○藤田公述人 藤田でございます。
予算につきまして、最初に全体的な
意見を申し上げまして、次に個別的な施策についての
意見を申し上げさせていただきます。
まず、総括的な
意見でございます。
現在、
政府は、経済運営五カ年
計画におきまして、真の豊かさを実感できる生活の実現を政策の目標にしております。また、野党各党も、生産大国から生活大国へ、あるいは生活先進国を目指しまして政策を推進しておられます。また、現在春闘のさなかでございますが、組合側は、欧米並み賃金から欧米並み生活へ、あるいはゆとりある幸せな家庭づくりをスローガンにいたしております。また、経営側も、豊かで活力ある生活の確立を目標にいたしております。このように、現在我が国は、
政府・与党、野党、労使を挙げまして豊かな生活づくりということを目標とし、それについて
国民のコンセンサスが成立いたしておるわけでございます。このことは、逆に言いますと、まだ我が国は豊かな生活ができていないということをあらわしたものでもございます。そこで、
予算は、このような大きな豊かな生活づくりのために編成されるべきであるというのが私の
意見でございます。
〔
委員長退席、綿貫
委員長代理着席〕
さて、なぜそのような豊かさが実現されておらないのかということを
考えてみますと、理由は次の六つに要約できると思うのでございます。
一つは、欧米に比べまして、異常な物価あるいは土地の価格でございます。この高い物価には、
一つ全部に共通なものが通っております。それは外国から持ってこられないということ、これが高い共通点でございます。例えば土地は企画庁の
計算によりますと、アメリカの百倍でございます。これは完全に持ってこられないからでございます。次に、米の値段、肉の値段、このような農産物が高いのでございます。これは持ってこられるのにもかかわらず、その自由化が制限をされておるということでございます。第三に高いのは、電車賃、バス賃、郵便その他の
サービス価格でございます。あるいは航空運賃などもそうでございまして、これは要するに、外国よりも賃金が高くなりましたので、外国よりも高いということでございます。しかしながら、外国の方が安いからといって、例えばタクシーがアメリカの方が
日本より安いといって、アメリカへ行ってタクシーに乗りましても、いつまでたってもここに着くということにはならないのでございます。そこで外国から持ってこられないもの、買えないもの、これは千倍いたしましょうとも、幾ら高くとも
日本で使わなければならない、そのようなものが非常に高いのでございます。それが一番目でございます。
それから二番目には、住宅が量、質ともに不十分であるということでございます。これは土地との裏側であるわけでございます。
それから三番は、労働時間が非常に長く、自由時間のゆとりがないということでございます。
四番目には、その裏側でございますけれども、自由時間を楽しむ文化、体育、レクリエーションその他の施設などの社会的資本の不足及び
サービスの不足、また自然空間の不足など空間資源の不足及びその不十分な活用ということでございます。
それから五番目でございますけれども、老後でございますとか不時の場合でございますとか、そういう場合の所得あるいは医療につきまして不安がある。今はある
程度豊かであるけれども、将来についてそれが持続できる確信がないという、将来に対する不安ということでございます。
それから六番目には、その豊かさにかなりの格差がある。例えば土地でありますとか株でありますとか、そういう資産を持っている人と持っておらない一般のサラリーマン、あるいはほとんど所得が完全に捕捉されまして、それに全部
税金がかかるという人々と税の捕捉が不十分な人、まあ結果的に所得が高くなるというそのような人、あるいは大
企業労働者と
中小企業労働者、あるいは常用
労働者とパートでありますとか、そういう人との間の格差の存在、このような六つがこの豊かな生活の実感を薄めているということであろうと思うのでございます。
このような六つの点を是正するということが、まず私は
予算に要求されると思うのでございます。
この
平成元年度の
予算を拝見いたしますと、例えば物価対策につきましては、生産性向上、流適合理化など一般、特別会計を通じまして四兆二千億が付されております。あるいは住宅につきましては、六十二万七千戸の公的住宅の建設、あるいは五十四万五千戸の公庫融資というふうなかなりのものがつけられておりますけれども、これも地価の関係で実行できるのかどうか危ぶまれるのでございます。あるいは初めて生涯学習対策費といたしまして百億円がつけられてございます。いろいろ新たな豊かな時代に対する
対応は見られるのでございますけれども、まだまだ不十分でございまして、豊かな生活づくりの
予算にはなっておらないというふうに
考えるわけでございます。
特に重要でございますのは、今
年度のような、経済が順調でございまして、今この一、二年の経験から見まして、ことしも五兆円
程度の自然増収が見込まれるわけでございますけれども、このような貿易も黒字、
税収も黒字というような時代はもう数えるほどしかないということが私の予測でございます。すなわち経済成長率は長期的には人口に依存するわけでございまして、それは基本的には出生率に依存するわけでございます。現在のように、出生率が予想をいつも下回って低下している、そういう状況の中で、早ければ
日本の高齢化率は二十一世紀初頭には欧米を超える、そしてこのまま人口が推移しますと、二〇一〇年ごろには
日本の人口は絶対的な減少をたどるということでございます。そうなりますと、
日本の経済は縮み始めるのであります。人間も六十を超えますと、背がだんだんと縮み、細胞が減少して、健康を維持するという、そういうどちらかといいますと老衰期に入るわけでございますけれども、
日本経済も、
考えてみますと、今が盛りではないのか。だんだんと人口が減り子供が減り下り坂に入る、それは恐らくあと二十年後には間違いなく来る、そういうことが
考えられるわけでございます。この黒字の時代に、その黒字の余剰を十分に活用いたしまして、そして高齢化時代に豊かさを実現できるという、そういう国づくりをすることこそ、ことしを含めまして今後の
予算の課題である、政策の課題であると
考えるわけでございます。
基本的には、例えば
厚生年金だけでも積立金は七十数兆円に達するのでございます。年々四兆円近くがふえているのでございまして、それを活用して社会資本の充実を今こそ図るべきである、このように
考えるのでございます。
以上が総括的な
意見でございまして、次に個別の施策に移らしていただきますが、まずどうしても避けられない
消費税に関する
意見でございますが、この
消費税は検討が不十分でございまして、また不公正
税制の是正も不十分でございまして、またいろいろ今テレビその他で準備状況が報道されておりますけれども、なかなかこれも順調にはいっていないようでございまして、準備も不十分と申さなければならない。したがいまして、この
消費税は言ってみれば未熟児ということではないのかということで、これが成熟するまで実施を延期すべきではないのかというふうに
考える次第でございます。
特に、この
消費税はもともと高齢化対策あるいは
社会保障の金が要るからということで導入されたわけでございますけれども、今度の補正
予算におきまして、例えば介護手当が年五万円、二十万人で百二億円、あるいは老齢
福祉年金の
受給者四百二十万に対しまして臨時
福祉給付ということで一万円、これが四百十九億円、あるいは在宅看護、ショートステイ、ホームヘルパー、デイ
サービスなどでございますが、そういう事業のための出資が百億円、あるいは生活保護
受給者と
社会福祉施設入所者等百五十万に対しましての一時金、これが九十六億、合わせて七百十七億円が六十三
年度の補正
予算に組まれておるわけでございますが、これが六十四年に入っていないということは、私は大変に、
消費税導入の経緯から、その理由づけからいいまして問題であると
考えるのでございます。そしてこの補正
予算を
平成元年度の
予算に入れたとしても、六兆円から七兆円と推定されまする
消費税の
収入に対しまして一%しか回しておらないということは、これは問題ではないかというふうに
考えるわけでございます。
それから二番目でございますけれども、
労働者が大変心配をしておりまする
厚生年金を将来六十五歳に
引き上げるということ、そして
厚生年金保険料を千分の百二十四から千分の百四十六に
引き上げるということ、そして標準報酬の上限を四十七万から五十一万に上げるという、このことでございます。例えば五十一万に上げられた人の場合は
保険料は三三%ふえる、あるいは平均で一八%ふえる、このようになっておるのでございまして、これでは減税分が帳消しになるという
計算になるわけでございます。
そこで、私の
考えでございますけれども、この際、部分
年金・部分賃金というものを導入いたしまして、そして定年制が今六割が六十歳になったばかりでございますので、この
年金と賃金をセットいたしまして、いわば在職老齢
年金を拡大をいたしまして、そして部分的な引退を図りまして、そして六十五歳の実質的な定年を実現する、その後に六十五歳の
引き上げを
考える、そのようにすべきであると思うのであります。
この部分
年金・部分賃金は、スウェーデンで約十年前に導入されたものでございまして、これは要するに、六十五歳で定年になりまして引退をして
年金をもらい始めますと、非常に病気にかかる人、それから病気で死亡する人がそのとき突出するわけでございます。それはそうでございまして、きのうまで毎日働いておりましたのに、きょうからはもう働かないということでは、生活のリズムが狂いまして、病気になったり死ぬ人が多いのでございます。そこで六十からずっと、例えば週五日働いていたのを四日にする、六十三になったら週二日働く、あるいは一日八時間働いていたのを六時間にする、
段階的に完全引退にソフトランディングをするわけでございます。その時間を減らした分につきましては部分
年金を払う。それにつきましては、部分
年金法というのをつくりまして、
厚生年金とは別建ての
年金をつくって、千分の二の
保険料で賃金の相当分五割を給付する、そういう
制度でございます。
私は、
日本には
雇用保険という
制度がございまして、その中で使用者だけが千分の三の
保険料を
負担いたしましていろいろな
雇用改善事業をやっておりますので、その中に部分
年金を導入してはどうか。そうでありませんと、これはスウェーデンの例からいいますと、これをつくりますと、非常に多くの
労働者が適用を申請いたしますので、
年金財政をかえって赤字にするおそれがあるのでございまして、今
雇用保険の
改善事業は幸いにして黒字でございますので、そちらの方でこれをやってはどうかというふうに
考えるわけでございます。
それから三番目でございますけれども、これからの最大の課題は余暇でございます。総理府の、あなたは今一番何が欲しいかあるいは何に所得を使うかという調査を見ましても、余暇が住宅でありますとか耐久
消費財であるとかを大きく抜きまして、今は大体
日本では百円賃金が上がりますと六十五円は余暇に使うようになっておるわけでございます。
そこで、この問題でございますけれども、金融機関あるいは公務員もだんだんと週休二日制になってまいりましたので、週休二日制が拡大をするでありましょう。そしてこれからの時代は長期余暇の時代でございまして、いわゆる週休二日制から有給休暇の時代へというふうになっていくわけでございます。そこで
日本の場合には、高速道路が、例えばそういうお盆でありますとか年末年始には、もう三十キロ渋滞であるとかあるいはもう交通機関が満杯であるとか、そういう問題がございますので、私はこの需要の方も分散してとらせる。すなわち夏とか年末年始とかに集中することなく、また週休二日制も土曜、日曜に集中することなく、これを一点重点主義をなくし休みを分散する。今のデパートのようなとり方を国全体に広める。ドイツなどはそういうことをやっているわけでございますけれども、あるいはこれから恐らく小学校の週休二日制が問題になると思いますが、その際も、例えば土曜日ではなくて木曜日と日曜日を休みにする、そういうことが必要であろうと思うのであります。
そこで、今度は供給でございますけれども、
日本の
労働者はなぜ有給休暇をとらないかといいますと、結局これは子供を連れてまいりますと、例えば高速は満杯である、あるいはディズニーランドは夏休みなどはもう予約だ、そういうことで、とにかく余暇にこんなに金がかかる国はないわけでございます。そこで私は
政府のやるべきことはたった
一つでいい。それはうんと余暇施設をつくり、あるいは生涯教育をやり、とにかく休みをとれば楽しく過ごせるという、そういう社会資本をふやすということでございます。
特に、私がヨーロッパで生活をいたしまして
参考になりましたのは、ヨーロッパは今、夏は
労働者が自動車でヨーロッパ・ソビエト圏も含めまして、いわば民族の大移動をいたしております。それは農村に都会の
労働者が泊まるわけでございまして、それでこれはBアンドBといいまして、ベッドアンドブレークファストといいまして、農家がそういう都市の
労働者を泊めまして、一人大体二千円でございます。ですから、四人家族でも一万円かからないということでございます。それで一方農家も大体子供が二人でありまして、
日本も全くそれは同じですが、子供を育て終えちゃって、物すごく大きい家に、隠居まで別建てである家にもう夫婦二人しか住んでいないというのが半分以上でございますから、そういうことでもう農家はあいちゃっているわけです。また農業の自由化でいろいろ生活も問題があるわけでございます。そこでふるさとの交流というのを行いまして、大都市の
労働者の有給休暇を、夏とかそういうときに自分の家に泊める、そして朝飯を食べさせる、それで二千円くらいで泊めてやるということで、これは非常な交流になり、ふるさとづくりにもなるということで、その改造に国がどんどんお金を貸してやるという、そういうことの奨励をぜひやっていただきたいと思うのであります。
あと二分
程度になりましたので、最後に結論的なことを申し上げたいのでございますが、それは、この高齢化の問題にいたしましても、
年金の改正の問題にいたしましても、医療の問題にいたしましても、その基本は子供が年々年々少なく生まれているというところに原因があるわけでございます。高齢化というのは間違いでございまして、これは出生率の低下あるいは子供の年齢の人口の減少ということでございます。ですから、五年ごとに国勢調査を行い、そしてその結果として高齢者が多くなっている、寿命が延びている、子供が少なくしか生まれてないということがわかりまして、そして五年ごとに人口の将来推計をやり直しまして、それに基づきまして
年金の再
計算をいたしておるわけでございます。ですから、例えば十五年前の人口予測によりますと、
昭和六十三年には赤ん坊は百七十万生まれているはずなんであります。それが十年前の予測では百六十万になり、五年前の予測では百四十万になって、実際に昨年生まれたのは百三十一万人でございますから、要するに、その差が
年金の
保険料を上げたり、あるいは
年金の給付を引き下げたりせざるを得ないのでございます。
そこで、昔は賃金も低く貧しかったかもわかりませんけれども、子供を二人か三人産もうと思えば産めた時代だったのであります。ところが今は産みたくとも産めないというのが現実であります。なぜ産めないのかというと、大きく分けまして私は三つ理由があると思うのであります。
一つは子供を育てるということが非常に危険になってきている。こんなことを言うと怒られますけれども、例えば子供にバットで殺されたとか、そういうニュースは決して新しくないのであります。すなわち人間の意思決定というのは大きく分けて
二つに依存するわけです。
一つはどっちを選べば殺されないで済むかということであります。殺されないで済むためには子供を持たない方がいいのであります。では、なぜ子供はそういう異常な行動に出るかというと、今我々はゆとりを話しています。時間短縮をやって大人に労働基準法を守らせてゆとりをやろうと言っているのに、子供にはどうですか。皆さん、子供に労働基準法がありますか。子供は一時も二時も三時までも勉強しているのですよ。小学校四年生以上は、NHKの調査によりますと、学校を終えてから一日五時間も勉強しているのです、そんな年端もいかない子供が。世界の子供は遊ぶのが仕事であります。それで大
学生は一時間ですよ、勉強は。サラリーマンは三十分ですよ、皆さん。大の大人でさえも一日一時間か三十分しか勉強できない。それを四時間も五時間も強制して、それで大人と言えるだろうかと私は思うのであります。今こそ子供に労働基準法を守らせてくださいよ。そうでないと、いつまでもオリンピックに勝てないし、病人が出るし、学校暴力、家庭暴力、これでは本当に国がつぶれてしまいます。
そういうことを私は申し上げるので、子供が伸び伸びと暮らせるようにしてほしいということが一番であります。二番目には住宅、家が建てられる。それから老後の不安をなくす。以上でございます。
時間が参りましたので、どうもありがとうございました。勝手なことを申し上げまして……。(拍手)