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大城眞順君
沖縄が戦後直ちに
米軍の占領下に入って以来、特に一九五二、三年から数カ年にかけまして、
沖縄の基地建設あるいはまた基地運営に従事しておりましたフィリピンの方々が二、三万おられたという戦後の流れがございます。そのフィリピンの男性の方々が
沖縄の娘を嫁にいたしまして、基地建設が終わると同時にほとんどフィリピンに引き揚げていきました。そしてその結婚の結果、二世、三世を含めまして、
沖縄の血をひいたフィリピン人、結婚しておりますのでフィリピン国籍でありますけれども、約三千名の
沖縄関係者がおられるということが言われております。もちろん数字はこの方々が言っている数字でございますので定かではございません。とにかくたくさんの
沖縄の
関係者がおるわけでございまして、フィリピンには今唯一の県人会として
沖縄県人会があるのみでありまして、他の県人会はございません。そういったことで、私も過般機会がありまして、アキノ大統領、ラウレル副大統領初めといたしまして
政府の高官に会ってまいりましたけれども、その間を縫いましていろいろと県人会の皆さんと接触をいたしました。
その中で大変切実な問題が提起されました。それは何かと申しますと、もう既にその時期に入っておりますけれども、清明の時期というのがあります。お祭りをやりますけれども、
沖縄は祖先崇拝が極めて強いところでございまして、地球の裏からでもお盆や清明祭には戻ってこないと親不孝者だと言われるぐらいにかつてはそれだけの祖先崇拝の心があって、それがいろいろと子々孫々に語り継がれて、またそのように行われてきているわけです。それは一つの例ですけれども、自分の里に帰るのに日本のビザがたった二週間しかくれない。これでは門中とのつき合いまた親孝行もできない。どうしても二、三カ月は滞在ビザが欲しいと、こういうことで涙ながらに訴えられてきました。その滞在期間に私はその件を角谷大使あるいは山田領事その他の関係の方々にお願いをしてまいったわけでございます。
いろいろ事情はおありかもしれませんけれども、特に最近はフィリピンから来られる女性の中にはけん銃密輸あるいは麻薬密輸ということで、そういったものが反映して厳しくなっているかと思いますけれども、何と申しましても、
沖縄から行った方々ですから日本名を持っております。名前を見ればああ日本人か、
沖縄の人かとすぐわかるわけでございますので、やはり外務省としては九十日以内の滞在ビザの許可のいわゆる権限を持っておるわけでございますので、自分の里に帰るときには、南米からでも、中米からでも、北米からでも、いつも二、三カ月はビザをもらってくるわけで、なぜフィリピンだけ二週間だけか。
しかも、もともと日本人なのです。戦争であったがゆえに、あるいは
沖縄が占領であったがゆえに、フィリピンの嫁として行っておるわけでございますので、せめて一年に一回でも里帰りしたい、親孝行したい、こういうことでございますけれども、このビザを二週間から二カ月間に
延長いたしまして、この方々の願いをかなえてあげる方法はないものかどうか、外務省の御見解を承りたいと思います。