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竹田四郎君 今ずっとお話を聞いていまして、新しい町づくりといいますか、あるいは町を改造していくという
考え方を拝聴していますと、非常に何というのですか、核になるような商業地というのですか、ビジネスのところをつくるということが大体
中心で、歴史的な
地域をつくる場合にも、例えば鎌倉八幡宮がある、長谷の大仏がある、こういう歴史的に現実に存在をしているものを
中心に歴史的な町並みをつくっていくとか、こういうお話なんですが、それも
一つの
開発の手法だと私は思うんです。
私が住んでいるのは横浜という割合歴史が少ないところに、歴史的な遺産の少ないところに住んでいるせいもあるのかもしれませんが、やっぱり私は住みよいということは確かに
道路もある程度の広さがある、空間もある、
緑地もある、これは確かに基本的な条件だろうと思うんですが、もう
一つは、私は歴史的な
環境といいますか、自分の住んでいるところの歴史的な
環境というものは
一体どうあったのか、こういうものというのは案外人間の生活していく上に必要じゃないんだろうか。かつてはここはこういうところであったということはその
地域への愛着心というのもまた同時に生まれてくる、そこにいろんな新しい町づくりというものが生まれてくる、そういう素地というものができていくことがやっぱり住みいい、しっとりした町づくりというものができると思うんです。
私の住んでいる
地域というのは、かつて東急がずっと田園
都市沿線で
開発した多摩丘陵
地域が私の近くにあるわけですが、そこに住んでいる方々というのは、言うならばそこの地つきの人よりもほかから入ってきた人たちの方がはるかに多いわけです。そこにいろんなアパート群ができたり、何かできたりしているんですけれ
ども、それだけでは町づくりになかなか
発展をしていかないんじゃないか、そこにはやっぱりその
地域の歴史というものほかつてどうあったのかということがそこに住んでいる人に知らされていくということも町づくりの中の
一つの大きな要素であるし、そういうものが案外町づくりの共通項といいますか、そこに住んでいる人の共通項になり得る問題だろう、私はこう思うんですよ。そういうものをその
地域の人に知らせるという活動、これは何も新しい物理的なものをつくるという意味じゃなくて、そういう
文化的な活動と町づくりというようなものがもう少し何か密着てきないものだろうかなというふうに私は思っているんですが、例えば小さな
デベロッパーがそういうことをやれと言ってもこれはなかなか難しいと思うんですが、例えば東急あたりのような大きな
デベロッパーなどがやるときには、かつてここにはこういうものがあったんだよ、今はもう何もなくなっているんですけれ
ども、こういう歴史的な所産があったんだよ、原始時代はここではこんな人間生活が行われていたんだよというような歴史的なもの、こういうようなものを――これは何も
政府がみずからやる必要もないと思いますし、しかし、何らかの形でそういうものが生まれてくるようなこと、そういうようなものももう少し町づくりの一番基本の中に考えてみていいんではないだろうかというふうに思うんです。そういうものはどこでどういうふうにやるかというと、これはいろいろ
文化庁も
関係するでしょうし文部省も
関係してくるでしょうけれ
ども、あるいは
市町村あたりもそういうものを積極的におやりになることも必要だろうと思います。
東京あたりでこう見ますと、あちらこちらに棒くいが立っておりまして、これは何々坂だというので若干書いてございますね、まああれだけが唯一の手法だとは私は思いませんけれ
ども、ああいうものも非常に何かしっとりした町づくりの
一つの柱になっているような私は気がするんですが、そういうようなものももう少しお考えいただけるようにしたらどうだろうかというふうに私前々から考えていて、人間というのは
土地と家と緑と
道路があれば生活できるものじゃなくて、やっぱりそこには歴史というものが、自分たちの住んでいたところがかつてどんな人間の生活が行われていたのかという歴史というものも住んでいく上には非常に大切なものではないだろうかということを
考えているんですが、先ほどの御
説明は役所でおやりになることですからそこまではお書きになれないんだろうと思いますけれ
ども、
歴史的地区の
環境整備街路事業とか、あるいは伝統的、
文化的
環境の
保全なんかの中にそういうものが恐らく入っているだろうと思いますけれ
ども、そういうものがもう少しクローズアップされるような――これはボランティア活動なのかもしれませんけれ
ども、少し強調されていいんではないだろうかというようなことを考えますがどうでしょうか。