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高桑栄松君 私が特に関心を持っていた点を今お伺いしました。大体そういうふうにいくんだなと今了解をいたしました。
次は、去る二月十五日の参議院の代表質問で、
教育関連のところで五つの項目を私は質問をいたしました。
大学入試の問題、それから入学期の問題、それからいわゆる大管法、
大学の
運営に関する臨時措置法、それからもう
一つはリクルート事件関連でございます。それから五番目が国際学会の問題、この五つを質問させていただきました。きょうは時間の都合もありますので、いわゆる大管法、
大学の
運営に関する臨時措置法について質問をさせていただきたいと思っておりますが、この前の
大臣の御答弁は限られた時間でお互いに質問をし答えられただけで、その後のやりとりがございませんでしたので、もう少し詰めてみたいなと思っております。
と申しますのは、
大学紛争のころは
大臣は衆議院議員でおられまして、この立法にもかかわっておられた、文教
委員でおられたということであります。私は
昭和四十五年から五十一年まで、あの
大学紛争の真っ最中に医学部長で、非常に表現をドラマチックに言えば骨身を削りましたし、そういうことで大管法には恨みは数々ございまして、これでひとつお話をしたいということであります。
私が学部長になる前からでありますが、大管法が出て、
大学の
運営に関する臨時措置法という名前はもう私の頭にはなくて、全部大管法、
大学管理法であるというふうについこの前まで頭に入っていました。
法律を詳しく聞かせてもらったら
大学運営臨時措置法ということで、何かちょっと省略するのに面倒ですね、大運法みたいな、何か運なんていうのが入るようでございますが。そのときに私たち
教授側は、学生にはこの
法律が上がってきたという段階で、あなた方は
大学の自治を放棄するのかときつく詰め寄られまして、ほとんどの
教官が返事できなかったです。
大学の自治、
大学の自治と言いながら、あなた方は
法律が通ったらこれに抵抗しないんだな、放棄するんだなと。
そうしたら
大学はどうするんだ、あなた方やめるのか、こういうことを言われまして、学生担当の三役の一人の
教授が——私、平
教授てしたけれ
ども、彼は今やめたら妻子を路頭に迷わせるようなことを言いましたら、冷やかされたんです。
教授であります、医者は食えるとかと言われましてね。なるほど聴診器持てば
大学教授の倍以上給料もらえたんですから、それはそうだったんでしょうが。
しかし、そういう時代に、大管法というのがいかにも
大学紛争を鎮静化させたということがあったと思いますが、現場の私たちにはこんなに困ったことはなかったわけです。
大学の自治を捨てるのかどうかという迫られ方をしました。やっぱり
教官は
教官、
教育者としてのプライドがありますから、納得できない
法律のもとでその言うことを聞くということは潔くは思いません。潔いというよりも、やっぱり賛成できないんだもの、それは。
ですから、そんな経過で、私は何人かの後で
昭和四十五年から医学部長をさせられましたが、私の前の部長は三カ月で、三十六時間監禁を受けて、冬の三月に雪の中へ突き飛ばされて、ふらふらになってドクターストップで入院いたしました。その後が私、何人かを飛ばしてやらされたんですが、もうほかの人はみんな体力続かないなんか言われまして、体力で部長が勤まるなら千代の富士連れてくればいいじゃないかと、私はいつもそう言っていたんですが、
大学ですから千代の富士というわけにいきませんものね。やっぱり
大学のそれなりの論理というものがあるわけでありまして、その論理を妨げたのが大管法であったと私は思うんです。
ですから、私幸い大管法は無関係、六カ年の間警察力は一回も導入しないで、すべて論陣を張って団交というものを切り抜けてきました。まあ少し大げさに言わして——大げさって、まあそのとおりですけれ
ども、百戦百勝いたしました。これは、学生は圧倒されたんじゃなくて納得したと思っております。それはこの前の二月十五日の代表質問のときに申し上げたんですが、私は大事なところで
考えたことは、いつも存在理由ということだったんです。レーゾンデートルです。
大学は何のために存在するのか、
大学の
教授というのは何のために存在するか、医学部は何のために存在するのか、学生は何のために存在するんだと、私はその
大学の存在理由を引っ下げて、そして論争に臨みました。したがって、全共闘と言われる新左翼過激派集団と自治会と言われるいわゆる民青系でありますけれ
ども、その二つの集団と毎週のように団交をやっておったわけです。私はどちらへも論理は加担いたしません。それはもう私自身の存在理由。もう
一つ言えば個の確立。
大臣は耳新しい言葉かもしれませんが、いっか機会がありましたらお話しさせていただきます。自分の論理というものを展開してまいりました。
ですから、参議院の改革に関しても私はそうでないか、存在理由というものをよく
考える必要がある。そして、一人一人の個の確立が重要だ、これが私が言いたかったことでございます。
話はちょっとそれましたけれ
ども、私は大管法に恨みは数々あると申し上げたのは、今の学生が無気力だ、今の若者が無気力だと言われたのは、あの大管法によって若者の批判精神というものが奪い去られたのではないか。これはもう私が最も今も恐れていることです。今も尾を引いているのではないか。あのときの思いが大変つらい思いであった。ということでございますが、しかし、この大管法、
大学の
運営に関する臨時措置法の成立経過は、強行採決に次ぐ強行採決であったように私は聞いておりますが、簡単にこの成立の
経緯をお話し願いたい。