○高野
公述人 高野邦彦であります。
私は、本日、いわゆる
改革案の
一つの骨子であります
民営・
分割、これに賛成する立場から若干の
意見を申し上げたいと思います。
まず、今日、
国鉄が経営
破綻に陥っていることは改めて言うまでもありませんし、抜本的な改革を緊急に必要としていることも言うまでもありません。国民も、基幹的な交通網であります
国鉄の一日も早い再生を願っております。これまで
国鉄は、過去何回か改善
計画、
改革案を
提出してきましたけれども、そのどれ
一つも中途半端に終わって、結果としては悪化の一途という運命をたどってまいりました。したがいまして、今までのような改革の
路線上では、現在陥っている
国鉄の困難を救うことは到底不可能ではないかということがまず第一点であります。
そこで、では
民営・
分割あるいは
分割・
民営化したらどのようなメリットがあるか。まず私が賛成する第一の理由は、要するに、国民の交通
需要が非常に質的にも量的にも変化してきているということであります。これは既に
皆さん方御存じのように、いわゆる我々日本あるいは先進国共通の課題でありますが、経済社会が従来の工業化中心の社会から情報化とかサービス化とか言われる時代に大きく転換してきたということがその第一点でありまして、国民の
需要というものは、まさしくかつての単に量だけを求める時代から質的に高度なもの、あるいは質的に多様なものを求める時代にはっきりと変わってきたということであります。
こうした大きな時代の流れの中で、やはり
国鉄は、従来のあり方あるいはその巨大性等々からしまして、
需要に
対応する力あるいは
環境を欠いてきたということであります。したがいまして、どうしてもそういう
需要に
対応できるような
国鉄の新しい姿に切りかえなければならない。それにはどうしても、現在考えられ得る改革としては、
分割し、
民営化する以外にちょっと考えにくいというふうな事態に入った。これが私がまず第一に
分割・
民営化に賛成する理由であります。
その中で、いわゆる
国鉄、
鉄道事業に対する
需要というものも年々大きく変わり、かつ交通全体の中に占める地位も非常に低下してきております。したがいまして、このままの状態はもはや続けることが不可能になってきているというふうに思います。その象徴的な例を
貨物輸送の実態に見ることができるのではないかというふうに思います。
ところが、
国鉄は
公社制度を今日までとってまいりましたけれども、この
公社制度のさまざまな制約というものが、
国鉄の新しい時代への
対応力をまさに束縛してきたというのが事実ではないかというふうに思います。
公社制であるゆえに、政治的なもろもろの制約をこうむってまいりましたし、社会的な要請にもそれなりにこたえなくてはならないというふうな事態があったわけです。このあたりの
問題点は、いわゆる
国鉄再建監理委員会の報告が極めて明白に物語っているのではないかというふうに考えております。したがいまして、先ほど来申し上げましたような変化に
対応する体質、形づくりというものがぜひとも求められるということであります。
これと裏腹の
関係にありますが、第二に、しかし
民営・
分割化し、政治あるいは社会的な多くの制約から逃れても、
国鉄自身に、新しい組織に自主性というものが十分回復されないと新しい
事業体というものは運営できないだろうというふうに思います。
分割して、しかも
民営化する、あるいは
民営化して
分割する、これは一体のものと私は思っていますけれども、これによって初めて
事業体における経営の自主性というものがより確立できる、そういうチャンスに恵まれるというふうに思います。
事業経営でありますから、いわゆる
企業経営の
基本的な要請というものは、要するに経営における自由な決定とその決定に
対応する結果に対して十分な責任をとる、これが自由社会の
一つの根底にある認識だと思いますので、
国鉄の自主性というものを大きく回復することに、あるいは確立することに
国鉄の
民営・
分割化というものは役立つであろうというふうに考えております。
そういたしますと、
民営・
分割された各
会社は、現に
民間の
鉄道会社がやっているような
事業展開というものを十分でき得る余地が出てまいりますし、その他の交通機関あるいは分かれたそれぞれの
会社とお互いに競い合いながら
利用者のニーズにこたえていくよりよい体制ができてくるだろうというふうに考えております。
公社制というもとにある限り、
国鉄に自由な決定権とまたそれを負うだけの責任の体制というものは、現在の
公社制の中では非常に希薄になるというふうに思っております。
もちろん、
分割・
民営化されたといっても、各社が自由、勝手なことができるというふうなことは当然あり得るわけはないわけでして、そこにはやはり株式
会社としての制約もございましょうし、あるいは
分割された
国鉄といっても、
地域交通においては相当の優位に立つために、その
地域の独占的な問題に関しても
配慮していかざるを得ないというふうに考えております。
鉄道事業あるいは交通全体は、経済が相当に低成長の中にありましても、いわば成長産業の
一つに考えられると思います。したがいまして、
国鉄がこの
鉄道あるいは
鉄道を中心とした関連
事業を大きく展開することによりましてかなり明るい未来が開けるというふうに考えております。
それから、これと関連いたしまして第三番目にもう
一つ申し上げておきたいのは、いわゆる
分割・
民営化によって
国鉄職員のモラールの向上に大きく役立つではないかというふうに私は考えております。
公社制のもとでは、元来が国営ということもありまして、その結果としていわゆる官僚的な体質ということがしばしば指摘されております。そういう問題が色濃く現在もある程度残っているというふうに言われます。これは倒産がございませんし、一般
民間の
企業では、社員はやはり倒産の危険というものをかなり深刻に受け取りながら、しかし積極的にチャレンジする姿勢というものを持っているのですけれども、そこまでは考えておらないと思います。倒産のない安心感、しかもコスト意識、これはかなり不徹底であったと思いますし、それから生産性向上への
意欲というものもさほど強くはなかったというふうにも思われます。巨大な組織でございますから、
国鉄の社員を縛る規則というものは恐らく膨大な量に上っているだろうと思います。したがいまして、この規則に縛られた
国鉄職員というふうな姿というものがかなり鮮明にあったのではないか。これが
分割され、
民営化されたときには、そういった制約から大きく解放される可能性が非常に強いというふうに思います。したがって、
分割・
民営化への改革は、
公社制度では生かされなかった社員内の創意と、それから才能、
意欲、そういったものが十分に生かされる余地が出てくるというふうに私は思います。
ここでちょっと、私は
民営と
分割とを同義語あるいは同じような言葉として扱ってまいりましたけれども、
分割と
民営ということを分ける
考え方も当然あり得るだろうというふうに思います。しかし、私は、
国鉄の場合はこれは一本で考える必要があるだろうというふうに思っております。単に
民営化しただけでは現在の
国鉄をよみがえらせることは大変難しいのではないかというふうに考えております。
それはなぜかといいますと、結局、
国鉄の
鉄道事業そのものが極めて労働集約的な産業である、
企業体であるということであります。それが第一。それから第二に、しかし、
地域にもう
一つ密着したサービスを今後はやっていかなくてはならない。国民の交通、特に
鉄道需要の
地域的な流動ということを考えますと、かなり広い範囲にとりますと、つまり今度
改革案に出されました六つの
会社の営業領域というものを見てまいりますと、その中で流動する人口というものが恐らく九〇%以上に達しているというふうな数字もございますので、そういう
意味では、
分割することによってその
地域に密着したあるいはその
地域の特徴ある交通体系というものがそれぞれの
企業によって、それぞれの
会社によって生まれてくるのではないかというふうに思います。
逆に、いわゆる一体化した
国鉄、いわゆる
国鉄の全国一律の
考え方、現在とっております
公社制、これは既にある種の
破綻というものを来しております。
昭和三十年代の中ごろ、
国鉄は御存じのように支社制度というものをつくられまして、全国を幾つかの支社に、その後次第に数がふえたようですが、支社制度をつくられて、いわゆる中央における管理と地方における特性というものを巧みに結びつけた、大変
意欲的なユニークな案であったというふうに思います。もしこれが十分に機能できたら、今日の
国鉄というものはもっと状況はよかったのではないかというふうに考えます。しかし、この支社制度というのは、
昭和四十五年を境に廃止されざるを得なくなったわけであります。
結局、この制度の失敗した
原因を眺めてみますと、やはり支社相互間の、いわば地方における格差、いろいろな
意味での格差がかえって拡大する傾向というものをとるようになったということであります。それは
一つは、
賃金が
国鉄一本、全国的に決まっておりますし、それから人事権が中央に握られておりますので、これは我が官庁によくあるように、二、三年で支社のトップの人が交代せざるを得ないというふうな問題、あるいは
設備投資の状況、償却の負担の状況等々いろいろな
原因があったように思われますけれども、いずれにしろ、高度成長の中にありながらやはりこの方式というものを放棄せざるを得ない。現在では北海道、四国、九州に若干その形骸が残っているようでありますけれども、本州は本社に直接管理される体系になったというふうなことが言われております。したがいまして、全国一律の組織形態というものは、どうしても新しい時代に対して、特に
地域の流動の状況を見るにつけて、維持するのが困難ではないかなというふうな感じを強くするわけであります。
さて、第四に指摘したいことは、ちょっと先ほどもお触れになられたように、
地域性というものを非常に重要視するということで、私は
国鉄の駅というものの新しい行き方、あり方というものに対して、恐らくこの
分割・
民営というものがよりよく適切に
対応できるのではないかというふうに考えております。
分割・
民営というのは、実は
分割というのは私の好みからいいますとできるだけ小さく
分割した方がいいというふうに私は考えておりますけれども、それは
財政的な問題その他である程度くくらなくちゃならないということは当然だと思います。問題は、
国鉄の全国に持つ駅をそれぞれが活性化していく、特に大都市圏以外の駅についてこれを強く期待したいというふうに思います。
昔から、駅は、我が国の近代工業化が全国的に波及していく場合の
一つの重要な窓口であったというふうに思います。知らないある駅に中央から違った文化が地方に流れ込んでくる、今までにない新しい知識が流れ込んでくる。これもやはり駅というものを中心にして流れ込んできて、そして我が国の近代化、工業化というものに大きく役立ってきただろうというふうに思います。
したがって、今日、地方の駅を廃止するあるいは委託駅にするというふうな状況は、今後はむしろ逆の発想で、もう一度新しい、先ほど来申し上げましたサービス化時代に適応するような形で再活性化する、そういうことが、これは中央一元の
考え方の中では必ずしも出てこない発想だというふうに思います。やはりそれぞれの
地域に根をおろした、それぞれの
企業が各
地域の特性に応じてそれぞれの駅を活性化していくというふうな
方向というものが、まさに
民営・
分割によって可能だろうというふうに考えております。もう一度、特に地方大小都市の中心に——今まで、少なくとも工業化時代には大中都市の中心に駅というものは存在したというふうに思われますけれども、それが交通体系その他の急変によってだんだん置き去りにされてくる、そういう
地域も出てきているわけですから、もう一度駅というものを中心にいたしまして、その駅で新しい
事業、サービスなりあるいはレストランなりショッピングなり、あるいはさまざまな情報のいわばターミナル、つまり、これからの
国鉄の駅は新しい時代に即した情報のターミナルであってほしいというふうに思います。
それには
民営なり
分割化していくという
方向がやはり最大の方策ではないかというふうに考えております。そうすることによって、再び
国鉄の駅を中心として
地域開発が行われ、ひいてはそれが
地域づくり、
地域開発の芽になり、国づくりの基礎になってくる、そういうふうに私は考えております。
最後に、今度の改革に当たりまして一言だけ申し上げておきたいのですけれども、改革の実際的な手続に当たって
二つの点を私は期待しております。
一つは、やはり極めて常識的であるということが
一つ、それからもう
一つは公平であるということ、この
二つを今度の改革の手続の
一つの基礎的なものとして提示していただければ、国民的な理解も大いに得られ、それから新しい
国鉄の再建への大きな
一つの基礎になるのではないかというふうに考えております。
どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)