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山田譲君 私は
医療制度の問題、その他いろいろ問題はあるにしても、これは今高杉さんがやっておられますから、私はここで特に
長寿園について実態、実情がどうなっているかということを少しお話しをして、ぜひとも善処をお願いしたい、こう思うわけです。
どうも聞いていまして、
総理大臣もそうですけれども、若干何か勘違いしていらっしゃらないかと思う節があるわけであります。
実は私も、この問題は非常に重要だと思いましたものですから、去年あたりから何回も足を運んで地元へ行ってきました。そして、とりわけ十日くらい前、ちょうどあの大雪の晩でありましたけれども、私は現地へ泊まり込んで、そして坂上部落、これは
総理なんかもよく御存じの大変な山間僻地でありますけれども、その中を、寒い中でしたけれども、五、六カ所各家を歩き回って、その辺の村の人にも集まってもらったりして話を聞きました。それで、あの寒いしかも大雪の晩でありましたけれども、非常に多くの村人が集まってくださいまして、いろいろと私も陳情を受けたわけであります。
そこで、その中にいる
人たちはもういろんな人が来ていました。その中にはもちろん中曽根さんの熱心な信者も、支持者もおられましたし、福田赳夫さんの信者もおられた、あるいはまた小渕恵三さんのど真ん中のようなところですからこれまた熱心な子分さんたちもたくさんおられたわけであります。そういう人でして、別に
特定の人が扇動してやっているというふうな筋合いのものじゃ全然ない。本当に村が挙げて何とかしてこの
長寿園を残してもらいたいという気持ちがいかに切実なものであるかということがよくわかったわけであります。
特にこの療養所につきましては、古い話ですけれども、
昭和十四年に国立の結核療養所をつくろうとしたときに、各地方は嫌がってそれを受けなかったわけです。それに対してこの坂上部落の
人たちは、これはお国のすることだから
協力しようじゃないかといって、むしろ喜んで勤労奉仕までしてこの療養所を持ってきたのであります。そして、さらに戦時中には患者さんのために防空ごうまでつくったりなんかした。そういうふうにして非常に村
人たちも、自分たちの命を守ってくれる大事な国立の療養所である、病院である、こういうことで、ほかに病院もない完全な無医地区ですから、一生懸命みんなが守り育てた。それで、療養所としても地域
医療のために非常に努力をしてくださったわけであります。
そういう療養所ですから、
日本国全体の
医療制度をどうするこうするという大きな問題はこの際論外としても、とにかく村人があれだけ切実に残してくれと言っている。そしてまた患者さんたちも、これはもう大体六十以上の人が多いんですけれども、その
人たちも何とかして自分はこの療養所にいたいんだ、こう言って願っているわけであって、これは決してだてや酔狂で言っている言葉じゃないんですね。ですから、ひとつここのところをよくよく
考えていただいて、
総理大臣にもぜひ善処をお願いしたい、こういうふうに思うわけです。
それで、非常に不満足なのは、これだけの大きな問題になっている、それで非常に
厚生省もよくやるようなことを言っていますけれども、
厚生省の人はだれ一人として今まで来やしない。現にあと二週間くらいしかないのに、とにかく三月いっぱいでやめます、そういうことを言ったって、これは村の人は納得するはずはないわけです。そこら辺を十分
考えていただいてぜひとも善処をお願いしたい。
総理大臣、いかがですか。ぜひお願いします。