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1989-11-14 第116回国会 衆議院 内閣委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    国会召集日平成元年九月二十八日)(木曜日 )(午前零時現在)における本委員は、次のとお りである。    委員長 吹田  愰君    理事 井上 喜一君 理事 榎本 和平君    理事 斉藤斗志二君 理事 笹川  堯君    理事 宮里 松正君 理事 田口 健二君    理事 竹内 勝彦君 理事 塚田 延充君       天野 公義君    有馬 元治君       大村 襄治君    奥野 誠亮君       加藤 卓二君    河本 敏夫君       竹中 修一君    玉生 孝久君       古屋  亨君    堀之内久男君       武藤 嘉文君    森下 元晴君       大出  俊君    角屋堅次郎君       多賀谷真稔君    広瀬 秀吉君       井上 和久君    鈴切 康雄君       吉田 之久君    浦井  洋君       柴田 睦夫君 ────────────────────── 平成元年十一月十四日(火曜日)委員長指名で 、次のとおり小委員及び小委員長選任した。  恩給等に関する小委員       榎本 和平君    大村 襄治君       奥野 誠亮君    加藤 卓二君       河本 敏夫君    笹川  堯君       玉生 孝久君    大出  俊君       角屋堅次郎君    鈴切 康雄君       吉田 之久君    浦井  洋君  恩給等に関する小委員長    榎本 和平君  在外公館に関する小委員       天野 公義君    有馬 元治君       斉藤斗志二君    竹中 修一君       堀之内久男君    宮里 松正君       森下 元晴君    角屋堅次郎君       田口 健二君    井上 和久君       塚田 延充君    柴田 睦夫君  在外公館に関する小委員長   宮里 松正君  地域改善対策に関する小委員       天野 公義君    井上 喜一君       笹川  堯君    竹中 修一君       古屋  亨君    宮里 松正君       武藤 嘉文君    多賀谷真稔君       広瀬 秀吉君    竹内 勝彦君       塚田 延充君    柴田 睦夫君  地域改善対策に関する小委員長 井上 喜一君 ────────────────────── 平成元年十一月十四日(火曜日)     午前十時二十分開議  出席委員    委員長 吹田  愰君    理事 井上 喜一君 理事 榎本 和平君    理事 笹川  堯君 理事 宮里 松正君    理事 田口 健二君 理事 竹内 勝彦君    理事 塚田 延充君       天野 公義君    加藤 卓二君       玉生 孝久君    古屋  亨君       角屋堅次郎君    坂上 富男君       多賀谷真稔君    広瀬 秀吉君       井上 和久君    鈴切 康雄君       浦井  洋君    柴田 睦夫君  出席政府委員         内閣総理大臣官         房広報室長   岡村  健君         厚生政務次官  近岡理一郎君         厚生省健康政策         局長      仲村 英一君  委員外出席者         議     員 竹内 黎一君         衆議院法制局第         二部長     森  厚治君         総務庁行政監察         局監察官    山岸 親雄君         法務大臣官房審         議官      濱崎 恭生君         法務大臣官房審         議官      東條伸一郎君         文部省高等教育         局医学教育課長 小林 敬治君         厚生大臣官房老         人保健福祉部企         画課長     高木 俊明君         厚生大臣官房老         人保健福祉部老         人福祉課長   辻  哲夫君         厚生大臣官房老         人保健福祉部老         人保健課長   伊藤 雅治君         厚生省保健医療         局疾病対策課長 松澤 秀郎君         厚生省保健医療         局結核感染症         対策室長    曾我 紘一君         厚生省薬務局企         画課長     佐々木典夫君         厚生省薬務局生         物製剤課長   小野 昭夫君         厚生省保険局医         療課長     小林 秀賢君         内閣委員会調査         室長      林  昌茂君     ───────────── 委員の異動 十月十三日  辞任         補欠選任   井上 和久君     大久保直彦君 同日  辞任         補欠選任   大久保直彦君     井上 和久君 同月十六日  辞任         補欠選任   井上 和久君     日笠 勝之君 同日  辞任         補欠選任   日笠 勝之君     井上 和久君 同月十七日  辞任         補欠選任   吉田 之久君     岡田 正勝君 同日  辞任         補欠選任   岡田 正勝君     吉田 之久君 同月十九日  辞任         補欠選任   井上 和久君     大久保直彦君 同日  辞任         補欠選任   大久保直彦君     井上 和久君 十一月十四日  辞任         補欠選任   大出  俊君     坂上 富男君 同日  辞任         補欠選任   坂上 富男君     大出  俊君     ───────────── 九月二十八日  臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案丹羽雄哉君外三名提出、第百十三回国会衆法第八号)  防衛庁設置法及び自衛隊法の一部を改正する法律案内閣提出、第百十四回国会閣法第一三号) は本委員会に付託された。 十一月十日  臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案(第百十三回国会衆法第八号)の提出者丹羽雄哉君外三名」は「竹内黎一君外四名」に訂正された。     ───────────── 本日の会議に付した案件  国政調査承認要求に関する件  小委員会設置に関する件  参考人出頭要求に関する件  臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案竹内黎 一君外四名提出、第百十三回国会衆法第八号)      ────◇─────
  2. 吹田愰

    吹田委員長 これより会議を開きます。  まず、国政調査承認要求に関する件についてお諮りいたします。  国政に関する調査を行うため、本会期中  行政機構並びにその運営に関する事項  恩給及び法制一般に関する事項  公務員の制度及び給与に関する事項  栄典に関する事項 以上の各事項について、衆議院規則第九十四条の規定により、議長に対して承認を求めたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 吹田愰

    吹田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。      ────◇─────
  4. 吹田愰

    吹田委員長 次に、小委員会設置に関する件についてお諮りいたします。  恩給等調査のため小委員十二名からなる恩給等に関する小委員会  在外公館にかかわる諸問題を調査するため小委員十二名からなる在外公館に関する小委員会  地域改善対策調査のため小委員十二名からなる地域改善対策に関する小委員会 を、それぞれ設置することとし、各小委員及び小委員長選任につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 吹田愰

    吹田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  小委員及び小委員長は、追って指名の上、公報をもってお知らせいたします。  なお、小委員及び小委員長辞任の許可及び補欠選任につきましては、あらかじめ委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 吹田愰

    吹田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。      ────◇─────
  7. 吹田愰

    吹田委員長 次に、第百十三回国会竹内黎一君外四名提出臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案議題といたします。  この際、お諮りいたします。  ただいま議題といたしました本案につきましては、第百十四回国会において既に提案理由説明を聴取いたしておりますので、これを省略いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  8. 吹田愰

    吹田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     ─────────────  臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案     〔本号末尾に掲載〕     ─────────────
  9. 吹田愰

    吹田委員長 この際、参考人出頭要求に関する件につきましてお諮りいたします。  臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案審査のため、十一月十六日午前十時十分より、筑波大学教授斉藤誠二君、全国肝臓病患者連合会事務局長西河内靖泰君、国立小児病院医療研究センター実験外科部長神戸大学医学部教授鎌田直司君、日本弁護士連合会理事生命倫理研究会常任幹事西岡芳樹君、以上四名の方々を参考人として出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  10. 吹田愰

    吹田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     ─────────────
  11. 吹田愰

    吹田委員長 これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。坂上富男君。
  12. 坂上富男

    坂上委員 坂上富男でございますが、臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案に対する質疑をさせていただきたいと思います。  まず厚生省にお聞きをいたしますが、きのうからけさ方にかけまして、父親の生体肝が一歳の赤ちゃんに肝移植されまして、島根医科大学で手術成功したというふうにも報じられております。しかしながら、また問題が識者の中からいろいろと指摘されておるわけでございます。私は何よりもこの成功を祈らずにはおられないのでありますが、厚生省専門的な立場からこの問題をどう見るか、そしてまた、この手術の及ぼす今後への影響、そういうふうなものについてひとつ御所見をお聞きしたいと思います。
  13. 仲村英一

    仲村政府委員 新聞報道によりますと、ただいまお尋ね島根医大生体肝移植が行われたということでございます。手術成功をお祈りしたいわけでございますが、脳死前提とした肝移植が行われていない現状で、家族のお気持ちに基づいて実施されたというふうに伺っておりますが、技術的な問題でございますとか、臓器提供者に非常に大きな負担をかける問題でございますとか、説明の仕方、納得をしていただく方法とか、いろいろそれをめぐる問題がたくさんあると考えております。  脳死からの移植を優先すべきだという御意見をお持ちの学界の方もおられるようでございまして、学界意見がいろいろになっておるということもございます。  この問題につきまして、私どもとしてはもうしばらく経過を見守った上で判断をさせていただきたいと思っておるところでございます。
  14. 坂上富男

    坂上委員 きのうの夕刊でございますが、水戸旭川医大教授は「日本肝臓外科医なら技術的に心配ない。問題は移植を受ける子どもの術後の拒絶反応をどう抑えるかで、日本中の研究者が助言を与えることになるだろう。」「本来なら生体肝移植ではなく脳死者肝臓を使うべきだが、肝臓再生力が強いので、倫理的には国内で年間四百―五百例ある生体腎移植よりも問題はないと思う。」こうおっしゃっておりますが、いかがですか。
  15. 仲村英一

    仲村政府委員 そういう御意見先生もおられると思いますが、一方にはやはり死体移植を優先すべきだという御意見をお持ちの先生もおられるようでございますので、先ほど申し上げましたように、学界の評価と申しますか学界意見もまとまっていないというふうに私ども判断しておるところでございます。
  16. 坂上富男

    坂上委員 この間、豪州で日本人のお母さんと子供さんが生体肝移植をして、一歳の男子なんですが、世界で二例目だと報道されているわけでございます。現在、この患者はどのような術後の状態をたどっておられるでございましょうか。  それからいま一つ、神奈川の男子子供さんがやはりオーストラリアで、同じく先天性胆道閉鎖症で、脳死をした人の肝臓分割移植をしていただいたのですが、これは亡くなられた、こういう報道があるわけでございます。これについて厚生省の御意見はいかがですか。
  17. 仲村英一

    仲村政府委員 まことに申しわけございませんが、その特定のケースにつきましての現状を把握しておりません。ただ、今おっしゃいましたように一例は成功、一例は患者さんが亡くなったというふうなことだと理解しております。
  18. 坂上富男

    坂上委員 厚生省、やはりこの際少し的確な御判断をいただかないとこの審議をするにもあれなんですが、亡くなられた方の患者さんは脳死から移植された肝移植だというんですね。それから、今のところ成功しておりますところのオーストラリアにおける生体肝移植、それから今回の肝移植、これが一応成功したという形で続いておるわけでございますが、そういう意味で私は聞いているのでございます。きょうはあくまでも脳死臓器移植に関する審議でございますから、やはりきちっとした区別なり見解があってしかるべきだと思うのでございます。ただわからぬでは、これは専門家厚生省態度とはちょっと思えないのでございますが、いかがですか。
  19. 仲村英一

    仲村政府委員 御指摘のとおり私どももっと情報を的確に集めるということをしなくてはいけないと思いますが、なお調査を進めたいと考えております。
  20. 坂上富男

    坂上委員 後でいいからやはりもう少し詳しい答弁をいただきたい、こう思っております。  さてそこで、提案者に御質問申し上げますが、まずこの法案の「脳死」というのはどういう意味でございますか。
  21. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 お答えをいたします。  私決して専門家じゃないわけですから、その点は御容赦してお聞き取りをいただきたいわけでございますが、私は、いわゆる脳死というのは全脳の不可逆的な停止を指して脳死というのが日本における一般的な通説であろうか、こうは承知しておりますが、一方、これに対しての異なった意見のあることも伺っております。
  22. 坂上富男

    坂上委員 それでは、この法案の「臓器」というのは何を指していますか。
  23. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 臓器移植対象になる臓器範囲を限定して列挙することは、将来の医学の進歩の可能性を考えますと難しいことであると思われますが、本調査会調査対象とするものは、心臓肝臓膵臓等臓器であって、その移植治療方法として確立しており、その移植が人の生命または健康の保持に不可欠なものということができようかと思います。しかし、移植対象となる臓器範囲につきましても、生命倫理の尊重との関係もあり、本調査会調査審議対象となるものではないかと考えております。
  24. 坂上富男

    坂上委員 今立法されておりまするのが角膜と腎でございますが、角膜はどうですか、眼球。
  25. 仲村英一

    仲村政府委員 角膜臓器判断しております。
  26. 坂上富男

    坂上委員 提案者の方もそれでいいのでしょうか。
  27. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 私もそのように考えます。
  28. 坂上富男

    坂上委員 そうすると、厚生省脳死角膜関係はどうですか。
  29. 仲村英一

    仲村政府委員 角膜脳死とは直接関係ないと考えておりますが、角膜に関します法律では死体からの摘出というような表現になっておったかと思います。
  30. 坂上富男

    坂上委員 私は、どうも御理解をいただいて答弁いただいているのかどうかと思っているわけです。今の角膜腎臓に対する移植法案は、立法の趣旨からいいますと確かに個体死から取り出してこれを移植する、こういう問題でございます。腎は大体一時間以内に移植をしなければならぬ、こう言われているわけです。角膜というのは一週間もつというのです。ですから腎については、確かに一時間以内ですから移した方がいいのだろうとは思うのですが、角膜の場合、脳死から取り出した角膜というのは一体どのような効果があるのか。いわゆる個体死から出した角膜というのは一週間は大丈夫だ、こう言われているわけであります。だから、こういう点で厚生省脳死との関係においてどういうふうにお考えになっているのですか、こういうふうに聞いているのですから、どうぞ。
  31. 松澤秀郎

    松澤説明員 お答えさせていただきます。  最初のは、今回御審議臨時脳死臓器調査会法案における「臓器」の範囲という意味でございませんで、一般的に角膜臓器か、こういう御質問趣旨だと思いまして、臓器であるとまずお答えしたわけでございます。  それから二点目でございますけれども角膜脳死につきましては、基本的には、坂上先生指摘のとおりまさしく角膜個体死の後に取り出すことが可能でございますから、そういった意味では脳死問題とは直接関係がないという認識でございます。  腎臓につきましては、移植のための取り出す時間がほぼ一時間以内と言われておりまして、取り出した後にある処理を加えることによって、場合によっては約三日ぐらいもつこともございますものですから、それは取り出す時間が一時間以内が望ましいという意味では今後脳死問題とは極めて密接な議論がなされる可能性があると考えております。
  32. 坂上富男

    坂上委員 厚生省、私の質問をよく聞いてくださいよ。いわゆるこの調査会法案の中の「臓器」というのは何を含みますかといって竹内先生にお聞きした。厚生省の方から角膜も含まれますと言うから、じゃ先生も同一ですかと言ったら、先生も、そうです、こうおっしゃる。そうだとするなら、これは脳死臓器移植との関係調査会なんだから、どう認識をしていくか、こう聞いているのです。それを聞き違えしましたなんといったんじゃ、これは承知できません、さっきから言っているように。中途半端なことを言わないで、わからぬならわからぬときちっと言ってください。これは極めて重要な、本当に新しい質疑だろうと私は思っているのです。でございますから、きちっと答弁をいただきたいし、この法案の成立について我々の態度も決めなければならぬわけでございますから、この際調査会でこういう点、こういう点をきちっと御審議いただきたいということを御指摘を申し上げているわけでございますから、どうぞひとつきちっとお答えを賜りたいと思います。  さて、今度は法務省にお聞きをいたします。  問題の、札幌医大でございましたか、和田教授の、心臓移植事件と申しましょう、これについてお聞きをいたしたいのでございますが、不起訴理由、まずこれについてお聞きをいたしましょうか。
  33. 東條伸一郎

    東條説明員 お答え申し上げます。  昭和四十三年八月にいわゆる和田教授心臓移植事件といいますか心臓移植手術が行われまして、この事件につきましては一般人から検察当局告発がございました。告発内容は、心臓提供者に対する殺人、それから心臓移植手術を受けた人に対する殺人、こういうような内容告発でございました。札幌地検では所要の捜査を行いまして、昭和四十五年九月に不起訴にいたしました。  不起訴理由は、結論的には嫌疑不十分ということでございますが、心臓提供者側に対する殺人という問題について、その心臓を摘出した時点におきまして提供者といいますか、その方が生存していたと認めるに足る十分な証拠がないという証拠上の判断でございます。それから心臓移植を受けた方に対する殺人という事実、あるいはこれは業務上過失致死ということでも構成することは可能でございますが、こういうことにつきましては、一つには当該移植手術自体延命効果を期待した治療目的による手術であって殺意の点では否認されるということと、治療行為それ自体過失があったということを認めるに足る十分な証拠がない、こういう理由で不起訴にした、こういうふうに聞いております。
  34. 坂上富男

    坂上委員 法務省嫌疑不十分というのはわかりやすく言うとどういうことですか。
  35. 東條伸一郎

    東條説明員 先生、御専門でございますので、釈迦に説法と申しますか、要するにある告発された事実なり想定される事実につきまして、それを裏づけるだけの十分な証拠がないということであろうかと思います。
  36. 坂上富男

    坂上委員 そうしますと、嫌疑十分ということになりますと、これは起訴になったのですか。
  37. 東條伸一郎

    東條説明員 当時の時点で、嫌疑十分になったときに御承知のように検察官はさらに証拠が十分ありましても起訴猶予するという措置も可能でございますので、どのような措置をとったか、当時の時点にさかのぼって考えなければいけないと思います。私自身、当時の事件の担当もいたしておりませんので、具体的にそれ以上申し上げることはいたしかねますが、証拠十分になれば起訴猶予起訴かということになろうかと思います。
  38. 坂上富男

    坂上委員 さてそこで、この捜査の中では、脳死は問題になったのですか。そして、死というものを検察は一体個体死と見たのですか、あるいはこの当時から脳死も死と見ておられたのか、どうなのですか。
  39. 東條伸一郎

    東條説明員 先生承知のとおり、刑法上の死というものについて刑法にはもちろん定義規定もございませんし、どのような扱いをしてきたかと申しますと、従来はいわゆる三徴候死心臓停止と呼吸の停止と瞳孔の拡散という三つ徴候があるということをとらえて、その時点で死であるということで従来ずっと実務はやってきております。この事件捜査に当たりまして、当然いわゆる脳死という状態が問題になる。脳死刑法上の死と認めるかどうかということについても当然念頭に置いて捜査はされたものだと思いますが、検察当局としては、当時は伝統的な三徴候死による死というものを前提として調べを進めたというふうに聞いております。
  40. 坂上富男

    坂上委員 当時としては死について三徴候説をとった。今は検察庁は変わっているのですか。
  41. 東條伸一郎

    東條説明員 お答え申し上げます。  真正面からお尋ねをいただきまして、大変難しいところでございますが、ただいま御説明申し上げましたように、刑法上の死について従来三徴候説によってずっと事件を処理してまいりました。私ども門外漢でございますが、私ども認識を申し上げれば、現段階における医学界大勢脳死をもって個体死と認めるべきであるというような見解大勢を占めつつあって、なおその間に、それに対して疑義をとどめる向きもあるのだ、このように承知しております。  ところで、刑法上の死というものを決めるときに、私どもは基本的にこれは医学の問題であるという認識はございますけれども、単に医学界の問題だけではなくて、死という問題は倫理とか宗教あるいは国民生命についてどのように考えているかというものを背景にして決定せざるを得ないという認識に立っております。そこで、従来の三徴候説というのは、これもお医者様が三つ徴候があらわれればこれで人間は死んだのだ、このように言われたのだろうと思います。それに加えて、恐らく国民の側でも、そのような状況があらわれたならば死として扱ってもいいだろうという意識があったのだろうと思います。それで、私どもはそれを踏まえて裁判の実務においてそういう取り扱いをしてきたという経緯がございまして、脳死というものがその死の新しい段階といいますか、脳死段階をもって個体が死んだという意見医学界大勢を占めつつある状況であるという認識はありますけれども、現段階において直ちに脳死をもって死というふうに我々が考えることができるというように判断しているわけではございません。
  42. 坂上富男

    坂上委員 さてそこで、さらに法務省に聞くのですが、これについて日本弁護士連合会が警告を発しております。それから、札幌検察審査会も不起訴不相当という意見を出して決議をしておるわけでございますが、この主なる意見はどういう内容でございましたか。また、検察審査会の決議に対して検察庁としてはどう対応されたのか、お聞きしたいと思います。
  43. 東條伸一郎

    東條説明員 第一点の日本弁護士会の警告ないし要望は、直接検察庁に対してなされたものではございませんで、関係和田教授あるいは札幌医大の方に事件後なされたものであるというような認識に立っております。ただ、そのほかに日弁連の方で調査をされて、その調査結果を札幌地検の方に提供されたというようなことも聞いてはおります。  検察審査会の判断でございますが、先ほど申し上げました昭和四十五年九月に札幌地検で不起訴処分にしたことに対しまして、告発人の側から審査の申し立てがございまして、昭和四十六年十月十四日に不起訴不相当という議決がなされております。  議決の具体的な内容につきましては、これは個別の事件にかかわるものですから詳細にはお答えを申し上げることは差し控えさせていただきたいのでございますけれども、いろいろな点が指摘されておりますが、趣旨とするところは、二人の人命にかかわることであって市民の関心も非常に高いことであるので、さらに捜査をして再検討しなさいというような趣旨であったと聞いております。この検察審査会の議決を受けまして、札幌地検ではさらに捜査を行いまして、被疑者や参考人など再度取り調べをいたしておりますが、四十七年八月に再び不起訴の決定をいたしております。
  44. 坂上富男

    坂上委員 少し決議の内容等も、理由等もお聞きしたいし、また、これに対して検察庁がどういう判断をしたのかということも実はお聞きしたいのでございますが、何か歯切れが悪いようですし、時間の関係もありますから、さらに次の質問とあわせてお答えできたらしていただきたいと思います。  さて、今おっしゃるように、いわゆる和田教授心臓移植問題については脳死ということを余り考えに置かないで裁定をされておるようでございます。  最近、確かに脳死問題がいろいろと言われるようになってまいりました。そこで、脳死状態にある患者さんから腎を取り出しまして、これを移植しておるわけでございますが、これについて東大のお医者さん方から告発がなされておるわけでございます。私は、東京、それから筑波大学、新潟の二件、こういうふうに理解をしておるのでございますが、告訴の件数、告訴の要旨、そして現在の捜査状況、そして検察は大体どういう対応か、脳死をもって死として捜査をなさっているのか、あるいは依然として札幌事件のように個体死をもって死の判定時期とする、こういうふうにして捜査をなさっているのか。この四つの事件、あるいはまだ告訴、告発がなされておるとするならば、その事件の概要を簡単にひとつお話をいただいて、今後の見通しをお聞きしたいと思います。
  45. 東條伸一郎

    東條説明員 お答え申し上げます。  現在私どもで把握している事件は三件ございます。昭和五十九年九月二十六日に筑波大学で行われました脳死状態にあった者から摘出した膵臓、腎臓移植手術に関連する告発事件、これが一つでございます。それから昭和六十一年三月、東京の広尾病院で行われました脳死状態にあった者から摘出された腎臓移植手術に関連するものがもう一件でございます。三件目は、昭和六十三年五月と本年一月九日の二回に新潟県の信楽園病院において行われました脳死状態にある者からの腎臓摘出に絡む告発事件の三件が現在検察庁の方に告発によって捜査対象になっておる事件でございます。  それぞれの事件について、御承知のように医療に絡む非常に難しい事件でございますので、現在所要の捜査をしているところと聞いております。お尋ね脳死の問題について従来どおりの立場をとりながら捜査をしているのかどうかということでございますが、脳死を死と認めてよろしいのかどうかという問題も含めて検討対象としている、それが一つの重要な問題であるという認識を持ちながら捜査をしているというふうに聞いております。  捜査の見通しでございますが、何分にも先ほど申し上げましたような非常に難しい問題を含む事件でございますので、この段階でいつごろどのような結論が出るかということを申し上げることはちょっとできかねる状況でございます。
  46. 坂上富男

    坂上委員 法務省、これはやはり法務省判断というもの、検察庁の判断というものを関係者は相当重要視して待っていると私は思うのです。また、これをきちっとしてやらないと、今後の臓器移植に関する医学上の治療法と言われるものの進歩がおくれるのじゃなかろうか、こう思っておるわけでございます。したがいまして、古いのはもう三年、四年とたっているわけでございます。検察態度を待っている、検察態度が待ち切れなくて医学界の方では手術をなさる、そしてまた告訴が出る。ちょうどイタチごっこをやっているわけでございます。これでは国民は一体どこを頼ってどうしたらいいかわからぬわけでございます。やはりきちっとやるべきだろうと思うのであります。検察庁でございますから殺人罪の時効が完成するまではいいやというわけではないのだろうと思うのです。きちっとなさっているのだろうと思いますが、見通しもわからぬでは心細いわけでございます。私は、検察検察の立場できちっと出すべきではなかろうかと思っていますが、いかがでしょう。
  47. 東條伸一郎

    東條説明員 お答え申し上げます。  先ほど来申し上げておりますように、私ども検察の立場で死とは何かと判断する立場でございますけれども刑法上の死というものを医学界認識ないし医学界の通説だけに準拠して決めてよろしいものかどうか、それ以外にいろいろ考えなければいけない要素があるのではないか。これを殺人とかそういう事件に関連してではございますけれども検察だけが先に判断を示すことはいかがなものか。十分な御議論をいただいて、その結論を見て刑法上の死というものについての考え方を定めていく方がむしろ妥当ではないかという判断があると考えております。
  48. 坂上富男

    坂上委員 では具体的に聞きましょうか。  調査会が成立する。そして二年間でどういう結論を出すのかわかりませんが、その結果を待って判断する、こう聞いていいですか。
  49. 東條伸一郎

    東條説明員 具体的な事件に関する具体的な処理について法務省の立場であれこれ申し上げるのは相当ではないと思いますが、調査会ができましていろいろ御議論がなされることと思います。御調査の結果も当然発表になると思いますが、そのような結果も十分考慮に入れながら判断をすることになるのではないかと私は考えております。
  50. 坂上富男

    坂上委員 ではこれが成立しなかったらどうです。私ども賛成、反対、まだ決まっていないのですから。
  51. 東條伸一郎

    東條説明員 私どもの立場で、成立しない、するということを前提として申し上げるのはいかがかと思いますが、私どもとしては、従来から脳死の問題についてのいろいろな御意見、御見解それから社会的な意識の動向をいろいろな形でデータを集めておるわけでございまして、いずれにしてもいつまでも事件をほっておくわけにはいかないわけでございますので、そういう動向をにらみながら捜査を進めていくことになろうかと思います。
  52. 坂上富男

    坂上委員 これ以上私が質問してもお答えが無理でしょうから、一応この程度にとどめまして、札幌医大の事件と絡めながら、こういう部分もあるのではなかろうかということで御指摘を申し上げたいのでございますが、行政監察局にお伺いをいたします。  角膜及び腎臓移植についての実態調査をなさったようでございますが、その時期そして問題点、簡単でいいですからお答えいただきましょうか。
  53. 山岸親雄

    ○山岸説明員 総務庁におきまして昭和六十年度に角膜及び腎臓移植に関する法律の施行状況に関する調査というものを実施いたしました。この調査の結果によりますと、調査対象とした十一のアイバンクにおきまして、調査対象期間内に摘出した眼球のうち七〇%は角膜移植に使用されておりましたけれども、残り三〇%は使用されておりませんでした。この使用されていなかったものにつきまして理由が判明するケースについて整理しましたところ、摘出された眼球が疾患等によりまして使用不能でありましたものが約六割、移植病院また移植希望者の受け入れ条件が整わずに結果として利用されなかったものが約四割ということになっております。  このように提供者の善意が生かされずに使用されない眼球が発生しました一因としまして、当時、提供された眼球は原則として当該アイバンク管内の移植機関に配分されておりましたのですが、使用の予定のない眼球につきまして広域的なあっせんをするという体制が確立されておらなかった、こういう事情がございましたので、厚生省に対しまして各バンク間の連絡体制を確立するようにと、こういう改善を求めております。
  54. 坂上富男

    坂上委員 パーセンテージでお示しになりましたが、少し具体的な数字をお聞きいたしたいと思うのでございます。  摘出された眼球の保存等の状況についてでございますが、今おっしゃったのを数字であらわしますと、調査対象が十一バンク、摘出の眼球数が六千二百二十四、使われた眼球数が四千三百五十六、そして結果的に使われなかった未使用の眼球数が千八百六十八、パーセンテージに直しますと、七〇%は使用されたけれども、三〇%は使用されないまま廃棄された、こういうふうに理解していいのでしょうか。
  55. 山岸親雄

    ○山岸説明員 使用されておらなかった三〇%の中にはまだ保存期間内のものがございましたので、全部が廃棄されたということではございません。その内訳については調査時点でわかっておりませんので、三〇%は未使用のまま保管されておったということでございます。  それで、先ほど別途利用されていなかったものについての理由を申し述べたのですが、これは未利用であったものについて、理由がわかったものだけを抜き出したわけでございます。二百四十一事例でございます。二百四十一事例のうち未使用のものが八十ございました。約三三%でございます。その未使用のもののうち使用不能というものが、疾患等によるものあるいは高齢によるものということで、二〇%になるわけでございます。先ほどこれが未使用のもののうちの約六割というふうに申し上げました。これは廃棄されたと考えられます。それから受け入れ条件が整わなかったということで使用されなかったものが一二・八%ございます。これは先ほど約四割と申し上げたわけでございます。これも廃棄されたものと思われます。  先生おっしゃられました最初の六千二百という調査対象と、今私が申し上げました二百四十一というのはちょっと調査対象がずれております。したがいまして、三割がそのまま廃棄されたということではございません。
  56. 坂上富男

    坂上委員 廃棄はされないけれども、使用されないでいる。いずれ廃棄の運命にあることは間違いないだろうと私は思うのです。  そこで私は、実は数カ月ぐらい前から、この話を聞きまして、いろいろ資料を集めていたのでございますが、実はようやくきのう資料を入手してきょうの質問に間に合ったわけでございます。これを見て私は、善意で角膜を提供している本当に善意の皆様方に対して、結果的に三割使用できないというような事態が起きていずれ廃棄されていくということは、もう何ともやりきれない気がするわけでございます。これは監察官、調査されまして、まず監察官とされましてはどういうお感じでしたか。これはひど過ぎると思いませんか。これはもうこれくらいのスコアが出るのは当たり前だ、こう理解したらいいのですか。どうです。
  57. 山岸親雄

    ○山岸説明員 せっかく善意によりまして提供されたものでございますから、これらの眼球が有効に使われるように、当該バンクの管内で使われなかったものをほかのバンクの管内にあっせんするということで広域利用をしていただきたいという改善意見を述べております。
  58. 坂上富男

    坂上委員 厚生省、いかがですか。今のような事実は今まで厚生省はわかっていないのですか。せっかくこういう死体から眼球や腎を取り出すことを法律でつくりましても、こうやって取り出したものがむだ遣いをされている。しかもまた、取り出し方の中で、病気で使えない眼球を取り出さなければならぬというような、これは全く物としか見ていないのであって、日本人の感情からいいましたら相当な問題なんじゃなかろうか、こう思っておるわけであります。まず、監督官庁としての厚生省はこの事態をどう認識しますか。
  59. 松澤秀郎

    松澤説明員 お答えいたします。  六十二年の六月に出ました今話題になりましたこの法律の施行状況に関する調査結果報告書、内容はただいま御議論ございましたけれども、その結果につきましては、まさしく善意によって提供されたものが、結果的に使用不能なものを含めまして未使用が三〇%あったという事実につきましては、厳粛に受けとめております。それ以降、六十三年になりますけれども、そのことを受けまして私どもバンク間の協議会というものを発足させまして、そういうことのないようにということを熱意を持ってやらせていただきました。その結果といたしまして、定期的にそういった協議会を開催して、ただいま坂上先生指摘趣旨を踏まえましてやらせていただいているのが現状でございます。
  60. 坂上富男

    坂上委員 厚生大臣のかわりに次官がお見えですから、次官いかがですか、こういう実態。
  61. 近岡理一郎

    ○近岡政府委員 いろいろな論議を聞いておりまして、これからさらに一層アイバンクの活用にもっと真剣に取り組んで、活用していくように努めなければならない、このように思います。
  62. 坂上富男

    坂上委員 本日は、脳死臓器移植調査委員会法案審査なんです。したがって、いろいろこれらをめぐって我々の周辺にある問題点を私はこうやって指摘をしておるわけでございます。殊に、さっき言いましたとおり、角膜は寄附するのは寄附していただいて結構でございます、しかし使われないのは使いません、こんなような行政の仕方でないか、実はこう思っておるわけでございます。  したがいまして、さらに今度角膜以上にこれからの脳死あるいは臓器移植、それ以上にまた医学的に困難な問題があるのだろうと思います。今の合法的な法律のもとにおいてすらこういう状態なので、果たして今私たちは一体これを乗り越えまして脳死臓器移植までさらに踏み込めるだろうか。後でまた法務省に聞きますが、いわゆるこういう医学に対して国民が信頼するかしないかということが検察がこれに対応する大きな対応の仕方であると言っておられるわけでございます。したがいまして、今言ったように、いわば善意の提供者の善意にこたえることのできない今の臓器移植の対応でなかろうかな、こう思っておるわけでございますが、もう一度お聞きをいたしましょう。厚生省、今後どうしますか。
  63. 松澤秀郎

    松澤説明員 先ほど述べましたけれども、そういった定期的な協議会等を開催いたしまして、そういうことのないようにということを周知徹底させてもらっているところでございます。  ちなみに以降の結果について御報告申し上げますと、六十三年度一年間につきましては全角膜摘出数が千九百二十個ございまして、そのうち八三・三%が使われておりまして、未使用角膜は一六・七%となっております。この一六・七%につきましては、その内訳、さらに詳細なことは現時点つかんでおりませんけれども、とにかく使われなかったものが半減したということは一つの前進になろうと考えております。  また、もう一点でございますけれども、行政監察局の御指摘の中にございました、担当地域外に広域的にもっとあっせんをしろ、こういう御指摘も重要だと考えております。その点につきましての数字を申し上げますと、この六十三年度一年間の担当地域外のあっせん数は、年間百五十個、全使用角膜の約一割を占めておるというのが現状でございます。
  64. 坂上富男

    坂上委員 今度は提案者にお聞きをします。  この法案議員立法としたのはどういうわけですか。
  65. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 お答えいたします。  脳死の問題というのは人の生死という厳粛かつ微妙な問題でありまして、政府が何らかの方向を定めて国会にその是非を問うという手続にはなじまないのじゃないか。そこには価値観とか文化の側面に触れるものもあると思います。その意味では、政府提案という形は非常に難しい面があります。  また、現実的にも、医療の面では厚生省脳死状態臓器を摘出した場合殺人罪または承諾殺人罪になるか、相続はいつ起こるかというような面では法務省というぐあいに、関係省庁も多く、人の死に関連する法律も五百六十三件という多数に上っております。このようなことが一つの理由になりまして、政府部内でも脳死及び臓器移植問題について検討はされておるようではありますが、早急な進展を見るのはなかなか困難ではないかというのが現況ではなかろうかと思います。  しかしながら、先生も御承知のように、一方では移植を待ち望んでいる患者ないしは家族も多数存在することでありまして、問題の解決は急を要しますし、これ以上先へ延ばすことはできない、こう我々は考えます。このため、今回総理の諮問機関としてこの調査会を設置し、問題解決のための指針を示していただくと同時に、その論議を通じて国民脳死ないしは臓器移植というものについての理解を深めていただく、こういう一助にもなればと考え、議員立法という形でこの法案提出した次第でございます。
  66. 坂上富男

    坂上委員 そうすると、設置期間二年というのはどういう意味を持ちますか。
  67. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 今申し上げましたように、脳死ないしは臓器移植の問題は非常に微妙な問題も含んでおり、そうなかなか簡単に答えは出せないかと思います。したがいまして、先生また御承知のように、患者の中には、日本では臓器移植はなかなか受けられない、そういう事情を受けて海外へ出て移植を受けられる、そういう方々もあるわけでございます。  また、我が国の医療の現場でも、脳死状態の者から移植用の臓器の提供を受け移植を必要とする患者臓器移植を行いたいという声も多数上がっておりまして、大学附属病院等においては、人的、物的設備を整え、あるいは倫理委員会を設置するなど、臓器移植のための体制を相当程度整えつつあるところも出ておるわけでございます。調査会におきましては、多方面から慎重に検討していくのはもちろんでございますが、そういった待望している患者ないし家族の方々の事情も考えますと、結論の方向はどうあれこの問題につきましてはできるだけ早急に結論を出していただくという必要も勘案いたしまして、一応必要な検討期間を二年と考えて、調査会の設置期間を二年としている次第でございます。  なお、既に先生十分に御案内のところでありますが、他国の例を若干参考に申し上げますと、アメリカにおきましては、この問題で特に「死の定義―死の判定をめぐる医学的、法的、倫理的問題」と題する報告書を提出するまでに要した期間が約一年七カ月であります。またスウェーデンにおきましても、死の定義についての委員会が発足してから「死の概念」と題する報告書を提出するまでに要した期間が二年六カ月となっております。
  68. 坂上富男

    坂上委員 委員十五名となっておりますが、この選考対象はどういうようなことを考えておりますか。あるいはまた、この中に各党の代表が入るというような考えもあるのでしょうか。その辺はどんなふうに選考対象としておりますか。
  69. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 委員会委員の数を何名とするのが適当なのか、必ずしも明確な基準はないかと私は思います。しかしながら、先ほど来法務省の方からも脳死の問題について法務省だけでも判断しかねるというような御答弁もありましたように、この問題の論議については広く各界からの御参加も必要ではなかろうかな、そのようなことを考えますと十五名程度かなということで、一応こういう提案をさせていただきました。  また、実際に調査会が何を審議対象にするのか。これは総理大臣の諮問機関でございますから、総理大臣が実際に諮問をする際にある程度は明らかになろうかと思うのでありますけれども、私どもの期待といたしましては、脳死というものの概念ないしは定義とか判定基準の取り扱い方、あるいはもっと根本のいわば脳死を人間の死と認めるのかどうか等々の脳死の基本的な問題ないしはその周辺の問題、あるいはまた、一方で臓器移植というシステムを社会的にも受容するといった場合に、それに関連していろいろと起こるであろうところの諸問題、こういったものが検討の対象になればと期待しているところでございます。
  70. 坂上富男

    坂上委員 さてそこで、この答申は、多数意見、少数意見とか、あるいは多数意見をもって委員会意見とするとか、いろいろ出てくると思うのですが、これはどういう考えですか。
  71. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 この調査会が実際にその仕事を始めましていかなる答えを出すのか、今から軽々と私は予測はできないと思います。また、そういうこともございますので、多数意見、少数意見といったものを両論併記という形にするのかどうか、むしろこれは調査会自体の御判断かと思っております。
  72. 坂上富男

    坂上委員 これに関連をして厚生省にお聞きをいたします。  私は、やはりこれは国民的には相当意見が激しく対立をしておる部分だと思っておるのです。したがいまして、ある程度大多数が脳死を認めるようになった、あるいは脳死個体死とするようになった、あるいは臓器移植を一定の条件のもとで認めることになった、これは合意を得るのはなかなか容易じゃないと私は思っておるのです。もちろん努力はしなければならないのでありますが、この場合の内閣総理大臣への委員会の答申というものは、いわば両論併記で、こういう意見があった、こういう意見があったといって答申をしたのでは果たしてどれだけの意味があるのだろうかということを私は懸念をするわけであります。そういうようなことであれば、これはいろいろと各界の意見が発表されているわけでございますから、これをお互いに議論をし合って一本に集約できるなんというのはなかなか容易じゃないと私は思っているのです。こういう点について「脳死臓器移植に係る立法措置についての厚生省の考え方」というのが発表になっているわけです。この中に、「国民の代表者で構成される国会においてこの問題についての一定のコンセンサスを得るべく御議論いただくのは、極めて有意義なことと考えており、」とありますが、「一定のコンセンサスを得るべく」という意味はどういう意味ですか。
  73. 仲村英一

    仲村政府委員 コンセンサスというものを実際に形として見るというのは、おっしゃるようになかなか難しい部分があると思いますけれども、諸外国の例などを見ますと、アメリカでは例えば大統領委員会で議論されるとか、スウェーデンでは死の定義についての委員会での議論あるいは人の死の判定についての立法という手段をとられたことによって国民の合意が形成されたという経緯があったというふうに私ども考えているわけでございます。日本日本でございますので、おっしゃるような意味で何%がどうとかいう、具体的に明示するのは非常に難しいことだと思いますが、本日議論になっております臨時調査会の場で議論を行っていただくということも、コンセンサス形成の一つの有益な手段ではないかと考えているわけでございます。
  74. 坂上富男

    坂上委員 提案者、いかがですか。さっき言いましたとおりに、厚生省はこの調査会について一定のコンセンサスを得られるものだと思っているようでございますが、私はこれは俗に言う両論併記みたいな形になって、わからなくなっちゃうおそれがあるのじゃなかろうか、こうも思っているのですが、どうですか、提案者
  75. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 先生指摘のように、脳死ないしは臓器移植をめぐって今国内の論議が賛否に分かれているということを私も承知しているつもりでございます。しかし、これは個人の意見でありますが、今の調査会の論議を通じてさらに国民がそれによって関心を高めることと相まちまして、この調査会において脳死についての、ないしは臓器移植についての国民的な合意、コンセンサスの形成を何としてもやっていただきたいなというのが、むしろこれは私の希望、期待になります。  まあ、確かに国民的コンセンサスとは何ぞや、この定義は極めて難しいわけでありまして、国会における立法もその一つの手段、方法ではあろうかと思いますが、私どもとしては、まずもってこの調査会で十分な御論議を賜りたいと考えている次第でございます。
  76. 坂上富男

    坂上委員 厚生省にお聞きをしますが、さっきの続きです。  「脳死については日本学術会議、日医の生命倫理懇談会の報告によれば、医学上の判断としては脳死個体死とする見解をとっており、先進国では大勢厚生省としてもこれを尊重したい。」こう言っているのですが、このとおりですか。少し詳しく。
  77. 仲村英一

    仲村政府委員 日本学術会議の医療技術と人間の生命特別委員会の報告、六十二年の十月二十三日でございますが、これによりますと、全脳死は、脳の全体の死でございますが、医学的に見て個体死意味する。しかし、医学界の中にも少数ながら異議があるというふうなことが述べられております。 心理的、倫理的、社会的側面にも慎重な配慮が必要である。それからさらに、法的には脳死個体死として認める見解と否定する見解とが対立しておるということで御意見が述べられております。  日本医師会の生命倫理懇談会でございますが、六十三年の一月十二日に最終報告が出ております。「脳の死をもって人間の個体死と認めてよい。」脳死による死の判定は、日医等で、日本医師会でございますが、「一般的に認められるとともに、患者側の同意を得て、適切な方法で、医師によって確実になされるのであれば、それを社会的および法的に正当なものと認めてよい」という御意見が述べられております。  それから、諸外国の例でございますが、脳死をもって死とする明確な法的認定がある国といたしましては、フランス、イタリア、オーストリア、オーストラリア、カナダ、スウェーデンなどでございまして、米国におきましては、一九八七年に報告されました米国厚生省の報告によりますと、三十九の州、それからコロンビア特別区で法律により脳死を死と明確に定めているという情報を得ております。
  78. 坂上富男

    坂上委員 「先進国では大勢」である。今お話がありましたからそれで理解しましょう。  「厚生省としてもこれを尊重したい。」これは行政上どういうふうにかかってくるのですか、「尊重」というのは。
  79. 仲村英一

    仲村政府委員 医学的に脳の死をもって個体の死とするという見解をお述べになっている関係の団体もありますし、先進国では、今申し上げたようなことで法律を制定したりして脳の死を公的に認めておるという立場を私どもとしては尊重したい、そういうことで申し上げたわけでございますが、我が国の場合には、先ほどいろいろ議論も出ておりましたように、法的な問題あるいは心理的な側面、倫理的、社会的な問題というふうなことでさまざまな意見がございますので、国民の理解と納得を得られるように幅広い観点からさらに議論を深められていただきたいということを申し上げているわけでございます。
  80. 坂上富男

    坂上委員 ちょっと私の理解が悪いのかわかりませんが、「厚生省としてもこれを尊重したい。」というのですね。厚生省の行政の中でこれを尊重したらどういうふうにこれから変わってくるのですかと言うのです。「尊重」という意味は行政の上でどう生かされるのですか、こう聞いているのです。
  81. 仲村英一

    仲村政府委員 考え方としては私どもとしても理解ができるということでございますが、行政的にどういう手段をとるかということはそこでは述べておらないわけでございます。この臨時調査会法案議員提案でございますが、法案の行く末等も見きわめながら、それを受けまして私どもとしては将来的に行政的な何らかの対応をしていくというつもりでおります。
  82. 坂上富男

    坂上委員 大変意地悪くなるかわかりませんが、調査会で例えば脳死個体死と認められないよと、相当数の意見が出てきても、厚生省はあくまでも脳死個体死だ、こうやって尊重して行政をやっていくつもりですか、どうですか。だから、今ここであなたの方でこれを尊重したいと言うならば、脳死を行政の上でどういうふうに生かしているかどうかということがやはり明確にならぬと私はこの回答おかしいのじゃないかと思いますが、どうですか。何かあっちこっちに格好のいいことばかり言って何もしないのじゃなかろうか。尊重したら、行政の上でこれだけのことをしています、これはやはりきちんと言わなければこの意味がないじゃないですか。今後検討しますと書くべきなんじゃないですか。どうですか。
  83. 仲村英一

    仲村政府委員 脳の死をもって個体の死とするということについての行政庁としての理解は成り立ち得るけれども、それに基づいて直ちに行政的にどのような対応をするかということについてはまだ問題もあるので、種々の幅広い観点からの御議論をいただいた上で判断をしていきたい、こういうふうなつもりで申し上げておるところでございます。
  84. 坂上富男

    坂上委員 さて、この点について法務省、「臓器移植立法に関する意見」が法務省の刑事局からも出ているわけであります。今のに関連をいたしますが、厚生省は今言ったような対応なんですね。しかし、法務省はこう言っているのです。「現在の社会通念が脳死をもって人の死とすることを支持しているかどうかにはなお相当の疑義が存する」こうおっしゃっているわけです。疑義があっても「次の(1)から(3)の方法によるのであれば、脳死状態にある者から臓器を摘出することを前提とする立法がなされることに反対するものではない。」こう言っておるわけであります。  法務省のこの現在の状況分析、どうなんです。今言ったとおり「相当の疑義が存する」、こうおっしゃっているわけです。ちょっと詳しく言ってくださいますか。
  85. 東條伸一郎

    東條説明員 先生が引用されておられます法務省刑事局の意見というのは、日本医事新報にも引用されている意見だろうと思います。これは、私どもが自民党内の委員会からお尋ねを受けたときに暫定的なものとしてお出しをしたものでございます。  それで、先ほど来申し上げておりますように、私どもとしては、死の問題は基本的には医学の問題ではあるけれども、そのほかに国民の意識といいますか、倫理あるいは宗教等いろいろな関連する問題を踏まえながら、私どもの立場の刑法上の視点で考えなければいけないという基本的な立場に立っておるわけでございますが、今御指摘の「なお相当の疑義が存する」というのは、これは例えば各種の報道機関が行っておりますような世論調査の結果を見ましても、脳死をもって人の死としてよろしいかというようなことについて必ずしも十分な理解ないし認識の上に立った肯定意見というものが十分に出ているかどうか、なお疑義があるのではないか。特に、脳死というのは、先生承知のように、いわば非常に特殊な状況下における死でございまして、我々の例えば親族や友人等が亡くなるときに脳死状態になるということはめったにない。つまりほとんど我々普通人の知らないところで起こっている現象である場合が多いということもあるのだろうと思いますが、必ずしも脳死というものをどういうものかというふうに理解した上で、それをもって人がそこで死んだというふうに考えていいという理解が行き渡っているかどうかなお疑義があるのではないか、こういう認識をここに「相当の疑義が存するが、」という言葉で表現したつもりでございます。
  86. 坂上富男

    坂上委員 今度は、民事局もおられるようでございますから聞きたいのですが、いかがでございましょうか。人間の死というのはやはり解釈において統一されていなければならないと思っているわけです。  そこで、例えば脳死の人は脳死をもって個体死とする、そして脳死以外の人は心臓停止をもって、三徴候説をもってやる、こういうふうになるのでしょうか。それとも、脳死状態であっても臓器移植をしないから脳死からさらに心臓停止までいく、三徴候説までいく、こういうふうになるのか、これはどう解釈したらいいのでしょうか。やはり死というものは、脳死ならば脳死、あるいは脳死は認められない、個体死だと統一されなければならない、こう思っているのですが、どうもこの脳死というのは臓器移植に関してのみ必要性があるのであって、一般の死の認定については関係がないようにも思われる。そうだとするならば、人によって死の判定時期に大変な違いが出てきて、いろいろの法律上の効果に大変影響するのじゃなかろうか、こう思っていますが、民事局、まずこの点についていかがですか。
  87. 濱崎恭生

    ○濱崎説明員 民事法の立場から御答弁申し上げます。  民事法の立場で死亡の時期というのが問題になります一番大きな場面というのは相続の場面でございまして、御案内のとおり「相続は、死亡によって開始する。」ということになっておりますので、その開始の時点がいつであるかという場面で主として問題になるわけでございます。この点につきましてはもちろん法律規定はございませんし、そのことを直接に問題にした判例は見当たらないわけでございますけれども、現在のところの解釈は、従来の伝統的ないわゆる三徴候説に従った医学的な取り扱いを前提にした死の判断という考え方が民法の学界では一般的な考え方であろうというふうに承知しております。  先生指摘の、民法の立場における死の考え方というのがこの脳死の問題でどういうふうに影響を受けるかという点につきましても、これはやはり社会通念、医学的な判断というものがその社会通念の基礎になろうと思いますけれども、それのみではございませんで、ただいま東修審議官説明申し上げましたような、それを踏まえた国民の一般的な考え方というものを踏まえて判断されるべき問題であろうというふうに考えております。  いずれにいたしましても、この民事法上の問題は、そういう事態が生じました後に争いがあれば裁判所で事後的に判断されるという問題でございますので、その裁判所の判断によるということになろうと思います。その場合に、脳死状態をもって個体死と認めるか、従来の考え方に従った、心臓停止を中心とする三徴候があらわれたときにそれをもって死の時期とするかということは、それは裁判所の判断によって最終的に判断される問題であろうというふうに考えております。
  88. 坂上富男

    坂上委員 これは今裁判所で議論しておるわけでございませんで、国民が聞いているわけです。争いがあったら裁判所へ行ってやればいいじゃないかみたいな答弁承知できません。  私の申したいのは、脳死という問題は臓器移植と密接な関係があるのであって、それ以外脳死を認定する必要性はないんじゃなかろうか、こう聞いているわけです。どうですか。
  89. 濱崎恭生

    ○濱崎説明員 民法のこれまでの解釈は今申し上げましたようなことでございまして、人の相続の時期、要するにその相続が開始する時期がどういう時期であるべきかという観点から脳死というものを認める必要があるかないかということにつきましては、民事法の立場から特別の考え方があるという問題ではなかろうと存じます。したがいまして、脳死という判定をする必要があるかどうか、脳死というものを認める必要があるかどうかということは、基本的には医学の問題あるいは倫理の問題、宗教観の問題、そういった観点から決定いただく問題であり、その考え方が民法の相続等の場面における判断に影響を及ぼすという問題ではなかろうというふうに考えております。
  90. 坂上富男

    坂上委員 さて、これについて厚生省いかがでしょうか。脳死という問題は臓器移植関係をして必要があるのであって、臓器移植以外には脳死という概念は問題にならないような気がするのですが、どうですか。もっとほかにありますか、臓器移植以外に脳死の必要性。脳死個体死とすることの概念です。わざわざ脳死をもってどうしても個体死だ、個体死だと言うのもいかがかなと私は実は思っているのです。  では、なぜ脳死が論じられるかというならば、脳死ということによって臓器移植が一番有効な治療法になる、こういうことから脳死が議論され、脳死個体死である、こういうようなことに結びつけられているのじゃなかろうか。そうだとするならば、脳死はほかに必要があって脳死というのが議論されているのだろうかどうなんだろうか。ほかにありますか。どうです。
  91. 仲村英一

    仲村政府委員 脳死という状態が生ずるようになりましたのは、人工呼吸器等いろいろ最近の救命技術が発達したということで生じるようになってきたわけでございまして、直接的に脳死臓器移植関係ないという状態で私ども理解しておりますが、結果としてそういうことがあり得るということは今御指摘のとおりだと思います。ただし、私どもといたしましては、末期医療の問題、終末医療の問題で、生命維持装置をどうするとかいうふうな別の治療上の問題もやはりあるのではないかというふうに考えております。
  92. 坂上富男

    坂上委員 大変重要な発言なんですね。人工呼吸器を末期になってきたから外すか外さぬかということは確かに世界的な大議論になりました。そうしますと、やはり脳死という問題はわざわざ個体死と結びつける必要はないんじゃなかろうか、こう思っているのですね。しかも人工呼吸器を取り外すということは生命の尊厳に対する冒涜だ、こういうことから実は議論をされているわけであります。でありますから、脳死問題というのは、さっき言ったように、どうも臓器移植の必要性から脳死個体死である、こう論理づけしようとしているのじゃなかろうか、こう思っているのです。これは私、あらゆる医学界の本やいろいろ脳死問題、臓器移植の議論を聞いておりますと、どうもそんなふうに感ぜられるのですが、これはもう本当に新しい議論の提案なんです。厚生省、今言ったことの質問意味、おわかりでございましょうか。法務省、どうですか、こういうことについてどのように考えたらいいのか、ひとつ率直なお話を御答弁いただきたいと思います。
  93. 東條伸一郎

    東條説明員 お答え申し上げます。  法務省といいますか私ども刑事局の立場でどうかということで申し上げたいと思いますが、先ほど御質問のございましたいわゆる三徴候説といいますか心臓死説と脳死説、二つの死の判定基準があることについて、刑事局として、検察当局としてどういうふうに考えたらいいのだろうか。やはり死というものは概念としては統一されていた方がいいのだろう。もちろん各国の立法例で選択的に認めている立法例もございますし、あるいは統一的に脳死をもって死とする。先生御案内のとおり人間、心臓がとまりますれば脳の死もいずれかなり速やかな時期に来るわけでございますので、余り概念的に通常の事件心臓死か脳死かということを論ずる実益はないわけでございます。  さて、脳死をめぐる問題というのは先生指摘のように確かに臓器移植との関連で起こってきたという認識は私ども持っておりますけれども、やはり死というものについては統一的に考えて何らかの基準というものが明らかにされた方がいいだろう。したがって一応問題は切り離されるのではないか。具体的な場面では、先ほど厚生省の方からお答えがございましたように、末期医療の問題をめぐっても非常にシビアな問題が出てくることでございますし、私、所管外でございますが、例えば民事局の問題でも、一体脳死状態になったときに相続が開始されるのか、それとも心臓の鼓動が停止したときに相続が開始されるのか、これは非常に重要な問題で、何も臓器移植と関連しない場面でもそういうことが起こってくるだろうと思っておりますので、脳死の問題は脳死の問題としてといいますか、人の死というものはいつをもって、あるいはどの器官の死をもって人の死と判定したらいいのかということは、きちんとした御議論をいただいて、慎重に御検討いただいて結論を出していただいた方がよろしいのではないかと考えております。
  94. 坂上富男

    坂上委員 民事局に聞きますが、いろいろな意見書の中に書いてあるのですけれども、いわば死の早いか遅いかによって夫婦の相続権ががらっと変わってくるわけです。そして、その死亡の時期いかんによっては、いわば男性側、夫側の者が相続してくるかあるいは妻、女性側の遺族が相続してくるか、死の時期というものは大変重要な意味を持つわけでございます。だから、例えばだんなさんの方が脳死、そして奥さんの方が個体死、いわば心臓死した、これが同時であった、こういう場合はどうだろうということが意見書に書いてあるわけです。これは裁判所が判断すべきことであって、我々がやることでないから心配ない、こう言っているのです。  私ら法律家から見ますと、大変な心配です。今このことが法廷で議論になって、うちらの方が最初に脳死したのだから、死なんだから、うちらの方が相手方の財産を相続したんだ、こう言って裁判の争いになるわけでございます。裁判所へ行って解決してください、こう意見書に書いてあるのですが、これは民事局、今の法律からいったら、同時に脳死心臓死が夫婦の間で起きた場合、どっちが相続するのですか。
  95. 濱崎恭生

    ○濱崎説明員 現在の民法の解釈として何をもって死と考えるかという御質問に集約されるということになるわけでございまして、現在の民法の解釈はどうかということを問われているということになろうと思いますが、これにつきましては、裁判例もございませんが、これまでの学説の考え方というものは、いわゆる三徴候説に従って判断した時期を死の時期という考え方が民事法の分野では少なくとも一般的であろうと考えております。  もし仮に、そうではなくて脳死をもって個体死とするという立法がされる、かつ、それが民事法の分野でも妥当するという立法がされるという場合を仮定いたしますと、それによってどちらが相続をすることになるのか、相続人がどうなるのかということについて、旧来の考え方とは変わってくるということになろうと思いますが、それが十分な医学的な考え方及び国民の理解のもとにそういう法律が制定されるということであるならば、相続を所管する立場からそれがどちらがいいということを申し上げるような問題ではないのではないかと考えております。先ほど申し上げました趣旨も、そういう趣旨で申し上げたわけでございます。
  96. 坂上富男

    坂上委員 厚生省にお聞きします。  今のお話なんですが、ずばり言って厚生省は今の行政の取り扱いで脳死個体死と見ているのですか。あわせまして、角膜法律死体から取り出すことはよろしいと書いてあるわけです。この死体というのはやはり心臓死ということを言っているのですか。
  97. 松澤秀郎

    松澤説明員 角膜及び腎(じん)臓の移植に関する法律における死の中におきましては、死亡の判定基準については独自の規定はしておりません。死の判定の一般的な考え方に従っているものでございまして、法律の中で死の定義はやっておりません。
  98. 坂上富男

    坂上委員 そこで解釈上どうしたらいいのですか、こういう質問なのです。どうぞ。
  99. 松澤秀郎

    松澤説明員 死亡の判定につきましては現場でなさるものでございますけれども、先ほど一般的な立場で、一般的な考え方を申し上げました。一般的な考え方ということは、先ほど来議論があるいわゆる三徴候説だというふうに現時点においては考えております。
  100. 坂上富男

    坂上委員 さて、そういたしますと、さっきの振り出しに戻るのですが、「国会においてこの問題についての一定のコンセンサスを得るべく御議論をいただくのは、極めて有意義なこと」、やはり厚生省は何か目的を持っているのじゃないですか。「一定のコンセンサス」というのは、具体的に今言った議論の中から何を指しますか、そしてどうしていただきたいということなのですか、どうです。
  101. 仲村英一

    仲村政府委員 六十三年の十月十三日にお出しした厚生省の考え方の中にそのように述べられているのは事実でございます。ちょっと後で確認させていただきますが、その後この臨時調査会法案が出てまいったという経緯だったと思いますので、この時点では国会でいろいろ御議論いただくのが極めて有意義だというその時点での判断をここには述べたというふうに記憶しております。
  102. 坂上富男

    坂上委員 だから、委員会ができようとできまいと国会で「一定のコンセンサス」というのは何を求めているのですか、こう実は聞いているのです。なかなか答えづらいようですが、ついでにもう一遍答えていただきましょう。  そこで、今度は脳死から臓器移植をする場合、家族の同意を条件としておるようでございます。これもどうですか、民事局、家族の同意ということになりますと、臓器移植をして取り出してしまえばもう脳死状態のまま死んでしまうわけでしょう。しかも、家族といえば妻あり、子あり、これが一番近い者だ。これはいわゆる相続の関係者なわけです。これが同意をするというのは民法上からいったら大問題があるのじゃないですか、どうですか。利害関係人に当たるのじゃないですか。相続人は遺言の立会人になれないでしょう。それと同じように、臓器移植をすることの同意を家族からとるというのは利害関係人として果たして適当なのだろうかどうか。確かに最も近親者が同意をすることは一般的には当たり前のような気がするのですが、法律的に見た場合一体いかがなものだろうか。しかもこれが、利害が相対立するような相続関係があった場合は重大な問題になると思っているのですが、これはどうですか、法務省
  103. 濱崎恭生

    ○濱崎説明員 大変難しい御質問でございますが、御指摘は、同意をする遺族の範囲と相続人の範囲とが異なるという場合に、相続人の一部であるその遺族の承諾でいいかという御質問でございますけれども、私どもの考え方といたしましては、御指摘の問題はそういう臓器摘出手術をすることが医学的あるいは社会的に是認されるかどうかという問題が事柄の中心であろうと考えます。そういうことが是認されるという前提のもとにそういう運用がされる、あるいはそういう立法がされるということになりますれば、その運用に伴って当然、どのような考え方に立ちましてもその人は死亡するわけでございます。そういうことが是認されるとするならば、相続の問題は客観的なそういう死亡という事実を前提にして考えざるを得ない。したがいまして、そういう相続問題についての利害関係があるから、その利害関係ある者の全員の承諾がなければそういう死の基準を設定してはならない、そういう性質の問題ではないのではなかろうかというふうに現在のところ考えております。
  104. 坂上富男

    坂上委員 もう少しよく聞いてください。調査会でどう議論したらいいかと思って聞いているのです。そういう議論にはならぬでしょうというのは、言い方がちょっとおこがましいのじゃないの。いいですか、脳死を認めて手術をやりますかどうですか、妻も子供も賛成いたします、これはこれでいいですね。その結果手術をした、取り出した、それで亡くなられた、こういうわけでございます。そうした場合、同意を与えなければ手術というか摘出ができないのでしょう。しかも、現在では脳死を認めていないわけだ。そうだとするならば、心臓死までいくのを待っているわけだ。さっき言ったように夫の方と妻の方と早いか遅いかによって相続の関係者が大違いになってくる。だから、この身近な相続人が同意を与えるということは大問題が発生するのじゃなかろうか、これを心配しているのです。そんな問題でありません、こう開き直るとちょっとおかしいので、調査会でこれをきちっと議論しようと思っているからお聞きをしているのです。問題は起きませんか。反対、やはり生かしてください、こう言うた方がいいのか、あるいは賛成、さっさとやってください、そうすればうちの方へ相続権が来ますからと。こんなようなことになったらこれは大変になるのじゃなかろうか。だから、利害関係人として重要な局面に立つのじゃなかろうか、いわば遺言で相続人が立会人になれないのと同じ論理がここに適用されるのじゃなかろうか、こう聞いているのです。もう一度答えていただきましょう。
  105. 濱崎恭生

    ○濱崎説明員 民事法の立場からは関係がないような言い方に聞こえましたら大変申しわけないと思っております。おわび申し上げます。  もとより、承諾者をどうするかという問題は御指摘のように相続の問題に関係をしてくる問題でございます。したがいまして、この問題を御議論いただく場合には、相続の場面でこういう効果が生ずる、こういう問題点が生ずるということも踏まえてやはり国民のコンセンサスといいますかそういうものを考えていただく必要がある問題であろうと思います。  そういうことで、どういう制度にすれば相続の場面でどういう効果が生ずるか、どういう問題点が生ずるかということについては、私どもも真剣に考えて、その御議論あるいは国民の理解の資料とするという観点から考えさせていただかなければならない問題であるというふうに理解しております。
  106. 坂上富男

    坂上委員 さて、今度は、我が国における心臓肝臓腎臓移植患者数、これを希望しておる患者数、それから日本臓器移植現状を簡単にひとつ要点よくお答えいただきたいと思います。
  107. 仲村英一

    仲村政府委員 脳死になるであろう患者数の推定を申し上げますと、全死亡者の〇・四%から一%といたしまして三千人から七千人ぐらいだと考えられます。それから移植対象となる患者数につきましては、これは北大の相沢教授たちの報告ですが、剖検の統計から見まして心臓が二千八百から五千、肝臓が六千百から二万七百、膵臓が千二百から二千百という状況のようでございます。
  108. 坂上富男

    坂上委員 さてここで、日本でいわば臓器移植をなさいまして、成功されまして生存されておる。どういう臓器移植でどれぐらい生存されているのか、おわかりですか。
  109. 仲村英一

    仲村政府委員 日本におきます臓器移植の実績でございますが、肝臓が二例、心臓が一例、膵臓が一例、それから腎臓は六千例以上、角膜が二万例以上、こういう数字でございます。  現在生存しているかどうかについては、後ほどもお尋ねでしたらお答えさせていただきたいと思います。
  110. 坂上富男

    坂上委員 それでは後からでいいです。  それから今度は、臓器移植の外国における件数、それから生存率、これはおわかりの範囲でいいですからお答えいただきましょうか。
  111. 仲村英一

    仲村政府委員 肝臓が一九八七年末までで四千七百例、心臓が八八年末までで一万三百例、心臓と肺を同時に移植しましたのが八七年までに二百八十七例、膵臓が八八年六月までで千百四十九例となっておりまして、生存率でございますが、最近の報告では肝臓移植の五年生存率が六五%、心臓につきましては五年生存率が八〇%まで向上しているというふうに聞いております。
  112. 坂上富男

    坂上委員 法務省の方にお聞きをしたいのですが、凍結受精卵のことでございます。法務省にお聞きをする前に、まず厚生省の方から、凍結受精卵というのはどういうふうなものなのか御説明いただきましょうか。
  113. 仲村英一

    仲村政府委員 受精卵を凍結して保存しておきまして、妊娠可能な時期に、いろいろのやり方があるようでございますが、子宮の中に戻して妊娠を期待する技術だと考えております。
  114. 坂上富男

    坂上委員 厚生省は、凍結受精卵の保存及び使用についてはどういうふうなお考えですか。
  115. 仲村英一

    仲村政府委員 厚生省として規制を加えているとかいうことはやっておりませんで、学会の方で自主的な基準をお持ちのようでございます。
  116. 坂上富男

    坂上委員 厚生省、私は全く素人だからわからないのですが、凍結受精卵というのは傷がつかないものですか、どうですか。
  117. 仲村英一

    仲村政府委員 今までの報告によりますとそのようなことはないというふうに聞いておりますが、なお詳しく調べさせていただきたいと思います。
  118. 坂上富男

    坂上委員 今度は法務省ですが、この凍結受精卵というのは今世界的にも問題になっておるわけでございます。これは胎児でもありません。そういたしますと、凍結受精卵の所有権といいますか、これは一体夫婦共有なのか、どういうふうに法律上解釈したらいいのでしょうか。
  119. 濱崎恭生

    ○濱崎説明員 凍結受精卵の運用状況につきましては、私ども新聞報道等の範囲内でしか承知しておらないわけでございますが、最近アメリカで、その凍結受精卵の権利関係をめぐって離婚しようとしている夫婦の間で争いがあり、一定の判決がされたという報道承知しているわけでございます。この凍結受精卵をめぐる権利関係というものがどういうふうになるかということは、これは単なる財物とは違う性質のものでございますから、どういう前提条件のもとで、どういう条件のもとでそういう受精がされ凍結保存がされるということになったのか、そしてどういう条件のもとで使用し、どういう条件のもとであるいは廃棄するというような了解のもとでそういう運用がされているのか、そういった諸条件に従ってその権利関係が定まってくるという性質のものではないのだろうか。単なる普通の財物のように所有権の問題として割り切るということができる性質の問題とは違うのではないだろうかというふうに考えております。
  120. 坂上富男

    坂上委員 受精卵を盗まれたら、これは窃盗対象ですか、どうです。
  121. 東條伸一郎

    東條説明員 凍結受精卵を民事法的に見た場合の所有関係といいますか、そのことについては、ただいま民事局の審議官の方からお答えがございました。  私ども刑法関係で申し上げますと、現行刑法のもとで一応考えられるものとしては、やはりこれは一種の財物であろう、したがって、これは権限者のところから勝手に持ち去ってしまえば一応窃盗に当たるのかなという考え方でおります。
  122. 坂上富男

    坂上委員 それではこれを悪意を持ってつぶした場合、毀棄した場合、これは器物毀棄ですか、何ですか。
  123. 東條伸一郎

    東條説明員 これはまた大変難しい問題でございますが、現在の刑法の考え方では、人というのはいつ始まるかというのは先生承知のように母体から一部露出した段階で人になるという考え方を従来とっております。もちろんその判例が出たのはこのような問題が出てくる前の判例でございます。したがいまして、考えられる犯罪といたしましては、これを人と見て傷害と考えていくのか、あるいは先ほどのように物と見て器物損壊として考えていくのかということであると思います。先ほどのそれを盗めば窃盗罪となるということから、当然、壊すといいますかつぶしてしまえば一応器物損壊ということが念頭に浮かんでくるのではないかな、このように考えております。
  124. 坂上富男

    坂上委員 法務省、堕胎罪、これには当たらぬわけでしょうな、胎児だから。けれども、これは優生保護法によって今ほとんど処罰されていません。堕胎の方が処罰されないで受精卵の方が器物毀棄で処罰されるということになると、これはどうも刑の権衡を失するのじゃないですか、どうです。
  125. 東條伸一郎

    東條説明員 堕胎罪につきましては先生指摘のように非常に暗数が多いのではないかということでございますが、我々の考え方とすれば、優生保護法等の適用対象になる場合は、これは法定の違法性阻却事由がございますから堕胎にはならないだろう。しかし、そういう条件がない場合の堕胎というのは、これは刑法上の堕胎であることは間違いないわけでございます。そういう意味合いにおいて、これを胎児というふうに並べて考えた場合に、そのような違法性阻却事由が考えられるかどうかという問題に帰着するのではないかと思います。
  126. 坂上富男

    坂上委員 それから、受精卵をその女の人でなくして、別の腹を借りて着床というのですか、妊娠させた場合、そういうことが医学上あり得るそうでございますが、そうした場合は、その借り腹のお母さんが母親になるのですか、そうして受精卵の母親は民法上どういう対応になるのでしょうか。
  127. 濱崎恭生

    ○濱崎説明員 凍結受精卵の我が国における現段階での運用におきましては、そういうことが行われておらないように承知しておりますので、そういうことが行われない限りにおいては親子関係の確定をめぐっての特段の問題は生じないと考えておりますが、御指摘のようないわゆる借り腹というようなことが行われますと、まさにその腹を痛めた女性が母なのか卵子を提供した女性が母であるのかという極めて重要な解釈問題が生じてまいります。  こういう事態は、現段階において、我が国においてまだ具体的な問題になっておりませんから、学界における考え方もいまだ熟しておらないという状況にあるわけでございますが、現在の段階におきましては両方の考え方があり得ると思いますけれども、従来の考え方でございますと、分娩という事実が母を決定するという考え方が、これはこういう問題が生じない、生ずるということが考えられない段階において一応確定しているわけでございます。そういう考え方の延長としてこの問題を理解するという考え方と、そうではなくてやはり卵子を提供した女性が母親であるという考え方、その二つの考え方が現段階においてはあり得るのではないかと考えております。私どもとして、現段階においてどちらの考え方が正しいという認識はまだ持っておらないところでございます。
  128. 坂上富男

    坂上委員 そこで審議官、そうして生まれた場合、戸籍にどう登載するのですかという聞き方をしましょう。あなたの話を聞いているとなかなか難しい。そうして生まれた子供の母親を今出てきたら戸籍にどう載せますか。簡単に一言。
  129. 濱崎恭生

    ○濱崎説明員 具体的な事例が出ておりませんし、そういう問題について詰めて考えておりませんので、今的確な答弁はいたしかねますが、戸籍の窓口におきましては、当事者の届け出に基づいて、所定の書類を添付いたしましてこの者が母なりということで届け出があれば、その書類上特段の疑義がない限りそれを受理するということになろうと思います。  具体的にそういう問題が明らかになった場合にどういう取り扱いをするかということについては、そういう場面が登場した場面で検討さしていただくということにならざるを得ないと存じます。
  130. 坂上富男

    坂上委員 だから、裁判所へ行ってやればいい、出てきたら考えましょうじゃ困ると私は言っているのです。本当にそういう事態が今起きているのだろうと私は思っているのですよ。  さてそこで、今度は卵子の母親は本来私でございますと言って訴えを起こされたら、これはどうなるのですか。
  131. 濱崎恭生

    ○濱崎説明員 今の御質問は、凍結受精卵の状態において保管されているものを、卵子の提供者である女性が自分の所有権に基づいて引き渡しを求めるという場面での御質問かと思いますが、これは先ほども答弁申し上げましたように、運用といたしましては夫婦の合意、それから医療機関を交えた三者の合意に基づいて、一定の条件で、どういう条件があればそれを使用し、どういう条件があればそれをどういうふうに処分するということを合意の上で医療機関がそれを保存するという運用が現在されているというふうに理解しておりますし、また今後もそういう運用がされなければならない問題ではなかろうかと思っております。その合意に基づいて今御指摘のような法律関係がどうなるかということを判断すべき問題であろうと思っておりまして、一般的に一概にその所有権がだれに帰属するか、だれがどういう場合に引き渡し請求権を有するかということを抽象的に議論できる問題ではないのではないかと考えているわけでございます。
  132. 坂上富男

    坂上委員 ちょっと質問を御理解いただきたい。  さっき言ったように、借り腹のお母さんが私の子でございますと言って届け出れば、戸籍に載せますというお話だ。載せたら、今度は本来の卵子のお母さんがその子供は私の子供でございますと言って親子の確認を求めたらどうなるのでしょうかと聞いているのです。
  133. 濱崎恭生

    ○濱崎説明員 御指摘の問題は、そういう場合にどちらが母であるというふうに法律上なるかという問題でございまして、その点については私ども法務省、行政当局として確定すべき問題の範幅から若干ずれる問題でございます。最終的には裁判所で判断される問題であろうと思っております。したがって、その解釈の問題になるわけでございますが、現在のところ、どちらであるという定まった考え方はないというふうに理解しているわけでございます。
  134. 坂上富男

    坂上委員 これは法務省首脳もいらっしゃらないから私が言っても始まらぬかもしれませんが、いわゆる凍結受精卵あるいは受精卵の問題というのは、どうしても私は立法を必要とするのじゃなかろうかと思っていますが、今言ったようなことを指摘しても、みんな裁判所へ行って判断しましょうとか、何とか合意でしましょうとか。法律というのは、そういう合意が成立をしないときぴしっとどうなりますということをはっきりしておくのが法律なんだろうと思うのでございますがね。どうももうそろそろ立法を必要とするのじゃなかろうか。  そこで、今度これが脳死状態にあった場合、厚生省、これは凍結受精卵で妊娠することは可能かどうか。というのは、脳死状態であっても子供を出産する実例があるでしょう。だからこれをもって死とする場合、一体死んだ人が出産したなんということは聞いたことがない。生きているから出産したのだろうと思うのでございますが、こういうような点を考えてみますと、例えば凍結受精卵、こんなことはあることではないと思いますが、やはり法律ですから、予想しないことが起きますからね。  例えば脳死の場合で、凍結受精卵で妊娠することが可能かどうか、これは厚生省、考えたこともないでしょうが、あり得るわけです。というのは、脳死状態で出産するということがもう世界、日本にもあった、こういう話です。そうだとしますと、一体脳死を果たして個体死と見れるのかという問題もまた出てくると思うのです。この辺、どうですか、法務省厚生省、最後の御見解をお聞きしたいのですが。
  135. 濱崎恭生

    ○濱崎説明員 これは、御質問に対する直接のお答えというよりは、先ほどの御指摘に対するお答えとあわせて申し上げたいと存じますが、先ほどちょっと触れましたように、凍結受精卵の問題については現在のところ我が国では借り腹というような運用はされないということで、そういう基準で運用されているように承知しております。しかしながら、そうでない運用がされるということになりますと、御指摘のように民法上も重大な問題を生ずるわけでございますので、私どもとしては、そういう無制限な運用はされることがないようにという期待を持っているわけでございます。  それから、今の脳死との関係につきましては、そういう事態が生じ得るのかどうか、私は医学の知識がございませんので定かには承知いたしておりませんけれども、御指摘のような民事法上の問題も生じ得る問題でございますので、もとより私どもとしてもそういう観点からこの問題について十分関心を持っているところでございますし、いろいろその御審議には協力をさせていただきたいなというふうに思っているところでございます。
  136. 仲村英一

    仲村政府委員 脳死の間に妊娠の可能性があるのではないかというお尋ねでございますが、理論的にはあり得ると思います。ただし、冒頭、脳死の定義のところで竹内先生からもお述べになりましたように、大体脳死の場合には一週間程度で死亡するのが通例でございますから、妊娠の継続というのは理論的にあったとしても、その程度というふうに私ども考えます。
  137. 坂上富男

    坂上委員 ありがとうございました。終わります。
  138. 吹田愰

    吹田委員長 次に、井上和久君。
  139. 井上和久

    井上(和)委員 一人の人間の命は地球より重いという有名な言葉がございますが、ちょうど昨日、我が国初の生体部分肝臓移植手術島根医大で行われました。きょうは、各新聞の見出しを見ましても、「父と子生命つないだ」とか「子を救うギリギリの選択」、こういうふうな大きな活字が躍っております。これにつきまして、いろいろと報道されておりますところによりますと、専門家の御意見におきましても、危惧される面があるという意見の方もおられますし、また、大変すばらしいことだというふうに言われる方もあるわけでありまして、ともかくこの親子が元気になられることを私は心から願うのでありますが、それはそれといたしまして、このことに対しましての御見解といいましょうか御所見をまずはお伺いいたしたいと思います。
  140. 仲村英一

    仲村政府委員 脳死前提とした肝臓移植が行われていないのが我が国の現状でございますので、外国でも受けられないということからそれ以外の生体肝移植を御希望になったということで、医療側も緊急避難的に行ったのではないかと想像しておりますが、今お尋ねの中にもございましたように、いろいろの問題も含んでおりますし、学会としても賛否両論あるようでございますので、もちろん患者あるいは提供者の回復を祈る気持ちはいっぱいでございますけれども、それをめぐる問題につきましては、もう少し推移を見きわめた上でいろいろ対応、判断をしてまいりたいと考えております。
  141. 井上和久

    井上(和)委員 これは文部省が話をするのじゃなかったですか。
  142. 小林敬治

    小林(敬)説明員 先生お尋ね島根医大第二外科におきます生体肝移植手術でございますが、ほとんど余すところなく報道関係の方々に公表しながら実施をされておりますので、私ども承知をいたしておりますことも新たにつけ加えることはほとんどないかと思いますが、概略を申し上げます。  患者が一歳の男の子、先天性胆道閉鎖症ということでございます。この坊やは既に二回岩国の病院で手術をいたしましたが、なかなか思うような結果が得られなくて、先月の二十六日に大学の方に入院をされたということでございます。当初は、大学といたしましても父親のドナーになりたいという強い申し出はありましたが、海外での移植を勧めておったということでございますが、重ねての強い御要望等もございますし、また一方、お子さんの容体等も考え合わせて、昨日手術に踏み切ったというふうな概要になっておるわけでございます。  この件に関しましては、新聞あるいはテレビ等で賛否両論ございました。私どもといたしましても、この中で、こうした御意見を今後至急整理いたしまして、なおこの問題について関係者からも広く御意見を承りながら今後の対応を決めていきたいというふうに考えておりますが、現在のところ一番の問題点というのは、健康な人に手術をして、この場合父親でございますけれども臓器の一部を取り出したというところが一番大きな問題かなというふうに考えておる次第でございます。
  143. 井上和久

    井上(和)委員 今までは心臓死といいますか、三徴候死とも言うのでありましょうが、人間の死をそういうふうに決めておった。これが通念的になっておるわけでありますが、今回この審議に当たりましては、この死の定義というものが変わるという意味もありまして、医学界だけではなくて社会的に大変大きな問題にもなろうというふうに思うわけであります。ただ、心臓死をもって人間の死とする、こういう理解が定着をしておるといいましょうか、伝統的なものになり、また習慣としてもそれがあるわけでありますが、今回新たに脳死状態をも人間の死として認めるというふうになりますと、一般の国民にとりましては大変違和感がある、これは事実じゃないかと思うわけであります。  脳死を死とする世界の大勢の中で我が国がこれを受け入れておらないということは、大きな原因として、日本人の心の底のところに古代社会のまさに同族的なあるいは農業民族の心というものがしっかり横たわっておって、その上に宗教といいましょうか神道あるいは古代からの生死観あるいは体に対する考え方あるいは霊魂、こんなようなものがふくそういたします。さらに儒教や道教なんかが影響を与えまして、こういうものが非常にふくそうして今の日本人の死に対する、これは生死と言っていいかとも思いますが、生死観というものが生まれておる、こういうふうに私は思うわけであります。そういう中にありまして、この脳死問題等の先端医療を生み出した母体というものは、これはまさに近代的な合理主義というものが中心となってこういう考え方、取り組みが行われてきたというふうに思うわけであります。  こう考えてみますと、諸外国の場合は脳死問題といえども西欧合理主義文明の文脈の中でとらえる、生命論的に位置づけることが可能であったということだと思います。しかしながら我が国の場合は、先ほど申し上げましたように、まだこの近代合理主義というものに接して百年前後であろう、こういうふうに思います。そういうふうな状態の中では、どうしても日本人の、国民の心の中に生死というものについて合理主義的なものだけで割り切れないようなものを生んでおるのではないか、これが先進国の中で我が国がこの脳死の問題についておくれておるといわれる原因ではないかというふうに私は思うのであります。特にことわざとしましても死者にむちうつというのは悪いことだというふうな表現をされますし、あるいは死んでまで痛い目に遭わしたくない、こういうふうな気持ちがございます。理屈の上からいえば、死んだら痛くないのであります。しかしながら、そういうふうな心根が働いている。そして今日までやってきておってこの問題で日本がおくれた、これが原因の根底の部分にあるのではないか、これは私の考えでありますが、これについて御所見をまず承っておきたいと思います。
  144. 仲村英一

    仲村政府委員 脳の死がその人の死であるということを科学的と申しますか、医学的には理解できても、実際問題として人工呼吸器をつけておれば、目の前で心臓が動いて、さわれば温かい患者さんがいる。この方を死んだというには、今おっしゃったような意味でなかなか理解を得にくい部分もあるというのが現状だと私ども考えております。
  145. 井上和久

    井上(和)委員 今御答弁にもございましたように、やはり人間の感情としてそういうところが残りがちだと思いますし、私は、この審議を進めるに当たって、脳死に対しては社会的な合意といいましょうか、より広い国民の合意、認識が必要だというふうに思うのですが、現在までの動きというものを考えますと、例えばきのうのような事例があり、あるいは外国へ行って手術を受けたとか移植したとか、あるいは何とか基金があったとか、そういうふうないわば断片的な事柄というものが積み重なって、そしてまさに自然発生的に国民の中へこういうものが認識されてきているというのが今までであったろうと思うわけであります。今回調査会をつくるこの審議に当たりまして、私はぜひこれをもっとオープンにして、そして、堂々とという言葉は適切ではないかと思いますが、ともかくも正面切って脳死とは、あるいは三徴候死とはこういうふうに違う、あるいは臓器移植というものはこうだというふうな事柄について、正確に、またより幅広い知識を国民の中に生むことが大事だというふうに思います。そして、その上でなおかつ大事にしておかなければならないことは、一つは不可逆的死といいますか、これをきちっと確認されるということが安心をする一番大事な点だというふうに私は思います。それともう一点は、やはり本人、家族の同意というものは、たとえ法的にどうであろうとも、ともかくこれだけはしっかり守らなければならない。この二つのことについてそうあるべきだと私は思いますが、これについて見解を伺いたいと思います。
  146. 仲村英一

    仲村政府委員 脳死というのは、最近の人工呼吸器とか救命技術とかそういうものが進んだ結果生ずるような状態になったというふうに私ども理解しておりますので、三徴候説とは違うわけでございますが、死そのものは必ず存在するわけでございまして、それをどのような時期に判定するかというそこの違いがあるのだと思います。  今お尋ねの第一番目の不可逆性の問題でございますが、それも極端なことを申し上げれば、心臓死の説をとった後でも例えばつめが伸びるとかひげが伸びるというふうなことから考えますれば、細胞レベルではまだ生き残っている組織もあるわけでございますので、それを逆の方へとりまして、もう戻らない、それで死と判定できるというふうなことを新しく考えたのがこの脳死ということだというふうに考えておりますので、不可逆性ということは一番大事なことだと、お尋ねの第一の点にはお答えいたしたいと思います。  それから第二の点は、これは手続の問題、先ほど相続の問題等の議論も出ておりましたが、もしそういう手続のことが議論されるとすれば、今おっしゃいましたようにいろいろの形でいろいろの角度から御議論をいただくことは必要だというふうに私どもとしても考えておるところでございます。
  147. 井上和久

    井上(和)委員 それでは、個別の問題につきましてお伺いをいたしたいと思います。  臓器移植法を立法化するというか、つくる場合に、基本的な問題としてまずどのようなことが検討されるようになるのかということにつきまして、法制局、法務省、両方にお伺いをしたいと思います。
  148. 森厚治

    ○森法制局参事 臓器移植立法につきましては、全く今議論される前段階でございまして、したがいまして、もしこの調査会のようなものが設立されますならば、その臓器移植立法というものを頭に置いて、その上で例えば死の判定基準は一体どうなるのかというようなこと、あるいは脳死をもって人の死と認めるかどうか、その上で臓器移植が認められるものかどうか、そういうものについて当調査会において議論が高められまして、それがまた国民的なコンセンサスにまで昇華するということを待って、そこで臓器移植立法ということがもし必要であるならばそういうことに進むということになろうかと思います。
  149. 井上和久

    井上(和)委員 次に、死の定義を法制化しているということについての外国の事例を承りたいと思います。
  150. 仲村英一

    仲村政府委員 外国の事例でございますが、アメリカ合衆国の大部分の州、それからスウェーデン、オーストラリア、カナダ、イタリア等が死の定義を法制化しております。このうち、例えばアメリカ合衆国でございますが、一九八一年に大統領委員会報告がございまして、「血液循環及び呼吸機能の不可逆的な停止または脳幹を含む脳全体のすべての機能の不可逆的停止のいずれかが確認された者は死亡したものとする。」という統一的死の判定法という法律の採択を各州に勧告いたしまして、少なくとも現在、三十九の州とワシントンDCでこれが法制化されておるようでございます。また、スウェーデンにおきましては、人の死の判定基準に関する法律という法律が一九八七年に成立しておりまして、「死とは、脳の全体の機能が完全に不可逆的に失われること。」と定義されておりまして、法律上、脳死をもって死とすることが明記されております。
  151. 井上和久

    井上(和)委員 そういうふうに外国では進められてきたと思いますが、お話にございましたように、外国の例について、脳死を認めることを立法化しておる国と、立法化はしていないが脳死を認めて移植をしておる、こういうふうな国があると思います。これらの違いがあるわけですが、それぞれどのような過程を踏まえて脳死が定着するというか、移植手術が行われているか、このことについて事例を挙げて御説明を願いたいと思います。
  152. 仲村英一

    仲村政府委員 アメリカ合衆国の例をまず申し上げてみますと、一九六八年にハーバード大学の特別委員会脳死の判定基準を設定いたしました。それから同じ年にピッツバーグ大学でも同様の作業を行っております。その間に死の判定については各州ばらばらではおかしいということから統一が図られるべきだというふうな動きがございまして、先ほど申し上げました医の倫理に関する大統領委員会が、医師会でございますとか法律家協会、州法統一全国会議というふうな機関と協力をいたしまして、意見をまとめて一九八一年に「死の定義」という報告をまとめたわけでございます。それによりますと、先ほども申し上げたような形で不可逆的な全脳の機能停止を死としようということでございまして、死の決定は現在受け入れられている医学的基準によって行われなければならないというふうな定義を定め、これを合衆国における各州の死の定義として採択するようにという勧告をしておるわけでございます。その結果、一九八七年八月の報告によりますと、三十九の州とワシントンDCでこれが法制化されておりますし、その他の六つの州では法廷判決によってその判断がなされているというふうに承知しております。  また同じく脳死個体死として認めることを法制化しているスウェーデンでございますが、これも長い経緯があったようでございます。一九七三年五月に国民保健福祉局が、脳の機能が完全に不可逆的に失われた場合には、これは脳死の場合でございますが、治療をやめてもよいという通達を出したようでございます。その後、一九八二年に上記の通達を命令というふうな形に変えまして、そこで死の定義についての委員会を政府部内に設置いたしております。一九八四年にその委員会が出しました「死の概念」という報告書が報告されておりまして、そこで脳死について立法化を提案しております。それを受けまして、一九八七年五月に人の死の判定の基準についての法律という法律国会で賛成二百十六、反対九十六ということで可決されたという経緯がございます。  ただいまのは立法を行った国でございますが、法律なしに脳死による臓器移植を認めている例といたしましては、イギリス、オランダ、西ドイツ、スイス等があるようでございまして、例えばイギリスでございますが、一九七九年に王立医学会報告書によりまして「脳死をもって人の死とすることが決定できる」というふうに定められたようでございます。オランダにおきましてはまた一九八三年の保健審議会報告書によりまして「脳死をもって人の死とすることができるもの」というふうなことで決められておるようでございます。  以上、例を引きまして御説明させていただきました。
  153. 井上和久

    井上(和)委員 現在の我が国でこの臓器移植手術を希望しておる患者、どのくらいおられるか、先ほどもちょっと御議論があったようでありますが、ここで改めてお伺いをいたしたいと思います。いろいろな移植があると思いますけれども、それを総合いたしまして希望の患者をお伺いしたいと思います。  それから、これは大変難しいかもわかりませんが、臓器移植をして助かるであろうというか結果がいいであろう、こう思われる方々が潜在的にどのくらい見込まれておるかというのをまずお伺いしたいと思います。
  154. 仲村英一

    仲村政府委員 臓器移植の希望患者数のお尋ねでございますが、死体腎の移植を希望されておる方は六十三年度末で一万二千二百四十三人ということでございます。それから角膜についても三千七十人という数字が得られておるわけでございます。  後段の移植をすれば助かったかどうかという推定の数でございますが、これは推定でございますけれども心臓についていいますと、多目にカウントしてみますと五千人、肝臓が二万人、膵臓が二千人、腎臓が三万五千人という感じの数字になるようでございます。
  155. 井上和久

    井上(和)委員 大変多くの数だというふうに思いますし、考えてみますと、移植をすることによってこれだけ多くの人が助かるということが先ほど御答弁にございましたが、それであるならば、まさにこれは公的な医療補助をシステム化してこれからやっていくべきでないか、それが政府としてのあり方ではないか、こういうふうに私は思いますが、見解を伺いたいと思います。
  156. 仲村英一

    仲村政府委員 臓器移植についての医療費の関係お尋ねだと思いますが、フランス、オランダ、スウェーデン、イギリス、アメリカ等を調査いたしました自民党の調査団の報告では、腎臓移植は通常の保険診療で支払われるけれども心臓移植については支払い対象とする施設を限定し、特別予算として援助をしているところが多いというふうなことで報告されております。  我が国の場合にどういう形にするか、この法律が通りますればこれからいろいろ御議論していただくということでございましょうから、そういう議論の中からいろいろな方向性を見出していただければと思っておるところでございます。
  157. 井上和久

    井上(和)委員 我が国には移植学会というのがございます。ここで移植手術が今のところできていないということでもありますが、技術的な面で世界の高いレベルにあるというふうに私は感じるのでありますが、厚生省としては移植の技術的なレベルについてはどのようにお考えというか掌握をなさっておるか、お伺いをしたいと思います。
  158. 仲村英一

    仲村政府委員 点数をつけるというわけにはまいりませんが、私ども判断では、例えば脳の非常に難しい手術とか他の臓器移植というのもたくさん行われておりますし、海外で実際に移植をおやりになって経験を積んでこられたお医者さんもたくさんおると承知しておりますので、国際的には非常に遜色のないレベルだと私どもは考えております。
  159. 井上和久

    井上(和)委員 アイバンクと腎バンク、これについてちょっとお伺いをしておきたいと思うのです。  先ほど熱心な御議論もございましたけれども、私は大まかなところで結構なんですが、この登録数と使用数というのですか、活用数といいましょうか、数の推移を、十年と言いたいのですが、わかる範囲でひとつ。
  160. 松澤秀郎

    松澤説明員 アイバンクにおきまして提供してもよろしいという登録者数は、昨年末でございますけれども六十五万三千百人を超えております。また腎移植の死後提供登録者数というものは二十二万一千人余でございます。  それから使用の実績でございますけれども、六十三年で申し上げますと、これは腎移植でございますけれども日本じゅうで七百三例の腎移植が行われまして、うち百八十八例が死体移植でございました。ちょっと戻りますと、死体移植だけ挙げますと、六十二年が百五十六例、六十一年百七十二例、六十年が百四十三例等となっております。
  161. 井上和久

    井上(和)委員 この登録の今までの実績といいましょうか、先ほど聞いたあれですが、どういうふうな率で推移をしておりますか。
  162. 松澤秀郎

    松澤説明員 登録提供者の推移でございますけれども、一年間で言いますと、六十三年につきましては、これは腎臓でございますけれども、三万四千八百三十六名ふえております。六十二年が三万六千九百二十五名、六十一年は四万一千三百三十七名ふえてきております。一年間のふえでございます。
  163. 井上和久

    井上(和)委員 臓器移植は我が国でも行われておりまして、特に、腎臓移植というのが先ほどの数の中でも伺いましたように多いわけであります。生体腎、あるいは死体腎からもやっておるということでありますが、法律ではこれは死体腎となっておると思います、この生体の腎移植ということはどういう法律に基づいてやっておられるのか、お伺いをしたいと思います。
  164. 松澤秀郎

    松澤説明員 生体腎移植については法律がございません。言いかえますと、一つの医療行為として行われているという認識でございます。
  165. 井上和久

    井上(和)委員 ということは、やっておることはまさに移植である、けれどもそれは法律に基づいてはおりませんということなのだというふうな御答弁でございます。それでいいという話になってまいりますと、改めて法制化する必要もなくなってくるわけでもありましょうし、いろいろ自由にやれるという話にもなってくるのではないかと思います。このところが大変難しいことだろうとは思いますけれども、しっかりしなければならぬというふうに私は思います。  それで、次はこの脳死立法がなければ臓器の摘出ができないのか、またできないとするなら、どの法律のどの条文の解釈によってこれはできぬというふうになるのかをまず伺いたいと思います。
  166. 仲村英一

    仲村政府委員 ただいまお尋ねのように、臓器移植そのものはすべての臓器法律がなければ移植できないというものではないわけでございまして、例えば、ただいま骨髄移植などというのも法律関係なしに実際医療の現場では行われております。しかしながら、角膜腎臓につきましては別個の立法が行われておりまして、法律の律するところになっておるわけでございます。  ただ、今のお尋ねにもございましたように、角膜腎臓が個別の法律で禁止の解除が行われている。そこだけが禁止の解除だというふうに全部を考えるのはなかなか難しい部分もあるのではないか。つまり、正当業務行為であるか否かというのが非常に問題になるのだと思います。その場合に、特に脳死前提といたします心臓肝臓移植につきましては、午前中にも議論がございましたように、正当業務行為であるか否かということが非常に厳しく問われるのが現実だろうと考えておるわけでございます。
  167. 井上和久

    井上(和)委員 今我が国の患者がアメリカの臓器まで金で買うのかというふうな批判が出ておるというふうに言われております。それで、我が国の患者が海外で移植手術をどのくらい受け、また、今どのぐらいの人が希望しておられるのか、この実態を示してもらいたい。件数とか内容、どこを希望するとか、わかりましたら。
  168. 仲村英一

    仲村政府委員 海外で移植を受けた患者数、必ずしも全数把握をしているわけではございませんが、新聞報道等によります情報の結果によりますと、国別で申し上げますと、肝臓移植につきましてはアメリカが八例、カナダが三例、オーストラリアが二十例、英国一例、西独が一例。それから心臓移植につきましては、米国で一例、英国で二例という数字でございます。  海外で移植を希望する患者というのは、ちょっと私ども把握しておりません。
  169. 井上和久

    井上(和)委員 希望しておる方々がどれくらいいるかわからないということでありますが、これにちょっと関連をいたしまして、海外で臓器移植手術を受け入れる大学あるいは病院、研究機関、こういうものがあると思います。また、希望する人がどこどこ大学の何々でぜひこの手術をしてもらいたいというような話を国に対してといいましょうか、厚生省になると思いますが、お願いをされたようなことはないのか、これをちょっと聞いておきたいと思います。
  170. 仲村英一

    仲村政府委員 海外の臓器移植手術を受け入れてくれる施設ということでのお尋ねでございますが、例示として申し上げますと、肝臓の場合には、ボストンの小児病院でございますとかUCLA、カリフォルニア大学のロサンゼルス校、それからマジソン病院、カナダではトロントの小児病院、オーストラリアではブリスべーンの王立病院、それからプリンセス・アレキサンドラ病院というのがあるようでございます。西ドイツはハノーバー医科大学、英国はケンブリッジ病院。それから心臓移植でございますが、米国の場合のスタンフォード大学、英国の場合にはヘアフィールド大学というのが例示としてございます。
  171. 井上和久

    井上(和)委員 それで、厚生省の方へ今日までの分でお願いをされたとか依頼があったとかいうふうな事例については、なかったですか。
  172. 仲村英一

    仲村政府委員 答弁漏れ申しわけございませんでした。  私どもが国として直接御紹介をするとか、そういうことはやっておりません。個人的に相談を受けるというのはあるかもしれませんが、厚生省から在外公館へお願いするとか、そういう形のは今までやっておらないと考えております。
  173. 井上和久

    井上(和)委員 個人的にやる話ではないんじゃないかという気が実はするわけであります。  それで次ですが、海外で臓器移植をするという場合に、これは内容にもよりましょうし、あるいは場所にもよるでしょうし、いろいろな事情があって難しいことがあろうかと思いますが、大体どのくらいの費用が要るものなんでしょう。
  174. 仲村英一

    仲村政府委員 日本円に換算して概数で申し上げさせていただきますが、腎臓移植で、一年間でございますけれども、スウェーデンの場合が三百九十万円、イギリスの場合が手術と外来を含めまして二百四十万円、アメリカの場合は三百三十万円から三百九十万円。心臓移植になりますと、スウェーデンが七百五十万円、イギリスが三百六十万円、アメリカが七百四十万円から一千四百万円ぐらい。それから肝臓で申し上げますと、スウェーデンの場合には千三百万円、イギリスはちょっとデータがございませんが、アメリカは千八百万円から千四百万円、こんな感じの金額でございます。
  175. 井上和久

    井上(和)委員 御案内のようにこの間も、純ちゃん基金でしたか、そういうふうなものが利用というか活用されまして、手術が行われたというふうなことも報道をされております。こういうふうになりますと、どうも私は今お話を聞いておりましても、お金のある人は海外で移植手術を受ける、またカンパがうまく集まるといいましょうか、みんなの好意を受けることができた人はその治療を受けることができる。しかしそうでない人は、そっちの方がはるかに多いと思うのですが、ただもうなすすべなく死んでいかなければならないということでありまして、非常に残念な思いがするわけであります。事実はこのとおりであると思うのですが、これに対してはどういうふうな考え方をお持ちでしょうか。
  176. 仲村英一

    仲村政府委員 確かにそういう事例が新聞等でも報道されておりますし、募金をするということも報道をもって承知しておりますが、他方外国人の臓器を当てにすることについての諸外国からの批判というのも、やはり問題の一つとして認識しておるわけでございます。国内でできないからということだけで説明できるかどうか、非常に難しい問題があるわけでございますが、そういう点を含めまして、この法律が通過いたしました際には十分御議論をしていただきたいと考えております。
  177. 井上和久

    井上(和)委員 今まさに貿易摩擦であるとか経済摩擦、あるいは国によって、場合によっては法律的な違いの摩擦というのが言われておりますが、今このままで行きますと、臓器移植の希望がどんどん日本から外国に対してございます。そうなりますと、まさに医療摩擦というのが起こってくるのではないかと私は心配をいたすわけでございます。こうなりますと、これは厚生省の行政の一部であるとか厚生省がという話ではなくなって、まさに日本の国家的な問題にもなってくるのではないかと感じておるわけでありますが、この問題についてどういうふうに認識をされておりますか。
  178. 近岡理一郎

    ○近岡政府委員 心臓あるいは肝臓など脳死前提とした臓器移植につきましては、脳死の問題について国内にさまざまな意見がありますので、結果として個人の判断で海外で移植を受け、また相手方も人道的見地から受け入れている事例があることは新聞報道承知をいたしております。また、外国人の臓器を当てにすることについては、ただいまお話がありましたとおり、諸外国から批判のあることも事実でございます。いずれにせよ、我が国において脳死臓器移植につきましては国民的議論を深めていくことが大変必要な時期に参っている、このように考えております。
  179. 井上和久

    井上(和)委員 次に、海外での臓器移植手術を受ける場合に、海外では臓器提供者脳死の方である、これはそういうふうに言われております。我が国の患者が海外へ行って移植を受ける、政府はその患者の出国を認めるということは、送り出すわけであります。そうすると、政府としては既に脳死手術によって臓器移植を受けることを認めておるということになりますと、結局は、政府としての考え方では脳死というのが認められておるというふうなことにもつながると思いますが、これはどうでしょうか。
  180. 仲村英一

    仲村政府委員 先ほどの、脳死立法がなければ臓器移植はできないかということに通じる部分があろうかと思いますが、医療行為そのものについてそれぞれ行政庁が内容にタッチするわけにいかないという実態もございますので、こういう現状が起きておるということでございます。今お尋ねの医療摩擦と申しますか臓器摩擦と申しますか、そういうこともそういうふうな規制がないということから起きておるわけですが、それでは直ちにこれを規制するかということになると非常に難しい問題がありますので、いろいろな御議論を賜りたいと考えております。
  181. 井上和久

    井上(和)委員 おととしでしたか、総理府におきまして脳死についての世論調査をやっておられると思います。この世論調査の結果を詳細にまず御報告いただきたいと思います。
  182. 岡村健

    ○岡村政府委員 ただいま委員指摘のように、総理府では昭和六十二年六月から七月にかけまして保健医療サービスに関する世論調査を実施いたしております。その中において脳死に対する関心、脳死を人の死とすることについての是非、臓器移植に対する意識を尋ねております。結果は以下申し上げるとおりであります。  まず脳死についての関心でありますが、「関心がある」とする者が六一%、「関心がない」とする者が二九%、「わからない」とする者が一〇%でございます。  次に、脳死をもって人の死とすることにつきましては、「人の死と認めてよい」とする者が二四%、「本人のそれまでの意思や家族の意思に任せるのがよい」とする者が三七%、「心臓が止まるまでは人の死とは認めない」とする者が二四%、「わからない」とする者が一六%でございました。  次に、脳死状態臓器を提供することにつきましては、「臓器を提供してよい」とする者が一八%、「本人のそれまでの意思や家族の意思に任せるのがよい」とする者が五二%、「脳死状態臓器を提供するべきではない」とする者が一四%、「わからない」とする者が一七%でございました。  なお、脳死状態臓器を提供することにつきまして、これを肯定する者及び本人または家族の意思に任せると答えた者は全体の七〇%でございますが、これらの方々に対しまして、仮に自分が脳死状態となったときに臓器を提供してもよいかとお尋ねいたしました。これにつきましては、「提供してもよい」とする者が五三%、「提供したくない」とする者が二三%、「わからない」とする者が二四%でございました。  以上でございます。
  183. 井上和久

    井上(和)委員 これはおととし、六十二年でしたか、こういうときでもありますし、ぜひこの調査をもっと多方面にわたって、例えば医者とか患者とかそういうふうな人にもわたる大々的な実態調査をぜひ緊急におやりいただきたいと思いますが、御見解はいかがでしょうか。
  184. 岡村健

    ○岡村政府委員 私どもでやっております総理府の世論調査では、一定の事項に対しまして一般の国民の方々の意見態度を統計的な方法を用いて調査するものでございまして、特定の層を対象とした調査は私ども調査にはなじみにくいところでございます。御了解をいただきたいと思います。
  185. 井上和久

    井上(和)委員 先ほどから聞いておりましても、厚生省としても、外国の事例、実態等について書類的なといいましょうか、文書的な知識、情報が多いのじゃないかと思います。データにしましても、もっと生々しいデータを用意といいますか掌握しておくべきである、私はこういうふうに思うわけでありまして、ぜひこの情報調達等について調査費等をしっかりおつけになって進めてもらいたいと思います。ぜひこれは考えてください。
  186. 近岡理一郎

    ○近岡政府委員 ただいま先生指摘のとおり、海外での実態について情報が不足している面があることは御承知のとおりであります。したがって、今後本調査会が設置された暁には、ぜひその調達のために必要な経費を実務的に詰める中で、できる限り努力してまいりたいと思います。
  187. 井上和久

    井上(和)委員 世界の大勢がこのように脳死あるいは臓器移植という方向に流れておるわけでございまして、ある新聞によりますと移植鎖国なんて書いてありましたが、我が国もいつまでもそういうふうな状態を続けることは難しいということで今回の調査会の設置に向けての動きができたというふうに思うわけでありますが、ぜひこれは真剣に進めてもらいたいというふうにも思います。  それから、特に臓器提供者が十分でないというのは、アメリカにおきましてもそういうことは現実にありまして、臓器ごとに外国人の移植待機リストというものを登録して、そして五ないし一〇%に制限をして外国人を受け入れるというふうなことも聞いております。また、フィリピンでの腎臓移植のように、相当額の金銭の授受というのが取りざたをされたりしております。囚人の肝臓移植したということもありましたし、それを仲介する団体があるというようなことまでも指摘をされておるわけであります。こういうふうになりますと、まさに医療資源を日本の金で買うと言われることが本当に大きな摩擦を現実に生むのじゃないかというふうに私は思いますし、外国へ行ってやったら済むのだというふうにもし思っておられるとしたら、これはまさに日本人のエゴイズムそのものであります。先ほど御答弁をいただきました中に、まさに五万人に及ぶような人が助かるというふうな実態もあるわけでありまして、ぜひこれに我が国でも真剣に取り組んでいくことが大事だというふうに思うわけであります。  特に腎臓の場合、生涯血液透析を行う、あるいは腎臓の透析を受けざるを得ない。この透析というのは非常につらいことである。私の近所にもそれをやっておる人がおりますが、本当にその姿を見ただけでも大変だなという気持ちがいたします。生業にももちろんつけませんし、働けないというような状態でありますが、移植成功すればまともに生活ができるわけでありまして、希望する人が多いというのはよくわかることでございます。  そういうことを含めまして、先ほどからの質問の総括的なものでありますが、金がないから受けられないという金銭による不公平、不平等をなくすることが大事だというふうに私は思います。登録をしている人がこんなにもあるわけです。その中で受けられる人はごくわずかである。そうすると、あの人はできて私はできなかったということが、しかも、もし金銭によってそういうことがあるならば、これは大変悲しいことだというふうに私は思います。そういうことにつきまして、ぜひその公平、公正を守るためにどういうふうなお考えをされておるか、お伺いをしておきたいと思います。
  188. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 お答えをいたします。  臓器移植を社会的システムとして認めるかどうかという議論の中では、まさしく先生のおっしゃったところの公平、公正ということは大事な観点だと思います。また、あわせて患者の人権保護ということも十分念頭に置かなければならぬと思っておりますので、その点についても私どもとしては調査会の真剣な議論を期待している次第でございます。
  189. 井上和久

    井上(和)委員 実は、せっかくの機会でございまして、私、厚生省さんにお伺いする機会というのは極めて少ないわけでございますので、この際に脳死の案件以外のことにつきまして、関連したことで若干別のことをお伺いしたいと思います。したがいまして、関係者以外の人はもちろん結構でございます。  お伺いしたいのは老人保健法についてであります。まず、現在老健法の見直し作業が行われておりまして審議会が開かれております。この審議会における審議過程と、四点の問題点があると伺っておりますが、このことにつきましてお答えをいただきたいと思います。
  190. 高木俊明

    ○高木説明員 老人保健審議会には昨年の十月から御検討いただいてきておりまして、現在、四つの大きな項目に整理をいたしまして御審議をいただいております。  一つが高齢化社会にふさわしい老人保健・医療・福祉の基本的あり方についてでございます。二つ目のテーマといたしましては、老人の心身の特性に見合った保健・医療のあり方についてでございます。三つ目が要介護老人に対する在宅及び施設における取り組みについて。四番目が保健・医療費の公平な負担及び制度の長期的安定を図るための方策についてでございまして、これまで三番目までのテーマについては一わたり御審議をいただいておりまして、実はきょう老人保健審議会が開かれるわけでございますが、四番目のテーマにきょう入っていただくという状況でございます。
  191. 井上和久

    井上(和)委員 四十八回も開かれたそうで、大変御苦労でございます。最終的な見直しの結論といいましょうか、まとめがいつごろどういう形で発表されましょう。
  192. 近岡理一郎

    ○近岡政府委員 ただいまも御答弁申し上げましたように、現在鋭意検討を進めていただいているところでありまして、来年度予算との関連を踏まえつつ御意見を取りまとめていただきたいと考えております。
  193. 井上和久

    井上(和)委員 次に、老人保健施設、いわゆる中間施設についてお尋ねいたしたいと思います。  まず現状について、これがどのように推移をしておるかということであります。それとあわせまして建設促進について、計画及び促進上の措置についてどのような配慮をなさっておられるか。この二点をまとめてお伺いをいたしたいと思います。
  194. 伊藤雅治

    ○伊藤説明員 まず最初の点でございますが、老人保健施設につきましては六十三年四月から本格的に運営を開始したわけでございますが、着実に整備が進んでいるわけでございます。本年十月現在、全国で百九十八施設、約一万五千床が設置されております。将来的には平成十二年度までに二十六万から三十万床を目途に整備をする方針でございます。  二点目の建設促進のための措置でございますが、まず第一点といたしまして国庫補助制度がございまして、昭和六十二年度から平成元年度までに施設整備費三百十五カ所分、百一億円の国庫補助をしているところでございます。二番目といたしまして融資の制度がございまして、社会福祉・医療事業団からの低利融資制度を設けているところでございます。そのほか、第三点目といたしまして、税制上、国税及び地方税についての種々の優遇措置を設けているところでございます。
  195. 井上和久

    井上(和)委員 一万五千床だそうですが、平成十二年で三十万床といいますと膨大な数でありまして、このような状況でありますと達成可能かなという憂いが出てくるわけでありますが、ぜひひとつこの点は真剣に進めてもらいたいと思います。  次に、在宅ケアを進めるに当たりましての問題点でありますが、老人本人の希望あるいは本来的な老人対策というものは在宅であることが望ましいということは、いろんなデータからもあるいは事例からも明らかであります。したがいまして、介護人あるいはホームヘルパーの役割というものが最も重要な立場になるわけでありまして、国におきましても、福祉士制度というのを充実されていこうというふうにやっておられます。しかしながら、マンパワーの量的あるいは質的な確保というものがこの在宅ケアを進める上における最も大事な点でございまして、このマンパワーについての労働条件あるいは教育訓練あるいは制度的なもの、こういうふうなあらゆる方面からこれに対する対策が立てられることが非常に重要であるというふうに私は思うわけであります。  特に、これにつきましては、現在各市町村がそれぞれの住民のニーズにこたえて懸命に頑張っておられます。私どもの市におきましても、本当によくやっておられます。しかしながら、現実にどうも金銭的な面において大変な状況であるというのが実情じゃないかというふうに思うわけであります。ぜひこれについて充実ができるように図ってもらいたいと思いますが、具体的にお伺いをいたしたいというふうに思います。
  196. 辻哲夫

    ○辻説明員 ホームヘルパーについてのお尋ねでございます。  まず、労働条件の改善あるいは教育体制の整備、こういったことをしっかりしてということでございますけれども、ホームヘルパーの労働条件につきましては、このたび在宅三本柱の緊急整備という一環で本格的な整備を行いたいということで、平成元年度より手当の改善をいたしまして、介護型ヘルパー、これからは入浴の介護とか排せつの介護が大切でございますので、このような方については一・五倍に手当額を引き上げようということで、労働条件の改善を図っております。  それから、教育体制の整備ということでございますけれども、いわば本格的な研修が必要だということで、これにつきましては、昭和六十二年度から、各都道府県におきまして三百六十時間という本格的な研修を行っていただくというような形で強化いたしております。  それにいたしましても、市町村におきまして、これから本格的にこの増員に取り組んでいただかなければならないということで、これから本格整備をするわけですけれども、問題点が指摘されております。やはりヘルパーさんについてのいわば住民への周知というものが行き届いていないとか、それから手続についてなかなか大変だとか、あるいは家庭におきましては他人に入られたくないというような抵抗感があるとか、いろんなことが言われておりますけれども、私どもといたしましては、より市町村が実施しやすいように、例えば補助率を国庫を三分の一から二分の一に引き上げますとか、それから手続の面につきましては、例えばデイサービスセンターを経由して申請できるようにするとかいった簡略化を図りまして、ともかく市町村が増員に取り組んでいただけるような環境整備を具体的に進めているところでございます。
  197. 井上和久

    井上(和)委員 ぜひしっかりやってもらいたいと思います。  次に、もう一度中間施設に返るわけでありますが、現在の費用の件であります。一人一カ月が二十一万円、それに本人から五万円の負担がある、こういうふうになっておりますが、本人五万円の負担というものも大変これは厳しい状況でございます。しかし、二十一万で、中間施設を経営しておられるその方々にとっても大変厳しいというふうな話を私は聞いておるわけであります。現実に調査もいたしましたが、大きな病院の一部でやっていたというふうな場合は何とかもっているな、しかしながら中間施設だけをやっているという人は大変な状況だ、これが今の実態じゃなかろうかというふうに私は思うわけでありますが、この二十一万の算定でよかろうという根拠をお伺いをしておきたいと思います。
  198. 伊藤雅治

    ○伊藤説明員 二十一万円の定額の施設療養費をお払いすることにしているわけでございますが、これは六十三年度に制度がスタートいたしますときに実は全国七カ所で行いましたモデル事業がございます。このモデル事業の実績の数値をもとにいたしまして、中央社会保険医療協議会にお諮りをいたしまして厚生大臣が決めた、こういう経緯がございます。  現在この二十一万円が適切かどうかという問題、この施設療養費がどういう形で幾らがいいのか、こういう問題につきましては、現在中医協に老人保健施設に関する小委員会を設けまして、改定のルール等につきまして現在御審議をいただいているところでございます。したがいまして、今お尋ねの件につきましては、今後中医協の御審議の結果を踏まえまして適切に対処してまいりたいと思っております。
  199. 井上和久

    井上(和)委員 特に私、気になりますのでこの点は聞いておきたいなと思うのですが、中間施設というのは医者もついておりまして薬を投与もされるわけであります。この薬がどういうふうに投与されておるのかということについてお伺いしておきたいと思います。
  200. 伊藤雅治

    ○伊藤説明員 薬代につきましては、先ほど申し上げました定額の施設療養費の中に含まれているわけでございます。これは、老人保健施設にお入りいただく患者さんにつきましては比較的病状が安定している患者さんということでございまして、その額につきましても、モデル施設の実態を踏まえまして中医協で積算をいたしまして決めたものでございます。  なお、現在中医協の小委員会で検討は進められておりますけれども、本年六月付で経営実態調査を行っておりまして、この経営実態調査の結果を中医協の小委員会に御提案をいたしまして、今先生指摘の点等につきましてさらに検討していただくということにさしていただきたいと思います。     〔委員長退席、榎本委員長代理着席〕
  201. 井上和久

    井上(和)委員 次に、医薬分業の件についてお尋ねをしたいと思うのですが、厚生省はこの医薬分業の確立に力を入れておられます。それで、現在の実態というものと将来の計画についてお話しを願いたいと思います。
  202. 佐々木典夫

    ○佐々木説明員 医薬分業につきましてのお尋ねでございますけれども、医薬分業につきましては、厚生省といたしまして、正しい安全な薬の使い方をしていただくという観点から、我が国の医療の質の向上に大いに寄与できる、そういう考え方のもとに鋭意いろんな施策を講じておるところでございます。  現状でございますと、直近で、昭和六十三年度で、医薬分業の進展ぐあいを見る一つの指標として、数量的に見る一つの物差しとしましては院外処方せんの発行数というのがございますけれども昭和六十三年で一億二千万枚ほどでございます。これはどういうふうに見たらよろしいかと申しますと、我が国いろいろ医療が行われている中で、外来で投薬されたであろうというふうなものを推計いたしまして、それを分母といたしますとざっと一割強というふうな状況でございます。単純に処方せんの数だけで見ましても一割強というのが分業の現状ということでございます。  これには、御承知のとおりでございますが、我が国の場合は古くから薬というものはお医者さんからもらうという医療の実際、沿革、いきさつがございました。そういった観点から、明治になりましてから近代的な医学制度が導入されまして医薬分業というのが制度的には入っておりましたけれども、なかなか分業というのはここのところ進んでこなかったというのが実態でございます。しかしながら、先ほど冒頭申しましたとおり、医薬分業の推進は我が国の医療の向上という観点からぜひとも進めていく必要があるというふうな認識を持っておりますので、基本はやはり薬局薬剤師というものが医師及び国民患者の信頼を得るような努力をしながら、そういう意味合いでは医師あるいは患者の理解と協力を得ながら、できるところから着実に進めていきたい、進展を図っていきたいというふうな考え方で臨んでおります。  具体的には、厚生省といたしましては、医薬分業を推進するために医薬分業推進懇談会ということで、医師会、歯科医師会、薬剤師会それから学識の先生方にお入りいただいて、基本的な方策の御議論をいただきますと同時に、基礎的な方策としまして、医薬分業を推進するための啓発普及あるいは具体的な調剤能力を高めますための調剤センターとか薬事情報センターといったいわばハードな施設設備の整備の補助を行うといったようなことを進めておりまして、これを具体的に、例えばまだ全国八地区でございますが、医薬分業推進基盤整備事業ということで八つの地区を重点的にとらえまして分業の推進を図る。  それから、今年度から全国三十七の国立病院の、これは主に大都市部で外来の多い病院でございますけれども、そこで外来患者の待ち時間を短縮する、あるいは病院としまして院内の患者に対する服薬指導等にウエートを置けるようにするといった観点から、三十七の国立病院におきまして院外処方せんの発行を計画的に進めていこうといった方策を出しておりまして、これに対応してそれぞれ関係地域の薬局薬剤師が積極的な受け入れ体制の整備を図るようにする、そのための必要な指導等を積極的に行っているところでございます。  このほか肝心なことは、やはり医療関係者あるいは患者の信頼を得るということと同時に、薬剤師が資質を向上させて受け入れ体制、受け入れ能力を高めていくということが大事でございますので、薬剤師の、特に医薬分業の推進にもつながるような積極的な研さん、研修を強化していく、こういった観点から、今年度、六月に、財団法人でございますけれども日本薬剤師研修センターというのが関係者の努力で設立されております。こういったものを核にしながら資質の向上という面での努力も強力にやってまいりたい。  以上のような考え方をもちまして、関連する施策を総合的に推進する努力を重ねて、着実に少しずつ前進を図られますように努力してまいりたい、かように考えております。
  203. 井上和久

    井上(和)委員 まさに答弁を伺っておりましても、医療現場や医薬品業界というだけにとどまりませんで、患者の薬への関心を呼び覚ます、まさに世論の流れとしてこの分業志向というものが定着しつつあるのかな、こういうふうな気持ちであります。  そこで、平成二年度の予算要求で薬務局事業はどういうふうになっておるかということについて、ひとつお伺いをいたしたいと思います。  それとあわせまして、今薬が大変多くなっておりまして、医療用で一方四千品目あるいは大衆用も加えると三万品目以上の薬が発売されておるというようなことでありますが、これによる相互作用あるいは重複服用による薬害、こういうことが大変注目を集めておると私は思います。この二つを御答弁をいただきたいと思います。
  204. 佐々木典夫

    ○佐々木説明員 医薬分業に関連いたします来年度の予算あるいはその事業ということ、もう一つは、薬の相互作用あるいは重複作用といった問題についてのお尋ねでございます。  まず、来年度にかけまして医薬分業を進展させるためにどんなことを考えているかということでございます。先ほど申しました事業に関連いたしますけれども、まず第一には、昭和六十三年度から実施いたしております医薬分業推進基盤整備事業、これは六十三年度から五カ年計画で、八つの地域で、例えば大病院からの処方せんの応需体制、受け入れ体制の整備といった事業を初めとする幾つかの事業をやるものでございますけれども、引き続きこれを強力に推進したいというのが第一点でございます。  それから、できますれば、この分業推進を図るという観点から、全国の薬局の処方せんの受け入れ体制とか経営状況の把握というようなことにも努めてまいりたいと思っております。  それから来年度、先ほどのもう一つの問題にも関連いたすのでございますが、特に老人につきましては、同時に複数の医療機関に世話になる場合、具体的に申しますと整形外科に行ったりあるいは内科に行ったり眼科に行ったりというようなことがございまして、使用する薬の量も種類も多くなるといった傾向がございます。一方、特にお年寄りは老化に伴いましていろいろ副作用、安全の問題といったものも出やすい傾向があるものですから、そういう意味では、お年寄りの安全で正しい薬の使い方をより高めていくという観点から、そのためのモデル的な事業といったものもやってみたいと思っております。  このほか、先ほど申しましたが、医薬分業推進の担い手になります薬剤師の資質の向上といった観点からの所要の事業の拡充にも努力してまいりたいと思っております。  予算、事業関係は以上でございますが、もう一点医薬品について、先ほどお話ございましたようにたくさんの薬が使われるわけでございますが、同時にたくさんの薬が使われました場合の相互作用あるいは重複に伴う問題といった点が、御指摘いただきましたように私どもも大変関心を持っているところでございます。特にお年寄りにそういう問題点、心配が多いわけでございます。そういう意味合いで、先ほどの重複になりますけれども、医薬分業をできるだけ進めることによりまして、地域ぐるみで、いわばかかりつけの薬局といったようなところでお年寄りが処方せんを含めた薬の使い方についての丁寧な服薬指導等を受けるというふうな仕組みを考えていくことが必要というふうに思っております。  なお、先生からもお話ございましたけれども、現在我が国に流通している医薬品は、医家向けの医療用医薬品で一万四千品目、それから一般用医薬品を含めますと三万以上が現に流通をいたしております。そういう意味では、これらのたくさんの医薬品の相互作用をぴしっとチェックをしていく、そしてそれを迅速かつ正確に行うシステムということも大事だと思っております。そういう意味合いでは、最近こういった相互作用につきまして、コンピューターシステムを使うことによりましてこの相互作用をチェックするシステムが開発されつつありますので、これをできる限り一般化する方策について具体的な検討もぜひ進めてまいりたいと思っております。
  205. 井上和久

    井上(和)委員 時間が余りありませんので、まとめてお伺いをいたしたいと思います。  新三種混合ワクチンの接種につきまして、四月から一歳以上六歳未満の幼児を対象といたしましてこの新三種混合ワクチンの接種が実施をされております。はしか、風疹、おたふく風邪の三種類でございますが、特にこのうち、おたふく風邪のワクチンが原因で無菌性髄膜炎を引き起こすという副作用が今指摘をされて問題になっております。これについて、全国でのこのワクチンの実施状況をまず簡単に説明をしてもらいたいと思います。
  206. 曾我紘一

    ○曾我説明員 新三種混合ワクチンでございますけれども、我が国では昨年の八月に公衆衛生審議会伝染病予防部会から答申をいただきまして、十二月に実施規則を改正いたしまして、この四月から使用することができるようにしたものでございます。現在、麻疹ワクチンの定期接種とあわせまして、そのときに御希望の方に接種をしていただいているということでございます。
  207. 井上和久

    井上(和)委員 それで、この無菌性髄膜炎が副作用として起こったということがあるわけでありまして、今後慎重に対応しましょうというような通達も出して、受ける方もそうしましょうというふうになっていると聞いているのですが、こういうふうに現実に副作用があるわけですから、無理に三種にしなくて、はしかと風疹だけでおたふく風邪というのはのけたらどうかと私は思います。これは常識的じゃないかと思いますが、どうですか。
  208. 曾我紘一

    ○曾我説明員 私ども十月十三日付で詳しい発生状況につきまして都道府県に調査を依頼しておりまして、現在ウイルスの鑑別検査を行うこと等によりまして正確な発生状況の把握に努めております。この調査結果が出ました段階で、公衆衛生審議会の御意見をお伺いした上で、必要がある場合には、新三種混合ワクチンの接種の見直しも含めまして適切な措置を講じたい、かように考えております。
  209. 井上和久

    井上(和)委員 最後にワクチンでありますが、丸山ワクチンについてお尋ねをしておきたいと思います。  ことしの癌学会でも取り上げられましたように、現在がん治療の面でクォリティー・オブ・ライフということが言われております。この点から考えますと、丸山ワクチンのような免疫療法剤というのですか、これは非常に評価をされるべきものである、私はこういうふうに思うわけであります。来年ゼリアからZ一〇〇という申請が出ることになっておりますが、これを早急に審議をいたしまして来年末のこの有償期間内に認可をすべきである、こういうふうに思いますが、現状についてまず伺いたいと思います。
  210. 小野昭夫

    ○小野説明員 丸山ワクチンの現状につきまして、まず簡単に御説明を申し上げます。  がんの治療薬としての検討につきましては、臨床試験を除きましてほぼ最終段階に達しているというふうに聞いております。しかしながら、問題は臨床試験でございまして、約八年間有償治験を続けておりますが、いまだにまだ十分検討に足るデータが得られていないという状況にございます。なお、メーカーにおきましてはさらに集中的な臨床試験が必要という認識を持っているというふうに聞いております。  続きまして、Z一〇〇という治験薬名の製剤についてでございますが、メーカーにおきましては、がん治療薬の検討に加えまして、がん患者さんが放射線治療を受けられましたときの白血球の減少に対しまして一定の効果があるというふうに申しておりまして、これにつきまして検討が行われていると聞いております。現在Z一〇〇という治験薬名で臨床試験を行っておりまして、臨床試験は最終段階にございます。したがいまして、今後データを取りまとめまして整理をした上で来年夏前には承認申請を行いたいということをメーカーの方としては申しておるというふうに聞いております。
  211. 井上和久

    井上(和)委員 そこで、Z一〇〇として認可をされたとすると白血球減少抑制剤として使用できるということでございますが、がんの薬としては濃度の問題等がございまして大変問題になるわけでもありましょうが、実際使っておられる皆さん方にも大変不安が大きいということが言えると思います。がん薬としての許可ができるまでぜひこの治験を続けるというふうにしてもらいたいと思います。
  212. 小野昭夫

    ○小野説明員 承認申請及び審査に関します状況は先ほど御説明したとおりでございます。ただ、今先生指摘になられましたように丸山ワクチンとZ一〇〇というのは濃度が違いますし、効能、効果も異なります。そういう意味では別の製剤という概念に立つわけでございます。しかしながら、Z一〇〇の審査状況あるいは先ほど申し上げましたメーカーの考え方等も勘案しながら、しかるべき時点で治験をどのようにするかということにつきましては判断をしていかなければならないというふうに思っております。
  213. 井上和久

    井上(和)委員 患者が第一だろうと思いますので、ぜひ適切な措置をお願いしたいと思います。  時間が参りましたので、私はこれで質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。
  214. 榎本和平

    榎本委員長代理 では、広瀬秀吉君。
  215. 広瀬秀吉

    広瀬委員 臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案について若干御質問をいたします。  まず最初に、提案者の代表にお伺いいたします。  総理府にこのような調査会を置くあるいは審議会を置くというような問題につきましては、議員立法によってそういうものを提案するというのは、少なくとも私の記憶するところではいまだ前例のない提案の手続である、そういうように思うわけであります。本来ならば、私は、政府みずからがこのような調査会の必要性を本当に認識をするならば、そうすべきであろうと思うのです。議員立法による我が国の議会制度上希有ともいうべき新例を開く今回の提案をなさった、そういうことを御存じであったか。また、それだけの緊急性というか、政府にもう任せておけないんだ、そういう状況についての認識はどのようなものであったのか、まずこの点から提案者に伺いたいと思いますし、あとまた厚生省にも伺いたいと思います。
  216. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 お答え申し上げます。  脳死問題は人の生死という、政府が何らかの方向を定め、国会にその是非を問うという手続がなじまない問題じゃないかと思われます。それは価値観とか文化の側面にも触れるものであると思います。その意味では、政府提案という形は非常に難しい面があります。また現実的にも、医療の面は厚生省脳死状態臓器を摘出した場合、殺人罪または承諾殺人罪になるのか、相続はいつ起こるのかというような面では法務省というぐあいに、関係の省庁も多く、現に人の死に関連する法律も五百六十三件という多数に上っておるわけであります。  このようなことが一つの理由になりまして、政府部内でも脳死及び臓器移植問題について検討はされているようでございますが、早急な進展を見るのがなかなか困難な今日の状況ではなかろうかと判断をいたしております。  しかし、先生も御指摘のように、この問題は解決に急を要しますし、これ以上先に延ばすこともできません。このため、今回、総理の諮問機関としてこの調査会を設置し、問題解決のため指針を示していただくとともに、国民がこの問題を理解していく一助にもなればと思い、議員立法という形でこの法案を提案した次第でございます。  なお、御指摘議員立法で審議会等を設置した例は実は若干ございます。古い例から申し上げますと、昭和二十二年に全国選挙管理委員会法、昭和二十三年に國立國会図書館建築委員会法、同じく昭和二十三年に引揚者同胞対策審議会設置法、昭和三十一年には憲法調査会法、そして昭和三十五年には同和対策審議会設置法等、これらのものはいずれも議員立法で審議会を設置しているようでございます。
  217. 近岡理一郎

    ○近岡政府委員 お答えさせていただきます。  まず第一番目に、この問題については以前から中山先生を初め多くの議員の方々が真剣に取り組んでこられたところでありまして、その一つの成果として出てきたこの法案を尊重したいと考えております。  二番目は、脳死の問題は人間の死をどう判定するかという問題であり、行政が主導的な役割を果たすことには慎重を期さなければならないと考えております。  三番目としましては、厚生省としましても脳死及び臓器移植の問題の重要性は認識しており、従来より調査研究や正確な情報の収集に努めてきているところであります。本調査会が設置された暁には、必要な情報の提供などについて十分に協力してまいる所存でございます。
  218. 広瀬秀吉

    広瀬委員 先例を開くと言いましたが、若干はあるということですから、それを否定するつもりはありません。ただ、多くの場合、憲法調査会法であるとかあるいは選挙管理委員会関係、選挙に関する問題であるとか、そういう問題とこの種の委員会というのはやはり本質的な違いがあるだろうと思うのですね。この点であえて論争するつもりはありませんが、私が事務局に確かめたところ、こういう脳死をめぐる問題あるいは臓器移植という人間の命の問題、生と死の両者にかかわる、人間とは一体何ぞやというような問題までかかわりのある、国民全体にとって極めて関係の深い問題についての調査をする委員会、こういうものについては、これは法務省にもかかわりがあるし、厚生省にもかかわりがある、両省にまたがる問題ですから、総理府というところへ置くということで、総理大臣が国会承認を得て委員を任命するというような方式がとられておるのであります。そういう両省に関係があるというような問題について、これは総理府に置くというのは当然のことであろうと思うのです。  総理府のそういう立場から官房長官も出席をすべきであるという要求をしたのでありますが、官房長官は、これは特殊な官邸の用語だと思うのですが、ひさし貸し委員会である、こういうようなことを言われました。私も国会へ出て二十六年実歴やってまいりましたが、初めて伺った言葉であります。まあこれは、この委員会の権威の問題として総理府に置く、そして総理大臣の委員の任命というようなものに係らしめるわけですけれども、実態は厚生省が主管になる、法務省も当然かかわりのある省としてあるわけですけれども、基本は厚生省そのものであろうと思うわけでありますが、そういう点で厚生省はこれらの問題について、脳死の問題とこの臓器移植のかかわりというものについて、この法案に対して、議員立法じゃなくてみずから提出したと同じような受けとめ方をして本気でやる気があるのかないのか、その辺のところをちょっと伺っておかなければならぬと思います。     〔榎本委員長代理退席、委員長着席〕
  219. 近岡理一郎

    ○近岡政府委員 まず第一に、脳死につきましては、日本学術会議日本医師会の生命倫理懇談会の報告書にあるように、医学的には脳死個体死とする見解大勢となっており、厚生省としてもこれを尊重してまいりたいと思います。また、臓器移植につきましては、先進国で既に医療技術として確立しておりまして、厚生省としても有効な治療法であると考えております。また、現実に臓器移植以外有効な治療法がなく、これを待ち望んでいる患者が多数いることも承知をいたしております。しかし、法的に、心理的、倫理的、社会的にはいろいろな御意見があるので、厚生省としては、今後とも生命の尊厳を尊重することを基本としつつ、国民の理解と納得が得られるよう各方面で幅広い観点からさらに議論が深められていくことを期待いたしております。  今後、総理大臣の諮問機関として有識者を集めて調査会が設置され、この問題に対して御審議いただくということは、この問題の今後の取り扱いに当たって大変意義深いものと考えております。
  220. 広瀬秀吉

    広瀬委員 本来ならば、冒頭にも申し上げましたように、そこまでお考えならば議員立法を待たずに、厚生省法務省できちんと相談をした上で総理府から提案をする、あるいは制度上、こういういわゆるひさし貸し委員会の場合には実質的所管省というか、そういうところから提案されるのかよくわかりませんけれども、そうすべきであったと思うのですが、その辺の事情をもう一遍、見解を明らかにしていただきたい。
  221. 近岡理一郎

    ○近岡政府委員 先ほどもお答え申し上げましたとおり、この問題につきましては大勢先生方が真剣に取り組んでこられましたし、脳死の問題を人間の死として判定する大変な重要な問題でもあり、したがって、厚生省が主導的な役割を果たすということには慎重を期さなければならぬ、またある意味では行政的に主導することがなじめるものかどうか、そのようなこと等もございまして、厚生省としては、この問題は大変重要性のある問題でございますので、これからも調査研究やいろいろな情報の収集等、この調査会の設置と同時に、さらに慎重を期して国民のそういった期待あるいは御要望にこたえられるようにいたしたい、このような経過等をもちまして現在のような次第になったわけでございます。
  222. 広瀬秀吉

    広瀬委員 脳死とは一体何なのか。総理府でも調査をされたり厚生省でも調査をされたり、NHKが調査をしたりあるいは読売新聞などでも調査をしたり、脳死問題についての国民のいろいろな世論、こういうものを調査をされておるわけでありますが、我々自身、この法案が出てから脳死という問題について関心を持って、一体脳死なる概念はどういうものなのかということを勉強をしたという段階であります。したがって、突然脳死という問題についてあなたはどう考えるかと聞かれても、国民脳死というものの厳密な定義、そして脳死とはどういう判定基準で判定をされるのかというようなことについても深い理解なしに答えている面もあるだろう。こういうような点も危惧されるわけでございますが、しかしそうはいっても、どこまで国民にわかりやすく問題を説明するか。インフォームド・コンセントというようなこの問題については本当によく国民に情報を知らせ、しかも、どういうことなんだという問題の本質というものを理解できる程度に国民の理解を本当に求めて、そういう上に立っての国民の合意、こういうものが必要だろうということが多くの識者からずっと指摘されてきていると思うわけであります。  そういうようなもので脳死の判定、それを個体死として認めていいのかどうか。具体的に言えば、まだ体温も残っている、心臓も人工呼吸器等で心拍もあるしあるいは呼吸もしておる、そういう状態でレスピレーターというのですか、そういうようなものを外して、いわば国民の目から見れば、脳死であるか何かは別として、とにもかくにも体温はあるし、心臓もまだ生きておるし、呼吸もしておる、それを器具を外して臓器を取り出すというようなことに対しては、人間の生命のとうとさというか尊厳というか、あるいはまた人権の問題として天寿を全うさせるということが当然あるわけだし、日本人のだれしもがやはりこれは仏教という宗教的な素地の中で成長をしてきているというようなそういうものとのかかわりもあるだろうし、あるいは農耕文化などとも関連をする日本独自の生命観、生命倫理観、あるいは人間の生存、命、そして死後の世界へのいろいろな、輪廻転生なんということすらあるわけだし、三途の川を渡って冥府に行く、やはりそういう宗教的な感覚というものの中で生きている日本人であります。そういうようなことを考えれば、やはりこれはなかなか難しい問題である、そう言わざるを得ないわけであります。天寿を全うするというようなことと、何かそれを途中で脳死という概念で個体死として定義をしてしまって、そういう状態の中で今度は、まだ社会的に生きている、あるいは近親者等があるいは家族がそう思っている段階でそういうことをやるというのは、生命倫理的に果たして許されるのかというようなやはり日本の精神風土というかそういうものがあると思うのであります。  諸外国はもうどんどんやっているからというだけでその辺のところを割り切ってしまっていいのかどうか。科学の進歩、医学の進歩、そして一方において不可逆的に機能停止をしたんだというようなことがあって、それが本当に判定基準として正しいもの、すべての国民に受け入れられるような慎重なものを経てやられるならば、それもまたインフォームド・コンセントを得られることかもしれないけれども、まだまだそれらの点についても問題がある、そういう段階でやるということについてはかなり問題があるだろう。したがって、このような調査会をつくろう、そしてみっちり審議してもらおう、こういうことだと思うのです。  それならばこの法律の一番最後の方に、これは二年をもって失効するということになっているのですね。さっき冒頭にも申し上げたような、それではこの法律がこの国会で通ったとしまして、一体いつごろ総理大臣が委員の選考を行って、名前をそろえて国会に持ってくるか。あるいは解散・総選挙というようなことがもう想定されて現実にあるわけですけれども、そういった場合には、選挙後になるのかあるいは任命だけしておいて選挙後の国会で追認を求めることになるのか。そんなことでも相当時日が経過するだろうと思うのですね。二年の期間がそういうところでもあっという間に半年ぐらいはたってしまうということになると、法律が施行された日から二年というのは、実質的には審議をする期間は一年ちょっとぐらいしかないということにもなりかねないわけですね。そんな点については一体どう考えたらいいのですか。そんな短い時間でいいのか、こういう考えを持つのですが、まずその点。
  223. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 お答えいたします。  先ほども答弁申し上げたわけでございますが、この調査会審議期間を二年と考えました理由は、まず第一には、これは先生も十分御承知のことでございますけれども、この脳死問題のクリアがないと臓器移植がなかなか進まない、となると、その臓器移植を待望している方はおのずと、先ほど来お話に出ておりますようにそのチャンスを求めて海外にまでも出ていく、こういう患者ないし家族の切実な要求といいますか声が一つあるということを念頭に置かざるを得ないと思うのであります。  また同時に、確かにこれは重要な問題を審議するわけですから、いわゆる拙速ということは当然避けなければならぬことだろう、こう思いますが、例えばアメリカの大統領委員会が報告書を出すまでにどれくらいの年月を要したか等々を参考にいたしまして、二年が適当であろうか、こう考えた次第でございます。  なお、私どもとしては、この法案がぜひ各党の御賛成を得てこの臨時国会で成立することを希望いたすわけでありますが、この臨時国会で成立いたしまして、他に大きな条件の変化がなければ、二月ないし三月には調査会の実際の設置ができようか、こういう心組みはしております。
  224. 広瀬秀吉

    広瀬委員 今アメリカの例なども引かれたわけですが、これは立花隆君の「脳死」という有名な本でありますけれども、アメリカでも大統領諮問委員会というのができて、一九七八年から四年間にわたって審議をした。委員の数は十一名ということで、十五名よりは少ないわけでありますが、生物学者あるいは基礎医学などからも出しておるし、また、三名は臨床医学から、残り五名は倫理学、神学、法学、自然科学、人文科学など医学、生物学以外の分野からも選出をされた。四年間かかっているわけですね。この間に、委員たちが二十名の専門家から成る事務局スタッフを使って、毎月一回、二日連続の会合を持ったというような例もあるということで、医学者、生物学者はもちろん、哲学者、法律家、宗教の代表者、政治学者、社会学者、政府当局者、教育者、保健関係者、看護婦など医療現場職員、患者サイドの代表者などなど、その数は三百名にも上る小委員会的ないろいろな活動をしてこの調査をした。しかも、四百億円を投じてこれらの問題について議論をした。そういうことが書かれておるわけであります。  議員立法の場合であっても、国費を要する部分については予算がどのくらいかかるだろうかということを法律案につけて出すことが慣例になっておりますが、その点については一体どうなんでしょうか、幾らぐらいこの調査会では経費を要する、調査会の予算措置が講ぜられ得るかということについてはどういう考えを持たれておったか。  それから、今申し上げたようになるべく早くという要請はあるにしても、やはりこの問題は、国民的な合意を取りつけられるというような中で正確な脳死判定というようなことが行われて、そして片方は、脳死になった場合にはもうどうしても回復が不可能なのだ、そういうことが科学的に慎重の上にも慎重を期して判定をされるというような上に立って、全国民の祝福のうちに臓器移植という道も開かれるということが一番望ましい姿であろうと思うわけです。そういうような点では、やはり拙速を旨とするという、そして、国会で立法しさえすればもう国民世論は形成されたのだという短絡的な考えではいけないだろうと思うのですね。  それらの問題について、予算措置の問題を含めて、それから二年間で失効するというのは余りにも短いのではないか、こういう点についてお答えをいただきたいと思います。
  225. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 先生から再度、二年間では短過ぎる、拙速になるおそれはないか、こういう御指摘でございます。  確かに私どもとしても拙速は避けなければならぬ、こう思っております。それだけに、調査会におきましては密度の濃い、しかも頻繁な会合をぜひやっていただきたいものだと期待をしております。二年間というとりあえずの期間を設けましたのは、片方におきましてもう臓器移植以外に助かる道がないという患者さんや家族が現に存在して、また、その人たちの一日も早く日本においても臓器移植が本格的に実行できるように、こういう強い希望もありますと、そう四年も五年もかけて審議をしていいのかという気もいたすわけでございます。  さて、予算のことについてお尋ねでございますけれども、先ほど申し上げましたように、順調にまいりますと二月、三月からこの調査会が動き出すかもしれません。その二月、三月ですとまだ平成元年度中でございますから、年度中に要する予算については予備費から出していただこう、こう念頭に置いています。それから平成二年度は、とりあえずは最低一億円は要求したいと思っていますが、実はこれは例の概算要求の際には間に合いませんでしたので、これから十二月の平成二年度の本予算編成の中で所要の額を確保すべく努力をいたしたい、このように考えている次第です。
  226. 広瀬秀吉

    広瀬委員 提出と同時に推定の経費予算も提出をする、そういう慣例になっていると思いますが、法制局はおりませんかな。その点どうなっていますか。一億ぐらい予備費からということで当てにはしているということなのですが、提案の際、この法案に付記しておかなければならぬ。何にも財政的な、予算的な問題を出しておりませんでしたか、表示的に。
  227. 森厚治

    ○森法制局参事 法案にそのようにつけております。
  228. 広瀬秀吉

    広瀬委員 つけてありますか。付してあるということですから、一応額は別といたしまして、それはそれで結構でございます。  厚生省に伺った方がいいでしょうね、提案者がそこまで突っ込んでということにはならぬでしょうから。大体この十五名という委員の数、これが多いか少ないかは別といたしまして、十五名ということで出されている。これはそれなりに妥当な数字でもあろうかと思いますけれども、このメンバーについて、これは総理府であるけれども、実質はひさし貸し委員会であるから厚生省が中心になってそういう人選などもするであろうと言われているわけですが、これは両省でやはり協議をする必要も当然あるのだろうと思います、法務省にも深くかかわっておるわけですから。この辺のところで厚生省は、この法案がこの国会で仮に通ったと一応いたしましょう、その前提の上に立って、どういう方々を委員に任命される、そういう準備は内々なさっておるところでしょうか。
  229. 仲村英一

    仲村政府委員 この調査会の設置の趣旨からいたしまして、委員の構成、会の構成は非常に重要な問題だと御指摘のとおり認識しております。  委員は、ただいまどういう方という具体的な想定はしておりませんが、こういう問題にすぐれた識見を有する方々のうちから、手続的には両院の同意を得て内閣総理大臣が任命するという手順を踏むこととしておりますので、そういう手順を踏むことになります。その人選を進めるに当たりましては、この委員会等でいろいろ御審議いただく内容等も十分参酌をいたすと同時に、公正妥当な構成となるように十分努力する必要があると思うわけでございます。具体的には各党の関係の方々とも十分に相談をさせていただくことになろうかと考えております。
  230. 広瀬秀吉

    広瀬委員 大変抽象的なお答えしかいただけないわけでありますが、これは後で触れますけれども、今少なくとも、脳死とは一体何であるか、脳死の定義またその脳死の判定基準というようなものが国民の立場から非常に重大関心が持たれておるわけでありまして、厚生省がつくったいわゆる竹内基準と言われるような、脳死とはこういう状態なんだと、全脳の不可逆的機能喪失というようなことで何項目かの項目が並べられておるわけであります。そういうものに対しても医学界の中で賛成をする人もおるし、まあその程度でいいじゃないかということで賛成する人もおられるし、それに対して、まだ慎重性において足りないのではないか、一歩誤ればそういう点で生体を傷つける、そしてその人は心臓を摘出する、あるいは肝臓を摘出するわけでありますから、これは確実に死に至るわけであります。そういうことではやはり殺人罪を犯しかねない、そういうおそれというものがどうしてもつきまとうわけで、したがってそういう点ではより一層慎重な基準が必要であろう、追加すべき幾つかの問題点があるじゃないかということを言っている学者もおります。  そういうような点も含めて全体的な社会的合意、こういうようなものが得られるためには、賛成する人も、既にそういう一定の判定基準というものがあって、それで臓器移植のゴーサインが出たのだと理解している人もいるようですが、まだまだ不十分だという人たちもおる、あるいはその中間的な立場をとる人もいる。そういうことで、現在の判定基準に賛成する人だけじゃなしに、反対の立場をとっている人も大胆に入れてもらうというようなことも必要だろうし、先ほどアメリカの大統領諮問委員会のメンバー等について私一つ一つ読み上げましたが、そういう点で関係の深い各層から委員を選ぶというような配慮がぜひ必要だろうと思うのですが、これについては厚生、法務両省から、そしてまた提案者の考えておるところも伺いたいと思うのです。
  231. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 ただいま先生からあらかじめ賛成者のみをもって調査会を構成することはよもやあるまいなという御注意でございますが、その御注意を私ども十分念頭に置いて公正な人選をいたしたいと思います。脳死及び臓器移植という問題はすぐれて医学の問題でもありますから、医学界から委員の御参加をいただくのは当然のことといたしましても、そのほかにも考えられますのは、法曹界あるいは労働界、経済界、宗教界、婦人団体、教育界、言論ないしマスコミ界、それぞれの分野からこれはという方をぜひ選んでいただきたいと私たちも期待します。
  232. 仲村英一

    仲村政府委員 提案者の代表の竹内先生からのお答えのとおりだと考えております。
  233. 東條伸一郎

    東條説明員 法務省といたしましても、今提案者竹内先生からお話しになられたことと同じ考えでおります。
  234. 広瀬秀吉

    広瀬委員 ちょっと私の聞き損ねかもしれませんが、弁護士会等はある程度批判的な立場をとっておられるわけですね、判定基準に対して。法務省、当然弁護士代表は入っていますね。先ほど弁護士出身である坂上代議士からの質問もいろいろあったわけですけれども、その辺はどうなっていますか。
  235. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 これは私の私見になるかもしれませんが、先ほど法曹界と申し上げましたその中身に判事、検事、弁護士の代表を当然含むというぐあいに私は頭に置いております。
  236. 広瀬秀吉

    広瀬委員 大体そういうことならば、ほぼ私どもの期待ともそう大差はない。ただ心配なのは、あなたはどうなんですかというようなことで世間的にいろいろ文筆活動や何かを通じて意思をそれなりに表明をされているような方で賛成に近い人ばかりというようなことで、いろいろなところからこの委員を任命するにしても賛成に近い人ばかり集めるということでは、議論が本当に国民のコンセンサスを得られるような方向への結実というものにとってやはり世論から不信の念を抱かれるようなことがあってはならない、そのことが一番心配でありますから、その辺のところはきちんとひとつやってもらうように提案者からも、総理大臣が任命をされるわけですから、実質的には厚生省が中心になるのでしょうけれども、そういう点をしっかり踏まえてやっていただかなければならぬだろうと思います。その意味で近岡次官から厚生省の考え方も聞いておきたい。
  237. 近岡理一郎

    ○近岡政府委員 この調査会が正式に設置法によって設置された暁は、当然内閣総理大臣の方にいろいろなものが具体的に意見が出されて、最終的にそれが答申という格好で出てきた暁には、これを本当に最大限尊重しなければならないわけでありまして、その重みというものを十分にかみしめながらこの問題に対しては適切に処置するようなそういう方向で努力したい、このように思います。
  238. 広瀬秀吉

    広瀬委員 その辺のところをきちんとやっていただくように要望をしておきたいと思います。  さて、今まで人間の死というものの判定は、心臓停止、呼吸の停止、それから瞳孔の拡大といいますか、両眼とも四ミリ以上拡大している、そして対光反射がないというような、いわゆる三徴候が人間の自然死といいますか、だれしもが疑わないで、今日まで問題なしにお医者さんを信用して死の判定を受け入れてきたわけでありますが、近代的医学の発達、それからまた人工呼吸器、こういうものの発達によって、脳は死んでもまだ心臓は鼓動しておる、体温もある程度通常に近い形である、呼吸もまだしている、こういう状態の中で、いわゆる全脳の回復することのない機能停止という状態になれば脳死を宣告して、そこで臓器の摘出、そして移植、こういうようなことで、今この法案も、そのことの調査をするために国民合意を目指す調査会として発足を図ろうというのが提案の趣旨であろうと思うわけであります。  竹内基準という厚生省基準で、いわゆる全脳にわたる機能の不可逆的な喪失、こういう状態脳死と判定してよいんだ、こう言われておりますが、機能が喪失しておると見られても器質的なもので細胞はまだ生きている、こういう状態もあるではないか、そうするとやはり死と判定するのには不十分な基準ではないかということで、立花隆さんの本も、いろいろな人からの意見を集約してそういうことを、やはり慎重な上にも慎重を期すという意味では、機能的な死だけではなくて器質的な細胞の死というようなところまで深めていった方が国民の合意も得られやすいではないか、国民だれしもが疑わないような合意も得られるのではないか、そういう角度で主張をされている。また、有力な医学者であってもそういう立場をとられる方もある。そういう意味では、この厚生省基準にもう一項目加えて器質の死、細胞の死というような、脳に行く血流が停止をする、そういう状況というものを判定基準に加えたらなお一層確実なもので国民にも受け入れられやすいものになるではないかという有力な説があるわけであります。それらの問題について、厚生省としてはあの判定基準は変える必要は全くないということか、諸外国の例なんかについても、そこまでやっている国もあるやに聞いておりますが、そういう国はどれだけあるか、この辺のところについて伺いたいし、そしてまた、厚生省としての立場はあくまで前の厚生省基準につけ加える判定基準はない、こういう態度をとられるのか、どっちなのか、こういうことでお聞きしたいと思うのです。
  239. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 厚生省からお答えの前に、私、ひとつ所感を申し述べたいと思います。  今先生がお示しになった判定基準、いわゆるクライテリア、いかなる判定基準をもってオーソライズするか、こういうことについても、私どもとしては調査会においてぜひ御議論を願いたい、こう考えている次第でございます。
  240. 仲村英一

    仲村政府委員 脳細胞が全部死んだ場合に脳死とすべきではないかという御意見に対する見解はいかがかというお尋ねだと思いますが、脳死が脳の不可逆的な機能喪失の状態として定義されているわけでございまして、例えば人工呼吸器を装着いたしまして心臓を他動的に動かし続けていても脳が再び機能を回復することはないということで定義をされておるわけでございます。先ほどもちょっと申し上げたわけでございますけれども、従来の心停止の場合でも、体全体のすべての細胞が死んだというふうなことを意味していない部分があるわけでございますので、脳死についても、不可逆的な機能喪失の状態を認定できても、その場合に全細胞が同時に死んだということにはならないというふうに私ども考えておるわけでございます。したがって、現在厚生省の研究班でおつくりいただいた判定基準でございますが、この医学的な意味での妥当性については医学界専門家の評価を受けているものと私ども承知しているわけでございます。  現在でも、米国を初めとします世界の脳死判定基準は、施設によっても若干ずつ違っておる場合があって統一されておりません。しかし、最近の基準は個々の差異がだんだん少なくなってきて平均化しておると言われておるようでございますが、今後さらに共通性のある基準がつくられる可能性は学問の進歩とともに大いにあろうかと思います。日本医師会の生命倫理懇談会の報告書におきましても、複数の基準があり得ても、その基本はいずれも同じであって、細部にわたってまで形式的に無理に統一する必要はないという御見解を述べられております。
  241. 広瀬秀吉

    広瀬委員 私も医学的には全く素人でありますが、関連の書物を読みあさってみてなるほどなと思うようなことについては、やはり素人なりにこの方が国民の合意を得られやすいのではないか、そのくらいの基準をなぜ加えられないのかと考える。血流が停止をすれば脳はもう完全に死なざるを得ないということはわかっているわけです。血が行かなければ脳は死ぬことに決まっておるわけであります。それで、不可逆的であるか可逆的であるかというその判定が実は大変難しい問題であって、死後、解剖の結果、七百一例中に約三〇%は脳の自己融解というかそういうものをしていない例がある。だから、そういうようなところから見ても、まだ細胞は生きておったという段階脳死判定が行われる可能性というものがそういう面でもあり得るのではないか。やはり、どこかで細胞が生きていればそれが働きを始めるという可能性、これは生命の不可思議というか生命力というか、そういう場合なんかも非常にあり得るんだということが症例の中でもあるということ、いろいろな学者や医事評論家たちの話をいろいろ本で読んでみますとそういうこともあるということですから、その辺のところについて、この厚生省の判定基準、いわゆる竹内基準と言われるものはもう動かすことのできないものなのであるという立場ではなくて――竹内提案者の話では、そういう点も含めて十分議論をしていただきたいということを言われておりますから、それはそれなりに私は結構な態度だと思うのですが、今の局長答弁ではちょっと何かその辺のニュアンスが違うのかなという感じを受けないでもないものですから、あえてもう一度、局長からでも結構ですから、そういう点で調査会審議する中では竹内基準そのものについての是非というものも、あるいはもうちょっと補強する余地ありというような柔軟な態度で臨むのかどうか、この辺のところを聞いておきたいわけです。     〔委員長退席、宮里委員長代理着席〕
  242. 仲村英一

    仲村政府委員 竹内基準というのは厚生省の編成いたしました研究班によってできたものでございまして、私どもが決めた中身ではございません。あくまでも医学的なものでございますので、学問の進歩があれば当然それに応じて変わってくる可能性はあり得ると思いますが、私どもお尋ねがあった場合にお答えしておるのは、このいわゆる竹内基準というものが他の外国等の判定基準と比べてもどちらかといえば厳しい方だということで伺っておりますので、そういう答弁を申し上げたわけでございますが、もう一つ新たにつけ加えさせていただきたいのは、脳死の判定というのはだれでもできるというわけではないようでございまして、普通のお医者さんならだれでもできるわけではないということが一つの非常に大きな条件になっておると私ども考えております。脳死の判定に十分な経験を持つ脳神経外科あるいは神経内科等のお医者さんが少なくとも二人以上で判定するということがこの基準の中にも一応うたわれておるわけでございまして、いろいろの検査を組み合わせて最終的に判断するのですが、十分な臨床経験を持つお医者さんと必要な設備、例えばCTでございますとか脳波計とかいろいろの検査を組み合わせて経験豊かな医師によって判定されるということも非常に重要な側面ではないかと思っております。
  243. 広瀬秀吉

    広瀬委員 脳死の判定は通常の農村部等の個人開業医のようなところでは到底できるものではないということは私も承知をいたしておりますが、脳死判定が厚生省の研究班の基準で確実にできると思われる医療機関というのは幾つぐらいあるのでございますか。その数をお示しください。
  244. 仲村英一

    仲村政府委員 病院の数でお答えすることは不可能でございますが、ただいまも申し上げましたように、脳神経外科とか神経内科の経験のあるお医者さんが少なくとも二人以上いる病院とか、そういう形になろうかと思いますし、基準で決められております検査が的確に行われるような施設というのは必要なわけでございますので、したがって、先ほど先生おっしゃいましたようにかなり高度な病院でないとできないということでお答えさせていただきたいと思います。
  245. 広瀬秀吉

    広瀬委員 そういうことだろうと思うのですが、それにたえ得る、少なくとも厚生省研究班の判定基準、これを前提にしたといたしまして、これで確実な判定のできる医療機関というのはどのくらいの数に上りますか。
  246. 仲村英一

    仲村政府委員 五十九年の脳死に関する研究班の報告書の中で、脳死と判定された症例が千三百四十例ございまして、その脳死と判定を下した医療機関は、日本脳神経外科学会の認定医の訓練施設四百二十九、救命救急センター及び大学病院の救急部が百四十四、主要神経内科施設百四十ということで、合計七百十三という数字が一応この報告書で挙げられております。これ以外にももっと調査を広げればあり得るかもしれませんし、ここに挙げられている施設でもスタッフが変動することによってそうでなくなっている場合もあるかもしれませんが、大体このぐらいの勘定というふうにお考えいただければと思います。
  247. 広瀬秀吉

    広瀬委員 毎年毎年、あるいは毎日毎日と言ってもいいのでしょうが、日本の一億二千三百万の人口の中で何百人かぐらいずつは亡くなっておるわけですね。普通ならば、心臓がとまって脳に血液が行かないから脳も死ぬ、いわゆる三徴候説による死亡者が大部分のはずですね。心臓死あるいは肺臓の死、呼吸死、それから瞳孔の拡散というようなものに至る前に脳死の判定を受けるような患者、こういう人たちは一%程度だとかあるいは〇・四%程度だとかいろいろ言われているわけでありますが、脳の死が心臓停止に先立つというような、いわゆる脳死判定をしなければならぬ患者というのはどういう施設にどのくらいおるのかという数字をちょっと明らかにしていただきたいと思います。
  248. 仲村英一

    仲村政府委員 御指摘のように、亡くなる場合に脳死になる方の方がはるかに少ないわけでございまして、推定では〇・四%から一%くらいということでございますので、もし脳死と判定されれば判定され得る方が三千人から七千人というふうに踏んでおります。  なぜ脳死になるかということでございますが、基礎疾患としてはいろいろな疾患があるわけでございます。例えば、脳血管の障害、脳卒中その他だと思います。あるいは交通事故なんかで脳だけがやられてしまう頭部外傷とか、あるいは脳腫瘍でも起こり得るようでございますし、炎症でも起こる。それから、二次性と申しまして、直接脳がやられなくても、ほかの、例えば窒息で脳が先に脳死状態になるという状態あるいは心臓停止してしまうという場合など。こういう疾患でございますので、特にどの医療施設に集まるということではないと思いますけれども、先ほど申し上げましたような脳死を判定できるような施設に集まる傾向はやはりあり得るのではないかと思います。一般の医療機関にあっても、それが脳死と診定されない場合もあり得るわけでございますので、その分布につきましてはお答えいたしかねる次第でございます。
  249. 広瀬秀吉

    広瀬委員 脳死の判定を必要とする患者は、脳神経外科であるとか神経内科であるとか、救急医療施設だとか、そういうところに大体集中するのだろうと思います。先ほど数をお示しのところ、そういうようなところを中心に脳死の判定がされる、したがって、そういうところから臓器移植のドナーも出てくるであろう、こういうことに大体なるわけですね。  今申されたように脳卒中だとか交通事故で脳に重大な外科的損傷を受けたとか、その他窒息の場合とかいろいろあるでしょうけれども、そういうような人たちというのは毎日というか、現時点で押さえた場合にどのくらいの数がおるのでしょうか。脳死判定、そして臓器移植可能性のある人数、潜在的ドナーの数といいますか、この辺のところはどういう数字になりますか。     〔宮里委員長代理退席、委員長着席〕
  250. 仲村英一

    仲村政府委員 先ほどお答えいたしましたように三千人から七千人の方が脳死と判定され得る患者数ですが、これがドナーの理論的な最大数だと思います。一方、臓器移植対象となり得るという推計の患者さんは、心臓で二千八百人から五千人、肝臓で六千二百人から二万七百人、膵臓で千二百人から二千百人ということでございますから、そういう意味では臓器移植のドナーが非常に足りないような状況になると思います。そのうちでも、例えばドナーとなり得る年齢をどうお決めいただくかにもよるわけですが、医学界判断もあろうかと思いますが、そういう年齢の問題でございますとか、あるいは同意をするかしないかということで数を掛けていきますと、実際提供してもいいという数は非常に少なくなる。一般的に推計しにくいのでございますけれども、先ほどの発生件数をかなり下回るというふうに私ども理解しておりますが、確定的な数字は持ち合わせておりません。
  251. 広瀬秀吉

    広瀬委員 結構です。いずれにいたしましても、脳死の判定を受ける可能性のある人たちは〇・四%ないし一%の間、三千から七千、中間をとれば五千ぐらいか、こういうように見られるわけであります。  今ちょっと心臓で幾らというような数字を申されましたけれども、いわゆる臓器移植の受容者、レシピエント、これはもう臓器移植以外に助かる道はないんだという患者の数は総体でどのくらい、今幾らか数字を聞いたような気がしますけれども心臓の場合、膵臓の場合あるいは肝臓の場合というように、腎臓も含めて結構ですが、その辺のところ、トータルの数字と内訳をちょっとお示しください。
  252. 仲村英一

    仲村政府委員 これは北大の相沢先生の推計でお答えさせていただきますと、心臓で二千八百人から五千人、肝臓で六千百人から二万七百人、膵臓で千二百人から二千百人、腎臓で三万五千人という推計がございます。これは解剖をした所見から移植の適応症があるというものを推計いたしまして、逆算してこういう数字になっておるもので、多目に言いまして六万五千人ぐらいの移植対象患者数がおられるという勘定になります。
  253. 広瀬秀吉

    広瀬委員 心臓の二千八百を初め腎臓の三万五千、これは圧倒的に多いわけでございますが、トータルで六万五千もいらっしゃる。これはもうそれぞれの医療機関でやはり移植さえすれば助かる、こういう判定を受けている数である、こう理解していいわけですか。
  254. 仲村英一

    仲村政府委員 必ずしもそうではなくて、亡くなった後解剖して、その所見からある時期に移植できておれば助かったかもしれない、逆にこう見ておりますので、今おられる、入院しておる患者さんが、あなたは今臓器移植を受けないと助かりませんよという数とは必ずしもイコールではない、かなり違うのではないかと私ども考えております。
  255. 広瀬秀吉

    広瀬委員 いずれにいたしましても、潜在的なドナーになり得る可能性のある数字が平均的には五千ぐらいだ、心臓移植を初め膵臓、肝臓等の移植を必要とする受容者、レシピエント、こういう人たちは少なくとも五倍なり十倍なりというような必要性を持って、臓器移植を受けたいという潜在的な需要はある、そういうように見ていいわけですか。
  256. 仲村英一

    仲村政府委員 臓器移植がどんどんやられる体制になって、能力的にも場所的にもたくさんできて、一方発生する先ほどおっしゃった五千人の方がいたとしても、やはり恐らく提供側の方が少ないというお尋ねだとすれば、そういうことになろうかと思います。
  257. 広瀬秀吉

    広瀬委員 厳密にはまだ調査も十分行き届かない、いろいろその段階が微妙にあるのでしょうからあえてその点申し上げませんけれども、いずれにいたしましても、この臓器移植の場合にドナーの数と受容者の数では相当なアンバランスが常にあるというように見ていいと思うのですね。  そうなりますと、これは調査会で十分議論をしていただかなければならぬことであろうと思いますが、そういう場合の優先順位というものが社会的に非常に――先ほどの海外の例なんかも、この移植手術に要する経費が相当高額のものもある、アメリカ等では一千万を超える大きな額になっているというようなことでありますから、経済的にそれだけの医療費を払い得る人に優先的に行われるというようなことになりますと、これはやはりそのこと自体が新たなる社会的不平等、金で人権が買える、生命が買えるというような新しい国民の不満、不信を引き起こしかねない面があるわけですね。そういうような問題点については、これは社会的な妥当性というかそういうものの中で、これは提案者に聞くのは、調査会を設置しようという、調査会でそれもやられることでしょうけれども、そういう問題についての今までの研究の成果というようなものがあれば、そういうアンバランスの中で行われる場合に、これはドナーの人権の問題と同時に、そういう社会的な歩みで優先順位をどうセレクトするかということが非常に大きい問題だと思うのですが、そういう問題などについて今何か考えがあったらば聞かしておいてほしいなというように思います。
  258. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 仮に臓器移植というのを私どもが一つの社会システムとして受け入れる、こういうことになりました場合の大きな問題点は、先生まさしく御指摘のとおりの優先順位を何の基準によって定めるか、こういうことであろうかと思います。先ほども申し上げましたが、私はこういった問題についてもぜひ調査会において御議論を願って私どもに一つの指針を示していただければなと期待するわけでありますが、さらに進みまして、もし臓器移植法という法律の制定まで進むようになりましたら、私はそこにおいて臓器の売買禁止だけははっきりさせなければいけない、このように考えています。
  259. 広瀬秀吉

    広瀬委員 やはり非常に大きな問題点がこの問題にはあるんだということですから、調査会がそれらの問題も含めて考えてもらいたいということを我々希望すると、どうしてもやはり何か二年という期限は少し短いんじゃないかなという感じがしてならない。  それからもう一つは、厚生省の考え方でありますが、このような高額医療の部類に属する臓器移植というのは、現在の医療制度の中で最も高額な医療費を必要とする分野であろうと思うのです。したがって、こういう問題について、今まで高度の医療についてはいわゆる保険外ということで健康保険の保険財政からの給付がもらえない、自己支弁であるというようなことだと思うのですが、そうなりますと今の危惧というものはさらに拡大されるような可能性もある。もう既に健康保険の中に取り込んでいる国もあるやに聞いておるわけであります。いずれは恐らく臓器移植日本でも天下公認として、国民がみんな納得して近代的医療技術を駆使して行われる時代が来るだろうと思うのです。そういう中で、この個人的な財政負担、経済的な負担の問題と保険財政からの給付の可能性というものが当然出てくるわけでございますが、これを一部の金持ちだけに独占をさせる、そういう人が優先順位を与えられるということのないようにするためには、やはり保険給付の一環に繰り入れていくという方向がとられるべきであろうとも思うのであります。その辺のところについては今日まで厚生省としてはどんなお考えになっておられるのか、あるいはまた、もし提案者もその辺のところまで御検討をいただいておったならば御所見を聞かしていただきたい、そう思います。
  260. 小林秀賢

    小林(秀)説明員 お答えいたします。  脳死心臓移植の問題につきましては、今後各方面で幅広い観点からさらに論議が深められていくことを期待をいたしておりますが、臓器移植を含め新しい医療技術を保険給付の上でどのように取り扱いをするかということに関しましては、中央社会保険医療協議会、通称中医協と申しておりますが、その中医協の御意見を伺うことになっておりまして、その結論を踏まえて適切に対処していきたい、このように考えております。
  261. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 先ほども厚生省局長の方から、諸外国でそれぞれ臓器移植を受けた場合にどれくらいの金額が必要か、こういう御説明がございましたが、大変に大きな額であるわけでございます。したがいまして、これから私ども日本において臓器移植を進めていく場合に、確かにこの患者負担というものについて我々はやはり答えを用意しなければならない、こう思っております。現行の保険の制度からいきましても、一定額を超えますと高額医療という負担の仕組みもございます。また、私、正確な名前は忘れましたが、特殊な高度医療については、たしか病院、施設を限定してではありますけれども、これまた患者に負担を求めないという仕組みもあったやに記憶しております。私どもとしてもその問題についてはさらに検討をしなければならぬし、できればまた調査会においても、臓器移植を進める際にこういった負担の問題が障害になってはいけないわけでございますので、その辺についても御意見がちょうだいできればなと思います。
  262. 広瀬秀吉

    広瀬委員 非常に高度の医療技術を駆使して、それからまた脳死の判定のためのいろいろな経費というようなものもあるでしょうし、それを正しく判定した後、臓器摘出、臓器移植、こういう段階になるわけであります。  例えばけさの新聞で、ゆうべ島根大学の生体肝移植、親子の間でございましたけれども、これが行われて、立派なお医者さんたちが十五名も全部徹夜で、またそれに携わる看護婦さんやらレントゲン技師やらいろいろな看護関係の職員もたくさんおったろうと思うのですね。あれだけのものをやられたら、日本の現在の医療費体系の中で大体どのくらい費用がかかるのでしょうか。  また、例えば二年後にこの調査会が立派な結論を出して、臓器移植法も国会で大体二年なり三年なりの後に成立をするという場合に、例えば心臓移植の場合にどのくらいの経費が医療費としてかかるのか、これは局長でなければわからぬと思いますが、この辺のところを局長にお聞きしたいと思います。
  263. 仲村英一

    仲村政府委員 我が国でそういう移植が行われた場合に幾らぐらいかかるかというのは非常に難しい推計だと思いますし、もし保険診療の中へ入れるとすれば中医協の御意見をお聞きするというふうな形になると思いますが、先ほどもお答えいたしましたけれども、例えば心臓移植した場合に、一年間でアメリカで七百五十万から千四百万というふうなオーダーでございますから、おっしゃいますように、そういう医療費の面でもなかなか大変なことだろうと思います。そういう面につきましてもやはり調査会でいろいろ御論議をいただければと思っておるところでございます。
  264. 広瀬秀吉

    広瀬委員 島根大学での生体肝移植、これの例ではどのくらい医療費がかかるかという点での推定値は算定できませんか。
  265. 仲村英一

    仲村政府委員 島根の例ではございませんが、肝移植研究会の概算で一例としてお出しになっておる例がございますが、一年間で五百二十万程度というふうな推計がなされております。
  266. 広瀬秀吉

    広瀬委員 脳死問題そして臓器移植、これは本来なら別なものだといいながら、提案説明説明書を読みましても、また、これは去年の一月ですね、生命倫理研究議員連盟の中山太郎会長から原健三郎衆議院議長に出された脳死及び臓器移植に関する要望書、こういうようなものを拝見いたしましても、脳死判定の必要性、そしてまたこのような調査会を設置するということも、やはり脳死に伴う臓器移植、こういうことで、その関係というものは全く否定することのできない密接な関係を持っているということがはっきりしておるわけであります。  脳死というものは医学的に一体どういうものなのか。そしてまた、和田教授事件と言っていいのですか、そういうような場合でも、これはやはり生体に侵襲して臓器を取り出したのではないかという疑惑が非常に濃厚であった。こういうような点で、国民生命倫理とか生命観、人権というようなものから、国民が医師に対する密室での判定ということに極めて不信を持つ。これは、素人である一般大衆はその判定というものが専門的に良心的にやられているのであろうという気持ちは持つけれども、あのような事件になりますと、やはり医師を信頼できないなということに直結してしまうというようなことがあったと思う。そして日本の文化、風土の中で、西洋の諸国がもう三十九カ国もやっているというような事例があるし、今や世界一の経済大国日本が医療面では三流国並みにおくれている、二流国以下だと言われるようなことのないように、そういう立場で、私ども医学の発展、そしてまた、死ぬ以外に回復の見込みは絶対ないんだという人から臓器を取り出して別な患者に対して延命の措置が講ぜられるということは、科学の進歩、医学の進歩という立場でとらえなければならないだろう。  我々の今までの生命観、そういうようなものから見て、我々、仏教の中で育ち、そしてまた儒教、道教、孔孟の教えなどを小さいうちに教えられて育ってきた。「身体髪膚之を父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」というような概念を子供のときから教わってきたわけですね。そういう点から見れば、まだ体温がある人、心臓の鼓動もつい今まで打っておったのだというような人たちから臓器を取り出すというようなことについて、心臓がなくてあの世に行っていいのかというような来世思想のようなものなんかもまだ国民の中に色濃く残っているだろうと思うのですが、そういうような立場からしても、科学技術の進歩、医学の進歩、そして、もうどうせ助からない命だという場合に、脳死の判定によって、心臓がまだ生きておったという段階で、あるいは呼吸がまだ少しはあった、体温もあったというような段階臓器を取り出して一人の人を救う、儒教や孔孟の教えの中にも「身を殺して仁を成す」というまた一方の言葉もあるというようなことで、そういうこともあるのだから、脳死というものが確実に判定をされる、これは国民だれしもが納得のできるような形で判定をされるというのであるならば、脳死というものを否定することは私どももできないだろう。そしてそういう段階の中で、その判定が誤りなきよう慎重の上にも慎重を期して、判断基準などでも、これはやるべきであるという有力な意見があるならば、それらも取り入れた上で脳死の判定が行われる、そういうことまでいけば国民も納得するだろう。  そして、生前において自己決定権、自己の人権は自己で、これを公共のために使うということは、憲法でも公共のために使うのだということは言われておるわけでありますから、そういう面を考慮して、私がそういう状態になった場合にはということを遺書ではっきりさせるとかそういう場合がある、あるいは親族の皆さんもそれについてノーを言わない、同意をするということならば、私は脳死判定そして臓器移植ということはあり得べしという見解に立つわけであります。したがって、そういう点では慎重の上にも慎重を期してこの脳死の判定基準というものをやっていただきたい、こういう気持ちが非常に強いわけであります。そのことを強く提案者にもまた関係省庁にも要望しておきたいと思うわけであります。  さて、今も引用いたしましたが、例の和田教授事件、これは不起訴になっている。これは午前中にも坂上委員からも質問をされましたが、いろいろ書物などを読んでみますとどうも腑に落ちない、また不起訴理由もはっきりしないという面がある。これは試行錯誤というか、こういうものの中で時期的に出てきた一つの事件だとは思いますが、今後こういうことがあってはならない。これについての所見を法務当局からもう一遍伺いたいと思います。
  267. 東條伸一郎

    東條説明員 お尋ね和田教授による心臓移植に絡む事件につきましては、移植自体は四十三年八月に行われまして、それに関連して殺人等の一般人からの告発がありまして、札幌地検において捜査を遂げた結果、午前中も申し上げましたように嫌疑不十分ということで不起訴にいたしました。それに対して、検察審査会の方で告発人からの審査の申し立てを受けまして検討された結果、不起訴不相当という結論で事件検察庁に再び戻ってまいりましたので、再度捜査を遂げた結果、再び不起訴にいたしました。こういう経緯をたどっておるわけでございます。  この問題についての法務当局の考え方ということでございますが、先生承知のように、刑事事件では特に今は証拠がなければいたし方がないという事情がございます。このような医療をめぐる事件におきましては、いつ、どのような状況で、ドナーといいますか片方の方から心臓が摘出されたのか、そして次にどのような判断のもとにレシピエントの方に心臓移植されたのか、これらを細かく証拠で認定した上で、刑法の罪に当たるかどうかを判断していかなければならないわけでございますが、当時札幌地検では全力を挙げて捜査をいたしたと聞いておりますけれども、結果としては、そのような事実関係について刑事事件で立証するに足る十分な証拠が収集できないという状況嫌疑不十分、不起訴という結果になったわけでございます。  この移植自体についての医学界の評価あるいは一般の社会の受けとめ方自体については、私の方から申し上げるのは不適切だろうと思いますが、あえていろいろな方の評論などを読みますと、これを契機としてなかなか移植がやりにくくなってしまったという事情もあったように聞いております。
  268. 広瀬秀吉

    広瀬委員 検察の権力、警察の権力をもってしても、医学専門的な知識というようなものはどうしたって医学者や医者に及ばないわけでありますから、いかに権限を持っておっても徹底的な調査をしにくい。そしてまた、立証もしにくい。生体であったものから心臓を取り出した、一方においては心臓移植以外に助からなかったのかどうかという判定も、検察の力をもってしてもそれは素人ですから十分には判定できない。そういうような中で、どっちも疑いが濃厚であるにもかかわらず、ドナーになった方でもまだ死んでいなかった、したがって、生体であった、生体から取り出したということが疑われている。もちろん生体だから心臓を摘出すれば完全な死になってしまったわけです。そしてまた、片方も助からなかった。若干の時間は生きておったわけでありますが、わずかな時間しか生きていなかったというようなことであれだけ大騒ぎになったわけであります。これは医師の世界がある程度密室性があるというようなことで、結果的にそういうことになって検察もお手上げで不起訴にせざるを得ない、証拠がない、こういうことになったわけであります。本当に生体から臓器を摘出して殺してしまったということは、本来ならば明確に殺人ですけれども医学の世界ではその証明がなかなかできない。そういう難しさもあることはよくわかるわけであります。  この問題で合意をするに当たって、このことが今日の国民の医師に対する不信というようなものを底流に存在をさせる大きな理由になったのじゃないかと見られるわけですけれども、今後はこういうことを国会でも議論をして、調査会を設置するということで議論をしてもらえば、そういう点についての記録だとかそういうものをきちんとして整備をしておく。段階段階で機器を使って診断をして、このような計量的なあるいは計測的な数値があったのだというようなことで、脳波の問題でもこのようにフラットであったという脳波測定器の記録もちゃんととっておくとか、段階段階におけるいろいろな記録等についても確実にしておくということが、これからもこの問題を国民合意の中で、国民の祝福の中で、人類の進歩として、そしてまた貴重な生命の延長としてそういうものが行われるためには非常に必要なことである。そして医療における密室性を可能な限り常識的に排除をしていくという立場からも、そういうこともこの調査会で十分審議してもらわなければならぬ一つの面であろうと思うわけでありますが、いかがでございますか。
  269. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 お答えいたします。  段階段階における確実な記録ということは非常に大切なことだと私も認識をしております。ただいま先生御開陳の御意見は、調査会が発足した段階になりましたら、国会の論議の一つとして私どもからもぜひ紹介させていただきます。
  270. 広瀬秀吉

    広瀬委員 先ほど坂上委員が、民事の場合、刑事の場合、両面に分けて刑事局、民事局の方から伺いましたが、脳死判定をするという例も、先ほどの例のように、全部、一〇〇%してもせいぜい三千から七千の間だということですけれども、実際の例というのは毎年それほど多くはないだろうと思うのです。そういうような脳死の判定ということで、ある程度の数、脳死を死と認めなければならない。一般的には、やはり三徴候説による死亡の認定ということが大部分の人間の死においては今までどおりに行われるだろうと思うのですが、そうなりますと、臓器移植の場合における脳死の判定ということだけが実際には表に出てくる、こういう状況になろうと思うのですね。そういう場合だけは脳死が死亡の時期である。しかし、一般の場合には、あくまで今までの三徴候説というもので死亡の時期というのが刑法上もあるいは民法上も認められていく。そうすると二つの死の定義というのが併存したままいくということにならざるを得ないのかなという感じがするわけです。死の概念はやはり統一すべきである、こういうことをいいますが、臓器移植を必要としない普通の人たちの死の場合に何も脳死を持ってくる必要はない。そうだとすれば、脳死の判定を必要とする場合だけに限って、そしてそれが臓器移植に結びつく場合においてのみ死の判定の時期、時間というものを確定する、一元化できない、こういう時代に入った、そういうように理解すべきなんでしょうか。法務当局としてどうお考えになりますか。死の時期というものに二つの概念の併存はやむを得ないということでしょうか。
  271. 東條伸一郎

    東條説明員 お答え申し上げます。  私、刑事局の関係の人間でございますが、民事局の担当者がおりませんので両方の面から若干申し上げたいと思いますが、先生の御指摘のように、死というものは恐らく一つの概念だろうと思います。ただ、脳が機能停止をしたとか、あるいは器質的に死んだとか、脳死の定義というのはいろいろまだ争いはありますが、脳が死んだときに人が死んだと見るのかあるいは心臓その他も完全にとまったときに人が死んだと見るのかということで二つの判定の時期なり基準が出てくるわけです。それで、法務省の立場でそのような二つの認定時期を併存させたまま法運用がうまくいくだろうかという御質問であろうかと思います。  刑事事件だけに限ってみますると、普通の人間の刑事事件というのは、殺人にしろ、傷害致死にしろ、あるいはその他の死を伴う事件にいたしましても、死んだかどうかが争われることはめったにございません。とにかく死んだことははっきりしている、いずれの基準をとっても死んだことは明らかだという事件が普通でございますから、そういう意味合いではどちらの概念をとってきてもそんなに問題はない。そうしますと、脳死状態から臓器を摘出した場合に、果たして摘出行為を行った人々の刑事責任が一体どうなるかという場面だけで脳死というものを認めてもいいではないかということは一つ言えるかもしれません。そういう考え方もあり得るかもしれませんが、全体の法制度を見たときに果たしてそれでいいのか。先ほど私、門外漢でありますが相続の例などを出しましたけれども、片方の人が脳死状態になっておる、もう一人の関係者が別の状態で死んだということを考えましたときに、その先後によって非常に関係者の権利関係が変わってくる。このときにこっちはこっち、あっちはあっちということで果たしてうまくいくのか。この問題も含めて、仮にこの調査会などができましたときに、死についての統一的な認定基準をつくるのかあるいは認定方法をどうするかという問題も含めて御検討いただければありがたい、私はこのように考えておる次第でございます。
  272. 広瀬秀吉

    広瀬委員 竹内提案者にその点をお聞きするのも酷かと思いますが、調査会は、脳死とはどういうものであるか、脳死をどう判定するかということは臓器移植との関連において調査をするけれども、今審議官がおっしゃった死というものを一元的にどういう定義づけをするかということまでやられるという気持ちでこの調査会の設置法案を出されたわけですか。その辺のところはどうですか。
  273. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 この調査会は、今先生お示しのように脳死の概念なり定義なりに当然触れていただけるものだ、私はこう思います。しかし、脳死を新しい死の概念として立てるということになりますと、今法務省からも御指摘のようないろいろな問題がある。果たしてそれに対して十分な法的手当てができるかどうかという問題も派生してくる。となりますと、私はその点について調査会がそこまで必ず答えを出すと今から断言はできないのではなかろうかという気がしますし、恐らくこれは調査会の中の一番微妙かつ難しい問題ではなかろうかと思います。
  274. 広瀬秀吉

    広瀬委員 調査会にそこまでできれば大変すっきりすることはするだろうと私も思うのですが、この調査会の性格からいって少し過剰な期待をしているのではないか。この点はやはり発足した後で、これはまさに大変なシステムをつくったり、あるいは法学界はもちろんのこと、医学界、また哲学者、生物学者あるいはまた宗教家まで含めて、死の概念を一元化する定義、また判定する基準はどうあるべきかということについて、もう一遍やらなければいけないことではないかと思うのです。この点は質問ではなくて意見だけ申し上げておくわけであります。  もう一つ法務当局にお伺いいたしますが、この調査会ができて、大勢としては脳死の確実な判定、そして臓器移植という方向に進むわけでしょうけれども、そういう中においても今日なお筑波大学とかそのほかの医療機関で臓器移植をやられたというものに対して告発事件、しかも、筑波大学の場合なんかについては東大の医師グループが告発をしているというような、これは相当大きいショックを国民に与えている事件だと思うのです。そういう問題について、その簡単な概況と、どういう告発趣旨であり、そしてその後の告発事件捜査の進展、こういうようなものについて概略の説明を簡潔にお願いしたいと思います。
  275. 東條伸一郎

    東條説明員 現在、臓器移植に絡みまして告発を受けて捜査をいたしております事件は三件ございます。  一つは、先生今おっしゃいました筑波大学における臓器移植に絡む事件でございます。この事件昭和六十年に告発がございまして、現在水戸地方検察庁で捜査中でございますが、事件の概要は、脳死状態にある女性の方から肝臓、膵臓、脾臓などを摘出して死亡に至らしめたという事件と、それからそれを移植して結論的にその方を死亡させたという事件でございます。  それから第二番目の事件は、広尾病院で行われました臓器移植に絡む事件でございます。この事件は、六十一年の三月に脳死状態にある患者から腎臓を摘出したことに絡むもので、告発人は脳死状態にある患者から腎臓を摘出してこれを殺したという事実で告発をしてきております。この事件は現在東京地検において捜査中でございます。  それから三番目の事件は、新潟の信楽園病院というところで行われました臓器移植に絡む事件でございます。これにつきましては、昭和六十三年の十月とことしの三月に告発がなされておりまして、頭蓋内出血で脳死状態にある男性から腎臓を摘出して殺害したというものと、クモ膜下出血で入院中の脳死状態にある男性から、同じく腎臓を摘出して殺害した、こういう事実で告発を受け、これは新潟地方検察庁において現在捜査をいたしておる、こういう状況でございます。
  276. 広瀬秀吉

    広瀬委員 今そういう三件があるということをお聞きしたわけでありますが、この告発事件について検察当局としては今後どのような捜査を進めようとなさっておるのか。その捜査に当たっても、この調査会法、そしてまたその結論、そして国会での臓器移植等にかかわる脳死の判定基準の問題等についての立法措置、そういう国会での動きとこの問題についての決着というかそういうものを見ながら対処するという方針でやっているのか、現行法のもとで捜査捜査として進めていくという気持ちなのか、どちらでしょう。
  277. 東條伸一郎

    東條説明員 午前中にも申し上げましたが、刑事裁判の実務において、従来三徴候説を基準として死の判定をいたしてまいりました。ところが、最近といいますか、もうここずっと、いわゆる医学界において脳死というものも死である、人の死であるということを認める考え方が非常に有力になってきた。そして現在このように非常に議論が行われている。そういう状況を全く考えの外に置いて、従来どおりの概念でやっているかと言われれば、それはそうではない。刑法上の死というものについて刑法が独自の概念を定めているわけではございませんで、医学界で受け入れられてそれが国民の社会通念といいますか、先生先ほど来おっしゃっておられますような、日本国民医学界の考え方をどのように受けとめて死というものを考えているかということも我々がこの死というものを考えるときに当然考えなければいけないことでございます。その意味では、国会での御議論とかいろいろな論文、論考その他、それからこれから発足いたしますとすればその調査会内での脳死をめぐる議論というものを当然考えなければいけない。これは新たな要素だ。この事件の一番といいますか一つの難しい問題だと思います。  それからもう一つは、通常の捜査といたしまして、先ほど先生指摘のように、非常に医学的な判断を要する事項がたくさんある事件でございます。どの事件もそういうことになるわけでございます。関係者からも慎重に意見を聞かなければいけませんし、その意見を聞くに当たっても、我々の方も相当な基礎知識がなければ、実は関係者からお話を聞いてもわからないというようなところもあるわけでございます。そういうようなことを含めまして、これは従来といいますか、普通の事件捜査としての証拠収集、そのための勉強、こういうことも並行してやっていくということで今やっているというふうに御理解いただきたいと思います。
  278. 広瀬秀吉

    広瀬委員 捜査の機微にわたる問題にも触れますからこれ以上のことは申し上げませんが、もう一つお聞きしたい点は、脳死判定、臓器摘出、移植、こういうものについては、本人の自己決定権といいますか、本人の人格権から当然に出てくる要請でありましょうが、そういうものの同意、あるいは生前における遺書が残してあったとか明示の意思表示があればそういうものを尊重するんだ、本人の同意を必要とするあるいはまた家族の同意も必要とする、そういうような手続が必要だということは言われておりますね。今までの全体的な流れの中でそういう点についてはどこも異論は言っていないと思うのです。そういう手続なしに行われた場合の法務当局としての考えはいかがでございますか。これはこれからの将来の問題ではありますけれども法律をどういうようにつくるかという問題はありますが、そういうものが無視されたような場合にはどうなるのかという点について、法務当局の御意見を伺いたい。
  279. 東條伸一郎

    東條説明員 お答え申し上げます。  脳死によるべきかあるいは心臓死によるべきかについて、それを本人にゆだねればいいではないか、それから例えば本人が自分は脳死でいいと言えばそれでいいではないかというような一つの考え方もあろうかと思いますが、やはり人間の死というものを個人の意思にかからしめるということそれ自体はいかがかと私は考えております。  ただ先生が御指摘の摘出の問題についての同意、不同意の問題、それを例えば死んでいく方の同意を中心とするのかあるいは残された人たちの同意を中心とするのか、そういう問題は当然出てくるわけでございます。これは新たに調査会が発足いたしましていろいろ御議論をいただいて、恐らく仮に臓器移植に関する新しい立法が行われましたら、その中で十分に検討されていくべき問題だろうと思います。  刑事法的に見ますと、仮にそのような手続要件を踏まずして行われたということになりますと、我々検事の勘といたしましては相当うさん臭いことが行われたのかなという感じは持つだろうと思います。ただ、手続を踏まなかったから、例えば仮に脳死説をとった場合に、本当に脳死であるというのに手続が行われていなかった、いわば脳死を死として認めてしまいますと、これは殺人の問題を例にとりますと、手続を欠いたがゆえに殺人罪には恐らく直にはならないだろう。もちろん、例えば手続を欠いたことについての臓器移植立法における罰則なり何なりを考えることは可能だと思いますが、それはそれとしまして、刑法の場面でいきますと、そういう手続を変えたことから直ちに殺人罪がそれだから成立するというわけにはいかないのかなというふうに考えております。
  280. 広瀬秀吉

    広瀬委員 機微に触れる問題ですから、これ以上時間もありませんから申し上げませんが、もう一つだけ聞いておきたいことは、いろいろな人たちがいろいろな意見を言っております。本人の自己決定権にゆだねるべきだ、あるいは近親者の了解、同意でいいじゃないかといういろいろな説があると思いますが、本人の意思表示というようなものは、脳卒中で入院した方だとか、交通事故で頭に損傷を受けた方々が入院している、その人たちが、自己決定権は尊重されるべきであると言ったって自分の意思を、おれは脳死段階でもう心臓摘出してもいいよと言うようなことは、そういう人たちがそういう状態になって自己の意思を表明するなんということは、これは事実上ほとんどあり得ないことじゃないかなと思うのですね。午前の審議でも、坂上君から、相続の問題についていわゆる利害関係人としての奥さんや子供に聞かざるを得ないということにもなるじゃないか、こういうジレンマもある、難しいじゃないかということを言われましたが、そういう条件はあろうとも、そのことを意識して、そういう本当の土壇場というか死の間際において、愛すべき家族たちが同意を与えるというようなこと、これは、そのような利害関係者として本来適格者でない者が同意を与えるなんというのはおかしいじゃないかというような理屈はあろうけれども、私はやはりそういう人たちの理解と同意というようなものは必要なものであろう、こういうように思うわけですね。  時間がありませんからこの点答弁は要りませんが、いずれにいたしましても非常に人間の生死にかかわる、しかも人間の生命に対する価値観、こういうような日本的土壌の上で、国民の同意が得られる、これは単に国会法律をつくればそれで同意が得られたのだというような簡単なものではないだろうと思うのですね。これはやはり宗教的にも文化的にもあるいは長い間生きてきた日本人のそれぞれの奥底に潜む、そして最後の死の一瞬というところでの判断の問題というようなことにもかかわるわけですから、慎重の上にも慎重を期してこの問題を処理して、本当に国民が喜んで納得して、そして脳死判定、臓器移植ということが国民全体として祝福の中に実行に移される、そのためにはやはり慎重の上にも慎重を期すべきである、その点だけ最後に意見として申し上げて、私の質問を終わりたいと思います。
  281. 吹田愰

    吹田委員長 御苦労さまでした。  次に、塚田延充君。
  282. 塚田延充

    塚田委員 私たち民社党は、自民党及び公明党ともども法案提案者でございますので、私は、提案者の立場から関係者に対して確認もしくは要望というような形で質疑を行いたいと思います。  脳死及び臓器移植につきましては、次第に国民の関心も高まってまいりましたが、いわゆる社会的な合意ということにつきましては、もしこの調査会が設置された場合、それが社会的合意を模索し、同時にその調査結果によりましては世論をも誘導する形になってくるはずでございます。その意味におきまして、この調査会の使命というのは、特にどういう委員の方が選ばれるかという委員の構成によって、国民からうさん臭い目で見られるのかそれとも傾聴に値するということで世論を誘導するような形になるのかの分かれ道になると思います。  十五名の委員を予定しておりますけれども、その任命権者は総理大臣でございます。しかし、実質的には総理大臣が委員選任に当たるわけではないと思いますが、実質上の委員選任に当たる主管大臣はだれなのか。そしてその主管大臣、これまた一人で決められないと思いますけれども、そのもとに例えば提案者、そして関係官庁、これも厚生省であるとか法務省であるとか、そういうものを包含した委員会みたいなものをつくるのかどうか、その辺について御答弁いただきたいと思います。
  283. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 先生おっしゃるとおりに委員の人選というものは非常に大きなポイントだと思います。そういう意味で、私どもとしてもすぐれた識見を有する方を各界から広く検討して委員に任命できるようにしたいし、また、なるほどなと皆様に御納得いただく意味合いも含めまして、この人事は国会承認人事、こう配慮したつもりでございます。  ただ、今先生指摘委員を選ぶための検討委員会というのは実は提案者の頭にはないわけでありますが、しかし、恐らく事務局は厚生省になりますから、厚生省関係省庁とも連絡をするでありましょうし、また、恐らく私たちの党にも御相談があるでしょうし、あえて自民党のみならず、私は、各党の方にも御相談かけるようなこともあっていいのじゃないかな、こう思っております。
  284. 塚田延充

    塚田委員 委員選任に当たりましては、いわゆる学識経験者のみならず各界各層を網羅するという意味におきまして、まあ一般国民代表という言葉は非常に抽象的でございますけれども、男女別もしくは年齢別、収入別とかいうようなことも加味する必要があり、この委員会委員構成を、十五名ではございますけれども、本当に国民の構成をそのまま映し出すというような形で構成することが必要だと思います。となりますと、俗に言う一般国民という意味におきまして、労働界の代表であるとか主婦層の代表としての団体から選ぶとかいうことにつきましてもぜひ御配慮いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  285. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 今申し上げたように、広く各界から人選されるべきものだ、こう思いますので、その中には当然に今お示しの労働界の代表の方もあるいはまた御婦人の立場を代表する方々も私は選ばれてしかるべきと思います。
  286. 塚田延充

    塚田委員 当調査会脳死臨調などと略称する向きもあるようでございますが、その意味におきまして、行革臨調との比較をちょっとしてみたいと思います。  行革臨調の場合に、委員そのもの以外に専門委員というものを委嘱して厳密な調査のために資したという経緯もございますけれども、当調査会におきまして、そのような専門委員制度のようなものを採用するつもりがあるのかどうか、もしそのような専門委員制度を採用するとすれば、その構成、そして委員とその専門委員の役割の分担、これがいかがなものになるのか、御教示いただきたいと思います。
  287. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 脳死及び臓器移植の問題は、人の生死にかかわる極めて重要かつまた厳粛な問題であるわけでございます。そういう意味では、場合によっては専門部会を設けるとかあるいは専門委員を委嘱する、こういうこともあり得るかと思いますが、その決定は調査会自体がなさるであろう、私はこう思っております。したがいまして、私から分担とかなんとかはちょっとお答えできません。
  288. 塚田延充

    塚田委員 スタッフにつきまして御質問いたします。  スタッフの規模はどのくらいのことを想定されているのでしょうか。例えば三十名になるのか五十名になるのか。と同時に、そのスタッフの構成でございますけれども、ほとんど各省庁から出向という形で構成されるのではないかと思います。そうした場合、その九割方を厚生省が占め、あと法務省がどのくらいの割を占めるとかいうような腹案があるのでしょうか。その規模及び構成について腹案をお示しいただきたいと思います。
  289. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 申しわけないことでございますが、今お示しの点についてまだ私どもは腹案というものを持ち合わせておりません。主たる事務は専ら厚生省において処理するだろうし、それは厚生省の現在の人数の中で対処してくれる、こう期待しておりますが、しかし関係省庁が大変に多いわけでございます。法律で申しましても、死に触れているものが五百六十三件もある、こういうことでございますから、恐らく他省庁との関係がそうなると、厚生省と連絡会議とかあるいは協議会とかそういうようなことはこれから先、当然出てこようかと思います。
  290. 塚田延充

    塚田委員 この調査会に対する予算については、どのような考え方でおられますか。
  291. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 先ほども説明申し上げたわけでございますが、幸いにしてこの臨時国会におきましてこの法案が成立ということになりますと、調査会が恐らく二月、三月には動き得るかな、こう想定しております。となりますと、年度内の分は、平成元年度の予算のいわば予備費の流用を考えざるを得ない、こう思います。平成二年以降につきましては、実はまだこれは、概算要求の中には間に合いませんでしたので、これからの十二月の本予算編成の際の折衝項目なわけでありますが、私どもとしては、最低一億円は要求をいたしたい、このような心づもりでおります。
  292. 塚田延充

    塚田委員 ただいまの予算に対する心づもりから推察して、やはりスタッフの規模、この辺もある程度の腹案がなければ予算もつくりようがない、もしくは要求のしようもないと思うのですが、いかがなものですか。
  293. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 私どもが来年一億円ということを一応申し上げましたが、いわばその積算の一つの根拠には、総会、専門委員会等の会議の開催費に約四千五百万円ぐらい要るのかな。 それから委員手当あるいは旅費、こういったもので二千五百万ぐらい要るのかな。それからやはり広く調査研究してもらう必要があります。場合によっては国内のみならず海外へ出ていく場合、さらには内外の文献を集めるというような、こういうことも予想されましょう。そういうものを加えて今一応一億円という心づもりでございます。
  294. 塚田延充

    塚田委員 同じ件につきまして厚生省お尋ねいたします。  実質的にはやはり厚生省が主務官庁になるのじゃないかと思います。となれば、この調査会につきまして提案するからには、実務官庁として、専門委員制度を設けるのかどうか、今竹内提案者から専門委員をある程度想定したような予算について言及がございましたけれども専門委員制度がどうなのか。それからスタッフというのはどのくらいの規模で、そして厚生省としてはどのくらいのシェアを占めてどのような役割を分担するか。それゆえにどの程度の予算が要るのかについて内々に検討しないでいるのは僕はおかしいと思うのです。既にその辺ある程度検討されていると思いますが、教えてくれませんか。
  295. 仲村英一

    仲村政府委員 竹内先生もおっしゃいましたように、当然内容的には私どものところが事務局になろうかと思いますが、スタッフにつきましてはこういう定員事情の厳しい時期でもございますし、兼任その他で各省庁からおいでいただくなり、これから相談をさしていただきたいと思う次第でございます。  それから予算につきましても、先ほど提案者の方からも御説明ございましたが、具体的内容を含めてまだ確定しておりませんので今私から申し上げるわけにいきませんが、議論の進む段階で、必要に応じて、例えば専門委員を置くとかいうことに対応して積算をする必要があろうかと考えております。
  296. 塚田延充

    塚田委員 とにかく調査会をつくるんだ、そしてそのために委員選任国会承認を求めるんだ、それだけでこの法案を提案してくるのでは余りにもラフだと私は思うのですよ。ある程度腹案みたいなものがなければ、いろいろな意味において承服できない方々が出てくるのも当然だと思います。  それでは、この調査会で、まあ調査と申しましょうか、委員の方が集まって検討する、これの頻度は例えば月に一回ぐらいのことを考えているのか、それとも常勤のような形でやろうとしているのか。その辺、俗に言う調査、この調査というのは本を調べるとかなんとかじゃなくて十五人集まって検討会を開くという意味で申し上げておりますけれども、そういう頻度などについてどう考えておりますか。  それとの関連において、この調査会は二年を目途としているようでございますけれども、その頻度によって期間も決まってくるであろうし、またその期間から逆算してどのくらいの頻度というか密度にしなければいけないかということも当然出てくると思いますけれども、その辺のことについての考え方、これは実質的にこの調査会について事務局的な役割をするはずであり、その心づもりもできており、またそのための検討もされているはずの厚生省にお伺いいたします。
  297. 仲村英一

    仲村政府委員 二年間で何十回、総会が何回というふうな形での積算は、申しわけございませんが、してございません。  ただ、調査といいましてもどんな形の、例えば世論調査をやるということになるのか、あるいは外国へ行って実際に見てきていただくようなことをやることになるのか、やはり委員先生方にお決めいただくということで考えてまいりたいと思っております。
  298. 塚田延充

    塚田委員 とにかく委員だけをまず決める、あとはその委員の方にお任せするというのでは、私ども国会としての責任は持てなくなると僕は思うのです。そういうことについてある程度の腹案を示して、そのとおりにいくかどうか、これはやはり委嘱した委員の方々の専決事項のようになりますから、前もって余りにも予断を与え過ぎたのではこれまた委員の方にも失礼だという議論も成り立ちはしますけれども、腹案的なものがなければ、あとは野となれ山となれというのでは、私どもちょっと承認といいましょうか、国会の立場としてお恥ずかしいことになってしまい、国民の批判を受けるのではないかと心配をいたします。しかし、そうは言いましても、私自体提案者でございますから、けしからぬと言うだけではなくて、こういうことについてもある程度方向づけといいましょうか、枠組みづくりといいましょうか、これはして、その上で委員の方を委嘱する形でなければおかしいと思います。  次に、調査会と言うから審議とか議論とかいうのが言葉がおかしくなるのですけれども委員による会合と申しましょうか、そういうものが行われる、もしくは、スタッフなどを使って世論調査とか海外調査とか言葉どおりの意味調査を行う、そういうたびごとのいわゆる公開の面でございます。すなわち、審議、討議、議論が委員によって行われる場合、これは公開でやるのを原則とするのでしょうか、非公開になるのでしょうか。そして、非公開が原則となった場合、それを国民に時々刻々知らせていく必要があると思いますけれども、その公開の方法、例えば、調査会が開かれるたびごとに調査会長が記者会見を行ってある程度明らかにするのか、それとも、冒頭申し上げたように全部公開になってしまうからその心配がないのか。その辺、公開の程度の問題について竹内提案者の御見解を求めたいと思います。
  299. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 公開か非公開かはまさしく会の運営の基本に関することでございますので、これは私ども調査会の決定にゆだねたい、こう思っております。  ただ、仮に非公開ということになった場合でも、いわゆる情報提供、どういう問題についてどういう議論が行われたか、こういうことは広く国民に知らせる必要があります。その意味では、先生指摘のように会議の都度の記者会見、あるいは臨教審でしたか、定期的にニュースを出してその中でまた議論の紹介をしていた、こういうようなこともありますので、それもまたひとつ会の方でお決めいただきたいと思いますが、私は、なるべく頻繁な情報公開をお願いしたいと思っております。
  300. 塚田延充

    塚田委員 竹内提案者の御回答に対しまして全面的に承服し、ぜひそういう方向に調査会そのものを持っていく必要があるのではなかろうかと思います。最終権限は委員会の方にあることについても私は承知した上で発言をさせてもらいました。  次に、その調査目的、審議目的といいましょうか、その内容でございますけれども脳死の判定の方法はどうなのか。また、臓器移植そのものについて縦、横、斜めのいろいろな議論が行われるはずでございますけれども、同時に臓器移植を認めることになるのかどうか。  社会的合意というのに一つ大きな前提があると思います。それは、やはりそれを行うのはお医者さんでございます。となりますと、医師に対する信頼の確立、これがどうしても必要なことでございます。本来、これはもう前提条件として検討する必要がないくらいであってほしいのですけれども、各種世論調査などを通じましても、国民の中には、この医師に対する信頼の問題というのがいろいろと指摘されていることは周知の事実であります。となりますと、この医師に対する信頼の確立についても、同時並行的に、特に今まで以上に信頼が必要だという意味から、それらの改善などについての提案も含めての調査といいましょうか、審議といいましょうか、する必要があると思いますが、調査目的にそういうことをはっきりとこの調査会に委任するのかどうか、この件について御開示いただきたいと思います。
  301. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 本調査会が具体的にどのような問題について調査審議をするのかというお尋ねでございますが、まず第一に、総理大臣がいかなる内容の諮問をするか、こういうことがまず発端であろうかと思います。  私、提案者の一人として希望を申し添えれば、調査会においては脳死の概念、脳死の判定基準の取り扱い、脳死を人の死として認めるか、また、認めた場合の法的な手当ての必要性など、脳死をめぐる諸問題、あるいは臓器移植に関する施策のあり方について調査審議をいただきたいと思いますが、まさしく先生が御指摘になりましたように、脳死の判定あるいは臓器移植にかかわらず、一般に医療に対して、医師に対する信頼というのはこれは不可欠の問題だ、こう思います。そういう意味では、私はぜひこの調査会においても医師に対する信頼という事項も取り上げていただきたいし、言われておるところのインフォームド・コンセントというのですか、そういったものについてもぜひ御検討を賜ればと期待をいたしております。
  302. 塚田延充

    塚田委員 欧米では臓器移植が円滑に進められますように臓器提供のためのネットワークシステムがつくられていると聞いております。となりますと、この調査会脳死及びそれをめぐる臓器移植について是か非かというような基本的な問題から検討に入るわけでございますが、行き着くところは、臓器移植をもし可とするならば、どういうネットワークシステムになるから安全だとか、うまくいくとか、そこまで突っ込んだ答申といいましょうか、検討結果を出す必要があるのではなかろうかと思います。竹内提案者としては、そこまでは調査会にゆだねるべきでないと考えるのか、それともそこまで踏み込まなければ調査会としての目的にそぐわないのか、その辺いかがお考えでしょうか。
  303. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 どの範囲まで調査会が取り上げるかというのは一に調査会の御意向だと思いますが、仮に臓器移植という社会的システムを社会的に認容する、認めていく、こういうことになりますと、当然に今お話しのネットワークの問題、それからコーディネーターの問題、さらにはその間における費用負担の問題等々があわせ論じられなければならぬだろう、こう思いますので、多分私はこの問題についても触れていただけるだろうと思います。
  304. 塚田延充

    塚田委員 厚生省に、脳死及び臓器移植について二、三お尋ねいたします。  アメリカにおける臓器移植の現行の費用はかなり高いと伺っておりますけれども、それについてはアメリカにおける医療保険などの適用はどのようになっているのか、わかる範囲内でお答えいただきたいと思います。
  305. 仲村英一

    仲村政府委員 先ほどからお答えしておりますように、費用は非常に高い金額になっておるようでございます。  それから医療費の方でございますが、例えばイギリスの場合には、直接の医療費のほかに財団法人のようなものをつくってそれから付加的に給付をしておるということもあるようでございますし、まだ詳しくは私ども把握しておりませんけれども、全部が保険の対象になっておるとは限らないようでございます。
  306. 塚田延充

    塚田委員 法務省の方おられますか。――私、質問通告しておりませんから法務省の方おられないようですけれども、これは委員長の権限で法務省の方に後で私のところに資料など届けていただくようお願いしたいと思います。その案件を申し上げます。  先ほど来各委員からの質疑の中で、我が国において脳死段階臓器移植手術を行って告発を受けている件数が三件ほどあると伺いました。外国の先進国の例を見ますと、フランスもオランダもイギリスもいわゆる脳死及び臓器移植に関する法律がないわけであります。にもかかわらず臓器移植が行われておりますけれども、このような国において我が国で告発されているような刑事事件が起きているのかどうか、そして告発を受けて裁判所での判定がどのようになっているのか、これについて、今申し上げた国における調査結果について私のところに御回答いただけたらと思います。  以上をもちまして質問を終わります。
  307. 吹田愰

    吹田委員長 ただいま塚田委員の要望の資料は、私の方で取りそろえて提出いたします。配慮いたします。  次は、浦井洋君。
  308. 浦井洋

    浦井委員 法務省来ておられますか。――そうしたら、まず厚生省提案者の方にお伺いしたいのですけれども、午前中から問題になっておる死というのは一体何なのかということについてお伺いしたい。
  309. 仲村英一

    仲村政府委員 ある生物がその生命を終わることを死と考えます。人間の場合には社会的な機能もありますので、いろいろの問題があり得るかと思いますが、生命の終えんをもって死と考えております。
  310. 浦井洋

    浦井委員 生命というのは何ですか。
  311. 仲村英一

    仲村政府委員 人間の場合には、生きて社会的に生活をすることではないかと思います。
  312. 浦井洋

    浦井委員 提案者の方はどうですか。
  313. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 まず死とは何ぞやというお尋ねですけれども、雑駁な答えですが、生命現象の終わりかな、こういうぐあいに私は受けとめます。 さて、生命とは何ぞやということになると、今厚生省局長から答弁したようなことかなと思いますけれども、自信はありません。
  314. 浦井洋

    浦井委員 それはそうといたしまして、ここで脳死という新しい定義が登場してきたわけです。新しいデフィニションといいますか、これはやはり何といいましても国民大衆からは見えない死であるという表現も可能だというふうに思うわけであるし、それから先般来議論されておるように、心臓だとか肝臓だとか膵臓というような生死にかかわる臓器移植の問題にもつながるわけですね。だから、何をおいてもこの新しい概念の定義というもの、あるいはその新しい概念について国民的、社会的な合意が必要ではないのか。まだそういう点での国民的な合意、社会的な合意というのはできておらぬのではないかというふうに私は認識するのですけれども、これは提案者ですか。
  315. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 今御指摘のありましたように、脳死というのは近年の医学の進歩に伴い人の死の問題として新しく現実の問題となってきたものであります。一定の基準に基づいて診断する脳死は人の死であるという考え方、これを認めるのには国民の十分な理解を得る必要があることは言うまでもございませんが、そういう意味での社会的合意ができ上がっているとはまだ私も思いません。
  316. 浦井洋

    浦井委員 社会的な合意はまだでき上がっておらない。  そこで、そういう関係者の中では、国連でいえばNGOというような格好になるのでしょうけれども、民間レベルといいますか、あるいはいろいろな半民半官のようなところではその合意を形成するための努力が行われつつあるというふうに私は聞いておるわけです。そういうようなNGO的なところの合意の積み重ねがやはり国民の合意形成の一番の基礎になるのではないかというふうに思うわけですよ。であるにもかかわらず、今ここで審議をされておるようないわゆる脳死臨調法案というような格好で、結果としては有無を言わさず行政が前面に出てくるような強引なやり方というのは私はちょっと解せぬ。なぜそういうふうなやり方をやられるのか。何か理由があるのですか。
  317. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 脳死臨調を設置して有無を言わさず行政が強引にやるようなやり方という御批判でございますけれども、私は必ずしもそう受けとめません。確かに、脳死臨調のみがいわゆる脳死ないしは臓器移植についての国民的なコンセンサス形成の場だ、唯一の場だとは私も思いません。しかしながら、先ほど申し上げたように、脳死についての社会的合意が現在存在しているとは言いがたいと私は思いますが、こういった調査会の論議を通じて国民の関心を高め、場合によってはその調査会がいろいろな各界、各方面の意見もまた求めていくというやり方の中から一つの合意の形成が期待し得るのではないか、こう思っております。
  318. 浦井洋

    浦井委員 今の竹内さんのお話では、やはり臨調そのものを中心に据えて合意をやっていこうというお考えのようであります。  私、「世界」の十二月号を持ってきておるのですが、ここで加賀乙彦という作家、これは医者であるわけですけれども現在は小説家である、それから国立循環器病センターの総長である曲直部先生との対話が出ておる。その一番最後の方に曲直部先生が言っておられるのは、ちょっと読み上げますと、「超党派の国会議員でやっている生命倫理懇談会がありますね。いわゆる脳死臨調法案提出しましたが、前回はリクルート事件で流れました。これの成り行きも見なければならないだろうと思います。これが成立すれば、だいたい二年以内にひとつの結論が出ると思います。臨調は、有識者の間でやるわけでしょうから、日本では臓器移植はやってはならないというような結論は出ないでしょう。」心臓移植の権威、大御所と言われる曲直部先生がこういうふうに言われておるわけですよね。だから、そういう意味では一つのレールがもう敷かれているのと違いますか。  だから私は言いたいわけなんですけれども、先ほどから言っておりますように、具体的に申し上げますと、こういうような臨調方式をとる前に、例えば日本移植学会と日弁連とはひとつ対話をしようという動きがあるわけなんですよ。公式の文書を交わしてやろうという格好にまで今来ているというふうに私は聞いておるわけです。そうすると、それと同じような格好で、例えば日弁連と日本胸部外科学会であるとかお互いの医療界の中での学会、精神神経学会はやはり反対ですから、そこと移植学会と胸部外科学会の対話であるとか、さらに今までも言われておるように、宗教界であるとか哲学界であるとか婦人層であるとか労働界であるとか、そういうところでも、それ自身もいろいろと議論をして総括をしなければならぬし、AのところはBのところと対話していくというような、一見煩雑ではあるけれども、そういうような作業を繰り返してこそ本当に国民の合意形成という点で役に立つような結果が、実効のある結果が出るのではないかというふうに思うわけで、だからあえて私はこういう臨調方式には反対しておるわけなんです。提案者、何か御意見ありますか。
  319. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 浦井先生はこの脳死臨調がもうあらかじめ脳死の容認、それを前提にしたものではないかというお話でございますが、私たちはそのようなものは考えておりません。イエスと出るのかノーと出るのかは、これからまさしく調査会での御論議の結果だろう、こう思います。  ただし、先ほども申し上げましたように、この脳死臨調だけがいわば国民的な合意形成の唯一の場だとは思っていないわけでありますから、先生今例に引かれたAの団体とBの団体との対話とか、こういうものも大いにやっていただきたいし、結構なことだろう。私が脳死臨調に期待いたしますのは、そういった意見をまた臨調自体のイニシアチブで各界の意見を求めるということも多分お考えいただけるんじゃないかと思っております。
  320. 浦井洋

    浦井委員 だから、臨調をつくる前に、やはり民間の自発的な努力というものを政府が側面から援助をしてかき立てていくということが先ではないかというふうに私は思っておるわけであります。  それで、法務省来られたのですか。
  321. 吹田愰

    吹田委員長 はい、来ております。
  322. 浦井洋

    浦井委員 そこで、法務省にそれでは刑事的に、あるいは民事的に死とは何かということについて。もう一遍もとへ返ります。
  323. 東條伸一郎

    東條説明員 刑事法の観点から人の死という問題についてのお尋ねでございます。  私ども、刑事法といいますか刑法の分野で人の死というものについて特別の定義規定を置いているわけではございませんで、基本的には医学の問題であって、それに国民の生死観あるいは倫理観、宗教観など深いかかわりのある問題であるという認識でいるわけでございます。  それでは、従来の裁判実務で死をどのように判定してきたかと申しますと、先生承知のようにいわゆる三徴候説、つまり心臓の鼓動の停止、それから自発的呼吸の停止、瞳孔反応がなくなるというようなことで死の判定を行ってきておりました。これは医学の分野でもそのように行われてきたわけですが、刑事法を現実の場面で適用する場合におきましてもこのような判定方法によって人の死を認定してきたということでございます。
  324. 浦井洋

    浦井委員 そこで、法務省に先にお伺いしたいのですが、これももう既に出た論点でありますけれども、やはり脳死であるとか臓器移植について国民の中に不安があるわけですね。それが、医者である私がこういう言葉を使うのはどうかと思いますけれども、医療不信の一つの原因になっているというふうに思うわけです。だから、その医療に対する不信をきちんと解明することが第一ではないかと思うわけなんですが、特に脳死臓器移植というようなことになりますと和田移植の問題が出てくるわけです。  そこで、法務省に、きのうレクをしていただきましたけれども、ひとつ和田移植について、ごく簡単に経過と不起訴という処分に至った理由、これをお聞きしたい。
  325. 東條伸一郎

    東條説明員 昭和四十三年八月に札幌医科大学の和田教授によりまして、水泳中の事故で仮死状態にあった男性の心臓が摘出されまして、それを別の男性の患者移植した、その移植の結果、しばらくは生きておられましたが、その後拒絶反応等によって亡くなったという事実がございました。  これにつきまして、一般の方から札幌地方検察庁に殺人罪等で告発がございました。札幌地検では鋭意捜査を行いまして、昭和四十五年の九月に不起訴といたしました。不起訴理由は、嫌疑不十分ということでございまして、その要点は、第一の心臓提供者である人につきましてはその摘出時に果たして生存していたかどうかを認める十分な証拠が収集できなかったということであります。それから、第二の事実、つまり移植をされた相手方に対する関係では、手術の目的自体延命効果を期待したものでございますので、殺人の故意ないし未必的な故意も認めがたい。しからばその間に果たして業務上の過失があったかどうかということも捜査をいたしましたけれども治療行為につきまして落ち度があったという、つまり過失があったと認めるに足る十分な証拠もないということで、嫌疑が不十分という措置をいたしました。  その後、検察審査会におきまして不起訴不当という議決が行われまして、再び事件が札幌地方検察庁に戻ってまいりました。札幌地方検察庁では再度相当の捜査を行いましたが、四十七年の八月にやはり不起訴処分にせざるを得ないという決定をいたしております。  以上でございます。
  326. 浦井洋

    浦井委員 提案者である竹内先生お尋ねしたいのですけれども、私、ここに日本胸部外科学会臓器移植問題特別委員会の報告書を持ってきておるのです。ことしの九月一日付。私の知っておる範囲ではここで恐らくいろいろな医学会を通じて初めてであらうと思うのですけれども医学会として和田移植についての一定の反省が出ておるのですね。  ちょっと主要な部分を読み上げてみますと、「一つの外科手術がこのように犯罪として告発されたこと、告発による不明瞭の部分が医学的にもあったことは、不起訴になったとはいえ、国民各層に脳死下の臓器提供による移植についての不信感をうえつけることになった。」こういうふうに書いておるわけです。そして、今後「新しい医療が登場したときに、問題点も含めて当該医療をいかに進めるべきかを検討する学会機能をもつべきであったという反省が当然生じてくる。」さらに飛ばして、「この二十年の空白を無駄にしないためには、和田移植に含まれる示唆にとんだ反省点を充分理解し、その反省を基礎として我々の指針を構築すべきである」。在来のいわゆる日本医学界の中の一つの医学会としてはかなり思い切ってやった、まだ不十分だとは思いますけれども、こう私は思っておるのであります。こういうものが出ておる時期であるわけでありますから、やはり竹内先生にお願いしたいのは、少々回りくどいですけれども、こういう臨調法案審議し、そこで臨調をつくって臨調方式でゴーサインを出すというようなやり方ではなしに、和田移植について言えば、例えば日本胸部外科学会などが国民の前にはっきりとあれはこういう点で不十分であった、今法務省が言われたように、死亡判定についての疑義があるし、手術が適当であったかどうかということも疑義があるわけですから、むしろこれは認めておるわけなんですよ。だから、そういう点でこうだったんだということを国民の前にきちんと弁明をするように、こういうような臨調法案審議する前に、まず竹内先生などのような顔のお広い方がやはり忠告、助言をすべきではないかと思うのですが、どうですか。
  327. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 先生ただいま御引用の日本胸部外科学会のそれにつきましては、残念ながら私全文は読んでいませんが、概要は承知しておるつもりでございます。そして、私なりの感想を申し上げれば、その御反省ももっともだなという気がいたします。あの和田移植事件によりまして、まことに不幸なことでございましたけれども日本における臓器移植がストップをしたあるいはタブーとされた、こういうような事故があったわけでございますから、そういう学会の反省は私にもうなずけるものがあります。  さて、その後の御注文、胸部外科学会等に働きかけていわば国民に対して反省の弁を発表させたらどうか、こういう御注文かと思いますが、いかがなんでしょうか、国会議員としてそういういわば外部から学会に働きかけて学会の意見をどうこうするということは、私はちょっとためらいを感じます。むしろこういった問題も経過としてあるわけでございますので、いわゆるこの調査会におきまして国民移植治療に対する不安を取り除くという目的をもう少ししっかりと把握していただいて、慎重かつ十分な御審議をいただければと、こう思うわけでございます。
  328. 浦井洋

    浦井委員 どうも臨調方式に固執をされるのですが、厚生省はより一層近いわけですよね、胸部外科学会に。何かこれについてアクションを起こされる御予定あるいはその気持ちはないですか。
  329. 仲村英一

    仲村政府委員 より近いという意味がどういう意味なのかちょっとわかりませんが、いろいろの学会が日本医学界の中にございましていろいろの意見をおっしゃるのは、学問の自由として私ども受けとめるわけでございまして、個別の、例えば医療行為、症例について厚生省がどうのこうの言うということはむしろプロフェッショナルフリーダムを侵すということで、今まで何もコメントしてきておらないのが御承知のとおりの事実だと思います。
  330. 浦井洋

    浦井委員 都合のよいところだけプロフェッショナルが出てくるわけなんですけれども、やはりこれだけ国民に不安を与えて、しかも今竹内先生言われたように二十年間タブーになって、日本臓器移植問題の、技術的な発達はあったと思うのですけれども、実施がおくれたという点では責任があると思うので、その点では健康政策局長ぐらいが、先ほどの話ではないですけれども、何か記者会見をやるなり、あるいはこういう事実がありますよというようなことをもっと国民にPRするようなことをしてもしかるべきではないですか。どうです。
  331. 仲村英一

    仲村政府委員 先ほど申し上げましたように、個別の行為について、しかも法的な処理も私どもとしては済んでいるということに理解しておりますので、そういうことをする考えはございませんが、おっしゃられるような事実を私個人が全然理解していないという意味ではございません。ただ、行政としてそういうアクションをとることについては、私としては現在そういうつもりはないということでお答えさせていただいております。
  332. 浦井洋

    浦井委員 ないという意思はわかりました。  そこで、臨調法案審議に入っておりますので、具体的に法案についてお尋ねをしたい。  同僚委員と大体同じような論点になると思うのですけれども調査会委員十五人以内ということでありますが、どういう分野から選ばれるのか。脳死やら臓器移植に反対の人も選ばれるのかという問題ですね。それが一つ。  それから専門委員会、これは政令に属するのでしょうけれども、どういうようなテーマの専門委員会が開かれるのか。臨調も専門委員会もどれくらいの頻度で行われるのかという問題はどうですか。
  333. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 先ほどからの御質疑を伺っておりますと、どうも浦井先生、この脳死臨調はあらかじめ脳死容認の者だけ集めてそれで答えを出すんじゃないか、こういうお疑いでございますが、この脳死臨調がイエスと言うのかノーと言うのかは、これは全くこれからの調査会審議の結果でございます。決して私どもは先入観を持っておりません。  それから人選につきましては、これも今まで御答弁申し上げてきたわけですが、公平、公正な判断のできる方を広く各界からお願いしたい、またお願いすべきだろう、こう思います。そういう意味では、もちろん医学界も含まれるわけでございますが、法曹界、労働界、経済界、宗教界、婦人団体あるいは教育関係者、言論ないしマスコミの関係者等々の分野から、国民の皆さんもなるほどなと思うような方を人選すべきだろう、このように思います。
  334. 浦井洋

    浦井委員 私が臨調方式に固執するのは、例えば曲直部先生がこのように言われたのですが、もう一遍繰り返しす。「臨調は、有識者の間でやるわけでしょうから、日本では臓器移植はやってはならないというような結論は出ないでしょう。」「その方向に決まれば、それから進むということがいちばん確実な方法でしょう。周辺の整備が完成したならば、そしてそれぞれの学会等がちゃんと認めたならば、目の前に患者をみている人たちは、決断をもって進むべきだと思っています。あと一年か二年ぐらいの間で、臓器移植についての基盤は築けるだろうと思っています。」この曲直部先生というのは恐らく十五人の委員の中に入られるような立場の方であるわけですね。その日本でも代表的な心臓移植の泰斗が公式のこういう雑誌にここまで意見を述べておられるというのは、かなりそういう方向に進むという信憑性が高いというふうに言わざるを得ないわけです。  それで、その次の問題でありますけれども調査会なり、それから設けられるであろう専門委員会なりは、そのたびにすべて逐一公開されるわけですか。
  335. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 先ほども答弁申し上げたわけでございますが、公開にするのか非公開にするのか、これはまさしく会の運営の基本にかかわることでございますので、それは調査会の決定にゆだねたいと思っております。ただし、非公開という方針が決まった場合には、そこで行われている論議の紹介、そういったPRといいますか、あるいは情報提供、こういうものはひとつ大いに意を用いてやってもらいたいものだと個人的には思っております。
  336. 浦井洋

    浦井委員 それであれば、原則非公開で情報は公開をするということですか。
  337. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 公開か非公開かはあくまでも調査会がお決めになることで、そこでもし非公開と決まった場合と申し添えましたというようなことを申し上げたつもりでございます。
  338. 浦井洋

    浦井委員 竹内先生よく御承知だと思うのですけれども、ここにアメリカ大統領委員会の「生命倫理総括レポート」という本、これは当時の厚生省医務局監修ですよね。だから、仲村さんの前々任者が推薦の言葉を書いておられるわけです。その本の中の大統領委員会の「委員会の会合」というところを見ると、「委員会は一九八〇年一月から一九八三年三月の間に合計二十八回開催された。通常、二日間の会合が月一回のペースで開かれたが、すべて一般に公開され、傍聴者は二十五―二百名の間であった。」こういうような文章がある。それから「委員会は三百名以上の予定された証人からの証言を聞いた」という意見もあるわけです。それから「そして各回とも、一般聴衆によるフロアからのコメントを受けるための時間が、あらかじめ用意されていた。」だから、フロアからも発言があったのだろうと思います。それから「情報の配布」、竹内さんが言われておる情報の配布については、「詳しい議事録が通信リストに載っている約千五百の個人と組織へ送られた。」「さらに委員へ渡されたすべての資料は、求めに応じて一般の人々にも提供された。」こういうようなやり方をまあ言うたら踏襲いたしますか。
  339. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 くどいようでございますが、公開か非公開かはあくまでも調査会の実質的判断によって決まることだと思いますが、恐らくそういったことを議論される際には、今のアメリカの大統領諮問委員会のやり方も一つの参考にはなるのでしょう、こう思います。
  340. 浦井洋

    浦井委員 そうすると、一つ邪魔になるのは、この法案の中で守秘義務がありますよね。五条の五ですね。守秘義務の項は個人のプライバシーを除いて要らぬのではないですか。削除すべきではないですか。むしろプライバシーに限定をした項目にすべきではないのですか。
  341. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 調査会の仕事が始まりますと、その中で患者のプライバシーあるいは治療上の秘密等々の秘密に触れる場面もあるいは出てくるかもしれません。またあるいは、いろいろな薬の関係の話がもし登場しますと、場合によってはそこに企業秘密というものも出てくるかもしれません。等々を考えますと、患者のプライバシーだけは別としてあとは一切オープンということもそうなかなかいかないんじゃないのかな、今そういうぐあいに感じています。
  342. 浦井洋

    浦井委員 自民党の竹内先生らしいなとは思うのですけれども、企業秘密であるとか、あるいは使用薬品、治療方法というようなことになると、私はむしろオープンにすべき事項ではないかというふうに思うわけです。これは問答を繰り返しても仕方がないので、あくまでも提案者として、こういう議論があったということで、もしも臨調が発足をしたならば、した暁には、その実現のために努力をしていただきたいということを要望しておきたいと思います。よろしいですか。
  343. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 本法案審議をめぐります国会の諸先生方の論議については、できるだけ詳細に、しかるべき方法、機会に私からも伝達を考えております。
  344. 浦井洋

    浦井委員 もう一点は、附則の3の「二年」というものですね。これはやはり短い。拙速ではないかというふうに思うわけです。今何度も読み上げました曲直部総長の御意見でも、大体一年か二年でいけるでしょう、ゴーサインが出るでしょうというような格好でもわかるように、臨調というものを一つのつい立てにして脳死容認、そして臓器移植にゴーサインを出すのではないか、そのための仕組みに臨調が利用されるのではないかというふうに私は思わざるを得ないわけであります。  そこで、脳死というような概念がもう一つはっきりしませんけれども、私は別に脳死であるとか臓器移植にすべて反対という態度はとらないつもりなんです。そういう医学、医療の進歩に反するような態度はとらないわけであるし、同時に、移植を求めておられる難病の皆さん方の立場も十分に理解をしておるつもりであります。しかし、やはりどう考えても、脳死臓器移植ではもっと深い国民的な合意が絶対にと言うてもいいほど必要だというふうに信じております。だから、そういう観点から見ると、この法案はやはりまずいと思います。酷評をすれば、二年という短期間で非公開の密室審議をやって、そして答申を出して、はい、これは権威がありますよ、国民は合意しなさいよというようなやり方になるのではないか。現に今までの自民党政府の実績はそうなんですから、そういうふうになるだろうというふうに私は危惧をせざるを得ぬわけだ。だから、こういうやり方ではむしろ国民の社会的な合意の形成にとってはマイナスであるし、それから実際にタッチをする臓器移植の技術者にとっても、臓器移植そのものの発展にとってもマイナスだろうというふうに私は言わざるを得ないわけです。  そこで、この項の最後に一つ提案をしたいのですけれども、少なくともこれぐらいはやれぬですか。北海道とか東北地方、関東地方、近畿地方とかいうような格好で各地方ごとぐらいに脳死臓器移植問題についてもっとシンポジウムやゼミナールを開いて、それから各分野あるいは賛否両方の人に出てもらって、オープンで国の費用で議論をするような機会を持つ、こういうようなことを繰り返すことがこの際日本の国で脳死臓器移植の世論形成に非常に役に立つのではないかというふうに提案をしたいのですけれども、ひとつ提案者の御意見を聞いておきたいと思う。
  345. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 調査会をどのように運営するかはあくまでも調査会自身の御判断の問題だと思いますが、私はただいま浦井先生がお示しになった提言はかなり有益なものだ、このように判断をいたします。恐らく調査会自体にいろいろな方にお越しを願って御意見を徴することもやるでありましょうし、今申し上げたような地方公聴会ということになりますかどうか、そういうようなこともお考えをいただけるのではないだろうかと思いますが、先ほども申し上げましたように、本法案をめぐる国会論議につきましては、私の方から調査会にしかるべく伝達をしてまいりたいと思います。
  346. 浦井洋

    浦井委員 時間がないので、仮に脳死個体死と認めるとして議論を先に進めたいのですけれども脳死の判定基準についてです。これは今いろいろな意見があると思うのです。だから、医学的な論争はしませんが、できるだけ厳格で、専門家が見てわかりやすくて、しかも医学の進歩に伴ってそれに対応して変化し得るようなものにすること、それが一つ。それからもう一つは、判定行為を複数の医者がやるのでしょうけれども、だれがどういう形でやるのかきちんと決めておく。移植医を除くということはもちろん当然であります。それからもう一つ、これは鹿児島大学の学長の井形先生の提案でありますけれども、家族や家族の信頼する医者、そういうグループにわかりやすく、十分に納得させるような方法を確立をしておくこと。少なくともこの三点は脳死の判定基準で必要ではないか。脳死の判定基準問題についての私の要望であります。何か御意見ありますか。
  347. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 判定基準、クライテリアはすぐれて医学的な問題でございますので、私自身がどうこうとコメントするのはおこがましいとは思いますが、今浦井先生がお示しになったことは十分に達成さるべきことだろうと思います。特に、信頼する医師から家族に対して十分な説明をするという配慮は欠かせないことだと私も思います。
  348. 浦井洋

    浦井委員 次の問題ですが、仮に臓器移植を認めるということで議論を進めたいのです。  ドナーとかレシピエントという言葉を使いますけれども、今朝来いろいろ言われておるのですが、レシピエントの見込み数、ドナーの見込み数はよくわかりましたけれども、問題は圧倒的にドナーが不足するのではないかという心配であります。「モダンメディシン」の十一月号に出ているアメリカのバテル研究所の報告によりますと、心臓移植の待機者がどんどんふえておる。レシピエントが数多くてドナーが相対的に少ないという現象がますますひどくなってきておる。その原因としては、交通事故死が減少したこと、ピストル所持規制法が制定されたこと、頭部外傷の治療が進歩したこと、エイズが流行しておること、こういうことでますますドナーが減少していく傾向にある。これを日本の場合に当てはめると、アメリカに比べて交通事故は圧倒的に少ない、最近やや数がふえているかもわからないけれども。それから原則としてピストルなどによる死亡というのはないわけでしょう。基本的にあり得ないわけなのです。そういうことを考えると、アメリカ以上にドナーが不足を来すことは明らかではないかと思うのでありますが、それに対して展望を持っておられるのかどうか。これは厚生省ですか。
  349. 仲村英一

    仲村政府委員 御指摘のように各国で提供臓器が不足するという事態が起きておりますが、これはそもそも臓器移植を医療技術としてどのように考えるかにもよるわけでございます。一方においては人工臓器等をもっと研究開発するという方向も私どもとしては考えなければいけないということで見ておりますけれども、もちろん型が合わなければ幾ら提供臓器があってもだめなわけですが、ドナー不足が顕在化するようなことも十分考えなくてはいけません。調査会でもこのあたりにつきまして具体的にいろいろ御議論いただきたいと考えております。
  350. 浦井洋

    浦井委員 それも調査会で御議論をということになりますと、さあ臨調法案が通った、答申が出た、臓器移植のゴーサインが出た、そしてやり出してみるとドナー不足が出てきたというような格好で、これでは本当の意味での移植医療の発展が望めないのではないか。だから、こういう作業の中に一貫して流れておる思想は、臓器摘出をやっても殺人罪から免訴をされるという免罪符を与えるだけではないかというふうに酷評しても言い過ぎではないと私は思うわけです。ネットワークの問題でも同じであります。だから、そういう点でもう一遍原点に戻った姿勢を望んでおきたいと思います。  その次に費用の問題があります。  ドナーがいわゆる脳死というような格好で判定をされると、後の救命医療の措置は一体どうなるか。続けるとするならばその費用は一体どこが負担するのか。ヨーロッパではレシピエント側が負担するというような話をきのう聞きましたけれども、そういうことでよいのか。そういう問題が一つある。  それからドナーになるということで、うんと言えばその後十分な終末医療が受けられないのではないかという不安がある。だから、本人は意識がないわけでありますけれども、家族の方もドナーにはならないと言う。そうすると、ドナーはますます不足していって、悪循環になるというような格好で、これは単にレシピエントが負担するというようなことで済まされない問題を含んでおると私は言わざるを得ないわけです。  ある関西の医科大学の講師のお医者さんの話ですが、これを簡単に読み上げますと、六歳の男子子供さんが交通事故で、脳の挫傷で亡くなられた。そして、ドナーになることを小児神経学を専攻しておられるので承認をされた。お医者さんであるお父さんがうんと言われたわけでありますけれども、実際に体験をしてみると、事故が起こって個室に入った第一日目は医者の目で見ておった。ところが、二日目からはやはり父親の目で見るようになった。「個室に入った二日目。目の前で子供を見ながら、悪夢の世界がだんだん、現実として感情に入り始めた」。「例えば」ということで記者が問うと、「ベッドに血が付いたままとか、注射針や血のついたガーゼが床に落ちているとか、顔にまだ泥が付いているとか、かすり傷はほうったらかしとか…父親に戻ってから、それまで気がつかなかった治療のマイナーな点が次々気になりだした。科学的な事実で訴えることが、脳死を考える材料になりはしまいかと思いはじめました」こういうふうに切々と訴えておられるわけであります。ある医科大学の講師ということだけにしておきます。だから、そういうような問題、心情的な問題も無視することはできませんし、単にドナーと認定をされたらあとはレシピエントが費用を負担するんだというようなことで済むのですか。
  351. 仲村英一

    仲村政府委員 臓器移植の場合の費用負担でございますが、医療保険でやるという方法もございましょうし、それ以外の方法もあり得ると思いますし、そういう点についての費用負担が問題になるかと思います。ドナーについてどこまでの費用をだれが負担するかというのはこれからの議論の問題だと私ども考えております。
  352. 浦井洋

    浦井委員 わからぬわけでしょう。まだ決まってないわけでしょう。厚生省としては見通しはあるのでしょうけれどもね。  それから、レシピエントの場合、健康保険の適用になるか。先ほどは中医協の云々というお話でした。それから、竹内先生言われたように、これは特定承認保険医療機関における高度先進医療、こうなるわけですね。機関指定になるわけですよね。こういう格好で、自己負担になるのか、あるいは今現在一億円ぐらい積み立てられておるそうでありますけれども、中西純君の「純君基金」、こういうものにさらに資金を何らかの方法で積み立てして、財団方式で費用負担をしていくのか、どういうことを考えておられますか、厚生省は。
  353. 仲村英一

    仲村政府委員 どこまで保険給付の対象にするか、そういう問題もございますし、財源として医療保険を使うのか、公費負担にするのか、あるいは今おっしゃったような第三者の善意の財団によってそういうものも付加していくのか、そういう点を含めて議論をしていただきたいと考えております。
  354. 浦井洋

    浦井委員 やや専門的になりますけれども竹内先生は御承知だと思うのですが、アメリカではメディケアとメディケードがあって、いわゆる働き手になる人々は、民間の生命保険会社が健康保険を運用しておるという格好で、そこで臓器移植が非常に発展をしておる。そういう仕組みにも原因があると思うのです。イギリスではナショナル・ヘルス・サービス方式で、だから、先ほどから仲村さん言われておるように、特別な補助をいたしますというような格好になっておる。そういう問題があるのですけれども、どうも最近の日本の歴代自民党政府の医療保険などにとっておる態度を見ておりますと、臓器移植を実際にやっていくにはいずれにしろ多額の自己負担が出てくるのではないかという危惧の念を非常に持っておるわけであります。  だから、簡単に言いますと、個人にとっては非常に高額な負担になる、いろんな額は今言われておりましたけれども。簡単に言えば、高額医療の負担にたえ得る人、それから精神、心理的に強い、強靱である人、家族や社会の支援が圧倒的に強い人、それから知的水準の高い人、こういうような四つの条件の人がまずレシピエントに優先的になってしまわないだろうかというふうに思うわけなんです。だから、障害者であるとかあるいは低所得者というような人がどうしてもドナーが決定的に不足しておる条件の中では後回しになるのではないかという危惧がある。そうなれば、これは先ほどから言われておるように、医療を受ける権利の機会均等に反する、人権の問題ですね、公正平等に反するということになるので、そういうことにならないような保証、担保は一体あるのかどうか。
  355. 仲村英一

    仲村政府委員 これは医学的な適応でございますとか、提供される側の御意思でございますとかいろいろの条件があろうかと思いますが、機会の均等というのは私どもとしては保証されるような仕組みをできるだけ御議論いただきたいと期待しております。
  356. 浦井洋

    浦井委員 仲村さん、余り木で鼻をくくったような答弁はせぬ方がいいですよ、ちょっと御注意しておきますけれども。  そこで、その次の問題ですけれども専門家は別にいたしまして、一般的にレシピエントになる人は、移植を受けたら病気は根治したものだというふうに考えやすいですよね。これは当然だと思う。ところが、現実はそうでないでしょう。まず、免疫抑制剤はどんな種類か知らぬけれども一生服用し続けなければならぬ。それから心筋症なんかの場合には、少々専門的になりますけれども手術後は週一回日本では入院をして心筋の生検、バイオプシーをやらなければならぬ。それから、それならもとの職場に戻って本当に働けるかというと、物質的、精神的な保証もない。それから、実際にその方の就労能力にも自分自身で不安がある。だから、先ほどからいろいろ生存率というようなことを言われておりましたけれども、やはり今問題になっておるQOLですか、クォリティー・オブ・ライフ、生活の質が問題であるわけなんですな。そうだと思う、生活の質が。ある調査によると、アメリカでは二六、七%は移植手術を受けた後、やはり精神異常の体験を持っておるというようなデータもあるわけで、だから、そういう点も配慮してこの臨調方式を採用されようとしておるのか、ひとつ聞いておきたいと思います。
  357. 竹内黎一

    竹内(黎)議員 その臨調方式をとったゆえんのものに先生今お示しのようなものまで予見しているかということは、決してこれはそうではございません。しかし、確かに移植を受けても一〇〇%いわば普通人として社会的に生存し、あるいは活動し得る人というのはそんな大きな数ではないだろうなということは私も予想はつきます。したがいまして、そういった場合のいわば事後の健康の維持とかそういうものについて、私どもとしては一つの問題点としてテークノートする必要はあるな、こう感じます。
  358. 浦井洋

    浦井委員 質問時間が終わりましたということなんで、私の言いたいことだけ最後にちょっと申し上げたいと思うのですが、私はこう思うのです。心臓であるとか肝臓というような人間の生と死に直接つながるような臓器移植医療というのは、先ほども仲村局長言われたように、人工臓器の発達とかあるいは予防医学、あるいは予防医療の発展というような中でむしろ将来的には消滅するような医療分野ではないかというふうに思うわけなんです。消滅と言うとちょっと語感が強いかもわかりませんけれども、そうこれは隆盛になるような医療ではないのではないかというふうに思うわけであります。たまたま今、先端技術が異常に発展をしておるから、ちょっとあだ花のような格好でもてはやされ過ぎておるのではないかというふうに私は思います。しかも、それを日本に植えつけようと皆さん方はされているわけなんです。しかし、日本の国には何といっても脳死臓器移植を拒否するという特有の風土や民俗というものがやはりある。だから、もし本当に日本でやるということであれば、私が先ほどから強調しておるように、いろいろな問題を公開をし、それから総括をし、また公開をし、議論をし、総括をし、公開をする。そういうような時間と費用とエネルギーをかけて社会的な合意が国民的にでき上がるのではないか。やはり国民全体が何か汗を流さなければいかぬ、エネルギーをかけなければいかぬというふうに思うわけであります。  だから、先ほどから何度も言っておるようでありますけれども、それを二年ぐらいで、臨調方式で、しかも密室の中でゴーサインを出していくというようなやり方は、直接的にはそういう生死に関係のある移植医療でありますけれども、むしろ日本の医療全体として見たら日本の医療の発展にとってもゆがみを残すものではないか、禍根を残すものではないか、まして国民の将来の幸福のためにはならないと言わざるを得ないということを指摘をして、私の質問を終わりたいと思います。
  359. 吹田愰

    吹田委員長 次回は、来る十六日木曜日午前十時理事会、午前十時十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時十二分散会