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国務大臣(
竹下登君) ODAの問題でございますが、私は元来経済援助という
言葉は使わないという方針を立ててまいりました。やはりそれが両国のため、ひいては世界全体のためになることですから、あくまでも協力という名前を使うべきだと思って今日に至っておりますが、ただ、ODAそのものを訳しますと、これはやっぱり援助という
言葉が出てくるわけでございますので、大変矛盾を
感じながらも、精神的にはそういう
言葉は使わない方がよかろうというふうに思っております。
しかしながら、それはそれといたしまして、その範疇の中で
環境に対する問題、金額が某
新聞に
報道されておりましたが、これは決まったわけでは決してございません。
環境問題に対する物の
考え方を申し上げますと、確かにこれは我が国におきましては一九七〇年、昭和四十五年の例のお互いがやりました公害
国会というもの、あれによって四面海に囲まれた国内政策としての
環境問題ということにつきましては、私はどこの先進国へ参りましてもむしろ先進的役割を果たしておるというふうに思います。が、地球規模ということになりますと、一九七〇年にはそこまでの議論は
速記録を読み返してみましても余り出ていないことも事実でございます。近時これが言われるのが地球規模の
環境問題ということでございます。
しかしながら、この問題について私は時々感ずることがあります。地球規模の
環境問題を論ぜざるリーダーは知性と教養と良心なき者であるというぐらい大変に今クローズアップされておるわけでございますけれ
ども、現実問題としてこの問題をサミット等で議題にのせてみましても、若干各国の首脳の
考え方にもまちまちな点があろうかと思います。あるところはフロンガス、あるところは酸性雨、あるところは人口問題。したがって、やはり学者の方にお集まりいただいて、しかも国連で細々と言いながらも
努力しておりますUNEP等の機関を通じながらこれを地味に積み上げていくべきだというので、今度
青木環境庁長官が国際
会議に
出席するとともに、この九月、我が国においても国際
会議を開いて、本当に地味なところがら積み上げていかなければだめだという
考え方を持っておるわけでございます。
しかし、これが例えば中国の李鵬さん、たまたま電気技術者でもございますので私
どもよりも科学的な知識がございますが、今度の条約十周年のお互いの記念行事としては、
環境センターをつくろうじゃないかという御提案がございまして、これについて大筋その構想がまとまったところでございます。他の開発途上国におきましても、それぞれの国において中身の違いがございましても確かに
環境問題に関心が出ておりますが、一方、やはりかつて私
どもが一九五〇年代、六〇年代に
感じました産業そのものと相反するような形で
環境問題が議論されては、これは跛行性が出てくる、こんな議論があることも事実でございます。
しかし、この問題、インドネシアあるいは今御指摘になりましたマハティール首相のマレーシア等におきましては、我が国が戦後復興等で原木を初めとする、あるいは今は製品が多うございますが、そうしたことがなされておって、その後の植林というものが新しい資源造成であると同時に自然保護であるという形においては大変理解が深まってきておるのではないか。今もそういう造植林等のお手伝い、御協力はしてきておるわけでございますが、私は熱帯雨林という問題につきましては、それは基本的には焼き畑の方がはるかにその比重は大きいわけでございますけれ
ども、我が国がそこらの地域で焼き畑をやって歩いておるわけじゃございませんけれ
ども、いわば立木の伐採等によって与えた影響についてその国の資源の継続性のためにも、また自然保護のためにも協力することはお互いが、決して今のようなマハティールさんの御心配の向きでなく、いい方向で合意が形成されつつあるか、あるいはベースとして、具体的な方策は別として合意は形成されておるというふうに私は
感じてまいっております。
少し話が長くなりました。