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参考人(
室田武君) おくれて失礼しました。
室田と申します。
経済学の観点から一言申し上げます。
今回のソ連の事故がソ連国内のみならず、欧州全域に汚染を広げている。そういう
状況の中で今回の
法改正、なぜ急ぐ必要があるのかというふうに考えます。
不確実性の経済学という分野がありますけれども、何か将来に大きな不利益があり得るかもしれないということが予想される場合に、今それを決めてしまわないと少しの不利益があるかもしれない。だけれども、将来大変なことが起こり得るという場合に、決定を少し先に延ばすということから生ずる非常に大きな利益ということが指摘されているわけです。今回の事故がまだ進行中で原因さえも解明されてない、あるいは単に言われている炉心溶融ということだけでなくて、核暴走というような最も恐れられている事態が起こったんじゃないかという疑問もあるわけです。そういう
状況の中で今回の
法改正を急ぐ必要がどこにあるのかということをまず考えるわけです。既に
発生者責任の原則がそこでうたわれているわけですから、それをどう見てもあいまいにしているというふうにしか思えない
法案を今急いで決めて、後に非常に大きな汚点を残すということがないような
措置がぜひ必要だろうというふうに思います。核
廃棄物の保管に関しては、まだ
日本で事故評価といったものが十分になされてないんじゃないかというふうに思うわけです。
原子炉の仮想的な事故、あるいは仮想的な規模を上回るような事故の可能性ということについてはある
程度の分析がなされ、またそれに基づいて原子力損害の賠償に関する
法律ができているわけです。しかしながらそれはあくまで
原子炉についてであって、核
廃棄物について十分な、特に事故が起こった場合の分析も含めた評価がなされていない。ところが、実際にはアメリカの場合、軍事用の核
廃棄物ですけれども、ワシントンのハンフォードであるとか、そこではプルトニウムの再臨界寸前というような事故もあったというように伝えられております。それから一九五七年ですか、昭和三十二年、ソ連においてはウラルの核災害ということで知られているような非常に大規模な核
廃棄物貯蔵庫における事故が起こっているということもわかってきておるわけです。ですから、そういった歴史的な事実も踏まえて核
廃棄物の事故災害、そういったものの評価がまだなされてない
段階で
発生者責任がどうしてもあいまいになりかねない。既にきちんと
発生者責任の原則がうたわれているものが、なぜこの時期に
改正されなければならないのかというところで、再度根本的にこの問題を考え直す必要があるのではないかというふうに思うんです。
これが出てくる
背景というのは、御承知のとおりに、
日本でも既に廃炉が具体的になってきてい
る、百万キロワット級の原子力
発電所
一つを廃炉にした場合、大体六十万トンぐらいのさまざまな
レベルの核
廃棄物が生じてくる。その
処理処分に要する
費用は、最近のいろいろな
意見が分かれるところでしょうけれども、一基について四千億円ぐらいはかかる、あるいはそれ以上かかるんではないかということで、その原子力
発電所の建設費そのものに匹敵するか、あるいはそれを上回るような
費用がかかる可能性があるということが言われているわけです。
アメリカの場合は、既に一九七八年ですか、下院の
政府活動
委員会だったと思いますけれども、ニュークリアコストという
報告書を出しまして、その中で、廃炉が建設費を上回るようなコストをもたらす可能性があるということも既に指摘されているわけです。
日本においてもそういった過去の
経験あるいは諸外国でのいろいろな試算といったものを十分に検討した結果、こういう
現行の
法律をもし
改正が必要だったらどういうふうに直していくのかということの、かなり根本にさかのぼった再検討が必要ではないかと思うんです。
核
廃棄物というのは何の経済的価値も持たないわけですね。その辺が原子力
発電の場合は
放射能の危険性はもちろんありますけれども、少なくとも電気ができるから、売った電気が収益にはなるということがあるわけですけれども、核
廃棄物の場合はそういう
意味で何の価値ももたらさないわけです。したがって、その
事業が経営的な経理的な基礎をどこまで持ち得るかということが最初から疑問なわけで、そういった
意味では電力を売ってそこで利益を上げている、その利益の一部を回して確実に
電力会社が
責任をとるようなそういう
現行の
法律の方がむしろ今回の
改正案よりもまさっているのではないかというふうに思うわけです。
核
廃棄物の問題の少し前に再
処理の問題がありますけれども、その再
処理の場合は若干のプルトニウムが取り出せる、したがって、それが核燃料として使えば経済的な価値を少し生むということですけれども、この再
処理についてさえ、既に一九八一年ですか、通産省の料金制度
部会が使用済み核燃料一トンの再
処理に要する
費用が約二億一千百万円、それに対して再
処理から生み出される燃料の価値、プルトニウム並びに減損ウランの価値はその評価の仕方によって違いますけれども、一トン当たり三千四百万円ないしあるいは六千百万円
程度ということで、いずれにしろ一トン当たりの再
処理に伴って千二百億円ないし千四百億円
程度の正味の損失が生じるということが通産省の試算においても明らかにされているわけです。
ですから、若干の燃料が取り出せると言われている再
処理でさえ経済的には何の利益にもならない、正味の莫大な損失が生じる
事業なわけです。ましてや核
廃棄物の場合は、それ自身に何の価値もないわけですから、そういった
事業がとても経理的、経営的に見て成り立つはずがないわけです。そういったことで、現在これだけ世界を騒がしているソ連の事故が進行中の今、この問題の検討を少し先に延ばして考え直してみるということから生じる利益は非常に大きいんじゃないか。逆に、今これを急いでしまうことで、
日本の原子力開発の将来に非常に大きな汚点を残す可能性があると思うんです。広島、長崎、ビキニと三回の被爆体験を
日本は持っているわけです。広島の場合、過ちは二度と繰り返しませんということをそこで誓ったはずで、それにもかかわらずビキニの事件が起こり、そして今ソ連の事故が起こっているわけです。
ソ連の事故の場合、炉型が
日本と違うとか、格納容器がソ連の場合ないとか、そういった問題はある
意味で非常に瑣末な問題でして、今回のような規模の事故が起これば、相当頑丈な格納容器をつくっておいたところでそれは完全に吹き飛んでしまうわけです。炉型の違いの問題でもなく、内蔵されている
放射能の量とそこで発生する莫大な熱、その
二つが原因になってこういった事故が
日本でも十分に起こり得る。いろいろな報道なんかで、アメリカのスリーマイルアイランドで起こったわずか七年後にソ連のチェルノブイリで起こっているということで、原発保有大国、その次はフランスと
日本ということになるわけですから、次はフランスか
日本かということもささやかれているわけです。
そういう
状況の中で、この
法改正を急いで決着をつけてしまうということは非常に危険で将来に大きな禍根を残すというふうに、私自身経済学者の一人として強く感じているものです。
時間だと思いますので、失礼します。