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1989-05-25 第114回国会 衆議院 予算委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成元年五月二十五日(木曜日)     午前十一時一分開議 出席委員   委員長 大野  明君    理事 越智 伊平君 理事 近藤 元次君    理事 田名部匡省君 理事 山下 徳夫君    理事 綿貫 民輔君 理事 佐藤 敬治君    理事 村山 富市君 理事 宮地 正介君    理事 玉置 一弥君       相沢 英之君    池田 行彦君       稲村 利幸君    上村千一郎君       大坪健一郎君    奥田 敬和君       海部 俊樹君    熊谷  弘君       小坂徳三郎君    後藤田正晴君       左藤  恵君    佐藤 文生君       志賀  節君    島村 宜伸君       砂田 重民君    田中 龍夫君       高鳥  修君    中島  衛君       額賀福志郎君    野田  毅君       浜田 幸一君    林  義郎君       細田 吉藏君    松永  光君       村田敬次郎君    稲葉 誠一君       上原 康助君    川崎 寛治君       菅  直人君    新村 勝雄君       辻  一彦君    野坂 浩賢君       坂井 弘一君    坂口  力君       日笠 勝之君    水谷  弘君       岡田 正勝君    川端 達夫君       楢崎弥之助君    岡崎万寿秀君       正森 成二君    矢島 恒夫君  出席国務大臣         法 務 大 臣 高辻 正己君  出席政府委員         法務省刑事局長 根來 泰周君  委員外出席者         証     人         (衆議院議員) 中曽根康弘君         予算委員会調査         室長      右田健次郎君     ――――――――――――― 委員の異動 五月二十四日  辞任         補欠選任   野坂 浩賢君     高沢 寅男君   川端 達夫君     永末 英一君 同日  辞任         補欠選任   高沢 寅男君     野坂 浩賢君   永末 英一君     川端 達夫君 同月二十五日  辞任         補欠選任   梶山 静六君     中島  衛君   倉成  正君     島村 宜伸君   高鳥  修君     額賀福志郎君   渡辺 秀央君     松永  光君   井上 普方君     稲葉 誠一君   大久保直彦君     坂井 弘一君   川端 達夫君     岡田 正勝君   金子 満広君     矢島 恒夫君   不破 哲三君     正森 成二君 同日  辞任         補欠選任   島村 宜伸君     倉成  正君   中島  衛君     梶山 静六君   額賀福志郎君     高鳥  修君   松永  光君     渡辺 秀央君   稲葉 誠一君     井上 普方君   岡田 正勝君     川端 達夫君   正森 成二君     不破 哲三君   矢島 恒夫君     金子 満広君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  予算実施状況に関する件(リクルート問題)      ――――◇―――――
  2. 大野明

    大野委員長 これより会議を開きます。  予算実施状況に関する件について調査を進めます。  この際、政府からリクルート事件捜査状況について中間報告を求めることといたします。高辻法務大臣
  3. 高辻正己

    高辻国務大臣 いわゆるリクルート事件につきまして、これまでの捜査経緯及び処分状況等委員会において聴取したいという御要請がある旨も承っておりました関係もございまして、東京地方検察庁からその報告を徴しました。その概要を御報告申し上げます。  リクルート事件につきましては、昭和六十三年九月八日、楢崎弥之助議員から、株式会社リクルートコスモス取締役社長室長であった松原弘らに対する贈賄事件の告発を受けてその捜査を開始し、同年十月十九日以降、株式会社リクルート本社等数カ所の捜索を実施いたしまして証拠書類を押収いたしますとともに、同年十月二十日、松原贈賄申し込みの事実で逮捕して取り調べた上、同年十一月十日、同事実により同人東京地方裁判所に公判請求いたしました。  その後、東京地方検察庁は、株式会社リクルートコスモスの未公開株式譲渡問題を中心として、刑事事件として取り上げるべき犯罪の嫌疑が認められるか否かという観点から所要の調査検討を続けてまいりましたが、その結果に基づき、本年二月十三日以降本日まで、日本電信電話株式会社労働省文部省及び政界関係の各事件につきまして必要な捜査を遂げてきたところであります。  捜査処理具体的状況につきましては、引き続き政府委員から報告をいたさせます。  なお、今後の見通しにつきまして付言いたしますと、捜査はようやく終局の段階に近づいておりまして、東京地方検察庁におきましては近々最終的な結論を出す予定であると承知をいたしております。
  4. 大野明

    大野委員長 引き続き、根來刑事局長から捜査処理具体的状況について報告を聴取いたします。根來刑事局長
  5. 根來泰周

    根來政府委員 引き続きまして、捜査処理具体的状況について申し述べます。  第一は、日本電信電話株式会社NTT関係についてであります。  東京地方検察庁は、NTT企業通信システム事業部長であった式場英が、株式会社リクルート回線リセール業を展開するに当たり、NTTから提供を受ける高速デジタル回線等で構築する通信ネットワークのコンサルティング、設計、建設、保守等につき好意ある取り計らいを受けたことの謝礼等趣旨のもとに、昭和六十一年九月三十日ごろ、リクルート社代表取締役社長であった江副浩正及びファーストファイナンス株式会社代表取締役社長であった小林宏から、店頭登録後値上がりが確実であって一般人の入手困難な株式会社リクルートコスモスの未公開株式を、店頭登録後に見込まれる価格より明らかに低い一株三千円の価格で五千株を取得した事実及びNTT取締役東京支社長及びデータ通信事業本部長を歴任した長谷川寿彦が、式場と同様の趣旨のほか、リクルート社が営むRCS事業に使用するクレイリサーチ社製スーパーコンピューター調達及び技術支援等につき好意ある取り計らいを受けたことの謝礼等趣旨のもとに、同日ごろ、江副及び小林から前記コスモス社の未公開株式前記価格で一万株取得した事実につきまして、本年二月十三日、長谷川及び式場日本電信電話株式会社法上の収賄罪で、江副及び小林を同法上の贈賄罪でそれぞれ逮捕し、本年三月四日、これら四名をそれぞれ東京地方裁判所に公判請求いたしました。  続いて、NTT代表取締役社長であった真藤恒が、同人秘書村田幸蔵と共謀の上、江副及び小林から、長谷川と同様の趣旨のもとに、前記コスモス社の未公開株式前記価格で一万株取得した事実につきまして、本年三月六日、真藤及び村田を同法上の収賄罪で、江副及び小林を同法上の贈賄罪でそれぞれ逮捕し、同月二十七日、真藤江副及び小林をそれぞれ東京地方裁判所に公判請求し、村田につきましては、処分保留のまま釈放いたしました。  第二は、労働省関係についてであります。  東京地方検察庁は、労働省職業安定局業務指導課長であった鹿野茂が、職業安定法改正に伴う就職情報誌発行等に関する法規制検討等に関して便宜取り計らいを受けたことの謝礼等趣旨のもとに、リクルート社専務取締役であった位田尚隆らから、多数回にわたり遊興飲食ゴルフ招待旅行等の接待あるいはゴルフクラブ等の供与を受けた事実につきまして、本年二月十七日、鹿野収賄罪で逮捕し、本年三月九日、東京地方裁判所に公判請求いたしました。  続いて、労働省職業安定局長事務次官の職にあった加藤孝が、鹿野と同様の趣旨で、昭和六十一年九月三十日ごろ、江副らから前記コスモス社の未公開株式前記価格で三千株取得したとの事実につきまして、本年三月八日、加藤収賄罪で、同日及び同月十日、江副共犯関係にあったリクルート社取締役であった辰巳雅朗及び同社社長室次長であった小野敏広をいずれも贈賄罪でそれぞれ逮捕し、同月二十八日、加藤江副辰巳及び小野をそれぞれ東京地方裁判所に公判請求いたしました。  第三は、文部省関係についてであります。  東京地方検察庁は、文部省初等中等教育局長事務次官の職にあった高石邦男が、リクルート社の行う高等学校生徒向けの進学・就職情報誌配本に関して高等学校教育職員回生徒の名簿を収集提供するなどの便宜を与えていることについての対応及びリクルート社事業遂行に有利な同会社役職員教育課程審議会等文部省所管各種審議会会議委員等への選任につき好意ある取り計らいを受けたことの謝礼等趣旨のもとに、昭和六十一年九月三十日ごろ、江副及び小林から、前記コスモス社の未公開株式前記価格で一万株取得した事実につきまして、本年三月二十八日、高石収賄罪で、江副及び小林贈賄罪でそれぞれ逮捕し、本年四月十八日、これら三名をそれぞれ東京地方裁判所に公判請求いたしました。  第四は、政界関係についてであります。  東京地方検察庁は、昭和五十八年十二月二十七日から同六十年十二月二十八日までの間、内閣官房長官であった藤波孝生衆議院議員が、江副らから、国の行政機関において、リクルート社が行う大学等卒業予定者向け就職情報誌発行配本等事業遂行に有利ないわゆる就職協定趣旨に沿った適切な対応をするよう尽力願いたい旨の請託を受け、その報酬として、小切手合計十七通、額面金額合計二千万円を受領したほか、さらに、同六十一年九月三十日ごろ、前記コスモス社の未公開株式前記価格で一万株取得した事実につきまして、本年五月二十二日、藤波受託収賄罪で、江副贈賄罪東京地方裁判所に公判請求いたしました。  また、衆議院文教委員会あるいは予算委員会委員であった池田克也衆議院議員が、江副らから、これらの委員会において、国の行政機関に対し、同協定に協力するとの各省庁人事担当課長会議申し合わせ遵守を徹底するよう質問し、あるいは実効性のある同協定早期取り決めなどにつき、適切な対応策を講ずるよう質問してもらいたい旨の請託を受け、その報酬として、小切手合計二通、額面金額合計二百万円を受領したほか、合計五百万円の振り込み送金を受け、さらに、昭和六十一年九月三十日ごろ、前記コスモス社の未公開株式前記価格で五千株取得した事実につきまして、本年五月二十二日、池田受託収賄罪で、江副及び小野贈賄罪東京地方裁判所に公判請求いたしました。  なお、コスモス社の未公開株式譲渡に係る証券取引法違反の事実につきましては、これに関与したリクルート社取締役社長室長であった間宮舜二郎コスモス社取締役財務部長経理部長であった館岡精一及び小野を逮捕いたしましたが、いずれも処分保留のまま釈放いたしました。  以上で報告を終わります。
  6. 大野明

    大野委員長 以上で報告は終了いたしました。  午後一時より再開することとし、この際、休憩いたします。     午前十一時十三分休憩      ――――◇―――――     午後一時開議
  7. 大野明

    大野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  予算実施状況に関する件の調査に関し、リクルート問題について、中曽根康弘君より証言を求めることにいたします。  この際、証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。  昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によって、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになっております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証人証人配偶者、三親等内の血族もしくは二親等内の姻族または証人とこれらの親族関係があった者及び証人後見人後見監督人または保佐人並びに証人後見人後見監督人または保佐人とする者が、刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのあるときであります。また、医師歯科医師、助産婦、看護婦、弁護士、弁理士公証人、宗教の職にある者またはこれらの職にあった者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについても、本人が承諾した場合を除き、宣誓または証言を拒むことができることになっております。  証人宣誓または証言を拒むときは、その事由を示さなければならないことになっております。  証人が正当な理由がなく宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または十万円以下の罰金に処せられ、また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。  一応このことを御承知おき願いたいと存じます。  なお、今回の証人喚問についての理事会申し合わせについて申し上げておきます。  その第一は、資料についてであります。  証人は、証言を行うに際し、資料を用いることは差し支えありませんが、委員長許可が必要であります。また、これらの資料は、いずれも当委員会に提出していただくことになっております。  その第二として、証人メモをとることについてでありますが、質疑の項目程度は結構でございます。  以上の点を御承知おきください。  それでは、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めることにいたします。全員起立をお願いいたします。     〔総員起立
  8. 大野明

    大野委員長 議院証言法第五条の三の規定によりまして尋問中の撮影許可しないことになっておりますので、これより中曽根康弘君の証言が終了するまで、撮影は中止してください。  それでは、中曽根康弘君、宣誓書を朗読してください。
  9. 中曽根康弘

    中曽根証人 宣 誓 書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います   平成元年五月二十五日
  10. 大野明

    大野委員長 宣誓書署名捺印をしてください。     〔証人宣誓書署名捺印
  11. 大野明

    大野委員長 御着席を願います。  これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は、証言を求められた範囲を越えないこと、また、御発言の際には、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。  なお、こちらから質問しているときには着席のままで結構でございますが、御発言の際は起立して発言をしてください。  なお、委員各位に申し上げます。  本日は、申し合わせの時間内で重要な問題について証言を求めるのでありますから、不規則発言等、議事の進行を妨げるような言動のないよう特に御協力をお願い申し上げます。     ―――――――――――――
  12. 大野明

    大野委員長 これより証人に対して証言を求めます。  まず、委員長より委員会を代表して総括的にお尋ねをして、その後委員各位発言を願うことといたしております。  それでは、私からお尋ねいたします。  あなたは内閣総理大臣として、昭和六十二年五月、ワシントンで行われた日米首脳会談において、レーガン大統領に対し、NTTスーパーコンピューターを一台購入すると承知している旨述べられたと言われていますが、その経緯について御説明ください。
  13. 中曽根康弘

    中曽根証人 証言を申します前に委員長にお願いをいたしたいと思いますが、数字等正確を期したいと思いますので、メモを使用することをお許しいただけばありがたいと思います。メモは持参しております。
  14. 大野明

    大野委員長 結構でございます。
  15. 中曽根康弘

    中曽根証人 まずお尋ねの件でございますが、昭和六十二年のころは日米経済摩擦が非常に激しくなりまして、アメリカ側から日本に対する市場開放黒字減らし要求が非常に熾烈になりました。特にそのころ、五月前後になりますというと、例えば半導体に対する、日本に対する制裁措置、これは一〇〇%の関税を電動工具その他にかけられるという措置があり、あるいは東芝のココム違反事件というものがありまして、アメリカでは大騒ぎになって対日不信が高まりました。  また、アメリカ側議員が二回にわたって私に親書をよこしまして、一回は下院のロスさん、あるいはロックフェラーさん、二度目はバード上院議員あるいはドール上院議員等議会指導者上院中枢幹部です。これらが手紙をよこしまして、スーパーコンピューターや、あるいはそのほか特に関西空港問題等について日本市場開放要求、こういう問題についても日米で至急に協議をせられたいというような手紙が来ました。  その上、当時は経済摩擦を解消する、日本市場を開くためにいわゆる包括貿易法案アメリカ議会に上りまして、日米関係は実に重大な事態に立ち入りそうになりました。  私はこれを打開するためこ、当時安倍さんをアメリカに派遣いたしまして議会やその他の人に折衝してもらいましたが、私自体がアメリカへ行ってこの問題を解決しなければいけないと決心いたしまして訪米したのでございます。そして訪米しまして、その四月の三十日にいわゆる包括貿易法案下院で成立した、そういう重大事態であったわけです。私は、一身を賭してこの日米関係の危機を打開するのが総理大臣の崇高な責務である、そう思いまして日米会談に臨みました。  そして、日米会談におきましていろんな話がありましたが、レーガン大統領からスーパーコンピューター政府調達の問題が出たことは事実であります。それに対して私は、この問題については我々は三つのことを、三つのことというより次のことを今処理しておると。一つは、日本公的機関による調達手続を明確にする。第二番目は、政府で、政府関係で購入した分については補正予算措置することを検討する、そういうことを言いまして、そして今お尋ねがありましたように、政府調達の枠組みの中でNTTが一台買うと承知していると、そういうことを言いました。  この最後になぜこれを言ったかといいますと、それは三月の末にNTT調達を決めたわけでございますが、それらが既に新聞に載って私は知っておりまして、そこで、このスーパーコンピューターの問題というのはアメリカ最大関心事一つです。今日におきましてもスーパー三〇一条、アメリカ包括貿易法案日本に適用するとかいろいろ論ぜられております。非常に今も重大な危局にあるわけです。全く似たような状況でもあります。そういうときに日本側の、アメリカ最大関心事一つであるこの問題について一生懸命努力していることをレーガン大統領に知らしたい、そう思って申し上げたという次第なのでございます。  以上でございます。
  16. 大野明

    大野委員長 次に、あなたは内閣総理大臣在任中の昭和六十年九月十二日、税制調査会特別委員として新たに十名を任命されましたが、このうち、江副浩正君の任命経緯について御説明ください。
  17. 中曽根康弘

    中曽根証人 当時税制改革という問題が国民の間にも議論が上がり、私も税制改革をやる必要を痛感しておりました。そこで、たしかブラッセルに行ったときであったと思いますが、政府税調をもっと活性化して、国民の声をもっと強く反映させる。当時は、不公平税制の是正とか、あるいはシャウプ以来のゆがみを直すとか、思い切った減税を断行せよ、そういう世論も強くなっておりました。私はそういうことも踏まえまして、税制調査会に新しい空気を入れ込んで活性化さぜる、そうして国民不平不満を思い切ってぶつけて、国民の皆さんが関心を持つように、また国民の声をさらに反映した税制調査会として活動してもらえるように、そういう意味で暴れ馬を入れたらいい、そういうことを言いまして、日本へ帰ってきましてから大蔵省あるいは内閣官房に対しまして、いわゆる税制調査会を活性化して、そして国民の声をどんどん反映させるようにさせるために、そういう適当な人を考えたらどうか、追加したらどうか、そういうことを指示いたしました。それに基づきまして、内閣官房中心にして、大蔵省原局である大蔵省あるいは自治省との間で調整が行われたのでございます。  この調整経過については私は知りません。これは任せてやったもので、通例これらの委員等の問題についてはそういうしきたりで通っておるわけでございます。恐らく、官房中心にしまして、いろんな情報を集めたり、いろんな人の意見を聞いたり、候補者を書いたり消したり、そうしているうちに自然に刷り上がっている。一番大事なことは、ああいう場合はバランスをとるということで、各界の意見が忠実に反映されるようにバランスをとるということが大事なんで、特定の人を特に入れようという、そういう考え方はなかったと自分は推定しております。  しかし、いずれにせよ、私がある特定人を特に委員にしなさいと指示するとか、あるいは特に推挙するとか、この人を委員に推挙するとか、そうした覚えはありません。  そして、最終的には大蔵省側から特別委員リストが上がってまいりまして、官房長官のところにおいてこれは専決事項として決裁処理した、そういうことを後で報告で実務的に聞いたわけでございます。しかし、いずれにせよ、内閣総理大臣任命権者であるということについては変わりはありません。  以上がその経過でございます。
  18. 大野明

    大野委員長 次に、昭和六十三年十一月十五日、国会に提出されたリクルートコスモス株譲渡先リストによれば、あなたが内閣総理大臣であった当時の秘書官上和田義彦君、秘書筑比地康夫君及び山王経済研究会太田英子君は、リクルートコスモスの未公開株合計二万九千株を譲渡されていますが、あなたはこの株の譲渡について、上和田秘書官等から、いつごろ、どのような報告を受けられましたか。
  19. 中曽根康弘

    中曽根証人 留守中の経理関係あるいは選挙区関係仕事等を任せておりました上和田君からこの報告を聞きましたのは、私が総理大臣をやめまして、砂防事務所へ帰った十二月前後ではないかと思います。  太田君のことは、これは山王経済研究会というのは別の政策研究団体で、松久の神谷社長管理下にあることでございますからよく存じませんが、このことを知ったのは、たしか六十三年の十一月の中ごろテレビや新聞に報道される前後ではないかと思います。  それで、このいきさつを上和田君からの報告によりまして御報告申し上げますと、昭和六十一年の九月ごろであったそうですが、リクルート方々が参りまして、そして筑比地及び上和田のところへ来て、そして未公開株を買わないかと、そういう勧誘があったそうです。それで、これは全く経済行為で、あなた、上和田筑比地というものを相手にしてやっているんだから買いなさいよと、そういう話があったそうです。それで、そのときはちょっと断ったそうでありますが、もうほかの人もやっているんだからということで、では研究して返事しましょうと、そういうことで返事をして、受けると、そういうことになったようであります。  それで、筑比地の分は、書類手続をしたのはリクルート会社でやったそうです。判こを持っていってやったと言っておりました。上和田の分は事務所でやった、上和田の、砂防事務所でやった。太田君の分は知りませんが、上和田報告によると山王事務所でやった、そういう由でございます。  それで、どういう考えでやったかということを上和田が言っていましたが、これは全くめいめいの、個人の経済行為である、それであるからめいめいがそれは買うという考えを決めてやった、そしてその金融等についてはリクルートの方でいろいろ便宜を図ってくれる、そういうことでその便宜をお願いした、そういう由でございます。  それで、どれぐらいの金額になったかといいますと、上和田分が三千株で、これが株売買収益、利得、収益でございますが、七百四万六千六百八十三円、筑比地分が二万三千株で五千二十九万四千六百五十一円、太田分が三千株で六百五十一万八千四百八十一円ということでございます。これらは自分たちのおつき合い範囲内で、いろいろお世話になっている方、御指導いただいている方、そういう方々に、将来も仕事が円滑にいくようにとか義理を欠かないようにとか、そういうつき合いのために使った、そういう使途について概括的な報告を私は受けまして、それ以上のことは別にそのときは聞きませんでした。随分数も多い、非常に多岐にわたるものであったということであります。  で、これにつきましては二人とも自分経済行為であると。それで筑比地も、向こうで扱った方は小野さんという方だそうですが、小野さんにもいろいろ聞いたりして、これは全くあなた方の行為であってぜひ受けてくださいと、そういうことで筑比地自分で行って向こうの会社でそういう手続をした。自分の行為としてそれま認識していた、そういう報告でございます。彼らは、自分たちがそういう向こうの方々とだけで話し合って経済行為をやって、そして自分で得た株式の臨時的な利得であるから、これはめいめい自分で使おう、そういう考えでやったと報告をしておりました。  この前、私が新聞記者会見で申し上げた中で訂正をする部分がその後の調査で二つあります。一つは、筑比地の受け渡しはリクルートでやったのですけれども、上和田のは砂防事務所でやったということでありました。もう一つは、筑比地の分、全部使ったと言っておりましたけれども、筑比地の分は、上和田が三千株ということであるので、筑比地の分も三千株は残しておいて残りのものについて上和田と相談して、そして今言った使途に使った、そういうことで残金がある、そういう点が後で調べましてわかりました。以上、補足して申し上げる次第でございます。
  20. 大野明

    大野委員長 次に、あなたは、内閣総理大臣在任中、株式会社リクルートから献金等を受けたことがありますか。あるとすればその内容についてお述べください。
  21. 中曽根康弘

    中曽根証人 これは上和田秘書からの報告でございますが、すべてこれは政治資金規正法上の手続をしておる由であります。総理大臣在任中は、昭和五十七年十一月二十七日から六十二年の十一月六日ということになっておりますが、寄附金として受けたのがこの五年間で二千五百万円、会費として受けたのはこの五年間で八百三十五万円、合計して三千三百三十五万円という報告でございます。
  22. 大野明

    大野委員長 最後に、リクルート問題についてあなたの所見を述べてください。
  23. 中曽根康弘

    中曽根証人 私の内閣の責任者でありましたときにこのような不祥事件がありまして、まことにざんきにたえない次第でございます。特に政治不信を起こしましたり、あるいは国政の停滞を起こしましたり、甚だ申しわけない次第であると、心からおわび申し上げる次第でございます。  この事件全般につきましては終局の段階に近づいたようでございますけれども、厳粛にこれを受けとめまして大いに反省をし、また身を慎んで、こういうことが再び起きないように国家のために徴力を尽くしてまいりたい、そう考えておる次第でございます。  私が実は証人喚問に出ないと言ってまいりました理由は、一つは、私はやましいことは一切していない、自分は潔白である、これは検察の捜査経過でおのずからわかることである、そういう確信を持ってまいったわけでございまして、証人喚問というような、疑惑とかそういうようなことはないのだ。新聞やテレビで随分ばりざんぼうを浴びておりますが、あれは事実無根である、そう私は確信しておりまして、そしていずれ検察が捜査が進めば明らかになることである。法治国家においてはそういう検察の捜査の結果というものが法的に判断される基準でなければならないのだ、そういう疑惑というものは一切ないと私は思って、それで出席はしない、そう言ってきたのであります。  もう一つは、やはり三権分立ということがございまして、検察の方で捜査がどんどん進んで起訴者も出ているというときに、この国会の方でそれに競合するような、ダブるような印象を与えるようなことをやることはまずい。これは検察の権限に影響する危険が十分ある。刑事局長はそれは支障ないと言っておりますが、あの答弁を見ますというと、国会の方で御協議になって検察の都合も考えてくださると思うからということを言っておるのでありまして、国会は国権の最高機関でありますから、この権力の行使についてはほかの機関の権限を侵さぬように権力の乱用を慎む。最高機関であるがゆえにかえってそれを慎むのがこれからの三権の関係をうまくやっていくゆえんである、そう私は考えておりまして、この起訴とか捜査が進行している間のそういうことは適切でない、そう確信しておったからなのであります。  そして、しかし、その後、ごらんのように国会が審議が停滞したり国政に渋滞を来しているというこういう状況を見まして、これは長い間国会議員として国会でお世話になってきた者といたしまして、これは打開しなければならないと高度の政治判断をして幹事長に私は出席すると、そういうことを申し上げた。しかし、また一面におきましては、これだけの大きな事件になったのでありますから、それは国民の皆さんに対するおわびのいい機会でもある、あるいはまたこれは一種の私に対するけじめであり、またみそぎである、そう考えて実は出席するということを決めたのです。  しかし、私が在任中やりました政策については、私は正しかったと思っております。行政改革あるいは国鉄のJR民有化、NTTの民有化あるいは予算の節減による六十五年度赤字公債依存体質の脱却とか、あるいは国際国家への前進とかいろいろ努力しましたが、特に日米関係の打開については本当に心血を注いでやってきたのであります。そういうような点については私は間違っていたとは思いません。しかし、にもかかわらず、その在任中にこのような不祥事件が起きたということはざんきにたえない次第でございまして、心からこの機会を通じて国民の皆様方に陳謝申し上げる次第であります。
  24. 大野明

    大野委員長 以上をもって私からお尋ねすることは終わりました。  次に、発言の申し出がありますので、順次これを許します。稲葉誠一君。
  25. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 ただいま中曽根総理から総括的なお答えがございました。  私は、まず最初に、中曽根内閣時代に起きたこのリクルートの疑惑、これによって日本の政治不信が高まり、日本に対する信頼というものが大きく減少をいたしました。しかも、一心同体でありまする官房長官が、六十年の六月二十六日に、白昼堂々と金五百万円を総理の官邸でわいろ性の金として授受する等、日本憲政史に最大の汚点を残したものであるというふうに私は考えます。これは一にあなた自身の責任である、こう考えるのでありまして、国民に謝罪するためにも議員を辞職し、その責任を明確にする、それがあなた自身に対するけじめである、これが私は中曽根美学である、こういうふうに考えるのでありまして、あなたの御見解を承りたいと存じます。
  26. 中曽根康弘

    中曽根証人 私の在任中の時期にこのような不祥事件ができたことは、先ほど申し上げましたようにおわび申し上げる次第でございます。また、官房長官がそのようなことをやったと起訴されましたことについてもざんきの念にたえず、監督不十分、まことに申しわけなく思う次第でございます。  しかし、こういうような不祥事件が起きましたことにつきましては、やはりこういうものを再び起こさないように政治の基本的改革をやって、そして日本の政治を軌道に乗せる、四十年間、私、政治に携わってまいりましたが、これをそのように正しい軌道に乗せるということが政治家としての国民に対する大きな責任である、実はそう感じておりまして、議員はそのまま続けまして、国家のために微力を尽くしてまいりたいと考えておる次第でございます。
  27. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 二月二十七日に記者会見をされました。その中で、今、二つの点について訂正をされました。それはわかりました。そのほかの部分については真実であって、訂正をする必要があるのですか、ないのですか。
  28. 中曽根康弘

    中曽根証人 どういう意味であるか、御質問の趣旨がわかりませんが、三月六日ごろでしたか、江副さんが私の公邸に来たときの話の中で、土地政策について話をした、税の問題、そしてメモを持ってきた、土地政策に対するメモを持ってきた。これは山王経済で土地問題が非常に論ぜられまして、そのときに江副さんが議論を述べて、かなり自分の体系的な話をした。それで会員が、それはメモにして総理に届けたらいいじゃないか、そう言うので、彼の土地政策、これは非常に規制を強化するというような、税を取るというような内容であったと思いますが、それを持ってきてそれを聞いた。しかし、そのときに教育政策あるいは文化政策、そういうようなものもあるいは話したかもしれません。しかし、私の印象に極めて強く残ったのはその土地政策、メモを持ってきた、それが残っておったから、そういう趣旨のことを申し上げたということであります。
  29. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 あなたが江副さんを最初にお知りになったといいますか、会われたのはいつごろのことなんですか。
  30. 中曽根康弘

    中曽根証人 私の記憶では、五十八年ごろでしたか、山王経済にお入りになった、そのときに会った。そのほか、どこかのパーティーで会ったかどうか、それは記憶にありません。山王経済に入って、五十八年ごろだったと思いますが、それから知った、そういうことでございます。
  31. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 昭和五十五年というと、五月十六日に不信任案が出まして、通りましたね。それで十九日に解散になったときですね。その年の春に、あなたは名古屋のリクルートの支社へ行かれて、どなたか、江副さんとお会いになったことはありますか。
  32. 中曽根康弘

    中曽根証人 そのような記事が何か雑誌か週刊誌に載ったということは、その後、後で聞きましたが、そういう事実は全くございません。
  33. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 江副さんとの関係についてちょっとお聞きいたしておきますというと、五十九年の四月十五日に茅ケ崎のスリーハンドクラブですか、ゴルフのね、私はゴルフやったことがないんでわからないのですが、スリーハンドレッドね、そこへ行かれました。  四人のあなたの方は、あなたと中川さんと赤沢さんと岩崎秘書官、これですね。その前に行ったのは、藤波官房長官と森喜朗文部大臣とそれから牛尾治朗さんとそれから江副さんだ。前というか三つ前だとか言っていますが、どっちでもいいですが、これは間違いありませんか。
  34. 中曽根康弘

    中曽根証人 私たちの組は、今申し上げた者でありますが、その前、二、三組前を行ったグループはどういう人であるか、私はよく記憶しておりませんが、大体今おっしゃったような人ではないかと思います。  それで、一緒にやったということはない、そういうことです。
  35. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 中曽根さん、私は、あなたと一緒にプレーやったなんて言ってないでしょう。三列前を何か行ったというだけ言っているんで、問題をすりかえちゃいけませんよ。いいですか。  そこで、あなたは、終わってシャワーを浴びて、それからその四人の人たちと懇談をしたんじゃないんですか。いいですか、そこのところを聞きます。
  36. 中曽根康弘

    中曽根証人 懇談したということはありません。たしか、上がってきて、食堂で、みんなのいるところで顔を合わして、やあやあと、そういうようなことで終わったと思います。
  37. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、この日、あなたは行かれた。官房長官は別口で行かれたのか知りませんが、官房長官たちが行くということはあなたもわかっておられたわけですか。
  38. 中曽根康弘

    中曽根証人 知りません。
  39. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 だって、総理大臣官房長官の仲で、同じゴルフ場へ行くのに全然知らないで行くんですかね。まあそれは、いやいや、そういうこともないとは言わぬから、それはそれでいいのですけれども。  そのときに、「官邸往来」を見ますというと、森さんは文化の話をしたんだという、この四人でね。あなたと一緒とは言ってませんよ、いいですか。藤波、森、それから牛尾、江副、文化の話をしたんで、臨調の話は出なかった、こう言っているようなんですよ。これは、だけど、あなたと一緒じゃなかったですか、これ。いや、違うのなら違うでいい。一緒じゃなかったんですか、これ。
  40. 中曽根康弘

    中曽根証人 一緒ではありません。違います。
  41. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 問題は、六十年の三月二日に江副さんが来られましたね。それは一人で来られたんですか。で、あなたとお話ししたのは、大体、その日は、午後田中六助さんのお葬式があった日ですよ。思い出されるでしょう。そうすると、そのときにだれか立ち会われたんですか。何か執務室で会われたようなことも書いてあるんですが。
  42. 中曽根康弘

    中曽根証人 だれも立ち会いません。多少待たして会いましたから。何か四十五分と書いてありましたが、それより短かったんではないかと思います。
  43. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、そのときの話では、あなたは土地問題だ、こう言っておられたけれども、きょうになってみると、教育、文化の話も出たかもわからないようなことをちょっと言われてきましたね。軌道修正をある程度されてこられました。  そうすると、だれも立ち会わない、二人だけ。だけど、そのときにはだれもほかの人来てませんよ。公邸で、名前は言いませんけれども、自民党のある文教関係の代議士が十時半に来てますね。十一時に江副さんたち来ているわけですから。ほかの人はいないはずですがね。まあ何か用があったのかもしれませんけれどもね。  そこで、江副さんから、あなたはこの前、厳しい規制強化と税金を何とかかんとかの話があったんだ、こういう話をされましたね。厳しい規制強化の話と、それから税金をもっと取れとかなんとかという話があったということでしょう。あなたのこの前の二月二十七日のあれは。その具体的内容はどの程度の話なんですか。
  44. 中曽根康弘

    中曽根証人 江副さんの考えは、ともかく土地問題というのは非常に大きな問題で登場しつつあったときでありまして、それで彼独特の土地政策あるいは課税政策というものを持っておったようです。それを山王経済の皆さんが聞いて、それでちゃんと体系立ててメモにして総理のところへ持っていって参考にさせろ、そういうことで来たということであったと思います。  それで私、メモを見まして聞きましたら、かなり厳しい規制強化案あるいは固定資産税をうんと高く取れとか、それで数兆円取って減税財源に充てろ、そんなような内容であったと思いまして、とてもこれはできない。ただしかし、そのメモを大蔵から来た秘書官に私、渡して、これどうかねと言って読ました記憶があるのです。とてもこんなものはできません、そういう返事でした。そういうわけで、土地政策の問題が非常に頭に残っておりましたから申し上げたわけなんです。
  45. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 後の話はそのとおりなんですよ。土地保有税一%取れという案ですからね。それで固定資産税を国税にしろとかなんとかという江副さんの考え方ですな。これは中央公論に論文が出ていますわな。だけれども、厳しい規制強化の内容というのはどういうことですか。
  46. 中曽根康弘

    中曽根証人 昔のことですから、一々細かいことは覚えておりません。  ともかく私の印象では、もっと統制的にやれ。自由化して、我々はデレギュレーションでできるだけ規制解除しよう、民間に自由に働かせよう、それが我々の政策でしたが、それに逆行するような統制的な発想があったので、とても我々の考えと違うと思いました。
  47. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 ちょっとそこはおかしいんじゃないか、こういうふうに私は思うのですがね。当時リクルートはそういう立場になかったんじゃないですか。逆の立場にあったんじゃないですか、こういうふうに思いますね。たくさん土地を買っちゃって、むしろ規制を緩めてほしい段階で、ある年限たってから、買っちゃって値上がりしちゃって、それから規制を強めろ、こういうことになってくるので、そこのところがちょっと違うのじゃないかと私は思うのです。  そこで、話ですけれども、そのとき教育、文化の話が出たと言いましたね。その前に江副さんが、六十年の一月二十一日に臨教審の第四部会、これは高等教育です、でヒアリングしている。テーマは「学歴と雇用について」。それから六十年二月二十七日に臨教審第二部会、社会教育で、テーマは「学歴社会について」ということで論議をしておる。こりいうわけですね。そして、就職協定を実効あるものとするためには法的規制も必要だ、こういうふりこ二月二十七日に発言をされておられる。いいですか。  そして、起訴状によりますというと、藤波さんの起訴状の二によりますというと、六十年三月上旬ころ、官房長官公邸において、江副らから、前と同じ請託を受けた。前と同じ請託というのは、これは国の行政機関において就職協定趣旨に沿った適切な対応をするよう尽力願いたい旨の請託を受けた、こういうことですね。起訴状はそうですね、第二のところ。これは客観的事実ですよ。そうするというと、その間に挟まった三月二日というのは常識的に考えるというと、ここでこれに関連をする話が出てもおかしくない時期であるということは、これは当然ここに言われてくるのではないでしょうか。  だからあなたは、きょう、私の質問を恐らく予期されたのでしょう。土地税制の話だけだというふうに突っ込まれるというと後で逃げ道がなくなるから、そこで文化の話も出たようだということをあなたは前もって言われたのではないか、そういうふうに私は理解をするのですが、そういう状況にこのときはあったんじゃないですか。
  48. 中曽根康弘

    中曽根証人 私は江副さんから、就職協定とかあるいはコンピューターとか、そういうものについて依頼を受けたことは一切ありません。それで、今のときも私の頭に非常に強く残ったのは土地政策でありまして、しかし、恐らくそういう教育の問題も出たかもしれない。それは強く記憶に残っていない。もし就職協定のような問題が強く向こうから頼まれれば頭に残っていると思いますけれども、全然そんなことは覚えておりません。したがいまして、またその後も就職協定とかコンピューター等について依頼を受けたことは一切ないのであります。これははっきりさしておきます。
  49. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 私はコンピューターに対してあなたが依頼を受けたなんて言っていないでしょう。就職協定その他の、時期的にそういうふうになるのですよ。だから、このときに教育の話が出たというのは、それじゃ教育の話というのは一体何なのかということ、一つありますね。それで、あなたはそのときの中曽根番の記者に対して、教育、文化かなんかの話があったんだということを中曽根番の記者に伝えているのではありませんか。
  50. 中曽根康弘

    中曽根証人 記者会見でどう言ったかは今覚えておりません。しかし、私の頭に強くあったのは、先ほど申し上げましたメモの件であります。
  51. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 どうもこれは日にちが合うというか、そういうふうになるのですね。これは私の邪推でも何でもないのですよ。いや、常識的に考えて、だから、三月二日というのは土曜日で、三月三日が日曜でしょう。だから、その次の週に江副らは官房長官のところに行っているのですから、公邸に行っているのですから。  そうすると、じゃもう一つの問題は、八月八日に軽井沢でのあれですね。これは、あなたがあそこから那須の御用邸へ行かれて、岸さんなんかで、帰ってこられて浅利慶太さんが来られた。これは、浅利慶太さんが来られたのはもう四時二十四分に来ていて、江副さんが来たのは六時一分なんですよ。それであなたは、石川六郎という鹿島建設会長のところへ後、行っておられますね。だから、二十分ぐらいしかおられなかったのは事実です。だけれども、これは江副氏とだけの話じゃないのですか。浅利慶太さんと三人の話じゃなくて、二人の話じゃないですか。そうすると、浅利慶太さんは物すごく長くいたことになるのですよ、時間が。そうじゃないですか。これはどうですか。
  52. 中曽根康弘

    中曽根証人 それは三人でおりまして、あのころ長野県の吉村知事があいさつに来て、それを待たしておいて、それで浅利さんと江副さんと三人で話した、それはそのとおりであります。
  53. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 あなたと浅利さんとで会って話をしているときに人が来て、その仲間に入れたわけでしょう。ということは、我々の常識から考えても、あなたと江副さんとは相当親しい関係になければそういうことはないんじゃないのでしょうか。我々は、だれか人と話しているときに、こういう人が来ました、ああ一緒になれ、そういうのは親しいからそういうふうに来るんじゃないですか。だれが考えてもそうじゃないですか。
  54. 中曽根康弘

    中曽根証人 一般の普通の話をするのですから、来たのなら、浅利さんならばいろいろなことを話できる人ですから、じゃ一緒においでなさい、そういうことでやったと思います。
  55. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それから二週間たった軽井沢で山王経済クラブのゴルフがあった。これは、あなたは松久の神谷一雄さんほか二名とというふうになっておりますね。このほか二名というのはどなたなんでしょうか。この中に江副さんは入っているのですか。
  56. 中曽根康弘

    中曽根証人 そんな詳しいところまで今覚えておりません。だれと組んだか、それは記憶にありません。しかし、山王経済の皆さんと毎年一回ぐらい軽井沢でゴルフをやっておりますが、その中には江副さんもおったのではないかと思います。
  57. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 この二月二十七日の記者会見を見るというと、あなたは江副さんとの関係を聞かれたときに、そのとき一緒にゴルフをやりました、山王の会員とゴルフをやりました。そのときに一緒にゴルフをやりました、こう言っておるわけですね。だれが見ても江副さんと一緒にやったというふうにとれるわけです。そうじゃないのですか。
  58. 中曽根康弘

    中曽根証人 一緒にやったという意味が、チームを組んでやったのか、そのグループ、その会に出てきたのか、その辺よくわかりませんが、私はゴルフするときには、大体一つのチームだけと組まないで、二、三ホールやると次の組へ入っていく、二、三ホールやるとまた次の組へ入っていく、なるたけ接触面を多くするというので、今までそういう集団的なゴルフではやってまいりました。多分そのときもそういうやり方でやったのではないかと思います。
  59. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 あなたはこの前の会見の中で、最後は江副何がしですわな、ということになりましたね。だけれども、この事件が発覚する前に、例えば去年の六月十七日に、朝日新聞の横浜支局の記者がこの問題をあれしているわけですが、そのときに、森喜朗さんのところに六月十七日、夜行っているのです。  そのとき森さんはどういうふうに答えているかというと、これはずっと株を買ったことを認めているわけですわな。そこでこういうふうに言っているのですよ。「まあ、あの人も幅広いものね。交際がね。そら広いよ。だって中曽根さんのブレーンだったし、竹下さんもいいでしょ、安倍さんもいいし。まあ、それだけの、あれだけの企業をつくった人だから、やはりたいしたものですよ」こういうふうに言っている。これはちゃんと本になって出てきているわけですね。日にちも時間も特定しているわけですが。これを見ると、世間から見て、あなたの仲間の森さんがそう言っているというのですから、だから世間から見るというと、あなたの内部から見ても、江副さんはあなたのブレーンのように見えたのではないんですか。
  60. 中曽根康弘

    中曽根証人 ブレーンの定義にもよりますが、ブレーンではないと私は思います。というのは、山王経済にどなたかの紹介でお入りになって、その研究会においでになった。みんなと一緒に経済問題等を研究するときに会員として列席しておったということ、それから、さっき申し上げた税あるいは土地政策に関するメモをもらった、そういうこと以外に特に政策やあるいは政治の運営について意見を聞いたり何かするということはないので、ブレーンという言葉には当たらないだろう、そう思います。
  61. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それは確かにブレーンという言葉の定義です。あなたから見ればブレーンに当たらないかもしれぬけれども、あなたの仲間の、あなたのときの文部大臣から見ればブレーンに当たった。そういうふうに見られていた。それほどあなたと江副さんとは親しかった、こういうようなことではないのですか。
  62. 中曽根康弘

    中曽根証人 私の友人の中では親しくなかった一人でありました。
  63. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、今私が江副さんとの仲を聞いていったのは四回ですね。茅ケ崎と公邸と、それから軽井沢別荘と、それから山王会のゴルフと。そのほかにもう一回、あなたは江副さんと東京砂防会館の事務所で会ったことはございませんか。
  64. 中曽根康弘

    中曽根証人 その記憶はありません。
  65. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 記憶がないということは、ないということなんですか、あるかもわからぬということなんですか。
  66. 中曽根康弘

    中曽根証人 覚えてないということです。
  67. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 これは後で出てくる可能性もあるのですよね、この問題。それでお聞きをしているわけですが。  そこで、それじゃ、こういう就職協定の問題に対して、あなたが一番最初に五十九年八月六日に参議院の内閣委員会で、この問題については非常に大きな問題なんだから、青田刈りであるとか学歴偏重であるとか、こういうような問題は大きな問題なので内閣全体の力がなければ解決できないんだ、こういう意味のことを言われておるわけですね。  そして衆議院予算委員会昭和六十年十月三十日では、これは池田君の質問ですが、「おっしゃるとおり、非常に緊切な問題として、ことしは特にひどくなってまいりました。そこで関係大臣に、これは官民一体になってやらないとできないことでございますので、よく相談させまして、ことしの経験にかんがみまして、できるだけ早期に手を打つように努力させたいと思います。」こういうふうに答弁されておられますね。  これを受けて、あなたとしてはだれにどういうような指示をされた、こういうことなんですか。
  68. 中曽根康弘

    中曽根証人 特に大臣に自分から指示したことはないと思います。ただ、大臣は聞いておるわけですから、私がそういう答弁をしたので、関係大臣でいろいろ連絡をとるとか、あるいは官僚に命じて相談させるとか、そういうことは十分あり得ることであると思います。私から特にああしろこうしろということは、それ以上は言っておりません。
  69. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 第一次の臨調の答申が、教育臨調の答申が出ました。これは六月二十六日ですね。これは岡本さんや石川さん、中山さんか、それと当時の文部大臣と藤波さんがあなたのところへ来て、そして第一次答申をしているわけですね。そうですね。それは三時何分からしていますね。間違いないですね。その同じ日に考えられるのですが、そこで藤波さんは百万円の小切手五枚を江副らから受け取っているように起訴されておる。どうも同じ日にとれるのですね。だから、あなたのところから帰って受け取られたようにもとれるのですよ、これは。その間のいろんな出来事ですね。まず三月二日、三月上旬のこと。三月上旬に江副らが訪ねてきて、官房長官の公邸で藤波さんに対して、就職協定が存続、遵守されないとリクルートの事業に多大の支障を来すので、国の行政機関において就職協定趣旨に沿った適切な対応をするよう尽力を願いたい、こういうふうな請託があったというふうなこと。それから四月二十四日に、いわゆる経過報告が出たということ、そういうようなことはあなたとしてはどの程度御存じだったのですか。
  70. 中曽根康弘

    中曽根証人 私は、当時は恐らく行政改革の推進とかあるいは財政問題あるいは対米関係の打開、そっちに頭が集中して、そのために日夜関係省を集めたり協議したり、いろいろ努力していたと思います。  就職協定という国内的なそういう問題についてはほとんど手を、ほとんどというより全く手を下したこともないし、また、それについて大臣その他についてああしろこうしろと言ったこともないのです。それらは全く関係各省庁あるいは経済界との調整、そういうものに任しておりまして、その点については本当に関知いたしておりません。
  71. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 藤波さんから、これは各省にまたがることですから、調整機能として、藤波さん、官房長官からあなたに随時いろんな形でこの問題がどうなっているかということは報告が当然あってしかるべきだと思うのですけれども、それはどうなっているのですか。
  72. 中曽根康弘

    中曽根証人 就職協定や何かについて報告はなかったと思います。そういうことを思い出してみても、そういうことはあったとは思いません。
  73. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 だけれどもあなたは、ちゃんと国会の中では、努力されて守るようにさせますというふうなことを答えているわけですからね。それに対して大きな関心を持っておられたんじゃないのですか、それ。関心を持っておられたら、どうなったとかなんとかということを聞くのが普通ではないんでしょうか。全然任しっ放しだったのですか。
  74. 中曽根康弘

    中曽根証人 任しっ放しでありました。
  75. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 ちょっと納得ができないのですがね。  じゃ、きょういろんな資料が出ました中で、例えばこの株の問題について資料が出ましたね。そうするとあなたとしては、どうもよく聞いているというと、これはこの二人がもらったのであって、あなたが結局はもらったということにならないんだということなんですか。あなたがもらったということには法律的にはなるんだ、だけど彼らが中曽根派というか中曽根事務所のために使ったんだ、こういうことなんですか、どっちなんですか。
  76. 中曽根康弘

    中曽根証人 私が直接もらったとは認識しておりません。当時、上和田秘書あるいはその後も筑比地秘書等から聞きましたが、私は総理大臣任命されましたときに上和田秘書を呼びまして、たしか砂防事務所であったと思いますが、自分総理大臣としての国務に挺身する、一切選挙区とかあるいは会計経理の問題は君がやってくれ、そういうことで、私は総理大臣公邸に住み込んで二十四時間仕事をする、いざどんなことが起きてもすぐ指揮がとれるようにする、そういう意味で五年間総理大臣公邸に住み込んでやった次第です。そういう国務に挺身する、そういう考え上和田にも、留守中のことはおまえによろしく頼む、会計経理の問題とか選挙区の問題を特に指示、言ったと思います。それは上和田に任してやったものでございます。  その後、私と上和田関係というのはもう三十数年の関係で、彼の人物、誠実さというものについては私自体が傾倒しているぐらいの人間でございます。したがって、それに任せてやった。上和田報告してのことはただいま申し上げたとおりでございます。
  77. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 私の聞いているのは、上和田さんの名義と筑比地さんの名義、筑比地さんの名義二万三千株でしょう。これは渡す方から見れば非常に多いわけですね。だから、あなたに渡したというふうに当然考えられるのが世間の常識ではないでしょうか、こういうことですよ、これは。しかも、その金は筑比地なりなんなりで個人で使ったんじゃなくて中曽根事務所のために使ったというのでしょう。そうすればその金は、株なりなんなりというものは、換価された金というものはあなたの事務所のものである、こういうことになるんじゃないですか。
  78. 中曽根康弘

    中曽根証人 筑比地報告を聞いてみますと、小野さんとの最初の話がありましたときに、これは安定株主でございますから、つまりそういうようなことでほかの皆さんにもお願いしているのだ、それでこれは全くそういうあなたに対する経済行為であるから、あなたのものです、そういうことで話があったということでございました。そのことは小野さんにも筑比地の方からも、そういうことですねと言ったようでございます。それでいろいろお願いすることになって、それで株を売ったときにかなりの利益が出た、それで驚いたようであります。  それで、これだけの臨時の利得が出たものだから、これはめいめいで、そういう自分つき合い範囲内で、将来も仕事を円滑こするとかあるいは義理を欠かないようにするとか、そういう意味でお世話になった人に使った、そういう概括的な話があって、そういうことなのでございます。彼らの認識は、そういう考えに立って自分たちの生活圏と申しますか、仕事というものを円滑にする、そういう意味で使ったという認識でございます。
  79. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それは、三千株はまだわかるのですよ。二万三千株というのはわからないのではないですか。ほかの人と比べてみて非常に多いわけですよね。万単位ですからね。これは、渡す人の認識からいえば、当然あなた個人に渡すか、あなたの事務所の人に費用として渡すか、どちらかじゃないでしょうか。そうでなければ常識的に見て話がおかしいんじゃないですか、これは。三千株ならいいですよ、まだ私は。そうじゃないんだから。二万というあれがついているわけですから。竹下さんや安倍さんたちだってそこまでいっていないわけですからね。二万というのは、これは中曽根派、事務所に渡す金というふうに認識されておったというふうに理解をするのが本当に素直な考え方ではないでしょうか、こう聞いているわけです。
  80. 中曽根康弘

    中曽根証人 先ほども申し上げましたように、株というもので思わぬ収益が上がった、そういう臨時的なものであるから、そこでめいめいが、上和田と二人で、これをいろんなそういうつき合い関係その他に使わしてもらう、一年間の期間にそれを使ったということでございますが、筑比地のところには残金も残っている、そういうことの由であります。
  81. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 くどいんですけれども、そうすると、それは筑比地個人の金だ。ポケットマネーだと言うのですか、これは。あなたには全く関係のない――あなたの事務所のために使う金ならば、あなたに当然所有権というか処分権がある金じゃないですか、これは。そうでなければおかしいですよ、これは。
  82. 中曽根康弘

    中曽根証人 二人の認識はそういう認識で、そうしてめいめいでやった、そういう報告を私は受けたのでございます。
  83. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 どうもそういう認識は私らの常識とはかけ離れている、こういうふうに私は思います。これはだれが見たっておかしいですよ。だから、三千株はいいというのですよ、それは私は。二万株は違うというのですよ、これは。性質は違うのだ、こういうふうに私は言っているわけですよ。  そうすると、それは口座はどこの口座へ振り込まれました。
  84. 中曽根康弘

    中曽根証人 上和田秘書の報告によりますと、上和田の分は上和田の持っておる固有の貯金の口座、それから筑比地の分は筑比地が主宰して責任者になっておる任意団体の通帳、それに入れた、そういうことです。
  85. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 上和田氏のというのはどこですか、銀行は。三井銀行銀座支店ですか。
  86. 中曽根康弘

    中曽根証人 何銀行ということは上和田のプライバシーもありますから、銀行口座、そういうことで報告さしていただきます。
  87. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 この前の殖産住宅のときも、あなたが東郷さんにいろいろ頼まれて、そして、紆余曲折はありましたよ。あったけれども、金は最後に上和田義彦名義の、これは三井銀行銀座支店に入ったわけですね、五億円。これは後から返したということですけれども。あなたが頼んで上和田氏の銀行名義に入っているのですから、筑比地の名義に入っても上和田の名義に入っても、これは結局はあなたのお金というふうに、だれが見ても少なくとも二万株は、とるのが常識だ、私はこう思うんですけれども、ここで押し問答してもしようがないですから、あなたは違うんだと言うのだから。  それじゃ、別のことを聞きますが、きょういろいろ資料をいただきました。この中で、こういうのをあなたは御存じですか。昭和六十一年十一月に、NTTが株式公開に当たって大口の資金家に根回しして、そして値決めというのですか、百十九万七千四百円で値決めした。その際、江副さんが四百株購入をした。そうして、そのうち二百株を太田英子さんあてに渡したんだ。それがあなたの方の派の政治資金、あなたの方というか、あなたのというか、政治資金になっているんだ。こういう話をあなたは聞いたことがありますか。
  88. 中曽根康弘

    中曽根証人 全く聞いておりません。
  89. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 二億四千万円ぐらいの金が入った、こういうのですね。これは恐らく、あなたは知らないというふうに今お答えになりました。そして、それに関連をしてどういうふうなことが今後展開してくるか、これはなかなかわからないですね。と思うのですが、本当に知りませんか、全然。全然タッチしていませんか、これは。
  90. 中曽根康弘

    中曽根証人 全然タッチもしていないし、また全く知りません。
  91. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、きょうここで聞いたのが初めてですか。
  92. 中曽根康弘

    中曽根証人 そんなうわさか何かを前にちょっと耳にしたことはありましたが、一笑に付しておったことであります。
  93. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 今のは、後からどうも問題になる可能性があるらしいですよ、これは。  あなたは真藤さんとは何回ぐらいお会いになったのですか。
  94. 中曽根康弘

    中曽根証人 それは総理大臣の在任中ですか。在任中は年に二、三回ぐらいじゃないでしょうか。パーティーとかそういうものを除いて、報告を受けたとかなんとかというものは年に二、三回ぐらいではないかと思います。
  95. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そのときに真藤さんから、スーパーコンピューターの話だとか、いろんなそういう類した話というのはなかったんですか。全然出ませんでしたか。
  96. 中曽根康弘

    中曽根証人 そのNTTアメリカに対する、企業の、米系企業の参与、参画の拡大、つまりNTTが米国の資材を買う、そして日本黒字減らしに協力する、そういう方針は政府としても持っておりまして、真藤さんはそのために一生懸命努力してくだすったと思いますが、スーパーコンピューター云々という話はありません。
  97. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 スーパーコンピューターという具体的な名前は出なくても、それに類した話はあったわけですか。
  98. 中曽根康弘

    中曽根証人 スーパーコンピューターに関する話というのはないのです。しかし、NTTが資材購入をふやして、そしてアメリカとの貿易摩擦について協力するというその話はあったと思います。
  99. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 その中にスーパーコンピューターは入っているというふうに理解されるわけですか。
  100. 中曽根康弘

    中曽根証人 スーパーコンピューターと名前が言われて入っていたことはないと思います。
  101. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 あなたは、二月二十七日の記者会見の中で、コンピューターはこれは三台目であって四台目ではないという根拠として、六十二年三月二十九日付の新聞、あれされましたね、一生懸命されましたよね、僕も見ていたんですが。ところが、三月六日の参議院ですか、外務大臣がずっとそれに答えていって、「いずれにせよ、同新聞の記事は、中曽根総理が日米首脳会談レーガン大統領に表明した「NTTが一台買うと承知している」というスーパーコンピューターがクレィⅡ型(三台目)であるということを直ちに示すものではない。」と、こう言っているのですね。これはあなたの言っていることとそれから外務大臣の言っていることとは違うんじゃないですか、これ。どうなんですか。どこにその違いがあるのですか、あるいは違いがないのですか。
  102. 中曽根康弘

    中曽根証人 レーガン大統領に言ったのは私でありまして、外務大臣ではない。その私がそういう認識を持ってレーガン大統領に言った、そう厳粛に申し上げておる。それはさっき申し上げましたように、たしかあれは三月の二十六日ごろですかね、調達を決めたのま。それが三月末の新聞にも出て頭に残っておった。したがって、アメリカスーパーコンピューターの対日販売についてあれだけ熱烈にいろいろ考え、また要望を持っておる、そういうときですから、多分レーガン大統領はお知りでないと自分は思っておる、私はレーガン大統領と何回も会談しておりますが、レーガンさんという人は非常に大まかな方で、もう仕事仕事はみんな各大臣に任しておるお方なんです。そうして総括を締めて、方針を明示して進むというのがあの方のやり方なんです。それは、首脳会談、何回やっても私はそれをよく認識しておった。したがって、こういう日本が努力しているといういい話はレーガン大統領のお耳に入れておこうと。まあロン・ヤスと言われる関係ですから、そういう意味でもレーガンさんに、我々がこれだけ努力しているということをお耳に入れておこう、そういう意味で申し上げたのであります。
  103. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 私が聞いているのは、そういうことを聞いているのじゃないのですよ。あなたがその三月二十九日付の日本経済新聞を示して、そうです、これですと。ここに書いてありますよ、これが三台目ですと言っているのに、外務大臣は、それは直ちに示すものじゃないのだと、こう言っているじゃないですか、これは。これは違うんですか違わないんですかということを聞いているんですよ。あなたの言っていることは何だか周りをぐるぐる回っていて、私の質問に対してフランクに答えてないんじゃないですか、これは。ちゃんと答えてくださいよ、これは。簡単じゃないですか、答えは。
  104. 中曽根康弘

    中曽根証人 それは新聞記事がその三台目をストレートに指しているということは書いてはありませんね、それは。しかし、言った私はそういう認識でレーガン大統領にちゃんと言った、そういうことなのであります。
  105. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 この点はどうもよくわかりませんね。だからあなたは、だってその新聞を示して、ここに書いてある、ここに書いてあると言ったんじゃないですか。ここに書いてある、ここに書いてあると言ったのは、じゃあもう撤回するのですか。撤回するなら話はわかるが、それを撤回しないでいて、外務大臣はそれだけじゃわからないんだと言っているのに、だからこれだと言ったってだめじゃないですか、それは。だれが見たってこれはおかしいですよ、話は。もう少し――いや、あなたが新聞だけを示してこう言っているからおかしくなってくるのですよ。いや新聞記事は当てにならないというなら、それはそれでいいんだけれども、あなたは、この新聞記事でこうなっている、書いてあるからこれが三台目だと言って、へらへらへらへらというか、ぺらぺらぺらぺらか何か知らぬけれども、一生懸命記者会見でやったじゃないですか、これは。外務大臣が違うんだと言っているのです。違うんだと言っているとは言わぬけれども、「直ちに示すものではない。」と言っている。あなたは直ちに示すものだと言っているとだれだってとっているじゃないですか、あのときは、あなた、これ。  だから、外務大臣の言っていることとあなたの言っていることは違うのですか違わないのですかというのは、だれだって国民が聞きたいところですよ、これ。当たり前の話じゃないですか。あなたの認識だとかなんとかいうことで話をくるくる回さないで、端的に答えてくださいよ。
  106. 中曽根康弘

    中曽根証人 いや、別に話をくるくる回しているわけでも何でもな。その点は随分誤解を生んだような結果になっていますけれども、むしろ私は、ああいう報道がかえって誤解を生んだ結果になったと思います。  しかし、私が申し上げましたことは、あのときも、私が、NTTが三月末に調達すると新聞に書いてあった、それを私は頭の中にあったから、したがってレーガン大統領にいい話は伝えておこう、そう思って、私の認識と私の決断でそういうことをやったということを言ったので、その三月末に出た新聞の記事がすぐ三号機である、そういうふうにすぐ論理的に結びつくものではない。私がそれはそれを認識して、そしてそれをレーガン大統領に言ったのである、それは三号機である、結果的に三号機なんだ、そういう意味のことを言ったので、この際、明らかにしておきたいと思うのです。
  107. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 国民はそういうふうにはとらないですね。  誤解を生んだというのは、ちょっと今言われましたけれども、だれがどういうふうに誤解したというのですか、それ。あなたの行為によって国民がそういうふうに誤解したということですか、それは。ちょっとよくわからないのですが。
  108. 中曽根康弘

    中曽根証人 私の発言趣旨がよく認識されなかった、理解していただけなかった、そういう意味です。私の発言は、あのときも、三月末の新聞にこう出ておったので、それが頭にあったから、それをレーガン大統領に伝えたんだ、それは三号機であったんだ、そういう趣旨のことを申し上げて、新聞の記事というものとNTTが買ったもの、それと私がレーガン大統領に言ったもの、それは同じものなんです、そういうことを申し上げておったわけなんです。
  109. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 いや、よくわからないですよ。恐らくこれは後の方々からもいろんな角度から追及をされるのではないかと思うのですが、あなたは、新聞記者との会見がありましたね、外人記者。これは十月二十六日ですか、一九八五年……(発言する者あり)いやいや、新聞の記事といったって、今、中曽根さんが、あなた、新聞の記事を出して、このとおりだ、このとおりだとやっているから僕も新聞の記事で言うのであって、何もあなた、それはパラレルだよ。当たり前だよ、そんなことは。総理大臣に聞いているんだよ。  クリストファー・ジョーンズという記者がいろいろ質問したことに対して、あなたは、NTTは既に二台買ってあります、また一台クレイ社から買う、こういうふうに言っておるわけですね。既にその前の二台買ってあるというのは、これは間違いだったというふうに、後で、記憶違いだった、こういうふうに直されておるわけでしょう。この間の経過をちょっとお話し願えませんか。
  110. 中曽根康弘

    中曽根証人 これは六十年の十月に国連総会がありまして、それへ私は出席して、そこでレーガンさんとも首脳会談をやった。そのときの記者会見で外人記者から質問があった。それに答えた。そのときに私は二台買ったと言ったのは、私の錯誤であり、記憶違いであったのです。五十九年の四月でしたか、一台買ったので、その次に買ったというのは、たしか六十一年の五月ですね。ですから、私がそのときに二台買ったというのは私の記憶違い。それは、ですから訂正した、こういうことなのであります。
  111. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それは過ちがあれば正すのにはばかることはないので、それはそれでいいんですよ。  問題は、あと一台買うという話ですね、これ。これはもう一台、NTTがもう一台買うというのは、それはどのコンピューターのことを言っているのですか、あなたは頭の中で。
  112. 中曽根康弘

    中曽根証人 これも九月ごろの新聞NTTが買うという記事が出ておりまして、そういうことが頭にあったので、そういうこともちょっと申し上げた。つまり、スーパーコンピューターの問題というのは、今でもそうですけれども、日米間の熾烈な経済摩擦中心になっておるのです。したがって、アメリカへ行っていろいろ人に話すとか政治家に話すとか、記者に話すとかジャーナリストに話すときには、彼らが一番関心を持っている問題について、日本がこうする、こういう意思を持っている、こういう努力をしている、そういうことを言わなければだめなんです。それは今まで日本はややもすればあいまいなことを言って、検討しますとかあるいは考えますとか、協議しますとか、そういうことだから大きな誤解があったんです。このスーパーコンピューターの問題については、自分情報で、そして知り得た、しかもこれは適切だと思うことはできるだけ向こうへ伝えて、アメリカ側の心証をよくしよう、そういう努力の一つであるとお考え願いたい。
  113. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、そこでアメリカ人の記者に言ったもう一台クレイ社から買うというのは、これはどこの新聞に出てました。僕ら探したんだけれども、わからないですね。
  114. 中曽根康弘

    中曽根証人 たしかあのころの新聞で、私の記憶では日経新聞ではないかと思います。
  115. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 日経新聞に出ています、確かに。ほんのちっちゃな記事ですよ。べた記事ですよ。  いいですか。しかしそれは機種が違うんではありませんか。機種が違うんではないですか、それ。機種が違うんではありませんか、その新聞に出ていたというのは。
  116. 中曽根康弘

    中曽根証人 機種の中身なんというのは、私ら細かいところは知らない。買うか買わないかということが、アメリカやあるいは日本にとって非常に大事なことであったのであります。  やっぱりアメリカへ行って、いろいろ日米首脳会談や記者会見をやるときには、日本側に有利な情報はできるだけ、新聞であろうが何であろうが情報を調べさせまして、いいものは仕込んでいく、そういうのが私の場合のやり方であったのです。
  117. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 あなたは新聞等と事務所では言っていますね。新聞等で知ったと、こう言っているのですが、しかしそれは新聞はほんの小さな記事で、そこまでのことは詳しく書いてないですね。  そうすると、これはその次の六十一年の四月にNTTの常務会で購入することを決定されて、五月にNTTがクレイ社から購入したものですね。そういう経過になりますわな。そうすると、それをずっと前の、半年ぐらい前にあなたが知っていたという、どこからか聞いてか、何かの方からのあれで知っていたというふうに考えるわけですが、それはどういうことなんですか。
  118. 中曽根康弘

    中曽根証人 そういうことは全くありません。ややもすると、今までの議会の御質問は、中曽根が先に知っていて、そのコンピューターがNTTからリクルートの方へ転売された、彼はその転売されるのを知っていてそういうことを言ったのではないか、そういう疑惑が非常に醸成されたんです。これは全くそういう事実はないのです。その点ははっきりここで申し上げるのであります。
  119. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 だけれど、その二台目というか、それはあれじゃないですか、六十一年の四月にNTTの常務会で決定がされて、五月に買われたんだ。これはXMP216ですね。このことを後から調べてわかったわけでしょう。そうすると、それを前の年の十月に新聞記者にアメリカで言っているのに、ただちっちゃな新聞記事だけで、それも機種が違うのですよ、そういうことで言っているだけですか、それ。
  120. 中曽根康弘

    中曽根証人 先ほど申し上げましたように、新聞記事もそうですし、それからやはり行く前には、日本側に有利な情報というのはできるだけ探らして、そして首脳会談あるいは食事のときとか、あるいは議員に対する話をするときとか、そういう材料をためて首脳会談には行くのです。そういう意味におきまして、その新聞もそういう貴重な材料、小さな記事であろうが、それはできるだけみんなに探さしてやってきている、そういうことなんであります。
  121. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 今のはほんの小さな記事だからかもしりませんですけれども、機種も違うのですよ、これ。機種が違いまして、来年の四月か何かに決定されるものを十月ごろにあなたは言っておられるのですよ。だから、どこかからか、そのニュースというとおかしいのですけれども、確証といいますか、それを前もって知っておられたのではなかろうか、こういうのはだれでも持つ素朴な疑問なんですよ、これは。その疑問に対してあなたは十分に答えておられない、こういうように私は思います。  もう時間が来ましたからやめますけれども、それに十分答えてないということと、それから、さっきお話をした三月二日の件、いいですか、三月の二日の件は、一月、二月に江副さんがヒアリングされていて、三月上旬というその後に請託をまた官房長官が公邸で受けているのですから、だから、ここのところが大きなポイントになるということが当然考えられてくる。あなたは土地税制の話だといってずっと今まできた。そうしたら今度はここのところで教育の問題にちょっと入ってきた。そこら辺のところを考えてみますというと、そこら辺のところに私は大きな問題が隠されておる。きょうの質問についても、あなたに対する国民の素朴な疑問というものはまだまだ解消されておらない、こういうふうに私は考えるし、それは参議院においても、あるいはその他の機会に、いろいろな機会において我々はさらに全体像というものをしっかりつかまえて追及をしていく、こういうことをここに申し上げまして、時間が参りましたので質問を終わらせていただきます。
  122. 大野明

    大野委員長 これにて稲葉君の発言は終了いたしました。  次に、坂井弘一君。
  123. 坂井弘一

    坂井委員 最初に、あなたは先ほど所見をお述べになりました。私の見解とは余りにも異にいたしますので、三点につきまして申し上げたいと思います。  まず第一点。この場は私のみそぎであり、けじめである、こうおっしゃった。私は、疑惑解明のために中曽根前総理がみずから進んで証言席にお立ちになる、このことがあなたの責任であるはずだと思っております。これはまた国民に対する当然のあなたの責務であろう、こういう私の認識であります。  二点目。権力の乱用は慎むべきだと、こうおっしゃった。国政調査権、国権の最高機関におきまして国政調査権に基づきまして疑惑の解明をする、そのために証言を必要とする、このことがなぜ権力の乱用になるんでしょうか。検察と国会はまさに車の両輪だと私は思います。しかしながら、しかしながら検察は刑法に基づいておる。刑法に基づく。これにはおのずからまた限度があろうと思います。国政調査権に基づいて、そしてこの事件の徹底解明をすることが、むしろそれよりもより大事なことであろう。私はそういう認識であります。  そして三点目。このような事件を起きないようにするのが私の責任のあり方である、このようなことをあなたはおっしゃった。私は手の汚れていない人によって政治改革はやるべきである、こう思っております。  三点を申し上げましたが、そこであなたにお伺いをいたしたい。  あなたと藤波さんの関係、これは総理と官房長官、まさに表裏一体、一体不二の関係であります。その藤波さんが今刑事事件に問われておる。あなたの責任は免れるものではない、私はそう思います。  そこで、かつてあなたは石炭疑獄のときに当時の吉田茂総理に対しまして、閣僚の中から事件関係者が出たときは内閣は潔く総辞職すべきである、こう迫られました。竹下内閣は退陣を決められました。あなたの責任のありよう、けじめのつけ方、これはおのずから私は明らかであろうと思います。  したがいまして、議員として残ってこれからなお政治改革をやりその責任を果たすのだとおっしゃるあなたの責任のとり方につきましては、私はそれはそのようには思いません。なお再考いただきたい。簡単に所見をお述べいただきたいと思います。
  124. 中曽根康弘

    中曽根証人 私は、私の内閣首班在任中にこのような不祥事件が起きまして、これは本当に申しわけない、国民の皆さんにこの席で改めて陳謝申し上げているところなのでございます。  なお、私のこの道義的責任等につきましては、先ほど申し上げましたとおり、こういうことを再び起こさないように政治を改革して日本の政治を軌道に乗せる、それが四十年間国政に携わってきた私の責任である、選挙民に対するまた責任である、そう考えまして、まだこのまま国家のために微力を尽くしてまいりたい、そう考えておる次第なのであります。
  125. 坂井弘一

    坂井委員 本日は証人として御出席をいただいておりますので、以下、順次具体的にお尋ねをいたしてまいりますので、どうぞ事実関係につきまして的確にかつ簡潔にお答えを願いたいと思います。  昭和六十年十月二十五日、ニューヨークにおきます首脳会談後の記者会見、そこで、NTTが既に二台買ってある、また一台買う、こういう御発言がございました。これはその後、既に二台買ってある、この二台は記憶違いで、一台であった、こういう御訂正があったと思うのですが、そういたしますと、既に買ってある一台は五十九年四月の一台目、つまり資料としてちょうだいいたしましたXMP22、これが既に買ってある一台。そうすると、また一台買う、こう言われた一台は六十一年五月二十七日契約のXMP216、つまりこれはリクルートに転売された機種でございますが、そのことを指してまた一台と、こうおっしゃったのでしょうか。
  126. 中曽根康弘

    中曽根証人 そのリクルートに転売したものを指して言ったのではありません。  私はまた、前に申し上げたかもしれませんが、スーパーコンピューターリクルートに転用した、転売したという問題につきまして、リクルート関係のだれからも、そういう購入とか転売の依頼、要請を受けたこと、あっせんするようなことを受けたことはありませんし、またNTTあるいは公務員に対して、それを購入するとか転売するように指示も要請もしたことは全くないのです。このスーパーコンピューターの購入問題等について、江副さんと話したこともなければ、また真藤さんとそういう転売に関するコンピューターのその問題等について話したことは一切ありません。ですから、犯罪事実に当たるような構成要件なるものは一切ないのでございます。  それで、ややもすると、その後で転売されたものを知っていてそれを言ったのではないか、そういう疑惑が書き立てられておりますが、しかし、外国へ行くとか首脳会談をやるというときには、できるだけのいい情報は持っていって、アメリカのこの緊張緩和をするために使おうという必死の思いで総理大臣というものは行っておるのでありまして、それをぜひ御理解願いたいと思うのであります。
  127. 坂井弘一

    坂井委員 私がお尋ねしていますことに対しまして的確にお答えをいただきたい。つまり、申し上げたのは、また一台と、こうお述べになったのは、言われたのはXMP216のことでしょうか、こうお尋ねをしたわけです。そうであるならばそう、そうでなければそうではない、それならどの機種なのかということをここで教えてください。
  128. 中曽根康弘

    中曽根証人 それは、先ほど申し上げましたように新聞記事で知ったその調達、それを申し上げておるのであります。
  129. 坂井弘一

    坂井委員 わかりました。  そうしますと、日経紙でありますが、これは日経の八面、これだけ囲った小さい小さい記事ですが、随分よくお調べになったなと思います。これを見てわかったとおっしゃるならば、まさに私が今申しますところのXMP216、これは六十一年五月二十七日の契約分であります。これが後ほどリクルートに転売される、こういう経緯をたどるわけでございますが、リクルートに転売されるものであるということは、それは御存じなかったのでしょうね。
  130. 中曽根康弘

    中曽根証人 もちろん、そんなことは知りません。
  131. 坂井弘一

    坂井委員 当時の動きといたしましては、六十年八月ごろに、例えば今のリクルートの社長をお務めの位田さんがNTTを通してなら買えるという助言を当時のクレイジャパンの谷川宏さん、亡くなりました、ことしの二月の七日であります、この方に助言として位田さんからそのような話があった。これは六十年八月のころでございます。翌月九月の上旬には江副さんが真藤さんを訪ねて、ぜひ買ってほしい、そしてその次、九月の中旬にはまた江副さんが山口さんを訪ねて、もう一回依頼をした、こういう経緯がございます。あなたの記者会見の一カ月前の出来事でございまして、そのような経緯があったということを、こんな小さな新聞の記事まで丹念にお調べになったわけですから、よもや御存じなかったとは私には実は思えないわけでありまして、したがってリクルートに転売されることを御承知だったのでしょうか、こうお尋ねしたのですが、いや知らなかった、こうおっしゃるのですから、それはそれとしておきたいと思います。  そこで、六十二年五月の一日ワシントンにおきますところの首脳会談、ここで、先ほども出ましたが三点ございました。まず第一点は調達手続の透明性の問題、二つ目には政府調達分については補正予算措置をする、そして三点目にNTTが一台買うと承知している、こうレーガンさんにあなたはおっしゃった。第一点と第二点につきましては日米政府間におきまして、事務レベルにおいて、これは既に調整済みのことであった。三つ目の、NTTが一台買うと承知していると、こうあえて当時中曽根総理がレーガンさんに言われた。ある意味での約束ですね。約束をされた。しかるに、この間の記者会見では、日米首脳会談は大変重いものである、ちゃんと役所からもこれは明確にやれるというものなら言うが、それ以外は言うわけにはいかない、こうおっしゃりながらも、日米双方間で詰めていない三点目の、NTTが一台買うとあえてなぜおっしゃったのか、そこのところが私にはどうしても理解できないわけでございます。先ほどの稲葉さんとのやりとりの中にも、三台目である、こうおっしゃる。しかし、これには大変大きな無理があると私は思います。  あなたはこの日米首脳会談、五月一日の首脳会談を終えられまして、帰国直後、五月の六日の参議院会議におきまして、このスーパーコンピューターの問題に触れて御答弁されたことの御記憶はおありでしょうか。
  132. 中曽根康弘

    中曽根証人 これは先ほど稲葉さんにお答え申し上げたとおりでございまして、いい情報はできるだけレーガンさんにもお伝えしておく、そして緊張緩和に役立たせる、そういう必死の念願に燃えてやったことです。  事務レベルで詰めないことをなぜ言ったかという御指摘でございますが、そういうことは私はよくやったのであります。それは事務レベルで決められたことだけをやったら首脳会談の意味はないのです。やはり心と心が通うとか、こっちの必死な願いが向こうに通ずるとか、そういう人間的なものがお互いに通わなければ首脳会談をやっても意味がないのです。私はそういうことでいつも真剣にそういうことをやってきたのであります。  例えば、たしか六十年の一月ロサンゼルスでレーガンさんとの会談をしましたが、あのときMOSS協議というのを話しました。そのMOSS協議というのは、資材別にアメリカから購入量をふやしていくという、そういう交渉をやるという話をしたときです。そういう話は事務レベルでできておった。しかし、私はレーガンさんに、それは自分でチェックして、一つ一つ成果あらしむるように自分でやりましょう、そういうことも言うた。チェックするためにはいろいろなことをその後も、機構的にもあるいは自分個人の努力としてもやったわけであります。そういうことは事務レベルの会議にはないんです。しかし、そういう自分の決意や自分の行動で必死になって日米間を打開するという、それが向こうを動かして日本はよくやっているという緊張緩和に役立つのであります。  この、先ほど申し上げました五月の会談におきましても、それは先ほど申し上げましたように、東芝のあの事件がある、あるいは半導体について制裁が加えられて日本は相当な損をしている、あるいは手紙が来ている、あるいは包括貿易法案が通過した、そういう重大危局でありましたから、それを緩和するために申し上げたのであります。
  133. 坂井弘一

    坂井委員 的確にお答えくださいと再三お願いをいたしております。  日米首脳会談帰国後の五月の六日の参議院会議において、あなたがスーパーコンピューターの問題に触れて御答弁されたことを御記憶でしょうかどうでしょうか、こう聞いたわけです。
  134. 中曽根康弘

    中曽根証人 その点は今記憶にありませんが、あるいはやったのかもしれません。
  135. 坂井弘一

    坂井委員 わかりました。じゃ、申し上げましょう。  その参議院会議におきまして、スパコンの問題は「我々は想像もし準備もしてまいりました」こう御答弁された。これは当然だと私は思いますが、そこで、その用意もした、想像もした、準備もした。なるほど当時の状況を見ますと、アメリカにおきましてはワシントン・ポストあるいはAP電あるいはニューヨーク・タイムズ、それから米議会におきます動き、さらにはUSTR、通商代表部の米議会に対します報告書等々をめぐりまして、一連のスーパーコンピューターの問題につきましては随分議論もあったことは先刻御承知のとおりだろうと私は思います。そういう中で、デュレンバーガーさんがあなたに手紙を出してきたというような経緯も過程としてもございました。五月の一日の日米首脳会談がございまして、それ以前、つまり三月の末に既にもう契約済みのことの三号機ですね、このことはアメリカでももうよくわかっておった。レーガンさんは大まかな方だとおっしゃるけれども、そんなことがわからぬレーガンさんではなかったはずだと私は思います。その後におきまして、日米首脳会談を終えまして、それから後一カ月後、六月の三十日ですね、この契約分が四号機でありまして、これがXMP18、これがリクルートに転売をされている。このことを当時の新聞情報アメリカにおきます先ほど申しました一連の動き等々によって先刻御承知であったと私は思いますがゆえに、どうにもこれを三号機だ、三号機だとおっしゃるには無理があるのではありませんか。時の流れの問題もあります。道理的にも、時間的にも、物理的にも、これはどだい三号機だ、三号機だとおっしゃるには余りにも説明になっていない、納得できない。だから、ここをきちんと、そうであるならば三号機だということを立証する具体的な事実関係を挙げてお述べになるのが、私は、この疑惑に対する答えを出すあなたの責任だろうと思います。今ここでこのことを聞いてまいりますと、やりとりだけで時間がたってしまうようであります。問題点を今提起だけしておきたいと思います。  そこで、今申しましたUSTRの報告書の中に、日本におけるスパコンの売り込みの成功例につきましては、そのほとんどの場合、閣僚レベルでの圧力が必要であった。数少ない成功例のそのほとんどの場合、閣僚レベルでの圧力が必要であった。これはUSTR、つまりアメリカの通商代表部が米議会報告をいたしました公式文書、公文書の中に記述されたことであります。閣僚レベルの圧力、どんな圧力があったのか、その圧力を受けて日本の閣僚はどう動いたのか、御存じであればここでお述べをいただきたい。
  136. 中曽根康弘

    中曽根証人 どんな閣僚レベルの圧力があったか、私は存じません。しかし、一般的にアメリカ側スーパーコンピューターに非常に強い関心を持って、アメリカ議員から先ほど申し上げましたように手紙が来る、特にバード、ドールというような上院の院内総務から直接に私のところへ手紙が来る、こういうことでございますから、アメリカ政府アメリカ議会、これらは非常に大きな関心を持っておったことであり、日本政府もそのスーパーコンピューター問題に対する構えと申しますか、政策を持って行かなければならない、そういう考えで、この間の五月の会談についても、勉強もし、日本側の建前はこうだと言うたわけです。  そのころアメリカ側の注文はどういうことであるかというと、日本政府日本の大学や日本の研究所で買うものについては国産愛用をやらせ過ぎる、外国のものをシャットアウトしている、そういう非難と、もう一つは、日本の業者が日本の大学に売るときには値引きをやり過ぎる、アカデミックディスカウントと言っておりましたけれども、非常に安い値段で大学へ売り込む、だからアメリカのコンピューターは入らないんだ、その二つが実は向こうのクレームであったわけです。それに対してどういう対策をとるかということで、内外無差別という原則をつくる、それには、コンピューターを買うについてまず予告をする、あるいは仕様書をやる、向こうから、じゃ、いろいろ相談に来たときに、その仕様書のつくり方や見積もりのつくり方等について相談に応じてやる、そういうような手続の明確化、そういうようなことを中心にこっちも構えをつくりまして、それでレーガン大統領にも申し上げたのであります。
  137. 坂井弘一

    坂井委員 このUSTRの閣僚レベルの圧力があったという報告は、私は、非常に重要な部分、ゆゆしき記述だと認識をいたしております。アメリカ側に対しましても照会をいたしてございますが、なお、この件につきましては、クレイジャパンの側に対しましても、一体いかなる圧力があったのかというような点につきましても、詳細に我が党の調査特別委員会が調査をいたしております。クレイジャパンの谷川会長は、クレイ社というのは実にひどいひどい会社ですと、外交交渉のたびに政治的な圧力をかけてきたということの証言もございます。この証言を受けまして、具体的にどう動いたかということにつきまして、日米間の関係者等につきましても、ここの部分については非常に重要な記述であるがゆえにそういう調査をいたしました。もしこの記述が事実であれば、我が日本政府はこの報告書の撤回を求める、陳謝を求める、あって当たり前だろうと思います。閣僚レベルというのはアメリカの閣僚と日本の閣僚と相互に通ずることだ、こういう認識をアメリカ側は持っております。アメリカの閣僚が一方的に日本に圧力をかけた、それで何もしなかったというのではありません。これを受けて日本の閣僚、政府が動いた、そこまでしなければこのスーパーコンピューターは売り込みすることができなかったのだというUSTRの米議会に対する報告であって、米議会はこれを了承したということでございます。  なお、藤尾元政調会長がスパコン導入に関し、バックリベート、つまりわいろ、これが流れた、約束したのは中曽根首相で相手はレーガン大統領だという趣旨の御発言がありました。藤尾さんはこの発言を撤回されたのでしょうか。
  138. 中曽根康弘

    中曽根証人 藤尾さんはとんでもない間違いを言っておるんです。大錯覚ですね、あれは。コンピューターの値段が幾らぐらい、あのときの問題、しておるかというと、一つは、これはNTTやその他関係者は原価というのはなかなか外へ出さないようです。しかし、私が調べた範囲内においては、最初のものは二十一億円前後です、これは手数料まで入れて。二十一億円といいますと、当時の値段では千二、三百万ドルですね。それを二億ドルとか四億ドルとか六億ドルリベートを取ったと言うんでしょう。原価が千二、三百万ドルのものについて、そんな二億ドルもリベートが出ますか。四億ドルも出ますか。いわんや六億ドルも出ますか。それがアメリカの政治家の懐に入ったとか日本の政治家の懐に入ったとか、とんでもない名誉に関することを間違いをやっておるのです。私の周りのある議員は、あれはもう頭が変じゃないかと言う人もいた。それは日本の名誉のために、日本の名誉のために言っておきたい。  それからさらに、もう一台のものは、これは十一億円ぐらいでありまして、十一億円ぐらいのものというのは八百万ドル前後です。ですから、千二、三百万ドルとか八百万ドル程度のものを二億ドルも四億ドルもリベートが出るなんていうことは考えられない。これはアメリカ日本の政治家の名誉に関することでありますから、我々の方は藤尾さんにも抗議しました。また党の幹部にも是正するように抗議いたしました。しかし、アメリカの方に対しても、それが事実無根であるということを私は個人的にやりました。しかし同じ党の、我が党の長老の方でございますから、それは党内のやはり仁義といたしまして、間違いは間違いとして、私たちは善処を要求しておる次第なのでございます。
  139. 坂井弘一

    坂井委員 あなたが、あなた自身のそれは名誉もあると思いますよ。しかしながら、同時にまた自民党の名誉もあるでしょう。こういう発言が事実無根であるならば、これは毅然たる態度に出て当然だと私は思うからあえてお尋ねをした。私はあなたにいろいろ教えていただくような立場じゃありません。心配をしますよ、こういうことは。言ったけれども、何にもああいう方だからどうとか、自民党の長老だなんて、そんなことでほっておける問題ですか。まずきちんとこういうことについてのけじめはつけられた方がよろしかろうと思います。  それから、筑比地秘書二万三千株、上和田秘書三千株。筑比地さんについては三千株、これは二万株ということでしょうか、三千株合わしたとこういうお話ですから、この購入資金、これはどこから出たんでしょうか。
  140. 中曽根康弘

    中曽根証人 これは先ほど申し上げましたように、ファーストファイナンスですか、そちらの金融でお願いをしたと報告を受けております。
  141. 坂井弘一

    坂井委員 これはいろんなおつき合いのために使った、多岐にわたったとこういうことでございますが、これはやはり中曽根さんの政治活動、それに関係したところに使った、個人が私のために使ったというわけではない、少なくとも中曽根さんの政治活動のためにもろもろのところに使ったと、こういうことでしょうか。
  142. 中曽根康弘

    中曽根証人 この商業行為といいますか経済行為といいますか、株で臨時に得た彼らの利益であると、そういう認識のもとに、自分つき合い範囲内において自分たち仕事が円滑にいくとか義理を欠くことがないようにとか、そういう配慮でつき合いに使ったと、そういうことでございます。
  143. 坂井弘一

    坂井委員 いただいた方が個人の経済行為だとしながら、しかしその金の使途につきましては、やはり総理と秘書官、議員と秘書の関係におきまして、やはり議員である、総理であるその方のために使った、これは自然でしょうね。そうすれば、やはり私は政治資金規正法上の届け出の義務はあると思っております。そうでなければこれは全く示しのつかないことになりますが、これはまた改めてこのことについては政治資金規正法問題としてはっきりさしていきたいと思っております。  そこで、きょう資料をちょうだいいたしておりますが、これが全部だとこうおっしゃいますが、そういたしますと、山王経済研究会、ここに昭和五十九年に百二十万献金されておりますが、六十年百二十五万、六十一年三百二十万、六十二年千三百万、六十三年百二十万等々ずっと出ますが、山王経済研究会の収支報告を見ますと、百二十万だけ、つまり五十九年の、これだけ出てきて、あとは出てきておりませんが、山王経済研究会にはほかに、これ以外に、この百二十万以外に、五十九年の、献金を受けられたということはないのでしょうか、あるいはあるのでしょうか。あれば、なぜ政治資金届け出の収支報告の中に出てこないのでしょうか。つまりそのことは、まずこの法の網をくぐって、うまく百万円以下に抑えて処理をしたから相手方の名前は出てこないんだと、つまり脱法的行為があったんだと、こういうことなんでしょうか。一切献金はなかった、しかしあったんだけれども、そういう処理の仕方をしたから出てきていないのだと、こういうことでしょうか。
  144. 中曽根康弘

    中曽根証人 山王経済研究会の会費の処理については、先方の御意思もあるようでありますから、いろいろ先方の御意思もいろいろお聞きして、そして政治資金規正法の適用の範囲内においてこれを処理すると、調整をすると、そういうことでやったようでございます。
  145. 坂井弘一

    坂井委員 したがって、私のお尋ねに的確に御答弁ちょうだいしたいと思うのですが、今言ったような、あったのか、それ以外に。百二十万以外に政治献金はあったんだと、あったんだけれども、百万円以下の小口に分けてこれを処理をしたので、相手方は出てきていないのだとおっしゃるのか。そうではなくて、全くなかった、献金は。なかったから出てきてないのだ。どっちなんでしょうか。どちらかということのお答えをちょうだいできれば結構でございます。
  146. 中曽根康弘

    中曽根証人 これは先ほど申し上げましたように、政治資金規正法というものが頭にはあったと思います。それで、先方の御意見、御意思、そういうものをやっぱり寄附金やら会費を出してくれる方にはお聞きして、迷惑かからないようにするという配慮もあり、先方のまた強い御希望もあったようでございますから、そういうものは先方の御意思を聞いて調整した。だから、その受取を出す場合にはほかの団体の受取を使うということもこれはあり得たと、そういうふうに思います。
  147. 坂井弘一

    坂井委員 私、それもお答えにはならないと思っているんです、大変失礼ですが。きょう、前総理は証人としてここに御出席いただいたはずですね。十分な準備をして証言台にお立ちくださっておるものだと思いますがゆえに、私はお尋ねをしているわけであります。しかも、これから政治改革のためにどこをどう改めるかということを議員として残ってやっていくんだとおっしゃるから、それならば今政治資金規正法の問題だって、このざる法とも言われますが、それを極めて賢く法の網をうまくくぐり抜けて、あの手この手の脱法行為が行われておるという国民の批判がある。そのことにやはり事実の解明をして、ここにこういう問題があったと率直に、しかし、これは違法ではないんだ、ないけれども、こういう問題があったということはお述べいただくということは、当然総理としてのお立場ではないかと思いますからお尋ねをしたわけですが、まさに周辺の部分の極めて抽象的なお答えしか返ってまいりません。大変残念であります。  そこでお尋ねをいたしますが、それならば、そのような収支の実態について、総理御自身あるいは秘書、周辺といいますか、あなたの御自身のお近くの方々、あるいはまたあなたが関係する政治団体、あるいはまたパーティーによる収入等々、その出と入りにつきまして具体的に、どこに、相手はだれだれからどれだけのものが入うたということを資料としてちょうだいすることはできませんか。
  148. 中曽根康弘

    中曽根証人 ここに掲げましたものもすべて政治資金規正法上の届け出をしておるものでございます。適法にやっておるものでございまして、資料としての提出は御容赦願いたいと思うのでございます。
  149. 坂井弘一

    坂井委員 だれが聞いても私は納得ができないと思いますよ。昭和五十九年に山王経済研究会が百二十万入った、これは出ておる。ずっと見ておきますと、年々このとおり、先ほどお答えになりましたとおり、献金がなされておる。おるけれども、一切名前は出てこない。どこかに潜っておるんだろうか、隠れておるんだろうか、こう思いますから、これを明らかにしていただきたい、こう申し上げたわけです。それもお出しいただけない。大変残念でありますけれども、これはぜひお出しいただくようにお願いを委員長にもしたいと思いますが、このお取り扱いにつきましては御検討いただきたいど思います。
  150. 中曽根康弘

    中曽根証人 先ほど私が藤尾さんにつきまして必ずしも適切でない言葉がありましたが、これは取り消させていただきたいと思います。  それから、資金の問題につきましては、やはり先方の御意見、御意思というものはやはり非常に大事でございまして、先方の御意思も承りながらそのように調整させていただいたという次第でございます。
  151. 坂井弘一

    坂井委員 私の持ち時間が参りましたのでこれで終わりますが、あなたの内閣の主要閣僚八人までがこの事件関係をしておる。あなたは時の最高責任者であります。そしてまた、政府税調委員として江副氏を任命した任命権者も中曽根前総理であります。私は、あなたの責任のあり方、とり方につきましてはあなた御自身がみずから決せられてこそ潔したと思います。  きょうこのようなことをあなたこ申し上げなければならないことは、私は残念であります。少なくともきょうま証言を得て事実解明の場でありますので、あなたの政治責任を問う場ではないということを心得ながらも、あえて、最初のあなたの御所見を承りまして、余りにも国民意識と乖離し過ぎておる、このようなことで果たして国民の信頼を国会に呼び戻すことができるのかどうか、私は、与党、野党の問題ではなくて、日本の国会の問題として、議会制民主主義を言うならばこの場が一つの縮図でありますから、したがって、最初の中曽根前総理の御所見につきましては大変残念であるということを申し上げまして、終わりたいと思います。
  152. 大野明

    大野委員長 これにて坂井君の発言は終了いたしました。  次に、岡田正勝君。
  153. 岡田正勝

    岡田(正)委員 中曽根さんにお尋ねをいたします。  今、本日になって初めてこれだけの献金がありましたという表が出ました。今日まで我々はそれを全然知りませんでした。あなたが率いておられた他の閣僚の人たちの献金額はすべて出ておりました。不思議なことがあるものだなと思ったらきょう出てきたわけでありますが、これはにわかなことでございますので私は信じがたい。この献金は、きょう出た表以外にはリクルート関係者の関係では一切ないということをこの場で断言できますか。
  154. 中曽根康弘

    中曽根証人 上和田秘書の報告を申し上げたわけでございますが、上和田秘書はまことに誠実な人間でございまして、信用しております。これ以外にはないと私は思います。
  155. 岡田正勝

    岡田(正)委員 今のは証言となっておりますから、十分認識しておいてください。  さらに、パーティー券購入の収益は一切ありませんか。
  156. 中曽根康弘

    中曽根証人 パーティー券はございます。それは六十三年の四月ですか、いわゆる中曽根派政策科学研究所の日本の前途を語る会という、これは私の個人のあれではない方です、政治家としてではなくて、いわゆる派閥の方ですね。そちらの方は百枚、三百万円、これだけパーティー券を買っていただいた、そういう報告でございます。それ以外はありません。
  157. 岡田正勝

    岡田(正)委員 ただいまのも証言として受け取っておきます。  さて、次に未公開株のことについて本日資料の提出がありました。この未公開株のことについて私はきょうここですぐお答えはできないと思いますので、資料の提出を委員長お願いをいたしたいと思うのでありますが、竹下さんでさえ、竹下さんでさえ、この三点セットというものを用意されました。そして予算委員会理事の皆さんはそれをごらんになりました。あなたが同じことができないはずはない。したがって要求をするのでありますが、その二万九千株の株券を譲渡されたその趣旨は何であったのか。受け渡しの場所はどこであったのか。日時はどうであったのか。その相手はだれであったのか。そして売買約定書がありますか。そして購入代金の払込証明がありますか。そして売却したときの収益の入金証明書がありますか。そして、あなたは二月二十七日の記者会見のときに中元や歳暮等に使った、使い道に至るまで言及をしております。したがってその使途はどうであったか。これだけの五点セットをそろえて資料提出を要求をいたしたいと思います。委員長お願いします。本人はいかがですか。
  158. 大野明

    大野委員長 これは証人からお答えください。証人でお答えください。
  159. 中曽根康弘

    中曽根証人 趣旨やその他につきましては既にここで申し上げました。場所についても申し上げました。それ以外の内容等につきましては、これは相手方、秘書の仕事でもございますが、相手方の問題もありましょう、特に使途について。私は概括的に使途、その種類を聞いたわけでございますが、その相手方のプライバシーの問題もありますから、これは問題点もあると思います。そういう意味で、可能かどうか検討させていただきます。
  160. 岡田正勝

    岡田(正)委員 ぜひとも、検討するだけではなくて、現役の竹下内閣総理大臣ですら出しておることでありますから、私は少なくともその線までは出していただくように重ねて強く要望をいたします。そういうことが国民の疑惑にこたえる道なんです。私はこういう要求にはすっきりとした姿勢で応じていただきたいと要望しておきます。  時間が私には八分しか許されておりません。残りはもうあと四分しかありませんので手短に申し上げますが、稲葉先生の方からお尋ねがありました就職協定関係でありますが、これはもう既に御存じのように、藤波さんが在宅起訴に至りましたその原因は何か、一つしかありません。内閣官房長官としてその就職協定厳守の請託に応じた、そしてそれに対して相応の金品をいただいた、すなわち収賄をしたというのが起訴状の、これがもう一本だけであります。ということになりますと、そのことについて私はお尋ねをしたいのでありますが、中曽根さんは、余りにもあなたの行動はこの問題についてのみ限ってみても疑惑に満ち満ちておるのであります。  その一つだけの例を申し上げますならば、例えば五十九年四月十五日のあのゴルフ場における四者会談、中曽根さんとそして藤波官房長官と当時の森文部大臣と江副さんとがセットで会っておるのですね。まさに今度のこの事件の役者が勢ぞろいしておるのですよ。国民は皆そう見ていますよ。そして、一切そういう話はしていない、おれは知らぬ、ただ会って、やあやあと言っただけだということをおっしゃって逃げていらっしゃいますが、私はそれでは了解ができません。ほかにもあと何回かのあれがありますが、私は、あなたがその責任を逃れようとする姿、私は藤波さんが今どこかでこれを聞いていらっしゃると思いますが、本当に断腸の思いがしておるのではないかと思います。  なぜならば、申し上げますよ。あなたは総理府の長ですよ。総理府の長ですよ。ちゃんと法律に書いてある。そして、官房長官はその事務を監督するとなっている。その事務の監督をする、言うならば、言葉は悪いかわかりませんが、現場監督が事故を起こしたからといって、そこの作業現場の現場長である作業長がおれは知らぬということが世の中で通りますか。通らないですよ。これは例えが悪いけれども、その作業現場における作業所長が中曽根さん、現場監督が藤波さん。その作業場で事故が起きた、だれが責任をとるのか。当然現場監督もとらなきゃいかぬが作業所長がイの一番にとるべきでしょうが。その問題について、あなたはいわゆる総理府の長という立場に立ってこの問題にどう責任を感じておりますか。
  161. 中曽根康弘

    中曽根証人 非常に遺憾な、不祥な事態が起きましたから陳謝申し上げておるのでございます。しかし、いわゆる就職協定問題というものについて私は全く関知しておりません。これは先ほど申し上げましたように、対外関係であるとか行政改革であるとか、そういう問題に私は本当に真剣に熱中して取り組んでおったのでございまして、就職協定というところまで手を回すような余裕、精神的にも実際的にも全くないのです。ですからタッチしておりません。  また、政治家の行動というものはやはりおのおの独立でございまして、別に言いわけを申し上げている次第ではございませんけれども、ただいま申し上げたように関知してないし、タッチしてないのですから、その点だけははっきり申し上げたいと思うのであります。
  162. 岡田正勝

    岡田(正)委員 こういう言いわけをされたのでは、聞いておる国民というのは本当にげっそりすると思うのですよ。少なくともあなたは当時の内閣総理大臣です。先ほど稲葉さんの質疑応答の中でこういうことが出たじゃないですか。参議院委員会で質問した、答弁した、衆議院委員会で答弁をした、その答弁を大臣は聞いておったから、大臣は私の意中をおもんぱかってやったんでしょうというようなことを言っているでしょう。それほど内閣総理大臣というのは大変なものなのです。あなたは、ああそうか、わかった、よきにはからえ、これだけでいいんですよ。それだけで十分あなたの意思は通るのです。そのことを考えたら、私は責任を最後まで逃れるという姿は本当に醜いと思う。  この際、私は最後に申し上げます。  今から四十四年前ですね。四十四年前、終戦のときに、今は亡くなりましたあの昭和天皇が、あの大混乱のときに、我が日本の行く先ほどうなるか、戦犯の諸君はどうなるか、そういう大変な時期に、陛下はみずから足を運んで、連合軍司令官のマッカーサー元帥のところへ行きました。そして、そこで言ったことは何ということを言いましたか。私は大事なことですから書いてまいりましたが、すべての責任は私にあります、皆私の命令でやったことです、私はどうなってもいいからみんなを助けてやってもらいたいと申し出られたのです。命ごいに来たと誤解をしておりましたマッカーサー元帥は出迎えにも出ませんでしたけれども、その一言を聞いて物すごく感激をして、お帰りの際にはわざわざ見送りに出たというような有名な逸話が残っております。  あなたは、私の身はどうなってもという言葉をよう使うが、実際にはどうもなっておらぬじゃないですか。こんなことでは、言いわけばかりでやっておったんでは国民は納得できません。  私はこの際国民の声を代表して言いますが、すべての責任は私にある、私は本日ただいまここで議員を辞職する、政界から引退するというぐらいのことを言ってごらんなさい。いかがですか。
  163. 中曽根康弘

    中曽根証人 陛下のことは恐れ多いお言葉でございます。私は世俗的な政治の世界にある俗物でございますが、先ほど申し上げましたように、議員といたしまして風雪に耐えて微力を尽くしてまいりたいと思う次第であります。
  164. 岡田正勝

    岡田(正)委員 関連で楢崎議員が行います。
  165. 大野明

    大野委員長 この際、楢崎弥之助君から関連発言の申し出があります。岡田君の持ち時間の範囲囲内でこれを許します。楢崎弥之助君。
  166. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 時間が八分になったようでありますから、私は一括して質問をいたしますので、一括して御答弁なり御意見を承りたい。もしその時間が証人で足らなかったら、補足は文書で出していただきたい。  先ほど稲葉さんが六十一年十一月のNTT株の問題を提起されました。私は、二週間ほど前に、関係者が株を持っておりますからその委任状をもらってNTTの本社に参りました。株主の閲覧、つまり稲葉さんが出された六十一年十一月とは第一回放出分であります。そうしたら本人でなくてはだめだと言われました。そこで、私は株を持っている知人にお願いをいたしました。返事が来ました。第一回放出分、六十二年に焼却したというのです。そんなばかな話はない。二年もたってないのに、これは証拠隠滅ですよ。しかし、これはいずれ手がありますから、今調べておりますから保留をしておきますが、私は証人に申し上げておきます。六十年の九月十二日に、問題の高石さんが文部省初等中等教育局長のときに、江副さんを教育課程審議会委員になさった。このときの審議会の任務は、十年に一回見直すカリキュラムの問題だった。それで、ことしの二月にその答申が出ました。ことしの二月です。これは小学校の部です。小学校学習指導要領、私は難しいことを聞こうとは思いません。この学習指導要領の一年生と二年生、小学生です。うそついたりごまかさないこと、小学校三年、四年の道徳教育、過ちは素直に改めること、約束を守ること。だからそういうことで御答弁をいただきたい。私は、小学校の道徳基準で御答弁いただきたいと思います。(発言する者あり)
  167. 大野明

    大野委員長 御静粛に願います。
  168. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 先ほど稲葉さんが問題にされましたですね。二月二十七日にあなたは、スパコンの問題について新聞をこうしながら、さも証拠があるようにした。あれは世間ではごまかすというのですよ。それで私は、あなたがいかにごまかされたか。やがてスパコンに移りますけれども、一番あなたがうそをつかれたのは三年前の衆参両院選挙のときですよ。あなたは国民の反対する大型間接税はとらないと公約をして三百という議席をとった。そうしたら、とった途端にあなたは公約を破って売上税、名前が変わって消費税でしょう。これが一番約束を守らなかったことですよ。  それから、昭和五十九年三月の二十八日、参議院予算委員会、ここは問題の、あなたが国公有地の払い下げをやった。それでその第一番が、聞いておってください、やがて関係してきますから。それで、問題の新宿の西戸山の問題です。これを共産党の安武さんが質問した。一億何がしかしかない東京興産、その社長はあなたの山王経済研究会の幹部どころですけれども、この人がやっている東京興産、ほかのところは全部大手なのに、そこをわざわざ入れて、それを質問されて、野島という人をあなた知っていますかと聞かれて、あなたは何と答えたか。野島さんはよう知っている、この人は東大を出てデベロッパーをやっておる、非常に見識のある、権威のある方だ。これはうそでしょう。うそでしょう、これは。この方は東京医科歯科大学の中退なんですよ。東大出じゃないんだ。取り消すなら議事録を訂正しなさいよ。そして、この人は過去三回逮捕歴があるんですよ。そのうちの一つは学歴詐称。教授と名乗って詐欺をやっている、詐欺を。こんなことを平気でやる方です。それで、私は本当ならこの野島さんの経歴は本当ですかと聞くところですけれどもね。  それからさっきのスパコンの問題。スパコンの問題ですけれども……(発言する者あり)
  169. 大野明

    大野委員長 御静粛に願います。
  170. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 あなたは六十年の一月二日に日米会談でMOSS協議に関連して、あなたさっき言ったでしょう、答弁の中で。自分でチェックすると言ったでしょうが。それが六十年一月二日ですよ。ところがそれ以降のやつはあなた全部チェックしているはずだ、それだったら。そしたらリクルートに転売されたスパコンのことも全部あなたは知っておらなくちゃいかぬ、チェックして。それから六十年十月二十五日、訂正した方がいいですよ、これは文句あるけれども。その中であなた、日産自動車のことを言っているのですよ。これは二台目のことをあなたは触れているが、日産の。これは三年後に契約しておる分ですよ。どうしてそれを三年前にあなたは知っているのですか。都合のいいところは何年前も知っておって、たった六十二年五月一日のその四台目か三台目のときに、我々は四台目と言っている、たった一月後に契約する分をあなたは全然知らないと言うのだ。こんなことは通りませんよ、私はそう思います。  それで、御答弁したいことがあったらしていただきますけれども、とにかくまだ言いたいことは山ほどあったけれども、それじゃもう一つ聞いておきます。  ピクセスインターナショナルという会社を知っていますか。これは山王経済が入っているアパートがあるんだ。これは問題の太田さん、それから山王経済を預かっておる、あなたがよく言う松久の神谷さん、これが入っているのですよ。何をやるか。コンピューターの問題をやるんだ、この会社は。企画もやるし、いいですか、コンサルタントもやる。あなたは情報を知っているんだ。知っているはずですよ。もし知ってなかったら、このピクセスインターナショナルという会社は何にもなりませんよ。これもあなたは知っていらっしゃるかどうか、お答えをいただきたい。
  171. 中曽根康弘

    中曽根証人 非常に多岐にわたる御質問で、どこが論点だかよくわからないのは残念でございますが、一月のロサンゼルス会談のときに、私がチェックすると言ってそれはやりましたが、一月の会談ではスーパーコンピューターというものは特には出ていないのです。しかし、資材購入、通信機材の資材購入をふやす、そういうことは出ておりまして、それを私はチェックする、そう言って努力をしたのです。何とかインターナショナルというのはまるきり知りません。
  172. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 これで終わりますが、今の答弁にはうそがありますから、言っておきます。
  173. 大野明

    大野委員長 これにて岡田君、楢崎君の発言は終了いたしました。  次に、正森成二君。
  174. 正森成二

    ○正森委員 証人に伺いたいと思います。  今、二月二十七日のインタビューで二つ訂正する点があると言われました。そのうちの一つ筑比地分についてこう言っておられます。筑比地の分は、上和田が三千株ということであるので、筑比地分も三千株は残しておいて、残りのものについて上和田と相談して、そして今言ったことに使ったと、そういうことで残金が後で調べましてわかりました、こう言っておられます。証言ですから多少わかりにくいのですけれども、残って、まだ金が残っておるというのは、筑比地さんの二万三千株のうちの三千株の分ですか、それとも二万株の分のうちの幾らかですか。どちらです。
  175. 中曽根康弘

    中曽根証人 それは三千株の分です。
  176. 正森成二

    ○正森委員 そうすると、ますますおかしくなつてくるんじゃないですか。世上でも言われておりますように、二万九千株というのは政治家の中で一番多い。三千株は秘書に自由にしてもいいということで配って、残る何万株というのは政治家に配られたと言っている。自由にするなら三千株の方を使いそうなものなのに、その三千株は貯金しておいて二万株の方を使ったなんというのは、あなたの説明に合わないんじゃないですか。  そこで伺いますが、あなたは二月二十七日のインタビューで、上和田筑比地両名は、分担していた仕事について、盆暮れのごあいさつ、慶弔費用、会合費用、おつき合いの費用に使った、こう言っておられます。また、総理大臣になったときに砂防会館に上和田を呼んで、選挙区、会計経理というのはおまえに全部任す、こう言われております。一体だれの選挙区、会計経理を任せるんですか。また、ここで言うその分担していた仕事というのはだれの仕事を分担したのですか。中曽根さんの仕事を分担する以外にないんじゃないですか。
  177. 中曽根康弘

    中曽根証人 それは上和田あるいは筑比地が秘書として分担している、また自分たちの独自の生活圏もございましょう。それから先ほど申し上げましたように、筑比地の分につきましては、非常に利益が、思いがけない利益が上がったというので驚いたようでして、それで今申し上げた、使った分というのは四千三百万ぐらいになりますか、それは二人でめいめい使った、そういう報告でございます。
  178. 正森成二

    ○正森委員 今御説明がありましたが、秘書としての仕事がありますからなというのは、中曽根氏の秘書をしているんですから、結局その分担した仕事、秘書の仕事というのは中曽根氏の仕事であるということになれば、そのために使ったのなら、中曽根氏、あなたの政治資金として使ったということは明白じゃないですか。二月二十七日のインタビューでは、それに全部使ったと言っておられました。ところが、別の週刊誌などで筑比地氏が貯金しているというのが出たので、それとつじつまを合わせるように言われたのですが、結局二月二十七日に考え考えて言われたことは、結局あのお金は中曽根氏に向けられたもので秘書もよく知っているので、中曽根氏の政治資金として中曽根氏の盆暮れの費用だとかつき合いだとか会合の費用に使った、それ以外の何物でもないんじゃないですか。重ねて伺います。
  179. 中曽根康弘

    中曽根証人 これは両名ともに臨時に思いがけない株式の利益を得たものですから、それは自分たちめいめい使おう、そういうことで、自分たちつき合い範囲内においていろいろ世話になった方やそのほかについでつき合いとして使った、こういうことで彼らは認識もし、私にもそういう報告があったわけなんです。
  180. 正森成二

    ○正森委員 あなたは株の取引を経済行為経済行為だと言われますが、経済行為ではないということで労働省文部省NTT、そしてあなたの腹心であった官房長官藤波さんも刑事事件になつたのではないのですか。それを経済行為であるというように一方的に言ってしまうということは、なおそれが職務権限その他で問題がなかったかどうかということを検討してみる必要があると思うのです。  あなたについて申し上げますと、あなたは殖産住宅事件というのがございましたね。十二年前に私もあなたに質問いたしました。私は、あの後で東郷民安氏に直接会って当時の事情を詳しく聞きました。それについては雑誌等にも載っておりますし、単行本も出ております。東郷氏はこう言っているのです。昭和四十七年の三月九日は「一條」で、三月二十二日には「のぶ中川」で、あなた自身から特別に頼まれて、総裁選には二十五億ぐらい要るんだから何とかそのうちの一部でもいいからつくってほしい、ともかく株式を公開するときには大きな金がもうかるというし、政治家というのはみんなそういう金をつくるんだから何とか協力してくれ、こう言った。  それに対して野村証券と東郷さんは相談して、野村証券から中曽根さんに割り当てる百万株について、殖産住宅の関連会社二十社ぐらい選んで、まずそれに割り当てて中曽根君の方に売買益が行くようにするから、こう言ってお金をつくった。十三億余りつくったが、税金の関係があるので確実な五億円ができたということをあなたのところへわざわざ報告に行った。そうしたら、今お金は要らぬから、総裁選が済んだから、おまえ預かっておいてくれと言うから、冗談を言うな、おれが預かれないと言うたら、上和田名義で預金をしてくれとあなたの方が言った。しかし、そんなことは自分からできない、あなたが自分でいろいろ段取りをしろ、こう言ったら、上和田氏が陽という秘書室長のところへ印鑑を持って五億円の預金口座をつくったということを言っております。  これで見ると、株の上場を利用してつくるというのも、秘書名義で預金をするというのも、今度のリクルート事件じゃなしに十何年前からあなたが元祖でやっているじゃないですか。そしてそのことで東郷氏は、いいですか、脱税王ということで被告になっているのですよ。今度新しい本が出たら中曽根氏のことも遠慮なく書く、こういうように言っておられるようですが、こういうところから見ると、上和田がやった経済行為だ、筑比地がやった経済行為だということを、国民のだれが信用すると思いますか。そして筑比地氏だけがなぜ二万三千株という大きな株数を譲渡されているのですか。それらについて納得のいく説明をしてください。
  181. 中曽根康弘

    中曽根証人 東郷君の言ったことは必ずしも全部正しいとは限らないと思います。  それで、筑比地の分につきましては、これは先方の御意思によることで、それがどういうことであるか、こちらでは推測ができないのであります。
  182. 正森成二

    ○正森委員 推測はできないと言われますが、スーパーコンピューターの問題について伺います。  スーパーコンピューターの問題について、三台目か四台目かであるということでいろいろ議論がございました。  昭和六十年の十月二十五日にもあなたはニューヨークで記者会見をしておられます。それについて、既にNTTが二台購入したがもう一台購入するという話をされて、その後、最近記者会見をして、あの二台というのは一台の誤りであった、こういうように言われました。そうだとすると、NTTが買った二台目というのは、あなたの六十年の十月二十五日の証言はそういうことなんですが、まさにリクルートNTTを通じて買ってもらう一台目なんですね。そしてそれは、六十年の九月に江副氏が真藤氏とトップ会談をやってNTTを通じて買うてもらうということが決まったということはその後広く知られているところです。あなたはその情報を得た上で十月二十五日に記者会見をされたのじゃないのですか。
  183. 中曽根康弘

    中曽根証人 江副さんと真藤さんがどういう交渉、関係を持ったか、あるいはNTTリクルートがどういう交渉、関係を持ったか、全く知りません。私は、先ほど申し上げましたように、九月の時点でございましたか新聞等で知っておって、それでそれを一台として言った。しかし、先ほど申し上げましたように、二台買ったというのは私の記憶違いでございまして、それは修正したわけなのでございます。
  184. 正森成二

    ○正森委員 今の説明ですが、今度は六十二年の五月一日のことを伺いますが、あなたはレーガン大統領とは何遍も会うている、あの人は大まかな人でこういう細かいことは知らない、だからアメリカにとっていいことは聞かしてあげようと思って三月の新聞に載っていることを言ったと言われましたが、我々が調べたところでは、レーガン・中曽根会談はレーガン氏と中曽根氏二人で行われたんじゃないのですよ。双方随員がいて、アメリカ側からはマンスフィールド駐日大使も列席しているのですよ。外務省が言っておりますように、双方の大使館はその日のうちに相手国の新聞の政治経済情勢などは即時に翻訳して、日本なら外務省、アメリカなら国務省に送るのです。そういうことをやっているのに、しかも四月にアメリカ上院議員等が二回にわたって手紙を出し、その中にはクレイ社のある選挙区から出ている議員がいるのですよ。デュレンバーガーというのが。それが四月十五日に手紙を出しておる。三月に契約ができたことなんかは百も承知です。マンスフィールドがおる、そういうところに三日おくれの古新聞ならともかく、一カ月以上おくれの新聞を出して、それで首脳会談が勤まりますか。明らかに既に四月には追加購入することに決まっていたリクルートの四台目を念頭に置いてあなたが言われたということを皆思うのは当然じゃないですか。そして四台目だったとしてもちっとも不都合なことはないじゃないですか。あなたが一生懸命国のためを思ってさらに買うというならいいことじゃないですか。それをあくまで三台目だと言うのは、このことについてリクルート真藤から請託を受けておる、株をもらっておる、だからこそそれを否定しなければならないのじゃないですか。
  185. 中曽根康弘

    中曽根証人 先ほど申し上げましたように、請託を受けたということは全くないのです。  それからまた、先ほど申し上げましたように、三月の時点で新聞に出ておったことが頭にあり、そして日本に有利なことはレーガンさんに伝えよう、そう思ってやったと前から申し上げているとおりなんです。レーガン大統領は、これは私は長い間のつき合いで、大まかなことは知っているけれども実際そういう細かいことは知らないのです。ともかく米ソ関係とか中東問題とかあるいは国際的な債務国の問題とか南米の問題とか、そういう大きなことについて頭がいっぱいで、そのコンピューターをどうするかこうするか、そんなところまでは全然知りません。それは私は何回もつき合ってよく知っていることなのです。
  186. 正森成二

    ○正森委員 突然議題になったことならそういうこともあるでしょうが、六十二年五月一日の首脳会談はまさに経済摩擦が主要な議題になって行われ、スーパーコンピューターの件はレーガン大統領の方から言い出しているのですよ。そのときに、アメリカの国務省やあるいは貿易代表が三月に決まったことについてレーガン大統領の耳に入れていないということになれば、アメリカは外交上失格だと言わなければなりません。そういう失礼なことを前提にして、あなたが三台目に固執するというようなことは考えられないと思います。  ここに去年の三月四日のあなたがよく引用される日経新聞があります。この日経新聞は、三月ですから、リクルート事件の発覚前書かれているのです。どう書いているかと言えば、「江副リクルート会長と親しい中曽根氏が同社へ引き渡すことを条件に、NTTに購入を依頼したといわれている。中曽根氏側近は「リクルートは以前から導入を計画していたので、米国から入れてもらえばありがたいという話をした」」こう書いてあります。これはリクルート事件が起こって各社が競争で調べて書いているんじゃないのですよ。煙もないときにこういうぐあいに書かれているのです。我々は念のために最近これを書いた記者にこれの信憑性について問い合わせましたが、絶対に信頼してもらって結構だと言っています。そうじゃないですか。こういうことだから、あなたは四台目じゃなしに三台目だ、こう言って自分を守らなければならないんじゃないのですか。
  187. 中曽根康弘

    中曽根証人 その新聞記事は間違いです。そういう事実は絶対ありません。私が事前にリクルートに転売するとか、リクルートのために買うとか、そういうコンピューターに関する問題は一切知らないのであります。これははっきり申し上げます。
  188. 正森成二

    ○正森委員 六十年の三月二日に江副氏が首相官邸に行きましたが、この記事を見ますと、十一時から約一時間二人きりでお話をしたことになっておりますが、同じ新聞の総理の「動静」を見ますと、三十分前の十時三十分に中村靖さん、これは中曽根派の文教族で有名な方であります。その方が行っておられます。おられますか。つまり中村氏が行って、就職協定のことを言いますよと粗ごなしをして、それから江副氏が行ったんじゃないですか。ですから、同じ日のころに請託藤波官房長官にもされたということじゃないのですか。
  189. 中曽根康弘

    中曽根証人 就職協定の話なんぞは毛頭しておりません。
  190. 正森成二

    ○正森委員 あなたは政府税調任命について、大蔵省からリストが上がってきて、官房が専決処分として決めるということを言いましたが、衆議院予算委員会、参議院予算委員会で水野勝主税局長は、大蔵省から具体的には推薦しなかった、官房から整理されておりてきたもので手続をした、こういうぐあいに明白に言っております。あなたが大蔵省が決めたように言われるのは、大蔵省自身の言明とも明白に反するのじゃないですか、あなたが暴れ馬を入れろということで、江副氏を入れろということを官房長官に言ったからあるいは指示したから、藤波官房長官自分の判で江副氏を政府税調任命したんじゃないんですか。
  191. 中曽根康弘

    中曽根証人 藤波官房長官江副氏を入れろとか特に推薦しろとかそういうことを言った覚えはない、それは先ほど来申し上げているとおりであります。
  192. 正森成二

    ○正森委員 しかし、あなたは任命された後で、いや、いい顔ぶれがそろった、生きのいい暴れ馬できっと活動してくれるだろうと言っているじゃないですか。  それじゃ、最後に一言だけ聞きます。  「したたかといわれて久し栗をむく」というのはだれの俳句ですか。
  193. 中曽根康弘

    中曽根証人 それは私の拙句であります。
  194. 正森成二

    ○正森委員 一方、「控え目に生くる幸せ根深汁」というのは藤波官房長官の俳句です。この件は中曽根内閣時代の構造的な問題について起こったものです。控え目な根深汁が結局したたかな栗に犠牲を押しつけられたというのが本件の真相じゃないんですか。
  195. 中曽根康弘

    中曽根証人 俳句とリクルート事件関係ありません。
  196. 正森成二

    ○正森委員 終わります。
  197. 大野明

    大野委員長 これにて正森君の発言は終了いたしました。  以上をもちまして、中曽根証人に対する尋問は終了いたしました。  御苦労さまでございました。御退席くださって結構でございます。  本日は、これにて散会いたします。     午後三時四十二分散会