○関嘉彦君 本日は、
安全保障政策そのものよりも、
国際情勢の
現状認識を
中心に述べますけれども、この
現状認識の前に、
安全保障とはどういうものであるか、それについて
基本的な考え方を述べておきます。
安全保障、セキュリティーという言葉は、広い意味には、個人ないし集団の生活の安定を確実にすることを意味し、老後の生活の安定を集団的に図る社会保障、ソーシャルセキュリティーや
人類全体の生活の安定を脅かす自然
環境の保全、あるいはエイズなどの伝染病の予防などもそれに含めることができます。しかし、余り概念の外延を広げるとその内包が希薄になりますので、ここでは、第一次大戦後一般的に使われるようになった
国際政治上の概念に限定して、狭い意味に使います。すなわち、狭義の
安全保障というのは、国民国家の並立する今日の国際社会において、
各国がその独立とみずからが選び取ったところの生活様式とを脅かすおそれのある対外的紛争の危険を未然に防ぎ、万一その紛争がエスカレートして外国の侵略を受けたときに適切に
対応して独立を回復し、国民生活の安定を確実にすることであります。
ところで、ただいま国家という言葉を使いましたが、国家という話は必ずしもその概念の明白な言葉でなく、その内容も変わってきました。しかし今日の
世界では、多くの国家は国民国家、ネーションステートないしその形成過程にあるといって差し支えありません。すなわち、種族、言語、宗教、生活理念、
経済圏、統治機構などの
一つないし幾つかを歴史的に共有してきたことにより、他と区別されたものとしての相対的な一体性を意識する人々の集団、すなわち民族共同体を基礎として一定の領域内で排他的な主権を行使する政治体のことであります。今日では、ECのごとく、従来の国民国家の枠を超えた共同体が結成されつつありますが、またそれぞれの構成国家が主権を譲渡するところまではいっていません。新しい多民族国家への過渡段階にあるものと見ることができるでしょう。また、今日では、
防衛や
経済などの領域で、かつてのごとく絶対的な主権を持っている国は少なく、自発的にまたは条約、協定などによってそれを制限していますが、形式的にはなお主権を放棄していません。
世界を統合した
一つの
世界国家が出現すれば、右の意味の
安全保障の問題はなくなりますが、その道はなお遠いと言わねばなりません。
これらの国民国家は、多くの場合平和裏に共存しておりますが、時として紛争を起こし、結果として戦争に至ったこともありました。その紛争の原因は、支配者ないし国民の支配欲拡大、
経済的利益追求、宗教ないしイデオロギーなどの生活理念の
対立、過去の屈辱的事件の報復などさまざまでありますが、その紛争が平和的に解決されないときに武力衝突が起こっております。
各国が武力を持つのは、これらの紛争の顕在化に備えてであるので、その原因である紛争がなくならない限り
各国は武力を捨てないでしょう。もっとも同時に
各国が武力を持つことが他国に
恐怖の連鎖反応を起こし、それが戦争を誘発することになることも事実であります。
したがって、
各国の
安全保障を高め、戦争の危険を防止するには、すべての武力を独占した
世界国家が存在しない限り、
各国間の紛争原因を可及的に縮小し、それを
各国民が合理的と考える方法で解決し得るように
各国民の共同意識を高め、同時に相互的な軍備の縮小を図る以外に方法がありません。そしてその
各国民の共同意識を高めるためには、
経済的相互依存
関係を拡大し、人間的文化的
交流を深めることで
各国民の自己
中心的な考え方を薄めていく必要があります。
さらに注意すべきことは、一般的には独裁政治のクローズドな閉鎖された国家よりも、自由
民主政治のオープンな国家の方が平和愛好的であるということであります。
国内において、平等者間の自由な
交流を増進する制度を持つ国は、国際
関係においても対等な交際が容易であり、言論の自由のある国の方がより客観的に事物を観察し得るし、かつ指導者の恣意を抑制することが多いからであります。
世界における
自由民主主義国の成長を助けることは、それだけ戦争の原因を縮減し、
各国の
安全保障を高めることになります。
以上は一般論でありますが、特に
日本に関して言えば、
日本の総合的
安全保障というのは、
日本の独立とその
憲法秩序に立つ国民の社会生活とが、外国からの潜在的脅威及びその顕在化により乱されることがないよう、あらゆる方策を講ずることであります。
日本の
憲法秩序は
自由民主主義でありますから、
国内においては
自由民主主義の政治体制を定着させ、福祉国家の充実を図ることにより、
国内の紛争を極少化するとともに、対外的には
自由民主主義陣営の一員としてその
協力を図りつつ、それ以外の国々との間においても、あらゆる
外交的
手段により、紛争の原因となる要素を可久的に除去していくことであります。しかし、それにもかかわらず万一の場合の外国からの侵略に対しては、国民があえてそれに抵抗する
精神力と物理的用意をすることで、侵略が引き合わないことをあらかじめ外国に示しておくことが必要であると考えます。
次に、第二次大戦後の
世界の政治
情勢について述べます。
アメリカを指導者とするところの
自由民主主義国家群と
ソ連共産主義国家とは、ファシズム打倒と
民主主義擁護のために
協力して第二次大戦を戦いましたが、戦勝後間もなく、互いに
対立し冷戦の
時代を迎える工とになりました。それはファシズム打倒後に建設さるべき
民主主義秩序について、イデオロギー的
対立があったからであります。マルクス・レーニン主義を国是とするところの
ソ連は、プロレタリア独裁、すなわち単数の言論と単数の政党しか認めない社会を
民主主義と解釈するのに対し、
アメリカ、西欧諸国は、
日本の
憲法の規定するごとき複数の言論と複数の政党の存在を不可欠の要素とする複数主義の社会を
民主主義と解釈し、それぞれがそれぞれの
民主主義観に立つ
世界秩序を望ましいものと考えていたからであります。このような
民主主義体制と
共産主義体制の
対立が第二次大戦後の
世界平和を脅かしてきた最大の原因であります。
その後、ユーゴスラビアや
中国など必ずしもモスコーの指令に従わない国があらわれ、殊に中
ソ両国間にはその国家的利益の
対立による
緊張状態があらわれ、
共産主義陣営の一枚岩的統制は崩れてきましたし、
他方、
民主主義
陣営内でも
経済的摩擦が顕在化してきました。東欧諸国の中でも、西側諸国に近接している東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーなどの諸国は、
ソ連の軍事的支配力が弱まれば、ユーゴスラビアのごとく
ソ連圏から離脱する
可能性は大でありますが、現在までのところ東欧諸国が
ソ連圏から離れることは不可能であります。
他方、
民主主義
陣営内部では、相互間の
経済的摩擦が顕在化してきましたけれども、
ソ連の軍事的脅威が弱まらない限り、政治的軍事的団結を続けるものと思われます。その意味で今日でもなお
世界人類の破滅をもたらしかねない核戦争の脅威で
世界を脅かしているのは、
米国を指導者とする
民主主義
陣営と
ソ連を盟主とする東欧諸国の
共産主義陣営との間の相互不信と、それに基づく軍拡競争であると考えます。
米ソ両国間のたびたびの
軍縮交渉が簡単に進捗しないのも、
基本的にはこの
両国間に体制を支えている物の考え方に対する相互不信があるからであると考えます。
もっともこのことは、今日の
国際政治がこのイデオロギー的
対立のみで動いているということを意味しません。戦後独立してきた多くの新興国の中には、
米ソいずれの
陣営にも属することなく、イデオロギー的にも中立的な
立場をとっている国もあります。しかし、これらいわゆる第三勢力と称される国々が、
世界の政治を動かし得るごとき、大きな政治的
経済的ないし軍事的力を持ち、かつ団結していると考えるのは希望的観測にすぎません。第一に、第三
世界に属する国々が例えば、インドとパキスタン、イランとイラクの間のごとく、互いに
対立し、時として武力抗争したことが少なくないし、しかもこれらの諸国は
国内の建設に追われていて、
自国に
関係のない問題にまで
影響力を行使し得るだけの余裕を持たないからであります。これらの国々は国連その他の場所において、
米ソの間にあって、時としてアンパイアの役を演じ、世論形成に一定の働きをしていることは認めなければなりませんけれども、将来は別として、現在の
国際政治勢力として第三
世界の力を過大に評価することは誤りであると考えます。
世界の平和、特に
アジアのそれにとって最も注目すべきことは
中国の
情勢であります。
中国は一九四九年
共産主義革命に成功しましたが、その後十年にして同じくマルクス・レーニン主義を国是としながらも、
ソ連と
対立するようになり、一時は一触即発の危機にあると言われるほど
緊張が激化しました。マルクス・レーニン主義の国は、
国内において権力を集中した指導者と国民との間の上下
関係の社会秩序を持っておりますが、国と国との秩序においても上下
関係で律するため、同じ
共産主義であるにもかかわらず、否むしろそのためにこそ、対等者の併存する横の
関係を維持することが難しいわけであります。そのことを中ソ論争ははしなくも露呈いたしました。しかしその
中国も、最近ようやくマルクス・レーニン主義を、名目はともかく実質的に離脱する傾向を見せ始めました。
すなわち、中央集権的な全体的計画
経済が生産力増大の桎梏になりつつあることを自覚し、分権化した価格
経済を現代化の名のもとに導入しつつあります。
経済に関する限り、
中国は昔のごとき中央集権的な指令
経済に逆戻りすることは不可能な地点にまで到達したように見えます。
経済の
自由化が直ちに政治の
自由化をもたらすと即断するのは短絡的であります。しかし長期的に見て、この
経済関係の変化は政治の方に何らかのリバーカッションを与えずにおかないでしょう。このことは
中国が
自由民主主義の国になるということではありません。あの広大な国土、膨大な人口を
一つの国にまとめていくためには何らかの権威主義的な政治体制を必要とします。しかしそれは、一歩前進二歩後退というジグザグコースを当分はとるにしましても、長期的には全体主義的な独裁政治とは異なるものになる公算が大きいと思われます。いずれにしても、
中国は
米ソ両
陣営に対し等距離
外交をとり続けるものと思われます。
しからば、
ソ連、殊に
ゴルバチョフのもとでの
ソ連はいかがでしょうか。
ゴルバチョフの最近の諸改革がどの程度徹底したものか、また、
共産党内におけるその勢力基盤が安定したものかどうかを判断するにはまだ時間がかかります。しかし、
ソ連もかつてのスターリン
時代のごとき冷酷な全体主義体制に復帰することは不可能であると思われます。
経済成長のためには、現在の若干の東欧諸国が実験しつつあるごとき
経済の分権化は不可避であります。その場合、
ソ連人といえどもやがては市民的自由の価値に徐々に目覚めてくるのではないでしょうか。イデオロギー及び社会体制に関する限り、多くの国々において
自由民主主義より
共産主義の方をすぐれていると考える人は少なくなってきました。すなわち、西風は東風を圧しつつあると言えます。
東
アジア情勢に関して、
中国情勢以外に注目すべきは
朝鮮半島の
動向であります。
朝鮮半島が南北二つの国に
分断され、しかも
両国が
米ソ両国を
背景にして
対立状態にあることは、
アジアの
緊張緩和にとり
一つの重大な障害であります。北朝鮮は
ソ連以上に閉鎖的な
共産主義の全体主義国家であり、ラングーン事件を起こすごとき国際
関係の常識では容易に律し得ない国であります。もし
朝鮮半島で南北の
対立が戦争にまで発展すれば、それは
米ソを巻き込む
世界戦争にまで発展しかねません。しかし、米軍が
韓国に駐留している限り、北朝鮮といえども単独で
韓国に侵入してくることはまず考えられません。
問題は、
韓国内の政情の不安定とそれに乗じた北朝鮮からの攪乱工作であります。建国以来日も浅く、しかも臨戦体制下にある
韓国に、
日本と同じような
自由民主主義体制を要求することは、かえって
韓国の政情を不安にする危険があります。しかし、
韓国においても健全な野党勢力が徐々に育ちつつあります。
経済的繁栄と相まって、より自由な、より
民主主義的な社会に変わることができれば、それはやがて北朝鮮に対しても何らかの衝撃を与え、その体制に変化を与えるようになるのではないかと想像されます。
いま
一つ、
アジアの政治状勢について注目すべきは東南
アジアであります。この地帯でベトナム及びその支配下にあるラオスとカンボジアは
ソ連の勢力圏に属し、近隣諸国に脅威を与えていますが、
経済的には混乱状態にあり、隣国に武力
進出する余力は現在のところないと思います。それ以外のASEAN諸国は、フィリピン及びインドネシアを除き
経済的にはテークオフの段階を既に過ぎ、
世界経済が大きなディプレッションに陥らない限り、
経済的困窮に基づく内乱のおそれ、それに乗じた
共産主義勢力の浸透のおそれは少ないと見てよいと思います。ただフィリピンの場合は、
国内における貧富の
対立が甚だしく、国民の一般的生活水準が高まらない限り、その政治状態は不安定を続けるだろうと思われます。またASEAN諸国の多くの国においては、政治指導者の交代のルールが確立していなく、その面からの不安定要因が除去されたとは言えない。これら諸国の
動向に深甚の注意を払いつつ、それらの国々が政治的にも安定し得るよう
協力していくことが必要であります。
なお、いま
一つ目を離せないのは、
ソ連の南太平洋島嶼諸国に対する
進出であります。もし
ソ連がそれらの地域に軍事基地を築くようなことがあれば、それはこれらの地域の平和の攪乱原因となりかねません。
次に、国際的
軍事情勢について述べます。
まことに悲しむべきことではありますけれども、軍備縮小を望む
世界の世論にかかわらず、
米ソ両超
大国の軍備は一向に縮小されません。むしろ核兵器は増大の一途をたどってきたと言っても過言ではありません。しかし他面において、これまた悲しむべきことではありますが、核兵器が戦争の
抑止力として働いている側面も否定し得ません。すなわち、一方の通常兵器にふる攻撃がやがてエスカレートして核兵器による攻撃になれば、
他方もそれに対して報復攻撃を行い、やがては
世界人類の絶滅につながる最終戦争になるであろうとの相互の
恐怖が、互いに攻撃を自制させているという側面、相互確証破壊による核の使用を自己抑制しているという事実であります。
一九七〇年代のいわゆるデタントの
時代、
アメリカは軍備の増強を緩和しました。しかしその間、
ソ連は核兵力の増強を行い、最近ではその量、質において
アメリカに匹敵するようになりました。特に最近数年間における東
アジア地域における
ソ連軍の増強ぶりは、ベトナムにおける軍事施設の利用とともに看過できないものがあります。
アメリカは、
ソ連のアフガニスタン侵略以来、特にレーガンが大統領になって以来、それに対抗して軍備の拡張に乗り出しました。一九八三年以降はSDIの研究に乗り出してきております。このSDIがレーガン大統領が主張するように、核兵器を無力化し得る兵器になり得るのか、逆に核軍備競争を刺激する兵器になるのかはまだ予断を許しませんが、もしSDIが完全に核兵器を無力化し得るようになったならば、それは現在の
恐怖の
均衡に基づく危なかしい平和よりもすぐれていると言わねばなりません。現在の
技術水準ではまだそこまでは不可能で、かえって
ソ連による核兵器の増産ないしSDIへの対抗
手段の開発をもたらすことになるかもしれません。しかし、少なくとも
アメリカがSDIの研究するのを阻止することはできないと思います。というのは、第一に軍事
技術にも転用可能な高度の科学
技術の研究を阻止することは不可能ですし、第二に
ソ連も同じ研究をやっていないかどうか、閉鎖社会であるため確認のしようがないわけですが、少なくともやっていないと断定することはできないからであります。
ところで、
軍事情勢の分析は今日では全
世界的規模で行わねばなりません。現在のところ、
米ソ間で衝突が起こったときにその主戦場になるのはヨーロッパであると言われています。確かに通常兵力に関する限り、ワルシャワ条約機構軍は
NATO軍を圧倒しています。しかし、ヨーロッパにおける通常兵器による戦争は核戦争に発展する
可能性の大きいことを考えれば、
米ソ両国とも軍事衝突に至るごとき紛争の勃発は極力避けると思われます。むしろ警戒すべきは、
防衛についての
アメリカと西欧諸国の間の
意見の
対立が表面化してくることであります。
アメリカは核兵器使用の敷居を高くし、さらに核兵器の
軍縮を容易にするために、
NATO加盟諸国の通常兵器の増強を求めていますが、
経済的不況にあえぐ西欧諸国は必ずしも
アメリカの期待に応じようとはしません。逆に西ヨーロッパは、
アメリカの核の傘が万一の場合果たして有効に機能するかについて不安を持っています。
一方においては全ヨーロッパの核兵器の排除を求めつつも、
他方において
アメリカがヨーロッパを見捨てるのではないかと警戒しています。
米ソの
軍縮交渉においても、
アメリカは西ヨーロッパと充分意思の疎通を図り、ヨーロッパに無用の不安を与えないことが必要であります。もし
アメリカと西ヨーロッパの間に相互不信の念が高まり、
民主主義
陣営内の
防衛に亀裂が生ずることになれば、かえって
ソ連の
進出を招来する危険があります。
さらに、今日政治的に最も不安定な地域は中東地方であります。その地域は、イラン、イスラエルを除きアラビア人が多くの主権国家を形成し、イスラム文明が支配的であります。ここでは、ユダヤとイスラムの宗教的
対立、同じイスラムの中での宗派的
対立、ペルシャとアラブの人種的
対立に加え、神政政治国、王族の寡頭支配国、軍部の独裁国などに分かれて支配力を争い、政治的には極めて不安定な地域であります。もしこれらの地域の一国が核兵器を持つようになれば、
対立国もそれに倣い、極めて憂慮すべき
事態になると思われます。これらの地域は軍事的にも
経済的にも重要であるため、
米ソいずれもその
影響力を競いつつあります。しかし、
米ソいずれもこの地域への核兵器の拡散を望まず、その安定を望んではいますが、もし心ならずも、
米ソ両国がそれらの地域紛争に巻き込まれるようなことがあれば、
世界にとって極めて不幸な結果をもたらす危険があります。
次に、国際
経済情勢について述べます。
第二次大戦後の
世界は
経済的に、
自由民主主義陣営に属する先進工業国、
ソ連経済圏、戦後独立した国が大部分を占める発展
途上国圏の三つのグループに分かち得ますが、
世界経済全体としては、戦前に比べてはるかに相互依存
関係を強めてまいりました。このうち、
ソ連圏は、
ソ連に関する限り、
経済成長率を高めた一九五〇年代から六〇年代以降その成長率を低下させておりますし、東欧諸国特に西側と近接している国は、一九七〇年代以降、分権化と市場原理の導入に努めることにより復興してまいりました。これらの諸国は、最近西側諸国との間に
資本輸入、商品
貿易の拡大により相互依存
関係を深めつつありますが、なお原則的に計画
経済であり、政経不可分のブロック
経済として、
世界経済から距離を保っているので、ここでは考察の対象外に置くことにいたします。
先進工業国と多くの発展
途上国は、
アメリカの圧倒的な
防衛力と
経済力を
背景にした
自由貿易体制の中に組み込まれ、それぞれの程度においてその恩恵を受けてまいりました。中でも
日本及び西ヨーロッパ諸国は、一九三〇年代と比較してはるかに豊かな福祉国家の建設に成功しました。
しかし、光には必ず影が伴う。すなわち、一九七〇年代の二回の石油危機以来、先進工業国は、一方において石油価格の急騰による生産費の騰貴の結果としての不況と失業の増大、
他方において財政赤字の結果としてのインフレーション、そして
経常収支の赤字というトリレンマに直面することになりました。その後若干の回復は見られたものの、先進工業国全体、OECD加盟国の成長率は低く、八〇年代に入っても不況を脱し切っていません。
日本は、石油危機に際し、赤字公債の増発という犠牲を払ってではありましたが、生産物の価格騰貴と省エネルギーの合理化により企業経営を
改善し、多くその生産物を外国市場への輸出拡大という形で不況を回復しましたが、その結果は、
アメリカ及びEC諸国との間に
経済摩擦を生み出しました。一九八五年の秋以降、急激な円高・
ドル安という為替相場の調整の結果不況に遭遇していますが、なお
経常収支の黒字は続いております。
しかし、このような外国
貿易の不
均衡は、
アメリカとEC諸国と
日本との間の
貿易戦争を生み、
アメリカ及びEC諸国に
保護貿易主義を台頭させつつあります。しかし
各国が一九三〇年代のごとき過度の
保護貿易主義を採用することは、
世界経済の拡大を阻害するのみでなく、
経済的ナショナリズムを生み、それが政治的なナショナリズムを激化することになれば、
民主主義の弱体化をもたらすおそれもなしとしません。そのことは単に
各国の
経済力を弱めるのみでなく、
安全保障の上でも危険であります。
いま
一つ警戒すべきは、発展
途上国の
経済動向であります。これら諸国の大部分は第二次大戦後政治的には独立しましたが、
経済的にはなお先進工業国への依存
関係を脱していません。
途上国の中でも、第一のグループに属する最貧国、一人当たりGNPが四百ドル以下の国、特にサハラ砂漠以南の多くのアフリカ諸国は
経済成長の目鼻さえつかず、飢餓状態上をさまよいつつあります。
第二グループは石油産出国であります。これらの国の多くは、石油価格騰貴
時代に石油代金として受領した外貨を、
国内の工業化に投資し、あるいはオイルダラーとしてロンドン、ニューヨークの金融市場に流入しましたが、その後の石油価格の下落により、工業化がとんざし不況に悩みつつあります。
第三グループは、七〇年代以降外資の導入により
国内の工業化にある程度成功した国であります。特にNICSと呼ばれる諸国は持続的成長の段階に入ったと思われますけれども、その後の先進国の不況による一次産品の価格低下、工業品の輸出不振のため、
韓国、
台湾を除き、これまで導入したオイルダラーその他の外資の元利返済のためデフレ
政策の採用を強いられ、あるいは返済不能になる国も少なくありません。もしこれらの国の
累積債務の返済不能が多くの国に波及すれば
世界の金融市場に大混乱をもたらすでしょう。最近の株式市場の異常な活況と相まって、一九二九年の大恐慌の再来を危惧する声もあります。これら
途上国の貧困の拡大及び不況の長期化は社会不安をもたらし、内乱を通じて
共産主義勢力の
強化をもたらすか、あるいは逆に軍部の独裁をもたらす危険が大で、
世界の平和にとっても憂慮すべき
事態であります。
以上が
国際政治及び国際
経済の
現状認識であります。このような
認識に立って、どのような
日本の
安全保障政策をとるかの詳細は、それぞれの問題を論ずる三つの小
委員会での討議にゆだねたいと思いますが、
安全保障の
基本原則のみを箇条書きにしておきたいと思います。
一、
日本に対する友好国を多くし、敵対国を少なくするための
外交的
努力、例えば情報収集、文化
交流、
経済協力などを絶えず行うこと。そのためには、単に
政府のみでなく、自治体、企業、組合、個人の
レベルでも国際化の
努力を怠らないこと。
二、
世界の、特に
米ソ両国間の
軍縮交渉が少しでも前進するよう側面から
努力すること。ただし、
軍縮は、段階的、相互的、検証つきで行い、急激な力のインバランスをつくらないこと。
三、国連その他の国際機関の
活動を充実化するため、単に資金的に寄与するだけでなく、
日本人職員をふやし、その平和維持
活動にも可能な限り
協力すること。
四、外国に侵略の誘惑を与えないため、国防のための
防衛力を最小限維持し、その足らざるところは、同じ
民主主義
陣営特に
アメリカの
防衛力によって補うこと。
五、先進国間の
経済摩擦を可及的に減少し、諸外国が保護主義に走らないよう
努力すること。しかし
自由貿易制度は自由放任
政策、レッセフェールによっては維持できない。したがって、
各国政府が
協力して、必要な場合、通貨価値の安定、
貿易不
均衡是正のために介入すること。
六、
途上国に対する
経済援助を
強化し、それらの国の
経済的安定に寄与すること。ただしその方法については、一部
特権階級のみの利益になるごとき方法を避け、効率的に運用していくこと。
以上であります。