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1988-04-13 第112回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会外交・軍縮小委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十三年四月十三日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────  昭和六十二年十二月二十八日外交総合安全保  障に関する調査会長において本小委員を左のと  おり指名した。                 石井 一二君                 植木 光教君                 鳩山威一郎君                 林 健太郎君                 堀江 正夫君                 最上  進君                 福間 知之君                 丸谷 金保君                 黒柳  明君                 田  英夫君  同日外交総合安全保障に関する調査会長は左  の者を小委員長に指名した。                 堀江 正夫君     ─────────────   出席者は左のとおり。     小委員長        堀江 正夫君     小委員                 林 健太郎君                 最上  進君                 福間 知之君                 丸谷 金保君                 黒柳  明君                 田  英夫君     小委員外委員                 関  嘉彦君    事務局側        第一特別調査室        長        荻本 雄三君    参考人        上智大学教授   蝋山 道雄君        青山学院大学教        授        袴田 茂樹君        東京都立大学教        授        岡部 達味君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○外交・軍縮問題に関する件  (太平洋時代における二国間外交について)     ─────────────
  2. 堀江正夫

    ○小委員長堀江正夫君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査会外交軍縮小委員会を開会いたします。  参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  本日の外交・軍縮問題に関する件の調査のため、参考人として上智大学教授蝋山道雄君、青山学院大学教授袴田茂樹君、東京都立大学教授岡部達味君、以上三名の方々出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 堀江正夫

    ○小委員長堀江正夫君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  4. 堀江正夫

    ○小委員長堀江正夫君) 外交・軍縮問題に関する件を議題とし、太平洋時代における二国間外交について、参考人から意見を聴取いたします。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。  太平洋時代における二国間外交につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  これより参考人方々に御意見をお述べ願うのでありますが、議事の進め方といたしまして、まず最初参考人方々から御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。  それでは、まず蝋山参考人お願いをいたします。
  5. 蝋山道雄

    参考人蝋山道雄君) 最初に、この大変重要な問題につきまして参考人として意見の開陳の機会を与えてくださいましたことを大変名誉と思っております。どうもありがとうございます。  私、過去十年ほど、研究上の関心が主として国際政治理論研究に向けられておりまして、具体的な政策問題の研究分析からは遠ざかっておりましたので、きょう私の意見がどれだけ当小委員会のお仕事に役立つかわかりませんが、主として、多少抽象的でございますけれども、理論的な観点から意見を申し述べたいと思います。  私に与えられました主題は、太平洋時代の二国間、なかんずく日米間の外交というものでありますが、太平洋時代という概念をどのような意味内容を持つものとしてとらえるかは、それ自体が大きな問題でございまして、いろいろな解釈があり得るわけでありますが、私は便宜上次のように定義いたしまして話を進めたいと存じます。  すなわち、太平洋時代とは、相互依存状況がいよいよ深まる世界の一般的な状況の中で、太平洋中心としてその周辺諸国相互間の政治的、経済的、社会的関係密度が高まることによって、一つ地域としてのまとまりを強めると同時に、国際政治全体に占める重要性を増しつつあるような時代、このように考えております。もちろん、その相互関係密度が高まるというのは必ずしもみんなが仲よくなってすべてうまくいくということではございませんで、密度の高まりに応じてあつれきや摩擦が強まる場合も当然予想されるわけでございます。  私の役割は、このような理解まくら言葉といたしまして、日米関係外交上の問題点を考えることであろうというふうに考えます。ただ、時間が限られておりますので、論点を私が最も重要と考える二、三の問題に限ってお話を進めることにいたします。  さて、一九五二年の主権回復以降今日に至るまでの約三十五年間に、日米関係に対する日本政策を貫く基本的な考え方あるいは態度があるとすれば、それは多分日本対外関係かなめとなるのは日米関係であり、揺るぎない日米友好関係維持日本の安全と繁栄にとって不可欠であるという受け取り方でありましょう。日米関係が最も重要であるということは否定すべくもない事実であり、その基本認識は間違っておりません。しかしながら、良好な日米関係維持のための努力を最優先するという方針は、しばしば対米依存姿勢を動かしがたいものにしてしまいます。その結果、日米関係以外の外交関係は副次的な重要性しか与えられず、また他の二国間関係日米関係犠牲にする結果さえ生み出してきたということが言えるのではないかと思います。最近のココム事件などは、解釈の仕方によっていろいろ違いますけれども、やはりそのような政策的姿勢の結果の一つであるということが言えるかと思います。  このような傾向は、日本の国力が小さかった間はそれほど大きな問題とはみなされませんでした。小国が大国の庇護に依存して生存を図るのは当然と考えられるからであります。しかしながら、日本が今や世界一の債権国となった状況において、同様な行動様式を取り続けるということは大きな弊害を生み出すことになると憂慮されます。しかしながら、それだからといって対米強硬政策あるいは権謀術数的な行動様式日本が取り得るのかといえば、それは決して現実性のある選択肢として存在するとは思えません。日本日米関係重視姿勢というものは、単なる偶然以上の構造的要因によって規定されているというふうに考えられるからであります。  日米関係日本対外関係かなめとなるような基本的な構造をつくり出した政治的条件、私は専ら国内的な条件に限りまして余り国際的な条件は問題にいたしませんが、それが生まれてから四十年もたった今日もほとんど変わっていないように思われます。現在もある意味で有効に働いている政治的条件、規制的な条件一つは、言うまでもなく平和憲法であります。もう一つは、その平和憲法のもとで生まれた安全保障体制である日米安保条約でございます。平和憲法の存在は、日本の対米依存姿勢継続させ、安保体制下日米関係が真に対等な軍事同盟になることを許しません。さればといって、憲法改正ができるかといえば、そうではございません。また、その反対の極にある完全非武装中立化、これは依然として現実性のある政治的選択であるとは言えないからでございます。  それでは、この日米関係重視主義弊害を軽減する方法は全くないのでしょうか。容易ではありませんけれども、ないわけではないというふうに考えております。  振り返りますと、一九六〇年代の末期に、日本の対米外交交渉には一つ特徴的な政策的姿勢があらわれました。そしてその政策的な姿勢はその後一つ行動類型として定着しただけでなく、徐徐に強まって今日に至っております。その政策的な姿勢と申しますのは、米国市場に対する集中豪雨的な日本製品輸出によって引き起こされた経済摩擦の危機を回避するために日本政府がとった対応策でありますが、それは貿易政策分野では基本的な行動様式あるいは制度を変更しないかわりに、軍事的安全保障政策分野においていわば代償として積極的な協力姿勢を示すというものであります。  このような外交政策姿勢がとられるようになった理由は、種々考えられますが、最も重要なのは日本国内政治、特に自民党政治基盤との関係にあると考えられます。つまり、安全保障政策日本対外政策上のいわば唯一の争点とも言えた一九六〇年代末期までの時期におきましては、対外政策に関する世論はいわば与野党対立という形式によってはっきりと安保賛成安保反対という形で分かれておりました。したがって、自民党が国会の多数を占めている限りにおいて、政府野党反対にもかかわらず、対外政策の実施に当たって非常に大きな障害に直面することはありませんでした。これは極端な言い方でございますけれども、非常に大まかに言えばこういうことになったかと思います。  しかし、日本経済高度成長の結果、しかもこれはそれまでとってきた日本安全保障政策の結果の反映であるというふうにも考えられるわけでありますけれども、日本経済高度成長の結果として日米間に経済摩擦が発生する段階になりますと、現在問題になっております工業製品の対米輸出自主規制の問題にせよ、あるいは農産品市場の開放の問題にせよ、強力な抵抗や反対勢力反対運動野党からではなく常に自民党支持層の中に見出されるようになったのであります。  したがって、自民党政権としましては、みずからの権力基盤を切り崩す覚悟なしに、経済貿易分野における米国要求圧力を簡単にのむことはできなくなったのであり、したがってまだ比較的行動の自由がある安全保障政策分野、ここにおいては依然として自民党支持層支持層として固まっており、反対層野党勢力に見出されるという従来のパターンが続いております。したがって、政府は比較的行動の自由があるというわけになるわけでありますけれども、何とかしてこの分野において対米協力姿勢を明らかにして、米国の対日自由化圧力を軽減しようと試みてきたというふうに解釈することができるわけであります。  日本防衛力がそれほど大きくなかった段階においては、このような政策一つの試みとして許されたと言えるかもしれません。事実私も十数年前、そのような政策を提唱したことはございます。しかし、日本のGNPが増大し、さらに最近のように円高現象が定着して日本経済大国となった反面、防衛政策における対米協力が、それはそれとして米国政府によって評価されながらも、貿易自由化代償政策かわり政策としての役割は全く果たし得ないということが明瞭になった今日、このような政策姿勢継続弊害を生むのみであります。つまり、合理的な安全保障政策あるいは哲学に基づいた政策が推進されるのではなく、何となくコントロールを離れた安全保障政策のひとり歩きというような現象が見られるようになったように思われるわけであります。  さて、日米関係かなめとなって構築されている戦後日本対外関係基本構造が近い将来非常に大きく変化する可能性というものを考えてみますと、それはまず当分の間ないというふうに思われます。しかし、太平洋時代の二国間外交はいかにあるべきかという問題をより広い視野に立って展望するならば、日米関係の安定を維持するための方法としては、単に日米両国利益になるだけではなくて、太平洋地域関係諸国にとっても、さらには世界諸国にとって共通利益に資するであろうような合理的な、しかも普遍性を持った手段によるべきだろうと思われます。  それは、日本政府もこれまで常に一般的支持を表明してきた自由貿易原則維持と拡大を目指す政策であります。その政策は、確かに日本国民の一部に犠牲を強いることになりましょう。しかし、もし日本にどうしても譲れない一線とか、開放することのできない神聖な市場というようなものがあるとするならば、あるいはそれを政府が認めるならば、それはガットの精神の否定につながります。  経済摩擦の兆しが初めてあらわれてから今日までほぼ二十年間近く、長期的展望に立った政策的対応が全くなされず、事が起こるたびに外交交渉で一歩一歩後退しながら、結果的には米国の対日圧力を一層増大させるような結果になってきたことはまことに残念であります。国内犠牲国内政策手段によって救済する努力を行い、経済貿易政策安全保障政策をそれぞれ合理的な基盤の上に再構築することが必要であるというふうに思われます。  現在の米国の対日態度の中には、理不尽な日本たたき傾向が見られることは否定するわけではありません。しかし、米国の対日圧力を避け、両国関係を改善するには、正攻法、つまり日本経済的行動様式欧米価値基準から見て文句のっけようがない、いわゆるフェアなものとする以外にはないように思われます。それができたとき、初めて日本米国欧米に対して何かを要求することができる道義的立場に立てるのだと思われます。そのことができたとき初めて、米国圧力への反応としてではなく、また対米依存の結果としてでもなく、日本の自主的な判断、考慮に従って、共通安全保障利益は何か、どのような防衛体制が必要か等について米国と協議することが可能になるのではないでしょうか。  そのような道徳的立場に立たなくてもよいという意見もございましょう。国際政治は力であって、道義では動かないという考え方もございます。しかし、二十世紀も残すところわずかとなった今日、私には、日本がとり得る政策上の選択肢は極めて狭く、限られているように思われます。  日本軍事力背景にした大国として国際政治影響力を振るうという光景を私は想像することはできません。一つには四十年前に行った選択、つまり平和主義が、好むと好まざるとにかかわらず、現在の日本行動を規定しているからであります。憲法改正が実践的な選択肢でないということも一つ理由ですが、より積極的には、日本平和主義は今日の国際的状況のもとでは既に理想ではなく、いわば必然的な条件に近くなったと考えられるからであります。  非武装主義はとらない、あるいはとり得ないと私は思います。しかし、国際紛争の解決の手段として武力行使または威嚇を行わないという行動原則平和主義と呼ぶならば、日本人の圧倒的多数はこの平和主義を支持しているのでありますし、また歴代の自民党内閣もこの平和主義を標榜してきたということが言えると思います。  したがって、この平和主義的行動原則にのっとって平和外交を展開する上で、それほど大きな国内的障害はないように見えます。しかし、問題は実はそれほど簡単ではありません。そこには従来余り平和主義者によっても議論されたことのない一つの重要な問題があるように私には思われます。  つまり、政治とは異なる手段による交渉継続、それが戦争であるとしたフォン・クラウゼヴィッツの有名な定義から導き出される伝統的な外交の観念と、さきに述べたような日本人の大多数が支持する平和主義的な外交、この二つは根本的に異なった性質のものであるということであります。  端的に言うならば、クラウゼヴィッツ流外交はおいては、平和的な外交手段による交渉が失敗した場合には、武力行使、つまり戦争という手段外交目的の達成を図る道が残されているわけでありますが、日本流平和主義外交においては、初めから終わりまで平和的な外交手段に頼る以外に道はないのであって、その大前提を受け入れるならば、外交政策目標の設定も外交の運営の仕方も原理的に変わらざるを得ないでありましょう。  もう少し具体的に述べるならば、経済大国日本の生きる道は、単に軍事的、政治的領域においてだけではなく、経済的領域においてもできるだけ摩擦の原因をつくることを避け、世界諸国民との共存共栄を図る上で指導的役割を果たすことにしかありそうにないということなのであります。それは、場合によっては忍従を強いられてもそれを甘受する覚悟を必要とするものであろうと思われます。そのことは、中曽根前首相を初めとして多くの人々によって必要性が説かれてきた国際化についても全く同じような考察をすることができると思います。  したがいまして、私が見るところによりますと、日本がとらなければならない平和主義的な外交というのは、実は非常に世俗的な言葉を使えば格好のいい政策ではあり得ない、場合によっては非常に苦しい、しかも日本社会の美しい伝統が崩壊する可能性すら含んでいるものかもしれない。しかし、日本が再び権謀術数的な行動様式に戻ることによって達成することのできないものを、このような余り格好のよくない、美しくない平和主義によっては何とか維持できるのではないか、そういうように思われるわけでございます。  どうもありがとうございました。
  6. 堀江正夫

    ○小委員長堀江正夫君) ありがとうございました。  それでは次に、袴田参考人お願いをいたします。
  7. 袴田茂樹

    参考人袴田茂樹君) 本日、こういう場に発言機会を与えてくださったことを大変名誉に思っております。  私は、以前ソ連に数年生活をいたしまして、ソ連国内問題を中心研究しております。その関係で、外交問題につきましては皆さん参考になるような提言はなし得ないかもしれませんが、私の日ソ関係理解をお話しすることによって皆さん参考に供したいと思います。  まず最初に申し上げたいのは、ソ連の現在の改革路線ペレストロイカ路線に対しまして日本有形無形影響を及ぼしていること、それを我々日本人はもう少し深く知っていいのではないかと思います。ゴルバチョフ書記長が今「新しい思考」ということを述べております。その内容は時間の関係でやや省略いたしますが、簡単に肯えば、強力な国というものは、これまでのソ連人は大きな国、大きな領土、大きな資源、大きな軍隊を持つという、そういう物志向でありましたけれども、最近は、問題は物の大きさではなくてその機能とか効率にあるという、そういう認識を持つようになりました。哲学用語で言えば実体志向から機能志向発想が変わったと言ってもいいかもしれませんが、これは経済観だけではなくて安全保障の面でもこの発想変化が見られます。また、ソ連的な社会主義体制優位性への確信が最近相当揺らいできております。  こういったソ連における改革的な志向の醸成に当たりまして、実は日本が非常に大きな役割を果たしているということを、私は何年間ものソ連生活及びその後のソ連人との交流等によって強く感じるようになりました。特に、資源領土もない、大きな軍隊もない資本主義国日本米国と競う経済科学技術大国になったことへのショックというものは、我々が想像する以上に大きなものがございます。  一九六〇年代の半ばくらいまでは、ソ連人はまだソ連的な体制に対する信仰を持っておりました。しかし、六〇年代の後半から七〇年代になりますと、その信仰が揺らぎます。八〇年代になりますと、ソ連的な体制資本主義国よりもむしろおくれているのではないかという、そういう認識を持つようになってまいります。その認識変化プロセスがちょうど日本に対する認識変化プロセスと軌を一にしているわけでございます。  私が初めて一九六七年にソ連に参りましたときには当時ソ連一般国民は、一部の批判的な知識人は別にしまして、一般国民ソ連的な体制に対する信仰をまだ強く持っておりました。したがいまして、日本のデパートとか商店の方が商品は豊かですよという話をしましても、何たるデマゴーグよという、そういう目で見られたものであります。それが一九七〇年代になりますと、その自信が先ほど言いましたように揺らいでいく。  八〇年代になりますと逆に、日本は二十一世紀の国であるとかあるいは超先進国であるといった、そういうふうな認識を持つ人が多くなってきます。これは、ソ連的な社会主義体制に対する信仰が揺らいでいくということと日本に対する評価が高まっていくということが実は軌を一にしている。それは、資本主義体制が没落するという、そういう信仰が崩れるその象徴が実は日本であったというわけでございます。このことはやはり日本人としてはもう少ししっかり知っておいてもよいのではないかと実は思っているわけでございます。  これと関連いたしまして、これはスターリン的な体制が否定されるに当たって日本役割が大きかったということでありますが、実は一九三〇年代にスターリン的な体制が成立するに当たっても日本が大きなといいますか、影響を及ぼしているということ、このことも日本で十分認識されていないので一言申しておきたいと思います。  一九三〇年代にスターリンがあのテロによる独裁体制を築くに当たりまして、スターリンが最も当時対外的に恐れたのは、ナチスドイツと満州及び中国大陸に軍事的に侵攻いたしました日本であります。その日本ナチスドイツへの恐怖心、それがあのスターリンの上からのテロ体制を築くに当たって実は我々が想像する以上に大きな役割を果たしております。当時スターリンは、これまた我々が想像する以上に日本を高くといいますか、日本の力を過大評価しておりました。一九四一年に松岡洋右がモスクワに参りましたときにスターリンが異例の好意的な態度を示したということはよく知られておりますが、実はこれは日本をそれだけ恐れていたからでありますが、また別の言葉で言えばそれだけ日本を高く評価していたということでございます。その背景には日本軍事力があったわけでございます。  さて、そういった歴史的な問題はさておくといたしまして、今日のゴルバチョフ政権の、あるいはゴルバチョフ書記長日本評価特徴でございますが、これはよく知られておりますように、一九八六年のウラジオストク演説で彼は日本資本主義国の三つの柱の一つと位置づけ、また日本訪問への強い意欲を当時は示しておりました。彼の考え方といたしましては、日本政治的、経済的、科学的協力関係を持つことの意義を実はゴルバチョフはよく理解していると言っていいと思います。これは、国内経済改革あるいは科学技術革新にとってそれが非常に重要な意味を持っているということをよく理解しているということ。これは実はソ連指導者すべてがそういう考え方を必ずしも共有しているわけではございません。この三月十三日に、ソビエツカヤ・ロシアという新聞に保守派が相当強いといいますか、姿勢を示す論文をアンドレーエヴァという女性の名前で発表いたしました。その中にははっきりと、最近の改革派知識人たち資本主義国の成果を美化している、あるいは資本主義国に対してこびを売っているという、そういう発言も含まれておりますけれども、そういう資本主義国に対する柔軟な姿勢、高い評価、そういったものは国内でもまだ保守派は必ずしもそれを認めておりません。そういったイデオロギー闘争一つのテーマになっております。ゴルバチョフ自身は、改革派の、特に日本評価を高くしている改革派の強い影響のもとにあると私は考えております。  それから、ゴルバチョフ書記長のもう一つ認識特徴は、太平洋時代の到来という認識を彼が持っているということ。これは日本NICS諸国、それから中国経済発展というものを彼が非常に強く意識しているということであります。また、これら諸国発展に対しましてソ連だけが立ちおくれているという、そういう焦りも強く持っております。ゴルバチョフ政権といたしましては、この日本NICS諸国中国等、アジアの太平洋諸国発展にシベリア、極東の経済開発をリンクさせたいという、そういう希望を非常に強く持っております。この面では、日本ソ連に対してもっともっと自信を持ってもいいのではないかと私は考えております。  それからもう一つ、アジアへの政治的なプレゼンスの強化という、その意識もゴルバチョフ書記長は、これは以前のソ連のリーダーと同様に持っております。  それから、最近はアメリカ、日本、韓国の軍事的な結合への警戒心を強めている。それに対してくさびを打つという、そういう政策をはっきりと打ち出しております。硬軟両方の政策が出てきていると言っていいと思います。  このアジア・太平洋地域におきます特に日本中心といたしました政策ソ連の目標は、第一番に平和条約の締結、二番目としましては長期経済協力協定の締結、三番目としまして科学技術交流の促進、それから四番目といたしましては全アジア・フォーラムの結成。  これについて簡単に説明いたしますと、かつてアジア集団安保ということをブレジネフ時代に言っておりましたが、当時は中国を大変意識しておりまして、中国封鎖という、そういう立場を相当強くその政策ににじましておりましたが、中国との関係が変わりました。それで、アジア集団安保というかつてのスローガンはおろしました。  先ほど述べましたウラジオストクのゴルバチョフ演説では、広島をアジアのヘルシンキにという、そういう発言をいたしましたけれども、一九七五年のヘルシンキ条約のアジア版をねらっていると言ってもいいかと思います。しかし、このヘルシンキ条約のアジア版という問題は、当然日本にとりましては領土問題の解決を遠のかせるという、そういう意味合いも持ち得るということで、中国も含めまして、必ずしもこれに対しましては好意的な反応をしていない、むしろ批判的な対応を日本もこれまでしてまいりました。したがいまして、最近ソ連はこの問題に対しまして少し態度を変えつつあります。ヘルシンキの経験を機械的にコピーせず地域情勢の特徴を考慮に入れて、段階的に推し進めるという、そういう言い方をしておりますが、しかしもちろん本音はヘルシンキ条約のアジア版の構築であることにもちろん間違いはございません。  それから、もう一つソ連のねらいは、東南アジア、朝鮮半島に非核地帯を設ける。まず日本に対しては、平和三原則を守らせるということでございます。平和三原則の問題について、私は次のように考えております。  これはプリマコフIMEMO所長、IMEMOというのは世界経済国際関係研究所で、ソ連外交のシンクタンクとなっている研究所でございますが、彼にも直接申したことでありますが、日本が非核三原則を守るならばソ連日本に対して核不行使の約束をするというこのソ連側の態度ですが、これは平等の態度ではないのではないかということを、プリマコフ所長及び関係者に述べたことがあります。  といいますのは、核不行使というのは、これは一つの約束、言葉にすぎませんが、非核三原則を守れということはこれは事実でございまして、具体的な事実を要求するわけでございまして、具体的な事実と、ただ言葉の上での約束、それを等価として見ることは極めてまたこれは平等の関係ではないのではないかという、そういう意見を述べたことがございます。  それからもう一つソ連は南太平洋には既にラロトンガ条約によりまして非核地帯を設けておりますが、これを今申しましたように、東南アジア、朝鮮半島にも広げたい、それからインド洋地域を平和ゾーンにしたいという、そういうスローガンを掲げてアジアに臨んでおります。  それからもう一つは、外国軍事基地、すなわち米軍基地の完全撤去ということを要求しております。これらのために、ソ連は軍事分野での信頼措置の醸成、つまり軍事演習あるいは部隊の移動等の事前通告とか、オブザーバーの派遣、それから軍事代表団の交流拡大ということを提案しております。これはアメリカなどとは一部既に実現しておりますが、この問題に関しましては、これはやはり以前のソ連では考えられなかった一つ姿勢ではないかと私は考えております。というのは、オブザーバーを相互に派遣してお互いに部隊の行動等を監視し合わせるというこのソ連態度は、INF条約におけるソ連の検証問題に対して、ソ連がかなり以前では考えられないような譲歩をしたと同様のといいますか、最近のソ連の新しい姿勢一つではないかと思われますが、しかし、基本的にソ連のアジア政策が非軍事化をソ連自身が進めているという、そういう状況にはまだ至っておりませんし、むしろアメリカの軍事基地の撤廃の方をむしろ強く求めるという、そういうまだかなり一方的なものになっているように思われます。  日ソ関係の現状、あるいはソ連の対日政策の今度は現状について、私の認識をお話しいたしたいと思います。  まず、ゴルバチョフ期の対日関係は、先ほど述べました日本への高い評価、あるいは日本訪問への強い意欲を一時ゴルバチョフ書記長が示したにもかかわらず、大きな変化は見られておりません。これは米ソ関係、中ソ関係と大きなコントラストをなすところでございます。ゴルバチョフ期の対日姿勢を三つの時期に分けて特徴づけるといたしますと次のように分けることができると私は考えております。  第一の時期は一九八五年三月から八六年の秋まで、これは日本に対しまして積極的な姿勢を見せた時期でございまして、シェワルナゼ外相訪日とか北方墓参、あるいは先ほど申しましたウラジオストクでのゴルバチョフ演説などにそれがあらわれております。  それから、一九八六年秋から八七年秋にかけましては、逆に対日姿勢が硬化した時期でございます。これは、SDI開発への日本の参加、あるいは横田基地スパイ事件、それからモスクワ駐在武官、あるいは駐在商社員の追放事件、在日ソ連外交官の追放事件、それから在モスクワ日本大使館におけるソ連人従業員の引き揚げ、あるいは東芝機械事件といった、そういったものが重なりまして、ソ連日本に対してかたい姿勢を示すようになりました。  しかし、一九八七年秋以降は、ソ連は対日関係修復の姿勢をはっきり見せております。最近の、この一月末からの日ソ経済合同委員会に対するソ連側の積極的な姿勢、それから日本との合弁企業設立へのソ連側の積極的な姿勢、それから大型経済使節団を日本から招くということに当たりましての積極的な姿勢、そういったことにもソ連の最近の関係修復の姿勢が見えていると考えられます。  この経済政治面と別に、文化学術面の交流では、ゴルバチョフ期は一貫してその後着実に交流は拡大してきたと私は認識しております。  これに関しまして一言私の意見を述べさせていただきますと、ソ連で現在日本研究が非常に盛んになっております。これは対日政策が、その結果若い研究者が登場するに従いまして相当柔軟な側面も見え始めております。しかし、残念ながら、日本におけるソ連研究は極めて貧困でございます。  例えば、アメリカの議会図書館等は、三十人近くのソ連問題専門家を抱えております。しかし、日本の国会図書館の調査部門は、かつて私客員調査員をしておりましたけれども、驚くべきことに、中国とかポーランドとか、アメリカ、ドイツ、イタリア、そういった国々の専門家は調査部門に抱えておりますが、何とソ連問題の専門家は一人も抱えておりません。独自の政策を打ち立てるに当たって、独自の研究なしにはあり得ないと私は考えておりますが、これまで余りにもアメリカのあるいは欧米研究等に、情報等に依拠し過ぎている。当然、自国の独自の外交政策を持つためには、もっとソ連問題を熱心に研究する必要があると思いますが、ソ連の方は日本研究に最近大変熱を、力を入れてやっております。ちょっと一言つけ加えておきます。  それから、日ソ関係が良好でない理由につきまして、日本側の見解とソ連側の見解が分かれております。  日本側の見解は、もちろんまず第一に領土問題が存在すると。それから極東地域、北方領土ソ連の軍事的なプレゼンスというものを我々は指摘するわけでございます。それからまた、日本経済特質から見まして、日本経済界のソ連に対する関心が希薄である。これに対しましてソ連は、日ソ関係が良好でない原因を次のように考えております。  まず第一に、日本の対米従属の姿勢が強過ぎると。日米関係の悪化を日本は対ソ強硬姿勢でバランスをとろうとしているというふうな、そういう見方をしております。それから、領土問題を政治的に利用しているとか、あるいは経済関係政治が介入してブレーキをかけているといった、そういう見方。それから、外務省の対ソ強硬姿勢というものをソ連は一貫して批判してきておりました。  特に、経済関係が十分発展しない理由に関しましては、日本側はしばしばソ連側に対しまして、実は日本経済構造が最近転換したと、相互補完性が非常に希薄になったと。つまり、ソ連資源を提供し、日本は技術、プラントを提供するという、そういう相互補完の関係というもの、それが最近は日本はオイルショック以降、省エネの経済システム、構造に移行いたしました結果、ソ連資源を切実に必要とするそういう傾向が少なくなったということをこれまで申してきておりましたが、しかしソ連側はそれを単なる政治的な、どう言いますか、弁解というふうに見ておりました。  また、合弁などの経済協力の諸条件が余りにも不備であるということも日本側はしばしば指摘してまいったわけでございますが、ソ連側の見解は、特に経済関係、合弁企業等について日本が余り積極的でない理由を別のところに見ておりました。それは、政治的な要因によってブレーキをかけているとか、あるいは合弁企業によって製品を開発すると市場が圧迫される、それを恐れるからであるといった、そういう見方をしておりました。  しかし最近は、ソ連の専門家は、ソ連側の問題点、つまり日ソの関係がなかなか発展しないことに関しまして、ソ連側に問題点があるということをかなり率直に認識するようになってまいりました。今日、先ほど申しましたIMEMO、世界経済国際関係研究所の若手の日本問題の専門家たちは、日本における経済構造の転換とか相互補完性が相当希薄になった、あるいはなくなったということを率直に認めるようになりました。また合弁企業等に関しましても、それを設立するための条件が余りにも不備であるということもソ連側は認識するようになってまいりました。また政治面では、日米安保条約に対しまして最近は、これは政治的な客観的な事実であるとして容認するような、そういう姿勢も強く出すようになってきております。  今後の展望、また日本のとるべき態度等について簡単に述べさしていただきます。  領土問題に関しましては、ソ連国内に対立する見解が存在しております。もちろん、御存じのように公式的な見解は、領土問題は存在せず、返還は問題にならないということを一貫して今日まで述べております。もちろん、これは原因は軍事戦略的な観点が第一。第二番目は、他国への連鎖反応への警戒。領土問題というのは他国ともいろいろ抱えておりますので、その連鎖反応への警戒ということがあるわけでございますが。  また二番目、この公式見解とは別に、一般国民とか知識人たちに私はこれまで何回も個別的に、プライベートな会話の中で、領土問題についてどう考えるかということをいろんな機会に尋ねてまいりました。大部分の国民の一致して言うことは、次のような意見でございます。  個人としては喜んで、あんな小さな、ソ連にとってはケシ粒のような領土日本に渡したいと。ソ連は巨大な領土を持った国であって、あのケシ粒のような島は個人としては、おれにとってはもうどうでもいいことだと。この島のおかげで日ソ関係が非常にまずくなっているのは大変不幸なことであるということを、ほとんどの人は個人レベルでは話します。  しかし彼らも、特に知識人となれば、これがしかし政治問題となると性格が変わるということもよく理解しておりまして、特に皆が指摘するのは、やはり他の国との領土問題への波及ですね。それからもう一つソ連日本に対して、これは領土問題に限らず、北方領土問題あるいはそれに関連した北方におけるソ連の軍備の問題に関しまして、やや譲歩の態度を見せたら、日本はそれをソ連の弱みと見て、ソ連に対してさらに強い要求をしてくるのではないかということを懸念する、そういう声も国際問題の専門家の何人かから私は耳にいたしました。  しかし研究者レベルでは、領土問題に関しまして最近相当柔軟な姿勢が出ております。日本問題、東洋問題の専門の研究者の間では、これは政策レベルまでまだ行っておりませんけれども、しかし領土問題への多様な対応の仕方を今熱心に研究しております。このことは我々日本人としては十分知っておいてもいいと思われます。  それから、最近はグロムイコ的な軍事強圧路線への反省という、そういう意識も強く出てきております。今、アフガン問題につきまして一つの決着がつきそうでございますけれども、アフガンへの軍事介入は誤りであったということをソ連の識者はもうかなり前から言っておりました。そういった認識がかなり強くなってきている。つまり、グロムイコ的な外交姿勢に対する反省という、そういう側面は最近とみに目につくようになりました。  安全保障に関して新しい思考が生まれているとか、あるいは最近軍事ドクトリンが変えられているということはいろいろ述べられておりますが、これは各方面に書かれておりますので、御紹介は省きます。  私は、領土問題に関しましては、当然四島の返還を主張すべきであると考えておりまして、これは国民的合意という問題で。ただ、この領土問題を精神的、イデオロギー的に強調し過ぎるのは戦術的にもいかがなものかという考え方を持っております。というのは、北方領土問題、特に国後、択捉の場合は大きな島ですので、軍事的にもソ連に大きな意味を持っておりますので、すぐに交渉の対象になるとは考えられませんが、歯舞、色丹は近い将来状況次第では、あるいは条件次第では、交換条件次第ではソ連交渉の材料に持ち出してくる可能性はあります。その場合、北方領土問題を余りに精神主義的にその重要さを強調し過ぎる、島の日本にとっての重要さを強調し過ぎるということは、現在相手の手の中にある交渉の札のその重さをわざわざ高めてやるということになってしまう。そういった意味におきまして、しかも歯舞、色丹は返ってしまえばもうシンボル的な意味もなくなってしまいます。小さな島にすぎません。その島の意義を余りにもイデオロギー的、精神的に強調し過ぎることは交渉上私は賢明ではないのではないかと思われます。したがいまして、これは冷静に現実的な立場で粘り強く今後要求していくと同時に、そのイデオロギー的な、過度の精神主義的な対応は慎まなければならないと考えております。  それから、経済関係につきましては、東芝ココム事件の、あれがスクリューの音の軽減に直接役に立ったということは私自身はストレートにはアメリカ側の言い分を信用しておりません。ただ、金もうけのためには日本は何でもするんだという、そういう無節操ぶりといいますか、そういったイメージが国際的に強く広がるのは大変まずいことであると思っております。今蝋山先生がおっしゃいましたけれども、やはり国際的にフェアという、日本はフェアに振る舞える国だという、そういうイメージを築いていくことは、これは、ただ経済面だけでなくて、政治面でも外交面でも非常に重要な課題ではないかと私は考えております。  以上で私の意見の陳述を終わります。
  8. 堀江正夫

    ○小委員長堀江正夫君) 大変ありがとうございました。  それでは次に、岡部参考人お願いをいたします。
  9. 岡部達味

    参考人岡部達味君) 最初に、このような機会を与えていただきましたことにつきまして感謝申し上げます。  私はまず、中国対外政策の基本方針からお話しを申し上げたいと思います。  一九八二年以来の中国対外政策は、いわゆる独立自主政策でございます。この独立自主政策とという言葉は、名前は一見平凡でございますけれども、実はその背後に非常に大きな転換が隠されていると言わなければならないと思います。    〔小委員長退席、最上進君着席〕 それまでの中国は、世界に存在する諸国家あるいは語勢力というものを敵と味方に分けておりまして、その敵の中の主要敵、これを特定し、それを孤立せしめる統一戦線をつくる、これが国際的な大戦略でございました。国内的にも同様でございます。具体的に申し上げるならば、まず最初日本、次にアメリカ、それからソ連がこの主要敵になってきた。一九七二年における日中国交正常化、これも反ソ統一戦線という枠の中において、それだけではもちろんございませんけれども、そういう枠の中において実現されたということは否定できない事実でございます。  ところが一九八二年以後、この敵、味方に分ける、あるいは主要敵論から離脱し始めたわけでございます。その八二年以降の政策を私は是々非々主義外交、あるいは争点ごとに連合関係を組みかえていく多元重層的な政策というように呼んでおります。    〔小委員長代理最上進君退席、小委員長着席〕 別の言葉で言うならば非同盟的な政策であり、あるいは悪く言えば日和見主義的であるというふうに申し上げていいかと思います。しかし、この政策中国が現在追求しております経済建設、改革、開放、近代化という目標にとりましては最も適合的な政策であるということが言えようかと思います。中国自身も戦争と革命の時代という認識から、平和と発展時代という認識へ変わってきているんだと、我々はそういう認識が変わってきているのだということをしきりに言っております。人によりましては、かつて戦争と革命という時代というふうに認識したことによって中国がこうむったマイナスははかり知れないというところまで語っている状態でございます。  以上のような基本的な方針に立ちまして、一九八二年以降、中国は国際情勢を米ソの間の対話と対抗という観点から見るようになっております。対話と対抗というのはどういうことかというならば、対話が進み過ぎますといわば米ソ共同支配というような状態が出てきてしまう。対抗が進み過ぎますと世界戦争の危険が出てくる。どちらも望ましくないわけでございまして、対話と対抗が同時並行的に進む、例えば現在のような状況、これが現実の姿であり、かつ中国自身の期待する状態である、こういうふうに考えるようになってきております。そういう米ソの対話と対抗の中において米ソ間でバランスをとることによりまして自分の国の地位を向上せしめる、独立自主を守り得る、こういう考え方がこの是々非々主義、あるいは多元重層的な物の考え方中心にある発想法であるかと思います。  この考え方は、南北関係的な視点から国際社会をとらえているわけでございまして、決して資本主義対社会主義という東西二陣営論的なとらえ方ではないということに御注目をいただきたいと思うわけでございまして、そこから中国の最近の対外主張というものはいずれも南の立場からの主張、それが非常に色濃く出ているということが言えようかと思います。経済的に申し上げるならば、例えばアジアNICS、ASEAN諸国などと一緒にアメリカの保護主義に対して非常に反対的な態度をとっているというような状況が見られるわけでございます。対日関係もそれに伴いまして変化したわけでございますが、その点は後で改めて触れさせていただきます。  一九八二年以来ずっと基本的にこのような方針をとってきたわけでございますけれども、ところが昨年あたりからこの基本方針に新しい要因が出てまいりました。二つ挙げさせていただきたいと思います。  第一の要因はソ連の変貌でございます。ソ連の行っております改革の努力、ペレストロイカというものに対しまして中国が抱いている関心は極めて大きいものがございます。しょせん中ソ対立があれだけ激しくあった後においても、中国は自己のやっていることの正当性の根拠をソ連にやはり求めているんだなというふうに感ぜざるを得ないくらいソ連の改革に対する中国の関心は大きいものがございます。ソ連でもやっているじゃないか、だから我々のやっていることは正しいのだというような気配が非常に濃厚に見られるわけでございますし、また、単にそこにとどまらず、ソ連のペレストロイカの成功のいかんというものが社会主義というものが生存していけるかどうかという一つの根拠、そういうような観点から見ているというぐらいの状態に今やなりつつあるという点が指摘できようかと思います。これが新しい要因の第一でございます。  第二の要因は、日本のいわゆる大国化でございます。大国化といった場合に、中国から見ますと、少なくとも三つ重要なポイントがあるわけでございます。  一つは、日本経済政策中国にとってあるいは発展途上国にとって望ましからざる方向へ行くのではないかという、こういう懸念でございます。ここでしばしば中国側から言及されますのは、長谷川慶太郎氏の書いた「アジアょさらば」という本でございまして、堂々たる学術論文に繰り返し引用が出てくるという状態でございます。これが一番目でございます。  二番目は軍国主義復活という議論でございます。軍国主義あるいは軍国主義復活というものをもって何を意味するかという点に関しましては、甚だ中国側の定義もあいまいでございましてよくわからないわけでございます。論理的に申しますと、中国が最近展開しております戦争と平和についての議論からするならば、日本が軍国主義を復活せしめる、この場合の軍国主義というのは軍事力行使あるいはそれの威嚇によって何らかの国家目標を達成し、あるいはそのための国内的な体制をつくるというような意味で私は使っているわけでございますけれども、そういうような行動はナンセンスであるという議論に中国自身の主張がだんだんなってきているわけでございまして、したがいましてそういう点から申しますと、この軍国主義復活という議論は、論理と感情が矛盾していると申しますかあるいは別に目的があって行っている議論かいずれかというようなことになりかねないかと思いますが、いずれにいたしましてもそれが二番目でございます。  それから三番目の要因は、日本が台湾に接近しつつある、過度に接近しつつあるという、こういう観点でございます。台湾が中国にとりましては極めてセンシティブな問題であることは御承知のところでございますけれども、特に最近におきまして、例えば昨年、鄧小平主任が香港からの代表団に向かいまして今のままだと台湾はいずれアメリカか日本にとられてしまうというような言い方をしたりしておりますし、それから、日本がサンフランシスコ平和条約に法的に束縛されることによりまして台湾の帰属未定という法的立場をとっていることに対しまして、これは実際に台湾を中国大陸から切り離してしまおうという、そういう野望のあらわれではないかというような議論、これが出てきているわけでございます。で、一九七二年の日中国交正常化に当たりまして、当時の条約課長、外務省の栗山さんが、法的にはサンフランシスコ平和条約に束縛されるから帰属未定だけれども、政治的には既にカイロ宣言、それからそのカイロ宣言の条項は履行さるべしといったポツダム宣言を受諾している日本は、台湾は中国へ返しているんだという言い方をしているわけでございますけれども、そういう歴史があるではないかということをこちらから指摘いたしましてもなかなか納得しないという、こういうような台湾についての懸念というもの、これがございます。そういう三つの要因からできておりますのは日本大国化という新しい要因であろうかと思います。  第一の要因、ソ連の変貌という点から具体的な中国の対外態度のあらわれを見ますと、御承知のように、中ソの接近というものが非常に顕著に出てきているわけでございまして、それも単に改善されてきたというのみならず、一時中国は、社会制度とそれから対外政策との関係はないというふうに言っていたわけでございますが、したがいまして、資本主義の日米とも友好関係を結ぶことができれば、社会主義のソ連とも敵対関係に立つことができる、こういう言い方をしてきたわけでございますけれども、最近の状態を見ますと、社会制度と対外政策との関係は全く無関係であるとはどうも考えていないように思われる、そういう節が出てきているわけでございます。まあ、今までの中国態度がいわば西南西ぐらいのところにあったといたしますと、今や東南東ぐらいのところへ移行してきたというふうに申し上げてよろしいかと思います。  カンボジアに対します、カンボジア政治解決ですね、それに対します中国の最近のここ数カ月における緩和された態度もそのあらわれでありましょうし、それから、ソ連側から言うならば、ソ連がブレジネフ・ドクトリンというものを否定しつつある、それに対して中国側が非常に注目しているという現象があるわけでございまして、そういうような面で中ソ接近というものが注目されるわけでございます。ブレジネフ・ドクトリンというのは、御承知のとおり、社会主義圏を構成する個個の国の利益よりも社会主義圏全体の利益の方が優先するんだという物の考え方でございまして、したがいまして、中国はだから社会主義圏というようなものはない、中国社会主義圏を離脱するという態度をとったわけでございます。この態度は現在でも変わっておりませんし、近い将来において中ソ同盟復活というような現象が起こることはございませんけれども、にもかかわらず中ソ接近というものが生じていることは御承知のところでございます。  それから、日本大国化という点から出てまいります問題が光華寮問題に集中的にあらわれておりますし、それから防衛費の一%突破問題あるいは歴史教訓問題というような形で、一般的な形で提起される諸問題ですね、こういうものが出てきているわけであります。  教科書問題のような歴史教訓問題に類する問題でございますけれども、これは八二年にあらわれた現象でございまして、その点、先ほど申しましたように、八二年から中国政策が変わったという点とあわせてお考えいただければその意味が非常にはっきりしてくるであろうと思われるわけでございます。八二年以前におきましては、例の覇権条項を含みます平和友好条約をめぐるトラブル以外はトラブルらしいものはなかったわけでございまして、そういうふうな変化が出てきているわけでございます。  こういう中国側の態度に対しまして日本側がなすべきことはどういうことであるかということを考えてみますと、一つは相互理解の一層の促進が不可欠であるというふうに申し上げたいわけでございます。  この点は、先ほど袴田さんがおっしゃいましたように、ソ連日本研究者はだんだんふえているけれども日本ソ連研究者は少ないとおっしゃいまして、中国はまだいいというように聞こえましたけれども、実は私は、中国に関しましても、日本中国研究が衰退しつつあるという印象を持っているわけでございまして、そういう状態が続くということは甚だ望ましくないことであろうと思うわけでございます。そういう観点からも相互理解の促進というもの、真の相互理解というものの促進は極めて重要であるということがまず申し上げられるかと思います。  それから、国際社会における日本役割、これの明示と実行、これをはっきりせしめること。これは、当然国際社会において日本が軍事的役割を果たすというようなことは考えられませんし、また望ましくないことでございますので、非軍事的役割、これを明示し実行するということ、これが不可欠であるというふうに考えるわけでございます。  それからもう一つ重要なことは、日本国内における歴史教育、これの整備をする必要があるわけでございまして、最近の人々、若い人々の近代史に対する理解のなさというものは恐るべきものがあるわけでございまして、中国側においては、中年と老年はもう戦争をしたくないと思っているけれども、青年の間には軍国主義が見られるというような議論があるわけでございます。それはどういうところから出てきた議論か私はつまびらかにいたしませんけれども、若い人の間に例えば兵隊さんのような格好をして戦争ごっこのまねをする人があらわれたり、あるいは突っ張りとかそういうふうに呼ばれている青少年が右翼に走ったりという現実があることは間違いないわけでございまして、恐らくそういうような個々の点をとって言っているのだと思いますけれども、仮にもそういうような誤解を招くようなことのないような態度をとる必要があろうかと思います。  次に、経済問題に移らせていただきたいと思います。  日中間には広範に友好関係を樹立する可能性があるわけでございまして、それは言うまでもなく経済的な相互補完性の存在ということであるわけでございます。ところが、ここ数年いろんな形でこの経済協力関係に問題が起こっております。一つ貿易赤字の問題であり、それからもう一つは投資が少ない、そしてそれに伴って技術移転が少ないという問題でございます。  貿易赤字、これは対中国のみならずアメリカ、ヨーロッパあるいは東南アジアの国々との間にあるわけでございまして、いわば日本がしょっておる世界的な傾向であるという面があるわけでございますけれども、そのほかに日中間の構造的な要因があるわけでございます。  例えば、日本の省エネルギー化が進みまして、日本中国からエネルギー資源を導入してかわり工業製品を売るというようなもくろみというものがだんだん崩れてきているということ。それから御承知のように、最近日本の産業構造が転換しつつある。中国においても転換しておりますけれども、そういうような問題がある。それから、中国のような発展途上国が日本のような国と貿易関係を持てば必然的に赤字になるわけでございまして、これはほかのあらゆると言ってもいいかと思いますが、石油産出国以外との間では赤字になるのがごく普通になっておりますが、そういうような構造的要因があるわけでございます。  しがたいまして、この貿易赤字の問題は、実は中国が非常に非難する割には改善の見込みが少ないわけでございますけれども、ところがこれも昨年あたりから中国の輸入規制と輸出強化、それから円高、これによりまして是正の傾向にあるということは指摘できようかと思います。  それから、投資、技術移転の停滞という点に関しましては、これは中国側の条件の未整備ということは非常に重要な点でございまして、これは中国自身がインフラの未整備、それから労働力の質が低いというような点を自覚いたしまして改善に非常に今努力をしております。  また、日本側はそういう状態を見まして、かつ日本の企業の政策決定はボトムアップといいますか、下からだんだん上へ上げていく政策決定のやり方でございますので、どうしても慎重に慎重にという方になる。トップダウンの政策決定をやるほかの国よりは日本が慎重であるというようなことがあることは間違いないわけでございますが、そういう条件から進んでいないわけでございます。  ところが、この点に関しまして中国側は、日本中国に対して技術移転を行うならばブーメラン効果が起こるであろうということを恐れているのではないかというような考え方がある。それから、中国側の条件未整備の中に、ろくな法律がないではないかという議論があるわけでございますけれども、それは法律万能論である、契約で考慮してもらえないかというような、そういう議論がございまして、特にアメリカ、ヨーロッパあるいは華僑資本と比較した場合に、日本の消極性が目立っているというようなクレームがしばしば聞かれるわけでございます。  ただこれも、ここ二、三カ月でございますけれども、円高の影響から企業が、特に中小企業を含めましてアジア諸国へ進出が非常に進んでおりまして、そういう状況を見て中国側の期待が増大することによってこの対日非難が好転しているということは事実でございます。問題は、その期待に日本がこたえ得るかどうかということになろうかと思います。  中国側ももちろん輸出努力をいたしまして、この日中間に存在する、あるいはより広くアジア・太平洋に存在する問題点の是正に努力をしているわけでございまして、御承知の趙紫陽総書記が主張いたしました沿海地区の経済発展戦略というようなものが出てきているわけでございます。それから、経済関係を持つパートナー、これを多様化しようという努力が見られまして、日本だけにおんぶをしているのではこれは日本がそっぽを向いたときに危ないということから、ヨーロッパ、アメリカその他の国々、第三世界の国々等へ多様化しようという、こういう努力をしている、これもまた事実であろうかと思うわけでございます。  そういうような中国側の努力によりまして、日中間に存在する経済問題が軽減されるかと申しますと、実は必ずしもそうではないであろうという気がするわけでございます。  国内的に見ますと、中国の場合、いわゆる郷鎮企業という、沿海地方なんかに条件のいい企業もございますけれども、内陸部に条件の悪い企業がたくさんありまして、そういう企業が開放戦略をとればとるほど国際競争に負けてつぶれていくのではないか、こういう問題がある。その郷鎮企業は、実は余った農業労働力を吸収することを期待されているわけでございまして、郷鎮企業がうまく機能しないということになるならば、その剰余労働力をどうするかという問題が出てくる。  それから地域格差、沿海だけ発展させるということになりますと内陸との間の地域格差、それからうまくやった人とまずくやった人との間の階層格差、これが広がる情勢にある。それから、国際市場との結合が増大いたしますと、当然物価改革、価格改革、これをだんだんに漸進的にやっていかなければならないものが一遍にがっと物価を上げざるを得ないというような、そういう状態が出てきてしまうというような問題点中国国内的に抱えるであろうと思うわけでございます。  これが、最近新聞などで言われております趙紫陽と李鵬の対立のもとというような現象であろうと思いますが、私自身は、この問題点は趙紫陽も李鵬もともに認識しておりまして、その両者の間の対立というのはそんなに大きなものというふうには見ておりませんけれども、例えばそういうような問題点、矛盾というものが存在するわけでございます。  そういうような状態にあるにもかかわらず、中国経済体質の改善のためにあるいは改革の成功のために対外開放に一層の努力をしなければならないわけでございまして、それが一昨年以来、アジア・太平洋協力に積極的に中国が参加し始めた、PECC、太平洋経済協力会議というようなものに正式参加する、それからガットに加盟を申請する、ADB、アジア開発銀行の正式メンバーになるというような形で、アジア・太平洋地域経済協力関係に積極的に参加しよう、こういう態度を見せている背景がそういうところにあるわけでございます。  日本にとりましては中国がそういう態度をとるということは歓迎すべき現象でございますけれども、しかし問題はアジアの他の発展途上国にとりましてこれは非常に大きな問題になります。沿海発展戦略というものをとりつつあるというふうに先ほど申しましたけれども、その沿海地区にいる人口一億六千万でございます。一億六千万の国が大々的に輸出をする、輸入もするわけでございまして、アジア諸国から見るならば市場として非常に評価すべきものがあると同時に、輸出戦略をとりつつある国々にとりましては非常に手ごわい競争者である、こういう立場にならざるを得ないわけでございまして、ここに日本が果たすべき役割があるように思うわけでございます。それがアジア・太平洋協力における秩序ある分業体制の確立ということでございまして、日本がアジア・太平洋協力というものを積極的に推進するということの意味はまさにそこにある。中国がアジア・太平洋協力に密接に参加しようという意図、これが歓迎すべきものであるという理由もまたそこにある、こういうふうに考えるべきであろうと思うわけでございます。したがいまして、日本が国際的になし得る貢献というものは一体どういうものかということを経済の面におきましても明確化すること、これが非常に重要であるということが言えようかと思います。先ほどは政治的な意味において日本役割の明確化ということは必要であるというふうに申しましたが、経済的な意味においても同様なことが申し上げられようかと思うわけでございます。  最後に、中国がそういう状態で近代化を進めていった場合に、軍事強国化し、アジアにおける不安定要因になるのではないかという、こういう議論があるわけでございまして、この点について一言申し上げたいと思います。  そういう可能性がもちろんないわけではございませんけれども、それに対しまして日本にしてもあるいはほかの国にしてもそれを妨害するという行動をとることはいたずらに中国側の、何と言いますか、嫌悪を買うのみでございまして、日本はけしからぬという考え方を生み出すのみでございまして意味はないというふうに考えるわけでございます。むしろ、今日の国際社会において軍事力が果たし得る役割軍事力の効果というものが急激に低下しつつあるわけでございますが、それについての相互理解、相互了解というものを強めるということ、これが必要なんであろうというふうに感ずるわけでございます。  中国はかつては農業社会であり、かつあれだけ広い土地にばっさりと広がっておりましたために戦争のできる国であった。日本は密集しておりますために戦争のできない国になりつつあったわけでございますけれども、中国自身が沿海発展戦略をとることによって中国自身もだんだん戦争のできない国になってきつつあるということ、これをお互いに認識し合うということ、これが非常に重要なことであろうというふうに思うわけでございます。そして、アジアにおける地域紛争の平和解決に中国を含む諸大国とともに努力するということによりまして、日本中国も非軍事大国化するという方向を促進する、こういう努力が必要になるであろうというふうに感ずるわけでございます。中国の軍事強国化の可能性に対しましてはそういう対応の仕方しかないというふうに私は考えるわけでございまして、米ソが緩和に向かいつつある新時代日本の軍備の意味の再評価にもこの問題は連なるであろうというふうに考える次第でございます。  以上でございます。
  10. 堀江正夫

    ○小委員長堀江正夫君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終了いたしました。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  11. 最上進

    最上進君 きょうは参考人の先生方にはお忙しい中大変御苦労さまでございました。  また、ただいま大変御示唆に富んだすばらしい内容のあるお話を短時間でおまとめをいただきましてお聞かせをいただき、大変感謝をいたしております。  まず、時間の関係で恐らく一問ずつぐらいしか御質問できないと思うんでございますが、蝋山先生にお伺いをしたいと思っております。  日米関係の行方について大変御示唆に富んだお話でございましたけれども、私ども今一番関心を持っております問題というのはやはり多岐の分野にわたりますここ一連の日米交渉でございます。御承知のように繊維、半導体に始まりまして、建設市場開放の問題は見事解決ができたようでありますけれども、やはり最大懸案であります牛肉、オレンジの自由化の問題はまだやはり結論を見るまでに紆余曲折があるというふうに思っているわけでございます。  こうした一連の実は交渉を見ておりまして、私ども日本の国会議員でございます。それぞれ地域は違いますけれども選挙区を抱えて国会に出していただいている。生産者の立場また消費者の立場あるいはまた日米あるいはまた世界の中での日本の産業貿易のあり方というものもあわせ考えながらやはり行動発言をしていかなければならないというふうに考えております。  その中で特に感じますのは、日米間で今行われておりますこの牛肉、オレンジの問題、これは代表的な問題になっているわけでありますけれども、かつてオレンジジュースを自由化しろというアメリカからの強い要求がございまして、日本はこの自由化を受け入れました。その結果アメリカのオレンジジュースの我が国消費の中でのシェアというものが増大したかというとこれはもうほとんど皆無と、ゼロに近い状態になっておる。ほとんどがブラジル、九割がブラジルが自由化のために日本の消費を占めるという段階に入っております。今度も実は見えておりますのは六百億ドルの貿易黒字だ、相手にしますれば赤字だという話とは別かもしれませんけれども、この牛肉の問題なんかは当然豪州、オーストラリアの肉が将来的にも日本市場、これ自由化すれば圧倒的シェアを占めるであろう。そうするとアメリカから何のための自由化要求であるのか。それとやはり非常に理不尽に思っておりますのが、ウェーバー品目といいまして、十四品目は先生御承知のように自由化をしていないアメリカでございます。しかも食肉について冷凍肉以外は入れさせない、いわゆる国内への牛肉の輸入規制の法律を持っているわけです。そういうことを考えてまいりますと、どうもこういう一連の交渉で私どもには理解できない。工業製品でもただ自由に、例えば先ほどは集中豪雨のごとく工業製品が流入をしたという、過去にはそういう事態がありましても今は車等でも台数規制とか大変厳しい輸入規制を始めつつある。  そういう中で一番感じますのは、私たちの選挙区ではまだ農村社会で本家と分家というのがございまして、本家から援助を受けて分家して独立をしたその家が何代かのうちに本家が没落して、どうも分家の方が勢いがよくなったというようなケースは幾らもあるわけでございますけれども、どうも日米間の今回の交渉を見ておりますと事この牛肉、オレンジに関しましてはどうもやはりそういう考え方というものが先ほどの袴田先生のいわゆるソ連における北方領土に対する考え方は、市民の間に入れば大変好意的であるというようなお話がございましたけれども、アメリカへ参りましてやはり生産者の中などにはさほど大きな抵抗というものはないのに、一たび交渉になりますとそうしたものが前面に出てくるという、これはやはり三年前、ちょっと古くなりますけれども、セオドア・ホワイトの例の「日本からの危険」という、日本でも雑誌に出ましたけれども、こういう論文を読み返してみましても、一体だれが戦争に勝ったのか、どうも言いたいことはそういうところにあるのではないか。戦争に負けた国を戦争に勝った国がさんざん面倒を見てきた、その飢餓を救ったのは一体だれなんだ、それが今日本がアメリカを脅かすようになりつつあるということに対する一つの不満といいましょうか、リメンバー・パールハーバーとかあるいはまた黄禍論とかいろいろ言われますけれども、まだそういう人種差別まではいかないと思いますけれども、そういう考え方が根底にあるんではないだろうかということを感じるわけでございます。  したがいまして、こうしたやはり考え方、私どもは少し偏見かもしれませんけれども、蝋山先生、今の一連の日米交渉を見ておられてどういうふうにお感じになられるか、まず一点お聞かせいただきたいと思います。
  12. 蝋山道雄

    参考人蝋山道雄君) 最上委員の御質問にお答えいたします。  私の議論というものが、いわば青臭い書生議論であるということは重々承知しております。それから、議員の先生方が選挙民の支持という問題、これをどうしても無視できない最も重要な要素として考えておられるということも重々承知しているつもりではございます。  しかし、私も申し上げましたように、この農業自由化の問題その他、問題が始まってから既に二十年近い年月がたった。そして、その間日本はほとんど同じ理屈でアメリカに対応してきた。アメリカの方に理不尽な態度が見られるということは私も全く同感なのでございますけれども、それならばいっそけつをまくってアメリカと一戦交えるのかといいますと、それはできないということはほとんど一〇〇%の日本人が知っているというふうに申し上げてもいいんじゃないかと思うんですね。  そうなりますと、唯一残された道というのは全くの書生論議、つまり最も正当的な立場を確立することによって、アメリカよおまえは間違っているのだということを言い得る立場を確立する、その手段しかないのではないだろうか。そして、かつての日本経済政策というものを見ておりますと、例えば高度成長が可能になった背後には、エネルギー政策の大転換というものがございました。これは通産省の指導によってエネルギー源を石炭から石油にかえたわけでございますけれども、それは結果的に大成功でありました。しかし、そのもとでどれだけ多くの鉱員たちが、鉱山がつぶれ職を失ったか。それは自民党の先生方の選挙区でなかったのでしょうか。その問題が、やはり最後に頼るべきは合理的な判断なのではないだろうか。そして長い年月をかけて、もう今ではあるいは遅いという面はありますけれども、私はしないよりはいい。つまりどのように転換するのかというそのスケジュールを明らかにすることによって、かわいそうではありますけれども犠牲を負ってもらう人に何らかの救済手段を講じながら政策を転換していく。結果的には、実はアメリカの牛肉ではなくてオーストラリアの肉やニュージーランドの牛乳が入ってくるということになるだろうと思います。しかし、それでアメリカは文句は言えないはずなんであります。そういう立場を日本政府にとっていただきたい。そのためには、私はもう一つの隠れた声のない選挙区である消費者の利益というものがもう少し強く主張されなければいけないのではないだろうかというふうに考えております。
  13. 最上進

    最上進君 私が主張したいことは、やはりどうも日米間のいわゆる受けとめ方のギャップ、感じ方、いわゆるパーセプションギャップの問題でございます。炭鉱離職者の話が出ましたけれども、実は私どもの農業というものに対する考え方、これは生産者であれ消費者であれ、どうも消費者の論理というのは、当然安いものは外国からどんどん入れればよろしい。生産者はできるだけ政府に高く買ってほしい、価格を維持してほしい。しかし、世界で最大のいわゆる食糧、農産物の輸入国である日本、それと食糧安保という言葉がありますように、これは単なる炭鉱の閉鎖だとかという問題と、この食糧そのものに対する日本人のコンセンサスというものが非常に今薄いんですね。  私どもの世代まではまだ実はサトウキビを甘いもののかわりにかじったという、そういう戦中戦後の記憶、経験がありますけれども、生まれたときから物があり余っている世代の人たちにすれば、こういうことを説いても、食糧安保なんということを言ってもこれはなかなか理解してもらえない。しかし穀物の自給率だけをとっても今我が国は三〇%ぐらいなんですね。そうすると、アメリカからももう大変な、水産物を合わせますと毎年恐らく一兆五千億近い品物を買い入れている我が国がなぜこれ以上アメリカから自由化を求められる必要があるのか。しかも自分のところはそうした制限をし、あるいはまた国内法をもって輸入制限、輸入禁止をしておいて、これを日本に迫るということに対して何で日本側がこうした理不尽なことを突き崩せないのかということに対して、これは生産者だけでなくて農業の重要性、食糧の重要性というものを国民ひとしく理解をする中でこの問題に対処しないと、炭鉱が閉鎖するぐらいでは日本はつぶれませんけれども、食糧に困った時代というのは日本はあったわけでありますから、そういうことを考えるとどうもやはり言うべきことを言わない、やるべきことというか、もっと主張すべきことをしない、そういうジレンマを実は私自身は感じている一人でございますけれども、事が農業の問題、食糧の問題でございますので、その辺ひとつ先生どのようにお考えかお聞かせいただきたいと思います。
  14. 蝋山道雄

    参考人蝋山道雄君) 大変お言葉を返すようなことになるわけでございますけれども、そのお話を聞いておりますと、農本主義というものが長い間日本の農業に関する考え方をいかに長く支配してきたかというふうに感じざるを得ないわけでありますけれども、事実上食糧安保という観点からいって、日本の自給率が三〇%というのは事実でございますが、その中でなぜ例えば肉牛を飼育するために、オーストラリア、アメリカの価格の二、三倍ないし四倍も五倍も高い牛肉をつくるためになぜほとんどすべての飼料を米国から輸入してつくらなければいけないのか、そういう矛盾も食糧安保政策の名前で合理化されるということは私はやはり間違いなのではないだろうか。そのことでもしも食糧が途絶えるときというようなことを言いますと、これはまさに戦争になるわけでございますけれども、よくよく考えてみますと、今の人間には無理だと言いますけれども、またゴルフ場をひっくり返しましてソバをまくという手段も実は残されているわけでありまして、これは極端な議論になってしまいますけれども、やはりそれは長期的な計画を持つということと、正しい原則に立った交渉をするということ、それが今までの日本外交姿勢に欠如していた。残念ながら正しい政治的な方針が欠如している場合には、その場その場をしのぐという交渉態度にならざるを得ない。しかもそれを担当するのは外交官でございますし、あるいは通産省、大蔵省、農水省の役人の方方でありますけれども、彼らは一つのポストにせいぜい三年ぐらいしかいない。この日本政策決定及び政治交渉構造そのものが原則の欠如ということと相まって、しかもセオドア・ホワイトに象徴されるようなアメリカの感情的な部分によって増幅されながら日本の立場を一歩一歩後退させてきたのではないだろうか。私は、これと同じことをやっていく以上、もう食糧安保もくそもなくなるというふうに考えております。
  15. 最上進

    最上進君 ありがとうございました。  それでは、袴田先生に日ソ関係について一点お伺いしたいのでございます。  大変詳しくお話しいただきましたけれども、実はもうソ連と聞いただけで日本人は、大体返ってくる印象というのは不信というか脅威といいましょうか、そういうことを感ずる方が大変多いと思うのです。かつて私もソ連へ参りましたときに、要人から一般市民の人に至るまでいろんな階層の方にお会いをする機会がございました。もう数年も前の話でございますから当然事情は大きく変化をしていると思いますが、一様に出る言葉は、信用できるのは要するに自分の国、国民あるいはまた自分たちと主義を同じにする国の人々、国家、そういうことであって、どうもイデオロギー、体制を異にする国家、国民に対してはやはり不信感を持っておられる。早い話、ある青年の当時の話では、日本の立場にいたしますれば仮想敵という言葉があればソ連を意識せざるを得ないわけでありますけれども、どうも向こうにすればアメリカや日本が一緒になっていつか攻めてくるのではないかという、そういう印象を持っていたわけでございます。  最近、これは共同通信とタス通信がソ連市民の日本人に対する意識調査をされた結果を拝見いたしました。その合同世論調査によりますと大体八八%の方が日本日本人に対して好感を持っているというふうに伝えられているわけでございます。これは当然日本の世論調査とは方法等もいろいろ違うと思います、また言論表現の方法も当然違うわけでございますけれども、実際に草の根の市民、先ほど北方領土の問題で御指摘がございましたけれども、本当のやはり草の根の市民というのは日本に対して率直なところ、最近はどういう感じをお持ちになっておられるのか、その辺からお聞きをさせていただきたいと思います。
  16. 袴田茂樹

    参考人袴田茂樹君) 今、最上委員がおっしゃいましたが、最近の世論調査に限らず、以前何回か似たような調査が行われまして、常にソ連人の対日感情は非常にいいといいますか、むしろソ連人にとって最も好感を持てる国の一つに一九六〇年代以降日本が常になっている。日本における最も好感の持てない国の筆頭を、中国の文革時代の一時期を除きましてソ連が常に占めているのと対照的でございます。  ソ連人の対日意識とまた安全保障観について簡単に説明をいたしますと、実は今、最上委員がイデオロギーを異にする国に対しまして常に不信感を持っているとおっしゃいましたが、実はこれはイデオロギーというよりもむしろ国境を挟んでその外の国と言った方がより正確だと思われます。  といいますのは、中国に対しましても、これは現在でこそ少しよくなっておりますが、同じ社会主義国でも資本主義国以上に強い敵意を持ったこともございます。また、東欧諸国に対しましても、実は内心はソ連人は東欧諸国の人たちがソ連を好んでいないということをよく知っております。私の知人で例のチェコ事件のときに戦車兵としてチェコに出動した人間がおりまして、彼からこういう話を聞いたことがございます。  チェコのある町で、チェコ兵とソ連兵が両方とも通りを挟んで隊列を組んであのチェコ事件の後治安に当たった。そのとき同じように両方とも銃を掲げて、一方の側はソ連兵が並んで他方の側はチェコ兵が並んで同じように治安に当たったんですけれども、そのソ連兵が教えてくれたところでは、実は形は外から見ると全く同等の権利でやったように見えるが、チェコ兵の銃からは弾が抜かれていた。というのは、状況によってはいつソ連兵に向くかわからないという、そういうおそれがあったからであるというふうなことを言っておりましたけれども、そういう同じ社会主義体制のしかも最も緊密なワルシャワ軍の関係でさえもそういう一種の不信の関係でありまして、しかしまた逆に一時の中国よりもはるかに、その体制は違ってもフィンランドなどに対しましては、安全保障の面で絶対の、どう言いますか、ソ連に対しますある種の譲歩あるいは約束をした国に対しましては、ある種の安心感を持つというか、根底のところに私は共産主義のイデオロギーというよりもやっぱり伝統的な一つの国家主義の論理、それが基本になっていて、やはりイデオロギーは後から正当化するために、非常に国家主義的なあるいは場合によっては古い帝政主義的な国家主義に通ずるような、そういう政策をむしろ正当化するために後からイデオロギーを持ってくるという、そういう性格の方がむしろ強いのではないかという気がいたします。もちろんそのイデオロギーの役割も無視することはできませんが、すべてソ連は全世界を共産化することを第一の目的にしているというふうに見てしまうのは私は判断を過つのではないかというふうに考えております。  その問題との関連で、日本について彼らはどう見ているかといいますと、先ほど言いましたように、日本というのはソ連人にとってある意味で賞賛の的。というのは、彼らが最もやろうとしてきた、つまり革命後必死になって行おうとしたことは経済建設でありますけれども、その面で彼らがなし得なかったことを、戦後ゼロから出発してしかも資源も何もない日本がアメリカと一、二を競う経済大国、技術大国になったということ、これはソ連人が先ほど言いましたように、もうまさに肝を抜かしたわけでございまして、そこからソ連人日本に対する賞賛の言葉がいろいろな形で出てくる。  ただ一方では、日本に対してそういう好意的な見方がありますが、心の底にどこかに、日本といえどもああいう小さな国はいざとなったら核爆弾の二、三発で吹っ飛んでしまうんだという、そういうどこか傲慢なといいますか、そういった気持ちが無意識のうちにあることも確かですね。何かの会話のときにそれがふっと出てくることがあります。相当日本に対して好意的な人でも心の底に、我々は巨大な国であって日本のあんな小さな国などは核の二、三発で吹っ飛んでしまうというふうな、そういう潜在心理的なものをどこかに持っていることは確かでありますが、一般的に言えば、日本に対しましては特に日本経済発展というのが一番大きな原因となりまして、好意的な、ポジティブなイメージを強く持っております。
  17. 最上進

    最上進君 ありがとうございました。
  18. 福間知之

    福間知之君 蝋山先生にまずお聞きしたいと思うんですが、先生のお話でも日米間の相互依存関係というものについて、これはもう切っても切れない仲になっている、それは経済的だけじゃなくて安全保障を含みまして、特に安全保障の面はもう言うに及びませんし、私は経済的な側面でまさに日本側から見ても、今日までの経済発展の主たる原動力として、いわゆる輸出というものを抜きには考えられない。しかもその輸出というものは、全体の額の四割程度を対米依存しているという事実ですね。これは西ドイツあたりではまあ一〇%程度と聞くんですが、いかにも大き過ぎる。したがってココム問題一つ取り上げても、私どもは国会の中であのときにいわゆる因果関係なるものは定かじゃないじゃないかと。現にその後、このことは事実としてアメリカの関係者も言っているわけですね。  また、最近の公共事業参入、農産物の自由化、古くは昨年来の半導体問題いまだに続いているわけなんですけれども、余りにも日本の側が弱腰で、言うことを言ってないんじゃないかという不満が私たちの胸の中にあるんです。国会で取り上げても、日本のマスコミというのは非常に偏っていまして、日本の国会の議論なんか余り取り上げない、アメリカの特派員の記事だけを取り上げる、こういう悪い癖がありまして、何だかたたかれっ放しで、日本の国会はばかかあほうみたいなもので、何の反応も示さないというふうな、これは腹立たしい限りなんです。そうではない、実は国会の中でもこれはもう始終議論をしておりまして、そしてとどまるところ、政府はやはり先ほど申したような依存関係が余りにも強過ぎるがために十分に言いたいことが言えない、こういう悩み。これは先生が先ほど指摘された、そういう状況にあるからこそ、日本は独自のこれからは平和外交という範疇の経済外交を、苦しいけれども忍従に耐えながらやらなきゃならないという結論に帰結するのかもしれませんが、それにしても私は納得いかないことがある。  例えば、なぜ、じゃ日本の輸出はアメリカのユーザーである国民皆さんに受け入れられて、言うならば洪水のように一時は輸出が続いたか、というのは、やはりアメリカにそれにかわる商品がよい品質と割安のコストでできないからである。アメリカの言うならば製造業なるものが衰退を来したというところに一つの原因がある。その穴を日本の製品が埋めてきたということもこれ事実なんです。  御案内のとおり、いわゆる世界企業、ワールドエンタープライズなるものはアメリカをもって嚆矢とするわけで、これこそ古い歴史がある。そしてアメリカのGNPの二割近くをエンタープライズが海外で生産しちゃっているという事実。また、レーガン政権ができてから、政策の面での功罪は幾つかあると思いますけれども、大きな失敗というか欠陥は、双子の赤字が拡大し続けてきたいうことでしょう。あるいはいい面では、減税を無理してでもやって消費需要を拡大した。あるいはまた政策面ではかなり規制緩和、デレギュレーションをやった。特にそれは、製造業に対してじゃなくて、いわゆる情報だとか通信とか運輸とかいうサービス部門を主としてやって、サービス部門の時代に入るからそのネットワークを構築するんだということで、かなり積極的にこれはレーガンさんはおやりになった。その成果も上がっているわけです。例えば、航空会社に対する自由を設定しましたから小さな航空会社がどんどんできて、そして、事故がふえるかというと事故率は減っている、しかも料金は安くなっている、こういう事実があるわけですね。  そういう成功した側面もあるんですが、いかんせん、やはり経済の根源は物を製造するということを一定のやはりレベルでこれを遂行しなきゃならないという、これがどうも衰退をしてしまった。  最近において、聞くところによると、製造業の復権ということが言われ出しまして、かなり成果も上げております。しかしそうなりますと、これは日本にとっては一つの脅威でありまして、今までのアメリカの市場が狭まるわけであります。だから、現に自動車や電機はもうアメリカ現地へ進出を果たして積極的な生産をしている。仮に自動車の各メーカーの工場がここ二、三年でフル稼働をいたしますと、今は自主規制で二百三十万台年間輸出していますが、その数量はアメリカ現地で生産が可能なんでありまして、そうすると日本からの輸出はストップと。逆に、本田その他がもう目の前に現地生産車を日本に逆輸入する、こういう傾向が出てきていますが、これは電機も同列であります。これは、国内に翻って産業の空洞化現象というものを招来する危険があるのじゃないかというふうにも感じられます。  また一方、目をもう少し広げると、太平洋時代における二国間の関係、これは単に外交といっても軍事的な側面だけじゃなくて、すぐれて経済的な側面が大きいわけですから、そういう側面に焦点を当てて私は考えますと、東南アジア関係にもかなりの企業が進出して現地生産をやっている。まあ言うならば水平分業、垂直分業、いわゆる国際分業というものが年を追って深まっておりまするから、そことの関係も我が国としてはこれからさらに発展をさせていかなきゃならぬだろう、こういうふうに思います。  そうしますと、全体としてこのアジア・太平洋地域における、アメリカを含め中国を含めて、日本がこれからとるべき外交あるいは経済政策、軍事はちょっと別にしますけれども、これはかなりグローバルな視野で考えていかないとならないし、そこに一定の整合性といいますか、秩序といいますか、何か相互利益を保障していくというふうな枠組みというものを設定しないと、まさに自由主義という文字どおりの経済活動だけでは私は行き詰まってしまうんじゃないか。  ODA一つとりましても、日本世界で最大の援助をしようということになっていますけれども、かつてのフィリピンに見られるように、国連が二次、三次計画立てて、五カ年計画立てて経済開発、社会開発をやろうとしても全部それは崩れ去ってしまいました。我々がODAでお金を出すだけでは済まないという事情がアジア諸国には見られます。したがって、そういう面における援助というか、協力というものを、資金だけじゃなくて、人とあるいはまた頭脳と技術と、全面的に日本が力を入れなければ期待したようなアジアの共存共栄というものが確立できないと思うんです。  そんなことを考えますと、本当にこれからの日本は目を世界に広げ、なかんずくアジアにおける外交なり経済政策なりというものをどうこれから展開するのかと非常に悩みは深いと思うんですけれども、先生の御意見をひとつ。  それで、私時間がありませんので、もう一点ソ連関係袴田先生にお聞きしたいんですけれども、先ほどのお話で大変有益な参考になる御意見をちょうだいしたんで感謝をしていますが、さて、ペレストロイカは一進一退と言うんですか、多少保守派の抵抗などもあるやに聞いていますが、これは果たして結論的に成功するんでしょうか。させなきゃならないというふうに思っている立場なんですけれども、何か聞くところによるとお役人さんが一千百万人もおるんですって、ソ連というのは。
  19. 袴田茂樹

    参考人袴田茂樹君) 一千八百万です。
  20. 福間知之

    福間知之君 一千八百万おるんですか。そういう人たちがほとんど抵抗するんだというようになりますと、これなかなか容易ならぬものが、我が日本においても行政改革や省庁移転やなんか言っていますけれども、なかなかこれも難しい面があるんです。ソ連において、そういう実情を聞けば、果たしてこれはどの程度まで実現可能なのかというふうな疑問を持つわけですけれども、まあその障害になること、今ゴルバチョフさんは幾つか手をつけられておるんでしょうけれども、どういう状況にあるのかということが一つ。  もう一つは、日本としてはやはり経済関係でより深い結びつきをつくらなきゃならぬということは言うまでもありませんが、きょうお配りいただいたこの資料でも、専門家の中では合弁企業のあり方についてソ連側でのシステムの改革、改善をやらなきゃいかぬ、こういうふうに書いていますが、現に日本として、やっぱりお国柄ですね、相手がああいうお国柄ですから、アメリカさんとかヨーロッパさんと、企業と契約してというふうなものではちょっとなさそうでして、何かそこにいつでも不信というか危険というか、いわゆるリスクを考えなきゃならぬということでしり込みする向きが多いんですけれども、だとすれば私は個別企業レベルだけじゃなくて、日本で言えば経済団体が幾つかありますが、亡くなられた永野重雄さんなんかシベリアへ行かれて随分積極的にアプローチされたんですが、そういう経済団体レベルでやるとか、あるいは自由主義の国ですけれども何か国家的なレベルでそういう交渉をやる枠組みというものをつくっていくとか、何かそんなことが必要かと思うんですが、先生のお考えはいかがでしょう。
  21. 堀江正夫

    ○小委員長堀江正夫君) まず、蝋山参考人
  22. 蝋山道雄

    参考人蝋山道雄君) 福間委員の御質問が大変広範で複雑な要因を含む非常に難しい問題でございましたので、簡単にお答えすることは非常に私にとってもできないわけでございますけれども、二点だけ申し上げたいと思います。  一つは、日本の行っている外交というものが果たして外交という、主として西ヨーロッパを中心に発達してきた一種のつき合いの技術でございますけれども、これと比べてどういう特徴を持っているだろうか。  考えてみますと、過去においては常に武力背景に、日本はかなり武力をむき出す形で外交政策を展開してきたわけですけれども、戦後はこれ全く逆転しまして、武力背景なしにやるようになった。そこで、一体どういう手段が使われてきたかといいますと、特に最近そういうふうに感ずるわけですけれども、日本の特殊事情を説明して理解を求めるというやり方になってきてしまったわけでございますね。外交とは何かというような複雑なものを含んでおりますけれども、一般的にはやはり一種のギブ・アンド・テークで妥協点を探していく、衝突した利害を何とか調整して共通の利害を発見していくという方法だと思うんですけれども、どうも日米間にそういうやりとりの手段がない。日本は持っていない。だから、日本姿勢がどうしてもお願いしてわかっていただく、それで何とか衝撃を和らげるということになってしまっている。それに対して、アメリカの方は、いろいろ理不尽な面はあるわけですけれども、常に大原則を振りかざして切り込んでくるわけでございますね。しかも、その背後には時々恫喝も含んでいるというのがアメリカの外交一つのテクニックであるわけですけれども、例えばこのような対米政策が続く限りにおいてアメリカの議会は絶対に保護主義法案を通すであろう。そうなったらアメリカは政府としても困るのである。したがって、日本政策を変更せよという形で行政府日本政府圧力をかける。これ、意図してそうやっているわけじゃありませんけれども、アメリカは三権分立の状況というものを実に巧みに利用しながら日本圧力をかけてきている。日本はいまだにそういう巧みな技術というものを開発したことがないというように思われるわけでございますね。  それはなぜなのだろうか。これは、一つには、結局戦後の日本というものがあらゆる面で世界に対して負い目を負っているというところにあるのではないだろうか。したがって、ひたすら理解を求めて何とかしてもらうという形になってきてしまった。これは、ある意味では申し上げましたようにしようがないことであるかもしれないけれども、極めて残念なことである。したがって、青臭い議論ではありますけれども、何とか普遍的な原則というものに確立した政策基盤というものを確立できないものだろうかというのが私の希望であるわけでございます。  それからもう一つの点は、新しい対外協力政策の問題でございますけれども、私も全く同感でございまして、新しい対外協力政策を単なる防衛政策かわりに使うとか、そういうことではなくて、もっと積極的な意味を持たせなければいけないわけでございますが、さらに各国、各地域の事情に応じたきめの細かい政策の展開が必要になってくるわけですが、これにはやはりはっきりした理念と、それから財政的な基盤というものを確立しなければいけないんじゃないかと思いますね。しかし、これは日本の立法活動の一つの盲点といいますか、弱点になっていると思いますが、海外協力費というものは一般会計予算の中で議論されないという問題がございます。これを言いますと、もう本当は大変な問題になってきますので、そう軽々しく私は口にしたくないわけでございますけれども、しかし私は新しい理念というものを日本国民の中にきちんと定着させる必要性というものを感じるわけで、そのためにはぜひ予算委員会の中で海外協力、海外援助費の使い方について十分な議論をしていただけるような体制ができないものだろうか。これはかなり難しい注文になりますけれども、そういうことを願っているわけでございます。
  23. 袴田茂樹

    参考人袴田茂樹君) まず最初に、ペレストロイカは成功するのかという問題につきまして、その障害要因等につきまして私の考えを述べさせていただきます。  最大の問題は、ペレストロイカに利害を感じて、それを推進する勢力が社会の中にどれだけ熟しているか、形成されているかという問題でありますが、現在の私の見ますところ、知識人あるいは積極的なテクノクラート層、それから一般国民の中にも一部の、一割あるいはそれよりも少ないかもしれませんけれども、自分の力でもっと豊かな生活を築きたいという積極的な姿勢を持っている国民、そういった人たちはペレストロイカを歓迎しておりますが、今おっしゃったように千八百万に達する官僚層、それから大部分の国民はペレストロイカに対しまして、頭の上ではブレジネフ時代のこれまでのやり方を続けていくことはできないということはよくわかっておりまして新しい改革が必要だということを理解している。その意味では支持していると言ってもいいんですけれども、実生活の面では、余りにも厳しいペレストロイカというのは、国民にとりまして、官僚にとってもそうですけれども、厳しい要因が強過ぎて、実質的には極めて消極的な、あるいは反対的な態度をとるケースが多いということであります。  この間、私、一月にエストニアへ行きまして、ターリンである電気技士に会ったんですけれども、彼はこういうことを言うんですね。夕方、テレビを見ているときには私はペレストロイカ大賛成という気持ちになるんだけれども、翌日、会社へ行くとペレストロイカを罵倒しているということを言っておりました。  なぜかといいますと、国民にとりましては、ペレストロイカ、改革というのは何を意味するかといいますと、当分の間は労働強化、規律強化、お酒は飲むな、それから物価の値上げ、そういったことでありまして、改革の成果を受け取るのはまだ何年か先の話、それはまだ絵にかいたもちということで、反対給付のないままに労働は強化されるし規律は強化される、お酒は飲むなと言われるということで、一般庶民にとってペレストロイカがおもしろかろうはずはないわけなんですね。  中国の場合はちょっと違ったんです。中国の場合は、改革というのは農業が中心でありまして、しかも中国の場合はソ連的なコルホーズ、ソフホーズのような形での、大規模農業といっても大型機械を投入してじゃなくて、大部分手労働といいますか、そういった人海作戦の農業でしたから、それを家族請負、個人請負に戻すのは簡単でした。そういった形で、半年もすれば自分たちの労働の成果を受け取れるような、そういうシステムで農業面、あるいは商品生産の面で改革の成果をすぐに享受することができた。  しかし、ソ連の場合は農業をそういう形で中国のように移すことは不可能です。また、工業の面でのペレストロイカといいますと、これは成果はうまくいって何年も先の話というわけで、現在、申しましたように反対給付がないままで、ひたすらいろんな側面が厳しくなる。特に経済面では改革の柱になるのは価格体系の改定なんですが、これまでのように食糧分野、農業畜産分野に対しまして国家が莫大な援助を行う、実際の生産コストの半分の値段で小売りされている。つまり逆の言い方をすれば、小売価格の倍の値段で国家が買い上げる、つまり、それだけコルホーズ、ソフホーズに援助している。そういう国家におんぶにだっこの形の農業ではもちろん農業の効率化というのはあり得ないわけで、したがって経済経済の原理でというスローガンを現在掲げておりまして、そうしますと当然物価等は値上げしなきゃだめなんですね。これは国民にとってもそれは大きな厳しいものになるわけです。したがいまして、ポーランドでも改革に対しましては国民の四十数%しか賛成しなかったという状況が出ております。そういったわけで国民自身がなかなか乗ってこない。笛吹けど踊らずという、これが私は最大の障害ではないかと思っております。  したがって、これに関しましていろいろアネクドートができておりまして、ペレストロイカとかけてシベリアのタイガ、森林と解く、心は、上の方ではざわざわと風が吹いてざわめいているけれども、下の方はほとんど動かない、静かであるといった、そういったアネクドートも生まれているくらいであります。  そういった意味で、国民がなかなか乗ってこない。しかし、国民としてはまず肉をふやしてほしい、まず商品をふやしてほしい、それがなければ改革は信用できないと。しかし、商品をふやすためには、肉をふやすためには実は国民が改革に乗ってくれなきゃだめなわけで、この悪循環をどう断つかというのはなかなか今のソ連経済学者でも解けていない問題であります。  それから、それでペレストロイカは成功するのかという問題につきまして、私はゴルバチョフ政権が成立したときに次のような予測を立てておりました。四つの可能性があると。  まずゴルバチョフがあくまでもペレストロイカ路線を断固と遂行しようとした場合、その場合は三つの可能性があると。第一の可能性は、ペレストロイカがうまくその政策が浸透して世直しに成功するというケース。第二は、フルシチョフの二の舞になる、ゴルバチョフ自身が足をすくわれてフルシチョフの二の舞になるというケース。三番目は、上の方は断固として遂行しようとするけれども、下の方も一応形の上では支持と言うけれども実際は骨抜きにしてしまう、現実の遂行の段階で形の上では支持、実質的には骨抜きというのが第三のケース。つまり、ゴルバチョフはあくまでもペレストロイカを遂行しようとした場合ですね。  それからもう一つのバリエーション、それはゴルバチョフ自身状況の困難を見て、あるいは抵抗の大きさを見てトーンダウンさせるという第四のケース。  私、これまでで現在のところ見ますと、第三のケースと第四のケースのコンビネーションの状況が今出ていると思っております。第一のケースは、私は最も可能性の少ない、つまりうまく浸透して世直しに成功するというのは最も可能性の少ないバリエーションと見ております。第二の可能性、つまりゴルバチョフがフルシチョフの二の舞になると、私、この可能性は否定できないと思っております。つまり足をすくわれる、状況次第によっては。そして、今現在一番可能性の高いのは、やはりあくまでゴルバチョフは遂行しようとするけれども、下の方で、現場で官僚たちがそれを骨抜きにしてしまう、お役人たちが骨抜きにしてしまうと。官僚、お役人というのは、どの国でも同じかもしれませんけれども、なかなか融通のきかないということの代名詞になっておりますが、自分たちの都合の悪い政策を骨抜きにする段になりましては極めて敏速に動くのが本性でありまして、そういう特性はソ連も強く持っております。そういった意味で今ソ連では第三の可能性とそれから第四の可能性、つまりある程度トーンダウンしている。ゴルバチョフ自身も部分的に妥協的な路線もとっておりますけれども、基本的にはまだ第三のが一番強く出ておりまして、ゴルバチョフは相当また強い姿勢ペレストロイカ路線を主張しております。現場でかなりの骨抜きが既にいろいろな形で報告されております。  二番目の問題に移りますけれども、日ソ経済関係ソ連はリスクがいろいろ多い、経済団体レベルあるいは国家レベルで日本は特別のそういう組織などをつくって対応する必要があるのではないかという御質問ですけれども、実はソ連というのはカントリーリスクというのは国際的に見まして一般的に言えばリスクの少ない方に入っております。  ただ、これから経済改革になって、企業が独自に独立採算制で対外関係を持つということになりますと、かえってカントリーリスクが高まる可能性がありますね。これまで国家がすべてしりぬぐいしていたのを、今度企業が独自にそれぞれ対外的な経済関係も持つという、そういう方向が打ち出されているということは、日本の企業にとってはある意味ではかえってリスクが高くなるという側面もあるかと思いますけれども、しかし、現在ソ連は、経済関係に関しましては国家という枠組みを少し弱めて、企業の独自の、どう言いますか、権限を強めてという、そういう方向を、これは私は前向きと見ておりますが、とっております。それに対して、私は日本が国家主義的な形で、国家の立場を強めてという形でするのはちょっと前向きじゃない感じがするんですね。  私自身は、最も現在必要なことは、きょうお配りいたしましたこの資料の中にもございますけれども、ソ連の対外経済関係者が、資本主義経済とは何なのか、市場経済とは何なのか、合弁企業とは何なのかということにつきまして基本的な理解をまだ欠いていると。そういった問題につきまして我々がもっともっと啓蒙活動をする必要が非常にあると思うんです。ソ連からのいろんな経済関係者、彼らは余りにも国家主義的な発想が強過ぎて基本的な観念を欠いている。そういう人たちが日本に来て合弁について何か講演とか話をしますと、日本の商社の方々が何かお伺いを立てるという姿勢をしばしば示すんですが、私はこれはもう間違いでありまして、むしろこちらの方が市場経済とはこういうものですよ、資本主義経済とはこういうものですよという基本的なところをどんどん彼らに理解させる、わからせるという、そういう努力を今後地道に重ねることが非常に重要じゃないかというふうに思っております。  以上です。
  24. 堀江正夫

    ○小委員長堀江正夫君) ありがとうございました。
  25. 丸谷金保

    丸谷金保君 時間がないので、ちょっとこの委員会の時間の持ち方についてはひとつ今後考慮を委員長さんの方に特にお願いしておきたいと思います。  それで、実は今フェアな経済政策以外にイコールパートナーへの道はないという蝋山先生のお話、これは日本がフェアになってもそれだけではいかない。しかし、私、植物特許から今の特許の秘密法の問題ずっと追ってきまして、アメリカ自身は大きな世界戦略といいますか、特に経済立て直さなければ防衛目的も達せられないというような大きな基本戦略で、知的所有権の問題あるいはハイテク、すべてに網をかけてきている。必ずしもそれはフェアな面だけでないものをたくさん感じます。そのことを少し話したかったんですが、時間がございません。  それからまた、ソ連には一九六三年からワインの関係で、主として中央アジアとか南の国をしばしば訪ねていまして、それから中国もトルファンで今私の町が協力してあそこにワインの工場をつくるというふうなことをやってますんでね、ミクロの立場から見た対ソ連、対中国の問題等をお聞きしたかったんですが、きょうはそういうことですので、ただ、そういう希望を持っていたということだけ申し上げて、きょう質問はカットしていただいて次に譲りたいと思います。
  26. 黒柳明

    黒柳明君 公明党の黒柳でございますが、三先生にはお忙しいところありがとうございました。また、貴重な御意見承りまして、まず冒頭感謝申し上げます。ありがとうございました。  今ありましたように、時間が限られておりますんで、私、冒頭に三先生に質問さしていただきまして、後逐次質問にお答えいただきたい。なるたけ私の発言は短くいたしますんで、先生方の時間を長くおとりいただければと、こう思います。  まず、蝋山先生にお伺いしますが、ちょっと私の質問というよりもお教えいただく点は、先ほどの蝋山先生の貴重な御説明とはちょっとかけ離れている点になるかと思いますが、与党、政府自民党も今いろんな摩擦で苦慮しておりますが、私どもというより我が党もアメリカとつき合う上においてそれなりの苦労がありまして、我が党は外交政策日米基軸ということで、強くアメリカとの友好関係というものを打ち出して結党以来きました。しかし、現実の発言行動というものはどうしても是々非々の中の非の行動、非の発言というものが、声が高くなりまして、そういう面を向こうの特に行政府が受けとめますと、やっぱり公明党は野党じゃないかと、こういうことで誤解を招くと。あるいは向こうが誤解しているのか、こちらが誤解しているのか、これは両方の主張、主観がありますんで何とも言えませんが、外交というものは息が長いものであり、人間とのつき合いであり、あるいは即効的なものではないとこう知りつつ、そのたびに私ども大使館を通じて、あるいはワシントン通じて接触しながら理解を求めてはきているんですが、どうしても日米基軸という外交政策よりも、具体的な野党の非という行動発言の方が強く向こうに映るらしくて、そのたびになかなか難しいなと、こう現実のつき合い、対応というものでいつも頭悩ましているんですが、蝋山先生の特にアメリカとの長いおつき合い、研究の経験の中で、ひとつ私ども野党というもの、具体的に私公明党の議員なもんですから、がアメリカとどう、アメリカといってもやっぱり行政府中心にしてどううまくつき合う方法があるのか、こういうことについてお教えいただければありがいなと、こう思います。  それから袴田先生、先ほど領土問題で、研究者レベルでは柔軟的になった、あるいはイデオロギー、精神主義で対応しない方がいい、それからさらに歯舞、色丹でソ連条件闘争でもする可能性があると。御案内のように、私ども政党レベル、あるいは日本国民レベルと言っていいんでしょうか、ソ連と対応するときにはやっぱり四島一括返還と、返還という言葉を声を口をそろえて主張するわけであります。しかし私なんかも昨年も相当長くソ連に行きまして、信頼関係というものを全面的に打ち出さないと、ただ同じ声をそろえてもこれは現実的じゃないなと思いつつ、やっぱり返還とこういうことを言わざるを得ないという、ある意味では矛盾を感じながら返還、返還と、こう言ってきたわけですが、今の先生の発言の中では若干対応の違いというものが出てきているのかなと。私も十数年前、あるソ連の相当の実力者がひそかに、私たちだって四島返還しないわけじゃないんだ、ただし、する時期がある、その時期というのはやっぱりソ連政府が四島返還したときソ連国民が納得する時期が来れば返還するんだと、何かわかったようなわからない説明を受けたことがあるんですが、具体的に、そうすると私たちの主張、領土問題は対するやり方、これをどのようにしていけば現実的対応になるのか、ひとつそういう点があったらお教え願いたい。  それから、岡部先生にお伺いいたしたいんですが、今の趙紫陽、李鵬体制といいますかあるいは鄧小平人事と申しますか、一応あの四人組以来中国の政情というものは安定しているように映っております。もう再びかつての縦の中国の歴史を見た場合のあの政争というものはないのかというような感じがいたします。ただ、鄧小平あたりも交代する交代すると言いながら今回の人事でも軍事委員会の主任の職を離れなかったというようなことが、まだ何か軍部あたりを中心にしての内部的な、何か私たちわからないようなものでも底辺にあるのか、いわゆる今のこの体制というものが中期的将来安定する体制なのか、あるいはもう何か軍部あたりを中心にしてまだまだ安定し切れないような面があるのか、そんなあたり、ひとつお教えいただきたいと思います。  以上です。
  27. 堀江正夫

    ○小委員長堀江正夫君) それじゃ、まず蝋山参考人お願いします。
  28. 蝋山道雄

    参考人蝋山道雄君) 黒柳委員の御質問に対しまして私がお教えすることなどはできないと思うんでございますけれども、もしもあり得るとすればでございますね、公明党の政策、特に黒柳委員の御専門の領域の中でお話し申し上げますと、やはり一方において、野党としての公明党ではありますけれども、日米安保条約というものがやむを得ず抑止力として必要であるという認識はきちっと出されているわけでございますね。そこに一つ共通基盤というものはあるわけでございまして、その中で、それを認めた以上何でもアメリカの言いなりになるということはあり得ないわけでして、そこで批判というものが起きてきても、それはアメリカはそのゆえにだめだというふうに考えるわけではないと思うわけでございます。どういう批判ならばアメリカに受け入れられる可能性があるかといえば、それは、やはり事実に基づいた、納得できるような形の批判、どうすれば現存する日米安保体制の中で好ましくない要素を取り除くことができるだろうかというような方向ならば、アメリカも喜んで聞くのではないだろうか。  一つの例として私申し上げたいわけでございますけれども、今例の、ちょっと苦し紛れの感じがいたしますけど、思いやり予算というのがございますね。私、実は昨年の夏、大学院の学生を連れまして沖縄の嘉手納基地とそれから那覇基地を見学してまいりました。私つくづく驚いたわけでございますけれども、那覇基地の将校食堂で食事をさせてもらったわけですが、私は二十年来こんなまずい飯食ったことがない。ひどい飯を日本の軍人たちは食べている。私、翌日嘉手納基地へ参りました。そうすると、美しいグリーンの中に司令部が散在しているわけでございますね。そして余暇の、オフデューティーの将校たちはゴルフをやっているわけですね。つまり、ゴルフ場のリンクの中に司令部が点在している。つまり、この二つの現実を比べたときに一体思いやり予算とは何なんだろうか、もっと別の対応の仕方というのがあり得るんではないだろうか。それは池子の火薬庫跡の利用の問題についてもやはり同じようなことが言える。つまり、日本人の立場からして納得できる協力であるのか、そうでないのか、それはアメリカ人に野党として説明できるというふうに私は思うわけでございます。
  29. 袴田茂樹

    参考人袴田茂樹君) 北方領土返還の問題につきましては、私自身もあくまでも地道に四島返還を要求していくべきだと思っております。  国内的には、先ほど申しましたように、余りイデオロギー的、精神主義的に強調すべきではないと申しましたが、国際的に考えますと、結局、ソ連側の人がおっしゃったと今黒柳さんもおっしゃいましたが、つまり状況が熟せばということなんですが、状況が熟せば北方領土問題も討議の対象にしようということはやはり本音のところであると思うんですよ。状況が熟せばというのは何かということは、結局は東西の対決の雰囲気が少しでも希薄になるということだと思いますね。そのためにやはり我々、これは間接的でありますけれども努力するというほかにないのではないかと思います。  もう一つは、ソ連に対して啓蒙活動をする必要があると思います。  私は時々こういうことを言うんですよ。もし今北方領土ソ連が返還した場合一番打撃を受けるのはだれか知っているか、実は北方領土返還を一番強く要求している日本の極右であるぞ、彼らにとっては返還されたらもう大変な打撃なんだと。別の言い方をすれば、日本の反ソ的な極右活動を一番助けているのは、実はあなた方自身が結果的には助けていることになっているんですよ、長期的に見ればソ連があの島を返還することによって日ソ関係がよくなることのプラスと、それから保持することのマイナス面、それをよく考えてごらんなさいということをむしろ言うんですけれども、やはりそういう啓蒙活動が非常に重要だと思います。  以上です。
  30. 岡部達味

    参考人岡部達味君) 黒柳委員の御質問は実は非常に難しい問題でございまして、簡単にお答えすることはできかねるわけでございますが、あえて単純化して申し上げますと、中国の政局は今後安定するのか否かという点でございますけれども、私は安定し繁栄した大道を進むということはちょっと考えられないというふうに考えております。  ただ、それはどういう意味かと申しますと、文化大革命のような大動乱の再現があるということではないわけでございます。文化大革命というのは非常に特殊な事例でございまして、毛沢東というカリスマ的な指導者が存在したということ、それから文革の前には文革という経験がなかったということ、その二つが非常に重要であったわけであります。ところが、現在文革というものがいかに大きな傷跡を残したかということを中国人がみな認識している状態のもとにおいて、そして毛沢東というようなカリスマ的な指導者がいない状態のもとにおいて、文革のような大動乱がもう一遍起こるということはこれは考えにくいわけでございます。それならばどういうようなことが起こるかと申しますと、それよりはるかに規模の小さい政争、これが繰り返し起こるであろうということは言えると思います。それは、先ほども申し上げましたけれども、中国自身が追求しております政策自身の内部にいろいろな矛盾がございます。あちらを立てればこちらが立たないという問題がございまして、そういう政策論争というもの、それから、中国人はという、そういう決めつけ方はよろしくないんですが、単純化でお許しをいただくとして申し上げますと、非常に派閥的でございますから、同じグループの中においても派閥対立というものはこれは絶えない。政争と派閥対立と、それから中国においてはまだまだ権力を握っているか否かということのプラス・マイナスというものが非常に大きいわけでございまして、そういう点から政争というものが非常に絶え間なく続くということは言えるのではなかろうか。しかも近代化が進むのに伴いまして、中国社会におきまして、昔は例えば労働者、農民というように一括して、国家の利益と、労働者、農民の利益は一致しているというような話で済ましてきたわけでございますけれども、現在はさすがの中国の人々もとてもそういう単純な議論ではだめだと。利益集団が非常に多様に出てきている。利益集団間の利益の対立というものが非常に激しくなってきております。  したがいまして、昨年の秋の十三全党大会において趙紫陽総書記が、当時はまだ代行のときに報告をしたのだと思いますが、申しましたように対話協商という、ほかの国では政治現象というのはまさに対話と協商でございまして別に目新しいことではないんですが、中国においては新しい概念を出しまして、いろいろと解決しなきゃならない問題がこれからどんどんふえるというふうに言っているわけでございます。したがいまして、その不安定要因というのはふえこそすれ減らないというふうに考えた方がよろしい。ただ、先ほど申しましたように、文草のようなレベルの大動乱にはならないであろうということでございます。  そういう不安定要因の中で特に重要なのは何かと申しますと、一番大きな問題はやはり物価でございます。中国の価格は、御承知と思いますが、いわゆる政治価格でございまして、食物とかそれからエネルギーとか、そういういわゆる必需物資ですね、生活あるいは生産にとっての必需物資は非常に安く価格を抑えてきたわけでございます。それが社会主義の利点であるというふうに考えてきたわけでございますが、これは何のことはない食管会計と同じことなわけでありますが、そういう状態では市場経済が、あるいは商品経済がうまく機能しない。市場化、商品化ということが改革の中心でございますので、商品経済をうまく機能せしめるためには価格改革をしなきゃならぬ。そうしますと、当然物価上昇という問題が出てまいります。しかも消費早熟、早くませてしまうという消費早熟という言葉がございますように、現在の発展途上国はいずれもそうでありますけれども、いわゆるデモンストレーションエフェクトといいますか、日本において一人当たり所得が何ドルぐらいのときにテレビがカラーになった、何ドルぐらいのときに冷蔵庫になったというのと比較しますと、それよりはるかに低い水準でカラーテレビを買い、冷蔵庫を買いというふうになってしまっているわけでございまして、その需要と供給のアンバランスというもの、これが非常に重要である。  それからさらにもう一つ、先ほど申し上げました開放政策によって国際市場中国市場とが直結してしまうと、政策的に閉鎖した中でゆっくりと国民の耐えられる範囲で価格改革をやるというようなことが一体できるかどうかということが問題になるわけでございまして、その辺のところをどのくらいうまく処理できるかということで安定度はかなり左右されるだろう。  それからもう一つの問題は、これも先ほど申しました格差の問題でございまして、地域格差それから個人的あるいは階層的な格差というものがございまして、これを中国では共同富裕に至る途中で先に豊かになるやつがいるんだ、決して両極分解ではないというふうに説明しておりますけれども、現実にはやはり両極分解現象が生じつつある。それに対して、ほかの国々も非常に苦労して、税金であるとかその他の政策によってその格差の是正のために努力をしてきているわけでありますけれども、それが中国においてどの程度うまく成功するかということ、これは今後を見てみなければわからない点でございまして、特にその二つの点、物価と格差ですね、その二つの点がうまく処理されれば不安定度は割に少なくて済むであろう、そして、その二つの点の処理の仕方がまずければ不安定度はかなり増大するであろうというふうに考えられるのではないか、ざっとそんなふうに考えております。
  31. 黒柳明

    黒柳明君 ありがとうございました。  袴田先生、あと数分ありますので申しわけありませんが。  先ほど岡部先生が、中国側はソ連のペレストロイカを非常に重大な関心を持ってとらえていたと。ソ連の方は中国経済改革をどういうような受けとめ方をしていたでしょうか。
  32. 袴田茂樹

    参考人袴田茂樹君) 同じく非常に強い関心を持っております。  見ておりますと、両方とも共通の課題が非常に多いんですね。それから、これは中国国内的な要因でありまして、実はソ連という権威をもって、国内の保主派を改革派がたたくためにソ連の改革的な側面をあえて強調するという傾向がありますが、ソ連にも同じ傾向がございまして、国内の保主派をたたくために、改革路線をとれば短期間にどれだけ成果が出るかというのを深セン別経済特区などを例に出しまして、特にそういうポジティブな面を強調することによって国内保守派をたたくという、そういう意図もございまして、中国に対しまして非常に高い関心を寄せております。
  33. 黒柳明

    黒柳明君 ありがとうございました。
  34. 田英夫

    ○田英夫君 三先生のお話を大変興味深く聞かせていただきました。  特に、まず蝋山さんにお尋ねいたしますが、平和主義外交という言葉を使われて、経済摩擦も正攻法で解決すべきだと、こういう御意見に全く賛成でございます。私は蝋山芳郎さんの弟子ですから大体どんな考え方かおわかりいただけると思いますが、さっき岡部先生のお話の中に、中国は東西という形で世界を見ないというお話がありまして、私も全くそのとおりだと思うんですが、アメリカでは依然として、特にレーガン大統領が、レーガン政権発足当時は強いアメリカということで反共の旗手というような、東西対立の盟主であるアメリカがその旗手であるということだったように思います。その前のカーター大統領が、人権外交というか民主主義を非常に大事にする、朴政権に対して、民主主義を破壊している政権には軍事、経済の援助をしないぞというふうなことを言う、これに比べて大変対照的だったと思いますが、最近のソ連に対する核軍縮の姿勢とかそんなことで、まあレーガン政権は終わろうとしておりますが、今の状況ではブッシュということにつながっていくというこういう中で、やはりアメリカでも東西対立、私はイデオロギー至上主義と言うんですが、イデオロギーが一番大切だという考え方を変えつつあるのかどうか、そこはいかがでしょうか。
  35. 蝋山道雄

    参考人蝋山道雄君) 私、非常に米国政策変化というものを詳細に追っているわけではないのでそっぽなお答えになるかもしれませんが、やはり私は、特にINFの交渉及びその条約の締結、あの過程を見ておりますと、ちょうどソビエトにおいてゴルバチョフのペレストロイカというものが背後にあって、かなり従来とは変わった形で外交姿勢が積極的になってきた。同じような意味で、一方においてレーガン自身、古いイメージを出しつつもやはり実際の面ではかなり柔軟な対応をしているように見受けられるわけでございます。そういう点からいいますと、ココムの問題などはやはり日本たたき一つ姿勢のあらわれなのであって、本心のところは多分ソビエトとの競争というのはそんなところにはないということはわかっているのではないだろうか。  つまり、袴田先生もちょっと指摘されたわけでございますけれども、ゴルバチョフのペレストロイカの一つ意味というのは、ハイテクノロジーというものが一体どういうものであるのか、そこにおける競争というものはどういうものであるのかという理解に基づいているというふうに私には思えるわけでございます。つまり重要性が物から機能へ移ったという一つのあらわれであるわけですけれども、そうなってきますと、アメリカのハイテクノロジーの優位というものは、一つのでき上がった製品がソビエトに流れたか流れないかによって、競争能力を失うとか失わないとかいうものではないし、ハイテクノロジーの時代の優位というものは、あるいはキャッチアップの方法というのは、一つ見本を見ればわかるというたぐいのものではもうなくなってきてしまった。そこをわかっている指導者が話し合うことによって全く新しい局面が生まれてくるのじゃないだろうか、そういうふうに私は、多少希望的であり過ぎるかもしれませんけれども、観測しております。そういうことに日本指導者中国指導者、韓国の指導者あるいは北朝鮮の指導者というものがどの程度までみんなついていくのか、そこら辺がこれからの太平洋時代一つの方向を決定するのではないだろうかというふうに思っております。
  36. 田英夫

    ○田英夫君 岡部先生に伺いたいんですが、中国の朝鮮半島に対する、南北両方ですが、姿勢といいますか、ということなんですけれども、まず韓国と中国との関係日本政府が中韓橋渡しをするというようなことが言われているわけですが、先週、たまたま張香山さんを初めとする中国の国際交流協会の皆さんと三日間議論をする機会がありまして、アジア情勢についてですが、この問題について尋ねましたところが、実に明快に、中国は韓国と接近をするとか関係を改めるということはあり得ない、簡単に結論だけ言えば、そういう回答をしておりました。  ところが一方で、北朝鮮に対して、従来からともに血を流した戦友であるということは今も言い続けているわけですけれども、最近の大韓航空機事件についても真っ向から北を弁護するということでもない。また昨年のちょうど今ごろ、二月ですか、田紀雲副首相が来日されたときにお会いする機会がありました。その前の年に田紀雲副首相は北朝鮮へ行っておられるので、北朝鮮でも中国のような経済の開放政策をとる可能性はあると思いますかということを尋ねましたら、彼らにはそのつもりはないようですという言い方で、大変失望といいますか、不満を言っておられたわけです。そういうことで、中国の南北朝鮮に対する態度というのはどういうふうにお考えでしょうか。
  37. 岡部達味

    参考人岡部達味君) これも大変難しい問題でございますけれども、まず中韓の問題で申しますと、張香山さんのおっしゃいましたことは、例えば正規の国交を持つとか、あるいは場合によっては通商代表部を含むかもしれませんが、そういうような形で正式ないしそれに近い関係を持つつもりはないという意味であるというふうに私は解釈いたしております。  それは今度中国の外務大臣になりました銭其シン外相が記者会見においてもはっきり言っている点でございまして、中国にとりましては、いわゆるクロスレコグニション的な朝鮮半島問題の解決をいたしますと、直ちにそれは台湾問題にはね返ってくるという状態でございますから、絶対に韓国との間に正規の関係を打ち立てるというようなことを考える可能性はないであろうというふうに思います。  ただ、いわゆる政経分離という形で経済関係を強めるということは、これは大いにやるであろうと。それが朝鮮半島の安定に通ずると。北の背後に中国ソ連がいて、南の背後に日本とアメリカがいるという、そういう二極分解の状態は甚だ望ましくないというふうに中国も考えているということは、これもほぼ確かであろうというふうに思われるわけでございます。したがいまして、現に中韓間接貿易という形で行われておりますが、実質上はもう韓国の港を出て直接中国の港へ船が行くというくらいの状態で貿易が進んでいるようでございますけれども、そういう傾向というものはさらに進むであろうというふうに考えられるわけでございまして、当分は中韓関係は政経分離であるというふうに考えるわけでございます。  その中で日本が中韓の橋渡しをするということを申し出ることはもちろん構わないわけでありますが、できることがあればもちろんやっていいわけでありますけれども、実は日本には余り果たす役割はないんじゃなかろうか。既に日本が果たし得る程度の、まあ場所を提供するとか、それは日本政府がやらなくても自然に向こうが使えばいいわけですから、場所を提供するとかそういう機能はあり得るかもしれませんけれども、積極的に何か役割を果たせるかというと、どうもそれはないんじゃなかろうかというふうに考えるわけでございます。  それから、北と中国との関係でございますけれども、これは明らかにひところに比べますと悪化しております。例の大韓航空機事件に関しまして、外交部の新聞発言人というのが発言しておりましたけれども、非常に微妙な言い方をしておりまして、まず外国人記者から大韓航空機事件についてどう思うかという質問があったときに、真っ先に申しましたことは、我々は国際テロ活動には反対である、しかし、北はそれは南のでっち上げであると言っており、南は北がやったと言っているので、中国はこの問題について何ら発言する立場にないという、そういう言い方なんですね。明らかに北と南を対等に置いているという状態でございまして、その間に中立を保とうということでございますから、かつての中国と北朝鮮との関係から見るならば、これは非常によろしくないといいますか、ということになっているわけでございますけれども、中ソ関係が改善してまいりますと、その中国と北との関係が悪化したことが直ちに、いわばゼロサム的にソ朝関係の改善へというふうに結びついて、北朝鮮がソ連中国かということでバランスをとってうまくいけるという形にはならないように思うわけでございまして、北はこれから相当しばらくの間厳しい道を歩まなければならないのではなかろうか。  結局、改革も開放も一番北朝鮮が社会主義諸国の中ではおくれているわけでございますが、いずれは何らかの形でそれをやらなければならないときが来るんじゃなかろうか。例えば金日成が亡くなったというようなときをとらえまして、毛沢東が亡くなったときのような大きな変化が起こる可能性というものがあるんではなかろうかということを私は感じております。  以上でございます。
  38. 田英夫

    ○田英夫君 ありがとうございました。終わります。
  39. 関嘉彦

    ○小委員外委員(関嘉彦君) どうもお三人の参考人、きょうはお忙しいところありがとうございました。また、私委員外にもかかわらず質問を許していただきましたことを委員長に感謝いたします。  私持ち時間が少ないので、最初にずっと質問を三人の方に言いますので順々に答えていただきたいと思います。  最初に蝋山参考人、これは質問ではなしに意見ですけれども、日本では昔から源氏と平家、陸軍と海軍、民族派と国際派の対立においては常に源氏、陸軍、民族派が強いという言い伝えがありますが、日本の国会の中においてもそちらの方の声が非常に高いんですけれども、しかし必ずしも平家、海軍、国際派の人たちがいないわけでは決してないんでありまして、私は、アメリカに対する経済外交の基本方針について蝋山参考人が言われたことには基本的には賛成です。ただ、今までのやり方を見てみますと、どうもアメリカのような声の高い国、力の強い国に対して必要以上に譲歩して、そうでない国を軽視するような傾向があった。日本が国際社会に生きていく以上は経済関係につきましてはやはり自由貿易。それをあらわしているのはガットだろうと思う。あの規約は後から後からつけ加えたんで本当にややこしい規約でなかなかすっきりしない点があるんですけれども、日本としては、やはりあのガットをもっと強化していく、足りないところを補っていく。その精神に従って、例えばアメリカが必ずしもガットを守っているとは言えない点があるんで、日本が言いわけするんではなしに、ガットの精神を日本は積極的に擁護し主張していくんだ、そしてアメリカなりECなりに対して是正を迫っていく、そういう積極的な態度をとるべきじゃないかと。これが蝋山参考人の御意見じゃないかと思いますけれども、そうであれば私はそれに賛成いたします。  また、ODAの予算につきましてもいろいろ御批判がありました。  これも、実はこの外交総合安全保障に関する調査会というのは三つの小委員会に分かれておりまして、経済社会委員会の方では、現在例えば四省庁体制を一元化する問題であるとか、あるいは国会がODA予算をもっとコントロールする、国会の中で論議ができるようにする、そういう問題について小委員会の中で意見をまとめつつあります。大体において野党の方はほぼ意見がまとまっております。与党の中でまだ意見がまとまってないようですけれども、我々そういう方向で努力しておりますので、大いに外部からも支援していただきたいというふうに考えます。  これから質問になりますが、防衛問題について、日本はつまり国際紛争武力によって解決しない、そういう平和主義原則を立てているわけです。アメリカが果たしてクラウゼヴィッツのような外交政策に立っているかどうか、これはなかなかはっきり言えないんですけれども、日本と同じとは必ずしも言えない。そういう両国が安全保障条約を結んでいることは、結局は日本がアメリカに引きずられちゃって戦争に巻き込まれるんじゃないか、そういう意見があるんですけれども、それに対して蝋山参考人はどのようにお考えか、そのことをお伺いしたいと思います。  それから袴田参考人に対しましては、やはりペレストロイカの問題ですけれども、私はソ連の実情を知りませんのでむしろアプリオリな議論ですけれども、ソ連が二十一世紀に生き延びていこうとすれば、先ほども話が出ましたように、ハイテクノロジー、これを発展さしていかなくちゃいけない。しかし、ハイテクノロジーあるいは情報化の社会というのはやはり情報が公開されている。グラスノスチというんですか情報公開、それからもっと各個人が自由に経済力を発揮していく、その意味経済再建といいますかペレストロイカ、これを進めなければ二十一世紀に生き延びていくことができないので、生き延びていくためにはペレストロイカを成功させざるを得ないだろう、そういうアプリオリの議論をしていたんですけれども、袴田参考人は実際に事実を御存じで、その事実についての御意見から判断しますとどうも将来に対して悲観的であるように拝聴したんですけれども、本当に改革というのはできないかどうか。そしてもし経済的に改革が多少とも進めば、私は必ずしも唯物史観賛成なわけじゃないですけれども、それが政治的な方面にもはね返っていくんじゃないか。もしそれがそういくならば、今の東西対立の不信は結局相互不信ということにあると思うんですけれども、世界が開かれていくというふうになってくれば東西対立の不信の重要な原因が除かれていく、世界のためにも非常にいいことじゃないか。そのためにペレストロイカが成功することを祈っているんですけれども、袴田参考人の御意見じゃどうもあんまり可能性がないような話でしたけれども、それを成功させるために一体外部からどういうことをやればそれを促進する方向に行くか。そのことが一つと、それからやはりペレストロイカが進んでいきますと、あるいはグラスノスチが進んでいきますと民族問題、今までソ連スターリンの民族問題の本で民族問題は解決したんだということを言っていましたけれども、実際は解決してないんで、ただ力で押さえつけただけだということが最近のアゼルバイジャンとかなんとかの例ではっきりわかってきたようですけれども、この民族問題をどういうふうに解決する、何かそういったふうな論文なり何なりが発表されているかどうか。  さらにこの問題は東ヨーロッパ、これにも私は波及していくんじゃないかと思う。ブレジネフドクトリンは否定するようなことをベオグラードで言っておりますけれども、これが明白に否定されると東欧は果たしてどうなっていくか。私はそれが解放されていくことを希望しますけれども、あんまりこれが急速にいくとかえってソ連保守派を強化させるだけじゃないかと、その点を心配していますけれども、袴田参考人の見通しをお伺いしたいと思います。  それから岡部参考人に対しまして、私ちょっと聞き違いかとも思いますけれども、中国の最近の外交政策社会制度と対外政策は無関係ではないと考えるような考え方が台頭してきて、それがベトナムへの態度緩和であるとか云々というふうなことにもはね返ってきているというふうに私聞いたんですけれども、そのことは再び対外関係社会体制ないしイデオロギーの対立としてとらえるそういう国際政治観に返りつつあるのかどうか、そのことが一つ。  それから、私は中国ソ連と比較しますと、これも現実を知っているわけじゃなしにアプリオリの議論になって恐縮なんですけれども、どうも中国ソ連ソ連人中国人というのは国民性も違うし宗教も違うし、しかも中国の場合革命後日が浅いということで中国の方が改革は成功しやすいんじゃないかと思う。もしそれが今の開放政策がどんどん進んでいったときにそれは政治的にどういうはね返りをするか、どういうお見通しか、そのことをお伺いしたいと思います。  非常に抽象的な議論で申しわけないんですけれども。
  40. 蝋山道雄

    参考人蝋山道雄君) 関委員から私の述べました経済政策に関する考え方を支持していただきましてありがとうございます。  また、国会においてODAに関して新しい議論が始まっているということも大変私、心強く伺いました。どうぞさらに一層の議論を進めていただくようにお願いいたします。  安保政策の問題についての御質問でございますけれども、ほぼ二つぐらいの点について私の考え方を述べさせていただきますが、一つは安保政策の問題を二国間関係の問題として扱わなければならないことの難しさと申しますか、条件の悪さというものを感じずにはいられないということでございます。といいますのは、戦後の世界における安保政策の大きな問題というのは、例えば西欧においてはNATOという組織の中で議論されてきて、ここにおいては圧倒的な力を持つアメリカが主体になってはおりますけれども、西欧諸国共通利益を持ってアメリカと話し合いをするという形によって、全く対称ではないけれども対等の立場に立って議論を進めてくることができた。したがって、西欧側の独特の利益あるいは危機感、アメリカとの違いというものがそこで浮き彫りにされて議論されてきたというふうに私は思うわけでございます。  ところが、日本にとりましては、戦後の極東における国際政治状況、まあ勢力均衡の構造というものの反映であったわけでございますけれども、その中で日本選択の余地というのはほとんどなかったと思うわけでございます。勝者であり圧倒的な力を持ったアメリカと、敗者であり弱体の日本とが形式的に同盟関係に入った。この状況というのは現在もずっと変わっていない。その構造日本の精神的な、何といいますか、構造の方に反映しちゃって、必要以上にこちらの異なった利益というものを表明する意思というものを奪ってきてしまったんじゃなかろうか。安全保障の問題で危機というものは個々の国あるいは人によって受け取り方千差万別なわけでありまして、一般的に普遍的な危機というのはないわけでございますね。ですから、日米共同の脅威とかそういうものを簡単には僕は言えない問題であろうと思うわけですけれども、どうしても共通の脅威ということを前提にして話が進んでしまう。そうすると、圧倒的な組織力とノーハウとそれから哲学を持っているアメリカに引きずられる。これは当然のことなのであって、いわばこの一種の桎梏から逃れることはちょっとできそうにもない。そうならば、多国間条約の形にできるかといえば、これもまた戦後の極東アジア・太平洋地域における勢力分布の特殊性からいって、それは不可能である。これは私がちょっと申し上げたことでございますけれども、そういう意味で、その中で一体どうすれば多少なりとも日本の自主性を回復できるのかというのは、やはり経済政策その他の他の部分で日本の正当性を回復する以外にはないのではないだろうか、そういう考え方に立っているわけでございます。
  41. 袴田茂樹

    参考人袴田茂樹君) まず最初の御質問でございますが、ペレストロイカを成功させるには外部から何をなすべきかという問題を提示されましたが、実はこの問題にお答えする前に、この問題そのものにつきまして立場上幾つかの議論がございまして、ソ連のペレストロイカを西側は援助すべきか否か、ソ連のペレストロイカの成功あるいは失敗が西側にもたらす影響は、意味はどういうものかということにつきまして意見の相違がございます。私自身はソ連のペレストロイカ、現在のゴルバチョフの路線の成功は、それによってソ連がより脅威的な、西側にとって脅威となる軍事大国になるのではないかというその危険性よりも、どう言いますか、より開かれたことによる国際社会におけるポジティブな意味の方が大きいと私自身は考えております。その意味におきましては、ペレストロイカの成功というものは私は肯定的に見ているわけで、成功してほしいというそういう立場で見ているわけでございます。  どういうことが可能かということですが、部分的には緊張関係をできるだけ少なくするとか、あるいはさまざまな経済協力を行うという側面が考えられますけれども、やはりこれは基本的には国内問題でございまして、それは外からどうこうできる問題というわけじゃないと思います。外からできる問題としましては、今言いました緊張関係をできるだけ少なくするとか、あるいは経済協力等に積極的な姿勢を示すということも考えられますが、しかし同時にまた、ソ連が国家としての基本的な性格をこれで変えるということはないと思うんですね。したがいまして、安全保障、それぞれの国のそれぞれの立場での安全保障というその立場はやはりきちんと押さえて今後も対処せざるを得ない。したがって、その両方の兼ね合いのバランスですね、それをやはり今後慎重に考えていかなければだめだと考えております。  それから民族問題、この問題は非常に大きいんですけれども、時間の関係でごく簡単に申しますと、ソ連にとりまして、現在民族問題についてまだ国内的にもはっきりとした政策は出ておりません。アルメニアとアゼルバイジャンでの民族運動に関しましては、プラウダは公式的に併合を、党中央は公式的にナゴルノ・カラバフのアルメニアへの併合を認めないという、それでアルメニア人の運動を過激派という形で批判の立場を出しました。しかし、新聞によりましては、例えばコムソモリスカヤ・プラウグとかあるいはイズベスチヤでも、現地にしばらくいて報告しているそういう人たちの記事を見ますと、むしろアルメニア人に対して相当好意的な立場で書いておりまして、国内的にも、この問題につきましてはまだ統一的な見解は出ていないようです。政策としては、一応併合は認めないという結論は出ておりますが、今後も民族問題は大きな問題としていろんな形で表面化するのではないかと思っております。  東欧問題への波及でございますが、先ほど岡部先生もおっしゃいましたけれども、私はゴルバチョフのユーゴでの発言等を見まして、ブレジネフ・ドクトリンの修正とおっしゃいましたが、これをはっきりと否定というふうに断定される方がいらっしゃいますけれども、私はその面に関しましてはちょっと懐疑的に見ております。といいますのは、もし東欧諸国社会主義体制から飛び出るような行動を示した場合、果たしてソ連が介入しないかという問題に関しましては、私は介入しないと断定することはできないからであります。ただ、今回のソ連の修正は、これは社会主義体制の枠内において同等の権限、自主的な権限ということでありまして、その枠を飛び出るような動きを東欧の諸国が見せた場合、やはり社会主義陣営の全体の利益を個々の国家の主権あるいは利益よりも上に置く可能性はまだあるというふうに見ておりまして、したがって、私は否定したというふうに断定はできないのではないかと思っております。  以上です。
  42. 岡部達味

    参考人岡部達味君) 関先生から二つ御質問いただきまして、まず一つは、社会制度と対外政策とが無関係ではなくなってきたということは中国対外政策がイデオロギー化するということかという御質問でございますが、これは先ほど時間の関係でちょっと言葉が足りなかったかと思いますが、必ずしも社会制度と対外政策とは全く無関係ではなくなったという程度でございます。ただ、一部におきまして共通の課題とか共通の運命とかというような言い方が出ていることは事実でございまして、場合によっては、多少その社会主義ということにとらわれた政策が出てくる可能性はあろうかと思います。これは前よりその可能性はふえた。しかし、五〇年代に見られましたような形で中国対外政策が、五〇年代あるいは六〇年代もそうでございますが、イデオロギー化するというつもりで申し上げたのではないわけでございます。特に今日のように社会主義と言った場合に、その定義が何が社会主義かというのが甚だわからなくなってきておりますし、また社会主義自身が多様化してきているわけでございますから、イデオロギー的な影響がそれほど強くなるというふうには私は考えておりません。  それから改革についてのソ連中国との比較といいますか、違いでございますが、ある意味におきましては中国の方が改革はしやすいわけでございます。といいますのは、ソ連のように中央集権的な計画経済制度がきっちりとでき上がって何十年もたってしまったということでないわけで、大体八割程度が計画の枠内で、あとの二割はアングラ経済でやってきたという程度が中国の実情のようだったわけでございまして、したがいまして、そこへもっと自由にやってよろしいよということになりましたので、自由行動といいますか、あるいは企業家的な行動の余地というもの、これはソ連よりも中国の方がはるかに大きいであろう。そういう意味においては改革はしやすいということは言えるかと思いますが、同時に反面、人材が非常に不足している。それから経済的な基礎が非常に弱いということがございまして、その点では改革というものによって例えば新技術革命、ハイテク時代を乗り切ろうというような意味で考えるとするならば、必ずしも中国は有利ではないというふうに考えられるわけでございます。  それとの関連で申し上げるとするならば、一ころ西側において収れん理論というのがはやっておりまして、このごろはさっぱりはやらないようでございますが、実はこの収れんという言葉中国語に翻訳されまして、ついでに申しますと「趨同」日本式に読めばすうどうと読むんですが、そういう言葉ができまして昨年の夏あたりからちらほら使われ始めているという点は、これは注目してよろしい。改革が成功するとするならば、本当に収れんするかどうかは別といたしまして、非常に資本主義に近い状態を想定せざるを得ないような現象が現在出てきているわけでございます。  そうしますと政治との関係でございますが、現在のレベルにおいても既に現実に存在する政治制度がこれ以上経済改革を進める上における桎梏になっているわけでございまして、したがいまして政治体制改革ということを嫌でもやらざるを得ないということになっているわけでございますが、これは当然に抵抗が非常に強いわけでございます。  その抵抗が一体どのくらい強いか、それに対しまして先ほど申しましたアングラ経済的な状態をソ連よりもはるかに多く残しておりました中国の新しく生まれ出るであろう自由人といいますか、あるいは企業家といいますか、それの力が強いか、どっちかという綱引きがこれから始まるのではなかろうかというふうに考えております。この綱引きがどういうふうになるかというのはちょっと私も水晶玉を持っておりませんのでわかりかねるというのが現実でございます。
  43. 堀江正夫

    ○小委員長堀江正夫君) 以上で質疑は終了いたしました。  この際、参考人方々に一言御礼のごあいさつを申し上げます。  御多忙の中を長時間御出席いただき、貴重な御意見を拝聴できましたことに対しまして、本小委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  拝聴いたしました御意見は十分に今後の当小委員会調査参考にさせていただきたいと存じます。  本日はまことにありがとうございました。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時十四分散会