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1987-09-25 第109回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会国際経済・社会小委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十二年九月二十五日(金曜日)    午後一時開会     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     小委員長        志苫  裕君     小委員                 下稲葉耕吉君                 鳩山威一郎君                 矢田部 理君                 中西 珠子君                 上田耕一郎君                 関  嘉彦君                 青島 幸男君    事務局側        第一特別調査室        長        荻本 雄三君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件国際経済社会問題に関する件  (経済協力あり方について)     ―――――――――――――
  2. 志苫裕

    ○小委員長志苫裕君) ただいまから外交・総合安全保障に関する調査会国際経済社会委員会を開会いたします。  国際経済社会問題に関する件を議題といたします。  本日は、経済協力あり方について各小委員に御発言をいただくことになっております。  なお、お述べいただく意見はあくまで各会派所属の小委員個人意見ということでとり行いたいと存じます。  それでは、順次御発言願います。
  3. 下稲葉耕吉

    下稲葉耕吉君 ただいま小委員長からお話がございましたように、本日発表意見は自由民主党の下稲葉個人意見ということで発表さしていただきたいと思います。  まず、発表の前提でございますが、終戦後四十二年たったわけでございまして、終戦直後の日本飢餓と混乱の中から今日まで見事に立ち直りまして、今日の平和と繁栄をかち得ることができたわけでございます。これはもちろん基本的には日本国民の英知と努力に負うところが多いわけでございますが、終戦直後の飢餓時代と米国の食糧援助等を受けたことを今でも忘れることができないわけでございます。  昭和二十九年、戦後賠償的な援助で始まりました我が国経済協力歴史も既に三十年を超えまして、一九六〇年にDACが設立され、我が国が加盟して二十七年たっているわけでございまして、一九六〇年の我が国経済協力ODAが一億五百万ドルであったのに比べますと一九八五年には三十八億ドルに達しました。それをベースに第三次中期目標では御承知のとおり、八六年から一九九二年までの七年間で四百億ドル以上の援助目標を決めたわけでございますが、先般、政府は現下の国際情勢にかんがみまして、その期間を二年間短縮することにしたわけでございます。DAC諸国ODAの実績は量的にはアメリカに次ぎまして二位になったわけでございます。  加えて、我が国におきましてはODA関係の役所も十五省庁に及んでおりまして、さらにふえる傾向にあるのではないかと思われます。援助対象国増加し、援助項目等複雑多岐にわたっております。また、DAC諸国からはもちろんのこと、国際的に日本ODAは強い関心を持たれているということも事実でございます。私は、今こそこの経済協力について問題点を整理し、総合的に検討し、意思を統一し、そのもとに国際的に協調しつつ積極的に経済協力を進めるべきであると思います。  このような観点から、以下若干の意見を申し上げたいと思いますが、経済協力は、広義の経済協力といたしましては政府開発援助、それからその他の政府資金民間資金、それから非政府団体NGOによる贈与というものがあるわけでございます。国際的にはODAのみが真の意味の援助とみなされている、これはNGO関係のものは別でございますが、ということでございますので、ODAについて意見を述べることといたしたいのであります。  なお、この問題につきまして既にいろいろ発言したこともあるわけでございますが、きょうは若干重複するかもしれませんけれども、その辺を総合して申し上げてみたいと思います。  まず、我が国経済協力理念についてでございます。  これは二つ考えられるわけでございまして、一つは人道的、道義的立場からなさるべきである、もう一つ国際的相互依存立場から行わるべきである、簡潔に申し上げますと、こういうことではなかろうかと思うのでございます。  南北間の格差は依然として大きいわけでございますし、開発途上国貧困飢餓等を看過し得ないという人道的、道義的立場からするものでございます。もう一つは、開発途上国の安定と発展世界全体の平和と繁栄に不可欠である、我が国世界の平和と繁栄に対し貢献し、ひいては我が国自身の平和と繁栄を確保していくために、我が国立場といたしまして経済協力は最も適切な方途である、このように考えます。  言葉を変えて申し上げますれば、こういうことが総合的な安全保障対策の一環ででもあるというふうに言えるのではないかと思います。我が国は戦後のように受益国ではございませんで、世界に積極的に貢献する立場であるわけでございまして、受益追求立場から犠牲に耐える立場になることが求められていると思います。  こういうような考え方の裏側といたしまして、軍事的な援助には手をかさない、一部の特権階級につながるような援助は行わないということが出てくると思います。そして、その援助の究極的な目標といいますか、それはその相手国援助を必要としない国への発展目標とするものでございまして、その持続を促進するよう細心の配慮が必要であると思います。要するに、援助相手国国民のニーズに真にこたえるものでなければならないという原点に立って常に配慮すべきであると思います。  二番目の問題は、援助体制強化の問題でございます。  これにつきましては、援助行政一元化の問題と援助実施体制整備の問題に分けて申し上げたいと思います。  外務省、大蔵省、経済企画庁、通産省を初め十五省庁ODA予算を持っているわけでございますが、さらに援助実施機関も、在外公館、それから実施機関在外事務所等々、複雑に入り組んでいるわけでございます。片や援助予算も年々増加いたしまして、その内容大型化多様化、複雑化しており、その調整必要性が増しているわけでございます。  そこで、第一といたしまして、行政一元化による強力、簡素な体制確立が望ましいということでございます。先般も若干触れたわけでございますが、この点につきまして昭和四十五年十二月二十三日、総理大臣諮問機関でございます対外経済協力審議会、これは会長は永野重雄さんでございましたが、総理大臣に対します意見が出されているわけでございます。そのときにこういうふうなことが言われております。「今後開発協力の諸施策を強力に推進する必要があるが、そのためには、担当大臣を置くことが望ましいと考えられる。また、開発協力行政一元化簡素化実施機関への権限移譲等について、対外開発協力省あるいは庁の設置を含めて本審議会として今後検討を進めることとしたいので、政府側も本件について具体的検討を行われたい。」ということが既にもう昭和四十五年十二月に言われているわけでございまして、四十六年の九月九日、「開発途上国に対する技術協力拡充強化のための施策について」という答申が同じ審議会から総理大臣に出されているわけでございますが、その中で「事業実施体制改善方向」ということで、   対外開発協力機構は、先ずトップレベルでの政策意志決定から、行政レベル実施機関レベルならびに現地レベルでの総合調整機能をもつことが必要であり、対外開発協力政策の立案と実施のみならず、協力効果事後的評価等を含む一貫したシステムとして考えなければならない。わが国の対外開発協力機構改善方向として、種々の案が考えられようが、次のような機構が望ましい。   トップレベルでの政策決定は、閣議で行ない、専任の大臣を長とする簡素強力な対外開発協力省または庁を置き、同省の諮問機関として、対外開発協力審議会を置き、実施機関の長、民間その他学識経験者等の幅広い視野からの意見対外開発協力政策に反映させる。 云々ということで、具体的に協力省内部機構にまで言及されているようなわけでございます。  引き続きまして、同年の十月二十二日の最終答申におきましても、「対外開発協力実施体制改善促進のための機構について」というふうに触れまして、おおむね先ほど申し上げましたような「対外開発協力関係閣僚会議設置」、あるいは「対外開発協力審議会設置」、それから「対外開発協力推進本部設置」というふうなことがうたわれているわけでございます。  その後、この審議会が具体的に援助体制の問題について触れておられる点は、私の調査ではちょっと見当たらないわけでございますが、実は昭和六十年の十二月に、今度は外務大臣私的機関ではないかと思いますが、「政府開発援助効果的・効率的実施について」、いわゆるODA研究会の報告があるわけでございまして、その中で今申し上げました点に触れているわけでございます。現在は十五省庁でございます。   現在では援助予算が十四省庁にもまたがって計上されているため、「我が国援助には中核となる機関が欠如している」との印象が生じる結果となっている。   この点については、既存援助関係機関とは別に「経済協力省」のような新たな援助機関設置により制度的、機構的一元化を目指すことは、結果的に「屋上屋を架する」だけのものとなって、実効が挙がるとは考えがたく、むしろ、既存実施体制の下で援助についての一元的調整を図ることが重要である、というのが研究会における共通の認識であった。  いろいろ言われております。しかし、  援助を所掌する省庁間で意見の一致が得られない場合に、当該問題を検討し、機動的な調整を行いうるような何らかの方途検討する必要があり、制度上の問題をも含めてこの点につき今後議論を深めていくべきであるとの見解も表明された。 ということでございますが、若干この点については後退しているような印象を受けるわけでございます。  以上が一つの例でございますが、そういうような点を総合いたしまして、私といたしましては、各省庁の仕事を縦割りであるというふうにするならば、援助行政というものは横割り、横断的な関係を有しておるわけでございまして、それだけ抽出して一元化するにはさまざまな問題を抱えているということも理解できるわけでございます。しかしながら、国際的な我が国活動、特に相手国に対しては日本を代表してやるわけでございますし、それから国際的な重要性、今さら申し上げるまでもないわけでございますが、そういう非常に厳しい、そして国際的に関心を持たれている今日でありますだけに、そしてまた、将来にわたってもこの問題が大きくなりますだけにその一元化がぜひとも必要であるというふうに思います。関係閣僚会議について調べてみましたが、実は五十年の七月に関係閣僚会議設置されておりますけれども、五十二年の一月に廃止されています。その後ございません。したがいまして、さしあたり手始めに関係閣僚会議設置するなどいたしましてその体制一元化検討議論というものを政府レベルでも始めるべきであろうというのが私の結論でございます。  小さな二番目に、援助実施体制整備の問題でございます。  これはODA予算増加に伴いまして、相手国はもちろん、援助項目援助案件等が急増しているにもかかわりませず、JICA等援助実施体制は極めて弱体であるわけでございまして、細かいところまで心が行き届かなくなるということを恐れるわけでございます。いろいろ議論がございますけれども、計画的にこの援助実施体制強化を強力に推進すべきであると思います。それと同時に、途上国における大規模自然災害などに対しまして、途上国が真に必要とする援助を迅速かつ機動的に実施することが望ましいわけでございまして、それにつきましては八月の末に国際緊急援助隊派遣法等が成立いたしまして、伺うところによりますと、その第一号といたしましてベネズエラの台風災害に対しまして、建設、国土、JICAから復興の専門家を派遣しようということで、今人選が進められているように伺っているわけでございますが、こういう体制整備も必要であると思います。  大きな三番目が、要請主義に対する弾力的運用調査機関設置という問題でございます。  ODA政府間の援助でございますので、相手国政府からの要請に基づいて行われるということは当然のことであると思うのでございますけれども、しかし、援助国としての我が国が留意しなければならない点は、やはり何といっても先ほど申し上げました基本的な援助理念に常に立ち返りまして、その内容を厳重に検討すべきであると思うのでございます。そのためには強力な、総合的な調査機関設置が私は必要ではないかと思うのでございます。地域別、それから相手国別事項別相手国との政策対話強化でございますとか、在外公館実施機関在外事務所現地に派遣されている専門家協力隊員等からの情報意見収集等を背景といたしまして徹底的な検討を行い、国別援助基本方針とでも言うべきものを確立いたしまして、発展段階別援助計画を策定し、そしてソフト面ハード面との総合性を持った実効のある援助を推進するようにすることが必要であると思うのでございます。  先般、韓国に行ってまいりましたが、韓国では御承知のとおりに相当の債務国で今まで援助を受けていたわけでございますが、それにもかかわらず、ことしから援助国になりましたということを誇らしげに話しておられた有識者の言葉が非常に印象的でございました。  大きな四番目は、効果的援助についてでございます。  ODAの量については、既にアメリカに次いで二位となっておりますし、国際的にも注目を浴びているわけでございます。問題は質でございますが、質的に大変問題のあることもよくわかるわけでございまして、対GNP比率が低いとか、あるいはグラントエレメント贈与比率をもっともっと上げなくちゃならないとか、これは当然のことだと思うのでございます。しかし、せっかくの援助効果がなくて、例えば、病院をつくって立派な機械を入れたけれども、それをこなせる医者や看護婦がいない、病院としては機能していない。国民の血税で行う援助だけに、やはりどうしても効果的で効率的でなければならぬわけでございまして、せっかくの援助相手国に喜ばれないのみか、かえって反感を買うようなことはむしろ有害であると思います。そのためには、一つには援助相手国自助努力を促進するために、過度に長期にわたらずその度合いにより低減する、最終的には自立できるような配慮をするとか、あるいはソフトハードの面を組み合わせまして効率的に行うとか、あるいはLLDCの国に対しましては、援助の円滑な実施と効率的な運営を確保するためにローカルコストをある程度負担するとか、あるいは援助のフォローアップを行いまして効果的な援助が生きてくるかどうか配慮するなど、生きた援助実施に留意すべきであると思います。  五番目は、非政府団体に対する支援強化でございます。  これは、他の先進国の多くは我が国のそれよりも非常に積極的で進んでいるように思うわけでございます。草の根活動による細かい活動は、直接相手国国民に届くだけに有効な活動でございます。外務省を初めといたしまして関係機関NGOとの対話を深めるということ、それからNGOに対する側面的な支援、例えばJICAの施設の利用等いろいろあるわけでございますが、そういうようなものを積極的にやるとか、NGO基盤強化のための施策、さらにはまた被援助国にあるNGO支援等検討していくべきであると思います。  六番目が、援助評価とその反映でございます。  私は、既に述べました行政一元化機構の中に一部局としてODA実施状況とその評価について調査検討する組織を設け、そしてそれが理念どおりに有効に行われているかどうか点検し、さらにまた具体的な実施に反映させるようにすることが必要であると思います。  最後に、国民理解協力を得るための施策について申し上げたいと思います。  援助額が多くなるにつれまして国民の間にいろいろの考えの出てくることも予想されるわけでございます。現状は、防衛費増加国民関心が深くいろいろな反応も示されておるわけでございますが、事ODAに関しましては余りそういうふうな声も聞きませんし、大体何とかコンセンサスが得られているんではなかろうかとも思われるわけでございます。しかしながら、いつまでもそういうわけには私はいかないと思います。やはり国民の真の理解協力がなければODAというものは積極的に進められないし、またその効果もなかなか難しくなってくる。そのためには国民理解協力を得るための積極的なPRも必要であると思うのでございます。国会がそういうことのために果たす役割も大きいと思いますし、国民を代表する国会の場における議論というものが重要であると思います。突然にわかに相手国への援助が、政府の幹部の方が行かれたときに発表される、あらわれてくるということではなくて、やはり先ほど来申し上げておりますように、相手国別の詳細な実施計画の中でそういうものが出てくるような形でなければならないのではないかと思うのでございます。  最後に、国民に対するPRの問題で六十年の十月でございますか、決算委員会関委員の提唱されました国際協力デー設置なども理解協力を得る一助になるんじゃないかと思います。  以上で終わらせていただきます。
  4. 矢田部理

    矢田部理君 私は、社会党として経済協力に関する問題について今後の課題方向などについて意見を申し上げたいと思います。  お断りをいたしておきますが、社会党として最終的に固まった考えではありません。これまで議論してきたことを土台にし私見をも交えて申し上げてみたいと思います。  今日、我が国は、世界の中において経済的に大きな影響力を持つに至っており、それに伴って人類全体の平和と福祉に寄与すべき責任も期待も大きくなってきております。日本国際社会において果たすべきこの役割の中で最大かつ緊急な課題一つが、いわゆる南北問題と呼ばれるものの解決にあることは言うまでもありません。  周知のとおり、この南北問題には、歴史的、構造的に深く大きな諸課題が複雑に絡み合っております。南の諸国、いわゆる第三世界歴史的には北の国々の植民地として長い歴史を持ち、今日なおその経済的、政治的、文化的な強い影響を受け、従属的な地位を余儀なくされ続けております。この状態は、旧植民地国がほとんど政治的な独立を達成した現在においても、世界経済の中枢的な地位を占める先進諸国との関係において圧倒的な経済的、技術的な格差依存関係として存在し続け、ある面ではその格差依存関係はむしろ拡大し強まりつつあると言うことができます。そして、このような地球的規模で存在する不均衡すなわち生産力技術力金融力貿易上の市場支配力情報集中と処理の能力などの極端な偏在は、従来、先進国をますます富める国たらしめ、また、先進国中心世界経済発展を保障してきた条件でもありましたが、今日では逆に先進国をも含めた世界経済発展に対する重大な障害となり、不安定要因にさえなってきております。  しかしながら、この不均衡最大犠牲者は何といっても第三世界諸国貧困民衆であります。人類の半数以上を占めるこの第三世界貧困層は、農地を全く持たないか、ごくわずかの土地しか持たない農民であり、あるいは植民地時代以来の国際的な換金作物に特化されたプランテーションの農業労働者であり、あるいはまた、国際競争力をほとんど持たない零細商工業従事者先進国企業海外生産拠点である工場の労働者であったりしております。彼らは極めて低い収入しか与えられず、国際市場景気変動に容易に左右され、慢性的な高い率の失業、半失業を強いられております。  また、このような国内経済基盤の弱さは、自然災害に対する国民抵抗力を奪い、一たん災害が発生しますと、飢えや病気によって多数の人命が失われるという悲劇をも繰り返す最大原因となっております。国の財政力の弱さは、社会的、経済的な施策の展開を妨げ、都市と農村の格差を拡大し、貧困層の基本的な生活条件の必要を満たすことさえ困難な状況が続いております。これらの結果、大量の人口があてもなく都市に流入し膨大なスラムを形成し、絶望的な社会的沈殿層となっております。要するに、先進諸国が蓄積した膨大な生産力技術資金は、それらを最も切実に必要としている人々のためには必ずしも有効に用いられていないということが言えるのであります。  そしてもう一つの大きな要素として、第三世界諸国内部における特権層と圧倒的な貧困民衆という極端な二極分化の構造があります。特権層への富と権力の集中民衆への貧困と無権利状態の強制という構造の中で、一方では腐敗が生じ、他方では反政府運動が高まり、政治的不安定が恒常化しています。そこから軍事化が異常なまでに進行し、人権を否定する圧制と乏しい財源の軍事費への投入が民衆の苦しみをさらに強めるという悪循環が数多く見られるのも特徴であります。  この腐敗軍事化という問題は、これらの国に関係を持つ先進大国政策にも大きな原因を持っていると言わざるを得ません。なぜならば、先進諸国の大企業中心とするこれら諸国との経済関係は、これら諸国の政治的、経済的特権層とのかかわりにおいて展開されることが多く、それが腐敗の温床の一つとなり、またその腐敗は、必然的に先進国側の当事者との合作において成立することが多いからであります。また、特権維持のための軍事化は、先進国経済権益維持と容易に一体化され、あるいは先進国世界戦略地域戦略からの軍事拠点づくり政策と容易に結合させられてきたからであります。  これらの深刻な困難にもかかわらず、第三世界諸国においては貧しい民衆自立、自活と人権確立のためにたゆみない努力を重ねる運動が存在しており、またそのために文字どおり命をささげている人々が多く存在しております。また、エリート層の中にも真剣に国民経済自立民主主義確立、あるいは国際社会における格差解消や平和の追求考えている人々がおります。そして彼らは、従来の先進諸国政策関係あり方に強い批判や失望の念を表明しながらも、真に友好的かつ民衆本位途上国本位協力関係については切実な期待を持っておるのであります。  さて、以上のような南北問題の現状を概括いたしますならば、今や先進経済大国となった日本課題は明白であります。それは人類の平和と共生、福祉人権という理念基礎として新たな国際関係を積極的に創造するというイニシアチブをとることであります。  そして政策的には、第一に、第三世界諸国貧困民衆の基本的な生活条件整備、向上のための民衆自身自助努力に対して、長期的、体系的な協力を行い、絶対的貧困災害に対しては集中的な緊急援助を行って、これら諸国民衆自立と、それを通じての貧富の格差解消を助けることであります。第二に、その基礎の上に地域経済地場産業の着実な発展強化のための基盤整備、人材の育成、技術移転資金援助などを通じて援助し、国内市場拡充国民経済の総合的な形成発展自立支援することであります。さらに第三に、貿易金融技術等において、第三世界諸国の劣位の状況を考慮した優遇措置を講じ、国際市場での着実な地位の確保と、垂直分業から水平分業への移行とを積極的に促進し、これによって国際的格差解消していくことであります。そして第四に、これらの国際協力を単に政府民間企業の手によってのみ進めるのではなく、国民理解と積極的な、また自発的な参加を得て進め、国民レベルでの諸国民との友好と信頼の形成を図るべきであります。これによって国際協力は単なる経済的協力にとどまらず、真に平和と人権、人道という深い基礎を持つ人間的共生の協力となることができるはずであります。  以上のような基本政策を推進する上で、公的資金と公的制度、そして国民参加のシステムの果たす役割が決定的に重要であるのは火を見るより明らかであります。そしてその主軸の一つ政府開発援助ODAにあることは言うまでもありません。しかし、従来の日本ODA政策としてその体制は多くの問題や欠陥があることが明らかになってきました。以下、七点について指摘をしたいと思います。  その第一は、国際協力理念目標が今指摘したようなものとして明確にされず、あいまいな言葉の中に日本の経済的利益優先主義が込められていたり、人道的観点が二次的、付随的な形とも見られる地位しか与えられていなかったり、最近では東西対結論に基づく戦略的、政治的な位置づけが強調されたりしてきたことであります。  第二には、したがって実際のODA実施において、日本経済、日本企業の国際的展開の条件づくりを主眼とし、そこにODA資金の大半が注ぎ込まれてきた傾向が強く、どれだけ相手国国民経済の総合的かつ着実な発展に寄与し得たか疑問とされることが多かったことであります。  第三には、日本ODAは、グラントエレメントもGNPに対する比率でも国際目標に遠く及ばず、その改善、向上のプランも明確ではありません。近年の絶対額の増大とは別に、この問題は国際的批判に日本が答えるべき課題として残されております。  第四番目には、相手国特権層を不当に潤し、あるいは抑圧的な政権の人権侵害政策には沈黙したまま、その重要政策にはてこ入れをしてきたり、その腐敗の温床となるなどの機能を持ってきたことであります。このため援助が真にそれを必要とする貧困層に届かないばかりか、かえってその実施の過程で民衆の生活や環境を破壊するという結果さえももたらし、強い批判を浴びてきたことも事実であります。  第五に、ODA国民の貴重な税金などの多額の支出であるにもかかわらず、国会の意思が直接に関与することさえできず、ODA実施の過程が密室化されてきているため、国民理解と信頼と参加を妨げられてきたばかりか、それが腐敗を生み出す条件ともなってきたことであります。  第六には、俗に四省庁体制と呼ばれ、実際はさらに多くの省庁にまたがっているように、ODAの統一的な実施機関が存在せず、これが明確な責任体制と体系的、計画的な国際協力の推進とをあいまい化し、省庁間の縄張り争いや特定業者との癒着などの混乱や不正の原因一つをつくり出してきたことであります。  第七には、国際協力に関する国民理解協力、参加を積極的に促進し、保障する施策が極めて不十分であり、地方公共団体、民間団体、市民の自発的、自律的な国際協力活動を制度的、税財政的に支える政策、また人材の系統的な養成や受け入れの体制が極めて不備であることであります。  日本ODAは、これら基本的な諸問題を抱えたまま、既に一兆円の大台を突破し急速な伸びを示し、さらに一層の増大を国際的にも求められております。したがって、私たちは一日も早く第三世界発展途上諸国に対する我が国国際協力理念政策体制を整理、確立し、新たな国際協力時代へのスタートを切るべきであると考えます。  このために、このような国際協力の基本理念と基本事項を明確に規定した基本法を制定し、体制の再編を急ぎ、国民理解と参加に支えられた政策展開を図るべきであると考えます。そしてこの基本法には、前に述べた諸問題にかんがみ、国際協力理念、目的、国民及び国の責務、主権尊重と平和の原則、民主主義人権の原則、情報公開の原則、中期的かつ年度ごとの基本計画の策定と国会の承認規定、国会に対する報告、統一的な企画、実施官庁たる国際協力庁の設置、人材養成、訓練、人材受け入れの機関設置、派遣される者の職業安定、地方公共団体や非営利の民間団体への補助や国民的参加による運営の導入などが明記されるべきであると考えます。  我が党は、これまでの本調査会での議論を初め、各界の意見や独自の調査などを踏まえて、既に基本法案の準備に着手しておりますが、願わくは当調査会の一致した意見として、以上に申し述べましたような基本的な論点が明確にされた基本法案が提起をされ、成立する運びとなりますことを心から期待をして、私の意見表明を終わります。
  5. 中西珠子

    ○中西珠子君 私は、個人的な意見と申しますよりも、公明党・国民会議が本年の五月に参議院に提出いたしました国際開発協力基本法案の骨子を御説明させていただきまして、そしてこれは非常にまだまだ足りない部分も多いし、表現といたしましても、法制局と半年ぐらいいろいろやっているうちに水で薄められたような面が出てきてしまったり、行き過ぎの面が出てきてしまったりしたわけでございますので、これで最上のものと満足しているわけでは決してございません。そしてまた、皆様方がこの小委員会でとにかく各党が意見を出し合って、そしてまとまった一つのものができてくればいいという考え方でおいでになりますのには大賛成でございまして、全くのたたき台としてこれをお考えいただいたらいかがかと思いまして、きょうここで御説明をさせていただくわけでございます。  国際開発協力と申します言葉を使っておりますのは、途上国が開発援助という言葉を非常に嫌っておりまして、協力と言ってもらいたいということがもう二十数年前から、私が国際機関で働いているころから言われております。また、国連で六十一年十二月に採択されました「開発の権利に関する宣言」などをごらんになりましても、援助という言葉は一切使ってありませんし、基本的人権として開発の権利を考える、また民衆が開発に参加し、また開発の成果を民衆が享受できるような、そういう開発というものを追求していくこと、それが権利であるというふうに考えているらしゅうございますので、一応国際開発協力という用語を使わしていただいておりますが、もう全くODA政府開発援助と同じ内容を扱っているわけでございます。  それで、私どもといたしましては、日本は平和憲法を持っているわけでございますので、世界のどの国とも平和的な共存共栄を図っていかなければいけない。特に、開発途上国の経済的、社会発展への自助努力支援して、そして貧困飢餓に悩む途上国の草の根の人々の生活の安定とか福祉の増進に資するような援助協力を行っていかなければいけない。社会正義に基づいた恒久的な世界平和の達成のために、積極的に貢献していくことが我が国に課せられた国際的な責務である、こういう考え方に立っておりまして、そして国際開発協力基本法案なのものをつくったわけでございます。  その「目的」といたしましては、基本理念がずらりと並べてあるわけではなく、そういう考え方に立ちまして基本原則というものや、その他の基本的事項を定めることを目的とするというふうにうたってありまして、この部分はもう少し敷衍してきちっと基本理念をうたい込みたいと思っているわけなんでございますが、一応とにかく「国民から徴収された税金その他の貴重な資源で賄われ」ているというODA、また、「我が国世界の平和と人類福祉に貢献する上において」非常に重要なODAというものの「基本原則その他」を定めるということをまずうたっております。国際開発協力と一々申しますと時間がかかりますので、ODAと申します。  第二条は「定義」になっておりまして、「「国際開発協力」とは、開発途上にある海外の地域の経済若しくは社会の開発又は住民の生活の安定若しくは福祉の向上のための資金協力又は技術協力で国が直接又は間接に途上地域の政府又は国際機関に対して行うものをいう。」というふうに一応定義をしております。経済協力という言葉は、やはり営利を目的とした企業活動も含むし、社会開発につながらない経済開発のみを志向するという感じを与えますので、この法案におきましては経済協力という言葉は避けて、そしてODAに限定いたしまして国際開発協力ということでやっております。  「基本原則」といたしましては、「主権の尊重」、「自助努力支援」、「住民の生活及び環境への配慮」、「軍事的用途への転用の防止等」、それから「外国政府、国際機関等との協力」というふうになっておりますが、これは、これまでの我が国ODAはひもつきが多かったり自国の貿易の伸長など、経済的利益のみを図っているという国際的批判が後を絶たなかったわけでございますし、またマルコス疑惑の例にも明らかなように、被援助国の支配層と日本企業だけが潤っているケースも多いわけでございますので、これからのODA相手国の経済、社会発展に真に役立つか否かを政策対話や事前調査強化によって見きわめ、慎重な準備をした上で途上国の最貧困層も開発の成果を享受できるようなものにしていくべきだと考えておりますし、政府及び住民の自助努力支援するものだということをはっきりとうたっているわけでございます。  また、最近、日本援助が経済インフラストラクチャーの建設やなんかに偏っておりましたものですから、途上国の環境破壊が起きたり、住民の生活基盤の喪失をもたらした例も出ておりまして、そういった国々の市民運動も起きておりまして、我が国ODAが批判されているという向きもございますので、「住民の生活及び環境への配慮」ということを一つの基本原則としてうたっております。  それから、最近はアメリカの戦略援助の肩がわりをする傾向も出てきておりますので、軍事的用途にあてられたり、国際紛争を助長するような、いわゆる戦略援助を行ってはならないということをうたっておりまして、「軍事的用途への転用の防止等」で、国際紛争を助長するような援助を行ってはならないよう十分な措置を講じなければいけないということを言っております。  それから、「外国政府、国際機関等との協力」ということは、これは開発途上国援助を行おうとするときに、その開発途上国、当該国に援助を行っている外国の政府とか民間組織とか国際機関と協議、協力し、これらの行っている援助我が国ODAとの重複を避けたり、そしてそれらが相互補完的、効率的、効果的なものとなる必要があると思いますので、「外国政府、国際機関等との協力」、協議ということをうたっているわけでございます。  次は、「四、資金の確保」でございますが、これは現在はODA資金の確保のためにこういった条項を入れる必要はないかとも思いまして、どうかと思いましたのでございますが、将来情勢が変わったときに、やはりODAの必要な資金を確保するということを一応うたっておいた方がよろしいかと思いまして入れました。現在はむしろ、ODA資金の年々の増加に対して資金の使い道の方が問題であるわけでございます。御承知のように、政府日本の膨大な貿易黒字に対する国際的な批判を和らげる目的もございまして、第三次ODA倍増計画の目標達成を二年繰り上げるという発表をいたしましたけれども、国民から徴収された税金その他の貴重な財源で賄われているODA資金というものの使い道を、納税者に対して明らかにする必要がございます。  また、情報の公開をする必要が絶対にあると思っております。それで「情報の公開等」という項目を設けまして、「国は、国際開発協力に対する国民理解を深めるよう適切な措置を講ずるとともに、国際開発協力に関する情報の公開に努めねばならない。」と、このようにうたっているわけでございます。国民理解を深めるためには、やはり広報活動強化とか開発教育の振興など、その他適切な措置をとるべきであるということでございます。  第二章に「国際開発協力計画」という見出しで規定いたしておりますのは、現在、国会における予算の審査ではODA内容というものがほとんどわからないと言っていいくらいでございまして、また、事後の報告も十分ではございません。また、援助に関する疑惑、例えばマルコス疑惑などが起きましても、その解明も本当にはできないような状況でうやむやに終わっているということで、国政調査権が効果的に行使できていないという状況でございます。ODA予算は先ほどからたびたび御指摘がございましたように、十五省庁にまたがっており、総合調整も十分でなく、重複がないわけでもありませんので、ODAに関する計画は予算案とともに国会へ提出し、国会の承認を要するということにしてございます。国際開発協力計画という名前で一応計画を出させるというふうにしておりまして、その承認を事前に国会から得るということにしております。  政府はまた、必要と認めるときは、国際開発協力計画を変更することができる、また、変更する場合にもやはり国会に提出して承認をできれば得なければいけない、しかし、緊急の場合はその承認を得なくても事後報告、事後承認ということでも構わないというふうにしております。  また、国際開発協力計画にはどういうことを掲げるかと申しますと、「当該年度において行おうとする国際開発協力の対象とする国、事業の分野及びその分野における協力の方法」、それから、当該年度に開始される「案件で二年以上にわたり実施が予定されているものについて、その案件内容及び実施の期間」、それから「国際機関に対する出資等に関する事項」、このようにしております。  これはやはり政府要請主義に基づいているからということで、被援助国から要請がなければできないことだから、前もって計画はできないと言っておりますけれども、やはりその分野別、形態別、できれば国別に総合的な計画をつくって、その見積もり、予算ですね、それをつけて出すということにいたしませんと、ODA予算が年々増大を見ているわけでございますが、その総合的なピクチャーというか、計画というものが私どもの目の前、国民の目の前には全然はっきりしない、あくまで密室で行われているという感じを与えるわけでございます。ですからどうしても、計画をつくって、そしてその計画をつくった基礎になる調査に関する報告とか見込み額また参考資料を添付して毎年国会に計画並びに予算を提出して、国会の承認を得るというふうにしなければ、国民の代表として国会に選ばれて出てきている私どもとしては国民の信託にこたえることができない、このように考えるわけでございます。  また、その計画に基づかない国際開発協力はできる限り避ける。災害にかかわる協力というものは、それは国会に提出した計画になくても緊急の場合はやってもよろしいけれども、後で報告して事後承認を得るというふうにいたしたいと思っております。  国会に対する報告も、決算委員会に報告が出ておりますけれども、名前が羅列されているだけで、どういう案件であったかという報告も十分にはされておりませんし、国会が報告を求めてもなかなか報告が出てこないということもございますので、毎年開発協力に関して講じた施策に関する報告を国会に提出しなければいけない、国会に対する報告を政府に義務づけるということにいたしております。  また、その報告を出してくるときに、開発途上地域の経済の動向、生活水準の動向その他、ODAの指標となる統計及びODA効果についてなされる評価なども報告として出してこなければならないということにいたしております。  そしてその次に、「政府は、国会に対し、必要な国際開発協力に関する資料を速やかに提出するよう努めなければならない。」というこの項目でございますが、これはマルコス疑惑に関する調査のときも資料提出が拒否されたり、また大変おくれたりしたということで、国会に与えられている国政調査権が十分に活用されることがなかったという経験にかんがみまして、政府は、国会の要求があった場合には、速やかに対応して資料を出さなければいけないという趣旨で入れたわけでございます。国政調査権が十分に活用されるようにということは、ほかに国政調査権を規定した法律があるからそこを繰り返して書くのはおかしい、本当は国政調査権がフルに効果的に活用されて調査がなされなければならないというのが本旨であるんだから、ここで繰り返して書くのはおかしいという意見も法制局から出されまして、こういう水で薄めたような表現になりましたけれども、国際開発協力に関していろいろ疑惑が生じたとき、また、報告について疑義があったときには国会調査する、そして必要な資料は速やかに政府としては国会に提出しなくてはいけないという趣旨でございます。  それから、その次が「国際開発協力に関する組織等」、第三章でございますが、これは援助行政一元化の問題でございます。  これは同僚議員も御指摘になりましたように、現在ODA予算は十五省庁にまたがっておりまして、総合調整が十分に行われておりませんし、特に借款はいわゆる四省庁体制で行われておりまして、責任の所在が明確でございません。ODAの量的な増大はどんどん図られておりますが、質的な改善というものは大変おくれております。グラントエレメントも、贈与比率の面においてもDAC加盟国中最下位でございます。これは一九八五年の数字でございます。そしてまた、GNP比につきましても十四位ということで、〇・二九%にすぎませんし、質的改善がもっと図られなければならないわけでございますが、なかなかこれが遅々として改善されない状況でもございます。  適正で効果的、効率的なODAの推進を図るには、やはり責任の所在を明確化する必要がある、それには援助行政一元化が必要なのではないかと考えまして、それでまず、外務省の外局として置いて長官を大臣にしようと思ったわけでございますが、外務省の外局にしますと長官を大臣にすることができないということでございます。それで関係省庁との力関係考えますとどうしても大臣を置くべきだと考えまして、大臣を置くには総理府の外局として国際開発協力庁というものを置いて、そしてその国務大臣を長官とするという形にしたわけでございます。  とにかく、国際開発協力庁というところで一元的にODA行政をやっていくというふうにいたしまして、立案から調査研究、企画実施評価をも含む。評価という場合には、ここで評価するばかりでなく、やはり私がもう前から主張しておりますように、第三者の評価を交えてやらなければいけない。また、国際的に有名な開発協力専門家という人に来てもらって評価してもらうとか、第三者を交えた評価でなくてはいけないというわけでございますが、とにかく評価は第三者を交えた評価も含んでここで行うというふうにして、総合的に一元的に行政を推進していく機関として国際開発協力庁を置くとしております。  これの実施機関といたしまして、現在ございます国際協力事業団と海外経済協力基金を統合いたしまして国際開発協力事業団というものを置くようにしております。両方を統合することによりまして、総務とか人事、会計なども一元化されまして、合理化されるので人材も活用できるのではないか。現在、管理体制が非常に人が足りないために弱いということも言われておりますが、とにかく両方を統合することによって浮いてくる人材というものを再訓練し直して活用することもできるということでございます。  また、国際協力事業団と海外経済協力基金がそれぞれ海外の出先機関在外事務所を持っておりますが、これを統合することによって被援助国に対する協力の全体像がつかめるんじゃないか。借款は借款でどんどん海外経済協力基金でやっている、国際協力事業団の方は技術協力だとか無債の資金協力とか、また、総合的な無償資金協力技術協力が合体したようなプロジェクトをやっているということで、その全体像の把握、横の連携というものが非常に今欠けているのではないか。そして、それぞれの機関が忙しい忙しいということで大変人員不足に悩んでいるという状況もございます。ですから、とにかくこのような統合ということを考えてはどうかと思いまして、実施機関は統合して国際開発協力事業団という形にする。  それから、現在、技術協力専門家の育成、派遣前の訓練というものも大事でございますけれども、ODA案件そのものを管理する人、それから調査のできる人、そういった人たちの養成というものも非常に大事でございますし、また一方、調査研究を行うということも大切でございますので、調査研究は国際協力事業団が今国際協力総合研修所などというものを持っておりまして、まだその緒についたばかりではございますけれども、データベースなどとして機能できるように、情報それからかつての専門家の報告書とか意見とか、いろいろなものを集めてコンピューター化してやっていこうとしているわけです。それをもっと大規模に、今いろんなODAに関する資料は各省庁で保存されていて分散している傾向でございますが、それを集中してやはりデータベースというものをつくっていく必要があるのではないか。  それから、訓練、教育という面でもそのデータをフルに使って訓練をしていかなければ、ただ国際開発大学のようなところで理論的な勉強だけやっているのでは、ODAにすぐに役に立つ人材の養成はできないのではないか。データがいつもいつもフルに活用できるような状況を一方に備えながら、やはり訓練や養成ということをやっていかなければいけないのではないかと思いまして、開発協力技術センターというものをつくることを考えているわけでございます。  それから、派遣される者の職業の安定ということは、これは現在派遣専門家として海外で活躍している人や海外青年協力隊員が、帰国後にやはり就職の心配があるということを、どこに行きましても話されるわけでございますので、もう既に就職を容易ならしめるための措置もいろいろとられておりますけれども、これを一層強化して拡大していかなければ、後顧の憂いがあって海外へ派遣されていくのはどうも困るという人の方が多くて、なかなかODAのために海外に出ていく専門家の数もふえない。また海外青年協力隊員が、若い情熱を燃やして途上国で草の根の人々の中で協力活動をやっているその人たちが、やはり帰ったら仕事がなくて困るということではかわいそうでございますし、これは政府の、国の責務として職業の安定に関して必要な施策を講じなければならないと考えまして、これを一つ入れたわけでございます。  その後、やはり草の根の民衆のためにきめの細かいODAをやっていくためには、政府ベースだけではなくて地方公共団体だとか、営利を目的にしない民間団体の力をかりてやっていくということが必要でございますし、欧米ではコファイナンシングシステムというものが確立しておりまして、そして民間団体で途上国民衆の中に入っていって援助をやっているような国に対しては、既にその資金協力、また補助金の制度というものがあるわけでございますが、そういったものを目指して「国際開発協力を行う上で適当と認めるものに対して補助することができる。」という、非常に控え目な表現でしかございませんが、そういうコファイナンシングシステムの実現ということを考えてこのような規定を一応置いたわけでございます。  大変雑な御説明で恐縮でございますが、これをまたたたき台にしていただきまして、この小委員会で各党派で協力して考えた立派な基本法のようなものができてくることを心から願っているわけでございます。  どうもありがとうございました。
  6. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 経済協力については、日本共産党として基本政策を既に発表しております。  きょうは、その基本政策に基づいて、ODAをめぐる政策の抜本的転換が今、国民的な課題一つになっているということについて私どもの考えと提案を述べさせていただきます。政府開発援助の抜本的な転換のために――日本共産党の提案  フィリピンの軍事独裁政権が崩壊し、マルコス疑惑が大問題となり、国会でも追及が行われてから一年余が経過した。  中曽根内閣は、マルコス疑惑は第一義的にはフィリピンの問題であり、円借款関係の事業契約もフィリピン政府と私企業の契約であるから日本政府は第三者の立場にあるとして、資料公表を拒否するなど、疑惑解明を妨害する姿勢をとってきた。これは国民にとって絶対に容認できないものである。なぜならこの問題は、長年にわたり、自民党政府経済協力政策により、日本国民の多額の税金及び郵便貯金などが不正に使われてきたという問題であり、日本の大企業とマルコス政権との汚職、腐敗が横行し、日本の大企業は大きな利益をほしいままにしてきたという問題であるからである。  そしてそれは、単にフィリピンとの問題にとどまらず、自民党政権のもとでの経済協力全体の本質にかかわる問題にほかならず、従来の経済協力、特に政府開発援助政策の抜本的転換が緊急の国民課題となっている。  一、経済協力の実態  (大企業の大もうけ保障、汚職・腐敗の温床)  対フィリピン援助に限らず、自民党政府がこれまで行ってきた経済協力がいかに腐敗の温床となっているか、その経済協力の当事者自身がしばしば語っている。  外務省の対韓援助のある担当官は、韓国への援助の半額は行方不明だと語り、元アジア開銀総裁の渡辺武氏は、これまで途上国に対する無益無用な援助がいかに多かったか。物資による援助が横流しされて、悪徳役人の懐を肥やすことも少なくないとはいえない、と語っている。また、財界の調査機関である日本経済調査協議会が一九八〇年三月に発表したわが国安全保障に関する研究報告は、次のように述べている。   しかしながら、この援助も、紐つき援助やバイアメリカン、バイ××等のため、先進国企業の輸出や利益に貢献し、多国籍企業の進出に役立つところ大であったが、被援助国にとっては政府ならびにそれを取り巻く若干の関係者の懐ろを肥やすだけで、一般国民大衆の所得の向上にまではなかなか結びつかない。それのみならず、政府当局と先進国企業との間には汚職が公然と行われ、政治をスポイルし、国民の批判を招き、そして国民政府関係者との所得格差が増大して、このことがまた国民の怨嗟の的となり、反政府活動を促す大きな原因となっている。  我が国経済協力が大企業に大もうけを保障し、汚職、腐敗の温床となってきた主な原因は海外協力基金などを使う政府開発援助の仕組みにある。  それは第一に、政府開発援助アメリカ世界戦略への協力を主目的としており、アメリカにとって戦略的関心の高い親米政権を維持する政治謀略的資金として出されることから、初めから何にどのように使われるか明らかにされない資金となっているからである。  第二に、日本の大企業の輸出をふやすなどの事実上のひもつき援助となっているからである。  第三に、アメリカの戦略に基づいて日米両国政府が支える親米政権は、多くの場合軍事独裁政権であるため、資金の民主的運用が不可能で構造腐敗を生み出すからである。  自民党政府の対フィリピン経済協力は、こうした経済協力政策の基本性格を最もよくあらわしている。すなわち、一九六〇年の安保改定とともに海外経済協力基金がつくられ、我が国経済協力が本格的に進められるようになったが、それは何よりも東南アジアにおけるアメリカの戦略的拠点を支えることを主目標としてきた。アメリカにとってフィリピンは、言うまでもなく、スーピック海軍基地、クラーク空軍基地を配置した東南アジアにおける最重要軍事的拠点であり、また日米安保条約でいう「極東」の範囲内にあって、日米安保条約とも結びつけられている。こうして、フィリピンは、自民党政府経済協力政策にとって最重要国の一つとされてきた。ここでわが国の経済協力をめぐり、汚職、腐敗を初めとする諸悪がなぜはびこったのか徹底的に追及することは、極めて重要である。  (海外経済協力基金法とその改悪)  既に述べたように、自民党政府は、経済協力を本格的に推進するため、一九六〇年に海外経済協力基金法を成立させ、国民の税金や郵便貯金を国民の監視の届かないところで利用する仕組みをつくり上げた。また、一九七九年には基金の借入限度額を引き上げ、貸付枠を三倍にふやすという同法改悪を行った。日本共産党は、政府経済協力アメリカの肩がわりを務めるものであり、大企業の海外進出を助け、汚職、腐敗の温床になっている、などの理由でこれらに反対した。重大なのは、七九年の改悪に際し、日本共産党を除く各党の賛成で採択された附帯決議に、「政府の執行手続きの簡素化及び基金の用務遂行の効率化等により、援助執行の迅速化に努めること」という内容が盛り込まれたことである。これは、基金の業務について、借入国政府と借款契約を結ぶに当たってのフィージビリィティースタディー(実現可能性調査)から始まって、借入国政府の行う入札、契約への承認、事業遂行状況のチェック、事業完成後の評価などとして設けられているチェック機能を減らそうとするものである。基金の業務は、国民の監視から逃れているためずさんとなり、事実上これらのチェック機能はほとんど働いていなかったが、附帯決議はこれを仕組みの上からも減らしていこうとするものであった。  (中曽根内閣のもとで増大したゆがみ)  我が国経済協力は、日米安保条約のもとでアメリカ世界戦略を補完し、その戦略的拠点を維持強化するための戦略援助的性格を一貫して有してきたが、中曽根内閣はこの側面を意識的に強めている。中曽根内閣が事実上の対米公約にまでしてしまった日米諮問委員会報告(八四年九月)は中曽根内閣の戦略援助を次のように評価している。   日本ODAの六〇~七〇%をアジアに向けてきたが、これは、この地域の安定に大きく貢献してきた。最近になってみられるエジプト、パキスタン、トルコ、スーダン、ソマリア、およびアラブ湾岸諸国の一部、さらにカリブ海地域などに対する援助の拡大は、戦略的に重要な地域に対する援助の政治的重要性日本が認識していることと、より広範囲にわたって日本世界において政治的イニシアティブを発揮していく決意のあらわれとして大いに評価すべきものである。日本はこの傾向を維持していくべきであり、また単に相対的な経済的比重という面からこの貢献を決定するのではなく、特別な海外援助努力を正当化する総合安全保障政策の一部として決定していくべきである。  中でも東南アジアへの政府開発援助は従来から突出していたが、中曽根内閣の最初の二年間の伸びは、フィリピンで二〇%弱、タイに至っては一・五倍というすさまじさである。八六年度の米国防報告は、東南アジアの軍事的重要性を強調し、クラーク空軍基地とスービック海軍基地を置くフィリピンについては、中東への出撃、中継補給基地としての役割を強調している。中曽根内閣の二度にわたる対フィリピン援助の決定がどちらもフィリピンでの選挙(国会・大統領)直前という異常な時期であったことは、軍事基地の維持を最優先させてマルコス独裁政権を支えてきたアメリカの意向に呼応し、マルコス政権にてこ入れするものであったことを示している。  一方、大企業の利益追求型というもう一つの性格も強められた。国民一人当たり所得が非常に低く最も援助を必要としている後発展途上国(三十六カ国)の政府開発援助に占める割合は一一%にも満たない。これは、これらの国々が鉱物資源など原材料の輸出品もなく工業製品輸入の力も弱い国であり日本の大企業にとって魅力のないことを反映したものである。  このようなアメリカ世界戦略に追随、加担し、大企業に大もうけを保障し、発展途上国への汚職、腐敗の輸出を許す政府開発援助の仕組みは抜本的に改めなければならない。  二、日本共産党の提案  日本共産党は、マルコス疑惑の究明のためにも、また、再びこうした事態が発生することを防止し、我が国経済協力発展途上諸国の経済的自立と生活向上に真に役立つものとするためにも、その抜本的転換を目指し、次のことを提案する。  一、マルコス疑惑の徹底的究明。  我が国経済協力を本来のあるべき姿に戻すための第一歩は、マルコス疑惑の徹底的究明である。そのためには、次の五点を実施すべきである。  1、政府及び関係法人の対比政府開発援助関係資料を全面的に公開させる。  対フィリピン経済協力に直接かかわり、多くの資料を持っているのは日本政府自身である。円借款プロジェクトはフィリピン政府企業との契約で日本政府は第三者であるといった中曽根内閣の詭弁は許されない。外務省など関係省庁はもとより、海外経済協力基金、日本輸出入銀行、国際協力事業団などの関係資料を全面的に国会に提出させなければならない。  2、関係者の証人喚問を実現する。  真相を究明するため、マルコス文書などで名前が挙がり、疑惑が持たれている企業(丸紅、東陽通商、三菱商事、P&N、酒井重工業など)の担当者、海外経済協力基金及び国際協力事業団などの関係者を国会で証人喚問する。  3、フィリピン政府との協力を進める。  アキノ政権のマルコス不正蓄財追及に協力し、日本にあるマルコス資産の凍結などを進める。フィリピン政府の対日資料提供、日本における証言等を要請するよう要求する。  4、不当なリベート分を企業負担で返却させる。  直接借款のうち、不当なリベートとして使われた分については、該当企業に対して国への返還を義務づける。  5、フィリピン以外の疑惑も究明する。  これまでにも、日韓疑惑(ソウル地下鉄など)やインドネシアのLNG(液化天然ガス)疑惑を初め、数々の汚職、腐敗が指摘されてきた。これらの疑惑についても徹底究明すべきである。  二、対外経済協力基本法を制定し経済協力の民主的原則を確立する。  日本共産党は、これまで自民党政府発展途上国への対外援助政策に対し、「民主連合政府綱領についての日本共産党の提案」(一九七三年十一月)で、①民主的公開、②自主性、③新植民地主義反対、④平和と民族自決、⑤人類進歩を目指す国際連帯の五原則を打ち出すなど、一貫して根本的な見直しと転換を要求してきた。  今や我が国政府開発援助事業予算は、一兆二千三百九十九億円(八七年度)の巨額に達している。財政危機の中でのこの負担は小さなものではない。それだけに、経済協力は、国民的合意のもとで人道主義の立場に立ち、発展途上国の経済的困難の克服と自立的経済発展に役立つ方向で進められなければならない。遺憾ながら、従来は、援助の目的、対象、内容などについて基準を定めた法律もなく、自民党政府に勝手な経済協力費の使い方を許してきた。この結果、我が国経済協力は、そのあるべき本来の姿から大きくかけ離れ、発展途上国に汚職、腐敗を輸出し、大企業の利益とアメリカ世界戦略に加担するものとなっている。この現状を抜本的に改め、経済協力本来の姿を回復させるため、日本共産党は、後発発展途上国への人道主義的協力、国際的な環境保全に役立つ援助などに重点を置くとともに、各国の経済主権の尊重、新国際経済秩序の確立を目指す方向への転換を図る対外経済協力基本法の制定を提案する。基本法は、日本共産党提案の五原則を貫き、少なくとも次の内容を持ったものとする。  1、経済協力の目的を明記する。  経済協力は、発展途上国が自主的に飢餓貧困などの経済的困難を克服し、国民生活向上、自立的経済発展を図るのを援助することである。  経済協力理念や目的をあいまいにしたまま戦略援助や大企業利益優先の援助を進めてきた自民党・中曽根内閣の路線は抜本的に転換しなければならない。  2、民主的公開の原則を確立し、経済、技術協力計画及び予算国会審議実施国会承認制の導入、海外経済協力基金や国際協力事業団など対外経済協力関係機関の計画や実施状況国会への報告の義務づけなど、すべて国民の監視のもとに置き、ガラス張りにする。  自民党政府のもとで政府開発援助は、徹頭徹尾秘密主義が貫かれてきた。政府開発援助中心となっている円借款について見ると、借款契約の締結からすべての業務は海外経済協力基金に任され、その内容は借入国の主権と企業秘密を理由に一切秘密とされており、国民の税金や郵便貯金を国民の監視の全く届かないところで利用する仕組みになっている。この仕組みこそ、大企業に大もうけを保障したり、発展途上国への汚職、腐敗の輸出とその日本への逆輸入を許してきた元凶である。これは抜本的に改めなければならない。  3、海外経済協力基金や国際協力事業団の運営を民主化する。殊に、官僚の天下りや渡りを規制し、真の援助専門家を育成する。  我が国経済協力関係機関は、真に必要なところへ的確な援助をどのように行うかということを正しく判断し処理していく能力に欠ける。これは、途上国の実態を知らない官僚が援助関係機関に天下りし、課長など実務上の重要ポストを占め、無知ないし事なかれ主義の実務を行ってきたことの所産である。  4、大企業、多国籍企業による経済的侵略、対外援助を利用した内政干渉と介入をやめさせ、発展途上国の経済的な自立を達成し、現地の雇用拡大、所得の増大につながる事業を最優先させ、事業計画は途上国自身の自主的判断によって作成されるよう保障する。  イ、大企業による要請主義の悪用を規制する。  我が国政府開発援助発展途上国政府の正式な要請を受けて行なう要請主義をとっているが、大企業はこれを悪用してプロジェクトを受注している。発展途上国政府の多くが開発プロジェクトの企画立案能力に乏しいのにつけ込んで商社やコンサルタント会社がこれら政府に企画を持ち込み、受け入れ国政府はこれをみずからの経済協力案件として日本政府要請する。これが要請主義の名のもとに行われている実際の姿であり、この裏にわいろが横行している。途上国の実情を無視した大企業の利益本位のプロジェクトを途上国要請事業に仕立て上げるようなことを許してはならない。  ロ、発展途上国の要望にこたえたひものつかない援助を進める。  日本援助の実態は、途上国日本企業しか応札できず、力関係から必ず日本企業が受注するようになっている事実上のひもつきとなっており、国際的な批判を浴びている。  ハ、経済協力案件については、政府開発援助の事業であれ民間事業であれ、日本企業への海外経済協力基金や日本輸出入銀行からの出資、融資、建設資材等の輸出に対してなされる延べ払い資金の提供、輸出保険や海外投資等損失準備金制度によるリスクカバーなどの行き過ぎた大企業助成については、過剰な助成を廃止する。  5、軍事独裁政権てこ入れや紛争介入的な援助を禁止する。  中曽根内閣はレーガン政権の要求に応じて、アメリカの指図に従ってニカラグアへの軍事干渉をしているホンジュラスやアメリカのグレナダ侵略に参画したジャマイカなどアメリカの戦略重点国への援助を強めているが、このような平和を脅かす援助はすべてやめさせなければならない。  以上であります。
  7. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 まず初めに、日本経済協力と言われ、一般には開発協力と言われている発展途上国に対する援助の問題は、単に政府のみでなく、民間企業の直接投資、金融機関の融資、自発的団体の諸種の援助活動なども含めて考慮すべきであるが、ここでは政府が直接関係する援助、中でも政府開発援助ODAに限って意見を述べたいと思います。また、これは民社党内部でも細部にわたっての議論を詰めていないので、一つの試案としてお聞きとり願いたいと思います。  次に、開発援助理念あるいは必要性とその目的について述べます。  現在、日本ODA予算は、GNPとの比率においてこそ諸外国に比して低いとはいえ、一九八六年実績で日本はGNPの〇・二九%、DAC平均は〇・三六%でありますけれども、その絶対額においてはかなりの額で、同じく一九八六年五十六億三千八百万ドル、アメリカに次いで第二位に達しております。これは国民にとってはかなりの負担であります。それゆえ、なぜ発展途上国に対し国民の負担で援助する必要があるかという理由及びその目的につき、国民の支持を得ることが必要であると思います。  援助を行う第一の理由は、世界、特にアフリカのサハラ以南の地域、最低の開発国といいますかLLDCと呼ばれております。そういう国では、なお毎日の胃の腑を満たす食糧と露をしのぐ住居の最低限にすら事欠く人たちが多数いるということであります。衣食足りた生活をしている日本人がこれらの国々の人々に惻隠の情から救いの手を伸ばすことは、人間としての当然の道徳的義務であります。そしてこの種の人道主義的な援助は、国の体制のいかんを問わない。仁愛とれんびんの美徳は、単に国内だけでなく、全人類に及ぼさなければなりません。  しかし、援助必要性はこれだけにとどまらない。餓死線状態は免れているとはいえ、なお人間らしい生活からはほど遠い状態の人たちが少なくない。第二次大戦後独立した国や、長年独裁政治のもとで呻吟してきたラテンアメリカの多くの国々がそうであります。これらの人々援助する理由は、第一に経済的貧困社会不安をもたらし、政治的不安定がしばしば内乱及び戦争の原因となり、世界平和を脅かすからであります。所得水準が上がったからといって直ちに政治的に安定するとは限りませんけれども、所得水準の低さが政治的不安定の一つの重要な原因であることは経験的に言うことができます。限られた自衛力しか持たず、平和の中でしか繁栄し得ない日本としては、極力世界平和の撹乱要因の一つである貧困の追放に協力することは、日本が平和に生きていくために当然支払うべきコストであると考えます。殊に、最近日本が経済大国になったにかかわらず、世界平和のための国連などの活動にも武力協力をせず、いわゆるフリーライダーの非難の声が上がっていることを考えれば、武力にかわる経済力で世界平和に貢献することが一層必要となってくると思います。  第二の理由は、今日の低開発国が経済的に発展することは、競争者として日本産業を脅かす危険があると言う人がありますけれども、他方においてそれを上回る利益、すなわち、それらの国の購買力の増大が市場の拡大をもたらし、交易の増大をもたらし、交易の増大はそれだけ日本全体の利益をもたらすことになるからであります。資源の少ない日本としては、世界貿易拡大こそがその繁栄維持条件であります。  しかし、限られた資源で多くの国の援助の必要に応ずるには、その優先順位をつけなければなりません。その順位の基準は、日本の広い意味での安全保障を含む国益であります。日本の安全保障なくして日本の独立と繁栄とはあり得ないからであります。すなわち、日本と地理的に近接している国、経済的に相互依存の深い国が経済的に繁栄し、政治的に安定することは日本の国益であります。その意味で、それらの国が優先するのはやむを得ない。しかし、それのみにとどまらず、日本の独立が日本の憲法体制、すなわち自由な民主主義体制維持を意味する限り、そしてまた自由圏諸国とソ連共産圏諸国との武力対立が続く限り、自由陣営の安全保障は日本のそれと不可分であります。したがって、自由陣営の安全保障にとり重要な国に対する援助も考慮していく必要があると思います。  しかし、このことは自由圏諸国あるいは日本の安全保障にとって重要な地域に対しては無条件援助すべきであるということではありません。援助の目的は、その国の民衆が経済的に繁栄し、公正にして自由の保障された国として自立するのを助ける、援助が不必要になるような国にすることであります。経済的にGNPの増加を助けることが目的ではなく、経済、社会、政治の各方面において発展していくことを援助することであります。その意味では、我が国で使われている経済協力という話は適当ではない。むしろ開発協力と言うべきであると思います。  もちろん、途上国に対する援助はその国の政府中心にして行われざるを得ませんけれども、その援助が独裁政権の民衆への抑圧を高め、貧富の差の拡大をもたらすことに使われるならば、それは結果において民衆援助国への不信を招き逆効果となるでありましょう。途上国に対し、人権の保障あるいは政治の民主化につき、ヨーロッパ先進諸国におけると同じ基準を要求することは非現実的でありますけれども、可能な限り自由にして民主主義体制になり得るような方向援助をしなければなりません。また、援助がいわゆる援助なれども言うべき援助国への依頼心を助長するごときことがあってはならないことは言うまでもないことであります。  以上のごとき必要性及び目的に立った援助であっても、それがむだを省き効率的に、しかも国民の監視の目が届くよう透明に行われるのでなければ、税金を負担する国民の支持を得ることはできない。以下、その点について若干の試案を述べます。  まず、援助担当機関一元化の問題。  現在、日本ODA予算は、国際機関への出資、拠出金を通ずる多国間援助と、被援助国に対する直接の援助すなわち二国間援助に分かれています。このうち国際機関への拠出は大蔵省が実施し、二国間援助の無償資金協力は外務、大蔵両省、技術協力は主として外務省中心になり、各省庁と協議しながら行われておりますが、金額的にも最も多い有償資金協力、特に円借款は、外務、大蔵、通産、経済企画の四省庁中心となって協議し、これに農林、運輸その他の各省庁が参加して実施しております。予算も多くの省庁に分散して計上される個々の事業項目の合計額として表示されております。しかし、このように計画及びその実施が各官庁に分散していることは、その総合性を害し、責任の所在を不明確にしがちであります。  大蔵省や経済企画庁は、日本経済の全般的発展という観点から援助を計画しがちでありますし、通産省は国内の産業の利益を優先しがちであります。援助が何よりも被援助国の経済的社会発展を目指して行われるためには、担当官庁を一元化することが必要であります。多くの国のごとく、開発協力庁とも言うべき独立の官庁を設けるか、あるいは外務省の省内で特別の権限を持ち、大臣クラスの長官を持つ庁に一元化することが望ましい。このような一元化は、効率化、責任の明確化にとどまらず、援助行政専門家の持つ知識を集積していくという利点を持っております。行政改革の観点からは省庁の増設は一般論としては望ましくないですけれども、開発行政予算と仕事の増加が今後も見込まれる現在、他の重要性の薄い省庁を整理しての新設であれば国民も認めてくれると思います。  次に、援助の透明性と事後評価の問題について述べます。  先般のマルコス疑惑のときに問題になったような円借款による開発事業の供与額のうち、支払い金額の三割が手数料として流用され、その少なからぬものが不正に献金されたような疑惑を持たれるようなことが今後繰り返し行われると、国民ODAによる援助に不信感を持つようになるでしょう。このような不信感をなくするためには、国民の代表である国会がその予算の審査及び執行状況を監督しやすいようにすべきであります。そのためには、単に予算の総額のみでなく、どの国に、どのような目的の事業にどれだけの金額の援助を行うかを、主要な案件につき国会が審査し得るようにしなければなりません。また、案件別の外国との間の交換公文にも、その案件の執行状況を一定の事項については公表するようあらかじめ明記しておくことが必要であります。もちろん外交儀礼上配慮すべきこともあるでしょうが、援助要請国の求めに応じて行うものであって、こちらが押し売りするものではありません。そうである以上、可能な限り透明性を確保することが援助及び被援助双方の国民に対する義務であります。援助実施状況を毎年国会に報告することはもちろん必要であります。  援助事業は、事前の調査が必要なことは言うまでもありませんが、事後的にその事業が所期の目的を達したか否かを評価し、以後の計画の参考にすることが必要であります。現在外務省では、関係省庁協力のもとに派遣する調査団の行う評価在外公館の行う評価国際協力事業団と海外経済協力基金の行う評価民間人ないし団体に委嘱して行う評価の報告書を毎年発表しておりますけれども、それと並んで国会が時に応じて独自の調査団を派遣してその効果分析を行うことも検討する必要があると思います。  次に、援助内容について述べます。  援助の目的が途上国の経済的発展社会的に公正と自由が保障された国として自立するのを助けることにあるならば、援助内容はおのずからにしてその国の発展段階に応じて異ならざるを得ません。しかし一般的にいえば、途上国に共通の現象は、それらの国の持続的成長のための基礎条件である広義の社会のインフラストラクチャーが不足していることにあります。  第一は、最低の公衆衛生施設、医療施設の欠乏のため死亡率、特に幼児の死亡率が非常に高いとともに、教育施設の不足のために文盲率が高く、それが生活条件の向上を妨げております。これらの施設を提供するとともに、それらを運用する人材の養成を助けることであります。青年協力隊の派遣、民間の自発的団体を通ずる活動による地道な援助が重視されなければなりません。  第二は、産業の基盤である道路、港湾、交通・通信機関整備などのプロジェクト事業であります。これらの事業は、結局中央政府を通じて行われねばなりませんが、それらが整合性を持って行われるためには事前の予備調査が綿密に行われる必要があります。  第三は、産業、特に現地の特性を生かし、その技能程度に応じた労働集約的な地場産業発展させるための技術の移転と人材の養成であります。途上国においてかつて見られた現象でありますけれども、先進的な大工業をその前提条件もなしに導入せんとして失敗した例がありますが、そのようなむだを助長するようなことを繰り返すべきではありません。従来の援助は、とかく大きなプロジェクト事業に偏りがちでありましたが、それぞれがバランスをとって行われることが必要であります。  その他の問題。  以上の援助理念及び目的を明らかにし、執行機関の責任体制一元化と透明性を確保するために援助基本法を制定することを検討すべきであります。法律の制定がかえって援助行政を硬直化するとの批判もありますが、それはどのような法をつくるかにかかっております。援助が臨時的なものでなく、かなり長期にわたることを考えれば、基本法の制定が必要ではないかと思われます。  この私の報告で逸した問題としましては、例えば援助についての先進国間の協力の問題、その質、すなわちグラントエレメントの引き上げの問題、援助案件の発掘についてのいわゆる要請主義の問題、人材養成に重点を置く援助の方法としての協力隊や専門家の派遣の問題、技術移転の問題、民間の団体NGOを通ずる活動にいかなる方法で政府援助したらよいかといった問題などがあります。またここでは民間の融資と累積債務の問題、途上国の輸出に対する市場開放の問題などは取り上げませんでしたが、これらの問題も総合的に考慮すべき問題と思います。しかし、それらの問題の検討は後日に譲りたいと思っております。  以上。
  8. 青島幸男

    ○青島幸男君 御承知のこととも思いますけれども、私ども二院クラブと申しますのは、無所属の議員が院内での活動の場を保障、発展させるために結束いたしました院内会派でありまして、思想、信条につきましてはこれを全く拘束しない、相互に尊重し合うという立場であります。ですから二院クラブの統一見解というようなことではございませんので、あらかじめお断りしておきますが、私の日ごろ考えておりますことの一端を全く個人的な意見として申し上げさせていただくことをお断りいたします。  まず、我が国政府開発援助は年間一兆円を超し、米国に次いで援助規模世界第二位になっているということでございますけれども、その規模に比して各国からの評判は必ずしも芳しくはないというのが実情で、この部屋でもかなりそのことについて論じられております。これは何に起因するのであるかということを考えてみますと、一言で言えば、私はやっぱり援助理念の低さにあると言えるのではないかと思います。  外務省経済協力局では、経済協力理念について、人道的、道義的考慮、それから相互依存の二つを基本理念として挙げております。この二つについては私も全くそのとおりだと思いますし、異議を差し挟む余地はありません。しかし、そのあとで、我が国の場合、他の先進工業国以上に開発援助を積極的に推進せねばならぬ特殊の事情といたしまして四点挙げられております。  まず第一に、平和国家としてのコストとして援助を行う、これが必要である。第二に、経済大国としてのコストとしての援助の必要。第三に、我が国の経済的な対外依存が大きいという脆弱性を補強するために援助が必要である。第四に、我が国の近代化の経験を発展途上国の開発に役立てることが我が国世界史的な役割である。こういうことであります。  人道的あるいは道義的考慮、相互依存の二つについては全く異議はないのですけれども、このあとの四つにつきましては、これでいいのだろうかという疑問を持たざるを得ないというのが私の考えてあります。平たく言いますと、何だかこれはいやな感じがするんです。  確かに、経済援助を行うということによって平和が保たれることの一助になる、これもまさにそのとおりですけれども、また、平和であることによって輸入、輸出が確保されるということも事実であります。それは我が国のみならず他の各国とも同じであります。そして、それは人道的、道義的考慮あるいは相互依存という経済依存の結果がそうなるのでありまして、初めからコストとして考え援助を行うというのはいかがかと思うのです。経済援助の二つの大きな理念から見まして、これはちょっと外れているのではないかと言わざるを得ない。理想よりも商行為としてといった感じさえ抱かせるのであります。  経済援助理念の中にコスト意識が表面に出ているということに、我が国援助に対する不評の声が各国から上がるのではないかと私は感じます。そしてまた、第四点の我が国の近代化の経験を発展途上国の開発に役立てる、これです。我が国世界史的な役割であるなどといって大見えを切っているんですけれども、これはまさに思い上がりも甚だしいのではないかという気がするんです。援助を受ける側からすれば、余計なお世話だと冷笑されてもいたし方がないんじゃないかという気がします。また、こうした思い上がりの精神は、援助を受ける国をある種の実験場にもしかねないという恐ろしさをも含んでいるということも指摘しておかなければなりません。  ともあれ、経済協力援助を行うに当たっては、そのことによって利益を受けるという思想は根底から覆さなければならないと私は考えます。持てる者が持たざる者に力をかす、発展途上の国々へお手伝いをさせていただく、そしてその行為はあくまでも無償の行為でなければならない。このことをしっかり踏まえて援助なり協力なりを行わなければならないと思うのであります。今申し上げました理念の薄い我が国援助は、さまざまの問題点を残しております。  援助額の大きさにかかわらず、技術援助の少ないのも、多くの識者から指摘されるところであります。技術援助には相手国に対する直接の技術者派遣と留学生受け入れというこの二つのケースがあると思いますが、留学生受け入れに関して、我が国は万全の措置をとっているだろうか、甚だ疑問であります。国づくりには人が欠かせないことは言うまでもないことであります。我が国が明治維新以来ずっと今日に至るまで、新しい国づくりのために、また近代化のために人づくりをしてきたこと、努力をしてきたことはよく我々の知るところでありまして、多くの学校には政府お抱えの外国人教師が存在し、その指導のもとで新しい知識、学問の基礎を学んだことは言うまでもありません。  ごく短期間には外国人技術者を雇ってあるプロジェクトを完成させるということも必要でありましょうが、長期的な国づくりを考える場合、人材をつくり上げるということが開発途上国においてまず不可欠の問題ではないかと思います。その人づくりのお手伝いをするためには、留学生の大幅な受け入れ体制をとることは大変に必要なことだと考えますが、どうもこちらの方はうまくいっていないようです。  その原因はと申しますと、これは先ほども申し上げましたように、援助に当たってのコスト意識、これがやはり邪魔をしているのではないかと考えざるを得ません。ここからはあんまり利益が得られないうまみもないからだ、こういうことなんではないか。物を扱って援助すれば、介在する幾多の企業が利益を受けられる。しかし、技術者派遣とか留学生受け入れでは、そういった利益にあずかることがほとんどない。そうしたところから商社、企業ペースの援助はなかなか手が届かない。人づくりのようなところには日が当たらないというのが実情ではないかと思うのであります。人づくりのような地味ではあるけれども重要なところにお金を割がないで、自国の企業に還流してくるような援助協力だけに多額の金を充てる、こういう構造が他国から見れば、日本援助協力に対する不評の原因になるといっても過言ではないのではないかと私は考えます。  技術者派遣については、青年海外協力隊などの事業は非常に評価できることであると考えます。援助国が必要とする技術者を待機させることのできないことが、技術者派遣の難しいところだと聞いたことがありますけれども、これを解消させるためには、青年海外協力隊の予備隊というべきものをつくっておくことなども役立つかもしれません。  また、定年後の、あるいは定年を間近に控えた方たちによって熟年海外協力隊とでもいうべきものを組織することを考えてはいかがかと私は提案したい。  余談になりますが、十数年前に私はタシケントの映画祭に出席した折に、一日コルホーズを見学に行ったんです。昼休み時に大勢の人たちが木陰に腰をおろして憩っておりましたが、老人たちもその中にまじっておりました。彼らは、年金のほかに手当をもらっているということを聞きました。その手当は、老人たちのこれまでの長い農業生活における経験のために支払われているということでした。  若い人たちは年寄りの経験と知識を尊重し、学んでいくということです。日本技術者たちもコルホーズでのお年寄りたちと同じように経験と知識を有している方たちはたくさんおいでになるはずです。昔なら年老いて外国で働くなんということは、第一健康上の理由から考えられないといったものですけれども、今や平均年齢は女性で八十、男性で七十九というような高齢を誇っておりまして、六十、六十五歳ぐらいの方々は皆さんお元気で、大変意欲もお持ちの方も大勢おいでになります。そうした方々の経験と知識をむだにせずに、途上国の向上のために役立てることができれば、御本人らにとってもすばらしいことではないかということから、熟年海外協力隊の創設を提案するところです。  経済協力援助は無償の行為でなければならぬということは、先ほど申し上げましたとおりです。その理念をまず打ち立てることが極めて肝要であると思います。そして、世界第二位ともなり、援助大国の日本でありますが、これほど多額の経済援助協力が行われていることは、国民に知れ渡っているということは言えません。いわば日陰のところで今の経済援助が行われているといっても過言ではないと思います。日陰に置かれたところから、国民の目に触れない、触れにくいところから、そこでさまざまな汚職とか疑惑が生まれてくるというのも、また現在の経済協力あるいは援助問題点ではないかと思います。  経済援助の実態は常にオープンでなければならず、そこに疑惑が生ずるものであってはならない。監視の目が常に行き届いているということが必要欠くべからざることでありまして、少なくともどこの国にどういう援助が、どのような形で、どのくらいの額が投ぜられたか、そしてそれがまたどういう形で使われ、どのような効果をもたらしたか、どのような企業が参画したか、それらのことが国民の前に明らかにされなければならない。援助の実態、実情、これがガラス張りになっていることが、援助にまつわる忌まわしい事態を避けることでありますし、そう努力すべきであると私は痛感するのであります。そうした意味からも、ともすれば日陰になりがちな経済協力の実情を、日の当たるところへ出さねばならないと常々考えております。そのための手だてとして、国会に監視機構を備えるべきではないかと思います。そうしてこそ国民の前にその実態を明らかにすることができると考えます。  先ほど来、経済援助協力に当たって必要な心構えは無償の行為であるという認識を再三繰り返して申し上げてまいりましたが、もう一つ、その上に注意しなければならないことがあると思います。  それは、小説の神様と言われました志賀直哉に「小僧の神様」という短編があったのをどなたも覚えておいでだと思うのです。一生懸命働く小僧に、どこのだれとも知らぬ紳士が金を与えるという短編なんですけれども、その紳士は小僧にとっては神様だという話なんです。戦後間もなくのことでしたが、この短編に太宰治がかみついたことがございました。太宰の言い分は、「小僧の神様」のテーマは金を持っている側からのものであって、貧しい小僧が金をもらうということでどれだけの痛みと屈辱を味わったかということを志賀直哉は考えていない、理解していないのだということだったと私は思います。この太宰の言うもらう側に立った論理というものを我々は十分かみしめる必要があると思います。  我が国が現在行っている経済援助の実情は、経済大国の論理ですべて行われているんではなかろうか。そのことを十分反省し、配慮して、これからどういう態度で経済協力を行っていかねばならないか、国民的視野でますます論議を高めることが大切だと、このことを申し上げまして、私の意見陳述を終わります。
  9. 志苫裕

    ○小委員長志苫裕君) ありがとうございました。  一通り御発言をいただきましたが、ただいまの各小委員意見の開陳に対しまして、別に順序は問いません、挙手をいただきまして、質疑のある方はお願いをいたします。
  10. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 中西さんのこの国際開発協力基本法というのは、私は大体において賛成ですけれども、若干質問があるんです。  それは、「第三章 国際開発協力に関する組織等」、これに、国際開発協力庁を「総理府の外局として、国務大臣を長とする」ものとして置くということですね。それでその説明の方では、外務省の外局として置く事を考えたが、外局の長官を大臣にすることはできないという理由で総理府に置くということを決められたそうですけれども、私もこれはどちらがいいか、それぞれメリットとデメリットがあるんじゃないかと思っているんです。外交の一元化という点からいえば、私はこれは外務省の外局として置いた方がいいと思う。
  11. 中西珠子

    ○中西珠子君 私どもも外交の一元化ということを考えますとき、殊に途上国が非常に数の上でふえている現状におきまして、途上国に対する外交は、結局援助というものを通じての外交であるということも伺っておりますし、外交の一元化が阻害されるのではないかという心配もございまして、大変この点に関しましては結論が出なかったわけでございます。  結局、今十五省庁予算を見ましても、外務省が一番多いのですけれども、その次がほとんどちょっとの差で大蔵省になっています。それで、十五省庁に分かれているし、殊に借款においては四省庁体制、外務、大蔵、経済企画庁、通産ということでやっていらっしゃいますし、力関係を見ますと、外務省の外局として置いてそこに大臣も置けないとなると、余り今の状況とは変わってこないのじゃないか。また、ほかの省庁が、外務省に外局として置いて大臣も置かないということであれば、外務省の発言力が今の状態のままということにもなって、結局総合調整という面から見ますと、やはり国務大臣を長とする総理府の外局というふうにせざるを得ないのではないかという結論になったわけなんです。これは外務省経済協力局を昇格させて、それを外局として国際開発協力庁というふうにしたいと思ったわけです。  しかし、今申し上げたような問題があるということと、それから、今のままでは援助を専門としてやっていく人が育たない。経験の蓄積、知識の蓄積がないのですね。外務大臣をなさいました鳩山先生がこちらにおいでになりますから、私は余りよく知らないくせに申し上げられないのですけれども、経済協力局はキャリアディプロマットがいらして、そして二、三年いらして、その後ずっと出世してほかのところにいらっしゃる、大使としてお出になったりいろいろなさるというふうなことで、ODAそのものの経験の蓄積、知識の蓄積というのがどうもどこにもないような感じがするんです。ですから結局、新たに総理府に外局として置くということで、それで経済協力局の専門的にやっていらっしゃるような方も総理府の外局の方においでいただく。それから、そのほかの省庁でやはりODAをやっていらっしゃるような方もそちらに移ってやっていただいて、そこにODAそのものの立案から始まって企画、全部を一貫してやれる人というのがそこの場所に育っていくというか、蓄積されるという必要がこれからのODAがどんどんふえていく、また多様化していく中で必要なんではないか。  一兆四千億、会社、企業を減らしますと一兆二千億以上の大きな基金を扱って、そしてODAをやっていっているということがやはりばらばらな状態でやられているということは、総合的な、前もっていろいろな調査をして、研究もして、またマクロ経済的な視野からも、被援助国の経済発展に役に立つかということをよく見きわめて、経済発展ばかりでなく、社会発展にも役に立つようなプロジェクトというものを、何年もかけてこれこそいいプロジェクトだということを相互の政策対話を通じてやっていくし、また形式的には養成という形をとらなくてはならなくても、やはり援助専門家というものが育ってやっていかなくてはならないのじゃないか。  今のような状況で、企業にお願いしてプロジェクトファインディングをやってもらったり、また事前の調査もなかなか手が足りないためによくできなかったということで、援助のお金がどんどんふえているから、それをどのように使うかという使う方にばかり追われているような感じがしないでもないし、また先ほど下稲葉さんも御指摘になりましたけれども、大臣途上国に行くとぎのお土産になったり、また途上国のリーダーがやってきたときにぽっと、例えば通産省がこれをやってあげますというようなことを言って、外務省の方は御存じなかったという、そういう状況であってはいけないのではないか。やはりきちっと一元化したところで総合的な計画を立ててやっていかなくてはいけないのではないかという感じがいたしまして、結局のところ、結論としてこういう形になったわけなんです。  でも、いまだに私は悩んでおりまして、外務省の外局として、そこに大臣を置くことができればそこでやった方がいいのじゃないかと考えているんですが、そこには大臣が置けないという法制局の方の主張がありまして、それではこうするより仕方がないのじゃないかと。これは公明党の外交部会の中でもさんざん論議したあげく、結局このような形にしようと。そして、いろんな省庁が今ございますけれども、関先生もおっしゃったように、今余り必要ではないような省庁というものはやめて、こういう形のものをつくっていけば、行政の改革にも反対の方向ではないのではないか。また、海外経済協力基金と国際協力事業団というものを統合することによって浮いてくる人材というものもありますし、これは行政改革に逆行する新しいものをつくっていくことではない。むしろ援助行政一元化のためには何かやらなきゃいけないという思いに駆られましてこういう形を御提案いたしたわけでございますが、これを引っ込めて……
  12. 志苫裕

    ○小委員長志苫裕君) ちょっと簡潔にひとつ。
  13. 中西珠子

    ○中西珠子君 外務省というふうにした方がいいということで、そこへ大臣を置くことができるという何かの方途が見つかれば、外交の一元化のためには私はその方がいいと思っているわけです。
  14. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 わかりました。私の点は保留しておきます。  それから、その次のページの十四条三項に、「国際開発協力に必要な人材の養成、派遣専門家の訓練を行う特別の機関として国際開発協力庁に置く」ですか。――わかりました。あなたが今言われたような、その庁のもとに一つのインスティテュートをつくるということですね。
  15. 中西珠子

    ○中西珠子君 国際開発協力庁のもとに実施機関として国際開発協力事業団を置くわけです。
  16. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 わかりました。
  17. 中西珠子

    ○中西珠子君 実際の企画はこちらがいたしますが、実施機関として置きますね。それは国際協力事業団と海外経済協力基金を統合したものにしようと。
  18. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 わかりました。文章として、開発庁に置く、置くという目的語がないから、それでちょっと文章が少しおかしいじゃないかと。インスティチュートを国際開発協力庁のもとに置くということですね。そういう意味であれば結構です。
  19. 中西珠子

    ○中西珠子君 済みません、これは法律の文章のままでなくて短くして書きましたのでますますおかしくなったと思いますが、申しわけありません。
  20. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 それから、青島委員にお尋ねしますけれども、世界平和のコストということ、私もコストという言葉を使ったんですけれども、青島委員はコストというのは会計学上の費用と利益とを計算して、やはりそういう意味の、狭い意味のコストとして理解しておられるんじゃないかと思うのですけれども、コストというのはもっと広い意味で代償とか犠牲とか、そういう意味があるので、やはり世界平和を維持するためにはぽかんとしていてもできるわけではないので何らかの犠牲を払わなくちゃいけない。その犠牲という意味でコストという意味を少なくとも私は使ったんです。そういう意味であれば御異論はないのじゃないかと私は思うのですけれども。
  21. 青島幸男

    ○青島幸男君 はい、異論はございません。私どももただ少なくとも利益を目的として援助を行うようなことがあってはならないという理念のもとに、一般にわかりやすく言う言葉として選んだわけでして、関さんの御発言に異を唱えるつもりもございませんし、御理解いただければそれで結構です。
  22. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 下稲葉さんに一つ質問なんですが、与党のお立場でいろいろ御苦労があったと思って関心を持ってお聞きしましたけれども、この前のこの小委員会でしたか、外務省の方に、経済協力の基本法をつくることについて外務省としては何か難点がありますかと私聞きましたら、二つ挙げまして、一つ一元化問題、一つはやっぱり国会審議、国会承認、この二つが一番ひっかかるんだというお答えがあったんです。きょうの下稲葉さんの個人の御意見として、一元化については関係閣僚会議の復活をして、そこで一元化問題を討議しようというお考えをお聞きしたんですけれども、この国会審議、国会承認という問題については個人的な御意見はいかがでしょうか。
  23. 下稲葉耕吉

    下稲葉耕吉君 上田先生の御質問に関連いたしまして私、三つ考えたわけです。二つは先生おっしゃるとおりですね。私は与党の立場でできるだけ各党の皆様方も共通の土俵といいますか、そういうふうなものをできるだけ追求して、そういう中から何かできないかというような考え方で申し上げたつもりなんです。したがいまして、例えば利益を追求しないで犠牲にたえるとか、何か言葉は簡単なんですけれども、大分考えて物を言ったつもりなんです。そこでそれぞれの党のお立場がございまして、いろいろ具体的な内容に入る前の情勢判断を伺ったわけです。それについてはやっぱり違うのですね。だからその点を追及してどうこうということでいかれると、これはなかなか共通の土俵というのは出てこないのじゃないかということをまず感じたわけです。  それはそれで置くわけにもいかぬだろうと思います。いろんな立場がありますけれども、何とかあれしようということで、情勢判断の問題は別にしまして二つの問題を取り上げてみまして、後の問題ですね、これは要するに法律とのかかわり合いで私は出てくる問題だと思います、組織をどういうふうにするか、国会に対する報告をどういうふうにするか。だからその二つの問題についてこれは中西先生を初めとするいろいろな御意見を承って私も共鳴するところはたくさんあるんですけれども、最初からそれを振りかざして、ぎりぎりここまで法律に書かなければそれはもうとても法律案として意味ありませんというふうな主張が強く出てくると、これは私の個人的な意見ですが、自民党の中ではとてもまとまらないだろうという感じがするんです。中西先生のこの具体的な例についてもまたゆっくり勉強さしていただきたいと思います。  ただ、先ほどもちょっと表現があれだったんですが、国会が今までの形よりもODAに深いかかわり合いを持って、そして国民の代表であるんですから、議論の場にして、政府なり、具体的にはそれは十五省庁なりなんとかともう少しかかわり合いを持って、我々の意見が反映されるような方向でなければならぬなということはこれは間違いないと思うのです。  それを、では具体的にはどういうふうにするか、予算のときに事前に必ず出しなさいとか、あるいは国別案件を事前にあれしなさいとか何だかんだとこうなりますと、例えば先ほど申し上げましたベネズエラのああいう問題なんかも、事後報告みたいな形でいいみたいな格好になるんですけれども、そういうことまで一々国会が本当にかかわり合いしなくちゃいけないのかどうかなという問題が出てくると思うのです。あの程度のことはやっていただいて、そしてそれは何かあったらいろいろお話を聞くとかなんとかという、それをちゃんと法律できちっとすべて区切っちゃってなんということになりますと、それはなかなか政府は乗っかってこないと思います。そういう意味でまだ私も結論ありませんけれども、その国会とのかかわり合いというふうなものももっと深める、これはもう当然深めなくてはいかぬと思いますけれども、ここにきちっと書いてあるような形ではなかなか難しいのじゃないかなという感じです。
  24. 矢田部理

    矢田部理君 私も下稲葉先生にちょっと質問ですが、今の二点とあわせて全体としてその問題はひとつ置いておくことにしましても、現状ですと外務省なり行政府の専権的事項になってほとんど国会が関与しない、あるいは予算を通して問題があれば議論をするという程度のかかわりになっているわけですね。そういうことではなしに、国会がどう関与するかということが一つありますが、同時に、何か理念とか基本原則とか協力についての観点とかいうことについて何らかの立法措置が必要だというような立場には立たれるんでしょうか。
  25. 下稲葉耕吉

    下稲葉耕吉君 私自身はやっぱりそれは欲しいと思います。いいと思います。ただ、先ほどその前提となるいろいろな御意見発表がありましたね。だからそれをのんでなるほどそうですということはこれは言えない。これはもう上田先生あるいは矢田部先生も御理解いただけると思う。
  26. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 私のところの理念は人道主義なんです。発展途上国への自主的貢献。
  27. 下稲葉耕吉

    下稲葉耕吉君 それはそこに至る経緯がこうこうこうだ、だから今まで政府・自民党がやってきたのは何だ、おかしいじゃないか、だからこうだと言われたんじゃ、それはとてもじゃないが、そうですと言うわけにいきませんね。だから先ほど申し上げておりますように、何か何とかこの委員会なり何なりでまとめてつくり上げていかぬといかぬ。そうだとすると、話がちょっと横にそれますけれども、例えば外登法なら外登法の問題でもそれはいろいろ問題があるのはわかるんですけれども、前進であることは私は間違いないと思います。しかしあれも、ああいうふうなことでまあ何とかまとめようと思ったらあるいはまとまるかもしらぬなと思いますけれども、もう絶対にだめなんだ、もうこれでなくちゃだめなんだと、最初から。それはそれの方がすばらしいと思いますよ。すばらしいと思うかもしらぬけれども、やっぱり政治というのは最初からそこまでいくわけじゃないですし、何とかその辺のところを歩み寄ることができるならいいなというふうな気がしますけれども、まあそういうことです。
  28. 中西珠子

    ○中西珠子君 私は、公明党・国民会議のお出しした案の御説明を申し上げましたけれども、これでなくてはいけないと思っているわけではございませんで、この小委員会で皆様方が御議論になってそしてまとまる点だけはまとめて提言ができたらなと、こう願っておるわけでございますので。
  29. 志苫裕

    ○小委員長志苫裕君) 意見の交換は後日にいたしまして、きょうは特に真意がよくわからないということでございませんか。――それでは、きょうはこの辺にさしていただきます。  以上で本日の質疑は終了いたしました。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時十分散会