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長勢委員 いろいろ御
検討いただいている点は
承知をさしていただいておるわけでございます。また、
視点もそのとおりだと言わざるを得ないわけでございますが、やはりどうしてももう少し突っ込んで大胆に取り組まなくて大丈夫なんだろうかなという不安を実はぬぐい切れないというのが私の率直な
実感であります。
確かに、
職場改善を図るとか
外国に
産業を移すとかいろいろなことが
施策としてはあり得るわけでございますし、また言われてもおるわけでございます。しかし、それは
我が国の
経済の
実態、
国民生活の
実態、
高齢者や御
婦人の
方々の
活用を図るにしてもそういう
現実を踏まえて考えられなければならないわけでございまして、おっしゃったようなことが
それなりのスピードあるいは
方向づけをもって本当にそうなるのかねということになると、いずれの
人たちもそうだろうなという
安心感を持っているとはとても言えないというのが
実感で、今
介護や
建設の問題もおっしゃられましたが、そこらにおいてもいろいろな
施策が講ぜられたりしておるにもかかわらず
不安感というものはますます大きくなっており、さらに
深刻化をしておるということはやはり率直に認めざるを得ないと私は思っております。また、
今世紀中はどうにかしのげるとしても二十一
世紀になれば今おっしゃったとおりでありますから、
労働力不足基調というものは、単なる
不足感のみならず
現実のものとなるわけであります。そういうときに
我が国はどうなっているんだろうということを踏まえて、今から
それなりの
検討をし、
議論をし、
覚悟をしていかなければならない、こういう
事態だろうと思うわけであります。
どうも
大変先輩に対して失礼な
言い方をいたしますが、何かどうも従来
労働省は中立という
立場もあってか、
企業や
事業主の
努力に任せる、また
労働者の
努力に任せる、それを援助するという
姿勢だけで、果たして
我が国全体にかかわるこの大きな問題を克服することができるのだろうかということを私は疑問に思いつつあるわけであります。問題が大きくなってからさあどうするというのは
我が国のいろいろな
政策で行われることでありますが、先ほど申しました大変大きな問題になっておる
外国人労働力の問題にしても、
労働政策だけの問題ではないにもかかわらず、いよいよせっぱ詰まったときに安易な
選択が行われるようなことがあっては大変なわけでありまして、そういうことの
議論が正確に行われるように、大変困難な問題ではございますけれども、今から従来の常識にこだわらずに大胆な
決断、
選択をしていかなければならないという気がしてならないわけであります。
現状のまま推移をしていきますと、これは最悪の場合を考えますと、
労働力というものが楽で
条件のいいというところに偏在をしていく、そして医療、
介護といったような
国民生活に不可欠な
分野には、あるいはまた
建設とか輸送とかといったような
産業経済の
基盤をなす
分野には、三Kとか
なんとかといったような問題もあるというようなこともあって人が行かない、十分機能しないということになれば
我が国社会というものはどうなるのか、大変不安を感ずるわけであります。そういう
事態に
我が国がとるべき道というのは、大変大胆に言って、
基本的に言えば、もちろんいろいろなバラエティーはありますが、
不足分を
外国人に依存をするのか、あるいは
外国に
産業を移すのか、あるいは
経済、
国民生活を低下させてでも我々で賄っていくのかといったような
選択を迫られる大変な
覚悟が必要なわけであります。そういう問題をやはり今から
議論をして
国民に訴えかけていただきたい。そして、そういう
認識の中で
決断、
選択をしていかなければならぬと私は思います。私自身は、こういう
人手不足時代になってもあらゆる
努力を傾注をして
日本の
産業、
国民生活、この各
分野において
バランスよく
日本人労働者が支えていく、そういう国であるべきではなかろうか、そうしたいと思っております。仮に
外国人労働力を
活用するということが、そういう部分が起こるとしても、
国民生活に不可欠な
分野あるいは
産業経済の
基盤をなす
分野は我々で支えていくということでなければ、
日本社会というものはなくなってしまうに等しい、これを私は心配をいたします。しかし、これはもちろん当然のことですが、大変克服すべき問題がたくさんあります。これにぜひひとつ大胆に挑戦をしていただきたい。
私から二点
検討すべき
課題、これをひとつ
検討してもらえないか、どう考えたらいいかということを教えをいただきたいわけでございます。
一つは、これから
労働力の適正配置という問題も、それが必要ではないかということをひとつぜひ御
議論をいただきたい。国全体として
労働力の効率的な
活用を図るという
政策が余り今までなかったのじゃないか。これをどう反省をしたらいいのか。
労働力市場を単純な自由市場ということで放置をしておくだけで
我が国社会を維持していくことができるのかどうか。もうかるところが
条件をよくして人を集めるということに任せておいていいのかどうかということをひとつ御提示を申し上げたいと思う次第であります。もう
一つは、
勤労者の、
労働者の
職業選択意識というものをどう考えたらいいのか。
労働というものは自分個人のものだけではありません。これは
社会を構成していく重要な要素でありますし、それを通じて我々は
社会に参加をし、そして
社会へ貢献していくわけであります。そういう
社会連帯の
意識というものが現在の
職業選択の
意識の中に大変希薄になってきたのではなかろうか。こういう風潮がますます強まるということになると
日本の
社会生活自体が成り立たなくなる。こういう問題をひとつぜひ
議論をしていただきたい。これはもちろん大変
基本的な問題を含んでおりますし、
国民の
意識にかかわる問題でありますし、ほかのたくさんの
政策にもかかわる問題であります。しかし、これをひとつぜひ克服をしていかなければならない
時代になっておるのではないかというのが私の
認識であります。あらゆる手段を尽くして
国民生活に不可欠な
分野、また
産業経済の
基盤をなす
分野には
我が国労働力が
確保されるように何としてでもやっていかなければならぬ、このように思います。
大変大げさな
問題提起と思われるかもしれませんけれども、これらの問題についての
決断、
選択、これなくしては、またその
議論なくしては二十一
世紀を展望することはできない、こう言っても過言ではないと思っておるわけでございまして、ぜひ今後の
労働政策の
方向を考えられるに当たりまして、このような
視点をも
検討の対象にしていただきたいというのが私の希望であります。そして、そういう
立場を踏まえて、そういう
視点を踏まえて
労働省が今まで以上に
政策官庁として重きをなし、
役割を果たされるように心から御
期待を申し上げるものであります。
私のは
問題提起でありますが、またいささか乱暴な
議論をいたしましたが、これについてもし御所見がございましたらお伺いさせていただければありがたいと思う次第であります。