だと思います。  逆に言うと、安全保障終えんであって、安全保障という言葉を語ること自体も私どもは幾重にも問い直して考えていかなきゃいけない時代に差しかかっているというふうに申し上げていいのかもしれないと思います。過渡期にあって、確かに安全保障、不安定要因は残り続けているけれども、その対処の仕方というのはもうイデオロギーじゃないんですから、ソ連帝国、共産主義が終えんした今日の二十世紀の基本的な安全保障観というもの、これを私どもは考えて変えていかざるを得ない状況に来ているというふうに申し上げていいと思います。
  41. 赤桐操

    赤桐操君 終わります。
  42. 三石久江

    ○三石久江君 私、三石です。  本日は、諸先生方の論文を読ませていただいての質問にさせていただきたいと思います。  論文を読ませていただいて、読者というか、私の気持ちをいやか上にも引きつけるような論文で、ひとり食い入るように読ませていただきました。  そこで、まず進藤先生にその論文の中から質問をさせていただきます。  先生は、世界は軍事経済から民生経済へと移行、さらに国際的相互依存の同盟政治から国際的統合化の時代へと変化するであろうとのお考えのようです。それは大賛成なんです。  そこで、我が国に最も近く、お互いが影響し合う隣国の中国、人口十二億の超大国である中国の行方については、国際的統合化の流れについてどのようにお考えですか、お尋ねいたします。
  43. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) 一言で言って、楽観論と悲観論が入りまじっておりまして、私は、中国というのは天安門事件が起きるそれなりの理由があったというふうに思うんです。もう何年も前からモスクワでソ連研究者が天安門の二の舞が起きるということを主張しているんだけれども、私はそれは起こり得ないということを強調しているん です。  といいますのは、ソ連社会というのは非識字率が〇・二%いくかいかないかで、ほとんどすべての人が読み書き、そろばんができて、第三次高等教育レベルが一〇〇%を超えています、高等学校を卒業している人が。大卒が大体二割を超えているんです。ところが、中国というのは、大衆学歴社会状況がないですよね。非識字率が三割、農村人口が七割でございますか、を超えているという状況です。それで、大卒が一%しかないし、高卒が一四%しかないという状況です。まだまだ市民社会自体が弱いんです。国家が強い。だから、市民の反乱に対して戦車が市民をひき殺すことができる構造が中側にあるんだ、私はそう読んでいるんです。これはなかなか難しいと思います。  しかし、にもかかわらず、先ほど来ほかの先生方が御指摘なさっていらっしゃるように、国境の壁は低くなってまいりまして、共産主義イデオロギーの終えんとともに市場経済の導入を図り始め、市場経済の導入を図ることなくして経済発展ができないという状況が出てきています。その片方で市民社会はそれなりに増大してきている、登場してきているという現実もあるわけです。そういった状況の中で、私は毛里先生と違って、ポスト鄧小平体制はもはや見え始めているんではないかと。来年、鄧小平が恐らく亡くなる、あるいは退陣すると思いますけれども、まあ大変失礼な話なんですが、中国から文句が出るかもしれません。そのポスト鄧小平体制に向けて私はやっぱり改革派が実権を握っていくのではないかというふうに読んでいます。これは単なる私見の披露でしかないんですけれども、間違っているかもしれませんが。  それはもうとにかく時代の流れだろうと、産業構造変化自体がそれに加速されていますから、技術を転換すること、技術を移転することが支配を伴わない、そういった国際構造ができ上がっているというふうに申し上げてもいいし、その中で経済特区を軸にしてやはり開放経済へ向かわざるを得ない構造ができ上がっているというふうに見ます。それは改革派の台頭を促していかざるを得ないだろう。基本的には北朝鮮も同じだと思います。
  44. 三石久江

    ○三石久江君 ありがとうございました。  次に、毛里先生に、同じような質問になりますけれども、先生の論文によりますと、ソ連の変革に対し中国はかなり自信を持って中国の特色を持つ社会主義の継続、発展をうたっております。その根拠の一つに物の豊かさを挙げておられます。  そこで、中国は、ソ連でも経済が良好で物資が豊かであったならソ連混乱、動乱は起こらなかったと思っているのでしょうか。  また、先生は論文の中で、中国の知識人が「ソ連での社会主義崩壊の本源的な意味についてまったく理解せず、理解しようともしないという点で、中国にとっての大きな不幸である」と述べられておりますが、社会主義はいずれ崩壊するとの前提に立ては不幸ですけれども中国では中国的な社会主義は崩壊しないと思っているように思われます。  そこで、東ヨーロッパ、アジアの社会主義国は崩壊しつつあるのに中国だけが物資の豊かさを誇りつつ維持されているのはなぜでしょうか、先生の御見解をお聞かせ願いたいと思います。そしてまた、それは中国の社会主義も徐々に民主化されて社会民主主義に移行しつつある結果ではないかというように見えませんでしょうか。あわせてお教えいただきたいと思います。
  45. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 二点あったというふうに理解しましてお話をすると、社会主義として中国だけが崩壊しないその理由というのは、非常にテンタティブにお話しする以外にないわけですけれども、現在の体制ということに限定してお話しせざるを得ないのですが、つまり、中国とソビエト及び東欧の社会主義というものは、やっぱりかなりの違いがあったということが一つですね。それを説明していると長くなりますが、非常に簡単に申しますと、中国において一九四九年に社会主義が方向として選択されたということの最大のモチベーションは、中国の独立ないし民族的な自立とかナショナリズムを背景にしていたというふうに私は思います。  一つは、社会主義というもののイデオロギーないしそのシステムを、言ってみればそれを手段として採用するというところから出発したのが中国型社会主義であった。ソ連の場合と東欧の場合はまた違いますが、あの第一次大戦のときですと、ソ連の場合には明らかに戦争の絶滅、国家の絶滅というところから社会主義というものを原理、原則から選択したというふうに思いますが、中国の場合には中国の歴史を反映した選択、つまり民族国家として、国民国家として自立したものをつくり上げる、これが最大の課題でしたから、そのための社会主義であったという点があります。現在なお中国においては、国民国家として経済のレベルもある程度に進んだものとしてこれを形成し終わったというふうには認識されていないというこどですね。まだそのプロセスにあるというふうに彼らは認識している。これは多くの人も多分認識しているだろうと思います。  それから、もう一つの大きな違いは、余りこの言葉使いたくないですが、中国における市民社会というか、そういうものの未熟、あるいは異質さと申しましょうか、政治に参加するということが当然の権利である、そういうことで中国が動いていたわけではなくて、やはりお上が国をつくる、それに従うというその構造自身変えられるような形で中国の市民社会は成熟していなかった、現在においてもいない。これは、主として経済的なレベルの低さによっておりますけれども。そういうようなさまざまな要因が、これまでの社会主義のシステムが現在もなお中国に一応残っているということの一つの原因になるかと思います。  それから、将来において社会民主主義への移行ということは、先ほど最初のプレゼンテーションのところでお話ししましたように、中国における現在の体制及び近い将来の選択肢で、現在とられていものは開発独裁ということでありまして、言ってみれば社会主義のイデロオギーとか、哲学というものによっているわけではない。つまりかつての韓国のような、あるいはかつての一党独裁下の台湾のような形で権力を集中してとにかく経済発展をやりたいといういわば開発独裁でありまして、その意味ではかなり脱イデオロギーであり、脱社会主義であるというふうに考えておりまして、その意味でその延長、社会主義から社会民主主義への移行とはまた違う異質のことが現在の中国には起こっているし、近い将来中国はそうであろうというふうに私は思います。
  46. 三石久江

    ○三石久江君 ありがとうございました。
  47. 和田教美

    和田教美君 時間が制限されておりますので、簡潔にお願いします。  私は、進藤先生にまずお伺いしたいと思うんです。  先ほどから、ポスト冷戦期におけるアジア・太平洋の新しい秩序づくりという問題について質問が出ておりまして、私もその問題を少し違った観点からお聞きしようと思っていたんですけれども進藤先生毛里先生のお考えも大体わかりましたから、それは一応後回しということにいたしまして、これとも関連がございますけれども、アジア・太平洋における軍縮・軍備管理の問題、この問題についてお聞きしたいと思います。  ソ連情勢が激変する中で、九月下旬から十月初めにかけてブッシュ米大統領とゴルバチョフソ連大統領によって相次いで新たな核軍縮提案が行われました。この問題についても先ほどちょっと進藤先生が触られましたけれども日本国内でもさまざまな評価がございます。古くなった核兵器と交換する、捨てるというふうな意味を非常に強く評価する人もございますし、余り高い点数を与えないという人もございます。そしてまた、数字の上でいろんな粉飾があるというふうな指摘もございます。  しかし私は、アジア・太平洋における核軍縮という点から見るとやっぱりかなりの画期的な意味 があるのではないかというふうに思っております。まず、地上、海上配備の短距離核の全廃というふうな問題に関連して言えば、特にアジアにおいては海洋核ですね。今までは軍縮・軍備管理交渉のテーマにさえアメリカはこの海洋戦術核の廃棄なんということは拒否しておりましたね。海洋発射巡航ミサイル、いわゆるトマホーク、こういうものについてはあくまで維持するんだというふうなポーズをとっておりましたけれども、これは今度廃棄ないし保留するというふうな形になってまいりました。これはかなり今後の西太平洋における軍縮、軍備を考える場合に影響があるのではないかというふうに思っておるわけなんですが、その点について進藤先生はどういう評価をされておるかという点が第一問でございます。  それからもう一つ軍縮問題についての御質問でございますけれども、ヨーロッパと比べてアジアのポスト冷戦期においても現在においても非常に違っている点は、通常兵力の軍縮が非常におくれておるということだと思います。例えば日本の防衛庁は、これだけ軍事情勢が激変しているにもかかわらず、来年度の予算要求についても防衛費を削るなんという発想は全く出ていない。そして、防衛計画の大綱にあらわれた情勢はそんなに根本的に変わっていない、その延長線上にあるんだ、したがって我々は防衛費の節減とか防衛力の大幅な削減ということをする必要はないんだというふうな論理を展開しているということでございます。  それから、東南アジアなどの開発途上国なんかを見ましても、とにかく通常兵力の軍縮ということについて真剣に取り組みをしているような兆候はないと私は思います。しかも、先進国は余った兵器をむしろ開発途上国に売りつけるというふうな問題もこれから起こってくるんではないかというふうに思うので、通常兵力の軍縮という問題は同様に非常に重視しなければいけない、こういうふうに思うのでございますけれども、この問題について具体的にどういうふうにやっていけばいいのかという点について、御見解があればひとつお聞かせ願いたいと思います。
  48. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) 大変大きな質問なので、限られた時間で十分答えられるかどうか自信がございませんが、最初の問題、私はブッシュ・ゴルバチョフ軍縮新提案、双方的新提案というものは積極的に評価します。これはもう疑いないです。戦略核に関して三〇%から五〇%まで削減するんですし、地上配備、海洋配備の戦術核は撤退もしくは全廃ですからね。それが同時にNATOにおける戦術核の八〇%削減という連動作用を引き起こしているという現実です。これはもう全然疑いないです。それを数字のごまかしだ云々という形で、しかも不確定な数字を出してきて議論する反論の仕方というのは、これは単なる軍事評論家のたわ言にしかすぎないというふうに申し上げていいと思います。逆に言うと、そういうことを議論すること自体が、時間がございませんので、要するに前方展開戦略が、アメリカは第三世界紛争処理型の戦略に変わったんだ、その中で位置づけているというふうに申し上げていいと思います。」第二点ですが、さっきのどなたかの御質問にかかわるんですけれども、歴史的にはあるんですよ。どなたか今までないんだというふうに言われたけれども、例えば米ソ中日四カ国安全保障体制というのは、自民党の石橋湛山氏が五〇年代に出しているんですね。江田三郎氏がやっぱり出しているんですよ。五〇年代、六〇年代出しているんです。ソ連側がかつて出した構想しかないんではなくて、日本側にもあるんですよ。  こういう構想をポスト冷戦時代に保革の壁を越えて今こそ出していくべき時期に来ているのに、出ていないというのは非常に政治の貧困を感じます。国連の中で外交政策を位置づけた方がいいと思います。国連の中で通常兵器の削減構想を引き出していくという、日米基軸論というのは僕は賛成ですけれども、しかし日米基軸論に拘泥する限り日本外交の展開ないし通常兵器における第三世界、特に東南アジアを含めた東アジアの外交の展開はおくれざるを得ないというふうに申し上げていいと思いますね。
  49. 和田教美

    和田教美君 どうもありがとうございました。  時間がございませんので、毛里先生にお尋ねいたします。  先生が「世界」にお書きになった「さまざまな「脱社会主義」」という論文を読ませていただきました。それと今のお話等をお聞きしまして大変おもしろかったわけでございます。  まず、この論文で毛里先生が非常に強調されていることは、先ほどもちょっと質問がございましたけれども中国経済のすさまじい活力ということでございます。そして、中国型社会主義というものについて中国の首脳がかなり自信を持っているのは、経済力の非常に豊かさというか、活力があるからだというふうなことを指摘されておるわけでございます。そして、先ほども話が出ましたように、APECにまで中国が入ってくるというふうな相当思い切った改革・開放政策をとってきておるわけでございます。  しかし、我々庶民の立場から見て非常にプリミティブな疑問でございますけれども、海外に対して、非常に大胆な開放政策を資本主義国に対してとりながら、しかも国内においては一種の、さっき先生は開発独裁という言葉を使われましたけれども、やっぱり一党支配体制を堅持する、そして天安門事件のような強圧政策もとるというふうなイデオロギーの引き締めもやるというふうなこと、こういうものが果たしてうまくかみ合っていけるのかどうか。そして、独自の中国型社会主義というものが発展していけるのかどうか、その点について毛里先生は基本的にどういうふうな想定をされておるのか、その点をお聞きしたいと思います。
  50. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 中国経済の活力という件につきましては、私はたまたまそのときモンゴルとソ連に行って比較して書いておりますので、とにかくモンゴルとソ連では余り似なかったものですから、相対的な感じということをちょっと御理解いただきたいんです。  にもかかわらず、さっき申しましたように、中国の十年間を見てみますと、成果を上げた点というのは、とりわけ外交の分野、それから対外経済の開放の分野であるわけですね。ソ連が失敗したのはまさにその分野ですけれども、その分野では一応今までのところ成果を上げている。それで、海外に対して極めて大胆な政策をとっている。これは事実です。国内において表面的に引き締め政策をとらざるを得ないというそのギャップが形の上ではどんどん広まりっっあるわけです。ですから、ある意味では、右足を経済、左足を政治としますと、だんだんだんだん立っていられなくなるというような状態が来る可能性があるわけですね。それが非常に危機であるという認識を私は一部に持っております。  ただし、中国側の認識というのは、つまり面との関係、それから国内経済がうまくいけば、政治的には引き締めようが引き締めまいが一党独裁体制は堅持できる。つまり開発独裁はうまくいく、そういう面で経済的な成長あるいは対外開放政策にいよいよますます意欲的になるということで、ソ連の政変自体、それからソ連社会主義の崩壊自体中国の開発独裁の道というものを決定づけたというふうに私は理解しているわけです。  ですから、保守的イデオロギーというのは確かに強いですけれども、実質、現在中国が庶民のレベルで生きていること、そして実質、中国社会で生きている論理というのは社会主義の論理ということではなく、開発独裁のとにかく経済をあれするまでは何とかやっていこうというところであるわけです。これは私ほかにも書きましたけれども、  第二の天安門事件が起こらないということは言えないわけです。そういういわば綱渡りの近代化政策は現在とらざるを得ない状態であると私は考えています。  けれども、それをどうやったら除去できるか、そういう悲劇をもう一度繰り返さないで済むかということは中国自身の解決することであります し、それに対して周辺の国々ができるだけ理解と内的な援助、支援というものを与えられるかどうかということだろうと思います。ですから、中国について私は非常にある意味でペシミスティックな見方をしております。
  51. 和田教美

    和田教美君 ありがとうございました。  それでは、もう時間も余りございませんけれども山澤先生に一つだけ御質問いたします。  先ほどもお話ございましたけれども、APECがこの間閉幕いたしました。このAPECというのは、とにかく今度中国と台湾と香港が入って十五カ国になるわけですね。私の聞いたところでは、世界のGNPの五割近くを占めるという大変大きな地域の一つのブロック、ブロックといっちゃなんですが、機構になり得るわけでございますけれども、これはざっくばらんに言えば、日本もかなり推進役を果たしたわけで、外務省の一つの得点ではないかというふうに私も思っております。  ただ、今度のソウルのAPECを見ておりましても、このソウルの会議には、先ほどお話ございましたが、マレーシアからは外務大臣その他関係閣僚も来ていなかったというふうに報道されておる。これはマハティール構想に対してアメリカが強く反対をしておりまして、アメリカを入れないアジアのこういう地域機構というものについて強く反対をしているということの裏返したと思うんです。アメリカは、マハティールが言っておる構想に対して日本は参加するなど言ってかなり圧力をかけてきているということも先ほどお話がございました。  しかし、私は、アメリカを除いたアジアの一つの地域機構というものをつくることには経済的には余り賛成できないんです。もっとオープンな、開かれたそれこそ地域主義でなきゃいかぬと思うのですけれども、かといって、アメリカの言うようにマハティール的な考え方を全く排除するというのも少し身勝手ではないか。自分のところは北米の自由貿易地域というようなものをやっておるわけですから、これはこれで要するに重層的にあってもいいんじゃないかというふうに思うんですね。そして日本も、アメリカが嫌がるから参加しないというふうな態度はとるべきではない、両方に参加して、そして橋渡し役のような形を務めるのも一つの方法ではないかというふうに思っておるわけなんですけれども、先生は基本的にはAPEC重視というふうな考え方のようですが、どういうふうなお考えでございますか、お聞きしたいと思います。
  52. 山澤逸平

    参考人山澤逸平君) マハティール提案に対するアメリカの反発、そして日本へのそれに参加しないようにという要請等は、まさに私が冒頭のお話の中で申し上げたアジア・太平洋地域における経済の政策環境が非常に厳しい複雑なものだということのよい例であろうというふうに思います。  私も、マハティール首相のもとで通産大臣をしているラフィダさんという方が太平洋経済協力会議の席上で演説をしたときにコメントをしたことがございましたが、そのとき私はイエス・アンド・ノーだと、こういうふうに申しました。イエスという要素は、マハティール首相の提案は二つの点で現実を反映しております。  一つの点は、マハティール首相が挙げた東アジア圏という、経済グループという国は、先ほど私が描き出しました非常にダイナミックな経済発展が行われているところであるわけです。そこに基づいた、そこでの経済協力関係でございます。それに対してもう一つ現実というのは、こちら側のアジアのこれらの国はいずれもアメリカの貿易政策のやり方に対して反感を持っております。その反米的な、貿易政策のやり方に対する反感という意味現実性を持っている、現実を反映している。しかし、マハティール首相が最初に提案したような形での経済ブロック、貿易ブロックというのは、私はいかにも賢い提案の仕方ではないというふうに思います。そのような要素を含んでおりまして、私は、先生のおっしゃるとおり、日本としてどうあるべきか、日本として大変難しいことだと思います。  やはり、基本的にはイエス・アンド・ノーということを今まで言ってきておりますし、これからもそういう立場でいく。そして、ベーカー国務長官が日本は参加しないようにと言われましたけれども、それに対して明快な回答は日本はまだ出しておらないと思います。おっしゃるとおり、各省庁とも私が観察している限りではイエス・アンド・ノーであり、両方を立てて両方の間をつないでいく、北米の自由貿易協定があってもいいし、東アジアの経済グループがあってもよろしゅうございますが、それにまたがって傘をかけるものとしてAPECというものが十分に機能するだろうというふうに考えております。私は、むしろAPECの機能を通じてその二つがお互いに対立しないように持っていく、これは先生のおっしゃられた間をとるということと全く同じでございまして、それが正しいというふうに考えております。
  53. 和田教美

    和田教美君 ありがとうございました。
  54. 立木洋

    立木洋君 最初に、進藤参考人にお尋ねしたいんです。  お聞きしたい基本的な点は、先ほど言われました。国際情勢が非常に大きく変わってきている、そういう中での日本安全保障あり方というのが今のままでいいんだろうかという問題意識なんです。  先生も言われましたように、帝国終えん、ヘゲモニーの終えん軍事力意味を持たなくなった時代意味を持つとしてもそれが相対的に低下した時代というふうな指摘がされましたが、ワルシャワ条約機構がああいうふうにして解体し、それでもう軍事ブロックによってどうこうするというふうな問題ではなくなってきている。それから、核兵器の削減計画をブッシュ大統領が提案したときも、ソ連現実的な脅威は存在しなくなったというふうなことを述べているわけですね。それにもかかわらず、現在のソ連の状態を見てみますと、ことしの軍事予算が九百六十六億ルーブル、日本円に直すと二十四兆円。それからアメリカのことしの軍事予算が二千八百七十四億ドルですか、日本円に直すと三十九兆円。莫大な金が軍事費に投ぜられている。先般発表されたIMFのあれを見てみますと、今、世界的に言うなれば資金が非常に不足してきている、これを各国が軍事費を二〇%ですか削減すれば十年間資金の維持ができるんだということまで指摘されているんです。  そういうことを考えてみたときに、日本は依然としてアメリカの要請を受けているといいますか、軍事費を依然としてふやし続けるという状態がありますし、この間の宮澤さんの所信表明の中でも、日米安保条約の効率性を向上させ、そして防衛力を整備するという依然として変わらない対応の仕方をしているんですね。前に日本の防衛白書が出されましたけれども、これもどうも、潜在的なソ連脅威、そういう表現はなくなったんだけれども現実にはソ連のアジア、極東における装備が近代化される、質的に向上されるというふうな文言なんかに見られるように依然としてソ連脅威にしがみついているような文章ですし、アジアにおける問題、不透明性があるといってもそれがどう日本脅威になるのかというところについては解明されていません。そういう点から見て、依然として軍備をふやし日米安保体制に依存するということが長期的に見て本当の日本安全保障になるのかどうかという点では、今の歴史の流れからも非常に問題点が出てきているんじゃないかと思うんですが、その点についての見解をお聞かせいただければと思います。
  55. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) 御指摘のとおりだと思います。もう日米安保体制の時代は終わりましたね。役割終えんしたと言っていいんじゃないでしょうか。  ソ連は二十四兆円使っていますけれども、九百六十六億ルーブルですね。しかし、ソ連のルーブルというのは実勢価格でいくと十分の一ですから、二十四兆円というのは二兆四千億円しかないというふうに見ましたらソ連脅威なんてないですよ。日本は五〇年代から状況が変わってもいつも脅威なんですよ。ソ連脅威が五〇年代になく なって、六〇年代になれば今度は中国脅威なんです。中国脅威がなくなった後に出てくるのは基盤的防衛力構想なんですよ。基盤的防衛力構想が今の防衛計画の大綱の基軸になっていますけれども、基盤的防衛力構想というのは、詰めて言えば要するに、いかなる事態が起ころうとこれだけの兵器を買うというショッピングリストを羅列したわけですね。兵器というのはとにかくモデルチェンジするたびに四倍ぐらい値段上がっていきますから、そして性能が上がってきます。だからGNP一%を守れとか防衛力を整備しろとかという議論自体が非常にトリッキーというのかまやかしの議論ですね。  僕は、日米安保にしがみつき続けている限り日本の防衛政策の展望はないというふうに言っていいと思います。僕はやっぱりノーと言える日本がないといけないというふうに思いますね。僕は石原慎太郎さん大好きですね、その限りにおいてだけですけれども
  56. 立木洋

    立木洋君 次に、毛里参考人にお尋ねしたいんです。  確かに、中国革命が民族的なモニュメントとして成功したということは全くそのとおりだと思います。しかし、文化大革命で経済の建設についても体制の問題についても非常に大きな打撃をみずから招いたですね。確かに、先生おっしゃったように、一九八二年に経済の調整が進んで独自の方向を今進んでいますけれども、私はこういう点にやっぱり問題があるんじゃないかと思うんです。  それはどういうことかといいますと、同僚議員も指摘したんですが、一九七九年に鄧小平はアメリカに行きまして、そしてアメリカの了解を得たというふうな言い方をしていいかどうかわかりませんが、結局ベトナムに対して制裁を加えるという判断をして、一九七九年ベトナムに対する武力介入を開始したんですね。そして先般の天安門事件を引き起こしました。この問題も依然として、中国の法体制からいえば、憲法で認められている国民の権利すら、現在の時代ではデモ、集会についてはやっぱり規制が続いているんですね。  また、先ほどおっしゃったベトナムとの間で共同声明を発表された、中国が。あれを詳細に見てみますと、中国がベトナムに侵略した問題についての反省というのは全くないんですよ、双方とも。あの問題については触れてないんです。ですから、実利主義、鄧小平さんがよく言う、白い猫でも黒い猫でもネズミをとればいい猫だと、こういう見地で中国の今の事態が進むならば、アジアの安全保障の上からいうならばやはり相当考えてみなければならない点があるんではないかというふうに私は思うんです。確かにヘゲモニーの時代が去りつつありますけれども、しかし中国の存在というのはアジアにとっても、世界にとっても重要な意味を持っていますから、そういう点は批判的な見地を持ちながらも、中国みずからが自分の道で建設できるような正当な対応が必要ではないかと思うんです。  今、中国の批判的な点を挙げたんですが、その点についての先生の御所見があればお伺いしたいと思います。
  57. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 中国外交にせよ中国の内政にせよ、国際的な共通の価値観から言いますと問題のある点はたくさんございます。とりわけベトナムの、中越戦争のときの懲罰の論理ということは絶対に認められないごとでありますし、それから天安門における事態中国における民衆、人権の抑圧であるということも厳然たる事実である。そういう意味では一市民としては非常に批判的にならざるを得ない、これも事実であります。  ただ、それとアジア全体の国際的な環境の問題ということとは一応問題が別でございまして、要するにそういう中国が将来において依然として覇権的な外交をやるだろうか、それから実利主義的なものに伴うさまざまな紛争をもたらすだろうかという点が問題になり得ると思うんですが、その点について潜在的に中国が対外的な影響力を行使したいという、これは消すことはできないと私は思います。持っていると思います、依然として。しかし、現在のところ対外政策の基本は極めて内向きの、実利主義的なものであるというところは認めざるを得ないということです。  それから、もし国際社会において中国が問題になるとすれば、これは中国についてだけ申しますけれども、先ほどちょっと議論になりました中国が国際的な統合というような観点を少なくとも政治の問題では一切持っていないということなんですね。そここそが私はむしろ問題だろうと思うんです。つまり現在のような経済的な相互依存、政治的には相互信頼、それから、さまざまなものがボーダーレスになっているという状況で、あるいは国際的な普遍的な価値というものをもう問題にしなくちゃいけないという状況の中で、中国の対外政策そのものはやっぱり内政不干渉という枠内にこれを固守するわけですから、ここら辺での現在の国際状況に、そこは多少後ろ向きの、かなり後ろ向きと言っていいかもわかりませんが、対外政策なわけです。  ですから、そこら辺が恐らく今後の、経済的な統合の問題あるいは安全保障についての共通の枠組みをつくるとか、あるいは環境汚染についての国際的な秩序づくりをやろうというようなときにこれは必ず内政干渉になるわけです。ですから、そこら辺のときに、中国の現在の対外政策の基本的な問題点というのが明確になるだろうと思います。  ただ私は、ここ数年の中国側はやっぱりそれなりに成長はしてきていると思います。例えば天安門事件以後、対外政策において本来は非常にかたい対外姿勢をとるのが自然だったと思うんですけれども、それがとれなかったというのは、国際社会の中に中国がもう入らざるを得なくなった。ベトナム戦争における懲罰の論理なんというのは国際社会でもはや通らない。若干の非常に重大な問題が内政干渉になり得るんだ。経済的相互依存も、その他のもろもろの問題、それについての認識が全く後ろ向きになっているわけではなくて、それなりに今学習過程にあるんだろうというふうには私は思っています。
  58. 立木洋

    立木洋君 最後になりましたけれども山澤参考人にお尋ねしたいんです。  アメリカのアジアに対する経済的なかかわり方の問題ですけれども、先ほど先生がおっしゃったのでは、アメリカが今景気的には後退してきていると。確かに、景気でいえば一九九一年度国民生産は〇・三%マイナスになっています。ただ、私の考えでは構造的な矛盾があるんではないかと、ただ単なる景気の後退ではなくて。最近でも大きな問題になっていますけれども、貧困層が二二・五%ふえて三千二百五十万ですか。それから、きのうのテレビのニュースでも言っていましたけれども、ホームレスが七百万というんですね。もう大変な状態になってきている。あの湾岸戦争のときに八〇%以上も支持を集めたブッシュさんの支持がもう四割でしょう。そして、民主党の方が四三%で三%超えている。だから日本にも来られなくなったことが問題になるぐらい大変な事態になっているんです。  このアメリカが依然として世界的に自分の役割を誇示していこうと。しかし、経済的に言えば双子の赤字ではなくていわゆる国の財政、地方財政、貿易、家計ともう四つ子の赤字だと言われるくらいの事態になっているのに、依然としてアメリカが自分の覇権的な考え方でアジアに臨もうとするならば、私はさっき話が出ましたマハティールさんじゃありませんけれども、いろいろな意味で今後問題が出てくるんじゃないかと。  そういうときに、日本のとるべき態度として、アメリカに同調してアジアをなだめるということではなくて、近隣のアジアの中において日本が自主的な立場を持ちながらアメリカの間違っている点についてはきちっと述べられるような対応をやっていかなければ、アジアの安全保障という見地からすれば、これまでのアメリカのアジアに対するかかわりからすれば相当の批判というのがベトナム戦争時代からありましたしね。だから、将来的な展望を持つならば、そういう日本の態度 というのが必要ではないかと思うんですが、先生の御所見をお伺いしたいと思います、
  59. 山澤逸平

    参考人山澤逸平君) アメリカの経済状態が単にマクロ的な景気後退ではなくてかなり構造的にいろいろな問題をはらんでいる、これは先生のおっしゃるとおりで、私も全く同じ認識でございます。  それもかかわらず、アメリカがアジアに対して覇権的なあれを持っておるということですが、これはちょっと私の領域と若干ずれますのであれでございますけれども、しかし、この間東京に参りましたベーカー国務長官の講演を聞きましたけれども、その中で、私の印象では、ベーカー国務長官はアメリカの経済的な困難ということを十分に認識していて、アジアの経済的な発展のためには日本の協力が不可欠である。したがって、日本と協力していかざるを得ないというふうなことをはっきり申しておりました。  ですから、その点についてはアメリカもその必要を感じている。そして日本もその方向で私は協力するべきだと思いますけれども、おっしゃられました日本投資は、アメリカにも行っておりますけれども、アジアにも行っておりますし、ヨーロッパにも行っております。世界第一の投資をする資金を持っている国に過去二年前にはなったわけでございまして、莫大な投資をその三地域に対してしているわけでございまして、アジアへの日本投資がある程度アジアでの景気の過熱状況を結果したということも一部にあったぐらいでございまして、その意味ではアメリカヘの投資とアジアヘの投資が必ずしも矛盾はしない、ないしは競合はしないというふうに考えます。
  60. 猪木寛至

    猪木寛至君 進藤先生にお伺いしたいと思います。  先ほどから、ソ連の軍事的脅威はもう既にないというお話でしたが、私もちょうどこの三、四年というか、ソ連が激変していく中でいろんな選手の養成ですが、プロに転向させるというようなことでソ連とかかわり合いを持ちまして、その都度政府関係者といろいろ話をしたんですが、その人たちがどんどんいなくなってしまうんですね。その中で特にグルジアとの関係も非常に強く持っているんですが、今回シェワルナゼ外相が再びカムバックしたという。ソ連では今までかつてあり得ないことだと思うんですが、そのシェワルナゼさんの台頭について御意見を聞かせていただきたいと思います。
  61. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) 基本的には新思考外交であって、最前から申し上げている基本的な二十一世紀の流れに即した外交だというふうに申し上げていいと思います。  第一に、なくなったとはいえやはり対米協調外交を基軸にしていく、そして第二に軍縮外交を基調にしていく、第三に経済的相互依存を軸にしていく、そうすることによってソ連邦の経済的ルネッサンスを図る。しかし、皮肉なことにこれは同時にソ連邦の崩壊を促していかざるを得ないだろう。彼みずからが、ゴルバチョフがかつてそうであったように大国の衰退を用意していくだろう、つまり大国の解体を用意していかざるを得ないだろう、そういう感じがします。つなぎの役割じゃないでしょうか。つなぎだと思います。
  62. 猪木寛至

    猪木寛至君 構造の変化というか、米ソの歩み寄りというのは必ずしも平和的なことから始まったんじゃなくて、経済的破綻ということから、両国がにしきの御旗というか、平和的なものをにしきの御旗にして歩み寄っていったということの中で、一方で本当に軍縮はせざるを得ないというか、そういう状況の中で一つ今私が心配しているのは、食糧安全保障とでも言うんでしょうか、食糧。  この間、中南米に行ってまいりました。ブラジルというのはある意味では食糧基地というか、大変重要な位置を占めているんですが、非常に生産率が落ちてきているというようなことで、一方ではオーストラリアの小麦の輸入が日本にも制限が起きているようなことで、日本は輸入に頼っているんですが、表でウルグアイ・ラウンドでやっている米を開放しろというものと全然違う形で一方で動いている。  先ほど、中国のお話も出ておりましたけれども、私も中国を八月にシルクロードをずっと歩いてきまして、一つは農業政策というのが非常にしっかりしているような気がいたしました。その中で、ソ連というのは何かその辺が今回のやはり一番もるさというか、そういうものが出てきたような気がいたします。  そこで、中南米、南北の問題というのがここに書かれてありますが、私は南米に対しても非常に興味がありますが、ただ、アメリカが今まで何とか南米をコントロールしようという中で、財政的にもう支援ができないんで投げ出したというか、ニカラグアの話もここに出ておりますが、そのツケが多分日本に回ってくるんじゃないかなという気がいたします。  そういう中で、世界的な食糧問題というものは軍縮と同時に非常に重要な問題になってくると思うんですが、先生の御意見をちょっと聞かせていただきたいと思います。
  63. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) 食糧安全保障日本で言いますけれども、僕は十年ぐらい前から言っているんですけれども、こういう言葉はもうやめた方がいいですね。これは通用しないですよ。これだけ日本国内に飽食の世界があって、飽食の世代があって、あり余る米があり、あり余る食糧があるのに第三世界で飢えている、中南米で飢えているとまあ全部そう一概に言い切れませんけれども。  ことしの夏に札幌で国際食糧学会があって、そこで外国の連中がみんな言うんですよ。日本で食糧安全保障と言うけれども、そんなこと言ったらアフリカや東南アジアはどうするんだ、食糧安全保障なんというようなことは通用せぬと言うんです。僕はボーダーレスな時代で米一粒も入れないなんていう考えばもう成り立ち得ないと思いますよ、はっきり言って。これは食糧庁の問題じゃないかしら、あるいは農協の問題じゃないかしら、そんなふうに思いますね。  それと、ソ連で農業が失敗した失敗したと皆さんおっしゃるけれども、僕はそう思いませんよ。これは壮大なる偏見であって、日本は何でもソ連で起きたことは脅威なんですよ。軍事的脅威でしょう、今経済的脅威でし。よう、ただ種類は違うけれども。しかし、具体的なソ連の食糧生産高というのは、一九九〇年に史上最高を記録するわけです。  問題は、ソ連の食糧問題の本質というのは、保守派と改革派が争っていて、共和国と連邦政府が争っていて、流通過程において共和国が食糧拠出を連邦にやらないから出てくるわけですね。あるいは改革派に対するサボタージュとして保守派の労働組合が、あるいはコムソモールの連中が食糧を拠出していないから出てくるわけです。  それと、もう一つ見落としているのは、中国社会と違ってソ連社会におけるストック経済の豊かさですよ。これはやっぱり見落としちゃいかぬ。僕は、これはもうあちこちであれして、時間がございませんので説明いたしませんけれども日本人はよくソ連に石けんとかなんとかを持っていきますけれども、もう笑われますね。ソ連の貧困というものを強調し過ぎると思いますよ。やっぱり経済的な成果が市民社会の成熟さを生み出す、未熟さが経済的要因にあるというふうにとらえるんでしたら、結局市民社会の成熟さがそれなりに成立したソ連社会における企業家層の存立ですね、ブルジョアの存在です。ブルジョア精神のエンタープレナーシップというんですけれども、要するに資本主義精神の勃興というものを僕はもっとはっきり見据えておいた方が――僕は親ソ派なものですから、中国専門屋じゃないものですから言うのかもしれませんが、その辺、僕は日本ソ連観というのはちょっと違うと思いますね。アメリカ東欧の、西欧のソ連観というのはもっとグローバルなパートナーの一部としてもう抱き込んでいますね。ちょっと違うのですよ。  逆に言うと、中国社会の政治的な対応に対してははっきり人権外交を強調する。中国軍縮を進めない限り経済協力を進めないとか、そういう形 でもっと中国に対しては政策を出すべきじゃないかというふうに私は思います。
  64. 猪木寛至

    猪木寛至君 いろいろお聞きしたいんですが、時間が余りないものですから。  もう一つ毛里先生にお願いしたいんですが、中国の人口問題が大変大きな問題になっていますね。それで、十二億あるいは登録されていないというかそれを足すと十三億とも言われておりますけれども、この人たちが例えば民主化になって、我々と同じような生活を今すぐするとしたら大変なことになってしまうんじゃないかなと。先ほど言った環境問題が大変に大きな問題になっていますけれども、だから、中国が今とっている政策はそうせざるを得ない状況じゃないかなと。やはりゆっくり時間をかけて開放へ向けていくという気がするんですけれども、確実に経済成長をしている、先生が指摘されているように。  一つは、これから日本中国あり方というのをどういうふうにすべきかということで、私は、アメリカも大事なんですが、それ以上に中国がこれから大事な国になってくるという気がいたします。先生の御意見をひとつ聞かせていただきたいと思います。
  65. 毛里和子

    参考人毛里和子君) 中国の人口問題というか、あれだけ膨大な国が一つにまとまらなくちゃいけないということ自体が論理的であるかどうかを問わなくちゃいけないと思いますけれども、それにしてもとりあえずは近代化をしたい、先進国に追いつきたいと。これは彼ら自身の権利でありますね。先ほども山澤先生がちょっとおっしゃいましたように、ある意味で南のそれなりの成長派というんでしょうかそういうものと、それから環境派との間の衝突というのは今後私は起こり得ると思います。  先ほど、私がちょっと申しましたように、現在の中国の、あえてゆがんだ経済成長と申しますが、それに伴う環境の汚染、それから自然破壊ですか、これは私は非常に悲劇的な状態で進んでいると思います。それは中国近代化のいわば光と影でおりまして、私は非常に辛らつな言い方をすれば、中国の今の指導者というのは自分の子供の世代、それから孫の世代のことを考えてはいないんではないかというぐらい深刻な環境問題が起こっています。  しかしながら、人口を抑えるというか、例えばこういう話を聞きました。あるところで小さい赤ん坊が炎天下の道にほうり出されていた。それで、通りかかった日本人が、泣いていてかわいそうだから助けよう、だれも面倒を見てやらないのかと言ったら、ほっといてくれ、あれは間引きをしているんだからと。そういういわば非常に影の、過疎の農村ではそういうようなことが起こっている。彼らに富が回るような、最低の生活ができるようなそういう状況を要求するというのは、それは権利だというふうに私は思います。  ですから、たまたま先に進んだ国がどういう形でそれに対して援助を与えるか。これはお金とか物だけじゃなくて、それはもっと精神的な、インフラとかというところで、あるいは公害除去のための無償の援助とか、そういう形でのもう少し南の世界に対する人道的な見地からの関係というのが必要ではないかというふうに私は思います。  それから、日中関係において中国が重要であるという御指摘はそのとおりだと思います。日本中国というのが、中国の大きさというんですか、あるいは日中の関係を基軸に据えたアジア外交というのは展開しなくてはいけないというふうに思いますが、ただ相対化の努力というのはやっぱりしていくべきだと思います。日中関係というのは日中関係特殊な問題があると同時に、それ以外の国々との共通の問題もあります。ですから、日本がアジアにおいてどういう形で生きていくかということの一環として中国との関係、潜在的な、物理的な大国である中国との関係をどういうふうに処理して打ち立てていくかということを相対化する努力というのは私は必要だろうと思います。
  66. 猪木寛至

    猪木寛至君 最後に、山澤先生にお聞きします。  先日、私はIPUという会議に出席してまいりました。大変すばらしい、百年以上の歴史のある会議ですね。ところが、残念ながらこの会議ですばらしい討議をされながらも、それが全く反映されないという初めての体験でした。今回、このAPECというんですか、まだ二年の歴史ですか。ほかにもアジアにおける会議、私はやはり国民がこういうものがあることを知らなきゃいけないと思うんですね。それで国民自身が理解する。ですから、専門家が一部こういうことがあるんですよと、最終的には民衆に知らしめるという、私はそういう意味でイベントを企画して伝えていこうということをやっているんです。そういう意味で将来、このAPECあるいはもう一つの会議、こういうものをもっともっと発展させていくということは当然だと思うんですが、それについて先生のお考え、具体的にこういうふうにもっとやりたいというようなことがあれはお聞きしたいと思います。
  67. 山澤逸平

    参考人山澤逸平君) APECというのは、先ほど申しましたように閣僚会議でございます。正式のメンバーは閣僚でございまして、その下に高級事務レベル会合というのがございますが、これも官僚がお出になるわけでございます。私ども民間人は出る機会が全くございません。インフォメーションもなかなか得られないのが実態でございます。  これと並びまして、PECCというのをお聞きになったことがあるかもしれませんが、これは民間レベルの会合でございます。こちらの方はもう十年以上もやってきておりまして、ここではもっと自由な議論をしてきております。また、おっしゃられたように、太平洋協力ということについての関心が大変高まっておりまして、特に私がうれしいと思いますのは、東京とか大阪とかだけではなくて、地方の都市が、それぞれ自治体が主催いたしまして、より小さな規模の、しかし非常に広い広がりを持った参加者がこの議論に参加している。今のところはまだ具体的な議論というところにいかないでお互いに知り合うということが中心の会議でございますけれども、その中で前にもお話が出てまいりました沖縄と東南アジアが東京を通してではなくて直接につながり合うとか、そのような地域の国際化ということが入ってくると思いますが、その種のものも私はかなり活発化していっていると思います。これは大変喜ばしいことじゃないでしょうか。
  68. 猪木寛至

    猪木寛至君 ありがとうございます。
  69. 粟森喬

    粟森喬君 進藤先生にお尋ねしたいと思います。  いずれにしても、冷戦構造といいますか、イデオロギーで国家間の対立というのを語る時代が終わったことは事実でございます。結果としてそれが国連の例えば軍事的な調整能力をかなり高めるという意味では一つ意味があったし、まあ私なりに意見もあるわけでございますがそれはそれとして、問題はアメリカの国連への評価というのはちょっとどうも鮮明ではない。  といいますのは、軍事的な調整能力があるということと、常に経済的な摩擦に対してどうするのかということは、例えばOECDがあったりG7があったりいろんなことがあるわけですが、私はアメリカがいわゆるパクスアメリカーナといいますか、依然として世界で一番の国はアメリカだと、国連に対しても自分たちの言うことを聞く国連なら国連を通ずるが、それ以外のときはもう国連を飛び越えちゃっていろんなところでやっちゃう。日本の国などは常に政府答弁にも国連中心国連中心と。我々も国連と言われると何となくグローバルに、世界的にいったって国連の一つの評価はあるんですが、私はアメリカの今の国連に対する評価というのはかなり問題があるのではないか、そういうような感じで受けとめているんですが、この辺はいかがでしょうか。
  70. 進藤榮一

    参考人進藤榮一君) 大変難しい問題で、一言で答えられないと一思うんですが、確かにおっしゃるとおりに問題があるし、そしてアメリカ自身も国連に対してどうしていいのかというそこの明確な線がまだできてないのかもしれないという 感じがするんですね。  今回の湾岸戦争に関しても、例えば最近出た「仕組まれた湾岸戦争」という本があります。東洋経済新報社から出ていますのでぜひ一度お読みになっていただければと思うんですが、湾岸戦争だってアメリカが仕組んだ戦争だと言えないことは絶対ないという感じがします。その中で、アメリカが国連軍をアメリカ主導型の、要するに九〇%アメリカ軍ですから、朝鮮戦争と同じような形で国連軍を組織していく、それで派遣する。ですから、何かパクスアメリカーナの代がわりとしての国連が隠れみのだという懸念がなきにしもあらずでございますね。何しろ二年前までアメリカは国連の分担金すら払っていなかったわけですから。それが突然分担金を払うようになった。これはやっぱりちょっと、普通の人間でも、借金をしていたのが突然借金を返すようになったら、下心があるんじゃないかというふうに思われても仕方ないと思いますね。難しい問題だと思います。  しかし、日本がもうこれだけ経済大国になり世界に期待されているわけですから、日本の側から本当に国連にふさわしい平和維持活動なり平和維持構想なりを出して、日本の側からむしろアメリカを牽制するなりサポートするなりするそういった姿勢、しかも、グローバルな中の一環としての日米関係というものをこれから築く時代に来ているんではないのか。だから、日米安保というのは、突然廃棄するなんというのはとてもできないと思うんです。だからそのかわりに、例えばさっき申し上げた日米中ソ集団安全保障構想のようなものを出していくとか、もっとポジティブな積極的な代案というものを日本外交が出していくべき時期に来ているんじゃないかというふうに私は思います。
  71. 粟森喬

    粟森喬君 毛里先生にお尋ねしたいと思います。  脱社会主義といいますか、中国に対する評価を出されたわけでございますが、中国の指導部というんですか、中国の現状は国内における貧富の差がかなり開いてきている。特に今天安門が批判の中心だというけれども、むしろ経済的に優位に立った特区の人たちが特に農村部に対するいろんな開発のためのいわゆる資金というか、そういうものを提出することについてかなり違和感が出てきているということを聞いています。あの中国国家というのは世界で一番大きい人口を有した国家ですね。あの国家があの国家のまま本当に機能できるのかどうかというと、私は多少疑問を持っているんです。過渡的な段階では今の政治指導部といいますかそういうものがなければ、中国混乱をすると世界にもう一つの大きな波紋を投げかけるので、ソビエト的な解体はあり得ないというか、しない方がいいんではないかというふうに私は思うんですが、その辺いかがでございますか。
  72. 毛里和子

    参考人毛里和子君) まず、現在の中国が過渡的であるという御指摘はそのとおりだと思います。それがどれぐらいの時間がたつか、それはだれにもわからないことですけれども、今のような、かつての帝国を観念においても実態においても引きずったものというのが世界の大勢には合わないということは事実だろうと思います。  ただ、それを中国が認識し実現するには、そういう形でソフトランディングしていくには非常に長い時間がかかるだろう。それから、現在のいわば政治的な体制、一党支配の一元的な体制というものが過渡的であるということも事実だろうと思います。これがさまざまな形で、混乱になるか、それから比較的秩序ある民主化になるか、これはわかりませんけれども、いずれにせよ世界の大勢と歩みをともにするということは避けられないと思います。恐らく中国の人々自身そういう方向に、そういう求心力に向かっているだろうと思います。  ただ、現在のところソビエト型の崩壊をとらなかった、それはさまざまな原因があるかと思いますけれども、これは先ほどお話しいたしましたので重複いたしますから。  以上です。
  73. 粟森喬

    粟森喬君 山澤先生にお尋ね申し上げたいと思います。  一つは、今日本における非常に難しい問題は貿易摩擦です。すべての国から貿易摩擦と言われて、輸入をふやしてくれ、こう言われている。ところが日本は、もう入れるものは入れて今足らないものはない、いろいろ言われるから内需拡大をやたらにやって、むしろ自国内の矛盾がかなり激化している、環境問題だけではなくて土地の問題とかバブルの問題とか。当然日本における経済力なり技術力でもうちょっと世界的に貢献をするというか、単に市場として考えるだけじゃなくて、例えばアジアにおける日本が将来いろんな発展途上国に援助を出すにしたって、最貧国におけるさまざまな経済援助というのは今の程度ではとてもじゃないが済まない。だとすれば、そこに理解と認識をしてもらわないと、私たちが個別のどこの国を訪問したって、常に言われるのは、日本はいわゆる輸出超過だ、何か買えと。買うものが何かあるのかと言って大使館なんかに聞くと、もう買えるものは精いっぱい買っています、もうこれ以上買うものはありませんと。  問題は、日本はODAなどでもうちょっと助けろと言われながら、日本役割みたいなものをもうちょっと国際的にアピールをして、ODAのやり方も問題になるかもしれないけれども、単に貿易摩擦という側面だけとらえられている日本の経済のあり方、このことについてどこかで見直していかないと本当に単なる経済大国になってしまうという危惧を持っているわけですが、その辺について若干のコメントをいただきたいと思います。
  74. 山澤逸平

    参考人山澤逸平君) 貿易摩擦とそれからODAの二つの問題だと思いますので、二つに分けて答えさせていただきますと、最貧国、サブサハラや南アジアに対する援助の仕方というのはおっしゃるとおりで、今までのアジアに対するものとは違って、私は、国連とか世銀を通じた多角的な支援の仕方ということが正しいと思いますし、現にその方向に動いているというふうに思います。  もう一つ、貿易摩擦でございますが、先生がおっしゃられた点、つまり日本はもっと買えと言われるけれどももう買うものはないんだということを私もいろいろなビジネスマンからも伺いますし、いろんな方から伺います。しかし、残念ながら外国はそう見ておりません。例えば、まだあるではないか、米があるではないか、こう言うわけでございます。もちろんそれは金額的には現在の不均衡を消すような大きなものにはなりませんけれども、しかし残念ながらそこで外国と日本国内とではパーセプションの、認識の仕方に違いがありまして、その点がなかなか外国を説得できないでいる一つの点だろうと思います。また、日本はもう買うものがないという認識は日本の方が間違っているだろうと私は思います。やはりまだまだ買わなければならないものがある。現在の生活の仕方、消費の仕方というものを変えないでいると、例えば米は全部自給だというふうなことでいけば買うものはないかもしれませんけれども、それを変えることによって幾らでも買うものが出てくる、それが外国の考え方でありますし、私はそれが合理的な考え方だろうというふうに思います。ですから、まだまだその面でも貢献すべきことがある。  そして、先ほど市場としての貢献を私は強調いたしました。そのほかにもあるだろうとおっしゃられたんですが、まさにそのとおりでございまして、市場としての貢献、つまり外でつくったものを日本が買うということは今まで日本が一番やらなかったことなんです。日本がやってきましたことは、日本で幾らでもつくってそれをさあ買ってください、ただでもいいですから買ってくださいというふうな感じでやってきたわけです。しかし、それではどうも私たちの貿易相手国は満足しないで、今度は日本がもっと買うべきだ、買う番だというふうに言っているのであり、私はその点の言い分にかなりの合理性があるというふうに考えます。
  75. 中西一郎

    会長中西一郎君) 参考人に対する質疑はこの 程度にとどめます。  進藤参考人毛里参考人及び山澤参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙の中、長時間の御出席をいただきまして、貴重な御意見を賜りました、まことにありがとうございます。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後四時四十八分散会