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1990-04-18 第118回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二年四月十八日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         中西 一郎君     理 事                 下稲葉耕吉君                 野沢 太三君                 梶原 敬義君                 和田 教美君                 上田耕一郎君                 高井 和伸君     委 員                 井上  孝君                 尾辻 秀久君                 加藤 武徳君                 沓掛 哲男君                 木暮 山人君                 田村 秀昭君                 成瀬 守重君                 平野  清君                 宮澤  弘君                 北村 哲男君                 堂本 暁子君                 矢田部 理君                 山田 健一君                 黒柳  明君                 井上  計君    事務局側        第一特別調査室        長        荻本 雄三君    参考人        筑波大学助教授  秋野  豊君        財団法人日本国        際フォーラム理        事長       伊藤 憲一君        ジャーナリスト  前田 哲男君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○外交総合安全保障に関する調査  (ソ連東欧情勢変化アジア政治情勢及び安全保障に関する件)     ─────────────
  2. 中西一郎

    ○会長(中西一郎君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査会を開会いたします。  外交総合安全保障に関する調査のうち、ソ連東欧情勢変化アジア政治情勢及び安全保障に関する件を議題といたします。  本日は、参考人として筑波大学助教授秋野豊君、財団法人日本国際フォーラム理事長伊藤憲一君、ジャーナリスト前田哲男君に御出席をいただいております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人方々におかれましては、御多用中のところ本調査会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。本日は、ソ連東欧情勢変化アジア政治情勢及び安全保障について忌憚のない御意見を伺い、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。  なお、本日の議事の進め方でございますが、秋野参考人伊藤参考人前田参考人の順でそれぞれ三十分程度御意見を伺った後、委員の質疑にお答えいただくという順序で進めさせていただきたいと存じます。  なお、意見陳述の際は御着席のままで結構でございます。  それでは、秋野参考人にお願いいたします。
  3. 秋野豊

    参考人秋野豊君) 筑波大学助教授秋野です。よろしくお願いします。  きょうは、ソ連東ヨーロッパで起こりましたこと、また起こっておりますことがアジアにどのような影響があるのかということに焦点を置きましてお話しさせていただきたいと思います。  一つの用語をつくらせていただきましたが、それは、東ヨーロッパ化もしくは東欧化という言葉であります。この言葉で私が意味いたしたいことは二つであります。①としては、ナショナリズムというものが高まってきたということであり、②は、共産党システムというものが弱くなってしまった、もしくは共産党が分裂してしまったというこの二つであります。東欧化ということはこの二つ意味しております。  しかし、この二つ要素が出てきたからといって直ちに東ヨーロッパのような事件が起こるわけではないわけであります。何が必要かと申しますと、この二つ相互作用を起こすということであります。ナショナリズムが強くなるがゆえに党が弱くなり、党が弱くなるがゆえに抑えられていたナショナリズムが強くなる。共産主義のイデオロギーといいますものは極めて普遍的なものであります。普遍的なものであるがゆえに、極めて特殊であるナショナリズムというものを抑えることのできる力を持っておりました。その意味では、二つ要素が絡み合うということはある意味で当然であるかと思われます。一九八九年の東欧におきましては、見事にこの二つ要素が絡み合ったということが言えます。であるからこそ、あれほどのスピードで、あれほどの規模で起こったということが言えるわけであります。例えばポーランドやハンガリーだけで起こっていれば、このような東ヨーロッパ化現象という言葉は使うことができません。これが普遍的に、驚くべき速度で起こったというところに問題があります。さらには、我々専門家の予想を一番裏切りましたのは、それが非常にスムーズに進んだということであります。現チェコスロバキア大統領のハベルは、これをベルベット革命と呼んでおります。それもそのことを指しております。  この東ヨーロッパ化現象でありますが、これは現在ソ連にまで押し寄せているということが言えます。特にバルト諸国、それからグルジアモルダビア、アゼルバイジャン、アルメニア、そしてウクライナ、特に西ウクライナでありますが、そういうところにおきましては、先ほど申しました二つ要素、つまりナショナリズムの問題と党の分裂、弱体ということが相互的に起こっております。ただ、他の地域におきましては、この①と②の二つ要素が絡み合ってはおりません。  ここで問題となりますのは、どういう条件で、党が弱くなるということとナショナリズムが強くなるということにはどういう一種の触媒が必要かということであります。これは、条件二つあるだろうというふうに考えております。1)は経済行き詰まりであります。もう一つ、2)めは歴史の力であると言ってもよいかと思います。歴史の力と申しますのは、過去にあった事件、それが民族の――ナショナリズムというものは民族人々の心の中に存在するものでありますが、そこに非常に強く焼きついていて、そのある過去の一つもしくは複数の事件ナショナリズムをかき立てる、そういう効果があるという場合であります。もう一つこの歴史の力に関して申しますと、もとにあったものに戻る、つまり過去に戻るというそういう力も持っております。もう少し言いますと、東ヨーロッパの場合、特にポーランドチェコ、そういった場合にはシビルソサエティー、つまり市民社会というものが存在しておりました。それがある意味でスターリン的な支配が上からかぶされたときにシビルソサエティーというものが壊されたわけであります。つまり、スターリン化というもの自体はそういう市民社会というものを壊す作用があったわけであり、それが目的であったと言うことができるわけでありますが、そういう過去のシビルソサエティーに戻ろうとする力が働いているわけであります。この力が働くときにはこの1)と2)の要素というものが非常に強く結びつくことになり、革命は、ある種のまあ逆革命と言ってもよろしいかと思いますが、党システムの解体というものは非常にスムーズに動くことになります。しかしもし、東ヨーロッパで起こったこと、ここには今申しましたように歴史の力と経済行き詰まりというこの二つがあるわけでありますが、歴史の力が動いた場合にはかなりスムーズに動きます。歴史の力が動いたときにはもとのあるものに、一つモデルに、一つのかつてあった秩序に戻ろうとすることでありますから、そこには一定の枠というものが出てくるわけであります。  これに対しまして、経済行き詰まりというものがどん底まで行ってこの1)と2)の結合が起こった場合には、これはかなり爆発的な力を持つことになります。これがルーマニアでなぜあのような流血の事態が起こったのか、ベルベット革命ルーマニアではなぜ起こらなかったのかということを考える場合に非常に重要であります。つまり、ここではかなり、生活水準が落ちるところまで落ちてしまったということであります。そして、歴史の力が働いていないがゆえに戻るところがないというところであります。ここに極めて大きな混乱というものを発出する一つの原因があるわけであります。このことは、アジアにこういった動きが及んでくる場合に当然考慮されなければならない問題であります。この点につきましては後で戻りたいと思います。  次にはソ連情勢でありますが、現在ソ連でいろいろなことが起こっております。一つには大統領制度というものができ、党の力がこれからどんどんと弱まっていくことが予想されます。特にことしの夏に予定されております第二十八回の党大会以降は、やはりソ連においてはかなり東ヨーロッパに近いような形での党システム、オールマイティーであった党の力というものがどんどんと中から、そして外部から崩れていく可能性が強いと思われます。この際に重要なのは、何と申しましても経済の問題であり、そして民族の問題であります。民族主義の問題であります。この民族の問題は、現在、きょうもきのうも大事件として取り扱われておりますリトアニアの問題、バルトの問題、グルジアの問題、そういったものであります。これはソ連邦が今の版図を維持できるのかできないのかという大きな問題となっております。しかし、現状におきましては、すんなりと独立をかち得る国はリトアニアぐらいではないかと思われます。比喩的に申し上げて大変恐縮ですが、ゴルバチョフが今やっておりますことは、かぐや姫が求婚者にいろいろな難題を出して結婚を断る、そういうような試練を与えているということが言えるだろうと思います。リトアニアは何とかその試練に合格することができるだろうと思います。しかし、ほかのところではかなり厳しい情勢があるだろうと思います。リトアニアだけが独立できるとするならば、ほかの独立運動にはかなり厳しい将来が待っていると言わざるを得ません。しかし、これは言い方を変えますと、独立を達成するために余りにも厳しい手続を経なければならないということが今だんだんと前面にあらわれているわけでありますが、これが余りにも強過ぎると、ほとんどもう独立できないと考える民族たちはかなり絶望的な行動に出る可能性がある。それが一つの危険な点であります。  第二の危険な点は、一番重要な点でありますロシア共和国の問題であります。  ロシア共和国は、ソ連領土の大半を占めております。カリーニングラードからハバロフスク、果ては北方領土まで、現在彼らはそこに権力を置いているわけであります。極めて大きな領土と極めて多くの人口を抱えております。それでいながら、形式的には十五の共和国のうちの一つ共和国であります。しかし、そこの差というものはまさに大きな差があるわけであります。到底対等関係になることはできないほどの大きな規模重要性ロシア共和国は持っているわけであります。ところが、今ソ連におきましては、明らかに遠心傾向遠心力が働いております。そこからいろいろな新しい動きが出ております。ロシア共和国を普通の共和国と同じ対等なものにすべきではないのかという動きが出てきております。  ロシア共和国には極めて不思議なことに、これはそれなりに意味のあることでありますが、ほかの十四の共和国にはすべて共和国共産党というものがありますが、ロシア共和国には共産党がないわけであります。そういたしますと、ロシア共和国というものは目前の共産党を持っていないということで、ある種の当然持つべき権利を剥奪されているようにお考えになるかと思われますが、これは実は逆でありまして、自分共和国共産党を持たないことを通じてソ連共産党そのものになってきたという経緯があるわけであります。こういう状況が長い間続いてきたわけであります。ところが、今ロシア共和国に党を持たせようという動きが出ております。これが本当にできるかどうかはわかりませんが、ロシア共和国のビューローというものができましたし、今度はロシア共和国の党の協議会創設協議会ともいうべきものが開かれる予定になっております。六月の十八日に開かれるわけであります。これはかつてない動きであります。つまり、ロシア共和国自分共産党を持つということは、ソ連共産党ロシア共和国共産党がイコールではないという出発点になるわけであります。そのほかコムソモールにいたしましても労組の問題にいたしましても、ロシア共和国が独自のものを持ち始める。独自のものを持ち始めれば、ロシア共和国ワン・オブ・ゼムになってしまう。しかし、ワン・オブ・ゼムになってしまえば明らかに一つの矛盾が起こります。  それは、先ほど申しましたように、ロシア共和国が余りにも大きいということであります。ほかの十四の共和国対等関係を持つことができないということであります。こういった非常に大きな格差をどう埋めるのか、これは行政を行う上におきましては極めて重要な問題であります。一つ可能性としては、ロシア共和国を分割するということが考えられるかもわかりません。アジアとそれからヨーロッパ部に分けるということも一つ方法かもわかりません。三つぐらいに分けるということもあり得るかもわかりません。極東に共和国をつくるということもあり得るかもわかりません。しかし問題は、先ほど申しましたように、ロシア共和国こそがソ連邦という国の中核であり、それ自身である。パワーベースに関してはそれ自身であるということが言えるわけであります。したがって、ロシア共和国を分割するということは、ソ連の国力の統一、凝集力ということを考えますとかなりリスキーであります。この問題をどう乗り切るのかというところが一つの問題であります。一番望ましい方法は恐らく、十四の民族共和国というものを全部廃止して、現在ロシア共和国にあります州・地方制度というものを導入することでありましょうが、それはもう時期的に遅いだろうと思います。つまり我々は、ロシア共和国ソ連が、モスクワがこれをどう処理するのかということを注目すべき時期に来ているわけであります。  このような形で、ソ連におきましては、東ヨーロッパに起こりました現象、つまり東ヨーロッパ化というものが周辺部、そして怨念の歴史を抱えておりますモルダビアグルジアバルトといったところで本格的に起こっているとともに、内部におきましても党の力が弱まる、そうしてロシアナショナリズムが起こってくる、ほかの民族主義も高まってくるという意味で、先ほど述べました①と②の結びつきは、まだ弱いわけでありますが、明らかに出ております。  その波がさらに大きく出ておけますのがモンゴルであるということが言えます。モンゴルにおきましては、東ヨーロッパソ連によって極めて厳しくコントロールされていたのと同様に、ソ連によってコントロールされてきたわけであります。そのソ連の力が、ユニバーサルな社会主義の力が落ちたわけでありますから、モンゴルにおいても東ヨーロッパと同様の動きが出ることは当然であります。その当然のことが今起こっております。ただ、モンゴル経済自体がさほど、東欧のように行き詰まっているわけでもないということがあるかと思います。もう一つは、確かにナショナリズムが、ジンギスカンをたたえる、そういった傾向が出てきたり、ナショナリズムが出ておりますが、①と②は、必ずしも東ヨーロッパでのような有機的な化学変化というものはまだ起こっておりません。状況といたしましては、現在の東ヨーロッパの中ではブルガリア状況モンゴルはかなり近いということが言えるかと思われます。  党というものは、性格を変えさえすれば、そこで中立的な、マックス・ウェーバー的な意味での官僚としての役割を果たしていくことができるかもしれない、ある意味での理念としての社会主義のみならず、体制としての社会主義のある部分を残すことができるかもしれない、そういう可能性がまだ残っているかと思われます。  これに対しまして、現在、世界四つ社会主義国が残っているということが言えます。これを私はP2H2というふうに名づけております。これはピョンヤン北京であり、ハノイ、ハバナであります。アジアの複雑さというものは、この世界四つ残っております社会主義国三つがあるということであります。この四つの国は、今一種の精神的な意味での団結を高めているということが言えます。なぜ精神的な意味での団結を高めているかといえば、彼らは非常に孤立し始めているからであります。今までは、西側から孤立していた、その分を東との団結によって補っていた面があるわけでありますが、現在は、東との関係も切れてしまうということが言えます。  北朝鮮それからベトナムに関して言いますと、ある意味でのヨーロッパ的なコネクションというものがほとんどなくなっております。以前におきましては、社会主義諸国会議また連帯集会、そういったものがベトナムにおいて数多く開かれました。しかし、最近はもうそういうものはほとんど行われておりません。貿易協定バーター協定というものはいまだに、例えばベトナムブルガリアチェコ、そういったもう社会主義をやめた、またはやめつつある国との間でまだそういう協定は継続的に結ばれております。しかし、それだけが残っていると言っていいかと言える、そういう状態であります。  中国につきましては、やはり①と②の問題でありますが、天安門事件におきましては民主化という問題が起こりました。つまり、これは②の要素であります党の指導的役割の問題、これが問題でありまして、そこの部分をクリアできないがゆえに実は天安門が起こってしまったということが言えるわけでありますが、現在、中国につきましては①のナショナリズムの勃興というものも周辺では起こり始めている。その意味では東ヨーロッパ化中国においても周辺部においてソ連と同様に起き始めているということが言えます。しかし中国の場合、東ヨーロッパ化二つ要素でありますナショナリズムの高まりと、それから党システム弱体化というこの二つのものを結びつけるのは何と申しましても経済行き詰まりだろうと思われます。先ほど申しましたように、経済行き詰まりというものが触媒になってこの①と②の要素が結びつけられたときに起こる現象ルーマニア現象であります。つまり、非常に爆発的なことが起こる可能性があるということであります。  同様のことはピョンヤンについても言えるだろうと思われます。ここにおいても東ヨーロッパ化の波が押し寄せるときには、どちらかといえば経済行き詰まりというものが結びつく。それから、そもそも一民族二国家というドイツと同様の状況がありますので、当然不安定にならざるを得ない。それに加えて後継者問題があります。そこに経済的な行き詰まりというものが結びつくわけでありますから、朝鮮半島でこれから起こるであろうことは極めて憂慮すべき事態であるということはまずまず間違いないということが言えるかと思われます。現在、ピョンヤンにおきましても北京におきましてもハノイにおきましても、共通の行事または政策というものが出ております。これは、彼らの持っている社会主義のファウンディングファーザー、つまり創始者というものをたたえる、そういう運動であります。ホー・チ・ミンに対する個人崇拝、礼賛の傾向が非常に強まっておりますし、金日成に対してもそれが強まっている、そういう傾向が出てきております。  次に、欧州におきましては冷戦構造というものはほぼ九〇%以上解体してしまったということが言えるかと思われます。ワルシャワ条約機構はいまだ残っております。しかし、実質的にワルシャワ条約機構はなくなったと言っていいかと思われます。その意味で、ほとんどがヨーロッパにおいては冷戦構造が飛んでしまったということが言えるかと思われます。ではそういったものが、そして東ヨーロッパ化というものが、冷戦の終了ということと東ヨーロッパ化アジアに押し寄せてくるということはある意味でダブる要素があるわけでありますが、これがどのようにアジアに来るのであろうか。そのアジア情勢ヨーロッパとの違いといったものを指摘してみたいと思います。  まず第一に指摘すべき点は、アジアにはある意味での歴史の力が働いていないということであります。欧州においては、欧州が無理やりに二つに引き裂かれてきた、これが一つに戻るのは当然であるという心が欧州人々の中にあった。東側にもあった。であるがゆえに、東ヨーロッパにおいて昨年ああいう事件が起こったときには、心をあげて、腕を開いて東側の変容を受けとめようとする、そういう力があったということが言えるかと思われます。もう一つは、ヨーロッパの場合には戻るべきところがあった。東ヨーロッパが変容しても、秩序が壊れても、自分たちには戻るところがある、自分たちには帰属するところがある。つまりシビルソサエティーがあるんだ。社会主義をやめれば西側に当然行くんだという、非常にストレートなそういう図式が見えていたということが言えるかと思います。それがアジアにはないということが非常に重要なポイントであります。つまり、歴史の力というものはその意味で一時的に非常に強い力を果たしますが、この歴史の力というものは過去のある時点に戻るという意味モデルを提供するものであり、そのモデルがある限り秩序はある程度保たれるというところがあります。アジアではこれがないというところが極めて重要であります。  第二番目の点は、ソ連軍駐留がない、アジアにおいては駐留がほとんどないということであります。カムラン湾においてもほとんどなくなりつつあります。また、モンゴルからもほとんど撤退しつつあります。これはもう全く時間の問題であります。東ヨーロッパ革命が極めてスムーズだったのは、実はモスクワ東ヨーロッパからその影響力を引き揚げたからであります。そのときに非常に大きな安定的な力を果たしましたのがソ連駐留軍であります。東ヨーロッパ駐留していたソ連軍の存在というものが非常に大きな役割を果たしました。しかし、アジアにおいては、ベトナムにおいてもほとんどない、中国には当然ない、北朝鮮にもないということで、ソ連のある意味でのプラスの力というものは働かないということが言えます。  三番目の点といたしましては、米ソ以外にアジアでは中国というものがある。ヨーロッパ冷戦の主役は何と申しましてもドイツであります。ドイツの壁が崩れた瞬間に欧州冷戦構造は崩れたということが言えます。アジアにおいては何と申しましても中国だろうと思います。中国は、一九七〇年代にアメリカと接近し、ソ連との対立が高まったわけでありますが、その意味アジア冷戦は一時的に、もしくは半分ぐらいもう既に崩れてしまったということが言えるかもわかりません。しかし、御承知のとおり、まだ中国はその意味で超大国として残っているわけであります。米ソそして中国というこの三人のプレーヤーによって行われるゲームは、ヨーロッパにおきますような米ソ二人のプレーヤーによって行われるゲームより当然ながら複雑であります。非常に読みにくいということがあります。  第四番目の点といたしましては、第二の点と関連いたしますが、アジアにはほとんどブレジネフドクトリンが効いていないということがあります。アフガニスタンはブレジネフドクトリンの適用と言えないこともありませんが、よくよく調べてみれば、これはやはり純粋な意味でのブレジネフドクトリンではないということが言えるわけであります。ほかのところ、北朝鮮に対しても中国に対してもベトナムに対しても、条約文その他を見ましても、東ヨーロッパソ連関係とはやはり違っております。また、現実にもそういう動きソ連は今まで見せておりません。したがって、アジアにはブレジネフドクトリンが効いていない。したがってブレジネフドクトリンが撤回されてもアジアには動きはストレートには来ないということが言えるわけであります。  第五番目の点といたしましては、米ソヨーロッパの中にかっちりと入り込みましたのが一九四一年であります。そうして、アメリカが入り直したのが一九四七年でありますが、そのような形で米ソアジアに入り込んだということはないわけであります。その意味でやはり米ソの力というものは及びにくい。現にアジア二つの熱戦が起こっているということもこのことと無関係ではないわけであります。  第六番目の点としては、アジア社会主義国は自前の社会主義革命を行った。もっと丁寧に言いますと、アジア社会主義革命というものは、アジアにおきます植民地解放、民族解放闘争と結びついております。つまり、彼らが非常に強いのは、また彼らが現在ナショナリズムを使うことができるのは、チャウシェスクと同様にナショナリズムをある意味では使うことができますのは、彼らがそこで勝利した、民族解放闘争で勝利したその正当性があるからであります。したがって彼らの基盤は強いわけであります。そうして彼らは、先ほど申しましたファウンディングファーザーというものを持っております。自前の社会主義というものを持っております。つまり、普遍的な社会主義の力がなくなっても、自前の特殊なナショナリズムに基づく社会主義というものを経営することができる、その点で彼らは非常に強いわけであります。これも東ヨーロッパの場合とは違う点であります。  七番目の点といたしましては、ヨーロッパにおきましては、これは月並みなことでありますが、ブロック対ブロックで動いておりましたが、アジアの場合にはそういうものがないということがあります。  八番目の点としては、これが恐らく一番重要であり我々が考えるべき点であるというふうに信じておりますが、CFE、CSCEといったものやECといったようなもの、そういった問題を全体で話し合う場がないということであります。これがある意味でのアジアには一体性がないということの問題であります。こういった、ヨーロッパには欧州の問題全体を話し合うフォーラムがあったということ、それからECのように、東側ナショナリズムの高まりを見せる中で西側ではナショナリズムの敷居を低める、そして経済的にダイナミックに統合していこうという一つの、ちょうど逆のダイナミックな動きがあったがゆえに、東ヨーロッパ革命というものは先ほど申しましたようにスムーズにいったという点があります。アジアにはこれがないというところが深刻な点であります。  ソ連の変化が日本に対してどういうふうに出ているのかということにお話を移したいと思います。  御承知のとおり、ヤコブレフ氏が日本に参りまして第三の選択ということを言いました。これ自身意味はないと思います。単に互いの立場を主張し合うのではなく、解決する気があるならば妥協すべきではないかということでありますが、しかし重要なのは、一九九一年にゴルバチョフがやってくるということであり領土問題をとにかく処理しておきたいという姿勢を示しているということであります。一つの変化といたしましては、ソ連側から非常な勢いで、この問題はもう官僚レベルではなく政治レベルで解決すべきではないのかという呼びかけが行われていることであります。第二の問題は、国際法論議ではこれはもう解決できない、したがってソ連にとって北方四島を持ち続けることのプラスは何で、また、持ち続けることのマイナスは何なのかという、国際法論議ではなくコストとべネフィットでこの北方四島の問題を考えてみようという動きが出始めていることであります。これは一種のコペルニクス的な転回であると言ってもいいかと思われます。  さらには、ソ連の日本に対する姿勢といたしまして、感情面に注意を払うようになってきております。例えばソ連のある研究者が、どうも自分たちは日本人の感情をいろんな面で傷つけてきた、捕虜の問題でもその他の面でも傷つけてきた、これが問題ではないか、もう一度仕切り直しをした方がよいのではないかということを言い始めてきております。また、いろいろな面でこの感情の問題をソ連側は言い始めてきております。これは、日本人の浪花節的な性格にかなり受けそうな面でもあります。また、ドイツの統一問題が、現在の東ドイツと西ドイツ領土、これをプラスした形で、領土がどうもそこからは動きそうもないという情景が出てきております。つまり、ポーランドに対するドイツ領土要求はなされないであろう、旧プロシア領土に対するドイツの要求もなされないであろうという状況が出てきておりますので、むしろパンドラの箱は閉じつつあるということが言えるだろうと思われます。  最後に申し上げたいのは、ソ連において現在中央と共和国の間でいろんな多様な関係が出始めているということであります。社会主義の普遍的な力が弱ったことにより、中央のモスクワといたしましてはソ連のいろいろな地域、周辺部のその特殊な事情に合わせた政策を、そういう関係を条約の形でつくろうということが出てきております。エリツィンが現在ロシア共和国の最高会議の議長になろうとしております。エリツィン氏は、日本に参りましたときに、北方四島の問題を解決するのはソ連ではなくロシア共和国であるということを言っております。そして、自分ロシア共和国の最高会議の議長になるんだと。つまり、自分が北方四島を返してやるんだということをある意味でほのめかしたわけでありまして、それで日本における彼の待遇をよくしようという、そういう実利的な面があったのかどうかわかりませんが、彼自身はそういうことを言ってきておりました。そのエリツィン氏がもしかするとかなりの確率でロシア共和国の最高会議の議長になりそうであるということが言えるかと思われます。現在、そのように共和国の地位が、先ほど申しましたようにロシア共和国が分割するかされないのか、いろいろな問題がありますが、かなり多様な面を持ち始めております。とするならば、北方四島に対するレニングラードの一市民の意見と北方四島に対するサハリンの人間の意見とが同じ重さで考慮されるということはもうないであろうという気がいたします。その意味では我々は、本当に北方四島を取り返そうとするならば、この極東部分に対して働きかけをする、ロビー活動をする、いろいろな形で積極的に出ていく、それを通じて呼び戻すということも現在ならば可能かもわからないという気がいたします。  最後に述べさせていただきたいことは、朝鮮半島でこれから起こることは極めて重大であります。必ず起こると言っていいだろうと思います。数年以内に朝鮮半島でルーマニア的なことが起こるであろうという気がいたします。一つには、ドイツ問題と同じように一民族二国家の問題であるということであります。もう一つは、つまり北におりますのはホーネッカー体制ではなくチャウシェスク体制であるということであります。歴史の力は働かないだろうと思います。極めて深刻な問題であります。  そうして、日本が今何をすべきなのか。それは何らかのヨーロッパにあるようなフォーラムをつくり上げ、この朝鮮半島の問題を、何かが起こったときにどう処理するのかということを、多国間でそういうフォーラムをつくらなければ、当然我々は、日本外交というものが一体どこへ向かっているのか、アジアで何をするのか、そういう疑問が内外から出てくるのは当然ではないかという気がいたします。  ちょっと長くなりましたが、以上です。
  4. 中西一郎

    ○会長(中西一郎君) ありがとうございました。  次に、伊藤参考人にお願いいたします。
  5. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) ただいまから三十分ほど、与えられましたソ連東欧情勢変化アジア政治情勢及び安全保障というテーマにつきまして、私の日ごろ考えておることを申し上げたいと思います。  最初に、ソ連東欧の変化の意味とそれのヨーロッパにおける影響について述べたいと思います。この部分につきましては三つに分けまして、まず最初に、ソ連の変化自体につきましてその本質は何かということ、二番目に、引き続いて起きました東欧の変化につきましてその本質は何か、三番目に、これが今西ヨーロッパを含むヨーロッパ全体の将来に大きな影響を及ぼしておりますので、それについての私見を述べたいと思います。  その後、二番目といたしまして、このようなソ連東欧の変化とそのアジアに及ぼす影響について述べたいと思います。この部分は特に我が国が位置する地域、つまり東アジアあるいは西太平洋という地域を含んでおりますので、政策的な意味合いを込めて意見を申し述べたいと考えております。この部分につきましては四点について触れたいと思っておりますが、第一点は、ソ連東欧の変化がアジア共産主義諸国、中国、北鮮、ベトナムモンゴルとございますが、これにどのような影響を及ぼすかということでございます。二番目に、ヨーロッパにおいて冷戦の終えんということが言われているわけですが、アジアにおいても冷戦は終わったのかという問題でございます。三番目に、そのような情勢の変化を背景として、それが日米関係、特に日米安保条約体制にどのような影響を及ぼすか。最後に四番目に、この地域における軍備管理の可能性、特にソ連から提唱されておりますアジア安保構想などとの関連で私見を述べてみたいと思います。  それでは、まず最初にソ連の変化の本質でございますが、このことを問う理由と申しますのは、言われておりますような冷戦の終えんと言われる現象は、ゴルバチョフの登場とそれに引き続くペレストロイカの展開に起因するものでありますので、冷戦の終えんが果たして不可逆的なものか、決して逆戻りすることのないものであるのかどうか。それを問う上で、ソ連の変化の本質ということを一応頭の中ではっきりとさせておくことがすべての問題を考える前提条件ではないかという考え方からこの問題に迫ってみたいと思うわけでございます。  すべては一九八五年三月、ゴルバチョフがソ連共産党書記長になったときから始まったわけでございます。ゴルバチョフという人は、世界の、特に西側の崇拝者あるいは敬愛者、ファンの中で理想家肌の政治家あるいは大戦略を持った政治家というイメージでとらえられているわけでございますが、果たしてそうであるのか。この点を問うことによって、与えられた時間も限られておりますので、ありとあらゆる角度から学問的な議論をする時間も必要もないと思いますので、このように問題を一点に絞った形で私の考えの一端を示すことによって次々とテーマをこなしていきたいと思います。この点につきまして私は、もしそうであるのならば、今日のソ連政治の民主化であるとか、西側とのデタントであるとかいったことはすべて彼が最初からそれを理想として実現を目指し、そして達成したことであるのでありますから、西側から見て信頼可能性の高いものであり、冷戦の終えんにしても不可逆的なものであるという考えを強めるわけでありますが、そして西側の多くの崇拝者たちの間で彼がそのような理想家、大戦略家としてイメージされていることは否定できないと思いますが、私は、ゴルバチョフはむしろそういう理想家あるいは大戦略家から最も遠い人物であるというふうに考えております。  それでは、彼はいかなる人物であるか。彼は基本的にプラグマチストであり、最も優秀なトラブルシューターであります。与えられた課題、任務を最も効率的に処理するという、むしろイデオロギー抜きの、あるいはイデオロギーを超越した、実践的な有能な問題解決者であります。このゆえに彼は、彼の前任者であるブレジネフ、チェルネンコ、あるいはアンドロポフのもとで評価され、出世を遂げて党の書記長の地位まで立ち至ったものでございます。彼は、与えられた課題に対しては、状況を判断して解決に至る最も近道を見出そうとする天才であります。したがいまして、彼が党の書記長になったとき、彼はソ連の抱えるあらゆる問題を、はっきりと書記長としての高いレベルにおいて認識したわけでありまして、そこから彼が最初に打ち出してきた対策というのがウスカレーニエであります。ウスカレーニエというのはロシア語でございますが、英語でいうとアクセレレーション、加速化という意味でありまして、これは現体制の効率、能率を高めるということでございます。したがいまして、彼が書記長に就任した直後においては、彼は体制改革の展望は持っていなかったと私は思うわけであります。彼は現体制を何とかして稼働させようということで、まず労働規律の強化、遅刻、早退、無断欠勤、こういったものに対して厳しい労働規律の強化をもって臨んだわけであります。また、一連の節酒令を発することによってソ連社会におけるアルコール中毒の追放に乗り出したわけであります。  しかし彼は優秀な問題解決者、トラブルシューターであるだけに、そういった現行体制の手直しだけでは問題が解決しないことを短期間のうちに認識し、それによってペレストロイカ、さらにはペレストロイカを進行させるためにはグラスノスチ、グラスノスチを徹底させるとデモクラチザーチアというふうに進展していったわけでありまして、私は、彼はデザイン、戦略があって今日に至ったものではなく、一つ一つの問題を解決しながら、いわば気がついてみると森の中をだんだんと奥へ入ってきたということではないかと思います。したがって、彼は例えば党の一党独裁制の廃止の問題にいたしましても、ドイツの統一を認めるかどうかという問題につきましても、最初はその可能性を強く否定しているにもかかわらず、わずか一カ月か二カ月、三カ月の時間の経過の中で、状況が変化いたしますとやがてこれを認めるという大転換を何回も行っているわけでございます。  このようなことを申し上げましたのは、ゴルバチョフと彼の率いる一連のソ連政権中枢部というものは、基本的に状況に対応しているだけであって、物事の考え方の根本は依然として伝統的な力の支配という観念に駆られているということであります。決して彼らが西側的な個人主義であるとか、人権主義であるとか、民主主義であるとかの信者に急に生まれ変わったからではないということであります。  しからば、状況が変わればまたソ連は古いソ連に逆戻りするのであろうか。すべてが同じであるとすれば、私はゴルバチョフという人は、状況がそれを必要とし有利と判断すれば、彼は逆戻りすることを何らちゅうちょしない人であると思います。現にリトアニアに対してとりつつある一連の措置というものは、決して彼の本質が、対話であるとか住民の自決であるとかということに根本的価値観の基準を置いているわけではないということをあからさまに示しているのではないかと思います。こういうことを私が申し上げるのは、ソ連が逆戻りするおそれがあるということを言っているわけではございません。そのような主観的な考え方にもかかわらず、ゴルバチョフとその指導部は、一連の政治改革を進める過程の中で、いわばパンドラの箱をあけてしまったということが言えるのではないでしょうか。その結果として、ゴルバチョフ及びその指導部は依然として基本的には私は力の支配を信ずる体質を捨てていないと思います。しかし便宜的にあけてしまったパンドラの箱から起こった一連の政治社会現象の展開の結果として、ソ連の基本的な内政外交の方向というのはもはやゴルバチョフあるいはその側近の意思によっても逆戻りさせることが不可能な方向に進んできているということが言えるのではないか。これがソ連の変化の本質として重要なところであろうかと思います。  次に、東欧の変化の本質でございますが、時間の関係で当初予定していたよりも簡単に結論のみをたどる言い方をさせていただきたいと思いますが、御承知のとおり東ヨーロッパ諸国は第二次大戦後ソ連赤軍の力によって共産党の支配下に置かれ、ソ連圏に属したわけでありまして、東欧諸国民にとりまして、共産主義とはロシア帝国主義の同義語であり、自国の共産党はそのかいらいにすぎなかったわけでございます。それにもかかわらず、東欧諸国民がその支配に甘んじたのは、ソ連が軍事力を行使してもその支配を貫徹しようとする、いわゆるブレジネフドクトリンを維持してきたからでございます。したがいまして、今回一九八九年末の数カ月間に起こった東欧の解放という現象は全く単純でございまして、その原因というのは、ソ連ブレジネフドクトリンを放棄したからであります。それ以外の何物でもなく、それ以上の何物でもございません。  ソ連はなぜブレジネフドクトリンを放棄したのか。御承知のように、一九八八年、既にソ連はアフガニスタンからの撤退を決定いたしました。これはソ連が急に平和主義者になったからではなく、自己の力をはかり、アフガニスタンに駐留を続けることによって失われる利益を計量し、つまり状況に対応して撤退を決めたものであります。私がゴルバチョフは基本的にプラグマチストであり、力の支配の信奉者であることに変化があるとは思えないと言うのは、アフガニスタン撤退の動機をはかることによって、そしてアフガニスタン撤退こそはソ連の今日のいろいろな対外政策の出発点になっているわけであります。アフガニスタンから撤退したのは、単にコストとべネフィットを計算して、アフガニスタンにソ連軍駐留し続けることがソ連にとってマイナスであり、さらには支えること自体が耐えられない負担になったということであります。ということは、その延長線上において東ヨーロッパ諸国につきましても同様のことを考えることになるわけでありまして、事実一九八八年の暮れから一九八九年の春夏にかけまして、ソ連指導部は、いろいろな機会に東ヨーロッパ諸国の指導部に対して、君たちは、君たちの問題を自分で責任を持たなければいけないというメッセージを盛んに送っているわけであります。このメッセージを真剣に受けとめたのがポーランドであり、ハンガリーであります。これに対して、その意味を理解できないままに事態を放置したのが東独であり、チェコであり、ブルガリアであり、ルーマニアであったわけであります。これがその後のポーランド、ハンガリー両国における共産党の位置づけと、それ以外の東欧諸国における共産党の位置づけの違いとなってあらわれたわけでございます。  いずれにせよ、ブレジネフドクトリンという力の支えを失ったとき、東欧諸国民はかいらい政権としての共産党統治に反乱を起こし、共産党支配が終わったわけでございます。これに伴って、東欧諸国において市民社会への回帰が起こっているわけでございますが、その延長線上において起こっている問題は、ワルシャワ条約機構の空洞化という問題であり、これに伴いまして西ヨーロッパ、NATOにとっての脅威というものの意味が変化しつつございます。事実、NATOはもはや東欧を脅威とはみなさず、あり得る脅威というのは直接的にはソ連であるということで、これまでの柔軟反応戦略を改定し、戦術核などを中心とする正面配備の戦力を削減、撤廃し、むしろアメリカ本土からのALCM、空中発射巡航ミサイル、あるいは大西洋からのSLCM、海上発射巡航ミサイル、あるいは米本土からの戦略爆撃機による対ソ攻撃へと、NATOの防衛戦略を変更させようとする動きが出てきているわけでございます。またもう一つ、さらに先を読んだ将来的な展望といたしましては、そのように後退し、縮小し続けるソ連よりも、むしろ統一することによって巨大なスーパードイツとして登場しようとしている統一ドイツに対する脅威感というものが新たに登場し、NATOはむしろこのドイツの将来における脅威を封じ込めることにその役割を見出そうとする変化もあらわれているわけであります。  三番目に、このようなことでヨーロッパ全体に対する現在のソ連東欧の変化の意味合いについて一言申し上げます。  これまでのところは、ソ連を脅威としドイツは分裂したままという前提で欧州統合が進められてまいりまして、これは一九九二年にはシングルマーケット、単一市場を達成する見通しでございます。しかし、その達成前に突如としてソ連東欧の崩壊と統一ドイツの登場という新事態が生じたわけでございまして、ここにおきまして欧州統合のプロセスは大きな予期せざる事態の変化、あるいは当然のこととして前提としていた諸条件の変化という問題に直面しているわけでございます。NATOの変質については既に申し上げたとおりでございますが、EC統合につきましても、九二年の単一市場の形成までは既定方針どおり進むといたしましても、それ以後の通貨統合あるいは政治統合等の問題になりますと、EFTA諸国あるいは東欧諸国の加盟、そしてそのように枠を広げた統合の中におけるスーパードイツの巨大な影響力、こういった新しい与件を踏まえて、欧州統合はむしろ御破算にするくらいの新しい構想を立てることなしには進展していくことができないのではないか、そのように考えておりますが、これもまた間接的にはソ連東欧に起こった変化のヨーロッパに及ぼした大きな影響と言うことができるのではないかと思います。  このようなことで、これまで欧州の分断を前提として進められてきた欧州統合、具体的には西ヨーロッパの統合にすぎなかったわけでありますが、この過程にドイツ問題というものが登場してきている。それと同時に、もう一つ足を引っ張る要因として民族問題の浮上ということ、これがやはり同じようにソ連東欧の変化によってヨーロッパに浮上してきている。こういったドイツ問題、民族問題に足を取られながら、欧州統合はよろめきながら予測不能な時間の中に入っていきつつあるように考えるわけであります。  それでは次に、アジアへの影響でございますが、アジアへの影響はどのように考えたらよいのでありましょうか。  東ヨーロッパ諸国が次々と改革をなし遂げ、共産党を政権から追い払ったように、アジア共産主義諸国においても同じような事態が起こるものでありましょうか。私は、短期的にはそれは起こらないのではないか。モンゴルにつきましては、これは東ヨーロッパ諸国とかなり似た状況、つまりソ連の力の支えによって共産党が支配しているという構造がございましたので、東ヨーロッパの例を追っているようでありますが、中国、北鮮、ベトナムにつきましてはブレジネフドクトリンのようなソ連軍の力に支えられた政権ではございませんので、ブレジネフドクトリンが撤回されたからといって東欧で起こったような変化がすぐこれらの国々で起こるわけもないことは、ある意味で当然のことではないかと考えるわけであります。また、ブレジネフドクトリンが撤回されたとき、東ヨーロッパ諸国は伝統的な市民社会、市民政治に回帰することを知っていたわけでありますが、これらのアジア諸国においては、そのような市民社会の伝統が全くないということも混迷を予測させるものであろうかと考えます。しかし、長期的にはこれらの国々が世界の最後進国として経済発展の道から脱落することをみずから選ぶのでない限り、つまりある程度の経済改革を進めていく限り、中国ベトナムはその道を選んでいると思われますが、その道を進む限り、それは必然的に政治的改革を伴うものでありまして、長期的にはソ連東欧で起こったのと同じような変化がタイムラグと程度の差を抱えながら進行することは不可避であろうかと考えます。  次に、そのような状況を前提といたしまして、アジアにおいて、特に東アジア・西太平洋において冷戦は終わったのかという問題でございますが、この点につきましては、私は二つのバロメーターというかリトマス試験紙というか、踏み絵になるものがございます。それは、第二次世界大戦の結果としてヨーロッパに残された傷跡がヤルタ体制による鉄のカーテンによる東西欧州の分断であり、さらには東西ドイツの分断であったとすれば、東アジアにおける同様の問題は、第一に朝鮮半島の分断でございます。第二に北方領土問題でございます。これら二つの問題が第二次大戦の傷跡としていやされることなく残っている限り、この地域において冷戦が終わったということを言うのは私は軽率かつ浅薄な判断ではないかと考えるわけであります。  それでは、この二つの問題の展開の見通しはいかがか。表面的には何らこの二つの問題を解決する動きは見られないわけでありますが、しかし、ソ連による韓国の外交的承認が年内にも可能ではないかというようなことが言われている状況を見ますと、朝鮮半島をめぐる緊張状況も徐々に変化していく可能性は大きいものと考えております。また、北方領土問題につきましても、明年春ゴルバチョフ大統領が来日するということで、みずから問題解決について一定のタイムリミットを課しているということは注目してよろしいのではないか。  なお、この問題につきまして一言申し上げれば、北方領土問題に関する日ソの立場というのはこういうことではないかと考えます。それは、熱いトタン板の屋根の上にいる猫がソ連でありまして、我々は下からそれを見ているわけであります。だんだんトタン屋根は熱くなるばかりであります。屋根の上の猫は飛びおりたくてじたばたしているわけであります。しかし決して自分から飛びおりようとせず、下にいる日本に上がってこい上がってこいと言っているわけであります。私どもは、戦後四十五年間、筋を通して、節を曲げずにここまで頑張ってきたわけであります。そうして、今まで悠然と、熱くないトタン板の屋根の上で寝そべっていた、そんな北方領土問題などという問題は存在しないとか、解決済みであるとか言って寝そべっていた猫が、そうは言っておれなくなった状況の中でじたばたとしているのが現在の状況でございます。私は、基本的にはソ連側からいろいろな働きかけがこれからあるのではないか。みずからタイムリミットを切っているというのは、ソ連側の弱みでこそあれ我々の弱みではないわけであります。ここでは私どもは節を守りながらソ連側の出方を注意深く見ていく、対応していくということが非常に大切ではないか、さように考えます。しかし、そのことは日本側が何もするなということではございません。節を守りながら対話を促し、ソ連という猫が飛びおりやすいようにしてやる、そういう努力はすべきであろうかと思いますが、我が方から屋根の上に上がっていく必要はないということでございます。  次に、このような状況の変化の中で日米安保体制はどうなるのか、その変質の可能性はないのかということでございます。  これはひとえにソ連の脅威の評価にかかっているわけでございますが、ソ連の脅威につきましてはその能力と意図によって判断するということは常識でございますが、能力につきましては量的にはほとんど変化がございません。いろいろの一方的軍縮の発言がなされておりますが、それを検証する手段がないだけでなく、そもそも極東ソ連軍の全貌について基礎的な情報が公開されておりませんので、全体がわからないところで部分が削減されたと言われても、私どもはそれを確認することができないという状況でございまして、量的には削減は行われていないと言ってよろしいのではないかと考えます。その上、質的には、つまり近代化でございますが、当初の予定どおり着々と進められている。したがいまして、現象的にはヨーロッパ正面において起こっていることとアジア正面において起こっていることは全く何の脈絡もない、全く同じ国家のやっていることとは思えないありさまの現状でございます。そういうことでありますが、しかしソ連の脅威を意図という面から見ますと、皆様も御承知の諸般の状況から判断いたしまして、ソ連が極東方面において日本を含む何らかの隣国に対して攻勢的意図を有するということはほとんど考えられないと言ってよい状況ではないかと思います。今日ソ連に対日侵攻の意図ありやといえば、ないわけであります。明日もないわけであります。しかし、将来五年、十年、二十年という先まで考えなければならないのが国家安全保障の問題でございますので、そういう先まで考えるならば、やはり今日存在するソ連の軍事的な能力というものを無視して考えるわけにもいかないのではないか。そのようなことから、日米安保体制につきましては基本的にこれを堅持していくことが重要かつ大切ではないかと考えておる次第であります。  しかし、長期的にヨーロッパにおいて起こっているようなソ連の変化がアジアにおいてもその姿をあらわし、具体的な行動によってソ連のデタントの意思が表明されてくるのであれば、そのときには、ちょうどヨーロッパにおいてNATO条約の意味が急速に変質しつつある、ソ連に対する脅威、東欧に対する脅威に対抗する性格のものから、むしろドイツを封じ込めるための機関に変質しつつあると言われるような変化がNATOについて起こっているわけでありますが、日米安保体制につきましてもソ連の脅威を封じ込めるという当初の、一九五一年この条約が調印された当時の環境と大きく異なるような状況に進むものであれば、日米安保体制というものも主たる目的が、むしろ日本の軍事大国化を封じ込めるというようなものに変質していく可能性もあろうかと考えるわけであります。  そのようなこととの関連において我が自衛隊のあるべき姿等についても私見を有するものでありますが、時間の制限がございますので割愛いたします。  最後に、この西太平洋あるいは東アジアにおける軍備管理の問題に関連して私見の一端を申し述べます。  この地域における軍備管理ということになりますと、どうしても海軍力の軍備管理ということが前面に出てまいるわけでございますが、海軍力の軍備管理という問題は非常に慎重に扱わなければならない問題でございます。と申しますのは、日本、そしてアメリカも、ある意味では巨大なという形容詞がつくだけで日本と同様に島国でございます。島国はシーレーンによって物資の自由な補給を、航行の自由を、法律的だけではなく現実的保障によって守られていることが国家存立の基盤でございます。ソ連は大陸国家でございまして、シベリア鉄道をその生命線、幹線としているわけでございますが、そのシベリア鉄道を守り抜くためであるならばソ連はありとあらゆることをするであろうと思われますが、それと同じくらいの重要性を我々はシーレーンの安全確保に感じているわけでありまして、であるとするならば、大陸国家ソ連の太平洋艦隊と海洋国家アメリカの第七艦隊をともに五〇%ずつ削減しようなどという海軍軍縮はあり得ないということであります。海軍軍縮がこの地域においてもし着手されるとすれば、その大前提としては日米両国が島国として持っている航行の安全に対する死活的な依存度というものをソ連側がまず認めることによって、むしろその安全を保障することによってスタートする性質の軍備管理でなければならないのではないか、かように考えますが、現在の段階ではそういった実態を踏まえながら、アメリカとしてはむしろそもそもそういった海軍軍備管理の話し合いに巻き込まれること自体を不利と考えているという状況のようであります。  日本といたしましては、日米安保体制によってアメリカと一体となって我が国の安全を確保している状況でございますので、こういったアメリカの基本的な姿勢を理解し、それとの連携において我が国の軍備管理の考え方をつくり上げていく必要があろうかと考えます。  いろいろ言葉足らずでございますが、時間が超過しておりますので、これで終わらせていただきます。
  6. 中西一郎

    ○会長(中西一郎君) ありがとうございました。  次に、前田参考人にお願いいたします。
  7. 前田哲男

    参考人前田哲男君) 前田哲男でございます。  私、昨年の暮れに一週間ほどソビエトのウラジオストクに行く機会を持ちました。また、ここ二十年ほどアメリカの核兵器実験の太平洋における犠牲者、被爆者の取材をしております関係上、海洋戦略、核戦略について深い関心を持っています。また、やはりジャーナリストとしてアフガニスタンの戦場を、これはゲリラの方からですが、八三年ソビエトの攻勢が一番強かった時期と八八年ゴルバチョフが既に撤退の方向を明らかにした時期に、二度取材しました。アジアの中ソ国境も八五年厳しい対峙をしていた国境地帯、八九年ゴルバチョフ訪中の直前の一カ月、中ソ国境を取材した経験を持っています。そういう経験と問題意識から、きょうのテーマについて私の意見を述べさせていただきたいというふうに思います。  既に述べられてきましたように、今日のデタント、緊張緩和というふうに形容される大きなうねり、情勢の変化が全世界的なものであるのか、それとも欧州局地に属すべきものなのかについて意見が分かれているように思います。私自身は、世界的な情勢の変化、アジア・太平洋も含んだ、日本の将来をも巻き込んだ形の情勢の変化が今私たちの前で進行しているというふうに考えますが、しかし冷戦終了あるいはポスト冷戦情勢展開を見てみますと、そこに跛行性といいますか、二面性を見ないわけにいきません。ヨーロッパアジア・太平洋においては、やはり時差の領域に属する、あるいは地域偏差という言葉で説明できるかもしれない何らかの違いがある、それは前提として認めるべきであろうと思います。  四つ要因を挙げましたが、一つはもう言うまでもなく歴史的な要因であります。欧州における冷戦は、チャーチルの演説にもありますように、バルト海からアドリア海にかけて欧州を遮断する鉄のカーテンがおろされたという状況の中から始まりました。そのシンボルがベルリンの壁であると言っていいでしょう。つまり、固定した対決線、鉄のカーテンがあり、ベルリンの壁があり、それを挟んでWTO七カ国、NATO十六カ国が対峙するという固定した前線を形成してきたのがヨーロッパにおける冷戦の軍事的な特徴であろうと思います。アジアにおいてはこういう特徴は全く適用されません。冷戦は熱戦にやすやすと展開しました。朝鮮半島、台湾海峡、ラオス、インドシナと移動する前線がアジアにおける東西対立の特徴であったというふうに言えます。したがって、欧州においては鉄のカーテンを挟んで、ライフル銃から大砲、戦車、戦闘機、短距離ミサイル、中距離ミサイルという兵器のスペクトラム、ピラミッドを描くことができます。地上における前線を挟んで、兵器が小さいものから大きなものへ、射程の短いものから長いものへ、目前の敵から敵の戦略中枢へというふうにエスカレートしてきました。柔軟反応戦略というふうに西側でその戦略を呼んでいます。こういった論理的あるいは対称的という言葉が使えるような軍事的な対峙関係アジアにはありません。アジアの局地紛争は必ずその終局段階において核の使用への衝動を招きましたし、また論理的な対立、対称的な兵器の蓄積ではなしに一方的な兵器の投入、パワープロジェクションであり、あるいは局地紛争という形で推移しました。  また、そこでは海洋の持つ価値が、特にアメリカにとって最大限に享有されました。朝鮮戦争もベトナム戦争も、海洋をアメリカが支配しているという一点を除いてしまうと、あのような形で推移したことが到底理解できない。あれは資産であるより前提であったというふうに言っていい海洋への依存、支配があった。これはヨーロッパと違う軍事的な条件であろうというふうに思います。もう一つは、想定敵国がソビエト一国というふうに限定されていたヨーロッパに対して、アジア・太平洋においては、初め脅威の対象はソビエトではありませんでした。中国でした。一九六〇年代に至るまでソビエトは正面の敵として登場してこなかったというのがアジアにおける冷戦の特質であろうと思います。ソビエト、なかんずくその海洋力が脅威と認定されるようになったのは、一九七〇年代、ベトナム戦争が終わり、ニクソン・ドクトリンが発表され、アメリカの戦略配置が半島に地上兵力を駐留させる周辺戦略から海洋戦略に移動した、それ以後に属します。  こういうふうに見てきますと、歴史的要因として、欧州及びアジア・太平洋における戦略組成に大きな違いがあることは間違いない。欧州においては論理的であり、理性的であり、対称的であり、したがって正気に戻ればフィルムを逆回ししてもとの状態に戻すような解決が可能である。しかしアジアにはその条件に乏しい。そこにおいては私も前提として受け入れなければならない大きな違いがあろうかと思います。  また、ポスト冷戦において第二の要因として欧州アジア・太平洋の情勢に差異を持ち込んでいることに、ソビエトの欧州重点政策というふうに呼ばれるものがあろうと思います。もちろんこういう政策が公表されているわけではありませんが、観察していく限り、ゴルバチョフタッチの軍縮への接近は、やはり欧州を前面にしている。ソビエトという国は、ロシアの時代から二つの正面で作戦をしたことのない、その非常に苦手な国であります。当面の軍縮に関しても、やはり欧州正面をとっているように見えます。五十万人という大きな軍事力削減のうち二十四万人を欧州、二十万人をアジアというふうに分割しました。うち極東に十二万人を割り振られたわけですが、ヨーロッパにおける軍縮が一方的な措置あるいはWTO政府との交渉によって目に見える形で進んでいるのに対して、アジア・太平洋における軍縮は進行状態が不明確であります。一つには、国外軍、外国駐屯軍の軍縮と国内軍の軍縮、復員という事柄の違いも影響しているんでしょうが、ともかくアジアにいる我々からはソビエトのアジアの軍縮は極めて不透明、見えにくいということは否めない。こういったことを欧州重点政策というふうに言ってみたわけですが、これも欧亜の情勢の違いを物語る一つの要因に挙げられようと思います。  三番目に、アメリカの海洋重視ということを挙げなければなりません。先ほど申しましたように、アメリカにとって海洋支配は資産であるというより前提であると言えるほど大きな意味を占めています。前方展開戦略という名であらわされるアメリカの対外軍事戦略が、歴史をたどっていきますと、ヨーロッパから日本まで、あるいはヨーロッパから朝鮮半島までユーラシア大陸の緑辺をアメリカと各国の、あるいはアメリカとアジアの集団条約によって結ぶという形で一九六〇年代まで維持されてきました。東南アジア条約機構、インドを飛ばして、あとは中央条約機構、そしてNATO、極東においては米比、米韓、米台、米日という条約の鎖によってユーラシア大陸の社会主義国を封じ込めるということがアメリカの前方展開戦略の一九六〇年代までの維持の仕方であったわけです。  今日、前方展開戦略はそのような形では維持されておりません。海洋戦力によって、海洋を支配することによってアメリカの前方展開戦略は一九七〇年代ニクソン・ドクトリン以降維持されるようになりました。この前方展開戦略に関してアメリカ政府が維持の姿勢を明らかにしている。ヨーロッパからあれほど大がかりな兵力削減をみずからに課しつつ、しかし海洋における前方展開戦略に関しては維持する。つまり海洋を支配してソビエトを包囲する、太平洋を支配してユーラシア大陸を包囲するという戦略は依然として維持しているように見えます。したがって、当然のことですが、海軍軍縮には極めて不熱心、消極的、冷淡でありまして、いかなる海軍軍縮にも臨もうとしていない。もっともSTART、戦略兵器削減交渉の一部門であるSLCM、海上発射巡航ミサイルの削減という形で進行している部分がないわけではありませんが、新たな海軍軍縮の枠組みを拒否しているという状況にあります。  四番目に、中国の沈黙がやはりアジアにおける情勢の劇的な発展を阻止している要因になっているだろうと思います。中国の沈黙がどういう理由によっているのか、いろいろ見方がありますし、見方だけでなしに理由そのものもいろいろあると思うんですが、しかし、軍縮に関する中国政府の立場、これまでの立場、それから今回私が直接聞いたことを含めても、現段階における米ソの軍縮、とりわけ核軍縮がまだ中国の参加を求めるほど熟していないという見方をしています。米ソの核軍縮の段階が量的削減で五〇%を超えた段階、これは多分START、戦略兵器削減交渉調印後ということになるんでしょうが、五〇%を超えた段階に初めて中国の出る場が来るだろうという言い方をします。現状に関しても、量的な増大はとまったにしても、質的な近代化、質的改善はなお続いている。近代化と質的改善を停止することが条件である。その後、中国そしてインドも加わった国際会議が開かれるならば中国は参加するというふうなことを言っております。これは別段変わったことではなしに、数年前から中国が言っている核軍縮への取り組みと何ら変わっていない。つまり、INF条約ができた以後中国の軍縮政策が変わっていないと見てとることができる。したがって、最近の、とりわけ昨年末からの欧州における大きな動きアジア・太平洋に適用するということは中国政府は全く考えていないように見えます。  以上、歴史的要因、ソビエト、アメリカ、中国情勢の見方を通じてポスト冷戦における情勢展開の欧亜における差異ないし二面性を見てきたわけですが、私は、にもかかわらずアジア・太平洋においても軍縮、冷戦後の新しい情勢が兆しつつあるという見方に立ちます。なぜなら、東西対立、米ソの対立は極めてはっきりと鉄のカーテンという形、ベルリンの壁という形でヨーロッパに刻み込まれましたが、しかし、米ソ二大超大国による世界のヘゲモニーを争う対立でありましたし、地球表面積の七割を占める海洋をめぐって、とりわけ一九七〇年代以降争われてきたという事実に着目するならば、今日のデタントへの動き欧州局地にとどまると見るのは一面的であろうと思います。海洋を通じて、あるいは米ソの利害の世界的展開を通じて、必ずアジア・太平洋にも及んでくるに違いない。現に幾つかのレベルでアジア・太平洋にその変化の兆しを見ることができようと思います。  一つは、言うまでもなく、INF条約が調印され実施に移される過程で明らかになってきたアジア部における中距離核戦力の完全撤廃。これはソビエトが一方的に配備しましたので一方的に義務を負う形ですが、SS20、ほかにまだ幾つかSS4、5とありますが、とりわけINFの代名詞となった、そしてソビエトの脅威の代名詞ともなったSS20がもう完全に撤去されてしまったという大きな情勢の変化を見ておく必要があるだろうと思います。おととしの版まで、我が防衛白書は、ソビエトの脅威のシンボルとしてSS20を取り上げて、発射されると十数分以内に我が国に到達するという表現で脅威を強調しておったわけですが、昨年、ことしのにはそれを評価する表現は余り出ていません。ともかく、完全撤去されたことの意味は大きいと思います。  また、ここ一年あるいは数年に徴してみても、ソ連太平洋軍の活動プレゼンスは極めて大きく目に見える形で縮小している事実があります。表をレジュメに添えましたが、その別表でごらんになるとおわかりのように、これはイギリスの国際戦略研究所の軍事データブックでありますミリタリー・バランスの中から、ソ連太平洋艦隊の勢力、外洋において戦闘能力を行使し得る空母、巡洋艦、駆逐艦という艦種についてとってみますと、二十九隻から二十六隻、二十一隻へと減少しています。また、日本周辺に目撃されたソ連の艦船、これは海上幕僚監部が毎月発表するんですが、それを一年ごとにまとめたものを過去三年分そこに挙げてみましたが、八七年から八九年まで実に半減しています。この六十九隻という昨年一年間に目撃された艦艇は、戦闘艦艇のみではなしに、引き船であるとか浮きドックなどを含んだすべてのソビエトの艦艇でありまして、それを含めてもこの程度に落ちてきている、半減しているという事実があります。また、航空自衛隊が国籍不明機に対してかけるスクランブルの回数が、これは年度ごとに集計されますので、一番新しい年度の分がつい先ほど公表されましたが、それを見ましてもこの三年間やはり減っている、減る傾向を見せている。つまり、活動量は低下しつつあると言うことができようかと思います。これは、私自身ウラジオストクに参りまして実際に目撃した印象とも合致しています。ウラジオストクでは空母ノボロシスクもおりましたし、ほかの大きな戦闘艦艇がおりましたが、かなりの艦艇が既に国旗を掲げていない、軍艦旗を掲げていない、あるいは兵器を搭載していない。ひどいものになりますと塗装をはぎ取って赤肌を出しているというふうな形でありまして、あそこは海軍の根拠地というより艦隊の墓場ではないかという印象を受けたほどでありました。ミンスク、ノボロシスクというソビエト太平洋艦隊の二隻の機動戦力はここ数年ウラジオストク港外に一度も出たことがありません。  こういった艦艇、航空機の活動低下と恐らく関係ある動きとして、日本に対する幾つかの微妙なシグナルも送られてきつつある。八八年の八月には沿海州の沖合で海軍の射撃訓練が計画され、公海を一部使用する関係で日本側に通告があって、外務省がこれに対して、漁場である、漁期であるということを理由に訓練の中止を求めましたところ、五日間の訓練日程を二日間に短縮する即座の反応があって、このような反応は初めてであると外務省を驚かせたことがあります。翌年の五月には、ソビエト太平洋艦隊が外洋で行う訓練に西側ジャーナリスト及び西側の政府要員を招待する招待状が参りました。我が国の防衛庁はこれに応じませんでしたが、ジャーナリストは参加いたしました。さらに、ウラジオストク開放という動きも八八年に起こっております。このウラジオストク開放は、一九八六年にゴルバチョフ当時の書記長がウラジオストクを訪問して、ウラジオストク演説という大きな演説を行いましたが、この中でウラジオストクを太平洋に開いた窓にしたいということを言っております。そのとき、ほとんどこれは一種の外交辞令といいますか、実行されるとだれも思っていなかったのですが、実際にウラジオストク、一九三三年にスターリンによって要塞都市に指定され、ソビエト市民ですら出入域に関しては特別の旅券を持たなければならないと言われたこの要塞都市、軍港都市が、今ではだれにでも、外国人の観光客にでも開放された町になった。このことの持つメッセージとしての意味は大きいと思います。それと、このウラジオ開放のもう一つ意味は、ソビエトの経済振興策として従来モスクワで一元的に扱われてきた貿易を地方政府に移譲する政策が進んでいて、ウラジオストク、ナホトカがみずからの港を環太平洋時代の貿易港として活用したい強い要望を持っているという動きとも関連しているだろうと思います。ナホトカに関しましては既にことしの五月ごろ経済時区という形で新しい開港をするようですが、ウラジオストクの私が会った市の人あるいは党の人ことごとく、ナホトカと同じように軍港ではなしに貿易港としてのウラジオの将来を計画したいというふうに言っておりました。こういった幾つかの演習の公開における、規模の縮小における、軍港ウラジオを開放するという措置における日本へ向けたシグナルの意図をやはり正確に受けとめて、我々の判断の基礎、政策の参考にする必要があるのではなかろうかというふうに考えます。  さらに、海洋戦略、前方展開戦略を維持する姿勢をなお明らかにしているアメリカ太平洋軍の中においても変化が出てきているという事実を指摘する必要があろうかと思います。言うまでもありませんが、アメリカ太平洋艦隊の想定敵国はソビエト、ソビエト太平洋艦隊であります。ソビエト太平洋艦隊を太平洋に出さない、あるいは有事においてはソビエトの戦略ミサイルを搭載した潜水艦がオホーツク海からアメリカ本土に向けて戦略ミサイルを発射するのを阻止するということに置かれておりました。これをはっきりした形であらわしたのがワトキンズ海軍作戦部長の「海洋戦略」という論文でありまして、これはレーガン政権下における米ソ対立を一番象徴するような文書であったわけですが、肝心かなめのソビエトの方で一方的退却といいますか、これまで太平洋で局地的とはいえ覇を争おうとしていた海軍における増強を縮小しようとしている。軍艦はもう要塞艦隊になってしまってウラジオから出てこなくなった。日露戦争のときの旅順に引きこもった艦隊のようなものでありまして、アメリカ太平洋軍としてはこれは甚だ困った状況であろう。目標がなくなってしまった、目標の喪失という状況に直面している。  次いで政治的な命題としてのソ連の脅威というものが消滅していくならば、太平洋軍は今日のような形の前方展開戦略を維持していくことは恐らく数年のうちにできなくなってしまうだろうと思われます。加えて、議会による財政の締めつけが急速に進んでいく。空母は既に二隻削減が決まりました、十五隻から十三隻に。中期的な削減計画で推測しますと、恐らく九隻になるだろうというふうに言われます。こうなりますと、十五隻を半分に分けて太平洋と大西洋に振り分けて前方展開戦略を維持するというアメリカ海軍の空母運用、前方展開戦略の前提が崩壊してしまう。議会の軍縮の進行によって、ごく近い将来そういった状況がくるであろうと予測されます。ここにも変化がある。現に出ている変化として、基地の削減という形で、韓国、フィリピン、日本における基地をおおむね一割ですが、在アジア・太平洋兵力の一割の削減が始まった。議会の意向を見るならば、これはほんの小手調べと見なければならないであろう。本格的な変化はこれからやってくるであろうというふうに思われます。したがって、一番保守的である、現状の変革に消極的であると考えられるアメリカ太平洋軍及びアメリカ海軍の中においても、現実の容赦ない変化への潮流は浸透しつつあるというふうに見ることが妥当であろうというふうに思うわけであります。  そのように情勢を見ていきますと、欧州アジア・太平洋間に情勢の違いがあることを認めながらも、しかしその情勢の違いを質的なもの、普遍のものというふうに見ることは明らかに間違いで、タイムラグ、時差ないし地域偏差の要因に換言できる。したがって、ごく短期ないし中期の違いで欧州と同じような状況、軍縮における状況、環境が生まれてくるであろう、そう見なければならないと思います。  そこで、一番大きく影響を受けるアジア・太平洋における軍縮環境は、米ソの海軍の軍縮であろうと思います。新しいネーバルホリデーが、一九二〇年、七十年前にワシントン条約においてネーバルホリデーという列国間の軍縮の時代が始まったわけですが、似たような状況がくるであろうと思います。今回は米ソ二国間。あるいはもっと、ワシントン条約のような多国間にはならない可能性が強い。協定を結ぶことになるかどうかも怪しい。しかし、結果としてネーバルホリデーが太平洋にあらわれることはほぼ確実に見通せる。海軍という一大装置産業を維持していくには米ソとも余りにも財政が疲弊してしまいました。余りにも手を広げ過ぎたと反省しています。したがって、個別的な形であるにせよ、ネーバルホリデーが太平洋にあらわれるのはほぼ確実であろうと私は考えます。  このような時期であればこそ、今、日本がイニシアチブをとる幾つかの領域があるはずでありまして、それは何よりもソビエトとの間に信頼醸成の措置をとる。軍事のデータ交換から始めて軍人の交流も必要でしょうし、演習の事前通告、一九七五年にヘルシンキ宣言によって欧州が始めた、そういった形の信頼醸成措置を始めていくことが必要であろうと思います。あるいはもっと大きく、日本とソ連の間の相互刺激的、相互反応的な軍拡ではなしに、ヨーロッパで主張されているような共通の安全保障という概念を取り入れた新しい安全保障の確立も必要なのではないかと思います。  私の判断では、現在の防衛計画の大綱の理論的基礎となった基盤的防衛力構想は、明らかに相互刺激的な軍拡に終止符を打つねらいを持っていて、所要防衛力構想を明確に否定した上に成り立っているわけですが、そこに築かれたはずの防衛計画の大綱が逆に軍拡の衝動力になったというおかしな現象が続いている。基盤的防衛力構想を、もう一度ほこりを払って拳々服膺する必要が今出てきたのではないか。これは共通の安全保障の日本側のボールになる可能性があるというふうに私は評価いたします。こういったことを通じてCSCE、全欧安保協力会議のような大きな枠組みをアジア・太平洋に広げていく、そういう好機に今私たちはあるというふうに考えます。  以上であります。
  8. 中西一郎

    ○会長(中西一郎君) ありがとうございました。  以上で参考人方々からの意見の聴取を終わります。  これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  9. 尾辻秀久

    ○尾辻秀久君 お忙しい中をおいでいただきましてありがとうございます。先ほど会長からも御礼ございましたけれども、私からもまず御礼申し上げます。  私にいただきました時間は、先生方にお話しいただく時間を入れて五十分でございますので、あの時計でちょうど三時半ぐらいまででございます。時間を超えますのも困りますし、また、あまり余りますのも格好が悪うございますので、その点、どうぞよろしくお願いを申し上げます。  まず、私の体験も率直に申し上げておきたいと思うんですが、私、プラハの春のときにチェコにおりました。実は私は、チャスラフスカよりも美人だと思っておった女性がおりまして、その人のためなら死んでもいいと思っておったのであります。その女性が、ソ連の戦車が来たら戦うんだと言いますから、私もその気でおりました。ただ、あえて大国と言うんですけれども、大国というのはこんなことを平気でできるんだなと思ったんですが、クレムリンからやってきます。そして、ドプチェクと市中パレードを仲よくやるわけであります、私も手を振った一人なんでありますが。それでみんなすっかり安心して、私も安心していた。そうしたらしばらくしてどっと戦車を入れるわけであります。ただ、片手落ちになるといけないと思いますので、あえてこんなお話もするんですが、ソ連をヒッチハイクしたこともあります。ですから大変お世話になったこともありまして、そういう意味ではソ連の人は大好きなんですが、ソ連の戦車は大嫌いでありまして、何かやっぱり私の質問にその辺のところが影を落とすんじゃないかなと思いますので、最初に申し上げたわけであります。  今、恐らく世界の人の最大の関心事というのは、一体ソ連はどうなるんだろうということだと思います。伊藤先生がお書きになったものの中で、現代世界の二大問題はソ連の軍事的脅威と日本の経済的脅威である、だからきっと世界の人は、世界ソ連という国と日本という国がなければ平和であろうにと思っているんじゃないかとお書きになっておられるところがあるわけでありますが、まさしくそんなことであろうと思います。私はやっぱりそのうちのソ連の軍事的脅威というのがどうなっていくんだろうというふうについつい思うものですから、そこでまずゴルバチョフの軍事ドクトリンについて改めて三人の先生方にお話しをいただきたいと思うのであります。  その中で、秋野先生がお書きになったものの中に、「モスクワが最近ソ連の軍事力を使用しうるケースを非常に厳格に限定しようとの方針を明らかにしているが、ここにおいても東欧は例外になっている。つまりソ連軍の使用はソ連「祖国」にならんで社会主義共同体(この場合、東欧のみを意味)を防衛する場合に限定されている。わかりやすくいえばソ連の軍事力は依然東欧に対しては躊躇なく使われる旨のメッセージである。」、こんなことをお書きになっておられるときもありますが、これは若干状況の変化があるんじゃないかなと思いますので、そんなことを含めてお話しいただければと思います。  それから、伊藤先生がお書きになったものの中に、ソ連というのは行動するとき必ず二つの方程式があるんだということを書いておられまして、大変興味深く読ませていただきました。そんなことを交えてお話しいただければ大変ありがたいというふうに思います。  また前田先生には、従来のソ連の指導者が持っていました軍事ドクトリンとゴルバチョフの軍事ドクトリンとの比較検討をしていただければ大変ありがたいと思いますので、えらい注文までつけて申しわけないんですけれども、まず、その辺のお話をいただくようにお願い申し上げます。
  10. 秋野豊

    参考人秋野豊君) 私はペレストロイカを三つぐらいの期に分けて考えておりまして、第一期は実質上の改革をしない時期であります。第二期は政治改革をうんとしようということであります。それは、政治改革をしなければ経済改革がもううまくいかない。そうなれば二十一世紀にソ連は大国として残らないという危機感があったということであります。この第二期に対外政策が非常に積極化しております。そこでまた出てきたのが軍事ドクトリン、合理的な十分性。それから日本の自衛隊の一つの方針でもありますが、専守防衛的な方針というものが第二期から出てくると思います。しかし、第三期になりますと、これが少し性格が変わってまいります。つまり、第一期から二期にかけましては、社会主義モデルとして何とかやっていけるんだという自信があるわけですが、第三期になってしまいますと、社会主義がどうしてもうまくいかないというペシミズムが強くなりまして、悪いのは壊す方がいいんだという運動が出てきております。それはまあ是々非々主義と言ってもいいと思います。そこから、経済改革として必要なものは全部やるんだということになりますし、政治改革として必要なものは全部やるんだ、対外政策につきましても対外政策上やるべきことはすべきであるということが出てきます。この辺から一つの概念革命といいますか、ソ連の国際認識のあり方というものに非常に大きな変化が出てきているわけであります。それが一番如実にあらわれておりますのがソ連東ヨーロッパに対する政策であります。  私が先ほど御引用くださいましたものを書きましたときには第二期でありまして、何とかペレストロイカに適した国際環境をつくりたいということ、また、ソ連の国内におきまして政治改革をするためには、外に敵はないということが前提になります。外に敵があるにもかかわらず政治システムに手をつけるということは非常に危険になりますので、まず敵という概念を消し去りたいということがありますが、この時期に出てきているわけであります。そのときには、ソ連の対外政策、また軍事ドクトリンの一番基本的なものといいますのは、最低限東ヨーロッパソ連だけは守りたいということであります。つまり、東ヨーロッパのブロックを守りたいということであり、社会主義システムを守りたいということであります。ところが、第三期になりますと、特徴は非常にはっきりしてまいりまして、国を救いたい、ソ連のサバイバルであるというふうになってきます。これが事実上のブレジネフドクトリンの破棄になってきます。そこで一九八九年に東ヨーロッパでいろんなことが起こってくるということになります。現在、社会主義共同体という言葉ソ連の対外政策においてもう使われなくなっております。以前におきましては、ソ連の軍事力の目的というものは、ソ連の祖国及び社会主義共同体、つまりブロックでありますが、そこに何かがあったときに助けに行くんだと。つまりこれは基本抑止と言ってもいいと思います。そこに何かがあったときには、戦争も意に介すことなく助けに行くんだということでありますが、もうこのような表現は完全に消えるに至っております。つまり、ソ連にとっての今の最大の関心事は国のサバイバルであるというふうに変わってきております。  しかし、今非常に問題になっておりますのは、軍部が相当抵抗を強めているという様相が出てきております。例えばハンガリーにおきましてもチェコにおきましても、そこに駐留しておりましたソ連軍を今引き揚げることが問題になっておりますが、その二つにつきましてはことしじゅうに引き揚げるというのがハンガリー側もしくはチェコ側の要求でありました。しかし、それが来年まで延びることになりました。その最大の理由は、チェコやハンガリーにいたソ連軍を、特に将校をもう吸収できないということであります。アパートがない、職がない、どこに置いたらいいのかわからないというところまできております。そうなってきますと、軍の方としても、フルシチョフのときにあったと同様に、みずからの職業軍人としての使命が果たせないという状況がきておりまして、これまでソ連におきましては中国とは相当違った様相がありまして、つまりシビリアンコントロールがソ連の場合には極めてよくきいていたわけでありますが、ここに来てから、軍はこれ以上減らされたり、これ以上のことが政治的に行われる、つまりリトアニアその他において政治的な動きを許してしまう、分離の動きを許してしまうとするならば、彼らのプロの最大の目標であるところの祖国の防衛ということがもうどうしてもできなくなってくる。そういう状況が出てきておりまして、かなりここのところが怪しくなってきているというのが難しいところではないかという気がいたします。
  11. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) 御質問の点にお答えいたしたいと思いますが、そもそもロシア革命以後のソ連は、党・政府の、まあ党が一党独裁で指導しておるわけでございますが、この基本的な対外路線と申しますのは、まず、特にトロツキーによって代表された世界革命路線でございますが、ここにおいては過剰なイデオロギーの優越ということがあったわけでございます。しかし、間もなく登場いたしましたスターリンは、このトロツキーを排除することによりまして、御承知のとおりの一国社会主義体制というものをとることによりまして、資本主義世界の包囲の中で社会主義の祖国ソ連の生き残りを図るという防勢的な路線をとったわけであります。しかし、御承知のような一九四一年のドイツソ連侵攻によりまして、好むと好まざるとにかかわらず世界戦争に巻き込まれ、その後スターリンはソ連の勢力圏をできるだけ広く東ヨーロッパに、バルカン半島に、そしてアジアに拡大するという拡張主義をとったわけでございます。その結果として御承知のような冷戦が起こり、米ソ対決の時代が続いたわけでございます。  このころのソ連の核戦略を見てみますと、現実には対米劣勢にあったにもかかわらず、言説の上では核戦争を恐れない、核戦争があってもこれを乗り越えて社会主義体制が最終的に世界に勝利するのだという路線をとっていたことは御承知のとおりであります。しかし、現実に山九六二年のキューバ危機のような事態を経験した後、ソ連の路線はフルシチョフの唱えた平和共存路線に変化していくわけでありますが、このときの主たる勤因は核の共滅性、核を使えば両方とも滅びるんだという核の共滅性に主たる根拠があっての平和共存政策への転換であったかと思います。したがいまして、それ以外の面におきましては、依然としてイデオロギー的な優越性、それに伴う世界階級闘争あるいは民族解放運動への支援を主張し、支持し続けたわけであります。これがブレジネフ時代のアジア、アフリカへの進出という形になって顕在化したわけでありますが、このような七〇年代を通じまして、オイルショックとそれに続く西側世界における一連の情報ハイテク革命の到来という中でソ連体制が決定的なおくれをとり、社会主義体制の敗北と言えるような事態が登場する中でゴルバチョフが党書記長となり、愕然として国内改革優先の必要を感ずるに至ったというのが今日のソ連の置かれている歴史的な位置づけでございます。  ここにおきましては、きれいな言葉で言えば脱イデオロギーでありますが、より直截的な表現をすれば、イデオロギー的にも自信を喪失したソ連指導部というものがあるわけでございます。そして、このようなソ連指導部といたしましては、外に進出していくという拡張主義的なエネルギーを失っただけではなく、むしろ積極的に西側との関係を改善して、できることであれば国内改革、ペレストロイカに対する支援を得たいとさえ考えるようになったわけでございまして、このようなことを背景としてゴルバチョフの軍事ドクトリンもまた合理的十分性であるとか、そういう言葉を使っておりますが、専ら防衛的な軍事力の構築といったような表現の言葉を使っているわけでございます。問題は、これをいかに評価するかでございますが、現段階におきましては、少なくともソ連軍の戦力構成というものを見る限りは、合理的十分性であるとか専守防衛性ということは、これは全く言葉の上のみのことでございまして、その戦力構成は依然として必要以上のオーバーキルの核戦力を持ち、通常戦力の攻撃的性格も基本的には変わっていないわけでございます。  したがいまして、私どもといたしましては、ゴルバチョフの軍事ドクトリンにつきましては、彼が合理的十分性あるいは専守防衛性ということを言っているということ、そしてその背後には国内改革を優先しなければならないという事情、必然性があるということ、それを理解しつつも、しかし戦力構成としては依然としてブレジネフ時代以来の遺産が清算されずにそのまま残っている。したがって西側にとっては、党の指導部が交代し、あるいは基本的な考え方が変われば、一朝にして問題が再燃するという余地を残しているものであるということを留意する必要があろうかと思います。しかし、基本的には国内改革を優先しなければならないということは、ソ連の対外膨張主義を抑制する要因として基本的に機能していると言ってよろしいのではないかと思います。
  12. 前田哲男

    参考人前田哲男君) ゴルバチョフの軍事ドクトリンがそれ以前の指導者のそれとどのように変わっているかというお尋ねでありましたけれども、それ以前の指導者が必ずしも軍事ドクトリンを明らかにしてくれていないわけですので、比較が難しいところがあります。  七九年でありましたか八〇年でありましたか、我が大平総理大臣が、ソ連は防衛的な国家であるという表現をなさって物議を醸したことがありますが、以前からソ連は防衛的な国家であるという見方をする人は多くございましたし、防衛的でありながらおびえの膨脹主義のようになっていく過程を必ずしもドクトリンの中で明らかにしているわけではありませんので、比較を明瞭にすることは困難ですが、ゴルバチョフに入って、もう既に言葉が出ておりますように、合理的十分性という用語でソビエトの軍事力の運用原則を明らかにしようという試みがなされております。国境を守るに足る兵力、軍隊で十分であるし、目的もそれに限定する。専守防御、ディフェンシンブディフェンスというんでしょうか、これにソビエトの軍事力の行使の原則を規定するという動きであります。  これまでのところ、ゴルバチョフのあらゆる行動あるいは彼の打った手はこの合理的十分性を追求するものである。それと反する行動を彼がしている証拠はないと思います。八五年に彼は登場しましたが、その後、軍縮に関して三つ大きな演説を行っています。八六年のウラジオストク演説、翌年のクラスノヤルスク演説、そして八九年の国連における演説。ここで彼は合理的十分性という彼の概念を敷衍すると同時に、具体的な、世界的な軍縮を行ってきている。この三演説がやはり合理的十分性という彼の新しいドクトリンを知るための一つのテキストであろうと思います。  もう一つ、それに沿って必要なのは、軍の指導者に対する態度ですね。大韓航空機事件の後の軍の粛清といいますか、軍の整理、責任追及の中で、オガルコフ参謀総長を陸軍の責任者から除外した。それから海軍の今日をつくったゴルシコフ提督もやはり八八年に年金生活に入るということで一線から離れていきました。彼以前の戦略立案者あるいは軍隊の中枢にいた人物を彼はタイミングよく巧妙に配置から外して、その後にヤゾフを、これはウラジオストク演説の際、極東軍管区司令官をして彼に見出された有能な将軍でありますが、後がまに据えるというようなことをやっています。これも合理的十分性という彼のドクトリンを実地に移すための措置であろうと思います。  さらに、目下ペレストロイカと絡んで行われている軍需産業の民間転用、これは一九九五年までに六〇%を民間に転用するというふうに言っております。これはこれまでのところそれがサボられている、行われていないという兆候はないわけでありまして、このままいきますと、十年か十五年後にはソビエトの戦車の製造台数、戦闘機の製造台数は極めて急激に減っていくことはもう間違いない。これも合理的十分性という彼の約束を実地に移すための措置であろう。  もう一つの観点から見ますと、ソビエトの世界的な軍事力の運用は、三つのレベル、地域紛争レベル、戦域レベル、戦略レベルで展開してきたと思います。ゴルバチョフに入って、局地紛争レベルにおけるソビエトの介入はすべてキャンセルされました。アフガニスタンが一番劇的ですが、ニカラグアに対する支援、アンゴラに対する支援からもやはり手を引いた。局地紛争に関してソビエトがこれを支援するということはもうとらないという、これは主としてアメリカに対する誓約なんでしょうが、あかしとして見せている。戦域レベルにおける対立、これは中ソの対立とNATO、ヨーロッパ正面における対立でありましょうが、中ソにおいては国境委員会が続いておりまして、私自身見ましたけれども、中ソ国境においては今もう警備の主流は軍からKGB、国家保安委員会です。もともと国境警備の任務は国家保安委員会が当たるわけなんですが、中ソ対立の最盛期に軍が前面に出てきてそれが固定してきたという事情があるんですが、それを再びKGBに戻しつつある。これは中国側によっても確認されています。したがって、軽武装の軍隊に取ってかわられつつある。制服とか装備が全く同じなのでKGBと軍を混同して思い込みがちですが、はっきり違う。国境警備の任務についている。  ついでに申しますと、ソビエト太平洋艦隊の質的強化の証拠の一つに挙げられるクリバックIII型というフリゲートが増強されつつあると防衛庁が盛んに言うわけですが、これは国境警備隊のためにつくられたものであって、装備もそういうふうに外洋ではない型になっている。確かに新しい型で、今極東に回航されていますが、これは国境警備という別の目的に転用されつつあるということですね。  それともう一つ、NATO正面におけるゴルバチョフ・ドクトリンの新しい適用は、もう説明するまでもないと思います。欧州共通の家という形で彼は説明していますが、これは一つの家の中に欧州が入るということですから、これまでのような脅威、威嚇、恫喝という関係ではなしに、相互依存というキーワードによって説明されるわけでしょうし、そういう意味で合理的十分性という彼の概念自体、現実の進行過程の中で疑う根拠はないというふうに私は考えます。
  13. 尾辻秀久

    ○尾辻秀久君 本来でございますと、先ほどお聞きいたしました先生方のお話を整理させていただいて、それで質問申し上げるのが筋なんでありましょうけれども、私の乏しい能力ではとてもそれは無理だと思いましたので、質問を用意させていただいておりますので、それに沿って聞かせていただくことをお許しいただきたいと思います。  そこで、今後のことを考えますときに、これは先生方にぜひお聞きしてみたいなと思ってきたんですけれども、SDIが大きな要素を占めることは間違いないんだろうと思うんです。結局のところ、SDIというのは完成するとお考えでしょうかどうでしょうか。そしてまた、完成するとすればいつごろなんだろう。あるいは、ソ連はそれに対してどういう反応を示すんだろう。もっと言いますと、伊藤先生がお書きになったもので、「ソ連がパールハーバーを選択するとき」という表現がございますけれども、そこまでの危険性があるんだろうか、お聞きしてみたいと思いますので、よろしくお願いいたします。済みませんが三人の先生方に、SDIの見通しをお聞かせいただきたいと思います。
  14. 秋野豊

    参考人秋野豊君) 私は、SDIの問題よく存じませんが、今の国際政治の流れからしますと、恐らくこれは実現しないのではないかというふうに思っておりますし、ソ連の対応ということにつきましては、恐らく同様のものをつくるということはあり得ないだろうと思います。むしろアメリカ側が呼びかけておりますSDIを開発したい、その暁にはソ連とある意味でシェアをする、予期しないものに対する一つの保険としてシェアをするということをレーガン大統領が申したことがありますが、むしろそういうような方向へ進むのではないか。余り大きなトピックにはならないのではないかという気がいたします。むしろSDIよりはSIIの方が問題になってくるのではないかという気がいたしております。
  15. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) 「ソ連がパールハーバーを選択するとき」ということを私がどこかで書いたというお話で思い出したのでありますが、これは四、五年前に私が二十一世紀にかけての世界情勢の展望をした中で、基本的には楽観してよいんじゃないかということを申し上げたときに、ただし書きで、しかしいろいろな落とし穴があるということで、落とし穴の一つとして申し上げたので、その落とし穴が主たる可能性だと言って予言したものではございませんので、誤解をいただかないように説明をつけ加えさせていただきたいと思います。  さて、御質問のSDIでございますが、そもそもSDIがなぜ必要であると当時アメリカによって考えられたかと申しますと、これは当時、当時と申しますのは、レーガン政権というよりもその前のカーター政権の末期あたりから、つまり七〇年代の後半でございますが、それまで確固として成立していると思われた相互確証破壊、MADと言いますが、これは米ソいずれの側が先手をとっても、第一撃攻撃を相手側に加えても、そのことによって特に有利になることはなく、相手から奇襲攻撃を食らった後、それを吸収して報復の第二撃を相手に加えるという第二撃作戦をとったとしても特に不利になることはない。なぜならば、生き残った第二撃能力は、米ソとも相手に対して、相手が耐え得ないほどの被害を与え得る能力を持つということが保証されていたからであります。ところが、この相互確証破壊が七〇年代の後半に入って成り立たなくなったのではないか。ということは、ソ連のICBMの命中精度が非常に正確になってきたために、ソ連の第一撃によってアメリカの第二撃報復能力が十分に生き残れないという状態が生じたことが危惧されたからであります。これは当時、脆弱性の窓という言葉で語られたわけでありますが、この脆弱性の窓を再び閉じないことには相互確証破壊、MADが成り立たず、したがってその状況下においては第一撃、奇襲攻撃を加えた方が有利であり、第二撃攻撃を加える立場に立つことは座して死を待つことになるという戦略的な状況が存在した中にあって、何とかしてこの脆弱性の窓を閉じたいというアメリカ側の戦略的欲求からいろいろの試みがなされたわけであります。一つは、カーター大統領が唱えましたような競馬場型の移動式の地下核サイロを建設するということも案でございました。当時いろいろな形で大陸間弾道弾ICBMの残存性を確保するための案が出たわけでございます。しかし、いずれも巨大な予算、環境破壊等々の問題があり、なかなか名案が浮かばなかった。そのような中でSDIが登場したものと私は理解しているわけであります。  ところで、そのような状況というのは、やはり米ソ間の相互不信というものが決定的な要因になっていたわけで、相手が奇襲第一撃をかけてくるのではないか、くるかもしれないという、そういう政治的不信感というものがこのSDIの発想の原点にあったように思うわけでございます。そういう観点から見ますと、脆弱性の窓という状況は依然として何ら変わらないわけでありますが、それにもかかわらずヨーロッパにおいてこれだけの大きな変化が起こり、それが政治的な雰囲気をこれだけ根本的に変えてまいりますと、問題がそこに理論的には存在するわけでありますが、もはや現実的な問題というよりは理論的な問題になってきている。ということは、この問題、SDIの開発をどうしても完成させなければならないのだという政治におけるプライオリティー、優先度というのがアメリカにおいて下がってきているという状況があるのかと思います。したがいまして、私はSDI計画はアメリカが完全に放棄するということはあり得ないだろうと思いますが、これを一定の期限内にどうしても達成しなければならない最優先の政治課題として予算を投入して追求していくという状況は、消え去ったのではないかと考えております。
  16. 前田哲男

    参考人前田哲男君) 私は、SDIはお二方おっしゃいましたように、政治的には不必要になった、軍事的には不可能になった、したがって実現の可能性は極めて乏しくなった。しかし大戦略的といいますか、政略的に、先端技術をアメリカが支配する、そのための一番大きなプロジェクトとしてこれを縮小しながらもやはり維持し続けるだろう。日本のような先端技術を持つ国をより深くくわえ込む形でこれからSDIは展開していくのではないかというふうに思っています。  政治的な不必要性に関しては、お二方の意見と同感ですので省略させていただきますが、軍事的にもSDIははっきりした概念といいますか、を持っていないのですね。一九八三年三月にスターウォーズ演説でレーガン大統領がアメリカ国民に約束したSDIと、退任間際に彼が予算要求したときのSDIと、ブッシュ大統領によって今日議会に要請されているSDIは全然別のものである。SDIフェーズI、フェーズII、フェーズIIIという言葉でアメリカの専門家たちは区別しておりますが、似て非なるものであって、何を指してSDIというのか、この概念規定がまず必要なわけですが、どちらにしましても政治的には必要性はうんと低下しましたし、軍事的に見ましても現在進められているフェーズIIIというSDIの改良型にしましても、これをハードウエアで構築することは、予算さえかければ理論的に可能であるにしても、これを実際に運用するためのソフトウエア・プログラムをきちっと、しかも間違いなしに組むことができるか。その間違いがないということをどうやって確認するのか、実戦以外確認できないわけですから。というような運用上の問題。ソフトウエア・プログラミングの問題まで突き詰めていきますと、まず言われているようなSDIが完成する、ソビエトのICBMあるいはSLBMの攻撃を極めて高い確率で撃破してしまうSDIができてくる可能性は少ないと見た方がいいと思います。私たち自身、銀行のメーンコンピューターがよくプログラムの入力ミスによって機能が麻痺するのを日常的に見ているわけで、そういうことがSDIに起こらないことはあり得ないわけですし、もっと複雑なプログラムが必要となるわけですから、まず軍事的に信頼性の高いSDIをつくることはもうアメリカ自身放棄したのではないか。  ただ、先ほど申し上げましたように、軍産複合体というアメリカの非常に強力な軍と産の共同体がございますし、それに、現実にアメリカの先端技術はもはや自動車にも航空機にもなく、宇宙分野、スペースシャトルとこのSDIにしかないという状況を考えますと、象徴的な先端技術開発のプロジェクトとしてなお維持していく、ブッシュ政権の今日におけるSDI予算の要求の一番大きな目標はそういったことではないかというふうに思います。
  17. 尾辻秀久

    ○尾辻秀久君 伊藤先生におわびを申し上げます。  先ほど私が「ソ連がパールハーバーを選択するとき」という先生のお言葉をおかりしたんですけれども、私はその本を読ませていただいておりますので、先生が誤解をされるかもしれないとおっしゃったような意味でお使いになっておられるわけでは決してないことはよく承知をしておりますので、何か不用意に先生のお言葉をおかりしたなと思っております。おわび申し上げます。  おわびを申し上げると申し上げなきゃならないんですが、その本の中で、先生が今日の東欧状況というのを実に正しくといいますか、予言をしておられる。敬意を表させていただきたいと思うんですが、ただ先生が予測された中で、ドイツの統一だけが少し先生の予測と違っていたのではないかなという気もいたします。そこで、今日、ドイツの統一がああいう形で進められようとしておりますが、このまま進んでいって、先ほどの、ソ連の軍事力の脅威と日本の経済力の脅威を一手にドイツが引き受けるようなときが来るだろうか、そんな予測を先生はなさるだろうかということをお尋ねしてみたいのであります。
  18. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) お答えいたします。  ドイツ統一がこんなふうに進むということは、正直言ってベルリンの壁が崩壊するまで世界じゅうだれも予言できなかったのではないかと思います。ただ、ドイツ統一がスケジュールに上ってきているということは、そしてそれが次第に不可避になりつつあるということは、一昨年の暮れから昨年の初めころにかけて、一年くらい前から識者の間ではかなりホットイッシューの議論になっておりまして、私もその五年前に出した本ではとてもそんな予測はしておらず、したがいまして尾辻先生御指摘のとおり全く予言できなかったわけでございますが、一年くらい前に、ソ連から西ヨーロッパにかけていろいろな人と会って意見を交換しながら旅行をしたとき、日本にいた一年前の私には想像がつかないくらいドイツ問題が熟してきているということに驚くとともに、やはり日本がいかにヨーロッパから遠いかということを実は実感したわけでございます。かつて独ソ不可侵条約が結ばれたとき、平沼騏一郎内閣は不可解であるという一語を残して内閣総辞職をしたわけでありますが、ヨーロッパ情勢に疎いことは日本全体がという意味で申し上げておるわけで、もちろん私も含めてでございますが、余り三〇年代と変わらないんじゃないかという気がいたしております。  そういう状況の中でのドイツ論でございますので、どこまで私の意見がお役に立つかと思うのでございますが、これは文芸春秋社からつい最近、二、三日前に出た本で、「マルクスの誤算」というタイトルでございますが、五人の著者の論文を寄せ集めているわけですが、私はここで「「ドイツ問題」とは」何かというのを書いております。この「マルクスの誤算」という本に私が「「ドイツ問題」とは」何かということで書いていることを踏まえて結論だけ申し上げますと、やはり統一ドイツというのは、これは人口八千万人を超え、さらにいわゆるマルク圏と申しますか、ドイツ経済力、技術力、資金力によってその間接的影響力下に置かれる諸国、これはもう現在でもECの中でも、例えばオランダとかスイスとかオーストリアなんというのはマルクと連結して自国の通貨を維持しているわけでございますし、さらに東ヨーロッパ諸国は陸続としてドイツに依存しているわけでございます。例えば東ヨーロッパ諸国の西側諸国との貿易量というのは年間約五百億ドルでございますが、このうちの半分、二百五十億ドルは西ドイツ一国が相手にしていると、こういったような状況でございます。そういうことでございますので、それに、北欧諸国もまた直接間接的にドイツ影響下にあると言ってよいのではないでしょうか。特に文化的ドイツ語圏の諸国であろうと思います。  そういったようなことを含めて、ドイツというものが巨大な力となって登場してくることは否めないわけで、私は九〇年代から二十一世紀にかけてのヨーロッパの動向というのは、アメリカとソ連が手を引いていく中で、ドイツ、まだ統一ドイツの定義はされておりませんが、新しい形であらわれてくるに違いない一種の覇権と、そういった覇権をドイツに握らせまいとするフランスを中心としたそれ以外の国々のせめぎ合いの場になるのではないか。その場合、フランスを中心とした、中心としたというのはフランスを中心としてまとまるということではございません、フランスが一番そういう問題意識を強く持ってイニシアチブをとっているという意味でありますが、それ以外の国々についても基本的には同様でございまして、何とかそういう統一ドイツにならないように封じ込めよう、そしてその道具として今期特されているのが第一にECであり、第二にNATOであり、それが不可能ならCSCEであり、何とかドイツを封じ込めようというのがヨーロッパ動きではないのか。そういう意味で、EC統合とドイツ統一というのは、先に既成事実をつくった方が勝ちだと言わんばかりに先を争ってそのスケジュールを追っているというような気がするわけでございます。  したがいまして、これから少なくともヨーロッパそして米ソともに関心事というのはどうしてもドイツに集中していくのではないか。そういう中で、世界政治においてヨーロッパが再び復権してくる。そういう状況の中で、アジアそして日本という問題が間接的にどういう影響を受けていくのか。そういう形でこれからの国際政治がしばらく動いていくし、見ていく必要があるんじゃないか、そのように考えております。
  19. 尾辻秀久

    ○尾辻秀久君 ゴルバチョフ大統領は、先ほどから先生方が例に出されますウラジオストク演説の中で、米ソがグローバルパワーであることよりもまずアジア・太平洋国家である、こういうことを言っております。しかし、大統領には欧州共通の家構想というのもあるわけであります。また、韓国に急接近してみせたりしますので、どうも素人目に見ていると、表面見ているとわかりにくいわけでありますが、そうした中で、北方領土も一体どうなるんだろうなと思います。  私にいただきました時間、もうほとんどございません。何か勝手に大きな質問を申し上げて一言でお願いしますというのも失礼でありますけれども、もう余り時間がありませんので、秋野先生と前田先生に一言ずつ、ゴルバチョフ外交、北方領土はどうなるか、お願いをいたします。
  20. 秋野豊

    参考人秋野豊君) やはりゴルバチョフの外交というものは、非常に注意して見ていかなきゃならないという気がいたします。つまり、現在のクレムリンの中の勢力範囲、地図をかいてみますと、一番ペレストロイカを引っ張っていく、社会主義をある意味で脱社会主義の方向へ引っ張っていく一番のグループというものが対外政策に携わる人間であります。ゴルバチョフにしてしかりであり、シュワルナゼにおいてしかりであり、ヤコブレフにおいてしかりであります。したがって、この対外政策を引っ張っていくグループがこれからどうなっていくのか、そこのところが一番大きな問題になっております。  それから、ソ連の対外政策がこれからどう移っていくかということでありますが、やはりどう考えても一つの対外政策上の概念の革命というものが起こったというふうに見た方がいいだろうという気がいたします。それはやはりグローバルではなく、地域的な利益を定めて、その中で、東ヨーロッパや第三世界におきます社会主義志向国、親ソ国でありますが、そういう国をある意味でみずから解放することによって自分を解放することもできた、身軽になったソ連自分の利益をアジア・太平洋において、またヨーロッパにおいて、何が自分たちの長期的な利益なのかということを定めながら、ある意味で国益を純粋な形で追求していけるような、そういう国になっていくんだろうと。その意味では我々にとってむしろ手ごわい姿になっていくということを感じております。
  21. 前田哲男

    参考人前田哲男君) 私は、北方領土問題はソビエトにとって三つぐらい打開を難しくしている要因があると思います。一つは、ソビエトなりの法的権利の確信があると思います。これはヤルタの密約も絡んでくるでしょうし、もう一つは、やはりこれまであらゆる問題は解決済みと言い続けてきた行きがかり、三番目が軍事問題、戦略環境であろうと思います。  前二つに関しては随分やわらかくなってきたと思うんですが、三番目の軍事環境に関しては、先ほど一つ落としました局地紛争レベル、戦域レベルにおいてかなり大きな進展、ゴルバチョフタッチの進展は見られているんですが、戦略レベルにおいて提案はなされているけれども、これが実施に移されるような枠組みとか雰囲気がまだない。そしてその戦略レベルにおける対立の、あるいはわだかまりの一つの大きな地点がオホーツク海、カムチャツカ半島と千島列島によって太平洋から切り離されている内水、内水じゃありません、周海ですね、附属海であるわけで、やはりこの戦略レベル、特に海洋核のレベルにおける米ソの対立が続く限りあそこの島を日本に返すということは軍事的に見てかなりの犠牲を強いられるというふうに恐らくソビエトが判断する。軍事の運用者は間違いなく反対するだろうと思います。したがって、これを打開する方法米ソ間でもたらされるか、日ソ間でもたらされるか、あるいは別の枠組みでもたらされるか問いませんが、それがなされるならば大きく前進するであろうと思います。米ソ間で既にSTARTが終結段階に入っていますが、五〇%の戦略核、核弾頭の廃棄が決まって、しかしこれがどれほど海洋核に割り振られるか、今日の状況では見通しはかなり暗いと言わざるを得ない。そういう中で、日ソ間で何かやることがあるのではないか。例えば四つの島の返還の暁にもあそこは日米安保条約の適用区域とはしない、自衛隊の配備区域から外す、非武装化するという提案をすることも可能であろう。そういう形で軍事的な問題を外していけば話し合いの場は出てくるのではないかと、そう考えます。
  22. 中西一郎

    ○会長(中西一郎君) 速記をとめてください。    〔速記中止〕
  23. 中西一郎

    ○会長(中西一郎君) 速記を起こしてください。  質疑を続けます。
  24. 山田健一

    ○山田健一君 お三方の参考人の先生方、先ほどから大変貴重なお話をお伺いさせていただきましてありがとうございます。お礼を申し上げたいと思います。  何点か問題をお伺いしてみたいと思っておるものですから、できればひとつ簡潔にというわけにもいかぬでしょうが、できるだけ先生方の御意向も拝聴したいと思っておりますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。  まず最初に、先ほど秋野参考人の方から、例の、今のソ連の一連の改革の中で言ってみればアキレス腱といいますか、そういう状況の中で民族問題、これが指摘をされておりました。確かにいろんな動きが今出てきておりますが、アゼルバイジャン、アルメニア、こういったところと、バルト三国といいますか、ここら辺との状況というのは、ある意味では、質的にも若干様相が違うのではないかなというふうに私たちは見ているわけでございます。特にリトアニアあたりもああいう形で独立を宣言して、それは困った、待ったということで、今ソ連の方から経済制裁という形になっておりまして、独立ができるのはリトアニアぐらいじゃないかという判断を先ほどお示しになったわけでありますが、伊藤参考人前田参考人、このリトアニア問題を含めて、ここら辺の動向についてどのように認識をされておられるか。また、そこら辺の見通し等についてもお伺いをいたしたいと思います。
  25. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) お答えいたします。  このリトアニア問題というのは、ソ連の抱えている民族問題の一つでございまして、民族問題に関連した今後のソ連の動向ということは、短期的に見る場合と非常に長期的に見る場合とで申し上げる内容が違ってまいりますので、そこをはっきりさせて、申し上げていく必要があろうかと思います。  最初に、非常に長期的な見通しで申し上げますと、これは国内における政治すら一寸先はやみと言われるわけで、まして国際政治はノーボディーノーズでございますが、しかし一つの見方ということで申し上げますれば、私は、二十一世紀の前半、中葉くらいまでの間に、この地球上に残った最後の大帝国主義国家である――帝国主義という意味一つ民族が他民族を暴力によって支配する体制という意味で申し上げているわけでございますが、そういう帝国主義国家としてのソ連帝国というものが解体しているんじゃないか。その場合におきましては、単にバルト三国だけではなくて、コーカサス諸国、中央アジア諸国、ウクライナ等も含めて、独立しているか、あるいは形式的にはまだ独立していなくても実質的に、大英帝国のような非常に緩い形で連合しているにすぎない。そういう政治状況が、ユーラシア大陸の現在ソ連邦と呼ばれている地域に起こっている可能性がある、このように考えております。  しかし、短期的に今のリトアニアの問題を見ますと、最も独立可能性が高いと思われるリトアニアについてすらあのように非常に難しいプロセスをたどっているわけでございまして、私直感的には、ゴルバチョフ自身は国内政治における状況が許すのならリトアニア独立されてもしようがないと思っていると思います。と申しますのも、リトアニアが置かれている状況というのは、第二次大戦の前に衛星国化されたか後に衛星国化されたかの違いこそあれ、ほかのポーランドとかハンガリーとかいった東欧諸国と全く本質的には同じ状況に置かれているわけで、スターリンの鉄の意思によってソ連帝国の支配下に組み込まれたということでございますので、東欧諸国の独立を認めたソ連として、実態的にはバルト三国についてはソ連人としても同じように納得できる了解の基盤があるのだろうと思います。しかし、ソ連側が形式論に固執している限りにおいては、ソ連の国内問題という建前をとっておりますので、これは一線を越えるか越えないかで、実態を見ればポーランドあるいはハンガリーに対するブレジネフドクトリンを放棄したのと同じことをできるかできないかでありまして、それができないのは、ソ連国内の内政状況があるのではないか。ここで東欧諸国に続いてバルト三国についても安易に、国内における反対勢力から見て安易に手放す、独立させるということであると、ゴルバチョフ自身の国内における政権基盤が揺るぎかねない。こういう状況の中で、国内国外両方をにらみながら綱渡りをしているのがゴルバチョフの現在の対リトアニア政策であって、フリーハンドを得たならば、私は彼はリトアニアについてはメンツの立つ形での実質的独立の許容という方向に進むのではないか。そしてまた現実にも、私は、リトアニア国民がありとあらゆる経済制裁そのほかの苦難に耐え抜いて独立を目指す意思の強さをロシア人及び世界に対して証明するならば、必ず独立という成果をもって報われるのではないか、リトアニアについてはかように考えております。  そして、一たんリトアニア独立いたしますと、そのほかの諸共和国における民族問題というのも新しい次元を画するのではないか。ただ、簡単にそれに続いて次々とこれらの諸国が独立していってソ連邦が解体するということにはならないと思いますが、基本的な大きな流れとしては、地球上に残った最後の巨大帝国においても、他民族が別の民族をその意思、希望に反して力によって屈服させ続けるという体制が永続しないことは言えるのではないかと思います。
  26. 前田哲男

    参考人前田哲男君) 私はアジア・太平洋屋ですので、リトアニア情勢については余り詳しくないんですが、短期的に見ますと予測不能の事態が起こりかねないような状況に入っておりますのでちょっと見通しを申すのは難しいんですが、中長期的には独立の方向に向かっていくだろう。新しいソビエトと連邦共和国関係がここらあたりから始まるのではないか。ソビエトの最高会議独立に関する規定を今回定めましたし、つまり合法的に離脱する道筋ができたわけでありますし、それからリトアニアの方も、エネルギー、工業原料を初めとしてソビエトに依存するというどうしようもない体質をこれからも抱えていかなければならないわけで、いわば相互依存的な関係ができるだろう。もう一つ大きく見ますと、ソビエトは、クレムリンは、リトアニアという問題にかまける余り大きなデタントをつぶす、そのバランスの感覚をどこかで取り戻すに違いない。つまり、対ヨーロッパ、対アメリカのデタントという果実を得るために、木をそんなに大きくひどく揺さぶらないだろうという感じがします。その意味で中期的長期的には新しい関係が結ばれていくのではないかというふうに考えます。
  27. 山田健一

    ○山田健一君 それで、先ほどもちょっとドイツの問題が出ておりましたが、やはり統一ドイツがどうなっていくのかが国際情勢をこれから左右する一つの大きな問題だろうというふうに私たちも見ております。統一に当たって何点か課題も現実にあるわけでありまして、通貨の問題、あるいはまたポーランドとの国境の問題、いろいろ出ておりますが、何よりも今、私たちもやはり大きな関心を持っておりますが、冷戦構造が終結に向かっておるという状況の中で、いわゆる統一後のドイツの軍事ブロックの関係といいますか、NATOに入るのかそれともソ連の言うように中立、あるいはNATO、WTO同時加盟というようなこともいろいろ言っておりますが、せめぎ合いが当然今続いておる状況だろうというふうに思いますけれども、ここら辺の動向がやはりこれからのヨーロッパでの冷戦を本当に確定的なものにしていくのかどうなのかという意味一つの非常に注目をされるところだろうというふうに思っております。そこら辺の点について、秋野参考人伊藤参考人、お二方にお伺いをいたしたいと思います。
  28. 秋野豊

    参考人秋野豊君) ドイツがこれから中立化するという可能性はもうほとんどないだろうというふうに私は考えております。東ヨーロッパソ連が非常に強く支配しておりました、コントロールしておりましたときには、それは可能であったかもわかりません。しかし、今となってはもうそのような可能性はほとんどないだろうと思います。  また、ドイツと日本ということに関しましてはいろいろな共通点があるように思います。この冷戦ヨーロッパにおきます終了、世界におきます終了ということを考えますと、ある意味で、勝者だったのはアメリカではなく日本であり西ドイツだったのかもしれないという気がいたします。しかし、国というものも人間というものも案外もろい、弱いものでありまして、ある時代に成功いたしますとその時代になれてしまいまして、違う時代が来るとどうしてもそれにうまく適応できないというところがあるかと思います。日本については極めてそういう可能性があるだろうという気がいたします。この冷戦構造の中で最もみずからをうまく適合した国でありますので、新しい時代に移ったときになかなかうまく適応していけないというところがあるだろうと思います。しかし、西ドイツに関しましては、今ヨーロッパの時代というものがドイツを中心に動いております。まさにそれが新しい時代を体現しているかと思われます。その意味では、西ドイツはよもやその新しい時代の精神、本質というものを逃がさないだろうと思います。我々は非常にその点を心すべきではないかというふうに考えております。  第二点目の問題は、やはりボンから見たドイツというもの、またボンから見たヨーロッパというもの、イメージ、またそういうものとベルリンから見たヨーロッパまたベルリンから見た世界というものは相当違うだろうということであります。御承知のとおり、アングロサクソンとロシアというものがこれまでずっと対立を、十七世紀においても十八世紀においても十九世紀においても続けておりました。それは二つの非常に強い力でありました。しかし、奇妙なことに、その二つが対立しているときには、対立の中にある意味でのマイルドさというものがあります。しかし、そこに一たんドイツ民族というものが割って入ってきますと、それはヨーロッパで起こった事件がすべて世界戦争になってしまいます。第一次大戦にしてもそうです。第二次大戦にしてもそうでございます。そういうような非常に性格的に厳しい対立を持ち込む、そういう傾向が今のところドイツにはあります。  今起こっておりますことは、冷戦が終了する、米ソの力が少しずつ引いていく、アングロサクソンとロシアの力が引いていく、それとともにドイツがまた出てくる。同じような歴史が繰り返すとは限りませんが、少なくともそのような厳しさが出てくる可能性はあるのではないかということを感じております。その意味では、何としましても、西ドイツをこれまでのベルサイユ体制のように処罰し、それをたたき抜くのではなく、西側が第二次大戦後に、西ドイツのあの部分こそがヨーロッパの命であるということから西側に受け入れてきた、そういうものが実は冷戦体制でありますが、これがどうしても崩れてしまう。その意味では非常に違う時代がやってきているということが言えると思います。その中で、やはりドイツを中立させるということは少なくともいい方向ではない。これまでどおり西側にくくりつけるということが必要であろうかと思います。  第三番目の点といたしましては、このドイツの統一をめぐりまして相当ドイツ経済的に無理をしなければならない。その中から、ドイツ経済が失速するかもわからない。西ドイツ世界経済の機関車であってきたということからするならば、これは日本として何かすべきことがあるとするならば、それなりに決断することも必要かもしれないという気がいたします。  いずれにしても私が申し上げたいことは、今、人々の心の中に、時代がはっきり変わってきているということであります。例えばチェコのハベル大統領が着任しまして、一番最初に西ドイツを訪問いたしました、そのときに、一九四五年から六年にかけましてチェコの中にいましたドイツ人を強制送還、強制移住させております、いわば排除しております。そのときに非常に多くのドイツ人の死亡者を出し、非常に残酷なものであったということが言われておりますが、それに対する陳謝をしております。これを、陳謝する必要がないということで相当意見が出ておりますが、ハベル自身はそれをしなければならないということを非常に強く感じ、ある意味で確信犯的にそれをいたしました。また、先ほど申しましたように、ソ連のキリチェンコという日本の研究者が、やっぱり第二次大戦の日本人の捕虜の問題で、我々は誤ったことをしたので謝る必要があるということを言っております。また同様にソ連ジャーナリストが、ドイツ人に対しても同じようなことを我々はしたんだ、これはやはり謝る必要がある問題であるということを言っております。それから、東ドイツで最近、ソ連がっくりました強制収容所からおびただしい数の死体が発見されており、これを発表しております。それから、カチンという事件で、つまり本当はKGBが、NKVDでありますが、一九四〇年に大量の、一万五千ほどのポーランドの予備役将校を虐殺した事件がありますが、これはこれまでずっとドイツがやったということを言い張ってきております。これはソ連にとっては例えて言いますと北方領土問題以上に重要な問題であります。これをずっとドイツ人がやったということを言ってきましたが、つい最近、実はこれはうちがやったんだということを認めております。  つまり、これらのことはすべて第二次大戦にかかわることであり、もうこの時代が終わったということを明確に、これらの私の申し上げた四つ、五つのことは示しております。つまり、どうも世界は新しい、少なくとも我々の心は新しい時代の中に入っていくということで動いているような気がいたします。そういう新しい中でドイツ問題を見ていかなければならないのではないかというふうに考えております。
  29. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) お答えいたします。  ドイツ歴史というものを見ておりますと、一八七〇年、ドイツ民族が統一して欧州の中心部に卓越した大国として登場し、しかも非常に自尊心、愛国心、ナショナリズムが強い、そういうことでドイツ国民運動というものが、プロシアによる上からの統一と並行して下からの統一ということでドイツ民族というものを統一に結集し、結集した後は今度は近隣諸国に対する優越感、さらには世界支配へと駆り立てていった歴史というのは二度の世界大戦によって示されているとおりなわけでございまして、今またドイツが統一するに当たって、ヨーロッパ諸国がまさに最大の問題意識として抱いているのは、ドイツに三たび同じ過ちをさせないためには、つまり、ドイツの力を軍事的な脅威に成長させないためにはどうしたらよいか、どういう枠組みをつくったらよいかということでございまして、そういう点から統一ドイツ問題というものがヨーロッパを揺るがす問題になっているんだろうと思います。  そして、この場合四つほど案が出てきているのじゃないかと思うわけでございますが、一つは、米英仏など西側諸国によって主張され、コール首相の率いるCDU、キリスト教民主同盟が主張していることでございますが、統一ドイツはNATOに加盟するという案でございます。そして、現在東独と呼ばれている地域については、NATO軍、西側軍は進駐しない。場合によってはそこに一定期間ソ連軍駐留しても構わない。しかし、基本的にNATOという枠内に統一ドイツを封じ込めることによってドイツの暴走をチェックしようという案でございます。これが現実的には一番有力な案として登場しておりまして、多分その方向に進むのではないかと思われているわけであります。  これに対しまして、どういうものかソ連が異を唱えている。ソ連は、統一ドイツはNATO、WTO、ワルシャワ条約機構ですね、いずれにも加盟せず中立であるべきだということを言っているわけでございますが、実はこれは一九五二年に、西ドイツが英米仏などとドイツ条約を結んで西側の一国としてひとり立ちしたときにそれを妨げようとして当時のソ連が西ドイツに直接呼びかけたアピールでもあり、当時ソ連は、西ドイツが中立の道を歩めば統一を認めるというようなことを西ドイツに直接言ったわけでありますが、これを振り切って西ドイツは米英仏とのドイツ条約に署名したわけでございます。そして、この中立という考えについては、西ドイツ国内ではSPD、社会民主党がそれを主張しているわけでございます。ソ連が中立を求めるというのは、依然として東西対立的な思考法の後遺症というか、その痕跡を引いていて、統一する以上西側東側どちらかに加わるという、つまりそれによって他方に損害を与えるということであってはならないというゼロサム的な発想から出ているわけでございますが、どうもSPDの中立論というのも、そういった冷戦の中におけるドイツの中立という発想と同時に、しかし、ドイツ民族主義的な感情もまた強く反映していると見られるところに特色があるわけでございます。  それによってもわかるとおり、中立ドイツというのがNATOによってもワルシャワ条約機構によっても拘束されず、全く自由な存在として存在するということになりますと、中立ドイツというのはその持つ力のいかんによりましては、現在七十万に上る軍事力を持っているわけでございますが、そういう軍事力がかつてのドイツ第二帝国、第三帝国のドイツの道を歩む可能性を恐れる声が出ているわけであります。  しかしソ連としても、そういうドイツの登場ということは実は内心、本音では恐れているわけでありまして、したがいましてソ連によるドイツ中立論というのはどうも本音ではなくて駆け引きではないか、ソ連の本音は別のところにあるのではないかということはかねてから言われていたところでありまして、それを見越して西側は統一ドイツのNATO加盟を強く主張して、いずれソ連も合意してくるさと言っているわけでございますが、果たして最近に至りましては、中立ではなくて、この中立というのはワルシャワ条約機構ソ連の同盟国、ハンガリー、ポーランド等々からも反対されている案でございますが、そういう中で統一ドイツはNATOとWTOに同時に加盟すべきであるという同時加盟論を、第三のオプションでございますが、言い出してきているという状況でございます。しかし、この同時加盟というのは現実には機能するはずのないことでございまして、これもまた本音はいずこかに隠したままのバーゲニングのチップであろうというのが大方の見るところでございます。  そういう中で、他方、本年末に開催されますCSCE、いわゆる欧州安全保障協力会議の大きな枠の下でドイツを封じ込めるというのはどうかという案もまた出てきているわけでございます。しかし、CSCEというのは何らの常設的な事務局もなく、一人の事務局員もいない、全く紙の上の存在の組織にすぎませんので、そこにドイツの封じ込めを期待することには本質的な無理があるということは識者によっても指摘されているところでございます。こう考えてみますと、このドイツの、軍事ブロックのどこに所属するか、どういうふうに安全保障の枠組みをつくるかという問題は、結局いわゆるツー・プラス・フォー方式で、両独プラス米ソ英仏、この六カ国によって決定されるわけでございますが、その場において決定が近づけば近づくほど、要するにソ連の本音がどこにあるのかということによって落ちつくところへ落ちついていくのではないかと思われるわけでございます。  ソ連の本音はどこにあるのか、これはまことに憶測する以外にないわけでございますが、私が見ますには、御承知のとおり、昨年末米ソはその在欧戦力をそれぞれ十九万五千人に削減することについて合意したわけでございます。アメリカはこのほかに三万人ほどイギリスとかギリシャ、イタリアなどにも駐留をさせるということでございますが、基本的にはヨーロッパ中央部にお互い十九万五千人、しかも一たんそう決めますと、これは上限ということでございますが、私はドイツが統一いたしますと、ソ連といたしましてこの十九万五千人を置く場所は、ポーランドに数万人置くとして、大部分ドイツ以外置くところがないわけで、ハンガリーにしろチェコにしろソ連軍の全面撤退を求めて交渉している状況でございます。そういう中で、ソ連は果たしてそれでは十九万五千人なり十八万人なり十七万人をその統一ドイツに引き続き駐留をさせるのかといいますと、私はこれは不可能ではないか。と申しますのは、一つには、ソ連にとりましてドイツに軍隊を維持することの目的というかメリットというものが、こういうワルシャワ条約機構の解体した状況下において、今までのような意味での目的やメリットがなくなるということが一つと、もう一つ経済的に統一ドイツに十九万人も置いておきますと、彼らを基地に生活させて維持するだけでも莫大な外貨が要るわけで、電気もガソリンも食糧も、ソ連から直接持ってこれるものを別とすればいずれも膨大な金額になるわけで、ソ連が何のためにそんな金を使って東独に十九万五千人も置いておくかという問題が出てくるわけで、私は、ドイツが統一すると早晩ドイツからもソ連軍は撤退せざるを得なくなる、これは火を見るより明らかであります。そのような状況下でソ連としては在欧米軍の撤退ということをねらっているのではないか、それがソ連の本心ではないかという気がするわけです。  また、アメリカとしても、現実問題として十九万五千人の枠に一たん合意してしまった以上、これを超える在欧米軍の維持が問題外であることはもちろんのこと、米議会の動向を見ますと、むしろそれは上限であってもっと削減せよという声がどんどん高まっている状況でありまして、ソ連としてそのような期待をアメリカに持つことは非現実的なことではない状況になっているわけで、これから年末のCSCEにかけてのプロセスの中でそういったソ連の本音がだんだんと出てきて、最終的な結論としてNATO加盟ということで落ちついていくのではないか、そのように見ておりますが、他面、アメリカが在欧米軍を完全に引き揚げるということは、ソ連から見たときのアメリカの脅威というものが遠ざかり、ソ連なりのヨーロッパに対する影響力を増すという面はございますが、しかしドイツを封じ込めるという観点からいいますと、アメリカ軍が完全にヨーロッパから姿を消すということが果たしてよいことなのかどうなのか。アメリカ、フランスなど西ヨーロッパ諸国はそういう問題意識で在欧米軍の撤退問題を見るようになってきておりますので、その動きの中でソ連もまたどのように考えていくのか。ドイツ統一の最終的形式というのはこれから年末にかけていろいろな思惑をはらみながら虚々実々の交渉の中でその姿をあらわしてくるのではないか。現状では何人も具体的な最終的な姿を完全に予測できないという状況だろうと思います。
  30. 山田健一

    ○山田健一君 前田参考人にお伺いをしたいと思いますが、ソ連の言ってみればアジア政策、とりわけ朝鮮半島にかかわる部分でありますが、先ほどもありましたように、ソ連と韓国との年内国交樹立の合意、こんな問題も出ていますし、先般は、これはソ連がいわゆる仲立ちという形になったのかどうなのかわかりませんが、南北でハバロフスクで合弁の事業をやるというような発表が出されて、まあ私たちとすれば、こういったことを契機にしながら南北の対話が進んでいくということを大いに期待をいたしておるわけでありますが、先ほど秋野参考人の方から、朝鮮半島は言ってみればルーマニア的な一つの揺り戻しといいますか、大きな憂慮すべき状況を抱え込んでおるという見通しが出されておりましたが、ここら辺の朝鮮半島に対するソ連外交政策を含めて、この半島の状況がこれからどう推移をしていくというふうに見ておられるのか、その点が一つ。  それからもう一つは、中ソの関係、先ほど国境の問題もかなり軍隊からKGBに置きかえられてきておるというような話も御指摘になっておられましたし、去年のゴルバチョフ・鄧小平会談以降いろいろ関係改善というようなことも言われておりまして、何か近いところまた李鵬首相がソ連に行くというようなことで、イデオロギー的な対立は残しながらもいろんな関係動き出していくのかなと、こういうような気がいたしておるんですが、そこら辺の見通しについてお伺いできればと思います。
  31. 前田哲男

    参考人前田哲男君) どちらも大変複雑かつ難しい問題でありまして、私ごとき、とても十分意を尽くした御説明ができる自信はございませんが、昨年末極東に参りまして、ウラジオストク、ハバロフスク、ナホトカを訪れたんですが、そこで驚きましたのは、やはりソビエト当局の韓国に対する実に熱心なプロポーズです。私たちは、ウラジオでジャーナリスト・サミットというものが開かれまして、そこに韓国の記者も参加したんです。韓国、アメリカ、フランス、西ドイツ中国も参加したんですが、ソビエト側の態度を見てみますと、やはり韓国との接近ですね意思決定機関、キーパースンはだれなのかということも含めて実に熱心に接触しておりました。これは一つは、ナホトカが経済特区としてことしの夏から新しい方向に踏み出すのだけれど、肝心の日本が全く乗ってきてくれていない。インフラストラクチャーは整備し終えたのだがまだ入ってくる工業団地を含めて具体的に決めかねている、それを韓国に期待するという意欲が極めてありありと見えていまして驚いたんですが、その後進行している状況を見ましても、モスクワ―ソウル―上海空路もそうですし、いろんな形で貿易額がふえているようです。これはある意味では日本との関係改善が政経不可分という日本側の方針によって劇的な進展が、領土問題を通過しないと劇的な進展が得られないということで、ゴルバチョフ訪日までは日ソ間の経済交流が進まない。その間韓国との経済関係の改善を進めるというふうにソビエトが位置づけを変えたのかもしれない。それほど熱心な接触ぶりでありました。  問題となるのは、御指摘のようにそのような韓ソ関係が国交樹立を含んで経済みつ月時代を迎えてきますと、ソ朝関係にどうはね返っていくかということであろうと思います。目下のところ北朝鮮がこれに対して論評したり公式に見解を明らかにしておりませんけれども、不快であるということはもう間違いなく読み取れるわけでして、これからどういう形の対応が出てくるか見守らなければならないと思います。中国側からの情報ですと、北朝鮮もやはり自国の経済不振を打開するために中国との間に経済特区を国境地帯に設けるということに関してはもう合意を見て近く進行する。これは中国関係者が申しておりましたし、従来の重工業唯一路線を改めて軽工業を少し振興させることについて中国と話し合いを始めているというようなことも聞きました。ですから北朝鮮内部で、徐々にではあるけれども、やはり現実の国際情勢に対する認識とそれに対応する動きが始まっている可能性もあると思います。ただ、金日成父子による極めてかたい権力構造は、これは維持したままでの開放政策になることは間違いありませんので、どの程度それが民衆の経済、消費生活向上に結びついていくかまだわからない面が大いにある。同時に、やはり韓ソ関係が成熟段階まで進んでいきますと、そこで朝ソ関係が緊張をはらむということも見ておかなければならないと思います。  そこで第二の御質問との関連で、中ソ関係中国がそこにおいて善意の仲介者になったりする可能性があるのか。今回の李鵬の訪ソを注目してみたいと思うんですが、本来ですと、昨年ゴルバチョフが党を代表して中国を訪問しましたから、江沢民によって答礼がなされるのが外交上の常道であろうと思うんですが、李鵬首相が国家を代表して行くというそのやり方が何を意味するのか。それと、中国がペレストロイカを全く評価しておりませんし、東欧における改革に関しても否定的な見解しかしていない。そのような中ソ関係の新しい緊張をはらんだ中で李鵬首相がソビエトを訪問するということは、イデオロギー対立までは進行させずに国家関係は維持していく、経済関係は維持していくというあかしなのかもしれない。  これも私の狭い知見ですが、ナホトカに行きましたときに、ナホトカの工業団地のための住宅をつくる工事現場に中国の労働者が働いておりまして、私が行ったところでは七百人働いておりました。全員黒龍江省と吉林省から来て、半年の契約で働いているということなんですが、中ソ間の国境貿易、辺境貿易と称しておりますが、これは通貨を媒介としないバーター貿易でありますので、スイス・フランで名目的に決済されるんですが、ここ一、二年急速に伸びているんですね。もっと以前から伸びていますが、ここ一、二年さらに急速に伸びている。そういう事実を考えますと、中ソの対立がこれ以上進行するということは多分ないであろう。中国がペレストロイカを認めたり東欧の改革を認めるということはあり得ないにしても、それを現実以上に、つまりイデオロギー対立までエスカレートすることは避けつつ経済関係を維持していくだろうというふうに思います。  中ソ国境地帯における軍隊の引き離しに関しては、アムール川の川中島の帰属がまだ最終的に幾つか決まっておりません。これはハバロフスクの沖合にへイシャーズ、かなり大きな島がありまして、ここにはソビエトのちょうど日本の北方領土と同じように定住した人たちがいて、条約の解釈上中国側に属するんだけれども、それを返還する現実的な困難さがあるということで、まだ帰属が最終的に決まっていない問題があって、そういったこともひっかかって、全面的な、ゴルバチョフ書記長がウラジオストク演説で約束した、打ち出した通常のアメリカとカナダのような国境地帯にするというようにはなっておりませんが、しかし先ほども申しましたように、軍隊からKGBへ、重武装から軽武装へということは着々進んでいる。中国の方も百万人兵力削減のかなりの部分を国境からの軍隊抽出によって行いましたし、公安警察にほとんどの国境地帯がもう任されている。そういう状態もありますので、ルーマニア現象に至るかどうかというのはこれは北朝鮮の権力構造の評価いかんでありますが、大きな周囲を取り巻く環境からいきますと、中ソ、中朝の緩衝的なバッファーゾーンといいますか、仲介を期待していい状況が生まれつつあるのではないかと私は思います。それがこれから少しずつ出てくるのではないかと感じております。
  32. 山田健一

    ○山田健一君 最後になりますが、もう時間が来ていますのでよろしくお願い申し上げたいんですが、三人の参考人の方から政府に対して外交政策上の要望というものがあればお伺いをしたいと思っております。  とりわけ、先ほどお話がありましたように、例の北方領土問題、この問題についていろいろ一連の動きが出てきておることも事実でありますし、最大の懸案であった、ソ連側も去年のヤコブレフ政治局員の発言、あるいはまたことしの安倍訪ソによって八項目提案、そしてまた択捉への墓参の見通しというようなことが出てきておる中で、ソ連の方も、言ってみれば日米安保条約があっても日ソの平和条約は締結できる、こういう見方をしてきておるわけであります。ということは、一九五六年の時点に認識が立っておるということになれば、おのずから、当時は日ソ平和条約を締結すれば二島返還、こういう前提であのときはきておったというふうに思います。ただ、先ほど前田参考人からもお話がありましたように、いろいろ法的な部分でも例のヤルタの密約等々あるので、私個人とすれば日ソ間でというよりもむしろあの時代の歴史的な背景を考えるならば、日米ソ、ここらがやっぱり相談をしなければいけない問題が残っているんじゃないか。サンフランシスコ条約等についてもいろいろ問題が指摘をされているわけでありますから。ではないかなというふうに個人的には思っておりますが、いずれにしても、一つの大きな流れ、そしてまたゴルバチョフ大統領の訪日という状況の中で、言ってみれば日ソ平和条約の一つの締結に向けての大きな動きをつくり出していくべきではないかなという気も一方でいたしておりますし、言ってみれば四島一括返還、政経不可分、これを基本的にずっと持ち続ける限り、なかなか話といいますか、妥協は困難ではないかな。ある意味では政治的な一つの妥協といいますか、判断もなされるべきではないかなというふうに思っておるのでありますが、この北方領土返還問題をめぐって、三人の参考人方々から政府に対して一つの要望なりそういうものがありましたらお伺いをいたしたいと思います。
  33. 中西一郎

    ○会長(中西一郎君) 甚だ恐縮なんですが、山田君の持ち時間はあと五分しかございません。お三方、それぞれ適当にお願いいたします。
  34. 秋野豊

    参考人秋野豊君) では、三点ほど指摘させていただきたいと思います。  まず、ベトナム。インドシナでありますが、これについては日本は動くべきであるというふうに私は考えております。残されております社会主義国の中でも、ベトナムについては今マネージできる、一番動かしやすいところだろうと思います。今援助すればベトナムは、インドシナの情勢は、積極的な方向に動かすことができるというふうに考えております。アメリカはベトナム戦争のしこりがありますので動けないと思いますが、日本はこの際動いていいのではないかというふうに強く感じております。  二番目は、やはり何と申しましても朝鮮半島では極めて不透明でありまして、爆発的なことが起こる可能性がある。その意味では、そういう認識がアメリカにおきましてもソ連におきましても中国におきましてもかなり強く出ておりますので、この辺で日本が音頭をとってこれに関する危機管理のフォーラムその他をつくるべきであるというふうに考えております。  最後に三番目でありますが、やはり最近のソ連の朝鮮半島政策を見てまいりますと、本質的には北朝鮮向けから韓国向けに移ったと言ってもいいほどの大きな質的な変換があるだろうというふうに考えております。先ほど御指摘がありましたように、それは日本をシベリア開発、極東開発に引き出すための一つの手であるということも言えますが、伊藤参考人も先ほど述べておられましたが、やはりアジア冷戦ということで残っておるのはこの二つの問題であります。朝鮮半島の問題であり、北方四島の問題であります。日本に対して北方四島で今すぐ譲歩することができない、そういうことはソ連にとって明らかであります。その際に何かしておくことがあるのか。それは朝鮮半島の問題だろうと思います。ソ連が韓国と国交を結べば、それは日本に対して非常に大きな説得材料になる。ソ連はやる気はある。だから朝鮮半島ではそれをあえてやった。北方四島については物理的に非常に難しい。しかし、意図ははっきりしているということで、非常に大きな説得力を持ってくる可能性があるのではないかと思われます。今後のソ連の日本に対する政策は、北方四島に対して本当に四島一括返還を国民が総意として持ち続けるのかどうか、それを試すためにいろんなくせ球を投げてきて議論を起こさせるだろうと思います。その議論の終結次第で彼らが新しい政策を出してくる、今はそういう時期だろうと思います。  一つのくせ球としては、私の考えておりますのは、ゴルバチョフがもしかすると北方四島の五〇%の領土の分割というものを言ってくるのではないかとも考えております。四島返還ではなく二島返還ならば、これは日本にとって問題外でありますが、五〇%ということならば、歯舞、色丹、国後、択捉の一部まで入っております。また、もっとこれが日本国内に議論を起こさせるいい点といたしましては、譲歩をいたしますときに、こういう五〇%というようなはっきり切ったような譲歩でなければ、譲歩したところから交渉が始まりますので、ソ連側はなかなか譲歩ができない、日本側も踏み出せないということで膠着状態が続いておりますが、この五〇%であるならば、国際法論議ではもうできない、だから領土で五〇%を割ろう、日本が嫌ならば引っ込めると、またもとに戻れるわけでありますからかなり気楽に出せる。それをしたときに日本が世論を保つことができるのか、そこら辺が問題になってくるのではないかというふうに考えております。
  35. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) 余り持ち時間がございませんので、政策提言ということでございましたので、たまたま私ども日本国際フォーラムの仲間で北東アジア安全保障あるいはそれとかかわりのある日米協力問題につきまして、昨年の三月末、ことしの四月、政策提言を作成いたしましたので、お手元にお配りしてございますのでお目をお通しいただければと思いますが、そのような提言をしたいと考えております。  それから一つだけ、日ソ関係、北方領土問題が中心でございますが、これにつきまして一言申し上げますと、私の前に前田参考人から法的問題、それからこれまで主張してきた行きがかり、それから軍事戦略的価値という三点を挙げられて非常に難しいという御指摘があったわけでございますが、私は、ソ連の場合は、政治的決断が出ますと今申し上げたような問題はいずれもほとんど問題にならないのじゃないか。法的問題につきましては、もともとヤルタ協定というのはちょうど、かつてポーランド分割というのをプロシアとオーストリアとロシアが三回やったことがございますけれども、ポーランド不在でポーランドを分割したところで、それがポーランドに拘束力を持たないことは世界じゅうだれでも、当事者を含めて知っていたところでございまして、ヤルタについてそれが何らの効力もないことはソ連側もよく知っていることで、これは返さないための言いがかりとして言っているにすぎないことで、彼らが真剣に法律的に根拠があると思っているものでないということは私どもそう考えていてよろしいのではないかと思います。  それから、一たん言ってきたことをなかなか変えないということでございますが、これは私、ソ連問題につきましては過去三十数年研究しておりますし、ソ連にも三年ほどおりましたが、これは「大国と戦略」という私の本の中で、「ロシア=ソ連の戦略―その思想と行動」ということで百七ページ以下に詳述しているところでございますが、単に私どもの外交経験だけではなくてモスクワに駐在しソ連と交渉したことのある列国の大使たちがいずれも、例えば「ウィリアム・ヘイター元駐ソ英大使は「ソ連外交官たちの真実や首尾一貫性に対するこだわりのなさ」」というものに驚きを表明しておりますし、「チャールズ・ボーレン元駐ソ米大使も「モスクワのひとびとときたら、一貫した立場を貫くなんてことに、まったく気をつかわないんだから。連中は、毎日が終わると、発言記録のほうも封をしてしまう」、いろいろな証言紹介してございますが、あっけらかんとこちらがあきれるぐらい今まで言ってきたことの釈明、言いわけなど全くせずに、損得のつじつまさえ合えば全く正反対のことに平気で署名するというロシア外交の特色がございます。  それから、軍事戦略的価値でございますが、これこそまさに前田参考人も御指摘ありましたように、デタント的な状況が進展しております。それからオホーツク海の戦略的重要性というのは、現在中心となっておりますデルタ型の原子力潜水艦SSBNがタイフーン型に大型化してまいりますと、射程距離の関係からいって何もオホーツク海に隠れている必要はなく日本海に隠れていればよいということで、また日本海の方が結氷もせず深度も深いわけでございまして、日本海に移動する可能性は大いにあるわけでございます。そういった展望の中で私はむしろ軍事戦略的価値というものは急速に減っていっていると考えております。  そういう中でソ連という国は、最終的にはこれは条理、法理からいって返す必要があるかどうかという観点からのアプローチはしない国民でございます。法の支配というもの、私、ゴルバチョフがプラグマチストであるということに関連して御指摘いたしましたように、法の支配的なアプローチはいたしませんが、力の支配からの観点のアプローチはこれは本能的に行う国民でございまして、損得計算から、返した方が有利であると判断すればこれは翌日にも返してくる、そういうことではないかと思います。この観点で最近の日ソ関係を見ますと、ゴルバチョフ政権になりましてから形式的な面ではいろいろな変化が出ております。いわば日ソ歩み寄りの芽が出ていると言ってよいかもしれません。その最も典型的な例は、とにかくこれまで話し合いを拒否していた平和条約について交渉に応じ、平和条約の中で日ソの打開点を見出そうとしていることでございます。しかし実質問題になると、依然としてゴルバチョフ政権下のソ連の対日政策はそれ以前のいかなる政権のそれとも全く変化が出ておりません。と申しますのは、この中でソ連側が手に入れようとねらっているのはあくまでも日本の経済協力でございまして、これに対して、日本側が解決の前提条件としております領土問題については、依然として一歩も譲るつもりはないということを明言しておるわけでございます。過去も現在も将来も、何の立場の変化もないということをソ連の外務次官ロガチョフが明言しているわけでございます。しかし、とは申せゴルバチョフ自身が、最近の自民党の安倍晋太郎さんの訪ソの際、全体の変化の中の部分として解決していきたいというような表現を使っておりますが、いわば両者が極めてデリケートかつ微妙なせめぎ合いの段階に入ってきているということだろうと思います。  そういう中で、どちらかといえば解決を急がなければならない、タイムリミットに追われているというのはソ連でございまして、こういうときに日本側として、もちろん冷淡な態度をとったり話し合いをわざと拒否したりなどすることは愚かでありますが、何か日本側もタイムリミットに追われているかのごとき錯覚に陥って、日本側からなすべきでない決定的な妥協というか譲歩というか、それはソ連が最も欲しがっているものを最初に差し出すということでございますが、経済協力を、政経不可分の方針を放棄して踏み込んでいくということでございますが、そのようなアプローチを戒めながらこのデリケートなせめぎ合いの中でソ連側の対日理解を深めていくということしか私は解決の出口はないんじゃないか。ソ連側が北方領土問題を解決せずに日ソ関係を何とか軌道に乗せたいと考えているようであるけれども、それは不可能なことなのであるということをソ連側にどうしてわかってもらうか、そのための非常に貴重なせめぎ合いの正念場にかかっていると考えます。
  36. 前田哲男

    参考人前田哲男君) 領土問題の解決がなければ日ソ関係の正常化はあり得ないという立場を堅持するにしても、それがなされなければあらゆる日ソ関係が進捗しないという立場に固執すべきでないと思います。今、客観的な情勢を見ても日ソ間の雰囲気を見ても、極めていい立場にあるわけですから、入り口に大きな日ソ関係という岩を見て、それが除かれない限り道はつくれないというふうにしてしまうと、かなり硬直した日ソ関係にょってしまうのではないか。そうではない、もちろん領土要求をおろすとかいうこととは全然別に、もっとパイプを多様化し、別の形で設定することも必要なのではないかと思います。  その一つが信頼醸成措置、これはそのまま軍縮ではないわけで、軍事関係の透明度を上げるといつことにすぎません。ハードウエア、ソフトウエア、別にその面で軍縮をする必要はないわけですが、しかし、透明度を高くし通風をよくすることによって要らざる誤信、誤解、疑心暗鬼を払拭すという効果を持つわけですから、信頼醸成措置日ソ間につけていくことがまず必要な時期であろうと思います。  ヨーロッパの場合を見ますと、一九七五年にへルシンキにおける全欧安保協力会議が初めて信頼醸成のほかに環境、人権を立てましたが、軍縮及び信頼醸成の項目をつくりました。最初の信頼醸成措置の足がかりは、国境から二百五十キロ離れた地点において、二万五千人以上の軍隊が演習を行う場合において、二十一日以内に通告する。要求があればオブザーバーを交換するというものでした。これが八三年のマドリード、八六年のストックホルムというCSCEの進展の中で着実に膨らんでいって、今日ではウラルから大西洋までどこの地点における演習でも、一万三千人以上であれば、戦車を三百台動員する演習であれば通告の義務を四十二日、六週間以内に要する。三十六時間以内の抜き打ちの検証要求にも応じなければならない。疑惑があったときは現場査察を受け入れなければならない。極めて想定敵に対する奇襲の効果を持つような演習をもう実際上行い得ないようなところになってきている。  そういうヨーロッパにおける十五年間にわたる信頼醸成の経過を見てまいりますと、かなりおくれているわけですが、しかし、雰囲気が盛り上がった今日、日ソ間に信頼醸成の話し合いを行う好機、そこから始めていくべきであろうというふうに考えます。
  37. 山田健一

    ○山田健一君 ありがとうございました。
  38. 黒柳明

    ○黒柳明君 公明党の黒柳でございます。  お三方とも本日は長い間ありがとうございました。我が党になりますと時間の制限が非常にありまして、私、自分の時間を割愛しまして、短く話をさせていただきます。  二問、同じ問題を三先生にお伺いしたいと思いますが、一問は、御案内のように、日本政府は現状に至りましても、ソ連は日本に対しての潜在的脅威であると、こう述べておりますが、三先生は果たして潜在的脅威とお考えなのか、そうではないとお考えなのか。その理由はどうなのか。  第二点目は、来年ゴルバチョフ大統領が訪日いたしますが、それまで一年あるいは一年余あるかと思いますが、日本がやるべきことは何かありますでしょうか。もしありましたら、何をやったらいいのかお教えいただきたいと思います。よろしくお願いします。
  39. 秋野豊

    参考人秋野豊君) 潜在的な脅威があるかどうかということでありますが、ここにつきましては日本とアメリカの間で相当見解の差が出始めているところだろ」つと思います。アメリカ側は最近、余りアジアにおいてはソ連の脅威はないというような立場が、傾向が強くなっております。それに対しまして日本はまだまだそれを認めたがらないというところがあります。それは地理的な近さ、そういうものから非常に由来するものであるというふうに思われます。  潜在的な脅威があるのかないのかということになりますと、意図としてはほとんどないというふうに考えていいだろうと思います。今まで日本に対して脅威があるとするならば、それはグローバルな戦争が起こり、それの波及が起こって戦争が起こるという解釈だろうと思いますが、もはや中東においても、またヨーロッパにおいても、ソ連が何かをしかけるという可能性はもうないだろう。その意味では脅威は極めて減っているということがあります。あとは偶発的な問題であります。むしろ北朝鮮が今核の問題でいろいろ云々されておりますが、そういった問題の方が重要なのかもわかりません。また、中国の潜在的な脅威というものもこれからは大いに出てくるだろうというような気がいたします。したがって、ソ連の脅威ということにつきましてはまた別でありますが、日本を取り巻く脅威というものはなくならないということはもう間違いないところであろうかと思います。  今後一年間に日本がやるべきことでありますが、これは事ソ連に対しましては、私の冒頭の報告の中で申し上げましたように、ソ連はやはり今遠心力が非常に働いている。地方とセンターの間の関係は非常に異なっている。そうして、極東にもしかすると共和国ができるかもしれない。少なくとも自治経済区というものが出てくれば、そこがセンターにならなければそこの開発ができないということはまことに明らかであります。また、ソ連領土的な広大さから分裂病にかかっている。ソ連がかかっているということも確かであります。そうなるならば、やはり極東に関しては極東の人間に、日本はやはりこれは隣国としていい国だと、北方四島を返してもらえばもっと経済援助があるだろうということを確信させ得るようないろいろな活動をしてもよいのではないかというふうに考えております。それが政経不可分、そういった問題にかかわってくることは当然あるわけでありますが、それの一つの具体的なアイデアとして姉妹都市その他を使って具体的にハバロフスク、ナホトカ、そういった都市に援助をしていくということが重要ではないかと思います。  最後に申し上げれば、例えば小樽とナホトカの市の交流に関しましては、ナホトカ市の市庁舎の壁が崩れているので小樽が金を出してくれとか、ナホトカの公園が汚れているので整備したいので金を出してくれとか、もうモスクワに向かって資金を求めてもほとんど来ないという状況になっております。そういう場合においては多少の額を、ふるさと創生のための一億円でも、そのうちの何割かでもソ連の極東地域に、直接モスクワにではなく極東に出せば、相当な影響力があるのではないかというふうに考えております。
  40. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) お答えいたします。  ソ連は日本の安全にとって脅威かという御質問であろうかと思いますが、顕在的脅威かということになりますと、これは明らかに顕在的脅威ではないと言えると思います。  つまり、ソ連に日本に侵攻してくる意図と能力があるかということでありますが、そういう面でその潜在的脅威云々ということになりますと、その定義が非常に問題になってくるのではないかと思います。定義を明らかにしないであるとかないとか言っても、かなり議論がすれ違ってくるのではないかと思います。そういう観点で、意図につきましては、今日ゴルバチョフ指導部が日本に侵攻してくる意図を持っていないということは断言できるだろうと思うわけです。少なくともきょうあす、一年、二年くらいの将来まで展望して、ソ連がそういう国家戦略をとる可能性というのはほとんどない。そういう意味ソ連の脅威というのは限りなくゼロに近づいていっているということは言えるかと思います。しかし、それではソ連の脅威は日本の安全にとって全くゼロかといえば、私は、ゼロとは我々は言うべきではないと思うわけであります。なぜかといえば、我が北方に巨大なる軍事力が存在するという事実は否定できないからであります。いかなる対外政策、いかなるイデオロギーの持ち主であるか、好戦的であるか平和的であるかを問わず、我が北方に厳然としてこれだけの極めて攻撃性の強い軍事力が存在する、特に私が問題にしたいのは、沿海州から樺太にかけて存在する一連の航空基地群でございます。これは私のこの「大国と戦略」という本でも指摘していることでございますが、日本の航空基地群と比較いたしまして八倍くらいの数の航空基地群が展開しているわけでございます。具体的な数字ここにございますがちょっと探していると時間がかかりますので、たしか日本が宗谷海峡を中心とする半径六百キロ、これが日ソ交戦状態が発生したときの戦域になるかと思いますが、日本の航空基地が六つぐらいあるのに対して四十近い航空基地が展開しております。そういったことから、そういう能力の存在を考えると、日本としては一定の防衛力を保持することはバランスの維持という観点からいっても必要不可欠ではないかと考えます。それをもってソ連を仮想敵国として考えているからであるとかないとか言うことは余り意味のないことではないか。仮想敵国と考えなくても、それだけの軍事力が北方に存在する以上、これとのバランスを考える必要があることは安全保障の根幹ではないか。また、現在対日侵攻の意図が全くないとしても、だからといって十年後、二十年後、三十年後も全くないという想定のもとに我が武装を放棄することが我が国の安全保障であるとは思われない。このような表現の仕方でお答えいたしますので、潜在的脅威があると言ったのかないと言ったのか、いささかお答えが断定的でございませんが、潜在的脅威の定義によるというふうにお受け取りいただければありがたいと思います。  それから、ゴルバチョフ訪日までに日本のなすべきことは何か。私は、先ほど秋野参考人がおっしゃられたいろいろなこと全く賛成でございまして、異論はないわけでございます。ただし、日ソ間に平和条約が締結されず、ということはソ連による一九四五年八月、九月の一方的な軍事力行便の結果だけが残っている状態が法的には続いているわけでございます。平和条約が締結されていないという意味において。ということは、日ソ間において長期的、安定的な政治的枠組み、基盤がつくられていないということでございます。そういう状況におきまして、例えば政府資金の貸し付けであるとか、長期的経済協力の協定であるとか、こういったことは私はその基盤を欠いている、できないことである、これははっきりさせておいた方がよいのではないかと思います。しかしそれ以外の分野で、領土問題が解決しないから一切行き来をしないということをしていないことは日ソ間の現状を見ればおわかりのとおりで、モスクワと東京に大使館がございますし、政府間のいろいろな協定も締結されておりますし、日ソ間において貿易が行われております。この貿易は、ソ連西側諸国との貿易でフィンランド、西ドイツに次ぐ巨大な規模で、アメリカ、フランスなどを追い抜いているわけでございます。  このような、既に日ソ間の交流の実績がございますし、これをさらに発展させて、まあ政府は拡大均衡と申しておるようでございますが、対話の強化、人的交流の強化などを中心として、特にペレストロイカの進行するソ連が対日理解を深め、損得計算なら損得計算で結構なわけでありますが、本当の計算ができるように働きかけていく、持っていく、そういう努力は必要かつ我々としてなすべきではないか、かように考えます。
  41. 前田哲男

    参考人前田哲男君) 冒頭の意見陳述で私なりに脅威の減少しつつある状況を申し上げましたので、簡単に別の方向から触れてみたいと思うんですが、脅威は能力と意図の積によるというふうに言われます。客観的にも、ソビエト太平洋海空軍の能力が目下減少しつつあることは否定できないし、軍需産業の民間転用という状態がさらに進んでいきますと、さらにこれが将来にわたって減っていくことも間違いない趨勢であろうというふうに思います。  それとは別に、我が国の防衛政策の基本となっている防衛計画大綱の先ほども申しました基盤的防衛力構想において、能力に対応した防衛力の整備は行わないということを明らかにしているわけですね。一次防から四次防までの防衛力整備は、相手の防衛力に、相手の能力に対応する所要防衛力構想であったわけですが、これは一九七六年と七七年の防衛白書にるる説明してありまして、政府文書としては極めて珍しく率直に防衛政策の誤り、反省をしておりまして、要するに、いつまでどこまで軍事力が膨らんでいくのかという、国民に不安を与えたという表現で反省の弁が述べられていて、能力に着目するのではない基盤的な防衛力構想がそこから生まれてきたという経緯を考えれば、我々は、能力に余り着目することは現行の防衛政策を続けていく以上正しくないと思うわけです。  意図に関しても、意図は国際関係、国際情勢に絡んで可変的である。その可変的な意図は、もし日本に対する侵攻規模が大きければ大きいほど事前に明らかになるという表現で、七七年の防衛白書は、意図は、侵攻の意図というのは、日本に対する大がかりな侵攻があればあるほど事前によくわかるものである、というようなことでソビエトの脅威に対応した軍事力の構築をいさめていたわけですが、残念なことに防衛計画の大綱はそれと別の運用方針、これは主として日米安保条約の運用の面から強要されたものなんですが、これによって運営された結果、潜在的脅威という言葉がかなりひとり歩きしている。脅威とか潜在的脅威は、我々が今持っている基盤的防衛力構想に従う限り、ひとり歩きしたり、それが防衛計画の前提になるような使い方はなされないはずだというふうに思います。  そういう意味で、客観的に見てもまた我が国の防衛政策のあり方から見ても、潜在的脅威があるという言い方は余り使うべきでないというふうに考えるわけです。もちろん、防衛政策を変えるという観点に立てば別の議論はできます。  もう一つ、ゴルバチョフ訪日までに我々がなすべきこと、日本がなすべきこと、何ができるのかということですが、私はぜひ本調査会に提案したいのは、本調査会がウラジオストクを訪問して現地視察していただきたい。向こうは必ず歓迎しますでしょうし、それを実現できないものは何もない。ぜひそれを実現していただければ、日ソ双方にとっていい結果が生まれるのではないかというふうに考えます。
  42. 黒柳明

    ○黒柳明君 秋野先生、最後に簡単に。  日ソの友好関係これからますます進むと思いますが、今、前田先生おっしゃったんですけれども、これに反して日米安保に対してのソ連の姿勢、今までの姿勢を変えざるを得ないと思うんですが、その辺どういうような観測をお持ちでしょうか。
  43. 秋野豊

    参考人秋野豊君) 日米安保関係に関しましては、二年ほど前からソ連が態度を大きく変えておりまして、これまではやはり廃止もしくは変容を迫る、そういう姿勢をとっておりましたが、最近は、これはまあスタビライジングファクターであるという姿勢をとり始めております。これにはいろいろな戦略的な意味もあるわけでありますが、それ以上にやはり資本主義というものを、資本主義国というものが帝国主義にはならない、危険な暴力的な本能を必ずしも出すわけではないという、そういう認識の変化というものが大きな一つのバックグラウンドになっているかというふうに思われます。  そのソ連との関係で日米関係がどう動いていくのかということで、一つだけシナリオを、我々にとって重要なことになり得るシナリオを申し上げれば、現在のリトアニア情勢であります。ここでゴルバチョフが武力を使う、相当な西側の反発を買うようなことをする。そのときに孤立感に悩まされるソ連が突然日本に対して北方四島で譲歩をしていく。このようなときに日本がどう出るのか。ここに日米の間の非常に大きな亀裂が生まれる可能性もなきにしもあらずというふうに考えております。
  44. 黒柳明

    ○黒柳明君 ありがとうございました。
  45. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 お三人の参考人の方どうも御苦労さまでした。  私も十五分しかないんですけれども、お三人の最初の御発言の中で、ヨーロッパアジア情勢の比較論ですね、共通点、またその違いがいろいろ述べられましたが、それで私はヨーロッパアジアを比べて考える場合に、第二次大戦とその結果ですね、そこの違いが出発点じゃないかと思うんです。ヨーロッパドイツが主な侵略国だった。それに戦った主な勢力はソ連であって、ヨーロッパの第二戦線開いて、次にアメリカが役割果たしたわけですね。アジアの場合は、三一年中国侵略の日本が主な侵略国で二千万人の犠牲を負わしたんですけれども、その日本の侵略に対して中国が戦い、次いで太平洋戦争でアメリカが主な勢力になったわけですね。では第二次大戦の結果どうなったかというと、ヨーロッパでは主な侵略国だったドイツの分割、それからヨーロッパの分割、ドイツを中心にしたNATO、それからWTOの対決が進んだわけですね。ところが、アジアではアメリカが主になって進んでいったわけで、アメリカは最初蒋介石の支配する中国を同盟国にしようと考えたところが中国革命が起きたために、今度は日本を主にして、日本を同盟国としたアジアでの安定化、こういうふうに進んでいくわけですね。中国中国革命やるんだけれども、中ソ対立が起きますので結局アジアではヨーロッパと違って社会主義国側には軍事同盟は今なくなっているわけです。逆にアメリカを主にして、アメリカ・日本、アメリカ・フィリピン、アメリカ・韓国、こう軍事同盟が生まれているわけですね。その中心は日米安保なんですね。  そういうヨーロッパアジア状況を考えますと、お三人のお話の中でも東ヨーロッパの激動、特にドイツのあの激動からヨーロッパに新しい情勢が生まれたとおっしゃったんだが、では、アジア情勢で新しい積極的な変化を生み出す一番中心的な場はどこかというと、一つは日本にある。第二次大戦を起こした主な侵略国のドイツと日本なんですが、日本、特にまた日米安保、これがどちらの方向を向いていくかということが今後アジア情勢を見ていく上で一番中心的な問題になるだろうと思うんですね。  それで、まず秋野参考人にお伺いしたいと思うんですが、今、日米安保についてもちょっとお話がありました。アメリカは双子の赤字の大きくなっている問題、それから米ソの今の協調状況などから軍事費の削減、アジアでも若干の兵力削減をやろうとしていますわね。いま一つ注目されているのは、先月末、ワシントンポストのインタビューで、沖縄の在日米海兵隊司令官スタックポール少将が、安保があるのは、アメリカが日本にいるのは、日本の軍事力が強大化しないために、それを防ぐ瓶のふただと言いながら、「米軍は、日本の軍国主義化を防止するため、今後すくなくとも十年間は日本にとどまらなくてはならない」と、そう言っているんですね。これは逆に、じゃ、十年たつと米軍も日本からいなくなるのかなという観測まで出しているんですけれども、そういう今の大きな国際情勢の変化の中で日米安保体制、これの将来について、我々はこれを廃棄して日本は独立、中立化すべきだと言っていることは御承知と思いますけれども、秋野参考人はこの日米安保体制の将来についてどうお考えになっていらっしゃるか、お伺いしたいと思います。
  46. 秋野豊

    参考人秋野豊君) ヨーロッパアジアの違いということでありますが、確かにヨーロッパにおきましてはドイツが中心であり、アジアにおいては日本、しかし私の考えではやはり中国が中心だというふうに考えております。現在考えますと、双方の安全にとってやはり今現実にあるものとして一番重要なのは、ヨーロッパにおいてはNATO、アジアにおいては日米安保ということで、やはりそれが現実ではないかというふうに考えております。これを言いかえますと、アジアにおいてはアメリカ一国が基本的にはNATOの役割を果たしているというような類推があっていいのではないかというふうに私は考えております。  しかし、昨年東ヨーロッパで起こりましたことは、基本的には東側世界の消滅ということであろうかと思います。東側世界が消滅したことによって西側が残ったのかといえばどうもそうではないだろうという気もいたします。どうも西側東側が消えたことによって消えてしまったのではないか、そういう新しい時代が来たのではないか、それを如実に示しておりますのはやはりNATOというものの今後の変容であろうかと思われます。それと似たような変化がやはりアジアにおいても起こってくるだろうという気がいたします。しかしそこで問題なのは、日本の自衛隊がやはり戦力としてはアメリカ軍との運用なしには動いていかないというこの現実をどうしていくのか、これはやはりNATOにはない問題であります。ここら辺あたりが一番大きな問題となってくるのではないかというふうに考えております。
  47. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 伊藤参考人にお伺いしたいと思います。  最初の発言でも、アジアにおけるソ連の脅威の点で、その能力について量的には変化がない、質的には近代化が着々と進んでいるとおっしゃって、先ほどの御発言でも、日本の北方に巨大な軍事力があるということは過小評価できないというふうにおっしゃいました。  アジアにおける軍事力の比較の問題でお伺いしたいんですけれども、アメリカの国防総省の報告書を、「ソ連の軍事力」八九年、私は世界週報の翻訳を持ってきているんですけれども、これを見ますと、「東アジア/太平洋軍事バランス」のところで、アメリカの国防総省自身がこの地域でのつまり「米国とその同盟国が長い間維持してきた多くの軍事的優位」と認めているわけですね。特に海軍力については、これは最後の結論のところで「米国と同盟国は、ソ連とその同盟国に対して現在、通常の海洋バランスを構成する重要な分野のほとんどすべてで優位を維持している。」ということで、世界全体についても、またアジア・太平洋地域においても米軍の優位、特に海軍力の優位というのは圧倒的だということを国防総省自身が認めているわけですね。それから最近の情勢についても、例えばマルタ会談の直前にベーカー国務長官が行った演説で、これはあくまでソ連に対する核の優位、抑止力の強化、これは追求し続けるという態度を表明しておりますね。  そういう点で言いますと、この東アジア・太平洋地域でみんなが望んでいる軍縮を実現しようとしていく際に、伊藤参考人がおっしゃったソ連の巨大な軍事力というのは、アメリカの国防総省のこの「ソ連の軍事力」にいう評価から見ても、アメリカ側の軍事力の巨大さ、優位を過小評価した言い方ではないかと思いますし、その点についての御意見と、アジアで軍縮を進めていく上でアメリカと日本の責任、これは非常に大きいと思うんですね。日本も突出した軍拡を続けているんですけれども、我々はこの軍拡から軍事費の削減に進むべきだと思っておりますけれども、伊藤さんの御意見をお伺いしたいと思います。
  48. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) お答えいたします。  アメリカの国防報告の御引用があったわけでございますが、私が理解するところでは、その趣旨と申しますのは、米ソの海軍力が、例えばアメリカの第七艦隊とソ連の太平洋艦隊が太平洋のど真ん中で、例えばミッドウェーの沖で一大洋上決戦を行えばどちらが勝つかという、そういう想定の話でございまして、そういうことになればもちろんアメリカの方が勝つということでございますが、私が問題にいたしておりますのはそういうことではございませんで、現実に日ソ間において有事のとき、どういう戦闘状況が展開するかということでございます。具体的には、例えば宗谷海峡を中心とした半径六百キロメートルあたりが交戦区域になるかと思うわけでございますが、その場合におきまして、先ほどはちょっと引用箇所が見つからず失礼したわけでございますが、この私の「大国と戦略」という本の二百三ページに書いてございますが、この半径六百キロの戦域内に、日本の航空基地というのは六基地ございます。これに対してソ連は三十六基地、予備を入れると五十一基地になるわけでございまして、一対六、予備を入れると一対八という日米側の劣勢な状態にあるわけでございます。そして、まさにこの地域において制空権をいずれの側がとるかということが決定的な重要性を持っておるわけでございます。  そういう観点から戦闘用航空機の機数を比較いたしますと、私は防衛庁の防衛白書を信用いたしておりますのでそれを引用させていただきますが、作戦用航空機の数で、私の記憶でございますが、日米を合わせたものに対するバイカル湖以東のソ連極東軍の機数は三倍の数にのぼっておるわけでございます。しかも、この中には第四世代の最新鋭のミグ、スホーイなどの戦闘機及びバックファイアなどのようなものが多数含まれているわけでございます。海上兵力につきましても、そのトン数で、これも私の記憶でございますが、日米合わせて、海上自衛隊と第七艦隊合わせまして九十万トンくらいであるかと思いますが、ソ連の太平洋艦隊のトン数はその二倍以上でございます。もちろん質的比較もしなければならないわけでございますが、ただ先ほど申しましたようなソ連が圧倒的優位で制空権を握るような状況下で、私は多分第七艦隊というのはそういう状況になれば戦域に突入してくるよりも退避するということになるのではないか。また、陸上戦力を比較いたしましても、日米合わせた十七、八万の数字に対しましてほぼ三倍の四十万近いものがバイカル湖以東に展開しているわけでございます。こういうものを踏まえて、私は、我が北方に巨大な軍事力が存在し、それが一たん日ソ有事となったとき日本にとって極めて脅威である。特にソ連側の沿海州から樺太にかけて散在するこの巨大な空軍力、航空基地群というものを全く無視して日ソ間の軍事バランスを論ずることは意味がないのではないか、かように考えている次第でございます。  軍備管理・軍縮に関する日米の責任でございますが、私がそのようなことを申し上げますのは、何もだから日本側もどんどん増強していかなければならないというようなことを申し上げるつもりではなくて、これから軍備管理・軍縮をソ連側とやっていかなければならないんじゃないか、私もそのような考えでございますが、そのときまずソ連側にそういう事実を指摘して、航空基地の整理であるとか攻撃的な戦力――上先ほど専守防衛とは口ばかりと申し上げましたが、まさに極東におけるソ連の戦力構成を見れば口ばかりであることは明白でございます。そういった攻撃性の撤去であるとかいうようなことを我々の側の問題意識として指摘していかなければ、我々にとって意味のある本当の平和と安全をもたらすような軍備管理・軍縮交渉というものは成立しないのではないかと思うゆえに申し上げているわけでありまして、趣旨は、それに対抗して我が方も一層軍事予算を増大せよなどということを申し上げることにあるわけではございません。
  49. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 もう時間がなくなってきていますが、一言。  国防総省の報告書をちょっと引用しますと、ソ連の太平洋艦隊についてこう書いてあるんです。「数の上では目を見張るものがあるが、多数の老朽化した潜水艦と駆逐艦をかかえており、その大半は現代戦ではほとんど役立たないものである。」と、こう彼らは見ているので、数の上だけで比較しないで、やっぱり実際に現実をしっかり見ることが大事だと思うんですね。  もう時間がなくなりまして前田参考人には御質問することができませんが、私は冒頭述べましたように、第二次世界大戦で非常に大きな責任を負った日本とドイツ、この二国はやっぱり軍事同盟に参加すべきでないし、ドイツは東も西もNATO、WTOから離脱して中立の道を進むべきだし、日本も軍事同盟から離脱して独立、中立の道を進むことが世界平和のために緊急の課題になっているんだということを強調して質問を終わりたいと思います。
  50. 井上計

    井上計君 参考人の三人の先生方ありがとうございました。大変有益な示唆をお与えいただきましたことをお礼申し上げます。  限られた時間でありますから、伊藤参考人お一人にお願いをいたしたいと思いますので、ひとつよろしくお願いいたします。  先ほど来、東欧の問題、ソ連の問題等々につきましては詳細なお話もいただき、また質問等もあったわけでありますが、伊藤参考人、冒頭のお話の中で、アジア、特に南東アジアについては、東欧の問題が直ちに波及することはなかろうという意味のお話があった、こう思います。  そこで、若干視点を変えますけれども、私、お伺いしたいのは、中国の問題が我が国には余り詳しい報道が従来なされていないんですね。ほとんどないと言ってもいいかと思います。ただ、昨年の天安門事件以降やや中国内部の報道がなされるようになりましたが、まだまだ東欧あるいは最近のソ連の国内事情等と比べますと、日本への報道は全く少ないわけですね。ところが、実際には中国自体民族問題を抱え、あるいはまた経済の大きな問題、行き詰まり等々を抱えておるにかかわらず、ほとんど日本に報道されない。なぜ中国の問題が日本国内に余り報道されないのかということについては多分に私ども今まで疑問に思っているわけでありますけれども、そのような理由としては何があるのか。日本の国内事情にあるのか、あるいは中国の内部事情にあるのか、どのようにお考えか、まず第一問お願いをいたします。
  51. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) お答えいたしたいと思います。  中国につきましては、いわゆる四つの近代化政策を鄧小平が復活して以降追求する中で、ソ連に先んじて特に経済分野の目覚ましい改革を進めてきたにもかかわらず、鄧小平路線としては、経済改革は進めるが政治改革はしない、したくないという立場から、天安門事件が起こって以降、政治改革抑圧のために断固たる措置をとることにより経済面での改革にも大きなブレーキをかけたという状態で推移してきているものと考えます。こういう状況におきまして、中国との関係をどう考えるかということが昨年のアルシュ・サミットなどにおきましても西側民主主義諸国として大きな問題になっているわけでございますが、御指摘のように、こういう背景の中で問題を抱えた中国内部のいろいろな状況が、民族問題、経済困難それから政治的な安定度等々につきまして十分な情報が得られないという御指摘でございますが、私といたしましても、確かに日ごろの新聞を見ておりまして、これだけの近隣諸国でありながら、日米構造協議、重要な問題ではありますけれども、連日一面トップから始まりましてあれだけ紙面を割いている割には、中国の内情について知りたいことが十分知ることができないという、そういうような感じは私も実は抱いていたところでございますので、御指摘をいただいて驚いた次第でございます。  その理由につきましては、これは中国側が政治的に引き締めにかかっていることでもあり、情報のコントロールを行っているという面もあろうかと思いますが、我々といたしましては、隣国のことでもあり、大国のことでもあり、非常に影響の大きい国でありますので、特に江沢民政権の安定度ということにつきましてもう少し情報を欲しい。それがどれだけ民意を反映し、中国の内政をコントロールしているものか。あるいは経済改革は追求するけれども政治改革は追求しないという矛盾した路線の中で、鄧小平健在の間はともかく、鄧小平没後となると果たして事態をコントロールしていけるのか、こういった点、特に関心のある点でもありますので、もう少し活発な報道が希望されるところではないかと思います。
  52. 井上計

    井上計君 どうも参考人も、それらのことについての明快な情報等が余り入りにくいというふうなお話でありますが、ちょうだいをした「政策提言「北東アジアの長期的安定と協力のビジョン」」をざっと拝見しましたけれども、中に中国の問題、台湾の問題等、若干書かれておりますけれども余り詳しく書かれておりません。ただ、私自身が感じますのは、中国が情報のコントロールをしておると同時に、我が国のマスコミが、何か中国問題、特に中国の国内事情の中国にとって不利な問題等については殊さらに報道を差し控えておる、あるいは遠慮しておるというふうな傾向が強いのではなかろうかなという感じが個人的にはするわけでありますが、そのようなことを感じておる者がおるということで、また、今後とも中国情報等につきましても参考人のお立場でいろいろとお願いをいたしたい、こう思います。  時間がありませんが、もう一点お伺いしたいんですが、実は台湾問題であります。  現在、台湾と我が国との間には正規の国交はありません。しかしやっぱり隣国として、経済的には大きな、貿易額も多分百七十億ドルぐらいになっていると思います。そして輸出超額が七十億ドルだと思います。これは往復で言いますと、中国より台湾との貿易額の方が多いわけでありますから、これぐらい大きないわば隣国に対して、我が国が今後どういう態度をとっていけばいいのか。  そこで、我が国の中国に対する遠慮等もあると思いますけれども、国会でもほとんど台湾問題についてはタブー視されておりますから、そのような重要ないわば隣国に対しての問題が余り経済問題にしても論議されないというふうなことについて、私、今まで大変疑問に思っておるわけであります。アメリカも台湾とは正規の国交はありません、しかし、実質的には正規の国交があるような、外交についてはそのようなことを考えておる日本としては、いつまでもいわば中国の中の一部、内政問題という取り扱いをしていることが、日本の将来、特に東南アジア経済圏等々を考えるときにいいのかどうかということを私は疑問に思っておるわけでありますが、そのようなことについてどういうふうな御見解でおられるのか。  いま一つは、二つ中国という問題が、そろそろ我が国においても何か言葉の上に、あるいはお互いの論議の中に出てきてもいいのではないか、こんなふうなことを感じるわけです。事実台湾の国内においても、最近は独立派といいますか独立意見が相当強くなりつつありますが、これらを考えるときに、従来のように台湾問題を全く我々は等閑視して、ただ中国の一部である、中国の内政問題であるという考え方だけで日本が進む場合に、東ヨーロッパのあれだけの大きな変化、特にECの経済一体化等々を考えますときに、日本の今後の経済問題として果たしていいのであろうかどうか、こんなふうなことを実は感じるわけでありますが、以上の点につきまして御見解をお聞かせいただければ大変ありがたいと思います。  私の質問は以上でありますので、ひとつ参考人のお答えだけお願いをいたします。
  53. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) お答えいたします。  大変重要な問題点の御指摘だったと思うのでありますが、また同時に大変デリケートな問題でもございまして、このハンドリングというのを特にこういう公的な場でどのようにやっていくのか、これは極めて慎重、熟慮を要する対応課題ではなかろうかと存じます。  確かに貿易額、経済交流の規模をとれば、日台関係というものは日中関係を上回る規模でさえあるわけでございますが、他面、二つ中国論に我が国がくみしないという一線は明確にする必要があることは申すまでもないことでございますので、その前提の上での日台関係というものを考えますと、経済の実態を直視し、踏まえつつ、また日台間には経済を超えた過去の経緯、歴史があるわけでございますから、それらについても妥当な配慮をしつつどのように対処していくか。これはやはり大きな枠組みといたしましては日中関係二つ中国を認めないという日中関係の大きな枠組みの中で台湾とどのような可能性を切り開いていくかという問題ではないかと考えます。  この点につきましては、東西に分断されておりましたドイツが、いろいろな国々とクロスする国交、経済関係を東独、西独ともに発展させてきたという前例、また朝鮮半島につきましても、韓国を中心といたしまして東欧諸国あるいはソ連とさえもその関係を緊密化させているというような状況があるわけでございます。また、中国と台湾の関係につきましても、中台接近ということが言われ、台湾と中国の距離が縮まってきているやに見える面もあるわけでございまして、これらの点を総合勘案しながら、私どもといたしては可能な限りの台湾に対する関係のかじ取りをしていくということではなかろうかと考えます。
  54. 井上計

    井上計君 ありがとうございました。
  55. 高井和伸

    ○高井和伸君 お疲れでございますが、私の時間は十分でございますので簡潔に、あらかじめ三つほど細かい話を伺いまして、その後にドイツ問題をお聞きしたいと思います。  まず、秋野先生にお尋ねしたいんですが、先ほどのお話の中に、冷戦をうまく生きてきた国が日本であった、新しい情勢にはなかなかついていけないんじゃなかろうかというようなお話がございました。そこでお尋ねしたい点は、この冷戦をうまく生きてきた国日本というのは具体的にはどんな点を御指摘なのか、まずその点から教えていただきたいと思います。
  56. 秋野豊

    参考人秋野豊君) 共通の脅威がある条件におきまして共通のルールというものが生まれてまいります。その共通のルールというものは、国家主権の枠を超えて、国家のルールよりも強いルールというものが出てきております。それが一つの、西側の一員であるとか、具体的に申しますとココムであるとか、そういう形で動いてきたわけであります。  日本が見事に冷戦に適応してきたということは、その意味では日本を豊かにすることが西側全体の利益であるという、その中で日本が乗ってきたということ、ずばり申し上げればそういうことであります。つまり、例えば朝鮮戦争がなければ日本は今のような形で経済大国になっていたのかと申しますと、やはりこのような形ではなっていなかっただろうと思います。しかし、我々は、そういう条件を抜きにして、全体として日本が経済的に強かったのでこう強くなったというふうに考えがちでありますが、その中にはそういう日本の強さが西側全体の強さであるという極めて都合のよいセッティングがあったということを忘れてはならないのではないかというふうな意味で申し上げたわけであります。
  57. 高井和伸

    ○高井和伸君 伊藤先生にお尋ねします。  先ほどの一番初めのお話の中で、少し時間がないということでカットされた部分でございます日米安保問題の点につきまして、結局最後は日本の軍事大国化を封じ込めに向かうのじゃなかろうかというようなことをおっしゃいました。この点は、具体的にはどういうプロセスが一応現時点で予想できるということをお考えか、御教示願いたいと思います。
  58. 伊藤憲一

    参考人伊藤憲一君) お答え申し上げます。  私は、日米同盟、これは一九五一年にサンフランシスコで日米安保条約が締結され、六〇年に改定されて今日に至っている条約を基盤として、その上に築かれている政治、経済、文化、あらゆる両国間の提携友好関係を指すと思いますが、これは戦後日本の今日の繁栄をもたらした基盤でございまして、またアメリカとしても、日本という強力なパートナーの確実な支援を持たずにアジア・太平洋地域、ひいては世界の安定と発展をコントロールしていけないわけでございますから、両国にとりましてかけがえのない同盟でございますし、今後もこれを全力を挙げて時代に適合した形で生き残らせていく必要があろうかと考えます。  それにいたしましても、何せ一九五一年と申しますのは朝鮮戦争のさなかでございます。その冷戦のさなかにソ連を仮想敵国としてつくられた同盟というものが、冷戦の終えんと言われている九〇年代から二十一世紀にかけての日米関係において同じ意味役割を持つことは期待できないのでありまして、これからいろいろな意味の変化が起こってくるだろうと思うわけであります。その場合、ヨーロッパにおきましてNATOが変質して、ドイツを封じ込める。ドイツが暴走しないように抑えつけることに目的を転換しつつあるように、安保条約につきましても、それは日米協力して世界の平和と繁栄に貢献するという側面を損なうものではございませんが、同時に、先ほど上田先生が御紹介になりました沖縄駐留米軍の軍人の発言というものは本音を伝えている面があるのではないか。私といたしましては、むしろそのような日本封じ込め的性格を持ってくるであろう安保体制というものを承知の上でこれに乗るべきではないか。と申しますのは、日本は軍事大国になるつもりはないわけでございますから、そしてこの条約体制に乗っていれば、アジア近隣諸国もソ連も対日警戒心を持たないというわけでありますから、いろいろな災難、災厄をあらかじめ払ってくれる役割を果たしてくれるのではないか、かように考えるわけです。
  59. 高井和伸

    ○高井和伸君 前田先生にお尋ねしたい点が一点ございます。  アメリカが海軍大国としていろいろ海洋重視の政策で海洋支配をやってきた、これのバランスが現在生きているという前提でございますけれども、核抑止力が米ソで維持され、さらに今言った太平洋地域における海洋重視という政策、これはもうアメリカの国内問題、経済問題などからこのままの状況、海洋支配、太平洋を中心にした支配を維持する能力がアメリカにあるのかどうか、まずそういう点でどうお考えでしょうか。
  60. 前田哲男

    参考人前田哲男君) おっしゃるとおりだと思います。先ほども申しましたが、海軍は、空軍も若干そうですが、海軍はとりわけ装置依存型といいますか、マンパワーではなしに機械力、艦艇に依存するところ大でありまして、大変お金のかかる軍種であります。  過去の軍縮条約を見ましても、ワシントン条約、ロンドン条約、ことごとく海軍軍縮条約としてまず話し合われたという経緯もあります。しかも二次大戦までの海軍力と違いまして、今日の海軍力は潜水艦によって核ミサイルが運搬されるというような状況、あるいは米ソの対立は地球全表面で行われておりますので、すべての海洋に海軍を派遣しなければならないということを海洋大国は引き受けざるを得ない。ソビエトの方が先に息切れしてしまいましたが、アメリカもまたやはり同じように息切れしてきている。六百隻艦隊をレーガン大統領は呼号して、着々それに向かって前進しましたが、ついに最後の段階で六百隻艦隊を放棄する、のみならずソビエトとの間の全面的な軍縮に入っていったという経緯があります。確かにこれはまだ海洋戦略あるいは海軍政策に影響を及ぼしていないかに見えますが、しかし、よって来るところ、あるいは海軍が持つ本質的な浪費性を考えますときに、そこに至らないということはもう到底あり得ない、時間の問題であろうと思います。  海軍軍縮が米ソ協定によるか、あるいは一方的な形をとるか、これはわかりませんが、中期的な展望の中でも容易に想像できる。今日アメリカが展開しているような意味での海洋戦略ないし前方展開戦略はもう既に先が見えた。ですから、そういう前方展開戦略、海洋戦略を不動の前提とした日本の防衛政策、あるいはシーレーン防衛とか洋上防空とか、それ自体極めてあいまいな内容しか持っていない政策を追求するのはアメリカとの関係でうまくいかないのみならず、アメリカとの関係に変質を生じたときに一斉にアジアから来るであろう対日警戒心の面からも得策ではない。アメリカの海洋戦略、海軍戦略はごく近い将来変わることを予期して政策を立案すべきではないかというふうに考えます。
  61. 高井和伸

    ○高井和伸君 あと、ドイツの統一問題と安保条約の関係をお聞きしようと思っておりましたところ、伊藤先生から先ほどそこらのことについて御回答がございまして、非常にありがとうございました。  以上にて終わります。
  62. 中西一郎

    ○会長(中西一郎君) 以上で質疑は終了いたしました。  参考人方々に一言御礼のごあいさつを申し上げます。  本日は御多忙の中、長時間の御出席をいただき、貴重な御意見を承りましてまことにありがとうございました。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時二十四分散会