○深田肇君
質問をするに当たりまして、
一つだけお願いをしておきたいというふうに思います。
実は、私も堀さんと同じようにことしの夏までは一市民でおりましたので、その当時の実感に基づいて率直なことを話してみたいと思いますので、ひとつ御了解をいただきたいというふうに思います。
率直に申しまして、国会外の市民から見ますと、今までの国会の問答ややりとりについて数多くの市民たちが感じていることは、国会のやりとりというのはどうも形式的であって、
内容が抽象的で、もっとはっきり物事を率直に話してもらうことができないのだろうかということが大変強いだろうと思うんです。私は、そういうような
状況が長く続いたりたび重なることが政治に対する不信や議会に対する不信、そして
行政に対する不満につながるおそれもあると感じますので、私は新人であることを盾にとりまして、形が少し変わるかもしれませんけれ
ども、大変率直にずばりと物事を聞いて、お答えの方もしたがって端的に、もう短くて結構ですから結論だけを聞かせていただくというふうに御協力のほどをお願い申し上げておきたいというふうに思います。傍聴席にいらっしゃる方々もなるほどなと、やりとりがすっきりしたと、そして討論の中で可能な限りお互いに結論を見出すことができるように努めたいと思いますので、よろしくまずはお願いをいたしておきたいというふうに思います。
そこで、実は余り時間がないのでどうしようかなと思っておりましたが、堀さんと
大臣のやりとりを聞いておりまして、ぜひとも
障害者の問題に対して、私たちいわゆる健常者の側からこの問題をどういうふうに考えるべきかについて一言申し上げておきたいというふうに思います。実は、今も話を聞いておりまして、私の反省も含めて若干の
指摘をいたしたいと思いますので、御了解のほどをいただきたいと思います。
堀さんが当選をされてから、もっと言えば、今、前島さんはお留守のようでありますが、前島さんが当選されてから国会の中に車いすを
使用して
生活ができる新しい
設備ができたことを知りました。同時にまた、そのときに機を合わせたように駅などでそういう
設備が改善をされるのがどんどん目につくようになったと思います。
堀さんの方へ戻りますが、堀さんが参議院議員に当選されますと、いわゆる議員会館の通路のところに点字ブロックというのができたんです。それで私も堀さんと一緒に歩きますと、その点字ブロックというのは、入り口から入りまして議員専用のエレベーターの前まで行きまして、今度は二階で堀さんがおりると、堀さんの部屋までは行けるんですが、そこで点字ブロックは消えちゃう、
大臣は御存じかどうかわかりませんが。そうすると、堀さんが私の部屋に来るときは点字ブロックがない。これは政策が足らない。金が足らない、予算が足らぬとおっしゃるかどうか知らぬけれ
ども、これは
労働省の問題じゃありませんよ。
私は、
障害者全体をどういうふうに社会的に考えるのかということを言いたいのでありますが、そうすると、
障害者の方が堀さん以外の部屋に行こうと思えば、議員専用のエレベーターに乗る。これはまあ法律
違反じゃないから乗ってもいいでしょう。しかしそこに乗らざるを得ない。それから、
障害者の方が堀さん以外の部屋に行こうと思ったら、もう点字ブロックはない、こういう
状況。堀さんは地下二階の食堂に行くためにも点字ブロックはない。これが今
現状なんですよ。今、堀さんと
大臣が立派な話をされても、目の前の
生活の裏にそれだけの差別があるんですということを、健常者の私たちは反省を含めて自覚しなきゃいかぬというふうに実は感じているわけであります。
時間の
関係もありますから多くを語ることないと思うんですけれ
ども、今手話の方がそこで話をされていますが、これも伺ったら、
皆さんが自分
で仲間を連れてきてやっておられるんですね。
社労
委員長、本当はこういうのもこちらでどんどん用意をして、それで耳の不自由な方もどんどん来てくれ、手話でやりましょうと、こういうふうにだれもが安心して来れるような開かれた国会にすることが必要なんじゃないかというふうにも今気がつきました。私、反省します。
それだけじゃないんです。決して嫌みじゃありません。この前この席上で、官房長が
労働行政についてと、こんな分厚い資料を読み上げ、説明されました。二、三十分で見事な解説なんです。私などは一年生、初めてこの文書をここでもらって線を引いて、物事を理解するだけで精いっぱいですよ。ところが、隣にいらっしゃる堀さんは、点字がないんだから耳だけで聞くんです。いや、事前に
労働省の方々が足を運ばれて
趣旨説明されているという努力はあっただろうと思います。しかし、現実にこの場に点字がない。堀さんは自分のしゃべることは点字でつくってくる。これもちょっと民主国家として、世界の一、二の国としては、もう少し物事を考えたらどうかなというふうに、今の人事院の
皆さんとのやりとりも含めて実は感ずるところであります。
言いたいことは、そういうふうな一、二の例を挙げましたが、やはり健常者が
障害者と一緒になって、同じ人間として極めて自然に
生活できるという思想の転換をしないと、私
どもはこれを共生と呼ぶんですが、共に生きようというんです。
大臣は盛んに何とかしようではないか、おまえたちが一生懸命――おまえたちという言葉は使われなかったな、取り消しますが、自立をして頑張ろうと言われていると。それについて
大臣が御自身の経験を含めて、涙ぐんで物すごい熱意を込めて話をされましたが、そういう格好で救おうとか同情しようという構えが続く限り、この問題は本質的に解決できない。
この世の中、同じ人間としてお互いが
生活しているんだから、自然の成り行きで物事をやれるというふうに、当たり前のような
状況をどうつくるかということだと思うのです。したがって、目の悪い方のためには点字が必要だろうし、耳の御不自由な方には話がちゃんと伝わるような方法を考えなきゃいかぬだろうし、足場の悪い方々についてはそれをどういうふうにするかということが、もうすべての社会構成の中でできる。そして、そのことが当たり前だというふうに人間が考える、
日本国民が考えるという
状況をどうつくるかということを、ひとつ
労働大臣は閣議の中でお話しいただいて、海部総理
大臣からそういう積極的な提言を出してもらうことがなければ、本格的に
障害者問題の解決はできないと私は思いますので、そのことをひとつお話として申し上げておいて、これも別に答弁をもらうことないと思いますから、私自身の反省を含めて申し上げておきたいというふうに思います。
そこで、実は大変恐縮でありますが、私は
労働省の方を中心に、建設と建築に携わる
勤労者の地位を高めるために若干の
質問をさせていただきたいというふうに思います。
最近は好景気と言われているわけです。そこで、一方ではまた人手不足だということも大変聞くわけです。技能工は不足している。若い
労働者のいわゆる入職、この
仕事についていこうというような人が大変少ない。いわんや後継者の養成などは大変深刻な
状況になっているということが言われているんですが、
労働省のどなたでも結構、
大臣から別にいただかなくても結構でありますが、このような認識を私は持っているんですが、これは共通の認識として今確認できますか。