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1986-11-05 第107回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十一年十一月五日(水曜日)    午前十時三分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         長田 裕二君     理 事                 坂野 重信君                 水谷  力君                 吉川  博君                 山本 正和君                 高木健太郎君                 吉川 春子君     委 員                 井上 吉夫君                 大島 友治君                 大塚清次郎君                 倉田 寛之君                 斎藤 文夫君                 添田増太郎君                 高橋 清孝君                 寺内 弘子君                 中曽根弘文君                 福田 宏一君                 松岡滿壽男君                 向山 一人君                 吉川 芳男君                 糸久八重子君                 及川 一夫君                 八百板 正君                 刈田 貞子君                 矢原 秀男君                 勝木 健司君                 平野  清君    事務局側        第二特別調査室        長        菊池  守君    参考人        放送大学教授   加藤 秀俊君        PHPインター       セクト編集長 ロバート・ワーゴ君        国連大学特別顧        問        永井 道雄君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国民生活に関する調査  (日本における国際化に関する件) ○参考人出席要求に関する件     ─────────────
  2. 長田裕二

    会長長田裕二君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。  国民生活に関する調査を議題とし、日本における国際化に関する件について参考人から意見を聴取いたします。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、三名の方々に順次御出席をいただいております。  まず、放送大学教授加藤秀俊君から意見を聴取いたします。  この際、加藤参考人一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてありがとうございました。本日は、日本における国際化につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に四十分程度意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いいたします。  それでは、加藤参考人にお願いいたします。
  3. 加藤秀俊

    参考人加藤秀俊君) 加藤でございます。  会長のお許しをいただきまして、私の最初の四十分の発言の部分のみ自分の記録のためにテープを録音させていただきますので、御許可いただきたいと存じます。  与えられましたテーマが日本国際化ということでございますが、国際化という言葉が毎日、新聞、ラジオ、テレビ等出ない日はないと言ってよろしいほど使われていることは、ここで改めて申し上げるまでもございませんが、この言葉によって意味されるものが一体何であるか。お手元レジュメにございますように、これは一言で言うならば、物流人的交流、それから情報流れと、このほかにもございましょうけれども、大きく分けまして三つほどのパイプで、我が国のみならず世界諸国が現在そういう段階に差しかかっているわけですが、完全な相互依存性の上に成り立っているという事実、並びにその認識国際化であり、国際意識というものであろうかと思います。  とりわけ日本の場合でございますと、もう先生方の方がよく御承知と存じますので、釈迦に説法ということになりましょうけれども物流の側から申しますと、外国から、主として食糧その他でございますが、の輸入があり、そして日本から自動車、ビデオその他が流れていく。そうした物の流れの上で日本経済が成り立っている。まさしく日本経済は、国際化と申しますか、国際関係の中での物流によって支えられている。もしも石油資源食糧資源等外国から来なくなり、あるいは日本からの輸出が非常な不況に落ち込むというようなことがございますと我が国存立それ自体も保証できないというほどに、物の流れ世界日本世界各国との間は全く不可分の状況にあるわけであります。  それから、第二番目の人的な流れ、これを人流と呼んでもよろしいかと思うんでございますが、人間の行き来も非常に大きくなってまいりました。ちなみに、今から三十年ほど前でございますが、昭和三十年代ということを考えてみますと、この当時の日本人海外渡航者は一万人といったような万単位でございました。それ以前の段階ですと数千という千のオーダーでございましたが、昨年あたりの運輸省の統計によりますと、日本から海外に出ていく人の数がおよそ五百万、海外から日本に入ってくる人の数が二百万程度で、この点では人流の方はやや輸出超過の気味もございます。もちろん、こうした人の流れの中の大部分観光客ではございますけれども、五百万といいますと、日本国民の大体五%をちょっと切るぐらいでございましょうか、これだけの人数の人々が少なくとも日本列島から毎年出ていくといったようなことは日本歴史始まって以来初めての注目すべきというか、瞠目すべき現象でございます。  また同時に、二百万という数でございますが、こうした数の人々外国から日本に入っていらっしゃるといったことも、これまた今まで私どもが経験したことのないことなんです。そして、先ほど大部分観光客であると申しましたが、その中には極めて重要な人物もたくさんいらっしゃいます。各国首脳といったようなところまでも含めまして、政府関係あるいは民間企業の大変重要な方々が重要な用務を持って国際的に往復していらっしゃる。こうしたことの認識、これも国際化を考える場合に大事なもう一つの問題でございましょう。  それから、第三番目の情報流と私は仮に名づけておりますのは、これは電気通信、主として電気通信でございますが、これの発達によりまして衛星中継その他の手段によって私どもは刻々と世界の情勢を知り、また同時に、日本の側から出ていく情報世界各国に浸透していく。この量も、計測はやや複雑でございますけれども、これまたかつての我々にとっては予想もしなかったような現実となっております。そして、こうした情報流、それから先ほど申し上げました人流も、物流と並びまして、これを抜きにして日本国の存在というのはあり得ないと私は考えております。  この情報の問題で、私などの仕事に引きつけて大変恐縮でございますけれども、学術の領域に関しましても国際共同研究といったようなもの、これなしに日本学問進歩もございませんし、世界学問進歩もございません。私自身も今幾つかの国際研究のチームの一員として仕事をしておりますけれども日本学問を担っている多くの人々にとって国際的な活動の場というのが用意されていることがもう不可欠の条件になっております。  こうした三つ流れ、これを仮に日本世界をつなぐパイプというふうに例えて申しますならば、このパイプが年々肥大していく。しかもその肥大の仕方というのは幾何級数的な肥大でございまして、毎年倍々といったふうにそれぞれのパイプは太くなっております。このパイプが切れた途端に日本という国の存立自体も危ないのではないか。かつての徳川時代には鎖国ということが可能でございましたし、無理を承知徳川幕府体制というのは鎖国をやったわけでございますが、そうしたことはもはやできない。日本はもはや鎖国のできない国になっているということの認識、そうした相互依存性認識国際化ということによって意味されるものであろうかと思っております。  とりわけここで国際化外国というような言葉を先ほどから使っておりますが、注目すべきことは、明治以来私ども祖先、それから我々の世代も含めまして、外国といいますと西洋のことをすぐ思い出すのが普通でございました。  先生方の前でこういうことを申し上げるのは大変失礼でございますが、世界人種というのは人類学的に見まして三種類しかございません。これは申し上げるまでもなくコーカソイド一般に呼ばれる白色人種、我々を含めたモンゴロイド、蒙古族でございますね、黄色人種などと呼ばれます。それからネグロイド、これは黒人でございますが、人種は三種類でございます。この人種幾つかに分かれましてそれぞれの民族をつくります。モンゴロイドの中でも大和民族があったり、漢民族があったり、あるいはアメリカインディアンもまたモンゴロイドでございます。黒人ネグロイドの中でもアフリカ諸国、それからオーストロネグロイドと申しましてマレーシアからオーストラリアにかけてのネグロイド、こうした一つ民族形成がございますので、民族の数は何百、あるいは何千とまではいきませんでしょうか、何百という数に達しましょうけれども人種の方は三種類なのでございます。  この三種類人種の中で、私ども外国人と言った場合には、おおむねコーカソイドを意識することが普通でございました。しかしながら、先ほどの人的な流れで二百万という数を申しましたが、ここ数年の傾向といたしまして、日本にいらっしゃる外国方々の六割以上は実は我々と同根同種モンゴロイドの諸民族なのでございます。つまり、具体的に申しますと、中国東南アジアといったような我々のアジア近隣諸国方々がたくさんいらっしゃっている。それから、日本から外国に出ていく方々の中にもそちらの方面というのがかなりふえております。  これは、明治以来欧米に追いつけ追い越せと、大変陳腐な表現でございますけれども、主としてヨーロッパアメリカというところを比較対象枠にして日本世界を考えてきたということに一つの転機を意味するものなのかもしれません。こうしたアジア新興諸国、とりわけNICSと呼ばれる東南アジア諸国との相互依存性といったようなことはこの際注意すべきことであろうかと思います。  次の論点に移ります。二番目の論点と申しますのは、お手元レジュメにはちょっと書いてございませんけれども日本が今までどのような国際化の上で日本文化をつくってきたかというやや歴史的な考察でございます。  余り抽象論でなくて具体論で申しますけれども、私ども日本のものだと信じて疑っていない多くのものはおおむね諸外国との交流によって生まれてまいりました。例えば明治二十年代までの日本の主たる輸出産業の品目でございました生糸お茶というものを取り上げてみましても、生糸というのは中国から朝鮮半島を経て日本にもたらされたものであると言われております。  これは、例えば京都の三大祭り一つに葵祭りというのがございますが、あれは秦氏の氏神の祭りでございます。秦氏というのは御存じのように古代日本に渡来した帰化人でございまして、大陸からそうした技術、原料を持った人たちがやってきてくれたわけです。稲作といった弥生時代までここで戻るつもりはございませんけれども歴史的に明らかになっているのはそうしたものもございますし、あるいは私どもが使っております陶磁器でございますね、いわゆる瀬戸物というものでございますけれども、それまでは土器はございましたが、陶磁器日本に持ってきてくれましたのは十六世紀朝鮮半島からやはり帰化した方々でございました。今でも鹿児島の黒薩摩、薩摩焼で大変いい仕事をなさっていらっしゃいます沈壽官さんという方は、十六世紀以来ずっと日本に住みついた朝鮮半島からの帰化人でございます。  こうした例を挙げていきますと切りがございませんので、後で御質問がありましたらさらに詳しく申し上げますが、こうした物質文化を離れまして非物質文化でございます。つまり我々の精神生活でございますが、例えば仏教といったようなものを取り上げてみましても、これも御存じのように北インドから中国を経て日本に来たものでございますし、仏教日本に持ってくるに当たって大陸からのお坊さんたち日本永住をなさったというような記録もたくさんございます。私どもの使っている文字自体もそうでございまして、古代日本には文字がございませんでした。遣唐使、遣隋使のころに漢字というものが日本に参りまして、それを仮名に展開したりなんかしたのも我々の祖先の知恵というものでございましょう。  こんなふうに今日の日本文化というのを考えてみましても、これは過去における諸外国との、とりわけアジア近隣諸国との交流の結果物であったということをこの際認識しておきたい。そのことが実は現在から将来にかけての日本国際化の問題についても何らかの示唆を与えるものと考えられますので、二番目にそうした過去の歴史的事実でございますね、日本は必ずしも孤立国ではなくて、他の国々から、とりわけアジア近隣諸国から多くの刺激を受け、物流人流情報流、この三つ流れの上に我々の文化が成り立っているということを改めて確認しておきたいのでございます。  三番目の論点を述べさせていただきます。これはお手元資料の(2)のところに書いてございますけれども日本語という言語の問題でございます。  日本語という言語は大変特殊である、なかなか学習しにくいというようなことをよく言われますけれども、現在多くの日本人が知っていないことは、世界における日本語使用者の数が驚くべき増加を示しているという事実なのであります。今まで個別言語、例えばアングロサクソンは英語を使い、それからゲルマン民族の中でドイツを形成しているドイツ人ドイツ語を話しというふうに、言語の数は世界に何千あるかわかりませんが、そうした個別言語の中で普遍言語ですね、かなり世界じゅうで使うことのできる言語というのは今までのところ英語というものが主でございます。あるいはフランス語というのが国際公用語に使われているということも御存じのとおりでございますが、驚いたことにここ二十年ほどの間に海外における日本語学習熱というのは極めて高くなってまいりまして、お手元に、今事務局の方で急遽コピーしていただきましたのは、国立国語研究所で出しております「言語生活」という雑誌の先月号に私が書いたものでございますが、それ以前の段階で、この春ごろに国際交流基金日本語実態調査が行われまして、それは一部、事務局にお預けしてございますので、御参考になりましたら御回覧いただきたいんでございます。  現在のところ、海外日本語学校という制度の中で勉強している学生、生徒の数は大体七十万人ぐらいでございます。とりわけ日本語学習熱が極めて高いのはマレーシアシンガポール、そしてオーストラリアといったような大洋州から東南アジアにかけてでございますが、この七十万といったような数は学校制度の中で正規に勉強している人たちです。そのほかにも、例えば台湾とか香港、シンガポールなどにお出かけになったときにひょっとしてお気づきかと思いますが、日語塾というのが方々ででき上がっておりまして、これはかつての、現在もございますが、日本における英語塾と同じようなもので、学校制度を外れた塾の中で日本語を勉強する、こういう人たちを含めますとその数は百万を優に突破いたします。  先ごろNHK国際局ですね、世界にいろいろな情報を流している短波放送でございますが、NHK国際局日本語講座というのをやっておりまして、これを定期的に聞いている人にはテキストを送りますというアナウンスをしましたところ、実は中国から合計百万通の手紙が参りました。つまり、百万人の人たちラジオを通じて日本語を勉強したい。こうしたことは過去には到底想像することもできなかったことでございまして、日本語という言葉がこんなに世界の中に広がっていくということは、これは日本経済力がその背景にもなっておりましょうけれども、例えば学問分野で申しましても、分子生物学とか高分子化学といったような領域では日本語の原典を読む方がずっと手っ取り早いというような事情が出てまいりました。  かつてライシャワー先生世代日本語を勉強なさった方は、大体日本文学日本史といったような日本研究のための日本語であったわけでございますが、現在では化学、哲学、物理学といったようなあらゆる学問分野にわたって、それぞれの学問を勉強するための手段としての日本語学問世界ではそういうのもございます。それからビジネスの世界では日本語を勉強しておいた方がこれからの国際貿易その他でずっと有利だというので、日本語はあくまで道具として使うという、そういう世代が生まれつつあるんです。  したがいまして、例えば海外旅行お出かけになりますと、必ず免税店というのがございまして、先生方も足をお運びになったことがあるかどうか存じませんけれども、そういうところでは片言日本語を話す人たちが随分ふえております。ホテルの受付にも片言日本語がわかるというような人がおりますが、そういう人を勘定に入れますと世界における日本語学習人口は恐らく数百万というオーダーになりますでしょう。つまり、日本語日本列島から離れまして、今や普遍言語になりつつあるということなのでございます。  昨年でしたか、たしか中曽根総理パリにいらっしゃいましたときにパリ大学学生デモをいたしました。そのデモの内容というのは、日本語の教師を送ってくれというそういうデモである。こうしたことは全くかつての日本人には想像もできなかったことでございます。この点で、詳しくはお手元資料に私の意見を書いておりますのでこれ以上申しませんけれども日本語普遍言語になりつつある。これも国際化一つのインデックスです。  それから、日本語を勉強したいという人がいる場所ですね、世界にはさまざまな地域がございますが、そこに日本語を教える人たちを送る。あるいは現地化と申しまして、例えば日本英語を教える先生は大部分日本人でございます。外国人が入ってくることもまた望ましいんでございますけれども需要に追いつくためには日本人英語を教える。それと同じように、例えばミシガン大学などでは日本語教授はことごとくアメリカ人でございまして、日本人はほとんどいなくなりました。オーストラリアモナッシュ大学、こちらも日本語主任教授ユーゴスラビア人でございます。ユーゴスラビアの方がオーストラリア日本語を教えていらっしゃる。それほどに日本語への需要が高い。そのためには日本語をどうするかという国語問題が私にとっては大変大事なことのように思えます。  論点あと二つほどございますので、与えられた時間あと十分ぐらいでございます、その間にあと二点申し上げます。  第四点でございますが、これは私のメモの方の第三の方に入ってございますが、人的な交流の中で、将来を見渡したときに、我々は大和民族という言葉でみずからのアイデンティティーを確かめているわけでございますが、日本列島の中で、私ども一般日本人と呼んでいる日本人以外の帰化人と申しますか、外国人永住権ないし市民権を取る人の数がかなりふえていくだろう。そして同時に、ふえていくことを私どもは阻止しない方がよろしいというのが私の意見でございます。  歴史的に申しましても、先ほど申し上げましたようにかつての日本人は非常におおらかでございました、我々の祖先は。国籍いかんを問わず、新しい技術を持っている人、それから日本に来たいという人は喜んでそれを迎え入れて日本文化の中に同化してまいりました。その結果として生糸ができ、お茶ができ、あるいは陶磁器ができた。またこれは後で必要がありましたら申し上げますが、そうした歴史が過去にございます。  これが徳川二百五十年の鎖国の間にかなりの整合性を持ってまとまってしまいましたので、私ども大和民族というのを単一民族だというふうに考えておりますし、事実そう考えてよろしい根拠もたくさんございますけれども、しかしかつての日本は決してそうではございませんでしたし、それから現状を考えてみますと、世界先進諸国というのはことごとく、必ずしも大量のとは申しませんけれども、異なった民族でございます。  先ほど民族人種の違いを申し上げましたけれども、さまざまな民族をそれぞれの国の中に国民として受け入れております。アメリカ合衆国は御存じのように人種のるつぼ、まあ人種のるつぼと呼んだのはひょっとすると誤訳かもしれませんので、民族のるつぼと言った方がよろしいのかもしれませんけれども人種民族を含めて世界じゅうのあらゆる民族の見本市だと言われるほど雑居状態が続いておりますし、ソビエト連邦共和国もまた同じでございます。ソビエトというのは、大体西の方に傾いて見ますとこれはコーカソイドでございますけれども、そのほかの幾つかの自治区を考えてみますとたくさんの少数民族を抱えております。中国漢民族だけかといいますと決してそうではございませんので、新疆省などに参りますと、ここにもまた異なった民族、異なった言語を話す人々がいるわけでございます。  さらに、ヨーロッパ先進諸国というのをとってみますと、御存じのようにイギリスは、ロンドンに行かれますともうすぐにおわかりと存じますけれども、かつての大英帝国植民地であったところの人々、とりわけインド、パキスタンといったようなところからの人々がかなり多く流入しておりますし、フランスフランスでアルジェリアを初めとする北アフリカからの移民をたくさんその中に抱え込んでおります。西ドイツの場合でございますと、トルコ、ユーゴスラビアその他からの工場労働者などがかなり多いわけでございますが、国民の一二%は既に外国人によって占められるようになってまいりました。  そうしたことを考えますと、日本もまたそうしなければいけないということではないのですが、日本に来たいという人はたくさんいるわけでございまして、そういう人たちに対して余りにも過敏に過ぎる拒絶反応を示すことはやめた方がいいのではないか。このことはちょっと明治の政治の歴史を勉強してみましてもすぐわかることでございますが、御存じのように明治七、八年ごろから内地雑居論というのが始まりました。もう大分昔のことでございますが、要するに不平等条約のかわりに外国人日本国内における居住、旅行並びに営業の自由を認めよという話なんでございますが、これに対して大変な拒絶反応が起きまして、田口卯吉福沢諭吉に至るまでがこれに反対をいたしまして、結局内地雑居ということが可能になりましたのは明治三十二年、つまり合計二十五年ほど経てやっと外国人日本旅行することができるようになった、そういう歴史明治に持っているわけでございます。  それをちょっと現代に投影してみますと、必ずしも肉体労働者だけではございません。例えばインドなんかには大変すぐれた物理学者がたくさんいらっしゃいます。あるいは日本に毎年何百という数で来ております、何千かもしれません、留学生がそのまま日本に居残って日本大学研究を続けたい、これを拒む理由も全く私はないと存じます。とりわけ学問世界というのは普遍世界でございますから、人種国籍、性別のいかんを問わず大学の教官の任命などということは早急に行われるべきであろう。政策形成に携わっていらっしゃる先生方を前にして大変失礼でございますが、それが私の意見でございます。  最後に一言あと二、三分ございますので、その間に結びのようなことをちょっと申し上げておきたいのでございますが、日本人はというようなことをよく私ども口にいたしますけれども、そして日本人論というのが大変盛んでございますが、そこで、常にというかしばしば引用されるのは島国根性という言葉なんでございます。島国根性というのは私ども日本列島の内側にこもって外側と交渉を持たない、何か内側だけでごしょごしょやっている、それを島国根性というふうに一般に理解されておりますが、この言葉といいますか、この考え方を最初に示しましたのは岩倉使節団に随行いたしました久米邦武という学者でございました。  久米邦武がアメリカからイギリスに渡りまして、イギリスで友人を訪ねたんです。ところが、訪ねてみましたらその友人がおりませんで、下宿のおばさんが、彼は今コンチネントに行っていると言ったというんです。コンチネントというのはヨーロッパ大陸のことでございます。なるほどイギリスというのはフランスやオランダのことをコンチネントと言うのか。そこで、久米邦武がイギリスで、ロンドンの港、マンチェスターの工業地帯などを見まして、毎日のように出入りしていく船を眺めながら、なるほどイギリスは島国である、島国だから七つの海を渡ってこんなにもたくさんの貿易が行われているんだ。振り返ってみれば日本もまた島国である。とするならば、イギリスのように外に向かって毎日船が出入りして、おおらかにほかの民族だの文物だのを取り入れる、そういう精神を持って国づくりをしていかなければいけない。それを久米邦武は島国精神と呼んだわけでございます。これは記録に残っている一番古い言葉でございまして、これを後に島国根性という全く逆の意味に取り違えたのは、ちょっとその学説史を御紹介するのはここの趣旨じゃございませんから省略いたしますけれども、その後のことでございます。  したがって、明治日本人、そしてそれ以前の日本人というのは私どもの今日の平均的な国際意識よりもはるかに広がりを持った国際意識を持っていた。そうした歴史の教訓、我々から考えまして三代か四代前の御先祖様の時代の精神をもう一度取り返してみるならば、私たちが今問題にしております国際化ということも我々にとってごく自然の一つの営みになるのではないか、これが、僣越でございますけれども、私の結論といいますか、結びでございます。  どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)
  4. 長田裕二

    会長長田裕二君) 大変興味のあるお話をありがとうございました。  以上で加藤参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言を願います。
  5. 及川一夫

    ○及川一夫君 加藤先生、大変ありがとうございました。  私は社会党に所属している議員でございますが、与えられた時間が二十分ということになっておりまして、興味ある国際化の問題について大変質問したいことが多いんでありますけれども、限られた時間でございますから、より深めたいという意味でお伺いをさしていただきたいと存じます。  まず、先生の方から人種民族の違いを明確にされまして国際化という意味をお話しいただいたんですが、我々の場合には、振り返ってみると人種民族もごちゃまぜにして、要するに白人、黄色人種黒人、その違いはわかっているんですが、それ自体民族であるかのような誤解が非常に多いというふうに思うんです。そのことは逆に言うと、民族というものを何をもってA、B、Cの民族に振り分けていくのか、定義といいますか、基準といいますか、標準といいますか、そういうものがこれまで説明されてはいなかったんではないかというふうに思うんですが、先生の立場から見て、民族の違いというものは、どういうものを尺度にしてアジア民族であるとか、大和民族であるとかいうふうに言うのかということについてお伺いをしたい。  それから、単一民族ということを国会でも中曽根総理が御発言になるものですから、またそういう発言があってアイヌの方々単一民族ではないということを言われ、私たちもはっとさせられるものが実はあったわけなんであります。我々は教育としても大和民族単一民族ということで言われてきたような気がしますし、それを当然のように思い込んできたという点、これは教育のしからしむるところもあるのでしょうが、日本単一民族でないとすれば、アイヌだけなのかどうなのか。日本民族単一民族でないとすれば、幾つ民族一つになって日本国というものを形成しているのかという点、先生の立場から見ておわかりでしたらお教えいただきたいものだなというふうに実は思います。  それから三点目としてお伺いしたいのですが、国際感覚を我々が持つというのはなかなかこれは大変なことなんです。観光旅行に行けば何となく目が開けて、国際感覚を持ったというような思いもする人もいるでありましょうが、そんな簡単なことで一体国際感覚を身につけることができるのかどうか、そんなことでは私はないような気がするのであります。観光で海外旅行された方、国際会議でいろんな方々と接触をして国際感覚を身につける方、さらにはボランティアといいますか、こういったものを通じて大変厳しい条件の中に身をなげうって、初めて国際化あるいは国際感覚というものを感ずる人とか、いろいろ私はあると思うんです。したがって、国際感覚を日本国民が持つという意味は、ただ単に語り合えば済むというものではなさそうだ。じかに接触をする、体験をする、そういったことが大きな問題点ではないかなというふうに実は思っているわけであります。  私はことしから初めて議員にさせていただいたんですけれども日本の教育の中にも英語というものがあるけれども日本英語教育というのは、どうしてもローマ字から始まって、そして文法というものが重視されて、読み書きでもって英語の教育をされる。なかなかこれは覚えにくいものだというふうに思ってしまったらもうそれで終わりという形なのです。私の国際会議にもたくさん出席をしている体験から言うと、やはり英語は会話ではないか、文法はどうでもいい。とにかくしゃべることができて意が通ずれば、それなりに問題が整理をされて、またそういうものを通じて国際感覚というものが高められていくのではないか。そして日本の閉鎖性というものもあるから、この際会話をやるには日本人先生ではなしに外国人先生とやる。幸い英語を使う国々が非常に多いというようなことを考えますと、東南アジアには、英語が日常用語になっている国々が相当数あるわけです。さらにアメリカでもイギリスでも、そういった国々の人たちを一万人、二万人、一つ学校に五、六人ぐらい外国人教師を入れてやる。あるいはまた、先生もお話しになった、日本語が必要であれば日本人外国に参って日本語を教える。こういうことの積み重ねが本当の意味で国際感覚というものを身につけることになるのではないか、こんなことを七、八年前に話をしたところが、新聞では非常に興味ある発言としてとらえられたんですけれども、私の所属する党には日教組の先生方もおられるわけですが、そういう先生方からは大変おしかりをこうむったという体験を実は持っているわけであります。  そんなことを考えますと、七、八年前と今日の状況では大分違ってきているというふうに私は思いますけれども、これからの日本外国語の教育のあり方の問題、このことについて先生としてどういったお考えを持っておられるか。  以上、三点についてお伺いしたいと存じます。
  6. 加藤秀俊

    参考人加藤秀俊君) ありがとうございました。限られた時間でございますので、多少簡略化いたしますことをお許しいただきたいと思います。  及川先生の今の御質問でございますけれども、第一、第二を取りまぜて申しますと、民族というものをどう定義するかということでございますが、学問的に申しますと、同一の言語を使って、言語というのは非常に大事な文化要素でございますが、同一の言語を使い、同一の生活様式を分かち合っている集団であって、多くの場合、多少一つ二つの例外はございますけれども、一定の地理的なテリトリーを持っている、そこに永住しているということでございます。  したがって、先ほど申しましたコーカソイド白色人種でございます、の中のゲルマン民族ですね、これは一般に、本当はもっと正確に言うとゲルマン民族のサブにあるんですけれどもゲルマン民族を仮にドイツ人というふうに呼びましょう。それからアングロサクソン、これが大体同じ人種でありながらまた一つ民族を形成しております。それから、ケルト民族というのも、これはケルト語というのは英語なんかと違いますので、そういうことでございます。つまり、言語とそれから生活様式を長期にわたって分かち合ってきた集団、そしておおむね大小の差こそあれテリトリーを持っているということでございます。全くこのテリトリーを持たないのが例えばユダヤ人といったようなもので、これがユダヤ民族問題を起こしていることは申し上げるまでもございません。  日本の場合でございますけれども文化人類学の方ではアシミレーション、つまり同化という言葉を使いまして、たとえ民族のオリジンが外国人であっても、一つ文化の中でだんだん揺さぶられているうちに、二代、三代かかって言語、生活様式などが身についてまいりますと、その民族に同化されたということになるわけでございますから、したがって日本民族単一民族であるというのは、今申し上げた意味から申しますと条件を満たしているのではないか。ただし、ベトナム難民とかそれから中国残留孤児とか、そうした人たちがまた日本国内に居住され始めますと、そこには異なった民族集団というものが混在するということになるかと存じます。  それから、三番目の国際感覚の問題、とりわけ外国語教育の問題でございますが、私も及川先生の御意見に全く同感でございまして、日本英語教育というものは大いに見直されてよかろうと思うのでございます。つまり文法というのは、人が話している言葉を逆に学者が分析した上で出したものでございまして、我々は文法を習って日本語を話しているわけではないわけで、学校に行って先生から教えられてなるほどそうだったかというふうに後からくっついてくるものでございますから、原則的には及川先生と私全く意見を同じくするものでございます。  ただ、ここで注意しておかなければいけない点が一、二ございますが、第一は、外国人先生だからいいということには必ずしもならないということなんです。つまり、英国人あるいは米国人ならばだれでも英語が教えられると思ったら大間違いでございまして、英語外国人に教えるための訓練というのを特別に受けていなければぐあいが悪いので、この点も先ほどの日本語教師の問題とも重なりますが、外国日本語を教える場合の先生の条件というものも厳しくしておかなければいけませんし、そういうカリキュラムが必要でございましょう。ちなみに、日本語教授法という学科目が今日本の二、三の大学で開始されまして、私どもの放送大学でも、昭和六十三年度から日本語という科目、これは国語ではございません、日本語という科目と日本語教授法という科目を開講することにしております。  それから、及川先生の御質問に関連して思いついたことを三十秒ほど申し上げたいんでございますけれども英語は確かにドミナントな国際普遍語の一つでございますが、日本大学教育の中で英語、英文学というのが非常に多過ぎまして、多いことも結構なんでございますが、それに比べましてドイツ語フランス語というのは、明治以来の伝統でございますが、例えば中国語とかあるいはスワヒリ語ですね、アフリカの東海岸の共通語でございますが、スワヒリ語とかあるいはスペイン語とか、世界には何千言語あるかわかりませんけれども、やや日本外国語教育は英語に傾き過ぎているのではないか、そんな気がいたします。  先生のおっしゃいました御発言のすべてに決して触れてはおりません。この点はお許しいただきたいと思います。
  7. 斎藤文夫

    ○斎藤文夫君 自民党の斎藤文夫でございます。加藤先生のお話を承りまして、大変興味深く拝聴させていただいたところでございます。  そこで、先ほどお話を承りました物流人流、そして情報流、この三つの柱を中心として、日本人世界における国際化を図っていく場合にいろいろ日本人認識不足という問題が出てくるてあろう。それぞれの三つ分野におきましては、十年前あるいは二十年前と対比をいたしましても大変大きく移り変わってきたことはだれしも理解をいたしておるところでございます。しかしながら、現実の国際社会における日本の役割や、あるいはまた諸外国から日本に対する期待というものが非常に高まってきておる。この現状の中で、我々日本人が真にそういうようなグローバルな視野に立ってこの地球上における日本の役割、使命というものを十分認識しているだろうかということになりますと、私見ではございますけれども、どうも日本人国際化がおくれておるための認識不足があるのではないだろうか。  あえて言いかえますれば、先ほど先生のおっしゃった島国精神、それがいつの間にか島国根性に移り変わった問題もあるかもしれませんけれども、俗に言う我々日本人の島国根性、これは即、国と国と陸で国境を接していない。例えばあの川の向こうが外国だよと、あるいはあの山の稜線の向こう側が外国だと、こういうような訓練が日本人には全く島国でございますから成り立っていない。それだけに国際感覚、国境感覚とでも申しましょうか、そういうものが欠如している、こんな気がいたすのでございます。  それにもかかわらず、一体これからの日本人国際化をしていく上において、物流人流情報流それぞれがこんなに進歩しているのに、本質的な日本人の国際社会に対する認識、理解、これが非常におくれている、こう思うわけでありまして、それが果たして、例えば物流にしても、一面経済摩擦というような形でいろんな問題を起こしておりますが、これも根底には、ただ日本商品がいいから、我々は安くていいものを外国に出している、外国は喜んでそれを使ってくれる、アフターサービスもいいからこんなに輸出ができるんだ、日本人的な発想ですとそうなるわけでありますけれども外国人日本人のいわゆる精神というか、文化というか、基本的なそういうものの理解が今までは全くなかったわけでありますから、それだけに日本商品あるいは日本に対する誤解が大きく存在するのではなかろうか。  あるいはまた、人的交流という御説明もございまして、三十年間で大変膨れ上がった、五百倍にもなった、こういううれしい情報はもちろん私ども歓迎をいたしておりますけれども、たまたま日本海外へ行かれる方々はほとんどがグループの旅行になる。そうなりますと、費用の点もありましょう、また語学の点もある。あるいはまたひとりで外国へ行くというのは極めて不安な要素がたくさんございますから、それらを考え合わせますとどうしても旗のもと、グループで旅行する、いわゆるワンパターントラベルになるわけです。この辺で本当の意味の国際交流人的交流ができるのだろうか。もちろん、学者だとか企業サイド、あるいは若い人たちが独自の旅行をされておられることも年々ふえてきて大変結構だと思っておりますけれども、今の現状、人数は確かに一年間五百万人海外へ出るようになりましたけれども、今もって旗のもと、右向け右、はい食事ですよ、はい見学ですよ。これであってはどんなに大勢の日本人海外へお出になられましても本当の意味の民族交流にならないのではないかな、こんな懸念を持っておるところでございます。  ましてや情報流につきましては、もう最先端技術世界の出来事が瞬時にして我々の茶の間でわかる、こういう時代になりました。私たちは世界のことを非常によく理解している、こう思いがちでございますけれども、やはり日本人の島国根性的な感覚で、日本人の生活、文化の度合いから外国の出来事をどうしても判断せざるを得ない。そういう形で考えますと、一般我々国民の置かれている立場からの世界情報というものは、不消化のまま我々の生活の中へどんどん入ってくる。そして、本当に我々の気持ちが外国情報化で伝わっているかというと、これまた同じような格好。  十数年前の話になりますが、例えば外国で使っている教科書一つ見ても、日本に対する理解というものがこんなにもおくれておったのか。最近は大変是正をされまして、日本の現状、日本が工業国だということの認識もやや御理解がいただけるようになってまいりましたけれども、一昔前は、今もって日本ではまだまだはだしで、あるいはまた、わらと紙と木の家に住んでいるとか、非常に誤解がございました。したがって、工業国だという認識すら諸外国にないときに日本商品があふれていく。この辺で非常にいろんな意味のずれと申しましょうか、カルチャーラグというんでしょうか、そういう問題を起こして、私どもも非常にいっとき懸念をいたしましたが、いずれにいたしましても、情報流の増大に伴う正確な、しかも的確なとらえ方を国民がしていく、そういう素地を今後どうつくっていったらいいのか。  いろいろと意見を申し上げましたけれども、それは即、日本人世界に対する知識、あるいは外国人日本人に対する認識、この辺の格差というものが一体どうあるんだろう。ひとつ先生のお考えをお聞かせいただきたい。  例えば、工場が海外へ進出をいたします。日本人の経営方針がいいよといって何か報道もございましたけれども、果たして本当に日本人の今日的な経営感覚で海外で工場を開いた場合には、例えば人種偏見であるとか、あるいは経営上にいろいろな外国では考えられないやり方でございますと、いろんなあつれきを起こすんじゃないだろうか。それら等々を考えまして、異種文化への理解というものを現実にどう高めていったらいいんだろうか。  いろいろと問題点を御指摘を申し上げまして、わかりにくい質問であったかとも存じますけれども、要するに日本人の島国根性によって、外国との交流というものの中にいろんな混線状態が今日の日本人の心の中にあるのではなかろうか、こんなことを思いますときに、加藤先生の明快な御指導をちょうだいいたしたいと思っております。  よろしくお願いいたします。
  8. 加藤秀俊

    参考人加藤秀俊君) 御質問のすべてについて触れることはできないかと存じますけれども、今斎藤先生が御懸念になっていることも私全く同感でございます。  とりわけ、相互の理解の問題でございますけれども、全体的に見まして物流の方は大体輸出超過でございます。五百億ドルの黒字を抱えて、さらに在外資産が千三百億ドルあるというような、大変な物流に伴うお金の方では出超なんでございますけれども情報流に関しては完全なこれは入超でございまして、日本から外に出ていくものはもう本当に世界的にお恥ずかしいほどわずかなのでございます。例えば、先ほど短波放送のことを申し上げましたけれども短波放送というのは我々は余り聞く習慣ございませんが、世界的に見ますと短波受信機というのはかなり普及しておりまして、海外放送を聞いている人は数が多い。日本でもラジオジャパンというのが活躍しておりますけれども、この出力と、それから地球的規模でのカバレージを見ますと、モスクワ放送、アメリカのVOA、イギリスのBBC、それからドイツのドイッチェ・ベレなどと比べますと、それの十分の一ぐらいの出力しか持っておりません。ついこの間、NHK国際局がカナダの放送局と協定を結んできまして、北米大陸向けには一日四時間の放送がこの秋からできるようになったというふうに伺っておりますけれども、本当に発信能力は極めて少ないのでございます。  それから、映像資料なんかに関しましても、外国のテレビ映画というのはたくさん入ってまいりますが、逆に日本からの輸出は、東南アジアに多少出ておりますけれども、外に出ていない。ただ、これも外務省とか海外広報協会、それから郵政省でも映像による国際化を考えようという懇談会が近々に発足するそうで、私もお誘いを受けておりますんですが、発信能力におきましては極めて低いというふうに考えざるを得ません。  それから、我が国海外旅行の問題でございますが、先ほど及川先生もお触れになったことでございますが、私はグループ旅行もまた結構じゃないかというふうに思うんです。一般の庶民にとりましてはやっぱりひとりというのは大変不安なことでございます。それからこれは、世界の航空旅行史を調べますと、とりわけ一九七〇年にボーイング747、いわゆるジャンボジェットですね、あれができましてから、五百何十人の人間をどうにか集めなきゃいけないというので、パック旅行というのは日本から始まって逆に外国に影響を与えているようなことがございまして、外国から来る方も割合パッケージでいらっしゃる方がふえておりますが、これは世界の大きな流れでございましょう。ちょっと異なった風物に目を触れるだけでも、ああ所変われば品変わるというものだなということを感じて帰っていただく、そういう方々がいらしても結構だと思うんです。  ただし、今のお話を伺っておりましてなるほどと思いましたのは、今の日本の若い人たちの中で海外青年協力事業団というのがございます。あそこで、タンザニアとかケニアとかインドネシアとか、世界じゅうに散らばっていろいろな指導をなさっている若い方がたくさんいらっしゃいます。本当に立派な若者たちが育っていると私は常に感嘆しているのでございますけれども、この人たちが、現地に永住する人ももちろんおりますけれども日本に帰ってきてからの日本での処遇というのが大変悪いのでございます。ですから、エジプトに七年間行っていたという人だったら、もう風俗、習慣から言語に至るまでそれに精通しているわけでございますから、そういう人たちを、例えば日本の商社のエジプト担当の方に、おまえは専門家なんだからひとつ頑張ってやってくれというふうに、そうした就職の機会などが与えられると、それぞれの国の本当に草の根のところまでおりた人たちが次の日本をつくっていくんじゃないかなという、そういう気がいたします。  そしてさらに、教科書の問題でございますが、これには私ども社会学をやっている人間がブーメランエフェクトと呼ぶのがございます。ブーメランというのは、御存じのように、オーストラリアの土着民が使っていた鳥をつかまえる不思議な道具でございますけれども、ぱっとこれを投げて、鳥を落とすと自分の手元にまた戻ってくるという、かなりブーメラン的な要素がございます。といいますのは、日本から外国に出されるさまさまな刊行物の表紙というのを見ますと、お能の面だったり鳥だったりいたします。これが日本だよといってたくさん広報をなさるんでございますけれども、現地の方は逆にそれをああこれが日本だなと思ってそのままお使いになる。俗に申しますと、身から出たさびみたいなところがございますので、こうした海外広報については一段の勉強がこれから必要になろうかと思います。  今の斎藤先生の御発言に関連いたしましてもう一つ述べさせていただきますと、物流に関しましては、これは交換の原則が常に働くんです、三つを並べましたけれども。つまり、これには商品に対する現金の決済とかいうふうに、物流は所有権の移転を常に伴います。我々がスーパーマーケットで買い物をした場合でも、これは一つの商品に対して一つの対価という、金と商品の所有権の転移が行われますけれども文化交流、つまり情報流でございますね、これにはそうした所有権の転移が全く伴わない。決してこれは損得の問題ではないということなのでございます。こういう大変立派な場所で恐縮でございますけれども、つまり、私が先ほどお話し申し上げたこと、それから先生方の御意見を承るということは一つ交流でございますけれども、私がお話し申し上げたことが、お話ししたがゆえに私の頭の中からその部分が消えたということには決してならないので、情報というのは常に共有可能なのでございます。所有権の転移を伴わない、これは交換でございますので、人的交流情報流に関しましては物流とは違った原理が働いている。したがってこれは幾ら輸出が多くなっても世界じゅうからクレームが絶対につかない領域なのでございまして、そういう点では政策策定に携わっていらっしゃる先生方の御努力をいただきまして、もっともっとたくさんの情報を外に出していくような政策をおつくりいただきますように、国民の一人として逆にお願い申し上げておきたいと存じます。
  9. 矢原秀男

    ○矢原秀男君 どうも御苦労さまでございます。時間の関係ございますので、二点だけにわたりまして御質問申し上げたいと思います。  一点は、先生は私たち日本人のことについて非常にやさしくおっしゃっていらっしゃいますけれども、私厳しく自己反省をいたしておりますと、日本人の基本的な性格というものが、いわゆる経済、政治、学術、文化にいたしましても、物質文明という中で欧米に目を向けている。そういうことが利害に強い、そして狭小な国でございますから競争の原理、強い者が栄えていく、そういう悪い面も非常に出ております。長期的に見て人を愛する哲学というものが、簡単な言葉で言いかえれば、基本的な教育というものの中に大きな欠点がある、教育の一部に大きな間違いがあるんではないか、こういうふうに考えておりますけれども先生の方でまたこういう面で世界の人類の立場から見た場合に、日本人の基本的な性格をもっと変えるべきである、いわゆる哲学を。そのためには教育に大きな間違いが一面あったんではないかと思います。その点よろしくお願いしたいと思います。  最後の一点は、言語の問題を先生は重要視されました。これは私も情報化の、狭くなった世界の中で生きていく日本人としては、この課題はどうしても解決をしていかなければいけない問題だと思います。  私は、かつて中国へ参りまして、上海の師範大学、北京中学等で数日間視察いたしました。中国語は確かに日本と同じ漢字でございますけれども、しゃべる発音が英語に似ておりますので、語感が英語に近いからということで私は教育者にどんどん質問しました。そうしたら、先生がおっしゃっておられますように、世界の共通語は英語である、世界人たち交流するためには、中国語プラス英語というものをマスターするためには、平素の中国語の教育の中に英語を教えてもすぐ入っていく、そういう自然的なものを既に教育の中で取り入れているというふうにも伺ったわけなのでございます。先生が今後日本語をどうするかということをちょっと結ばれていらっしゃるわけでございますが、私は先生とまた考えがちょっと違うかと思うんですが、中国で語感というのか、そういうものを向こうの教育者とお話しをしながら、非常に長い目で、世界の中に交流する中国人を養うために教育の中でやっているんだなと思ったんです。それから見ると、日本日本語をずっとやる。英語はまた、この前もいろいろお話を伺っっていたんですけれども、どうも教育の中で間違っている、だからなれない、そういうことを感じるわけでございますが、先生のお考えを伺ってみたいと思います。  以上でございます。
  10. 加藤秀俊

    参考人加藤秀俊君) 大変いいと言っては失礼でございますけれども、大事な御質問をいただきましたが、第一番目の教育問題、二番目も教育問題に収れんしていくことになろうかと思いますが、これは臨教審その他で現在、教育というものをどのように変えていくかという中で、国際教育という項目が一つ入っていることは申し上げるまでもございません。  ただ、いささか私見を述べさしていただきますと、国際教育というのを独立のカリキュラムで取り扱うということには決してなるまいと思うんです。むしろ世界認識、先ほど斎藤先生のお話の中にもございましたけれども、国際認識に関しましては、日本の小中学生は恐らく世界一でございましょう。つまり、世界地図を見てオランダという国はどこにあるのか、大体中学三年になりますとこれはわかります。しかし、私はアメリカ大学で教えておりましたときに、大学の一年生に太平洋の地図を渡しまして、西太平洋のどこにベトナムがあり、どこにマレーシアがあり、どこに日本があるか書けというのをやってみましたら、大学一年生でそれが書けないのでございます。とりわけベトナム戦争のさなかであるにもかかわらず、ベトナムが朝鮮半島であったりというようなとんちんかんなことが起きたわけでございまして、押しなべて申しますと、日本の子供たちの地理上の、あるいは歴史上の世界認識はかなりいい線まで来ているだろうというふうに感じます。  ただし、私、シンガポール日本人学校というのにちょっと数年前に参りまして、お話を伺ったんですけれども、そのときに先生方がおっしゃっていたことが大変印象に残っております。と申しますのは、シンガポール御存じのように日本人居住者が非常に多いところでございまして、シンガポール日本人学校だけで生徒が二千人おります。スクールバスが十何台あるという世界最大規模の日本人学校でございますが、そこの先生方がここに来て本当によかったというのは、初めて日本の他の地方の先生と一緒になることができたとおっしゃったんです。これは私、大変深い感銘を受けて、大事なことだと思ったんでございます。小中学校先生方は大体それぞれの地方教育委員会の任命でございますから、高校などで申しますと、例えば広島県なら広島県の中でしか人事異動が行われないわけです。しかし、外国日本人学校に行きますと、広島の先生とそれから宮城の先生と北海道の先生と、これがみんな一緒になって職員室を形成する。不思議なことに、国内交流というのはやっぱり外へ出ないとできませんねというお話を伺ったことがあるんでございます。  教員の人事異動といったような点に関しましても、先ほどもお話がございました競争原理のようなものも、日本という、これは先ほどの斎藤先生の御質問ともかかわるんでございますけれども、国という意識でありますが、大体今でも、お国はどちらですかと言うと、新潟ですとか山形ですとかお答えが返ってくるというのが我々日常会話でございますが、国というのは二重の意味を持っておりまして、日本国という国があるんだと。国際社会の中に日本という国があるんだということに最初に気づいたのは、昔からございます、それは聖徳太子までございますけれども、近代日本で申しますと、一番正確にそのことを読み取ったのは坂本龍馬でございます。ですから、我々の近代国家意識というのは百年そこそこの歴史しかございませんでしょう。そして、その中でのお国自慢という意味でのお国が競争している。そういうことを考えますと、教員の国内交流といったようなことが国際交流以前に大事なことなんじゃないかなというふうにも考えます。  それから、哲学論に関しましては、もうこれも先ほど申しました臨教審その他の答申がどのように出てまいりますか、かなり大事にお取り上げになっていらっしゃると思いますので、時間の関係もございますので省略さしていただきます。  それから、言語の問題でございますが、確かに先生おっしゃいますように、中国の場合は文法規則が日本と全く違います。つまり、主語、述語の順序関係から申しますと、中国語はロマンス語、つまり、英語を含んだヨーロッパ言語と大体文法規則上類似しておりますので、中国方々にとっては英語日本人よりも学びやすいということはございましょう。そのことは認めるにやぶさかでないんでございますが、同時に話し言葉の方になりますと、これは中国は今幾つぐらいに統合されておりますでしょうか、少なくとも大体十ぐらいの異なった言語圏を持っております。これは中国の話し言葉文化の持っている非常に大きな問題点かと思います。例えば、現在中国語と言われているのは大体北京官話でございますけれども、これが雲南省、四川省に参りますと、もう通じませんですね、話し言葉が。ですから、いわゆる中国オペラというやつも、舞台の片そでに漢字で文字言葉が出てきて初めてこれがわかるといったような、やっぱり話し言葉の多様性が中国言語文化を考える場合には大事なことなんじゃないだろうか。  それから、日本語についてちょっとつけ足さしていただきますと、日本語は漢字が多いから難しいというふうに多くの方が考えていらっしゃるわけでございますが、明治、大正、昭和と三代にわたる新聞記事を調べてみますと、時代をさかのぼればさかのぼるほど漢字の使用率は少のうございます。昭和になって新聞は真っ黒けになりました、漢字だらけで。明治の仮名垣魯文のころの新聞などを見ますと、まさしく仮名垣魯文でございまして、仮名文字で用は足りる。国語ないし日本語というものを考える場合に、私どもにとっての国語というのは大和言葉でございます。大和言葉はことごとく平仮名表記によって可能な性質のものなんです。別な言葉で申しますと、日本人の漢語癖と申しましょうか、漢語をたくさんちりばめた文章の方がいいのだというのは、坪内逍遙の「当世書生気質」なんというのも、やさしく言えばいいところをわざわざ漢字にしておりますけれども、近代になってから身についてきて、だんだん我々の国語観というのは保守的になっているんではないかというふうに考えます。  これは先生の御質問の御趣旨とややずれたことに相なってしまいますけれども、少なくとも話し言葉に関する限りは、私は外国語教育の専門家ではございませんから、自信を持って申し上げることはできませんけれども、本当に世界の共通語、共用語になっているのは現在のところ英語であることは間違いないわけでございます。先ほど申し上げたことと矛盾いたしますけれども、話し言葉を中心にした英語教育というのが幼児期から展開されるならば、これは帰国子女の例なんかを見ても明らかでございまして、幼稚園段階から外国外国学校に通っていた日本の子供たちの英語あるいはドイツ語というのは、それぞれを母国語としている民族のそれと優劣のないほど立派なものでございますから、これは教育制度の問題であると同時に、我々の教育観の問題でもあろうかと、このように考えます。
  11. 勝木健司

    ○勝木健司君 二点ほどお伺いさしていただきたいと思います。  まず第一点は、人的な交流に関してでございますが、特に外国人教師の受け入れ態勢につきましてきちんとなっておりますのでしょうかどうかということでありますし、またそこら辺の理想像というものはどの辺に求めたらいいのかということが第一点でございます。  また、同じく人的交流に関してでありますけれども、最近円高の影響、貿易摩擦の影響で、資本流出という観点で海外に工場が進出し、そこでまた製品を日本に輸入していくという現象が起きております。日本にとりましては、工場の閉鎖とか失業とか雇用問題とか、そういう産業の、言ってみれば空洞化現象というものが、一時的ではありましょうけれども起こっておるように思います。その逆の面から、外国からの労働者の大量流入について、いいか悪いかという問題もございますけれども、そういう外国人の大量流入の問題に関しましての受け入れ国としての日本の来日者に対しての態勢がきちっとなっておるのかどうかということ。また、理想像につきましては先生どういうふうにお考えでありましょうか、お聞きをしたいというふうに思っております。  第二点でございますが、国際関係の現状につきまして、国民がその事実を認識し、それにふさわしいような行動と思考を身につけることであるというふうに先生おっしゃっております。私も全くそうだと思います。しかし、社会慣習の違い、また歴史文化の違いからくる誤解といいましょうか、問題点が大きくあるように思われます。それをなくしていくために、特に学校教育の面からどのようにしたらいいでありましょうか、先生の御見解をお聞かせ願いたいというふうに思います。
  12. 加藤秀俊

    参考人加藤秀俊君) 人の問題でございますけれども外国人の教師についてどのような制度化が行われているかについて私は存じません、おぼろげに話は聞いたことがございますけれども。文部省で申しますと、初等中等教育局の範囲内でどのように扱われているかは私ちょっと存じませんので、これは大変無知なのでお許しいただきたいと思います。  高等教育について一言事実と意見を申し上げさしていただきたいのでございますが、大学などの場合でございますが、つい二年ほど前に国立大学外国人の教員を採用することができるようになりました。そして既に二つほど事例はございますけれども、しかし高等教育の中にいる人間として大変歯がゆく思いますのは、やはり人種国籍民族、場合によっては性別によりまして採用が拒否されることが極めて多いということなのです。これはいろいろ手続上の理由はくっつけることはできるわけでございますけれども、余り外国人日本大学に入ってきてもらっては困るというような、無意識的ではございましょうけれども、考えが大学人の中にはあるように私は自分の周辺で感じております。  私、先ほど自分がアメリカ大学で教えたことがあると申しましたが、アメリカのみならずイギリスでも教えましたし、香港でも教えましたし、方々で教えてまいりましたが、いずれの場合でも、私が日本人である、日本の旅券を持って動いている人間であるということを十分御承知の上で、何年かそこで教職につかせていただきましたし、現在でも、一年のうちのわずかでございますけれどもアメリカの連邦政府の附属機関の職員を兼務しております。つまり、アメリカ国民の税金によってつくられている施設から、多少ではございますけれども手当をいただいているというような事実もございます。私のみならず、たくさんの日本先生方外国で、おまえもうちょっといないかと慰留されたりなんかしても帰っていらした方もいらっしゃるし、ずっと行きっ放しの方もいらっしやる。  それに対して日本大学は、外国先生を受け入れるに当たってどういうことをやっているかと申しますと、大体契約制のようなもので、二年間だけやってください。しかも、身分は正教授にはなれませんで、大体講師とか客員教授とかいったような、客員教授とか講師とか申しますと、大学では教授会のメンバーから外されまして、行政責任がないかわりに権利もないわけでございます。つまり、通常の教員組織の外に置かれているというのが現実でございます。  大学というのは、もともとユニバーシティーというような言葉からもわかりますように、普遍を目的としておりますので、大学の開国、大学というのは日本における最後進地帯でございますから、私もその中に身を置いていてこんなことを申し上げるのも大変ぐあいが悪いのですけれども、最後進地帯で世界のことなんかさっぱりわからない、知ったようなふりしていてわからない人が大部分なんでございます。これは高等教育の領域については私も身近に経験している例がたくさんございまして、もっといたいんだけれども契約切れで帰らなければいけないといったような先生方を知っております。この点は日本の高等教育についてこれから必ず問題にもなりますし、早急な解決が必要だろう、こう思います。  それから、労働者の外国からの流入の問題でございますが、私、必ずしも労働者だけでなくて、来たい人は来たらよろしいというような感じなんです。つまり、現在オーストラリアとかカナダ、こちらの方は国土面積が大きゅうございますから、それなりのおおらかさがあるのでございましょうけれどもアメリカなんかにしましても移民局の審査、このごろ大分厳しくなりましたけれども永住権を取る、それから次に市民権を取るといったようなテストが繰り返されますと市民権が得られることになっております。日本の出入国管理というのは、先生方の方がずっとよく御存じと思いますけれども、大変厳しうございまして、観光ビザならいいけれども、そのままずるずるいられたら困るというようなことがございまして、多少これは御案内のとおり、風俗営業その他余り社会にとって望ましくない部分に、決して密入国とは申しませんけれども、望ましくない部分に移民現象が起きているというのは大変残念なことでございますが、私は、人材という言葉をあえて使いたいと思うんですけれども、学者のみならず、特定の技能を持った人々日本に住みたいという人に門戸を広げる、これは大事なことなんじゃないかなと思います。  それから、二番目の社会慣習の問題でございますが、これは先ほど斎藤先生のお話を伺っていても私そう感じたのでございますけれども、さきに申しました例の内地雑居論でございますが、これは明治七、八年に始まって明治三十二年に終わったものでございますが、このときに問題になりましたのも、社会慣習の違いということが内地雑居反対の最大理由でございました。言語も違うし食生活も違う、何もかも違う。だから、こんなの雑居されたらたまらないというので、明治の知識人は二十年間にわたって論争を続けたわけでございますが、社会慣習が違う。  それから、斎藤先生のお話にもございましたが、誤解の問題でございますけれども、誤解とは一体何だろうかというところからそもそも問い詰めてみる必要があろうかと私は思うんです。つまり、誤解があり、摩擦があり、あつれきがあったときに、初めて次のエネルギーが出てくるというのが私の意見でございまして、理論的裏づけは全くございませんけれども歴史を振り返ってみましても、日本が飛躍的にすばらしいものにつくりかえられた、あるいは日本がさま変わりした時代というのは外国文化との非常に深い接触のあった時期でございます。  例えば、十六世紀の南蛮文化というものを考えてみましても、鉄砲伝来によってそれは象徴されるわけでございますが、鉄砲という新技術によって、余り軍事のことについて論じたくはございませんけれども、過去のことでございますから申し上げますと、鉄砲という新兵器によって織田信長の鉄砲隊が武田の騎馬軍団を打ち破って、そして天下統一を遂げました。その当時に、日本人の我々の祖先、それから我々が現在受け継いでいるいろいろなものが入ってまいりました。例えばかるたがそうでございますし、それからてんぷらがそうでございますし、ビロードがそうでございますし、それからカステラがそうですし、南蛮言葉というのがどれだけ我々の日常用語の中に入っているかわかりません。そのときに安土桃山のあのすばらしい文化が花開いたんです。信長が非常に偏狭な精神を持っていたとしたら、恐らく安土桃山文化というのは生まれなかったろうと思います。  それから、明治維新の直後、これは鹿鳴館時代という大変な欧化の時代がございましたけれども、あのときの伊藤、大隈その他の明治の元勲たちのあの極端な欧化政策があって、初めて明治二十年代に日本の国力がついて、しかもあのときに日本文化は非常に大きなさま変わりをいたしました。もう徳川時代とは打って変わった新風俗が日本につくられたわけでございます。  ですから、生活慣習の違う民族文化が接触する、ここには必ず摩擦が起きます。誤解も生じます。しかし誤解の中から次の時代というものが用意される。私は誤解ということは大変大事なことだと思うんです。つまり、人の言ったことを、余り曲解されると困るんですけれども、誤解する、何だろうといってお互いが問いかけ合い、みずからが問うところに次の精神の芽生えというものがあり得るわけなので、したがって私は、大いに誤解、誤解というのは大変厄介なことでございますけれども、誤解があって初めて理解への道が開ける、そんなふうに考えております。
  13. 吉川春子

    吉川春子君 共産党の吉川春子です。きょうはどうもありがとうございます。  二点お伺いしたいと思いますが、まず第一点は、参考人の「比較文化への視角」という本を拝見させていただきました。その中で「明治以来、日本人がいちばん多く使ってきた比較枠は、日本を「欧米」と対比するやり方であろう。」「「欧米」をつねに比較枠として、それに追いつくこと——それが過去一世紀日本歴史の唯一最大の目標なのであった。」というふうに書かれておられます。しかし二十一世紀を考えるなら、アジア・太平洋地域の近隣諸国を視野に入れなければならないというふうにも言われておるわけですけれども、アジア・太平洋地域の諸国を視野に入れるということは具体的にはどういうことでしょうか。政治的、文化的、経済的な関係を深めていくことが国際化ということになると思いますが、今まで欧米に目を奪われてきた日本に対してこれらの諸国はすんなりと日本を受け入れてくれるものでしょうか。日本は戦争によって中国を初めアジアの人々に多大な損害を与えてきました。  最近、元西ドイツ首相のシュミット氏が日本の雑誌に「友人を持たない日本」という記事を寄稿しておられます。その中で、日本がみずからの犯した誤りについて分析を加えていないというふうに批判し、そこが西ドイツとの違いだというふうに述べておられます。私はこの指摘は残念ながら日本の歴代の政府に関する限り当たっていると思うんです。日本が侵略戦争を行ったことについてなかなか歴代の総理は国会でこれを認めようとされなかったし、最近の藤尾発言あるいは亀井発言などもあります。アジアの諸国を私たち日本が視野に入れることはもちろんですけれども、アジア諸国から日本を真の友人として視野に入れてもらうためにもっと日本は自己点検を深めなきゃならないのではないかと思いますが、この点についての参考人のお考えを伺います。  二点目は、日本語の学習熱が大変高まっているということで、正規の学校制度の中で六十万人、百万人の方が国際短波放送を通じて日本語を学んでおられるということですが、これは参考人日本語の普及の意義が大きいということをおっしゃっているんだと思います。ところで、日本語日本の生活習慣までもアメリカに合わせていくべきだとの考え方が最近強調されているのが気になります。日米経済摩擦が深刻になるにつれてアメリカ側が非関税障壁として日本語あるいは日本の長年の慣習である車の左側通行まで、これを含めて日本側の改善を要求する動きすらあるわけです。これに対応する形で日本側の動きとしてはいわゆる前川レポートがあるわけです。国際化というのは、日本の持っているいろんなものを捨ててすべて相手に合わせていくことではないのではないかというふうに思うんですけれども、この点についての参考人のお考えも伺いたいと思います。
  14. 加藤秀俊

    参考人加藤秀俊君) 二点とも大変重要な問題で、私は常に関心を持っていることなので自分なりの意見を申し上げます。私の著書までお読みいただいて本当に恐縮でございます。  アジア・太平洋地域ということに私が力点を置いておりますのは、いかに航空機のスピードが上がり、性能が上がったといたしましても、やはり隣人というのは地理的に近いところであるという単純な発想も一つはあるんでございますけれども福沢諭吉が脱亜入欧、実際には脱亜入欧という言葉は福沢は使っておりませんけれどもヨーロッパアメリカというものを枠にして、そちらの方と競合状態になっていくのがいいんで、アジアのほかのところは見捨てるべきだというような態度が大体明治以後ずっと続いてまいりました。これにはアヘン戦争以来のいろいろな東洋の歴史があるわけでございますが、そこはちょっと省略いたしますが、そしてシュミットさんの「友人を持たない日本」というその論文も私全く同感を持って読みました。  ここで大事なことは何かといいますと、最近の調査でございますけれども、対日イメージの研究というのが方々で行われておりますが、日本人海外における行動様式などを見ていて日本人をどのようにとらえているか、形容詞で答えた場合、一番大きいのが尊大さということなんです。つまり、金持ちになりましたので我々日本人ほど海外で金遣いの荒い人間もいないんです。とりわけ円高になってまいりますと、ついこの間まで三百六十円で私ども随分苦労した覚えがあるのに、百五十円になってしまった。そうすると、買い物もしますし、ぜいたくもしますし、わがままも言います。しかも日本から東南アジアへ駐在している人々の場合、とりわけ企業の場合でございますけれども、それは現地の生活習慣とのかかわりもございましょうけれども、自動車の運転手それから家政婦云々と、大体四、五人の家事使用人を使っているのが平均的でございます。そうしますと、一昔前のアメリカ人、つまり醜いアメリカ人という言葉がございましたけれども、それにかわって醜い日本人が登場してきたというのがASEAN諸国の草の根の反応であるということを、私この目でじかにかなり自信を持って確かめたつもりでございます。  確かにASEAN諸国のGNPとか国民所得とか、その他インデックスを調べてみますと日本よりかなり低い。政治的腐敗が進行している国も決して少なくはございません。しかしながら、そうした国々を日本という国が決して搾取してはいけない。つまり、搾取ということと協力、援助ということは全く違うわけでございます。できるだけ早く立派な国に、立派な国というとおかしいんですけれども、近代国家として日本に追いついてほしい、そのためのお手助けをしましょうというのがアジア・太平洋地域に対する日本経済協力、文化協力の本当のあり方なので、これを搾取することがあってはいけないだろう。  私一度台湾に飛びましたときに、本当に個人的経験など申し上げて恐縮でございますけれども、飛行機で隣の席に座っていた人が、何か精密機械のメーカーの方らしいんですけれども、十六歳だったらもうだめだ、見えなくなるからというような話をなさっているんです。どういうお話かというのをちょっと聞いてみましたら、まだ現在のオートメーションが進んでいない段階だったんですけれども、結局、精密機械を目で測定して何かくっつけたりなんかする作業らしいんですけれども、それを非常に若い十四、五歳の人たちを動員して安くつくっているんです。十六になると目が悪くなっちゃうからあれはもう使い物にならぬ。こういう、要するに東南アジアで物をつくれば安くできるという原理だけて経済進出が行われているのであるとすれば、あるいはかつてそうであったとするならば、これは結局はマイナスの効果しか生まないだろう。  それから、同時に今先生がおっしゃいました戦争の問題でございますけれども、先ほどの島国精神ではございませんが、例えば英仏という二つの国は、これまで何世紀にもわたって何遍も戦争を繰り返しております。それから独仏もどれだけ戦争を繰り返したかわかりません。そうした過去の戦争経験というものが、プラスマイナスという単純な分け方はいたしませんけれども、例えば今フランスに行ってフランス人がドイツ人に対して憎しみを持っているか。もちろんお父さんを戦争で亡くしたという方は憎しみを持っていますでしょう。しかし、我々が一体御先祖様のどの代まで責任を持つべきかということは、今から育っていく世代に対して私どもは、日本の戦争責任というものをいつも胸に秘めておけと、もちろん教訓としては語り伝えていかなければいけませんけれども、五十年たち、一世紀たってなおかつ中国あるいは東南アジア方々、あるいはアメリカオーストラリア人たち日本にずっと敵意を持ち続けているかというと、私は決してそうではないと思います。若い世代には別な芽生えがあるというふうに考えております。ただし、先ほど申し上げました尊大さということ、つまり協力するのではなく搾取する、それからお互いに理解するのではなくて尊大に自分たちが一段上だと、おまえたちより偉いんだぞと、そういう態度で臨んでいたのではアジア・太平洋地域との交流というのは裏目に出るであろう、こういうふうに考えます。  二番目の日本語の問題でございますけれども、私は、普及というのは、宣教師のように世界じゅう日本語を広めましょうという、そういうつもりで普及という言葉を使っているのではございません。つまり、世界じゅうにそれだけ日本語学習熱というものが高まっているならばそれにこたえるのが義務であろう。VOAやBBCは英語の教育放送をやっております。これはそういう需要があるからそれにこたえているだけなので、したがって、日本語はこれから勉強しておくと得だからどんどん日本語を勉強しなさいと言って、世界じゅうにこれをプロパガンダするつもりは私は毛頭ございませんけれども、学習したいという人のいるところにはその需要にこたえる。そういう努力が必要であろう、そういうふうに考えるわけでございます。  そして私、相手側の規則に合わせるという中に、日本も左側通行すべきだという、何かそういうような要求があったということは、今先生のお話で初めて知ったわけでございますけれども、これはまことにむちゃな話でございまして、自動車に関して申しますと、西ドイツ、スウェーデンなどヨーロッパの国々は日本の道路交通規則に合わせた右側ハンドルの車をどんどん輸出しております。したがって、ヨーロッパの車は日本でよく売れております。アメリカの自動車メーカーはその努力をしておりません。ですから、今の自動車問題に関して申しますと、私はアメリカの自動車メーカーが日本に売りたいならば、日本の道路交通規則に合わせた車をつくってくださいと、そういうふうに申し上げるのが順当であろうと思うわけです。相手に合わせるというのではなくて、国際交流あるいは国際化というのは、先ほどの御質問とまた重複いたしますけれども、いろいろな摩擦やぶつかり合い、対立の中からまた新しいものが生まれてくる、そういうプロセスなのではあるまいかと考えるわけです。  ただ、今数人の先生から日本語ないし言語の問題について御質問がございましたので一言つけ加えさしていただきますと、何も何十万人もの人間が英語、英文学を勉強する必要はないじゃないか、めったに、一生かかったって使う機会がないのに、何でほとんど全員が中学、高校と英語を勉強するのか、そういう議論もあり得るわけでございますし、先ほど申しましたように、私は日本外国語教育が英語に偏り過ぎているという私見は持っておりますが、アンドレ・ジッドというフランスの文学者が、外国語を一つ覚えればその国を憎むことはできなくなるという名言を残しております。これは中国語であろうとマレー語であろうと英語であろうと、それを一生たとえ使うことがないにしても、大体我々は使わないで済みます。よほどのことがない限り、国際会議なんて出たりなんかして大いに話をする機会のある人なんてほんの一握りですね、一%もおりませんでしょう。九九%の人にとっては外国語を勉強することは全くむだでございます、ある意味で。しかし、今のジッドの言葉を思い出していただくならば、試験で随分苦労しても一つ外国語を知ったということは、その国を愛することはできなくても、少なくとも憎めなくなる、そういう効用は持っているわけでございますから、一カ国語と言わず二カ国語三カ国語と、言葉がわかれば文化の核心が理解できる、そういう点から考えて日本語もまたその一つに数えられてよかろう、そんなふうに考えております。
  15. 平野清

    ○平野清君 平野と申します。本日はどうもありがとうございます。時間も余りありませんので、二つばかりお伺いしたいと思います。  ミシガン大学などでは全部もう日本語を教えている方が現地の先生だというようなお話も聞きまして、そういう意味からいって、日本の国内における日本語の混乱の方が放送大学をやっていらっしゃる加藤先生のような方にはかえって問題があろうかと思いますが、そういう今の日本語の混乱とそれから諸外国での日本語の教育の矛盾といいますか、困難さというようなことをお聞かせいただければと思います。  特に私たちのように昭和一けた生まれで、英語がもうほとんど不得意な人間は、日本語がどんどん国際語に近くなってきたということを聞いてやや安心したりするわけですけれども、特に中曽根首相などは、アメリカへ行かれると議会演説などで、英語がうまいということで得意になって英語演説をしていらっしゃるようですけれども、私のような日本人が考えますと、せっかくの総理なんだから、国際舞台では堂々と日本語で演説をしたらいかがなものだろうかというようなことも考えます。そういう日本語と国際舞台との関連というようなことを先生はどうお考えになっていられるかをちょっとお聞きしたいと思います。  それから、今申し上げたとおり、昭和一けたも上の方なので、子供のころに中国の人や韓国の人がそばにいたときに、みんなが差別をしたりべっ視の言動をしたことを子供心におぞましい記憶として持っております。それなのに私よりたった一つか二つ上の、特に司馬遼太郎さんの本なんかを見ますと、非常に若いころからの書物に、韓国や中国やモンゴルの人に物すごい温かい感情を持っていらっしゃる。それはただ二つ、三つ先の日本の教育の問題だったのか、戦争が私たちに教えた一つの教育的な欠陥だったのか、そういうことはどうお考えになっていらっしゃるか。これからどんどんそういうような方が大勢入っていらっしゃると聞きましたけれども、これからの若い方がその人たちにどういうふうに対応していくことが一番望ましいのかというような、二点お聞かせいただければと思います。
  16. 加藤秀俊

    参考人加藤秀俊君) 御質問の第一番目の日本語の混乱でございますけれども日本語は有史以来混乱の連続でございます。そう言うと大変おかしいんですけれども、何が正しい日本語であるかについて私どもは何も知りません。どのような文章が人の心を打つか、そうしたことはそれぞれの文学作品を読んだ経験とかなんとかの中でこの文章はいいな、そういう価値評価はそれぞれにいたしますけれども、それでは正しい日本語は何かと言われた場合に、これはどの国もそうでございますけれども、正しい日本語、正しい英語、その正しいというのは何が正しいのか、ここには根本的な問題として正しさとは何かという問題が出てまいります。私どもが今ここでこうしてお話し申し上げている言葉というのは、大体幕末に薩長とお公家さんと、それから東京、当時の江戸でございますが、江戸の土着の言葉との合成語でございまして、このございます調の言葉というのは、大体明治維新以後しばらくして定着した公家言葉の連続と見てよろしいんじゃないか。これが正しいかといえば決してそうじゃありません。場所が変われば私はございます言葉なんていうのはめったに使いませんし、先生方もそうでしょう。それは「そうでございましょう」と言うのが正しいんですけれども、そうでしょうと言っている。こうやっているのが普通の日本語生活というものなので、言葉の生活というのは用が足りればそれでよろしい。今申し上げましたように、言語というものは、ずっと混乱し続けながら、これも先ほどの文化接触じゃございませんけれども、常に進化していくもの、言語というのは固定されたものではなくて常に進化の道を歩いている、こんなふうに考えます。  それから中曽根総理のお話でございますが、政治向きのことについて私は何ら自分の意見をここで申し上げるつもりはございませんけれども、原則としまして、先ほど吉川先生からの御質問とも重なるわけでございますが、郷に入っては郷に従えというのはルールとしては正しいんじゃないだろうか。ですから、日本に来る外国人に対しては、日本語が話せるかどうか、それをまず確かめます。話せるならばどんな稚拙な日本語であっても、ここは日本国なんですから日本語を話してもらうのが礼儀ですから、日本語で応対をいたします。しかし、アメリカ、イギリスなどへ出かければこれは向こうさんの言葉でございますから向こうの言葉で応対をする、それがルールじゃなかろうかというふうに考えます。ただ、余り稚拙であってこっちがどうしてもわからない日本語を話されますと、しようがないから向こうの言葉に切りかえて差し上げるんです。これはあくまでもこちらがそうして差し上げるだけのことでございまして、そうしたルールが言語については国際的には必要かと思います。  それから中国、朝鮮の問題、とりわけ中国、朝鮮国籍あるいは出身の方に対する差別というのは今日もなお続いていることは、先生方御案内のとおりでございます。あらゆる機会にその国籍のゆえに差別されている。差別されていないのはスポーツと芸能の世界だけであります。つまり野球の王監督は台湾の出身でございますけれども、これは差別されておりません。ジュディ・オングは台湾の人ですけれども、差別はされておりません。むしろ尊敬のまなざしをもって見られております。スポーツと芸能の世界では差別はございませんけれども一般の市民生活の中での就職とか結婚とかいうときに差別されていることは、これは紛れもない事実だと私は考えております。考えておりますというか、自分で見聞きしております。  それから司馬さんのお話ですけれども、これは先ほど引用いたしましたアンドレ・ジッドの言葉とちょうど対応するんですけれども、司馬さんは外語の御出身で蒙古語が御専門だったですね。ですから、蒙古語と聞いただけで、その言葉を通じてまだ相まみえることはなくても、大陸方々に対する親近感というのは言語教育の中で培われたんじゃなかろうか。特定の司馬遼太郎さんのお名前をお引き合いにお出しになりましての御質問だったので、そのようにお答え申し上げたいと思います。
  17. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上で加藤参考人に対する質疑は終わりました。  加藤参考人には、お忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。非常に有意義なお話を承りました。ただいまお述べいただきました御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。加藤参考人に対しまして調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  午前の調査はこの程度にとどめ、午後一時まで休憩いたします。    午前十一時五十六分休憩      ─────・─────    午後一時六分開会
  18. 長田裕二

    会長長田裕二君) ただいまから国民生活に関する調査会を再開いたします。  休憩前に引き続き、国民生活に関する調査を議題とし、日本における国際化に関する件について参考人から意見を聴取いたします。  まず、PHPインターセクト編集長ロバート・ワーゴ君から意見を聴取いたします。  この際、ワーゴ参考人一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございました。本日は、日本における国際化につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に四十分程度意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いいたします。  それでは、ワーゴ参考人にお願いいたします。
  19. ロバート・ワーゴ

    参考人(ロバート・ワーゴ君) 私は、この場で先生方の前で自分の意見を述べさせていただいて、本当に光栄だと思います。ありがとうございました。もしかすると、きょうは、僕は、敬語の使いがあんまり上手ではありませんので、内容的にも失礼なことを申し上げるところもあるだろうと思いますので、前もってちょっとおわびを申し上げます。  私は、五年前にアメリカ大学をやめて日本に来たときは、これからずっと日本にいるつもりでしたから、日本が全然悪い国と思っていません。そうでなければ一生住みたいと思わないのですから。きょうの発言はちょっとそのつもりで受け取ってください。  国際化ということなんですが、国際化の意義とその目的のことについて最初述べさしていただきます。  僕としては、国際化というものは態度の問題でありまして、海外の貿易の赤字とか黒字の問題とか、人たち海外の商品を買うとか、海外旅行するとか、あるいは外国語を勉強するというようなものではないと思います。国際人とかなんかというふうなことがあれば、国際人になるというのはそれは人間になるということなんです。それはどうしてそう言うかというと、国際の舞台で人と人が接触して、自分のこと、あるいは自分の伝統、自分の文化をより理解することで、他国の人たちと共通の話の場をつくるということになると思います。  つまり、国際人になるというのは自分の国をよりよく知っているようになると思うんです。外から自分の国も見えるようになる。外から客観的な目で自分の国を見られないと意味がないと思うんです。個人的なレベルでは、結局、人に会って、人として受け取って、その後にどの国から来たとかいうような問題が出てくると思うんですよ。初めからこういうような人がアメリカ人だとか、それはアメリカ人だからこういうふうに扱うというのはけしからぬ。結局、人間として扱って、次に何とか何とかの国の人。国家のレベルでは、もちろん国家の代表であるならば自分の国の利益を考えなければならない。自分の国がよくなるためにほかの国と交渉するのは当たり前のことです。でも、自分の国しか考えないと自分の国の利益にはならない、結局は。どうしても、共通点あるいは国際社会、人間そのものを考えながら自分の国の利益を考えなければならないと存じます。  つまり国際化するというのは、日本人離れではなくて、かえってより日本的といいますか、より日本の国そのもの、その伝統が身にしみると思うんです。そしてそれを強調するのは当たり前。でも、自分の国のよさ、自分の国の伝統に誇りを持つというのは、人に押しつけるとかなんとかいうようなものじゃなくて、ほかの国も同じようにそれなりの伝統とか文化があるということをしんまで心得るということが必要であると思うんです。  国際人になるというのは、よく日本の新聞とかマスコミとかそういうようなところを見ると、まるで別世界の人になるような気がするんですよ。どうしてかというと、国際人は、変な人物、人物でもないような人物みたいなものだと書かれているんです。国際人というものは国がなければ国際人になり得ない。つまり、抽象的な国際人というようなものはあり得ない。日本人であって、アメリカ人であって、その上で国際人になるということ。つまり国際化というものが日本人の性格から何か削るというようなものじゃなくて、何かを足すことである、つけ加えることであるはずです。これみんな抽象的なんですけれども、一応、和辻哲郎先生のことを参考にすればわかると思いますけれども一般的な普遍的なものというものが具体的なものから生まれてくるというわけ。彼の例としては、シェークスピアというものがどうして国際的に知られているかというと、シェークスピアはあくまでも英国人であって、英国人の心を通して人間の本質まで語るようにできたということ。だから国際化というのはただ上辺のものではなく、そして日本離れとかなんとかというものではないというように強調したいということなんです。  例えをするならば国会の例えもできる。あなた方みんなが、参議院議員たちは結局選挙があるんです。選挙地がある。そして、議員になると参議院でも衆議院でも同じことなんですけれども、自分の選挙のためにやらないと再選されない。結局首になってしまう。それは当たり前のことですよ。そうしないと、どうして代表としてこっちまで送ってくれるものか。しかしながら、それだけを考えて国会の中で働くというのはけしからぬ。結局、国会議員ですから国のために考えなければならない。それで矛盾だと言われることはいたし方がなくて、両方やらなければならない。国のためにやりながら自分の選挙地のためにやる。その二つを同時にやるというのは国会議員の役目ではないかと思います。  それと同じように、国際化と国家主義とかいうようなものは相矛盾しないと私は思うんです。あるいは相矛盾するならば、西田幾多郎先生の絶対矛盾的自己同一、まあ西田先生の専門であったときもあったんですから、どうしても西田先生言葉一つぐらい言わなければならないと思ったんです。でも、どっちかというと、表面で矛盾だと思っても、やっぱり両方でやることによってそれは実際というものですよ、現実だということ。現実は矛盾だらけ。それでやりながら、それ人間の人生だということ。だから、国家のために働くならば、議員としては自分の選挙地に根拠がないとできない。そして、自分の選挙をよくするためにはやっぱり国のために働かなければならない。両方に忠実性がなければならないということ。そうすることによって両方に役立つことはできる。  国際化というのは日本の国のためであるかと私は思うんです。英語でエンライテンド・セルフ・インタレストというのは、今までは、日本の経営というものはいろんな特徴があるんですけれども、二つの特徴が物すごく大事だと思うのは、一つは人間を大事にする。もう一つは長期的な計画、長期的な感覚を持っていること。日本の会社はいつもそう言われている。それがためにアメリカに進出ができて成功ができたと思うんです。しかし、国家のレベルでは日本のポリシーは明らかに長期的な考えは一つもないように見受けられます。アメリカがプッシュしてやっとのところで応じる。自分のプリンシプル、自分の原理をはっきり言葉であらわして、それによって行動するということがほとんどないと言ってもよろしい、少なくとも外人の目から見ると、外から見ると。  日本がいろいろなところで金も寄附しているし、IMFとかアジア・デペロプメント・バンク、アジア開発銀行とかそういうもの、ほとんどそれ知られていないんです。どうしてかというと、日本は何か意見求められたときにいつもちょっと沈黙して、ほかの国が何か発言するまでは何も言わない。顔を見回してこうやってこうやってやる。それ国際化ではないんです、明らかに言うと。参加していないんですよ。兄さんが動くとおれは動くみたいな感じなんだから。そうすると経済大国は何だということだ。金もうけ主義ではないかと言われてもしようがないんです。  もう一つ国際化というと、人間味を海外に知らしめるということ。僕はアメリカ大学で教えていたとき、いろんな人にも何回も言いましたが、また言いますけれども、私の講義の一つ日本文化という講義がありました。一応哲学が専門なんですけれども、哲学じゃなくて日本文化というクラスがありまして、その学生たち、これ中西部なんですけれども、ミシガン州。その学生たちから見ると、日本は何だというと二つのイメージがあったんです。一つのイメージは強大な経済組織。その経済組織とは、結局、松下、日立、トヨタなどなどの商品。つまり、金あるいは大きな会社、そして、それに勤めるのはロボット。みんなが団体意識ばかりで自分の考えで動かないで、ただロボットと同じ。人間と名づけられるんだけれどもロボットと同じで、大きな組織でしか見られない、商品。  あるいはもう一つのイメージは禅、茶道、華道とかいう神秘的な、向こうから言わせると普通の人間ならばよくわけのわからないような神秘性、そして日本人でないと奥行きいけないというようなイメージ、その二つのイメージを幾ら結び合わせようとしても人間が出てこない。両方抽象的、一つは神秘的なものであって一つは物すごく物質的なもの。  それで、日本人の発言を聞くと、どっちかというとあるときは金ばっかり考えているでしょう、取引、取引。もう一つ金のことを聞くと精神主義ばかり。でも、どっちかというとその両方が人間味が出てこない。そして、その両方結び合わせようとすると、一つは物質主義、一つは精神主義、相矛盾するもの、その相矛盾を解消するような何かがなかったら、つまり人間味はどこにもない。その人間味がない限りでは、その二つ相矛盾するようなものとばっかり承知をしている民族は、我々の知るべきようなものではなくて、人間ではない。何とか火星人のようなものではないかというような印象が物すごく強かったんです。  それで、日本政府とかあるいは日本の会社はいつも海外に向かって建前ばっかり、大義名分。大義名分で、我々は間違いが一つも起こらないとかなんとかいうようなもので、人間味が一つも入っていないような話ばかり。それで、そういうようなものを聞くとだんだん信用しなくなっちゃう。何をたくらんでいるかというような気持ちが強い。そういうようなイメージが海外によくあるんです。知識人の中じゃなくて普通の市民、普通の国民の気持ちの中にそれがあるんです。  これはこの間の首相の発言に対しての反応を見ればすぐわかる。ああいうような気持ちが、つまり日本は不可解な国だというようなものが物すごく表面からちょっと下のところにあるんですよ。ちょっとこすったらすぐ爆発してくるんですよ、そういう気持ちは。日本に対しての疑わしい目ということです。表面はそうじゃない、個人のレベルでもそうじゃないんです。個人のレベルではそうじゃないけど、大体日本という国に対しての、あるいはまた抽象的に向こうから考えると、日本人に対してそういうようなものが強い。そして日本人がその気持ちを強化しようとしているみたいな感じ。  どうしてというと、我々は特別、唯一、ユニーク、ほかの人と違う、ほかの国から理解してもらえないというような発言ばっかりを出している。最近、日本の雪までも、ほかの雪と違うから、普通のヨーロッパで使うようなスキーは日本で使えないとか、ああいうような話があると、客観的に見てごらんなさい、もう全然通用しないんですよ。やっぱり何をたくらんでいるかと。それで、大義名分は話して、行動は一つもしない。結局何かたくらんでいる。自分のことについてまともに素直に語るというような、本音で語っているような場面も一つも見受けられない。ああいうような状態で、もちろん相手が不可解、文化的な錯誤というふうに見える。  日本は唯一な特殊な国である、ユニークであると。それは当たり前、どの国でもそうです。シンガポールもそう、アメリカでもそう。皆の国がそうであるから、それをしんまで自分が知っていると、相手にもそういうような唯一さと価値のあるようなものとして扱うようになるんですよ。そうすると、自分がユニークであって相手もユニークだから、両方がユニークで頑固だから、それさておいてその上で話し合いしましょうということになるんです。  でも、自分だけユニークであると思うと、まるで、ある高校生が女性に会いたい、その女性に会いたいけど恥ずかしい。自分はいろんなことをろくに話せない。だから、その女性にあこがれて、いつも心で伝えようとする。全然行動もしません。そしてその女性が見向きもしない。ほかの男性と遊んだりする。彼女は全然わかってくれやしない。どうしてわかってくれないか、この純粋な気持ち、何とか。それで、だんだん、ほかの人たちが気軽に彼女と遊んでいるから自分も遊ぼうと思う。何かこうやってどこかへ行こうとかなんとか言うと、ああいうやぼな人に対してもちろん行かないと言うと、なるほど彼女はわかってくれないというようなことで、一人ぼっちでぼうっと閉じこもってしまう。  そういうようなことが時々日本ではないかというような気がするんですよ、海外に対して。最初からまともに話してくれれば何とか話になったかもしれぬ。でも、それを出すと間違いするんではないかと思うから出さないで、それでどうしても最後に何とか出さなければならないと思うと、出過ぎ。そのほどほどを知らない。それが時々日本ではないかなと思うんですよ、海外舞台では。だから、孤立化するんじゃないか、孤立化するんじゃないかと。  最近もあちこちいろんな国から日本に対しての保護主義の何か法律をつくろうとかなんとかというような話があるんで、そして日本では、我々は何もしない、ただいい製品をつくるだけだと。それはまともなことなんですよ。ただしかし、いい製品ばっかりつくって、売って、金もうけて、全然ほかの政治的とかいろいろなところで責任をとらないで、自分の意見を先に自分から言うことはなし。あるいは自分の国を開放するためには、ほかのプレッシャーがなければ自分からそれをやろうとしないというような印象を与えるのは、自分が孤立化している、自分からやっているみたいな感じなんです。孤立化というのは、自分が孤立化している、唯一であると思えばそういうふうになる。自己証明になっちゃう。そういうふうに実現させる、その考えだけで。共通点を求めないで、相違ばっかりを求めようとすると、その相違はいつでも見つけられる。そればっかりに凝ってしまえば、だんだんそれしか残ってこないんですよ。共通点がなくなる可能性もある。そういうふうになってはいかぬと私は思うんですよ。  よく外人が余り入ると日本文化が崩れてしまうんじゃないかと。我々は単一民族、ほかの人が入ってくればどうするというような、それほど弱いものであるのか。もしそれほど弱いものであるならばなくなってもいい。棚上げしなければならないならばそれは価値がない、文化として。二千年以上ずっとこの文化は続いているんですよ。中国と接触して、西欧と接触して、世界大戦まで参加して、一応負けたでしょう。でも、これ見てごらんなさい、ずっとこの経済ぶり、これが負けたところでしょうか。負けたといえば負けた。それで日本文化的には負けたかといえば、全然そう思わないんですよ。日本の精神がなくなったかといえば、全然そうではないんですよ。ずっと昔のままで生き続いている。もし昔のままで保存しようとすると、固定化してしまって生き物でなくなるんです。死なせることですよ。歌舞伎を見てごらんなさい。歌舞伎をそのままでばかり保存しようとするとだんだん観客が少なくなる。立派なものは立派なものだけれども、現代に対応するためには変化しなければならない、それが自然、それが生命というものです。  日本文化は立派に生きているんですよ。弾力性がある。外国文化に侵略されても、外国人が多くなったとしてもびくともしない。変わることは変わるけど、状況も変わっている。十九世紀までは日本外国と接触しなかった。今、国際時代に生きている。国際時代の環境は百年前の環境と全く違うんです。だから文化も変わる。でも本髄は変わらない。表面は変わることは変わるけど本髄は変わらない。余り純粋さ、殊に古典ばかり重んじると固定してしまうと私言ったんですけれども。  例として、僕は大衆文化が非常に好きなんですよ。本当を言うと僕の日本に対しての興味が起こったのは、そして日本語を勉強しようと思ったのは、日本思想を勉強しようと思ったのは、最初は西田哲学を一応勉強したことは勉強したんですが、博士号そっちの方を取ったんですけれども、もともと日本に引かれていったのは美空ひばり、本当を言うならば三羽がらすだった。僕は、米兵としてこっちへ来たとき、若いときに、高校を卒業して、「港町十三番地」に聞きほれたの、本当を言うと。雪村いづみの「ブルーカナリー」もあったんですけれども。それに聞きほれて日本語を勉強しようと思った。それがちょっとばかばかしいということになっちゃったんです。でも、演歌を聞いて何かを感じて、情緒的に素直に心を歌の中であらわすことができるならば、その文化には何か価値がある。その後は源氏物語とか、歌舞伎とかお能とか、西田幾多郎とか道元とか、親鸞とか、そういうようなものをもちろん勉強したんです。でも、今でもひばり嬢のファンクラブにも入っているんですよ。そして、結局はそれがよかった。  それはどうしてかと言うと、それは人間味そのものだった。あのとき日本語を全然知らなかったし、「港町十三番地」は外人のためにできていなかったし、外人一匹来たって構っていられないというようなことだった。でも、一応それを聞いて、人間と人間の音楽を通しての触れ合いみたいな感じだった。それで何か心に訴えられた。その人間味、大衆文化の方に先に会って、その後に知識ができたから、僕個人としては、さきに申し上げたような非人間的とかなんかいうようなイメージは一つもなかった。人がいつも日本はこういうようなへんてこりんな非人間的なところであるとか何か言われたときは、いつもどうしてそう言うのか、お前の偏見ではないかと。それは、こっちの方は先に人間味に触れ合ったから。その人間味がどれほど大事であるか。それ以外のものは大事ではないと私は思うんですよ。そして、例としては僕だけではない、演歌をもって外交を行うということはあり得ないんですけれども。演歌が好きかどうかは別として、こういうような素直に日本人そのままを出すと、かえって受けがいいと言っているんですよ。  そしてもう一つの例。現代の例で言うと三宅一生とか山本寛斎とか、そういうようなファッションデザイナーは向こうに非常に人気がある。どうして人気があるのか。人気があるのは創造性があるから。じゃ、どうしてその人たちが創造性があるか。創造性があるというのは、自分がデザインを考えたときは古典的な日本のところからであろうか、ヨーロッパの何とか何とかの発想であろうか。先に自分のビジョンがあって、そういうような日本的なものとかヨーロッパのものを要素として自分のビジョンに取り入れて、それで物をつくった。つまり意識的に日本人的に見せたいという気持ちはなくて、いい商品、いい製品、いい服をつくりたい。その古典的なものを要素として入れる。純粋主義者の人たちが、いやそれは古典のものを汚すとか何とか言う。でも、そういうようなことじゃなくて、かえってその人たちの服を今見ると、だれだってこれは日本的だと言う。どこが日本的だというかわけがわからない。要素がまじっていて、総合的になって統一化されているんだから、ビジョンの下で。しかし日本的な雰囲気があるんです。  僕の前の友達の奥さんですけれども、彼が外人、彼女は日本人アメリカに渡って学校へ行ったのです。そして美を勉強した。絵をかくんです。彼女は全部の学校を向こうで受けたのです、大学大学院。彼女の今の絵を見ると、もちろん向こうの幅の広いところを見て、そういうようなスペースの考え方はある程度まで向こうからのものですけれども、あの色彩、そのバランスとかセンスは日本だと。でも、自分が日本人的に見せようとするのじゃなくて、自然にそれがあらわれてきた。僕が思うのは、文化的なものでもそうですよ。わざと純粋主義じゃなくても、その生きている文化の本髄が自然にあらわれてくる。それを外国に見せると物すごく喜んで受け入れられる。それで交渉、話はできる。素直に話し合い、けんかでもしたらだんだん仲直りはできる。  でも、日本の方からまともな建前ばかりで行動すると、一つ一つの人間の触れ合いができなくて、それで向こうから見ると相手はいつも人間ではなくて組織だ。そして組織に対しては慈悲が持てない。人情も持たない。人はだませないが組織をだますのは簡単だというのが大概の人間の気持ちです。  時間が早くたつからだめです。済みません。僕はおしゃべり屋です。  一つは教育のことを言いたいんですけれども、ことに英語の教育。でも、教育全体のことなんですけれども、建前、意識の関係なんですけれども英語を教えると日本ではかえって、どっちかというと国際化の反対のものになると思うんです、今の現状だったら。国際的な目的の反対だと。どうしてかというと、英語を教えると文法ばかり教えて、結局試験を受けるため。英語を使えるか使えないかは別にして、試験を受けるため、試験だけを考えている。頭のいい人ばかりを考えているならば、碁とか将棋とかチェスとかなんとかをやってくださいよ。英語を使わないでください。  どうしてかというと、その教育を受けると英語に対しての愛とか、使いたいというような気持ちが余り出てこないと思うんです。大概文法ばかりをやって、いつも一つの正しい答えがあると教える。そういうような意識になってしまうと、人のことを聞くときに全部理解できないとわからないというほかない、そういうような気持ちになる。自分が完全に一〇〇%正しくないと、発言しない方がいいというふうに訓練される。そうすると、外国へ行くと話せなくなるんですよ、当たり前のこと。二十年勉強しても、そういうふうに勉強するとできないんですよ。  どうしてかというと、英語そのものが建前社会になってしまう。そして、日本の教育の中で文部省のやり方で、済みません、文部省のごひいきの方がいるならば。でも、文部省のやり方で大概海外のものそのものが皆建前社会になってしまっている。そして、考えてごらんなさい。建前社会に二十四時間生きていられるか、生きていられないでしょう。  日本人海外へ行くといつも、僕は二カ月前にアメリカへ行ったんで、大学へ行くと、日本人日本人ばかりと接触している。ほかの人たちが皆、イランの人とかインドの人とかアフリカの人とかアメリカの人とかいろいろまじり合っている。日本人だけはこっちのところにいる。アフリカの人が皆立派な英語を話すというわけじゃないんですよ。インドの人でよく話せる人もいれば、中国の人で話せない人もいる。でも、それなりに何かやっている。パーティーがあると皆酔っぱらってワイワイ騒ぐ。そして、冗談半分でおまえはインド人だからそう言うんだけれどもとかなんとか、あるいはおまえは食べられないとかなんとかいろんな冗談を交わしたりする。日本人日本人同士でやっている。どうしてかというと、英語ができない、脳みそが違うとかなんとか言う。ばかばかしい。  若い者が行ったときは、若い者は英語を立派に習うんですよ、速い。日本へ帰るとそれ使うなと言われる。海外へ行く若い学生たちが日本に帰ると、余りいい英語を話すと先生がちょっと怒る、文法が正しくないとかなんとか。利用しようとしないんですよ、全然。使おうとはしない。かえって黙った方がいい。おまえは変な人物だ、ほかの人たちと違うからだめだと。だから、日本人よりも日本的にならなければならない、普通の海外へ行っていない日本人よりも日本的にならないと通用しないぞ、この社会の中で。そういうような態勢があると国際化はなり得ないと私は思うんです。そして、英語そのものを習うときに余りにこういうような建前主義だったら海外へ行くと話さなくなっちゃう。人に飲みに行こうと言われると、飲みに行ったら英語で話さなければならないでしょう。だから、断りますよ。ゴルフに行くと、いやゴルフだったら英語で話さなくちゃならないからやめると。日本人同士で行く。  僕はPHPの関係で東南アジアへ行ったとき、よくクアラルンプールで言われたんですよ。クアラルンプールのゴルフクラブは四〇%ぐらい日本人。でも、日本人日本人同士でしかやらない。そして、向こうのゴルフクラブとゴルフクラブの大会があるんですよ。そして、そのゴルフクラブの名誉だと。だから、いい選手が欲しい。日本人全然参加しない、そういうような競争のところ。向こうからああいう連中がこういうような遊びの中でこうだったら商売はどうだと。だから、物すごく嫌がるんですよ。僕から考えてみると、それは別に悪気はなくて、半分恐れている。恐れているというよりは疲れちゃう。英語を使うと頭が痛くなるでしょう。建前社会でゴルフやれるかと。やれないでしょう、楽しめないからそれは別にやりたくないというようなこと。  英語をそういうふうに教えると、つまり、文法ばかり教えると、試験のためだと、それ数学と同じになっちゃうんですよ。つまり、その考え方を一つも覚えない。考え方を覚えないと、幾ら知識を入れても向こうの考えていることがわからない。理解しない。だから、別にその発言が悪いからじゃない。  この間、アメリカに対しての首相の発言に物すごく反発したでしょう。日本人は皆びっくりした。どうしてびっくりしたか。どうしてアメリカ人がそれほど騒動を起こすのか、どうして怒っているのかわからない。どうして怒っているかというと、それは基本的なアメリカの建前だから、皆が平等であるということ、それはアメリカの動かせないような建前だと。それにちょっと触れただけでぱんと怒るのは当たり前。アメリカ人の考え方を知っているならば、どうして怒ったかわかるはずです。もちろん、こういうようなこととかなんとか僕はきょういっぱいやったと思うんですけれどもね。でも、こういうような話があることはあるんですよ。間違いがあることはあるんです。それを何も言っていないんです。  僕が言っているのは、どうして日本の新聞社がそれがわからなかったか。アメリカのプレスが騒いでからそれがわかっていたと。そのときまでは何も言わなかった。アメリカが騒いでから日本のプレスが騒ぎ始めて、まるで自分からわかっていたんだけれども言わなかったと。ノンセンス。やっぱり自分もわからなかった。そして、どうしてわからないかというのは、相手の考え方を一つも勉強していないで、ただ表面だけだということが主にあると思うんです。だから、僕が言うのは、教育の面でも態度が一番大切です。海外から先生たちを呼ぶ、それはいいこと。でも、それだけじゃないんですよ。戦前にも立派に英語の通用していた日本人がいっぱいいました、さほど外人の先生はいなかったんですけれども。  日本国際化するというのは、一応海外の人をもまた受け入れなければならないと思うんです、日本の社会の中で。だから、日本の会社の中で。そして、助っ人としてじゃなくて決定権のある仕事、もちろん能力がなければ、日本語もできなければそういうようなことはできないんですけれども、少なくとも決定権のある仕事を与えるようなチャンスをだんだんつくらなければならないと私は思う。そのかわりに外人にもいろんなものを要求することもできる。つまり日本語を習うとかほかの者に従うとかいうようなこと。  外人、その言葉は余り好きじゃないんですよ。その言葉の中にいろんな偏見があると思うんです。殊に、外国人と違って外人というものは東南アジア人たちに当てはまらないし、黒人に対して当てはまらない。聞いたことがない。でも、その言葉そのものもある程度まで直さなければならないと私は思うんですけれども、少なくとも外人の扱いとしてはもう少し普通に扱うようになればいいんではないかと思うんです。だから、能力があれば使う。使うならばいろんな見込みも与える。そうしないと、いろんな爆発が起こるんじゃないかと思うんです。  この間の新聞の中でも、日本の建設会社がだんだんアメリカに浸透している。そして、ロングビーチでまたいろんな大きな建設のプロジェクト、大林組とか鹿島建設とかそういうようなものがあって、だんだんアメリカ人が、あれ、どうして日本の会社が今度建設の方に入っているのかと。そして、関西空港には全然我々が入ってこないと。ああいうようなものを処理しなければならない、何らかの形で。我々が特別であるというだけでは通用しない。それだけを言いたいのです、本当は。我々は特別であるということは通用しない。それを余り主張するとかえって孤立化してしまうんじゃないかということなんです。  四十分以上話して済みません。余りまとまっていないで、まだいっぱい残っていたんだけれども、大概そういうようなことで、もし質問、批判とかそういうようなものがありましたら、喜んでお答えします。また、失礼なことを言ったならば、おわびいたします。(拍手)
  20. 長田裕二

    会長長田裕二君) 大変興味のあるお話、ありがとうございました。  以上でワーゴ参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言を願います。
  21. 及川一夫

    ○及川一夫君 ワーゴさん、大変ありがとうございました。ふだんみずから感じていることをずばずば言っていただきまして、かえってこの調査会自体の論議もしやすくなったのではないかという気持ちがいたします。    〔会長退席、理事坂野重信君着席〕 そういった前提に立って、二つほどお伺いしたいのであります。  一つは、文化歴史の違いということを強調するんじゃなしに、理解し合った上でそれを認め合うということが国際化を考えるに当たって極めて重要な問題だ。しかもそこには人間味というものを通さなきゃいかぬ。こういった点では私も全く同感なんでありますけれども、ただ、現実に違いがあるということがいろんな取引やなんかにもあらわれるわけですね。  例えば、日本では、一つの機械を売りますと、その機械を一人前に操作できるまでをいわば値段という概念で、それこそいろんなことをメーカーに教わって、教わること自体はどんなに多く質問しても改めて料金の請求はない、こういう形なんですけれどもアメリカの製品、例えば通信機器などを買いますと、この前NTTが大変な買い物をしたそうですが、職場の社員がそれを操作するに当たっていろいろ聞くと、聞いた分が料金に換算されて、そして改めて請求が来るということで、何となくおかしいじゃないか、日本にはアフターサービスというものがあるんだけれどもそういう考え方もないのか、アメリカというのはえらい欲張りじゃないかというような話が職場の中で行われるわけです。しかし、これなんかも、根っこを探っていけば、やはりアメリカ合衆国の生い立ちと関係があるし、日本には日本歴史があって、文化があって、またそういうふうな事態になっているんですね。  ですから、一口ではなかなか言い尽くせない問題があるんですが、日本アメリカという関係だけではなしに、世界各国との関係でもそういう誤解とか行き違いとかいうものがあるわけであって、そういう観点から見ると、例えば日本の商売上の常識といいますか、いろんな取引をしていくに当たってのやり方というものは世界に通用するというか、理解されるものなのかどうか。それ自体も変えていかなければいけないということになるのかどうか、多少抽象的な御質問ですけれども、お伺いしたいということが一つ。  それから二つ目には、日本はやはり経済大国になっていますから、とりわけ国際社会に対する責任というものは果たしていかなければいけない、そういう意味で開発途上国という問題をにらんでできる限り援助というものをやっていかなければならない、こういうことになるわけであります。その点でお伺いしたいんですが、開発途上国にもいろんな国々がありますし、政治体制も安定しているところと不安定なところとあるわけです。特に、私もそういう国際関係仕事をして感ずるんですが、一生懸命援助したものが援助の目的に使われずに途中で消えてなくなるということがよくあるわけです。幾らつぎ込んでも目的のために使われませんから、その国が繁栄することにはなっていかない。そうすると、その開発途上国に対する援助というのは一番何が大事なのか、何をすべきなのかということを考えていきますと、どうしても教育ではないかというような議論にも実はなっていくわけです。  したがって、アメリカ合衆国の場合には、世界の国々を相手にしていろんな援助をやってきた国ですから、そういう立場から見ると、当面言われている開発途上国に対する援助のあり方といいますか、ただ単に金を出せばいいということじゃないはずだ。目的意識を持ってどんなものを援助してあげるべきかという議論も必要だと思うんですが、そういう意味でのワーゴさんのお考えをお聞かせ願いたいというふうに思います。  あと一つだけ。簡単なことなんですが、日本のマスコミ、ワーゴ先生はマスコミのお仕事をされていると私は思うんですけれども、特に国際化という問題、国際感覚という問題、それが日本の新聞の紙面というものを見て一体どうお感じになるか。私の感じとしては、うれしいこととか悲しいこととか、大変な出来事があったということは比較的白黒はっきりさせて伝えているんですけれども、しからば日本はどうしなければならないかということになると、マスコミは勢いそこがぼけてしまうというのが何か日本の新聞のような気がしてならないんですけれども、ワーゴさんの立場から見てどんなお感じを持っておられるか。  以上、三点お尋ねしたいと思います。
  22. ロバート・ワーゴ

    参考人(ロバート・ワーゴ君) 及川先生の難しい質問にお答えをしようと思いますが、こういうような相違がずっといつまでもあることはあると思うんです。指摘になった例、例えば機械のアフターサービスなんですけれどもアメリカの方でやっぱりサービスコールといいまして、その料金を求める。商売上でそれはけしからぬと僕も思うんですよ、本当は。そういうようないい経営というものが通用すると思います。経営そのものが、日本経営とかアメリカ経営とかいう区別よりも、いい経営と悪い経営しかないと私は思うんです。いい経営はそのうちに勝つ。一応通用する。ただし、例えばそういう機械を買い求めるときは話し合うべきだと思うんです。つまり、買い入れるときは、アフターサービスはどうですかとか、どういうものになるとか。一つはその相違がすぐなくなるというわけではないと思うんですよ。だから、前に、絶対矛盾的自己同一と申し上げたんですけれども、そういうようなことなんですよ。お互いに違ったやり方もある。ある程度まではお互いに、その相手のやり方は何であるか、自分のやり方は何であるか、その共通点はどこにあるか、その違いはどこにあるか理解した上で交渉をすると何とか妥協ができると思うんです。でも、もしお互いに何も質問しないで、話し合いしないで自分のやり方は正しいとしか思わなければ衝突が起こることはもうやむを得ないと思うんです。その一つなんですけれどもね。  日本のいろんな経営上でのやり方があって、向こうもあるんですけれども、それより基本的な相違があるんですよ、考え方の相違。この場では余り時間がないから全部話すことはできないんですけれども日本語そのものと、日本語を使う人たちの思考法がインドヨーロッパ語の思考法と大分違うと思うんですよ。一つは、日本語は動詞が最後に来る。打ち消しはその後。短い文章ならばそれどうでもいい。長い文章になると、先に終わりまで読もうとすると大概間違うでしょう。だから、日本人は子供のときから待つ姿勢ができているんですよ。ある程度までいろんな話が入って、それでその話をただ、ああこれだと認識して、さておく。それだけ。評価までしない。最後の完結が来ると、一応大きな絵を描くみたいな感じでそれで評価する。それいいか悪いか。  アメリカ人はその反対。我々が子供のときから教わっているのは、例えば物を書くとか話すときは自分の言うことを先に予言するみたいな感じで印をつける。どこから始まっている、どこへ行く。長いものだったら途中で、今までこういうような話をした、これからこういうような話をすると。それがあるがためにアメリカ人は、殊にヨーロッパ人全体はある程度まで話が始まるとすぐ先を読もうとする。方向がわかる。だから、向こうの冗談が皆それの根拠にあるんですよ。先に人の目をこうやって引っ張らせて、それで最後のパンチラインを出すときが、ああその方向じゃなくてこっちだったよと足引っ張られて皆笑うと。  どうしてその相違が大切かというと、例えば契約の交渉をしている。アメリカ人が何か出すでしょう、先に計画を出す。そうすると、日本人がそれを見て、ああそれできるだろうな、うん悪くないな、これいい話だなと、まあいいですよと。それで二日目になってアメリカ人がまた何か出すと、日本人がまた、ああわかりました、ああこれだったら何とか対応できるなと、そういうような話になるでしょう。それで最後の話で、日本人が、いやこの契約しないと。それでアメリカ人が爆発する。アメリカ人が爆発するのは、自分の計画としてこれが一番の問題、これ二番、これ三番と順番をちゃんとつけている、アウトラインみたいなもの。最初に出すものを日本人が受けた。到達地まで、道、二〇%まで行った。新宿から一応千駄ケ谷まで行った。東京へ行こうと思っている。二日目になったら、ああなるほど四ツ谷まで来た。三日目になったら、ああ御茶ノ水まで来た、あと二つだけどなと。それで神田まで来た。最後の日に日本人がああだめだと言うと裏切られたという気持ちになる。  向こうは思考法として先を読む、こういうような順番。日本の方は、この順番は勘ですよ。これ頭だけじゃなくて、勘でこういうように動く。日本人は文章と同じように、あるいはエッセーと同じようにいろんなことを入れて、最後の決着のものがあるところで、それ全部が固まったところで決定する。だから、いつも決定するのに時間がかかる。考え方もそう。ただ時間だけじゃなくて、考え方は最後までは判断しない。一応さておくということ。向こうの方はいつも先を読んでいる。それで衝突するのは当たり前。でも、お互いに相手がこういうふうにやっているということがわかるならば少なくても後味の悪い衝突が少なくなると僕は思うんですよ。だから、考え方を変えるというわけじゃない。日本人の考え方を変えようとしても変えられない、そういうような基本的なベーシックな面で。アメリカ人もその基本的なベーシックな面でそれ変えられない。でも、お互いに相手の考え方は違う。そして具体的にどういうふうに違うということがわかるならば何とか話し合いができると思うんです。もちろん問題はいつも起こることは起こるんだけれども。  第二の質問に対しては、途上国の援助のことなんですけれども、専門家ではないんですけど、やっぱり御指摘になったとおりで、教育が一番大事ではないかなと思うんですよ。いろんな東南アジアのところへ行くと教育を積極的になさっている国の方が速く上達するような気持ちなんですよ、いろいろの状況もあるんですけれども。この間インドへ行ってきたばかりで、ああいうところで教育を与えるのは非常に難しいんではないかと。随分複雑な事情があるんです。  私は、援助そのものが、ただ金を出すだけでは何も役に立たない、やっぱり向こうの人たちが自分の足で立てるような何か手助けが大事だと思う。そして向こうの人たちも自尊心がなければならないと思うんですよ。ただ金をもらうのは幾らなんでもと思っても、だんだんなれてしまって自尊心がなくなる。だから、ある程度まで日本が厳しい条件を出す。つまり、その金の経営の管理、監察というような条件を出すのは悪くないと思うんです。金出すけれども、出す目的のために使われるような監察をする、あるいは手伝うとか。でも、そういうようなものは、非常に微妙な言い方が必要ではないかなと思うんですよ。つまり、一つは信義を起こさせなければならない。つまり、これを出すのはただ日本の企業をよくするためではなく、日本としてはおたくの国がよくなるといずれの日にか我々の市場が広くなる、それだけでいい。  でも、その目的がある。つまり、ある程度までお互いに利益するようなものが基本的な条件じゃないとだめだと私は思う。もちろん金を出すだけではない。日本としても海外援助でも日本の利益がないと困ると思うんですよ。いろんな意味での利益があるんですけれども経済的だけじゃなくて、自分の国際的な責任を果たすということなんですけれども、それと同時に相手の国も利益がなければならない。そして、もしただ金をもらうだけだったらどっちの利益にもならないと思うんですよ。だから、ある程度まで自分の足で立てるようにやると後の長期的な利益が物すごくあると思うんです、日本としては。でも、初めは厳しくやらなければならないと思うんです、条件つけて監察とかそういうものを。そして教育の面を推しておいた方がいいと思うんですよ、僕は。技術教育とかそういうようなもの。金を出しても向こうの技術家がいなければ使えないと、そういうことです。  そしてマスコミというのは私も同感です。つまり、記事としてはいろんな記事を出すことは出すし、向こうの情報を流すことは流すんですけれども、積極的に建設的に意見を出すことはちょっとまれだと思うんですよ。日本国民を指導する、教育するような建設的な政治的、経済的な意見を余りマスコミでは出さないと思うんですよ。    〔理事坂野重信君退席、理事水谷力君着席〕 それは何の原因であるかよくわからないけど、記者クラブの問題ではないかなと、一つは思うんですけれどもね。みんな東京にいるだけで余り競争心がないということ、そういうことなんです。
  23. 坂野重信

    ○坂野重信君 自民党の坂野重信でございますが、ワーゴ参考人に対して二点だけお伺いいたしたいと思います。  先ほどは、人間性といいますか、人間味の点における国際人、国際化というようなお話を聞いて大変感銘を深くしたわけでございます。また、大変鋭いお話をお聞きしたわけでございます。  私は、先生のお話、それから今の質疑に対してその後お答えになったお話を聞いて大変納得する面が多かったわけでございます。いろんな外国の皆さんから見ると、日本人に対するある意味での誤解といいますか、理解の点において若干問題があるんじゃないかと思いますのは、日本人は本音を言うことが少ない、このことについての原因をいろいろ考えてみますと二つばかり大きな原因があるんじゃないか。  というのは、やっぱり日本という国の今まで置かれた環境、いわば島国であったというのが一つの大きな日本民族性といいますか、そういうものへの支配的な影響があったのではないかと思うわけです。ヨーロッパのようにお隣の国々が近接しているというようなこともありませんし、あるいは東南アジアのように幾つかの国がお隣に混在しているというような環境がなくて、海に囲まれておったということで、島国根性といいますか、よい意味で言うと島国精神と言えるかもしれませんが、何となく外とのつき合いというものが今まで少なかった、明治以来考えてみますと。そういうことが自然自然のうちに日本人に内気であるとか人見知りであるとかいうような、特に、外国の人に対する接触の機会が少なかったということで、昔から何となくそういう機運というものがしみついてきた、最近の若い人はそうじゃございませんが、そういう原因が一つはあるんじゃないかと思うわけです。  それから、もう一つの大きな問題は言葉の問題でして、私もかつて外国の大使館に勤めておった経験があるわけでございますが、いろんなパーティーがありましても、日本人だけは、家族を含めて、パーティー等に出ても、言葉が余り通じないものだから、どうしても一カ所に日本人だけがいつの間にか集まって話をする、これはもう外交的な面では極めてまずい話でございます。それというのも、やっぱり日本人というものが外国言葉、特に英語に習熟していない、日常語でないということもあって。その辺が非常に大きなハンディになって、表現する場合に本音を言わないで、建前論におのずからなっていくというようなことがあるんじゃないかと思う。  この二つの原因が、本音が少ないといいますか、日本人というものが外国方々に誤解されやすい原因を構成しているんじゃないかと思います。それについての御所見をひとつお願いいたしたい。  二番目の問題でございますが、さっきも話が出ましたが、開発のおくれている地域に対する国際協力の問題でございます。  考えてみますと、国際協力をすることによって直接日本に対するはね返りになるかどうかということは大変これは疑問があるわけでございます。直接、貿易にすぐはね返るわけでもありませんし、場合によっては日本自体の貿易にもマイナスになるということがあるにもかかわらず、国際協力という意味で日本の義務を果たすという立場から同じ連帯感を、東南アジアならば東南アジアに対する連帯感という立場に立っての精神的な協力というものを含めて、そういう国際協力というものを経済的に、あるいは技術的にやっていくという傾向が、御案内のとおりに非常に強くなっているわけでございます。  あるいは貿易のアンバラの問題に対しても、大変な今、経済対策というようなものを政治的な立場でも中曽根内閣が中心になってこれから思い切って推進しようと。ある程度国内的には問題が出てくるかと思います、農業問題等におきましても。しかし、そういうものの障壁を乗り越えて、何とかそういった国際協力というものをひとつ実行していこうというような立場をとっているわけでございますが、それに対する評価といいますか考え方を、長らく日本において日本をよく見られている先生がどういうぐあいに評価をされているか。  この二点につきましてお伺いいたしたいと思います。
  24. ロバート・ワーゴ

    参考人(ロバート・ワーゴ君) 坂野先生の質問に対してちょっとお答えします。  私は、指摘された二つの原因、つまり歴史的環境、島国の根性といいますか、島国の考え方と言葉の問題、非常に適切ではないかなと思うんです。つまり、十九世紀までは外交の面では余り経験のない国ですから、いきなり世界の指導者になるというのは難しい条件であることはあるんですが、それに対して言えるのは、一つはそれは百年前でした。だから、いつまでもそれは言えないんですよ。私は戦時中だから教育を受けなかったと言う人もいることはいるんですが、五十歳、六十歳まで同じことを言うと、だんだん人は言いわけにならないと言うんですね、戦時中だったから高校へ行けなかったとか。それは十年ぐらいは効き目があるんですけれども、その後はどうしたということなんです。いつまでもそのチャンスがなかったからやれなかった、それはどうしても変更しなければならない。  そして、その変更のことは、一つは、我々はやれなかったけれどもやれる、我々は理解されていなかったんだけれども理解され得る人物である、民族であるというふうな教育を最初の方から、小学一年生から、あるいは家庭の中でやらなければならない。つまり、子供のときから話せばだれか気持ちを理解してくれる、そういうような自信があるならば話す。そうすると、話せばだんだん話し合いができる。だから教育が大事だと思うんですよ、その島国根性を直すには。直すというのは、我々は理解され得るというようなことをどうしても教えなければならないと思うんですよ。態度の問題です。  第二の言葉の問題も全く同じです。英語は子供のときから、もし習うときに英語で遊べと言うと、結局、間違っていてもいいから自分の言いたいことを言いなさい、手を使っても何を使っても構わない。そして先生が怒らない、かえって御褒美を与える、そういうようなことだったら、ああ英語は使えるものだなというようなことも身にしみると思うんですよ。今のところ、そういうような教育は絶対ないんです。会話学院とか何かというようなものはあるけれども、大概みんな高校を卒業して、あるいは大学を卒業してから行くでしょう。そうするともう手おくれ、頭が固定してしまって。英語は難しい、英語は正しくないとだめ、英語を使うときはテストを受けているのと同じ気持ちになれというようなものを訓練されている。英語は道具です。だから、最初のときからそれを使って遊びなさいと言うことで、想像力を働かせるのです。そうすると、人の話が半分しか聞こえなくても大体何とか答えることができる。そういうような自信がつくと、だんだん相手の言うことが大概わかる。言語は大概リダンダントだから、同じことを二、三回言っているのです。  国際協力では日本のPRがだめです。僕は、日本海外援助を物すごくやっているということはわかる。私たちインターセクトの中でもそれを取り扱ったこともあるんですけれども、IMFにも最近随分御援助なさったし、アジア開発銀行にも物すごく金を出している。アジア開発銀行は経営もしっかりしているし効果的だと言われているんです。ただ、日本のPRが物すごくだめです。海外ではそれは扱われていない。そして、日本がそういうことをもっと知られるようになるには、もう少し大きく出ればいいと思うんです。PRとしてはそれが必要だと思うんですよ、自分のやっていることを人に知ってもらわないとその効果がないということで。  もう一つは、前にちょっと申し上げたんだけれども、相手の方がこういうふうに市場を開けとかなんか言う。今、日本は非常にそういうふうに向いているし、いろんなことをやっている。そして、僕自身も、前に外人に対して何とか言ったんですけれども、保守的な日本の会社に勤めているんです。僕は雑誌の編集長としてその内容の決定権がある。そして非常にいいことは、二週間前にこっちに出てくれないかという話があったときに専務に申し上げた。そっちに行きますからと、そして専務の答えは、じゃどうぞよくやってくださいと。一度も、僕の発言はどういうようなことであるとか、こういうふうに言いなさいとか、そういうようなことは一つもなかった。僕から見ると、それは非常にありがたいものです。国際的な感覚といいますか、視野の広い感覚といいますか、僕個人から見ると非常にそれはありがたいと思うんです。そして向こうからそれをやったでしょう。  僕が思うのは、アメリカが市場を開けとかなんとか言うと、それで開くでしょう。そうすると、子供にこれやりなさいと言わないと子供が動かないというようなことと全く同じ。子供が幾ら言うことを聞いても、この子はいい子だと言わない。まあ子供に例えて悪いですけれども、そのつもりはないけれども、受け身だけでしょう。ある程度積極的にこういうようなことをする、向こうが言う前に、これは原理としてやるべきものだ、我々がやると、そういうような立場をとる。向こうが余り好きじゃなければ、話し合いをするけれども、一応、原理上でこういうようなことをやるべきだと思うからやると、先にそれを言うと効果があると思うんです、ただ言うことを聞くんじゃなくてね。そういう意見なんです。    〔理事水谷力君退席、理事坂野重信君着席〕
  25. 刈田貞子

    ○刈田貞子君 ワーゴさん、きょうはどうもありがとうございました。大変参考になるお話をいただいたわけですけれども、私は二点ほど自分の意見を述べて、それについての御所見を伺いたいと思います。  十一月三日は、我が国文化の日と称しましていろいろな行事があるわけですけれども、地域でいろんなイベントがありました。日本祭りが好きな国のようでございますが、私の町でも、六万七千の人口の国立市という町でございますけれども、そこでイベントがありました。歩行者天国に仮設の舞台ができて、市民オーケストラが音楽を奏で、そこでママさんコーラスが歌を歌い始めますと、たくさんの町の人たちが即席で壇に上ってきて一緒に歌を歌い、そして音楽に合わせて踊っていました。その中に、一橋大学に留学しております学生さんやそれから国立音楽大学の生徒も一緒に楽器を奏でておる、各国の仲間がたくさんおったわけです。私は、そういう場面を見ておりまして、国際化とかあるいは国際交流という言葉がとてもハードに難しく使われておりますけれども、こんな小さな草の根の場面で国際化がどんどん進んでいるではないかということを実は実感をしたわけでございます。  やがて、国立音楽大学の声楽科に入っておる中国の方がお国の歌を歌い始めますと、みんなそれに合わせて、市民が合いの手を入れておりまして、私は本当にすばらしい光景だなと思ったわけです。その日の夜のテレビでは、九州の唐津のおくんち祭りにたくさんの外国の方が、たまたま来ておったんだと思いますが、参加をして、はっぴを着て踊っているのをテレビの画面で見ました。これにも同じ共感を覚えたわけです。  私が申し上げたいのは、国際化とかあるいは国際交流というようなハードな話がありますけれども、実は、日本の民間の小さな草の根の中でこんなことがどんどん進んでいるということをお話ししたく思っておるわけでして、その方たちは、言葉もよくわからないし、お互いに会話をしているわけではないんですけれども、目と目が喜び、そして肩と肩を抱き合って、すばらしい場面だったんです。六万七千という小さな町の小さな場面なんだけれども、私は、こういうのがどんどん広がっていくべきだと思うし、また広がっていると思っております。    〔理事坂野重信君退席、会長着席〕  それから、私のところに文部省学術国際局学生課の「二十一世紀への留学生政策」というのがございます。ことし出たものです。これに「当面の施策」としていろいろハードなことが書かれております。「留学生受入れの規模を先進諸国並みにすることを目標に長期にわたって、総合的、構造的に粘り強く努力を積み重ねる」、こう書いてあるわけですけれども、実はこうした留学生の受け入れ等に関しても、民間団体の受け入れのシステムが十重二十重にできておりまして、私も幾つかのそうした民間の団体の留学生のお手伝いをさせていただいておりますけれども、実に皆さんそういう場面で楽しく、そして得がたい勉強をして帰っておるわけでございます。  例えば国際教育交換協議会、CIEE、それから日本国際生活体験協会、EILというような、これは本当の一つの例でございますけれども、いい交流をしております。特にEILの方は、私の地域でもこれに参加をいたしておりまして、アメリカのマサチューセッツ州のボストン市周辺の小さな村に予供たちを送っておって交換授業をいたしておりますけれども、この子供たちが、アメリカから帰ってまいりますと、本当に人生が変わったように目の色が変わって帰ってきて、そして日本とかアメリカとかいう意識がなくなったということをまず申しておるわけです。こうしたことを通して、民間が行っているこうした草の根的な国際交流、そしていわゆる国際化日本の国の中でこんなに進んでいっているということを私は実感しているんで、余りこういうものを悲観的に考えていないんですけれども、その点についての御意見一つお伺いしたいんです。  もう一つは、先ほどの文化に関してのお話でございますが、昔のままで置いておく文化はカビが生えて腐ってしまうという趣旨のことをちょっとおっしゃっておられましたけれども、歌舞伎のことをおっしゃるのでしょうか、何をおっしゃるのかよくわかりませんけれども、例えば日本文化として象徴されるようなものは、やはり時代に合わせて少しずつその体を変えていっているのではないかなと、そういう努力を、国際化に伴うて、あるいは時代に相応しながら変わってきているんじゃないかなということを感じております。お茶の問題なんかで言えば、茶席が立礼席になってきておりましたり、あるいはまた華道にいたしましてもアレンジメントが本当に変わってきております。それからまたお懐石料理なんかにしても英文の懐石料理の本が外国にどんどん出回っているというようなことで、この点に関しても、先ほどワーゴさんがおっしゃられました、古いまま置いておくとカビがついて固定してしまうよとおっしゃることの心配はむしろないのではないかというふうに思うんですけれども、いろいろな意味で日本人が努力をしているのではないかというふうに思うのでございますが、いかがでございましょうか。
  26. ロバート・ワーゴ

    参考人(ロバート・ワーゴ君) 同感です。それをもう少し申し上げますけれども、私も同感です。  前に歌舞伎とか、そういうものを言ったのは、別に歌舞伎が嫌いだからとか、古臭いとかなんか思っておりません。そして、例えばことしの「ヤマトタケル」というような、ちょっと変わった何か現代問題、日本人は何であるかというテーマで歌舞伎をするのは非常に喜ばしい現象だと思います。そういうような古典的なものを現代に生かそうとするような現象が非常にあることは喜ばしいことだと思うんです。そしてその草の根の、民間を通じてこういう国際交流というんですか、小さな場で、あれは非常に大事だと思う。それが一番大事ではないかなと思うんですよ。僕が前に申し上げた人間味があふれている、人間と人間が接触している、イデオロギーとか文化とかなんかというようなものじゃなくて、人間と人間が触れ合っているから大事だ。  僕は前に国分寺に住んでいたんですけれども、国立を知ってたりもして。これは国立じゃないのですけれども、僕は前から思っていたのは、日本の田舎の方が案外、変に思われるかもしれないけれども、国際的感覚になりやすいんじゃないかという感じなんです、というのは偏見がないから。自分がただ一人の人間として人に向かうんで、それで何とか通じようとする。言葉ができなければ何とかやる。そしてだんだんそれをやっていることによって、人間と人間の触れ合いが深くなって話し合いができる。大都会の人、教育のある人、殊に自分が専門家だと思う人たちは、外人が何であるかもうちゃんと知っている。大概それみんなステレオタイプなんだけれども、それで話し合いをすると本当の話し合いじゃなくて、ただ表面だけの建前が主にある。だから、かえってこういう草の根のところから本当の国際交流国際化が行われるんじゃないか。そしてその子供たちのこういう学生交換が物すごく有効的だと思う。  ただし、その子供たちが帰って、そしてアメリカ日本がそういう範疇だけでなくて、人間として考えていくのは非常に大事だけれども日本へ帰ってからその気持ちをさらに育てる、それを大事にする。そういう経験のある人たちをうまく利用してやらなければもう無効になると思うんですよ。今の体制では、子供たちがこちらへ帰ってきたところで、だんだんそういうような意見を余り出すといじめられるということもあるし、だからそれを僕は心配していたんです。だんだん前より進歩しているということもよくわかっているんですけれども、こういうような方向の体制がちょっと難しいのではないか。でも草の根のそういう運動が一番大事だと思うんですよ。政府のものよりも民間の方が大事ではないかなと思うんです。でも政府がそれをバックアップしなければならない。せっかく生んだものを育てるのは、やっぱり政府の方から力をかさないとできっこないと私は思うんです。そういうことで、きょう厳しいことを言ったのは、そういう意味の方からです。
  27. 吉川春子

    吉川春子君 共産党の吉川でございます。本日はどうも御苦労さまです。  二点についてお伺いいたしますが、参考人が編集長をされておりますインターセクトの九月号に、これですけれども、円高と輸出の落ち込みについての記事が載っております。この中で、円高により仕事がなくなった中小企業、そして工場閉鎖による失業者などの姿がリアルに報告されております。さらに、通産省が中小企業救済の方策を出したが、余り有効ではないとか、政府が円の急激な上昇をとめる措置をとらないと深刻な破局に直面するということもこの記事の中で指摘されています。今日本の産業は、昨年九月以来の急激な円高で中小企業を中心に大きな打撃を受けています。私自身自分が住んでいる埼玉県を回ってみまして、特に川口市の鋳物産業などの余りにも深刻な実態に驚いているわけなんですけれども、このインターセクトの記事が指摘しているような事態は国際化という名のもとに起こっております。アメリカの双子の赤字のしわ寄せが日本経済、とりわけ一番弱い部分に深刻な打撃を与えているわけですが、さらにこれから前川レポートの具体化という形で中小企業とか農業、そして石炭など今まで育ててきた産業をこれからは保護しないという政策転換が、これも国際化の名のもとに進められているわけなんです。このような日本の国内の犠牲のもとに進められようとしている国際化についてワーゴ参考人はどのようにお考えなのか、そのことを第一点としてお伺いいたします。  それから二点目は、ただいまの発言の中で首相の例の発言に触れられた部分で、日本は少しこすったら爆発するというふうに言われました。これはどういう意味なんでしょうか。日本人人種問題についての認識の本音の部分は総理の発言内容と同じという意味なんでしょうか。もしそうだとすると大変残念に思うわけですが、その点についてもうちょっと詳しくお話ししていただけたらというふうに思います。  以上二点です。
  28. ロバート・ワーゴ

    参考人(ロバート・ワーゴ君) 随分難しい質問なんですけれども、一応こういう中小企業が大分円高で困っているということは確かですし、それで日本の政府としては何かの措置をとらなければならないということは私個人として思うんですけれども、十二月号、まだ出していないけれども、十二月号の中で堺屋太一先生と福島というアメリカのトレードリプレゼンタティブの者との対談がありまして、その中でこういうようなところに触れていたんですけれども日本の政府が中小企業を国内で何とか販売できるような、生産できるような、そういうような商品に転換するための援助をするのは一応海外から文句は出ないだろうが、もしかするとそういうものじゃなくて、ただしばらくの援助をして、また輸出強化するような援助だけだったら海外からさらにプレッシャーをかけるということ。つまり国際化によって犠牲者がいるということ。そういう言葉は余り好きじゃない、本当であるかもしれないけれども。ある程度まではそういうふうに変化があるときはそれによって体制を変えなければならないということもあるし、それでいろんな矛盾があるということは確かです。でも、現実にはこういうような世界の中に生きている限りではある程度まではいろんな妥協がなければならない。その中で個人の犠牲が余り出ないように政府も工夫をしなければならないと思うんですけれども、具体的にどういうふうな条件があるとどういうようなことがやれるということは私の申し上げるところではないと思うんですよ、知らないんですから。  そして、この間の首相の発言のことについて僕がただ言いたかったのは、向こうでの記事が正しかったかどうか、それは別の問題として、一応それは首相の個人的な意見じゃなくて、日本人全体がそういうふうに考えているんじゃないかというふうに向こうで受け取ったのが多かったと私は思うんです。つまり、日本人全体が人種問題に対しての意識が随分狭いというふうに受け取られたと私は思うんです。もし、その質問に直接答えてなければおわびしますけれども、そういうふうに受け取ったと思うんです。  でも、その発言だけによってじゃなくて、いろんなものがあって、前にちょっと申し上げた、日本に対して問題が出ると大概日本人は語らない。だから日本人は何を考えているかわからない。日本人日本人同士しかつき合いしないと、ダダダダダで、東南アジアに対してのアグリジャパニーズ、アグリアメリカンズのかわりにアグリジャパニーズというような評判になって、威張っているとかなんとかいうようなところがあるから、日本人はどうしても自分より下の人に対して物すごく威張っている、自分よりちょっと上の人に対してへりくだるという癖があるという印象が強い、アメリカで。  それで、その発言、ちょっとした過失で、それは本当にどういうような意味で言ったかそれは別として、その印象としては、ああなるほど。つまり相手が何を考えているかわからないと、こういうようなちょっと本音らしいようなものが一つ出ると、ああなるほどその意図だと。日本人は疑わしいなと思っているから、そういうようなことがちょっとあると、ああなるほど、やっぱり陰謀だと、やっぱりその連中は何とか何とか考えていると。そういうような根本的なイメージを直さなければならないと僕は思うんです。日本人はそういうようなことではなくて、もちろん日本人は人間だし、アメリカ人も人間だからいろんな欠如がお互いにあるけど、こういうようなイメージがあるはずないと。そのイメージを直すにはどうしようかということが僕は一番肝心だと思っているんです。そうじゃないと、もし将来何かのちょっとの過失があって、そしてこういうふうにおさまらないで、また二つ三つ重なると大爆発が起こり得ると思うから、それを防ぐためにイメージを直さなければならない。  済みません。またちょっとおしゃべりしました。
  29. 平野清

    ○平野清君 参考人はジャーナリストのお一人だと思いますが、先ほどもマスコミの問題が出ました。日本の新聞は非常に律儀でございまして、外国の特派員が日本にいらっしゃる間に、新聞、雑誌その他に大変登場してアメリカその他自分の母国のことを書いていらっしゃったり、それから東京に住んでいらっしゃる特派員が自分の目で見たり聞いたりしたことを率直に発表されます。  先般もこの調査会外国の方で参考人をしていただいた人がおりました。そうしたら、国民生活白書が出ましたら、もう律儀な新聞はその参考人を選んで原稿を書かすというようなことをしているわけですけれども、私、新聞社出身で、見聞きしておりますと、日本の特派員で向こうの日刊の新聞に多くの原稿を書いているということはほとんどまれだというふうに知っているわけです。マスコミの社会が、国際化のお互いの情報、利益のためにもうちょっと日本の新聞記者を欧米のマスコミの方たちが活用していただいたらもう少し日本の理解に関与するんじゃないかというふうに日ごろ思っているんですが、その点をお伺いしたいのが一つ。  それから参考人は先ほど日本人の態度の問題だということをおっしゃいましたけれども、ずっとお話聞いていて、日本人は、先ほどお話も出ましたとおり、長い鎖国の時代を経ておりますので、何といっても社交べただということが大きく国際化を阻害しているように思えるんです。まあ五十歳以上の人の社交べたはわかりますけれども参考人のお話を聞いていますと、今のゴルフのお話、それから経済、産業人のお話、若い商社マンの間にもそういう社交べたがあるということはどういうところに起因しているのか。百年もたった日本人がただ社交べただけでは済まないような気がします。  例えば言語の問題ですけれども、国務長官の記者会見なんか見ていますと、大勢の諸外国の記者が我先に前の方へ行きますけれども日本人記者はまともに聞き取れないということで後ろの方で小さくなって立っているというようなことをしばしば目にしております。そういうことをジャーナリストの一人としてどういうふうにお考えになっているかをお聞かせいただけたらと思います。
  30. ロバート・ワーゴ

    参考人(ロバート・ワーゴ君) 平野先生の御質問にお答えしますが、日本人は、もう少し英語だけじゃなくてその態度を直さなければならないけれども、ジャーナリストは殊にそう。でも、やっぱり全体としては教育の問題だと思うんですよ。その英語の使い方、あるいは僕の理解しているところでは、大概の人が英語できないと言って、少しぐらい酒が入るとよく英語できる。どうしてというと、結局は、前に言ったように、建前の意識があると固まるんですよ。固まるともう疲れちゃうからなかなか話せなくなる。御自分でも、日本語がもうこういうような場で非常に気を使っていると思うんですけど、もし朝から晩まで、日本語も、その言葉遣いやら何でもそれほど厳密に気を使わなければならないならば、もう疲れてしまう、だんだん何も話せなくなると思います。私は日本語はもう最初からめちゃめちゃだから割と気楽に話をしているんですけど、英語だったら厳密に話さなければならないと言われたら話せなくなる。ああいうようなことが一番大事ではないか。  つまり、外国では、建前の時期と本音の時期が日本みたいに場を移らなければならないということじゃなくて、同じ場の中で建前から本音に移ったりするとか、また建前に行ったりまた本音に行くというような流れがあるんですよ。そういうようなことを子供のときからある程度まで何らかの形で身につけたらそれに合わせることができる。日本に帰るとまた日本のやり方でやって、向こうでは向こうのやり方でやる。今は英語で話して日本のやり方で向こうで通用しようと思っている。それはできっこないということなんです。それが一つ。それが態度とジャーナリストの両方と関係があると思うんですよ。  でも、海外のジャーナリストでも、この間の方は別として、こっちに来て全部日本語ができるというわけじゃないし、大概の人はほとんど英語しかできないから、できるだけ自分の目で見て記事を書くんだけど、必ずしもそれが正しいというわけじゃないんです。でも、日本語ができたとしてもなかなか記者会見に出ないでしょう、呼ばれないから。それもまた国際化と言えないと私は思うんです。もしアメリカにおいて、レーガンが出るときに日本の記者が出られないと言われたらもうカンカンに怒るでしょう。日本語ができなければ記者会見に出るのはちょっと無意味だと思うんですけど、もし日本語ができた記者がいても、外人記者の方がそういうようなところに出られないというのはおかしい。それ国際化の基本的な一つだと思うんです。また態度。
  31. 長田裕二

    会長長田裕二君) ほかに御質問ありましたらどうぞ。
  32. 高木健太郎

    高木健太郎君 大変示唆に富むお話をお伺いしましてありがとう存じました。私、一つだけお聞きしたいと思います。  私、医者でございまして、医者というよりも生物学者でございますが、生命ということについていろいろ考えておる者の一人でございますが、死生観ということについて一つだけお伺いいたします。  何か、これはアメリカだけではないと思いますけれども、鯨の問題です。鯨、イルカというものは、大変日本にとっては、今鯨は非常に大事な一つ食糧源でもありますし、いろいろの資源にもなっているわけでございますが、アメリカの全体ではないと思いますけれども、非常に多くの人が捕鯨ということに反対をしておられるということを聞いておるわけですし、また鯨だけではなしに、欧米には動物愛護協会というものが非常に強い力を持っておりまして、そして最近では動物福祉法というものができた、アニマル・ウェルフェア・アクトというのができたということも聞いております。ところが、牛とか馬とかはかなり遠慮なく殺して食べる。これは日本人にはなかなかちょっとわかりにくいことであると思います。しかも、私アメリカの幼児の絵本で見ましたんですけれども、牛が草を食っている、そこに子供が来まして、早く大きくなっておいしい肉になっておくれと、こう書いてあるわけです。そういうように、一方では非常に動物を愛しているというのに、一方ではそれを割と簡単に殺すときは殺す。また一方では鯨とかイルカというようなものは他国民にとっては大事な食糧源であるのに、それは非常にかわいそうであるというようなことをやっているのは何か私たちには矛盾に感ずる。しかし、彼らの言うことを聞きますと、ここにもそういう記事がございます。ちょっと渡しておいてください。(高木健太郎資料を手渡す)これはC・W・ニコルという作家の方のお書きになったことですけれども、その私が筋を引いておりますところをごらんいただきますと、「いずれは食肉処理に送り出すはずの家畜を、心の底から愛せるなどというのは、おそろしく矛盾した話に聞こえるようだ。それは、愛情をもって育てた動物たちが食用に供されるときに、割りきることができるのと同じことである。」、これが何遍読んでもよくわからないので、鯨、イルカ、あるいは動物愛護、それからそれに対する反対の気持ち、そういうものはワーゴさんどういうふうにお考えになっておられるか、アメリカ人の一人としてひとつお答えをいただければ大変ありがたいと思います。
  33. ロバート・ワーゴ

    参考人(ロバート・ワーゴ君) 個人的には同感です。ちょっとあいにくと言おうと思ったんですけれども、反対で何かけんかしようかなと思ったんですけれども、はっきり言って私はおっしゃるとおりだと思います。僕も前からそう思いまして、そしてうちの雑誌で、インターセクトの中でニコルさんに書いてもらって、その鯨の問題取り扱ったんですけれども、僕はアメリカのそれに対しての態度は非常に矛盾を含んでいると思うんです。もし時間があるならば、幸いないからその哲学に入らなくって済むんですけれども、その哲学的な根拠をいろんなところを言いますけれども、キリスト教の動物と人間との差というところと、またそれを乗り越えようとするようなその精神があるんじゃないかというようないろんなごちゃごちゃしたものだけど、矛盾だらけだと私は思うんですよ。まれな動物がなくなると、この地球そのものが乏しくなるというようなことは当たり前だと思うんですよ。だからそれに対して、あるまれな鯨、もう少しでなくなるんじゃないかというような鯨とかそういうようなもの、あるいはイルカとかを保護するのは当たり前だと思うんですけれども、今の鯨を絶対とってはいかぬというようなのはむちゃくちゃだと私は思うんですよ。  私感なんですけれども、十年ぐらい先になると、今、鯨を絶対に殺してはいかぬというような連中がだんだん、鯨が多くなり過ぎていろんな問題を起こしているからもう吹っ飛ばそうとかなんかというような運動にひっくり返るんじゃないかというような気がするんですけれども。ただ、その場で日本一つは説明を余り出さなかったし、そして政治的な力を使わなかったんで、結局、インターナショナル・ホエーリング・コミッションとかいうようなものの中で鯨と全然無関係な国が余り多過ぎて、それで政治的に負けたと思うんですけれども、これで終わりではないと思うんです。本当はそれ残念で無意味だと思うんですよ。どっちかというと、それ国際化に関係ないというよりも、その悪い面だと私は思うんです、本当は。それ答えになるかどうかわかりませんけれども
  34. 高木健太郎

    高木健太郎君 牛の方はどうなんでしょう。
  35. ロバート・ワーゴ

    参考人(ロバート・ワーゴ君) 牛の方。アメリカ人を見ると、大概の人たちは牛が殺されるのを見たことないんですよ。僕の知っている人たちの中で、例えばウサギの肉が好きで、それで一度どっか生きているウサギがいて、ああそれがいいなと。それでブッチャーがそれをとって、殺して、それで後食えなくなった人が割といたんですけれども、友だちの中に。つまり見たことないんだから、それは食ってもいいという、肉としか考えられない。でも、矛盾だと思うんですよ。どの国でもどっかそれあるんですよ。日本では犬は食べないが、中国では犬を食べるでしょう。だから難しい問題です。
  36. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上でワーゴ参考人に対する質疑は終わりました。  ワーゴ参考人には、お忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。非常に有意義なお話を承りました。ただいまお述べいただきました御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。ワーゴ参考人に対しまして調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。(拍手)     ─────────────
  37. 長田裕二

    会長長田裕二君) 次に、国連大学特別顧問永井道雄君から意見を聴取いたします。  この際、永井参考人一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてありがとうございました。本日は、日本における国際化につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に四十分程度意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いいたします。  それでは、永井参考人にお願いいたします。
  38. 永井道雄

    参考人(永井道雄君) それでは、ただいま会長のお言葉がございましたように私の考えを申し上げますが、問題を分けまして、一番初めに、昨今よく言われている国際化とは何であるかということについて申し上げたいと思います。  国際化という言葉が非常に今便利に使われておりまして、非常に多義的だと思います。先週、国民生活白書が出たのをお読みになった方も多いと思いますが、その中でもいろんな意味に使っておりますが、少なくも二つぐらいの使い方があるわけです。  一つは、日本人の生活水準を国際的に見た場合どういうことであるか。そうすると、国際的な生活水準に日本人の生活が近づいてくると国際化したというような言い方をする場合があります。具体的に申しますと、現在日本の人口一億二千万人、そのうち三千万人が学校教育に何らかの形で参加をしている、これはもちろん父兄を省いて、幼稚園から大学院までですが。そうすると、非常に教育が普及している、したがって日本の教育は国際化しているじゃないか、こういう使い方があるわけです。あるいはまた、そこで算数と理科の試験をやるというとなかなか成績がよろしい、これも日本の教育が国際化しているじゃないか、そういうふうに使う場合があるということが国民生活白書を見ていただくとわかるわけですが、私はきょうそうでない国際化の理解の仕方についてむしろ重点を置いて申し上げたい、そうでない国際化とは何かということを申し上げたいと思います。  国際化というのは、違う言葉で言いますと、国際協力の実現ないしは国際的秩序を形成するに当たってこれに貢献すること、そういうふうに考えたいと思います。そうすると、日本国民生活ないしは政治などが含まれますが、それが果たして国際的な協力の実現に貢献しているか、あるいは国際的な秩序の形成に貢献しているかという角度から国際化を見るのがいいんではないかというふうに考えております。  今日まで、といいますのは第二次戦争が終わるまで、つまり一九四五年、昭和二十年までは国際化というものはほとんど、完全ではありませんがほとんど西洋化というものと同義語でありました。つまり、西洋化するということが国際化である。そうすると、具体的にはどういうことかといいますと、過去約二世紀にわたって、西洋の中では、初めはヨーロッパ、もう少し具体的に申し上げるとイギリスとかフランスあるいはオランダなども関係がありますが、そういう国々が中心になって国際的な秩序を形成する、あるいは国際的な協力を行っていく。今世紀に入りますと重要な主役になったのはアメリカ合衆国であって、どちらかというと今まで主役であった、先ほど挙げたヨーロッパ諸国の方は脇役に回る。しかし欧米ともに西洋でありますから、そういう国々が活動していくのを一般に西洋化と言ってよろしいかと思います。  その西洋化をどういう領域において行っていくかという問題でありますが、四つの領域に分けて考えるのがわかりやすいんではないかというふうに思います。  一つは安全保障の実現であります。安全保障には当然軍事力も必要といたしますが、軍事力というようなものは常に戦争をすればいいとか、あるいは自分の国が強力になればそれで済むという問題ではなくて、終局的な目標は安全保障の実現のために、例えば勢力の均衡あるいは軍事力の均衡とも言いますが、そういうものを維持したり、あるいは均衡がない場合には、かつてのイギリスの海軍のように世界的な秩序を独力で維持していこうと、そういう意味において安全保障が第一領域だと思います。  第二の領域は政治であります。政治については世界のそれぞれの国、そこにいろいろな問題があるわけですが、それを主権を持った国家として形成していくのに理論的にも、また実際的にも貢献していく。具体的に申しますと、昨年、我が国でも内閣制度百年を祝いましたけれども、内閣制度というような行政機構をつくる、あるいは国会開設はそれより少しおくれておりますが、これも西洋モデルでつくり上げたわけであります。明治憲法は立憲君主制でありますが、これも憲法という考え方、また立憲君主制的なものも西洋にあったわけです。  そういうふうにして主権国家をつくりますが、ただ主権国家だけをつくると、今度は主権国家同士の対立が起こりますから、第一次大戦以降は国際機構の形成というために大変努力をいたしました。第一次大戦後は国際連盟、そして第二次大戦後は国際連合という形で政治制度の形成に努めてきているわけですが、国際連合に至っては現在ニューヨークの国際連合の本部を中心に、我が国の国連大学も含めまして約三十の組織を持つほど巨大なものになりました。  三番目は経済であります。経済の活動というのも全くてんでばらばらに行われていれば、弱肉強食になったり、あるいは秩序が乱れるわけでありますから、具体的なものとしては例えばガット、これは自由経済を維持していくという制度として必要であるし、また発展途上国を助ける、そういうふうな場合には世界銀行あるいはIMF、国際マネタリーファンドというようなものが活動するという制度もつくり上げてきたわけであります。  第四番目は学術、文化、教育、これを一くくりにしてよろしいと思いますが、学術、これは今日までの科学的な研究の主力は西洋にあります。日本の場合にもノーベル賞の受賞者、そういうふうな人たちが数人はいるわけでありますけれども、例えば戦後は経済が非常に発展いたしましたけれども、残念ながらノーベル科学関係の受賞者は二人にとどまっている。四十年間二人にとどまっておりますが、そういう事実から見てもわかりますように、主力は西洋であるというふうに考えるのが妥当だと思います。  さらに教育制度ですが、これも小学校の義務化、場合によっては中等学校の義務化、さらにまた大学制度をつくり上げるというような形で近代国家における教育制度制度化を行いましたが、こういうふうなもの。さらに文化文化というのは非常に広い領域でありますけれども、宗教的な活動というようなものを取り上げますと、例えばキリスト教によるミッションスクールの形成、我が国においては小学校、中学校大学などを含めますと百を超えていると思いますが、こういうふうなものも一つの例であります。  私は、そういう過程において西洋諸国が軍事力や経済力や、あるいは政治力を使ってしばしば西洋以外の国々を支配する、そして、いわゆる帝国を形成するという事実を否定しているわけではないんです。それはだれしも知っている事実でありまして、日本のごときも明治維新のときの最大の課題は、日本が主権国家として独立を維持し得るかどうかということが大きな問題でありました。日本以外のアジアの諸国は、タイ国を除きますと植民地ないしは半植民地になったわけであります。そういう事実を否定いたしませんが、西洋の活動というものは相当複雑なものであって、同時に国際秩序の形成、さらにまた国際協力の実現に努めてきた。したがって、普通、西洋人と話しますと国際化というのはウエスタリゼーション、西洋化と理解しておりますから、今流行の日本語国際化というのは何のことですかと説明を求める人は非常に多いわけです。一般に説明しましてもわかりませんし、日本人で国際人を養成しようというようなことを言ってもわからないのが普通であります。一番最近の例では、私は最近オーストラリアのホーク首相と全く自由な会談をいたしましたけれども、ホーク首相もなかなかわからない言葉日本ではお使いですねということで盛んに質問をされたわけです。  そこで、西洋化と国際化は同義語であるというのは一番わかりやすい理解と思います。これを軽視してはいけないと思います。ところが、現在は国際化が同時に西洋化であるということが終わった時代だと思います。つまり、西洋の独力をもってしては安全保障あるいは経済文化、政治の四つの領域のいずれについても国際的な秩序の形成ができない、また国際的な協力というものも有効にはできないということが明らかな段階に入って、そこでどうするかということが大きな問題になっているわけであります。  まず安全保障について申し上げますと、西洋独力で世界の安全保障を実現しようとしましてもできないわけでありますから、ソ連との間の交渉を必要といたします。したがって、ソ連が国際協力に応じてくるかどうかということが一つのかぎであって、これを抜きにしては国際協力による安全保障の確保というものはできない。これが一例であります。  経済分野が主として我が国に関連して議論される点でありますが、実は我が国の場合、経済だけではなくて文化ないし政治、安全保障もそうだと思いますが、しかしとりわけ文化、政治、経済というような領域において国際協力をどうやって実現するかということが求められる段階になったと思います。といいますのは、日本のGNP、これは皆様方の方がよく御承知の点でありますが、戦争直後、世界のGNPの三%程度のシェアというものが今日一〇%ぐらいになる、そういうことになりますと、例えば発展途上国に対する協力はどうなるのかという問題がおのずから生ぜざるを得ないわけであります。一般にODAと言われておりますオフィシャル・デベロプメント・アシスタンス、公的な経済援助でありますが、現在我が国はGNPの〇・三%程度でありますけれども、その実質的な額というのはアメリカ合衆国に次いでおりますが、こういうものを使うことによって二国間、多国間ないしは国際機構に対して我が国は貢献していくということは当然国際的な活動として期待されていることであり、またこれを我が国も行ってきていると申してよろしいと思います。  科学技術領域でありますが、明治の初め、工部大学校ができましたときに、最初の教頭になったのはイギリス人のダイヤーという人ですが、日本人にとって当分必要なのは創造ではない、模倣である。したがって日本人学生諸君はいろいろ創造したい楽しみもあるだろうけれども、しかし国家の維持のために模倣に徹した方がいいという言葉がございますが、まさにそういう形で西洋の科学技術を移入ないしは模倣したわけでありました。  戦後につきましても、我が国の企業の極めて目覚ましい発展、そして最近におきましてはハイテクノロジーの領域においても非常に主導的であるということがしばしば指摘されますが、一九五五年からごく最近に至るまで、つまり一九七〇年代の中期程度までの統計の数字を見ますというと、我が国の企業が発展する場合の技術的なパテントについては、日本大学研究所で創造したものよりも圧倒的に輸入したものが多い。そしてパテント購入料には多額な金を払っております。ですから、日本からのパテントの輸出によって収入があるという場合、その収入は非常に少ない。数字を申し上げますと、一九六〇年ぐらいですと二十対一程度我が国はパテントの輸入にお金をかけているわけであります。しかしながらその国が相当の発展を遂げて経済的な大きな力を持つようになった。そうするとそこでも創造ができるはずではないか。  そこで今、日本学校教育の中で必ずしも算数、理科のいわゆる練習問題でいい点を上げるだけではなくて、創造力のある人間の教育ができるかどうかということが大きい課題になっておりますが、少なくとも今日までのところは簡単に解けていない。私が申し上げたいのは、要するに経済領域において一〇%国家になりますと途上国に対する応援、そういうものが必要になるし、また学問もここまでまいりますというと単純な受益者ということでは済まない、そういう段階に到達している。また経済については先進国間にフリクションがあること、摩擦があることは申し上げるまでもございません。  そういうことになりますと、その摩擦をどうするかという問題をめぐって為替のフローティングレートとかあるいはG5による話し合いとか、さまざまな方法。また日本では前川さんを中心にした報告書がございますが、内需の拡大というふうなものもそこで問題とされるわけでありますが、これなくしては世界経済の安定と繁栄を維持することはできない。したがって日本人から言いますと、引き続いてもうけて何が悪いかというふうな声をしばしば聞くわけですが、しかしながら考えてみますと、世界経済が安定し繁栄するという要素が欠けて、そして日本経済だけが独走して繁栄するということはあり得ないわけでありますから、そういう意味合いにおいても、単なる西洋化時代というものは終わった。日本が貢献する、あるいは安全保障についてはソ連も貢献する、あるいはそのほかの第三世界の国々、これは一般に受益者的な側面が強いですけれども、しかし第三世界というようなものも本当は望ましい形態としては、相当の累積負債がございますが、それをそのままにしていかない、できるならばそういう累積赤字を解消して、発展の方向を探し求めて、確立していくということが、実を言うとそういうところにも求められている国際化である。  ですから、西洋中心の約二世紀にわたる世界秩序の形成から、今、世界の多くの国々がそれぞれ応分に協力ないしは秩序形成に参加していく、その中で、我が国は特に経済部分が突出いたしておりますが、そういうものとしてどう貢献していくかということを迫られているというところに非常に大きな問題点がございますし、そういうことは行政府ないしは政党だけで解決できる問題ではなくて、国民生活全体にわたっておりますから、今度の国民生活白書が、国民生活国際化というものがうまくいっているか、あるいはそこにどういう課題があるかという問い方をしていることは私は妥当であると考えております。  そこで、お話を申し上げる過程において、もう少し具体的に国際化の諸課題というものを申し上げておきたいと思います。  先ほどから、有償、無償ないしは二国間などの経済的援助については申しました。さらにまた、先進国相互間の経済交渉による安定の実現についても申しました。三番目に、私は人間の協力という問題を挙げさせていただいております。この点は実は非常に重要な点であると私自身が考えているからであります。  といいますのは、先ほどミッションスクールといいますか、宣教師による学校の話をいたしました。小中高を含めますと百を超えるでしょうということを申したのですが、例えば北海道の函館に遺愛というような学校があり、あるいは長崎に行くと活水というような学校がありますが、これは諸外国の人が金を集め、そして最初の主要な先生を送ってきてつくり上げましてから、現在大体百年たっているものが非常に多いです。明治十八年、十九年という時期、この時期に相当の努力がありますのでそういうケースが多いんだと思います。  どういうところに一つのポイントがあるか具体例を申し上げますと、例えば東京の六本木に東洋英和という学校がありますが、これも去年百年を祝いました。だれがつくったかというと、カナダ人がつくりました。百年前のカナダはそう裕福な国ではないです。また、実はカナダにも学校は足りなかったわけです。ところが、なぜそういう国が自分と関係のないところに学校をつくったのかというのが一つの大きい問題だと思います。その場合の考え方は、人間というのが大事なんだ、そうすると、人間が国境やあるいは文化の違いを超えて協力すべきだという考え方があったと思います。  そのほかの例を申し上げますと、東京のど真ん中に上智大学というものがありますが、上智大学には百二十人の神父がおりますけれども、その神父さん方は、実質給料で三十万円程度教授ですともらっておられますが、妻子を持ちません。これは日本の昔の真言宗のお坊さんと同じことです。寄宿舎に住んでいます。したがって、毎月二十万円ぐらいお金が余ります。これを寄附しております。その寄附金によって上智大学の建物が建ったりいたします。実を言いますと、そういう人たちの国はどこか調べてみると、ヨーロッパもございますが、中南米が非常に多いです。ですから、コロンビアとかメキシコとか、パラグアイとか、そういう国々で、すべて日本よりも貧困な国でありますが、貧困な国の神父が富裕な国日本に来て毎月二十万円ぐらい出している。これはどういうことかということを考える必要があると思います。実は、私はそこと随分話し合いをしまして、その問題について議論いたしました。自分たちは人間的な協力をしている、自分たちの国の人間のように日本にも問題がある、それに役立ちたいだけですということを言っておられました。そこで、日本はそういうことをやるかどうか、これはもちろん留学生の問題も大事なのですが、その前に考えなければいけない問題だと思います。  我が国は今世界で働いている人口が約五十万人あります。したがいまして、その子弟というのが三万人を超しています。その子弟をどうするかということが大問題でありますから、世界日本人学校というのが約七十あるわけです。これはアメリカ合衆国が六十程度を持っているのを上回ることになりましたので、一つの国が持っている海外学校の数としては一番多いわけです。ただ、アメリカンスクールと日本学校の違いはどこにあるかというと、一つは、アメリカンスクールは、アメリカ人の子供も勉強いたしますが、ほかの国の人が入りたければ入れます。これは言語の問題も当然あります。ジャパニーズスクールの場合には日本の子供だけが入っております。これに対してメキシコのエチェベリア大統領は、そういうやり方はメキシコ市にある諸外国学校の中で少し変わっている、例えばアメリカンスクールあるいはドイツ学校、そういうところにはメキシコの子供が入っている、したがってメキシコに日本人学校をつくるならばメキシコ人の子供も一緒に勉強さしてほしいという希望を表明されました。これは田中内閣以来の課題でございますが、エチェベリア大統領の要望を入れて、現在世界にあるジャパニーズスクールの中で現地人が入っている唯一の例であります。  もう一つオーストラリアでありますが、オーストラリアは今いわゆるコーケーシャン、西洋白人種の中で日本語を勉強している人口の比率の最も高い国であります。高等学校では第二外国語として日本語ないしそのほかにも中国語、インドネシア語を勉強しております。そこで、日本でジャパニーズスクールをつくるならば、オーストラリアの子供も少しそこへ行った方がいいんじゃないか。しかしなかなか正課の授業を一緒にはやりにくい。例えば日本史ですとかそういうものになるとそうはいかない。それでは課外の活動は一緒にやろうということで、現在、シドニーにあります日本人学校ですか、そこではオーストラリアの子供が日本の子供と絵をかいたりスポーツをしたりという形で一緒に勉強をする。いずれの場合も諸外国の要求から発しましたけれども、ともかくその程度である。その程度以上のことはないというふうに申し上げる必要があると思います。  本来、日本仏教あるいは儒教、さらにまた伝統的な美術、これは明治時代以前は国益中心主義ではなかったわけです。ですから、親鸞とかあるいは空海というような人は、日本人を救うというよりは人間を救うことを考えたでしょうし、また日本の美術や文学の伝統というものもそうだと思います。私は別に国益尊重が不必要だと申し上げているわけではない。そうではなくて、国益中心主義というものに傾斜してその他のものを外していくというところに問題がある。しかしこれは明治以降の発展においては避けがたいものである。  事ほどさように、国際化というのは非常に難しい。歴史的に言って明治維新に十分匹敵する程度の基本的な方向の転換でありますから、これを重視するばかりか、努力する必要があると私は考えているわけであります。もちろん、日本仏教の人も宣教活動を一切しないわけではありません。明治から今日までの中で最も著名な人物は鈴木大拙先生であります。鈴木大拙先生アメリカにおいて仏教の宣教をやりまして、そして後にはアメリカ人の女の人と結婚されまして、ずっと生涯をそこで活動して、長く仏教の活動に携わられました。  そういうふうに考えますと、学校教育それから留学生の問題などもだんだん大事になってきます。現在、日本程度経済力を持ちながら、日本のように留学生をたくさんとっていない国はまずないです。一万五千人おりますが、その中で五千人だけが国費留学生でありますから、あとの一万人は民活といいますか、自分の金を使ってくださいと。しかし、自分の金を使ってくださいという場合は、こっちの学校に魅力がなければ使うはずかないわけでありますから、中曽根首相が十万人を二十一世紀までにと言っておられるお考えは大変大事な考えだと思いますが、さてこれを実現していこうということになりますとなかなか難しいことであって、相当の計画を立てなければならないと思います。  それで、留学生を通常呼んだりするのは留学生のためだという考えがありますが、それは半面の事実であります。留学生日本学校の中に多数いるということが実は日本人学生にとって大変有利であるということがもう一つの側面でありまして、留学生もいない国で経済活動を世界的にやっていくということになりますというと、語学の問題もありましょうけれども、しかし異質的な人間と自然に話をしていく、そういう習性を持つことはできませんから、長期的に考えますと国の教育としては妥当性を欠いているというふうに私は思います。  また、この席には前から郵政と御関係になっている議員の方々もおいでになりますが、今日、コミュニケーション、インフォーメーション、情報通信はハードな側面で日本世界で先頭に立っている国の一つであります。しかしながら、それをどのように使って国際コミュニケーションを行っていくかという、いわばソフトの側面ということになりますと、まだまだ別問題でございますから、こういうふうなものもこれからの段階でどう活用していくか。また、先ほどから申し上げました日本人学校をどう改造していくか。問題は極めて多岐にわたりますから、私は総論的なことだけ申し上げて一応責めをふさぎたいと思います。  ただ、現在私は国連大学というものにかかわっておりますから、このことだけは一言申し上げさしていただきたいと思います。  といいますのは、国連大学をつくろうということを熱心に言われたのは、昭和四十五年、時の首相であった佐藤榮作氏、官房長官であった木村俊夫氏、そのお二方が大変な熱意を示されたということに関係があります。私はお二方に呼ばれまして、そして話を伺ったわけでありますが、その趣旨は何であるかというと、実は先ほどから私が申し上げたこととそう違いません。つまり、日本がここまで経済成長を成功するということになってくると、国際社会への貢献というものを考えなきゃいけない段階に来ているんじゃないか。時あたかもビルマ出身の国連事務総長ウ・タント氏が国連大学の創設を考えておられた。そうすると、日本がそれに基金を出す、そして首都東京にその本部を置く。そして学問の上で、従来、それこそ東大もそうでしょうし、早稲田もそうでしょう、あるいはハイデルベルク大学、ハーバード大学、みんな大事な大学ですが、そういう大学を超える大学をつくる時代が来た。といいますのは、地球全体にまたがるような、先ほどから申し上げる安全保障もありますし、あるいは資源の問題もありますし、つまり人間がお互いに生きていくという共通問題をどういうふうに研究していくか、そしてそのネットワークをつくっていくかという段階であるから、ウ・タント氏の考えというものは尊重したいということであったわけであります。  そこで、昭和五十年に本部が東京の渋谷にできまして、日本は一億ドルというものを一応基金拠出いたしました。きょう詳細なデータを持ってきておりますから必要に応じて御説明申し上げますが、今日までのところまだ本部の建物も建っていないです。これは政府の財政事情を考えますと無理からぬところもありますが、しかし、学校ができまして十二年たってまだ本部が建たないというのは、これは国際公約でございますから、やはりほかの国から見れば驚くべき現象であるというふうに言う人が多いわけであります。  では、ほかの国々は熱心でないんじゃないか。それは経済事情が悪いからだと、そのとおりであります。アメリカ合衆国もソ連も熱心でありません。そして両国の経済事情が悪いことは皆様方御承知のとおりであります。しかし、それが世界のすべてかというと、そうではありません。日本の次にたくさん金を出しておりますのはフィンランドであります。フィンランドは日本の約三分の一程度、三千万ドルを出しまして、既にヘルシンキに国連大学支部というものをつくりました。フィンランドの場合、ここにいろいろな各党の違うお立場の方もおいでになると思いますが、私の考えでは、やはりソ連に近い国ですが、総体的に少しでも独立していきたい。ということになると、国際機構の一つをつくって、そして世界の南北経済の発展、協力、それのための研究機関をつくりたいということで、実は動きは東京よりフィンランドの方が速くなってきております。その次にはフランス、これが世銀と協力いたしまして象牙海岸に自然資源利用研究所というものを国連大学の一部としてつくろうといたしております。あと二つ一つはオーストリア、もう一つはオランダ、そういうところも日本が多少動きが鈍い中で、今や動き始めてきておりますから、私は佐藤、木村の両先生が御指摘になったことは正しかったと思います。  問題はそういうものも一つであって、国連大学ができればそれでいいという問題ではない、申し上げるまでもないことでございますが。そういう明治以来の歴史の重要な転換点に立っている。明治国家というものも世界歴史の中で非常に重要な役割を担った。それはアジアにおける一つの国家の独立ということのために大変な努力を行ったすぐれた例であると、かように考えますが、それから百何年たった今日における課題は、国際的な協力ないしは世界秩序の形成に日本がどのように役立つのか、そういう問題こそがまさに国際化というものであると私は認識して、先ほどから皆様のお時間をちょうだいしたわけであります。  ちょうど四十分になりましたから、以上で私の全体的な考え方を申し上げるのを終えたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
  39. 長田裕二

    会長長田裕二君) まことに興味のあるお話をありがとうございました。  以上で永井参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言を願います。
  40. 糸久八重子

    糸久八重子君 きょうは先生大変有意義なお話をありがとうございました。先生は文部大臣を御経験でいらっしゃいますけれども、今先生のお話の中で外国日本人学校の例を引くまでもないことですが、日本の文部行政というのは大変閉鎖的であるのではないかと、そう考えるわけでございます。形だけではなくて、身についた国際感覚を備えた子弟を育てていくためにはこれからの日本外国語教育はどうあるべきなのか、先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。  今お話にございましたとおり、オーストラリアでは、高等教育の中では、日本語に限らず、もう中国語も、インドネシア語もということでお伺いいたしましたし、先般私も中国に参りまして、中国では小学校段階で、英語だとかフランス語までも導入をして勉強しているような状況でございます。そういうこともございますので、先生の御意見を伺わせていただきたいと存じます。
  41. 永井道雄

    参考人(永井道雄君) 二つの点について申し上げたいと思いますが、まず文部省でございますけれども、私は自分が文部省にいたから言うわけではないんですけれども、文部省の閉鎖的な度合いというのは、日本の国会や社会が閉鎖的であるのと同じ度合いにおいてそうだと思います。それは決して一種の皮肉で言っているわけではない。そうではなくて、与党、野党といろいろございますけれども日本の国家というものが今後存続していく上で非常に大事なことは、この国際化の問題につきましてはでき得る限り超党派的であることがよろしい、そして官民を問わぬ方がよろしい、そのぐらいの大事業だと考えますので、その点について、文部省が満点ではございませんが、しかし国民みんなと同じように満点でないということをちょっと申しておきたいわけです。  次に語学のやり方でございますが、これは先生御指摘の点、全く私は賛成であります。つまり、日本は語学の勉強に当たりまして、先ほど申し上げましたように、明治の初めから、語学というのは人の国の言葉を正確に読んで日本語に直すことである、これに徹底したわけです。ですから、文法がよくできるとかあるいは単語をたくさん知っているということは大変なものです。そういう意味においては、日本の語学の先生方の百年以上にわたる努力というのはすばらしいものだと思います。ですから、技術でもあるいは政治制度でもそんなに間違った知識でなくほかのものを取り入れることができたわけです。ある意味で難しいのは、その語学の方向を単なる受容だけではなくて、こちらからの発信にも使うということです。それがこれからの問題になってくる。もし語学の先生がみんながサボッている人だったらかえって変えるのは楽だと思います。ところが日本の語学の先生大学から中学に至るまでサボッていないわけです。そして一生懸命に文法なり翻訳なりやってきておりますから、そのサボッていない人がだめだと言われたら非常におもしろくないです。そこのところが私は最大のネックだと思います。  例えば、旧植民地であったところ、そういうところの語学の先生方と比較すると非常によくわかります。そういうところでは必ずしも日本の語学の先生ほど熱心に外国語の言葉の翻訳をやってきていない。日本は横になっているものを縦にする、その名人がもう国に極端にいえば十何万人いると思います。しかしこれを変えなきゃいけない。実は私自身もいろんなことを提案したんですが変えられないわけではないと思うんです。  一番変えやすい方法というものを考えると、今共通一次、あるいは今度は共通テストと言っておりますが、その中に語学が入っていますが、あの語学で例えばヒアリングテストをやることは十分可能だと思うんです。一つレコードをつくりまして、全国一斉に同じ英語が聞こえてくる、それに対する答えを書くというとヒアリングの能力と自分の作文能力を試すことができますから、これは試験の方法が一遍に変わる。一遍に変わりますと今度は、それこそまた日本の特色ですが、中高の教育が一遍に変わると思います。そうしますと三、四年たったらどんどんしゃべる人がそこの方向で出てくると思います。これは私だけではなくて、語学の先生たちで既に大学入試センターに大分提案している人がいるんです。しかしながらなかなか実現いたしません。こういうものも国会の課題として御議論いただければ大変ありがたい問題ではないかと思います。  それからもう一つ申し上げさしていただきたいのは、国連大学のようなところで働いていてつくづく思うんですが、事は語学だけではないという問題であります。つまり人間の問題、英語国民だけではなくて例えば韓国人、この人たちは韓国語ができる。しかも日本に七十万人もいて相当日本語ができる人が多い。あるいはその次が中国人が五万人でございます。アメリカ人が三番目のグループで、これがやっと英語ですが、どこの国の人も人間なんだということです。そのことを自然に経験する機会に恵まれにくいということが私はいろんな意味で不利になっていると思います。つまり経済活動の場合も全くそうだと思いますが、残念ながら私は企業で働いておりません。しかし、国連大学のようなところは常時二十カ国ぐらいの人が働いております。したがって、そこへ来る日本人の行動を私は観察しておりますけれども、どうも先進国、白人の人が来ると幾らか尊敬する傾向がある。そして途上国、例えば黒い人が来ると必ずしもそうでもない。これは人間の問題でございまして、人間は今まさに世界でどこでも大事ですという段階に到達しているわけです。しかし、どこの国の人もいろいろ完全でない者は多いと思います。それがございますと少し言葉は下手でも感じ合うものがありますから、幾らか間違っても構わないんです。そして何とか最後に意思を通すということになりますと、向こうも人間ですから、それはお互いに通じようというところにいきます。  日本は非常に日本人教育を立派にやっていますけれども、どのぐらい人間教育をやっているかということについて必ずしも満足すべき状況でない。これは男女の関係も非常に似ていると私は思うんです。何でも男女平等というと同じようにすればいいと、これ同じにしたら男女ともに最も不幸だと思う。違いがある、しかし対等であるという関係の実現は非常に大事だと思いますが、そういう意味において発信のための英語あるいはその他の言葉を覚えるということと人間同士のつき合いになれるということと、この二つを加味していくことが非常に大事だと思っております。
  42. 山本正和

    ○山本正和君 先生に三重県のPTAの二千人ぐらいの会合で御講演いただきまして、そのときにもいろいろ三重県のPTAの皆さんから感想があったんでありますが、きょうお話の中でも共通して出ておられることに人間の問題、特に国境を越えた人間の問題という立場での教育の重要性ということを御指摘いただいているわけですけれども、実は私ども不勉強なりに議論しておりまして、明治のあの鎖国三百年過ぎた後、海外にどんどん若い日本人が出ていって、そして外国からいろんなものを受けとめてきた。ところが明治維新までの教育というのは、今ここで先生御指摘のように、ほとんど仏教、儒教さらには老荘といいましょうか、そういう影響もあったかと思うんでありますけれども、そういう中であれはできた。ところが明治以降一生懸命ヨーロッパを学んでここまで百年間取り組んできたにもかかわらず、一番肝心の根っこのところが欠けている。そういうふうな問題につきまして、とにかく教育という問題についての発想の転換が必要なんじゃないかというふうなことを時々議論をいたします。  そういう意味で特に私、自分も高校の教師をしておりましたから、今も同僚と話しておって一番困るのは、大学学問する場ではない。どちらかというと就職のためのパスポートを手に入れる大学になっている。しかも、一たん入ると勉強しなくても押し出しでもって卒業してしまう、こういう大学制度がどんなにしてもこれはもう一番ネックになってくる。この大学制度についてなぜこういうふうな取り組みが今までされてこなかったのか、あるいはどういうところに困難性があったのか、さらには先ほど申し上げました、国境を越えた人間としての問題を一生懸命議論するという場所がなぜ今日日本大学でないのか。そういうふうな点につきまして先生のお考えをちょっとお聞かせ願いたいと思います。
  43. 永井道雄

    参考人(永井道雄君) どうも大変重要なお話でございますが、手短に要領を得ないかもしれませんが申し上げます。  まず、先生がおっしゃるように、明治以前の方が日本人に豊かな人間性があったんではないか、これは非常に興味深いことです。今までの世界日本研究者の中で一、二だと言われている人はイギリス人のサンソムという人です。彼は亡くなりました。彼の本に先生と同じ説が書いてあります。明治以降の日本というのは、発展、工業化、これはすばらしいけれども、しかし実につまらない国になった、明治以前の日本というのはすばらしいものだ、それは、仏教というようなものも人間を救おうとするし、また美的な世界もすばらしい、そこに身分の別があるというようなことは、これは大きな問題だ、しかしながら、そこに存在していた日本人の人間性というのはまことに豊かなものだという書物を著しております。今、その弟子筋に当たるドナルド・キーン氏が朝日新聞に連載を書いて、これは主として芭蕉の精神について伝えておるわけでございますが、やはり外から先生と同じ考え方で見ている人がいるということは私は軽視すべきでないと思います。  次に大学でございますが、今から申し上げることは、実は私は自分で本にも書きましたので全くはばかる点がないことです。私自身は実は昭和四十五年に国立大学をやめたんです。どうしてやめたかというと、とてもあの状況では改造できないと思いました。文部大臣を務めましたが改造にも失敗いたしました。どこが問題点であるかというと、大学の自治のあり方だと思っております。つまり教授会でみんな集まって相談をいたします。国会も相談するところで、なかなか相談が難しいといって理事会が苦労しておいでになりますが、とても国会の比でないです。もっともっと長い時間、森羅万象を議論するわけでございますから、大学の教育方針が決まるとかあるいは試験のやり方が決まる、これについて合意を得ることは大変難しいです。また、国会の場合は社会がこれを批判いたします。ところが、大学は社会がこれを批判いたしません。したがって、文部省にもいろいろ問題があると思いますが、どちらかといえば、今世界のほかの国々の大学と比べてあの自治をどう変えていくか。私が当時考えた案は次のようなものです。  教授会は存在していいけれども大学の中に小さい特別研究委員会をつくる。そこで案を練り上げる。その特別研究委員会には必ず外部の人間を加える。つまり、これは経済界の人であれ、あるいは政界の人でもいいのかもしれません、とにかく外部の声というものを反映する。それから学生の代表の声も反映する。そうしてそこで具体的な案をつくってそれを教授会にかける。非常に実は単純なことでございますが、それを何とか実現したい。現在、今私が申し上げたのと全く同じ方法をとっているのはハーバード大学であります。ハーバード大学は時代に沿ってカリキュラムを今から六年ほど前に完全に変えてしまいました。今後も変わっていくだろうと思います。日本の場合にはなかなか変わらないだろうと思います。  そこで、この問題をどうするか。実はきのうも京都大学で私はこの話をやりました。その前には東大でやりました。ですから、決して遠慮しているわけではないんです。どこででもやるんですが、残念ながらそのぐらい言ったのではびくともしないという状況です。これをどうするかというところに直面いたしていると思います。
  44. 斎藤文夫

    ○斎藤文夫君 斎藤文夫でございます。いろいろ御意見を拝聴させていただきましてありがとうございました。  先生御指摘のように国際化という言葉は、実はもう私どもも非常にいろいろな意味で混同いたしておりまして、あるときには広く大きな意味の国際化、またあるときには極めて狭義の国際化というようなことで、いろいろとその都度都度混乱をいたしておるような気がいたしまして、先生からいろいろ御指導いただきまして大変頭の整理ができてありがとうございました。  そこで、私なりに考えさせていただきますと、国家としての国際化、今度は国民個人一人一人の国際化、大別すればこの二つがあるんじゃなかろうか。そして国としての国際化というのは、実は先生から御指摘をいただきましたように、明治維新からこの方西洋模倣型で、そして国益中心に、追いつけ追い越せと、西洋文明を同化していく、こういうようなことであったわけでありますが、その目標を達成した今日、戦後もいっとき復興、発展ということで一生懸命追いつけ追い越せでまいりましたが、いわば世界のGNP第二位の国になった今日、ふっと考えてみますと、もう模倣する国がなくなった、むしろ外国日本をまねしていこう、逆の立場に置かれて、我々日本人は、かつて一生懸命模倣模倣という姿の中で勉強してきた民族として、瞬間的に目標を失っているんじゃないだろうか。  そこで、国際化という言葉の中から、先生が御指摘になられた国際協力とか国際秩序の形成だよというお言葉をいただいたわけでございます。本当にこういうような協力、国際化を図っていく場合において、共存共栄といいましょうか、世界平和の実現、こういうようなものも国際化を進めていく、またそれが一番の近道になると観念的には理解をいたすわけでありますけれども国民になかなかそこまで御理解がいただけない。いわば日本の国としてどういう目標を、今後二十一世紀を目前に控えて国際化の中でその役割を果たし、その目標に一歩一歩近づいていく、何か努力目標をここで示さないと、ただ国際化国際化と言っておっても空念仏に終わって、結局世界からエコノミックアニマルというような指弾を受ける、そんなようなことだけに終始して、いつも何か悪玉みたいな日本、こういうことになりはしないだろうか、そんなことを実は考えさしていただいたところでございますが、まず国民に、本当の意味の国際協力や国際秩序の形成の役割といいましょうか、具体的な方途をお示しいただければありがたい。  それからもう一つ、狭義の国際化先生の人間としての協力、こういうような国境を越えたお話を承らしていただいておるわけでありますが、現実には、どうも人種差別を持たない我々と考えながらも、実態は日本人はなかなか同化作用を持たない、同一民族的な発想がいつもついて回るわけでありまして、この辺の問題がある。あるいは言葉の障壁、そして文化、風俗、習慣の相違、こういうものがあって、それらが常に国民一人一人の国際化を邪魔していく要素になっておると思います。それだけにこれを乗り越えて、いわゆる真の国際人として、また人間として国境を越えた協力、これは言葉筋ではよくわかるわけであります。これもひとつ具体的にお考えを御提示いただければありがたい。  要は、例えば先生が今御苦労しておられる国連大学、かつて、私は神奈川でございますので、ぜひ神奈川へというような大きな希望もございましたが、その後お決まりになられて神奈川県はいささか気が抜けた思いをした時期がございました。しかしながら、こういう国連の数々の機構の中に日本がどんどん金を出して参加をしていく、結構なことでありますけれども、いろいろ御意見を拝聴してみますと、ただ物、金を出してもそれが本当に効果を生んでいるのか、この辺も実は非常に明確になっていない。それだけに、国連の分担金もアメリカに次ぐ第二位である、こうは言いますけれども、本当に世界人たちがそれを理解して、なるほど日本は国際協力をしてくれているぞ、こういう認識も、我々のPRが足りないせいでしょうか、いささか問題がありはしないだろうか。いろいろ各般にわたって不明確になりましたけれども、いわゆる国家としての国際化の具体的な方途、国民一人一人の小さな国際人としての国際観、この辺のところを中心にさらに御見解をお示しいただきたい。お願いをいたします。
  45. 永井道雄

    参考人(永井道雄君) 初めに申し上げたいのは、先ほど申し上げましたように、明治の初めの基本的方針というものがあります。それに対する大転換でありますからかなり難しい。そのことは幾ら言っても言い過ぎではないと思います。その上でいろいろの道を工夫しなければいけません。具体的に申し上げます。  実は、この月曜日に関西学院で国際関係学部をつくるための会議がありました。そこでも今の問題が出ました。実際に国際化するといってもどうするんだと。坂井兵庫県知事も大分発言されました。一つは、日本日本国籍を持っていて日本人でない人、最大の人口は韓国、朝鮮人であります、七十万人。それから、先生は台湾においでになったんじゃないかと思いますが、二番目が台湾を含めた華僑の人、これが五万人であります。その次が実は西洋人、特にアメリカ人が今ふえてきている。しかし華僑に及びません。現在は総理の御発言と関係があってアイヌの問題やなんかも出てきておりますが、実を言うと、国際化というのはそう遠くを求めないでも、日本の中でそういうふうな大きな人口、これを学校教育でもってどうやって活用していくか。  朝鮮、韓国について申しますと、実は日本語と朝鮮、韓国語の相当信頼できる辞典ができたのは去年が初めてであります。それまではなかった。ですから今は利用するようになりました。また、朝鮮語を教えている学校はどのぐらいあるかという問題でございますが、今から十年前は国立大学七十のうち一校だけです。大阪にありました。現在はそれが三校程度になりました。私学を寄せまして十校程度。  さて、そうなりますというと、これ簡単に差別というふうには言えないと思いますが、少なくも異質な人と見ている。有能な方々もたくさんおいでになるわけですから、学校教育なんかの場面でどうしていくかということを、相当の人口でございますから考えた方がいいんじゃないか。そして、華僑の方たちの間からもいろいろそういう要望があります。これは余り政治的に激しい要望という形をとらないようにそれらの方々も努力しておられるようでございますが、非常に考えるべき問題として、まず外国に行くより、国内の中に今申し上げるような人口があるわけですから、そういう人たちとの協力関係をどうしていくか。  二番目に、兵庫県の坂井知事が言われたこと、坂井知事は実は全国知事会議で同じことを言われたようであります。それは何かというと、実は国立大学のことを言われたんです。坂井知事は京大、阪大、それから神戸大学の例を引きまして、語学の先生はいるけれども、しかし語学以外の先生はほとんどいない、留学生も結構だけれども、もうちょっと先生をふやしたらどうだ、そうするとこれは文部省予算の増額ということになるだろう、実は東大も同じことだと。しかし、私は、それは果たして文部省予算の増額という形で対応すべきかどうか問題だと思います。つまり、毎年定年があって相当空きポストができるわけですから、それを常に日本人で埋めていくという方法をそこで否定できるかどうか。もしそれに成功することがございましたら、これは別に韓国人とかあるいは朝鮮人に限ることはないんです。いろんな国の大学先生方、これから始められますとそれが小中高に及べる。その数は相当なことになると思います。  それから、諸外国における日本人学校について、先ほどシドニーとあれの例を申し上げました。これは、私は実は、その人たちが帰って勉強している、つまり海外子女、上智大学の比較文化科で三年間教えたんです。それで、日本語は必ずしも上手ではないです。英語やなんかの方が上手です。それでは、その人たちは就職できないかというとできるわけです。今、そういう両方の能力を持ちながら活動しようという人を求めている職場が非常にふえてきております。むしろ、どっちかを消してしまうことによって不利になる場合が相当あります。これは調査もございます。そうするというと、そういう形で職場自身が改造を求めているわけですから、特に国際的な活動をしている企業というのは非常に多いし、先ほど申し上げたように五十万人ぐらいが常時外にいるというわけでございますから、決して低く見るべき数字ではない。  おっしゃるように、国家の方針として例えば無償、有償、あるいはバイの関係、マルチの関係等々政策的にお金を使う。これは非常に大事なことです。これなくしては困るわけです。しかし、国民の方が伴わなければ、国家だけが独走することになるというのもおっしゃるとおりであります。特に国際機構の場合には残念ながら、今日までの教育とやっぱり関係があると思いますけれども、お金は出しているんですが、それに見合った程度の人口が実はそっちへ行って働いていないというので、日本の場合にはアンバランスになっております。アメリカなどは今ユネスコから抜けたのにまだアメリカ人が働いているというちょうど逆の形になっておりますから、非常にそういう点でビジビリティーがある。ですから、先生御指摘のとおり、私は両方が相まって変わっていかなきゃいけないんだと思いますが、同時に初めに申し上げたように相当の難しさを伴う。しかし、遠くから始めるよりまず国内から始めたらどうかというようなことを関学のその会でも話したわけなんですけれども、そういうことは大変大事なんじゃないかというふうに私自身は思っております。足りない点がたくさんあると思います。  あと経済の面で、例えばマーケットの内需の拡大が必要であるとかあるいは円高問題にどう対応するかというような問題、もちろん人間の生活がかかっておりますから、軽々に、国際関係というものがあるんだから、したがって円高だって我慢しなきゃいけない、そういう道徳論を振りかざしても無意味だと思います。これは本当に粘り強くいろんな交渉をやっていく。どっちかというと日本人は必ずしも交渉が上手ではない。同調するか反対するか、その中間というものがない。これを政府の方々も非常に骨を折っておられるということは明らかでございますけれども、しかし各企業のレベルでもそういうことがだんだん繰り返されていくということが、結局全体的に新しい方向を切り開いていくんじゃないか、そういうふうに考えております。
  46. 高木健太郎

    高木健太郎君 公明党・国民会議に属しております高木健太郎でございます。  共通一次の最初設立を見ました当時から何回かお会いいたしまして、きょうはまた大変示唆に富むお話を伺いまして、大変ありがとうございました。  特に、共通一次に、因っておりましたいわゆる語学の問題でヒアリングを入れるというような非常にユニークなお考えで、これがうまく成功すれば少しは変わり得るんじゃないかということで希望を持っておりますが、お話しございましたように、大学自体でこれは決めることでございまして、御存じのように臨教審でもなかなか大学の改革ということは手がつけにくい。そのような大学の自治が与えられているというようなことも、これは自治の悪用であるか、あるいは自治というものを考え直さなきゃいけない時期に達していると思うのでございます。そういう意味で、大学の改革は、先ほど山本委員からもお話のありましたように、それから以下の高校、中校、あるいは小学校の教育まで非常に大きく影響を及ぼしておりますので、それが国際化という面から見ましても非常に私は重要なことであろうと思いますので、今後とも私も一生懸命やろうと思っておりますが、先生の御示唆がいただければ大変ありがたいと思います。  そこで、国際化というときに、日本人が国際場裏にありまして何か余り思わしくないイメージを各国に与えているというように感じるわけです。その一つに、戦後頼るべき、あるいは自分の信念をささげるべきといいますか、そのもとになるべきものを失った国民になったんではないか。例えば宗教というものも非常にいろいろの新興宗教がたくさんできてきまして、特に宗教家そのものも本当の意味の人間であるとか、死生観というようなものを人間に教えないで、単なる葬式仏教であるというような形になっている。一方、韓国にしましても、あるいは西洋におきましてはほとんどキリスト教というようなものがその中心になっておりまして、あらゆる死生観、物の考え方の基本になっているんだと思うわけです。それが日本人にはなくなったのではないか。そういう意味で、これで二回目のレクチャーでございますが、皆さんがおっしゃることは、何だか日本人は建前と本音が違うというふうなことを言われる。ところが、本音とは何だと言われても恐らく日本人には答えられないんじゃないか。特に若い人たちにはそういうものがあるのではないか。  そういう意味で、国際化をやる前に現在いろいろ言われておりますように、いわゆる道徳というようなものを何とか入れなきゃならぬ。ところが、道徳の今度の準教科書といいますか、そういうものを見ましても、本当の意味の本当の大事なところは書いてない。ただ行儀作法というものが書いてありまして、精神的なものには触れていない。こういう意味で、国際化を広めるに当たりましては、何かもとの天皇制にかわる、あるいは天皇制といいますか、我々は忠孝というような一本の筋があったわけですが、それがなくなった今、単なる自由民主主義というだけでは、自分の思うようにやる、それが物欲に行くときもある、レジャーに行くときもある、いろいろの方向へ向かっていって、日本人としては非常にばらばらな状態にあるのじゃないか。この点につきまして、今後教育面といいますか、あるいは国際化するに当たりまして、仏教とは言わず、道徳、日本の信念、心棒ですね、その基本を今後日本にどのようにつけていったらよいのであろうか。それに対する先生のお考えをぜひお聞きいたしたい。また、それに対しては、どのように教育面にこれを及ぼしていったらよろしいかというようなこと。  それから、第二番目の問題としましては、私は国連大学日本に来たというのは大変いいことであったと思いますが、今お聞きしますとどうも動きが悪い。時々パンフレットなんかをいただいておりますけれども日本国民は国連大学が何しているかということを余りよく知らないんじゃないかと思うんです。どこかにネックがあるんじゃないか。国連大学というものがあることを誇りにして、そしてそれを通じていわゆる国際化ということもある程度私は進め得るんじゃないかと思いますので、そのネックとなっているところはどういうものであるか、あるいは我々立法府におります者はどういうふうなことを今後心得ていったらよろしいか、その二点について先生のお考えをお聞きしたいと思います。
  47. 永井道雄

    参考人(永井道雄君) どうもありがとうございました。まず、国連大学の方についてお礼を申し上げて、ネックがどこにあるか申し上げたいと思います。  国連大学は、土地は、鈴木東京都知事、これは大変な御決定と思いますが、東京の都電の車庫跡を決めていただきました。これはできたんです。建物が建たない。どうして建たないかというと、これは文部省が担当している学校関係のリストが莫大なものです。そして、それは財政赤字がありますから、いろんな順番になってくるという問題が一つ。努力はしているけれども、そういうことがある。国会でこういう議論が出ることが少ないことも理由の一つに挙げてもいいかもしれません。  それから市街化区域のつくり方について、今だんだん道路に近いところを緑地化するとか、いろいろそういう議論がある。こういうものがネックになって新しい建物がまだできていない。これはビジビリティーの点から言って大変まずいんです。今一番のネックは、早くビルを建てなきゃいけないんですが、来年から実施設計にやっと入るところにこぎつけましたけれども、その後の工事を何とかして急がせたいということを関係各省にお願いしているところですが、国会においても大いに応援をしていただければ幸いであります。それが一つ。  それからもう一つ日本人として覚悟しておかなきゃいけないのは、パリやニューヨークと東京は違うということです。つまり、私は、先ほどから西洋による国際化ということを申し上げました。パリの場合は、パリに集まってくる世界人たちはみんなフランス語を知っているわけです。ある程度は知っています。そしてフランス人はフランス語を知っていますから、ユネスコを通してみんなお互いに協力することは当たり前だと思っていますから、そしてできるわけです。ニューヨークの場合は今度英語ですが、ニューヨークに来る外国人は、国連に来る外国人はみんな英語を勉強してきています。アメリカ人英語ができます。したがって、国連の場を利用しながら随分話し合いができます。日本はそこが根本的に違うわけです。国連に、今私どものところに四十人以上の専門家が来ておりますが、日本語ができないんです。今度はそこへ来る日本の学者が英語ができない。そうすると、国際組織をつくりましてもなかなか話が通じていかない。これがもう一つのネックです。  私は初めからある程度想像していたんですが、このぐらい大変なものだとは思わなかった。これを何とか克服していかなきゃいけませんから、例えばここで西尾さんが日本語についてお話になったようですが、ああいう方々の努力によって日本語ができる人が少しできてくるということが非常に大事です。同時に日本人英語も通じるようになるということが大変大事です。そういう意味ではハンディを負っているわけであります。  ビジビリティーですね、見えることと。それからもうちょっと言葉の交換が普通にできる。それから先ほど私は人間ということを申しましたが、どうでもいいような簡単なつき合い、これが難しいです。  先生学校の関係者でいらっしゃるけれども、ほかの方は必ずしもそうでないから申し上げると、日本学生諸君でも留学生と話をしようと思って努力する人がいます。それで、どういう話をするかというと、あなたの国は旧植民地的なところがあって、なかなか解放が進行していないようだ、これについてどういう解放闘争があるかと、こういうような話をするわけです。留学生ももちろん喜んでそれに答えます。ところが、そういう留学生が私にどういう文句を言うかというと、どこの国だって朝から晩まで解放闘争の話をしているわけじゃない、自分らは男の学生だから、大学のそばのどの喫茶店に行くと、きれいな女の子がいて、そして幾らぐらいで粘れるか、そういう話を日本の男の学生もしているに違いないから、そういうことを教えてくれればいいけれども、非人間的であると。これは何回も聞きましたが、全く非人間的だと思うんです。つまり、それはその日本学生が悪い人だという意味ではないんですね。そうではなくて、そういうフォーマルなおつき合いで外国の人とつき合うものだと思っているわけなんですが、やっぱり外国日本も男の子は女の子が好きなわけですから、そういう非常に単純な文法というものを外れているということだと思います。  それから、次にもっと大事な問題、実は斎藤先生もおっしゃった日本の目標をどうするかという問題でございます。これは実は時間がないので私は申し上げなかったんですが、私のアウトラインにはちょっと触れたんです。というのは、東京大学をつくったときの話なんです、明治の初めに。東京大学をつくったときに、仏教界、儒教界、そういうところから日本政府に要求がありまして、日本の中央の大学学問研究にはどういう中心が必要か。仏教研究であるとかあるいは儒教の研究であるとか、そういうものを中心につくってくれと、だから国学関係もあると思いますから、皇学所の人なども要求しております。これは明治五年ぐらい。ところが、政府がいろいろ考えるわけです。そういうことを言うけれども、別に日本が当時存続できないのは儒教や仏教のおかげじゃない、科学技術だと、だから東大では科学技術を尊重いたします。そこで、我が国で伝統的な文化大学の中心の研究に置くようになったのはずっと後なんです。しかも仏教とは言わずインド哲学と言い、儒教と言わずシナ哲学と言って、小さな講座でできただけの話なんです。それじゃ国民はどうしたかと、国民に対しては教育勅語を出しましたから。そして、儒教が一つの大きな柱でございますから、それは一つ続きました。  しかし、西洋の場合、イギリスであれあるいはフランスであれ、大学の中核はそういう自分の国の文化の伝統というものの検討が中心になっているわけです。それで、日本は発展途上国でございましたから、自分の文化の検討というのは棚に上げたわけです。そんなことをやったら間に合わない。政府は明らかにそういう立場をとりました。まだこの問題は解決がついていない。そうすると、慌てて日本人がひとつ固まろうじゃないかという傾向になりやすいと思います。慌てて日本人が目標を持って固まろうということの一つの失敗は前に経験いたしました。私は、今日非常に大事だと思っているのはその問題。  したがって、実は国連大学も来年五月ごろの予定ですが、儒教をどう考えるか、これは日本人だけで考えるべきじゃございませんから、韓国人にも来ていただくし、儒教関係の他の方にも来ていただく、あるいは仏教についても同じことをやります。しかし、国連大学だけでできるわけではなくて、私はキリスト教も全く大事だと思いますが、日本のいろいろのところで、この明治の初めにできなかった宿題がまだあるわけですから、これをやらなきゃいけない。そうすると、必ずしも前のように一本化して、一辺倒的な解決方法でなくて、やはり個性がある、自由がある、と同時に一つの信念がある人間というものをだんだん育成していくことはできるんじゃないか。西洋の場合も、本当に強い自由主義国家というのは一つの方針で固めるという方法はとっていないわけです。むしろそこに強い人間をつくるということを眼目として動いてきたと思いますが、西洋の場合は多少有利だったと思います。しかし、日本の場合には非常に急ぎましたから、そこのところは難しかった。これを何とか工夫していくべきだ。  先ほど斎藤先生のお言葉の中に、モデルがないから創造的にやらなきゃいけないというのがございましたが、モデルがないということも事実であるけれども、なぜ、かつて国際化は西洋化であったかということをるる申し上げたかというと、やっぱりそれから学ぶものは多いと思うんです、我々として。それで日本は今や国際化しなきゃいけない。そういうことを日本のような形でやられた国は過去にはない。しかし、やはり国際化をどうするかということを自分の国の文化なり政治を中心に大変苦労してきた、それこそ偉大な政治家とかたくさんいるわけですから、だからその点においては、まだ日本は決してピークに到達しているわけでないので、極めて謙虚に、むしろそういうところから学んでいく。  宗教の問題とか、あるいは美術などの問題もそうだと思います。それで日本の美術の人たちなんかは、人によって大変誇り高いです。戦争中といえども誇り高かった。そして戦後もそうであった。例えば文学では谷崎潤一郎先生のような方は、これは別に進歩思想家でも社会主義思想家でも何でもないけれども、戦争中微動だもしないで日本的な美について書き続けておられた。そういう人は絶無ではない。そういう伝統というものを非常に尊重しながらいかに拡大していくかということを工夫すべきであると思っております。
  48. 吉川春子

    吉川春子君 永井先生、きょうはありがとうございます。二点についてお伺いいたします。  私、調査室から先生国際化問題に関すると思われます論文を幾つかいただきまして読ませていただきました。  まず第一点は、NHKブックス「アジア留学生日本」という、その著書の中で日本日本人が取り組まなくてはならぬ重要なテーマとして、アジア諸国とどのような関係を結ぶかということ、経済協力、国際的な政治協力、文化交流を含めてということを強調しておられます。そして「日本は、憲法第九条にもとづいて、平和の実現に貢献することを使命としている。」と述べられて、平和の実現の四つの面の配慮として、「第一に、軍備の縮小、また最終的には全面的な廃止をめざして、国際連合の場で、国家間の紛争を解決すること。」を指摘しておられまして、私は大変重要な御指摘と思いました。今の御発言の中で、国際化を論ずる観点として国際的秩序をつくることに協力しているかどうかということが大切だとおっしゃられました。  私は、軍備の縮小、全面的な廃止の中で、特に今日核兵器の廃絶は人類にとって緊急かつ死活的な課題であるというふうに考えています。核を使った戦争は勝利者はいないと言われております。何十年か前アジアの人々に大きな損害を与えた日本、そして唯一の被爆国の日本が平和的な国際秩序をつくる上でどんな貢献ができるとお考えなのか、それを第一点としてお伺いしたいと思います。  それから二番目は、同じく先生の東西文化センターで行った講演の中で、一九七三年、日本とアジアの知識人との間に開かれた円卓会議に触れられて、東南アジアから来た知識人たちは、東南アジア地域において日本経済拡張主義が東南アジア日本との関係を急速に悪化させていることを静かに鋭く指摘したと述べられて、またアメリカの多国籍企業の問題点についても触れられておられます。これは何年か前の論文ですが、今日、日本東南アジアを含め全世界への経済的進出はその当時の比ではないと思います。  私は、二、三年前だったと思いますけれども、テレビの「炎熱商人」というドキュメンタリータッチのドラマを見まして、このことを思い出したわけです。アジアの人たちは、戦争のとき日本が何をしたかということを忘れていない。むしろ深い恨みを持っている。そして現在経済的にアジアの人々に脅威を与えているということをそのドラマは生々しく語りかけて、この主人公はヒューマニストの商社マンなんですけれども、彼といえども現地人にとってはしょせん企業の手先であり、またかつての日本帝国主義の行為を免罪することはできないという、そういう内容だったと思うんです。  今、日本がアジアの人々から真の友人として迎えられるためには、私たちは何をすべきなのか。政府及び日本国民が何を求められているのか、その点についてもお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  49. 永井道雄

    参考人(永井道雄君) ただいま御指摘の中で「アジア留学生日本」という本でございますが、それは主として明治末期の中国人が日本でどういう留学生活を送ったかということを書いたものです。  ただ、御指摘のように、今日の日本が新憲法に基づいて、そして第九条を尊重しなきゃいけない。これは私は当時もそう思っておりましたし、今もそう思っています。  そこで、軍縮というものを行っていかなきゃいけませんが、先ほど安全保障ということを申し上げたように、一方的軍縮を単純に行って安全保障が崩壊するということは考えなきゃいけないと思うんです。つまり私は、非核の問題について諸外国の人と話し合ってきております。スウェーデンの亡くなったパルメ首相とも共通安全保障の問題を話し合ってきました。その場合パルメ首相が共通安全保障という言葉を使われた意味は、アメリカだけが一方的に廃棄する、あるいはソ連が一方的に廃棄する、あるいはどちらかが一方的に軍縮をするという形ではできない、共通安全保障という考え方、これを何とか広げていく。彼は暗殺によって倒れましたが、私は、その本を書いた後に大いにパメル氏と議論をいたしまして学ぶところがありましたが、その問題についてはそう考えております。  ただ、日本はそういう状況の中で、憲法九条に基づいて、普通に世界人々が考えているよりもいろいろこの問題について国会で議論してきたと思います。現在一%枠が一つ問題になっています。さらに、鈴木内閣のときは専守防衛、また三木内閣のときには武器輸出の問題というものがあります。そうしますと、今三つだけ申し上げましたが、そのほかに大平首相が提唱されたものとして総合安全保障という考え方があります。今日までのところ、日本の学者とか政治家がそれを包括的にとらえて新しい安全保障をどうやってつくり上げていくのかという、それを日本だけで議論するんじゃなくて世界に訴えていくということに成功しておりませんが、これはやっぱり一つの課題だと思います。安全保障というのは、私は平和問題でしょっちゅう思うんですが、日本の中で幾ら平和問題を何百回話しても問題は解決しない。それは大事でございますが、それだけではぐあいが悪い。つまり、日本以外のところの理解をどのように得るかということでございますから、憲法九条に基づいて今まで行われてきたさまざまな議論、そしてそこで提案されたものを包括的にとらえて、明確に幾つかの国と会話を行っていくということは大事だと思います。  次に、一九七三年ハワイで話をいたしましたのは、実は七三年の春であります。その当時、田中内閣が成立いたしました。田中首相の東南アジア旅行がありました。これは大変なことになりました。これは田中首相個人が問題ということではないんです。そうではなくて、当時の日本の企業の進出の仕方に対して一番激しい反対があったのはタイとインドネシアでありましたから御記憶の方も多いと思います。タイもインドネシアも、その後経済情勢が非常に変わっておりますから、したがってまた意識も変わったと思いますから、田中首相が行かれたときのような形の反発というものはその後の首相に対して起こっていないです。  しかし、その中に書きました多国籍企業の問題、多国籍企業がどのようにして現地の人々の利益を反映して協力に持っていくかというのは、実はアメリカ合衆国も大変問題にしたことであります。というのは、アメリカ合衆国が一番数が多いわけですから、自分たちの問題としてハーバード大学から非常に重要な本が出ております。現地の人たちの採用というものを強化していくこと。それから現地法人と合弁会社にして、そして独立させていくというような方向。例えばIBMなんかの場合には、今、世界にIBMの数が百三十から百四十になったと思います。ですから、多国籍企業というよりは国籍別企業というような形態に移行いたしましたのは、そういう努力だと思います。  日本の場合も大体そういう方向に動いている。これはこの調査会にいろいろな役所、郵政の方とかおいでになるということは了解いたしておりますが、私は今後の非常に難しい問題として、例えばテレコミュニケーションについて全部政府が研究を助けたり、あるいは訓練をやるというふうにはいかないと思います。莫大な金が必要になると思う。そうすると、当然のこととしてそれに関連するような企業、日本の中で言うような民活ということと似ておりますけれども、その企業が今日まででも相当のトレーニングを行ったりしておりますから、当然協力するだろうと思います。  ところが、その協力というものが先ほど言われた一九七三年のような事態に逆戻りするということになれば大変なことになるわけです。だから、いろいろな御苦労を積んでおられるわけで、これは私の本ではなくて、小林宏治氏の本でございます「C&C」というのの三冊本の第一冊目では、今まで日本電気などでは百三十カ国に活動しているけれども、六千人程度の研修生を入れて、そしてその研修生の自主性を尊重するという方向で努力してこられた。これは非常に努力をされた会社の一つだと思いますが、そういうあり方というものをみんなお互いに研究していく。そして、官民の協力というもので仕事をしていかなきゃいけない。それでほっておけば多国籍企業というものがいわゆるプライバタイゼーションというので民間だけの利益に傾斜しやすいという問題は、御指摘のとおり七〇年代の初めに非常に鋭くあったわけです。今日も十分に用心し、今後もその用心を続けていかなきゃいけない事柄であると私は理解しております。
  50. 平野清

    ○平野清君 きょうは本当にありがとうございます。平野と申します。  一番最後なので用意しておいた質問は大概ほかの方がお聞きになってしまって、ちょっと陳腐な質問かもしれませんが、留学生が一万五千人ぐらい日本に毎年のように来ているということですが、これは本当かどうかわかりませんけれども、その留学生の待遇その他が余りよくないために、せっかく日本に一年も二年もいても、技術は学んで帰ったり勉強は学んで帰るけれども、国に帰って日本のことを余りよく言わない。むしろ、アメリカとかヨーロッパの方に顔を向けてしまうというようなことをしばしば聞くんですが、実際に本当にそういう留学生の受け入れ態勢ということが満足できないものなのかどうか。  それから、応分な協力ということを先生おっしゃいました、日本のこれからの。経済は確かに世界で一、二を争うようになりましたけれども御存じのとおり国家財政はもう破綻寸前で、減税よりも増税をやろうというようなことになっております。いわゆる商社というものはもうけ優先で、それこそ一銭でも多く稼ぐのが当たり前で、国の方は一生懸命やりたくとも国家財政は厳しいというときに、じゃ応分の協力といっても商社を政治がコントロールするわけにもいきませんし、そういう矛盾点があると思うんですが、そういうものをみんな国民がどういうふうに考えていかなきゃいけないのか、その国民の合意で商社の一つの力をコントロールするのかというようなことはどういうことなのか。  それからもう一つ、先日和裁をやっている八十歳ばかりのおばあさんに、調査会というのに加わっているそうだが何をやっているんだと言われたから国際協力を勉強していると言ったら、私は針一本持ってアメリカにしばしば行く、ミシンでは絶対できない部分日本の針にあるんだ、その針をアメリカの婦人に一生懸命集まってもらって無料で教えている。そうしたらアメリカの人が、日本の和裁の針というのはすばらしいんだなといって、それが百人になり、二千人にも三千人にも膨れている。大きな国際協力なんて言っていないで、日本の針をうんと輸出してもらった方がよっぽど国際協力になりますよなんということをちょっと皮肉に言われたんですが、国民一人一人ができる範囲の国際協力ということをやっていった方がよりそれが、この間の留学生日本学生の対話ではありませんけれども、そういうところに輪が広がるような気がしますので、教職にいらっしゃった先生のお考えをちょっとおっしゃってください。
  51. 永井道雄

    参考人(永井道雄君) まず留学生の問題でございますが、留学生が一番困っているのは住宅です。これは日本人並みに待遇が悪いわけです。それで、まあ日本経済大国といっていますけれども、だれでも日本の住宅問題がいい、あるいはレジャーの使い方がうまくいっている、少なくもこの二つ、それからもう一つは社会資本という問題あるでしょうが、これがうまくいってますという人はいないと思うんです。ですから、留学生の住宅をどうするかというのは大変な問題です。  それで、文部省のいろいろやっておることを見ますと、もう東京はとても手がつかない。ですから、地方に行きますと、地方大学にかなりいい留学生の宿舎ができているというケースがふえてきておりますが、これは一つの解決方法かもしれません。ところが、東京に行きたい学校がある、その場合どうするんだということになると、たちまち答えが出てこない。だから、住宅問題というのは日本人もとても苦しめていますけれども学生も苦しめている。そして、苦しい状況ではどうしても自分の知っている人間を優先したいですから、だから留学生を入れるというようなことに寛大でない人が相当いるということは事実です。  それからその次に、日本へ来ている留学生諸君の中で一番数が多いのは台湾でございます。しかも、台湾の方たちは民間のお金で来ています。それから韓国の人が多いです。それから最近は、中国が大体二千人に到達いたしました。非常におもしろいのは、その人たちが選択的に日本学校に比較的魅力を感じている。それで、どういうところに魅力を感じているかというと、必ずしも日本の有名大学ではないです。そうではなくて、例えば一部の専修学校、具体的に言いますと、大森の方に日本電子工学院というようなところがあります。これは専門学校ですが、相当留学生が来ています。あるいは代々木、新宿でございますが、文化服装学院という、これは三百五十人も来ています。どうしてかというと、日本式デザインというものに魅力を感じる、これは自分たちも国で成功できる、そんなわけで。それからもう一つ、国立では長岡、豊橋、そういうところで技術の現場に接触しながら、しかも科学的研究をやっている、いわゆる技術科学大学ができておりまして十年たっておりますが、こういうところも今申し上げたような三つのグループに比較的評判がいいということですから、やっぱり日本の戦後の経済発展の過程で技術や科学が役立つ。まあデザインはちょっと違う例ですけれども。そういう側面では多少魅力があるんじゃないか。そうすると、国費だけでは賄えませんから、どうしてもそういうところについてもっと注目する必要があるんではないかというふうに思っております。  それから、一番大事なことを先生は最後におっしゃったわけでございますが、これは大変なことです。私のような職業の人間がしょっちゅう直面していますのは、日本ほどお金がある国はないでしょうということをしょっちゅう言われることです。ところが、私が頼みに行くのはどこかというと、一番初めに文部省に頼みに行って、大蔵省に頼みに行く。日本政府ほど金のないところはないという話をしょっちゅう聞くわけです。つまり、日本という国には金があって政府には金がないわけです。この矛盾をどうするかという問題、これが日本の中の文化活動にも関係がございますが、しかし国外にもあると思います。  発展途上国より前に、日本人が、非常に今どちらかというと好きであるフランスパリ文化会館もまだできない、ベルリンのもまだできないです。ロンドンには考えてもいないです。例えばドイツを挙げますと、ドイツ世界の百二十か百三十の国にもうつくりました。イギリスはもっと多いです、百五十以上です。したがって、もうこれは比較を絶しています。これを日本の予算から多分出せないだろうと思う。そうすると、どうするんだと。日本の企業がお金もうけして、そして外国の国債を買ったり、社債を買ったり、あるいは土地を買ったり等々、そういうことをやることは当然企業活動の自由でございますし、また、それに意味のある場合もあるわけですから、結構だと思います。しかしながら、問題はそれだけで済むかというと、全く済まない状況にもう今来ている。そこは実は政策課題だということを私ちょっと書かせていただいた。  それで、二つの中からの選択がある。一つは、税法上、今税調では全然そういうことをやっていないようですけれども、円高差益によって非常にもうかった会社からその何%かは日本の国際的な文化、学術、教育活動というものに、これは目的税ですけれども、そのための税金が取れたら一番いいと思います。しかし、もう一つの方法は、日本の企業家の方々もいろいろ志が高い方がいるわけですから、実は大学紛争のころには、政府の金だけじゃ足りないでしょう、企業が全部で千億円ぐらい集めましょう。結局においては政府の金を使いましたけれども、そういう声が起こったことがあります。私は、今その当時以上の国難だと思います。  ですから、政界の方と企業界の方が御相談になって、日本の国際交流活動基金というもの、これはやはりもう相当の額のもの、これをつくらないで幾ら大蔵省を責めても解決しないと思います。別に大蔵省のお役人さんサボろうとしているわけでも何でもない。財政赤字があることは明白でございますし、しかも、それが年ごとに累積していることは明らかである。ただ、そのことを幾ら説明したって、わかる外国人はないです。その状況のままで一体何年いけるか。その点については、私は決して楽観していないです。ですから、最後におっしゃいました、どのように財源を確保するかという問題は、私は政治家ないしは企業界の方々のリーダーシップによって何とか活路を見出していただくということが不可欠であると思っております。
  52. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上で永井参考人に対する質疑は終わりました。  永井参考人には、お忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。非常に有意義なお話を承りました。ただいまお述べいただきました御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。永井参考人に対しまして調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。(拍手)     ─────────────
  53. 長田裕二

    会長長田裕二君) 次に、参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  国民生活に関する調査のため、参考人出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  54. 長田裕二

    会長長田裕二君) 御異議ないと認めます。  なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  55. 長田裕二

    会長長田裕二君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時四十七分散会