○藤原ひろ子君 私は、
日本共産党・革新共同を代表し、
教育職員免許法の
改正案について質問いたします。
質問に先立ち、
教育問題を語る上でどうしても触れなければならないことがあります。
それは、一連の
教育法案の
基礎になっている
臨教審答申が、ただいま国政上の最大問題になっている
リクルート疑惑に深くかかわっていることです。
臨教審設立に最も深い中曽根前首相、森元文相に
リクルートの
非公開株が
譲渡され、
リクルートの
江副氏自身も
教育課程審議会と
大学審議会委員になっていたのであります。まさに、今日
政府が進める
教育改革の根本が汚されていたという
疑惑が持たれる重大問題であります。ついに検察の強制捜査まで受けるに至った
疑惑の会社の
責任者をこれらの
委員に
任命した、その非を
総理は率直に認めるべきではありませんか。(
拍手)
私は、
リクルート疑惑の徹底解明こそが法案
審議に先行してなされるべきであることを強く要求するものです。事は次代を担う
子供たちの
教育に関することであり、いささかのあいまいさも許されないものです。この点について、
教職経験を持つ
竹下総理に明確な見解を伺うものであります。
本法案は、戦後の教師
養成と
免許制度を抜本的に変え、戦前の師範型教師
養成への回帰につながる重大な
内容を持っており、断じて認めることはできません。かつての侵略戦争遂行に大きな役割を担わされたのが、師範
学校で訓練を受け、
教育勅語による国家主義
教育の先頭に立った教師でした。戦後の教師が教え子を再び戦場に送るなという
決意を固めたのは、まさにこうした体験に立つ痛苦の
反省からにほかなりません。
総理は、戦前の軍国主義
教育についてどのように
反省されるのか、お伺いいたします。(
拍手)
戦後こうした教師
養成のあり方が否定をされ、
大学での
養成と、いずれの
大学でも
免許状が取れるという
開放制の
原則が確立されたのは、当然の帰結とはいえ画期的なことでした。今求められているのは、どのような教師なのでしょうか。それは、
教育の専門家として、
憲法と
教育基本法の精神に立脚しながら、専門的知識は
もとより、
子供の発達についての科学的な知見を身につけていること、
人間としての尊厳を守り、科学的真理、真実に従い、自主的に考え、取り組めること、とりわけ学力問題やいじめなど、深刻な事態の解決に立ち向かい、みずからも民主的市民道徳の実践者として
父母や地域の要求に積極的にこたえ、
子供の
教育と人権を守り抜くという、
教職について高い
社会的使命の自覚と情熱を持った教師です。
そうした教師づくりを進めるためには、
大学での充実した教師
養成、
国民として、労働者としての基本的諸権利の保障、創意工夫が発揮されるような
教育上の自主的権限や、自主
研修に励む機会の保障、
学校の自主性と民主的な
学校運営の確立、受験競争の是正や四十人以下の学級の
実施など、
教育条件を整えることが不可欠です。
総理、このような教師づくりこそ今日求められているのではありませんか。また、戦後の教師
養成の
原則についてどのように考えておられるのか、お答えください。
本法案が教師の
資質向上に果たしてつながるのか、主要な問題について質問をいたします。
第一の問題は、
普通免許状の
種類を二
種類から三
種類に改め、
大学院修士卒の専修、四年制
大学卒の一種、短大卒の二種という、
学歴による格差を持ち込もうとしていることです。
現行の
普通免許状も一級、二級の区別はありますが、資格としては同等に扱われており、十五年以上の在職で上進できる道も開かれています。ところが、今回の三
種類免許状の導入は、一九七一年の中教審
答申で打ち出された校長、教頭、上級教諭、教諭、助教諭という、いわゆる五
段階格差と賃金導入構想をベースにしていることは明らかです。そうではありませんか。また、二種
免許状について、
一種免許状の
取得義務が課せられ、十五年以内に
取得しなければ、四十五
単位を
修得しない限り上進できないことにされますが、これも教師を
取得競争に駆り立てることになります。
このように、
免許状三
種類化は明らかに本来同等であるべき資格に三
段階の格差を導入するものであって、
教員の
資質向上に資するどころか、逆に、本来対等、平等であるべき教師間に分断と誤った競争を持ち込み、
教員相互の協力関係を困難なものにせざるを得ません。それは結局教師管理を強め、戦前の師範
学校のような上命下服の体制に引き戻そうとすることになります。こうした問題が起こらないと断言できるのですか。そうだとすれば、その根拠を明らかにしていただきたい。
第二の問題は、
社会人の活用を口実に、
大学での
教員養成の
原則を崩して、
特別免許状の創設や
免許状なし特別
非常勤講師制度の導入を図ろうとしていることです。
社会的な経験を豊かに持つ人や文化的
活動を担う人が
学校の
教育活動に参加することは、それなりに意義があります。その場合大切なことは、上からの押しつけではなく、
学校の自主的で系統的な指導計画に位置づけることであり、
現行でも十分できます。ところが、
臨教審で言う
社会人の活用とは、今後の
教育の
多様化に見合うように、即席で安上がりの教師をつくろうとするものです。このような即席の教師をつくることと、
大学での正規の
基準を
引き上げて資格
取得を厳しくすることとは、全く矛盾した考えではないのですか。
しかも、現実には、
免許状取得者で希望しながら就職できない人が多いことや、臨時
教員を何年も続けながら正式採用にならない人が増大していることを考えるならば、
特別免許状や特別
非常勤講師をつくるなど、とんでもないことではありませんか。臨時
教員の正規任用こそ直ちに行うべきです。これらの点について明確な答弁を求めます。
また、
社会経験や専門の学識があっても、それだけで
子供の
教育ができるということにはなりません。例えば、
大学の教授が小
学生に教えることがどんなに困難なことか、まるで違うのです。それは、
教育という
営みが、
子供の発達
段階に即して知識と
人格を形成していくものであるからです。
さらに、
学校は
教育の専門家としての教師が集団的、組織的に
教育を進める場であり、教師は
子供の学習による発達を保障することを職責としています。
父母は、
子供の
教育を、専門の知識ばかりではなく、
子供の
人格形成にかかわる
教育者としての教師に信託をしているのです。このような専門的
教育と経験を経ていない
社会人に
教職という崇高な仕事を安易に任せることは、
学校教育の使命を軽視したものと言わざるを得ません。はっきりとお答えください。(
拍手)
第三の問題は、
大学での
免許状取得に必要な専門
教育科目の
修得単位数を、三から十一
単位も大幅に
引き上げていることです。
現行の
単位数でさえ詰め込みとの批判があり、これ以上増加させられれば、時間に追われて、ゆとりを持って資格を取ることなど困難になるでしょう。
大学で教師の資格を取る場合は、決められた
単位だけ
修得すればよいのではなく、専門の学問
分野についての学術的
基礎を培い、個性豊かな
人間的
資質を磨くことが不可欠であって、これを欠くなら、形式的に資格要件を満たせばよいという傾向や、
教育系
大学以外での
免許取得が困難となる事態を招来しかねません。何よりも問題なのは、職業訓練的性格が濃くなり、狭い
教育技術や方法の枠内に教師
養成教育を閉じ込める、すなわち、かつての師範
学校型
養成につながることです。これらの点についてどのように考えているのか、お答えいただきたい。
さらに、この
単位の増加は、
大学の自主性を侵害することにもなります。どのような
教職専門科目を開講するかということは、各
大学が
教育に関する
基礎科学の研究を土台としながら、自主的に決めるべき事柄です。
大学が自主的で個性的なカリキュラムを組めるように、必要な人的、物的条件を整えることこそ今日求められているのではないでしょうか。明確な答弁をお願いいたします。
以上に加えて、一年の短期
養成コースである
教職特別課程の設置を初め、全く安易に教師
免許取得の例外
措置を拡大していることなど、多くの問題を抱えています。これらは
資質向上に逆行するのではありませんか。お答えください。
まさに今回の法案は、戦後の
憲法と
教育基本法に基づいた民主的な教師
養成と
免許制度を抜本的に改悪をし、初任者
研修制度と並んで、教師の国家統制を一段と強化する反動的なものにほかなりません。
日本共産党・革新共同は、本法案の撤回を断固要求をし、民主的な
原則に立った教師
養成の充実、
国民のための
教育の実現に向けて全力を挙げるとともに、今日の
国会に課せられた最大課題である
リクルート等
疑惑の全容解明と、公約違反の
消費税法案阻止のために闘う
決意を表明をして、質問を終わります。(
拍手)
〔
内閣総理大臣竹下登君
登壇〕