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1990-11-01 第119回国会 衆議院 本会議 第5号
公式Web版
会議録情報
0
平成
二年十一月一日(木曜日) ─────────────
議事日程
第四号
平成
二年十一月一日 午後一時
開議
第一
地方公共団体
の
議会
の
議員
及び長の
選挙期日等
の
臨時特例
に関する
法律案
(
内閣提出
) ───────────── ○本日の
会議
に付した案件
渡部一郎
君の故
議員砂田重民
君に対する
追悼演説
運輸審議会委員任命
につき
同意
を求めるの件
日程
第一
地方公共団体
の
議会
の
議員
及び長の
選挙期日等
の
臨時特例
に関する
法律案
(
内閣提出
) 午後一時二分
開議
櫻内義雄
1
○
議長
(
櫻内義雄
君) これより
会議
を開きます。 ────◇─────
櫻内義雄
2
○
議長
(
櫻内義雄
君) 御
報告
いたすことがあります。
議員砂田重民
君は、去る九月二十四日逝去されました。まことに
哀悼痛惜
の至りにたえません。 同君に対する
弔詞
は、
議長
において去る十月十二日贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は 多年憲政のために尽力し さきに
予算委員長
の要職につき また再度国務
大臣
の重任にあたられた
議員
正三位
勲一等砂田童民
君の長逝を
哀悼
し つつしんで
弔詞
をささげます ───────────── 故
議員砂田重民
君に対する
追悼演説
櫻内義雄
3
○
議長
(
櫻内義雄
君) この際、弔意を表するため、
渡部一郎
君から発言を求められております。これを許します。
渡部一郎
君。 〔
渡部一郎
君
登壇
〕
渡部一郎
4
○
渡部一郎
君 ただいま
議長
から御
報告
のありましたとおり、本
院議員砂田重民先生
は、去る九月二十四日、
東京虎
の
門病院
において急逝されました。
砂田先生
は、本年二月以来、
北海道開発庁長官
、
沖縄開発庁長官
として、
海部内閣
の有力な一員として
国政
の
運営
に当たってこられましたが、夏以来、風邪を召され、体調不調と伺っておりました。暑さが過ぎれば本復され、以前にもまさる
活躍
をなさるのであろうと期待しておりましたところ、病勢にわかにあらたまり、九月十三日その職を辞せられ、秋の風とともに木の葉が一枚はらりと落ちるように不帰の客となられました。 私は、ここに、
皆様
の御
同意
を得て、
議員一同
を代表し、謹んで
哀悼
の
言葉
を申し述べたいと存じます。
砂田先生
は、いかにも育ちのよさを漂わせた
現代型文化人そのもの
であり、その
しょうしゃな物腰
とダンディーな
紳士ぶり
は、私
たち
のまぶたに焼きついているところであります。
大正
六年三月四日、
砂田重政
氏の長男として
神戸
市にお生まれになりました。お父上は、
先生
が三歳のときから
帝国議会議員
として在籍され、
政友会
の
幹事長
を務め、戦後は、
自民党
の
総務会長
、
防衛庁長官等
を歴任された
大物代議士
でもございました。
先生
をはぐくんだものに、
大正リ
べラリストとして、また自立した
日本女性
のかがみとして御母堂の厳しくも温かい御薫陶がございました。
先生
のしつけのよさ、
女性
の目から見ても洗練された
挙措進退
、また
音楽
に対する深い傾倒は、そのときに得られたものでございましょう。 さらに
先生
を育てたものは、
教育
であります。
神戸
の
諏訪山小学校卒業
後、御
父君
の政務の都合で
暁星中学
へ進み、アカデミックな
国際主義
の洗礼を受けられました。その後、
立教大学予科
を経て、
昭和
十二年、
立教大学経済学部
に進まれました。 学風は人をして大成せしめるものでありますけれども、
先生
はその間に、
スポーツ
、特にアイスホッケーで大きく
人生
に開眼されました。天性もさることながら、よき先輩に恵まれて青春のたぎりを
リンク
に注入されました。黙々たるつらい練習、陰に回っての
リンク
の掃除などにも打ち込み、やがて真摯な
努力
と天賦の才は、
先生
を
立教大学
の名
センターフォワード
として縦横無尽の
活躍
へと導いたのであります。ついには、
昭和
十五年、第二次
世界大戦
のため中止となった
冬季札幌オリンピック代表選手
に選出されたのであります。それは、
人間砂田
の育成に
スポーツ
が果たした勝利の記録でありました。
スポーツ
のみならず、
人生全般
にわたり、瞬時にして局面を見てとる確かな目、
組織
の和を重んじる
ポジションワーク
は、
政治家
となられた後も大きな資産となったことは疑いもありません。 加えて、
先生
を育てたものは、
父重政
氏の大所高所からの擁護でありました。
先生
は、
昭和
十五年、大学を出られた後、年の暮れには兵役に服し、三年間の
軍隊生活
を送られましたが、
父重政
氏は、除隊後の
先生
を
陸軍省南方総軍軍政最高顧問
としての
自分
の
秘書
として採用し、シンガポールに終戦まで在勤させられました。 また、御
自分
の死期を悟られたのか、
昭和
三十年二月の総
選挙
の際は、わざわざ
愛媛
二区の
選挙
区に伴い、
最後
の
戦い
をともにされました。その際、
選挙
の応援に来られた
河野一郎農林大臣
の
秘書官
として採用になる道を開かれたのであります。恐らく
父重政
氏と
河野一郎
氏との間に愛息の
未来
についての黙契が存在したことは、容易に推測できるところであります。翌年の暮れ、
鳩山首相
を
首席全権
とする日
ソ国交回復交渉団
の中に、
河野
氏の
秘書官
として
青年砂田
の姿が登場するのであります。
政治家
としての大成のため、
砂田家
が配慮された周到な気配りと準備には感心せざるを得ません。 こうして、
エリート教育
を受けた
若者
として、
先生
は国会へ登場してくるのであります。
先生
は、
昭和
三十三年十二月、
父君
の急死に伴いまして立候補する
決意
を固めるに当たり、
選挙
区の選択にさえを見せられました。御
自分
の御
説明
によりますと、
遺言
と称して父の第一
秘書
にその
選挙
区
愛媛
二区を譲り、
自分
は幼少を育てた心の
ふるさと神戸
を選んだのであります。 しかし、愛する
神戸
での
選挙戦
も決して生易しいものではございませんでした。
昭和
三十三年五 月の第二十八回総
選挙
、
昭和
三十五年十一月の第二十九回総
選挙
で惜敗した
先生
は、
昭和
三十八年十一月に行われた第三十回
衆議院議員
総
選挙
で初の栄冠をかち取り、
国政
の一角を占められたのであります。
先生
は、
地方行政
、物価問題などの各
委員会
の
委員
、理事を務められ、その後、
昭和
六十一年には
予算委員長
に就任し、
運営
の衝に当たられました。本
院議員
に当選すること八回、在籍二十二年四カ月の長さにわたりました。この間の
先生
の御
業績
の幾つかを御披露したいと存じます。 当選後の
先生
は、鮮やかな
スティックワーク
で敵陣に切り込む
センターフォワード
さながら、まず
消費者保護基本法
の
成立
に取り組まれたのであります。 ここで私は、本
院議員
の
功績
と
活躍
は
同僚議員
の協力によってできるものだということを触れないわけにはまいりません。また、ある意味では他党の
友人たち
の理解がなければならぬときすらあることに触れざるを得ないのであります。また、その背景にある世論、そのもう
一つ後ろ
にある世の流れというものとも無関係ではないのであります。 しかし、それにもかかわらず、私が
砂田先生
の
消費者保護基本法成立
の御
功績
をたたえるのは、当時アメリカにさっそうと登場した
ケネディ大統領
が、
消費者
のための四つの
権利
、安全を求める
権利
、知らされる
権利
、選ぶ
権利
、
意見
を聞いてもらう
権利
を提唱し、
世界各国
の
消費者行政
に大きな影響を与えたわけでございますが、それに対していち早く反応し、
同僚議員
に話しかけ、
基本法
をまとめるために最も貢献されたという事実であります。
昭和
四十三年五月、
各党
の賛成で
成立
した本法は、
日本
の
消費者
のための憲法と称せられております。
先生
は、
沖縄本土復帰
の直前、
昭和
四十六年に
総理府総務
副
長官
に就任されました。この
沖縄県民
の血涙の悲願は、
日本国民
全体の
決意
でもありました。
佐藤総理
は、
交渉
の
立て役者
として
ノーベル平和賞
の受賞に輝いておられます。
山中貞則総理府総務長官
の鬼神をも泣かしむる大
活躍
は、今日も語りぐさとなっているところであります。その陰に、
沖縄
にも
本土
にも、たくさんの方々が膨大な数の
沖縄関係法案
の整備を進め、米国との
交渉
に当たり、省庁間の調整を
不眠不休
で実行をした
功労者
のあったことを、我々は忘れられないのであります。そして、その陰の舞台の
立て役者
の一人に
砂田先生
があったことを、私は生き証人の一人として語っておきたいと存じます。(
拍手
) しかし、やはり
先生
の真骨頂は
文教行政
にありました。
昭和
五十二年十一月、
先生
は
福田内閣
の
文部大臣
として初入閣を果たされました。当時の
日本
の
文教行政
を一歩前進、
改革
するために、与野党を挙げて多くの若手の
政治家たち
が
教育改革
のアイデアを競い、立法、
行政
の各方面で
努力
をしておりました。
先生
はその一人として、水を得た魚のように生き生きと
活躍
されました。
意見
の多くは全
議員
の一致するところとはならなかったのではありますけれども、少なくとも、
先生
が
文部大臣
として青少年を信頼することを
文教政策
の
基本
に置かれたことを批判する者はありませんでした。「
教育
というものは、後に続く世代を導くことによって
未来
を創造すること、「明日に架ける橋」の
橋げた
をつくることです。私は、その
橋げたづくり
を最初に若い
人たち
を信頼することから始めたわけです。」と述べておられます。
先生
は、
留学生課長兼任大臣
のあだ名がつくほど留学生問題を推進されました。特に
ASEAN各国
との間の
学術交流
については、
昭和
六十二年、
タイ国王
から
勲一等王冠章
を受章され、
先生
はとても喜んでおられました。 また、
古典偏重
に陥りがちの
芸術祭
についても、
若者
のための
文化
という観点から接近し、
クロスオーバー音楽祭
を提案し、実行され、会場では
若者
と
大臣
が肩を並べてスイングする風景が演じられました。文部省が
ロック
から
ジャズ
までその視野に入れたことが、当時どれほど大きな快き衝撃を与えたことでしょうか。 しかし、
音楽
を心から愛し、
愛蔵レコード
数千枚、
ジャズ
、
ロック
、クラシックに至るまで各分野に至る造詣の深い
先生
にとっては、それは至極当然なことだったのでしょう。
先生
は、党にあっては副
幹事長
、
全国組織委員長
、
総務局長等
の重職を歴任し、党のため大きな
努力
を払ってこられました。しかし、それより、
先生
の胸の中にあったのは、
清潔
な
政治
への燃えるような渇望でありました。 私にとっての初めての
衆議院
総
選挙
は、
昭和
四十二年のことですが、
立会演説会
で私の
後ろ
に立った
先生
は、
渡部
君の言うとおりです、弁解できません、今の政界と
選挙
は腐っていると発言されて、居並ぶ
支援者
を唖然とさせられたことを
思い
出します。
先生
はしばしば胸に
白バラ
をつけて、
清潔
の印と叫ばれました。あるときは、みずからのポスターに
清潔
の文字を貼付されたことさえありました。
清潔
にこだわるために
選挙
に弱いとの
批評
は、むしろ
先生
の勲章と言うべきでありましょう。
リクルート事件
の後、
先生
は
選挙制度調査会長
として、
政治改革推進本部
の
選挙制度
・
政治資金委員長
として、
自民党政治改革大綱
の作成に当たられ、また
公職選挙法
の
改正
に尽力されました。そして、まさに
政治資金
の
改革
をいよいよ進めようとするときに
先生
を失いましたことは残念でなりません。
先生
は、生まれ育った
神戸
を愛していました。単なる
批評家
や
受益者
であるにとどまらず、みずからも
市長選挙
に打って出るとの勇気を発揮されたこともありました。ユニバーシアード、
ポートアイランド埋め立て等
に成功した
神戸
市は、今ユニークな
ウオーターフロント計画
を立て、
レジャーワールド構想
や
神戸空港計画
などを推し進めようとしておりますが、これらの事業に
先生
は
各党議員ともども心
を砕いておられたところでございました。
政治家
の仕事は、どんなに成功しても決して完結するものではありません。後を継ぐ者によってさらに改良され、さらに進展されて初めて
国民
のためのものとなるものであります。あたかも漆の
工芸家たち
の作業に似ていると私は
思い
ます。 初めだれが木地をつくったのか、多くの
漆職人
は知ることはない。また、
自分
が手がけた後の
漆細工
をだれの手で完成していくか、微細に知ることもない。前の匠のわざを信じ、後の匠の心を頼るしかないのであります。
先生
のやり残したこと、したかったことは極めて多かったと存じます。すべては後に生きる方にお願いしますというのが、先に
人生
を生き切って燃え尽きた
先生
の
遺言
のような気がしてなりません。多年の親友、
海部総理
が
最後
にお見舞いをされたとき、どうか信念を持って頑張ってくださいと言われたと聞きましたが、その
言葉
は本
院議員
のすべてに託された
先生
の
思い
ではなかったかと存じます。
先生
と私とは党派を異にし、過去幾たびかの
選挙戦
において
戦い
を重ねてまいりましたが、
先生
の弁舌は聞く人を魅了せずにはおかなかったのであります。 私は、
先生
の円満なお
人柄
、
先見性
に満ちた見識に常々深い尊敬の念を抱いておりました。日ごろから
先生
とは
国政
について、郷土の発展について、胸襟を開き忌憚のない
意見
を交わしてまいりましたが、やがて暇になったら
音楽
を一緒に楽しみましょうと言い交わしたお約束も今ではほごになりました。ただただ残念でなりません。 私は、故人の
業績
を回顧するとともに、その熱い
思い
をそんたくし、お
人柄
をしのぶ次第でございます。謹んで御冥福を祈るとともに、この数十年、陰に陽に
先生
を支えてこられた奥様を初め御一族の
皆様
の胸中に
思い
をいたし、深く
哀悼
の意を表するものでございます。 以上をもちまして、
追悼
の
言葉
といたします。(
拍手
) ────◇─────
運輸審議会委員任命
につき
同意
を求めるの件
櫻内義雄
5
○
議長
(
櫻内義雄
君) お諮りいたします。
内閣
から、
運輸審議会委員
に
黒川武
君を任命したいので、本院の
同意
を得たいとの
申し出
があります。
右申し出
のとおり
同意
を与えるに御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
櫻内義雄
6
○
議長
(
櫻内義雄
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
同意
を与えるに決しました。 ────◇─────
日程
第一
地方公共団体
の
議会
の
議員
及び長の
選挙期日等
の
臨時特例
に関する
法律案
(
内閣提出
)
櫻内義雄
7
○
議長
(
櫻内義雄
君)
日程
第一、
地方公共団体
の
議会
の
議員
及び長の
選挙期日等
の
臨時特例
に関する
法律案
を
議題
といたします。
委員長
の
報告
を求めます。
公職選挙法改正
に関する
調査特別委員長中山利生
君。 ─────────────
地方公共団体
の
議会
の
議員
及び長の
選挙期日等
の
臨時特例
に関する
法律案
及び同
報告書
〔
本号末尾
に掲載〕 ───────────── 〔
中山利生
君
登壇
〕
中山利生
8
○
中山利生
君 ただいま
議題
となりました
地方公共団体
の
議会
の
議員
及び長の
選挙期日等
の
臨時特例
に関する
法律案
につきまして、
公職選挙法改正
に関する
調査特別委員会
における審査の経過並びに結果を御
報告
申し上げます。
本案
は、
全国
多数の
地方公共団体
の
議会
の
議員
または長の任期が
平成
三年三月から五月までに満了することになりますので、前例にかんがみ、これらの
選挙
の
期日
を統一し、
選挙
の円滑な執行と経費の節減を図るとともに、
国民
の
地方選挙
に対する関心を高めようとするものであります。
統一選挙
の
期日
は、都道府県及び
指定都市
の
選挙
については四月七日、
指定都市
以外の市、特別区及び町村の
選挙
については四月二十一日といたしているほか、
同時選挙
の手続、
重複立候補
の
禁止
、
寄附等
の
禁止期間
及び
共済給付金
の
特例
などにつきまして、所要の規定を設けようとするものであります。
本案
は、去る十月十九
日本特別委員会
に付託され、昨三十一日
奥田自治大臣
から
提案理由
の
説明
を聴取し、直ちに採決を行った結果、
全会一致
をもって原案のとおり可決すべきものと決した次第であります。 以上、御
報告
申し上げます。(
拍手
) ─────────────
櫻内義雄
9
○
議長
(
櫻内義雄
君) 採決いたします。
本案
は
委員長報告
のとおり決するに御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
櫻内義雄
10
○
議長
(
櫻内義雄
君) 御
異議
なしと認めます。よって、
本案
は
委員長報告
のとおり可決いたしました。 ────◇─────
櫻内義雄
11
○
議長
(
櫻内義雄
君) 本日は、これにて散会いたします。 午後一時二十四分散会