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堺屋参考人 この数
年間、税金に関する、
税制に関する
議論が大変盛んでございました。私も一年半前まで
政府税制調査会の特別
委員をしておりましたが、そこで論じられる
議論は、どうしても現体制、現
制度を
前提といたしまして、非常に限られた小さな問題を繰り返し
議論しているような気がいたします。木を見て山を見ずということわざがございますけれども、最近の
税制議論は、木も見ないで、一枚ずつの葉っぱを調べて、これは虫食いだ、これはどうだという
議論をしているような感じがいたします。そこで本日は、大所高所から、税金の
考え方全体についていささか
意見を述べたいと思います。
まず、
税制の基本的な問題は何かといいますと、五つぐらいに分けられると思います。
第一は、幾ら取るか、どれくらいの税金を取るかという問題であります。第二番目は、だれが取るか、取る人がだれであるかという問題であります。これは、国税か地方税かという問題であります。第三番目には、だれから取るかという問題であります。これは、今よく
議論されます保有、
所得、
消費のだれから取るかということと同時に、受益者から取るか、能力者——応能で取るか受益で取るかという問題もございます。第四番目は、どうやって取るかという問題であります。これは
消費税がいかがかというような取り万の問題でも大いに
議論されたわけでありますが、一応、簡素、公正、中立の原則で取るということが言われております。第五番目は、何のために取るかということであります。これは、財政資金を賄うために取るということのほかに、いろんな目的、産業的、政治的目的を持って税が取られることがあります。この五つについて、それぞれまず
意見を述べたいと思います。
まず、幾ら取るか。これがやはり
国民の最大の関心事だろうと思うのです。
今までの
政府の審議会その他では、二十世紀中は欧米の水準よりもかなり低い水準にとどめる。
国民負担率を、欧米の水準、大体五〇%前後でございますけれども、それよりもかなり低い水準にとどめる。また、一番高齢化のピークになる二〇二〇年でも五〇%を下回る四〇%台にする、その種の答申が出ております。
ところが現実に見ますと、八〇年代に
国民負担率は三一・三%から四〇・四%に何と九%増加しているわけです。もちろんこの間には財政再建がございましたので、国債で賄っていた分を
租税にしたという点もありますけれども、この
国民負担率の増加の現状を見ておりますと、果たして今世紀中にあと四%
程度の増加でとどまるのかどうか、かなり不安を感じます。したがいまして、この
国民負担率を上げないような強力な政策をとる必要があるのではないかと思います。
現在、日本は高齢者比率が欧米、ヨーロッパ諸国よりは低いわけでございまして、これが上がってくるとだんだん高くなるといっているわけですが、ほかに失業率も非常に低くなっておりまして、そのための財政
負担が少ない、防衛費も一%前後でございまして、ヨーロッパ諸国よりも低い。そういうことを考えますと、現在の日本の状況、この高齢者の比率が一一%ぐらいであり、失業者が二%台であるという状況に比べると、決して日本の
税負担は低いとは言えない状況にあろうかと思います。したがって、今後増加する要素が多いわけですから、強力にこれを抑える政治が必要ではないかと思います。
次に、第二の問題として、だれが取るかの問題であります。
国税と地方税の問題でありますが、これは
シャウプ勧告以来全くと言っていいほど変わっておりません。地方と国の税目が変わっておりません。これもやはり、産業が高度化し人口移動が激しくなりました現状に合わせた税の見直し、税項目の見直し、税体系の見直しがそろそろ必要になっているのではないかと思います。
具体的に言いますと、まず、全国機能が存在するがゆえに
固定資産が非常に高価になり、あるいは高密度になっている、そういう
固定資産に対する
課税について、
固定資産税としての地方税のほかに一定の国税を課する必要があるのではないか。現在、東京に全国機能が集中いたしますので、東京に非常に税収が集中する、地方には余り税収が入らないというような形になっておりますが、この点はいかがなものであろうかと思われます。例えば、一定以上の階数を利用しているところには別途国税をかけるとか、そういうような
方法があっていいのではないか、あるいは、坪当たり幾ら以上のものについては別途国税をかけるというような
制度があっていいのではないかと思います。
第二番目に、地方税であります
事業税、
法人税等は大体従業員割で考えられておりますけれども、現在、従業員がその市町村に住む、都道府県に住むとは限りません。また、地域サービスの
負担といたしましても、従業員数が最も適切なものであるとも言えません。例えば、東京にありますオフィスの従業員と地方の工場の従業員といたしますと、地方の工場の方が道路
負担にいたしましても廃棄物処理にいたしましても非常に大きな
負担を地方自治体にかけることになります。そういうような
意味で、これに例えば土地使用面積、廃棄物量、水使用量等を勘案した一定の数値をつくる方がいいのではないか、各全国
企業の配分の問題も考えるべきだと思います。
第三番目に、極めて重要な問題は過去からの補助金をどう考えるかであります。
物価が上昇してきますと、早くできた施設は非常に安価につくられております。それを
前提にして原価主義でコストを計算いたしますと、先に公共施設をつくった、公営
企業を始めたところが料金が非常に安くなります。例えば、現在水道代などを見ますと、東京は全国から見てもかなり安い方でございます。そのために、埼玉県に工場があるけれども瓶洗いだけは東京へ持ってきているという
会社もあるわけでございます。あるいは高速道路などにいたしましても、早くつくられたところは非常に安い、今つくっているところは非常に高くなります。地下鉄などは極端な差が出てまいります。こういうのは要するにインフレ利得でありますが、これは本来全
国民に帰属するものではないか。
従来、地方自治体の住民というのは、それを開発した、例えば大正時代に東京の水道を開発いたしました人々の正当な権利継承人が現在の東京都民である、こういう想定でできているわけです。だから、東京が大正時代に努力をしたから今水道代が安いのは当然だと考えられたのでありますが、この人口移動と産業変化の激しい中で、果たしてそうであろうかというのは改めて問い直すべきところがあると思います。
したがいまして、最初に公共
事業が行われました東京は過去から大変大きな補助金がある、大都市ほど多い補助金がある、したがってそこにどんどんと産業と人口が集中する。その都市コストを払わなくていいという形になっております。これをある
程度、急激にはできないにしても、漸次縮小し、再現価格、それぞれのものを今つくったらどれぐらいになるかということを
前提とした料金に近づけていきます。そうしますと、当然そこに黒字が発生いたしますが、それをある
程度、例えば半分はその自治体の再開発、半分は、
法人税を課して国税にして全国配分というようなことを考えるべきではないか、それで地域の先行投資に充てるような
方法を考えるべきではないかということも考えます。
ちなみに申しますと、だれが取るかという問題と関連いたしまして、地方税と国税の徴税一本化もそろそろ検討に値する時期に来ているのではないかと思います。
第三の問題は、だれから取るかであります。
受益者から取るか応能者、納税能力のある人から取るか、これは古来何度も繰り返された問題でありますが、
課税の中立性から見ると受益者
負担が重要だと思いますが、
所得再配分という
意味では応能
負担もまた必要であります。
この福祉が進む世の中で、福祉について、あるいは福祉
社会について
考え方が二つあります。
今恐らく福祉を充実することに強く反対される方は少ないと思いますけれども、この福祉をどういう形で実現するか、これは
税制とも非常に
関係のあることでありますが、一つは、
所得は限りなく平等であるのが理想だという
意見があります。限りなく平等にするためには
所得税の累進率を物すごく上げればいいのですが、余りそれを上げると労働意欲、勤労意欲がなくなって悪いからほどほどにしなければいけない、こういう
考え方を主張する人がいます。これは、本来理想としては
所得は無限に平均的である、平準的であるべきだけれども、人間のさがとしてそれでは働かなくなるから、極端な言い方をすれば必要悪として差を認めているのだという発想であります。
もう一つは、人間が人間の尊厳を持って生きられる
程度の
所得を保障する必要がある、したがって、福祉は必要だけれども、その水準を超えた分については格差があってもいいではないかという
考え方があります。自由経済はもともと後者の
考え方をとっているのでありまして、例えば月何万円までないと今日の日本では人間として尊厳を保てる生活ができない、これまでは国が保障するけれども、そこから上になりますと、物すごく努力と才能と幸運に恵まれて
所得の高い人がいてもいいではないか、そういう発想もあります。
私はそういう
意味で、
所得が完全に平準化するのが理想だとは考えておりません。やはり人間の能力と努力と幸運の差があっていいのではないかと思います。そういう
意味でいいますと、累進
税率は、国税、地方税を含めて、
所得税の場合でございますが、最高がやはり五〇%を超えないのがいいのではないかと思います。
また、受益と応能の問題で、
社会保険等の掛金の方をこれからふやしていくのか、
国民負担率を今世紀中は四〇%の前半ぐらい、ピークのときで五〇%ぐらいという目標がありますが、これは税金の方をふやしていく方がいいのか、それとも
社会保険料のような掛金の方をふやしていくのかという問題があります。過去におきましては大体税金の伸び率が二に対して年金掛金等の伸び率が一ぐらいの割合でありましたが、これからは大体一対一ぐらいでふやしていく方がいいのではないかと考えております。
四番目は、どうやって取るかであります。
これは簡素、公正、中立と言われておりますが、その中で今まで一番考えられなかったのは、実は簡素ということであります。
私たちが三十年前に大学で財政学を習いましたときには、大学派財政学という十九世紀の末から二十世紀にかけてドイツではやりました財政学が幅をきかせておりました。それは取る側の論理でございまして、したがいましてここでは徴税費
最低という、徴税費が安いということが書かれておりまして、これをいかにも簡素であるもののごとく書いてありました。しかし、重要な問題は納める側の論理、税金を払う側の論理でございまして、したがいまして納税費の
負担のできるだけ低い税金をつくらなければならないと思います。
その
意味で、現在問題になっております
消費税の内税化、さらに買い物のたびの合計の一円以下の切り捨て等が
税制で認められる必要があるのじゃないかと思います。私は、基本的に
消費税は悪い税金だとは思っておりません。ただ、納税のたびに非常に手間がかかる、一円玉のおつりにいたしましても非常に手間がかかる点がありますので、これを簡素化すべきだと思います。その
方法として、内税化を進めるとともに、十の品目を買いまして累計で
最後に出てくる数字の一円未満は切り捨てをいたしまして、その切り捨てたものを
費用として商店側、
企業側、売り手の側に認めるような通達を出すべきではないかと思います。
先ほども話のありました簡易
課税でございますが、これについていろいろ不公平だという話がございますけれども、納税費を引き下げる、納める側の論理として簡素ということは大事でございますので、簡易
課税につきましても私は評価するものでございます。
それによって、仕入れが少ないのに八割の仕入れ率が認められているというような話がございますが、逆に言いますと、そういうサービス業というのは今一番転嫁の難しい業種でございます。講演会の謝礼なんかでもなかなか端数をくれないものですから余り転嫁しておりませんけれども、そういうことを考えますと、必ずしも新聞紙上で言われているような特定業者が利益を得ているということはありません。また、
小規模事業者につきまして免除がありますけれども、町の商店などでも転嫁率を考えると決してそんなに得をするばかりでもないと思います。したがいまして、多少見直すべき点はあろうかと思いますが、この簡素という
意味で簡易
課税というのは非常に効果があるのじゃないかと思います。
なお、ヨーロッパあたりで私二カ月ほどとどまってそればかり取材したことがあるのですが、外形標準等の
課税が実はかなり広範に行われております。日本ほどまじめにやってない、まじめと言うと語弊がありますが、日本ほど綿密にやっているとは限らない点がございます。そういうことも御考慮いただきたいと思います。
それから、第二番目の公正でありますが、これにつきましては動態的な経済に対応した、動態的な財政に対応した公正が必要だと思います。
生涯
所得の観点を入れること、それから
先ほど申しましたような地域住民の移動を考慮に入れること、そういう
意味からいいまして、特に累進
税率につきましては、中高年になったときに高くなるとか、あるいはこれから増加するでありましょうデザイナーとかコンピューター技師とかいうのは若いときしか
所得が高くない、逆の人も出てくるわけでありますが、そういう場合も考慮いたしまして、累進
税率の最高は地方税、国税を含めて五〇%以下ぐらいにすべきではないかと思います。
また、地方問題につきましては、過去からの補助金について前述のとおりであります。
五番目に、何のために取るかであります。
これはやはり原則として税は中立であるべきだ、特定の商品もしくは特定の産業を振興するような
税制をつくるというのは非常に困難でありまして、必ずよからぬ結果が出ております。その
意味で、
消費税は個別物品税よりもよい税金になったのではないかと考えております。
この点に関連いたしまして土地の問題があります。
十九世紀の初めにへンリー・ジョージが土地増価税を主張しまして以来、これは何度も試みがありますけれども、土地増価税に
関係するようなものがうまくいったためしがございません。それは、一時的あるいは一地域的な問題を恒久的な
制度であるべき
税制に持ち込むのには非常に疑問を感じるからであります。
今、土地高騰につきましていろいろと新聞でも書かれておりますけれども、逆に、では土地政策は何を目的としているのかと考えますと、新聞紙上等にあらわれている点だけでも甚だ矛盾しております。土地の利用を
促進しようとしているのか、あるいは土地財産の公正化、公平化が目的なのか、あるいは現在住んでいる高齢者や未亡人のような人が地上げ屋さんに追い出されないように現状維持をするのが目的なのか、あるいは土地でもうける者がいるからけしからぬ、もうけられないようにするのが目的なのか、四つぐらい書いてあるのでございますが、この目的は相互に矛盾しております。
例えば、利用を
促進するのであれば、もうかるようにして
事業を
促進しないと利用は
促進されません。それから、現状を維持する、長らく住んでおられた
方々あるいは中小商店をやっておられた
方々が維持できるようにしよう、あるいは都市近郊の農業を維持するようにしようという目的であれば、利用は
促進されません。これはお互いに矛盾していることであります。したがって、
税制でこれを云々することは極めて困難であり、悪影響の方が結果として多いと思います。
法律を立案する人は、これをやったらこうなるだろう、人々がこう対応するだろうと想像でやるわけですが、法律ができてから抜け穴を探す人は、現実で探しますから、将棋を指すときに一方は読みだけで指し、一方は幾ら待ったをしてもいいという形でありますから、必ず悪影響があります。
私は、土地の問題を考えるなら、むしろ土地の担保の制限、土地に担保をつけるときに、例えば公示価格とかなんとか以上は裁判で保証しないという
制度をつくる方が有効ではないかと思います。
なお、国公有地の活用を
促進するために、国公有地に
固定資産税をかけまして、むだな国公有地を行政財産として抱えないようにする、そして、土地を有効に利用いたしますと、その
固定資産税分の予算が新規
事業に各省が使える、だから土地を節約した官庁は非常に有利になるというインセンチブをつけるような
方法を考えるべきではないかと思います。
それから、寄附の問題であります。
これは、善意を福祉と開発に使うべきだと思います。外国に比べて日本は寄附が非常に厳しくなっています。もちろん寄附者がいろいろと間違いを犯すということがありますが、官僚の判断が寄附者の判断より正しいという根拠はございません。お役人が配分しているのでもむだがございますので、少なくとも地方公共団体、特定団体に対する寄附は無税、
所得控除にいたしまして、そして地方団体が寄附集めの競争をすることで福祉と文化
事業を盛んにする、そういうような、地方の公務員にも非常に働きがいのあるような
方法をつくるべきではないかと思います。
もう一つ、納税名誉感を生むべきだと思います。現在は納税は罰則のような感じがしておりますが、やはり多額
納税者は顕彰するような、名誉と考えるような
方法にしないといけないと思います。
最後に申し上げたいことは、裁判では「疑わしきは罰せず」という原則が近代において成立いたしました。ところが、徴税におきましては、税を取り過ぎることは
国民の財産権を侵すことでございまして取り足りないよりもずっと悪いことだ、そういう倫理観が必要であります。だから、税金が予想したよりもたくさん入ったということは、やはり徴税当局といたしましては恥ずべきことであって、自慢すべきことではないのだろうと思います。
このことと取り方の問題とは全然別でありまして、だから新税を入れることはない、旧税のままでいいということにはなりません。旧税の減税
廃止という
方法もありますから、別でありますが、やはり
国民の財産を納税してもらう以上は、取り過ぎないこと、これが全体といたしましても個々の対象といたしましても重要なことだ。この倫理をもっていただかないことには
国民の法を守っていただく行政が行われない、非常な不信感を呼ぶのではないかという気がいたします。
以上でございます。