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1991-11-22 第122回国会 衆議院 国際平和協力等に関する特別委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成三年十一月二十二日(金曜日)     午前十時三分開議 出席委員   委員長 林  義郎君    理事 大島 理森君 理事 金子原二郎君    理事 北川 正恭君 理事 船田  元君    理事 与謝野 馨君 理事 石橋 大吉君    理事 上原 康助君 理事 串原 義直君    理事 山田 英介君       逢沢 一郎君    井出 正一君       石川 要三君    上草 義輝君       衛藤 晟一君    小澤  潔君       岡田 克也君   小宮山重四郎君       斉藤斗志二君    鈴木 宗男君       武部  勤君    中谷  元君       二階 俊博君    西田  司君       福田 康夫君    増子 輝彦君       町村 信孝君    松浦  昭君       三原 朝彦君    光武  顕君       秋葉 忠利君    伊東 秀子君       小澤 克介君    緒方 克陽君       岡田 利春君    五島 正規君       沢藤礼次郎君    鈴木喜久子君       松原 脩雄君    元信  堯君       山下洲夫君    山中 邦紀君       東  祥三君    遠藤 乙彦君       山口那津男君    渡部 一郎君       東中 光雄君    古堅 実吉君       和田 一仁君    楢崎弥之助君  出席公述人         青山学院大学国         際政治経済学部 阪中 友久君         教授         獨協大学法学部         教授      山内 敏弘君         国士館大学日本         政教研究所助教 浜谷 英博君         授         ジャーナリスト 前田 哲男君         駒澤大学法学部         教授      西   修君         名古屋大学法学         部教授     森  英樹君  委員外出席者         国際平和協力等         に関する特別委 石田 俊昭君         員会調査室長     ————————————— 委員の異動 十一月二十二日  辞任         補欠選任   伊東 秀子君     鈴木喜久子君   沢藤礼次郎君     山下洲夫君   古堅 実吉君     小沢 和秋君   和田 一仁君     高木 義明君 同日  辞任         補欠選任   鈴木喜久子君     伊東 秀子君   山下洲夫君     沢藤礼次郎君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  国際連合平和維持活動等に対する協力に関する  法律案内閣提出、第百二十一回国会閣法第五  号)  国際緊急援助隊派遣に関する法律の一部を改  正する法律案内閣提出、第百二十一回国会閣  法第六号)      ————◇—————
  2. 林義郎

    林委員長 これより会議を開きます。  議事に入るに先立ち、申し上げます。  ただいまドイツ連邦共和国メレマン連邦経済大臣御一行が本委員会の傍聴にお見えになりました。御紹介を申し上げます。     〔拍手〕      ————◇—————
  3. 林義郎

    林委員長 第百二十一回国会内閣提出国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律案及び国際緊急援助隊派遣に関する法律の一部を改正する法律案の両案について公聴会を行います。  この際、御出席公述人の皆様に一言ごあいさついたします。  公述人各位におかれましては、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律案及び国際緊急援助隊派遣に関する法律の一部を改正する法律案に対する御意見を拝聴し、両案審査の参考にいたしたいと存じますので、忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  なお、御意見は、阪中公述人山内公述人浜谷公述人前田公述人西公述人森公述人の順序で、お一人十五分以内でお述べをいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  念のため申し上げますけれども、発言をする際はその都度委員長の許可を受けることになっております。また、公述人委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと思います。  それでは、まず阪中公述人にお願いいたします。
  4. 阪中友久

    阪中公述人 阪中でございます。  本日は、衆院国際平和協力等に関する特別委員会意見を陳述する機会を与えられましたことを大変光栄に存じます。  私は、国際政治、中でも安全保障問題に関心を持っております。その観点から、当面しております自衛隊国連平和維持活動参加問題について意見を述べさせていただきます。  一昨年来、私どもは世界の激動を見てまいりました。一九八九年五月、ポーランド、ハンガリーで始まりましたいわゆる自由化民主化の奔流は、ソ連東欧圏を一挙にのみ込んでしまいました。一昨年十一月に東西冷戦の象徴でありましたベルリンの壁が崩壊し、昨年十月三日には東西ドイツの統一へと発展いたしました。そして十一月には、アメリカ、カナダと欧州諸国三十四カ国首脳がパリに集まり、全欧安保協力会議を開いて東西の不戦を宣言いたしました。欧州近代史の泰斗でありますマイケル・ハワード教授は、この事態を一九八九年革命と呼び、二百年前のフランス革命に匹敵する事件ととらえております。世界地殻変動とも言える時期を迎えております。  戦後の世界東西に二分してまいりました東西冷戦終結しました。しかし、冷戦終結は必ずしも平和な時代を約束するものではないように思います。東西間の対立紛争危険性は遠のいたと言えましょう。ソ連では、民主化市場改革の動きが逆戻りを許さない勢いで進展いたしております。同時に、政治的混乱と深刻な経済危機も進行中です。混乱の中で、ソ連の核兵器安全管理についての不安やソ連東欧圏からの大量の難民流出可能性も言われております。  さらに、東西関係緊張緩和によって、潜在化していた紛争要因が顕在化する危険も生まれております。ユーゴスラビアでは民族対立が激化いたしております。第三世界では、経済発展のおくれとともに貧富の格差が拡大して、政治的不安定性に発展する可能性も生まれております。イラククウェート侵攻に見られるような地域紛争の火種が消えたわけでもありません。第三世界の国々の兵器近代化の進展は、戦火による破壊の範囲を封じ込めることを難しくいたしております。  我が国が今問われておりますことは、冷戦終結という歴史的転換期をどのように認識し、冷戦後の世界の新秩序構築にどのような構想を持ち、どのように参加しようとしているかという問題であると思います。我が国の場合、憲法によって自衛権行使が厳しく制限されております。我が国の生存は国際社会の平和と安定が維持されるか否かにかかっておると言えます。こうした点を考えますならば、我が国の安全のために、国際社会の平和と安定のために積極的に行動を起こす必要があると存じます。  我が国国際社会の平和と安定への協力第一歩として国連平和維持活動参加することは極めて意義のあることであり、私は、政府が提案いたしておりますPKO法案の趣旨に全面的に賛成いたします。その理由として三点を挙げたいと存じます。  第一は、冷戦終結によって国際連合の果たす役割重要性が高まりました。冷戦時代安保理事会米ソ対立によって有効に平和維持機能を果たすことができませんでした。昨年八月のイラククウェート侵攻に始まる湾岸戦争で、国連は初めて危機管理の有効な手段として機能いたしました。国連安保理は、イラク軍クウェートからの無条件撤退要求に始まり、経済制裁、併合無効、武力行使容認など十二の決議を重ねて、国際世論の方向に決定的な影響を与えました。冷戦終結に伴って国連世界平和に対する役割重要性を増しております。国連一員、しかも経済大国として、我が国国連国際安全保障のための活動協力することは国連平和維持機能を強化することになると存じます。同時に、国際社会における日本の地位を強化することでもあると考えます。もっとも、現在の段階で国連軍が編成され平和回復強制的活動ができるまでに発展するかどうかは疑問であると思います。したがって、我が国安全保障国連にゆだねることは時期尚早であり、その意味日米安保体制は今後もその重要性を失わないと存じます。  第二は、日本の安全にとって最も危険なことは国際的に孤立することであります。湾岸戦争日本は百三十億ドルに上る財政的貢献をしながら、アメリカの強い不満を招きました。その不満の根底にあるものを求めるならば、日本アメリカ同盟国として経済的コストの負担をしたが、同盟国としてのリスクを分かち合う決意も準備もなかったのではないかということに尽きると思います。日本は、国連決議を実行するために行動した多国籍軍行動国連平和維持活動に対して実効のある人的貢献をいたしませんでした。アメリカ国民は、これで信頼できる同盟国であろうかという疑問を持ったことは疑いない点だと存じます。将来、湾岸戦争のような事態が起こったときに、日本の対応に変化がないとするならば、日米関係は深い傷を負い、国際的に孤立する危険が生まれるように思います。これを回避するためには、国連の有力なメンバーとして国際安全保障に貢献する用意をする必要があります。PKOへの参加は、この側面で効果的な第一歩であると存じます。これに引き続いて、長期的な視点から、国際安全保障のために日本は何をなすべきかを国民的課題として検討すべき時期に来ていると存じます。  第三に、今後日本に重大な影響を与える地域紛争発生危険性が増大しております。既に述べましたように、冷戦終結は平和の到来を約束するものではありません。湾岸戦争は、冷戦後の世界冷戦時代よりも多くの不安定要因を持っていることを示しました。戦略的に重要な中東、そして我が国の安全に重要な影響を持つ北東アジア、東南アジアの地域でも地域紛争原因は数多く存在いたします。また、経済相互依存関係が増大したこととともに、近代兵器破壊力が増大し、兵器が拡散したことは、地域紛争影響世界的に拡散したと言えると思います。  地域紛争に対しては、その予防拡大防止とともに、紛争原因を除去して第三世界安定化を図っていくことが重要です。このためには政治的、経済的な、総合的な対策を考える必要があることは言うまでもありません。同時に、紛争発生やその拡大防止のための措置も重要です。地域紛争予防拡大防止日本の安全に直結いたします。さらに長期的な課題として、湾岸戦争組織された多国籍軍に対する参加や支援の問題も国民的課題として検討することが必要であると存じます。  我が国国連中心の外交を主張してまいりました。国際平和維持のための国連活動支持し、これに参加することは加盟国義務であります。我が国国連加盟申請の際、一九五二年六月十六日付、当時の岡崎外務大臣国連事務総長あての書簡の中で、加盟国としての義務をその有するすべての手段をもって履行することを約束すると述べております。しかも今回のPKO法案は、国際的な不法行為に対しての軍事的強制活動とは異なり、国連紛争関係国受け入れ国の同意を得て休戦軍隊撤退監視、パトロールなどを行い、平和維持に貢献しようとするものであります。したがって、憲法が禁じている武力行使を目的としたものではなく、平和維持活動への参加憲法上何らの問題はないと存じます。  平和維持活動国連憲章で定められたものではなく、国連実践活動を通じて形成されてきた活動であり、公式の定義があるわけではありません。これまで行われたものを大別すると、選挙監視団、武装しない停戦監視団、武装して停戦監視などを行う国連平和維持軍三つが存在します。我が国は既に選挙監視団参加いたしておりました。停戦監視団は、停戦休戦ライン付近に常駐して紛争監視に当たるが、大尉以上の非武装の軍人数十人ないし数百人で構成されるのが通例でございます。国連平和維持軍は、国連事務総長指揮下で、数千人規模の部隊がそれぞれの国の指揮官のもとで監視活動を続けるものであります、  平和維持軍は、組織的な訓練経験を積み、武器取り扱いなど軍事問題について専門的知識を持っている人員で構成されることが重要であります。平和維持軍軍事組織以外のものが参加したケースはこれまでのところ私は存じません。我が国停戦監視団国連平和維持軍参加する場合、適切な組織は現職の自衛官で構成されている自衛隊以外に私は存在しないと存じます。停戦監視は危険な地域で行われる活動であり、武器取り扱いに習熟していること、また命令のもとで動く組織的な訓練経験を十分に積んでいることを必要といたします。また戦闘に巻き込まれた際を想定するならば、軍人資格を持っていないと捕虜として処遇されないという問題も生じるかと存じます。  私は、国連平和維持活動への参加に当たって、政治的に次の三つの条件をつくり上げることが重要であると存じます。  第一は、自衛隊派遣について国民の多数の支持を得ることが必要です。危険な地域活動する隊員の士気のためにも、国内の支持は重要です。我が国国連平和維持活動参加することは、現在の憲法の枠内での国際的な協力であり、国連加盟国としての責任を果たすことでもあります。国民支持を得るため、自衛隊に対するシビリアンコントロールを十分配慮する必要があります。  第二は、国際社会、特に周辺諸国理解支持を得る必要があります。自衛隊海外への派遣については、国際社会、特に歴史的に不幸な関係にあった周辺諸国理解支持が必要であります。自衛隊平和維持活動への参加我が国の専守防衛の防衛政策を変更するものではないことを明らかにして、国際社会、特に周辺諸国理解支持を得ることが重要であると存じます。  第三に、PKO法案冷戦後の国際安全保障への協力第一歩としての意義を持っております。しかし、これで十分であるというふうには考えられません。これから国連の有力な一員として国際安全保障にどのように貢献していくかを国民的課題として引き続いて検討していくことが重要であると存じます。我が国はこれまで以上に国家としての目標や役割を明白にする努力を怠ってはならないと存じます。  最後に、国民の一人として国会に対する期待を述べさせていただきます。  私は冒頭、現在が歴史的転換期であるとの認識を申し上げました。平和な時期には政治のつくり上げた枠組みに従って行政機関がその政策を着実に実行すれば十分でした。転換期は、国際環境変動に対応して政策座標軸そのものを動かすことが必要になってまいります。これは政治の仕事であると存じます。戦後四十五年間、我が国国際環境に恵まれて、歴史上かつてない経済的繁栄を享受してまいりました。このために、何もしなくても平和と繁栄が維持できるといった現状維持基本となっていて、国際環境変化に対応して政策を変更することに臆病になっているように私は存じます。  日本世界第二位の経済力の国となった現在、過去のような恵まれた国際環境を期待できるかどうか私は疑問と存じます。政治国際情勢の行方を見定めて、これからの我が国の生きる道について大胆なグランドデザインを提起して、転換期国民をリードしてくださることを期待いたします。  これで、公述を終わらせていただきます。(拍手
  5. 林義郎

    林委員長 ありがとうございました。  次に、山内公述人にお願いいたします。
  6. 山内敏弘

    山内公述人 ただいま御紹介いただきました山内でございます。  私は、現在政府が提案しておりますいわゆるPKO法案は、日本国憲法平和主義に対する重大な侵害をもたらすのみならず、憲法に基づく政治という民主国家基本原理をも崩壊させかねない危険な法案であると考えますので、そのような観点から若干の意見を述べさせていただきたいと思います。  まず最初に申し上げたいと思いますのは、昨年来の政府のいわゆる国際貢献策やり方を見てみますと、最高法規としての憲法というものを、あるいは法の支配というものを一体政府は遵守する意思があるのかどうかについて根本的な疑問を抱かざるを得ない次第であります。例えば自衛隊掃海艇派遣については、元内閣安全保障室長佐々淳行氏でさえ、むちゃくちゃな解釈と言っているように、自衛隊法さえも無視したやり方で強行しているわけであります。今回のPKO法案についても、後藤田元内閣官房長官ガラス細工のようで危ないと評していることは余りにも有名であります。  そもそも、昨年秋の時点では、工藤内閣法制局長官自身が、平和維持軍的なものは参加することが困難な場合が多いと述べていたその発言を、一年たつかたたないうちに何ら正当な根拠もなしに変更してしまうことは、立憲国家のもとでは到底許されないと言わなければなりません。政府がこのように憲法を軽視し、法を無視して、果たして国民に対して、あるいは諸外国に対して憲法法律の遵守を要求する資格があるのでありましょうか。日本は果たして憲法支配の確立した民主的な国家としての評価を国際社会で受けることができるのでありましょうか。私は憲法政治の確立という観点から見て、今日本は非常に重大な危機的状況にあると考えざるを得ない次第でございます。  具体的に、今回のPKO法案について見てまいりますと、法案文字どおり自衛隊海外派兵法となっております。憲法九条に照らすならば、自衛隊存在そのもの違憲であることは今日でも学界の圧倒的多数説でありますが、そのように違憲自衛隊を、それ自体軍隊にほかならない平和維持軍参加させようとすることは、二重の意味憲法九条に違反すると言わざるを得ません。政府は、PKFは従来の概念の軍隊ではないと言っておりますが、しかし、それが軍事要員によって構成される軍隊そのものであることは、国際的に見ても疑う余地のないところであります。  それだけではありません。平和維持軍紛争地域において活動する、しかも国連任務遂行上必要とあれば武力行使を行う軍事組織であります。単に隊員生命脅威にさらされた場合のみならず、国連全般の安全が脅威にさらされた場合にも武力行使を行い得ることは、一最近明らかにされました国連のいわゆるSOPなどによっても明らかであります。このような平和維持軍自衛隊参加するということは、猪木正道氏の言うように、まさにドンパチやっているところに行くわけでありますから、自衛隊も当然に憲法九条で禁止された武力行使を行わざるを得ないわけであります。  この点、政府はさまざまなレトリックを使って自衛隊武力行使を行わない旨を根拠づけようとしておりますが、しかし、それらはいずれも国際的にはPKF活動原則活動実態にそぐわない、また国内的に見ても憲法を無視した砂上の楼閣のごとき議論と言わざるを得ないと思われます。  例えば、政府法案二十四条三項に関連して「武器使用武力行使関係について」と題する統一見解を出しておりますが、しかし、この見解は以下のような理由で全く正当性を持ち得ないものであります。  第一に、なるほど各人が自己生命、身体を防衛することは、自己保存のための自然権的な権利であると言うことも可能でありましょう。しかし、そのことからは必要な最小限武器使用を根拠づけることが必ずしもできないことは、私たち一般国民自己保存のための自然的権利を有しているにもかかわらず、武器携帯使用は原則的に禁止されているという一事によっても明白であります。     〔委員長退席大島委員長代理着席〕  第二に、法案二十四条三項が自衛隊員に認めているのは、決して必要な最小限武器使用ではなく、事態に応じて合理的に必要と判断される限度武器使用であります。しかも法案は、自衛隊員保有使用する武器については何らの限定をも付していないのであります。むしろ法案の六条四項によれば、自衛隊員事務総長が必要と認める限度での装備を保有使用することとなっております。このような広範な兵器使用自衛隊員個々人の自然権的な武器使用権で正当化することは到底できないと言わなければなりません。  したがって、法案二十四条三項が規定しております自衛隊員武器使用は、さきの臨時国会政府当局者も認めざるを得なかったように、決して自然権的な正当防衛権緊急避難権に限定されるものではなく、むしろ業務上あるいは公務上の行為としての武器使用なのであります。そうである以上は、そのような武器使用隊員個々人判断に任されてよいはずがありません。なぜならば、平和維持軍参加する自衛隊員は、国連SOPによっても事務総長の命を受けた現地司令官指揮下に入るものとされているからであります。この点に関連して、政府は一昨日、PKF指揮権に関する統一見解を発表いたしましたが、しかし、仮に同見解の言うように、国連コマンド懲戒権等強制手段を伴わない作用であったとしても、そのことは、平和維持軍参加する自衛隊員現地司令官コマンドを受けないで個々的な判断武器使用を行ってよいということを意味するわけでは決してありません。隊員武器使用については、あくまでも現地司令官組織的なコマンドに基づくことが要請されているのであります。  他方において、仮にこの点に関して政府の言うように、主権国家国連事務総長指揮を受けないということになるとするならば、その場合には平和維持軍参加する自衛隊員にも、自衛隊法八条の「長官指揮監督権」あるいは同法五十七条の「上官命令に服従する義務」の規定が適用されるわけでありますから、自衛隊員は法令上の行為としての武器使用に関しては上官の職務上の命令に忠実に従わなければならないのであります。つまり、個々隊員判断による武器使用はこの場合にも認められないということになります。  あるいは政府は、法案の二十四条の三項は自衛隊法とはかかわりなく、特別に個々自衛官武器使用権を認めたものであると主張するかもしれませんが、しかし、実力部隊としての行動規律を最も重んずるはずの自衛隊において、肝心の武器使用について個々隊員判断にゆだねるなどという議論は、実力部隊としての自衛隊本質を全く無視したおよそ非現実的な空理空論であると言わざるを得ないのであります。  以上述べましたように、法案二十四条三項の武器使用隊員個々人判断に基づく武器使用であるとする政府見解は、平和維持軍活動原則からいたしましても、また実力組織としての自衛隊本質に照らしましても、全く正当性を持ち得ない議論であります。結局、平和維持軍参加する自衛隊員は、国家または国家類似の団体による武力攻撃が加えられた場合には、それへの反撃行為としての平和維持軍が行う組織的な武力行使の一翼を担い、みずから憲法九条に違反する武力行使を行わざるを得ないのであります。     〔大島委員長代理退席金子(原)委員長代理着席〕  それを隊員個々人武器使用といったおよそ現実から遊離した机上レトリックを用いることで正当化しようとすることは、最高法規としての憲法をべっ視し、主権者たる国民を愚弄するものであると批判されてもいたし方ないのではなかろうかと思います。  もっとも、この点に関連いたしまして、政府は、平和維持軍武力紛争に巻き込まれるような事態に立ち至った場合には撤収あるいは中断するから大丈夫であるという議論をも展開しております。しかし、これもPKF活動がまさに紛争地域において現地司令官コマンドに基づいて行われるという実態を無視した机上議論と言うべきであります。なぜならば、仮に政府の主観的な意図としては撤収する気持ちでいたとしても、客観的にはいや応なしに武力紛争に巻き込まれてしまい、現地司令官武力行使を命ずるという事態は十分にあり得るからであります。平和維持軍参加する以上は、猪木正道氏が指摘するように、戦闘行為に巻き込まれることは覚悟しなければならないのであって、それを撤収あるいは中断できるから大丈夫だという議論PKF活動実態を隠ぺいし、国民を、そしてまた実際に平和維持軍参加する自衛隊員をも欺くものと言わなければなりません。  さらに、同様に法案違憲性を覆い隠す議論の一つに、外国隊員の防護の問題があります。法案の二十四条三項に言う「隊員」が日本国際平和協力隊の隊員意味することは法案の規定上明白でありますので、政府は、外国隊員のための武器使用は、人道主義の立場で刑法の正当防衛、緊急避難に当たる場合にのみ行うとしておりますが、しかしこの議論も、結局のところ、憲法で禁じられた集団的自衛権行使を覆い隠す論理でしかありません。なぜならば、平和維持軍参加する以上は、自衛隊員事務総長の配置、組織行動及び指令に従わなければならないということは、いわゆるモデル協定案などによっても明らかでありますから、現地司令官が他国の隊員のために組織的に武力行使を行うことを命じてきた場合においては、それを拒否することは自衛隊員にはできないからであります。それをあたかも拒否できるかのごとくに説明することは、やはり平和維持軍活動原則を殊さらにゆがめて国民に説明するものと言わざるを得ません。  法案の内容に関して最後に指摘しておくべきは、法案がシビリアンコントロールを完全に無視している点であります。国会の承認を不要としている法案の考え方は、国権の最高機関としての国会の地位を全く無視するものであります。本法案によって自衛隊海外派兵する場合と防衛出動が発令される場合とで、国民にとって事柄が持つ重大性に差異は全くありません。政府はまた、国連の迅速な要請にこたえる必要という点をもその理由の一つとして挙げておりますが、これも全く本末を転倒した議論であります。SOPは、PKF参加する以上は国連事務総長指揮下行動しなければならないが、しかし、そもそもPKF参加するか否かは全く各国の自由であることを強調しております。それに対して、政府は、PKF参加した自衛隊員行動については、日本国家主権を強調しつつ、他方で、参加するかどうかについては国連の要請に迅速にこたえなければならないから国会の承認は不要であるというふうに言っております。どうしてこのようにSOPの原則とも完全に逆転した論理を駆使するのでありましょうか。このような論理で国会の承認を不要としてしまうことは、私は国権の最高機関としての国会の自殺行為になりかねないと考えるものであります。  以上、PKO法案の問題点についてごく簡単に私の考えを述べてまいりました。  確かに、今日の国際社会にあって、日本が積極的な国際貢献を行うべきことは、ほぼ異論のないところかと思われます。しかし、問題はその中身であります。このような形で、自衛隊海外出兵という形での国際貢献をアジアの人々は決して望んではおりません。また、国民の多くも決して望んでいるわけではありません。むしろ私は、既に日本国憲法の制定段階において吉田首相が次のように明言していたことをここで改めて想起したいと思います。すなわち、我が国はいかなる名義をもってしても交戦権はまず第一みずから進んで放棄する、放棄することによって全世界の平和愛好国の先頭に立って世界の平和確立に貢献する決意をまずこの憲法において表明したい。日本国憲法は決して一部に批判されておりますような一国平和主義をその内容としておるものではないことは、この吉田首相の決意表明によっても明らかであります。しかも、このような平和憲法による国際貢献という考え方は、冷戦後の今日においてますます重要な意義を持ちつつあると私は確信しております。  自衛隊海外派兵などによる軍事大国化への道を選ぶのか、それとも、不戦、軍縮さらには南北問題、環境問題などの地球的課題を真に平和的な方法で解決すべく努力する道を選ぶのか、日本は今重大な歴史的な岐路に立たされております。かつてのような侵略戦争の過ちを二度と繰り返さないようにすることが現在に生きている私たちの責任であることを、歴史的責任であることをぜひともこの国会におかれましては御認識されますことを切に要望いたしたいと思います。  以上をもちまして私の公述を終わらせていただきたいと思います。御清聴ありがとうございました。(拍手
  7. 金子原二郎

    金子(原)委員長代理 ありがとうございました。  次に、浜谷公述人にお願いいたします。
  8. 浜谷英博

    浜谷公述人 このような機会に意見を陳述させていただける機会を与えられまして、まことに光栄に存じております。  最近のPKO論議、ずっと審議過程における議論全体を通じて見られます感想から述べ、内容の点につきましては何点か、後に指摘したいというふうに考えております。  第一に気づく点は、現在のPKO論議の中で武力行使に関する側面ばかりが異常に何か強調されて論議されている気がする点でございます。これは、この点を強調するに従ってだんだんその法案の持っているもともとの目的自体が希薄化するおそれもございますし、また、PKO自体の本質についてもこれはかなり誤解をされるおそれがあるからであります。もちろん武力行使の側面というのは大切でございますが、PKOの全体像や目的から考える限り、武力行使はいわゆる活動中の例外的事項であるということにも重視してほしいと思うわけであります。将来的には確かにPKO自体は多様化も予想されておりますが、国連のもとでの活動実態、それから現行法案の目的というのもまさにピースキーピングでありまして、ピースメーキングでない点を重視すべきであろうというふうに思います。この意味では、PKFでさえ武力行使を目的としない活動であるということは明らかであります。すなわち、PKO自体は力の象徴ではなくて、非常に力自体は小さくても国際社会の平和的意思の象徴であって、平和的解決をしてほしいという期待感の象徴であるからであります。  これは我が国憲法基本的な精神に合致するところでもあるわけであります。すなわち、憲法前文にうたわれました国際協調主義というものの中で、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼しながら、我が国の安全と生存を保持しようと決意したからでございます。  戦後ずっとしばらく続いてまいりました一国平和主義と言われるもの、ポスト冷戦時代の新しいスタンスを踏み出すにはこれから脱却する以外に方法はないのではないか。すなわち、バランスのとれた成熟した国家として積極的な平和主義へ意識的な転換を図る時代ではないかというふうに考えるわけでございます。イラクの例を挙げるまでもなく、平和は唱えるだけではやってこないわけであります。このことを肝に銘じるべきでありますし、また平和というのは、日本国の平和は周辺諸国の平和によって培われ、周辺諸国の平和は全世界の平和によって裏づけられていくということも厳然たる現実でございます。  その意味では、日本国憲法というのは現行の国連体制に最も適合している憲法ではないかという観点もございます。すなわち、個々の国の武力を禁じて世界の平和をいわゆる国際社会の全構成員の手で守ろうとした、こういう憲法であるからであります。このような日本国憲法平和主義国際性という問題は高く評価されるべきではないかというふうに思います。また、国際秩序の維持に関する日本役割を考える際には、この認識こそが不可欠でございます。     〔金子(原)委員長代理退席、委員長着席〕  二つ目の気づく点としては、論議や報道の中で択一的な決めつけ方をする点が多々見られるという点でございます。特に軍事的貢献あるいは非軍事的貢献といったものを区別して、PKOを軍事的貢献の手段であるというふうな解釈がありますが、これほどうかという感じがいたします。すなわち、PKOというのは紛争を凍結いたしまして、平和解決を願う一手段の非軍事的貢献であるという点を強調しておきたいと思います。したがって、目的にも武力行使を入れないわけでございます。ただし、任務の危険性それから内容から団体としての訓練や軍事知識のあった方がベターであるという点からそういう要員を派遣しているという、この現実に注目すべきではなかろうかというふうに感じます。  また三つ目としては、なぜ今PKOだけかという議論が横行している点でございます。他にできるものもあるではないかという点でございます。これも何が何でもPKOだけもしくは自衛隊だけという、こういう議論ではないのでありまして、すなわちPKOも他の分野もという点でございます。すなわち、オアという概念ではなく、アンドという概念で考えていただきたい。換言すれば、金も物も人もなわけでございます。この三者をバランスよくとって貢献することがいわゆる成熟した独立国としてのあるべき姿であろうというふうに考えるわけでございます。  法案の内容につきまして、二点ほど申し上げたいと思います。  一つは、国連指揮下とそれから国家主権との関連でございます。  これは、将来、一種のコスモポリタニズムというようなものが支配的な国際環境が到来したという中におきましては、その国際機構の中に構成員たる各国がある意味で主権を制約された形で参加する体制がとられるということも、これは想像できるわけでございます。この場合には、主権の主張ばかりではなくて、義務の履行という観点に重きを置いた見方も必要であろうという感じがいたします。しかし、現実はこれからほど遠いのであります。現在の国際社会と申しますのは、最高、絶対、独立といった国家主権の概念が支配的でありますし、これが現実でございます。確かに、国際協調もしくは国連協力という点を具体的に実行しようとする場合にはある程度の主権の制約はやむを得ないと判断せざるを得ないわけでありますが、しかし、先ほど申し上げました国際社会の現実を踏まえて判断する限り、制約を受ける部分に限界を置かざるを得ないという点も、これはいたし方ない点でございます。  すなわち、PKOに関しましては、配置、組織行動といった点では国連のガイドラインに従って現地司令官指揮に従う、こういう点は認められるわけですが、その他の点では我が国行動として判断する余地も残されている。すなわち、現在の国際情勢からいきますと、過渡的段階として理解できるのではないか。すなわち、国際法としての確立ということが一種の判断基準になるのではなかろうか。すなわち、この意味では、現地司令官指揮に従うという国連ガイドラインに従った範囲では、この範囲で起きたことについては第一義的な責任としては国連が持たざるを得ない。しかし、その他の点では我が国判断も重要視される点が残されている。したがって、現実に起きたフィンランド兵士の誘拐事件などに対しては、これは一義的に交渉に当たったのは国連でございまして、フィンランド政府ではないといった点も事実としてございます。  次には、国会承認及び国会報告とそれからシビリアンコントロールの関係について申し述べたいと思います。  これは、現在の論議というのが、前提としての五原則の法制化という点が抜きにされまして、単なる承認か報告かという点に終始している点を少しく疑問に思っているわけであります。  確かにシビリアンコントロールの徹底ということは重要な点でございます。日本国憲法の永久平和主義の擁護、それから憲法九条の遵守ということから申し上げましても、より厳しく明確な歯どめ措置というのは意味があるというふうに思われます。この意味で、国会承認の必要性について理解できないわけでは当然ありません。ほかのメリットとしても、国民的合意の再確認であるとか、不測の事態に対するいわば国会の責任分担であるとか、こういうものが挙げられていることもよく理解しております。しかし問題なのは、これらシビリアンコントロールが国会承認によらなければ全く満足されないものであるか、もしくは国会承認さえすればすべて満足されるのであるかという点でございます。前に述べました要素というのは、通常の立法時においても厳粛に配慮されるべき要素でありまして、何も国会承認だけによって満足されるようなものではないというふうに思います。  いずれにしろ、重要なのは、厳格な歯どめ効果を持たせつつ、本来この立法が目指した任務をいかに機動的に迅速に行うかといった点だろうというふうに思います。これを効果的に実現するために、現法案は、いわゆる派遣にかかわる条件というものをあらかじめ法律中に明記し、そしてそれを国会が可決しているという事実によって、派遣時の関与を機動的な報告にしたということでございます。したがって、五原則法制化というのは明らかな歯どめとして機能するでありましょうし、それに基づいた実施計画の報告にシビリアンコントロールというのは確実に達成されているというふうに考えるわけでございます。  これに対しては、五原則の法制化もしくは、五原則自体はこれは当たり前のことであって、この法制化には余り重きを置かないという主張もあるわけでありますが、私はそうは考えておりません。周知のとおり、国際法というのはその源を国際慣習に置くわけでございます。よく、PKOでさえ憲章上の根拠を欠く、すなわち六章半の存在であるという主張がなされますが、一九四八年以来の地道な活動によるいわゆるPKOの根本原則の確立ということは、これは典型的な国際慣習でございます。すなわち、現在の国際社会もこの国際慣習に一種の規範的意味を見出しているわけでありまして、これが重要な点であります。ただし、残念ながらこの国際慣習というものには拘束力がないわけでございます。したがいまして、いわゆる五原則というものを、国際的には拘束力を伴わないものであるという点に着目して、これを拘束力の伴う国内法に規定した、国内法によってそれを認知したというところに意味があるわけであります。これは日本国憲法の九十八条二項の規定する「確立された国際法規」を尊重する立場とも合致しているのでありまして、これは意義を見出し得るというふうに考えます。  ただ一点、現法案に欠落している視点がありはしないかということは、これは率直な私の思いであります。それは実施計画が将来にわたってすべて報告で済ませられることがいいかどうかという点でございます。これは第七条三号に規定されているいわゆる期間変更に関する報告という点でございます。ここに規定されている変更というものに期間の更新というものが含まれることは、これは当然であろうと思われます。したがって、この規定を根拠にして、際限のない更新が報告のみによって繰り返される事態というのも予測され得るわけであります。  PKO活動経験からの教訓の一つに活動の泥沼化というのがございます。余りにも長期にわたる派遣というのは、その部隊自体が現有勢力の一部として組み入れられてしまいまして、要するに本来の当事者による解決を、その意欲とともに遠ざけているという現実も散見されるからでございます。このような場合、派遣判断を行政府に認めた国会協力して、そして派遣継続に関し共同判断を行うということは、これは意味のあることであろうというふうに考えます。その際には、一定の期間、長期にわたる期間ですから大体一年ないし二年といった期間をめどにして、そして継続の是非というのを論議すべきであろうというふうに思います。この論議には最初の派遣時と比べまして時間的余裕もあるわけでありまして、迅速な対応ができないためとして国会承認を外しているという議論にも反論できるわけであります。  また、一定期間を超えた場合にのみ国会承認の対象とするということで、行政権と立法権に関する権力上のバランスも保持できるわけでございます。さらに、行政府側が撤退を模索せざるを得ない事態に対して、国家意思として我が国の責任を明確にさせるという意味からも、この場合における国会の承認には意味がある。すなわち、定員では上限の二千人ということが明記されております。歯どめをかけるということは、内容、任務といったそういう非常にあいまいな部分の残された点ではなくて、要するに二千という数値であるとか、それから二年という期間であるとか、こういう客観的な数値に歯どめをかけた方がより歯どめとしては効果的であろうというふうに思われます。この概念は、事後承認という概念ではなくて、更新に関する事前承認という概念でとらえていただきたいというふうに考えるわけであります。  こういうPKO法案というのは、ある意味で二十一世紀の日本の立場というものを決定づけるような重要な法案だというふうに理解しております。したがいまして、実際に出かけていく制服の人々を含めて、いろいろな立場の人がいろいろな立場によって議論を繰り返すということを促進させるべきでありますし、それから、できるだけ多くの政党の賛成によって可決するというのがこれは望ましいわけでございますので、この点に関しても、より真剣な議論国会の場でお願いしたいというふうに考えております。  以上でございます。ありがとうございました。(拍手
  9. 林義郎

    林委員長 ありがとうございました。  次に、前田公述人にお願いいたします。
  10. 前田哲男

    前田公述人 前田でございます。  私は、この国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法案に反対の立場から、若干意見を申し述べたく存じます。  この法案の持つ最大の問題点が、憲法に違反し、国民合意のないまま、しかも自衛隊法さえ想定していない海外における武力行使を含む自衛隊活動を容認している、目的としているというところにあるのは言うまでもありませんが、そのほかにも個々の条文にわたって大変問題点があるというふうに思います。  まず第一は、指揮権の問題であります。  政府のこの指揮権に関する見解、答弁を聞いておりますと、PKOのこれまでの歴史、確立された原則を知る者にとってはまさに不可解と言わざるを得ません。ブルーヘルメットをかぶった瞬間からその者は国連の構成員となり、国連事務総長もしくはその代理者の指揮下に入り、国連旗に忠誠を誓うという原則は、一九五六年の第一次スエズ緊急軍以来確立された原則で、だれも怪しまない国連PKO活動基準であるわけであります。スウェーデンなど北欧待機軍の五原則の中にも国連指揮下に入るということが明記されておりますし、我が国の場合で申しましても、国防用語辞典あるいは防衛学会あるいは防衛法学会が編集した書物を読みましても、さらに防衛年鑑のPKOに関する記述を見ましても、国連の直接の指揮、統制下に入るということがこれまで何の不思議もなく書かれておりました。そのような定説を完全に覆す形でこういう政府見解が出てくる、これはまさに不可解と言わなければならない。  そもそも軍隊あるいは部隊行動原則を見ましても、単一の指揮、一人の司令官というのが古今東西を問わず軍隊の運用原則であることは言うまでもないわけで、国連PKOあるいはPKF活動がこれに反するということはあり得ないわけであります。政府の法解釈は余りにも理論的に過ぎて、実態を全く反映していない。懲戒権が担保されていないのでPKFに対する指揮権が及ばないという解釈は、PKO及びPKFがこれまでやってきた作戦、行動から見ましても、実態を何ら反映していないと言うべきであろうと思います。  加えて、この法案の中に入っておりますもう一つの問題点、指揮に関する問題点でありますが、法案の中で「自衛隊部隊等」という言葉が使われております。この「自衛隊部隊等」という言葉の定義は自衛隊法八条によるということがこの法案の中で示されているわけであります。自衛隊法八条による部隊等というのは、防衛庁長官部隊指揮権を定めた条項であるのですが、その長官指揮権が陸海空幕僚長を通じて行われるということが定められているわけです。この法案を読んでみますと、この自衛隊法八条による長官指揮系統がそのままこの平和協力隊の指揮系統に入ってきているということになります。すなわち、平和協力隊の指揮系統は防衛庁長官が陸海空幕僚長を通じて行うということになるわけです。別組織、別個の名称、別の機構をつくりながら、しかしその中に自衛隊法八条の指揮系統が制服組によって使われる形で紛れ込んでいる。これはこの法案自体の実体を示すものとも言えますし、また国連指揮権との関係で言いますと、一種の二重指揮権のおそれさえ生じてくると言うべきであります。  ですから、このような指揮権のもとに国連平和協力隊が出かけていくということになりますと、これを受け取る国連PKFの司令官は非常に足手まといといいますか、使いにくい組織になるでありましょうし、一方、参加する自衛隊員にとっては、常に緊張を強いられるあるいは不測の危険さえ生じかねないような形になりかねない。この指揮権の問題は、実際に運用してみると、あるいは実際にそこへ投入される者にとってかなり危ない規定である、そういうふうに思います。  指揮権とともに第二に私が個々の条文の中で問題にしたいと思うのは、拡大解釈のおそれのある活動が新設されているということであります。  人道的な国際救援活動という任務が設定されています。この法案PKO法案というふうに略称されておりますが、正確に言いますと国際平和協力業務法案と言わなければならない。すなわち、国際平和協力業務という業務が新設され、その中に一本の柱としてPKO国連平和維持活動への協力が規定されている。もう一つそれとは別に、人道的な国際救援活動という任務が新設されている。そして、この人道的な国際救援活動にも武装した自衛隊員武器を使うことを前提に派遣されるということが、この法律に規定されているわけであります。  ところが、この人道的な国際救援活動に関しましては、PKOとは違いまして、国連事務総長の要請が必要とされていない。その活動内容については政令で定めること、新設することができるというふうに書かれておりますし、出動を要請する要請権者もまた、十二の国際機関の名前が列記をされておりますけれども、そのほかにも政令で定める国際機関なるものが入っている。ということは、PKOはともかくとして、この人道的な国際救援活動に名をかりた自衛隊武器使用を含む活動があり得るということになるわけです。要請権者を政令で追加し、活動分野を政令で追加する、あるいは政令で追加しなくとも既に多くの具体的な分野が設定されておりますので、難民救援、例えばクルド部族の冬を迎えて悲惨な境遇を救う人道的な行為として、さる国際機関からの要請に基づいて自衛隊の平和協力隊が出ていく、国連活動と別に人道的な国際救援活動という形で任務を設定するということも、この法律の上で可能であるように思います。  そのような事態に関してとても国民合意がなされているとは思いませんし、政府がそのような事態をこの法律で計画しているということに関しても何の説明も行われていない。しかし、法律を読む限り、そのようなことも可能であるように読み取れる。ぜひもっと内容にわたる細かな審議をしていただきたいというふうに思います。  さらに、この件も含めてですが、余りにも政令委任条項が多いというのも問題であろうと思います。全文二十七条、附則七条の法案の中に、私が数えましたところ、十五カ所にわたって延べ十九回、政令でこれを定めるという記述が出てまいります。これは大変多過ぎるのではないでしょうか。単に政令で定める事務的なことだけではなしに、今申しましたように、人道的な国際救援活動とはいかなる活動なのかも政令で定めることができるというふうになっておりますし、人道的な国際救援活動を要請する国際機関に関しても同じような措置がとれるようになっている。さらに、第二十二条の「小型武器保有」についても政令で定める小型武器というふうになっておりまして、必ずしも具体的に規定されているわけではない。小型武器なる武器はないわけでありまして、大型武器に対する相対的な概念でしかない。となりますと、小型武器を政令で定めるなどという法案が成立してしまいますと、後は小型武器の定義を幾らでも変える、拡大することができるということになりかねないと思います。そのようなものも含んで、政令委任条項が余りにも多過ぎる。これは大変な問題であろうと思います。  次に、第二十条に掲げられております「輸送の委託」。輸送の委託という名目で自衛隊の艦艇、航空機を業務に支障のない限り平和協力隊のために使うことができるというふうに規定されている点も問題をはらんでいるように思います。輸送の委託でありますから、海上自衛隊、航空自衛隊がその装備を持って平和協力隊を目的地まで運ぶということになるでありましょう。そうしますと、二千人を上限とする平和協力隊のほかに、さらに輸送協力業務における自衛隊関係者が追加されざるを得ない。しかも、その輸送のための道具にはまた別の武器、武装の問題を生じかねません。それだけではなしに、さらに、この輸送の委託を一つの名目として大型の輸送艦あるいは大型の輸送機などの予算要求が出てくるかもしれません。そのようになりますと、このPKO法案は別の形の日本の軍備拡大第一歩にもなりかねない要素をはらんでいる、そう言わなければなりません。  加えて、第二十五条に規定されている「物資協力」というところも大変あいまいな概念、多様な使い方ができる条項であろうと思います。政府の大幅な自由裁量によって、例えば湾岸危機における百二十億ドルのような形の物資協力がまた行われる可能性なしとしない。  以上挙げました事項は、ことごとく国連事務総長の要請以外の領域で可能であると考えられるわけであります。すなわち、人道的な国際救援活動を論拠とし、物資協力を論拠とするそのような協力が、この法律の中では幅広く用意されている。その意味で、この法律を単にPKO法案としてのみ審議するのは不十分でありまして、文字どおり国際平和協力業務という範疇でとらえ、その一つに確かにPKOへの参加があり、これは憲法の問題、指揮権の問題、大変多くの問題を含んでいることは事実なわけですが、そのほかに、国連の要請によらない、事務総長の指図の及ばない領域が人道的な国際救援活動あるいは物資協力という形で設定されている。このことをもう少し重大に考える必要があろうと思います。  以上申し上げましたように、この法案個々の内容に立ち入って見ますと、国連との間で指揮権及び忠誠対象の問題が極めてあいまいな形で処理されている。このままでいきますと、憲法上の疑義のみならず国連の権威にも傷をつけ、しかも派遣自衛隊員も危険にさらすような運用上の問題点が出てくるということが一点、さらに、政令委任条項が多く、人道的な国際救援活動の美名のもとに自衛隊海外派遣を常態化するおそれがある点、輸送の委託、物資協力など日本の軍事活動海外にさらに拡大する道が開かれる点など、大変問題が多いと言わざるを得ません。まだ審議の中で明らかにされたものはそのごく一部でしかないということを考えますと、もっと長い時間をかけた審議、そして国民合意を得た上での採決をぜひ希望いたしたく存じます。  以上であります。(拍手
  11. 林義郎

    林委員長 ありがとうございました。  次に、西公述人にお願いいたします。
  12. 西修

    西公述人 御紹介いただきました西でございます。  私は、三点から意見を申し上げたいと思います。  第一点は、憲法解釈の方法の基本についてでございます。第二には、憲法で禁じられていることは一体何なのかということでございます。そして第三に、国会の承認の是非の問題でございます。  まず第一に、憲法解釈の方法の基本でございますけれども、憲法解釈の混迷が深まっている。私思うに、方法においてやはり発想の転換というものが必要ではないかというふうに思うわけでございます。  よく英米法的解釈と大陸法的解釈ということが言われます。英米法的解釈というのは、憲法で明白に禁じられていないことはできる、認められるというものでございます。大陸法的な解釈というのは、憲法で認められていることしかできない、これがいわゆる大陸法的解釈かと思います。日本国憲法は、その生い立ちからいたしまして、私は英米法的に解釈すべきではないかと思うわけでございますけれども、今日まで、明治憲法下の影響からでしょうか、大陸法的に解釈してきた、ここに基本的な問題があるのではないかと思うわけでございます。したがいまして、大陸法的に解釈する限り、どうしても細かい仕分け作業が必要となる。また、政府は架空の問題にも丁寧に答えて、そしてそれが現実になるとどうしても矛盾が露呈されてくる、そしてまた、その結果、統一見解を出して、いわば針の穴ほどの出口を見つけてつじつまを合わせる、こういう連続であったのではないかと思うわけでございます。  例えば廃案になった国連平和協力法案国会に提出される前、政府自衛隊海外派遣は考えていないというふうに言っていたわけでありますけれども、その国連平和協力法案国会に提出されて自衛隊海外派遣されるようになりますと、軍司令官のコマンド下に入る参加といわば後方支援などを行う協力とに分け、参加に至らない協力は合憲である、こういう判断を提示いたしました。そして、今回のいわゆるPKO法案におきまして自衛隊参加するということになりますと、今度は、参加でも一定の前提条件をつけて参加することは憲法に違反しない、こういうふうになってきているわけでございます。その他、先ほどから御指摘がありましたように、私ども外から見ておりますと、何か日本でしか通用しない解釈がまかり通っているように思うわけでございます。  また、英米法的に解釈しますと、憲法で禁止されていることだけをはっきりさせる。あとは、私は政治問題として国会で決めていくべきことではないかと思うわけでございます。憲法は「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」そしてまた、国会議員は国民の代表者であるということは御存じのとおりでございます。したがって、私は、国会憲法で明確に禁止されていない領域についてはみずからのイニシアチブでもって立法作業を行っていくべきであるというふうに思うわけでございます。政府に余りにも依存しているから、かえって国会自身がみずからの活動の場を狭め、みずからの首を絞めている、そういうふうに私は感ずるわけでございます。私は、要するに英米法的な解釈をすることによって、国会が主体となって政治判断をもっと広くしていくべきではないかというふうに思うわけでございます。  第二に、それでは憲法で禁止されていることは一体何なのか、これを明確にしておく必要があるかと思います。  まず、結論から申し上げますと、憲法で明白に禁止されているのは、国際紛争を解決する手段としての国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力行使、すなわち侵略戦争とか、あるいは領土問題などで例えば相手国と意見を異にするとき、みずからの意思を通すために武力によって威嚇したり実際に武力行使することでありまして、自衛戦争あるいは自衛のための戦力保持は禁止されていない、こういうふうに言わざるを得ないと思うわけでございます。  その理由は、これは時間の関係で制定過程のみから言及をしてみたいと思います。  第一には、マッカーサー・ノートには紛争解決の手段としての戦争のみならず、「自国の安全を保持するための手段としてもの戦争(イーブン フォー プリザービング イッツ オウン セキュリティー)」という言葉がございました。この「自国の安全を保持するための手段としてもの戦争」、これは言うまでもなく自衛戦争でございます。しかしながら、当時の民政局次長ケーディスは、これでは非現実的であるということで、この「自国の安全を保持するための手段としてもの戦争」の部分を削除したわけでございます。これは比較的よく知られている事実でございますけれども、実は私自身もマサチューセッツ郊外の自宅にこのケーディスを訪ねて説明を求めたところ、はっきり述べておりました。  第二には、いわゆる芦田修正であります。これはよく知られておりますので詳しく述べる必要はないかと思いますけれども、第二項の冒頭に「前項の目的を達するため、」ということを挿入したのは、芦田氏の言葉をかりるならば、一つの含蓄を持って入れた、すなわち、戦争放棄は限定的になったことは明白である、こういうふうに述べているわけでございます。  そして第三に、文民条項の導入でございます。この文民条項の導入は芦田修正と極めて深い関係にあるにもかかわらず、我が国憲法の本はほとんど触れておりません。文民条項というのは、御存じのように六十六条の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」こういう規定でございます。この文民条項の導入と芦田修正とは非常に深い関係があるということは、実は私ちょっと著書で書いたことがございますけれども、今回、私ちょっと留学しておりまして、イギリスの国立公文書館で入手してきた極東委員会の資料によってその関係がますますはっきりいたしました。というのは、芦田修正によりまして日本に自衛軍の保持が可能になった、そうするとまたかつての軍部大臣現役武官制が復活するおそれがある、それを阻止するには絶対に文民条項の導入が必要である、こういうふうに極東委員会判断をいたしまして、極東委員会が非常に強く圧力をかけ、貴族院の段階でこの条項が入れられるようになったわけでございます。従来、憲法では九条の解釈と文民条項の解釈は別々になされてきておりますけれども、この資料はそのような憲法解釈の修正を迫るもので、ぜひこの点を注目していただきたいと思うわけでございます。  以上述べたことから、禁止されているのは侵略のための戦争であることは明らかでありまして、PKOへの参加憲法解釈というよりもいわば政治マターとして議論すべき問題ではないかと思うわけでございます。PKOは、停戦の合意が成立し、当事国の同意に基づき非強制・中立の立場で参加するわけでありますから、戦争や武力行使を目的とするものでないことは御承知のとおりでございます。     〔委員長退席大島委員長代理着席〕  むしろ、憲法というものを引き合いに出すとするならば、前文の「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてみる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という文言、あるいは九十八条二項の「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」といういわば富国のエゴを戒めた憲法の規定、さらにまた国際協調を強調した規定、こういうような規定にも留意すべきだと考えるわけでございます。  最後に、国会承認の是非について意見を述べさせていただきたいと思います。  私は、目に見える形での国際貢献ということで自衛隊PKOあるいはPKF参加することは、憲法上問題はないというふうに考えるわけでございます。問題は、手続上、特にPKF参加に当たって政府案に欠けている国会承認が必要であるかどうかということでありますけれども、私は以下の理由から必要であると考えるものでございます。  第一の理由は、シビリアンコントロールの観点からでございます。中曽根元首相は、防衛庁長官として、かつて民社党の和田耕作委員の質問に対して次のように答えております。「シビリアンコントロールの一番の中枢は、国民の意思が防衛力や防衛関係を掌握するということでございますから、具体的には国民代表である国会議員、その場所としては国会がその機能を通じて防衛問題を完全に掌握するということであり、また国会から信任された内閣が出先の機関として具体的にそれを監督するという形になる」、こういうふうに答えているわけでございます。また、毎年出されております防衛白書を見ましても、シビリアンコントロールの機関としてイの一番に国会が挙げられているわけでございます。私は、自衛隊PKOPKF参加我が国にとっては極めて重要でありますから、シビリアンコントロールのいわばかなめとしての国会の承認が何よりも必要であるというふうに思うわけでございます。政府は、いわゆる五原則を法制化したこと、国会への報告を盛り込んだことによってシビリアンコントロールの原則を充足したと述べておりますけれども、従来の政府の考え方にかんがみましても、これだけでは不十分であり、やはりかなめとしての国会の承認、これを何といっても中枢に据えなければいけないというふうに思うわけでございます。  第二の理由は、国会をも含めた国の意思が明確になるということでございます。言うまでもなく、国会国民の代表であり、その承認は国の意思として非常に重いものになるわけでございます。自衛隊海外派遣の決定を内閣の判断のみに任せて、国会が審議の上、意思を表明しないということは、私は、国会の責任放棄になるのではないか、こういうふうに考えるわけでございます。政府のみの裁量にはまだ一抹の不安があるというのが多くの国民の声であるのではないかと思いますし、またアジア諸国への説得という点からも国会の承認がぜひとも必要であるというふうに考えるわけでございます。  第三に、自衛隊の士気を高めるということでございます。国民のいわば総意として国会の承認があれば、任地に赴く自衛隊の士気を高揚することになります。内閣の判断だけで何か、表現は悪いかもしれませんけれども、こそこそと行かせられるというよりは、国会の承認があれば自衛隊員は堂々と胸を張って任務に当たることができると思うわけでございます。ノーベル平和賞をもらったPKO参加して心置きなく十分な活動ができるような条件を整えることこそが政治の責任であり、また国民の負託にこたえるべき国会の責務ではなかろうか、このように思うわけでございます。  政府は、国会の承認を求めることについて、迅速性が損なわれること、不承認のおそれがおることなどを理由として消極的な態度をとっているかのごとくであります。  しかし、第一の迅速性が損なわれるということにつきましては、これまでの各国の実例として、要請から派遣決定まである程度の日数を経ているということが事実でございます。また、自衛隊法にはPKO派遣よりもはるかに迅速性を必要とする防衛出動に国会の承認を求めており、迅速性は消極的な理由になり得ないと思うわけでございます。なお、どうしても国会の承認が間に合わない、こういう事態であれば事後承認も可能であります。  第二に、不承認のおそれでございますけれども、私は、先ほども言いましたように、ノーベル平和賞をもらっているPKOの趣旨というものが国民に十分理解されれば、国民支持は得られると思うわけでございます。また、政党は国民の声を反映するわけでありますから、多くの国民支持を受けたPKOについては、反対政党といえどもその声を無視することはできないと思うわけでございます。その不承認のおそれにつきまして、私は、どうか自信を持ってやっていただきたい、こういうふうに思うわけでございます。  以上、私は、自衛隊PKOPKF参加憲法上問題はありませんけれども、PKF参加にはぜひとも国会の承認が必要であると考える次第でございます。  御清聴どうもありがとうございました。(拍手
  13. 大島理森

    大島委員長代理 ありがとうございました、  次に、森公述人にお願いいたします。
  14. 森英樹

    森公述人 名古屋大学の森でございます。  先ほど山内公述人の方から憲法論の立場からする的確かっ詳細な指摘がございましたので、私の公述はそれとなるべく重ならないことを留意しながら、私なりの同じような批判点をこの法案について述べてみたいと思います。  間もなく太平洋戦争開始五十周年を迎えます。そうした歴史の節目のときに、日本の軍事力を再度海外に出動させる法案の成否が問題になるということ自体、大変憂慮すべきものがあります。  言うまでもなく、戦前の日本は、海外派兵を重ねて他国を侵略し、多数のアジア人の命を奪い、甚大な被害をこうむらせ、日本国民も多大な被害をこうむりました。戦後の再出発に当たって、現憲法は、そうした痛切な歴史的反省から、政府行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意して、一切の戦力を保持しないことを誓ったわけであります。  ところが、戦後間もなくにして政府は、さきの戦争への反省も不十分なまま、自衛のための実力は戦力に至らざる限度で合憲であるとしまして自衛隊を創設し、増強して、その結果、今や日本の軍事力は世界第二位と言われるほどになっております。このような説明からいたしますと、世界で戦力を持つ国は米ソだけという奇怪なことが起こっているわけですが、しかし、この政府にあってすら、自衛隊の任務は専守防衛であり、したがって海外派兵は憲法上許されないと明言してきました。自衛隊発足に当たって、日本がいかなる海外出動もなさないということを国際社会に約束したことは著名な参議院決議で知られているところであり、今もなお生きているはずであります。この参議院決議は、当時の宮澤喜一議員も含め全会一致で成立したものと聞いております。  政府みずからが課してまいりましたこの種の憲法上の規制というのは、国連協力であっても遵守されるべきものとされてきておりまして、ごく最近では、昨年秋の国連平和協力法の審議においてすら、政府は、武力行使をしてはならないという憲法九条のゆえに、国連平和維持軍PKFへの参加は困難な場合が多いと答弁をしておりました。しかるに今回の法案では、明白な軍事活動であるPKFに対し、小型に限定されない武器を所持した自衛官部隊として業務を行う内容となっております。これに適合するように、政府は、武力行使に関する従来の憲法解釈を八月二十二日、変更いたしました。自国の憲法原則をあいまいにし、解釈の変更だけで正反対のことを正当化するがごときルール無視あるいは法治主義違反の態度は、既にそれだけで、とりわけアジア諸国には、国際的ルールを乱暴に無視したかつての日本の再現として映るのではないでしょうか。  本法案は大変入り組んだ規定になっておりますが、その主要な法的問題点は、山内さんの御指摘とは重ならない限度で申し上げますと、次の点にあるのではないかと思います。時間の関係上、協力対象と協力主体についてだけ申し述べます。  まず、その協力対象について申しますと、その一つである人道的な国際救援活動においてすら疑問とあいまいさがあります。既に前田公述人もおっしゃるように、本法案国連平和維持活動協力法であり、国連平和維持活動だけが協力対象ではありません。国連の総会、安保理、社会経済理事会が行う決議または別表に掲げる国際機関が行う要請、これらのいずれかに基づきなされる人道的な国際救援活動も含みます。見落とせないのは、この決議や要請は日本協力を求めるものである必要はなく、何らかの決議、要請に基づき実施される活動がまずあって、それに日本協力する、こういう構造になっておることであります。その活動をするのは、国連のみならずその他の国際機関または国連加盟国その他の国でもあり、しかもその活動には、被害を受けるおそれのある住民その他の者の救援のために行われる活動もあり、なおかつ、受け入れ国紛争当事者でない場合は、当該活動が行われる地域の属する国の同意さえあればよく、加えて国連の統括下にすらないという構造になっております。これは、かなりの程度国連あるいは国連PKOとは距離のある領域であります。  もう一つの中心的協力対象であります国連平和維持活動につきましては、法案の言う国連平和維持活動が、従来経験的に確立されてきたとされる国連PKOの範囲よりも広いという問題点があります。  法案第三条第一号が定義する国連平和維持活動とは、第一に「紛争の当事者間の武力紛争の再発の防止に関する合意の遵守の確保」、第二に「武力紛争の終了後に行われる民主的な手段による統治組織の設立の援助」、そして第三に「その他紛争に対処して国際の平和及び安全を維持するために国際連合の統括の下に行われる活動」とされています。第一がPKF、そして第二が行政管理等であるといたしましても、第三の「その他」云々というこの活動というのは極めて広範であります。まず「その他」であって「その他の」ではありませんので、かつて自衛隊法百条の五に基づく特例政令の際の政府解釈を思い起こしますと、PKF等は政府にとっては例示とされません。次に国際の平和及び安全の維持のためという目的は、紛争国間の平和の維持のために限定されているはずのPKOに比べて広範に過ぎます。さらに国連の統括下という要件も、統括とは、通常、上級者が下級者を一般的に指揮、総合調整することを意味する以上、PKOの要件である具体的な事務総長指揮権に比べてはるかにあいまいと言わざるを得ません。  あるいは、法案国連平和維持活動の要件を見ますと、ここでも武力紛争発生していない場合を想定しまして、当該活動が行われる地域の属する国の同意があれば、そこでの活動国連平和維持活動とされています。しかし、武力紛争がいまだ発生していないのに出動するPKOとは、これまでのPKO概念にはなじまない、いわば予防PKOであります。  また、法案の言う国連平和維持活動は、国連事務総長の要請に基づき参加する二以上の国及び国連によって実施されるものと規定されていますが、国連とは別に参加する国を予定しているのはなぜかがいささか疑問でありますし、何よりもこの国連事務総長の要請は、日本協力の際の具体的要件とはされていません。事務総長の要請で何らかの活動がなされておれば、日本独自の判断でそこに武装した自衛隊を送り込み、現地では事務総長コマンドのもとにはないという構造になっています。ここには多国籍軍型の活動自衛隊参加できるチャンネルがいわば見え隠れいたしますが、これをも日本参加する国連平和維持活動というならば、それはいわば押しかけ平和維持活動と言わねばなりません。これは本来のPKOとはかなりの距離があります。本委員会議論では、国連PKOモデル協定案などの文書が言う事務総長コマンドと、法案八条二項の事務総長が行う指図との相違が問題になっていますが、法案を見ますと、この指図とて、実施要領の作成、変更段階において当該作成、変更内容がそれに適合するように求められているものにすぎません。  法案の言う国連平和維持活動というのは、以上のように本来のPKOと相当ずれております。こうしたあいまいさと不明確さに満ちた法案所定の協力なるものが、国会の関与すら極めて弱いまま協力本部あるいは本部長に集中された権限のもとで実施されていくことには大きな不安があります。PKFには参加できないと長年言い続けていながら、急遽それを覆す政府国民はいかほどの信頼を寄せることができましょうか。  次に、協力主体についてでありますが、法案三条三号が列挙する「国際平和協力業務」には、PKOの類型とされるPKF及び監視団がいわば混然一体となってそれ以外の活動とともに定められており、そのうちの軍事活動には自衛隊員のみが当たることとしています。確かに派遣するのは自衛隊員ですが、業務を行わせるのは部隊等であり、派遣自衛官には実施計画の定める自衛隊部隊等の装備としての小型ではない武器を保持させ、合理的に必要と判断される限度でそれを使用させるというのでありますから、これは憲法が明示的に禁じた武力行使に当たるというほかありません。これが武力行使ではなく護身的な武器使用にすぎないとする政府統一見解がありますけれども、軍事要員たる自衛官が、しかも部隊構成員として、しかもその業務として武器使用を行えば、それを武器使用と呼ぶのは単なる事実概念にすぎません。そこには、法的には明らかに武力行使、とりわけ国際法、国際関係ではユース・オブ・フォースに当たることは当然のことであります。  なお、協力主体につきましては、軍事的業務の周辺に関係行政機関の職員の強制的参加や、国以外の者に対する任意的な役務の提供、物資協力をも本部長が要請し得ることになっております。一般国民が、しかも軍事に接近したところでかかわり得るこうした法案は、よほど慎重な国民的合意を得なければならないはずですが、どうしてもっと国民議論を時間をかけて尽くさないのでありましょうか。  以上検討してきましたように、法案は、PKOに対する国民の素朴な好感に依拠しまして国連平和維持活動という文言を駆使していますが、武装自衛官海外に出動させるいわば第一号法案と言わなければなりません。それは、国民の現にあるこの好感すらをも裏切ることになります。  自衛隊が、現在の政府解釈にもかかわらず憲法学界では圧倒的に違憲と評価されており、国民的にも本法案に不安が持たれていることは周知のとおりです。違憲の疑義が濃い自衛隊が、違憲を重ねる海外出動を、その憲法的決着も国民的合意も欠いたままなし崩しに実行することは、その理由のいかんにかかわらず国際社会に不要の疑念と不安と不信をもたらします。自衛隊輸送機出動を用意したり掃海艇を出動させる日本に対し、とりわけアジア諸国民からは強い批判が出されていますが、単にこれは日本がかつての侵略国であったという歴史的過去だけによるものではなく、その反省を欠いたまま、またも強引に法的筋道を踏み外して出動することに、日本のリアルな危険性を感知しているからではないでしょうか。  この点では同じ戦前戦後の事情にあったドイツが、同じような問題を憲法問題として、むしろ時間をかけた憲法改正問題として受けとめ、慎重に国民的に議論しているということをある意味では学ぶべきだろうと私は考えます。ドイツが戦争責任を厳しく認めている点は御存じのとおりですし、ただ、憲法上つまり基本法上国防軍の保持を認めている点では日本と異なる事情にあることも周知のとおりですが、NATO圏域外への出動を基本法上明示的に禁止してきましたがゆえに、PKOへの参加の法的筋道をつけるにしても、ドイツでは基本法改正問題として提起し、議会内及び国民レベルで時間をかけた慎重な議論を展開しております。しかもその憲法改正には、ドイツが周辺諸国との関係で真に信頼を得た国際国家となるべく、例えば環境保護、州や自治体への外国人選挙権の付与といったようなことを基本法改正に盛り込むことと並行しながらこの改憲作業は進められております。戦争責任をなおあいまいにし、軍事面での拡大を単なる憲法解釈の変更を重ねることで進める日本とのこの重大な落差は、改めて指摘しておく必要があろうかと思います。  宮澤首相は所信表明演説で、冷戦後の時代を迎えた今日を、流動的ではあるが新しい世界平和の秩序を構築する時代の始まりだというふうに述べました。そうであれはこそ、日本から行うべき国際的な働きかけは、国連憲章の精神を先取りした非軍事平和主義の立場を徹底化させた諸政策でなければなりません。世界は確かに今流動的で、国連が掲げる紛争の平和的解決の徹底的重視という理念も揺れているやに見えます。PKOとて、元来は冷戦構造のもたらした産物であるがゆえに、冷戦終結後の今日、その再検討が問われてもいい国連活動であります。新しい世界平和の秩序を構築するには、腰を落とした議論を経て、国際的にも国民的にも合意できる平和政策日本からも提起されなければなりません。  しかし、現在の日本政府の態度は自衛隊海外派兵にのみ異様に熱心で、飢餓、貧困の救済、地球環境保護、軍縮など、なすべき国際協力の貧弱さとは余りにも均衡を失しております。日本が非軍事的分野において世界の平和と人々の生活、福祉のために寄与する多様で豊かな政策に邁進することこそ、新しい時代にあって国際社会に名誉ある地位を占めるために日本のなすべき責務ではないでしょうか。  以上です。(拍手
  15. 大島理森

    大島委員長代理 ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  16. 大島理森

    大島委員長代理 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。逢沢一郎君。
  17. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 自由民主党の逢沢一郎でございます。  公述人の各先生方には、きょうお忙しい中わざわざおいでをいただきましてありがとうございました。心から厚くお礼を申し上げたいと思います。  さて、質問をさせていただく前に少しの時間をいただきまして、この夏、実は中東、イスラエルに参りまして、PKO活動実態に触れてまいりました。その感想を一言申し上げて、それを前提にして質問をさせていただきたいというふうに思います。  実はことしの七月の中旬でございますが、私ども自由民主党の青年局で中東視察をいたしました。その一つの大きな目的の柱は国連休戦監視機構、UNTSOの視察にあったわけであります。御承知のようにこのUNTSOはPKOの中でも最も古い歴史を持っておりまして、一九四八年の六月から現在に至っている、御案内のとおりであります。その本部はイスラエルの首都エルサレムの郊外にありまして、中東五カ国にわたってPKO活動を展開しておる、その五カ国に九つのオフィスを持っている、そして司令官の話によると二十三の監視所を持っておる、こういうことでありました。監視員の総計が二百九十九名、そしていわゆる事務方、シビリアンの方が三百六十名そのPKO活動に従事をしておられる、そういった方々の出身国は全部で十九カ国に上る、こういうお話でございました。私が最も印象に残ったのは、いろいろな国の人たちがここで一緒に他の国の人たちと平和のためにともに働く、そのことがPKOの大きな意義の一つ、大変意味のあることはその部分なんだ、そういうことを強調しておられたわけであります。  実は、そのUNTSOの本部でいささかスナックでごちそうになったわけでありますけれども、そのホールの上に十九カ国の国旗がずっと飾ってございました。カナダ、スウェーデン、オランダ、デンマークはもとよりでありますけれども、中南米あるいはアジアのいわゆる小国の旗もその十九の中に加わっておったということでありました。率直に申し上げて私ども自民党の青年局としては、この十九カ国の旗に加えて我が国の国旗がここにあったらなと、これは率直な印象、感想であるわけでありますけれども、そういう思いを持ったということを正直に、率直に申し上げておきたいというふうに思うわけであります。我が国はもとより世界の平和を願っている、そして国連こそがその世界の平和の担い手の先頭に立つべきだという立場をとっているわけであります。PKOに積極的に日本参加をする、そのことはまさに憲法の精神にもずばり合致をしたことだという立場に私どもはあるわけであります。  そこで、まず最初に阪中公述人にお伺いをしたいわけでありますけれども、我が国PKOへの積極的な貢献、参加意義について改めてお伺いをしたいわけであります。  国連PKO活動あるいはまた国際緊急援助活動、もう今大変多くの国々が積極的に参加をしている。日本世界のGNPの一五%を持つような大変な経済大国になってきた。先ほど申し上げたように国連中心外交を標榜している。その日本が、素直に考えて、PKO活動に積極的に参加をする、これはもう当然のことなんだというふうに私ども思うわけでありますが、改めて阪中公述人の御意見を承りたいというふうに思います。     〔大島委員長代理退席委員長着席〕
  18. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  私、三点ばかり申し上げたいと思います。  第一点は、今、冷戦終結に伴う国際新秩序をつくり上げなければならない時代でございます。そのときに、逢沢議員御指摘のとおり、この世界第二の経済大国である日本国際的安定のために行動を起こすということは、私は先ほど国際協力第一歩PKOへの参加を見ているというふうに申し上げましたけれども、私は国際的に非常に大きな意義を持つものであろうと思います。  第二番目が、現在冷戦後の中で国際安全保障のために国連安保理の果たす役割が次第に重視されるようになってまいりました。この国連安保理機能強化のためには、我々はこれを行動を起こすことによって支えていくことが私は必要ではないかと存じます。そういう意味で、日本PKO参加することは国連安保理活動を実効あらしめる有力な手段になると私は思います。  第三点は、日本安全保障政策との関連でございます。日本安全保障政策は、自衛権の発動を厳しく制限いたしております。御承知のとおり急迫不正の侵害とかほかに手段がないときとかというような条件をつけているわけでございまして、こういう条件を達成するためには国際環境の平和と安定の維持が極めて重要でございます。つまり、予防的な措置が極めて重要になってまいります。我々はよその地域について知らない、我々の安全に関係しないから知らないというようなことをいたしておりますと、何か我々に問題が起こったときにはみずからその決算書を払わなければならないようなことに私はなろうかと存じます。私は、日本が平和憲法を掲げているならば、その精神に沿って国際の平和と安定を実現するためには予防的な措置にできるだけ参加するのが好ましいことである、そういうふうに思っております。  以上、お答えさせていただきます。
  19. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 ありがとうございました。  阪中先生もおっしゃられたように、PKO参加をすることの条件というのはやはりきちんとこれは考えていかなきゃいけないというふうに思います。  そこで、引き続き阪中公述人、そして西公述人の御意見も同様な設問について承りたいと思うわけでありますが、PKOは、争いをしている国がその戦争をやめる、いわゆる停戦の合意ですね、それがあって初めてPKO活動が開始をされる、そういうことであります。PKOのうちPKF、いわゆる国連平和維持隊は戦わない部隊、あるいは敵のいない部隊、敵をつくらない部隊、そういうふうに呼ばれております。中立・非強制の立場で国連のいわゆる権威と説得によって停戦維持等の任務を遂行していく、それがPKOPKF本質なんですね。そして、そのことは国際社会からも高い評価を受けている。御案内のように一九八八年にはPKFを含むPKOがノーベル平和賞を受賞している、御承知のとおりであります。  しかし、日本にはこのPKO参加をするその歴史も非常に浅い。ナミビアでありますとかニカラグアでありますとか、選挙あるいはまた行政、そういう部分に若干参加をしているわけでありますけれども、数が少ない、またその歴史も浅いということで、どうもまだまだ国民の皆様方の間に正しい認識、理解が十分にできていないんじゃないか、一部にはそういう報告もございます。私どもが政治家として国民の多くの皆様方に接して、PKO意義PKF実態というのはこういうものだ、話せばなるほどそうだったのかということで御理解をいただく、決して戦争をやりに行くわけでもないということ、これは話せば理解をしていただける、そういうふうに思うわけでありますけれども、先生あるいは西先生は、今の段階で国民の方々が果たしてこのPKOPKF日本参加をする、そのことを正しく御認識をいただき、理解をいただく、そういう国民意識のレベル、段階を迎えているかどうかということについてどのように受けとめておられるか、率直なところを伺いたいと思います。
  20. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  私は、次第に国民の世論は成熟いたしてきているように思います。私、大学に勤めておりまして、大学で若い世代の人と話しておりましても、日本が何か世界の平和と安定のために行動を起こさなければならない、そういう気持ちが若い世代の間で私は非常に強くなっているように思います。そうしたものを政治の場で国民的なコンセンサスをつくり上げながら、政治がそういった国際協力への若い人たちの気持ちをつくり上げていくことが私は非常に重要なことではないかと思っております。
  21. 西修

    西公述人 PKOPKF参加については世論調査なんかも徐々に行われているようでございます。しかしながら、私は海上自衛隊掃海艇派遣のことをちょっと想起すればよろしいのじゃないかと思います。掃海艇派遣の場合も当初かなり世論も批判的な空気もありました。反対された方も非常に不信感を持っておりました。けれども、掃海艇派遣され、立派にその任務を果たしてきたというようなことになりますと、世論は非常に違いました。掃海艇派遣よかったという世論が圧倒的多数になってきた。掃海艇派遣のときの議論掃海艇派遣後の世論の状況というのは非常に変わったと思うのですね。そういう意味において、やはり実際にやるということ、また国会で審議するということ、これは非常に世論形成に大切なことではないかというふうに思うわけでございます。  先ほど先生がおっしゃいましたように、PKOPKFの趣旨というものは非強制で中立、そしてまた国連の権威を高める、もっともなことだと思います。そしてまた、歴史が浅いということもおっしゃいました。歴史が浅いがゆえにやはりいろいろな議論も沸騰しているのではないかと思うのです。その意味においても、やはりPKF派遣するという意味においては国会で十分審議するということ、承認するかどうかということを本当に審議するということ、これが世論を高めていく、国民理解を深めていくということの大きな前提ではないかというふうに思うわけでございます。  ですから、先生の議論をずっと推論していきますと、結果的にやはり国民の承認、国会の承認というものが必要ではないか。国会で十分議論するということが必要である。そして、その国会の承認を得て世論の、いわば国民の声を受けて自衛隊が出ていく、これがやはり自衛隊の士気を高める。どうも私の結論になっていくように考えるわけでございます。  どうも失礼しました。
  22. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 ありがとうございました。  時間も限られてございますので、次のテーマに移りたいと思うわけであります。  武器使用憲法九条の問題について、阪中公述人に引き続き御意見を承りたいと思うわけでありますが、PKF我が国参加することに当たって、武器使用がどうも当然の前提であるかのような議論が一部にあるんですね。これはまだまだPKOが何だ、PKFが何だ、我々の国民の皆様方に理解を求める努力が足らないというところもあるのかもしれません。大いにこれはやっていかなきゃいけない。しかしこのPKFというのは、国連武器使用については極めて厳しい条件がつけられている、御案内のとおりであります。武器使用が行われるのはまさに極めて例外的な場合だということをまず前提として認識をしなきゃいけない。  例えばPKO活動に大変積極的な国の一つにオーストリアがありますけれども、私どもの調査した範囲では、オーストリアは過去十八年間、PKO協力してきた十八年間、一回も一発もだれも小火器を使っていない、引き金を引いていないということを承っているわけであります。もちろんこの法案においては、憲法九条を踏まえて国連よりもさらに厳しく要員の生命あるいは身体を防衛するためのみに小火器の使用を認めるということになっているわけでありまして、生命または身体の防衛のためにやむを得ず武器使用するということは、先ほど公述の中にもございましたけれども、自己保存自己防衛の自然的権利、当然のことだというふうに思います。  そこで、改めてこの武器使用憲法九条の問題について阪中公述人の御意見を承りたいと思います。
  23. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  最初にPKFについて申し上げたいわけですけれども、PKF紛争当事国あるいは紛争関係国の招きによって停戦監視あるいは休戦監視に当たるものでありまして、日本が押しかけていって何かやろうというわけでは決してないわけでございます。ですから、武器使用と申しましても、身体の危険とか、そういう極めて特殊な危険な状況のもとで考えられるわけでございます。憲法九条のもとでも、刑法は明らかに正当防衛と緊急避難を認めているわけでございまして、これは国際的にも通用する原則でございます。ですから、出ていった自衛隊員あるいは平和協力隊の方が身体の危険を感じた場合に武器使用を伴うということは、何ら憲法上問題ないものと私は考えます。  ついでに申し上げさせていただきますと、部隊としての武器使用ということは、各国ともルール・オブ・エンゲージメント、交戦規則というものを持っておりますけれども、各国ともそれについて公表はいたしておりません。これは手のうちを全部見せることになりますから、そういうものを公表しないわけでございます。これは先ほどから議論になっております国連PKFについても、どういう際に武器使用するか、これについては厳しい規定がありますけれども、多分その詳細について全部公表することは不可能ではないか。それは各国が武器使用に関するルール・オブ・エンゲージメントをどのように取り扱っているかということを御高察いただければ明白であろうかと存じます。
  24. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 ありがとうございました。  それでは、浜谷公述人に御意見を承りたいと思います。  先ほど浜谷先生は、シビリアンコントロールを担保する上でそれは国会承認のみではないはずだ、そういう御意見でございました。恐らく先生のお考えの中には、PKOあるいはPKFに積極的に参加をしている数多くの国々の中で、この国会の事前承認の制度を持っているのはオーストリアとアイルランド、この二カ国だけだということがその前提にあってのお話だと思いますし、また、オーストリアにあってはこの事前の国会承認制度を改める方向で、その国の中で議論が行われているということのようであります。  しかし、その後先生は、少し気になるところもあるということでお話がございました。いわゆる際限のない更新というものが報告だけで次から次へと繰り返される、展開される、そのことに危惧の念を持っておられるということでありますが、ちょっと私十二分に聞き取れなかったように反省もいたしておるわけでありますが、仮にあるPKOが非常に長期間に及ぶ、泥沼化する、例えばこういうPKOがそれに当たるじゃないかというのが先生の頭の中におありになるのか、あるいは仮にそうなったときに、継続の是非が十二分に議論をされずに、単に報告という形で済まされるということについて危惧の念を持っておられるのか、少しその部分について詳しくお触れをいただければというふうに思います。
  25. 浜谷英博

    浜谷公述人 お答えを申し上げます。  その簡単な答えは、両方でございます。危惧の念と申しますのは。要するに異常に長いPKO活動と申しますのは、ある意味ではPKO活動の本旨でございます国際紛争を当事者で早く解決をする、話し合いによって解決をするということを逆に妨げるような結果になりかねない。これはUNTSOなんかをずっと見てみますと、もう当事者に果たして解決する意欲があるのかどうかということが疑問になるわけでございます。そういうことが一点でございます。  それから、異常に長い活動になってしまうということにつきましては、やはり日本国といたしましても、これは本当の意味PKOの本旨を実行していないなというところは途中で見直すという機運もどうしても出てまいります。そのときに国会の意思が的確にそれに反映されないということになりますと、これはまた一つの見方の、一つの視点の欠落ではなかろうか。したがって、そういうときにある一定期間、これは実態がどういうふうになっているかという研究とか、それからどの程度から長期と判断するかとか、そういういろいろな視点がございますでしょうけれども、そういうような形で、国連マターは六カ月でございますが、それを一年ないし二年というところで国会の意思をもう一回確かめてみるという形での承認行為、すなわち先ほど申し上げました更新についての事前承認というところは、国会の意思の確認としては意味があるのではないかというふうに思います。
  26. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 ありがとうございました。  それでは、カンボジアのことに少し触れてみたいと思うわけでありますが、引き続き恐縮でございますけれども、まず阪中公述人にお伺いをいたしたいと思います。  カンボジア和平もいよいよ今回こそは本物だな、そういう段階を迎えつつあるわけでありますけれども、カンボジアにおけるPKO活動が近い将来現実のものとなる、そういう状況を迎えてまいりました。いわゆるアジアにおける最初の本格的なPKOでありまして、規模的にもかつてない大きなものになるということが既に指摘されております。地雷の撤去もその仕事のようでありますし、また、選挙の監視、医療や通信や輸送や、もう本当に国の骨格をPKOがまずつくってさしあげなければいけないと言っても過言ではないほどの大がかりなものになるということが予想をされております。  我が国は今まさにPKO法案の審議のさなかにあるわけでありますけれども、このアジアで最初の大きなPKO、カンボジアにおける活動に率先して参加をすべきと、こういう強い意見もある。しかし、アジアには特に歴史的ないろいろなことがあるじゃないか、第二次世界大戦の生々しい経験、現に原体験として記憶にある方が大勢ASEAN、東南アジアにもおられる、そういう方々の気持ちにも十分配慮をしなければいけない、そういう指摘もあるわけでありますが、先生は近い将来いよいよPKOが始まろうとしているカンボジアについて日本はどういう態度で臨むべきか、どんなふうなお考えか、お伺いしたいと思います。
  27. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  私は最初に、PKOあるいはPKFの問題は、紛争当事者の要請を待って行うということを申し上げました。我々はカンボジアあるいは東南アジアに対して深い歴史的な関係、あるいは不幸な関係と申していいかもしれませんけれども、そういうものがあったわけでございます。これは紛争当事者の招きによってあるいは紛争当事者が受け入れるような条件のもとで、我が国PKFあるいはPKO活動参加すべきであろうかと存じます。  それから、二番目の問題といたしましては、これは何せ初めてのことでございますから、それをやるためには、それを実行するためには国内的なコンセンサスを確立することが必要であろうかと存じます。  それからさらに、その実際の行動に当たります自衛隊に関しましては、行ってもし万一失敗をするとかあるいは評価を受けないとかというようなことになりますと、これは大変大きな問題を起こすわけでございまして、やはりそのためには十分な準備をする必要があるのではないかと私は思います。  それから、そういう問題があるにいたしましても、国際新秩序ということが今言われている中で日本行動を起こすということは大変意義のあることであろう、この点については私は疑いを持ちません。ですが、前に申し上げましたような国際的な環境をどう考えるか、それから紛争当事者がはっきりと我々に対して参加を要請する、そしてこれを実行する日本の側に国内的なコンセンサスが成立し、自衛隊が自信を持って参加できる、そういう条件を早いうちにつくり上げることが、カンボジアにもし参加するというようなことがございますならば、そういう条件をつくり上げることが非常に重要なステップになるのではないかと思っております。
  28. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 同様のことを、恐縮でございますけれども、浜谷公述人から、カンボジアヘの対応を日本はどうすべきかということについての御意見を承りたいと思います。
  29. 浜谷英博

    浜谷公述人 私は、率直に申し上げて、カンボジアに対するPKOについては消極的でございます。御承知のように、カンボジアという国自体の国情なんかも考えてみますと、一見表面上は平和の合意がなされているやに見えますけれども、まだまだ相互の、四派の中ではいろいろな意見対立している部分もございまして、まだ平和というのにはちょっと危惧の念を持たざるを得ない。  それから、いろんな意味日本PKO活動自体が、カンボジアで活動するについては不利な条件と申しますか、いろんな意味で危惧される面がございます。ある方の話によりますと、ああいう気候条件、気候風土、もろもろの条件のもとでは、あそこで生存していること自体がなかなか難しいというところもあるのに、まして任務を持たされて何かやれということでは、三カ月ぐらいで全員病気になるんじゃないかというような、そういうようなあれもございます。  それからもう一つは、やはりカンボジアそのものに行くということよりは、東南アジアに対する外交政策そのものに対する哲学を確立させてからということがその大前提になるのではないかという感じがいたします。私どもにはどうもそういうので一部見てそれが感じられない部分もございまして、そういう意味から、まさに私が先ほど危惧しました泥沼化というようなことですと、最初のPKO活動でございますとなおさらのこと慎重に対処せざるを得ないのではないかという感じがいたします。     〔委員長退席、船田委員長代理着席
  30. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 ありがとうございました。  時間ももう五分を切りましたので、これが最後の設問になろうかと思うわけでありますが、阪中公述人と、改めて西公述人にお伺いをいたしたいと思います。  我が国PKOへの参加に当たっては、例えば既に経験済みのニカラグアでありますとかあるいはナミビアでありますとかにいわゆるシビリアン、文民が出ていってPKO活動協力をした、参加をした。それなりの高い評価も受けているわけでありますけれども、一方には、文民による参加を今まで以上に積極的に行うべきであって、いわゆる国際法上で言う軍人、専門的に鍛えられた軍人、つまり日本でいうとその存在は自衛隊しかないということになるわけでありますが、その自衛隊参加はやはりあくまでも慎重に考えるべきじゃないか。カンボジアのPKOにもし参加をするとしても、まずシビリアンというふうな意見があるわけでありますが、やはり本当の意味日本国際社会の中にあって名誉ある地位を占めようと思うと、それだけでは不十分だという強い議論意見が一方にある、先生方も御案内のとおりであります。私どもは、自衛隊組織力あるいはまた経験というものを世界の平和や安定のために正々堂々胸を張って生かすべきだ、そのことは憲法にも抵触しないという立場に立つわけでありますが、改めてその点について両先生の御意見を承りたいと思います。
  31. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  私は、憲法の精神を生かすためにも、自衛隊が積極的にPKFあるいはPKO参加して、国際秩序の建設に協力すべきであろうと存じます。  自衛隊の存在は、日本の平和と安定のためのみならず、自衛隊が存在し、海外でそういうものに協力することによって、日本の平和国家としての意味がもっと明白に私は示されるだろうと思います。そして、しかもああいう苦しい条件のもとで指揮それから管制をきちんとやれるものは、残念ながら日本には組織的なものとしては私は自衛隊しかないと存じます。シビリアンに行ってもらうということは大変危険が伴いますし、もし万一行って実効がない、つまり効果を上げられないことになりますと、これは日本国際的なプレステージがえらく落ちることになるのではないかと私は思います。  そういう意味PKFあるいはPKO自衛隊参加するということは、私はこの新しい時代において必要なことだと存じております。
  32. 西修

    西公述人 先生おっしゃるように、文民の参加、これも私は大変必要なことだと思うのです。要するに通信、連絡その他、文民がやるべき領域は非常に多いと思うのですね。そういったところには当然やはり積極的に参加していくべきだと思います。  けれども、阪中公述人が今おっしゃいましたように、国際社会において名誉ある地位を占めるためにどうすればよいのか。「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」、こういう憲法の精神から一体どうすればよいかということでございます。ハマーショルド事務総長は、いわゆる停戦監視者は軍人でなければならないのだということを言っておりますけれども、やはり目に見える形で組織的にPKO参加し、日本の名誉を高めるということは、私は必要だと思います。  先ほど浜谷公述人おっしゃいましたように、いわゆるオアの概念ではないと思うのですね、文民オア自衛官というのではなくて、文民も自衛官も。そういうことによって日本の平和精神、平和精神の憲法をなお高めていくということができるのではないかというふうに思っております。
  33. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 大変ありがとうございました。  貴重な御意見を法案審査にさらに生かしながら、努力を重ねてまいりたいと思います。大変ありがとうございました。質問を終わります。
  34. 船田元

    ○船田委員長代理 次に、串原義直君。
  35. 串原義直

    ○串原委員 公述人の先生方、大変きょうはお忙しいところをありがとうございました。そして、貴重な御意見をいただいて、勉強になりました。  実は私にいただきました時間は十五分でありますので、表現が端的になって失礼になることがあろうかと思いますけれども、その点はひとつ御了承賜りたいと思います。  最初に、山内公述人に伺いたいわけでございますが、指揮につきまして、この法案によりますれば、日本派遣部隊日本指揮に従う、こういうことになるわけでありますけれども、国連コマンドとは実施要領を適用させることによりまして事実上は矛盾が生じない、こうされております。そして、八条二項、つまり業務の中断につきましてはこのコマンドに反して自主的に行える、こう言うのであります。これが国連の基準あるいは諸規定に適合するでしょうか、あるいはそういうことになることを国連は受け入れてくれると思いますか。いかがでしょう。
  36. 山内敏弘

    山内公述人 お答えいたします。  私は、国連のいわゆるSOPにおきましては、そのような中断のような事態といったものは、これは日本側から行うことについては想定していないというふうに考えております。報道されているところによりますと、平和維持活動に従事する軍事要員は、作戦に関する事項については自国政府当局からの命令を受けず、国連の軍司令官のみの命令を受けるということが平和維持活動の原則となっております。したがいまして、作戦の過程における中断については、日本自衛隊当局があるいは防衛庁長官が独自の判断を行う余地はないというふうに考えられると思っております。  以上でございます。
  37. 串原義直

    ○串原委員 実際に我が国PKO参加いたしましたとした場合、日本部隊だけが自分の判断で、独自の判断で勝手に業務を中断するということが、ここで議論をしているということ以上に、実際問題として現場で検討した場合、可能であるというふうに考えますか。いかがでしょうか。
  38. 山内敏弘

    山内公述人 お答えさせていただきます。不可能であると思います。
  39. 串原義直

    ○串原委員 次に、前田公述人に伺いたいわけでありますけれども、自衛のためでありましても、自衛隊員組織的に武器使用することができない、こう言われております。そうなりますと、自衛隊隊員生命の安全というものが保障されるかどうかとても私は心配になるわけでありますけれども、先生の御意見はいかがでしょうか。
  40. 前田哲男

    前田公述人 お答えいたします。  これまで政府から説明されておりますような自衛隊武器使用の制約から見ますと、非常に危険であろうというふうに思わざるを得ません。実際の国連PKFにおける武器使用規定は、山内公述人も言いましたように、これとまた違う形であるわけでございますので、派遣された後どちらが優越するかとなりますと、恐らく国連SOPに入っていかざるを得ないだろうと思うのです。しかし、一方ではこういう形で縛られているということになりますと、実際上の行動に及ぼすそういった影響個々隊員あるいは指揮官は、日本側の指揮官になるわけですが、板挟みになって、極めてつらい選択を強いられるということになると思うのです。  中断というさっきのことに関しても、中断をして帰ったとしましても、それがそのまま武力行使に至らない、中断するけれども、しかし撤退しながら武力行使をやむを得ず行わなければならない状況というのは現地に行けばたくさんあるわけで、国連の中でも、PKOの中でも非常に悪い形として記憶されているコンゴPKOはまさにそういう形であったわけで、中断できるから武力行使がないという保証には決してならないということを銘記しておかなければならないと思います。
  41. 串原義直

    ○串原委員 阪中公述人に伺いたいのでございますが、先ほどのお話で平和維持軍という表現を先生はお使いになったと思うのでございますが、よく言われますところの平和維持軍というのが、今回の法律では実は維持隊ということになっている。この表現の変わり方について、先生はどんなふうに御判断なさっているでしょう。
  42. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。私はほとんど同じものだと理解いたしております。
  43. 串原義直

    ○串原委員 先生は同じものだと判断をされている。つまり、法律には維持隊と書いてあるけれども、平和維持軍、よく言われるところの平和維持軍と同じものであるという立場でございましょう。  先生は先ほど、この平和維持軍というのは軍事的訓練を受けた者が参加することが大事だ、つまり自衛隊以外にない、こういう意味の表現をされたと思うんでありますが、自衛隊でない文民、それらの人たちの参加について先生はどんなふうな御理解をお持ちですか。
  44. 阪中友久

    阪中公述人 先ほどの平和維持軍と隊の問題でございますけれども、私は同じものと考えておりますけれども、日本の主権下にある部隊でございますから、これを隊と呼ぼうと軍と呼ぼうと、これは日本の考え方に従うべきだと思います。それが一つ。  それからもう一つ、自衛隊以外の者が参加することがどうかということでございますけれども、PKFつまり平和維持軍に関しましては、軍隊軍事組織以外の者の参加は非常に危険であろう。それは、武器使用に習熟していないこと、それから指揮命令の一貫性を維持するのは何としても長期間の訓練とそれから長期間のモラルの維持、そういうものになれている者でなければとても勤まらないものだと私は思います。PKOと言われます停戦監視とかあるいは選挙監視とか、そういうものに文民の参加は当然だろうと私は思いますけれども、PKFに関しまして申し上げるならば、私は軍事組織参加するのが当然であろうと思います。
  45. 串原義直

    ○串原委員 先ほども、まさに危険なところへ出かけていくのであるから国民支持がないと行けない、私もそう思うんでございますけれども、今回の法案審議に当たり、世論調査等によりますと、国民の半数以上が非常に心配しているという数字が出ているわけですね。したがいまして、その現実を踏まえて、国民支持を得るためにはどういう手段、どういう手だてがこの際一番大事とお考えでしょうか。
  46. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  国会で論議をしていただくことが最も重要でございます。  それから二番目が、国会の論議に際しまして、国民が懸念を持っておりますこと、それから周辺諸国が懸念を持っておりますことは、多分自衛隊そのものよりも、世界経済で第二位の力を持つ日本の将来のイメージ、日本がどういう国になろうとしているのか、そのイメージが明白に描けないところに問題があるのであって、自衛隊が千人あるいは二千人出ようと、それに対して何か軍国主義の再来というふうな議論が起こるとは私は存じません。私は、国際政治をやっている者として、諸外国、東南アジアの方、中国の軍人の方ともつき合いがたくさんございますけれども、その懸念と申しますのは、経済大国である日本がどういう国を将来つくろうとしているかということに対する懸念が主でございまして、実は自衛隊PKFに対する参加そのものに対する懸念は、ないとは申しませんが、私は極めて小さいものだと存じます。
  47. 串原義直

    ○串原委員 今もちょっとお触れになりましたけれども、先ほども周辺諸国理解支持が最も大切だというふうにお話しになりました。私もそう思います。特にこのところ、この法案審議に当たりまして、お隣の韓国は強い懸念を表明されておりますね。それから、戦時中大変迷惑をかけてきた中国なども、時折々に強い懸念を表明されているわけであります。これはとても重要なことだと思うのですね。その現実を踏まえて、この周辺諸国理解支持、そのためにどうすればいいというふうにお考えでしょう。
  48. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  先ほどから申し上げておりますように、日本が将来どういう国を目指しているのか、その骨格を明白にすることが私は最も重要な点ではないかと存じます。それが決まれば、私は韓国にあります懸念、中国にあります懸念というものも解消してくるのではないかと思います。
  49. 串原義直

    ○串原委員 もう一点、山内公述人に伺います。  今お話に出ましたように、平和維持隊、それは平和維持軍と変わりはないという御意見もあったんでございますし、平和維持軍は軍事訓練を受けた者が最も適当であり、参加するには自衛隊以外にはないのではないか、こういうお話でありますが、山内公述人、その点についていかがでしょう。
  50. 山内敏弘

    山内公述人 お答えいたします。  そのことは、まさに平和維持軍軍隊そのものであるということを指し示しているんだろうと思うわけであります。つまり、平和維持軍憲法でその保持を禁止し、またその参加を禁止した戦力そのものである、そのことを意味しているんだろうというふうに思う次第でございます。
  51. 串原義直

    ○串原委員 終わります。
  52. 船田元

    ○船田委員長代理 次に、石橋大吉君。
  53. 石橋大吉

    ○石橋(大)委員 大変御苦労さまでございます。  私は軍事評論家の前田さんにまず最初にちょっとお聞きをしたいのですが、御承知のように政府武器使用武力行使関係について統一見解を出していますね。これは私の質問の中でもやったことですが、「憲法第九条第一項の「武力行使」は、「武器使用」を含む実力の行使に係る概念であるが、「武器使用」が、すべて同項の禁止する「武力行使」に当たるとはいえない。例えば、自己又は自己と共に現場に所在する我が国要員の生命又は身体を防衛することは、いわば自己保存のための自然権的権利というべきものであるから、そのために必要な最小限の「武器使用」は、憲法第九条第一項で禁止された「武力行使」には当たらない。」こう言っていますが、やはり小銃一つとってみても、最近の小銃というのは物すごいですからね。一たんそれを使用せざるを得ない状況が出たときには、たちまちこの統一見解は吹っ飛んでしまう、こういうふうに思って、そういうことも質問をしたわけですよね。  それがどうかということと、もう一つは、この政府統一見解で非常に問題なのは、何となく隊員個人の生命の防護に限定をされているような、非常に矮小化された印象があるということですね。しかし、実際には部隊行動するわけですから、数人の場合もあれば、十数人の場合もあるし、五十人の場合もあるし、百人の場合もある。状況によっては物すごい戦闘状態になる。そういうことも含めて、この統一見解は極めて問題のある統一見解だし、ずばり言えばナンセンスだ、こう思っているのですが、どうですか。
  54. 前田哲男

    前田公述人 お答えいたします。  おっしゃるとおりだと思います。法律解釈といいますか文言の解釈でそういう言い方はできるのでしょうが、実際PKFの現場を想定してみましょう。例えばユーゴスラビア、セルビア、クロアチアでの血みどろの内戦が続いておりますが、ここは停戦協定が結ばれますとPKFが行くというふうになっております。ここにおける武力行使武器使用、今政府が考えているような形でできる境目があるなんというふうに考えることは到底できないだろうと思います。あるいは個人の正当防衛に限定して、束ねるとか、組織的な指揮があり得ない、それを介入させなくても任務が達成できるなどということは考えられないと思います。  ユーゴスラビアのPKF日本参加するということにまだ手を挙げておりませんが、カンボジアにおいては既にそういう声を出しておりますので、カンボジアにおけるPKFのあり方を想定して考えてみても、今の武器使用武力行使の境目があるかのごとき解釈が実態においてはいかに無理であり、そのような境目などあっという間に吹っ飛んでしまうということを、私たちはカンボジアにPKF自衛隊員を出す前にしっかり考えておかなければならないと思います。あくまで法制局の文字の上だけの見解にしかすぎないというふうに思います。
  55. 石橋大吉

    ○石橋(大)委員 続いてもう一つ前田公述人にお伺いしたいのですが、さっき浜谷先生からシビリアンコントロールのことについて触れられまして、国会承認だけがシビリアンコントロールではない、私もそれはそう思いますね。国会承認だけではやはりだめだと思うのですよ。第一、国会そのものにちゃんと現代の軍事問題について評価する能力があるかどうかということだってありますからね。だから、国会の承認そのものがシビリアンコントロールの唯一のものではない、私はこう思いますね。  私は、正直言って、今一番問題なのは、むしろ自民党政治の権力のあり方だと思っていますよ。総理大臣の陰に本当の実力者がおって、意思決定でこんな間抜けな状況というのは、これは最大の問題点だと私は思っていますよ。正しいでしょう。これは本題ではないんですよ。  私がここで前田さんにお尋ねしたいのは、シビリアンコントロールの問題と同時に軍独自の統制の問題が非常に大事だ、私はこう思っているわけです。それは、ちょっと古い言葉を使って済みませんが、満州事変から日中戦争に至る過程を思うと、軍司令官は、陸軍刑法で死刑だ、こういう定めがあるものを破って、勝手に軍隊を思うままに動かしておる。参謀は参謀で、参謀は指揮せずと言われながら、あの辻政信などを初めとして、とにかくむちゃくちゃに権限を越えて軍隊指揮して何万の兵士を殺した、こういう経験がありますね。それから、下士官や兵のレベルになりますと、殺人、略奪、強姦はだめという厳しい刑法があるのです。しかし、事実はやりたいほうだいやってきた。そういう点では、軍の統制をどうするかということは、戦争に行くわけじゃないのですが、初めて武装集団を海外に出すわけですから、よほど厳しいコントロールをできるようにしておかぬとだめだ、私はこう思っているのですが、この点、専門家はどうですか。
  56. 前田哲男

    前田公述人 シビリアンコントロールは、御指摘のとおり敗戦後の新しい統制概念でありまして、戦前、シビリアンコントロールなきところでアジアの地に日本軍隊は大変大きな被害を与えた経験を持っておるわけです。制度として今自衛隊にシビリアンコントロールが確かに確立されています。日常の業務は内局によって監督されておりますし、防衛庁長官、内閣総理大臣という統帥機能もシビリアンによって行使される。そして、予算審議を初め国会におけるコントロール、さらに世論、有権者の監視ということがあるわけで、そのものにおいて戦前の軍隊と同列に論ずることはできないだろうと思うのです。  ただ問題は、この法案との関連で申しますと、先ほど言いましたように、別の組織、別の機構ができているにもかかわらず、そこに参加する自衛隊に対しては、自衛隊の「部隊等」ということで、自衛隊法八条、そしてそれは陸海空幕長が長官命令を、執行権を代行する形でつかさどるということになっているわけですね。ここにおいて、別の組織、別の機構をつくったにもかかわらず、命令系統は制服組が海外にまで延びていくということになります。これは場合によっては見えないところでシビリアンコントロールが破られる可能性がある。既に掃海艇派遣における現地部隊と米軍現地部隊との間の、防衛庁、外務省も知らないような現地における活動の合意、設定などがあるわけですから、そういった形でも、シビリアンコントロールがこの法律案の中で十分に保たれているとは言いがたいと思います。
  57. 石橋大吉

    ○石橋(大)委員 阪中先生、非常にうなずいておられましたので、今の軍の統制の問題についてだけちょっと……。
  58. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  私は、先ほどからPKFに関しましては、自衛隊でなければこの任務は達成できないというふうに申し上げました。軍の統制、指揮、管制というものは、ああいうところに出しました部隊に関しましては、民間ではだめだと私は存じます。そういう意味で私はうなずいたわけでございます。
  59. 石橋大吉

    ○石橋(大)委員 いずれにしましても、それこそ派遣国の信用を失うかどうか、国際的な評価を落とすか落とさぬかという非常に重要な問題だと私は思っていますが、一応これはここでおきまして、続いて阪中先生に一つ伺いたいのですが、さっき国連中心主義といいますか国連の行う平和活動に積極的に協力しなければいかぬ、こう言われました。私は、今の国連というのはそれほど普遍的なものでもないし、それほど理想主義的に手放しで評価できるようなものではない、こう思っているわけですよ。この問題を議論する雰囲気を見ていますと、国連を批判したりするやつはとにかく悪い、悪人みたいな感じの議論もちょっとありますけれども、私はそうじゃないと思う。第一、この国連そのものが第二次大戦の戦勝国によってつくられたということからいたしましても、安全保障理事会に全部が平等な資格参加できるようにもなっていないし、また、平和問題だとか戦争行為に関しての国連の決定なんというのは全部安全保障理事国、特に常任理事国の決定によってほとんど左右される、こういうようなこともありますし、決して手放しで評価できるものではない。現実はそうだ。将来的にできるだけ理想に近づけるようにすることは当然ですよ。それは私も当然だと思うのですが、残念ながらそうなってない。  そこで、一つだけ。ジョンソン大統領のときに司法長官をやっていましたラムゼー・クラーク米元司法長官が「湾岸戦争の戦争犯罪告発状」を出しまして、ことしの五月十一日にニューヨークでアメリカ湾岸戦争の戦争犯罪を告発する第一回公聴会をやっておるわけですね。このラムゼー・クラーク氏の告発状の中にこういう項があるわけです。ちょっと急いで読んで恐縮ですが、   ブッシュ大統領は、国連安保理に強要していまだかつてない一連の決議を出させ、ついには決議実行のためあらゆる手段に訴えるという権限を獲得した。決議への賛成投票を獲得するためアメリカは何十億ドルもの贈賄を行ない、地域紛争用の武器の提供を申し入れ、賛成しない場合には経済報復をすると脅し、かつ実行し、何十億ドルの借款を供与し、人権侵害国にも国交正常化を約束し、その他あらゆる汚い方法で賛成投票を取りつけ、あたかも全世界アメリカの対イラク政策を是認しているかのような状況を作り出した。イエーメンのように反対投票をした国に対しては、かねてから約束していた数百万ドルの援助を取り消したが、同国にとっては、一つの反対投票がそれほど高くついたのは初めてのことだった。 こういうところがあるんですね。このとおりだったかどうかは私もちょっと確証はありませんが、いずれにしてもきれいごとでは済まない状況であったことは私は間違いないんじゃないかと思う。国連国連と言うけれども、貫徹をしているのは大国支配だとまだ私は思っていますが、この辺について阪中先生はどういうふうにお考えになっていますか。
  60. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  私はそういう実情をつまびらかに存じているわけではございませんけれども、先生御指摘のような問題があったにしましても、普遍的な安全保障のシステムとして現存するものは国連しかないわけでございまして、これを強化するのか、強化する方向で我々は協力するのか、これに全くそっぽを向いていくのかということが私は非常に大事な点ではないかと存じます。私は、いろんな問題があるにしても、強化する方向で、普遍的な国際安全保障を確立するために日本が努力すべきものだと考えております。
  61. 石橋大吉

    ○石橋(大)委員 もう二、三分時間がありますので、もう一遍前田先生にちょっとお聞きしたいのですが、さっき浜谷先生は、カンボジアなどというところは大体人間が生存していること自体がおかしいというぐらいなところだ、こう言われましたね。政府の今までの説明は余りにもきれいごと、何にも問題がないよ、体にも余り障害ないし、もちろん危険性もない、こんなように受け取れるような説明ばかりしているわけですよ。しかし、私は現実は浜谷先生の言われた状況があちこちにあると思いますね。ブライアン・アークハート氏の「炎と砂の中で」を読んでみても、平和維持軍というのは、戦争に行くよりもある意味では非常に難しいところがあるんじゃないかと私は思っているわけですよ。戦争は、命はかけなきゃいかぬけれども、行け行けどんどんで行けばいいわけですよ。ところが、平和維持軍はそうはいかぬ。物すごい粘りと根気と我慢と忍耐の要る仕事だ。ところが、現地の国家の責任者に裏切られたり、だまされたり、そして今度は派遣国軍の軍の間でいろいろといさかいがあったり、きれいごとでいかぬのですよ。ところが、何にも問題がないように受け取れる説明をしているわけですね。時間がありませんからこれ以上言いませんが、その辺についてどういうふうにお考えになっているか。     〔船田委員長代理退席、金子(原)委員長代理着席
  62. 前田哲男

    前田公述人 PKOの実際的な活動は、法律案の文章の中にあるのではなしに、まさに現地にあるわけであります。  それから、PKO一般という活動もないわけで、カンボジアPKO、コンゴPKO、ユーゴスラビアPKOという具体的な中にしかないわけであります。それは個々に違います。出る数によって違いますし、場所によって違う。PKO歴史を見ますと、同じもの、同じ原則というのはないわけですね。そういう意味で、研修の重要性が極めて高い。にもかかわらずこの法律では、研修を受けさせることができる、実にあっさりとといいますか、まさに触れていない。従来、軍人でしかできない、そうであったとしても、今の軍人でできるか、自衛官にできるか、そういうものではないと思うのですね。場所、言葉、文化、紛争要因、あらゆるものが違いますし、それらに対してどう日本が対処するのか、隊員に研修させるのかということがもっと綿密に盛り込まれなければならないのですが、これだけの情報ではとても十分の、完全な活動ができるとは思えないです。
  63. 石橋大吉

    ○石橋(大)委員 時間が来ましたから終わりたいと思います。どうもありがとうございました。     〔金子(原)委員長代理退席、委員長着席〕
  64. 林義郎

    林委員長 次に、山田英介君。
  65. 山田英介

    ○山田委員 公述人の先生方には、大変お忙しい中をこうして御出席を賜り、また先ほどは大変貴重な御意見をお示し賜りまして、まことにありがとうございます。  私は最初に阪中先生にお尋ねをしたいと思っておりますが、我が国国際社会一員として、一国として極めて大事だと思われますことは、いわば国際協調主義あるいはまた国連中心主義、こういう考え方で生きていくということが大変重要なのではないか、私はかように考えております。  そこで、例えばこのPKOへの参加我が国憲法に違反しているんだというような議論が一方にある。そんなことも踏まえて、日本国憲法の理念とかあるいは枠組みとかということとのかかわり、この国際協調主義とか国連中心主義とか、大変御無礼でございますが、簡潔にお示しをいただければと存じます。
  66. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  先ほど西公述人憲法の前文にあります「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」ということを引用されましたけれども、私はそれに尽きると思います。国際社会において、一国だけがその繁栄と生存を享受することはもはや不可能でございます。経済の側面で相互依存が深まり、そしてその経済相互依存関係の進展というのは、当然のことながら安全保障の側面でも進展いたしておるわけでございまして、そういうことを考え、そしてまた日本国際社会の中で名誉ある地位を占めたいというふうに考えますなちば、国際的な協力に対して前向きに取り組むのは当然のことだと私は思っております。
  67. 山田英介

    ○山田委員 浜谷先生にお尋ねをしたいと存じます。  PKOにつきましては、これまで八十カ国を超えるあるいは延べで五十万人も参加をするというような形で、大変長い歴史あるいは多くの実績というものがあるわけでございます。しかし、我が国におきましては、このPKOに対する参加問題というのは余り議論されてきていなかったということは事実だろうと思います。実は東西冷戦終結とかあるいは米ソ対決から協調へという大きな世界情勢等の新しい事態の展開の中で我が国PKO参加するということは、大変大きな意義といいますか、あるいはまたその環境が整った、私はこのように理解をしているわけでございます。  そこで、このポスト冷戦におけるPKOの位置づけと申しますか、あるいはまた我が国参加することの意味合い、意義という点につきまして御意見をお伺いをしたいと存じます。
  68. 浜谷英博

    浜谷公述人 先生方御承知のように、一昨年から国際情勢は非常に大きな変革を遂げております。また、イラククウェート侵攻の際の国際社会の対応というものもまた大きな変革を遂げてきたのは事実でございます。こういうようにまさに今の国際社会は新しい国際秩序の模索の時代に入っているわけでありまして、このような時代にいわば経済的な大きな力を持っている我が国がどのように対応し、またどのように行動するかということは、いわば世界で注目を浴びている点だというふうに考えます。そういった我が国が、日本国憲法という重要な基本法を有している建前から、これで許された範囲内で国際的な協力というものを打ち出していくということは重要な任務であろうと思いますし、それについてはPKO武力行使を目的にしないというまさに大きな歯どめのかかったPKO参加していくということは、今、日本に求められている非常に大きな役割であろうというふうに考えます。
  69. 山田英介

    ○山田委員 ありがとうございました。  もう一つ浜谷先生にお尋ねを申し上げたいのですが、PKO本質の論議というよりも、国会では派遣される協力隊のいわゆる武器使用とか武力行使だけがかなりクローズアップされている、先ほどこういう先生の御意見を承りまして、私も現場の理事でかかわらせていただいているんですが、全く同感でございます。ともすれば従来の冷戦構造というものを背景にした防衛論議と同じような、そんな感じでPKO論議が行われているように思える部分も、私はそのように感じているわけでございますが、国民理解をいずれであっても深めるという意味で、あるいは深めるというためにはやはりどういう視点が国会における論議等で大事なのか、この辺につきまして先生の御意見があればこの際お示しを賜れれば、かように存じます。
  70. 浜谷英博

    浜谷公述人 今御指摘されましたように、防衛論議自体が従来の冷戦構造の中で行われてきたもの、それが同じような条件のもとで繰り返されているという、そういう御指摘はまさに私も同感でございます。  このように国際社会が大きく変革した中では国際関係そのものが変わっているわけですから、当然それに伴って防衛論議が変わってしかるべきである。したがって、従来と同じメジャーの上に立った防衛論議を繰り返されているという、この下敷きの上に立ったPKO論議がなされますと、PKOそのものの本質がゆがめられた形で議論されている、そういう感じが率直にいたします。したがって、もちろん国際的な軍縮の流れ、そういうものを受けた中で、日本の防衛、安全保障というものの見直しも図った上で、いかにこれに対処するかという形の中でPKOをとらえるということが、今の日本に与えられている活動ではなかろうかというふうに思います。  要するに、脱冷戦時代というものを象徴する出来事として、例えば永世中立国であったスイスが今度はPKFにまで参加しよう、これは二、三年後に実現するかとも思いますが、そういうような、時代はまさに従来の冷戦構造が大きく変化したわけでありまして、日本の防衛論議の見直しというのは、その底辺にあって、しかるべきその上に立ったPKO論議というものがなされるべきであろうというふうに思います。
  71. 山田英介

    ○山田委員 西先生、同じ角度になろうかと存じますがお伺いしたいんですけれども、御案内のとおり、また当然のごとくPKO活動というのは中立・非強制で行われるわけでございます。その意味におきまして、いわゆる強制行動を伴うものではない。相手国のPKO活動の受け入れの同意、そのまたもう一つ前提に武力紛争停戦の合意、そしてそれを維持しようという決意を持っておる、あるいはそれはいずれか一方に偏るような活動であってはならない、こういう一つの原則のもとで展開されるPKOでありまして、決して武力行使を目的にして出かけていくというものじゃないわけですね。極めてレアケース、武器使用するとかは。国連のマニュアルなどではAタイプ、Bタイプで、実力をもって妨害する企てに対抗するという部分もございますが、これは国連の一つのくくり方として、自衛のためというところでくくられているわけでございます。  したがいまして、先ほどの浜谷先生の武器使用とか武力行使とかということがちょっと強調され過ぎている嫌いがあるのではないかという御意見を踏まえて、まるで武力行使をしにPKOが行くんだとか、あるいは戦争しに行くんだというような、そういう印象を与えるということは、国民をむしろミスリードすることになってしまうおそれはないのかなという感じが私はしておるわけでございますが、その点につきまして西先生の御意見がございましたら、お聞かせを賜りたいと存じます。
  72. 西修

    西公述人 御指摘のとおりだと思います。  私ども民間におりまして国会に期待することは、そういう細かい言葉そのものではなくて、もっと大きな面から御議論いただきたい、そういうふうに考えるわけでございます。そういう意味において、もちろん細かいことで法案の修正なんかも必要かと思いますけれども、しかし、我々とすればPKOの本旨、本来の趣旨といいますかそういうものをやはりここで審議していただきたい、我々もそういうものに理解を示していきたい、こういうふうに思うわけで、御指摘のとおりだと思います。
  73. 山田英介

    ○山田委員 再び浜谷先生にお尋ねを申し上げます。  よく危険なところに自衛隊を出すべきではないという御意見や、あるいはまた自衛隊海外派遣すればまたかっての武力侵略につながるんじゃないかというようなことを懸念する、そういう御意見も一方にあるようでございます。先ほど浜谷先生のお話の中で、PKO活動の内容が軍事的貢献なのか非軍事的貢献なのかという点につきまして、これはむしろ非軍事的貢献と言ってもいいのではないかという趣旨の御指摘があったと存じます。現実としては、自衛隊武力行使とか、ただいま申し上げましたように海外派兵的なイメージでその側面が強調されて、したがいましてこれは軍事的な貢献なんだという規定のされ方あるいは議論の展開のされ方というものもあるように私は思っておりますけれども、むしろ非軍事的貢献というふうにも言うことができるんじゃないかという点は極めて興味深く拝聴させていただいたわけでございますが、もうちょっと詳しくその点お聞かせをいただければありがたいなと存じます。
  74. 浜谷英博

    浜谷公述人 軍事的貢献、軍という言葉自体に対する不幸な歴史からのイメージといいますか、それがあるのは確かでございますが、平和維持軍という呼び方の軍というのは、まさに日本がイメージしているような旧軍のイメージとは全く違うものであるということを指摘しておきたいと思います。  もともと軍というのは勝利を目的にして、すなわち力の最大限発揮ということを目的にしていわば戦うわけであります。したがいまして、例えば今のPKOのように、派遣の際に条件がつけられている軍などというものはもともと存在しないはずであります。PKOはまさにそういう意味では力の最小限発揮、要するに自衛のためしか武器を持ち得ない、そういう発想からきたわけでございまして、旧軍のイメージとは全く違うということでございます。まして中立性を厳格に求められていることもございますし、そういう意味では敵がいないわけでございます。敵がいなければ、したがって勝利も敗北もないわけでございまして、こういうような、もともとの軍とは著しく違ったイメージの中で想定されている活動でございますから、こういうものについて日本参加するということは何らちゅうちょすべきではないのではなかろうか。  非軍事的貢献ということにつきましても、例えば三原則、今法案化されております三原則、前段の部分、これにつきましても、停戦合意それから周辺国の合意、さらに日本参加することの合意というようなものがうたわれているということは、まさにこれは歯どめのかかった形での活動ではなかろうかというふうに思います。  危険なところ云々ということにつきましても、これはある議員の先生の方から伺ったのですが、自衛隊の父兄会の親元の方から手紙をいただいて、私の息子は実は自衛隊に入っている、しかし今回PKO参加するという非常に危険な任務が新たに加わる、こういう危ないところに行かせるために私は自衛隊に入れたのではないというような手紙があったということでございました。  自衛隊はまさに侵略に対応する力でございまして、PKOというのはまさに停戦の合意の中に話し合いを促進させるために入っていくものでございまして、まさにどちらが危険かということはわざわざ示すまでもなくわかることだろう。  こういう例を挙げましたのは、いかに国民一般レベルではPKOというものに対する誤ったイメージといいますか、これはもちろん私どもを初めとする説明不足もあるのでございましょうが、誤ったイメージがひとり歩きしているのではないかという懸念を率直に持った次第でございます。したがいまして、PKO論議の中でも、その本質そのものを忘れない議論というのは非常に重要ではなかろうかというふうに考えます。
  75. 山田英介

    ○山田委員 質問させていただきます時間がおおよそ残り五分ぐらいになりました。  阪中先生それから浜谷先生に、同じ質問になりますが、お答えを賜れればと思います。  物資、資金のみならず、物、金だけではなく、我が国憲法の枠組みの中で許される範囲内で、人的な面でも国際貢献を積極的に行う必要があると私は強く考えております。その上でお尋ねでございますが、このPKO活動に文民もしっかりと参加をする、と同時に自衛隊の持つ能力を生かして参加をする、貢献をしていくということについて問題があるのかどうか。文民だけでなければならないのか、あるいは先ほどオアではなくてアンドだ、こうお話もございましたが、自衛隊は絶対国際貢献のために使ってはならないのでしょうか、問題があるのでしょうか。この点につきまして阪中先生また浜谷先生にお願い申し上げます。
  76. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  平和憲法の精神は、日本政治の目的として軍事力を使わないという思想でございます。しかし、国際的な平和への協力を追求していくことは、私は憲法の精神であろうと思います。国の機関である自衛隊がそのために使われるということは何ら憲法上問題がないのだ、私はそう思っております。
  77. 浜谷英博

    浜谷公述人 総論におきまして、今阪中先生が述べられたとおり、私もそう思います。  さらに、具体的には先ほど先生が御指摘されたとおり、文民も自衛隊もでございまして、日本がバランスのとれた成熟した独立国としてそういう活動がまさに求められているわけですから、その全面的なバックアップと申しますか国際貢献と申しますか、あらゆる部面での国際貢献がまさに求められているだろうと思います。  自衛隊に関する点だけが強調されるというのはちょっと困りものだと思いますが、これは任務の危険性であるとか、危険性というのは何も交戦状態にあるところに入るという危険性ではなくて、地雷だとかいろいろな意味での危険性を指すわけでございますが、そういうところに入る者としては軍事的な知識を持った、そういう訓練を積んだ、いわば規律によって動けるような者が派遣されるのが望ましいということだけでありまして、殊さらにそれを強調して自衛隊派遣法だという論議は当たらないというふうに思います。少なくとも実効性のある活動でなければ、まさに今の日本に期待されているものにはこたえられないのではないかというのが率直な感想でございます。
  78. 山田英介

    ○山田委員 重ねまして貴重な御意見を承り、大変ありがとうございました。  以上で終わります。
  79. 林義郎

    林委員長 次に、東中光雄君。
  80. 東中光雄

    ○東中委員 公述人の皆さん、御苦労さまでございます。  最初に、阪中さんにお伺いしたいのですが、我が国自衛権行使は厳しく制限されておるという前提でお話しになって、PKFへの参加は必要だ、そして国民的課題として多国籍軍への参加もやる、こういう趣旨で言われました。我が国憲法のもとでの武力行使を伴う実態のあるPKF参加をするだけではなくて、さらに多国籍軍への参加もという御意見でございましょうか。
  81. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  私が申し上げておりますのは、今すぐということではございません。国民的課題として多国籍軍への協力、それから国連強制的活動、つまり憲章に示されております国連軍というものが将来つくられるようなことがございますならば、それへの協力ということも国民的課題として考えるべきだ、そのための議論を今私は起こす必要がある、そういう意味でございます。
  82. 東中光雄

    ○東中委員 そうすると、現実にないことについてのことをおっしゃっているだけということですね。方向のように承りました。  次に、浜谷公述人にお伺いするのですが、PKO武力行使を目的とするものではない、だからこれに参加してもいいんだ、こういう御趣旨だったと思うのですが、PKOの文民によるあるいは選挙監視とか行政援助とか、こういうものは現行法でも現にやっておりますし、そういうことが今問題になっているのではなくて、PKOのうちのPKFへの参加が問題になっているわけですね。それが、武装した自衛隊部隊部隊として海外へ出ていって参加をし、PKFの作戦行動をやるということなんですが、PKF武力行使を目的にしておりませんが、武力行使を伴うものだということは前提の上で言われておるわけですか。
  83. 浜谷英博

    浜谷公述人 私は、武力行使を伴うという概念は非常にあいまいな概念であるというふうに思います。私は、武力行使を目的にしているか目的にしていないかで区別する方がいいともともと考えておりまして、武力行使を伴うというのは、目的にして行ったのか、もしくは目的ではなかったけれどもそういう状態が発生していたし方なく自己の防衛のために、もしくは自分の生命の安全を保持するために行使をしたのかということが明確に区別されていないようなイメージを持っているわけでございます。ですから、PKFというのは明確に武力行使を目的にして行かない、そういう活動が平和の、国際的な秩序の維持というものに貢献できるのであれば、日本がそれに参加しても何ら憲法上反することはないというふうに考えております。
  84. 東中光雄

    ○東中委員 あなたの御認識は、PKF武力行使を伴うものなのかどうか。PKF参加するといったらPKF指揮下に入るということですから、その部隊は状況の変化によって武力行使を伴うか伴わないかということなんだ。武力行使に出撃していったのではないことはわかっているのですから、それについての異論はどこにもないわけですから、政府もずっと、海部首相も、武力行使を伴うような平和維持軍への参加は、これは憲法上問題だからといって去年は排除していたのですからね。だから、武力行使を伴うPKFへの参加憲法上許されないと考えておられるのか、憲法上許されると考えておられるのかのどっちかだと思うのですが、どうなんでしょう。
  85. 浜谷英博

    浜谷公述人 これは先ほど申し上げましたことの繰り返しにしかならないと思いますが、要するに目的が重要でございまして、その目的を明確に持たない参加ということで参加したのに、危険が迫ったときに、目的でなかったからその危険を回避するなというようなことは参加する人たちに到底言えないことでございまして、目的にして行かないということが、国際合意の中でいわばPKOを初め一種の確立された国際法規として今まで基本原則ができ上がってきたわけですから、これに従って日本参加するということについては、私は何ら憲法に違反するものではないというふうに考えます。
  86. 東中光雄

    ○東中委員 そうすると、PKF武力行使を目的とするものでないから、武力行使を伴ってもそれは憲法参加してもいいという立場でおられるというふうにお伺いしたが、それでよろしゅうございますか。
  87. 浜谷英博

    浜谷公述人 伴うということは、先ほど申しましたように、目的にして行ったのか、それとも結果的に起こったことなのかという区別がつきませんので、結果的に起こったからやはり武力行使ではなかったとか、それをやめさせようとかいうことにはならないと思うのです。要するに、目的にして行くか行かないか、国際的に合意されている確立された国際法規というのはどういうものを目指しているのかということをいわば目的として明確にしているわけですから、憲法には違反しないというふうに考えます。
  88. 東中光雄

    ○東中委員 山内先生にお伺いしたいのですが、この法律の名前は国連平和維持活動等に対する協力に関する法律ですか、「協力」だと書いてあるのですけれども、これはPKFについて言えば、協力ではなくてPKF参加をするという規定になっておりますね。そして、参加をするのだから指揮権国連事務総長事務総長が任命をした当該PKFの軍司令官、それの指揮のもとに入る、こういうことになると思うのですが、構造はもう明白にそうなっていると思うのですが、その点どうでございましょう。
  89. 山内敏弘

    山内公述人 お答えいたします。  おっしゃるとおりであろうと思います。少なくとも先般来出ておりますSOPによれば、今先生がおっしゃったような構造になっているかと思います。  政府がこのPKF指揮権に関する統一見解の中でいわゆる指揮権と指図とを区別しておりますけれども、これは先ほどの私の公述の中でも述べたことでございますけれども、確かに懲戒免職処分等についての権限は現地司令官にはないかもしれません。しかしながら、具体的な武力行使の問題については、例えば撤収という決断を日本が行わない限りにおいては、それは明らかに現地司令官のもとでもって武力行使を行うということにならざるを得ないだろうというふうに考えております。
  90. 東中光雄

    ○東中委員 モデル協定によりましても、七条で、事務総長またはそれにかわる者が、作戦行動については、編成、組織、配置それから行動及び指令についてはということは明白に出ています。九条には、そういう指示に対して参加国の方からはやってはいかぬ、排他的に指示をするのだ。指示権を持っているのは国連軍の司令官である、これはもう明白なのです。だから、政府の言っているのは全くのこじつけ議論です。  それで、今度は、「武器使用」と「武力行使」を今言いかえてきているのです。ところが、「キプロス平和維持軍の任務・作戦の側面に関する事務総長ノート」というのがあります。一九六四年四月十一日付の事務総長エードメモワールと言われています。それが国会の審議でも出てきたのですけれども、そこで「自衛の原則」というのがうたわれております。そして、キプロス平和維持軍部隊は、部隊というのはトループスと書いています、これは武力、アームドフォースの行使に当たってイニシアチブをとってはならぬ。しかし、自衛のためには武力行使ができる。その自衛というのは、武力攻撃のもとにある国連の駐屯地、施設及び車両の防衛、それから武力攻撃のもとにあるその他の平和維持軍の要員の支援、だから要員が戦闘をしておるときは支援をする。サポートと書いています。これは全部武力行使なんですよ。部隊のユース・オブ・アームドフォース、こうなっているのです。これは国連の文章からいっても日本国憲法の英訳からいっても武力行使。これは憲法学者の森先生にもお伺いしたいのですが、武力行使ということはもう明白だと思うのです。  ところが、政府はその訳を今度出してきて、仮訳だといって、これは武器使用なんだ、それから要員の武器使用なんだ、このメモワールをそういうふうに訳すのですよ。そこまでして、「武力行使」と明白に書いてあるものを「武器使用」にかえて、そして法律は全部「武器使用」という言葉にする。翻訳も全部それにかえているのです。こういうことをして、そして武装した自衛隊を出していくということなんで、憲法学の専門家であられます森先生、これはもう「武力行使」といったら憲法上許されないということは明白ですわね。それを「武器使用」とかえてやる。こういうガラス細工のような、まさにそういうことになっておると思うのですが、ひとつ専門家としての見解を聞かせていただきたいと思います。森先生、お願いいたします。
  91. 森英樹

    森公述人 お答えいたします。  山内公述人も述べられましたように、「武器使用」と「武力行使」というのを今議論されているような形で観念的、概念的に区別するというようなことは、法的にも国際的にも通用しないと思われます。  私、今回の議論がこの点に集中してくるに及んで、国際関係及び国際的な国連関係文書も含めてそういう使い分けが単語上どのように、あるのかないのかも含めて調べてみたのですが、御指摘のとおりユース・オブ・アームドフォースまたはユース・オブ・フォース、どちらかしか登場しないわけでありまして、そういう使い分けを同じレベルの二つの概念として、これでなければこれという選択的な用語として使う事例を、私は寡聞にして知りません。武器使用というのは、私も先ほど公述で述べましたように極めて事実上の概念ということであり、だれが使おうと武器を使えば武器使用だという意味であれば、この種の法案に基づく自衛隊員部隊における業務としての武器使用ということは言えないことはないですが、それは単に事実そういうふうに武器を使ったということを言っているだけにすぎないのでありまして、政治的ないし法的な概念としてはそれはあくまでも「武力行使」に当たるというふうに考えるほかないかと思います。  なお、憲法が禁止している「武力行使」というのが、それが目的と結果に分けられて、目的があれば違憲だが、結果そうなったのは違憲でないという議論も非常に珍しい議論でありまして、私ども法律屋では、こういうふうに禁止されたことにつき初めから意図的にやるのを故意犯と言い、結果的にそうなったのを過失犯というふうに分けておりますが、過失犯も犯罪であります。
  92. 東中光雄

    ○東中委員 ありがとうございました。  時間ですから、終わります。
  93. 林義郎

    林委員長 次に、和田一仁君。
  94. 和田一仁

    和田(一)委員 私、民社党の和田一仁でございます。  きょうは、法案審査に当たりまして、御多忙のところを我々にとって大変参考になる御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございました。私に与えられた時間は大変少のうございますので、いろいろ補足してなおお尋ねしたいこともございますけれども、公述された方々全部に御質問できないかもしれませんので、お許しをいただきたいと思います。  初めに、西公述人にお願いをいたしたいと思いますが、大変貴重な御意見をいただきました。私ども、この議論をしておりまして、やはり憲法との兼ね合いというものを非常に考えながら審議をしております。きょうは、そういう意味で、先生のお話の中に憲法九条のいわゆる戦争放棄の条項と、それから六十六条のいわゆる文民規定の問題について、憲法制定の過程を踏まえたお話がございました。これが非常に密接に関連し合っているという大変注目したい御意見がございましたので、その辺をもう少しお聞かせいただきたいなと思うのが一つ。  それからなお、先生のお話の中には、国会は今政府憲法解釈を追及しているけれども、これはある意味では国会としての責任を放棄することであって、逆に政府の権限というものを強めるような結果を招来していくのではないか、こういう懸念を踏まえた御意見がございました。おおよその意味はわかるのでございますけれども、そういう点につきましてもあわせて、今我々が議論している焦点としていろいろな質疑はいたしておりますけれども、先生のお話の中からこの二点についてもう少しお話しをいただきたいと思います。
  95. 西修

    西公述人 お答えいたします。  私の憲法解釈は、先ほども申し上げましたように、憲法で何が禁止されているのか、それをまずはっきりさせるということ、その他の分野については、いわば政治マターとして国会の中で議論していくべきだというふうに考えているわけであります。  そうしますと、憲法で禁じているのは一体何なのかというようなことでいろいろ考えてみますと、例えば先ほど「武力行使」という言葉が出てきましたけれども、憲法をよくお読みになっていただけばわかるように、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」こういうふうになっているわけであります。したがって、「武力行使」だけが何かひとり歩きするのではなくて、これにはあくまで「国際紛争を解決する手段として」という、そういう限定つきであります。  そこで、国際紛争を解決する手段としては何だろうかというふうに考えてみると、九条の第一項については別に日本だけの創造物ではありません。これは一九二八年のケロッグ・ブリアン条約、さらにその他例えば一九三一年のスペイン憲法、いろいろございます。そして、ケロッグ・ブリアン条約におきましては、ケロッグは、これと同じような条文をもって、これは自衛戦争とか自衛権を縛るものではないんだ、こういうことをはっきり言っているわけであります。そういうことからしますと、やはりいわゆる自衛戦争、自衛戦力の保持、これは憲法で禁じられていないんだ、「武力行使」というものがあっても、これは「国際紛争を解決する手段として」という明確を言葉がある、これを無視して九条一項を考えることはできない、こういうふうに考えるわけでございます。     〔委員長退席大島委員長代理着席〕  そうして、じゃ一体何が認められているんだろうかということをいろいろ考えてきまして、そして正直言いまして、ここへ来る前に日本で定評あるという憲法の本を十冊ぐらいちょっと読んでみたんですけれども、私がこの夏イギリスで極東委員会の資料を見ておりましたら、日本憲法議論としてなされていない重要な文書を見つけたので、先ほどちょっと申し上げた次第でございます。  これは一九四六年九月二十日に極東委員会の中の議論として、そのときの事務総長でしょうか、ジョンソンという人が九月十九日の議論としてこういうことがあったということを言っているわけでございます。すなわち、当初、実はすべての大臣は文民でなければならない、こういうふうなことを極東委員会政策決定しておりまして、これは日本憲法に入れるべきだということがありまして、そして実は一回日本側に打診しているわけです。しかしながら、日本側とすればそれは一応武力放棄をしているから、要するに文民以外の者はないんだというようなことで一応拒否した。それで、マッカーサーもそれを引き受けたわけであります。  けれども、私の持ってきた資料では、極東委員会のものですけれども、最初は全面放棄だからこれはあえてそういうものを深く言わなかった、リコメンドしなかったんだ。だけれども、これはいわゆる第二項に修正があったんだ、九条の第二項に修正があったんだ、そうするところがはっきり出ているわけでありますけれども、憲法では要するに軍隊の保持というものが認められるように解釈がなったんだ、これはいわゆる芦田修正のことを受けているわけであります。それを受けまして、そうすると内閣に軍人が入ってくるではないか、今やそういうふうに解釈できるようになったんだ、だからもう一度ここで、一度引っ込めたが、全面禁止ではなくなった、修正されてそういう自衛のため軍隊を持ち得る、そうすると内閣の中に軍人が入る、こういうおそれが出てきた、だからやはり我々極東委員会としてはこの文民条項というものをどうしても入れなきゃいけない、こういうことを非常に強く言ってくるわけであります。  実は私、私の著書と申し上げましたけれども、この後のものとして、これを受けて陸軍次官のピーターソンという人がマッカーサーに、やはり今の憲法の中に入れろと非常に強く要求するわけであります。というのは、極東委員会は、ちょっと時間がありますけれども、極東委員会の後で憲法が制定されても一年以上二年以内にもう一遍レビューする、その中で極東委員会が絶対この条項を入れてくる、だから今の条項を入れろということで、貴族院でいわば八百長質問でこの文民条項が入れられた。したがいまして、やはりこの文民条項とこの自衛隊の保持、そして軍人が出てくるんだ、非常に深い関係がある。そういう意味において、やはり自衛隊とか軍隊の保持とか自衛のための戦力、これは禁止されていない、これは明らかである。したがって、禁止されていることがはっきりするならば、禁止されていない部分については国会で大いに議論なさること、それがやはり国会に我々が期待するものである。そういう意味において後の部分は申し上げたわけでございます。  以上でございます。
  96. 和田一仁

    和田(一)委員 ありがとうございました。  阪中先生、お願いしたいんですけれども、賛成のお立場から明快な御意見を伺いました。その中で、私、もう一つお聞きしておきたいなと思うのは、PKFには自衛隊しか参加できないことになっておりますけれども、その自衛隊参加するあり方について、そういうケースは初めてでございますので、五原則というものがうたい込まれました。これは確かに必要条件であると私どもは考えます。しかし、そこだけで果たしてシビリアンコントロールが確実かどうかという点について、私はもう少し、十分条件としてシビリアンコントロールの意味でやはり国会の承認ということが非常に大事だ、こう考えておるのですが、その点についてやはり要らないというお考えかどうか。  特に今度の自衛隊は、これは国権の中で派遣される、そしてこれは限定つきになるかもしれませんが、国権の範囲の中で日本の主権の及ぶ外へ出て、そしてそこに国の主権を及ぼすんだということになるわけなんで、そういう意味合いを感じますと、やはり防衛出動、治安出動に匹敵する重大な判断が必要だろう。これは国会のこの法案審査の論議だけで、後はもう任せるというのにはいささか内容が重たいな、こう思っておるんですが、いかがでしょう。
  97. 阪中友久

    阪中公述人 お答えさせていただきます。  私は、国会の承認は望ましいと思いますけれども、それが必須要件であるかどうかということに関しては、そこまで考えるべきかどうかということに関しまして少し違った意見を持っております。  と申しますのは、先ほどから武器使用武力行使の問題が出ておりますけれども、PKOあるいはPKFに関しましては、武器使用という概念を政府が使われているのは、正当防衛ないし緊急避難としての武器使用であって、もし仮に部隊に対して大規模な攻撃があったとしても、それは緊急避難とか正当防衛とか、その範囲内で、その許される範囲内での武器使用だと私は理解しております。したがいまして、そういういわば自衛隊が持っております本来的な任務である武力行使に該当しない問題について国会の承認を必要要件とするかどうかということに関しましては、これは政策議論であって、多分、政策担当者がいろいろな政策形成の上でどこに価値を置くかということで決められる問題ではないかと私は存じております。  したがいまして、望ましいということは申し上げられますけれども、それを必須条件としなければならないかどうかということに関しましては、もう少し、国会での意見形成上いろいろなお立場があるのではないかと私は思っております。
  98. 和田一仁

    和田(一)委員 浜谷先生にちょっとお尋ねしたいのですが、先ほどお話しいただきました中で、国会承認のみではそれは十分でない。私どもも、国会承認が、今のシステムでいって、報告があった、それを承認するかどうかだけでは十分だとは思えません。したがって、当然前段にある五原則、特に三原則はもう不可欠だ、こう考えておるのですけれども、先ほど先生のお話では、しかしながら欠落している点もある、こういう御指摘がございました。そして、それはやはり期間の問題、数量の問題はここで二千ときちっと明記してありますが、期間についてはそういう意味での規定はないということでこれが非常に問題になる、こういうお話がございまして、なるほどというふうに、この法案の中の一つの問題点だなというふうに私どもも強く思ったわけですが、それではどういうものでこれを担保できるか、その方法についてどんなふうにしたらよろしいか、もう少しお話を伺えればと思います。  そしてもう一つは、時間が余りありませんので御質問しておきますが、やはり武力行使の問題について意見がお分かれになったようなので、その点も先生、もし御反論があればひとつ御一緒にお聞かせいただきたいと思います。
  99. 浜谷英博

    浜谷公述人 まず、具体的な方法論でございますが、私先ほど申しましたのは、シビリアンコントロールという視点からとらえますと、必ずしも国会承認がなくてもある意味で必要十分条件は満たすのではないか。すなわち、一〇〇%ではだめで一二〇%必要だという議論だとすればそれはまた別問題でありますが、そういう感じがいたします。  ただ、今回の法案で、先ほどちょっと指摘したとおりでございますが、報告で延々と長い期間にわたってPKO活動が許されるということでございますと、これは新たな条件それから環境、そういうもので検討し直さなければならないような状況が多々出てくるかと思います。したがって、この件につきまして国会がその後そういった意味での関与ができないということになりますと、これは一つの欠陥かなと思う。したがって、ある一定期間を更新する場合には例えば一カ月ないし二カ月前に国会の承認を必要とするという規定は、これは十分なし得る法技術ではないかという感じがいたします。すなわち、派遣の際の機動性というものにもこれは影響を与えるわけではございませんし、今度は泥沼化することを防ぐという意味でも国会が関与できるわけですから、こういうものについても歯どめ措置になるという感じがいたします。  それから、先ほどの故意と過失の概念でございますが、過失であっても例えば正当防衛という形でその過失が正当化される、過失といいますかその違法行為が正当化される、違法性が阻却されるという場合がございますので、これは要するに確立された国際法規を遵守するという概念で可能であろう。平和目的で参加するのですから、それは可能であろうという感じがいたします。     〔大島委員長代理退席委員長着席〕
  100. 和田一仁

    和田(一)委員 最後に前田先生にお尋ねしたいのですが、先生は、憲法違反と、それから国連の権威と、そして派遣をされる要員の不安がある、こうおっしゃられました。私どもと少し違う御意見もあるのですが、一番肝心なのは、私は、この法案の成否と内容について一番神経をとがらせているのは、実は派遣される要員になる自衛隊の諸君だと思うのですね。この不安だけは取り除いてやらなければ何にもならない、こう思っておりますが、その不安を除去する点について、先生、もう少し御意見があれば伺わせていただきたい、こう思います。  それから、国会承認について先生はどう考えるかもあわせてお願いいたします。
  101. 前田哲男

    前田公述人 お答えいたします。  おっしゃるとおりで、このままの形で制定され、出動するということになれば、やはり一番不安を持つのは派遣隊員になるだろうと思います、直接的な不安を持つのは。ですから、もっと長い時間をかけて逐条的に、具体的なPKFPKOの形を想定しながら議論を深めて、実態を洗い出していくこと。今私たちが受け取っている情報は余りにも狭く、少なく、かつ霞が関の論理というふうに言わなければならないと思います。もっとPKFPKOがどういうところで行われてきたのかということを明らかにしつつ、PKF冷戦の後、盛んに言われておりますように大きく変わっています。イラククウェート間もPKFになりました。ユーゴスラビアもPKFになりそうであります。カンボジアもPKFです。カンボジアはもう主権代行。ユーゴスラビアの場合は紛争のカプセル化、クウェートの場合など、随分変わってきています。ですから、従来の概念と違った形での実体的な審議をぜひお願いしたいということです。  国会の承認に関しては言わずもがな、やはりもう絶対に必要。防衛出動、治安出動が国会承認事項で、どうしてこれがそうならないのか、不思議であります。
  102. 和田一仁

    和田(一)委員 ありがとうございました。
  103. 林義郎

    林委員長 次に、楢崎弥之助君。
  104. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 五分しかございませんから、三点についてお伺いいたします。  まず、阪中先生、かつては安保、外交、防衛でいろいろ御指導をいただきました。きょう先生がおっしゃったことの中で、ちょっとわからない点があるから一点、その次は二点、後で言いますが。  日米同盟ということを言われました。これは、かつて鈴木内閣時代に日米安保条約を日米同盟と言って物議を醸したことがある。これはつまり日米軍事同盟だ、安保条約は。まあ私もそう思いますよ。そこで、きょう阪中公述人のあれでは、湾岸戦争において百三十億ドルの支援はしたが、日米同盟でありながら自衛隊はなぜ来ぬのかとアメリカはクレームをつけた、批判を持っているというような話でしたが、これは重大な点でございまして、日米安保条約第五条は日本の領域における日米共同作戦であります。せいぜい地理的に広めても、第六条、基地の使用等のあれは、極東の範囲といって、先生御承知のとおり随分国会でその範囲について激論したのでありまして、中東の問題で自衛隊協力しないなんということを、日米安保条約をアメリカが正しく理解しておるならば批判するわけがないと私は思いますが、その点はどうか。  それと、もう一つです。私も国会に入って三十年近くなりますけれども、このごろ妙な日本語がはやりまして、「指揮」を「指図」と言う。組織として武器使用すると部隊になるものだから、組織的にということを言う。それから、束ねるということ、これは指揮することと書いてある、どの辞書にも。それから「的」というのは中国語では「の」という意味でして、「組織として」と「組織的」は同じなんですよ。こういう妙な日本語がはやりまして、なぜそういう答弁に変えるのか。後ろめたいことがあるからではなかろうか。こういう点について政府はもう少し率直に答弁された方がいいのじゃないかと私は思いますが、先生はどう思われますか。
  105. 阪中友久

    阪中公述人 楢崎先生、本当に久しぶりにお目にかかって、相変わらず雄弁でいらっしゃるので驚きました。  第一の、私の申し上げました湾岸戦争におけるアメリカ不満というのは、私、概念的に申し上げまして、リスクの共有というふうに申し上げたわけでございまして、具体的にこの安保条約に基づいて、五条の責任に基づいて何か行動をとれという意味で申し上げたわけではございません。私の申し上げたのは、リスクを共有する気持ちが示されていない、そのリスクを共有する姿勢にはいろいろなやり方が私はあろうかと存じます。ですから、決してこの安保条約五条に基づく日米共同行動を私は申し上げたわけではございません。  それから二番目、いろいろな言葉を使われているということでございますけれども、私も同様な感じを持ちますのですが、私はきょうの公述を聞かせていただいて、安全保障をやっている人間から申しますと、もう少し実態から議論をする必要があるのではないかと存じます。  例えば国連PKOにいたしましても、PKO武器使用のガイドラインを仮に示したといたしましても、それをどのように守るかというのは、その軍隊指揮する主権国家の責任でございます。例えばNATO条約をごらんいただけばわかりますけれども、NATOは明白な同盟条約であって、軍隊統一指揮下に置いておりますけれども、あそこでも緊急事態になってNATO軍をどのように使うかというのは主権国家の責任で決めるわけでございまして、NATOの司令官が一挙に命令を下せば、フランスもドイツもイギリスもベネルックス三国も一緒の行動をしなければいかぬというふうにはなっておりません。これは楢崎議員よく御存じのところだと思います。画一的に、一つの同盟とかあるいは一つのPKOとかPKFとかというものになると、何かすべて指揮命令系統が一人の司令官のもとに国家主権を越えて形成されると考えるのは、実態を無視した議論だと私は思っております。
  106. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 ではあと一問について、山内先生と前田先生にお考えを聞きたい。  PKOの元祖と普通言われるのは、一九五六年十一月、ハマーショルド事務総長のときにつくった国連の緊急軍、UNEFというものだと思いますね。このときにまだ日本国連参加していなかった、十一月段階では。日本参加したのは十二月の十八日でありました。ところが、それから三日後の十二月二十一日の国連総会本会議で、実はこの緊急軍に関するいろいろなこと、例えばハマーショルド事務総長が出した研究概要、この研究概要には、たくさんある中で一つだけ言いますけれども、参加する軍隊国連指揮下に入るあるいは国連の委任を受けた現地司令官のもとに指揮は服する、そういうことが入っておるのですよ。そういうことも含めて、日本参加した十二月十八日の三日後の十二月二十一日の総会本会議で研究概要も含めた費用のことが、分担金があれされている。三日後でございますけれども、日本は概要も含めてこれに賛成したのですね。  そうすると、このハマーショルドさんの研究概要というのは、その後、今度の国会で問題になったSOPのガイドラインとかあるいはマニュアルにずっと引き継がれておるわけですよ。賛成しておりながら、今度はこの法案では別の行動を、日本が、指揮は受けぬのだ、指図だというふうに言いくるめることは、国際的にかえって信用をなくすのじゃないかという感じを私は持ちますが、両先生のお考えをお聞きいたします。
  107. 山内敏弘

    山内公述人 お答えいたします。  その点はまさに楢崎先生がおっしゃるとおりかと思います。つまり今回の法案は、憲法との抵触を表面的にと申しますか言葉じりの上で避けるために、先ほど来言われております指図であるとか、あるいは平和維持軍ではなくて平和維持隊であるとか、あるいは束ねるとか、つまり法律用語として従来使われてこなかった、国際的にも国内的にも通用しないような概念を使うことによって、このPKO法案日本国憲法平和主義に抵触しないかのごとき、いわば言葉の上でのつじつま合わせをしておるわけですね。したがいまして、そのようなつじつま合わせが国際的にPKF活動原則なり活動実態というものと見合うものであるのかといえば、これは全く見合わないものである。したがいまして、この法案の規定どおりの形でPKFに仮に参加するようなことになった場合においては、あるいは先ほどどなたか公述人の方がおっしゃったかもしれませんけれども、かえってPKF活動の足手まといになってしまうという側面が出てくるだろうと思うわけであります。  しかしながら、そのような形でこの法案が成立いたしました場合に、例えばこの法案PKFの定義についてしておりますようなものとか、中断の問題とか指図の問題とかという格好で政府が平和憲法に。何とか帳じりを合わせるべく表面的に言いつくろってきた言葉といったものが、あるいはその考え方が、実際にこの法案が通った段階でそのとおりに限定的に厳格に解釈されて運用、適用されるであろうかといえば、私は恐らくはそうではないだろうと思うわけです。  それで、昨年秋の政府見解そのものが一年たつかたたないうちに変わってしまっているわけでございますから、さきの臨時国会政府がいわば言葉の帳じりを合わせるために使った言葉が、実際にPKF日本がいわば部隊を、自衛隊派遣するようなことになったときに一体どういうことになるのかといえば、結果的には、事実上は国際的に行われておりますようなPKFへの参加がそのとおりの形でなされてしまうであろうと私は考えております。
  108. 前田哲男

    前田公述人 お答えいたします。  おっしゃったような歴史的な事実があるということは、私知りませんでしたけれども、しかし、国連PKOは、今回モデル協定が出てきて指揮の問題で新しい取り決めを確立したのではなくて、一九五六年十一月に最初のPKO活動を開始したときから、国連事務総長の直接の指揮統制下に各国の軍隊使用するという原則のもとに動いてきた、それは不変でありまして、おっしゃられるようにその三日後に日本国連に加盟してそれに同意したということであれば、もう最初から日本はこの原則を受け入れていたことになるわけで、尊重しなければならない。にもかかわらずそれに反するような指揮観を、指揮に対する見方を含んだ今回の法案をなぜ出してくるのか、ここにこの法案の持っている本質的な意味があるだろうと思うのです。  私も国連中心主義あるいは冷戦後の国際貢献、大変大事なことだと思いますが、残念ながらこの法案にはそれが感じられない。湾岸戦争という危機の出来を受けて、それに対応すべくこの法案国連平和協力法としてまず呱々の声を上げ、それが成らずと見るや、また一年後同じ主張のもと、精神のもと出てきた。つまり、冷戦後の新しい平和の枠組みという思考ではなしに、湾岸戦争のような事態に遅滞なく対応できるということが目的の一つであり、しかもPKO分野のみでないところにもしたがって活動領域を設定しなければならない。となりますと、国連のガイドラインないし国連が掲げてきたPKOの原則をそのまま受け入れたのでは成り立たないということで、独自の指揮に対する見方を法律の中に忍び込ませる必要があって、こういうあいまいな、韜晦した指揮観になったのではなかろうか。その意味でも、新しい時代への日本国際的な責任分担、寄与を論じるのならば、こういう形ではない法律によって、こういう形でない分野によって私たちは議論をし、そこで新しい貢献策を見つけていくべきだというふうに考えます。
  109. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 ありがとうございました。
  110. 林義郎

    林委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  これにて公聴会は終了いたしました。  次回は、来る二十六日火曜日、理事会及び委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後一時四十二分散会