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1988-05-19 第112回国会 参議院 文教委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十三年五月十九日(木曜日)    午前十時一分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         田沢 智治君     理 事                 仲川 幸男君                 林  寛子君                 粕谷 照美君                 佐藤 昭夫君     委 員                 小野 清子君                 川原新次郎君                 木宮 和彦君                 山東 昭子君                 杉山 令肇君                 世耕 政隆君                 竹山  裕君                 寺内 弘子君                 柳川 覺治君                 久保  亘君                 安永 英雄君                 高木健太郎君                 高桑 栄松君                 勝木 健司君                 下村  泰君    国務大臣        文 部 大 臣  中島源太郎君    政府委員        文部大臣官房長  古村 澄一君        文部大臣官房会        計課長      野崎  弘君        文部省初等中等        教育局長     西崎 清久君        文部省教育助成        局長       加戸 守行君        文部省高等教育        局長       阿部 充夫君        文部省学術国際        局長       植木  浩君       文部省体育局長   國分 正明君    事務局側        常任委員会専門        員        佐々木定典君    説明員        警察庁刑事局捜        査第二課長    垣見  隆君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○教育公務員特例法及び地方教育行政組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案内閣提出衆議院送付)     ─────────────
  2. 田沢智治

    委員長田沢智治君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  教育公務員特例法及び地方教育行政組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  本案の趣旨説明は既に聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  3. 安永英雄

    安永英雄君 まず第一番に、この前、提案趣旨をお聞きいたしましたが、臨時教育審議会答申を受けて、資質能力の一層の向上を図るということでありましたが、これは大臣の方針を示されたときに私も大ざっぱに質問をいたしておったわけです。臨教審答申というのは広範多岐にわたっておりますし、これはいろいろとらえ方はあるかもしれませんけれども、私自身詳細に分類し検討しますと、大体グループに分けて百五十カ所くらいの内容にわたっておる、広範多岐提案をしておるわけでありますが、その中に、特に初任者研修制度創設という、いわゆる教育改革の最大の、これはやらなきゃならぬという把握をされて推進をされようとしておる。  この前お聞きしましたときには、既にこういった種類のものは従前からも検討してきておったことなんだということもつけ加えられておったわけでありますが、現在、二十一世紀を目指して多岐にわたる教育改革をやっていかなきゃならぬその中で、初任者というところをとらえて、そして初任者研修義務づけるというふうな提案なんですけれども、私自身、今すぐにも手をつけなきゃならぬようなたくさんな問題を抱えておる教育改革の中で、初任者という現場先生というものをとらえて、この先生資質向上、いわゆる研修、これをとらえてやるということが、臨教審答申の具現の最たるものだというふうな認識はどうしても私にはわからないんです。これは世間一般でもそうじゃないでしょうか。  今、国会重要法案だというふうな新聞の報道があっても、新卒の先生研修をする、どこが重要なんだというふうにこれは一般的にだれでも考えることなんで、私自身も腑に落ちない。この前も申し上げたように、私は教育改革という広範なものを実行に移していくという場合には軽重、本末、緩急、こういったものをよく精選をして出発をしなきゃならぬという私の考え方があるものですから、どうしてもやっぱりこの前の大臣説明では腑に落ちないんで、もう一回改めてひとつ、多岐にわたる臨教審答申を受けて当法案を提出したのか、重大視するのかという点について御意見を承りたい。
  4. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) おっしゃいますように、安永先生指摘のように、臨教審答申は非常に多岐にわたっております。確かに臨教審答申を受けてと申し上げるのも一理あるかと思いますが、この前もお答えをいたしましたように、既にそれ以前からやはり課せられた宿題ではないかというふうに私は受けとめておるわけでございます。  例えば大ざっぱに言えば、これはそこまで申し上げる資格はございませんけれども、理想の国家をつくり上げるには、やはり根本において教育の力にまつべきものであるという教育基本法がございますし、それでは教育とは何かと。いろいろございましょうけれども、やはり教育というのは人が人を教えるという大変重要な部門でございます。また、四十七年の教養審のときからこの点は建議をされておりますし、既におっしゃるように臨教審にこだわるかどうかということになりますと、臨教審で御審議いただく以前からの問題であったろうと私は考えるわけでございまして、じゃ臨教審以前からの問題というのは何であるかというと、やっぱり人づくり、そしてまた、教育は人と言われます中で、教育に携わる、教壇に立たれる方々資質向上というものは、これは不断努力が必要であろう。  教員方々自身研究し、あるいは修養されるということは必要でありますし、また一方で、任命権者がその研修に対しまして基本的な、そして体系的な場所あるいは研修のための環境を整えるということもこれは責務として両方相まって与えられているものでございますので、それは不断努力が必要でありましょうけれども、しかし、そういう体系の中で特に初めて教壇に立たれる場合には、先輩の円熟した指導力というものの力をおかりするということは、これはごく必要なことであろうということからの発想でこの教特法改正をお願いいたしておるところでございまして、これは教育向上、そして教員資質向上によって、学ぶ方々のためにもよりよい教育の場を与えることができるであろうということからお願いをしておるところでございます。
  5. 安永英雄

    安永英雄君 今おっしゃったことで、先ほどお尋ねしましたように、意気込んでこれをぜひとも今やらなきゃならぬ問題だという認識は生まれてこないんですよ。これは私、新聞や雑誌で見たんですから、直接お聞きしたことはないんだけれども、大臣が今度の国会でこの教特法、これが上がらぬと国会は何をしたかわからぬ、これに重点を入れているんだというふうなことをおっしゃったと書いてあるんです。ある局長は、これは自分の首にかけてもと。これが通らなきゃ腹切り物だと。あるいはまた、臨教審が今お話しのように、かねてこの初任者研修というものはずっと考えておって、それが強引に文部省から押し込みまして、臨教審最終答申でこれが採用されて臨教審答申として出されることになったと。それを聞いて、名前は申しませんけれども、これでもう臨教審は終わったというふうな、叫んだのかつぶやいたのか知りませんけれども、今の大臣説明聞いて、そう局長が通らなきゃ腹切らにゃならぬような問題ではないような気が私はする。  なぜなら、今教育現場の方で、それはもうとにかく授業をしながら教材研究をし、あるいは雑務と申しましてもうPTAの会費集めその他たくさんの仕事がある中で、仕事それ自身がみずからの勉強、研修だと私も思いますけれども、自分で本を読み、そしてその機会を求めて、研修の場を求めていくというふうな余裕はないにもかかわらず、やっぱりみずから研究しなけりゃ、この前も私、本会議で申し上げましたように、今の科学技術の進歩あるいは高齢化社会、こういったものに追いつけない、これは皆自覚をして自分で勉強している。そこに、この初任者研修というのを重大視するというのがどうしても私は理解できないんですよ。むしろ、あの臨教審の中で改革をまずやらなきゃならぬのは文部行政じゃないかと私は思うんです。私はそう思いますよ。  行政の中心でやっている文部省のこの改革というものについても適切な提言がなされておる。これをまずやらなきゃならぬと思うし、私もここで時間がないから申し上げておきますけれども、一番文部省行政改革をしていかなきゃならぬ、それはやっぱり画一的な計画を強引に全国横に広げていくような強硬な態度というものは、これは変えていかなきゃならぬ。さまざまたくさんありますが、例えば先ほどからの関係から申しますと、この初任者研修というのは前からあった。そして文部省考え方臨教審で取り上げられて、それが答申という形になった。さあこの答申に藉口して今からやりますぞと、こう言いますけれども、昨年も試行ということをやっているわけですね。臨教審答申を受けてと、自分でつくっておいて、自分で書いてきて、答申を受けてと見事なテクニックを使うわけですけれどもね。  この点で私はまずここでお聞きしたいのは、法的な根拠もないのにこの試行がよくもできたと、こう思うんです、金まで動かして。これはひとつ根拠を明らかにしてください。
  6. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 臨教審の第二次答申におきまして初任者研修制度創設提言があったわけでございます。その階段におきましては、私どもこの第二次答申最終答申の形で引き続くことは当然の前提といたしまして、臨教審答申最大限尊重義務政府の一員といたしまして初任者研修制度創設へ向けての準備に入ることを考えたわけでございますが、何しろ大規模な制度でございますし、また、こういったことが学校段階で円滑に受けられることを確保する必要もございます。その意味におきまして、本格実施が行われる場合を前提とした問題点の所在を探り、円滑な実施を期したいという観点で試行を行うことといたしまして、試行によって問題点を探り、そして本格実施の際の万全を期したいというのが第一点でございます。  と同時に、各都道府県段階におきましてこの試行を通じることによりましてそれぞれの準備体制が整い、そしてノーハウを持ち、円滑に本格実施に移行できるであろう、そういったような準備を二年間かけて行いたいということで六十二年度予算案におきまして試行予算を要求し、六十二年度予算の計上を待ちまして六十二年度、現在三十六都道府県指定都市におきまして二千百四十一名の教員を対象とした試行を行ったわけでございます。引き続きまして、六十三年度は五十七都道府県指定都市すべてについて試行実施していただくべく予算を計上させていただいたところでございます。  あくまでもこれは臨教審答申を受けまして、問題点はいろいろございますけれども、なお教育職員養成審議会におきましても一年半かけまして御審議をいただく、そういった教養審答申も踏まえると同時に、この試行の結果を踏まえた形で本格実施に入りたい、そういうような考え方で対応させていただいた次第でございます。
  7. 安永英雄

    安永英雄君 局長、時間がありませんから要点だけを答えてください、今から。  今おっしゃった二つ理由で、これが法的に許されるというものじゃないですよ。例えばどこかの学校に国語の研究指定校実験学校、どこのところにはあなたのところがよくやる道徳教育についての実験学校、こういったものは現法律の上、規則の上で、その中でやっている。今度の場合は、これはもう明らかに法改正をやらなきゃできないものなんですよ。そうでしょう。だから法律を出している。法律改正なんですよ。現行法の中でいろいろ試みていくということならば、それは私はあなたの今の理論で成り立つと思うけれども、次元が違うんですよ。これはやっぱり明確に法律改正というものが行われて、それから実施に移すという厳格にやらなきゃならぬ問題なんですよ。これをやっていると時間がありません。後でまたこの問題はしますけれども、前から考えておったことなんだ、中教審時代からも考えていたことなんだ、だから試行が許される、こういうことじゃないんですよ。これは法律が通らなければ、改正が行われなければ実施してはならないし、予算も使ってはならないんです。現行法の中でいろんな施策をやってみるという実験的なものなれば、これはあなたが今言ったように法律上許される。ここは明確にしておかないと、胸を張って試行は当然でございますなどというふうな言い方は、これは不見識ですよ。私に言わせれば違法行為です。  そこで、先ほどから申しましたが、文部省の方は、例えばスポーツという問題について強く臨教審等も求めておる。これは生涯の教育の問題からいっても、あるいはスポーツの振興からいっても必要だということで省内の一部の機構の手直しが行われた。私はそれ以外に、機構をいじるということが改革とは私は言いませんけれども、文部省に対する臨教審の注文、特に個性あるいは地域分散、それから自由化、特に校則をいっぱいつくっているけれどもその校則を緩和する、こういった問題についてどう取り組んでおるのか、お聞かせ願いたいと思います。
  8. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 臨教審答申におきましては、個性重視の原則、あるいはそれを敷衍いたしたものとして例えば多様化でございますとか規制緩和等に関しますいろいろな御指摘文部省に対してもございます。  これらの事柄については、それぞれの答申趣旨を踏まえまして、例えばいろんな取り扱いにおきます弾力的な運用でございますとか、あるいは多様化への道とか、各般の行政施策の上で通達、指導等においてその実現を図るべく努力をしているところでございます。
  9. 安永英雄

    安永英雄君 腹切ってでもやろうという意思は全然感じられませんよ。夢中になって、何が何でも初任研の問題をなし遂げなければならない理由がわからない。やらなきゃならぬのは、文部省が変わることですよ。私なんかもやっぱり文部省体論者なんですよ。文部省は大体あってはならない存在だったんですよ、内務省と一緒に。これは随分解体を迫られた。こういった事態があって、やっぱり何といっても文部省自身の今日までの反省、こういったものをまずやるべきだというのが私の考え方ですが、この点は後でさらに具体的に聞いてまいりたいと思います。  そこでその次に、この初任者研修制度というのは、自主研修を基調とした教特法精神にもとるのじゃないか、この法案は。これも本会議で聞きましたけれども、何か短時間でありましたので大臣のお考えが私には余り十分受けとれませんでしたので、改めてここでこの教特法改正初任者研修制度というものは教特法精神にもとるというふうに私は思いますが、どうですか。
  10. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 教特法前段にやはり地方公務員としての義務というものはあると思いますが、御質疑の中の教特法でございますが、教特法の十九条の中に二つの面が描かれておるというふうに私は考えております。  もちろん、教育の職にある者は不断努力をもって研究修養をすべきである。同時にまた一方におきまして、任命権者がその研修のための施設あるいは方途あるいは計画などを立てて、そして系統的に、体系的に研修をさせるという責務がある。これは両々相まって行われるべきものであり、また教特法でここに特に書かれました教員の心得としては、これは日々いつでも、つまり生涯かけてという意味にもとれるわけでありますが、これは研究修養を積み重ねていくべきものである、また一方、それを進めるために任命権者初任のときだけでなく、また体系的に、例えば節目と言えば五年とか十年とか二十年とか、そういう体系的に研修方途あるいは計画を立てて行うべきものである、その一環の中の一つとしてこの初任者研修考えておるところでございます。
  11. 安永英雄

    安永英雄君 本会議で聞いたのと多少違うような気がするんですけれども、竹下総理自主的研修も大切であるということを強調された。しかし、教育行政機関が適切な研修機会を提供するということも必要だということを言われた。私はあのときに申し上げたのは、教育職にある者が教育の場合に一番考えておかなきゃならぬのは、一人一人の生徒児童というものに接していくわけですが、そこにやはり人格的な触れ合いというものの中から教育というのは生まれてくる、あくまでも研修を積んでいくということは、いわゆる自主的な教員自身がその気になって、そしてやはり触れ合いの中で火花を散らしながら子供の成長を助けていくという営みが教職というそれ自体についておるわけですから、これはやはり研修というのは当然みずから行う自主研修ということが一番基底になければならないことであって、今おっしゃったように行政機関というものはそういったものを援助する、そしてそういう機会をつくってあげる、保障する、こういった補完的な任務を義務づけられておるんじゃないかということをこの前も申し上げたんですが、今はちょっと違ったような気がするんですけれども、同じですか。
  12. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 大綱において私は同じだと思います。  重ねて申しますが、教職にある方々不断努力をもって研究修養する、これは自主的な責務を規定しておるものでありまして、これが一般公務員と違いますのは、一般公務員は例えば地方公務員法の第三十九条では、勤務能率の発揮、増進のために研修を受ける機会が与えられなければならない、これは任命権者が行うものである。しかし、これを公務員もそれだけではいけませんよ、不断努力が必要でありますという面では、確かに先生おっしゃるとおりでございます。  ただ十九条では、その二面が描かれておると考えております。その研修のために任命権者もその施設方途計画等をしっかりと樹立をして差し上げる、これまた一方の責務である。この両方が相まって行われるべきものである。それは不断努力ということがいわれておりますが、しかし任命権者は少なくとも体系的な中で、特に先生おっしゃるように、触れ合いの中から学んでいくということは、これは教職生活全体を通じてでございますが、その中で初めて教壇に立たれるとき、これは一番重要なときでありましょうから、十九条の一と二の相補完をし合いながらいくという中の一番大切な時期として、このような任命権者は特に初任者の間の研修に力を入れるべきであるという考えから御提案をいたしておるところでございます。
  13. 安永英雄

    安永英雄君 私は、言葉は悪いけれども、行政機関の方で当然基盤としては教員として自主的に不断研修をやっていくというのが基底であれば、それを妨げるような行政研修というのはあり得ない。あなたもおっしゃったように、補完をするんだという立場でなければならぬわけですね。  だから私は、今おっしゃった、いわゆるあなた方がよく使う行政研修、こういったものは第一義的には研修施設の設置をやるとか、あるいは研修奨励の方法を講じていく、例えば学校における研究資料行政の方で十分使えるように備える、あるいは設備を充実する、あるいは旅費や会議費、そういったものも潤沢に与えて援助をする、講師の謝礼あるいは図書、こういった自主研修条件整備というものに努めるのが、これが行政義務づけられた内容だというふうに私は思うんですけれども、どうですか。
  14. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) おっしゃるような具体の問題もありましょう。ただ、前段で申されました点ですね、これは重要なことだと思いますが、教職にある方々研修任命権者責務とが相反するものであるというようなことは全くあってはいかぬことでございまして、少なくとも人を教える、そして教育は人であるという、その教育者資質向上、それからこれは画一的な型にはめるということは全く考えておらぬわけでございまして、少なくともその個の教職にある方々児童生徒を教えるについては、やはりそれぞれの個性を伸ばし、能力を伸ばし、ただその中には実践的な指導力というようなものは、初めての経験でありますから、そういう面で円熟した先輩指導者の生きた実践的指導力を仰いで、なおかつ自分個性が生かされながら児童生徒と接することができるように、そういう面では考え方は全く同じであろうと私は考えております。
  15. 安永英雄

    安永英雄君 そこが問題なので、一つも合っていないんですよ、あなたと私は。あなたはあくまでも任命権者研修実施義務づけをすると、こうおっしゃっておる。そしてこの前の答弁を見てみますと、任命権者研修についての責務をより明確にしたい、ここが一番力説されておるところなんですよ。私とあなたとは研修についての意見が一致しているようだけれども、私は補完的なものだ、だから法律改正までやって義務づけをするとは何事かというのが私の立場なんです。これは百八十度違いますよ、あなたと。  私は、現在の現行法で、研修というのは、先ほど当初に述べたように結構教員はやっている。わざわざここで教特法改正して任命権者にやらなきゃならぬと義務づけると。今の現行法というのは、これはもうあれでしょう、「研修に関する計画を樹立し、その実施に努めなければならない。」という限度にとどめてある。これは努力義務というものを課したにすぎないんであります、今は。その限度の中でやっていっている。それをさらに初任者研修に限っては法律を変えて、これは努力義務じゃありませんよと、ここは。これは法律でやらなきゃならぬと決めたんですから、絶対にやってもらわなければなりませんという意思表示をやっているわけです。これは大きな変わり方なんです。なぜそう変わるんです。現行法でやれませんか、初任者研修を。  まして私が一番心配するのは、後でまた申し上げますが、あなたは不断努力をせんならぬ、したがって、まず初任者研修義務づける、しかし、他の一般教員の場合もそうあらなければならない、あなたのねらっているところは、全員のとにかく教員に対して研修をやらなきゃならぬと。今まででもやっているんですけれども、それを法律で今度は締めつける。こういうことが果たしてできますか。そこがねらいなんでしょう。私は一番ここが問題だと思う、  私は、まず現行法の中で、主体はやっぱり教員みずからの自主研修なんだ、行政はそれを援助する、こういう立場であれば、私は現行法で十分やれるんじゃないか、なぜ変えるんだろうというふうに思っておったわけですが、そこまで言われると、私はもう少し掘り下げて検討しなきゃならぬ。だれが見ましても教特法の十九条と二十条、よほどのひねくれ者が読まぬ限り、当たり前に読めば、私が申し上げたように、この一項というのは、これは教員がもう自主的にやるのが基盤なんだと。二番の二項は行政関係が書いてあるけれども、これはそれを補完するあらゆることを手助けをしなさい。三番目は、こういうことは自主研修がやれるように、二十条一項、二項、三項は、これはもう具体的にその自主研修を助ける項目を挙げてあるんであって、これじゃ気に食わないんですか。初任者についてはどうしても法律改正して、努力義務をはっきり義務づける、やらなきゃならぬと義務づけるという理由は何ですか。これをちょっとここでお聞きしたい。
  16. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) これは、先ほどからの御質疑にありますように、二つ申し上げたいんですが、一つは、先生臨教審答申に盛り込んでそれを受けて無理にやるのではないかと、こういうお考えのようでありますが、私どもは臨教審にも確かに盛り込まれました。しかし、その前からこの問題は、先ほど申しましたように、必要性は説かれておった、四十七年の教養審の建議にもこれは入っておりますと。したがって、それは必要であろう。  ただ、二番目は、さっきおっしゃった十九条の一と二、あるいは二十条を引用されますとなると、やはりその前に地方公務員法の三十九条もこれありますと。ただ、これは勤務能率を前面に押し立てて、そして研修を受けるべきであると、こういう三十九条でございますが、教員たる者はまさにそれにつけ加えて、先生もおっしゃるように、絶えざるやっぱり努力努力の中には研究修養二つに分けておりますけれども、これが必要であろう。と同時に、十九条で任命権者責務も書かれてございますと。  そこまではおわかりいただけたとしても、なぜ今これを法律義務づけなければならないかという御質問が重点であろうと思いますが、私どもはそういう中から二つの方法、例えば一つは、教育のカリキュラムというものは、やはり単位としては一年間のカリキュラムである。その一年間を通して担当をしていただき、一方で研修をしていただく。そしてまた能力の判定と申しますか、それもやはり教育者としての特殊な任務がございます。しかも、今回は御自分教育と、一方で研修を同時にお受けいただくわけでありますから、そのカリキュラムの一年、それから教員としての単位の一年、それからもう一つ能力判定としての一年、これを一年として定めさしていただくということを御審議いただいておるということが一つの問題であろうと思いますし、それが初任者のときは特に重要であろうからということであります。  それから、つけ加えさしていただければ、さっき申し上げましたように、これは画一的な教育を指導するのではなくて、個に応じてその教員の方方の資質向上させようというねらいのもとにお願いをしておるのであります。  さらにつけ加えさしていただければ、おしかりを受ける範囲であったかもしれませんけれども、私どもとしては試行をいたしまして、三十六都府県で試行をして、その結果、いい面も悪い面もありましょうと。いい面は伸ばし、そしてその中では、これはよかった、あるいは学校全体が研修を行うことによって向上したといういい面が書かれておりますし、また一面では、やはり父兄の方々あるいは生徒諸君に対する御指摘もございます。だからそれは、試行というのは、やってみていい面、悪い面、いい面を伸ばして悪い面はさらに改革しながらということで、政府委員からお答えいたしましたように、昨年三十六都府県市、ことしは五十七都道府県市で試行をさらに行って、そして万全を期してまいりたいということをつけ加えさしていただきたいと思います。
  17. 安永英雄

    安永英雄君 後段の試行の問題については徹底的に私は後でやります。あなたの今の答弁されたのは局長より悪いですよ、当たり前だと言うんですから。それはいけません。試行というのは、現在の法律の中においていろいろ試みていく場合にはこれは許されるかもしれないが、法律を変えなければそれが実施できないような内容であれば、これは試行はやってはならない。これは後でやります。  ただ、今私も意外に思ったのは、地公法を出されました。そこまでいくなら、きょうのところ次の質問もあろうから私は控えておこうかと思ったんですけれども、補完的な、この研修を援助していくというのが行政の責任なんで、努力目標なんだというふうに言われるなら私はあると思うけれども、地公法まで検討してそういった考え方が出てくるとするなら、あえて私はこの教特法の本質的な検討をやらなければ、これは出てきませんよ。法律をつくるときに、努めなければならないというのと実施しなければならぬというものの使い分けというのは、これは大臣も専門家かもしれませんけれども、法律用語としては随分意味が違うんですよ。地公法が母法ですよね、教特法の場合。あるいは国公法、これが母法ですよ。だから、そこで私は、それから生まれてきた教特法というのは、どういう精神から生まれてきたんですか、どういういきさつで生まれてきたんですか、お聞きします。
  18. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 公務員の身分取り扱いその他の事柄に関しましては、国家公務員法、地方公務員法がそれぞれ国家公務員地方公務員のすべてに適用される法律でございますが、教員の場合は、その職務の特殊性にかんがみまして同様な取り扱いをすることが適当でない分野につきましては、国家公務員法、地方公務員法に関します特例という形で、あるいは一部の規定を適用排除して別な取り扱いをする、あるいは国公法、地公法に書かれております事柄を拡張し、その他の付加事項も規定する等の多種多様な取り扱いによりまして、教員の職務の特殊性に基づきました身分取り扱いその他に関する規定を設けているわけでございまして、国公法、地公法の適用を排除する場合と、国公法、地公法の規定をさらに敷衍する場合と、多様な規定が盛り込まれていると理解いたしております。
  19. 安永英雄

    安永英雄君 早口で言われたけれども、要するに、教職というものの特殊性ということから一般行政職と別な形をとるということですが、この法律ができるときの、いわゆる教員の特殊性、あなた方は何でもかんでも、特殊性だったら何でもやれると思っておるようですけれども、法制局の長官とか総務庁の長官なんというのも、全部答弁は教員の特殊性なら何でも許されるような答弁、私はあきれ返ったんだけれども、これはどういうことを内容としていますか、特殊性。
  20. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 基本的には、一般公務員と異なりまして、教育公務員の場合には教壇に立って教育活動を展開するわけでございますので、児童生徒に対します全人格的な触れ合いの中で職務が執行される、そういったような観点から特殊性ということが基本的に出てくると考えられます。  具体例を申し上げますと、例えば国家公務員地方公務員の場合でございますならば競争試験によって採用するわけでございますが、教員の場合につきましては競争試験によってその全人格的な把握が困難である。そういう意味で、例えば任用は選考によるとか、あるいは今の研修の規定もそうでございますけれども、みずからが切磋琢磨してもらう必要があるということで、教育公務員特例法十九条一項のような規定があるとか、あるいは例えば大学の教員に関しましては、いわゆる大学管理機関の決定によりまして、意見に基づきまして任用が行われるとか、そういったような、教員としての職責を遂行する場合、そのバックグラウンドとなります教員にとって必要なこと、そのバックグラウンドになるような事柄をいかに効率的、効果的に達成するか、そういう視点から教育公務員特例法が設けられているものと理解いたしております。
  21. 安永英雄

    安永英雄君 そんな例え話で、例えばこういうところ、こういうところ、そんなことで法はできてないんですよ。地方公務員法から特例法が分かれていって、そして職種の特殊性というもの、基底に何を置くか、大論争ですよ、これ。きちんとしたものがあるんですよ。例えば例えばと言って一部分だけのことで一般行政職と教員とを区分けして、だからそういうものでしょうなんというような、そういう常識じゃないんですよ。  本法については、教育を通じて国民全体に奉仕する教育公務員の職務とその職責の特殊性に基づき、その任免、分限、懲戒及び研修について規定する。そして本法の意図は、教育基本法法律に定める学校教員は全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚しその職責の遂行に努めなければならない、そのため教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期せられなければならない、次に、教育は不当な支配に服することなく国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものである、教育行政教育の目的を遂行するために必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない。これだけのものが教員の特殊性としてはっきり、分かれるときに、教特法の職務と責任の特殊性というものを立法のときにも認めて、これは分かれていったといういきさつがあるわけです。  私が今言ったところは全部、これは民主的でなけりゃならぬとか、あるいはこれは身分を尊重されなければならないとか、そして行政がいみじくもいっているじゃないですか、教育行政教育の目的を遂行するために必要な諸条件の整備を目標としなければならない、こういう要素が重なって特殊性の中から教特法は生まれてきておるという精神は、はっきり踏んでおかなければならぬわけですよ。だから、ここで先ほどの努めなければならないというこれが教特法の限界を示しておるんですよ。  これは五十七条、この一番最後にそう書いてあるんですね。ただし、教特法が生まれても第一条の精神に反するものであってはならないということで地方公務員法精神が書いてあります。地方公務員法の第一条、この中に研修が出てくるわけですね。「地方公共団体の人事機関並びに地方公務員の任用、職階制、給与、勤務時間その他の勤務条件、分限及び懲戒、服務、」その次に「研修」、ここに研修が出てきて、それを受けて特例法はできている。そして、「地方公共団体の行政の民主的且つ能率的な運営を保障し、もつて地方自治の本旨の実現に資することを目的とする。」、この一条の精神に反してはならない。これが特例法をつくってもこの一条の精神を逸脱してはならないというふうに法律はきちっと決めてある。だから、これの立法のときの際のあれを調べてみました、私も。あなた方も十分検討してこういうむちゃな法律提案しているというふうには思わないけれども、逸脱しているんですよ。一条の精神に反するものであってはならない、これは地方自治の本旨の実現ということなんです。ここらあたりは一条のこの制限というので私はあくまでも言いますけれども、その実施に努めなければならないというのが一条の精神の枠内で、やれというのは一条の精神を逸脱する、私はそう言っているんですが、意見があったら言ってください。
  22. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 教育公務員特例法は、「教育を通じて国民全体に奉仕する教育公務員の職務とその責任の特殊性に基き、」という書き方をいたしておりますが、これは児童生徒に対して教育活動を行うということが「教育を通じて国民全体に奉仕する」、そういうような形で非常に直接的な形で、しかも全人格的な触れ合いそのものが教育公務員の職務と責任であるという、そういう視点から設けられているわけでございます。  今回の初任者研修に関しましては、教員がまず教育活動に入ります場合に円滑に入り、かつ可能な限り自立して教育活動を展開できるようにするために必要な措置と考えているわけでございます。この事柄は、教員の全体的な水準の維持向上という観点から一年間にわたる大規模な研修制度でございまして、これが今、国民的な要請にこたえなければならない教員資質向上の大きな役割として私ども考えているわけでございまして、教育公務員教育を通じて国民全体に奉仕するために必要な事柄として教育公務員特例法に規定するにふさわしい事項であると判断をして提案を申し上げている次第でございます。
  23. 安永英雄

    安永英雄君 そう軽いものじゃないんですよ、この自治法にしたって公務員法にしたって教特法にしたって。それぞれの法律の体系の中でやっていって、あなたのような考え方は、一番末端の教特法というふうなものの中でこういう法律改正はやってはならない限度を破る。今おっしゃるような理由では、これは私は納得しませんね。  第一、これは時間がありませんけれども、終戦後新しい法律、憲法、これができて、地方自治体というのは車の両輪なんだ、国という立場と地方という団体は対等なんでしょう。これが確実に憲法ではっきりなっておる。したがって、中央行政機関というものと地方の行政機関というものの間では、これは関係はあるけれどもそれぞれの国権を分権している、それが新しい憲法の精神じゃないですか。自主の精神というのは、新憲法下において確立されたそういったものなんですよ。だから、指導監督、命令とか指揮とかいうものについてはやってはならないんですよ。教員だって地方公務員だ。公務員法が適用されておる者なんだ。だから、文部省が県の教育委員会に対してこうやれとか義務づけるということをやってはならないのが憲法の精神で、自主の精神です。だから今の現行法限度を決めておるわけですよ。それを破ろうというのは別の意図しかないんですよ、あなた方。そうしか考えられない。  もう一遍聞きますけれども、現行法の地公法の研修の項目、ここを義務規定というふうに変えたのはなぜか。私が今申したように、自主の精神その他からいって指揮監督ということはできないんで、指導助言ですよ、あくまでも。指導助言を、あなたのところから地方の教育委員会に対して、おまえのところはこれを強制的にやれ、義務づけると法律で決めるからそうやれと言うのはなぜなんですか。現行法でなぜできないんです。指導助言の域を脱してはいかぬですよ。どういうことですか。
  24. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 具体的にどのような研修を行うか、あるいは研修実施をするかしないかというのは、一般的に申し上げまして、それぞれ自治体におきます適切な判断によって任命権者が行うところでございます。  しかし、今回の初任者研修に関しましては、いわゆる全国的な意味におきます教育の水準の維持向上という観点から、全都道府県段階におきまして同様な程度の研修が行われ、かつ教員資質向上が図れることを期待しておるわけでございまして、例えを申し上げますとおしかりを受けますけれども、義務教育の水準、規模という観点からは、例えば教職員の定数改善、学級編制あるいは定数に関します国の法律等もございます。同様に、一年間にわたる初任者研修実施するということは、法律によりまして各部道府県任命権者義務づけをしたいというのが今回の提案でございまして、行政的措置によって実施義務づけるわけではございません。  ただ、現在行っております初任者研修試行は、法律に基づいて義務づけをできる事柄ではございませんので、各部道府県段階、指定都市におきまして試行を行っていただけるかどうか打診をして、それぞれの自主的な判断によって試行実施していただいているわけでございます。その意味におきまして、今回の初任者研修があくまでも全国的な教育水準の維持向上という観点から、かつ教員教職についた最初の段階として必要な事柄として、一般的に法律において今提案しております改正案におきまして義務づけを図り、全国、に実施をしていただく、その内容等につきましては、任命権者の適切な判断によって運用を期待する、こういう考え方提案を申し上げているわけでございます。
  25. 安永英雄

    安永英雄君 それはますますたちが悪いじゃないですか。現行法の中で、縛ってはならないし、努めなければならないという、努力をしなさいという法律がこれは限度なんだ。それを初任者に限っては全国一律にやらせようと思うから法律改正してでも実施というふうに踏み切らざるを得ないという答弁なんだけれども、こんな法の系列を無視したやり方が通ると思いますか。また昔の内務省の方と各県の知事部局の中における学務課、この関係に戻したいというんですか。  戦前は、もう文部省考えたら、そのうちにばっと行って、あすはこうやれ、全国一斉に軍事教練やれと。ドイツのオリンピックに行ったところが、入場のときにぶざまな行進をやった。世界じゅうから笑われた。もうばあっと電報が来て、文部省は翌日、全国に歩く練習をせよと。こっちはびっくりして、とにかく正常歩なるものを、運動場に生徒を出して毎日毎日、どういうのが正しい歩き方か知らぬけれどもとにかく歩かせる。全国一斉にやらせようというなら中央集権的にぐうっと文部省が権限を持たなきゃできない、その方向に戻していこう、私はそうとしか考えられないんですよ。今の現行法で結構研修はできるんだからね。今さっきの答弁じゃないけれども、初任者だけについては全国やらせようと思いますのでここのところはこれは命令でやらせるように義務法律改正をやるんです、あなた今はっきり言った。これぐらい危険なことはないですよ。  しかも、先ほど大臣もおっしゃったが、ただ単に初任者だけではない、年齢別何とかとちらっとおっしゃったけれども、全教員に対しての研修ということについてはもう絶対にやらなきゃならぬという文部省の意向、そしてそれを県教委あるいは地教委は絶対にさせなければならぬという義務を負わせる。私はそう昔のことまで言う気はないけれども、ごく最近の文部省は、民主的な憲法の中で、教特法の中でやろうとしてもとにかくもどかしい、思うとおりにいかぬ、いかぬから法律改正して義務づけていく、これが本音じゃないですか。それが本音ならそれは局長も首かけてやる気持ちでしょう。大変なものですよ。憲法にも法律にも許されない地方自治というものの尊厳を侵していって地方自治に介入する、その糸口をつくったといったらあっぱれな局長ですよ。首かけてもやりがいがある。そういう以外に現行法でやっていってできる研修、まだたくさんやらんならぬ文部行政の中で特に選んで研修のところ、特に初任者研修、これをまず義務づける。その次には一般教員義務づけますと今高らかに宣言された。研修の次は何をやってくるか。何でもかんでもやれるような体制をつくるんじゃないですか、あなた方は。そうじゃないというのなら撤回しなさい。明らかにそういう方向ですよ。方向というよりもそれをねらっている。研修以外の問題で文部省は大号令かけて法律で全国やらなきゃならぬのだから、これはここだけはとにかく義務づける、法律改正しなきゃならぬというのだったらこれは時代逆行ですよ。民主主義を破壊するんです。大げさなことじゃない。これは壁に穴があいておらんです。今の法律精神に基づいてその範囲内で指導助言する。  指導助言ということをちょっと私申し上げましたが、これは局長にもいつか質問したことがある、教育委員会法の問題で。通知通達と。あなた方は通知と通達でしょう、今やれるのは。その次に交付金と補助金。これでもってあなた方の意向を伝えていくという方法を今日までとってきたけれども、もどかしい、もう法律それ自体をやれるようにしなきゃならぬというふうに踏み切ったんですか、どうですか。
  26. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 初任者研修制度は、先ほど申し上げましたように、教職につきます最初の段階として必要な措置と私どもは考えているわけでございますが、これは教員資質向上を求める国家国民的な要請を受け、かつ全国的な教育水準の維持向上という視点から全国的にこれを実施していただきたいということで提案を申し上げているわけでございまして、これは国会の場におきましてそれが国の国民に対する回答として必要かどうかの御判断を仰いでいるわけでございます。  事柄としましては、もちろん地方自治の本旨ということはございます。どのような内容的な形で研修実施されるのか、それは各自治体の御判断でございますけれども、先ほどから申し上げましたように、いわゆる教員と申しますのは教育を通じて国民全体に奉仕をするという職務を持っているわけでございまして、自治体の組織であると同時に職務執行自体が国民全体へ還元される、そういうような性格であるということに基づきまして教育公務員特例法が規定されているわけでございまして、そういった視点を教育公務員特例法の中で設けることにつきましては妥当な措置であると私どもは考え提案をさせていただいて、その御判断を国会でお仰ぎし、そして法律として制定されました場合には、各自治体は教育公務員特例法改正された後の規定に基づきましてそれぞれ適切な初任者研修実施していただく、そういうようなことを想定いたしているわけでございます。
  27. 安永英雄

    安永英雄君 国家国民のためにやっておると胸を張って言えるような問題じゃないですよ。やれないことをやっているんです。とにかく文部省が言ったら何でも承るような体制をつくろうと思っているんでしょう。第一、あなた方が全国の初任者というものの研修についてとやかく言わないでも、地方教育委員会やそれぞれの学校自体でやっていますよ。全国全国とこう言うけれども、全国ならばどうしても一つの系統をつくらなきゃならぬ、どこもやるように。そんなものじゃないですよ、研修というものは。これは自治体に対して今一番この問題を守っておるのは自治省ですよ。当然です。特高時代、警察というものと自治省というもので分けて官庁もできた。内務省解体ですよ。だから依然としてやはりさすがに自治省は、そういった上下の関係、それではない、あくまでも指導助言なんだという立場をとっておるのは自治省ですよ。国家の地方公共団体に対する関与というものは、あくまでも両者の本来的な対等性、上も下もない、協力助言を行うというこの前提を確立しなきゃならぬわけです。これを当然守らなきゃならぬし、教特法といえどもこの関係は、文部省と地方と教育委員会との間でもこれはあくまでも対等性というものがあるんです。だから協力助言、この域を出るものではないんです。  何回も私は言いますけれども、そういったものなんですよ。たかがと言えば言葉は悪いけれども、初任者研修という一つを取り上げて、そしてこういった対等性とか法の仕組み、こういったものについて穴をあけることはできませんよ。幾ら初任者研修を全国やります、教育上の問題ですと特殊性を説いたところで、県の段階から地方教育委員会の段階からこれは対等です。それらに向かって、やらなきゃならぬと法律文部省がつくってやる必要はない。現行で十分研修はやれる。  大臣、ついでにお聞きしますけれども、大臣の管轄されております文部省の職員の研修はどうされているんですか。
  28. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 文部省におきましても、採用されました新任職員は関しましてはそれぞれ一定期間その職能に応じまして必要な研修実施しているところでございます。
  29. 安永英雄

    安永英雄君 国家公務員法の七十三条どおりやっていますか。
  30. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 国家公務員法の七十三条は「勤務能率の発揮及び増進のために、」というような書き方をいたしておりますが、その視点に基づきまして、文部省における初任者研修もございます。それから人事院段階におきまして、各省を横断した形での研修もございます。それぞれの目的、内容に従って行われるわけでございますが、人事院段階におきましては公務員全般を共通するような研修でございますし、文部省段階におきましては、特に教育行政関係を中心とし、それに教育行政周辺のような事柄、あるいは一般教養的なものを含め各般にわたる研修を行っているところでございます。
  31. 安永英雄

    安永英雄君 後で、文部省がやりました研修についてはこれは全部人事院に報告しなきゃならぬということですから、去年の分出してください。  この国家公務員法の七十三条というのは要するに能率増進というもの、いわゆる地公法のこれに当たるわけですが、ここの取り扱う内容というのは研修に関する事項、保健に関する事項、レクリエーションに関する事項、安全保持に関する事項、厚生に関する事項、この四つですよ。地方公務員も大体これとよく似ている。要するに職員を大事にしなきゃならぬという先ほどのあの項目に従って、いわば研修というのは、今申しましたように保健の問題、体の問題、教員の問題では十四条あたりをつくっているんですが、体を健康に保っていくということとかレクリエーションの問題とか安全の保持とか、あるいは福利厚生の関係、この中に研修というのはすべて入っておる。この法体系のレベルからいけば、そのレベルのところの研修なんですよ。あなた方が大げさに言う日本の教育研修しなきゃすぐにもつぶれそうな欠陥というのはそういうものじゃないんですよ。こういうレベルのところの研修という問題なんですよ。  何かあなた、あの大きな教育法規の中からずっと調べ出して研修をやって、研修の中のこの初任者のところだけ取り上げてそこだけは絶対やらなきゃならぬと、こういうばかげた私は提案の仕方はないと思う。やるなら堂々ともとの制度に返すなら、全国の教員文部省の言うとおりになるような、こういった法体系を組み直すという提案なら男らしいけれどもね。それをやるならやってみなさい。ここで徹底的にやる。ひきょうですよ、あなた。それで、法の初任者のところは全国やらにゃならぬですから、この際全員にやるためにはここのところを現在の現行法を修正してそれを命ずるということで義務づけたい。その次には全部の教員についても考えておりますよというような情報が入っておる、その次どこにいくか想像できるでしょう。  私が質問したかったのは、この教特法に触れるんじゃないかという控え目な質問をしたんですけれども、当然公務員というのは、研修というのは今申し上げたような権利として従来持っているものなんですよ。権利の主張できる項目なんですよ、研修というのは。むしろあなた方から言われぬでも本人がやって、本代でも出してくださいという、本来これが研修なんですよ。(「権利です」と呼ぶ者あり)権利といえばまた逆に、それはそれなら先生たち全部権利を研修のために持っておるというんならそらっという考え方、それは私も行き過ぎだと思う。それはあなた方の方ができるだけ援助をしてやったらいい。そういう形がなければ、やっぱり補完の意味のことは必要だから、これは別個のものとは思わぬですけれども、本来、自分の職場というものが汚い、不衛生だ、この項目の中ではっきり出ているからひとつ掃除をしたりあるいは修繕をしたりやってくださいと言う権利があるから言うんですよ。  レクリエーションなんて文部省やりましたか。職員のレクリエーションなんて年に何回ぐらいやっておりますか。これはやらなきゃならぬことになっておるんです。あなた方から言えば研修と同じことですよ、これ。レクリエーションのレベルなんですよ、研修というのは。全員のとにかく体育会でもやったら酒の一升も出さなきゃならぬ、これが権利なんですよ。そういうものなんですよ、実際言うと。厚生施設その他が悪い、だからやってください、法律でちゃんと決まっているじゃないですかと言うのが、これが権利です。どう思いますか。研修というのは本来教員が持っている権利じゃないかと私はあえて申し上げますけれども、どう思いますか。
  32. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 教育公務員特例法の十九条一項では「教育公務員は、」「絶えず研究修養に努めなければならない。」といたしまして、みずから切磋琢磨することを教育公務員責務と規定いたしているわけでございます。もちろんこれに対しまして行政側も各般の対応すべき事柄は、十九条の二項による努力義務、あるいは二十条の二項におきます例えば自宅研修の規定、二十条三項におきます長期にわたる現職教育の規定等を設けまして、それに対する援助措置等も規定しているわけでございますけれども、私どもはふだんからそういった研修をすべきであるという責務を負っていると理解しておりまして、研修権と先生おっしゃっておりますような権利という概念では把握はしていないところでございます。  しかしながら、そういった今申し上げた責務を遂行するために努力されることについて、行政側がすべてなるべくそれに対する便宜供与なり援助なりをすべき立場にあるという意味におきましては、先生趣旨も理解できるところがあるわけでございます。
  33. 安永英雄

    安永英雄君 どの程度理解したのかわからぬですよ。これは文部省の職員が研修をやるということで、さっきのようなことを、特に研修の問題については人事院にさせることになっている。そして文部省自体もやらなきゃならぬです。人事院は全省にまたがるような研修をあそこでやる。そして人事院は各省から報告を受けて、職員のためになっている研修をやっているかどうかというこれは監視の責任もあるんですよ、人事院は。  なぜ人事院に研修だけを持っていったかというのは、これは労働組合というものを結成しておったけれども、それがいわゆる争議行為というものの禁止の代償として人事院ができたんです。人事院というものは中立な立場に立っておって、そしてそこで本当に職員のために厚生施設ができているか、レクリエーションも適当に行われておるか、研修も行われておるかということについてあそこは監視役なんだ。言いかえますと、交渉をするけれどもストライキはできない。そのかわりに、人事院がかわってこういうものが保障されておるかどうかということを監視する立場にこの国公法の仕組みはなっている。それぐらいにむしろ教職員の立場に立っても文部省というのはもう少しとにかく、教員が一生懸命自主研修をやっている、研修をみずからやっている、当然自覚しながらやっている、それを助けるためのいろんな方策を考えなさいということなんで、何だか強制的にねじ伏せながら研修をやれ研修をやれという代物じゃないんですよ、これは実際言うと。  私、この前も本会議大臣にも申し上げましたけれども、これだけの研修をやって八百億も使うなら、これは今の国民が本当に待望している四十人学級は、打ち込んでいったらすぐにできるんですよ。あなた方はとにかく自然退職、生徒児童の減ということで、自然退職を待っていって、そのうちに何にも手を打たないでも四十人学級ができるような、そして年次計画とかなんとか言っているけれども、私はあれは信用できませんな。そちらの方に打ち込むのが当面の文部行政の最大の責任を果たすことになるのではないか。あるいはあのときも言ったように、各人の雑務に追われ、あすの教育の学習をやっている、それ自身自分研修なんだ、日々の研修なんだと一生懸命にやっている。それではやっぱり自分みずから磨かなきゃならぬというので、自費を使って工場見学に行ってみたり大学に勉強に行ってみたり、いろいろ研修をやっている、そういったものについて援助をする。できることなら、そういった金があるなら、研修研修と言うならば、そういった研修費というものを各都道府県に渡して各学校まで行くようにして、図書を買ったり、研修のための旅費に使わしたり、いろんなことをやるのが私は研修に対する行政当局の本当の姿勢じゃないかと思うんです。  自分意見ばかり申し上げますけれども、この前はむげにけられまして、そういうふうに転用することは考えていないということですけれども、どうですか、大臣のお考え。大分長くしゃべりましたので大臣考え、ひとつ変える考え方ありませんか。それでも文部大臣として、教育行政としては初任者研修に対して法律を変えてでもやらなきゃならぬとやっぱり思い込みますか。
  34. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) いわゆるこの教特法十九条、二十条を敷衍されまして、そして母法まで言及をされまして、そして先生の御所信をお述べになりました。その御趣旨はよく承りましたけれども、先ほど申しましたように、教育者たる者の職務というものは、やはり教育を通じて国民全体に奉仕するという立場の中で、先生のおっしゃることでよくわかりますのは、人と人と接触する中で、その中で学び補っていく、それはよくわかるわけでございます。  しかし、その中にはやはり円熟した先輩方の実践的な指導を仰ぐということも必要でありましょうし、それから幅広い知見を得ていただくことも必要でありましょう。その中で、特に初任の間は、それが資質向上のためにも、また教育のためにもぜひ必要である。また、私が考えるだけでなく、試行をさしていただいたアンケートの中にもそういう声が強いということを踏まえまして、これはやはり私どもが進めさしていただく道であるということで、この法案も御提案を申し上げておるわけでございますので、御審議の上御賛同いただきたい、これをお願いしつつ提案をいたしておるということを再度申し上げさしていただきます。
  35. 安永英雄

    安永英雄君 そう言われても理解できませんな。  これは、この前も私は言ったんだけれども、臨教審でも文教行政において従来の指導助言というものが本来の機能以上に指揮監督的にとられている場合が文部省は多い。また、過度に形式的な法律解釈論や通達に依拠する傾向があった、強制的な影響が非常に強いと感じる、こういう報告書まで出ているんですよ。臨教審が言うくらいですから、私どもは、もう長い間文部省のこういった締めつけには手をやいておるんですよ。  先ほども言ったように、今度法律初任研というものについては義務づけをする。こうなりゃ、もうあなたのところとしてはしめたものですよね。違反するやつは行政処分。違反しておる、違反しておると。今では違反しておるかどうか、あなたのところは努力義務を課しておるんだから、これが限界なんだからね。研修に努めなければならないという努力義務があなたたちにあるけれども、そこのところ穴ほがせば、今度は義務的に法律的にやらなきゃならぬという制度化をされる、その過程でも今まで、大臣、これはあなたも新しいから私は申し上げますけれども、それは臨教審が顔をしかめるぐらい、それ以上のことをやっているんですよ。研修をやろうと言ったところで、教育委員会やら県に言ったってなかなか文部省の言うことを聞かない。通達を出す、通知を出す。それでも聞かないというところも出てくる。歯がゆい。その次に何の手段をとったか。交付金や補助金ですよ。これでとにかく従わせようとしたのは事実です。今でもやっておる。連れてこいと言ったら何人でも市長さんでも連れてきますよ。  何かやれと強くは言わぬけれども、文部省の通知、通達として指導助言の範囲でやった。しかし、どうしても従わない。そうすると今度は校舎建築とかプールをつくるとか、いろんな補助金、交付金。陳情に来ますと、あなたのところはあの頼んでおった研修やらああいうことはしなかったそうですなと横を向いているそうですよ。補助金はもらえない。こういう手しかないんですよ。とにかくその手しか、あなた方が思っておることをどうしても強引にやらせようと思えばそれしかない。これはあなた方にとっては悲しいかな法律の限界なんですよ。地方自治体と国との関係の限界なんです。それをとにかく大臣、実質的に今までも破ってきているんですよ。  この前も局長にも言ったように、教育委員会の教育長の問題とか、今度法案提案するそうですけれども、その前に出た通知、通達というのは、この前も言ったように、いや、これは通知、通達でありまして押しつけじゃございません、私どもは指導助言でございます、こう言うけれども、内容はとにかくやらなきゃならぬようにびっしり書いておる。その上にいわゆる今の行政上の問題から締めつけをする。これが今までとってきた文部省のやり方なんですよ。それの集大成ですよ、これは一つの。だから命かけるわけですよ、局長だって。局長死んでもらっちゃ困るけれども、どうせこれは通らぬだろうから、こう思うんだけれどもね。  そういうやっぱり私は実態というものをよく見て、急に全国に初任者だけを取り上げてそれに研修をやろうというふうなことは、これは暴挙ですよ。ぜひやめてもらいたい。だから、大臣先ほどおっしゃったようなことで、この法律案については賛成は私どもとしては絶対にできない。私の方は、この前も本会議で申したように、そういった重大な、事自体は研修という教育全般から見れば小さな部面かもしれない。しかし事は大きい、法治国家ですから。そして戦後いわゆる地方自治と国の権利というものは車の両輪、この法則によって中央行政機関というのは地方行政機関と対等なんだ。やるとしても、これは関係があるから指導助言の域を脱してはならない、これは大原則ですよ。事は研修という文部行政からいけば私は小さなものだと思うけれども、やっていることは大きなことです、これ。こういった面から基本的な点について私はこれは絶対に撤回をしてもらいたい。  時間もありませんから、次に法律内容について聞きたいと思うんですが、一つは条件つき採用期間を一年にするということで、これも本会議で質問をして、法制局長官あるいは総務庁長官の見解も聞いたんですけれども、私はあれは納得できない。結局、公務員というもののいわゆる条件つき採用期間というのは簡単に変えられるものじゃないんです。六カ月というのが条件つき採用の期間として、これがもう最大限の期間なんだというふうにして決められたいきさつがあるわけで、あなた方も知っておるかもしれぬけれども、これに対していわゆる国公、地公の公務員の団体と労働省、最後は総理大臣までかかっていって、随分検討した結果やっと六カ月という問題に落ちついて、これはもう絶対に変えない、六カ月以上延ばすというようなことはないということで、これは限定されたものなんです。  特に、こういうことがなければいいんですけれども、その前に臨教審審議の中で、とにかく罷免をできる期間というものをつくろうじゃないかという審査会の構想とかいろんなものが出ていて、それはいかぬということでこれは引っ込められた。そのかわりに出てきたのがこの六カ月を一年という形で出てきたわけですけれども、これはやっぱり公務員としてのあの制度が確定した時点における考え方と著しく、教員の特殊性ということだけでこれを一年にするというのは無理がある、どうしても無理があるんです。  この前の答弁を聞きますと、何だか研修期間というものを一年としたので合わせてこの条件つきの期間というものを一年にするという、こういう考え方が述べられたようだし、特殊性という形はそういった点で述べられたような形で、法制局の長官でも、この公務員のいろんなことをかばってやらなきゃならぬ総務庁長官まで教育の特殊性だからそれは許せると。あの人たちは言っちゃならぬ立場の者が本会議で堂々と言うというのはおかしいので、これはまた改めてこの委員会に私は呼んでやりたいというふうに思うんですけれども、他の公務員とのつり合いというものからいっておかしいと思うが、どうですか。
  36. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今回、初任者研修制度創設に伴いまして、条件つき採用期間を原則の六カ月から一年に延長する提案を申し上げております理由といたしましては、初任者研修制度創設によりまして採用されました教員先輩教員の指導を受け、かつあるいはセンター等におきます研修を受けながら職務を遂行するわけでございまして、その勤務形態は一面におきまして研修であると同時に、また一面から見ますと勤務という二面性を持つわけでございます。また、その勤務の形態自体が、指導を受けながら勤務を行うという勤務の形態が極めて特殊なものになってくる、そういった理由一つございます。  それから、教育の特殊性に由来する状況でございますけれども、教員の職務といいますのは一年間で割った、一年間のスパンで行われます教育活動を展開していくという状況でございますし、また勤務場所も教室という独立した状態で勤務が行われるケースが非常に多いわけでございます。そういった中におきまして教員の職務遂行能力を判定するということが極めて難しいわけでございますが、今申し上げたような初任者研修制度創設に伴いましてその勤務遂行能力というのを判定するのが極めて困難になってくるという観点から、原則の六カ月を研修期間の一年間に合わせて条件つき採用期間を延長いたしまして、その一年間をかけて勤務遂行能力を判定するという制度にしようとするものでございます。  なお、この場合、勤務遂行能力があるかないかという判断の基準は、従来の六カ月と今回提案申し上げております一年間の場合と判断基準は同じでございまして、六カ月かけて判断をするのか一年をかけて判断するのかという判断に要する時間的要素に関しての問題でございます。  事柄は、繰り返しになりますが、勤務遂行能力を実証するということの困難性が非常に強いという観点から一年間として提案をしている次第でございます。
  37. 安永英雄

    安永英雄君 それは、研修という問題と条件つき採用という問題を絡めて考えていくべき問題じゃないんじゃないですか。今まで六カ月で条件つき採用を正式採用に認定していくという作業というものと、研修があるから一年にしなきゃならぬ、一年今度は急に必要だ、こう言い出すところは、これは関連し過ぎておるんじゃないですか。  選考の際に判定した職務遂行能力というものが実際の勤務に十分発揮できるかを、一定の期間良好な成績でこれをなし遂げていったときには正式に採用するという制度が、これが条件つき採用の制度なんです。試験じゃないですよ。そのこととあなた方が言う初任者研修研究修養という問題とは関連がない。改めてあなたの方で六カ月で条件つき採用の認定、一定の勤務条件を良好に務めたというのは半年よりも一年待たなければその結論は教員の場合他の職種と違って出てこないというふうに言うんですか。どちらなんですか。大体条件つき採用という制度はそういうものじゃないんじゃないですか。どうして一緒につながりますか、これ。説明してください。
  38. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 条件つき採用期間の制度趣旨と申しますものは、それぞれ職員が公務員として採用されました段階において一定の能力の実証は終わっているわけでございます。それはしかしパーフェクトなものではございませんで、採用試験あるいは選考というプロセスを経て採用されましても、それが真にあと数十年公務員として勤務するに足りる適格性を有するかどうかという実証を補完する意味合いがございまして、そういう点では良好な成績で勤務されればこれは公務員としての職務遂行がやっていけるだろうという前提に立つわけでございます。その場合の採用時点におきます能力の実証を補完する意味合いにおきまして今の条件つき採用期間における勤務実績、それに基づきまして判定をするわけでございます。  そういった点では多くの方々は正式採用になるわけでございますけれども、その間に不適格であるというような実証が得られた者につきましてはこれを排除するというのが公務遂行あるいは国民の負託に対する回答としての安全弁としての機能を果たしているわけでございます。  その場合の、じゃ安全弁としての機能を果たすための判断をどうやってどの期間をかけてするのかというのが六カ月か一年かということでございまして、初任者研修の場合には、制度創設されますと、教員は指導を受けながら、あるいは研修を受けながら勤務をするというそういう特殊な勤務形態になるわけでございまして、一般公務員と同様な視点では評価しにくい面が出てくるわけでございます。  そういう意味では、先ほど申し上げました教員の職務として一年間の教育活動を展開していく流れの中で勤務の実績を見ていくというのが本来の姿でもございましょうけれども、そういった両方の要素を加味いたしまして今回の制度にリンクをさしているということでございます。
  39. 安永英雄

    安永英雄君 これは重要なことを言っているんですよ。  本来、条件つき採用制度というのは、これはもう固定しているんですよ、一般行政職だろうと警察だろうとどこだろうと。この法体系を壊していくつもりですかね。しかも、根拠というのは今度の初任者研修ということに絡めて、半年たってもまだ研修が終わってないので判定ができない、こういう意味なんだ、この絡め方というのは。これはそもそも、とにかく研修をやること自体を義務づけるなんというような現行の教特法を突破するようなどえらい提案をし、しかもそれに絡めて条件つき採用まで教員の特殊性という問題でそれにあわせていこうなんというようなことは、これは絶対にできることじゃないですよ。これは大胆ですな、あなたたちの今度の法律案提案理由は。むちゃですよ、こんなことが通りますか。私も随分国会法律案審議もしたけれども、こんなごり押しのむちゃくちゃな法律改正の仕方、法体系も何ももうむちゃくちゃです。  そうすると、一年というのは、研修ということがあるから一年というんですか。だから六カ月を一年に条件つき採用も延ばさなきゃならぬと、こういうんですか。どうですか。
  40. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 繰り返しになりますが、初任者研修制度創設されますと、いわゆる初任者研修を受けながら勤務をするという勤務の形態が変るわけでございます。その独自な勤務をされているという形態と違いまして、研修を受け、かつ、例えば先輩教員の指導を受ける、あるいはセンター等の講義を受けるというような考え方、つまりその職務遂行自体が研修であると同時に勤務である、つまり研修を受けながら勤務をしている。そういうような状態のもとにおきまして、職務遂行能力の判断をすることが、極めて一般的に教員の職務遂行能力の実証をすることが困難であるのがさらに困難性が増す、そういう意味で申し上げているわけでございまして、初任者研修を受けながら勤務をするということによって勤務形態が変わることに伴いまして実証の困難性が増す、したがって一年間に条件つき採用期間を延長するという考え方でございます。  現在の条件つき採用期間制度考え方は、六カ月が国家公務員あるいは地方公務員について原則でございますけれども、特別な事情がございます場合には一年に延長することができるシステムがございます。その上限の一年に合わせているというシステムでもございますし、また労働基準法上でも一年を超える契約の期間は禁止されているわけでございまして、民間等におきます、言うなれば国家公務員の、あるいは地方公務員の条件つき採用期間に相当するような仮採用期間も一年が上限でございますので、その上限の幅は一年に押さえた、しかし結果としては初任者研修の期間と合致する結果となる、そういうことでございます。
  41. 安永英雄

    安永英雄君 私も先ほどから、法体系を無視した改正案だ、あなた方の考え方だということを言ったんですけれども、これはちょっとあなた方がやる仕事じゃない、文部省文教委員会提案する仕事じゃないんですよ。責任はあなた方がとるなんて言ったって、到底とれない問題なんです。これはもう労働省とも合い議しましたか、各官庁とも合い議しましたか。  それから、こういうことは先ほど言った勤務条件、労働条件の問題なんだけれども、こんなもの相手があるんですよ。職員団体と話し合いましたか、こういうことは。勝手にやれるような代物じゃないんですよ、これは。大臣どうでしょうかね、これはちょっと行き過ぎじゃないですか。  あなた方はあのときにやったかしらぬけれども、とにかく何回も何回も、これに関する各関係大臣と毎日毎日やって、双方が納得して、そして六カ月ということになったんですよ。そのときでも、もう教員として一人前の免許を持ってきておる者に、また六カ月も身分の不安定な時期を置くのはけしからぬ、それはそのとおりだと、こういうことだけれども、とにかくもう少し、やっぱりあの当時、お医者さんでもインターンというのがあるということになって、やっと詰めたところが六カ月、まあ半年の間ということになった話であって、文部省研修に藉口しながらこの法体系も、それから六カ月というのもでき上がったものじゃないですよ。大臣、どうでしょうかね、ここらあたり考え直す必要がありはしませんか。また、もう少しこの問題については合い議しなければならぬ、相談しなければならぬ、そういった相手もあることですが、早急にこの法律案から除外してでも、時間をかけてやらなきゃならぬ問題なんですよ、これは。  その点は、私はちょっと先ほどの地公法の義務を課するという、それもちょっと行き過ぎだけれども、これはなおさら文部省だけの問題じゃない。これは閣議にでもかけたり、関係大臣その他一切集めて各省のそれぞれ所管しておるところで、そこの職員なりなんなりとの話し合いも相当これは考えて、そして教職員の場合はどうなんだというふうな相当な検討の余地が残っておって、直接ここに研修ということで、さっと研修だから公務員である教職員というのはこれは一年だと、軽々に簡単に決められる問題じゃない。どうですか、大臣
  42. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) これは重ねて申し上げることになるかもしれませんが、先ほど政府委員から申し上げましたとおり、教職員の職務の特殊性というのは、そもそも教室を主体にして人と人との触れ合いの中で教え、学ぶという点がまずございます。それに対して、まずそれがございます上に、今回は初任者研修というものをお願いをいたしておりまして、初任者研修の期間を一年でお願いをいたした。その一年でお願いをいたしたということは、やはり教育のカリキュラムの単位が一年であるということも含めまして一年でお願いした。  そうしますと、その一年の間は、一方で教えるという職務のほかに、一方で研修をするという面も加味されるわけでございますので、そういう特殊性というものはさらに広がる可能性がございます。とするならば、そういう職務の遂行能力を判定する、判定というより判断するという点におきまして、その困難性から見ますと一年と置く方がさらによかろうと、こういうことが考える基本でございまして、ただし、つけ加えたところは、たとえ六カ月を一年にいたしましても判断の基準というものは変わりません。その間の期間が、アローアンスが延びるだけでございまして、判断基準は変わるものではございません。こういう三つの点を申し上げたわけでございまして、そういうことを加味いたして、私どもは勝手にやるわけではございませんので、これを御提案をし、御審議をいただき、できれば御賛同をいただきたいということで御提案をいたしておるところでございます。
  43. 安永英雄

    安永英雄君 これは当初から言ったように、私はこの研修というのは、先ほどあなたのところの文部省の職員の研修というのはどうかと言ったら、何かもうわけのわからぬことをやっておる。報告も何もせぬで、私はとうとう後から出してくれと、こう言ったんだけれども、これは職員がレクリエーションやったり福利厚生の生活協同組合をつくってみたり、あるいは健康保険と、こういったものと並んで、研修というのはその次元のものなんですよ、研修というのは。日本の教育を支えておるのが初任者研修なんというような大げさなことを考えるような問題じゃないんです、これは。法律まで破って、法律までとにかく強引に改正してね。地方の公共団体と国との関係は対等なんだと。これは侵しちゃならぬ、対等のものなんで、やるとすれば指導助言なんだ、監督指導じゃないんだ。その範囲で、今研修なるものは、どう力んでみても、また局長あたりがどう歯がゆがっても、それを努力するという努力義務しか、これは限界があるわけですよ。それを破ろうとか、また六カ月と、歴史と伝統とあって理論的にもぴちっと、六カ月というものは思いつきでできた問題じゃないんですよ。それを文部省研修のために、一年のんだからといって、それを一年間に延べていくというふうなことは絶対に私は許せない。これはもうむちゃくちゃな法体系無視。  私は当初に聞いたように、何をこの改正がねらっているのか、本当に初任者研修、いわゆる研究修養資質向上ということじゃなしに、私はあなた方が考えているような管理体制、法律でぴちっと違反できないように、もうがんじがらめにこの法律義務化してしまう、こういう体制が私はねらいなんだろうと、こういうことなんで、それだから局長も首かけているんだということなんだ。何もあなた、初任者資質向上とか何も考えてないんですよ。自分が命令したら何でもかんでも地教委は聞くし、県教委は聞くし、それから命じられて先生方、何でもはいはいと聞く、聞かなかったら処分。今度だってあなたはっきり、この法律ができたら処分する、行政処分。その力というのが今文部省は欲しいということで焦りに焦ってやっておるんでしょう。法律的な根拠のない試行をやってみたり。  こういう点について、私はまだ腹いっぱいありまして、また次の機会に質問をすることにして、きょうはこれで一応質問を終わります。
  44. 田沢智治

    委員長田沢智治君) 午前の質疑はこの程度とし、午後零時五十分まで休憩いたします。    午前十一時五十四分休憩      ─────・─────    午後零時五十二分開会
  45. 田沢智治

    委員長田沢智治君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、教育公務員特例法及び地方教育行政組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  46. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 午前中は安永議員から教特法の大きなところからの観点に立った質問が行われました。社会党の持ち時間はきょうは百五十八分であります。残された時間は四十数分ですから、私はやや現場的発想に立った質問をしていきたいと思っております。  三日ほど前に、東京都下の福生市の市長さんが当選をしたという記事が載っておりました。自民党、公明党推薦、民社党支持、石川弥八郎といいます。私は、あ、けいちゃんだと思ったんですね。昭和十八年に女子師範を卒業しまして最初に赴任したのが、そして受け持ったのがその子供たちでありました。大変懐かしいんです。そういう立場に立ってこの初任研考えますと、文部省のやり方というのはどうしても納得ができない、そんな気持ちでいっぱいです。  まず最初に、初任者研修といいますけれども、一体初任者というのはどういう人のことを初任者というのですか。
  47. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 初任者研修の対象とする初任者と申しますのは、初めて教職に任用された者という言葉を縮めて初任者というふうに理解しております。
  48. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 初めて教職に任用された者。そうしますと、それは新規学卒者でありますか。新規学卒者以外の人も含まれますか。
  49. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 初めて教職員あるいは教育公務員として任用された者でございますから、新規学卒者が多うございましょうけれども、あるいは学卒後別の職についておられた方が任用されるケースもあると思います。
  50. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 新規学卒者ということになりますと、短大を卒業して採用試験に受かりまして任用された者、学部を卒業して任用された者、大学院を卒業して任用された者、さらに新構想の教員大学の大学院を卒業して任用された者、みんな同じ研修を受けるわけでありますね。
  51. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) いわゆる一年間にわたります研修を受けるという意味では同様でございますが、それぞれの方々について、例えば指導教員による指導の場合にはその新任教員の個に即して指導がされるわけでございますから、時宜適切な指導をいただくということでございます。そういった点の指導の仕方等の差異はございましょうけれども、一般的に申し上げれば、ほぼ同様な研修を同一期間、同様な機関において受けるということになろうかと思います。
  52. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私も初めて行きましたときに、東京の女子師範を卒業した正規の教員が来たというので、一緒にいた、そのころの中学校とか高等女学校というのは今で言うと高等学校になりますけれども、卒業した人たちにとっては、学歴が我々より上なんだ、どんなにすばらしい勉強をしているんだろうか、こういう感じでいっぱいで私を迎えました。新構想大学の大学院を卒業してきた人を一体だれがどのように個に即して指導するのか、私は大変疑問を持っているわけでありますが、それはまた後ほどの質問にいたします。  例えば、A県で二、三年勤務をした、そして親元へ帰りたいと思ってB県の採用試験を受けた、そして採用された。これは初任者になりますか。こういう者は初任者研修を受けないでもいいということになりますか。
  53. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今回提案申し上げております教育公務員特例法改正の中で第二十条の二の規定を創設いたそうとしておりますが、この規定は「小学校等の教諭等の任命権者は、小学校等の教諭等(政令で指定する者を除く。)に対して、その採用の日から一年間の」「実践的な研修実施しなければならない。」といたしております。ここで「政令で指定する者を除く。」といたしておりますのは、ただいま先生が御指摘なさいましたような、例えば数年間別の県の学校で勤務された方、あるいは私立学校で何年か教職の経験をお持ちの方、つまり一年以上の教諭の経験を有する者で任命権者において初任者研修実施する必要はないと考えられる者を除くという趣旨でございまして、政令で定めようと思っておりますのはそういったような職種の方々、あるいはこの初任者研修が本来長期にわたって教職につかれる方を前提とするわけでございますので、臨時的任用並びに期限つき任用の教諭についてはこれを外すということを予定しておるところでございます。
  54. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 そうしますと、例えば育児休業法の適用を受けた者のかわりに入った人、あるいはお産代理で連続してA校、B校、C校というような形で入った人たち、教職経験を幾らも持っている人たちがいますね。それから、このごろはなかなか正規に採用してくれない。臨時教員として一年間やって、そしてまた試験を受けて今度は採用された、あるいは二年も三年も臨採の講師としてやっていた、そういう人が初めて採用された。こういう人たちは抜けてもらうことができるわけですか。
  55. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは政令でどのような定めをするかということによって左右されるわけでございますが、現在私ども政令で予定をいたしております事柄は、教員としての一定の、あるいは相当程度の指導力を有すると任命権者において認める者という考え方でございまして、基本的には一年以上の教諭の経験を、国公私立の学校いずれを問わずそういった経験を有し、任命権者において初任者研修実施する必要がないと認めた者につきましては初任者研修の対象としないことを予定しているわけでございます。
  56. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 そうしますと、初任者研修を受けないで教員になれるという道があるわけですね。例えば臨時採用教員を一年なり二年なりやって採用されました。これは初任者研以上に全くの試補制度と同じですから、その試補制度をやったんだから、今度は試験を受けて選考されて採用されたんだからこの者については抜けますよと。明瞭ですね、意図が。
  57. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今回提案しております初任者研修制度趣旨と申しますのは、教員が円滑に学校教員としての職務に入り、そして自立して教育活動を展開できるようにするためにいわゆる実践的な指導力を身につけていただく、あるいは幅広い知見を身につけていただくということでございますから、初任者研修制度趣旨にかんがみまして、例えば過去に教職経験を持たれた方、その方については実践的指導力のこれ以上の研修は必要がない、あるいは幅広い知見をこれ以上得ていただく必要がないと認められる者については、初任者研修制度趣旨からいたしまして対象から外すことができることとしておるわけでございまして、具体的な判断は任命権者サイドにおいて行われますけれども、いわゆるそういった実践の場で教職経験を踏まれた方に対して重ねて初任者研修実施する必要はないという視点で、このような政令で指定する者を除く提案をさしていただいているところでございます。
  58. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 政令政令と言いますけれども、今政令の中に考えていると言いましたね。政令を出しもしないでおいて、安心しなさいというわけにはいかないと思うんですよ。その政令は出していただけますか、予定は。
  59. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 政令は、法律が成立しました後に立案をし閣議で御了解いただくわけでございますが、現在のところ文部省といたしまして予定しておりますのは、ただいま申し上げましたように国公私立の学校の教諭として一年以上勤務した経験を有する者で任命権者が認めた者という政令を予定いたしております。さらに、先ほど申し上げましたように、これ以外で臨時的任用及び期限つき任用の者を指定する予定でございます。  それからもう一つは、現時点では必要ございませんが、今国会教育職員免許法の改正案を提案さしていただいております。その改正案の中でいわゆる社会人の登用を予定いたしておりまして、いわゆる教員資格を持たない者につきまして特別免許状をもって相当程度社会経験を積まれた方を任用することを予定いたしておりますが、仮にこの教育職員免許法の改正案が成立いたしますれば、今申し上げた社会人の登用に関しましても同様な措置が講ぜられるように、これは任命権者の判断にもちろんよりますが、政令で指定することは将来考えられるわけでございます。
  60. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私は、そういう政省令というものもこんなことを考えているというのを我々に提示をしてもらって、そしてそういう中から国会審議が詰まっていくような形をとるべきであるというふうに思います。法律をつくってから、後でこういうふうにして、しかも任命権者の裁量権に大きくゆだねるということについては、国会の中できちんと審議をしておかないと大変心配なことが私は出てくるというふうに思います。これはある程度メモ程度のことは、二十四日の日に審議が行われるわけですけれども、出すことができますか。
  61. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 私がただいま申し上げましたような事柄を事項といたしまして提出さしていただきたいと思います。
  62. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 それに関連いたしまして、人事の問題に関して伺います。  文部省からちょっと資料をいただいたわけですけれども、「昭和六一年度末教員人事異動の概況」、六十二年度末があるでしょうかね、その点はわからないんですが、私がとったのは六十一年度末の人事異動の概況であります。  これは質問通告しておきましたから、この「人事異動の概況」を見て文部省は中からどういうことを読み取るかということでございます。
  63. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 「人事異動の概況」ということでございましたが、かなり幅広く退職者、採用者あるいは転任者、昇任者、そういった事項別にいろいろな状況調査をいたしておりますが、多分この法案との関連で、私どもの想像でございますが、新規採用者の推移ということに力点があるのではないかと思われます。    〔委員長退席、理事林寛子君着席〕 そういう意味で、最近におきますここ数カ年の人事異動状況の中では、新規採用者数が年々減少している傾向にある、そういう事柄をこの法案関係で私どもその数字を把握しているところでございます。
  64. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 助成局長、やっぱり頭いいですね。私の質問するのを肝心なところだけぱっとお答えになりましたけれども、しかし、要領がいいからなおさらまた大事なところを抜かして御答弁なさっているのじゃないかという感じがしてならないんですが、確かに新規学卒者が減っていますね。どのくらいになって減っていますか。
  65. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 過去五カ年間の数字でございますと、例えば小、中、高等、特殊学校すべて総合いたしまして、五十八年度の新規採用者数が三万六千三百十一名でございましたが、年々減少を続けておりまして、六十二年度の新規採用者数は三万六百七十一という数字でございまして、やはり児童生徒数の減少に伴う傾向、それから教職員定数改善計画の進捗状況との絡み等がいろいろございます。  なお、大きな要因としましては、もちろん年度途中退職者数の変動等もございますし、特に定年制が施行されました後におきます状況で、この定年制並びに途中の退職者数、その影響もあろうと思います。そういった諸般の状況はございますが、一般的にこういった減少傾向が続いているという事実は私ども大きな事柄だという認識はいたしておるところでございます。
  66. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 どういうふうに大きな事柄というふうに認識をしているかというのが問題であります。数字で言われますと余りはっきりしないんですけれども、例えば小学校では採用された人数が一万一千百二十五人、そのうち新規学卒者がどれだけ採用されたかというと、五千五百二十二名で四九・六%です。四九・六%ということは半数以下が新規学卒者である。大学の教育というのは余り当てにならぬということなんでしょうか。それをどう見ますか。
  67. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは当該年度に採用する予定者数と志願者数との関係によるわけでございまして、私どもの承知しております限りでは、例えば昭和六十二年度におきまして大学、短大等を御卒業になりまして教員免許状を取得された数、実数が十三万八千名でございました。そのうち教員に登用された者が二万八千名というような状況でございますので、これは何も六十二年度に限った数字ではございませんで、過去から大体十四、五万名の免許を取った方に対し採用数が三万から三万五、六千、こういう状況でございますので、当然のことながら、免許状を取得して大学等を卒業されてもすぐ現役のままで就職する状況にはないというぐあいに考えているわけでございまして、そういった志願者と採用者数との差によりまして、卒業俊二年目、三年目という形で苦労して就職をされる方も相当数に上った結果が、ある意味では積み残しのような形で、だんだん現役では教員に採用されにくいという状況がきているものだと理解はいたしております。
  68. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 定数があるにもかかわらず正規に採用しない、そして足りない分はわざわざ臨時任用をもって充てている、そういう県がたくさん出てきているんですよね。現にそういうことを公言なさって、そしていろいろな本にお書きになっていらっしゃる方もある。一切こんな初任研なんかやらないでうちの県によこしなさい、そしたら二、三年立派に教育して各県に配りますなんてとんでもないことを言う教育長が出てきたりするわけで、私はその点をよく調べてみなければならないと思いますけれども、このごろは必ず一回は臨時教員に採用して、一年たった後で正規に採用するというようなところがたくさん出ています。今までの文教委員会でもこの点については指摘をしてきたところでありますが、助成局長、首をこうやっていますけれども、全然信じられませんか。信じられなければ、私は具体的な数字を後ほど御提示いたします。
  69. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 各県でそれぞれ各年度の採用予定人数を決めますときには、もちろん退職見込み状況、教職員の定数改善に伴う増員状況等を総合して採用予定数を決めるわけでございますが、それだけの要素ではなくて、確かに教職員の年齢・人事構成というのがございまして、ある年度には定数を全部埋めてしまって翌年度少ない採用をするという変動を避けるために、数年度を通じまして一定数の教職員採用、年齢構成等が維持できるような観点から操作をしている県は相当あると思います。そういう意味では、完全な需給状況に見合わないで、特定の年度だけに多数採用し、特定の年度ではほとんど採用できないという事態を避けるために、そういった年度別の採用予定の調整を行う県もある程度あることは私どもも承知しているわけでございます。  それからもう一つは、採用試験の結果といたしまして、教職員として当該県で採用するにはその成績が満たない場合には、全部定数を充足しないで臨時的に埋めるというケースもいろいろあるということは私ども承知はいたしております。
  70. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 それでは、その人が、今局長が言われた前半の方に該当するのか、後半の方に該当するのかなどということは本人はわからないわけですよ。この辺のところは任命権者、採用する人たちも十分に心してもらわなければならない。一遍落第して入った先生だなんて、そんなことを言われたのじゃ困っちゃうわけですよ。  それと同時に、この法律と直接関係ないんですけれども、この表を見て大変気になったことがある。例えば新規学卒者、うち和歌山県女子ゼロ、鳥取三、徳島一、沖縄三、明確な女性差別があるわけですけれども、この辺は文部大臣、どういうふうにお考えになりますか。
  71. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 教職員の採用に当たりましては、各都道府県段階で採用試験、面接あるいは一種の適性テスト、そういった諸般の選考過程を経まして採用されるわけでございますから、県におきますそれぞれの採用方針に基づいていると思います。しかしながら、男女差によりましてその基準に差をつけるとか差別をするということはないものと私どもは思っております。
  72. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 ないものと思っていてくださっていいんですけれども、和歌山でこの試験に合格する生徒が採用総数八十一名のうちに女子は一人もいないなんて、そんなに女子の能力は落ちているんですか。どういうふうに考えますか。
  73. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 個別具体的なお尋ねでございますので、県に事情を照会してみなければつぶさにはわからないところでございますが、直観的に感じますのは、あるいは女性の志願者数が少なかった、あるいは県によりましては例えば水泳ができるとかいうような一定の要求をする、体力的な面あるいは体力テスト的な試験もあわせて行っているところもございますし、そういった諸般の判断、採用基準に結果として女性が該当するケースが少なかったということはあり得たんじゃないかというぐあいに、今一般的に茫漠として申し上げるのでございますけれども、そういう感じを申し上げたところでございます。
  74. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 雇用における機会均等法ができたときにこんな実態を見せつけられたのでは、法律なんというのは一体どこに生きているのか、私は行政当局の姿勢を疑うものであります。今局長が大変いい答弁をしてくださった。個々においてはどういうことになっているのか調べてみたいと、こういうふうにおっしゃっていますから、調査をして私の方に届けてください。これはきょうの質疑とは本質的にかみ合うものではありませんから、この辺にとどめておきます。  次に、臨教審の第二次答申は、「研修内容実施の方法については、柔軟に行えるようにするとともに、新任教員の意欲を大切にするよう配慮する必要がある。」、こういうふうに書いています。臨教審も部分部分では私どももいいことを言っているなと、こう思うわけですけれども、今次改正案においてはその部分がないように思うわけであります。  そういう観点から、ちょっとイギリスの、あそこは条件つき仮採用制度と言うんですね、その仮採用制度との関連を見ながら質問をしてみたいと思うのです。  イギリスの仮採用研修というのは、季刊「教育法」に読売新聞解説部の永井順国という方がいろいろとレポートを出していらっしゃる。それを見ながら、またイギリスの教員組合が私どもとのシンポジウムの中でお話をなさったいろんなことを思い出しながら私はこれから質問するわけでありますけれども、決定的にどこが違うのかといいますと、それは新任研修者に対する行政当局の姿勢だというふうに思います。  例えば、イギリスの仮採用制度は、主役は初任研を受ける教師なんですね。あそこは、採用されて、クラスを受け持って一年間は仮採用であるわけです。そして、一週間に一遍、学校を離れて研修をすることができるようになっています。大変おもしろい——おもしろいと言うのはおかしいですけれども、大変配慮が行き届いているなと思ったのは、こういう若い、新しい人たちは、熟練の教師と違うからということでありましょうか、教育困難校への配置はしない、それから同じように教育困難なクラスにも配置をしない、こういうことが方針に載っているわけですね。そしてまた、この研修についての表現というのは、常に教師のサイドに立っている。何々をしなければならないんじゃないのですね、何々をすることができると、こういう言葉で行われているわけであります。  その中で私が非常に気になりましたのは、評価基準や評価責任者について知らされねばならないと、こういうのがあるんです。だから、初任者自分自身を一年たって採用する、採用しないというその評価基準は一体どこにあってどういうふうになっているのか、それからだれが私を評価したのだろうか、こういうことを知らされなきゃならない。日本の場合は、これはやみ討ちみたいな形になるんじゃないですか。その辺はどういうふうに文部省としては考えていらっしゃいますか。
  75. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 確かにイギリスにおきます仮採用制度、一年間の仮採用の制度が行われておりますし、また具体的な実際の数字としましても、私どもの承知しております限りでは、五百名に一人の方が本採用されないというような数字が出ておるわけでございますが、日本におきましては現在三万人程度の教職員のうち本採用されていない実態が一名か二名という状況でもございますが、例えばその評価基準というふうに先生おっしゃいましたけれども、確かにこのような評価基準で採用されないかもしれないよということは知らされていないと思います。基本的な考え方は、地方公務員法の中の分限免職に相当します規定、つまり教職員の職務遂行実績が不良の場合あるいは心身の故障がある場合、その他の事情によりまして教職員としての適格性を欠く場合というのが地方公務員法にございますが、それに準じたある程度の考え方ということで運用されているわけでございます。  しかしながら、評定者につきましては、いわゆる校長先生が勤務評定を行いまして、その結果に基づいて場合によりましては不採用ということがあるわけでございますから、評定者が校長であるということは知らされていないとしても、それは当然通常の形であれば御承知いただけることかなと思っております。  今後、条件つき採用期間の運用の問題について、ただいま先生から御指摘ございましたイギリスとの比較における日本の方が親切でないという意味におきましては、その親切さを十分配慮する必要はあろうかと思っております。
  76. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私はいいと言うわけじゃないんですよ。姿勢が違うということを今指摘しているわけでありますね。  それからきわめつけがまだあるんですね。学校の変更と異議申し立てというのができるんですね。私はこの学校に来ましたけれども、とてもこの学校には指導を受ける条件にありません、なぜかなればこうこうこういうふうですという異議を申し立てる条件があります。日本の初任者にはそういう権利は一切ありませんですよね。
  77. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは県内の人事異動計画によるわけでございますが、一般的に私ども承知しております限りでは、当然のことながら、新任教員を配置します場合にはなるべく教育困難校は避ける、あるいは教育困難なクラスは避けるということが一般的な傾向でございますし、そのような運用がされているものと思っております。ただ、一たん配属された場合に、配属先が自分に合わないから変更するというようなことは日本では通常行われていないように思っております。
  78. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 思っていますじゃなくて、そうなっているんでしょう、法律的には。例えば双羽黒ですね、親方とどうしても意見が合わない、そしてもう彼は横綱を振って出ていったわけですけれども、そういうのがあると思うんですよね。例えばこの間の初任者研、洋上研ですよ。新聞報道ですからわかりませんけれども、グループがつくられて班長がつく、たまたまその班長になったのは国旗を、日の丸を上げたりおろしたりしなきゃならないという任務が割り当てられる、こういうことになったら沖縄から来た人が、私はそれは問題があるからというので班長になることを拒否した、遠慮したというんですか、そういうことがあったりしました。そういう思想的な物の見方などというのが一つありますね。  それから、価値観なんかにもいろいろあるわけですよ。例えば在日朝鮮人の方で先生になっている方がある、そういう人に対する指導者の物の見方、一体どうなのか。被差別部落がありますね。今でも大学の中にえただとかいろんな差別用語が黒板に書かれている。そんな実態もいろいろある中で一体自分指導者はどういう考え方を持っているんだろうか、被差別部落出身者の方々、あるいはそういう同和教育に対する意見の違いなんかもいろいろあるわけでありまして、指導教員と指導される者との間にきちんとした合意が必ずしも成り立たないことがあると思います。だれがそういうときに評価をし、勤務評定は校長がやると言われましたけれども、指導教員は一切そういうことはやらない、こういうことで理解をしてよろしゅうございますか。
  79. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 指導教員初任者に対します随時適切なアドバイスを系統的に行うわけでございまして、いわゆる指導教員初任者に対する研修を行う、あるいは指導助言を行う立場でございまして、初任者の勤務を評定する立場ではございません。事柄としましては、あくまでも校長の責任において勤務実績の評定をするということでございます。
  80. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 最近、服装の問題なんか随分うるさいですね。先日も本会議場で何か教師がトレーナーを着ちゃいけないみたいな御意見なんかもあったわけですけれども、服装に対する感覚なんというのは若い人と、年寄りと言うと悪いですけれども、私どものように六十歳を過ぎた者とは全然感覚の違う部分があると思うんですよね。そういう意味で、大変私は感覚的に問題が出てくるというふうに思います。服装ぐらいのことはどうってことありませんけれども、それでも思想的に違うなんということになると、これはもう指導者と指導される者との間には深刻な問題が醸し出されると思いますが、この人たちが一年たった、教師にふさわしくない、本人は納得できない、何で自分は任命されなかったのか、こういう問題があろうかというふうに思います。  イギリスの場合は確かに五百人に一人でしょう。イギリスの教員組合の委員長がシンポジウムで言っていました。うちのお国は大学の成績は下の方から一〇%ぐらいの人しか教員には行ってないんだ、給料が悪いからなかなかいいのが来てくれないんだという、こういうことを言っているんですよね。それと違いまして、日本ではまたなかなか優秀な人たちが受けるわけであります。この辺のところを、解雇に対して一体その人たちは異議の申し立てができるのかどうか、それから今までそういう一年たって採用されなかった、分限免職に該当するような人が出てきたというような例は一体どのくらいありますか。
  81. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) いわゆる正規採用職員を免職いたしました場合では人事委員会に対して不服申し立てをすることができ、かつ人事委員会における審理の後には裁判所に提訴をするという争訟の手段があるわけでございますが、条件つき採用期間中の職員が免職されました場合につきましては、ただいまの人事委員会に対する不服申し立ての制度はございません。しかしながら、裁判所へ出訴して争う道は当然あるわけでございます。そういった正式採用と条件つき採用期間の差はございます。  それから、過去の条件つき採用期間中の分限免職処分でございますが、昭和五十九年度におきましては二名、六十年度が一名、六十一年度が二名、こういった過去の傾向でございます。
  82. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 この制度に執念を燃やされました有田壽元参議院議員ですね、臨教審の部会長ですけれども、その方がやはり季刊「教育法」に初任者研修制度についていろいろ書いていらっしゃる。その中にこういうことがあるんですよね。「初任者研修は」「昔の試補制度とは意味が異なる。一年間本採用(給与を正式に支払う意味)で実務研修を行うが、三万人の新採用者が必ず一人残らず全員そのまま継続して本採用者となるとは限らない。」、これは半年の間でもそういうことがあるわけであります。半年間に大体この人は教員としてふさわしいかどうかということを見抜けないような校長であっては私は管理職務まらぬのじゃないかというふうに思いますけれども、そういうことはあり得る。「採用選考の時は非の打ちどころもない程立派であったが、数ヶ月して突然情緒不安定となり、突然怒り出して生徒に体罰を加えるとか、二〇分位黙ったまま物を言わなくなるとか、刑事罰には相当しなくとも、数十人の生徒の人権を考えた場合、そのまま授業をもたせ、クラス担任までさせるわけにはゆかないという場合も出てくるであろう。」と、こういうことを言っていらっしゃるんですね。私はこれは大変問題だと思うんですよね。  こういうような状況になるのは、半年の後に出てくるかもしれない、一年後に出るかもしれない、四十歳になって出るかもしれない。今の具体的な例を見ますと、必ずしも一年間以内に出るということではない。だから、二年もやってくれとか五年もやってくれなんという意見が随分出ているじゃありませんか。そういう意味で私は、この初任者研修制度が六カ月が一年になった、一年にしなければならないという理由はないというふうに思いますが、文部大臣はこの辺は先ほどからの御答弁をお伺いしてあるんだとおっしゃるけれども、もう一度伺いますが、いかがお考えですか。
  83. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) これは先ほども申しましたけれども、教員の方の職務の特殊性というのはもともと本来ある。それは教室を主にいたしまして人と人とのかかわりの中で教え、そして一方は学ぶという環境にあるという面が本来ございます。  ただ、今回は、それに加えて初任者方々に対する研修を一年間行っていただこうとするものでありまして、その研修を一年間というのは、カリキュラムの単位が一年であるということからして一年が適当であろう。そうしますと、本来その職務の特殊性がある上に、その一年間、一方で人を教えるという職務のほかにまた研修するという部分が入ってまいります。そういう形で一年間を過ごされますと、その本来の特殊性の上にさらにそういうものが加わりますので、したがって、その職務遂行能力を判断するという期間はやはりなかなか困難でありますから、六カ月よりも一年の方がよりよかろうと、こういうことでお願いをいたしておるわけでありまして、ただつけ加えるならば、六カ月が一年になりましても、その職務遂行能力の判断基準は変わりはございません。こういうことをつけ加えてお願いをいたしておるわけでありまして、ただ、つけ加えるならば、六カ月が一年になりましてもその職務遂行能力の判断基準は変わりはございません、こういうことをつけ加えてお願いをしておるところでございます。
  84. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 そうしますと、簡単に言えばもう六カ月では評価ができないと、こういうことでありますね。それはおかしいのではないかということを私が言っているのでありまして、ここはもう全く意見が対立するところですね。  私は先ほどイギリスの仮採用の人の問題をお話ししましたけれども、臨教審の中で大変物議をいつも醸しておりました香山健一さんが引用されまして非常に話題になった中に、「アメリカ教育使節団報告書」というのがありまして、教師の最善の能力は自由の空気の中においてのみ十分にあらわされる、この空気をつくり出すことが行政官の仕事なのであって、その反対の空気をつくることではいけないと、こういうふうに言っていますが、局長、どういうふうにお考えですか。
  85. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 私どもも同様に理解をいたしております。  ただ、ともすればその自由という言葉が履き違えられまして、いかなることでも学校の中では許されるということでございますと、それは学校という一つ組織社会の中におきまして、学校の秩序が乱れ、そのために教育の円滑な推進が図れないというようなことが起こり得るわけでございまして、あくまでも自由は原則で建前でございますけれども、その自由も野放しの自由ではない、おのずから節度ある自由ということ、私どもはその意味に理解をいたしております。    〔理事林寛子君退席、委員長着席〕
  86. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 そこのところが問題なんですね。だれも、自由なんというのは出ていかなくてもいいとか、勉強もしなくてもいいとか、そういうことを言っているわけじゃないんですよ。職場の空気が、教育現場の空気がやっぱりそういうふうに生き生きとして教師の自主性を伸ばしていくような雰囲気がなければ、子供たちの自主性を伸ばすとか、個性を伸ばすとか、そんな教育はできないじゃないですか。そういうことを言っているんです。そして、今まではそれが六カ月だった。みんな公務員はそうなんだから我々もそうだろうと思っていた。それが教師に関してだけ一年間になる。これはやっぱり重苦しい雰囲気が出てくるのは当たり前じゃないですか。局長、どうですか。
  87. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 条件つき採用期間の制度と申しますのは、一たん採用されました場合の採用の時点においておおむねの能力の実証はあるわけでございますけれども、それを補完する役割があるわけでございます。そしてその場合には、いわゆる公務員となりました場合の、日本の公務員制度は終身雇用でございますので、定年に至りますまでの間、三十七、八年間教職につくわけでございます。そして、それはその間の公務遂行に適するかどうかということを再度念のためにふるいにかける制度でございますから慎重を要するわけでございます。  と同時に、そういった一身の進退に関する事柄でもございますから、不適格であるかないかの兆候というものを実証するというのは極めて難しい事柄でございます。どういった行動がとられ、どういう結果が生じたから公務員として将来不適格であるかどうかという判断でございますから、それは能力の実証という点において非常に慎重を要する事柄でもございますし、先ほど大臣から申し上げましたように、その能力の実証をするのに六カ月では十分ではないという考え方で一年とするわけでございまして、これは公務員としての、あるいは教員として国民の負託にこたえる、そういった今後の学校教育を支える利益との比較考量の大きな問題であると思います。  どちらも、教員の身分も重要であると同時に、国民からの負託を受けた教育の円滑な遂行という観点も重要であると、そういった意味におきまして慎重を期し、能力の実証を図るという観点から一年の提案をさせていただいているわけでございます。
  88. 粕谷照美

    ○粕谷照美君 私は三十七分までですから、もう質問がきょうはできなくなりました。しかし、ちょっと注意をしてもらいたいんですけれども、自由ですよ、自由ですよと幾ら校長が言ったって、職場の雰囲気は自由闊達でない場合が幾らもあるわけです。本当に自由だなと思っているのは、国民が、あるいは教育現場の教師たちがそういうふうに思わなきゃならないと私は思いますよ。  というのは、この次に質問をしようと思いました文部省初任者研修に対するアンケートとその答え、それと小学校長会がアンケートを出したその答え、教育委員会がそれにまた答えた、それぞれみんな数字が違うんですよ。それなのに、文部省自分のところの数字だけつまみ食いして、これはもう喜ばれているんですからやらなきゃいけませんと。これでは困るんですね。やっぱりそうでないという反論もきちんと受けとめて、それではその反論に対してどのようにして文部省としては行政的にこたえるか、その詰めが必要になると思うんですね。  うなずいていらっしゃるから、私の言うことも間違っていないのかなと、こう思いながら、時間が来ましたから、この辺できょうは終わります。
  89. 柳川覺治

    ○柳川覺治君 文部大臣に最初にお聞きをいたします。  教育は百年の計ということでございますが、教育行政をあずかる立場から、一体教育実施の上で何が一番大切であり最も取り組むべきことかというお考えを承りたいと思います。
  90. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 教育は百年の計と、おっしゃるとおりだと思います。同時にまた、教育人づくりであり、一方で教育は人なり、つまり人が人を教え、そして学ぶということでございます。また、一方には生涯学習の視点もあり、また教特法十九条に定められましたように、みずからも、そして任免権者も、これはお互いに相補いながら絶えざる研究と修業をしていくということが非常に必要なことだと思うのであります。ですから、よく教育の中で一番重要なのは人であり、ですから教職にある方々資質向上であると思うわけであります。その資質向上というのは絶えざる努力によって培われる。  したがって、私もある質疑にお答えしたのですが、理想的な教育者像というものは、もちろん教育に対する愛情、広い知見もございますが、みずからがやっぱり前を向いて常に研究し勉強しておる。したがって、児童生徒にとってある意味では先行ランナーであり、児童生徒は後発ランナーである。先行ランナーは後発ランナーのよきペースメーカーであり、苦しみも喜びも知りながら前を先行する、そして後発ランナーは先行ランナーの後ろ姿から学びつつ間違いない道を進む、こういう中に教える者と教えられる者との信頼関係があり、実際に教室では相対し相向かって学び教えるということでありますが、精神の中には常にお互いに前を向いて研修をしつつある。その点において、教員資質がさらに向上することこそ教育の最も重要な部分ではないかと、私はそう考えております。
  91. 柳川覺治

    ○柳川覺治君 私も文部省在職中、学校に参らせていただきますと、先生方の部屋へ参りまして、教師を信頼し子供を信じて成り立つ文部省から参りましたということを申しますと、拍手で迎えられました。まさに文教行政の基本は、先生方を信頼し、そして子供の心身ともに健全に発達することを信じて取り組むのが教育行政であろう。その意味で、教育は人なりの今の大臣のお言葉、心から敬意を表する次第でございます。  ここのところ、中国をたまたま訪ねております。先日も中国の高等教育関係の視察団で、中国からお招きございましたから行ってまいりましたが、北京大学で学生の書画が展示されておりました。そのときに、ちょうど中心のところの壁でございましたが、学生の書かれた、中国の方の書は実にさわやかでございますが、そのさわやかな字句に春蚕という言葉がございました。春の蚕という言葉でございました。  春蚕とは、政治家もそうでございましょうが、およそ教師、そして世の指導者はみずから糸を出し切ってサナギになるということだと。みずから糸を出し切ってサナギになる、それがやがて生糸を生み出すということでございます。また教師はろうそくであるという言葉がある。これも唐の詩にうたわれております。身を焦がして明るさを出すという、大変やはり世の指導者というのは厳しい意味で、またその心構えがその言葉にうたわれておるということで、我々みずから省みてどこまでの糸が出せるのか、じくじたるものもあったわけでございますが、職に貴賤なしと言われますけれども、学校先生ほど大変な仕事はないなということを私は陰ながら感じてまいった一人でございます。  毎日の教壇に立ちまして、立って毎日指導されるわけですね。そして、全身全霊を子供たちと、また同僚の中で毎日励んで教育をされている。そして学校ではもとより教師であられますけれども、家に帰られても、先生立場を離れてもやっぱり家に帰られても先生でございます。そして、おやめになられましても、政治家はやめてただの人、先生と言われない世界があると思いますけれども、学校先生はおやめになられましても先生でございます。それだけにこの先生のお仕事、そして先生立場というのは大変な世界のお仕事であるということを感じておる一人でございます。  中国では先生を教師と申しております。教師を尊敬しましょう。そして、教師の言うことは守りましょう。子供たちは教師の先生を敬って老師と申します。敬老の老ですね。老師と申して先生をあがめ、先生の言うことをしっかり守っていこうということに教育の世界が展開されております。そのことを先日も新疆地区の自治区ですね、カシガルとかウイグル、この方にも参りまして師範学校、そして小学校とも見てまいりました。先日も上海等の小学校におきまして、本当に先生と子供たちが教師と教え子という立場で本当にすばらしい教育がなされている姿を見てまいった次第でございます。  今、我が国の教育は世界から注目されております。そしてまた、これから日本でどのように教育が進展するのか、世界が注目しておるわけです。その中で我が国の教員の地位、また教員資質、これは世界に比して私は誇るべきものだということを感じておる一人でございますが、この面につきましての大臣の御認識を承りたいと思う次第でございます。
  92. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 幅広い例をおとりになりながら見識ある御発言と思って拝聴をいたしておりました。  確かに私、そのものは世界に比して、また日本の中でも教職に携わる方々資質というものは十分高いというふうに思います。ただ、各国でも教師の日と定められた日がありまして、教師をあがめる、そういう風潮はまだこれからのものであろう。その点で資質はございましても、教職にあるということは、おっしゃるように生涯かけて学ばれることでありますから、その資質をさらに高めるということについて万人がやはり力を合わせることが必要であろう。御当人の御努力と同時に任命権者努力、それが相まちまして、そしてもともとある資質をさらに向上させることによって、今の社会の変化に対応できるような、自由ではあってもそこには規律のある、自由の中に伸び伸びとした教職者像がある、そして生徒像がある、そういう中で自然に教師をあがめようという風潮が高まるまで、私は教職に携わる方の資質がみんなで向上されるように努めるべきであろう、このように拝聴しておりましてつくづく考えた次第でございます。
  93. 柳川覺治

    ○柳川覺治君 そこで、先生方の研修の問題につきましては、かねてから先生方の待遇改善、また職場環境の良化ということ等につきましての努力がなされてまいり、またこの研修制度につきましては、四十六年の中教審の答申におきましても答申なされております。その後、臨時教育審議会での御答申、そしてそれを受けての教職員の教職資格の養成審議会での御答申が出されておるわけでございますが、加戸局長にこの辺の経緯、中数審の答申臨教審答申、それで教育審の答申がどのような変化になってきているのか、その辺も含めて御説明いただきたいと思う次第でございます。
  94. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) この教員資質向上に関しましては各般の審議会等の建議、答申があるわけでございますが、戦後に限って申し上げますと、昭和二十二年の教育刷新委員会の建議がございまして、そのときには教職課程を履修された方につきましては六カ月の実務期間、それから一般大学を卒業されました方につきましては実務期間を一年という、言うなれば試補教諭として勤務させ、その実習期間が終わった後に試験をして正式な教員免許状を発行するという提言がございました。その後、昭和三十三年に中教審の方から、やはり一般大学卒業者には五年間の仮免許状を与えて、仮採用後一定期間の研修終了後に正規免許状を授与するというような提言がございました。それから昭和三十七年には教養審審議会におきまして、やはり今度は採用後一年間の試補ということで、試補期間を終了した後に教員免許状を出すというふうな案がございました。それから先ほど先生がおっしゃいましたように、昭和四十六年中央教育審議会の答申におきましては、これは試補という名前は用いておりませんが、特別な身分において一年程度の期間実地修練をやって、その結果に応じて教諭に採用する、こういう提言がございました。これまでの流れが、大体いわゆる試補または試補のような特別な身分における教員の切磋琢磨を期待したものでございます。  そして、昭和四十七年に至りまして教育職員養成審議会の方から試補という考え方が消えまして、採用後一年程度の実地修練を行うという意味初任者研修を検討する必要があるという指摘がございました。それから昭和五十三年には、中央教育審議会におきまして、採用後一年程度の実地修練を行う初任者研修の充実という提言がございました。それから昭和五十八年の教育職員養成審議会答申では、同じく採用後一年程度の組織的、計画的な研修を集中的に実施することを検討する必要があるという答申もいただきました。  こういった流れがございまして、昭和六十一年の臨教審第一次答申におきましては、採用後一年間、指導教員の指導のもとにおける教育活動の実務及びその他の研修義務づけるという提言がなされたということでございまして、戦後一貫して、教員に就職し、あるいは実際の勤務につくまでの前提あるいは勤務した後におきます一年程度の実地修練的な、あるいは研修という考え方は、戦後ありとあらゆる場で御議論され、このような審議会の答申、建議になったものと理解をいたしております。
  95. 柳川覺治

    ○柳川覺治君 今回の改正は、いわゆる試補制度というのは一体どういうものなのか、必ずしも明確な類型がないと思いますけれども、いわゆる従来論議されて、かつて中教審等でなされた試補制度的なものと今回の初任者研修制度、これは明らかに違いがあるということ、この点を御説明いただきたいと思います。
  96. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 戦後、各般にわたります提言が行われました試補というものにつきましての身分が、必ずしもその答申、建議では明らかではございませんが、文脈、考え方等からいたしますれば、特別の身分で学校へ入り実地修練を行う、そして行った実地修練の結果を踏まえて試験または判定をいたしまして教諭に採用する、あるいは教諭の免許状を出すというような考え方でございますから、あくまでもいわゆる正規の教諭の前段階としての措置であると私どもは理解いたしております。  これに対しまして、今回提案しております初任者研修は、まさに教諭として採用した後におきましての一年間の研修でございますので、身分的には教諭である。もちろん御議論ございます条件つき採用期間の問題はございますが、正式採用教員と同様な給与を受け、身分、処遇を受ける形で勤務をされ、そして研修が終了した後に一本立ちをしていかれる、そういうような考え方で、特別の、教諭の身分、給与、待遇等につきましては大きな差があると思っているわけでございます。  しかも、そういったことは当然試補に関する議論も今でもないわけではございませんけれども、政府提案を申し上げましたゆえんは、試補ということでありますと、例えば西ドイツでも試補制度ございますが、試補期間を終了した後に教員に採用される比率が極めて少ない。こういったことは、日本の現状にとりまして、教員志望者が果たして試補制度で民間企業へ逃げてしまわないか、優秀な人材招致に困りはしないかという問題もございますし、それから試補といった身分をどのような形で位置づけるというのが公務員制度上可能かどうか、あるいはどういった方法になるのかということが見当がつかない状況もございますし、現時点におきまして私ども、初任者研修制度臨教審並びは教育職員養成審議会の慎重な御審議の結果を踏まえて、この制度で行くことを提案申し上げている次第でございます。
  97. 柳川覺治

    ○柳川覺治君 今御説明のとおりの流れがあるわけでございますが、今度文部省が、あるいは臨教審教育審がこのような初任者研修の形での踏み切りをされた。その背景には、我が国の教員の方方の水準は世界に比して高い、戦前の教育につきましても、師範教育を初めとして教員の養成につきましての取り組みがそれなりになされてきた、そして今日では大学卒の方々を中心として、しかも最近に至って本当に教職の道においてこれからの日本の、よりよき日本を築くということに教職の道を通して尽くそうという若者の方々教職についておられる、そういう背景があって、試補制度でなく、もう免許状を取られて、そして採用試験に合格した人は教員としての資格ありというその前提に立って、その上でなお一年間、最近ゆとりと充実という言葉がありますが、私はこの半年を一年の研修期間を置くというのは、ある意味ではゆとりと充実の課題にもこたえることであろうと、むしろそちらの方からのとらえ方をしておる次第でございます。  今、私ども身近な者が新任の教員になられます。そしてクラスの担任をされます。そして、本当に毎日忙しい。周りの先生方も本当に忙しい。その中で先達の人に教えを請うという機会にもなかなか恵まれない。そういう中で、本当に当初大学から、学校を出てすぐの者がいきなり教職につくと、その重みにむしろ耐えかねるというような面の、ある面でノイローゼ的な状態になるということを、私も身近な者の経験からもそのことを感じておるわけでございまして、そういうような意味学校の一年間のローテーションが、学校学校教育の中で、教室での指導のみでなく、また校外学習等も含めて学校行事等一年間で一つ教育のリズムの展開がございます。その中において、現実に教職として指導に当たり、またその間に先達としての指導の方の導きを得ながら、また多くの先輩先生方の見守りと指導の中で教職の道を尋ねる、その一年間があるということはすばらしいことだと思いますが、従来の教育公務員特例法研修に関する現行制度、そしてこれまでに行われてきた通常の研修の実態につきまして、最近における試行も含めてちょっと状況をお話しいただきたいと思います。
  98. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 教員に関します研修の法令上の規定の置き方としましては、地方公務員法の三十九条で「勤務能率の発揮及び増進のために、研修を受ける機会が与えられなければならない。」、それには「前項の研修は、任命権者が行うものとする。」という立て方がございます。と同時に、教員の特殊性に基づきまして教育公務員特例法で、先ほどから御議論ございましたように、十九条の一項で、教育公務員は「絶えず研究修養に努めなければならない。」という道義的、理念的な責務が規定されておるわけでございます。  これを受けまして十九条の二項で、大臣先ほども申し上げましたように、施設あるいは計画を立てる、便宜供与、そういった各般の努力義務を規定しておりまして、そして二十条の方におきまして、二十条一項は、教員研修を受ける機会が与えられなければならないと地方公務員法を敷衍したような規定がございますが、二十条の二項では、いわゆる勤務場所を離れて、本属長の承認を得て研修を行うことができると。現実の運用としましては、例えば夏休み等の夏季休業期間中における自宅研修根拠規定になっているわけでございます。それから二十条の三項では、教育公務員は現職のままで長期にわたる研修を受けることができるということで「任命権者の定めるところにより、」という規定はございますが、これを受けまして、例えば新教育大学大学院における二年間の研修であるとか、あるいはほかの一般大学その他の研究機関等におきます一年間にわたる長期研修であるとか、教員の身分を持ちながら給与を受け、かつ長期にわたる研修を受けているわけでございます。  そして、このほかといたしましては、一般的に各般の研修が多々ございます。現実に文部省が補助金を出しまして都道府県に奨励をしておりますものとしましては、例えば現在では新規採用教員研修ということで二十日間にわたります研修、それから現職研修といたしましては、教職経験五年の教員に対します研修が一定期間行われております。そのほか、各都道府県段階におきまして、国も共同でございますが、管理職研修であるとか、あるいは特別の科目につきまして生徒指導関係その他、あるいは理科教育その他万般にわたります教科別の、あるいは教育分野別の研修会が開催され、あるいはそういった会合等が持たれている状況でもございますし、それから横断的な意味でございますと、学校種ごとに例えば校長会、教頭会あるいは主任の会というような形での職種を通じました形の研修、事務職員であるとか栄養職員とか職種別の研修会等が相当多様に展開されているところでございます。  そういう意味で、国が主催し、あるいは国が援助する研修もございますし、任命権者である都道府県教育委員会、さらには服務監督権者である市町村教育委員会における研修、そのほかに校内における研修といたしまして、校内研修の奨励等も行われ、学校でも自主研修体制が組まれておるわけでございます。  さらに、もっと自由な意味におきましては、教育研究グループというものにつきまして、これに対する補助金等も国で出しておりますが、それぞれの自主的なテーマを選んだ教育研究グループに対する補助金もささやかでございますが行っております。  このほかには、もちろん自分自身が磨かれることが必要でございますから、教員自身がそれぞれの時間を活用し、みずからいろいろな研修の場に参加されている状況ということで、研修任命権者サイド、服務監督権者サイド、学校内あるいは個人の自由、その他多様多岐に展開されていて、総合的に教員資質向上に資しているものと思っております。
  99. 柳川覺治

    ○柳川覺治君 今御説明のとおり、現行法の規定は教員みずからが自主的、自発的に研さんこれ努めるということは当然のことであり、また教員研修機会をあらゆる場において、またあらゆる機会任命権者はその機会をつくっていくその責任があるということ、そのときは職務専念の義務につきましてはこれを除外して認めていくという仕組みになっておるわけでございます。  そこで、今まで初任者研修は大体二十日間ということで行われてきておったということで、このたび先導的試行でございますか、試行が行われるということでございますが、その結果、効果、メリット・デメリットも含めまして状況を少しお話しいただきたいと思います。
  100. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 六十一年の四月に臨時教育審議会の第二次答申におきまして、一年間にわたる初任者研修制度創設提言がございました。これを最大限尊重する政府の一員としての立場におきまして、この初任者研修制度の導入を前提とし、それに至りますまでの問題点を探り、かつ円滑に本格実施へつなげていくという観点から、昭和六十二年度から初任者研修制度試行を行うこととしたわけでございます。六十二年度におきましては、三十六の都府県、指定都市におきまして二千百四十一名の新任教員を対象として初任者研修試行を一年間行っていただいたわけでございます。  この結果といたしまして、私どもへの各都道府県教育委員会からの報告あるいは校長先生、指導教員並びに新任教員のアンケート調査等の結果状況等から判断いたしますと、教員資質向上が著しく見えるということ、それからこのことに伴います付随的な効果ではございますが、その新任教員を守り立てて育てていこうということで校内の協力体制ができ上がっていった、あるいは新任教員には負けられないという先輩教員がみずからを磨くという意味におきまして校内の活性化が図られたというような各般にわたります好評の御報告をちょうだいしておりますが、と同時に、さまざまな問題点先ほど粕谷先生から御指摘ございましたようにいろいろございます。例えば新任教員の負担が大きいとか、あるいは指導教員の負担が大きい、児童生徒に対します教育上の影響もある、あるいは研修内容が過密ダイヤであるとか、そういうさまざまな問題点指摘等がございます。  これらの指摘されました事柄と申しますのは、私ども六十三年度の試行で、六十二年試行した都府県、市におきましては当然参考にしていただけることでもございますし、また六十二年試行しなかった都府県でも、その試行した県の状況を踏まえての参考にもなるでございましょうし、またさらにはこの法案が成立いたしますれば、六十四年からの本格実施を想定いたしておりますけれども、本格実施の際の貴重な参考材料になることと思いますし、これから試行内容等を踏まえまして本格実施におきます内容の改善を図っていくべき事柄、いろいろなデータなり御意見なりをちょうだいしたと思っておるわけでございまして、なお今後六十三年度五十七都道府県指定都市すべてにおいて試行時四千百六十名を対象に試行を行う予算を計上いたしておりますけれども、この結果もさらに踏まえまして本格実施への万全を期していきたいと思っております。  事柄は、研修というこういう一年間の大がかりな研修でございますので、初年度から完璧なものができるとは私ども思っておりません。さまざまな問題は生ずることと思います。なお私どもが気づかない問題も出てくる可能性もあると思いますけれども、一つ一つを改善していくことによってよりよい研修へ持っていきたい、そんな考え方で今臨んでいるところでございます。
  101. 柳川覺治

    ○柳川覺治君 まだ六十二年度試行が始まったばかりですので、その辺がこれからも動くと思いますけれども、実際に初任者研修を受けられた新規採用の先生方の意見を聞かれたことはございますか。
  102. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 初任者研修を受けました教員の声は、文部省がアンケート調査をいたしましたが、私自身もおしかりはかつて受けましたけれども、洋上研修で二回船に乗り組みまして、そこでお話しも申し上げ、また終わった後数日間にわたりまして、夜自由懇談のミーティングの場で率直な御意見をいただきました。確かに自分たちの負担がきついという声もございましたけれども、子供たちのためだと思って、こういう研修機会を与えていただいてうれしいという声の方が、もちろん私を相手の話でございますから当然そういう声が多くなると思いますけれども、そういうぐあいな感覚で受けとめられましたし、また研修は参加されております先生方の生き生きとした姿というのは私ども大変うれしく感じたわけでございます。  そういう意味で、研修自体が、それぞれ問題もあるし苦しいところもあるけれども、しかしそれは自分のためだという意識は皆さん持っていらっしゃるということを私は感じた次第でございます。
  103. 柳川覺治

    ○柳川覺治君 私も同僚等から、最初先生になったときに、初任者研修ということを本当にしっかり受けておったら何ほどかよかったという、そういうことを率直におっしゃる人がおられるわけでございます。今それはいろいろ立場からのあれがあると思いますけれども、すぐれて素質のある先生教員になられました。そしてまた指導教員先生、私はこれは先達だと思います。その先達の人を中心として導いていただく、そのことの喜び、またそれの生涯の教職につく上の自信というものには大変大きいものがあろうというものを率直に感じさせていただいておるわけでございます。  そこで、そのような試行も経まして、今回教育公務員特例法改正案が出されました。その改正内容につきまして、この教員の世界も話し言葉の世界でございますから、余り法律用語でやると、せっかくのことがかたく、それなりでもうそこでかちっとくるところもあるようでございますが、できる限り話し言葉でわかりやすく御説明いただきたいと思う次第でございます。
  104. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今回提案しております教育公務員特例法等の改正内容としまして、基本的な柱は初任者研修の導入でございますが、これは小中高等学校等の学校先生に新しく就任されました方々に対しまして、それを任命権者でございます都道府県教育委員会または指定都市教育委員会が一年間にわたって、その教員のつかれる仕事に関連をした必要な、実践的な研修という言葉を使っておりますけれども、実際役に立つ研修を行うことの実施義務づけて、実施しなければならないことといたしております。  そして、その研修は、単に初任者だけの段階ではなくて、教員のライフステージに応じて一生涯を通じて研修をしていただく中の一環として計画を立ててくださいということでございまして、具体的にはそれぞれ教員に採用されました後の特定の区切り、節目節目の段階でもある程度の研修を行ってください、その第一ステップとしての一年間の研修ですよという考え方を二十条の二第二項で規定いたしております。それから第三項では、この初任者研修の柱となりますものがいわゆる経験豊富な、大臣のお言葉をかりますと先達でございますから、その豊富な経験を持った先輩教員学校の中から選んでいただいて、もし学校の中に適任者がいなければ、例えば非常勤講師に委嘱をして、このどちらかの方法によりまして先輩教員がその初任者につきまして指導を行う立場の指導教員としての命課を行う。難しい言葉でございますが、指導教員になってくださいということをお願いするわけでございます。  そして、この指導教員は、先輩としての立場に立ちまして、その新任教員が教諭としての教育活動を展開するに当たって必要な事項、もちろん多岐にわたる事柄でございますけれども、教材研究あるいは教案の作成、学習の指導であるとか、あるいは学級経営、それから児童生徒の理解の問題、あるいは生徒指導の問題、その他校務分掌万般にわたりまして指導と助言を行う。これはあくまでも命令ではございませんで、必要適切なアドバイスを与える。しかも、このアドバイスの与え方はなるべく出しゃばらないように、新任教員からの困った問題の相談に応じる体制、あるいは新任教員個性を生かしてそれを伸ばしていくような系統的な随時適切なアドバイスを行っていただくということを想定しているわけでございます。  それから、これに関連いたしました措置といたしましては、今申し上げた初任者研修実施する場合の校内の教職員体制にもよりますけれども、例えば指導教員に校内の教員が得られない場合には校外から先輩教員、退職された教員その他の方方を非常勤講師として発令をする、あるいは校内で指導教員が得られた場合でもその後補充の教員として非常勤講師を補充する必要があるわけでございますが、現在の仕組みでございますと、それらはそれぞれ服務監督権者でございます市町村教育委員会において発令をし、そして給与は市町村が負担する仕組みでございますので、これを今回の初任者研修都道府県教育委員会、指定都市教育委員会という任命権者が行うというシステムであることにかんがみまして、今申し上げた指導教員または指導教員の後補充としての非常勤講師については、市町村の要請に応じて都道府県が派遣をする。その場合の給与、報酬の負担は都道府県とするということで地方教育行政組織運営法の改正を行っているわけでございます。  それから、初任者研修の導入に伴いまして、先ほどから御議論ございますような条件つき採用期間、つまり六カ月間は条件のついた採用であって、六カ月を経過すれば本採用になるという仕組みを一年間に延ばしまして、一年間が条件つき採用であって、一年を経過して良好な成績で勤務した場合には本採用となるという制度に、期間の変更をさしていただいておるわけでございます。  なお、この附則におきましては、幼稚園の状況が特別でございますので、幼稚園の実態にかんがみまして、幼稚園教諭につきましてはこのような一年間の大がかりな初任者研修は当面適用しないことといたしまして、法律上は書いてございませんが、教育職員養成審議会等の答申に基づきまして年間二十日程度の初任者研修にかわる研修実施していただこうということを予定いたしております。  それから、この初任者研修を全面実施いたしますためには、相当膨大な準備並びに財政負担あるいは教職員の採用数の推移状況等も見る必要がございますので、とりあえず六十七年度までの間におきましては初任者研修を行わないことができる学校の種類を政令で定めることといたしておりまして、政令の内容としましては、初年度の段階では、文部省の現時点の気持ちとしては、まず小学校からスタートをさせたいと考えているわけでございますが、それらの段階的な実施の措置を附則の中で規定をさせていただいております。
  105. 柳川覺治

    ○柳川覺治君 物事を行っていくのに、それは一気に実行ができればあれでしょうが、何分多くの先生方のことでございますし、またそれぞれの学校の特殊事情もありますから、経過措置である期間を余裕を持って行うということの必要があるということも当然であろうかと存じます。  そこで問題は、長い検討の過程で先生方に一年間の初任者研修機会をということは、これは各方面からの声でもあり各審議会でも論じられてきたところでございます。ただ、それが試補制度でなく従来の条件つき採用の期間の延長という形でございますから、私はそう大きな制度的な改正ではないなというように実は感ずるわけでございまして、教育公務員の特殊事情にかんがみて一年間のゆとりある研修の中で先生方の適格性も考えていく。むしろこのことは逆に、やはり信頼と思いやり、その中における措置であろうというような考え方も私自身はしておるわけでございまして、本当に教員の免許状も持ち教員として採用されたその方々が半年なり一年の、今度一年になりますが、条件つき採用の期間が終わったときにこの人は不適格だということの認定は大変なことでございまして、これから長い人生を教壇に立つというその上から考えて、むしろ教職の道をさらに続けられることは本当に御本人のためにもという観点の配慮がその面にはやはりあるべきだ。むしろそういう観点からの問題が、この条件つき採用に当たっての認定の問題であろうと思います。趣旨はそういう感じで、今後とも従来と変わらなくこの面の取り扱いをしていかれるのか、お答えを願いたいと思います。
  106. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 条件つき採用期間を六カ月から一年に延長いたします考え方は、その職務遂行能力の判断に要する期間を延長することでございまして、判断の基準が変わるわけではございません。判断の基準は、あくまでも教育公務員として生涯教職についていけるのに適しているかどうかという判断でございまして、この点は従来の運用と変わるところはないと考えております。  この場合の条件つき採用期間中の考え方でございますけれども、教員としての職務の適格性の判断というのは、ある程度具体的な行動結果として象徴的にあらわれたもので判断するわけでございますから、従来からの運用と申しますのも、これは余りにもひどいということが顕著な場合にそういった免職処分が行われているわけでございまして、これらの多くは裁判で争われましてすべて裁判所で肯定をされているところでもございます。 現実の問題といたしましては、国民的な要請といたしまして非常に各般の問題教員指摘等もございます。何でこんな教員を採用したのだというような声は、数は少のうございますけれども、そのことが全体の教員の名誉を傷つける結果ともなっているわけでもございますし、また教育に対する信頼を損ねるおそれなしともしないわけでございまして、そういった点を十分な条件つき採用期間に御判断をいただくということが本来でございまして、また仮に向かない方が本採用になられたとしました場合には、そのことは住民からの信頼を失うだけでなくて本人も御苦労なさることである。そういう意味では、その条件つき採用期間を終了した段階での転職をお考えいただくというのが適切な制度ではないかと思います。  もちろん、これは一たん教員に採用した後の事柄でございますから、本人の身分という点では大変慎重に取り扱われなければならない事柄でございますけれども、運用についてはそういった配慮は当然のことながら従来も行われておりますし、今後とも行われるものと私ども期待をいたしております。
  107. 柳川覺治

    ○柳川覺治君 物事は両面からあるわけでございまして、必ずしも管理あるいは厳しさという観点だけの見方でなく、またそれはある面では温かい世界の問題であるという、物事はそういうものだろうと思います。そこのバランスをとりながらいくということであろうと思いますし、教育公務員の特例法でございますから教育公務員なるがゆえの特例が制度上設けられること、そのこと自体については国会の論議を経てお許しをいただける問題であろうと私も感じております。  そういうふうなことで、これから本当に今すぐれた先生方が採用され、そして我が国の教育のよりよき改善を目指して取り組んでいただける世界、その中でこの一年間の初任者研修が本当に実りあるものを生み出していくということにつきましてはまだこれからも大変な努力が要ると思いますが、それには先ほどもお話が出ましたが、やはり採用に当たって的確な採用をしっかり行っていくこと。そして、その人たちが一年間の研修のときに再び条件つき採用の面で問題を生じないように十分配慮していただくことは当然のことであろうと思いますし、またこの研修制度をよりよく効果あるものにするためには、本当に愛情を持って、また細心の注意を持ちつつ実効を上げていくことの配慮があらゆる面から必要であると思いますが、これらの採用の問題、それからこの制度を本当に効果あらしめるための措置につきまして、文部大臣としてのお考えを承りたいと思います。
  108. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 大方は政府委員からもお答えをいたしました。  先ほどから申しておりますように、せっかく御提案を申し上げておる制度でございます。ですから、教員の職務の特殊性というものは本来ございます。それについてよりよき資質を伸ばしていただこうということで、一年間の研修期間を設けさせていただくということになりますと、その間教員方々には教えるということと同時に、一方で研修という学ぶという二面性を持っていただくわけでございますので、その資質、それから職務能力の遂行も、その判断をいたすにはやはり六カ月よりは一年の方がより正しい判断ができるであろう、それはあくまでも教育者資質を高め適性を見る、そしてよき適性の方がより資質を伸ばしていただいて教育に万全を期していただく、そこに新しい二十一世紀を担う若々しい教育とそれから児童生徒との関係が培われる、そういうことを含めまして、おっしゃる意味でこのせっかくの制度を御承認いただきます上にはこの制度を的確に生かしてまいりたい、このように考えます。
  109. 柳川覺治

    ○柳川覺治君 今、親は先生方に本当に神頼みのように立派な先生によって子供を育てていただきたいということを念願しておるわけでございます。 私は、ことし学校の卒業式、入学式に幾つか参らせていただきまして、ちょっと感懐を、二十一世紀を担う若者に問いかけておりますのが、戦前六年間日本に駐日大使として駐在された大詩人のポール・クローデル大使が、昭和十八年のときに、この国は戦に破れる、そのときにこの民族は滅ぼしてはならない民族だと申された。そして、古くからの文化を持ち美しい自然を持つ日本人は貧しくても気高い、ノーブルだと言われた。今日、経済の発展を見ておりますと、物豊かにして心の豊かさが今求められております。私どもは貧乏の中で育ってきたわけでございますから、貧しくとも気高いというのは何となくわかるわけでございますけれども、これからの日本人は、一体豊かで気高い民族だと本当に言われる民族になれるのかどうか、そのことがやっぱり今日の課題であろう、それが二十一世紀を担う若者のあなたたちが築き上げる世界であろうと。  そして、最近おいでになったヨガの修行僧でもあられるマエストロと言われる音楽家が、ハイテクで発展した日本は、一枚の花びら、一本の草木に感ずるその心で、世界の平和と環境の良化の先頭に立ってほしいという言葉を言っておられることを新聞で見ました。何か本当にぐっと突かれるものがあるわけでございまして、そして今や生涯学習時代、学校教育を通じて、また生涯を通じて学習し、よりよき価値ある人生、よりよき世をつくるという時代が起こってきております。そういう中で一番中心になれるのは、やはり私は学校先生であろうと思います。  そして今、文部大臣にぜひお願いし、また私どもも本当に取り組むべきことは、先生を敬い、そして先生の言いつけを守るというここの基本のところを大いに文部大臣も各方面に訴えていただきたいと思いますし、また学校先生方が本当にみずから教職を選んだ自負を持って、そしてこの民族が本当に豊かで気高い民族と言われる人間形成に大きな力をいただくことを念願いたしまして、質問を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。
  110. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 それでは質問をさせていただきますが、質問をさせていただくに当たって、私も四十年くらいにわたる教員生活を振り返って少し感想的なことを述べてみたいと思うんです。  先生言われたけれども、学校先生は幾つになっても、リタイアしても先生と言われると。私も今その場でございまして、今も客員教授で教えに行っておりますけれども、やはり私は、振り返ってみまして、私の出た医学系ですと開業するか研究者、教育者になるわけで、私は後の方だったわけですが、振り返ってみますと、やっぱり教えたということが非常によかったと思うことの思い出が多い、そしてそれは金では買えない、私はそんなふうな心境で、教員でよかったと思っているんです。その意味で、今度はこういう審議に当たりまして、やはり教員の皆さんもそういうつもりで教えていただきたいなと、教員でよかった、そういうふうに思ってもらいたい、そんなようなことが私、今感想にあるわけです。  そこで、初任者研修というところへ入りますけれども、原則的に研修というのは生涯研修だろうと私は思います。大学でいえば、卒業してすぐ助手になんかなれませんので、助手になるのに五年とか、臨床ですと十年かかるところもある。それからまたそれを五年とか何年かやって講師になる。講師になって初めて教員になれる、教えることができるんですね。それまでは教えられないんです。ですから、その間はもう勉強していないといけないわけですね。自己研修なんです。そういうのでやはり教壇に立つまでに相当年数がかかる。ですから私は、小中高、いずれの学校においても、教えるということになりますと、我々にすれば研究だけやっていればいいんじゃなくて、教えるための広い知識が要りますし、ほかの学科との関連もありますし、それは小中高いずれも同じだろう、教育は皆同じだと思うんです。その意味研修はすればするほど多分いいはずだ、いや、よくなければいけない、これはそう思います。  ところで問題点は、初任者研修が今まで二十日間で行なわれていたのが急に一年というところが私には何だかなぜなんだろうな、そう思われるんですね。  それで、加戸局長に伺いたいんですが、今まで二十日間というのはいつごろから二十日と決められたか、その理由はどうなのか、そしてその二十日間の研修以前は研修はなかったのかあったのか、そういったことをちょっと伺いたいと思います。
  111. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 新採教員に対します研修は、昭和四十五年に国の補助制度によってスタートいたしまして、当時は十六日間、言うなれば新任教員に対しまして教員としての心構え、あるいは実践的指導の基礎的な分野といいますか、講義、研修等が中心でございました。それを昭和五十三年度から二十日間にいたしまして、二十日間の研修のうち十日間は教員の心構え、基礎研修、そして十日間は授業研修ということで、例えば先輩教員の授業を見る、あるいは先輩教員の指導を仰ぐというような形で十年間運用されてきたわけでございます。この事柄は、もちろんつけ焼き刃ではございますけれども、やはり実践の場で先輩教員の指導をいただくということが建前でございましたが、このようないわゆる大々的な制度ではございませんから、配置されました学校で適宜そのような研修を行っていただくというのが主体であったわけでございます。  そして、この二十日間の研修でもちろんそれなりの成果はございますけれども、依然として教員資質向上に対します国民的な要請が強いわけでございますし、また各種審議会においても、従来からの流れを先ほど申し上げましたけれども、御意見等もございまして、本格的な、まさに教員に実践的な指導力を身につける、あるいは幅広い知見を得ていただく、教員の使命感を持っていただくいうような考え方で一年間に踏み切ったわけでございますが、基本的には、やはり何と申しましても、そういった研修体制をしくために二十日間程度であるならば現在の組織、体制のままで何とかやりくりできた、その限度が二十日間である。今回の一年間研修といいますのは、例えば必要な指導教員等に対します定数措置あるいは非常勤講師等に対します財政措置、それから県内の取り組みの姿勢、あるいはいろいろな諸般の行財政的な対応というのがなければ一年間の研修といっても実効は上がらない。そういう意味では、こういった大規模な制度としての考え方をとったわけでございます。  二十日間と一年間はなぜとおっしゃられますと、従来からの二十日間の新任教員研修では、いわゆる国民から期待される教員資質向上に資するという観点からはほど遠いという考え方ではなかったかと思いますし、私どもやはり先ほど大臣が申し上げました一年にわたるカリキュラムの展開の中で、一年間先輩教員によるマン・ツー・マン指導等によりまして成果を上げていきたいということで提案をさしていただいているわけでございます。
  112. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 さっき申しましたが、二十日間の研修が一年間になる、今いろいろ御説明ありましたが。何を期待するんでしょうかね、そうすると。一年間にしたことによってどの部分の成果を上げたいと思っておられるのか、そこをちょっと伺いたいと思います。
  113. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 法律提案理由の中におきましては、教師としての使命感、それから実践的指導力向上、幅広い知見を得ていただくという三つの言葉を並べてございますけれども、基本的には、一年間にわたります豊富な教育体験あるいは人生観を持たれた先輩教員からの指導を通じまして、一つ教育に対する愛情あるいは教育に対する使命感を持っていただく、それから実務的な意味で、教師の具体的な事例に即しての教育の、実践的な指導力という言葉を使っておりますけれども、その場その場におきます時宜に適した指導によりまして応用的な動作ができるようになっていくということを期待しているわけでございますし、また、センター等による研修等に続きまして、教育以外の分野の他の施設等の参観あるいは他の企業等の参観等によりまして、広い視野で見ていただく、幅広い知見を持っていただくということでもございますし、それからセンター等の研修で他校種の教員あるいは県内の教員、あるいは洋上研修によりまして他府県等の教員との交流を通じお互いの悩みをぶつけ合い、そしてお互いの間で問題解決の方途を探るという傾向を持っていただく、つまり教員が自立して自分の個に即した、個性を生かした教育指導ができるということを期待している次第でございます。
  114. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 人間形成とか使命感とかというふうなお話ございましたが、教員養成大学、専門の教員養成施設を出た人とそうでない人との比率はどれくらいになりますか。
  115. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) ちょっと今手元に数字を持ち合わせておりませんが、小学校につきましては教員養成系の大学学部を卒業された方が圧倒的に比率としては高いわけでございます。まずほとんどの数字かと思います。それから中学校、高等学校段階につきましては、教員養成学部といわゆるそれ以外の一般大学学部の比率は半々程度ではなかったかと思っております。——  今、数字がありますのでお答えさしていただきます。  小学校につきましては、大学卒業の採用者数が五千二百六十一名中、教員養成大学学部の卒業生が四千四百九十一でございます。それから中学校では、大学卒業の採用者数が五千九百二十六のうち、教員養成学部卒業者が三千四百五十六でございます。それから高等学校につきましては、四千四百八十六名大学卒業者採用者中、教員養成学部の出身者は数が非常に少のうございまして七百六十六でございます。
  116. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 それを伺いました理由は、教員養成大学は、少なくとも四年制を今想定してお話を聞いたつもりなんですが、教員養成大学に入ったからにはその四年間で教員であるべく目指した人たちであり、そのつもりで教育を受けているわけでありますから、使命感とかそういったものが卒業の段階で、つまり教員の資格試験を受ける段階で、もう相当な自分の覚悟ができていなければおかしいと僕は思うんですよ。したがって、それを二十日間の研修あるいはこれを一年になさろうとする、一年でそういうことが急に養成されるとお考えになるのだろうか。そこが私ちょっと不思議なんですけれどもね。  我々医学部に入ったときに、医者になろうと思って入っているんです。卒業してから教育を受けて医者になりたいなんて思って来ているんじゃないわけです。教員だって同じだと思うんです。ですから、その辺を、一年の研修で何を期待するかというのは、そういう抽象的なお話では私はこれはわからないですね。いかがでしょう。
  117. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) もちろん教員の使命感あるいは実践的な指導力、幅広い知見、すべての話ではございますけれども、使命感につきましてはやはり学校段階では抽象的に教員を志望されていらっしゃったとしても、やはり学校現場へ参りまして子供たちと接する仕方の中でその使命感はおのずから培われていくものではございますが、と同時に、やはり先輩教員が、教育に一生をかけていられる方の豊富な経験あるいは人生体験に基づくいろいろなアドバイス等によりましてなおその使命感は高まるものではないかと私ども考えている次第でございますし、特に実践的な指導力につきましては、個々具体的な教え方あるいは児童生徒の気持ちの理解の仕方、指導の仕方というものは、やはり学校における理論の基礎がございましても、実際の問題としては学校現場におきます先輩教員による指導の方がはるかに身につくことではないかと思います。  しかもまた、そういった指導力をつけ、子供たちから信頼されるようになり、そしてそれはなお自分の使命感を高める結果にもなるのではないかと思います。
  118. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 ここで大臣に伺いたいと思うんですが、研修は何のためにするのかということを今伺ったわけです。研修のあり方のフィロゾフィーですね、これを大臣はどう思っておられるか、それを伺いたいと思います。
  119. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 私は二つの面があると思います。  御質疑の当初に先生が触れられましたように、研修というのは、ある意味では生涯研修であろう、私もそう思うわけでございます。特に、教特法の十九条に、絶えず研究修養すべきであるという意味のことが書かれておりますのは、まさにその点が指されておりましょうし、そしてそれは自己の研修意欲と同時に、やっぱり任命権者責務として相補い合いながら研修は続けられるものと思っております。  その一方で、それでは初任者の間を、期間を区切って研修をさせるというものは、では何であるか。生涯学習の中で、なぜそこに必要かということになりますと、私はそれぞれの方々が目的を持って資質を磨いてこられたと思うのでございますけれども、やはり人と人と、人が人を教えるという重要な職務の特殊性もございます。  一般に、機械を相手にし、あるいは経営を相手にいたしましても、初めての社会人としてその場に立ちますときには、それなりの研修が必要だと思いますが、特に人と人でございますから、そこにはやっぱり今言われた中で実践的な指導力というのは、人が人を教える教壇に立たれて、いろいろな事象にみずから体験される。それで、その解決あるいは考え方あるいは指導の方法、こういった面で先輩のより円熟した指導者のアドバイスを受けるということは非常に大切であろう。  そして、それが何日が適当であるかということは、これは御議論があると思いますが、それでは一つの期間をどこでとろうかという場合には、私は教育のカリキュラムの単位は一年というふうに考えますので、やはり一年を通して、そして児童生徒の育成と、それを教えるという立場において一年を通して体験し、そして教え学ぶという単位は一年が適当ではないだろうか。その一年の間で適当な範囲で先輩の指導を実践的に仰ぐ、これは私はやっぱり考えられる生涯研修の中でとれば、一年というのは適当ではないだろうか、私はそう考えておるわけでございます。
  120. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 研修の必要性の中で、教育の実践的訓練というか学習というか、おっしゃったと思うんですが、そうすると、非常に技術的な言葉で言えば教育テクニックということかなと思いながら伺ったわけです。  確かに、どうも医者と比較して申しわけないんですが、医者にもインターンなんというのが昔ありまして、これは今なくなったものですから、比較しようと思えばできますけれども、やっぱり要るんです、医者も。ただ、医者の場合はインターンの有無に今かかわりなく申し上げれば、昔から言われているのは、十年たたなければ一人前じゃない、つまり一年やったからパーフェクトかということなんですよね。パーフェクトなんてあり得ないわけです。ですから、私は研修の期間というものに今こだわって質問をしているわけです。  それから、もう一方、教育は人なり、本当にそうだと思うんですね。知識の受け売りだけなら学校でなくてもいいのかもしらぬ。コンピューターだとか、それから映像を使えばいいのかもしれませんが、人間と人間の触れ合いということが非常に重要な要素にはなっております。ですから、そういう意味の人間形成教育ということが非常に重要だと私は思います。しかし、人間形成というのは、まだ新任教員は二十二歳でございますから、その人が人間形成ができていると思うかですよね。ちょっと厳しいと思います、この話は。  私は、自分でいつも振り返るんですけれども、私は自分で学問の上でもパーフェクトであったなんて思ったことは毛頭ありませんし、権威があると思ったことはございません。知っていることは知っているが、知らないこともある、なるほどと感心することもいろんなことがありますので、自分は常に未熟であると思い続けて今日まで来たわけです。ですから、そういう意味で、教育は人なりと、だから教員は特殊性があるというのは、私は少し教員に対する非常に酷な要求ではないだろうか。これはもう私は本当にそう思う。自分がそうだからそう思うんですけれどもね。  ですから、そういう意味で、研修を一年にするということに対する私の抵抗感は、なぜ二十日を急に一年にしたか。第二番目の質問は後で言いますが、それをどうして条件つき採用と一緒にしたか。私はここにやっぱり非常に僕自身の抵抗感もあります。おかしいではないかというのがございますが、これは後でいきます。今、研修に絞ってやらせていただきますが、加戸局長の大変流暢な音楽的リズムに乗ったお話を伺っていると、どこが間違っているかわからなくなっちゃうことがありますので、これからは少し心して、少しは角が立つかもしれませんが、質問をさせていただきたいと思います。  二十日間で研修がうまくいかなかったという反省をしておられるわけですね。いかがでしょう。
  121. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 研修は多ければ多いほどいいとは申し上げませんけれども、少なくとも過去の二十日間の研修によりましては十分な期待にはこたえ得なかったんではないかということは、教員資質向上を求める各般の声が従来よりも低くなってはいなくて、むしろ高まってきている。それはもちろんいろんな要素はございましょうけれども、やはり一つの大きな事柄としましては、研修に対する取り組みが従来のような研修への取り組みでいいのかという声は各方面からも出ておりましたし、また、その二十日間の研修によって教育が一段と向上した、先生資質が高まったというような形では、そういった反響が返ってこなかったということを私ども感じているわけでもございますし、二十日間が、やらないよりはもちろんやった方がいいわけでございますから、それは、やる以前よりはよくなったということは言えるでしょうけれども、それによっては十分な一般国民側のあるいは期待というものにこたえ得なかったというのが主たる理由でございます。
  122. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 年々歳々卒業生が出て、年々歳々教員も時代が変わってチェンジしていっているわけですよね。ですから、それは連続的なものなわけですが、そうすると、ことし出た新任の初任者も去年出た人も、一昨年は全員一年間の試行もなくて二十日間でいっているわけですね、それ以前。そうすると、二十日間の研修はむだであった、ほとんどむだに近いんじゃないか、一年と比べると非常に短いですからね。だから非常にむだであったのか、あるいは全く未熟なままでその人たちは教員になっているのか、それでは地域社会でもう非常にたくさんの人が、百万人に上る先生がおられるんですが、それがほとんどやっぱり研修を受けなかったためにできの悪い先生がたくさん出ちゃったのか、どんなふうに思っておられますか。いかがでしょう。
  123. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 二十日間の研修を受けた方、あるいは全然研修を受けられなかった方のその資質が全く向上しなかったとは申しません。当然その学校の中で教育活動を展開している間に、みずからも磨かれていくわけでございますから、それぞれの資質は高まっていっていることと思いますけれども、しかしながら、現在の教育界に対します国民各般各層からの声と申しますのは、教員資質向上を求める声が圧倒的でございます。  そういった点で、今の状態よりもよりよくしたい、そのためにはどういう方策があるか。いろいろあり得ると思いますし、そのためには御指摘いただいた事柄も、例えば教員の養成段階がこれでいいのか、どうしたらいいのかという問題、あるいは採用段階におきます選考の仕方、そして研修の仕方、研修も現職研修の中でライフステージの中で育っていく事柄でございますけれども、特にまだ十分な実践的指導力を身につけない段階で学校を出てすぐ教壇に立たれるわけでございますので、鉄は熱いうちに鍛えろという言葉が適当かどうかわかりませんけれども、一番実践の場に即してすぐ指導を受ければその先生方の力はつくであろうという考え方で取り組ませていただいているところでございます。
  124. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 この辺が少し角が立つかということになるんですが、鉄は熱いうちに打てというのは自分の思う鋳型にはめようということになるのではないか。  先ほど大臣もおっしゃっていますが、個性尊重というのがしょっちゅう出てくるわけです、私は気に入らない言葉なんですけれども。だけれども、そうおっしゃっているから今使わせてもらいますが、個性を尊重すると言いながらやっぱり熱いうちに個性を変えて——変えることはできないんですね。できないんです。幾ら熱いうちに打ったってだめなんです。どこかおかしくなるだけで、個性は変わらないと私は思っております。この辺は間違いなく申し上げておきます。そういうことですから、個性を尊重するという意味研修のあり方ということに対する反省はないのか。  よく官製研修という言葉を使われますが、私はよくわからないんです、これも。官製研修というのはどういうことなんだろう。少なくとも、多分金は政府側で用意しないとできないから、中身が問題なんだろうと思うんですよ。ですから、個性を尊重するような意味研修は、せっかく一年にもししようとするのであれば何かお考えがなければいけないのではないかと思いますが、どうでしょう。
  125. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは試行の段階からそうでございますが、先輩教員による指導の場合に当たりましては、それぞれの個性に即して教員が伸びていく発達段階に応じ、その教員が何を問題とし、何を悩んでいるのかという、その新任教員からの問いかけに対してアドバイスができるような形での指導をしてほしいということを申し上げておるわけでございまして、それは初任者皆それぞれ個性が違うわけでございますけれども、その方なりに自分の不得意の分野あるいは問題と感じている分野についての解決への糸口なりあるいは指針なりを与えてあげる。それをその方がどのような形で受けとめるかというのは本人自身の問題でございますけれども、その本人が自立していけるような援助をしていただくということを、今の指導教員による指導によって期待をしているところでございます。
  126. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そこがちょっと問題があると今思っているんですけれどもね。  指導教官のお話が今出ました。それから、指導を受ける初任者がいるわけですね。お互いに個性が違う場合のお話が今出ておったんですが、相互尊重なんてあるのかな、それとも指導をする側は強制的に自分個性を押しつけることになるのではないか、相互尊重ということはあり得るのか。だから、個性尊重という言葉を余り簡単に使われると私はどっちが尊重されるのかと言いたいんですが、いかがですか。
  127. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 例えば、児童生徒への接し方あるいは指導の仕方、それぞれ持ち味が皆違うと思いますし、先輩教員もみずからの長年の体験によって経験則として、このような指導をすればうまくいった、このような指導をして失敗したという経験をお持ち合わせでございましょう。それはすべてとは言いませんけれども、おおむね正しい場合が多いのではないかということ、それで過去はうまくいった例があるよということを参考として投げかけられれば、新任教員もそれが一つの指針あるいは考え方の判断の材料となり得ると思います。しかし、それをうのみするのではなくて、自分なりにそしゃくしていただきたいことでございます。そして、その結果はまさに児童生徒との接した中で成果として出ていくものでございますから、その指導を受けた結果うまくいった、あるいは指導を受けた結果まずくいくこともあり得ないわけじゃないと思います。  それは同じ指導教員初任者と申しましても、それぞれの感覚の差があり得ることでございますけれども、やはり長年の豊富な体験に裏打ちされた経験則に基づくものというのは正しい場合が多いのではないかということは、一般的傾向として私は言えるものと思っております。
  128. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そこがまたちょっと私と違うんですけれどもね。  私は、大学紛争を今思い出したんです。大学紛争というのは若い学生たちが新しい時代、要するに日本の古来の伝統というようなもの、しきたりというようなものすべてを否定するような立場で反乱をしてきたわけですね。大学側は、今まであった規則が一番いいものだとその規則を守り続けるわけだ。それでこれに反するものは罰するというわけだ。学生たちは、その規則はあなた方及びもっと古い人が決めたのではないか、だからそんなものは今の時代には合わないんだから新しく規則をつくろうではないか、それから出発しようではないか、これの争いですね。非常に簡単明瞭にいえばそれです。  私は医学部長を六年勤めた理由は、私は学生の言い分はもっともだと思ったからです。決して僕は迎合はしません。迎合はしませんが、なるほどそうだ、今までの規則が悪いかもしらない、それなら直そうではないか。学生たちと同じスタートに立ったんですね。その論理を展開して、我が日本をどうしたらいいか、我が大学をどうしたらいいか相談しようではないか。これが私の考え方です。そして論争の結果、常に私が学生を納得させたということです。  もう一つあるんです。学生が年寄りは死ぬんだからと言っているのは、本当に嫌らしいことですね。本当に嫌らしい話だけれども、今自分たちは二十歳だ、あと二十年たてば四十になる、おまえたちは七十ではないか、死んでいるんじゃないか、日本はおれたちがしょっていくんだぞ、こう言われて、このやろうとは言えないんです。そのとおりなんだ。生物学的なこれは事実なんですよね。そのときに、我々は我々の固定的な経験則で彼らを本当に圧倒していいのだろうか、規則で切っていいのだろうか、そうではない、納得させなければこの若者たちは大きくなってどうするだろう、我が日本をどうするだろう。おれは死んでいるかもしらぬが、日本をどうするんだ、これがあったわけです。  ですから私は、根底にはいつもやっぱり学生が日本をしょっていくんだ、だからこの人たちの考えにおれたちの考えを少しでも取り入れさせよう、いいところはとってもらいたい、悪いところは捨ててもらおう、この考えですね。ですから、そういう考えでやってきたので、指導する側が常に正しいという考えは、その人がそれまで持ってきた日本古来の考えなんでないのかなと今思ったわけです。それではやっぱり将来を若い教員に預けていけないんではないか。だから、先ほど相談をしたかとか、どのグループに言われたか忘れましたけれども、やっぱり納得をさせていくということが、我が国の将来を預かってもらう若者に必要なんじゃないか。だから、そういう思いでいますと、相互の個性尊重というのは、どっちに軍配を上げるかというのであれば、やっぱり若い人に何とかしてもらいたい、こう私は思いますね。  そういう意味で、個性尊重という、僕は個性というのは嫌いだと申し上げましたが、個性むき出しではだめなんですよ。やっぱり個性というものは、いい点を伸ばし悪い点を抑えていく。どうして抑えられるか。周りから言ったってだめなんですね、それは。自分でそれをちゃんと会得して、そうして自分の悪い点をよくわかって、そいつを抑えていくという、これが教育環境ですよ。その教育環境の中の要素の一人が教師でありまして、教師がその子供たちの人格形成に決定的な存在ではありません。そんな神様なんていないんだから、決定的ではありませんね。期待される教師像というのはありますよ、それは。あるけれども、神様のように思って考える必要はない。つまり、そんなに厳しければいいというものじゃないです。厳しければ黙ってしまうだけではないのかな。  あの大学紛争は黙っていなかったです。だからよかった。そのときに大学臨時措置法ができたおかげで学生は言わなくなったんです。何だか少し脱線して済みませんが、私は大学紛争のときに国がもてあまして法律でこれを罰しようとしたところに大学の活性化が失われる非常に大きな原因があった。私は、さっき申し上げましたが、学生とは団交を喜んでやりました。論理は展開しよう。暴力団じゃないんだから、お互いに。論理でやりましょう。大学の存在理由は論理だ。私は若者だって同じだと思いますよ。やっぱり論理こそ一番大事な武器なわけですよね。腕力じゃない。暴力ではない。論理ですよ。  何だか少し話が飛んでしまいましたけれども、私は研修のあり方ということはそういうことで考え直す必要があるんじゃないか。教育のテクニックは一年やればいいんじゃない。臨床の医者のことをさっき申し上げました。十年やる。たった一年でだめ。それでなくしたかどうかわかりませんが、医者はインターンがなくなっちゃった。アドバイスしているんです。リコメンドしているんです。しかし、やらないから罰するということはない。資格試験は通っているんです。臨床は知らなくても、大して知っていません、だけれども、医師免許状を持っていますから。インターン要らないんですよね。しかも、教員と医者の違いは、医者というのはまかり間違えばその人の命にかかわる診断と治療をしているわけです。決定的要因なんですね。教員は決定的じゃないんだ。大したことないんですね、子供たちは。だから、その社会、教育環境と私申し上げたのは、教師は学校における数時間の教師であって、家へ帰ればお父さん、お母さん、兄さん、その周りが教育環境にある。そして、町へ出れば社会環境がやっぱり教育ですよ。新聞にいろんなことが出るんだから、やっぱりそれをみんな見て子供たちは成長していくんです。幾ら学校先生が倫理を説き、うまいことを言っても、社会がだめならだめなわけだ。  ですから、少し教育の非常に広い環境に触れましたけれども、私が言おうとしたのは、教員だけにそんなに大きな責任をしょわせるような考え方は私はやっぱり間違いではないかということです。何を言おうとしたかわからなくなっちゃったけれども、まあ大体言っていることはおわかりになったと思うんです、言っていることはですね。  そこで、今度、私はこれから指導教官の選び方とか、そんなことを少し聞いてみたいんですけれどね。研修にかかわる人的及びその他の経費とか財源とかということがいろいろと聞かされておりますけれども、それは義務教育の小中においては二分の一を自治体が持つんでしたっけ、非常勤講師は全額自治体でしたか、私は二、三年前に教育国庫補助が削られたと思っていたら、聞いてみると、これは自治省の交付税の中に入って、一般財源に入っているから、そこからかすめ取るといっておられるようであります。それは力関係があって取れるかどうかわかりませんが、貧乏県と豊かな県がありますね。ですから、あのときにも私質問しましたが、貧乏な県は教育費は減るのではないか。そうすると教育格差ができてくる。それこそ、国としてはむしろ問題ではないのか。今度、再び市町村に割ったらどれくらいになるのかわかりませんが、かなりな額がまた持ち出しになるんだろうと思うんです。  私は精神論だけで教育ができるとは思っておりませんので、教育にはやっぱり施設も要るし人手も要ります。それだけのやっぱりサポートをしてやらないとできないと思うんですよね。だから、研修を進めていくための私は経費が自治体負担の分が少し多いのではないのか。これは私、結果としては減らされていかないか、つまり交付税の方がですね。減らすという意味は、自治体が使う分ですよ。だから、そういうことが非常に気になるんですね。そして、例えば旅費なんかも外されておったわけですよね。旅費は外されているんです。旅費はたしか研修なんかにも使っていたと思うんですよね。自分研修に使われたと思うんですが、その旅費もひょっとしたら満額取れればいい方で、取れないかもしらないということじゃないのかな。そうすると、この研修が、旅費等については初任者については支給されても、中にいる先生方が自主研修ということでどうなっているのかな、こんなふうな気がするんです。これについて大臣、大分熱心に聞いてくださったから、大臣、コメントを。
  129. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 予算上の仕組みでございますので、私の方からお答えさせていただきます。  例えば小中学校教員の例をとらせていただきますと、教員の給与費は御承知のように全額都道府県が負担をし、その二分の一を国庫負担する仕組みでございます。それから、小中学校の非常勤講師につきましては全額を市町村が負担する建前でございます。それから、旅費につきましては現在都道府県が全額を負担する仕組みでございます。  今回の初任者研修に関しましては、今の小中学校初任者研修を例にとらせていただきますと、定数につきましては、これは定数上の措置をいたしまして、二分の一国庫負担、残りの二分の一を都道府県が負担するという仕組みになります。それから、非常勤講師の措置につきましては、今回提案申し上げております中で地教行法の改正をいたしまして、都道府県から非常勤講師の派遣を求めることができる制度といたしておりまして、現在、試行段階におきましては二分の一の補助を行っておりますが、これを本格実施に際しましても二分の一を国の補助の措置をしたいと考えておりまして、残りの二分の一は市町村負担ではなくて都道府県の負担としていただく考え方でございます。  それから、旅費につきましては、これも全額都道府県負担でございますけれども、今回の初任者研修試行段階におきましては、その初任者研修試行に必要な旅費の二分の一は国庫補助をいたしておりますが、本格実施の段階におきましても国で二分の一の措置を講ずるという考え方で、来年度本格実施の要求をいたします際には文部省としてそういう対応を考えているところでございます。
  130. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 大臣、何か。
  131. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 今の国費、それから地方の費用の面と同時に、その前の御指摘についても拝聴いたしておったところでございます。  先生は御経験もございますし、一つ教育者としての御見識を御披露いただいたわけで、確かに前段の部分も拝聴いたしておったものでございますから、したがって研修というものは確かに一年で全うできるものかどうかということについては、一方で確かに生涯かけての研修であろうということと、それからまた生徒は先生のお姿を見ながら、それが全人格の完成という方は生涯かけてもなかなかいらっしゃらないわけでありますので、そして先生が常々おっしゃる個性という言葉は避けても、個の素質というもの、これにも先生はいい素質と悪い素質とある、これは御持論でございますので、いい素質をさらに育てるという意味で、生徒は先生を師とするでありましょうし、また先生はさらに先輩先生を師とされるだろう。これは学校の中においても、家庭の中においても、社会の中においてもそうであろう。それが一方では生涯学習の生き方の中で先輩方々に生きがいを感じていただく。そして先輩の生きた教訓の中から後輩はそれを学び取る。すべて先輩の像が完全であって後輩の像は全く不完全である、こう決めるべきものではない。  ただ、そういう学び取るところは生きた中から学び取るところが多かろうな、こういう感じで前半拝聴いたしておったものでございますから、前半のお答えとしてまず申し上げますのと、それから後半につきましては、政府委員が御答弁いたしましたとおりでございますけれども、全体でこれを施行した場合に八百億、そのうち国の負担が二百八十億と、こうお答えをいたしますと、国の負担もふえることながら地方の負担、それから地方の負担が果たしてそれで万全を期せられるであろうかなという御心配、それについては私どもよく考えていかなきゃならぬ、こういう印象を受けたということをあわせてお答えをいたしておきます。
  132. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 今申し上げたのは国の負担のことと、もう一つが豊かな県とそうでない県とで教育に対する費用の出し方が一般財政からということになると非常に困るんじゃないかということを申し上げたので、その点し十分に考慮していただきたいものだと、こう思うわけです。  そこで、指導教員のことなんですが、レギュラーに九千人ですか、それから非常勤で八千人ということです。相当な人数だと思いますが、これの国家試験なり適格性試験なり、客観的な試験の仕方とか何かあるんでしょうかね。だれが、そしてどこでやるのか、ちょっと伺いたいですね。
  133. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今回提案申し上げております改正案の中におきましては、新任教員が配属されました学校の教頭、教諭または講師のうちから命課することといたしておりまして、この考え方は配属されました学校の中で、例えば配属された教員の教科領域によっても異なりますけれども、それと同様な領域について十分な力量を持っている、あるいは初任者に対しまして人生の先輩としまして初任者の悩みにこたえる力を持っているかどうか、あるいは全校的な視野に立って指導できるかどうか、こういった観点から学校の中でお選びをいただくという建前になっているわけでございます。  したがって、これは県の人事配置計画にもよりますけれども、このような新採教員を配置するのでこのような指導教員、要員を配置するという場合もございましょうし、あてがいぶちで現在の学校の中で選ばれる場合もございましょうし、あるいは学校の中に適任者がいないから非常勤講師として例えば退職教員を活用する、あるいは他校からの応援を求めるというケースもございましょうし、その辺は一般的に試験、資格ということではなくて、その学校において先輩として指導に当たれる力量の方をお選びいただくということで考えているところでございます。
  134. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そこで、円熟した先輩というのがたくさん出てきたわけですが、九千人プラス八千人、一万七千人の円熟した先輩というのは、何だかみんな円熟しているんじゃないか。三万人新任者が入ってきて、出ていく人が二万人ぐらいいるんじゃないでしょうかね。三万人じゃないな、途中でやめたり亡くなったりしますから、三万人入って三万人は出ませんものね。二万人だとすると、ほとんど全員ですよ。全員円熟した先輩になるのかなと。  円熟したというのは、先ほどちょっと申し上げました、つまり円熟というのは裏の声を聞くと頑迷固陋というふうに聞こえる場合もあると思うんですね。老練なというのは頑迷固陋と聞こえる。もっと現代的な、もうナウくないのかな、言葉で言うと、新人類は化石人類とは合わないと言うかもしれませんね。それに近い落差があると思うんですよ。  それで、個性尊重だとかいろんなのが出てきたんですが、私は若い人のことをわがまま勝手にさせろと申し上げているんじゃありませんが、ちゃんと納得させる理論があればいい、そういう意味で、私は試験があってこれを通ったかとか何かあるのかなと思ったんです。つまり公平な選択ではないのかもしれないということをちょっと思ったわけです。  もう一つは、せっかく仮に一年と今、私の結論は一年じゃないんですけれども、仮に一年研修する、一年間だから性格の不一致は我慢すると。夫婦みたいに一生なら何としてもやめたいというのがあっても、まあ一年なら我慢しよう。何を言われてもはいと言って知らぬ顔、聞かないでいればいいわけですよね。だから、そういう性格の不一致があったときに、お互いに相手を選ぶ、先輩もあれなら嫌だとか、見合いをした結果嫌だと言えるのか、何かそれはどうなっていますか。
  135. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 指導教員は、当該学校先ほど申し上げた教頭、教諭、講師の中から教育委員会が命課するわけでございますので、職務としてこの後輩教員の指導に当たれということになるわけでございますから、拒否することはできないわけでございます。  しかしながら、これは非常に不幸せなことでございますけれども、仮にそのような不一致があった場合、指導教官を変更するということは当然理論的にも考えられ得ることでございますし、一方、新任教員の方は合わないから学校を変えるというわけにまいりませんから、それはどうしてもその場合の対応としては、指導教官の方を変える方向が選ばれる可能性の方が高いであろうと思います。
  136. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そのときに調停を願い出る裁判所があるのか。
  137. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これはそういった形の救済措置に関する規定措置等はございません。具体的には学校の中で御判断いただいて、教育委員会がお決めになることであろうと思います。
  138. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 私は、そのときは、我が日本社会というものと欧米社会との大きな違いは、プライバシーが守られないということだと思うんです。調停裁判を願い出た人が、あいつはこんなことを言ってきたと評判になりますと、受け入れ側がみんな拒否をする形をとるんじゃないか。私は日本社会というのはプライバシーが守られないというふうに思いますね。だって、閣議でもそうでしょう。箝口令をしいたとか門外不出だと言っていますといってテレビで言っているんだから、あれは門外出なんですね。閣議というお偉い方々のお集まりでも門外不出はだめなんですね。プライバシーなんていうものは我が国はほとんど守られないんです。ですから、今加戸局長が言われたそういうのは理論的にはある。しかし裁判所はない、プライバシーは保障されなければ、やっぱり黙って貝のようになっていた方がいいのかどうか。  ですから、これは不幸ですね、一年間の研修はマイナスに働きますから。だからこれはやっぱりちゃんとした救済措置というか、性格の不一致はマン・ツー・マンだからあるんですよ。複数ローテーションなら、変な人が来たときにはそっぽを向いていればいいし、いい人が来たときににこにこして五倍ぐらい勉強すればいいんですからね。なぜローテーションしてくれないんだ。マン・ツー・マンなんですからね。これは考える必要はあるんじゃないのかな。どうでしょうか。
  139. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) これは今政府委員からお答えをしたとおりでございますが、一つには確かに字句の上でマン・ツー・マンという感じをあらわしておる点がございますけれども、これはあくまでも指導教員初任者が中核になっていくものでありまして、あと二つありまして、一つ学校全体がマン・ツー・マンだからといって、全くAという指導教員とBという初任者をこれを全く門外に置いて、あとはさわらずという社会でもないと思うわけでございます。  したがって、学校全体が、校長を初め同僚、先輩教員がサポートしながら行っていくべきものがやはり社会であろうと思いますし、またもう一つは校外研修、あれの場でそれぞれの場から集まられますですね。あるいは洋上研修ということになりますと、各県を越えて集まられるわけでございますから、そのときにそれぞれの研修期間中の体験を話し合う場もございましょうし、あるいは県を越えて自分のあり方とか悩みとか喜びとかを示し合う場もあるわけでありますから、そこは私はそれぞれの判断基準と申しますか、そういうものではマン・ツー・マンというから世界の中で二人だけということではなかろう、私はそういうところでやはり健全な良識のばねが働いていくのではないかと、私はそう思っております。
  140. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 先ほど局長さんの答弁にもたしか洋上研修か何か出たと思うんですが、洋上研修というのは大変聞こえがいいんですけれども、人数は八百人からですよね。だから確率で言うと三万分の八百でございますから非常に確率が少ないので、ないよりはいいと申し上げますけれども、ちょうど二十日間を一年に延ばすぐらいの大きさの違いがあろうかと思うんですよ。  それで私は、研修に対する私の考え方を申し上げますと、局長は評価をするのに半年よりもよりパーフェクトにとおっしゃったと思います。しかし、評価でパーフェクトなんてことは——これは後でまた申し上げます、条件つき採用の方がこのことで入っていけますから。すぐ脱線をするといけませんから、これは後でお話をいたします。  研修の効果を私思うんですけれども、変な話だけれども、さっき言った医師という人間の生命を預かる非常に決定的な役割を演ずるのでさえも今なくなっちゃったと。いい悪いじゃないんですよ。ないということです。ですからそれが一つある。こちらは、私言い方は悪いけれども、子供の人格形成に決定的な役割を果たしているとは思っていませんから、その中の一つだと思っている。ですから、そういう人たちに完璧を期す研修ということを一年で期待するなんということはあり得ないし、人間形成であれば、その人自身二十二歳くらいで何が人格形成か。自分が何もないのに、もっともっと人格を陶冶してもらわなきゃいけないんだから、一年という期間は、私は便宜的に決めた期間ではないかと思うんです。半年でもいいです、三年でもいいです、それは同じことなんだから。ただ、完璧は期されないという条件でなぜ二十日だったのを急に一年にしたか。世の中、やっぱり一挙に革新的なことをやると普通は保守系は文句言うわけですよ。ところがこの場合は、保守系が革新的なことを計画しておるという大変不思議な状況でないかなと思う。私みたいにやや保守的な人間がやっぱり反対したいような革新的なやり方なんですね。  それで、私は原則は自分では変えないんです。研修は必要だ、これは原則です。しかし数字の妥協はあってもいい。だから二十日から一挙に一年に飛ぶんではなくて、半年でどうだと、こう思っているんですが、これはやっぱり局長でしょうね。
  141. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 先ほど大臣も申し上げましたが、学校のカリキュラムが一年がサイクルででき上がっている。そして、教育活動の展開がそのような形で行われ、学年を単位として最終的な生徒のその学年における指導が終了し、あるいは指導要録の記入をもって終わるという、そういった学校仕事の流れがあるわけでございまして、その一年間の学校経営の計画あるいは学級計画あるいは学習指導の計画に従って教育活動が展開されるわけでございますので、その一年間の流れにわたって先輩教員による指導を受けることが適切だということが基本的な理由でございます。  そして、この研修自体が組織的、系統的に行われる必要があるわけでございまして、その場その場の断面的な指導ではなくて、まさに流れの中で日々の実践例に即した指導を行っていただくということでございます。  それから第二の理由といたしましては、このような大がかりな研修をいたします場合には、先ほどから申し上げております指導教員につきましての定数措置あるいは指導教員の後補充措置等が当然ございまして、定数関係の措置をする場合に、六カ月の定員とか三カ月の定員という措置を行政的あるいは財政的にもしにくいわけでございまして、また、ある一定の期間は指導教員になるけれども、そのほかの分野は指導教員をやらないことになりました場合の例えば校務分担、分掌上どのような形になるのかという学校の人的構成の面への影響もございますし、一年単位でございますと、その辺が行財政的にもみごとに解決をすると、そういうような二つの複合的な要因もございます。  さらに、従来から申し上げております試補制度あるいは初任者研修といった流れの中の戦後の提言がすべて一年単位でございまして、一年間の実地訓練ということを長年の間各般の審議会等からも求められてまいったという要素もございまして、それらのすべての数字が、先生数字の変更とおっしゃいましたけれども、一年という数字にすべての方向が合致をしているということで、このような提案をさせていただいているところでございます。
  142. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 これに対しては現場を余り知らない私が言うのはおかしいんですが、知らないからまた画期的な提案ができるのではないかと思って提案をいたしますけれども、例えば入試の分離分割みたいなもので、新任者をAグループ、Bグループで分ける。そして一カ月交代で、あるいは一週間でもいいですよ、一カ月交代で先生がつく、Bグループはつかない。次の一カ月は今度Bグループに先生をつける、これはつかないと。そして教えてもらって、なるほどと思ったのは先生がつかないでやってみる。先生がついていると何かびびるからね。あれはびびらぬ方がいいと思うんですよ。自分が一番偉いような顔してやらしてみたらいいじゃないか。これを交代にしていくと、教官は、理論的に言えば円熟した老練なお方ですから、今月はA、来月はBをやっても老練ですから大丈夫だと思うんです。  それで、この人は、一カ月置きなら一人で一年間雇うことができるわけだ。それからAグループで最初指導を受け、その次は自分だけが偉いような顔してやってみる。またその次教えてもらってなるほどと、こういうのがむしろ実践的ではないか。いつも先生が教えていると、おまえ間違っている、間違っていると言われていたんじゃ、やることないわけですよ。ですから、自分でやってみてぐあいが悪かったら直してもらうという精神も要るのではないかと思うんです。だから今の一カ月交代という手があるわけですよ。そうすると、一人を雇って二人、A、Bグループ分離分割という入試方式を取り入れてみる。これはあり得るわけですよ。現場を知りませんので、多分加戸さんならまたちゃんとした答弁があるかなと思うので聞かない方がいいような気がするんですけれども、そういうことをやり得るわけだ。  それで私は、研修の効果を一人でやらしてみるというところがむしろ非常にいいんじゃないか。さっき申し上げたように、これで決定的にこの子供はおかしくなるわけじゃない。一カ月たったらもう変になっていたというのなら困りますけれども、そういうことはありませんからね。ですから、ちゃんとやった方が私は効果があるんじゃないかと思う。それから八百億が四百億で済むんじゃないか。非常にアバウトでございます、アバウト。せっかく取った予算は、それは教材、旅費に回しちゃったらいいなんというようなことを素人としては考えたんですけれども、いかがでしょうか。
  143. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 一つの御意見でございますが、やはり学校と申しますのは、当該学校の持っております教育目標があるわけでございますし、学校経営の一環として学級があり、そして個個の生徒指導が行われるわけでございますので、その指導教員を当該学校教員の中から選ぶシステムをとっておりますのも、当該学校教育の一環として先輩教員が新任教員を指導していただくという仕組みにしているわけでございますので、先生のように一月ごとに学校をくるくる変わられましたら、その学校の指導目標なり方針に合わせた形で、この事例に即して指導することが果たしていかがかなという疑問も私持たしていただいたわけでございます。  決してお言葉を返すわけでございませんが、一つの方法論と思いますけれども、今の一年間の当該学校で掲げました教育目標の中で個々の具体的事例に即して指導する形が一番適切ではないかと思っているところでございます。
  144. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 私、学校を変わるというんじゃなくて学級を、同じ学校で二人いれば一人でやれるという意味です。(「一人の場合は」と呼ぶ者あり)一人の場合は学校を変わっていく、それは隣近所の学校へですね、遠いところへ出稼ぎというのは大変ですから。そういうことです。これは一つのアイデアでございます。  私は、過渡的なという言い方は悪いんだけれども、二十日のを半年にして一遍ずっとやってみて、それでだめだったときまた考えてもいいのではないのかなと。だけれども、やっぱり一年でなくて二年がいいのかもしらない、あると思います。だけれども、毎年三万人ですから、なかなか大量の方々を一定の方式で研修をさせるというのは、それは予算上からもその手当ても大変だと思いますので、それは細かい話はさておきまして、私はそういう意味で二十日を、一年ではなくてやっぱり半年でいいのではないかというのが、私の非常にこれは政治的、妥協的、中間的考えなんです。昔、何だか一年を二十日で暮らすいい男とかというのがありましたが、今六回制ですね、ちょうど半年ぐらいになったんじゃないでしょうか。だからお相撲さんと同じように、一年じゅう取らせないで半年ぐらいでいかがでしょうかと、これが今の初任者研修に対する私の結論であり私の希望でございます。  次は、条件つき採用のことをちょっと伺いたいと思います。  条件つき採用というのはそもそも何を目的として条件つきなのか、そこを公務員法のあれを読んでもよくわからないので、解説を承りたいですね。
  145. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 公務員としての採用に当たりましては、一般公務員は競争試験によりましてその成績に従って採用されるわけでございますが、教育公務員の場合には競争試験の適用を排除いたしまして選考によることといたしております。  いずれにいたしましても、競争試験あるいは選考の方法によって採用されますけれども、その採用段階におきましてはもちろん勤務能力の実証をするわけでございまして、公務員として適するかどうかという判断をして採用するわけではございませんが、これは万全の制度ではございませんで、単なる一回のチャンス、あるいは試験、面接等の方法等によりまして終身公務員としてたえ得るかどうかを判定することは完璧なものではないという前提に立ちまして、その採用された職員が具体的な職務に従事いたしまして、その職務に従事する中で本当に勤務能力を持っているのかどうかということをさらに再度ある意味では判断を補正するチャンスを任命権者側に持たせるということでございまして、このことは公務を遂行する公務員として、国民の税金の負担の上において行われる公務員に対します一種の公務遂行上の担保であると理解しておりまして、制度としては、端的に申し上げますれば、採用段階でパーフェクトでないものを、誤ってという言葉はよくございませんけれども、十分な選考でない段階で入られた方について、なお公務員としての真の適格性を有するかどうかを再度考慮するチャンスを任命権者に与えた制度と理解いたしております。
  146. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 それで研修を一年というのは、私は研修は必要だという建前から言うと、私は半年でいいと思っておりますけれども、それはそれとしまして、一体条件つき採用期間一年と研修一年とはどっちが先なんですか。どっちが先にあって、後にどっちがくっついてきたんですか。
  147. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 臨教審答申もそうでございますが、提案申し上げております考え方は、一年間にわたる初任者研修制度を導入し、その結果として教員の勤務形態が特殊なものになる、そして職務遂行能力の判断の立証といいますか、実証することが極めて困難になるということの理由によりまして条件つき採用期間の六カ月を一年に延長するということでございますので、先に出ました発想は初任者研修でございます。
  148. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そこですね、我が国の公務員は、国家公務員、地方自治体の公務員を含めて条件つき採用期間は六カ月なわけです。それを教員にだけというのは、私は実は研修のところでそれをしばしば申し上げたんで、教員というのは特別なものかということなんですね。私は特別なものでないというのを立証したつもりなんです。教員の方方、私も教員でございましたからいろいろ申し上げましたけれども、教員はだめだと言っているのじゃないんです。だけれども、特殊な神様なんだと言われちゃ困るということを申し上げているんです、神様ではない。もちろん子供たちあるいは大学も同じですが、知識の切り売りだけではない。その意味で大事な職業だと私も思います。だけれども、それなるがゆえに、なぜ条件つき採用を、いや研修はいいと言うんだから、研修のことを今外して申し上げますが、条件つき採用をなぜほかの公務員が六カ月なのにこれだけ一年にしようとするのか。そして、六カ月で判定できなかったから一年ならば判定できると思っておられるのか、その根拠はどこからくるのか、伺います。
  149. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 先ほど大臣からも申し上げましたが、教員の職務というものにつきましては、まさに授業を通じまして児童生徒に対しサービスを提供する、公務を提供しているわけでございますので、その形態が全人格的な触れ合いであるということ、そしてそのことは、例えば教室という隔離された状態でいて、極めてその勤務実績を判断するのには難しい立場にあるというのが基本としてございます。  そして、そのような教員の職務である場合、今回のような初任者研修によりまして、先輩教員による指導を受けながら勤務をするということによって勤務形態が一般の事務職員の場合と異なってくるわけでございまして、その勤務実績の能力を立証する、具体的には教員として三十七、八年間職務を遂行し国民の非難を受けないでいけるという、そういった立証をする時間的な問題としましても、今申し上げた勤務形態が研修を受けながらの勤務であるということによりまして変わってまいるわけでございますので、そのことを理由として一年間の条件つき採用期間、判断に要する時間を六カ月から一年間にしようとするということでございます。
  150. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 そうすると、不適当だとか適格性がないと判断をするのは、例えば具体的にはどういう事例が挙がりますか。
  151. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今まで各種の判例等で、この条件つき採用期間につきまして免職を認められた事例がございます。  一つの例としましては、これは同一人物について多種多様な事柄が積み重なりまして適格性がないと言われているわけでございます。例えば、一つの例は体罰あるいは虚言、不適切な発言が多くて学校運営に支障を生じるといったことで適格性を欠くといった事例もございます。  それから、別件では、体罰とか、あるいは教科経営が不良であるとか、研修に不熱心であるとか、校長の指示に従わない、PTAに対して暴力を振るったとか、こういった積み重ねのことによりまして教員としての適格性を欠くとか、幾つか事例ございますけれども、多種多様な要素をかみ合わせまして、全体的に見て適格性を欠くということでございますので、その判断としましてはいろんな要素がございますけれども、多くの場合、例えば共通してあるものとしましては、いわゆる暴力を振るう事例というのがおおむね共適しているケースもございますし、一面においては精神的な疾患によりまして、とても異常な行動が多くて児童生徒からの信願を失っているというようなケースもございます。大別しますと、精神的な疾患に基づく場合と、教員としてふさわしくない行動を常にとられている、そういった事象の積み重ねによりまして不適格として判断をされたのが過去のおおむねのケースでございます。
  152. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 精神的疾患とおっしゃると、ついレクチャーをしてみたくなる癖がございます。引き続きレクチャーをいたしますけれども、その前に、今おっしゃったような事例で条件つきの採用期間中に除外されたケースというのはどれくらいですか。
  153. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) ここ最近の例で申しますと、昭和五十九年度に二名、それから六十年度が一名、六十一年度が二名ということで、毎年の教員採用が約三万人程度でございますから、三万分の一ないし三万分の二というのが過去の傾向でございます。
  154. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 もう一つは、六カ月を過ぎて何年かの間に何人ぐらい、そういう今のあなたがおっしゃった不適格の理由で除外された例がございますか。
  155. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 正式に採用された後の免職事例としましては、懲戒免職は別としまして、分限免職の事例があるわけでございます。ちょっと手元に数字は持ち合わせておりませんが、ケースとしてはそんなに多くないと思っております。  ただ、非常に事例として多うございますのは、精神的疾患によりまして職務にたえないということで休職を命ぜられている者は全国で約一千百名程度おるわけでございまして、その場合に休職期間が満了した後に現場復帰される方と退職される方といろいろございますけれども、精神的なそういう原因ではなくて態度、行動等において教員としての適格性、職務遂行状態がよくないという形で分限免職される事例はほぼこの程度かなという感じはいたします。
  156. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 大変統計的に意味のあるデータだと思うんですね。まず半年以内に三万人に一人から二人、正式に採用されてからはほとんど余りない。つまり半年であろうと一年であろうと判断には変わりがないのではないか、これが一つです。  もう一つレクチャーさしていただきたいというのは、精神疾患というのは医学的見地で物が言えるということでございまして、まず、さっきからくどく申しておりますが、教員が特殊な使命があるといっても神様ではない、個性を持っている。個性というのは百人百様だということなんです。ですから、百人百様である教師がどのように教えていくかということが前提でございます。  そこで、精神的な疾患なんですけれども、だんだん大臣個性だとかという言葉になれてこられたと今思っておりますが、性格異常というのがあるでしょう。性格が異常である。性格異常というのはこれは個性のことを言っているんです。個性の変なのを性格異常と言う。これは生まれたときから死ぬまで変わらない。変わるとすれば、教育環境によって自己規制ができていくかということが期待される。その性格イコール個性、異常は個性異常なんです。ですから、個性異常とは言わないんですね。個性なんです。異常が個性なんですよ、やっぱり。性格が異常というのは個性でありますから、採用時も半年後も一年後も五年後もこれは変わりません。ですから、それを見抜けなかった採用者が悪いんだ、これが一つ。  次でございます。精神分裂症というのがあります。精神分裂症というのは、例えば高等学校のとき何でもないんだ、非常にできるんだ、だから大学入試通るわけだ、通って二年ぐらいしたら非常におかしくなるんです。これ精神分裂症なんですね。これは生まれたときから分裂症じゃないんですね。思春期のとき、ああいうホルモン異常のような、しかも何か大脳の発達は二十ぐらいがピークですから、その近辺で大脳細胞の連絡がおかしくなって切れると分裂なわけだ、分裂というのはそういう意味ですからね。前と後と細胞の脈絡がなくなっているから分裂なんです。だから、前言っていることと後言っていることが大分意味が合わないと分裂なんだ。国会答弁でそんなことはないと思いますけれども、前と後と脈絡がないものを分裂症と言っている。大臣、これは性格異常と違いまして高等学校まで何ともないわけだ、大学に入ってからおかしくなる、しかしおかしいとみんな言いにくいんですよね。言わないんだ。そして、何かそういうふうになったとすると、よっぽど先生になる試験はやさしいんだ、そう考えざるを得ないわけですよ。しかし、もっとおくれて分裂症になる人いますよ。それは条件つき採用期間の半年で出る出ないの問題でないんです。どこで出るかなんだ。発症なんです。症状が出るか出ないか。非常に簡単に言えば、風邪を引かないでいたのに、一年たってから風邪を引いたらこれは発症ですよね。似たようなものなんです。半年の間に風邪を引かなかっただけの話。  ですから、私が今言おうとしているのは、その人の適格性を見ようとするのに半年で今まで決まって、日本じゅうの公務員がそうなっているのに、なぜこれだけ一年にしようとするのか。それは私やっぱり奇妙だと思うんです。論理としてどうしても私は納得できないんです。医学的判断に立ちましてもこれは納得ができない。  だから、何かあるのかと私調べてみたんです。そうすると、条件つき採用者と本採用の人のつまり身分保障、人事院規則の身分保障と比べてみますと、やめさせる理由は四つ全部同じです。たった一つ違うのは、いつでもやめさせられるというのが書いてあるんです。条件つきですよ、いつでもやめさせられる。判断の基準には変わりはないと加戸さん何遍も言った。それはそのとおりでしょう、四つ全部同じですもの。どう違うのかと文言をよく見ましたら、いつでもやめさせられると書いてある。これは奇妙な話じゃありませんか。第九条です。「何時でも」、要するに「適当でないと認める場合には、何時でも降任させ、又は免職することができる。」、これだけですよ、違いは。「何時でも」というところは、やっぱりかわいそうだと思うな。  そういうので、臨時教育審議会の第二次答申にはちゃんと書いてあります。この提案に当たっては初任者に、研修を受ける者に不安感を与えてはならない、そのように配慮すべきであると書いてあります。その配慮はしたかどうか。それから、半年はこれは延ばす意味がない。意味があるなら私にもう一度説明してもらいたい。これだけひとつ。
  157. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 先生おっしゃいますように、教員に対するいたずらな不安感を与えることは避けるべき事柄でございます。しかしながら、過去の事例等にかんがみまして、教員として不適格であるという理由で条件つき採用期間中に免職された事例はすべて裁判所で当然のこととして容認いただける事例でございまして、このことは、その運用は一年に延長されたとしても変わらないと私は確信をいたしております。  事柄は、そういった判断する期間が六カ月か一年かの違いでございまして、そのような判定に要する勤務実績、勤務能力の立証が困難だということを申し上げているわけでございますけれども、そのことによって六カ月から一年に延長する結果として判断の基準が変われば確かに動揺を与えるでございましょうけれども、判断の基準はあくまでも同じだということで御理解をいただけるものと思っているわけでございます。
  158. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 いや加戸さん、非常に奇妙な発言だ。少し角が立ちますけれども、言葉じりをとらえたわけじゃないけれども、今判断が非常に立証が困難だと言いましたね。だから本採用なら困るわけだ。臨時採用ならいつでもやめさせられるんだ、そこが僕は問題だと思うんです、やっぱり。それを不安感と言っているんですよ。僕はそうだと思いますよ。  それからもう一つ、医学的立場でこれに反論を加えますと、国家公務員のところですと、七十八条で本人の意に反する降任、免職について、その二番目、心身の故障のため、職務の遂行に支障があった場合やめさせると書いてある。医学的に言いますと、半年で事故にあったり病気になって長患いをしたりするかもしれない確率は一年になれば倍になるということです。したがって、長期になったことによってこの人がやめさせられるかもしれない条件が期間的に言うと確率が倍になるんだな。これはおかしいと思う。それはほかの公務員とは並べられないんだ。基準が同じだから半年を一年延ばせばいいとおっしゃる。不利益をこうむる側にすれば、身体の故障を生ずる確率は倍になりますよ。だから基準が同じであったらなぜ半年でやって、いや、極端なことを言えば研修一年でもいいんじゃないか。私は、研修の期間にはさっきは反対していますけれども、特にこだわっているわけではない。半年で立証が困難な者をやめさせることはないんだ、それは。立証が困難であったらやめさしてはいけませんよ。立証が困難で、要らないからやめさせるというのが臨時採用、条件つきならこれは不安感です。それを半年なぜ延ばすんですか。私は今の医学的立場に立っても、心身の故障を自分が受けるかもしれないチャンスが倍になるということを僕は力説したいです。それは不利益です。  私は法律をつくろうとした場合には、自分がつくる側で物を考えちゃいけないと思っております、大臣。適用される側の立場でそのときどうなるかと考えてもらいたい。だからそういうときに、そうだ、これは困るんじゃないかということがないか、それを私は今医学的に指摘をしたんです。けがをして当分復帰できない。それは首にした方が経済かもしらない。しかし、半年であれば本採用になっていたわけだ。それを一年だから首になるということになるわけです、それは三万人に一人とか二人とかという確率のために。  やはり私は、確率論からいっても排除できる方法ないんじゃないか。私はむしろ教育委員会の機能を強化すべきだといつも思っているんです。文部省が何でも命令して、そのとおりやらせようとしない、地方自治の原則に立って地方自治体の教育委員会の権限をきっちりさせて、そしてそこにPTA会の活動をやはり刺激してやる。そういうことで子供たちが生き生きとして学校に行けるようにする。さらに、入試の改革は絶対必要である。これを私はもう何遍も申し上げています。ですから、半年というのは大臣どうですか、私の言ったことでどこかおかしいところありますか。ちょっとお考えを承りたいと思います。
  159. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 私は、先ほど政府委員からお答えをいたしておりますのでやや重複するかもしれません。  政府委員からもお答えしたように、どちらが先なのかという御質疑に対して、やはり研修期間がやや優先をしておるというふうにお答えはいたしました。ただ、そもそも教員の職務の特殊性というのは本来あるというふうに私は申し上げておるわけでございまして、本来特殊性はある。そこに研修というものを行う。たまたまそれがカリキュラムは一年という単位ということを含めて研修を一年と置いた。だとしますと、その一年間というものは、教員の職務に教える面とそれから研修する面が併存するということが起きるわけでございますね。そこにはやはり特殊性というものがその一年間にかかわってはさらにふえるということがございます。それから、その間に御当人の資質向上の範囲、それから指導されておる範囲というものが混合いたしますので、職務遂行能力というものを判定をいたしますにはやはり半年よりは一年という期間の方がより正しいであろう。  ただ、先生は、それは判断基準が同じであるから同じであるとばかりは言えないよ、半年が倍になるということはそういう故障の起こる確率は倍になるであろう、それはやはり不安感を持たせるのではないか、こういう御指摘でございました。  ただ、逆に申すと、六カ月間の採用、不採用は三万分の一ないしは三万分の二である。それが六カ月以降、では六カ月した後どのくらいふえておるか。現行ではそれほどふえておらないということでございます。そうすると、それではどちらでもいいじゃないかということではなくて、私はもしそうであるならば、より適格性を増すためにやはり一年をもってその方の資質能力、これを判断する期間をより長くとるということはあながち不親切なことではない。言わしていただければ、結果的には将来に向かって親切な行為と言われる範囲ではないかと私は考えて申し上げさせていただきたいと思うわけでございます。
  160. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 確かに試用期間というのは全公務員に適用されておりますので、これをやめろとかいう考えは私はありません、一つ考え方であり、それが長い間行われてきた条件ですから。  ただ、一回勤めて首になったということになりますと、やはり次の就職に差し支えますよ。差し支えるんです。例えば事故、けがですよ。一年なら一年で復帰できるわけだ。これは教員だけではありません。国家公務員であると地方公務員であると、窓口にいて接触しておっても、けがをすれば、半年過ぎていれば休職で一年休んでもいい。それは過保護といえば過保護だが、それが社会的な一つの相互扶助のやり方の中の一環だと私思うんですね。常に自分がそのときにどうなるかと考える必要があるというのは、そこを僕は申し上げているんですよ。何でもいいから救えと言っているのじゃないんです。それで精神異常者は、三年たったか五年たったかして出てきた場合には、これはやはりどういう形かで排除しなきゃ、除かなきゃだめなわけでしょう。手当てはどうするのか知りませんが、教育現場からは除外しなきゃだめなんです。これはしてもらわなきゃいけません。ですから、それとはまた違うんです。  それで私は、半年を一年に延ばすのはほかの公務員との条件つき採用期間との整合性を、教員は特殊であるということを主張し切っていいのかと私はさっきから言っているんです。教員は特殊ではない。特殊ではありません、三万人もいるんですから。ただ、それは別な職、一つの人間形成にかかわる大事な職業だ。だから文部省は、大事にしてやりたい、これはそうしていいと思うんです。大事にというのは、一方で厳しくです。間違いなく厳しくです。それは研修という形をとってほしいということです。  ですから、私は極端なことを言えば大臣は正直だと思うのです。研修が先にあったと、私はそう思うんです。だって、条件つき採用が出た後で研修が追っかけるという話はないんですよ。それは考えてみれば研修が先なんです。そして、それに条件をつけたわけだ。これが半分でどこが困るのか。排除するのは三万分の一から二。一年たったって同じです。ただ相手が不安感を持つだけです。びびるんです。びびっていいんですか。自分がその場にいたときのことを考えてもらいたい。自分初任者である。行ってみた。変な老練者にいじめられるということがあった場合、それは成績だってびびってきますよ。とちってばかりいるんじゃないですか。それが今度何か書かれて、半年後に首になるかもしらぬ。私悪いことを今言っているんです。だから、それは採用された人の身になってもらった方がいいんじゃないか。それから、本当に除籍に値する人をなぜ温存しているかということ。あると思うんだ。それをし切らないで、何でも法律で何か厳しくしていけばいい。必ず網をくぐりますから、そんなくぐっていいわけじゃないんだから、これは公務員と同じように採用を半年のもとへ戻してもらえば、その先のことは研修は二年になさってもいいんじゃないか。今度予算がないと加戸さんおっしゃるけれども、いや僕は二年を主張しますよ、今度は条件つきじゃないんだから。いいと思うんです。これはやはりよく考えてもらいたいんですよね。  法律を一遍出されたら変えられてはいけない、メンツにかかわると思われてはいけないんです。これはやはり一遍決まりますとそう簡単に直りませんからね。やはり文部省はなぜ教育公務員だけ半年を一年にして、日本じゅうの公務員のその採用条件と変えたのか。これはもういついつまでも批判を受けると思います。そう私は思います。確信というのじゃないです。そういうことではなく、もう間違いないと思っている点ですけれども、何とかなりませんか、大臣
  161. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) お言葉を返すようでございますが、ただいま全国の公務員の中で教員だけというお話がございましたが、現在運用されている制度といたしましては、警察官につきましては警察学校におきます初任科教養という研修が行われておりまして、その期間が八カ月ないし一年でございますが、それに対応して条件つき採用期間は八カ月ないし一年に延ばされているのが四十七都道府県すべての例でございまして、今回の提案によりまして教員のみがということではないということは一つ申し上げさしていただきたいと思います。  それから、一年間に延びることによって病気、事故が起きるではないかという蓋然性をおっしゃいました。しかしながら、免職の要件といたしましては、例えば心身の故障と申しますのは、治療の見込みがないか、あるいは回復の見込みがないか、または相当長期間にわたって治療を要するという結果として公務員の職にとどめておくことができないようなケースでございますので、六カ月を経過して一年の間に事故、病気等がありましても、それは任命権者の判断におきまして休職にするとかあるいは休暇を取らせる、相当の対応等も当然あるわけでございまして、このことによって格別に初任者に不利になるものではないのじゃないかという考え方を持っているわけでございます。  それから、この条件つき採用期間中の免職につきましては、本人がやめたくないというのを免職する制度でございまして、それまでの間において本人の方が教員に向かないという自覚を持たれて退職される事例は免職される事例よりもはるかに多いわけでございまして、制度といたしましては、本人はやめたくない、しかしそれは公務員の職にとどめておくことはできないという方を排除するための制度であるということでございまして、実態的な問題としては制度上の担保ということを行う、その判定の期間に一年を要するという考え方提案申し上げているわけでございまして、このことによって教員だけが特別な扱いであり特別に不利になるというものではないと私どもは思っております。
  162. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 警察官のことを出されたんですが、裁判官も同じですか。裁判官もそうですか、違いますか。
  163. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 裁判官につきましては、司法修習生の期間が二年間ございまして、その司法修習の期間を終わりました後に採用されるわけでございますので、六カ月間という条件つき採用期間は同様だと思っております。
  164. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 警察官と教員との決定的な違いは、警察官というのは、人を褒めるときには余り警察は出ていきませんからね。罰するときなんですよね。そして、無実の罪に陥れた場合に、この人が無実をかち取ったときに何十年もたったなんというのがしょっちゅう出てきますよ。これは人間の存在に決定的な役割を果たすから、半年では困るんじゃないですか。なぜたった八カ月なんですか。それはもう、それこそ親方がついて三年ぐらいやってやったらいいですよ。とんでもない。それこそやってもらわなきゃいけない。それは国民一人一人の個人に決定的にかかわるからなんです。  私は医師免許状のことを申し上げました。これは罰するとかじゃないけれども、もし間違ったら命にかかわるから決定的なんです。私はインターン必要論者です。今でもそう思っております。必要です。僕は必要だと思う。そして後で試験をしたらいい。ですから、警察官は違います。これは医者よりも場合によるともっと厳しいですね。医者よりももっと厳しいです。犯罪を摘発しなければならないんだ。しないと成績落ちるんだ。だから成績を上げるためにも頑張るわけです。そういう決定的に、人を疑っただけでも、我が日本のようなプライバシーが守られない国では、何かあったらもう評判が立ってどうしようもないわけです。ですから、警察官の八カ月というのは私は短過ぎると思う。こんな八カ月でやられて、たまりますかと思いますよ。  私は今さらやられることはもうこれから年齢的にもないと思っておりますけれども、自分がその身になるときのことを考えたらいいと思うんですよ。被疑者になったときどうなるかな、そう思うんです。被疑者になったときに本当にどうなる、そう思いますと、若い警官にばっと引っ張られたり、抵抗したといって何だか暴力を振るわれるというのがよくあるわけだ。こっちも逃げようとすれば抵抗するわけだ。抵抗すれば公務執行妨害だとかってやる。だから、これは警官は決定的に教員とは違います。  教員教育に、人格形成に決定的な役割を果たしていない。これは違います。決定的な役割を教員が果たしているわけではない。幾つかの中の一つ、家庭と社会と学校と見ますと、学校だけの役割なんです。ただ、教育というものは、普通の業務と違って成績が数字で出てこないものですよね。成績出てくるのならいいんです。だから、成績が出てこないという、教育の成果は成績が出てこない、相対的なものである。そういう意味で、そして、その人間の思想を形成していく上に、知識を形成していく上に、それは非常に先生が役割を演ずるんですね。これはありますよ。私も経験があります。うまい人に習うと興味が出ますものね。そういう経験がありますので、そういうことを考えますと、教育のテクニックだとか人間的な魅力だとか、そういうことをやっぱり持ってもらうための研修というものは、そういう意味があってもいいんですね、テクニックだけじゃなくて。  ですから、そういうことで私は反対はしていないけれども、今言った研修期間イコール条件つき採用、これは全然話は別だと思うんですよ。大臣研修は生涯研修だとおっしゃっている。だから生涯条件つきにするかしないかだけになっちゃう。ですから、やっぱり条件つき採用期間は、公務員の整合性を考えて、今までどおり六カ月で何にもこれに特別に異議はないのではないか。しかも三万人に一人から二人というのを聞けば聞くほど、これはもう何のためにそんなに頑張るんだろうかな、こう思っているんです。大臣にもう一度と言っても同じでしょうけれども、もう一度お聞きします。
  165. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 先生の御見識はよく承ったつもりでございます。  繰り返しになると思いますけれども、初任者研修というのは先生おっしゃるとおりのことであろうと思います。そういう意味で、資質を伸ばしていただくよき期間として活用していただきたいと思うわけでございます。  したがって、繰り返しますが、二つの要素ができまして、そもそも本来教員の職務というのは特殊性がある、それに対して研修を一年行わさしていただくとなりますと、その間の教員としての本来の職務プラス研修というものが併存する、併存する中で教員としての職務遂行能力を判断いたしますには、やはり一年をかけた方が私はより正しいのではないかというふうに思いまして御提案を申し上げているところでございまして、これについては、いろいろなそれは御意見がおありと思いますので、よく御審議の上、できれば御賛同いただければ幸せである、こういう意味で御提案をしているところでございます。
  166. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 最後に、それでは私のコメントだけを申し上げて、ちょうど時間でございますから、質問を終わらしていただきます。  条件つき採用期間を半年を一年に延ばすことは明らかに不安感を助長する、これはストレスであると。これはもう間違いないことですよね。そうです。ですから、そういう状況のもとでいい先生が集まるのかなと。私は、今度そんなところへ行くんなら、一年間かかってだめかもしらないところなら行かない、そういうことが起きたときの悲劇ということもありますよ。ですから、やっぱり今までどおりならば、教員になるのにおれは半年の採用期間嫌だというなら、これはしようがない。今までどおり公務員は全部そうです。これに対して異議申し立てをしようたって、もうこれはいいと思うんですね。一年にするから問題になるんではないかと、いや、私が問題にしているわけですけれども。だから、そういう意味でいい先生を集めたいという文部省のお気持ちもあろうかと思いますので、それは不安感を増すことが厳しい採用条件を課すよりも、やっぱりむしろそうしない方がいい先生が集まるのではないか、こう思います。これはもう私のコメントということで結構でございます。  これで質問を終わらせていただきます。
  167. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 まず最初に、初任者研修の今後の内容がどうなるか想定をさせる問題に深くかかわりますので、二つの点で大臣に質問をしておきます。  その一つは、五月十二日の当委員会での粕谷議員の奥野前国土庁長官の発言に関する質問に対して大臣は、歴史教育を進める立場として日中戦争の侵略としての事実を正しく教えると、概略そういう趣旨の答弁をされました。ところが翌日、五月の十三日の閣議において、この問題をめぐって議論が再燃沸騰をしたという報道が相当あったわけでありますけれども、どうしたわけか文部大臣が積極的に発言をしたという形跡はありません。大臣、あなたの本心は奥野発言支持の立場か、不支持の立場か、そんなことはどうでもええという立場なのか、はっきりお答えいただきたい。
  168. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) これは一つの発言をめぐって御質問でございますが、御発言というものは時に応じいろいろあろうと思います。したがって、この際は私の考え方を申し上げてお答えにさしていただきたいと思うんですが、私は、やっぱり教育に携わる文教行政の長といたしましては、教育の重要な部分に歴史教育が置かれておるだろう、その歴史教育を進めるに当たりましては、やはりしっかりした根幹を備えて歴史教育に当たるべきである。しっかりした識見、根幹というのは何に求めるか、私どもの政府見解といたしましては、かつての五十七年の官房長官談話というものが出されております。その官房長官談話に描かれておりますのは、日韓の共同コミュニケ、それから日中共同声明、ここに盛られた精神を再確認し、そして尊重すべきであるという前文がありまして、しかもその後半に教育についてもこれが触れられておるわけでございます。  したがって、その精神を受けまして、当時の文部大臣教育図書の検定の審議会ですか、教科用図書検定審議会に諮問をいたしまして、そのまとめをいただいたと、その結果を尊重しつつ教科書検定にも当たり今日まで来ておりますと、今後ともその精神を私は維持しつつ歴史教育を含めた教育に当たりたい、これが私の変わらざる考えでございまして、今後ともそれを維持、堅持をいたしてまいりたい、こう思っておる、こうお答え申し上げておきます。
  169. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 答弁としては結構だと思います。言われましたように、教科書検定に当たって文部省としてはいわゆる日中戦争についての進出という記述を侵略という用語に改めると、こういう方向で指導しておるというその立場を堅持して、当然閣議の場でも積極的発言があってしかるべきじゃなかったかという私は気持ちを持っておりますので、そのことは申し上げておきたいというふうに思うんです。  もう一つの問題は、学習指導要領改訂について、今年末に向けて検討中という段階でありますが、過日、新聞の報道もありまして、私、担当者の方に来ていただいて確かめましたが、小学校社会科の教材、歴史上の人物として東郷平八郎を入れるかどうかが話題に上っていることは事実だというんでありますが、大臣としてはこういう方向に賛成でしょうか。
  170. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) これは、ただいま指導要領の改訂のための協力者会議にこれをゆだねるということでありまして、指導要領そのものがこれから行っていただくわけでございます。したがって、そういうことをお願いしておる以上、今私が個々のことについて断定的に申し上げる立場にない。お願いをしているところでございます。ただし、それぞれの御意見がありましょうし、そしてその協力者会議でこれからいろいろな御意見を出し淘汰をしていただくわけでございますから、例えば人名についてのお尋ねでございますが、今までなかったものはふやしていただく面もあれば、あるいは良識によって、それが今まであっても減っていくという面もございましょう。それは御自由に御討議をいただくという範囲で今お願をしている段階であると、こう申し上げておきます。
  171. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 東郷平八郎が教材として登場するということは、紛れもなくかつての日露戦争における軍神と言われた人物でありますし、当然教育行政の基本たるべき憲法、教育基本法精神に基づいて多々批判があるところだと思います。ぜひ文部大臣としては、自由な議論にお任せしているということじゃなくて、やっぱり一定の憲法、教育基本法に基づく指導性を発揮していただくべきじゃないかというふうに私は思いますので、その点強く申し上げておきます。  そこで、初任者研修制度そのものを論ずるに当たって、これまた二つほどまず議論の前提として確認を求めたいんでありますが、教育基本法の前文は「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす」、こういった教育を求めているわけであります。そして、具体的に教育基本法第六条には「教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。」と定めておるのでありますが、教員がこの使命を自覚し、その職責の遂行に努めるということができるように、一般公務員とは別個に特別な身分保障や待遇の適正化を図ることを定めているというこのことは間違いありませんね。
  172. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 教育基本法の基本精神並びに特に第六条にお触れになりましたが、私もそのとおりと思います。
  173. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 昭和五十一年五月二十一日の最高裁の学テ判決であります。教育は、一人一人の子供の可能性を豊かに開花させる文化的な営みである。教員の創造性、自発性が十分尊重されなければならない。研修も、また自主性、自発性が十分尊重されなければならない。また、別項で、任免権者が研修を企画、立案するときも、教員の自主性、自発性を尊重する方向で行うべきであるという最高裁判決であります。この判決、御承知でしょうね。
  174. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 承知しております。
  175. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そこで、問題の本法案とのかかわりでありますけれども、文部省は、けさ方からのこの議論を聞いておりますと、地方公務員法の第三十九条、これを持ち出して、行政研修もできるんだという言い方をしつつ、教員研修の生命、根幹とも言うべき自主性、自発性、これを抑えたり、結果として教員の身分を不安定にするような研修制度、これを実施に移していこうというわけでありますけれども、こうしたことをめぐって、大きく言うと、ほかの方々も触れられておりますように、二つの重要な問題がある。一つは、この地方公務員法第三十九条、これによって行政研修ができるんだということで任名権者に対して初任者研修実施義務づけるということを法制化しようというわけであります。同僚議員の議論にもありましたように、行政研修の定めというのは、自主研修と同等、並列のものじゃない、行政研修は補完的なものだという位置づけをしているというここの議論、私も全く同意見であります。  そこで確かめたいんですけれども、今回の法改正案、これは教特法十九条に定めているその第一項については何らいじろうとするものにはなっていませんから、すなわち教員自主研修権、これを何ら否定するものでもないし弱めるものでもないというふうに理解をしてよろしいですね。
  176. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 教育公務員特例法十九条一項で規定がございますように、教育公務員が「絶えず研究修養に努めなければならない。」という基本的な精神あるいは理念そのものに対しましては、当然この考え方を変更するものではございません。
  177. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 第十九条一項の規定を何ら否定するものでもないし弱めるものではない。しかし、実際には弱めることになるじゃないかという危惧を持たざるを得ないわけであります。なぜならば、学級を相当の日数離れるわけですね。一体どれぐらい離れるんですか。
  178. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今回の初任者研修制度は、現在の試行段階において行っておりますものとほぼ同様なものを考えているわけでございますが、年間七十日程度の指導教員による指導は、主として授業を持ちながら指導するわけでございますから学級を離れることはほとんどないわけでございます。一方、年間三十五日程度の校外研修は、まさに学校を離れて研修を行うわけでございますのでその間学級を離れることになりますが、この三十五日程度がすべて学校の授業日ということではございませんで、例えば夏季休業期間中に行われるケースもございますし、さらに中学校、高等学校の場合でございますればその日の教科担任を外す、授業日にしないということでクラスを離れるということではないというケースもございますし、小学校の場合におきましても、これは学内の操作によりますけれども、例えば専科教員による指導の重点的な時間割りということも考えられるわけでございますから、三十五日が丸々ではございませんけれども、ある程度の日数は学校を離れる、すなわち学級を離れるという実態になり得ようかと思います。
  179. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 認められているように教育委員会が行うセンター研修と呼んでおる研修あるいは文部省が主催をする洋上研修、こういうものは学級を離れることは明白であるわけです。授業をしつつという形であっても、いわゆる初任者研修というこの制度の中に拘束をされているというのが約一年の、一年というか、学業日の三分の一ぐらいはあるわけですね。そうですね。
  180. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今回の初任者研修は一年間にわたるものでございますから、三百六十五日が新任教員にとっては初任者研修でございますけれども、具体的な日程割りで申し上げれば、年間の授業日数を二百十日ということを前提といたしますれば、その半分が指導教員による指導または校外研修という形態のものになりまして、もちろん残りの百五日につきましても直接指導教員による指導とか、あるいはセンターへ行くわけではございませんけれども、本人にとっては研修の期間であるということは概念的には同様ではございます。
  181. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 だから、年間の相当日数がこの初任者研修という制度の枠のもとに義務づけられるというこういうことになれば、勢い自主研修、これの時間的ゆとりがなくなる、自主研修が弱まらざるを得ないということは明白じゃありませんか。
  182. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 先生の御指摘で申し上げれば、初任者研修を受けない二年目以降の教員が行い得る自主研修に対します時間的なゆとりと同様なものは、初任者の場合につきましては、このような初任者研修を受けるためにそういった自主研修の時間には余裕はなくなることは事実であろうと思います。しかし、二年目以降におきましては同様の立場になるわけでございますし、また初任者研修を受けている時間帯といいますのは、今時間的なゆとりということを先生おっしゃいましたけれども、今の学校での授業日あるいは二百十日のそういった学校経営が行われる時間帯以外の余裕というのは、当然自主研修にも初任者にとっても活用し得る時間帯である。しかし、それは初任者研修を受けない教員に比べれば、確かにおっしゃるとおり時間的に余裕が減ることは事実でございます。
  183. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 最後にもう確認をされたように、初任者研修を受けない教員に比べれば時間的ゆとりが弱まる、制限をされる、自主研修が弱まらざるを得ないということは明白だ、こうなりますと、最初にお尋ねをした今回の法改正自主研修権を何ら否定するものでもないし弱めるものでもないというふうに言われるこのこととの具体的なそこに矛盾があらわれるわけですね。法律上でうたっていることと実際に出てくる姿とは明白に違うという、こういう何というか国民をだますような形でこの法律を押し切ろうということは、私は絶対に認めることはできないと思うんです。  次の問題へ進みましょう。  第二の重要な問題は、新任教師の条件つき採用期間を現行の六カ月から一年に延長をしようというこの問題であります。これは条件つき採用期間の間というのは、教員であれ地方公務員であれ国家公務員であれ、本採用者に比べて身分が不安定だということはもう論ずるまでもないことでありまして、この条件つき採用期間が六カ月から一年になるということは、身分の不安定期間が延長をするということははっきりしているわけであります。  そこで私、冒頭に教育基本法の第六条についての確認を求めたわけでありますけれども、教員という特別の仕事、そこから一般公務員以上に特別な身分保障や待遇の適正化を図ることが必要だと、こういう教育基本法の第六条の定めであるにもかかわらず——教育基本法をあえて引用いたしますのは、教育行政の最も根幹となる法規だと思うんです。この教育基本法第六条の定めにもかかわらず、一般公務員よりも教員の方が身分不安定期間が長くなるということは第六条の趣旨に反するんじゃないかというこの点についてどうですか。
  184. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 条件つき採用期間中の免職の判断基準が他の公務員における判断基準と異なるといたしますれば、そのような考え方もあり得ると思いますけれども、条件つき採用期間、いわゆる勤務実績、勤務遂行能力を実証する期間を六カ月から一年に延ばすということによりまして、そのような一般公務員に比して教育公務員の場合が不利になるということのようには私どもは理解いたしておりません。
  185. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 ちょっとそういう詭弁ですり抜けようとしてもいかぬわけです。条件つき採用期間というのは、本採用者に比べて身分が不安定だということは認めますね。
  186. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 採用されました場合に、条件つき採用であるか正式採用であるかを問わず、公務員としての身分は持っているわけでございます。ただし、条件つき採用期間中におきましては公務員法上の分限保障の規定が適用されない結果、免職されるケースがあり得るということでございまして、そのことは身分の問題ではなくて、実際上の取り扱いにおいてそのような差が生じることは事実でございます。
  187. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 身分保障が不安定だということは認めますね。
  188. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) いわゆる分限保障の規定の適用がないという意味におきまして、身分保障の観点が差がつくということは事実でございます。
  189. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そこで、条件つき採用が六カ月から一年に延びるということは、身分保障不安定期間が延びるということですね。
  190. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) その言葉の意味でございますけれども、不安定期間という定義をされましたが、私どもは六カ月内に免職される可能性、一年内に免職される可能性という差はあると思います。
  191. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 だからもう事実上認めたわけですよ、そうならざるを得ないと。となると、同じ議論を何遍もさせてほしくないんだけれども、冒頭言った教育基本法第六条の関係からいってどういうことになりますかと。教員というのは一般公務員以上にその身分の保障、待遇の適正化、こういうことが必要だという教育基本法第六条の趣旨に反するやり方になるんじゃないか。
  192. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 私どもは教育基本法第六条の規定あるいはその精神に反するものとは考えておりません。
  193. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 もうこれ以上言ったって同じ答弁を繰り返すだろうと思うんですけれども、私は具体的に一つ一つ積み重ねて議論をやっているんですからね。教育基本法には一般公務員以上に教員については身分保障と待遇の適正化が必要だと書いておるのに、一般公務員よりも身分保障不安定期間が長くなるということはもう何人も否定し得ない明々白々たる事実なんだから、余り詭弁を弄してもらいたくない。  そこで、こういうふうに身分保障不安定期間、これが長くなる、片一方、一年間の相当日数強い緊張のもとに初任者研修制度ということで置かれるという、こういう不安に新任教師を置くことがいかに教育活動を阻害し子供の人間形成を妨げるか、子供や親に与える不安、これがどうなるかということについてどういう見解でしょうか。
  194. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 条件つき採用期間の六カ月から一年間への延長が教員に対して不安を与えることのないよう、その趣旨は理解していただく必要があるわけでございまして、繰り返しになりますが、いわゆる教員としての不適格の判断基準はいずれも同様でございます。したがいまして、通常の勤務実績、職務を遂行していただければ不安に感じられる要素は全くないと思います。
  195. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 新任教員に不安を与えるというようなことはないし、したがって、子供や親に対する悪影響ということが起こるものでもないというふうにおっしゃるわけですけれども、実際に既に二年目に入っているんですけれども、既に昭和六十二年度の試行実施については終了したわけです。これについて各都道府県教育委員会が、その実施の状況、その中で教育委員会関係者、指導に当たった関係者あるいは学校長、指導教員それから新任教員本人自身がどういう感想を持っているかということについての報告書が文部省に寄せられているはずだと思うんですが、これはきのう私、質問通告のときに、きょうの私の質問は大体四時ごろだから、三時ごろまでにちゃんと出してもらいたいということで言ったんだけれども、いまだに出ないわけです。  実は、このことは初めて言う問題じゃありませんで、四月の二十二日の衆議院の文教委員会でやはり議員から要求があって、目下整理中でありますので、できるだけ早く出したいという答弁を四月の二十二日にしていますね。以来、何日たっているんですか。二十八日間、四週間たっている。一体いつになったら出すんですか。
  196. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 多分四月二十七日でございましたか、衆議院の文教委員会でそのような資料提出の御要求がございました。その段階におきましては、各都道府県指定都市教育委員会からの報告書がまだ一部しか到着してない段階でございまして、その教育委員会からの報告がそろいましたら、それを集約して提出することにしたいということで返事を申し上げているところでございまして、間もなくその各都道府県教育委員会の報告書がそろいますので、それを集約した資料を早急に提出できるように努力したいと思っております。
  197. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 四月二十七日とおっしゃるのは、我が党の山原議員がその資料の要求をしたということかと思いますけれども、それに先立って四月の二十二日に社会党の馬場議員の方から同じような要求が出ていますよ。あなたはできるだけ早く出したいという答弁をしていますよ。だから、いずれにしても、二十二日にしろ二十七日にしろ、もう以来相当の日数がたっていることは明白です。至急にやりたいと言うんだけれども、いつ出すんですか。国会の会期末は二十五日ですよ。
  198. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 四月二十二日に馬場先生から御要求ございましたのは、当時この初任者研修試行の対象となりました教員並びに指導教員、さらには初任者教員の所属する校長先生、この三者に対しましてアンケート調査を行っておりまして、その結果の資料提出要求でございまして、これは二十七日の衆議院文教委員会にアンケートの調査結果を提出させていただいているところでございます。  そして、四月二十七日の段階は、都道府県指定都市教育委員会からの報告書の提出の要求がございましたから、報告書は膨大、詳細なものでございますし、また、内部資料でもございますので、また、到着もしていない県市も相当ございましたので、それがそろいました段階で集約をした形で報告の要点を提出することをそのときには申し上げたところでございます。
  199. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 いや、それでそうならそうとわかりやすいような答弁をしておかぬといかぬですよ、会議録の上で。  だから問題は、二十二日でも二十七日でもどちらでもいいけれども、とにかく、いずれにしたって、二十七日にしたってあれでしょう、もう二十日以上たっておるわけだ。(「連休がある」と呼ぶ者あり)連休があると言ったって、これだけの法案審議しようと思ったら怠けたらいかぬですよ、文部省が。(「相手がある」と呼ぶ者あり)だから、集まっている分だけでいいじゃないですか、そんなことを言うんだったら。集まっている分だけでもきちっとそれをまとめて、一体いつまでに我が参議院文教委員会に資料として出すんですか。
  200. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは集約、整理の仕方でございますので、若干内容的に不備になるかもしれませんが、そういった各都道府県指定都市教育委員会およそ傾向的には合致しておりますので、早急に提出するような努力をしたいと思っております。
  201. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 早急にとはいつですか、いつでも早急にと言うから。
  202. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 私ども今の大体おおむね三十六県市のほぼ全部近くは参っているんじゃないかと思いますが、その意味におきまして、あしたの参考人質疑までに徹夜作業でもいたしまして、その集約したものを出さしていただきたいと思います。
  203. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そういうことで、あした出すということを守ってくださいよ。  それで、集まっている分については、出されておる感想、意見としては大体どういう特徴があるというふうに見ていますか。
  204. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 一般的には初任者研修試行実施概況につきまして、このような成果が上がったという指摘、あるいはここが問題で今後改善を要する課題だと考えるというような事柄でございまして、個々具体的には指導教員の問題、研修プログラムの問題であるとか、新任教員の負担の問題であるとか、およそアンケート調査で得られました傾向と似たような数字ではございますが、教育委員会サイドの実施結果に基づく感想でございます。
  205. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そこで、次の問題に移りますが、教員の条件つき採用の場合、どういう場合が正式採用拒否になるのか、その判定基準は何ですか。
  206. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 地方公務員法で正式採用職員につきましては、分限免職の基準が法律で明記されておりまして、勤務実績が不良である場合、心身に故障がある場合、その他の理由によりその職につけること、いわゆるその職の適格性を欠く場合という規定がございます。条件つき採用期間中の職員につきましては、この分限の規定は適用されませんが、地方公務員法精神にかんがみますと、この規定に準じた考え方で対応するということが一般的に言われているところでもございますし、また、裁判所の判断等におきましても、合理的な判断基準であって社会通念を超えないものというような考え方も示されているところでございます。そして、それは具体的な条件つき採用期間中の職員のとられました行動を一つの徴憑といたしまして、その積み重ねによっておよそ教員としてはこの職につけておくことの適格性を有しないと判断した場合でございまして、基準は非常に抽象的でございますが、その具体的事例に即して社会通念から考えていかがかという方については免職をするということが許されるものと理解いたしております。
  207. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 その今言われたのは、地方公務員法コメンタールなどにも述べておるところの三つの基準ですね、それが条件つき採用教員の本採用にするか不採用にするかという場合にも準用をされる目安になるという問題だろうと思うんです。  それで、先ほど来の質疑で実際に不採用になった件数というのは、ここ数年見たって、一年間で多いときに二人、少ない年はゼロと、こういうことで三万人に平均すれば年一人ぐらいのところだということであるわけですけれども、条件つき採用教員といえどもこの地公法の二十七条一項、すなわち恣意的な判断によって正式採用にしないということがあってはならないというこの原則は適用されますね。
  208. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 条件つき採用期間中の職員の免職に当たりましては、それは任命権者の純然たる自由裁量ではなくて、合理的な判断の限界を超えてはならないということは既に最高裁判例でも示されているところでございまして、先生の御趣旨のとおりでございます。
  209. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そこで具体的にお尋ねしますけれども、初任者教員の思想、信条あるいは組合に加入しているかどうか、こういった問題を理由に、適格性を欠く云々などの理由によって不採用にするということはあってはならないことですね。
  210. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 教員の思想、信条あるいは組合の所属の有無によりまして教職員の適格性が問われた事例は過去に全くございませんし、またあってはならないことと思っております。
  211. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 初任者教員が行います授業といいますか教育内容、これを理由にして不採用にするという、こういうこともないでしょうね。
  212. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 過去の事例といたしまして、条件つき採用期間中の教員の行った教育内容に関して適格性が問われた事例はございません。
  213. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そこで、さっきも確認されましたように、また幾つかの具体的事例で確認をしましたように、この恣意的な判断によって採用、不採用ということがあってはならぬ、客観的妥当な基準によって行われなくちゃならないということでありますけれども、そうすると、なぜ一体六カ月を一年に延ばす必要が殊さら出てくるのか。今言ったような客観的基準、これは六カ月で十分判定できるんじゃないかということが繰り返しほかの方から出ました。それに対してあなた方の説明は、教育という仕事はカリキュラムを立てて一年間ずっと仕事——まあ大きく言って二つ言っていますね。一つは、一年間の初任者研修制度がある、こことのかかわりで六カ月を一年にするということが第一の理由。第二の理由として、教育という仕事は一年間でカリキュラムを立ててそれをサイクルに学年進行していく、こういうことであるから一年にしたんだということを言っていますが、ちょっと議論の前提になるからそういう整理をしていいですね。
  214. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは、大臣からも先ほど答弁申し上げましたが、いわゆる教員の職務の特殊性に基づきます勤務遂行能力、職務遂行能力の立証の困難性ということが第一の点でございます。すなわち、教員教育活動が一年間にわたって展開をされ、その成果が学年末に出てくるということでもございますが、と同時に、教員の職務が職員室を離れて教壇で子供たちとだけで接しているという状況で、そういった勤務の状況の把握というのが非常に難しい点が基本的にあるわけでございます。また、児童生徒との全人格的な触れ合いを通じてその勤務遂行能力というのを判定するわけでございますから、なかなかに時間を要する問題であるということが前提としてございまして、今回の初任者研修制度の導入によりまして一年間にわたって先輩教員の指導を受けながら勤務をする、職務を遂行するということになりますので、その間は一面において見れば研修であり、一面において見れば勤務である、そういうような状況の中で本来の本人の自立した形で職務遂行をすべきではない、その場合の判断、能力の判定は非常に困難性がさらに増すということで、一年間とさしていただいているところでございます。
  215. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 それで、二つ理由のうちの一つ教員という仕事の特殊性、一年間をサイクルでずっと計画を立ててやっていくという、これはしかし、局長学校の教諭の経験ないのじゃないかと思うんだけれども、カリキュラムというのは一年間で立てるんじゃないんですよ、必ずしも。もっと細かく、今月はどうするか、一学期、二学期、三学期はどうするかということで細かく立てて、トータル一年間でどこまで子供を到達させるかということでカリキュラムを立てるんです。だから、教師が子供のいろんな学習面で本当に教師としての力量を十分もう発揮できる状況になっているかどうかという判定は、そんなものは一年もかからなくたって十分わかる問題、六カ月もかければ大いにわかるというのを、なぜこれを一年に延ばすのかということになると、結局もう一つ理由が浮かび上がってくるんですよ。初任者研修、この関係で条件つき採用期間を一年に延ばすという、ここが結局は突き詰めたところの理由だということになるんじゃないですか。
  216. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 教員の職務の特殊性に伴う職務遂行能力の立証の困難性、それに付加されまして初任者研修を受けるということによって勤務形態が変わる。その勤務形態が変わることによって、なおかつ職務遂行能力の立証、実証の困難性がさらに増すということを理由としているわけでございまして、初任者研修を受けることイコールではございません。その間のクッションがあり、かつ前提となる理由も存在するということを申し上げているところでございます。
  217. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 困難性、困難性と言いながら、一年かけなければ判定がつかぬというような、そんな困難性じゃないですよ。さっきも言いましたように、学期ごとに、月ごとに、もっと言えば最近学校では、校長は週案まで出せということで、日案、週案まで強要するという形でカリキュラム立ててやっているんですよ。だから、そんな一年もかからなければ判定ができぬというような問題ではさらさらない。なぜ一年に延ばすかといえば、初任者研修制度が一年だから、こことの関係で、それで初任者研修の成績、これとの関係で採用、不採用を決めていこうということだろう。もっと言えば、指導教員から校長、教育委員会、こういう上司への忠誠度をこの初任者研修で判定をして採用、不採用を決めようというのが、結局はこの制度の一番のねらいじゃないかというふうに言わざるを得ないんです。なぜそうかということで、まだ初任者研修制度本格実施もされていないのに、大変なことが起こりつつあるんです。  実は、文部省も御存じと思うけれども、京都で、八木中学校というところで、木下教諭という音楽の教師ですけれども、一昨年の九月、京都府教育委員会が九月末の条件つき採用期限切れを機会に、勤務成績不良を理由に分限免職をしたということ、大臣のお耳にも達しておると思うんです。  まず尋ねますが、この案件は文部省として事前に相談に乗ったんですか。
  218. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 文部省といたしましては、事前の相談は受けておりません。事後にその状況を把握させていただいております。
  219. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 事後報告を受けたと。その事後報告を受けて、京都府教育委員会の処置を、まあそれは独立権限、任免権を持っていますからあれですが、勝手にやったら勝手にやったということですけれども、文部省としては了としたんですか、その報告を。
  220. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 現在係争中の事案でございまして、コメントすることは差し控えたいと思います。
  221. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 係争中の事件云々というのは、処分の内容、処分の一つ一つ理由についてそれをどう思うか、これをどう思うかということについては、それはコメントを控えたいというのは百歩譲って通るにしても、一体教育委員会からの報告を了としたかどうかという、そのことさえ答えぬというのは、もってのほかじゃないですか。
  222. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 私ども、この処分の事情等につきまして、処分の理由並びにその内容等につきましては、当然分限免職をしてしかるべき事案であったとは判断いたしております。
  223. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 正直に初めからそう言いなさい。  そこで、文部大臣、こういう姿になっているということを御存じですか。この処分を決めたときに、本人には口頭通知だけ。処分というのは、ちゃんと文書によって処分告知というものを出さなくちゃならぬというのが、これが出ていない。あるいは処分決定前に本人に弁明の機会が設けられていない、御存じでしょうか。
  224. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 御指摘の件については大要の報告を受けておりますが、細かい点は承知していない点も残念ながらございます。
  225. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 手続的な意味におきましては、条件つき採用期間中の分限免職について通常そのような措置はとられていないのが過去の例ではございます。
  226. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 救済措置の定めがない、身分保障についての、それは残念ながら法律はそうなっていますよ。しかし、処分をやる場合に弁明を聞く機会を設けるとか、あるいは文書で通知をするということは当然のことじゃありませんか。この条件つき採用教員については定めがないというのは、そんなものは詭弁ですよ。しかも、校長からの処分具申あるいは町教育委員会の処分内申、こういうものがないままに京都府教育委員会が処分をしたということを知っていますか。
  227. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 具体的な手続等については詳細には存じておりません。    〔久保亘君「詳細に知らぬで何で妥当だと言うんだ」と述ぶ〕
  228. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 そうなんですよ。ちょうど久保先生がかわりに言うてくれましたけれども、詳細を知らぬくせになぜ妥当と決めたか。  実は、季刊「教育法」、一九八七年秋季号、ここに、たまたま明日参考人に呼ぶ先生ですけれども、三輪定宣という千葉大学教授の京都の木下事件の論文が出ているわけですよ。ここで、実際に法廷の場でどういう反論が関係者から出ているか、ごく一、二の例だけれども紹介をしておきますけれども、勤務成績がよろしくない云々と、こういうんですけれども、その前任校であった園部中学校、そこの当時の校長さんが法廷の場で、「処分を知らされ、身も動転せんばかりの衝撃」だと。「彼の勤務状況を考察評価すれば、彼が如何に資質能力を兼ね備えた優れた教育実践家であり、将来期待のもてる有為な青年教員であったか」、以下具体的に述べたいということで証言をやっています。  また、同じ八木中学校のKという教諭でありますけれども、処分された「木下教諭が中心になってすすめた”いじめ”克服の全校的なとりくみの「実践は八木中学校を代表して、船井郡の生活指導研究会にも報告され高く評価されました。」」ということで、随分すぐれた教育実践もやっていた、そういう人物だと。なぜこれがそんな免職処分なんかを受けなきゃならないのかということを同僚が裁判所の場で言っている。裁判所の場で言うということは、うそを言ったらこれは偽証罪になるんですから、そんな勝手なことを言っているという問題ではないんですよ。  そのほかいろいろ紹介をしたいことがあるわけであります。例えば女性の教員の体にさわったとかというようなことを処分理由に挙げているんですけれども、それは、ならば実際に校長はその場面を見たかということが法廷のやりとりで問題になったら、校長は、いや私見ていません、教頭のメモにありましたということで捏造メモだということがはっきりしてきた。  そういったことで、本当によくもう一遍事実を調べて、やっぱりこれだけ今初任者研修制度本格実施が問題になっている、これを前にして、まだ本格実施にもなっていないその段階で条件つき採用教員のこういう不当な免職処分が出るというようなことをこれは放置をしておいたらいけないということで、一遍、こういう本も出ていますので、局長、よくこれも読んでもらって、必要な関係書類、必要とあらば取り寄せていただいて、私に資料が欲しいというのだったら私もできるだけ協力いたします。そういうことで、具体的な問題は次回、私引き続いてこの問題で質問しますけれども、よくもう一遍調査をしてもらいたい。文部大臣お願いします。どうでしょう。
  229. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) ただいま具体的にお取り上げになりました事例につきましては、京都府教育委員会からの報告の問題となった事象の事例を拝見する限りにおきましては、かなりひどい勤務遂行状態であったと思わざるを得ないわけでございまして、京都府教育委員会の報告が事実に反するという観点からの御指摘のような印象を受けましたけれども、さらに京都府教育委員会に対しましては、報告いただいたことは事実であるということの確認は求めたいと思います。
  230. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 ぜひ調査をやってもらいたい。  そこで、もうぼちぼち時間が近づきつつありますけれども、いわゆる初任者研修の去年、ことしと試行実施ですね、この試行実施の段階では初任者研修の評価といいますか、成績というか、これは本採用、不採用の条件ではありませんね。
  231. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 初任者研修を受けたその初任者研修の受け方自体は、事柄としては条件つき採用期間中の職員が正式採用になるかどうかの判断基準ではございません。  ただ、勤務実績、職務遂行能力の判定をするわけでございますから、それは形態が一面において研修であり一面において勤務であるという二面性を持っているために、たまたま研修期間中における具体的な行動が、三百六十五日が研修でございますから、教員としての職務遂行能力という視点から判断されるべき事柄であるということは確認しておきたいと思いますけれども、いわゆる指導教員による指導あるいは研修を受けている対応の研修の成果イコールが勤務を遂行する能力の実証とは関係ない。つまり、勤務評定はあくまでも校長が評定者との立場において独自に行う事柄であるということは申し上げられます。
  232. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 三百六十五日研修だという、そういうとんでもないこと言いなさんな。それは撤回を要求しておきます。しかし、その点再答弁求めるとこれだけでまた時間かかるから、撤回を要求をしておくということで。  試行実施の段階ではそうだという説明があった。ところで本法案によって本格実施になるということになった場合、本採用、不採用の判断資料に、判断資料というか判断理由、それに初任者研修研修成績、これはその理由になるんですか。
  233. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 初任者研修実施期間中、つまりその初任者研修を受けている一年間におきます初任者研修に関するデータ、資料と申しますのは、あくまでも指導教員なりそういった研修を行う立場においての参考材料でございまして、教員の勤務評定はあくまでも校長が評定者との立場におきまして独自の立場で判断をするということでございます。
  234. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 しかし、校長が勤務評定をしてというのは、文部省の通知文書、初任者研修についての実施要綱といいますかね、あの中に、校長が作成する年間指導計画及びどういう指導をやったかという指導報告書、これが添付されてまず任命権者の市町村教育委員会に送られる、市町村教育委員会がそれをさらにまとめて都道府県教育委員会に送るという形で、校長が評定をして、正式採用とするか不採用とするかというここの任免の判断、判断というか、判定を下すのは都道府県教育委員会という、こういう仕組みですね。
  235. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 現在は初任者研修試行におきます問題点を探ることを主眼といたしておりますから……
  236. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 いやいや、本格実施の話。
  237. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 現在のような初任者研修に関する報告の出し方というのは都道府県教育委員会まで参りますけれども、本格実施の場合につきましては、そういった問題点の解明ということではなくてまさに初任者研修そのものが目的となりますので、試行段階におけるような詳細な報告という形にはならないとまず思っております。  ところで、今のいわゆる条件つき採用期間満了後の本採用にするかどうかの判断基準は、従来と同様に校長先生が勤務評定者という立場において勤務評定書を提出し、市町村教育委員会はそれを都道府県教育委員会に提出し、それを材料として任命権者である都道府県教育委員会が判断するという従来のシステムに変更はございません。
  238. 佐藤昭夫

    ○佐藤昭夫君 最後です。  本格実施の場合は試行実施とちょっと仕組みが違うような言い方をされるから、これは念のためにどういう仕組みになるのか、そこを資料としてきちっと出してください。いいですね。それは当然出してもらわなくちゃならぬ。  そして、いずれにしても校長が評定をして、評定の結果が市町村教育委員会に行き、それが都道府県教育委員会に行って結論が出される、こういうことになりますと、これはまさに行政研修が正式採用の条件になるわけでしょう。これはそういう行政研修によって教員の身分が左右をされるというこれはもう重大問題、まさに教育に対する不当な権力支配という問題になってくるわけで、これはいよいよもって教育基本法違反だ、こんなもの断じて通過させるわけにはいかぬということを最後に申し上げまして、資料提出いいですね。
  239. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) ただいま要求されました資料の内容がちょっと不明確でございますが、そういった仕組みに関する資料という意味でございましょうか。
  240. 田沢智治

    委員長田沢智治君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  241. 田沢智治

    委員長田沢智治君) 速記を起こして。
  242. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) その資料を提出さしていただきます。
  243. 田沢智治

    委員長田沢智治君) 速記をとめてください。    〔速記中止〕
  244. 田沢智治

    委員長田沢智治君) 速記を起こしてください。
  245. 勝木健司

    ○勝木健司君 まず、文部大臣にお伺いしたいと思いますけれども、教師が教育のかなめであるということは言うまでもないというふうに思います。  そこでお伺いしたいのでありますが、時代の変化への対応も含めましてどのような教師が望ましいと考えておられるのかということで、あるべき教師像についての御所見のほどをお聞かせいただきたいというふうに思います。
  246. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 教育は人なりと申しますから、教育の根本はやはり教員方々資質に負うところが非常に大きいと思います。  したがって、一般には幅広い知見でございますとか、教育に対する愛情でありますとか、あるいは教育に対する意欲を持っておられる方、こういうことになりますが、先ほども、私がわざわざ言えるほどの資格があるかどうかは別といたしまして、やはり教育者そのものが不断研究をされ修養をされ、そしてそれをまた任命権者が相補う努力をもって資質を高めていく。やはり教師といえども前を向いて研修努力をいたしていく、そういう意味では教師は児童生徒にとって先発ランナーという言葉を使ってよろしいのかどうか、そして後ろにある児童生徒の痛みもそれから喜びも知りつつ、よきペースメーカーであってほしいと思いますし、また、後発ランナーは先発ランナーの努力する姿から学び取るものも多いし、誤りなき道を進んでいく、そして日々砂が新しい水を吸い込むように新しい知識、知見を吸いながらすくすくと育っていただく、そういうような教育の場を培われるような教師像を、やはり私の心の中では理想的な教師像の一つと申し上げておきたいと思います。
  247. 勝木健司

    ○勝木健司君 お聞きいたしましても、あるべき教師を育てるということは大変難しいことであるように思われます。もちろん、難しいということで十分なる準備とそのためのそれなりの研修の充実というものが必要じゃないかというふうに思われます。この研修内容とか、あるいは体制づくりはどうあるべきだというふうにお考えになっておるのかということをお伺いしたいというふうに思います。一部では、研修というものは自己研修に限れなどという議論、論議というものもあるようでありますけれども、それも含めてどうお考えか、お伺いしたいというふうに思います。
  248. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 私は、公務員というものは研修というものがやはり必要であるという規定、その中で、特に教育公務員というものについてわざわざ教特法の十九条で定めておる、それには二つありまして、もちろん教育者たるものは不断努力をもって研究修養に努める、同時に、任命権者は、そのための施設方途あるいは計画を樹立いたして行うことの責務がそこに定められておる。したがって、両々相まって常に不断努力ということは、絶えざるという言葉でしたか、これは生涯学習につながるべきもの、こう思っておりますので、じゃ、どの時点でということは言えません。したがって、少なくとも教職にある間だけをとりましてもこれは体系的な研修の一環である。しかし、今お願いをしております初任者研修というものは、その中でも初めて教壇に立たれるという重要な資質養成の場でございますので、その時期に十分な先輩の指導を吸収しつつ、資質を伸ばしていただくべき重要な時期である。  したがって、それをどの程度にいたすかということにつきましては、先ほどから申し上げているようにやはり個々のカリキュラムはございましても、その一つの達成度の節目は一年ということであれば一年間を通して教え、そして研修をしていただくということが正しかろう、それは生涯かけての体系的な研修の重要な一環であるというふうに考えつつ御提案をいたしておるところでございます。
  249. 勝木健司

    ○勝木健司君 これからの時代と申しましょうか、これからの社会が期待する教師というものを育成する上で、私は初任者研修の導入というものは望ましいと思うところであります。初任者研修の持つ効果について、いま一度文部省のお考えというものを示していただきたいというふうに思います。
  250. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 一年間にわたります初任者研修によりまして、新しく教員となられた方方が自立して教育活動を展開できるために、教師としての使命感、実践的な指導力、幅広い知見を身につけていただくということでございますが、要は児童生徒に対する接し方、対応というものが、先輩教員からよきものを学び、そして子供たちから信頼される教員に育っていただくということを基本的なねらいといたしますが、同時に、教員自身がみずからを切磋琢磨することによって、なお伸びていただく素地をつくる意味もございますし、さらには付随的な効果といたしましては、指導教員のサイドにおきましても、新任教員を指導する結果として、またこれが指導教員みずからが自分を磨く材料ともなる、そして校内研修体制といいますか、校内の活力が出てくることをあわせて期待もしているところでございます。
  251. 勝木健司

    ○勝木健司君 初任者研修制度の必要性につきましては、臨教審でも十分論議をされて答申提言されたものでありますけれども、それ以前にも試補制度という議論などで新任教員研修等についても必要性を説かれていたようでありますが、これまでこういった問題が十分取り上げられなかったのはなぜかということで、その理由について御説明を願いたいというふうに思います。
  252. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 昭和二十二年から四十六年まで、四回にわたります各種審議会の建議、答申等がございまして、一言で言いますれば試補制度ということの提言でございましたが、この試補につきましては特別な身分ということで具体的な内容が明らかにされてはいないわけでございますが、いずれにいたしましても、教員たる身分あるいは教育公務員たる身分を備えない前段階の実地修練の期間でございますので、この場合のいわゆる教員志望者の身分がとても不安定になるという点におきまして、またどのような身分取り扱いにするのか、それが現行公務員法上制度的に可能かどうかという問題点の詰めが十分になされなかったということが一つございます。  さらに、このような不安定な形でございますと、教員志望者につきまして、どうしても先に就職の決まった民間企業へ流れるということによって、教員の優秀な人材を教育界に招くことにマイナスになりはしないか、そういう危惧の念もあわせてあったということが、試補制度に踏み切れなかった理由ではなかろうかと思っております。
  253. 勝木健司

    ○勝木健司君 従来、文部省教育委員会が行うところの研修については、押しつけ研修とかあるいは官製研修ということでとかく反対が強く、円滑な実施が難しかったというふうに聞き及んでおります。今回の初任者研修試行に際しても、一部ではありますが、教育委員会に圧力をかけて試行を返上させるという例も具体的に起こっております。本格実施になったときにそういうことが起こらないようにする体制の整備ということでどう取り組んでいかれる決意なのか、お伺いをいたしたいというふうに思います。
  254. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今回の法律が成立いたしますれば、任命権者サイドにおいて実施義務づけられる制度でございます。その意味におきまして、任命権者実施いたします研修を妨害し、あるいは阻止するという形態が出てはならないことでもございますし、関係方面の理解を求め、円滑に実施できるように万全の体制を敷いていただくよう十分なお願いをしてまいりたいと思っております。
  255. 勝木健司

    ○勝木健司君 初任者研修実施主体というのはやはり都道府県教育委員会または指定都市教育委員会ということでありますけれども、初任者研修内容、そのやり方についてはどの程度文部省として枠をはめようとしておられるのか、各都道府県の特色というものを生かすような措置というものはとられておるのかどうか、お伺いをしたいというふうに思います。
  256. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 現在、文部省といたしまして、試行段階でございますが、初任者研修内容といたしまして大きな柱を、一つは指導教員による校内研修ということを年間七十日程度のガイドラインを示しておるわけでございまして、また二つ目は年間三十五日程度の校外研修というものを予定しておるわけでございます。この試行の結果を踏まえまして、本格実施段階で考える事柄ではございますが、第一の指導教員による校内研修の体制につきましては、これは行財政措置を伴うわけでございますので、都道府県指定都市段階での指導を行っていただく場合に、それがいわゆる指導教員による指導という形態で実質的にそのような定数あるいは非常勤講師が活用されているかどうかという実態によって行財政措置も変わらざるを得ないという面がございますので、その点につきましては行財政措置の裏打ちとなるような措置はしていただきたいというふうには思っております。  一方、校外研修につきましては、これは年間三十五日程度ということでございますが、試行段階におきましても例えば三十日程度にされている県もございますし、二十五日程度という県もあるわけでございますので、本格実施の際にどの程度の目安かということは、これまた若干行財政的措置との関連はございますけれども、細部にわたりまして文部省が強い指導を申し上げる考え方ではなくて、基本的なこういった大きな柱の中で初任者が本当に伸びていただくための各県の工夫をしていただく事柄だと思っております。  ただ、試行段階につきましては、初めての施策でございましたので、昭和六十二年度にスタートしました試行段階では、文部省である程度詳細なガイドラインをお示しいたしましたけれども、それを受けての実際の研修が行われたわけでございますから、その成果を踏まえ、各県がその地域の実情に応じ、よりよき内容を改善工夫されていくということでございまして、文部省としては具体的な内容の細部に至るまで口を挟むという考え方ではございません。
  257. 勝木健司

    ○勝木健司君 新聞報道によりますと、神奈川県と川崎市では、指導教員を置かずに研修推進者というものを置くという形で初任者研修試行実施する予定になっているということであります。これは事実なのかどうか、そしてまた、このような試行の仕方についてどうお考えなのか、御説明をいただきたいというふうに思います。
  258. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今回の法案におきましては、指導の責任の所在を明らかにして指導の継続性を確保していくという観点から、指導教員を特定することを法案の中身とさせていただいておるわけでございます。試行段階ではある程度運用の幅があるわけでございますから、法案で予定しているとおりのものをなさる必要は必ずしもないわけでございます。問題は、運用の中身であろうと思いますけれども、ただ、指導推進者という名称で、言葉から受ける語感といたしましては、指導教員の指導を本来的な職務として適切にあらわしているかどうかという感覚の問題は若干ございます。  要は、具体的な名称のいかんではなくて、本当に指導の中心として初任者を指導していただくような、法律で予定しておりますような指導教員であるかどうかという問題であろうかと思います。  いずれにしましても、本格実施の段階におきまして、その名称の問題あるいは実態的な運用の問題というのは、本年度におきます神奈川県あるいは川崎市の対応の状況等も十分お聞きした上で、いろいろ御相談をさせていただきたいと思っております。
  259. 勝木健司

    ○勝木健司君 各都道府県の特色というものを生かすと同時に、初任者研修の形骸化をねらうというような動きがあるとするならば、このような動きに対しても毅然たる態度をとるべきだというふうに思うのであります。民社党としては、特色ある試行と形骸化をねらった動きとは、はっきりとやっぱり峻別をして対処していくべきであるというふうに思います。文部省としての対応はどうされていくのかということでお伺いをしたいというふうに思います。
  260. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今回提案を申し上げております法案におきましては、まさに初任者教員資質向上をねらいとしているわけでございますので、そういった資質向上に資する目的での初任者研修であってほしいわけでございますし、制度的にも指導教員による指導を中核といたしているわけでございますので、制度の根幹といいますか、制度の予定しているところが形骸化され骨抜きにされるということは、そのこと自体が教育界にとっても大きなマイナスでもございますし、また国民の期待を裏切ることにもなるわけでございます。その意味におきまして、内容的に、方法論はいろいろあり得ましょうけれども、基本的な考え方教員が自立して円滑に教育活動に入っていけるような考え方に基づく初任者研修制度の本来的な趣旨を損ねられないように、十分各県にお願いをしてまいりたいと思っております。
  261. 勝木健司

    ○勝木健司君 次に、初任者研修の大きなポイントというものは、指導教員とのマン・ツー・マン指導にあろうかというふうに思います。つまり、初任者研修を円滑に進めるためには指導教員がかなめになってくるというふうに思うのであります。  ということは、初任者にとって指導教員の力量とか指導力というものが重要な意味を持つことになるわけでありまして、法案では指導教員任命権者、県費負担教職員は服務監督権者たる市町村教育委員会によって命じられることになっておるように思います。指導教員指導力というものは当該学校の校長が最もよく知っているはずでありますので、校長の御意見というものに沿って指導教員というものを選ぼうとされておるのかどうかということでお伺いをしたいというふうに思います。
  262. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 六十二年度にスタートいたしました初任者研修試行におきましては、文部省といたしまして研修実施されます都道府県教育委員会に対しての指導の内容としまして、この指導教員の命課の方法は、学校長の意見を聞いて市町村教育委員会が任命をするということを御指導申し上げているところでございます。  おおむねの県はそのような対応でございますが、学校長が命課をし、その結果を市町村教育委員会に報告する、あるいは市町村教育委員会の承認を得て学校長が命課する等の内部委任の方法等の事例も若干ございますけれども、基本的に校長先生が関与しない形で指導教員が命課せられた事例は現在のところございませんし、本格実施に際しましても、当然校内の事情を熟知しております校長の意見を尊重して指導教員が命課されるものと考えております。
  263. 勝木健司

    ○勝木健司君 また、指導教員は、教員の力量とか指導力とか性格とか相手を思いやる心を持っているか等を総合的に判断して選ぶべきでありまして、持ち回りとかあるいは年功序列などは決して好ましいことではないというふうに思われます。指導教員としての資質やその選任の基準についてどう考えておられるのか、そしてまた、そういう選任基準というものを示すおつもりがあるのかどうか、お聞かせをいただきたいというふうに思います。
  264. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 指導教員でございますので、当然ながら教育に関して長年の経験を積まれた豊富な体験に基づいて後輩に具体的事例に即して指導できる立場の方を選んでほしいわけでございまして、一応現在考えております選定基準としましては、新任教員が、例えばその教科領域等がございますれば、その教科領域について十分な力量を持っていること、あるいは初任者の悩みに答える能力を持っていること、さらには全校的な視野に立って指導できることなどが必要ではないかと考えているところでございまして、本格実施に当たりまして、この趣旨に基づいて各任命権者側において、あるいは都道府県教育委員会、指定都市教育委員会に指導申し上げ、またそういった考え方で対処していただけるものと思っております。
  265. 勝木健司

    ○勝木健司君 指導教員もこれまた教師でありまして、たゆまぬ啓発をしていかなければならないということは言うまでもないことであります。自己啓発を常にしなければならないわけでありますけれども、新任教員指導者として任命した以上、指導教員指導者として必要な知識等々を身につけるための研修機会というものはどのようにして保障をしていかれるつもりなのか、お聞かせいただきたいと思います。
  266. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 現在のところ、このような指導教員といいますのは、学校の中で経験豊富な方をそれぞれお選びいただくわけでございまして、また指導教員も新任教員に指導しながらみずからも磨くという結果も期待しているところでございます。  ところで、今のような状況、本格実施段階で大量の指導教員が必要でございますけれども、そのための研修機会を持つということは現時点では極めて困難なことでございます。当面、制度のスタートといたしましては、それぞれの地域におきます時宜に適した指導教員を選んでいただきまして、指導教員がみずからの体験を、あるいは指導教員相互間で経験、情報の交換をしていただく、あるいは協議する機会を設ける等のことによりまして、そういった当面の対応を考えてまいりたいと思いますけれども、将来の方法としましては、やはり指導教員初任者に対します指導を具体的にどうしていけばいいのかという考え方について、指導教員に対する十分な周知啓蒙の方法等も考えていく必要があろうと思います。  しかし、現時点におきましては、今申し上げましたように、いわゆる後輩を指導できる先輩というのをまず学校の中でお探しいただくということを前提として、それに対する対応はその次の段階ではないかということで考えておるところでございます。
  267. 勝木健司

    ○勝木健司君 今すぐ研修機会というものをつくるということは困難だということでありますが、指導教員への負担を考えますと、指導教員に対する物心両面の支援というものが必要じゃないかというふうに思うのであります。例えば、給与面で指導教員に対して三級昇格を検討するなどの考えというものがないのかどうかということについてお伺いしたいと思います。
  268. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 指導教員と現在考えておりますのは、初任者研修に当たります一年間の初任者に対する指導の業務付加でございますので、いわゆる身分的な意味で例えば教頭先生、そういう立場に立つわけではございませんし、またずっと指導教員としていつまでも続くという形ではございません。その時点において、新任教員が配属されたとき学校の中で選ばれる教員でございますので、指導教員に対する給与体系上の取り扱いは極めて困難であろうと思います。  しかしながら、指導教員として職務に従事する職務内容につきましては、相当の負担がかかるわけでございますので、その負担に伴う対価といたしました場合の一種の手当につきましては、今後検討をする価値のある事柄でもございますし、また教育委員会、学校等の御意見等も踏まえて、今後の一つの大きな課題ではあると認識いたしております。
  269. 勝木健司

    ○勝木健司君 この重要な初任者研修の導入によって、管理職の責任というものがこれまで以上にますます重大になってくるように思うのであります。初任者研修導入以後の管理職のあり方について、またサポート体制についてどのように考えておられるのか、御説明を願いたいというふうに思います。
  270. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 初任者研修におきましては、指導教員を特定いたしまして、当該教員が中核となって初任者の指導を行うことといたしておりますが、研修を効果的に行うためには、指導教員のみならず学校全体のバックアップ体制が必要なわけでございまして、そういう意味では、学校全体としての共同的な指導体制を確立することが必要であると考えております。  そういった指導体制を確立するためには、校長先生がリーダーシップをとられまして、校務分掌を見直したり、適宜他の教員の協力を求めるなどの校内の協力体制を整備することを期待しておるところでもございますし、後輩に対する指導は、新任教員以外は皆さん先輩でいらっしゃいますから、適宜必要なアドバイスを与える、あるいは指導教員の負担を緩和するというようなさまざまな工夫はしていただけるものと思っております。  また、この初任者研修試行の段階におきましても、それぞれの校内体制においてそれぞれの協力体制がとられてきている状況が多うございまして、このことは本格実施に際しましても、学校の取り組みの姿勢として、単に指導教員がいるからいいやということではなくて、学校全体が指導教員を中核とした共同体制ということを組んでいただきたいと思っているわけでもございます。
  271. 勝木健司

    ○勝木健司君 次に進ませていただきますが、指導教員による指導というものは、試行の中ではどのような形式で実際行われているのかということで、教育実習のような形式で行われているのかどうか。  また、やり方としていろんなやり方があってもいいのではないかというふうに思うのでありますが、文部省としては、参考のために各学校での意欲的な取り組みを紹介するとか、あるいは情報提供をして、よりよいものになるように努力をすべきであるというふうに考えておりますけれども、あわせてお伺いをいたしたいというふうに思います。
  272. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 指導教員による指導といたしましては、通常のケースは、初任者が行います教育活動に関しまして適宜系統的な意味におきます一年間の流れの中でのアドバイスもございますし、その場その場に必要に応じた具体的な事例に即した指導もございましょう。と同時に、例えば教育実習に相当するような示範授業あるいは模範授業といったような形のものもございましょうし、それから教案の作成段階あるいは事後におきますいろいろな指導助言等もございますので、学校教育活動全般にわたって、言うなれば一種のお兄さんのような立場で弟の手助けをする、あるいは必要なアドバイスを与える、あるいは新任教員が悩んでいる問題について相談に乗ってあげる、そんな立場のような形になろうかと思います。  今のような形態で、実際にはその具体的な指導を行う時間帯というのは、むしろ授業時間中よりは授業の前あるいは授業の後という方が実際の具体的な指導助言が行われる機会は多いと考えておりますけれども、例えば放課後におきます時間をとって二人で相談をし合うとか、そういうような形でさまざまな工夫が行われていると理解いたしておりますし、また、そういった適切な授業の指導の例というのは確かに広く県内でいろいろな形で参考にしていただくことも大きな意味があると思いますので、十分先生の御意見を踏まえた対応を考えてまいりたいと思います。
  273. 勝木健司

    ○勝木健司君 それは前段の分で、後の分の情報提供とかそういういろいろな学校でいいことを事例としてやっておられるということを、どんどん情報提供をしていくということについての回答をいただきたいと思います。
  274. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) もちろん、具体的に成果を上げている事例等の紹介もさしていただきたいと思いますが、事柄はいわゆる先輩教員が新任教員に対しまして具体的な事例に即したその場その場の指導でございますので、それを文書等に要約した場合にそれが実感を伴うかどうかという問題はございますが、非常に成果を上げた事例というのは、当然先生の御指摘もございますし、私どももこういった指導、具体的な指導事例があったというような形で、新任教員が伸びていった事例等についてもそういう情報の提供を十分各都道府県教育委員会とも相談しながら進めてまいりたいと思います。
  275. 勝木健司

    ○勝木健司君 初任者学校初任者担当教科の教員というものがいない場合に指導教員をどう選ぼうとされておるのかということで、担当教科外の指導教員を当該学校教員から選ぶのか、それとも担当教科の指導教員というものを県教育委員会から非常勤という形で派遣してもらう考えなのでありましょうかということで、どちらの方式をとるにいたしましても一長一短があるというふうに思うのでありますけれども、そのメリット・デメリットを考慮して、どちらの方式が望ましいのかということをあわせてお聞かせいただきたいというふうに思います。
  276. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 先生の御質問は、小学校段階ではなくて中学校、高等学校段階の教科によって教員の担当が違う場合の御質問でございますけれども、その場合に、通常の教科でございますとその学校に教科担任の先生がいらっしゃって、そういう形で適任者が得られれば理想でございますが、そうでない場合の問題といたしましては、例えば他校からの応援を得る場合もございますし、あるいは自校内で担当外の先生が指導教員になられ、かつ教科担任に同一教科の先生を教科担当指導教員として援助を仰ぐという方法もございますし、これはそれぞれの学校の実情に見合った、どうすれば研修の成果が上がるのかという視点から地域の実情に応じて具体的に判断し、適切な対応をいただく事柄だと考えておりまして、どちらであるべきだという指導は試行段階ではしていないところでございます。
  277. 勝木健司

    ○勝木健司君 初任者担当のクラスあるいはまた指導教員のクラスで自習時間というのが多発するようなことが起こると思いますが、そうなりますと、父母の不満とかあるいは子供の学力低下などで心配するところでありますけれども、一般のクラス以上に自習の時間は出ないということが国民の前で約束ができますかどうかということと、約束できるとするならば、その根拠となる施策もあわせて文部省としても考えておらなければいけないというふうに思いますので、あわせてお示しをいただきたいというふうに思います。
  278. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 私どもも、初任者研修試行をいたします際に、この事柄が一番重要な事柄だと考えていたわけでもございます。  その意味におきまして、校外研修を受ける場合に学校を離れるわけでございますから、担任のクラスをどうするのかという問題につきましては真剣に対応措置を考えまして、そのために、例えば方法論としましては、指導教員がかわって授業を行う場合もございますし、あるいはほかの先生の応援を得る場合もございますし、あるいは担当授業につきまして、今申し上げたような自習等の空白が生じないような措置を試行段階においては十分措置していただきました。  その結果として、試行のアンケートによりますと、これは担当教員あるいは校長先生、指導教員等のアンケートでございますけれども、父兄からの反応につきましてはおおむね好評であったと思いますし、またあるいは理解が得られているというぐあいな状況でございまして、そういった点では、本格実施に際しましても、例えば自習とか合併授業が生じないようにそれぞれ学校の工夫をお願いしたいと思っているところでございますし、さらにはそういった意味では、体制としての指導教員の定数措置、あるいは非常勤講師等の措置におきまして、学校における教員構成にもよりますけれども、今のような空白が生じない事態ということを重点事項として各県にもお願いしてまいりたいと思っております。
  279. 勝木健司

    ○勝木健司君 初任者研修中に代替授業をする非常勤講師の問題でありますが、週三日の割合で細切れで授業を受け持たざるを得ないような状況が起こるんじゃないかと思います。一定期間を通して授業を代替する産休代替以上に困難な教育活動と思われるのであります。  そこで、非常勤講師はベテランで優秀ということ、また、プラス心細やかな教員でなければならないというふうに思います。その点でお尋ねするのでありますが、試行ではどうであったのかということと、また本格実施の際はどのような非常勤講師というものを確保しようという期待をされておるのかということで御説明を願いたいというふうに思います。
  280. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 非常勤講師には二通りあるわけでございまして、まさに指導教員としてベテラン教員を充てる場合と、指導教員を校内で確保した場合の、その指導教員の穴埋めの担当としての非常勤講師の二通りがあるわけでございます。  試行段階につきましてはおおむねベテラン教員、例えば退職された校長先生あるいは中途退職をされました教員等が充てられている事例が極めて多いわけでございます。一方におきまして、その指導教員の穴埋め措置としての非常勤講師につきましては、例えば採用試験の受験者であって教員採用試験には合格したが採用されていない、言葉は悪うございますが、産業予備軍のような方も登用されている事例もかなりございます。  そういった点で、今後の取り扱いでございますけれども、やはり今申し上げた教員に対する指導、あるいはクラスに対する問題といたしましても指導力のある方を充てることが望ましいわけでございまして、そういった配慮をこれからもお願いしてまいりたいと思いますし、また教員としての指導教員に対する指導、養成といいますか、あるいは新任教員の力量向上のためにも必要な事柄だと思っております。
  281. 勝木健司

    ○勝木健司君 今、産業予備軍という話がありましたけれども、産業予備軍的な非常勤講師、産業予備軍というのは大体どれぐらいおられるのか、お伺いしたいというふうに思います。
  282. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 正確な数字は把握いたしかねておりますが、例えば現在の六十二年度の初任者研修試行で後補充の教員として行われております今申し上げたような数字が約四割でございまして、一方その指導教員に充てている事例としましては、退職校長先生あるいは中途退職の先生方が約八割を超えているという状況でございます。
  283. 勝木健司

    ○勝木健司君 では、そうしたベテラン教員というものを確保するためには処遇面で配慮する必要があろうかというふうに思います。本格実施に伴う財政負担についての人件費等による負担増には、不安を感じている自治体も多いことというふうに思われます。これにつきまして、国の予算措置あるいは各県の状況なり今後の拡充策もあわせて具体的にお示しいただきたいというふうに思います。
  284. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 初任者研修試行段階におきましては、初任者が一人配置された学校につきましては、指導教員またはその後補充として非常勤講師を措置する予算上の措置を講じているわけでございまして、この非常勤講師に対しましては、予算上は授業を担当した時間のみならず、その準備または整理を含めまして、例えば一日お願いする場合でございますと、一日八時間の勤務に対する報酬として措置をしているわけでございます。予算上の単価としましては一時間当たり二千二百八十円でございまして、一日当たりの報酬額としては一万八千二百四十円でございます。この考え方で、一月に何日間非常勤講師としてお勤めになるかによってそれぞれの報酬額が違うわけでございます。  これは一般の非常勤講師の単価に比べますと高い措置をしていると考えているところでございまして、今後ともその待遇の適正化につきましては努力してまいりたいと思っております。
  285. 勝木健司

    ○勝木健司君 初任者研修は六十四制度から段階的に実施するということで、六十七年度から完全実施とのことでありますが、どのように実施していくかは政令で定めるということにされております。六十四年度は小学校、六十五年度は中学校、六十六年度は高校、そして六十七年度から盲・聾・養護学校を含めた全学校実施といった考え方が一部で言われておるようでありますけれども、段階的実施の具体的な構想というものを明らかにしていただきたいというふうに思います。
  286. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 初任者研修を効果的に実施しますためには、それなりの準備体制を各任命権者においてとっていただく必要があるわけでございますし、またそれぞれの県内の教員の採用数の推移等も考えなければならないし、また国、地方の財政状況等も影響するわけでございます。  文部省といたしましては、そういった状況の中で文部省の事務レベルの考え方としましては、六十四年度には小学校、そして中学校、高等学校と拡充をしていきたいと考えておるわけでございますが、事は予算の勝負でございますので、毎年度その予算によって具体的な、どの程度の裏打ちの行財政措置ができるかということも関連しますが、文部省の希望といたしまして、あるいは姿勢としては、今申し上げたように六十四年度は小学校からスタートをさせていきたいということで予定をしておるところでございます。
  287. 勝木健司

    ○勝木健司君 今回の法案というものが成立したならば、新任教員は今後初任者研修義務づけられることになるわけでありますけれども、試行の段階でも都道府県によって初任者研修を受けた人とそうでない人が出てきておるかと思います。初任者研修を受けた人と受けなかった人との間では当然差が出てきているというふうに思われるのでありますが、差が出ないということであれば何も意味がないのではないかというふうに思われます。でなければ、また別のやり方を考えなければならないだろうというふうに思われるわけでありますけれども、そこのところを御報告願いたいというふうに思います。
  288. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは各学校からの都道府県教育委員会を通じての文部省へのいろいろな報告等によりますと、初任者につきましては、教科指導だけではなくて、校務全般を組織的に理解、把握することができたということで、短期的に初任者実践的指導力向上が図られたということがございますし、さらに授業の進め方や児童生徒の扱い方など初任者が通常感じます不安感が緩和され、初任者が自信を持って教育活動に当たるようになったというような著しい成果が上がったとの指摘があるわけでございますし、また同一校内の数年前に入られました教員が、比較は悪うございますけれども、初任者の伸びが著しく高いということで、自分たちも初任者研修を受ければよかった、今の先生がうらやましいというような声も聞こえているわけでございますし、問題点指摘もいろいろございましょうけれども、概括的に申し上げますと、初任者研修試行の対象となった教員の伸びが著しいという報告をちょうだいしているところでございます。
  289. 勝木健司

    ○勝木健司君 差があるということであれば、受けられなかった新任教員にとっては不公平になるわけであろうかと思います。初任者研修の価値というものが文部省にとってあるのではなく、やはり教員にとってなければならないし、ひいては生徒にとって価値がなければ何にもならないだろうというふうに思うのであります。そうなりますと、初任者研修を受けた人と受けなかった人と厳密に言えば不公平があるわけでありまして、文部省としてこの不公平をどうこれから受け取られておるのかということで、試行ということでやむを得なかったということであろうかと思いますけれども、今後何らかの方法でこの不公平を埋めていくということが考えられなければいけないだろうというふうに思いますが、この点を御説明願いたいというふうに思います。
  290. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 試行自体の本格実施に備えて円滑に移行できること、あるいは問題点を探るためにある程度の規模で実施したもので、実地に即した研究を行ったわけでございますので、こういった試行の性格にかんがみまして、試行対象者とそれ以外の者との間で差異が出ることはやむを得ない事柄かと考えているわけでございます。  これからの問題でございますけれども、初任者研修だけで終わるわけではございませんで、それぞれのライフステージに応じた研修ということがあるわけでございますし、例えば教職についてから五年たった場合の研修の問題等もございます。あるいはそれにとらわれない形で、それぞれ教員資質を伸ばしていく努力を各任命権者側において対処できるようお願いをしてまいりたいと思っております。
  291. 勝木健司

    ○勝木健司君 中国のことわざに、先ほどは鉄は熱いうちにということでありましたけれども、初めが大事という言葉もあるわけでありまして、何事も最初の方法、態度というものは最後まで影響を与えるものであろうかと思います。初任者研修を受けるということは、この研修のやり方によってよい方向に行く場合と、逆に反対の方向に行くということがあろうかというふうに思います。試行の状況から、この初任者研修というものはどういう方向に行くのかということもあわせて御報告を願いたいというふうに思います。  また、初任者研修実施に当たっては、指導教員によるマン・ツー・マンの指導以外に校外研修というものが行われておるということでありますけれども、この校外研修の具体的な内容というものはどういうものかということ、またどういう視点からこのカリキュラムというものが組まれることになるのかということも、あわせてお伺いしたいというふうに思います。
  292. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 現在試行いたしております考え方とほぼ同様で本格実施も想定しておるわけでございますが、指導教員による指導のほかに教育センター等におきます校外研修を行っているわけでございまして、これは主として教育センター等の研修施設において、当面する教育課題であるとか教員としての心構え、使命感、教育技術等に関します講義、研修等を行うわけでございますが、同時に例えば養護学校等の他の校種を参観するとか、青年の家等の青少年教育施設を参観する、場合によりましては民間企業等の参観を行うというようなケースもございますし、さらに合宿、宿泊訓練というような形でそれぞれ泊まって、それぞれの地域におきます教員同士が悩みを打ち明け合うというようなケースもございます。そういったさまざまな体験あるいは相互の意見交換、あるいはみずから設定したテーマで取り組むというような形で、いろいろ各般にわたります研修の実を期したいと思っているわけでございます。
  293. 勝木健司

    ○勝木健司君 次に、初任者研修実施というものは、新任教員にとってもやはり負担であるという考え方があります。新任の時期はある程度厳しい研修もやむを得ないもの、そういうふうに思うのでありますけれども、研修なるものは研修生をつぶすためにするのではないのだということで、あくまでもその研修生のよいところを引き出して能力を高めていく、そして自信をつけさせていくための研修であろうというふうに思うわけであります。  そういった意味での過大な負担というものを避けなければならないだろうというふうに思うわけでありますが、この負担軽減についてはどう考えられておるのか、お聞かせいただきたいというふうに思います。
  294. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今回の制度試行と違いまして初任者研修のスタイルをとりましたのは、教員免許を取って教壇に立たれる、まさに教育活動にみずから従事しながら指導を受けて育っていただきたいということでございますので、当然のことながら通常の学校勤務を前提として必要な実践的研修を行うわけでございますので、そのこと自体は負担が多くなっていることは事実でございますし、またある程度の負担は覚悟の上で、将来のために本人の自覚を持って取り組んでいただきたいと願っているところでもございます。  しかしながら、日常活動についてそういった系統的、組織的な研修を行うわけでございますので、その負担の量が多くていいということではございませんから、例えば週の時間割編成等におきましても、あるいは校務分掌等におきましても、それぞれある程度の配慮も必要でございますし、また研修内容の精選を図るということも必要でございましょうし、これから本格実施に当たりまして、試行段階の結果を踏まえた初任者に対する負担の過重をどの程度軽減していけるのか、そういった適切な研修計画を立てますとともに、指導教員を中核とした指導体制によって十分なカバーができるように考えていきたいと思っております。
  295. 勝木健司

    ○勝木健司君 時間も余りありませんので、条件つき採用基幹の問題等々については次回に譲りたいと思います。  最後に、指導教員にとりまして、やはり一定の手引書なるものがなければ不安になるところがあろうかというふうに思います。また、大局的な立場で期待しているものと大きくずれるようなことがあってはいけないだろうというふうに思います。各都道府県でも研修のための手引書、また指導教員用の手引書の作成というものを行っているところもあるように伺っておりますけれども、文部省として指導教員のための手引書、マニュアルあるいはモデルというものをつくるつもりはないのか、お聞かせいただきたいというふうに思います。  あわせて、初任者研修実施に際しては、何分にも新しい制度であるだけは父兄の間にもいろいろな不安がないとは言えないというふうに思うのでありますけれども、この父兄に対して理解を得るようにするためには、何らかの具体策というものを文部省として考えておられるのかどうかということを質問して、終わりたいというふうに思います。
  296. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 御指摘のような手引書、マニュアルといったようなものは当然に必要な事柄でございますし、既に試行の段階でもそれを作成している都道府県もございますし、これは六十三年度の試行並びに六十四年度からの本格実施におきまして、各県においてそれぞれの実情に適した手引書、マニュアルを作成していただきたいと思いまして、それは都道府県にもお願いしてまいる段階でございます。  なお、児童生徒並びに父兄への影響の問題でございますけれども、これは例えば学年初めの負担を避けるとか、あるいは長期休業期間中を活用するとか、あるいは校外研修が予定される曜日につきましては授業担当時間を組まないような時間割編成を工夫するとか、児童生徒への影響を極力少なくする努力も必要でございますが、同時に初任者が校外研修を受ける場合の指導教員その他の教員による代替授業等の問題につきましては、当然ながら担当の教員初任者であることを父兄に十分な理解を求め、そういった父兄の理解協力を得ながらこの施策を進めていくべき重要な事柄だと思いますし、その周知徹底方についてもなお力を尽くしてまいりたいと思っております。
  297. 勝木健司

    ○勝木健司君 文部大臣、何かありませんか、父兄に理解を求めるということについて。
  298. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) 勝木委員からの内容にわたります御質疑をいただきました。ぜひ参考にさせていただきたいと思っておりますし、また質疑の当初に述べられましたこの初任者研修を通じましてよき教員が育つようにという御熱意をいただきまして、それを受けとめさせていただいて極力それに努力をし、それにはまずこの法案が御賛成を得て成立することをお願いいたす次第でございます。
  299. 下村泰

    ○下村泰君 やっと参りました。大分各委員ともお疲れの御様子ですし、中には達者な方もいる。しかし、これだけの長い時間縛られているということは動物愛護週間だったら許されない。午前中からただいまの時間まで私拝聴しておりまして、加戸教育助成局長、実に立派な方だなと思います。情におぼれることなし、情に流されることなし、時によっては爬虫類じゃないかなと思ったり、そのくらい御立派な方ですね。驚かない。文部大臣とは対照的な存在だと思います。  さて、今こういった本法案が論議されておりますけれども、実はこういう勉強の環境に置かれない恐怖のどん底の状況に今置かれておる人たちがおりますので、大臣並びに文部省関係局長にはちょっとお休み願いまして、警察庁、来ていらっしゃいますか。——  今月の十四日の午前二時四十分に発生した神戸の発砲事件があります。殊に警官が銃撃されるなんというとんでもない事件が起きておるわけです。これについて、現在までの状況をちょっと説明してください。
  300. 垣見隆

    説明員(垣見隆君) 事件の概要でございますが、五月十四日の午前二時四十分ごろ、神戸市東灘区御影山手六丁目所在の暴力団組長宅付近の路上におきまして、付近住民の安全確保と、暴力団による違法行為の防圧、検挙を目的として警戒をしておりました兵庫県警察東灘警察署の署員三名に対しまして、三人組と思われる犯人が自動小銃などの銃器を発砲し、警察官三名に重傷を負わせた上、暴力団組長宅に発砲し、さらに鉄パイプ爆弾様の物を爆発させて逃走したものでございます。  兵庫県警察におきましては、事件認知と同時に緊急配備を実施し、現場検分、聞き込みなどの初動捜査を行うとともに、捜査本部を設置して、現在県警の総力を挙げて強力に捜査を推進しているところでございます。  また、本事件は、計画的に銃器を使って警察官を直接襲撃するといった極めて異例な事件でありますことから、警察庁といたしましても、全国に対し、取り締まりの強化、警戒措置の強化などを指示しているところでございます。
  301. 下村泰

    ○下村泰君 事件のあらましはわかりましたけれども、負傷した警察官が三人いらっしゃいますね。どうですか、その後の状況は。
  302. 垣見隆

    説明員(垣見隆君) 現在三名が治療を受けておりますが、一名は骨折その他等で、全治はちょっとわからないということですけれども、入院四カ月を要する重傷でございます。一名は入院三カ月を要する重傷、一名につきましては、指の骨折等で全治二カ月の重傷ということでございます。
  303. 下村泰

    ○下村泰君 これまで警察官がこういうふうにターゲットにされたということはありませんよね。組員同士がたまたまドンパチやったときは、むしろそこを警戒しに行った警察官が巻き込まれたということはあるでしょうけれども、いきなりパトカーの中に銃口突っ込んで発射したなんという事件はあり得ないですよ。どういうふうに考えていますか、これ。
  304. 垣見隆

    説明員(垣見隆君) ただいま御指摘のございましたように、これまでにも暴力団の対立抗争等に巻き込まれまして警察官が負傷するというような事案は起きておりましたが、本件のように直接白黒の警察車両に乗車しておりました警察官がねらわれたというのは希有な例でございます。
  305. 下村泰

    ○下村泰君 ですからね、今まではなかったことなんですよ。それが、しかも早い話が暴力団の組長でしょう。組長の宅をむしろガードしていたわけでしょう、警察官の方が。その御近所に住んでいる方にしてみりゃ奇異な念を持ちますよね。何で自分たちが税金払って、お巡りさんに払って、そのお巡りさんが税金も払わないようなやくざを守ってなきゃならぬのだ、これはばかばかしくて見ていられないでしょう、これ。お巡りさんの中にも恐らくいますよ、そういう人はね。何でおれたちがこんなやくざの護衛しなきゃならぬのだ。そのお巡りさんに向かって発砲するなんて、これはもうとてもじゃないけれども普通で考えられません。  大体、あの大阪府警とか兵庫県警というのは、少しこういう暴力団関係になめられているんじゃないですかね。それについては警察庁、どういうふうにお考えですか。
  306. 垣見隆

    説明員(垣見隆君) 警察官が暴力団の組長宅周辺で警戒をいたしておりますのは、一つには、付近住民の安全の確保のためでございまして、もう一つには、そこへ出入りする暴力団員をチェックいたしまして、挙銃等の凶器を押収するなどして事件の未然防止を図るというためでございます。決して暴力団組長などを守るために実施をしているというものではございません。  したがいまして、その警戒に当たりましては、暴力団を守っているのではないかというような、先生指摘のような誤解を招くことのないように配備の位置、警戒方法等に一層配意を加えまして、適切な警戒を実施するように指導しているところでございます。  なお、大阪、兵庫方面にこの種の事件というか、暴力団事件が多いわけでございますけれども、これまでも相当強力に取り締まっているところでございますし、今回の事件も契機にして、さらに一層強力な取り締まりを実施するように指示をしているところでございます。
  307. 下村泰

    ○下村泰君 京都に松原署というのがある。その京都の松原署の、いわゆる普通ハコボー、ハコバンとか、それからポリボックスとか——私らは戦前は、お巡りさんはガチャゴーと言った。昔はサーベルを下げていた、サーベルを。そのサーベルがガチャガチャ鳴る。それで、お巡りさんとは言わないんだ、ガチャゴーと言う。殊に、松原署管内のハコバンしているお巡りさんが、一年アンタッチャブルの生活ができたら最高の警察官で、どんな盛り場へ行って、どんな暴力団の組織下の盛り場へ行ってもまともに勤まると言われるぐらい、京都の松原署の管内のお巡りさんというのは買収されるんですよ、暴力団に。そんなことありませんと言ったってだめだ、おれの方がよく知っているんだ。  それから、かつて兵庫県警の本部長が暴力団からいろいろな贈り物をもらって、しかも赴任するときにはお迎えの式をやられて、やめるときには歓送会までやってもらっている。こんなようなことは枚挙にいとまがないんですよ、大阪とか兵庫県は。  それに、おたくでも御存じかもしれませんがね、大阪のミナミに柳川組というのがあったんです。この柳川組の組長が、頭のいいやつで学校に行けない子供たちを自分たちで面倒を見て、東京大学の法学部を卒業させて、完全なる自分たちをガードする弁護士に育て上げる。そして、おれたちに都合のいいようにするんだ、そういう者まで育てるんだと豪語したことがある。それで、関東のやくざはだらしがない、警察庁のおひざ元だ、警視庁がなんてなめるな、そういうふうに豪語したことがあるんです。そのときのたしか警察庁の警備局長が今の人事院総裁の内海さんだと思いましたがね、私はそんな記憶がある。  その時代からずっと続いているんですよ、これが。それで、常にドンパチというと向こうなんですよ。そのころから、そういう皆さんの厳重な取り締まり、厳重な取り締まりというお声は毎回聞いている。ところが、ちっとも後を絶たない。しかも、今度のこれがきっかけになって、どんなに大きくならないとも限らないでしょう、これから先。  こういうことが書いてありますよ。「難を恐れて外に飛び出す住民はいなかった。」。近くの主婦、四十歳の奥さんですな、「金属音が二、三回したので、家族を起こしに行こうとしたら、数分後、ドーンと心臓をえぐられるような音がした。一睡もしてません。もう、いいかげんにしてほしい」。会社社長の方、六十三、「「張り付け警戒をしているのは知っていたが、最近は組員の出入りも少なく、安心していた。警察官が撃たれるなんて」と話す。」。出勤途中の会社員、四十二、「住民を守る警察官が暴力団のタテになって撃たれるなんて無念でしょう。最近、やっと静かになったと思っていたのに……。子供たちには、また、このあたりで遊ばないように注意しなければ」。そして外国人がこう言っていますね、デンマーク人のソーレン・マインカーさんという方ですね。この方は「「日本の暴力団の存在は奇妙だ。デンマークではギャングが一般の住宅地に住んでいるなんて考えられない。非常におそろしい」と肩をすくめていた。」と。こういう環境の中で、ここに住んでいる子供さんたちは、まず安心して遊べない、勉強もできない、受験勉強なんかしているとドーンパチパチとくる。  もう一つ問題なのは、この連中の使ったのは自動小銃ですね。これが十七日ですか、十七日か十八日に発見されていますね。これはアメリカ製なんです。高性能機関短銃、イングラム・マックイレブン。三十八口径、全長が二十二・五センチ、肩当てを含めると三十センチ。三十二発の弾倉があって一分間に千二百発。大統領護衛のSPなどが現在向こうでは使っている。ポケットにも入るぐらいなんです、オーバーの。こんなもので、ぼこぼこぼこぼこやられたんじゃたまったものじゃない。まして子供なんかうっかり登下校にやられてごらんなさい、大変なことになりますよ。ですから、確たる警察庁の覚悟のほどを聞かせておいてほしいんです。
  308. 垣見隆

    説明員(垣見隆君) ただいま御指摘のございましたように、付近住民の方々の不安感というものは極めて大きいものと思っております。その住民の方々の不安感を軽減するように最善の努力をいたしているところでございまして、この事件のありました組長宅周辺につきましては現在二十四時間態勢で警戒活動をしておりまして、さらにそれに加えて重点的なパトロール、検問など、各種の警戒活動を徹底して、事件の再発防止に努めているところでございます。
  309. 下村泰

    ○下村泰君 御苦労さんでした。警察庁長官によろしく伝えてください。本来は長官に来てもらって話をしたかったのだが、危なくてしようがない。  さて、大臣、今お聞きのごとく、こういうことが起きて、怖いんですよ、この事件は。第三次、第四次にならないとも限らないんです、この抗争は。山口組と一和会というのはもともとが同じ系統にいて、親分を立てる立てないで分かれた組ですから、この傘下にいる組員がどういうふうにこれから動いてくるか、これも心配なんですよ。これが広がっていきますと、今度は大阪の方までいきますからね。そうすると、そういうことによって何も関係のない婦女子が巻き込まれないとも限らない、こういうことなんです。どうぞひとつ閣議のときにでもよくお話し合いになってください。  ではちょっと伺いますが、先般、京都の城陽市というところで障害児童の就学問題についての和解が成立したんだそうですが、その経緯、内容についてちょっとお聞かせください。
  310. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 御指摘のケースでございますが、確かに城陽市の学校で特殊学級に配属されていたお子さんが、やはり父兄の御希望で普通学級へということでいろいろ学校側とのお話し合いがあったわけでございます。  事実の経緯といたしましては、六十一年の四月に小学校に入学した城陽市の寺田西小学校の、イニシャルで申し上げますが、T君というお子さんです。  六十二年の四月になりまして、保護者からただいま申し上げましたようにいろいろお申し出がありまして、学校側といろいろお話し合いがあったわけでございますが、学校側としてはそのお子さんの心身の状況から、一般の学級では無理じゃないかということで、若干平行線であったということでございましたが、さらにお話し合いが進みまして、その間仮処分の申請、訴えの提起という経緯があったわけでございますが、四月十六日、つい先月でございますが、学校側と保護者が話し合いをいたしまして、特殊学級にはやはり在籍をしていただこう、しかし通常の学級との交流教育を大幅に拡大する、そうして今後児童の発達の様子を見ながら、なお話し合いを続けていきたい、こういうことで四月二十日に訴えの取り下げが行われた。  これは、学校側と父兄とのいろいろと話し合いが粘り強く行われて、リーズナブルな決着を見たケースだというふうに私どもは理解しております。
  311. 下村泰

    ○下村泰君 それから、愛知県の岩倉市における池田円君といいますか、この就学問題の経緯と現況、それから文部省の対応について、ちょっとこれも御報告いただきたいと思うんです。
  312. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) これは少し難しいケースでございまして、先生も御案内のところが多いわけでございますが、昭和五十七年にこのI君、やはりそれぞれ障害のあるお子さんでございますが、養護学校が適切ということではありましたが、本人の希望もあり、小学校の特殊学級に就学を昭和五十七年にしたわけでございます。ところが、四年生になって、やはり不登校ということで、これは昭和六十年でございますが、そして学校へ行かなくなった。通常の学級との交流のときだけ行くというようなことであったようでございますね。  それで、昨年でございますが、六十二年の十二月、小学校を終わるということで、今度は中学校相当へ進学をする、いろいろ父兄の御希望それから市の方の就学指導の委員会あるいは県教委ということでお話し合いが非常に難航したわけでございまして、二月の末に私どももかなり指導したんでございますが、やはり父兄の方の御希望と、市教委なり県教委の考え方学校考え方の折り合いが非常に難しい事態になりまして、県教委としては市教委の判断に基づいて養護学校への就学を指定した、こういう一応の区切りになったわけでございますが、保護者はその就学通知を県教委へ返送された。それを御了承にならなかったということでございまして、さらに三月から四月という、今日に至っておるわけでございますが、保護者の御希望でございましょうか、親子で中学の方に自主登校という形で朝見える、一、二時間、その学校にお兄さんがいらっしゃるわけでございます。そんな関係で、まだその辺が決着を見ておらないわけでありまして、そして県教委なり文部省にこの処分についての審査請求というのが出ておるわけでございます。  私どもとしては、県教委に対して、二月末の段階での市教委との関係で、中学校関係でございますね、特殊学級という問題、養護学校の問題、いろいろその当該お子さんの状況に応じてもう一度話を当事者としての保護者とすべきである。それは市教委もやぶさかでないということがあったわけでございますが、若干支援団体の方もおられまして、いろいろ事情が複雑になったようでございまして、今の段階での私どもの指導といたしましては、結果としてこの子供が若干不就学という姿になっておる。そういう実情がやはり義務教育の問題としてよろしくないわけでありますので、県教委は市教委、学校とも相談し、特に審査請求も出ておることでございますので、十分保護者の説得なり理解を求め、保護者が今後どういうふうにお子さんの教育をするかという問題について、もう少し県教委も市教委との関係において話を進めるようにという段階でございまして、私どもが、県教委、市教委のそのような保護者との話し合いに応じまして、さらに県教委を通じての指導を少しやってまいりたい、こんな段階でございます。
  313. 下村泰

    ○下村泰君 きょうの委員会で私この問題を取り上げて、突き詰めてどうのこうのということは申し上げませんけれども、大臣のお耳に入れておいていただきたかったことなんです。前に秋田のときの筋ジストロフィーのお子さんについては私も一生懸命お願いしました。この今の方の状態はちょっと違うようなんで、私自身も実は間に入って少し戸惑ったんですけれども、局長ともいろいろ相談をして話もしてみたんですが、これはちょっと長期化するようだなと思ったので、今のところちょっと傍観はしているんですが、できるだけ何とか御両親の線に沿ってあげたいなとは思っているんですけれども、これはプロローグとしてきょうはこの程度にしておきます。  さて、今問題になっております法案でございますけれども、教員研修という教育の根幹にかかわる重要な法案だと私も思います。私は、教員の置かれる状況だとか教員研修全体のあり方、こういう視点に立って障害を持つ教師や障害を持つ児童を教える教師、そしてたまたま障害児と言われない児童や教師について伺ってまいりたいと思います。  質問に入る前に一つお願いがあります。私は教育の専門家と言われる立場にあるものじゃありません。ここで常に取り上げさせていただいている障害を持った子供たちについても、専門の教育を受けたわけではありません。障害児教育についてもいろいろ考え方教育論の違いもあることは承知しております。私はそのいずれかに位置するものでもありません。亡くなりました伴淳三郎と一緒に昭和三十八年から、今、森繁久弥が会長ですが、「あゆみの箱」という運動を通じ、それから議員としてここへ入ってまいりました。その議員としての視察や出会いの中で見た子供たちの顔が、目を閉じると鮮明によみがえってきます。そして、その子供たちが私にしゃべらせていると私はそう思っております。確たる教育論もなく、文教委員会で発言することは、果たして国会の権威なるものにふさわしいかどうか私にはわかりません。ここに並ぶ委員、そして大臣を長とする文部省方々はそれぞれに輝かんばかりの経歴を持つ方々であろうと思いますが、どうか私とともに子供のことだけをまず考えて答弁していただきたいと思います。  建前や仕組みやしがらみがあるのは当然です。しかし、本音で語れない文部行政では、どんなすばらしい研修制度を設けても意味はないと思います。どうぞひとつ、そういう意味で私の願いを聞き届けていただきたいと思います。よろしゅうございますか。本法案教員研修という教育の根幹にかかわるところはもう先ほど申し上げました。  そこで、まず一つ確認したいんです。今までも聞かれていることなんですけれども、研修制度というものの持つ趣旨、目的それから意義といったものについてお伺いをします。  審議会の答申にこう書いてありますね。   教員の職責にふさわしい資質能力は、教員養成のみならず教職生活を通じて次第に形成されていくものである。   この場合、教員自身が修練を積み重ねることによってその資質能力を高めていくことが基本となることはもとよりである。そのためにも、教員全員が参加する校内研修の充実を図ることが肝要である。そして、「初任者研修制度創設」というところを見ますと、   新任教員の時期は、教職への自覚を高めるとともに、円滑に教育活動に入り、可能な限り自立して教育活動を展開していく素地をつくるうえで極めて大切な時期である。この時期に、組織的、計画的な現職研修実施し、実践的指導力教員としての使命感を深めさせることは、現職研修の第一段階として必要不可欠であり、その後の教員としての職能成長に欠くことのできないものである。  何かえらい文章は立派みたいに感じるんですが、どことなく錯覚が起きているような感じがする。殊にこの「使命感を深めさせる」、何かここのところはわかったようでわからないんですけれども、一体ここに書いてある趣旨、目的、意義というのはこんなものなんでしょうか。
  314. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 審議会で御議論いただきました考え方がこういう答申にまとめられているわけでございますけれども、やはり現下の教員資質に関します各方面のいろんな期待等があるわけでございまして、それをいわゆる新任教員が新しい職場について、そこでスタートする時点での話でございますので、当然に今の新しい教員方々にどういった点が不足しているのかということを踏まえて、そういった不足している点を強化したい、補っていただきたいという願いがこういう形で教員としての使命感であるとか、実践的指導力であるとか、幅広い知見であるとかいう言葉として出てきたものと私は思っておるわけでございまして、今の教員に対します国民の側の期待をこういう文章表現としてまとめられたものと思っております。
  315. 下村泰

    ○下村泰君 私は単純明快に質問しますが、今の先生方というのはそんなに程度が低いんですか。
  316. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 一般的にお伺いします限りでは、かなり学力レベル、知識等については相当程度お持ちでございますけれども、管理職の方々の目から見られて新任教員教育に対する取り組みの意欲、姿勢というもの、あるいは具体的な事例に即した子供たちへの対応というものについては、やはり経験深い目から見ればまだ足りない面が多いという認識を持たれているようでございますし、そういった声は教育委員会、校長先生等からもよく聞こえる事柄でございまして、そういった点で今のような考え方が出てきたのではないかと思っております。
  317. 下村泰

    ○下村泰君 その問題なんですが、今管理職とおっしゃいましたですか、管理している先生、その管理している先生方というのは幾つぐらいですか。
  318. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) もちろん管理職の先生方は五十前後、五十を超えている方でございましょうから、教職経験を三十年程度経られた方でございますから、物足りなさをお感じになるのは当然でございますが、と同時に、一般の国民側の期待としても、それぞれの自分の子弟に対する教育の面からもこうあってほしいという気持ちがあらわれてきているんではないかと思います。  そのことは、教員に限らず新任の職員はすべて同じような状況であろうと思いますけれども、教育の場合には児童生徒との触れ合いの問題でございますので、そういった子供たちに失望させないようななお一層の努力を期待したいという願いがあろうかと思っております。
  319. 下村泰

    ○下村泰君 例えば五十歳としたら、今戦後四十三年ですよね、四十三年。そうすると、生まれたのが十三年か十四年ですか、昭和。すると七歳か八歳で終戦。そのころというと小学校の二、三年。その方が一番あれじゃないですか、混乱した、教育の方角がどうであったかわからないようなときに教育されている方じゃないですか、順序よく考えていくと。それで、教科書なんかでも最近ドラマをやっているじゃないですか、NHKのドラマでやっているでしょう、何か本を開くと墨が入って棒が引っ張って真っ黒けになっている。そんな教科書で勉強させられた連中じゃないですか。(「その前だ、その前」と呼ぶ者あり)それがもっと前か、じゃその後か。その後にしても、そういう年代で教育された人たちから見てだらしがないと言ったら、よっぽどだらしがないんです、今の先生は。そういうことになりはしませんか。
  320. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 教育に対する国民的な要請というのは、常によりよきものを求めるわけでございますので、今の教員に対しての物足りなさ、不満というのはそういう形であるのではないか。それは各方面からの声としても出てまいっておりますし、そういうような意味合いにおいて私どもは理解しているところでございます。
  321. 下村泰

    ○下村泰君 しかし、本当に局長は立派だ。絶対に感情的にならない。私の方がかっこかっこくるんだけれども、きませんね。  教育というものは、人間福祉のための一つの手段として位置づけられるのではないかと私は思うんです。福祉は人間の幸せの状態を指します。すると教育は、その状態を目指す方法ということになりますね。そして、人と人との遠慮のない交わりから人についていろいろの理解が生まれる。それもいろいろのタイプの子供に一々接することによって人と人との触れ合いが生まれる。そして、力をかし合うという経験からそうした期待を持つことだと私は思うんです、教育というのは。こういうふうに言えば、そのとおりとか、それも一つの目的とかと言われるでしょうけれども、決して否定はされないと思う。ところが、実際に教育は幸せを目指す方法でしょうかと問いたくなるんです。道具ではあっても方法になってない。だから次々と子供たちや学校の中で考えられないようなことが生じてくると思うんですが、そうは思いませんか。
  322. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 難しいお言葉でかみしめるまでに若干の時間が必要でございますけれども、私、考え方としましては、教育というのはやっぱり文化的な人をつくる、あるいは国を文化的な国にしていくという観点からでき上がっていると思いますし、またその意味におきましては、文化というのは非常に広い意味を持ちますけれども、先生おっしゃいますようなすべての分野に、福祉も含めまして、人に対する思いやりなり人に対する理解なり、あるいは物に対する考え方、それが普遍的なものとしてそういう理解をする、相手の立場をわかってあげるということを子供たちに教えていくのが教育であると私は思っております。
  323. 下村泰

    ○下村泰君 そういうふうに一生懸命子供たちに教えようと必至に考えて悩んでいる先生方がいることは事実なんです。今回のような研修制度のあり方が教師の資質向上とやらにいかほどのプラスになるか、子供たちの幸せにどれだけつながっていくのかという不安もなくはない。ということは、こういう記事がいっぱいあるんですね。  これは昨年の記事なんですが、   いじめ、非行への対応や学習指導などで、世間の批判を受けることの多い教師たち。初任者研修試行、「補習のすすめ」の文部省通知など、一連の政策は教師の質を厳しく問うているが、そのなかで教師は、ともすればカラに閉じこもりがちだ。そこで、教研集会が始まった七日、全国から集まった小、中学校教諭に、「いま、一番の悩みは?」と胸の内を聞いてみた。   「まず目立ったのが、いまの子供たちはわからないという訴え。「四、五年前までは、理科の実験授業は子供たちの人気の的で、みんな目を輝かせていた。ところが今は、クラスの数人しかのってこない。意見も出ない。自分を表現できなくなってしまっている」」。 これは岐阜県の小学校先生。   「「ポケットから物が落ちたよ」と言っただけで、泣き出す六年生がいたりする。とにかく何か言うとすぐ泣く」。 これが北海道の小学校先生。   「班単位の助け合い学習を進めようとしても、生徒にこちらの意図が伝わらない。子どもが競争主義になっている」。 これは福岡県の中学校先生。   「非行の子どもの心にどう入るか。今春卒業した五人は、とうとう最後まで心を開いてくれなかった。四、五年前は、こちらが一生懸命に説得すれば、一時的には行動がおさまったものだが」。 これは長崎県の中学校先生。   「教科書も進めなければいけないから、意欲がある生徒でさえ理解できなくなる。もう少し時間があればと思う」。 これは東京の中学校の女子の先生。   「管理教育への不満も出された。」、「教職員一致の考え方が強過ぎて、自分のカラーを出せない。生徒のカバンのワッペンをはがすことを命じられ、「そこまで規制しなくても」と思ったが、反対できなかった」。 これは大分県の中学校先生。  こんなふうにあれですか、今教職員、管理する側の考え方というのは、先生みんなにぎゅうぎゅうとこんなことを押しつけるんですか。
  324. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) それぞれの学校におきます考え方、方針等もございましょうけれども、いろいろな事例として挙げられる事柄がないとは申し上げませんけれども、そんなにぎゅうぎゅうという形で規制がいっているというぐあいには思っておりません。
  325. 下村泰

    ○下村泰君 それはあったら大変なこっちゃ、これね。   「職員会議で、管理職が「遅刻が多いから、あしたから教師全員で監視しよう」と言う。「必要ない」と反発すると、「共通理解がはかれない」と言われる。教師は、上からの伝達機関になってしまった」。 これは北海道の中学校先生。こういうふうな意見があります。  そうかと思うと、先生が生徒とうまくいかない。教師になって職場に臨んだときにはこれは非常な抱負がありますよ、だれでもね。初めて教壇に立ったり、何の商売でもそうですけれども、我我芸能生活のときにもそうでした。お客さんにうんと笑ってもらおう、うんと受けようと思って一生懸命やるんですが、根が下手くそだから自分だけ空回りして汗だけびっしょりかくんですよ。先生だって、やっぱり教壇に立って同じだと思うんですけれども、それが今度逆に自分の体の方へおかしくなってはね返ってくる、こういう現象が非常に多い。  ある新聞には、「先生よストレスに強くなれ」、こんな見出しで出ていますがね。そして、これは東京四谷一中の熱血教師が、この人は刺されましたね、お子さんに。  非行や校内暴力への取り組みに疲れ精神障害を訴える教師が増えている。都教育庁はこのほど心の病の早期発見や自己コントロールを教師自身で行う「メンタル・ヘルス」のガイドブックを作り、近く都内の全公立小、中、高校の先生約八万人に無料配布する。   病気を理由に休む都内の公立校教師のうち、精神神経系疾患は四十八年には四十三人だったが、六十年八十五人、六十一年八十三人と増加。病休の教師中に占める構成比も十五年前の二割前後から、最近は約四割になった。特に、教師は「うつ病」と診断される患者が多いといわれる。   同庁体育部保健課では「若い先生は、成人するまで順調に育った人が多く、非行など難しい問題に直面した際に大きなストレスに陥りやすい」と分析する。  こういう先生方がどんどんどんどんふえてしまうというのは、これをどういうふうに文部省は把握しているんですかね。
  326. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) やはり学校におきます最近の子供たちへの対応というのが難しくなっていることは事実でございますし、またそのために先生方のストレスがたまっていることも事実でございますし、私どもも各県のいろいろのお話をお伺いしましても、先生がおっしゃいましたようなそういった傾向が強くなっている点を大変心配しているわけでもございます。  特に、精神性疾患の問題につきましては、かなりの比率でいろいろな事例等ケースがあるわけでございますけれども、これは一概にそういった学校だけで解決できる問題でもございませんし、各方面からの御協力も仰がなければなりませんし、例えば東京都の場合でございますと、そういった精神的な今のメンタルヘルスあるいは精神疾患の方の精神的なリハビリの問題とか、それぞれの県においてさまざまな教員への対応を苦労されている実情を十分承知しているところでございます。
  327. 下村泰

    ○下村泰君 ですから、例えばこういうふうに対応できない先生が一年間研修したら対応できるようになるんですか、これ。
  328. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 初任者研修のねらいといたしますところは、長年の間に教育経験を積み、さまざまな多様な子供たちへの対応を通じてその子供たちがどう育っていったか、あるいはそういう幅広い体験をお持ちでございますので、個個の事例に即しての対応についての適切なアドバイスが行われるわけでございますから、そのことによって今のような現象が全く解消するとは思いませんけれども、少なくともそういった児童生徒への対応の問題で悩みがあれば先輩教員の指導が仰げる、そういうことが一つの貴重な体験として新任教員も育っていくという意味合いの効果を私ども期待しているところでございます。
  329. 下村泰

    ○下村泰君 大変経験豊富な先生、経験豊富な先生局長おっしゃっていますが、五十四歳ともなれば相当経験しているはずですよね。これは東京の平山一郎という先生です。この人は神経性の下痢からアルコール依存症になってアル中に近くなっちゃった。これが何だといったら、この先生、生徒と折り合いが、折り合いがというのはおかしいでしょうが、子供を教育していて先生の方が悩まされて、それで神経性下痢になっちゃった。なかなか言うこと聞いてくれない、生徒が。ですから、結局局長の言っているのとこれは裏腹なんだ。しかも管理職に近い年齢ですよ、既に管理職であるかもわからない、この先生がこういう状態になった。ですから、これは一年間研修制度やったって、私は三月でたくさんだと思う、本当に。だめな者はだめなんだから。だから三月でだめな者で放されるのと、一年間やっておまえはだめだよと言われるのと、これはえらい違いだと思いますよ。  ちなみに、我々芸能界の方のお話ししましょうや。その方が気が楽だ、聞いていられてもね。  我々芸能界の方では、研修制度でもって研修される先生の方が幸せだわ、マン・ツー・マンでやってくれるというなら。私らの社会はそんなのないんです。黙って自分の師匠の姿を見ているんです、三年間。何も教えませんよ。じゃ、どういうことを教えるか、たった一つだけ例を挙げましょう。三遊亭金馬というはなし家がおるんです。もう亡くなりました。今の金馬の師匠です。この金馬という人が弟子のころに、やはり師匠が金馬なんです。話をしてごらんとけいこした。思わず上がりがまちで向こうずねをぶつけるんです。いてっというところなんです。その話がある。何回やってもちっともおまえ上達していない。もう一回おやり。もういいよ、けいこしなくて。ずっとそれから教えてくれないんですよ。ある日、おまえ蔵へ行って何だか持ってこい。昔のはなし家で銭もうけしたやつは蔵もあるんです。それでその蔵に入った。真っ暗けです。いきなり向こうずねをバターンとひっぱたかれた。声が出ないですよ、いきなりひっぱたかれりゃ。ウーンとうなった。わかったかと。それきりしか教えない。これで初めて向こうずねをいきなりぶつけたときの痛さというものの表現がわかった。これしか教えないんですよ。こういうふうに育っていくんですよ。  我々は人の芸を盗めと言いますよ。人の芸を盗むようでなかったらいっぱしの芸人になれません。ですから、むしろ先生方の方が楽だわな、マン・ツー・マンで教えてくれて、しかも給料くれて。だけれども、だめな者はやっぱりだめなんだ。我々の社会でも早いですよ。だめな者は、おまえはもうとてもじゃないけれどもそれは任じゃないからもうお帰りお帰り、これですよ。二日か三日で帰されます。ですから、そういうものと比較すると先生の方が随分、むしろ私らの存在よりもはるかに先生の方が楽なんだ、この方が。けれども、やっぱり悪い者は悪い。しかし、見放される時間というのが長けりゃ長いほどショックは大きいですよ。短い方がいいんだよ。だから、私なんか半年間を三月にしたい、本当に。三月してだめな先生はもうおやめなさい、その方が私は幸せだと思う。だから、一年もやる必要はないと思う。  ただ、私の意見はそういう意見ですけれども、もうお疲れのようですからきょうはこのぐらいにしておきます。ただし、今まで私の話をお聞きになって大臣がどう思ったか、一言だけ御感想を聞いて、終わります。
  330. 中島源太郎

    国務大臣中島源太郎君) いろいろな幅広い例をお引きになりまして、確かに一見教育の場で警察のお話もお引きになりました。これは市民生活の上にとってゆゆしき問題である。また、これ自体が教育の一番大きな一つのモデルとして解決しなければならぬということで御提起をいただいた。  そういう点から含めまして、また特に障害者に理解の深い下村委員でございます。そして、たとえ健常者の方々の世の中であっても、人が人と接し、人が人を教えるということはいかに難しいことか。それだけに教える方も、また学ぶ方もそれぞれ個性、それから時代の変化によって児童生徒のやはりあり方も違ってまいりましょうし、そういう中でより一層教育に当たる者のやはり日々勉強と申しますか、それは人と接するという難しさの御職業の特段の、やはり他の職業も難しいでありましょうけれども、さらにこれは心しなければならぬことを御指摘いただいた、こう思っておるわけでございます。  その中で、最後にやはり能力のある者ない者の判定は早い方がかえって親切ではないか、こういう御指摘もいただいたわけでございます。きょうはこの辺とはおっしゃいますけれども、そのお気持ちは酌みながら、ただ先ほどから繰り返しておりますように、それほど難しい職業であるからこそ、自分も学び、そしてやはり任命権者たる者がそれをお互いの責務として助け合い、そして研修についてはマン・ツー・マンとはおっしゃいますけれども、それを軸にしてさらに全校的なサポートをしながら、それだけ難しい方の一番初めの研修に力をかし、そして難しいだけに資質を高める一番重要な時期をみんなで助け合っていこうということを中心に御提案をしておることでございますので、この法案の中身につきましても特段の御理解を賜りますようにお願いを申し添えまして、印象とお願いにかえさせていただきたいと思う次第でございます。
  331. 田沢智治

    委員長田沢智治君) 本日の質疑はこの程度とし、これにて散会いたします。    午後六時四十七分散会