○沓脱
タケ子君 この私
どもに公然と目に触れることのできる
中公審答申、それから
専門委員会報告、これを見てまいりまして、従来から、私も昨年も
質問をいたしました。本
委員会でも各
議員からこもごも
指摘をされているように、私もこの両方を合わしただけでも
大変理解に苦しむというところがあります。これは多くの例を挙げておる時間的余裕がありませんが、例えば
専門委員会報告の中の
留意事項と
答申とを比較してみますと、何でこないになるのかなと思うんですね。
これは
一つ一つを追及しません。例えば
専門委員会の
留意事項ではこう書いてある。③の一ですね、「
局地的汚染の影響は、考慮を要するであろう。」というふうにお述べになっておられます。その後で、これは
中公審答申が出る前、つまり
専門委員会の
審議が終わってから以後に東京都の
調査が公表されたんですね。で、これらの
知見を考慮しても「
因果関係の
評価を変えるものではない」というふうに、これは
答申には書かれている。
専門委員会のお医者さん
たち、
学者の
人たちの
結論は、そういう
局地的汚染を考慮する必要があると言っているのに、
最後に出てきたものは、これらの
知見を考慮しても
因果関係の
評価を変える材料にならぬと、全然違うことになっている。
それからもう
一つは、これは
留意事項の二つだけ見ても、
専門委員会では、
感受性の高い
集団が見逃される
可能性のあることに注意しなければならないと書いてある。
感受性の高い
集団といえば、これは常識的に言うたかて老人や
子供や
病人というのが常識ですよ。ところが
答申ではわざわざ何と書いてあるか。「児童、
老齢者、
呼吸器疾患罹患者等ではなく、」と。これは
留意をしなければならないと
専門委員会の
報告ではわざわざ書いてある、
留意事項ということで注意をしなさいよと書いてあるのに、それが
答申になったら、「ではなく、」や。除外されている。
これはまさに
専門委員会の
報告と、そして最終的に出た
中公審の
答申とは
幾つかの点で、私
どもが私
どもの水準の立場で見ましても、白が黒になっているとしか考えられないというところが何カ所もあります。もし
専門委員会の
指摘のとおりが
最終答申になっていたら、少なくとも
局地汚染のひどい
道路沿線等の問題あるいは
大変弱者と言われている
感受性の高い
集団、お年寄りや
子供たち、
病人の
人たちが今後も切り捨てられるというふうなことはなかったであろうということは、あれを読んだって、私
自身だって
判断できるんです。これはほんの一例です。そんな例を出せば
幾つかあります。
したがって、こういうふうに白が黒に変わるという
経過、これがどういうふうにいつ、どこでやられてきたのか。どういう
論議がやられたので白が黒の
結論になったのか。このことを明らかにするということが本
法案の
審議の上で極めて重要なことなんです。だからこそ、この点について何回か私も
質問をしましたけれ
ども、
まともに答えたことはないじゃないですか。だから、そのいきさつ、
経過を明確にすることのできる
議事録、これが必要なんだ、絶対に必要なんだと言っているのはここなんです。わかりましたか。出しますか。