○金丸三郎君 それでは、まず
総理にお伺いいたしたいと思います。
ことしは天皇陛下の御在位六十年という大変記念すべき年で、国としてもお祝いを申し上げたいというお気持ちのようでございます。私は、
総理がどのようなお気持ちでこの式典を挙行なさいますか、国会議員としてまた国民の一人として、このようにしていただいたらなという私の気持ちを申し上げて、
総理の御所見を伺いたいのでございます。
ことしは六十周年と申しておりますけれども、御承知のように天皇陛下が大正十年に外遊なさいまして、九月御帰国になり、その後摂政の宮になっておいででございます。それから
考えますというと六十五年でございます。六十年でも大変長い御期間、私は心の底から陛下に対しまして本当に御苦労さまでございましたと、こういう感謝の気持ちを申し上げたいような感じがいたすのであります。
総理に、六十年間あなた
総理をおやりになりますかと言われましたら、
総理は何とおっしゃいますか。六十年というのは、これはもう大変な長い期間で、その間、陛下もいろいろと
昭和十年から二十年まで、
昭和二十年からあの
昭和二十年代の
日本の混乱の時期に陛下が全国をお回りになった、懸命なお姿を思い浮かべてみますというと、本当に陛下も感無量であられるだろうと、私はこのような感じがいたすのでございます。
実は、
総理もよく御承知の、前の宮内庁の
長官をしていらっしゃいました宇佐美さんに内務省の地方局で私は上司としてお仕えいたしました
関係から、親しくさしていただいておりました。あるとき
長官のところに伺っておりましたら、
長官が私にこういうことを申されたのであります。各国の大使が天皇陛下に信任状の奉呈においでになると、奉呈式が終わりました後、大使方が宇佐美
長官の部屋においでになりまして陛下に対する印象を述べられる。このように正直なお方に会ったのは生まれて初めてですと、これが私の印象に実は非常に強く残っております。別の言葉で申しますと、陛下には私がない御性格じゃなかろうか。
総理の方が私よりもよほど陛下にたびたび接しておいででございますから、陛下に対するそのようなことについての
総理の御認識も伺わせていただいて、私はこの際、国民の皆さんにもそのことをよく知っていただいたらという感じがいたすのであります。
陛下は大変質素なお方、謙譲なお方、英語で申しますならばフォー・アザースという言葉のぴったりするようなお人柄だと思っておるのでございます。
昭和二十年の終戦の御決断は、最近人々に非常によく読まれております月刊雑誌がずっと連載をいたしまして、単行本になりました。したがって、これは国民のもうよく知っておるところでございます。陛下の目には
政治的な信条も宗教の違いもなく、一人でも国民の命を救いたいというお
考えであの決断をなさったのだ、陛下は自然な結論としてあのような御決断を下されたのではなかろうかと、私はこのように推測をいたしておるのであります。その陛下のお人柄を端的に物語るいわば有名なエピソードがございます。しかし、もう四十年前でございますので、あえて私はきょうそれをもう一週御披露申し上げてみたいと思います。
昭和二十年の九月の二十七日、天皇陛下がマッカーサー司令官に初めてお会いになったときのことでございます。当時ある人がリークしました
関係から、そのときの模様は相当に伝わりました。徳川侍従長に聞きますところでは、マッカーサー司令官との約束であったので、そのときの話は絶対に自分からは言えないと言って陛下はおっしゃらなかったそうでございますけれども、幸いにして一方の当事者であったマッカーサー元帥が自分で回想記を書いていらっしゃるその回想記に、当日のことが書いてあるのでございます。
少し時間をとりまして、皆さん方にも申しわけないと思いますけれども、しばらく時間をお許しいただきたい。
これはマッカーサー回想記でございまして、これはそのリコピーでございますけれども、本当のものであることに間違いはございません。その中に当日の模様として、これはマッカーサー司令官の記載でございます。
連合国の一部、ことにソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪者に含めるという声がかなり強くあがっていた。現に、これらの国が提出した最初の戦犯リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。私は、そのような不公正な行動が、いかに悲劇的な結果を招くことになるかが、よくわかっていたので、そういった動きには強力に抵抗した。
ところで、マッカーサー司令官は、天皇が戦争犯罪者として起訴されないように自分の立場を訴えられるのではないかという不安を感じておったのだ。ところが、いざ天皇陛下がマッカーサー元帥に話し出されましたことは次のような言葉であった。
「私は、国民が戦争遂行にあたって
政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」
私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽している諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても
日本の最上の紳士であることを感じとったのである。
これが当日の記録でございます。
マッカーサー司令官は、大変自尊心の高い、またみずから
アメリカの大統領になるという
考えまでも持っておった人であります。この場面は、私をして言わしめますならば、連合国の最高司令官としてのマッカーサー元帥でなく、マッカーサー個人と天皇陛下個人の、個人と個人との人柄の接触においてマッカーサー元帥がこのような感じを受けられた、私はこの点について最も天皇陛下に対してお人柄を御尊敬申し上げるというような感じがいたすのでございます。
だから、天皇陛下のこのような御性格からいいまして、式典が盛大であるとか多くの人が参加するとかいうようなことは、どうも天皇陛下はちっとも望んでいらっしゃらない。天皇陛下は、本当に自分が一生懸命やってきたことに国民が心から理解をして感謝しておるのだということがわかりましたら、私はそれで十分にお喜びになるお方なのじゃないか。山の中の主婦たちが野菊を摘んできて、天皇陛下にありがとうございましたと言って差し上げるようなことでも、陛下はそれで御満足になるのじゃないか、私はそのような感じがいたすのであります。
もう
一つは、皇后陛下のことでございます。
昭和二十年まで、特に私の推測では
昭和十年前後から二十年までの皇后陛下の御心労も並み大抵ではなかったと思います。
昭和二十年から全国を行幸啓になりましたそのときのお二人が本当にいたわり合い、一生懸命に国民のためにお尽くしになりました。皇后陛下が八十三歳におなりになる、陛下は来月満八十五歳でございます。私は、国民としてまた国会議員として、両陛下が本当にいたわり合いながら我が
日本のために、また国民のために私をなくして今日まで尽くしていただいたことについて、天皇陛下に対して感謝申し上げると同時に、皇后陛下に対しましても私どもの感謝の真心をお示ししますことが今度の式典の意義になるのじゃなかろうか。
若干私の主観が強過ぎるかもわかりませんけれども、
総理のお
考えをお伺いいたしたいと思います。