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1987-04-14 第108回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十二年四月十四日(火曜日)    午前十時三分開会     —————————————    委員異動  三月十四日     辞任         補欠選任      上野 雄文君     赤桐  操君     —————————————   出席者は左のとおり。     会 長         加藤 武徳君     理 事                 杉元 恒雄君                 中西 一郎君                 堀江 正夫君                 志苫  裕君                 和田 教美君                 上田耕一郎君                 関  嘉彦君     委 員                 石井 一二君                 植木 光教君                 大木  浩君                 坂元 親男君                 下稲葉耕吉君                 鈴木 貞敏君                 永野 茂門君                 鳩山威一郎君                 林 健太郎君                 林田悠紀夫君                 真鍋 賢二君                 松浦 孝治君                 山内 一郎君                 赤桐  操君                 大木 正吾君                 村沢  牧君                 山口 哲夫君                 黒柳  明君                 中西 珠子君                 吉岡 吉典君                 田  英夫君                 青島 幸男君    事務局側        第一特別調査室        長        荻本 雄三君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○外交総合安全保障に関する調査  (国際情勢認識に関する件)     —————————————
  2. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) ただいまから外交・総台安全保障に関する調査会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る三月十四日、上野雄文君が委員を辞任され、その補欠として赤桐操君が選任されました。     —————————————
  3. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) 外交・総台安全保障に関する調査のうち、国際情勢認識に関する件を議題といたします。  本調査会は、昨年十月以来、国際情勢認識に関する件について政府からの説明聴取参考人からの意見聴取等を行い、調査を進めてまいりました。  本日の調査会は、三月十三日に行いました国際情勢認識に関する件についての各会派の委員意見開陳に対して、委員の皆様が意見の交換を行うことになっております。  それでは、まず、堀江君、中西一郎君の御意見に対し質疑のある方は順次御発言を願います。
  4. 志苫裕

    志苫裕君 堀江委員の御発言に対して私から最初質問いたします。  御意見を拝聴いたしましたが、個々のことは別としまして、発言全体の脈絡から私が感じますのは、世界米ソそれぞれの陣営の二極対立構造というとらえ方をして、アメリカは唯一の同盟国ソ連基本的に相入れない共産国と。でありますから、あくまでも自由陣営の一員として自国防衛のための自衛力強化を推進する、あるいは自由陣営全体の抑止力強化のために努めることが必要だという論調、そういう主張のように伺いましたが、これは田委員発言にもありますが、世界は必ずしもそうではないのであって、それぞれの民衆が選んだ政治体制を持った国々の集まりである、子細に見ると二極ではなくて多極、多様化をしているのではないか。そのような認識に立たない限り、どうしても一方をやっつけてしまわなければならぬことになってしまうわけで、世界の平和や安定に貢献できないのではないか、このように考えます。  しながって、平和共存というものについての認識を伺いたいということが私の質問趣旨でありまして、内容的にはところどころに、これはどういう意味がなという点もありますので、一つ二つ補足しますと、例えばSDI研究について、日本憲法精神からも積極的な協力をすべきだというのはどのような意味合いなのか。済みません、ちょっとこれは通告していなかったのですが、これだけお答えをいただきたい。  それから、これは質問というよりは、先生の御発言に、朝鮮民主主義人民共和国、いわゆる北朝鮮と呼びならわしてもいるわけですが、「北鮮」という言葉をお使いになっています。簡略語といえば簡略ですね。北朝鮮というものの真ん中を抜いたことになるかもしれませんが、多分に共和国の方では、かつての支配のころの鮮人という一種のべつ視というようなものを連想させて不快感を表明しておることなどから見て、その辺やっぱり、いわゆる北朝鮮というか、あるいは朝鮮民主主義人民共和国というか、そのように御発言なさる方が適当なのではないかなと感じましたので、そのことだけちょっと申し上げます。  以上で終わります。
  5. 堀江正夫

    堀江正夫君 今の志苫委員の御質問に対し私の考え方を述べさせていただきます。  確かにおっしゃるとおり、世界の百数十カ国をそれぞれ見ますと、その立国基本なり態様なり政策は極めて多様でございますし、また、ある時期には二極から三極構造、五極構造と言われたこともあるわけでございます。しかし、これを世界的規模の平和と安全、そしてそれへの影響力という観点からとらえてみますと、世界現実は多極化ではなくて、大きく言って二極というとらえ方をするのが今日の世界の実態であり常識ではないかと私は思っておるわけであります。言うまでもなく、一方は国民の自由を基本とする自由主義体制でありますし、一方は共産主義、全体主義体制であります。この今日の世界的な問題は、一方の体制軍事力を背景として他に強制しようという政策を堅持してこれを推進しようとしている、そこに問題があるのだろうと私は思います。  もちろん、外交基本は平和の維持でありますし、お互い立場を尊重して安定した関係維持、促進することにあるわけであります。したがいまして、その努力というのは当然しなければならないことでございます。しかし、今申し上げましたような世界現実の中で、少なくもまず自国の安全を図り、世界の平和の維持に貢献をするということになりますと、全方位ではありますけれども決して等距離でよいはずはないと思っております。立国基本を同じくする国と提携をして相手にいたされないようにする、悲しいかな、そのようにして平和を確保するしかないのが世界現実であって、観念論では平和を確保できないというのが私の見解でございます。  それから、今補足をして質問されました、SDI憲法精神からも積極的に協力すべきだと私が申しますのは、SDIというもののとらえ方にあるわけであります。  後ほど、ほかの委員からもSDIについてはいろいろと御意見もあってその際お答えしようと思いますが、私は現在の恐怖均衡を何とかなくさなければいけない、それはもうまさに日本平和憲法精神だろうと思います。その恐怖均衡をなくするというのは、今いろいろと言われておりますけれども、核の攻防バランスというものを防御力を優位にすることによって、それでバランスを崩してしまって、そして全く無価値にしてしまうという方法しかないじゃないかと私は思っておりまして、そのような意味においてSDIの希求するところ、すなわち我々の平和憲法趣旨に沿うのだ、こういうことでございます。  私が簡単に「北鮮」という名称を使っております点につきまして、御指摘をいただきました。今後注意をいたしたいと思います。
  6. 大木正吾

    大木正吾君 中西一郎先生にお伺いいたしますが、前回お話の際には、非常に格調高く世界的な経済問題から、さらには日本からの援助の仕方等についてお話がございまして傾聴しておったわけでございますが、中の一部、意味合いの中でもって伺いたいわけでございます。  けさの日経新聞にも出ていますが、アメリカ前川レポートの実施について相当強く迫ってくるという問題もございますし、最近の半導体の摩擦問題、貿易問題等ございますので、結局、貿易の黒字が八百何十億ドルという状態も依然として減っておりません。そういったことについて、先生お話の要旨はそこだけじゃなかったのでありますけれども、むしろ当面の問題としまして、前川レポート、これだけでいいのか。まあ前川レポート全部私は賛成ではもちろんありませんけれども、内需拡大あるいは貿易摩擦縮小等につきまして、もうちょっと大胆な、例えば建設公債でございますとか社会資本の充実とか、そういった問題についての政策政府は乗り出すべきじゃないか、こう考えておるわけでありますが、中西先生、その辺はどういうふうにお考えでございますか。
  7. 中西一郎

    中西一郎君 大変難しいお話なのですが、申します要点は、どんどん攻めまくっていって、昔は武力だったのだけれども、今は経済力で商品とか資本が出ていく。相手を困らしてしまうとこれは行き過ぎじゃないかという気がします。そういう意味で、国内でいろいろな非関税障壁と言われているようなことに留意しなきゃいかぬのは当然なのですけれども、最近の「正論」で加藤寛さんが書いていまして、中身とちょっとずれておるように思うのですが、表題は、腹八分目の経済というような表題でございました。要するに、うんと稼げればいいのじゃないかというようなことで腹いっぱいの経済活動をするのか、腹八分目ということでいくのか。国民的合意の問題と関連がありますけれども、やはり稼いで国内で分配をふやすのだという考え方だけでは壁に当たるのではないかという私の認識でして、そういう意味では、前川レポートは大変いいことをたくさん言っておられるのです。しかしまた、これはある学者に言わせますと、前川レポートを一〇〇%実行して内需拡大とかいろいろやっても、そのことによってアメリカからの輸入がいかほどふえるかということになると、おのずから限度があるということを言っておる人もいる。  そういう意味では、大木先生おっしゃるように、何かの形で根幹的に外国に対してどうこうしろというのは言いにくいかもしれませんが、国内ではやはり今までのビヘービアと違ったことを、国民的合意と申し上げましたが、与野党お互い考えながら築き上げていかなければならないのではないか。具体的な案はまた小委員会なんかで御議論いただければありがたいと思っております。
  8. 和田教美

    和田教美君 まず、堀江委員二つばかり御質問いたします。  最初に、ゴルバチョフヨーロッパINF全廃中心とする新軍縮提案につきまして、堀江さんは「今回のソ連軍縮攻勢」という表現を使っております。そして、全体として非常にクールに見ておられて、結局簡単に合意を得られるとは考えにくいというふうに見ておられまして、したがって、結局米ソ中心とする世界規模軍事的緊張の緩和は容易に達成されない、引き続き緊張が続くというふうな判断をされておるわけでございます。  このゴルバチョフ提案あるいはそれに伴いましてきのうからシュルツとそれからシェワルナゼの会談も始まっておるわけでございますけれども、確かにこのINF全廃交渉というものがなかなかいろいろな問題点があるということはそのとおりだと思います。例えば短射程の中距離核をどうするかとか、あるいはINF全廃に伴う査察の問題をどうするかとか、あるいはまた日本としてはアジア部の百弾頭のSS20などの核が残るという問題も決して軽視できないといういろいろな問題があるわけでございますけれども、私はやっぱりこのゴルバチョフ提案というものが、この前のレイキャビクの会談がだめになった最大の原因であったSDIの問題と一応切り離したという点を非常に評価しているわけです。そんなに軍縮攻勢というふうな受け取り方でなくて、もっと米ソ両国ともにできれば合意に達したいという熱意があるのではないかと見ておるわけでございますけれども、その辺のところを改めて堀江先生の御見解をお聞きしたいわけでございます。
  9. 堀江正夫

    堀江正夫君 今、米ソともにできるのじゃないかという気持ちでもってやっているのじゃないか、それについてどう考えるかという御質問だったと思います。  この前の意見でも私は申し上げましたが、もうどうしても我々の立場から見ても全世界的な立場から見ても、核軍縮は当然必要なものでございますし、両国によって真剣に核軍縮への努力は続けてもらわなければいけない。同時に、両国も真剣に努力を続けるだろうと、私はそう思います。思いますけれども、それじゃそのことがそのまま具体的に成果のある、しかも世界の平和の安定に大きく寄与する、そういうものに結実するかということになりますと、先ほど和田委員から御指摘ありましたが、余りにも問題が複雑でたくさんある。そこで、そう簡単にはいかないのじゃないかなと、このような気がしてならないわけでございます。今、現に米ソ外相会議が行われておるわけでありますが、私どもはこれに対しても希望を抱いておることはもう間違いございません。間違いございませんけれども、今申し上げましたようないろいろなことを考えますと、一応前向きの方向に進むとしても決着までには乗り越えなければならない余りにも多くの問題がある。その基本は私も意見で申し上げておりますように、当事国であります米ソ両国が、相手に一方的な軍事的優位を与えないという基本的な政策を堅持している、その上での交渉である、そこに難しさがある、私はそのように思うわけでございます。
  10. 和田教美

    和田教美君 次に、レーガンの推進しておりますSDI研究の問題でございます。先ほども御質問が出ておりましたけれども、堀江委員SDI研究については、核の恐怖から人類を救出しようという人類共通の願いを達成しようというものであり、我が国は積極的に協力すべきだという御見解でございます。  そこで、一つお聞きしたいのですけれども、SDI研究というのはどういうふうに受け取るかという、先ほど堀江先生からお話しのあった問題でございます。SDI研究目標が、当初のレーガンが言ったものを一般にSDI(1)といっておるわけでございます。これはそもそものレーガンの構想であって、「核兵器を無力かつ時代おくれにする手段」、いわば「究極防衛システム」であって、MADにとってかわるシステムである。こういうふうなものを構想したと思うのですけれども、その後アメリカの国防総省の考え方などもどうも変わってきて、アメリカ軍事専門家などに言わせると、いわゆるSDI(2)とかあるいはSDI(3)とかという考え方も出てきておるわけです。SDI(2)というのは要するにそういう「究極防衛システム」というものよりももっと「小ぶりの防衛」であって、報復用戦略核など特定の軍事基地だけを防衛するポイントディフェンスという考え方に変わってきていると私は思うのです。それの方がずっと安上がりだ。SDI(1)の場合には、これはもう天文学的な経費がかかってとても難しいし、技術的にも非常な困難があるということになってきているのではないか。SDI(2)の方にだんだん重点が移ってきているのではないかというふうに思うのです。  そうなった場合に、つまり核抑止戦略にとってかわるのではなくてSDIを現存する核抑止力の単なる補完手段補強手段というふうに位置づけるということになるわけでございます。そうなればそれがソ連を刺激してそれを突破する手段だとか、あるいはまた部分的なSDI破壊する手段考え出して、それが結局核軍拡をさらに加速する、あるいはまた宇宙軍拡を加速するということになって、レーガンがそもそもねらった核の廃絶という究極防衛という考え方がどこかへ行ってしまっているという感じがするのですけれども、その辺は堀江先生はどういうようにお考えですか。
  11. 堀江正夫

    堀江正夫君 私は、結論から先に申し上げますと、SDIの本来のレーガンが提唱しておった究極目標というものは変えてもおらないし、変えるべきではないと、まずそう思います。ただ、それの中間段階においては、結果として今申されたような核抑止力補完する機能を果たすというようなこともあり得るだろう。一挙に全部廃絶というわけにはいかないわけでございますし、それからまた、同時にSDIというものは研究でございまして、果たしてこの目標が技術的にできるのかできないのかということも本当はこれからの問題でございますし、さらにこの問題は長期を要する問題でもございます。その間の中間目標として今のようなことはあり得るかもしれないと思っております。  もっと補足して言いますと、言うまでもございませんが、レーガンSDI研究目標というのは、一つ恐怖均衡防御力の優位による均衡に持っていくのだ、そして究極的には核廃絶を目指すものだということでございまして、現実米国が従来から言っておりますところの相互確証破壊による核抑止理論というのが、現在はどうもそれでやっていけるのかなといったような事態に遭逢しているのだろうと思います。と申しますのは、ABMの問題一つとらえてみましても、アメリカは条約を結んでおりますけれども、全然実戦配置していない、ソ連はまずモスクワ地区でやっておったけれども、その機能を全土に及ぼそうといったような手を講じておる、その上にソ連の核の命中精度が非常によくなってきた、こういうようなことによりまして、その相互確証破壊によるところの抑止力というものが機能しないようになったのじゃないかという危惧が米国側に大きくなっているというのが現在の状況だと思います。  特に、常識的に考えますと、先制攻撃をするのはどちらかと、それはわかりません。わかりませんが、その国家体制から考えると、常識的にはソ連の方が先制攻撃をする可能性の方が強いかもしれない。現在の核の能力から見てもその可能性が強いかもしれない、こういうようなことが言われておるわけでありまして、そのことは米国だけじゃなくて人類にとってのこれは悲劇でございます。そこで米国は、この際防御力を強化することによって抑止力を強化し、確実なものにしようということでございまして、今言いましたように、長工場でこれを達成するその中間段階として、現在の攻防バランスを回復するという核抑止力補完ということもSDIの一部の機能としては考えられるかもしれない、こう思っております。しかし、究極目標はあくまでも攻防バランスを崩して、攻撃力優位の有効性を失わして核戦力のシーソーゲームを断とうとするというものについては間違いないのだと、私はそのように思っておるわけであります。
  12. 中西珠子

    中西珠子君 中西一郎先生にお伺いいたします。  先生国際協力に関する御意見大変格調が高くて、殊に途上国への技術移転の問題、御指摘になりました適正技術中間技術の問題などは全く同感なのでございますし、そのほかたくさんお聞きしたいこともあるわけでございますが、時間の関係もございますので二つだけに限定さしていただきます。  先生のおっしゃいました海外進出企業、殊に、途上国に進出している日本企業ビヘービアについてやはり改善が必要だというような御意見と承ったわけでございますが、現在海外進出企業、特に途上国へ進出している日本企業の中で公害問題を起こしたり、環境破壊の問題を起こしたり、また進出国住民から反感を買ったり摩擦を起こしたりしている企業も多いように聞いております。こういった企業ビヘービアを改善する策としてはどのような具体的な方策がございますでしょうか。まずその一点をお伺いしたいと思います。
  13. 中西一郎

    中西一郎君 これも大変具体的な問題になると難しいのですが、一つは、私は率直に考えて、経団連とか貿易協会とか経済関係団体はたくさんありますが、そういったところで真剣に議論してもらいたいと思っておるのです。政府でどうだとか行政機関でどうだという先に、そういった現場で行動しておられる方々自身がこの問題についての問題点をみずからの問題として、あるいは国益の問題として考えていただくというようなことがまず始まりかなと。また現地にも商工会議所のような類似の団体がそれぞれあるはずでございますし、そういうところでもそういう議論をしていただきたいものだと。  お話しのとおり、公害の問題、環境の問題あるいは住民との摩擦の問題いろいろございますから、そういうことに対して将来長い目で見ると、その企業自身利益にもかかわる問題でございますから、問題点としては当然そういった関係者の中で取り上げてしかるべき問題ではないか。ただ、これは難しいのですが、やっぱり進出していく人たちのメンタリティーの問題にもかかわる、長期的に考えると日本教育制度の中での教育のあり方にもかかわる大変大きな問題でございます。そういう意味では、今ここで何分かの間にお話しし切れませんが、先ほど申し上げましたことと同じように、これも小委員会か何かでお互いに詰めていくということをぜひやっていただきたいと思っております。
  14. 中西珠子

    中西珠子君 国連でも多国籍企業の規制のための綱領というものもつくっておりますし、また、在外企業協会海外進出企業のために一応倫理綱領のようなものをつくってずっと前に出されたこともあると聞いているのですけれども、なかなかこの問題は、どのようにやっていくかということは難しい問題だと思いますので、また時間をかけて、今、先生おっしゃいましたように、いろいろお話し合いをさしていただきたいと思っております。  もう一つお伺いしたいことは、先生のおっしゃいました表現なのですが、「エコノミーとエコロジー」の問題、「収奪と育成」の問題、これを考えなくてはいけないということを御発言になったわけでございます。今、日本木材最大輸入国として熱帯林破壊ということを非常に起こしているという国際的な非難もあるわけでございますが、これについては、先生どのようにお考えでいらっしゃいますか。
  15. 中西一郎

    中西一郎君 私はガットの精神自由貿易ということが果たしてきた役割というものを否定するわけではございませんが、同時に弊害も残していると思います。その一つの例が、巨大な事例と申し上げていいと思うのですが、この熱帯林の喪失ではないか。向こう輸出業者はそれで輸出してもうかる。外貨はふえる。日本輸入業者はそれで稼ぐ。といって、日本の山はどうなっているかというと、木材の値段が下がって、日本の山も荒廃する。向こうは山が切られて砂漠化していって、貧民が出てスラブに集まる。両方とも困っているわけです。  そういうことを考えますと、政府間で詰めていく必要があると思うのですが、二国間で、要するに企業利益ということだけでなしに、両方の国の国益ということを考えての話し合いをすべきではないか。その際に熱帯林木材を輸出しておる国から言うと外貨が減りますから、そこにはやはり見返りとして技術移転なりあるいは資本の進出なり、日本からなすべきことをすることによってそのマイナスをカバーしていくというようなことを含めて、二国間で相談をしなければいかぬのじゃないかというふうに思っております。
  16. 中西珠子

    中西珠子君 日本ODAが、熱帯林破壊に非常に役立つようなODAをやっているという国際的NGO非難もあるわけでございますけれども、またこれも小委員会でそのうちぜひ突っ込んだ御意見を伺わしていただきたいと思います。ありがとうございました。
  17. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 堀江議員にお尋ねします。  前回海外出張で欠席していましたので、会議録を読ませていただいての質問です。志苫議員質問とも関連がありますけれども、「米ソ両国を中核とする世界規模の平和は、軍事的な抑止力基本となって保持されている」という発言です。要するに、米ソの軍事ブロックの対抗ということが世界の平和に役立っているという意見ですが、米ソ軍事ブロックの対抗という現実があることは堀江議員が述べられているとおりだと思います。  問題は、この方策を肯定し、これを続ける限りは、結局は軍事ブロックの対抗、抑止と均衡論に基づく軍拡、特に核軍拡が際限なくエスカレートしていくという道をたどらざるを得ないではないかと思います。それにどう対応するのか。世界政治の教訓としては、第一次世界大戦、第二次世界大戦の教訓として、軍事ブロックの対抗、軍事力均衡論ということでは結局平和は守れないと。そこから軍事ブロックの対抗でなく、集団安全保障という考え方が生まれたと私は思います。問題はそれに向かってどう進んでいくかということだと思います。やはり米ソの軍事ブロックの対抗ということを基本として続ける限りはそこへ到達しないのじゃないかと思いますけれども、そういう関係をどのようにお考えになっているかという点です。
  18. 堀江正夫

    堀江正夫君 現実的な事実として、戦後四十二年間にわたって今日まで一貫して集団防衛体制、そして軍事的な抑止力によって世界的な平和が維持されてきたのだという現実は、だれも否定できないところだろうと私は思うわけでございます。  ただ、今おっしゃいましたワルトハイムのそのような意見もございますが、私は当事国である米ソともに、今後とも基本的には抑止理論の上に立つというこの考え方は変えることはないのじゃないかという気がしてならないわけです。そうだとすると、いかに抑止論はだめだだめだと言ってみても、それはどうにもならないことでございまして、そこで問題は、現在の軍事的なバランスというものを、よりレベルの低いものに持っていくという道を探求しなきゃならない。また、特に核については、まさに恐怖均衡でございまして、これは人類の破滅につながるものでございますから、どうしてもこれを廃絶するための具体的な方法を見出していかなきゃいけないと思います。  これらは結局は、米国ソ連がその陣営意見を集約しながら積極的に話し合って合意してもらうという以外には、私はほかの国がいろいろと意見を言ったらいいと思います。いろいろとまた努力すべきだと思います。が、しかし、米ソそのものがそういう気にならない以上はどうしようもないのだという気がしてならないわけであります。最近の状況を見ますと、特にソ連経済状況の逼迫とその開放志向、これがあるいはこれらの道を促進できるのじゃないかという希望も抱くわけでございますが、少なくもそれらの道程において片方がバランスを失うというようなことがあったのでは、かえって世界の不安定を助長することになってしまう、このように私は思います。したがって、長い道のりかもしれません。長い道のりかもしれませんけれども、現実的には少なくとも日本立場で言うならば、自由陣営の一員としてやはり米国中心としてしっかりとスクラムを組んで、そしてソ連との話し合いを進めていくということ以外には方法はないのじゃないかと思います。  また、核については、先ほども申し上げましたSDIこそが核の攻撃力の優位を失わさせてその有効性を減少させるものだ、攻防バランスを崩すことによってシーソーゲームを断ち切れるのだ、それだけが唯一の核廃絶への道なのだと、私はそう信じておるわけであります。
  19. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 これは議論の場じゃありませんから。先生の御意見はよくわかりました。  中西一郎先生にお伺いします。  日米経済摩擦関連してですが、一部大企業の輸出ラッシュは大変な問題があると私どもも考えます。きょうお伺いしたいのはその点を中心ではなく、日米双方の相手国へ進出した多国籍企業相手国での製造販売ということを含めた日米間の相互浸透という点を見ますと、アメリカ人が買う日本商品は日本人が買っているアメリカ商品の半分、逆に言えば日本人は一人当たりではアメリカ人の二倍もアメリカの商品を買うという関係になっている。この問題は、ちょうど今出ています日本版のニューズウィークでも特集しているのをちょっと夕べ買って読みましたけれども、そういう点を見ますと、今の日米経済摩擦の一面としては、日本が一方的にアメリカに対する加害者だというふうにだけ言わなくちゃならないとは言えない。日本が一方的譲歩を迫られるだけの性質の問題ではないじゃないかと考えますけれども、中西議員はどのようにこの点はお考えになっているのか。
  20. 中西一郎

    中西一郎君 お話しのような論調というのは、最近もございますが、半年ほど前からちらちら出ております。確かに国民一人当たりベースで見るとお話しのようなことになるのですが、経済摩察ということになると、企業ベースの話でなしに、国の、国境ということを考えた上でのファンダメンタルズが問題になって、それで今のドル安。円高というようなことにもなっておるわけで、二つ流れがあって、別々の問題ではないかと思います。  確かにお話しのとおりの、企業がこちらへ来てアメリカの製品をどんどんつくっておる、日本向こうへ行ってつくっておるという、相互浸透とおっしゃいましたが、これがだんだん進んでいくこと自身は歓迎すべきことだろうと思います。といって、では貿易収支や経常収支の問題がそれだけで片づくかというと片づかない。そこに問題があるわけでございましょう。そういう意味では、両面、どう対処していくかということが我々に与えられた課題だろうと思っております。
  21. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 最初堀江委員に対して質問いたします。  会議録の三ページ一段目の終わりの方ですけれども、「中国との関係についていえば」云々として、「近隣国としての国際的な配慮と過去の両国間の経緯に対する配慮は必要であるが、みずから独立国としての自主性を失うことがあってはならない」云々。この後段の方は言うまでもないことですけれども、中国、それから同じ文脈において韓国に対しても私は同じことが言えると思いますが、どうも最近の議論を見ていますと、国際的な配慮あるいは過去の両国間の経緯に対する配慮が欠けているような議論が日本に最近台頭しつつあるように思います。  例えば、韓国との日韓併合の問題については、まあ日本も責任があるかもしれないけれども韓国の方にも責任があるのだ、日韓併合したことについて、というようなことを自民党の議員さんの中で言っている人もおられますし、あるいは中国との関係につきまして、最近いわゆる極東軍事裁判の見直しの議論が起こっております。確かに極東軍事裁判が国際法上問題があるし、いろいろな点であれば結局勝者の敗者に対する裁判である。そういう点については大いに批判するのは差し支えないのですけれども、しかし、そのことは極東軍事裁判が不当なものであったということと、それによって日本の過去の行動が正当化されるものではないと私は思う。例えば満州事変以降の日本の中国に対する、これは明白な侵略であると思いますけれども、そういう過去の事実に対する配慮をしないで、何か日本の進出はやむを得なかったのだという議論をする人も最近間々目につくのです。そういう議論に対して私はやはり、日本は殴った方であるし、向こうは殴られた方ですから、それを同列に論ずるのは間違っていると思うのですけれども、堀江委員、どういうふうにそういう意見を評価しておられるか、そのことをお伺いしたいと思います。
  22. 堀江正夫

    堀江正夫君 中国と韓国とはまた若干私は違うだろうと思っております。私が言う「配慮」という意味の中にも、私は若干違ったスタンスで考えております。「近隣国として」という意味は、これは言うまでもございませんが、過去の遠交近攻といった時代から今もう随分変わっておるわけでありまして、当然近隣国としては友好的雰囲気の醸成、維持が大変大事だ、そういうような意味において、特に潜在的な大きな力を持つ中国というのは周辺国に対して大きな国際的な影響力を持っておるわけでありますから、そういうことを日本としては十分に考えながら対応していく必要があるのではないかという意味で私は言っておるわけであります、  「過去の両国間の経緯に対する配慮」という問題につきましては、私は、満州事変以来の両国の歴史というものは基本的には歴史が評価すると思っております。ただ、少なくも我々日本人としては、長年にわたって中国民衆を苦しめたということはもう事実でありますので、そういうことを無視するということは許されない問題だと思っております。したがって、そういうようなスタンスの上に立って中国とのいろいろな問題に対処していくということが必要だ。  ただ私は、それじゃ中国と国交回復以来こういう二つの配慮に欠けるところがあったのかということになりますと、今まで日本がやってきた姿勢なり考え方の中には十分に配慮されてやってきたと思うわけであります。十分にやってきたと思うわけでありますけれども、どうもこのごろの中国のいろいろな発言、対応というのは、その国内政治力にも影響されながら非常に大きく揺れているじゃないか、大きな将来の日中関係というものを展望した場合に、余りにもいろいろな小さなことにこだわり、口出しし過ぎているじゃないか、その辺はお互いが理解をし合い、お互いが自制し合ってやっていかなければいけないじゃないか、私はそういうように思っております。  韓国の問題につきましては、歴史的に言えば私は日本が統治をしたという事実は否定することはできないと思います。また、その統治の結果、現在、韓国の人たち日本に対して根強い反発心や不信感、さらに最近の経済の発展からして日本に対する感情的な対抗心、こういうものがあるということも現実の姿だと思います。ただ私は、韓国というものを眺めました場合に、日本にとって韓国は安全上極めて重大な立場にありますが、韓国にとっても日本は極めて重大な立場にあるので、そのような意味において両国ともにお互い立場をやはりちゃんと将来に向かって認め合って、理解し合っていくという姿勢が必要である。我々としては韓国に対してそのような理解を求めるための努力を今後も粘り強く一つずつやっていかなければいけない、私はそう思っております。
  23. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 若干意見の違うところもありますけれども……。  もう私の持ち時間は過ぎているのですけれどもちょっとお許し願って、せっかく質問を出しておきましたので中西委員に伺いたいと思います。  三ページ四段目の右側の方ですけれども、「自由貿易主義かあるいは保護貿易主義かという問題があるわけですが、その中間のような立場というのはないのだろうか」というクエスチョンマークつきで述べておられます。私も、ちょっとこれはパラドキシカルに聞こえますけれども、自由貿易というのは自由放任によっては維持できない。ところが、どうもレーガン政権にしても中曽根内閣にしても、何か自由貿易ということと自由放任ということと概念上混同して、それが不必要な摩擦を生み出しているのではないかということを感じているのです。中西さんはここで「中間のような立場」ということを言われておるので、詳しいことはまた小委員会の方でやりたいと思いますけれども、ごく概略の考え方だけをちょっとお聞かせ願いたい。
  24. 中西一郎

    中西一郎君 アメリカ自身が、NICSの関係でも、また日本に対してもそうですが、豪州、ニュージーランドに対しましても、自由貿易を貫いておるかというとそうではない、いろいろな制約を課している。という意味では、レーガンさんが自由貿易の旗を上げてはおるけれども、その旗は大分変色しているのじゃないかという感じを持っています、日本も自主規制していますし。そういうことを考えますと、二国間でよほど詰めた議論をしなければいかぬのじゃないか。もちろんバイラテラルあるいはマルチラテラルな交渉も必要でございましょうが、単純に自由貿易主義、今自由放任主義とおっしゃいましたが、そういうものと保護主義というものだけでは世の中は律し切れないことに現実なっていると思います。  それで、これはまだよく理解していないのですが、アメリカ大使館が日本向けの「トレンズ」という広報誌を出しているのですが、去年の八月号を見ますと、自由貿易、保護貿易についての疑問といいますか、を持った論調がアメリカの中にある。二つありまして、キーピング・オン・トップという考え方のグループと、それからフロントヤードと書いてありましたが、というグループと何か二つあるというような解説記事です。なかなか難しいので十分理解し切っていないのですけれども、ある人にも読んでもらいまして所見を聞いたのですが、まだ私の腑に落ちるところまでには至っていないのでございます。そんな問題をここで取り上げるのはおかしいかもしれませんが、アメリカの中でも問題になっておるということ。  それを読んでもらった人の意見では、これも曲解ではないかという感じもするのですが、日本の社会構造というのか国家体制というものが西欧型ではないという認識アメリカにあって、そのことを日本人に理解させようとしておるプロパガンダの論文ではないかということを言う人もありまして、私自身命結論に至っていない問題なのです。アメリカの中の論調がどんどん我々には伝わってまいりますが、そのほかにも流れがある、そこをつかみたいものだというのが現状の私の立場考え方でございます。
  25. 田英夫

    ○田英夫君 堀江委員に伺いますが、私が伺おうとしたことは既に他の委員とのやりとりの中でお答えになっているところが多いので時間を節約いたしますが、基本的に自由陣営の一員という立場でとらえておられるということ、そして軍事情勢ということを大変重視してお考えになっておられるということを理解いたしました。  一つに絞りますが、韓国の現状をどうお考えになっているかということですが、この間お述べになりました中で、「国内における一部分子の不満に加え、来年の大統領交代や内閣責任制への移行が」どうということがありまして、韓国の将来だけでなくて朝鮮半島の動向にも大きく影響する、これは私も事実だと思います。ただ、一部分子の不満と言えるかどうか。私も韓国へ行きまして感じたことは、やはり力で抑えられている今の全斗煥政権のやり方に対して非常に多くの国民の不満が潜在的にあるというふうに私は見ているものですから、その辺の御認識一つだけ伺っておきたいと思います。
  26. 堀江正夫

    堀江正夫君 私は国内の一部分子の不満というふうにとらえておるわけでありますが、それが正しいか正しくないか大いに議論はあるのだろうと私自身もそう思います。  ただ、私が言おうとする意味を述べさせていただきますと、韓国経済の発展に伴って国民生活も全般的に向上はしてきたけれども、同時に貧富の差を大きくしておる。それから三七%という高い大学進学率があるわけです。その中でいわゆるレベル以下の家庭からの学生がふえてます。そして、これらの学生の中には社会的な矛盾を強く意識している者がふえておることは事実でございます。もちろんこれに、先ほど指摘をいただきましたから言葉を正しくしますが、朝鮮民主主義人民共和国からの共産主義思想がひそかに学生の中に浸透しているというようなこともあるわけでございますが、それ以外に、先ほど田委員からお話ありました、独立以後ずっと軍事政権が続いておるわけです。一応は民主主義体制だと言いながら、言論や報道や政治活動についても西側の自由民主主義国とは大きな格差が存在しております。それは私も認めます。特に独立以後の政権交代のあり方を見ますと、国民におれでもやれるじゃないかという権力志向を大きくさせているという面もあると思います。そのような韓国の現実考え方を私は大部と言ったらいいのですか、一部と言ったらいいのですか、その辺は見方があると思いますけれども、そういう人たちがおるのだという現状認識指摘したということでございます。
  27. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) それでは次に、志苫君の御意見に対し質疑のある方は順次御発言を願います。
  28. 石井一二

    ○石井一二君 私は、志苫議員に対しまして二点ばかり御質問をさせていただきたいと思います。  読ませていただきまして、おおむね私の考えと同じでございまして、御見識の広さにも大いに同意するところがあるように感じたわけでございます。ただ、前提条件である認識基本的に違っておった場合、結論も違ってこようと思いますので、別に重箱の底をたたくようなことを言うつもりはございませんが、六ページのところに経済情勢について述べておられるその二のところで、NICSについて理言及があろうかと思います。このまま文章を読んでおりますと、特にNICSが資源保有国であるという前提と、そのNICSがすべて累積債務の巨額な負担に陥っておるというように感じるわけです。私は、NICSは必ずしも資源保有国でもなければ、NICSの国々は必ずしも深刻な累積債務を負っているとも思っていないのですが、NICSの国としてどの国々を具体的に前提としておっしゃっておるのか、まずお聞きをいたしたいと思います。
  29. 志苫裕

    志苫裕君 表現が正確でなくて恐縮をしておりますが、ここのところはメキシコやブラジルなどの産油国、あるいは資源国の急速な開発化あるいは工業政策が巨額な外資不足、累積債務をもたらしたということを述べようとしたものでして、厳密には今御指摘ありましたようにNICSには韓国とか台湾、シンガポールなどのように資源のない国も含まれておりまして、私が申し上げたのはメキシコとかブラジルなどを頭に置いたものですからこういう表現になったということで御了承をいただきたいと思います。
  30. 石井一二

    ○石井一二君 では、LLDCを含めてという意味でお使いになっておるのであれば了解をいたします。  次に、もう少し先の方でございますが、ODAに関しまして、「一方に偏在する生産能力や資金が他方に思い切って移転される以外にはありません。」、こう発言しておられる節があるわけですが、やはり私は被援助国というものには自助努力というものを期待すべきだし、またそうさせるべきだというぐあいに思うわけでございます。なぜならば生産能力や資金が余っておる、あるいは今余剰に持っておる国というのはやはりそれだけ努力もしておるわけでございます。そういった意味でこの「思い切って移転」をするという節が具体的にどのようなことをお考えになっておっしゃっておるのか、ちょっと承っておきたいと思います。
  31. 志苫裕

    志苫裕君 この部分が基本的な理念形を述べたつもりなのですが、第三世界経済的自立は生産関係貿易関係において低次の産品に特化されている、固定化されておりまして達成できておらない。したがいまして安易な垂直分業的な工業化も破綻をしてきているわけです。  そこで具体的な形としては、第三世界諸国が緊急に必要としておる国内経済における農業であるとか、軽工業であるとか、そういうものを第一にして、さらにそれらの基礎の上に重化学工業というぐあいにしていくために先進工業国が技術や資金面で協力する、かつ可能な限りそれを無償で行うということが必要なのではないか。それは植民地時代に由来する収奪あるいは破壊への謝罪の意味をも含めるものでありまして、かつ、今日ともに生きておる人間社会の形成という理念に基づいたもので、圧倒的な経済格差から生ずる不均衡の是正という構造的問題の緩和、解決の上でも必要なのではないかということをここでは述べたつもりであります。  ちょっと文章の御質問のところに、一生懸命に働いて努力した国民が報いられることも必要なのではないかという御指摘もあったのですが、もちろんこのような経済協力を大規模に進めるからといって、日本国民の生活を度外視せよというわけでもないわけであります。しかし、結果として今、日本経済日本国民の生活はより堅実、質素なものに自己抑制をするということも要求されてくるのではないか、世界全体のあれこれを考えまして。そういう気持ちも気持ちの底にはあります。
  32. 石井一二

    ○石井一二君 時間の関係もありますから、簡単にもう一点だけ。  今御発言の中で、植民地という言葉と、それに対する謝罪という言葉がございました。現在の世界情勢の中で、植民地時代のそういう謝罪しなければいけない立場にあった国と、今ここでおっしゃっている生産能力や資金を移転することを強要されそうな、あるいは期待されそうな国というのは必ずしも一致しないと思うのですけれども、そういった面ではどうお考えでございましょうか。
  33. 志苫裕

    志苫裕君 それは個々の国というよりは北と南ということで、私は、北の国々というのは多かれ少なかれ、かつて南も支配をしていたし、また今日でも南の資源というものを持ってきまして、手を加えてまた南に売るという構造にありまして、それが非常に大きな不均衡になっているということを考えると、その南から利益を上げた分は経済協力という形でお返しをする、あるところからないところへ移転をするという形で国際経済全体もうまくいくのではないかという考え方に立っているわけです。
  34. 永野茂門

    ○永野茂門君 同じく志苫先生にお願いいたします。  議事録の六ページを見ますと、GNP比一%枠の廃棄の背後に米国の新海洋戦略が潜んでおり、洋上防空の強化でありますとかシーレーン防衛あるいは三海峡の封鎖、水際撃滅・北方前方防衛等を基軸とするところの中期防が米海洋戦略への日本の全面協力であって、それはレーガン政権の企図する対ソ競争戦略あるいは軍事的緊張激化の政策にパートナーとしての役割を果たすものである、こういうふうに極めて一面的と考えられるように断定しておられます。  一方、ソ連の方をよく見ていただかなきゃいけないと思うのでありますが、ソ連の最近の軍事力の増強でありますとか、あるいはまた演習の構成、その活発化等を見ますと、ソ連防衛線を太平洋の方に延ばそうとしているということじゃないかと疑われますし、それからまたヨーロッパで何か事が起こったとき、あるいは事が起こりそうなときに、太平洋において我がシーレーンを破壊したり三海峡を自由化する等、あるいはまた、オホーツク海の聖域化を確実にする等のために我が国に侵攻してくるような準備が行われておるとしか思えないような兵力整備、あるいは演習等が行われておるわけです。したがいまして、ここに挙げられたような中期防でねらった我が国のいろいろな防衛施策というものは我が国の防衛のためにこそ極めて重要なものであって、その波及効果があるいはアメリカの海洋戦略に役立つということはもちろんあるかもしれないと思うわけでありますが、特にこういうふうに強調しておとらえになっておるのはどういう御理解からでございましょうか。
  35. 志苫裕

    志苫裕君 永野委員軍事専門家ですから……。ただ、我が国の周辺で米ソ両国が強大な軍事力を持って対峙しておる、そのことが我が国に対する脅威となっているということは事実だと思います。そこで、そういう大国の軍事対立のはざまにあって、憲法で戦力を持たない日本がどのように振る舞うかという平和戦略の問題が当然にあるわけでして、私は、一方にのみくみして一方との敵対関係を強めるということは国の安全保障にとっては有益でないという基本的なスタンスを持っております。  それで、お尋ねにありましたが、私は不敏にして、現在の日本に完結した防衛力があるというふうには承知をしておらないわけです。ということは、自衛隊の創設から始まりまして、多かれ少なかれ、アメリカの意向といいますか、悪い言葉で言えば言いなりというものでしかないわけで、アメリカの国防報告もまた、日本防衛力をみずから補完勢力というふうに位置づけておることでもそれは理解をされるのではないか。  特に、御指摘のありました、ここにあります洋上防空強化、シーレーン、三海峡封鎖等々の、これは日本でも必要でないかというのですが、最も典型的なものは、例えば三海峡封鎖のことを一つ考えてみましても、これはソ連の太平洋への通峡を阻止するということに主眼があることを考えると、日本海を経て攻撃が日本に加えられる場合の日本防衛にどれほどのかかわりが果たしてあるのかという、そういうことになるのではないかと逆に私の方でお伺いしたいような気持ちなのです。太平洋側のシーレーン防衛のために海峡封鎖をするというのであれば、海峡の争奪をめぐる戦闘は日本の本土と領海内での戦闘になって、洋上の船を守るために陸上の住民の生命を犠牲にするという本末転倒した戦略になってしまうのではないかということなども考えますと、お説のようにこの中期防の中身になっておる、またアメリカの海洋政策と連関をしておる、ここに挙げました幾つかのいわば能力というのは、日本防衛というふうにはなかなか考えにくい、というのが私の考えなのです。
  36. 永野茂門

    ○永野茂門君 見解は大変に違いますけれども、討論の場ではございませんので、次にもう一つだけ質問をしたいと思います。  それは、議事録では五ページのところにありますけれども、SDIアメリカの第一撃戦略の不可欠の一部である、したがってこれが核軍縮核廃絶への最大の障害である、こうされておるわけでございますが、この理由はいかがなものであろうか。  と申しますのは、SDIが第一撃戦略の不可欠の部分であるためには、一つは、米ソ間においてSDIの展開状況といいますか、SDIの能力というものが大変に差があるということ、アメリカが極めて優位にあるということが必要でありますが、そういう状態は現在のところないし、将来どうなるかということもこれは予測は難しい。それからもう一つは、本質的に、SDIを構成するシステムそのものが、大気圏内において、特にサイロ等に対して有効な攻撃力を持つとは到底思われないわけです。したがって、これが第一撃戦略の不可欠の部分となることはほとんどあり得ないのじゃないか、こういうふうに考えられるわけでございますが、どういうことでございましょうか。
  37. 志苫裕

    志苫裕君 戦略防衛構想が、諸説がありまして、一体、海ものとなるのか、山のものとなるのか、その辺のことは、私もそう能力のある者じゃありませんから。ただ、この構想というのは、アメリカの軍事戦略の変化から見て、やっぱり第一撃戦略というものと不可分に結びついているのではないかな、というふうに考えて述べておるわけです。  それで、このSDIについてレーガン大統領は、ソ連先制攻撃をしかけてきてもアメリカは無傷であり続けることができる、この戦略核の無効性というのが核廃絶につながるのだ、という説明なのです。これは物事の一面を見ればそうなるのですが、もう一面では、ソ連が報復攻撃をしかけてきてもアメリカは無傷で生き残ることができるということにも同義語になっていくわけであります。  先ほどお話がありましたが、この相互確証破壊戦略では、都市防衛はしないといいますか、脆弱にしておくという約束事によって第一撃の抑止力が働く。二撃がやってきたら、みんな双方なくなってしまうという、そういうのが働いておるのですが、この戦略防衛構想では、盾を持っていれば安心して攻められるという、論理に立つことになる。論理上そういうことになる危険性がある。現にアメリカの、これは先生は御専門でしょうが、戦略通信システムや、あるいはカウンターシティーからカウンターフォースというのですか、対都市戦略から対兵力戦略を重視するとか、あるいは潜水艦にミサイルの七〇%くらいは積んでおったのが、主としてそれは都市産業が目標だったのが、これが非常にかたいサイロにしまして、地上発射ミサイルへの転換、いわゆるたたかれても何遍も攻撃できるということなどを考えますと、どうもレーガンさんの言う、SDIは核兵器をなくするものだというのは専門家の間ではお笑い事であって、だれもそれを信じている者はいないのじゃないかという感じています。
  38. 永野茂門

    ○永野茂門君 見解は違いますけれども、ありがとうございました。
  39. 和田教美

    和田教美君 志苫委員二つばかり御質問いたしたいと思います。  まず、国際情勢認識について、志苫さんは、米ソ両国中心とする軍拡競争の現状について冒頭に触れておられます。そして、超大国の利害と結びついて世界的に進行している、こういう認識を述べておられるわけでございます。私も志苫委員のこの分析というのは大体において賛成でございまして、確かに現在の軍拡競争というのはまさに重大な局面に来ているという感じがいたします。  そこで、ちょっと角度を変えて志苫先生の御見解をお聞きしたいのですけれども、そういう軍拡競争の現状は現状として冷静に認識するわけです。同時に、米ソ両国が現在抱えている国内経済的困難という問題、こういう問題がこのとめどもない軍拡というものに何らかの影響を与えないかどうか、少し中期的な問題になるかもしれませんけれども、そのこと自体に軍縮を必要とする要因が内包されているのではないかという問題です。  もうちょっと具体的に申し上げますと、例えば、アメリカは大体、資料を調べてみますと、財政赤字が一九八六年で二千二百七億ドルでございます。そして、その財政赤字を埋めるためのいわゆる対外債務、借金ですね、これが八六年の末で純債務が二千二百九億ドル、つまり、今や世界一の債務国になっているという状況。これが九〇年ぐらいになると大体六千億ドルぐらいになるのじゃないかという予測もございますし、この間のIMFの発表によりますと、もっと多いのじゃないかというような見通しさえある。  一方、ソ連の方も、農業の不振だとかいろいろな問題で、いつまでも軍拡を続けるということについての国内的な矛盾というものが相当出てきているのではないか。ゴルバチョフ自身も、巨大な軍事費という荷物を少しでも減量させたい、そしてソ連工業のハイテクノロジーの近代化、これは相当おくれている、あるいは農業改革というものを何とか改善していきたいという考え方になっているのではないかというふうに思うわけなのです。そういう経済的困難というものが一体今後の軍拡競争というものに影響を与えるのかどうか。それともそうじゃなくて、とにかく幾ら経済的な問題を掲げながらも、力による抑止、力の競争というものが続くとお考えになるのか、その辺のところをどういうふうにお考えになるか、お聞きしたいと思います。
  40. 志苫裕

    志苫裕君 今、和田委員のおっしゃったそういう状況についての理解は全く同感で、また同じように見ています。私が要約の部分でちょっと触れておるのに対する御質問なのですが、米ソ両国というのは似た者同士というところがありまして、一つでも頭を上へ出そうというので突っ張ってきているという面もあるのです。それがいずれも国内要因で足を引っ張っておる。だけれども、レーガノミックスに見られるように、それでもなおというのでいろいろ頑張り続けるのですが、結局はこの最大のむだに対するさまざまな圧迫が加わってくる。それは国内要因であったり、それからまた大きい国際世論であったりするというふうに考えておりまして、これは希望を込めて観測する以外にないわけですが、今御指摘がありましたように、さまざまな制約要因のために徐々にではあるがそういう緩和の機運に向かうのではないか、また向かってもらいたい、こういうところです。
  41. 和田教美

    和田教美君 もう一つの問題は、会議録の五ページの一番下に書いておられることですが、「SDIに象徴される宇宙核軍拡競争」、これは「数多くの問題のうちの一つではなく、文字どおりの人類的岐路にある」というふうな表現を使っておられるわけでございますが、SDIの問題を非常に全体として重視されておるわけなのです。それとの関連で、このゴルバチョフ新提案、さっきも堀江委員にも同じような趣旨質問をいたしたのですけれども、これがやっぱり本格的な軍縮交渉というか、軍備管理交渉というか、その表現はいろいろあると思うのですけれども、SDIを切り離したということをきっかけとして何らかの進展があるいは期待できるのではないかという感じも持っているわけなのです。ヨーロッパINFの削減交渉というものの展望と評価をどういうふうにされておるか、お聞かせ願いたいと思います。
  42. 志苫裕

    志苫裕君 SDIを非常に私の発言は重視をしておりますのは、まさに世界の願いのようなもので、核廃絶あるいは軍縮という状況に対して、SDIは、それはアメリカがやればソビエトもそれに対してまた研究を始めるということになるのは当然でして、これは従来の抑止と均衡論がここまで来てしまった。それが新しい高いレベルで宇宙にまで広がるということを大変懸念をしておるといいますか、そういう意味SDIを重視しておるわけです。  そこで、SDIと切り離してとにかく話のつくところからやっていきましょうよというゴルバチョフの新提案がどういう展望を持って述べられておるのかは、率直に言ってまだ読み切れない部分はございます。ございますが、世界がかたずをのんで、やれるところからということを期待しておるのですし、これにはやっぱりそれぞれに国内事情も、先ほどちょっとありましたけれども、そういうことからいってジグザグはあるだろうけれども軌道に乗っていくのではないか、また、我が国を初め世界もそれが成功するような貢献をしなきゃならぬというふうに考えております。
  43. 中西珠子

    中西珠子君 志苫先生ODAについての御提言は私といたしましても共感を覚えるところが多多あるのではございますが、先生の御提言を現在のODAの仕組みの中で実現することが可能だとお考えになっていらっしゃいますでしょうか、お伺いいたします。
  44. 志苫裕

    志苫裕君 現在、例えば日本の援助体制やあるいはさまざまな仕組みなどからいきましていろいろ欠陥もある、ですから言ってもなかなかできぬだろうということなのですが、私はその点は、幸いにして各党がこの問題にこの委員会でも何らかの形で言及しておって、被援助国の自立に寄与しようとかあるいは援助の質を変えようとか、それに対する国内体制を整えようとかという御提言がありますので、まさにこの調査会の唯一最大合意点でも出るのじゃないかなという期待を持っているのです。ですから、各党の考え方をみんな突き出していけば、それが援助法までいくかどうかわかりませんが、そういう合意点を探せるだろう、今のままじゃちょっと援助体制もばらばらですし困難だと思いますが、そういう気持ちでおります。
  45. 中西珠子

    中西珠子君 ありがとうございました。
  46. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 志苫議員にお尋ねします。志苫議員発言を読ませていただきまして、非常に同感という点がたくさんあります。  まず、志苫議員も述べておられる核兵器廃絶の問題ですけれども、核兵器廃絶の問題のこれまでの国会を含めての論議の中では、核兵器廃絶ということは言ってもそれをどう位置づけるかという点ではいろいろな議論があります。国会での政府答弁等に見られる一つ意見としては、これを軍備全廃のときに実現する究極課題、いわば軍備のない世界が実現するときに核兵器を廃絶するという種類の答弁がしばしば行われております、私どもはそれに対して、核兵器廃絶というのは、通常兵器の軍縮ももちろん重要だが、しかし核兵器のような、人類の死滅につながるような大変な兵器というのは通常兵器の軍縮と切り離して実現するものだというふうに考えています。これは、一九四六年の国連総会の第一号決議の中で、原子兵器及び大量破壊に応用できるその他一切の主要兵器を、国家の軍備から廃絶するというふうに述べて、大量破壊兵器というものを特に取り出して提起したという考え方とも一致すると思い、そういう見地から核兵器の廃絶というものを、究極の課題というようなことでなく、やはり緊急に実現すべき課題だというふうに考えております。  そういう核兵器廃絶ということをめぐっても実際に存在するいろいろな議論、こういうことを踏まえて志苫議員の御意見をまずお伺いしたいと思います。
  47. 志苫裕

    志苫裕君 道徳的なことを言えば、どの兵器がよくてどの兵器が悪いということはないわけで、人を殺すのはみんな悪いのですが、ただ御指摘がありましたように、核兵器の持つその性格から見ても核廃絶はすべてに優先されるべき課題であるというふうに私どもも理解をしております。  実は私が述べておる中で、レイキャビク会談における双方の提案をとにかく軌道に乗せて、そこからでもいいから手をつけてくれと言っています。あすこでは別に核廃絶について直接合意しているわけじゃないので、引き離すとか減らすとかということなのですが、あすこでも廃絶というものを一応双方の首脳とも口では言っているわけですから、やはりそれをもう少し前面に出したテンポの速いものになるようにそれぞれのポジションで日本も役割を果たすべきだ、核不戦、核廃絶、軍縮、これが日本外交の課題だというふうに私は申し上げていることでひとつ御理解いただきたいと思います。
  48. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 核軍拡競争の根源にある問題ですが、先ほど堀江議員にお伺いした点ともつながりますが、NATOとワルシャワ条約を中心とする軍事ブロックの対抗、これはやむを得ないものとみなすかどうかということにもなるわけです。私どもは、やはり軍事ブロックの対抗は解消しなくちゃいかぬ、もちろん解消の方法は同時解消ということを言っていますけれども、いずれにせよ軍事ブロックの対抗のない世界を目指すべきだというふうに考えています。軍事ブロックの対抗に対する態度、あわせて日米軍事同盟、日米安保条約、これは私は、志苫議員のこの発言を読みまして、当然日米安保条約、日米軍事同盟は廃棄すべきであるという立場に立っての発言だと思いますけれども、それを含めまして御意見をお尋ねします。
  49. 志苫裕

    志苫裕君 私の発言ではそういう軍事同盟とかブロックを乗り越える外交関係ということにとどまっておりますので御質問が出てきたのだろうと理解しておりますが、基本的には軍事ブロックというものの形成、対立というものがたくさんの歴史を持っているわけでありまして、軍事ブロックの解消というものはこれは日本としては強く主張すべきだし、それには日本が軍事ブロック、軍事同盟の一翼に加担をしていることから抜けるというのが基本的なスタンスになるべきだ、こう考えております。
  50. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 最後に、これは結論だけで結構ですけれども、前川レポートについては基本的にはこれを肯定し推進するという立場なのか、これについては反対という立場なのか、結論的にお答えを。
  51. 志苫裕

    志苫裕君 この点は、質問関連がありますから大木さんからお答えします。
  52. 大木正吾

    大木正吾君 小委員会がございますから結論だけ申し上げますが、党として反対でございます。特に規制緩和の問題とか宅地の上昇、さらに本国会に出ました労働基準法改正問題その他幾つかございますが、雇用問題等についての最近の失業者の発生状態ということを考えますと、党として当時から、昨年の七月でございますが、反対の立場を明確にしてございます。
  53. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 三点ほど質問があります。全部質問最初に述べます。  四ページの一番下の段に、米ソ両国が核兵器の悪循環から抜け出し得ないということが書いてありますが、その抜け出し得ない理由はどこにあるというふうにお考えですか。歴代のアメリカの大統領なりソ連の指導者が悪人であるから抜け出し得なかったのか。私は、やはり両方にイデオロギーの対立があったので、それから来るところの相互不信があるから抜け出し得なかったのではないかと思うのですけれども、その理由をどういうふうにお考えかということが第一問。  それから第二問は、六ページの一段目から三段目にかけましてアメリカの対ソ戦略批判をいろいろ述べておられますけれども、ソ連の戦略に対する批判はほとんど言及しておられません。これはやはり一面的ではないかという印象を与えるのですけれども、いかがですか。  第三問、全体の調子はいわゆる非武装中立主義の考え方に立っておられるのじゃないかと思います。その是非はここでは論じませんけれども、ちょっと明らかにしておきたいと思います点は、中立の立場をとる場合に、アメリカのいわゆる自由民主主義の考え方、あるいはソ連共産主義考え方、そのイデオロギーに対して中立である、どちらにもくみしないのだという意味の中立主義なのか。あるいはスイスとかスウェーデン、これはイデオロギー的にははっきり西側の陣営に属していると思いますけれども、国際政治上中立政策をとっているわけですね、その中立政策意味で主張されるのか。それをはっきりさせていただきたいと思います。
  54. 志苫裕

    志苫裕君 ちょっと後段の点からいきますと、社会党は積極中立政策、積極的に中立政策をとると……
  55. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 ということは、イデオロギー的にはどうなのですか。
  56. 志苫裕

    志苫裕君 イデオロギーの問題というのは、それぞれの民衆が選んだ政治体制というものはそれなりに存在をするわけですから、それが一方を屈服させなければならぬというものではない。外交政策はそのような観点で行われるべきものではない。日本がどのような経済体制にするか、日本自身をどのような政治体制にするかというのは、それぞれの見なりそういうものがもって立つイデオロギーなり変革の過程がございますけれども、それは外交の上でこうでなきゃならぬとか、こうしなきゃならぬとかいうものではないというふうに御了承をいただきたいと思います。  非武装中立という社会党のいわば立党以来のあれにつきましては、憲法の理念に立脚をして、世界究極的ないわば悲願、目標から言えば、武器のない世界というものを念頭に置きながら、日本憲法体制というものを国内外の政策、政治の上に実現していくという考え方をとっているわけでありまして、そのように御了承いただきたいと思うのです。  それから、アメリカの対ソ戦略批判の問題点、いわば今度は逆にソビエトの方の戦略というものが何もないじゃないかという御指摘は、私の発言の中には載っておりませんので確かに触れておりませんが、多分にアメリカに比べてソビエトの場合には情報が限られてくるということは否めないところであります。ただ、何かソビエトを邪悪の帝国というふうなとらえ方をして、ソ連悪者論で軍備を強化しなきゃならぬと言われますが、私は、日本に関して言えば、ソビエトが積極的に日本に攻めてこなきゃならぬとか、あるいは日本を押さえなきゃならぬとかというふうな理由は、日本の置かれた諸状況からいって、ない。むしろ、日ソ間に今、事を構えるような状況があるかというとほとんど見当たらない。領土を無法にとられておるということが一つ物議の種になるわけですが、それは逆に言うと、とられておる側が取り返しにでもいこうかということになれば物議の種になりますが、この点はあべこべでありまして、そのような状況は存在しないのではないか。  ただ、ソビエトは広い国土を持っていて、あそこの外交なり軍事戦略というのは、広い国土でしょっちゅう攻められておりますから、国の周辺に翌同国といいますか、一種の緩衝地帯を置くということを基本的な軍事外交上の戦略にしておる国だという理解を私どもはしております。  それから、その一番目、そこが面倒なところなのですが、イデオロギーの対立だけでお互いにしのぎを削って、とめどもない軍拡競争に陥って、自分自身でもがいておる、戦後の一つの国際秩序の形成ですね、そういう時期と、またそれから後は順次周りも変わっています。でありますが、イデオロギーの対立というものよりは、やっぱりそれなりの、彼らは彼らなりの自国の安全とでもいうのか権益の確保というのか、そういうもの、私は先ほど米ソ似た者同士だと言いましたけれども、割合にあの二つとも余り他国のことにそう神経を使わないという点があるのじゃないでしょうか。そういう点で、お答えになりませんが、イデオロギーの対立というふうに割り切れる状況でもないと私は考えております。
  57. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 いろいろ意見の違いはございますけれども、時間がございませんので、また次の機会に譲りたいと思います。
  58. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) ちょっと速記をとめてください。    〔速記中止〕
  59. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) 速記を起こしてください。  それでは次に、中西珠子君の御意見に対し質疑のある方は順次御発言を願います。
  60. 下稲葉耕吉

    下稲葉耕吉君 私は、国際経済協力、特にODA中心にいたしましてお伺いいたしたいと思います。  三月十三日の当調査会の皆様方の御意見並びに先ほどからの御意見を承っておりますと、国際政治、軍事情勢の認識につきましては、それぞれのお立場もあって御意見の相違というのがはっきりうかがえるような気がするのですけれども、国際経済協力の分野につきましては、各党の主張を拝見いたしますと、多くの点に共通点があるということを見出しまして感銘を受けたわけでございます。  私は、開発途上国に対する資金フローにつきましては、国際機関等との協議、調整を背景にODA、OOF、PFを総合的にとらえまして、経済協力全体の効果的、効率的な配分を考えるべきだと考えるのでございますが、ここではODAに絞りまして中西先生に四点ほどお伺いいたしたいと思います。  先生の御提言の中で、「援助行政の一元化について」という項目がございます。私もこれは強く賛成いたしている者の一人でございまして、具体的に経済協力庁(仮称)の設置について意見を申し上げたいと思うのでございます。  今や我が国は、国際社会に伍しまして、経済大国の一員として世界の平和と繁栄に寄与することはその責務でございまするが、またそのことが日本自体の平和と繁栄にもつながるものと思います。しかしながら、国民の血税によって賄われますODAは、効果的に効率的に運用されなければならぬわけでございまして、一円のむだがあっても許されないわけでございます。ODA予算が既に六千六百億円にも達しようとしておりますし、今後また飛躍的に伸びようとしている今日、今まさにそのあり方について十分検討するべき時期に来ていると思います。  今日、発生的には理由があったのだろうと思うのでございますが、御指摘のとおり十五省庁に関係省庁が及んでいるわけでございまして、逐年大型化、多様化、複雑化しておるわけでございまして、率直に言って体制が追いついていないのじゃなかろうかというふうに思われます。  この種の援助は、国民に必要な時期に必要なものが与えられなければ意味がないものでございます。ここ数年のODAの各省庁別予算を見ますと、実はそのシェアが実に厳重に規定されているのに驚くわけでございます。援助は、そのニーズの変化に応じまして多角的、弾力性を持った援助こそ生きた協力であると思います。今や関係省庁がお互いに協調すればいいのじゃないかというような生易しい段階ではなくて、経済協力の理念を高く高く掲げまして、一元的な体制というものがぜひとも必要である。そのためにはスクラップ・アンド・ビルドによる経済協力庁の設置が緊要と思われるわけでございますが、この点につきまして御意見を承りたいというのが一つでございます。  もう一つは、要請主義に対する検討の問題でございます。  具体的な援助内容の決定の仕方についてでありますが、相手政府の要請に基づき決定するということは基本的には私は正しいと思います。しかし、それが御指摘のように一部の特権階級などの利益につながるようなことがあってはならぬわけでございまして、常に国際協力の原点に立って相手国のニーズが真にどのようなものであるかを見極めるべきでございます。  そのためには、国別に専門家を含めた委員会等を設けるなど、平素からあらゆる分野にわたって徹底した検討を行いまして、人道主義、道義的立場で行う協力にふさわしい具体的な内容を発掘いたしまして、それを相手国の要請内容と調整いたしまして、そしてそういう協議を経て具体的な内容を決定すべきだと思います。また、そういうふうにすることが、結果的にも長期的、継続的に二国間の友好関係を強化することにもなり、世界の平和の繁栄にも寄与すると思うわけでございますが、この点につきましても御意見を承りたいと思います。  三番目は、ハード面とソフト面の連携と申しますか、資金協力と技術協力の一体的運用についてお伺いいたしたいと思います。  我が国の国際経済協力の方向として技術協力の比重が高まることは当然のことでございます。そしてまた、民間団体の参加や開発協力の充実も含めまして緊急な対応が迫られている現状でございます。  そこで、この際十分留意いたしまして実行に移すべきだと思いますのは、資金協力と技術協力の一体的な運用でございまして、そういう仕組みのつくりかえができないかどうかということでございます。既にプロジェクト方式、技術協力の一部にそれが見られるわけでございますが、この際思い切って拡大強化すべきだと思います。  せっかく多額の資金を投入いたしまして公共施設、病院をいろいろつくりましたり、さらにまた機材等を入れます。しかし、その活用が十分に行われない。もちろん自助努力によってそのような運用を図るべきでございますけれども、例えば、特にLLDC等に見られますように、技術水準がそこまで達していないということもあるわけでございまして、画竜点睛を欠いては役に立たぬわけでございます。技術水準を高めていって、本当に自助努力によって援助の効果が発揮されるように持っていくまではやはり我々は十分関心を持ってやるべきではなかろうか、このように思います。  そして、援助額が非常に多くなって、援助も多岐にわたり複雑になっています。数も多くなっております。率直に言いまして、援助が雑になるようでは絶対に困るわけでございまして、体制を整備し、立派な人材を蓄積すべきであります。そういうようなことを通じまして自助努力、自立の道が開けるのでございまして、そういうようなことから、仕組みの上でも体制の上でも、また予算の面でもこういうふうな点を検討し、実施に移すべきではなかろうか、このように思います。  最後に、これは当委員会の問題でもあり、特に会長さんにもお願いいたしたいことでございますが、中西委員から具体的な提案もございまして、私も賛成するのでございますが、国民の大切な税金が本当に世界の平和と繁栄のために、世界の多くの困っている国々のニーズにこたえた援助として効果的、効率的に使われているかどうか、そしてまた、その援助のフォローアップが十分に行われて機能を果たしているかどうか、こういう真の正しい評価がさらにまたあすの生きた援助につながると思うのでございます。そして、国会がそれらのことにつきまして十分に審議しまして、その結果を国政に反映させるのは当然であり、我々の責任であると思います。  国政調査権が事実上国内のみに限定されているという発言がございましたが、そのようなことはあってはならないことでありまして、国会の活動も有機的に、有効にできるようにやってしかるべきだと思います。特にODA等の問題がさらに国際社会におきましてもまた国内におきましても多くの関心を呼び、注目をされているところでございまして、当委員会といたしましても、そのような役割も非常に重要でございますので善処されるべきではなかろうか、こういうふうなことで申し上げる次第でございます。ひとつよろしくお願いいたします。
  61. 中西珠子

    中西珠子君 下稲葉先生のただいまの御質問は、私に対する御質問と申しますよりもむしろ先生の御意見として承りまして、大変心強く感じたわけでございます。  私から一つお聞きしてよろしゅうございましょうか。——援助行政の一元化について、これはもう緊急の要務だと私は思っておりますし、先生の方もそのような御意見と承りました。経済協力庁の設置が緊急の要務というふうにお考えになっていると承ったわけでございますが、この経済協力庁は省としてですか、それともどこかの、総理府の外局とか外務省の外局とか、そのような具体的なことはお考えになっていないですか。
  62. 下稲葉耕吉

    下稲葉耕吉君 私は、できればやはり国務大臣を長とする省です。
  63. 中西珠子

    中西珠子君 国務大臣を長とする省ですね。
  64. 下稲葉耕吉

    下稲葉耕吉君 はい。そういうことで積極的に推進すべきだと思います。  今、関係の省庁に意見を聞いてみますと、援助行政の一元化にまではよく言い切れない情勢があるのじゃないかと思います。しかし、それは我々国会なり政治家の責任じゃなかろうかという感じがいたします。
  65. 中西珠子

    中西珠子君 どうもありがとうございました。とにかく、援助行政の一元化というものを図って、今非常に複雑化、多角化している援助を本当に効率的に行うと同時に、草の根の貧しい人々、飢えている人々にも届くような援助をしていかなくちゃいけないということで、基本理念の確立とか基本原則を盛り込んだ法律もつくって、そして今おっしゃいました国務大臣をいただいたような省ができれば一番望ましいと思います。スクラップ・アンド・ビルドと一言で言うのは易しいですけれども、これまでの歴史的な経過というものもございますでしょうから、こういう点はやはり各党が知恵を出し合って、本当に日本ODAはいいということを国際的にも言われるようなことにしていきたいと思っております。今、余りにも国際的な批判が多過ぎますし、援助管理能力が足りないなどということもDACから指摘されているような状況でもございますし、ぜひこれは下稲葉先生初め自民党の先生方のお考え、お力をおかりして、そして実現の方向に持っていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。  それから、援助の要請主義につきまして、これは私は、ことしは国際居住年ですから、やはり家なき人に家を与えるとか居住環境をよくしていくという方向に日本ODAをもう少し多くふやしてもらえませんでしょうかと外務省に言いましたら、これは要請主義に基づいていますからそんなことはわかりませんと、こういう大変つれない返答をいただいたので、要請主義というのは困ったものだなという感を非常に強くしたわけでございます。これは外交ルートを通じて相手国から要請がなければもちろん援助というものはできないわけでございます。  しかし、先生の御指摘のように、相手国との政策対話と申しますか、そういったものを常に持っていて、そして相手国の経済社会発展計画というものがあればそれをよく研究もし、またその援助の要請というものがどの計画の中に位置づけられるかというマクロ経済的な視野からも、また社会的な発展、貧しい人たちの福祉というもの、民生の安定というものからもやはりこれが望ましいというふうな、本当に慎重な事前の調査というものが絶対に必要なので、そういうものが企業任せになっていたり、コンサルト会社任せになっていたりして、そして今、援助の予算がどんどんふえている中でなかなか消化をするのが難しいものですから、慎重な調査なしに始めてしまったというケースもないわけではないということを聞いております。本当に相手国との政策対話もやり、また他の相手国に対して援助をやっている国々、それからまた、国際機関でその国に対して協力援助をやっているところとの話し合いというものも持って、余りにも重複を起こすような要請であったらそれは調整するということも必要なのではないかと考えております。  それから、ハード面とソフト面の連携につきまして、これはもう既にJICAあたりでも行われていて、外務省もそのような方向を推し進めているのかとも思いますが、無償資金協力と技術協力を一元的に運営しているという成功例もたくさんあることはあるわけでございます。しかしなかなか有機的にうまく運用ができない。技術協力の専門家の派遣がおくれてしまうとか、機材がうまくいかないとか、いろいろな問題が各地で起きているわけでございますけれども、その資金協力と技術協力を組み合わしたものをやはりやっていく必要があるということは、御指摘のとおりだと思います。しかし、それをどのようにしてやっていくかという、スムーズに運営していくための仕組みというもの、また何をもってその基準として、資金協力と技術協力を一元化したいわゆるプロジェクト方式技術協力というものをやっていくかということも、またいろいろ御相談申し上げたり、各党の御意見も伺わなければならないことだと思いますが、やはりきちっとした仕組みをつくっていくということ、それから手続をきちっとしていくということは絶対必要なのではないかと考えております。  それから、最後のこの調査会についての私の要望に関しまして、下稲葉先生が御支持くださいましたことは本当にありがたいと思いますが、私や下稲葉先生ばかりでなく、せっかくこの調査会に本当に優秀な良識ある方々がお集まりになっている、またこれが参議院の特色でもあるわけでございますから、ぜひ海外の調査もできるような予算をつけていただくような方向で会長に頑張っていただきたいと思うわけでございます。これは会長に対する要望でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
  66. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 近年論議になっている新国際経済秩序、いわゆるNIEOについてお伺いします。  この問題については、前回のこの調査会で上田議員が新しい政治関係の確立と合わせて、多国籍企業の規制、天然資源に対する主権の確立、公正平等の原則に基づく貿易、通貨、金融の国際経済制度の抜本的改革などを内容とする新国際経済秩序の確立ということを述べておりますけれども、中西議員、この新国際経済秩序の確立という問題についてどのようにお考えになっているか、お伺いします。
  67. 中西珠子

    中西珠子君 新国際経済秩序、いわゆるNIEOの確立ということは、これはもう絶対南北問題の解決のためには必要と考えておりますし、またいろいろ歴史的な経過を経た上で、一九七四年五月の国連資源特別総会で新国際経済秩序樹立に関する宣言が採択されたわけでございます。御承知のように、二十項目にわたる諸原則がうたわれているわけでございますが、やはり新興国家として政治的な主権は確立したけれども、開発途上国がかつての宗主国だとかそのほかの先進国から経済的に支配された状況のままでいると、経済的な主権の確立こそが望ましいといって、この諸原則を盛り込んだNIEO樹立に関する宣言を採択するように働きかけていった、これは当然のことであると思うわけでございます。  しかし、先進国の中ではこのNIEOを樹立するというための努力をなかなかしないところもございまして、一応天然資源に対する経済的主権の確立の原則というのは、建前としては受け入れられているような感じはいたしますけれども、依然として南北間の交易条件とかいうものは不平等ではございます。  そして、開発途上国の中ではすべてこれを一挙に実現するということは大変痛みを生じるという面もあるのかもしれませんが、なかなか遅々としてこの原則の実現が進まないといった中で、南の国の中でも非常に工業化を急ぐ余りに、北から多国籍企業をどんどん招き入れるという傾向があったり、また南の国の中の貧富の格差が拡大しているということもありますし、貧困と飢餓に悩む民衆というものもふえている。  また支配層の側では、社会不安を抑圧するためということもありましょうが、また種族同士の争いということもありましょうが、北からの武器購入というものをどんどんふやしている傾向がある。そういう民衆のために必要な物を買うというばかりでなく、こういった武器を購入するために外貨がなくなってしまっている国もあるというふうな状況もあるし、それから資源や環境破壊というものも進んでおりますし、そして人間の基本的な生存権というものが脅かされているような状況、生活基盤が崩壊しているような状況が起きている途上国も多い。こういう状況を見ますと、新国際経済秩序の中でうたわれている諸原則だけを実現したのでもう南の問題は解決ということにはならないのではないかというふうに考えます。  そして、第三世界を巻き込んだ軍備拡大競争というものや、それからとにかく武器ばかり買っているという、そういう状況を何とかしてやめさせていかなくてはいけないし、飢えている民衆、また本当に貧しくて住まいもなく、また病気なんかでどんどん死んでいく子供たち、そういった人たちの人間としての尊厳を守り、基本的な人権というものを守ってあげるような国際開発協力というものをやっていく必要があるのではないか。そういった面では、このNIEOの中の原則というのは全然触れていない、新しい状況に対しては対応していないという感じはいたしております。ですから、社会正義に基づいた平和の確立ということを目指して国際協力をやっていかなくてはいけないと思うのが、私の考え方でございます。
  68. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) それでは、午前の意見交換はこの程度にいたしまして、午後一時十分再開することとし、休憩いたします。    午後零時十分休憩      —————・—————    午後一時十五分開会
  69. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査会を再開いたします。  休憩前に引き続き、外交総合安全保障に関する調査のうち、国際情勢認識に関する件を議題とし、各会派の委員意見開陳に対し、各委員意見交換を行います。  それでは、和田君の御意見に対し質疑のある方は順次御発言を願います。
  70. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 幾つかまとめて質問させていただきます。  まず、これまでの質問の中でも他の議員にも述べた点ですが、抑止と均衡論について和田議員はどのようにお考えになっているかという点が第一点です。  それから第二点は、志苫議員について質問したと同じ内容になりますけれども、核兵器廃絶という問題についての位置づけ。繰り返しになりますけれども、全般的軍縮の一環としての核兵器廃絶ということか、それともこれを独自の緊急の課題としてとらえるのか、詳しくは先ほど志苫議員にお伺いしたと同じ問題意識での質問です。  それから三番目に、日米安保条約の評価と対応。結論的に言えば、日米安保条約は存続の必要があるとお考えになっているのか、廃棄すべきものとお考えになっているかということ。  以上、三点お伺いします。
  71. 和田教美

    和田教美君 それでは、まず第一点の抑止と均衡論についての私の考え方を申します。  中曽根総理は、常に抑止と均衡ということを盛んに言われるわけで、それが外交・安全保障政策の基礎になっているということが特徴だと思います。その立場から政府は、核トマホークの第七艦隊配備について、抑止力維持強化、米ソの戦域核バランスの回復という観点から、日本の安全にとって有益であるという見解でこれを認めたわけであります。  私は、東西の軍事的対抗関係の中で、日米安保体制が我が国の安全保障にとって一定の抑止的役割を果たしてきたということを全面的に否定するものではありません。しかし、盾には両面があると申しますか、もちろん抑止の効果も半面非常にマイナスもあるということもつけ加えたいと思います。まして私は、抑止と均衡論が中曽根さんの言うような万能薬であるなどとは決して考えておりません。抑止理論には、その考え方自体の中に軍拡へのメカニズムが内包されているという危険な落とし穴があることを常に警戒しなければならないと思います。  前の外交・安保調査特別委員会でも言ったことがあるのですけれども、核抑止という考え方は、平たく言えば相手が殴りかかってきたら必ず一層強い力で殴力返す、そして相手を決定的に痛めつけるぞというおどしを加えることによって、相手の核攻撃を断念させるという考え方でありまして、これが相互確証破壊戦略の原形だと思います。しかし、このおどしが、米ソ関係について言えばソ連に対して効果を持つためには、常に西側が東側を上回る核戦力を持って力の優位を保つことが必要だということになりがちであります。レーガンの軍拡路線はまさにこの軌道を走っているというふうに私は思うわけであります。  また、均衡バランス論というものにも同様に落とし穴があります。軍事情報というものは本来閉鎖的で、相手の実態がよくつかめない。それに双方の兵器体系には非対称性が不可避であります。そのことから、一体どの水準まで軍事力を増強すれば均衡状態になるのかという客観的な基準がないという問題がございます。そこでお互いに不安感に駆られて、幻のバランス水準に向けて、限りない軍拡競争を続けていく危険があるということでございます。したがって、私は抑止と均衡に対する絶対信仰は極めて危険であるというふうに考えるわけでございます。  それから、第二点の核兵器廃絶の位置づけの問題でございますけれども、先ほど志苫委員吉岡委員の問答を聞いておりまして、共産党のこの問題についてのお考えというのは大体わかりました。我々も、例えば公明党の八七年基本政策にも書いてございますように、「核兵器の全面撤廃は人類の存亡にかかわる問題であり、すべてに優先する課題である」、また、公明党としては、「核兵器については、いかなる国のすべての核兵器を否認し、目的、理由のいかんを問わず、その開発製造、実験、保有の一切に強く反対します。核実験の禁止、核拡散の防止はもちろんのこと、既存の核保有国に核兵器の全廃を要求します。」と、そういうふうに書いてございます。したがって、そういう見地から、核兵器の廃絶を全般的軍縮の一部として、事実上核兵器全廃を将来の究極の課題として棚上げするというようなのんきなことを私たちは考えているわけではございません。  ただ、この際つけ加えたいと思うのですけれども、そうかといって、現実の政治の中で核廃絶に至る道というのは非常に技術的な軍縮交渉などの段階をとるわけでございまして、やっぱり段階的なものにならざるを得ないというふうな現実もあると思います。したがって、核廃絶をただスローガン的に唱えるだけではこれはなかなか実現しないということも同時に現実だろうと思うのです。その意味で、今例えばジュネーブで行われておりますヨーロッパINF全廃交渉とか、あるいはまた戦略核の削減交渉だとかといういわば部分的な核軍縮への交渉というものも、これも非常に重要であって、それがもし一部分でもまとまれば、それが同時に米ソ緊張緩和に波及効果を及ぼすということも考えられるのではないかというふうに思うわけでございます。だから我々は、日本は核兵器の全面的廃絶のために、唯一の被爆国としてもちろん先駆的な役割を果たすべきだと思いますけれども、それと同時に、こういう部分的な、例えばINF交渉のようなものについての核軍縮措置というものについても、その重要性というものは認めていかなければならないというふうに考えるわけであります。  それから第三点の、日米安保条約の評価とそれからそれに対してどう対応するかという問題でございます。  今申しました公明党の政策の中に、公明党は、「かねてよりわが国が等距離完全中立を目指すべきことを主張してきました。わが国の平和と安全を確保する道は、あらゆる国との平和友好関係を推進し、将来、軍事同盟関係を解消することです。」、「等距離完全中立は、平和日本が将来の目標として目指すべき唯一の選択」だという趣旨のことが書いてございます。したがって、日米安保体制というものが未来永劫そのままで存続すればよろしいという考え方ではございません。しかし、我々が今言った軍事同盟解消、等距離完全中立という考え方を将来の目標として位置づけて、日米安保条約の即時廃棄論をなぜとらないかということでございますが、それはこういう目標を達成するための環境の成熟といいますか、条件の整備、つまり越えなければならないハードルがあるという現実的な判断からでございます。その条件とは、例えば米ソ間の緊張緩和の進展とかあるいは軍縮の進展、あるいはまた国連が国家間の紛争を平和的に解決する能力をもっと強化していくとか、朝鮮半島、インドシナ問題の平和的解決、中東における包括的和平の実現等、中東情勢の安定などアジア並びに世界緊張緩和が実現するということが一つの条件になると私は思います。  また、一国の安全保障政策は、科学実験のような試行錯誤は許されません。失敗が許されない、やり直しがきかないというものでございます。したがって、日本は選択したある体制、それから次の体制に移るには、一定の時間的要素とさっき申しました環境の整備というものが必要だ、だから我々の考え方はやや灰色だと言われるわけでございますけれども、廃棄か存続かという白黒論ではなくて、理想は常に掲げながらも、そしてその実現に努力しつつも、同時に現実を直視して、その上に実現可能な方途を求めることが重要だという考え方でございます。そういう意味から、現在の国際環境、アジア情勢というものは、まだ日米安保体制の解消を可能とするような国際関係の成熟には至っていないというふうに考えるわけでございます。したがって、今日の国際情勢の現状を冷静に判断し、また国民多数の現実的判断を考えると、日米間の友好を維持し、我が国の平和と安全を確保するために現実的な対応として、日米安保条約の存続は当面やむを得ないというふうに考えるわけであります。しかし、そのことと日本が日米安保体制の負の側面、マイナスの側面に目をつぶって、ただ米国の要求を丸のみにして歯どめのない軍拡路線にのめり込む、あるいはまたこの同盟関係の軍事的側面をますます強化していくということとは、全く別の問題だというふうに考えるわけでございます。  以上、私の考え方を申しました。
  72. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 和田委員に対して二点ほど質問をいたします。  第一問は、八ページの四段目に、今度のゴルバチョフ書記長の全アジア・太平洋安全保障会議との関連で、信頼醸成措置をソ連との間においてもとるべきじゃないかという意見が述べられておりますが、ヨーロッパの場合は領土が確定している、一応国境線が確定しているわけですけれども、日本との場合は北方領土の問題が確定していないわけで、両方の主張が食い違っているわけです。この領土問題を未解決のままにして信頼醸成措置をとることは、これは領土問題を放棄することになるのじゃないか。つまり信頼醸成措置というのは両方の国境を認めた上で、そして両方の領土内における軍事演習なんかをお互いに通知し合う、そういうのが一つの信頼醸成措置だろうと思うのですけれども、領土要求を放棄したというふうに受け取られるのではないかということが第一点でございます。  それから第二点、九ページの一段目のところに千海里シーレーン防衛、洋上防空は「憲法が示す専守防衛の枠をも逸脱するもの」というふうに指摘しておられますが、例えば領土、領海、領空以上に我が自衛隊が出て行く、例えば攻撃を受けたときに、領海のところまでは追いかけるけれどもそれから先は追いがけない、それから先へ出て行くということは憲法に違反する、専守防衛に違反するというふうにお考えかどうか。  この二点、御質問いたします。
  73. 和田教美

    和田教美君 まず、信頼醸成措置の問題でございますけれども、中曽根総理も含めまして日本政府は、ゴルバチョフの全アジア安全保障会議構想というものに対して、これにとにかく同意できないというふうに断ったわけでございます。そのときに挙げた理由がやはりこの領土問題でございます。  要するに、ヘルシンキの全欧安保会議を手本として、太平洋に関心のあるすべての国の参加する太平洋会議を提案したいというのがゴルバチョフ提案のごく骨子だと思いますけれども、これは、要するにヨーロッパにおける国境が一応確定したという前提のもとにそういう提案をしたというふうに日本政府は解釈をしているわけでございます。  関さんの今の御指摘も、同じような理由から、領土問題を抜きにしてそういう信頼醸成措置という問題に入っていくことは、領土要求を放棄したと受け取られるのではないかという御懸念だろうと思うのですが、私がここで挙げましたのは、信頼醸成措置だけを言っているわけでなくて、要するにソ連の提案を拒否する、ただそれだけで、何の反対提案もなくてソ連日本あるいはソ連アメリカは、ヨーロッパにおいては奇襲防止だとか信頼醸成に関するいろいろなチャンネルを持っているのに、アジアにおいては全くない、そういう現状のままでいいのか、やはりできることは少しでもやった方がいいのではないかという考え方から、例えばこの全アジア安保会議の全体的な構想については、核の問題だとかそういうような問題についてはいろいろ異論があるかもしれぬけれども、信頼醸成措置なんという問題は、それはそれで一つ切り離してやって別に差し支えないことではないか、こういうふうに考えるものですからこういうことを述べたわけでございます。  もちろん、領土問題についてソ連の言い分をのむとか、それをうやむやにするという考え方は毛頭ないわけであって、領土問題の交渉は引き続き日本の固有の領土であるということを強く主張して交渉していけばいいわけです。ただ全体的な対ソ政策として領土問題の懸案があるから、すべてそれが解決しなければだめだといういわゆる領土入り口論というものには私は立たないわけであって、例えば信頼醸成措置の問題一つをとっても、領土問題の交渉と並行してやることは可能ではないか、こういうふうに考えるからそういうふうに主張したわけでございます。  それから、一千海里シーレーン防衛と洋上防空じゃなくて何でしたか。
  74. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 千海里シーレーン防衛、洋上防空の考え方憲法の専守防衛考え方に反するのではないかということ。
  75. 和田教美

    和田教美君 一千海里シーレーン防衛と洋上防空、つまり領土、領海、領空の外まで出て行くことは憲法に違反する、専守防衛に反するというふうに考えるかということですが、この問題、憲法論で私もそれほど自信があるわけじゃないけれども、せっかく問題を提起されましたからまとめて、少し時間もあるようですから、私の考え方を述べてみたいと思います。  シーレーン防衛憲法との関係で問題が起こるケースは、主として集団的自衛権行使の問題だというふうに思うのです。我々は、現在中期防で進行中の千海里シーレーン防衛力の強化とか洋上防空構想というものは、憲法趣旨に基づく防衛基本方針である専守防衛の枠を逸脱するばかりか、憲法で認められない集団的自衛権の行使につながるおそれがあるという見地から反対をいたしております。  もちろん公明党は、現憲法下において我が国の平和的存立を守るための自衛権は認められると考えるわけですが、ここで言う自衛権とは国連憲章第五十一条に言う個別的自衛権のことでありまして、集団的自衛権の行使は憲法上認められないと考えております。このことは政府自身も同じようなことを言っておるわけでございます。  それは、NATO条約などのアメリカが多くの国と結んでいる相互防衛条約というものがいずれも集団的自衛権を基礎とする型のものであるのに対して、日米安保条約はその点ではちょっと異質であるというふうに思います。すなわち日米安保条約第五条は、武力攻撃に対する共同行動の範囲を日本国の施政のもとにおける領域に限定をいたしております。これは、日本側が憲法上集団的自衛権の行使を認められていない、そういう憲法上の制約に基づいているものだと私は考えます。したがって、米国の領域、例えばハワイだとか公海上の米艦船に対して集団的自衛権に基づいて共同行動をとることはできないし、またその義務もないと考えます。  そこで、我々はこのような憲法解釈に基づきまして、正当な個別的自衛権行使の範囲も無限的なものではない、常に必要最小限度のものであるべきだというふうに考えます。そして原則として、日本の領域つまり領土、領海、領空を保全するところまでに限定するのが妥当ではないかというふうに考えるわけであります。  そこで、先ほどの御質問にございましたように、領土、領海、領空に限定をするということになると、それ以上出て行ったら違憲になるのかというお話でございましたけれども、そういうことではなくて、領土、領海、領空、つまり日本領域というものを保全するために自衛隊が行動する、その行動する地理的範囲というものは必ずしも領土、領海、領空には限定されないというふうに私は思います。つまり兵器・技術の進歩という問題がありますから、領域も日本領域に近接した海空域に及ぶことはあり得まずし、だんだんそういうふうになってきているということはございますけれども、それも無制限にどこまで行ってもいいということではないというふうに私は思います。  この自衛隊の行動の地理的範囲については、最近政府側の解釈がどんどん拡張解釈といいますか、広がってきております。最初は領土、領海、領空だけでなくて周辺の公海、公空にも及ぶというふうな見解だったのが、最近では何も千海里シーレーンにも限定されない、他国の領域、領海まで入っていくということはいけないけれども、それよりも手前だったらいいのだというふうな見解になってきております。こういう点についてもやはり我々はもっと厳格な解釈をすべきだと考えております。したがって、日米安保条約下にあってもあくまで自衛隊は専守防衛に徹すべきであって、日本の領土、領海、領空以外のところで仮に米ソ戦争が起こったという場合に、自衛隊がすぐ公海に飛び出していって米軍を支援するということは、そもそも条約の建前にはないというふうに考えます。つまり、個別的自衛権を超えて、日米を運命共同体とする集団的自衛権の行使に踏み込んで領域外の他国の紛争に手を出すということは、憲法上は認められないというふうに思うわけでございます。  そこで、このような前提に立ってシーレーン防衛の問題を考えたいと思うのですが、まず問題なのは、今、政府が進めている一千海里シーレーン防衛とその洋上防空の性格の問題でございます。  従来、政府が説明してきましたような単なる通商路、航路帯の確保という線の防衛の場合には一千海里シーレーン防衛について、仮に外国の船舶がその輸送のために動いておるということについて、それを防衛するために日本の個別的自衛権の発動であるという解釈を政府が行っておるわけです。それはあるいは状況によってはそういう解釈ができるかもしれませんけれども、最近のシーレーン防衛論というのはそういう単なる線の防衛というものではなくなってきているというふうに思います。  つまり、日本列島を中心とした周辺千海里の海空域にコンパスで円をかく、そういう広大な海空域の面の防衛という考え方に変わってきているというふうに思うわけでございます。しかもその実態は、日本列島を米国の対ソ戦略の前進基地として位置づける。具体的には、日本アメリカの原潜や空母等をソ連潜水艦や核搭載の爆撃機バックファイアから守る、さらに三海峡を封鎖する、そしてソ連の極東艦隊を日本海に封じ込める、そのための補完的な役割を自衛隊が担う、そういう側面がだんだん強くなってきている。もちろんシーレーンの、つまり輸送路、航路帯の防衛というものも、日本独自のものもないとは私は言いませんけれども、今言ったような側面がだんだん強くなってきているというふうに考えるわけでございます。  そうしますと、このような一千海里シーレーン防衛論というものは、専守防衛の枠を大きく踏み外しているということはもちろんだと思うのでございますけれども、日本防衛というよりむしろアメリカの対ソ極東戦略の補完を目的とするものになっているのではないかというふうに考えるわけでございます。そうなると、例えば指揮系統は日米別々だから、だからいいのじゃないかとかいう議論がございますけれども、実際問題として日米の共同作戦行動は一体であって、お互いに守ったり守られたりするのは当然のこととされておるような状況で、これをすべて個別的自衛権の行使で説明するのは到底無理が出てくるのではないかというふうに思います。  政府の解釈によれば、日本に対する武力攻撃が発生している場合と前提をつけていますけれども、自衛隊が日米安保条約に基づく共同作戦行動をこのシーレーンの海空域でとっている場合、米艦船に対する攻撃を排除することは可能だ、そうしてこれは日本の個別的自衛権に基づく自衛の範囲に入るもので、集団的自衛権の行使にはつながらないという説明をいたしておりますけれども、これまた私は非常に無理があるのではないかと思います。日米それぞれが攻撃を受けた場合、お互いに守り合うというのがこの種の共同作戦の常態であるというところから見ると、それは集団的自衛権の行使と見るのが自然ではないかというふうに思うわけでございます。そういう意味で、個別的自衛権の範囲の拡大解釈をどこまでも進めていくという今の政府の解釈は、非常に危険だというふうに考えるわけでございます。  大体、私のこの問題についての考え方はそういうところでございます。
  76. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 大分意見の違うところがございますけれども、時間がございませんので、また次の機会に譲りたいと思います。
  77. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) それでは次に、上田君の御意見に対し質疑のある方は順次御発言を願います。
  78. 石井一二

    ○石井一二君 では、私は一問だけ上田議員の御見解について御質問をしたいと思います。  いろいろ御見解を述べておられまして、私も同意できる面あるいは根本的に考えを異にする面があるわけでございますが、その一番最たる部分、特に考えを異にするという面で今申しているわけでございますが、十一ページの二段目あたりに出ております「歴代の自民党政権は、日米安保条約とガイドラインのもとで」云々となった後、「国民の世論に背き、」というような決めつけ方をされておるわけであります。それで、この国民の世論そのものが日米安保条約を否定しておるかどうかということになると、世論とは何ぞやというところからいろいろ論じていかねばならないと思うわけであります。  世論というのは、それぞれの各人の意見の集合体の結果、大勢がどちらにあるかというように私は感じておるわけでございますが、例えばさきに行われた国政レベルの衆参ダブル選挙、私はこの各党の公約というものの一覧表を朝日新聞を通じて、特に上田先生の御発言をもとにして精査をしてみたわけであります。    〔会長退席、理事中西一郎君着席〕と申しますのは、はっきりと、例えば共産党さんの場合は、「日米安保条約を廃棄し、」と、こう書いておられます。民社党さんの場合でも「日米安保体制を堅持する。」ということを明記しておられますし、また公明党さんの場合は、かねがねの御発言で私は日米安保条約は認めていただいておるというぐあいに理解もいたしております。我が党は言うに及ばずでございますし、また社会党さんの場合でも、「日米友好条約の締結によって日米安保を交渉で解消する。」という表現になっておりまして、交渉の過程は一応それをまだ認めておるというような解釈もできないこともない。こういった中で国民がいろいろこういう各政党の公約を見て、それに基づいて一票を行使した結果が現在与えられておる議席の分布ということになっておると思うのであります。  そういう観点から立った場合に、国民の世論が、いわゆる世論に日米安保条約は背いておるという言い方というのは極めて一方的ではなかろうか、むしろ、国民のごく一部の世論に背いてというように私は理解をさせていただいてこの文章を読ませていただきたいと思うわけでございますが、ちょっと御所見を、今私の申した観点から承りたいと思います。
  79. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 お答えする前に、私の発言で、十一ページの二段目、左から五行目、「今日国連加盟国は百六十九カ国」と述べておりますが、これは百五十九カ国に訂正していただきたいと思います。  今の石井委員の御質問ですけれども、ここの「国民の世論に背き、」というのは、「日本アメリカの第一線核基地とする政策SDI研究に参加する政策」、この二つについて言っているわけです。日本は被爆国で、非核三原則は自民党政府も国是と言っているほどで、この点ではアメリカの第一線核基地にすることに賛成する世論はたとえあったとしても本当にごく一部で、圧倒的世論は第一線核基地にすることに反対していると思います。  この間の四月四日に、共産党の金子書記局長が公表しましたけれども、日本政府アメリカ政府との間で、一九六〇年の安保条約改定の際に、秘密の核兵器持ち込み協定、コンフィデンシャルアグリーメントがあったということが、六六年二月二十四日のラスク国務長官からライシャワー大使に対する秘密の電報に述べられていたことが明らかになりました。これはもう二十数年来世論に背いて、国是に背いて、また公約を裏切って核基地化を進めているという事態であって、私は強くこれを糾弾したいと思うのです。  それから、SDI研究に参加する政策も、これは例えば、朝日新聞の去年の十二月八日付の世論調査を見ますと、SDI研究に賛成するのは三割なのです。朝日には、「日本調査では、賛否、その他の答え、いずれも三割強で、国民的合意にはほど遠かった。」と書いてあります。私は、このSDI研究参加でさえ国民的合意にほど遠いという世論調査が出ているのですけれども、このSDI研究なるものが実は宇宙への核軍拡競争拡大なのだという事態を知れば、もっとこれに批判的な世論はふえるだろうと思うのです。  それから、なおる井委員は、私のこの「世論に背き」というのを日米安保条約問題についてという趣旨で御質問なさいましたけれども、安保についても最近の世論調査を申しますと、例えば、八三年十一月のNHKの世論調査ですと、どの国とも軍事同盟を結ばないで中立を望むという意見に近い答えが第一位で四五%を占めたのです。それから西側の一員で安保堅持という答えは二位で三〇%でした。十数年前はもう中立を望む世論が七、八割ありました。確かに減ってはおりますけれども、NHKの世論調査でさえ第一位を占めているという点で、石井委員の言われるような非常にごく一部の世論だとは私は考えておりません。  以上です。
  80. 石井一二

    ○石井一二君 これは日本語の解釈論議になりますから何十回言い合いしても結論が出ませんが、私は、今おっしゃっている日本アメリカの第一線核基地あるいはSDI云々ということが、結果としてそういうことが行われていますが、前提条件をも世論に背いてということで否定しておられるように解釈をいたしておるわけであります。  それと、世論調査、世論調査とおっしゃいますけれども、世論調査の場合のサンプリングの数というものはある程度限定されておりますが、各政党が自分のところの公約をそれぞれ公に示してその結果得た投票というものは全国民の意思を非常に反映したものであろう。もちろん、投票する場合にこの安保、外交防衛問題だけで投票するのではありませんから、ほかの分野でよりそれに賛同できるとか賛同できないとかいうほかの要素もございますけれども、あくまでこの日米安保に対する世論云々ということになると、大多数というよりもやはりごく一部の方が日米安保を否定しておられるのだろう、そういうぐあいに私は解釈をいたしております。
  81. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 重ねて申しますけれども、私の「世論に背き」というのは、安保反対が絶対多数だという意味ではなくて、よりよく読んでくださればわかるように、こうなっているわけです。「第一線核基地とする政策」、世論に背いてこういう事態を進めているということであります。  なお、一九五〇年ごろまでは、例えば、マッカーサー司令部でさえ日本は東洋のスイスなりと言いましたし、日本の外務省も、講和条約後は日本は中立ということを前提とした作業を進めていたということを西村熊雄外務省条約局長も後で述べているわけです。だから、ほとんど圧倒的に戦後五年間は国民世論は中立てコンセンサスがあったのです。それがその後三十数年にわたって安保条約を押しつけられているわけで、私は、今の新しい時代、国際情勢国内情勢のもとで再び中立を望む世論が多数を占める時代が必ず来るだろう、そう考えています。
  82. 永野茂門

    ○永野茂門君 引き続き上田委員に御質問申し上げます。  会議録では十ページから十一ページにわたってのところでございますが、委員によりますと、「八六年のレイキャビク会談を経て、アメリカの軍部やイギリス、西ドイツの政府からは、核兵器の廃絶どころか、核兵器は平和のために必要だとする核兵器固執諭が公然と主張され始めています。」というふうに取り上げてこれを非難され、最も重要なことは、「国際統一戦線にも比すべき反核国際統一戦線を結んで世論を動員し、核兵器固執勢力を包囲し、孤立させることにあるとみなしています。」と、こういうことを述べられております。核廃絶ということが人類にとって極めて重大な喫緊事であるということはもちろんそのとおりであると思いますが、それのやり方についてこういうことを重点に取り上げることについては、今から申し上げるような疑問がございます。  その第一は、大衆動員によるところの反核運動、核廃絶運動というものには、もちろん若干の効果はありますけれども具体的な効果は上がらない。特に、こういう世論というのは西側諸国に対しての運動が主となり、東側諸国、特にソ連に対しての反核運動というのはなかなかやりにくい。そういう点で西側に対してのみの反核運動に陥りやすい。これはまた一面、大変に危険なことであるというふうに考えられることが第一点であります。  その次は、核バランスが崩れたときには、通常、何らかの核兵器の使用、何らかのと申しますのは、核威嚇を含めましてその使用が今まで世界の歴史においてなされたことは上田先生もよく御承知のとおりで、第二次大戦においては現実アメリカのモノポリーであった関係で我々に使用されたし、その後ソ連がスエズ戦争のときにフランスだとかあるいはイギリスに対して威嚇を行い、あるいはまた、かのキューバ危機においてはアメリカが優位を利用してソ連に対して威嚇を行った、こういうことであります。したがいまして、核廃絶に向かって人類が前進していくための有効な手段としては、政府間の軍備管理交渉、軍縮交渉による具体的な核軍縮、核軍備管理が必要なわけでありますけれども、これは全く両方がよく合意し、そして本当に管理された、バランスのとれた核軍縮が行われなければならない。したがって、これの方に我々は力を注ぐべきであって、もちろん大衆運動について私はその効力を否定するものではありませんけれども、より米ソ中心とする核保有国間の核廃絶あるいは核軍縮に向かっての努力を勇気づけ支持していくという運動の方が大事であると思います。  それからもう一つの点は、核廃絶がなぜできないかという根本的なことに思いをいたさなければならないと思います。なぜこれが廃絶できないのか。これは人類が核兵器を保有したからでおり、そしてその核兵器が今のところ、あるいは恐らく見通し得る将来しばらくにわたって、極めて有効な兵器であるからであると思います。これ以上の有効な兵器をもって核兵器を無効にするか、あるいはそうではなくて、いわゆる破壊力を使うのではなくて、例えばSDIのごとき方法をもって核兵器、核ミサイル体系の無力化を図る、いずれかが成功しなければ核廃絶というのはほとんど不可能である、こういうふうに思わざるを得ないわけです。もちろんSDIだけが一つの方法だとは言いませんけれども、現在考えられるのはSDIが最も有効な手段であるというふうに私は見ております。これはまた先ほどからいろいろ各委員の御意見がありましたように、まだそれについては合意は得られませんし、いろいろな疑問が残っておりますけれども、いずれにしろ核兵器が無効である、有効でないという何らかの物理的な手段が出てこなければこれは廃絶できないのじゃないか、こういう感じがするわけでございます。  この二点について、反核国際統一戦線による世論動員は必ずしも十分な効果は発揮し得ないのじゃないかと私は疑問に思いますので、先生の御見解を承りたいと思います。
  83. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 時間の問題がございますので、なるべく簡潔にお答えしたいのですけれども、第一に大衆運動問題です。  これまで、例えばアメリカは朝鮮、インドシナ、台湾海峡その他で、記録されているだけでも十数回、核兵器使用の危険があったのですけれども、それを抑えたのは何かというと、やっぱり世論と運動だったと思うのですね。特にストックホルム・アピールなどはアメリカ政府の手を縛るのに大きかったし、アメリカ政府自身が回顧しておりますけれども、朝鮮、インドシナ、台湾海峡などで本当に使う直前までいったけれども、思いとどまったのは、日本の世論を非常に重視した、もし使った場合どういう反響があるかということを考えだということが公表されています。そういう点で、これまでも核戦争阻止、核使用を阻止する上で世論は非常に重要だったのですけれども、核兵器廃絶の課題に対してもやはり決定的なのは世論と運動だと思います。  例えば、レーガン大統領が核兵器をなくそうと呼びかけたのは一九八三年ですが、あれは八一年から八二年にかけての世界的に広がった反核運動、これがアメリカの大統領の中で三十数年来初めてレーガン大統領をして、SDI関連させてではあるけれども廃絶を言ったということがあるわけです。やっぱり米ソ交渉に征していたのではだめなので、反ファッショの国際統一戦線、あの世論と運動が第二次大戦の運命を決めたように、核戦争という人類の文明が本当に破壊されかねないこういう歴史的危機の中で、全世界人類がこの運動に結集すべきだと思う。  私どもは決して西側にだけ、アメリカにだけ言っているのではございません。私どもは、社会主義国は社会主義なのだからこういう運動の先頭に立つべきだということで、特にソ連ともいろいろ論争をいたしまして、八四年の十二月十七日には日ソ両党共同声明で、核兵器廃絶世界政治の中心的な緊急課題だということで共同声明を結びまして、それからともにその一点で共同行動をしているということをつけ加えさせていただきます。  それから二番目に、核バランスの問題です。我我は、核兵器のバランスが、ある役割を果たしていることは否定しません。ですから、例えばソ連に対しても、バランスは構わないから、ソ連は核兵器廃絶アメリカがどうあろうとやれとも言わないし、アメリカに対しても、ソ連がどうあろうとアメリカは一方的に核兵器廃絶せよと、一方的措置には私ども賛成しません。  しかし、この核バランスということの議論には、先ほどから問題になっておりますけれども、抑止と均衡の議論があって、これによって平和が保たれているという考え方があるわけです。これは実はそうでないので、抑止と均衡の理論のもとで、例えばこの三十年間に核兵器は二十五倍蓄積がふえているわけです。  抑止と均衡の理論については、例えば一九八〇年のワルトハイム国連事務総長の報告「核兵器の包括的研究」というのがありますけれども、抑止論というのは「仮定された核戦争のシナリオのうえに築かれた虚構なのである。」ということなども「むすび」のところで言っておりますし、「抑止の過程を通じての世界の平和、安定、均衡維持という概念は、おそらく、存在するもっとも危険な集団的誤謬である。」と、こう非常に鋭い断定を下しています。これは日本の代表も参加した報告ですけれども、そういう点で抑止と均衡に基づく平和というところから脱出していかなきゃならぬ、そう我々は考えておりまして、そのためには本当に国際的な大運動が必要だ。もちろん委員もおっしゃったように、核兵器廃絶のためにも核保有国間の協定が要ります。それを目指す、結べという世論と運動、これが人類の運命を握っている主役だと我々は考えて。います。  三番目の御質問で、なぜできないかということで委員は、核兵器廃絶というのは非常に困難なのだ、核兵器は最も有効な兵器なので、むしろこれがかなり長く必要だというようなお話がありましたけれども、私はこの考え方には反対です。この調査会でも、地球の環境問題で核の冬についての参考人意見もありました。そのとき私も申し上げたのですけれども、例えば核の冬というあの衝撃的な科学的事実は、核戦争に勝利者がないということを裏づけたことだと思うのです。だから、第一撃で向こうの核基地を全部つぶして勝利者になったと思った途端に、舞い上がったすす、それから煙等々で地球が核の冬になる。その舞い上がったちり、煙が発射した国の上空にも例えば十何日かたつと来るというのです。そうすると自分自身が死滅してしまうということなので、やっぱり核戦争に勝利者はあり得ないのだということを物理的事実をもって明らかにしたわけです。そうしますと、核兵器の持っている軍事的有効性、戦略的有効性についても根本的否定が今生まれ出ているわけです。  その意味で、核兵器というのは既に存在し、最も有効だからこれに依拠して平和をというしかあり得ないのだという考え方は根本的に間違っているのであって、核兵器廃絶を全人類、社会主義国であろうと資本主義国であろうと、すべての政府が一致してこれを目指すということが必要だと思います。  ですから、八五年一月の米ソ外相会議の共同声明では、来るべきジュネーブ交渉の最終目標は、あらゆる分野における核兵器の廃絶だということをも認めたぐらいですので、既に世界政治の日程に上っていてその実現が非常に急がれていると、そう考えています。
  84. 永野茂門

    ○永野茂門君 私の発言が、核兵器の有効性ということで現在の平和維持に有効であるというふうに解釈されたようでありますけれども、私が有効であると言ったのは、最も有効な破壊力である、したがってその破壊力を無効にするか、あるいはより以上の破壊力が出るまではその破壊力を廃絶するということは難しいだろうということを言ったのでありまして、核兵器が今の平和維持機構にこれからもずっと長い間有効であろうということを希望して申し上げたのではありません。それは訂正しておきます。  いずれにしろ、若干の意見の相違はありますけれども、以上をもって質問を終わらせていただきます。
  85. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 いや、破壊力としても既に有効でなくなっていると思うのです。  去年の国連総会に報告された国連事務総長報告「安全保障の概念についての研究」というのがありますけれども、この報告でも、「核時代においては、戦争は政策手段であることはできない。核戦争には勝者はなく、敗者だけであろう。核兵器にたいする防衛は存在しない。」と、こう書いてありまして、破壊力としても有効だというのじゃなくて、本当に人類破滅の全く意味のない……
  86. 永野茂門

    ○永野茂門君 論争になりますので、やめます。
  87. 和田教美

    和田教美君 上田委員二つ質問いたします。  まず、さっきも私申し上げたのですけれども、我々も、核兵器の全面撤廃というものは人類の存亡にかかわる問題であって、すべてに優先する課題であるという考え方でございます。したがいまして、上田さんがこの意見陳述の中で、米ソ交渉で核兵器廃絶についての独自の交渉の場を設けるように望むということをおっしゃっておりますけれども、我々もそういうこと自体には何ら異論はございません。  ただ、ここで一つ質問申し上げたいのは、この核兵器の廃絶が今日の緊急の中心課題だという観点を余りに強調すると、そのことが結果的にいわゆる上田さんの表現による個別的措置ですね、それぞれの個別の核軍縮交渉というものについての評価をともすれば過小評価することにならないかどうか。  現実の問題として、さっきも言いましたように、核軍縮核廃絶に至る道というのはどうしても段階的なものを踏まなきゃいかぬわけだから、核兵器の全面廃絶が緊急の課題だということはそのとおりだけれども、同時に、そういう個別交渉というものもやはりそれはそれで非常に重視していくということが必要ではないか、こういうふうに思うのですけれども、その辺の位置づけはどうなっているのか、逆にひとつ御質問をしたいと思うのです。
  88. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 私たちの考えは、そういう個別的措置、これは私どもも、例えば核実験全面禁止、核兵器使用禁止、それから非核武装地帯の設置等々非常に重要な個別的措置がありますし、それは絶対過小評価していないのです。しかし、そういう個別的措置を実際に有効に進めるためにも核兵器はなくするのだという問題意識と、それを中心的課題、緊急課題として取り組むことが世論、運動の分野でも、あるいは米ソ両国も、あるいは国連の場でも必要だ。それがなしに部分的措置、個別的措置が今日的なのだというのでそれだけ追求しますと、実際には有効な措置にならないということが戦後の軍縮交渉の歴史ではっきりしているし、それが最も重要な教訓なのじゃないかと考えているわけです。  私の発言で、十ページの下のところに十行はかりですけれども、軍縮交渉史を簡単に述べているのです。第一号決議以来十年ぐらいの間はやはり核兵器をなくそうということで、一応それをテーマにした交渉があったわけです。その転回点になったのはここに書いてあります一九五五年なのです。五五年五月十日にソ連がマリク提案として、西側の提案にほとんど全部賛成したことがあるのです。賛成そのものは、まず通常兵器の軍縮、最後に核兵器の全廃という、まるで段階までひっくり返したもので、私たちは行き過ぎた妥協だと思ってはいるのですけれども、ソ連がこのマリク提案を出した途端にアメリカは、従来の国連でのすべての主張を留保すると言って、核兵器というのは必要なのだという態度を八月に明らかにするのですね。これは非常に重要なところで、ノーベル賞をもらったノエル・ベーカーさんは、「軍備競争」という本の中で、マリク提案のあった五五年五月十日を希望の瞬間だと言っているのですけれども、そういう転回点になったのです。それ以後、核兵器廃絶を国連の場で交渉のテーマにしないで、やっぱり軍備管理ですよ。核兵器というのは必要なのだ、それを管理する以外にないのだという立場でほぼ三十年行くのです。軍備撤廃議論がフルシチョフとケネディの間でありましたけれども、あれは宣伝合戦みたいなもので、実際にはそういう軍備管理になってしまった。だから部分的核停条約あるいはSALTIでも全部軍備管理の一環なのです。  ですから我々は、国連の場でも核兵器廃絶ということが三十年来テーマにもうならなくなった。どうしてもそれをテーマにすべきだということを強く主張しまして、だから国連の場でも米ソ交渉の場でも核兵器廃絶をテーマにして、同時に個別的交渉もやるということが必要だと思うのです。ところが、今のジュネーブ交渉は、三つの個別的分野については委員会が三つつくられておりますけれども、肝心の米ソ外相声明で、すべての領域での核兵器廃絶というものを合意しているのに、廃絶問題をどうやろうかという委員会がないのです。そうしますと、個別的問題でまとまりませんと全部だめになってしまうのです。レイキャビク会談でもやはりそうで、例えばSDIでまとまらないと全部パアでしょう。  だからそういうのではいけないので、核兵器廃絶を、両方が認めた重要な中心テーマなのだから、それを交渉の場にもちゃんと委員会を設けて、そこで議論をすべきだという提案をし、しかし同時に、米ソ交渉に任すだけではなくて、そこで世論と運動を迫っていくことが大事だ。核兵器をなくせという運動なしには核兵器をなくす交渉などというのはあり得ないわけで、その運動の中で、唯一の被爆国としての日本は特別に大きな責任を持っている、そう私ども考えているわけです。
  89. 和田教美

    和田教美君 もう一つ、十二ページの三段目の最初のところに、社会主義経済が抱えているさまざまの問題点の中の共通の問題点として、軍事費の重圧ということを書かれておるわけですけれども、それは、「一つ国際情勢の厳しさから余儀なくされている軍事費の重圧」という表現になっておるわけでございます。この考え方は、やはり資本主義各国、つまりアメリカ中心とする西側の軍事力の増強がどんどん進むので、やむを得ずそれに対抗してソ連軍事力の増強を余儀なくされているのだ、だからソ連が軍事費の削減を必要とするために軍縮の実現を本当に望んでいるのだという文脈になっていると私は思うのですけれども、果たしてそうかどうか。つまり、軍縮を望んでいるという点においては、私さっきも触れましたようにそうだろうと思うのですけれども、西側の軍事力の増強が先にあって、それに対抗するためにやむを得ずソ連軍事力の増強をしているという文脈でとらえるべきかどうか。むしろ両方ともに、アメリカソ連も力による抑止という考え方に立って軍事力の増強をしている、そしてソ連の中にも軍拡を促すような例えば軍部の発言力とか、そういう圧力があるというふうにとらえた方がより現実に合っているのではないかと思うのですけれども、その点はどうお考えでしょうか。
  90. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 先ほど申しました国連の戦後の第一号決議、大量破壊兵器の廃棄がうたわれていたのですね。当時、原子力委員会問題でアメリカ側は、アメリカだけが持っている核兵器の独占を考えたバルーク案というのを出してきたのです。それに対してソ連は核兵器廃棄を強く主張するのですけれども、一九四九年ですか、ソ連が原爆実験に成功して核兵器を持つわけです。これは、アメリカが独占しようとしているので余儀なく核兵器を持たざるを得なかったという面が一つあります。  それから、軍事ブロックについてもNATOがつくられ、それに対抗して余儀なくワルシャワ条約機構をつくったという経過がやはりあるわけです。ですから、核兵器の問題でもまた軍事ブロックの問題でも、ソ連としては西側との対抗上余儀なくされたという時期が戦後あったと思うのです。  ところがおっしゃるように、私どももこれは批判をしたのですけれども、ソ連の側も余儀なくされた面はありながらも、すべての軍事ブロックをなくす、また核兵器を全部なくすということを掲げて闘わなきゃならないのに、そういう面が引っ込んでくる時期が生まれてくるのであります。例えば、一九七六年の第二十五回党大会というのがあるのですけれども、この党大会で、その前の党大会にあった核兵器禁止とか軍事ブロックの解消というのは消えてしまうのです。これはやはり力による抑止に変更していくプロセスだったと思うのです。特にそれが頂点に達したのがブレジネフ時代の八一年の第二十六回大会で、このブレジネフ報告では、東と西の軍事力均衡が平和の保障なのだということをはっきりうたいまして、もちろん核兵器禁止にも軍事ブロック解消にも一言も触れないということが出まして、私どもこれを厳しく批判しました。これは軍事力による平和ということで、これは行き過ぎたという批判をしました。  それで、今のソ連は、先ほど申しました八四年の私どもの党との共同声明で、やはり核兵器禁止の問題でも非常に正しい見地に立ちましたし、今のゴルバチョフ時代のさまざまな提案には、まだまだいろいろな、力による抑止の残りかすその他はあると思いますけれども、基本点では積極的な方向に進んできているのじゃないか、そして軍備の重圧が国民生活、また平和的な経済発展を非常に阻止しているという点を強調しておりますし、私どももソ連などすべての社会主義国が軍縮のために真剣な努力を払ってほしいというふうに希望しています。
  91. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 こうして並んで質問すると、どうもファイトが沸かないのですけれども、大いにファイトをかき立てて質問いたします。  十一ページの二段目から三段目にかけて、アメリカの方は「帝国主義」という言葉を使っておられ、ソ連の方に対しては「覇権主義」という言葉を使っておられますけれども、この「帝国主義」と「覇権主義」というのはどういうふうに違うのか。恐らくこれはレーニンの帝国主義論の考え方、すなわち資本主義国が一定の発展段階に達しこれこれの条件がある場合に帝国主義段階に入る、そういう定義を使っておられるのだろうと思うのです。あのレーニンの帝国主義論というのは、ローマ帝国の膨張主義であるとかあるいはベネチア帝国の膨張主義であるとかそういうことは一切無視して、帝国主義という言葉をその当時の資本主義国を非難する意味で、帝国主義というのは余りいい響きはないわけですから、それを非難する、つまりプロパガンダの意味であの言葉を使っている。そういうふうな使い方ではローマンエンパイアなんかを知ることはできないと思うのですけれども、そういう意味で「帝国主義」、及びそのレーニンの帝国主義の定義からいえばソ連は入り切らないので「覇権主義」という別な言葉を使っておられるのかどうか、その点。それで「覇権主義」とどういうふうに違うのか。  それから第二点、十二ページの三段目以降に「ゴルバチョフ政権下のソ連では、投資のやり方の改善」云々、「レーニンが指導したNEP(新経済政策)から今日的指針をくみ取ろうとしている点など、注目されます。」というふうに書いてあります。レーニンはあれを国家資本主義だというふうに言っておりますけれども、あのNEPの考え方を肯定されるのか。「注目」されるというだけじゃ、つまり肯定的に受け取っておられるのか否定的に受け取っておられるのか、それがよくわからない。  それからそれに関連しまして、十三ページ二段目の八行ぐらいのところに、「そして同時に、社会体制の問題としては、首尾一貫した民主主義的体制の確立、」というふうな「見通しを持っています。」云々と、長いから省略しますけれども、この「首尾一貫した民主主義的体制」というのは一体何を意味するのか。つまり今までの体制はやはり民主主義であったのかどうか。レーニンはプロレタリア独裁——共産党の最近の訳文によりますと執権というふうな翻訳の言葉を書いておられますけれども、ディクタツーラですね、そういった一党のディクタツーラも民主主義であるのか。それで、その立場でそれをもっと一貫させていけという趣旨なのか。あるいは最近選挙のときに複数の立候補者を認めるようになってきた。これは私は複数の候補者が立ち、複数の政党が立ち、複数の意見があるのが本当の民主主義だと思うのですけれども、そちらの方に変わるべきだという意見で「首尾一貫した民主主義的体制の確立」という言葉を使っておられるのかどうか。それが第二点。  それから、十二ページの四段目以下ずっと全体の文章を読んでみますと、確かに現代の国際経済秩序の欠点、矛盾があることを指摘されております。私も部分的には同感するところはあるのですけれども、それではそれにかわるどういう望ましい国際経済秩序があるのか、あるいは世界経済全体を一つのプランニングのもとに置くというふうな経済秩序を考えておられるのかどうか。  この三点をお伺いします。
  92. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 まず第一点の「帝国主義」と「覇権主義」の関係ですけれども、ここは帝国主義と覇権主義を区別しているのじゃなくて、今日ニカラグアに対するアメリカ帝国主義の軍事干渉、アフガニスタンに対するソ連の侵犯を初めとして、アメリカのニカラグア干渉もアフガニスタンに対するソ連の侵犯も大国主義、覇権主義なのだと、そういう文章なのです。
  93. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 両方とも同じように覇権主義であり大国主義であり、帝国主義ではないわけですか。
  94. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 両方とも大国主義であり、そこは、厳密に言いますと、ソ連の側は社会帝国主義という言葉をレーニンなんか使っているのですね。社会主義国が帝国主義と同じような侵略やら平和の侵犯、民族自決権の侵害をやった場合には口先だけの社会主義だ、これは社会排外主義、社会帝国主義だというふうに言っているのです。我我は覇権主義というのは、例えば軍事的、政治的あるいは経済的に他国に影響を及ぼし主権を侵害し支配すること、民族自決権を侵害して他国の内部の出来事に口出しをしたり干渉したり圧迫したり、それを大国主義、覇権主義と見ているわけで……
  95. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 かつ帝国主義。
  96. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 いや、覇権主義、大国主義と、言葉はそういうふうに言っているのです。その大国主義、覇権主義の行動をするものの中に、帝国主義によるものもあるし、それから残念ながら社会主義によるものもあるという見方なのです。帝国主義と社会主義というのは社会体制についての概念です。大国主義、覇権主義というのはそういう行動に、あるいは政策についての規定なのですよ。それで、先ほどレーニンのお話がありましたけれども、レーニンはスターリンが民族自決権を侵害したとき、これは社会排外主義だ、社会帝国主義だということを言いましたし、それから第一次世界大戦に第二インターナショナルが賛成しまして軍事費に賛成したりした、これは社会帝国主義だという批判をしたのです。社会主義が帝国主義と同じ行動をとった場合には社会帝国主義という言葉なのです。  ただ、我々は今の大国主義、覇権主義について言いますと、アメリカに一番典型的に見られておりますが、あのベトナム侵略とか今のニカラグア干渉とか、アメリカ帝国主義にとってそういう民族抑圧や侵略はかたり体制としてレーニンが分析したような本質的なものがあると思っているわけです。ソ連、中国の場合には避けられ得ると、社会主義の原則から逸脱していろいろなことをやっているわけですね。これは体制から不可避的なものではなくて、この大国主義、覇権主義をやらないで正しい方向に進む十分な可能性を持っているというふうに我々は見ておるのです。  ところが、なかなか一時的なものじゃなくて何度も何度も繰り返されるわけです。チェコスロバキア侵略、それからアフガニスタン侵略、ポーランド干渉、それから先ほどお話が出た千島問題なんかもそうです。あれは第二次大戦で領土不拡大を決めた大西洋憲章、カイロ宣言に違反しているのです、ヤルタの秘密協定で。アメリカソ連、イギリスがヤルタの秘密協定を結んで、スターリンの要求をのんで千島はソ連に渡すということを秘密に取り決めた。それはスターリンの間違った主張に賛成したアメリカ、イギリスも悪いですけれども、やっぱりスターリン、ソ連の側の誤りが大きいわけです。ですから、千島のソ連の占領もこれは大国主義、覇権主義の一つのあらわれだという立場でカイロ宣言、大西洋憲章に基づいて領土不拡大なのだ、当然第二次大戦の戦後処理として誤っているから全部返すべきだという態度を我我はとっているのです。  しかし、そういうふうにかなり根強く出てきますので、私どもはおととしの第十七回党大会で綱領に入れたのです。社会主義が行うこういう覇権主義を是正することは非常に重要な綱領的課題だとして、共産党の綱領綱領修正をしまして入れたのです。それで、社会主義国の一部にこういう覇権主義の偏向が表面化した、これは国際緊張の一定の要因となるとともに、対外干渉と侵略に本来無縁である科学的社会主義の理念を傷つけ、民族独立、平和、社会進歩のための連帯と闘争に困難と障害をつくり出した、こういうことでこういう覇権主義的偏向の克服のために闘うということは日本共産党の重要な課題だ、ということで党の綱領にまで入れまして、これは非常に重要な歴史的な課題だと思っています。もちろん、我々はこれは克服不可能な偏向ではなくて、必ず克服できる偏向だと考えているわけです。  それから二番目の御質問は、ゴルバチョフの内政改革の評価でございますが、私どもは、ソ連にしろ中国にしろ内政問題については、これは我々がソ連や中国の日本共産党や日本の運動に対する干渉を誤った干渉だと言って厳しく批判し抗議して闘ってきておりますので、内政問題ですので、干渉的発言は党としては控えているのです。しかし、ゴルバチョフ書記長のもとで行われている今のペレストロイカと呼ばれている改革、向こうでは改革というよりも立て直しとかいう言葉を使っているし、再編、つくり直すということで、かなり本格的な運動として進んでいるようです。私どもは実情を調べて、文献を見るだけでなく、特派員からも事実の報道を行っておりますけれども、積極的なものだと考えています。  私が述べた中で、例えば投資のやり方の改善というのが出ていますが、これはおととしの四月、中央委員会総会でゴルバチョフが述べていますけれども、私も実はそれを読んで驚きまして、これまでソ連では、投資というと新しい工場をつくったり、新しい鉱山をつくったり、新規の投資だと、今まである工場の設備改善はほとんどしてこなかったということが書いてあるのです。これではだめだということで、設備改善に対する投資を大いにやらなきゃならぬということを非常に力説しているので、そういう経済原則に反した投資のやり方が今までまかり通っていたのかと思って、私も改めて驚いたのです。これは一例ですが、ゴルバチョフ書記長のもとでの再編の運動というのは、そういう工業関係の投資、それから運営だけじゃなくて農業に及び、さらにソ連の民主主義の問題、それから党の幹部の問題にまで及んでおりまして、ことしの一月の総会の報告などは非常に大胆な、かなり突っ込んだところまで行っているように思うのです。  それから、NEPについては、私ども戦時共産主義から戦時共産主義のいろいろな諸問題に直面して、やっぱり農民との関係を改善していく、それから利権とか先ほど言われた国家資本主義、それから協同組合の方向を非常に重視して進んだ方向で私どもも高く評価している。ゴルバチョフの再編の運動の中でもレーニンの時代の経験、それからNEPの経験というものを非常に大事にして、あの当時の国民の燃えるようなイニシアチブを本当に生かして進もうということを呼びかけておりますので、この点も注目したいと思っております。  それから、首尾一貫した民主主義という問題は、ソ連にも中国にも当てはまることで、これはソ連、中国の責任だけではございませんけれども、非常におくれた農業国から出発した革命でございますので、ソ連にはちょっとものはえた議会しかありませんでしたし、中国には議会なんかないわけで、そういう政治的にも経済的にも文化的にもおくれた国から進んだわけです。そういう面もあり、それからスターリンの誤り、毛沢東の誤りも結合して民主主義という点ではさまざまな問題点がありましたし、非常に大きな悲劇的な誤りさえ犯されたと思うのです。レーニンも社会主義革命をやったからといってすぐ民主主義の国にできるわけじゃないのだ、社会主義革命をやったというのは・社会主義的な経済的土台ができたのである可能性が生まれたのだと言うのです。正しい政策、正しい政治を行う、その可能性現実のものにできるかどうかというのは、本当に民主主義化が国家全体に達成されたとき初めて保障されるということなどを言っておりますけれども、そういう点ではソ連も中国もまだまだ多くの問題を持っております。ですから、我々は特に日本は発達した資本主義国でもありますし、複数政党を初め議会制民主主義を堅持した社会主義でなければならないと思っております。  なお、ディクタツーラの問題についても御質問ございましたが、我々はあれは、国家なんか要らないのだというマルクスの時代にアナーキズムの主張がありまして、それに対してマルクスが、いや労働者階級が権力を握った国家というのが必要なのだということで、それをプロレタリア・ディクタツーラと名づけたのですね。レーニンの時代に確かに一党制度になったのですけれども、当初はメンシェビキその他複数政党で十月革命の直後やっていたのです。それが武装蜂起その他反乱を起こして、それで禁止されるということで一党になっていったという歴史的な経過がソ連にはありますが、その歴史的な経過から生まれた個別的問題をやや普遍化し過ぎた理論的な行き過ぎもあったと我々は考えています。我々はその点では、長い論文も書き、党大会でも非常に研究をして、ディクタツーラ問題というのを綱領からは外す。それがただまずい問題だから外すというのじゃなくて、マルクスの当時の研究の原点に戻れば、これは労働者階級の権力という言葉と同じなのだから、何も繰り返す必要はないというので省いたということがございます。    〔理事中西一郎君退席、会長着席〕  それから四番目の御質問で、それではどういう国際経済秩序が必要と考えているかという御質問がございました。これは先ほど中西珠子委員が触れられましたけれども、新国際経済秩序(NIEO)については七四年の国連の資源特別総会での総会の宣言がございます。これは満場一致確認されたもので、私もここに持ってきておりますけれども、新しい国際経済秩序としてaからtまで二十項目に及ぶ宣言の原則が書かれている。この二十項目全部一三言うというのでなくて、私は、この発言の中で十三ページの二段目ですけれども、NIEOについて私どもが最も重要だと思う内容を要約して書いてあります。多国籍企業の規制、天然資源に対する主権の確立、公正、平等の原則に基づく貿易、通貨、金融の国際経済制度の抜本的改革。つまり、これはIMFとか世界銀行とかさまざまな現在ある国際経済制度がございます。こういうものを本当に公正、平等の原則に基づいて、このNIEOの原則に盛られているような方向で改革すべきだということです。  私どもは、この国連総会の七四年の宣言はかなり発展途上国を主体にして書いてありますけれども、NIEOというのは単に発展途上国にとって重要な課題であるだけでなく、国連総会で二回も採択されていることでも明らかなように、私ども発達した資本主義国の場合にも、また社会主義諸国にとっても、世界全体にとって共通の課題としての位置づけを持ち得ると思っています。  ところが、残念ながら、国連総会で七四年にこういうものが採択されたにもかかわらずなかなか実行されない。NIEOの確立に関する行動計画というのが同時に採択されているのですけれども、せっかくこういう行動計画が採択されておりながら実効ある措置がとられていないのです。それは国連に責任があるだけでなく、やはり西側諸国、発達した資本主義国に最も大きな責任がある。特にアメリカ、また日本は今世界のGNPの一〇%を持っておりますし、あと十年たてば一五%というくらいの国際的な比重も非常に大きいので、このNIEOの実現に対して、単に南北問題として取り組むだけでなくて、今の日本の異常円高、日米貿易摩擦等々、これらの諸問題を解決するためにも日本ももっと積極的にNIEOに取り組む必要があると思うのです。  そういう取り組みに対して障害になっているのは、私の報告の中で冒頭に書いた多国籍企業の規制の問題です。多国籍企業の問題を本当にどう規制するかということが私は中心問題の一つだと思うのです。今アメリカ世界最大の債務国に転落したのもあの双子の赤字で悩んでいるレーガノミックスが大きな責任を持っておりますけれども、同時に多国籍企業があれだけ広がったためにアメリカ産業が空洞化しているという大問題があるわけです。日本も今異常円高のもとで多国籍企業段階を本格的に進もうとしつつあるだけに、産業空洞化の規制のためにも、多国籍企業をどう規制していくかということに取り組む責任を持っていると考えています。
  97. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 現段階の共産党の国際情勢認識、大変おもしろく拝聴いたしました。少なくとも昔の共産党の考え方とはかなり違ってきているということを認識したわけです。
  98. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 もとからそうなのです。
  99. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 ただ、一つだけちょっとはっきりわからない点があったのですけれども、そうすると、やはり民主主義であるためには、複数の意見、複数の政党が存在しなければ真の民主主義とは言えないというお考えですね。今まではソ連の場合やむを得なかった。しかし、一党独裁ではデモクラシーとは言えないという考え方ですね。
  100. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 そうです。
  101. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 そうすると、やっぱり複数の政党がなくてはいけない。
  102. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 我々は、第十四回の臨時党大会で、共産党としての民主主義問題についての宣言を採択しておりますけれども、そこにはそういう複数の政党制度だけでなく、政権交代制も社会主義のもとでもちゃんととるということをはっきりうたっているのです。これは、社会主義になって選挙で負けても、あくまで権力でしがみついてやっているというふうなことはしないわけです。選挙で負ければ交代するので、我々は、正しい政策を取り進んでいけば選挙で負けることは絶対にないであろうと、そういう確信を持ってやっているわけで、建前としては、そういう民主主義的な制度をとらなければいかぬ。それは、民主主義がなければ国民の一人一人がイニシアチブを発揮して、元気よく創造的に活動したり生活したりしないからです。上から命令されてだけやるというのではなかなか創造力が発揮されない。  私、ゴルバチョフの報告を読んでかなり根本に進んでいるなと思ったのは、今の民主主義の問題を出しまして、本当に世論に訴えて、ソ連国民の自発性、創造性を引き出さなければ今のソ連社会は前進しないのだということを述べ、同時に、党にも責任があるということで、党の党内民主主義の拡大、選挙制度の見直しなどなども提唱している点は、かなり大事な中心のところに進んできつつあるなというふうに見ているわけです。
  103. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 その点は、確かに一九五〇年代の日本共産党とは非常に変わっているということは私は言えると思います。
  104. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 あの当時は分裂しておりましたので、片方しか見ていらっしゃらない。
  105. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 もう一つそれに関連して、やはり体制としては資本主義が高度に発展したアメリカあるいは日本というのは帝国主義体制である。そうすると、レーニンは帝国主義体制の国においては帝国主義政策を必然的にとらざるを得ないのだと。第一次大戦前にカール・カウツキーは、高度資本主義であっても帝国主義というのは一つ政策であって、とることもできるしとらないこともできるので、資本主義国同士で、ドイツとフランスの間で平和共存は可能なのだということを言ったのに対して、レーニンは、それは平和主義であって本当の社会主義じゃないのだ、マルクス主義じゃないのだと言いましたね。つまり、帝国主義というのは必然的にとらざるを得ない政策だと。そうすると、アメリカソ連との間の平和共存なんか不可能になってくる。しかし、平和共存をやれということは、やはりそのレーニンの帝国主義の定義が間違っていたということになると思いますけれども、それでいいですね。
  106. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 いや、それはカウツキーに対してだけでなくて、あのころレーニンは帝国主義的経済主義という言い方で批判もしまして、帝国主義だから帝国主義政策をとる。だから、例えば民族自決を提起するのも間違いだというようなのに対して、これは間違いだということを、帝国主義の時代でも本当に大衆運動の闘いによって民主主義的政策を押しつけることは可能なのだというので、民族自決権問題を本当に取り上げて闘うことを強く主張したのです。そういう点で、レーニンの意見が誤っているのじゃなくて、当時カウツキーその他が誤っていたわけで、我々は今日でも帝国主義と社会主義の間で平和共存はやっぱり可能ですし、日本においても、独占資本主義の段階でも本当に日本に民主的政府ができれば、今の憲法を本当に実施する政府ができれば、社会主義の以前でも革新的な政策をとる政府が生まれ得る。これは第二次大戦の前でも、例えばフランス、スペインなどで人民戦線政府ができたときに、あれだけの政策を実行することができたことによっても歴史的に立証されておりますし、日本でも、日本以外の進んだ資本主義国でも、社会主義革命を遂行する前にも民主主義的な政策をとり得る政府を築き得ることは当然考えられるし、多くの共産党も各国でそのために闘っているのだと思っています。
  107. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 大変おもしろい意見を聞きました。いずれまた改めて別な席で。
  108. 田英夫

    ○田英夫君 一つだけ伺いたいのですが、この速記録の十二ページの三段目の初めの方に「今日の情勢にふさわしい社会主義経済の発展方向の新しい模索」ということを今社会主義国がやり始めているというところがあります。全くそのとおりだと思いますが、現実にはどういう方向をとるであろうとお考えなのか。それぞれの国の内情に立ち入ったことはなくても結構ですけれども、中ソ、東欧あるいは北朝鮮、みんな私もそう思いますので、方向だけで結構です、お考えを聞かしていただきたい。
  109. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 ソ連については先ほど申し上げました。中国についてもここで簡潔に書いてありますが、中国の場合はソ連と違った意味でプロレタリア文化大革命、この調査会でもかなり詳しい参考人の方の発言がございましたけれども、それこそ社会主義建設を根底から覆しかねないような大きなマイナスの長い経験がありました。特に中国は国民一人当たりのGNPは非常に低いですし、そこを克服して社会主義経済を再建していくというのは、人口も十億超えていますし、非常に大きな課題だろうと思うのです。あそこでは、今例えば経済特区の問題だとか、外国の資本と技術の輸入だとか、人民公社の再編だとか、さまざまな実験が行われているわけです。  我々は外国の技術、資本を入れたからといって、すぐ資本主義復活だとは見ていない。例えばNEPのことを先ほど申し上げましたが、レーニンはNEPについてまず第一に利権ですね、資本主義的な諸国に対してソ連政府として利権を与えるということで、経済再建の一つの重要な方向として出したのです。これは実際にはほとんど根づかなかったのです。余り来なかったわけです、ソ連に利権が欲しいといって入ってくる資本もなかったわけで。むしろ二番目に挙げた協同紙台の問題が、ソ連では社会主義建設のNEPの非常に重要な成果になっていくのです。ですから、今、中国がそういう外国の資本や技術を入れようとしているからといって、すぐそれで我々は右に行っているとは思いません。思わないけれども、しかし今の中国の場合には、今度の胡耀邦問題にあるようないろいろな論争がありますし、まだまだ安定する方向には進んでいないのじゃないかというふうに思うのです。その意味で我々は、中国についても予断や偏見を持たないで、実際によく事実を見ていこうと思っているのです。  同時に、中国の場合には対外政策なども、例文は日本共産党に対する干渉についてもきちんとした自己批判ができないという問題があるので、国際政策についてもまだまだ問題があるという問題意識を持って見ているのですね。社会主義全体は、ゴルバチョフ改革に東ヨーロッパ諸国がいろいろな複雑な反応を示しておりますように、いろいろな問題を各国抱えているわけです。全体としては非常に教条主義的な、また行き過ぎた上からの計画、それが本当に生産の発展、生産力の前進、それから一人一人の労働意欲を労働者も農民も本当に引き出すような方向で動いていたかというと、システム自体がみんな硬化している。その硬化したシステムをどういうふうに改革していくかということが共通の課題だろうと思うのです。その課題の取り組み方は、それぞれの国の歴史や条件によって違うと思うので、我々も、それぞれの国の状況を個別にかなり関心を持って研究していきたいというふうに思っています。
  110. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) 次に、関君の御意見に対し質疑のある方は順次御発言を願います。
  111. 鈴木貞敏

    ○鈴木貞敏君 いろいろ貴重な意見をお伺いしまして、本当に勉強になりまして感謝しております。  関先生一つお伺いしたいわけですが、先生方のいろいろの御意見の中で、国際テロという問題についてどなたも触れておらなかったわけですが、最近、国際的な目的なり要求を掲げたテログループの活動が非常に増加しているように思われます。パレスチナあるいはリビアに支援されましたアブ・ニダル派の問題であるとか、イランのシーア派であるとかレバノン内での諸派の争い、あるいは西欧での過激派の動き、インドのシーク教徒あるいはスリランカのタミール人の問題、あるいは中南米の一部反政府ゲリラ、いろいろあるようでございますが、このうち、リビアに支援されたテロ活動につきましては、アメリカによる報復爆撃を境に鎮静化したようにも紙上で知るわけです。しかしその後、西欧諸国の過激派の活動は依然として後を絶っておらないというふうなことであるようでございます。最近のフィリピンでの若王子支店長事件、あの事件では、目的は金銭目的ということであったようでございますが、あれだけの世論を沸かせ、いろいろの御意見があったということでございます。  そんなことを考えますと、これから国際テログループによって例えばハイジャック事件等が起こった場合に、一体、日本としてどういう対処をするか。与野党含めた超党派的な一つのコンセンサスあるいは国民の世論の統一とか、そういうものを背景にして対処しなくちゃならぬような事態もいろいろ考え得るのじゃないか、こういうふうなことも考えられますし、またそういった際に、報道協定の問題とかいろいろの細かい技術的な問題も出てくるだろうと思われます。  いずれにしましても、こういった国際テログループによる事犯について、やはり緊急重要事態に対する対処あるいは危機管理体制の整備とかいうものを常日ごろから考えておかなくちゃならぬのじゃないか。そういう意味で、治安上の問題ということだけじゃなくて国際政治的な観点からもいろいろ考えていかなくちゃならぬのじゃないかなというふうに私は素人なりに考えるわけでございます。  十年前に起こりました西独のルフトハンザ航空機の際のGSG9でございますか、ああいった非常に際立った処置なんというのはちょっと例外中の例外ではなかろうかと思うわけでございます。東京サミットでも政治三文書ですか、こういった中に国際テロ声明ということもあったようでございますが、先生のこういった国際テロというものについてのそういう観点からの御意見をお聞かせ願えれば幸いであるということでございます。
  112. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 確かに、御指摘のように国際的な政治テロの問題は、単なる治安の問題じゃなしに国際政治上の問題として取り組むべき問題であるというふうに私も考えます。ただし私は、余り今までその問題を勉強したことがございませんので、きのう質問通告を受けまして、にわか勉強いたしまして一応の考え方をまとめてみたのですが、事実関係につきまして私がよりましたのは、「国際問題」という雑誌がございます。これは昨年の十一月号「国際テロリズムの断面」という題で特集しておりますので、あるいはこの調査会の小委員会あたりでも招いて意見を聞くのも一つの方法ではないかというふうに思っております。  ハイジャックなどの政治的なテロについては、国連でも共通の定義にはまだ到達していないと思います。一九七二年のあのミュンヘン・オリンピックのときのイスラエル選手を殺した事件を契機に、国連総長の方で国際テロ防止措置について意見をまとめてもらいたいという要請があったのですけれども、国際テロを紛争において用い得べきでないといういわゆる西欧先進諸国と、それからそのテロの目的いかんによっては、民族解放闘争の手段である場合には正当化されるというアラブ、アフリカ、共産圏との対立て共通の認識に至らなかったわけでございます。最近ソ連はその考え方を変えて、やはり国際テロに対して反対の立場をとっているように新聞では拝見いたしました。  私は、一応次のように国際テロというものを考えておるのです。個人または集団による暴力の使用ないし暴力使用の脅威、脅迫によって政治的目的を達成せんとする行為を政治テロというふうに言い、国際舞台で行われる場合は国際的政治テロと言ったらいいのではないかというふうに思います。  もちろん、これは前世紀末、十九世紀の終わりぐらいからあった事件でありまして、今世紀に入りましても、一九三四年でしたか、ユーゴスラビアの皇帝がヨーロッパで殺されました。それで犯人が逃げた。そういう事件なんかもあって、そのときから問題があったのですけれども、最近その現象が非常に多発的で、殊にアラブ、パレスチナ解放機構ですか、PLOに関連するそういったテロが頻発しているのは事実でございます。  それでこの対策は、国際テロをすべて排撃するという同じような考え方を持っている国の間では、そこに犯人が逃げ込んだ場合どうするかということは割に比較的簡単に、またそれを未然にいかにして防止するかということは比較的簡単ではないかと思うのです。  つまり、自由民主主義の国同士の間におきましては、国際機関を通じて絶えずそういう赤軍派とかなんとかというふうな情報を交換していく。あるいは犯罪人の引き渡しであるとか当該国による刑事訴追権を設定するとか、多分明後日ぐらいの外務委員会で承認されるのじゃないかと思いますけれども、ハイジャックなんかの防止条約、あるいは保護されるべき外交官なんかの身柄の安全に関する国際条約、そういった条約によってそれぞれの国で刑事訴追するし、そしてまた犯人の引き渡しを協定するということは可能だと思うのですけれども、問題は、つまり異質の国、政治テロを承認はしないまでも容認している、あるいは陰に援助している国、あるいは取り締まりの意思も能力もないような国の場合はこれは大変困難だろうと思います。  そういった国に対しては警告を発するとかあるいは経済制裁を行うとか、あるいは外交官引き揚げその他の対抗措置をとるとか、いろいろな手はとるべきだと思いますけれども、それによって完全に防止することは私はできないだろうと思う。したがって、最悪の場合においては、人質に対する脅威が、脅迫が迫っている、あるいはまた、それが繰り返し行われるような危険が目前に迫っているといったときに、ほかにとるべき適切な手段がない場合には、その脅威に比例した範囲内での報復措置は認められるべきではないかというふうに私は考えております。どの程度が見合った措置であるかということはその情勢、情勢によって決まってくると思いますけれども、無抵抗でおることはますますそういう団体を元気づけることになりますので、ほかにどうしても手段がない場合には報復措置はやむを得ないのではないかというふうに考えております。
  113. 鈴木貞敏

    ○鈴木貞敏君 ありがとうございました。  私も、テロという概念規定そのものが十人それぞれ違うというか、二面性を持っているといいますか、やる方にとっては非常に自由の戦士でありということですが、こちらから見ればテロリストだということです。国際的にはやはり何となくいろいろの面でこれは対処しなくちゃならぬなという雰囲気は、空気は非常に出ているのじゃないかと思うわけです。今、先生のおっしゃったいろいろの面の問題点を含めて、やはりこの調査会でもこういった面も一つのテーマではなかろうか、そんな気がしますので、また今後ともよろしくひとつお教えを願います。
  114. 和田教美

    和田教美君 関委員二つばかり御質問いたします。二つを一緒にまず質問申し上げます。  関さんは、十四ページの二段目のところで、「米ソ両国間のたびたびの軍縮交渉が簡単に進捗しないのも、基本的にはこの両国間に体制を支えている物の考え方に対する相互不信があるからであると考えます。」というふうに言っておられるわけでございます。確かに私もそのとおりだろうと思うのですが、同時に関さんが、しかし、「今日の国際政治がこのイデオロギー的対立のみで動いているということを意味しません。」ということで、社会主義体制の国でも、例えば中国の変化とか、あるいはソ連においても「市民的自由の価値に徐々に目覚めてくるのではないでしょうか。」ということもおっしゃっておるわけです。やはり少なくとも国際関係というものを律するファクターとして、このイデオロギー的対立という問題が今後はだんだん薄くなっていくというか、ウエートが相対的に低くなっていくというふうに考えるべきなのか。そうはいっても、やっぱりこの両体制のイデオロギー的対立というのはかなり大きなウエートを持っていくというふうに考えるべきなのか。私は、少なくとも現実外交政策としては、そういうイデオロギー的対立を超えて相互協力、友好協力という方向に意図的に持っていくべきだし、ぜひそういうことを日本外交政策基本に据えるべきだと思うのですけれども、その辺をどうお考えになるのか。それが第一点です。  それから第二点は、十五ページのSDIに関するお話の中で、SDIが完全に核兵器を無力化し得るようになるのかどうかということについては最終的な判断を保留されております。「しかし、少なくともアメリカSDI研究するのを阻止することはできないと思います。」というふうに述べておられるわけですが、そういう判断のもとに、具体的に日本SDI研究参加という問題については関先生はどういう態度をとっておられるのか。  この二点を御質問いたします。
  115. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 第一問、つまり私は、やはり従来の米ソの対立はイデオロギー的な対立の面が非常に大きかった。人種的その他ということはほとんど考えられない。ただ、両方が非常に強大な国になってくると、イデオロギーを超えて自分の勢力圏を拡大しようという衝動があるということは、過去の事実、過去の歴史を調べてみましてそういうことはあると思うのです。しかし、イデオロギー的対立がない場合には、現在の世界では、第二次大戦以前は別として、第二次大戦後においては、それが大国同士であるがゆえに戦争に入るという状態は考えられなくなってきているのじゃないか。そのことが一点。  それから、今後そのイデオロギー的対立がだんだん薄くなっていくのじゃないか、私もそれを非常に希望しておりますけれども、現実をはっきり見定めなくてはいけないと思います。  私は、先ほどゴルバチョフ国内改革の問題を質問しましたのは、やはり国内改革が国際政治に反響を及ぼす、リパーカッションを及ぼすと考えたからゴルバチョフのペレストロイカ、国内改革の問題を取り上げたわけです。もしゴルバチョフの支持基盤がはっきりしていて、コンソリデートしたものかどうかちょっと私にもまだ判断つかないですけれども、また中国のようにひっくり返されるかどうか、ちょっとそこのところは私には何とも言えないですけれども、支持基盤がだんだん強化していって、そして現在の政策を続けていく、経済においてもいわゆるNEP、このNEPというのはプライスメカニズム、価格機構を経済の中に取り入れてきたと私は思うのです。上田さんが経済原則に反するようなことは長続きしないと言われたのですけれども、その経済原則というのは私はやはりプライスメカニズムの論理に反するようなことは長続きしない、そういうふうに理解しているのですが、そういったプライスメカニズムを導入してくるということはどうしても分権的にならざるを得ない。個々の経済主体の自由な行動を認めざるを得なくなってくる。そういうふうに経済的に分権化してまいりますと、必ずしも唯物観の立場から、経済が政治を決定するというような立場から言うのではないのですけれども、政治に対しても何らかの影響を及ぼしてくるのじゃないか。  つまり、先ほども話に出ましたけれども、一党独裁の政治ではなしに複数の政党の政治、政権交代があり得る。それから複数の言論を認める。先ほど上田さんとちょっと話しているときに、ゴルバチョフがサハロフの意見には反対だけれども、サハロフには意見を述べさせるのだというふうにソ連も変わってきているということを話しておられましたけれども、つまり、自分の反対意見を頭から弾圧しない。そうい至言論の自由というものが一般に認められるようになってくれば、米ソのイデオロギー対立というのはだんだんなくなっていく。そうすると、その場合に本当に国際政治上の平和共存、あるいは平和的な競争はあっても差し支えないと思いますから、平和的競争が可能になる。  そのイデオロギーの変化を私は非常に希望しているわけで、それを促進するようなことを日本としてもやらなくちゃいけない。そのためには文化交流というふうなことが非常に必要になってくる。そういう意味で私は、今後イデオロギー対立が薄くなっていくことを希望いたします。ただ、直ちにそれへ到達するかというふうに言われると、ちょっとそこまで楽観的にはなり得ません。つまり、国内の勢力基盤がよくわからないから。  それから、私は現状認識の点においては、米ソのイデオロギー的な対立があるということを言いましたけれども、そのことから引き出される結論は、だから直ちに相手をやっつけてしまえというふうな結論が出るというふうに考えるのは短絡的であると思います。事実認識は事実認識として認めておいて、しかもその中で破局に至らないような方策を探っていくということが必要であります。  私は歴史の教訓として、一九三〇年代にその当時のイギリスの人たちは、ナチスに対して、ナチスはそんなひどいことをするような男じゃない、ヒットラーの目を見ろ、やさしい目をしているじゃないか、だから戦争なんかしかけてくるはずはないのだというふうなことを言っていたときに、ウィンストン・チャーチルが、話し合いによって国際問題を解決しなくてはいけないけれども、独裁者と話し合いが成功するためには背後に力がなければならないのだ、力がなければ話し合いは成功しないのだということを言いました。その当時ウィンストン・チャーチルは戦争挑発屋であるといってもう一斉に各新聞からたたかれ、反対党からもちろんたたかれたのです。しかし結局、チャーチルの言っていることが正しかったということが後にわかったわけですけれども、私はやはりソ連に対しても、話し合いによって平和を達成していくその努力が必要であると思います。しかし、話し合いし得るためには背後に向こうの力と同じだけの力を持っているのでないと話し合いは成功しないだろう、平和維持はできないだろうというふうに考えております。  それから二番目の質問SDI研究に対する日本の参加の問題です。私はSDI研究、技術的なことはよくわかりませんが、果たしてレーガン大統領が言っているように核兵器を無用化してしまう、そういう発明が行われるのかどうか、あるいはそうじゃなしに、それに反対する人たちが言っているようにかえって軍拡競争を刺激していくのではないか、これは両方の見方ができると思います。  しかし、現在の技術水準からまだ将来のことを言うことはできない、あるいはレーガンなんかの言っているようなことができないと初めからエクスクルードしてしまう、初めから否定してしまうことはちょっとできないのではないか。したがって、その意味アメリカがそういった研究をやることをとめることは私はできないと思います。ただ開発、配備という問題になってきますと、これは国際政治上非常に大きな影響がありますので、まず同盟国との間で協議をする、それからソ連との間において古交渉する、そしてその上でもし配備の必要があれば配備する。私は現在のゴルバチョフの改革がもしだんだん進んでいけば、あるいはそういったものが必要でない時期が来るかもしれないというふうに考えております。これはそのときの情勢でないとわかりません。  それで、日本がそれの研究に技術協力をするという問題ですけれども、これは直接核兵器それ自体の研究に参加するのはやめた方がいいと思いますけれども、ほかの汎用技術にも適用できるようなレーザー光線の問題であるとか運搬手段の問題でありますとか、そういった問題であれば私は研究に参加しても差し支えないのじゃないか。またこういう問題は単に利害得失だけで考え考え方というのは必ずしも賛成でございませんけれども、今後の高度技術、ハイテクニックの進歩におくれをとらないためには、殊に宇宙開発なんかの技術は、今後ますます進めていく必要がある。それにおくれをとらないためにはやはりそういった研究、技術に参加するのは私はやむを得ないのではないかというふうに考えております。
  116. 中西珠子

    中西珠子君 私は関先生に御質問申し上げるのは、十六ページの六の経済援助の部分についてだけ御質問申し上げたいと思います。  十六ページの六の、安全保障の基本原則を箇条書きするとおっしゃって最後にお挙げになっているところに、「途上国に対する経済援助を強化し、それらの国の経済的安定に寄与すること。ただしその方法については、一部特権階級のみの利益になるごとき方法を避け、効率的に運用していくこと。」とおっしゃっているわけでございます。経済援助を強化することはもう全く賛成で、また一部特権階級のみの利益になるようなそういう援助であってはならないということも全く賛成でございますが、それではそういう援助ではない援助をやっていくためにはどのような方法をとればよろしいとお考えになっていらっしゃいますか、伺いたいと思います。
  117. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 私が末尾に六項目ほど掲げておきましたのは、この親委員会の報告が現状認識ということでありましたので、現状認識を主として述べまして、後の対策はそれぞれの小委員会で議論すべき問題だと思って単に項目だけをここに掲げたわけです。したがって小委員会で具体的な問題は議論したい、研究したい、お互いに勉強したいと思っておりますけれども、私の今の考え方は、やはり透明でなくちゃいけない、トランスペアレンシー、資料なんかを公表する。何かマルコス政権との経済援助で、外務省は外交慣例上発表できないのだということを言っておりましたけれども、初めから交渉の条件として公表するのだという一項目を入れておけばいいわけです。それを拒否するような政権には援助しなければいいわけであって、何もこちらからどうぞ援助を受けてくださいと頼み込んでいるわけじゃないわけですから、そういう点は毅然とした態度でちゃんと国民に対しても十分説明できる、そういうふうな透明性ということが一つ。  それからもう一つは、けさほどもどなたかの質問の中で出ておりましたけれども、やはり日本の援助体制がばらばらである。これは、どこに責任を持っていっていいかはっきりわからない。したがって、そういった援助体制を一元化していくという組織をつくるべきではないかというふうに考えております。行政改革の時代ではありますけれども、ほかにつぶしていいような省なんかたくさんありますから、そういうのをつぶしてしまって、経済援助省でも庁でもいいのですけれども、そういうのをつくったらいいのじゃないかというふうに考えております。
  118. 中西珠子

    中西珠子君 どうもありがとうございました。  援助体制の一元化、これは大賛成でございます。
  119. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 いろいろお伺いしたい点がありますが、時間の関係もありますので、二点だけ質問させていただきます。  一つは、先生発言を読んでみますと、「日本の総合的安全保障」という問題提起の中で、「自由民主主義の政治体制を定着さ世、」云々というふうなことが述べられております。先ほど委員志苫委員との問答の中でも触れられた点になりますけれども、関委員は安全保障の対象として、自由民主主義の政治体制を守る、つまりある政治体制を守るということも安全保障の対象としてお考えになっているかどうか、これが第一点です。  第二点は、提案が六項目ですか、十六ページの二段目で述べられている。ここの四を読みますと、「外国に侵略の誘惑を与えないため、国防のための防衛力を最小限維持し、その足らざるところは、同じ民主主義陣営特にアメリカ防衛力によって補うこと。」と述べられております。この四番目に述べられている点は、表現は若干違いますけれども、「国防の基本方針」に述べられていることと基本的には同じ考え方に立つものだというふうに私はとりました。そういうお考えで述べられているかどうか。  二点だけお伺いしたいと思います。
  120. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 二番目の質問の方は簡単ですから、それを先に述べます。  「国防の基本方針」というのは昭和三十二年五月二十日の閣議決定で、直接間接の侵略を未然に防止し、万一侵略の場合はこれを排除し、もって民主主義を基調とする我が国の独立と平和を守ることにあるとして、その目的を達成するために、国連の支持であるとか、国際協調であるとか、民生安定、愛国心高揚、国家の安全を保障するに足る必要な基盤の整備、あるいは国力に応じ自衛するのに必要な限度での効率的な防衛力、それから侵略に際しては、国連が有効に活動し得るようになるまで、アメリカとの日米安保体制を基調として対処する。このことを言われるのだろうと思いますけれども、私はほぼその考え方に賛成でございます。  それから第一番の、自由民主主義の政治体制を守ることも安全保障の内容と考えているかと。  これは昔からの問題で大変難しい問題ですけれども、つまり生命さえあればどういう政治体制でも構わないのか、極端な言い方をすれば、奴隷になってでも、生きてさえおればそれでいいのだという考え方もあると思います。しかし、やはり人間が動物と違う点は自由を求めることだろうと思うのであります。その自由がない社会を押しつけられた場合に、命が惜しいから白旗と赤旗を持ってこれを迎えるということを言ったある経済学者がおりましたけれども、そういう態度をとった方がいいのか。私はやはり人間の威信というのがあると思います。「我に自由を与えよ、しからずんば死を与えよ」とアメリカの独立戦争の人たちが言って、あえて自由のために生命を捨てた。そういった人間の気品というものを大事にしたいと思います。その意味において、自由民主主義体制を守るということも安全保障の重要な一環であり、その自由民主主義体制というのは、今、上田さんも賛成されましたけれども、複数の意見があり、複数の政党がある、それで自由に物が言える、そういう体制を守っていくということが安全保障の非常に重要な一環をなしているというふうに私は考えております。
  121. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 今の関議員のお話ですと、日本政治体制が他国の干渉あるいは圧力によって覆されることに対する安全保障という意味のようですけれども、どのような政治体制をとるかという問題は、他国との関係でなしに一国内の問題として見れば、その国の国民の選択によるものだというふうに思いますけれども、その関係のところをもうちょっと立ち入って。
  122. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 わかりました。  他国に対して仮に自由民主主義体制が一番すぐれているからといってそれを武力でもって押しつけるというふうなことは、これは民族自決の考え方に反します。したがって、そういう考え方は私は反対でございます。  ただ、やはりそういった自由民主主義体制世界に広がっていくことが安全保障の上において、独裁政治の国と独裁政治の国が対立しているよりもより平和を確保するのに役に立つと私は思いますから、いわゆる文化交流、人間の交流なんかを通じてこちらの考え方をだんだん浸透させていく。向こう向こうでその考え方を宣伝することは一向差し支えない。そういった文化交流をやっていけば、私は人間性に対する仮説ですけれども、言論の不自由な国よりも言論の自由な国を選ぶに違いない。時間はかかったにしても、ソ連人たちもやはりそういった複数政党の民主主義体制を選び取るようになるだろう。これは私の一つの信念でございますけれども、そういうふうに考えております。
  123. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 私の質問したい点は、日本国内政治体制に限定してみた場合に、日本政治体制をどういう政治体制にするかということ自体日本国民自身の選択によるものだと思います。それを、日本も自由民主主義体制でなきゃならないというように、日本国内の選択の問題としても、他の政治体制をとるという考え方をとる者に対しては、それは日本の安全保障に対する敵対的なものというふうにごらんになるのかどうなのか。
  124. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 ちょっと質問意味がわかりませんけれども、私は、日本人が日本の現在の憲法に規定しているような自由民主主義体制を選んでいるので、もし外国からそれと違う体制を押しつける……
  125. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 外国じゃないです。日本人自身が選挙で別の政治体制を選ぶことは可能性としてはあると思います。
  126. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 可能性としてはもちろんあります。
  127. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 終わります。
  128. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) 次に、田君の御意見に対し質疑のある方は順次御発言を願います。
  129. 鈴木貞敏

    ○鈴木貞敏君 田先生、お願いいたします。  先生の御意見の中に北朝鮮の問題等も触れておられるわけですが、実は先日の新聞で、何か法務省の入管白書に北鮮という言葉があるので、これはべっ視的なあれだというふうなことで文書で朝総連中央本部が申し込んだという記事を見ました。そういう意味で、私も朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮と、こういう略称でひとつ呼ばしていただきますが、この北朝鮮の問題でございます。  私、最近新聞に出ておったあれで非常に不審といいますか、びっくりした記事があるわけですが、二十四年前に石川県の高浜港ですか、この沖で三人乗った漁船が遭難いたしまして、海上保安庁等が捜索した結果、難破船を見つけましたが人はいないということで、二週間後ですか、死亡届を出し葬式も終わった。それがつい最近、今年に入りましてから、生きておる、心配するな、奥さんももらって家族もいるというふうな手紙が親戚の方に来たという記事を見ました。大変これは二十四年ぶりで、こういう万国郵便連合ですか、そういったあれで書簡の往復は北朝鮮との間でできると思うのですけれども、非常に奇妙な、何でこんな長い間文通がなかったのだろうかという素朴な疑問を持ったわけでございます。  そのほかいろいろ前の調査会でも田先生おっしゃっていましたが、アジア大会直前の九月の金浦空港の爆破事件であるとか、その前のラングーン事件であるとか、あるいは金日成の昨年の十一月ですか、死亡事件、デマゴーグ的なああいったあれがあるというふうなこともございましたし、また最近私のところに書面が来た中で、日本人妻を日本に帰るようにしてくれというような運動をしている団体からいろいろの実情のある書面等もいただいたというケースがございます。あるいはまた、今七十五歳でございますか、になっておる金日成、キム・イルソンでございますか、この息子さんの後継問題、いろいろ書かれておりますが、一体どうなっておるのか、その辺が非常にとばりが深くてわからない。いろいろの面で大変不安な要素あるいは非常に閉鎖的、鎖国的なそういう状況が非常に強いというふうに感ずるわけでございます。  しかし一面、最近の新聞紙上に上りますると、アメリカが来年の韓国でのオリンピックあるいは両国会談等の再開を契機にして、アメリカとしても北朝鮮との間でいろいろのコンタクトをやっていくとか、あるいは貿易面で禁輸を解除していくとか、こういう記事も見るわけでございます。また、先ほど来いろいろ話に出ておりまする北朝鮮が中国、ソ連との間柄その他から見まして、ソ連とは非常に近いいろいろの関係にあろうと思いますが、ゴルバチョフ書記長のペレストロイカですか、こういった路線が北朝鮮にもいろいろの影響を及ぼしてくるのじゃないかというふうな面から見て、近い将来に今までの非常に閉鎖的なものがもっと門戸が開かれ、扉が開かれる可能性があるのかな、こういう希望も持つわけでございます。そういった点につきまして先生のお考えをお聞かせ願いたいと思います。
  130. 田英夫

    ○田英夫君 確かに日本から見ていると、北朝鮮が閉鎖的な国だという印象を持つことは私も否定はいたしません。ただ、ある場合には今、南北は厳しく対立しておりますから、韓国の、しかもいわゆる体制側、北側は敵だ、北からの侵攻に備えて、そのためには民主主義が抑えられても仕方がないという、そういう態度をとり続けてきた現韓国体制側あるいは以前の朴政権時代も含めまして、その辺から出てくる情報なりそういう点で必要以上に北を暗いイメージの国にしている部分があるということも私は否定できないと思うのです。  実際には私は五回北朝鮮に行っておりますけれども、そういう中で一九七五年だったと思いますが、非同盟諸国会議に参加をいたしました。それで、その後も見ておりますと、この非同盟諸国会議のメンバーとの間では非常に活発な交流をしていることは事実です。したがってその点においては閉鎖的、鎖国的ではなくて、特にアフリカの飢餓の諸国に対して穀物援助をやっているというようなことも、事実向こうへ行っておりますとそれが新聞で報道されているというようなことがありまして、その点は決して完全鎖国状態ということではない。ただ日本や、特にアメリカに対しては極めて閉鎖的であるということは言えると思います。  かって何回か行った中で、現在外務大臣になっております金永南氏に対して、特にアメリカに対してもっと敵対的でない態度をとるべきではないだろうか、自信を持って社会主義建設を進めているという状態ならばアメリカの議員とかジャーナリストを迎え入れてはどうかということを提案したことがあります。その当時、彼は労働党国際部長という立場でしたけれども、非常にざっくばらんに話した中でのことですが、彼は、それは我々は否定はしない、しかし我が国にもしアメリカのそうした人たちが来れば不愉快な思いをして帰るのではないかということを懸念する、そんな返事をいたしました。事実、まだ半世紀もたたないほぼ四十年ぐらい前にアメリカとは殺し合いの戦争をやったわけですから、そういう敵対感情が残っていることは否定できない事実ですし、ピョンヤンの軍事博物館などへ行くと、当時のことをソノラマというようなことで再現をして、それを全国民に見せているという事実がありますから、それは確かにアメリカ人にとっては不愉快な雰囲気であるかもしれません。  しかし、事実それから二年ほどたった七〇年代後半に、アメリカの現在下院のアジア・太平洋小委員長をしておりますソラーズ議員が北朝鮮へ行ってみたいということを私に言いましたので、金永南氏に連絡をしたところ、これを迎え入れたという事実があります。しかし金永南氏が懸念したとおり、ソラーズ氏は必ずしも愉快な旅ではなかったという印象を私は持っております。そんなことで、決して理解できないわけではありませんが、なかなか日本人の感覚で言う世界に向かって開放的であるという態度になりにくい要素があることは事実だと思います。  それでは一体、将来開放的になる可能性があるかということですが、私は経済的な要因から、先ほどお話がありましたように変化をするということが起こり得ると思うのです。ことしの一月来日しました中国の田紀雲副総理、この人は御存じのとおり経済の専門家で、昨年北朝鮮を訪問しているのですが、この人との話し合いの中で、田紀雲副総理も、北朝鮮が我々中国と同じような経済開放政策をとるかといえば、私が昨年訪問した限りではまだ北朝鮮はそういう方向に進む気はないようです、こういう答えが返ってきておりますので、私も同感でありますけれども、日本の物差しで言ういわゆる開放的というような状態になるのはかなりまだ期待ができないのではないかというふうに思っています。
  131. 中西珠子

    中西珠子君 田先生に御質問いたします。  十八ページでございますが、先生の御意見の中で、「イデオロギーの違い、体制の違いを超えて、特に核廃絶の問題については唯一の被爆国としてその先頭に立って行動をする、」ということをおっしゃっているわけでございます。  公明党は核廃絶と平和の運動を進めておりまして、昨年は国際平和年でございましたから平和集会というものを全国の代表を集めてやったわけでございます。私は公明党員ではないものだから来賓として迎えられて、そしてあいさつをしたのですけれども、その平和集会で採択されました決議は、国連に軍縮特別総会を早期に招集してくれということを要望し、かつ軍縮特別総会というものはニューヨークだけでやるのではなくて広島、長崎でできればやりたい、しかし、どうしてもニューヨークでやらなければだめだというのであれば、半分ニューヨークでやって半分は広島、長崎でやる、こういう要望書を採択いたしまして、それを英語に直して国連に伝達したわけでございます。また、ことしの春、公明党の矢野委員長がニューヨークにも参りまして、そして国連軍縮特別総会の早期招集というものを要望したわけでございますが、こういった国連への働きかけ。  また、つい最近、国連の専門機関でありますユネスコの事務次長ぐらいの人が来まして、それで、ユネスコでは世界じゅうでどうしても残しておきたい歴史的な遺跡とか、それから現在ある建物でも、どうしてもこれはいろいろな重要な意味を持っているから残しておきたいもののリストというものをつくっているそうでございまして、その人は自分が初めて広島と長崎に行ってみて、原爆の被害というものをあくまで保存しなければならないものに指定してユネスコのリストの中に入れたい、こういうふうに言っていたわけでございます。  それで、国連機関とか国連の専門機関というのは非常に限られた力しか発揮できないわけでございますけれども、そういうものを使っていくということもやはりイデオロギーや体制を超えた核廃絶への運動になるのではないかと思います。もちろん市民運動の必要性というものも非常に私は感じておりまして、ヨーロッパでも反核・平和のための市民運動のすごいデモにぶつかってにっちもさっちもいかないぐらいの状況だったこともあるわけでございますが、非常に感銘を受けたわけでございます。  田先生はどのような方向で、また、どのような方法で日本が唯一の被爆国として核廃絶運動をやっていけばいいとお考えになっているか、もし具体的なお考えがございましたらお伺いしたいと思います。
  132. 田英夫

    ○田英夫君 確かに国連軍縮特別総会を広島でという御意見には全く賛成でありますし、前回の第二回のニューヨークでの国連軍縮特別総会にも、超党派の軍縮促進議員連盟の代表団の一人で参加をいたしまして体験をいたしました。ただ残念ながら、ここではそのときにちょうど来合わせていた各国の国会議員が、国連の建物の中で自分たちだけの会合をやりまして、米ソの国連に来ている軍縮担当大使を呼んでそれぞれの意見を聞いたのですけれども、そのときに余りにも米ソ相手を誹謗して争う状況があったものですから、カナダの若い議員がそれを阻止して、発言の途中で発言を求めて、あなた方は一体気が狂っているのか、我々は我々の国の上を米ソ両国の核が飛び交うようなことを許すわけにいかない、この世の中から核をなくさなくちゃいかぬと考えているのだ、そのためにこうやってみんな世界じゅうの国会議員が集まって——大体百人を超しておりましたけれども、そう言ってなじるような場面がありました。国連を舞台にいたしますと、そうした米ソのプロパガンダの場に化してしまうということは現実として残念なことだと思います。  ところが、ニューヨークの国連の外で街頭に二百万人の市民があふれまして、それはもちろん大部分がアメリカ人でありますけれども、世界じゅうから集まってきた市民の大デモンストレーションがあって、日本からも大勢の方が行かれたわけですけれども、その方がすばらしい雰囲気を醸し出していた。非常に対照的であったと思います。  一昨年ですか、私はニュージーランドへ核軍縮の問題についてのニュージーランドのロンギ政権の立場を聞きにいったことがありますが、そのときに会いましたオークランドの女性の市長さんでキャサリン・ティザードという人の言葉が非常に印象に残りましたので、メモをしてきましたからちょっと読んでみますが、  私の考えでは、国民の一人一人の反核への意識と運動が地球の絶滅を救う唯一の方法だと思います。ニュージーランドでは、国民のほとんどが何らかの形で平和運動にかかわっていると思います。というのは、ニュージーランド人は皆、核抑止力の存在自体が今や地球の平和を保つどころではなくむしろ人類の将来を大きく脅かしていると考えているからです。この世界から核を廃絶することができるのは核超大国の交渉でではなく、世界の草の根の反核運動が手をつないだときだと思います。こういう発言をしておりまして、ニューヨークでの体験とあわせまして非常に印象に残っていることです。  今ヨーロッパでの反核運動のことをおっしゃいましたけれども、最近また米ソの間の核軍縮ということが非常に一つの新しい段階を迎えております。しかし、このオークランドの市長さんの言うとおり、ジュネーブあたりで米ソの専門家が集まって核軍縮話し合いをして、それが廃絶につながるということは極めて望みが薄い。これはさっき永野委員が言われたように、核を持ってしまった以上これをなくすことは大変難しいとおっしゃったのはその意味で私も同感なのです。しかし、なくさなければならないということになればそれは一体何の力によるか。世論という言い方もあるでしょうし、草の根の市民の連帯ということも言えるのではないか。そういうところに力を入れていかなければいけないのじゃないかということを感じています。
  133. 中西珠子

    中西珠子君 田先生はやはり経済協力という面にも力を注ぐということをおっしゃっているわけでございますが、発展途上国に対する経済協力はどのような姿が望ましいとお思いになっているのかということと、それから、これは今まで何度もいろいろな委員の方がおっしゃいましたことでございまして、私が意見開陳の中で御提言申し上げたような形になっておりますが、開発援助行政の一元化につきましてはどのような御意見でいらっしゃいますか。先ほど経済協力に関するかつて田先生がお出しになった法案のコピーをちょうだいいたしましたので、その面につきましてはよくわかりましたけれども、あれに盛られていない新たなるお考えがございましたらお教え願いたいし、開発援助行政の一元化についても御意見を賜りたいと思います。
  134. 田英夫

    ○田英夫君 今おっしゃった開発援助の問題というのは、日本の国際的な立場をこれから改善していくという意味で、貿易摩擦と並んで極めて重要なことだと思うのですけれども、第一は、日本の今のいわゆる経済大国と言われている状況の中で、ODAを今までのような形でやるということは全くマイナスになってしまう、いわゆる四省庁体制というものを見直すことが第一だと思います。そしてもっとガラス張りといいましょうか、内容が国民の皆さんの目の前に明らかになるという状況にするということが第二だと思います。  それには何がいいかというと、かつて十年ほど前、議員立法で国会に御提案をした、表題は対外経済協力計画の国会承認等に関する法律ということですが、残念ながら当院の外務委員会で否決されてしまったわけですけれども、国会の場を通過していくということがどうしても何らかの形で必要ではないか。国会の承認ということになりますと政府側が非常に抵抗をされるということを私はそのとき体験をしたのでありますけれども、四省庁体制を崩して新しい政府内の構造をつくり上げて、同時にその計画が国会の場を通過する、何らかの形で国民の代表である国会をろ過していくということをする必要があるのじゃないか。  これは大変技術的にはいろいろ議論があるところだと思いますし、皆さんの御意見、各党の御意見を出し合っていい方向にすべきだと思いますけれども、いわゆる承認ということ、理想は私はそう思いますけれども、そうでなくても、とにかくガラス張りということを確保するために何らかの形で国会の場というところにそれが出てくる、そして国民の皆さんの目に触れる結果になるということがどうしても必要じゃないかと思います。
  135. 中西珠子

    中西珠子君 どうもありがとうございました。
  136. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 核兵器廃絶の問題でお伺いします。  今、田議員が述べられた、米ソ交渉だけでは実現できない、世論だという意見は賛成です。その上での質問ですけれども、ゴルバチョフソ連書記長の核兵器廃絶についての一連の提案についてはどのように一お考えになっているか。
  137. 田英夫

    ○田英夫君 これは結論を先に言ってしまえば、私は非常に評価をしたいと思っているわけです。  昨年、一九八六年十一月十九日、ソ連の最高会議の呼びかけという形で出されまして、世界各国の議会と国民への呼びかけということですが、これは簡単に言えば、五年間に米ソ両国の戦略攻撃兵器を五〇%削減する、それから欧州のINFを完全に廃絶し、アジアは削減をする、これが最初の提案です。それからつながって同時に核実験のモラトリアムということがあり、さらにことしに入りまして二月二十八日の声明という形で、レイキャビクでとんざをしていた部分、それはいわゆるパッケージ論になっていたものを、パッケージを切り離してINFの部分をやろうじゃないかというような提案につながってきたということで、さらにごく最近は、近距離ミサイルについても別途交渉しようじゃないかというような提案が相次いで出てきているわけです。  これはもちろん詳細に検討いたしますと、日本というのは本来米ソ関係からいえば第三者であるべきだと思いますが、アメリカの側に立ってみれば、あるいは西ヨーロッパの立場に立ってみれば、通常兵器が西ヨーロッパで圧倒的にソ連側が強力であるというようなことを含めて考えるといろいろ意見が出てくることはよくわかります。アメリカなり西ヨーロッパの側から意見が出てくることはよくわかりますけれども、一連のゴルバチョフ提案自体は、これが実現をするならばすばらしいことにつながってくるという評価を私はしていいと思いますので、その意味では、ぜひ現在行われているモスクワでのシュルツ・シェワルナゼ会談を含めまして前向きの方向にこれが進んでいくということを非常に期待をいたします。  問題は、レイキャビクがとんざをした最大の原因がSDIであることは言うまでもないわけでありまして、このSDIということについて、これは和田委員を初めきょう大分既に御意見が出ておりますから繰り返しませんけれども、既にもうSDIは核兵器を廃絶するためのものではない、それ自体がむしろ核兵器であるということで、核兵器ということの定義はトラテロルコ条約、中南米非核地帯設置条約の中に明記されておりまして、これが世界で唯一の核兵器とは何かということの定義をしている。しかも、これは核保有五カ国が附属議定書に署名をして発効しておりますから、核保有国五カ国ともにこの条文を了承したと受け取っていいわけです。  そういう意味からしても、あの核兵器とは何かということに照らし合わせますとSDIは核兵器で、つまり核爆発によってエックス線レーザーなりガンマ線レーザーを出して、それを使って大陸間弾道弾を撃ち落とすという、そういうものであるということになればこれは核兵器と規定をせざるを得ない。国際的な条約の上で規定された条項に照らして核兵器と断定せざるを得ないのですから、そういうものが人類の平和につながる最大の問題である核廃絶につながる障害になっているとすれば、それこそ国際世論によってSDIをやめてもらうということにしなければならないというのが私の気持ちでございます。
  138. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 田委員の冒頭に述べられた言葉なのですが、現在は転換期に差しかかっているということで、「資本主義か社会主義かというイデオロギーの対立時代は過去のものになりつつある」という認識について質問いたします。  第二次大戦後の西の陣営と東の陣営の対立を資本主義体制対社会主義体制の対立というふうに見ているのは、マルクス・レーニン主義の人たち日本のジャーナリズムであって、文部省もかつては検定済みの社会科の教科書に資本主義対社会主義の対立てあるというふうに書いておりましたけれども、文部省は二十年ぐらい前から変わってきましたし、日本の朝日新聞を初めとするジャーナリズムも最近では資本主義対社会主義の対立ということを言わなくなって、自由圏あるいは自由主義圏対共産主義圏、共産圏という言葉を使うようになってきたのです。  私は、その資本主義対社会主義の経済組織の対立て国際緊張が起こってきたとは考えません。むしろ政治体制の違いで、先ほど言いました一党独裁の政治体制の国であるか、あるいは複数の意見、複数の政党を認める民主主義体制であるか、この対立から国際政治の緊張が起こってきたのだと思う。西ヨーロッパの諸国なんかを見ましても、経済学の論文は別ですけれども、資本主義対社会主義の対立というふうに書いてあるものに私はお目にかかったことはない。大抵はフリーワールド対ノンフリーワールド、あるいはデモクラティックキャンプ対コミュニストキャンプという言葉を使っております。これはどういう意味資本主義対社会主義のイデオロギーの対立というふうに使われたかということが第一問。  それから第二問、十七ページの二段目以下のところに、非同盟諸国会議のことをかなり高く評価しておられますけれども、この非同盟諸国会議という中に北朝鮮あるいはキューバが入っていることがおかしいのじゃないか。つまりイデオロギー的に共産主義にも反対である、あるいは西洋デモクラシーにも反対である、例えばアラブ諸国、あるいは独立したばかりのアフリカ諸国、そういう国は私はイデオロギー的にどちらにも属しない立場というのはあり得ると思います。そういう国だけが非同盟諸国会議をつくっているのであるならばそれは一つのまとまりがあると思いますけれども、北朝鮮にしましてもキューバにしましても、フォーマルな形の同盟条約はないにいたしましても、事実上ソ連同盟国と言って差し支えないのじゃないか。そういう国が入っている非同盟諸国会議というのは私は余り評価しないのですけれども、非同盟諸国会議にそういう国が入っているということを矛盾しているというふうにお考えにならないかどうか、それが第二点。  第三点は、十七ページ以下、デモクラシーと異なる「民主」という言葉が使われておりますが、私はこの概念がよくわからない。どうもその先の方に書いてあるピープルズパワーという意味で使っておられるのじゃないかと思いますが、これは過去の歴史上、例えば十九世紀の終わり、アメリカでいわゆるポピュリズムの運動というのがありました。農民の運動ですけれども、政府の補助で金をもっと安く貸せとか、あるいは独占的な企業を制限しろとか、そういうポピュリストの運動というのがありましたし、第二次大戦後もフランスでいわゆる税金不払いのプジャド運動ですか、そういうのもございました。あるいはここに書いておられる韓国の例であるとか、中国の学生運動、あるいは台湾、そういうものをすべてピープルズパワーとして一括しておられますけれども、これは内容的にはかなりそれぞれ目的にしているところは違っているのじゃないか。  もし共通なものを挙げるとしますならば、独裁政治あるいはそれに近い権威主義の国家において政党の結成が自由に認められない、そういう国において政党の運動を取り入れないために人民の反権力運動、反政治運動、そういうものとしての人民の運動というのはあり得るのじゃないか。しかし、それはつまり反対である、あるいは破壊するという意味においては力を持っておりますけれども、何か政権をとって建設的なものになるとしますならば、それはやはり何らかの政党に組織されなくては具体的な成果を上げることはできないのじゃないか。そこに政党政治がいろいろな欠点を言われながら今日まで多くの国で政党政治がある原因じゃないか。もちろんその政党政治が完全に機能していませんために政党がカバーできないような何かシングルイシュー、政党が取り上げないような特別の税金の問題であるとか、環境の問題であるとかそのシングルイシューを掲げていわゆるピープルズパワーの運動というのなら起こります。それが体制的な政治を動かしていくためには何らかの意味で政党に組織されざるを得ないのではないかというふうに私は考えますけれども、田さんのお考えはいかがでしょうか。その三点お伺いします。
  139. 田英夫

    ○田英夫君 第一問のイデオロギー対立の問題ですけれども、これはもう実に簡単なお答えで済むわけでありまして、要するにイデオロギー対立は過去のものになったということで、それは資本主義対社会主義であり、また西側対東側という言い方でもいいし、自由陣営対社会主義陣営という言い方でもいいわけでありまして、政治、経済、社会の体制全体を含むイデオロギーの対立ということを言いたかったわけでありますから、それを私は非常に簡単に資本主義対社会主義という言い方をしたというにすぎないので、これはむしろイデオロギー対立ということに受け取っていただければいいわけであります。  それから、二番目の非同盟諸国会議の問題ですけれども、これは私は評価をすべきものだと思っています。  現在、国連加盟国は百五十九カ国ありますが、非同盟諸国会議に参加をしている国は百一カ国です。この中で今おっしゃった北朝鮮、それからPLO、それからSWAPOという国がありますが、これが日本が承認していない国であります。したがって、日本が承認して国交を持っている国が九十八カ国参加をしている、全体では百一。だから、百五十九カ国中、国連に加盟していないところも若干ありますから、むしろ数からいったら非常に多いということは事実です。もちろん発展途上国であり、建国直後の国も含めてでありますから、それぞれの国の力は非常に弱い。したがって国際社会、国際情勢、国際政治に与える影響力というものも決して大きいとは言えませんけれども、国連の舞台では一国一票ということからすれば、この非同盟諸国会議に参加をしているグループが一致して要求をする問題というのは極めて大きな力になる。だからこそ現在南北問題ということが世界の政治の中で非常に大きな問題点になっているわけでありまして、中国が世界を三つに分けているその中のいわゆる第三世界を指すわけで、この場合は中国自身もそこへ入れているわけですけれども、そういう分け方すらできるほどの一つのまとまりを持っている。  それから、北朝鮮やキューバが入っているのはおかしいと思われることが私に言わせれば不思議に思えます。この点は十七ページの二段目のところで、北朝鮮が非同盟諸国会議に参加をしたときの決意という言い方をしたいきさつをお話しいたしましたのでおわかりいただけるかと思いますけれども、本来ならば関先生おっしゃるとおり、従来の言い方で言えば社会主義陣営に加わるべきこうした国があえて非同盟諸国会議に入っている。ユーゴは最初に非同盟諸国会議をつくったメンバーであって、しかも社会主義国家であるということで、私に言わせればそういうこと自体が今やイデオロギー対立時代ではなくなった証拠の一つなのだというふうに申し上げているわけでありまして、北朝鮮やキューバが入っていること自体がその特徴をあらわしているというふうに逆に私は評価をしているわけです。  それから、第三問の「民主」ということですけれども、これは私も正直に申し上げでまた体系的にこれこそイデオロギー対立にかわる新しい政治哲学だなどということを申し上げる自信はとてもありません。ここで御紹介したのは、やがて人類資本主義あるいは社会主義、そうしたかつてのイデオロギーの政治、経済、社会にまたがる体制というものを乗り越えて新しいものを共通に見つけ出すという時代が来るに違いないと思っている中で、本当に芽のような、まだ土の中から芽を出していないかもしれませんけれども、そういうものになるのかもしれないという意味で御紹介をしたわけでありまして、ただ、私が挙げましたフィリピン、韓国、台湾、中国の例、これは今、関先生おっしゃったいずれも反体制側が主張していたということはある意味では事実かもしれません、中国を除きますと。フィリピンの場合は何とそれがまさにピープルズパワーで政治体制を、しかも強力な軍事力政治体制とそして大きな政党の組織を持っているマルコス体制を倒したわけでありますから、これはまさに政治変革をした原動力だと思います。民主という言葉をどうしてもデモクラシーと言いたくないというところも私の心情でありまして、果たしてそれが将来にわたってそうなっていくかどうかという点はまだ私も自信はありません。  しかし、いわゆるデモクラシー、個人主義に根差す個人の権利とか人権とか、そういうものを非常に大切にする西欧の考え方に対して、やはりこれは民衆という言葉が当てはまると思います。今の日本の言葉で言えば市民と言った方がいいかもしれませんが、そうした人たちの生活の中から出てくる共通の願いが政治を動かしていく、こういうことではないか。今度の地方選挙のことを例に挙げるのが適切かどうかわかりませんけれども、私はこれからの政治というのは、資本主義とか社会主義とか自由主義とか、そういう従来あった政治哲学にかわりまして、もっと一般の民衆の毎日の生活の中から出てくる共通の要求が横につながって民衆の要求になって、そしてそれが政治を動かしていくという方向になるべきではないか。  民主というのは、フィリピンは政権もつくっておりますが、台湾では民主進歩党という政党になっておりますし、それから韓国では今、分裂してしまいますけれども、新韓民主党という政党の活動として合法的に議会の中に席を持ちながら、自分たちの要求を民衆をバックにしながらやっているということも事実ですから、従来の物差してはない動きがここに始まっているということを申し上げたかったわけです。
  140. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) 最後になりましたが、青島君の御意見に対し質疑のある方は順次御発言を願います。
  141. 鈴木貞敏

    ○鈴木貞敏君 この調査会でこういう質問をするのはそぐわないのかもしれませんけれども、青島先生の十九ページの冒頭に、「本当の意味の安全保障とは内政の充実であると思います。」云々という一項がございます。まことに私もこれについては同感でございます。  そういう意味で、最近の新聞でもいろいろ見るわけですけれども。小学校から高等学校に至る入学式、卒業式、そういった際に日の丸の旗が掲げてあるのに抗議して母親がそれを引きおろしたとか、あるいは高校の卒業式で日の丸掲揚に反対して高校の先生がボイコットしたとかいうふうな記事を見かけます。そしてまた、一面、高校卒業生でも「君が代」を一回も歌ったことがない。「ざされ石のいわお」などというのはどういう意味だと。意味すらもちろんわからない高校生もいるということも聞くわけでございます。国を守るといいますか、こういった気持ち、私はいろいろの安全保障という面について基本的な問題であろう、こういうふうな考えのもとで御質問するわけでございます。  総合安全保障という面から見た場合に、人的な問題、物的な問題、装備の問題あるいは戦略的なスタンスの問題、いろいろあろうかと思いますが、やはり基本は人間の面から、自分の国は自分の手で守るという一つの気概といいますか、国民的な合意といいますか、そういったものが非常に一番大切なものじゃないかなと思うわけでございます。防衛白書等を見ましても、教育の問題はもう本当に一行、世界各国でも教育の問題についてはいろいろ努力しておるというふうな一行があるだけでございます。そういう意味で、無国籍的な教育というふうなことからこういった国歌とか国旗に対する感覚というのが、こういった価値観多様化の時代でございますから、収れん比とかあるいは集中化よりもむしろどんどん分散化の傾向がもとよりあるわけでございますし、また総理府の世論調査等によりましても、外国から不幸にして侵略された場合一体どういう態度をとるかという項目に対しまして、六十何%ですか七〇%近くが自衛隊と一緒に、あるいは自衛隊に何らかの支援をして守るということを言っておりますけれども、三〇%近い人はどうしたらいいかわからぬ、こういう回答にもなっているようでございます。  そういう面を含めまして、「君が代」あるいは日の丸というものに対する尊厳性といいますか、こういったものについてやはり安全保障という観点からも基本的な問題として国民的な合意を得る努力をいろいろしていかなくちゃならぬのじゃないか、こう思うわけでございますけれども、先生のこういった議論の中でのそういった位置づけについて御意見を例えれば幸いだと、こういうことでございます。
  142. 青島幸男

    ○青島幸男君 質問者の御趣旨あるいは御期待に必ずしも沿えないようなお答えになるのじゃないかと思いますけれども、むしろ私は教育というものは無国籍あるいは国籍不明みたいなものであるということの方が正しいのではないかと思います。それは世界の歴史を冷静な目で眺めて、おのれの国の位置はどこにあるかということを冷静に判断するという意味から申しますと、片寄った考え方で子供の教育に当たるということはむしろ間違うことだと思います。  私自身の体数から申しましても、私も昭和七年の生まれですから、小学校三年のときに尋常小学校が国民学校と改められまして、日の丸を揚げ、国体に多少の疑問を持ちながらも「君が代」を歌わされてきたわけでございます。その中で我々の世代の者は共通して男の子たちは思ったものだと思いますけれども、やがて二十歳になるかなら狂いうちに特攻隊で国に殉じるのが普通だという国民少年に育ったわけです。それはやはり鬼畜米英というありようで、アメリカ、イギリスが世界で非常に理不尽な振る舞いをしておる、このまま許しておいたら我々の生存すらおぼつかなくなるから、若い力を結集してこれに決然と戦っていかなければならないという教育を受けまして、鬼畜米英が何なるものかということも構わずに、ただ愛国心ということではなくて、幼いながら持っていた正義感というものだけでそういうふうに教育されていったのだろうと思うのです。戦後実際に我我が見た鬼畜米英というものの実態は、血色のいい、栄養の行き届いた、愛きょうのいい兵隊たちがすばらしいジープというものに乗って訪れて、しかも自由闊達に振る舞っておる。それを見まして、鬼畜でも何でもないじゃないか、いかに間違った教育を受けさせられたら間違った観念を持ってしまうのだということを、教育のありようについての恐しさを身をもって体験していますので、やはり真の愛国心というものは、「君が代」を歌わせたり、国旗に無理やり頭を下げさせたりすることではなくて、きちっと正当な理由が正当に評価される、それから個人個人の人間としての尊厳が守られるという国体をつくるということ。  だれしも、外国へ行くとある種の国粋主義者にならざるを得ない面があるというふうに、外国の風俗、習慣、あるいはおのれの国との違いなんかを見て、やっぱり日本が一番いいや、うちが一番いいやという実感、それが我々の権利が正当に守られ、我々の真摯な努力が正当に評価され報いられるという、自由で、我々の今の国の憲法にうたわれているような尊厳がそのまま守られるという国をきちっとつくっていけば、おのずとだれに言われなくともそれを侵そうとする勢力に対しては死をもってでも対決していくのではないかというふうに考えますので、むしろ今のように無理やり理解の行き届かない国歌を歌わせたり、無理やり国旗を上げさせたりするという方向は考え直していかなければいけないのではないかというふうに感じている次第でございます。
  143. 鈴木貞敏

    ○鈴木貞敏君 その点、地球上の国で国旗、国歌がない国は、その辺ちょっと私もあれですが、恐らくないのじゃないかと思うのですが、今おっしゃいました他国を犠牲にしなければ成り立たぬような祖国愛とか、愛国心とか、あるいはナショナリズムとか、そういうことじゃなくて、やはり本当の、先生おっしゃった正しい祖国愛というか、民族愛というか、そういうものを育てる一つ国民的な努力というものは必要なのだろう、こういう私の考えでございますので、その点はひとつよろしくお願いします。
  144. 和田教美

    和田教美君 青島委員一つだけお尋ねをいたします。  全体を読ませていただきまして、青島さんの意見というのは、日米安保条約の廃棄などを含めて、その主張は全体として非武装中立論というふうに受け取っていいのかどうかということが一つ。  それと関連して、表現ですけれども、「本質的には軍事同盟である日米安全保障条約は廃棄すべきであると確信します。」、もう一つ「幻想となった日米安全保障条約は廃棄する、」、こうあるのですけれども、本質的とか、それからまた幻想とか、これはどういう意味なのか、ちょっと御説明を願いたいと思います。
  145. 青島幸男

    ○青島幸男君 先ほどから論じられておりますように、我が国の憲法趣旨からしましても、我が国は強大な軍事力を持って、それで国際間の紛争に当たるということは初めから考えてはいけないことでして、その意味では非武装中立というふうに私は考えているとお考えいただいて結構だと思います。  それで、今まで第二次大戦の終了後、米ソがこういうふうに厳しい対立を示してくる過程で、我が国の地理的な位置から申しまして、双方の真ん中に太平洋に堤防のような形で存在するという地理的な背景もありまして、それから日米間の今までの経緯もありまして、お互いに安全を保障し合おうじゃないか、基地を貸してくれ、君の安全は守ろうという意味からすれば、基本的にはやっぱり軍事同盟だと思いますね、安保条約というのは。それはそれなりの意味を初めのころは持ったのかもしれません、私は決して肯定はしませんけれども。しかし、双方、そのころはアメリカが五十発、ソ連が三十発とかというような核兵器しか持たずに、通常兵器の方が大きな意味を持っていた時期もありましたでしょうし、そういう意味合いからしますと、ある程度我が国が基地を提供するということの意味合いというのは大きくあったのでしょう。  それから後、大陸間弾道弾などができるようになったり、潜水艦で手軽に持ち歩くと言うと語弊がありますけれども、自由に潜水艦なんかで運べるあるいは爆撃機の足も長くなるとか、大陸間弾道弾の精度が高くなるということからしますと、日本の占める地球上の位置の意味合いも薄れまして、事実上それがついにはSDIのように宇宙にまで拡大されて、しかも大変精度の高いものができるということになりますと、基地を提供するという意味合いにおいての日本の安保条約にかかわる意味合いというのは非常に希薄になっているののではないか。しかも、この強大な武器を相互に持ち合って、一発撃ったらお互いが抹殺し合うまで続けなければならぬ、そういう連鎖反応的に行くであろうという背景を見れば、お互いに核兵器は持っているけれども、事実上威嚇にも物の役にも立たない。そういう間において我が国の貧弱な、憲法に基づいているからそうですけれども、貧弱な防衛手段、専守防衛を主眼としたその程度の貧弱なものでは何の足しにもなり得ないということからすれば、安保条約は今は幻想となったということからして、早く手を引くのが一番だという考え方に立ち至ったというのが実情でございます。
  146. 吉岡吉典

    吉岡吉典君 青島議員の意見、非常におもしろく読ませていなだきました。これまでの問答を念頭に置きながら簡単に一問だけ、核兵器廃絶問題について意見をお聞きしたいのですが、核兵器というのはもう実際上はなくならないじゃないかというようにとれる議論もこれまでありました。私は、逆になくさなくちゃいかぬ、しかも緊急になくさなくちゃならないというふうに考えているわけです。青島議員は核兵器廃絶意見を述べられておりますけれども、その見通し、それから核兵器廃絶の力というものについて、ここで述べられているよりはもうちょっと立ち入ってお伺いしたいなということです。
  147. 青島幸男

    ○青島幸男君 世界じゅうの期待している目が注目している中で行われましたレイキャビク会談も、期待をはぐらかされるというような格好で決裂に至りましたけれども、あれは一方ではとても評価した見方をしている人もいるわけです。というのは、今までの首脳会談というのはどうも軍備管理交渉の域を出ないという状態だったのです。ところが、レイキャビクについては軍縮、核削減ということを大きなテーマにして正面からそれに取り組もうとしていたということでは大変大きな進歩だったのではないかという評価をしている人もいます。現実にそれ以来のゴルバチョフ発言、あるいは一連の今、田さんがおっしゃられましたような核の削減に伴う、それを大きなテーマとして明確に打ち出して、その方向に歩もうとしているという現実もあるわけです。  ということは、双方、アメリカにしてもソ連にしても、この膨大に費用のかかる無用の長物といいますか、大変危険な、ちょっと間違ってそこを生じたというだけで、だれかがミステークを犯すということがあっただけでも、せんだって「ウォー・ゲーム」という核戦略のコンピューターシステムの映画があったのです。これは、大変無邪気なコンピューター好きの少年が、ちょっとした偶然から米戦略中央司令部のコンピューター室にハッカーとして入り込んでしまって、それが誤まりを生み、誤りの中から大変危険なところまで推し進んでしまうということをうたいとげた写真なのですけれども、コンピューターシステムはがっちりできていまして、一回始まってしまったらもうとめることができないというぐらいにまで厳密に計算が組んであるわけです。そういうものを維持管理していくということがどれだけ意味のないことかということを双方とももう気づいてきている。  だからこそ、レイキャビクの会談のきっかけにさえなったのじゃないか。多くの民衆たちの核廃絶に対する熱意。世界じゅうがそれを見守っているという、世論というのもありますし、そのことはだれしも気づいている、このばからしさには。それがやがて世論に押され、あるいはあらゆる場を通じてその世論も確実なものになっていくでしょうし、議会も世論には勝てないという状況になるでしょうし、ですからそれをうたいとげない議員さんは議員としての存在の意味を失うかもしれないというところまで来れば、議会も動かすし、その上に立つ、頂点にいる大統領の権限にも大変大きな影響を及ぼしていくだろう。ましてや、違った体制の中においても、経費のかかり過ぎる危険なものに対する恐怖はおのずと廃絶の方に向かっていくのじゃないかと私は期待をしているわけです。果たして私の期待どおりいくかどうかというのは余りはっきり申し上げられませんけれども、今まで来たいきさつから見ると、これは決して捨ててはいけない希望だというふうに認識をしております。
  148. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 二つほど青島委員質問がございます。  第一は、十八ページの一番下の段の初めから三分の一ぐらいのところに「核兵器を持つということによって人間は戦うということにかせがはめられたわけですし、いや、戦うことができなくなったと言うべきだと思います。」というふうに述べておられますけれども、これはいわゆる核によって戦争を抑えているという核抑止論を支持することになるのじゃないかと思いますけれども、核抑止論に賛成されるのかどうか。その点が第一点。  第二点は、全体の御意見先ほども言われましたように非武装中立主義だというふうに承っておりますけれども、十八ページの四段目のおしまいの方から十九ページの一段目にかけて、「本当の意味の安全保障とは内政の充実であると思います。自由で平等で豊かな国に住んでいれば、他の国が侵略してきたとき国民はその生活を守るために戦います。たとえ武器を持たなくても無抵抗の抵抗を行い続けるでしょう。」というふうにあるのです。この「無抵抗の抵抗」というのは一体何を意味するのか。竹やりを持って戦うという意味に言われているのか。もしそうであれば、私はそれははるかに悲惨な結果をもたらすのではないかというふうに考えます。  それから、それに続けて、「国民がこの国が一番いいのだという自覚が持てるような国にしていく、それが安全保障を得る唯一のものと言えるのではなかろうかと思います。」というふうに述べておられますけれども、私は、現在の日本は所得平等化の程度においても、これはOECDの報告によりますとニュージーランドに次いで二番目だそうですけれども、所得平等化の点においても、それから生活水準の面においても、言論の自由という点についても、かなり高い点をつけられるのではないかというふうに思います。もちろんパラダイスではございません。いろいろ欠点がたくさんあります。パラダイスなどというのはこの世にあるはずはないのであって、比較の問題ですけれども、かなり高い点をつけていい国ではないか。  そういう今申しましたような点で、ここに青島さんが言っておられる「自由で平等で豊かな国に住んでいれば」という定義からいいますとかなり高い点をつけていいのではないかと思いますが、現在の日本はその意味において守るに値する国であるというふうにお考えか、あるいはまだ足りないというふうにお考えなのか、その点をお伺いしたいと思います。
  149. 青島幸男

    ○青島幸男君 最初の御質問ですけれども、核抑止論に賛成ということにつながるのではないかと言いますけれども、私は決してそういうつもりで申し上げたわけじゃございませんで、例えば米ソ両大国が膨大な核を持って対決しているということは、四畳半ぐらいの小さなコンクリートの部屋にダイナマイト、手りゅう弾を持って二人が対決していると。どっちが相手を攻撃する意味で信管を外してもどちらも破滅してしまうということで、事実上使えなくなっているではないか。だから手りゅう弾というものも武器としての意味を失っているというふうに言うつもりで発言をしたわけでして、その点を御了承いただきたいと思います。  それから、後段のことでございますけれども、我が国は国民が一番いい国だと思うような国にしなきゃならぬというので戦後四十年、あの塗炭の苦しみから見ますと我々が、我々の先輩たち、同僚たちも一生懸命やってきたわけですけれども、我々の希求した平和の方向への努力が結実して今は経済大国にもなりましたし、不満はあっても、世界的な水準から申しまして相当いい点がつけられる国になりつつあることは私も大変喜ばしいことだと思っております。ですから、ますます我々は努力を積み重ねることによって、これから育ってくる子供たちがこの国に生まれて本当によかったということを胸を張って世界に言えるだけの国にしていきたいし、そのためには、我々がどう世界に働きかけて平和と繁栄を確保していくかということにどれだけ努力をしなきゃならないか。我が国一国のエゴイスティックな考え方ではそれは培っていけないのだ。世界の多くの国々のありよう、実態に目を触れて、その人たちの理解と協力を得ながら、日本もそのためにどれだけ努力を積み重ねていかなきゃならないか。しかも、それがどんなに意味があることなのかということを、これからの若い人たちに胸を張って誇りに思ってもらうような国にますます築き上げていかなきゃならないのだというふうに認識しております。
  150. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 「無抵抗の抵抗」という意味はどういう意味でございますか。
  151. 青島幸男

    ○青島幸男君 それは落ちまして恐縮でございました。  例えばどこかの国が我が国を侵略するにいたしましても、それは過去の歴史を見ましても、その国の持っている資源とかあるいは生産手段とかということが、武力行使してその国を侵略するに値するものであるからこそ行うわけでありまして、もし我が国にそういう侵略が行われるとすれば、それは我が国はもう資源のない国ですから、資源目当てに侵略してくるということは恐らく考えられません。それよりも、質の高い生産能力と生産手段だと思います。ですから、我が国のそういう施設と程度の高い労働力というものを目当てに侵略が行われてくるはずでしょうから、サボタージュもあるでしょうし、竹やりを持って最後まで戦うということではなくて、その国に協力しない、この国を侵略しても意味のないことなのだということを相手に知らしむるという無抵抗の抵抗の手段というものもあるのではないかというふうに考えましてここに連ねたわけでございまして、竹やりでもって戦っても侵略を防ぐというふうな考え方でいるのではないということを御理解いただきたいと思います。
  152. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 もう一つ。つまり、サボタージュなんかの非服従の抵抗というのは、それは必ず主謀者なりそれをやった人は捕まえられて相当の処罰を受けるだろうと思いますけれども、それを覚悟の上でやるということですか。
  153. 青島幸男

    ○青島幸男君 それは、この国が生きていく上に誇るに足る国であれば、その犠牲をいとわずに行う人も出てくるだろうというふうに認識しております。
  154. 加藤武徳

    ○会長(加藤武徳君) 以上をもちまして、国際情勢認識に関する件についての各委員意見交換を終わりますが、長時間にわたり皆さんの御協力ありがとうございました。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十分散会