運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1986-12-11 第107回国会 参議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十一年十二月十一日(木曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員異動  十一月二十五日     辞任         補欠選任      木宮 和彦君     海江田鶴造君  十一月二十六日     辞任         補欠選任      海江田鶴造君     木宮 和彦君  十一月二十七日     辞任         補欠選任      飯田 忠雄君     高桑 栄松君  十二月八日     辞任         補欠選任      高桑 栄松君     中野 鉄造君      勝木 健司君     藤井 恒男君  十二月九日     辞任         補欠選任      中野 鉄造君     広中和歌子君      藤井 恒男君     勝木 健司君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         仲川 幸男君     理 事                 田沢 智治君                 林  寛子君                 粕谷 照美君                 吉川 春子君     委 員                 小野 清子君                 木宮 和彦君                 山東 昭子君                 杉山 令肇君                 世耕 政隆君                 谷川 寛三君                 寺内 弘子君                 星  長治君                 柳川 覺治君                 山本 正和君                 高木健太郎君                 広中和歌子君                 下村  泰君    国務大臣        文 部 大 臣  塩川正十郎君    政府委員        臨時教育審議会        事務局次長    齋藤 諦淳君        文部大臣官房長  古村 澄一君        文部省初等中等        教育局長     西崎 清久君        文部省教育助成        局長       加戸 守行君        文部省高等教育        局長       阿部 充夫君        文部省高等教育        局私学部長    坂元 弘直君        文部省学術国際        局長       植木  浩君        文部省社会教育        局長       澤田 道也君        文部省体育局長  國分 正明君    事務局側        常任委員会専門        員        佐々木定典君    説明員        厚生省健康政策        局総務課長    吉田  勇君        厚生省健康政策        局医事課長    阿部 正俊君        建設省住宅局建        築指導課長    立石  真君        消防庁予防救急        課長       木下 英敏君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (税制改革による教育への影響に関する件)  (大学入試改革に関する件)  (初任者研修等に関する件)  (教育課程に関する件)  (昭和六十二年度予算編成における私立学校助成及び国際文化交流等のための経費計上に関する件)  (教員の健康に関する件)  (教員養成改善に関する件)  (学術研究に関する件)  (進学塾における児童・生徒の安全確保に関する件)  (身体障害児の就学に関する件)     ─────────────
  2. 仲川幸男

    委員長仲川幸男君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る十一月二十七日、飯田忠雄君が委員辞任され、その補欠として高桑栄松君が選任されました。  また、去る八日、高桑栄松君が委員辞任され、その補欠として中野鉄造君が選任されました。  また、去る九日、中野鉄造君が委員辞任され、その補欠として広中和歌子君が選任されました。     ─────────────
  3. 仲川幸男

    委員長仲川幸男君) 教育文化及び学術に関する調査を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  4. 粕谷照美

    粕谷照美君 自由民主党が売上税名称で導入をするといいます新型間接税、これはどのように名称を変えても、私はやっぱり大型間接であると、こういうふうに考えております。  税そのものの論議は、文教委員会ですから省くといたしまして、この売上税の創設をするということによりまして教育関係してどのような影響があるというふうにお考えでしょうか。
  5. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 税制改革の問題につきましては、現在、政府税調あるいは自民党税調において内容が審議されている最中でございますので、それがどういう形で出てくるかによって、教育問題にどんな影響があるかということでございまして、今のところ、具体的にそこまでの詰めができておりませんので、お答えはその程度にさせていただきたいと思います。
  6. 粕谷照美

    粕谷照美君 具体的に詰めができていないとしても、いろいろと想定されることがあるわけですね。新聞には具体的にいろいろなことが載っているわけですから。その辺のところはどのように把握をしておりますか。
  7. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) いわゆる売上税免除除外措置をされるものについて、文部省関係では、学校教育法第一条の学校、いわゆる小中高等学校大学、幼稚園といったことについては、授業料というものの収入売上税対象から外すというふうなことが伝えられております。今までは、専修学校各種学校もそういった税の対象になっておりません。しかしながら、今言われていることになりますとそれは税の対象になる、今のそういった考え方そのままでいけばということでございますので、そこのところは、私たちとしては何とか従来の線で、税の対象にされないようにということを要望してまいりたいというふうに考えております。
  8. 粕谷照美

    粕谷照美君 授業料だけですか、今把握しているのは。例えば入学料だとか施設料、いろいろあるというふうに思いますけれども
  9. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) まあ授業料を典型的に申し上げましたが、結局、学校教育に関して父兄から金が入ります。そういったものを収入として、それに対して、まあ今のあれですと、専修学校各種学校のその収入として税の対象になるというのが今示されたものですが、それは外してもらうように要請をしてまいりたいというふうに考えております。
  10. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうしますと、今言われたほかに具体的に収入になる部分があるわけですね。学校法人宗教法人関係でね。そんなものは一体全体にかけられようとしているのかどうなのか。その辺の把握と、教科書、それから教材、これはどうですか。
  11. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 学校法人等収益事業を行っておりますれば、収益事業については従来からも税の対象になっておりますから、それは別の話ですが、収益事業以外についての収入については税の対象にしないという形でやっておりますので、その辺は、従来の制度を勘案しながら十分御説明をしてまいって、御要望してまいりたいというふうに考えております。  そのほかに、例えば物品を購入する場合については、学校あるいは社会教育施設等について、ラジオとかテレビとか、かなり高額のものを購入する場合には税金免除になっております。今のところではそこまでの細かい話が出ておりませんので、今の形ではそういったものが税の対象になるというふうに、今の示されている案ではそういうふうになっているわけでございます。
  12. 粕谷照美

    粕谷照美君 文部大臣は、自民党の党員として、そしてまた文部大臣として、今、各種学校だとか専修学校税金が、ここのところが非課税扱い対象外になると、なるかもしれないというような状況については、何か御発言なり折衝なりなさっていらっしゃるでしょうか。
  13. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 先ほど官房長が言っておりますように、官房長はずっと党の税調などと非常に細かく連絡をとっておりますが、まだそこまで議論がいっておりません。要するに、原則論のようなものが売上税としてクローズアップしてきたということでございまして、適用除外の問題につきましては、まだ明確に議論されておらない段階でございます。  我々も、先ほど官房長が言っておりますように、できるだけのものが適用除外になるように努力してまいりたいと、こう思うております。
  14. 粕谷照美

    粕谷照美君 では次に、大学入試の問題に入ります。  大学入試で、現行の共通一次試験にかえまして共通テストを導入することはもう既に決定をされているわけでありますが、これが六十四年度から実施をされるというのが、先日のニュースを見ますと、六十五年度になったのか、なるのか、その辺がまだはっきりいたしませんけれども、なるという話でございます。その実情と、なぜそのような判断をしなければならなくなったのかということについて、報告をいただきたいと思います。
  15. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 現在の共通一次試験にかえまして新しいテストを導入すべきであるということを、臨時教育審議会の第一次答申で御指摘をいただきました。文部省としては、その答申を尊重いたしまして、その実現に向けて努力をしてまいっておるところでございます。  せっかくの、しかも臨教審が第一次答申で出されたというようなことでもございますので、なるべく早く、可能な限り速やかにこの問題の実施に着手をしたいというようなことから、諸般状況を考えまして、六十四年度実施目途とするということで一応の目標を定めて進めてまいったわけでございますが、この準備過程におきまして、具体に国公私立大学等準備お願いをする、あるいは高等学校関係者等とも接触をする、いろんなことをやってまいりますと、その中で、やはり新しいテストをよりよいものにするためには実施時期について慎重に考えてほしいというような御指摘等も出てまいりました。また、受験生の側からも、と申しますか、これは高校長さんの方からでございますけれども、六十四年度実施といたしますと、現在の一年生から該当するということになるわけでございますが、そういった関係事柄について、重大な変更でもあるし、受験生になるべく早く周知をするというようなこと等も考えますと、さらに時日を要するのではないかというような御指摘等もございました。  いろいろそういった諸般進捗状況を総合的に判断をいたしまして、過日、大学入試改革協議会、これは国公私立大学関係者、あるいは高等学校教育委員会関係者、さらには学識経験者方々等によってつくっております協議体でございますけれども、そこにお諮りをいたしましたところ、結論といたしまして、新テストを円滑に実施をしていくためには、これは当初の目標であった六十四年度入試からの実施ということを一年間延期することが適当であるというような御判断をいただいたわけでございますので、文部省といたしましては、それにのっとりまして、過日その方針を固め、閣議にも大臣から御報告と申しますか、御発言をいただきまして、その結論を既に国公私大学等連絡をしておるところでございます。
  16. 粕谷照美

    粕谷照美君 臨教審答申が六十年の六月ですね。そして文相裁定があって、一カ月後の六十年の七月には大学入試改革協議会が設置された。そしてその三カ月後には閣議決定があって、六十四年から実施をいたします。六十二年の春には予告をします、だから六十一年の七月を目途報告書を出さなければなりません。さらに、六十二年の春には実施機関決定するんですと、こういうことがなされているわけですね。まことにもう文部省としては素早い対応ですね。答申が出された三カ月後にそのような閣議決定が行われるというのは。これは私は、文教行政としては異常な事態だというふうに考えないわけにはいかないんですけれどもね。  この背景には、やっぱり中曽根総理選挙公約で、共通一次は廃止しますと、こう国民の前で大きくアピールをされていた。私たちは、共通一次廃止というのは当然のことだというふうに思っていましたけれども、しかしこれを選挙利用するのはどうなのか、こういうふうに思ったわけですが、選挙公約をされたものですから、特に強くそれが臨教審文部省にかかってきた。これは発足当時から、大体無理なんじゃないかと私たちは反対してきたんですけれども、ようやく今ごろになって、これはどうも日程的に間に合いませんなんというような、そこがわからないんですけれども文部省、その辺はどうですか。
  17. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 先ほどもお答え申し上げましたように、大学入試改革というのは大変国民的な課題でもございます。いろいろな面での御要望、御要請等もあるわけでございますので、そういったものを受けまして、臨時教育審議会でも全体の御議論を、いわば基本答申的なものを出すよりも前に第一次答申として、まずこの問題を取り上げて御指摘があったというようなことでもございますので、私どもとしては、もちろん政府部内でどの時期からならできるかという議論等は当時あったと思いますが、いろいろ考えました最短距離として六十四年度実施ということを一つ目標として定めて、まあ目標をつくりませんとだらだらとなってしまうということもございます。そういうことで、六十四年度を実施目標時点ということで、これは閣議決定ではございませんで教育改革推進閣僚会議文部省方針として御報告を申し上げたということでございます。  そういう形で昨年の十月にそういう方針を決め、そしてそれに向けての準備を進めてきたというような状況でございますが、先ほど申し上げましたように、諸般準備状況もございます。また、一方で国立大学受験機会複数化という問題、これも臨教審答申で同時に出てきたわけでございますけれども、これにつきましても、国立大学協会の方でかなり熱心な対応をしていただきました結果、ことしに入りましてから、ことしの夏にそういう方向を最終的に決めて複数化を六十二年度からやろうではないかというようなところまで来たというような新しい事態もございます。そういったような諸般状況を勘案いたしまして、新しいテストをより実質的にいいものにして円滑に実施していくというためには一年延期するのが望ましいだろうというようなことを協議会でも御判断をいただき、文部省としてもそういう結論に達したということでございますので、御理解をいただきたいと思うわけでございます。
  18. 粕谷照美

    粕谷照美君 中身を検討する前に時期を最初に決めるなんという、そんな入試改革なんてあるんですか。私は、そこが非常に問題だというふうに思うわけであります。  だからそこのところは、政治介入がとにかく無理をさせていった、こういう判断文部省はしませんでしたか。
  19. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) たびたび繰り返しになりますけれども入試改革については、これは構想が固まればできるだけ早くやりたいというのは私どもとしてもかねてからの念願でございまして、この実施に当たりまして、諸般状況検討した結果六十四年度でやれるのではなかろうかというような一応の目標を立てて、昨年の十月にそのような方向で進み始めた、そういう経緯でございます。
  20. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は、大体目的そのものがやっぱり机の上の計算じゃないだろうかというふうに思っておりますよ。例えば今の一年生から――来年二年生になるわけですが、二学期までにはもう共通テスト参加する大学を決めておかなきゃならないわけでしょう。こういう不確定な問題があるということでとにかく第一回を六十三年の十二月に実施するなんということは非常に困難なことだというふうに思いますし、それから全国試行テスト実施しなきゃならないわけですから、準備不足になるわけです。大学だって受け入れ態勢は整っておりませんので、一年間延期するというのは当然のことだったんですが、これは早くから予測をされていたのにと、こういうことを私は言いたいわけであります。  文部省の若干政治的圧力に弱い部分というのは、このことに限らず、その前でもわかるわけですね。最初進適があって、これが失敗をして、その次に能研をやったでしょう。能研だって、やりましたけれども能研テスト受験の要件とした大学は四十二年で国立一つ私立一つしかなかった。四十三年には国公立で各一ずつ、私立においては二つだった。そしてテストを中止して、これは挫折をしたという歴史があるじゃありませんか。また、能研テスト利用したという、利用だけの大学が四十二年に三十七校、四十三年に二十五校で非常に少ないわけですね。  そういう中で、とにかく共通一次をやりなさいという随分強い圧力があって、また下からも、何とかしなきゃならないということも確かに声として上がって、いろいろと議論が出てきた。ところが、この議論が随分長くかかったわけですね。昭和四十五年ごろからこの検討が始まって、五十四年度の入試から実施する、こういうふうになったわけですが、その間の随分長い間かかったときに、政界で言えば四十九年の五月に、自民党文教部会、それから文教制度調査会が、入試法を制定すると、具体的にその入試法を出して迫ったというところから、これまた、共通一次を十分な議論意思統一もないままに私たちは入れざるを得なかったというふうに判断をしておりますので、またその二の舞になるのではないか、こんな感じがしてなりませんけれども文部省としては、そんなことを考えておりませんか。
  21. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 大学入試というのはこれだけ国民的に関心の大きい事柄でもございますので、政党、特に与党がこの問題についていろいろ御議論があるということは当然のことだろうと思うわけでございますが、私どもとしては、そういう御議論も踏まえて、さらに大学高等学校関係者等といろいろ協議をしながら、大学入試改革というのはどうあるべきかということで議論を重ねて、いろいろな方法、試み等を従来からやってまいったわけでございます。特に能研テストの場合などは、これは準備期間が十分でなかったとか、あるいは必ずしも大学関係者の側の発意で行われたという形でなくて、むしろ何と申しますか、大学とは別の機関が、能研という機関実施をするというようなたぐいのことであったために、なかなか利用の拡大ということが図れなかったというような経緯があるわけでございますけれども共通一次試験の場合には、そういう経緯もございますことから、特に慎重を期しまして、大学関係者、特に国立大学協会が自主的にこの問題の検討に取り組んでいただくということで長年の御検討を進めていただいてでき上がってきたというような形で、いろいろ御批判、問題点がないわけではございませんと思いますけれども、少なくとも国立大学については、ある程度全大学参加というようなところまで来ているという歴史があるわけでございます。  今回の新しいテストというものを共通入試にかえて考えます場合にも、もちろん関係者の合意の形成ということは大事でございますので、その点についての意は大いに払ってまいらなければならないということで、今回の延期に際しましても関係者の御意見というのを受けてそういう方向を決めたわけでございますが、それにいたしましても、テストやり方とか具体的な仕組み等々につきましては、国立大学共通一次ということで、一つの型と申しますか、やり方についての経験が相当積まれてきているというようなこともございます。また、出題の問題作成等につきましても相当の経験が積まれているということもございますので、そういう実績を踏まえながらということであれば、共通一次を実施するのに十年近くかかったというほどの時間の必要はなかろうということで、大体六十四年度、それが今回一年延期というような方向にいたしましたけれども、それぐらいの準備期間を置いて詰めていけば可能であろう、こういう判断を過去においてし、今現在したということでございます。
  22. 粕谷照美

    粕谷照美君 国大協は、この共通テストの受けとめ方ですけれども共通一次は国大協責任を持つ、しかしこの共通テストについては国大脇としては間接的な立場である、こういうふうに言っているんではないでしょうか。
  23. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 国立大学協会とは、文部省として、この新しいテスト実施に関しまして十分連絡をとりながら進めてきたつもりでございまして、大学入試改革協議会にも国立大学学長先生数名にも御参加をいただいて御議論をいただく、それからまた国大協という組織としても入試改革のための特別委員会をつくってそこで協議をしていただくというような形で進めてまいったわけでございます。その結果、先般の国大協入試改善特別委員会報告におきましては、国大協共通一次試験実績と成果というものを背中にしょってこの新しいテストの具体的な検討に積極的に参加をする、会長の言葉で言えば、参加をするのが国大協としての当然の義務である、こういうような言葉まで使って積極的な参加ということを表明されておられるわけでございます。  ただ、私どもといたしましては、国大協があるいは間接的な問題だという言い方をされたとすれば、それは、従来の国立大学共通入試というのは国大協自体がやったものでございますけれども、今回は国公私を通じたという新しい姿ということになりますので、国大協が全責任を持ち、全権限を持ってやっていくということでない、国公私協力体制でやっていくことだという意味でそういうことを言っておられるのではないかと思うわけでございます。
  24. 粕谷照美

    粕谷照美君 局長は、国大協とは十分連絡をとりながらと、こうおっしゃっていますけれども国大協入試改善特別委員会の「「新テスト」についての見解全文)」というのを私ちょっと斜め読みしたんですけれども、例えば「中間まとめ」が出された、ことしの四月二十一日付で。この「中間まとめ」について、「これに至る過程においても、また、この中間まとめについても、国大協へ特に正式に意見を求めていません。」、こういうふうに書いてありますね。あなた、十分連絡をとりながらとおっしゃったけれども、とってないんじゃないですか。しかしその後、これが出された以上は国大協としては見解を発表しなきゃならないと思って自主的に検討をすることになりましたと書いてある。
  25. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) その報告文書をちょっと今手元に持っておりませんのであれでございますけれども文部省として、国大協十分連絡をとってきた、あるいは入試改善委員長連絡をとってきたということは事実でございます。ただ、文書によって、国大協に対してこれについて意見をくださいというような文書を出すというようなやりとりはいたしておらなかったということでございます。
  26. 粕谷照美

    粕谷照美君 文書を出していませんとかなんとか言われるけれども、私は、この「全文」を読む限りにおいては、私の理解力が足りませんかもしれませんが、しかし、きちんとそう書いてあるんです。今、資料がそちらに渡っているようですけれども、「大学入試改革協議会はこのような中間まとめを出しましたが、同協議会は、これに至る過程においても、また、この中間まとめについても、国大協へ特に正式に意見を求めていません。」、こういうふうに書いてあるじゃないですか。認めなさいよ。
  27. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 先ほど申し上げましたように、文書等によって国大協意見をくださいというお願いはしておらないということでございますけれども、もちろんこれは非公式な形ではございますけれども入試改革協議会のメンバーには、先ほど申し上げましたように、国立大学協会関係者と申しますか、国立大学関係者という意味で、協会の実質上会長であられる東大の学長を初めとして何人かの方にも御参加いただいて御議論をいただいておるわけでございます。実質的に、これについて御検討お願いしたいということは、入試改善特別委員会と接触をとってきているということでございます。
  28. 粕谷照美

    粕谷照美君 それは納得できませんけれども、それだけにこだわっているわけにいきませんし、もう事態は進んでいるわけでありますから、次の質問に移ります。  この新テスト利用について、利用するか活用するかは各大学の自由だということについてですが、私、ことしの予算委員会で海部文部大臣中曽根総理意見の違いがあったという質問をいたしましたね。海部文部大臣の方は、大学がその新テスト利用するか利用しないかというのは自由だ、しかし受験生には、それを利用するかしないかという自由はないんだ、こういうふうに答弁されているのに、中曽根総理はそうじゃなくて、受験生にもその自由を与えると、そのことを検討しなさいというふうに文部省に言っているんだと、こういうふうに言っておられましたけれども、この点についてはちゃんと決着がついているんでしょうか。
  29. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 先国会の予算委員会でそういう御論議があったということは承っております。そして、新しいテスト受験についての受験生の側からの選択の問題というのにつきましては、その後、総理の御希望も踏まえまして、入試改革協議会で種々議論をしていただきました。  その結果といたしまして、各大学がその新しいテスト利用の仕方として、各大学が特定の目的上有意義と判断した場合には、新しいテストを条件としないで受験をし得るというような枠を、新テストを受けてくるべき人の枠、あるいはそうじゃない枠、あるいは推薦入学とか、いろんな枠取りをすることがございます。そういう新しいテストを条件としないで受験し得る枠を設けるというようなことも、新しいテストの多様な利活用の一環として考えてもいいのではないかという結論を、そういう道もあり得るという結論入試改革協議会で出したものでございます。  これにつきましては、総理にも御報告を申し上げ、御理解をいただいていると思っております。
  30. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうすると、極めて限定された範囲の生徒だけがそれに該当するということになりますね。
  31. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 大学側の判断で、自分のところでどういう入試をやるかということを考えます場合に、この新テストを受けてくる人たちの枠とそれでない枠というものを設けることもできるということで、大学入試方法の多様化の一つとしてそういうこともあり得るということにいたしておるわけでございます。各大学が具体にどういう取り扱い方をするかというのは、これからの問題であろうかと思っております。
  32. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうしますと、そういうことがはっきりしないうちは生徒は学校を選べないということになるじゃないですか。まだまだこれからの問題だというんですから、非常に時間がかかるというふうに思いますけれども、そういうことから考えていっても、六十三年の十二月末にこのテストをやるということは非常に困難で、私は、一年延期というのはもう当然のことだというふうに考えているわけであります。  それから、新テスト実施主体というのは新大学入試センターでありますけれども国公私立大学の共同利用機関として設置することになるわけですが、予算を見ますと、五十九億六百万円ついているわけですね。これは設置法の改正が必要じゃないかと思うんですが、法律が出されないうちにもう予算要求がされている。これが先行するということについて大変問題があるというふうに思いますけれども、そうすると、来年の通常国会には法案を出してくるんですか。
  33. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) こういう機関、機構の関係につきましては、例えば国立大学を新設しますときも同様でございますけれども、予算で通過をしたものを法案にして、予算と法案と両方について国会の御審議をいただく、こういう仕組みで従来からやってきておるわけでございます。  今回の入試センターの改組の問題につきましても、同様に、入試センターの性格を、ただいま御指摘がございましたように、これまで国立大学を中心にした機関であったという性格を、国立大学ばかりでなくて国公私全部の大学のための機関であるというようなニュアンスのものに変えたいということを希望として持っておるわけでございますが、そういう形で、機構面での改正ということについて、夏の概算要求時点でこれを概算要求の中身として出しておるわけでございます。  ただ、今回実施時期を一年延長したというようなこととの関連で、これについてどう取り扱うかという問題につきましては、現在、鋭意部内で検討中でございまして、暮れの予算までの間には結論を出したい、かように思っておるところでございます。
  34. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうすると、法案は次の国会に出すかその後になるか、一年おくれたんですから、そのことについてはまだ結論がついてないけれども、年内に決着をつけたい。そうすると、予算については、これは法案を出そうが出すまいが、どうしても通してもらわなきゃならない、こういうふうにして大蔵省に折衝するわけですか。どうなんですか。
  35. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 予算について五十九億というお話がございましたが、これは、そのほとんど大部分は、現在まだ共通一次が進行中で実施しております。少なくとも今回のあれでいえば六十四年度入試までは共通一次をやるわけでございますので、そのための経費というのがほとんど大部分でございます。これは必要な経費でございます。  さらに、そのほかに新しいテストに向けて、先ほどお話がございましたが、試行テストの試行みたいなものも新しいテストに向けてやっていこうとかというようなたぐいの部分を含んでおるわけでございまして、そういったたぐいのものにつきましては着実にこれを実施していきたいと思っておるわけでございますけれども、それにいたしましても、全体として、こういう新テスト準備のための予算をどうするかということは、先ほどの法律問題も含めまして、一緒にこの暮れまでに決着をつけるべく検討しているというところでございます。
  36. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうすると、このセンターは結局私大も入らなければ意味がないんじゃないか、こういうふうに思うわけですね。特にセンターの法律まで変えて、そして予算上の措置もして、私大の参加も十分な保証をするという意味では、私大も入らなければ意味がないんだというふうに思うわけです。その見通しとか具体的な動きとかというのは、今どういうふうになっておりますでしょうか。  特に、受験料が重要な財源になっている私大です。また、私大の心配は、全国画一テストになるんじゃないだろうか、新しい序列の中に組み込まれるんじゃないだろうか、こんな心配もあるんじゃないかというふうに思います。それはいかがでしょう。
  37. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 私立大学参加の問題につきましても、これまで各私立大学あるいは各種の私学団体と接触を持ちながら新しいテストについての理解を求めてきたわけでございますが、先般、十月から十一月にかけまして、各私学団体、日本私立大学連盟、日本私立大学協会、日本私立大学振興協会、日本私立医科大学協会、そういったたぐいの私学関係の団体で、次々とこの新テストに対する検討会と申しますか、勉強会のようなものも開いていただきまして、いろいろとその場で御議論、あるいは私ども関係者も出席をいたしまして質疑応答等を行っておりまして、大変熱心な御議論が交わされているというふうに私どもは感じておるわけでございます。  また過日、私学団体の幹部が文部大臣と会見をされるということもございましたが、そこで各私学の大体の雰囲気のようなお話もございましたけれども、私学関係者の中で、この新テストについての理解も相当深まってきて、積極的に検討をするというような姿勢が出てきているという印象を、私どもそばで拝聴しておりまして受けておるわけでございます。  そういったことで、具体にどこの大学参加をするか、利用するかという問題は、なお各大学の、これは大学の本部で検討するということばかりではなくて、学部段階まで全部下げての検討ということになってまいりますので、ある程度の時間を要すると思っておりますけれども、真剣な検討が行われているということは、私どもはそういうふうに見ておるわけでございます。  なお、受験料のお話がございましたけれども受験料につきましては、これは共通のこの新しいテストにつきましては、その新しいテストのための受験料というのを徴収するということが必要になってこようかと思っておりますが、二次試験は各私学がそれぞれの立場で行われるわけでございますので、それぞれで行われる試験受験料はそれぞれの大学がお決めになるというのが筋であろうと思っております。  それからまた、この利用につきましても、この新しいテストの従来の共通入試と違う点の一番の眼目は、その利用の仕方を各大学で自由にやっていただくということでございますので、各大学で、英、数、国と三教科を要求するところ、あるいは数学だけ一教科を要求するところ、あるいは国語の中でも漢文の部分だけに重点を置いて見られるところとか、いろいろなケースが出てくると思いますし、また、そうあってしかるべきものであろうと思っておるわけでございまして、それによってこれまでの共通入試が五教科七科目というのを国立、公立に全部課していたというのとは違う、非常にばらばらと申しますか、多様な利用の仕方になってくると思いますので、そういう意味で、画一化という問題を避けながら、各大学が自分の自主性あるいは特殊性、特色を生かしながらやっていくということができる仕組みで考えておるものでございます。
  38. 粕谷照美

    粕谷照美君 大臣関係者とお会いになって、今の局長言葉で言えば非常に積極的な感触を得たと、こう局長が言っているわけですけれども大臣は、私大がこの共通テスト参加するだろうか。今、熱心に検討を始めているというけれども、それは、参加をするということをある程度前提にしながら検討しますというのと、まあ勉強して、結局やっぱりこれは問題だというふうな結論になるかもしれないと、こういう二つの見通しというのがあると思いますが、感触としては、どのようなことを受け取られましたでしょうか。
  39. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私、この前私大の各連盟の代表の方々とお会いいたしまして、各連盟または協会によりまして、多少のニュアンスは違いましたですけれども、しかし、共通して言えますことは、その役員の学長先生方は非常に前向きの方だったと私は思うております。それはやはり、全国的にこういうテスト実施されるということに対して、我々もその努力、そして改革への成果というものを期待しておるということを冒頭に言っておりましたから、私は前向きだったと思います。  ついては、どう利用するかということについて各大学それぞれの考え方があろうと思いますので、その点について検討さしていただきたい、こういうことでございまして、そういうことから見まして、これに参加する参加しないということの意思表示は確かにございません。そんな意思表示はございませんが、利用について積極的に考えたい、その検討期間をいただきたい、こういうことでございました。  同時に、先ほど阿部局長が言っておりますように、これは大学の管理機関だけで決定できませんで学部の方にそれぞれおろさなきゃなりませんので、少し時間は必要かと思いますと、こういうことでございました。これは大体三連盟とも共通した意見でございました。
  40. 粕谷照美

    粕谷照美君 文部省としては、私大が参加をするかしないかという、その下部討議を経ての最終結論がいつごろまでに出ると、十分な理解が得られてテストが始まるというふうに考えますか。
  41. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) これは、高校側からの要望といたしましても、高校生の立場から言えば、少なくとも、実際実施される二年前ぐらいには、各大学が自分のところは使う使わないといったような基本的な事柄がアナウンスされるということを希望しておりますし、私どもといたしましても、おおむねそれぐらいのめどで各大学の御検討お願いを申し上げていきたい、こう思っているわけでございます。
  42. 粕谷照美

    粕谷照美君 共通一次が、複数受験というようなことも可能になって、新しい発足を今度やるわけでありますね。この結論というんですか、成果というんですか、そんなことを見届ける、私たちにすると成果と反省なんて言ってよく使う言葉ですけれども、これは文部省としてはどういうふうに考えているんですか。一回でこれをやるとか、二回でその結論についての判断を下すとかいうようなことはあるんですか。
  43. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) こういうたぐいの入試の新しい仕組みというのは、これは一回二回でそう簡単に結論が出ることではなかろうと思っております。  ただ、今回、こういう国立大学受験機会複数化というものが行われるということになったという状況が新たに出てまいりましたので、この関係も、一回目が今度の来春の試験ということになりますので、そういった状況というものも見た上で各大学に新テストについての御議論お願いした方がいいであろうというような判断も含めまして、今回、一年延期というものを決めたわけでございます。
  44. 粕谷照美

    粕谷照美君 だから、そこがおかしいと言うんですね。例えば、そういうふうに複数受験をやりますよということはもう早くから決まっていたわけでしょう。そうすると、そういうことをやっていろいろなことを判断をして、さらに新しくと、こういうふうになってくるんならわかるんですけれども、複数受験やって、そのことを見きわめた上でまた討議をしていくということが初めからわかっているんだったら、延期はもっと早く結論を出すべきではなかったですか。今ごろになってそういう延期をするということを決めたということが私は問題だというふうに思っています。  それはそれといたしまして、とにかく八年間の年月をかけた共通一次でありますし、今回は新しいテストも行われるわけでありますから、その功罪については十分な論議を尽くしていただきたいということを要望いたしまして、来年の入試ですけれども、グルーピングなんかももうきちっと決まって、各学校受験をしようとする生徒、その辺のところにまできちんと徹底をして混乱なく行われるようになっていると判断されますでしょうか。
  45. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 来年の入試につきましては、旧一期校、二期校制度を一元化をし、そしてさらにまた今回、各方面の御要請にこたえて受験の機会を複数化をしようということで、この方針国立大学協会決定をいたしたわけでございますが、国立大学協会におかれましては、昨年の暮れ以来ことしの夏までの間に鋭意検討をされまして、その結論をことしの夏の総会で実施というところに踏み切ったというようなことでもございます。  いろいろな点につきまして十分検討の上、受験生等に対するアナウンスも行われていると思っております。
  46. 粕谷照美

    粕谷照美君 この一年延期はさらに延期をするというようなことはないのか、また、抜本的に考え直すというようなことにはならないのかということも含めて伺いたいんですが、国大協の「「新テスト」についての見解」の最後の部分ですね、こういう言葉がありますね。「国立大学では、この度、共通第一次学力試験改革と、各大学での二次試験受験機会複数化実施しようとしております。この結果について十分な検討を行い、全体としての入学者選抜の在り方が検討されるべきでありましょう。」、これは、ことしのものをやって、その後でこういうふうにしなさいというんですね。さらに、「大学入学試験の真の改善を志向するがゆえにこそ、この新しい構想の実施にたいしては、慎重な検討の必要なことを重ねて強く主張する」と、非常に厳しく慎重審議を求めている。  一年で十分だというふうに判断をされますか。
  47. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 先ほど申し上げましたように、こういった国立大学協会検討の御議論状況等も踏まえた上で、入試改革協議会という場で、関係国立、公立、私立大学あるいは高等学校関係者等お集まりいただいて協議の上、一年延期ということで決めたわけでございますので、関係大学関係者等全体の、まあいわば基本的な御了解はいただいているものと考えておるわけでございます。
  48. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は、とにかくこの問題については本当に真剣な討議を繰り返し行っていただきたい、何よりも生徒の立場に立った入学試験改善ということを第一にしていただきたいということを要望しまして、また後ほどの機会に質問をいたしたいと思います。  次に、先回の委員会のときにちょっと質問をして、自分ながら不十分だったなとこう思っているわけでありますけれども、初任者研修の試行の内容についてであります。  今、文部省と大蔵が折衝していると思うんですけれども、この対立点というのはどこにありますでしょうか。
  49. 加戸守行

    政府委員(加戸守行君) 現在、来年度の予算要求の折衝を行っているわけでございますが、基本的には、初任者研修の試行についての考え方は、財政当局の方にも理解をいただいていると考えております。  問題は、内容的な実施の方法あるいは金目の問題、そういった事柄につきまして、規模を縮小できないかというような意見もちょうだいしておりますけれども、当方といたしましては、こちらで要求しました考え方に沿って予算措置をしていただきたいというようなことでのやりとりをしている段階でございます。
  50. 粕谷照美

    粕谷照美君 大蔵省の言い分は、規模の縮小だけですか。
  51. 加戸守行

    政府委員(加戸守行君) 財政当局の方の考え方としましては、いわゆる要求した額をいかに縮めるかという視点からの財政的観点に立ったものでございますので、それに関連いたしまして、実施の方法その他いろいろな面につきまして、いわゆる予算規模を圧縮できないかという形での打診でございまして、そのための方法論としては、いろいろな各般の指摘はちょうだいいたしております。
  52. 粕谷照美

    粕谷照美君 そのいろいろな指摘というのを伺いたいと思うわけであります。
  53. 加戸守行

    政府委員(加戸守行君) 物事の折衝でざざいますので、まだ進行中の段階で詳しく申しBげるわけにまいらないわけでございますけれども、折衝の当然の事柄といたしましては、ありとあらゆることについていろいろな御指摘をいただき、それに対してこちらが反論をし理解を得るという努力をするのが予算のステップでございます。
  54. 粕谷照美

    粕谷照美君 それじゃ、どのような反論をするかということについて伺いたいと思います。  大蔵省は、とにかく予算を少なくしよう、しかしまあ初任者研修の試行は必要だと。制度というわけじゃない、試行は必要だ、こういうふうに言っているわけですね。そうすると、文部省としては、正規の教員をなるべく指導教員として置きたい。大蔵省にしてみれば、それはやっぱりなるべく非常勤の講師程度で給料が安く済むように、人件費が少なくて済むように、こういうふうにやってくると思うんですけれども、そういうとき、文部省どう言って説明するんですか。
  55. 加戸守行

    政府委員(加戸守行君) 大変正鵠を得た御指摘でございまして、ほぼそのようなことも当然議論になるわけでございます。  私どもとしましては、基本的には指導教官によります指導がこの初任者研修の試行の中核となる事柄と考えておりますので、そのためには要求いたしましたいわゆる定数上の教員の配置ということを強く主張しているわけでございます。
  56. 粕谷照美

    粕谷照美君 大体中学校の先生は、何の免許の先生が新任として来るかどうかわからないんですね。そうすると、例えば体育の先生が来たときに、国語の先生が幾らベテランだといったってその先生を指導するわけにいかないわけですから、きちんとした体育のベテラン教師を置かなければならない。そういうちょうどいい人がいるかどうか。これもそうですね。もし中学校に体育と社会の先生が来たとしましょう。そうしたら、一人でそれに間に合うような超ベテランの先生がいらっしゃるのかどうかですね。二人に一人の指導教員というふうに文部省は考えているんですから。その辺のところもそうですし、大島あたりへ行きまして、非常勤でといったって、なかなかそういうような人たちが探せないような場所もあるわけです。山間僻地なんかなおさらそうです。僻地へ行って、嫌になって、赴任した途端にやめていったなんという、そういうもう大変なところもあるときに、私どもは一体どういうふうにして指導教官を得るのかなという心配もあるんですが、これがやっぱり非常勤じゃ困るんですよね。この非常勤は一体どういうふうにして勤務条件をつくるのか。これはお産のかわりと同じです、育児休業のかわりの人と同じです、結核休職のような病気休職の人のかわりと同じですと、こういうことになるかもしれないけれども、その人たちは大変なんですよね。夏休みだの長期休業になるとぴしっともう給料打ち切られちゃう。そういうときに子供たちを連れてどこかへ行きましょうなんというときは、一体その人たちはどういう任務になるのか、この辺のところも明らかじゃない。したがって、非常勤講師なんということじゃなしに、初任者を研修するんですからきちっとした正規の教員でやりなさいということを私は文部省としては強く要望すべきであるというふうに思いますけれども、それ、貫かれますか。
  57. 加戸守行

    政府委員(加戸守行君) 幾つかのお尋ねございましたが、基本的に新規採用教員学校に配置します場合の考え方として、例えば試行対象教員の場合につきましては、指導力にすぐれた教員がいらっしゃる学校に配置するという方法も一つでございますし、逆に、新採教員が配置される場合に当たりまして、そこへ指導力のある教官を同時に配置をするというような工夫も、それぞれ各学校、地域の事情によって御工夫をいただく事柄かと思っております。  ところで、ただいまの例えば中学校の教科が違う指導教官の場合でございますけれども、私ども、中学校高等学校につきましては、指導教官の教科がイコールであることは望ましいわけでございますけれども、そうでない場合に備えまして、例えば指導教官の担任教科と新任教員の担任教科が違います場合には、当該教科に関します教科指導員を措置するという考え方で、非常勤講師の要求をあわせて行っておりますので、その場合には、先輩教官によります指導と同時に、専任の教科別の教科指導員との複数化によります指導を行っていただくという考え方でおるわけでございます。  ところで、今申し上げました指導教官の補充要員としましての定数を、定数措置あるいは非常勤講師等で要求しているわけでございますが、あくまでも、新任教員を指導いたします専任指導教官につきましては、定数措置あるいは経験豊富な非常勤講師の登用ということで、それは各地域によっての実情に応じて対応していただくわけでございます。  問題は、その定数措置をいたします場合は、すべて代替教員措置でございますので、その場合の身分その他の取り扱いにつきましては、あくまでも非常勤講師でございますから、その時点、その必要な時期、期間等につきます勤務形態になるわけでございます。こういった教員をどういう形で充足するのかという点でございますけれども、例えば退職された教員の場合もございましょうし、あるいは、言葉は悪うございますが、産休代替等で活用されているような方々の場合もございましょうし、あるいは産業予備軍と言うと語弊がございますけれども教員を志望して、なれない方を暫定的に登用する場合もございましょうし、それは各学校、あるいはその地域におきます教員の需給状況、あるいは県とか市町村教育委員会方針等によってかなりいろいろな幅、あるいは弾力的な対応差があり得ると考えております。
  58. 粕谷照美

    粕谷照美君 中途退職をされた方で非常に条件がいい人というのは望ましいわけですけれども、なかなかそう希望どおりにいるわけがありません。大体、今の中学校で免許を持たないで教科を担当している、そういう人たちは随分いますね。臨時免許証を与えて無免許運転をやらせている、そういう実態もある中で、本当にそういうことをやれるのかどうなのか。やっぱり正規の教員をきちっとふやしていくということで一生懸命に頑張っていただかないと、私は教育が低下をしていくというふうに考えますので、格段の努力をお願いしたいと思います。  最後に、家庭科の男女共修の問題について、ちょっと簡単に触れたいと思います。  教育課程審議会が「中間まとめ」を出した、そして高校の必修科目に男子の家庭科が加わり、中学校の技術・家庭科と高等学校の家庭科の履修形態が男女同一になったということ、これは大変歓迎をすることだというふうに思いますけれども文部大臣、家庭科を男女が共修するということについて、失礼ながら大臣の御年配の方々は、どういうふうな感覚を持ってお受け取りになっていらっしゃいますか。
  59. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 結構なことだと思います。
  60. 粕谷照美

    粕谷照美君 そういう簡単な御答弁をいただくくらいだから、随分戸惑っていらっしゃるんじゃないんだろうかというふうに思いますけれども、これは時代の流れでありますから、ぜひきちんとした形でやっていただきたいと思います。  共修のスケジュールというのは随分長いんですね。何年ぐらいかかりますか、実施までに。
  61. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) この点につきましては、昨年の条約批准の前後におきまして、先生からも外務委員会等でたびたび御指摘のあったところでございます。当時はまた教育課程審議会への諮問等のスケジュールが決まっておりませんで、一、二年したら課程審議会にお諮りしようかというふうな答弁を当時はしておったわけですが、そういう家庭科問題等も含めましてこれは急がにゃいかぬということで、急遽、昨年の九月に課程審を走らせることにいたしました。御質問があってから半年足らずの間にやったというのが、これが第一点でございます。  それから、当時、諮問の時期には、六十三年の春ごろまでに答申をいただくという諮問をしておったわけでございます。やっぱり今先生お話しのような点もあるとすれば、六十三年春ではちょっと遅いであろうというので、ことしの初めの段階で半年早めまして、答申を六十二年の暮れまでにはいただきたいということにいたしました。そういう意味では課程審の発足も随分早くやりましたし、また答申も、諮問の時期とは半年早めるというふうな措置をとっておるところでございます。  そういう意味では家庭科の男女共修の全体のスケジュールも早めるという従来からのお答えも着着と実施しておるつもりでございますが、ただ、中身につきましては、やはり「中間まとめ」で示されておる内容をこれから分科会におきまして詰めてまいらねばならないわけでございます。新しい科目等も予定しておりますので、そういう点を含めますと、課程審の答申をいただきまして六十三年に学習指導要領を作成いたします。ここで決まると思います。決して後戻りすることはない、そういう御理解をいただきまして、あとは教科書作成、実施と、移行措置と、その間ございますが、なるべく早く実施ができるように努力をしてまいりたい、こういうふうに思っておる次第でございます。
  62. 粕谷照美

    粕谷照美君 大変努力をしていただいたということはよくわかりましたけれども、しかしまだ私たちは、この差別撤廃条約ということを考えてみますと、あの中に、「適当な手段により、かつ、遅滞なく」と、こういう言葉が入っていますので、もっと頑張っていただきたいということが一つ。  それから、これでは、差別撤廃条約の中にある、本当にイコールかセイムかというところが問題になったわけでありますけれども、本物ではなくなるんじゃないだろうか。現に、共修校と女子校と男子校がありますので、なおさらそういうことになるんだというふうに思いますけれども、それは正しく意義づけられるような内容にしていただくことを強く要望いたしまして、時間が来ましたので質問を終わります。
  63. 木宮和彦

    木宮和彦君 私は、きょうが初めての質問でございますので、要領を得なかったりあるいは御迷惑をかける点もあろうかと思いますが、ひとつよろしくお願いを申し上げます。  最初に、文部大臣にちょっと所信をお伺いしたいのでございますが、日本の教育、大変大きな問題でございますが、明治以来百数十余年、新しい教育が始まりまして世界は冠たる教育をやっていることはもう周知の事実でございます。ただ、まことに残念なことに、ここ四、五年前から教育現場が荒れてまいりまして、いろんな問題がたくさんございます。これはひとえに、今までの対応し切れないひずみがそこにたまったのではないかと私は感ずるわけでございます。ついこの間国鉄の法案が通りましたけれども、やはりこれも明治以来百十何年続いた国鉄が民営になる、十年前には全く考えられなかったことだろうと思います。そのことがやはり教育にも何か押し寄せてきているような気がいたします。  それの一つのあらわれがやっぱり臨教審で現在討論されていることではないかと思いますが、私はそういう意味で、文部省当局が何とかひとつ臨教審を上回るような弾力的に慎重でかつ大胆にこれに取り組んでいただいて、新しい路線を敷いていただくようにまず私は要望したいのでございますが、大臣の所信をお伺いいたしたいと思います。
  64. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は、臨教審の御意見答申を読みまして、確かに社会人として現在の教育問題点をうまく摘出しておられますし、それに対する御意見は、非常に正鵠を得ておると思うております。したがいまして、私たちとしても、臨教審議論された中身というもの、これを大事にしたいと思うておりますし、また、答申として出てまいりました具体的な御意見というもの、これもこの趣旨を十分尊重していきたいと思うております。  ですから、できるならば我々も、臨教審改革提案の中から採用できるものはしていきたいという気持ちは十分に持っているんですけれども、それをやろうといたしましても、何といたしましても、この教育制度の改正ということは、一朝一夕にはなかなかいかない問題がございまして、長年積み上げてきたものを急激に変化をもたらすということはなかなか難しい。方向としてはそちらにいかなきゃならぬと思います。そういうことから、でき得るものを、運用上等でできるものはもうどんどんと改善していったらいいと思います。  また、一方からいいまして、財政上の制約もございまして、例えば今臨教審でいろいろと御提案していただいておりますが、それらの御提案について、結論を出すために一つの試行錯誤を組みまして、その試行錯誤に基づいたものの財政的負担はどうなるかということ、これをいたしましたことを見ましても莫大な財政資金が要ると、こういうことでございますので、そういう両面、制度の改正、財政的準備という両面から取り組んでいかなきゃならぬと思います。  しかし、おっしゃるように、確かに臨教審の御提案は尊重しなきゃならぬし、改革へ取り組む方向は私は確かに出ておる、こう思っておりまして、できるだけの努力を制度面から財政面からやっていきたいと思うております。
  65. 木宮和彦

    木宮和彦君 今の大臣の御答弁のとおりだと私も思いますので、ひとつこれからよろしく取り組んでいただきたいと思います。  教育につきましては、いろいろ人によってそれぞれ見解が違うと思いますが、大別しますと、学校教育と社会教育と二つに分かれると思うんです。明治以来の日本のこの体制が、ややもすると学校教育の方に非常にウエートがかかり過ぎておりまして、これは車で例えますと、両輪のごとくいくと真っすぐ動くのでございますが、どうも学校教育だけが大きくて社会教育が非常に小さいものですから、前へ進まないでぐるぐる回ってしまうというような気がいたして仕方がないわけでございます。  しかも、その学校教育も官学と私学と二つございまして、これまた車の両輪のように前へ進むべきなんですが、今までの文部省――これは私のひがみかもしれませんが どうも官学の方がウエートが大き過ぎている。私学の扱い方が非常に小さ過ぎて、前へ進んでいかないような気がしてならないわけでございます。例えば今度の税調の審議でも、私立の方の地所を買った場合にその売り主は税が課せられるけれども、公立学校国立学校の場合にはかけられない。同じ業種で同じことをやっておりながら、税制上からもあるいは経営基盤からいいましても、どうもその辺が少しひずみが大き過ぎるのではないかというような気がしてなりません。  今の私学につきましては、三つ財源があると思うんです、それでやっていかにゃいかぬ。一つは学生生徒の納付金でございます。いま一つは国の補助金でございます。あるいは地方自治体の補助金。三つ目が寄附金。この三本立てでこれからの私学は経営していくべきだと思うのでございますが、何といいましても補助金は、国家財政上これ以上ふえるということは期待が非常に薄うございますので、一番最初に申し上げました学納金でございますね。この学納金を納められない学生、家庭もあるわけでございます。それで行きたくても行けないんですから、何とか育英資金を私学に厚く、官学に少なくというふうにしていただきたいと思うんですが、現状はどうも逆なんで、国立の学生の方が、何といいますか、受けられやすくて、私学に通う子供の方が少ない。ここが私、どう考えてもおかしい。早急に直せる問題ではないかと思うんです。  それから寄附金の方もそうでございまして、せっかく寄附を学校にする気持ちがあっても、手続がうるさかったり、あるいはいろいろな限度枠があったりして、なかなか寄附が容易に集まらないという現況を何とか打開しない限り、今言ったように、車の両輪のように前へ進まないんじゃないかというような気がしてならないのでございますが、その点ひとつお伺いしたいと思います。
  66. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私学に対する助成が、昭和五十年から本格的助成措置がとられておりまして、これで私は私学の経営基盤が安定性を増したと、こう思うております。しかし、一方において、やはり私学の方の充実、設備の改善等で随分金が要るということ、これは私も承知いたしております。  それで、従来は私学への寄附というのはそんなに難しい手続を経ないで、何周年記念とかいうことで学校が集めたりしておりましたけれども、このごろは国の財政が苦しくなったものでございますから、その枠も非常に厳しくなってきたこと、これは私も、やはり文教政策を預かる者として、この寄附の枠だけはもう少し緩和してくれないだろうかということを期待しておりました。今度の税制改正等におきましても、このことの主張は私たちも十分いたしたいと思うております。  そういう私学が苦労しておられることは私よく知っておりますが、それでも、私学の大学並びに幼稚園あるいは高等学校に占めますウエートというものは相当大きいものでございますので、我々も、今後ともその助成策について格段の努力を続けていきたい。私も大蔵に対し、今度の六十二年度予算編成に対しましては、文部省としては私学助成、これの充実をもう最重点の事項として折衝しておるということでございますので、御承知おきいただきたいと思います。
  67. 木宮和彦

    木宮和彦君 私学の問題はそのくらいにいたしまして、先ほど来粕谷委員からもお話がございましたが、これからの学校は、それは私は予算も大事だと思いますけれども、単に金だけではなくて、やはり先生がやる気を起こすような、そしてまた、先生の資質が向上するような施策が私は一番大事だと思います。そういう意味で、今回初任者研修ということを文部省が試みられることは私は大変結構なことだとこれには賛意を表し、また、敬意も表する次第でございますが、ただ、これ実効が上がらないとやっぱりいかがなものかと思うわけでございます。ぜひひとつ実効を上げることができるような方策をお願いいたしたいと思います。  それからなお、試用期間を半年から一年にするという、これまた法改正ですか、ございますが、これも私は当然過ぎるぐらい当然だ、そう思うわけでございます。むしろできれば、まあできないかもしれませんが、できれば十年に一遍ぐらい先生方をもう一度見直して、適正かどうかということをやはり行うことが私はこれから大事ではないか。なぜかといいますと、これは子供はやはり先生によって、幸、不幸と言うと大げさでございますが、決まるわけでございまして、先生がやる気がなくなって、たらたらするような先生が、単にサラリーマン化してしまった先生ばかりになってしまいますと、学校教育の現場が荒れるだけではなくて、私はこれは子供に及ぼす影響は大変なものだと思います。  そういう意味で、ぜひ先生方がやる気を起こすように、そのかわり、やる気を起こした先生は、それぞれの設置者が大いにこれを奨励するような方策を何とかお考え願えれば大変ありがたいと思うのでございますが、その辺を、別に具体的なお答えでなくて結構でございますが、ひとつよろしくお願いいたします。
  68. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 初任者研修、これに対して非常な期待をかけていただきましてありがとうございます。私たちも、これは充実したものにしたい、こう思うております。同時に、この初任者研修の中で、学校教育の技術であるとか、それから先生としての意識の高揚といいましょうか、そういうようなものと同時に、私はできるだけ社会の風にも当たってもらうようにしてもらいたい、こう思うておるんです。よく私たち聞きますことは、先生は社会的に関係が薄い、社会活動との接触が薄い。ですから、社会の風というものを十分に感じていただく、そういうことがやっぱり初任者研修の中で私は必要だ、こう思うております。  それと、五年、十年で見直せというようなお話でございますが、これはいろいろと議論があろうと思うております。しかし、言えますことは、初任者研修制度一つ軌道に乗ったその後におきましては、私は、五年研修というのを今やっておりますが、この五年研修に対しまして、この前から小学校長、中学校長等の意見も聞きましたら、この五年目の研修というもの、これをもっと充実強化してほしいという要望が非常に強く出てきておりました。こういうことを通じまして、私は、先生が絶えず研修していただく機会、そしてよりいい先生になっていただく、そういう手だてを積極的にやっていきたい、こう思うております。
  69. 木宮和彦

    木宮和彦君 今の大臣の答弁、私も全くそのとおりだと思います。  大部分の先生は、皆さんやる気もあるし、一生懸命やって苦労なすっていることは私も十分承知しております。ただ、最近の傾向といたしまして、ややもすると先生が、ある意味においてはもうこれは先生の責任を放棄しているのではないかと思うような節もないこともないんです。私もこの間目撃いたしましたが、修学旅行だと思いますが、先生が引率しておりましたが、中学生か高校生かわかりませんが、ある駅でもってホームでたばこを吸っておっても、先生は見て見ぬふりをしておった。そういう点がやはり、一つの使命感といいますか、これはもう単なる現象でございますから、しかし、間違ったことをやっている場合にはやっぱり先生は即座にそこでもって指導し、かつまたやらないと子供はよくならないと私はそう思うので、そういう意味からもぜひ先生方がやる気を起こすような雰囲気と、それからやっぱり先生方が自主的に常に使命感を持てるような現場にしていただきたいなと、これは希望でございます。  それから次に、今度は学校の設置につきましてちょっとお尋ね申し上げたいんですが、特に幼稚園、最近非常に園児の数も少なくなりました。ですから、むしろ整理する必要はあっても新しくつくるのは御免だという風潮があろうかと思います。ですから幼稚園を設置したい者が、いわゆる幼稚園の設置基準に合っておって設置届を、その書類を持っていっても、その幼稚園の周囲二キロ以内の幼稚園設置者の判こを、同意書をもらってこないと行政機関が受け取らない。あるいは行政指導をする。恐らく幼稚園の設置認可は文部大臣だとは思いますが、地方の知事さんに委任していらっしゃると思いますが、話し合う審議会があってそれぞれの所管でもって受け付けていらっしゃると思いますが、一体これからの幼稚園の認可については、設置基準で認可なさるのか、あるいは定数の適正化のためにこれを重視なされて拒否されるのか、その辺をひとつ御見解を承りたいと思います。
  70. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 幼稚園の設置認可問題でございますが、まずは、設置認可権者は、先生御指摘のとおり、現在都道府県知事ということに相なっております。  その認可の際の基準でございますが、設置基準につきましては、教職員組織あるいは学級の規模というふうなものがございますけれども、設置基準の中には、全体の、例えば何クラスで何人、一幼稚園が何クラス何人がアッパーで、それが適正だというふうな数字は示しておりません。したがいまして、その地域の実情において都道府県知事が、その地域における新設の幼稚園でどの規模の幼稚園として認可するかという判断は、一応挙げて知事にゆだねておる、こういうのが現状でございます。その事情としましては、幼稚園の就園率が非常にまだ低かったということで、とにかく幼稚園をつくっていかなきゃいかぬ、公私立の問題ございますけれども、ある適正規模ということで一律に規模を文部省で示しますと、その基準のゆえは設置認可が行われないとかいろんな事情があるものでございますから、その点については、地域に一番密着して判断のできる知事にお任せをする、これが現状でございます。  先生御指摘の、これからは幼児が減ってまいりますし、それから既存の幼稚園も廃止問題に当面いたします。その中でまた新設の問題も出てまいります。その点につきましては、やはりすぐれて地域的な問題でございまして、将来的な入園児の希望者がどのくらい長期的にあるかとか、地域の公私立の配置状況がどうかとか、既存の幼稚園の規模がどのくらいあるかとか、この辺はやはり一律に規模を文部省でお示しするよりは、都道府県知事の御判断お願いをするのが適当ではないか、こういう考え方が第二点でございます。  それからもう一つは手続の問題でございます。  今、先生御指摘のように、近隣の何か承諾書を取ってこないと認可は受け付けないとか、そういう事情があるような御紹介ございましたが、これも、手続は文部省は別に規制いたしておりませんし、都道府県では、先生御案内のように、公私立幼稚園連絡協議会というものが各都道府県にできておりまして、なるべくスムーズな新設その他ができるような配慮を認可権者も心がけております。したがって、手続の面で承諾書というものが適切かどうかということはちょっと私も今申し上げかねますけれども、やはりそこが地域の問題として、認可権者が、新設の希望者、既設の経営者、それぞれが納得できる手続なり判断お願いをするのが一番至当ではないか、こういうことを考えておりますし、もし、個別問題でいろいろなケースが起きれば、私どもは県に対する指導助言の立場がございますので、私どもは適時適切な指導は行ってまいりたい、こんな考えでおる次第でございます。
  71. 木宮和彦

    木宮和彦君 そのとおりだと私も思いますのですが、ややもすると現場の窓口では、その協議会の規定であるということになりますと、これを非常に尊重いたしまして、いこじに、何かそれを判こもらってこないと受けつけないような事象が起きますと、知事よりも隣の園長なり設置者が偉いということになっちゃうので、これはいかがなものかと、私も実は心配をしておるわけでございます。ですから、やっぱり幼稚園の設置は、あくまでやりたい人が、設置基準に十分かなっておれば自由に設置して、後、できた物に対してお互いに競い合って――ルールはありますよ、ルールはありますが、やはり自由競争の原理を十分導入して、お互いにいい教育をするというような姿勢があるべきだと私は思うのでございますが、その辺は、文部省としてはいかにお考えでございますか。
  72. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 基本的には、先生おっしゃいますように、それぞれの幼稚園が活力を持って幼児のための教育をそれぞれやっていただくということが一番大事なことだと思います。  ただ、恐らく知事等の設置認可権者が気にしておりますのは、乱立になって、そして幼児の確保に狂奔するとか、幼児は本当は歩いて幼稚園に行くべきなのが、お互いにスクールバスで幼児を集めるとか、そういうふうな経営のための教育というふうになっては困るとか、いろいろ認可権者については御心配もあって、その点についての手続などいろいろな宿題が出ておるケースがあるのではないかというふうに思うわけでございます。その手続についての宿題が認可権者のあるべき姿としてもしいささか度を過ごすとすれば、これはやはり責任ある認可権者の認可行政としていかがかという問題もございますので、この点は個別問題として、認可権者の十分な御配慮をいただくということが適当ではないか、こういうふうに考える次第でございます。
  73. 木宮和彦

    木宮和彦君 現在幼稚園でございますが、これからだんだん年が進むにつれまして、今度はそれが小学校、中学校高等学校大学と、六十何年には全部今の幼稚園のような状況になろうかと思います。そのときに、今言ったように、乱立することは望ましくないことではございますが、さりとて新しいものは一切シャットアウトだという姿勢も私は間違っているというような気がいたしますので、文部大臣、その辺のバランスの問題をよく念頭に置いて、今後慎重にひとつお取り扱いをお願いを申し上げたいと思います。  まだたくさんございますが、小野先生十五分ほどとのことでございますので、私は以上で質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。
  74. 小野清子

    ○小野清子君 私も初めてでございますので、いろいろ御指導いただきながら進めてまいりたいと思います。  大臣の所信表明をお伺いいたしまして、その第一点の、「将来国際社会において尊敬され信頼される日本国民を育成することが重要であり、このため、国際化の進展に対応するための施策を充実」してまいりたいという、この辺に絡め、そして私は、学校教育、社会教育、家庭教育とありますこの三本柱の社会教育の部門でお話を進めてまいりたいと思います。  十分しか時間がございませんので非常に早急でございますが、先ごろ出されました四全総の中で、国土庁の方では、二十一世紀に向けました国づくりの青写真となるそのものの中に、大阪を中心といたしました大阪圏の中には、文化学術、研究、それから、国際交流のためのいわゆる研究都市の建設というものが具体的に挙げられておりまして、第二国会図書館、それから、国際日本文化研究センター、これは京都の方でございますが、この設置が予定、盛り込まれておるということでございます。東京圏に関しましては、都心部を国際金融機能の展開に対応して開発するという言葉になっておりまして、従来ですと国立第二劇場など挙がっておりましたが、現在はもう消えておるわけでございます。  やはり、教育文化あるいは学術に関する施策というものは、これからの二十一世紀に向けまして東京の総合的な発展を図る上でも大変重要なことではないかと、そのように感ずるわけでございます。  中曽根総理が十一月の八日に、中国を御訪問なされました際に、中国の首都北京の南方の方でしたでしょうか、百億円の日本政府からの出資金によります日中青年交流センターの定礎式に参加をされたわけでございます。やはり日本の首都である東京にこのような施設がないというのは国際的に見ても問題があるのではないか、そのようなことを感じますので、まず、その点についてひとつ御質問申し上げたいと思います。
  75. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 御質問の趣旨、私もそのとおり感じております。この際に、財政上いろいろ問題はございましょうけれども、私は何か知恵を絞りましてそういう国際交流のセンター、特に青少年を対象にしたものですね、それをぜひやりたいと思うておりまして、これは社会教育局並びに体育局等が中心となりまして鋭意今構想を練っておりまして、北京に負けぬようなものをひとつつくろうと思うております。
  76. 小野清子

    ○小野清子君 大変心強い御答弁をいただきまして、ありがとうございます。  ところで私は、国立オリンピック記念青少年総合センターの運営委員というものを昭和五十五年からことしの三月までさせていただいたわけでございますけれども、大変多くの皆さんに利用されておりまして、平均いたしますと一日約三千人、年間にいたしますと九十万人の方々の利用があるという現状でございますが、御存じのように、これはアメリカのいわゆる進駐軍の皆様方の宿泊施設、そういうものでございますので、昭和二十九年につくられたという、大変老朽化しているわけでございます。私どももいろいろ利用させていただいておるわけでございますけれども、具体的に、窓枠が外れてきたりとか壁が抜けたりということを今まで経験をいたしております。  この修繕費というものも、年々非常に多額なものが計上されているわけでございますけれども、やはりこの際、北京の方の施設に負けないようなものへの改築というものは、ゼロシーリングの中でこういう話を持ち出すのはいかがかと思うわけでございますけれども、やはり二十一世紀を見渡しましたときに、今の青少年たちが日本を背負うということを考えますと、この施設そのものというよりも、施設というものを通して青少年が日本を背負っていくわけでございますので、やはり人間そのものにお金をかけないと教育というものは成り立っていかないと私自身感ずるわけでございます。ですから、苦しいときにこそ、かけなければならない部分はぜひとも大きなお力をお出しいただけないものか。この改築などに関してはどのようなお考えなのか、ちょっとお伺いしたいと思います。
  77. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私もこの五月に機会がございまして、あそこで講演を頼まれまして参りました。行きまして、本当に老朽化しておると思うて、私もこれはほっておけないなという感じを持っております。  ついては、先ほども言っておりますように、ただあのセンターの建てかえをするというだけでは私は余りにももったいないような感じがするものでございますから、そういうセンターの建てかえと、その機会に、あそこに、先ほどおっしゃったような国際交流の可能な本格的なものをやるということ、さらには、その他文教行政あるいは社会教育対策上、また、体育局が考えておりますスポーツ関係の施設というようなものを網羅してやって、あそこの再開発を図っていくべきだ、そういうことを今、関係当局のところでいろいろ構想を練っておる段階でございます。  財政の問題がございますけれども、これも私は知恵の出し方によって解決していかなきゃならぬと思うので、ただいたずらに遅疑逡巡しておってはいかぬ。当局が今一生懸命やっておりますので、ひとつ来年になりまして、それを土台にして、より前向きに、積極的に取り組んでまいります。
  78. 小野清子

    ○小野清子君 重ねて、前向きに積極的にというお話を伺いまして、大変うれしゅうございますのですが、総理は、中国から五年間かけて年間百名ずつ、そして韓国からも年間百名ずつの青年の受け入れると、そして、アジア地区合わせますと三千数百人の青年の交流がある。これからの時代は、中央教育審議会でも答申がなされましたように、生涯教育の時代になろうかと思います。現実にオリンピック記念青少年センターの方を利用されております方々の年齢というものは、幼児、児童から高齢者まで、大変幅広うございますし、また、国際交流の時代でございまして非常に多くの、来ない国を数える方が、あるいはもうそれがないかと思えるほどのいろいろな国々の方々がいらっしゃり、そして御利用なすっていらっしゃる。そうした意味でも、世界的に大変経済成長の名をはせております日本が、あの施設を利用していただくことで日本の印象を大変悪くしてお帰りになるのではないかというふうな、そんなところも大変危惧するところでございます。  また、高齢化時代に備えまして、そういう幅広い皆様方の生涯教育の観点からの利用というものを考えますと、いわゆる施設の面でも冷暖房、あるいは年齢の低い方々の利用ということも考え、そしてやはり子供たち教育するというのは、単に物を教えるというのではなく、教育の育、はぐくむ方のいわゆる広場なり空間なり緑、そういう場の提供というものが非常に大きなものになるのではないかと思うわけでございます。  現実に体協関係でもあの施設を利用さしていただいておるわけですが、それにいたしましても数が少のうございますし、なかなか利用が難しい。そういった点で、大臣の方からもスポーツ関係のなにもお出しいただいたわけでございますけれども、これからは民間スポーツの交流も大変盛んになってまいります。ですから、チャンピオンスポーツだけではない幅広いスポーツの交流の場、そして人生を通したすべての年代の方々の交流の場としてのオリンピック青少年センターのよみがえりというものをぜひお願いを申し上げたい、そのように思います。  また、絡めてもう一つ御質問申し上げたいと思いますのは、皇太子殿下が御成婚の折には御殿場の方に国立中央青年の家というものがつくられ、それが日本全土にわたりまして大変大きな青年の交流の場あるいは教育の場になったわけでございますし、その他、アジアへ青年の船が企画を持たれたり、そういう大変大きな、おめでたい、一つの行事が催されたわけでございますけれども、浩宮様の御成婚のおうわさもちらちらと出ておりますが、やはり何か記念ということになりますと文部省がその発案と申しますか、お考えが少しはあるのかと思いますけれども、その辺はいかがなものでしょうか。
  79. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 御提案の具体的なものはまだ考えておりませんが、いずれその時期が近いと思いまして、我々はそれに非常な関心を持って何か、そういう便乗とかそんな意味じゃなくて、やはり青少年の関係でそういうような記念として残るようなものが何かないかということで、我々も非常な関心を持って今検討をしております。
  80. 小野清子

    ○小野清子君 あわせて、ここへ重ねてまいりたいと思うのでございますけれども、浩宮様の時代はまさに二十一世紀の時代になりますので、このオリンピック記念青少年センターの改築があわせて御成婚のお祝いにということになれば大変これもまたすばらしいことではないか、そのような気持ちでございますが、いかがでございましょうか。
  81. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 御意見として、お伺いさせていただきます。
  82. 小野清子

    ○小野清子君 今お話しいたしましたように、これからの時代に私どもが考えていかなければならないことは、学校教育は、今、臨時教育審議会の方でいろいろ御研究、そして御討議をしていただいておるわけでございますけれども、社会教育関係というのは非常に文部省の中でも予算が限られておりますし、そして社会教育に携わっていらっしゃる方々というのは大半がボランティアの皆様ということでもございます。そんな意味で、しかしこれからの時代、機構の問題とかいろいろな面で、人づくりというのは、やはり人は人にもまれて人に育つと言われるわけでございますが、そのもまれる場というものが非常に少なくなっております。私どもも、東京オリンピックが終わりました後、地域社会に健康体力づくりを進めて二十年間たちますが、いかなる場合にでも場というものが非常に少ないというのが日本の現状でございます。ボランティア活動をしたいという気持ちにその場の提供というものがうまくいきませんと、社会教育というものがやはり成り立っていかないわけでございます。  そういう意味での文部省関係のいわゆる学校開放の問題ですとか、さまざまな場における開放の点なども、これから社会教育というものを進めていく上でぜひ大きく広がりを持たしていただきたい、これはお願いでございますけれども、最後にそれを添えさせていただぎまして、私からの質問を終わらしていただきたいと思います。
  83. 澤田道也

    政府委員(澤田道也君) 社会教育の施設の場におけるボランティア活動につきましては、社会教育審議会からも報告書をいただきまして、予算要求にも反映いたしております。一生懸命やってまいりたいと思っております。
  84. 仲川幸男

    委員長仲川幸男君) 午前の質疑はこの程度とし、午後一時まで休憩をいたします。    午前十一時三十七分休憩      ─────・─────    午後一時開会
  85. 仲川幸男

    委員長仲川幸男君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、教育文化及び学術に関する調査を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  86. 山本正和

    ○山本正和君 午前中の大臣の御答弁を伺っておりまして、ある意味では大変斯新な感覚でもって文部行政に臨まれているというようなことも感じまして、大変うれしい部分もございます。しかし、そういうことを越えて、実は教育の現場の実態と申しましょうか、要するに、いわゆる大人の目で学校を見ている、あるいは常識の目で学校を見ているということからくる誤解も場合によっては大臣のお気持ちの中にありはせぬかということを懸念をするわけでございます。そういう意味で、若干、学校現場で働く教職員たちの問題という形で少し文部省にお伺いしていきたいと思います。  実は、私が高等学校の教師になりましたのは昭和二十四年でございまして、そのときは新制高等学校発足後でございますが、教科書がなかった。化学の教師でありますから教科書がないと大変困るのでありますけれども、教科書がなかった。どうするんだと言ったら、自分でつくれと。大変勇ましいといいましょうか、冒険といいましょうか、そんなようなことで教科書をつくったり、また、学校には設備がほとんどない。化学の実験をしようにも何にもないという中で高校生を、それもその当時の高校生と申しますのは、予科練から帰ってきたり、いわゆる軍の学校から卒業せずに帰ってきた、たばこものむ、酒も飲む、夜ばいもするというふうな高校生もおった時代でございまして、まあ今の言葉は御婦人の前で大変恐縮でございますが、そういうふうな時代でございました。ところがその当時、昭和二十年代の教職員の状況というのは小中高とも大変明るうございました。月給は本当に安いわけです。三日間のやみ米を買いますと給料が吹っ飛ぶわけです。すき焼きをするのに肉を買ってきますとそれで給料はありません。しかしそんな中でも大変明るかった。  それが、三十年代、四十年代になってまいりまして、しかもその当時は、義務学校では代用教員が非常に多かったわけです。旧制の中等学校出ただけで代用教員。ところがその時代が、どうやら教員養成大学がほぼ需要を満たすようになってまいりましたのは三十年代の終わりでございますけれども、その時分からいわゆる教師になることが大分難しくなってきた。そして、大学を出なければ教師になれなくなってきたというふうになって、四十年代、五十年代を迎えるわけです。ですから今無免許の教員というのはほとんどおりません。  それから、学校教員になりますと、実はこれは田舎の場合はそういう例が大変多いのでありまして、文教委員の諸先生方もお耳に入っているかと思うのでありますけれども、自分の子供が教員の採用試験を受けて、通った、家じゅう挙げて大変喜びます。そして今度は採用が決定いたしまして四月は新しい学校へ行きます。お父さんお母さんが、新任の先生について、校長先生ひとつどうぞうちの息子を、娘をよろしくお願いしますというふうな格好で、いわゆる良家の子女と言ったらおかしいんですけれども、そんな状況になってまいります。これは私学の場合でも同様でございまして、教員になるということが、大変難しい試験を通らなきゃいけない。また通っても、今度はなかなか配置が難しいという中で教員になっている。さあみんな大変喜んでおるというのがこの七、八年ぐらい前から、さらに十年前ぐらいから起こっている学校現場の新採教員の姿です。もちろんそうでなしに苦学力行して頑張っている教師もおりますけれども、一般的にはかなり豊かな、一応いわゆる中流と称せられる家から出てきた子弟がかなり難しい教員の採用試験を受けて通っておる。  これは、こういうことを言うのは大変おこがましいことを言うようでございますが、今大学を出て、本当にその大学で学んだだけの力があるかないかということを試験をして採用するというのは余りないんですね。お医者さんとか弁護士は別ですけれども。教師の場合は、四年間の学校を出て、卒業したときにさらに各県で試験を受けるんです。大変な勉強を強いられます。そしてなった教員ですから、学力からいえば、私は大変すぐれていると思うわけです、私どもの時代に比べて。  ところが、その新しくなった先生たちが、この十年間統計をずっと調べてまいりますと、病気になっているんです。体を壊す場合もございますし、一番私が恐れているのはうつ病、さらには心身障害。特に困るのが、教師として働くにたえられないという形で分限休職というふうな措置を受ける者の数が随分ふえてきた。こういうふうな状況は、文部省としては一体どういうふうに把握しておみえになっているのだろうか。要するに教師が、学力がついている、そして採用試験にも通ってきた教師たちが大変つまずいている現象がある。そういうふうな問題について、文部省としてはどういうふうに把握されておられるか。まず、この辺を伺いたいわけです。
  87. 加戸守行

    政府委員(加戸守行君) 学校教員の方々の中でいろんな、例えば病気あるいは精神疾患等によります不適応症状というのがあるわけでございます。全国的に見ますと、現在の教員数九十八万人のうち現在、昭和六十年度におきましては、精神性疾患によります休職者、病気休職者が九百八十六名でございまして、これは全教員数に対しますと〇・一%に相当しているわけでございます。このほか病気疾患等によります休職が三千四百六十八人ございますけれども、比率的に申し上げれば、今の休職者のうちの精神性疾患によるものだけで二八%を占めているという状況でございます。  年度別的な傾向で申し上げますと、昭和五十四年が〇・〇七%でございましたが、五十五年が〇・〇八%、それから五十六年には〇・〇九%という形で、それから五十七年に至りまして〇・一%に上がりまして、五十七、八、九、六十年度はほぼ横ばいといいますか、比率的には〇・一%でございますけれども、こういった精神的疾患の状況が五十四年、五年、六年、七年にかけて累増してまいったということが統計的な数字だけからは言えるわけでございます。  もちろんこのほかに、休職には至らない程度の精神性疾患をお持ちの方もおいででございましょうし、そういった状況を私どもも憂慮しているわけでございますが、いろんな社会環境の変化、あるいは社会生活におきます、その中でのストレスの増大とか、あるいは欲求不満、不安などが主たる要因であろうと考えておりますけれども、こういう学校の中で教員の健康的な面につきましても十分配意をしながら対応を考えていきたいと思っておるわけでございます。
  88. 山本正和

    ○山本正和君 どの社会でも、働くということは必ずしも楽なことではございませんから、いろんな不適応の現象が生まれて、さまざまな状況が出るということはよくわかるんですけれども、ただ、これが時代を区切って見てみた場合に、そこに大変大きな、いわゆる一般的な形では言えない状況があろうかと思うわけであります。  特に、これはもう四、五年前から随分議論されました校内暴力あるいは家庭内暴力というようなことがあったわけでありますけれども、教師が生徒を殴ると、これは文部省並びに各県教育委員会から厳しく戒められておりまして、場合によっては処分の対象になる。先生を生徒が殴ってもこれは処罰の対象になりません。しかし、そういう中で子供を何とかしなければいけないという気持ちで教師が真剣に取り組めば取り組むほど、もしもその教師が体も非常に丈夫で大きくて、そして、中学三年のわんぱく坊主が少々かかってきても、何だと、こういうふうなことができる体力なり気力なり持っていればよろしいけれども、ひたすら勉強をして、子供に対する愛情だけでもって教師になった者がそういう暴力にさらされた場合に一体どうなるか。これはもう枚挙にいとまがないほど事例がたくさん出ております。御承知かと思いますけれども、一九八五年にウイスキーに酔っぱらった中学校三年生の子供を教師がしかったら、殴り飛ばされて、けっ飛ばされて、殺された、こんな例もある。  そういうふうな中で、結局、私は一番心配いたしますのは、せっかく教員になって子供たちの顔を眺めて、今から取り組もうという、そういう若い教師が、学校の先生をするのが嫌になってしまうということでやめていく。そして、もうそれよりも民間会社へ入って、商売の道を覚えるのは少少難しいけれども、そっちへ行こうかというようなことになってしまって、本当に教育に一生懸命になろうと思ってもなかなかなり得ないというふうな状況一つありはしないか。要するに、青少年のところに社会のあらゆるひずみがまず真っ先に出てくる。これはもう世界じゅうどこの国でもそうであります。  国に社会不安が起こったときにどこを見たら一番いいかといえば、子供の問題、今日本の国が大変な高度経済成長の中で伸びてきておりますけれども、その中で真っ先はしわ寄せがくるのが青少年だろう。その青少年に対応する教職員というのはそういう意味でも大変なストレス、これはイギリスあたりでは三、四年前からティーチャーストレスというふうな言葉で随分世の中の問題として、またお医者さんの中でもさまざまな議論しているようでありますけれども、我が国がそういう意味でいわゆる先進国化してきたこの十数年来の中で、こういうふうな問題を諸外国との対比、いわゆる明治以来ずっと我々が追いつこうとしてやってきた、文明に追いつこうとしてやってきた時代と今大きく変わってきている中で、実はアメリカやイギリスやドイツでは既にこの種の問題がかなり出ているわけです。  そういうふうなことについて、文部省としては調査されたり、あるいはまたこれから対応についてお考えになったりするというお気持ちはおありかどうか。その辺をちょっとお聞きしておきたいんですが。
  89. 加戸守行

    政府委員(加戸守行君) 教職員に限らず、人間を取り巻く環境、特に社会環境の変化というのは、日本のみならず世界各国同様な傾向にあろうかと思うわけでございます。その意味におきまして、諸外国がいかなる対応をし、どのような傾向にあるかということにつきましては、私ども、当然関心を払う必要があると考えておるわけでございます。ただ、実際上どのような形での、統計的な数値というもののとらえ方がそれぞれ各国におきます調査状況の違いもございまして、わが国と比較するというのは非常に難しいかと思いますけれども、先生がおっしゃいますように、そのような方向での世界各国の動向というのは当然それを念頭に置き、あるいは参考にさしていただきながらわが国としても十分対応する必要があると考えているわけでございます。
  90. 山本正和

    ○山本正和君 ひとつぜひ社会現象の中で、やっぱり今から日本の国がこの発展した生産力というものを背景にして、なおかつ二十一世紀に生きていく子供をつくっていくという問題でございますから、いわゆるティーチャーストレスというふうな言葉で言われている問題、これを諸外国の問題も含めて、いわゆる文部省としてのこれからの取り組みをぜひお願いしておきたい。  特に、あわせて要望として申し上げておきたいんですけれども、教職経験をして二年、三年たった者、あるいは五年、六年たった者に、二、三年ごとに、教職についたことについての自分の気持ち、何が今困難か、あるいはどういうことやっていきたいかというふうな調査をぜひお願いしておきたい、こう思います。  それから、あわせて文部省から各県教育委員会を通じて、特に校長、教頭、さらにはいわゆる年配の教職員に、若い教職員に対するいろんな意味での、いい意味での指導を的確にしていただくように、いわゆる管理ではなしに指導なんだと、学校現場の。という格好での御指示をしていただければありがたいと思いますので、ひとつ、これは要望にとどめておきます。  それから二つ目に、教員養成の問題で、教養審でいろんな議論がされておりますが、教養審の中の議論とかかわるかどうか、ちょっと若干問題があろうかと思うのでありますけれども、私の意見をまず少し申し上げて、それから御質問してみたいと思うんです。  いわゆる一九四五年の旧時代、大日本帝国時代には、教員というのは師範学校を卒業した者が専門家として教員になる。訓導という名前をもらっていた。ところが、戦前の学校のほとんどは訓導の数は極めて少なくて代用教員です。ですから、東京あたりは別ですけれども、田舎のほとんどは訓導というのは一人か二人しかいなくて、あと代用教員がほとんどで、校長、教頭というふうな形態で戦前の教育がやられておりました。したがって、これは大学の中での論議でありますけれども教育学というふうなものは学問なのかどうなのかというふうな議論さえあったというのが戦前の状況でございます。戦後、この前ちょっと申し上げましたけれども、アメリカ占領軍が、教育視察団が参りまして、そこでいろんな議論をした。ところが、アメリカといわずヨーロッパといわず、教育学というものは既にもう二百年ぐらい前から学問としての重要性が指摘されておりまして、アメリカでも大体一九〇〇年に入った時分からいろんな問題が出てまいりまして、教育学の重要性が随分指摘されておったわけであります。  ですから教員というのは、戦前は師範出の優秀な先生がおって、あとは代用教員によってやっていくんだからということでのこれは教員べっ視があったわけです。年配の、私ども以上の年配の者は、昔の先生はよかったとよく言うのですけれども、それは子供にとってよかったかもしれないけれども、社会的には教員べっ視という時代であった。これは文部省の方でもよく御承知のことだと思うのであります。その後、戦後になって、教育学というものをもっと大事にしようじゃないかということで、今はどうやら日本の大学でも教育学のそれぞれすぐれた学者の方がふえてまいっております。  ただ、私はそこで大変心配いたしますのは、実は、戦争が負けたときにこの師範学校を全部大学にしていった。要するに、師範学校大学にしていったという中でのかなりな矛盾があったわけでありますけれども、と同時に、とにかくすべての教員大学を卒業した者でもって充てていこうということで、免許制度とかかわってかなり激しい論議があったようであります。その結果、現在のような教員になるために必要な教育学の基本単位というふうなものが定められております。ところが、戦争が終わってから四十年たったのでありますけれども、現行、その教育学、いわゆる教育の仕事をする者にとって必要な最低限の単位、大学において修得しなきゃいけない単位が何があるかといって調べますと、教育心理学と教育原理、この二つしかないんですね。あとは教科実習というのがありますけれども。ですから、大学を卒業して教員になろうと思ったら、何か知らないけれども教育にかかわる原理と心理を三時間ずつ一年間勉強すれば、それで教員になれる道がある。  しかし、確かにそれは、戦争に負けた当時の教育大学が大変状況が悪いときについてはまだ言い得ると思うんですけれども、今日、もう全国の大学教育学部はかなりな状況になってきております。どこの大学でも教育学の専門の学者がかなりおるわけです。なぜこのままでいいんだろうか。教育をやる者にとって一番大事なのは、もちろん自分が教える技術が必要です。子供にわからせるように教えなきゃいけませんけれども、しかし、教育に対する愛着、愛情がなくちゃいけない。それには何かといえば教育歴史を知らなきゃいけない。あるいはさまざまの、私どもの前にずっといろんな形で、現在の我々人類社会に対して提言していただいた教育思想家、そういう人を学ばなきゃいけない。孔子や孟子もこれはきちっと教育をやってきている。そういう意味での、もっと本当の意味での幅広い教養、教育に関する教養が必要だというふうに思うのでありますけれども、ずっと四十年間、大学で基本的なものは教育原理三単位と教育心理三単位さえ取れば教員の免許状はもらえる。これはここにお見えの文教委員の先生方も、教員免許状をお持ちの方もおられるかと思うのでありますけれども、その六単位を取るのがめんどくさいから免状とらなかっただけだというふうなことがよく言われます。一体そんなことで本当にいいんだろうか。  ですから、私はここで文部省にお聞きしたいのは、四十年の間、この問題に対してそういう議論が果たしてあったのか。そして今、教養審の中でこの問題についての論議はどうされているのか。その辺をちょっとお伺いしておきたいんです。
  91. 加戸守行

    政府委員(加戸守行君) 現在、教育職員養成審議会におきまして、研修のあり方と並行いたしまして、免許、養成のあり方についての御審議もいただいているわけでございまして、来年末答申をいただく予定で進められておるわけでございます。  実は、過去におきましても、当然この教育職員養成審議会のさまざまな御議論もございましたし、今の免許基準でよろしいのかという見直しの案も何回か作成された経緯もございます。今までのところ、諸般の事情によりましてそういった免許法の抜本的な改正という段階には至っておりませんけれども、現在御審議いただいております中には、議論の有力なものといたしまして、例えば先生がただいまおっしゃいましたような、いわゆる教育史というものを教員養成の中で重要なものとして位置づける必要がある、特に、教育史を知らずして教員になるということは教員本来の姿ではないというような強い発言をなさる委員もいらっしゃいますし、そういった考え方の議論も、当然来年いただきます今回の答申の中にもある程度反映されてくるのではないかと、現在議論過程を聞きながら想像しているわけでございます。  いずれにいたしましても、免許基準のあり方につきましては今見直しをしていただいているわけでございますし、特に、従来からの画一的な基準の定め方というものに対比いたしまして、臨教審の方におきましても、特に児童生徒の行動、心理あるいは健康についての理解とか、あるいは生徒指導、カウンセリングに関する知識とか実践力の向上といったような御指摘もございますし、あるいは国際化や情報化に対応した新しい分野への配慮も必要だというような御指摘もちょうだいしているわけでございまして、そういった事柄も含め、今後の教員養成のあり方というものにつきましては、今、熱心な議論が行われている段階でございます。
  92. 山本正和

    ○山本正和君 実は、法律の改正とかあるいはそういうことによらずにでも、文部省の指導によってやり得ることがあるんじゃないかと思うわけです。というのは、教員の採用に当たりまして、こういうことをひとつ単位として取得するのが望ましいというふうな見解の表明でもってかなりいろんなことがなし得るというふうに思うんです。  ですから、今、教育の問題が大変苦しい、苦しいという言葉に尽きるぐらいのいろんな報告がされております。しかし、その苦しいときには、やっぱり教育というのは何だという原則に返らなければどうにも解決の道がない。そういうことからいいましても、何とか、教育史あるいは教育思想史、さらには教育に対して昔からのいろんな思想家が、哲学者がさまざまな提言している事柄を学ぶということをしなければだめなんだ、その場で、まるで一億総教育評論家みたいな顔をして、学校が悪い、先生が悪い、親が悪い、政治が悪い、やれどうだこうだとだけ言って解決する問題じゃないと思うんです。  ですから文部省として、法改正をしなくても、要するに、教員になる者は、あるいは教員になろうとしていろいろと取り組もうとする者は、というふうな格好での御指導等もいただいたらというふうに思うのでございますけれども、これは事務当局よりも大臣の方のいわゆる政治的な立場からの御判断も必要かと思いますけれども、ひとつ大臣、御所見いかがでございますか。
  93. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は、今のお話、やはり検討に値すると思いますし、一度事務当局ともよく相談してみたいと思うております。  現状から見まして、大学を卒業しまして教員の資格を持っておる人が十五万人、そしてそのうち約三万人ほどが毎年教員に就職するわけでありますが、私は、今お話の中にもございましたように、やっぱりこの十五万人が教育の専門家としてどれだけのことを大学で履修してもらっておるかということは確かにこれは問題だなと、今のお話を聞いておりまして思うております。  それと同時に、今の大学で、教育学部というのがもう非常に多いんです。けれども私は、その教育学部の中身というものも、長年の間検討されないできておるように思うております。私は素人ですからわかりませんが。一方、大学の中でも教養学部というのがございまして、例えば東京大学の教養学部が今でも誇り高き教養学部と言ってやっておりますが、ああいう教養学部というものの中身は非常に私は充実した中身だと思うております。そうであるとするならば、各大学にございます教育学部というのが、これがある程度は高度の教養のための学部ということで、教養学部というものと教育学部というものは案分を考え直してもいいんじゃないか。最近、大学といったら何でも専門職でなければいかぬと思って、大学に行くと同時に法学部だ経済学部だ経営経済学だとか、あるいは工学部だとかいってやっておりますけれども、必要なのは、基礎として教養学部というものをもっと私は現在の教育の方面に活用したらどうだろうということを思うておりまして、そういう提案も、今私の方から出したようなことでございます。  確かに、教員の教養、大学の在学中における教員としての訓練と教養というもの、これはやっぱり私も十分見直す必要があるような感じがいたしております。今の御質問につきまして、部内でもよく検討いたしてまいります。
  94. 山本正和

    ○山本正和君 実は、教員がいろいろ仕事をしていく中で、大変これは悲しい話でございますけれども、部落問題に対する理解が全くないというようなことで、部落解放運動をしている諸団体から糾弾を受けたり、また、それに伴うさまざまな問題が起こったりもいたします。これは部落問題というのは、確かに我が国の抱えた非常に難しい、昔から来たいわれなき差別の中で起こってきている現象でございますけれども教育の一番基本にかかわる問題が幾つも含まれておる。要するに、教育の一番根っこにある人権の思想というものが十分に理解されているかいないかという問題がかかわってこようかと思うのでございます。  ところが、よく道徳教育の話が出るんですけれども、道徳教育が必要だ、だれもこれは否定する者はおらぬ。ところが、それじゃ道徳の規範をどこに求めるかといった場合に議論が起こるんだろうと思うのでありますけれども、戦争が終わるまでは、日本の国が戦争で敗れるまでは、我が国の道徳の規範に教育勅語があった。そして戦争が終わってからその道徳の規範がなくなったというふうな議論が盛んにされるんです。ところが、もしも学校で子供を教える教育の仕事をしている者が、自分なりの道徳の規範がなかったら、これは困るだろう、その道徳の規範がないというのは何かといったら教育勅語がなくなったからと、こういうふうな議論が本当に、私は無責任だと思うんですけれども、そんな議論がされたりしております。  私は、自分もずっと若い先生方とつき合ってきたものですから、この問題で議論するときに、こういうことは私は言ってまいりました。日本の国にはすばらしい道徳が、本当に世界じゅうどこにも負けないすばらしい道徳があるんだよということを私はよく言ってきたわけであります。要するに、今の部落問題等に出てくる人権無視、軽視の思想、あるいは民主主義というものに対する理解のなさ、そういうことに対する、本当に人を人として大切にするということが何よりも大事だというところを、我が国はこれは本当にすばらしい日本国憲法というものを定めている。憲法の前文を読んでみると、そこにまさに人間の歩むべき道が書いてあるんですね。あれはまさに道徳規範なんです。日本国憲法の前文の思想こそこれは――中曽根総理は改憲論者と言われますけれども中曽根総理もみずから、憲法の三つの思想は古今絶対に変わりない大切なものだということを言っておられる。恐らく日本国民の総意の中に、平和と人権と民主主義という思想があろうと思うんですね。  ところが、実はその憲法を、私は大学を卒業するからにはどこの大学、理学部でも工学部でも憲法だけは勉強しておると思ったら、勉強しないで卒業できるようであります、最近は。それで、学校教員になるのに、憲法を学ばずに教員になれるというふうになっておる。こんなことを聞きまして、私も実は慄然としたんです。結局、自分たちがこの世の中で生きていく上でのよりどころを、精神的、道徳的よりどころというものを日本人は持っている。その持っているのは憲法だということは、憲法を学べば学ぶほど出てこようかと私は思うんですよ。まさに、文明がいろいろな形であちらこちらで生まれて、そして今二十一世紀を迎えようとしておる中で、人類の持ってきたすばらしい思想の凝縮したものが日本国憲法の前文にあると私は思うんですね。ところが、そういうものを勉強しないで教員になる。教員になってから改めて憲法を勉強しなきゃいけない。これもどうもおかしいというような気がするんです。  ですから教員の資格に、これは法学部を卒業するにはたしか憲法が必修だと思うんですけれども教員も少なくとも教養課程かどこかでもいいんですけれども、憲法は必修にすべきだというふうなことを私思うんですが、この種の問題について、大臣、どういうふうにお考えでございましょうか。要するに、まず一番我々がやっていかなきゃいけない日本国民としての統合の象徴である憲法を学ばない者が教員になれるという、これについては大臣はどういうふうにお考えでございましょうか。
  95. 加戸守行

    政府委員(加戸守行君) 経緯的なことを申し上げさしていただきたいと思いますが、昭和四十八年までは、教育職員免許法の施行規則におきまして、教員となる資格の場合の一般教育科目の履修方法の中に、日本国憲法を修得することを義務づけていたわけでございます。ところが、昭和四十八年におきまして、いわゆる大学の一般教育の履修を弾力化するということで、従来の一般教育につきましてそれを大学の自主性にゆだねるという判断がベースにございまして、一般教育科目の履修実態は大学の設置基準、あるいは短期大学設置基準という形にゆだねることにいたしまして、教育職員免許法の上からは一般教育科目を何単位履修するというその義務自体も外した関係上、免許法の施行規則からも当然それが落ちてしまったという経緯がございます。  もちろんそれは大学の自主性を尊重するということでございますけれども教員についてそういうことを要求していた過去の経緯もございますし、同年、文部省大学学術局長名の通達によりまして、各教員養成におきましては従前のとおり日本国憲法を科目と含めて編成するようにというような指導通達を出したという過去の経緯はございます。
  96. 山本正和

    ○山本正和君 大臣にお伺いするその前に、ちょっと今の局長の御答弁に絡んで申し上げるんですけれども、実は、国立は大体そういうふうになっていると思うんです。ところが最近、これは私学は私学なりのすばらしいそれぞれの学校の特徴がございますけれども、私学の中で教員養成を本当に専門にしてやろう、そしてそのために、何というか、ペーパーテストの練習をどんどんどんどんやって、例えば何々県の教員採用試験の傾向と対策というふうな形で大学四年生になるとやるわけですよ。それで試験は通るわけです。そういう学生はほとんど憲法の勉強はしていないんですね。その辺のこともございますので、ひとつ大臣から御見解を承りたいと思います。
  97. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は、この際、教員の初任者研修を新しい制度として発足する際に、教員の新規採用される方々の十分な調査をやっぱり一度やりたいと、こういう希望を前から実は持っております。そういう調査の中で、新任教師の方々がどういうことを実際は履修してきて、また、どれだけのテクニックを在学中につけてきておられるか、そして、どうして教師になられたか、こういう動機なんかを一度実態調査したい。その上におきまして、先ほど加戸局長が言っておりますように、各教員養成大学に対して大学学術局長から通達を出した、こういうことを言っておりますので、個別指導をしておるということでございますから、その個別指導でいいのか、あるいはまた、何らかの対策を講じなきゃならぬのかということを検討しなきゃならぬだろうと思います。  ただ、これは憲法の問題だけじゃないと思うのでございまして、教員の資質の向上の中の一環として、教員たることを希望しておられる方が在学中にどんなことをしておられたのか、これを十分に調査して、その調査一つとして憲法問題も取り上げて考えていきたいと思うております。
  98. 山本正和

    ○山本正和君 実は私も長い教員生活をしておりまして、その中で思ったんですが、自分で勉強をしたいということを思わない教員はまずいないと私は思うんです。ただ、勉強をしたいという動機ですね、あるいはそのときの状況というものが本人にとって身につくかつかないかということになる。ですから、今初任者研修を文部省としては計画されておられますし、私も実は初任者研修自体には決して反対ではございません。しかし、一番心配なことは、学びたいという気持ちにさせる。要するに、自分は教師として中へ入って子供の前にぶつかって、自分でいろんな疑問を持ってそれを解決するために学びたいという気持ちにさせるような研修にしていただきたい。これを私は一番大事だと思っておるんですね。  そこで問題は、教員になって初めの大体四月から五月、六月ごろまではかなり意欲があるわけです、若い先生方。ところが、六月、七月とこうなってきますとだんだんおかしくなってくるんです。特に、中学校へ入りますと、中学校で若い先生が担任をするのは、新任の人は、大体真ん中の二年生を担任する場合が多いんです。ところが、二年生の担任をすると、もう既にそのときに高校進学の問題がありますから、高校の進学で、いろんな塾で勉強したこと、あるいはそれぞれの高等学校の、例えばどこの高等学校へ行けるか行けないかというような問題がぼつぼつ出てくる。そうすると、一生懸命、子供と人間的な触れ合いをして、教科を通じてやろうとしておっても、何だか知らないけれども、ちょっと自分のやっていることが理想主義になってしまって、そんなことをやる暇があったら英語の単語を一つでも余計覚えさせるようなことをせよと、こんなことになっていく。あるいは数学の問題の解き方を早く解けるようにする。そういう技術的なことをやらなければいけないようなところに追い込まれるわけです、教員が。本当は理想に燃えているわけですね。子供と一緒になって、人間的にいろんな生活をしていきたいと思っておっても、できないという問題が今目の前にあるわけです。ですから、今の進学万能の学校教育、進学万能という空気の中に置かれた学校教育の中のひずみにぶつかるのが大体六月、七月。夏休みといいますけれども、今、全国の教員で、夏休みを休んでいる者はほとんどおらぬです。ほとんどもう部活動とか、やれ勉強会だとかやっているんですね。  ですから、私はそういう中で、ここで特に初任者研修の問題でお願いしておきたいのは、拙速を何とか避けていただきたい。新しく入った教員が何を悩んでいるか。先ほど申し上げましたけれども、どういうものを履修対象としているか。こういうことはどうしても調べておいていただきたいというふうに思うんです。  教員が初任者研修に賛成か反対かと言ったら、みんな賛成です、これは。しかし、実はそうやって一生懸命理想に燃えていろんな矛盾の中でやっているときに、ぽんと上からかぶせられて、はい何名、どこの学校から何人出しなさいと、それがぽんと出ていく。それでは学校現場は混乱してしまう。逆に、本当に勉強したいという人を募集し、また、その条件を各学校でつくってやる、これをしていかなければぐあい悪いだろう。  それから、もう一つついでに申し上げておきますけれども、これは質問の通告にはございませんけれども意見として申し上げておきますが、実は、この前私、仲川委員長の地元の愛媛県に教育視察にやっていただきました。愛媛県の教育長さんといろいろ話をしておりまして、そこで大変自信を持って教育行政に当たっておられるという、その姿に、私なりに感服して帰ってきたんです。  それは何かといいますと、初任者研修、試補制度学校へベテランの教師を派遣するというようなことを言っているが、そんなもの要りませんと言うんですよね、愛媛の教育長さんは。うちは現場におる中堅教員で立派に指導します、あるいは校長がちゃんと指導する力があります、そんな余分な者を持ってきてもらっては学校運営が困りますよと、こう自信を持って言っておられる。私は本来学校というものはそうだと思うんです。学校の中で、校長、教頭がベテランとしておって、若い先生を指導して助け合ってやっていくのが本来だというふうに思うんです。  ですから、本当に役に立つということで配置するのならば、何とかまず実人員として、例えばそのブロックならブロックに一名でもいいですから実人員として、そしてカウンセラー的なことができる、教育相談ができる専門の人を配置してもらった方がよっぽど役に立つ。東京大学が毎年、あのみんなのあこがれの的の東京大学の学生が、一年間に二千五百名情緒不安定になってカウンセリングを受けているんです。勉強ができるばかりが人間じゃないんですね。ですから、私は何とかひとつ、初任者研修の問題も試補制度の問題も含めて言いますけれども、拙速ではなしにもう少しじっくりと現場の意向を聞いていただいて、そしてやっていただきたい。このことを、ちょっとこれは今のお話に触れて、余分なことでございますが申し上げたわけであります。  実は、その次に質問を用意しておりましたのはこういう内容でございます。  私も、旧制中学の同級生がいろいろな企業等に入っておりまして、ぼつぼつ退職する年齢でございます。いわゆる猛烈社員族。よく一緒に一杯飲んだりいたします。そうすると、中小企業といってもいろいろなケースがあるんですけれども、異口同音に言うのは、自分のところで働いている者は、会社の責任でもっていわゆる元気復活のためのさまざまなことをするんだ、金がないならないなりにやるんだと、こういうことを言っているわけです。ところが、うらやましいのは、まさに大企業あるいは銀行等へ入った者が持っている保養施設です。もちろん忙しいですからしょっちゅう行けるわけじゃありませんけれども、いつでも行ける。しかも、その保養施設というのはふだんは使わずに置いてある。ちゃんと番人もおるんです。そういう保養施設がきちっとあって、そしてその中に本当に仕事で疲れた者があそこへ行ってテニスをする、プールで泳ぐ、山登りの基地になるというようなものを持っているわけです。  ところが、学校教員、私はいろいろと勤務実態調査のデータ等を持っておりますけれども、本当に、一日十二時間学校におって、持って帰って一生懸命仕事をするという猛烈な、本当にどこの猛烈社員にも負けぬような大変な勤務をしておる者がたくさんおるわけです。ところが、そういう者がたまに休暇をとろうとしてもなかなか年休はとれない。やっと年休をとっても、安い給料ですからせいぜい温泉のところにある公立学校共済組合の施設ぐらいに泊まってつつましく帰ってくるというのが精いっぱいなんです。そこへ行って、例えば夏休みに蓼科なら蓼科の高原へ行って、あの本当に空気のいいところで、テニスコートで一生懸命ラケットを振ってみて浩然の気を養うというようなものは一つもないのです、日本全国に。公立学校教員の施設はゼロなんです。四十年間何もしていないのです。  私は本当にそういうことからいって、文部省として何とかこういうことはお考えいただけないだろうか。公立学校共済組合というのは教員もお金を出している福利団体でございます。しかし、文部省というのは、まさに全国民を代表して、学校で働く教職員のために、しっかり働けよ、こういうことを言う立場の機関だろうと思うのでございます。そういう意味で、ひとつ福祉施設等の問題についてどういうふうにお考えか、お聞かせいただきたいと存じます。
  99. 加戸守行

    政府委員(加戸守行君) ただいま先生おっしゃいました事柄は、教員の福利厚生に関する事業ということになるわけでございまして、今お話がございましたような公立学校職員共済組合というものが各部道府県各地に保養施設を設けているわけでございます。決して十分なものとは言いがたいものでございますけれども、そういった施設の充実を通じまして、いわゆる福利厚生を図るというのが本来の目的でございますし、国が直接的に教員の保養施設をつくるというようなシステムにはなっておらないわけでございます。  その意味におきまして、私どもは公立学校共済組合の福祉事業の充実を今後とも要請申し上げたいと思っております。
  100. 山本正和

    ○山本正和君 任命権者が都道府県の教育委員会でございますし、監督権者は市町村ですから、それは直接には文部省責任はないと思うんです。ただしかし、そういう施策を考えていただいて、そして各都道府県とのいろいろな連絡の中でこういうふうなものができないのか。  公立学校共済組合という枠じゃなしに、要するに、今いろいろ言われている教員問題。本当に資質の高い教員が欲しいということにこたえるためにも、一生懸命働いたら浩然の気を養う場所もあるぞと。また逆に言えば、文部省がおやりになっている長期研修、短期研修等の場所にも使える。それが正直言いまして、心配いたしますのは、収容所に入れられたような気持ちになって勉強するのでは勉強にならないと私は思うんです。やっぱり中へ入って、勉強もするけれども、のんびりと浩然の気を養えるというのでなければぐあいが悪いというふうに思うんですが、そんなことも含めてひとつ、来年の予算には間に合いませんけれども、例えば教員のそういう福祉あるいは元気回復のための何らかの方法を考えるというふうなことについて御検討をぜひいただきたいと思うのでございますけれども、どうでしょうか、その点は。
  101. 加戸守行

    政府委員(加戸守行君) 先生御承知のように、現下の厳しい財政状況のもとにありましてはなかなか困難な事柄であろうと思いますけれども、将来の課題として、今のお言葉を受けとめさせていただきたいと思います。
  102. 山本正和

    ○山本正和君 ちょっとどうも、検討課題にしていただくという程度でございますが、その分をひとつ温かく受けとめていただいて、大臣もひとつぜひ御記憶にとどめていただきまして、何とか――問題教師といいますけれども、これは本当にごくわずかなんです。大部分の教師は一生懸命頑張っているんです。そういうことのために大臣にはひとつ、そういうことも含めて十分に検討するからと、こういうことを最後に一言いただけるとありがたいのでございますが。
  103. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私も気がついてみましたら、それは公務員だってそうなんですね。共済の施設しかない。といって、私よく感じますのは、私は大阪でございますが、大阪に立派な教育会館があるんです、市と府との。これにたまには行くのですけれども、ここへ行きましたら結婚式ばかりやっているんですね。そして、たまに会合があったら、何か先生が皆集まって難しいことを議論していますね。私は、この教育会館なんかはそういう施設に転用できないだろうかなと思ったりもするんですが、これはやっぱり共済のあり方にも問題がある。  したがって、先ほど局長が言っています、国の施設としてつくれという、これは私はえこひいきだ。それじゃ中小企業のおっさん、皆どないしてくれるのやということになってきますし、ですから、これはいろいろな角度から考えて、要するにそういう施設が活用できるようにするということも私は一つの解決策だと思いますし、一度、先生方のそういう健全なレクリエーションの場としてのなにを検討させるように、教育助成局あたりで検討させるようにいたします。
  104. 山本正和

    ○山本正和君 どうもありがとうございました。  終わります。
  105. 高木健太郎

    高木健太郎君 今度の中曽根内閣の一番大きなお仕事は行政改革であろうと思うんです。行政改革というのは、できるだけ行政を簡素化する、また、それに係る財政をできるだけ緊縮していく、そして赤字を解消していこうというようなことにあると思うんです。もう一つの行政改革の方法は、せっかくあるものを有効に使っていこうということでなくちゃならぬと思うんです。  そこで、最初に私がお聞きしたいのは、この前もお話ししましたが、塩川文部大臣になられましてから私まだお尋ねしていませんので、もう一度繰り返して、少し様子を変えてお聞きしたいと思います。  それは、人材と、それから機材、あるいは設備等を有効に利用しようと思えばまだできる面があるんじゃないか、こういうことでお尋ねをしたいと思います。  最初に、よく言われますオーバードクターの話でございますが、これは文部省の方々の方がよく御存じでございまして、今さらここで繰り返すことはいたしませんが、今もうオーバードクターが五千人を超えているんじゃないかと思います。オーバードクターというのは、博士課程をとって、博士になりながら、その博士の学力を有効に使えないというままで遊んでいる、その人たちが五千人ぐらいいるんじゃないかと思うんです。特に理学部関係にこれが非常に多い。理学部関係の人は、自然科学的な、非常に頭のいい人でございまして、それらが遊んでいるということは、私は国家にとっても非常に不経済なことであると思うんです。  私は、これが大体片づき始めたと思っておりましたけれども、最近もまた、「女性研究者は板ばさみ」ということがございまして、女性の研究者がオーバードクターになって、そして遊んでいるということを京都大学大学院を出た、女性ばかりの方がいろいろ調べられた調査の結果が載っているわけですけれども、五人に一人のオーバードクターの方は、もう大学院を出ても定職がないから子供を産まないんだというようなことですね。あるいはまた、適当な仕事がなくてもう仕事をあきらめている。あるいは、育児と研究の両方はできないということで、それに非常に悩んでおられるというようなことから、研究に入りたいと思えばもう子供を産まない、こういうようなことになっているわけです。  これは少し古いですけれども、名大のODですけれども大学院を出ても月収が十万円ぐらいしかない。生活に困窮している。だから、塾の先生になるとか、あるいは夜警をやっている。こういうようなことをして働いておられるわけです。年収が八十五万ぐらいしかないということなんですね。これは私、非常に不経済な、不経済という言葉は非常に悪いんですけれども、何とかこれに有効に働いていただく場を与えてやるということが、これは私たちの非常に大きな勤めだと思います。もちろん大学当局、あるいは属している研究室、あるいはこれを指導された教官は一生懸命でその就職に奔走しておられるわけですけれども、どうしてもうまくいかない、こういうことでございます。  そこで一つお伺いしたいのは、何かこの方々が満足して働けるというような方法をお考えかどうか。今後どういうふうにしようと思われるか。これはますますふえていくんじゃないか、こういうことを考えるわけです。医師とか歯科医師は、医師会とか歯科医師会のいろんな要請もございまして、もう歯科の方はことしから入学定員を削減する、医学部についても削減して、医師は、十万人に対して百五十人以上にならないようにしようというような工夫もしておられるんじゃないかと思うんですが、オーバードクターについては、そういう定員のことについてはどうお考えか。  あるいはまた、先般一月二十二日に臨教審の方から、ポスト・ドクトラル・フェローというものの強化、何とか就職を考えてあげようと、そういうものをつくろうということも臨教審としては考えておられるわけですけれども文部省として、これに対する対策はどのようにお考えかということをお伺いしたいと思います。
  106. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) オーバードクターの問題についてのお尋ねでございますので、学術国際局長の方と両方関係いたしますが、私からまずお答えさせていただきます。  オーバードクターというものをどう定義するのかという問題がございますけれども、一般的に、博士課程を終了して博士の学位を取った、あるいは所定の年限在学して所定の単位はもう済ませている、なおかつ、その後定職についていないというような方々というふうに限定してみますと、千七百名ぐらいというのが、私どもが毎年状況調査いたしておりまして、大体この程度であろうかと思っておるわけでございます。  これらの方々が学内にとどまっておられる事情というのはいろいろあると思います。学位論文をこれからつくるためになお残っているという方もおられますし、それから、学位は既に取っちゃったけれども、適切な就職の道がないということでおられる方々もあるわけでございます。  こういったオーバードクター問題の背景には、大学における研究教育面での指導、あるいは大学院のあり方というのが、ドクターコースを出た人はみんな一様に研究者の道を志向するというような傾向が、例えばアメリカなんかに比べますと非常に強いというようなことから、広く社会一般にドクターを持っておられる方が出ていくということが少ないような傾向があるということにも一つ問題があると思うわけでございます。そういった意味では、大学院のあり方というものをもう少し幅広く、特定の分野の、非常に細かい分野の研究者になるというだけに絞らずに大学院というものを考えていかなければならないという宿題がこれからの宿題としてあると思っておるわけでございますが、そのほかに、研究者たらんという人たちのために研究者になるような道をいかに確保するか、これも限度があるわけでございますけれども、そういった方向での一つの手段として、先ほどお話がございましたポスト・ドクトラル・フェローのようなたぐいの、奨学金と申しますか、そういったたぐいの特別の制度がつくられ、あるいはこれが拡充されていくというようなこともあわせて行われることが必要であろう、こう考えておるわけでございます。  そういった意味での特別研究員制度等につきましては学術国際局の方で努力をいたしておりますので、学術国際局長からお答えがあると思います。
  107. 植木浩

    政府委員(植木浩君) ただいま先生から御指摘がございましたように、ポスト・ドクトラル・フェローシップ制度の充実というのは、日本の独創的な研究を推進する上で大変重要な事柄であると考えております。私どもも、学術審議会等でその点かねてから十分検討いたしまして、昭和六十年度から新しい特別研究員制度、ポスト・ドクトラル・フェローシップをスタートしたばかりでございます。  御指摘のように、臨時教育審議会答申の中にも、さらにそれを充実すべきであるという御答申をいただいておりますので、六十年度、六十一年度年々充実を図っておりますが、さらにその充実を図ってまいりたいと考えております。
  108. 高木健太郎

    高木健太郎君 国立大学あるいはその他の大学にも研究所というものがかなりあると思いますし、大学の教官のポストがいつでも完全にふさがっているというわけではないだろうと思うんです。仮にそういうものを利用して回すというようなことも大学の中では行われていると思いますが、ひとつ文部省の方でも、できるだけそのポストを有効に使えるように指導していただければよいと思うんです。  次に、もう一つ人の問題がございますが、これはどういうふうにしていいか、私にもいい知恵がございませんが、ある一つの教室の教官がどこかほかの大学なりの教授になって赴任をするということがあるわけです。それは、教授のポストが空くわけですからそこへ行く。そうすると、そこには前からおる助教授なり助手なりがおるわけです。そうすると、一、一、二ですから、その一、二の三人の人たちが前もってそこにおられるわけです。ところがその教授は、その助教授、助手と、全くと言ってもいいほど違った、あるいは少し違った方向の研究をしておられるという場合に、この助教授、助手は全く使い物にならぬ、あるいは協力してやっていけないということが、もう間々というかほとんど起こるわけです。もちろん大学が教授を選考する場合には、こういう人がこの教室には適当であるということをあらかじめ検討しながら選考には入りますけれども、しかし、その方向が全く同じだということはまず珍しいことではないかと思うわけです。  そうすると、どうなるかといいますと、その教授はひとりぼっちになるということなんですね。しかも今度は助教授の方はぼとんど研究費がもらえない。そうすると助教授はもう遊んでいるということなんです。せっかく給与をもらいながら、しかも力もありながら何の仕事もしない、これは非常に不経済な話じゃないか。教授の方も、ひとりぼっちで置かれれば雇いぐらいを使って細々とやるとかそういうことになってしまって、これは非常に私は不経済なことじゃないかと思うんです。それでどうするかといいますと、教授は、やめるわけにいきませんので、一生懸命でその助手と助教授の就職先を探して奔走するということになるわけです。だから、最初の三年か四年はもうその仕事だけにかかりっ切り。そうでないとそのポストに落ちついて自分の研究を進めるわけにいかない。こういう例が、大学を訪ねればもう方々にあるのじゃないかと私は思っております。事実私自身も、あるところへ赴任しましたときは、その下の人を片づけると言っては悪いですけれども、適当なところに就職口を探すために極めて大きな努力を払ったことがございます。  そういうことがございますので、これは何としたらいいだろうかということでございます。何かお考えがあるか、あるいは積極的に文部省の方でそういう口を、もしそういう教授から申し出があったときには、こういう人があるぞ、こういうポストがあるぞということを周旋してもらうというか、間に立ってもらうというふうなことはできないかどうか。それはどういうふうにお考えでしょうか。
  109. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 大学の講座制でございますけれども、かねて古い制度として教授一、助教授一、助手一というような形の一つのセットという形で行われてまいりました。この方式は、やはり研究者を、後継者を育てていくというような意味で大変有意義な制度であり、安定した研究教育の仕組みであった、こういうふうに思うわけでございます。  ただ、最近のように研究がかなり細分化をしてきたというようなことになりますと、先生のお話にもございましたように、教授のやっていることと助教授の専門とがかなり違うというようなケースもいろいろ出てまいりましたし、先ほどの御質問にもございましたように、教官のポストを弾力的に使うというような要請等もございます。いろいろな新しい要請もございまして、最近では、これも先生御案内のことでございますけれども、各大学判断によって教育研究上必要だという場合には従来のような講座という仕組みではなくて、大講座、こう言っておりますけれども、医学関係なんかではかなり出てまいりましたが、例えば、一つの大きな講座という格好で、一、一、一という仕組みでなくて、教授が四人に助教授が二人に助手が三人とかいうような形での仕組みをつくりまして、その中で人事等がその大学の必要に応じて弾力的に適切に行われていくようにというような運営も相当程度行われるようになってきております。  ちなみに国立大学の現状で申しますと、五十二大学の八十三学部で既に大講座制が取り入れられつつあるというようなことで、そういった意味での新しい改善というものも、これからそれぞれの分野の必要性に応じて、大学からのお申し入れがあればできるだけそういう配慮を文部省としてもしていくというような仕組みをとっておるわけでございます。  なお、教授等が欠けた場合の後任者の選考につきましては、もちろん学内からというケースもしばしばございますけれども、最近では、次に助教授が当然上がるということでは必ずしもなくて、全国的に公募をして、いい方がいればその方を採るというような努力も各大学で行われてきている、こういうふうに見ておるわけでございます。  文部省が周旋をというお話がございました。大変数の多い大学の、数の多い先生方のお話でございますので、なかなか私どももそこまでというところは手が回らないかと思っておりますけれども、各大学でいろいろ御工夫いただくように、これからも指導あるいは助言等をしてまいりたいと思っております。
  110. 高木健太郎

    高木健太郎君 ぜひ大講座制といいますか、この講座制というのはドイツのそういう方式を入れたものですから、もうそろそろ考え直さなきゃいかぬのじゃないかなと思うわけです。もっと弾力的に考えるということを、今後ひとつ力を入れていただきたいと思います。  次に、今度は人のことではなくて機材のことなんですけれども、ある人がある研究をやっていた場合に、その機械というものはその研究者が実は非常に使いなれた、そしてその人にしか要らないという機械が非常に多いわけでございます。ところが、その人がよそに移ったという場合に、国立国立の間であれば、しかもそれが科学研究費で買い求めたものであれば、その教授あるいは研究者が次の就職先に、これを保管転換することは可能であろうと思います。また、現実にそのように行われているところもございます。しかし、その他の機械も持っていきたいといっても、それはその大学に附属しているものでありまして、新任地へ持っていくということは不可能でございます。  そうすると、新任地へ行ったときに、その教授は新しくまた機械を買い入れなければならぬ。その金は教室の講座費では買えないということになると、科学研究費をまた申請する。もとあった機械はどうなるかというと、そこへ残ったままで、今度やってきた後の研究者の場合にはそれは使い物にならぬからお蔵入りということになる。そうすると、そこで二重に金が使われることになるのじゃないか。少なくとも国立の場合は、言いましたように科学研究費のものは少し持っていきますから幾らかはいいんですけれども私立から国立へ、あるいは国立から私立へといった場合には、その機械は全く遊んでしまうということになるんじゃないか。これは大変もったいないことではないかと思うわけです。  しかも、このごろの機械は非常に高価なものでございますし、せっかく国家の金で買ったものをそこへ置き去りにして、倉庫にでも入れてしまうということは、大変私はもったいない話ではないかなと思うのですけれども、これについては、何か方法といいますか方便というか、もっと国立私立あるいは国立と公立との間の機械の交流というようなものができないかどうか、それをひとつお聞きしたいのです。
  111. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 一般的に言いますと、国立大学相互間あるいは同じ国立大学の学部間という間におきましては、そういった機械器具の管理換というのは比較的簡単にやれる。そういったことをして機械が遊ばないように有効に使っていくということは大変重要なことでありますので、そういった費用は、その機械を据えつけるため、あるいは運搬するためという形で予算措置もしているわけでございます。したがって、それは積極的に運用してまいりたいと思っておりますが、国立から私立へ先生が動いていくという場合には、やはりこれはなかなかそう簡単にいかない。結局、その機械が国立大学として不用になったという認定をすれば、今度は不用として譲渡していく、有償譲渡になりますが、そういった売り払いという話になるわけでございますが、そういった国立私立の間の機械器具の移転ということについては特別な優遇措置はないというのが現状でございます。ただし、国立学校間であれば、それは比較的簡単にやるようにし、私たちもそういった点で積極的に進めているところであるということでございます。
  112. 高木健太郎

    高木健太郎君 文部省としては、私立大学にも公立大学にも助成金を出しているわけですから、話によってはうまくいくんじゃないか。だから、積極的に機械の有効な利用というものを働きかけるということは、私、大事だろうと思うんですね。  同じようなことですけれども、最近の機械というのは、大体五年ぐらいしか使えないんです。どんどん古くなっていくわけですね。そうすると、結局、その機械は売ることもできません、売っても二束三文になる。私は、そういうことにならないで、これが高等学校だったらば十分役に立つんじゃないか。あるいはもっとほかの、短大にやるということになれば十分役に立つ。そういう使い道もあるんじゃないかと思いますので、こういう有効利用のことも同時にお考えいただいたらどうかと思っております。  実際私のおりましたところでも、一部屋丸々古い機械がそこの中に詰まっている、それをなかなか処分もできないというような状況でございました。まあしかしある金持ちの教室がございましたので、我々は機械がないときにはその倉庫へ行っていろいろもらってくるわけなんですけれども、それで十分役に立つこともあるわけですね。まだまだ私、そういうものがたくさんほこりをかぶってるんじゃないか。これの有効利用は、この行政改革でやかましいときに、ぜひ使うべきじゃないか、そう思っております。  それからもう一つは、これ、もっと大きなことを中曽根総理は言われたんだと思いますけれども、七月の二十五日に首相は、国立大学の遊休財産の売却というものを指示されたということが載っております。これには二つございまして、初め、藤尾文部大臣が就任後の記者会見で、国立大学のいわゆる国庫依存体質から脱却したらどうだと、そういうことな話し合われたんじゃないかと思います。内容の詳しいことは私にはわからないです。それについて総理は、立ちおくれている国立大学の研究施設の整備に、不用の国立大学財産――今私が申し上げた機材もこれは国立大学財産なんです、この財産の売却による財源を充てることを検討してもらいたいと。要するに、それは国庫依存体質というのは、何でも国庫から金をもらうというんじゃなくて、今あるものを少し売却して充てたらどうだということで、さっきの機材もそうですけれども、この財産というのはもっと大きなことを考えられたんじゃないかと思うんです。例えば古い大学ですといろんなところにいろんな土地を持っていたりいろんなことをしておりますからして、そういうものを売ってやったらどうだと。要するに身売り、身売りと言ってはおかしいのですが、身銭を切ったらどうだというようなお考えじゃないかなと思うわけです。  これにつきまして、どういうふうにこういうことをやっていくかという、その組織なりがまだ文部省の中にできていないがと思っておりましたけれども、今回臨教審の方で、ユニバーシティ・カウンシルというものをおつくりになる。これは大学設置審議会の部分も幾らかに分けまして、認可の方と設置基準の方と両方に分けて、そして片一方に大学審議会というユニバーシティ・カウンシルというものをお立てになるのだろうと思うわけですが、そういうところが将来はこういうことに関係されるのかどうか。  それから、中曽根総理の言われた、国立大学の財産を少し売却してということはどういう意味なのか、そのことについてはどういうようにお考えでしょうか。
  113. 古村澄一

    政府委員古村澄一君) 従来から、国立大学等に係る経費を確保するという観点から、国立大学等が持っております土地で、現に教育研究に使用されていない、そして将来計画もないというものについては、計画的に処分をいたしております。  ちなみに、例えば六十一年度、本年度では大体二百九十億円ぐらいの売り払い収入というものを見込んでいるわけでございますが、そういった点で、やっぱり大学等利用計画のない、言ってみればある程度売り払ってもいいという財産というものはあるだろう、私たちもそういったところをよく精査いたしまして、今後ともそういったもので財源を見つけて、国立大学の施設設備の充実であるとか、そういった点に注いでいく財源として考えていきたいということを従来からやっておりますし、今後もそういった点で進めてまいりたいというふうに考えております。
  114. 高木健太郎

    高木健太郎君 これはまた後で財産、お金のことにつきましてはお尋ねいたしますが、臨教審の底流といいますか、あるいは大学に直接関係のない委員の方からの御発言じゃないかと思いますけれども、こういう国立大学の財産処分だとかあるいは節約だとか、そういう気持ちの流れがあるんじゃないかと思います。あるいは不要不急というようなものに目をつけられておられる委員の方もおられるんだと思いますけれども、その臨教審の底流として、国立大学というものを特殊法人化したらどうだという、そういう話が出ておるように聞くわけでございますが、今、局長からのお話では大学審議会のことは触れておられませんでしたけれども大学審議会というものの意図はどういうところにあるか、お聞きしたいと思います。  昔、これは一九六二年ごろ、永井道雄元文部大臣大学公社論というものをぶたれたことがあるわけです。国立私立との差をできるだけなくそうというようなことが永井元文部大臣のお気持ちじゃなかったかと思うんですけれども、現在、大学審議会をおつくりになろうというその意図はどこら辺にあるのか、それをお聞かせをいただきたいと思います。
  115. 阿部充夫

    政府委員阿部充夫君) 大学審議会でございますけれども、これは御指摘にございましたように、臨教審の第二次答申におきまして、こういう機関をつくってはどうかという御提言があったわけでございます。  これまで文部省の中には中央教育審議会というものがございますけれども、それ以外に大学問題を直接担当する機関としては大学設置審議会というのがございます。これは個々の大学の設置の認可の是非をやるということを中心にいたしまして、さらにそれに加えて認可のための基準をどうするかというようなたぐいのものを検討するということを担当する審議会でございまして、要すれば、大学についての基本的あり方、あるいはもっと広く日本の高等教育というのはいかにあるべきかというようなたぐいの問題についてこれを審議する専門の機関がないということはございました。  そういう観点から、臨時教育審議会では今後の大学につきましていろいろ基本的な御指摘を出されておるわけでございますけれども、そういうものを具体にこなしていくためには、やはり大学関係者と一般の学識経験者、社会の方々等が集まってこなして、具体化まで持っていっていただく機関が必要であろう。そういう意味で大学審議会をつくれという御提言があったわけでございまして、文部省といたしましては、その御提言によりまして、来年度の概算要求で大学審議会というものを新しくつくりたいということで現在財政当局と折衝中でございまして、それが認められました段階でまた国会にお諮りをして、御了解をいただくということになろうかと思っておるわけでございます。  お話にございました大学の設置形態の問題でございますけれども、これにつきましては、臨時教育審議会の中で、特に国立大学あるいは公立大学も含めてのお話かと思いますけれども、これの活性化を図っていくという観点からいろいろな御意見がある中で、設置形態についても、何と申しますか、特殊法人にする、あるいは学校法人にする、いろいろな御意見が出ておるわけでございまして、この問題につきましては、臨教審としてはまさにこれからの議論ということになっておりますので、これから第三次答申へ向けて話が詰められていくということになろうかと思うわけでございますが、そういうことで臨教審方針もまだ未定でございますけれども、この大学審議会と直接は関係していない臨教審の方で御検討をなすっているということでございます。
  116. 高木健太郎

    高木健太郎君 いろいろのお話が出ていまして、例えば野村総合研究所の副社長の上條俊昭さんという方が一橋大学の民営論というのを書いたりしておられます。    〔委員長退席、理事田沢智治君着席〕 そのほかにも特殊法人というようなことを考えている人もかなりおるようでございますが、もしもそれが大学審議会なりあるいは臨教審なりでそういうものをお取り上げになるとしたらば、よほど慎重にその人選をお考えいただきたい。もちろん、自治の名をかりてそれが活性化を妨げているという面もあるかもしれません。しかし、私、非常に重要なことであると思いますので、これには十分慎重に、大学側とも連絡をとって、そのように踏み切っていただきたいと、こう思います。  もう一つ問題なのは、これは一番先に申し上げるべきだと思いましたけれども、随分このごろ大きな科学研究費が出るようになりまして、これは私、研究者としては大変喜んでおられるだろうと思います。しかし、現在のところは幾ら長くても三年ぐらいでございまして、そしてしかも余り大きな金は出ない。細切れである。アメリカなんかでは非常に大きな金がそこに出るわけです。しかもそれは人件費に使ってもよいという、非常にその研究者との信頼関係においてこれはかなり自由に使けるというわけですね。これが人件費にも使えるようになりますと、そうすると私は、外国からリサーチフェローを呼ぶとか、あるいは外人の研究者を呼び込むとか、あるいは先ほど言った、いわゆるオーバードクターをそこへ二年なり三年なり使うというようなこともできるんじゃないか。これは、現在の科学研究費じゃ人件費には使えないんじゃないでしょうか。どういう仕組みでしょうか、私、よくわからないのですが。
  117. 植木浩

    政府委員(植木浩君) 現在の科学研究費では、いわゆるパートタイマーなどをそれによって雇用いたしまして研究活動に資するということは認められておりますが、いわゆる常勤的な人を雇うということは、いろいろな問題がございまして認められておりません。
  118. 高木健太郎

    高木健太郎君 やっぱりちょっとかたいんじゃないかなと思うんですよね。もっと研究者を信頼して、三年なら三年の契約でそこで働いてもらうというようなことはできてもいいんじゃないか。我々はアメリカへ行きますときに、三年契約で向こうで研究して帰ってくるということはできるんですから、そういう科学研究費というのはあってもいいんじゃないかと、こういうふうに思うんです。そのことで幾らかオーバードクターというようなもの、あるいは国家の有用な人物にそこで働いていただくということもできるんじゃないか。そういうように科学研究費の方もお考えいただいたらどうであろうかなと思っております。  それから、余り時間がなくなってきて少し気がせきますが、ことしの予算要求をおやりになりましたけれども国立、公立の施設整備費は非常に大幅に削減されたんじゃないかと思うんです。それから私学助成による私立大学あるいは高校以下には一%ないし一・五%の助成費がふえている、プラスである。しかし、それでも前に比べますと実質補助金は十年前よりも一%ぐらい下回っているということで、決して私は私学助成もふえたのではないと思います。科学研究費それから留学生費というものはかなり増額になっているというふうに私は思います。また、公立大学の施設費でございますが、昨年と比べて三百億ぐらい減になっているわけでございますし、それから国立大学の施設整備費は二百二十五億も下がっているけれども、これは先ほど財産処分による収入が、私調べたのでは五十億と書いてございましたが、そういうもので何か埋め合わせる。しかし、どれを見ましてもとにかく教育費というのが非常に下がっているということは言える。  これは国の財政上やむを得ないということであればそれまででございますけれども教育費だとか研究費というものは、今削ったからといってすぐにその悪い効果が出てくるというわけでもないわけです。ところが、それが十年たつというと、もう取り返しのつかないところまでやられる。十年のおくれは今度は二十年たたないともとへ戻らない。この前の大戦で五年間ぐらい我々は大変苦しんだわけですけれども、五年間の研究の停滞が実際はその後アメリカなんかと比べますというと十年、十五年の開きができてしまう。幸いにして、とにかく細々でも続けたということで戦後の回復ができたんだと、こう思いますけれども、これは教育費というようなものは、研究費というようなものは、できるだけ削らないように頑張っていただきたい。  できれば、今はGNP一%がいわゆる軍事費になっていますけれども、福祉あるいは教育というものの何%、それと比べなきゃいけないので、教育費だけを抑えて軍事費だけは七%ぐらい上げようというような、そういうことではだんだん私は先細りになるおそれがあるので、この点はぜひ大臣に、教育予算を大幅に削ることは国の将来にとって非常に危険であると、そういうことを頑張っていただきたいと思うんですが、文部大臣の決意をひとつお尋ねしたいと思います。
  119. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 応援していただいておるつもりで私も聞いておりましたけれども、まさに教育関係の予算が圧縮されてまいりまして、私たちも非常に苦しんでおります。そのために、現状をちょっと二、三申し上げたいと思います。  御承知のように、昭和五十六年から行政改革というものが発足いたしまして、その五十六年からシーリング制を予算にしいてまいりました。そのシーリングによりまして、概算要求のときに、来年の予算はこれだけですというように決めちゃうんですね。ゼロ成長なんということをやり出した。その当時の文部省の総予算は約四兆五千億円でございました。それからずっとこちらへ来まして、六十一年になりましても約四兆六千億円。その差一千億円なんです、精算しまして。五年間で文部省の予算は一千億円しかふえていない。ところが、これは中身が大事でございまして、中身を申しますと、五十六年のときには人件費が大体六三%だったんです。それで、物件費といいます先ほど先生のおっしゃる、大学で使う金だとか何か、それがその残りの三七%、こういう比率だったんです。それが今、何と惨めなことになっておりまして、本当に私は申しわけないと思っておるんですが、今予算の額は一千億しかふえていない。そしてその中身は、人件費が何と七五%になってしまうわけです。物件費といいますのは二五%。これは実は大変な教育の変化なのであります。もう一度申しますと、五十六年のときには人件費が六三%で物件費が三七%であった。それが今や人件費が七五%で物件費が二五%、こういう次第でございます。  そこで、まず文部省としては、ここで、もう人件費がベースアップで上がっていくんですから、といって人件費を削減できないことはもう皆さん御存じのとおり。四十人学級は実施しろというし、大学はそれぞれ医学部とか何か施設が充実してまいりましたので、人はふやしていかなきゃならぬ。そういうことで人件費を削るわけにいかない。そうして毎年やっぱりベースアップをしていかなきゃならぬ。そこで、今文部省が大蔵省と折衝しております一番大きい問題点は、せめてベースアップ分だけでも国で見てくれと。文部省の予算の中からこれを削るということはできない。このベースアップ分のはね返りですね、この分が政策費といいましょうか、物件費を削って人件費の方へ入れていったんです。それがこんな惨めな結果になってしまった。今、国を挙げて教育改革に取り組むというときに、こういう内容でいいのかということを訴えておるわけでございまして、そういう御質問をしていただいたので、私は非常に喜んで答弁しておるんです。    〔理事田沢智治君退席、委員長着席〕  そこで、そんなことを言っておってもこれは始まりませんので、これから私はもういろんな知恵を絞って、銭が枠で絞られておるなら知恵を絞ろうということで、幸いにして国立学校は特別会計になっておりますし、そういうようなものの運用をうまくやっていくことによって、そしてある程度大学の活性化を図っていきたい、こういうことも考えておりますし、それから新規要求として、物件費が削られてきてはおりますけれども、来年度、六十二年度からは大学並びに大学院を中心とした研究施設費あるいは研究費というような、そういうようなものの要求を増額して要求さしておりまして、この増額分は何としても確保したい。これは今御質問にございますように、ここで大学とか大学院の費用を削って人件費に入れているというようなことになってしまったら、五年、十年後になったらまさに大変なことになってくると思いまして、むしろこっちの方は増額を要求しておるんです。こういうことでやっておりますが、どうぞ文教関係に関心を持っておられる皆さん方のお力添えもいただきたいと思っておりまして、一生懸命頑張ってまいります。高木健太郎君 どうもありがとうございました。我々も大いに頑張って、文教予算がふえるようにしたいと思っております。  何回も申し上げるようでございますけれども、やっぱり教育は国の基本であると思います。といって、国防をおろそかにしろというわけじゃありませんけれども、GNPの一%というとやはり国防費はふえるわけですね。ところが教育費の方は何の枠もないものですから、減らされるだけ減らされる。おっしゃったように、見かけは大きいんですけれども人件費が非常に多い。だから全然、実質上は非常に少ないということになるわけです。まあそれかといって国鉄のようにどんどん国有地を売っちゃう、そういうばかなことはしないでもらいたいと、私、ここで改めて念を押しておきたいと思います。そっちへ行くんじゃないかなと、危惧があるものだから、ぜひそれはお願いしたいと思っております。  それじゃ、厚生省の方もお見えになっておると思いますが、もしも時間が足りなくなったらいけませんので、厚生省の方にお伺い申し上げます。  二つお聞きしたいわけでございますが、厚生省は、前に私が本年の初めでしたか昨年の暮れでしたか、本会議でお聞きしましたときに、昨年の暮れに厚生省の班研究で脳死判定基準というのができたわけでございますが、これである程度脳死の判定ができるかと思っておりましたけれども、しかし、脳死は死であるかどうかはその班研究では言及しないと。それで、どうするのかということを時の厚相の今井厚生大臣にお聞きしましたところ、それは国民のコンセンサスを得るのだというお話がございました。コンセンサスを得るというのは大変難しいことでございまして、何%をもってコンセンサスを得たのかということもわからない。どういうことでコンセンサスを得るのか、その方法さえもよくわからない。これは国会の三分の二というわけにもいかないと思うんですね。その後厚生省としては、このコンセンサスを得るためにどのような努力をされたでしょうかということをまずお聞きしたいと思います。そして現状はどうなっているのか。  実は、脳死は死でないとは言いますけれども、現在、もう百例ぐらいは腎臓のために、脳死の状態を死として腎臓を取って移植をやっているわけです。これは外には出ませんけれども、実際は百例ぐらいの脳死患者から腎臓を取って移植をやっているわけです。だから現実にあるんです、そこに。あるんですけれどもそれは外には出ない。厚生省としては今後どういうふうにこれを進めていかれるおつもりか、それをまず最初にお聞きしたいと思います。
  120. 吉田勇

    説明員(吉田勇君) 厚生省といたしましては、昨年十二月に脳死の研究会、脳死に関する研究班の報告書を提出していただきまして、それにつきましては医療機関とか、医科大学、都道府県、マスコミ、その他関係各方面に配布をいたしまして、その周知の徹底を図っております。  それで、先生も御承知ですが、脳死をもって人の死とすることができるかということに関しましては、国民の生命観や倫理観の問題というものと非常に大きくかかわると思っておりまして、この問題につきましては、もっと多くの広範な議論というのが行われまして、それによって国民的な合意が形成されることが必要であるということは前から私どもも考えておるところでございます。  折から日本医師会では、医療と倫理の問題について検討するために学識経験者委員とする生命倫理懇談会、座長は加藤一郎先生でございますけれども、これを発足させまして、同懇談会では、最初は男女産み分けの問題を取り上げまして、これは緊急性があるということで取り上げて、それはこの間意見ということで出したわけでございますけれども、その後の問題といたしまして、現在は脳死の問題について審議をしておりまして、聞くところによりますと、来年の春に中間報告ということで一応外に出してまた広く意見を世の中に問いたいということでございます。そういうようなこともありますし、また、日本移植学会では、九月に中間報告というものを了承いたしましたが、そのときには厚生省の脳死の基準というものを脳死の判断基準にするということになっているようでございます。またこれは中間報告でございまして、来年の学会でもまた議論するというようなことになっておるようでございます。  それから、日本弁護士連合会では、ことしの十月にシンポジウムで意見が出たと聞いていますが、いろいろな意見がありまして、まだどうするということは決まっていないということでございます。  私どもは、これはやっぱり非常に難しい問題でございますので、行政として今直ちにどうするということではなくて、これらの意見を少し見守っていきたいというふうに考えております。
  121. 高木健太郎

    高木健太郎君 今お話しになったこと、私も大体存じておりますが、厚生省もただコンセンサスを待つんだというのじゃなくて、何かできることは少しでもやるというようにしていただきたい。そうでなきゃ、コンセンサスを待つんだでもうそれで終わりというのでは余りに情けないのじゃないか。やはりリーダーシップはある程度とられるべきじゃないか。勇気を持っておやりになったらどうか、それをお願いするというより申し上げておきます。  次は、文部省にも関係がございますし、厚生省にも関係があるわけですが、十代の人の妊娠中絶というものが非常に多いということでございます。  先ごろ「生徒指導における性に関する指導」というものをもらいまして、この中にも十代の妊娠中絶ということが書いてございます。これは厚生省の調べをここに引用してあるわけでございます。確かに、今一年間に十代の人の人工妊娠中絶というのは二万八千三十八件あるわけでございますね。そして、五十年と比べますると倍ぐらいになっているわけです。これは十代といっても、もちろん正式に結婚しておられる方もあるでしょうけれども、ほとんどは結婚しておらないいわゆる学齢期の方が多いのじゃないかなと思っております。このようにあるということは、やや性が乱れているのじゃないかというふうに思うわけです。  そういう意味で、文部省の方も御心配されて、何か「性に関する指導」という指導書をお出しになりましたが、この指導書をお出しになって、これは三月に出たばかりですね、三月に出てどういう反響があるだろうか。こういうことをやることによってこの二万八千件もあるのが五千件とか一万件ぐらいになるかどうか。どれくらいの見通しであられるか。そういうことをひとつお聞きしたいと思います。
  122. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 生徒指導の問題、それから教科における教育の問題、性の問題は大変難しい問題でございます。  先生御指摘のように、学校教育におきましては、体位の向上とか、いろいろな性的な関心の深まり等で問題がいろいろ起きてきますし、悩みも多いというふうな状況で、実は、文部省としては、その面における指導書というものが従来なかったわけでございます。そういう意味で、先生今御指摘のような「生徒指導における性に関する指導」という、中学、高校にかかわる指導書を先般つくりまして、これは全国に六万部配布いたしております。これはできるだけ先生方が手にとって生徒に直接指導ができるように、これをよく読んでやってもらうというのが趣旨でございますので、教育委員会学校を含めて先生方に行き渡るように、六万部の印刷をし配布をいたしました。この点では、この書物が出た際に社会的にもかなり反響がありまして、これは自画自賛で恐縮ですが、なかなかよく書けておるというふうな御評価もいただいたところでございますけれども、やはりこれを実地に移して成果を上げていただかなければいけないわけで、今直ちにこの書物による指導の成果ということが私どもにはね返ってきておるわけじゃございませんが、今後機会あるごとに、この書物を中心とした指導についてフォローアップをやはり私どもしていかなければならないというふうに思っているわけでございます。  しばらく時間をいただきたいというふうに思います。
  123. 高木健太郎

    高木健太郎君 こういうことが実は学校内の道徳の乱れというようなことにもつながりますし、家庭の崩壊ということはもなりますので、十分慎重に、慎重にというか活発にやらなきゃこれはいけないことだと思います。  聞きますと、学校の先生が、我々のときからあるんですけれども、女生徒だけ集めて生理のことを話すわけなんですけれども、先生が話すと何かまずいという話もあるんですね。また、先生も十分には御存じない、自分の体験しかないわけですから。だから、そういう意味では私はやっぱりお医者さんがいいんじゃないか。ある人に聞きましたら、産婦人科の医師あるいは学校医の方からそういう講義をしてもらうというようなことはどうだろうかというようなことも聞いておりますので、これ、せっかくおつくりになりまして、これをどのように利用していくかということは非常に私は大事なことだと思います。これは画期的なことだと思います。今まで文部省でこういうものをお出しになったことはないんじゃないかと思います。ぜひこれを十分利用して、過ちを未然に防ぐというようなことをやっていただきたい。  もう一つは、これは外国でももう非常に困っている問題でございまして、幾らなにしても妊娠する人はあるわけですね。妊娠するということは、もう一人の人間が、個人がそこにできていくということで、人格がそこにできるということでございますからして、そういうものを消していくということは、これは私、非常に人道的によくないことである。その母親となるべき人が受ける精神的なショックも大きいと私は思います。しかも、子供のときにそういうショックを受けるということは非常に大きいので、できれば妊娠しないようにするという、いわゆる避妊の方をやることも私は考えておかなければならないと思うんです。  しかし、日本では避妊の研究というのが余り、不熱心でございまして、ピルを渡すとか、そういうことは余り大きくは言われてはおりません。この間シンガポールで第十二回の国際避妊学会というのがございまして、演題が八百八十題ぐらいありましたけれども、そのうちの百四十七題がいわゆる避妊に関する研究発表であったわけです。ところが、日本の演題というのはそのうちの極めてわずかでございまして、二・七%しかなかった。だから、日本のお医者さんは避妊に対しては余り熱心でないということもあるのでございますが、これは厚生省とよく御相談いただいて、避妊法というものをいつごろどういう形で、そしてどういうふうにしてやるかということを性の指導と同時に教えていくことが私は大事じゃないかと思いますので、それについては何か厚生省、あるいは西崎局長、どういうお考えですか。
  124. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 先生御指摘の点につきましては、私どもは、問題としては二つあると思うわけでございますが、やはり生と死と申しますか、生命の尊重という問題としてとらえる面でございます。この点につきましては、やはりそれぞれの発達段階に応じまして、例えば道徳の面であるとか、道徳の時間における扱いとか、あるいは理科の面、保健体育の面、生命のとうとさというものをそれぞれの発達段階でよく教えるという面が一つでございます。  それからもう一つ、先生がおっしゃいます若干技術的な点につきましてのいろいろな教育につきましては、やはり保健体育の面とか、いろいろ教科課程の中で戦後の問題としてはかなり、先生には若干いかがかという御意見があろうかとも思いますが、戦前は比べればかなり開放的に行われておる面もございますが、そういう技術的な面につきましての教育についてもやらなければいけない点があろうかと、これが第二でございますが、その両方を含めて、我々としてもこれから十分留意してまいらなければならないというふうに考えております。
  125. 高木健太郎

    高木健太郎君 中絶ということから考えれば、私は避妊ということの方を考えた方がいいと、そちらの方を優先すべきだと思います。妊娠して、何カ月かたってそれを中絶するということは、これは私非常に罪深いことだと思っておりますので、片方の避妊の方法ということも、それは余りいいことではないかもしれないけれども、結局そうなると思うならば、私は避妊も十分教えておく必要があろうと、こういうふうに思いますので、一応念を押して申し上げる次第でございます。  それから、生の始めと死ということが非常に大事である。それは生命尊厳にかかわるものでございますから、前にも私申し上げましたけれども、小中高のときに少し死というようなもの、あるいは誕生のこと、そういうことを教えて、生命の尊厳というものをそこら辺から私は生徒に教えておくことが大事だ。それは校内における暴力とか、そういうものを減らすということにつながっていくんじゃないか。もうドイツあるいはアメリカでは、サナトロジー、いわゆる死学、死学という名前は余りよくありませんが、サナトロジーとして学校で教えているわけです。特に最近の子供は、もう病院の中で死ぬ人が多いわけですから、ほとんど死というものに直面しない。そういうことから死を知らないということになるわけです。それからお産も知らない。すなわち生の始めと終わりが全然わからないという、そういう状況でございますから、ぜひ、いわゆるサナトロジーというような形で生命の尊厳をそこから教えていただくということは、現在の学校の乱れというものを防ぐ上である程度役に立つのじゃないかなと思いますので、その点、この前も申し上げましたけれども、ひとつ御考慮をお願いしたいと思います。  それから、厚生省の方がおいでの間にもう一つだけお聞きしておきます。  私、自分の研究の一つの流れとしまして、もう三十年ぐらい鍼灸というものに非常に風味を持っておりまして、いろいろ役員をさせられたり、現在は、世界の各国の人とお会いしまして、世界鍼灸学会連合というものをつくろうとしているわけでございます。この連合というのは、各国で、欧米ともに鍼灸が非常に盛んになりまして、そして患者にやっておりますけれども、名前とか、それから部位とか、そういうものは各国でばらばらでございまして、学問的に到底これ以上は進歩ができないというので、WHOのサポートによりましてこういう鍼灸学会連合というものをつくろうとしているわけです。また、皆さん方の中にも鍼灸で腰の痛みが沿ったとか、あるいはぎっくり腰が治ったという方もおありだと思います。確かに効果があることは確かでございますが、実は、明治のときに鍼灸というのは一応絶たれました。そして、鍼灸というのは医学から外れてしまったわけです。そして今度は、外れまして類似行為となって残っておったわけですけれども、戦後GHQの命令でこれはもう廃止しようということになりましたときに、学者が出まして、それの効用あるいはメカニズムを説明をしまして、やっと現在の形で残っているというのが現状でございます。  これは御存じのように、中国ではり麻酔というものが見つかる、あるいは最近モルヒネ様の作用があるとか、いろんな、学問的には非常に大きな広がりを見せてさました。そういう意味からいいますと、もう少し鍼灸の教育を上げなければいけない、私はしょっちゅうそう思っているわけです。特は最近はウイルス疾患がございまして、それが外から入る危険性もございます。それからまた、普通のはりを刺すだけではなくて、電気を使います。それからレーザーを使うんですね。血管のところへ差し込むとかいろいろのはりのやり方がふえてまいりました。  こういうことから私は、現在の鍼灸のいわゆる専修学校では三年、二年半で鍼灸はやれる、それからあとの半年でマッサージということになっておりますけれども、あの年数の中で、患者を一回もさわったことがないんですね。私は実際に見ていますけれども、患者に全然さわらない。それからとてもじゃないけれども現代の医学を理解させるということは無理である。随分いろいろなところへ行って話をして、わかっていただいたと思って、後でお聞きしますと、見当はずれの返事が返ってくる。だからやっぱり基礎知識がないということはそういうものじゃないかと私は思うわけです。そういう人たちが全国に今二万人ぐらいおるわけですね、鍼灸。特に、老人は非常に鍼灸を好みますので、老人がそこにかかる人も多い。諸外国でもそういうふうにはりをメディカルドクターがやっている。そしてレベルがアップしている。ところが、日本の鍼灸というのは専修学校で二年半しかやっていない。その間に非常に大きな開きができてきて、とても世界の人たちと一緒に研究を進めていくというようなレベルではないと思うんですね。  そういう意味では厚生省の方もあるいは文部省の方もいろいろ御苦心になっていると思いますけれども、そしてまた、それは専修学校にもう一年積むなんといったらいろいろ反対もあって難しいとはお考えでございましょうが、私は、昔馬車で走っておったけれども、自動車ができたというとやっぱり自動車はひとりでに変わっていくように、だんだん世の中というのは、社会というのは変わっていくものだ。少しずつそういう準備をして鍼灸学のレベルアップを考えていただきたいと思うんですが、厚生省、どういうようにお考えですか。
  126. 阿部正俊

    説明員阿部正俊君) 鍼灸のことは、まさに伝統医療として我が国でも既に保健医療の一翼を担っているわけでございますが、先生今御指摘にございましたように、特に最近、鍼灸につきましてその有用性、有効性の見直し、あるいは例示されましたように、病気の治療というだけにとどまらず、広い意味での心身の健康管理といいましょうか、という意味での鍼灸の重要性というものが再認識されつつあるというふうに私ども理解をしております。  そういう意味からいいますと、現在の養成体制、カリキュラムなりあるいは修業年限なりというものが、特にこれから先の展望を持ったときに十分対応できるかということは、確かに先生の御指摘の面も私ども十分理解できると思っております。ただ、御存じのとおり、鍼灸といいますのは長い歴史の経過の上にできておりますし、それなりの独自の教育手法といいましょうか、というものが定着しておるというふうな事情もございますし、かつまた養成所側での物の考え方、あるいは既存の常業に既に従事している方々の考え方といいましょうかというふうなものも、やはり行政として考える以上は考えなきゃいかぬのではないかと思っておりますので、そう簡単にはなかなかいかないのかなというふうな感じは持っておりますけれども、特に鍼灸につきましては、先生御指摘のようなこれから先の動き、時代の流れというものにどう対応するかということは常に意識して、関係者意見を広く集め、それに十分対応できるような体制づくりをするように長期的な一つの課題として受けとめておきたい。先生の御意見を初めとして、これからもよくそういったふうな面での関係の識者、関係者意見の聴取に努めてまいりたい、こんなふうに認識しているところでございます。  ただ、先生御指摘のありました、特に実習面での不十分さといいましょうか、というものもこれはかなり前から指摘されていることでもございますので、修業年限とかとなりますとなかなか一挙にはいきませんけれども、実習面でのもう少し実際的な対応ができないのかどうか、その辺だけでも少し具体的に検討してみたい、こんなふうに考えております。
  127. 高木健太郎

    高木健太郎君 大変ありがとうございました。  一回も人間の患者の体にさわったこともない、脈を診たり血圧をはかったりするとこれは違反診療になるわけですね。鍼灸師はさわってはいけないわけですけれども、今素人でもこれははかりますし、それから尿でも何でも診れるわけですね、ペーパー持ってくりゃ診れる。診療しちゃいかぬということだが、そんなのは薬屋で売っているんですから。だから、そこら辺の医療類似行為がどこまで入っていいかというようなことも、やはりぜひ一緒に考えていただきたいと思います。  患者にさわるいわゆる臨床面は病院に行くとかなんかしなきゃなりませんから、そういうアフィリエートする病院があるかどうか、これは大変難しいと思いますけれども、このまま置いておくということは大変危険でもあるし、いわゆる後進国になるんじゃないか。そういう意味でぜひ力を入れて、それで鍼灸師もこれを望んでおりますし、世界の学界もそれを望んでおる、日本はそういう非常に古い東洋医学の元祖であるということで非常に期待している、来てみると何だということですね。ひとつそういうことのないようにしていただきたいと思います。どうぞその点ひとつ頑張っていただきたいと思うんです。  厚生省の方、どうもありがとうございました。  時間がございませんので、あと留学生のことだけ一つお聞きをして、いじめとかしつけなんかを思っておりましたが、これはこの次に回さしていただきます。  留学生のことはそう難しいことをお聞きするわけじゃなくて、現在、国費留学生で外国から来ている人がたくさんあるわけですね。今、八千人ぐらいですか。中曽根総理は、そのうちに一万人にしたい、何年には五万人にして、それで一九九〇年ですか、二〇〇〇年には十万人にしたい、そういうふうに言っておられるわけですけれども、大変その面でも臨教審も力を入れておられますし、文部省としても大変力を入れておられるわけですね。ですけれども、国費留学生としてこちらへ来ている人は今の円高で大変苦しんでおられる。私、新聞を見てそれで聞こうと思ったんですが、「”円高苦の留学生支援”訴え」ということで、(資料を示す)ここにおるのはもとの市長さんでして、これは名大の学長の飯島君なんですが、駅の前で街頭募金をやっておるわけです。ぜひ留学生に義援金をくれということなんですね。そこまで学長がせんならぬかなと思っておるんですけれども、とにかく非常に困っていることは確かだと思うんですね。今後しばらくはこの百六十円台というのは続くんじゃないかと思うんですけれども、これについて何かいい知恵がありましたらひとつやってもらいたいと思います。あるいは助成金を少しお出しになりますかどうかということが一つ。  それから、よく中国から、中国人の国費の学生が来るわけです。そうすると、中国では非常に食費でも何でも安いですから、非常に少額のお金しか持ってこないわけです。それで、日本に来たら食費とかあるいは居住費が高いものですから、とてもやっていけない。それで、中国の人がおいでになるのをこちらで断るわけにもいきませんから、おいでになりますと、大抵、その関係の人がみんな集まって、なべかま提げてということを言いますが、なべかまを提げて、そしてテレビも少し古いのを貸してあげるとか、冷蔵庫を貸してやるというふうにして、みんなでいろいろ持ち寄って、その上にいわゆる生活費も皆さんから少しカンパをしてというふうにして中国の留学生をもてなしているわけですね。もちろん文部省としても非常に大きく力を入れておられるんでしょうけれども、円高であり、それから外国の国費の留学生としてやってくる人、そういう人をこれから受け入れなきゃならぬ、こう思うんですが、これはひとつ何かやらないと、このままではだんだん来なくなる。それでなくても日本には余り来なくってみんなアメリカへ行っちゃいますから、その点を何とかして留学生を日本に誘致する。このお金はそう大きなお金じゃないわけですが、そういう方方は国へ帰れば向こうのいわゆる指導者になる人であって、それで国際交流あるいは国際的な理解ということについてはこれほどいい方法はないと私は思うんですね。だから、苦しくてもこれは何とか助成金を差し上げるべきじゃないかと思うんですが、文部大臣、何かお考えでしたら、最後に文部大臣のお答えを聞いて、私、質問を終わりたいと思います。
  128. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私も同じことを言うておるんです。全く同じことを言うておりまして、要するに、これだけの円高になれば物価もそれに順応して下がってくれればそれでバランスはとれるんですけれども、物価の方は高値張りつけになっておって、円高だけで、手取りが減ってくるという、これは留学生は気の毒です。  それで、ちょうど明日、この問題がやっぱり重点になると思うんですが、経済界の人たち、あるいは大学の先生方、留学生に関係していただいておる方々、あるいはこれに関心を持っておる方々集まってもらいまして、あしたその対策を練ろう。そして、そういう奨学資金なんかの現状ではなかなかとても留学生はやっていけません。これをどうするのかということですね。それを相談していただいて、金づくりの新しいパイプもつくり出そうということを、ちょうどあした相談しようかというて予定をしておりまして、御質問のあったことも話しておきます。
  129. 高木健太郎

    高木健太郎君 いろいろと聞きまして、これに対しまして大変適切な御答弁をいただいて、ありがとうございました。  私の質問はこれで終わります。
  130. 吉川春子

    ○吉川春子君 まず最初に、文部省が発表しました児童生徒の問題行動の実態と文部省の施策についてお伺いいたします。  これによりますと、いじめ相談は前年度の三・四倍、それから登校拒否は過去最高、そして校内暴力は減ったけれども出席停止や自宅謹慎が前年よりふえたという深刻な状況になっています。もとより今まで続いてきた問題行動が一朝一夕で根絶するとは私も考えないわけですが、状況改善方向へ向かうのではなくて深刻の度を深めているということが重大だと思うんですけれども、その原因はどういうところにあるとお考えでしょうか。
  131. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 先生御指摘の、このたびの文部省調査の結果でございますが、内容といたしましては、校内暴力が、やはりまだ問題は残るが若干減っておる。今、先生いろいろ御指摘の点があらわれておるわけでございます。その原因につきましてですが、御案内のとおり、五十七、八年は校内暴力が大変いろいろと問題になり、対策に追われ、そして五十九年、六十年はいじめ問題がクローズアップされてきた。そして私どもも昨年、いじめ問題についての調査もいたしまして、いろいろな対応策を考えたわけでございます。  従来講じてきました対策については、お話しいたしますと大変長くなりますが、一口で申しますれば、まず学校が一致協力の態勢で校長以下全教職員が取り組むこと、これが一つでございます。それから第二は、やはり学校と家庭と地域が一体となってこの問題に取り組むこと。短期的な問題としては、これらの点がやはり学校現場を中心として行われなければならない。そして長期的に申しますれば、高校入試改善、これは学歴社会の是正の問題でございます。それから教員資質の向上。それから全体の生徒指導体制の充実とかいろいろあるわけでございます。それらにつきましては各都道府県も真剣に取り組み、それから文部省は、実は昨年もそうでございましたが、教育委員会学校とPTAの方々に東京に御上京願って、一堂に会して対策を協議する、これを昨年から始めたわけでございます。ことしも去る九日でございますが、この秋における生徒指導に関する実態調査、問題行動の実態調査の結果を材料にして、九日から二日間にわたりまして、これらへの取り組みについての三者構成による協議を分科会に分れてやっておるところでございます。  いろいろな立場でのお取り組みを願うことについて、学校現場、地域、家庭、一体となって取り組んでいただくような努力をさらに続けなければならないと、こんなふうな認識で努力しているところでございます。
  132. 吉川春子

    ○吉川春子君 今、西崎局長も言われましたし、文部省は、いじめに関する初中局長の通知を何度か出して、その中で、教職員が一致して早期発見や根絶に取り組むことの必要性ということを強調しているわけです。いじめ等が主として学校で発生するのでありますから、根絶のためには学校の先生の奮闘が要求されると思います。現に多くの先生たちも、わかりやすい授業を行い、楽しい学校にするため骨身を削って努力され、校内暴力やいじめなどの克服のために創意あふれる取り組みを行っておるわけです。今、こういう全国の先生たちの真摯な努力、これを大いに激励して、先生たちに頑張っていただくことが必要じゃないかと思いますけれども、いかがでしょうか。
  133. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 先生御指摘のとおり、私どもも従来から、学校内における全教職員の一致した協力体制で本当に真摯に御努力願うことがこの問題解決の一番大きな要素であるということを繰り返し言っておるわけでございますから、その点については、全く私ども同じ意見でございまして、なお先生方に一層御努力をお願いしたいという立場で、今後私どもも指導助言に努めていきたいと、こういうふうに思っております。
  134. 吉川春子

    ○吉川春子君 文部大臣ももちろん全国の先生方のそういう取り組みについて激励するというお立場はお変わりないと思いますが、いかがですか。
  135. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 同様であります。
  136. 吉川春子

    ○吉川春子君 前回の当委員会での私の質問に対して文部大臣は、日教組が研修をやることは一つの押しつけになると、組合は経済問題に取り組むべきで、みずから指導要綱をつくる研修はおもしろくないと言われまして、私は、大変この答弁は悲しく思いました。  前回も私申しましたように、研修は教師の子供たちに対する義務でもあり、教特法十九条で教師は「絶えず研究と修養に努めなければならない。」と規定されておりまして、一般公務員の研修とは別に、教師の研修は特に定められているわけなんです。教委や文部省の主催する研修にだけ、研究集会にだけ参加すればいいという考えは、この条文に照らしても明らかに誤まりであり、教師は日常的にあらゆる機会をとらえて研修すべきであり、また現に行っていると思うんです。教師の集まりである日教組が研修を主催することはこれはまた当然であり、教師がここに参加し、研修することも自由であると思うんです。これを否定することは反組合的な態度だと言わなくてはならないと思うんです。  教組の研修に果たす役割は、ユネスコの教員の地位に関する勧告でも取り上げられていますように、国際的にも承認されています。その三十二項のところで、「当局は、教員団体と協議の上、すべての教員が無償で利用しうる広範な現職教育制度の確立を促進するものとする。」、それから七十六項目目では、「当局及び教員は、教員教育活動の質の改善のための措置、教育研究並びに改良された新しい方法の開発及び普及に、教員団体を通じて又はその他の方法により参加することの重要性を認識するものとする。」と、こういうふうに書かれているわけなんです。  ついでに申し上げれば、毎年行われる研究集合は、ことしで三十五回になる歴史実績を持っています。世界にも類を見ない大きなスケールで、一万人ぐらいの教職員が毎年集まって行われて、マスコミも例年大きく報道しています。そして、いじめ、非行、学力問題等、教職員の自主的な努力とその相互交流、この力なくして教育の荒廃を食いとめ、学校教育の場たらしめることはできなかったと言ってもいいんじゃないかと私は思うわけなんです。私は、率直に申し上げて、大臣がこの教研集会の内容を素直に受けとめていただけないだろうかと思うわけです。判例も、教育研究集会が組合活動の面と研修の面の双方あることを認めています。組合活動の面がたとえ文部省と考え方の違いがあり対立があったとしても、文部省も心を砕いている問題、問題行動の根絶のために教師たちが取り組んでいる、教組が取り組んでいるという努力を素直に認めるべきだというふうに思うわけです。日教組のやることは研修でさえ認めないという態度では、本当に教師の力をよりよく引き出し、教育に活用することができないのではないでしょうか。  かつて砂田文部大臣が、我が党の山原議員の質問に答えて、教研集会の論議を率直に受けとめたいというふうに言われました。教育がますます困難さを増している今、まさに教研集会に見る教師たちの取り組みを素直に受けとめていただいて、教職員を大いに励まして、対立ではなくて、力を合わせるべきところは合わせて、教育改革の実を上げるべきであるというふうに私は思うわけなんです。これは私もう大臣の答弁はいただかないんですけれども、そういうことをちょっと一言申し上げておきたいと思います。  それで、きょうの主題は、塾の問題についてお伺いしたいと思うわけです。  ことしの四月に発表されました児童生徒の学校外学習活動に関する実態調査によりますと、塾に通っている小中学生は四人に一人、中学三年生は二人に一人、こういう割合です。そして、九年前の前回の調査に比べて、通塾率は六・一%上昇して、全国的に塾通いが定着しています。進学塾に大手資本の参入、系列化などの傾向が見られます。  文部省は、昭和五十二年に初中局長通知を出しまして塾対策に努めてこられたわけですけれども、それにもかかわらず乱塾現象は激化してきているわけですが、この原因はどういうところにあるとお考えでしょうか。
  137. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) やはり、先生御案内のとおり、昭和五十二年時点と今日の時点におきましては、相当塾通いの実態は深化しておるということは現実でございます。その原因背景でございますが、私は、社会情勢の変化と申しますか、経済社会の変化というもの、これは一口に申しますればやはり学歴社会の問題というのが一つあると思います。それから、全体に経済社会、国民のそれぞれのポジションが非常に豊かになってきておるとか、いろいろなそういう面が一つ背景としてあると思います。それからもう一つの面は、現実に学校段階におけるそれぞれの入学試験というものの厳しさという問題、学校段階におけるいろいろな親御さんの子供への期待と申しますか、それが若干過度のものになってきているというふうな面がもう一つあろうかと思うわけでございます。それからもう一つどもで考えなければなりませんのは、公教育というものと、今乱塾と言われておりますそのような実態との関係において、公教育における信頼を回復するという意味で我々の努力すべき点、こういう点については関係者が一度いろいろと協議しながら進めていかなければならない。  そのようないろいろな原因背景とその対応策については複雑に絡み合っていると思うわけでございますが、私どもとしても今いろいろと検討を重ねておるところでございまして、もう少し時間をいただきながらそれへの対応を考えてまいりたい、こういうふうに考えております。
  138. 吉川春子

    ○吉川春子君 塾というふうに一口に申しましても、予習、復習を目的としたものとか、進学準備学校のおくれ回復など、さまざまなタイプがありまして、設置形態も、法人、個人というふうに分かれています。私がきょう取り上げますのは、大手進学塾で、中でもかなり行き過ぎがあると思われるものについてでありまして、塾一般については、きょうは時間の制約もあり、言及することは避けたいと思います。  兵庫県西宮市に本部のあるマンモス進学塾浜学園、これは報道によりますと、西宮、宝塚など阪神間に十一の教室を持ち、小中高生合わせて九千人の塾生を抱えており、そのうち六千人は小学生であると言われています。ことしの七月に、「中学受験、浜学園セブンポリシーズ」というプリントを作成して、父母に教育方針説明資料として配っています。その中で、③では、「受験に役立たぬものの徹底排除」、入試科目以外はやらない。④では、「難関校受験には小学校五年、六年の算数や国語の授業は全く役に立たない。理科・社会についても殆ど役に立たない。」とか、「六年二学期以降は拷問に等しい取り扱い(知的優秀児にとっては、身体を拘束され精神の自由を奪われたことになる。憲法第十一条基本的人権保障規定違反を受けに行くこと(小学校に通うこと)をできるだけ止めること。」これは「(正当防衛)」だ。「(憲法第二十六条・同第十一条および教育基本法第三条違反)」などと、学校教育をゆがめるばかりでなく公教育を公然と否定しているわけですけれども、ちょっと大臣に、こういうものについての御感想を伺いたいんですけれども、いかがでしょうか。
  139. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) その話は今初めて聞きまして……。  何学園ですか。
  140. 吉川春子

    ○吉川春子君 浜学園です。
  141. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) そうですか。一度よく調査さしていただいて、御返事さしていただきます。  今のが事実だとすると、ちょっと行き過ぎているという感じがしますね。しかし、実態がどうなのか私もわかりませんし、教育委員会にでも照会しまして、実態を問い合わすようにしてみます。
  142. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 本件については、若干個別問題ということで、大臣にまだ詳細私からも御報告をしておらないわけで恐縮でございましたが、浜学園がそのようなチラシを配っておるということは私どもも承知しておりますし、そのチラシの内容については先生御指摘のような内容であるということも承知いたしております。  その意味では公教育の否定につながる考え方がチラシ等で示されているということは、私どもや県教委の立場では大変遺憾でございますが、要は、これは私教育あるいは塾として、民間の営業活動なりあるいは営業の自由な範囲ということでおやりになっておると思うわけでございますが、そういうことによって公教育が乱されるということがあっては困るという我々の立場がございます。したがいまして、県教委の方としては、こういうふうな浜学園の親への働きかけ等によって現実に小中学校に通わなくなる子供が出てくるようなことであっては困るわけでありますから、県教委としては、地教委等と協議し、学校に対してみずからの在籍者についての把握、そして欠席、出席の状況を的確に把握して、まあそういうことはないとは思うが、やはり学校教育に万全を期するように指導すべきである。県教委としてはそういう立場で十月段階で県数委としての指導を管下にしておるというふうに私ども承知しておるわけでございます。
  143. 吉川春子

    ○吉川春子君 生徒数九千を擁する塾の理事長の発言ですから、一私人のものとして見過ごすことはできないわけで、父母にも大変大きな影響を与えているわけです。  例えば教育委員会として、こういうことはけしからぬというような見解を発表するなり、塾に対して申し入れをするなり、指導とかなんとかということはもちろんできないわけですけれども、こういう公然と公教育を否定するような行為については、何らかの見解表明があってしかるべきではないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。
  144. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 先生の御指摘は、塾一般に対する行政的なかかわり方、関与の問題ということに若干つながってまいるわけでございまして、先ほど申し上げましたように、この浜学園もやはり塾経営としては憲法に保障された職業選択の自由とかいろいろな立場で私経営としてやっておるわけでございまして、県教育委員会なり市の教育委員会としては、塾に対する働きかけよりは、むしろ学校教育としての万全の体制に揺らぎないように指導を徹底するというふうなことで対応しておる、こういうふうに聞いております。  そして、現実にそういう浜学園のチラシ等による影響が出てきた場合にはどういうふうな対応をするかは、県数委としてもいろいろ今後の問題として考えていきたい、こういうふうに言っておるわけでございまして、現段階で浜学園に対して直接物を申し上げるということはまだ考えていないけれども、今後の事態の推移によってある事態が生じた場合にはまた何らかの対応を考えなければならないか、こういうふうな段階が現在県教委のとっておる考え方のようでございまして、私どもとしては、そのような県教委の考え方を現在は報告として聴取し、承知しておる、こういう事態でございます。
  145. 吉川春子

    ○吉川春子君 文部省が、塾へ通わなくてもいいように公教育に力を入れる、こうおっしゃることはもちろん結構で、それはそれでやっていただかなきゃならないわけですけれども、現実にこういう極端な文書が配られ、実際こういうことをやっているわけなんですね。いろいろマスコミ等の報道によっても明らかですが。そういうものについて、やはりただ手をこまねいているというのではなくて、申し入れといかなくても、こういうのは教育委員会としては余りいいとは思っていないとか、そういう見解の表明ぐらいはできるんじゃないですか。
  146. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 先ほども私申し上げましたように、私教育あるいは塾という形で行われる活動ではありますが、こういう事態について、公教育の否定につながる発言とかチラシの配布については、私どもの立場としては、極めて遺憾であるという感じを持っておるわけでございまして、しからばそういう感じをいかなる行政的な行為に移すかというところは、いささかまだその点については今後の事態の問題であるという県教委の立場は私ども理解をしておる、こういう現状でございます。
  147. 吉川春子

    ○吉川春子君 まあ文部省が、極めて遺憾であると見解を表明されまして、今後の対応を引き続き考えるということでありますので、その次の質問の項目にいきたいと思うんです。  この浜学園で、去る十一月十六日に、テストを終えて帰ろうとする五年生と、入れかわりで会場に入ろうとする六年生が狭い踊り場でひしめき合い、車軽傷九名を出すという事故になりました。マスコミ各紙は一面トップあるいは社会面で大きくこの事故を報道しています。それによりますと、狭い階段での誘導ミスの一方で、警察、消防への通報のおくれに加え、事故後一時間でテストを再開するなど、ここでも受験優先の姿勢があからさまに示されています。  文部省は、このことをどうごらんになっているでしょうか。浜学園の事故について、教育委員会サイドで何か対策を講じられたわけでしょうか。
  148. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 公教育でありますれば幼稚園から大学まで、そして専修学校各種学校も、許認可によりまして行政の枠内に入っております教育施設につきましては、教育目的を達成するに必要な範囲ということで、その教育目的を達成するに必要な施設設備というものについての基準とか指導ということがあるわけでございまして、その点での文部省なり都道府県の責任はありますし、指導を必要とする。  ただ、今先生御指摘の浜学園の問題、確かに痛ましい事故でございますし、子供たちに大変ショックを与えたわけでございますが、いずれにいたしましても、これが今文部省なり県教委変の行政の枠内に入っていないということから申しますと、事故が起きたことが施設設備の不備に起因するとは申しましても、直ちに教育行政の立場からその点についての指導助言等を行うというポジションに県数委等がない、こういう事態でございまして、この点につきましては、別の立場からの規制というものがあればその点についての御指導にゆだねざるを得ない、こんな現状ではないかと思う次第でございます。
  149. 吉川春子

    ○吉川春子君 消防庁、お見えになっていますか。――塾に対して消防法上はどういう規制が行われているんでしょうか。
  150. 木下英敏

    説明員(木下英敏君) 学習塾は、消防法上は通常の一般的な学校に類するものとして、したがって、学校に対する規制と同様の規制が行われているということでございます。  具体的には、それぞれの面積、延べ面積に応じまして、消火器の設置であるとか、屋内消火栓の設備の設置であるとか、あるいは避難器具、自動火災報知設備等々の消防設備の設置が義務づけられているわけでございます。  さらに、収容人員が五十人を超しますと、防火管理者を置きまして、消防計画を作成して、それに基づく避難訓練等々の必要な防火管理業務を行わなければならない、こういう仕組みになっているところでございます。
  151. 吉川春子

    ○吉川春子君 西宮消防署は、昨年からことしにかけて大手の塾を対象に立入調査を行っておりまして、これは急増する塾の防火対策を点検する目的でありましたけれども、その結果、浜学園については消防法上の違反事例はその時点では認められなかったわけなんです。  実は私、ことしの九月の下旬に、「浜学園セブンポリシーズ」、さっき問題にしました文書が余りにもひどいので、実情調査に西宮と兵庫県の教委に行きました。そのときに浜学園の西宮駅前の教室も見まして、何か火災でもあったら大変危険ではないか、そういう気がいたしましたので、市の消防署に問い合わせて、その報告文書をいただきまして、それが十一月十四日付でした。その直後、十一月の十六日に今回の事故が起こっているわけなんです。ところが、この事故の起こったのは甲風ビルというのですけれども、この教室には、五十数名の届け出であったのにもかかわらず、一教室に二百五十名もの試験を受けさせていたことが明らかになり、直ちに特別査察が行われたというふうに聞いています。  消防庁にまた伺いますが、この特別査察で明らかになった消防法違反の事例は、どういうものだったんでしょうか。
  152. 木下英敏

    説明員(木下英敏君) ただいま御指摘されました浜学園に対します立入調査の件でございますが、それまでもたびたび地元消防局としては立入調査等はやっておったわけでございますが、御指摘の十一月十六日の事故の起きた翌日、十一月十七日でございますが、直ちに特別査察を実施いたしました。その結果、建物四階の部分に避難器具が未設置であったというのが一つと、それから、消防計画をつくらなくちゃいけないんですが、その消防計画が未届けであったということであったわけでございます。  それで、この違反事項につきましては、直ちに地元消防局として警告書を発しまして、これに対しまして浜学園の側としまして、現在までに、今申し上げた違反事実については必要な是正措置を講じておるところでございます。
  153. 吉川春子

    ○吉川春子君 確かに、この違反事例について西宮消防署は警告を発して、一カ月以内に措置するということを指示なさったわけですが、違反もこの事故が起こらなければ明らかにならなかったわけですね。事故が起こったためにこの違反事実が明らかになったわけです。  消防庁としては、大手の塾に対して立入調査を行い防火対策の充実を今までも指導してこられているんでしょうか。
  154. 木下英敏

    説明員(木下英敏君) この浜学園に対しましても、地元消防局の方からちょっと報告を受けているわけでございますが、過去三年程度見ましても、例えば五十七年の四月に行っておったり、あるいは五十八年の十二月、六十一年の三月、六十一年の四月というぐあいに実はいわゆる立入調査を行っておりまして、必要な指導はその都度浜学園側にはやってきておったわけでございますが、必ずしも浜学園側での十分な整備がなされてこなかったことは事実でございます。  必要な査察等は一般的には消防局としてもやってきているということは、そういう事実はございます。
  155. 吉川春子

    ○吉川春子君 重ねて伺いますが、全国のそういう大手の塾について、消防庁としては全体的は実情を把握しておられるという、そういう御答弁ですか。
  156. 木下英敏

    説明員(木下英敏君) 全国的な面から申しますと、これはもちろん全国の消防機関といたしましても、少ない予防要員の中で、全国たくさんの防火対象物があるわけでございまして、塾に限らずホテル、旅館であるとか、百貨店であるとか、各種のたくさんの防火対象物を査察しなくちゃいけない状況でございまして、例えば六十年度で見ますと、全国で百二十六万回も実施はしているわけでございます。もちろん塾だけというわけじゃございませんけれども。そういうことで、一つの防火対象物に対しまして大体二年に一度ぐらいの割合では最低査察をし、かつ、必要な指導をしているという実態でございます。
  157. 吉川春子

    ○吉川春子君 消防庁も塾の実態については全国的につかめない実情であると思うんですけれども、建設省お見えになっていますか。――建設省として、例えば建築基準法などで塾はどういうふうに規制されているんでしょうか。
  158. 立石真

    説明員(立石真君) お答えいたします。  塾は、学校教育法上の各種学校に該当する場合には、学校として建築基準法の規制を受けることになっているわけでございますが、それ以外の場合には、この当該建築物が塾の用途に供されているということによっては、その構造とか設備につきましては特段の規定を設けておりません。その結果、その場合には一般の建築物と同様の構造ないし設備等に係る規定が適用されるだけになっているところでございます。
  159. 吉川春子

    ○吉川春子君 消防庁に伺いますが、埼玉県の学習進学塾で火災が六月にありましたけれども、その実情についてはつかんでおられますか。
  160. 木下英敏

    説明員(木下英敏君) 埼玉県の栄光ゼミナールの火災の概要ということでございますが、これはことしの六月三日に発生した火災事故であろうかと存じます。  六月三日夜七時二十六分ごろ発火をしたということでございまして、この栄光ゼミナールは五階建てのビルで、延べ面積が九百七十八平方メートルあるところでございますが、この二階の職員の更衣室から出火をしたということでございます。直ちに消火等がございまして、焼損面積は十二平メートル、この二階の職員更衣室の部分の十二平方メートルを焼いただけでございまして、人損等の被害はないという報告を受けているところでございます。
  161. 吉川春子

    ○吉川春子君 そのとき、生徒は建物にいたんですか。
  162. 木下英敏

    説明員(木下英敏君) 生徒は若干名がいたという報告は聞いておりますが、ちょっと何人いたということまでは、今のところ報告を受けていないところでございます。
  163. 吉川春子

    ○吉川春子君 新聞の報道によると、三百数十人の生徒が火事のときはその建物の中にいたわけで、消防関係者の話によると、二階でなくてもっと違うところであったらば非常に大変だったということも聞いています。  この栄光ゼミナールの場合は、浜学園と違って雑居ビルの一室ではなくて、そのビル全部が学習塾として使用されている場合なんですね。  このように、学校の建物と、目的はもう学校と全く同じことをやっておるけれども、それが塾であるために、建物についても安全性とか採光とかいろんな点で全然規制がなくて、設計上の配慮も塾だからということで特別なされないというのがさっき建設省のお答えでしたけれども、全くそういうことは配慮されないわけですか。
  164. 立石真

    説明員(立石真君) 先ほどお答えいたしましたとおり、例えば各種学校とかそういうような形になっていれば現在は特別の規制がいきますが、一般的な建築物であれば、一般的な規定が適用されるだけにとどまっております。
  165. 吉川春子

    ○吉川春子君 大臣にお伺いいたしますけれども、お聞きのように、四百何十万かの子供たちが現在塾に通っておりまして、大手の進学塾もふえている。そういう中で、しかし塾のパニック状態とか火災とかいろいろ起きているわけですが、それが消防関係では多少つかんでいるものの、実際上全く放任されていて、子供たちの安全という点ではゆゆしい事態にあるんですけれども、こういう実情について何か手を打つべきではないかと思うんですけれども文部省としていかがでしょうか。
  166. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 先生るる御指摘の点は、確かに実態としていろいろな問題を含むわけでございます。  子供は、学校に通う子供も塾に通う子供も同一人物でございますから、児童生徒を預かる学校の立場、教育委員会文部省の立場としては、子供の安全にできるだけ配慮するということが行政としてもあるべき姿だと思うわけでございますが、やはり法律による行政でございまして、文部省の権限、教育委員会の権限というものはやはり枠があるわけでございまして、その枠の範囲における最大の努力ということは必要なことでございます。  そういうことになりますと、そういう危険なと申しますか、塾等へ通うこと自体を、児童生徒が、あるいは保護者が判断をして控えるというふうな問題が、やはり私どもの行政の立場で行うとすれば、正しいといいますか、適切なやり方ではないかというふうにも思うわけでございまして、むしろそちらの方の面で公教育における塾通いの是正なりあるいは公教育の充実という問題について、現在、私どもは協力者会議等でいろいろ議論詰めておりますし、臨時教育審議会でも塾問題についての対応策をいろいろと議論をしておられるところでございます。それらのいろいろな論議を踏まえて、私どもはその問題につきましても対応を考えてまいりたいと、こういうふうに思っております。
  167. 吉川春子

    ○吉川春子君 塾の調査について、文部省は何回かやっておられるわけですけれども、その調査の中身が、安全とかこういう問題は今まで全然除かれておりまして、だから、その塾の調査ということも非常に片手落ちではなかったのか。やっぱりこういう安全の問題も含めて実情を調査していただけないだろうかというふうに思うわけです。あるいは、全国にそういう大手の進学塾で危険なところはたくさんありそうなわけですから、そういうところに通っている子供たちがいるわけですね。そういうものについて、地教委などに、都道府県の教育委員会その他に、何らかの指導をするとか、何か方法がないものでしょうか。文部省としては安全の問題についてはお手上げだと、そういうことではちょっと済まないと思うんですけれども、これは局長と同時に大臣のお考えもぜひ聞かせていただきたいと思います。
  168. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 私ども実施いたしました塾に関する調査は、やはり文部省、県教委、地教委、学校、そして児童生徒、父兄というのが調査経路でございまして、どういう理由で、どういう塾に、どのような形で、どのくらい経費を負担しているというふうな調査になっておるわけでございまして、塾自体について個別に、全国にこれは幾つあるか、全体の調査もなかなかないようでございますが、塾自体についてということが、文部省調査の経路から申しますと、そこがちょっと外れてくるわけでございまして、先生御指摘の安全の問題ということをもし調査するといたしますれば、全国にある塾自体を直接とらえて、その塾自体の施設設備なり安全の問題を検討しなければならないわけでございますので、そういう調査自体の方法諭としての制約があるものでございますから、調査にはそういう安全の問題が入ってきていないと、こういうことでございます。  しからば、今後の問題としてのお尋ねでございますけれども、やはり私どもの可能な調査の方法としては今申し上げたような経路ということでございまして、その辺についての調査をどのような形で政府レベルでできるかにつきましては、文部省限りではなかなかこれは難しいというふうな点が率直な私の今の感じでございます。
  169. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) これはやはり子供がたくさん集まるところを危険な状態でほっておくということは、文部省としても好ましくないと思います。したがいまして、都道府県教育委員会、こちらの方と文部省との連絡をとりまして、問題は、都道府県の段階では私はこの問題は解決しないと思うんですが、そういう都道府県教育委員会が、各市町村教育委員会なりあるいはその都道府県中に、県内にございます消防機関連絡をとっていただいて、そういう塾に対するやはり絶えず実態を把握しておいてもらうということが大事だと思います。そういう意味において、都道府県教育委員会にとりあえず文部省としては連絡をとらすようにいたします。
  170. 吉川春子

    ○吉川春子君 終わります。
  171. 下村泰

    ○下村泰君 これはちょっと番外なんでまことに申しわけないと思うんですけれども最初にちょっと謝っておきます。  実は、情けないことにビートたけしというのがつまらぬことをやりまして、今それがいろいろと大きく扱われまして、それに対するほとんど各界の回答が活字になっております。その中で、実は文部大臣が昨日衆議院でお答えになった言葉の中に、「政治家ならその人の政治生命に影響するようなことがしばしば出されている。報道の自由があるからといって、特権があるかのように取材するのはとんでもないことで、警告したい」、こうおっしゃっている。それに対して、各五大誌の中の編集局次長だとか編集長が、「政治家は日本の行方を握る責任者。彼らの裏表、建前と本音を追いかけるのは我々の大切な役割だ」、あるいは、「その人が政治家として適当でない行動をするからだ。これは有権者にとっても関心事であり、公共価値はある」、これからも続ける、こういうことを言っているんですけれども、こういうことに対して、文部大臣はこういうお話を聞いて、どういうふうなお考えをお持ちですか。
  172. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) どう答えたらいいんですか――私は、こういうことを信念として持っております。それは、政治家が批判されるのは当然だと思うんです。あらゆる点からやはり国民の前に、批判の目にさらさなければならない、これは当然なんです。そういう意味において、おっしゃっている意味はわかるのでございますが、しかしですよ、しかし、報道とかあるいはこういうマスコミの、特にその関係の方々が政治家を見る場合に、やはりそこに、社会的政治的正義の問題にもとるのかもとらないのかということが問題であって、一政治家のプライバシーのことにまでいろいろ言うということは、私はこれは行き過ぎなのではないか。それじゃ政治家には一切のプライバシーは許されないのかということが議論になると思うんです。そうではなくして、生きている政治家、現に、同じ市民として、国民として生活しておる政治家、この生の政治家でなければ本当の政治はわからないと私は思います。その政治家のやっておることの、社会的正義にもとるようなことをやっておる場合にはこれは追及されてもいいと思いますけれども、そうでない問題、全くのプライバシーの問題、それをさもさも、何と言いましょうか、取材の対象にして、あえて報道に刺激を与えるという、こういうことは私はおかしいと、こう思うております。
  173. 下村泰

    ○下村泰君 私もこの件は、私の後輩でもありますので、多少気になりまして、あちらこちらの記事を読ませていただいたのですけれども、「朝日」にはこういうことが書かれているんですね。講談社の労働組合で「フライデー職場の要求」というのがある。これは、「休日をとれるような人員増と、一定期間で他の職場に転出できるような人事政策を求めたもの」と、そんなことがある。それから、「教宣」というのですか、これは教育何とかの宣伝のチラシだと思うんですけれども、その中に、「深夜、ポケットベルが鳴ると、子どもは父親が仕事に行くとわかって泣き出す。土曜も日曜も家族と暮らせない。既婚カメラマンの半数は、家庭が崩壊した。辞めた記者も十人を超えた」、こんなような記事があります。そうかと思うと、「プラン会議」――プランのいろいろ会議があるんでしょう。「プラン会議は開かれるが、編集長でさえ、編集部の名刺を持ったカメラマンがどこで何をしているのか半分くらいしかつかんでいない」。  こういうようなことを伺いますと、何か、そこの社が完全に把握している方でなくて、まるでこういうものをウの目タカの目、あるいは野犬のように探して歩いている一部の方たちの行動がこういうことを起こして、それが記事として売り込まれて、それがこんな結果を生み出しているんじゃないか、こんな気がするんですけれども、まさか、こういうものを規制するとかあるいは、もちろん憲法に定められているもろもろの権利があるんですからそういうことはできないにしても、やはりある程度の自粛をしていただくとか、それから個人個人のプライバシーを守るとか、あるいは肖像権を守るとかというようなことはこれから必要になってくるんじゃないかと思いますけれども大臣、どんなお考えをお持ちでしょうか。
  174. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は、その肖像権だとか何か、そういう権利のことは十分わかりませんので、これはよう答弁いたしませんが、しかし私は、報道機関というものは、一番大事なものは公益性を尊重するということ。それから、報道をし、批判し、あるいはいろんな記事をお書きになる場合にも、先ほど申しましたように、社会正義、私はこれが価値基準だと思うんです。これを外れてと言いましょうか、これをオーバーしてというようなことになった場合に、私はそれは行き過ぎだというふうに思います。  それじゃ社会正義とは何かということになりますと、これはそのときの社会の体制、あるいは経済の秩序、こういうものによってそれぞれのニュアンスは違うかもわかりません。しかしながら、私は現代の日本の社会正義は何かということは、おおよその方は常識の中で同一、共通性のあるものだと思いますが、それを基準にするということが私は大事だろうとこう思うておりまして、そういう意味において、私はそういう報道機関でも、行き過ぎがあるとするならば自粛してもらいたいと、こう思うております。
  175. 下村泰

    ○下村泰君 これはあくまでも突如なことでございますので、もうこれでおしまいにします。  本題に入りますが、こちらの方がよほど、今大臣のおっしゃった社会的人道的正義の立場から解決していただかなければならない問題なんです。  秋田県の教育史上で前例のない、自主登校を続けている障害児のきょうだいがおります。清水大輔君八歳、聡子ちゃん六つのこのお二人の問題があるんです。これはもう当然文部省の方にも御報告があり、掌握していると思いますが、ちょっと聞かしてください。
  176. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 御指摘の、秋田県秋田市における障害児のお二人の子供さんの就学問題でございますが、簡単に経緯を申し上げますと、そのお二人のお子さんが六十年の十二月段階で市の就学指導委員会、これは先生も御案内のように、お医者横とか先生方とかいろいろ入って、その子供たちが障害児の学校に行くか普通の学校に行くかという判定をするわけでございますが、この市の就学指導委員会でいろいろと検討された結果、両名とも養護学校への就学が適当という判断が下されまして、その後六十一年の三月に県における指導委員会での判断も同様に出た結果、県は養護学校への就学を指定したわけでございます。  しかし、保護者の方はぜひ通常の小学校に就学させたいという強い御希望がございまして、その点について、当事者同士のいろいろな話し合いが行われたわけでございますけれども、なお、保護者の納得が得られないという形で、その両名のお子さんは近隣の小学校へいわゆる自主登校をしておられるというふうな実態で、この点につきましては、私どもも県教妻、市教委と連絡をし、未就学という事態はこれは大変な問題であるので、ぜひ親御さんとのお話を詰めて、一日も早く適正な就学が図れるようにというふうな指導に努めておるわけでございますし、最終的には、十一月の段階でございますが、県の次長も来てもらいまして、そして従来いろんな行きがかりはあるだろうけれども、もう一遍白紙の立場に立って話し合いをしてほしいということで、十一月の段階でまた話し合いをしてもらっておりますが、残念ながら、現段階ではまだ保護者の御理解も、いろいろとあって現実には解決していないというのが現状でございます。  大変残念なことでございます。
  177. 下村泰

    ○下村泰君 これは、県の教育委員会の出したお答えもよくわかります。けれども、このお二人のお子さんの置かれている状態ですね。これはもうおわかりだろうと思いますが、筋ジストロなんです。筋ジストロというのは、この御病気は、風邪を引いただけでも命を奪われる病気なんですね。  私が現におつき合いをしている、仙台に山田富也君という方がおります。この山田富也君の御両親は健常なんです。何でもないんです。その方の産んだお子さん三人が筋ジストロなんですね、三人とも。そしてお兄さん二人は風邪が原因でお亡くなりになった。残ったこの山田富也君というのが自立ホームから何から一生懸命、もう夏であろうが冬であろうが四季を通じて、マスクをかけて、風邪を引かないように風邪を引かないように努力しながら自立ホームを建設して、今一生懸命やっておるわけです。その山田富也君のお話を伺うと、同じ病室にいて筋ジストロの患者が日に日に亡くなっていくのを目の当たりにしているわけですね。いつ亡くなるかわからないです、この筋ジストロというのは。同じ病なんです。しかも、もう一つ、話がちょっとおくれましたけれども、その山田富也君は通常の女性と結婚しました。そしてお子さんが二人できています。このお子さんは健常者なんです。何でもないんです。どこでどういうふうになるか、私もこの筋ジストロというのはわかりませんけれども、何でもないんですよ。御両親が何でもなくて、生まれたお子さんが筋ジストロで、その筋ジストロの患者の山田君が健常者を妻帯して、産まれたお子さんは何でもないんですよ。もう医学的にどうにもこれはわからぬですよ。ですから新興宗教なんというのがはびこるのでしょうけれどもね。  そうしますと、筋ジストロのお子さんを持ったこの清水さんという親御さんにしてみれば、このお子さんいつ亡くなるかわからぬのですよ。だから、県教委の方は養護学校へ行きなさいと指定するかもわかりません。しかし、指定されたからといって、この筋ジストロが養護学校へ行って治るわけじゃないんです、これは。しかも、リハビリのしようがないんです、これは。極端な言い方をすれば、いつ亡くなるか、余命がいつまであるのか、親御さんにもわからない。もちろんこのお二人にもわからない。だから普通学校へ上げてほしい、これが親の願いなんですよ。  しかもこのお子さんの場合には、もう当局の方も御存じでございましょうけれども、ルーテル愛児幼稚園ですか、その統合幼稚園へ通って、その統合幼稚園で一緒になった友達がいっぱいいるわけです。統合幼稚園でルーテル愛児幼稚園というんですね。ここで、このお母さんたち、それから親御さんたちの住んでいる団地の方々と御一緒にそこに通っていたわけですね。そこに友達がいた。その友達が日新小学校という小学校へ入るわけですよ。だから一緒に勉強させてくれ、登校させてくれ、これが親御さんの願いなんです。  それを県の教委の方がどういう査定をしたか知りませんよ。ところが、この査定にも大変ずさんなところがあるらしいんです。私も現地へ行ってつぶさに見たわけじゃございませんからよくわかりません。ですから余り大きな声でも言えないんですけれども、声の大きいのは地声だから勘弁してください。例えばこのお兄ちゃんの大輔君、ちょっと重度らしいんですけれども、連動機能や知能検査の結果で、ある書類ではバツとなっている項目が別の記録ではマルになっているわけです。バツなら全部バツでなきゃいかぬわけでしょう。ところが、項目によって、書類によって違っているんだ、マルとバツが。マルとバツじゃえらい違いだ。こういうような査定がされている。もう一つ、日付まで訂正されて報告されているというふうなことが言われているわけです。  こういうことまで果たして文部省の方がつかんでいらっしゃるのかどうか、ちょっと聞かしてください。
  178. 西崎清久

    政府委員(西崎清久君) 今御指摘の、これはお兄さんと妹という関係でございますが、兄さんの方の状況でございます。  先生御指摘のように、筋ジストロフィー症による肢体不自由児、精神薄弱を伴っているお子さんですが、やはり全身的に筋力が弱く、座位保持はごく限られた時間しかできない。自力歩行及び車いすの操作はできないというふうなこと、やはりいろいろな意味での全面介助を要するお子さんであるということは私ども報告として聞いております。  ただ、今先生御指摘の、書類のいろいろな評価の点でございますね。その点については、私どもも個別には承知いたしておりません。
  179. 下村泰

    ○下村泰君 そうして、経過的に申しますと、今年の十一月五日に衆議院で社会党の上田哲議員が同じことを申し上げています。雪が降ってくる寒い中をこの筋ジストロフィーのお子さん二人が親御さんと御一緒に、校門の中へ入れてもらえないので、校門のところまで行って、登校するときの友達と言葉を交わす、下校してくるときの友達と言葉を交わす、それでうちへ帰ってくるわけですね。それがこの二人の子供にとっては生きがいなわけですよ、目下のところ。ところが、これから寒くなる、これをほっておいてはいかぬのじゃないかという御質問があったわけです。そこで学校当局の方がやったのが、保健室を設けてくれた。保健室を設けてくれたのはいいけれども、条件がある。保健室で暖をとる。二番目が、時間は午前八時十五分から三十分まで十五分間。三番目が、保健室以外の立入禁止。何にもならぬです、これは。この親御さんにとってみては、教室の片隅でもいいんですよ。親御さんはこの二人を抱えるようにして皆さんの教育状態を見たい。必死の願いなんです、これが。体裁のいいいじめだわね、これでは。あちらの言い方としては、これから寒くなるとこういうスロープや何かが凍る。凍ったら危なくてとてもほうっておけない、だからこういうふうにしているんだ。これは体裁のいい言いわけですわな。  そこで私は、皆さんと問答をやっても仕方がないことだ、この問題は。それで、このお母さんが登校の日から日記をつけているんです。その日記の中の、全部とまでいきませんが、これからお読みします、時間の許す限り。聞いていてください。NHKでやる声優さんとは多少違いますから、上手に聞いていただけるかわかりませんけれどもね。四月七日の日新小入学式から「大すけ・さとこの自主登校日記」というタイトルでつけ始めたわけです。   4月8日 自主登校第1日。(私たちが住む)県営住宅には日新小に通う子供が大勢いる。そんな中に交じって大輔とさとこは二人乗りバギーに乗って学校までお散歩。今朝は真史君と一緒。 これはお友達でしょう。   学校の玄関先で登校してくる友だちに「オハヨ!」と声をかける。皆川君は小2の男の子。   「足どうしたの?」   「歩けないんだよ」   「エーッ、薬つければ治るのに」   子供らしい発想。どんな病気も薬つけて治るといいね。   5月7日 今朝は雨、登校はお休み。それでも子供たち、いつものように目が覚める。   「ガッコウ?」   「ウーン、今朝は雨が降っているから休もうか」   「イヤッ!ガッコウッテ イキタイヨ」   大輔とさとこは学校が好きです。   6月10日 今日は日新小の遠足。県営住宅の近くにバスがずらりと並ぶ。友だちが皆、うれしそうな顔をしてバスに乗り込む。   「サット(さとこのこと)、バイバーイ」「大ちゃん、バイバーイ」   さとこはしきりにバスに乗りたがる。二人とも行きたいね。   気がとがめます。   6月15日 今日は日新小の運動会。参加できない運動会、見るだけではつまらないね。幼稚園の時は、車イスに乗ったり先生たちがだっこしたりで、全部の競技に参加できた。でも学校って、そうはいかないのかな。   3時過ぎ、恵太君らが遊びに来た。「ぼくたちのクラス、玉入れ三等だった」   「じゃあ、一等は?」   「うん、大ちゃんたちのクラス!」   何気ないこの返事、私がびっくり。3組のことです。以前、「大ちゃん何組?」と聞くので「3組に入りたいね」と答えたことがある。恵太君は3組が大すけのクラスと考えているんだ。   7月7日(月) 日新小創立記念日   今日は七夕さま。歩ちゃん(一年三組)が「さとちゃんの足が早く治りますように」と短冊に書いてくれた。歩ちゃんのお母さんが「大ちゃんとさとちゃんが一日も早く日新小に通えますように」、私が「二人に大勢の友だちができますように」。いろんな願い事がつるされた笹(ささ)の葉は、「願い事、きっとかなえてあげますよ」と言っているかのように、ベランダで風に揺れていた。   7月11日(金) 大輔が初めて”いざりはい”をしました。1メートル。できないと思っていた。びっくりです。今の大輔、ボールを投げるのも以前と違う。男の子の強さが出ている。声も大きくなった。物を持ち上げる事にも自分なりに考えて、工夫している。   ”あきらめる”姿勢から”挑戦、工夫”の姿勢へ。とても進歩しています。   大輔がんばれ!意欲ってとても大事です。大輔のそんな姿、母さんとてもうれしいです。 飛ばすところもあります。   7月26日(土) 今日から夏休み。ラジオ体操、張り切って参加しました。   6時に起きるのきついけど、迎えに来る友だちの声に、二人とも目が覚めます。着替えの間、玄関で待っていてくれました。   体操が終わってからも外で遊んでいます。朝食とる間もないほど、友だちが出たり入ったり……これが夏休みの間、続くのかなあとうれしい悲鳴。  つまり、この経過を見ると、この大輔君という先ほど局長がお答えになった重度の何もできそうもない子が、学校の校門に立っているだけで、そこで友だちと話し合うだけで、ちょっと語り合うだけでこれだけ機能が動いていくんです。  続けます。これは八月七日の日記ですが、非常に長いのでちょっと削らせていただきます。   昨年4月、大阪・羽曳野の小学校に行った陽子ちゃん。秋田市在住時、市教委に養護学校を勧められ、再三の話し合いでも親の希望がかなわず、引っ越した。そこでは、「特殊学級でいいのですか? 普通学級でやってみて下さい」と、教育委員会にいわれた。今では普通学級の中の人気者。「大阪に来て陽子は本当に幸せ」と、お母さんはしみじみといっていた。  こういう委員会もあるんですよ、こういう教育委員会も。ここなんだ、本当にいろんな差のあるのは。そうすると、教育委員会のこういうことを認定したり査定したりする人たちが、いかに親身になり、いかにその親御さんの気持ちになって、そのお子さんをとことんまで検査をして結果を出してくれるかくれないかがこういうことになるわけでしょうね。   8月22日(金) PM2、県教育委員会室にて証拠閲覧。初めてわが子の判定に目を通す。ずいぶん市教委に都合の良いように書かれている。できない印がいっぱい。こんなことできます、これもできますと心で反発。こんな程度にしか見ていないのかと驚く。 おわかりでしょうか。ここのところが問題なんですよ。   この書類がいろんな人に回覧され、はんこを押されて市就学指導委員会(15人の先生、この中にわが子を直接、よく知っているのは一人だけ)にかけられる。その結果が、親の合意のないままに養護学校への指定通知。   市教委に紹介された県小児療育センター。初めての先生の診断書一枚、たった一度わずか10数分、子供をテストしただけですべてが決まっている。一番子供の状態を理解している幼稚園の先生の意見は、最初から聞こうとしていない。  私は、「あゆみの箱」という運動を昭和三十八年からやっておりますので、こういうことに携わる先生方、それから特殊学級あるいは養護学校の先生方の御苦労、わかりますよ。わからないのではないんです。けれども、ちょっとした心の油断と申しましょうね。いいかげんにやっているとは言いません、そんな失礼なことは。しかし、判断を下す方のちょっとした心の緩みと申しましょうかね、そんなようなことでこういう結果を招きかねないということです。   10月8日(水) 子供たち教育 何度考えても良い結論が出ない。日新小の学籍を得られる、大輔とさとこが普通の学校生活、社会生活に参加できる、と思ってきた。学校に行くことになった時のことだけを心配してきた。   「この半年、子供たち教育を受けさせていない」といわれた。養護学校に出向くことが、真剣に教育のことを考えているというのですか? ここなんですよ、親の気持ちは。先ほども申し上げましたように、養護学校へ行ける状態ならいいんですよ。何回も申し上げるようですけれども、この筋ジストロフィーというのは、いつ生命を断たれるかわからないんですよ。ですから、親御さんにしてみれば、わずかな期間でもということになるんでしょうね、これは。   四月、二人に友だちがほしいと願った。そしてこの半年で本当に二人のことを理解してくれる友だちを得ることができた。それは私が計画したことでもお願いしたのでもなかった。子供ならだれでも持っている思いやりや優しさを向ける対象にわが子がなったから。そんな友だちが周囲に集まって、純粋でほほえましい子供集団ができた。   友だちの介助の中で、二人は確実に成長している。今はそれでいいと思った。   万一、「学籍は養護学校のまま」という結論が出たら……ご養護学校という集団生活の中でわが子が得るものは何かと考えた時、わが子の瞳(ひとみ)の輝きが消えていく姿しか目に浮かばない。   10月19日 友だちが来て、一緒に昼食、それから外へ。大輔がけがをしてから一カ月、今では友だちが車イスにさわると「ダメ!」と怒る。そして下手ながらも自分で動かす。けがが大きな意欲を生み出してくれた。いつになったら、どうしたら自分でやるのかと心配したのがウソのよう。   11月27日 今朝は雪。天気が悪くもう3日も登校休み。それでも子供たちは、いつもの時間に起きる。せめて校舎内に入ることが許されるなら、走ってでも登校したいのに。交流を望んででかけていくことを、学校も知っているのに。せっかく用意された「保健室」も意味がない。学校や市教委のやり方に、冷たい世間の風、感じます。そろそろ「冬休み」かな。 私は涙腺故障者ですのでね、本当にお見苦しいことでまことに申しわけないんですけれども、弱いんですよ私はこういうのに。あと、読みたいけれどももう読めません。  こういうのを、今まで大臣お聞きになってくださって、早急には結論は出ないでしょう。でも、今申し上げたように、市教委のメンツとかなんとかと言っている場合じゃないんですよ、この場合は。数度申し上げていますけれども、いつ命を断たれるかわからないんです、この筋ジストロフィーというのは。それだけに、この親御さんたちの心はよくわかるんです、僕は。  何とか考えていただけませんか。
  180. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 先ほど局長が言っておりますように、教育委員会に、白紙に戻って話をしろと、こういうことを言っておるんです。ところが、その後の経過につきまして定かな通知もこちらへ来ておりませんが、もう一度こちらの方からあすにでも電話をして、その後の経過を、相談、協議してどうかということを一度催促させてみます。  ただ、今御質問のときにございましたので聞いておりますと、何か市数委が意地になっているような感じをおとりになっておるようでございますけれども、私は、結局双方の中で、子供をどうしてやるのが一番いいのかという、そこの扱い方が問題になって双方の意見が集中しておるんだろうと思うんですが、そういう今お読みになったようなことはやっぱり現地でも知っておるだろうと思いますし、そのこともあわせて、一度、教育委員会が親と学校と三者で一回相談しなさい、もう一回早急にやりなさいということを向こうの方に、あしたでも通知させます。
  181. 下村泰

    ○下村泰君 ただ、大臣お願いしたいんですけれども、私は別に、いこじになっているとかなんとかというふうには思いません――腹の中では思っています。けれども、何度も申し上げますように、養護学校へ入れて、その状態でいいという状態なら何も言いません、僕は。そうじゃなくて、何回も申し上げましたように、風邪を引いたら一発でいくんですよ、この病気は。それだけに、親御さんが言っている、教室の隅ででもと。僕はこれは切実な人間の願いだと思いますよ。これが話し合いとか、もちろんそれは話し合いも大切です。けれども、人間の、先ほどもおっしゃいましたいわゆる人道的な正義感とか、そういうことからいえば、当然僕は、それだけの温かい措置をとってあげても世間は何も文句を言わないと思いますよ。ですから、できるだけその措置になれるようにひとつお願いします。  終わります。
  182. 仲川幸男

    委員長仲川幸男君) 本日の調査はこの程度とし、散会いたします。    午後四時十一分散会