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1988-10-26 第113回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十三年十月二十六日(水曜日)    午前十時三十分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         長田 裕二君     理 事                 岩本 政光君                 大塚清次郎君                 斎藤栄三郎君                 山口 哲夫君                 高木健太郎君                 近藤 忠孝君     委 員                 井上 吉夫君                 大島 友治君                 倉田 寛之君                 斎藤 文夫君                 高橋 清孝君                 寺内 弘子君                 中曽根弘文君                 二木 秀夫君                 水谷  力君                 向山 一人君                 矢野俊比古君                 吉川 芳男君                 糸久八重子君                 村沢  牧君                 山本 正和君                 刈田 貞子君                 吉川 春子君                 平野  清君    事務局側        第二特別調査室        長        菊池  守君    参考人        ファッション・      デザイナー エマニュエル・ムノス君            (通訳 計良 道子君)        日本女子大学教        授       一番ケ瀬康子君        日本余暇学会理        事        瀬沼 克彰君        長岡市教育長   丸山  博君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○委員派遣承認要求に関する件 ○国民生活に関する調査  (労働余暇に関する件)     ─────────────
  2. 長田裕二

    会長長田裕二君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。  最初に、委員派遣承認要求に関する件についてお諮りいたします。  国民生活の動向及び労働余暇現状等についての実情調査のため、委員派遣を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 長田裕二

    会長長田裕二君) 御異議ないと認めます。  つきましては、派遣委員派遣地派遣期間等の決定は、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 長田裕二

    会長長田裕二君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  5. 長田裕二

    会長長田裕二君) 国民生活に関する調査を議題とし、労働余暇について参考人から意見を聴取いたします。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり四名の方々に御出席をいただき、順次御意見を承ることとなっております。  この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございました。  本日は、労働余暇について忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に三十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。  なお、本日の通訳計良道子さんにお願いしております。  それでは、ムノス参考人にお願いいたします。
  6. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) おはようございます。  私がこれからお話し申し上げますけれども、多少皆様の気持ちを害することがあるかもしれません。私の日本に関する批判がかなりきついものであるかもしれません。しかしながら、これは私がこれから説明しようとしますことをよく理解していただくためのことです。ですから、これから私がお話し申し上げることが余りにも直接的であり過ぎましてもどうぞお許しください。  まず第一番に、日本人余暇とか自由時間を過ごす場合のあり方についてですが、それについては私が日本人をどのように見ているかということを、ちょっと厳しいのですが申し上げる必要があると思います。  外国人の目から見た日本人の姿というものは、長い時間労働する国民というふうに映っております。朝早くから働き始めて夜遅くまで仕事をするとよく言われますが、しかしそれは真実ではありません。確かに日本人職場に長い時間いますが、実際にその間仕事に集中しているかといいますとそれはかなり疑問です。かなり時間をむだに過ごして、仕事の仕方もかなり遅いと思います。  一般に会社社長というのは、従業員が長い時間職場にいることを望んでいます。しかしながら、ヨーロッパ人としては、従業員最高六時間職場にいて集中することを望みます。その六時間後に外に出て自分のためのいろいろな知識、情報を身につけるということを望んでいます。ヨーロッパでは、従業員が敏速にそして効率よく働くことを望んでいます。ですから、必ずしも職場に長くいるから効率よく働いているということではないわけです。  一般的に日本人は、自分存在理由とか、どのように行動したらいいかということをよく教育されていないように思います。子供教育の仕方を見ていますと、よく驚くことがあります。子供たちはただ親の言うことに従うだけというふうに育てられているように思います。日本教育というのは、ただこれをしなさい、あれをしなさいというだけで、自分のイニシアチブというものを尊重していないように思います。例えば、夏の市民プールなどの例をとってみますと、子供に何時になったら上がりなさい、何時になったら入ってもいいとかうるさくいろいろ注意しますが、こういうような例はフランスでは見られません。  日本人は、かなり小さいときから、すぐだれかに相談するというふうにしつけられています。ですから、すぐ相談するという癖がついていますので、自分自身で決定するということができません。相談してそれを認めてもらって安心するというような状況だと思います。ヨーロッパ人の目から見ると、日本人は、例えばロボットのようにプログラミングされたもの以外は行動できないというふうに映っています。ヨーロッパ人の目には、日本人は朝早く起きて職場に行って、夜遅くまで働いて、それでうちに帰って夜遅く休むというふ うに映っていますが、このような生活というのはヨーロッパ人には受け身姿勢に映ります。  しかしながら、最近はその傾向も少し変わってきました。特に、若い企業家たち自分たちの力を十分発揮して、それで財政状態もかなりいい状態自分たちの力を発揮しているように思います。しかしながら、問題なのは、その若い企業家たちが、即座に、短期間にたくさんお金をつくり出すということにはたけていますが、その使い方本当価値というものを知らないということだと思います。  ちょっと説明するのが難しいんですが、日本人はやはりまだ心の状態が貧しいのではないかと思います。日本語でぜいたくという言葉がありますが、ヨーロッパ人にとってのぜいたくというのはちょっと意味が違います。日本人にとって必要なものというのは、私にすればかなり質素なものだと思います。  それから、日本フランスの違いをあえて挙げるならば、日本の場合は地理的にまず困難な状態に置かれているということがあると思います。フランスの場合はいろいろ地理的な条件に恵まれていますので、果物や野菜など豊富にありますし、それから牧畜も盛んですから、もう既にその初めの段階で恵まれていたと言えるかもしれません。フランスでぜいたくというのは、何でもただ買えばいいというものでもないし、高いものを買えばいいというようなものでもありません。  日本人の最近の傾向としては、消費の仕方を知らないで、ただ買えばいいというような傾向があります。例えばロールスロイスをすぐ買ってみたりとかというようなことがあります。フランスの場合ですと、例えばロールスロイスを買う場合は、それに見合った駐車場、家、それからライフスタイル、そういうものがすべてそろっていて初めてロールスロイスを買うわけであって、それが一つロマンなわけです。  それから、もう一つ問題だと思われますのは、国際的に見てですが、かなり多くの日本人が絵画を購入していることが挙げられます。フランス人の目から見ますと、その場合の購入の価格は非常に、とてつもない価格のように思われます。  ほかには、例としては、デザイン会社ファッション会社というんですか、そういうのも買収しますが、名前を買うだけで、それをどのように有効に利用していったらいいかということがわかっていません。このようなやり方で、日本人は国際的に周囲から敬われなくなっています。  フランス人の場合は、例えば海沿いに家を借りる場合に、提示された家とか価格というのをすぐ受け入れません。日本人は、八月に例えばバカンス夏休みに出かける場合には簡単に倍の額を出してしまうそうです。そのシーズン中はサービスが悪いわけですが、そういうものも簡単に受け入れてしまいます。そのシーズン中の価格の高さとかサービスの悪さというものを日本人もわかっているのですが、それに対する文句なり批判なりは直接表に出しません。受けているサービスに対してちゃんとした額を支払っているわけですから、それに対する批判というものを明確に出すべきです。気に入らないものは、はっきりと拒絶するという姿勢もです。ですから、個人的な次元で、段階で、何が自分にとって必要かということをよく知る必要があると思います。  あと、日本人は例えば週末などに一斉に同じところに出かけていったりします。こういうような傾向というのはフランス人考え方と全く対立するものです。フランス人群集、人の多いところを避ける傾向があります。これは性格といいますか、国民性の違いでもあると思います。  それから夏休みバカンスに対する考え方もちょっと違います。日本人の場合はバカンスをとる一カ月前からかなりハードな仕事をし始めます。ほんの短い夏休みの前にハードワークがあるわけですから、それでもう疲れ切ってしまうわけです。そして、夏休み最初の第一日目には早く起きて、空港に着いて混雑の中に入っていかなければいけません。空港で待っていますが、いろいろ飛行機のおくれとかそういうこともあるわけです。フラストレーションもたまって健康によくないわけです。ですから、ヨーロッパ人の目には日本人バカンスあり方というのはちょっと笑わせられますし、泣かせられるといいますか、そういうようなものです。  ヨーロッパ人たちにとっては、バカンスというものはまず第一にリラックスするためのものです。リラックスして、よいサービスを受けて、おいしいものを食べてというのがバカンスです。  それから雰囲気の問題というのもあります。例えばヨットの例を挙げてみます。私もヨットでかなり遊ぶのですけれども、そのヨットで遊ぶ日に、まず朝早く起きて電車に乗って、電車からヨットハーバーまでタクシーに乗るわけですが、その間にちょっとしたお店で紙コップとか紙のお皿に入ったサンドイッチとかを買うわけです。ところが、フランスの場合は、ヨットに行くに当たっても、雰囲気とかロマンとかスタイルとか、そういうものを尊重します。ですから、例えば食べ物でしたら心を込めて家で準備する。コップ類にしても紙コップではなくて、本当のガラスのコップを持っていってシャンパンやワインをあけるというのが普通です。  それから、日本人の場合は、バカンス夏休みをとる場合にいつも心配していることというのが、時間におくれないようにするということを常に気にしているように思います。ですが、こういうバカンスあり方というのは、日本フランスを問わず、その個人考え方個人生活スタイルあり方によって違ってくるものだと思います。フランス人の場合は、生活というもの、人生最高限度に利用しようというそういう意図があるように思います。  フランス人は現在を生きています。ですが、日本人の場合はあすを生きているように思います。日本人は、あすというのはきょうよりいいものだというふうに考えていると思います。  よく言われることですが、日本人は町を歩くときでも悲しそうな様子をして歩いていることが多いといいます。ところがフランスでは、寒い十一月とか十二月であってもテラスに座ったりベンチに腰かけたりして、太陽の光を十分に浴びて楽しもうという姿勢がいつもあります。これは何も東京でよい自然環境がないからだというわけではないと思います。東京にはたくさんのすばらしい公園があると思います。  私は若い仲間たち一緒に働いていますが、ここ三年というもの、彼らが例えば家でサンドイッチをつくって近くの代々木公園に出かけてお昼を楽しもうというそういうような姿を見たことは一度もありません。お昼になると、煙のこもったうるさいレストランにこもる方を好んで、外に出て楽しもうとはしません。日本人のやっていることというのは、夜遅くまで働いて、それからちょっと一杯飲みに出かけて、うちに夜遅く帰るという図式だと思います。  フランスでは、夜の過ごし方というのはちょっと違うと思います。フランスでは、五時か六時にはもう仕事をやめて家に帰って、それで着がえをします。例えば奥さんや友達を連れて外に出たり、それから仲間たちと映画を見に行ったりということがよくあります。また、友達と観劇に行ったりビデオを見たりということをします。フランスでは、夜というのは大人世界、時間です。  私は十二年間日本に住んでおりますが、大人の行けるような雰囲気場所というものが日本にはありません。すべてがもう二十の若者向けです。フランス式のバー、喫茶店のようなものでちょっとカクテルを飲めるような気持ちのいい場所というのがありません。しかしながら、東京国際都市になったわけですから、大人も楽しめる場所というものがあってもいいと思います。  それから、もう一つ言えることは、日本人は同じ会社仲間同士で固まっていることが多いと思います。ですから、ほかの会社人たちとの交流、文化的な交流情報交換、そういうようなものがありません。テレビから得られる情報より も、個人ベースでの情報交換というものが大事だと思います。といいますのは、個人ベースでの情報というのはさらに創造性というものをつくるからだと思います。  日本では、現在テレビから流れる情報のマスメディアの問題がかなり深刻化していると思います。例えば、どのチャンネルを回してみても温泉番組温泉についての番組が流れていたりとかということがあります。それを見て人々はすぐに同じ温泉へと押しかけます。例えばホビー趣味などについてもそうなのですが、趣味といいますと教え切れないほどあると思うのですが、テレビを通して受けた情報に従って、その枠でしかホビー趣味を発展させることができないということもあります。テレビから得た情報というのには全然オリジナリティーがありませんし、見ている側も大して反応らしい反応もしません。ですから、そのような受け身姿勢ではなくて、視聴者というものもそれに対して不満とか批判とかを向けていかなければいけないと思います。  私の考えでは、日本人というのはもう少し動いてほかのグループの中に入っていくということをしなければいけないと思います。もっと情報をたくさん得て選択の幅もいろいろ広げるべきだと思います。個人ベース自分は何をしたいか、何を望んでいるのか、そういうことを知ることは大事だと思います。ですから、物、事、場合によってはノーと言えることが必要だと思います。結局は生き方を知るということだと思います。私たちの生命、人生というのは長さも限られていますから、最高限度に働くことももちろん大事ですが、余暇をうまく過ごしていくということも同時に非常に重要になると思います。  フランス人はちょっと違った考え方を持っています。例えば町で行き会った人たち同士でちょっとほほ笑みかけるとか、そういうようなほほ笑みの投げかけ方というものをフランス人は知っていると思います。音楽の鑑賞の仕方についてもですが、音楽を聞きながらすぐ頭の中で旅をしてみるとか、そういうことも知っていると思います。人生というのはすばらしいロマン一つであると思いますし、余暇というのもその一部となっていると思います。余暇人生に恋していると言えると思います。自分自身を愛するということは、幸せになることを知っているということだと思います。これが余暇あり方の基本となることだと思います。  また、職場人々とよい関係を保つということも重要なことだと思います。といいますのは、リラックスしていい気持ちでいるということが一番最高効率を上げる条件であるからです。  最後になりますが、これは非常に私にとっては重要なことですが、ヨーロッパの人やアメリカ人のような行動の仕方をするというのはやめていただきたいということです。彼らがどのように反応するかということを知るということは重要ですが、しかし日本人日本人としてとどまっているべきだと思います。日本はすばらしい文化、文明を持っているのですから、日本人として誇るべきだと思います。日本人であるということに誇りを持つべきだと思います。ですから、余暇あり方というのは、ヨーロッパ人のまねをするということではなくて、日本人なりの独特の余暇あり方を探すということだと思います。ぜいたくについてのコンセプト、考え方も全くフランス人とは違うものですから。  これで私の発表を終わらせていただきます。(拍手)
  7. 長田裕二

    会長長田裕二君) 有意義な御意見をありがとうございました。  以上でムノス参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言願います。
  8. 山口哲夫

    山口哲夫君 大変率直な御意見をお聞かせいただきましてありがとうございました。  ムノスさん、今会社社長さんをやっていらっしゃるそうですね。それで、日本人の働き方についていろいろと御批判がありました。例えば余り集中して働いていないとか、ただ長い時間職場にいるとか、そんなような御批判もありましたけれども、幾人かの従業員を使っていらっしゃると思うんですが、社長さんとしてそういった従業員に対する教育をどういうふうにされていらっしゃるのか、まずその辺をお伺いしたいと思います。
  9. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 私のところの従業員は六時間きっちりしか、しかといいますか、六時間きっちり職場にいまして、それ以上いることも私は望みません。しかしながら、その六時間の間完全に集中して休みなく働くことを欲しています。また、従業員に対しては土曜日、日曜日の休暇はもちろん、それから私自身休暇、夏のバカンスをとるときは従業員たちにもとらせるようにしています。  それから、従業員たち職場から出て外で情報を常に得るようにさせています。この三年間というもの、どの従業員も一日として休暇をとったことは、例えば病気で休暇をとるということはありませんでした。
  10. 山口哲夫

    山口哲夫君 そういった従業員の働き方というのはあなたの教育によって変わってきたものでしょうか。もしそうだとすれば、日本人の働き方に対する御批判というのは、日本管理体制の方にむしろ問題があるんだと、そういうふうにお考えでしょうか。
  11. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) それは管理の問題といいますよりも、システム面といいますか、休暇あり方というものは法律で決められていますし、休暇をとる権利というものもあるわけですが、現実には日本労働者というのは休暇を全部こなしていないという状況があるわけです。ですから、これは管理とかシステムの問題というよりも、教育考え方の問題と言えるかもしれません。  実際には働いている人たち休暇を全部消化してとりたいと思っていると思うのですが、やはり周囲状況考えるととれないというような状況があると思います。
  12. 山口哲夫

    山口哲夫君 日本人フランス人の違いについて、例えば働き方の問題だとか、それから昼休み時間の使い方の問題だとか、あるいは夜の楽しみ方の問題だとかいろいろと例示をされて述べられておりますけれども、この違いというのは一体どういうところからきているというふうにお感じでしょうか。  例えば、レジャーに対する日本人考え方価値観というか、全くそういうものの違いなのか、あるいは日本というのは非常に物価が高いですよね、そういう面からくる貧しさなのか、あるいは商業政策の面にもあるのか、率直にその辺の違いの原因というものを幾つかお考えを述べていただきたいなと思うんです。
  13. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) その違いというのは、最後に指摘されました商業政策からくるものではないかと思います。といいますのは、すべてがビジネスを発展さしていかなければいけない、そういう方向に向けられて、ちょっと立ちどまってみるということを忘れているからだと思います。  それからまた、二番目の原因としては価値観の違いというものも挙げられるかもしれません。
  14. 山口哲夫

    山口哲夫君 日本人レジャーを楽しむときに、よく混雑したところにみんな出かけていく、群集というか、そういう中でレジャーを楽しんでいる、そういう御批判がありましたですね。あるいは交通機関の時間がかかり過ぎるという問題とかいろんな御批判があったんですけれども、どうも必ずしも日本人はそういうことを好んでやっているんでなくして、例えばヨーロッパの場合と日本の場合とはまず広さの違いがありますよね、国土の違いが。日本というのは非常に狭い。しかし、フランス人というのは別にフランス国内だけに限られているわけでなくして、ヨーロッパ全体どこでも行けるわけですね。そういう面から見たら、日本と比べたら相当広い面積を持っている。 したがって、レジャーを過ごす場所も非常に豊富にあると思うんですね。そういう国土の違い、そんなところから今御批判があったようなことが出ているんでないだろうか。  例えば、私個人考えても、やっぱりなるべく人のいないようなところで静かに休暇を過ごしたいという気持ちがあるけれども、なかなかそういうところというのはないですよね。そして、人の行かないときに行こうとすればそれは大抵仕事のあるときですよね。ですから、どうしてもやっぱり週休二日制なんかになったときに、土曜、日曜をレジャーで楽しもうと思えば、みんなその時間に集中してしまうというそういうことが私は原因としてあるんでないだろうかな、そんなふうにも思うんですけれども、どうでしょうか。
  15. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 先ほど地理的な空間の問題に触れられましたが、それは問題でないと思います。といいますのは、イギリスの例を見てみればわかると思います。イギリス国土は狭いですが、彼らは余暇あり方というものをよく心得ています。ですから、問題は考え方の違いだと思います。  日本人は、国土は狭いですが経済的な手段というものは世界で今一番で、経済的手段というものは恵まれているわけですから、日本から外に出るということは十分可能なわけです。ですから、考え方の違いで、日本人は単に常にいつもだれかと、同じメンバーと一緒に同じところにいたいというそういうような傾向があるからだと思います。例えば会社が同時にではなくて、期間をずらしてバカンス休暇をとるというやり方をとればまた問題も多少解決されるのではないでしょうか。
  16. 山口哲夫

    山口哲夫君 今のお話を承りますと、日本人レジャーに対する考え方が間違っているというふうにお考えなんでしょうかね。それとも日本人国民性がそうしているというふうにお考えなんでしょうか。
  17. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) これは重要なことですのでちょっと言っておかなければいけないですけれども、だれもここでだれが正しいとか間違いであるとか、そういうことはないのです。ですから、日本はこういう経済的な発展を遂げましたが、それだけで今まで忙しかったわけで、これから余暇をどのように過ごすかということをいろいろ考えて、そういう考え方も推し広げていくのだと思います。皆さんが今回ここにこうして集まっていらっしゃるのもそのためなわけですね。また、その考え方を発展させていくについては、日本人のための、日本人に合った余暇あり方ということを考えていかなければいけないと思います。
  18. 山口哲夫

    山口哲夫君 フランスでも、長い休暇をとることになったときには法律でもってそういう制度をつくったというふうに聞いていますけれども、そのときにはやっぱり相当の混乱もあったというそんな話も聞いております。日本でも、やはりそういった混乱があったけれども現在は非常に余暇というものが国民の中に定着をしている。そういうことから考えた場合に、あなたから日本を見た場合に、日本でもそういう長期のレジャーをとるようにするためには、法律的にやはりきちっと規制した方が非常に有効であるというふうにお考えでしょうか。
  19. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 全くそのとおりだと思います。もちろん法律で規制していかなければいけないものだと思います。そして、バカンスをとるに当たって問題が起きないように、例えば会社内部でバカンスをとる日にちをずらすとか、企業間でもずらすとか、そういうやり方をとっていかなければいけないと思います。日本には労働の美徳みたいなものが従業員の側にもまた会社を経営している側にもそういう考え方がありますから、法律面で規制していかなければ難しいと思います。
  20. 山口哲夫

    山口哲夫君 フランスでは夏の間は相当長い期間バカンスをとられて、そのために工業生産指数というのがもうふだんの三分の二くらいに落ちるというそんなお話も聞いております。そういう面で何か経済的な面からの影響というのは出てきませんでしょうか。
  21. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 問題というのは起きないと思います。確かにそういう生産力が落ちるということはもう避けられませんが、問題というのは起きないと思います。例えばバカンスの間、休暇をとっている従業員のかわりに学生のアルバイトを使うとか、そういうやり方で、一〇〇%効率を上げるということはできませんが、問題は起きないと思います。
  22. 山口哲夫

    山口哲夫君 それに関連しまして、例えば私どもヨーロッパなんかに夏行きますと、もう役所関係でも相当長期間休んでいますね。例えばある市役所を訪問しまして、市長が休暇で休んでいる。普通日本ですと、市長が休暇で休んでいますと助役がそのかわりを務めて大抵出勤しているはずなんですけれども、あるところへ行きましたら、市長も長期休暇をとっておりますので助役も一緒に休んでおりますというようなことで、幹部がほとんどいない。だから、そういう面で我々日本人から見ると、これは役所の機能というものが果たしてそれで本当に動いているんだろうかなというそんな疑問を持ったこともあるんです。  それは役所に限らず、例えば病院であるとか、あるいは商業関係だとか、そういう面で国民の不満というものは全然ないものでしょうか。
  23. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 国民の間では問題は起きておりません。といいますのは、例えばパン屋さんなり病院とかどこかのお店がバカンスに入ってお店を閉める場合には、それが新聞にアナウンスとして載りまして、そのかわりにどこがあいているという情報がちゃんと載っておりますから混乱を招くということはありません。  それから、これは重要なことですが、二十四時間のうちの二十四時間全部常に機能していなければいけないというそういうような考え方はやめるべきだと思います。  フランス人はもう既に七月、八月の休暇になれておりますので、その期間は一般的に重要な買い物なり重要なことを行うということはないのです。
  24. 山口哲夫

    山口哲夫君 日本人の海外旅行に対していろいろと批判があります。例えば、日本人というのは案内役が旗を持ってそれにくっついて団体で歩いている、あるいは非常に短い時間に名所を駆け足で見て歩く、あるいはお店屋さんに入って高級なブランドを買いあさっているだとか、いろいろと御批判があるんですけれども、あなたからそういった日本人の海外旅行を見ての率直な御批判を聞かしてください。
  25. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 確かに旗を持った人の後に連れられたグループというのをよく見かけますが、私個人としてはその光景というものは余り好みません。遺憾の念を覚えます。そういう旅行のあり方というものは時間のロスになると思います。例えば空港で長い間待ったり、ホテルで待ってみたり、グループが全員集まるのを待たなければいけないわけですから、そういうような時間のロスが随分あると思います。  ですから、私個人としては、個人で旅行に出かける方を好みます。出かける前に十分の準備をしていろんなインフォメーションを得る。日本には十分得られるだけのインフォメーションがあるわけですから、そういう準備をする。その方がいろんなことをたくさん学べると思います。
  26. 山口哲夫

    山口哲夫君 最後に、日本人は何のために貯金するかという世論調査をやりましたら、まず第一が病気になったときに心配だから、二番目が子供教育のために、三番目が老後の生活が心配だから、そんな順番です。  フランス人は何のために貯金するのでしょうか。
  27. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) フランス人の場合は、日本人の二番目に挙げられた例に当たると思いますが、まず、子供教育については、フランスでは十八歳で、まあ 十八歳以下でもあり得ますけれども、子供は親から離れて独立するという傾向が強いわけです。ですから経済的にも自分で自立するという傾向が強いわけです。  また病気については、社会保障制度がよく発達しておりますので、それについても預金なり出費するという必要もありません。  また、家の購入のための例えばローンなどについても、お金を借りるというのに対する嫌悪感がフランス人の場合はあります。  フランス人が預金をする目的というのは、むしろ人生を楽しむために貯金をします。例えば別荘、第二の家を買う場合、その別荘のための土地を買う場合、旅行、レストラン、そういった人生を楽しむものに預金をします。それからバカンスにもです。
  28. 山口哲夫

    山口哲夫君 どうもありがとうございました。
  29. 大塚清次郎

    大塚清次郎君 ムノスさんに一、二点お伺いしますけれども、先ほどからフランス人から見た日本人レジャーについての考え方、これで非常に率直な見解を述べられましたけれども、その中で日本人の行動様式が全部団体行動に走りがちだということ、レジャーにいたしましても。それからもう一つ、非常に日本人レジャーの質について批判精神がないということ、それらのことで辛らつな御批判を受けたわけでございます。  そこで総じて言いますと、日本人国民性が非常に個性的でないということにこれは通ずると思います。それから日本人国民性が付和雷同的だということになりますので、これをまず改めていかなきゃならぬということになるわけでございます。そうでないと日本人のライフスタイルの中で暮らしをエンジョイするということにつながらないという御指摘でございますけれども、どうも日本の今のレジャーの実態、それから方向性、そういう点から考えますと、多分にそういったような国民性とか日本の置かれておる地理的な条件が障害になっていると思います。それが一つ。  もう一つレジャーの主体と客体、レジャーをエンジョイしたいと思う人とその受け皿の関係が非常に日本の場合は商業主義に偏っておるのでないか。いわゆるレジャーを楽しみたいという人の望みに合わない商業主義的な施設をどんどんつくっていって、そしてそれに日本人のいわゆるそういう雷同性とか行動様式、そういうものでひとつ吸収していくという非常にいびつなレジャーあり方になっておりゃせぬかと思いますが、先進フランス的な考え方の中でそういうことをどうお思いになりますか。
  30. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 確かに何でも商売に結びつけるという傾向は問題になると思います。例えば東京をちょっと出て自然の環境に触れるときに、すぐそこにレストランとか自動販売機の飲み物とか必要もないものがよく目につくわけです。フランスではこういう考え方はしませんで、自然環境というのはなるべく手をつけないでそのまま残しておくようにするわけです。商売というものはまた別のところに存在するべきだと思っているわけです。ですから、もしそういうような場面を見つけた場合には、フランス人というのは怒りの感情を示すと思います。  しかしながら、それは、主体と客体とさっきおっしゃいましたけれども、余暇を楽しむ側にも問題はあると思います、何でもすぐ消費するという傾向がありますから。
  31. 大塚清次郎

    大塚清次郎君 それからもう一つ、私は二年ほど前、ウエストジャーマニーに行きまして、一週間ばかりハンブルクなりあの辺、それからボンなりに滞在しておりましたが、こっちから行っている商社マンから聞きますと、ドイツの人は、ヨーロッパの人は概して一生懸命働いた一年間の収入を二カ月のバカンスでみんな使ってしまう。例えて言えば、ドイツの国際収支の黒字は、十カ月かかってためたものは二カ月で全部吐き出してしまうという、宵越しの金は持たないという日本語がありますけれども、まことにそういったようなことで貯蓄というものに非常に回りにくいということからいたしますと、日本人の今までの国民性といいますか、生活態度とはかなり違うんじゃないかと。そうなってきますと、ここに本当日本の将来の社会福祉政策についての不安というのがあって、レジャーを楽しむということをかなり制約していると思いますが、その点についてムノスさんの見方はどうですか。
  32. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) そういうシステム面でうまく社会保障制度というのがフランスに比べるとまだ発展していませんので、将来不安に思うという気持ちはわかりますが、それでも日本人の場合は余りにも心配し過ぎると思います。もう少しとどまって呼吸をしてみて、それで生きる生き方を知るということも大事だと思います。  もちろん、やはり年老いてから心配がないように、楽でいられるように制度面の見直しも必要だと思います。
  33. 大塚清次郎

    大塚清次郎君 最後にお伺いしますけれども、今、日本から海外に休みを利用したり、あるいはそうでないときに出ていく人が一年間で七百万人近くになったわけですが、その中の大半は私は観光旅行だと思いますね。本来の意味のレジャーじゃないと思いますが、やはりそういう本来の意味のレジャーにつながらない、つながっておるというのはごく一部じゃないかと思うんですね。そういう点では、やっぱり今の日本の旅行社によるパック旅行のあり方についてはどうお思いになりますか。
  34. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) まず問題が二つあると思います。一つは消費する側、旅行する側の問題だと思いますが、日本人というのは、日本国内よりも海外にだけ興味の目が向けられて、日本にすばらしい場所があるのにそれに目を向けようとしません。そういうところが少し問題だと思います。よく見ると、日本国内にすばらしい場所があるわけです。  それから、第二の問題として旅行会社の問題があると思います。よくテレビではシルクロードとかすばらしい景色の宣伝が出ますが、どうして同じような方法で日本国内のすばらしいところを紹介しないのでしょうか。そういう旅行会社側の問題もあると思います。  それからグループでの旅行。グループ旅行というあり方については、私個人としては全く反対です。そういうシステムはやめてほしいと思います。
  35. 大塚清次郎

    大塚清次郎君 ありがとうございました。
  36. 高木健太郎

    高木健太郎君 高木と申します。  大変耳の痛いお話もたくさんございましたし、参考になる話もたくさんしていただきました。お話を聞いておりまして、もうここ七、八年前から例のイザヤ・ベンダサンの「日本及び日本人」とか、あるいは「日本人とドイツ人」とか、あるいは「日本人アメリカ人」とかというふうに、あるいは「菊と刀」とか、そのように日本そのものを日本人批判する、あるいは外国から見た日本人というふうに、日本そのものがいい意味でも悪い意味でもいろいろ批判の対象になっており、日本人もまた自分自身のことを考えているような時代だと思うんです。今お話を聞きまして、そういうもののやはり一つであり、参考になる点も大変多かったと思います。  そこで、ちょっとお聞きしたいわけですけれども、日本に来てもう十二年お過ごしであると。そして、三年前から社長をしておられるというようなことですが、大変失礼ですけれども、ムノスさんはこちらで余暇をどのようにお過ごしでしょうか。それから、従業員の方がおいでだと思いますが、そういう人たちはほかの会社の方と違った余暇の過ごし方をしておられるでしょうか。もしよろしかったらお聞かせ願いたいと思います。
  37. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 私個人としましては、バカンスは、残念なのですが日本の国外で過ごします。日本は大好きなのですが、自分の好みに合った雰囲気、環境を見出すことができないからなのです。  例えば私はラテンアメリカが好きでメキシコによく行きますが、そこでは自然がたくさん残って いますし、おいしいものを食べて、それから緑もたくさんあって、馬術を少し楽しみますので、馬に乗ることもできます。こういうような環境というのはちょっと日本では見つけることができないのです。  私の従業員については、この間の四月になりますが、従業員の二人をメキシコに連れていきました。
  38. 高木健太郎

    高木健太郎君 その結果は大変喜ばれたでしょうか。
  39. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 食べ物の問題を除いて大変喜ばれました。
  40. 高木健太郎

    高木健太郎君 次に、もう一つお聞きいたしますが、お子様がおいでかどうか私存じませんけれども、一般にでも結構ですが、先ほどお話しになったように、日本子供というのは親の言うことを聞くように育てられている、個性が伸ばされていない、人の言うことだけで付和雷同的に動く。そういうところが日本人のいわば欠点ではないか、あるいは特徴だというふうにお話しになりましたが、お子様がおいででしたら、お子様はどういうふうに日本でお育てになっているか。あるいはまた、フランス日本との特に幼児の教育について一番違うところはどういうところか、そういうことをお聞かせ願いたいと思います。
  41. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 確かに日本では、子供たちはただ親の言うことに従っている、言うことを聞いているだけのように思います。  それから、これは例ですが、電車内で、電車というのは子供だけではなくて大人のための空間ですが、例えばよくアナウンスで、次はここの駅に停車するとか、手をここに置かないでくれとか、忘れ物のないようにとか、子供に注意するようなアナウンスが、子供だけでなくて大人に対しても注意がされているわけです。ですから、今大人の例でしたが、子供については日本では余りにも心配し過ぎます。フランスではもっと自由にさせておきます。例えば、足をけがしたりした場合でも、どこか頭が痛いとかそういうけがをしたりした場合でも、経験から学ぶということができるわけですから、余り心配するということをしません。  子供というのは人形ではないわけです。すぐに壊れてしまう人形というわけではないのです。子供というのは小さい大人と言えるかもしれません。ですから、彼らの頭の中では生き生きといろんなものが動いているわけですから、余り心配し過ぎるというのはよくありません。ですから、大人の役割としては子供が進むべき道を示してやるということ、それからアドバイスをしてあげる、そういうのが大人の役割だと思います。
  42. 高木健太郎

    高木健太郎君 私もドイツに一年ぐらいおりましたけれども、その間ドイツのお母さんは子供を小学校までは非常に厳しくしつけておりまして、テーブルマナーなんかは手をパチッとたたいたり、あるいは八時ごろになるともう部屋に入れてかぎをかけて、子供はそこで寝なさいというようなことを言っておりました。だから、フランスでもやっぱり同じように非常に幼児の場合は厳しいしつけをしているんじゃないかなと思います。  時間がありませんからもう一つだけお聞きいたしたいと思いますが、先ほどフランス人は六時間しっかり働くと、日本人は八時間かそこら働いているけれども、そこに集中していないというようなお話もありました。  私は日本では工場によって、それは企業によっても違うと思いますけれども、仕事に集中しないということもありましょうが、仕事そのものを楽しんでいる、あるいはその間にお茶を飲みながら友人と話しているというふうに、集中はしないけれども余暇をとりながら働いているというところがあるんじゃないかと思うんですね。だから、そうむきになってやっていない。あるときはむきになっているけれども、あるときには半分遊んでいる。だから八時間でも九時間でも十分働けるというところもあるんじゃないか。そういうところをごらんになったんじゃないかなと思うんですね。  そういう人たち余暇をもらっても、もう仕事の中で余暇があるわけですから、別に余暇をもらわなくてもいいというぐらいで働いておられる。法律でそういう余暇を与えても今さら、どのように余暇を過ごすかということはこれから考えることだと思いますが、日本にそういう法律をしいて、今度は強制的に余暇をとらせるというようなことでうまくいくとお考えでしょうか。
  43. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 日本がこれだけ経済的に発展してきたわけですから、今法律的な面で、制度面でしっかりと余暇を決めていくべきだと思います、余暇あり方について。  さっきおっしゃいましたように、仕事の合間に余暇をとっているという場合も日本人の場合はよくあるとおっしゃいましたけれども、確かにそういうことをしばしば聞きますが、それは若い年齢層と比べて年配の年齢層の方たちが、やはり昔の考え方で、そう言いながら感情的に若い人たち休暇をとるのが何か不都合ではないかと感じさせるようなやり方を押しつけているのではないかということのような気がします。
  44. 高木健太郎

    高木健太郎君 どうもいろいろありがとうございました。終わります。
  45. 吉川春子

    吉川春子君 きょうはいろいろ興味深いお話を聞かせていただきましてどうもありがとうございました。  私、二点伺いたいと思いますが、その一つは、今、日本では週休二日制がまだ定着しておりません。政府は、月二回だけ週休二日制をとるということで、今土曜日は公官庁の役所を閉めるという土曜閉庁の法案を国会に提出しています。この月二回だけ週二日休むという制度の実施についても日本ではいろいろ意見があります。それは、土曜日にお役所を閉めることによって国民に対するサービスが低下するのではなかろうか、こういう意見があります。つまり、今まで土曜日に住民がいろんな手続をしたり仕事をしていたりしたものが、今度は土曜日にできなくなる、そのことに対する懸念があるわけです。  そこでお伺いしたいんですが、フランスのパリなどへ行きましても、日曜日も見事に観光地でも休んでいる、こういう状態ですが、例えば病院あるいは不動産登記の登記所あるいは職業安定所、こういうような役所が土曜日も休んでいると思うんですけれども、住民からの不満といいますか不便、こういう問題が明らかになっていないんでしょうか。
  46. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) これは習慣の問題だと思います。週休二日制というのがもう定着していますから、だれも日曜日に公官庁に行ってサービスを受けようなどとは考えていません。ですから問題は全然起きていません。これは考え方の違いだと思います。  よくフランスでは言うのですが、人が死んでも地球は回り続けるというこういうような表現があるんです。仕事に対してもこれと同じような考え方で、二日間休んでもよくオーガナイズされていれば何も問題が起こることはない、そういう考え方だと思います。ですから、やり方の問題だと思います。
  47. 吉川春子

    吉川春子君 さっき教育についてもお触れになりまして、ロボットのようなという指摘もありました。非常に日本労働時間は長いということでして、確かに日本人も好んでこの長時間労働を受け入れているわけではなくて、やむを得ず長時間労働に縛られている、そういう実情があると思います。  さっきお話を伺っていまして、個人というものが非常に日本人の中に確立していない、こういう指摘があったと思うんですけれども、私もそれはそのとおりではないかと思います。個人の確立というのは民主主義の基礎であると私は思うんですが、そういう点では日本はまだ非常に前近代的なものを引きずっているのではないかというふうに思うわけです。日本人余暇をとらない、あるいははっきりともっと労働条件について使用者側に主張しない、そういうことがありますが、それは 民主主義の未発達であるというふうに考えているんです。  フランスは来年フランス革命二百周年を迎えますけれども、私は、この革命がフランス人に与えた影響、特に個人の確立、個の確立という点で大きな意味を持っているんじゃないかというふうに思うんですね。日本は残念ながら歴史的なそういう体験を持っていない国なんですけれども、自己主張といいますか、個の確立がおくれている原因がそういうところにあるんじゃないかとフランスなんかとの違いを感ずるんですが、その点についてお考えがあればお聞かせいただきたいと思います。
  48. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) よく日本人ヨーロッパ人たちに比べておくれているというような言葉を使いますが、このおくれているという言葉を聞くときにちょっと悲しい気持ちがします。そのようにおくれているというふうな考え方をしてはいけないのではないでしょうか。それぞれの国がそれぞれの歴史を持っているわけですから、残念ながら日本にはそのような革命がなかったというような言い方はしない方がいいのではないでしょうか。ですから、余暇あり方についても、ヨーロッパ人たちのまねではなくて、日本人がどのように余暇あり方考えていくかということが大事だと思います。
  49. 吉川春子

    吉川春子君 先ほどやはり環境の問題ではないという御指摘がありました。私は、パリなんかと比べてみて、東京の公園の面積は恐らく百分の一以下ではないかというふうに思いますし、また美術館にいたしましても、東京にも幾つか美術館はありますけれども、ルーブルとかオルセーとか、それらの美術館にはたくさんの絵画を初め美術品があって、日曜日などは無料で公開されているとか、私オペラもことしの夏パリで見ましたが、オーケストラボックスのすぐそばの席でしたけれども比較的値段も安い。  そういういろいろな余暇の楽しみ方、楽しむ場所についても、東京の場合はそういう点ではパリなどと比較して少ないのではないか。世界一と言われるパリと比較すること自体無理な面があるかもしれませんけれども、政府の文化予算の額ですとか、そういうことも問題があると思いますけれども、そういう点で余暇を楽しむ場所東京の場合はなかなか気軽に得られないのではないか、経済的にも物理的にも少ないのではないか、こういうふうに思いますが、いかがでしょうか。
  50. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) フランス人フランス人であるということに非常に誇りを持っています。フランスの偉大さみたいなものを見せたいと思っているわけです。ですから、いろいろな大きなルーブルとかオルセーなどの美術館もそのような考え方の一環としてあるわけです。  日本人はそれとまるで逆、どちらかというと逆のメンタリティーを持っています。しかし、私個人としては、日本人日本人であるということに誇りを持ってすばらしい財産をもっと見せてほしいと思います。
  51. 吉川春子

    吉川春子君 ありがとうございました。
  52. 平野清

    ○平野清君 どうも長時間ごくろうさまでございます。ありがとうございました。  一、二点お伺いしたいんですけれども、お話をずっと聞いていますと、どうしても日本人個人の権利意識というものが非常に希薄だというふうに感ずるわけですね。フランスというのは、ドゴールさんの例をとっては大変失礼なんですけれども、国際会議でも何でも自分の国の利益に反することは必ずノーとはっきり言われるわけですね。そういうリーダーシップをとっていらっしゃる人たち、それから親の子供に対する権利主張の教育、そういうことが国民性としてあるような気がするんですね。  日本というのは、御存じかどうかわかりませんけれども、社畜という言葉があるんですよね、会社の家畜。社蓄と言うんですね、ビジネス家畜と言うんですがね。有給休暇はきちっと労働組合と決まっていても絶対にとれない。それから、賃金が伴わない時間外労働があってもぶうぶう言うだけで終わってしまう。それから、単身赴任に対する優遇税制なんというものはなかなか確立されない。ある大きな労働組合が一週間の有給休暇を十日間に延ばすことを獲得したんですよね。そうしたら、それを全部消化したのはOLだけで、男性はほとんどとらなかった。そういう話も聞いています。どうしても男性というのは立身出世主義、要するに上の人によく思われなければ給料も上がらない、地位も上がらない、そういうようなことからどうも権利意識がないような気がするんです。  だからそういう国のリーダーシップの問題とか、それからおまえは自分会社にいればずっと安泰なんだぞという会社の上の人の意識、それから働いている人は、その大きな会社の傘の下にいれば安心だという意識、三つともフランスの方と大分違うんでして、そういう点をどういうふうにお考えになっているのか。  それからもう一つ、夕方早く帰って地域社会のお友達といろんなことをする。日本は御存じのとおり通勤地獄で、どんどん家も遠くなる。帰った時間は八時、九時ということではそういうことがなかなかできないわけですね。以前サマータイムというのをやったことがあるんです、早いうちに解放しようということで。そうしたら国民性になじまなくて、サマータイムというのはこれは一、二年で終わってしまったように記憶しているんですが、そういうことをやれば日本人というのは、こんな暑いうちから外へ出られるかとか、こんな暑いうちから一杯飲めるかとか、感じが出ないじゃないかとか、そういうようなことがあるような気がするんですね。そういう意識革命はどうしたらいいかということ。  それからもう一つ社長さんとしてやられているファッション企画会社がどういうお仕事かちょっと知らないんで大変申しわけないんですけれども、仮に皆さんが六時間労働をきちっと守っていらっしゃるときに、大きな注文が入って、これをどうしてもいついつまでに、結婚式に間に合わせたい衣装だから何とかしてほしいと言われたときにはどうなさるのか。やっぱり時間外を社員に頼んでそれをこなすのか、自分会社は六時間勤務ですからとてもその時間には間に合いませんといってその注文は断ってしまうのか。そういうことをちょっとお聞きしたいんです。
  53. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) まず最初の御質問ですが、確かにそのような意識革命のようなものが必要だと思います。それは従業員の側の意識革命だと思いますが、日本人従業員仕事をするに当たって目的のようなものを持っていないと思います。ですから、常にサラリーのことを気にしたり、また上司のことを気にしたりとか、上司の意向を気にしたりということがあるのだと思います。仕事の目的を持つ、自分の気に入る仕事をする、それが最高効率を上げることだと思います。ですから、そういう社員の再教育というものが必要になってくると思います。  日本では、一つの企業に入ったら終身雇用みたいな形で、安心して一つの企業で働いていられるというようなことをよく言われますが、実際によく見てみますと、例えば一人の個人がそこで抜けたとしてもほかのメンバーでその仕事は成り立っていくというふうになっていますから、その人が抜けても困るということはないわけで、現在では一つ会社に雇用されたからそこで安心していられるというそういうような状況ではないと思います。  私個人仕事の問題ですが、確かにさまざまな注文が入ります。期日の限られたものとか重要な注文とかが入ります。しかしその場合には、そのお客に対して自分は土、日は働かないというそういう原則をまず第一に理解してもらうようにします。しかしながら、それにもかかわらず差し迫った注文とかはあるわけです。そのときは従業員に対して時間外をお願いすることもあります。そのときは、従業員はそれを拒否するという権利はもちろんあるわけです。それで、その時間外の労働 をした場合には、例えば二日後にはもう解放されて自由になっているわけです。  従業員はそうではありませんが、私個人として土曜日、日曜日も働くことがあります。ですから私個人としては、バカンスをとるというときは本当バカンスのためのバカンスとしてとります。仕事バカンスを混同するということはしません。
  54. 平野清

    ○平野清君 時間がありませんので簡単にお答えいただければいいんですが、学校の週休二日制についてどういうふうにお考えになっているか。例えば親だけが週休二日制になっても、子供が土曜日学校へ行くのでは何にもならないような気がするんですが、学校の週休二日制というものについてどういうふうにお考えですか。
  55. エマニュエル・ムノス

    参考人エマニュエル・ムノス君)(計良道子通訳) 子供の休みと大人の休みというのは関係ないと思います。例えば夏休みを例にとってみればわかると思いますが、子供夏休みで休んでいるからといって親が休んでいるということはありませんし、子供の休みと大人の休みは関係ないと思います。それに、子供は両親なしでバカンスを過ごすということも大事なことだと思います。
  56. 平野清

    ○平野清君 どうもありがとうございました。
  57. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上でムノス参考人に対する質疑は終わりました。  ムノス参考人にはお忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。お述べいただきました御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。ムノス参考人に対しまして調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  午前の調査はこの程度にとどめ、午後一時四十分まで休憩いたします。    午後零時三十六分休憩      ─────・─────    午後一時四十二分開会
  58. 長田裕二

    会長長田裕二君) ただいまから国民生活に関する調査会を再開いたします。  休憩前に引き続き、国民生活に関する調査を議題とし、労働余暇について参考人から意見を聴取いたします。  まず、日本女子大学教一番ケ瀬康子君、日本余暇学会理事瀬沼克彰君及び長岡市教育長丸山博君から意見を聴取いたします。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてありがとうございました。  本日は、労働余暇について忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に三十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。  それでは、一番ケ瀬参考人にお願いいたします。
  59. 一番ケ瀬康子

    参考人一番ケ瀬康子君) それでは、御指名にあずかりました日本女子大学の一番ケ瀬でございます。  日本女子大学では社会福祉を担当しておりますが、一方放送大学で余暇生活というのを担当しておりまして、そういうことで本日はお招きをいただいたものと考えます。  労働余暇というテーマでございますけれども、このテーマ自体、実はすぐれて工業化社会の進展の中で出てきたテーマであろうというふうに思うわけでございます。つまり農業社会では、労働余暇は自然の移り変わりとともに混然一体となって、明確に区別あるいは関係が問われなかったというふうに思うわけであります。それが工業化が進展する中で、やはり他に雇用されて働き、労働時間が明確化されていく過程でこの問題が生じてきたというふうに考える次第でございます。  余暇というのは、労働時間の生理的必要時間とをプラスいたしましたあとの時間のことをいうと通常言われておりますが、言うまでもなく所得を得るための労働時間はこれは雇用主との関係で決まるわけでございますから、そうそう個人的には左右できないわけでございます。加えて、生理的必要時間も、睡眠時間プラス食事、入浴等を加えた時間でございまして、これまた生存のためにそれほど左右できないということでございます。結局は、その生理的必要時間それ自体は生きるために左右できない中で、社会的に決まっております労働時間との関係で余暇時間というものが規制をされていく、そういうような仕組みになってきた工業化社会のもとで、この労働余暇の関係が問われてきたというふうに考えるわけでございます。  現在この労働余暇の関係を考えてみますと、大きく言って二つの変化が見られるように思います。  一つは、経済が高度化する中で出てまいりました労働時間短縮問題との関係で余暇時間がふえていく傾向にあるという点でございます。  もう一点は高齢化との関係でございます。これは定年年齢をどこに置くかということと多少関連がございますけれども、それにいたしましても定年後の時間というのが大変長いということで、余暇時間は総体的に増加傾向にあるというふうに言えるかと思います。二番目には、そういう中で余暇への価値観の変化というものが私は見られるのではないかというふうに思うわけでございます。  余暇労働との関係につきましては、これはパーカーという人が五つの類型に分けてとらえております。  その一つは一方的労働志向。これはもう労働にのみ価値を置いて、そしてとらえていく方向でございまして、パーカーのイギリス調査によりますと、技術者、管理者の方が往々にしてそういう傾向がおありになるということでございます。  次の類型は一方的余暇志向のグループでございまして、これはもう余暇だけに価値を置いて、余暇のみを志向するというタイプでありまして、臨時工の方がそういう傾向が強いということをパーカーは述べております。  それから三番目は同一型、いわば労働余暇も区別ないタイプということでございまして、これは特にどこに特徴があるということではなく、こういう類型の方もかなりそれぞれにおられるという結果を出しております。  加えまして分裂型という方向がありまして、これは適度に双方に価値を置いてそして暮らしているというタイプの方でありまして、臨時工ではなく、より本工の方にそれが多いということをパーカーは結論として出しております。  それに対しまして統合型というのがございます。これは労働のための余暇あるいは余暇のための労働という解釈でこの労働余暇をとらえているタイプでありまして、これまた比較的どのグループにも存在をするというようなとらえ方をしております。  こういう五つの類型で、それぞれの労働の形態のあり方あるいは労働状態との関係でパーカーはとらえているわけでございます。  私は余暇の類型というのを大きく三つにとらえておりまして、一つ余暇は発散型というようなとらえ方の人たちがいると思います。働いて後その気晴らしあるいはその労働の疲れを発散するための余暇考えている、これが一つの類型だと思います。  もう一つはバランス型というとらえ方をしております。これは先ほどのパーカーの分裂、統合両方を含めたとらえ方でございますけれども、どうしても両方のバランスがとれることを健康その他のために考えて、バランスをとって双方の意味を考えていく、こういうタイプでございます。  いま一つは生きがい型というとらえ方でございまして、これはまさに余暇そのものに生きがいを感じてそして生きていく、こういうタイプであろうかというふうに思うのであります。そういう中でだんだん工業化が進み、労働の形態が変わってくる中で、単なる発散型よりもバランス型、生きがい型がふえてくるのではないのかというのが私 の予想でございます。  この点で、二番目の柱の労働の質と余暇問題というところに進んでまいりたいと思います。  労働の質と余暇問題ということを考えてみましたときに、私は、今の状況以上にこれから恐らく急速に日本社会に襲ってくるであろう高度技術化の問題、高度技術化社会の問題の中で、この労働余暇あり方をある程度予測をしてかかる必要があるように思っているのでございます。高度化技術化社会が一体労働そのものにどういう影響を与えるかということを考えましたときに、三つぐらいの方向はある程度言えるように思うのであります。  一つは、高度技術化社会において労働の形態、質というものが両極分解をするのではないかという予測でございます。つまり、高度技術を駆使し、そしてそれをさらに管理しながらその企業全体の経営にも当たるといういわば管理技術職の方と、それから一方で、高度技術化したその技術のもとで働く人たちという者との間のいわば両極分解が見られるように思うのであります。殊に、後者の高度技術のもとで働く人々というのは、機械化が進み、オートメーション化が進み、さらにロボットなどの導入がより進んでまいりますと、どちらかというと単純な作業として位置づけられていく傾向が出てくるように思うわけでございます。  そういう意味で、両極分解と同時に二番目には、むしろ機械のもとで働くある種の単純労働が増加をしていく傾向が出てくるのではないだろうかというふうに思うわけでございます。もちろん、この単純労働とは、かつての単純労働とは異なって高度技術化のもとでの単純労働でありますから、ある程度技術に適応しながら技術を駆使できる程度の複雑性、熟達性は必要でございますが、いずれにしてもそういう種類の労働を営む方がふえてくるように思うわけでございます。  三番目は、そういう中でいわば第二次産業に従事する人よりも、むしろサービス労働、第三次産業に従事する人の方が今後はふえてくるように思うわけであります。つまり、高度技術化によって生産力が上がれば当然もっと必要な、人が人を扱う種類の仕事が、一方で教育、福祉、医療などで要求されてまいりますだけに、そちらへ労働力が流れていくという傾向考えられてくるわけであります。そういう中で余暇の性格というものも、今申しました労働の形態、質の変化のもとで変わらざるを得ないというふうに思うわけでございます。  殊に、先ほど申しました、量的にはふえるであろう高度技術化のもとでの単純労働人々というのが量的にふえていったときに、当然そこには機械のもとでの一種の疎外感というものが私は広がってくるように思うわけであります。  高度な技術を駆使する高度技術化のもとでの機械あるいはロボットなどのもとで、一種の無力感あるいはみずからの労働の無意味感、それからまただんだん無人工場などが出てきておりますように、人の配置が少なくなってきている生産現場では孤独感あるいは自分自身との疎隔感、自分は一体何だろうというそういう種類の傾向労働の中から、日常の労働過程の中から生まれてくる傾向が私は増していくように思うわけでございます。それだけに人間としてのあかしあるいは生きがいというものを余暇に求める、求めざるを得ない人たちがふえてくるように思います。しかしそれが求められないときにどうなるかということが一方で残るわけでございます。  それからもう一つ、高度の技術を管理し、そこでの技術を運営、駆使していくいわば管理技術者の方々の場合には、ますます社会の中でその種の仕事の重要性あるいは労働の集約性が襲うだけに、ストレスの問題が出てくるように思うわけでございます。かつての管理技術以上にストレスの高い労働になっていくだろうと思うわけであります。その面からもこの余暇あり方が改めて問われていくようになってくるのではないかなというふうに予測をしております。  そのことだけの反映とは必ずしも言えませんけれども、しかしそのような傾向を恐らく反映した一つの結果だろうと思いますのは、今高度技術化の方向へ進みつつある中で、かなり諸外国に比べては長い労働時間を持っている我が国におきまして、高度経済成長以後、特に中高年に精神障害者の方がふえてきているという事実を私は無視するわけにはいかないように思っているわけでございます。特に長時間労働とそれから余暇とのバランスがとれなかったり、あるいは非常に密度の高い労働の中で管理的な仕事をせざるを得ない、そこでの心の病の発生というようなことなどで、とにかく精神障害の受診率というものが急激に上昇しているというあたりのところを私は注目しておく必要があるように思います。  加えまして、自殺との関係でございますけれども、自殺そのものも、これはさまざまな理由がございますけれども、しかしやはり疲労とかあるいは人間としての生きがい感の喪失であるとか、あるいはストレスによる不安、悩みというのは密接な関係があるわけでございまして、特に日本の自殺率というのが高度経済成長以後、とりわけハイテク産業に向かっております今日急上昇をしてきているわけでございます。そして、それも高齢者の方の自殺率がかなり高いということは既にマスコミ等で大きく取り上げられておりますけれども、特に中年層により増加傾向が目立つ、特に男性の方の中高年層に増加傾向が目立つというようなところに着目する必要があるように思います。  労働省の一九八二年の調査でございますけれども、そこでも労働者の五人に一人はとても疲れる。やや疲れるまで入れると七割以上疲れる。強い不安、悩み、ストレスがあるという方が約五一%となっていて多い。その他の調査でも、これは民放労連とか全損保とか全国建設関連労協その他などの調査で見られるんですが、一晩や休日でも疲労が回復しないでたまっていくというような結果が三人に一人、四人に一人。そして、先ほど申し上げましたようなストレスによるノイローゼ等の精神的な病に陥っていかれる方がかなりおられるということが出ているわけでございます。  したがいまして、そういうことから考えますと、ますますハイテク産業が進んでいくいわば高度技術社会がもっと本格的に到来をしてまいりましたときの余暇問題というのは、単なる余った暇という程度の問題ではなくて、国民の中の生産を支える方々の健康も含めて、もっと社会的な問題また社会的病理問題との関連においてとらえなければならない。また別な表現をいたしますならば、積極的な福祉政策としてもこの問題をとらえざるを得ない時期に来ているように思うわけでございます。  このようなことは労働場面だけではないことは言うまでもないわけでありまして、一家の働き手が働きの中途で亡くなられたり、病に倒れられたりしたときの家族問題も深刻でございますが、より家族問題の面からとらえられなければならない点を申し上げておきたいと思います。  そのような労働の長さと余暇とのアンバランス、それから余暇の貧困さということが日本の家族にはどういう影響を与えているかということでございますが、一つは家族と一緒余暇を送る時間というのが日本の勤労者の場合に極めて少ないという点がございます。日本、アメリカ、西ドイツの比較で、総務庁が子供と父親に関する国際比較調査というのを昭和六十一年にされておられますけれども、それを拝見いたしますと、父親がとにかく子供一緒に、家族と一緒に過ごすという時間がほかの国に比べて極めて少ないということが結果として出ております。  また、昭和五十七年の総理府の調査でございますけれども、やはり家族と一緒に食事をする時間というのは極めて少ない。ふだんの帰宅の時間は午後八時以降で、そういう以降に子供一緒に食事ができる、家族団らんの機会が持てるという人は、管理職の場合は極めて少なく、次いで事務職、労務職というようなぐあいでありまして、大体七、八割の方が週二回以下しか夕食を家族と一 緒にできない、こういうことでございますから、家族関係を保っていくということにおいても、今の労働余暇のアンバランスの状態の中では極めて不健全な傾向を示しているということが言えるように思うのでございます。  加えまして、国際比較のさまざまな調査でも、日本余暇生活の楽しみ方というのは家族ぐるみで楽しむという姿が大変少ない。父親は父親で、子供子供で、ばらばらで余暇を楽しみ、家族ぐるみで楽しみながら、結局家族同士で交流をしていくというあり方が非常に少ないということが指摘されているわけでございます。結局は余暇の量及び質の問題とこの問題は絡まるだろうと思うわけでございまして、家族を保持していく上において余暇問題が大きな関係を持っているということを言わざるを得ないと思います。  続きまして、人間の一生、ライフサイクルというものを考えましたときに、やはり余暇をいかに送っているかということがその人の生涯にとって極めて大きな意味を持つということが言えるように思うわけでございます。  この点を厳しく指摘しましたものとして、一つ余暇と精神衛生の関係を指摘した説がございます。これは国際精神衛生学会の名誉会長を今しておられますカナダの林宗義という方が、日本余暇開発センター等との関係で調査をされた結果の報告書の中で指摘をされておられることでございますけれども、こういうふうに述べておられます。   一般に、趣味を持たない人は、何か趣味をもっている人に比べて精神障害になりやすく、また精神障害になったときに、非常に治療がしにくく、直りが遅い。再発が多いということも観察されている。第二に、退職後の問題として、趣味もなく仕事一徹で働いてきた人は、趣味をもっており退職後の生活設計ができている人に比べて、退職後に早死にする例が多いという傾向がみられる。第三に、児童の精神障害患者をみていると、両親が趣味を持って余暇を楽しんでいる家庭とそうでない家庭とで、子どもの精神衛生状態に大きな差があり、家族生活におけるレジャーあり方が人間の精神生活に非常に大きな意味をもっていることが観察できるのである。 こういう報告が出されております。  これも大変私は注目をすべきことであろうと思うわけでありまして、趣味を持っている人、持っていない人、余暇生活を楽しんできた人、楽しんでこなかった人、さらにそういう親によって営まれている家庭生活と、そうでない家庭生活のもとでの子供の精神衛生というものが大きく異なるということの指摘は注目に値するものと思うわけでございます。  殊に、私ども高齢化社会の到来を今後考えましたときに、やはりこの余暇の問題は極めて大きな意味を持つように思います。例えば寝たきりあるいは痴呆にならないようにするための大変大きなポイントとして、食事と生涯できるスポーツと、それから生きがいとしての趣味や学習ということが老年学などでよく挙げられておりますけれども、特にスポーツとかあるいは趣味や学習ということは余暇にかかわることでございます。  これに関しましてやはり余暇開発センターがなさった調査余暇歴に関する調査というのがございます。高齢時に積極的に余暇生活を営むことができる方、先ほど申しましたように、寝たきり、痴呆にならないような生活ができる方というのは、大体四十五歳ぐらいまでの間に何らかの意味で積極的な余暇生活の体験をお持ちの方だということでございます。一方、それまでの間に余暇生活を積極的に送った体験をお持ちでない方の場合には、高齢時において改めて積極的な余暇生活を営むということには非常に努力が要るし、困難な場合が多い、こういう余暇歴に関する調査結果が出ております。  これの跡づけあるいは実証を今、日本レクリエーション協会のレジャー・レクリエーション研究所で研究を進めている最中でございますが、やはりその中間報告などを拝見しましても、若いころの余暇生活の実績というものが、人間の生涯に至るまでの余暇生活あり方と、そしてひいてはその方の一生の人生の健やかさ、心身ともに健やかさというものと関係があるということが判明してきている次第でございます。  そういうことを考えますと、労働余暇の問題につきましては、今まで既に御指摘のとおり、それから私も指摘をいたしましたように、直接的には労働時間短縮問題が極めて大きいことは言うまでもないことでございます。日本はまだ欧米に比べましてかなり長い労働時間でございますことと、それから中小企業ではなかなか労働時間短縮が進まないというようなことなども含めて、とにかく労働時間短縮問題は、今後の高度技術社会の到来、また国際経済の中での日本経済の位置、それ以上に今後日本経済がより健やかに国民生活の豊かさとのバランスで伸びていくためにこれは不可欠のことであろうというふうに思うのでございます。  しかし、労働時間を短縮すれば、それでは即余暇生活が充実をするかということになりますと、私は簡単にそうはいかないのではないかという懸念を一方で持っております。そういう意味で、五番目の労働余暇の周辺という課題を掲げたわけでございます。  では、一体どういう問題が周辺にあるかと申しますと、私は第一に、やはり住宅及び地域における余暇環境の問題というのがあるように思います。週休二日になりましても、あるいは労働時間が短縮されましても、あるいは夏休み休暇をとるようにという奨励がなされましても、住宅が狭く、かつ大変環境が悪く蒸し暑いというようなところに住んでおられる方は、やはり職場の方が気持ちがいい、あるいは環境も恵まれているということで職場にとどまられたり、あるいは職場に出てこられたりする方が少なくないわけでございます。  そういうことを考えますと、今の日本の住宅事情、特に伸び伸びとみずからの空間が持てない、あるいはリビングも狭く、どうも十分に団らんもできかねるような住宅事情というものを基本的に底上げしていかないと、この余暇の問題は労働時間短縮だけでは解決しない問題があるように思います。  加えまして、余暇の施設あるいは地域における余暇環境の問題でございますけれども、例えば西ドイツ等々と比べましても公園の面積が圧倒的に狭いというようなところでは、日常生活の中で日々の余暇を楽しむには条件が余りにも貧弱である。そのほかプールにいたしましてもあるいは集会所にいたしましても、何か日常生活圏の中で余暇を楽しむための環境整備、この点がおくれているというふうに思うわけでありまして、この点も周辺として重要なことであろうと思います。  二番目には、西ドイツ等と比べますと、余暇を楽しむためにかかる費用というもの、つまりお金というものがかなり日本の場合にはかかるという傾向がございます。この点、今後地方自治体等で余暇設備等の御努力をなさることが必要であろうかと思うんですが、一方で、もっと余暇時間というものがお金がかからないような方向で楽しまれていくさまざまな工夫というものが公私ともになされていかなければならないのではないかというふうに思います。日本でも多少自治体でやっておられるところもございますが、例えばスウェーデンなどは、ゴルフ、乗馬などは自治体がそのクラブを持っていて、そうして住民に推進を図るという努力をしているところがかなりございますが、そういうことも含めて、余暇に不当なお金がかからないような工夫を公私ともにどうするかというあたりが周辺の課題として問われてくると思います。  三番目には、これは私はあるいは最も大きい課題かと思いますが、教育の問題でございます。今の明治、大正、昭和一けたぐらいまでの生まれの国民は、どちらかというと働け働けという勤倹力行の精神のもとで教育を受けてきたものでございますだけに、余暇というものの人生における価 値、あるいはそれを通じての生きがいということに対しての認識あるいは方法というものが非常に不得手のものでございます。それだけに新たに余暇の持っている意味、あるいは余暇を楽しむ方法というものを子供のころからゆとりの教育の中でどう組み入れて教育をしていくか、これは先ほど余暇歴の問題で申し上げたことと相通じることでございまして、そのことが結局は生涯を通じた余暇の健全、余暇の充実に結びついていくように思うのでございます。  それから一方で、そういっても余暇歴を十分持ってこなかった者、あるいは親が余暇生活を楽しむのが下手な子供たちに対して、さらにもっと積極的な意味でも、余暇の指導者あるいはレクリエーションワーカーの育成というものが私は今後は不可欠であろうというふうに思うわけでございます。特に高齢時に改めて余暇を楽しむ、定年後楽しむということ、また職場において十分に余暇をこれから楽しむ、それ以上に地域で楽しみ、充実するという場合に、例えばスポーツにおいても趣味においても学習においても、何らかの意味での指導者が不可欠だというふうに思いますが、そういう面でのいわばレクリエーションリーダーあるいは相談に応じる人々の育成ということも今後不可欠であろうと思います。こういう点では、広い意味のソーシャルワーカーとしてアメリカなどでは育成を図っているようでございますけれども、私は日本においてもこの種の人たちの今後の育成は不可欠であろうと思います。  以上、大きな意味で今後日本労働時間短縮、高齢化で、労働時間の量それからそれに対する質が問われてくる時代に入ったと思いますが、二番目、三番目、四番目、五番目で申し上げましたように、その大きな方向の中での中範囲的な諸努力あるいは諸問題への対応というものをどうするかということが今緊急に迫られている時期だというのが私の認識でございまして、その点、ぜひまた御質疑等々で補いたいと存じます。  時間になりましたので一応失礼させていただきます。
  60. 長田裕二

    会長長田裕二君) 有意義なお話をありがとうございました。  次に、瀬沼参考人にお願いいたします。
  61. 瀬沼克彰

    参考人(瀬沼克彰君) 日本余暇学会の瀬沼でございます。  日ごろ余暇問題を研究しておりまして、その一端をお話しさせていただきたいと思います。  本年、私ども余暇を研究している者にとりまして大変画期的といいますか、非常に興味深い、意義深いことがあったのでございます。それは、きょうパンフレットを持ってきたんですけれども、オーストラリアが建国二百周年記念で万国博を実施いたしました。そのときのテーマが工業化社会におけるレジャーということで、通称レジャー万博というふうに言われまして、新聞その他で報道されて皆さん御存じかと思いますけれども、レジャー万博ということで、レジャーが万博のテーマになったということで大変意義深い年でございました。  技術時代のレジャーということでございまして、私八月に行ってまいりましたのですけれども、ハイテクを駆使したレジャーというものが各国でパビリオンをつくっておりました。しかし、ハイテクばかりではなくて、私一番感心しましたのは大道芸といいますか、ストリートパフォーマンスといいますか、そういうハイテクに対してその反対のヒューマンタッチといいますか、人間的な触れ合いということを主催者側が大変重視いたしまして、各国の大道芸の方々に呼びかけて、四月上旬から九月の下旬まで開催されたのでございますけれども、延べで一万五千人の方々をお招きしてパビリオンの広場とかいろいろなところでやっておりまして、そちらの方がどうも皆さん関心が深かった、こんなことがございました。  本日、今、一番ケ瀬先生から主として工業社会における余暇労働というお話がございましたので、私はその後を受けまして、私自身の関心分野といいますか、関心を持っているテーマといたしまして、むしろ脱工業化社会、工業化社会の次の社会で一体余暇がどういうふうになるのであろうかということをずっと考えたり書いたりしてまいりましたので、少しお話ししてみたいと思います。  レジュメを準備いたしましたので、それをちょっとごらんいただきたいと思うんですけれども、今そういう万国博のテーマにレジャーがなったということで、余暇社会とか余暇時代とかということが頻繁に使われております。果たして、じゃ日本余暇社会というふうなことが言えるのかということなのでございますけれども、私は結論的にはまだまだ余暇社会には至っていないというふうな考え方をいたしております。  八〇年代から九〇年代の社会というものがどういう社会になっていくかという中で、そこにメモいたしましたような文化の時代になるとか、それから生活の質の向上が極めて高くなるとか、それから主体性のある自主的生活づくりとか、物質的なものから精神的な豊かさが求められるとか、そういうふうなトレンドがございます。欧米各国ともつい最近まではクォリティー・オブ・ライフということが大変重視されておりましたけれども、どうもこの数年前ぐらいからはクォリティー・オブ・ライフよりもむしろアメニティー・オブ・ライフなんだということで、生活の質とともに快適な生活ということが叫ばれてきたように思います。  その中で余暇ということが改めて重視されつつあるというふうに思うのでございますけれども、余暇社会の成熟ということを考えたときに、私はこの五つの条件考えているんです。  一つ余暇時間がある一定の長さに達するということでございます。確かにまだ日本労働時間は長いんですけれども、一定の長さに達したことは間違いない。それから、労働に従属する余暇からの脱皮ということで、労働が重要で余暇はそのためにある、そういう考え方というのは一時代前にはあったんですけれども、ほとんどこれは日本でも今そうではなくなってきたというふうに思われます。大変近年余暇意欲というものが高まってきております。  それから、今の一番ケ瀬先生のお話にもございましたが、余暇活動を行うにはお金がかかるのでございますけれども、いわゆる自由裁量所得が大変増加してきて、余暇に充てる費用が捻出できるようになったということもございます。冒頭申し上げました余暇社会にはまだ日本は至っていないというので私が一番重視しておりますのは、その五番目にございます余暇の主体的形成ということで、この点がまだまだ日本では劣っているのではないかというふうに思われるわけです。  そのときの、じゃ余暇というのは一体どういうことなんだと、これはもうずっと先生方も何人かの参考人から意見を聞かれまして御理解いただいているかと思うんですけれども、ここに書きました図式はパリ大学のデュマズディエという教授がつくった図式でございまして、余暇というのは、労働から解放された時間に行うところの休息と気晴らしと自己啓発活動の総称というふうに彼は定義したんです。実はその定義というのは一九六〇年代の定義でございまして、先ほどのデュマズディエ教授はその考え方を、どうも自分考え方は最近はこの考え方ではなくなってきたということを最近になって言ってきております。  というのは、今一番ケ瀬先生も御指摘になったんですけれども、工業社会における余暇というものと脱工業社会における余暇というものはかなり違うということでございます。これからの国民生活考えていく場合に、私たちは今工業社会の中に半分の足を入れて、そしてもう半分の足でその次の階段のステップを脱工業社会ということで踏もうとしておりますので、後ほど申し上げる政策的な観点としましては、両者に関係するあるいは両者にまたがった政策的なものが必要ではなかろうかというふうに考えられますけれども、私はどちらかというと次のステップを、冒頭申し上げましたとおり主として考えております。  それで、じゃどういうふうに次の段階余暇というものの定義が変わってくるかと申しますと、それは次の二ページでございます。  工業化社会におきましては、そこにございますように、仕事時間というのは大体生涯で考えまして十万時間ぐらい、それに対して余暇は総トータル二十万時間ということでございます。ただし、この労働余暇というものが大きく分かれてしまったということが大変大きな問題点でございます。  と申しますのは、これまでの社会におきましては労働余暇というものは切れ目のないものであったということが、工業化社会になりまして大きく二つが離れてしまった、再びこれからの社会になってまいりますと、仕事労働の二つがまたかつての時代みたいにだんだん近づいてくるというところが工業社会の余暇の定義とかなり違うことになってくるわけであります。最近アメリカにおきましては、ヨーロッパも、先ほどのデュマズディエもそうなんですけれども、余暇労働というものを二元的に考えてきた、それを近年におきましては、余暇労働というものを一元のものとして一元的に考えていくということが大体今の考え方として強く出てきております。  特にその中で、最近皆さん方もお聞きになると思いますけれども、フュージョンという考え方が大変出てくる。あえて訳せば融合というふうに訳せるかと思うんですけれども、労働余暇というものを限りなく融合さしていくということが脱工業社会における目標であるというふうなことでございます。  そのとき、じゃ一体最終的に余暇というのは何なんだといいますと、私個人でずっと考えてまいりましたのは、余暇の最終目標というのは、個人といたしましては自己実現、自分というものを限りなく生涯の中で成長、発達さしていくということが個人にとっての恐らく最終目標でありましょうし、それから、それは社会的には余暇を使って地域の独自な文化をつくっていくというのが恐らく最終の目標になるのではないか。従来の余暇論でいきますと、その二つを離してしまって、労働に関係なく余暇というものをとらえておりましたけれども、これら二つを合体さした形でこれからは考えていかなければならないということになってきたのではなかろうかと思います。しかし、それはこれからの問題でございまして、現在の工業社会におきましてはまだまだそこまで至らない多くの課題が残っているということでございます。  したがいまして、その次に、現在の工業社会で発生している余暇問題といたしましてはとにかく余暇時間が少ないと、これはもう先生方、皆さんからお聞きになったことであろうと思います。しかし、生涯時間で考えると余暇というのは決して少なくないということも御理解いただいたんではなかろうかと思います。  そこにございますように、学校に行っている時間よりもむしろ余暇時間の方が長いとか、それから職業期におきまして、二十二歳から六十歳というのは大変忙しいように思うんですけれども、ここで十万時間を仕事で費やしたといたしますれば、大体七万時間ぐらいはこの時期にも余暇時間があるということでございます。それから、退職期におきましては約十万時間ぐらいの余暇があるということですから、私たち日本人は、確かに労働時間が長くて余暇時間は短いと考えますけれども、絶対数で考えるとそれほど余暇時間は短いものではないということがございます。  それから、二番目の余暇意識におきましても、最近余暇重視の考え方が大変多くなってきている。中年クラスは、そこにございますように、まだ仕事志向が強いんですけれども……。  ここで一つちょっとミスがございまして、申しわけございません。ヤングは余暇重視が八〇%で、仕事重視が二〇%でございます。ヤングは余暇重視である。高齢者も大変余暇重視になってきております。こういう現状があります。  それから三枚目に参りまして、日本人余暇重視になってきたのは大変いいんですけれども、ただ一方では仕事への意識がだんだんと低下しつつあるということも指摘できるのではないか。その中で会社離れということが近年顕著になってまいりました。今までの余暇というのは、どちらかというと職場を中心に余暇活動が行われていたんですけれども、近年では職場離れということで、ある電機メーカーの例で調べましたところ、昭和四十年代には文化とか体育のスポーツクラブに入っている加入率が八〇%ぐらいあったんですけれども、それが近年では二〇%に大変落ちてしまったとか、それから、これは先ほど一番ヶ棚先生からも御指摘がありましたが、仕事意識の高い少数者と仕事外に関心を持つ多数者への二極分化、最近はやりの言葉で言いますと、アフターファイブが本当自分だというふうなことが特に若い人たちの中で出てきております。  それから中年の方たちも、一方では一生懸命もちろん働いているわけですけれども、人生が八十年になったということで、かつてのように中年のときに一生懸命全力投球しないで余力を残していくという働き方、もうこれは当然でございますけれども、働き続けるためにはゆっくりと働かなければならないという働き方がふえてきております。それから、技術革新の時代でございますので、今までの熟練工の方々が、技術が一夜にして単純労働に落ち込むというふうなこともございます。それから、これはもう特に若い人を中心にして仕事がおもしろくないという人たちが増加している。  そういうことをいろいろ考えてまいりますと、今まで高い我が国の生産性というものがございましたけれども、これから余暇問題といいますか、余暇がだんだんふえてまいりますと、一つの心配として日本人全体がイタリア病とかイギリス病とか、そういうふうに言われますような仕事から逃走する下地というものも一方では形成されつつあるということが指摘できると思います。  そして、それに対しまして余暇問題に関しまして欧米流の解決策というのは、私は時間短縮であったのではなかろうかというふうに思います。時間を短縮することによって余暇問題というものを解消していく。それで、その余暇の受け皿といたしまして、大変安い、いい、充実した施設を国内各地につくっていく、そういう政策があったかと思うんです。日本でもちろんそのいい点はたくさん学ばなければいけないんですけれども、私は、むしろ日本的な解決法というのは、欧米型の余暇問題の解決法とは異なるのではなかろうかというふうに考えておりまして、まさに今最も新しいといいますか、先ほど申し上げた余暇労働というものを一元論で、フュージョンで考えると、そういうふうな解決法というものを図っていく必要があるのではないかというふうに思います。  それで、次のページに参りまして、余暇活動の現状につきましてはもう簡単に触れさしていただきます。  工業社会から脱工業に移る過程の中で、そこに書きましたようなお金よりもむしろ時間をたくさん使っていこうとか、それから人のまねはしないで自分なりの余暇をやっていきたいとか、それから先ほどの企業の人と一緒にどこか余暇に行くのじゃなくて、ファミリーで行きたいとか、地域の人々といろんなことをしたいとか、そういうふうな傾向が出てきております。それから、先ほどの工業化社会の余暇の定義で言えば、気晴らしとか休息を重視する余暇ではなくて、むしろ自分を高めたいという余暇がだんだん台頭してきたというふうなこともございます。  それから、最近の余暇志向といたしましては、かつての日本人余暇といいますと、ギャンブルとか、それから気晴らしが多かったんですけれども、最近は、そこにございますような健康とか自然、それから学習、家族、コミュニティー、創作、コミュニケーション、そういった方向に余暇が動いてきているということがございます。  それから、その次に五ページに参りまして、それでは一体余暇というものを創造的に過ごすためにはどうしたらいいかということになりますと、 これはもう本当に、どなたかからも指摘があったかと思いますけれども、私も日本人余暇能力がどうしても低い。余暇能力というのは余暇を有効に活用する力と考えますと、これを育成していく必要があるのではないか。余暇を実際に行うためには、時間とそれからお金それから活動エネルギー、体力、知識、技術、仲間、こういうものが必要でありまして、どちらかというと今まで、時間短縮ももちろん大事なんですけれども、時間短縮だけが論議されてまいりまして、余暇を十全に過ごすためのほかのものに対する検討というものが余りなされてこなかったという実情が我が国はあるのではなかろうかというふうに考えますと、確かに時間もお金も必要だけれども、むしろ最も大事なのは知識と技術ではないか、この点が相当日本の場合には劣っているのではないかというふうに思います。  それで、じゃ一体余暇の能力というものをどういうふうにつけたらいいのかということで、非常にラフな図式を書いてみたわけですけれども、知識と技術を習得するためには時間がかかるということをここで言いたいわけでございます。例えば音楽にいたしましても絵画にいたしましても、やはりいいものを見たり聞いたりしませんと、なかなか自分でやりたいというふうにはなりませんので、そういう時間が恐らく千時間ぐらい必要であろう。そして、そういう見たり聞いたりして、その次の段階といたしましては自分で実際に楽器を演奏してみるとか、あるいは絵筆をとってみるとか、そういうふうなことになる。それで、それをさらにずっとやっておりますとだんだん自分も力がついてまいりまして、人に教えたいとか、あるいはもっとレベルが高くなってまいりますと本当自分らしさというものをつくり出せるということになってまいります。  さまざまな余暇活動でどういうふうに人が伸びていったかという追跡研究をやってみますと、大体一つの科目をかなりマスターするのに十年近くかかっているというふうなこともケーススタディーでとってみたことがございます。したがいまして、かなり前から本格的にやってきませんと、余暇の能力というものはレベルアップしないということがあろうかと思います。  最後に政策提言ということでございますので、幾つかのことを考えてまいりました。  一つは、ちょっとメモには書いてないのでございますけれども、第一といたしましては、私は時間配分政策というふうに呼んでいるんですが、これは国でないとできない。例えばバカンスで各国が夏休みに物すごく生産性が落ちるとか、それから交通事故が物すごく起こるとかということがございまして、ドイツなどでは州によって分けた休暇をやっているというお話もございます。  そこで、日本では恐らくいい休暇制度として四季休暇ということがいいのではないか、いわゆるフォー・シーズンバカンスということで、日本では夏休みだけを四週間というのではなくて、四季折々の季節に一週間ずつとっていくというふうな休暇制度。それから縦に長い列島でございますので、ローカルホリデーということで、北海道と東北と関東と、みんな休暇が、学校の休みも違ってくるというふうなことも、そう実現が難しいことではないのではないかというふうに思います。そういう休暇制度。  それと、これは学校教育とも大変関係するんですけれども、今までは工業化社会の中での教育ということですから、読み書きそろばんを初めといたしまして、今までの学校教育というものが主として職業準備教育がなされてきた。その職業準備教育日本は経済的にこれだけ発達してきたわけですけれども、これだけ豊かな社会になって、クォリティーライフとかアメニティーライフということが大事なことになってまいりますと、余暇教育といいますか、余暇を独自に過ごすための教育の必要性がある。  これは各国の教育制度を調べてみますと、多くの先進国が小学校、中学校レベルにおきましては、いわゆる将来の職業のための準備教育は半日だけ、国語、算数、理科、社会という科目は半日だけやって、午後はそういう国語、算数はやらないで、絵の好きな子供は学校のアトリエに行く、体操の好きな子供は体育館に行く、あるいはグラウンドでサッカーをするというふうに、将来の余暇のための教育、学習ということに大変重点を置いてやってきているということを考えますと、余暇能力というものは一朝一夕にできませんので、なるべく子供時代に余暇を将来活用できる能力というものを身につけておく必要があるのではないかと思います。  時間配分政策といたしましては、学校時代にすべての職業教育ばかりでなくて、これは生涯教育という考え方になろうかと思いますけれども、欧米各国ともこの十年前ぐらいから継続教育ということで、学校卒業以降のいわゆる勤め人といいますか、サラリーマンの人たちをどうやってもう一回学校に戻すかという、リカレント教育というふうに呼ばれておりますけれども、これが活発になってまいっております。ですから、例えばアメリカなどで、ある南の大学とか、西の方の暖かいところの大学では約五〇%の人たちが大学のキャンパスに学生になって行っているとか、それからコミュニティーカレッジというものが大変普及している。そこに行っているのは十八歳人口ではなくて、ほとんど大人人たちである、成人の人たちであるということで、これはヨーロッパ各国も独自な成人教育というものをやっております。  したがいまして、それには教育休暇というものがございませんと学校に再び戻ることができませんので、各国とも教育休暇というものを義務づけているということでございますけれども、我が国におきましては、教育休暇というものは全く存在しないということで、ようやく一部の労働組合で教育休暇の要求ということを出し始めたというふうに思います。教育休暇というものがなければ、とてももう一度学校に行って再び学び直すということはできませんので、そういうふうな、中年のときに仕事ばかりでなくて余暇も……。逆に高齢期になりますと今度はもう毎日が余暇ばかりということですので。  それから、小学校、中学校は受験で非常に忙しい。どうもその辺は国民の時間配分ということがうまくいっていないのではなかろうか。工業化社会の時間配分だったけれども、脱工業化社会では時間配分が相当変わってくる。したがって、それの政策といいますか、その配分の仕方ということはこれは本当に国でなければできないと思いますので、そこらにつきまして各国の事情を参考にして配分政策を変えていく、そういうことが必要ではないかと思います。  特に国レベルにおきましても、余暇問題というのは御承知のとおりすべての省庁に絡みます。関係のない省庁というのはございませんぐらいにすべての各省庁に絡む問題でございますので、どこかコーディネートするような省庁の窓口が必要ではなかろうかという気がいたします。  それから、地方自治体におきましてはいろんな事業を行っておりますけれども、まだまだ条件整備がおくれているということが目立つのではなかろうか。かといって、国もそうですけれども、財源が豊かな時代ではございませんので、私は、そう高い値段ではなくて民活方式のような、民間企業が余暇とかスポーツ、文化活動の場というものを整備するような日本独自の方法があってもいいのではないかというふうに思います。ですから、地方自治体が民間あるいは財団法人、公益法人等と連携した形で自分の地域にいい施設をつくっていく必要があるのではないかと思います。  あと、国民的なサイドの問題としましては、やっぱり能力をつけていく。時間短縮が可能になった、さあどうするとなったときに、その時間というものを有効に活用できないという人々が非常に多いわけでございますので、余暇の能力を小さいうちから開発する。それから、中年の場合には、もう一度学校なりそういったものを習得できるところに行きまして能力開発を図る必要があるのではないか、このように思います。  まだほかにもあろうかと思いますけれども、一応その程度にとどめさしていただきます。
  62. 長田裕二

    会長長田裕二君) 有意義なお話をありがとうございました。  次に、丸山参考人にお願いいたします。
  63. 丸山博

    参考人(丸山博君) 長岡市の教育委員会の丸山でございます。  このたび長岡市が行政として実践をしておるその内容を話しするようにということで、大変光栄に思っております。どちらかといいますと、さして特徴があるとは思えないのに当市を御指名いただいたわけでありますけれども、行政の立場で二十年ほど前からスポーツ、レクリエーションに取り組んでまいりました。この間にレクリエーション課を、そういう名前の課をつくってきておるということに御注目をいただいたのではないかと思っております。そこで、レクリエーション課のことを中心に当市の状況を紹介してまいりたいと思っております。  順序といたしまして、最初に長岡市の概要を簡単に紹介をしておきたいと思います。長岡市は新潟県の中央に位置をいたします人口十八万の町であります。現在は北陸自動車道と関越自動車道が長岡ジャンクションで結ばれ、上越新幹線も開通し、東京から時間にして一時間四十分、新幹線によりますとより一層交通至便の地となっておるわけであります。  二十数年前のことでありますけれども、こうした高速交通の時代が長岡にもやってくるという話が出始めておった時期でありますが、これにどう対応していくかということが長岡市の市政の最大の課題ということになっておりました。そのためにいろいろと模索を続けた結果、現在長岡では長岡ニュータウン、それからテクノポリスの建設を軸にした町づくりを着々と進めているところであります。  さらにさかのぼって申し上げますと、明治維新の際に、長岡藩は戊辰戦争で新政府軍というのですか、薩長軍との戦いに敗れ、焦土と化したわけです。その中から町興しをし、そしてさらに第二次大戦の末期になりまして、昭和二十年の八月に空襲により再び全市が焼けるというような状況であったわけです。市民は復興に忙しくて、ぜいたくとかゆとりとかに目を向けるいとまがなかったということで、実用性、実利一点張りという感じの市民性が培われてきたように思われます。したがって、昔から名物というようなものが余りない町であります。  それから、当市は雪が降りますので、二メートルを超える積雪となることもしばしばございます。そういうことからいたしまして雪国の生活というのは非常に厳しいものがございます。その分人間的に粘り強さがあるとも言われるんですが、その一方暗いイメージがつきまとうということにもなるわけであります。市民のみんながそういうことというわけじゃないんですけれども、印象としてどうもそういう傾向にあるというふうに言われがちでございます。非常に大ざっぱに言って長岡市はこんな町であります。  当市の紹介をいたしましたが、長岡市がなぜスポーツ、レクリエーションに力を入れたか、そのおおよその見当は今のお話でおつきになったのではないかなと思うんですけれども、つまりスポーツ、レクリエーションを通じて明るい雰囲気の町、明るい市民性というものを養おうということをねらいにしたわけであります。町を明るくするということはもちろんスポーツ、レクリエーションだけというわけではないわけですけれども、本日はこれに絞ってお話をさしていただきたいと思います。  そこで、そのねらいとしたところを整理をいたしますと三点にまとめられるのではないかと思います。  まず一点は、魅力のある町づくりを進めるためにということであります。当時長岡市は、先ほどお話を申し上げましたとおり交通の大変革期に直面をいたしておったわけでありまして、それにどう対応するかということが大きな問題であったわけです。その観点から明るく住みよい町にするということを最重点としていたということであります。これからできる高速交通機能に期待をして企業も人も長岡に進出をしてくるであろうから、そうした人たちに定着してもらえるように、まず町そのものを明るくて住みよいものにしなければならないというふうに考えたわけであります。したがって、昭和四十六年にレクリエーション課ができたときの機構改革でありますが、環境をよくする部というものをつくりました。その部の中に、ごみとかそれから町を緑にするという緑化、それから公害対策、交通安全などの仕事を集中させまして、それと同列にレクリエーション課をつくったわけでありまして、明るく住みよい町づくりの一環として位置づけたものであります。  二番目は、雪国の暗いイメージを払拭するためにということでありますが、これは当市の紹介の際に申し上げましたことに尽きると思います。  三番目が自由時間の活用のためにということであります。今では常識となっていることでありますけれども、当時は高度経済成長のさなかでございまして、働くことが善であるとされてそういう考え方が圧倒的に多かったころでございます。そのときに市民に対して次のように訴えたわけであります。これまで私たちはいかに経済力をつけるかを目標に努力をしてきた。言い方は極端になるかもしれませんけれども、立身出世ということが人生の目標であった時代があったと思います。これからは違う。自由時間がふえてくる。週休二日制も遠からず導入されるだろう。そういう時代になれば、自由時間をいかに有効に、また有意義に使ったかによって価値ある人生であったかが決まるような時代が来る。このような訴えというものは当時としては大変新鮮な響きをもって受け入れられたと思います。  このようなねらいのもとにレクリエーション課が出発をいたしました。これまでスポーツ関係の仕事は保健体育課が担当していました。保健体育課は教育委員会に所属をしておりまして、学校保健、学校給食などの業務を担当しておったわけであります。これを切り離しましてスポーツ、レクリエーション専門の課として独立をさせたわけであります。その後何回かの機構改革が行われ、昨年からレクリエーション課は教育委員会の所属になっておりますが、スポーツ、レクリエーション専門ということでは変わりはございません。  レクリエーション課の担当業務でありますけれども、一つは体育・レクリエーション事業の推進、それから二つ目が指導者の育成と競技力の向上、三番目が体育団体の育成と大会の助成、四番目が体育施設の整備と管理という四点であります。このうち施設のことにつきましては後で申し上げることにいたしまして、運営面について申し上げたいと思います。  先ほども申し上げたとおり、レクリエーション課の任務はあくまでもスポーツ、レクリエーションを盛んにしていくということであります。競技力を向上させて優秀選手を養成していくことも確かに大事ですが、そのために市の体育会との密接な関係も保っております。しかし、この発足当時はそのスペシャリストの養成、競技スポーツ、競技力の向上にウエートを置くのではなくて、多くの市民が参加できるような事業の推進を第一として進めて取り組んでまいりました。そのことは課の名称をレクリエーション課としたことで市民にも素直に受けとめられたのではないかと思っております。高度な技術を必要とするところの競技スポーツだけでなく、もっと気楽に楽しんで参加ができるもの、そういうものを期待する市民にとって親しみの持てる事業になったと思うのであります。その意味でも、このレクリエーション課というネーミングがよかったのかな、こう思っております。  レクリエーションが町づくりの一環と位置づけられて市政の重点だと言われれば、職員としましては張り切らざるを得ないという状況で、職員は本当にやる気を出して一生懸命に仕事に取り組んでくれました。仕事の性格上、世間が休みのとき が忙しくなるということで、日曜あるいは夜間というときが言うならば書き入れどきということで、非常に職員は頑張ってくれました。大体において役所の仕事というものは、とかくうまくいって当たり前、文句が来なければよしとしなければならない、こうとも言われるわけですけれども、このレクリエーション課の仕事の場合は仕事をして喜ばれる、感謝をされるということで、職員は自分たちのやった仕事に対する反応に刺激をされて非常に張り切って仕事に励みました。  各種のスポーツ教室を企画し実施するというような当然のオーソドックスなやり方はもちろんのことですけれども、例えば例を挙げますと、夜トラックに太鼓を積んで地域に出かけていって、盆踊り大会をやるというようなこともやったわけです。これが呼び水になりまして、その後各地で盆踊りが復活をいたしております。職員が先頭に立って積極的にやりましたし、また市がレクリエーションに力を入れるということで大宣伝をしたということもあって、市民の方々もその気になってくれました。最初に申し上げましたような事情から、長岡の人というのは割と引っ込み思案の人が多いのかな、こう思っておったわけですけれども、案に相違して積極的に参加をいただきました。  また、市役所の内部からですけれども、レクリエーションについての理解をしてもらいました。とりわけ、財政担当などは、これまででありますと市民のお遊びの手伝いをするのに予算をつけるということには非常に抵抗感があったと思うのですけれども、市が一つの大きな施策として取り上げたことによって、盆踊りの太鼓を借りる借り上げ料といったような予算についてもすんなりと認めるというような姿勢になってきたわけで、非常にやりやすくなったということであります。  それから、レクリエーションということでありますから、体を動かすことだけをやっていなくてもいいのではないかということになりまして、高齢者向けの事業だけでありましたけれども、言うならば趣味教室といった、趣味――リボンフラワーだとかあるいは紙人形だとか謡曲だとか、趣味活動にまで広げて取り組みをしてまいりました。  このようにレクリエーション課はさまざまなことをしてまいりましたが、抽象的に申し上げてきましたので、ここで一、二の具体的な事例を紹介させていただきたいと思います。  その一つはソフトボールのことでありますが、中高年向けのスポーツとしてソフトボールを取り上げたわけであります。当時、長岡市内ではソフトボールをやっているところはほとんどございませんでした。協会というのは、スポーツ団体としてのソフトボール協会はあるにはあったんですけれども、名前ばかりといった様子でありまして、したがって、壮年ソフトボールの大会を開催いたしましても、ルールがよくわからない人もおるというというような状況で、かなり怪しげな大会、当初はそのような模様であったわけであります。  そこで、各地区の公民館に呼びかけをいたしまして、チームをその地区でつくったら年額二万円の補助をします、こういうことにしたわけです。もちろん、ゲームの指導もソフトボールの指導もしたわけですが、年々広がりを見せまして、数年で補助の方は打ち切ったわけですけれども、ソフトボールは大変盛んになりまして、現在、市民体育祭には百を超えるチームが参加をするような状況になっております。ソフトボール協会の方も、今では市の体育会の中でも大世帯の協会にまで成長をいたしております。  それから、レクリエーション課の任務について、団体の育成と大会の助成ということがございますが、それが成功した事例として紹介をさせていただきます。スポーツクラブの育成のことであります。  レクリエーション課では、種目ごとのスポーツ教室を開催して、それが終了しますと、その参加者に呼びかけをして、クラブをそれぞれ結成して自主的に活動を継続してもらうようにやってまいりました。最近、文部省においてもこの種のクラブに助成をする制度ができてきていると聞いております。長岡市では最初からそのような方法をとってまいったわけであります。こうしたクラブというものは、ややもすると、できるのも早いんですけれども解散するのも早いということで、出入りが非常に激しいということになりがちであります。現在は十九クラブで千七百人が自主運営でスポーツを楽しんでおります。  その一つに婦人水泳クラブというのがございます。婦人水泳教室の修了生が始めたクラブではございますけれども、もう十年以上も続いております。このクラブが、自分たちだけで泳いでいてもなんだからというので、もっと有意義なこともやろうじゃないかというので、障害児のための水泳教室を開いております。毎週一回、市の温水プールで行っております。ことしの十一月三日の市の表彰式で表彰されるということになりましたが、このレクリエーション課が関与して結成をされましたクラブがこのようにすばらしい活動をしているということで、私ども大変うれしく思っているところでございます。  次に、生きがい課のことについてお話をいたします。  長岡市に昭和五十二年に生きがい課という課を発足させました。これは遊びを中心とした高齢者向けの事業を集中的に行うために設置をしたものであります。当時、高齢化社会という言葉が一般的に使われ出したころでありまして、高齢者対策というものが一つの課題となってきておったときであります。しかし、この高齢者対策は大変幅が広くて、総合的な対策として進めるには大変難しさがございます。  そこで、家の中に閉じこもりがちなお年寄りにまず外に出てもらうようにしようというので生きがい課をつくったわけでありまして、その生きがい課では、高齢者の皆さんから楽しんでもらえるようなメニューを用意して、老人クラブに説明に歩きました。その際一番人気のあったのがゲートボールでありまして、今ゲートボールは大変な人気スポーツであります。その当時、ルールがはっきりしておりませんでした。現在は統一ルールというものができ上がっております。そこで、長岡では独特のルールをつくって家の身近なところですぐできるようにという考え方で、コートの広さは大きくても狭くてもいいし、形は丸でも三角でもいい、ちょっとした空き地あるいは神社やお寺の境内でもというようなことで始めたわけですが、これが爆発的な広がりを見せまして、数年のうちに全市に普及をいたしました。  そのほか、生きがい教室と称する趣味の教室を数多く用意して、例えば盆栽、焼き物、書道、民謡、詩吟、謡、紙人形等々であります。これを全市域を対象にした一つの中央教室というものと、それから市街地の周辺部の人たちを対象にした地区教室というような形で運営をしてまいりました。この活動を十年近く続けて大分定着をしましたので、今はそっくり公民館活動の中に組み込んで続けております。  高齢者対策というのは、普通、福祉行政の観点から進められるものだと思うのですけれども、当市の場合は、最初の切り込みはレクリエーション行政の立場から踏み込んで行ったということでありまして、その点はちょっと変わっていたのではないかと思っております。  次に、生涯学習とのかかわりについて触れてみたいと思います。  今、どこにおいても生涯学習に対する取り組みを強めていることと思いますが、当市も御多分に漏れず生涯学習をどう発展させるのか目下部内での検討を急いでおるところであります。しかし、生涯学習とは何かということになりますと、人によってそれぞれ考え方が違うということがありまして、生涯学習の決定版というようなものはなかなか見つからないようにも思います。そこで、私ども教育委員会が中心になりまして、一年間に市の各課が行った事業の中で生涯学習に含まれるだろうと思われる事業を全部拾い上げてみました。 そうした中で、開催回数から言いますと一千二百回、参加人員は約二十五万人というようなことになりました。人口十八万の市ですから、この二十五万人参加というのは量的にはまずまずという感じがいたしております。  しかし、中にはこれが生涯学習の範疇に入るのかといったようなものもないわけではないわけでありまして、また趣味講座に偏っているとか年代層の偏りがあるとかという点も見受けられるのが長岡市の状況であります。目下、これらの事業の見直し作業と、各課が連携し合えるものがないかどうかを整理、調整の作業を急いでおるというところであります。もちろん生涯学習は行政がやるものだけではありませんので、これらも含めてここ数年のうちに方針を固めて、生涯学習を体系的に推進できるようにしたいと思っております。その場合でも、遊びも健康づくりも生涯学習という観点で取り組みたいと思っているものでございます。  次に、体育施設の整備のことについて申し上げます。  レクリエーション活動を進める場合に、何といっても基本になるのが施設でございます。そこで、施設の整備の問題について申し上げたいと思いますが、私どもがレクリエーションに力を入れ出したときに、当市の体育施設というのはほとんど大したものはありませんでした。普通、城下町でありますと、その城跡というのは公園とか何か公有地になって残っているという例が多いわけですけれども、その点、やはり長岡の市民性が実用的であったということなのかどうか、城跡が残っているのは、本丸跡が現在の長岡駅となっておりますし、それから催し物兼用の体育施設だけでありまして、あとはすっかり町並みになっております。  施設をつくるには、したがって一々土地を求めていかなければならない状況がございました。しかも、体育施設ということになりますと、土地も広く必要でしょうし、また建物も大きいものが必要ですから、非常に金がかかるということになるわけです。金を余りかけずにやれる方法はないものかということでいろいろと考えまして、学校の体育館を使うことにしたわけであります。管理人を置いて、教室棟との間を遮断をして出入り口を別につけるというような改造工事をして、市民に社会体育施設として提供したわけであります。  それから、当市は町の真ん中を信濃川が流れております。町が川を挟んで東西に分断をされております。しかも川幅が一千メートルもありますけれども、その町の真ん中に広い河川空間が広がっておりますが、この河川敷を建設省の占用許可をちょうだいいたしましてスポーツ広場にしていったわけであります。ただいまでは、ここに野球場が十四面、テニスコート十六面、サッカー場が二面、ソフトボール場二面ができております。河川敷という制約がありますので、質的な高さを求めるというわけにはいきませんが、これだけまとまった形で、しかも土地代も出さずにやれるところはほかにないと考えております。そのほか、その信濃川の堤防をスタンドに利用しての陸上競技場とか、現在年々整備をしている各地区の公民館の講堂を体育館の構造にするとか、なるべく安上がりにして、また複合的に利用する方法を工夫してこれまでまいっております。  それから、当市の特殊事情としまして降雪期の対策ということがございます。たまたま県が青少年文化センターを当市に建設することになりましたので、特にお願いをして、その附属施設として温水プールをここにつけてもらいました。これがその後、市に移管をされまして、先ほど申し上げました婦人水泳クラブの皆さんがここを利用しているわけであります。また市営スキー場というものをつくっております。スキーはウインタースポーツの花形でありますが、当地方の雪は水分が多くスキー場には向かないとされておりましたこともあって、民間のスキー場はありませんでした。しかし、市民に冬も明るく過ごしてもらえるようにということで市営スキー場をつくりました。現在市民のスキー場として大変にぎわっております。  最近は健康ブームでありまして、スポーツ人口は急増いたしております。施設を新しくつくりますと、その分そっくりスポーツ人口もふえるのじゃないかと思うほどの勢いがございます。その上、最近はグレードの高さを求めるということでしょうか、安っぽいものでは満足してもらえない。当初は河川敷のグラウンドで喜んでプレーをしていただいていた人たちも、野球場に芝生が欲しいとか、あるいは陸上競技場とかテニスコートの場合ですと全天候型のものにしてほしいとか、体育館にはレストランか喫茶室をつけてほしいとか、たくさんの要望が出てまいっております。私ども今建設中の総合体育館にはレストランをつけることにしておりますけれども、そういうことでこれからつくる施設というものについてはさまざまな機能が要求をされることになるのであります。  私どもは、その体育施設というものは、道路や下水道などと同じく都市にとっての必需品であるという考え方に立って今後も整備充実を図っていかなければならないというふうに考えております。しかし、この社会体育施設に対する国の助成制度については、失礼な言い方になって恐縮なんですけれども、大変お寒い感じがしてなりません。どうか自由時間活用の見地からも、また健康づくりあるいは生涯学習推進の見地からも、ぜひとも充実強化をしていただきたいことをこの機会に申し上げさせていただいて、私の席を終わりにしたいと思います。  どうもありがとうございました。
  64. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言願います。
  65. 山本正和

    ○山本正和君 一番ケ瀬参考人と瀬沼参考人にお伺いしたいわけでありますが、大変貴重な資料等も含めましたお話をいただきまして感謝申し上げます。  当調査会は、特に余暇の問題を取り上げまして、国民生活に関してさまざまな提言、場合によって必要があれば勧告を政府に行う、そういう任務を持ってやっております調査会でございますから、そういう意味で両先生から先ほど政策提言が若干ございましたけれども、もう少し具体的に、こういうことを国としてやったらどうか、こういうふうな御意見があれば伺いたい、こう思います。  その前に少し私なりの考え方を申し上げておきたいわけでありますが、一つは、私も含めてでございますけれども、大体農耕社会型の思想を持った人間がまだ日本の国では、何といいましょうか、政治あるいは経済、すべての場で支配的な立場に立っていることが現実にあるわけでありますから、余暇という発想に対してなかなかなじめない。ですから本当は、これは二十一世紀に我が国がきちんと生き残れるかどうか、あるいは我が国で今から生まれ育つ新しい国民本当に人間らしい国づくりができるかということとかかわるような気が私もしておるわけです。  特に今一番おくれているのが学校教育、あるいは社会教育と言われている教育の分野、いわゆる工業化社会の中での非常に激しい競争、そして淘汰あるいは区分け、そういう中で、そこから来ているいろんなひずみが我々の国民生活の中にもある。それが日本人余暇に対する考え方に対して非常に大きな影響を与えているのじゃないかというようなことが気になってなりませんし、それからもう少し言いますと、各省庁がそれぞれ持っている役割があります。例えば建設省なら建設省は都市計画を立てる、あるいは環境庁、国土庁と相談しながら公園をつくる、国立公園の指定をする、いろんなものがあるわけですけれども、それが果たして国民生活がこれから変わっていくという観点からされているんだろうかとなると大変心配するわけです。  それからまた、余暇産業といいましょうか、旅 行業者も含めてですけれども、ゴルフ場の経営でもそうですが、さまざまな国民生活のそういう部分に対して貢献しなきゃいけない業界がある。ところが、その業界もそれぞれが、どちらかといったらもう利潤追求が中心であって、競争社会の中で国民生活という観点にはなかなか立ちにくいという面がありはしないか。となると、それにある程度一定の補助をするなり、あるいは国がいろんな指導をするなり、さらに言えば財団法人化するなり公益法人化するなりというようなことが必要になってくるだろう。  となりますと、先ほど瀬沼先生も一番ケ瀬先生もお話があったんですけれども、特に国のこういう各省庁の連絡調整する機関というものがなければできないような問題になってくるというようなことを私も強く思っておりまして、そういたしますと、そういう余暇の問題から専門的に御研究いただいておるお二人の先生方はそれぞれのお気持ちがおありになるのじゃないだろうか。そういうことをこの際ひとつお聞かせいただきたい。これはお二人の先生に対する私の質問でございます。  それから丸山参考人に、教育長さんにお伺いしたいのは、長岡市の大変すばらしい取り組みをお聞きしたのでありますけれども、これをするについては市議会の協賛も得なきゃいけないし、それから市長さんの特別な御決意等もおありになっただろうと思うわけです。ですから、そういう中でこういうことについての市としての全市的な取り組みということについて市民の理解というものを得られるためにどのようなことがあったか。恐らく初めは大変いろんな意味での批判もあったのじゃないかというようなことを思いますし、それから現実に、先ほどお聞きしました事業だけでも相当な予算を占めているのじゃないか、市の予算の中に占める額というのは相当なものになってくる。その辺のことについて市民はどういう形でこのことを理解しているかというようなことをお伺いしたい。  以上、三点でございます。
  66. 一番ケ瀬康子

    参考人一番ケ瀬康子君) ただいまの御質問に対しまして、特に二番目の点から申し上げさせていただきたいと思います。  二十一世紀に向かって日本社会がどういうふうに動いていくかということにつきましてはいろいろ指摘されているとおりでございますが、高度技術化、情報化、高齢化、国際化という通常言われている動向のどの一つをとらえましても、私は余暇の問題というのがかなり大きなかぎを担っているというふうに思うわけでございます。  例えば高度技術社会化につきましては、先ほど申し上げたとおり、労働の質が変わってきますだけに、余暇が十分健康で健全なものでない限りこれは病理的状況が色濃く出てくるということで申し上げたと思います。  高齢化についても、高齢時には寝たきり、痴呆になって、そして健康保険の赤字をより増すような方向よりは、はるかに若いころからの余暇活動の充実によって高齢時においても健やかな高齢時を送るということにつながるかと思うのであります。  そのほか、情報化なども進んでまいりますと、いわばマスの情報に対して本当情報交流を行いますためには仲間、本当にクラブ活動などを含めた学習仲間というものが不可欠になってくると思います。  国際化につきましても、今後日本人が諸外国に出ていくというよりは、諸外国の方がこちらへ来られるという国際化の方が問題を幾つかはらんでいるように思うわけでありますが、そういうときも、その方々と豊かに多様に接触し合うような活動あるいはボランティア等の存在が必要になってくるということになりますと、いずれもこれは余暇及び余暇あり方と関連が出てくると思います。  そういう意味におきまして、二十一世紀に向かって余暇の問題は多様な、そして基本的な国民生活の課題であるというふうに考えるわけでございまして、その点が第三点の御質問につながるわけでございますが、やはりそういう意味で今各省庁がそれぞれの局面からお考えになっておられますことをもっと抜本的に統合化し、そして基本的な考え方を明らかにしつつそれぞれ多様な努力をするというあたりが必要になってくると思うので、その基本的な考え方を明らかにする統一したあり方を打ち出すためには、今の縦割り行政を乗り越えて何かを考えていくということは不可欠だろうというふうに思います。具体的な、例えば一つの省庁を持つべきだというようなことにつきましては、いろいろな御意見があるかと思いますけれども、いずれにしても今のままのばらばらなあり方では事がなかなか進まないのではないかというのが私の見解でございます。  政策提言は、もう先ほど申しましたように、まず労働時間短縮の問題でございますが、これは労基法が変わったとはいうもののその進め方は決して早くはないわけでありまして、これを必ず週四十時間にどの企業においても実現するよう、特に中小企業対策を考えて進めていただきたい。週休二日等についても同様でございます。  それから二番目には、先ほど申し上げましたけれども、私は、日本人生活の中で急がなければならないのはどうしても住宅問題及びそれに伴う地域環境の問題だと思うのでございますが、余暇の問題も同様でございまして、労働時間が短縮されながらもなぜ皆がそれを喜んで受け入れないかということの一つには、やはり職場の方が快適であるという思いがかなりあるように思います。  その点、それぞれの住宅が少なくとも単に寝るだけの場所ではなくて、そこでも十分家族が楽しめる、あるいはそれぞれが楽しめる、さらに家族同士の交流が持てるような一定の空間保障というものをナショナルミニマムとして住宅政策の中に打ち出していく必要がある。この点は、それに関連して居住環境についても同様でございまして、余りにもその点が日本の場合にはまだおくれているのではないだろうか。空間計画をどうするかということをぜひお考えいただきたいということでございます。  あとは自治体あるいは民間への一定のガイドラインを示されて、経済的な側面ということがつながると思います。そして最終的には、これは瀬沼参考人も申されましたけれども、やっぱり主体の問題というのは非常に大きいように思います。その点教育をどうするか。学校教育それから生涯教育、一方で家庭教育を含んで教育をどうするかということは非常に大きいと思います。  殊に教育の中で、子供のころからの教育もさることながら、私は日本で一番今おくれているのは大学開放の問題ではないかと思うわけでありまして、諸外国とも、特に先進工業国の場合にはかなり大学開放を積極的に行って、そこで高齢時の学習意欲あるいは激変する社会へのリカレント教育を進めているわけでございますが、その点が何ともおくれていることについての対応というのは急がなければならないことではないだろうかというふうに思っている次第でございます。  以上三点について申し上げました。
  67. 瀬沼克彰

    参考人(瀬沼克彰君) それじゃまず、国の役割といたしまして、特に省庁レベルでこの問題に対してどういうふうに対応すべきであろうかという点につきましてちょっと二、三申し上げますと、現在、大体国、各省庁全部で余暇関係の予算がどのくらいかといいますと、一年間に約八千億ぐらいでございます。そのうちのほとんどのものはいわゆる条件整備ということで、箱物を中心といたします建物等に各省庁が投資しているというものがほとんどでございます。それから次に、さまざまなソフトの提供、プログラムの提供ということがございまして、各省庁それぞれさまざまなプログラムを提供いたしております。それから、またこれも指導者育成ということでいろんな指導者を育成している。大体主な費用といたしましてはその三つぐらいで、まだほかにも細かい若干の連絡調整等もございますけれども、まあ約そのくらいの予算を年間で費やしている。  それから、都道府県がそれじゃどのくらいの余 暇関連の費用を支出しているかといいますと、大体国と同じぐらいというふうに言われておりますので、六千億から大体八千億という数字が都道府県レベルの一年間における投資額ということでございます。この金額が果たして多いのか少ないのかということなんですけれども、諸外国と比べた場合にははるかに少ない。国及び都道府県を合計いたしましても、先進諸外国と比べましてかなり少ない額だと。  それじゃ、どうして日本人が何とか余暇を過ごせているのかと申しますと、かなりちょっと皮肉的な言い方になるんですけれども、こういう非常に余暇のミニマムが極めておくれているということで大きな社会問題が発生しないというのは、私ずっと調べてきまして、恐らくテレビ余暇時間のほとんどを吸収しているということで、ずっとこの二十年間余暇爆発に対して国民の側からの政府あるいは地方自治体に対する要望が強くなかったということは、ほとんどの余暇時間、例えば御承知のとおり、一日当たりでいきますと大体余暇時間というのは国民平均で六時間ぐらいでございまして、そのうちの大体四時間とか四時間三十分というものがテレビがほとんど吸収してきたということであります。しかし、近年テレビよりももっとおもしろい活動があるじゃないかということで、高齢者も若い人も中年も、テレビ離れということでテレビの視聴時間がかなり落ちてきております。  そうすると、より活動的な余暇を求めてきておりますので、これからは早急な対応が必要になってきた。しかし、残念ながら、これは私、地価高騰ということが余暇条件整備に一番大きな悪影響を与えたと思うんですけれども、ただでさえも非常に余暇の施設が少ない、そこへもってきて国民テレビを見ることによってそれで何とか満足しておりましたのでよかったんですけれども、テレビを見る時間が少なくなってきて、それが活動したいという時間がだんだん一日当たりでもふえてまいりますと、果たしてこれで満足するかという状況が私は現在出てきたのじゃないか。それに対して、率直に申し上げまして国の対応というものはまことに先進国と比べておくれているということが言えるかと思います。  じゃ、そのかわりをどこが日本は務めてきたのかといいますと、この問題がかなり大きな問題なんですけれども、いわゆる先ほど御指摘になりました余暇産業が、それを国や地方自治体にかわって代替してきた、装置として。具体的にお話しいたしますと、例えばカルチャーセンターというのを御存じだと思うんですけれども、今各都市にカルチャーセンターがほとんどのちょっとした大きな町にはございまして、これは全く新聞社とか放送局、百貨店、そういったところが営利で経営しております。国は、文部省を初めとしましていろんなところでいろんな講座やプログラムをやっているわけですけれども、それじゃ、そのカルチャーセンターが駅前の一等地とか駅ビルを使って、皆さん方あれは多分営利を目的だからもうかっているのではないかとお考えだと思うんですが、実は今大体全国に約五百ぐらいのカルチャーセンターが北海道から九州までございますけれども、その中で利益を上げているというセンターは五指に満たないという状況でございます。  したがいまして、余暇産業というのは、カルチャーセンターを余暇産業に見るのか、教育産業に見るのかということでございますけれども、なべて、スポーツクラブにおきましても、民間営利のスポーツクラブで利益を上げているところはほとんどないという状況でございますので、民間企業でもその余暇を受け皿として支えることは、近年の地価高その他、あるいは人件費のコストの上昇ということで極めて難しくなっている。国も難しいし、民間企業も今までは何とかやってきたんだけれども、これからは民間企業としても経営ベースも非常に余暇は難しい。そうなったときに果たしてどうなるのかというあたりが大変大きな問題ではなかろうか。  それに対してどうしたらいいのかということですけれども、私は一つだけちょっとお話ししておきますと、これは恐らく学校ですね。今、一番ケ瀬先生もおっしゃいましたけれども、学校の利用以外には身近なところで、地価高に対しても、もう既に土地は県のものだったり、国のものだったり、市のものでございますので、学校の再活用、小学校、中学校も高校も大学もこれから皆生徒が減ってまいりますので、ちょうど絶好のチャンスで、先ほどのテレビを見なくなってきて活動したいという方々の場としましては学校――小学校から大学までの施設に着目すべきではないだろうか。そうすれば、全然お金をかけずに、学校の体育館をちょっと改造するとか、それから教室を子供さん用から大人用、高齢者用にちょっと改造するだけで、コミュニティーの中でこれだけ一番いい場所に小学校、中学校がございますので、遠くまで交通費や交通渋滞の中で余暇をしに行くよりも、はるかに非常に身近ないい余暇が過ごせるのではないか。  ほかにもございますけれども、ちょっとそれだけ申し上げておきたいというふうに思います。
  68. 丸山博

    参考人(丸山博君) 長岡市のレクリエーション行政を進めるに当たって、市民の理解あるいは市議会の理解ということであります。  先ほどの話の中にも少し触れたんですけれども、長岡市が非常に交通の要衝である、関越、北陸自動車道が長岡で交わる、それから上越新幹線が入ってくる。そういう高速交通の時代が長岡に押し寄せてくる。そうなったときに、長岡市としてどう対応していったらいいのか。地場産業の育成ということも当然必要でしょう。しかし、他から入ってくる企業、進出する企業等が長岡に出てくるには、やはりその町自体に明るさとか文化性とかというようなものが非常に大切なのではなかろうか。  だから、この高速交通時代に対応して生き延びるには、長岡市としてこのレクリエーション事業、町を住みよくする、明るくする事業というのは欠くことができないんだということを強く市長が訴えた。それは市議会においても、施政方針の中で繰り返し述べることによって同意が得られた。そして、これが教育委員会の行政から外れて、出発は、やはり教育的な発想ではそのレクリエーションというようなものはなかなか広がりを見ないだろうということで、市長部局直轄という形で、それで環境をよくする部という中で、町を緑にする課とか公害をなくする課、交通安全課とかレクリエーション課とかというような、一つの部局の中でそれを展開してきた。  それから、市民の理解というような場面では、毎年市政の重要なものを市民に理解していただくための町内会長さんの会議というようなものを開催いたしますし、それから地域に市長が出向いていっての懇談をするというような場面をつくっております。そういう中で市の基本的な考え方を訴えて理解をいただいてきた。  スポーツ、レクリエーション関係だけについて中心に申し上げましたけれども、このときに長岡市の市立劇場というものもつくったわけなんです。よく市民会館というような名称が多くあるんですけれども、長岡市の市立劇場というような名前で、これは中央から一流のクラシックなり演劇なりが呼べる劇場が地域になければ、やはりその町としてこれからはなかなか魅力ある町にならないのだというような考え方に立っておったわけであります。  それで、スポーツ、レクリエーション関係の予算のことでありますけれども、本年度の予算で申し上げますと、約二十三億がスポーツ、レクリエーションの関係予算になっておりまして、一般会計の市全体の予算が四百二十二億ということでありますから、約五%少しに当たろうかと思います。  以上でございます。
  69. 山本正和

    ○山本正和君 結構でございます。どうもありがとうございました。
  70. 中曽根弘文

    中曽根弘文君 きょうは、参考人の方々には貴重なお話をお聞かせいただいてありがとうござい ました。  私たち国会議員というのは、仕事余暇というものに最も縁が遠くて、また私も個人的には今まで余暇というのは余った暇としてしかとらえておりませんでした。  それで、本調査会でいろいろ参考人の方からお話を伺って勉強さしていただくにつれて、健全で心豊かな社会づくりをするためには、また長寿社会を迎えるに当たって行政が真剣にこの問題に取り組まなければならない、そういう課題であると私も痛感したわけなんです。日本は今や経済大国となりまして、そして平均寿命も男女ともに世界一の長寿国となって、そして社会保障とか福祉の面でも着々と整備がされつつあるわけですけれども、そういう生きがいのある社会づくりという面におきましてはまだまだ十分ではない、そういうふうに思っております。私は、日本が目指すゴールというのは、他国のモデルケースとなるような真の長寿先進国である、そういうふうに考えております。  きょう、私が御質問さしていただこうと思ったことが二点ほどございます。お話しいただいた内容からは多少離れるかもしれませんが、ちょうどその二点とも日ごろから考えておったことなのでございまして、昨日の国会の場に一つは取り出されて、またもう一つは昨日の新聞にも報道されたことでございます。それは何かと申しますと、一つは高齢者の雇用機会づくりの問題、それからもう一つは年次有給休暇の消化の問題でございます。  最初の高齢者の雇用の機会づくりの問題でございますけれども、昨日の衆議院の税制問題特別委員会で、政府より「長寿・福祉社会を実現するための施策の基本的考え方と目標について」、そういう高齢化社会に対する社会保障ビジョンが提出されました。この中で、厚生年金の支給開始年齢を「将来できる限り早い時期から段階的に六十五歳にすることを目標とする。」、そういうふうに述べておりまして、その前提として、「六十五歳までの雇用確保を目標として、同一企業あるいは同一企業グループ内における継続雇用の推進のための施策を計画的かつ着実に実施する。」と、定年延長に向けた政策の推進を打ち出しております。  今の日本の制度では六十歳で一応勤労生活の一区切りとなるわけですけれども、医学の進歩とかそういうことによりまして長寿社会が到来いたしまして、そうしますと昔の六十歳や七十歳に比較しまして現在の同世代の方々は非常に健康で、またかくしゃくとした方が多くなっておられるわけです。そういう高年齢者の方々の退職後の過ごし方につきましては、休息とか趣味とかあるいは自己啓発とか、そういういわゆる余暇活動が中心とされがちでございますけれども、その豊富な人生経験とか知識、技能、そういうものを持ったこれらの方々が余暇や学習でのんびり暮らすだけでなくて、社会的生産活動に参加できるような環境をつくることが一層重要な問題であると思っております。  定年までは自分生活のために働いて、また生きてきた、そういう感じがありますけれども、これからは別の仕事をしてみたい、まだやりたいことがある、あるいは自分は別の面で社会に貢献できる、そういう意識またある意味での楽しみが起こってくる、そういう価値観の時代になってくるであろうと思います。それで生きがいや楽しみのある第二の人生、心豊かな本当人生を送れるように政府もこの環境づくりの諸施策を打ち出しておりますけれども、現実は働く場も非常に少なく、またその意思があっても困難である、そういうところでございます。  今月はちょうど労働省の設定しております高年齢者雇用促進月間に当たるわけですけれども、再雇用、定年延長も含めて健全な高年齢者の第二の職場づくり、雇用の機会づくりが今後の最重要課題となると思われます。この問題についてのお考え、それから具体的な御提案があれば一番ケ瀬先生、瀬沼先生からお聞きしたいと思います。  それからもう一つの問題は、年次有給休暇の消化の問題についてでございますけれども、昨日の新聞によりますと、経済企画庁は「来月スタートする第十二次国民生活審議会で余暇問題を検討する。欧米で普及している長期連続休暇の定着を狙い、バカンス法の制定などを中心に話し合う。」、そういうふうに記事が出ております。そしてその中で、「まとまった休暇の取得を労使に義務付けるのが近道」という経企庁の幹部の発言も載っておるわけですけれども、この四月から施行されました改正労働基準法では、年次有給休暇の義務づけにつきましてこれまでの最低の六日間から十日間に拡大されました。  フランスや西ドイツ等に比べますと連続休暇が中小企業等ではまだまだ普及していないばかりか、年次有給休暇の日数につきましても日本は先進国の中で大変少なくて、これが日本人は働き過ぎとの批判につながるわけですけれども、私は年次有給休暇が与えられてもなかなか一〇〇%消化できないということが現実であって、また大きな問題であると考えております。  日本人はとかく休むことは罪悪であるかのような意識があって、権利としては与えられていましても、職場雰囲気や実際に多忙であるというようなことから、気兼ねをしないでまた思い切って休むことができない、とりたくてもとれないというのが現状です。私自身もサラリーマン時代に年次有給休暇はせいぜい年に多くて四、五日しかとれませんでした。もちろん実際に経営が厳しくて休みどころではない、そういう場合や、その他交代人員がいないとか、いろいろな事情があるとは思いますけれども、休暇をとるということは本人の精神面、健康面でプラスになるだけでなくて、家族とのコミュニケーションや自己啓発の機会の増加につながり、それが本人の新たな活力となって、結果として企業の発展の大きな原動力となると思います。  したがいまして、私は、単に年次有給休暇日数の枠をふやすだけではなくて、与えられた権利の行使を積極的に義務づける、できれば完全消化きせる何らかの法的な施策というものを講ずべきと考えておりますけれども、この点につきましても一番ヶ瀬、瀬沼両参考人の御意見を承りたいと思います。  それから、丸山参考人にお伺いいたしますけれども、余暇の問題が近年クローズアップされるにつきましていろいろな自治体で余暇開発室とかあるいは余暇対策室、そういうような余暇行政を専管とするセクション、またレクリエーション課のようなものが設置されまして、この問題に前向きに取り敬んでおられるということは大変に結構なことだと思います。  余暇行政は市民の余暇の過ごし方について命令をしたり強制したりするものではなくて、市民が余暇を過ごしやすくなるように、また活用できるようハードとソフトの整備、すなわちその環境整備や条件整備を総合的かつ計画的に行うとともに、ビジョンを策定して、そして余暇活用の意識を高めることが重要であり責務であると考えます。その中には情報等の市民への提供や市民の要望を酌み取る各種調査等も含まれると思います。先ほどのお話を伺いまして、いろいろな施設をつくられておられると、大変結構なことだと思いますが、これらは市民の余暇活用の環境整備といいますか、施設の整備等に重きが置かれているように思われたわけでございます。  実は、長岡の商工会議所のアンケートというものが私の手元に来ておりまして、これによりますと、ことしの十月二十一日に日経新聞に出ていた記事でございますけれども、商工会議所の会員企業二百四十六社を対象に九月初旬にアンケート調査を行いまして、回答のあった百九十三社、これについて集計しましたところ、「充実させたい生活分野」という項目では「余暇生活」が七八・一%でトップでした。そして、「余暇時間の有無」につきましては「ほとんどない」、それから「どちらかといえばない」、その合計が七一・五%でした。つまり、長岡市の管理職や社長さんの七割強が余暇時間がない、そういうふうに言っておる わけでございます。  そして、要望事項としては、美術館などの文化施設よりも総合スポーツセンターが欲しい、こういう結果が出ております。先ほど総合スポーツセンターを建設中とのことでございますけれども、そういう意味では市民の方の要望に合ったものと評価をするわけでございます。そして、市民の理解を得るためにどのようなことをされたか。先ほど山本委員からも御質問がございましたけれども、私は、レクリエーション課を設けるに当たって市民のアンケート調査のようなことが行われたのかどうか、行われた場合にどういうような結果であったか、それについて御意見を伺いたい、そういうふうに思っております。  それからもう一つは、先ほど申し上げましたようにハードの面に重さが置かれているように思われるわけですけれども、余暇情報の提供あるいは余暇活用の啓蒙、そういうようなソフト面でどのような施策をとっておられるのか。この二点をお伺いしたいと思います。  短い時間内でお考えをまとめていただくのは大変恐縮ですけれども、よろしくお願いいたします。
  71. 一番ケ瀬康子

    参考人一番ケ瀬康子君) それでは、二つの御質問に対しまして最初の御質問からお答え申し上げたいと存じます。  六十五歳に年金の給付年齢を上げるということにつきましてでございますが、これは当然、昨日も指摘されておりましたように、定年制をそれにマッチさせないと何とも意味のないことになってしまうどころか、むしろ社会問題化する危険があるというふうに思います。そういう意味におきまして六十五歳定年制ということを考えましたときに、老年学の方では、今の年齢に七割を掛けた年齢が昔の年齢に相当するということでございますから、六十五歳というのは明治ごろの年齢の四十五歳ぐらいに相当する年齢でございますから、まだまだ働ける年齢であろうと思いますので、私はこの定年制はむしろ七十歳ぐらいでもいいのではないかと思うぐらいでございます。  そういう中で、ただ重要なことは、これだけ社会が激しく移り変わる中で、ただ長くいられるというだけでは全く意味がないし、また若い人とのギャップ、摩擦なども生じやすい。その点ではリカレント教育、そしてそのための教育休暇というものをぜひ余暇対策としても組み込んだ形で考えていく方向が必要なのではないかということでございます。  それから二番目には、やはり高齢時に近づいた高年齢のいわば働く方々の持っている従来の経験とか人間としての成熟とか、そういうものが十分生きるような職種なり職場なりを今後どれだけ考え出していくかということあたりが決め手ではないかというふうに思うわけでございます。具体的に申しますならば、さっき瀬沼参考人がヒューマンタッチということをおっしゃいましたけれども、これからやはり高度技術社会の一方では人間と人間の触れ合いが求められる時代になってくると思うので、そういうところの職種の問題でありますとか、あるいは既に各自治体でお気づきのところがやっておられます一村一品運動的な性格を持った努力とか、そういう工夫が必要かと思います。これは各企業でも地方自治体でも求められているところだろうと思います。  それから三番目には、私は定年制を延長することは現実の日本において必要だと思うのでありますが、できれば部分年金制と言われている制度の導入が必要なのではないかと思います。具体的に申しますならば、年金が六十五歳から給付されるとして、働きたい人は七十まで働く。その六十五と七十の間で、例えば二日働いてあとの三日分の年金をもらう、あるいは逆に二日分の年金をもらってあとの三日を働く、そして次第に完全に働かなくなる高齢時に軟着陸をしていくということが人間のあり方としては非常に自然なあり方ではないかと思いますし、そういう工夫も今後の年金制と定年の年齢の中ではしていただければというふうに思うわけでございます。  気がつきました第一の御質問に対しては以上三点でございます。  それから、二番目の御質問でございますが、長期連続休暇の必要というのは、これはもう言うまでもなく必要であるというふうに思います。しかし、年次有給休暇労働省の統計などでもほぼ半分の人しか完全にはとれていないというような状態でございます。これがなぜかということでございますが、一つは企業の中でとりにくい雰囲気があるということでございますから、そういう面につきましては、御指摘の各企業のこれを全うするための義務づけというのは私は大変いい施策かと存じます。やはりこういう休暇を十分にとることが結果的にはいいアイデアが生まれる素地にもなりますし、それからまた健康を保持してより生産面にも好影響を与える結果にもなるという、物差しの長い目で企業のあり方を国が律していかれるということは私は大変必要だと思いますので、そのことは賛成でございます。  しかし同時に、例えば夏休み休暇などをとっても大変疲れるとか、それによって非常にお金がかかったとか、いろんな声も各企業の働く人の間から聞かれるわけでございます。これはどういうことかと申しますと、やはり休暇というものをこなしていく場合に、遠くのどこかでかなりのお金を使ってそれを楽しむ、あるいはそういうあり方余暇あり方だというようなとらえ方がかなり一方であるわけでございます。  殊に子供がおりますと、子供夏休みの日記などにそういうことを書きませんと子供が肩身が狭くなるというようなことへの親の配慮などもあって、どうしても旅行、そして親は疲れて一方で金もかかっているということもあるわけでありますから、こういうことを考えますと、私は長期連続休暇を身近なところで親子がじっくりと楽しめるようなそういうあり方考えられるような環境整備、これは住宅及びそれから先ほどから言っております身近なところでの整備等が考えられなければならないと思います。  それから旅行その他につきましても、あるいはどこかで保養をするというようなあり方につきましても、やはり経費の問題などを含めてより安くそして疲れないようなあり方、これは交通政策などもそこへ関連するかと思いますが、そういうあり方。それから先ほど瀬沼参考人が言われましたように、休暇を分配して、一挙に例えば夏休みやお盆、暮れなどにもうくたくたになって新幹線で出かけるというようなことがないような配慮、こういうあたりのところがきめ細かく検討されていく必要があるように思います。  大体以上でございます。
  72. 瀬沼克彰

    参考人(瀬沼克彰君) 私も大体大筋におきましては一番ケ瀬先生と二つの御質問に対しまして同じ意見ですけれども、ちょっと違うところといたしましては、一つは、いわゆる脱工業の社会がやってくることによって六十五歳定年が実現する方向は大変難しいのではないか、望ましいのだけれども現実は難しいのじゃないか。むしろそれよりも終身雇用体制と年功序列の体制が崩れてくるということで、現に今かなりいろんな金融あるいは重厚長大産業等におきまして四十五歳とかあるいは五十歳の選択定年制というものがどんどん拡大しておりますので、六十五歳まで定年を延長するということは大変難しい時代がやってくるのではなかろうか。  そうしますと、じゃどうするかといいますと、私が考えておりますのは、六十五歳までずっと勤められるというそういう恵まれた方は大変いいと思うんですけれども、そうじゃない人たちがもしふえていくとすればその人たちに対してどうしたらいいか。恐らくそれは、非常にスクラップ・アンド・ビルドの激しい社会でございますので、とても六十歳とか五十五歳で何か新しく職業能力を開発してというのはもう不可能だと思います。  となると、例えば五十歳とか四十五歳とか、最近人生二毛作論なんというのがはやっておりますけれども、第一毛作と人生の後半でもう一つ生活をするという意味で二毛作でございますが、四 十五歳とか五十歳ぐらいで何か新しい職業、その時代にフィットした新しい能力開発、職業能力を習得いたしまして人生の後半、六十五歳ないし七十歳まではそっちの方でやっていく、二つの職業につくみたいなそういう方式になっていくのではなかろうかというふうに思っております。  それから、それはだんだんとなっていくにいたしましても、さしずめどうするかというと、今大体どこの国でもジョブシェアリングとかワークシェアリングということで高齢期に一つ仕事を二人で分け合うとか、それから時間によってワークを分ける、午前中だけ勤めるとか午後から勤めるとか、月水金は勤めて火木土はまたもう一人の方が勤めるとか、そういうふうな労働時間をだんだん減らしていくというやり方がどこでも行われておりますので、そういうことも必要ではないか。  それからもう一つは、趣味事業の勧めというふうなことで考えているんですが、これはさっきもちょっと時間がなくてフュージョンの考え方を余り詳しく申し上げられなかったんですけれども、余暇労働のフュージョンという考え方をちょっと高齢者に当てはめてみますと、最初仕事、第一の仕事というのは、どうも余り自分は好きな仕事じゃないけれどもずっとやってきた。それでやっと定年になって、本当自分が好きなこと、趣味をずっとやってきたその趣味で今度はそれを収入にしていく。例えば盆栽の好きな方がずっと趣味で盆栽をやってきて、定年以後はその盆栽を人に教えたり、それからその盆栽で自分がつくったものを小さな店をつくって売るとか、そういう形で趣味事業の勧めみたいなことでやっていく。  そうすると、どこまでが労働でどこまでが余暇なのか、完全にその二つが融合してしまうという、まさにこれからの社会の余暇論なんですけれども、そういうやり方もあるのではないか。そういうやり方で高齢者の雇用機会、あるいは本当に好きなことで収入を得ていくという方々が今大変ふえています。そのために田舎に引っ越しちゃうとか、いろんなそういう方がふえております。  それから、二つ目の年次有給休暇につきましては、私も法律を制定した方がいいと思うんですけれども、なかなかその辺法律がうまくいかないのであれば、これはほうっておいても今の若い人たち、特に新人類と言われている人たちを中心としまして、もう休暇は全部とるし、それから残業もしない、そういう人たちが先ほど申し上げたとおりふえてきておりますので、その人たちが中年になるころにはこの心配は全然なくなるであろう。むしろ遊ぶばかりの人がふえて働く人が非常に少なくなって、逆にまたその問題がという時代がもうやがてやってまいります。今は逆ですけれども、そういうことになりますと大丈夫でございます、心配がなくなるんです。  ただ、今の中年の人たちをじゃどうしたらいいかといいますと、これはやはりさっき申し上げたとおり、ただ休めというのじゃなくて、教育休暇とか文化休暇とか、それから海外研修休暇とか、そういうふうな形と連動さした形での年次有給休暇の義務づけという方が日本やり方としてはよろしいのではないかと思います。  以上です。
  73. 丸山博

    参考人(丸山博君) スポーツ、レクリエーションのソフトの部分ということでありますけれども、確かに施設を整備し、スポーツ、レクリエーションを奨励いたしてまいりますと、当然指導者というものが足りなくなってまいります。私どもの公民館というものが、市域に三十の公民館がございます。体育指導員、推進員と言ってスポーツの実技指導をやったり、あるいはスポーツ活動の組織づくりをやったり、あるいはスポーツ振興に対する啓蒙活動をやるというような役割の方々が合わせて二百名おるわけですけれども、この人たちの資質の向上というのでしょうか、研修というのでしょうか、こういうものを力を入れて毎年やっておるわけです。そして、最寄りの各学校を会場にしたところの地域スポーツ活動ということで一カ所当たり五万円の助成金を出して、そこで先ほど申し上げました体育指導員とか推進員、それからその区域の町内会の人あるいは公民館の方々等で運営、ことしひとつどういうものをやろうじゃないかというものを企画する組織をつくって、そこで最寄りのところでやるという形を一つ出しております。  それから、初心者スポーツ教室ということで、全く未経験な新しいスポーツを初めてやってみようというようなことのスポーツ教室、初心者のものを毎年幾つか開催をして、そしてそのスポーツに取り組んで継続していただく市民をふやしていこうということもこれもやっております。  それからもう一つは、日本レクリエーション協会と共催でレクリエーション学園という、一課程十回なんですけれども、これも毎年五十人くらいの方を募集するというか応募していただいて、これも毎年やっていただいていて、受講者の方が地域に帰って、お母さん方ですとPTA活動の中のスポーツその他の活動に生かしていただくとか、こういうものでやはり人を養成していかなきゃならぬ。それからその人を介して啓発をしていく、広めるというようなことをやっております。  それと同じような形で小学校の中のクラブ、特設クラブとか部活というのとは別に、地域の中で少年スポーツクラブというものの育成を四年ぐらい前から始めておりますが、これは小学校の子供をその地域の中でスポーツクラブとして組織して、そしてその地域の方がそのクラブを運営し指導していくための母集団と言っているんですが、そういうものを組織して、指導者が必要なときには指導者を派遣する。やはりこれにも助成金を出して育成していく。現在、四カ年間で五十八クラブの育成になっておりまして、空手、剣道、バレー、野球というようなものが主なものでございます。そういう形で身近なところでというようなものを展開いたしております。  そのほか種目別のスポーツ開放と言って、これは高等学校ももちろん開放しているんですが、そこで種目を限って、この学校にはどういうスポーッ種目のものを開放しますよということで、指導者をつけて毎週開設日を決めてやっておるというような取り組みをいたしております。  それから、スポーツ情報の提供というような場面については、現在やっておりますのは、市で毎月発行します市の広報紙というようなもので教室の開設、初心者教室の開設やイベント等はお知らせをしたりということですが、まだこの点はこれからもっと考えていかざるを得ないだろう、こう思っております。  それから、市民の理解を得るという立場でアンケート調査を実施したか、その結果はどうかという御質問でございますけれども、これについて私は、レクリエーション関係についてのみのものはしておらないように思います。ただ、市で三年前に長期計画を作成するときに、長岡市の行政の現状に期待をするものというようなトータル的なアンケート調査はやっておりますけれども、独自のものはやっておらないのではないかなと思っております。  以上です。
  74. 刈田貞子

    ○刈田貞子君 公明党の刈田でございます。  きょうは参考人の皆様、大変結構なすばらしい御意見を承りましてありがとうございました。私は持ち時間が少ないので、自分意見と質問を兼ねて申し上げ、その後御答弁をいただきたいと思います。  まず、一番ケ瀬先生にお伺いをしたいのでございますが、専業主婦の労働時間のことについてお伺いをしたいんですけれども、専業主婦というのが今家庭にいるのかいないのかという論議もございます。で、これは別といたしまして、税制等でも専業主婦控除などがあるところを見ますと、これも社会的位置づけとしては専業主婦がおる、こういうことになっているわけでございますね。  そういたしますと、こうした専業主婦の日常生活における時間配分の考え方、つまり家事労働というものをどこでその区切りと見て、そしてそれから先を余暇考えるのかというような考え方の 問題、これが私は常に自分の思いの中にあります。アフターファイブとかウイークエンドとかいうようなことは専業主婦の場合はないのではないか。しかし、余暇の演出について言うならば、ひょっとしたらこれから先の時代に向けて、余暇の演出というのはもしかしたら専業主婦がそのイニシアチブをとっていくのかもしれないという思いもありまして、専業主婦の存在が今後どう位置づけられ、考えられていくのかということをお伺いしたいと思います。  そしてあわせて、先ほど来余暇時間を楽しむに当たって家族というものが非常にばらばらに余暇を利用しているのではなかろうかという話が出ておりましたが、私も全く同様な思いを持っておりまして、家族がともに一つ余暇を過ごすということによって、今日社会的にも教育的にも種々課題を持っております家族、家庭というものの一つの大きな変化を遂げるということにもつながっていくのではないかなということで、私はこの家族、家庭と余暇というものに対してどういう考え方を持てばいいのか、こういうことを一番ケ瀬先生にお伺いをしたいと思います。  それから、瀬沼先生にお伺いしたいのは、これは具体的な質問でございますけれども、資料の二ページに「現代社会における余暇問題」の教育期における学校時間を二万時間とし、余暇時間を三・三万時間というふうにカウントしていらっしゃいますけれども、その六時間掛ける三百六十五、この六時間は先ほど来からずっと出ておりますように、平均的に考えられる余暇時間を六時間というふうに考えておられるわけですが、私は専業主婦からこういう場に出てまいりました関係上、やはり生活時間というものの考え方を非常に大事にしておる人間の一人でございます。  私ども、一般的に女性は八時間寝るとお肌が美しくなるなどと言われますものですから、睡眠時間は八時間と考えます。これまで労働時間を八時間とカウントいたしました。そして、私は残りの八時間を生活時間というふうに実は考えてきたんです。ところが、この国民生活の審議が始まってから、なるほど余暇時間というのは余って出てきた暇ではなかったのだという思いになりまして、そこで私が三つに配分していたこの生活、勤労あるいは睡眠という時間の分け方の概念を変えなければならないなあというふうに思いました。けれども、この生活時間というもののカウントの仕方をどこかでやはりしなければならないのではないかというふうに思っておりまして、先ほど一番ケ瀬先生は生存に大切な時間としての生活時間という言葉を使っておられましたけれども、私はむしろもっと生活を、あるいは生きるということを充実させるための生活時間あるいはそのことを楽しむための生活時間というふうに考えた場合、これは余暇とどういう形で連動させたらいいのかという問題を女性の立場から考えてみたいと思い、質問をさせていただきたいと思います。  それから、丸山参考人にお伺いをしたいのは、これも実は私は東京国立市の教育委員を長いこといたしておりました関係上、御提言なさった事柄が大変に一つ一つ切実に御努力なさっておられるなあという思いで伺っておりました。これはお伺いしたいことがたくさんございますけれども、一点だけ学校開放の問題についてお伺いをいたします。    〔会長退席、理事斎藤栄三郎君着席〕  先ほど瀬沼参考人からも、やっぱり施設開放は学校という施設をこれから対社会に向かって開放していくのが一番ベターだというお話も出たのでございますけれども、大中小――大学、中学校、小学校を通してこの学校施設の開放というのは口で言うほど簡単ではないということを実は私自身がやってきて一番実感しておるものでございまして、先ほど長岡市の例では体育館のみ開放しているという話でございましたが、私も実は地域で体育館のみ開放してまいりました。これから先、学校の教室等も含めた施設の開放ということに当たっては、これは実は大変なテーマがありましてできないんですね。  それで、私は文部省に向かって、学校施設を地域のレクリエーションあるいはレジャー、あるいはこれからのリカレント教育にまで適応できるようなモデル校舎を一つつくって提供してみるべきだということをさんざん申し上げてまいりましたけれども、大学を通してもあるいはまた地域の公教育としての小学校校舎としてもそのモデルが出てこないんです。これはいかに難しいかということでございまして、この学校という施設の開放は地域にとってみれば一つ教育財産であり、私が地域で開放してほしいと願っている地域の一橋大学はこれは国有財産でございまして、なかなか地域には開放されないという大変な問題がございまして、この学校の施設開放というのは言うほど楽ではない、こういうことなんです。  そこで、先ほど来からお話が出ておりましたけれども、何か工夫があるかどうか、これを一つ伺うのと、私の提案としては、学校はもうあきらめようということで、実は私は、民活型の施設要求を地域でやってきているというのを考えて、一つ実例もあるのでございますけれども、大手のスーパーが出てくるその一角をコミセン的機能を持たせて開放してほしい、それならば地域に出店してもよろしいと、こういう形の要求を出したことがありますけれども、これは企業がのみませんでした。  したがいまして、失敗しておりますけれども、例えば公団がそこに住居を建てるとき、一つの公共で使う場所を提供したり、あるいはまた緑の空間をとってもらったりというような形で公団等に対してはいろいろな施設要求を、あるいは学校も一緒に建ててほしいというようなことでできていくわけですね。    〔理事斎藤栄三郎君退席、会長着席〕 こんなふうな民活型の施設利用の仕方、こんな形のことができるであろうか、できないだろうか。あるいは、ローカルでいけば農工法、農村地域工業導入促進法によって地域に企業が進出いたします。そのときに体育館をつくってほしいというような要求をあわせてしていきながら地域にそういうスポーツ施設をふやしていくというようなこと、こんなことができるのか、できないのか。あわせてこれをぜひ教育長さんから御説明いただきたいと思います。  以上でございます。
  75. 一番ケ瀬康子

    参考人一番ケ瀬康子君) 私になさいました御質問、二つでございますが、まず最初の方からお答え申し上げたいと思います。  専業主婦の時間配分とその余暇活動の意味という御質問だったと思いますが、専業主婦の方の家事労働というものを考えましたときに、確かに共働きの主婦よりは家事労働の時間が長いようでございますが、しかし、それでも昭和の初めぐらいの主婦の労働時間よりもほぼ六時間以上短くなってきているという今日でございます。これは、電気掃除機、洗濯機その他電化製品が出回ったこともございますし、子供の数が減ってきたということもあるかと思います。したがいまして、専業主婦の方のいわゆる余暇時間というのは家事労働を除きました場合にもうかなりふえてきているわけでございまして、その方々は一体どういう傾向にあるのかということでございますが、これは両極分解で、一つはパートタイマー化の問題がございますが、もう一つはやはりカルチャーセンターなどの学習へ向かう方あるいはそのほか趣味活動をなさる方等があるかと思います。  私は、その点、例えば先進工業国の諸外国に比べましたときに、いま一つどうしても今後必要だなと思うのは広い意味のボランティア活動でございます。この点が日本の場合なかなか不十分でございまして、身近な日常生活の課題の中から積極的に社会をよりよくしていくための活動をするというあり方が従来考えられてこなかった、どうしてもマイホーム主義に閉じこもりがちであった。その点の突破口が出てまいりますと、これは私は専業主婦の方の社会的な意味、特に余暇時間の活用の意味というものは非常に大きいと思います。部分的には、例えば生活協同組合運動などで産直 運動を進められた方は高学歴の専業主婦の方だったわけでありますが、そういうことも含めて、これから高齢化に向かってのボランティア活動のあり方というのは大いに検討されなければならないことであろうと思います。  ただ、それと関連して申し上げれば、私はその点もやっぱり教育の問題があると思うので、かなり福祉に関する教育が学校教育などでも取り入れられてはきておりますけれども、まだ英米あるいは北欧等の諸外国に比べて福祉教育が本格化していない、こういうあたりのところから、余暇歴との関係で専業主婦の方がマイホーム主義に陥りやすい、こういうあたりをどう突破していくのかというあたりが今後の課題になるかと存じます。  それから家族ぐるみの余暇の必要でございますけれども、これも大変重要なことだと思うのは、私は、今のように触れ合いの時間、あるいはともに何かを楽しみ、ともに何かを創造していく時間が家庭内に欠けておりますと、これは実際に家庭があっても家庭がなきに等しい。よく家庭内離婚という言葉が話題になりましたけれども、一方で子供自体の家庭の中での教育なり育成がどうなっていくのかという点に非常に危惧を感じております。私は、やはり家族というのは人生の仲間としての心理的な安定を得る、また文化の伝承をする場であり、さらに子供たちにとっては人生の先輩である親から無言に何かを学ぶ場だと思うのでありますが、そのためにはやっぱり接触が豊かでなければ意味がないし、共同で何かをつくり出していかなければ意味がないというふうに思うわけでございます。  それからまた、ほかの家族との交流、いわば諸外国に見られますような家族同士の交流やパーティーなどを含めてまたいろいろな人間のあり方を学んでいく、あるいは身につけていく、そういう場にもなるわけでございまして、どうも余暇がその点において不十分であったということはここで検討していいことだと思います。  これがやはり不十分だった理由の大きなものは、一つは父親の就労時間が長過ぎ、しかも往復通勤時間が長い。東京都では片道平均一時間半かかるという数字が出ておりますが、合計三時間もただでさえ長い労働時間に加えられるわけでございますから、加えて残業時間がそれに入るわけでございますから、ほとんど日本の家庭は父親がいても単親家庭に等しいことになっているのではないかというふうに思うわけでございます。加えて住宅事情の悪さというのが家庭の家族ぐるみの余暇活動を妨げているというふうに思いますので、そのあたりを是正することを通じて、先ほど申しました家庭の意味を存分に発揮できるような余暇活動というのはこれは国民生活の課題の中で極めて大きい課題になり得るのではないかあるいはすべきではないか、こういうふうに思っている次第でございます。
  76. 瀬沼克彰

    参考人(瀬沼克彰君) 生活時間をどうとらえるかということで、現在におきましては各国とも、生活時間というのは一つ労働時間、通勤時間も入れたいわゆる拘束時間としての労働時間ですね。それからいろんな表現の仕方がございますけれども生理的必要時間というふうな、睡眠時間がこの中に入ってまいりますけれども生理的必要時間。あと、その二つを二十四時間から引いた余暇時間あるいは自由時間、そういうふうに言っているのが大体工業国におきましてどちらでも分けている分け方でございまして、生活を充実させるための時間が生活時間というとらえ方はちょっと今のところはございません。  ただ、私さっき申し上げましたこれからの脱工業社会になってくると、生活時間というのは、要するに労働時間とその余暇時間というものが混然一体としたものになってまいりますのでまた変わってくるかと思いますけれども、現状におきましては、さまざまな統計類は今言った三つで分けているという現状でございます。
  77. 丸山博

    参考人(丸山博君) 学校開放の問題でありますが、確かに学校施設を他に、目的以外に開放していくということについては当初非常に抵抗がございました。というのは、学校施設の管理責任というのは学校長でございますから、したがって一つの学校施設を開放するときの管理責任をどうするのかという問題があったわけです。建物の配置の関係から言いますと、多くのものは体育館というのは校舎、教室棟とは別に渡り廊下なりでつながっておるか、あるいはそうでなくても校舎部分と防火鉄扉等で隔離できるか、そういうような配置が多うございますから、したがって私どもの場合は時間外に学校開放として一般社会体育に使う場合においては学校長の責任から外して、それは直接行政、教育委員会が管理をするというふうに規則を制定し、そしてそこに開放管理者という者を任命して、翌日子供たちが使うときに支障がないというような条件をきちんと整えないと、なかなか学校の校長さんの方はようございますというわけにはいかないというような経過がございまして、現在もう軌道に乗っているんです。  ところが今おっしゃるように教室棟の部分を開放し、コーラスであるとかあるいは趣味の焼き物であるとかということに開放していくという形になりますと、非常に管理上の難しさがあるわけです。確かに子供の数が減少していくという傾向の中には余裕の教室が出てまいりますけれども、しかしそれが別棟みたいに隔離され、管理管理責任を区分できるかというと、なかなか当初の建物を建てた計画平面からいくとそういうわけにはまいらないという状況になっていると思います。個々の学校によって、また地域によって違うでしょうけれども、子供の数が十八学級規模の小学校が六学級規模になったというような極端な場合においては一つの棟をそういうふうに転用するということは可能であろう。そこまでにない状態の中で部分的に開放していくというのは管理上非常に難しさがある、それが隘路になっているんだろうと思います。  それで私どもの場合には、それとは別に学校施設は体育関係で開放する。コーラスであるとかあるいは料理教室であるとか趣味の教室というようなものは、公民館を今、例年二つくらいずつつくっておりますけれども、それをその中でやっていく。市街地部分、土地がない場合においては学校の校地の中にそういう部分を併設させるというような一つ考え方も出しまして整備をしていこうとしているわけでして、なかなか確かに難しい問題がありますので、私どものところは教室部分の開放は現時点では考えておりません。ただ、新しく学校をつくっていくという、改築をしていくというような平面計画の中では一階部分にそういうスペースを考えるように計画をいたしますけれども、既存の校舎の開放に教室部分を使うということになると、現状としては非常に困難じゃなかろうかなと思います。  それから民活型の考え方なんですけれども、これについては私は十分な知識を持っておりませんのでお答えはできないんですけれども、感じとしてはやはりスポーツ施設あるいは市民のレクリエーション施設ということになりますと、市民が気軽に安く使えるというようなことが大前提になってくるわけでありまして、学校開放であろうとあるいは公民館であろうと料金等は支払わない、市民が負担しないわけですから、これはこういう形のものになりますと当然採算制というものが導入されるんでしょうから、そういう形では果たして運営ができるのかという点が一つあります。それから、当然つくるときの資金調達の関係等もあって非常に難しいのかなというような気がいたしますが、私その点について十分知識を持ち合わせませんのでお答えができませんで恐縮です。
  78. 吉川春子

    吉川春子君 きょうはどうも参考人の皆さんありがとうございます。私も時間が少ないので、最初にまとめてお伺いすることにします。  まず、一番ケ瀬参考人に二点お伺いいたしますが、私は、労働時間の短縮と賃上げということが余暇時間をふやし、有効活用する上で大変重要な問題であるというふうに考えております。現在、政府が土曜閉庁による四週六休を行うための法案を国会に提案しております。しかし、これも労働 時間の短縮には直ちには結びつかないという中身の法案になっています。日本人労働時間が国際比較をしても大変長いということが午前中の参考人のお話にもありまして、事実そうですが、なかなか改善されない理由といいますか、労働時間短縮に障害となっているものは何であるのか、それの御意見を伺いたいと思います。  それからもう一点は、先ほど趣味を持たない人は持っている人より精神障害になりやすい、なった場合には回復はしにくく再発しやすい、こういう説明がありました。確かにそういうものかなということは感覚的にはわかるんですけれども、医学的にといいますか、統計的にといいますか、根拠があればぜひ教えていただきたいと思います。  それからその次は、瀬沼参考人にお伺いいたしますが、脱工業社会とかあるいは余暇時間、この定義がちょっと伺っていてよくわからなかったんですけれども、例えば余暇時間が一日六時間半で、年間百日、一生の間に二十七万時間と、こういう記述があるんですが、私ちょっと考えてみて、八時間寝て、それから八時間働いて、それに附属するいろいろな時間があってというふうになりますと、労働者の場合は普通の日はほとんど余暇時間というのはとれないんじゃないかと思いますが、また専業主婦も一日六時間半も余暇時間はとれないと思うんですけれども、これはどういう計算でこういう時間が出てくるのか、教えていただきたいと思います。  それから、先ほど余暇施設は民活でやってはどうかと、こういう提言がありました。その後さらに、いろいろ民間でやっているレジャー施設は採算がとれないんだというお話もありました。私は今、余暇をもっと拡大しなければならないということが世論としても起こってきているということは大変いいことだと思うんです。そういうときにやはり自治体あるいは政府、公的な責任というのが今まさにこの問題との関係で問われているのではなかろうかと思うんですけれども、その辺のお考えを聞かせていただきたいと思います。  それから最後に、丸山参考人にお伺いいたします。  長岡におきましては高度経済成長の最中にこういうレクリエーション課というものをつくられたということで、これはなかなか着眼点が進んでいたのではないかという印象を私は受けました。豪雪地帯であり、またいろいろな面があってということでしたけれども、長岡市としてレクリエーション課がこの余暇時間の活用その他でどういうところを目指しているのか、今後の目標ですね、そういうものをお聞かせいただきたいと思いますし、またその目標を遂行する上で障害になるものがあれば、それは何なのかということをお伺いしたいと思います。  それから、これだけ予算もほかの自治体と比較してかなり多いと思いますし、公民館の数もさっき伺いましてびっくりしました。いろんな施設もつくっておられると思います。こういう市のイニシアチブで余暇活動の充実を進めておられるわけですが、これが市民の健康とか市民の生活、ライフスタイル、そういうものに恐らく一定の影響を与えずにはおかないと思うんですが、具体的なそういう結果がありましたら説明していただきたいと思います。  以上です。
  79. 一番ケ瀬康子

    参考人一番ケ瀬康子君) 私には二つの御質問がございましたので、その最初の御質問からお答え申し上げたいと思います。  労働時間短縮と賃上げの双方が必要だという御意見は私も賛成でございます。と申しますのは、労働時間短縮と賃上げとその他幾つか項目を挙げて、今労働者がどれを望んでいるかという調査などの結果を見ますと、現時点では賃上げを要求している者の数が労働時間短縮を要求する者の数とほぼ等しい、あるいはやや高いぐらいの傾向が見られます。そういう意味では労働時間短縮をするためにもある程度の賃上げが必要だという根拠になるわけですが、それは一方で、残業手当をも含んだ現在の労働者の収入というものが既に生活を保持するために当たり前になってきているという実情をどう考えるかというあたりのことも関係するかと思います。  それでは一体家計の中で今何が一番圧迫をしているのかということでございますけれども、私は住宅ローンと教育費というものがやはり非常に大きな意味を持っているように思います。殊に地価高騰に伴う住宅ローンの問題というのはこれはあらゆる面で無視できない点だと思うのでありますけれども、この労働時間短縮とも関係するものと思われます。そういう意味で、賃上げだけではなくて、それを取り巻くところの社会的な諸条件の改善を含めた意味で所得を豊かにすることは労働時間短縮を労働者の側から肯定をするための一ファクターにはなるということは言えるように思うのであります。  それから二番目の御質問でございますが、精神障害の方と趣味の問題、これは先ほど申しましたように、カナダの林宗義博士の報告を御紹介したわけでございますが、恐らく長い間の臨床医としての体験、事例から言われたことと思いますので、統計的なものは別にございません。  ただし、同じような報告というのは幾つかございまして、例えば今精神分裂の方に対してのグループワークで、余暇活動を促進することによってその病状を緩和するというような試みがあちこちの保健所でなされているわけでございますが、その中では余暇活動の促進、とりわけ遊びをその分裂の方と一緒にすることによって、仕事の場面では失敗が許されないしマイペースが許されない、そういう中で極めてまじめな方が何かに失敗をして、そして障害を起こされている場合に、遊びはみんなが失敗をしながら、しかもやりたければやるし、やりたくなければやらないという自発性が重んじられるという点でだんだん心の壁が溶けてきたというような、そしてそれをきっかけとしてまた職場のいろんな壁を乗り越えられるような方向が出てきたという報告がなされています。これらのことは実践の中からの事例研究で恐らく積み重ねられて、より確認されていくものというふうに考えます。
  80. 瀬沼克彰

    参考人(瀬沼克彰君) 私も二つ御質問をいただきまして、一つは脱工業社会なりあるいは現在の社会の中で余暇時間が六時間とか七時間とかいうその積算根拠ということでございます。  特に、二ページに書いてございますけれども、これからの社会につきましては、この二百二十日というのは、完全週休二日制が実施されたといたしまして、それからあと三週間ないし四週間の長期休暇がやはり実施されたということにおきまして仕事が約七万時間になるんではないかということでございます。  それから、第二点目につきましては、民活で政府及び地方自治体の責任の回避という御指摘でございます。  私もやはりミニマムとしましては、特に条件整備で、余暇産業とかカルチャーセンターなどが先生方がお考えになるような収益性がそれほど期待できるビジネスではございませんので、何といいますか、国がミニマムとして、自治体がミニマムとしてさまざまな条件整備をやっていかなければならないと思うわけですけれども、現実の問題といたしまして、先ほど申し上げたとおり、テレビ離れがしてきて国民余暇活動をしたいと考えましても実際にその場かないということです。  それで、予算的に大体昭和五十二年ぐらいがこの関係の予算のピークでございまして、昭和五十二年あるいは三年以降ずっとマイナスでまいりました。マイナス五%ぐらいでまいりますと、五十二年の当時の水準に比べまして、率直に申し上げて現在かなり後退したというのが国レベルにおきましての予算でございますので、それを代替装置として、民間で利益は上がらないけれども企業のイメージアップあるいは企業は隣人として地域にも貢献しているんだということで、いろんな企業がそういった事業をやっているケースが多うございますので、その辺の多様化といいますか、それから人々が多様なものを、行政から提供してもら うものも勉強したい。しかし、そういう民間企業のものが私はそっちの方が好きだというふうないろんな方がいらっしゃいますので、決して政府の責任回避ということではなくて、民間のものも大いにいろんな意味で活発になった方が民活というのも大変よろしいんではないか、こんなふうにお答えした次第です。
  81. 丸山博

    参考人(丸山博君) 一点目は、長岡市の今後のレクリエーション行政がどういう方向を目指すのか、こういうことでありますけれども、これはレクリエーション課を設置したときの考え方を発展させていくということになるんでしょうけれども、市民の体力づくり、健康づくりというものを生活の中に日常化させていく。そういうことによって心と体の健康というものを保持して、明るく活力のある市民生活を目指すということに究極はなるんだろうと思います。そういう中で非常に広がりを見せてまいりますと、やはり施設の点でもう少し不足をするのかな、施設整備をもっとやらなきゃならないのかなという気がいたしております。  それから、やはり指導者層、リーダーになる方を養成していく。といいますのは、行政でイベントをやり、あるいは教室を開催していきますけれども、スポーツ人口をふやしていくためには、その人たちがひとり歩きして、独立をしてスポーツ活動をしていくようにしないとなかなか広がっていかないわけです。確かに幾つかのクラブは結成されます。しかし、途中でついえてなくなるというものも、やはり歩どまりが悪いというか、そういうのもないわけではありませんので、そういうグループができた、それを継続するリーダー、引っ張っていく人をそのグループの中から育てるというようなことをこれからやらないとなかなか底辺が広がらないのかなというような気もいたしております。  それから、やはり端的に言えば、いかにして働き盛りの方、男の壮年層を引き出してくるのかというのも一つの課題でないかなと思っております。どのような方策をすればいいのかはいろいろありましょうけれども、先ほどの小学生のスポーツクラブを親の会が育てるという中では、その小学生の親が中心になってやっていくわけですが、そうするとちょうど壮年層の方が出てくるとか、あるいは長岡市は子供会活動というのが非常に盛んでございまして、四百二十団体ぐらいの子供会が育成をされて、それぞれスポーツ活動、野外活動をやりますが、その面倒見をする指導者というのはやはりその親御さんたちですから、そういうものを通じてスポーツ、レクリエーションに足を向けさせるというような方策をやっているわけであります。  市民の健康、ライフスタイル、そのようなことを市が行政としてやってきてどのような変化があらわれてきておるのかということですけれども、市は、市民体育祭というようなものを、二十九種目ぐらいのものですが、市民に呼びかけての体育祭をやりますし、年々参加者が非常にふえてきております。それから、スポーツ関係のイベント、教室等にも非常に参加者がふえてきております。それから、親子でやるスポーツ教室等にも非常に積極的に参加をされる。そういう意味においては、市民の中にスポーツを日常化しようという考え方が非常に芽生えてきておるし、積極性が出てきておるというふうに評価をいたしております。
  82. 吉川春子

    吉川春子君 ありがとうございました。
  83. 平野清

    ○平野清君 どうも本日は長時間御苦労さまでございます。  お一人に一、二点ずつお伺いいたしますけれども、特に一番カ瀬先生には、住宅の問題とか土地の問題ということが余暇問題に大きなかかわりを持っているということをお聞きしまして、日本のサラリーマンというのは本当におとなしいんだなとつくづく再認誠しますけれども、それはそれとして、週休二日制が来年から銀行、郵便局、官庁で行われるとしますと、ある銀行の支店長さんがこういう話をしておりました。  日曜、祭日、土曜日と計算すると、一年にもう百二十幾日になってしまう。うちの有給休暇を合わすと百四十日から百五十日休む。そうしますと、銀行マンはその百五十日間何をしようかなという人間がいっぱいいて困っているよと。そういう話のほかに、反対に今度は中小企業、零細企業の人たちは、もうそれどころじゃなくて、残業残業でもってやらなければとても食べていけない。その国民的なギャップが、例えば資産を持っている者と持っていない人の差が広がると同じように、恵まれたサラリーマンと恵まれないサラリーマンの格差がどんどん広がっていってしまう。そういうものに対するお考え方をお聞かせいただきたい。  それから、レクリエーションの指導者の問題をおっしゃいましたけれども、これはあくまでボランティア活動を想定されているのか、自治体なり国家なりがきちっと報酬を与えてやることを御想定なさっているのかということをお聞きしたいんです。  例えばいろんなレクリエーション団体やクラブを見ておりますと、ごく一部の人が犠牲を払って一生懸命クラブを引っ張っていく。今の長岡の教育長さんのお話でも、そういう方が亡くなるとそういうクラブはつぶれてしまう。ソフトボールなんか聞いてみますと、一日四試合審判をやって、一日千円だというのですね。一年に四回も五回も大会があると、もうその人は一年じゅうの日曜日は全部つぶれてしまう。それで、ほかの人たちは全部そういうレクリエーション指導者に寄っかかってしまって、黙ってついていって、参加すればいいというのが現状のような気がするんですね。そういうものはあくまでもごく少数のボランティアに任せっぱなしでいいものなのか。そういう点のお考えをお聞かせいただければと思います。  それから瀬沼参考人には、中年サラリーマンの教育休暇のお話がございましたけれども、またもとの学校に戻すとか、隣接の学校に戻るようなことのお話がございましたけれども、その教育内容というのは具体的に何を指すのか。例えば改めて国語の勉強をするのか、それとも余暇の勉強をするのか、社会常識の勉強をするのか。どういうことをお考えになっているのか。  それから長岡の教育長さんには、それだけ長岡が一生懸命やられたら、近隣市町村にも相当な影響を与えていると思うんですね、その与えた影響。もしくは、それとも長岡が近隣の市町村と交流的なことをやっていらっしゃるのかどうかということが一点。  それからもう一つは、恐らく一年のうち九カ月か十カ月しか野球場とかテニスコートとかゲートボール場は雪のために使えないと思うんですね。その冬季の場合のスポーツ振興というものは、限られた体育館の中で希望がいっぱいあるスポーツ団体の振り分けやなんかをどうされているのか。その二点をお聞かせいただければと思います。
  84. 一番ケ瀬康子

    参考人一番ケ瀬康子君) 最初の御質問でございますけれども、確かに週休二日制あるいはまたそのほか労働時間短縮の問題で一番気になりますのは、日本の中小企業、零細企業の問題でございます。このままでまいりますとかなり格差がついてくると思いますし、時間上の格差ばかりではなく、日本の大企業はかなり余暇設備を持っております。それらの余暇設備を全く持たない中小零細企業の場合には条件すらないわけでございます。ここら辺につきましては、一つ労働時間短縮の問題と関連して中小企業対策をより積極化されていく必要があるのではないかというふうに思います。  殊に中小企業でなければできない業種転換の問題、その問題に絡まりますと当然この労働余暇の問題の、先ほどから出ております融合したあり方などにもつなかる業種転換がある程度可能なのではないか。そういう意味では今後の中小企業対策を、産業構造全体の転換の中でどこへ位置づけた指導をされていくのかというあたりが余暇問題でも強く関連をしてくるところだろうと思います。  それから、設備の問題にいたしましても、大企 業の持っておりますいろいろな余暇設備を地域に開放するという方向をぜひ今後何らかの意味で促進していくということは重要であろうと思うわけでありまして、どうしても中小零細企業の余暇設備というのは大きく大企業に比べて差がございますだけに、それらを含めた地域のあり方というものが検討課題になってくるかと思います。  それから二番目のレクリエーションの指導者の問題でございますが、私が申し上げましたのは、ボランティアの方にはボランティアの方の必要もあるかと思いますし、そういう方がおられていいんだと思うんですが、一方でやはり専門家が必要な時代に入ってくるように思います。  殊に地域において子供たちの遊びの問題にいたしましても、結局、時間、空間、仲間がいないという時期が過ぎまして、遊び方を知らない子供たちがふえてきている。そういう場合に、やはり欧米などでなされているように、公園の中でのレクリエーション指導のワーカーが公園には必要になってくるように思いますし、そのほか高齢者の方の特に大勢生活をしておられるような病院やホームのような場合あるいは地域センターに、やはり高齢者の方に十分情報を提供しながらレクリエーションのためのアドバイスをする、そういうレクリエーションワーカーという職種が日本でもこれからは必要であろうと思うわけでございまして、その面を申し上げたわけでございます。  ボランティアの方がすそ野でいろんなことをやってくださることも必要ですけれども、それらを含めて積極的に情報提供あるいは相談に乗る、あるいは技術の最初の指導を行う、こういう方が今後は必要になってくるという意味でございます。
  85. 瀬沼克彰

    参考人(瀬沼克彰君) 教育休暇の受け皿として考えるべきことは、学校というのを建物そのままの形では利用できないから、学校の土地に着目して、上物はやっぱりそれぞれ成人男子が適するようなものをつくっていかないと、現在のままではちょっとだめだと思います。  要するに中身の問題でございますけれども、今までは、先ほど来お話に出ていますように、学校開放というのは要するに校庭とか体育館とかほんの一部だったんですけれども、私が考えておりますのはそうじゃなくて、もう学校全体ということで、特に教室その他が大事であろうというふうに考えます。プログラムは、もちろんちょうど小学校と中学校、いわゆる初等中等ですか、この場合は余暇的なものが地域に身近ですから必要だと思いますけれども、高校、大学になりましたらば、私は余暇的なものにプラスして、先ほどの人生二毛作ではございませんけれども、職業教育がかなり中心になるべきではなかろうかというふうに考えております。  と申しますのは、大体欧米各国とも十年前ぐらいからそういった地域、例えばアメリカではコミュニティカレッジという形ですね。それから西ドイツではフォルクスホーホシューレという、国民大学というふうに訳されますけれども、それは大体七、三ぐらいの割合でプログラムを分析しますと職業教育の方が多うございます。余暇教育の方は三割ぐらいという感じですので、別にそれをまねする必要はありませんけれども、やはり地域で、なるべく遠くないところで、高校、大学の場というのは職業教育を主体にしてもちろん余暇の能力開発もする場、それからあと小中は非常に自分の家から近いですから、むしろ余暇中心で職業の方は少しでもよろしいんではないかと、そんなふうに考えます。
  86. 丸山博

    参考人(丸山博君) 長岡市の取り組みが近隣市町村へ及ぼした影響ということでありますけれども、長岡市が当初力を入れてまいりましたのは競技スポーツというよりも、スポーツにかかわる市民をふやそうというような形で進めてきたわけでして、そういう意味では交流試合的なものについては特に長岡市が積極的に取り組んだことによってふえたというようには思っておりません。それは全体的にスポーツ活動が盛んになってきた中で、主催団体が行政でやるものあるいは報道関係でやるものとかいうものは、数はふえてきたようでございます。また施設整備の場面では、やはり近隣でも整備が刺激になったのかなというような気もいたしております。  それから冬期間の話がございましたが、確かに冬期間になりますと屋外のスポーツができないわけですので、非常にそういう点では施設が不足をするというような状況が出てまいります。特に御婦人の方のテニスというようなものになりますと、あれは室内体育館ですと相当大きなものでも二面くらいしかとれないというようなことになりましょうから、ところがテニス人口は非常に多いわけですので、そういう場面ではこれはなかなかそれを全部充足するというわけにはいかないわけです。  そういう意味から、スキー場を市営でつくったとか、あるいはそれからクロスカントリーのスキー、あるいはもっと手っ取り早くは歩くスキーというようなものを行政として大いに奨励をしたり、初心者スキー教室を各年齢に応じて開催するとかいうふうなことで、スポーツをする場の確保や開発は行っておりますが、やはり何といっても雪のないときのものをそのままというわけにはなかなかいかないのが実態だと思います。  したがって、今総合体育館というのをつくっております。その前にも二つあるわけですが、そういうところには体育館の中にランニングコースというのをつくっておりまして、今ありますのは一周百五十メートルだったか、今つくっておりますのは二百メートルですが、そういうときに個人で行ってもランニングができるとか、個人で行ってあいているときは使えるような制度にしたり、あるいは年間会員制というようなものを導入して、フリーに行ってフリーに使える、あいているときは使う、そんなふうな運営の方で工夫をしていかざるを得ないと、こう思っております。
  87. 平野清

    ○平野清君 どうもありがとうございました。
  88. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上で参考人に対する質疑は終わりました。  一番ケ瀬参考人、瀬沼参考人及び丸山参考人におかれましては、お忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。お述べいただきました御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。参考人の方々に対しまして調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後五時十分散会