○
山田耕三郎君 先ほどのお答えにも、森林の活性化を図るという必要性を強調しておいでになりました。大きな木を切ることは、一時的には森林を壊すように見えるが、伐採により森の中に光が入り、それまで大きな木のために成長が抑えられておった
周辺の若木が急速に成長をして森林が若返りします、こういう御意見が林野庁の代表的な意見のようです。
私は先般、知床の原生林というものを一人でどなたにも妨げられることなく丹念に
調査をいたしてまいりました。もちろん一人のことですし、素人のことですから限度はございます。しかし、私なりに考えてみて、原生林の生態系だとか、もっといえば自然の摂理というものはそんな簡単なものではなさそうに思えました。例えば、ここは何回か手が入っております。だから切り株がございます。切り株の
周辺には若木は育っておりません。むしろそこはササが群生をいたしておりまして、他の植物を排除をいたしておりますように思います。風倒木のあるところには、本来は
木材は腐りにくいものだと言われておりますが、コケ類やキノコが生えておりましてそれを促進をしておるように思え、その
周辺には若木が育っておりますし、苗木はいわば群生をし、ササはまばらであります。
こういう
実態が至るところに見受けられますのでございますけれ
ども、こういったことはやっぱり私
たちが考えていかなければならない問題なのではないか。原生林の中では生きとし生けるもの、例えば植物、大動物、昆虫額のような小動物、さらにはバクテリアに至りますまでが神秘的に絡み合って、お互いに相補いながら種の保存と繁栄のために機能をしておる場所のように思えてなりません。光を当てればよいという簡単なものでなしに、そこでは生物が生存するための湿度も必要であります。温度も必要であります等、それらは人間の力ではなかなか整えることのできない、いわゆる自然の摂理のように思えてなりませんけれ
ども、このことを考えていかなければ大変な取り返しのつかないことにしてしまうのではないか、このように思いましたのが一つございます。
そして、考えてみますと、あの土地から何百年間蓄積をしてきた養分を風倒木は一切残らず土地に返してしまいます。人間がそれを伐採をして商品にいたしますと、それは大地から収奪をしてしまうことになってしまいます。森にとってどちらが有用であるかはもう比較するに至らない、このように私は考えておるのでございますけれ
ども、その辺のところが大変重要だと思います。
もう一つの問題は、人手を加えることにより現在見られるようなすぐれた森林に育て上げられましたとの御意見もありますけれ
ども、これは大変な思い上がりではないかと思います。確かに、原生林は南方と北方とでは様相が違います。しかし、同じ北方の寒冷地帯ではそんなに変わらないと思います。私自身が、今から四十年余り前のことです。目的は原生林を見ようとして行ったのではありません。偶然に遭遇をいたしました中国大陸北部の原生林と比べてみますと、あのようなものではありませんでした。そういったものから考えますと、原生林とは言いながら知床のあの部分はやっぱり疎林になっておるように思えてなりませんのですが、そういうところへたとえこれからわずかであっても手を加えていくということになれば、大変な間違いを犯すことになるのではないか。
例えば、伐採を計画しておられるところで調べてみました。全体ではありません、局地になるかもしれませんけれ
ども、
あと百年たって切られようとしておる木まで成長をするであろう次の時代の木を見つけるのに困難をいたしました。この辺のところもやはり当事者としては十分考えていただかなければならない問題なのではないか、このように思いますのが第二点。
それからもう一つは、私は学者でないからわかりません。けれ
ども、
日本における森林学が体系化されたのは明治の三十年代だと聞いております。しかも、その初めはドイツを見本にしてまいりましたそうですが、それは当然のこととして平地林であります。
日本は、主体は山岳林でありますし、わけても知床のように極地における寒冷地の森林のことであります。十分研究はしていただいておりますと思いますけれ
ども、まだまだ日は浅いのではないか。ましてや、森林学における学説は、暁を見ずという言葉で言われておりますように大変息の長い、周期の長い仕事であります。わずかの体験だけでもってよろしいということにはならないと思います。
もう一つの問題は、赤い帯が巻いてあります切られようとする木はみんな真っすぐに伸びております。しかも、元気がよい木のように見えてなりません。もちろん、これは商品価値を考えてのことだと思います。けれ
ども、これらが切られていった後で残ったのはこぶのある木ですとか曲がっておる木だけが残っていったとしたら、果して優生学的に、遺伝学的に何にも考えなくてよいのだろうかという疑問も出てまいりました。
聞きますと、木というものはそれよりも環境に支配をされますものですということでした。けれ
どもまた、営林署で聞きますと、種はよい種を選んでまきますというお話でございました。よい種とはどういう種なのだろうか。やっぱり種を産んだ親木を見ていかなければ判断することができないのではないか。学者の中にはやっぱり遺伝学的要素もないとは言えませんというお答えをいただいた方もございましたけれ
ども、こういった点はどっちにしたところで長い長い研究の未到達せなければならない問題ですが、こういったことを考えてみますと、林野庁でおっしゃるようにそんなに簡単に活性化が図れるものなのだろうか、大変疑問に感じました。この辺に対するお
考え方を承りたいと思います。