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1988-12-20 第113回国会 衆議院 法務委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十三年十二月二十日(火曜日)     午前九時三十二分開議  出席委員    委員長 戸沢 政方君    理事 逢沢 一郎君 理事 井出 正一君    理事 今枝 敬雄君 理事 太田 誠一君    理事 保岡 興治君 理事 坂上 富男君    理事 中村  巖君 理事 安倍 基雄君       赤城 宗徳君    石渡 照久君       上村千一郎君    木部 佳昭君       塩川正十郎君    塩崎  潤君       中川 昭一君    丹羽 兵助君       松野 幸泰君    宮里 松正君       伊藤  茂君    稲葉 誠一君       山花 貞夫君    橋本 文彦君       冬柴 鉄三君    安藤  巖君  出席国務大臣         法 務 大 臣 林田悠紀夫君  出席政府委員         法務政務次官  山岡 賢次君         法務大臣官房長 井嶋 一友君         法務大臣官房司         法法制調査部長 則定  衛君         法務省民事局長 藤井 正雄君         法務省矯正局長 河上 和雄君         法務省保護局長 栗田 啓二君         法務省人権擁護         局長      高橋 欣一君         法務省入国管理         局長      熊谷 直博君  委員外出席者         最高裁判所事務         総局人事局長  櫻井 文夫君         最高裁判所事務         総局経理局長  町田  顯君         最高裁判所事務         総局民事局長  泉  徳治君         最高裁判所事務         総局刑事局長  吉丸  眞君         参  考  人         (慶應義塾大学         法学部教授)  加藤 久雄君         参  考  人         (東洋大学工学         部教授)    佐藤 晴夫君         参  考  人         (明治大学法学         部教授)    菊田 幸一君         法務委員会調査         室長      乙部 二郎君     ───────────── 委員異動 十二月二十日  辞任         補欠選任   稻葉  修君     石渡 照久君   加藤 紘一君     中川 昭一君   山田 英介君     橋本 文彦君 同日  辞任         補欠選任   石渡 照久君     稻葉  修君   中川 昭一君     加藤 紘一君   橋本 文彦君     山田 英介君     ───────────── 本日の会議に付した案件  裁判官報酬等に関する法律の一部を改正する法律案内閣提出第一六号)  検察官俸給等に関する法律の一部を改正する法律案内閣提出第一七号)  刑事施設法案内閣提出、第百八回国会閣法第九六号)  刑事施設法施行法案内閣提出、第百八回国会閣法第九七号)      ────◇─────
  2. 戸沢政方

    戸沢委員長 これより会議を開きます。  お諮りいたします。  本日、最高裁判所櫻井人事局長町田経理局長泉民事局長吉丸刑事局長から出席説明要求がありますので、これを承認するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 戸沢政方

    戸沢委員長 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。      ────◇─────
  4. 戸沢政方

    戸沢委員長 内閣提出裁判官報酬等に関する法律の一部を改正する法律案及び検察官俸給等に関する法律の一部を改正する法律案の両案を議題といたします。  まず、趣旨説明を聴取いたします。林田法務大臣。     ─────────────  裁判官報酬等に関する法律の一部を改正する法律案  検察官俸給等に関する法律の一部を改正する法律案     〔本号末尾に掲載〕     ─────────────
  5. 林田悠紀夫

    林田国務大臣 裁判官報酬等に関する法律の一部を改正する法律案及び検察官俸給等に関する法律の一部を改正する法律案について、その趣旨を便宜一括して説明いたします。  政府は、人事院勧告趣旨等にかんがみ、一般政府職員給与を改善する必要を認め、今国会一般職職員給与等に関する法律の一部を改正する法律案及び特別職職員給与に関する法律及び国際花と緑の博覧会政府代表の設置に関する臨時措置法の一部を改正する法律案を提出いたしました。そこで、裁判官及び検察官につきましても、一般政府職員の例に準じて、その給与を改善する措置を講ずるため、この両法律案を提出した次第でありまして、改正の内容は、次のとおりであります。  第一に、最高裁判所長官最高裁判所判事及び高等裁判所長官報酬並びに検事総長次長検事及び検事長俸給は、従来、特別職職員給与に関する法律適用を受ける内閣総理大臣その他の特別職職員俸給に準じて定められておりますところ、今回、内閣総理大臣その他の特別職職員について、その俸給増額することとしておりますので、おおむねこれに準じて、最高裁判所長官最高裁判所判事及び高等裁判所長官報酬並びに検事総長次長検事及び検事長俸給増額することといたしております。  第二に、判事判事補及び簡易裁判所判事報酬並びに検事及び副検事俸給につきましては、おおむねその額においてこれに対応する一般職職員給与等に関する法律適用を受ける職員俸給増額に準じて、いずれもこれを増額することといたしております。  これらの給与の改定は、一般政府職員の場合と同様、昭和六十三年四月一日にさかのぼって行うことといたしております。  以上が裁判官報酬等に関する法律の一部を改正する法律案及び検察官俸給等に関する法律の一部を改正する法律案趣旨であります。  何とぞ慎重に御審議の上、速やかに御可決くださいますようお願いいたします。
  6. 戸沢政方

    戸沢委員長 これにて趣旨説明は終わりました。      ────◇─────
  7. 戸沢政方

    戸沢委員長 これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。稲葉誠一君。
  8. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 大臣のおられる間に、来年度関係予算なり行政に関する基本的な問題といいますか、そういうふうなことについて質問を申し上げたい、こう思うのです。  今、私ども法務局へよく参るわけですが、登記の問題それから戸籍の問題、国籍、供託、行政訴訟業務人権擁護業務、いろいろ地域住民と非常に深いかかわりを持っていることは御案内のとおりです。そして、その権利と財産を守る上で重要な役割を担っておるのですが、業務量が非常に増大をいたしておりまして、従事職員不足しておる。いろんな形でやりくりをしておるようなんですが、業務の停滞、過誤、サービスの低下、職員健康破壊、深刻な問題が発生しております。  これは特に法務局関係ですが、それから更生保護事業についても犯罪多様化をしてまいりまして、少年犯罪といいますかそういうふうなものの増加によってこれまた業務増大をしておる。出入国管理業務、これは私ども東京入管へ何回か参りましたし、大臣も行かれたことですが、外国人労働者の流入の問題、国際交流活発化によって出入国者増大して入管業務が著しく繁忙をきわめておる。そういうふうなことから、特に法務局関係更生保護官署出入国管理官署職員について、これは大幅な増員を図ってほしいということが再三要求をされておりますし、請願でも採択をされておるわけなんですから、まずこの点についての大臣のお考えといいますか、今後の御努力というものについて見通しを含めてお答えお願いいたしたい、かように存じます。
  9. 林田悠紀夫

    林田国務大臣 法務委員会先生方におかれましては、法務省の置かれている、特に職員状況につきましていつも温かい御支援をいただいておりまして、本席をかりまして厚く御礼を申します。  まず法務局、特に登記関係職員、また更生保護官署それから出入国管理官署職員が十分でないことはかねがね言われておるところでありまして、特に最近は不動産関係異動でありまするとかまた外国からの入国者の激増、そういうことによりまして繁忙をきわめておるところでございまして、大幅な増員を行うことは仰せのとおりまことに急務になっておるところでございます。  しかしながら、現在政府におきましては行財政改革を実施中でございまして、なかなか困難な情勢にあるわけでございまするが、法務省といたしましては何とかしてこの所管業務が円滑かつ適正に進んでいきまするように職員増員を図らなければならない、かように存じておるところでございます。私も行政官吏方々にも接触をいたしましてぜひふやしてもらうように、またそういう人人も大蔵省を含めまして相当法務省人員については考えてくれておるところでございまして、増員を図っていきたい、かように存じておりまするので、今後ともよろしく御支援のほどお願いを申し上げます。
  10. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 詳細な点は特に法務局関係についてまた後で質問したいと思っております。  それから法律扶助事業ですね。これは法律上の扶助を要する者の権利擁護を目的として、資力の乏しい者に対する訴訟費用の立てかえ、弁護士の紹介、法律相談法律に関する知識の普及など幅広い業務を行っているのですが、予算不足が深刻だということで再三この増額要求されているわけですね。それで、法律扶助事業に対する補助金の継続的な増額を図ってもらいたいということが日弁連その他から強く出ているわけですが、これに対する大臣お答え、お考えお願いしたいと思います。
  11. 林田悠紀夫

    林田国務大臣 貧しい人々に対する法律扶助を図っていきますことは、現下の非常に重要な問題でございまして、この法律扶助事業に対する補助金予算額は数年来七千二百万円に据え置かれておるところでございます。  そこで、来年度を初年度にいたしまして五年計画ぐらいでこれを相当額増額をしていきたい、かように考えておりまして、ぜひ法務省の最重点事項の一つといたしましてこの増額の問題に、今回の予算編成を通じて取り組んでいきたい、かように存じております。どうぞよろしくお願いします。
  12. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 これは私どもも党派を問わず協力させていただきたいというふうに思っております。  それから、これは要望なんですが、日本弁護士連合会会館建てかえという問題ですね。これについては、司法制度に同連合会が果たしている役割にかんがみて、法務省としても最大限に協力を願いたいということですが、お答えいただければと思います。
  13. 林田悠紀夫

    林田国務大臣 現在、日弁連それから東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会弁護士合同会館建てかえが議題になっておりまして、寄附金税制面での配慮についての協力等に関する要望を受けておるところでございます。この問題につきましては、具体的問題におのおの即応いたしましてできるだけの協力をさせていただきたいと存じております。
  14. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それから、法務同等老朽庁舎が相当あるのですが、国民サービス観点から改築に努める、それから転勤者用宿舎の増設に努めるということについてもお願いをしたい、こう思うのです。これは、きょう矯正局長を呼んでなかったのですが、法務局と同時に拘置支所の場合が、大臣、古いのがあるんですよ。大分直してきましたけれどもね。これは風が吹いたり火事になると大変な騒ぎになりますからね。騒ぎという言葉は悪いですが、大変なことになります。ですから、法務局等老朽庁舎改築の問題ですね。
  15. 林田悠紀夫

    林田国務大臣 法務局、特に登記所でございまするが、もう所々方々において老朽化をしております。これを改築し、また登記所コンピューター化していくということにつきまして既に始めておるわけでございまして、今後も大いにこの問題について努力をしていかなければならないと存じておるところでございます。  また、転勤者用宿舎の確保についても現在まで努力してまいっておりまするが、今後もこれを続けてまいりたい、かように存じております。
  16. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それから、今後大きな問題となってくると考えられますのは、借地借家法改正の問題なんですね。これは十一月に中間試案が出るような話もちょっと聞いたのですが、まあおくれておる、こう思うのですが、これは非常に大きな問題を含んでおりますので、事前関係団体意見を十分に聴取するということを踏まえて慎重に配慮していただきたい、こういうふうに思うのです。その点について大臣なりあるいは民事局長なりのお答えを願えれば、こう思うのですが。
  17. 藤井正雄

    藤井(正)政府委員 現在法制審議会民法部会におきまして借地借家法改正審議が行われております。六十年の十一月に民事局参事官室から「借地借家法改正に関する問題点」を公表いたしました。これにつきましては関係各界意見照会をしたわけでございますけれども、その中にはもちろん利用者である借地人借家人団体等、あるいは地主、家主団体等、そのほか非常に広い範囲にわたりましてこれを配付いたしまして意見を照会いたしまして、大体そういう団体からは漏れなく意見をちょうだいいたしております。それを審議に反映をさせております。  年が明けまして明年の早い時期に改正試案の公表にまでこぎつけるのではないかというふうに期待をいたしているところでございますが、試案を公表いたしました場合には、これもやはり同様に関係団体にお送りをいたしまして、広く意見を聴取するという考えでおります。
  18. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 今の問題は非常に重要な問題を含んでいまして、ですから、そんなに無理に急いでやると事を誤るということになってもいけないと思いますので、事前に慎重に各団体意見を聞いて対処をしていただきたい。借地借家人の利益をしっかり守るという観点が非常に大きなポイントになる、こう私どもは思いますので、その点については要望をいたしておきます。  そこで、民事局長にお尋ねをしたいのは、登記事務が、民間活力土地騰貴でずっとふえていますね。ふえている中で、下請パート職員が非常にふえているということが言われておるのですね。どうも、この下請で千三十三人というんですから、毎日そのくらい従事しておる。それから民事法務協会というんですか、そこに事務委託をしておる。あるいはパートが毎日四千人ぐらいいるんだということが言われておるのです。それから部外者応援というのも随分多いですね。これらを今後なくしていって、ちゃんとした正規な職員増員してやっていくということについて、民事局としてはどういうふうに考えておるわけですか。
  19. 藤井正雄

    藤井(正)政府委員 登記事務につきましては、仰せのように非常に繁忙をきわめておりまして、そのために、これを処理するに必要な定員の増をかねてから強くお願いをいたしてまいりまして、関係当局の御理解をいただいて毎年幾らかずつの増員をいただいているところでございますけれども、なおこれには不足をしているという実態にございます。そのために、ただいま仰せにございましたように、乙号事務民事法務協会下請をさせている、あるいは賃金職員を多量に雇用しているということでもって現実事務処理を何とか図っているという状況にございます。また、部外応援も相当数あるという大変好ましくない実態がございます。  これは、現下定員事情が非常に厳しいというところからやむを得ずこういう措置をとりまして、予算化お願いして行っているところでございます。これは短期的にはなかなか解決することが困難でございますが、決してその努力を放棄しているわけではございません。毎年精いっぱいの努力をいたしております。長期的には登記事務コンピューター化するということによりまして、こういった事柄を可及的に解消していきたいというふうに考えているところでございます。
  20. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 例えばパートが毎日四千人いるという中で、窓口の整理員現地調査運転手ですね、これはちゃんと予算に組んであるわけですね。ところが登記相談員というのは、これは予算に組んでないわけですか。  それから恒常的な繁忙対策賃金職員というのは、これはどうもはっきりしないのですが、予算が大蔵の場合一時間五百円で組んでいるのだけれども、実際には六百円払うので、それはいろいろなところから操作して法務省側で払っておるのだということも言われておるのですが、ここら辺の実態は一体どういうふうになっているのですか。
  21. 藤井正雄

    藤井(正)政府委員 賃金職員は、これは六十三年七月現在でおよそ一千百名でございます。  登記相談員と申しますものは、これは実際上そういうふうな人員を張りつけておりますが、これまで予算化されているものではございませんでした。六十四年度の予算におきましては、これにつきまして正規に予算化されるように要求をいたすことにいたしておりまして、査定をいただくように努力をしているところでございます。  そのほか繁忙対策につきましても、これは登記事務が六十二年度に非常に急激に増加をしたということがございまして、これにつきましては特別に予算をちょうだいいたしまして、そういう措置をしているところでございます。
  22. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 お話をお聞きしていますと、査定前ですからあなたの方で余り具体的なことをここでしゃべるのもちょっとまずいのだというようなことがうかがわれるわけですが、それはそれとして、下請とかパート職員というのはどうもこんなにたくさんいる、それから部外者応援も随分得て、何か年間百万人だ、こう言うのですけれども、いろいろなことを他の人にやってもらっておるというような状況らしいのですがね。あなたの方もその実態をつかんでおられるのでしょうけれども、ここで言うのはぐあいが悪いということも確かにあるのじゃないか、こう思うものですからこれ以上聞きませんが、そういう下請とかパート職員とか部外者応援についてもしっかりとした対策を今後立てていただきたい、こういうふうに考えるわけです。  それから、問題はコンピューター化の問題ですね。板橋出張所で、これは現在はどういうふうになっているのですか。登記簿なしでずっとやっているときに、じゃコンピューターが故障したときなんか一体どういうふうになるのですか、これは。ここいらのところ、よくわからないのですが、現在がどうであって、今後どういう点が問題となってくるのだ、それに対してどういうふうに要員を確保したいのだというふうに民事局としては考えておられるわけですか。
  23. 藤井正雄

    藤井(正)政府委員 板橋出張所におきましては、既に去る十月以降、薄冊を用いないでコンピューターによって登記事務を処理することを始めております。コンピューターが故障した場合に大変な問題になるのではないかと仰せになられますのは、それはまことにそのとおりでございます。したがいまして、そういうことのないように、極めて綿密にこれまでパイロットシステムというものの稼働によりまして並行処理実験を行いまして、万全の体制を期してまいりました。  今後さらに、この板橋出張所において行っておりますブックレスシステムによる登記事務処理につきまして、ブックレスシステム稼働が始まりますと時期を同じくいたしまして、ブックレスシステム評価委員会を発足させまして、この成果につきまして、システム信頼性あるいは事務改善の効果等々を含めまして、これについて十分な評価をいただいて、それに基づいて全国に押し及ぼしていくように努めたい。したがって、万一にもそういう問題が起こることのないように万全の配慮をしてまいりたいというふうに思っております。  現在、この板橋のほかに全国の八つのブロックにおきまして、それぞれ一カ所ずつコンピューターへの移行の作業を始めているところでございます。
  24. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 これは何年ほど前でしたか、乙号だけ特別会計にしましたね。それは私が法務委員会理事をやっているときですが、そうすると、甲号の方はこれは税金でやっている関係があって特別会計に入ってないのでしょうけれども、これは甲号の方の中からも何%かを特別会計の中に繰り入れるというふうな形で予算を確保していくということも当然考えられていいのじゃないかと思うのですが、そういう点についてはまだ法務省当局としては考えたことはないのですか。
  25. 藤井正雄

    藤井(正)政府委員 甲号事務につきましては、その利用者からいただいておりますものは登録免許税だけでございまして、手数料はございません。したがいまして、六十年に発足いたしました登記特別会計におきましてはこの甲号関係収入は含まれていないわけでございます。  現実特別会計収入といたしましては、乙号手数料のほかに一般会計からの繰り入れ財源繰り入れをもちまして、これを合わせて特別会計収入といたしているところでございます。  甲号事務につきまして、これについても独自に財源を得て特別会計を運用すべきじゃないかという考えは前からございまして、民事行政審議会の答申の中にもその点が触れられております。したがいまして、この点は決して意識をしていないわけではございませんで、私どもといたしましては、長期的な課題であろうと思っておりますけれども、これはなかなか、いろいろ財政当局との関係もございまして、難しい問題があるのではなかろうかと思っております。
  26. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 これから保護局関係は、明年度予算関係でどういう点に一番重点を置くわけですか。
  27. 栗田啓二

    栗田政府委員 保護関係予算につきましては、御案内のように民間方々に非常な御活躍をいただいておりますという保護行政特殊性がございますために、特に民間の方、しかも刑務所などから出てきまして行く先のない人を預かってくださる更生保護会運営のために民間の方は大変な御苦労をなさっておられます。でございますので、更生保護会運営のための費用を最重点に置きまして予算要求をいたしております。
  28. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 保護司実費弁償金や何かは具体的にどういうふうにしようということになっておりますか。
  29. 栗田啓二

    栗田政府委員 申し落としまして失礼いたしました。保護司実費弁償金につきましては、今年度の増額並みの二%の単価アップ要求いたしております。  それから、もちろん先ほど大臣に対して御質問がございましたところの更生保護官署職員増員問題につきましても、これは私どもとしまして非常な重点事項でございますので、ここ数年大変な財政事情の中でも毎年かなりの増員を認めていただいておりまして、本年も少なくとも今年度以上の増員がいただけますよう関係方面お願いしているところでございます。
  30. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 最高裁判所のこれは民事局になるわけですか、私も知らなかったのですけれども執行官のところへよく行きますと、事務員の人がたくさんおられる。しかし、執行官の人で非常に仕事がふえておって随分病気になる人が多いのですが、国会附帯決議があったという、ちょっと私知らなかったので申しわけなかったのですが。  そこで、昭和四十一年と五十四年に法律改正されて、執行官職員地位向上待遇改善が進められたが、その後、職員については執行官登用の道も皆無に等しい状況です。それから、職員の中には政府管掌社会保険に加入できない者もおります。国会附帯決議に基づいて、賃金初め待遇面について、というふうなことで、各地裁ごとに教育、研修、教材の配布等を充実させ、書記官研修所に参加できること。賃金面で整備されてないところは、賃金等引き上げる方向で改善し、行政職(一)の俸給表賃金体系賃金水準を維持できるようにすること。政府管掌社会保険に一人でも加入できるようにすること。退職金規程公務員に準じて改善すること。地位向上、身分の安定に向け、書記官並み待遇、七級をつくりながら、執行官に登用する道をつくること。執行官特別職国家公務員に合わせ、職員公務員化していく方向をつくること。職員から執行官に採用された者の格差是正、全国執行官報酬等の平均化を図ること。こういうふうなことについて、各執行官行政指導してもらいたいとかあるいは予算上の措置を講じてほしいということが要求として出ておるわけですが、これに対しまする最高裁側のお考えをお聞かせ願いたいというふうに思います。
  31. 泉徳治

    ○泉最高裁判所長官代理者 執行官の事務の中には、執行行為のような本質的な事務と当事者との連絡、統計資料の作成、それから記録帳簿の整理、保管等の付随的な業務がございます。  本質的な事務は執行官がみずから行っているわけでございますが、付随的業務はその性質上執行官みずからが行うまでもないということで、執行官の責任と監督のもとに事務員を採用いたしまして使用しているわけでございます。その事務員方々からの要望趣旨を今、稲葉委員から申されたわけでございますけれども問題点が非常に多岐にわたっておりますが、私どもは、執行官の採用しております事務員も裁判所の中で執行官の補助事務を行っているわけでございますので、それはできるだけ裁判所職員に準じた待遇が望ましいというふうに考えておりまして、その職務に見合った待遇を行うよう常々執行官を指導しているわけでございます。  そこで、問題点について最初から申し上げますと、まず、教育、研修の面でございますけれども執行官室の事務員は裁判所職員ではございませんので書記官研修所等に参加させることは困難でございますが、執行官室で独自に研修を行っております、そういう際に場所の提供でありますとか講師の派遣などをいたしておるわけでございます。そのほか裁判所職員研修にもオブザーバーとして参加させる、こういうことをいたしておるわけでございます。  それから賃金の面でございますが、これは先ほど申しましたように現在でも行政職俸給表(一)の賃金体系に準じた取り扱いをしておるところが多うございますが、ただ事務員は、その採用の経過とかあるいは執行官との縁故関係、こういったものが非常に多岐にわたっておりますので一律に律することはできませんが、できるだけ国家公務員に準じた待遇が望ましいというふうな指導をいたしております。  それから政府管掌社会保険でございますが、ここで指摘されておりますのは健康保険と厚生年金保険であろうかと思いますが、これは執行官事務室は強制加入事務所にはなっておりませんが、ただ、そこにおります事務員の二分の一以上の同意を得て知事なりあるいは厚生大臣の認可を得て適用事業所となることができます。そういった関係適用事業所になっているところも多うございます。この点につきましては、執行官に対して、事務員の意向などを十分調査して、そういう道があればそれに参加するように指導していきたい、こういうふうに思っております。  それから退職金規程も、これも先ほど申しました賃金と同様に公務員に準じた扱いをしておるところがございます。  それから事務員執行官に登用する道をつくることという御指摘があるわけでございますが、ついせんだって十月一日付で富山地方裁判所の高岡支部というところに事務員の方から執行官に任用した例がございます。全くこういう道がないわけではございません。  それから事務員公務員化していくというこの問題は、執行官室の私的に採用した者でございますし、現在のような状況でありますと、これはやはり非常に困難な問題であろうかと思っております。  それから職員から執行官に採用された者の格差是正という点でございますが、執行官の発足当時は、これは国庫補助基準額という点につきまして二つの基準額が設けられていた点がございますが、現在ではそれは解消されておりまして差というものはないわけでございます。  以上のような事務員の方たちの要望につきましては、理由のあるものは執行官の方で十分配慮するよう今後とも指導してまいりたい、このように考えております。
  32. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 執行官の仕事が非常にふえておるのではないか、こう思うのですね。それで病気になっている人も大分おるように私は聞いたり見たりしているわけですが、その点はどうなんでしょうか。
  33. 泉徳治

    ○泉最高裁判所長官代理者 執行官の事件数がふえていることは事実でございます。特に不動産競売関係の仕事がふえているわけでございます。しかしながら私どもは、執行官に過大な負担をかけないように、従来行われておりました送達事務はできるだけ執行官を使わないようにというふうに指導しておりますので、送達事務の関係は減っております。  それともう一つは、事件数の増加に応じまして私ども執行官増員しております。十年前から比べますと、十年前の五十三年に執行官数は三百二十五名でございましたが、六十二年では四百九十九名になっております。これは一五三%に増加しているわけでございます。そういったことで執行官の事件数も十年前から比べますと一四二%の増加になっておりますが、それに見合った増員をしておりまして、執行官一人一人の事件数はここのところ安定した数字になっている、こういうことでございます。  ただ執行官の方は非常に高齢者の方もおられますので、現在のところ病気休職者が三名いるという状況でございます。
  34. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 公証人がたくさんおられるわけですね。公証人の出身が、裁判官出身と検察官出身と、それから法務局関係の出身、その他あるかもわかりませんけれども、現在どの程度おられて、どういうふうな割合になっておるわけですか。
  35. 藤井正雄

    藤井(正)政府委員 現在公証人に任命されている者の総数は五百十五名でございまして、その出身別の内訳は、裁判官百四十七名、検察官二百二十五名、弁護士一名、そのほかの選考任用者、いわゆる特任でございますが、百四十二名ということでございます。
  36. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 ここで余り言いませんけれども検事の方が多いわけですね。私は前から言っているんですけれども検事正や支部長検事の人事に公証人制度が深くかかわっていると言うと言葉はあれかもわからぬけれども、ここの公証人役場のいいところがあいたから検事正やめないかということで、そういう例も聞くわけですけれども、まあそれはきょうのあれじゃありませんから。  これは裁判官は簡易裁判所の判事になる方が多いからそんなに希望者がいないのかもわかりませんけれども、この割合なりなんなりというものをもっと考え直す必要があるんじゃないか、私はこういうふうに思っておるのですが、そこで、そこに働く事務員の人がいっぱいいるわけですね。この人たちが一体だれに雇われているのか、どういうような労働条件にあるのかとかいうことがよくわからないですね。公証役場という書き方と、それから公証人役場という書き方とあるような気がするんだけれども、どっちでもいいですけれども、そこに雇われている人はだれに雇われることになるのですか。一体どういう労働条件にあるのですか。一体だれがそれを見守っているというか、法務省としてもどの程度それを見守っていて、それでその労働条件の改善に努力するということになるのですか。
  37. 藤井正雄

    藤井(正)政府委員 公証人は書記を置く場合には所属の法務局長、地方法務局長の認可を受けて置くことができるということになっております。この書記の雇用は公証人と書記との間の私法上の契約によるものでございます。公証役場の運営はすべて各公証人の責任と負担とにおいてなされているわけでございまして、書記の雇用につきまして直接に法務省がこれを決めるとか、とやかく言うということは、これはその仕組みからいたしましてちょっと難しいことではないかと思います。  しかしながら、公証役場が適正に運営される、公証人の品位を確保するという観点からいたしましても、その一環としまして書記の給与体系など労働条件がきちんとしているということは、役場経営の面からも重要なことでございます。そういう面から私ども注意を喚起することを怠ってはおりません。現実には地域差がございまして、とても書記を雇用するだけの収入のないところもございますし、かなり多くの書記を雇用してやっているところもございまして、一概には申すことができないわけでございますが、大部分の公証役場においては国家公務員の(一)けの職員に準じた給与体系をとっているところが多いというふうに聞いております。  例えば退職金などにつきましても、これは一般的には中小企業退職金共済事業団を利用いたしまして、この事業団に対して掛金を支払いまして、それを次々に公証人が交代するごとに引き継いでいくということで円滑に運営されているようでございます。そのほか社会保険ども、国民健康保険あるいは一定規模以上のところでございますと、厚生年金保険に加入するということで書記の一応の処遇の体系ができ上がっていると承知をいたしております。
  38. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 そうすると、執行官のところの事務員の人と公証人役場の書記の人と、待遇などについては相当共通面があるのですか、場所によって非常に違うのですか。そういう統計なんかとったこともないということになるわけですか。本来違うものだから全然違っても構わないというのですか、そこら辺のところ、どう理解したらよろしいのでしょうかね。
  39. 藤井正雄

    藤井(正)政府委員 法務省の立場からいたしますと、公証人と執行官とを対比させるあるいは公証人のところに雇用されている書記と執行官事務員の比較を試みるといったような観点での検討をしたことはございません。
  40. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 いや、私の言うことが誤解を招いたかもわかりませんが、公証人と執行官と対比させろということを言っているんじゃないのですよ。そういう意味じゃなくて、そこに働く人のことを言っているわけなんですよ。それはもうさっきお話がありましたから、最高裁側の言われたことを、私どもも議事録を拝見して、さらにいろいろ実態等を研究させてもらいたいというふうに思っております。  私の友人の公証人なんかに聞くと、公証人は非常に困ることがあるらしいですね。いろいろなことを頼みに来るでしょう。公正証書をつくってくれと言われたときに、一体どういうときにそれは断れるのかということなんですね。明らかに公序良俗に反する公正証書をつくってくれと言われたときには断れるけれども、そこら辺のところがなかなか難しいらしいですね。いや、それは条文はいいんですが。  そこで、今の公証人とそれからそこに働く書記の人とは公証人役場というものとの契約ではないのですか、どういう性格のものなんですか、法律的に言うと。公証人個人との契約という形になっているのですか。どうもそうらしいのですが、よくわからないですね、そこのところが。これでいいんでしょうかね。公証人役場という一つの法人格と言うと語弊があるかもわかりませんけれども、何かの性格を持ったもの、そこに雇用されるというものでないというと身分が安定しないんじゃないですか。
  41. 藤井正雄

    藤井(正)政府委員 公証人は一人で役場を持つこともできますし、共同で役場な持つこともできるわけでございます。公証人はその役場に、公証人だれだれ役場と記載した表札を掲げることになっております。一人の公証人の役場でございますと、書記の雇用はその一人の公証人との間になされることは当然でございますが、複数の公証人で構成されている役場の場合ですと、そこに働く書記は全体としての複数の公証人との間で雇用契約がなされているというふうに承知をいたしております。
  42. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 公証人の場合、あるところの公証役場が、これは具体的にわかっていますが、それは言いませんけれども、そこの人数を一人にするか二人にするかというので、この前いろいろ関心を集めましたな、これ以上言いませんけれども。そういうのは一体だれが決めるのですか。
  43. 藤井正雄

    藤井(正)政府委員 ある法務局の本局なら本局の管内に複数の公証人がいるといたしますと、その場合には、法務省の指導の方針といたしましては、できる限り合同の役場の方が望ましい、これは、公証人の相互の協力あるいは援助といったような観点からいたしましてもその方が望ましいという考えで指導はいたしておりますが、結局は、その役場を設置する公証人の協議に基づいて、法務大臣の認可を得て行われることになります。
  44. 稲葉誠一

    稲葉(誠)委員 それはそうでしょうけれどもね。あなたの方もどこにどういう問題があって、問題と言うと語弊がありますよ、みんなそこのところに対して関心を持っていた人が相当いたということは常識的に言われていますわな。ですから、私の聞いているのは、一人でずっとやっていたところをもう一人ふやすとかなんとかいうときに、一体どこでどういう基準でだれが決めるのかということを聞いたわけですけれども、これは別にこれ以上聞くことはありませんがね。  そこで、最高裁判所においで願っておりますので、きょうは裁判官報酬検察官俸給の法案の日ですから、俸給とは関係ないのですけれども、近ごろこういうことが言われているんですね。  あるべき裁判官の像として、一体、裁判官が国家機関であるということを重要視していくのが一つの筋なのか、いやそうじゃない、それもそうかもわからぬけれども裁判官というのは捜査の協力機関ではないのだ、こういう理解の仕方と、両方極端があるわけですね、名前は言いませんけれどもね。名前を言わないという意味は、そういうようなことを言っておられる方がおられるものですから、その名前は言いませんけれども。そのことから考えられてきて、昔は勾留の請求のときの却下率が相当あったんですね。ところがこのごろになってくると、勾留を却下するといろいろで、勾留却下率が非常に減ってきているのだということがこのごろ盛んに言われているんですね。そこから、あるべき裁判官像というものが一つ出てきているということも言われておりますので、現実にどういうふうになっているのか。
  45. 吉丸眞

    吉丸最高裁判所長官代理者 勾留請求の却下率でございますが、御指摘のとおり最近十年間の数字を五年ごとに見てみますと、昭和五十三年には〇・八%でございました。五十八年が〇・六%、六十二年は〇・三%ということになっておりますので、かなり却下率は下がっているというのが実情でございます。  勾留その他令状に関する基本的な考え方でございますが、御承知のとおり、もともと令状請求の審査というものは、裁判官が捜査機関とは異なる独自の立場に立って、法律に従い令状発付の理由及び必要があるかどうかを検討し、慎重に判断するという性質を持つものでございます。こういう点から見ますと、いわば捜査に対する抑制ということで、委員御指摘のような後の方の考え方が強調されることになろうかと思います。そして、現に実務におきましては、今述べましたような立場から慎重に令状請求が行われているというふうに理解いたしております。  どうして現実に勾留請求の却下率が下がっていくか、その原因につきましては、これはもともと令状発付の裁判が個々の具体的事案に即して個別的に判断すべき性質を持っておりますので、その原因について、これを示す直接明確な証拠がないわけでございまして、やはりどうしても推測を申し上げるほかはないわけでございますが、あえて申しますと、まず勾留請求された事件の性質ということが考えられます。例えば昭和五十年ごろから、御承知のとおり覚せい剤取締法違反の事件が急増いたしております。実務の経験から申しますと、この種の事件では、一般に勾留の理由及び必要が認められる場合が多いと思われるわけでございまして、そのような状況が一つの原因をなしているのではないかと思われます。  また、さらに基本的に申しますと、これも御承知のとおり現行刑訴法が施行されて以来、長年にわたりまして勾留の理由または必要に関する裁判例が集積されてきた。そして、御承知のとおりこれは実務的な研究も進んでいるわけでございます。そういうような意味で、裁判所の実務がある程度安定してきた。それに応じて検察官においても、勾留請求に当たって事件を選別する、また勾留の理由または必要に関する疎明資料の添付についても十分配慮するというような実務が定着してきたというような事情もあろうかと思います。  例えば一例でございますが、非常に身元の不安定な者の勾留請求に当たって、検察官の方から、これは二、三日のうちに親を呼んで身元を引き取らせるので、短期間でも勾留してほしいというような疎明資料が出てくるような場合もございます。そのようにいわば実務が非常に細かく配慮されてきたというようなことがこの却下率に影響しているというようなことも考えられるわけでございます。  以上、ただ推測でございまして、明確な根拠はございませんが、以上のとおりでございます。
  46. 戸沢政方

    戸沢委員長 次に、冬柴鉄三君。
  47. 冬柴鐵三

    冬柴委員 今回、一般政府職員につきましては、諸手当がそれぞれ増額されたり、あるいは、珍しいことではありますけれども減額されたりするということが行われているようでございますが、裁判官とかあるいは検察官については、この諸手当についての増減額ということが行われるのかどうか、その点についてお尋ねをいたしたいと思います。
  48. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 裁判官報酬法第九条によりまして、裁判官につきましては、大体政府職員の例に準じて諸手当が支給されることになっております。したがいまして、諸手当の改定が行われる場合には、この報酬法第九条の趣旨によりまして、裁判官についてもその諸手当増額あるいは減額が行われるということになるわけでございます。
  49. 冬柴鐵三

    冬柴委員 漏れ聞くところによりますと、寒冷地手当が何か減額されるようなことが一般職については行われるようだということを聞いているのですが、裁判官についてもそのような寒冷地手当の減額が行われるのかどうか、その点についてはいかがでしょう。
  50. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 寒冷地手当も、ただいま申しました裁判官報酬法の第九条に基づきまして、一般の官吏の例に準じて支給されることになっております。裁判官等の寒冷地手当に関する規則というのがございまして、これによりまして一般の国家公務員と同じような額が支給される旨が定められているわけでございます。一般の官吏について寒冷地手当の引き下げ、減額が行われるという場合には、それに伴って裁判官についての寒冷地手当の減額も行われるということになるわけでございます。
  51. 冬柴鐵三

    冬柴委員 これは、原油が相当値下がりをしたということを受けてそういうことが行われるのだろうと思うのですが、ただ、裁判官の場合には憲法八十条におきまして報酬額が在任中減額されないことの保障が行われております。もちろん、この手当というのはここに言う報酬ではないことは十分承知しているわけでございますけれども、ただ、これは合理的な根拠があるから減額をするのだというようなことが行われますと、将来それが他の部分においても拡張されるおそれはないか、このようなことを案ずるものでございます。裁判官報酬につきましては、なだらかに増額を行い、そして、こういう事案があるから減額をするというような先例をつくるべきではないのではないか。そのような意味で、一般職において寒冷地手当の減額が行われるとしても、それを即裁判官について、一般職も行ったんだからそれと同じ率で減額をするのだというような考え方をおとりになるのはいかがなものであろうかということを感ずるわけでございますけれども、その点についていかがでございましょうか。
  52. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 ただいま議員から既に御指摘がありましたように、裁判官報酬法では裁判官の受ける報酬とそれからその他の給与というものを分けて定めているわけでございます。  憲法の八十条二項では報酬の減額ができないという定めがございますけれども、これは以前からの解釈で、ここに言う報酬というのは裁判官報酬法の第一条に言うところの報酬の意味であるというふうに理解されていると考えております。ということは、この第一条に言う報酬といいますのは、第二条で「裁判官報酬月額は、別表による。」というふうに定めてありまして、つまり俗に言う裁判官の本俸がそれに対応するものと考えられているわけでございます。そういうことから、報酬以外の給与については、減額が一般公務員で行われる場合には裁判官についてもそれに対応して減額されるということが過去においてもあったわけでございます。  この点につきましては、特に今回の寒冷地手当の改正は、寒冷地手当の基準額ではなく、これに加算されるところの加算額と言われているものの減額が今回行われるわけでございます。この加算額といいますのは、暖房用燃料に要する費用の実費弁償的な性格のものであるというふうに言われております。したがって、本来、燃料価格が動きます場合にはそれに応じて改定されるということが予定されているものでございます。そういう意味でも、今回の寒冷地手当の減額につきましては、少なくとも実質的に申しまして憲法の趣旨に反するものではないのではないかというふうに考えているわけでございます。
  53. 冬柴鐵三

    冬柴委員 ですから、その趣旨はわかるわけですけれども、ただ、原油の場合、生産地国の協議とかあるいは紛争とかいうことによって非常に大きく揺れ動いてきた歴史があると思うのですね。今安いから今後それがずっと続くという保証はないわけでありますし、それから、上がったからそれじゃその年度途中で寒冷地手当のうちの実費弁償分を増額する措置がとれるのかというと、これも非常に困難だと思うのですね。そういうことをかれこれ考えますと、別に裁判官だけを特別扱いせよと言うわけではありません。ありませんけれども、憲法が保障している在任中減額されないというそのような精神を推し進めますと、裁判官についてはそういう減額という要素については相当慎重に考えなければならないのじゃないか、そういうことを申し上げているわけでございまして、その点は十分考えていただいているとは思いますけれども、憲法の精神それから今回減額することの意味合い等十分検討された上でその措置をとられたい、このように考えます。  次に、それじゃ裁判官の初任給調整手当に関しては今回増減額ということは考えておられるのですか。いかがでございますか。
  54. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 裁判官の初任給調整手当は昭和四十六年から始まったわけでありまして、その後ずっと増額措置がとられないままでまいりまして、昭和六十一年にかなり多額の増額ということが実現したわけでございます。来年度の予算におきまして、この初任給調整手当につきましてある程度の増額ということを実現いたしたいと思って、現在そのために努力をしているところでございます。
  55. 冬柴鐵三

    冬柴委員 去年のこの報酬法改定のときも私指摘申し上げたと思うのですが、初任給調整手当もいわゆる手当であれば、憲法に言う報酬ではない。そうすると先ほどの寒冷地手当のように減額も考えられる要素になってしまう。この手当は、初任の判事補の方にとって受ける報酬の約三分の一ぐらいを占める実情になっていると思うのですね。そういうものが減額の要素たり得るということは、憲法八十条の趣旨から見てこれは許すべからざることではないか、私はこのように思うわけです。したがいまして、それを解決するためには、これを規則で定めているというところに原因があると思うので、やはり報酬法の中へ取り入れて国民の前できちっとそういうものを議論すべきではないか、このように考えるわけですけれども、その点についても去年も指摘しておりますので一言だけで結構ですが、考え方を示していただきたいと思います。
  56. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 裁判官の初任給調整手当も先ほど申しましたように裁判官報酬法第九条に基づきまして、一般の官吏の例に準じて最高裁が定めるところにより支給するというこの定めによりまして、最高裁判所の規則によってその金額を定めているわけでございます。昨年、この点について冬柴議員から御指摘があったことは十分承知いたしております。私どもといたしましては、この法律の規定にありますところの一般の官吏の例の中に、この初任給調整手当は入るということは理論上は十分認められることだと考えておりますし、また、その支給の態様と申しますか、例えば金額にしましても、そういった点、一般の官吏の例の範囲を逸脱しないような形で定められておりますので、そういった意味でこの点については最高裁判所の規則で定めさせていただいてもらって差し支えはないものではないかというふうに思っているわけでございます。  先ほど申しましたように、その手当につきましては、憲法の定めによる減額できない報酬の範囲には入らないといたしましても、それは減額することが憲法の問題を生ずるかどうかということでございまして、これが例えば初任給調整手当が容易に減額し得るものだ、あるいはそうして差し支えないものだというふうにはもちろん考えていないわけでございます。
  57. 冬柴鐵三

    冬柴委員 その点については重ねてまた検討をしておいていただきたいというふうに思います。  それから、住宅手当についてお尋ねしたいのですけれども裁判官なり検察官、両方にわたるわけでございますけれども、持ち家それから宿舎の使用、それから借家、こういうふうなことが考えられるわけです。三大都市圏ぐらいで結構だと思うのですが、借家にお住まいになっている方がいらっしゃるのかどうか、それはどれくらいの比率になっているのか、その点についてお尋ねしたいと思います。
  58. 町田顯

    町田最高裁判所長官代理者 裁判所の場合でお答え申し上げたいと存じますが、裁判所の場合も住宅手当を受けます者を対象にした資料しか現在のところございませんで、そういう意味では大体判事補ということになりますけれども、借家に入っておりますのが大体判事補の一割弱ぐらいでございます。その中の大体半分が世帯を持つ者、それからその半分ぐらいが独身者ということになっております。実情はそういう数でございます。
  59. 井嶋一友

    井嶋政府委員 検事につきましても、宿舎に入っておる実態につきましては必ずしも明白に肥握しておるわけではございませんけれども、例えば東京で考えますと、独身検事というのは大体十人前後だろうと思いますが、大部分が宿舎、官舎に入っておりまして、一部宿舎でない住所に居住しておる者というのは、両親の家とか親戚の家とか、とにかく本人が官舎を希望しない人たちというふうに大体把握しておりまして、冬柴委員が修習されましたころの事情とは大分変わってまいっておるというふうに認識しております。
  60. 冬柴鐵三

    冬柴委員 土地が狂騰と言っていいぐらい上がっていますので、それが借家の家賃にはね返っていると思うわけでございます。そうすると、住宅手当というのは上限でも二万何千円ぐらいだと思うのですけれども、それではとても、特に東京を含む三大都市圏では無理だと思うのです。特に判事補とか検察官も、任官されたばかりの人たちがもし宿舎がないためは借家住まいをしなければならないという者が一部でもあるとすれば、これはゆゆしい問題だというふうに思っているわけです。  重ねてお伺いしたいのですが、そういう事例はないのですか。検察官は大体今のお答えでいいと思うのですけれども、裁判所はいかがでしょうか。
  61. 町田顯

    町田最高裁判所長官代理者 裁判官の住宅の戸数だけからいいますと、全国的に見ますと必要数を若干上回る程度の宿舎数が確保されております。ただ、場所によりまして、あるいはその年の異動等によりまして、世帯を持っている裁判官でございますと、希望があればまずこれは必ず入れております。それから余裕があります場合にはもちろん独身者も入れているわけでございますが、特に東京あたりだと若干の者につきまして独身で希望がありながら入れないということがございますけれども、そう大した数ではないと思っております。
  62. 冬柴鐵三

    冬柴委員 民間企業で若い優秀な人材を集めようとした場合、会社案内等のパンフレットで、まず住宅はこのようにすばらしい寮がありますとかということを示されるのが例だと思うのですが、裁判所、検察庁においても、修習生上がりの若い人材が今非常に求められているさなかに、その人たちが、では任官したいというときに、たとえ一部でも、すぐに宿舎がない、だからあなた勝手にアパートとか何か知らぬけれども探しなさい、ではその実費は弁償してくれるのですか、いや二万円ぐらいしか手当は出せません、それではやめました、ということにはならないと思うのですけれども、そういう心理が働くことは間違いないと思うのですね。しかしこれは全国的に需要を賄うものがある、供給できると言われましても、例えば東京地裁の判事が部外といいますか関東圏以外から通うわけにはいかないわけですから、そういう意味では足らない部分、特に単身者用の宿舎、あるいはそれよりもすぐ結婚されるでしょうから、小さくてもいいからそういう人たちが入れるような宿舎を特に足らない東京にはつくられてはいかがか、こういうふうに思うわけですけれども、その点いかがですか。
  63. 町田顯

    町田最高裁判所長官代理者 委員御指摘のとおり、現在のような情勢でございますと、住宅の手当てができるかどうかというのは志望を決めます際にもかなり影響することだろうと存じます。私どももそういった意味で住宅関係につきましては特に力を入れておるつもりでございます。御指摘でもございますので、今度そういった形で努力をいたしたいと存じております。
  64. 冬柴鐵三

    冬柴委員 政務次官からもその点について一言。
  65. 山岡賢次

    ○山岡政府委員 今先生御指摘のとおりの事情にもしあれば、私も今つらつら考えていたのですが、私だったら一生懸命やるかな、こういうふうに考えていたところでございまして、本当にそういう先生の御指摘のようなことがないよう、また、意欲喚起できるような施設に充実させていきたいと思うわけでございます。
  66. 冬柴鐵三

    冬柴委員 検察官についても官房長えらい力強く言われましたけれども、もしそういうものが、足らない部分があれば一緒に考えていっていただきたいと思います。  それから、以前から裁判官宿舎の改善については私要望してきたつもりです。それは、裁判官だから広いとかグレードの高いものを、そんなことを言っているわけでは決してありませんで、仕事の内容が、特に家へ帰ってからの深夜にわたる仕事が多いという実情を私よく知っております。判決起案とかあるいは調書を読むという仕事が裁判所ではなかなかできにくいという、そういう内容であることもわかっております。そういう意味で裁判官宿舎については、せめて狭くてもいい、生活と隔絶されたというか、子供がそのままばあっと入ってくるような部屋じゃないような書斎をつくってはどうかということを何回か言ってきたつもりですけれども、その点について何か前進があったのかどうか、お尋ねをしたいと思います。
  67. 町田顯

    町田最高裁判所長官代理者 委員御指摘のとおり、裁判官宿舎は生活の場であると同時に仕事の場でもあるわけでございます。そういった意味で、私ども書斎等を含めた宿舎の充実に従前とも努めてまいったわけでございますが、御指摘の点の関係で申しますと、まず、広い宿舎を、広い規格のものを確保し、そして書斎をつけたいというのが私どもの基本的な考えでございます。ここ二、三年大体五十戸前後の建物を、裁判官宿舎をいわば建てかえているわけでございますけれども、その八割ぐらいがいわゆるe型という公務員宿舎の規格としては一番大きいものをつくっておりまして、e型の場合には、もちろん独立しました書斎を設けております。それから、あとの大体二割ぐらいがその次の規格に属しますd型をつくっているわけでございますけれども、d型の場合も、間取り等工夫ができる場合には書斎をつくるということをしております。書斎をつくりました場合には、つくりつけの書棚を原則的に設置するということで対処してまいっております。
  68. 井嶋一友

    井嶋政府委員 検察庁の関係についてお答えいたします。  先ほど検察官宿舎につきましては、特に若手にフォーカスいたしまして大体充足しているということを申し上げたわけでございますが、そういった意味での充足は一昔前に比べまして相当よくなっているということは言えるわけでございます。しかし、ただいま委員御指摘のように、その実質は必ずしもよくなっていない。おっしゃるとおり老朽化しておりますし、狭隘でございますし、また、場所によっては非常に遠隔地にあるというようなことで通勤に不便を感じるという点もございますし、また、御指摘のような自宅における勉学なり研修なりの部屋も確保できないというような実情は、必ずしも解消されているわけではないわけでございます。  そこで法務省といたしましては、こういった宿舎の整備を近年重点考えておりまして、特に、若手検事獲得方策の一環といたしましてそこに重点を置いておるわけでございます。本年度も、約三億の経費をかけましてこの整備に努めておるところでございまして、これは従来の二年前と比べますと二倍三倍の額をかけておるわけでございまして、それだけ意欲を持ってやっておるということだけ御披露させていただきます。
  69. 冬柴鐵三

    冬柴委員 ちょっと話は変わるのですが、けさ新聞を見て、昨日いわゆる法曹三者協議会におきまして、最高裁が全国の五十八庁の地家裁支部を統合するというようなことで、それを対象にするということで具体的な庁の名前を示されたという記事を読みました。ほかの県のことは私はわからないのですけれども、私の地元の兵庫県下いわゆる神戸地家裁管内では篠山と柏原という二庁が示されていて驚いたわけでございます。  御存じのとおり、兵庫県は面積が非常に広大でして、この二庁をとってしまいますと中央部が全く穴があいてしまうということを心配するわけでございます。この地域は、ことし近畿自動車道舞鶴線というものが開通をいたしまして、住宅地の開発が相当活発化している地域でもあり、また、その柏原あるいは篠山に近接する三田市それから猪名川町というところで非常に大型のベッドタウン形成がどんどん進んでいて、人口が急増でございます。そのような人口動態とか管轄区域の面積が広大である、このような要素を知る者にとりましては、この二庁を廃止する対象に挙げられたということは驚きを感ずるわけでございます。朝反射的にこれはちょっと不相当ではないか、こういうふうに感じたわけでございますが、その点については今後具体的に進められると思うのですけれども、一言で結構ですがお考えを示されたいと思います。
  70. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 兵庫県の篠山と柏原の両支部の関係でございますが、この両支部は、一方が廃止される場合には他方が廃止されたところの受け入れ庁となるといういわゆる相互受け入れの関係にあるわけでございまして、両方の支部を一挙に廃止することは困難だろうというふうに考えているわけでございます。この点について、今後地元の御意見も聞いて、また、三者協議で議論を尽くして慎重に検討していきたいというふうに考えております。
  71. 冬柴鐵三

    冬柴委員 もう一つ、これも全然別の話でございますけれども、パキスタンとバングラデシュ両国の査免協定を停止するということ、これは、この両国からの不法滞在者というのですか、不法就労者が非常に急増しているという実情にかんがみると、この査免協定を停止するという政策は妥当だと私は考えているわけでございます。しかし、大きく考えてこの単純労働者入国問題については、非常に国際的に我が国の態度はこれでいいのかどうかを問われていると思うのですね。我が国は国際国家日本、こういうものを標榜しているわけでございますし、非常に経済発展が急でございますから、周辺国家の人たちにとっては日本へ来て働きたい、そういう願いを持っているということは十分わかるわけでございます。  そこで、国際的にも通用する一つのきっちりとした考え方を整理して、そして、このような場できちっと示す必要があるのではないか、いわゆる哲学を持ってこの単純労働者について対処しているんだということを示さないといかぬ時期に来ているのではないか、このように私考えるわけでございます。その点についてお考えを示されたいと思います。
  72. 熊谷直博

    ○熊谷政府委員 御指摘のとおりだと存じます。外国人の不法就労問題について、我が国の入管法上どういう基本哲学を持ってやるべきであるかという御質問だと思います。  我が国の入管法上の問題についてだけまずお答えを申し上げますと、我が国の入管法の制度を申しますと、入管法上在留資格というのがございまして、本邦に在留する外国人は、すべて法律に書いてある在留資格を何か持っていなければならないということになっておるわけですが、この外国人不法就労者の問題は、この在留資格制度を根幹としております我が国の出入国管理行政の法秩序を著しく紊乱するというものであると我々は認識せざるを得ない。しかしながら、さらにほかにもいろいろ影響があるところでございまして、例えば、我が国の治安とかそれから健全な風俗、それから国民の安全、快適な生活環境に影響する、あるいは労働者の雇用にも影響を与えるのではないかというようないろいろな問題がございます。さらに、当該不法就労外国人の人権を保護すべきではないかというような問題もございます。さらに、当該国との外交、国際関係もございます。対外的な日本のイメージをどう確保していくかというようなことについても問題があろうかというふうに、極めて多方面に影響を及ぼす問題であると我々は認識いたしております。  このような性格を有する問題でございますので、現在関係機関と密接に連絡をとりながら、いわゆる単純労働者の入国は認めないという現在の政府の方針のもとで、今申し上げましたようないろいろな側面のバランスをとりながら、外国人の入国審査、在留管理、それから法違反者の退去強制等、各局面ごとに不法就労外国人に対して適正に対処していくことによって、外国人の公正な管理をしてまいるという使命を果たしていくべきであるというふうに考えておる次第でございます。
  73. 冬柴鐵三

    冬柴委員 時間が来たようですが、あと一つだけ。  このように入国を禁止したとしても、需要と供給、人間をそのようにとらえてはいけないと思いますけれども、経済原則によればどうしても入国者がふえる、あるいは不法滞在、不法就労というものがどうしてもふえると思うのですね。そういうものに対処するためは、先ほどの同僚の委員質問にもありましたけれども、入管の行政についての物的、人的施設の対応を十分にやってもらいたい。法務省の通常予算とは別枠ででもこういうものは考えて対処すべきではないか、こういうふうに思うわけでございます。その点について政務次官からお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。
  74. 山岡賢次

    ○山岡政府委員 先生御指摘のとおり、この外国人労働者というものは、来たいというニーズというか要望もございますし、また国内の中にも受け入れたいといういろいろな意味での経済的インテンシブもございますし、ある意味ではまた労働者層として確保したいという要望もある、こういうところから生じてきている問題であるわけでございますが、ただ一方においては、日本はよく、単一民族ではありませんが、単一的民族あるいは単一言語、単一文化、こう言われている国でございまして、アメリカのように多民族が一緒に入って生活した環境にはなれていない。また、西ドイツなどのようにいろいろな外国人が入ってきているという環境にもないところでそういう人たちがふえたときに、果たして日本人は対応できるのだろうか。まだ現実不足しておりませんけれども、ニーズにおいて現実になるとそういうことはできるのだろうか、こういう心配もしているわけでございます。  いわんやそれが不法就労者、こういうことになりますと、よほど慎重に対応しまして、アメリカにおいても西ドイツにおいても、外国において起きた問題でありますから、当然日本でも起きる。さらに、日本人はそれになれていないという現実から、大きな混乱になってはいけない。こういうところで関係各省ともよく協議をしながら慎重に対応しているわけでございますが、そのためにも、それに対応する予算とか人員というものは、日本の特殊事情である、二十一世紀の日本の立場だ、こういうふうに考えて、こちらにいらっしゃる太田委員もよく言っておられることでございますが、これは政府の一つの特別なプロジェクトとして予算を組んでもやっていかなければいけない、こういうふうに私個人は考えているところでございますが、法務省としても前向きにその辺を対処していきたいと思いますし、先生方の御協力お願い申し上げたい次第でございます。
  75. 冬柴鐵三

    冬柴委員 私も応援をしていきたい、このように思っておりますので、十分に頑張ってほしいと思います。  私の質問は終わります。
  76. 戸沢政方

    戸沢委員長 安倍基雄君。
  77. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 給与の問題は例年議論しているわけでございますけれども、特に御承知のようにリクルート問題なんか起こってきますと、司法というものの大切さというのが非常に痛感されるわけです。そのためには、戦後やみ米を食べないで死んだ裁判官がいるとかいう話がございましたけれども、確かに、清貧に甘んずるのはいいけれども、それなりに立派な人間を引っ張ってこなくちゃいかぬ、喜んでつく職業でなくちゃいかぬ、特にいろいろな誘惑から自由になるためにはそれ相応の保障がなくちゃいかぬ、これは厳たる事実でございまして、私は司法関係方々給与を人一倍厚くするということは必要なことだろうというふうに思っております。  最初に、今度の改定を考えたときに、日本の裁判官と諸外国裁判官、そしてそれらがそれぞれの国において一般民間給与というか一般公務員というかとどの程度の較差というのがちゃんとつけてあるのかどうか、第一点にお聞きしたいと思います。
  78. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 裁判官報酬は、毎年行われる人事院勧告に対応いたしまして、一般行政官との比較で毎年増額が行われているわけでございます。  これは大体のところでございますが、裁判官報酬一般行政官よりも若干高目に決めていただいているわけでございまして、判事補につきましては大体行政官の一・二倍から一・五倍程度、それから判事の場合は行政官の一・四、五倍というぐらいの較差でずっと維持されているわけでございます。  その民間との関係でございますが、人事院勧告に基づいて毎年決められている一般行政官の給与といいますのは、大体同種の仕事をしている民間の人たちの給与に対応して決められているわけでございまして、その意味で裁判官行政官との間で今申しましたような較差があるということになりますと、裁判官民間との関係でも大体同じような較差があるというふうに考えられるのではなかろうかと思っております。
  79. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 私が聞いているのは、諸外国との比較においてどうなんだ。つまり、横並べをしてみたところ行政官との差があることは私は百も承知で、今さら教えてもらわなくてもいいのですけれども外国と比べてどうなんだろう。外国において彼らが民間と比較してどうか、日本は外国と比較してどうかということを聞いているのですがね。
  80. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 外国裁判官との比較という点で申しますと、これは外国裁判官制度が随分違っている面がございまして、どの裁判官とどの裁判官を比較するかという難しい問題がございますが、最上級の裁判所、それから控訴審の裁判所、それから一審の裁判所ということで大まかに分けて考えさせていただきますと、まず最上級の裁判所の一番上のポストにある人、日本で言えば最高裁判所長官とそれに対応する諸外国の最上級裁判所の長官を比較いたしますと、日本の最高裁判所長官が百七十九万二千円、西ドイツの連邦憲法裁判所長官が百三十九万七千二百五十七円、アメリカの連邦最高裁判所長官が百二十万五千二円、イギリスの大法官がほぼそれに対応するかということですが、これが百六十六万九千七百六十四円ということになっております。  控訴審で申しますと:::(安倍(基)委員「一々いいです、細かいことは」と呼ぶ)控訴審それから一審、今申しました西ドイツ、アメリカ等と比較いたしまして日本の裁判所の裁判官の方がかなりの程度多額の報酬ということになっているように考えております。  諸外国裁判官報酬がその諸外国民間賃金と比較してどのような関係にあるかという点につきましては、私どもの方にちょっと資料もございませんので、この点についてはお答えできないわけでございます。
  81. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 私は細かい表は全部持っていますから、一般的に言うと、英国がほかのと比べてべらぼうにいいのですね、今円高ですから若干オーバーに見えていることもあると思いますけれども。やはり毎年こうやって議論するわけですから、この横並びの、では向こうの民間と比べてどうなんだろうとか、向こうの一般公務員と比べてどうなんだろうというようなことを特に一遍洗いざらい検討しておいていただいた方がいいのじゃないか。もちろん生活水準、土地が高いとかいろいろ高いとかありましょうから簡単に言えないかもしれませんし、確かにそれは法制が違うんだから全く同じじゃない、英国はもともと法曹の地位が高いようでございますけれども、やはりそれぞれのそれなりの調査をきちっとしておいていただかないといかぬのではないかと思います。いかがでございますか。
  82. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 諸外国裁判官行政官との関係ということですと、ある程度のことは申せるわけでございます。一般的に言って、最高裁長官で比較いたしますと、行政府の長との関係では日本の最高裁長官が行政府の長と対等の額をもらっているのに対して、諸外国では行政府の長の八割あるいは五割というような関係になっているわけでございます。  今仰せ民間との関係という点につきましては、今後また資料の調査をさせていただきたいと思っております。
  83. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 これは毎年やることですから、政務次官、やはりちょっとこの辺を洗いざらい一遍調査しておいていただきたいと思います。  二番目に、裁判官もさることながら、検察官が最近は非常に志望者が少ない。特に、本当にこういった大汚職事件というか政界を揺るがすような事件がありますと、今さらに検察官というものの重要性を——裁判官は最後に出てきたものを判定するわけですから、検察官のいわば力というか、そこにどのくらいいい人が集まるかということが非常に重要な話になるわけです。もちろん、現在の検察官もすばらしいと思いますけれども、ただ志望者が年々減少していると言われております。その原因は何なのだろうか、どうしたら検察官にいい人が行くようにできるのだろうか。報酬の面、それ以外の面、その辺どこに検察官が非常に不人気になっている原因があるのかということについての御説明を承りたいと思います。
  84. 井嶋一友

    井嶋政府委員 この問題は大変難しい問題でございまして、この原因がわかればたちどころに手当てができるわけでございますけれども、それはそれといたしまして、仰せのごとく近時若手検事のなり手が少なくなっているということが一般的に言えるわけでございます。しかし、各期ごとに子細に見ますと、一時減少いたしましたけれども、若干上向いているという傾向も看取されるわけでございまして、長期低落傾向かどうかという点が一つの問題であろうかと思っているわけでございます。  それはそれといたしまして、やはり最近若い人たちの意識の中に、どうも検事の仕事といったものに対する共感と申しますか、そんなものが非常に醸成しにくいムードがあるのかなということを私、個人的には感じるわけでございますけれども、そういったところは検察がさらに厳正公平な仕事を積極果敢にやっていきますことによりまして、若干でも解消していくのではないだろうかというふうに期待をいたしておるわけでございます。  それからもう一つ、具体的に申し上げられますことは、最近司法試験の合格が非常に難しくなってまいりまして、特に近年合格者の年齢が高齢化してまいっております。今平均二十八・八歳でございますけれども、修習が終わりますとどうしても三十歳前後になるわけでございますので、それから検事になって正義感を大いに燃やしてということになりますと、いささか遅い年齢ではないかということが考えられるわけでございまして、これも若手検事が来にくい一つの事情になっておるのではないかというふうに考えておるわけでございます。  もちろん委員仰せのように、給与あるいは宿舎その他、執務環境の整備といった経済的な環境整備が十分でないということもあるいは言えるかもしれませんが、この辺は従来重点を置いて予算措置をとっておるところでございます。したがいまして、いろいろ原因がございますけれども、これだということはなかなか言い切れないわけでございますが、今申したような給与、環境の整備あるいは司法試験の改革といった手をつけられるところは順次手をつけてまいりまして、対応をしてまいりたいというふうに考えているわけでございます。
  85. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 給与面でさっき裁判官の話が出ましたけれども、どの程度優遇されているのか、また、ちょっとこれはあらかじめ出していなかった話なんですけれども、諸外国と比べてどうなのかということはいかがでございましょうか。
  86. 則定衛

    ○則定政府委員 検察官給与体系の一般的比較ということでございますけれども、我が国の検事についての給与水準は御案内のとおり、裁判官に準じてこれを定めさせていただいておるわけでございます。裁判官報酬のいわば国際的な比較を今最高裁人事局長から御答弁ございましたように、かなりの高水準を維持しているわけでございまして、そういう観点から見ました場合に、検察官につきましても諸外国の対応する検察官報酬に比べて遜色のない位置づけがなされているものと理解しておるわけでございます。
  87. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 自慢話じゃないですけれども、この前言ったことがあると思いますけれども、大蔵省におりましたころ、水原君というのが法務省の営繕課長だったと思いますが、僕は国有一課長のとき、随分検事裁判官宿舎、もう満杯というか満額回答したことがあるんですよ。というのはやはり司法というのが一番大事だという意識がありましたから。  そこのところでほかの国と比べた調査というのをもう一遍やってみたらどうかな。ただほかの国は、検事についてイギリスあたりは別かもしれませんけれども、あるいは大したことないかもしれませんけれども。日本なんかはこういった司法というのが、政界なんかを見ましても非常に信頼を失っておるというような、失いやすいような状況のもとで、やはり検事にいい人間が集まるというシステムがないと、日本の政治というのは非常に腐敗してしまう。だから私も、よくロッキードにしてもリクルートにしても、出てきていろうみだけをわあわあ騒ぐけれども、その基本になるところをもうちょっと考えていかなければいかぬのじゃないかと思います。この点政務次官、これは大臣のお気持ちをお聞きすべきところですけれども、きょうは税特の方へ行っておるようですから政務次官の御決意というかお考えを承りたいと思います。
  88. 山岡賢次

    ○山岡政府委員 私の決意では申しわけないと思うのでございますが、おっしゃるとおり、日本が今日このように発展しているのはやはり日本の安定性にある、しかもそれは司法面の充実にある、これは手前みそでございますが、そう思っているわけでございます。また先生方からのそういう御支持もいただいておるところでございますが、もちろん当局の者が給与によって一生懸命やるとかやらないとか、あるいはリクルートにかかわるとかかかわらないとか、そういうことは全くない。そういう意味では非常に頼りになるスタッフがそろっているわけでございますが、しかし国民の側からのそういう心配というか先の憂い、むしろこれは国民サイドの心配もあると思うのでございまして、先生御指摘のように、少なくとも外国には全く遜色のないように、あるいは国内においてもそれだけの職務を十分果たすべく国民の期待にこたえられるような処遇にしていきたい、こういうふうに思うわけでございますので、ぜひ今後とも御支援のほどをよろしくお願いを申し上げる次第でございます。
  89. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 ほとんど時間もございませんので簡単に伺いますが、前回もたしか国選弁護料の問題を取り上げたことがございますが、これはよく刑事施設法のいわば弁護士の接見権なんかございますけれども、人間は別にお金で動くわけじゃないけれども、国選弁護料が相当高額であればいい弁護士も行くだろう、そうすると接見交通なんかも割合と情が通じるのじゃないか。それは一つのあれはございますけれども、拘禁二法をこれから議論する関連もありまして、国選弁護料というのはやはりちょっと安いのじゃないかなと思います。これはまた拘禁二法のときの議論の一つにしておこうと思いますけれども、この点についてのいわばこれからの検討を内部でもしていただきたいと思いますが、いかがでございますか。
  90. 吉丸眞

    吉丸最高裁判所長官代理者 国選弁護人の報酬の国際的な比較となりますと、御承知のとおり裁判手続等がそれぞれの国によって違いますので大変難しい問題がございます。私どもの現在までに調べているところではそれほど大きな違いはないのではないかというふうに考えておりますが、今後さらに研究を続けまして、国選弁護人の報酬の充実につきましてはさらに努力いたしたいというふうに考えております。
  91. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 じゃこの問題はまた後日取り上げるといたしまして、私の質問を終わります。
  92. 戸沢政方

    戸沢委員長 安藤巖君。
  93. 安藤巖

    ○安藤委員 主として裁判官報酬等に関する法律の一部を改正する法律案についてお尋ねをしたいと思います。  毎年お伺いしておるわけですが、最高裁長官あるいは最高裁判事、高裁長官は一応除きまして、拝見しますと、判事で一号から八号、判事補で一号から十二号、簡裁判事で一号から十七号、こういうふうに段落、落差、序列といった方がいいのかもわからぬですが、段階があるのです。これは何か基準があってこういうような段階が設けられているのだろうと思うのですが、どういうような基準でこういう段落が設けられているのか、お尋ねしたいと思います。
  94. 則定衛

    ○則定政府委員 あるいは御質問趣旨を正確に理解していないおそれもあるかと思いますけれども、私ども給与法の改定に当たりましては、従前から一般職あるいは特別職の対応する号俸に対応しましてそれぞれその年度での人事院勧告を勘案して上げてきているわけでございますが、その原始的な裁判官の各号俸の対応というのは、一番上に最高裁長官を置き、これに対応する内閣総理大臣あるいは衆参両議院議長をトップといたします一連のいわゆる行政及び立法関係給与体系を参考にいたしまして、それにふさわしい責任と権限並びに裁判官の職務の特殊性とその地位といったものを勘案しまして対応させて、それぞれの号俸を位置づけさせてきていただいているものでございます。
  95. 安藤巖

    ○安藤委員 ようわかっておられないみたいな感じがしますね。今最高裁長官の方からおっしゃって、上の方からおっしゃったのですね。下の方から行きます。  判事補、最初は十二号、それから判事になって八号。判事任官のときは最初は八号だろうと思うのですね。簡裁の判事も最初任官されると十七号だろうと思うのですが、結局それからだんだん上がっていくわけでしょう。それで、上がっていくについては何か基準があって上がっていかれるのだろうと思うのです。例えば勤務年限とか年齢とか、いろいろあるでしょう。これはそういうようなものが何かあって上げていかれるのじゃないかなと思うのですが、当たり前の話をお伺いしておるのですよ。どうですか。
  96. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 裁判官報酬法の第三条によりまして「各判事、各判事補及び各簡易裁判所判事の受ける別表の報酬の号又は報酬月額は、最高裁判所が、これを定める。」ということになっております。それぞれの裁判官に対応して報酬額が決められていくわけでございます。  ただいま御指摘がありましたように、判事補に任官いたしますと、これは判事補十二号という一番下のところから始まるわけでございます。それでずっと十年間で判事補の一号まで終わりまして判事に任命される。判事に任命されますと、判事の一番下は八号でございます。そこからまたさらに上がっていく、こういうことになるわけでございます。  そのときに、それじゃ何か決まりのようなものがあってそれに基づいて上がっていくのであろうということでございますが、これは一般的に言えますことは、裁判官のそれぞれの報酬、それぞれの裁判官の置かれております立場に基づく責任の度合い、あるいは各裁判官の能力、実績等総合いたしまして、各裁判官についてその受けるべき報酬と号を決めるということになっているわけでございます。もちろんその場合に、一定の在号期間と申しますか、どの程度の期間経過した場合に次の号俸を決めるかというものが全くないわけではもちろんございません。しかし、これはあくまでも一つの要素として、そしてあくまでも最高裁判所の内部の基準としてそういったようなものがあるということでございます。
  97. 安藤巖

    ○安藤委員 最高裁判所がお決めになる基準というものがあるとおっしゃったのですが、それは教えていただくわけにはまいりませんかということと、もう一つは、それぞれの裁判官に対応して、あるいはそればかりではないけれども、能率とかあり方とかということもその対象というのか基準の中に入るのだというお話ですね、そうしますと、例えばあの裁判官は事件の処理が早いとかいうようなこともその基準の中に入るのですか。
  98. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 まず第一の点でございますが、裁判官の昇給基準と申しますか、どれだけの期間一つの号俸に在号した場合に次の号俸が決められるかというのは、これは例えば一般職の国家公務員のような昇給とはやはり違っているわけでございまして、一般職の国家公務員の場合は原則として一年で一号俸ずつ上がっていくということがもうはっきり定まっているわけでございます。しかし裁判官の場合には、そういった在号期間という観点だけで次々と階段を上がっていくというようなものでは本来ないわけでございまして、そういったことから、裁判官の次の号俸を決めるための必要な在号期間というものにつきましては、これを申し上げることによってかえって一般職の昇給と同じような昇給基準的なもののように理解される、誤解されると申しますか、ということからこれは申し上げることは適当ではないと考えているわけでございます。  それからもう一つの、今在号期間だけではなくて各裁判官の置かれた地位に対応する責任の度合いあるいは能力とか実績、そういったようなものが入るということになると、裁判が早いということが入るのかというお話でございますが、これは単純にそういうふうな形で早いということが入ると申せば、やはり間違いになるだろうと思います。ただ早いとか遅いとかいうようなことが問題なのではなくて、あくまでも問題は、通常の裁判官が置かれた立場に対応して適正に事務処理が行われるかどうか、そこに問題があるわけでございまして、早いからいいというわけのものではないだろうと思っているわけでございます。
  99. 安藤巖

    ○安藤委員 もちろん公正でなければなりませんが、迅速な裁判ということが言われておりますし、そして、あるとき最高裁は事件処理を迅速にやるようにというかけ声を発せられたという話も聞いておりますので、一つの事例として申し上げたのですが、しかしこれは、私考えてみますと、その裁判官の能力、実績も基準の中に入るのだ。ところが、御案内のように憲法七十六条は、裁判官は良心に従って独立して職権を行うのだ、憲法及び法律にのみ拘束される、こうなっておるわけですよ。そうなると、これはなかなか至難のわざだと思うのですね。そういう裁判官は、判事補の場合ですと十二号から十一号にいつ上げるか、十号、九号、これは皆さん一緒に任官された人、例えば司法修習生の同期の裁判官は、まあおくれる方もあるかもしれませんが、同じように上がっていっておるというのだったら、なるほどそうかとわかるのです。  ところが、そうでない状況にあるでしょう。例えば十期の司法修習生、十五期の修習生、二十期の修習生出身で、同時に判事補に任官された人で格差というのか、今どの辺に行っておるか知りませんが、例えば八号に行っている人と九号に行っている人と十号の人、こういうふうになっているのじゃないかと思うのですが、そういうことがあるのかどうかということをまずお伺いします。
  100. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 まず格差というお言葉でございますが、一つの期で報酬の違いが出ているところがあるかということでございますが、これはございます。  ただ、こういうことは申し上げなければならないと思うのでございますが、今安藤委員からもお話がございましたように、たくさんの裁判官、しかも司法修習を終えてまず判事補十二号に格付される裁判官がそれぞれの実績、能力によって、ある人は短期間に十一号になりある人はいつまでたっても十二号のままというようなことは確かに至難のわざでございます。実際問題といたしましては、かなりの年数までのところはそのような期ごとの報酬の差は原則的にはないわけでございます。大体判事の四号のあたりまでは、例えば健康の問題とかそういった特別のことがない限りは同期は大体同じような報酬を受けていると考えていただいていいと思うわけでございます。  ただ、判事の三号ということになりますと、これは一般職で申しますと指定職の八号に対応する報酬でございます。非常に高いポストの報酬になっているわけでございます。判事の三号あたりを受ける時期ということになりますと、これはかなりの年数が経過いたしております。大体二十年以上は経過いたしているわけでございまして、そのころになりますと、裁判所の世界におりますと、一つの期の裁判官のそれぞれの置かれたポストの責任の強弱あるいはそれぞれの人の実績あるいは力の違いというものはおのずと認識できる程度になるわけでございます。その期によって報酬に違いがあるかと申しますのは、要するに相当年数経過したあたりで、しかも非常に高い報酬のところでそういった問題が出てきているということでございます。
  101. 安藤巖

    ○安藤委員 判事四号までは大体というふうにおっしゃったのですが、そうなりますと、言葉じりをとらえるわけじゃありませんが、大体というのは厳密に、大体であって違う場合もあるのだというふうに理解したのです。しかし、大体そうだというふうにおっしゃるのであれば、いろいろ話を聞くものですし、そんなことはあってはならぬと思いますので、念のためにお尋ねもするのです。  例えばこの前私もこの法務委員会で取り上げたのですが、水害訴訟の問題で、最高裁判所が会同を開いて担当裁判官を集めて最高裁の方針、解釈はこうだ、そのとおりの判決をするかどうかによって差をつけるなんということになったら大変なことだと思うのです。そういうようなことは全くないだろうと思うのですが、そのこともお答えいただきたいし、先ほどおっしゃったように、四号まではほとんど変わりないと言うのでしたら、一遍こうなっておりますよというものを出していただきたいと思うのですよ。それは全部が大変というのなら、例えば私が今言いましたように、十期の人はこうなっておる、十五期の人はこうなっておる、二十期の人はこうなっておる、そのくらいでもいいですから一遍出していただきたいと思うのです。それを出していただかないでこれを審議してくれと言われても、ちゃんと一号から八号、一号から十二号とあるのですから、やはりそういうものを出していただかぬと、本当にこの法案に即した審議というのは私どもできぬと思うのですが、出していただきたい。どうですか。
  102. 櫻井文夫

    櫻井最高裁判所長官代理者 まず、ただいま安藤委員のおっしゃられた最高裁判所で協議会とか会同を開く、そしてその席で述べられた一つの法律解釈というものに従っているか従っていないかというようなことで報酬に差がつくかということにつきましては、これはもう全くそういうことはございません、そもそも裁判官の協議会あるいは会同というものは、意思統一ということのために行われているわけのものではないわけでありまして、しかもそこで出てきた意見と違う裁判をするかどうかというようなことは、これは裁判の中身について報酬による違いを設けるということで、そんなことはいまだかつて行われたことはないと申し上げていいと思っております。  それから、判事四号あたりまでは昇給に違いはないのだというのなら出せばいいではないかということでございますが、それはやはり少し問題が違うように私ども考えております。裁判官報酬額の決定といいますのは、あくまでもそれぞれの裁判官の置かれた地位に対応する責任とそれから実績等に基づいて決められる、その中に一定の、もとの報酬の在号期間というものが一つのファクターとして考慮されるということでございます。その結果が今申したような現実の運用になっているということでありまして、これを期ごとに示すあるいは何年でどうなるというふうに示すということは、これはやはり本来の裁判官報酬決定の趣旨という観点から考えて適当ではないというふうに考えるわけでございます。
  103. 安藤巖

    ○安藤委員 時間が参りましたから終わりますけれども、こういうような法案を出してみえるわけですから、号俸があるのですから、その中身はやはり議論しないと議論にならぬと思うのです。今後も引き続いてその要求はしていきますということを申し上げて質問を終わります。
  104. 戸沢政方

    戸沢委員長 これにて両案に対する質疑は終局いたしました。     ─────────────
  105. 戸沢政方

    戸沢委員長 これより討論に入るのでありますが、討論の申し出がありませんので、直ちに採決いたします。  まず、裁判官報酬等に関する法律の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  106. 戸沢政方

    戸沢委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。  次に、検察官俸給等に関する法律の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  107. 戸沢政方

    戸沢委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。  お諮りいたします。  ただいま議決いたしました両法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  108. 戸沢政方

    戸沢委員長 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。     ─────────────     〔報告書は附録に掲載〕     ─────────────
  109. 戸沢政方

    戸沢委員長 午後二時に再開することとし、この際、休憩いたします。     午前十一時四十三分休憩      ────◇─────     午後二時開議
  110. 戸沢政方

    戸沢委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  内閣提出刑事施設法案及び刑事施設法施行法案の両案を一括して議題といたします。  本日は、両案審査のため、参考人として慶応義塾大学法学部教授加藤久雄君、東洋大学工学部教授佐藤晴夫君、明治大学法学部教授菊田幸一君、以上三名の方々に御出席いただいております。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位には、御多用中のところ、本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。両案について、参考人各位には、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願いいたします。  次に、議事の順序について申し上げます。御意見の開陳は、加藤参考人、佐藤参考人、菊田参考人の順序で、お一人二十分以内に取りまとめてお述べいただき、次は、委員からの質問に対しお答えいただきたいと存じます。  それでは、まず加藤参考人にお願いいたします。
  111. 加藤久雄

    加藤参考人 慶応義塾大学の加藤久雄でございます。お配りしましたレジュメに従いまして、私の意見を述べさせていただきたいと思います。  最初に、まだ研究者としてひとり立ちしてわずか十五年にしかなっていない私に、こういうところで発言をする機会を与えていただいたことを心から感謝しております。  ちょうど四年前になりますけれども、当時西ドイツに滞在していたときに、やはり西ドイツの刑法改正審議の際に、西ドイツの連邦議会の法務委員会外国人の参考人として意見を述べよということで、きょうと同じように二十分間にわたって意見を述べたことがございますが、日本ではこのような高い席から話をさせていただくのは初めてですので、十分まとまったお話ができるかどうか心配しておりますけれども、精いっぱい意見を述べさせていただきたいと思います。  まず「問題の提起」ですけれども、私の刑事政策に対する基本的な立場というのはこの「問題の提起」に書いてあるとおりですが、御案内のように、刑事政策というのはある面では時代の子であって、その国の鏡であると言うこともできます。一般の人々が繁栄を享受しているとき、繁栄の落とし子である犯罪者たちが、社会から隔絶された刑事施設の中で必要以上の苦痛を味わわされているとしたら、刑事政策は何をなすべきであろうかという課題が我々に与えられているわけであります。‐  現代の刑事政策は、犯罪者の社会復帰と社会の防衛の目的を二律背反の原理としてとらえるのではなくて、犯罪者の社会復帰と社会の防衛、この二つの原理を調和の原理として発展させることをその課題としているわけであります。  罪を犯した者が犯罪者、受刑者という名のもとに、その人格をも否定され、同じ人間に生まれながら時代と国が違うことで余りにも不合理な差別的取り扱いを受けているとしたら、また、それが我々の無知に起因しているとしたら、我々は新しい情報を得ることにより直ちにそういった状態を改善していかなければならないわけであります。  ここ数年来、一口に欧米の行刑事情によればという漠然とした理解のもとに、犯罪者に対する処遇思想や社会復帰思想を断念し、行刑における無干渉主義、これはもう何もやらないという主義を貫徹することが、あたかも進歩的で人道的な刑事政策であるかのように喧伝されてきております。  犯罪者に対する処遇思想の放棄、克服という命題は、スローガンとしてはスマートで進歩的に響くかもしれませんけれども、その実態は、犯罪者の人権への配慮か無策の突き放しか紙一重のところにあると言うことができます。刑事施設へ送られてくるような犯罪者たちの多くが、もともと社会では偏見や差別の境遇のもとに置かれ、社会から落ちこぼれ、見捨てられ、突き放されてきた人たちであります。こうした彼らをその自主性の尊重という名目で、刑事司法の領域で援助の手も差し伸べず、ただ突き放すことが、果たして本当の意味での彼らに対する人権の保護と言えるのであろうかというのが私の疑問であります。  人間が人間を扱う犯罪者処遇の成果というものは、論理や概念の整理あるいは簡単な比較法による制度の手直しなどで容易に得られるものではありません。その成果は、刑事司法における長い貴重な経験を生かしつつ、努力努力を積み重ねて対象者一人一人の個性に適応する社会復帰への最良の道を探求する、いわば手づくりの血の通った処遇プロセスから生まれてくるものであることを忘れてはならないわけであります。  私は、このような立場から、今申し述べましたような明確な根拠に基づかない反処遇思想に対して、果たしてそうであろうかという疑問を抱き続けてまいりました。いつかこの疑問を確実な情報を根拠にして解消してみたいと考えておりました。そこで、機会があるごとに、我が国はもとより欧米諸国の刑事施設を時間をかけて見学し、情報を収集し、行刑実務家や刑事政策専門家などと意見を交換してまいりました。主に西ドイツ、デンマーク、オランダ、スイス、オーストリア、アメリカ合衆国における刑事施設約二百カ所の参観などを通して犯罪者処遇に関する情報を中心に研究をしてまいりました。犯罪者に対する処遇思想や社会復帰思想が断念されたなどと結論することがいかに現代の刑事政策の潮流を見誤ったものであるかという点を私の海外での比較研究を通して立証することを心がけてきたわけであります。  そこで、本日は、こうした私の経験を踏まえた上で受刑者処遇に関する私の存じ寄りを述べてみたいと思います。若干チャレンジャブルになるかもしれませんけれども、御宥恕願いたいと思います。  また、我が国の社会状況全般を見ましても、諸外国と比較いたしまして人種問題、政治的混乱、社会的不公正といった点が顕著でないことを挙げることができるわけであります。したがって、刑事司法の領域においても、法のもとの平等もある程度実現しており、検察官の求刑、裁判官の量刑、更生保護委員会の仮釈放の決定などに関してもドラスチックなトラブルは生じていないと私は評価しております。制約された条件のもとで細々と実施されてまいりました行刑領域における処遇行刑もその限りで問題もなく、それほど大きな非難の対象にはなっていないと思われます。  しかし、その努力も根拠となる法律を持たないためにもう限界に来ていると言わなければなりません。こうした行刑現場の職員の不断の努力法律でもって認知していく時期に来ていると思っております。  したがって、我が国では、改善、社会復帰モデルはまだ本当の意味で刑事政策の嫡出子にはなっていないと言うことができます。犯罪者処遇が比較的安定した状態にあるときだからこそ、我々は刑法改正、監獄法改正の両作業を通して、我が国の刑事司法の実情に適した我が国独自の改善、社会復帰行刑モデルを確立、定着化させていかなければならないというふうに考えております。  監獄法の全面改正の必要性は、現行監獄法は、明治四十一年に制定されて以来一度も実質的な改正がなされておりません。内容的にも制定当時の刑事政策思想に立脚し、監獄内の規律の確保に重点が置かれているため、受刑者に対する矯正処遇による改善更生及び社会復帰の促進と被収容者の権利義務関係の明確化という現代行刑の理念にそぐわなくなっております。そして、今回の法案の主な改正点は、受刑者の改善更生及び社会復帰の促進と被収容者の権利義務の確立という二つの理念に置かれているというふうに私は考えております。  まず、きょうのテーマでありますけれども、受刑者の処遇は個々の受刑者の資質及び環境に応じて最も適切な方法で行うという処遇の個別化の原理を明らかにし、特に矯正処遇としての作業あるいは教科指導、治療的処遇及び生活指導については、個々の受刑者の特性に応じて作成される処遇要領に基づいて計画的に行うことを定めているほか、外部通勤作業、外出、外泊等の効果的な処遇方策を導入しているというふうに評価することができるのではないか。  しかしながら、もう少し一般論からこの改正問題を眺めてまいりますと、犯罪の原因は何も犯罪者個人のみに帰せられるわけではなくて、犯罪者を取り巻いているさまざまな社会的な環境要因も大きく作用しているという見方が承認され始めたり、また、犯罪者を科学的に分類したり、それに基づいて適切に処遇したりする技術がどんどん開発されることにより犯罪者処遇を科学化、多様化、社会化し、それぞれの犯罪者のニーズに応じた処遇が要請されるようになってきております。そういった時代の流れを酌んで、今次の刑事施設法案でも「受刑者の処遇」という条文を設けているわけであります。  ここで私は、犯罪者あるいは受刑者の処遇、もう一度その意味を振り返ってみたいと思います。  処遇という言葉は、語源的には扱いであるとかあるいは待遇の仕方、処遇に該当する英語のトリートメントも、取り扱いであるとか待遇、処置、処分、治療の意味を持ち、ドイツ語のべハンドルングという言葉がありますけれども、それも、取り扱いであるとか操縦であるとか手当てなどを意味しております。このことから受刑者処遇という言葉は、ある人の立場、状態、人格などを考慮した扱いというニュアンスを持つことができるわけで、受刑者の立場、状態、人格などを考慮した扱いをしていくというのが受刑者処遇の意味であります。  刑事法の領域で犯罪者の処遇という用語が使われたのは比較的最近のことであります。これは、国際連合の犯罪対策に関する仕事に結びついて生まれたものであると言われております。例えば、国連は一九五五年に第一回の犯罪防止及び犯罪者の処遇に関する会議を開いて、そして、処遇は、主に受刑者その他の被収容者を取り扱うという意味で、矯正領域で、矯正処遇、施設内処遇という専門用語として慣用されてきております。  その場合に、処遇の方法としては、精神医学や心理学などの行動諸科学における治療方法に学び、犯罪者を一種の病者とみなし、これに医学的治療を施すといういわゆるメディカルモデルの考え方に基づいて従来は行われてきたわけであります。しかし、この点については、最近では批判があるのは御案内のとおりであります。そのために、処遇の内容も治療を意味する響きを持っていたわけですけれども、現在ではこういりた考え方は克服されようとしているわけであります。  ここで、レジュメの三のところにもう既に入っているわけですけれども、社会復帰、つまり受刑者処遇のポイントは、ここにも掲げておりますように、収容の確保ということと、収容者の自主性を尊重して、そして社会に復帰させなければいけないということに尽きるわけであります。したがって、ここで十分確認しておかなければならないことは、犯罪者処遇あるいは受刑者処遇における社会復帰という意味であります。  社会復帰という用語は、アメリカ合衆国などにおきまして、犯罪者処遇の医学モデルにおいて、犯罪者イコール患者が治るということ、あるいは、受刑生活イコール入院生活からスムーズに社会生活に戻るという場合に用いられてきたわけであります。しかし、こういったアナロジーを現在の犯罪者処遇の中でどのように合理的に用いていくかということが我々に課せられている課題でもあるわけです。  この社会復帰の行刑の目的というのは、処遇を通して対象者が主体的に刑法と葛藤を生じないようなライフスタイルを身につけるように指導援助することであります。このように、社会復帰の目的が刑法と衝突しない生活態度の確保にあるという点は一般に承認されているところであります。しかし、その目的の内容は、調教による単なる適応なのか、あるいは、成人としての自己及び社会的な答責性を持った人格の形成までを目指しているのかという点になると必ずしも意見が一致していないわけであります。  社会復帰行刑の目的は、対象者を既存の社会に無理やり適応させたり、国家に忠実な下僕をつくるための教育、あるいは、あつれきもなく社会に組み込まれる有用な構成員の育成でもなく、対象者が内的、外的自立性、主体的人格や社会的責任を持って生活できる能力などを獲得できるように援助することにあるというのが今のところ我々の領域で考えられている一番妥当な考えであるように思うわけであります。  ところで、具体的に今次の刑事施設法案を見てまいりますと、大きくこのレジュメの四のところに書いておきましたように、分類制度に関するガイドラインというものに関して今次の法案については余り明示されていない。これは法務省令等にゆだねるという形になっておりますけれども、これはやはりもう少し法律化した方がいいのじゃないかというのが私の基本的な考え方であります。  そして、現行監獄法は、御承知のように法務省令である行刑累進処遇令、これは昭和八年に制定されたものでありますけれども、それによって実質的な受刑者処遇を実施してきたわけであります。この処遇令は、もう一つの受刑者処遇の柱であります累進制度とともに、二本柱として監獄法を実質的に修正するものとして、受刑者の処遇という観点において用いられてきたわけであります。  しかし、その運用の実態は、かつて分類あって処遇なしと批判されましたように、処遇の側面よりも、どちらかといえば収容の確保、受刑者の管理の側面に重点が置かれていたわけであります。それは、行刑の基本法たる現行監獄法が明治四十一年に制定、施行され、当時の富国強兵政策から後の軍国主義社会への変遷の中で、犯罪者個人が重んじられるよりも社会全体の秩序が優先される時代であったということにもよるし、また、当時の刑事政策を支えるべき隣接の諸科学も未発達の状態であったため、およそ現在のような犯罪者を処遇し、改善教育し、円滑な社会復帰を促進するというような犯罪者処遇思想の萌芽さえ見ることができなかったからであります。したがって、第二次世界大戦前の受刑者処遇は、威嚇的な刑の執行、施設内秩序維持の最優先、隔離による社会防衛といった行刑目的のもとに管理法的側面を持って運用されてきたと言うことができるわけです。  しかし、終戦とともに諸外国との学問的交流も再び活発になり、新しい刑事政策思潮やそれを支える隣接諸科学、とりわけ精神医学や臨床心理学などの新しい知見が次々に紹介され、我が国の矯正領域にも強力なインパクトを与えてきたわけであります。そして、昭和二十二年に、医学、精神医学、心理学、教育学、社会学、統計学等の専門委員から成る矯正科学審議会が設置され、二十三年には新しい分類制度の樹立を目指した受刑者分類調査要綱というものが示されて、それが後の、現在の分類制度に結びつくということになるわけであります。  こういった状況の中で、今次の改正は受刑者処遇という点にポイントを置いて提案をしているわけですけれども、それが必ずしも問題がないわけじゃないわけであります。  例えば、受刑者処遇の原則に関して、社会との連携に関する条文につきましては問題があると言わなければならないわけであります。法案の五十条では「刑事施設の長は、受刑者の処遇を行うに当たつては、できる限り、罪を犯した者の改善更生に関係のある公私の団体及び民間の篤志家その他の個人の協力と援助を得ることに努めるものとする。」と規定しておりますが、受刑者に対するいわゆる社会的援助に関する規定はこの条文のみで、五十三条によってもその具体的実施内容が法務省令にゆだねられているわけでもない。これでは受刑者処遇の原則として社会との連携も考慮しなさいよという程度の意味しか持たないまさにプログラム的規定と言わざるを得ないわけであります。刑事政策や受刑者処遇への公衆の参加、社会資源の開発の重要性、受刑者の円滑な社会復帰と再就職への社会の理解の獲得などといった点からも、また、諸外国の立法例にも見られるように、この社会的援助が国際的に見ても受刑者処遇の重要な課題になっているという点からいっても、具体的な法律化が望ましい。それが不可能であれば、少なくとも五十三条に五十条を含めて具体的運用方法について法務省令で明確にする必要があるように思われます。  それとともに、幾ら刑務所の中で受刑者にいい処遇をし、そして社会復帰への準備をさせても、その受け皿である地域社会、あるいは社会でのその受け皿が不十分であるということになりますと、それは決して犯罪者処遇、受刑者処遇というのは成功しないわけであります。施設内処遇と社会内処遇の連係プレーという点についても十分に考慮していかなければいけないわけであります。そういう意味で受刑者に対する、あるいは仮釈放の対象者に対する保護観察の充実であるとか更生保護会の充実であるとか、あるいはそういう施設を受け入れるような地域社会への啓蒙といったような点についても配慮がなされていかなければならないわけであります。  もう時間も参りましたので細かい点につきまして意見を述べる機会がなくなりましたけれども、後の質疑応答のところで詳しく述べさせていただきたいと思うわけであります。  最後に、まとめに若干時間をいただぎたいわけですけれども、現代の刑事政策は、何度も申しますように犯罪者の適切な社会復帰を促進し、もって犯罪の防止を果たすことを目的としております。こうした刑事政策の思潮の背景には、人権思想の高揚により、応報的な刑罰よりも人道的な刑罰という要求が高まったこと、犯罪の原因を単に個人の問題に限定して理解するのでなく、犯罪行為者を取り巻く社会環境とのかかわりにおいて把握すべきだという考え方が定着してきたこと、刑事法領域の隣接諸科学の目覚ましい発展によって、行刑領域に導入可能な科学的処遇技術が開発され、ある程度まで犯罪行為者の行動を科学的に予測し理解することが可能になったことという事情があるからであります。  しかし、刑事政策への過度な期待は、しばしば対象者の人権を侵害することにもなります。犯罪の防止と対象者の人権の確保、この両者の調和こそが現代の刑事政策の課題であり、こうした刑事政策を実現させるために、今述べましたような隣接諸科学の知見の総動員はもとよりのこと、マスメディアやコンピューターを利用した国際的規模での正確な情報が必要になってまいります。  また、犯罪者の社会復帰が彼らを再び地域社会の構成員として承認することであるとすれば、地域社会の人々の理解と援助なくしてはこの社会復帰は成功しないわけであります。このためにも日ごろから地域の非行防止活動やBBS運動など市民レベルでのボランティア活動が継続的に維持発展するための環境づくりが必要であるというふうにも考えております。  また、ボランティアの組織による社会資源開発バンクなどを設けて、できるだけ多くの社会資源の開発に努め、公衆の刑事政策への参加を促すべきではないか。それにはマスコミ関係者も社会に与える影響と社会的責任を考慮して、こうした市民レベルでの刑事政策的運動の発展に寄与すべきであると考えております。  長くなりましたけれども、私の意見はこの程度にさせていただきます。
  112. 戸沢政方

    戸沢委員長 加藤参考人ありがとうございました。  次に、佐藤参考人にお願いいたします。
  113. 佐藤晴夫

    ○佐藤参考人 私、東洋大学の佐藤でございます。  私、実務上の立場から御意見を申し上げたいと思いますので、これまでの経歴をちょっとお話し申し上げます。昭和二十五年に法務省に勤務いたしまして、昭和三十四年に鳥取の少年鑑別所長になりまして、その次、昭和四十一年に北海道の千歳少年院長をやりまして、それから昭和四十四年に千葉にあります市原交通刑務所の初代の所長をやりまして、昭和五十四年に矯正研修所所長で退官いたしました。その間、東北大学や茨城大学で犯罪心理学を教えたり、あるいは司法試験の委員を任命されたこともございます。現在は、東洋大学の工学部と社会学部で心理学と社会学と犯罪学と、それから一般学生と留学生の相談をやっております。それから法務省の矯正保護審議部会の委員でございます。  私、刑事施設法案に賛成の立場から、私なりの経験に基づいた意見を申し上げたいと存じます。加藤参考人と重複する部分があるかと思いますけれども……。  我が国は、文明開化の出発点に当たりまして、非常に性急なほどヨーロッパ的な刑事司法構造を全面的に採用して、明治十四年にはフランス、ベルギーを手本とする第一次の監獄則というのをつくり、明治二十二年にはフランス方式から急にドイツ方式に変わって第二次監獄則をこしらえ、明治四十一年になりますと、現在の監獄法なんですけれども、フランス色を一掃して完全なドイツ方式に改めたわけでございます。その後、昭和九年に欧米風の累進処遇制を採用し、戦後になりまして昭和二十二年ですか、アメリカの方式による分類制を取り入れて現在に至っているわけでして、我が国の行刑というのは非常に世界の動向に敏感過ぎるほど敏感に活動してきたのだと思います。  一方、世界では、昭和三十年に犯罪防止及び犯罪者の処遇に関する国連の会議で被拘禁者処遇の最低基準規則が採用されましたし、昭和四十五年にはアメリカ矯正協会が百周年の祝典を挙げまして、そのとき百周年宣言、新しいシンシナチ宣言というものを採択しましたし、昭和四十八年にはEC共同体が被拘禁者処遇ヨーロッパ最低基準規則を決議、採択されているわけでございます。  それらの根本思想というのは、この改正法案に盛られております収容者の生活条件と権利の保障の拡充、それからそういうものを制限する根拠を明確にすること、二番目に収容者の社会復帰のための処遇の基本方針を明確にすることでございまして、欧米諸国も昭和三十四年にはフランス行刑法ができましたし、昭和三十九年にはイギリスの監獄規則、それから昭和四十九年にはスウェーデン行刑法、昭和五十年にはイタリア行刑法、昭和五十一年には西ドイツ行刑法など大改正が行われて、そういう世界的な風潮に沿っているわけでございますけれども、我が国の場合ちょっと遅過ぎるのですけれども、やっと明治四十一年の古色蒼然とした、法制面の整備が非常におくれている監獄法が今回改正されようとしていることは当然でもありますし、また非常に喜ばしいことだと私存じます。  それで、幾つか新しい法律が生まれて新しい収容者の処遇が展開するに当たって、ぜひこういう点に着目していただきたいというようなことを二、三述べさせていただきたいのです。  日本の行刑というのは、御承知のように検察の起訴猶予が非常に多く三七%ぐらいですか、それから裁判も罰金刑が多いし、執行猶予がもう五七%ぐらいに及んでいますから、刑務所に入ってくる犯罪者というのは、全犯罪者の一%ぐらいしかいないわけでございまして、当然改善が困難だ。例えば十人のうち三人は暴力団員でございますし、十人のうちまた三人は覚せい剤の常習者でございます。しかも、年々新しく入ってくる収容者の質が悪くなっておりますけれども、まだそれでも犯罪傾向が進んでいないと認定されたA級と申しますか、そういう収容者の再入率は二三%におさまっていますし、犯罪傾向が進んでいると判断されたB級収容者は再入率が五九%で、これは非常に各国に比べて低い率でございまして、どれがどのくらいであればどのくらい拘禁の効果があるのかあるいは教育の効果があるのかわかりませんけれども、これは非常に高く買っていい数字じゃないかと存じます。  それで、国情や文化の違いがありますから、他国で行われているものをすべて採用できませんし、またそういう必要もございませんが、我が国の行刑には我が国なりの特色がございますから、そういう点をぜひ生かしていただきたい。  一つは、職員外国と違って全く武器を使用していない点でございます。刑務所の中でけん銃や小銃を使ったのは昭和三十四年で終わりでございますし、ガス銃を使ったのも昭和五十一年で終わりでございます。なぜそんなことができるかというと、結局人と人との心のつながりを基礎にして日常収容者と接して、全く事故を起こさずに済ましているという刑務官の御苦労が大変なんだろうと思いますが、この点は諸外国の行刑と比べますと各段の違いでございますから、日本の目玉を大事にしておかなければいけないと思います。  この間、どこのテレビだか忘れましたけれども、オーストラリアの刑務所の中のことが映っておりました。アナウンサーが一生懸命、日本の刑務所はひどくてオーストラリアの刑務所は自由だ、自由だと言っておりましたけれども、彼らの考え方というのは、中で幾らでも自由にするけれども、ちょっと塀のそばへ近よったりフェンスのそばへ近よったりすると、塀の上からねらっている銃で一発のうちに狙撃するのが彼らが人間に与える自由なんで、日本の刑務所の場合はそういう自由の考え方ではなくて、毎日毎日父親のような訓戒を与えて、しかも母親のようなやさしい気持ちで収容者と接する、そういうところに家族的な自由というのですか、そういうものでやっていくのが日本の刑務所ではないかと存じます。  それともう一つは、刑務作業のことなんですけれども民間の企業と比較すると生産性は確かに低いのですけれども、懸命な刑務所の努力と工夫によって不就業者、働かないでいる者がいないということです。私、アメリカの刑務所に随分寝泊まりして歩いたことがありますけれども、仕事がないものですから、二年も三年も先のカレンダーを印刷していたり、あるいはブラスバンドをつくって朝から晩までブラスバンド隊が塀の中をただぐるぐる回っていたり、そういうことは日本にないわけでございます。  それから、まだいろいろこういうふうにあった方がいいなということはたくさんございますけれども、もちろん予算の方はあるだけある方がいいので、それは今さら申し上げなくてもよろしいかと思います。  建物でございますけれども、建物というのは、収容者五百人ぐらいの施設で、少なくとも所長が収容者の名前を覚えられる程度の規模の施設であれば非常に望ましいのじゃないかと思います。それから、開放的な施設とか中程度の警備の施設とか重程度の警備の施設とか、いろいろの施設の多様化に心がけていただきたい、そう考えているものでございます。  それから、先ほど申し上げた職員ですけれども、一晩じゅう起きていなければいけませんし、盆も正月も、収容者が休まないわけですから、職員も休めないので、職員の勤務体制のことも考えなければいけない。新しい刑事施設法ができても、建物がどんなによくなっても、幾らお金がついても、それを運営するのは職員ですから、職員の勤務、研修、そういうものに力を入れておかなければならないのだと思います。  それともう一つ、今イギリスのプリズンビジターをまねた篤志面接委員が千八百人全国におりますし、宗教家も千八百人ほどおられますし、刑務作業を提供してくれる非常に熱心な企業主もたくさんございますが、そういう人たちが陰になって援助をしてくれると同時に、そういう人たちを通じて社会の人たちの理解が一層深まることが肝心ではないかと思います。  それから、加藤参考人が述べられたように、刑務所だけで事が済むわけでございませんから、入ったらもうすぐ出ることを考えるのが刑務所でございますから、保護機関とどういうふうにして連携をしたらうまくいくか、そういうプログラムをどうしてもつくらなければいけないのではないかと思います。  最後に、刑務所というところは、世界じゅうどこでも同じだと思いますが、社会の文化の中で存在しているわけでございます。例えば、随分前ですけれども、スウェーデンのエリクソンという方が日本に来て、日本という国は非常に法律をよく守る国民だということを言っていましたけれども、私、留学生と話をしていても、留学生が日本に来まして驚くことが三つあるのです。一つは、女の人が夜ひとり歩きができること。もう一つは、自販機が置いてあって壊れない。外にあれがあったら次の日もう壊れているだろう。それからもう一つは、子供が物すごく身なりがよくて、みんな自転車を一台ずつ持っているということ。それが日本の印象だと言っておりました。  非常に治安がいいということは、日本には日本なりの共同体の倫理というのですか、世間体とか恥とか恩義とか義理人情とか罪の意識とか、いろいろ言葉は違いますけれども、そういうものを収容者に押しつけて涵養するというのではなくて、人と人との間柄の中で生んでいくような風土、雰囲気というのですか、ちょっと科学主義とは違うかもしれませんけれども、そういうことをこれから新工夫していくといいのではないかと思います。  よく西洋人は、日本人というのはキリスト教を知らないから罪の意識がないということを言いますけれども、私ども小さいとき聞かされましたが、月夜に子供を背中にした男がスイカ畑を通りかかって、ふとこのスイカを盗む気になって「だれも見ていないな」とひとり言を言いますと、背中の子供が「お父さん、お月さんが見ているよ」。それでその男ははっと悟ったという話がございますが、この寓話は、カントが「実践理性批判」の中で言っていることと同じことを教えているので、我が国の世間体とか恥というのはそうした高次元にまで高めることのできる倫理でございますから、そういう点をこの収容者の、もちろん職員もそうですけれども職員と収容者がそういう日本の文化を大切にしながら、新しい矯正といいますか行刑をつくっていく、これは条文の中に書くわけにいきませんけれども、そういう精神が大切なんじゃないかと思います。  これで私の話を終わります。
  114. 戸沢政方

    戸沢委員長 佐藤参考人、ありがとうございました。  次に、菊田参考人にお願いいたします。
  115. 菊田幸一

    ○菊田参考人 明治大学の菊田でございます。  本日は、佐藤さんと同じく、法務省の推薦でこちらへ呼ばれたわけでありますけれども、私は今回の刑事施設法案についてはずっと批判的論文を書き続けてまいりました。したがって、あえて私をお呼びになるということは、どうもこの法案を通すのにかなりの御自信があるんじゃないかというふうに思っておりますけれども、この参考人意見がどの程度、どういう意味で参考になるのか私にはわかりませんけれども、私が出なくてもどなたかかわりの人が出るでしょうから、お断りすることなくあえて出てまいりました。  と申しますのは、この刑事施設法案というものができるに際しましては、御存じのようにいろいろの経緯がございます。一番問題になるのは、刑法改正というものがまだできていないということであります。その刑法については、例えば平野教授あたりは対案というものを委員会を脱退した上でおつくりになっているわけでありますけれども、その平野氏がこの小委員会の方で監獄法、刑事施設法案というものの素案をおつくりになっている。確かに、刑事施設法案というものは刑法から申しますと要するに特別法であります。したがって、特別法というものは刑法にある意味では拘束されます。けれども、必ずしもそうではない。世界的な立法の経過を見ましても、特別法というのはやはり一面においては原則法を超えてそして先取りしていくという性質と申しますか特質もあわせ持っているわけであります。そういう意味で、刑法が未解決のうちにこの刑事施設法案をつくろうということは必ずしもむだじゃないし、また刑法にすべてが拘束されるわけじゃないということは申し上げていいと思います。  しかしながら、御存じのように、今度できました法案というものは、そのもとでありますところの骨子でありますが、その要綱から見てまいりますと、これは同じ東大の松尾氏がいみじくも言っていることでありますけれども、小委員会でできた要綱からでき上がったこの法案というものは、まさに信義別に反するものであったということを述べております。つまり、何のために小委員会、審議会があったかということを述べているわけであります。  そういう意味で、法律というものはできてしまえばひとり歩きします。今では平野氏あたりは、この法律というものは、現行監獄法というものが明治四十一年から今日まで続いているけれども、新しくできるものがこれから先五十年も続くはずがないというようなことで、そのときにおいて改正していけばいいんだというふうに言っているようなことを聞いたことがありますけれども、そんなものじゃないと私は思います。この法律ができますと、これは少なくとも二十一世紀の半ばまでは続くはずであります。そういう観点からいって、私はこの法律というものは絶対に、全面的に見直さなければならないというふうに思います。  これは私のひとりよがりではなくて、例えば監獄法の改正というものは特に、戦前もありましたけれども、戦後においても何回か続けられております。部分的と申しますか、試案といいますか、法規室の試案もありますけれども、その他の公の機関での法案というのも何回も何回も繰り返されております。その中においても、例えばまず、未決拘禁と既決囚を二つに分けろということはどの案にも出ております。あるいは、賃金制を採用しろということも出ております。その他、第三者機関、つまり民間人の民意を行刑に反映させなければいかぬということもずっと続けて叫ばれております。そういう、先人たちがこれまで検討を重ねて何回も、何年にもわたって結論的に盛ってきているものが、今回の法案にはことごとく入っていないわけです。これは、今までの積み重ねというものをすべて払拭したものであるという点においても、もう一度全面的に見直さなければならぬものだというふうに私は考えるわけであります。  それは一般論といたしまして、私は、ここで三点ばかり問題点を指摘したいと思います。  その一つは、受刑者の不服申し立て制度ということであります。言うまでもなく、監獄に収容されている者というのは自分をおいて味方はだれもいないわけであります。そして、今回の柱の一つでありますところの法律化というもの、あるいは国際化というもの、そういうような一つの柱から見ましても、受刑者が自分の置かれた立場、処置に対して、冷静に、客観的な判断を別の機関において取り上げてもらうということを保障することがとりもなおさず人権保障であり、かつ法律化であるというふうに思います。もちろん、受刑者の二十四時間にわたるすべてにわたって法律化しろということは無理でありますけれども、根本的にそういった不服申し立て制度というものがある程度確立していなければ、これは人権を担保することはできないわけであります。その点で、御存じのように、現行法はもちろん情願というような片面的な制度があるだけでありまして、これは全く保障するところのものではありません。  今回できておりますところの不服申し立て制度においては、二つのものが挙げられております。「審査の申請」というのと「苦情の申出」というものでありますけれども、この審査の請求というのは、どうも形式的な形での措置ということがその趣旨のようでありまして、要するに十一項目という限られたものになっておるわけであります。ところが、その十一項目というのはごく限られておるわけでありまして、その他の、例えば面会とかいろいろな形での生活処遇上に受けた自分の不利益処分あるいは不満に対してこの審査の請求は該当しない、客観的に十一項目以外はだめだ、こういうことになっているわけであります。もとより、これについてはいろいろそれなりの理由が挙げられております。そういう日常生活のことについて、こういった形式的な形での措置というものをとるにはふさわしくないというような理由が挙げられております。したがって、それを補充するものとして「苦情の申出」というものがあるわけであります。  ところが、この「苦情の申出」というのは、例えばどんな苦情を申し上げても、これに対しては何ら、施設長なりあるいは法務大臣がこの申し出に対して有効な返答をする義務もない、その他、変更を求める効力、そういったものが何もとられていないわけであります。要するに申し上げるだけだ。ましてや、申し上げていつ返事をくれるのか、この返事の期限もない。こういうような一方的な、受け入れるだけだ、こういう制度であります。つまり、最終的には受刑者は、みずからの侵害をどこへも訴える措置というものがないわけであります。これが、要するに法律化という文句で言われている法案の大きな根幹になっている制度の一つとしてあるということを、私は特に申し上げたいと思うわけです。  これに対しては、例えば審議会と申しますか、外部の弁護士あるいは法律家を加えての審議会を設けろということも、これは今回の骨子だけではなくて、以前からも主張されてきております。ところがその点についてはもう完全に削除されまして、一切部外の者はそういう審議会に立ち会うような方法は将来とも持たないという方向が確立しておるようであります。  こういうことでありますから、要するに日本の行刑というものは、先ほどの佐藤さんのお話の立場と私どもの立場とこれほど同じ受刑者の見方が違うのかと驚き入るほど、一方では行刑というものは我が国は伝統的に非常に密行主義であります。国民の財産であり国民の一員が刑務所に入っているのだ、そして法律化というのは、つまりこの受刑者の人権を法的にどこまで、全部じゃなくてここまでは認めていきましょうという形の受刑者側に立った権利の保障ということが法律化の根底の意味であると私は解釈をしています。  ところが今回の法案というものはそうではなくて、行刑を担当する側が自分たちの権利を法的にどこまで行使し得るかということの側に立った法案、姿勢というものが如実に出ている。これはもう明らかであります。特に、もとより私は要綱自体にもいろいろな点で問題を指摘をしてまいりましたけれども、要綱からさらに法案になって、その点においてはもう実に百カ所にわたって、これは主観的かもしれませんけれども日弁連の指摘があるわけです。その百カ所に及ぶ指摘に対して、五十七年あるいは六十年でしたか、何回かにわたって修正をした。たった十何カ所かしか修正をしていないのですね。百カ所のうち十何カ所しか修正しないで、それでこの法案が日の目を見るということは時期尚早だ、審議不十分だというふうに私は考えます。     〔委員長退席、井出委員長代理着席〕  さらに、もう一つつけ加えたいのは賃金制の問題であります。  先ほどのように、我が国においては刑務作業において受刑者は非常に生産性を上げております。ところが一銭も賃金を上げていない。これは世界的に見ても国連基準から見ても実に最低基準にも達していないのであります。もちろん、これは賃金という言葉を使えばそれでいいのかというような議論もあります。けれども、現在のような程度の形のものでは、これはまさに労働じゃなくて受刑者を奴隷的な使役に使っているというふうに言わざるを得ないと私は思います。つまり、現在の刑務所は収容費などを別にしますと一〇〇%前後になるでしょうけれども、食費とか衣服とかそういったたぐいのものというのは、国が強制的に刑務所に連れてきた人間に対して国が負担するのは当然のことだと私は思います。したがって、そんなものは計算の枠を外しますと、実に四倍、五倍、五〇〇%にわたって国家的な収益を上げているわけであります。特に最近は矯正協会に事業を委託しましてさらに生産性を上げようとしている。こういうことによって生産性を受刑者から上げて一体何になるかということですね。  確かに表面づらの計算は、国家は刑務所にむだな金を使っていないという国民に対する言いわけにはなるでしょう。けれども、彼らは今おっしゃったように実に六割の人間が社会からまた刑務所に戻ってくるわけであります。そして結局は、社会に対してどれだけの財産的な一般国民に対する負担を与えているか、こういうことを言いますと、やはり先ほどの人間を我々の国民の一人として一体なぜ考えていないのかということです。働いて賃金をもらえないというのは、これは私はある意味では憲法の条文にも反するというように考えます。そういう意味で賃金制の確立ということ。  確かに現在は報奨制度ということになっていますが、それにしても法務省の省令か何かにおいて一体どのくらいその報奨を具体的に出そうというつもりなのかということについては、いろいろな資料を見ますと、恐らく現在の額とそれほど違うようなものは出てこないだろうというふうに考えます。そういう意味で名前は違うというけれども、報奨制に変わったというけれども、受刑者が働くということ、それに対する賃金ということは、やはり賃金請求権というものが法的に出てくると思います。あるいは、そういう法的な関係でとらえるということになると、今までのような単なる賞与金あるいはそれが名前だけ変わった報奨金では、私は法的な地位の確立あるいは国際化というものに見合うものでは決してないというふうに考えます。  さらに私は最後にもう一つ、今回は未決を除くということでありますけれども、死刑の確定者の処遇ということについて若干触れたいと思います。  御存じのように、現在の監獄法第九条によりますと、死刑囚は確定については未決と同等の扱いをするということになっております。また、これは裁判所でもそういう判決を出しております。ところが、今日、特に昭和三十八年以降、確定者に対する扱いが異常なまでに密行、また厳格になっております。今度の法案によりましても、「心情の安定」ということが出ています。そのためには昼夜独居だということが原則とされております。それに見合って、面会とかあるいは信書の発受ということについても相手を厳格に制限いたしまして、要するに外部との交通を遮断して一切俗世間の空気に触れないようにということで死に追やる、こういう方法がとられているわけであります。  ところが、現実に御存じのように、死刑問題はともかくといたしまして、例えば恩赦の申請とかあるいは再審の請求というようなものをやる上においては、これは外部との交通なしにはできません。本人は全く素人でありますし、そういう場合に弁護士を依頼するということになりましても、その弁護士を選任するということ自体がこれは連絡がとれないわけであります。そんなばかなことがあっていいですか。選任してしまえば会える。これ以前に手続として選任手続をしなければならない。ところが死刑囚というのは、だれが弁護士として自分の再審請求をやってくれるかということは、そんな知識は何もないわけだ。つまり、死刑が確定してしまえば、この法案でいきますと一切遮断されて、みずからの救済手段であるもろもろの措置もとれなくなってしまう、こういうようなことがあります。  こういうことは一つの例でありますけれども、諸外国の例を見ましても、これは死刑囚とはいえ、外部との電話はかける、手紙は出せる、面会はたくさん来るという形で、要するに死刑囚は処刑そのものが目的でありますから、自由の拘束以外はすべて自由にしなければならぬというのがどの国においてもとられている現状であります。それが、我が国においてはますますこれが強化されてきている。これは今までにない——今までの例えば免田さんにしてもその他の連中は、死刑囚同士が運動をしたり話をしたりいろいろなことを刑務所でやってきている。そういうことが一切現在とられていない。あるいはまた、そういうことが法を先取りして現実にこういった通達と申しますか省令などで行われているという事実であります。  要するに、私の言いたいことは、前から言っておることでありますけれども、我が国の行刑というものは、これは通達行政だと私は言っております。法律による行政じゃない。通達が法律かどうかは知りませんけれども、これはいかに委任命令の範囲内といっても、具体的に検討すれば法律を超えていると思います。勝手に行政機関が通達を出して、そしてそれによって人権を自由に操る。少し言葉がきついですけれども、操ることが可能なようにできていると私は思います。御存じのように、今度の法案は省令によるというところの言葉が実にたくさん使われているわけであります。そういうことから申しても、我が国の行刑は依然として行刑密行主義というものがとられておる。それから、あくまでも悪いことをした人間を戒護する、戒める、こういう姿勢のあらわれだと見ているわけであります。そのためには受刑者に対して沈黙制を守らせる、沈黙制を強化するということであります。そして、現在の受刑者の生活というものは国民のレベルからいっても、あるいは諸外国との比較からいたしましてもこれは実に低俗な生活を強いているということであります。  これは日本の仏教思想か、あるいはおまえたち悪いことをしたのだから少し償いをしろ、償いをすればまあ許されるだろう、こういうようなものが入っておるやに思いますけれども、それは近代化というようなことでは決してない。我々の国民の一人であります。そして年間受刑者というのは五万か六万でしょう。その人間というのは恐らく運悪く入った人間です。そのほかに刑務所へ行かなければならぬ人間はいっぱいいるわけです。ところが、彼らは我々の代表者なんですね。その代表者だけを刑務所へ入れておいて、それで我々は安泰だという気持ちで、その人間は入れた以上もう人間扱いをしないで延々と六割、累犯者をどんどんつくっていくということで国民をごまかしているのじゃないか。私はそういうような法律をこの世紀においてつくることは次代の来るべき人のために恥ずべきことだと思います。  以上。
  116. 井出正一

    ○井出委員長 代理 菊田参考人、ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。    ─────────────
  117. 井出正一

    ○井出委員長 代理 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。逢沢一郎君。
  118. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 自由民主党の逢沢一郎でございます。  お三人の先生方には、きょうは本当に貴重な御意見の陳述、ありがとうございました。時間が限られてございますので、早速順次参考人の先生方にお尋ねを申し上げたいと思います。  まず最初に、加藤参考人にお伺いを申し上げるわけでございますが、私ども政府あるいはまた法務省当局に伺ってみますと、我が国の受刑者の処遇につきまして、これは国際的にはそれ自体が非常に高い評価を受けているのだということを承っているわけであります。しかしながら、実際のところどうなんだということで中身についてこれを伺ってみますと、例えば毎年新たに確定する受刑者の方々のうちで、刑務所に入るのはこれが初めてなんだという方は、大体その割合は四〇%、つまり残りの六〇%の方は既に刑務所暮らしとでも申しますか、刑務所での生活の経験を持っておる人ということでありますが、その受刑者の方々に対していろいろ行われている作業や教育、いわゆる矯正の処遇についてそういう実態があるのならば、国際的な評価が高いどころか、本当にその内容というのは一体どのようなものなのかということを疑問視せざるを得ない、そういう意見も一方ではあろうかと思うわけであります。     〔井出委員長代理退席、委員長着席〕  その部分につきまして、いわゆる諸外国、特に欧米先進諸国と比較して、我が国の受刑者に対する矯正処遇の効果、このことについて先生御自身がどのように一体評価をなさっておられるのか。もちろん今審議をやらしていただいております刑事施設法案ではいわゆる矯正処遇の内容やその方法、もちろん質を高める、レベルを高める、その内容を充実させていこうという意図を非常に強く私ども持っているわけでありますが、そのことについて忌憚のない参考人先生の御意見を伺いたいというふうに思います。
  119. 加藤久雄

    加藤参考人 お答えします。  これは刑事政策にとっても非常に重要な課題でありまして、私のレジュメにも書いておきましたけれども、確かに御指摘のとおり、犯罪白書を見ますと累犯受刑者といいますか何回も犯罪を犯して、そして刑務所にまた入ってくるという受刑者が数の上からいいますと多いことは確かであります。しかし、だからといってそれが我が国の行刑あるいは刑事政策が失敗をしているのかというと、必ずしも私はそういうふうに評価していないわけでありまして、これは先ほども言いましたように、犯罪者の社会復帰というのは何も行刑だけに、あるいは刑事施設での処遇だけに責任をかぶせるということではなくて、これは警察官の逮捕の段階から釈放、釈放されてから保護観察に至るそういった長いプロセスの中で評価していかなければいけないというふうに考えるわけです。  外国との比較ですけれども、私もいろいろなタイプの施設を、特にヨーロッパに四年半近くおりまして、事あるごとにいろいろな刑事施設を参観させていただいたり、あるいは五年にわたって向こうの刑務所長を初めとして西ドイツの行刑法、刑法改正の問題で研究会をやる、そういう人たちとの交流を通していろいろな、普通の参観者では見られないいわゆる内輪の事情までも見せてもらうということで実際に比較をする情報を得ることができたわけですけれども、そういう立場から申しましても、日本の行刑の実態というのは、これは決して法務省にごまをするわけじゃありませんけれども、公平な立場から見て非常に水準が高いというふうに評価しております。  ただ、その評価をする場合に、今おっしゃった累犯率というようなこと、あるいは刑事政策が成功したかどうかは再犯率にかかっているんじゃないかというふうにおっしゃいますけれども、例えばオランダではその再犯率のとり方、例えば釈放後半年でとるか、あるいは一年でとるか、三年でとるか、五年でとるか、もっと長く十年でとるということになりますと、その再犯率の評価というのは当然異なってくるわけでありまして、例えば五年でとれば当然その再犯率が高くなる。特に累犯受刑者の場合には釈放後六カ月が一番問題であるということが言われておりまして、六ヵ月以内で再犯率をとるということになりますと当然再犯率が高くなるということです。  オランダの特に累犯受刑者を収容している施設で聞いた話ですけれども、実際私、これについては私の論文でも紹介しているわけですが、例えば、一体再犯とか累犯とかあるいは再犯率、あるいは受刑者が矯正施設の中で処遇されたりあるいは教育を受けたり社会復帰のための準備をした、そのことの成果というのは再犯率だけで評価していいのかどうかという根本的な問いかけがまずなされる。オランダでは、例えばそういった重大な犯罪を犯したり、あるいは何回も犯罪を行っているようないわゆる常習累犯者という人に対しての再犯率の評価というのは、司法省と行刑関係者との間でコンベンシオンといいますか了解事項のようなものがありまして、例えばもう二年間何も警察にレジストレイトされないということであれば、これは刑事施設の中での処遇は成功したというふうに評価してもいいのじゃないかという考え方。  それから、その二年の間に、例えば今までは本当に人とつき合うのが下手であった、しかし刑務所の中でいろいろ対人関係の問題等を克服して社会に出てきたら今度は転職回数も少なくなった、あるいは友達がたくさんできた、あるいは従来の非常にすさんだ生活からいわゆる正業についてまじめに生活をしている。しかしたまたまそれが交通違反か何かでまたレジストレイトされてしまった。だから、再犯率をチェックする場合でも、その再犯の内容ですね、刑務所に入る前に行った犯罪と刑務所から出てから行った犯罪をもう一度チェックしてみる必要があるのじゃないか。そういった再犯率に対する考え方の見直しというものも欧米では行われておりまして、そういう視点からいいましても、全体的な視点からいって我が国ではそんなに悲観するような状態にあるとは言えない。  もう一つつけ加えて言いますと、だからといって、じゃこの問題が問題ないのかというとそうじゃないわけで、私が受刑者処遇で最も力を入れなければいけないと言う点は、まさにこういった頻回受刑者あるいは常習累犯の受刑者であるわけですね。それに対してはいろいろな形の諸外国での情報あるいはそういういろいろな施設で行ってきている処遇モデルを我が国なりに勘案してみて、そして導入できるものは導入していく。そういう刑事政策の最重点課題である常習累犯者に対する処遇ということについては十分に英知を集めて闘っていかなければいけないというふうに考えております。
  120. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 ありがとうございました。  時間に限りがございますので早速次に移らせていただきたいと思いますが、次に佐藤参考人にお伺い申し上げたいと思います。  先生は冒頭、御自身の経歴について御紹介をなさっておられましたとおり、いわゆる受刑者処遇の最先端に立って長い間実務に携わってこられたわけでございますけれども、そういった経験を踏まえて、もちろん御自身の意見陳述の中でもおっしゃっておられたことでございますけれども、いわゆる我が国の受刑者処遇の実態が諸外国と比較して率直に言ってどういうところがすぐれているか、あるいは相対的にどういうところが若干見直しが必要か、もう一度改めて、先ほどオーストラリアの例あるいはアメリカ等のことについても触れておられましたけれども、重ねてそこのところを整理してお話しをいただければというふうに思います。
  121. 佐藤晴夫

    ○佐藤参考人 お答えいたします。  諸外国と比べるというのは非常に難しいことで、基準がどこにあるのかよくわかりませんから非常に難しいと思います。例えば韓国の刑務所ですと、居室の中をキリスト教とか仏教とか儒教で分類しています。あそこはイデオロギーの国だからそういうことができるんでしょうけれども、日本でそんなことできませんし、そうすると部屋の中の生活も一緒に比較もできません。アメリカはたばこをのましていますけれども、日本はたばこをのましてないし、たばこをのますのがいいのか悪いのかそれもちょっとわかりませんし、それからスペインとかフランスでは薄いビールかブドウ酒を飲ましていますけれども、そういうところも、日本は飲ませないからだめだとかそういうことにもならないし、ちょっとわからないのです。  例えばよく新聞にアメリカの刑務所ではときどき大暴動を起こすということが載っていますけれども、日本の刑務所というのは非常に最小限の物的な警備力で最大限の隔離と防衛機能を果たしておりますが、それを裏返しにすれば日本の刑務所の良点というものがわかるのだろうと思います。日本の刑務所の良点というより、これは文化の良点かもしれません。我が国の行刑組織というのは単一でございまして、アメリカのように州と州との間の処遇の格差がございませんから、受刑者は、日本じゅうどこへ行っても同じですから、割合に不平とか不満というのはないんじゃないかと思います。  それから、我が国においては人種の問題がほとんどございませんし、ですから刑務所の中でそういうトラブルがない。アメリカの刑務所へ行って寝泊まりするとわかりますけれども、アメリカの刑務所の所長や看守長の最大の仕事は、どうやって黒人と白人を処遇するか。一緒に部屋の中へ入れるとけんかになるし、それから離すとまたお互いに差別とかなんとかということになりますが、そういうようなことが日本ではございません。ミズーリには割合に変な意味で有名な、コンジュガルピジットというのですか、奥さんが面会に行く刑務所があります。変なコンクリートの小さな部屋の中にベッド一つ置いてあるだけですね。そこへ奥さんが面会に行って、一時間か二時間入って出てきますけれども、私のぞいたことないから何しているかわかりませんけれども、あれはとにかく黒人だけしかやっていないのですね。白人というのは何というのでしょうか、恥の意識みたいなものがありまして、そういうシステムがあってもやっていない。向こうはそういうことをやっているから、日本はやっていないからいいとか悪いとか、そういう比較もこれはできません。それから例えばアメリカの総人口の中で一三%ぐらいですか、黒人が。でも刑務所に行きますと、北部ですと二八、九%ですね。南部は半分近く、四〇%ぐらいが黒人の受刑者ですから、そういう事情を考えるとちょっと日本と比較できないんじゃないか。  それから、豊臣秀吉の刀狩り以来の伝統がありますから、一般市民も公安関係公務員犯罪者も、みんな武器を利用するという習慣が私どもにはありません。アメリカはもう憲法によって武装する権利を認められているわけですから、そういう文化的な背景があれば、刑務所の中で職員も受刑者も簡単に武器を使用するのが当たり前で、日本はそういうことはございませんから、それもなかなか比較できません。それから先ほど言った作業のような問題もございます。  それから我が国の刑法というのは、少年の場合を除いて不定期刑を採用していないのですね。アメリカには不定期刑を採用しているところがたくさんございます。一番極端なところだと、ニューヨークの性犯罪法は一年以上無期という不定期刑ですね。その一年以上無期の間にいろいろな審査をして、大丈夫だと思ったら出すわけなんですね、女の人が一人もいない刑務所の中でどうやって性犯罪を犯さなくなると認定するのか私よくわかりませんけれども。いずれにしても日本は、一年以上無期という大変な刑罰はございませんから、日にちが来ればもうちゃんと出ていくのですから、そういう点でも受刑者に不安が起きません。  それで、やはり一番重要視しなければいけないのは職員との人間関係だと私は思います。アメリカの刑務所に行きますと、例えば壁に毎日のようにやめた刑務官の名前が出ています、ある人はバス会社へ行ったとか、どこの自動車会社へ行ったとか。少しでもお金になるところに移動して歩く社会ですからどんどんいなくなってしまう。それで、だれもそれを怪しみません。私どもの、私どもという言葉を使うとあれですけれども、先ほど言ったように、いかめしいけれども親切な人間が勤めているというところに非常に最大の特色があると思います。例えばアメリカの刑務所は八時間交代です。二十四時間を八つに割って、八時間ずつかわりばんこに知らない職員が次から次と交代してくれば人間関係の信頼なんか生まれないのではないかと私は思います。  行刑というのは、根本的にはやはり人と人との関係で、人類始まって以来いろいろな工夫をしていますけれども、さっぱりいい工夫が生まれないというのは、やはり人と人とが一番根本にあるからだと思います。例えばイスラエルが独立したときに刑務所を新しくつくりましたが、さっぱり新味のあるものができないのは、何かそこにあるのではないかと思います。お答えにならないかと思いますけれども……。
  122. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 時間も来たようでありますが、またとない機会でございますので菊田参考人にも一点だけお伺いをさせていただきたいと思います。  先生が強調なさっておられた不服申し立て制度のことについてでございますが、いわゆる第三者機関あるいは審議会とかいろいろな呼び方があるようでございますが、実際問題これを制度化するということになりますと、法務省に伺いますと、非常に数多くの不服の申し立てが今日もある。それに対して対応しようと思いますと、この機関を常に常設、オープンの状態にしておかなければいけないだろうというふうに思いますし、また非常に専門的な知識も要るでしょうし、それを決裁して権利の救済を図るということは確かに人権に非常に深くかかわる問題でありますから非常に重要なことはよくわかるのですが、実務対応として一体これが本当にこなせるのかな、そのことを先生にお伺いするのが本当に適当なことかどうかとも思うわけでございますが、その部分について御所見を一点だけお伺いをしたいと思います。
  123. 菊田幸一

    ○菊田参考人 何でも制度というものはそうだと思いますけれども、やはりこれはやる気があるかどうかということだと思うのです。金がないとか人が要るとか、そんなことは末梢的なことで、それで事件が多くなることは結構じゃないですか。それで、いろいろ理不尽なことを言ってくるでしょうから、そういうものは事前に処理するという形で、要するに誠意をもってこたえる。確かに審議会ができたからといって国民の総意が反映されるというような効果的なものを期待するわけにはいかないですけれども、どうせそこに出てくる委員などというのは法務省の指定してくる委員でしょうから、そういう意味でも偏ってきますよね。だけれども、とにかくそういうものを設けて、それでやっていくんだという姿勢、これが今回出たわけじゃなくて、もう戦前からそういうものを設けようというのはあるわけですから、やはりそういう方向を打ち出してほしいと思いますね。
  124. 逢沢一郎

    ○逢沢委員 大変ありがとうございました。
  125. 戸沢政方

    戸沢委員長 坂上富男君。
  126. 坂上富男

    ○坂上委員 社会党の坂上富男でございます。参考人の先生方、大変御苦労さまでございます。  今聞いておりますと二十分で三問でございますが、私は実は四十五分で二十問の質問をさせていただきたいなと思っておるものでございまするから、簡単で結構でございますが、ポイントだけお話しいただければありがたいと思っております。  まず早速でございますが、菊田先生、さっきのいわば不服申し立ての第三者機関の問題でございますが、これヨーロッパではどんな程度のことになっているのか、ちょっとお話しくださいませんか。
  127. 菊田幸一

    ○菊田参考人 これはほかの、アメリカの場合ですけれども、アメリカの場合は弁護士それからその他の学者、そういうものを入れて委員会というのは昔からあるという現状ですけれども、ヨーロッパの点については私もはっきり調べてはおりません。
  128. 坂上富男

    ○坂上委員 それから刑務作業の報酬のあり方についてもう少しお話しいただきましょうか。あるいは外国の例でも結構でございます。
  129. 菊田幸一

    ○菊田参考人 アメリカの場合、金額は同じ職種でも一日一ドルから何十ドルというふうに非常に幅がありまして、これをどの程度平均化するということはちょっとわからない、資料がはっきり出てこないと思います。あとスウェーデンなどでは大体一カ月一万五千ぐらいだ、これは資料が少し古いのですけれども、そういうようなことも資料としては出ております。  それで、私の計算では、もし日本でやることになれば、先ほど申し上げたように、現在我が国の刑務作業で収益が上がっているその中から、仮に収容費などを全部入れると、これは恐らく若干赤字になるだろうと思いますけれども、それを別にしまして、いろいろな計算の仕方はありますけれども、例えば昭和五十八年度の作業費を控除した純利益というのは百四十五億あります。これは六十二年度あたりは恐らく百五十何億だというふうに白書には書いていると思いますが、そういう純利益を例えば年間五万人の収容者ということから割ってみますと、年間約十六万ぐらいの金になるわけですね。これは月にすると一万四千円ぐらいになるわけです。それでいきますと、ヨーロッパの方の金額とそれと大体同じようになるわけですね。  だから少なくとも、これはいろいろな計算、実務の方でも計算されている人はおりますけれども、要するに、一方では反対する人が、衣食住を差し引けば今出している金額よりも少なくなるんだ、名前だけ賃金制にしてもだめだという理屈がありますけれども、私はそれは成り立たないというふうに思っております。
  130. 坂上富男

    ○坂上委員 ちょっと先生にはお休みいただいて、加藤先生に質問させていただきます。  欧米諸国においては処遇の焦点は施設内のものから社会内へと、こう移っているのではないかと言われておりますが、先生御所見いかがでございましょう。
  131. 加藤久雄

    加藤参考人 お答えいたします。  そのとおりでございますけれども、そこのけれどもというところが重要なのでございまして、確かに一つの流れとしては施設内処遇から社会内処遇といいますか、できるだけ従来の生活条件を変えずに贖罪といいますか罪を償わせ、そしてかつ社会を防衛していくという方向、特に自由刑を言い渡す場合あるいは罰金刑でもそうですけれども、いわゆる刑罰を言い渡す場合にはできるだけ最後の最後の手段としてやっていこう、つまり刑罰の執行あるいは刑罰の言い渡しというのはウルティマラティオである、最後の手段である。それ以外に、できれば民事的な解決、行政的な解決でもって、いわゆる司法前処理をしていこうという考え方が出てきているのは事実であります。現に、多くのヨーロッパあるいはアメリカでもそういったモデルが実行されているわけです。  しかし、私も先ほど少しお答えのところで申し述べましたように、どうしても刑罰をもってしなければ対処できない、そういった犯罪者類型というのがいるのも、これは否定できない事実であります。そういう人に対して、では従来のようにただ閉じ込めておいて何もしない、無作為のままただ刑期が完了するのを待つ、そして満期で釈放させてしまうということで、それでいいのかどうか。その結果が、先ほどの御質問にありましたように何度も何度も犯罪を繰り返して、そして結局刑務所の中でその問題性が解決されないまままた社会に戻っていく、また刑務所に戻ってくるという、刑務所としゃばといいますか一般社会の間の往復の人生でその人は一生を終わってしまうという結果になる。だから、そこを何か断ち切らなければいけない。そのとっかかりになるのがまず施設内処遇である。施設内で彼の持っている社会復帰への問題性、対社会とのかかわりの問題性といったものを十分に目覚めさせる、そして社会に向けての準備をさせるというのが施設内処遇の主たる目的であろうというふうに私は考えております。  そういう視点から見ますと、確かに全体の流れというのは閉鎖的な施設からいわゆる開放的な社会での処遇ということに移っておりますけれども、しかし今何度も言いますようにそういう例外的といいますか、人数はそんなに多くないのですけれども、そういった人に対する施設内処遇の重要性というのはこれは否定できないわけですね。したがいまして、例えば我が国で言えばB級刑務所のようなところに入ってくるような受刑者に対しては、これはインテンシブな処遇。ただ、これは押しつけ的な処遇ではなくてあくまでも彼がもう一度社会に復帰するんだ、そういうことを前提とした処遇を行っていくべきだというふうに考えております。
  132. 坂上富男

    ○坂上委員 もう一問でございますが、先生はデンマークの行刑について研究なさっておるようでございますが、デンマークでは処遇の理念をどのようにとらえているのでございましょうか。
  133. 加藤久雄

    加藤参考人 大変御勉強いただきましてありがとうございます。私、確かにデンマークの行刑について、ことしもまた夏に行ってまいったわけですけれども、特にデンマークでは男女混合の刑務所というのがありまして、男女の受刑者のセックスも許している。施設に入っている受刑者は殺人から強盗、強姦に至る凶悪犯ですけれども、その中での処遇は非常に自由に行われている。しかし、その回りは非常な重警備である、マキシマムセキュリティーの施設である。そういう施設もある反面、受刑者というのはやはり先ほど言いましたように、社会に向けて準備しなければいけない立場にあるものであるということを基本に行刑が進められている。  それから、先ほど申し上げましたようにデンマークでも施設内処遇から社会内処遇へ、デンマークの基本的な考え方というのは、一九七三年を境にして大きく政治的な流れとの関連で変わったわけですけれども、刑務所に送って受刑者を教育したりあるいは思想を変換させたり、そういう意味での受刑者処遇をしてはいけないのだ、とにかく彼の思想信条を尊重しつつなお彼らがもう一度社会に、我々と同じ構成員として戻ってくるための準備をさせる、そういう処遇をしていくべきだというのが一つの基本にあるというふうに考えております。  それからもう一つは、その一九七三年の当時、いわゆる医学モデル、治療モデルと申しまして、行動科学によってその受刑者たちの自主性を重んじるというよりも、非常に強制的に処遇ベースに乗りなさい、処遇プロセスに乗りなさい、それがあなたたちの刑務所の中での生活の義務ですよというような形で押しつけ的な処遇をやってきた。それに対しては非常に人格が壊されるといったような批判があって、その反省があって七三年以降はそういう行刑が後退している。  それからもう一つは、先ほども言いましたように、行刑というのは人が人をつくっていく、人が人を教育していく場であるわけですから、当然マンパワーを初めいろいろな資金が必要になってくる。それに見合う施設の環境、条件といったようなものも整えていかなければならないわけですから、非常に財政というような問題を考えていかなければならない。そうなりますと、犯罪を犯したすべての人を刑務所に入れるわけにはいかないので、先ほど言ったようなできるだけ処遇の困難な人たちを中心にやっていく。処遇が比較的易しい人については開放的な、あるいは社会内処遇。デンマークでは施設内処遇に幾らかかるかというふうに一人頭の予算を計算いたしまして、そして社会内処遇で処遇する場合には、例えば一カ月に十五万円の生活費を払う、そして生活保護よりは若干悪い、しかし下宿代とそれから食事代が十分出ろくらいのお金を払って生活させていく、そして彼らが社会復帰に向けてそのお金が出ている間に準備をさせるといったような大胆な処遇というようなものも行われております。  御質問お答えしますと、基本的にデンマークの考え方というのは、いわゆる刑の執行でもってその人間をつくりかえるということはできないんだ、しかし、彼が何らかの形で社会復帰をしたいという希望を持っている場合には、国はそれに対して十分なサービスをしてやらなければいけないんだ、行刑の場面でもそれは例外ではないんだという基本姿勢にあるのではないかというふうに理解しております。
  134. 坂上富男

    ○坂上委員 佐藤先生、今の質問に関連をするのでございますが、北ヨーロッパ諸国では個室の面会で夫婦間のセックスは認めているというふうに聞いておるわけでございますが、この点に対する先生の認識はいかがでございましょうか。また、もしあるとするならば、どういう考え方からこういうようなことを認めているのか、行刑の専門家の立場からどのような御理解をなさっておりますか。
  135. 佐藤晴夫

    ○佐藤参考人 北ヨーロッパのことはよくわかりませんけれども、例えばアメリカの南部というのは家族主義ですから、だんなさんが刑務所に入れば家族全部が面倒を見るというのですか、人間関係を維持するというわけで、家族がみんなそこに一緒に集まってきて、子供のブランコや何かみんなあります。そこで遊んだりランチを食べたりしながら、おっかさんだけがだんなさんのところに入っていく。そういうのは文化の違いだから、しようがないと私は思いますね。  日本でそんなことをしたら非常に困るのじゃないか。そうじゃなくても、私は市原の刑務所におりましたけれども、奥さんの写真がうちから来ますね。それをテーブルの上に上げておくと、一人者はうらやましがりましてそれで苦情が出るし、それから、余りぱっとしない奥さんだと、仲間が何だおまえの、とか言いますよね。そうすると今度はけんかまでいかなくてもあれしますし、そういうところに入ると本当にささいなことでいろいろなことがありますから、私はそういうようなものはちょっと考えられないし、余り想像もしておりませんけれども……。
  136. 坂上富男

    ○坂上委員 加藤先生、今と同じ質問に対する御所見いかがですか。もう一遍申しましょうか。
  137. 加藤久雄

    加藤参考人 もう一度御質問ください。
  138. 坂上富男

    ○坂上委員 先生のさっきのお話と関連するんですが、北欧の諸国で個室の面会で夫婦間のセックスなども可能だというふうに言われておるわけですが、この事実の確認、そしてまた、これはどういう考え方から来ているのか。今行刑の御経験のある佐藤教授は、日本の行刑上ちょっと想像できないというような御所見でもあるようでございま して、先生の御見解をひとつ。
  139. 加藤久雄

    加藤参考人 お答えいたします。  非常に専門的で、私にとっても興味のあるテーマで、これはデンマークのホルセルドという開放刑務所に見学に行ったときに、そのいわゆる夫婦面会室というのを見せていただいたのですけれども、ここでは七つぐらいの面会室が用意されておりまして、何人もそういう夫婦の面会の希望があった場合に満員御礼、満室というふうにならないように、受刑者のニーズにこたえるためにそれだけの部屋が用意してあるんだということであります。先ほど言いました男女混合の刑務所というところでは、この夫婦面会室ももちろんありますけれども、受刑者同士のセックスも可能である、出所後結婚をするペアも出てくるといったような状況にある。  それはデンマークの事情ですけれども、オランダに参りまして、当時まだファン・デル・フェーベン・クリニックといって、これはユトレヒトにある、やはりこれも先ほど来申しております累犯受刑者を処遇している、非常に進歩的な処遇を行っている施設ですけれども、この施設の所長さんがローゼンバーク女史といって女性の方だったんですね。デンマークのその施設を見学した後その施設を見学して、実はデンマークでこういう状況を見せていただいた、我々日本の行刑をいろいろ見せてもらっている立場からいくと、とても考えられないような隔たりを感じた、あなたの意見はどうかというふうに聞いたことがあります。そうしたら、その女性の所長は、それは非常に非人間的な扱いである。例えば、その面会に来る女性の人権というのはどのように配慮されているのか。  例えば、面会の手続に来る。そうすると、にやっと笑うか笑わないかは別にして、係官が何となく、あ、そのために来たんだなというような雰囲気を示す。そういうときに、その面会に来た女性の羞恥心といったようなものはどうやって保護されるのか。私は、そういう夫婦面会というのは非常に不自然である、だからうちではそういう夫婦面会制度はとっていない。ところが受刑者は、特にヨーロッパでは懲役、禁錮といったような区別がなくて、自由刑といって自由を剥奪される刑罰で最終的に残るのは何であろうかというと、やはりセックスの自由である。そのセックスが非常に問題であるがために、所内でのいろいろなトラブルが起こる。御承知のように我が国の行刑実務の間でも、これは専門家の間では当然のこととして知られているわけですけれども、非常に同性愛行為が多い。それは非常にゆがんだ性関係である。だから、いずれその人たちが社会に出ていくわけだから、性についてもやはり自然の状態をできるだけ保つ必要がある。  それから、先ほども申しましたように、行刑での教育、社会復帰の準備というだけではなくて、社会へ行ったときの受け皿、これが必要であるという考え方に基づけば、当然社会での受け入れ先といいますか、例えば奥さんがまだ彼の出所を待っていてくれる状態をできるだけ継続させる。そのためにも夫婦のそういった基本的な性交渉というものを基本的に認めていく。そのことによって夫婦関係を連続さしていく、そのことが可能になるんだ。こういう立場から我々の施設でも夫婦面会制度というのは設けている。しかし、デンマークでやっているような面会の仕方ではいかにも非人間的である。  私はそこは見たことないのですけれども、アメリカではバラックを建てて、隣の声が聞こえるような非常に粗末な施設で夫婦面会をやらしているというようなところもある。そういう状況を見たら、それは余りにも非人間的な性交渉であるということで、我々はそういうものについては反対である。我々の施設を見てもらいたいということで案内されたところが、三LDKのアパートがその施設に一つ用意されておりまして、そこで子供、奥さん、家族全体がその受刑者と例えば三日間なら三日間生活をともにしながら、家族のそういう交流の中で夫婦関係も維持していくという形態をとって、今言った非人間的な面会制度というものを克服するように我々は努力しているのだという例を示してくださいまして、なるほどな、女性の立場からいって、面会に来る人の人権というものもやはり配慮しなければいけないな。我が国との関連で、じゃそういう制度を即日本に導入すべきであるかということになりますと、これは非常に難しい問題です。  今度の法案では外部通勤制度というのを打ち出しておられますけれども、例えば西ドイツでは、そういった夫婦面会制度というものはないかわりに、外出であるとか外泊であるとか外部通勤制度というような制度を利用いたしまして、例えば西ベルリンのテーゲル刑務所というところでは、外部通勤の人たちは朝七時半なら七時半に所を出て、そしてバスに乗って、昼間働く工場に行く。そして、帰所といいますか、刑務所へ帰る時間は夕方の九時半でいい。そうすると、工場での作業が四時半に終わる。四時半から九時半までの間は工場の近くに下宿を借りることが許される。そこでガールフレンドに会ったりあるいはそこにガールフレンドを住まわせるということはできませんけれども、そこで家族と会ったりすることは許されている。  そのような形で、いかにも性交渉をこういう部屋でやっていますよというふうなことではなく、人工的なものではなくて、自然の環境の中で性の問題も解決していく。こういう方向で、我が国でも将来外部通勤制度なんかを利用して、あるいは外泊とか外出というようなものを利用すれば、そういった刑務所の中でのゆがんだ性関係という問題もある程度解決できるのではないか、このように考えております。
  140. 坂上富男

    ○坂上委員 菊田先生、書籍の閲覧、面会、それから信書の閲覧の要件は本法案では非常に強い制限を定めているようでございますが、これは憲法解釈としても問題があるのではないかと考えておりますが、いかがでございましょうか。  それから、面会の立ち会い、検閲を必ず行うという法案の態度は不当なのではなかろうか、このような問題についてあるべき制限の原理というのをどういうところに引いたらいいのか、先生のお立場からひとつ御意見を賜りたいと思います。
  141. 菊田幸一

    ○菊田参考人 書籍の点でありますけれども、今おっしゃいましたように、確かに私は厳し過ぎると思います。アメリカの場合などでは、刑務所内に図書館がありまして、それで受刑者が図書館を管理しておりまして、カードでどんな文献でも調べることができる。一番印象に残っておりますのは、御存じのように例の死刑囚のチェスマンでありますけれども、彼は判例その他のものを全部図書館で調べて、自分だけの力で勉強して、あれだけの法廷闘争をやった経緯がありますけれども、日本ではとてもそれはできない。  最近でありますと、私が「死刑」という本を出しましたけれども、この本においてすら先ほどの検閲と申しますか、あらゆるところを黒く塗られて全く何が書いてあるかわけがわからないという手紙を直接刑務所からいただきました。そういうわけでありますから、御存じのように、明白危険な状態、要するに脱走とかその他の状況がない限り読書の自由というものを与えなければならないというのが大原則でありますけれども、そういう原則は依然としてほど遠い状況であるというふうに私は理解します。  それから、検閲の問題でありますけれども、これはアメリカでも全然検閲してないわけじゃなくて、やっております。けれども、全部調べるということではなくて、たまたまそのうちの幾つかを調べる、こういうような形で検閲をやっております。あるいはサン・クェンティンの刑務所などでも、刑務所内から電話をかけることができますけれども、これも時々交換手がどういう話をしているのかというのをチェックするというようなことを言っておりました。日本の場合は全部検閲するのが原則になっているわけですけれども、これは余りにも行き過ぎだと私は思います。検閲そのものは否定はできないと思いますけれども、行き過ぎがあるというふうに考えます。  それから、面会などについての立ち会いと申しますか、これも今回の法案では非常に厳しく強制しております。死刑囚についてもしておるわけであります。これは特に先進諸国においては、確かに立ち会いはありますけれども、こういう大きな部屋で訪問者と家族とががやがやと面会しているというようなスタイルのところもありますから、要するにそういうところでは、立会人はおるけれどもその話の内容は聞かない、もちろん一々チェックしない、こういうのが原則でありますから、立ち会いはするけれども内容については制限しないというか、こういう基本的な形をとっております。つまり基本的には、所内秩序を維持するために危険なものは排除するけれども、そうでないものは可能な限り許していく、こういう認識がある。その限度においてどこまで許すかという立場から物事を考えていくというふうに持っていっていただきたいと考えております。  以上でございます。
  142. 坂上富男

    ○坂上委員 菊田先生にもう一問。  この改正法案は、作業だけでなく教科指導や生活指導も強制するとしておりますが、これはどうも法制審の要綱の考え方と違うのではないかと考えておりますが、いかがでございましょうか。このような処遇を強制して果たして意味があるのだろうか、疑問に感じておりますが、先生いかがでございますか。
  143. 菊田幸一

    ○菊田参考人 私も同じように考えます。御存じのように、今回の法案においては、要するに定役を科すというのか、つまりもちろん強制的な作業でありますけれども、処遇の一環として作業を施す、こういうふうになっておるようであります。それと並行して、その他の学習とか教科活動その他の生活を一つの処遇の一環とする、こういうふうにとらえているようでありまして、私は、その点でいくと結局八時間働かせて、強制労働させて、その他の時間においてその他の活動をさせる、こういうことでありますから、結局は作業そのものを懲罰手段として科す、そしてその他の点については、これはまあつけ足りとして処遇というようなものをつけ足すというふうな観念が非常に濃厚に出てきているというふうに思います。  したがって、賃金制などを採用した場合に、例えば八時間内で教科活動を指導する、生活指導をするというようなことに本来はならなければならないだろうと思います。そして、そういうことをすることによって、生活指導を受ける間も刑務作業と同じように、これはもし現行法令のように強制的にやらせるというのであれば労働の一種だというふうに解釈しなければならないだろうと思います。今回の法案ではどうもそれが、刑務作業は強制、しかし同時に、そういった生活指導については拒否できるかというと拒否できないわけですね。それを全部強制的にやらされる、こうなると、これはまさに教育じゃなくて、何といいますか、全体にそういった強制の枠の中で押しつけるということが非常に顕著に出ている、おっしゃるとおりな結論だと私は考えております。
  144. 坂上富男

    ○坂上委員 加藤先生、先生はヨーロッパ諸国の行刑を大変調査研究なさっておるわけでございますが、ちょっと今度個別的にお聞きをいたします。  まず、日本のような服役者の灰色の服といいましょうか、こういうものはいかがなものか。外国、特にヨーロッパの方では割合に普通の、外界における服装とそう大きく変わらないと聞いているのですが、いかがでございましょうか。  それから、髪の毛でございますが、これは日本は丸坊主になるわけでございますが、ヨーロッパあたりはどうしておるのか。  それから、さっき喫煙の話がちょっと出たのでございますが、喫煙も一般的に認められているようでございますが、いかがでございましょうか。
  145. 加藤久雄

    加藤参考人 お答えいたします。  まず、服装の点ですけれども、これはおっしゃるようにただ一律に私服を認めているというわけではなくて、例えば西ドイツの多くの州ではまだいわゆる収容者服といいますか、そういうものを着せているところもあります。ただ、先ほど言いました処遇施設、特に我々がドラフトをいたしました社会治療施設というような施設では全く私服を着ております。私がかつてその施設に参観に行ったときに、その門の入り口のところまで迎えに来てくれた。私はもう全く職員だと思ってその後をついていった。そうしたら舎房のようなところへ案内された。ところが、これは先ほどのいろいろな受刑者の権利義務との関連でこれも将来考えていかなければならない問題ですけれども、例えば向こうでは居住権といって、自分の居房の中を自由に、保安上差し支えのない範囲で、例えば一メートル以上の高いつい立てを入り口のところに立てるとかいったようなことのない限り、カーテンをかけたりカーペットを敷いたり、自由にデコレーションすることが許されております。彼の部屋に連れられていって、コーヒーもサービスしてもらった。実はきょうの参観の目的はと話し出したら、いや、待ってくれ、私はこの施設の収容者であるというぐらい、職員と収容者の服装が全くわからない。  つい先月もミネソタ州のフェデラルプリズンを見学してきたのですけれども、ここでも収容者と職員の間は全く区別がつかないのですね。これは非常にいいことであるというふうに私は考えております。ただ、余りそういうものを認めますと、いろいろな施設にそういう実態があらわれておりますけれども、非常に貧富の差が出てくる可能性がある。非常にドレッシングに飾り立てる人とジーンズだけでやっていくという人で、例えば家族の差し入れがあれば非常にいい物を着ている、あるいは非常に貧しい物を着ているというふうなことになれば問題があるので、それ相当の、例えば学生風の姿であるとかいったような簡素さを中心にした私服を認めていく、これは基本的に私はいいことではないかというふうに考えております。  それから、頭髪の件ですけれども、これは例えばアメリカの有名なバカビルというメディカルプリズンに行ったときにもそうでしたけれども、向こうから手をつないで歩いてくるペアがいたので、これは一人は同性愛者で、完全に男性が女性になってしまっている人です。髪の毛もパーマをかけたような形で非常にチャーミング、バストも出ているというので、あれは職員同士が手をつないで歩いているのかと係の人に聞いたら、いや、あれは受刑者同士であるというようなことで、全く職員と受刑者の間の区別がない。例えばそのヘアスタイルについても全く自由にされている。非常に長髪で、日本では長髪というのは非常に不潔であるからできるだけ刈ってしまった方がいいというふうに言うわけですけれども、髪を刈られることは彼らにとってみたら大変な、これはやはり一つの宗教上の違いみたいなものもあるのかなというふうに考えますけれども、私もできるだけ日本でも長髪を認めてもいいんじゃないかというふうに考えております。  それから、喫煙の点ですけれども、これは原則としてヨーロッパのどこの施設でも許されております。認めることによって、例えば我が国の行刑で行われておりますように非常に厳しい懲罰を受けるといったような、そういう懲罰の事由にもならない。コーヒーにしてもたばこにしても認めてもいいんじゃないか。ただ、アルコールだけは認めることはできないということでやっているようです。日本で喫煙が禁止されているのは、施設が木造建築であるということが一つの理由であったわけですけれども、最近ではどんどん施設が増改築される。ついこの間も矯正局でお聞きしたところ、ここ五、六年の間にもう二十庁近い施設が増改築されて近代的な建物になっているということを考えれば、健康の問題はありますけれども、基本的にはこれは認めてもいいんじゃないか、建物の構造上の問題から喫煙を禁止しているという理由はもう日本でもなくなっているんではないかというふうに考えております。
  146. 坂上富男

    ○坂上委員 今度は佐藤先生でございますが、先生、経験者として、交通刑務所のあり方をどのようにお考えでございましょうか。
  147. 佐藤晴夫

    ○佐藤参考人 私は長いこと見ていませんから現状のことはよくわからないのですけれども、塀のない刑務所、塀のないというより、フェンスがあるんですけれども、あのフェンスは内側に線がこうなっているんじゃなくて、外側についていますから、あれは中から逃げ出すというより、外の人が入ってこないための塀なんだろうと思いますけれども、ああいう刑務所が開放処遇をやる以上幾つもこれからできてもいいんだと思います。ただ余り開放的にするとかえって苦しくなる人がいますね。自分の精神にしっかりしろしっかりしろというのは、人間毎日そんなことできませんから、そういうことを余り強いると非常に苦しくなって、中にはもっと厳しいところに移送してほしい、その方が心が安まると言う人もいますし、その点は開放施設といっても、志願して入るわけじゃないですから、非常に難しいんじゃないかと思います。  それから、交通刑務所というのは普通の刑務所とちょっと一緒にできない面が、交通事故ばかりですから、ほかの人と一緒にできないところがあるかもしれませんけれども、受刑者を処遇する場合私が一番感じたのは、人間には、何か悪いことをしたとき、他人のせいにする人、世間のせいにする人と、本当に自分が済まないんだというせいにする人と両方いますよね。そうすると、世間のせいにする人というのは割合に刑務所の中では普通に暮らしていけます。やったのは自分だけが悪いのじゃなくて、道路が悪かったり、相手が悪かったり、道路標識が悪かったり、交通のルールが悪かったり、そういうふうに考えていれば割合に簡単にいられますょね。しかし、逆にまた、どうしてあんな悪いこと、大変なことをしてしまったんだろう、何と言って遺族におわびすればいいんだろう、そういうことばかり考えている人には毎日がつらい日々でしょうから、そういうところをうまく分けて処遇——今になってそう思ったんですけれども、そのくせ世間のせいにする人たちのおかげで、主にダンプやトラックの人たちですけれども、そういう人たちのおかげで日本は繁栄していることを思えば何とも言えない面もございますし、それからまた交通事故というのは先生や公務員やほかの人たちがやってしまったらもう二度と復職できませんけれども、八百屋さんや魚屋さんはまた魚屋さんや八百屋さんに刑務所から出るとなれるわけですよね。ですから、そういういろんな角度から考えて、もう少しやり直してみたらよかったんじゃないかな、そういうふうに考えておりますけれども、前のことですから余りはっきり覚えておりません。
  148. 坂上富男

    ○坂上委員 ちょっと急ぎますが、菊田先生、日本の刑務所で厳正独居の処分の繰り返しによりまして受刑者が長期の隔離がなされて各地で裁判になっているという話でございますが、今の法案は隔離という名前でこのような処遇を認めているわけであります。厳正独居処分にはどのような弊害があるのか、先生の御所見をひとつ。
  149. 菊田幸一

    ○菊田参考人 厳正独居というのは本来懲罰として使われるわけで、アメリカでも一時やったけれども、これはとんでもないことだといって廃止されたわけです。  私は非常に不思議に思いますのは、現行監獄法では「独居拘禁ニ付スルコトヲ得」と書いてあるのです。これは独居を原則として雑居を例外とするというふうにしながら、現実にはそうじゃなくて、雑居が原則であり独居が例外になっているわけですけれども、今回若干単独室というものを主体にするようなことも書かれておるけれども、もしこれが昼夜独居ということであれば全く理念が違うわけで、この意味の単独室というのは、つまり昼間は作業しあるいは作業が終わった後も仲間と団らんをする、リビングというのですか、そういう大きな部屋で団らんをするという時間があって、そして夜寝るときだけは一人になるというのが本来の独居だと思います。それをもし昼夜独居というのであれば、これはまさに懲罰施設でありますから、ここのところの理念が間違えられては困るというふうに考えております。
  150. 坂上富男

    ○坂上委員 加藤先生、西ドイツのミュンヘンで実験されております社会奉仕労働という制度でございますが、この実態等についておわかりならばお話しいただきたい。
  151. 加藤久雄

    加藤参考人 お答えします。  非常に専門的な質問をいろいろされて、私も御質問に答えることが非常にあれなんですけれども、いずれにいたしましても、そのミュンヘンの社会奉仕労働というのは少年についてだけ現在行われております。西ドイツ各地で最近このミュンヘンの社会奉仕労働というものに対する評価が高まりまして、成人の受刑者にも実験的にやってみようということで行われ始めております。この社会奉仕労働というのは、先生は十分御勉強なさっていますからあれですけれども、ほかの方は御存じないかと思いますので手短に説明いたします。  要するに、ミュンヘンのプロジェクトというのは刑罰にかわる社会奉仕労働、特に少年の受刑者といいますか、少年刑を受けるあるいは少年拘禁を受ける対象者に対して、裁判所と検察庁、それからいわゆる社会奉仕労働をオーガナイズしている組織が話し合いまして、そして裁判所から刑務所に送るかわりに、例えば養老院で目の悪いおばあさんに本を読んであげるとか、あるいは集団散歩のときにつき合ってあげるとか、あるいは消防署に行って消防車の掃除をするとか、あるいは地下鉄に行って地下鉄の清掃を手伝うとか、いわゆる社会に有用な仕事をすることによって刑罰を免除してもらう。  特に西ドイツの場合には、少年で学齢期に達しているといいますか、在学中のいわゆる学生生徒につきましては、授業が午後十二時半でもう終わってしまう。そこで、両親が帰るあるいは夕方までその余暇時間を使ってそういう社会的に有用ないろいろな作業につかせる、あるいは週末の土日を使ってつかせるということで、刑期をお金で換算して、例えばこの人間については百二十日の社会的奉仕労働である、あるいは三十日の社会奉仕労働にするといったような形で、これは裁判所と少年と検察官、それからオーガナイズしている組織が話し合ってそれを決めていく。  これはもともとイギリスの制度をまねたものですね。短期自由刑の弊害ということが言われておりまして、御承知のように、犯罪を再学習、再生産するには十分な期間であるけれども、社会復帰のための教育を施すには短過ぎるということで、短期自由刑というのはできるだけ科さないでおこうという考え方ができたわけですね。ドイツでもそういった考え方が法律化されておりまして、できるだけ短期自由刑の宣告、執行は避けていくという条文を根拠にこういったものが使われている。私もやはり、先ほど御質問にありましたように、施設内処遇から社会内処遇に行くという流れの中で、例えば司法前処理の一種としてそういうものをやっていく。  それからもう一つ、それに対して最近成人の受刑者に対して西ドイツではいわゆる被害者加害者和解制度というのが出てまいりまして、裁判にいく前に裁判所の調停委員の仲介のもとに被害者と加害者が話し合いまして、そして刑務所に行くかわりに被害者に何らかの賠償をする、そのことによって被害者の被害感情を静させる、そのことによって両者が和解をする、そして彼は刑務所に行かずに社会で従来どおりの生活をすることができる。その場合に、例えば賠償金が払えない、それにはどうしたらいいのかということで、その場合に社会的な有用作業につけることによって、その場合にはその有用作業の雇い主が何らかのお金を彼に支払うということで、その支払われたお金から賠償をしていくということで、今西ドイツでは被害者加害者調停制度、和解制度というものと社会的奉仕労働というものがドッキングされて、そしていわゆるダイバージョン理論といいますか、できるだけ刑事司法のプロセスにのせずに二次的な犯罪者をふやさないでいこうというプログラムがヨーロッパでは行われているということであります。
  152. 坂上富男

    ○坂上委員 もう時間が来たのでございますが、最後でございます。  簡単で結構でございますが、菊田先生、日本の刑務所ではささいな規律違反に対して懲罰が恣意的に科されているという実態があると聞いておるわけでありますが、今回の法案によってそのような権限の乱用に歯どめというのはかけられるとごらんになっておりましょうか、いかがでございますか。
  153. 菊田幸一

    ○菊田参考人 私は先ほどから申し上げているように、むしろかかわりのないところをとにかく規則規則でがんじがらめにするという方向が打ち出されるような危険性があると思っております。先ほどのお答えで、自由だと不自由を感じる男がいるということをおっしゃいましたけれども、これはまさに発想がおかしいので、要するに、刑務所の中にいれば普通の生活と違って自分の意思に関係なしに生きていけるというのが本当の人間の生き方だとするなら、この人間はまともに社会に出たら自分で自動販売機で物も買えないという人間をつくり上げていくことになると思います。そういう意味でも、人間として扱うという発想が根底になければ、これは処遇論というのは何も出てこないというふうに認識しております。
  154. 坂上富男

    ○坂上委員 どうも先生方ありがとうございました。
  155. 戸沢政方

    戸沢委員長 中村巖君。
  156. 中村巖

    ○中村(巖)委員 公明党の中村巖でございます。参考人の先生方にはお忙しいところを本日は大変ありがとうございました。若干の時間質問をさせていただきたいと思います。  最初に、加藤先生にお伺いをするわけでありますけれども、先生の先ほどのお話の中に、先生の刑事政策に関する基本的立場として、やはり処遇モデルというものを考えなくちゃならぬのだということでございまして、反処遇思想というかそういうものは無策の突き放しである、こういうお話がございました。それと同時にその中で、西欧の刑事政策に関する考え方は、基本的にはいわば反処遇思想というかそういうものが多いように見えるけれども、実は違うんだというようなお話もあったように思います。  私どもは、やはり何か現代の行刑思想というものは、処遇モデルというものが失敗に帰したがゆえに反処遇思想というか、また別な側面から更生モデルというか、そういうような考え方が非常に強くなってきているのじゃないか、日本はそういう流れに抗してこれからも処遇思想というかモデルでいこう、こういうことになっているのではないか、こういう気がするわけでありますけれども、その辺のところをもう少し詳しくお聞かせをいただきたいと思います。
  157. 加藤久雄

    加藤参考人 お答えいたします。  これは刑事政策の非常に基本的で重要な問題で、私が答えられる力量を持っているかどうか疑問なのですけれども、ただ、先ほども申し上げましたように、特にアメリカから帰国された研究者、学者の先生方の中に、アメリカでは処遇思想が失敗に帰した、有名なマーティンソンの調査というのがありまして、その結果を調べたところ、特に再犯率を調べてみたところ、これは必ずしもいい結果が出ていないのじゃないか、刑務所で処遇処遇と言ってやってきたけれども、いろいろ予算を投入してやってきたけれども、これは失敗ではなかったのかというふうなことをそのマーティンソンという男が言った、それを契機として処遇思想に対する反対ののろしが上がったということであります。  私、そういうことで一九八一年に一カ月ほどアメリカの行刑施設、今回も十日間ぐらいでしたけれどもアメリカの施設を見せていただいて、そして集中的にいろいろな研究者や実務家とお話をする機会があったのです。実際にアメリカの施設の状況を見せていただきまして、そして先ほどちょっとお話ししたミネソタ州のロチェスターというところに今度新しくフェデラルプリズンの特に医療刑務所なんですけれども、それができまして、そこも見学させていただいてそこの人たちといろいろ話をした。  アメリカでは反処遇思想というものがあるけれども、あなたのところで新しいこういう施設をつくることについては、そういった傾向に反するものではないのかというようなことを質問で投げかけてみたのです。そうしたら、やはり同じアメリカといっても五十州あって、その上にフェデラルがある、そしてその中でもう何十万という人たちが受刑者として収容されている。その中で、もちろんいじらなくてもいい受刑者もいる、しかし先ほど来言っているような例えば常習累犯者であるとか、非常に凶悪な人であるとか、あるいは精神的に少し問題があってそれが犯罪に結びついたとかいったようないろいろな犯罪者グループがある。犯罪一般に押しなべて論ずることはできないんだ、これからの刑事政策というのは多様化、個別化していかなければいけないんだ。そういった個別化、多様化していく中で個別的に犯罪者類型というものを見ていった場合に、やはり処遇の必要な受刑者もいる、あるいは処遇の必要でない受刑者もいる。必要でない受刑者については先ほど言ったような社会内処遇で十分ではないか。しかし、施設の中に送ってどうしても社会復帰をもう一度やり直さなければならないという受刑者に対しては、何の方策もせずにただ刑期の間だけ拘禁をしておくだけだ、それでは何の問題解決にもならないのじゃないか。できればそれに対して国の側から何らかのサービスをしてあげる、これがやはり必要ではないか。  先ほど申しましたように、かつて医学モデルというのは受刑者を患者というふうに見立ててその病気が治るまで、つまり危険性がなくなるまで刑務所に収容しておこう、アメリカでも先ほどちょっと御紹介ありましたけれども、不定期刑制度というのがあって、それと結びつきまして、つまり危険性がなくなるまで不定期に刑務所に収容しておこうといったような非人道的な処遇がかつて行われてきた。したがって、そういった受刑者に非常に心理的に威嚇をするような処遇、いわゆる何月何日まで自分が入れられているかわからない、例えば刑務職員の顔をうかがわなければ自分の釈放というのが考えられないというような処遇では困るということで、アメリカで多くの州がその不定期刑制度を廃止している。その不定期刑制度というものの背後に医学モデルというものがあったものですから、その不定期刑制度が廃止されたこと即反処遇思想といいますか、処遇に対する反発として出てきたのだというふうにとらえる方もいるわけですけれども、実際にその施設に行きますとそうではなくて、やはり多くの行刑職員たちは限られた条件の中で非常な努力をしているということ、これはヨーロッパにおいても言えるわけです。  アメリカやスカンジナビアということで、スウェーデンやデンマークやノルウェーやフィンランドというようなところで、それでは処遇思想が後退したのか。先ほどの社会党の方の御質問のときにもお答えいたしましたけれども、例えばデンマークでも、一九七三年前には、医学モデルによって受刑者を患者と見立てて寄ってたかってある人をつくり直してしまう。そういうような形の受刑者処遇であれば確かにこれは非人道的である、あるいはそういう処遇思想であれば問題がある。しかし、そういう受刑者がいろいろ問題を持っていて、問題点を指摘して一緒にその問題点を解決していく、その解決することによって社会復帰の準備をしていく、そして社会復帰を可能にしていく、こういうプロセスでの処遇プログラムというのが必要ではないのか。これはデンマークの行刑当局者に会ってもそういうことを言っておりますし、多くの専門家もそういうふうに指摘しております。  それから、西ドイツでもそういうことが当然言えるわけです。ただ、いろいろな国に行きますと、いろいろな国の行刑事情というのがあるわけですね。例えば西ドイツにつきましては、今まで処遇思想に基づく処遇らしい処遇が行われてこなかった国じゃないかというふうに私は考えているわけです。我々が提案した社会治療施設というのはまさにそういった処遇思想を先取りしてモデル化された処遇モデルであるわけですけれども、西ドイツの行刑は、この社会治療処遇モデルに追いつき追い越せを合い言葉に、ここ数十年行刑の目標として行われてきている。そういった状況からいいますと、西ドイツでも、アメリカの影響を受けて反処遇思想が一方ではあるのじゃないかというふうに指摘する人もありますけれども、私の今までの経験、いろんな行刑実務家と情報交換をやった経験からいきましたら、それは十分に西ドイツの行刑事情を見ていないんじゃないか。  私はアメリカについては詳しいことを申し述べることはできませんけれども、若干かいま見たその印象でも、やはりアメリカにおいても、なおそういう処遇が必要な受刑者、犯罪者がたくさんいるのではないか。ですから、これからは分類なりあるいは裁判所の段階で、例えばいわゆる判決前調査制度というようなものを設けまして、これは本当に施設内処遇が必要なのか、あるいは社会内処遇で十分であるのか、裁判の段階で、その宣告のところでやはり十分チェックしていく、そういうような制度も考えていく。そのことによって、刑務所に送られてくる人は対する処遇というものが非常に実質化されていくのではないかというふうに考えております。  そういうことを全体的に言いますと、欧米と一口では言えませんけれども、ヨーロッパやアメリカにおいてはなお処遇思想というのは必要である、また、それが目標で実際に行われているというふうに評価しております。もしそういうことでそれは違うんだということを言う人がありましたら、私は学会でもいつも発言しているのですけれども、では具体的にどこでどうなっているのか一度具体的な例な出してみてくださいということを言うのですけれども、いまだ私はその具体的な反論を例を出して聞いた覚えはない。不勉強かもしれませんけれども、そういう状況であります。
  158. 中村巖

    ○中村(巖)委員 今の点でちょっとさらにお伺いをしますと、処遇思想に基づいた刑事政策というものはそれ自体よろしいといたしましても、この処遇モデルをどうするかということによっていろいろその処遇の中身というものが違ってくるわけで、先ほど先生おっしゃる治療モデルのようなものであれば収容者、受刑者に対する干渉というものが非常に強まるということになるわけで、先ほど来いろいろな問題が出ておりますけれども、この処遇モデルいかんによってはいわば受刑者の全生活時間を把握した、そういったようなやり方がなされる。そのために、もちろん刑務作業の問題もそうですけれども、教科指導はおろか生活指導というものまでもその中に含めてくるということになって、いわば受刑者の側からいうと自由に生活する権利を侵害される、そういう側面も生ずるのではないかというふうに思います。  そういう観点から先生の考え方、現在審議をされております刑事施設法案は受刑者の具体的な処遇の仕方が適正なものであるのか、あるいはまた不適切な部分があるのか、その辺はいかがでしょうか。
  159. 加藤久雄

    加藤参考人 お答えいたします。  私は、かつて「刑政」の刑事施設法案の特集号で「受刑者の処遇について」という論文を書いたことがございますけれども、そこの中で、先ほど来菊田参考人に対する御質問で菊田参考人もお答えになられましたように、私も同じ意見でありまして、例えば法案では新たな概念として矯正処遇、これはいわゆる刑罰を強制的に加えるという意味ではなくてコレクションですね、コレクショナルトリートメントの方のコレクションの方です。強制といいますと、何かツバングハフト、非常に自由を剥奪してというふうな意味ですけれども、そうではなくて、ここではコレクショナルトリートメント、矯正処遇という言葉が使われております。  しかし、この文言をよく検討いたしますと、これは先ほど来おっしゃっているように非常に義務的なものである、例えば生活指導にしても教科指導にしても治療的処遇にしても。しかもこれは刑務作業と四つが並列的に並べられているわけですね。したがって、少なくとも刑務作業は刑法を改正して、定役に服する、この条文について検討しなければいけないので、この刑務作業についてはこの場合問題をちょっと別にいたしまして、ほかの三つですね。教科指導、治療的処遇、生活指導、この三つを義務的に行わせるというのはかなり問題があるのではないかと考えております。したがって、私はこの論文の中で、これは受刑者の自主性の問題、自主性の涵養の側面であるから、これについては受刑者のボランティアといいますか、受刑者の任意というものを前面に出した、そういう形で少なくとも法というものをつくっていくべきであるというふうに提言しております。ですから、先生の御質問との関連でいえば、この点については私もきょう細かく指摘することができなかったわけですけれども、御指摘のとおり、教科指導、治療的処遇、生活指導というものは受刑者の主体的な意思、これを主体にやっていくべきであると考えております。  それから、どうしても刑務作業が強制的で義務になっておりますので、この三つの教科指導であるとか生活指導であるとか治療的処遇、これは社会復帰にとって非常に重要な三側面でありますけれども、これが結局作業時間内になかなか行われないということになってくる。例えば私は基本的には賃金制に反対しているわけですけれども、その理由は、こういったダイナミックな処遇ができなくなるということに一つは起因しているからであります。つまり、刑務作業を賃金化しますと、受刑者はどうしても収益を得たいというので刑務作業に熱中してしまう。ですから、教科指導であるとか生活指導を刑務作業の時間内にやらなければいけないという場合が出てくるわけです。その場合は、賃金制にいたしますと治療プログラムあるいは教科プログラムに参加しているその時間に対しても賃金を保障していかなければいけない。これはオーストリアなんかはそういう形で、賃金制をとっている国はそういうふうに保障をしているわけですけれども、そういうことで処遇をダイナミックに運用していくということになりますと余り賃金制というのは好ましくないというふうに考えております。  それはそれにいたしまして、教科指導とか生活指導、治療的処遇というのは、これは受刑者の主体性を中心にした処遇にしていかなければいけない。そういう点では今回の法案というのは一つの問題点を抱えているというふうに評価しております。
  160. 中村巖

    ○中村(巖)委員 さらに加藤先生にお尋ねするわけですけれども加藤先生ばかりにお尋ねしてあれですが、先ほど分類の問題を言われて、今回の刑事施設法案の中には分類制度に対するガイドラインというものがない。分類が収容確保のための分類、そういうスタンダードによる分類になったのでは困るので、いろいろな基準、分類基準というか、それを先生はガイドラインとおっしゃるのでしょうけれども、ガイドラインは各種基準の上にあるものかもしれませんが、まずそういうものが必要だ、それが処遇の中心的な役割を占めるんだ、こういうようなお話でありました。従来は分類制度というものは導入をされたけれども、一方において累進処遇というものがあって、それと両方が相まって処遇がなされておったというような状況にあると思うわけです。今回は、昭和八年に導入された行刑累進処遇令というものはなしにするんだということでございますけれども、分類と累進処遇の関係というか、それは分類があれば累進処遇というものは要らないのかどうか、累進処遇というものは処遇にとっては余り意味がなかったものなのかどうか、その辺のところはいかがでしよう。
  161. 加藤久雄

    加藤参考人 お答えいたします。  これにつきましても、私、先ほども申し上げました論文の中で「「矯正処遇」実施の関連条文の問題」のところで指摘しておりますけれども、先ほど菊田参考人から御紹介ありました要綱案では、いわゆる段階的処遇という従来の累進制にかわるものを提案していたのですが、御承知のように今回ではそれを採用しなかったということで、分類制度は残したけれども累進制は残さなかったということ。それはある面では、先ほど申し上げましたように、この累進制度が例えばどういうふうに使われてきたかというと必ずしも受刑者の社会復帰の処遇のために使われてきたわけではなくて、施設の管理、一生懸命作業をやるとか反則行為がなかったとかいうことによって四級から始まって一級までいく、そういう級を進級させることによっていわゆるあめを与えて、そして片方では降級といいますか級を下げることによってむちを与えるというような形で、施設の中での収容の確保にこの制度が使われてきたという事実は否めないと思うわけですね。ですから、そのことで従来の累進制を廃止するという点では僕は逆に評価してもいいんじゃないか。  しかし、今度は分類あって処遇なしという実態が、じゃあこの累進制というものをなくしてそれにかわるものを提案しなかった場合に、分類制度だけでそれにつながるものは何なのか。分類制度をやって、処遇としては先ほど言った作業をやらせる、教科指導をやらせる、生活指導をやらせるあるいは治療的処遇というふうな形にストレートに結びつけていいのか。日ごろのそういったいろいろな行状を観察してそしてそれに対する何らかの、例えば最初は非常に閉鎖的なところから徐々に開放的なところに行ってそして中間処遇のような形態をとって、そして社会に復帰させていく。閉鎖的なところからいきなり社会に釈放するんじゃなくて、段階的に徐々に開放へ向かってそれに伴って権利もどんどん多く与えていくというようなやり方というのが段階的な処遇システムの基本的な発想であったかと思うのですけれども、この点について採用されなかったというのは非常に問題がある。ただ、そういう点については恐らく法務省令あたりで検討なさるのではないかというふうに考えているわけです。  漏れ聞くところによりますと、そちらの方で分類制度に関しても何か検討をなさっているようですけれども、私が先ほどガイドラインなんかも法律化した方がいいと言ったのは、法務省令では、法案ができてからつくられて、実はこういうふうにやっていますよといってもなかなか一般の我々には情報として流れてこないわけですね。ですから、法案の中である程度の基本的な分類制度ではどういう基準を設けているのかといった点をやはり法律化して明示していく必要があるのじゃないか、こういう趣旨でガイドラインを明示する必要があるというふうに言ったわけであります。
  162. 中村巖

    ○中村(巖)委員 次に、佐藤先生にお伺いしますけれども、先生もずっと行刑に携わっていらしたわけですが、今実際の、先ほどの話にもありましたけれども、受刑者に対する取り扱いの中では、やはり囚人服というか獄衣を着せる、画一的なものを着せる、そして短髪にしてしまう、そして整列の行進をさせる、あるいはまた多くの場合に交談を禁止をする、あるいはまたささいなことに対しても懲罰ということで、担当に対する抗弁、ちょっと抗弁をしたら担当抗弁だといって懲罰にする。そこまで厳しくしないと刑務所というのは一体やっていけないのかどうかということを先生に端的にお伺いをしたいと思います。
  163. 佐藤晴夫

    ○佐藤参考人 厳しさの基準というのはよくわかりませんけれども、例えば何でも画一画一という御質問でございますけれども、例えば西洋と日本というのはちょっと公平と不公平に対する考え方が違うような気がしますね。私たちの日本の社会というのは、もう学校給食から始まって全部同じなのです。旅行しても何でもみんな幕の内弁当でしょう。カフェテリア方式のやり方を小さいときからやってないわけですから。それで何でも勝手にしなさい、勝手にしなさいと言っても私は途方に暮れるのじゃないかと思います。むしろ少しぐらい均一化していた方がいいし、いろんな問題がございますが、均一化しないと、例えばアメリカの刑務所はすごいですからね。お金持っている人は葉巻だし、持ってないのはこういうポケットから西部劇のように取り出してこう巻いて哀れにのんでいるし、それから本なんかでも、とにかくお金持っているのはこれ見よがしに百科事典そろえたり、そうじゃない人は週刊誌のコミックだけ見ている。みんな余り自由にするとそういうふうになってしまいますから、どこからどこまでだか非常に難しい問題だと思うので余りはっきりお答えできませんけれども、よろしいでしょうか。
  164. 中村巖

    ○中村(巖)委員 菊田先生にお伺いをするわけですけれども、今回のこの刑事施設法案の中の懲罰の制度について、どういうふうに先生はごらんになっておられるでしょうか。
  165. 菊田幸一

    ○菊田参考人 懲罰についてと申しますと、ちょっとお答え……
  166. 中村巖

    ○中村(巖)委員 端的に言うと、懲罰に関する規定が非常に具体性を欠いて不備ではないか、こういう考え方を先生はお持ちかどうかということをお伺いするわけです。
  167. 菊田幸一

    ○菊田参考人 先ほども申し上げたとおりですけれども、つまり具体的な点については省令にゆだねるということが非常に多くなっていて、一体どこまで許されるのかということについての明白なあれがないですね。現行法においても各刑務所ごとにいろいろ心得というのはありますけれども、それは実に大ざっぱなものであるわけですね。  私は、もう既に二十年も前にカリフォルニアの矯正施設の規則というのを法務省の委託で訳したことがありますけれども、事細かに書かれているわけです。おまえたちはどこまでできるか、あなた方はどこまで何を持つことができるかということまで細かく書いています。そういうふうなことが全体に貫かれていないで、大まかなところで、ただし、これこれはこれこれでない限りというような形の大まかなことでこの法律というのはできている。それで細かなことについては一切省令にゆだねるということになっているわけですね。ところが、法務省の省令というものは我々は今のところ全然目にすることができないわけです。したがって、何がどういうことでどういうところで問題なのかということがさっぱり出てこないのですね。そういうようなことで法案ができているわけですから、論じようがないというのが正直なところだと思います。
  168. 中村巖

    ○中村(巖)委員 今の先生の、いわば懲罰の実体法というかそういう部分について構成要件というものが示されていないから論じようがない、こういうおっしゃり方ですが、その執行については、例えば閉居罰というようなものが昔の軽屏禁にかわるようなものとしてつくられておりますけれども、そういうものを科することそれ自体がいいのかどうか。さらに、そういう懲罰を科するについてのデュープロセスというかそういうものが今のままでいいのかどうか、その辺のことについてはいかがでしょうか。
  169. 菊田幸一

    ○菊田参考人 おっしゃるとおりでございまして、とにかく漠然としたことであって、例えば刑務作業中も、頭に物が落ちそうなのであっと叫んだら、それが雑談というか不要な言葉を吐いたということで懲罰の対象になったというようなことを聞いたことがありますけれども、そのように何かにつけて統一的にやろう、こういうことになっているわけです。要するに、先ほどから話に出ておりますが、相手を信頼してないと思うのですょね。行刑官と受刑者との間に信頼関係が、先ほどあるという見解がありましたけれども、これは行刑官の側からそう思っているだけであって、受刑者の方は決して思ってないです。心の中では、このやろう、出たら次は絶対に見つからないようにさらに大きな仕事をやろう、こういうことで余計利口になることを考えているに違いないのです。  つまり、表向きは頭を下げて規律、命令にすべて従っていかなければ何かにつけて反則行為をとられて出るのが遅くなるわけですから、そういうシステムになっているわけです。だから、要するにまともに生きることのできない人間をつくり上げているわけです。うそをついて腹と表の違う人間が早く出られる。ですから、御存じのように暴力団などは普通の人間よりも早く出るわけですね。まともな、正直な人間は早く出られないわけです。つまり、いかに不正直で腹と違う人間をつくり上げているかというのが今の矯正だと私は思うのです。いろいろなことをやっても今の刑務所では人間をよくすることはできないです。だから最低、相手を信頼して人間としてどのように対処していくかということだけを、せめて最低限基本的にやっていく方針というものを打ち出してもらいたいと思うのです。そのためには、おまえたちはここまでやれ、やれる、私たちはここまでやりましょうということで、お互いに謙譲の形で権利義務関係を明白にしてもらいたいというのが私の希望であります。
  170. 中村巖

    ○中村(巖)委員 時間ですので終わります。どうもありがとうございました。
  171. 戸沢政方

    戸沢委員長 安倍基雄君。
  172. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 参考人の諸先生方、お忙しいところをありがとうございました。社会党あたり二十問くらい聞いたようでございますから聞くことも大分減ってはきておるのですけれども、短い時間の間に幾つかお聞きしたいと思いますから、簡潔にお答え願いたいと思います。  まず最初に加藤先生に、さっき菊田先生が今度の法案提起は既決、未決のあれが十分でないというような話をされましたけれども、今回の法案につきまして、既決、未決についての取り扱い上の差というのが十分なされていると考えられるかどうか、その点はいかがでございますか。
  173. 加藤久雄

    加藤参考人 お答えいたします。  その点に関して先ほど菊田参考人がおっしゃったのは、死刑確定の……。一般の未決と既決の区別ですか。
  174. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 取り扱い上の区別ですね、処遇上の区別といいますか……。
  175. 加藤久雄

    加藤参考人 それが不十分だという御質問ですか。それとも、どういうふうに私が評価して……。
  176. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 今指摘をされましたけれども、今回の法案につきまして、弁護士会などでは既決、未決についての取り扱い上の差が十分ではないという議論をしておるわけですけれども、この点については加藤先生はどうお考えですか。
  177. 加藤久雄

    加藤参考人 弁護士会の方が批判されているのは存じておりますけれども、御質問趣旨がちょっとわかりかねるのです。未決、既決の取り扱いが違うのは当然のことなんで、御質問は、例えば既決についてはこういう点が逆に甘いのじゃないか、厳しいのじゃないか、あるいは未決についてはこういう点が少し厳し過ぎる、例えば弁護人の接見交通権等にいろいろな影響を与えるのじゃないか、そういう御質問であればある程度具体的にお答えできるのですけれども、全体的に未決と既決の評価がどうかということですか。
  178. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 時間がもったいないですから……。  それでは、一応、菊田先生が既決、未決の処遇、取り扱いが不十分であるという御感想を述べられたので、どの点がどうということを菊田先生にまず聞きます。簡単にしてください。
  179. 菊田幸一

    ○菊田参考人 今資料を持ち合わせておりませんので、どの点がどうと具体的には出てまいりませんけれども、要するに、本来、未決と既決というのは分けなければいけない、法律は二本立てにしなければいけないというのが大原則であるわけです。これは、昔からそうしろということは先人たちが唱えてきているわけです。それを無理やりに一本化して、そして何とかして一本の中で、両者に共通のものはこの辺にしておいて、どうしても分けなければならないものはここら辺で分けておくということでありますけれども、基本理念において、未決と既決とはまさに相手が、人間が違うわけです。違うものを無理やり一緒にしようとするところに無理がある。だから、それはあっさり二本立てに分けなさいということを私は申し上げたいと思います。
  180. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 そうすると、諸外国における例と比較して、どの点がどうとお考えですか。——余り時間もあれでございますから、私もこの法務委員会の中で既決、未決の問題の取り扱いの差について議論しようと思ったのですが、これはこの辺にします。  もう一つ、私はこの前の法務委員会弁護士との間の信書の開披の問題を取り上げたのでございますけれども、これは例えば弁護士会あたりからは単に弁護人から来るものだけではなくて、弁護人に出す方についてももっと——新しい規定では、弁護人から来るものについては弁護士から来たということが確認されれば中身は見ない。ところが、弁護士にあてるものについては中を見る。フランスあたりはその辺はむしろ両方とも中を見ないという言い方をしておりますけれども、諸外国の例は御存じでいらっしゃいますか。
  181. 菊田幸一

    ○菊田参考人 先ほど申し上げたように、全面的に中を見るという先進諸国はほとんどないと私は理解しております。つまり、危険なものがあるかどうかという意味で、あるいは所内の秩序の維持を破る危険性があるという意味での検閲はどこの国でも多少はやっていると考えます。ただし、そのうちの全部を見るのじゃなくて、たまに部分的に検閲するという方法をとっているのが一般的だと思います。
  182. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 それは弁護士ということを別にしないで、全体としてですね。この問題はまだこれから法務委員会で議論になると思います。  それからもう一つ、いろいろお話を伺っておりまして、いろいろなケースに応じて考えていくということがまことに必要だと思います。この点は例えば交通関係犯罪とかほかのものといろいろ比べたときに、さっき交通関係の刑務所の話が出ましたけれども、彼らはそう社会復帰に問題があるというような人々ではない。どっちかというと、我々が交通事故を減らそうという意図から比較的厳しくやっている可能性もある。それに引きかえ、例えば麻薬を使っているとか習慣的な暴力行為であるとかこういうのはもともと刑法そのものに若干問題があると思いますけれども、メニューに応じてというか、タイプに応じて区別していくべきものであろう。今の交通事故についての刑罰がいわば警告的な要素が非常に強いという要素もあるかもしれませんが、反社会性という面において、もちろん交通事故もある意味では反社会的要素を持っていますけれども、反社会性というか犯罪性という面における強さにおいていささか違ってくる。この辺は刑法のあれかと思いますけれども。  私が今お聞きしたところによりますと、結局、一つのやり方は、それぞれの態様に応じて、それぞれのモデルというかいわば処遇でやっていくべきものだ。これはまことに賛成なんですけれども、この点について、どの程度諸外国において、Aランク、Bランク、Cランクじゃないですけれども、区別をしてやっておるのか。日本においてそれが十分取り入れられるのかどうか。外国の例がさっきからいろいろ出ていますけれども、この辺、ちょっと加藤先生の御意見というかお話を承りたいと思います。
  183. 加藤久雄

    加藤参考人 今交通刑務所の話が出ましたので、そこからお答えいたしますと、私は、基本的には交通刑務所ができた当初から交通刑務所は必要なのかなという立場をとっている者です。確かに最初のころは、いわゆる禁錮囚の集禁施設として行われたのですけれども、最近では懲役囚がふえておる。本来、禁錮囚に対する集禁、そして開放的な処遇という趣旨が、実態は最近では大分変わってきているのではないか。今おっしゃったように、私も、果たして交通犯罪者に対して、刑務所に入れて自由を剥奪して、一年なら一年、二年なら二年社会から隔離して社会復帰への準備をさせる必要があるのかどうかということを基本的に考えているわけで、必ずしも交通犯罪者に対しては、現在のような交通刑務所というのは必要ないんじゃないか。よほど重い交通犯罪者については、懲役の通常の刑務所でやっていけばいいのではないかと考えております。  ヨーロッパの例で言いますと、日本のような交通刑務所というのはありませんので、逆に言いますと、国際会議でヨーロッパ人が日本に来たときに市原を見たいということで見ますけれども、実際に受刑者たちと会ったり話をしたり処遇の内容を聞いたりなんかすると、彼らの感想としては、本当にこれが社会復帰処遇なのかなというふうな、むしろその点ではおっしゃるように、本当に一般予防的ないわゆる見せしめ的なものが交通刑務所の場合にはあるんじゃないか。むしろ我々が見学をさせていただくときでも、できるだけ受刑者と目を合わさないでくれ、彼らはかつて大学教授であったり、お医者さんであったり、弁護士さんであったり、社会的にもいろいろ活躍していた人が多いから余り目を合わせないでくれとか、いろいろ注意をされたりなんかする。そういうことは逆に言えば、社会復帰の再教育をする必要がない人たちなんじゃないか。むしろ運転免許を持たせて再び乱暴な運転をさせないようにしていく、そちらの方で被害者に迷惑をかけたからという形で彼らに車に乗せないような手だてをすれば、再犯の可能性というのはそういう意味ではないわけですから、交通刑務所に関しては私はそういうふうに評価しているわけです。  それから、それ以外の受刑者のいろいろな個別的なタイプあるいはいろいろなグループ分けをして、それに対してどういうような処遇モデルあるいはいろいろな刑務所などが分類というようなものによって実際に行われておるか、ヨーロッパの例はどうかという御質問ですけれども、私はドイツに長くいたものですからすぐドイツの話になってしまうのですが、例えばドイツなどを見ますと日本のようないわゆる分類センターというものはなくて、要するに刑期と性別によって分けてくるということ。それから、御承知のようにドイツは刑と保安処分と両方、二元主義をとっておりますから、保安処分施設に分けるというようなこと。先ほど来ちらちら私が申しております社会治療処分を新たに設けようとしたのですけれども、これはいろいろな理由から削除されてしまって、今では社会治療処分ではなしに社会治療処遇という形で刑期の範囲内で特別な処遇をしているという形をとっている。ことしもブレーメンの開放刑務所などを見てきましたけれども、ここでは釈放前一年ぐらいの受刑者を集めまして釈放準備教育をさせながら社会復帰へ向けてのサービスをするという形で、これにはいろいろな罪名の人たちが入っている、これは単に釈放前一年という形で、ただ、その中でアルコール嗜癖のある者であるとかあるいは薬物嗜癖のある者は除外されるというような形でやっている。むしろ日本の方が分類センターで収容分類から処遇分類、二つの分類制度できちっときめ細かにやっておられるのではないか。  ただ、日本の場合には、ヨーロッパと比べて施設全体の定員が非常に大きい。例えば昨日も府中にお伺いしてちょっと見せていただいたのですけれども、二千三百名前後、多くおる。その中で非常にダイナミックな受刑者処遇をやるといっても非常に問題がある。府中のきのうの情報の受け売りなんですけれども、例えば府中刑務所には外国人労働者がいる、あるいはいわゆる老人性の老齢化した受刑者がいる、あるいは暴力団関係者がいる、あるいは精神障害を受けている人たちがたくさんいるといったようないろいろな拘留者グループがいる。それに対してその二千三百名という定員の中でどうやってきめ細かに処遇をしていくかといったら、これは非常に難しいですね。だから、これは国の刑事政策に対する財政的な支えが必要になってくる問題ですけれども、できるだけ施設を小規模にしていく、少なくとも三百名以下の施設をつくっていく必要があるのではないか。もしそれができなければ、府中なら府中の中で特別の区画をいろいろつくっていって、そして個別にその処遇を考えていく。今府中刑務所も改築中で、今度新しくできる舎房には一級受刑者が入るような施設もつくってできるだけ処遇の活性化を図ろうとしておられるようですけれども、やはりそういった努力を認めていくような形の処遇モデルといったようなものが具体的には考えられるのではないかと考えております。
  184. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 そうすると、ある意味からいえば、学校の四十人学級ばかりではなくてもう少し小規模でやりなさいという話はわかりましたけれども、それとともに、諸外国と比べて我が国において社会学者とか心理学者とかの専門学者的な者がどの程度タッチしているか否かということはいかがですか。
  185. 加藤久雄

    加藤参考人 お答えします。  昨年集中的に四つの医療刑務所を見せていただいて、そして、全国で約二百名のお医者さんが矯正領域で働いておられるというのでその数の多さに若干驚いたのですけれども、ただ御指摘のように、日本では社会学者であるとかソーシャルワーカー、そういった面でのマンパワーといいますか、それは相当不足しているのじゃないかなという気がします。  先ほど言いましたように、刑事政策の流れが施設内処遇から社会内処遇に移っていく。そうなりますと、どうしても社会内処遇での環境調整というのが必要になる。これは外国ではソーシャルワーカーの役目ということで、施設内にソーシャルワーカーを常駐させまして、その人が社会内のいろいろな環境調整をやっている。ですから、受刑者処遇を実質化し成功させていくためにはそういった連係プレーが必要である。その橋渡し、仲介役としてやはり社会学的な、社会教育的な素養を持ったマンパワーの導入が必要になってくるのじゃないか、こういうように考えております。
  186. 安倍基雄

    ○安倍(基)委員 時間がございませんから、佐藤参考人への質問は省略します。申しわけございません。終わります。
  187. 戸沢政方

    戸沢委員長 安藤巖君。
  188. 安藤巖

    ○安藤委員 先ほど来、いろいろ貴重な御意見を拝聴させていただきました。共産党の安藤巖でございます。  加藤先生は何か打ち合わせをしておみえになりますから、菊田先生にでは最初にお尋ねします。  先ほど来、処遇の問題と、それとの関連で懲罰の問題、その関係でいろいろ議論があったのですが、私は、処遇の問題でよく刑務所ぼけという話を聞くのです。処遇が、規律規律でしっかりしておるものですから、それでがんじがらめになっておって、それが相当な期間にわたりますと、社会に出てから役に立たぬ。だから、社会復帰じゃなくて、これは刑務所ぼけをつくって社会生活に順応できないような人をつくっているんじゃないかという批判もよく聞くのです。そういう実態があると思うのですが、そういうのをなくしていく、それは規則をなくすればいいということになろうかと思うのです。だから、規則ずくめというのをなくしていく、それには一体どういうようなことを考えたらいいのかなというふうに実は思い悩んでおるのですが、菊田先生にお聞かせいただければと思うのです。
  189. 菊田幸一

    ○菊田参考人 それはお答えするのは大変に大きな問題、余りにも大きな問題でありますけれども、先ほどから申し上げているとおり、相手を同じ人間としてお互いに信頼し合うという原則が大事だと思うのですね。先ほどからいろいろ出ていますが、例えば頭髪の問題にしましても、第一髪の毛というものは身体の一部でありますから、それを刑罰を理由に丸坊主にするというのは、国家が犯罪行為をやっているのだと私は思います。あるいは食事の面にしても、きょうも余り出てまいりませんけれども、今では食事についての問題は余り出てこないというふうに言われていますが、私から言わせれば、これは人間としての、日本国民としての最低の食事を与えていないと思いますね。  いろいろ処遇論は出ていますけれども、処遇以前に日本国民の一人であるという点の最低限の条件が満たされていない。満たされていない上に処遇論を展開したって、これは外国のことがどうだということよりも、現実に我が国が一歩でもこの先前進していくのには何からやっていくかということが大事なので、その点でいきますと余りにも論議がお互いに離れ過ぎているように私は思います。  今度の法案においては、現行監獄法よりもむしろ後退している面があるのですよ。それは時代の発展からいってもあるいは現在我々生きている人間にとっても恥ずべきことだと私は思うのです。そういうことで、基本的な問題をこの際徹底的に煮詰め直す。国民はそんなに麦飯を六割も、今は四割も入れている飯を食わせて懲らしめることを期待していないと思うのですね。今は白米よりも麦飯を入れることは予算的にもむしろ高くつくはずです。そういうことをなぜやらなければいけないかというのは、一方では国民はそういうことを期待しているようにとられているようだけれども、決してそうは思わないと私は思うのですね。これはすぐには改善できないと思います。というのは、今までそういう積み重ねをしてきたのですから、それは当局者がいきなりあしたから白米にしろと言ったって、おまえたち、いきなりそんなことをして今まで何をやっていたんだと行政当局の責任を問われますからできないと思うのですよ。けれども、徐々にでいいから一歩でも進めるという方向を打ち出してもらいたい。時間もありませんので一言だけ。
  190. 安藤巖

    ○安藤委員 加藤先生、いろいろ諸外国、特にドイツ関係では相当刑事施設を視察なさって造詣が深いということをお聞きしたのですが、先ほどもちょっとお話がありましたが、これは府中刑務所に入っておった人のルポルタージュ、ごく最近の本です。こんなふうなのかなと私も実際見て驚いたのですが、今の懲罰関係です。  先ほど何か物が落ちてくるのであっと声を上げたらという話もありましたが、起床後房内で運動をして軽屏禁(けいへいきん)二〇日、軽屏禁中に口笛を吹いて軽屏禁三〇日と罰金二〇〇〇円、作業中、隣の仲間に話しかけられふりむいてしまい罰金二〇〇〇円、話しかけた者は軽屏禁二〇日、房外の鳩にメシ粒をやって軽屏禁一五日、出役中の整列時に「おはよう」と声をかけ作業賞与金(三カ月分)全没収と四級から除外級への降下、」「作業中視察に来た区長の顔を見てしまい罰金一〇〇〇円、同じ理由で一〇日以上の軽屏禁になった者もいる。」「ひとりごとを言い注意されやめたものの、看守に「なぜひとりごとを言って悪いのだ」と何回か言ったため抗弁で軽屏禁一五日、作業中頭痛がひどくなったので作業を中断し、頭をおさえていたら看守から「何をさぼっているんだ」と言われたので、「さぼっているんじゃない」と言い返し作業怠慢で軽屏禁一〇日等である。」  それから、女子刑務所の方で、女子刑務所では減点制度というのがあるそうですね。男子の刑務所にない制度だそうでず。これはまたあきれ返ってしまうのですが、「起床時間前に起き出して着替えや整髪、読書などをしたとき、」「他人の髪をとかしてやったり、白髪を抜いてやったり肩や腰をもんでやったりしたとき、他人とチリ紙等の日用品を貸借したとき、」「手紙や写真を見せ合ったり手紙や下書きを書いてもらったりしたとき、」減点、こうなんですよ。それから、「かぶっていた三角布が落ちそうになったので手の汚れていない人にちょっと直してもらったときや、肩が痛いという人にサロンパスを貼ってあげたときに「どんなことでも他人のことをしてあげたり、してもらったりしたら減点になる」」これらは、社会へ出たらいいことなんですよ。社会でいいことをやったら減点になる。一体これはどうなっているのだと私は思ったのですが、諸外国でこういうようなことで懲罰を受けたり、減点も懲罰の一つだと思うのですが、こういうことが行われておるのでしょうかどうか、一遍お聞きしたいと思います。
  191. 加藤久雄

    加藤参考人 私は日本の刑務所の実態を三日間ぐらいクラブに泊まっていろいろ見せていただいたりして、作業観察という、志願囚になってそういった事例に遭遇したことはありませんので何とも答えられないのですけれども、ただ、私の日本のその状況に関する感想を言えば、例えば、先ほど紹介したように府中では二千三百の人がいる、そんな簡単なことでみんな懲罰になったら毎日懲罰房がいっぱいになるんじゃないか。しかし、実際に参観させていただいたら懲罰房にはそんなたくさんの人が入っていない、これは一体どういうふうに説明するかということで十分じゃないかと思うのです。  それはそれといたしまして、外国ではそういったいわゆる累進制といったものがありませんので、それを一々行動観察をして、これが減点の対象になる、おまえはこうしちゃいけない、ああしちゃいけないということはないのですね。それから、確かにそれは極端な例かと思いますが、私もその懲罰事由については、先ほどの菊田先生じゃありませんけれども、やはりある程度ガイドラインといいますか、基準を明確化していくということは当然必要だというふうに考えております。外国ではそういった累進制度とか行動観察制度といったようなものはありませんので、そういうことはありません。  例えば、私も参観させていただいて、刑務所の中では参観者も走ってはいけないとか、あるいは日本の場合ですと必ず職員と一緒に行かなければいけないというふうなことになっていますけれども外国の多くの施設では中はもう自由に、しかし外は、先ほど佐藤先生も御指摘になったように非常に重警備な、ライフル銃を持って不審な者を撃つというふうになっている。だから、中は非常に行動は自由だけれども、セキュリティーだけは非常に高度になっている。それも最近では非常に改善されてきて、紫外線を使ったり、いわゆるエレクトロニクス化といいますか、そういうものが進んでいて、できるだけ収容者に拘禁されているんだといったような拘禁感を与えないような閉鎖施設ができている。日本も、新しい施設についてはそういうこともやはりこれからは考慮していく必要があるんじゃないかというふうには考えております。
  192. 安藤巖

    ○安藤委員 恐縮でございますが、加藤先生に諸外国の事例ということでもう一つ教えていただきたい。  これも刑務所の中のルポルタージュなんですが、受刑者に対して職員の偉いさんがばかやろうとか罵声を浴びせる。例えばこういうのがあるのです。この人はいろいろ不満なので訴訟を起こしている人らしいですが、そうしたら、「おい、お前みたいなバカな懲役が国と裁判やって勝てると思っているのか。お前は本当のバカヤローだ」」とか、母親あての手紙をいろいろ書いて出したら、それに対して「「字の下手なそんな学のないお前の親がこんな手紙を読むのか。お前の所は親までそろって気違いなのだな。かぶれやがって、何の得があるのだ。誰にたきつけられているのだ。お前は気違いだな。くるくるぱあだ。お前の母親が面会に来たら顔を見てやりたいよ。お前の母親もこれ(くるくるぱあ)か、気違いか。」それから「「西部区長の前で気をつけしているときはもっと男らしくびびっとせんか、バカヤロー。お前は犯罪者、懲役、社会に対して何の不服も言える身分じゃないのだ。」「本当にこいつは何もわかっていない大バカヤローだ」」とか、これはそうでたらめじゃないと思うのです。  こういうような馬声を浴びせかけるというのは日本の国内の刑事施設だけなのか、外国ではどう言うのか知りませんが、外国でもあるのだろうか。こういうのがあると、信頼関係とかなんとか言ったって、そんなものくそ食らえだと思うのですが、まさかそういう事実があるのですか。
  193. 加藤久雄

    加藤参考人 非常に難しい御質問ですが、私は外国で作業観察をやったわけじゃないのですけれども、先ほど言いましたように、いろいろな施設の所長と共同研究をやって、その施設を見せていただいて実際に収容者と話をする機会もあり、ベルリンでは三日間くらい泊まって収容者と食事をしたり、いろいろな課外活動に参加したりといったようなことはやってきたわけです。  御承知のように、西ドイツは一九七七年に新しく行刑法ができまして、その何条だか今ちょっと失念いたしましたが、そのときに、ドイツ語の話になって恐縮ですけれども、ドイツ語には敬称の二人称でズィーという言葉がある。丁寧にあなたとか何々さんとか言う場合に、目上の人に使ったり丁寧に使う場合にはズィーと言う。それから、夫婦間とか親子間とか恋人同士あるいは目上の者が目下の者を見下げて言う場合に二人称でドゥというのがあるのです。ズィーとドゥの二つをいかに使い分けるか。初対面の人からだんだん親しくなっていくにつれて、その使い分けが非常に微妙な言語なんですね。それで、その行刑法改正のときに、刑務職員はズィーでもって、つまり敬称の二人称でもって収容者を呼ばなければいけないという規定がたしか新しくできたはずです。その実態を聞いてみますと、職員が収容者に対していわゆるべっ視的なドゥを使う。日本で言えば、おい、おまえ、こら式な呼びかけがある。そういう実態があるからこそわざわざ行刑法の中にズィーを使いなさいということを言ったのじゃないか。  実際に私も五年間そういった研究会をやって、その研究会はある意味では矯正職員の現場の人たちの教育の機会を提供していたという側面もあるのです。我々の研究会に出させることによって各施設からいろいろな、中級の管理者であるとかあるいは初級の管理者なんかがそういう研究会に来まして、我々の話を聞いたり、それが終わった後一緒に食事に行ったりなんかしながらいろいろ刑事政策の情報交換をする、それが一つの教育の場になる。それに象徴されますように、西ドイツの場合は日本のように矯正職員をきちっと教育するという矯正研修制度というのが確立してないのです。  タクシーの運転手さんが全部そうじゃないのですけれども、何か雲助的なやくざっぽい人が刑務官になってきたり、あるいは、かつては軍隊にいた人が矯正職員になったり、現在でも西ドイツの場合には徴兵制がありますので、そういういわゆる軍隊上がりの人たちが軍隊を退役した後矯正職員になるということで、非常に威圧するような……。それで、私たちが先ほど言った社会治療処遇というのは、そういった雰囲気をなくす、お互い人間関係をベースとした処遇モデルをやっていかなければいけない。だから、まず職員の教育から始めなければいけない。いかに収容者と人間的なコンタクトをとるか、そういうテクニックを学ばせるかというようなところから教育していく。まず職員の側を十分に教育した上で処遇モデル等をやっていかないと、先ほど来御指摘がありますように、処遇モデル処遇モデルといっても、その実質は非常に管理的になってしまうのではないか。だから、人間教育なんだといったようなことをきちっとベーシックに矯正職員にまず教えるというようなことをやっていかないと、この処遇モデルというのもどこかで破綻を来してしまうのではないかというふうに考えております。
  194. 安藤巖

    ○安藤委員 どうもいろいろありがとうございました。まだいろいろありますけれども、時間が参りましたのでこれで終わります。ありがとうございました。
  195. 戸沢政方

    戸沢委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時十一分散会