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参考人(
斎藤六郎君)
全国抑留者補償協
議会の
会長をいたしております
斎藤六郎であります。きょうは参議院の
先生の皆々様の前で全抑協の考え方を申し述べる機会に恵まれましたことを非常に喜んでおります。
去る四月二十六日には、
衆議院の
内閣委員会で同じような趣旨のもとに約二時間ほど
国会の
先生の御
質問をいただき、いろいろ答弁いたしました。その際に、
関係者といたしましては私が主として答弁に当たりまして、それに対する形で
政府の方の
条約局長それから内閣の法制
局長官が答弁に当たられたわけであります。きのう
国会の方に参りましてその際の議事録を読ませていただきましたら、やはり問題はまだ煮詰まっていないようであります。重要なことでまだ煮詰まっておりません。この問題は、私
どもといたしましては司法の府、それから
国会つまり立法府、それから行
政府、三者三様に提訴、
請願、
陳情という形で
運動を進めてまいりましたが、司法の方は既に問題が煮詰まっておりまして、昨年の二月十日の日に法務省側も我々側の方もこれの立証手続は全部済み、争っておるところの争点も明らかになりまして、裁判所にあとは御裁決を一任しておる今の段階であります。この七月にも判決が出るかと言われておるときであります。しかし、残念なことには立法府において私
どもの
意見を申し述べる機会がなくて非常に残念でありました。四月二十六日の
会議の際の不十分な点をきょうこれから述べさせていただくことによりまして、私の
意見にかえさせていただきたいわけであります。
まず最初に、国が日露
戦争の直後に加盟いたしましたヘーグ
条約、これには
捕虜には必要な経費、衣食住の経費を除いて余るものがあれば
捕虜に渡して帰しなさいと、こういう規定があるわけであります。これには
日本政府も拘束されておるわけであります。それから第一次欧州大戦の後につくられました一九二九年
捕虜に関する
条約があるわけであります。この
条約はヘーグ
条約をさらに一歩前進せしめたものでありまして、その
条約には帰るときにどのような手段でもってその労働賃金を与えるかそれを決めなさい、規定すべしということになっております。それからいま
一つは、従来は
捕虜の労働賃金から衣食住の経費を差し引くとなっておりましたが、二九年
条約では差し引かなくてもよいということになっておるわけであります。
そういう状況のもとに私
どもはソ連の
捕虜になったわけでありますが、ソ連はもちろんヘーグ
条約の加盟国でありますから、このヘーグ
条約というものは一応は守る
立場に立ったわけであります。具体的な手続を定めた二九年
条約につきましては、ソ連もこれを遵守するというところの声明を国際赤十字に言明しておりまするし、
日本の外務省も大東亜
戦争の開始に当たって、国際赤十字からの求めに応じて
日本政府はこれを準用するということを述べておるわけであります。追っかけこれに関しましては、そのころの外務大臣を兼ねておりました東条英機さんの名前で、国際赤十字に対して次のような書面が出されておるわけであります。これは
昭和十七年の九月十二日でありますから、大東亜
戦争米英開戦の直後の文書であります。スイスの特命全権大使にあてたものでありまして、「帝国
政府ハ各交戦国ニ依リ支給セラレタル
捕虜ニ対スル給養額ハ
戦争終了後
捕虜ノ兵役ニ服シタル国ニ依リ返済セラルルモノト了解ス」と、つまり
日本が二九年
条約を準用することによりまして、二九年
条約に定められて改善されたところの
捕虜の労働賃金は差し引かないでそっくり渡してくれるように、
日本政府もそのように理解しましたという公文書を国際赤十字に発したわけであります。
本来ならば、この規定というものが第二次大戦の結果
捕虜となってソ連から帰ってきた我々に対して適用せられるべきものであります。すなわち、ソ連で私
どもが働きまして賃金の代替に差し押さえられておりますところのその給養費というものは、
日本政府が支払うべき
義務があったわけであります。この
義務は今日も解消されておらないわけであります。しかし、
日本政府は残念ながらこの
戦争で敗北という結果を招き、また国内というものがアメリカ軍の占領下に置かれまして外交権も喪失する、そういうさなかにあってはこの問題というものはいわば棚上げにされた形で今日に至っておる。このため、
シベリア抑留者が現在
政府にこの支払いを求めておるというのが現状であります。
ところで、問題になりました外務省の
見解と私
どもの
見解はどうであるかと申しますと、こういうことであります。外務省の
見解といたしましては、そういうことは認める、
南方から帰った
捕虜に対して
日本政府が労働賃金を払ったことも東条さんのそういう
捕虜の食費、給養というものを
日本国が持つということを言明したことは認める、しかしそれは任意であって、国が
国家の
義務として考えたものではないと。つまり、二九年
条約はどこまでも準用であってこれは
国家の
義務として拘束されるものではない、自由裁量の問題である、こういうことが私
どもの間と違うわけであります。私
どもはこれを自由裁量の問題ではなくて
日本政府はこれに拘束されておるという
立場から、そういう問題に当たってはやはり
国家の三つの機関、すべての機関に
お願いしないことにはこの解決は無理だろうということで、当参議院の
請願は通過いたしましたけれ
ども、あえて司法府にもこの問題を提訴しておるわけであります。
なぜ私
どもが
国家の
義務だと申しますかというと、
捕虜に労働賃金を払うということは何も二九年
条約で初めて決まったことではなくて、十九世紀の当初から
捕虜というものはもはや奴隷ではないんだと、牛や馬のように働かせて賃金を払わないで済むということではなくなってきたというのが
ジュネーブ条約の発端であると思います。
捕虜も人間である、働いたら給料払わにゃならぬ、この大原則が最初にヘーグ
条約にありまして、それがだんだん変わって今の四九年
条約に至っておるわけであります。そういう流れから見ますと、確かにヘーグ
条約は基本法でありますから、事詳細にはわたっておりません。二九年
条約になりまして初めて渡す方法を規定しなさい、それからその労働賃金は帰るときに支払いなさいと。
これは何を
意味するかということでありますが、これは明治から今日まで何ら変りありません。
日本人が外国に行く場合に、外国人が
日本に来る場合に、その原国の現貨を持って入るということはできないわけであります。これは当然のことであります。第一次欧州大戦の
捕虜の交換の場合もそうであります。したがって、原国の現貨を持ち帰ることはできませんから何でそれじゃ支払ったかと申しますと、それはいわゆるカードでありあるいは証明書でありあるいはチケット、小切手で払ったわけであります。これが米英軍の二九年
条約の履行の方法であったわけだし、世界的にもこれは
一つの国際慣習法としての成立を見ておった。だから、米、英、豪州から帰ってきた第二次大戦の
日本軍の
捕虜に対しましてはこの規定が適用されまして、アメリカ軍もイギリス軍も豪州軍も決して現貨を払ったわけじゃありません。その現地の将校が名前を書いた、サインした紙切れを持たせたわけであります。この紙切れを
日本国が落札するという方法でもってこの債務にこたえたわけであります。
しかしながら、
日本国は悲しいかなこの
関係を四九年の六十七条の解釈におきまして、支払いすべき原国というものを
抑留国であるか所属国であるかという点で、結局
日本政府はどっちともつかない「
当該国」ということで
条約の
日本語文を官報記載したわけでありますが、この辺にそもそも問題があるわけであります。当時の
日本国
政府はこの辺の問題をきっちり煮詰めることをしなかった。しないままにこの問題は、
南方から帰ってきたところの者に対しては、アメリカ軍、英軍あるいは豪州軍の証明書があったから金を払う、ソ連の方には払わないという方法をとったものだろうというふうに思われるわけであります。こういうことは決して
日本政府の任意でやったことではなく、
日本政府の発想になかったことを米英軍、占領軍のいわば国際法の規定を守ってくださいということの
義務履行を迫られて
日本国がこの
義務にこたえたものであって、外務省が言うところの趣旨、つまり任意で
日本政府がやったのですというのとはちょっと趣が違うのではないだろうか、このように思うわけであります。
その証拠はどこにあるかと申しますとなると、
南方に
日本政府がお支払いになったのは
昭和二十年、二十一年の年であります。四九年
条約に
日本が加盟したのはその十年後であります。その十年前になぜそのような連合国つまり
捕虜をつかまえた国々の出した小切手、クレジットあるいは証明書というものを
日本国が落札せざるを得なかったかというのは、それは
法律にはそういう明文はありませんけれ
ども、しかしそれが国際慣習法として成立しておればこそ
日本政府はこの履行を行ったのであって、決して
日本政府の発想に基づいて
捕虜はそうすべきものだと理解したわけではありません。
そこで、
日本のこの問題につきましては、占領軍費、それからその当時の
日本国内で一部通用しましたアメリカ軍の軍票の
処理の問題及び
日本国の世界各国に対する債権の問題、債務の問題、これらをずっと戦後一貫して通覧されたものに、大蔵省がつくられたところの「
昭和財政史」があるわけであります。この財政史はごく最近に完結いたしまして、たしか
昭和五十九年だと思いますが、合計都合二十巻という非常に大部の労作としてこれが大蔵省の財政史室で編集されて社会一般に出されておるわけであります。その中では
日本政府が第二次大戦の後、米、英、豪に払った労働賃金について、このような公的
見解を明らかにしておるわけであります。
その中で「
捕虜労賃カード等」といたしまして、「連合軍の
捕虜として収容された
日本軍兵員が労役に服して交付を受けた労賃カード等で未払いのもの(一九二九年七月ジュネーブで締結された「
捕虜の
待遇に関する
条約」により抑圧当局は
捕虜に対し公正な労賃を支払う
義務を負うが、その未払分が
日本政府に転嫁される)」とあります。このように認められたのは、決して我々が勝手に言っていることではなくて、
政府・大蔵省で安藤良雄さんという東大の名誉教授を部
会長といたしまして、これには大蔵省のお歴々の
方々も参加いたしまして、十数名の方が六年間の歳月をかけて完結されたところの公刊された文書であります。これが
一つ。これから見ましてみても、やはり
日本政府は現在それが任意であったと言うのはちょっと言うこととやっていることが違うのではないか、こう思うわけであります。
それから、先ほどちょっと触れましたが、四九年
条約に
日本が加盟いたしましたのは五三年であります。この四九年
条約にこのことがやはり国際的に明確に表現されたわけであります。どのように表現されたかと申しますとなると、例の「ザ・セッド・パワー」で問題になりました六十七条、ここではありません。その前条の六十六条の第三項にこのような規定となってあらわれてきておるわけであります。「
捕虜が属する国は、
捕虜たる身分が終了した時に
抑留国から
捕虜に支払うべき貸方残高を当該
捕虜に対して決済する責任を負う。」。極めて明確になったわけであります。従来は
捕虜の労賃はソ連が払うべきもの、この場合は。
政府も
条約をこのように
日本語訳にしまして、そのことで
国会の御認可も受けやってきたわけであります。いよいよ煮詰まってそれがひっくり返ったわけであります。ひっくり返ってみますと、初めてこの六十六条に出ておりますところの「
捕虜が属する国」はつまりその労働賃金カードを決済する責任を負うと。
これは諸外国ではこの
関係、本来ならば我々を使ったのはスターリン
政府でありますからその労賃をスターリンが払うのは当たり前じゃないか、しかしそれを何のために第三者的な
立場の
日本政府が払わにゃならぬかということで、これは国際赤十字のこれの解釈によりますと、それは民事上の保証債務に準ずるものだ、こういうふうに言い切っておるわけであります。保証債務に準ずるものだと。なぜ準ずるか。それは、
条約は
国家間の契約であって、
捕虜は直接の請求権を行使できない。だから、
捕虜一身に所属するところの貸し借り勘定の問題は所属国において責任を持つんだ、こういうことで初めて次の条の六十七条に参りまして、その際
日本政府が払った
捕虜に対する支払いというものは後から両国の間で事後
処理をやるんだというのが六十七条の規定であります。
私
どもはそういう
立場をとっておりまして、そういう面からいえば現在提出されておりますところの問題は、
平和祈念事業というその趣旨においては私
どもは賛成でありますが、しかしこの
捕虜の問題というものは私
ども個人の問題ではなくて、今後五十年なり百年なり
日本国民を左右する問題でありますから、金額をあれこれ言うわけじゃありません、やはり
捕虜の労働賃金というものは所属国
日本が背負うべきものであるというところの法的観点というものはきちっとしておかないと今後またまたこういうことで過ちを起こすのではないだろうかということで、私
どもといたしましては来るべき判決に期待を持ちながら、現在この問題はまだ終わっていないという
立場に立っております。
終わります。