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1986-11-12 第107回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十一年十一月十二日(水曜日)    午後一時四分開会     ─────────────    委員異動  十一月十一日     辞任         補欠選任      赤桐  操君     中村  哲君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         加藤 武徳君     理 事                 杉元 恒雄君                 中西 一郎君                 堀江 正夫君                 志苫  裕君                 和田 教美君                 上田耕一郎君                 関  嘉彦君     委 員                 石井 一二君                 大木  浩君                 坂元 親男君                 下稲葉耕吉君                 鈴木 貞敏君                 永野 茂門君                 鳩山威一郎君                 林 健太郎君                 林田悠紀夫君                 真鍋 賢二君                 松浦 孝治君                 大木 正吾君                 中村  哲君                 村沢  牧君                 山口 哲夫君                 黒柳  明君                 中西 珠子君                 吉岡 吉典君                 田  英夫君                 青島 幸男君    事務局側        第一特別調査室        長        荻本 雄三君    参考人        早稲田大学教授  鴨  武彦君        北海道大学教授  木村  汎君        東京外国語大学        教授       中嶋 嶺雄君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○外交総合安全保障に関する調査  (国際情勢認識に関する件)     ─────────────
  2. 加藤武徳

    会長加藤武徳君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  昨日、赤桐操君が委員を辞任され、その補欠として中村哲君が選任されました。     ─────────────
  3. 加藤武徳

    会長加藤武徳君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  本日の外交総合安全保障に関する調査のため、参考人として早稲田大学教授鴨武彦君、北海道大学教授木村汎君、東京外国語大学教授中嶋嶺雄君、以上三名の方の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 加藤武徳

    会長加藤武徳君) 御異議ないものと認め、さよう決定いたします。  また、来る二十一日、外交総合安全保障に関する調査のため、参考人出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 加藤武徳

    会長加藤武徳君) 御異議ないと認めます。  なお、その人選につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 加藤武徳

    会長加藤武徳君) 御異議ないものと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  7. 加藤武徳

    会長加藤武徳君) 外交総合安全保障に関する調査のうち、国際情勢認識に関する件を議題とし、国際政治軍事情勢について参考人から意見を聴取いたします。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。本日は、国際政治軍事情勢について参考人の皆様から忌憚のない御意見を拝聴いたし、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  これより参考人方々に御意見をお述べ願うのでありますが、議事の進め方といたしまして、まず最初参考人方々からお一人三十分程度それぞれ御意見をお述べいただき、その後委員の質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じておりますので、よろしくお願いいたします。  なお、中嶋参考人は急用のため到着がおくれておりますが、午後二時前にはお入りいただける、かような予定に存じております。  それでは、まず鴨参考人にお願いいたします。
  8. 鴨武彦

    参考人鴨武彦君) ただいま御紹介にあずかりました早稲田大学鴨武彦でございます。  きょうは参議院の外交総合安全保障に関する調査会にお招きいただきまして、大変光栄に存じます。  国際政治軍事情勢について、特に私が事務局の方から言われましたのは、アメリカから見た場合の政治軍事情勢というものについて話をせよというお話でございました。非常に大きなテーマでありますし、どれだけ先生方の御期待といいますか、御関心におこたえできるかどうか、甚だ心もとなく存じますけれども、私なりにいただきました三十分ほどの時間で幾つか話をさせていただきたいと存じます。  まず第一に、かなり大きな話で恐縮なのでありますけれども、アメリカをめぐる政治軍事情勢という場合に、アメリカというのが国際政治の場で今歴史的にどういうような位置にありそうかという歴史的な位置づけと申しましょうか、そういう点がまず第一に認識としては重要じゃなかろうかと思います。  私なりに考えてみますと、かなり大ざっぱな話で恐縮なのでありますけれども、アメリカは御案内のように非常に軍事的にも経済的にも潜在的には大きな力を持ってはおりますけれども、やはりこの十年、二十年という間にその大きな力、ヘゲモニーといいましょうか、パワーが少しずつ国際政治の場では凋落をしてきているというような認識がありまして、現在アメリカはその相対的に少し凋落をしかけている力といいますか、国際政治経済における主導性をいかに回復するかということについて非常に苦悩している、そういう歴史的な局面に立たされているのではなかろうかというふうに考えるわけであります。これは内外ともアメリカの置かれている立場は厳しいものがございます。  外の方、つまり対外的に見ますと、この間のレイキャビクプレサミットといいますか、米ソ首脳会談も私なりに思いますのは、アメリカの、レーガン政権対応というものは少なくとも成功ではなかったのではなかろうか。要するに物別れに終わったということでありますけれども、もしも成功という意味が、アメリカ同盟国安全保障も考えてヨーロッパ及びアジアも含めた中距離核戦力、INFというものの削減交渉を実際にゴルバチョフのソ連と合意に達する、しかも戦略核兵器削減についても大幅にこれを成功させる、そしてなおかつ、SDI戦略防衛構想につきましてはアメリカ実験開発研究開発を進めるということをソ連に認めさせるのであれば、これは成功であったかと思いますけれども、その意味では物別れに終わったということで、レーガン政権が今後SDI研究開発も含めてかなり難しい局面に立たされているのではなかろうかと思います。  しかも、対内的にも、アメリカ対外政策を見る場合に重要だと思うのですが、やはり前回の中間選挙で民主党が上院で御案内のように逆転をいたしました。さらに、アメリカ国内財政赤字は巨大になり、それから貿易赤字も一向に減らない。しかも、かつては債権国であるアメリカが現在は債務国という形に変化を示している。その中では新しい保守主義といったものが起こっている。しかし、この新しい保守主義というようなものは、アメリカのかつての輝けるナショナリズムといったものの発露ではなくて、むしろガードを非常にかたくしたディフェンシブなナショナリズムという形で保護主義や何かと結びついた形でアメリカ世界における政治経済軍事指導性というものを回復するための非常な苦悩に満ちた対応のような気が私はするわけであります。  このアメリカの潜在的な力もやはり落ち込んでいるというのをまず最初に申し上げておきたいと思うのですが、一九五〇年代の朝鮮戦争が始まるころの時期と比較してみますと、軍事費にしても国民総生産にしてもアメリカ世界の三分の一から二分の一に迫る力を示していたということでありますけれども、今日、一九八〇年代ではそれぞれGNPにしましても軍事費にしましても四分の一、二四、五%に落ち込んでいる。しかも、世界貿易に占めるアメリカのシェアといいますか比重は、やはり一九五〇年代には三十数%でありましたが、今日は一〇%くらいに落ち込んでいるということで、潜在的な力もやはり落ち込んでいるということであります。それが影響力としてのアメリカの力というものの相対的な凋落といったものに結びついているという見方をアメリカの学者もいろいろしておりますが、数年前にハーバード大学のジョセフ・ナイという教授が、アメリカの力の低下というものの原因六つほど挙げております。  第一点は、ベトナム症候群とも言うべき、世界政治経済指導国として積極的に秩序づくりを行うということにある種の逡巡といいますか、ためらいを感ずるようになったということ。  それから二つ目は、米ソ軍事面での力関係に非常に顕著な変化があらわれたということであります。  それから三つ目は、資源、殊に石油の価格が下がっておりますけれども、海外石油への依存度アメリカが増しているということであります。  四つ目は、工業生産力といいますか、アメリカ国際競争力を含めて工業生産力が低下しているということであります。  五つ目は、日本を中心にアメリカ同盟国であるECとか日本などが経済的に力を増してきて、そのギャップが縮まってきたということであります。  それから六つ目は、これは意外と重要なのでありますけれども、軍事力役割というものにどうも変化が出てきているようだという点であります。  ナイ教授は、この六つ原因を短期的、長期的に分けて分析をしておりますが、ここで私がお話しをする場合に、後から米ソ軍事面での変化ということは少し詳しくお話しすることにしまして、一言申し上げておきたいのは、軍事力役割の面での変化という点であるのじゃないかと思います。これもいろいろな解釈がありますけれども、私なりにちょっと整理をいたしますと、アメリカにとっての軍事力役割というのは少なくとも四つぐらいのレベルで考えられるだろう。  第一は、米ソ全面戦争というもの、つまり核戦争というものを引き起こさないという役割、これは抑止役割といってよろしいと思います。第二は、戦争が万一不幸にして起こった場合、でもそれは通常戦争を想定しておりますが、通常戦争が万一起こった場合にアメリカ及び同盟国安全保障というものを全うする役割、これは抑止役割に対して第二番目は防衛役割というふうに申し上げたらよろしいかと思います。三つ目役割は、その全面戦争通常戦争ではなくて国際政治のさまざまな紛争、地域的な紛争もありますし、領土紛争もありますし、途上国の中の体制をめぐる紛争もあると思いますが、さまざまな国際政治の地域的、国家的な紛争を防止したり、管理、解決したりする役割、つまり言いかえれば、紛争管理ないし解決の役割といったものが三番目にあろうかと思います。四つ目は、軍事力そのものを行使するというのではなくて、アメリカにとって同盟国というもの、この同盟体制を維持する役割としての軍事力というものがあろうかと思います。  この四つ役割のうち、殊にアメリカにとってコストといいますか費用が多くかるようになったと言われるのは、この三つ目四つ目でありまして、同盟国体制を維持する役割、そして国際政治紛争を解決する役割、あるいは管理する役割というものにかつてのような国際政治における砲艦外交と言われるような軍事力を行使するなり、あるいはデモンストレートすることによって解決するといったような役割がなかなか難しくなってきた。これは軍事力を使って戦争を行うということの難しさ、特に核時代における軍事力役割変化というものとつながりがあろうかというふうに思います。  こういうような軍事力役割変化があるわけでありますが、私、ちょっと話を進めさせていただきますけれども、果たして一九八一年に登場したレーガン政権はどういうアメリカにとっての対外戦略というものを考えたかというと、私はやはり三つほど大きな柱があろうかと思います。  一つは、アメリカの力というものを同盟国だけではなくて世界で回復しようという力の回復ということが大きな一つの柱であり、もう一つは、対ソ戦略というものを立て直すという役割だと思います。これはアメリカにとってのソ連脅威にどう政策的に対応するかというのが二つ目の大きな柱。それから三つ目は、私の専門でありませんので申し上げられませんけれども、経済の立て直しというのが多分入っていたに違いない。このレーガン大統領が第二期目、一九八五年、昨年の二月に議会に送った大統領教書レーガン政権の一期を振り返りまして、これはもうアメリカはよみがえったという趣旨の発言をしております。そして、アメリカはより強く、より自由で、より安定した国家になった、現在アメリカは希望と機会に満ちた第二の革命に挑戦しているというようなことを申しましたけれども、冒頭で先生方に申し上げましたように、どうもこれはレーガン政権アメリカにとっての大きな課題であって、果たしてアメリカがかつてのようによみがえり、大きく飛躍したかというとかなり問題であろうかと思います。挑戦をするという課題として受けとめるべきじゃなかろうか。  その中で、これからお話しさせていただきますのは、三つ挙げましたけれども、この三つ目の、軍事力ということとの関連におきまして対ソ政策というものにちょっと話を進めさせていただきます。後で木村汎先生ソ連専門家でいらっしゃいますので、いろいろ私の仮説なりに間違いがありましたら正していただきたいと思いますけれども、この対ソ政策というものを考えてみますと、まず第一に指摘を申し上げたいのは、これはいろいろ説がありますけれども、事核戦力の分野に関する限り、この二十年、三十年でやはりソビエトアメリカに追いついてきたというトレンドはどうも否定できないのではないか。レーガン政権もそれを踏まえてソ連に対する脅威にどう対応するか、アメリカにとってでありますけれども、これを非常に重要視したという経緯がございます。  これはアメリカ専門家の分類でございますけれども、アメリカは一九四五年から五二年ころまでの核の独占期という時期から、一九五三年から五七年ころの核の絶対的優位の時期を経て、さらに第三期は一九五八年から六六年ごろまでの核の相対的優位というものを経て、一九六〇年代の終わりごろからパリティという状況に入ったというふうに言われております。ここで私が申し上げたいのは、パリティだと言われるこの時期が実は米ソ軍備競争、そして核を含めて核軍拡競争というものがますます激しくなっていって、しかもその軍備管理軍縮というものが非常に難しくなってくる。つまり、米ソパリティという状況米ソ軍備バランス軍事力バランス戦略を含めて不安定化しているという状況を新しく招いてきているわけであります。安定ではなくて不安定化してきているという状況ではなかろうか。  この点から見ますと、いろいろ数字を挙げるとはっきりしますけれども、例えば一九六三年、キューバ危機の翌年と現在と比べますと、米ソ核戦力バランスというのは非常に大きな変化があります。例えばICBM大陸間弾道ミサイルではアメリカは一九六三年ごろソビエトに対して五倍の量を誇っておりました。それから潜水艦発射弾道ミサイルSLBMというものについてはアメリカは約二倍の優位をソ連に対して持っていた。それからB52などの長距離爆撃機というような運搬手段についてはアメリカは約三倍の優位を保っていた。ところが、レーガン政権が発足する一九八一年ごろはどうかという一部逆転が見られた。この一部逆転がかなりアメリカにとっては重要だというふうに受けとめたようでございます。SLBM潜水艦発射の海の方の弾道ミサイルではなおアメリカソビエトに対して約三倍の優位を保っている、これは核弾頭の数ではかっているようでございます。ところがICBM大陸間弾道ミサイルでは逆にソビエトが二倍から三倍の優位を保つようになった。最近も「ミリタリー・バランス」、英国戦略研究所から新しい報告が出ておりますけれども、やはり今申し上げたような趨勢を示しております。  要するに、アメリカソ連攻撃用核戦力をめぐってつばぜり合いの展開を示し始めている。それがどういう影響をもたらしているかということで私は二つの大きな影響があると思うのです。  一つ軍備管理軍縮、この間のレイキャビク物別れといいますか、であらわれておりますようにこれがますます展望を難しくしているという点であります。この点から申し上げますと、レーガン政権の第一期は、調べてみると、実はソビエトとどう軍備管理軍縮交渉を進めていくかということをすぐ始めないで、二年ぐらいはアメリカ国内の根回しに時間を割いた。これは一九八一年に、発足した年に中距離核戦略削減交渉は実は始まっているのですけれども、より大事なことは、アメリカ戦略兵器というものをいかに近代化するかという至上命題アメリカはぶち当たりまして、特に新しいタイプのICBMMXミサイル実験ミサイルと、エクスペリメンタルミサイルと呼ばれるものでありますが、それをどう配備するかということでスコウクロフト委員会というのが一九八三年の四月に報告書を出しておりますけれども、そのスコウクロフト委員会報告を待ってSTARTと言われる戦略核兵器削減交渉アメリカは始めております。要するに一九七〇年代いっぱいかけてSALT体制戦略兵器制限協定というものは一九七九年にできたのですが、その体制を崩すような形、あるいはそれとまた別のレジームをつくるというような形でアメリカがその対応に苦慮したということのあらわれだろうというふうに思うわけであります。MXミサイルというのはICBMに十個の弾道ミサイルを搭載するピースキーパーと呼ばれるものでありますけれども、それは現在は半分ぐらいに減らすというふうに言われております。  ちょっと時間がなくなってまいりまして恐縮なのですが、もう一つ影響面というのは、これはSDIの出てきた背景と非常に結びつくだろうと私は考えております。アメリカにとって戦略防衛構想というものを少し調べてみたわけであります。それからことしの二月にアメリカ情報局、USIAからたまたま呼ばれまして、三週間ほどレーガン政権SDI担当者ペンタゴンそれからホワイトハウス、国務省それから議会技術評価局、OTA、オフィスオブテクノロジーアセスメントと言われますが、その人々と、そしてアメリカはオープンでありますので、SDIに反対する科学者技術者という人たちに約六十人ほど面談し、討論する機会がありました。ほかの十四カ国から一人ずつ呼ばれたグループの討論の機会がありましたけれども、その話をちょっと入れながらお話しいたしたいと思います。  SDIというのは、やはりソビエト対応するものとしてどうしても出てこざるを得ない必然性アメリカにとってはあったのではないか。SDIは調べてみますと、古い顔と新しい顔と二つ側面を確かに持っておるということでございます。古い顔というのは弾道ミサイルに対してどのようにアメリカ安全保障を全うしていくか。この弾道ミサイルというのは戦略爆撃機核爆弾を運ぶという昔の体制から、一九五〇年代の終わりごろから弾道ミサイル開発されていくわけでありますが、弾道ミサイルに対してどういう防衛を行うかという考え方は実は一九五〇年代の終わりごろからずうっと、ソビエトもそうでありますが、アメリカもこの防衛方法を考えてまいりました。その意味では非常に長いキャリアを持っているわけでありまして、正式には一九六七年に、ジョンソン政権マクナマラ国防長官のときにセンチネル計画というABM計画弾道ミサイル最終段階で大気圏の近くに飛んできたときにそれを地上から撃ち落とすという形で正式な計画として出しておりました。  しかし、ターミナルという最終段階で撃ち落とすという構想ではなくて、新しい顔としてのSDIがなぜ生まれたかということでありますが、SDIの新しい顔というのは、ソビエトICBMにしてもSLBMにしても発射された直後に何万キロも離れたところから、あるいはセンサーという技術を使って赤外線を探知して捕促して、指向性エネルギー兵器などを使って撃ち落とそうという考え方のようでありますが、飛び上がった直後に撃ち落とそうというブースト段階での構想というのはこれは新しい側面であるということであります。  ただ、ここの点をちょっと二つほど指摘したいと思うのでありますが、実はいろいろ調べてみますと、一九八一年にヘリテージ財団の後押しを受けてハイ・フロンティアというグループができてSDI構想レーガン政権の中で研究が進むわけでありますけれども、一九八二年の十一月には、報道によりますと、時のワインバーガー国防長官SDI計画に対しては賛成を与えていなかった。八二年のころはまだペンタゴンもこの技術的な開発がどのように進むかということについてわからなかったために、SDIという構想を公にすることに反対をしていたようであります。ところが八三年の三月になぜ見切り発車をしたか、この点が重要だと思いまして、私はそれを旅行のときにテキサス工科大学の学長で元空軍長官でありましたハンスマーク氏に聞いてみました。なぜ見切り発車をしたのだろうか。二つ理由を挙げておりました。  これはちょっと重要だろうと思うのですが、一つカトリック教会司教さんたち手紙を書きまして、その手紙の中で、アメリカ核戦略政策というのはアメリカソ連国民都市というものは守り切れない、いざというときには報復としてあなた方の都市国民に対してミサイルを向けますよ、だから怖いからやめましょう、これはもう社会として生き残れません。要するに国民都市を守れない、お互いの人質による恐怖によって核抑止という考え方を成り立たせた。これはアメリカカトリック司教さんたちが言うには、これじゃ安全ではないのじゃないか、都市を守れるという形でいかなければならないのじゃないか、ですからアメリカ核戦略政策があるいは道徳的ではないのではないかという主張をしたようであります。これにハンスマーク氏は、三月二十三日の大統領演説を書いた一人でありますから答えていたのは、大統領はこれにいたくショックを受けたと。こういうものに対してはアメリカ都市も安全なのだということを示すためにSDIという構想がいかに技術が難しくても進めたいということのようであります。  それから、もう一つ理由というのがありまして、十数年前と比べてSDI技術可能性というものが飛躍的に期待が高まったということをそのハンスマーク氏が言っておりまして、これは宇宙でのバトルマネジメント戦闘管理体制をつくるとか、センサー技術開発するとか、レーザー兵器開発するとか、さまざまな兵器開発が可能となるように思われるということの二つ理由大統領をして八三年の三月にその決定を発表させたということのようでございます。  ただし、この点で実は非常に重要だろうと思いますのは、また二点申し上げます。レーガン政権の内部では、あるいは私の観察が間違っていたら失礼なのでございますが、この三年のうちにペンタゴンを中心にSDIがある種現実化しているという面がありまして、大統領都市を守ろうと最後的には考えているけれども、それは最後に守れるかどうかわからなくとも、ソビエトの特にICBMに対する脅威を考える場合に、それを打ち出した直後に、撃ち落とせるというシグナルを送ることによって要するにアメリカの対ソ核抑止力は高まるのであるという考え方から、そのSDIにすぐに変わるのではなくて、SDIという構想をつけ加えることによって、アメリカの攻撃核戦力防衛用のその戦力をミックスしてソビエトに対する安全を保障するのだと、こういうふうに攻撃力と防衛力の混合という形でSDIの正しさというものを主張しようとする人々がふえてきたということが一つ原因であるように思います。  ただ、それではレーガン政権の外を見回してみますと、大変これは賛否両論が渦巻いておりまして、特に先生方に申し上げたいのは、例えばアメリカ科学者連合などがそうでありますが、科学者人たちが特にSDI技術的な可能性が完璧になるはずがないという主張をしておりまして、ここからの反対が非常に強うございます。例えばブースト段階、ポストブースト、そして宇宙空間、それからターミナルの四つの層で七五%ずつ撃ち落とせるとしても、ソビエトの例えば仮に一万発の核弾頭が打ち上げられた場合、最後にアメリカの上空に達するのは百五十六という計算も出されておりまして、それぞれの核弾頭が、広島型の原爆の百倍から二百倍と言われるものが百五十六もアメリカ都市に降ってきたのでは大変困る、それでは少しも技術的にパーフェクトとは言えないではないかという反対があるのと同時に、もう一つは、それが技術的に可能かどうかというだけでなくて、現在の米ソ軍備管理軍縮交渉を非常に複雑にし難しくしている。殊に、この間の物別れでも出てまいりましたけれども、中距離核戦力削減というのはヨーロッパにとってもアジアにとっても非常に重要だろうと思います。  なぜならば、弾道ミサイルの命中精度が高まり、余りにも配備が進んでいるという現実があるからであります。これはイデオロギーの面もあるかもしれませんが、生活感覚として安全保障をヨーロッパの国民が求めるというのは、どうもこれは否定できない現実のようであります。これはソビエトにとっても課題であるだろうと思いますし、アメリカにとってはますます課題になっているということを考えますと、このSDIの問題というのは技術的に可能かどうかというだけではなくて、米ソ軍備管理軍縮というものを進めながら米ソの、言葉に語弊がありますが、決して核戦争を行わない、そういう世界の平和、安全保障の二大責任大国としてそういう戦略的な依存関係といったような枠組みをどう育てていくか。いわゆるこれは緊張緩和とかいろいろな言葉で言われますけれども、その枠組みをどう強化していくかという問題にも今非常にかかっている。  しかも、先ほど現実化していると申しましたけれども、賛否両論の中に、やはり都市は守れないという了解のもとに、抑止という戦略の方がまだましではないかという議論もアメリカ戦略専門家の中に出ておりまして、今アメリカ政治軍事情勢をめぐる場合の議論として、SDIというのは一挙に姿を消すと私には到底思えません。いろいろなコンタクトが進んでいますし、米ソ核軍拡競争のある種必然性を持って出てきたような感じもいたすのでありますけれども、この議論というのは非常に長丁場になる議論になるだろう。しかも、同盟国にとってそれはどういう意味をもたらすかというようなことにつきまして、後でまた先生方に向こうで回ってきたような話とか、御質問なり御批判なりありましたら承りたいと思います。  長々としゃべりまして、どうも失礼申し上げました。
  9. 加藤武徳

    会長加藤武徳君) どうもありがとうございました。  次に、木村参考人にお願いいたします。
  10. 木村汎

    参考人木村汎君) 私は、ゴルバチョフになりましてからのソ連がどのような外交安全保障政策をとっているか、その政策に見られる二、三の特徴について三十分間お話ししたいと思います。  鴨先生がさきに安全保障の問題をお話しになりましたので、ちょうどよろしいと思いますので、ソ連安全保障政策について先にお話しいたします。  ソ連安全保障政策の一つのポイントと申しますか、柱になるのは、今お話に出ておりますSDI戦略防衛構想に対する強い反対の立場でございます。ソ連がいかにこの構想に強く反対しているかは、レイキャビクにおけるそのほかの面における合意にもかかわらず、ゴルバチョフ書記長がこの点に関しての譲歩をレーガン大統領に強く要求して、結局、同会談が決裂になったことからもうかがえると思います。では、私ども思いますのは、SDIになぜソ連はそこまで強く反対するのだろうかというその反対理由でございます。これは私の考えるところ、ただ一つ理由からではなくて、次のような少なくとも四つの複数の理由からだと思います。  第一は、ソ連の方が科学技術上立ちおくれているという認識があるからではないかと思います。ソ連型の社会主義経済は、テークオフの工業化の段階においては強みを発揮いたしますが、現在の第三の産業革命だとか脱工業化社会、あるいは情報社会においては余り社会のニーズに適合した体制とは言えないと思います。特にイノベーション、技術革新には弱い、なじまない体制でございます。そういうわけで、ソ連の指導者は我々の想像以上に西側の技術水準の高さ、特に技術革新における画期的な突破と申しますか、ブレークスルーを懸念しております。そういうときにおきまして、SDI、宇宙兵器競争というのはソ連にとりまして、ある西側の学者の言葉によりますと、姿を変えた先進テクノロジー競争であるというふうに受けとられております。しかも、ソ連軍事的な面には従来非常に力を注いできまして、ある意味では一点豪華主義の国であったのでございますが、SDIという新しい軍拡競争にもし破れるようなことがありますと、それは単に軍事面に限定されることなく、対外的な威信にも響いてくるというわけで、ソ連はこのSDIを我々の想像以上に深刻にとっております。  第二番目は経済上の理由でございまして、ゴルバチョフのソ連の最大の課題が内政、外交を問わず、国内経済の再建、活性化であることは皆様御存じのとおりだと思います。ゴルバチョフのこの点に関する発言は徐々にエスカレートしてまいりまして、この一年八カ月の間に、最初経済改革と申しておりましたが、最近では経済の再編成、それからごく最も最近に至りましては、自分の言う経済再編成というのはほとんど革命、経済革命とイコールに結んでもらってもいいというふうにエスカレートしております。そのような経済の活性化が重要な課題のナンバーワンであるときにありまして、これ以上の軍拡競争はもう耐えられないというのがゴルバチョフ書記長下のソ連の本音ではないかと思われます。ソ連といえども、例えば予算面に限って申しますと、打ち出の小づちというのはないわけでして、結局、予算というのは大まかに分けますと消費と軍事と投資の三つに分けられます。  ブレジネフの時代は為政者と被為政者との間に一種の暗黙の合意がありまして、軍事面はおろそかにできない、それと同時に国民の消費生活もおろそかにできないというわけで、投資は少しサボってもいいだろうという合意があったと思います。しかし、投資をサボりますと、きょうあすの生活には響かないわけでございますが、いつまでたっても経済停滞から脱却できないわけで、それでは資本主義を追い越すということをねらいとしております社会主義のかなえの軽重が問われるということで、最近のゴルバチョフは、再びその三つの間のバランスをどうとったらいいだろうかという問題に悩んでいるわけでございます。したがいまして、国民に対しては豊かな消費生活を保障すると約束せざるを得ません反面、投資もおろそかにできない。そうしますと結局軍事を削りたい。しかし、軍事レーガン大統領SDI構想において妥協しない限りできない。そういうわけで、軍備管理交渉において彼は、ゴルバチョフはSDI阻止に全力を尽くす姿勢を示すのだと思われます。  三番目は軍事戦略上の理由でございまして、ソ連は当初MADの理論、すなわち相互確証破壊の理論を認めておりませんでしたが、事実上最近ではこの理論をやむを得ず認めるようになってきているように思われます。それから、シェワルナゼ外務大臣が戦略的均衡という理論を打ち出しておりますが、これも一つの姿を変えたソ連版のMADでございまして、要するに米ソ間に力の均衡、バランスを保って、たとえ恐怖の均衡であれ、その均衡の上に立ってソ連安全保障を全うしたいという考えに徐々に移行しつつあったやさきにアメリカの方が一歩先に進みまして、今までのMADを否定するようなSDIの考えを出したものですから、ソ連としては、新しく軍事戦略理論を組みかえなければならないといって戸惑い慌てたのも無理からぬ点がございます。何よりも恐れておりますのは、防衛と申しますもののSDIがやはり盾を強くすることによって、完備することによって逆にやりの攻撃力も高めることができるのじゃないか、結局米国優位になるのじゃないかということをゴルバチョフのソ連は恐れているわけでございます。  以上の三点は、やや消極的なといいますか防衛的な理由でございますが、そういう理由にとどまりません。SDIに反対するゴルバチョフの動機の中の四番目といたしましては、やや積極的なこともございます。つまり外交宣伝上SDI反対、阻止との立場を貫くことがソ連外交にプラスであるという読みも加わっていると思います。まずアメリカと西ヨーロッパ、あるいはSDIにおびえるその他の国々を分断することができます。特にこの盾はアメリカを中心として張りめぐらされるとするならば、ヨーロッパは切り離されるのじゃないかという恐怖に陥る。したがって、その恐怖感を利用してアメリカと西ヨーロッパや日本などを分断できるのではないか、INFの後に授かったアメリカ同盟国分断の手段として非常に格好なものであるという考えがあるかもわかりません。ソ連は御存じのように、シェワルナゼ外務大臣のスターピースという言葉にあらわされておりますように、スターウォーズと呼びましてSDIに強く反対しております。  このようにSDIに反対するソ連の動機、背景は単一の原因とは認められませんで、私の考えるところ、やはりやや総花式でございますが、複合的な理由があると思います。  すなわち、政治経済、テクノロジー、科学技術軍事、そういったものの絡まった理由からソ連SDIに反対している。そしてまた、SDIは単に軍事競争ではなくて科学技術の競争でもあり経済的な競争でもある。もっと言うならば国の総力がかかっている。国の総力が試されている。負荷試験といいますか、どのぐらいこの競争に耐える力があるかということのテストのシンボルであると言うこともできる。さらに言うならば、二つ体制、社会主義と資本主義との体制の闘いのシンボルと言うこともできるわけでございます。そういう意味で、我々がやや異常ではないかと思われるぐらいソ連SDI阻止に全力を注いでいるわけでございます。  そこまでを別の言葉で少し理論的にまとめてみますと、ソ連安全保障政策を形づくっているものは二つあると思います。  まず第一は、弱さと私が呼ぶものでありまして、現在のソ連が、鴨先生がおっしゃった、アメリカと同じくやはりピークを過ぎてやや下降現象を示していると私は思っております。内外に山積する諸問題を抱えております。この点は皆様御存じですから、単に箇条書きに早口で申し上げますが、一番困っている問題は経済の停滞でございます。それから、石油生産が頭打ちをし始めました。さらに、ダブルパンチを与えるように原油価格が値下がりをしております。そういうわけで、ソ連は外貨不足が深刻なものになっております。さらに、六、七年農業不振が続いております。こういった経済的停滞、低迷に拍車をかけましたのがチェルノブイリの原発事故でございます。  こういった経済停滞が社会にも影響を与えずにはおきませんで、数々の社会的病理現象がソ連社会をむしばんでおります。  例えば、アルコール中毒の蔓延が男性から女性へ、さらに未成年者へと拡大しております。幼児死亡率が増大しております。男子の平均寿命が低下しております。離婚率が増大しております。また、民族問題にも苦しむようになってきております。現在、ロシア民族は五二%を占めておりますが、非ロシア民族との関係が一九九〇年代には逆転して、ロシア民族が四八%になり非ロシア民族が五二%になると言われております。そうすると我々はソ連邦のことを簡単にロシアと呼ぶことはもうできなくなるわけでございます。  こういった社会的病理現象や経済的停滞、民族問題は当然政治にも影響を与えまして、最近のソ連では愛国心が兵士及び一般国民に欠如してきたと言われております。それから共産党に優秀な人物が入らない。政治的無関心が蔓延している。政治的にもそのような病理現象があらわれております。  文化の面におきましても、ノーベル賞を受賞する科学者の数が非常に少なくなってきている。芸術家の十人のうちの六人が海外に亡命して活躍せざるを得ない。  最後に残りましたのは、従来スポーツと軍事と言われておりますが、オリンピックをボイコットいたしたためにスポーツの方でもやや芳しくございません。  そこで残ってくるのは軍事というわけで、軍事一本やり主義が出てくるわけでございますが、その軍事というのは、SDIにあらわされますように、最近では科学技術とか国の経済とは無関係ではないということがわかってきたものですから、ソ連軍事力一本やり主義だということすら一種の神話になろうかという時代を迎えております。ここでソ連が具体的に出す戦略一つは、時間を稼ぐという戦略が出てくるかと思います。  その次に申し上げたいもう一つ側面は、ソ連安全保障政策を弱さからのみ融和的な政策が出ていると思うのは間違いでありまして、そのようなディフェンシブと申しますか、防御的なものばかりではなく積極的な一面もございます。ここにロシアの特徴があるわけで、かつてスターリンはこう言ったことがございます。ロシアはもうあらゆる列強に打ちのめされてきた、しかし、打ちのめされるだけでは自分たちは済まないのだ、必ず立ち上がって打ち返すぐらい強くならなければいけないと。  このように、そのほかの国々と違う特徴の一つは、ただ打たれるだけに甘んじないで何くそという気持ちで打ち返すぐらい強くなりたいというばねを持っている点がロシア、ソ連の歴史が証明しているもう一つの特徴でございます。具体的にはどういうことかと申しますと、ゴルバチョフのソ連はただ防御的な弱いお家の事情からのみ外交安全保障の政策を導き出しているのではなくて、やはり強いソ連の再建ということを目指していると思います。レーガンが強いアメリカの再建を目指したことに刺激を受けたのかどうかわかりませんが、ゴルバチョフの方も強いソ連の再建ということを目指しております。六〇年代の終わりから七〇年代の初めにかけてようやく念願の対米パリティということが実現いたしました。そのときのソ連はブレジネフ書記長でございましたが、大変な喜びようでニクソンを迎えたわけでございます。それまではアメリカにコンプレックスを感じていたのだが、これからはそのような歴史的な劣等感をいやすことができる、これからは世界最大の国アメリカと対等であると思ったわけでございます。  ところが、先ほどお話が鴨参考人の方からございましたように、今度はアメリカが、対ソ対等ではなくてそれ以上でないと嫌なんだと強いアメリカを目指してきましたものですから、このパリティが広い意味で崩れかけておる。これはソ連にとって我慢のできないことでございまして、デタントへの復帰ということのスローガンのもとにゴルバチョフが目指しているのは、もう一度米ソを対等に戻したいということでございます。  ここで、先日のゴルバチョフのウラジオストクの演説の中にも出ておりますが、対等の安全保障という言葉が出ております。これは英語で直しますとイーコールセキュリティー、ロシア語ではラブノイ・ベスオパースノスチと申しますが、ミサイルの数の対等ではソ連は満足いたしませんで、安全保障アメリカとイーコールでなければいけない、対等でなければいけない。と申しますのは、ソ連は地勢学的にアメリカよりも不利な立場に立っているからだ。こういう考え方はある意味で際限のないもので、過剰防衛になるもので、我々はいかなる国も完全なる安全保障のもとに生きることはできず、ある程度の危険とともに生きなければいけないというのが現代の安全保障の基本だと思いますが、少なくともゴルバチョフは、口頭におきましては、アメリカ以上、アメリカを優越することは自分たちは求めていないのだ、しかし、それよりもより少ない安全保障では困るのだと。英語で言いますとモアスーペリアと言いますか、を求めてもいないけれど、レスでも困る。より少ない安全保障でも困る。そういうわけで、SDIというのは軍事的にもそれから政治外交上も米ソの間でのパリティというのを崩すものだ、それのシンボルだというふうに考えている、こういうところにもやや非合理的な面におきましてもゴルバチョフのSDIに対する反対の根拠があるのではないかと思われます。  では、最後の残された時間を利用いたしまして、ゴルバチョフの今度は外交政策の特徴をお話し申し上げたい。  最初に結論を申し上げますと、ゴルバチョフの外交政策は多様化しつつある、柔軟化しつつある、洗練化しつつある。実務家的な側面も見せつつあると思います。ここで注意すべきは、「つつある」という言葉を私は使っているのであって、既にそうなっているわけではありませんが、そういう方向へ進みつつある。それから次に、もっと大事なのは「も」という言葉をつけたところでございまして、そういう「側面も」見せつつある。今までのブレジネフ、グロムイコ外交からそれのアンチテーゼとしての反対の外交にジャンプしたわけではなくて、ブレジネフ、グロムイコ外交的な側面を温存しつつ新しいゴルバチョフ外交というものをそれにプラスしているというところが私の強調したいことでございます。  ちょっと具体的に三点にわたって申し上げますと、まず国際政治を見る目が変わってきております。国際政治認識が多様化、多角化しているということは間違いないと思います。まず、ソ連国際政治を見るときの一番大事な概念は力の相関関係ということでございます。これは今日も変わっていません。ところが、その力とは何ぞやという場合に、今までは軍事力を主として見てきたのでございますが、ゴルバチョフになりましてからは、それにプラスしまして科学技術の力や経済力などの力も重要であるという見方に認識が変わっております。これの経緯といたしまして、論理的な結論といたしまして、世界を見る目が変わってきております。世界米ソの核超大国によって構成される二極ではなくて多極であるというパーセプションといいますか、認識を濃くしてきております。すなわち、西欧や日本や中国その他の国々が伸びてきているということを率直に認識の中に入れるようになってきている、これが第一の具体例であります。  第二の具体例といたしましては、外交をつかさどる担当者の人事が変わってきております。非常に実務的な顔ぶれになってきている。外務大臣がグロムイコからシェワルナゼにかわり、党の方におきましてもドブルイニンにかわってきておる、あるいはヤコブレフのような人物にかわってきておる。外務省も改組されておる。日本やオーストラリアやニュージーランドを担当する部局などが現実にマッチした編成になってきておる。それから、日本ソ連大使館も大使、公使、参事官すべて日本語ができる実務的なチームによって占められるようになってきた。しかし、これも強調し過ぎるといけないのでございまして、依然としてイワン・コワレンコだとかミハイル・カピッツァのようなオールハンズと申しますか、やや頭のかたい人が存在しているわけで、人事の面においても、私が強調したように、新しい顔と古い顔とが混在している。これを過渡期と見るか、かなり長く続くものと見るかはまだ予断を許せませんが、少なくともミックスが見られる。  三番目に、対外行動様式が洗練化され柔軟化されております。かつては、例えば日本に対しても北方領土問題その他において頭ごなしの拒否の態度でございましたが、最近は結論は同じでもやんわりと拒否するようにソフトになってきておる。それから日ソ間の対話も、かつての問答無用のような態度から対話は行うというふうに変わってきている。これをどう見るか、単なるスタイルの変化と見るか、実質にも影響がある変化と見るかは別としまして、その点では変わってきていることは事実でございます。  特に、経済的分野に見られる変化は著しいものがあると思います。対外的経済関係拡大路線をとっております。例えば、小さな例ですが、合弁会社の提案ということはソ連型社会主義からは考え得べからざることでございます。それから、最近ではガットやIMFや世界銀行への参加も申し出ていると言われますし、貿易も地方分権化の方向に一歩踏み出したと言われております。それからウラジオストクを開放都市にするというような提案すら出てくるようになってきた。  中でも最大の例は、かつて大平正芳総理が提唱されました環太平洋連帯構想への態度が全くの過去のボイコットの立場から、その中に入って、蚊帳の外からではなく中に入って暴れると申しますか、その利益を均てんしたいという態度に変わってきたことでございます。ウラジオストク演説と同じく重要なことし四月二十三日のアジア・太平洋地域におけるソビエト政府声明の項目をチェックして私は驚いたのでございますが、その中の「協力」という言葉がもう数え切れぬぐらい、七回「協力」という言葉が使われている。この地域においてはソ連は協力体制に出る用意があるということを七回使っている。二番目に驚いたことは、大平首相のところに提出されました環太平洋連帯構想の中での七つまでの協力がこの中に取り入れられているということでございます。ですから、かつての同構想に対する完全ボイコットの立場は変わってきておる。  ところが、最後に申し上げたいのは、外交の手段に関してはやや変化が少ない、相変わらず軍事力がやはりソ連外交の主な手段となっている。これはそれ以外の手段がないということもありますけれども、人間の認識や態度や行動様式というのは一夜にして変わらないとも言えるかと思います。  最近のゴルバチョフの金日成北朝鮮主席を迎える演説の中でも、極東において極東のNATO版ができつつあるといった厳しい調子で日本防衛努力を攻撃しておりますし、また北方基地は一向に撤去されておりません。しかしながら、ここでもやや微妙な変化が見られるのは、軍事的威嚇が効かなくなった分だけPRで補うといった面も見られます。御存じのように、コール西独首相は、ゴルバチョフは非常にPRがうまい政治家だということで少し物議を醸しましたが、確かにゴルバチョフはそういうふうなパブリックリレーションズ、宣伝活動がかなりお上手であり、またそれに頼らざるを得ない状況に置かれていると言うことができると思います。  最後に、今までのところをまとめますと、私個人はゴルバチョフ政権の安全保障あるいは軍事外交政策について、次のような見方をしております。  つまり、それ以前のソ連政権と、当然でございますが、変化面と不変化面の両面がある。不連続面と連続面のミックスであるととらえるべきである。これは当然でございます。変化しない部分が不変化の部分でございますから、それを足したものが全体像でございます。当然といえば当然なのでございますが、この両要素があるために、ゴルバチョフの外交安全保障政策はやや我々にとって首尾一貫性を欠き、わかりにくいものになっている。また、それを見る我々研究者の間でも、どちらか一方を強く強調されるかによって立場が違ってくる。ゴルバチョフ外交の新味を強調される方は変化面を強調されるのだと思います。それに対して、ゴルバチョフ政権の変わらない面を強調なさる方もいらっしゃいます。  そういうわけで、問われるべきは、むしろその両面があるのだけれども、そのまざりぐあい、ミックスの状態でございます。どの程度まで変化が出てきているかという、これが問われるべき問題でございます。それはわかっているのでございますけれども、それではおまえはどうなのだとお尋ねを受ける場合になかなか答えられないのは、もう一つ難しいことがある。これは、時とともに刻々とそのミックスの状態が変わっているわけでございます。ダイナミックに変わる生き物を我々は見ているわけで、たとえゴルバチョフ自身に聞いてみても、あす自分の政策がどうなるかは国内事情、反対派の力の強さ、その他国際状況で変わってくるわけでございます。  そこで、私自身に思い聞かせていることを最後に申して終わりたいと思います。  そのように、ソ連はゴルバチョフのもとにより多角的に、よりソフィスティケートされた政策をとるようになっている。さらに言うならば、手ごわい外交になってきていると言うことができると思います。  以前は、ソ連というのはそう変わらないのだということで、我々は百年一日のごときソ連認識でよかったわけでございます。極端に言えば、昼寝をしていて目が覚めても変わっていないということでございましたが、そのような甘い状態は許されない、単純な決めつけの観察や対応はもう禁物な時代に入ってきているのじゃないか。それは間違いであると同時に危険でさえある。ゴルバチョフ外交が以前のブレジネフ、グロムイコ外交に比べて、相対的とはいえやや多角的で柔軟でソフィスティケートされた性格を濃くしてきているならば、我々観察者の方にとりましても対応者の方にとりましても、より多角的で柔軟でソフィスティケーションのある態度や対応が要求されるのではないかと私自身に言い聞かせております。これが第一。  第二は、先ほどから申しておりますように、ゴルバチョフ下のソ連というのは刻々と動いておるわけでございますから、我々の方も一たん決めた自分の固定概念でソ連を見るのではなくて、絶えず自分の既につくったソ連像を修正する謙虚さと柔軟性を持っておやみなき努力を続けていかなきゃならない。それは非常に苦しいことでございます。ステレオタイプ化されたソ連像の上に安住する方がやさしいことでございますが、そして、その努力は非常に多くの変数から成り立っているソ連外交、あるいはソ連軍事政策というものを総合的につくるという実にしんどい仕事、報われない仕事でございますために、我々はその仕事の難しさの前にややもすればイージーな方法に頼りがちなのでございます。しかしそれは我々がやらなければならない仕事である。しかも、それはそんなことをやったところで、やらない者に比べてごくわずかな差しか我々の認識や態度に変化が生まれてこないかもしれない。しかし、現代の複雑な国際政治においては、そのわずかな差というものが致命的な意味を持つ、そのように私自身には言い聞かせて、ソ連ウォッチングを続けております。  以上でございます。
  11. 加藤武徳

    会長加藤武徳君) どうもありがとうございました。  中嶋参考人に申し上げます。  お忙しい中を御出席ありがとうございました。約三十分間意見を御開陳いただきまして、その後委員の質問にお答えいただければありがたいと思います。  それでは、中嶋参考人にお願いいたします。
  12. 中嶋嶺雄

    参考人中嶋嶺雄君) 中嶋でございます。きょうは本務校の大学のお昼にどうしても抜けられない会議がありまして、ちょっとおくれたことをおわびいたします。  きょうは、私が一番専門としております中国をめぐる中国国内及びその国際環境などについて、私が日ごろ考えておることをざっくばらんにお話しせよという御下命でございましたので、こういう席ですので、私の考え方を率直に申し上げさせていただきまして御批判を仰ぎたいと思います。  話の前提というか前段に、少し私にとって非常に思い出深いことからお話しさせていただきたいと思うのです。  実は、二十年前の十一月十二日、きょうちょうど今ごろ私は北京の人民大会堂の中におりました。皆さん御承知のように、文化大革命が熱狂的な渦を巻いていたわけでございます。その日は孫文生誕百周年記念の記念行事がありまして、私はそれに出席したわけでございますが、中国を研究している私にとって二十年前のちょうどきょうがそういうことだというので、先ほども感慨深くここにやってきたわけでございます。  そのときに周恩来総理などと記念撮影などをして、日本人の代表は壇の一番いいところに座席をいただいたわけでございますが、国家行事であるべき孫文生誕百周年記念に劉少奇国家主席の姿もないし、他の党の要人が来ているのに鄧小平さんの姿もない。これはどうしたことかと思っていますと、中国側の首脳がひな壇に並んだ後、向かって右のそでからこの二人が登壇したわけでございます。しかしながら、人民日報のカメラマンも新華社の記者もこの二人には一切写真の放列を浴びせなかった。私はそれを見た瞬間に、ああこれが文化革命だと直感したわけでございまして、いわば毛沢東思想を絶対化する、そうした状況の中で紅衛兵という大衆運動を巻き込んだ、いわば毛沢東政治の一種の極限的な形態。言ってみれば党内闘争、権力闘争を大衆運動化していくというあの文化大革命はちょうど二十年前のきょうそういう状況になりまして、私は印象深いわけでございます。  しかも、この生誕百周年記念の記念行事に最後に登壇した周恩来総理は、赤い毛沢東語録を掲げて、声もかれんばかりに毛沢東万歳を絶叫したわけでございます。その瞬間私の心の中に長い間抱かれていた、私が中国研究をやるきっかけにもなった周恩来に対する高い評価というものががたがたと崩れていって、周恩来総理ほどの人がなぜここまで毛沢東礼賛を絶叫するのかというふうに思ったわけでございますが、その瞬間劉少奇氏は、顔面蒼白、人民大会堂のひな壇の上で、禁煙であるはずなのにたばこを立て続けに吸っていた。  一方、鄧小平氏を見てみますと、あのしたたかな面構えで周恩来総理を今に見ていろと言わんばかりににらみつけておりました。このときの私の写真がその後アサヒグラフとかニューズウィークなどにも紹介されたわけでございます。こういう政治の激動を中国は二十年前に経て今日に至っておりますが、その間の変化は非常に大きいことは言うまでもございません。  そういう思い出をちょっと語らせていただいたのですが、さて、そこから文化大革命は十年中国社会を引き裂いたわけでございます。文化大革命では中国側も二千万人も死んだということを最近強調しております。十五年戦争と言われる日本の中国侵略戦争、総計しても一千万という数字を犠牲者として挙げる中国は、実はその後のいわば同じ民族の中での党内闘争の大衆運動化によって他民族との戦争以上の犠牲者を出した。その十年間というものがちょうどこれまた今から十年前の一九七六年に大きな転機を迎えたわけでございます。七六年は周恩来の死、そして毛沢東体制末期での一種の大衆反乱としての天安門事件、そして天安門事件ですべての職務を剥奪され、再び走資派として失脚した鄧小平氏がついえていく中でその年の九月九日毛沢東が亡くなる。そして毛沢東の葬儀、つまり追悼会、主席も一人に絞り切れないようないわば毛沢東体制内部の角逐が見えている中で、喪が明ける前日にいわゆる四人組が一斉に逮捕された北京政変が起こったわけでございます。  十月七日の日に華国鋒氏は党、政、軍を一手に握ったということを言うのですが、その日に中央委員会総会が開かれた形跡もございませんし、その瞬間から華国鋒氏はみずからの権力の正当性の原理に脅かされるわけです。彼にとってはただ一つ、毛主席が、あなたがやれば私は安心だと言ったというお墨つきをかざすしかないわけで、こうした前近代的な政治形態というものがその後も続きました。現に大平政権のときには華国鋒さんは大平さんの葬儀を含めて二度も日本を訪れているわけです。こういう状況の中で、私は中国研究をし始めてから三十年近くはなるわけでございますが、見ている者の目からすると、果たして現在の鄧小平体制というものはそうした中国政治に特有のいわばどろどろした葛藤から解き放たれているのかどうかという問題が、やはり中国を評価する一つの根本ではないかと思うわけでございます。  なぜ私がこんなエピソードからお話しし始めたかといいますと、世の中が動きが早いためにすっかり中国は物わかりがよくなって、開放体制で対外的にも門戸を開いている。そういう現象的な変化の面だけが伝えられるわけでございますが、果たして現在の中国がそういう方向だけで考えていいのかどうかということには、私はかなり根本的な疑念を抱いているからでございます。  まず、政治のトップ、リーダーシップを見ましても、中国問題というものを考えるときには、どうしても日本ではロマンチックに考えてしまうわけで、私もそのロマンが好きで中国を研究し始めたわけです。つまり万里の長城へ上ればだれでも胸がじんときますし、シルクロードのロマンを語れば非常に雄大な気分にとらわれるのですが、現実の中国社会というのは、人間の住める空間は日本列島の三・七倍ぐらいの面積の中に十倍以上の人口がひしめき、うごめいているという姿で、その物すごいボルテージの中で中国社会が動いてきている。ですからこの両者をいわばロマンチックな中国、歴史的な中国と現実の中国を重ね合わせて見ていかなければいけない。つまり万里の長城にしても紀元前の話ですし、それと現実の中国というものをそこから演繹しては誤ると思うのです。  そうしますと、最近の中国を見ていてやはり常識的に考えると中国問題というのは解けてくるのですが、まず鄧小平さんはどういうステータスにあるのかということをお考えいただきたいと思います。彼は一九八二年の今から四年前の十二回党大会以来党中央顧問委員会主席というポストにあるわけでございます。顧問委員会ができたということ自体いわば中国の一種のジェロントクラシー、老人支配体制を脱却して中国の政治を正常化しようという発想であったはずだ。ところが、顧問委員会の主席である人が現在の中国のすべてのいわば実権を握っているというところに中国政治の不自然さがあると言わざるを得ないのです。もしも例えば、日本で自民党なら自民党の長老会議というのでしょうか、顧問の人が総理やなんかよりも大きな権限を持ってすべてを牛耳っているとしたら、それはどういう姿であろうかということを考えていただきたい。  これは単に実質的にそうであるだけではなくて、例えば一昨年の建国三十五周年の国慶節なんかを見ましても、いわば新しく国家主席に選任された李先念さんは軍の統帥権も持たないわけですから、インドの大統領のように実質的に儀式用の国家主席、元首にしかすぎない。その李先念さんは実は国家行事であいさつの席にも立たなかったわけです。こういうところを見ますと、これにはいろいろありまして、先ほど文革のときに周恩来が鄧小平さんと分裂していったということがいろいろやっぱり響いていると思います。最近の中国では周恩来系列の人が必ずしも芳しい状況にないという、つまり現在の鄧小平さんは毛沢東がやったこと、文化大革命、それらを全部否定するわけですから、そういう人たちが現在の中国のリーダーシップをとっているわけでありますので当然そういうことになるのかもしれませんが、こういう問題をいろいろ考えますと、依然として中国の政治というものは毛沢東批判というものをもっと組織的に制度論的に進めるというような、これはスターリン批判についても言えることと思います。  つまり、かつてのフルシチョフ型のスターリン批判もそうであったと思うのですが、なぜそういう政治が生まれたのかということを根底的に批判しているのかというと、どうもそうではない。ここに今日のいわば鄧小平ワンマン体制というものが存在するわけで、ということは、同時に鄧小平亡き後の中国への不安をかき立てるというふうに考えざるを得ないのです。しかも現在の鄧小平体制というものがすべてに順調にいっていればともかく、どうも急ぎ過ぎ、行き過ぎのいわば鄧小平型改革の亀裂なり破綻というものがあちこちに最近出てきているわけでございます。そうした矛盾と問題点は内外ともにあるわけで、それらの問題についてはもう皆さん御承知のとおりでございますが、貧困のユートピアを求めた毛沢東思想を否定した余り、その反動としての例えば利にさとい中国人というような、旧中国の顔とも言っていいような中国人大衆の顔がわあっと出てきて、いわば処理し得なくなっているという現実があるのではないかと思います。そういう状況の中では当然、鄧小平ワンマン体制の中にも鄧小平に対する批判勢力というものが出てくるわけでありまして、それを今真っ正面といいましょうか、先頭で担っている人が陳雲さんでございます。  昨年の九月十八日、ちょうど北京では中曽根総理を批判する靖国問題でのデモが起こったとき、その日は全国代表会議という異例の会議、これも党規約上違反だと思うのですけれども、そういうものを開いて、党大会を開かずに全国代表会議という、これはかつて毛沢東が大躍進政策に移行していくプロセスの中で集団化をやる、いわば党の書記会議を招集して全国人民代表大会というところで決まった決議を覆していく、これとちょっと同じようなパターンなのですけれども、そういうものが開かれたときに、最終日の演説は鄧小平さんと陳雲さんがやったわけでございます。この二人の演説を比べてみれば歴然とするわけですが、陳雲さんは、こんなようなことをやっていていいのか、万元戸なんというのが出てきて、それらを褒めそやすなんということはそれでも社会主義か、貧富の差が増大しているじゃないかということを非常に厳しく批判しているわけでございます。  これらの点を見ますと、そしてしかも、今日の中国は鄧小平、胡耀邦さん、それからつい最近も胡耀邦氏が中曽根さんに紹介したという胡啓立、かつての中華全国学生連合会主席であり、私ども学生のころからよく知っている胡啓立さん、こういういわば共産主義青年団出身のエリート党官僚に対して、やはり一方の側では鄧小平の政策に対する批判も含めてかなりのアンチテーゼがあるということを私のような立場からすると見ざるを得ない。しかもヒ依林とか李鵬とか、いずれも副首相クラスのかなりしたたかな人材がこの陳雲系列に存在すると見ていいのではないか。  ついでに申し上げますと、これらの人たちは西側の指導者とほとんど会いたがらないのです。私はかねがね政府の方々や財界の方々にも、日中経済関係はこんなに緊密化――そこにはたくさん問題点があるわけでございますが、緊密化しているならば、何といっても中国において最も経済運営のベテランである陳雲さんに会うべきじゃないか。だけど、陳雲さんは日本の要人と会ったことがないのです。一方、ソ連からはアルヒポフ第一副首相とかタルイジン副首相などが来ますと、もう抱きかかえんばかりの応接をしているわけでありまして、そこはやはり旧同志というつながりを見てとらざるを得ない。そうしますと、中国の側にも国内的にも二つの政策対立があるという問題と同時に、対外的にもソ連に向ける顔と日本に向ける顔とがあるわけです。ところが、日本側は中国が日本に向ける顔とだけしか会っていない。日本に対して言う言葉しか聞いてこない。たまにはモスクワからもウランバートルからも、あるいはインドからもハノイからも中国を見るという視点をとらない限り、中国という世界は理解できないではないかと私は思うわけでございます。  さて、そういう状況の中で考えてみますと、世の中の動きが速いので、すっかり中国は今の体制だというふうにあるいは感じられる方もいらっしゃると思いますが、中国が文字どおり鄧小平・胡耀邦体制になったのは一九八二年の十二回党大会を期してと言っていいと思います。その前に、七八年の暮れの中国共産党十一期三中全会で確かに鄧小平氏は多数派になりましたが、依然として華国鋒氏などとの対立が残っていたわけで、それが八一年六月の六中全会を経て、文書の上でも毛沢東政治を批判し、つまり歴史的問題に関する決議を採択してようやく八二年にほぼ鄧小平体制というものは発足した。そうしますと、それからまだ四年しかたっていないのです。こういうところをよく見ていただきたいという気がするわけでございます。  さて、それではそういう中国は今後どういう方向に行くだろうかという、これまた最も重要な、中国研究をしている者にとっても大きな課題でございますが、私はだからといって、例えば今の鄧小平、陳雲氏の間の亀裂というものも、これは毛沢東時代に戻れということではない。いずれも旧劉少奇路線、つまり路線闘争的に言うと、劉少奇路線の中の新しい分岐だというふうに見ていいと思います。現在のような開放体制を続けるのか、それはやはり社会主義の原則から逸脱するではないかという、そういう論争だと言っていいと思うのです。したがいまして、今の中国の流れが逆流するということはあり得ないだろう。これはもうない。つまり、ポイント・オブ・ノーリターンだと思います。しかしながら、この中国の流れは今後右へ左へと蛇行していかざるを得ないのじゃないか。そして徐々に、中国は経済的にも社会的にも成熟しているし、発展していくと思いますが、そのテンポはかなりスローだと思います。  例えば、中国が今四つの近代化という政策で目指している目標を数字であらわせば、一人当たり約二百五十ドルというところから出発した八〇年代初頭の一人当たりのGNPを、今世紀末に千ドルにするといういわば四倍増。そして、中国のGNPが二千ドルになるのは一体いつだろうか。これは二十一世紀の中葉なのです。社会科学院の推計でも二〇四九年。しかもここには人口がこれ以上ふえないという前提がなければいけないわけですが、現在の一人っ子政策それ自体に大きな問題が出てきておりまして、人口増は今後も続くだろうと見ております。そうしますと、一人当たりGNPも今の鄧小平さんが目標にした数字を達成することも実は困難である。  私の仮説は、アジアの近代化というプロセスを見てみますと、一人当たりGNPが二千ドルを超えるまでが大変なのです。そこまではどうしても社会的に不安定である。例えば国民もほとんど貯金をしません。過去二、三年の中国が日本の製品をわあっと買おうといってラッシュしました。農民は経済活性化政策で農作物の統一買い付け価格を政府が大幅に増大したこともありまして、そのかわり国家財政は赤字で、そして人民元が増発されて、今インフレもすごいのですけれども、そういう中で小金をためたのをみんな消費に回してしまう。それじゃ社会資本の蓄積ができない。その結果、今、中国はその総和としての外貨不足に物すごく悩んでおりまして、後でお話ししますが、日中関係もそうきれいごとだけを言っていられないという状況が出てきている。このようなことを考えますと、やはりそのぐらいになるまでは、中国はまだまだかなりいろいろのジグザグを繰り返していかざるを得ないのじゃないかというふうに私は基本的に見ているわけでございます。  そういう中で、中国の対外関係を見てみますと、やはり非毛沢東化ということを対外戦略の上でもやっていかざるを得ない。七八年に党中央で鄧小平が多数派を形成したあたりから、いわば毛沢東・華国鋒時代の対ソ認識が中から変わってきておりました。これを私などは見ておりましたので、そのころから中ソ関係は改善するということを申し上げてきたわけですが、やはりそういう意味ではまず対ソ関係に大きな変化があらわれてこざるを得ないと思います。言ってみれば、内政上毛沢東戦略を否定しておいて、ソ連を宿敵とし、社会帝国主義、覇権主義と規定してソ連と断固闘うのだという毛沢東時代の世界戦略は、内部から変わってきているというふうに論理的にも見ざるを得ないのです。  そういう状況の中で、最近の中国というものを見ていますと、西側諸国にはどうも中ソ関係には三大障害、御承知のようにモンゴル及び中ソ国境におけるソ連軍の駐留の問題とか、アフガニスタンにおけるソ連軍の駐留、あるいはベトナムのカンボジア侵略支援ということがない限り中ソは和解はしませんということを条件にしてきたわけです。これはどうもしたたかな鄧小平戦略からすると西側諸国に対するいわばプレゼントであって、あるいは鄧小平氏自身はそう考えていても、国内のいろいろな政治的なプレッシャーもありますし、今すぐ陳雲さんとの間に再び激しい対立が起こる、権力闘争が起こるとは必ずしも思いませんけれども、そういうプレッシャーもありますから、そういうところからやはり鄧小平氏自身も大きく変わっていかざるを得ない。  こういうふうに見てみますと、三大障害がある限り中ソは絶対和解しませんと言っていながら徐々に条件が変わってきています。三大障害のうち一つでも満たされればいいというようなこと。それから陳雲さんなどは、これははっきり言っているのですが、一昨年十二月にアルヒポフさんが来たときなども、三大障害があっても中ソは関係改善十分可能ですというようなことを言っているわけでありまして、このようなことを考えると、今後も中ソ関係はかなり大幅に改善されていくし、既に国境横断的なプロジェクトが次々に進んでいると見ていいと思います。  そして中ソ関係というのは、きょうのテーマである外交とか安全保障ということからいいますと、かなり中ソが一致し得る分野が出てきているのじゃないか。例えば、今日の国際政治の上で一番大きな問題はSDIでございます。SDIについて中国がこれを受け入れるか受け入れないかは物すごく大きな意味を持つと思うのです。しかしながら、御承知のように例えば鄧小平さんにしてみましても、いろいろアメリカから近代的な設備なりそういうものは受け入れたい、軍事技術も受け入れたいと考えておるのですが、つまりレーガン戦略はいただかないというのが中国の基本的な立場だと思います。  この点は実はゴルバチョフ・ソ連は非常に満足しているところでありまして、ウラジオストク演説の背景にはこうしたソ連の最近の中国への満足があるわけで、その点も見逃すことはできないと思います。あるいはニカラグアの問題もそうですが、鄧小平さんはニカラグアに対する支援を行っております。こういうところも見ていかなければいけないわけで、どうも私は、ユーラシア大陸における東側における社会主義圏というものが徐々に再編成されていくのではないか、緩やかな同盟関係の回復ということが起きてくるような気がいたします。中越関係もいわばベトナム自身が非レ・ズアン化を求めているわけで、現在のチュオン・チン体制を見ますと中越関係も徐々に改善される余地があると思いますし、中朝、中ソの関係もそのように見ております。基本的にはいわば五〇年代、六〇年代と違いまして、社会主義が物すごく夢を持ち、バイタルな可能性を持っているという時代ではなくなってきつつあるわけで、内輪げんかをしている余裕もなくなってきたという見方もできると思うのです。それだけに今後は相互依存関係を深めていくことになるのではないか。この辺のところを十分見ておかないといけないと私は思っております。  しかるに、アメリカも我が日本も基本的にそれと違ったパターンで中国なり中ソ関係を見ているのじゃないか。いわば伝統的な中ソ離間策、中国とソ連は仲がよくなってほしくないという期待が強いためか、これは言ってみればチャイナ・カード政策ですね。そして中国をソ連にぶつけるために軍事的にも育成していくことができるというような考え方をとっているとすると、これは私は危険なことでもあるし、誤ったことでもあると思います。私のように中国を見ておりますと、中国というのは絶対に外部世界影響されて自己の政策が規定されるのではないのです。イデオロギーとか、それから伝統とか、あるいはナショナリズムというものが中国の対外政策の規定要因になるわけですが、こういう規定要因から考えても、むしろ中ソ関係というものは中国の自主的な判断に応じて今後もかなり進展していくと私は見ております。  そして、今、木村参考人もお話しになっておりましたけれども、ソ連も非常に大きく変わりつつある。私は中ソ関係をやっている点でその点からソ連も見ておるということで、専門家ではございませんけれども、しかしながら、ゴルバチョフのソ連は変わらざるを得ない、ソ連社会自身がそれを求めていると私は思います。そういう状況の中で、ソ連脅威だというだけ言って机をけっ飛ばしていて、ソ連は全く変わらないと言って安住をむさぼっているわけにもいかないと思うわけで、そういうソ連の姿勢を示したのがこの間のウラジオストク演説でありましたし、そういうことを考えますとこの問題もかなり重要なポイントではないかと私は思うわけでございます。  そこで最後に、日中関係に少しく触れて私の意見を申し上げさしていただきますが、中国は今後少しずつはやはりよくなってほしいし、そうなっていくでしょう。しかしながら、中国は過去四半世紀にわたる毛沢東政治のツケに悩んでおります。人口問題一つをとってもそうですし、例えばインフラストラクチャーとか、それから教育の問題、そういう問題をとってもそれに悩まざるを得ないわけでございまして、それと同時に、社会主義のシステムが持っている非効率性とか硬直性とか、そういう悩みを同時に持っている。そしてもっと根本的には近代化の出発点における挫折という問題があるわけで、これは我が国の明治維新以来の近代化のプロセスと中国のその後を比べてみてもわかるわけですから、こういう三つのトリレンマの中で近代化をやっていかなければいけない、その主体である中国自身すごくたくさん問題を持っている。ですから、中国が一挙に近代化するというような幻想を抱いて、あるいは中国が日本のマーケットになり得るというような幻想だけでわっと中国に出ていくと、最近の日中関係みたいに中国が受け入れられなくなって消化不良を起こして、そしてフリクションが起こるということになるわけであります。  そのようなことを考えると、もっと長期的に中国を見ていく必要がありますし、例えば日本と中国の間で今やることは、もっと地道な文化交流とか留学生の交換とか、そういう問題だろうと思います。そして、日中関係は歴史的に異母兄弟でありますので、異母兄弟としての矛盾なり摩擦の起きやすいところも十分気をつけていただかなければいけない。こういう関係におきましては、ある一定の距離以上接近すると生理的にも反発し合うという、そういう動物にもあるようなものがありますから、ある一定の生理空間というものを置いた上で冷静に日中関係を見ていく必要があるわけです。そこへいきますと、つい最近の中曽根さんの訪中などを見ておりますと、その辺がどこまでおわかりいただけているのかという気がいたします。  私のような見方からすれば、例えば日中関係もきれいごとだけでいかない。現実の日中経済関係で今一千数百億円に上る商談のトラブルが出てきておりまして、私は最近そういう苦情を処理する委員会の座長なんかを任命されて困っているのですが、そういう現実が一方にあるのです。それは中国にも問題があるし、日本の出方にも問題がある。そして二十一世紀といいましても、例えば周辺諸国の発展と中国との発展では物すごい壁ができる。今世紀末には日本は恐らくGNP二万ドルぐらいになるでしょう。台湾でさえも一万ドルから一万三千ドルになると言われています。香港、シンガポール、韓国、みんな一万ドル近くなるときに、中国がようやく千ドルということの持つ意味は非常に重いのです。そのことを考えますと、二十一世紀日中友好というようなきれいごとだけで済まされない問題がそこにはあると思います。  それから、私どもからすると、なぜ中国が近代化に挫折したのかということを歴史の課題としてやはり日本の近代化の出発点から問い直してみるという作業が必要になりますので、こういうことを考えますと、これは最近の藤尾問題にも触れるかもしれませんが、余り安易に政治的に友好というようなふたをかぶせてしまいますと、ひょっとすると学問の自由も拘束されかねないという、非常にデリケートな日中関係だけにそういう気もするわけでございまして、これらのことを私は日ごろ感じておりますので申させていただきました。  なお、最後に、中ソが和解すると、では日本脅威になるかということなのですが、私の基本的な前提は、今の社会主義はやはり相互依存せざるを得ないという状況があるわけで、これは強さのあらわれではなくて弱さのあらわれだと言ってもいいと思うのです。ですから、仮に今後中ソ関係がもっと発展したといっても、日本はそれなりの覚悟というか、それなりの備えというか、準備ができていればそれで右往左往することはないのではないか。日本日本なりの外交努力を、しかも軽武装経済国家ということに徹しているがゆえに、今日ゴルバチョフのソ連でさえも、あるいは中国その他の国でさえも日本を評価せざるを得ないのだということをもっと胸を張って正々堂々と主張していくような立場を貫けるわけで、そこに日本の対中、対ソ外交への主体性というものが確立できるのじゃないか、かように考えているわけでございます。  どうもありがとうございました。
  13. 加藤武徳

    会長加藤武徳君) ありがとうございました。  以上で参考人方々意見聴取を終わります。  これより質疑に入ります。  質疑のおありの方は順次御発言願います。
  14. 永野茂門

    ○永野茂門君 最初木村先生にお願いいたします。ソ連の政策についてであります。  ソ連の政策、特に外交政策につきましては、今先生がおっしゃったように大変にダイナミックな変化をしており、またそれが予測され、我々はクロースリーにこれをウオッチしなければならないということでございましたが、先生も触れられましたゴルバチョフの七月のウラジオ発言で、モンゴルからの撤退あるいはアフガンからの一部兵力の撤退を発言しております。しかしながらモンゴルの兵力撤退につきましては、モンゴルと中国との話し合いにおいてもモンゴルはこれを拒否しておりますし、アフガンにつきましては、御承知のように全く一部の高射砲部隊を引き揚げただけでありまして、これは不要な部隊でありますので当然引き揚げてもいいわけであったのであります。さらに、ワインバーガーが中国において軍首脳と話したときの内容を新聞に漏らしておりますけれども、それによりますと、新たに別な戦力を投入しておるというようなことがあります。その上、カンボジアにつきましては全くノータッチである。これらのことは中嶋先生のおっしゃった自由陣営に対するプレゼントであるかもしれません。  それはどういう意味かと申しますと、中国だけの問題ではなくて、これは戦争の発生の原因をなるべく少なくするとか、あるいは紛争の拡大要因を除去するという意味において世界じゅうのどこの国も欲する要件でありまして、こういうことは当然ソ連が現在なしておることから修正されるべきことであって、ゴルバチョフがこのことについて発言したことは結構なことであったわけであります。その後三カ月ぐらいたっておりますけれども、その後のこれを実行するという兆候は全くありません。これについて、私は恐らくちょうどアフガニスタンにおいてソ連がやったと同じような、悪く言いますと欺瞞の行動がいろいろとあるかもしれませんが、真実の行動は期待できないのじゃないかというふうに今のところ見ております。しかし、ダイナミックな変化ということをずっとウォッチしていらっしゃる先生は、将来これらについて実行する可能性をどういうふうに見ておられるか、まずその点についてお伺いいたします。
  15. 木村汎

    参考人木村汎君) 私も、先生がモンゴル、アフガン及びカンボジアに関しまして、ソ連がウラジオストクで約束したほどはその後撤退していないし、またワインバーガー長官のお言葉などを引かれまして、欺瞞的な要素もあるので用心しなければならないという御趣旨にほとんど賛成でございます。  ただ、こういう問題をもう少し大きなゴルバチョフの今後の出方に関連して申し上げますと、やはりゴルバチョフはブレジネフ時代の最後の十年間に対外的に少しオーバーコミットしたといいますか、外に実力の割に出過ぎたことを後悔していて、第三世界に対する政策も少し慎重になってきている面が一般的に言ってあると思います。それから、そのときのツケが回ってきて、その負の遺産をできれば清算したいという気持ちはあると思います。しかし、私が常に強調しておりますように、だからといってそういうことがストレートにソ連外交の場合撤退などには結びつかないわけでありまして、もっと言いますと、損得勘定だけでソ連外交は説明できませんし、また、同じことかもわかりませんが、国際的なメンツだとかそういう非合理的な要素もございます。そういうわけで、ストレートには結びつきませんけれども、こういうことをソ連の方から言い出さざるを得なかった。それはPRがほとんどかもわかりませんが、ともかくソ連はそちらの方に動こうとしているという点をどう解釈するかでございます。  そこで、私の基本的なゴルバチョフ政権に対する態度でございますが、どちらがいいだろうか、こちらもそちらがそう出てくるならば戦術としてどちらの戦術をとる方がいいか。ゴルバチョフが変わらない、これまでどおりのソビエト的な体質を持った政権だからといって、何ら向こうが送ってくるシグナルだとか、変化への要素ももう目をつぶるといいますか、余り過大評価しないという態度がいいのか、それともひょっとしたらソ連はゴルバチョフのもとにかなり動こうとしているかもしれない。そのときに我々の想像以上の幅の動きを見せたら、我々が果たして用意ができているか、心の準備ができているかということで、だまされるかもしれない、向こうのPRだとか欺瞞にひっかかるかもしれないけれども、そういう危険も織り込んで、一応ソ連がゴルバチョフのもとに変わる方にかけると言うとおかしいのですけれども、かけたときの準備もしておこうという二つの立場に分けますと、私はどちらかというと後者にしておくのが外交では当たり前であって、それは何もソ連の宣伝をそのままにのむことでなくて、そのことも加味した上でやるのがより大人の態度だと思っているわけでございます。  それから、今後期待できないのではないかという点に関して、それははっきり言ってまだわかりません。というのは、ソ連外交安全保障政策というのはもう無数の変数から成り立っている方程式でございます。何度も繰り返しているように、ゴルバチョフ自身自分がどこに行くか、やろうかということは聞いてくれるなというのが本音だろうと言われるぐらい無数の変数から成り立つ方程式でございますから言えませんけれども、一つの変数として大きくウエートを増してきたのは日本の出方ということだと思います。  今までは日本というのはソ連側からの認識によりますと、米ソ関係の単なる従属関数であるというふうにして、米ソ関係が変われば、あるいはアメリカ対ソ政策が変われば、それに応じて自動的に変わるものだという見方で、やや軽べつ的に見ておりましたが、日本のその後の、アメリカに五百億ドルの赤字をつくらせるような経済力その他で認識を改めている面が最近は顕著でございまして、日本を独立変数とまでは申し上げられませんけれども、ある程度日本外交というものが、アメリカ外交米ソ関係の単なる付録だとか従属関数と見ずに、重要視しております。  そういうわけで、今までは対ソ外交というものが抽象的に独立的にぽんと空間に浮かび上がっているごとく存在すると思いましたけれども、実はほかならぬ西側の、さらには日本の出方すらがソ連の対日外交、それ以外の外交を決める点もあるのだ、はね返ってくる点もあるのだということも今後考慮に入れれば、またこういう言い方をして不遜だという誤解をされると困るのでございますけれども、変えてみせようホトトギスといいますか、鳴かしてみせようホトトギスというような言い方でソ連外交日本の力によって変えせしめているのだ。そういう考え方は、ある種のアメリカの対ソ強硬論者が言っておりますように、それがソ連の怖さ、懐の奥深さを知らない微慢な考え方でございます。それと同時に、余りにも日本の出方というものはソ連とは全く切り離されたところにあってというような考え方も間違っているわけでして、その程度さえ正しく判断するならば、ゴルバチョフのソ連期待できないのではないかというのはちょっと先生の御悲観論でありまして、我々も少しは変えさせてみるぐらいのいろいろな意味での態度や行動が必要なのじゃないかと思います。
  16. 永野茂門

    ○永野茂門君 木村先生のおっしゃる、外交は相手のあらゆる可能行動に対してこちらはちゃんと行動方針を確立しておけということ、あるいは日本は独自の外交方針を立ててしっかりやれということは全く賛成でございます。  同じ立場から、次の点について先生のお考え方をお聞かせ願いたいと思いますが、先生御指摘のとおりに、ソ連は現在経済上あるいは社会制度上といいますか、とにかく国内の活性化について大変な力を注がなけりやいけないという時期に入っていることは間違いないと思いますが、そういう観点からいきますと、従来から協力を求めておりましたところのシベリア開発でありますとかあるいはバム鉄道、第二シベリア鉄道の総仕上げあるいは運用、さらにはサハリン沖の天然資源の開発、その他ハイテクの取得ということについて技術的にあるいは資本的に協力を日本に強く求めてくるだろうということが予測されます。しかしながら、これは従来からも言われておりましたとおりに、一方で考えなきゃいけませんのは、ソ連の極東の軍事体制からいって軍事力に対する直接的な協力になりやすい、必ずなるというわけではありませんけれども、なりやすい性格を持っておるものであります。したがいまして、こういうものについて一体どういうふうにクライテリアを持って協力し、あるいは協力を拒否していったらいいか、もし特別に御研究なさっておったらお聞かせいただきたいと思います。
  17. 木村汎

    参考人木村汎君) いや、もう先生のおっしゃるとおり、その問題は重要な問題でございまして、我々の方で確固とした態度が必要だと思います。  その前に申し上げたいのは、我々専門家、外国の人も入れましてですけれども、ゴルバチョフはひょっとすると経済の集約化を目指しまして、シベリア開発熱がややゴルバチョフ政権ではトーンダウンしているというふうな見方が出ております。ですから、こちらが協力しようと思いましても、あるいはカードに使おうと思いましても、ゴルバチョフ政権下でやや欧露地域、すなわちヨーロッパロシアにあります既存の油田やそれ以外の機械設備なんかをさらに使う方が効率がよいという判断が何かあるようで、ブレジネフが広げましたシベリア開発及びバム鉄道はちょっと今のところソ連の新聞ではウエートが低いような感じがいたしますので、そういうところを押さえてから、日本ができること、できないこと、すべきこと、すべきでないことがその次に来なきゃいけないと思います。  それから、バム鉄道に関しましては、御存じのようにただ線路が辛うじて二つの大きなトンネルという障害を迂回してつながらせたというだけでございまして、専門家の間でも、あれでは本当に稼働するには十年ぐらいはかかるだろう、そして稼働するには、先生がおっしゃいましたように日本の新幹線そのほかのノーハウ、テクノロジー、それから資金というものが不可欠であると、これはもう一致しております。  それから、分かれておりますのは、軍事的な使命の方が強いのではないかという意見と、経済的な機能もバム鉄道においてはかなり強いというところのニュアンスでは意見が違っておりますが、やはりこれがナホトカの辺あたりに出てこないでソビエツカヤガバニという軍港に出てきている点などを考えますと、やはり軍事的なウエートの方が多いものですから、これに協力する、あるいはバム鉄道の沿線地域の開発に協力するということは、結局形を変えてソ連の極東における軍事力強化。そのソビエツカヤガバニに出ましたのがカムチャッカのペトロパブロフスクへの輸送、兵たんの基地として用いられるということで、そういう危険は十分あると思います。それが一つ申し上げたいこと。  それから、軍事的なことを離れましても、ソ連の方がやはり外貨不足その他で協力体制日本に言い出せないような悪い状況になっているということで、きのうの新聞では、サハリンの一部がまた交渉とか作業に入るということに合意されかけたようですが、一般にサハリンも含めてシベリア熱は今冷めている。  そこで、先生はお尋ねにならなかったのですが、インプリケーションとしてちょっとおっしゃったのですが、ソ連経済協力をこれから非常に日本にやってくる場合、中曽根総理がおっしゃっている政経分離の立場は私はやはり基本的に正しいのだと思います。日本にあるのは経済力、科学技術力でございますから、それを北方領土返還だとか北方領土からの軍事基地の撤退ということにリンクして、強いカードを上手に使うというのは外交及び商談の交渉の場合の鉄則でございます。  一言多いようでございますが、一九七〇年の初めにやはり米中接近の関係で、日本はかなりソ連に対して有利な立場に立ったことがございますが、そのときはこのリンケージ外交を全く日本側はいい意味でも悪い意味でも使用することなく、未解決の諸問題という程度に終わって、私としてはあれは戦後日本に訪れた対ソ連に対する二番目のチャンスだったと思っております。つまり、シベリア開発プロジェクトが五つか七つ先に先行しまして、北方領土返還その他と全くリンクされなくて、そのリンクを日本側から切ってしまった。これは非常に外交の初歩にももとるまずい政策だったわけで、今後はそれの愚を二度と繰り返してはならないと思います。
  18. 永野茂門

    ○永野茂門君 木村先生、ありがとうございました。  あと私の質問時間はもう数分しか残っておりませんが、鴨先生に、米国の関係で極めて簡単にSDIについて御意見をお伺いしたいと思います。  おっしゃいますとおりに、パリティのもとにおきましてはアメリカは依然として第一撃に対する弱さ、かつて言われた脆弱性の窓はまだ解決されていないと思います。そういう意味からいって、核抑止力を補完するためにはSDIがどうしても必要であった、これはおっしゃるとおりだと思います。核抑止力を米国に全く依存している日本としては、SDI研究に参加することは我々の安全を保障するために極めて重要であると考えますが、それに対してどうお考えになりますかということと、それからSDI全体の中で、ターミナルフェーズについては各国自身がやる以外にないのである、特に戦略とか戦域ミサイルではなくて、戦術ミサイル、ATBMシステムということを考えた場合には、どうしても我々はそのところはやらなきゃいけないというふうに考えられますけれども、その点についてどうお考えでございますか。
  19. 鴨武彦

    参考人鴨武彦君) 今、永野先生からの二つの御質問でございますが、実はこういうことをちょっと申し上げたいと思うのです。ジェームズ・フレッチャーという、今度NASAの長官になりましたですね。一九八三年にレーガン政権SDI技術的な可能性を検討するというチームの責任者でありました。このジェームズ・フレッチャーさんがNASAの長官になる直前ですけれども、ピッツバーグで私たち会いまして、ちょっと質問をいたしまして、日本安全保障にどのくらいSDIが役に立つのだろうか、もう少し私は具体的な質問をいたしました。SDIというのは、そもそもソ連から飛んでくると万一に想定されるICBMについて、その核弾頭について撃ち落とせるものだろうかという率直な質問をしましたら、そのフレッチャーさんが、率直に言えばということを三回繰り返しまして、実は我々の研究では日本はまだその研究の対象となっていないと言われまして、それでちょっと驚いたのであります。しかし、言わんとするところは二点ぐらいありまして、要するに、日本はまだSDIによって安全保障が高まるかどうかというほど切迫した領域じゃない、むしろヨーロッパの場合は問題があるという意味で言われたのかと思います。  今の御質問で、SDIがまだ研究開発、しかも今度はレーガン政権軍備管理軍縮交渉ソ連と進めていく場合に、非常にソ連が厳しい対応しておりますから、どこまで研究開発を進められるかという問題もありますし、研究開発の段階ではまだ日本安全保障にどれだけ役に立つかどうかわからないというのが一つの答えではなかろうか。このジェームズ・フレッチャーさん以外にいろいろな方にお聞きしましたけれども、西側の日本としてどう対応するかということに関心を持っているという言い方を、例えばSDIの推進を非常に強く提言しましたエドワード・テラー、マンハッタン計画以来の核の専門家でありますけれども、エドワード・テラー氏などはそういう答えをしております。  また二点目も、これも日本にとってはそもそもソ連ICBMというよりは、SS20とか中距離核に対してSDIがということでATBMのような話が出てきたのだろうと思いますが、むしろ今後の安全保障ソ連アメリカSDIにどう強い姿勢で軍事的に対応するかということにかなり我々慎重に見ていかなければなりませんので、そのSDI技術開発日本軍事的な安全保障を高めるかどうかという視点だけではだめだろうと思うのです。むしろ米ソ軍備管理軍縮というのはSDIについて新しい局面に入っている、非常に新しいタイプの重要な問題だと思いますので、二点目の方も研究さしていただきますけれども、まだ今のところわからないと思います。
  20. 永野茂門

    ○永野茂門君 ありがとうございました。  私も大変に意見はありますけれども、これで時間でございますので質問をやめさせていただきます。
  21. 鈴木貞敏

    ○鈴木貞敏君 中嶋先生に御質問いたします。  いろいろお伺いして、鄧小平政権の不安定性というか、あるいは開放政策にまつわるいろいろなひずみ、しかし中国としては開放政策を後戻りはできない、こういうふうなことですが、長期的に中国の実像といいますか、そういうものを含めてしっかり見詰めていかなくちゃならぬというふうな御趣旨にも受け取ったわけでございます。逆戻りできない、しかし、緩いテンポで今これは進まざるを得ないだろう、こういうことでございますが、私の一つの疑念として開放政策、近代化政策というものが今の中国の社会主義体制の枠組みの中で果たして将来可能なのかどうかというのが一つの質問でございます。  それからもう一つは、日本と中国との関係で、相当協力関係にあって中国が安定するというのは日本にとっても大変好ましいことなのですけれども、一方、日中関係というものに対して東南アジアというものがどういう目で見ているか。例えばインドネシアとかタイとかマレーシアとか、そういった東南アジア諸国の日中関係にある意味では不安と、また一面においては期待といいますか、そういう感情が非常に強いのじゃないか、こういうふうにも思うわけでございます。そういう意味で、対中援助という日本の立場からも東南アジア諸国の意向というものもよく考えなくてはならぬのかな、こういうふうに私は思うのですが、その辺に対して先生のお考えはどうであるか、この二点を中嶋先生にお伺いしたいと思います。
  22. 中嶋嶺雄

    参考人中嶋嶺雄君) それでは、その第一点でございますが、私も実は今の中国の経済改革あるいは開放政策というものが本当に社会主義の枠組みの中で可能であろうかという問題は一番重要な問題だと思っております。それで、どうもそれは不可能ではないかと思うのです。そのことは実は中国の現在の指導者の中でもかなりそれがわかっている人たちがいるのではないかと思います。そのことはまた同時に、いろいろな論説の中にもそれらのものが見え隠れしているわけでありますけれども、しかしながら、これは大変重要な問題でありまして、つまり、社会主義の原理なり正当性の根拠を否定してしまいますと、現在の中国の憲法にせよ党規約にせよ、すべて中国共産党というものをその根幹に置いているわけですから、中国共産党を中心とするいわば人民共和国建国の理念そのものが脅かされるわけですね。いつもこういう矛盾に当面していかざるを得ない。  したがいまして、中国としては今の社会主義中国ということを標検する限りその枠からは外れられないだろうと思うのです。全部そのものを取り払ってしまいまして、例えば経済特別区という実験をしておりますが、これなどは香港と同じように資本主義体制をそこでやってしまうというところまで飛躍できれば、中国の発展というものはもっとダイナミックになるのじゃないか。あるいは福建省なら福建省も台湾と同じような経済の形態をとってみたらどうかとも思うのですけれども、そこまでやはりやれないのが社会主義国の制約であります。そうするといろいろな実験はするけれども、そして今のような鄧小平体制ではかなり大胆な実験はできてきているけれども、それはどうも長期的に永続しない。いろいろな問題が出てきてうまくいかないのです。そうしますと、必ずいわば原則主義を掲げる人たちからの批判があるわけで、今の中華人民共和国の憲法なり中国共産党の党規約なりを見れば、鄧小平さんのやっていること、やろうとしていること、あるいは我々が期待していることはそれに対するいわば違反になるわけです。むしろ陳雲さんなんかの言っていることの方が正当なのです。ですから、そういう問題の制約が今後もずっとあるというところに今日の中国の最大のジレンマがあるのじゃないかと思っております。  それから二番目の、日中関係の緊密化が中国の周辺諸国、特に東南アジア諸国に与える影響という問題、これも重要な問題で、かねがねこの点についても私なりにいろいろ考えてきておるわけです。一口に東南アジア諸国といいましても非常に多様でありまして、ASEAN諸国の中にもいわば中国の影が非常に強い、自国の国民形成のさなかにあって、いろいろな意味で中国の影というものが国民形成なり近代化というものに直接結びつくようなインドネシアとかマレーシアなどの地域と、あるいはタイとかフィリピンなんかとは大きく違うと思います。そしてまた、シンガポールのように人口の八〇%以上がいわば漢民族でいながら、シンガポーリアンとしての新しい民族形成を目指そうという地域においても中国に対する対応の仕方が違うのです。  言うまでもなくインドシナ三国、ベトナム等々はこれまた違いますが、そういう状況の中でやはり東南アジアの国々は、余り中国に対して日本なりアメリカなりが大幅に経済軍事的なてこ入れをするというようなところまで出ていくことにはおしなべて不安を感じていると言っていいと思います。というのは、これらの国々はいずれも中国の影にある意味ではおびえているわけです。我々にとって中国問題というのは常に外在的な課題でありますけれども、これらの国々は内在的に中国問題を抱えていますから、その辺は十分考えていかなければいけないのではないか。  それから同時に、あるいはインドのような南アジアの国々、私、ついこの春にもインドにたまたま講演旅行、インド政府の依頼で行ってまいったのですけれども、インドあたりに行きますと潜在的に中国の脅威感がありますので、そういう点はまた中国のイメージも随分違う。それから最近、中ソ関係やそういうものがよくなったとはいえ、モンゴルとかベトナムとか、そういう周辺諸国はまたそれなりの中国イメージというものを持っておりますから、やはり我が国としては、中国という一つの大きな宇宙のような世界がもたらすさまざまなインパクトということを考えた上で外交をやっていかないといけない。世界日本と中国だけであれば、日本と中国はいかに緊密化しても問題はないのですが、そのことが逆にいろいろな脅威を与えるということは十分考えておかなければいけないと見ております。  現に一九七八年の日中平和友好条約、実はこれは覇権条項入りの条約でありまして、さっき木村参考人は、七〇年代初頭に米中接近という日ソ関係改善にとっての日本のバーゲニングの時期があったと言うのですが、私はそのこともさることながら、それに加えてと言っていいのでしょうか、中ソがあれほど対立していた時期というのはないのですね。もう二度とあんな対立はないと思います。そのときになぜ日本は、もっと日本の主体的な立場からソ連とも交渉しなかったかと思うのですが、いわばソ連が嫌がる覇権条項というものを挿入して、その結果、日ソ関係はさらに厳しくなり、日本の周辺におけるソ連脅威がむしろ増大したというような状況に一時的にはなったと思うのです。  このようなことを考えざるを得ないわけですけれども、今、中国はそういう立場からは大きく転換していまして、ソ連脅威とするような立場はとらなくなってきている。つまり、中国にとってソ連戦略的な敵とみなすか、そうでないかは根本的な分かれ目であって、少なくとも今後中ソ関係の改善の将来についてはいろいろな見方があり得るにせよ、かつてのようにソ連戦略的な敵とは中国は今や考えていないわけです。そういう状況の中で、日本が中国に政治的、経済的、あるいは場合によれば軍事的にも緊密化するという姿勢を見せたことは、例えばベトナムのように長い間中国の影に悩んできた国からすれば、大変深刻な状況だったと思います。したがって、日中平和友好条約締結直後に、ベトナムがソ連との間にソ越条約を結ぶ、それによってベトナム自身の安全保障を強化する、そのことがアジアの緊張を増大させたということがあります。やはり日本と中国だけが世界ではないわけですから、日本は今やアジアの責任ある国として、世界の中で中国を考えるという視野が非常に必要ではないか。とかく日本人は日本と中国という座標軸だけで中国問題を見やすいという気がいたします。
  23. 鈴木貞敏

    ○鈴木貞敏君 どうもありがとうございます。いろいろあれですが、時間がございませんので、木村先生にちょっとお伺いしたいのです。  いろいろお話を伺って、多元的、多様的、柔軟化を見せつつあるというお話で、大変やはり一概につかみにくいという外交政策なりのあれもよくわかったわけでございますが、ゴルバチョフの日本訪問は既に合意されているわけですね。いつ来るかということで、ちょっと延びているような記事も見るわけでございますけれども、ソ連戦略から見まして、とにかくアメリカ等がやはり一つの大きな筋であるということは変わりないと思うのです。しかし、日本へのアプローチといった面から見て本当のねらいというか、それはどんなところにあると木村先生はお考えになるか、お伺いしたいと思います。
  24. 木村汎

    参考人木村汎君) ゴルバチョフの訪日が一応原則的な点では決まっていて、それには向こうも反論しておりませんが、最近ちょっとこの一週間か十日の間に陰りが出てきたと申しますか、同時に、向こうが条件をつけているような気もいたします。私の読み過ぎかもわかりませんが、何か最近入ってきます向こうのスポークスマンの雑音といいますか、では、何かいい雰囲気で、よい成果が上がらなければならないと。今までは単に行かなければならないというふうに、ねばならない、ロシア語で言いますとニエアッパハジーマということを不破委員長にゴルバチョフ書記長が八月に使われた。ニエアッパハジーモスチという名詞形で使われましたが、必然性、必要性がある、希望じゃないのだ、自分の希望でなくて、隣国日本にはもうこんなに長くごぶさたしてはいけないので、いろいろな意味から行かなければいけないと。それが最近は何か、日本側から努力が足りないので行きたくないというふうに少しトーンが変わってきているような気がいたします。  しかし、それは先生の御質問のメーンポイントでありませんで、先生がお尋ねになったのは、アメリカが本筋だろうけれども、ソ連戦略としては対日はどういうことがねらいだろうか。それはお話しすれば長いことでございますが、端的に申し上げますと、一つには、日本の科学技術経済力が欲しい。二番目には、アジア・太平洋地域における日本外交的な力が増大しているので、それの了解なしにはこの地域のメンバーとして自分が進出していけない、そういうことで日本との関係をよくしたい。三番目には、やはり日米離間をしたい。大体この三つが本当のねらいだと思います。  また、別の角度から申し上げますと、北方領土は返すことなしに自分の必要なものを取りたいというのがざっくばらんなところソ連のゴルバチョフのねらいじゃないかと思います。  そういうわけで、第一回目の訪日は、恐らくポケットの中に北方領土といったお土産と申しますか、ハトが入っているかのごとく見せかけて、実はそれはちらちらあるかのごとく見せかけて、本当は入れずに持ってくる偵察旅行でないか。そして、日本国民の間にゴルバチョフフィーバーというのをつくるといいますか、ゴルバチョフ政権に対する期待というのを巻き起こして、それをうまく利用して、何かソ連に都合のいい科学技術経済関係の協定のようなものを結びたい。しかし、日本は非常にお土産を大事にする東洋民族ですから、彼のポケットの中に何も入ってないことがわかりますと、もう一度ぐらい、日本から首脳が行かれた後ぐらいにやはり大きな失望というのが来るのじゃないか。つまり、日本国民は熱しやすいけれども冷めやすい国民ですから、鄧小平フィーバーとかダイアナ妃フィーバーとか、ゴルバチョフフィーバーが起こりましても、一回か二回で何か外交交渉が成果を上げないと気が済まない気が短い国民で、それが裏目に出て、逆にゴルバチョフも今までの政治家と変わらないというふうな反動が来るのじゃないか。そういうことを最近はソ連の方も懸念するようになってきたというのが最近の逡巡の一つ理由じゃないかと思います。  そのほかにも、もちろん米ソ関係がレイキャビク、ウィーンその他で進まなかったということもありますし、またそのことにも関連して、ゴルバチョフに対する国内の漠然たる保守派が、そういう軽率な態度で日本に行って、またおまえは成果を上げずに帰ってきて、外交上、失点を二度、三度と重ねていいのかと、そういう牽制もあると思いますが、そういった二つ三つ理由から、私の読み違いでなければ、少しゴルバチョフの訪日には、時期の点と、それから条件の点で今少し足踏みしているような感じがいたします。
  25. 鈴木貞敏

    ○鈴木貞敏君 どうもありがとうございます。時間もあれですから、これにて終わります。
  26. 大木正吾

    大木正吾君 鴨先生に伺いますけれども、アメリカ中間選挙の結果、どういうような変化が起きるかということについてでございますけれども、共和党が敗北した関係もございますし、同時にレーガンさんの人気も、これは人気といっても別に評判だけじゃないわけだけれども、大統領としての長さの問題、そういった問題もだんだん迫ってきていますが、そういう関係で、一つSDIの問題について、まだ反対論もアメリカの中にもあるわけですから、そういったことがどういうような動向でいくのだろうか、これが一つです。  それから、同時にこれは経済問題でございますけれども、結果的には民主党が相当に強くなりますと保護貿易問題等が出てくるといううわさも大分新聞等で出されていますが、そういった問題について鴨先生、どういうふうな御認識をお持ちでございましょうか。
  27. 鴨武彦

    参考人鴨武彦君) 今、大木先生の御質問でありますけれども、まず第一点の中間選挙では、もう御案内のように、知事選は別として、上院で逆転、民主党の議席がふえたわけです。その結果、どういうことが起こりそうかということでありますけれども、例えばSDIに絞る前に考えますと、民主党の方がやはり対ソ強硬路線を持つ人も少なくないわけでありますが、なお強いアメリカを強大な核軍拡の路線によって取り戻そうというよりも、米ソの対話をかなり執拗に粘り強く続けて、軍縮軍備管理のダイヤローグの中で例えば核凍結のようなことはできないだろうか、あるいはINF、戦略核兵器を含めて削減の協定を結べないだろうかということで、やはり大きく軍備管理軍縮へ希望する声が共和党よりは強い。そういうことで、レーガン政権レイキャビク後、一挙に冷たくなったわけではないと思いますけれども、今後、軍備管理軍縮を含めていかに対ソ政策、特にこの面での立て直しを図るかということで、国内でのコンセンサスといいますか、国民の声を前提として考えますとやりづらいという面があろうかと思うのです。  ただ私、ちょっとSDIについては先ほど一番最初に申し上げたときに、ある種現実化しているという面が遺憾ながらやはりあるものですから、SDI研究開発のプロジェクトが急に減るというような形になるのは難しいのじゃなかろうか。予算の削減が行われていますけれども、私もアメリカ議会のOTAで聞きましたときに、予算額は減らされているけれども前年度比は今まで伸びているということで、確かに民主党を中心にSDIの批判があるわけでありますけれども、なおSDI研究開発という問題については、民主党が上院で勝利をおさめたからといってこれに対するSDIの政策が変わり得るほど強くなるかというのはちょっと即断できないだろうというふうに思います。  なぜ私こう申すかといいますと、ちょっとこういう点を指摘したいのですけれども、戦略防衛構想というのは、レーガン政権でなくても出てき得る必然性をある種持っているという感じがいたします。米ソ核戦力パリティというものがアメリカソ連の方で認識したということは、先ほども木村先生がソ連の方からおっしゃいましたけれども、MADを、相互確証破壊という考え方なり戦略ソ連も認めざるを得なくなってくる。ということは、安定化してくるというだけではなくて、むしろ不安定な側面というのが強まるわけです。バランスがとれているから安定化しているというのではなくて、もっとましな、もっと強力な安全保障体制というものをつくりたいというふうに考えますので、抑止戦略を補強しようという考え方とつなげて考えますと、このSDIという考え方、名前の呼び方は別として、今後アメリカ戦略専門家ペンタゴンなど防衛のコミュニティーの中で議論をされ、どこまででこれを研究開発の上限をやめるかという大きな問題があると思うのです。ですから、確かにレーガン政権はあと二年でやりにくいのでしょうが、この辺のところは余り大きい拘束あるいはプレッシャーというふうに考えられるかどうかちょっとわからないと思います。  もう一つ経済問題の方でありますけれども、確かにこれは見ていますと、法案として通ったかは別として、アメリカが苦悩しているということは、輝けるナショナリズムが発露しているのではなくて、むしろ非常にディフェンシブな、ガードをかたくした地方の声とか業界の声とか、要するに「デモクラシーの反乱」みたいなもので、さまざまなアメリカの人々の声が保護主義といいますか、新しい保守主義という方向へ向かわしめているのじゃなかろうか。そういう意味では、自由貿易主義というものを旗印にして日米関係、保護主義を高めないようにというレーガン政権のコントロールに対しては、やはり民主党が勝利を上院でおさめているというのは、保護主義の台頭というものにさらに拍車をかける要因になりはしないか、これは経済の方の専門ではありませんけれども、そういう感じがいたします。日米貿易赤字も含めて日米関係の局面が変わってきているという面もありますので、そういう考え方を持っております。
  28. 大木正吾

    大木正吾君 鴨先生に続けてもう一つ伺いますけれども、日本SDIに対するかかわり方の問題でございます。国会でも随分と衆参ともどもいろいろな角度から議論がされるのですが、今の段階では民間関係を中心としまして研究開発に協力しようという現中曽根政権の考え方が出ているわけでございます。これにつきまして先生はどういうような御感想をお持ちですか。
  29. 鴨武彦

    参考人鴨武彦君) 今重ねて大木先生からの御質問でありますが、SDIというのはそういうある種現実化しているということを考えますと、これはソビエト対応というものは非常によく考えなくちゃいけない。ただ反発をしているだけではなくて、ソビエトSDIに対してSDIと同じような種類のものを研究開発しなくとも、攻撃用核戦力、例えばICBMをさらに増強するとか、あるいはICBMに搭載する核弾頭におとりをたくさんつけるとか、いろいろな対応策があるかと思います。  しかし、一つは、アメリカのいろいろな人の反対論の中で注目すべきなのは、やはりSDIソ連との対話や了解なしに突き進めるということは、米ソの軍拡競争をあおって政治的な緊張を高める危険というものがあるのじゃなかろうか、そういうアメリカの強さの回復というのはソビエトにとっては攻撃的な性格を持つのじゃないかという批判が、アメリカ防衛担当をした人とか安全保障を担当した人々の中にも実は出ておりまして、そういうことを考えますと、米ソの新しい技術に対しての軍備管理軍縮というのは今非常に問われていると思うのです。新しいテクノロジーの刷新についての軍縮軍備管理が今まで、SALT体制もそうですが、成功してこなかった。SDIは非常にそれのテストケースだと思うのです。そういう意味からしますと、軍事安全保障的な意味日本がコミットをするというのは私は得策じゃないというふうに実は感じております。  それからもう一点、これもホワイトハウスの科学技術政策局で、チームで聞いたわけでありますけれども、非常に日本の利益を考えなきゃならないわけでありますが、MOU、メモランダム・オブ・アンダースタンディングという、契約をしていく場合にどういう契約の内容にするか。これは西ドイツの場合もイスラエルの場合もイギリスの場合もそうでしょうが、今、レーガン政権はそれぞれ別々に考えている。しかもそれはかなりコンフィデンシャルに考えておりまして、一体発表権や利用権を考えますと、日本技術がどのくらい役に立つかというだけじゃなくて、日本にそれがどうはね返るかということを考えますと、このかかわり方というのは私は非常に小さくないと思うのです。西側の同盟体制政治的にサポートしているというだけの説明にはならないだろうと思うのです。その点は非常に慎重にかつ深く考える必要がある。ですから、契約の仕方というものは今当面非常に大きな問題じゃなかろうか。ちょっと言葉が過ぎて恐縮かもしれませんが、立ち退き権といったようなものもあるいは考えていかないといけないのじゃないか。日米関係も大事ですが、もっと日本のいろいろな利益を考えればさらに大事でありますから、順序からいきまして。そういう感じがいたします。
  30. 大木正吾

    大木正吾君 これは鴨先生と木村先生と両方にお伺いいたしたいのですが、レイキャビクの会談が一たん全部核戦略関係のものは同数出し合いまして、最終的に別れになったのですけれども、いわば両方の国際動向を見ていますと、まだまだ両首脳が会うチャンスはあるであろうという予測が一般的には期待を持てる感じもいたします。そういったものに対する見通し、それが両先生に伺いたい問題でございます。  同時に、万が一これがだめな場合に、これは木村先生にお伺いいたしたいのですが、要するにゴルバチョフさんは相当大胆にあの中身を、妥協といいましょうか、譲歩といいましょうか、そういったものを出しました。そういったものはしたたかな外交官であり、同時に首脳ですから、ゴルバチョフ書記長が出しました大胆なああいった提案は世界国民は相当みんな見ているわけです。そういった中で、一体首脳会談がだめになった場合といいましょうか、どうしても不調な場合にそういった考えが後退するというような判断を持っていいか悪いか、どうなのですか、その辺の見通しについて。これは木村さんの方に実はお伺いしたい問題でございますが。
  31. 木村汎

    参考人木村汎君) レイキャビクでどちらがまずかったか、失敗したか成功したか、どちらが成果を上げたかというのは非常に評価が分かれるところでございますが、両方とも短期的と長期的に分けて長期的にはまずかったと思います。それじゃゼロ・サム・ゲームでおかしいじゃないか、どっちかが失敗しただけどっちかがうまくいったのじゃないかと思いますが、私は両方ともやや準備不足で、ともに傷ついたのじゃないかと思います。これが全般的な評価でございます。  それで、先生は今後両首脳が会うチャンスはどうかということでございますが、一つには形だけのことですけれども、昨年十一月のジュネーブで、次はゴルバチョフ書記長がアメリカに行くということが決まっておって、その次はレーガン大統領がモスクワに行くということになっておりますから、一応形式上はゴルバチョフは行かなきゃならないわけです。それから、これは確かに出し合ったわけで、ある意味でお互いの立場はわかった面もございますから、ひょっとすると来年のわかりませんけれども春ごろに、また米ソ首脳会談が今度アメリカで行うチャンスも否定できないと思います。つまり、それほど両者とも国内情勢その他でせっぱ詰まっていると申しますか、自分がやりたくなくても少なくともPRのためにも出かけなきゃならないし、迎えなきゃならないということで、これで全くチャンスがつぶれたとは私は思っておりません。  それから、大胆な譲歩をゴルバチョフがしたことは全世界が見ていた、けれども、それに対して後退があるだろうかということでございますが、これに関してもいろいろな見方がございまして、ゴルバチョフは果たして譲歩したのかどうかはいろいろな角度から検討しなきゃいけないと思います。一月十五日にシェワルナゼ外務大臣が日本を訪問されたちょうどそのころに発表した段階別の包括軍縮提案の流れをくむものだというふうに解釈するならば、必ずしもソ連国内でも反対はないわけで、逆に言うとアメリカに譲歩していないわけでございます。  しかし、ややゴルバチョフ・スタイルというのがおもしろいなと思いますのは、ソ連というのは今までいい意味でも悪い意味でも非常に慎重で、アメリカの学者で軍縮の交渉が妥結したケースを調べてコンピューターにかけている学者によりますと、一つのパターンが見られるというのです。それは七ラウンドに軍縮交渉を仮に分けると、初めの三ラウンドでアメリカは譲歩することが多い、ソ連があとの三ラウンドで譲歩することが多い、ソ連がいつも土俵際の最後で渋々譲歩するという癖があるというのですけれども、ゴルバチョフになってからは、割合自分のカードを率直にぱっぱっと先に切ってくると。これは彼の性格は待ち切れないというか性急なパーソナリティーの持ち主なのか、あるいはまたそれが有利だと思っているのかわかりませんが、ちょっとそういう交渉スタイルというのが変わってきている。  これはグロムイコあたりの石橋をたたいても渡らないという非常にいい意味でも悪い意味でも慎重で保守的といいますか、そういう外交から見ると、これはちょっとスタイルが違うわけで、グロムイコなんかが自分よりも若い書記長が何かやや性急な外交交渉をやっているのを渋い顔で見ているのじゃないか。そうしますと、結果的には成果は出なかったわけですから、ゴルバチョフにとっても去年の十一月と同様に今度のレイキャビクも、SDI阻止というのが最大の目的だといたしますと成果が上がらなかった。そうすると、やはりグロムイコあたりが少し牽制して、おまえは少しはしゃぎ過ぎだというようなことで、これからはおれたちにも相談して、もう少し従来の伝統的なソ連外交スタイルに戻れ、そういうような意味では後退があるかもわからないと思います。
  32. 鴨武彦

    参考人鴨武彦君) 少し短く答えさしていただきたいと思いますが、三点申し上げたいと思います。  確かにレイキャビクもつばぜり合いで、最後の予定していなかった四回目の会談で、土壇場で潜在的な合意が進められているとスピークス報道官なんかの話もあったのですが、ついに物別れに終わりました。  近年の米ソ関係を考えてみますと、去年のジュネーブでの六年半ぶりの首脳会談、まさに象徴的だと思うのですが、こういうふうに物別れに終わっても、好むと好まざるとにかかわらず米ソ核戦争を戦えない、核戦争につながるようなさまざまな危険なり不信なりというものはできるだけ少なくしていった方がよろしい、そういう意味で、核の不戦の誓いというのは単なるスローガンではなくて非常に重要だと思うのです。その意味では、若干言葉に語弊がありますけれども、競争関係にあっても戦略的に依存の関係もせざるを得ない。その点から考えますと、長い目で見れば、物別れに終わっても指導者間の不信を少しずつ減らして信頼をつくり得るフォーラムといいますか、場は必要だと思いますので、直ちに、レイキャビク後外相会談もうまく進展しておりませんが、首脳会談やほかも進まないだろうという予測は私は立てておりません。  ただ二点目として、しかし、にもかかわらずこのSDIではやはりこの対立点は非常に大きいはずなのだ。少し突き詰めて考えますと、アメリカが譲歩するか、それともソビエトが譲歩するかというほどかなりきつい対立点になっております。アメリカの場合はレーガン政権はあと二年ですから、実験開発だけは基礎実験という形で進めたいというような形でソ連に譲歩させるか、いや、ソ連の方はABM制限条約、一九七二年や七四年のあの条約をもっと厳しく解釈して、そもそもSDI研究開発はのっけからやめてほしいという形でいくか、これはちょっとアメリカ国内、民主党、それから世論、議会、それからソ連の中での軍部とかいろいろなほかの変数や要因がありましょうから難しいところがあると思いますけれども、この点では簡単に歩み寄れないのじゃないかという感じがします。  三点目、短く申し上げますが、にもかかわらずまた複雑だと思うのは、中距離核戦力削減交渉のようなものはソビエトが非常に譲歩したという面があるわけです。レーガン政権も驚くほど譲歩した。これはいろいろパブリックステートメントも出ておりますが、戦略核兵器の定義を変えていく、それからイギリスやフランスの中距離核戦力というものを交渉の対象にしなくなるといういろいろな譲歩をした上で臨みました。それでアジアの方も凍結ではなくて削減するという意向も示している。これは同盟国世界に対してこれは結んでほしいという期待を与えているのじゃないかということから考えますと、米ソはあるいはSDIで非常に対立しながらも、この面でさらに包括軍縮交渉を進めながら合意なり部分的な協定に進む可能性もなしとは言えないというふうな感じがいたします。
  33. 大木正吾

    大木正吾君 中嶋教授にお伺いいたしますけれども、先ほどのお話の中で、鄧小平さんの話などに触れましてジグザグがあるだろうという話でとどまっておったわけでございますが、日本の中国との関係、人的な交流から始まって技術交流、経済交流たくさん問題があるわけでございますけれども、文革のような大きな変化政治的な変化というものは起こり得るかどうか。ジグザグという言葉の表現でございますが、どの程度のニュアンスで受けとめたらよろしいか、その辺のことをひとつ伺いたいのですが。
  34. 中嶋嶺雄

    参考人中嶋嶺雄君) 先ほども申し上げましたように、基本的な流れは変わらないだろうと思います。やはり文化大革命の悲劇と最近中国では盛んに言っているわけですけれども、それがもたらしたマイナス遺産というものは余りにも大きいわけですから、その点で文化大革命のような混乱に中国が陥ると期待というか、そういうふうに予想するとすると、これはちょっと誤りではないかと思います。  そのジグザグというのは、先ほども言いましたように、今後の中国は文化大革命のときのような一種の極限的な形態をめぐって国じゅうが動乱になるというよりは、やはり先ほど鈴木先生の方でしたでしょうか、お話がありましたように、社会主義そのものが根本的に問われている。社会主義で果たしてうまくいくのかというそういう対立として右へ揺れ左に揺れというようなことが起こっていくだろう、私はそういうふうに見ておりますので、文化大革命のような混乱に陥るということはちょっとないのじゃないかと思っております。
  35. 大木正吾

    大木正吾君 実はこういうことを伺いますのは、先生の書いた論文等もちょっと拝見いたしたのですけれども、少し日本人の中国ブームという問題の中にいろいろ御批判もございまして、私自身実は去年も情報通信関係の部長クラスのエンジニアさんの方々をたくさん連れていきまして、副総理と大分話を長くいたしまして、そうしてエネルギー問題から入って、交通関係、港湾関係、通信関係といった要するに経済におけるインフラストラクチャーというか、基盤整備の問題につきまして大分長いお話をしたり、現地へ行ったりして、うちの技術者で行っている連中の工事の現場も大分見てきたのです、大同まで行きまして。そういった中でやはりそういった一面がある反面、アメリカの貿易の最近の赤字の状態はそう簡単にはなくならぬという感じはいたします。  同時に、ECから物すごい批判を受けている。今日本に批判が出ているでしょう。そうすると、シンガポールの首相リー・クアンユーは中国系ですね。ですから、そういう意味合いでもって中国の方々がアジアに出ていくということはある程度やむを得ないという問題もあるでしょうし、同時に日本経済の黒字の基調というもの、世界一の金持ち国と言われますけれども、そういった問題について少しく十年サイクルぐらいでもって、貿易黒字のもうけ過ぎというものを解消するには何らかの新しい問題をアプローチしなきゃならぬ、こういう問題を持っているものですから、余り焦ることはないとは思うのですが、もう少し中国を中心としたアジア地域との貿易関係について考えていくべきではないか、こういう問題点を考えているものですからちょっと伺ったわけです。その辺で意見が違うかもしれませんけれども、もし私の意見に対して御批判なり何かあったら、御返事でも結構ですけれども、ちょうだいしたいと思います。
  36. 中嶋嶺雄

    参考人中嶋嶺雄君) むしろ御趣旨はよくわかりますし、日本が今後経済大国というのでしょうか、経済的には非常にダイナミックな活力を持ち続けると私は思いますし、当面の円高問題も数年後には恐らく日本経済の体質の中にうまく吸収し得たという時期が来るのではないかと思います。そうしますと、やはり日本が東アジアの中心的な経済国家として非常に大きな影響力を持つだろう。しかも私は、基本的にこれからは軍事力とか外交ということも非常に重要ですが、やはり経済とか社会の成熟というものがその国の影響力として非常に重要な意味を持ってくる時代だろうと思います。そうすると、日本の先ほど申し上げましたように中国との経済格差はますます開いていくと思うのです。今一人当たりGNPで四十対一ぐらいの違いがあるわけですけれども、今世紀末の絶対値の違いはもっとふえていきますから、やはり中国の問題というのはそういうアジア全体の経済をどうするかという中で位置づけていかないといけないと思います。ただ、日中関係という問題を超えて位置づけていく必要があると思います。  そういう意味からすると、中国とかそれから先ほど来出ておりますソ連も、今後社会主義経済の効率の悪さであるとか資金不足であるとかいろいろ同じような悩みを持っていると思うわけで、むしろ中国、ソ連を含めた、あるいはベトナム、社会主義国をも含めた経済活性化というような日本経済外交というものを展開しよう、それは同時に、東南アジア諸国に対しても同じようにやっていこうということであれば、先ほどお話のあったたまり過ぎた外貨をそういう方向で日本外交に役立てていくということができるのではないか。それは大変結構な話だと思います。  ただ、一方それはどうしても政府レベルでお考えいただかないと、民間といっても民間は現実には中国と貿易してもうかるかどうかという切実な課題がありますので、民間レベルの話をいろいろ聞いてみますと、必ずしもそれはそうではなくて、先ほど来申し上げましたように現実にトラブルがあちこちに出てきている。中国はこのところ急激に経済を膨張さしたこともありまして、その反動で著しい外貨不足に陥っているわけです。そういう問題もありまして、民間の経済関係は非常に緊張というか、むしろ日本の民間の側に積極性がないという問題があると思います。  それから同時に、これは事実として申し上げたいのですが、中国周辺諸国ではいわゆるアジアのNICS、非常に経済的に活力を増しているわけです。この中でも特に台湾は外貨準備だけでいいますと三百七、八十億ドルという日本にもう数十億ドルで近づくというようないわば経済のパフォーマンスを上げているわけです。これなどは言ってみれば民活時代、民間時代の国際版で、IMFやガットや国連から追放されても、今日の相互依存関係の国際社会の中では経済を中心として生存し得るということをある意味では見事に実証しているわけです。こういう台湾などが今後どういうふうにアジアの経済の中で位置していくかということも非常に重要だと思います。同時に、香港とかシンガポール、あるいは韓国、こういう中国周辺諸国というものとの関係も十分見ながら非常にダイナミックな経済外交を展開していくことができれば、それはひいては日本安全保障上も非常に大きな意味を持つのじゃないか、こんなふうに考えております。
  37. 大木正吾

    大木正吾君 終わります。
  38. 山口哲夫

    ○山口哲夫君 木村先生にお尋ねいたします。  先ほどちょっと北方領土の問題にお触れになったので、その問題でございますが、先生のお話の中で、ソビエトというのは外交政策も大変変わってきてソフトになってきた、したがって、日本としてももう少し柔軟性を持っていく必要があるのじゃないかというようなお話がございました。その中で、もし日本がこの北方領土の問題で交渉の方針を少しでも変えるようなことがあれば、ソ連変化というものもやはり期待できるのだろうかどうかということなのですが、実は上智大学のクラーク先生が、ことしの一月十二日の朝日新聞に北方領土の問題でちょっと書いてあるのです。  前置きがあるのですけれども、私は決して親ソ派ではないということを前置きいたしまして、要点は、北方領土問題でソ連だけを悪者にしているという印象をどうも受けるのだ、悪者は決してソビエトではなくしてむしろアメリカの方にあったのじゃないか、それはカイロ会談でアメリカやイギリスが、日本が武力で奪取した領土だけを剥奪をするのだという宣言をしていたはずだ、ところが、ヤルタ会談でアメリカやイギリスは、日本固有の領土を含む千島列島のすべてをソ連に与えるという約束をしてしまったのだ、そのことについて、どうもアメリカは千島列島の歴史を全く知らなかったのではないだろうか、そんなようなことを書いていまして、最後にこんなことを言っているわけです。「北方領土問題でソ連だけを悪者にして、非を責め続ける日本外交のやり方から、領土の喪失に第一義的責任を負うべきはソ連ではなく米国だと公に宣言することで、ソ連との交渉もやりやすくなるはず」、「こうした経緯をひた隠しにしている、日本政府のやり方を見ていると、本当に日ソ関係を改善したいと思っているのかと疑いたくさえなります」と。私は決して親ソ派ではないのだけれども、そういう歴史的な事実から見ればそういうことが言える、こんなことをおっしゃっているのです。大変興味深いお話であったので、先生の御意見をぜひお聞かせいただきたいなと思ったわけです。
  39. 木村汎

    参考人木村汎君) クラークさんの御意見は、よくそのほか「ボイス」という雑誌などにも御発表になりますので知られてくるようになりました。その基本は、今、先生がおっしゃいましたように、北方領土問題に関してはむしろ一番責任があるアメリカに対してその不満を向けて、それから取って返す刀でソ連に交渉すればひょっとしたら解決するのじゃないかというアドバイスでございます。  私も歴史的事実にかんがみまして、ルーズベルト大統領がヤルタ会談に臨む前の日に、補佐官その他がつくりましたブリーフィングのノートをつい読み忘れて大まかな言質を与えてしまったというような事実は、よく読みますし見聞きしておりますから承知しております。したがって、アメリカもこの問題に関しては責任があるということを認める点ではやぶさかでございません。しかし、そこからクラークさんのような結論にいくのはやはり非現実的だと思われます。  まず、日本がよく言っておりますように、ヤルタ会談の秘密的な性格、それから日本を縛らないという態度が第一番目に挙げられまして、第二番目に、アメリカ自身がその後態度を変えておりまして、サンフランシスコ条約において帰属先を必ずしもソ連と決めていませんし、ソ連もそれに調印していない。それからアメリカ自身が最近では日本の北方領土返還を承認して、お手伝いすることがあれば、リップサービスかもわかりませんが、何とでも言ってくれと時々国務長官が言うことがございます。  それから、日本の唯一一般論として言えるのは、これは誤解ないようにお願いしたいのですけれども、少しおんぶでだっこというような点はあると思います。つまり、日本アメリカと完全な同盟関係を結んでいて、そのことによってソ連がどれだけ日本を敵視しているかという点にやや敏感でない。日本は全方位外交と称しておりますけれども、一応自由陣営のアメリカと非常に密接な関係があって、それが第一で、それがサバイバルの唯一の道であるということはほとんどの人が認めている正しい外交路線でございますが、それをきちっとしておいて、それにプラスその立場を崩さないで北方領土の返還を要求するというのは、ある種の人々にとってはおんぶでだっこだ。ソ連の側として見れば、北方領土を返した場合アメリカ日本の基地とならないという保証はどこにもないわけだから、そしてまた、何も返すインセンティブが格別ない、沖縄をアメリカが返したようなものとは同一に到底論じられない問題だ、そういうような考え方を持つのも当然かと思います。したがいまして、ソ連が北方領土を返さない理由はこの北方領土の軍事的価値にある。軍事的価値というのをもう一歩突き詰めると、やはり米ソ対立という厳粛な国際政治の現実にぶち当たる、そうすれば返さないのも当然だと。  こういう論理で考えますと、一面は正しいわけですが、それならばクラーク先生にお聞きしたいのは、まずは日本が戦後外交安全保障によって立つアメリカにそういうことをした場合、アメリカ一つの生き物というか、ナショナルインタレスト、国益を持ち感情を持っている国ですから、それに与えるダメージの大きさというものに非常に無神経であるように思われますし、それを、日米の友好からそのぐらい言ってもいいというのは日本の一種の甘えであると思います。そしてまた、アメリカ側からどんな誤解を招かないとも限らない。それはまた、戦後のサンフランシスコ体制をもとに戻すということにも通じかねない問題ですから、これは現実的な立場からはほとんど考えられない。  そういう意味で、クラーク先生の御意見は一面真理を帯びて日本人の気がつかないところをついている点では教えられるところがございますけれども、全体としては奇をてらい過ぎて日本の一部にアピールする意見で、到底とることができない、それが私の考えでございます。
  40. 山口哲夫

    ○山口哲夫君 もう時間が三分しかないようですから、やめます。ありがとうございました。
  41. 中西珠子

    中西珠子君 鴨先生にまずお伺いしたいと思いますが、第一点は、先生が御指摘になりましたように歴史的に見たアメリカのパワーの凋落現象、またそれゆえにアメリカ国際政治経済の面において指導性を回復したいという強い要望を持っており、また新しい保守主義、いわばディフェンシブなナショナリズムな態度をしてきているという点では全く同感なのでございますけれども、果たしてアメリカ国際政治経済面におけるかつてのような指導性を回復できると先生はお考えになっていますでしょうか。これが第一点でございます。  第二点は、SDIに関する研究参加に日本政府は踏み切ったわけでございますが、国会におけるこれまでのSDIに関する論議というのはちっともかみ合わないのです。それで先生の御意見をお伺いしたいわけでございますが、先ほど先生は、SDI研究開発の段階では日本安全保障に役立つかどうかわからないというふうにおっしゃったわけでございますけれども、そのような段階から日本研究参加するということは賢明でございましょうか。私は何だかむしろ危険なような気がするのでございますが、先生の御意見を伺いたいと思います。
  42. 鴨武彦

    参考人鴨武彦君) 二点とも難しい問題でありますけれども、感じとして申し上げますが、第一点はやはりいろいろ議論が分かれておりまして、アメリカ指導性を回復する苦しみの今過渡期にあって、今後テクノロジーにしても資源にしてもアメリカはもう一回力を回復し得るのじゃないか、そういうような見方をする人々もおりますが、今、中西先生おっしゃったようにかつてのようにという「かつて」というのが、恐らくアメリカソ連もしのいで圧倒的に国際政治世界における指導力を、特に冷戦時代、一九五〇年代から六〇年代にかけて持っていたそのような指導力という点からしますと、それを取り戻すことは非常に難しいのじゃないかという感じがいたします。  幾つも理由がありますが、一つ理由は、軍事力に支えられた超大国というものがさまざまな国際紛争にどれだけ指導性を発揮し得るかということを考えてみますと、キッシンジャーのメモワールを見てもおもしろかったのですけれども、第四次中東戦争にしましてもいち早くキッシンジャーにはその兆候が見えていた、それでソ連大使にすぐに連絡をして、何とかそれが未然に防げるようにとソ連の協力を仰いだ経緯がありますけれども、残念ながらもっと独立した形で中東戦争が起こってしまったというのがありますし、いわゆる超大国が軍事力を背景にどれだけ国際政治における指導性を発揮できるか、このテストに実は合格してきたとは必ずしも言えない。ソビエトも、先ほど一番最初木村先生からお話がありましたように、恐らく失政を重ねたのだと思います、アフガンにしても大韓航空機事件にしてもさまざまに。ゴルバチョフ政権登場以前、ソビエト脅威が高まるということはソビエト対外政策戦略成功してこなかったような感じがいたします。これは木村先生の御専門の領域ですが、私はそんな感じがいたします。  それからもう一つ理由は、核のジレンマというのをやはり我々はもうちょっと厳しく考えるべきじゃないかと思うのです。米ソともこれは悩んでいる問題でありまして、要するに指導性を回復するというのは、核の超大国によってどれだけかという、先ほど永野先生からも大事な御質問がありましたけれども、エクステンディドデターランスという、核抑止の拡張、拡大抑止と言われるものですが、そういう傘のクレディビリティーという問題も、やはりこれはアメリカだけでなくてソビエトも含められると思いますが、かなり軍備管理軍縮の制度化を図ってきませんとかつてのような指導性を発揮するのは難しいだろう。  二点目は、簡単で恐縮でございますが、研究開発の段階で軍事的な安全保障面だけでSDIを考えるには非常に難しいことと、あと同時に私は指摘しなければならないのは、ソビエトのリアクションを考えますと、これは当然のリアクションもあり得るわけでして、つまり攻撃的な性格を持つというふうに見るわけですから、研究開発を共有していれば別ですけれども、共有というような甘い見方も簡単に立てられないということになりますと、むしろ米ソの厳粛なといいますか、非常に残念な戦略面での対立に、片方にだけコミットしていくというディシジョン、これはもう少し国際政治が構造的な変化を示し、多極化しているといいますか、相互依存化している中で、もっと日本外交の選択の考え方、選択肢、いろいろ含めてもう少し柔軟に広めて考える必要があるのじゃなかろうか。ですから、この時期にわざわざSDI軍事的な面を見通すということは、かなり私は難しいといいますか、クリティカルに見ざるを得ない面があるだろうと思うのであります。  ただ、またテクノロジーの面もありますし、日本はユーレカ構想に入るわけにいきませんし、その面でのSDIがいろいろな全体のシステムというふうに考えますと、軍事的な安全保障面だけでない議論もしておかなきゃならないとは思います。
  43. 中西珠子

    中西珠子君 どうもありがとうございました。  それでは、木村先生にお伺いしたいのでございますが、先生御指摘になりましたように、ゴルバチョフになってからソ連外交政策が多様化し、柔軟化し、また実務化しつつあるということでございます。しかし、これはゴルバチョフ・シェワルナゼ外交がグロムイコ外交のアンチテーゼではなくて、これにプラスしたものである、また、変化と不変化がミックスし、連続と不連続がミックスしている、このミックスの状況を見きわめることが非常に大事だとおっしゃって、それは全く先生のおっしゃるとおりだと思うのでございます。  先ほど、私がお聞きしたいと思っていたことを同僚委員がお聞きいたしましたけれども、先生は、先ほど、北方領土返還問題については結局のところ本質的には連続という外交政策であろう、本質的には余り変化がないのではないかというふうなお考えをお漏らしになったような感じがしたわけでございます。この北方領土返還問題につきましては、これから先日本がやはり返還をどんどん要求していって返還される可能性があるのかどうか、非常に難しい問題だと思うのでございますけれども、日本としてはやはりある時点においては政策変更をしなければならないことを迫られるという時点も来るのではないか。これは私はわからないのでございますが、先生の御意見をお伺いしたいと思っているわけでございます。可能性があるものとしてどんどん推し進めてもいいのかどうか。そしてまた、非常にこれは軍事的、戦略的な価値もあるところですし、一方、日本の方では非常に民族感情というものがございまして、どうしても返還してもらいたいという気持ちがあるのですけれども、将来の見通しというものは先生はどのようにとらえておいでになりますでしょうか。
  44. 木村汎

    参考人木村汎君) 連続、非連続の点で申し上げますと、まだ返すというところまでにはきていないと思います。ですけれども、これを議論するという立場にやや変わってきておりますから、これを大きく見る人にとってはかなり変化してきている、非連続面が大きいと思います。ここで日本の返還論者の中には、別の意味でのグループ分けができると思います。今までいろいろな島の数だとか、地域で分かれてきましたが、また別の次元で、つまり話し合いという土俵に立ったということでかなりよしとする人と、結局これは返ってこなきゃ意味がないので、話し合いの土俵に乗っただけでは不満だということでグループ二つに分かれてくると思います。  それは別としまして、先生がお尋ねになっているのは、可能性はどうかということで、これはもう未来に属することでわからないのでございますけれども、一つ二つ言えることは、まずちょっと卑俗な例えでございますが、宝くじと同じで、これは買わなきゃ当たらないと同じく、返還運動をしなければ向こうに一応占拠されている土地でございます。尖閣列島などとは趣を異にしておりますから、やはり要求運動を続けることによって初めてかすかな芽があらわれるということでございます。  それから私の感じでは、ゴルバチョフになってから、以前よりはわずかではあるけれども可能性はふえてきたということが第二番目でございます。  それから第三番目に、どんどんこのままでやっていっていいのだろうか、ここら辺で少し政策変更をする必要があるのじゃないかということでございますが、まだちょっと早いのじゃないかと思います。ゴルバチョフ政権全体の外交がもう少し大きく変わるか変わらないかということを見きわめてからでないとまだちょっと、日本人は気が短いものですから、ゴルバチョフ政権の一年八カ月ぐらいのところでそれをどちらかに決めてしまうのはあれで、ゴルバチョフ自身もこれからまだ権力基盤を固めて、本格的な経済の再建だとかその上に立って外交政策を決めていくわけで、少し外交は後回しになっている点もございますので、そういう点からも、今何もこちらから態度を決めるよりも向こう側の出方をもう少し冷静に待つ方が賢明じゃないか。その意味で、仮にゴルバチョフ書記長の今度の一月訪問が実現しなくてもそれほど別に悲観することもなく、また焦ることもなくやったらいいのじゃないか。  逆に言いますと、四十一年間返らなかったという見方も成り立ちますけれども、四十一年間言っているうちにチャンスというのは突然来るのでなくて、努力してこちらがやるべきことをやっていると時々チャンスは近づいてくるというわけでございまして、今まで私は二度大きなチャンスがあったと思う。一九五六年の鳩山訪ソのときと七三年の田中訪ソのときにかなり大きな歴史的なうねりと国際状況の地殻変動があった。今度は第三番目に近いようなものが訪れているけれども、その姿がまだ定かにわからないということで、もう少し向こうの手のうちを待つ、いわゆるウエート・アンド・シーの態度が一番適当ではないかと思います。
  45. 中西珠子

    中西珠子君 北方領土返還要求について、日本が今方向転換してその要求を取り下げなくちゃいけないと考えているわけじゃございません。国会におきましても、つい最近北方領土返還要求の決議をしたくらいでございますし、これは大いにやはり運動としても、また日本の政策としても続けていかなければならないと考えているのでございます。しかし、ゴルバチョフにかわりましてもうしばらく様子を見なければいけないけれども、どのような可能性が出てくるであろうと先生がお考えになっているかと思って申し上げたわけでございまして、とにかく四十数年待ってきたのですから、これから先もっと息長く要求を続けていくことが必要と考えておる次第でございます。どうもありがとうございました。  私、中国の問題につきまして中嶋先生にちょっとお聞きしたいのでございますけれども、中国の現代化というのは非常にテンポが遅くてなかなか進まないという状況ではございますが、中国は核は保有しているのですね。核は保有しながら経済的、社会的なインフラストラクチャーというものは非常におくれている状況だという中で日本からどんどん経済進出をしたり、また技術協力をやったりするという状況から、中国が一種の消化不良になりつつあるという先生御指摘のとおりの状況だと思うのでございます。それでこれからもっと地道にやっていかなきゃいけない。それから文化交流とか留学生の受け入れというものも充実していかなければいけないということを御指摘になりました。これもまたまた重要なことで、この面では日本はまだまだやることがたくさんあると思うのでございますけれども、中国への近代化促進を少しでも助けるために経済協力、技術協力を引き続きやっていくとすれば、どういった面で一番日本が役立つことができるか、貢献することができると先生はお考えでいらっしゃいましょうか。
  46. 中嶋嶺雄

    参考人中嶋嶺雄君) ただいま御指摘のように、中国はかつてからいかに貧しくても核兵器をつくらなければいけないということを言い続けてきたわけでございます。特にその点については毛沢東時代も今も変わっていないわけで、核というものに対する一種の物神崇拝的な、あこがれみたいなものをどうも中国の軍事思想、毛沢東軍事思想も持っているし、そうだろうと思うのです。そのことが今日においても他の分野に比較して核開発とかそれからミサイル開発ということについては非常に熱意を持って、その分野だけはかなりの資金をつぎ込んでいると思います。中国も大体GNPの、ソ連が大体一四%から一六%なんて言われますけれども、中国もそれか、それを上回るぐらいの軍事費を投入しておりまして、その多くの部分が核兵器なり先端的な技術開発に向かっていると我々は見ているわけです。こういうアンバランス自体、中国人がどこまで考え得るかということについては、私はそう簡単に楽観していないわけで、やはり中国はそういう立場を今後も続けていくと思うのです。  そうしますと、経済協力というようなものに関しても実はそう簡単にいかない問題がありまして、例えば今後日本経済的に協力して、それはかなり軍事技術的に転用されるものもあり得るわけですから、そしてまた同時に、中国はいわばある意味ではかなりしたたかな国ですので、ひょっとすると武器輸出を、現に随分やっているじゃないかという見方も中東その他にあるわけです。つまり、死の商人になりつつあるじゃないかという見方さえもあるわけでありまして、その辺は少し慎重な研究が必要だと思います。  ただ、もし私どもがやれるとすれば、やはり何といっても一番重要なのは、さっき留学生の問題を挙げましたけれども、そういう広い意味でのインフラストラクチャー、単なる経済的な基盤とか運輸とか通信施設のみならず、いわば学術とか文化というようなものについてかなりの援助なり交流が必要じゃないかと思います。むしろそこが、結局は時間がかかるようで一番大事なところじゃないかというふうに思っているのです。  現に、今、日本に来ている中国の留学生の数は約二千七百人ぐらいでありまして、このうち大部分が私費留学。日本政府が受け入れている留学生の数はたしか三百名前後ぐらい、いわゆる国費、それから中国政府が派遣しているのが約六百名ぐらいいるわけですが、この数などは非常に少ないです。ですから中曽根総理が行かれて、中国から一時的に青年を百名呼ぶというのは大変結構なことだと思いますけれども、もっと長期的に留学生などを大いに受け入れるというようなことは非常に重要だと思います。アメリカと比較してみますと、アメリカは既に二万人近い留学生が中国からアメリカへ行っておりますから、そのことを思うと日本としてはこの分野は非常にまだまだ手薄だと思いますし、それから留学生の受け入れなんかの問題は、ただ向こうから人を受け入れるという枠をつくっただけじゃだめで、実際の受け皿の問題が非常に大事なのです。そうでないと、今中国から日本に来ている留学生の中で円高とかいろいろ問題もあります。  特に私費留学生の場合には、ちょっと実情を申し上げますと、みんな日本に来たいわけです。だけれども、日本に来るためにはどこかの学校に、正規の留学生ではなくて、うちの大学なんか入れている、私のゼミナールにもいますけれども、試験を受けて入ってくる留学生でなくても、研究生なり研修生なりそういうものでいいという形で、日本のいわば民間の各種学校なんかに入学許可を求めるわけです。そうしますと、各種学校というものの中にも非常にいい学校もあります。つまり、大学以上の教育をやっているようなところもありますけれども、中にはかなりいかがわしいところがありまして、向こうから来てただでさえ困っている留学生からまたべらぼうなお金をふんだくっている、そのために日本に来てもドロップアウトしてしまうというような層が非常に多いわけで、これらの問題はやはり一遍きちんと考えてみる必要があるのじゃないかと思っております。
  47. 中西珠子

    中西珠子君 おっしゃるとおり、日本の、中国から来る留学生もですが、ほかの開発途上国から来る留学生に対する受け入れ態勢というのは本当に改善しなければならない、これは急務であると考えておりますので、こういった面でも私ども微力ながら何とかやりたいと考えております。  もう一つ、まだちょっと時間がございますからお聞きしてよろしゅうございましょうか、中嶋先生。――私は数年前に中国へ行っただけで、それから最近行っておりませんから大分変わってきているとは思いますけれども、人口問題でございます。これは憲法の中に産児制限をうたうほど人口問題に非常に重点を置きまして、一人の子供しか許さないというふうな状況でやっているそうでございますが、その後それは本当に厳密に実施されているのでございましょうか。
  48. 中嶋嶺雄

    参考人中嶋嶺雄君) かなり厳密に実施されておりまして、これは二人目ができた場合にいえば社会保障に当たるものが支給されなくなります。それから税金が取られる。それらの罰則があるものですから、非常に厳格にこれまではやってきた。ところが、現実にはその枠にどうしてもおさまらないケースがいろいろ出てきております。  具体的に申し上げますと、二人目をもうけていいという場合にいろいろな条件がありまして、例えば第一子が身障者であった場合に二人目をもうけていいとか、それから中国の場合結婚事情が、今晩婚の奨励です。それで、結婚してもかなり離れて家庭生活を送らなきゃいけないというようなことのために子供ができなかった、ところが、何かのそのためにもらい子をした、と思ったら子供ができたというようなケースの場合にどうするかとか、いろいろなケースがちゃんと条例であるわけですけれども、そういうケースをかなり読みかえて少し緩みつつあるのじゃないかということが言われています。しかも、中国の中にも一人っ子政策の弊害を指摘する学者や、世界的にもいろいろありますし、それからアメリカのカソリック教徒なんかは今の中国の産児制限政策に対して物すごく批判があるとか、そういうところから、私は人口抑制は今後だんだん崩れてくるのじゃないかという気がするのです。そうすると今後中国は、現状の経済的困難に加えて人口増加ということにやはり拘束される。しかしながら、これも結局毛沢東政治のツケなのです。そのツケがそう簡単に解消できないというジレンマの中にあると私は見ております。
  49. 中西珠子

    中西珠子君 どうもありがとうございました。終わります。
  50. 吉岡吉典

    ○吉岡吉典君 最初に鴨先生にお伺いします。  SDIの問題でこれまでいろいろお話がありましたけれども、今度の国会の論戦の一つに核兵器廃絶とSDIとの関連というのが論議されてきました。中曽根首相は、SDIというのは核兵器廃絶の前提条件であり、SDIが完成しさえすればもう核兵器はなくなるのだ、SDIがそういう意味で言えば軍縮のてこだと、まるでSDIというのは核兵器をなくす打ち出の小づちみたいな議論がありました。私どもはそう簡単にこれが核兵器廃絶を目指すものだというふうには思っていません。国会の論戦でもありましたし、先生も御存じだと思いますけれども、例のワインバーガーの証言なんかでは、SDIを手に入れればアメリカが唯一の核兵器保有国であった状態に返るだろうというような議会での証言なんかを見ますと、やはり核を含めて軍事的優位に立とうというのがSDIのねらいだというふうにしか思えません。そういう点で先生、このSDIと核兵器廃絶との関係はどういうふうにごらんになっているか、まずこの点からお伺いしたいと思います。
  51. 鴨武彦

    参考人鴨武彦君) 今、先生から御質問ありましたのですけれども、こういうふうにお答えを試みたいと思います。  御存じのようにSDI戦略防衛構想弾道ミサイル防衛、BMDと言われるものでありますけれども、ICBMにしてもSLBMにしましても、あるいは戦略爆撃機から発射されるものにしましても、弾道ミサイルを無力化しようという考え方が根本でございます。したがいまして、他の種類による例えば巡航ミサイルなど、いわゆる弾道ミサイルでない核の運搬手段や爆弾というものもあるわけでありますから、その重要な構成要素を、弾道ミサイル米ソ核戦力で占めておりますけれども、弾道ミサイルを無力化するという意味では、全面的に核兵器の無力化というものには手が届かないというような考え方だろうというふうに思います。これは第一点目として。  それから第二点目として、その核兵器の中でも弾道ミサイルに対してそれを防衛しようという考え方SDIが出てきたというふうに申し上げましたけれども、米ソ双方ともその弾道ミサイル、特に戦略核兵器というのは命中精度が非常に高くなってきていて、絶対命中精度と言われるくらいに現在言われております。何十年か前にはCEPではかる半径が数キロと言われていたものが九十メートルを切っている。アブソルトアキュラシー、絶対命中精度と言われておりますけれども、そういう形で命中精度も高まっている。それで、弾頭数が余りにも多くなり過ぎている、過剰殺傷になっているというわけで戦略核兵器というものを削減するという目的のもとに、今あのレイキャビクでも五〇%の大幅ということで米ソは歩み寄ろうとしたわけですが、そういう形で進めていく方がやはり核兵器の廃絶ということに向けてのより着実な道だろうというふうに思います。  ただ、もう一点短く申し上げますけれども、レーガン大統領のあの演説とか、あるいはレーガン大統領安全保障の担当官や専門家たちがいろいろ解説しているのを見ますと、どうもこう言えるのじゃないか。大統領はかなり信仰に近いものを持っているのじゃないか。要するに、弾道ミサイルというものの無力化を通じて核兵器というものを相互の人質に取り合うような抑止の、その恐怖の均衡から何とか出たいという、例えばそういう信仰に近いものもある意味では持っている、これがアメリカの中で逆に批判を受けているわけです。ソビエトもMADのような考え方を取り入れていけば、そのルールに反するということになってきますので、大統領の意思というか目的がどこにあるかということになるとまたちょっと違うのではないか。したがってSDIについてパートワン、パートツーという第一部SDI、第二部SDIというような議論がありまして、これをめぐって今アメリカの中で相当に議論されております。また、これは最近マクナマラが本を出しますけれども、そういう整理もなされています。お答えになったかどうかわかりませんけれども。
  52. 吉岡吉典

    ○吉岡吉典君 大統領の信仰に近いものがあるという話ですけれども、そうするとワインバーガーのSDIができれば核独占時代に返るとの発言はどういうふうにごらんになりますか。
  53. 鴨武彦

    参考人鴨武彦君) SDIができれば……
  54. 吉岡吉典

    ○吉岡吉典君 手に入れればですね。
  55. 鴨武彦

    参考人鴨武彦君) これは、独占というよりも私はやはりアメリカの対ソ抑止力、特に戦略核兵器ICBMを中心として脆弱性の窓とかつて数年前ですけれども言われた、それを補うための抑止力補強。アメリカもかつての絶対的な優位を持っていたときもあるわけです。キューバ危機の時期も、一つ理由は、キューバからソビエトがIRBMを撤去せざるを得なかったというような核バランス影響していた一面もあるわけです。そういう時期もあったわけで、アメリカはそれに対するノスタルジアを持ってはいないか。  しかし、非常に難しい問題は、私ちょっと歯切れが悪くて申しわけないのですが、歯切れが悪いというよりも言い切れない問題は、こういう技術的な開発はコンピューターのソフトウェアを含めて余りにもいろいろと多角的にあるわけです。ですからSDIがシステムとして果たしてワークするかどうか、今進めようとしている基礎実験にしても、進めようとしている開発の段階でそれを見通せない難しさが実はあるわけです。この辺のところはちょっとわかりませんが、ワインバーガーの発言というのはやはりかなり誇張された面が、その面では独占にいくかどうかというのは今エスティメートできないのじゃないかというふうに思います、ソビエトの対抗策も含めて考えますと。
  56. 吉岡吉典

    ○吉岡吉典君 いずれにせよ、今の先生のお話を聞いても、結局SDI開発というのが軍縮の方向に向かうということではなく、新たな軍拡の引き金になりかねない危険を持っているように思いますが、その点はどうですか。
  57. 鴨武彦

    参考人鴨武彦君) ただ、こういう見方を私少し持っているのです。要するに戦略核兵器の分野で命中精度も含めて技術革新を大いにやってきて、ついにこの辺のところで天井がきて、今度は防御用のシステムでもってそのバランスを崩そう、あるいは不安定性を安定化の方へ持っていこうという配慮で出てきている戦略的な配慮だと思いますが、この辺は非常にラーニングプロセスといいますか、もうぎりぎりのところでSDIというものが出てくると、やはり防御用ということもちょっと無理である。  むしろ、これを貫徹というかこれに邁進する。無理であるからそれで米ソ両方が学んで、そういう意味では技術革新、特に防御用の領域において軍備管理軍縮の方向へ向かわざるを得ないというモメンタムをあるいはつくる。それを反面教師という言い方をしてはちょっと語弊があるかもしれませんけれども、そういう時期にもう来ているのじゃなかろうかというふうに思います。もしそうすればラーニングをして戻るという可能性もなしとは言えないと思います。しかし、今のままですと非対称ですから、ソビエトの方よりもアメリカの方が先に進めている。しかしアメリカもまた言い方がありまして、エドワード・テラーなどが言っておりますけれども、ASAT、人工衛星攻撃兵器にしても、ソビエトも地上配備のABMを含めて二十年ぐらい実験しているじゃないか、ソビエトもやっているじゃないかという主張もアメリカ側にあります。
  58. 吉岡吉典

    ○吉岡吉典君 SDIの問題はそれぐらいにしまして、次に木村先生にお伺いします。  千島問題です。今までもいろいろ先生のお話がありましたけれども、まず最初に先生にお伺いしたいのは、北方領土返還あるいは千島返還という場合、先生は北千島を含む全千島返還を主張すべきだという立場なのか、それとも南千島だけの返還を要求する立場なのかということです。  と言いますのは、私どもの考え方を先生御存じになっていただいているかどうかわかりませんが、我々は千島というのは北千島も南千島も歴史的に見て日本の領土であり、この領土が他国の領土になるべき筋はいかなる意味でもないという立場です。したがって、我々はいわゆる四島ということじゃなくて全千島の返還を要求する。それは第二次大戦中に連合国が宣言してきた領土不拡大の原則からいっても当然の要求だという立場でそういう主張をしているところです。今、論議の中で見通しがどうだろうかという話もありましたけれども、私どもは見通しはある。なぜ見通しがあるかと言えば、我々の主張は道理があるからです。それは歴史的に見て道理が通らないはずがないという考えでいるわけです。  しかし、道理がある主張という場合には要求に道理を通さなくちゃならない。そういう点でサンフランシスコ平和条約との関係で言いますと、サンフランシスコ平和条約で放棄したのは北千島だけで、南千島は放棄していないのだという論理で国際的に道理が通るかどうかということがその場合一つ問題になると思います。私らはそういう論理ではあのサンフランシスコ平和条約に参加したすべての国を納得させる道理は持たない、だからこの点は、やはり道理を通すためには、あのサンフランシスコ平和条約の千島の関連条項が連合国の発表した一連の宣言に照らしてみても筋が通らないということを明確にして、何もサンフランシスコ条約以前に返るということじゃなくて、その条項に関して言えばこれは無効のものにするということを諸外国にも通告して、全千島の返還を要求するという態度をとっているところです。  先生のサンフランシスコ平和条約への評価、これをこのままで国際的な道理が通るだろうかということをも含めましてお伺いしたいと思います。
  59. 木村汎

    参考人木村汎君) 先生のおっしゃる御意見は私はよくわかったのですけれども、率直に申し上げますと納得できない点が二、三ございます。道理が通らないはずはないということでちょっと引っかかりますのは、やはりそれぞれの百六十以上の国々が国益を持ってこの限られた地球の上にひしめいており、それぞれ人種も経済的な発展段階も違う、人生観のみならず、イデオロギー、思想も違う場合、そういう現実を踏まえますと、道理が通ってほしいのですけれども、現段階の国際政治においては必ずしも道理が通らない。それで日本もこの問題で苦しんでいるわけでございます。それは永久に通らないことはないかと思いますけれども、道理が簡単に通るぐらいなら苦労はしないわけで、そういうことで少し、先生の御意見は正論でございますけれども、理想主義的で感銘を受けました。  それで、その次にもちょっと引っかかりますのは、サンフランシスコ条約全体を否定できないけれども、一部分だけを、その条項だけを無効だと通告するというのは、やはり国際条約は全体として調印しているものですから、そういうふうに一方的に後日――調印したよしあしは別として国がそういうことをし出したら、国際条約だとか協定というのはもう意味がなくなりますから、これはほとんどできないのじゃないか。そういうことをやりますと、ソ連が一九五六年の日ソ共同宣言の中で、平和条約を結んだときには歯舞、色丹の二島だけは引き渡す。その条項だけを無効にしたいというその後のソ連の主張に対して対抗できなくなってくる。つまり、条約というのは全体でやはり遵守しなければいけないので、その一部が気に食わないからといって後日一方的に宣言して無効というのはできないのじゃないか。  しかし、そこまでやらなくても、帰属先を決めてないということで、ここに調印した国々はもう日本がある意味では勝手に、御随意にソ連と交渉しなさいということを間接的に言っているかもわからないので、そのことをその合間を縫うという解釈に立って日本はやっているのじゃないでしょうか。そういうわけで、大体日本の今やっていることは、現実と道理との両方を立てながら、狭い道ですけれどもこれ以外にないのじゃないか。  それからもう一つ、私、サンフランシスコ条約についてちょっとソ連側の文献を読みまして研究しましたところを、皆様にとっては釈迦に説法かもわかりませんが、グロムイコ外務大臣を全権とするソ連代表団は、その当時明らかに帰属先はソ連であるということを明記しろ、その他のことを要求していまして、それに不満がゆえに調印しないでボイコットしたわけです。ということは逆に言いますと、初めからボイコットして、またそういう要求をしなければやぶ蛇にならなかったのですけれども、そういうことをはっきりさせてなおかつボイコットしたということは、やはりソ連側も、現在日本が要求している北方四島、四つの島はソ連に帰属していないことになったということを事実行為で認めていることになると思います。  それで、先生が一番初めにお尋ねになった、私が北方領土返還と言う場合にどの程度の範囲までを言うのか、いろいろ、全千島という立場もあろうし、さらにごく日本の一部ですけれども、樺太の一部も南樺太も含むという極端な説もありますし、それから四島、それから二島ということもあるし、あきらめる、ゼロということもあるかもわかりませんが、私は道理と現実とそれから経緯を考えまして、やはり四島を主張するのが正しいし、国民の大部分はそれでやってきて、今ここで四島を引き下げるというのは今までの日本の立場の首尾一貫性を問われる。極端に言えば国際的に笑い者になるということでその線は変える必要はない。また、変えることは逆に言いますと、ゴルバチョフを頭とするソ連がまさに待っている思うつぼに入ることだと思っております。
  60. 吉岡吉典

    ○吉岡吉典君 それは先生の意見ですけれども、我々は全千島返還でソ連の党と長い論争もやり、交渉もやってきていますので、思うつぼになるとは思いません。  それはそれとしまして、最後に、簡単でいいですが、中嶋先生、中国の状況に関連しまして、アメリカの艦船の寄港問題など、米中の軍事関係というのはどういうふうに見たらいいのか。
  61. 中嶋嶺雄

    参考人中嶋嶺雄君) この問題について私は簡単に申し上げますと、アメリカは、基本的に中国を軍事的にもてこ入れして、ソ連に対するカウンターウエートにしようとする、いわゆるチャイ・ナカード政策にまだとらわれているわけです。したがって、米中軍事協力という問題がいろいろ出ておりますが、どちらの方がより積極的かというと、この間のワインバーガー訪中の前後を見てもわかるのですが、むしろアメリカの方が積極的なのです。それに対して中国がようやくアメリカの主張も入れた、ここでいわばアメリカと非常に関係が悪くなる必要もないわけですから。一方、中ソ関係も改善が進んでいるだけに、その辺を見きわめて、中国の方がアメリカの太平洋艦隊の青島への寄港を認めたというのが実際のストーリーじゃないかという気がしております。  したがいまして、その辺は、今後中国としてはアメリカとのいろいろの軍事的な協力ということも考えはするのですが、私は、だからといって中国がアメリカと一緒になってソ連に対抗していくという方向はとらないのじゃないか、それはSDIの問題ではっきりしている、そんなふうに見ております。
  62. 吉岡吉典

    ○吉岡吉典君 どうもありがとうございました。
  63. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 きょうはお三人お忙しいところをどうもありがとうございました。久しぶりにアカデミックな話を聞かせていただいてディスインテリになってきた私も大分啓蒙されました。お礼申し上げます。  三人の方に質問したいのですけれども、私の持ち時間は十分しかございません。あるいは皆さんに御質問する機会がないかもしれませんけれども、お許し願いたいと思います。  まず最初に、中嶋さんにお願いしたいのですが、中国とソ連との関係が改善されてくるだろう、いつもの御持論をお聞かせ願ったわけですけれども、これは国と国との関係について言われているのか、あるいは中国共産党とソ連共産党との党と党との関係についても同じようなことが言われるのか、そのことをお伺いしたいと思います。
  64. 中嶋嶺雄

    参考人中嶋嶺雄君) 大変重要な問題なのですが、私は、中ソ関係というのは、かつて対立していた時期には、次の四つのレベルが全部一体的に重層的に対立していたから最悪の事態だろうと思います。  つまり、歴史的に存在した民族感情といいますか、民族的な意味でのいわば漢民族とロシア民族との対立感情。それから中国及びソ連が革命国家と言うのでしょうか、ソ連の場合はロシア革命以来、中国の場合には孫文の辛亥革命以来と言ってもいいと思うのですが、一つのある種の国家意識を持ってきて対立が深まった。そこへもってきて今度は社会主義になって、いわばイデオロギー論争、つまり党と党との対立が加わった。その結果、当然政府間、いわゆる国家レベルの対立まで当然含むようになった。この順序でつまり中ソ関係というのは根深い歴史的対立構造を持っていると思います。したがって、私は国家と言う場合にはもっと厳密に考えておりまして、つまり中国もソ連も非常に近代的な国家意識を持ったときにナショナルインタレストの対立が起こったのだ。例えばモンゴルをめぐる帰属なんというのはそういう状況で起こっているわけです。一般にジャーナリズムなんかで国家関係と言うのはこれは政府間関係だろうと思います。そういうふうに見ますと、対立が悪いときはこれは全部悪かったのですが今改善の方向に向かっておりますから、まずガバメントとガバメントとのレベルでは全く今問題はなくなってきているわけですね、外交関係もありますし。  それからその次に、今度は党と党とのレベルなのですが、私はこの点もよくまだ党と党との関係は無理じゃないかと言うのですが、考えてみると、今、中国の政府もソ連の政府もみんな共産党の幹部なのです。したがって、関係が悪化していくときにはこのレベルが次々に崩れてきたわけですが、関係が改善していくときに、あえて党と党との首脳会談をやって全世界を驚かす必要はないし、そんなことをするほど両方ともその必要性がないと思うのです。したがって、最近中国共産党のレベルで見ますと世界各国の、ここには日本共産党の方もいらっしゃるわけですけれども、例えば東欧諸国とかそのほかの国との対立も解消しておりますし、その場合にむしろ中国自身が文化大革命で毛沢東思想を絶対化したところに問題があったというような形で関係の改善が進んでおりますから、そういう意味でも党レベルを含めて関係の改善が進んでいる。したがってそういう状況の和解が進んでいる中で、あえてこれは党であり、これは国家であり、これは政府であるという区分けが必要でないところになってきているのじゃないかと私は考えております。
  65. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 先ほどの鈴木同僚委員の質問にも関連するのですけれども、中嶋参考人の方で近代化に関しては、あるいは解放に関してはポイント・オブ・ノーリターン、ジグザグはあるだろうけれども逆戻りのきかない方向に進んでいるというふうに言われたように理解しているのです。としますならば、結局近代化していくということは中国共産党、表面はマルクス・レーニン主義を掲げてはいますけれども、実質的にはそれはだんだんだんだん空洞化してきつつあるのじゃないか。つまり、これは私の長い偏見と独断、あるいは希望的観測かもしれませんけれども、マルクス・レーニン主義というのはロシアでのみ育ち得るイデオロギーであって、中国のようなああいった宗教なんかも違い国民性も違うようなところでいわゆるマルクス・レーニン主義が根をおろし得るだろうか。それは離れてくるのじゃないかというふうに感じているので、そうするとだんだんイデオロギーが違ってくるのじゃないか。その意味で国家と国家との関係は貿易なんかもだんだん増進していくだろうけれども、中国共産党とソ連共産党とが本当に了解し合えるような状態にはならないのじゃないかという偏見を持っているのですけれども、どうでしょうか。
  66. 中嶋嶺雄

    参考人中嶋嶺雄君) 非常に関先生の御指摘は大事な問題でございます。私も共感するところが多いのですが、実はソ連自体も、やがてマルクス・レーニン主義の呪縛からいずれは解き放たれていく時期が来るのじゃないかと私は見ておりまして、恐らく二十一世紀にはソ連社会自身が内部から西側化するということがもっと本格的になると私は見るのです。したがって中国もそういう方向なのですが、中国とソ連との間にはまだまだいろいろ経済的にも随分格差がありまして、私は中国が本格的にそういうことになるのは、一人当たりGNPが二千ドルぐらいになってある種の市民社会的な成熟ができて、そして内在的にだんだん崩れていくと思うのですね。それまでは今でもそうですけれども、崩れようとするとやはり引き締めるというような形でいかざるを得ないのじゃないかというふうに見ております。  したがって、最近の中国のいろいろの経済的な改革についてはソ連も非常に高く評価しておりますし、例えば合弁企業的なものですね、西側からの資本導入はむしろソ連もこれからやろうとしているわけで、その点では余り違わなくなってきていますので、最近のゴルバチョフ演説などを見ても、中国の社会主義のあり方に対してソ連がクレームをつけているというところは全くないのです。むしろそれは大変ソ連としても歓迎しているというふうに考えていいのではないかと私は思います。
  67. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 その問題はまだいろいろお聞きしたいこともあるのですけれども、時間がございませんので木村参考人にお伺いしたいのですが、ゴルバチョフの権力基盤と申しますか、やはり米ソ軍縮交渉がある程度進むためにはゴルバチョフ自身の権力基盤がある程度安定していなくちゃできないのじゃないか。つまり、ソ連共産党内におけるゴルバチョフの権力基盤と、それからソ連と東欧諸国との関係においてもやはりある程度の安定がないと難しいのじゃないかと思うのですが、ソ連経済力がだんだん衰退してくると、東欧諸国とソ連との間の関係もどうも少しおかしくなってくるのじゃないかという気がするのですけれども、その点どうでしょうか。
  68. 木村汎

    参考人木村汎君) おっしゃるとおりで、私どもは、ゴルバチョフが思い切った外交政策に出るためには彼自身の権力基盤がかなり確立していかなきゃならないと思っております。  ただ、この点は本当にクレムリンの密室政治の内部ですから、彼がどの程度権力を確立しているのかは諸説がありまして、外部の者にはうかがい知れぬところでございます。いろいろなことが言われておりまして、御存じのように書記長というのはやはりトップであるからかなりの権力を持っている。しかし、最近の二十七回党大会でもクナエフだとかシチェルビツキーをかえることができなかったり、中央委員の更新率が四〇%にとどまったということでゴルバチョフの権力にやや陰りが出てきたのかもしれない。それからもう一つは、必ずしも軍部だとかKGB、すなわち秘密警察という単一のグループが彼に反対しているのじゃないけれども、右からも左からも何か一種のゴルバチョフのやり方に対する不満というものが最近目につくようになってきた。ゴルバチョフは余り急ぎ過ぎるとか独断専行でやり過ぎるというような感じでちょっとロシア的でない、西欧的過ぎるとか、そういったいろいろな不満が噴き出してきているような感じがいたします。そこで彼としてはここら辺で少し一服するのじゃないか。そういう意味日本に対する訪問もちょっと考え直しているのじゃないかという感じがいたします。  先生の御質問は、むしろ東欧との関係も安定していなきゃいけないのじゃないか。おっしゃるとおりでございます。東欧とソ連との関係には遠心力的な引き離す方向と求心力的な引きつける方向と両方の力関係があるわけでございます。遠心的な力はこれはもう時代の趨勢でございまして、もともと、東ヨーロッパの国々は文化圏とか宗教その他人種的にも西ヨーロッパとスラブ系とのはざまにある国で、半々の側面を持っているわけで、私どもも個人的に話してみますと考えることができないぐらい想像以上に西側的な発想を持っております。そういう意味で少し違うかもわかりませんが、今度の中国へのヤルゼルスキとかホーネッカーなどの訪問もそういうやや遠心的な力も働いているのかとも思います。  ただし、求心的な力も侮りがたいものがございまして、まず第一に、経済的にはこういう国々はある意味での破産状態に陥っていまして、インプットとアウトプットの両方においてソ連なしには生きていけないくされ縁とでも申しますか、関係が成り立っております。つまり、この国々の経済は、エネルギー資源などではルーマニアがやや恵まれているだけで、ほとんどソ連石油、天然ガスなどを依存しておりますから、ソ連から離れるということは経済的にできません。また、自分がつくり出す製品においても、西側には到底買ってもらえない品質のものですから、それより一段低い、ソ連にしか買ってもらえないという、そういう意味で市場としてもエネルギーの供給源としても経済関係は切って切れない関係にある。それからワルシャワ条約加盟国としてやはり政治的、軍事的な枠をはめられているということでございますから、この二つ力関係で今後は東欧とソ連との関係を注意深く見守っていかなければなりませんが、一般的なロングレンジの推移といたしましてはソ連離れということはあると思います。  そうしますと、ゴルバチョフはそういう傾向を必然的な傾向として認めながら、そういった東欧の国々の声をすくい上げながらソ連外交というものをやっていかなきゃならない。そういう意味でゴルバチョフの置かれた立場は必ずしも非常にうらやましい立場ではございませんで、例えばソウル・オリンピックに対する決心一つとりましても、二度続けてオリンピックが片肺オリンピックになっておりますから、東欧の諸国としては国威を発揚する非常に限られた機会として、東ドイツやルーマニアやチェコスロバキア――ルーマニアはこの間参加いたしましたが、そういう国々はやはりオリンピックというのを待ち望んでいる。それをさらに抑えることになりますと、共産主義運動の盟主をもって任じますソ連にマイナスのリパーカッションが来る。しかし、ソウル・オリンピックを早々と参加を決めますとまた北朝鮮の不満がある。そういうジレンマに立っているわけで、ゴルバチョフの外交政策が何度も繰り返しておりますように必ずしも透明なものになり得ないのは、あらゆる複雑な制約だとか要求というものの上に立ってあんばいしてバランスをとってやっていかなければならない。そういうふうな内側から彼の立場を見ることも彼の外交を理解する一つじゃないかと思います。
  69. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 どうもありがとうございました。
  70. 田英夫

    ○田英夫君 時間がありませんので、一つの問題について木村先生と中嶋先生に伺いたいと思います。  それは朝鮮半島の問題ですが、特に北朝鮮とソ連あるいは中国との関係です。  一九七〇年代の中ソ対立の最も激しかった時代には、明らかに北朝鮮は中国にシンパシーを示していたと言ってもいいと思いますし、金日成主席がその時期には全く訪ソしていない。二十三年間訪ソしなかったのが八四年に久しぶりに行きまして、またこの間行きました。ということで、このところソ連と北朝鮮との関係が非常に密接で、特に軍事的に、元山に続いて西側の南浦ですか、これにもソ連の軍艦の寄港権を認めるというようなそういうことがあります。これは中国にとってどういうことかということも中嶋先生には触れていただければと思いますが、ソ連から見た北朝鮮の関係というものをひとつ木村先生にお答えをいただき、また中嶋先生には、そういうことの中で中国はどういうふうに見ているのだろうか。実を申し上げると、この三日間、中国の張香山氏を団長にする国際交流協会の代表団とそんなことを議論いたしました。鴨先生もそれに出ておられた。中国側は中国側の言い方があるでしょうけれども、中嶋先生はそこの辺をどう見ておられるのか。  時間がありましたら、韓国ですが、韓国は韓国の側からしきりに中国に接近したい、市場としてもそういうねらいがあると思いますし、北に対する牽制もあると思いますが、その辺も触れていただければと思います。
  71. 中嶋嶺雄

    参考人中嶋嶺雄君) いわば朝鮮半島をめぐるピョンヤン、モスクワ、北京というトライアングルは、これは国際政治の中でも一番難しい、わかりにくい課題でありまして、いろいろな見方があり得ると思うのですが、私は基本的な前提として、どうも中ソ関係の改善をベースにして北京とモスクワとピョンヤンの間にもこう緩やかな同盟関係が復活してきているのじゃないかと思うのです。例えば、それまでは金日成氏はモスクワへ行くときには中国の顔を気にしなければいけない、今度は北京に行ったときはモスクワを気にしなければいけないという状況が、ここ数年間随分状況が変わってきて、モスクワへ行っても余り北京のことを気にせずに行かれるようになった。つい最近もモスクワを訪問したわけです。二年前にもモスクワを訪問しております。それから逆に今度は、北京の方にも金日成首相は頻繁に行っているわけでありまして、つい最近では八四年の十一月、それから昨年の十二月にも訪問しているだろうということがほぼ言われているわけです。そういう状況になりつつあるのじゃないかというふうに見ます。  一般の新聞報道などは、依然として朝鮮半島、特に北朝鮮を中国とソ連がどちらかにつけようと綱引きしていると言うのですが、どうもそういう状況が変わってきているのじゃないかと思います。  そういう前提に立ちますと、例えばソウル・オリンピックなんかについては、場合によると中国とソ連対応が少し違っても、やはり基本的に社会主義という枠組みの中で行動するということに関してはかなりの一致点が出てきているのじゃないか。つい最近も、確かにソウルと北京の間がいろいろホットな関係にありまして、御承知のように今の韓国は非常に中国との接触を求めているのです。しかしながら、中国にとって例えばアジア大会やオリンピックに選手を送ることは、中国も大いにプレスティージの発揚の絶好の場であるわけですからすると思いますけれども、外交的にそれじゃ韓国を承認するということが近い将来あり得るだろうか、これは私は絶対ないと思うのです。つまり、そこにいわば唇歯輔車の関係と言われる北朝鮮と中国、中華人民共和国とのまさに社会主義的な同志的団結のきずなというものは一方にあるわけで、それはつい最近も中朝条約二十五周年記念の田紀雲訪問にも見られましたし、あるいは金日成さんが北京に来たときとか、そういうときの対応を見ても、これはやはり内輪の者同士のうたげをやっているのです。その点はきちんと区別していかなければいけないわけで、どちらかというと、最近の韓国のなりふり構わぬ中国への接近姿勢というものは、これはまさに北朝鮮憎しの余りの対応であって、必ずしもそれを中国がアクセプトするとは私は見てない。基本的にそんなふうに考えています。
  72. 木村汎

    参考人木村汎君) 私もこの地域については非常に難しい問題で、定見を持っていないわけですが、田先生おっしゃいましたように、ゴルバチョフあるいはそれ以前のチェルネンコの時代に金日成が訪れましてから、そのときにゴルバチョフが陰にいたのかわかりませんが、おっしゃるとおり北朝鮮とソ連との軍事面を中心とする協力関係は顕著に密接化しております。そういった動きとしましては、中嶋先生がおっしゃいましたように、過去においてはソ連も中国もこの朝鮮半島においては現状維持、それから北朝鮮のバランス外交につき合っていたというやや消極的なものだったと思いますが、チェルネンコ時代の後期、あるいはゴルバチョフになりましてからは、やはりアジアにおいては第一にもう少し積極的にやらないといけないという、逆に言うと追い詰められたような状況ソ連に出てきて、ヨーロッパの方ではバッファーゾーンというものをきちっとつくっているのに対して、アジアではそういうものもない、もう少し社会主義国にてこ入れすべきではないか、そういう感じがまず第一番に出てきたのじゃないか。  それから二番目は、韓国との関連で逆に不思議なことに、北朝鮮にもサービスをしなければならない。  それから三番目は、少し中嶋先生と違うかもわかりませんが、中国と韓国との関係改善に対するやはり牽制というのがある。そうすると、さっきおっしゃったようにモスクワ、北京、ピョンヤンのトライアングルとは違った意見になるかもわかりません。  それから四番目には、金日成の今度二度目の訪問のときにもう一つの要素、やはり日本とかアメリカという要素もさらに引き込んで考えるならば、金日成の方はたしか米、日、韓の軍事三角同盟を明らかに批判しておりますが、チェルネンコと違いまして今度ゴルバチョフはたしか名指しで軍事三角形の形成にメンションしませんで、むしろ抽象的にNATOの極東版が形成されているとして逃げているということは、さらに訪日が近まったのかもわかりませんが、ゴルバチョフは日本アメリカもにらんで対北朝鮮政策を決めている。そういう意味で非常に複雑なファクターが絡み合っている領域だと思います。
  73. 田英夫

    ○田英夫君 ありがとうございました。
  74. 青島幸男

    ○青島幸男君 どうもお忙しいところ実のあるお話を同わしていただきまして感謝している次第でございます。私最後になりまして、時間も余りありませんので一点だけお伺いしたいと思うのです。  今の外交安保の重大な問題としてクローズアップされておりますのは、再三ここの場でも話題になりましたSDIですけれども、このSDIというのがそれほど論じられるほど実効性のあるものかどうかというものは私は大変に疑問に思っておりまして、いみじくも鴨先生言われましたように、レーガンが一つ宗教的な信仰に近いものにまで持っているのじゃないかということで、確かに私どもは今気象衛星を通じて気象情報をとっておりますし、頻繁に海外の情報を放送衛星を通じて目にしておりますし、日進月歩どころの騒ぎではなくて、時間差でもって科学技術が進んでいるというのを目の当たりにしております。ですから近い将来に地球の外側から常に監視をする機構が成立して、どこから発射した巡航型であろうと弾道型であろうと、ミサイルを的確に把握して即座に無効なものにしてしまうという装置がいつの日かできないことはないとは思うのですけれども、今までのレーガンさんの対応にしてもゴルバチョフさんの対応にしても、やはりこれがかなり実効力があるものという認識の上に立って相互論じられておると思うのです。  しかし、今や移動も可能な発射装置もありますし、また、弾道ミサイルにしても巡航ミサイルにしてもさまざまな形のものがございますし、地球上のさまざまな空港から民間機、軍事の飛行機というものが万というオーダーで飛び交っている状態で、完璧に相手国のある基地を的確に破壊しようという目的で発射されたというものだけを識別したり、あるいはまた基地が数多くあるわけですから、双方で相互に命中精度を高めるための研究が天井打ちになって、これ以上進めても切りがないという状況から、夢の万能兵器として魔法のつえのごとくSDIが論じられているのじゃないかという気がしてしようがないのです。  現実の問題になるのははるかに先であろうし、このことを現実のものとして論議することの方がむしろ間違いに近くて、それにしても今そういう苦悩の中から何か手探りで模索していかなきゃならないと、やみの中に一つの光明を見出したような格好でレーガンさんがこれに取りついておられる。そのことに世界じゅうがちょっとヒステリックな状態になっているのじゃないかという気が実はしているのですけれども、このSDIの実効性と申しますか、どれだけ事実上防衛意味があるのかという点について大変に疑問に思っていますので、その点だけ鴨先生にお尋ねして終わりたいと思います。よろしくお願いします。
  75. 鴨武彦

    参考人鴨武彦君) 青島先生の御質問が大変重要で、まさにその点がアメリカ国内専門家政治家を巻き込んで議論されておる問題だと思います。  私、これは一つの仮説といいますか予想ですが、レイキャビクの首脳会談でも、少なくとも一九九一年まではABM制限条約の範囲内でと。つまり第五条で掲げられていないリサーチを、基礎実験をさしてほしい、一九九一年までというふうにレーガン政権が出したというのはちょっと意味があると思っているのです。この五年ぐらいが非常に勝負に違いない。要するに、実験開発がどの辺まで進んでいくかと見きわめるレーガン政権以降の年月まで入っています。ですからそう二十一世紀まで、あるいはそれ以降まで見ないとわからないというのではなくて、SDIが非常に複雑で大きなシステムであっても部分的に重要な領域があるわけですね。ブーストフェーズがどのくらい可能になるか。これはDEWと言われる指向性エネルギー兵器を、例えばエックス線レーザーですね、核爆発を利用して今つくろうとしている。そのために地下核実験というのをなかなかアメリカは禁止できないわけですけれども、そういうものも重点的に進めようとしている。ことしの六月にペンタゴン議会SDIの予算が削られて一体どうなるかということを詳しく報告したのがあります。自由電子レーザーとかいろいろ今進めている重点的な領域はこうだと。  ですから、第一番目に私考えますのは、実効性があるかどうかというのを一、二年のタームじゃなくてもう少し長い、しかし十年以内、あるいは五年ぐらいが一つの焦点になってアメリカでは見ていこうとしているのではなかろうかというふうに思います。それが五年ぐらいが、アメリカレーガン政権の後だれがなるかわかりませんけれども、ディプロイメント、配備に持っていくかどうかの決定をするのだということで、SDIのカウンタープロポーザルをソビエトに出しておりますから、これが意外とアメリカが考えている年月としての一つのアンサーになるかもしれない。  それから、今、青島先生言われましたけれども、二番目に、このSDIというのはアメリカにとって同盟国よりも、こうすると同盟国から異論が出るわけですが、自国の戦略核兵器として非常に重要なものであるICBMの脆弱性というものを何とか減らしていこうという考え方一つ大きくありますから、アメリカ本土にとっては安全保障と考えます。そうすると今議論があるのは、傘は傘でも、漏れるけれども、どしゃ降りでなければ間に合うような傘でいいかどうかという議論がされておりまして、完璧でなくても、多少漏れのある傘であってもかなりブーストフェーズやミッドコースで防げるような技術開発ができるぞというサインを送るだけでも対ソ核抑止力を高めるかもしれない。ですから完璧なものができるかどうかというよりも、完璧でなくても進めようという議論がこの数年賛成側の方で高まっているのです。この辺のところも実効性の問題と絡んで私は重要だろうと思います。ですからまだアンサーが出ないというのは、ソフトウエアのシステムを含めてこの辺の技術開発が問題だ。  それからもう一つちょっと申し上げます。これは未確認ですからあれですけれども、ローレンス・リバモアとそれからロス・アラモスという研究所は絶えずいろいろな研究開発で、この核の問題で今まで対立した経緯がございます。  ローレンス・リバモアというのは御存じのようにエドワード・テラーが所長をやっていて、その後カーター政権の国防長官をやったブラウン氏が今所長になっておりますけれども、今ここで私は数カ月前の情報で、あるいはその後解決されているかもしれませんけれども、ローレンス・リバモアとロス・アラモスでこのSDI研究開発を果たしてブーストフェーズに全力投球するか、あるいはミッドコースで全力投球するか、ミッドコースはブーストフェーズで漏れたものをやるわけですね。それはおとりと本物の核弾頭を識別する能力はアメリカではまだないそうです。しかし、ミッドコースのところでブレークスルーが出ますと随分話が違ってくる。対立がありますよという話を我々ちょっと聞いております。かなりコンフィデンシャルなペーパーが多過ぎますね、今アメリカに出てきている。これが実効性をまだ予測するには難しいという一つ理由だろうと思います。  それから三番目に、私ちょっといろいろ先生方にお聞きしていただいて、青島先生にもお答えしたいと思うのですが、同盟国にとって直接というよりも、先ほどアメリカの本土にとってと申し上げたように、アメリカ同盟国にとってSDIがどうかという問題。これはSDIでなくても、ほかの手段でもってさまざまにアメリカ同盟国安全保障を考えることができる。そうしますと、SDIが直接役立つかどうかという議論は非常に難しい問題、日本に限らないわけです。ですから、西ヨーロッパから出てきている、これはカップリングとかディカップリングというふうに言われておりますけれども、アメリカの拡大抑止、そのクレジビリティーの問題とこれは非常につながっているはずだと思うのです。ですから、このSDIでもって実効性があるという議論で突っ走るのではなくて、少なくともヨーロッパでは東西ヨーロッパのINFの削減を早目に実現しておきませんと同盟国が言うことを聞かないと思うのです。  しかも、東西ヨーロッパというのは、先ほど出ましたけれども、戦略的な相互依存からもうちょっと進んで、経済的な相互依存の状況に西ヨーロッパの国々と東ヨーロッパの国々がそういう構造的な変化も一面示しています。貿易の結合度なんか見ましても、西ドイツとポーランドなんかかなり強い結合度です、もちろんコメコンがかなり強いものを持っておりますけれども。  ですから、この米ソ関係がその東西ヨーロッパやさまざまな国際地域、国々にとってどういう影響を与えるかと考える場合に、このSDIというのは非常に重要な一つのテストケースだ。つまり、SDIアメリカソ連にとっての安全保障戦略の問題だというふうに議論が余りにも収れんしていまして、あるいは同盟国にとってプラスになるのかもしれないけれども、その保証がないわけですね。ですから、ことしワインバーガー国防長官から出されましたCDI(通常戦力防衛構想)と言われるようなもの、すなわち通常兵器によるソ連からの攻撃を無力化する新しい防御システムが必要だと言われております。さらにATBMのような戦術核兵器に対する防御システムの必要性がアメリカ側から出てきている。ですからSDI構想同盟国安全保障とではやはりギャップがあると言わざるを得ません。その点からもSDIによる安全保障の実効性が同盟国にとって今後大いに議論になるのじゃないでしょうか。しかし、ずっと長く議論されて、わからないということじゃないと思うのです。そういうような気がいたします。
  76. 青島幸男

    ○青島幸男君 まだお伺いしたいこともありますが、時間ですからこの程度にとどめさせていただきます。  ありがとうございました。
  77. 加藤武徳

    会長加藤武徳君) 以上で質疑は終了いたしました。  参考人方々に一言御礼のごあいさつを申し上げます。  極めて多忙な中を長時間御出席をいただきまし て、貴重な御意見を拝聴できましてまことにありがとうございました。調査会を代表いたしまして心から厚く御礼申し上げ、また、貴重な御意見を今後の本調査会の審議の参考にいたさなければならぬ、かように存じます。  本日はありがとうございました。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時十三分散会