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1986-11-25 第107回国会 参議院 文教委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十一年十一月二十五日(火曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員異動  十一月二十日     辞任         補欠選任      高木健太郎君     飯田 忠雄君  十一月二十二日     辞任         補欠選任      高桑 栄松君     高木健太郎君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         仲川 幸男君     理 事                 田沢 智治君                 林  寛子君                 粕谷 照美君                 吉川 春子君     委 員                 小野 清子君                 木宮 和彦君                 杉山 令肇君                 世耕 政隆君                 谷川 寛三君                 寺内 弘子君                 星  長治君                 柳川 覺治君                 久保  亘君                 山本 正和君                 飯田 忠雄君                 高木健太郎君                 勝木 健司君                 下村  泰君    国務大臣        文 部 大 臣  塩川正十郎君    政府委員        文部大臣官房長  古村 澄一君        文部大臣官房総        務審議官     川村 恒明君        文部省初等中等        教育局長     西崎 清久君        文部省教育助成        局長       加戸 守行君        文部省高等教育        局長       阿部 充夫君        文部省高等教育        局私学部長    坂元 弘直君        文部省学術国際        局長       植木  浩君        文部省社会教育        局長       澤田 道也君        文部省体育局長  國分 正明君        文化庁次長    久保庭信一君    事務局側        常任委員会専門        員        佐々木定典君    法制局側        第 一 部 長  福田  穰君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (文教行政の諸施策に関する件)     ─────────────
  2. 仲川幸男

    委員長仲川幸男君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る二十日、高木健太郎君が委員辞任され、その補欠として飯田忠雄君が選任されました。  また、去る二十二日、高桑栄松君が委員辞任され、その補欠として高木健太郎君が選任されました。     ─────────────
  3. 仲川幸男

    委員長仲川幸男君) 教育文化及び学術に関する調査のうち、文教行政の諸施策に関する件を議題といたします。  これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  4. 粕谷照美

    粕谷照美君 前文部大臣が罷免という形で辞任をされまして、その後に異例の形で就任なされた文部大臣でございますので、私は、今回の所信表明、何か変わったことが特に述べられているのかと思って拝見したわけでありますけれども、大体、今までの文部省考え方をそのまま受け継いだ形の所信表明になっているような感じがいたします。  私は、この所信表明に先立って九月の二十三日に静岡県の函南町で開催されました自民党の全国研修会で、当面の重要な問題について文部大臣所信を表明された、そのことはテレビにも映っておりましたし、それから新聞にも載っておりましたので、その中で幾つか気になることがありましたので、この所信表明にあわせまして質問をしていきたいと思っております。  実は、教育学術新聞の十月一日号に載っておりましたが、文部大臣教師養成について非常に関心を持っている、ここのところは関心を持っていただかなければ困るわけでありますが、「どの国でもいい先生の獲得に真剣に取り組んでいる」、こういうふうに述べて、「欧米の小・中学校では女性教師が六〇%を超え、男性教師の確保が困難な点を指摘した上で、日本でも現在女性教師は六割を超えていないが、やはり男性教師養成が急務だとの見方を明らかにした。」と、こう言っているんですね。こんなことをおっしゃるわけがないと思うのでありますが、記事として公表されたものであるだけに非常に私は問題があるというふうに思いますが、これは事実なのかどうなのか。  それから、文部大臣女性教師論についてお考えを伺いたいと思っております。
  5. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 函南研修会がございまして、私も講師として出席いたしまして、その際に、教員の数の問題につきまして、数は何%とかいうことは、はっきりした数字は忘れましたけれども、しかし、私はあの話の大筋として、日本は五〇、五〇以上超えておるということは、女性教師が五〇を超えて、六〇にはなってはおらないけれども確かに女性教師の方が多いということは私は申し上げました。そして私は、教育にはやっぱり男女は平等と言うのでございますから、男女均等ということを言うのでございますから、学校先生男女同数が一番いい、こう思っておりまして、そのためにはやはりバランスをとって、男子先生を五〇、五〇ぐらいが一番いいのではないか、そういう趣旨を私は心得として持っております。
  6. 粕谷照美

    粕谷照美君 文部大臣は、生徒も大体男女半数半数ぐらいである、そして先生もやはり男女半数半数ぐらいであるのが好ましい、こういうふうにおっしゃったわけであります。  それは小学校に関してでございましょうか。どの学校に関してそういうお考えをお持ちになっているのか。
  7. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) どの学校ということは考えておりませんでしたが、私は、義務教育ということが念頭にあったことは事実であります。
  8. 粕谷照美

    粕谷照美君 そういたしますと、文部省にちょっと伺いますが、小学校中学校女性教師男性教師比率、統計とっておりますね。何か問題点について、御報告いただきたいと思います。
  9. 川村恒明

    政府委員川村恒明君) お尋ねの、教員男女比の問題でございますけれども、本年、昭和六十一年現在で、小学校で申しますと女子が五六・ 二%でございます。中学校は三四・三ということでございまして、小中平均いたしますと大体四七・七というふうな状況でございます。
  10. 粕谷照美

    粕谷照美君 平均というのは余り意味がないわけでありますから、そういう平均で物を言わないでいただきたいと思いますね。  戦争中に、男子がいなくなって女教師学校を守っていた。そして、戦後ずっとそのまま女教師がふえてきているわけでありますけれども、昭和二十五年から三十四年ぐらいまでは四〇%台、それからずっと上がっていきまして、五〇%になったのが昭和四十四年からで、それからずっと上り坂になっているわけです、小学校は。  ところが、中学校はどうかというと、確かにふえてはおりますけれども、今何%ぐらいですか。
  11. 川村恒明

    政府委員川村恒明君) 一言おわび申し上げますが、先ほど平均と申しましたのは、義務教育としてとらえた場合に小中を合算した場合、こういうことでございますので、お許しをいただきたいと思います。  それから、中学校の場合でございますけれども、新制中学校昭和二十三年に発足をいたしまして、このときの女子教員比率が二三・五%ということでございます。それから一時ちょっと、昭和三十年代の前半に二一%ぐらいになっております。大体この二三%ぐらいをベースにして徐々に上がってまいっております。それで、昭和五十年度で見ますと、五十年度が二九・四。大体これ以降は三〇%台に乗って現在の三四・三になっている、こういう状況でございます。
  12. 粕谷照美

    粕谷照美君 文部大臣、私は、小学校で男の先生も女の先生半数ぐらいずつになるというのは、それは望ましいことであろうというふうに思いますけれども、しかし、ヨーロッパ各国を見ましても、女性教師がもう大半で、特に社会主義国なんかに行きますと、男の先生は一体どこにいるんだろうかと思うような形の、校長先生も女、教頭先生も女の先生というところがあるわけですね。だから、そう気にすることはないんじゃないかというふうに考えているんです。  私は逆に言いまして、今文部省から報告がありましたように、中学校で三四・三%なんですから、文部大臣の今のお考えで言いますと、女教師中学校にもっと採用しなさい、こういうふうに言っていただかないとぐあいが悪いんじゃないかと思いますし、高校に至っては一八%台なんですね。ここ五年ほどずっと一八%台でしかありません。だから、逆に言うと、文部大臣としてはこういうところにも芽を出していただきたいし、それから大学なんかは、特に国立大学女性教授なんというものが少ないわけですね。また、教育委員会にもぜひ女性を入れましょうなんて言いながら、実質的にはなかなか入っていない。それから管理職にしましても圧倒的に男性なんで、私はぜひこの辺のところを文部大臣としては御留意をいただきたい、こういうことを要望いたしまして、ネクタイ発言ではありませんけれども、十分注意した人たちが大勢いるということを気にとどめておいていただきたいと思っております。  それでは次に、「初等中等教育改善・充実」の中で、学校五日制に触れておりません。きょう新聞で発表になっておりますけれども、学校五日制についての国民の反論を文部省としてはどのように受けとめておりますでしょうか。
  13. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) きょう新聞報道がございました世論調査は、私どもの方で総理府の方へ依頼いたしまして調査をしていただいた内容でございます。結果につきましては、先生御案内のとおり、現行どおり学校六日制がよいというのが小学校で六三・九、中学校で六五・三。あるいは別の形で、学校の五日制を一部あるいは完全という二通りのケースについて聞いておりますが、両方合わせまして五日制がよいというのが小学校二四・八、中学校二一・七という結果でございました。  この点につきましては、私ども、週休二日制あるいは社会情勢変化環境変化等で、五日制の問題につきまして教育課程審議会等検討をお願いしておるわけでございますが、長期的レンジで見た場合の学校教育あり方という点でいろいろ御検討を願っているところでございますけれども、現在の時点における親御さん、父兄の方々の意識ということを考えますれば、今回の世論調査の結果というのは、お気持ちがそのままあらわれているなというふうな感じを持っておるわけでございます。
  14. 粕谷照美

    粕谷照美君 大体昭和四十八年から五十一年、教育課程審議会でもこのことが問題になりましたけれども、当時は時期尚早と、こういうふうな結論が出ました。しかし、現在は当時とは非常に状況が大きく変化をしているわけでありまして、民間ではもう既に七六%、公務員でも四週五休が今度は四週六休になろうと、こういう時期になっているわけでありますし、また、臨教審答申は、「週休二日制に向かう社会のすう勢を考慮しつつ、」「移行について検討する。」、こういうふうになっているわけでありますね。  文部省は、学校五日制の検討案教育課程審に出しておりますね。その内容はどんなものだったですか。
  15. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 昨年の九月に教育課程審議会が発足しましたときの諮問内容自体は、「幼稚園、小学校中学校及び高等学校教育課程の基準の改善について」という包括的な諮問でございました。ただ、その際に局長補足説明というものがございまして、「初等中等教育局長補足説明」の内容の方で五日制の関連事項に触れておるわけでございます。  その点をちょっと申し上げますと、「社会情勢変化としては、現在、週休二日制を月一回以上実施している民間企業割合は七五・五パーセント、隔週又は月二回以上実施している民間企業割合は五八・五パーセントに達しており、今後、更に拡大することが予想されます。このような状況学校教育が今後どのように対応すべきかについて、教育水準を低下させないことを基本としつつ、社会教育及び家庭教育との関連などを考慮し、御検討をお願いしたいと存じます。」。この局長説明には、いろいろ教育課程社会情勢あるいは社会環境変化、長期的なレンジでの教育課程あり方というものを前提にしておるわけでございますが、加えて、このような点についても御検討をお願いしたいというふうな点で五日制関連の問題として触れておるわけでございますが、五日制そのものの言葉は内容には入っておりません。
  16. 粕谷照美

    粕谷照美君 教育課程審は、九月三日に一つ結論を出して、週五日制の取り扱いについては、世論の動向を見て最終的な結論を出すが、条件が整えば新教育課程に合わせて隔週土曜休みとする形で実施すると、こういうふうになったのではありませんか。私の理解が間違っておりましょうか。
  17. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 教育課程審議会は十月二十日付で「中間まとめ」を出しておるわけでございます。この「中間まとめ」の内容といたしましては、「授業時数等について」という項目がございまして、その中で五日制関連のことに触れておるわけでございます。  内容としては、若干たくさん書いてありますので要点を申し上げますと、一つには、社会情勢変化というものがあって、民間企業及び公務員週休二日制が普及、拡大する傾向が見られる、これがさらに進むであろう。これは諮問のときに触れておった内容のような表現でございますが、このような普及、拡大という社会情勢変化というのは国民の生活に大きな影響があるであろう。学校もその例外ではない。こういう点を考えると、学校五日制の問題というのは、基本的には社会情勢変化ということも含めて検討をしなければならない、検討することが適当である、これが一つ前提でございます。  ただ、その検討方向には二つございまして、一つは、五日制をとった場合のメリットというものに触れ、それからもう一つは、五日制を実施した場合に若干心配なデメリットの面、両面があるのではないかという点に言及いたしました上で、学校五日制についてはこれを導入することの可能性について検討をすることが適当ではないかとい うふうな立場で、そして最後には、いろいろな点がまだ検討する必要が残っておりますので、「引き続き十分な検討を加えて最終的な結論を得ることとする。」、こういうふうに結んでおるわけでございます。
  18. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうしますと、導入について十分検討を加えていくのが適当だということは、導入をするということを前提検討をしていくと。検討してきた結果だめだと、こういう結論も出るわけでありましてね。どういうふうに考え結論が出ているんですか。
  19. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) これは、表現といたしましては、学校五日制については、「これを導入することの可能性について検討するのが適当である」、こういう表現にいたし、最終的なくくりといたしましては、「引き続き十分な検討を加えて最終的な結論を得る」と。ですから、端的に申し上げますれば、現在、教育課程審は最終的な結論はまだ保留しているということであります。  ただ、方向としては、やはり導入可能性について検討するのが適当だということでございますから、その前提といたしましては。したがって、あらゆる角度から五日制のいろいろなメリットデメリットについて検討を積極的にしよう、こういう姿勢であるというふうに理解をいたしております。
  20. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は、五日制というのは大きな流れじゃないかというふうに思うんですけれども、文部大臣もこの点について、やはり静岡函南町で御意見を出されておるようでありますね。大臣自身のお考えはいかがですか。
  21. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は、あの席で申し上げたのは、週五日制は時代の趨勢であって、いずれそういう方向にいくであろうけれども、これには相当な時間が必要であるし、また、各界においてその対応をとるまでには十分な、慎重な態度で臨まなきゃならぬと、こういうことを私は冒頭に申し上げておりまして、そして学校においても週五日制の方向検討されておる、目下その可能性についての検討が行われておるけれども、私は、その中で一番関心を持っておるのは、先生が週五日制になるということと、学校が五日制になるということと、それをどう考えていくかということだと、こう申し上げました。  そして、もし学校も週五日制になるとするならば、日曜以外の休みの日を、児童生徒をどのようにこれを取り扱っていくのかということをあわせて検討してもらわなければ、学校の週五日制というものはなかなか我々としてはこれをのむことはできないと、こういうことを申し上げた次第でして、私の言っておりますのは、先生の五日制ということと学校の五日制はお互いに連動するのか、あるいはそこは切り離して考えられるのか。もし連動して、それが同一であると、それしか仕方がないというならば、そうならば現在よりは一日余分に休日がふえるわけでございますから、その休日をどのようにして児童生徒教育的効果をもたらすようなことをするのかということをあわせて、並行して考えていただかなければ、学校週休二日制というものはなかなか我々としてはのみがたい、こういうことを申し上げたのであります。
  22. 粕谷照美

    粕谷照美君 大臣が、学校五日制はもう趨勢である、こういう御了解のもとにどのように考えていったらいいかということについて御意見をいただいたということについては私はよく理解ができます。  さて、学校五日制と教員五日制、こういうふうにおっしゃいましたけれども、教員は五日制ではないんですね。それで、四週六休の問題について質問をいたします。  まず最初に、国家公務員週休二日制問題で、人事院が十月一日に総務庁に対して年末から四週六休制試行に入るように要請をしておりますが、文部省としては、国立学校あるいは公立学校教員についてどのように対処をしようとお考えになっておりますか。
  23. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 先生おっしゃいましたように、国家公務員につきましては、十月十七日の閣議決定によりまして、本年の十一月三十日から四週六休制試行が行われることになっております。教員につきましては、教育課程に基づきます児童生徒年間指導計画年間を通じて定められておるわけでございますので、年度途中からの四週六休の試行は適当ではないという考え方で、試行実施いたしませんで、いわゆる学年当初、具体的には四月一日から、試行を行うとすれば四月一日からということで、別途その取り扱いについては検討するという状況で、現時点ではまだ四週六休の試行には入っていないわけでございます。  なお、公立学校教職員につきましても、国家公務員についての取り扱いと同様に、別途検討するということで通知を流しておる段階でございます。
  24. 粕谷照美

    粕谷照美君 四週六休の試行については別途検討すればいいですけれどもね。今四週五休ですね。この現実をどういうように把握をしていらっしゃいますか。
  25. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 学校教職員につきましての四週五休方式については、各都道府県で条例を改正されまして施行する形態、つまり四週五休制という建前をとる県が四十四県でございます。しかしながら、そのうち学校教職員につきましては、今の教育課程自体が週六日を前提として組まれております関係上、このような形でとることは実際上難しいということで、学校教職員につきましては夏休み等学校休業期間中に休暇をまとめてとっていただくという方式実施をされております県が十八県ございまして、したがいまして、今四十四県が法制度条例を改正いたしておりますけれども、十八県について夏休み等のまとめどり方式によって、変則的ではございますが四週五休制が十八県において実施されておるという状況でございます。
  26. 粕谷照美

    粕谷照美君 このまとめどりというのは大変問題があるわけですね。まとめどりをやりますと年間六・五日ですね。これ、一体どこのところで学校教員たちはとっているんでしょうか。今度四週六休になるというと十三日分になりますね。まとめどり方式でやっていけるでしょうか。
  27. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 確かに先生おっしゃいますように、今のまとめどり方式が、四週五休の場合はまとめますと年間に六・五日、仮に今回の四週六休制実施しようといたしますれば、まとめどりが十三日になるわけでございます。今申し上げましたように、あくまでも学校が週六日制を前提として授業実施されております限り、そこでいわゆる四週六休制を確保しようとすることは、現実には物理的に衝突するわけでございます。  そういう点で、今の四週五休ですらまとめどり方式をとる県が十八県という形で、残りがまだ実際上できていないという状況の中にありまして、四週六休制もまとめどりでいくということは大変現場での実施というのは難しい問題があろうかと思いますけれども、あくまでもこのことは児童生徒教育関連する事柄でございますので、単に教員勤務条件だけの視点ではとらえ切れない。そういう点では、四週六休制実施します前提条件とか、教育上の諸問題、あるいは父母、国民教育に対する期待といった諸般状況を勘案しながら、今後検討をしていくべき事柄だと考えております。
  28. 粕谷照美

    粕谷照美君 今後検討することだというふうに言われますけれども、大体文部省あたりから通知が出たりいたしますと、学校はその通知を守ることにもうきゅうきゅうとするわけですね。そして、その通知にちょっとでも触れるようなおそれがあるなどとなりますと、もう大変手厳しい指導をいただくわけですけれども、四週五休については全然そんなことがないというのもこれまた不思議なことでありまして、四週六休も、既に人事院からそのような形が出され試行に入って、実質的には近い将来四週六休が定着をするでしょう。そうなったときに、学校教職員だけがそれに該当しないで外されたままでいるということを私はおかしいというふうに考え人たちの方が多いんじゃ ないかと思いますし、また、実際公務員なんですからね、これはやっていただかなきゃならない。そのための条件もまたつくっていただかなきゃならないと思っておりますけれども、どうも、長期休業中は先生方は遊んでいるんじゃないか、休業があるからまとめどりでよろしいんじゃないか、四週六休は必要でないんじゃないかということを言われる方々があるように思いますけれども、文部省はこの点についてはどのように理解をしておりますか。
  29. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) もちろん夏休み等夏季休業期間中につきましても、児童生徒登校日、あるいはそれぞれクラス単位学校単位の別はございますけれども、教育活動等実施されている期間もございますし、あるいは教職員が研修する期間等もございますし、そういった諸般活動が行われていることは実態的に認められるわけでございますが、先ほど申し上げましたように、現在十八県においては夏休み中のまとめどり方式実施されているという点から見ますれば、四週五休については、そういったまとめどり方式によることも可能であると考えられるわけでございます。  四週六休のまとめどりが可能かどうかというのは、もちろん夏休み等夏季休業期間中における教員勤務実態、あるいは学校行事計画等をつぶさに精査しなければならないと思いますけれども、そういった問題点を現在鋭意検討しているというところでございます。
  30. 粕谷照美

    粕谷照美君 大体、昭和四十八年からこの問題が上がってきていて、まだ、つぶさに検討しなければならないのじゃないかと思っていますなんていう、それはちょっと文部省としては怠慢ではありませんか。現に臨教審の委託で秋季入学研究会がまとめた中間報告書の中に、「夏休み中の児童・生徒に対する学校指導の実態調査」、こういうものが上がっておりますね。私はなかなかよく勉強しているなと思っておりますけれども、これでも本当の実態は出てきていないというふうに思います。この結論は、指導の実態は、非常に先生方が忙しいということが上がっております。特に、夏休み中の児童生徒に対する学校指導の実態は、クラブ活動だとか部活動だとか、そういうものもあって代休もとれないわけですのでね、思ってなんかいないで、思う前に早くやっていただきたい。もう既に遅いのではないかというふうに思いますので、強く要望をしておきます。  さて、大臣初等中等教育について、教育内容改善及び教育に関する諸条件の整備が重要な課題であるとおっしゃっていることに、私は全面的に賛意を表します。そして、その中で幾つかの内容があるわけですが、特に四十人学級の問題についてお伺いをいたします。  これ、四十人学級は、去年は最初計画をしておりました数字、小学校中学校とも若干の積み残しがあるというふうに思いますけれども、この積み残しも含めまして、本年度の概算要求、改善計画になっておりますでしょうか。
  31. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 四十人学級の実施につきましては、御承知のように、臨調答申によります行革臨時措置法によって三年間の事実上の凍結措置が講じられたわけでございますが、六十一年度から、実際上小学校でそれまでには児童生徒の減少市町村についての四十人学級が実施されておりましたけれども、その他市町村について実施をし、それから中学校につきましては児童減少市町村について実施をするという考え方で基本的におったわけでございますが、実際上の予算措置といたしましては、小学校の場合、その他市町村のうち施設余裕校についての一年生、それから中学校は児童減少市町村の施設余裕校中、十八学級以上の学校の一学年について実施をするということになりまして、若干の積み残しがあったわけでございます。  六十二年度、来年度要求におきましては、これら積み残されました部分についても含めまして、小学校はその他市町村のすべてについての第二学年まで、中学校につきましては児童減少市町村の中学校すべての二年生についてまで実施をするという、積み残し分を含めました増員要求を行っている段階でございます。
  32. 粕谷照美

    粕谷照美君 若干の積み残しというふうに私どもは考えませんで、小学校では三百三十九名、中学校では六百六十二名ではないかというふうに思うんですね、積み残された分が。これだけの教職員が配置をされるということは非常に学校にとりましては渇望するものでありまして、ぜひとも今回の四十人学級については実現方をお願いをしたいと思っております。  特に改善増ですが、先生の数が大体一万二千百人減ります。それから改善増をやりますと一万二千五十人ふやしますから、予算上は五十人分だけ減るんです。だから大蔵省ぜひともこれを認めてくださいと、私はこういう態度で要求しているんじゃないかというふうに思いますけれども、この改善増、大蔵省がいつも言ってくるのはどういうことなんですか。総枠として枠を決めてくるんですか。四十人学級については何人、複式、特殊学級の改善については何人、教員配置率の改善については何人、こういうふうに枠を決めて大蔵省と折衝なさり、大蔵省はそれについて答えるという形になっているんでしょうか。
  33. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 予算は、具体的に財政当局との折衝の結果、予算案ができ上がるわけでございますけれども、結果的にはトータルの数字が表面的に出ますが、内容的には、先生おっしゃいましたように、例えばそれぞれの複式学級についてはどうするか、あるいは教頭代替定数についてはどうするか、事務職員は何名にするかというそれぞれの積算別に人数が算定されまして、トータルとしての定数が予算上措置される、そういうことになるわけでございます。
  34. 粕谷照美

    粕谷照美君 そういたしますと、教員配置率の改善の中で、長期研修代替九百六十名というのが入っておりますね。前年度比たしか八百七十三増ではないかと思うんですが、この長期研修代替というのは一体どういう内容を持っておりますか。
  35. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 六十二年度要求で九百六十名という大幅の要求をしておりますうち、五百五十八名は初任者研修の試行に伴います教員の措置を含めておるわけでございます。それをトータルいたしますと九百六十という要求の数字になっているわけでございます。
  36. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は、初任者の研修というのは非常に大事だと思いますし、初任者だけではなくて教職員全体の研修という制度を保障する、あるいは研修についていろいろな条件をつくってやるということは大変な大事なことだというふうに思っておりますが、今、文部省考えている初任者研修制度、あるいは臨教審の考えている初任者研修制度については、私たちは真っ向から反対をする立場です。しかし、今、この予算要求の中で、どのような内容をもって初任者研修をやろうとしているかということを明らかにしておかなければなりません。  文部大臣は、やはり静岡函南町における所信表明の中で、初任者の資質向上というのは非常に大事だ、だから初任者研はやっぱり制度としてきちんとやらなければならないということをおっしゃっておられました。その強い意思を受けてのこの内容だというふうに思いますけれども、指導教員というのは一体どういうふうにして配置をする予定でおりますか。
  37. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 六十二年度予算において要求いたしております教員の定数配置の問題は、この初任者研修の試行といたしまして、各都道府県で現在要求しておりますのは三十県市での実施を予定しておりまして、それぞれの三十県市におきまして新任教員が配置されました場合に、一人配置校につきましては非常勤講師、二人ないし三人配置校につきましては専任の教員という考え方で要求をいたしているわけでございます。  そのほか、中高等学校につきましては、それぞれ配置されました学校の教科指導員というのを設ける関係上、その代替定数が非常勤講師で配置をする。そういうことで、教職員の定数並びに非常勤講師の複合的な配置によりまして初任者研修の 試行の実を上げたいと考えて要求しているわけでございます。
  38. 粕谷照美

    粕谷照美君 確かに三十県市になっているようでありますが、新任教員二千百九十人と、こう予定しておりますね。その二千百九十人を割り出した根拠というのはどういうことになっていますか。小学校七百五十人、中学九百、高校四百五十、特殊九十、こういうふうになっておりますが。
  39. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは、細かいことを申し上げますと、試行でございまして、その試行の結果によって本格的な実施への参考材料とするし、また、円滑な移行も図りたいという観点があるわけでございますが、統計学的な観点から、どの程度のサンプリングであるならば全体的な傾向が出るのかといういわば理論上の詰めが学問的にございますけれども、そういった考え方と、それから財政措置上の観点等を複合的に考慮いたしまして、約七%程度になると思いますが、新採教員のうち、その約七%程度の二千百九十名を学校分野別に人数比に案分いたしまして積算をしたということでございます。
  40. 粕谷照美

    粕谷照美君 二人配置校に三百三十五人、三人配置校に二百二十三人、一人配置校に非常勤講師、こうなって、二人配置校、三人配置校には五百五十八人ですね。そこに今度は原則としてベテランの現職教員を配置するわけでありますね。そうすると、最初に新卒を配置しておいて、そしてその後に現職教員を配置するのですか。現職教師指導ができるという優秀な人のいるところに新卒を配置させるんですか。人事異動が大変面倒になるというふうに思いますけれども、この辺についてはどうお考えになっておりますか。
  41. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 将来の本格的な実施の場合、確かに先生のおっしゃいますような難しい問題があり得ると思います。そういった点はこれからそれぞれの各都道府県においても御研究をいただくわけでございますが、現在の試行制度そのものにつきましては、それぞれ指導ができるようなできる限り優秀な教員のいらっしゃるところに新採教員を配置していただくということを想定はいたしております。しかしこれは、今申し上げたのは試行ですから可能でございますけれども、本格実施の場合にどうするかは今後の大きな検討課題になり得ると思います。  そこで実は、優秀な教員のいらっしゃるところに新採教員が配置されますとその方が指導強化になりますから、例えば穴埋めとして非常勤講師あるいは代替措置の定数が置かれるわけでございますけれども、それは定数の問題でございまして、実際上の人員としては、ベテラン教員がいるからそこへ新採教員が配置、指導するからまた新採教員が配置されるというような仕組みではございませんで、定数の問題だけの問題。実際上は、人事異動その他によりまして、どのような形がベテラン教員指導する場合の穴埋め教員として配置されるかというのは、これは人事上の問題でございます。
  42. 粕谷照美

    粕谷照美君 三十県市でその額が約三十六億四千六百万円ですね。これ、全国的になるともう大変なお金にもなりますね。予算上の問題点ですね。  そうしますと、なるべく金がかからぬようにということで非常勤講師をやろうとか、あるいは、今ここにも予定されているように、国内の宿泊研修四泊五日やりましょうとか、海外派遣研修十四日八百人出しましょうなんという、こういうものになってくるんじゃないかと思うんですけれども、確かに試行ですからいろんな形があるでしょう。二人配置するところ三人配置するところに一人のベテラン現職教員を置くというところと、一人のところには非常勤講師でやるんですよと、ここにも差があるわけですけれどもね。そういう人たちが配置されないようなところでは国内の宿泊研修をやってもらいましょう。そのほかに海外派遣研修が二週間にわたって八百人出しているんですけれどもね。その選ぶのはどういうふうにして選んでいくんですか。
  43. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) まだ概算要求段階でございますので、具体的には、これが予算措置化されましたときに各都道府県と協議をいたしまして、どのような形で派遣するかを考えていきたいと思っております。現時点ではどのような選び方をするかということは、率直に申し上げてまだ白紙の状態でございます。
  44. 粕谷照美

    粕谷照美君 白紙の状態で予算を要求するなどということは、私は非常に不思議に思ったんですけれどもね。こういうふうに考えますと、きちんとした態度でもって私はやっていかなければならないと思います。  しかし、まあ将来的に——私たちはこれには絶対反対ですけれども、将来的にこの制度をつくるとなったら、新採用教員個人にとって、あるいは学校にとって、差があってはいけないと思うんですね。その点については、原則的にどういうふうにお考えになっていらっしゃいますか。
  45. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 確かに、先生おっしゃいますように、現在試行の要求をしているわけでございますが、本格実施を想定いたしますれば、すべての初任者教員が、新採教員が同様な研修を受けるということが本格実施の形であるべきだろうと思います。  ただ、先生おっしゃいます海外研修の場合につきましては、これは全員を海外研修というわけにまいらないわけでございますので、その中の一部の教員について広く知見を得させるために特別な措置ということになりまして、その間においては海外研修を受ける教員と受けない教員があり得るということは当然想定されるわけでございます。
  46. 粕谷照美

    粕谷照美君 長い間働いておりましても、海外研修の機会なんか与えられないで一生を終わっていく教職員の方が多いわけですよね。採用された途端に二週間も海外研修に出してもらえるなんていうのは、一体どういう人を選ぼうとしているのか。男女比は一体どのように考えていこうとするのか。その内容は、二週間というのは一体どういうふうな形でやろうとするのか。全然考えがなく白紙のまま出したわけじゃないと思いますけれども、ちょっと構想についてお知らせください。
  47. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 先ほど申し上げましたように、どのような形での人選をするのかというのは、これから各都道府県、指定都市教育委員会と御相談申し上げていく事柄でございます。  ただ、海外研修を要求いたしました内容としては、まあ要求の段階でございますけれども、片道を船で、いわゆる青年の船方式でございますけれども、洋上研修という形で、例えばそこにおきます講師による講義、あるいは集団討議、あるいはそれぞれの個別的な意見交換とか、そういう集団合宿的な形態で洋上研修を行い、それから目的地へ着きました場合のそこでの外国の教育事情等も視察していただき、帰りは飛行機でという、片道が船、片道が飛行機という内容で要求をしているわけでございます。これはあくまでも要求の段階でございまして、具体的な内容は予算措置がされました段階で詰めることになろうかと思いますけれども、現時点ではそのような考え方での要求をしているということでございます。
  48. 粕谷照美

    粕谷照美君 大変私は不思議でしようがないんですね。私なんかもよく船で大勢の人たちと一緒によそへ行くことはあるんですけれども、もう酔っちゃって大変なんですね。なれない方が大勢いらっしゃるわけですから。そういうときに、一体どういう研修をやろうとしているのか。内容も定かでない。何か不明朗な形のこんな研修というものは私はもう絶対にあってはいけないことだと。それも全員にやるというのなら別ですよ。二千百九十人の中の特に八百人を予定していますなんというようなことについてはどうしても納得がいきません。  教師の研修というのは、日常の教育活動を研修にした自主的、そして自律的なものでなければならないというふうに私は先ほどから考えているということを申し上げましたけれども、教師は職場や地域の中で育つものだというふうに思っております。力量の向上は日常的に接する職場の教職員相互の研さんから広がりを求めていくものではないでしょうか。また、子供たちの持っている豊か な創造力、子供たちの創造力が豊かであればあるほど教師は面食らう場合もありますけれども、それだけにまた成長をしていくものでありますし、父母や地域の人々との交流を通して常に学び続けていくことが大切だというふうに思っております。文部省教育委員会は、教職員の自主的な研修意欲を酌み取っていくことが大切であって、押しつけの現状を改めることが私は早急に必要であるというふうに考えております。  そういう中で、研修充実のための条件整備として、どうしても教材研究の時間を保障する、このことにまず取り組むべきでありますし、また、長期研修、休暇の保障。これは例えば十年間に一年間大学に行くとか、あるいは海外へ行くとか、こういうような、そういう研修休暇というものを保障するというふうなことの方がまず前面に出てきてやらなければならないと思いますが、この初任者研修というものを特に教職員について重点的に行い、そして、一年間を試補制度にしようという魂胆がその後ろにあるということは何が理由なんでしょう。これ、文部大臣にお答えいただきたいと思います。
  49. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 先ほど加戸局長が答えておりますように、初任者研修実施についての細目につきましてはまだ十分煮詰まっておらない、要するに研究しなきゃならないという点が多々あるわけでございますけれども、しかし、物の根本問題につきましては、既に文部省としてもその意向を固めております。  それは一言で言って何かと言いましたら、今、先生教師になられる方は、昔と違いまして、資格を取得されて、そして就職試験に合格されて学校先生になられるわけでありますが、この大事な教育に携わる先生が、就職いたしまして、先生としての十分な意識の涵養と、それから教え方でございますが、そういうようなものも十分に習得されないまま、そのまま過激な担任を持つというようなことになりました場合に、その先生の将来の発展についても私は非常に望ましいことではないと、こう思うのであります。そこで、学生生活を終えられてそういう教場に立たれるときには、最初が大事でございまして、最初の間にしっかりとした教え方、あるいは児童の心理、あるいはまた学校という社会でのあり方、自分のあり方というものをやっぱりベテランの先輩にいろいろな角度から接触をし、指導されるということは、私、非常に大事だと思うております。  したがって、今度の初任者研修、一応試行錯誤でやってまいりますが、現在就職と同時に受けておられる初任者研修の約五倍程度の時間と量をかけて研修をしていただくということでございまして、今国民の多くの方が望んでおるのは、先生の、まあいわば素材と言うたら語弊がございますが、先生になる人、この人は、最近非常に立派な人が先生になってまいりますが、先生になられてからのその意識、そして子供に対する接触方、教え方、こういうものに対して、やはり私は国民の中にも相当意見があると思うております。こういう意見をいろいろと踏んまえまして、そういうものをやはり研修の過程でみずから体得していただくということが私は必要だと思うのでございまして、その意味においてこの初任者研修というものの中身を充実したものにして実施していきたい、こういう希望を持っております。
  50. 粕谷照美

    粕谷照美君 先日の新聞に、栗原防衛庁長官が、自衛隊の重なる不祥事についていろいろと話をし、そして、どうもこのごろの自衛隊に入ってくる人たちは新人類だと、こういうふうなことを言ったというのが載っておりましたし、何も教職員に限らず今の若い人たちは、新人類だって横綱になるわけでありますし、また、司法の場においてもやっぱり、今の司法試験を受けにくる人たちの素材についていろいろな問題を提起されておりますね。それから東大の医学部、もう最高に入学試験が大変だというところに入ってくる人たちの医師になるかならないか。何のために医師になるのかということをはっきりさせないままに、一番難しいからチャレンジして入ってきたというような生徒が多いということについて、嘆きの言葉を出されていらっしゃる先生もいらっしゃるなど、まあ古い人たちから見ればそういう部分があるかもしれません。  ですから私は、初任者の研修というのは非常に大事だと思っております。初任者研修をどういうふうにしていくかということについて、私は今の臨教審の考えていく方向とやっぱり真っ向から対立をせざるを得ないというふうに思っているわけです。それで、先ほどから、一年間の試補制度がどうしても教職員にだけでなくてはならないという、このことについては納得がいかないわけでありますけれども、時間がありませんので、きょうはこの程度にとどめまして、いずれまたのチャンスを見つけまして質疑を続けていきたいと思っております。  それでは、あと義務教育費国庫負担とか、今度の大学の新テストの問題、家庭科の問題、教科書問題、筑波身障短大、私大補助あるいは教育委員会制度、いろいろ予定をしておりましたけれども、時間が参りましたのできょうはこれで終わりたいと思います。
  51. 山本正和

    ○山本正和君 私は、長い間高等学校教員をしておりまして、その後、教職員組合の仕事を十八年間やってまいりまして、このほど国会に出てきたわけでございます。その立場から、現場で教師がいろいろと思い悩んでいる問題、そういうものを背景にしながら大臣にいろいろとお伺いしていきたい、こう思うわけであります。  まず、今大変難しい時代だと、こういうふうに、どなたも口を開くとおっしゃいます。特に、子供の問題、教育の問題、青年の問題、いろいろ難しいことが言われるわけでありますが、我が国の教育制度を振りかえってみますと、幾つかの過程がある。大体教育という問題が社会的になってまいりましたのが、どうやら制度として出てきたのが江戸時代じゃないか。江戸時代において既にもう識字率が半数を超えておったというようなことが言われておりますし、さらに、あの三百年にわたる平和の間に、随分日本文化が多様な発達を遂げた。さまざまな日本の文明というものがその中で生まれていっているということが言われておるわけでございます。  ところが、学校制度が始まったのが明治からでございまして、明治以降、国の教育にかかわって大きな影響を与えたと言われている文献が三つあります。一つは、教育学会の中でも議論されております、いわゆる明治初年に出されましたところの被仰出書、政府が国民に対して、「邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん」と、こういうふうな形で出されました被仰出書というのがございます。そしてまたその後、明治政府が富国強兵の道をたどっていく中で出されました教育勅語。そして、日本の国が大変な侵略戦争をいたしまして、その侵略戦争の後、平和のとうとさの中で何を求めるかというときに、その混乱の中で、アメリカ教育使節団の第一次報告書というのが出されております。これも学会で言われておることでございますけれども、大体今日の憲法、教育基本法下の教育体制をつくった基本的文献じゃないかと言われておるこの三つの文献につきまして、学校教育の仕事をする者は、まずいろんな議論をいたしてまいります。文部省というのは、恐らく全国百数十万の公立学校教職員、あるいは私立学校教職員も含めて、いろいろと教育現場で悩み、迷い、また求めていくさまざまな教育活動に対して、全般的に統括的な立場でいろんな観点からその問題についてのお考えを示される場所だというふうに私は思うのでございます。  そういう観点から、大臣がこの三つの文献につきましてどのような御見解をお持ちか、まずひとつお伺いしてみたいと思います。
  52. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 今、三つの段階おっしゃいましたが、それぞれそれは時代の要請がやはり教育政策に反映しておると思うのでございまして、例えて申しまして、戦後におきましてアメリカの占領下にありました時代に、いろいろと教育に関する基本的な政策が決定いたしました。し かし、あの当時、それではアメリカの政策を無視して日本独自の教育方針でいけるかといいまして、それは事実上不可能な状態にあった。でございますから、いかにして日本民族の伝統と、それから固有の感覚と、国民感覚というものを教育の中に入れるかということで今日まで必死に努力してきたと思うのでありまして、今となりましては、確かにあの発足いたしました当時の教育の基本方針というもの、戦後発足いたしましたものはアメリカナイズされたものではございましたけれども、だんだんと日本人の独得の才覚と申しましょうか、それによりまして、現在の教育の実態というものは私は日本国民に定着してきておるように思うのでございまして、それはそれなりに私は尊重していくべき路線ではないかと思うております。  ただ私は、ここで一番大事なことは、教育に課せられた一番大事な根本の精神は、公正でなければならぬということと、やはり教育の中身が絶えず普遍的なものでなければならぬということ、そして教育的な効果は十分にあり得るものという、その基本を失ってはならぬと思うのでございまして、したがいまして、過去におきまして小学校令あるいは大学令が発せられましたあの当時の明治政府の考えというもの、これは民族の伝統をそのままうたったもので、それはやっぱり伝統として私は尊重していくべきだと思いますが、教育の基本方針につきましては、私は現在とられておる諸制度並びに内容を時代に合わして順次改正していくということで十分だと思うております。
  53. 山本正和

    ○山本正和君 大臣の大変慎重な御見解の表明でございますが、私は実は最後の兵役に当たる年でございまして、いわゆる大日本帝国憲法下の教育を受けた最後の男でございます。したがいまして、教育勅語というのは今もなお暗唱しております。それから、被仰出書に出てきますところの、まさに日本の国が富国強兵の道を歩む、その経過を歴史として学んでおる世代でございます。それに対して私自身もかなりの郷愁を持っておる。  ただ、私どもがここでいろんな議論を、教育をしておる者同士で議論をしておるときに出てくるのは、なぜ日本の国は、江戸時代から明治にかわっていったときに、あの急速な、まさにヨーロッパ文明の吸収、アメリカ文明の吸収をなし得たのか。江戸時代からずっと、江戸時代に蓄積された日本の国の中にあるさまざまな文化、文明がそれを受容し得る基礎があったんじゃないかということを今盛んに議論をいたします。あの当時福沢諭吉が、いわゆる天は人の上に人をつくらず、こういう形で示された人権思想。ところがこれに対して、明治がわずか二十数年の間に、教育勅語によって国民の思想統一、教育についてのまさに教典というものによるいろんな制度づくり、あるいは教え込みといいましょうか、そういうふうな時代に変わっていって、この教育勅語をつくっていく背景に森有礼という方がお見えになって、森・福沢論争というのが随分あったようでございまして、そのこともよく今議論されているところでございます。  私が今ここであえてこういうことを申し上げますのは、教育現場に対するさまざまな国民の批判がございます。これは当然だと思うんですけれども、この中で、私どもが本当に日本教育を振り返って、いわゆるもっと古い時代にまでさかのぼって、さらに言えば、仏教、儒教の影響が一体我々の民族性にどうかかわってきたかということにかかわって、本当に教育問題についての論議がされたのだろうか。ただ単に敗戦によって、例えば教条的な社会主義思想だとかあるいは誤った民主主義への把握だとか、さらには戦前への回顧とかというふうなものが重なり合った中での日本の国内におけるいろんな混乱があったんではないか。こういうことを懸念するわけでございます。  そういう意味で、大臣はもうこれは自治体で本当に責任者として行政の経験もおありでございます。そういう意味から、いわば国民の中にあるさまざまな価値観の多様な問題というものと教育行政というものとのかかわり、こういうようなことについてもう少し率直な御意見をお聞かせいただきたい、こう思うのでございます。
  54. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) えらい難しい質問でございまして、私も学者じゃございませんので、そこまで教育学というものは研究いたしておりませんが、しかし、先ほど冒頭にお話しのございました教育に関する勅語、あれはたしか明治二十三年のことで、私もいまだにそらんじておりますし、軍人勅諭なんというのも今でもそらんじておりますが、これは私自身の人間形成には確かに大きいバックボーンであったと今でも思うております。しかし、だからといって、これを他に強要するということは今いたしておりません。ましてや子供などにこれを強制するということはいたしておりません。  しかしながら、教育勅語の中に連綿とうたわれておるあの倫理観というものは、私は世界共通のものではないか。例えばソビエトにおきましても、あるいは中国におきましても、生徒児童心得というのが出ておりますが、あの中に言っておりますのは全く同じふうなことを言っております。つまり、人が人として歩む道というものは、古今東西を問わず同じなのではないかと思うのでございまして、それの教え方について違うと私は思うております。したがって、日本がこうして自由主義、民主主義のこの体制のもとに現代の生活を我々は築いてきておるのでございますから、その現代に合った人倫の道というものは教えていくべきだとは私は思うのでございまして、これはやっぱり教育の基本だと思うのであります。  先ほど粕谷さんの御質問の中にございました、新人類という、こういう類型があるかどうか私は知りません。知りませんけれども、もしありとするならば、新人類の一番類型的な考え方は何か。安く、おもしろく、簡単で、自分さえよければいいというのが価値基準になっておるように思います。もし、そういうことであるとするならば、これは私は、やはり教育の問題としてこういうことを見直していかなきゃならぬだろう、そういう気持ちを持っておるものでございます。  そこで、現在の学校教育を見まして、よく言われておりますのは、実社会にもっと即した、社会対応のできる教育をしてほしいという要望がございます。つまり、学校で教えているものと、教育を受けて社会に出まして、直ちにそれが社会的に即した、間に合うと言ったら語弊ございますけれども、人間として十分な教養を積んできておるんですから間には合う、これは当然でございますが、しかしよく言われるのは、学校を出てきてまた会社で焼き直さなければだめと、こういろいろとおっしゃいます。私はこれはいかがなことかと思うておりますけれども、しかし一般的に見まして、学校教育だけで直ちに社会対応のできるような、そういう素質を涵養されてきておるとは思いません。  そこで私は、今必要なことは、学校教育の中にもう少し実社会に即応するようなことを教育していくべきではないか。つまり、これをさらに言葉をきわめて言いますならば、今の学校教育は、すべての学校の段階におきまして余りにもアカデミックなことに重点が置かれ過ぎておるのではないか、こういう感じをしております。これは私個人の感じでございまして、そのアカデミックな教育はこれは基本ではあろうけれども、それ以外にもっと実社会に対応した問題、即した問題、これを教材として教育していただく機会をつくってもらったらいいのではないかと思うております。
  55. 山本正和

    ○山本正和君 私が大臣にお伺いしたいと思っております事柄は、今、新人類のお話が出ましたが、実は昨日も、まだ二十代の若い教員夫婦の結婚式に、二組ございまして、行ってまいりましたけれども、大変子供たちから慕われておる立派な先生でございます。  私は今なぜこんなことを冒頭にお話し申し上げたかといいますと、教員が初めて教壇に立ちますと、子供が輝いた目で一斉に教師の顔を見てくれる。そのときの喜びというのは一生忘れないわけであります。そしてまた、今度は教員を退職いた しまして、そして何年かたちます。教え子が先生を呼んでくれる、同窓会やるから来てくれと呼んでくれる。そのときの喜びというのは本当に、長い間安月給だったけれどもよかったな、こういう気持ちがするわけであります。教育という仕事をしておればいやでも応でもそういう感激に浸る。これは他の職種も、それぞれいろいろな仕事にはそれぞれの誇りがあろうかと思うんですけれども、教育という仕事をしてきた者にとっては何とも言えない、本当に自分の、楽しいといいましょうか、生きがいといいましょうか、そういうものがあるわけでございます。  ところが、その教育をしていく教員が一番最初に悩むのは、子供は一人一人みんな顔が違うようにいろいろ受けとめ方が違います。一つの学級にたくさんの子供がおるわけですね。その子供たちを育てていくときに、どうしても目が離れるわけです。すべての子供に目を届かせるということは不可能です。でも、一生懸命取り組みます。さまざまな批判が出る。そのときに教員の心の支えは何かといったら、今申し上げました、恐らく最初の教壇に立ったときの気持ちだろうと思うんですね。ところが、そのときにもう一つやっぱり支えが要る。それが若い教師がだんだん熟練していくための必要条件であると思うんですけれども、その支えは何かといえば、教育というのは何なんだということを自分で自得しなければいけない、教育そのものについてですね。  今、随分いろんな議論がされていますけれども、憲法や教育基本法の中にうたわれている教育の理念、さらには近代ヨーロッパあるいはアメリカ、さらには最近中国でもそうでありますけれども、新しい教育の場で議論されているのは、教育というのは人が人となる営み、よりよき人となるための営み、そのよりよき人となるということが先にあるわけです。よりよき人となるためにさまざまな営みが行われております。その中で、それを保障するのが教育制度であり、さらには国なんだ。国の目的のために人を育てるんじゃないんです。人が人として育っていって、そしてその人が育っていくということを保障する国がある。だから国を大切にするということになる。  ところが、明治時代の富国強兵政策の中にある——古い時代ですね、私ども旧人類でございます。何か、三十代というのはこれは新人類とは言えないそうでありまして、このごろは四十代が異邦人といいますか、そして三十代が何か異星人というか、星が違う、地球じゃないと。今、新人類という言葉は余り使わないそうでありますけれども、私どもそういう古い時代に育った者から考えた場合に、どうしてもお国のため、あるいは、例えば学校のため、何々県のため、こういう発想がつい出る。そのときに、人が人としてとうとばれなければいけない。その人一人一人に大切なすばらしいものがあるんだということを見忘れがちになる。それをやったら子供はだめになるよと、そこへもう一遍戻って議論をするわけです。どうしても我々旧人類から見ますと、今のそういう新しい教育、戦後四十年間にわたって教育現場でさまざまな議論をしていた教育というものについては理解がなかなかしにくい。そこから来る誤解が学校に対するいわれなき批判なんです。こういうことを私は思えてならないわけです。  ですから、むしろ文部省は、現場で本当に今の大変な時代、我々の時代と違って随分さまざまな情報があふれ満ちている時代の中に生きている子供、情報の中に流されている子供を育てるために必死になって頑張っている教職員を、文部省はこれをじっと見守って、それを守っていくという立場に立つべきだというふうに考えるのでございますけれども、この点についていかがでございましょうか。
  56. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は、それはおっしゃることは当然だと思いまして、文部省も、今ここにおります局長諸君にいたしましても、今、尽忠報国の精神であるとか、あるいは国家主義的な考えを持っておる者は一人もいないと思います。そうではなくて、やはり文部省の基本的な方針というものは、公正そして普遍的で、そして教育的なものを、それをどう実現していくかというこの一点にあると思うのでございます。私は、教育で一番大事なのは公正で普遍的なものだと思うております。ですから、現在の教科書あるいは教科内容等につきましても、できるだけ中正なものにしようという努力をしております。  今質問の中の、国家意識を植えつけようというようなことは、私は教科書の中にはそんなものは極端に出てこない。しかしながら、現在の自由でそして民主的なこの社会体制を守ろうということは、私はこれはやっぱり教えていくべきだと思うのであります。そしてまた反面から言いまして、国家主義はそういうことを教えてはいかぬ、そのかわりまた、左翼的な、デモをやることがいいんだ、ストをやることがいいんだという、そういうことだけ教えるというのも私はいかぬと思うのです。だから、公正中立でなければならぬ、私はそう思うておるのでございまして、その公正中立というのは何か。現在の社会秩序をきちっと、この中に我々は自由、民主主義というこの社会体制あるいは政治体制の中で生活しておるのでございますから、このことについてはしっかり教えなければいかぬと私は思います。
  57. 山本正和

    ○山本正和君 現場を見ていただきますとおわかりいただくと思うのでありますが、今の小学校中学校あるいは高等学校にいたしましても、本当に毎日子供たちに、自分が受け持っている教科なりあるいは生活指導なりに追われて大変な状況でございます。いわゆる敗戦直後の混乱期に、教育というのは国家に奉仕するものだ、国家というのは資本家の代表だから教育はやめておけ、こういうようなことを言った時代がなきにしもあらずであります。しかし、今の日本全国どこを回っていただいても、学校でそういう状況はないんです。それよりも、一人一人の子供が今生きていくのにあえいでいる。この文化のはんらんの中であえいでいる。しかも、それがさまざまな社会のひずみ、社会のさまざまな醜さが社会から学校へ、子供へあふれてくることをどうやって守るかというのであえいでいるのが学校の現場の実態なんです。  ですから、今の大臣のお話、まさかそういう意図で言われたと思わないんですけれども、今当面している学校の現場についての御認識をぜひともいただきたい。できましたら、お忙しいとは思いますけれども、現場をお回りいただきたい。私どもの三重県にお見えいただきましたらどんな学校でも御案内いたしますから、ぜひひとつごらんいただきたいと思うのでございます。  実は、そういうことを背景にいたしまして、特に私がお尋ねしたいと思いますのは、まず、国立教育研究所の問題でございます。  私は、国立教育研究所が設置されるときに、例えば日教組はこれに反対したとかせぬとかというふうな議論があったかに聞いています。しかし、それは危険性を指摘したのであって、本当に国立教育研究所が国の責任を持った研究機関としてどんどん国民教育のために研究することはすばらしいことだと私は思っております。この国立教育研究所ができましてからさまざまなレポートが出されておりまして、私も若干読ましていただいたり、また、国立教育研究所が、例の校内暴力が多発した事件がございまして、三重県にも調査にお見えになりまして、一緒に調査に当たったりもしたわけでございますけれども、本当にすぐれたレポートを幾つも出されておるわけであります。  ところが、国立教育研究所がどうも文部行政の中でまま子扱いされているという言葉は妥当ではございませんけれども、予算が大変少ないやに聞いておるのでございますが、まずその辺、予算はどういうふうな切実さになってきているのか、お伺いしたいというふうに思います。
  58. 植木浩

    政府委員(植木浩君) ただいま先生がおっしゃいましたように、国立教育研究所は、教育に関する実際的、基礎的な研究調査を行う機関であるということで、大変重要な機関であるわけでございます。  予算につきましては、予算全体が大変厳しい状 況下にはあるわけでございますが、私どもとしては及ばずながら努力をしてきておりまして、昭和六十年度が七億八千万円、六十一年度は八億一千万円ということで、この厳しい中に若干の増を示しておるということでございます。
  59. 山本正和

    ○山本正和君 アメリカでは、どっちかといったら、我が国とは教育の構えが違っておりまして、いわゆる財界、財団が随分大きな研究費等の助成を大学条件をつけずに与えておるというふうなことがありまして、随分大学における研究活動というのは資金も豊かな中で活発に行われております。しかしながら我が国は、大変これは私学を経営される方がいつも言われることでありますけれども、研究予算というものが本当に組み得ないというふうな中でのいろんな苦しみをお述べになることが多うございます。  ところが、国立教育研究所が設置されているということからいいますと、例えば私学との研究交流、さらには全国四十七都道府県にほとんど設置されておりますところの自治体の教育研究機関、こういうふうなものとの交流、あるいは共同研究等がやられていく。さらには、それぞれのところから国立教育研究所へも研究委託という形でいろんな問題を委託する、さらには研究員がそこで受け入れられるというふうなものがあって初めて国立教育研究所としての機能が発揮できると思うのでございますけれども、その問題については、現在どうなっておりましょうか。
  60. 植木浩

    政府委員(植木浩君) 確かに大学等の全国の研究者との交流というのは大変大事でございまして、現在大学等の研究者との共同研究やあるいは客員研究制度ということによりまして他の大学等の研究員をお招きしたり、さらには、全国の教育研究所が今お話しのようにございますが、全国教育研究所連盟との共同研究等を行っております。
  61. 山本正和

    ○山本正和君 私がお願いしたいのは、日本教育学を学ばれる大学先生あるいは若い研究者の皆さんが、外国へ留学される機会というのは非常に少ないわけでございます。また、特に期間といいあるいはその研究内容についての幅の問題といい、大変制限された状況下にあるようでございます。  ぜひともひとつ、本年度の予算には間に合うかどうかわかりませんけれども、いわゆる日本大学、特に教育学というものについての研究分野が非常に整備されていないというふうなことがよく研究者の中から指摘されております。この旨をひとつぜひとも受けとめていただきまして、大学局ともまた私学関係者とも御連携願いまして、今後以降につきまして御検討をお願いしておきたいと思うのでございますが、いかがでございましょうか。
  62. 植木浩

    政府委員(植木浩君) 教育研究の重要性は私どもとしても十分に認識をしておりますので、大変いろいろと厳しい財政状況下にはございますが、教育研究の充実につきまして、いろいろな角度からさらに充実に努力をしてまいりたいと思います。
  63. 山本正和

    ○山本正和君 大臣、今の件につきましてひとつ御見解をいただきたいと思いますが。
  64. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は、実は文部大臣になるまで、国立教育研究所なんて、あるのを知らなかったんです。大臣になりましてからそういうものがあるということを聞きまして、私なりにどういうものかということを見ました。でございますから、何も局長からレクチャーを受けたものでも何でもございませんが、現在の国立教育研究所というもののあり方をもう少しはっきりしてもらわなければいけないんじゃないかと、私はそう思います。  私が、これ個人の考えでありますが、現在見ておりますのは、いたずらに教育学という象牙の塔の中に入りこもってしまって、それで研究所としての活動をしておられる。これはこれで結構だと思うのでございますが、しからば、日本に随分と大学教育学部があり、また、教育を専門にやっている教育大学というものがあって、そこで教育学を専ら研究しておられるだろう、そういう研究成果をお互いに交流し合って活用していくというそのマネージメントをするというのはやっぱり文部省なんかではなかろうかと、こう思うのでございます。文部省がそういう高度な学問的なことができないとするならば、それは当然国立教育研究所がおやりになるのが任務だろう。したがって、国立教育研究所というものはやはり行政機関としての関係サイドを持った教育研究所でなければならぬと思うのでございますが、今見ますと余りにも象牙の塔に閉じこもっておる。私は、これをやっぱり教育研究所自身がお考えになる問題ではないかと思うのであります。  私は、臨教審の報告あるいは教育課程審議会の報告を見まして、国立教育研究所がどれだけの意見を出し、あるいはまた、国立教育研究所というのは教育学を、そしてそれを実践していくための教育の現場、そういうものとの接点をやっぱりやっていくべきだ。これはある程度行政の手法あるいは財政問題、そういういろんなものが絡んで教育行政、教育というものが行われておるのでございますから、そういうものを切り離しての学問的関係だけだったら大学に任しておけばいいと、私はそう思っているのでございまして、その点におきまして、国立教育研究所自身のあり方というものを私は十分に研究する必要があるのではないかと思っております。
  65. 山本正和

    ○山本正和君 ちょっと大臣文部省の担当の方から国立教育研究所のレポートというものについて主なものをお取りそろえいただきまして、ぜひ御検討を願いたいと思います。  実は数年前、本当にすべての国民を心配させた校内暴力問題、あるいは大変な非行問題、家庭内暴力問題について、現場教職員がこれに対して苦闘して、それをどうやって探っていくかというときに、あの研究所の出されましたレポート、そしてまた研究所に対するさまざまな問い合わせの中で、どれぐらい学校鎮静化のために役立ったか、これはぜひともひとつ御記憶にとどめていただきたいのでございます。
  66. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私も仰せのとおり、お聞きいたしましたので、至急その点につきましては勉強いたします。
  67. 山本正和

    ○山本正和君 それではあわせて、またもう少し大学問題とかかわって見解をお伺いしたいと思います。  共通テストについてはいろんな議論がありまして、若干その実施をおくらすというようなことがけさの新聞等でも報道されております。私は、かつて当時の永井文部大臣に、極めて非公式でございますけれども、いろいろと御見解を承ったことがございました。また三重県で、PTAや地方教育委員会とともに共催いたしました教育県民集会等で、永井元文部大臣がおみえになりまして、御講演をいただいたりいたしまして、そのときのお話も承ったわけでございます。恐らく全国の教育関係者の中には、永井元文部大臣に対する大変な信頼と申しましょうか、あるいは教えを請うという気持ちを持っておる者がかなり多いわけでございます。  この永井元文部大臣が共通一次テストを提案されたときには、いわゆる四頭立ての馬車ということによって日本の今の偏差値教育、さらには学歴社会、あるいは大学入試制度、さまざまな問題に対して改善していこうという、その施策の一環として共通一次テストという問題を提起された。これはもうその当時の文部省の議論の中で記憶に残っておるところだと、こういうふうに思うのでございます。しかし、その一次テストは今日大変いろんな批判が生まれてきまして、新テストにかわろうとしている。  私は、共通一次テストも実際はその運用によってはよかったというふうに思いますし、また、そういう意見を言う者もかなりおるわけでございます。ただ、要は大学側のこれに対する対応が、共通一次テストというものを、全くいわゆる偏差値輪切りに追い込んでしまったという結果になっておるという側面が私はあるように思えてならないのでございますけれども、これについてはいかがで ございますか。
  68. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) おおよそにおきまして私はおっしゃるとおりだと思っております。  取り組みました考え方は、それはそれなりにやっぱりねらっておられたところがあったと思うのでございますが、大学側の取り扱いにつきまして、若干私はいろいろ問題が起こってきておるように思いますが、しかし、これは八年たちまして、大学の方も共通テストという問題については、これは私は、大学もその利用方法をいろいろな点から考えられてきて非常に改善されてきておるように思いますし、また、今回新しく新テストに移行してやろうというときでございますので、私は多くの学生が自分の勉強してきた実績をテストするという、そういう意味においては、私はこういう制度もあっていいのではないか、こう思っております。
  69. 山本正和

    ○山本正和君 恐らく大学のテストが高等学校に影響を及ぼして、高等学校から中学校小学校とこういうふうに、最後はとうとう幼稚園にまでテストが大変な状況になってきておる。これはみんなが共通の認識であろうと私は思うのでございます。  ただ、残念ながら、中曽根総理が提唱されました教育臨調にいたしましても、あるいは文部省がこれはかなり幾つかのすぐれた実績等も出しておる中教審のレポート、批判すべき点が随分私どもはたくさんあろうかと思うのでございますけれども、しかし、それにいたしましても、両方ともこの大学入試問題と真っ向から切り結んで、そして大学側と本当に真剣な討論をして大学入試問題についてどうあるべきかという議論を今までどういうふうな形でされたことがあるのか、もしされておったとしたら、その辺ひとつお伺いしたいのでございます。
  70. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 御質問の趣旨を必ずしも的確にとらえておらないかと思いますけれども、大学入試問題につきましては、文部省としてもかねてからいろいろな課題意識を持っておったわけでございますので、既に十数年以前からその問題については国公私立の大学関係者等とも何回かにわたって協議を重ねてきたという状況にございます。そうした中で共通一次という構想も国立大学協会の中から生まれてまいったわけでございまして、文部省としては、積極的にこれを支援するという形で今日まで具体の実施に移し、その発展を図ってきたというような経緯にあるわけでございます。また、その中におきましても、こういった共通一次のようなやり方に国公立だけでなくて私学もこれに参加をしていただくということが、全国の入試問題を改善をしていくために有益であろうというようなことから努力も重ねてまいったわけでございますが、その点については、必ずしも十分成果を上げているというところには至っておらないわけでございます。  今回、臨時教育審議会で御議論がございまして、国公私を通じて、しかも今の共通一次の実施状況、それに伴う問題点等を考慮の上、国公私を通じた従来とはタイプの違ったかなり自由に利活用ができるような新しいタイプの新テストでいこうではないかという御結論も出てまいりましたので、それを踏まえまして、現在文部省としては、国立大学協会、公立大学協会あるいは私立大学関係の各団体、そして私学関係の各大学等に対して直接の説明会等も行いまして、現在そういった問題について各大学が、あるいは大学の団体が真剣に取り組んでいただくという空気を醸成し、これをさらに進めていくということにしたいということで努力を重ねているところでございます。もちろん、各団体あるいは関係の大学等におかれましても、現在真剣にこの問題についての議論を重ねられているというふうに承知をしておるところでございます。
  71. 山本正和

    ○山本正和君 大学の自治という問題がございますから当然限界はあろうかと思いますが、やっぱり日本教育に対して責任を持つ文部省という立場から、大学入試問題につきましてはもうほっておいていい状況ではない。これは恐らく国民すべての考え方じゃないかと思うのでございます。何としてもこの問題をいつかはやらなければ、これはもう日本教育が、乱塾、教育産業が十兆円産業と言われているが、もう下手すると二十兆じゃないかと言われておりますけれども、そんなとんでもない、教育が商売になって、教育で飯を食って巨大な富をなすというふうなとんでもない状況がどんどんどんどん生まれてきている。私はこれを放置したのは、私ども学校関係者に責任が十分ありますけれども、どうしてもやっぱり文部省もこういう問題に対しては責任がありはしないかというようなことを思ったりするのでございます。  何とかひとつこの大学入試改善について、文部省として、これからの問題としてでも結構でございますから、ひとつ新たなる決意を持って検討を進める、こういうふうなことを大臣から御表明をいただきますと大変みんなが安心するんじゃないかと思うのでございますが、いかがでございましょうか。
  72. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 本当に私も、塾といいましょうか、進学塾が中心として教育に大きい影響を与えておるのを私も憂えておる一人でございます。しかし、この根本を見ましたら、共通一次がどうのこうのと言う前に、何としても社会全体が学歴社会というこの弊害を除去してもらわない限り、私はこれは何か形が変わって絶えず子供が競争をしてそれを争うということになるだろう。  私は、競争は必要だと思うておりますが、要するに、一つの特定の価値しか認めないというこういう競争をやらすということはよくないと思うております。それには共通一次、あるいは塾対策、あるいは進学指導、こういうものについていろんな各分野から文部省も一生懸命努力はいたします。現に、先ほど阿部局長が言っておりましたように、共通一次を新しくできるだけ学生に負担の少なく、そして公正な競争ができるようなことをしようということをやっておりますけれども、これをまた採用し、また世間がこれにドライブをかけて、ここでまた新しい競争をつくり出すというふうなことがあってはならぬと思うております。  私は努力いたしますけれども、根本は私は学歴社会というここに問題がある。これに社会全体がメスを入れなければ根本問題は解決しないと私は思うておりまして、事あるごとに単一の特定の価値観にこだわるようなことのないようにいたさなければならぬと思うております。
  73. 山本正和

    ○山本正和君 しかし学歴社会の問題は、既にもう企業等ではかなり変わった対応をするようになっておりますし、私も同年の者がかなり大きな企業の重役等もしておりまして、いろいろ聞きますと、このままではだめだと、企業がだめになるということを言う者もおるわけでございまして、一番おくれているのは実は教育の場における輪切りの状況を放置しているということじゃないかと私は思っているんです。企業はそんなことしておったらつぶれてしまいますからね、優秀な人材が入らなかったら。  ですから私は、いつまでもそれを学歴社会の責任にしてしまっておったんじゃこれは直らないだろうと思うんです。何としてもこれはやっぱり文部省としてこの問題に対しては本当に重大な決意を持って取り組んでいただかなきゃいけない時期に来ているだろうと、こう思うのでございますが、いかがでございますか。
  74. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) それは当然おっしゃるとおりだと思います。
  75. 山本正和

    ○山本正和君 そこで、私実は国民生活に関する調査会の委員もしておりまして、そこで国際化の問題でさまざまな議論をいたします。まだずっと今継続中でございますが、この中にも兼ねておられる委員さんもおいででございますけれども、そこで実は上智大学のクラーク教授、さらには先ほど申し上げました永井元文部大臣等に参考人としておいでいただきまして、日本教育が国際化という観点の中でどこに一体問題点があろうかというような形で御指摘をいただいたことがございます。  それは何かといいますと、外国語教育、特に、今 は外国語教育といいますと我が国はほとんど英語が外国語になっているようでありますが、その英語教育が本当にこれは国際化という観点から言った場合に機能しているんだろうかという指摘がされました。そして、考えてみますと私も、それは戦争中ではございますけれども、中学合わせて大体約九年ぐらいの英語の講義を受けて、原書も読めというようなことをやらされた一人でございますけれども、さっぱりしゃべれない。大臣は堪能かもしれませんけれども、なかなか私どもの世代はだめでございます。そういう英語教育がこのままではいかぬじゃないかという声が出て随分長いわけでございます。  ところが、私も高校の教員しておりましたから、入学試験等をやりますと、英語の配点が高くなかったらこれは大変な学校で騒動が起こる。そんな英語の配点が少なくてどうするんだというふうな格好で議論が行われていく中で、昭和三十年あたりから、一斉にどこの県もいわゆる共通テストになって英語の配点が決まってきましたけれども、そういうふうな中で英語の今の学び方というのが、一体これは初中局で議論されておるのか、あるいはもっと広い場所で議論されているのかわかりませんけれども、我が国の今の学校教育の中における語学、英語教育の問題につきまして今どうお考えなのか、ちょっとお伺いしておきたいと思います。
  76. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 御指摘の語学教育の問題、大変大事な課題でございます。語学教育の現状とそれからそれに対するいろいろな課題と申しますか、問題指摘の点でございますが、先般の教育課程審議会で「中間まとめ」が出されたわけでございますが、その「中間まとめ」の「外国語」の部分でも、先生おっしゃいますように外国語教育あり方についての意見が出されておるわけでございます。  これを簡単に御紹介いたしますと、一つは、聞くこと、話すことの領域の指導の問題でございます。聞くこと、話すことについての指導の問題として、これが若干十分でないのではないか、おろそかになっておるのではないかという意見があるという指摘が一つでございます。それからまた一方には、やはり英文を正しく読み取ることや自分の考え方を書きあらわす指導というのを重視すべきではないか。この両面についての課題を今後の中学校高等学校における語学指導でどういうふうに解決していくかということが大変大事であるというふうな指摘で、具体的な方向は、まだ中間まとめでございますのではっきりとした方針は示しておりませんが、今後約一年をかけまして中学校分科会、高等学校分科会で科目別に教育の個別の科目の目標、内容について議論をしていただくわけでございます。その中で、先生御指摘の外国語教育についての聞くこと話すことの問題、英文を正しく読み取ることの問題等も含めて、そのあり方等について議論していただきたいというふうに考えております。
  77. 山本正和

    ○山本正和君 クラーク教授のお話の中に、子供のときにというよりも、強いて言えば小学校になろうかと思いますけれども、正確な発音の単語を耳にしているだけでも将来違ってくるんだというふうな話がありました。ところが、高等学校の入学試験も大学の入学試験も、もっぱら文法をしっかりつかまえていなければ解き得ない。さらにはいわゆる入試的な英語をしっかり勉強しなければ点数は取り得ないというふうな状況になっておりまして、耳からくる問題については全く入試では扱っていない状況でございます。  しかし、本当をいえば、今日の我が国の国際化の状況から言えば、少なくとも簡単な会話ぐらいはできなければいろんなことができないんじゃないかと思います。そういう意味から、ひとつ聞く、そして聞くことによってもっと英語に親しみを持てるというふうな観点からもぜひ御検討を今の中でしていただきたいと思いますが、よろしゅうございますか。
  78. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御指摘のように、現在、聞くこと、話すことについて必ずしも十分でない現状につきましては、問題が二つございまして、一つは、やはり先ほど来お話しございますような、大学入試の問題として、入試の事柄としての性格上、聞くこと、話すことについての試験が必ずしも全般的に行われているわけじゃございません。ヒアリング等を実施する大学もふえてまいりましたけれども、それが普遍的ではない。そうしますと、中高における英語指導等も、読むことやそれを解釈することに偏りがちだ、これが一つでございます。それからもう一つは、先生御指摘のように、いわゆるネイティブスピーカーと申しますか、そういうふうな意味での語学指導について、英語の先生方は今中学で約三万人、高等学校で二万人いらっしゃいます。五万人の先生方がすべてそういう意味での発音指導その他が、日本人であるがゆえの問題がございますけれども、十分であるかどうかについては必ずしも十分でない。この二つの問題があろうかと思うわけでございます。  そういう点で、教育課程の中身の問題でもございますが、先生方の問題として考えますならば、ひとつネイティブスピーカーをたくさん外国から招致して、その面での指導を充実させたいということで、現在、アメリカ及びイギリスから若干の先生方に来ていただいておりますが、来年度からは、地方交付税の財政措置によりましてこれを飛躍的に多くしたいというふうなことで、今関係当局等といろいろ折衝をし、教育委員会等ともその数についての調整をしておるわけでございます。そういう意味で、先生の面でのネイティブスピーカーの指導の充実については施策をより前進させてまいりたい、こういうふうに考えております。
  79. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 大学入試における語学力の問題でございますけれども、これにつきましては、先般の臨教審の第二次答申におきましても、読む、書くばかりじゃなくて、聞く、話すというような分野についての多面な能力の評価をやるべきだという御指摘もいただいておるわけでございます。  現在、私どもが承知しておりますところでは、昭和六十年度の入試の場合に、国立においては三十大学三十五学部。公立は七大学十学部。私学の場合には三十一大学三十五学部で英語のヒアリングの試験というのは実施されておるわけでございます。そういった意味で、各大学の御方針もあろうかと思いますが、こういった方向が進められていることは望ましいことであろうと思っております。  ただ、実際には受験者数の問題でございますとかあるいは施設設備等の関係でなかなか難しい点もあろうかと思いますが、できる限り臨教審の御答申を踏まえ、先生の御指摘も踏まえまして、この問題につきましては配慮をしてまいりたいと思っております。
  80. 山本正和

    ○山本正和君 どうぞひとつよろしくお願いいたします。  あわせて、実はお隣の中国では、中学生で既に第一外国語、第二外国語、例えば日本語と英語というふうな二つの外国語をもう中学校でやっているというようなことも聞いております。我が国の国際化というのは、単に英語圏のみでなしに、世界の人口のかなりの部分を占める中国語使用圏が東南アジアも含めてあるわけでございますが、そんなようなことについても今後御検討をいただければと思って、これは要望にとどめておきたいと思います。  それから、実は私ここに積んでございますのは、これは三重県のすべての学校事務職員が、国会の場を通じて何とか関係当局の方々に渡してくれないかというので持ってまいった手紙でございます。全部、一人一人が自分の気持ちで書いた文章でございます。いわゆる同じ文章をざっと写して持ってきたという文章ではございません。全部一人一人が自分で、自分の職務内容とかかわって書いてきた文章でございます。  いわゆる学校事務職員という仕事をしております、あるいは栄養職員という仕事をしておりますと、教壇教員じゃないということで、何か特に自 治省あるいは大蔵省あたりから見るといわゆる学校先生という範疇には入らない、こういうふうな発想があろうかと思うのでありますけれども、子供にとっては、学校におるすべての大人は先生なんです。用務員のおじさんも先生なんです。まして、事務の先生というふうに子供たちは言っているんですね。そして、何か知らないけれども、とにかく今の教科で勉強せい勉強せいと言われる中で、学校で何か困ったことがあったときに、いろいろ話を聞いてくれたり慰めたりしてくれる存在にもう既になっている。まさに、大臣が今までの御答弁で御発言いただいておりますように、基幹職員、学校という機能を果たすためになくてはならない職員になっている。  そういう中でみんなが大変心配をしておりますのは、特にこれは校長という立場になりますと、校長は、たとえ小さな十人の規模の学校であろうと四十人の規模の学校であろうと、校長は本当に一人一人の教員の顔が目に浮かぶわけですね。そうすると、今事務職員が国庫負担から外されようとしている、そうなった場合に、一体どういうことなんだという、どうしてもおかしなすき間風、異和感が入ってまいります。学校が一体とならなければ子供が安心して学べない、親も安心して学校に預けることができないという環境でございます。  今、学校現場にあるこういう事務職員の不安を解消するために、大臣にも、たびたび御決意を承っておりますけれども、再度この際、何としても学校を守るという立場からの御決意をぜひともいただきたいと思うのでございます。
  81. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) これは私は機会あるたびごとに申し上げておるのでございますが、十二月に恐らくあるであろうと思います六十二年度予算編成の一番の焦点になってくると思うておりまして、私はこれに対しましては現状の維持、この制度を確保していくということで終始一貫しております。  これは昨年でございましたか、ちょうど十二月二十一日、自治・大蔵の両大臣の間で、三年間の要するに現状維持を地方財政と国の財政との間で覚書を締結しております。その中にこれが含まれる含まれぬという問題は別にいたしまして、私は、これはやはり当然あの覚書の中に読み取るべき問題であると思っておりまして、そういう両大臣の約束がある以上は、我々文部省としてもその覚書をそのまま基本方針の中に取り入れて行動をいたしてまいりたい。おっしゃるように、学校事務職員、栄養職員というのは、今日、学校運営の中におきましては必要な、また基幹的な職員であるという認識におきまして何も異存はないと思っております。  極力予算の折衝で頑張っていきたいと思っております。
  82. 山本正和

    ○山本正和君 時間が参りましたので、最後にお願いを申し上げておきたいと思います。  文部省からもいただきましたし、私どもの方で調査いたしました資料から見ますと、文部省所管予算、あるいは一般会計予算に占める文部省所管一般会計予算の比率の推移等をずっと見てまいりますと、我が国のさまざまな他の施策の中で、どうしても数字がだんだん小さくなってきているのが出てまいっております。  私はかつての明治政府の施策がすべていいとは申しませんけれども、本当に国民がすべて自分の名前が書け、あるいは新聞が読めるようになってきている、こういう国はまず世界にない。私は、中曽根総理とは違った意味で、日本の知識水準の高さということについては世界に誇っていいと思うのでございます。しかし、そういうことの中で、確かに明治政府が富国強兵の余り軍国主義から侵略の方へ行ったということの過ちは指摘しなきゃいけませんけれども、当時の政府は、文部大臣というのはまさに最高の大臣の地位に位置づけられておったと私は思うのでございます。また、文部省というのは、これはまさに本当に権威ある存在だったというふうに思うのでございます。  また、昭和二十年に日本の国が敗れたときに、大学の卒業生の中でいわゆる高級官僚として入ってくる方がたくさんございますけれども、こぞって文部省に希望した時代がございました。昭和二十年代。しかしながら、今や文部省に対して希望される方の数がだんだん減ってきている。もちろん今入っておられる方は皆優秀な方ばかりでございますけれども、一体こんなことでいいんだろうかというふうに思うんです。ところが、藤尾前文部大臣、大変奇抜な発想でずばり物を言われますから、私はある意味では尊敬するところもございますけれども、前文部大臣の言われた言葉で、どうしても私はこれだけはもう承服できかねる言葉がありました。三等大臣なんかにおれをしやがってと、こういう言葉を新聞記者の前で言われたとか言われないとかいうことを聞いたわけであります。断じてそんなことはない。文部大臣というのは、まさに総理に匹敵する日本の国の最高の責任を持たれる立場だろうというふうに私は思うのでございます。  そういう意味からいって、大臣はきょうは本当に率直にいろいろとさまざまな御見解をお聞かせいただきましたけれども、何とか文教予算を、こんなことじゃいかぬ、日本の国の未来はこれじゃだめだぞという立場に立って、大臣が陣頭指揮をして、今後の文教施策の我が国における位置づけをひとつきちんとしていただきますよう御要望を申し上げまして、大変御無礼なことを言いましたけれども、これで私の質問を終わりたいと思います。  ありがとうございました。
  83. 仲川幸男

    委員長仲川幸男君) 午前の質疑はこの程度とし、午後一時まで休憩をいたします。    午前十一時五十五分休憩      ─────・─────    午後一時一分開会
  84. 仲川幸男

    委員長仲川幸男君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、教育文化及び学術に関する調査のうち、文教行政の諸施策に関する件を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  85. 林寛子

    ○林寛子君 塩川文部大臣が就任なさいまして、過日、初めて所信を伺いました。その所信に関して、きょうは私限られた時間でございますので、細かいことに入る時間があるかどうかわかりませんけれども、先ほどからも、文部大臣の重みという話が出てまいりましたけれども、私は、同僚委員のお話のとおり、文部大臣の重みというものはぜひ御認識いただいておきたいと思いますし、また、国民もそのように思っております。  塩川文部大臣に対して幾つかの質問をさせていただきたいと思いますけれども、まず、大臣に御就任になって、文部行政を行う長として、戦後の教育というものを現在までどのようにお感じになっていらっしゃいますか、伺いたいと思います。
  86. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 戦後は、やはり私は、教育の方針があの終戦当時は混乱しておったと思うのであります。私たちが復員してまいりました昭和二十二年ごろでございますか、その時分には、教育よりもまずは何はともあれ自分自身が食べることに懸命の努力をしなきゃならぬということで、そういうことから教育に対する関心は非常に薄かったように思いますが、しかしそれでも、学校はきちっと授業を定時に始めておりましたし、また、先生が懸命に努力して学校を守ってこられたということは私も承知しております。  そして、アメリカの方から教育方針が示されました。それはアメリカもその当時の日本の状態を、戦争を戦った相手として見ておりましたので、この日本が戦った根源はどこにあるかということ、これを教育の場で正さそうという、そういうことに力点を置いて教育改革を進めてきたと思うのであります。そして平和が成立し、日本学校日本人としての教育実施しようと目覚めてまいりましたときには、既に法律的にいろんな制約がその場でかかってきておりましたが、しかしその法律の運用については、相当日本人的な知恵を絞っ て日本人の子孫の教育に向くように改正しようとしてきました。  しかし一面において、その当時、労働組合運動というのが激しく起こってまいりました。それは教育界においてもそのことが起こってまいりました。そこに私は教育の混乱、文部省側と日教組の対立という形がずっと昭和三十年以降続いてきたと思うております。これはそれぞれ教育の立場に立っての議論ではあったと思うのでございますけれども、この混乱がやはり私は子供に、あるいは社会に及ぼした影響というものは大きいと思うております。今後我々がそういう観点に立ってだんだんと国民の中に、教師とそれから行政、さらには父兄、PTAと申しましょうか、要するに社会というもの、これらがお互い協力しなければ、教育の向上発展はないということに目覚めてまいりまして、それに従ってだんだんと学校教育の必要が世間の大きい関心になってきたと思うのであります。  そして、さらに時代が急激に改革をされてまいりまして、特に技術革新によって世の中のあり方、経済活動というものがすっかり変わってまいりましたが、そうなりますと、今度は、教育の問題を見るにつけても対社会的にどう対応するべきなのかという社会経済とそれから教育との関係というもの、特に教育とは学校教育のことでございますが、こういう問題が大きくクローズアップしてまいりました。現在そういうことの総反省と申しましょうか、新しい前進のために過去を省みるということをいたさなければならないという時期に来て臨時教育審議会等が設立されたものでございますが、その間、明治以降ずっと文部省教育改革にその時代に即するように努力をしてまいりました。改善改善を重ね、よりよい教育を求めて努力してまいりましたが、一方から見まして、社会的要請に教育はどうこたえるかという問題等につきましては、やはり私は世間の見方も大事にしなければならないと思いますので、そういう観点から、つまり、社会人が見た教育改革というもの、これを議論する場として臨時教育審議会が設けられたと思うのであります。  したがって、現在我々が教育の問題を考えます場合に、教育の基本は、人格を養成していい子供を育てていく、社会に役立つ子供を育てていくということと同時に、時代の進展、特に社会変化に対応していく能力と、それからそれだけの自立心をつくっていくということ、これが大きく今問われておることだと思うのでございまして、そういう方向教育施策の重点を指向すべきである、このように認識しておるところであります。
  87. 林寛子

    ○林寛子君 今、大臣のお答えいただいたとおりであろうと思います。その中のすべてに私も賛同するものですし、多くの国民も同じような気持ちを持っていられるであろうと私も思っております。  そこで、今、大臣のおっしゃいました、この所信の中でも述べられておりますように、教育改革に対する国民の期待というものは非常に大きいという、これはもうそのとおりであろうと思います。けれども、今大臣がおっしゃいましたように、昭和五十九年八月に臨時教育審議会が発足いたしまして、二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年の育成を目指した教育全般にわたる審議を進めるということになりまして、今既に二回答申が出されておりますけれども、私は一部にこの臨教審の答申が果たしてどこまでできるんであろうか、臨教審の答申は出ることは出るけれども机上のプランであって、現実的にどのように行政の中で生かされていくんだろうかということが一部懸念されている空気が昨今の風潮でございます。私はそういう意味で大変、今大臣がおっしゃいましたとおり、臨教審というものはそのために設置され、そのために審議をしていただいているにもかかわらず、行政の中で、財政も含めて、臨教審の答申が果たしてどのように生かされるんだろうか、本当に臨教審の答申というものは将来の教育の中で生かされていくんだろうかという今ある疑問に対して、大臣はどのように対処しようとなさっているのか、その御意見を伺いたいと思います。
  88. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は、第一次答申、第二次答申及びその答申のもととなっております「審議経過の概要(その一)」「(その二)」「(その三)」とございましたが、それを読ませていただきまして痛感いたしますのは、確かに我々が気づかなかった問題点についての指摘もございますし、あるいは運営上改善しなきゃならぬ問題もあると思うております。そういう問題はできるだけ、文部省の中におきましてもそれぞれの審議会がございますので、そこを経過いたしましてその実行に努力しておるところでございます。  臨教審の御提案がございましたから直ちにこれを文部省がその趣旨に沿って改善するという、そういう手続にはなかなかなじまないものでございまして、臨教審からの提案がございましたら、それぞれその問題別によりまして文部省の中に設置してございます審議会なり委員会というものにお諮りしなけりゃならないのであります。これは、なぜそんな回りくどいかということをよく言われるのでございますけれども、教育というこの行政は、一度歩み出しましたらなかなか変更のきくものじゃございませんので、その政策決定あるいは政策変更については慎重な上にも慎重を期さなければならないし、しかも、公正中立ということをやろうといたします場合に、多くの有識者の意見を十分に聞いて変更に踏み切るということをしなきゃなりませんので、非常に時日を要するのでございますが、しかし、着実にこの答申の中に含まれております実行可能なものはそれぞれの委員会にお諮りしていただいておるという状態でございます。  そこで私たちは第三次答申に大きい期待をかけておりますのは、それは臨教審がいろいろと御提案もされ、あるいはまた改善への意見の具申もございましたけれども、それらのすべてを実行いたすにつきまして、すべてに共通して言い得ますことは、必ず財政事情がそれに相呼応してくるということでございます。特に、教育には莫大な金がかかるのでございまして、その準備も同時にいたさなければ制度の改正というのにはなかなか踏み切れないという点がございます。したがいまして、第三次答申で私たちはぜひこの教育行政に対する国の財政の取り組み方、そして財政的な配慮というものをどのようにするのかということをぜひ御答申いただきたいと期待をしておるのでございまして、その答申を待ちまして、臨教審の答申をワンセットにして我々文部省として改善への方向をつけていきたいと、こういう考えでございます。
  89. 林寛子

    ○林寛子君 財政を伴うというお話が出ましたので、財政に関してはもうたくさんの問題が個別にございますので、余り細かいことに入っておりますと時間がございませんけれども、今財政事情をおっしゃいましたので、一つだけちょっと個別の問題を伺いたいと思います。  今、臨教審の中でも問題になっておりますけれども、いわゆる九月入学の問題ですね。国際化促進の観点から、九月入学の制度の導入が臨教審の入学時期の委員会で審議が進められておりますけれども、これに対して大臣はどういうふうにお感じになっていらっしゃいますか。
  90. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) これは担当局長が答える方が詳しく御説明できると思うのでございますが、私も実は臨教審の総会に出席いたしましたときに、この九月入学の問題の中間的な経過報告がございまして、これを聞いております。  九月入学というのは、国際化に対して必要な措置であろうと思います。しかし、長年親しんでまいりました春入学、これもまたそれぞれの理由があって春入学に決定したと思うのでございます。そこで私は思いますのに、春入学かあるいは秋入学かという、こういう二者択一というそんな問題ではないと思うのでございます。ずっと長年、百何年にわたってなじんできたこの春入学、この春入学を秋入学に変えるとするならば、それだけのはっきりした、メリットと言ったら語弊がございますけれども、それだけの理由、教育的な効果というものを的確にしなけりゃならぬと思うのでご ざいまして、同時に、そういう切りかえをするということになりますと、莫大なやはり財政支出が必要でございます。  そこで、秋入学には私はそれなりの重要な意義があると思うけれども、春入学を秋入学へ切りかえる、つまりどちらをとるかという問題ではなくして、現在ある制度を他の制度に変えるというこういう観点に立って物を考えなければ誤解が起こってくると思うのでございます。そこにおきまして私は秋入学についての効果、効用というものと、それと財政的な負担というもの、これを双方を十分に相勘案して決定していくべきだと思っております。
  91. 林寛子

    ○林寛子君 今の大臣のお話のとおり、九月入学ということに対してのきっちりとした利点というものは一体どこにあるかというお話でございますけれども、私はやっぱり九月入学ということの大きな利点というのは、第一には諸外国に多いといいますか、世界じゅう見ましても六一・三%が九月入学になっているという国際性ということにかんがみて、やっぱりそうすることが、例えば海外からの帰国子女であるとか留学生の受け入れという面に対しても大変大きな利点があるであろうと思います。  また、六、七月に卒業しましてその後大学の入試が行われれば、生徒が三学期も学校に腰を落ちつけることができる。今の三学期というのは、ほとんど入試のために三学期というものが丸々、充実した三学期を送ることができないという今の現状から見れば、九月入学にすれば三学期の勉強も腰を落ちつけてできるという、これも大きな利点であろうと思います。例えば学校教育計画なども、夏休みに余裕を持って計画を立てることができるという、これも大きな利点であろうと思います。また、気候条件の悪い夏に学年の切れ目を持ってくるのが、日本の四季ということから考えれば、これも本当は日本に大変合った入学制度になるのではないかというふうにも考えられます。  また、生涯学習の観点から、夏休みの間、これから学校の施設というものを夏休みに開放してはどうかというようなこともございますので、生涯学習ということをうたっている今の社会の情勢としても、夏休みを開放するという点でもこれはいいのではないかというふうに思われますし、またもう一つは、今の状態でありますと、四月というのは大体学年の始めということで、どこでも四月の初旬に短期間に大量の教員異動があるわけですね。そうしますと、引き継ぎや授業などへの準備に十分な時間がとれないという今の現状もあるわけでございますから、これも、九月入学にすれば教員異動あるいは学校の方針等を含めて十分に準備期間がとれるという、これも利点であろうと思われます。  ただ、先ほど大臣がおっしゃいましたように、今まで長い間なじんできた四月入学というものに対してのいろんな抵抗というものもあるでしょうし、精神的ないろんな難しさというものもあろうと思いますけれども。それともう一つは、そういう利点が多々あるにもかかわらず、九月入学ということになりますと、今大臣がおっしゃいましたように、多くの予算を伴うという、例えばどれくらいの予算がかかるのかというようなことになりますとこれも大変大きな問題です。  この九月に移行するという方式にも、五通りぐらいの方式があろうと思いますね。例えば一・五倍入学方式、新入生の漸時受け入れ方式、繰り上げ方式、あるいは繰り下げ方式、または西ドイツ方式というふうに五つぐらいある。九月に入学を持っていくとしてもどの方式を取り入れるか。  例えば一・五倍方式というのをとりましても、これは最初の年度に小学一年生は約五割膨れ上がるわけですね。そのために学校の施設の充実や先生方の増員が必要になってくる、こういう大きな問題が一・五倍方式にもあるわけでございます。また、入ってきた一年生が高校を卒業するまで十二年間それが続くことになるわけですね。その経費というものが大変大きなものになろうと思いますし、小中学校の新たな国庫負担は、大ざっぱに計算しましても五千億円を上回ると、こう言われるわけです。ですからこれも大きな負担でございますし、国だけではなくて、高校の地方自治体の負担も含めますと、一・五倍方式になりますと一兆三千億円以上の予算がこれだけで必要になるという、一・五倍方式でもそうなるわけですね。  また、漸時入学方式というのをとりますと、これならば六年間は通常の姿でございますけれども、財政負担というものは一・五倍方式よりもやや軽くなるわけでございますけれども、それでも小中学校の国庫の負担は四千数百億円必要だとこれも言われているわけでございます。  そしてまた、新入生が半年おくらして九月に入学するということになりますと、新たな財政負担はございません。けれども、そうなりますと、入学金や授業料の収入をそれに頼っております私学というものは、私立高校というものは、特に私大にとりましても大きな年間の収入が途絶えるわけでございます。それも大きな問題でございますし、日本の私大連盟の試算では、この九月の入学移行に伴いまして、収入の欠損は最初の半年間で二千億円から二千五百億円にも上がると言われております。そのような各それぞれの減収と、政府あるいは地方自治体にかかります増額、予定見込み額というものが軽く一兆円を超してしまうというような額が優に要るわけでございます。  ですから、そういうものが、今時間がありませんからこれ以上細かく言えませんけれども、九月入学というものは確かにいいんだ、国際的な日本の門戸を開く、あるいは外人教師も含めて留学生、利点は今申しましたように多々ありますけれども、いいとわかっていても、これらの予算を伴う場合には果たしてどれだけのものが国で見られるんだろうか。この財政が緊迫しております時期に、これだけは別よと、別枠よというお心が果たして大臣におありなのか。その辺のところは、まだ結論が出ておりません、検討期間だとおっしゃいますけれども、私は今の国際化という、門戸を開いたその国際化の推進ということから見れば、やはりいつかの時点でこれに踏み切らざるを得ない時期が来るであろうと思いますので、まだ決定しておりませんから明らかには言えませんけれども、これが本当にいいことであるという結論が出た場合に、今は僕の大臣が済んでからかなんとおっしゃるかもしれませんけれども、私はやはり今大臣として大きな決意とそして推進方をお願いしたいんですけれども、その点はいかがですか。
  92. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) なかなか先生、いろいろと詳しく調べておられるので私もびっくりしましたが、まさにそのように財政的負担はいろんな各段階において試算をしておるところでございますが、しかし、実はまだ臨教審の方で分科会のようなものをつくっていただいて、そこで検討をしておられる最中でございますので、私はそれに対しまして否やの返事を申し上げるのは早計かと思いますし、また、せっかく研究し勉強していただいておる委員方々にも失礼だと思いますので、答弁は差し控えさしていただきたいと思いますが、私は、やはり国際化の趨勢から見た場合には、そのことの方向は間違っておらないという感じは持っておるものであります。
  93. 林寛子

    ○林寛子君 審議中ですから、答申が出るまではあえて大臣の気持ちは言わない、差し控えるべきであろうというお言葉、そのとおりかもしれませんけれども、私はいいことはその官庁の長が責任を持って推進する、言葉はばったく言えばハッパをかける、それが私は本当の教育改革の基本であろう。すべて審議会の答申が出るまでは物を言わない、控えると。それならばここの委員会の審議も私はむだになるというふうなそういう感覚を持ちますので、少なくとも審議の公平な結論が出るまでというお気持ちはわかりますけれども、いいと思われたことにはやっぱり、せっかく文部大臣におなりいただいたんですから、私は、いいと思われることは大臣就任中に少なくともハッパをかけてその方向に向くように、予算は自分たちが一丸となって、文教の先生方にもお願いして、野党の先生にも御協力いただいて、一丸となって取る というようなことが本当の教育改革の原点であろうと思いますので、あえて、御答弁は要りませんけれども、そのように文部大臣として御努力いただきたいし、また推進していただきたいことをお願いしておきたいと思います。  それから、これは臨教審の答申の中にもるる問題が出ておりますので、これも難しいところでございますけれども、道徳性を育てる教育の充実ということに関して大臣の御意見も伺いたいんです。  今まで、いじめだとか登校拒否であるとか、かつて日本教育の中では見られなかったような諸問題が多々出てまいりました。今、少しは鎮静化しておりますけれども、これは基本的になくなったわけではないと思います。それと、もっと大事なことは、先ほどから同僚委員の午前中の質疑の中にも少しございましたけれども、私は、法律の中で国旗も国歌も制定していない、しかも日曜日も法的に休みであるというようなものもない、祭日は休みであるという法的なものはあるけれども、というふうな、大変法的に頼りない現状の日本なんですね。恥ずかしい話なんですけれども、子供たちに日の丸の旗を上げるの知ってると言ったら、知ってるよと言うんです。いつ上げるのと言ったら、オリンピックに勝ったときと言うんです。君が代って知ってると言ったら、一人では歌えないけれどもみんなと一緒だったら歌えるよ。じゃ、君が代っていつ歌うの、お相撲の千秋楽に歌う歌、こう言うんですね。私は、君が代と日の丸がはっきりすれば道徳心ができるなんて、そんなことは思っておりませんけれども、これは後でも私ちょっとスポーツ関係でアジア大会を顧みてそのことを申し述べますけれども、やっぱり私は道徳教育の基本というものをもう一度考え直さなければいけない。  また、視点を変えて、日の丸とか君が代だけではなくて、道徳教育がいかに大事かということは、やがて日本が十四年後に迎えます高齢化社会というものを考えますときに、これは、私、女ですから言いにくいし言いたくもない部分もあるのですけれども、正直言いまして、今四十二億から三億という世界人口が十四年後の二十一世紀に六十二億になると言われ、しかも一億二千万突破した日本国民の人口の中で、今六十五歳以上のお年寄りは現段階で九人に一人と言われております。それが二十一世紀には四人に一人になるわけでございます。私も二十一世紀は老人の仲間入りをいたしております。そのときに、私、大変悲しいことは、もう世界一長寿社会になって、女性が八十歳、男が七十五歳という世界一の長寿社会になったんですけれども、二十一世紀、四人に一人の老人社会に果たして一体どうなるか。国だけではしょい切れない、地方自治体だけでも四人に一人の老人の福祉はとてもしょい切れないという二十一世紀が目の前でございます。  そのときに、私は先ほど大臣に戦後の教育の中で忘れられたものは何ですかと聞きたかったんですけれども、後ずらしにしたんですけれども、戦後の教育の中で一番なくしたもの、それはやっぱり私は道徳の教育であろうと思います。それが今申しましたように、二十一世紀老齢化社会を迎えましたときに、四人に一人の老人で、少なくとも今のように親を大事にしない、親とは一緒に住まない、自分は自分、自分たちだけが幸せなればいいというような気持ちだとか、あるいは老人をいたわりなさいと小中の教科書には一言も書いてありません。そういうようなことも含めて、私はかつて予算委員会でも御質問申し上げましたけれども、今の教育の中に、ボランティアでみんなが、社会でもいい、あるいはお年寄りでもいい、老人施設でもいい、みんなが社会奉仕の時間というものを入れて、それを単位に入れたらどうだ、そうすると少しは道徳心の足しにはなるんではないかと御質問申し上げたことがございますけれども、そういう広い意味での道徳性を育てる心の教育というものが欠けていることをどのようにこれから持っていこうとなさるか、また、道徳教育あり方というものはどうあるべきかという大臣所信を伺いたいと思います。
  94. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 今、道徳教育というのが確かに時代的要請として強く求められ、また、これに対する関心が非常に高まってきておりますが、しかし一方では、非常に残念なことは、道徳教育イコール日本的道徳の復活イコール軍国主義への復活という、そういう単純なパターンでこれを議論されるものもございます。そういうことではなくて、道徳教育というよりも社会秩序を維持するためにみんなが守らなければならないルール、そしてまた一方、人は人としての自分の周辺に対する、親とか子供、友人とかというものに対するそういう道と申しましょうか、あり方、倫理というもの、こういうものが私は本当の道徳教育だと思うのでございますが、そういうものに限って申しますならば、私はだんだんとそういうものが学校教育で各学年ごとにその成長に応じて教育は施されてきておると思うのでございます。ただ、その時間を割り当ていたしたといたしましても、実質的に中身がどのように教えるかということは、これは非常に難しい問題だと思うのであります。  そこで、これは学校教育で重要な課題であることは当然でございますが、同時に、家庭において、社会において、これもやっぱり私は真剣に取り組んでもらわなければならない問題ではないか。つまり、日本人総ぐるみでこの問題に体当たりしていただく時期ではないかと、こう思うのでございまして、学校教育においては、この推進役としての各科目における教授内容検討、そういうもの等をもっとさらにさらに進めて実施をしていきたいということを念願しております。
  95. 林寛子

    ○林寛子君 時間がございませんので、はしょって申しわけないんですけれども、諸般質問要項をたくさん出しておりますけれども、十月の二十日に教育課程審議会から「中間まとめ」というものが出されました。その中で幾つかの問題点を取り上げたいんですけれども、もう既に午前中同僚委員からこの問題については論議をされましたし、御意見もございましたので、時間がございませんし、あえてこれは、学校の五日制の検討の問題は、同僚委員から御質問がございましたので省かしていただきます。  私は一つだけ、この課程審の二十日の「中間まとめ」によりまして、「広い視野に立って現代社会への判断力を養う」というそういう目的で、五十七年四月高校一年生の必修科目として「現代社会」が取り入れられました。それが今度は必修から選択に変わったんですね。私は、「広い視野に立って現代社会への判断力を養う」というこの理念というものがわずか五年で必修から選択に移行したこの裏は一体何でしょうか、それをちょっと伺いたいと思います。
  96. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) このたびの教育課程審議会の「中間まとめ」の基本的な考え方が二つございまして、一つは、幼稚園、小学校中学校高等学校教育内容の系統性と連続性を図る、これが第一点でございます。それから第二点は、特に中学校の段階、そして高等学校の段階につきまして、中学校については義務教育ということではありますが、やはり中等教育の前期の段階としての押さえを重視して選択の幅の拡大を図る、これが第二でございます。  以上二つの基本的な考え方を踏まえて、ただいま先生お示しの「現代社会」の問題でございますが、「現代社会」が設置されましたときには、むしろ高等学校の一年生について、中学校教育との兼ね合いでこれを必修的に押さえて全体の生徒に現代社会内容を履修させる、こういう考え方が強く出ておったわけでございます。中身の問題と申しますよりは系統性、連続性の問題としてまず一つ押さえられていたという経緯がございます。この点につきまして、このたびの教育課程審議会は、中学校三年も非常に選択の幅を拡大いたしますので、高等学校の一年生につきましても必修の考え方についてはもう少し選択を、何と申しますか、幅を拡大していく、高等学校一年生についても選択の幅を拡大すると、こういう思想が前提としてございます。  それからもう一点は、やはり「現代社会」、先生御指摘のように、まだやって間がないのでございますけれども、実際の現場における教育の実態から申しますと、必ずしも所期の成果がおさめられているかどうかと、そういう実態的な面もございます。恐らく以上二つの点で課程審の「中間まとめ」では現代社会の必修を外すというふうな御指摘になったものというふうに理解いたしております。
  97. 林寛子

    ○林寛子君 私は、少なくとも教育の場でそういう試行錯誤が余り行われては、一番迷惑がかかるのは生徒でございますので、必修にしたものをわずか五年間で選択にするというような揺れ動くことはなるべく避けて、一貫した、もう当初に、五十七年に行われたときには、「広い視野に立って現代社会への判断力を養う」という大義名分が出ているわけですから、それを特に私は申し上げておきたいと思います。  それからもう一つ、この教育課程審議会の「中間まとめ」の中で、「二十一世紀に向かって、国際社会に生きる日本人を育成するという観点」に立った中間まとめということ、大きな「二十一世紀に向かって、」ということが書いてあるんですけれども、その中で、時間がありませんからもう一つだけ取り上げさせていただきたいというのは、英語の選択教科ということについてなんですね。英語の選択教育というものは、私は果たしてどれだけあれば、何時間あれば、先ほどからもちょっとお話が出ておりましたけれども、英語の教育時間が充実されるか。何時間あったらいいと言うことは私はできないだろうと思います。けれども、私は、この教育課程審議会のまとめ中にも書いてあるんですけれども、「選択教科については、その種類を拡大する方向検討する。」という文章がございまして、その後に、「選択教科である外国語については、ほとんど全ての生徒が履修している実態があり、国際化の進展に対応する観点から必修にすべきであるとの意見がある。」、また、他方、「英語は国際語としての性格を強めているので、英語を必修にしてはどうか」、いろんな意見が出ているわけですね。そしてまた、英語の必要性を多くの方が言っていらっしゃいます。  私はそういう意味で、ことしの一月の二十日に文部省が課程審の第六回の総会で、「外国語教育の現状と課題」という資料を提出されましたね。私はその中身を今聞いている時間がございませんので、この第六回の総会に教育課程審議会に出された文部省の「外国語教育の現状と課題」、その中で、中学校の外国語の週当たりの授業時間数が標準三時間とされている、一部に時間増を求める声があるというふうに文部省は見解を出しているんですね。けれども、これは一部に時間増を求める声があるというだけで、文部省自体の見解は何も出されていないわけですね。一般の声があるというだけにとどまっている。また、国際化の中で英語は一体何時間必要なのかということも大きな問題になってまいります。昭和二十二年の学習指導要領で、その中に、毎日一時間週六時間が英語学習の理想的な時間で、週四時間以下では学習効果が極めて減ると、そのようにお書きになっているわけですね。私は、昭和二十二年といえども私はこれは賢明な要領だと思うんですよ。ですから、二十二年でもう既に毎日一時間週六時間と、こう書いてあるんですね。それから見れば、私は大変文部省の姿勢に、国際社会と銘打ちながら、なおその姿勢には、私は、一部に時間増を求める声があるというだけで、文部省自体がそれに意見を出さないということでは、大変な後退である。  現代の国際化の中で、いや応なしにこれは進んでいっているわけですね。そして、発展途上国とのいろんないきさつも、これからは英語でおつき合いするということにおいては大変比重が高まっている中で、文部省自体の見解というものは一体どのようにお考えなのか。これは先ほど同僚委員への中で文部大臣は御自身の所感を述べていらっしゃいましたけれども、英語の選択の時間、これについて文部省の見解を聞かしてください。
  98. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御指摘のように、現在選択の英語の時間につきましては、公立学校は大体一週三時間というふうになっております。これは御案内のとおり、前回の指導要領の改定の際に、全体の一週間の授業時間、現在三十時間でございますが、これを一割カットして基本的に精選したというふうな経緯で、各教科の科目の時間数が減ったことに伴いましておのおの三時間になったという経緯があるわけでございます。  各教科時間数の増については、それぞれの担当者からの強い意見がございます。私ども今回教育課程審議会でいろいろ御議論していただく際に、先生御指摘のように、英語の授業時間の増大についての各方面の要望が強いことは申し上げてございます。一部という表現につきましては若干御批判があろうかと思いますが、そういう立場に立って教育課程審議会でもいろいろと御検討をいただいたわけでございます。  結果といたしまして、教育課程審議会の「中間まとめ」におきましては、中学校における選択の幅を拡大するという前提もございますが、外国語の英語の授業時間につきましては現在三時間でありますところを三時間から四時間、実態として四時間の履修が可能なようにというふうな考え方教育課程審議会の「中間まとめ」はできておる、こういうふうに理解いたしております。  文部省は、その点を踏まえて最終的な答申が出ました後指導要領をつくりますので、その際にまたいろいろ考えてまいりたい、こういうふうに考えております。
  99. 林寛子

    ○林寛子君 先ほど申しましたように、選択だけれども、今の国際社会の中で日本人が今まで一番劣っていたのがやっぱり語学力であると言われているわけですね。ですから、私のような年代はもうこれから老いるだけですからいいですけれども、少なくとも若い人たちにとって、何としても、国際的な人を教育するという面において、私は英語の履修時間というものの何らかの御配慮をこれからしていただきたい。しかもそれは前向きに取り組んでいただきたいということを要望しておきたいと思います。  それから、時間がありませんので恐縮ですけれども、文化庁いらしていただいておりますね。  大臣も御存じのように、今、日本と諸外国との間の貿易摩擦が大変問題となっておりますけれども、この問題の緩和を図るというためには、政治的に経済的に直接打開するだけではなくて、やっぱり世界に日本文化というものを理解していただいて、それによって緩和をしていくということもこれからの大きな課題であろうと思いますけれども、果たして日本文化予算というものが一体どうなってきたのか、またどう変わりつつあるのか、私は大きな問題があろうと思います。  正直言いまして日本文化予算というものはもう恥ずかしいくらいといいますか、こういう席で言えないくらいの、〇・〇六七%というような本当に微々たる文化庁予算しかございません。私はその中でどうしても大臣に御理解いただきたいということは、特に国の文化予算が世界の中で恥ずかしいぐらい、先進国ではもちろん一番下でございますし、総理の演説の中ではたくましい文化といつもおっしゃいますけれども、現実文化に対してはどうかというと今言ったようなわずかな金額でしかない。それじゃ金額があったから充実したか、まあそうでもありませんけれども。  今、民活という言葉が多く使われております。国の予算が少ないのであれば、あるいは民間の皆さん方に文化に対してお金を出していただいて、それによって研究もし、あるいは文化の向上に役立てようという中で、名前は出しませんけれども、ある民活団体が世界じゅうの学術文化に貢献した皆さん方を顕彰をして、しかも賞金をつけて民活が行われている部分があるんですね。ことしを例にとりますと三人が受賞されました。外国の方ばかりでございます。そうしますと、お二方が学術ということで、これは免税でございます。三人受賞した中のあとの一人は芸術ということで、これは課税でございます。賞金の一〇%が税金に取られるわけでございます。これは、同じ民活で、学 術も芸術もすべて振興を図ろうというような多くの民間人たちの行為を私は踏みにじるものだと思うんです。  そして私は、そのように国の文化予算が少ないんだからそれじゃ民活によってというときになぜこのようになったかなと思いましたら、所得税法の第九条十八項二でございますけれども、「学術に関する顕著な貢献を表彰するものとして又は顕著な価値がある学術に関する研究を奨励するものとして国、地方公共団体又は大蔵大臣の指定する団体若しくは基金から交付される金品で大蔵大臣の指定するもの」、こうなっているわけですね。そうしますと、ただ単に所得税法九条の十八、二の「学術に関する」というところに、学術または芸術と、一言入れるだけでそれらの受賞者が公平に、三人の中の一人だけは一〇%税金取られるというような不公平がなくて済むわけですね。  ですから、これは所得税法ですから大蔵省だからおれは関知しないんだとおっしゃるかもしれませんけれども、こういう面でも学術と芸術ということだけで既に格差が出ている。それを一言直せば今言っている民活も完全に生かされる。しかもまた、きょうも一時から自由民主党の税調が行われておりますけれども、これは五十九年でございます、今の入場税問題というものも、多くの国民にひとしく文化を供与するということで、入場税に税金がかけられているのはおかしいではないかということで、入場税の撤廃運動を多くの皆さん方が今日まで展開してこられました。にもかかわらず、やっとこの入場税も五十九年からわずかに法律改正をしまして、そして免税点の引き上げ、演劇は三千円から五千円、映画は千五百円から二千円までは免税を認めようということでそれ以下は無税になったわけでございます。そのときに、大臣にもお聞きいただきたいんですけれども、入場税をそれだけ免税点の引き上げをやったために大蔵省は私に、四十億の損失だ、税収減だと言ったんですけれども、私はデータを調べましたら、五十九年から六十年、この免税点の引き上げを行いましてからわずかに三十三億しか減収になっていないんですね。ですから、私は何としてもこれももう一つ考えていただきたい。にもかかわらず、付加価値税ということで全部五%を税金で取ろうということになりますと、せっかく免税点の引き上げを行っていただいたにもかかわらず、入場料も一から五%をかけられるという文化の逆戻りという現象がこれで起きてくるわけでございます。  それに関して文化庁はどのような見解をお持ちなのか伺いたいと思います。
  100. 久保庭信一

    政府委員久保庭信一君) ただいま先生から文化行政につきましていろいろ御指導いただいたわけでございますが、文化庁の予算、現在三百六十三億でございまして、これを諸外国と比較いたしましても、制度が違いますのでなかなか正確な比較は、諸外国ですと芸術教育のものが入っておりましたりいろいろありまして、正しくの比較はできないのでございますけれども、我々、現在もまたこれからも大いに努力をしなければならない面があろうかと思いまして、先生の御指導も賜りたいと思う次第でございます。  また、税制の面でございますが、税制につきましては、ただいま先生がおっしゃられましたように、入場税等につきましては先生方の御指導も賜りながらその改善、できれば撤廃ということで努力をしておるわけでございますが、なかなか私どもの努力のとおりにまいらないわけでございますが、これからも文化行政の振興のために大いに努めてまいりたいと思いますので、よろしく御指導賜りたいと思います。
  101. 林寛子

    ○林寛子君 努めてまいりたいとおっしゃっていただく気持ちはありがたいんですけれども、私は、現実的には文化の後退ということが数字の上ではっきりと出てきているというふうに思われます。そういう意味で、私は、少なくとも皆さん方が、総理を筆頭に文化文化と声ではおっしゃいますけれども、文化だけは一番目に見えなくて難しい観点にあり、また、国会議員の先生方の中でも、文化に御熱心にしていただく人数も少ないという、農政に比べて、米議員が多い割には文化議員が大変少ないという現象もある、これも私は否めないところであろうと思います。私は、少なくとも文化庁を設立した意義というものはどこへ行ってしまったのかということを疑問に思っておりますので、文化庁は努めますと言うだけではなくて、毅然たる態度をもって、文化庁を設立したものは一体何だったのかという原点に立って大いに頑張っていただきたいと思います。  それから、時間がありませんから最後になるかと思いますけれども、塩川文部大臣に、この間の第十回のソウルで行われましたアジア競技大会に関して、少しお伺いしていきたいと思います。  韓国が前回の金メダルの獲得数を三倍以上にいたしまして、本当に二年後のソウルのオリンピックに向かって意気揚々としておりますのに比べまして、日本は実に三位に転落をいたしましたし、すっかり何か自信を失って、このまま日本のスポーツというものは地盤沈下をしてしまうのであろうかというような声もあるくらい情けない思いをいたしました。私は、テレビを見ておりました国民がひとしくそういう気持ちを抱いたであろうと思います。一体日本のスポーツ界はどうしたのか、日本指導官庁はどう考えたのか、そういうふうな声があるのは当たり前だと思いますけれども、それについてどういうお考えをお持ちなのか、まず所感を伺いたいと思います。
  102. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) ソウル・アジア大会で、各選手はそれなりによくやったのでございますが、やはり日本の選手よりは韓国、中国の選手がすばらしい成績を上げました。私たちも、それにつきまして、どういうところに問題があるのかということを検討する必要があると思いまして、体育局等を中心にいたしましてその検討を進め、そしてさらには日本体育協会の幹部の方々ともお会いいたしましてこの問題に対する検討をいたしておるところでございますが、体育協会の方からも具体的な要請が来ております。その一つは、何といたしましても体育の技術の向上、これに対して日本の対応がおくれておったということは、これは私も認めるところでございまして、そのためにはもっとスポーツというものが生理的に、医学的に、あるいは物理的、運動学的にですか、運動物理的にもっと研究をし、より合理的な動作をつくり出していかなきゃならぬ。このために筋肉であるとかあるいは生理学、そういう面における研究機関をつくってほしいという要望がございまして、これは文部省としてもつくっていきたいと、こう思うております。  それと、私たちの方から訴えました問題は、一つ日本体育協会等を中心として、要するにスポーツ界がアマチュアリズムというものを、日本の基準と外国のアマチュアの基準というものとは違うんじゃないのか。この物差しが違ってしまったら勝負にならぬじゃないか。だから、一度各国際競技の、オリンピックも含めてでございますが、アマチュアリズムというものの基準を、これをちゃんとしてもらわなきゃ困るということを私は申し上げております。そして同時に、世界のアマチュアの解釈に日本がむしろ合わすべきではないのかと思うのであります。日本のアマチュアリズムは余りにも厳格に遵守されておると思うのでございまして、一方、社会主義国並びに独裁的な国家というものは、もう国家の威信ということで、そのもの自体がもう何といいましょうか、英雄扱いのような形で訓練し、育ててきておりまして、これは私はアマチュアじゃないと思うのでございます。これだったら、それを職業とする立派な職業人じゃないかと思うのでございますが、向こうでは、社会主義国等では、そういう商業的プロというものもおりませんから、国家的プロになるわけでございまして、そこらが私は基準が違うと、こう思うております。  こういう点についても、十分検討すべきだと思うのであります。
  103. 林寛子

    ○林寛子君 大臣の方でも、担当者を呼ばれていろいろ原因の追求といいますか、より改善していく方法がないかとお考えのようでございますけれ ども、いろんな反省の弁といいますか、たくさん出ておりますので、幾つかを申し上げますから、大臣、参考にお聞きいただきたいと思います。  低落という言葉を使うと情けないかもしれませんけれども、日本のスポーツ界のこの原因について、いろんなところでいろんな方が今発言していらっしゃいます。その幾つかを私も拾ってみました。まず、大会があるから参加したんだと。国のためという感じを年寄りは持つが、若者には通じない。この現状の修正は難しい。山があるから登るんだと同じ感覚だと、こうおっしゃる。そして、日の丸をつけていくんだからと選手にじゅんじゅんと諭すのに苦労するという協会の幹部もございます。また、ハングリー精神も、国民一人当たりの年収が八千五百ドル以下なら金銭欲や物欲などの物質面にもあらわれるが、我が国のように、国民一人当たりの年収が一万七千ドルと倍以上もなりました。しかも、アメリカの一万六千ドルを抜いて世界一ともなれば、昔の貧しい時代の名残りの根性を押しつけても選手は動かない。また、金の差だよという声もあるわけでございます。そして日本の代表選手が、個人の負担金七万円を納めて日本選手が参加していると言いましたら韓国の団長がびっくりしたという話もあります。また、年間十四億のアジア大会強化費は、これは大した金額ではないかと思いますけれども、これでも大した金額どころか、韓国の十分の一です。しかも、日本は専用訓練所、いわゆるナショナルトレーニングセンターというものを持っておりません。また、アメリカは、一九七六年モントリオールのオリンピックの金メダル争いでソ連に、東ドイツに負けました。そのためにアメリカでは即スポーツ法を成立させまして、三千万ドルのオリンピック選手強化費を結実させたんですね。日本はいまだにそれはできていません。また、施設不足を口にする日本のスポーツ人がたくさんいらっしゃいます。施設が足りないんだ施設が足りないんだとおっしゃいますけれども、今や日本じゅうには、健康ブームに乗りまして全国各地であらゆるアスレチッククラブというものが、高い入会金を払って、大変世界的にも水準の高いアスレチッククラブが各所にできております。にもかかわらず、それをオリンピック選手に活用させないだけだという声もあるわけでございます。また、体協の委員会の中では、敗因を、一、技術は日本は上だが筋力の差がある。二、やる気の問題。三、コーチの教育がおろそかだったとの三点を体協では挙げました。  また私は、大会史上初の五連勝をしました室伏選手、彼の言葉を印象深く聞いたんです。おれはやるんだという動機づけをいかにできるか、やる気の問題を最重点に室伏選手は挙げたわけでございます。そして私は、ソウルに代表選手が乗り込んだ後、日本選手の中でただ一人、トレーニングセンターに通って力を維持していた選手は室伏選手ただ一人だったと聞いております。ですから私は、この四十歳でハンマー投げで五連勝という偉業を達成した室伏選手のその根性というもの、四十歳だからということではなくて、やっぱり基本的に根性が必要だという室伏選手の声というものは、やはり重みを増してくるのではないかと思います。私は、少なくともスポーツ選手の中でもいろんな、先ほども午前中の審議で新人類という話が出ましたけれども、根性がないというのは新人類ばかりだと言って笑ってもいられなくて、旧人類と言われるような今のリーダーたちにも私は少なくとも頭の切りかえをしてもらうことが必要ではないかと思います。  ですから、私は、これらの多くの人たちが言われているソウルのアジア大会の反省としてこれから大いに反省もし、そして所管庁としてできるものは確実に実行していっていただきたいと思って、それを促しておいて質問を終わりたいと思いますけれども、最後に一言、何かあればお答えいただきます。
  104. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 今おっしゃいましたが、私も立場を変えればそういうふうに申し上げると思うんです。そういうことを十分心得ておりまして、それに対しまして適時、より強化した対策を講じていきたいと思うております。
  105. 林寛子

    ○林寛子君 終わります。
  106. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 大臣の御所信につきまして、二、三御質問を申し上げます。  まず、道徳教育の充実を図るということが重要だというふうにおっしゃっているわけですが、道徳教育、この道徳というものの考え方でございますが、道徳の根拠は一体どういうところに置かれるべきか、こういう問題についてお尋ねをいたします。  ちょっと質問の仕方が漫然としておるようですからつけ加えますと、私個人の見解としては、道徳の根本は憲法だというふうに理解をいたしております。憲法の思想がこれが道徳の、今日の現代道徳の根本になければならぬのではないかと、このように考えておりますが、こういう点についてどのようにお考えでしょうか。
  107. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 道徳教育の基本の問題でございますが、先生御指摘のように、我が国の学校教育が憲法、基本法の精神に基づいて行われるということから、当然、学校における道徳教育も、御指摘のとおり憲法、基本法の精神を基本として行われるべきであるということでございます。  具体的に申しますと、憲法には基本的人権を初め人間尊重の精神が貫かれておりますし、それから教育基本法には教育の機会均等、能力、適性、進度に応ずる教育というふうな形での精神が貫かれておるわけでございます。これらを含めて学校教育における児童生徒の豊かな人間形成を図るというところで、各事項につきましての一種の徳目的なものという押さえ方ではございませんが、配慮すべき事項等につきまして指導要領でいろいろと示しており、それに基づいて学校現場で道徳教育が行われておる、こういうふうな実情でございます。
  108. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 児童とか生徒というのは、まだ知識もございませんし経験もございませんので、道徳とか憲法とかいいましてもわからない、全く白紙の状況におると思いますが、こういう白紙の状況にある児童に対して具体的な教育がどのように行われるかという問題は、大変重要な問題であろうと思います。もちろん、教科書にこの憲法精神が貫かれておるということは当然必要なことでございますが、学校教師がどこまで憲法精神に徹して教育しておるかということが問題であろうと思います。  こういう点について、文部省では従来御調査になったり御監督なさったことはございますか。
  109. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御案内のとおり、小中学校高等学校含めまして、教員の免許資格がございまして、それぞれの先生方は、教員養成のプロセスにおきまして憲法、基本法というものは十分勉強してきていただいておるというふうな前提でございます。  それからもう一点は、やはり学校教育の、道徳教育はもちろんのことでございますが、社会とかいろいろ各教科科目が、それぞれの教育において憲法、基本法の精神を踏まえ、それぞれの関連、意味合いについての教育が行われるわけでございまして、児童生徒に憲法、基本法の精神を具体的に教えるについては、先生方も日常憲法、基本法は常に頭に置き、そして自分も学習をしていただきながらやっていただく、こういうふうな前提と思っておりまして、先生方もせっかく御勉強いただいておる、こういうふうに考えております。
  110. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 人を殺したらいけないんだとか、あるいは人をいじめたらいかぬとか、殴ったらいかぬ、他人の物をとってはいかぬということは、これは一体どうしていかぬのか、そのいかぬという根拠はどこにあるというふうに教えておられますか。
  111. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) これは大変難しい御質問でございまして、これは一口に申しますれば、法律その他で書いてあると申しますよりは、人倫の道という、やはり人の道の問題であろうかと思います。しかし、具体的に刑罰の問題としてとらえれば、刑法等でこういう行為を犯せばこういう罰 則があるということはあるわけでございますが、児童生徒教育の問題としましては、刑法とか刑罰とかいうところから入ることではなくて、やはり基本的な人間形成の前提の問題として人の道という形で先生方が教えていただく、その辺が道徳教育のそれぞれの中身の問題として指導要領にも取り上げられておる、こういうふうに理解いたしております。
  112. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 憲法は法律として教えるのではなくて、憲法に盛られた精神が私は大事だと思います。憲法十三条には、生命、自由及び幸福追求に関する権利、これは公共の福祉に反しない限り国政その他の上で尊重するとはっきり書いております。このことは法律で教えるのでなしに、体で子供たちに教えていただかねばわからない。いじめたらその場で、いじめることはいけないんだよということをすぐ注意をして直させる、そういう作業が本当に行われておるだろうかということに私は疑いを持ちますのは、いじめ問題があるからであります。この点、いかがでしょう。
  113. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御指摘のように、近年校内暴力、いじめの問題を中心としまして、児童生徒の非行の問題というものが大変学校段階で深刻な課題になっておるということは、私どもも十分受けとめておるわけでございますし、従来から文部省、県あるいは市町村の教育委員会において、学校はもちろんでございますが、それへの対応を考えておるわけでございます。  その点につきましては、やはり先生方が一丸となって、今先生御指摘のような基本的な道徳教育、基本的な人間としての行動規範と申しますか、社会生活におけるあるべき道というもの、これを先生児童生徒に対して十分教え込む。これは一口に申しますならば道徳教育の充実ということに相なるわけでございますが、その点についての重要性ということは十分現在も認識しておりますし、今後もその点については努力をいたしたい、こういうふうに考えております。
  114. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 その点はそれでいいんですが、現在学校教育というものが、私どものように素人が外から見ておりますと、余り重要視されておるようには思われないわけであります。学校は添え物であって、塾が実際に子供たちの教育をする場だというような風潮があるように見えるわけですね。すべてが塾に通わなければどうにもならぬというこういう風潮に対しまして、私は学校教育が全く無責任な状況にあるんだと言わざるを得ないのであります。大学は、私もよく知っておりますが、まことに無責任で、学生は勉強しないで遊ぶところだと心得ている。高等学校はこれまた塾通いだけであって、学校へ行きましても、学校ではほとんど身に入る教育はしていない。中学もしかりであります。  こういうような状況で、一体教育がなされておると自負できるかどうか、私は非常に疑問に思うのでありますが、どうですかね、この点は。大臣はいかがお考えですか。
  115. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 学校教育につきまして大変厳しい御批判がございますが、やはり先生のおっしゃいます基本は、道徳教育の充実ということをどういうふうに考えているかということに尽きると思うわけでございます。  先ほど来私どもで申し上げております教育課程審議会におきましても、先般の「中間まとめ」で、児童生徒の意識や行動の側面から、先生おっしゃいます生命尊重の態度とか、他人に対する思いやりとか、あるいは責任感、基本的な生活習慣、こういうふうな点を課程審では取り上げ、これらが必ずしも十分じゃないという認識を示しておられるわけでございます。この点、今後の私ども学習指導要領の作成なり教科書、あるいは現場指導の問題として、少しこれは長期的なレンジの問題になりますけれども、今先生御指摘の点について十分おこたえできるような方向での教育課程の問題、現場指導の問題について努力してまいりたいというふうに考えております。
  116. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 教育政策につきましていろいろ答申などが出されておりますようですが、どうも枝葉末節なことばかり書いてあって、教育の本質が全く抜けておると思わざるを得ないわけであります。入学試験の問題も大切でしょうけれども、こんなことは国が少し金を出せば解決することです。学校が足らなければ、みんな入れるように学校の数をふやせばいいことです。それは金の問題であります。ところがそういうことはしないで、入学試験ということで絞っていこうという考え方に私は教育の根本的な間違いがあると、こう思うんですが、どうお考えでしょうか。
  117. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御指摘の、実際の教育の現場が入学試験の影響を強く受けておる、これは実態だろうかとも思います。ただ、私どもとしては、事柄は分かれておりまして、入学試験制度の改善なり改正ということはそれはそれとして、文部省としても担当部局において鋭意検討しておるわけでございまして、それとはまた別の次元で、小中高等学校教育の実際の教育現場における教育あり方先生御心配いただいておりますようなことについての問題点を意識しつつ、それにこたえるような形での充実を図る、これがまた一つ別な立場で行うべく努力をいたしておるわけでございまして、入試に実際に影響を受けておるという現場の問題というものは、これは偏差値教育の問題につながるわけでございまして、それはそれとしての是正の努力はいたさなければならない、こういうふうに考えます。
  118. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 きょうは、実は教育制度につきまして余り詳しく御質問申し上げる予定ではなかったんですが、御答弁を承りまして、どうも我が国の教育がこれでいいのかということを考えざるを得ないのであります。  塾中心の教育というものは人間をつくる教育ではないはずであります。それは単なる試験技術を学ばせる。しかも、小学校からそれを子供たちに強要するという、こういう風潮はどこから一体生まれたかという問題です。生まれた原因を取り去らなければ直らないと思います。いい高等学校だとか悪い高等学校と言ってみたって、結局、それは無理な入学試験を子供たちに課するから起こってくる問題だと思います。子供たちに解けないような問題を入学試験に出す、これがよくないと私は思いますがね。その問題を解決していく。  よくこういうことをおっしゃる。試験問題をたやすくすればみんな合格するから困る、落とさねばならぬから難しくするんだと、こういうことをおっしゃるんですが、私はこれは逆ではないかと思うんです。よくできても落ときなきゃならないようなそういう状況自体が、これが問題なのでありまして、そのことの解決を図らなければ問題解決にはならない。ほかのことをやめてでも学校の数をふやす。しばらく借金をしてでも、国債を発行してでも学校の数をふやして、そして子供たちが皆好む学校に入れる状態をつくり出すことが必要ではないかという問題ですが、この問題につきましてもう一つ御批判があると思います。そんなことを言ったって先生がおらぬ。殊に大学によっては教授の数が足らぬからだめだと、こういうことをおっしゃる方もおります。それはそういう者をつくろうとしないから足らぬので、つくれば足ると私は思います。ですから、そのような問題について根本的な御検討を政府でなさる御意思があるかどうか、お伺いいたします。
  119. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御案内のとおり、高等学校が九四%の進学率で、大学が三五、六%というところでございまして、まあ十八歳人口の段階でとらえますとやはり間口は狭くなるということで入学試験が行われるという、これは若干やむを得ない点でございます。  最後の点で、先生御指摘の間口を広げるという問題、これは六十七年度に十八歳人口がピークに達しますので、文部省といたしましては、高等教育拡充の年次計画を立てまして、大学入学十八歳人口のピークに備えて、国立大学並びに私立大学にかかわる定員増、臨時増募につきまして計画的な対応策を講じておるというのが現状でございます。  それから、前段の方のお話の入試問題でござい ますが、これは共通一次テストが始まる前は、先生御案内のとおり、各大学、難問奇問が大変出て、落とすための設問が多かったという点がございまして、それへの批判等もあって共通一次テストが走り出したという経緯があるわけでございますが、大学入試センター等での入試問題作成が大変適正な問題になってきておるという点は先生もお聞き及びのことかと思うわけでございまして、やはり高等学校教育における教育課程を踏まえた入試問題であるべきだという点は、私どもも先生と同じ意見でおるわけでございます。
  120. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 それではこの問題はこの程度にしまして、次の問題に入ります。  先日、兵庫県のある人が私のところへ手紙をよこしまして、今、教科書検定ということを皆やかましく言うけれども、あの教科書検定ということは専門的なことで難しくてわからぬ。子供たちには関係がない、あんなことをなぜごちゃごちゃやるんだろうか。あんなことをやるぐらいだったら平和教育をしてくれと、こういう手紙なんです。それで先生はどう思うかというわけですね。私、返事出しました。どういう返事を出したかといいますと、教科書というものをいろいろ批判をするのは教科書に書いてある内容が問題だからだと。教科書にもし憲法に反する思想があったり、あるいは国際感覚に反する思想があったりすれば、そういう教科書で子供たちが勉強すれば平和教育にはならないではないか。平和教育という問題と教科書は密接に結びつく問題なんだから、だからその点を理解をしていただきたいと、こういう答えを出しましたがね。  そこで教科書の検定という問題につきまして、これは文部省でも恐らく御方針があると思いますが、根本方針はどういう点にあるでしょうか。
  121. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御案内のとおり、教科書は、小中高等学校教育の主たる教材として大変大事な教材でございます。したがいまして、これは著作者の創意工夫によって著作されるわけではございますが、やはり客観的で、しかも公正でかつ発達段階に応じた教育的配慮に基づくものでなければならないと、こういう要請があるわけでございまして、その点を基本として国での検定が行われておる、民間の創意工夫を生かしつつ客観、公正、教育的配慮という、小中高等学校生徒に応じた教科書の検定を行っておる、こんなふうな姿で今私どもは実際の検定作業をやっておるというふうに御理解いただきたいと思います。
  122. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 教科書の検定の問題につきまして、私は、やはり憲法そのものの条文の内容を十分考えた上でふるいに通すべきだと、私はこう思うわけです。例えば、表現の自由というものがあるかもしれませんが、表現の自由はあることにはあるんだが、それは公共の福祉に反すれば制限されるんだというところから検定も認められると、こういうことだと思いますがね。もし表現の自由が絶対的なものならば検定は認められないということになるんです。  私の憲法的な理解では、憲法の十三条というものは政府がよって立つ根拠だと考えますので、公共の福祉という問題、これはいろいろの批判はございますけれども、当然考えなきゃならぬ問題だと思います。といいますのは、もし教科書に反憲法的な表現がしてあれば、当然それは検定で直すべきだ。それから、教科書に反国際的なことが書いてあれば、これももちろん直すべきだ。そういう点で、たとえ表現の自由を憲法が保障していようとも、憲法に反するものは直さねばならぬ、こう私は考えるわけです。国際化ということも、国際感覚ということも憲法に書いてある。憲法の前文にははっきりあります。憲法の条文の中にもあります。したがいまして、いわゆる国民主権制、それから基本的人権の保障、恒久平和、そういうもののほかに、やはり国際正義の原則は当然守らねばならぬ、こう思います。  そういう観点から教科書の検定をやっておいでになるのかどうか、お伺いいたします。
  123. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御指摘のように、教科書も、憲法それから教育基本法の精神に基づいてあらねばならないということは当然でございまして、学校教育自体が憲法、基本法の線に沿って行われるということが我が国の教育前提でございます。したがいまして、先ほど私が教科書検定で客観、公正そして教育的配慮というふうに、若干抽象的ではございますが、一つ考え方を基本として申し上げたわけでございますが、その前提としては憲法、基本法が厳然としてあるというふうに理解をし、そのような気持ちで検定が行われているということは申し上げられると思います。
  124. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 それでは次の問題に入ります。  教育において、一番精神的なバックボーンとなるのは歴史教育だと私は思います。道徳教育も、これも歴史教育の背景があっての道徳教育だと思いますが、歴史教育あり方につきまして、私は教科書を見せていただきました。なかなかうまくできております。できておりますが、何か気が抜けたような、気の抜けたビールのような感じがするわけです。結局、日本史というものを考える場合に、東洋史とか西洋史とかあるいは世界史というものとの関連日本史は考えなきゃならぬのですが、とかく日本史だけが浮き上がってしもうておるという感じを受けるわけですね。  特にまた日本の歴史を見る場合でも、年表を見ますと、最近の年表ではもう奈良朝以前のことは書いていないんです。白紙ですわ、ほとんど。そんな七世紀以前のことは白紙といったような日本の歴史だったかということを私は疑問に思うんですがね。もちろん歴史というものは、勝利者が、政権をとった場合には前の政権のことを全部消してしまう、これは昔からどこの国でも行われた。もちろん中国のように早く代がかわりまして、二百年や三百年でかわる場合は、前朝のやつを消そうにも消されない、覚えているから。自分が倒した王朝のもう一つ前の王朝のやつを消そうと前の王朝がしても、後の王朝がそれを認めないから、だから続くわけです。だが日本の場合は、御承知のように桓武天皇以後の王朝は全然揺るぎがない。そうしますと、その以前についてどうであったかということは、これはもう日本書紀、古事記によるわけですけれども、日本書紀、古事記自体が実はこれは前の王朝の歴史を消してしまってつくったものであるというふうに思われるわけです。  なぜならば、三国志の魏書の中に明らかに邪馬台国、あるいは邪馬壱国と読む人もおりますが、そういう国があるということが書いてある。にもかかわらず古事記には書いていない。日本書紀にも書いていない。ということは、現在の我が国の王朝政権ができる以前の王朝というものは抹殺された。少なくとも邪馬台国は抹殺されたということになるわけです。邪馬台国だけじゃそんな問題ではないと思います。そのほかたくさんのことがあると思いますがね。  そういう問題について、今日復元することは大変困難でしょうけれども、やはり国民主権になったんですから、できる限り戦前の歴史のその前の歴史というものも正確に評価すべきだ、こう私は考えるわけです。そういう研究をやらねばならぬのですが、こういう問題について、今はもう全く民間だけに任せられておるような状況ですが、政府においては、こういう問題の一層の明確さというものはどうなさるおつもりか、お伺いいたします。
  125. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御指摘の、日本の古代の扱いの問題でございます。歴史の学習指導要領、日本史で申し上げますと、これは高等学校の場合でございますが、「日本文化の黎明」とか、「大陸文化の摂取と文化の国風化」と、これは表題でございますが、やはり「日本文化の黎明」というところで、これは中学校につきましてもそうでございますけれども、日本書紀や古事記等の扱いもございますけれども、先生御案内の、倭の国の五王というのがございますが、そういうふうなものの扱いも教科書の中には触れておるところでございます。  問題は、先生御指摘のように日本の七世紀以前、特に五世紀以前の問題はなかなか歴史的事実とし ての把握が難しゅうございます。日本書紀や古事記に書いてあること自体も必ずしも史実であるかどうかについては問題が残っておるというふうなところでございますので、中学校段階、高等学校段階での古代の、先生御指摘のような時期の扱いにつきましては、余り踏み込んだ扱いということではなくて、そのあたりにつきましては、今申し上げました倭の五王の問題とか、そのような扱いが若干教科書であらわれておると、そういう実情でございます。  そこで、政府としてどうするのかという御指摘でございますが、やはり教科書で扱います場合には、先ほど申し上げましたように、客観的にある程度学説においても通説として考えられているものの内容を教科書として取り上げるというふうな基本的な立場がございますので、学説が非常に分かれておるものにつきましては、それを事柄としてどちらかに偏ったものとして教科書で扱うことは必ずしも適切ではないというふうな立場もございまして、余り踏み込んだ教科書の記述にはなっていないというのが現状でございます。
  126. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 これは最近発掘されましたもので、和歌山県で馬のよろいが発掘されましたね。鉄製の馬のよろいですが、ああいうもの、あれは元来大陸から来たものだというふうに説明をされております。大陸でいろいろのものが発見されておりますが、最近新聞によりますと、今の中国の東北ですが遼寧省のところから、春秋時代、つまり紀元前七七〇年から四七五年の間につくられたものと思われるものが出てきた。それがペルシャの方の軍隊のかぶととよく似ておる。  それからペルシャの話でついでに申しますと、イッソスの戦い、これは紀元前三三三年ですが、これのモザイク画がポンペイで出土しております。そしてそれを見ますと、戦車で逃げるダリウス王が、馬に乗って逃げるところが載っていますが、そのものは現在はナポリの博物館にございますが、その逃げるときに従っておる軍人とか軍馬とかそれから軍装、軍人がつけておるよろいとかかぶととか、そういうものは、先般、中国の秦の始皇帝の周辺でたくさんの人形が掘り出されました、始皇帝を守る軍人、軍馬が出てきましたが、その姿とそっくりです。馬のしっぽを結んでいる点とか耳の形とかそれからよろい、こういうものはもう寸分違わないものなんです。  ということは、これは大変重要なことだと私思いますが、秦というのは中国であって漢民族だと、こう思っておったところが、そうではないのではないか。いろいろ年表を調べてみますと、秦の孝公が商鞅を登用しまして政治改革を行ったのが紀元前三五九年の政治改革と言われるものです。大体そのごろに当たりますのは、ちょうどアレキサンダー大王がペルシャに攻め入って、病気になってインドを去ったのが紀元前の三二五年ですね。秦の孝公が商鞅を登用したよりも後なんですね。それから、ペルシャが滅亡しましたのが紀元前の三三一年です。そうしますと、ペルシャがアレキサンダー大王によって滅亡させられて、そのときにペルシャの軍隊は一体どこへ行ったんだろうか。歴史には書いていないんです、どこを探しても。恐らくこれは今のシルクロードですね、あそこは当時まだ木も茂り、大変立派なところであったと思われますが、そちらの方を通って秦の孝公のところへ行ったのではないかと思われる。  その秦の孝公、秦はアレキサンダー大王がインドを去りましたその年に王を称しておるんです。王を名乗っている。そして、中国ではそれに倣って各種の豪族が王を名乗った。このことはやはりペルシャ戦争、アレキサンダー大王の戦争との関連を思わせるものであります。しかも、出てきた装束が全くペルシャの軍人の装束であるということ。  この秦との関係でもう一つ日本の関係を申しますと、史記というのがございます。中国の史記、司馬遷がつくりました中国の最初の歴史書であります。この史記というものの中に、徐福という人が秦の始皇帝の命令で不老不死の薬を求めて日本へ行ったという記事がございます。そのときには、徐福が住んでおった県の県民全部連れて船に乗って日本に渡っておるわけですね。これは史記にはっきり書かれておるんですから。まさか史記がうそを書いておるとは思われない。  そうしますと、秦の国からやってきた徐福、それはどこへ来たかといいますと、これは熊野に上がって、それからしばらく熊野におって、後に富士山ろくへ行っています。富士山ろくに当時一つの王朝があった。これは「富士文書」に載っております。この「富士文書」のことは戦前において一回新聞にも大きく載りまして、あらゆる新聞に載っていましたが、発見者が大変批判されて、日本で軍の政治が行われるに至って弾圧されたんです。そして偽書として葬り去られた歴史があります。しかし、こういうものはやはり今日、偽書としてただ反撃するだけではなくて、もう少し研究する必要があるのではないかと思われるわけであります。しかもこの本によりますと、ウガヤ王朝というものがあった。ウガヤフキアエズノミコトは古事記ではたった一代でありますが、あれが五十一代あったと。ほかの本によりますと七十三代だと言うておる、それは女王も入れまして。そういう記録もある。しかもそれは大陸の話だというんです。つまり、日本の国を支配した支配者の先祖は大陸から来たと。このことが実は最近——最近といいましても明治時代ですが、発見された本があるわけですが、それは現在日本でも発行されております。  例えば、物部氏の書物と言われております「ホツマツタエ」という本、それから源頼朝の子供が編さんしたと言われておる「ウエツフミ」という本、この「ウエツフミ」は山窩の系統の思想で書いてあるということですが、こういう本。それから、いわゆる中国の山東省のラマ寺で発見されたという本があるわけでございます。この本などは実は大変重要な本ですが、これが無視されて今日までは偽書とされてきた。いろいろな古代における文献がございます。それから最近は「東日流外三郡誌」というのが出ましたね。あの「東日流外三郡誌」というのも、後で編さんしたものであるけれども古い伝説を集めてつくったと、こう言われております。  こういうような日本の古代における状況を明らかにするものが、本がいろいろあるわけですから、こういうものについて、これをただ民間に任せて、民間のおとぎ話にしてほうっておくべきじゃなくて、もう少しまじめに取り上げて、うそならうそ、本当なら本当ではっきりさせる研究を奨励されることが必要ではないか。そして、日本の古代史をもっと明確にしていく。どこの国でもわけのわからぬ、年のことだけ書いてあるような歴史はないんです。世界史にしたって東洋史にしたって、全部これは政治史です。政治史を抜きにした歴史というものは成り立たたないわけであります。したがいまして、そういう点について御検討をしていただきたいわけですが、従来ほとんど面倒を見ていただけなかったんですが、今後はどういうことになりましょうか、お尋ねいたします。
  127. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 大変先生、該博な知的な御見解を御披瀝いただいたわけでございますが、この点につきましては二つ問題がございまして、一つは学問の問題として、今先生御指摘のようないろいろな古代史にかかわる文書が果たして真なりや偽なりやという点を詰めて、それをどのように日本の学界において定着させていくかというふうな問題が一つございます。この点につきましては、文部省が、何と申しますか、イニシアチブをとってこれらについて各歴史学者の方々にこの点について研究をもう少しやっていただきたいというふうなことをお願いする立場には必ずしも立てないわけでございまして、先生御指摘のようないろいろな書物も出ておるようでございます。古代史も今ブームだと言われておりますし、学界でもそれらの点の御指摘があるやに伺っておりますので、古代史の歴史学界におけるそれらについての研究がなお進展していくということを私どもは見守っていくというのが一つの立場かと思うわけでございます。  それからもう一つの問題は、教科書検定においてこういうふうな文書がどういうふうに扱われるかという点でございますが、私どもの立場で申し上げますと、まず、先ほど申し上げましたように民間著作という前提をとっておるものでございますから、民間著作で著作者が古代史についてどういう記述をし、どういう文書を取り上げ、どういうふうな内容で教科書を構成するかというのは、まず著作者の方のイニシアチブにかかわるわけでございます。したがいまして、従来の考え方では、それらの点については恐らく著作者側もいろいろな教育的配慮があったと思うわけでございますが、必ずしも先生御指摘のような文書についての記述とか、あるいは先生御指摘のような文書についてのいろいろな研究成果は上がってこないというふうな現状でございます。  したがいまして、私どもの方から著作者側にこれらの文書について記載をするべしとか、あるいは研究を深めてほしいということを申し上げる立場にもなかなか立ちにくいわけでございまして、検定の問題につきましても、今御指摘のような文書の扱いは、文部省の問題としてはなかなか難しい問題があるというふうに申し上げざるを得ないわけでございまして、もう少し学界における前段で申し上げましたような研究が進み、全体の客観的な古代史の事実が明らかになり、それが公にもある程度通説として認められました暁には、教科書の著作者もそれを取り上げて、民間著作として私どもの検定に申請される原稿として出てまいるであろうというふうにも思うわけでございます。もう少し時間をかしていただく必要があるのではないかというのが私どもの現在の立場でございます。
  128. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 それでは次の問題に行きます。  これは、中国の人で李済という人がおります。李済という人が「中国民族之始」という論文を発行しておりまして、この論文は一九五〇年の七月の「大陸雑誌」という本の一巻の第一期に載っております。その中にこういう話があるわけです。「頭の毛の黒くて皮膚の色の黄色い人種が、」、これがもともと中国におったわけじゃないんですが、そういう人種が中国へ来て最初に追っ払ったのが、「白色人種に近い毛人」というのがおったので、その「毛人を淘汰して東海へ追いやり、」と、こう書いております。白色人種に近い毛人を東海へ追っ払った、つまり日本の島へ追っ払ったということですね。「その後に黒い血液をもった人種を南へ追いやった」、黒い血を持ったのは南の方へ追っ払った、そして中国の大陸を支配した、こう書いておるんです。この「毛人」というのはアイヌでしょう。アイヌは毛が生えているでしょう、いっぱい。毛深い人間を向こうへ追いやったというんです。  そして、非常におもしろいのは、中国で王様が行列をするときに、物神柱を四本持ちましてそして前に立つんですが、その最初に立つのがフクロウです。フクロウの神柱を最初に立てていくわけですが、こういう風習は日本の古代でもあった。中臣氏が行った、四本の物神柱を持って大王、天皇ですね、大王の行列の先頭に立ったという記事がございます。その四本の柱、最初の柱がフクロウだ。皆さん御承知のように、アイヌ民族は鳥のシマフクロウを神様とする民族でございますね。シマフクロウを神様とする民族があったわけです。そのシマフクロウを神様とする民族は初めは中国大陸におったのですね。それが追っ払われて日本本土に渡って北海道へ逃げていった、南から圧迫されて。そういう経過をたどったに違いない。こういうことを推定をしておるわけですがね。  こういう問題は、これもまた非常に重要な問題であるわけです。今日、日本の歴史を語る場合に、日本民族というものは前からおったというふうに普通言われるけれど、そうではなくて、各地から来たんですね。南の方から来た。それから中中国におった民族はもちろん台湾、沖縄を経て本土へ来ております。昔は陸続きでありましたから、朝鮮海峡はなくて陸続きであったからこれは当然渡ってきておる。そういう形で民族移動が行われておるわけですね。日本民族というものは、弥生時代の前の縄文民族だとか弥生民族というふうに区別して学者は言うていますが、縄文民族とか弥生民族なんというのは、そんな民族は考えられないわけですね。いろいろな人が来ておる。インド人も来ておれば、それから戦争で負けたあの殷の国の落人が日本に渡ってきておる。御承知のように、山口県で発掘された殷のハト笛が出ましたね。のこのハト笛は殷墟から出ているんです。中国の殷の都があったと称せられる殷墟から発掘されたハト笛と同じものが山口県から出ております。このことはやはり殷の移民が日本に来ておるということであるわけですね。これは一つの例で、そのほかいろいろな者が日本にやってきておるわけです。必ずしも大挙してやってきておるとは限らぬですが、ある一定のものがまとまって移ってきておるはずだ。そういうようなことは日本歴史のどこにも出ていない。これは問題です。発掘されたものから推定されなきゃならぬですね。  東北地方においてもいろいろの村落が発掘されております。そして弥生時代の遺跡が出ております。そうしますと、東北地方から弥生の遺跡が出たということは、近畿地方の人間と同じ人間がおったということでしょう、少なくとも民族的には。それから、いわゆる藤原三代と言われる者の血液検査をしたところが、あれはA型とB型であって、顔形は京都の人間によく似ているということが新聞に載っていましたが、旧日本の国に入ってきたものにはいろいろの人種があるけれども、政治をとったのは恐らく決まった者ではなかったか、日本の政治支配をした人間とそれから被支配の人間はもちろんあったに違いない、こう思われます。  そこで、こういう問題について、正確な研究と記述を国史の中でしていただかないと、世界史、東洋史、日本史を通じたものとしてやっていただかないと少数民族のことはわからないし、また差別をなくすることはできないんです。その点についていかがでしょうか。
  129. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御指摘の、古代史における日本民族の発生と申しますか、起源と申しますか、その辺につきましての学説は、先生今いろいろ御紹介いただきましたように諸説あるようでございます。したがいまして、その諸説につきまして、古代史にかかわる部分を教科書の中の記述をどのように書くかについては、著作者側もなかなか難しい点でございますし、検定においてもその点はなかなか定説として、あるいは客観、公正のものとして認識するには難しい点がある、そういうところでございますので、日本民族発生の起源にかかわる諸説については、詳細教科書で記述があるというわけではないのが現状でございます。  ただしかし、先生が御指摘のように、少数民族の問題としてアイヌ民族の問題等あるわけでございまして、この点につきましてはほとんどの教科書で扱われておりまして、扱いとしましては、江戸時代の封建身分制度の問題というところからアイヌ民族の問題、明治、大正、昭和というふうな歴史的な流れについて取り上げておるという現状でございます。アイヌ民族の問題、少数民族の問題としては、まだ教科書の記述としては古代史の問題にまではさかのぼってはいないというのが現状でございまして、やはりその点につきましては、若干教科書として取り上げるについての限界と申しますか、制約があって現状になっておるというふうに理解しておるわけでございまして、今直ちに教科書において少数民族の問題を古代史までさかのぼって記述することについてはなかなか難しい点があろうかというふうに思うわけでございます。その点は御理解をいただきたいと思います。
  130. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 それじゃ、これは御研究願うことにしまして、ついでに、この研究願う点につきましては、私は同和教育についても御研究願いたいんです。  今、同和差別というのは、これは精神的な差別でしょう、物の差別じゃなくて。私はもう、私の教え子で何人か世話をしまして、非常に悩んだこと があります。同和の差別というのは結婚差別です、ほとんどが。結婚差別におきまして、女性の方が同和部落の出身の場合は大抵成立しない。難しい。男の方の場合は、女性が逃げて一緒になって成功した例があります。とにかくもうまことにつまらぬことですが、私はいろいろのことを先方に行きまして話をして説くんですけれども、何にもおっしゃらないでただいかぬと言う。これは周囲の環境がそうさせるわけです。もし結婚させれば村八分になるだとか、あるいは親戚づき合いができないとかということでやっておりますが、これなどはまことにおかしな話ですが、歴史を明らかにすれば解決する問題です。  よく差別語としていろいろ言葉がございます。ございますが、それはもとが差別語ではなかったのが、わざと汚い字を書いて差別語にしてしまったんですね。  一つの例を挙げますと、角のある帽子をかぶった人種というのがございまして、それは御承知のように日本でも敦賀の国に来たのがそうだったとありましょう。そういうものが大陸の方にございまして、そこに住んでおる民族を歇撻というんですが、この字は、これは難しいな。その歇撻というのは、これは昔は支配民族なんです。ある一地方を支配しておった民族なんです。決して奴隷でも何でもない。ところが、それが後に字を「穢い」「多い」という字にかえて、そして穢多と読ませるという、そういう差別語をつくるということになっておるわけです。この問題は、今ちょっと時間がないのできょうは言いませんが、歴史的に調べれば、いわゆる部落差別がいかにナンセンスかということがわかる。一番大きな問題は、結局、農民とそれから狩猟民との相互差別がもとだったというふうには思いますよ。部落の人たちは昔が武士と同じ系統に属する。農民とは合わないんです。いわゆる山窩もあれは武士と同じ系統ですね。狩りをしている人たちで、農民とは意識が違うんです。それで、そこからきた一つの差別はありますよ。しかし、この問題だったら数の問題だということになりますが、それ以上の問題ということになるとやはり歴史なんです。歴史を誤解をしておるということですね。ですから、こういう問題も歴史的にやはり検討をしていただきたいということであります。  きょうは時間がないので、どうしても聞きたい問題がありますので、次に行きますが、これは途中の問題をちょっと抜かしまして、留学生の問題を一つ最後にお聞きしておきますので、それ以外の質問通告したところはきょうはやりませんので、どうぞお引き取りください。  留学生と生活の問題について質問いたします。現在、外国から来る留学生につきまして一番問題は、生活費と生活の問題です。国の方で援助するのはいいんですが、そうでないのは今生活の問題でチェックされます。  先般、私の中国の友人が、自分の息子を日本の医学校に入れたいというわけで、愛知大学の方へ話をしまして、愛知大学で受け入れるということになったのですが、そのときに出た条件は、生活費はどうしますかという問題です。生活費を保障をするものがなければだめだということで、だめになりました。  それからもう一つの問題は、日本へやってきた留学生が、多くは私費で来た留学生の場合ですが、悪感情を持って帰るというのが多いわけです。日本へ来ましても、学友その他が得られないので、アルバイトをしまして学校へはほとんど出ないのです。それで、アルバイトだけやって帰るわけですが、当然そういう状態の学生は学校でも重視されない。そのために国へ帰ってもよくないので、結局日本の国はひどい、こういうことを言いふらして自分の罪を免れる、こういう傾向が強いのです。それで、せっかく留学生を迎え入れる以上は、悪感情を持たないで好意的に帰っていただくということが私は必要であろうと思います。  そこで、留学生の受け入れ基準をまず決めていただいて、その基準に合った者は入れていくということと、それから留学生が住む宿舎を国で面倒を見ていただけないかという問題です。それから留学生に対する援助基金を設置していただけないだろうか。これは法律で何とか、善隣基金寄附行為法といったようなものをつくりましてやっていただけないだろうか、こういうことなんですが、いかがでしょうか、お尋ねします。
  131. 植木浩

    政府委員(植木浩君) 現在、約一万五千人の留学生が日本大学で勉強しておるわけでございますが、そのうち一万二千人以上の方はいわゆる私費留学生などでございまして、御自分の経費で日本大学で勉強しておるという者でございます。  もちろん、留学生を受け入れる場合には、その学力水準と並びまして、やはり経済的に日本で勉強を続けられるだけの経済力があるかどうかということは重要な問題であろうかと思います。しかしながら、同時に、留学生を受け入れた以上は、これらの留学生が今先生がお話しございましたように、日本で充実した勉学生活が送れるようにということで、私費留学生につきましても、例えば医療費補助、病気になったときに非常に困られるわけでございますので、そういった予期せぬ事態に対しては、医療費の八割補助というものを国の方から日本国際教育協会というものを通じて私費留学生を全部カバーをいたしておるわけでございます。  それから宿舎につきましても、日本の場合は宿舎がなかなか大変な課題であることは御指摘のとおりでございますけれども、国立大学の宿舎を年々ふやし、これは私費留学生も一緒に入れておるわけでございますが、あるいはいろいろな宿舎関係の事業なども充実をしておるわけでございます。  さらに、やはり私費留学生でもさらに積極的に学習を奨励をする必要があるような場合には、月額数万円でございますけれども、日本国際教育協会で私費留学生に対する学習奨励費の支給、あるいは優秀な私費留学生を国費に切りかえる、こういったこともやっておるわけでございます。  今、先生から基金のようなものをどうかというようなお話がございましたが、私どもといたしましては、国でもう一生懸命やっているわけでございますが、やはり何分にも、日本社会全体として留学生を受け入れるという姿勢でなければ、とても大勢の留学生を受け入れて、しかもこれを充実した勉学生活を送らせるということはできないと思いますので、民間の留学生奨学団体の設立もエンカレッジをしておるわけでございます。現在、民間の団体三十二団体ほどございまして、千三百人に対して奨学金を支給しておるというようなこともございますし、この傾向が最近相当そういった団体をつくらなければいけないという動きがだんだん出てまいりまして、年々数団体ずつ設立をされておるということで、私どももそういう関係者の方にぜひ民間のそういう力もそういう方向に使っていただきたいというお願いをいろいろといたしておるわけでございます。また、大学等でも留学生奨学基金というようなものを設けまして、私費留学生に対して奨学金を支給しているというようなこともふえてきておるわけでございます。  そういうわけで、文部省の方も努力をいたしておりますし、さらに充実をしなければいけないと思いますし、今申し上げましたような民間の方の動きが幸いにして次第に出てきておりますので、両々相まって私費留学生に対する施策を充実して、日本で勉学してよかった、そう言って帰っていただけるように努力をしていきたいと思っております。
  132. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 大分時間の勘違いをしておりましたので……。  それでは次に、学術研究の振興につきまして大臣がお述べになっております。学術振興をする場合にいろいろの方面のものがあろうと思いますが、生命科学の振興をしていただく場合に一つ問題になりますのは、この場合でも憲法の十三条の精神はやはり貫いていただきたいということであります。国民の生命権、自由権、それから幸福追求に関する権利、こういうものはやはり生命科学においてもぜひ貫いていただきたいと思います。自 然の摂理に反する方向へ進むような研究援助が果たして憲法の十三条に合致するだろうかという疑問があるからです。この点はいかがでしょうか。
  133. 植木浩

    政府委員(植木浩君) 先生の御質問は、大学におきます学術研究を中心の御質問かと思いますが、これはやはり真理の探求といいますか、やはり自然の法則なり物質生命の根源を尋ねて探求をするわけでございますし、また、人文、社会科学等におきましても、それぞれ人間あるいは社会、そういったものを探求をしておるわけでございます。したがいまして、その自由というものが尊重されなければ基本的にはいけないと思いますが、特に、今先生が御指摘ございましたような生命に関する研究というような、人間の尊厳等にかかわるような側面を持つものにつきましては、特に十分に慎重な配慮をして研究を進めなければいけないと思っております。  もちろん、こういった研究活動につきましては、基本的には研究者の良識に基づいて行われるものであろうと考えております。
  134. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 例えば遺伝子を組みかえるといったような研究がございますが、これは植物とかあるいは一部の動物とかというものについて慎重に行われる限り、憲法問題にはならぬと思います。しかし、人間の、殊に生命に関する場合、やはり問題になるのではないかと思われるわけです。例えば、人によって女の子が欲しいだとか男の子が欲しいということもあるでしょう。あるでしょうが、もし、一人子だけで済ますという世の中になった場合に、一方に偏るということになればとんでもない結果になりかねない。やはりこういう問題は自然の摂理に任すべきだと、こう思われるんですが、その点はいかがでしょうか。
  135. 植木浩

    政府委員(植木浩君) 大変基本的な大きな問題でございますが、大学におきます学術研究等につきましては、今御指摘の遺伝子組みかえ等の問題がございまして、片や生命現象の基礎的な解明、あるいは応用開発への道を開くということで人類にいろいろな福祉をもたらすという期待が非常に大きいわけでございますが、同時に、今先生が御指摘ございましたような、いろいろ、先ほど申し上げました人間の尊厳等にかかわる問題も含まれておりますので、そういった側面に十分注意をしなければいけないということで、文部大臣諮問機関で学術審議会というものがございまして、日本じゅうの良識ある学者の方を結集をいたしておりますが、この学術審議会で慎重にいろいろ御議論をいただきまして、そういった実験指針というものを現在定めておりまして、それに従って慎重に行っているところでございます。
  136. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 人間の尊厳という問題に関連しまして、これは研究段階でなしに実行されておる段階ですけれども、生命維持装置などの研究ね。生命維持装置。肺を動かして、そして生かしておくというようなことを現在やっておりますがね。これは文部省の所管じゃなくて厚生省の所管かもしれませんが、これはまさに人間の尊厳を侵害することになりはしないかと思われるんですがね。個人の生命を維持するということで、もう既に死んでしまったものに機械をつけて生かしておくというやり方でしょう。こういう問題を厚生省の方でどういうふうに考えておられるのか。——きょう厚生省の方、帰ってしまいましたか。もう時間がないと思ったから……。まあいいです。  それでは次に、歴史科学の問題に入りますが、歴史科学の研究に当たりまして、いろいろな埋没資料を確実に入手して研究するということが必要ではないかと思われますが、これは大変政治的な問題を絡みますので難しいけれども、その点についてどうお考えでしょうか。
  137. 植木浩

    政府委員(植木浩君) 大学あるいは大学の関係の国立大学共同利用機関等におきまして、歴史関係もいろいろと研究をいたしております。  歴史の研究は、古い時代から現代までにまたがるわけで、社会的な方面、いろいろ関係の深い場合もございまして、その点も研究者は良識を持って、いろいろと関係方面にも十分配慮をしながら、関係分野にも配慮をしながら研究は進めておるわけでございます。
  138. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 私どもも常識はわきまえておるつもりでございまして、例えば天皇陵はこれは拝む対象である。つまり祭祀をする、お祭りをする対象だということで、これを荒らすことは刑法も禁じておると思います。しかし、拝む対象でない古い古墳に類するものにつきましては、やはり研究の対象にして、日本の古代の歴史を明らかにするためには必要ではないかという考え方もありますが、そういう考え方についてどのようにお考えでしょうか。
  139. 久保庭信一

    政府委員久保庭信一君) 文化庁におきましては、文化財の保護ということで、古墳やお墓のような、また貝塚のような埋蔵文化財の保護を図るわけです。したがいまして、研究者等がそれらの埋蔵文化財を発掘調査したいという場合には、文化財保護法に基づきまして、研究者はこれらの発掘について届け出を文化庁長官に出す必要があります。文化庁長官はその届け出を受けて必要な指示を与えるということになっております。  今、先生のお話にございますように、例えば陵墓とかそういうものは、それぞれの所管をされるところ、また所有者、これらの方々がそれを調査することに同意をしておるのかどうかということがございまして、そこの点は私どもは研究者が発掘調査をするということについて届け出をとり、必要な指示を与えるわけでございまして、何をどう調査するかは研究者の判断に属するところでございまして、御理解をいただきたいと思います。
  140. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 今の問題に関連しまして、明確にこれは何々天皇の陵だとか、あるいは何々皇子の墓だとか、あるいは何々皇后の墓だとかこうなっておるのは、これはお祭りをする対象ですからやはり墓として守らねばならぬと思いますので、それを発掘することを私どもは言うておるのではありません。そうでないのがたくさんございますね。たとえ文化庁以外の御所管のものでありましても、明確にだれだれの何々というふうに比定されたもの以外の、わからないものであれば、古代の古いものなら、これはいわゆる考古学の対象になるべきものではないかというふうに判断をする学者もいるわけです。そういう人たちの要求についてはどうお考えでしょうか。
  141. 久保庭信一

    政府委員久保庭信一君) 先ほど申し上げましたとおり、私ども文化庁といたしましては、文化財であります埋蔵文化財、古墳でありますとか貝塚でございますとか、これは保護する立場にございまして、それを発掘調査をするということは、届け出を待ってそれに必要な指示を与えるということでございまして、どういうものをどのように調査をするかというのは研究者の自由の範囲に属することでございまして、私どもは、研究者が調査をしたいという届け出があれば、それに基づいて判断をするという立場にあるわけでございます。御理解をいただきたいと思います。
  142. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 それで、保護されることはよくわかりました。保護のやり方ですが、やり方というのは、存在を明らかにして保護するやり方もございますね。何ものかわからぬような状態で保護するというのは、これは保護になるかどうかわかりませんね、価値を認めないんだから。価値を認めるなら、価値そのものがあるということを証明して保護するということも必要でございましょう。  そういう場合に、国として、一般の、例えば私どもが掘りたいからと言ったってなかなか掘らせていただけませんでしょう。やはり何か国としての方針に基づいておやりになることが必要だと思いますが、その点についての御見解はどうですか。
  143. 久保庭信一

    政府委員久保庭信一君) 私ども、文化財保護の立場から、貝塚でございますとか古墳でございますとか、およそ周知の文化財、埋蔵文化財につきましては、それぞれ所管の地方公共団体におきましてこれを周知の遺跡として国民に、地域社会に公示をいたしまして、これらに手をつけるときは届け出が必要であるということをやっておりますが、その中のどれをどのように調査をする、発掘調査をするかということは、それぞれの研究者のお考えになるところでございまして、私どもは 保護をする立場から、それに手をかけるというときに判断をするわけでございまして、どのようなものをどのような方向調査したらよいかというようなところまで私どもが方向づけをするとか、そういう立場にないわけでございまして、その点を御理解をいただきたいと思います。
  144. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 宇宙科学につきましては文部省は宇宙科学研究所を持っておられますね。歴史については、歴史科学研究所というのを設けられるおつもりはございませんでしょうか。
  145. 植木浩

    政府委員(植木浩君) 歴史学につきましては、各大学の文学部等でいろいろと研究はいたしておるわけでございますが、同時に、国立大学の共同利用、これは国公私立大学の共同利用という意味でございますが、共同利用機関として、千葉の佐倉に歴史民俗博物館というものを設立したわけでございます。これは博物館といいましても、単に品物を陳列をするというだけではなくて、その基礎として歴史の研究を行いながら同時に一般の公衆にこれを展示をする、そういう大変大きな歴史研究の機関を設立して今日に至っております。
  146. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 最後に、これは大蔵省の方帰ってしまわれたんで申しわけないんですが、学術研究とかあるいは学術研究をする施設に対して、今までは、国の予算で予算化して出しておられたようですが、これを民間活力を利用するという意味で寄附を認める制度をおつくりになることはどうかという問題です。  寄附を認めるためには寄附は非課税にする、寄附したらその分はもう初めから課税しないという制度をつくることが私は必要だと思いますが、アメリカあたりではやっておりますね。アメリカの大学民間の寄附でほとんど半分以上の建物はつくられる。ところが我が国では、寄附しようとすると税金がかかるからもうやめるということですがね。税金として取るかあるいは寄附で取るかの話ですからね。むしろ出しやすいのは寄附の方が出しやすいのではないかと思いますが、この点について、そういう制度をつくることを推進する御意見文部大臣にないかどうかお尋ねいたします。
  147. 植木浩

    政府委員(植木浩君) 国立大学では、奨学寄附金制度というのがございまして、民間等からの寄附金を受け入れる制度がございます。この場合には税金はかかりません。ちょっと今数字を持っておりませんが、最近では二百億を超す金額が年々国立大学に入ってきておると思います。したがいまして、こういう制度をさらにどう活用していくかというような問題であろうかと思います。
  148. 仲川幸男

    委員長仲川幸男君) 飯田君、そろそろ時間です。
  149. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 これ、大臣に聞こうと思ったので……。
  150. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 今、植木局長が言っておりましたとおりでございますが、飯田先生のお尋ねになるのはこういうことだろうと思うんです。  企業等で一つのプロジェクトをつくって、それを大学と一緒に研究しようと、そのときに、大学にも寄附するから一緒にやろうじゃないかと、こういうことだと思うんです。こういう制度につきまして、日本ではまだ、試験研究法人との関係ははっきりしております、大学との関係は。しかしまだこの点につきましては、要するに世間周知の事実としてこれが行われておらない。特定の寄附を受けるということの一々手続をしなきゃならぬという、そこらに煩雑な事務があってなかなか進んでおらないと思うんですけれども、先ほど言っておりました、大学に企業が寄附をして、研究を大学側に全く委託してしまうという、こういう制度は、先ほど局長言いましたようにかなり進んでおる。しかし、企業側としては必ずしもそれだけで満足しておられないで、一緒にやりたいんだと、こういうことが多いだろう、こういうものに対してさらに一層の改善を加える必要があるだろうと、私もそういう感じを持っております。
  151. 飯田忠雄

    飯田忠雄君 終わります。
  152. 吉川春子

    ○吉川春子君 塩川文部大臣が就任されて初めての質問ですので、所信の全般にわたってお伺いするのが筋であるかと思いますが、大変時間が短いわけで、不本意ながらごく一部に絞って伺うことにいたします。  現在、来年度予算編成の準備が進んでいる中、文教予算が年々相対的に減らされている中で、ことしは早くから事務職員、栄養職員の国庫負担カットの意向が大蔵省からマスコミを通じて流されています。歴代の文部大臣は、事務職員、栄養職員は学校の基幹職員であると、人件費のカットに強い反対の意向を示されてきました。塩川文部大臣もその意向を示されておりますが、それならば、人件費の国庫負担削減を絶対にさせないと、この場でお約束していただけますでしょうか。
  153. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) これは、私どもは絶対させないという気持ちでおりますけれども、予算折衝の問題でございますので、大蔵も絶対削ると言ってきて、そこらでどうなるのかということでございますから。いずれにしても、私はこの制度を六十二年度は堅持してまいりたい、それはもう変わりございません。
  154. 吉川春子

    ○吉川春子君 文部省は、来年度から初任者研修の試行を行うとして、三十七億の概算要求をしております。六十四年度から本格実施すれば、さらに数百億の予算が必要と思われます。現在の政府の予算編成のやり方を見れば、文部省もこの予算を生み出すためにはどこか別の教育予算を減らさなくてはなりません。とすれば、人件費の国庫負担にメスを入れざるを得ないのではないかと思います。あるいは四十人学級、私学助成の削減など、教育条件整備予算を減らさなくてはならないのではないかと思いますけれども、文部省はこういう犠牲をあえてしても初任者研修をやるおつもりですか。
  155. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 予算編成は毎年度毎年度の財政状況等によって編成されるわけでございますが、施策的な意味におきまして、本年、臨時教育審議会の方からの答申をちょうだいいたしました中でも大きなウエートのあるのがこの初任者研修でございまして、現在、初任者研修の試行の予算を要求いたしておりますけれども、これは当然に初任者研修の本格的な実施へ向けての試行という考え方でございますので、文教施策の重要事項として進めてまいりたいと考えているわけでございます。
  156. 吉川春子

    ○吉川春子君 大蔵省からどちらかの予算を削らなくてはならないと迫られた場合は、初任者研修をとるというふうに理解していいんですね。
  157. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 繰り返しになりますが、その年その年の財政状況の中にありましてもちろん政策的なプライオリティーの問題はあると思いますけれども、私どもの立場としては、重点施策として進めたいという考え方でございます。
  158. 吉川春子

    ○吉川春子君 文部大臣もそれでよろしいんですね。
  159. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) そのとおりです。
  160. 吉川春子

    ○吉川春子君 非常に重要な御答弁だと思います。要するに、教育条件整備が減らされても、人件費の国庫負担制度があるいは多少影響があっても初任者研修をやる、すごい決意で臨まれているというふうに伺いました。  文部省は、臨教審の第二次答申を受けて、教職員に対する研修強化の第一弾として、初任者研修を六十四年度から実施するための試行を来年度から実施しようとしているわけですが、その目的について伺います。  その目的は、教員の資質と能力の向上であるというふうに言われていますが、中身は問題教師の排除か、あるいは国民の切実な教育要求に対応できる教員養成なのか。それとも双方なのでしょうか。
  161. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は、そういう断片的な考え方自身がこれは問題だと思うのでございまして、我々が初任者研修をやろうというのはもっと純粋なことでございまして、先ほどもどなたかの答弁に私は申し上げたと思うのでございますが、学校を卒業して資格を取られた。それは確かに立派だ。そして就職試験に合格された、これ も立派な先生。私はだから、先生の素材と言うと大変に失礼でございますけれども、これは立派な人が多いと思うんです。しかしながら、学窓を出てすぐに教場という、しかも子供を教えるという重要な職務につく方、この方には十分教師としての、先生としての責任と自覚を持ってもらわなきゃいかぬと思います。  それと同時に、それだけ社会生活がころっとやっぱり私は変わってくると思うんです。学生時代と違うと思うんです。その自意識をしっかり持ってもらうということと、それから教え方というものは私は十分に、テクニックといいましょうか、そういうものを十分に習得してもらいたいと思うんです。だれだってそうでございまして、最初に仕事につくときには、どの会社だって十分な研修をいたします。現在の研修が、それでは不十分かといいましたら、私は、これは十分な研修する余地があるだろうと思うのであります。  したがって、今回の初任者研修というもののねらいは、一つは現在の初任者研修の五倍相当額のものを、何も量と時間だけでこんなものを決めるわけじゃございませんけれども、それだけかけてでも立派な先生をつくるためには私は研修をしていただきたい、こう思うのでございまして、決して押しつけ教育をするとか、そういうことで我々は考えておるものではさらさらないということを、ひとつ御承知いただきたいと思うんです。
  162. 吉川春子

    ○吉川春子君 押しつけ教育をするということはまだ私一度も言っていないんですけれども、先に大臣から御答弁がありましたので、そのことについても詳しく伺っていきたいと思います。  初任者研修は国民の切実な教育要求に対応する教員養成かと伺ったら、そういう一方的なあれはとおっしゃったけれども、そうじゃないんですか。教師に対する要望が国民の間にいろいろある、だからその要求にこたえられるような資質、能力を持つ教員に育てていくというのが初任者研修の文部省の表向きのねらいじゃないかと思ったんですけれども。  それではその次に伺いますけれども、文部省は、五十七年五月三十一日の初中局長通知教員の採用及び研修について」の中で、教員が意欲をもって研修に努めるよう校内研修の充実に努めよ。授業研究や学級経営、生徒指導の実践的な内容の重視などを指示しています。そして二年後、「五九年度教員研修実施状況調査」によると、各県で行われている研修の内容は、いわゆる思想教育的なものよりは、学級経営など、テクニックに関するものに重点が置かれているということが文部省調査でも明らかになっています。  文部省は、初任者研修のプログラムについて教養審に諮問していますが、その研修のプログラムの中身も従来の方向に沿ったものになるのでしょうか。
  163. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 教員の場合にはもちろん自主的な研修、これも当然必要でございます。と同時に、計画的に任命権者サイドにおきまして、特に初任者に対しますいろいろな形での研修の必要性というのを考えて、今、教育職員養成審議会に対しまして、この初任者研修の実施のみならず、全般的研修体系の設定を含めまして、教員に対する研修がいかにあればよいのかということの諮問をいたして御審議をいただいている段階でございます。  もちろん、ここで具体的な御審議としましては、全体的な研修体系と同時に初任者研修の内容、具体的な研修プログラムについても答申をいただきたいとお願いしているわけでございまして、内容的には、もちろん教職員の実践的な指導力の向上といった点を主眼点といたしまして、学校経営あるいは学級指導、あるいは授業、そういった、教員学校教育に従事する中におきまして必要とされる資質、能力の向上の視点から、プログラムの御検討をいただいている段階でございます。
  164. 吉川春子

    ○吉川春子君 文部省としては、初任者研修のプログラムの内容として、従来の初任者研修制度も踏まえた上で、何が一番必要か、何が一番今まで欠けているというふうにお考えなんですか。
  165. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは臨教審答申にも触れられておりますけれども、実践的指導力の向上、使命感の養成、あるいは幅広い知見を得させるというような種々の御指摘がございますが、私どもといたしましても、同じような考え方で受けとめているわけでございます。
  166. 吉川春子

    ○吉川春子君 この文部省の研修の実態調査は、官制研究のみについて調査されておりまして、教職員がみずから行っている自主研修についてはその対象から外されていますけれども、その理由はなぜでしょうか。  教員がみずから行う自宅あるいは放課後での研修とか、先輩教員とのいろいろな語りかけの中で、話し合いとかあるいは教研集会を初め各種の民間教育団体の主催する研究会の参加など自主的な教員の研修の努力というものについて、文部省はどうお考えになっていますか。
  167. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 私どもとしましては、いわゆる行財政的な措置を講じまして、任命権者サイドとしてどのような形で研修を計画的、効率的に実施をしていったらよいのかという視点からの各般の調査ないし指導を行っているわけでございます。  と同時に、先ほど私申し上げましたように、教員みずからが切磋琢磨する、そういう意味におきましての自主研修の必要性は当然言われておるところでございますが、これは教員個人に対してこういった自主研修をしてほしいと行政サイドから申し上げる事柄ではなくて、まさに教員がみずから自分の資質を高めるためにどうしたらよいかということをお考えになり、そういった手段、方法等を利用され、あらゆる機会を利用して研修に努められるものでございますので、そういった内容に立ち入るというようなことはもちろん必要もございませんし、また立ち入ったからそのことによって行財政的な措置が講じられるわけでもないという意味でのとりあえずの、そういう調査対象にはしなかったということだと考えております。
  168. 吉川春子

    ○吉川春子君 大臣、日教組が毎年教育研究集会を行っております。これは中央のもあるし各地方のもありますけれども、そういう特に中央で行われる教研集会は歴史と実績を持っているわけですけれども、こういう自主的な研修の場としての代表的なものである日教組の教研集会について、大臣はどのように評価されておりますか。あるいはされませんか。
  169. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は政治家として、文部大臣としてじゃなくて政治家として見ます場合に、それを自主研修とおっしゃるならば、私は個人個人が行われる自主研修であっていいと思うのでございまして、日本教職員組合、組合ということで研修をされるということはこれはやはり一つの押しつけになると私は思うております。  でございますから、先生が研修をされるんだったら、自主研修をされるというなら、先生自身自身あるいは自分の好きなグループといいましょうか、専門のグループの方々でおやりになるのが当然であって、組合が統制してやるということは、これは組合活動以外の仕事に私はなると思うものでございまして、この点については、私は非常に遺憾なものだと思うております。
  170. 吉川春子

    ○吉川春子君 大変びっくりするような答弁をなさいましたね。文部大臣だってね、歴代の文部大臣で教研集会はちゃんと評価しているんですよ。これは決して押しつけなんかじゃなくて、全国の教育実践の最先端を行く先生たちが集まってやるもので、そういう偏見をお持ちならば、ぜひ一度教研集会にお出になってそういう発表を見たらいいと思うんです。これは押しつけでも何でもなくて自発的なものであるし、教員組合が組合活動だけやればいいという考えもこれはもう実に偏見に満ちたもので、私はその点については大臣がもう少しそういうことについて勉強されるように要求しておきたいと思います。
  171. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) そういうお考えであるとするならば、文部省が主催いたしましていろんな研修会をやることも、これもまた私は当然のことだと思うのでございまして、私はよく思ってお りますのは、組合が主催しておやりになるということは、組合というのは大体経済問題を、先生の経済問題についての組合でなければならぬと思うのでございまして、それがややもすればそういう自分ら自身の指導要綱をつくってという、そういう動向であるとするならば私はおもしろくないと、こういうことを言っておるのであります。
  172. 吉川春子

    ○吉川春子君 きょうは私が質問する前する前に先に、何か随分構えていらっしゃいますけれども、まだそれはもうちょっと後に質問しますので、後で答えてください。  この辺で、法制局にちょっと法律の解釈について伺いたいと思いますが、文部省の研修に関する権限についてですけれども、臨教審第二次答申は、「新任教員に対し、採用後一年間指導教員指導のもとにおける教育活動の実務およびその他の研修を義務づける。」というふうにしているわけです、地公法三十九条、地教行法四十五条によると、県費教職員の研修は任命権者と市町村教育委の権限となっています。文部省にこういう研修の権限がないと思うんですけれども、その法律の解釈はいかがですか。
  173. 福田穰

    ○法制局参事(福田穰君) 文部大臣は、それに参加することを命ずることはできませんけれども……
  174. 吉川春子

    ○吉川春子君 権限があるかないかについて答えてください。
  175. 福田穰

    ○法制局参事(福田穰君) 権限はございます。
  176. 吉川春子

    ○吉川春子君 権限があるんですか。文部省は、今私が言いましたような法律の条文に沿って研修の権限があるんですか。レクのときのとおりに答えてくださいね。
  177. 福田穰

    ○法制局参事(福田穰君) 権限があるかとおっしゃいましたので、権限としてはございますとお答えしました。  それで、御質問の趣旨は、地方公務員法に言う任命権者、あるいは地教行法によりまして県費負担教職員につきまして任命権者以外に市町村の教育委員会もこれを行うことができるとしてございますけれども、そういう研修と意味が違います。意味が違いますが、研修を行うことができるということはできると考えております。
  178. 吉川春子

    ○吉川春子君 そういう意味の研修ができますかと聞いているんですよ。
  179. 福田穰

    ○法制局参事(福田穰君) 公立学校教員に対しまして任命権や服務上の監督権はございませんので、そういう立場における研修ということでありましたら、できません。
  180. 吉川春子

    ○吉川春子君 ちょっと時間がないので、端的にお答えいただければいいんです。  文部省は、研究会など主催することが法律上認められていますが、各教職員はこれに参加を強制されるものではありません。これは文部省の設置法六条一項十四号、十五号、地教行法四十八条二項四号等で明らかであると思いますけれども、それはどうですか。イエス、ノーでいいですよ。
  181. 福田穰

    ○法制局参事(福田穰君) 先ほど申し上げたことを繰り返すほかはございませんので、恐縮ですが、援助、指導としての研修を行うことはできますが、文部大臣みずからがそれに参加を命ずることができるような研修を行うことはできません。
  182. 吉川春子

    ○吉川春子君 文部省は、昭和六十一年度の新規事業として教育改革の推進に関する研究委託をスタートさせ、これを受けた三十八都道府県二政令市のうち十五県が初任者研修制度をテーマに取り上げ、うち山口、岐阜など数県がマン・ツー・マンの初任者研修をことしより行っております。  これは文部省が来年から実施しようとしている初任者研修制度の試行のさらに試行という性格を持つものでありますが、この研究委託はどういう目的で行われ、そして現在までの段階でどういう成果が上がっていますか。
  183. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 先生今御質問ございましたのは、いわゆる教員の資質向上に関する研究の一環といたしまして初任者研修制度の研究が九府県において実施をされております。これはいわゆる教育改革に関する研究委託といいます大きな分野の中の一つの分野として研究委託が行われているわけでございます。  これは、九府県についての実施でございますが、各県におきまして早いところは六月、遅いところは九月ごろからスタートしてまだ間もない段階でございますけれども、それぞれの規模、内容等も違いがございますが、おおむね五、六人あるいは八、九人程度の新任教員を対象といたしまして、いわゆる退職教員等を含めました指導教官の個別指導による新任教員の研修のあり方というものを研究していただいているわけでございまして、現時点までおおむね好評でございますし、成果が上がっているというような一般的な報告は受けております。具体的な内容は、年度末におきまして研究成果の報告があるものと予想しております。
  184. 吉川春子

    ○吉川春子君 幾つかの県では、数人の新採教師を選んでマン・ツー・マンで教育をしているわけですが、この初任者研修に選ばれてしまったというか、その対象になった教師について、研修の終わった時点で何らかの評価を行うんでしょうか。または、本人の勤務成績に何らの影響も持たないんでしょうか。
  185. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは初任者研修制度の研究でございまして、研究の視点から行っていただくものでございますので、当該教員に対します勤務の評価その他は全く関係ございません。いわゆるマン・ツー・マン指導というものがどのような効果を上げるのか、具体的に試行にかかりあるいは本格実施へ向けていく、ある意味では前段階としての試験的な研究という意味に理解をいたしております。
  186. 吉川春子

    ○吉川春子君 法制局結構です。御苦労さまでした。  そうしますと、来年度から実施しようとしているいわゆる試行についても同じことが言えるわけですね。
  187. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 現在、六十二年度予算要求をいたしております初任者研修の試行は、午前中にもお答え申し上げましたが、新採教員の約七%程度を対象といたしまして、各三十県市におきましていろいろな形での試行実施していただくということによりまして本格実施への貴重な参考材料としていただくと同時に、それらの府県が本格実施になります場合の円滑な移行を期するという二つの目的を持っているわけでございます。  現時点での研究は、まさに限られた極めて少人数の試験的な研究でございまして、内容的にも密度の薄いものでございます。現在要求いたしております初任者研修の試行につきましては、先ほど大臣からお答え申し上げましたように、密度の高い、しかも行財政的な代替措置を伴う、ある意味では本格実施前提となるような形での試行の予算要求をしているわけでございます。
  188. 吉川春子

    ○吉川春子君 二千百七十人ですか、九十人ですか、試行の対象になった教員について、六十二年度の終わりに何らかの評価をするのかどうかという問題なんですけれども、それはいかがですか。
  189. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これはあくまでも試行でございまして、初任者研修の実効性を確保する、どのように工夫すれば初任者研修が効果が上がるのかという視点からのものでございまして、その意味では初任者研修の実が上がったかどうかというのを多方面から、あるいは多段階での評価はいたしますけれども、それを受講いたしました言うなれば研修対象の教員についての勤務評価をする性格のものではございません。
  190. 吉川春子

    ○吉川春子君 そうだと思うんですよね。例えば研修の結果、受けた教師の成績が余り好もしくないというときでも、試行というのは調査研究である以上、その対象者である教師に対して何らかの処分が行われることはあり得ないわけですし、もちろん、研修の成績がよくないなどという理由で解雇を初め何らかの処分がなされるということはあり得ないというふうに思うわけです。  今の答弁はそのように受けとめていいわけですね。
  191. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 基本的にはそのようにお考えいただいてよろしいわけでございますが、それとは別個の視点から、従来、例えば条件つき採用期間の終了時点におきまして本採用へ切りか えられないケースが年に一、二程度ありますけれども、言うなれば本人の勤務実績等によりまして、適格性があるかどうかというのは別の視点から一般的に評価されることでございまして、初任者研修の試行をするから勤務実績の評価をしないという、イコールのものではないという点だけ御理解願いたいと思います。
  192. 吉川春子

    ○吉川春子君 ちょっと参考までに伺いますけれども、次の場合、分限免職処分になるような理由であればそれを言っていただきたいと思うんです。私、四つぐらい挙げます。  一つは、基本的な漢字の誤字、表記の多用など基礎的知識が不足している。二番目は、学級経営、学習指導についての自覚、力量が著しく未熟である。三番目、言葉遣い、服装、礼儀など教員としての節度に欠ける。四番目、上司の指導、注意に反抗した。  この中で、免職になるような事例がありますか。
  193. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 非常に難しい質問でございます。  条件つき採用期間を終了して、あるいはその以前に免職されるケースといいますのは、勤務実績が不良であること、あるいは心身に故障があること、その他の事実をもってその官職に引き続き任用しておくことが適当でないと考えられる場合でございます。今御質問ございました基礎的知識の欠如であるとか、学級指導の力量が極めて不足であるとか、言葉遣いが適当でないとか、あるいは上司の指導に従わないとかいうものが、そういう具体的な事例に照らして総合的に勘案いたしました結果としては、免職されるケースもあり得るだろうと思います。
  194. 吉川春子

    ○吉川春子君 この一つ一つ取り上げて、この一つ一つが理由になるということはないわけですね。繰り返しですが。
  195. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 今おっしゃいました個別的な四項目につきましても、仮に一項目でございましてもその程度が極めて著しく、教員としての資質に適格性を有しないと判断される場合も、その程度のいかんによってはあり得るだろうと思います。
  196. 吉川春子

    ○吉川春子君 それは参考までに伺っただけですが、次の質問に行きます。  文部省の計画によりますと、初任者研修の対象となった新採教員は、週一回程度学校を離れて教育センター等で教育を受けるというふうになっています。週一日担任の先生がいないということは子供にとって大変なことだと思います。教特法の二十条二項は、「授業に支障のない限り、」「勤務場所を離れて研修を行うことができる。」としていますが、文部省試行のプランは大変授業に支障を来すんじゃないかと思いますが、いかがですか。
  197. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 現在予算措置として要求いたしておりますのが、週二回の先輩教員による指導、週一回の教育センター等での研修ということになってございます。その場合にはそれにかわるべき代替教員の措置ということを予算上今要求しているわけでございますが、これは必ずしも機械的に週一回行われるということではございませんで、年間を通じて週一回程度という意味でございますので、具体的には、例えば夏休み等休業期間中における集中的な研修もございますし、あるいは通常の授業期間中において、これは週一回になるかあるいは時期的にまとめるか別としまして、そういう形での研修もある。時期的な問題としては、平均週一回という意味でございます。  それから、その場合におきましては代替教員の措置も講ずるわけでございます。先生おっしゃいますように、教壇を離れるということは子供たちにとって必ずしも適切なことではございません。しかしながら、一時的なそういう措置を講じてでも、初任者につきまして新任教員の資質を向上させたいという観点から実施しようとするものでございますし、学校教育の観点、それから教員の資質向上の観点、相互勘案しながら施策を進めるべきものだと考えおります。
  198. 吉川春子

    ○吉川春子君 現在行われておりますいわゆる試行試行においても、各学校の現場では大変授業に支障を来して困っているんだという声もあるわけなんです。それで、そういう授業の支障ということについても重大な問題があるということを指摘しておきたいと思います。  現在行っております試行試行では、退職校長などを非常勤講師として雇い新採教員指導に当たらせているわけですけれども、その場合の指導権限の法的根拠というのはどこからくるんですか。
  199. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 現在の研究として行われておりますケースにつきましては、退職教員をいわゆる非常勤講師というような形で任用していただきまして、その学校におきます新採教員指導に当たっていただいているわけでございまして、それはあくまでもその学校におきます非常勤の講師という立場、あるいは市町村教育委員会の事務局の職員という嘱託的な感じで対応するケースもあろうかと思います。いずれにいたしましても、当該地方公共団体における職員として、あるいは学校の職員として新採教員の研修に当たっていただいているわけでございます。
  200. 吉川春子

    ○吉川春子君 来年から行おうとしている試行では、指導者を外部からは求めずに新採者の勤務校の中で校務分掌として指導教師を決めるというふうに説明されているわけですけれども、これは外から指導者を求めるということがうまくいかなかったからですか。
  201. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 来年度の初任者研修の試行の具体的なあり方につきましては、現在、各都道府県あるいは指定都市の教育委員会と相談をさしていただいております。  具体的な案は予算案が具体的に確定しました段階になろうかと思いますけれども、現時点での考え方といたしましては、それぞれの先輩教員による指導強化、あるいは教科ごとの教科指導員というような形で各学校に配置された教員が、その当該配属校の教員に対する指導を行うという体制を想定いたしておるわけでございます。
  202. 吉川春子

    ○吉川春子君 その理由を伺ったわけなんですけれども、いずれにいたしましても、いわゆる任命権者でない文部省が研修の権限を持たないのは法律上明らかですが、全国一斉に同一内容の初任者研修を強行することは、任命権者の権限を侵すだけではなくて、教育委員会制をとり、教育の分野でも地方自治という制度が定着している今日の日本において非常に重大な問題があるのではないか。そのことを指摘しておきたいと思います。  それで、臨教審答申によれば、初任者研修制度の導入に伴い、条件つき採用期間を現行の六カ月を一年に延長するが、これは研修期間中の教育活動の実務を通じて職務遂行能力の実証を得るためのものであるというふうにしているわけですが、文部省もこういう立場でおやりになるわけですね。
  203. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは将来の課題でございまして、初任者研修の試行段階では関係ないことでございますが、いわゆる本格実施の際に臨教審答申を受けまして条件つき採用期間を六カ月から一年に延長するかどうか、ただいま教育職員養成審議会、あるいは関係者等の御意見を踏まえまして文部省としても対応すべき事柄でございます。当然臨教審の答申で触れられておりますから、私どもとしましてもその方向での検討をこれから行うということでございます。
  204. 吉川春子

    ○吉川春子君 初任者研修を行う、強化する必要があるにしても、その間、一年間期間中、一年間身分を不安定にするという必要は全然ないんじゃないかと思いますけれども、その点はどうしてですか。
  205. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 条件つき採用期間の制度と申しますのは、その期間におきまして、まさに教員としてふさわしいかどうかという判定をするわけでございます。その意味におきまして、一般の職場でございますと同一職場で同じ勤務がされる。ところが、学校の場合でございますと、教壇に立って、まさにだれにもわからない状態でといいますか、教育が行われる。そういう中で、勤務実績というのは極めて評価しにくいということはご ざいます。  そういう意味で、六カ月がいいか一年がいいか、議論のあり得ることでございますけれども、教員の適格性をより把握し、かつその実証をするという意味から一年という御提言があるわけでございまして、私どもとしましても、その答申を受けて、その方向考えている段階でございます。
  206. 吉川春子

    ○吉川春子君 そうしますと、一年やってみて職務遂行能力の実証が得られなかった場合、その場合どうなさるわけですか、その教員を。
  207. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 条件つき採用期間の制度と申しますのは、いわゆる不適格者排除にあるわけでございますから、むしろ実証が得られると申しますよりも、不適格だという心証を持った場合に正式任用に切りかえられないということでございますので、実務的な取り扱いはそうなろうかと思います。
  208. 吉川春子

    ○吉川春子君 一度採用されればよほどのことがない限り解雇されないというのが採用の法的な効果だと思うんですね。せっかく採用しておいて、一年後にもう一度ふるいにかけるというのであれば、これは初任者研修制度というのは研修ではなくて採用制度の変更ではないのか、こういうふうに思いますけれども、どうですか。
  209. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 教員の資質認定になお慎重を期するという意味合いもあろうかと思います。いずれにいたしましても、条件つき採用期間につきましては、更新して別段の措置がとられなければ正式任用になるわけでございまして、その期間において免職の措置をとらない限りは正式任用となるという建前でございます。  そういう意味におきましては、具体的なアクション、つまりこの教員教員としてはふさわしくない、したがって正式任用にしないという意思表示なり認定なりが必要になるわけでございます。
  210. 吉川春子

    ○吉川春子君 つい最近文部省からいただいた資料では、ここ数年間で試用期間中に解雇された人は四名とか五名とか、ごく少数なんですね。六カ月の条件つき採用期間を一年に延ばせば、試用期間中に身分を失う、試用期間が終わるときに身分を失う教員がふえますか、これは。
  211. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) これは予測の問題で、お答えが難しいわけでございます。言うなれば、この制度の間に十分その教員の資質を観察し、そしてその勤務実績等に基づきまして不適格であるかないかという判断をするわけでございますから、観察の仕方あるいは評価の仕方によっても変わり得ると思いますけれども、単に機械的にだけ申し上げれば、六カ月から一年になることによってそれほどの変化は出ないのではないかと思います。
  212. 吉川春子

    ○吉川春子君 文部大臣にもう一度伺いたいと思いますが、研修というのはあくまでも教員の資質、能力の向上ということにあるわけですね。そして、日本教員の資質は低くないと文部大臣はさっきおっしゃいました。そしてその教員たちに一年間研修をするわけですから——研修の期間が一年でもいいですよ、その中身は問題だけれども。とにかく期間を一年にすることはそれはいいとして、どうして身分不安定な状態まで六カ月から一年に延ばすのか。そうすると、やはりその一年が終わった段階でもう一度ふるいにかけて、この教師が採用できるかどうかということを検討するということとつながるわけでしょう。そうしたらこれは研修ではなくて、もう一度採用するかどうかのふるいにかけるわけだから、初任者研修というのは、名前はいいけれども、今の教員の採用制度の変更なんですね。あるいは試補制度なんですね。その辺はお認めになりますでしょう。
  213. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は、もっと素直に物事を見てもらいたいと思います。研修なのでございまして、その結果として、あなたが先ほどおっしゃったそういう不適格の人があれば、これは正式に先生となっていただくのを御遠慮願うということでございまして、採用した人を研修して大事に育てていこうという精神でやっておるのを、それを、何か知らぬがふるい落とすために研修をするんだという、初めからそういう認識に立って議論されるということは私はおかしい。そうではなくて、やっぱり研修して一生懸命やっていただいて、いい先生だったらそのままどんどん先生として仕事をやっていただきたい、こういうことが念願でございます。  しかし中には、さっきおっしゃるように——あなた自身おっしゃったじゃないですか。そういう四つに適合するような人を、これはやっぱり先生として採用することはできないでしょう。そうした場合は、こういうことの中に不幸にしてあれば、あればの話ですよ、あれば、それは残念だけれども遠慮していただく、これは当然だと私は思います。
  214. 吉川春子

    ○吉川春子君 持ち時間がもうなくなりました。さっき申し上げた四つは、加戸局長もお答えになったように、あれ一つ一つじゃなかなか免職はできない事由なんですよ。しかし、それを理由にして免職した教委があるから具体的に聞いたのであって、それはまた別のときに時間を設けてやりたいと思います。  御答弁にもかかわらず、とにかく教員の資質を向上させていい先生になってもらいたいのだ、それだけ純粋に追求するのであれば、何も身分まで不安定にする必要はないんですよね。一年間研修をおやりになってそこで立派な教員に育て上げて、そしてさらに教育実践に取り組んでいただく、そういうことならわかります。しかし、条件つき採用期間までいじろうとするから、しかも六カ月の条件つき採用期間というのは公務員の原則なんですよね。これを、大原則を覆してまで、研修と称して身分不安定の状態を倍の期間に延ばすという文部省の意図は、これは素直に考えればもう採用制度の変更だと言わざるを得ないんです。大臣がそこで幾らいろんなことをおっしゃっても、私は素直に解釈して、非常に疑問があるので伺ったわけなんです。  いずれにしても、この初任者研修制度というのは大変大きな問題を含んでいる制度ですし、私は文部省がこういうおせっかいなことはやるべきじゃない。そういうことだけ申し上げて質問を終わりたいと思います。
  215. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) ちょっと、それをまたあしたの「赤旗」で書かれたら私も困りますから、これははっきり申し上げるのですが、初任者研修でふるいをかけるためにやるのだという、これは大変な誤解ですから、これだけは私ははっきりと訂正しておきます。
  216. 勝木健司

    ○勝木健司君 それでは質問させていただきます。  まず、教科書問題につきましてお尋ねいたします。  先般の高等学校日本史教科書の検定におきまして、日本を守る国民会議編による「新編日本史」が、異例の、内閲本合格後の再修正を強いられるという結果になりました。我が党の塚本委員長も代表質問で取り上げましたように、この間の検定過程の不明朗さは国民の教科書に対する信頼を失わせ、検定制度をゆがめるものであり、極めて遺憾であると言わざるを得ません。  そこでお尋ねしたいのですが、この教科書は五十七年官房長官談話の再修正の基準の趣旨に従って改正された高等学校用教科書検定基準にかなっていると判断されたから内閲本合格となったのではありませんか。もしそうだといたしますと、後になって批判を受けたから再修正するということは、内閲本合格に至る検定過程は信頼できないとみなされても仕方がないのではないでしょうか。御所見をお聞かせいただきたいと思います。
  217. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御指摘の、原書房発行に係る教科書、「新編日本史」の問題でございますが、プロセスといたしましては、五月下旬の内閲本審査合格の段階で、通常の手続でございますれば実質的には検定が終了するというのは、従来からの手続によればそういうことでございます。ただ、先生御案内のとおり、新聞報道等が行われ、中国、韓国で関心表明なり強い要望等が出されたという経緯がございます。もちろん官房長官談話に基づく近隣諸国への国際理解、国際協調に 基づく配慮というのは、内閲本審査段階でももちろん行われたわけでございますけれども、それぞれの国の立場での強い関心表明、要望等があった経緯に基づきまして、さらに官房長官談話の趣旨を徹底して見直しをするという経緯があったわけでございます。  したがいまして、通常の手続とは若干異なる手続でこの教科書についての検定が行われた経緯でございますが、結果といたしましては五十七年の官房長官談話の趣旨に基づいて検定が終了したというふうに理解をしておるわけでございます。
  218. 勝木健司

    ○勝木健司君 今後、検定中あるいは検定後に外国から抗議を受けました場合、どう対応されていくのか、お聞かせいただきたいと思います。  また、今回の事件で文部省と外務省との連絡体制はどうなっていたのか、今後のこともあわせてお尋ねいたしたいと思います。
  219. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 本件教科書の検定のプロセスにつきましては、内閲本審査終了後に諸外国の関心表明、要望等があったという、言うなれば若干異例な形でのプロセスがあったわけでございまして、私どもとしては、五十七年の官房長官談話の趣旨に基づいて教科書検定を行う趣旨でございますから、そういう異例の事態が生じないように今後とも努力をするというのが私どもの責務であろうかと思う次第でございます。  それから、第二点の外務省との連携の問題でございますが、諸外国の関心表明、要望等は外務省等を通じてなされた経緯がございまして、もちろん新聞等の報道は私どもも目にしておるわけでございますが、諸外国の意見表明なり関心表明の内容等については、検定のプロセスにおいて外務省からも情報提供の形で、いろいろと政府部内の問題として私どもの段階で接触を密にしてきた経緯はございます。今後、こういうことがもし起こらない——もしといいますよりぜひ起こらないようにというふうに私ども検定を行うとすれば、外務省との連携は今後は必要はないであろうというふうに思います。
  220. 勝木健司

    ○勝木健司君 従来から教科書検定の過程が非公開であったのは、外部からの雑音を排除し、検定の公正を守るべきであるという考えからだということで理解していいのでしょうか。むしろ非公開であるがために、国民にはわけのわからない密室の中での検定が行われ、今回のような異例の事態が生じたのではないでしょうか。  検定の過程について、何らかの公開制度を設けられる考えはないのか、お聞かせいただきたいと思います。
  221. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御指摘の公開の問題でございますが、現在、教科書検定のプロセスといたしましては、教科書調査官と著作者がそれぞれの項目につきまして意見を交わしつつ、よりよい教科書の内容にすべく努力をしておるわけでございますが、その一々のプロセスを公にすることにつきましては、著作者側の立場もございますし、それからまた、そのプロセスは言葉でのやりとりでございまして、公開については技術的な問題もございます。そういう意味で著作者側への配慮の問題、それからまた見本本につきましては、やはりそのプロセスにおいて、その教科書が結果としては大変よくなっておるとしても、プロセスが余りあらわになることにつきましては、採択の公正の問題というのもございまして、従来一々のプロセスについての公開ということについてはこれを行わない仕組みにしておるわけでございます。  ただ、年度全体における教科書検定が一応終了した時点におきまして、教科書検定課長から、本年度のそれぞれの教科科目、特に社会科でございますが、こういう点こういう点が問題点であり、こういう点についてはこういう指摘をし、こういうふうな記述になっておるということは、記者発表の形で、年度の全体が終了した段階で行っておるわけでございます。これは新聞にもその翌日なりに取り上げられておるところで、その限りにおける世間全体への検定プロセスのお話は出しておるわけでございますが、この点につきましては、先ほど申し上げましたようなことで公開につきましては慎重な扱いをしておるというのが現状でございまして、この点については私どもとしてもなお慎重な対応をいたす必要があるというふうに考えております。
  222. 勝木健司

    ○勝木健司君 次に進ましていただきたいと思います。  義務教育教科書の無償給与制について、一部に見直し論があるようですけれども、文部省としてはどのようにお考えでしょうか。  また、一部の教科、例えば美術科などにつきまして、貸与制を導入し、そのかわり美麗で魅力のある教科書を提供してはという意見もあるようですが、検討しておられるのでしょうか、お聞かせいただきたいと思います。
  223. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 義務教育教科書無償給与制度につきましては、昭和三十八年度以来でございますが、国が児童生徒に直接かかわり得る唯一の制度ということでこの教科書無償給与制度を堅持し、文部省としては、苦しい国全体の予算の中ではございますけれども、制度を続けておるわけでございます。  教科書無償給与制度につきましては、先生御指摘のように、一部教科書については貸与制とか、あるいはいろいろな御意見があることは承知いたしております。しかし、私ども現在申し上げられますことは、やはり文部省の立場としては従来どおり教科書無償給与制度は堅持してまいりたいということでございまして、ただ、全体の教科書問題につきましては臨時教育審議会で現在いろいろ御議論があるということは先生御承知のとおりでございまして、私ども無償給与制度についてはただいま申し上げたような立場であることを御理解いただきたいと思います。
  224. 勝木健司

    ○勝木健司君 次に、臨教審答申を受けて実行に移されつつあります教育改革に関連して質問いたしたいと思います。  まず、初任者研修についてであります。  教員の資質向上という点から考えて、初任者研修の推進には賛成であります。ただ、臨教審答申では、「各都道府県がその実情等に応じて弾力的に対処できるよう措置する必要がある。」と記されております。  そこで、初任者研修の内容や進め方についてどのような指針を示すおつもりでおありなのか。また、答申で指摘のありました、全国一律方式ではなく地方の独自性、自主性を生かすためにはどのような措置がとられておるのか、お聞かせいただきたいと思います。
  225. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) ただいま初任者研修の実施あり方につきましては、教育職員養成審議会に諮問申し上げまして、その御結論をいただく予定で進めております。関係者の御意見を伺い、あるいは現在要求しております六十二年度以降の初任者研修の試行の成果を踏まえまして、初任者研修の効率的な実施を期しておるわけでございますけれども、現在、初任者研修の試行につきましては、予算案が確定しました段階で各都道府県あるいは指定都市の教育委員会文部省とが協議いたしまして、それぞれの各県市教育委員会の御意見を踏まえながら、一応三十県市において試行していただく共通理解を持っていただきたいという意味で、一つのモデルないしパターンといたしまして研修の実施方法あるいは研修プログラム等につきましての考え方を提示したいと考えておりますけれども、これはあくまでも各都道府県あるいは指定都市教育委員会におきます地域の実情に応じた自主的な対応が可能となる性格のものでございまして、一つの殻に当てはめるわけではございません。  ただ、行財政的な措置といたしましては、こういうようなケースについてはこれだけの措置というのが一応予算積算上出てまいるわけでございますので、それは行財政的な措置を講ずる場合の考え方はございますけれども、研修の実施の仕方、内容等につきましては、各任命権者でございます都道府県、指定都市教育委員会の判断において実施をしていただくということで今の試行を進める 考えでございます。
  226. 勝木健司

    ○勝木健司君 初任者研修に対しましては、一部教職員団体の中にこれに反対する動きがあるようですが、そのような動きに安易に妥協することなく、しかも、地方の教育行政や学校現場に混乱が起こらないような措置はとられておりますか、お伺いいたします。
  227. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 現在予算要求段階でございまして、予算案が確定し、あるいは国会での御審議を経て予算が成立してからスタートするわけでございます。  しかしながら、それまでの間におきまして、各都道府県、指定都市教育委員会を通じまして学校現場に十分な理解を求め、混乱のないように実施いただくように指導したいと考えております。
  228. 勝木健司

    ○勝木健司君 時間の関係で、進めさせていただきます。  続きまして、大学入試制度の改革についてお尋ねしたいと思います。  従来施行されていた共通一次試験は、臨教審第一次答申での提案を受け大学入試改革協議会の報告にまとめられましたいわゆる新テストに切りかわることとなっております。文部大臣は、六十四年度実施を計画されていたところ、先日の記者会見で、六十四年度実施を再考する意向を述べられておられます。全国普通科高校長会も延期を求める要望が出されているようでありますし、国立大学協会では六十四年実施についての慎重な対応を求める意見もあります。こうした現状の中での先日の文部大臣の記者会見であります。  あいまいな状況ですと、現高校一年生が対象となるわけでありまして、非常に不安を与えていると思われます。受験生や高校の教育現場に混乱をもたらさないように慎重な態度が必要であると思われます。どのようにお考えか、お聞かせいただきたいと思います。
  229. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) ただいま御指摘にございました、臨教審の提案に係るいわゆる新テストの実施時期の問題でございますけれども、これにつきましては、文部省といたしましては、昨年以来、六十四年度実施を目途とするということで諸般の準備等を重ねてまいったわけでございますが、この過程におきまして、御指摘がございましたように、国立大学協会あるいは高校長協会から実施時期の問題について慎重にというような御意見も出されたわけでございます。  そのようなことから、文部省といたしましては、受験生がこれがいつの時期になるのかということについていろいろ不安等も感じている向きもあるのではないかという点もございますので、このことについて、当初の予定では来年の春ぐらいに固めて公表したいと考えておったわけでございますけれども、この問題について早急に関係者の意見等を固めて周知を図るようにいたしたい。こういうようなことから、近々のうちに大学入試改革協議会を開きまして、国公私立の大学あるいは高等学校その他学識経験者等々の方々意見を結集をしていただいて方針を固めたい、かように考えておるところでございます。
  230. 勝木健司

    ○勝木健司君 私立大学の参加見通しが立たないと、現在の高校一年生は志望校を決めたり授業科目を選択する上で大変苦慮することになると思われます。私立大学の参加見通しはどうなっておりますか。新テストの実施時期見通しとあわせてお聞かせいただきたいと思います。
  231. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 今回の新しいテストの構想は、従来のいわゆる共通一次が国公立についてのものであったのに対しまして、国公私を通じた入試改革に資するという意味で、私学の参加の問題というのはかなり大きな問題であると考えておるところでございます。  こういったことから、現在、臨教審の答申、あるいはその後本年の七月に出されました大学入試改革協議会における新しいテストのいわば基本的な構想等につきまして、私立関係の各団体に対しましても、あるいは私立の各大学に対しましても、速やかに検討をしていただくということをお願いしておるわけでございます。幸い、この十月には各私学団体主催の新テストに関する勉強会と申しますか、検討会も相次いで行われました。私どもから関係官も出席をいたしましてるる御説明をいたしたわけでございますけれども、新テストの具体的な実施方法でございますとか実施の体制等についての質問意見交換等がかなり活発に行われているという状況にあるわけでございます。  新しいテストの実施の具体の細目につきましては、現在、大学入試センターに調査検討委員会というものを設けまして、そこでやはり国公私の関係者等の御参集をいただいて、どういう日程、どういう細目でこれを実施していくかというような点について種々御議論をいただいておるわけでございますけれども、こういったことにも私学の関係者の方々にも御参加をいただいておりますし、こういった諸般検討を踏まえまして今後各私学において必要な学内の検討が深められて、それに対する具体的対応が明らかになってくるということを期待をし、また、これからも引き続きお願いをしてまいるつもりでございます。
  232. 勝木健司

    ○勝木健司君 次に、教育改革の関連予算につきましてお尋ねしたいと思います。  教育改革を真剣に実行しようといたしますと、かなりの財源が必要となると思われます。今回の概算要求では、文部省教育改革関連に千九百億円を要求しているようでありますが、財政当局は教育改革といえども聖域にあらずとして厳しく対応していく模様であります。このような状況で、今後とも教育改革関連の財源を確保するめどはありますか。また、海部元文部大臣が五月に出されたような教育改革関連予算をシーリングの別枠とするというような構想を引き継がれるお考えがありますか、お尋ねいたします。
  233. 古村澄一

    政府委員(古村澄一君) 御承知のとおり、六十二年度の概算要求におきましては、現行のシーリングのもとでいろんな第二次答申関係の諸要求をしたわけでございます。それじゃ六十三年度以降どうするんだというお話でございますが、これにつきましては、第三次答申の出方等もありますし、あるいは第二次答申の本格実施というものも踏まえた場合、どれくらいの財政枠になるかということもありますから、十分そういった点を見ながら財政当局と相談をしていきたいというふうに考えております。
  234. 勝木健司

    ○勝木健司君 次に、教育課程審議会の「中間まとめ」で導入方向が示されております学校五日制について御質問したいと思います。  きょうの各紙の朝刊によりますと、きのう総理府がまとめました世論調査では、学校教育週休二日制導入には消極的であり、現状維持派が六割を超えておると報道されております。現状維持の理由としては、「学力の低下が心配」、「家庭では十分な教育ができない」、「塾・予備校・けいこ事に行くのが多くなる」と心配する声が多いということでありますが、文部省としては、この点を踏まえて週休二日制についてどうお考えなのか、お聞かせいただきたいと思います。
  235. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 週休二日制の問題は別途助成局長からお答えするといたしまして、学校五日制の問題は、確かに世論調査で親御さんの御心配の点があらわれておるわけでございます。  教育課程審議会におきましても、先生御指摘のように、学校五日制を導入することにつきましては、積極面としては子供の生活のゆとりとか、親子の触れ合いとか、スポーツ活動文化活動、奉仕活動等があるという認識に立ち、しかし一方、消極面、心配な点といたしましては、やはり学力水準の問題、塾通いへの拍車の問題、あるいは非行増加の問題、それから土曜日における受け入れの問題、いろいろあるという指摘をしておられるわけでございまして、本日発表されておる世論調査の結果等につきましては、課程審におきましても今申し上げましたような積極、消極の面を踏まえて検討していただいているところでございます。なお、今後まだ課程審には、一年間続くわけでございまして、これらの面も含めて五日制問題については課程審はなお検討を続けたい、こういうふうな立場でおられるというふうに理解をいたし ております。
  236. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 教員週休二日制の問題につきましては、現在、四週五休制から四週六休制への試行が始まり、伝えられるところによりますと、この試行が終われば四週六休への移行というのが予定されているようでございます。  といたしますと、学校教員の世界につきましては、四週六休制実施しようといたします場合にはこの学校五日制との関係を抜きにしては議論できない事柄でございまして、当面は夏休み等夏季休業期間中の、あるいはその他の休業期間中のまとめどり方式ということで四週五休は対応してきた経緯もございますけれども、それだけでいけるのかどうかという問題もございますし、学校五日制との絡み、その点を念頭に置きながら、今後の取り扱いについて検討してまいりたいと考えております。
  237. 勝木健司

    ○勝木健司君 学校五日制を導入するためには、地域、家庭、学校など社会の受け入れ体制の整備が必要であります。特に教職員について一般の受けとめ方といたしまして、休み過ぎている、優雅な商売だというような、多分に誤解もあるようですが、批判があります。国民理解を得るためには、教職員の勤務状態につきまして十分把握しておくべきだと考えますが、特に夏、冬、春の長期休暇における教職員の勤務はどうなっておりますか、お伺いしたいと思います。
  238. 加戸守行

    政府委員加戸守行君) 私どもとしましても、四週五休制実施いたしますときに、それが夏休み等期間でのまとめどりが可能かどうかということでそれぞれのサンプリング調査は行っております。その結果としまして、午前中にも粕谷先生の方から御質問ございましたけれども、かなりいろいろな授業活動学校行事、あるいはそれぞれの個別的な教育指導というのが行われているケースがございまして、しかしながら、都道府県によりましていろんなばらつきがございます。非常に密度の高い、夏休みに勤務を要する形態と、それほどでもない県、都道府県による差異はございますが、いずれにいたしましても、休業期間中においても何らかの形のいろんな勤務形態があり得ることは事実でございます。  そういった点をもう少し精査いたしまして、今のいわゆる全学校的な行事だけではなくて単にクラス単位での活動等もございますし、そういうのが全部いわゆる勤務時間、勤務期間として計上されているようなケースもございますし、よく実態を把握しながら今後の四週六休制への対応の参考材料とさせていただきたいと考えております。
  239. 勝木健司

    ○勝木健司君 当面、隔週二日制で処理する方式考えられておるようでありますが、共働き世帯の増大に対応して土曜日に児童を学校で預かる体制をとること。そのほか、土曜休みの子供たちの社会的受け皿づくりについてどういうふうにお考えか、お聞かせいただきたいと思います。
  240. 澤田道也

    政府委員(澤田道也君) いわゆる子育ての時期の御両親の労働のあり方というのは、それぞれ御両親が状況に応じて子供のことも考えながら対応していただくことをもちろん希望しておるわけでございますけれども、今の御検討が進んで、学校五日なり、そういうことの研究が進むに対応して、私どもも地域の受け皿の整備、青少年団体の活動の奨励、学校開放の前進等については、今後とも一層努力をしてまいりたいと考えております。
  241. 勝木健司

    ○勝木健司君 最後になりましたけれども、時間短縮でいきたいと思います。  今次の臨教審答申を受けた教育改革は、臨教審の任期切れとともに終わるものではなく、二十一世紀へ向けた教育改革の一つのステップであります。臨教審以後も視野に入れた教育改革に対する文部大臣の基本的なお考えをお伺いいたしまして私の質問を終わります。
  242. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 臨教審の答申は、確かに今まで文部省が努力して教育改革を進めてまいりましたが、それとは違った視点から提案されておる問題もございますし、非常に現実的、社会性を帯びた提案も実は多々含まれておりまして、私はこのおっしゃる趣旨、そして審議の経過におきます議論というもの、これは尊重していきたいと思っております。  といって、教育改革というものは、ようかんをかみそりで切ったようにぽんと改革できるものじゃございません。それにはそれ相応の慎重な準備が必要だと思います。その準備ができましたら、やはり法律の法制の整備というものも必要ですし、財政的措置も必要でございまして、仰せのように、臨教審の答申を受けた、それで終わる、というものではなくして、その中身を十分に玩味しながら、日本社会に合ったもの、あるいはまた国民の要請に沿ったというものであるものは、どんどんとその方向に向かって改革へ努力をしていくべきだと、こう思いまして、長い目で、息長くこの答申を私は玩味していくべきだと思うのであります。
  243. 勝木健司

    ○勝木健司君 ありがとうございました。
  244. 下村泰

    ○下村泰君 私は、六年間社会労働委員会の方におりまして、この文教委員会というのはもう初めてでございまして、私のようなあほが果たして委員が勤まるか、大変自分で心配しております。  委員長に一言お断りしておきますが、私はここへ来るまで、前職が前職でございますので、国会で使うような基本的な用語というのは使えませんので、言葉の上でどんな粗相があるかもわかりませんが、そのときはよろしくお願いします。  大臣に、障害者に対する教育というものにどういう基本的なお考えを持っているのか承りたいんですけれども、実は、こういう経過がありまして、こんな話も聞いていただいて、その上で大臣の理念を伺いたいと思うんです。  これはことしの四月二十四日の補助金等に関する特別委員会の議事録でございますが、実は、こういうことがありました。もちろんこれはことしの話なんですが、四月の九日に、佐賀県立神埼高という高校があります。ここへ入った十六歳のお子さんがおる。このお子さんは、小児麻痺のため両足が不自由なんです。小学校四年のときからこれまで母親ミヨ子さんの送迎で普通学校で学んでおりました。それで、前の年に、自分のおうちに近いこの神埼高を選んだわけですね。ところが、「障害を含めた総合判定」ということで不合格になったんです。この子はあきらめずに、養護学校へは通わずに、また一年間独学で頑張って、次の年に受験をして、もちろんこれは筆記試験では合格したわけですね。これは文部省の方は既に御承知のことだと思います。  ところが、筆記試験のペーパーテストでは合格した、これからいよいよ入学許可を出しましょうという段階で、誓約書をとられたわけですね。その誓約書の内容というのは、「通学、階段の昇降などは保護者が行い、教職員生徒の介添えは期待しない」「施設は現状のままで異存はない」「不測の事故、好意の介添えなどによる事故があっても責任を問わない」、こんなようなことをもろもろ書いて、親がそれに承諾の印鑑を押さない限りはこれは不合格になるんです。ですから、合格という通知を出す前に、おまえはこれに納得せいよ、納得したらおまえ合格の通知を出してやるわいと、こういう方法なんですね、これは。私、決してこの誓約書を請求した方が正しいとは言いませんよ。ただこれは、口頭かなんかでやったならまだやわらかいですわな。文書を書かせるとなると、完璧な差別です、これは。これに関して、「障害者を普通学校へ・全国連絡会」という会がある。その代表世話人の河原一男長崎大教授は烈火のごとく怒っておるわけですわ、これに関して。  私は、このことを中曽根総理に伺ったんです。こういう問題がありますよと。と申しますのは、中曽根総理が二年前、NHKの番組——私らNHKと言わない、「けちけちK」と言いますがね、このNHKの番組で、  障害児の扱い方や教育の方法なんかもね、日本ではまだ未開発ですよ。アメリカあたりはかなり進んでいるし、ヨーロッパでも進んでいる国がある。 というような話をして、自立をしたいお子さん、あるいは普通の学生さんと御一緒に勉強したいお 子さんもいるでしょう、そういう方もそれなりに勉強させてあげるべきでしょうということを言っておるわけです。こういうふうに総理がおっしゃれば、こういうお子さんを持つ親御さんはどのぐらい喜ぶか。これ、天の声ですわな、このときは。その後がすぐこれだ。  しかもこの問題は、私がお尋ねしたときに、初等中等教育局長というんですか、高石邦男さんという方、このときに答えてくれた方だ。この人はやっぱり頭いいわ、こんないいかげんな答え出すだけに。今、事務次官になっているそうだ。この方はこういうふうに答えている。まあいろいろ前段ありますよ。  佐賀県における具体的な取り扱いについてそういう状況下でまだ施設設備等が十分整っていないということで不自由をかけるという意味から、そういう話し合いが事前に行われたとすればやむを得ないことかと思いますが、そのゆえに障害者が高等学校へ進学することを差別する、忌避するということは適当でないと思っております。 こういう答えなんです。わかったようなわからないような答えなんです。まるでこんにゃく問答みたいだ、これは。  それで私が総理に伺いましたところが、総理はこう答えておる。  国連の身体障害者に関する基本的な観念でも参加と平等ということを言っておるので、日本もその精神に基づいてやっておらなきゃなりませんし、やるべきであります。したがいまして、障害者でも意思と能力のある、特にやりたいという願望、そういう強い願望を持って一生懸命やろうとする人たちに対してはできるだけこれを受け入れて、平等に普通並みに扱って一緒に励むというのがやはり正しい精神だろうと思うんです。 こういうお答えです。  さて、今までの経過の私のつたない話をお聞きくださいまして、文部大臣といたしましては、障害者に関する教育問題に対して、どういう基本的な姿勢とどういう基本的な理念がおありでしょうか、お聞かせください。
  245. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) この障害者問題というのは、私は本当に、当事者と申しては語弊がありますが、その関係の方は本当に心労されておられると思うんですが、しかしまだ一般的に、社会的に、それに対する対応と準備、心の準備という、認識というものが十分にいっておらない。これは私らもあらゆるところでそういうものを見たり聞いたりするわけでございまして、先ほどお話しのございました神埼高校の話でございますが、この問題が一つは私は原則論と結びついてくるような感じがするわけであります。     〔委員長退席、理事林寛子君着席〕 と申しますのは、私もその事情は詳しく知りませんけれども、そういう場合私は、実は地元にもそれに似たような問題がございました。その場合、どういうふうにするのが本人さんが一番いいのか。やっぱり保護者がついていただいて行動した方がいいのか、あるいはもうそうではなくて、そういう完全な施設のある学校へ行った方がいいのか、私はいろいろ問題があるだろうと思うんです。けれども、どうしてもやっぱり普通校で一緒にやりたいというこの気持ちは私たちも十分わかりますしいたしますので、学校がよく父兄と本人とを入れまして十分な相談をしてもらうよりしようがないんだろうと思うんです。  書いたものでどうのこうのと、後の証拠だという扱い方は、私は多少水臭いなという感じがいたしますけれども、しかし学校としてもやっぱりそれだけの準備をといいましょうか、念を押すところは押しておかないと、後で学校のその当事者の責任とかなんとか、いろんなものが出てくる。不測の事故が起こってけがされたというような場合、そういうことがやっぱり当事者としては心配になったんだろうと思うたりいたしますが、そこらは私は父兄と、それから本人、学校、ここらは十分に話し合って解決していただくというより方法はないんじゃないかなと思います。その場合には、私はどちらも誠意を持って話し合ってもらいたい。一片のしきたりのようなことだけで話するんじゃなしに、いろいろな角度から検討して、また父兄の方も、なるほどそういう事情があるんならば、こういう点については私たちが責任を負いますとか、あるいは学校は、ここまではやりますけれども、これからはちょっと施設を今すぐに変えろといってみても無理だというんだったら、それをどういうふうに補うのかということ等を相談してもらいたい、こう思うておりまして、お尋ねのように、こういう社会的に自立しようという人は、これは私はやっぱり大事に扱わないかぬ、その気持ちは私は持っておりますけれども、現場に即した話としてはそういう対応をしていただくよりしようがないだろうと、こう思うたりいたします。
  246. 下村泰

    ○下村泰君 今の大臣の、この神埼高という具体的な例に対するお考えはそれでいいと思うんですよ。しかし、私のお尋ねしたいのは、こういう障害者に対する教育の理念、教育をどういうふうに大臣としてはお考えになるか、そこのところをひとつ聞かせていただきたい。
  247. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) 私は率直に申しまして、やっぱり障害者の方はそういう受け入れる学校をつくるべきだと思います。それによって受け入れていくのが一番いいんではないか、私はそう思うんです。  しかし、これは筑波短大の設立をめぐりましてもいろいろと議論がございまして、一般の普通の学校で一緒に勉強する方がいいんだという説もございますし、また、障害者は障害者だけの特殊な訓練を受ける方がいいんだという議論もございますし、いろいろございまして、これはまだ定説として定まらない。そこに文部省としても対応が非常に難しいということでございまして、私は、筑波短大の設立をめぐりましていろいろな議論があるもの、これは文部省として重大な議論だなと思うて受けとめております。
  248. 下村泰

    ○下村泰君 そうしますと、文部大臣としては広くそういう受け入れる体制が本来の姿である、こういうふうなお答えでよろしいですね。そう受けとめて。  それで、今、大臣のそういうふうなお話の中にも、そのお話の中をかき回して考えますと、一番大事なことはやっぱり教育問題なんですね。いわゆる健常者に対する教育問題が一番大事じゃないか。  埼玉県の小川町でしたかな、あそこへ行きますと、「振り向かない福祉」という言葉があるんですよ。つまり、道路を歩いていて障害者の方とすれ違いますね。そうすると、健常者の中にはやゆ的に、あるいはからかい的にも、いろんな意味を込めて振り返ったりします。ところが、あの小川町では振り返らない。もう身体障害者と接触するのは日常茶飯事なんです、あそこは。いろんな施設が多いんです。例えばにわか雨が降ってきます。そこへ車いすで通っている方がいます。その方はあるいは通学するのか、あるいは買い物に行くのか、そういう障害者がいると、歩いている普通の健常者が何心なく傘を差して一緒に歩く、こういうスタイルが小川町なんです。  こういう心がもし日本じゅうに普及されれば、日本という国は世界最高の福祉国家じゃないですか。あんな駅のぼちぼちマーク要らないんですよね。なまじプラットホームにぼちぼちマークを置くものだから、ただ旅行するだけの目的の健常者があそこへトランクや旅行かばんを置くために、あれを頼りに歩いている目の不自由な方がけつまづいてひっくり返ってしまう。そしてレールの上へ落ちるという事故もある。だから、目の不自由な方々に言わせれば、あのぼちぼちマークの上にトランク置いてくれるなという、こんなばかなことも出てくるわけですね。  ですから、そういった「振り向かない福祉」の心を持つような国民をつくるのが、つくるという言葉はおかしいですな、そう導くのが文部省の役目じゃないかと思うんですがね。これに関してお答えございますか。
  249. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御指摘のように、心身に障害を持つ児童生徒の問題は、単にその障害を持つ子供だけの教育ではなくて、私どもとしては、二つあると思っております。  一つは、やはり健常児が、健常である児童生徒が障害を持つ子供との交流等によって、いたわりの心とか弱者に対する気持ちというものを持って、相ともに成長していこうという気持ちを持ってもらう、これが大事だという意味で、やはり健常児に対する対障害児教育における努力というものが必要だというふうにまず第一に考えておる次第でございます。    〔理事林寛子君退席、委員長着席〕  それからもう一点は、社会人の問題でございますね。これは私ども、また来年から事業としても考えたいと思っておりますが、障害を持つ児童生徒学校を取り巻く地域の問題として、やはり地域の人々が障害を持つ学校の子供たちに理解を持って手を差し伸べ、一緒にいろいろと配慮をいただくということが大事だというふうに思いますので、来年からは、できますれば地域における人々が、障害を持つ子供たちへの交流という意味での何らかの事業を始めたいというような考え方を持っておりますが、御指摘の点はまことにごもっともでございますので、私どもその点十分留意してまいりたいというふうに思っております。
  250. 下村泰

    ○下村泰君 それは、大人を教育するのも結構ですけれども、今の大人じゃもう間に合わない、ほうっておいていいの、今の大人は。むしろ、これから育つ方たちにはしっかりしたそういう福祉の心を持ってもらわないと困るんです。  大体福田さんが総理大臣のときも、あの方も随分困った答えを出してくれた人で、日本という国はどう思いますかと言ったら、福田さんは、こんな立派な国はないと。私自身もそう思うんですよ、日本という国はいい国だと思う。じゃ福祉に関してはどうですかと言ったら、残念ながら開発途上国並みですと。総理大臣が自信を持ってそういう答えを言ったら困るんですよね。  ですから、どうぞひとつそういった子供さんを心の温かい大人に育ててくださることをお願いしておきます。今後とも私は、こういう問題で当委員会で発言していきたいと思います。  さて、いわゆる全国の国公私立の高等教育機関ですね、大学、短大、高専、ここに在学する障害学生の数、完全につかんでいらっしゃいますか、障害種別に。もし数をつかんでいたら教えてください。
  251. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) ただいま手元に、先生の御指摘にぴったり合う数字を持っておりませんけれども、昭和六十年度に国公私立の大学、短大へ入学した方々の数ということ、入学者の数としては現在手元に持っております。  それによりますと、視覚障害、聴覚障害、肢体不自由その他のものを全部合わせまして、六十年度合格をして入学をされた方が七百三十六名、国公私立の大学、短大ということに相なっております。
  252. 下村泰

    ○下村泰君 この数はなかなかつかみにくいだろうと思うんですよ。例えば補助金をいただくために申請した人の数ですとか、まるっきりそういうことをしない人の数でありますとか。ですから、なかなかつかみにくいとは思いますけれども、その実数は必ずつかんで、今後のもろもろの問題に処していただきたいと思うんです。  いわゆるこの入学者の数は、これは確かにふえてきていることはふえてきています。それは向学心がだんだん強くなってきていますからね、今は。ただ、高等教育機関で学びたいと望む学生が受験すると、拒否されたり、できても授業などがスムーズに受けられない、そのためにやめてしまう、こういう経過が非常にあるわけです。こういう実態について、文部省はどのぐらいそういう状態をつかんでいるのか。例えば受験拒否の実態ですね。私立の学校、それから国公立の第二次試験ですか、この二次試験を受けて、そして入学後こういう問題がどのぐらい起きているか、つかんでいらっしゃいましょうか。
  253. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 身体に障害を持っておられる方々大学入学につきましては、文部省といたしましても、かねてから一般学生とできるだけ同様に、本人の能力、適性に応じということはございますけれども、大学進学の道が開かれていくべきであるという考え方から、毎年、大学入学者選抜要項というようなものによりまして、こういう方々について受験の機会を確保するように配慮してほしいということを各大学指導をいたしておるわけでございます。また、その受験につきましても、具体に障害の種類、程度に応じまして、出題とか解答の方法、試験場の整備等、例えば視覚障害の方について点字で出題をするというようなたぐいのことについて配慮してほしいと、こういうことを具体に指導を行っておるわけでございます。  個別に受験拒否みたいなケースがどういうふうに出てきたかということを全国的につかんでおるわけではございませんけれども、年に一回、ある程度耳にいたしますときには、直ちにそれぞれの大学に事情を問い合わせ、その状況によって今後適切に対応するようにと、さらに指導をするというようなことを行っているところでございます。
  254. 下村泰

    ○下村泰君 ただしかし、指導をしていても、じゃそれに沿って完全にやっているという大学の名前を挙げてくださいと言ったら挙げられないでしょう——いや、いいんですよ。答えなくていいんです。どうせ答えられっこないんだから。わかっているんです。現在私の手元にあるのには、都立大学はそれにやや沿ってやっている。それからそのほかに和光大学とか明治大学が若干。若干ですよ。それも完全じゃないんですよ。それにやや近づきつつあることはやっていることは事実なんです。  さて、そうなりますと、結局文部省自体も、今、文部省の皆さんがお答えになったように、実態を完璧につかんでいるわけでもないし、各大学に対して、教育機関に対して要請はしているけれどもそれ相当の答えが返ってきているわけじゃない。そうですね。そうすると、先ほど大臣がおっしゃいましたけれども、今回筑波に視覚聴覚障害者を対象とした短大をつくろうというんです。この辺、先ほども大臣がおっしゃっていましたけれども、つくるのは結構ですよね。つくるのは結構なんだけれども、ただ、一般の学校で一般の人と一緒に教育を受けたいと願っているのに無理やりに、反対もあるのに、こっちに短大をつくって、何かこれ分離するみたいに、いわゆる隔離病棟みたいな感じがするんですが、どうなんでしょうかね。
  255. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 筑波に計画をいたしております身体障害者の、これは視覚障害と聴覚障害の方々を対象ということで一応考えられておるわけでございますけれども、これの創設につきましては、関係の、特に視覚、聴覚障害関係者の方々から大変強い御要望がかねてから寄せられておりまして、それに基づきまして検討してきた結果、この短大をつくってはどうかということで、現在、具体に来年度の予算の問題として検討しているところでございます。  もちろん、これにつきまして、一般の大学への入学がこれによって閉ざされるようなことはないかという御心配の御意見も聞いております。私どもといたしましては、あくまてもこれは、こういう大学にぜひ入りたいという方々のために、そういう御要望を受けてつくるものでございまして、一般の大学についても可能な限り受け入れていくべきだと、先ほどから申し上げました方針については変わりはないということで、要すれば、一般の大学と、それからこういう特別の大学と両々相まって身体障害者の方々を受け入れていくというようなことが必要であろうと思っておりますし、今後、これができました暁の問題につきましても、そういう精神で対応していきたいと思っているところでございます。
  256. 下村泰

    ○下村泰君 これは十一月二十五日、けさの朝日新聞です。ここに、二十二日に東京都港区の港勤労福祉会館で、こういうお子さんを持っている親御さんあるいは先生、そういう方々がお集まりになって会を開いた。その「朝日」の記事によりましても、今、文部省の方がお答えになった、推進して ほしい言っているのはどういう人かというと、全国聾学校長会、同盲学校長会。この学校教育を受ける側の方が物すごい反対をしているんですね。しかも、この話が起きたのは昭和五十三年ですね。調査費がこのとき百万円ですか、予算額が。調査費という名目で百万。五十三年からずっとやっている。もう十年目なんです、これは。  実は私、この話、反対とかなんとかいう立場でお話しをしているわけじゃないんですけれどもね。と申しますのは、実は私、身体障害者高等教育機関創設推進議員連盟、これに入っているんです。進める方なんだ、本来は。ところが、これは私は社会労働委員会におるときにやられたわけなんです。ですから、社会労働委員会にいて障害者の方々の問題を扱っていれば、当然これはあなた、身体障害者高等教育機関創設推進議員連盟なんというならよかろうと思って入ったんだ、これ。だから、ここに入ったらじゃお前こんな問題何で扱うんだと言われると困るんですよ。ここに入ったからこそ悪いものは悪いと反対するんですからね。  だから、別に反対をしているわけじゃありませんけれども、こんなに長い間かかって、いいものだったらすぐできるでしょう。それがこんな長い間、十年間もかかってまだあなた、これから先いつできるかわからぬでしょう。予定としては六十二年とは言っているけれども。そんなにいつまでも議論が煮詰まらないということは、どういうことが原因なんですか、これは。
  257. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) この問題につきましては、先生御指摘がございました盲学校長会、聾学校長会といった学校関係者からの御要望もございますが、このほかにも日本盲人会連合、全日本聾唖連盟でございますとか、難聴児を持つ親の会でございますとか、そういった各種の障害児を持っておられる方々の団体等からも大変強い御要望をかねてから受けたわけでございます。  そういうことでこの問題についての検討を進めてきたわけでございますが、何と申しましても、我が国でこういうものをつくろうという初めてのケースでもございますし、それに伴いまして、どういう形でつくったらいいのか、あるいは障害者に適した職域と申しますか、専門分野をどういうふうに考えていったらいいのか、あるいは教育方法等についてより水準の高いものを目指すことが可能であろうかどうか、その他いろいろな点について検討を進め、関係者で議論を進めてきたということがこれまで時間がかかった事柄でございます。  なお、この問題につきましては、アメリカ、イギリス等に視覚障害、聴覚障害の高等教育機関が設けられているというようなケースもございますので、そういったものについての調査等もあわせて行ってきたということで、最近に至りましておおむね構想がまとまったということから、これの設置に向けて努力をしようということに相なったわけでございます。
  258. 下村泰

    ○下村泰君 そうするとこれは、その話は一たんおきまして、現在、盲聾学校には専攻科というのがありますな。これはどういう目的でどういう内容なんですか。
  259. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 先生御指摘のように、盲聾養護学校につきましては、小学部、中学部、それから高等部とございます。高等部は高等学校と同じように三年でございますが、三年の課程を経た後、やはり社会的自立を必要とする等、その技術的な内容その他についてなお勉強を深めるというふうなプロセスが必要でございまして、その意味で高等部に専攻科を設けておるというのが実態でございます。
  260. 下村泰

    ○下村泰君 その専攻科というのは大体何年ぐらい学ぶんですか。
  261. 西崎清久

    政府委員西崎清久君) 実態といたしましては、三年が多いようでございます。
  262. 下村泰

    ○下村泰君 今度つくる短大は何年ですか。
  263. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 三年制の短期大学として検討しておるものでございます。
  264. 下村泰

    ○下村泰君 そうすると、その高等部の専攻科を三年やる——中等部から高等部へ行くんでしょう。中等部から高等部へ行って、高等部で専攻科へ行って短大へ行くんじゃないんでしょう。そうじゃないですな。六年やるわけじゃないんだから。中等部から高等部へ行く、高等部から短大へ即行く。そうすると、この専攻科の三年というのはどういうことになっちゃうんですか、これは。そして、短大でやる内容というのはどういう内容ですか。
  265. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 同じように高等部の専攻科も三年制でございますし、それから新しい短期大学も三年制ということで、年限としては同じものが並列をするという形に相なるわけでございますけれども、こういう短期大学をつくろうということの中には、専門技術的な面を後期中等教育の高等部の延長として修めるというだけにとどまらずに、大学でございますから、大学レベルという高いレベルと申しますか、そういうレベルにおいて十分な研究があって、それに教育が裏打ちされて出てくるというような形のものということで、十分な研究とそれに裏づけられたより高度の教育機関ということで、より高いものを目指して努力をしていこうではないかということのあらわれがこの新しい短期大学であろうかと思います。  他の分野につきましても、例えば看護婦さんの養成というようなことも従来三年制の看護学校で行われておりましたのを、御要望によりまして、三年制でございますけれども、逐次短期大学に切りかえて、より高いものを目指していこうという努力も今しておるわけでございますけれども、そういったようなことと軌を一にする、こういった分野での教育をできるだけ高いものに持っていこうという努力の一つのあらわれであるということで御理解を賜りたいと思うわけでございます。
  266. 下村泰

    ○下村泰君 そうしますると、短期大学はつくりました、専攻科もそのまま置いておくわけですか、今のままでいけば。
  267. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 筑波大学の場合で申し上げますと、附属の専攻科については、これは当分と申しますか、現在のところ、これは廃止をするという考え方は持っておりませんので、併存をする形になろうかと思います。
  268. 下村泰

    ○下村泰君 それじゃ、筑波に限らず、ほかの、全国的にはどうなんですか。全国的にそういう専攻科のある学校はどうするんですか。廃止ですか。
  269. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 筑波に置かれます短期大学は、事の性格上、人数的にも非常に狭いといいますか、少ないものになるわけでございますので、一般の各都道府県に置かれております盲学校、聾学校の専攻科について、今回、この機会に手をつけるとか、そういうようなことはないわけでございます。
  270. 下村泰

    ○下村泰君 どうもわからないのはそこなんですね。おたくのおっしゃる、短大は大変高等教育内容がある、専攻科はない、だから短大で勉強した方がよかろうと、親御さんも望んでいると。ところが、実際にその資格を持っている聾唖者の人たちは好んでいないんです。そこのところが話がわからないんだ。  そうすると何ですか、今度短大へ行く人と専攻だけ出た人と、まるで資格が違ってきますか、今度は。例えば鍼灸なんてのあるんでしょう、はり、きゅう、マッサージなんていうの。専攻科でもやっているでしょう。短大でもやるんでしょう。社会に出た場合にどうなっちゃうの、これ。ライセンス違うんですか、これは。おまえは一級免許、おまえは二級、三級と。
  271. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 御指摘のような点の専門的な職業資格につきましてはそれぞれの機関で定めておるわけでございまして、現在、それによる、短大か専攻科かによって差がつくということはないだろうと思っております。
  272. 下村泰

    ○下村泰君 ないことはないでしょうな、それは。ないことはないよ、きっと。私は短大を出たからどうのこうの、私は高等の専攻しか出てないからどうのこうの。あると思いますよ、日本人というのは好きなんだから。自動車の運転にしたって一級、二級ライセンスなんてあるじゃないですか。 何のために短大へ行ったかなんということになるでしょう。それじゃ専攻科でいいじゃないか。そういうシステムをつくった以上、それに何か見合うべき資格とかその他が附属するでしょう、これ。どうなんですか。
  273. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 今回の構想は、要するに内容的な水準をできるだけ高めていきたいということをねらいとしておりますので、これによって資格制度をどうこうしようということを考えているわけではないわけでございます。
  274. 下村泰

    ○下村泰君 それは、今考えていなくたって、この先できるでしょう、当然そういうことが。——うなずいているじゃないか、大臣が。大臣がうなずいていて、あなたは考えておりませんなんて、そんなばかなことないじゃないか。
  275. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) いやいや、そういうことではないので……。
  276. 下村泰

    ○下村泰君 私の誘導尋問に引っかかったろうと思うけれども、でも大臣、どう考えてもそういうふうになりますよね。まあこの問題はそう簡単に今解決のできるものじゃないですから、これから続けていきたいと思います。  それならば、あなたのおっしゃるようにそういう方たちにそれだけの手厚い教育を受けさせてあげたいというのならば、短大を一校だけじゃなくてもっとふやす気はありますか。
  277. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) このケースは、全く新しいものをこれからつくっていこうというわけでございます。したがいまして、教員組織を構成するにいたしましても、いろいろの点で難しい問題を抱えているというわけでございますので、現在のところ、これを各地にたくさんつくっていこうというところまでは考えておらないわけでございます。
  278. 下村泰

    ○下村泰君 もしこれが成功すれば——別に私はこんなものをつくれなんて言っているわけじゃないですよ。これが成功したとすれば、これから先にやっぱりつくっていく気持ちはあるんですかないんですか。あるいは現在の専攻科を昇格させるという気はありませんか。
  279. 阿部充夫

    政府委員(阿部充夫君) 将来のことについては、現在の段階でにわかに想定ができないわけでございますけれども、それぞれの時点で、この短期大学の創設、運営の状況等を見ながら、また世論の御判断等も仰ぎながら、考えていくことであろうと思っております。
  280. 下村泰

    ○下村泰君 どうして日本のお役所というのは目先の答えしか出さないんですかね。あなたの御身分にさわるからかどうか知りませんけれども、目先のことだけで答えを出さないで、もっと将来のことを見つめて、これがよければいつでも全国に、そうして今の専攻科そのものを、今専攻科というのがあるんだから、それをそのまま短大に昇格するとか、そういうふうにして大勢の方たちに福音を与えたいと、これが本当は行政機関のやり方じゃないんですか。大臣、どうなんですか。どうもわからぬ。
  281. 塩川正十郎

    国務大臣塩川正十郎君) どうも下村さんの話を聞いておったらそんな感じしますね、確かに。しかし、まあそういうこと等も含めてずっと検討してきたのでございまして、早急にそういうものをいろんな角度から検討して、結論を一刻も早く出したいと思っております。
  282. 下村泰

    ○下村泰君 もう五時過ぎましたし、皆さんもお疲れでございましょうから、まだ許されている時間はありますけれども、きょうはここまでにとどめます。  この問題は、今申し上げましたように私は中立的な立場で申し上げておるんですからね。その中立的な立場で申し上げている私に対して、いろんな方面から今いろんな陳情が来ておるわけです。それをいろいろ選択して今一生懸命この委員会にかけているんですから、大臣、それから文部省方々も、よく関係者各位のお声を聞いて、ひとつ最良の方法というのを見つけるようにお願いしたいと思います。できればまた、これはこの後続けていきたいと思います。  どうもありがどうございました。
  283. 仲川幸男

    委員長仲川幸男君) 本日の調査はこの程度とし、これにて散会いたします。    午後五時二分散会