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1986-04-16 第104回国会 衆議院 文教委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十一年四月十六日(水曜日)     午前十時九分開議 出席委員   委員長 青木 正久君    理事 臼井日出男君 理事 北川 正恭君    理事 鳩山 邦夫君 理事 町村 信孝君    理事 佐藤 徳雄君 理事 佐藤  誼君    理事 池田 克也君 理事 中野 寛成君       阿部 文男君    赤城 宗徳君       石橋 一弥君    大塚 雄司君       田川 誠一君    中村  靖君       二階 俊博君    渡辺 栄一君       木島喜兵衞君    田中 克彦君       中西 績介君    馬場  昇君       伏屋 修治君    藤木 洋子君       山原健二郎君    江田 五月君  出席国務大臣         文 部 大 臣 海部 俊樹君  出席政府委員         臨時教育審議会         務局次長    齋藤 諦淳君         文部大臣官房長 西崎 清久君         文部大臣官房総         務審議官    五十嵐耕一君         文部大臣官房会         計課長     坂元 弘直君         文部省初等中等         教育局長    高石 邦男君         文部省教育助成         局長      阿部 充夫君         文部省高等教育         局長      大崎  仁君         文部省高等教育         局私学部長   國分 正明君         文部省社会教育         局長      齊藤 尚夫君         文部省体育局長 古村 澄一君         文化庁次長   加戸 守行君  委員外出席者         参  考  人         (臨時教育審議         会会長)    岡本 道雄君         文教委員会調査         室長      高木 高明君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  文教行政基本施策に関する件      ――――◇―――――
  2. 青木正久

    青木委員長 これより会議を開きます。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  文教行政基本施策に関する件調査のため、本日、臨時教育審議会会長岡本道雄君に参考人として御出席を願い、御意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 青木正久

    青木委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  参考人に対する質疑は後刻行います。     ―――――――――――――
  4. 青木正久

    青木委員長 文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。馬場昇君。
  5. 馬場昇

    馬場委員 大臣初め政府の皆さん、どうも御苦労さまです。  まず最初に、文教予算についてお尋ねをしたいと思います。  その第一は、国家予算に占める文教予算比率について非常に問題を感じておりますので、お尋ねしておきたいと思うのです。十年前の昭和五十一年度は、国家予算に対する文教予算比率は一一・四%あったわけでございますが、五年前の昭和五十六年に初めて一〇%を割りまして九・六%になったわけでございます。それが昨年は九%まで割ってしまって八・七%になりました。それがことしは、昭和六十一年度八・五%になっておるわけでございまして、国家予算に占める文教予算比率というのが年々低下してきておるわけでございます。こういう点につきまして文部大臣はどのように見ておられるのか、まずお考えを聞いておきたいと思います。
  6. 海部俊樹

    海部国務大臣 数字の結果を見ておりますと、ただいま御指摘のようなことに確かになってきております。ただし国家予算総額は、これは決して言いわけをするわけじゃありませんけれども公債支出あるいは地方交付税支出がふえてきて、全体の一般的な経費の中から見ると大体一四%前後というシェア横ばいをしておると思います。しかし、教育は非常に大切なものであり、国家予算に占めお割合横ばいないし低減してくるというのは方向としてやはり願わしい方向ではないわけでありますので、与えられた枠の中で必要なものには十分配慮をしながらきょうまでも努力をしてきたつもりでございますけれども、これからはなお何らかの我々の努力と我々の知恵によって教育予算が確保できますように、また教育改革が大きな当面の課題として目の前にあります今日は特にその実現のためにも、そういった努力を私自身を含めてより一層続けていかなければならぬときだと私は受けとめております。
  7. 馬場昇

    馬場委員 国家予算に占める教育費の低下、今大臣から答弁をいただいたわけでございますけれども国民考えておる認識、私が考えておる認識と少し違うようでございまして、私ども非常に事は重大だと考えておるわけでございます。これは明らかに教育後退傾向であるし。教育を軽視しておるあらわれじゃないかと私は思いますし、裏を返して言うと、このことが父母教育費負担の増に転嫁していっているわけで、そのことも後で申し上げますけれども数字がずっとあらわれておるわけでございます。そういう点で大臣認識というのを、事の重要性というか、そのことを腹に置いてさらに頑張らなければいかぬ、こういう決意をまず促しておきたいと思うのです。  そこで、人間教育人間をつくる仕事ですから、非常に大切な仕事でございますので、例えば予算編成の場合に、防衛費聖域だとかなんとかいう議論が行われておるわけですけれども、私は、教育費こそ聖域として、一二%と言う人もおりますが、最低一〇%以上くらいは、教育費国家予算の一〇%以上は聖域なんだ、確保するんだということを考えてはどうか。事実、戦後いろいろ経済の変動がずっとあったわけですが、その中でも一貫して五十五年ぐらいまでは戦後ずっと何十年と一〇%以上確保しておったわけですね。それが行政改革ということが始まってから落ち込んできておるわけでございますので、日本の国が文化国家として生きるというあかしのためにも、一〇%以上は聖域として文教予算は確保する、そういうルールといいますか、何か考え方というものでも確立してしかるべきではなかろうかと思うのですが、これに対する考え方を聞いておきたいと思います。
  8. 海部俊樹

    海部国務大臣 方向としては先生のお考えになっておることと、私も教育を大切に考えて、できるだけこれには予算の裏づけが欲しいものだという願いは全く同じでございます。具体的な数字を挙げての御質問でございますけれども、一生懸命努力をして、私たちもなるべくきょうよりも一歩でも二歩でも前進させていきたい、こういう決意で取り組んでまいります。
  9. 馬場昇

    馬場委員 少しずつかみ合わないのですけれども数字を挙げて私は言ったわけですが、大臣は一歩でも二歩でもということでございます。その意欲のほどはわかるのですけれども、実際ことしの国家予算は五十四兆で、その中で文教予算は四兆五千億ですね。だから、五十四兆の一〇%といいますと五兆四千億。そうしますと、一〇%確保すれば今の予算よりも大体一兆円近くはふえるわけです。そうしたらさぞかし教育は振興するのじゃないかということを、私だけではなしに国民は思っている。聖域という言葉はいいか悪いかわかりませんけれども、一〇%以上確保するんだということをだれもが納得する、政府部内でも国会でもみんながそういうコンセンサスを得て文教予算を確保する、そういう方向にぜひ努力をしていっていただきたいと思うのです。  というのは、こういう経済情勢とか、あるいは全体が公債費がどうだとかさっき大臣おっしゃいましたけれども国家予算伸び文教予算伸び、それに防衛費伸びを比べてみますと、やはり釈然としないものがあるのです。ちょっと数字を挙げますと、昭和五十七年、国家予算は六・二%の伸び文教予算は二・六%の伸び防衛予算は七・八%の伸びであります。それから五十八年、国家予算が一・四%伸びたときに、文教予算マイナス一・一%、そういうときでも防衛予算は六・五%伸びている。五十九年度は、国家予算〇・五、文教予算〇・八、防衛予算は六・五。六十年度は、国家予算三・七、文教予算〇・〇五、防衛予算六・九。そしてことしは何と国家予算は三・〇%で、文教予算は〇・〇四%マイナスになっています。そういう中で防衛費は六・六一%伸びている。  こういう伸び率を見て、例えば防衛費と比較してみて、あるいは全体の伸びと比較してみて、これは問題だと私は思うのです。なぜ言うかというと、戦後一貫してずっと教育費伸び防衛費伸びを上回ってきました。しかし、逆転しましたのが行革路線が始まりました昭和五十五年、そこから防衛費伸び教育費伸びが逆転してきておるわけでございます。文教予算防衛費伸びが逆転したということについて文部大臣はどういう認識をしておられますか。
  10. 西崎清久

    西崎政府委員 先に事務的にちょっと数字のことで私からお答え申し上げますが、先生から二点御質疑をいただきまして、一つは、国家予算伸び文教予算伸びとの関係、この点につきましては、国家予算伸びは確かに先生指摘のとおりの伸びがあるわけでございますが、その伸び数字の中には国債費地方交付税が入っておるわけでございます。したがいまして、一般会計から国債費地方交付税を除きまして、一般歳出ということにしますと、五十七年度は六%の伸びではなくて一・七八%になるのでございます。したがいまして、国家予算伸びということで文教予算考える場合には、五十七年度で言えば六%ではなくて一・七八%を国家予算伸びというふうに考えたいわけでありまして、その際に、五十七年度文部省所管は二・六%伸びている。ただし、この中には人件費が入っている、そういうふうな関係がございます。したがいまして、国の予算文部省予算との関係で申しますと、六十一年度は一般歳出は、国家予算では〇・〇〇でございまして、文教予算は残念ながら〇・〇四マイナスでございます。ちょっと低いわけでございます。そういう意味で、国家予算との関係で言えば、国債費あるいは交付税を除いた一般歳出との関係では、人件費を含めた文部省予算ではある程度バランスはありますが、物件費の方については問題がある、こういうことになろうかと思います。  それから、第二点の防衛関係予算文部省予算との関係伸びでは、確かに先生指摘のように、文教予算よりも防衛予算伸びているという事実はございまして、この点は今後の問題として教育予算をどういうふうに私どもは確保していくかという課題になろうかと思うわけでございます。
  11. 馬場昇

    馬場委員 国家予算のことはわかっているのですけれども、だから今はそういうことを一応前に置いて、防衛費伸び教育費伸びが逆転した、そういうことについてどういうふうにお考えですかということを大臣に答えていただきたい。
  12. 海部俊樹

    海部国務大臣 最初にも申し上げましたように、数字の結果だけ追ってきますとそのようなことになっておるわけでありますが、私は教育予算というものは、これも言い過ぎかもしれませんが、国がそのとき景気がよかったから悪かったから、自然増収が多かったから少なかったから、予算規模がこうなったからということに余り影響されずに、不断の努力の積み重ねが実は必要なものだと考えております。文教政策の中で大切だと思っておる諸政策を、与えられた枠の中で一生懸命やっておるわけでありますから、やはり多ければ多い方がいろいろな意味において好都合で、政策を軌道に乗せ前進させていくためにもいいことはこれは間違いございません。ただ、それを防衛費伸びとだけ比較したり、防衛費と比べてどうのこうのという角度の議論になりますと、やはり国際的な、いろいろな諸要請の中で決断された防衛費の決定というものと、それから、きょうまでずっと、先生指摘のように、この間までは伸び続けてきておった文教予算が、まあ額なんかではもちろん文教予算の方が圧倒的に多いわけでありますから、そういう中で、今後文部省としては、いろいろと文教立場で言うべきことを言い、特に教育改革なんかに着手して、必要なもの等については大蔵省に向かってもきちっと物を言って、理解を深めてやっていきたい。  そういった状況の中で、例えば行革の臨調が出てきますと、いろいろな意味削減、抑制を求められますが、臨時教育審議会の方では財政措置等についても、国政全般との絡みは前提にありますが、必要な措置は講じられなければならないという御議論も今願っておる最中で、答申を待っているところでありますから、そういった我々の気持ちと似たような御議論もいろんなところでしていただいておるのだということはわかりますので、これからも文教予算の拡充のためには力いっぱい努力をしていきたい、こう決意をしているところであります。
  13. 馬場昇

    馬場委員 海部さんもニューリーダーかどうか知りませんが、文部大臣だし、一人の政治家として、国家あり方というものまで含めて実は今質問をしておるつもりなんですよ。  そこで、私は、今日のこの防衛費教育費伸びの逆転というようなもの、防衛費がどんどん伸びているというようなこと、これが中曽根さんが言う「戦後政治の総決算」だと。国の予算というのは総理の顔、政府の顔と言われているわけですから、やはり、戦後の平和国家とか文化国家とか福祉国家とか、これが戦後の国家あり方でしたけれども、これを決算して何とか軍事大国とかという方向予算編成が向いていっておる。これはやはり問題だ。とともに、やはり国民生活もだんだん犠牲になってきておりますし、教育福祉も含めて犠牲にしながら、何か日米運命共同体という中で、アメリカ政府に向けた予算編成をやっているのではないか。こういう国家あり方について実は私は非常に問題を感じておって、少なくとも平和国家文化国家で生きる憲法体制の中で教育をする、教育行政を預かる文部大臣にとってみては、今日のこの状態は非常に問題だということを理解していただいて、これの中から教育をどうやってとっていくかという方向にぜひ踏み込んでいただきたいというぐあいに思います。  というのは、私、今文教予算が非常に問題だと思いまして次に質問申し上げるのでありますけれども文教予算の中の構成を見てみますと、六十一年度、ことしの文部省関係予算構成は、義務教育費教員等人件費が三兆四千百十二億円ですね。何と文部予算の七四・六%は人件費ですね。マイナスシーリングが始まりました前年度の昭和五十七年度を見てみますと、文教予算の中に占める人件費は六三・六%だった。だから、一〇%も人件費比率がふえて、そういたしますと投資分経費というのは何と二十何%くらいしかない。枠が決まっていてだんだん人件費がふえるものだから、そのたびに投資的経費が最近では一〇%くらいカットされておるわけですね。このまま人件費がふえていく、枠が決まっておる、そうしたら投資的経費というものはゼロになってしまう可能性だってないわけではない。こういう点は、文部行政を機動的にしかも教育は充実させるという上から見まして、本当に大問題だと私は思うのです。  この予算構成の問題、それがだんだん人件費がほとんど八〇%近くになってきておるというこの状況について、文部大臣、問題とお考えになりませんか。
  14. 海部俊樹

    海部国務大臣 御指摘のことは、私どももいたく心を痛めておる問題でありまして、毎年予算編成のときにこれらの人件費と、物件費といいますか政策経費とのシェアの問題については、大蔵当局と物を言い、折衝するときに、これは例としていつも主張し続けてきたところであります。  ですから、先ほど来申し上げておりますように、このままの状況がずっと推移していって人件費シェアというものがどうしても――人事院勧告その他毎年ございます。人を減らすということもほとんど難しい状況になっておるとすれば、人件費の方はふえるわけでありますから、文教予算を専一、という言葉はこれはどうか知りませんが、大切に考えてもらって、せめてODA的な発想で物事を考えてもらえないかということを、私自身も、去年はまだ党側立場でありましたが、大蔵省へいろいろお願いをしたり、大蔵大臣お話をするときに言いました。学問研究の峰を高くすることは世界の国々との相互依存関係を高めることにも役に立つんだ。あるいは、世界の国との相互依存関係が深まっていけば間接的な安全保障にもつながっていくと我々は思う。そういう意味からいくと、この国の政治の中でこういった意味学術研究というものは別に考えてもらってもいいではないか。あるいは、文部省のようにほかの役所と比べて人件費の占めるシェアが非常に多い特異な形態のところについては、人件費というものは何とか特別の考慮が必要ではないだろうかということを、去年までも言ってきたつもりでありますが、ますますその必要は痛感しておりますので、そういう方面で一生懸命頑張ってみますから、どうぞお見守りをいただきたいと思います。
  15. 馬場昇

    馬場委員 実は、私もここまで人件費が――七四・六でしょう。もう七五。このままの状態でいきますと、来年はまだこの人件費の占める割合がふえる。そういたしますと、今大臣も言われたのですけれども、この人件費というのは、これは特別枠みたいにして、あと投資的なものをこの中でどうふやしていくか、そういうような何らかの文部行政の特徴というものを政府部内、大蔵にも理解させて、何らかの対策、いわゆる文教予算構成に対する再検討というものについてここで踏み出さなければ、文部行政はじり貧になってしまう。こういうぐあいに私も思いますし、そういう点について、今大臣も前向きのお話がございましたけれども、私は臨教審なんかがその辺を、国家予算に占める比率を一〇%以上聖域にしなさいとか、構成比なんかこういう状況じゃ文教行政はできないじゃないか、こういう点について予算編成について再検討しなさいとか、そういうことをやるのが臨教審務めじゃないかと私は思う。ところが一向に、大蔵の圧力が加わっているのかどうか知りませんけれども、いろいろ何かかんか宣伝の好きな人が委員にいっぱいおるもので、いろいろ勝手な宣伝をするけれども事財政についてはさっぱり意欲が感じられないのですよ。その辺が臨教審務めではないかと私は思うのです。  ついでと言うと語弊がございますけれども臨教審はこの教育財政問題についてどのように議論してどのような答申を出そうとしておるのか、ぜひお答えいただきたいと思います。
  16. 齋藤諦淳

    齋藤(諦)政府委員 臨教審審議、今の件に関しましては二点ございまして、教育費構成についてはいろいろな歴史的な積み上げがあるけれども、それは新しい目で点検する必要があるのではないか、こういうような主張が一方でなされております。しかし、それに対しまして、長期的には目に見えないしかも基本的なこういう一種の社会資本の整備というものは非常に重要ではないか、そういう立場国民経済に占める教育なり研究への投資割合を高めていくことが必要である、こういう二つの議論を踏まえながら、目下審議がなされているところでございます。
  17. 馬場昇

    馬場委員 臨教審については、後で同僚議員臨教審会長が来られて質問をすると思いますので、ぜひそういうことをやるべきだという、そこをせぬで、口は出すけれども金は出さぬ、こういうような方向で今いっているようですね。だからその点は問題だと思います。  それで、大臣、やはり国家予算とか何とかというのは、政府の顔と言ったのですが、今の予算というのは大臣が就任される前に大体決まっておった予算ですから、今の文部予算には海部文部大臣の顔が出ていないと思うのですが、来年の予算にはあなたの顔がきちんと出てくるのではないかと思うのですね。そういう意味で、来年度予算について海部文部大臣自分の顔をどこにどういうぐあいにして出したい、そういうことで考えておられるのか。予算編成について、文教予算について自分の顔をどこにこういうぐあいに出したいんだ、そういうことについての方針といいますか、考えを聞いておきたい。
  18. 海部俊樹

    海部国務大臣 全体の枠の問題を申しますと、これは一回私も大蔵大臣ときちっとお話をしていかなければならぬ問題ですが、先生承知のように、毎年毎年の全体のシェアというものは、政府部内では六十五年度の赤字公債に頼らない財政再建という大前提が何回も確認されておりますと、御承知のように経常経費は一〇%の削減投資的経費は五%の削減というシーリングを置いての枠が一応決まってきておりますから、その中でまず文教予算についてどういう配慮をしてもらえるのかということをこちらから項目を立てて頼まなければならぬし、交渉しなければなりません。だから、枠組み全体のとらえ方というのは今ここでどうのこうの申し上げられませんので、私もそういう考えで、何とか、教育が大切で臨教審答申等でもその配慮指摘がされるなれば、特別にODA的な発想で見てもらう分野はなかろうか。例えば今、記憶に誤りなければ、国連大学関連経費留学生関連経費はODA的な発想で見ておるはずでありますから、さらにそれに、最初申し上げたように科学技術が大切で学術研究の峰を高めることが大切ならば、そういう方面のものはどうするかということもテーマになりましょう。また、百歩譲ってその枠の中で今度はどうするかということで、去年なんかも随分努力をし苦心をして文部省が組んだ予算でございますけれども、例えば私学助成の問題とか、あるいは四十人学級の問題であるとか、留学生の問題、科研費の問題、あるいは学校の教室の中の木材使用の問題、大規模校解消のためのいろいろな施策であるとか、与えられた枠の中ではありましたが、小さい非かもしれぬが新規のもの等努力をして組み込まれておるのが今年度の予算だと思います。  おしかりを受けるかもしれませんが、先ほど来伸び率の話も随分出ておりますが、私学助成の中でも、やる気のある学校研究装置のための費用は助成しようと、あの項目伸び率を申し上げるとたしか一〇%伸びておるわけでありますから、そういういろいろな努力を積み重ねて、ここに今年度予算もあわせてお願いしておりますので、それを踏まえて一遍省内でもよく研究いたしまして、省内のいろいろな指さす方向や今考えております問題を煮詰めて、そして、来年度予算をもし議論するときは、重点はこことここでいこうというようなことは少し日がたってからの話になると思いますので、当面はいろいろ関連法案を通していただき、予算が始まったところで十分検討をしてみたいと思っております。
  19. 馬場昇

    馬場委員 海部文部大臣は平和的な顔をしておられるし、文化の薫り高いような顔をしておられますが、来年の予算にはその顔が出るようにひとつ頑張っていただきたいということを申し上げておきたいと思います。期待をいたしております。  次に、最近の教育費父母負担の問題について申し上げますが、今言った議論がベースになって、結果としてどういうことが出ておるかというと、大臣も御存じと思いますけれども、まさに教育費地獄という言葉がございます、教育費貧乏という言葉がございます。こういう教育費地獄教育費貧乏という言葉は今の憲法体制教育基本法体制からは出てくるべきものではないのですね。しかしこういうのが出てきておるというところに問題がございます。  文部省調査によりましても、五十九年度に保護者が子供のために支出した教育費総額、いわゆる学校教育費学校給食費家庭教育費は一人当たり、幼稚園が公立て十六万幾ら私立て三十万幾ら、小学校で十七万幾ら、中学校で二十一万、高校で公立が二十六万、私立が五十五万、こういう数字文部省が発表なさいましたね。ところが国民は、また私もこの調査の結果を見て、これは実態と余りかけ離れていますから、うそじゃないかというぐあいにまず感じました。そうしてまた父母の中でも、こんなものではないぞ、教育費は地獄ですよ、こういうような声があって、これはうそじゃないかというような意見もたくさん出ておったわけでございます。  これは統計ですから、全体を平均してこういうぐあいに出しているからそういうことになるかもしれませんけれども、最近、東京の私立大学の教職員組合連合が、首都圏の十六の私立大学に昨年入学した八千人の生徒の父母を対象にして教育費の家計負担に対する割合調査をやったのが発表されておるのですけれども、三七・一%は非常に重い、それから重いと答えたのは五二%で、全体の八九・一%はこの教育費負担が家計に物すごく圧迫を加えておるというような意思表示をしておるわけでございます。厚生省の調査でも、家計が悪くなったと答えた世帯の四十歳代では四二%、三十歳代では三一%が教育費が原因で家計費が悪くなった、こういうぐあいに実は答えておるわけでございますが、教育費が家計を圧迫しておるこの事実について、文部大臣はどのように認識しておられますか。
  20. 海部俊樹

    海部国務大臣 一連の調査の結果は確かにふえておりますけれども、しかし、私たちも一生懸命政策努力をして、例えば私学助成は、私学全体に対する家計費の負担を何とか軽減していこうという、そういった一面のねらいもあるわけですし、また奨学金の制度もできるだけ充実させて、必要とする人にそれを使ってもらう。きめの細かいことを言いますと、各学校ごとに困った人には授業料減免の措置等もしておるというようなことがございます。そして、本当に困った人で本当に重くのしかかっておる方には、教育の機会均等という面から、そういう施策によって勉強ができるようにこういった政策を推し進めていかなければならぬということを私どもは感じております。
  21. 馬場昇

    馬場委員 ちょっと話がかみ合わないのですけれども、さらに言いますと、ある銀行が子供の教育費調査をやっていますが、幼稚園から高校までオール公立て大体どのくらい金が要るだろう。幼稚園から高校まで大体百三十七万五千円と出ているのです。オール私立て幼稚園から高校まで行ったら七百九万九千円。そしてこれは塾なんかは別なんです。塾なんかというのは年間やっぱり四十万か五十万くらい払っている。そのほかの家庭教育もあります。こういう教育費調査が出ております。  また、ある保険会社が五十九年度物価水準で試算をしましたところ、幼稚園から大学までオール公立て行って千七百五十三万円、オール私立て二千五百三十三万円、幼稚園と大学が私立てあと公立て千九百二十万円、大学を医科系、歯科系に行きますと大体四千万円、これが幼稚園から大学を卒業するまでの教育費だ、こういう統計が出ておるわけでございまして、今大臣が言われたような施策でこのことが解消できるのかどうか。私は全然できない、こういうぐあいに思います。  さらに、このことは、親に経済力、資力がなければ、さっき言われました育英資金とか私学助成金なんかだってスズメの涙ですよね。そういうことで、能力があっても親の資産とか資力、経済力によって学校に行けないというような実態が今現実にたくさん出てきておるのです。特に我々九州みたいなところにおって、東京の大学なんかに出すというのは大変ですよ。教育費地獄という言葉がそのまま当てはまります。そのために奥さんがパートに出たりいろいろなことをみんなやって、それでも地獄みたいな状況になっておるわけでございます。  そこで、もう少し質問をするのですけれども、そういう点の実態について全然認識が違いますと、次の質問に入っても答弁がかみ合わないと思うのですが、こういう実態について大臣はどう理解をしておられますか。具体的な数字がまだならば、教育費地獄とか教育費貧乏とかそういう言葉はあるけれども、実態があるのかないのか。その辺から、政治家としての大臣考えも含めて答弁していただきたいと思うのです。
  22. 海部俊樹

    海部国務大臣 詳細な数字とか検討研究の結果については政府委員から詳しくお答えをさせますけれども、私は、最初申し上げましたように、やっぱり日本の国にはいろんな姿かたちの各界を代表する国民の皆さんがいて、進学率は世界的に見るとすばらしい率に普及をしておる。このこと一つをとらえましても、非常に厳しい中でも親は子供のためには教育費を出してやろうという教育御熱心なお気持ちがあろう。これは大変ありがたいことであるし、同時にまた、それによって、僕は地獄という言葉が適当かどうか知りませんが、家計に非常に負担があるとおっしゃるんですから、それを何とか政府政策努力で片づけるようにしていく。そういう政策努力を受けなくても自力で十分できるんだという方もまたたくさんいらっしゃるわけであります。ですから、全体にばらまきのような形で出すよりも、本当に困っている人のところへ行くようにする、そういったことの方が大切ではないだろうか。教育費に関してはそんなことを感じておるわけです。  それで、最近の教育費調査でも、一番負担が伸びてきておるところは結局どこなんだろうか。今先生、高校の私立の場合、五十五万を上回る一番たくさんのお金が要るという御指摘ですけれども、我々の調査によると、これは平均値ですが、対前年同月比一・六%の伸びである。そうしますと、所得とか賃上げなんかよりも伸び率は少なかったということにもなるわけですから、ああよかったなと、伸び率が所得とか賃上げよりもうんと伸びていくようでは大変な地獄だけれども、よかったなと私どもはほっと安堵をするわけであります。  また、授業料だけの点をとらえても、何とかこれが上がらないように抑える努力はいたしてまいりますけれども私学と国公立ては、建学のスタートの原点からして幾らかの差があることは、これはやむを得ないことだと思いますし、また、進学する生徒の方でもそれを百も承知で、建学の精神にあこがれたり、あるいは必要なものを求めて進学をしておるわけでありますから、そのことを一概にいけないことだとも否定するつもりはありません。  そういうことで、結果として、困っている人には奨学金の制度やいろいろなことで、修学の機会均等を経済面からだけ阻害されないように配慮していかなければならぬだろう、こう思って取り組んでおるところでありますから、教育費地獄というような言葉が定着しておるとは私は思いませんけれども、もしそれがあるとするなれば、そういったものを解消するように、いろんな政策手だての中で努力をしなければならぬ、こう考えております。
  23. 馬場昇

    馬場委員 大臣の答弁と私の感覚がちょっと合わないのですけれども、今の憲法体制は法のもとに国民は平等ですよ。今の教育基本法は教育の機会均等をうたっているわけですよ。そうすると、経済的な理由によって修学の機会に差別があってはならない、これが憲法、教育基本法の理念ですよ。だから、経済的な理由とかいろいろなことをおっしゃいますけれども、勉強したいと思っている人が金がないから上に行けない、こういうことがあってはいけないわけですよ。経済的な理由で修学の機会に差別があってはならない。そういう点で、教育の機会均等、この憲法、教育基本法体制というのが、この法の精神というのが、今日の父母負担の増大ということで損なわれていっておる、また実行されていない。こういう観点から見て、この教育費父母負担が年々増大していくことは、この法に照らして必ず解消する、まあこれは一遍にはいかぬでしょう、長期的にこういう手順で解消していくんだというような政策文部省は持たなければいかぬ、文部大臣も持たなければいけないと私は思うんです。  それとともに、もう一つは、今、公立、私立の建学の精神がとおっしゃいましたけれども、こんなに差があっては教育の機会均等とは言えないし、税金の二重払いだとかいう話も出るのです。だから、当面は公私のこの差を縮めていく、そして縮めていきながら、将来的には父母負担というものをこういう方向で軽減していく、そういうところにまっしぐらに文部大臣文部省は取り組むべきじゃないか。そのことをまた臨教審なんかは重点的に取り上げていくべきじゃないか。今日非常に大切な問題じゃなかろうかと私は思うのです。  そこで、憲法、教育基本法に言う教育の機会均等というのが父母負担の増大によって損なわれておる、これは解消しなければならない。長期的にはこうするのだ、短期的には公私の間の差はこうなくすのだ、そういうことについての文部大臣の御見解を聞いておきたい。
  24. 海部俊樹

    海部国務大臣 何度も申し上げておりますように、先生方向は全く同じでございます。ですから、当面は私学助成文部省も最重点の課題として、昨年も一昨年も一生懸命それなりに努力をして、対前年と同じところにきちっと位置づけをしていこうというので努力をしてきたのは、当面そういった公私の教育費負担の格差を何とか縮めていこうという努力意欲のあらわれだとお認めいただきたいと思いますし、それから公立、私立を問わず、入ってもらったけれども経済的理由だけで非常に厳しい、困るという学生のために、やる気ある人に奨学金の制度で勉学を続けてもらう、授業料の減免措置なんかも大学個々に判断して必要と認めれば行うと、きめの細かいことまでしておるわけでありますから、当面は、その志が経済的な負担増に耐えられなくなって脱落する人がないように政策努力をしていくのは、これは当然のことだと思います。  それから、長期的に見ましても、やはり私学というのは建学の理想や精神や特色なんというものもあろうと私は思いますし、また、公立もそれぞれの地域の文化経済の中心となってきょうまで果たしてこられた人材育成の役割というものもあるわけでありますから、大学ごとにやはりその地域や要望にこたえた特色のある学校になっていっていただくことがそれぞれのためにもいいことだ、こう考えておるわけです。そして、もっともっと長い夢を語らしていただけば、日本の教育制度は、義務教育は非常に整備充実されて、問題は内蔵しておりますけれども、国際的にも一応のレベルに達したと言われておるが、高等教育、特に大学院の部分ではまだまだいろいろ指摘される問題等も多うございますから、その辺のところの充実をきちっとしていかなければならぬ、こんなことを考えながら毎日取り組んでおるところであります。
  25. 馬場昇

    馬場委員 私学に建学の精神があるのはわかっておるのですけれども、その建学の精神にあこがれて私学に入りたいという人が金がないから入れない、こういう状態が今あるわけです。  それから、私学助成を一生懸念言われたけれども、削られようとしたのを一生懸命頑張って削らなかったというだけの話で、このことが逆に私学の授業料とか何かを今どんどん引き上げていっているのが現実でしょう。泥棒が来たけれども、泥棒にとられなかったからよかったよかったというのじゃなしに、ふやさなければ何にもならぬわけですからね。そういうような問題とか、奨学金だって、奨学金、奨学金と言われますけれども、きょうはこういう攻撃するような質問は余りしないで建設的にやろうと思うのですが、利子をつけてあんなことをやってみたり何だといって、とにかく言えばいろいろありますが、大臣、一生懸命意欲を持ってやっていただくということですので、頑張ってもらいたいと思うのです。  臨教審の方に、父母教育費負担の軽減について、臨教審の方ではどのような議論をなさっているのか、ちょっと聞きたい。
  26. 齋藤諦淳

    齋藤(諦)政府委員 教育費全体のシェアを高めるということのほかに、現在の父母教育費負担は、特に高校生、大学生を抱える中高年齢層の負担が非常に重い、実質的な機会均等の立場から見ると問題がある、そういう立場教育費負担の軽減を図るための税制上の配慮等を含めた諸方策を検討していく必要がある、そういう立場議論がなされているところでございます。
  27. 馬場昇

    馬場委員 教育費の問題につきましてはまだありますけれども、あと幾つかの問題がございますので、この辺にして、大臣、一生懸命頑張ってもらいたいということを申し上げておきたいと思います。  次に、大臣、御存じのとおりことしは国際平和年です。それで、それに絡みながら、平和教育とか政治教育というものについて幾つかお尋ねしておきたいと思うのです。  国際平和年の国連総会の決定の中で、平和年の目的として、「国連憲章に基づいて、平和、国際の安全と協力を推進し、平和的手段によって紛争を解決するために、」「教育・科学・文化・学術機関ならびにマスメディア間の協調的かつ効果的な活動を助長する。」こういうぐあいにありまして、平和年が設定されているわけでございますが、具体的にお聞きしたいのは、この国連決議、ことしは国際平和年であるという、このことを教育の場で今どのように具体的に生かしておられるのか、どのように指導しておられるのか、まず聞いておきたいと思います。何にもしておらぬならしておらぬでいいです、答弁は。――協議して、検討しておいてください。いや、もう何も考えなくて、しておらぬならしておらぬという答弁でもいいのですよ。  大臣に、今度は局長にも聞いてもらいたいのは、戦後の日本の平和教育というものをずっとさかのぼってみますと、平和教育というのは憲法教育を中心にしてずっとやってきた、私はこういうぐあいに思います。昭和二十二年に文部省が出しました「あたらしい憲法のばなし」、この中に、「こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。」「もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。」「みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。」これは二十二年に文部省が「あたらしい憲法のばなし」として憲法教育を行っておるわけでございます。  今もこのようにこのことを教えているのですか。指導要領とか指導書にはどのように平和教育あるいは憲法というものを中心に教えているのですか、ちょっと聞かしてください。     〔委員長退席、北川(正)委員長代理着席〕
  28. 高石邦男

    ○高石政府委員 まず、学習指導要領並びに指導書の観点で申し上げますと、平和主義については、日本国民は、第二次世界大戦その他過去の戦争に対する反省と、第二次世界大戦の末期に原爆の被害を受けた痛ましい経験から、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように望み、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して国の安全と生存の保持をしようと願い、国際紛争解決の手段としての戦争を放棄し、陸海空軍その他の戦力を保持しないことを決意した、こういうようなことを基本的に述べて、教科書にも具体的に憲法の関係で日本の平和主義ということを強調しているわけでございます。  例えば、これは中学校の東京書籍の「平和主義」では、「日本国憲法の平和主義は、他国の憲法にはない特色をもっている。それはどのようなことだろうか。 日本国憲法は、前文と第九条で、平和主義を国の政治の基本原則にすることを宣言している。」というようなことで、いわば平和教育というのは相当一貫して同じような考え方で教科書にも述べておりますし、教育の場で取り扱ってきていると思っております。
  29. 馬場昇

    馬場委員 ここで平和教育の理念について議論する時間がありませんけれども、「あたらしい憲法のばなし」ということで子供にもわかるように書いてあるわけでございます。これを読んでみますと、憲法というものは戦争を放棄し、軍備を禁止して、結局、非武装平和という観点でできているのですね。こういう点でぜひ教えていかなければいけないと思うのです。  次に、平和教育とか政治教育とかが最近ずっと後退しておる、こういうことは私だけじゃなしに識者が認めておるところでございます。そこで、その具体的なあらわれとして尋ねておきたいのは、最近、広島とか長崎に修学旅行の生徒が行って原爆の資料館などを見るのがだんだん少なくなっていっておるのじゃないか、こういうことがよく言われております。さらに、政治教育の面においては、この国会を見学に来る児童生徒が年々少なくなっていっておるのじゃないか、こういうことも言われておるわけでございますので、具体的に、修学旅行に行って長崎とか広島の原爆資料館などを見る児童生徒がどういう傾向をたどっておるのか、国会に見学に来る児童生徒がどういう傾向をたどっておるのかということをお調べになっておられたら、発表してください。
  30. 高石邦男

    ○高石政府委員 具体的にそれぞれの都道府県、そしてそれぞれの学校においてどういうところを修学旅行先として選定するかというのは全く学校に任せているわけでございます。県でも一定の基準は示しておりますけれども、行き先までは決めないで、例えば二泊三日の範囲内だとか五泊六日の範囲内でというような形で決めておりますので、具体的な決定は各学校でやるわけでございます。したがいまして、学校が広島とか長崎を選ぶということで視察をするということはあり得ると思うのですけれども、どれくらいの数字で広島、長崎を修学旅行先に選んでいるかというデータまでとっておりませんので、過去の推移、それから現状、この比較が困難でございます。
  31. 馬場昇

    馬場委員 大臣にお聞きしたいのですけれども、最近、世論調査などによりますと、政治に対する無関心層というのが非常にふえていますね。やはりここは政治教育が十分行われていないというような点に起因するところも非常に多いのではないかと私は思います。そのほかに、国会が非常に緊張して国民にわかるような立派な運営をしておれば別ですけれども、いろいろあります。やはり基本的には学校における政治教育がだんだんおろそかにされておる、そういう中から国民政治の無関心というのが出てきておる、こういうぐあいに感ずるのです。だから、私は、平和教育とか政治教育とかというのはますます力を入れていかなければ、日本の民主主義とか平和というのが危ない方向に行ってしまうのではないかという感じがいたします。そこで、ぜひこれを強調していただきたいということが第一点。  第二点は、この国会に児童生徒が来ますね。そうすると、そこで集まってくるっと回って帰ってしまう。政治教育という場において余りにも不親切であるということを感ずるのです。だから、児童生徒が来たら、もう少し政治教育的に子供たちが何か理解して帰るような方法とか――あのパンフレットなんか見ますと、十年前から同じようなパンフレットじゃないですか、一冊ずつ配っていますね。何か政治教育になるようなパンフレットとか、来た者にだれかが説明をするとか何か丁寧にやる、そういう方法で魅力あるものにしたらまた生徒たちの国会見学がふえるのじゃないかと思うのです。その辺について、大臣、これは共通のお考えだと思うのですが、何か検討される気はありませんか。     〔北川(正)委員長代理退席、委員長着席〕
  32. 海部俊樹

    海部国務大臣 先生の前半の御質問、平和教育とか政治教育をもっときちっと教えるべきではないか。これは全く同感でありまして、基礎、基本を芽につけて、一人前の社会人になる前の特に義務教育段階の児童生徒には、正しい民主主義のあり方とは何か、議会制民主主義とは何か、三権分立とは何かということを、今の教科書でもきちっと教えるようになっておりますけれども、さらにこれを徹底していくことが大切なことであることは間違いございません。  それから、後段の国会の問題につきましては、これはいささか文部省を離れて、議院運営委員会の管轄でございますが、御質問ですから、感想だけを述べさせていただきますと、集まられた生徒に、本会議場へ入りますと、そのときそのときの都合によるかもしれませんが、昔はちゃんと衛視さんが全部政治の仕組み、やり方の説明をしておりました。最近はどうもテープが回っておるようでありますけれども、テープを聞いておる子供がいることもこれは事実でありますが、先生方御自身もまた時々議場とかあそこへおいでになっていろいろなお話もなさっておるようでございますけれども、やはり、ここへ訪ねてきた人がこの国会を見ながら、ああ学校の授業で習った立法府、衆議院というのはここなんだなと思い出してもらうような効果があることは非常に望ましいことだと思いますので、きょうの御意見は議院運営委員長に私からも申し伝えておきたいと思います。
  33. 馬場昇

    馬場委員 今度は大臣にそのものずばり質問をいたします。  おとといでしたか、中国の呉学謙外相が訪日されておって記者会見をなさいましたね。そういうときに、靖国の閣僚の公式参拝問題につきまして新聞報道で読んだわけですけれども、受難者の遺族が靖国神社に参拝して平和を祈念することは理解できる。しかし、閣僚が公式参拝すると別の問題になる。閣僚の参拝は戦争の被害者と戦争を起こした者の違いをあいまいにして、中国人の感情を傷つけることになる。こういうようなことを発表されておるようでございます。そしてまた、これも新聞報道で読んだ範囲内ですけれども、金丸幹事長は呉学謙外相に対しまして、靖国神社とは別に戦争犠牲者を追悼する場を設ける考えを表明した、こういうぐあいに新聞に報道されておるわけでございますけれども、平和というものから考えて、海部文部大臣は閣僚として靖国神社に公式参拝なさいますか、なさいませんか。どうですか。
  34. 海部俊樹

    海部国務大臣 私はきょうまで議員として素直な気持ちで戦没者を追悼するために参拝してまいりました。ただ、最近いろいろな面で御指摘のような問題が起こっておることも事実でございますし、また党の方でも内閣の方でもそれぞれの検討を重ねておるようでございますから、閣僚として公式に参拝するかどうかということは、いろいろ皆さん方の御意見等も尊重しなければなりませんし、私個人は戦没者追悼という素直な気持ちで行くといいましても、相手もあることでありますし、その相手の反応に対してまたいろいろな角度の議論があって、今回はというようなことが決まればそれに従わなければならぬと思いますが、やはりもうちょっと戦没者を追悼するという気持ちを素直に表明できるようにならないものかな、こう私は思っております。今のところはそういうことで……。
  35. 馬場昇

    馬場委員 やはり外国から言われるまでもなく、今の憲法、そしてまた文部大臣教育基本法の体制で今行政をなさっているわけですから、私は、こういう状況の中では公式参拝はなさらない方がいい、こういうぐあいに思いますし、今検討なさっておるそうで、きょうは、私は公式に行きませんとおっしゃるのじゃないかと思っておったけれども検討中ということでございます。いずれにしても、平和教育という面から考えた場合に、また外国との平和的協調、外国の理解、仲よくやるということ、いろいろなことを考えた場合、やはり公式参拝は問題ありと私は思いますから、特に文部大臣は公式参拝なさらないようにお願いしたいのです。また、これと関連しながら、教科書検定で問題になりました「侵略」を「進出」と書き直すとかと言って、朝鮮や中国の方からいろいろ問題が起こったわけでありますので、私はこうした点についても十分考慮されるべきだ、こういうぐあいに思います。  教育の荒廃、荒廃と言われますけれども、憲法とか教育基本法を政府があるいは文部省が粗末にする、そういうところに教育の荒廃が出てくる要因もあるんじゃないか。やはり、憲法を大切にしましょう、教育基本法を大切にしましょう、そのことは人間を大切にしましょうということですから、人間を大切にしましょうという教育が徹底的に行われれば、非行とか暴力とかいじめとか、そういうのはなくなるはずですから、そういう意味で、この平和的で、人間を大切にするという憲法、教育基本法を徹底的に教えていく、このことが教育の荒廃を救う大きな根本的な問題ではなかろうかと思っているわけです。その問題についての文部大臣の所見をちょっと聞いて、次に移りたいと思います。
  36. 海部俊樹

    海部国務大臣 人間を大切にするということは、まさしく一番基本的に大切なことでして、私は、その点については全く異議はございません。これからも人間を大切にする教育は推し進めていかなければならぬと思います。  同時にまた、私自身もきょうまでいろいろと戦没者を追悼しましても、それは戦没者を追悼すると同時に、平和を守っていかなければならぬ、こういったような悲しみを二度と繰り返してはいけないという、みずからに対する戒め、誓いにもなっているわけであります。日本の歴史の中のいい面、よくない面というのはきちっと考えながら、それを受け継ぎ、そして後世に伝えていくのも教育の大切な使命だと私は考えてやってまいりましたから、人間を大切にするという基本については今後ともきちっと貫いていきたいと思っております。
  37. 馬場昇

    馬場委員 今言われましたが、例えば戦争の犠牲者の霊を慰め、二度と再び戦争を起こしませんと誓う気持ちというのはだれでも持っていると思うのです。ただ、問題なのは、今いろいろ議論されて、中国の方からもいろいろ言われておりますような点は問題だし、憲法、教育基本法体制の中での靖国神社というのは問題があるわけですから、そういうことは議論しますけれども、一番の犠牲者である人たちの霊を慰めるということは、国民はだれにも負けずにやらなければならぬ問題であって、それは我々もはっきりしておるところでございます。  そこで、次に移りますが、次は教員採用の選考試験についてちょっと尋ねておきたいと思うのです。  問題は、教員採用の選考試験が、その選考内容と選考の過程を含めて、今全然公表されていないのですよ。公表するところも少しありますから、全然と言うと少し言い過ぎかもしれぬが、公表されていない。そういう中で、今教員の採用選考試験は完全な密室試験になっております。そういうことから、国民の間には、情実採用があるのではないか、コネがあるんだ、実際にだれだれさんは教育委員会のだれだれさんを知っているから入ったとか、あるいはだれだれさんはだれだれ議員に頼んだから入ったとか、そういううわさは後を絶ちません。こういう教員採用をめぐる不明朗さというものが、その後の学校現場に影響を及ぼしてきて、これまた教育の荒廃の一つの原因になっておる、こういうような感じさえ私はいたします。問題は、筆記試験があったにしても、その問題さえ公表されないのですよ。こういう内容で筆記試験をいたしましたというように、何で問題を公表できないのか。あるいは面接がありますね。面接で何を聞いたかということも公表しない。小論文を書かせる、その小論文のテーマさえ公表しない。何でこういうことにしておるのですか。
  38. 阿部充夫

    阿部政府委員 教員採用について各県で試験を行っておるわけでございますけれども、もちろん事柄としては、各都道府県が、その県の教育委員会の方針として試験のやり方その他あるいは公表の仕方等について定めておるわけでございますから、それぞれの判断にゆだねることであると私ども思っておりますけれども先生お話にございましたような、問題をなぜ公表しないのかというような点につきましては、各都道府県等から個別にときどき状況を聞いておりますと、問題を公表することによって受験のための準備競争とかいったたぐいのものをやはり激化させているという傾向があるので、県の側としては公表したくない、こういうような気持ちのケースがほとんどであろうかと思っております。
  39. 馬場昇

    馬場委員 大臣、今の局長答弁ですが、権限は教育委員会にあるわけですけれども、受験産業などは、実は問題を受験者からちゃんと聞いて、そうしてきちんと本までつくっているのです。ある短大なんかは、寝袋を持ってこさせて、泊り込みでたくさんの人を集めて、女の人も集めて、そうしてマル・バツ式みたいなことを暗記させて、そこからたくさん通っておるということだってあるのですよ。だから問題は、大臣教育という場で働く人たちを採用するのに密室でやる必要はないということですよ。これは教育におよそ似つかわしくない採用の仕方だと思うのです。だから、これはきちんと公開をして、公開をしたならば、例えば情実だとかコネだとかいう批判がなくなる。そして問題を公開したならば、世間がそれに批判を加える。そうすれば、いよいよその選考試験が立派なものになっていく。こういうことで、採用試験の内容とかその経過、例えば筆記試験をやる、面接をやる、小論文を書かせる、そういうことをやって、それをどういう総合評価をしておるかということもわからない。だから、わからなかったらコネだとかなんとかいうのは当たり前の話であって、そういう点で公開をすべきだということ。そして、方法等についても批判を受けて、立派なもの、明朗なものにしていく、そういうことが望ましいのではないかと思うのですが、どうですか。
  40. 海部俊樹

    海部国務大臣 今お話を聞いて直観でありますけれども、例えば小論文の問題とか、それから面接のときにどんなようなことが中心で聞かれたかということについては、これは多くの人が体験して外へ出るわけですから、小論文の内容とか試験問題ぐらいは外へ出て一向に構わないことですし、問題は、試験の前に出たら困るということで、試験の後ならば出てもそう大して著しく社会の正義に反しないなと思いながら私は今聞いておったのです。そのことと、それから、どういうことになったかを全部公開しろとおっしゃること、これはちょっと慎重に判断いたしませんと、この間も私考えたのですが、教員試験の結果というものをもし余りメイクパブリックで公開してずっと並べますと、今、世に言われておる偏差値輪切りの悪い面がそこだけ利用されるのではないだろうか。いろいろな能力を持っておる人が、教員の試験では残念ながら志を遂げられなかったけれども、他の資質、能力で他の企業に採ってもらえるというときに、それがいつも公表されるからそれを参考にして、君は教員の試験のときは点が悪かったななんということを必要以上に世にさらけ出してしまうのもいかがかなという心配がございますので、今行われている例として埼玉県の例は先生も十分御承知でお尋ねいただいておると思いますが、本人が、おれはこれぐらいできたと思うけれどもどうなんだろうかと問い合わせたときに、大きくあなたはこの辺でしたよ、これぐらいできたよということを教えてあげるというやり方は、これは埼玉県の教育委員会がおとりになっておる方法ですけれども、そういうようなこと等が教育委員会でできるなれば、あるいは親切な方法なのかなという感じで受けとめておりますので、いずれにしてもそれは各教育委員会が十分お考えをいただくことだろう、このように受けとめております。
  41. 馬場昇

    馬場委員 しかし、教育委員会、教育委員会とおっしゃいますけれども、初中局ですか、ちゃんと教員の採用選考についてという通達が出ているんですよ。文部省は指導しているのです。私が言っておりますのも、例えば試験を受けた者は全部、A君は何点で何番でした、そんなことを、一覧表を出せということを言っているわけじゃ絶対ないのです。今言われましたように、例えば本人が聞きたいと思ったときにそれを教えてやるのが埼玉県のやり方、これはいいことだと思いますが、問題はその前なんですよ。どういう試験問題が出たかということも、終わってからも発表しない、論文のテーマだって発表しない。だから、そういう秘密性が非常にあるということは問題だということで、一覧表を出せと言っているんじゃないのですから、そういう点ははっきりしておいていただきたいと思うのですが、そういう意味でやはり公正に明朗に、終わってからその試験の内容とか経過は公開し、総合評価はこうしているんだというシステムまで公開をして、個人には、今言われたように全体を発表する必要はないわけですから、ぜひそういうぐあいにやるように、指導という面もあるわけですから、助言もあるわけですから、そういうことをやっていただきたいと思うのです。  例えばこういうことがあるのです。これは間違いだと思うのですが、ある新聞社の調査によりますと、まだこういうことをやっているところがある。身上調書というのをとっているところがある。それで、県によって人物証明書とか人物に関する調書というのを大学なんかからとっているところがある。本籍地を書かせているところがまだある。官公庁とか民間はどこも本籍地なんか書かせていないのですが、それもまたある。家族の職業とか勤務先まで書かせているところもある。そして、面接のときにこういうことを聞いているところがある。これはまさに思想、信条を問うておる。あるところでは、卒業式で国旗掲揚や君が代斉唱をどう思うか、あなたは君が代の指導ができますか、君が代、日の丸問題が職員会議にかかったらあなたはどうしますか、あなたは組合活動についてどう思いますか、ストライキについての考え方を言いなさい、校長と意見が合わなかったときあなたはどうしますか。まさにこの思想、信条を問うておるような面接がまだ行われているということが、ある新聞社の調査で明らかになっているんですよ。こういう点については、まとめて答弁なさって結構ですけれども、直ちにやめるべきだということを指導してしかるべきだと思いますが、いかがですか。
  42. 阿部充夫

    阿部政府委員 教員の採用試験というのは、本人について教員としての適切な資質を持っているかどうかということを十分調べて採否を決めるという性格のものでございますから、それに必要なことについてやっていくべきものだということは、基本的にはそのように思っております。ですから、先生お話にございましたように、例えば採用試験の段階までに本籍地を全部知っておかなければならないというような必要はないというケースはあるわけでございますので、その本籍地の問題等につきましては、数年前から指導してまいりまして、まだ若干残っておりますけれども、来年ぐらいには全部なくなるというようなところまでいく予定でございます。  それから、そのほかいろいろな、例えば人物証明書みたいな形で大学の先生がこの人間についての保証をする、推薦をするというような形というのは、内容いかんによりますけれども、事柄としてはそう悪いことではなかろうと私は思うわけでございますが、いずれにしろ思想、信条にわたるというようなことは基本的に望ましくないことだ、こういうふうに考えております。具体に面接試験等のやりとりの中で出た言葉が全体の流れの中でどういうふうになってきたかというのを見ませんと、個々の言葉が、それが思想、信条を問うたものであるのかどうかというあたりのところは簡単には言えないと思いますが、基本的には思想、信条を問うようなことであってはいけない、本人の能力そのものを見るべきものだ、こういうふうに思っておりますので、今後とも、機会あるごとにそういう趣旨は徹底してまいりたい、かように考えております。
  43. 馬場昇

    馬場委員 試験の終わった後、教育委員会の職員が大学をずっと回るんですよ。そうして、卒論なんかを担当した先生に向かって、この人物はどうだったか、友達関係はどうだったかとかいろいろなことを聞いているんですよね。そういうことがあって、大学の先生は、こういうことは何のために来たかちゃんとわかる。ああこの子は立派でしたと言うと喜んで帰る。そういうことを大学の先生が言っている。そんなことまでしているんですよね。それはたくさん例がありますよ。  だから、まさに総括的に言って、大臣、何回も繰り返して恐縮ですけれども、教員を採用するのですからやはりオープンにして、わかるようなところはわかるようにして、誤解を与えないようにして、ましていわんや人権とか思想、信条なんかとかかわりのない、そういうことをしてはいかぬことですから、そういうぐあいにして、教員採用については一番密室性であり、一番不明朗で、一番情実とかコネがあるのじゃないか、こう世間で言われているのですから、それを解消するような指導というものはやはりあってしかるべきだと思いますが、教員採用選考試験についてまとめて考え方を聞いておきたいと思います。
  44. 海部俊樹

    海部国務大臣 先生のおっしゃることもよくわかりますし、局長が答弁しましたように、余り人権問題やその他に影響の及ぶようなきりきりした指導の仕方は改めさせておるという答弁でございますから、私もそう思いますし、また、地方で教員が情実ばかりで選ばれておるとも余り私は思えません。  ただ、真っ白な児童生徒をお預かりしていただく教師になっていただく人でありますから、やはりそれなりに、どういうことを考えて、教育に対してどんな情熱を持って、どんな資質を持っていらっしゃるかということを中心に選ぶべきだ、こう考えますので、それらの問題については、今後とも十分研究を続けてまいりたいと思います。
  45. 馬場昇

    馬場委員 子供が本当に一生懸命学ぼうと入ってきたときに、ある採用された先生が、あの先生はだれかのコネで入ったんだぞというようなことが世間にいっぱいありますと、生徒に与える影響なんかも大変なものですから、不明朗であるからこそ、密室性であるからこそそういうことが出てくるのですから、そういうことがないようにひとつ十分指導していただきたいと思います。  そこで、もう一つの問題として、この間も同僚議員が触れましたが、就職協定の問題についてお聞きしておきたいと思うのですが、この就職協定の目的は何ですか。
  46. 大崎仁

    ○大崎政府委員 大学の卒業予定者の最終学年でございますが、その学習にできるだけ支障を与えないで、また、学生が職業を選択する際にできるだけ公平な機会が得られるようにするために、ある秩序ある形で就職あるいは求職活動というのが行われることが望ましい、こういうことで、大学側、企業側がそれぞれその必要性を認めまして、それぞれの申し合わせという形で今日まで続いておるわけでございます。
  47. 馬場昇

    馬場委員 この就職協定は守られているのですか。
  48. 大崎仁

    ○大崎政府委員 遵守状況につきましては問題があるという御指摘が、特に昭和六十年度の状況につきましては問題とされたわけでございます。  そういうような状況も背景にいたしまして、六十一年度の対応ということを学校側、企業側それぞれ真剣に取り組みまして、文部省といたしましても、臨時教育審議会の第一次答申でも御指摘になったというようなこともさらに踏まえまして、文部大臣、労働大臣経済四団体の代表と懇談をされました際に、その点についての問題を強く提起をするということで新たな取り組みの努力をいたしたわけでございます。  文部省といたしましては、大学側、要するに学校側には、この際真剣な取り組みなり対応というものを呼びかけまして、関係団体で真剣な議論を重ねました結果、先般六十一年度の対応というものの申し合わせがなされまして、また、そのような大学側の見解を踏まえまして、企業側では中央雇用対策協議会というところで取り扱っておるわけでございますが、その協議会の方に学校側の意向というのを十分伝えまして、中央雇用対策協議会においても同趣旨の申し合わせが行われたということで、関係者がこの際心を新たにして遵守をしようということで功在取り組んでおるところでございます。
  49. 馬場昇

    馬場委員 全然守られていないのですよ、従来も。今度変わったといいますと、大体従来守られていなかった点を少し、会社訪問の解禁日を夏休みを含めて八月の二十日にした。これが変わってあとは従来と変わっていないのです。  こういうことで、守られなかった理由は何かというと、やはり企業というのは人材を確保したいというのを何よりも優先的に物を考えているし、大学というところはいいところに就職させてその大学の評価を高めたいと思っているし、学生もまたいいところに、安定した有名企業に入りたいと思っている。この三欲といいますか、三つの欲が絡み合って今まで全然守られてこなかった。こういうことで、今度も関係者が申し合わせをいたしましたと言われるけれども、守られないんじゃないか。そうしたならば、さっき言った目的はいいわけですから、結論は守らせなければならない、こういうことになるわけでしょう。  だから、その中で第一にお尋ねしておきますが、官公庁はこれを守っているのですか。文部省大蔵省、官公庁は全部この就職協定を今まで守って試験をしてきましたか、採用していたのですか。どうなんですか。
  50. 西崎清久

    西崎政府委員 官公庁に係ります採用については、各省の人事担当者で種々申し合わせをいたしまして、昨年の八月におきましても各省庁の人事課長会議で就職協定の趣旨に沿った履行を申し合わせたところでございます。その結果につきましては、それぞれ各省庁が責任を持ってやっておるわけでございますが、このたび三月段階における企業と大学との新しい就職協定が調ったことにつきまして、先般の閣議におきまして、文部大臣、労働大臣それから総務庁長官から、そのような就職協定については官公庁における採用としての遵守も非常に大事なことである、各省大臣出席しておられますから、公務員の採用につきましては十分留意をしようというふうな趣旨のそれぞれの大臣立場からの発言もあったことでございます。  今後の扱いといたしましては、これからまた各省の人事課長会議等で今年度の採用につきましていろいろ協議をし、官公庁の採用についても趣旨が守られるように努力をしたい、こういうふうなことの扱いになっておるわけでございます。
  51. 馬場昇

    馬場委員 就職協定が守られないというのは、さっき言った三つの欲で絡まって守られないのですが、例えば官公庁が今まで別枠というような格好で全然守っていないわけですからね。例えば公務員のⅠ種、上級職試験は、例年第一次試験は七月でしょう。第二次試験が八月でしょう。そうすると、一部の官庁では解禁日の前に実際この就職協定の解禁日を待たずして内定しているところが多かったですよ。それが、官公庁がまず守らぬでおいて企業だけ守らせるというのは、これはもう全然お話にならないわけです。今答弁がありましたけれども、では、来年はこの公務員のⅠ種、上級職試験、これは今までは第一次が七月、第二次が八月でしたが、これを変えるのですか。
  52. 西崎清久

    西崎政府委員 公務員の採用につきまして、まず前段の方の御指摘でございますが、官公庁の採用については十月から学生の訪問は受け付ける、そして十一月から採用決定を行うという方針で来ておるわけでございまして、その点については私ども少なくとも文部省においては昨年もしっかりとちゃんと守って実施したところでございます。よその各省庁がどういうふうにやられたかについて私どもにはちょっとコメントいたしにくいところでございますので、その点はまた先生、各省庁にお聞きいただかなければいかぬわけでございますが。  それから、第二点の今後の問題につきましては、大体各企業でのお取り扱いというものを基本にいたしまして、これから後年度の官庁採用についての方式は定めていくことになろうかと思いますが、大体官公庁と企業との関係においてそごがないようにという方向で事を進めたいと考えております。
  53. 馬場昇

    馬場委員 企業の人は言うのですよ。政府は高級官僚をちゃんと七月に一次試験して、八月に二次試験して、そうして会社訪問とかなんとかは十月一日だったでしょう、もとの解禁は。その前にも内定してしまっておって、それで民間の企業に守れ守れと言うのはおかしいじゃないか。まずみずから襟を正せということを言っているのですから、さっき言った試験の期日まで含めて検討しなければ、まず官公庁は紳士協定を守るという態度を示さなければいけない。そういうことを示してから、守らせるというのだったら、私は正直者がばかを見ないようにしなければ守らないと思うのです。きちっと協定を守っているところはばか見ちゃって、ほかがみんないいのを採っちゃった、こんな正直者がばかを見るようだったらだれも守りませんからね。守らせるなら、正直者がばかを見ないということをやらせなければいかぬ。  こういうことになってきますと、やはり最初はマークしなければいかぬですよ。特に大企業です。大企業にこの協定を必ず守りなさいよということを呼びかけて、本当に違反しないように徹底的に指導しマークしなければいかぬ。そうして、もし違反があったら違反企業の名前を公表するとかなんかして社会的制裁を受けさせなければいかぬ。そしてまた、そういう違反したところへはこの後は大学は生徒の就職を世話しない、そういうペナルティーくらい科さなければいかぬ。こういうようなことをして、守らせるのだったならばやはり守らせるような手はずをしないと正直者がばかを見る。今から本当に世の中に出ようとする、就職しようとする者が主体ですから、その者の将来にかかわるので、関係者は襟を正してやっていかなければいかぬ、こういうぐあいに思うので、やはり守らせるためのそういう手だてというものを、文部省は今度音頭をとってやられたわけですが、労働省等ともさっき閣議でもお話しになって了承されたということでございますが、文部大臣、この就職協定の遵守のことについてどういう決意を持っておられますか。
  54. 西崎清久

    西崎政府委員 大臣のお答えの前に一言申し上げたいわけでございますが、官公庁の採用の試験期日の問題でございます。  この点については、従来からの試験の流れというものがございまして、期日についてはほぼ従来からの線で行われることになるのではないか。これは人事院がお決めになることでございますから私が申し上げるのもいかがかとは思いますが、そういう感じはいたしますが、要は、先生おっしゃいますように、学生の訪問とかそういうふうな期日がちゃんと守られるか、特に内定の問題でございますね。先にいわゆる青田買いという形で内定が行われるということが官公庁においてあってはならないわけでございますが、その点については、各省庁がそれぞれの立場で責任を持って守られるような努力をする、こういう方向での話し合いあるいは申し合わせの決定とかということについては努力をいたしてまいりたいと思っております。
  55. 海部俊樹

    海部国務大臣 御指摘の就職協定の問題は、大学教育の正常化と申しますか、乱されないようにしなければならぬというねらいと、それから学生の立場に立っても、チャレンジする機会は公平に均等に保証してあげることが学生のためにもなるという感覚で我々は取り組んでおりました。特に昨年は、臨教審の第一次答申の中でも、就職協定というものはきちっと守るように、これが学生のためだという提言もございましたし、それを受けて文部、労働両大臣経済団体にもいろいろ要請をして、結局、中央雇用対策協議会で、企業の各団体が今年度はさらにきちっとこれを守っていこう。しかも八月二十日からの接触というように日が変わりましたのは、従来ややもすると守られなかったいろいろな問題が、守られやすい規則にするためにはどうしたらいいかという企業側の御意見も踏まえての設定でありましたし、大学側は大学側で就職問題懇談会を構成して、そこで三月二十日にそれぞれ決めました。ことしは特に企業の代表が文部省へもおいでになって、先ほどの先生の御意見と同じですが、公務員がまずしっかりしてほしい、官庁、政府自身が襟を正して守るということをきちっと確認をしてほしいということでしたので、三月二十八日の閣議であったと思いますが、私から特に発言を求めて各省大臣にこのことを申し上げ、政府としてもこれを守っていこう、協力して守っていこうという申し合わせをきちっと取りつけたところでございますので、これがより一層守られていきますように私としても指導をし、見詰めていきたい、こう思っております。
  56. 馬場昇

    馬場委員 あと教科書の無償の問題とか、四十人学級を三十五人学級にしていただきたいとか、あるいはさっき出ました私学助成とか、いろいろ当面の重要課題文部省にはあるわけですが、お聞きしたかったけれども時間が来ましたので、これで終わりたいと思います。頑張ってください。
  57. 青木正久

    青木委員長 西崎官房長から発言を求められておりますので、これを許します。
  58. 西崎清久

    西崎政府委員 先ほど先生から、国際平和年の指導につきまして御質疑いただき、にわかの御質問で、政府委員が不在で大変失礼いたしました。早速ちょっと調べさせていただきましたところ、御指摘のとおり昨年十月二十四日に、本年度が国際平和年であることの正式宣言がございまして、この点につきましては、目下外務省において政府関係各省と協議し、今後政府としてどういうふうに対応していくかということを今協議中でございます。そういう段階を踏まえて、文部省として今後、それにかかわり指導すべき分野あるいは内容があれば、それについて的確に行ってまいりたい。こんな段階のようでございますので、一応お答えをさせていただいた次第でございます。失礼いたしました。
  59. 青木正久

    青木委員長 中西績介君。
  60. 中西績介

    ○中西(績)委員 文部大臣の所信表明の中に、具体的に初中教育の改善充実について申し述べておる内容の中に、「心豊かなたくましい児童生徒の育成を目指して、一人一人に行き届いた教育を行うことが大切であります。」その後に、「児童生徒のいじめの問題は、」云々ということに入りまして、「この問題の原因、背景には、学校、家庭、社会それぞれの要因が複雑に絡んでおりますが、その解決を図るためには、何よりも」云々ということで、いろいろ問題が提起されてあります。  そこで、私は、先般のこうした所信表明とあわせまして、以下質問していきたいわけです。  去る三月七日の予算分科会で、私は、いじめの構造と部落差別の構造は同じだということを問題指摘いたしまして、対症療法的な処置ではだめなんだというふうに指摘いたしました。大臣はそのとき、四十人学級あるいは過大規模校、基本的人権教育なとたくさんの問題とあわせまして、こうした問題について全国に徹底するため努力をするということを答弁されました。その際に、徹底する手段として、全国の教育関係者が参加をした同和研究協議会というのがあるように言われておりましたけれども、まずこの全国同和研究協議会の性格とこれの果たしておる役割は何であるかをお聞きしたいと思います。
  61. 高石邦男

    ○高石政府委員 まず、目的でございますが、同和教育実施上の問題について、教育推進地域の実践活動や研究指定校の研究成果を中心として研究協議を行い、同和教育の充実向上を図る、こういうねらいでこの研究協議会は開催されているわけでございます。  参加者は都道府県、市町村の指導主事その他の職員及び都道府県の私立学校事務所管課の職員、それから文部省または都道府県教育委員会が同和教育研究を委嘱した幼稚園、小学校、中学校及び特に同和教育研究を行っている幼稚園、小中学校の校長、教員、こういう方々に参加してもらって毎年実施しているものでございます。
  62. 中西績介

    ○中西(績)委員 今言われましたように、指定校になっておられるところの職員の代表だとかあるいは学校の代表あるいは都道府県の関係職員がここには参加をしておるようでありますけれども、ここでの討議の仕方、そしてそれは何かをまとめて出されておるのですか。
  63. 高石邦男

    ○高石政府委員 具体的な内容は二日間にわたってやっておりまして、一つは特別講演、そして協議ということでございまして、ここの研究討議の内容を一つの意見として取りまとめるというような形はとっていないのでございます。
  64. 中西績介

    ○中西(績)委員 そういたしますと、特別講義なり討論をされるその主催は文部省ですか。
  65. 高石邦男

    ○高石政府委員 文部省の主催でございます。
  66. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうなりますと、文部省自体が同和教育について相当の見識があり、そうした指導性を発揮できる体制にあるかどうかということが問題ではないだろうかと私は思うのですけれども、その点についての自信はありますか。
  67. 高石邦男

    ○高石政府委員 もちろん同和教育というのは極めて重要なこととして、その推進のためにそれぞれの担当課がありましてやっているわけでございますが、具体的な内容につきましては、外部の講師を委嘱して、そういうものに造詣の深い方々に講師になってもらって研究討議を進めるという形にしているわけでございます。
  68. 中西績介

    ○中西(績)委員 もうちょっと突っ込んで聞きますけれども、その際、講師になられる方というのは、現場の教師なり本当にそうした面を実践をされておる人ですか、それとも一般的に言う学者と言われる人ですか。
  69. 高石邦男

    ○高石政府委員 六十年度の特別講師といたしましては、大阪大学の教授の元木健さんにお願いしたわけでございます。それから、それぞれの部会の発表者は、具体的な学校の同和教育に従事している先生方になっていただいて研究討議を進めるという形で、それぞれの幾つかの部会を設けてやっているわけでございます。
  70. 中西績介

    ○中西(績)委員 そういたしますと、その基本テーマに対する講師としては大学教授か何かを充てておって、あと各部会に分けられた場合の発表者は現場の教師なりそうした実践者が当たっておるということ、こう考えてよろしいですね。
  71. 高石邦男

    ○高石政府委員 そのとおりでございます。
  72. 中西績介

    ○中西(績)委員 そこで、ここに参加される方々は、今先ほど指定校だとかそういうところの教師の皆さんが参加をされると言われましたけれども、この協議会にはその他の一般教師などについては参加はできないのですか。
  73. 高石邦男

    ○高石政府委員 校長のみならず一般の教員についても参加ができるわけでございます。
  74. 中西績介

    ○中西(績)委員 それはどこが、出張なりあるいは指名をするのですか。
  75. 高石邦男

    ○高石政府委員 これは各都道府県の教育委員会から推薦していただいた方々に参加してもらう。したがいまして、都道府県では行政の関係ないしは校長の系列、一般教員、そういうことを考えて推薦してくるわけでございます。
  76. 中西績介

    ○中西(績)委員 そういたしますと、そのことと、今度は、各県でいろいろ研修会などありますけれども、そうした場合のかかわりは関係あるのですか。
  77. 高石邦男

    ○高石政府委員 それぞれの県、それぞれの地域によってその地域の実態に応じたいろいろな研究会が持たれていると思うのです。この中央で行うものは、それを積み上げた研究発表という形はとっていないわけでございます。したがいまして、直接に積み上げ方式で意見を集約するという形はとっていませんけれども、それぞれの同和教育に従事されている関係者が集まって研究討議を進めるという形にしているわけでございます。
  78. 中西績介

    ○中西(績)委員 わかりました。  そこで、大臣が言われる、この前答弁いただきました全国に徹底するための努力をするということで、もう一つは校長会というのが挙げられておりました。今答弁のございました同和教育研究協議会、とれとさらにこの校長会ということでありますけれども、そのほかに徹底するための努力考えておられるのでしょうか。どうでしょう。
  79. 高石邦男

    ○高石政府委員 研究協議会の形式の内容については今申し上げたとおりでございますが、その他、行政担当者を中心とした担当主管課長会議、こういうものを開催して、同和教育の内容の趣旨徹底、充実を進めていくというようなやり方をしているわけでございます。小中学校の校長会でも、いろいろな総会を設ける際に部会をつくって同和教育問題についての研究討議を進めるという形式で行っているところでございます。
  80. 中西績介

    ○中西(績)委員 私、先般いろいろずっと討論いたしまして、大臣はそうした問題について全国的に徹底するための努力をする、したがって、校長会だとかあるいは全国同和研究協議会などへ行きまして、そうした点について訴えていきたいということを言っておったわけであります。  そこで、私は、そのほか大臣として同和教育、これは前段随分封諭していますから省きますけれども、同和教育についての重要性を認めるということであれば、大臣が声明を出すかあるいは何らか通達を出すなり、何らかのそうしたアクションを起こすことがもう一つ必要ではないだろうかということをこの前指摘をしたところでありますけれども、この点についてはお考えになっておりませんか。
  81. 高石邦男

    ○高石政府委員 今までも申し上げましたように、具体的には、それぞれの現場に密着した同和教育研究指定校ないしは推進地域の指定ないしはそれぞれの地域における研究会、研修会、そして都道府県段階における研修会、それから国レベルにおける研究協議会、そして自主的には小中高等学校の研修会におけるそういう部会の研究ということをやってきているわけでございます。そういう面を通じてなお一層の内容充実に努めていかなければならないと思っておりますけれども、今改めて大臣がこの問題について談話を出すとかそういうところまでは考えていないのでございます。
  82. 中西績介

    ○中西(績)委員 前段の討議をしないと、大臣が踏ん切って何らかそうしたアクションを起こしていくということにはやはりなかなかなりにくい。そうすると、またこの前の繰り返しをやらなくてはならぬということになりますから私は省いておるわけでありますけれども、先般も指摘をいたしましたように、我々、いろいろ指摘をされた差別の現象というのは、小学校の校長だとかあるいは教頭だとか、こういう人たちの中にそうした差別事象がたくさん出ておるということを考えますと、何としても教育現場におけるそうしたものを十分組織的にもあるいは体制的にもつくり上げていく必要があるのではないか、抜け落ちておるのではないか、こう考えるから私はそうした質問をしておるわけであります。  この点を考えますと――初中局長はこれお読みになっていますか。
  83. 高石邦男

    ○高石政府委員 はい。
  84. 中西績介

    ○中西(績)委員 それではもう指摘はいたしません。ですから、そうした点で、今のような文部省流によるやり方ではこの問題についてなかなか十分な成果が上がるとは考えられないからこそ指摘をしておるわけであります。この点、もう一度お考えいただけませんか。
  85. 高石邦男

    ○高石政府委員 小中高等学校の段階でそれぞれの教職員が十分に同和教育の実態、そして同和教育についての理解を持ち認識を持ちながら、この問題の解消に当たっていくことが必要であろうと思うわけでございます。したがいまして、今までもいろいろな形でこの内容の周知徹底、研究を深めてまいったわけでございますが、今後ともそういう面での内容の深め、そして徹底を図っていくということは、なお一層詰めていかなければならないと思うわけでございます。今までやっている以外にもっと有効適切な方法、手段、こういうようなことがあるのではないかという具体的な内容のものがあれば、そういうものについても十分検討して取り上げていくということは必要であろうと思いますが、現在の時点で私たちの考え得る内容でこういう面の教育研修を進めてきているというふうに思っておりますので、そういう既存の研修会等をより一層充実させていくというふうにしてまいりたいと思っております。
  86. 中西績介

    ○中西(績)委員 例えば、この前指摘をしました小学校の校長の問題にいたしましても、これは府県名を申し上げませんけれども、指導主事でおった人ですよ。それが現場に帰ってそうした差別事象を起こしているわけですね。しかも、それは北海道だとかあるいは青森だとか東北地方ということではないんですね。人数からいたしましても全国で最大の都府県であると言われるところでそういうことが起こっておる。ですから、教師みずからがそうした中身について、いじめの問題とかかわっていっておるように私は思う。その本質が教育の基本にかかわる問題であるだけに、こうしたものが依然として後を絶たないということになってまいりますと、いじめの体質をなくそうなどという文部省の行政指導というのは既に根底から揺らいでおるとしか言いようがないわけですね。  ですから、私が指摘をしたいと思いますのは、少なくとも文部大臣なりが先頭に立ってそうしたアクションを起こし、そして皆に徹底する手だて、まずそこから始めていこうじゃないか、そしてその上に立って今までの反省をしてみた上で、具体的にどの点が欠けておるか。私が先ほどわざわざ積み上げ方式になってないという回答をいただいたのもそこにあるわけです。全小中学校がみんな、本当に教育の原点にかかわる問題としてこれをとらえ、本格的に積み上げてくるという体制がそこにあったなら、問題は少しずつでも解消していくのではないかと私は思うのです。でも、さつきのように、まさに県教委から指名された人が来るわけですから、そういう形態でしかあり得ないと思うのですね。  例えば、五年経過をした教員の研修会がありますね。そこへ県教委が指名した講師が来て話をすると、実際に現場で必死になって取り組んでおる教師たちからすると、その話はナンセンスなんです。そのことを指摘をすると、今度はその教員は行政処分をされています。そうしたものを全体的な問題として教育の中で重要な位置づけをしてとらえていかないと、この問題は長期にわたっても前進するなどということは到底考えられないのではないかということを危惧するがゆえに、私はこういうことを言っておるわけであります。ですから、少なくとも大臣にはそういう面をもう少し勉強していただきまして、まだある程度この問題についての期間がございますから、その間にそうした指摘をしていただければと思うのですが、どうですか。
  87. 海部俊樹

    海部国務大臣 この問題は、広く人々が認識をして、よくないことだからできるだけ是正をしていかなければならぬというので、学校教育の中でも大切に取り上げ、基本的人権の尊重、心理的差別の解消ということに重点を置いて学校教育も行われておるわけでありますし、また、今いろいろ御議論のありました研究会なり研修会、いろいろな手だても講じておるわけであります。  御指摘のように、私は問題が起こっておることも否定いたしませんし、また先生お示しの本等も前回にいただいて、私も何回も読み返してみました。身辺にあるいろいろな問題を通じて、やはり教育の場で基本的人権の尊重という、まさに根本にかかわる問題をしっかりと教えていくことによって解決していかなければならぬ重要な問題だと私は思っておりますので、今日、より一層きめの細かい指導ができますように、私も研究をし勉強をしていきたいと思います。
  88. 中西績介

    ○中西(績)委員 ですから、一つの政治的手法じゃないかと思うのですが、そうした面で大臣決意なりを何らかの形てあらわすことによって、皆さんに注意と申しますか、そうした点についての喚起をしていただくということ。同時に、大変失礼な話で申しわけございませんけれども大臣自身決意をする、そのことによってさらにその面についての御研究なりお勉強を強めていただく。私たち一般的にこうした弱さを持っているだけに、一つの手だてとしても必要ではないだろうかということを考えますので、私はこのことに大変こだわっておるわけです。いずれにしましても、研究していただきまして、そうした面についての措置の仕方をもう一度考えていただきたいと思うわけであります。これはこれだけでやるわけにいきませんからおきますが、その点を十分考えてほしいと思います。  次に、奨学金の問題でありますけれども大臣はこの前、進学しやすくしなくてはならぬということを言われました。ここで私は資料を一々つまびらかにするつもりはありませんが、いずれにしても、停滞をしておる原因、進学の状況、格差が依然として残っておるわけでありますから、この点をどう排除するのか、その排除する手だてというのは何なのかということを徹底的に究明をした結果、大臣は進学しやすくしなくちゃならぬと言い、そして、こうした貸与制に変わってから既に三年、一番最初から私が指摘しておるように、停滞をしたり後退をしたときには検討し直すということを約束しておるわけでございます。ところが、前回の答弁で局長は、給付制に返すことは困難だということを簡単に言ってのけておるわけでございますけれども、この点どのように検討したのか、その中身について明らかにしてください。
  89. 大崎仁

    ○大崎政府委員 対象地域の大学進学率の動向につきましては、文部省といたしましても、かねて都道府県に御協力をいただきまして実態の把握に努めておるところでございます。  先生の御指摘のとおり、五十七年度に貸与制に切りかえまして以後の状況ということを五十八年度以降の状況で見ますと、五十八年度が一六・五%、五十九年度が一六・七%というように微増の状況にあるわけでございますが、これは五十七年度から全国平均の推移との関連で見ますと、ある意味では、いわば全国平均の推移にほぼ準じたような動きを見せておるところでございます。  ただ、そのような実態の把握がなお十分ではないのではないかという反省の上に立ちまして、六十年度の状況につきましては、実態をさらに正確に把握いたしますために調査方法を変更いたした次第でございます。と申しますのは、従前は中学校の卒業者数というのを母数にして進学率の調査をいたしたわけでございますが、卒業後、他府県への高校進学、あるいは浪人をされての進学というような点で把握が不的確であるというような御指摘もございましたので、いわば高校卒業者のうちでどれだけが大学へ進んだか、言いかえますと現役進学率ということで六十年度は調査をいたしたわけでございます。それで見ますと、六十年度は全国平均が三〇・五%に対しまして、対象地域の進学率が一九・一%ということでございまして、従前の、五十九年度の三五・五対一六・七という二〇%近くの開きという状況よりは、一〇%程度は開きが少ないという実情は把握ができたわけでございますが、依然として差があるという状況にあるわけでもございますので、昭和六十一年度におきましては、奨学金の単価の増というようなことでさらにその充実を図らしていただいたというのが今日までの状況でございます。
  90. 中西績介

    ○中西(績)委員 六十年度の場合には方法を変えたわけですね。ですから急激にそうした結果になっておりますけれども、今までの一般的な傾向からいたしますと、伸びが停滞をしたことは事実なんですね。特に、今までの伸び率そのものが給付制になってから急激にずっと伸び、毎年一%ずつは必ず伸びていったという実線があるわけですね。ところがそれが停滞をする。そのことは何なのかと言う。そうすると答えは、一般的にすべてがそうなっています、一般もそうなんですという言い方なんですけれども、それじゃその低いのがそのまま停滞してよろしいかということになるわけですね。一般論でそれを解消していきますということだと。ですから、その点で、私が従前から申し上げておりますように、三年間こうした問題について十分な検討期間があったわけでありますから、その点でどうなのかということの中身をまだお聞かせ願っておらないので、この点についてどういう判断をしたのか。確かに六十年度は制度を変えまして伸びはいたしておりますけれども、今までの関係というのは伸びていなかった。ですから、その結果は何が原因、何が問題なのか、そこを十分つまびらかにしていただいて、こうなるということの結論を出していただかないと、まだ不十分だろうと思いますから、この点どうですか。
  91. 大崎仁

    ○大崎政府委員 先生指摘のように、新しい調査によりましても、全国平均に比べまして進学率になお差があるということは事実でもございますし、このような進学率がさらに上昇するような努力を私どもも続けなければならない、そのためには奨学金制度の充実ということも図らなければならないという基本的な認識は持ちました上で、先ほど申し上げましたように、単価の増、全体といたしましては日本育英会の奨学制度に比べましてさらに手厚いような制度ということで班に努力をいたしておるところでございます。  ただ、総合的に、全体としてどのような事情が大学進学の機会というものの障害になっているかということにつきましては、さらに都道府県その他の関係者の御協力も得まして実態の把握には引き続き努めさせていただきたいと思っておるところでございます。
  92. 中西績介

    ○中西(績)委員 そこで、今お答えいただいたように、そうしたあれがやはり総合的にされておらないというところに一つ問題があるわけなんですね。そこで、この前もちょっと指摘をしたのですけれども、基礎学力の低さ、そのことは何を原因にしておるかということをもう一度深く追求してみる必要があるのではないか。  それで、大臣はこれをお読みいただいたし、初中局長も見ていただいたということでありますけれども、この本では、何といってもやはり生活基盤が非常に弱いということ、ここに根差しておるわけでありますから、そうなってくると、これに出ている健康状態がどうなのかとか――これは見ていただきましたか。比較した場合の状況がどうなのかということ、あるいは生活費がどれだけ大きく違いがあるか、これも今一々ここで申し上げる時間がございませんから私はここでは申し上げませんけれども、これについてずっと調べてみますと、随分な差が出てくるわけですね。  例えば一番いい例は、年収をあれしますと、一般的には四百十二万、ところが部落の場合には二百四十三万八千円で、百六十九万の差があるというように細かく全部調べ上げてきているわけですね。これは随分長期間にわたって調査した結果であるわけです。月額についても十一万九千円の差がある。こういうぐあいに挙げていくと、幾つかの条件が重なり合っているわけですね。さらに、就業の状況はどうなのか、それから部落における産業構造の状況はどうなのか、そして就学はどうなのかというぐあいに挙げていきますと、結局個々に問題があるということを私は具体的に指摘をすることができると思うんですね。こうした面での環境をどう改善をするかということが大きな問題になっておるわけです。  ですから、文部省の所管としては、こういう問題について一々今取り上げて行政的措置をするということはできないだろう。しかし、この一番基礎になる差別という問題をなくすという同和教育、その目指すもの、人間というものの尊厳さをどう認めるか、こうしたことがやはりここで論議されなくてはならぬと思うんですね。ですから、そのこととあわせて、こうした問題が依然として落ち込んでおる。言いかえると、ソフトの面が全部落ち込んでしまっておる。原因がここにあるとするならば就学というのはなかなか困難だということになれば、この前から私が論議をしておるところの奨学金というものの持つ意味、この影響の大きさというものもまた推しはかることができると思うんですね。ですから、そことのかかわりを十分検討していただいてお答えをいただかないと、今全国的に計数をはじいてみたらこうなった、そして全国一般の人たちの進学率の落ち込みと余り変わりがない、横ばいなんだというようなことで論議をしたのでは、私はこのことの解決は見出すことができないであろうと思うわけです。ですから、この点でもう一つ突き進んで重要視していただけるかどうか、この点はどうですか。
  93. 大崎仁

    ○大崎政府委員 先生指摘のように、一般的に進学率に及ぼしますもろもろの要因がございまして、基礎学力等も含めましてのもろもろの要因と、それに具体的に対応いたしております奨学金のあり方というようなことの判断というのはなかなか困難な点が多いわけでございますが、いずれにせよ、全国の平均進学率よりも対象地域の進学率が低いということにつきましては望ましくない状況でございますので、そのような差が少しでも解消する方向でいろいろ検討を重ね、努力を重ねる必要があると考えておる次第でございます。
  94. 中西績介

    ○中西(績)委員 私はもう何年間か指摘をしてきて、しかも積み重なってきているわけですから、そうした点をひとつ取り入れていただいて、もう一回基本的にこの奨学金問題については手を触れていただいて、本格的な論議にしていただきたいと思うのです。  ですから、この点をぜひ大臣、特に前々から何代かの大臣すべてこうした問題があることは国の恥であるということまで言われておるわけでありますから、それをなくすためにも、ぜひ全体的なそうした環境を変えていただく。そのこととあわせて、環境が十分でないということからこうした不就学の問題、率が低いという問題が出てきているわけですから、それを解決するための手だてとして奨学金が非常に大きな影響を持っている。それはなぜかというと、私さっきから申し上げているように、どんどん伸びた時期があるわけですから、そういうことが全然なければ私ここで指摘をしませんけれども、あったわけですから、根本的な解決になるわけですから、そのことを含めてぜひお考えいただきたいと思うのですが、どうでしょうか。
  95. 海部俊樹

    海部国務大臣 御指摘の問題は、いろいろときょうまでの経緯等を私も十分今研究検討しておるところでございますが、同和問題の解決のためには教育の果たす役割も極めて重要なことは御指摘のとおりでありますから、私もこの前から何回も先生にもお答えを申し上げておりますけれども、この重大性をきちっと踏まえて私自身も勉強し、検討を続けてまいります。
  96. 中西績介

    ○中西(績)委員 ですから、この点で、私は絶対あきらめませんから、奨学金制度についてはどのような検討がされていくのか、これを見守って、再度討論をしていきたいと思いますから、その点で十分検討をいただきたいと思います。  そこで、先ほど私指摘をいたしましたように、基礎になるべき環境が現行の地対法によりますと、確かにハードの面はある程度手をかけるようになっておりますけれども、先ほど私が指摘をいたしました最も根幹にかかわる問題が、ソフトの部分が不十分になっておるというのはだれしも認めておるわけであります。これはもう実態というものを見ていただきまして、一つずつ数字を扱っていただきますと、大体おわかりいただけると思うのですけれども、ソフトの面が欠けておるということについて、大臣、お認めいただけますか。
  97. 海部俊樹

    海部国務大臣 この御本を読ませていただいて、いろいろな数字や姿かたちを見ますと、ソフトの面にさらに力を入れる必要があるという感じは私も同感であります。
  98. 中西績介

    ○中西(績)委員 そこでもう一つ、「地域改善対策特別措置法期限後の同和対策について」というのをお読みいただいておりますか。全日本国和対策協議会、これは同和行政実施都道府県あるいは政令都市の担当者でつくられておる協議会だそうでありますけれども、一番の問題は、何と申しましても、この四ページに出ておりますように、「物的事業については一定の成果を収めてきたが、同和問題解決の中心的課題ともいうべき産業、職業、教育をはじめ、福祉や人権擁護、啓発等のソフト面に、なお多くの課題が残されている。」ということであります。ですから、これを見ていただいて、今大臣が感ぜられたそのこととこの結論は一致しておると思うのです。ですから、「解決の中心的課題」と指摘をしておるわけでありますが、ところがその点で、五ページを見ていただきますと、対策協議会として現行法の期限後のあり方としてこういう点を注意してほしいということが五点にまとめられております。そして「悪質な差別事象に対しては、単なる啓発や教育だけでなく、差別が被差別者に与える影響について一般の認識を高めながら、社会全体としてその発生を防止する有効な方策によって対処することが望ましい。」とあります。それから「地域改善対策特別措置法期限後の同和対策に関する要望書」には、「同和対策審議答申及び地域改善対策協議会意見具申の趣旨に沿って、総合的な施策を確立する根拠となる次の事項を盛り込んだ法的措置の実現を図られるようお願い申し上げます。」ということで、さっきも指摘をしました五点が盛られております。このことは御検討いただきましたか。
  99. 高石邦男

    ○高石政府委員 要望書の中身については十分勉強させていただいております。
  100. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうであれば、先ほどから私が指摘をしておりますように、二十年間近く、十七年今だっているわけですから、だのに、小学校の校長だとか教頭だとか言われるような人たちが、みずからがそうした差別をするという状況等が依然として残っておるわけです。そういうことを考えてまいりますと、私は、教育に関しては短期間でそのことを終えるなどということは到底不可能であろうと思いますし、さらに、差別をなくすためには短期間では到底不可能だろうと考えます。ということになってまいりますと、世代が三世代くらいかわる年限を必要とするのではないかと私は思うのです。そうしなければこの差別というのはなかなかなくならない。私の周辺を考えてみても、到底そういう点については不可能に近いと思っています。ですから、長期にわたる保障法が必要ではないかと私は思うわけでありますが、この点について御意見ございますか。
  101. 高石邦男

    ○高石政府委員 先生指摘のように、心理的差別の解消を図っていくためには、相当長期にわたって、しかも熱心にやっていかなければなかなか解消しないという点はそのとおりでございます。したがいまして、文部省といたしましては今後ともそういうことを十分留意しながら必要な施策は展開していきたい。そして必要な予算措置は講じてまいりたいというふうに思っております。
  102. 中西績介

    ○中西(績)委員 私は、皆さんこういうものを御理解をいただいた、そしてさらに、この中にも教育を初めとするそうしたソフトの面が欠けておるということについての御認識をいただいたという前提に立って今質問をしたわけです。  今言われておることを聞きますと、心理的な差別などについてはなかなか短期間では解決できない、長期にわたるだろうということは認めておられる。ところが、実態としては心理的なものだけかというと、ソフトの面におけるこうした問題は心理的なものだけではありません。これを認め、このことを協議会が出したものもある程度ごらんいただいて確認できるということですが、心理的な面に、極めて狭い面に絞り込まれた理由は何ですか。
  103. 高石邦男

    ○高石政府委員 別に狭い範囲で絞り込むという意味で答弁したわけではございまぜんで、同和教育全体にわたりまして同和教育の持っているいろいろな問題を解消していく努力はしていかなければならないわけでございます。例えば、先ほど来の進学率の問題にいたしましてもその一つでございますし、差別意識の解消というようなことを、校長、教員を含めて国民全体がそういう面での啓発活動を充実して努力していくというようなことも必要でございますし、そういう意味において文部省が担当している同和に関係するいろいろな諸施策は今後とも努力していかなければならない、こういう意味で申し上げたわけでございます。
  104. 中西績介

    ○中西(績)委員 例えば奨学金一つを考えるについても、先ほど指摘をいたしましたように、そうしたすべての環境そのものがある程度変わってこないと、今の大学進学、後でまた午後から触れるつもりでありますけれども、特に私立大学などに進学をする場合の生活状況、家族の収入状況などをずっとつぶさに検討してみますと、もうこうした条件の中では行けなくなっているというのがはっきりしているのですよ。ですから、少なくともそうしたものも総合的な中で物を発想するという仁とになってこないと、奨学金そのものの論議ができないという状況にまでなっていく。そういうことになってまいりますと、今申し上げるように、幾つか申したそうした環境が十分な体制をつくり上げていくということがこれから全国民的なものであるし、また部落の問題でもあるわけですね。ですから、そうした上に立って今言うような、特にまた心理的な面、啓発しなければならないたくさんの問題があるわけでありますから、この点をさらに徹底していく。しかもそれは短期ではなしに長期にわたっていくということになってまいりますと、行政としては柱も何もなしにやろうなどということはできないわけでありますから、何らかの法的な措置、保障法というのが必要ではないかと私は思うのでありますけれども、この点についてどう思うのかをもう一度お答えください。
  105. 高石邦男

    ○高石政府委員 地域改善対策特別措置法期限切れ後の法律問題につきましては、政府全体として今検討が加えられている段階でございますので、現在の段階で文部省だけの見解を明らかにすることは差し控えさせていただきたいと思います。  ただ、御指摘のように諸施策の充実につきましては一層努力していかなければならないと思っております。
  106. 中西績介

    ○中西(績)委員 私は、それでこの協議会の内容についてわざわざ読み上げて申し上げたわけであります。特に、この要請の中には、総合的な施策を確立する根拠となる五点、法的措置の実現を図られるようということを要請をしてある。ですから、私はこれから論議をするわけでありますけれども、少なくとも文部省としては、そうしたことに対して態度はどうなのかということを検討しておるかどうかですね。
  107. 高石邦男

    ○高石政府委員 この後の法的問題については政府全体として検討すべき問題でございますので、文部省がいわば個人的な立場でどうこうということを言うのには余りにも重要な問題でございますので、政府全体としての検討の結果を踏まえて対応すべき課題である、こういう意味で現段階における意見は差し控えさせていただきたい、こう申し上げているわけでございます。
  108. 中西績介

    ○中西(績)委員 私は、少なくともこの種問題については教育の根源にかかわる問題としてとらえておるだけに、今文部省自体がそうした問題について、何も政府全体としてということで逃れるのでなくて、文部省自体はこうした問題についての見解を持つのが普通じゃないですか。何か施策をするときに、文部省は何もありませんから、皆さん御勝手にというように参加するのですか。
  109. 高石邦男

    ○高石政府委員 政府全体としての内容にかかわる問題でございますし、文部省だけの所管事項ではございません。そうなりますと、各省のレベルでの検討会議を踏まえた上で対外的な意思表示をしないといろいろな誤解を受けるという点もございますので、そういう意味において、文部省が各省庁の検討会議の中でいろいろな角度から内的な意見を述べるということはあり得ると思うのですけれども、現在の段階で外的に、外に向かって文部省の見解はこうであるということを言う段階ではない、こういうことでございます。
  110. 中西績介

    ○中西(績)委員 同じ行政の立場に立つこういう人たちがこうした内容のものを出しておるわけでありますけれども、このソフトの面について認めるということはもう明らかなんですね。ですから、それを実現するということになってまいりますと、先ほど申し上げるように短期間ではできない、十七年たってできていないのです。だからこそ、私はこれをあえて引用したわけです。だから、それを解決をするということになれば、少なくとも私は――ではこのことは否定しないですね、協議会のこうした要請等については否定はできないですね。
  111. 高石邦男

    ○高石政府委員 この協議会から御指摘のような要望書が取りまとめて出されているということは十分認識しております。
  112. 中西績介

    ○中西(績)委員 いや、その中身について、なぜ出されたかというその内容については理解していただいているのですか。出ていることはわかっている。
  113. 高石邦男

    ○高石政府委員 今後とも同和対策としていろいろな施策を総合的に推進していかなければならないという認識はしております。
  114. 中西績介

    ○中西(績)委員 時間がありませんから、最後に、大臣にお聞きしますけれども、今一応論議してまいりまして、特に、行政の皆さんが出された中身についても、そうした環境づくりが大事だということを踏まえて、それを今度は行政的にどうするかということになってくるわけですね。  そうした場合に、先ほどから申し上げるように、大臣、これは十七年たっているからもう一世代ですよ、大体二十年で一世代と考えれば。一世代がかってもなおかつ多くの問題が依然としてある。であれば、私は三代くらいかかるのではないかという気がしてならぬ。しかし、できるだけ短縮はしたいと思っていますよ。そうなると、何らかの措置をしないと、このまま社もなしに行政としては何もできなくなるでしょう、だんだん影が薄くなっていくわけですから。何らかでその柱をつくるかどうかということが非常に大事になってくるわけです。この点は大臣どうですか。
  115. 海部俊樹

    海部国務大臣 きょうまでいろいろ努力を積み重ねてまいりましたので、その重要性は我々も認めておりますし、これからも文部省としては、教育面に関しては基本的人権の尊重という思想そのものを十分徹底するような努力を一生懸命続けていこうという大きな柱は持っておるわけでありますから、それをなくそうとか崩していこうなんという考えは毛頭ありませんので、これは先生もどうぞ御理解をいただいて、またこれからも今日までやってきたことを踏まえてより一層の努力を続けていきたいと考えます。
  116. 中西績介

    ○中西(績)委員 抽象的に言えばそういうことで終わるだろうと思うけれども、そのためには、この前は例えば奨学金については財政的措置をするとか言っておるわけです。ところが、きょう論議をしましたように、今までのような財政的措置では依然として問題が残っているわけです。だから、その裏づけになる何か柱になるものを持たぬと――あなたが言われた、例えば教育基本法なら教育基本法、憲法なら憲法という大きな柱は持っております、このことはわかりますよ。これをなくしてやろうなんということは……。しかし、それがあったにもかかわらず、戦後四十年変わってないじゃないですか。同対法ができてから十七年たつけれども変わってない。ということであれば、私が言う柱というのは、行政者というのはそれに基づいて何らか措置されるためには法律が必要でしょう。そうした意味であなたたちは考えなくてはならぬのではないですかと、こう言っておるわけですから、この点についてはどうなんですか。
  117. 海部俊樹

    海部国務大臣 お言葉を返すようでまことに申しわけありませんが、いろいろ努力してきましたから、私たちは、目に見えるようになってきたりあるいは進学率も、不十分だとおしかりを受けておりますが、伸びてきたということもこれは事実だと思います。ですから、今後ともこのことは予算措置をして続けてまいります、こう申し上げておるのでありますから、どうぞそれはお認めをいただきたいと思います。
  118. 中西績介

    ○中西(績)委員 予算措置でそれができるわけじゃないのです。啓発活動とかこういうものはそれなら何で残ってきたのですか。一番の問題ですよ。できっこない。だから、私は指摘をしたいと思いますのは、こうした協議会などということをやりますけれども文部省自体がそうしたことの意味を把握できていないから、幾ら集めたってだめだということをさっき一番最初に言ったでしょう。問題はそこですよ。  これは時間が参りましたからやめますけれども、あと三十分ありますから、そのときに、問題になっておる、例えばそうした問題が依然として解決されておらないために、この朝日新聞などに出ている、あるいは毎日新聞にも出ておりましたけれども、中学校の校長会のこうした問題等についても、出ておる項目を見てごらんなさい。同和教育が本当に教育の原点として皆さんの中でちゃんと根づいておったらこんなことは出てきません。校長もこんなことを平気で出すけれども自分たちは逃げの一手じゃないですか。だから、教育の基本にかかわる問題として依然としてこの問題については皆さんの中で認識がされておらないのですよ。だから、その点をもう少し勉強してもらわなければ困るのです。  一応終わります。
  119. 青木正久

    青木委員長 午後一時三十分再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時四十五分休憩      ――――◇―――――     午後一時三十九分開議
  120. 青木正久

    青木委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。中西績介君。
  121. 中西績介

    ○中西(績)委員 先ほどの時間にいろいろ討論いたしましたけれども、まだ十分な回答まではいただいておりませんが、その前にひとつ、私は新聞などを使うことは余り好みませんけれども、これしかありませんから……。  中学校長会の調査結果が出ています。これは昨年の十一月に実施したアンケート調査のようでありますけれども、公立中学校の約一〇%に当たる千三十五校の校長を対象にしてやっています。これを見ますと、いろいろ内容が出ておりますけれども、これは朝日だったと思うのですけれども、この新聞の一番最後に、「報告は「まだ一部の校長には、認識の甘さがある。教育の基本にかえって指導体制の見直しが必要」」、結局帰るところは教育の基本にかかわる問題として私はこの中身を見ました。  したがって、予算委員会分科会、そして午前中一時間の討論とあわせて、このいじめそのものは、先ほどもちょっと触れましたけれども、こうした結果が出ておりますが、同和教育そのものが本当に教員の中に、なかんずく校長の中に理解をされ得たときにこうしたことがだんだんなくなっていくのではないかと私は思っています。ですから、そうした意味で、ただ単に現場教師が悪いという受けとめ方でなくて、そうしたとらえ方をぜひしてほしいと思います。同和教育が徹底しておるところではこういう数値は出てこないと私は思います。したがって、どのようにこれをとられておるか知りませんけれども、私はぜひそうとってほしいと思っておりますが、その点について御意見がございますか。
  122. 高石邦男

    ○高石政府委員 今御指摘のありますように、認識の甘さが一部の校長にあるというふうにこのアンケート調査を見て我々も感じているところでございます。したがいまして、なお一層この問題については、これは一昨年の十一月ですから、ことしに入りまして文部大臣も中学校長会の理事会に出席して、いじめ問題等に対する積極的な取り組みを要請されたわけでございますし、校長会としても再度その問題の重要性認識して、校長会自体としての周知徹底を図っていくというような取り組みがその後行われているわけでございます。  したがいまして、いじめの問題というのは教育の持っている基本的問題にかかわる事項もあるわけでございますので、そういう意味では、なお甘い認識ではなくして厳しい受けとめ方をして、教育現場で教育を展開してもらいたいと思っております。
  123. 中西績介

    ○中西(績)委員 特に校内における正義の力が弱いとこれには見出しまでつけておりますけれども、ところが、私が今まで職場をずっと回ってみて多くの教師たちの声は、自由と自律と誠意、これが今一番欠けています、その点を我々も反省するし、ではなぜそのようになってきたかという原因究明がなければ、その一番根本にかかわる問題を手がけていかないと決してよくはならないだろうということを言っています。  したがって、この点はまた、時間がございませんからきょうは触れませんけれども、いずれにしてもこうした問題等が出てまいりますが、局長さっき一昨年とか言いましたけれどもこれは昨年になっています。ぜひこうした、特に私は「学習不振の生徒への指導が不十分、生徒の自主性・自律性を育てる活動が低調、校内の指導体制がばらばら、」こういうことがずっと出てきておるところを見まして、実に残念でしょうがありません。じゃ校長はどうなのかということは全然出ていませんからね。校長自身の問題を一つは調査をしなければだめだと私は思いますよ。その点だけを指摘をし、同和教育とのかかわりが非常に深い、そして同和教育さえ徹底させておればこういうことは恐らく出てこなかっただろうということを指摘をして終わりたいと思います。  そこで、もう一つ、私は今まで余りこういうあれをしないわけでありますけれども、お聞かせ願いたいと思いますが、文部省の方にも手渡っておると思いますが、四月十四日の西日本新聞夕刊。この前私、地元に帰って見たわけでありますけれども、「体に合わない机、イス」という問題が起こっています。これを見ますと、福岡大学医学部衛生学教室の教授が、小学校一校、中学校二校を対象として調査をしておるようであります。  これ、ちょっとお聞きしますけれども、JIS規格で一号から十一号まであると書いてありますけれども、こういうのがあるのですか。
  124. 古村澄一

    ○古村政府委員 おっしゃるとおりJIS規格ではそういったものは示されております。
  125. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうしますと、「不適合率」というのがこの中で出ておりまして、高学年になるほど小中学校とも高過ぎるものを使用しておるという結果が出ている。したがって、こうした点について文部省なりあるいは県教委なりは指導をしておるのですか。
  126. 古村澄一

    ○古村政府委員 机の高さあるいはいすの高さというものが、体の健康といいますか、いわゆる背骨が曲がるとかあるいは目が近くなるとかいうふうなことに影響することは常識的に考えるわけでございまして、昭和三十九年に保健体育審議会で学校環境衛生基準というのを策定していただきました。その中で、机の高さにつきましては座高と下腿、いわゆるひざから下の足ですが、その長さとの関係において適正な机の高さを選ぶようにしてくれという答申をいただきましたので、その答申を受けて従来からも指導をしてまいっておるわけでございます。  なお、先ほど御指摘ありましたJIS規格は昭和五十五年に改正がありまして、いわゆる一号から十一号までの机の高さというものが身長との相関関係において参考表として示されたというのは、学校にとっては大変参考になる資料であるということでございますので、私たちもそういったものを十分参考にしながら学校において適切な高さの机を使うようにという指導をかねてからしてまいっておるわけでございます。
  127. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうすると、これに出ております例えばプラス・マイナス七センチという不適合だというこの基準、これはこのままでいいのですか。
  128. 古村澄一

    ○古村政府委員 その七センチ・プラス・マイナスというところまで私の方ちょっと検討いたしておりませんけれども、いずれにしても、例えば身長が百六十六センチ以上あれば一号という机を、一号というのは机の高さが七十三センチでいすの高さが四十四センチであるというJIS規格の資料があるわけでございますので、それが一つの標準目安になるだろうというふうに考えております。
  129. 中西績介

    ○中西(績)委員 私はこれしか持っておりませんでしたからなんですけれども、なぜ私がこれを指摘をするかといいますと、この中に出ておりますように、プラス・マイナス七センチを一つの不適合基準といたしますと、数からいいますと、百五十九センチメートル以下用の机は、対象生徒が千七百七十五人いるのに二百一個しかなかった。それから、百六十センチメートル以上用の机の場合をいうと、対象生徒は六百六人しかいないのに二千百八十個あった。ということになると、これはうまくかえさえすれば相当改善されるということが判明したわけですね。したがって、今言われました生徒の疲労が早いとか視力だとか湾曲だとかを少しでも防ぐのに、そうしたことが具体的にされておらなかったというのがここに実際にある。ところが、ある机をそのように動かしさえすればある程度被害は少なくて済んでおったという実態がここに報告されております。  そうした点について、ここに出ておる数字が正しいかということが一つと、これはこのような格好で、文部省と指導が全然違っておったなどということになりますといろいろ問題があるから、突然なんだけれどもこういう質問をさせていただきましたので、以後ぜひ、そうしたことを含めまして体位に合う机なりいすをということで早急に指導を強めていただければと思っております。
  130. 古村澄一

    ○古村政府委員 この新聞記事も見せていただきましたが、ここにあります数字、いわゆる実態の数とかいろいろなことがあるわけでございまして、その辺の数字については私の方も責任を持ってお答えできる立場じゃございませんので差し控えたいと思いますが、いずれにいたしましても、このことは学校保健法の施行規則に、毎学年定期に学校環境を検査しろという規定があるわけでございます。その規定の中で、校長が特に必要と認める事項として、この机の高さの問題を私たちは今まで御指導しておるわけでございますので、毎年定期的に新しい子供が入って、そして身体検査が行われて、背の高さが決まってきますし、そういった状況を見た上で、定期的な検査をして適正な机を配置することが必要だろうと思いますので、なお一層指導してまいりたいというふうに考えます。
  131. 中西績介

    ○中西(績)委員 以上でこの分については終わりますが、先般の質問の際にも、大学の一般会計からの繰り込み分が特別会計の中に占める割合というのがだんだん下がってきた、このことが財政を遍迦させるし、利潤追求でない大学病院などのあり方についても影を落とし始めておる、同時に文部省予算全体にも大きな影を落とし始めておると指摘をしたわけであります。ところが、今度は、私立大学の問題については先般これを除外をいたしておりましたので、その面について触れておきたいと思います。  私立大学の助成金と学費との関係でありますけれども、これは私が指摘するまでもありません。この私立大学助成金は同額維持をいたしておりますけれども、結果的には、五十六年度を一〇〇と仮定いたしますと、六十年度は七〇%、六十一年度は六五・五%、どんどんその中に占める割合を落としています。経常経費の中に占める割合も同じように、五十六年度が二八・九%といたしますと、五十九年度が二〇・三%になっていますね。そうすると、六十一年度はまだでしょうが、六十年度は大体何%ぐらいになるのですか。
  132. 國分正明

    ○國分政府委員 六十年度の経常経費に占めますいわゆる補助金の率の問題でございますが、御案内のとおり、私ども、毎年度決算が出ましたときに各大学から報告をいただきまして経常経費を出しているわけでございますので、六十年度についてはまだ決算が全部出そろってきておりませんので、的確にどのくらいになるかということを見通すのは困難でございますが、一般的に申し上げますと、補助金が同額であり、また各私立大学の経費人件費等のアップによって膨らんでいるということが言えようかと思いますので、ちょっと数字は現在はっきりいたしませんが、五十九年度の二〇・三%を下回るということは言えようかと思っております。
  133. 中西績介

    ○中西(績)委員 いずれにしましても、経常経費の中に占める割合というのは、五十五年度あたりが二九・五%、五十六年度が二八・九%と、ずっと下降ぎみになってまいりまして、結果的には、五十九年度は二〇・三%ですからこれはさらに削り込んでくるだろう、このことは予測できるわけですね。  そうなってまいりますと、学生納付金はどうなっていったかということが問題になるわけですね。逆に今度はそれとのかかわりがどうなったか。これは文部省資料を見ますと、六十一年度の場合には合計額が九十四万八千九百九十七円、上げ率が三・九%、これでよろしいですか。
  134. 國分正明

    ○國分政府委員 ただいまお示しの数字のとおりでございます。
  135. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうしますと、もう一つお聞きしますけれども、では、学生を持つ一般家庭の平均収入額がどうなっておるのか、ここいらはおわかりですか。
  136. 國分正明

    ○國分政府委員 これは五十九年度の調査でございますが、大学生のいる世帯の年間収入の平均は六百九十八万三千円ということになっております。また、そのうち私立大学の学生のおります世帯の年間収入の平均は七百三十二万二千円という数字がございます。
  137. 中西績介

    ○中西(績)委員 これは大臣もぜひ聞いておいていただきたいのですが、今お聞きいただきましたように、先ほど私が示しました被差別部落の収入実態などからすると、大学生のいる場合の平均が六百九十八万三千円で、私立大学生のいる場合の平均が七百三十二万二千円という大変高い金額になっているということをまず頭に入れていただかなければならぬと思います。そうなりますと、この関係からすると、大学進学者がいる場合でなくて全般的な平均額はわかりますか。
  138. 國分正明

    ○國分政府委員 国民生活実態調査によりますと、全世帯の平均年収は、五十九年度でございますが、四百七十二万七千円という数字になっております。
  139. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうなりますと、先ほどから問題になっておりますように、経常経費の中に占める割合がどんどん減っていくとどうなるかといいますと、学生納付金は必ずどんどん上昇していく。これは部長もご存じのように、五十九年度あたりまでは授業料も入学金もようやく下降ぎみになってきておったのですね。それが今度は私学助成がストップをかけられる。ストップというのは間違いですが、減額あるいは横ばいという状況になり始めると、この分がようやく下降ぎみになっておったものがまた上昇し始めるという事態になってきております。ですから、そうなってまいりますと、一般の収入、今四百七十二万と申されておりましたけれども、現状は五百万をわずかに超える額になるのじゃないかと思いますが、そういう状況の中では、なかなか地方から私立大学まで進学をさせるということが困難だという状況等が出てくるわけです。だから、借入金だとかローンだとかいろんなことをしなくちゃならぬ事態になってくるわけです。ですから、特定の人しか進学できないという状況が出てくるわけであります。  このことを指摘しますと、教育の機会均等という問題はだんだん空洞化していくのではないかということを恐れるわけでありますが、これと経常費私学助成、この問題を将来どう対処していこうとお考えなのかをお答え下さい。
  140. 國分正明

    ○國分政府委員 御案内のとおり、私立大学におきます授業料その他の学生納付金の額は、私学自身の責任において自主的に決定されることになっているわけでございます。しかし、私どもといたしまして、やはり学生の修学上の負担というものをできるだけ適正なものに、できれば軽減させたいという観点から、先生ただいま御指摘の経常費助成につきましても、現在の大変厳しい財政事情のもとで精いっぱいの努力をさせていただいているわけでございます。  また一方、毎年私ども私立大学等に対しまして、自主的に決定すべきことではあるけれども、振興助成法の第三条に「学校法人の責務」として、修学上の負担の適正化ということもございますので、各私立大学におきまして精いっぱいの授業料値上げの抑制ということを指導しているところでございます。  ただいま数字でお示しの三・九%のアップ率というのも、近年におきます人件費等のアップを考えますと、各私学といたしましても精いっぱいの経営努力をしているというふうにも見られるのではないかと考えておりまして、私ども、今後とも財政の厳しい状況ではございますが、私学助成の確保に力を注いでまいりたい、こんなふうに考えております。
  141. 中西績介

    ○中西(績)委員 ですから、それとのかかわりで、いよいよ一般的にはなかなか進学ができない私学の医大あるいは歯科大、これは昨年私が指摘しましたのは、学納金に実験・実習費をプラスしますと大変な額になる。最高は金沢医大の一千四百五十万、昭和医大の歯学部が一千六百五十万。こういう実験・実習費を上積みすることによって学納金をうんと引き上げておる状況等がございましたが、こういうものは少しは指摘をされたのですか。その結果、自制か何かされたのですか。
  142. 國分正明

    ○國分政府委員 医歯系の学部につきましては、他の学部におきます入学金、授業料あるいは設備費等のほかに、実験・実習費という名目で学納金を徴収している例が多いわけでございます。このこと自体は、先ほどもお答え申し上げましたように各私学が自主的に決定すべきことでございますが、六十一年度の調査によりますと、実験・実習費等を含めました納付金の平均額が九百二十万八千円余りでございまして、前年度対比二・二%の減ということになっております。これは医学部において一校、歯学部において二校が、六十一年度から教育充実費というものを減額した結果のあらわれであろうかと思っております。
  143. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうであればあるほど、ぜひこれは抑えるということがなければ、本当にもう一般化できない。その上にまたさらに五倍も六倍にもなるわけですから、この点十分勘案していただきたいと思います。  それから、この配分の見直しの問題でありますけれども、傾斜配分等、もう細かく説明は要りませんけれども、六十年度の場合にはどうなったのか、そしていまだに十分な措置がされないために補助金の出されておらないところ、どういうところかおわかりであればお答えください。
  144. 國分正明

    ○國分政府委員 経常費補助金の配分の問題でございますが、この問題につきましては、先生からも本委員会でしばしば御指摘いただいている点でございます。  詳しくは申しませんが概括的に申し上げますと、昭和六十年度におきましては、いわゆる傾斜配分、教育研究条件を勘案いたしました傾斜配分をさらに強化するということが第一点ございます。  第二点といたしまして、従来補助金を交付しないものとして、入学定員で申しますと、二・五倍以上の学生の水増し入学をしているというものにつきまして、これを二・〇倍にまで引き下げる。ただ、これは段階的にやる必要がございますので、六十年度の場合は従来の二・五倍を二・三五倍、六十一年度については二・二倍、そして六十二年度には二・〇倍に持っていくという三年計画でございますが、これの改定措置を六十年度から実施しております。  それから、これまた先生からしばしば御指摘いただいております特別補助でございますが、これにつきましては、新たな補助項目を新設するなど若干体系を入れかえまして、重点的な補助が行えるように仕組みを一部変えております。  それから、いろいろの問題があって経常費の補助金が出ていない大学でございますが、六十年度におきましては、なお九州産業大学等を設置いたします中村産業学園、東和大学等を設置いたします福田学園、それから九州共立大学等を設置いたしております福原学園、この三法人について、管理運営不適切ということで引き続き不交付措置というふうにいたしておるところでございます。
  145. 中西績介

    ○中西(績)委員 お答えいただきました六十年度学生総定員の中で、二・五倍から二・三五あるいは二・二、二・〇と漸減をしていくという態勢をとったわけでありますね。これらとあわせまして、いろいろまだ意見は私ございますけれども、時間が来たようですから打り切ります。いずれにいたしましても、さらにこういう面につきましては、財政が厳しいだけに最も効果が上がるような体制をつくってほしいと思います。特別補助金についても同じです。  そこで、大臣、先ほど私申し上げました財政問題ですけれども、この点、私学助成横ばいでいってはおりますけれども、実質の率はどんどん下がってくるわけですから、こうしたことを含めまして、国立学校特別会計問題等あわせまして、私は当初から申しておりますように、ぜひこれからも教育費をどうするかという視点、さらに御検討いただくようお願いを申し上げたいと思いますが、簡単に決意だけお聞かせいただきたいと思います。
  146. 海部俊樹

    海部国務大臣 極めて重要な問題でございますので、先生の御質問の趣旨等も十分参照させていただきながら、前向きに努力をさせていただく決意でございます。
  147. 中西績介

    ○中西(績)委員 終わります。
  148. 青木正久

  149. 木島喜兵衞

    ○木島委員 第二期海部文政の初めに当たりまして、お手やわらかに。  私、きょうは大した質問をするつもりはありませんので、できればこの後、局長で結構でございます。  ここのところ、世界全体が教育改革の動きの中にあると思うのです。世界全体――世界全体というよりも欧米先進国ですね、一斉に教育改革をやろうという背景は一体何でしょうね。
  150. 海部俊樹

    海部国務大臣 世界全体という大変大きな問題でありますので、まず私から大きなお答えをさせていただこうと思いますが、一言で言うと、それぞれ基礎学力の充実に重点を置くということではないかと私は見ておるのです。それはヨーロッパのみならず、ソ連も義務教育を一年延長をする、あるいはアジアの近隣諸国でもいろいろ教育改革をおやりになる、中国も義務教育をきちっと整備してやっていこうとされる、皆それぞれの国が、あすを背負う児童生徒の基礎学力をしっかりと充実させたい、そのためにはどうしたらいいかということを、それぞれの国なりに方向を定めて教育改革が動いておる、私はこう理解しております。
  151. 木島喜兵衞

    ○木島委員 そのことについて、次の質問を申し上げます。  確かにおっしゃるとおり、例えばアメリカにおいてはソ連の打ち上げ以来スプートニクショック、そこからいささか反省があってエリート養成の教育がずっと進んだ。例えば、今の先端技術などについても日本と十年間の開きがあると言われますね。もしそれだったら、アメリカからすれば、逆になぜ日本から輸入されなければならぬだろうか。日本から先端技術を輸入しますね、これは要するに、エリートをつくったけれども、逆に言うと、今大臣がおっしゃるようにレベルが下がっておる。非常に差があり過ぎる。それは日本の方が画一的な教育ですから、労働者の質がいいし、平均的である。だから逆に、先端技術は十年進んでおると言われながらも、生産では日本におくれておる。そこに今日の経済摩擦の一因もあるわけですね。したがって、今おっしゃるように、アメリカが画一的と言われても少しレベルをアップしなければならぬ、基礎学力を高めようとする。ところが日本の場合、逆に少し自由化しよう、画一化ということからいえば自由化しよう、これは一体どういうことなんだろうか。
  152. 五十嵐耕一

    ○五十嵐政府委員 先生御案内のとおり、学力の国際比較というのを行いまして、理数科系統では日本がレベルが非常に高いということは言われておるわけでございますが、そこの中でいろいろ問題に出てまいりますのは、日本人はどうも創造性に乏しいのではないか。例えばノーベル賞に見られますように……(木島委員「そういうのはいいよ、私の聞いたことだけ答えればいい」と呼ぶ)そういう点がありますので、今言いました基礎的な一定のレベルを保つということはいいわけでございますが、例えばいじめあるいは校内暴力あるいは受験競争、いろいろ見られますが、非常に画一的なことがどうも強調され過ぎているのではないか、その中でもう少し個性を大事にしていったらどうだろうかということが基本的なことだと考えております。
  153. 木島喜兵衞

    ○木島委員 おっしゃるとおりです。したがって、そのことは逆に言うと、長い自民党の教育政策の反省がそこにあるということを今言外におっしゃったと理解いたしまして、次の質問に入ります。  世界教育改革の動きとの比較の中で、先進国全体に進学率の上昇がありますね。そのことは逆に言うと、さっき大臣がおっしゃったように基礎教育を大事にしよう。そのことは逆にもう少し言うと、例えば臨教審だって二十一世紀を目指して、こういうことになっていますが、二十一世紀という時代は一体いかなる時代がというと、二〇〇一年と二〇九九年という違い、百年ですから、二十一世紀の後半などというのはわからないです。科学技術はまさに幾何級数的に変化していますから、例えば科学技術で言うならば、すぐに使える知識や技術は技術革新の中ですぐ使えなくなるおそれがある。したがって、さっき大臣がおっしゃったことで言うならば、変化に順応し得るところの基礎学力というものが必要になってくる。だから、高学年まで専門化というものをなるたけおくれさせようという世界の大きな動きがある。だが、日本の方は、例えば第一次答申の六年制中等学校なんかは、逆に中学校から専門化して分けようとする。文部大臣、首をかしげていらっしゃいますけれども、六年制中等学校というのは、多分そうでしょう。幾つかの方向を挙げていますね。それは中学校から専門化しようとしている。ところが、時代の流れは大きく変わっておりますから、世界全体は専門化はなるたけ後にしようという傾向がある。これはどうお考えになりますか。
  154. 海部俊樹

    海部国務大臣 きょうまでの日本の教育の制度、仕組みの中で、私は、世界的に初等中等教育というものはそれぞれのお立場関係者の御努力によって非常にすぐれたものになってきておるということは先生もお認め願っておると思うのです。そして、ヨーロッパ諸国が今やろうとしております基礎学力を高めようという改革はもうちょっと先のところじゃないでしょうか。  例えばドイツなんかでも、今までは小学校四年生のレベルで国民学校、技術学校、職業学校と分けておった。四年生のところで分けてしまったのでは、諸外国と比べて相対的に学力基準も低過ぎるというので、その選別を四年生でやっておったのを、六年生にまで二年間上積みしたらどうかというので、日本とはちょっと制度、仕組みが違いますから、各省ごと、各州ごとといういろいろなばらつきがありますが、上げていこうとするのは大体六年生まで上げようということで、日本の場合は、御指摘の中学校も、六年制の中学校は、小学校六年が終わったところで今度は六年間の中高一貫教育的なカリキュラムの中でそれぞれの個性に合うような、専門に合うような教育をしていこうということでありますから、それぞれの国によって、その歩んできた過去の経緯とか社会の変化とか要請によってねらう目標は必ずしも一致しておりませんけれども、しかし、日本の場合の小学校のあれが必ずしも早過ぎるのではないような受けとめ方を私はしております。
  155. 木島喜兵衞

    ○木島委員 ただ、そういうドイツならドイツの例を今出されましたが、そういうことも含めて全体におそくしようという動きの中にある。さっきおっしゃいましたように、四年生を六年生にしようというごとく、おのおのの国々はおのおのの歴史を持っている制度がある。しかし、それを全体で見るとなるたけ変化に順応し得るところのものをということを中心に考えているという傾向が出てきておると思う。それに比べると、日本は逆に下げようとしているではないか。六年制中等学校なんというのはまさにその例だと思うのです。そこのところが私は違いの一つだと思うのですが、まあいいです。  臨教審は、例えば個性重視を教育改革の最大だと言っておりますね。そこで、比較しますときにやはり欧米先進国はうんと子供が少ないですな、一学級当たり。日本は四十五人、これを四十人。どうですか、初中局長、一体どのくらいがよくて、どのくらいの計画でもってやっていこうという――これは臨教審なんかでは出し切れないと思うのですよ。どのくらいを目標にして……。個性重視がとにかくすべてに優先する原則だというわけです、臨教審は。それを政府が尊重しなければならぬ義務を持っているとすれば、個性尊重の中でもって、目の届くところの一人一人にきめ細かい教育をやろうとすれば、生徒数が少ない方がいいに決まっているのですから。これはどう考えますか、初中局長
  156. 高石邦男

    ○高石政府委員 ちょっとストレートなお答えができないわけですが、本来教育というのは、人間の持っている適性能力を最大限に引き出すというのが使命だと思うのです。それから、日本の社会が必要とする、国民として必要とする基礎、基本の教育をしっかり身につけさせる。その二面性が、実は初等中等教育における教育の二つの面だと思います。  したがいまして、今まではどちらかというと後者の、国民として、基礎、基本として共通に理解しなければならない水準というような観点から、いろいろな教育の仕掛けなり制度なり内容というのがつくられてきた。したがって、もう少し個人に着眼した教育の展開というのを考えるべきではないかというのが臨教審における一つの論議のポイントであろうと思います。そのこと自体は、私は教育の原理原則から言えば一つの正しい見方であろうと思うのです。  そうすると、そういうことをやり得るためにはどんな条件整備が必要か。一つは、どういうクラスの数にすればいいか、どういう先生の配当にすればいいか、どういう教育内容にすればいいかという、非常に多面的な検討というのが必要になってくると思うのです。そういうことで、教育内容については教育課程審議会でその内容の審議を今進めてもらっているわけです。  それで、一クラスについては当面四十人ということで、それから先のことについては、その達成した段階で新たな展望で諸情勢を考えていかなければならない。理想論としてはもっと少ない方がいいじゃないかという意見は、私もそうだと思いますけれども、ここで何人が理想であるということを直ちにお答えできる段階ではございません。
  157. 木島喜兵衞

    ○木島委員 問題、次に移ります。  男女雇用平等法に象徴される女性の社会進出、これは、確かに産業社会になってから女性が職場に進出するということがありますけれども、第二次世界大戦で男性が戦場に行く、その後の生産を高めるということから、第二次世界大戦が僕は一つの大きな転機だと思うのですがね。これは人類の長い歴史から見たら大変な革命的な要素だと思うのですよ。例えば狩猟採取時代だって、二百万年以上前から男子はチームをつくって狩猟に出かける。そのときに、家事、育児、せいぜいうちの近くの木の芽を摘んでおったということでしょうね。そういうことがずっと農耕時代まで続いておった。それが、産業社会という三百年、その中の今度の第二次世界大戦という今から五十年くらい前からの社会進出でありますから、その限りでは社会全体の大きな変革であることは間違いない。ところが、その限りにおいては、社会進出を否定するわけではありませんけれども教育に十分な目が届かないという、教育における捨て子的要素、家庭教育犠牲にしておるという部面がだんだん出てきますね。だから、男女雇用平等法というものが一方にありながら、そのために家庭教育、しつけ、それが放置されてきておる。このことをまずどう考えるかということが一つ押さえておかなければならないことだろうと思うのですが、どうですか、局長
  158. 高石邦男

    ○高石政府委員 私は、家庭の機能というのが、教育面だけではなくて一般的にどんどん外に出てきているのがいわば現代社会の推移ではないかと思うのです。例えば病人とか老人の世話人というようなことは、昔は一つの家族で処理していたのが、病院ができたり保育所ができるということで機能が外に出ていく。教育面においてもそういう傾向があると思うのです。そして、その上になお、御指摘のように昔は母親が子供の教育、しつけを家庭でしっかりやっていたのが、お母さんが出かけているということになるとお留守になってくるという傾向があると思うのです。それを一体どういう形で補完していくべきかということで、学校教育においてそういう分を補完していくような機能も、ある面においては必要だろう。それから、それは学校教育というとらえ方では補足しがたいので、もっと広い意味での社会政策福祉政策という観点で、そういう子女の世話なり教育、そういうものをどう展開していったらいいかということを考えていかなければいけない。狭い意味の領域で学校教育が、より大きなそういう状況の変化でしつけとか子供の教育に関心を払いながらやっていかなければならないというふうになってきていると思います。
  159. 木島喜兵衞

    ○木島委員 学校教育というのは、確かに学校教育だけではなくて教育全体がそうでありますが、学校教育は社会が変化すれば社会の要請に応じて変化をするというのは当然だと思うのです。けれども、おっしゃるように、家庭から家庭教育がなくなる、あるいは社会だって社会教育教育力が低下している。そのために社会規範の欠如で学校に要請される。だって極端なことを言うと、学校先生が一年生の子供に、うんちしてきたか、朝飯食べてきたかと言うことから始まるわけでしょう、少し極言すれば。親がわりになるというなら、四十五人持っていて親がわりはできないよ。家族なら大体二人。完全に親がわりということに極論すればそうなるんじゃないですかね。教育に関する一〇〇%捨て子なら、それを親がわりにやるなら、二人の子供ということになるでしょうね。そういう一面がある。まあ、それはそれくらいにいたしましょう。  一方、文部省は、この間発表しましたね、九年ぶりに塾調査。あれは何でやったのですか、あの目的よ。
  160. 五十嵐耕一

    ○五十嵐政府委員 先生承知のとおり、昭和五十一年度に、いわゆる児童生徒の学校外学習活動に関する実態調査というのを行いまして、その後、児童生徒の学校外の学習活動につきまして相当変化してきているのではないか、特に学習塾の関係あるいはいわゆるおけいこごとの関係、そういうものが非常に増加してきている。そういうことがまた逆にいろいろ学校教育にも影響を及ぼしているというようなことがございますものですから、今申しましたようなことで学校外の学習活動に関する実態を調査いたしまして、それでこれを学校教育の改善に役立てるというような観点から行ったものでございます。
  161. 木島喜兵衞

    ○木島委員 九年前は、その結果について通達を出しましたね。にかかわらず、逆になった。抑えようとしたんだけれども、逆になったということですね。いや、いいんですよ。そのことを責めようとかなんとかということじゃありません。ただ、学校、公教育というのは、産業社会とともに始まりましたね。今まで個人が、例えば貴族なら貴族が、それは個人的なあれだったけれども、公教育というものは産業社会の中で、すなわち狩猟採取時代やあるいは農耕時代では、社会の変化はないから親の伝承で済んだ。産業社会になってくると、親が知らない世界ですから、しかも科学技術が進歩するわけですから、したがって専門的な機関において専門的なことをしなければ子供たちはその社会に生きられないから、まともに就職できず、まともに就職できないからまともに生存できないという生存的基本権として公教育が存在した。そのことはやがて義務教育無償に発展する。ところが、その教育が塾にとられておる。学校は、元来、科学技術の進歩の中でもって、それを教えることによって就職をさせ生存させようというところから公教育が始まった。始まったのに、それが塾に行く。塾に行かないといい学校へ入れない、いい学校に入れない者はいい就職をできない、いい地位につけない、いい金が取れない、だから塾がはやる。これ、どう思いますか。
  162. 高石邦男

    ○高石政府委員 学校教育、いわゆる公教育というのが近代社会の発生とともに誕生して、充実していくわけですが、そこで、学校が受け持つ、子供の教育においてなし得る分野はどこまでかというのが国々によって若干変化があると思うのです。日本の場合は、割合幅広く、知的な面だけではなくして、体育であるとか心の面、いわゆる知徳体と言われているような分野にまで広げて、基本的なものを学校教育が受け持っていこうという形で発展してきたと思うのです。それ以外に、しつけとかおけいこごと、こういう部類に属するものは、いわばプライベートな機能として家庭なりそれぞれの個人にその選択をゆだねるということで、公教育から若干切り離して発展してきたと思うのです。したがいまして、おけいこごとに類するような意味での塾、これは公教育と対立する概念ではなくして、いわばある意味ではそれを補完するような機能ですから、そのこと自体は結構だと思うのです。  ところが、問題は、学校教育本来が受け持つべき分野について、例えば有名大学に入るため、有名高等学校に入るために、学校以外のそういう機能で補完して進学をしていくというところに、実は公教育における学習塾というのが大きな問題点、弊害として論じられてくると思うのです。したがいまして、そういう意味学校教育の正常な発展を確保していくという観点での対応として、一体どういうふうに学校教育は展開すべきか。そして試験制度をどう展開して改善していくべきかということを大いに改革して進めていかなければならないというのがあると思うのですね。ところが、もっとそれを突っ込んでいくと、それをどんなに改革しても、競争という社会の中で、有名な大学に入りたいという者が多数存在する、学歴社会、特定学校志向というのが国民の意識の中にある間は、なかなか口でそれを言っていても解消できない、そういう日本的な現象が、学習塾がこのように伸びてきているというか落ちていないということではなかろうか、そういうように直観として思っているわけでございます。
  163. 木島喜兵衞

    ○木島委員 今おっしゃるように、だから、例えばそういう意味では、公教育が産業社会とともに出発したときには、子供たちは過酷な労働から解放された、その喜びがあった。その学校から今子供たちが解放されたいと考えておる。だから、学校とは一体何かという問題が今提起されていると思うのです。  私は今、最初の婦人の社会進出ということ、これは今月中に起こったところの、四月一日に起こったところの男女雇用平等法というものと、それから今月に出されたところの文部省調査、その二つをあわせて今言っているつもりなんですよ。そこで、学校とは一体何ぞやという問題を提起していると思うのです。時代とともに変化すればだから仕方ないんだということで済むならば、学校という概念は全く変わってこなければならぬでしょう。うんちをしてきたか、朝飯食べてきたかという、家庭のことまで代行をしなければなりませんよという社会のことまで学校がやらなきゃならないのか。しかし、やらないわけにはいかない。しかし学校だってそれでいいのか。そして一方、知識、技術、それから出発した公教育というのが、今やそれが実は塾や進学校に求められておるということ、これは、学校とは一体何ぞやということをこの二つのことは示した大きな問題なんだと思うのです。  おっしゃるとおり、確かに学歴社会というものをどう打破するか。臨教審もあの第一次答申ではちょっと言っていますけれども、どうもぱっとせぬね。しかし、学歴社会がもしも教育を荒廃せしめているなら、相当思い切ったことをやっていいんじゃないですか。やらざるを得ないんじゃないですか。何か思い切ったことをやるくらいでなければ、今のままでいいんだろうか。今のままでいったならば、公教育、日本の学校教育は一体どうなるんだろうかという点では、思い切ったことをやらなければならぬという感じはしませんか。どうですか、局長
  164. 高石邦男

    ○高石政府委員 これは私個人の考え方でございますが、学歴社会を打破するのは、教育行政とかそういう分野での打破は無理じゃないかと私個人は思っておるわけです。したがって、もっと社会の雇用であるとか昇進であるとか、いわば国民全体の意識の改革、そういうものが伴わないと、ただ学校制度の領域だけ、文教行政の範囲だけでそれを修正していくというのは非常に困難であるという意味で、文部省が学歴社会打破のために打ち得る限界というものは知れたものだ。だから、もうちょっと政府全体というか国全体でその付近をどうするかというのを検討して思い切った手を打つということが必要だろうと思うのです。
  165. 木島喜兵衞

    ○木島委員 文部省だけでできない、まさにそのとおりです。それは僕は前に言ったの。森さんのときかな。これは大臣、聞いていただけばいい。何で選挙のときに学歴書くのかねと。私の相手候補に東大法学部というのがいる。それを書くとやっぱり偉いみたいに見えるのですよね。票の誘導ですな。何であれをつけなきゃならぬだろうか。答弁は要らないですよ。  そういうように、おっしゃるように、それは選挙法の中でもって要らないものをつけているわけよ。そういうものはたくさんあるでしょう。  だから、そういう意味では、例えば柳川さんが局長になったとき、早稲田大学出身の、私大出身初めての文部省局長になったなんて大きく新聞に出ましたね。そんなことは人間の価値からいったらどうということないじゃないの。そこにはやはり差別感があるわけよね。そういうのをあれしたらたくさんある。だから確かにおっしゃるとおり。  ただ、そういう意味では、これは大臣、答弁要りませんけれども、封建社会というのは士農工商のごとく身分社会ですね。ところが、学歴社会がここまで来ますと、学歴によって高い地位、高い経済的条件が生まれると、家庭がまた文化的な環境をつくることができますね。そして、その子供に例えば東大なら東大に入るところの金をかけることができますね。そして、その子供たちがよりいいところへ行くということは、今の東大なら東大に比較的金持ちがたくさん入っていますね。御存じなくてもいいのですが、そういう結果が出ています。したがって、封建社会の身分社会から解放されたはずなのに、学歴による身分社会という新しいものができつつあるのじゃないか。そういう日本全体の問題をどう考えるか。封建時代に返ろうとしておるのじゃないか。そういうものをどうするかということは、これはまさに内閣全体の問題であり、あるいは臨教審が総理府直属の機関であれば、そういうことがまさに求められていることなんだろうと感じます。  同時にまた、臨教審は国際化ということを言っていますよね。国際化という中では、例えばOECDの日本の教育視察団で参りましたドーアなどは新しい文明病と言っておりますけれども、後進国ほど学歴社会ならざるを得ない。すなわち、優秀な人間を、エリートをつくってそこから出発しなければいけませんから、それで学歴社会になっていく。しかし、日本が今日、このような学歴社会のために、学校とは何ぞやというほど苦しまなきゃならないということがあるならば、国際社会の中におけるところの日本のわだちをもう一度踏むことのないような、そういう国際教育あり方というものも考えなければならぬかもしれませんね。そういうこともいろいろ含めて、私きょう余り深入りするつもりありませんから、局長のおっしゃる答弁に従って御質問申し上げておるのでありますけれども臨教審全体の中でもって物を考えていくことが一つであります。  それから、もう一つ、婦人の社会進出ということが盛んでありますが、一方で雇用平等法がありながら、そしてそこでもって教育に関する捨て子がありながら、それを補完する制度がないですね。考えていませんね。これも文部省だけの問題じゃないかもしれません。例えば育児休業なら育児休業、これは教員やなんかにありますよね。すべての婦人労働者が社会進出する、それを補うところのものとして、一年間なら一年間、全婦人労働者にそれを与えたらどうですか。あるいはそれはかわりに男性がとってもいいですよ。そういうものがなぜできないのか。あるいはそういう意味ではPTAの参観の休暇とか、あるいは子供が病気したときの看護休暇とか、そういう式のものというのを一緒に考えなければ、雇用平等法だけ進めてそのために教育犠牲になっておる、それでいいのだろうか。僕は物の考え方としてそう思うのですが、これは大臣どうですか。
  166. 海部俊樹

    海部国務大臣 問題をいろいろ御提起いただきましたので、それぞれにお答えをしなくてはならぬかもしれませんが、私は今先生お話を聞いておって、産業社会が家庭の教育的機能をだんだん奪ったということに対する反省が、産業社会を生み出したヨーロッパに今非常に根強く起こっておるということ、これは私もよく理解しております。ですから、最近のサッチャー首相の、家庭にルネッサンスを、家庭の主婦の立場や主婦の地位というものをもう一回考え直さないとだめだというあの提言とか、あるいは、先生百も御承知と思いますが、欧米の進んだ先進国の中で、今社会保障というものはお金じゃなくて、物じゃなくて、時間を社会保障の対象にしなくてはならぬ。就学前児童のある家庭は、母親は八時間働かなくても、六時間労働でうちへ帰してあげたらいいということを現実に政策で行うようになってきましたのも、この産業社会の変化に伴う家庭の教育機能を何とかして補完したいという、それぞれの国が当面しておる悩みであり、その悩みから出てきた政策だと私は受けとめておるのです。  日本の場合も、先ほどいろいろ塾の問題や学校の問題、学校はなぜあるんだという御指摘でありましたが、やはり学校は、児童生徒が基本的な問題を身につける、そして社会人として将来一人前の人間になっていくときに応用問題が解決できるような基礎、基本をしっかりと身につける、それが学校の場だ。むしろ家庭ではしつけをしていただく。さっきおっしゃったようないろいろな問題を余り先生に押しつけちゃいかぬと僕は思います。それくらいのことは、人生の最初に出会う教師であるお父さんやお母さんが家庭でしっかりと身につけさせる責任があり義務があると私は受けとめておるのです。  ただ、家庭における人口構造の変化というものが、兄弟同士の切磋琢磨という場を、いい悪いの議論は別にして、奪っておりますから、今日学校が従来の知育、徳育、体育の教育のほかに、異世代年齢が初めてぶつかる場としていろいろ御苦労願ったり、学校の幅がやや広くなってきておるんじゃなかろうか。それだけ、教職員の皆さんにも厳しいかもしれぬが、御理解をいただいて、御協力願わなくてはならぬな。そういうことが学校の果たす役割だ、私はこう受けとめております。やっぱり家庭は家庭の責任をきちっと守る、両親は両親の責任をきちっと守る。同時にその中で、最後に御指摘の女性の職場進出、女性と家庭との関係というものももうちょっと広い社会政策的な面で私たちも考えて、これは大切にしていかなければならぬ問題だ、こう思うのです。  学歴の問題は、その人がその学校でそういったことを身につけることができたということで十分だと私は思うのです。だから、学歴なんかがいろいろと幅をきかせ過ぎる世の中は間違いだとおっしゃることはそのとおりでありますし、臨教審の第一次答申でも、学歴社会の是正を指摘したのは、学歴だけがひとり歩きして必要以上に幅をきかせるのは間違いだ、その人の能力やその人の人物というものをもっと大切に、要するに肩書よりも実力なんだということを大切にしていくような方向を指さしておるわけでありますから、それに従うような方向教育自体も改革をしていかなくてはならぬと考えておるところでございます。
  167. 木島喜兵衞

    ○木島委員 大変高邁なる御見識ですが、なぜ世界全体が教育改革をやっているんだろうか。今大臣がおっしゃった、産業社会、近代文明というものの限界というか、あるいはその弊害の蓄積というのでありましょうか、そういうものが殊に先進国の中に多いと私は思うのです。同時に、今大臣がおっしゃいましたように、教育そのものが目的なんですが、それにもかかわらず、例えば産業のあるいは立身出世のあるいは国家の目的のその手段に使われてきたところに教育の弊害がある。もちろんそのことはそのことで価値あることでありましょう。けれども教育というものは元来はそれが目的であって手段ではない。その違いを厳密に考えなければならぬだろうということであります。  そこで、次は、婦人の社会進出に伴っての学童保育の問題です。これは、きょう厚生省を呼んでないのです。確かめたら、先生のおっしゃるとおりですと言うから、あえて呼ばなかったのですが、児童福祉法二十四条は、「市町村長は、保護者の労働又は疾病等の事由により、その監護すべき乳児、幼児又は第三十九条第二項に規定する児童の保育に欠けるところがあると認めるときは、それらの児童を保育所に入所させて保育しなければならない。」こうなっております。そして、三十九条の二項というのは、「保育に欠けるその他の児童を保育する」となっておりまして、「その他の児童」というのは小学校就学の時期から十八歳までなんです。そこで保育に欠ける者はやらなければならないのです。だから、これは市町村長の義務なんです。ところが実際はなってないですね。やってないでしょう。それはある程度進んでいますけれども、なってないですよ。この「保育に欠ける」というのは何も十八歳のすべてじゃありませんよ、自分でもって自分を処置できれば保育に欠けるわけじゃないですから。したがって、小学校の低学年のかぎっ子という意味でしょうね。これは市町村長の義務であるにかかわらず、その自覚がない。だから少しでもやろうとしない。私はこの法律をやれとかなんとかということを言っているのじゃありませんよ。ただ、余りにも少な過ぎる。同時に、先ほど言いました婦人の社会進出が成れば成るほどかぎっ子が多くなるわけでしょう。それにもかかわらず、それが大きく進んでおらない。そういう全体をどう考えるかということ、これは大臣決意ですかな。まあ局長でもいいです。
  168. 高石邦男

    ○高石政府委員 まず、幼稚園から小中高等学校学校があるわけですが、その中で、例えば幼稚園に入る前の乳児時代における保育とかしつけとか、やはりそういうものも含めて考えていかなければなりませんが、かつては親たちがともに生活をし、場合によってはともに働いて、子供の教育に十分に影響力を与えることができた。それが非常に少なくなる。それは産業の近代化という一面と、先ほど御指摘のありましたように、雇用平等法によって婦人がまた家庭を離れるという二面性がある。そこを補完するのを、学校教育という場で補完するように求めていくのか、今おっしゃったように社会政策全体の中で求めていくのかという基本問題があると思うのです。求めるべき方向は、どちらかというとそれは社会政策の中で求めるべきであって、学校教育にそれをどんどん求めて補完していくといってもなかなか限界があるというふうに思いますので、それは社会政策の面でとるべき対応ではなかろうかという気がするわけでございます。
  169. 木島喜兵衞

    ○木島委員 答弁としては大変立派です、文部省の答弁とすれば。けれども、子供にかかわる問題でありますから、これは厚生省の問題でございまして文部省の問題ではございませんなんてそっぽ向かないで、教育の問題であるから、局長は、厚生省の局長どこれをどうするかということを突き詰める決意でございますというぐらいの答弁でなければ答弁にならぬな。答弁のアンコール。
  170. 高石邦男

    ○高石政府委員 臨教審でも幼稚園と保育所の問題については論議していただくことになっていますし、いずれそこで今御指摘のような諸要素を十分踏まえて論議されていくと思います。私たちももちろん厚生省とそういう場面に対応していくような連絡、協議をして、対応していかなければならないと思うのです。  ただ、私が最近言っておりますのは、そういう家庭機能の教育が低下しているので、学校がもう少しアクションを起こす。学校、家庭のブリッジをもう少し強化していく必要があろうという意味で、いろいろな研究委託を事業面で展開をしているわけでございまして、学校教育が全くゴーイング・マイ・ウエーというような調子でやっていけるものではないという認識は十分持っている次第、でございます。
  171. 木島喜兵衞

    ○木島委員 さっき大臣が、現場の教師には大変厳しいけれどもという気持ちの込もった御答弁がございましたが、まさに学校教育というのは教師に始まって教師に終わるという言葉があるごとく、それは教師によるでしょう。しかし、その教師も、反省すべきは反省すべきです。けれども、私は余り教師が言われると、私別に日教組の出身だからというわけでもないのだけれども、極端に言えば、免許を与えたのはだれよ、採用したのはだれよと言いたくなる。だって、教員の免許持っている者いっぱいいるでしょう。試験受けた者がいっぱいいたわけでしょう。その中から、採用はわずかだったが、その人らを採用した責任はないんだろうか。教育委員会が採用していながら、教員が悪いなんて、自分自分につばしているという感じもするわけです。  でありますが、ただ、この教員養成や、養成するところの機関の教員を一体どのように養成するかということと、それから採用する理場の、教育者とはいかなるものかということとの差があるという感じがするのですが、局長、そんな感じがしませんか。もちろんそれは、とことこ大学のごとく教員養成を中心とする大学、私立大学でもって採用に受かることを目的とした大学もありますね。そういうものを別として、一般の大学においては、教育者とはかくあるべしというものを持って理念をつくっていますね。けれども、そういうものが果たして採用の基準になっているかというと、必ずしもそうではないという違いを感じませんか。私はそこが今大事だと思うのですよ。文部省が教師とはいかなるものかということを決めるときに、教員養成と、それも正しいかどうかは別として、それと、現場で採用するところ、それが食い違っておったら一体どうなるのか。その違いはありませんか。私はそれを感じているのです。どうですか。
  172. 高石邦男

    ○高石政府委員 私は、一番大切なのは、子供の教育を行う者としての教師、そしてそこに要求されるもろもろの熱意、資格というのがあると思うのです。それはだれが見ても一定の客観的な内容のものがあると思うのです。大学では、そういう意味でやや学問的な観点で、大学教育という観点で、理場の密着性を持たない学校における教育の展開があるのではないかという気がするわけです。採用する側は、もう少し現場に近づいたような形で採用するということがありますので、それは大学の養成の理念と採用する側に、見る観点が若干違うということは当然あり得ると思うのです。
  173. 木島喜兵衞

    ○木島委員 今自民党の筆頭理事が私にささやきまして、臨教審会長が三時から五時までしかおれないから何とか早くやめてくれないかと言う。かくも自民党の筆頭理事はずうずうしきものだということがよくわかりました。  ただ、今そうだけれども、例えば学校に非行、暴力が入ってきたときに、体育系の先生を雇いました。体育系の先生は小中学校で例えば体罰をやられるといったって、体育系というのは大学出るまでしごかれているのです。しごきを受けている連中なんです。それは体育系の特徴です。だから、それをたくさん雇えば体罰になっちゃうでしょう。技術中心になっちゃっている。現場の採用とそういう違いがあるんだよ。今のは一つの例です。  それから、もう一つは、これは教育公務員特例法でもって、教員の選考は任命権者である教育委員会の教育長が行うとあるのです。これは何か。これは公選中の教育委員会法の時代からの条文なんです。その当時は教育長は教員免許を持っておったのです。専門家だったんですよ。ですから、専門家が専門家を選ぶという前提があった。だから、任命権者でないところの教育長が選考したのです。ところが、今教育長は素人いっぱいでしょう。今その思想が抜けておるのです。そこに教員養成と採用の違いが出てくる。  そういうことを含めて十分なる御検討をお願いいたしまして、質問を終わります。どうも失礼いたしました。
  174. 青木正久

    青木委員長 ただいま臨時教育審議会会長岡本道雄君が御出席になりました。  これより岡本参考人に対し質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。佐藤誼君。
  175. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 きょうはお忙しいところ、どうもご苦労さまでございます。ありがとうございました。  まず第一は、四月末に予定されている臨教審答申は、当初は基本答申考えていたやに聞いているのですが、このごろの新聞報道等では第二次答申とすると言われておりますが、そのとおりであるのか、またそれはなぜか。それから、答申は二十三日ごろに出すと聞いておりますが、日程が定かでありましたらお答えいただきたいと思います。
  176. 岡本道雄

    岡本参考人 仰せのように、四月末に出す答申を基本答申とするということを申しておったのですけれども、その後審議を進めていくうちに、次の答申に残るものにも相当重要なものがございますので、これを基本答申と言うのは必ずしも適当でないということで、総会で明言いたしましてこれは第二次答申とする、しかしながら、これに基本的なかっ波及効果の大きいものを盛るということは変わりませんけれども、第三次答申と言われるものの重要さも考えて、これを第二次答申と呼ぼうということに決めました。  それから、答申の発表の日でございますけれども、今までは四月末ということを申しておったのでございますけれども、二十三日ということに決定いたしました。
  177. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そうすると、経過報告その三というのがありますが、それを一つの素材にして今答弁された第二次答申をつくられたのではないかと思うのですけれども、第三次になりましても、経過報告その三の残された部分なども含めて、第二次答申に盛られなかった、つまり残る問題があるというのですから、それも当然、経過報告その三の中にあるのではないかと思うわけですが、その辺は第三次に向けてどういう形になるのですか。
  178. 岡本道雄

    岡本参考人 問題点は第一次答申に全部挙げておりまして、その中で、審議経過その三につきましてはそれに向かってできるだけ審議してまいったわけでございます。それでもまだ、審議経過その三の中にも第二次答申にも盛り切れないものがあるということでございます。  また、この第二次答申には、その後残るものはこういうもの、現在考えておるものにはこんなものがあるということはできれば述べるつもりでおりますけれども、第三次答申に関しましては、その点なお今後の審議経過によって入れ変わっていくと思っております。
  179. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 経過報告その三も私の手元にありますが、その後総会等を開かれて、それを素材にしながらたたき台をつくって今まとめに入っているのだろうと思うのですが、私のところには今申し上げた経過報告その三と、その後総会で議論されたやに聞いているそのたたき台になったものが、全部じゃありませんけれども、ところどころ入っておりますので、それらも素材にしながら質問したい。なお、これらは二十三日の第二次答申で当然明らかになってくるわけでありますけれども、今ちょうど中間の段階でありますので質問が的を射ない点もあるかもしれませんが、御回答いただきたいと思います。  そこで、まずずばり会長にお聞きいたしますが、戦前の教育に対し戦後の憲法、教育基本法に基づく教育改革の特色は何であったと考えられますか。
  180. 岡本道雄

    岡本参考人 戦前の教育というのは、よく言われますように富国と強兵ということで、もちろん国を富ますということは大事でございますけれども、軍国主義とか極端な国家主義というものがあった。特に強兵という部分を全く変えて、それと国が主体、一番主なものになっておったのを、個人の大切さということを重視しまして人格の完成ということを教育基本法の目的として、平和国家文化国家、民主、自由、平等の実現をしよう、そういうことが戦後の教育の特徴であると考えております。
  181. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 私が質問しましたのは、戦後の教育の出発点について臨教審はどう考えているのか、今までの報告や答申でもはっきりしない点があるものですから、極めて原則的な点を聞いたのでありますけれども、私の手元にある資料で申し上げますが、その部分について次のような記述があるのですね。「富国と強兵の両目標は、明治、大正、昭和を通じて並立し続けたのである。第二次世界大戦に至る不幸な歴史過程において、この二大目標の均衡は次第に崩れ、非現実的な強兵に傾斜していったが、その帰結は誤れる戦争と悲惨な敗戦であった。」私は、この記述を見て、何か評論的な記述にはなっているけれども、戦争に対する反省というのはあるのかな、こういう疑問をまず持ったわけです。  それから、「審議経過の概要(その3)」を見ますと、今のことに関連しまして、戦前の国家目標は、富国と強兵の二つであり、いずれに重点を置くかは外の状況、つまり貧困からの脱却、外からの脅威への対抗という状況いかんによる。つまり強兵に力が入るか富国に力が入るかは外的条件による。つまり、それは貧困からの脱却が強化されれば富国になるし、外からの脅威への対抗ということになれば強兵になるという記述の仕方になっているのですね。簡単に言うと、外からの脅威への対抗として強兵政策が強化され戦争になった、こういう意味合いになっているのですね。つまり、外からの条件で戦争に突入せざるを得なかったのだ、率直に言えば、外的条件にその責任を転嫁することによって侵略戦争を免罪しようとしているのじゃないか。主体的な分析になっていない。  そこで、ずばり聞きますが、あなた方の分析によれば、戦前の教育を四期に分けて、昭和十二年から二十年までを第四期としているのですね。この第四期、この時期における戦争は、日中戦争と言ってもいい、日支事変に始まった太平洋戦争と言ってもいいですが、この十五年間前後の戦争というのは侵略戦争ではなかったのかどうか、この辺の分析を臨教審はどうやられてきたのか。どうなんですか。
  182. 岡本道雄

    岡本参考人 誤れる戦争というところに判断というものが入っておりまして、全体としては歴史的な事実を述べ、国全体としてのメカニズムとして富国と強兵というものが貧困と国の外からの脅威によって左右されるという歴史的事実を述べたわけでございますけれども、その点はそういう分析であって、しかも、戦争というものに突入したことは根本的に誤りであったという認識ははっきり出ておるというふうに考えております。
  183. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 誤れる戦争、戦争に入ったのは根本的に間違っておったという言い方ですが、ずばり言うと、これは例の教科書問題で「侵略」云々ということで随分議論になって、このたびの教科書検定でも、少なくともこの問題に限っては「侵略」という言葉にきちっと検定では置きかえられていったのですね。ですから、私はこれはあいまいにできない問題ではないかと思うのです。そして、この戦前、戦後の区切り、しかも戦前の侵略戦争に対する反省の上に立って戦後の国づくりと戦後の教育が始まった、このことを明確にしないと、教育基本法の解釈についてどうとらえるかということについても、その後の教育改革についても、いろいろな問題に影響が出てくると思う。  私は後でまた若干触れていきますけれども、今まで何遍もここで教育基本法を、精神というけれども、どうとらえるかというときに指摘されてきたのは、つまり、平和的な国家、社会の形成者というこのことが出てこないじゃないか、平和教育が出てこないじゃないか、このことが随分言われてきたのは、私は今のことに大いに関係あるのじゃないかと思うのです。戦争に対する深い反省がないのではないか、そういう分析の上に立って戦後の教育を見、これからの教育改革を組み立てようとしているのじゃないか、そのことを私は特に重要な点として指摘しておきたいと思ったものですから、今私は先ほど述べたような質問をしておるということであります。時間の関係がありますから、先に進みます。  そこで、今のことと関連しますが、戦前の富国と強兵の二つの目標のうち、富国政策は戦後教育との連続面であり、強兵政策は戦前と戦後の教育の非連続面であったと記述してありますね。これは同じくたたき台になった資料に書いてあるのです、これはそういう記述になっている。なぜこのような分析になるかということなんです。つまり、富国は戦前、戦後を通じて連続面だ、強兵は一つの非連続だ、こういう分析なんですね。私たちからいえば、戦前と戦後というのは、ここで一つの区切りになっている、つまり戦前の、あの戦争へ突入した国づくりのスタイルと、戦後の憲法、教育基本法の体制というのはここで区切りをつけるのが本当じゃないか。ところが、連続と非連続という形で分析したのは、どうも我々にはすとんと落ちない点だというふうに思うのですが、なぜそういうような分析をしたのか、またそのようにできるのか。少なくとも、私は、今までの歴史なりあるいは教育学者等の、つまり戦前、戦後の教育の分析の中ではなかなか出てこない分析だと思うのですね。それは後の改革に全部つながりますので、私はその点についてまず質問をしておきたい。
  184. 岡本道雄

    岡本参考人 この戦前、戦後の連続、不連続でございますけれども、不連続という意味では、最前申しましたように国を主体にしたものが個人になったという大きなことですが、同時に、強兵というものを否定したことは大きな大不連続でございます。  それで、連続しておるものがないかといいますと、富民、国を豊かにということは明治以来、特に戦後はあの窮乏のところから出たのですから、あるわけです。それを連続というのがいけないとおっしゃるんだと思いますけれども、私は、特に日本の今日までのあり方につきまして、科学技術というものに関連しまして、この点では明治以来の連続性を感じておるのです。その点で富国、国を富ませる、国民が富むということが連続であったというとり方は、とにかく一度切れるというお話でございましてよくわかりますけれども、私自身にはまた、科学技術の振興という日本の生きる道の根幹においてそういうものが連続であったというようなとり方もしておるものですから、こういうふうにとってもいいんじゃないか、私はそういうふうに考えております。     〔委員長退席、臼井委員長代理着席〕
  185. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 その辺の論争をすると、またいろいろありますけれども、さらに関連して次の質問に入っていきます。  どうも今の連続、非連続という分析が後の教育改革の原則等にもずっとつながっていくと思うから、私そのことを聞いておるのですけれどもね。つまり、こういう観点に立って、富国は戦前戦後連続だという。戦後は富国富民の路線に専念できることで、これも書いてあることです、日本は未曽有の経済成長を遂げた。しかし、それは戦後三期、つまり皆さんの分析しておる昭和四十二年から昭和四十六年という四六答申の前までですね、高度経済成長の前まで。つまり、それは戦後三期に至り追いつき型政策は達成され、成長の限界が見え、近代工業文明の転換期に入った、こういう見方ですね。そこで、昭和四十六年ごろで連続を区切っているわけです。  しかし、この追いつき型教育をその後もとり続けてきたために、今日の教育に多くの問題を残した。教育荒廃もその一つです。つまり具体的には、追いつき型教育をずっとしてきたために、画一性、形式化、硬直化のそういうことによって教育に問題を残し、荒廃も生んできた。したがって、これからの教育改革は、ちょうどそれを裏返した形ですね。自由化であり、多様化であり、弾力化でなければならぬ、こういうつながりになってきているんですよね。  ですから、皆さんが今までずっと第一次からやってきた教育改革の原則に続いて、例の自由化とか個性主義とか個性重視の原則がいろいろ変わって議論されてきた。それでようやく個性重視の原則になったんですがね、一番重要なところは。しかし、それに関連する改革の基本的スタンスというか立場というのは、いわゆる画一に対しては自由であり、形式に対しては多様であり、硬直に対しては弾力化という原理を引き出してきているわけです。  そして、いろいろこれから問題になります民間活力の問題であるとか、多様化であれば中等教育の問題であるとか、いろいろな問題をそこから引っ張り出してきているわけです。そういう考え方が出てきたのは、連続という考え方を持ってきて、昭和四十六年を一つの区切りにしているからだと私は思うのです。果たしてこういう分析が至当なのかどうか、私はどうもそのことについてすとんと落ちない面があるわけです。  特に私の立場考え方からいえば、そういう分析は私は無理な分析ではないかと思うのです。これからの教育改革考えるときにあるいは教育史的に見ても。私は、やっぱり素直に終戦を一つの区切りにして戦前教育、戦後教育と分析するのが当然だと思うのです。  つまり、戦後教育は、軍国主義、超国家主義に基づく侵略戦争と、その敗戦の貴重な教訓から生まれた憲法、そしてその憲法を実現するためには教育にまつんだということによって生まれてきた教育基本法をよりどころにして出発したと思うのです。ですから、戦後教育の出発は、やはり憲法、教育基本法なんですね。つまり別の言葉で言えば、戦争という国家目的遂行のための国民を育成する、国民強化の戦前の教育から、人格の完成という基本的人権に基づく教育、そして平和的国家、社会の形成者を育成するという、文字どおり戦後百八十度変わった教育改革であったというふうに戦後の教育の出発を押さえるのが私は至当だと思うのです。  それじゃ、本当に憲法、教育基本法は戦後教育の中に定着していったかどうかというところが私は今検証されるべきだと思う。これは、ある一時期までは熱心にそれが志向されていったけれども、ある時期からそれが非常に歪曲され、その精神が失われていった。このところに今日の教育問題があり、教育荒廃がある。したがって、今後の教育改革は、やはり臨教審の法律にもあるように「教育基本法の精神にのっとり」、つまり戦後教育の出発点に返って、そこから改革を始めていくというのが至当だと私は思う。とするならば、当然教育改革の基本は、教育基本法にある人格の完成、つまり個人の尊厳、人間能力の調和のある全面発達、これを基本にしながら、戦前の反省に基づいての平和的な国家、社会の形成者、そしてたっとび、これが基本にならなければならぬと私は思う。ところが、臨教審ではそこのところが、昭和四十六年の追いつき型教育が終わったというそこで区切っているものですから、自由化、多様化、弾力化との見合いで教育基本法の中の個性重視というそれに結びつけているのですね。そして、教育改革の基本は個性重視の原則、そして多様化とか自由化とか、そういう形で今のことをずっとつくり上げてきている。そういうつくり方で果たしてこれからの教育改革が本当にできるのか。特に、教育荒廃と言われる、言うなれば病理的な現象とも見えるいじめや校内暴力、あるいは非行の問題等が、そういう個性重視、それから自由化、弾力化あるいは多様化という形で果たして改革できるのかどうか、私はここまでつながると思う。やはり教育の現状を変えるためには、戦後の出発点であった教育基本法の人格の完成、つまり人間の尊重、個人の尊厳、とりわけ今問題になっている知育偏重に対して、教育基本法の人格の完成の中身である人間能力の調和のとれた多面的、全面的な発達、これを重視しなければならぬのではないか。これが大きく欠落していると私は思うのです。それから特に、これからの国際化社会ということをずっと追っておりますけれども、その中になぜ平和ということが出てこないのか、この辺もこれから深く反省すべき点ではないのか。  特に、私はその中でもう一点強調しておきますと、戦後の教育の人格の完成云々ということは、戦前の教育というのは国のための教育であった、国の政策遂行のための国民をつくるための教育であって、国民は受ける義務であった。しかし、戦後の教育というのはまさに人格の完成という、教育することそれ自体が目的である、戦前の教育国家目的のための手段だった、そこに大きな違いがあると私は思うのです。つまり、教育はそれ自体が目的であって、しかも私たちが今改革しなければならないのは、人間能力という一面だけを、知育偏重のこれだけを育てようとするものに対して、今申し上げた人格の完成の中身である人間能力の調和のとれた全面発達ということを表面に掲げなければ、今日の教育荒廃、あるいは過熱した受験競争なり知育偏重、偏差値輪切り、こういう人間のいわれなき序列化、非人間化の体系を除去できないと私は思うのです。このことまで深くこの問題はかかわっていくのではないかと私は思うわけであります。  そういうことで、やや一貫してずっと述べましたけれども、大筋のことは御理解いただいたと思いますので、そのことについてまとめて感想はどうですか。
  186. 岡本道雄

    岡本参考人 ちょっと話が逆になりますけれども、私も教育基本法の人格の完成ということを大変重要視いたしておりますので、その中に国家がないということは考えておらないのですから、ひとつその点だけは一番最初に申しておきます。  それと、四十六年を一つのターニングポイントにしておるということに関連しまして、私は、本当の転換は、まさに先生がおっしゃいますように、終戦のときの教育基本法の出発だと思っております。個人、人格、個性を大事にするということがしっかりできなかったのですね。それでその実態は、四六答申と言いますが、四十二年から四十六年のあの教育改革のときにすらその理念がしっかり定着してなかったので、あの答申も実行できなかったという点があるのです。  なぜ四十六年を一つの転換期と見るかと申しますと、最前申したいわゆる追いつき型の終わったと申しますか、一応目的を達したという日本の事情もございますけれども、それよりも、文山が大きく問題視されたのがやはりあの年代なんですね。この文明はこれでいいのかということが、本当に世界各国から、日本の国の内外から問題にされた。そういう大きなときで、これを実際的に一つの転換期だと見ておるわけでございます。  繰り返して申しますが、最前申しましたように、日本としては教育基本法を制定したときに、焦点を国より個人にというところがターニングポイントなんですけれども、あの貧窮きわまりないときに国民の関心が果たしてそこまで行っておったかどうか。私は、あのときにはとにかく食えるようにということが国民の大きな関心事だったと思うのです。それがそのまま行って、四六のときに一つのターニングポイントを迎えるようなことになったので、これは資本理論というものよりも、むしろ社会の要請から、国民の要求からああいう方向に行った、そういうふうに私は考えておるわけでございます。
  187. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 極めて複雑な内容を持っているものですから、限られた時間での討論はなかなかかみ合わない点もあるのですが、そこで、私はさっき言ったような連続面を重視して、そして昭和四十六年ごろの高度成長時期の壁、それから成長の限界、工業文明からの転換、これは一つの大きな区切りだと思うのですけれども、今日のいろいろなものが画一化だ、形式化だ、硬直化だというこの原理だけで、この物差しだけで過去の教育の問題を整理してみるというか分析してみるというのは、私はどうしても無理だと思う。それを裏返すと、自由化であるとかあるいは弾力化、多様化という形でしょう。自由化の問題は、当初からよく問題になったように、例の学校設立の自由であるとか、選択の自由であるとか、こういう議論になって、民活につながっていく議論になってしまう。多様化になりますと、言うなれば複線型の学校になるのじゃないかというような議論になる。弾力化になれば、能力によって飛び級で行ってしまうのではないかというような、こういうところにどうしても短兵急につながっていってしまう。  それから、個性重視の原則というのは教育基本法の一つの重要な部分ですから、これは否定いたしません。ただ、この部分をそういう形でこれからの改革の中心的な原則だということにして、その後ずっといろいろな資料を見ますと、次のようなことが資料の中にも書いてあるのです。これは「個性重視の原則」の中で、「個性とは、個人の個性のみならず、家庭、学校、地域、企業、画家、文化、時代の個性をも意味している。」こういう形でずっと書いてありまして、その中で、二十一世紀の目標の中に、そういうことを前提にしながら、日本の社会、文化の個性、よき日本人、国を愛する心、こういうものを引っ張り出してきている。引っ張り出すと言うと悪いのですけれども。つまり、日本の社会、文化の個性というのは、従来から議論されてきました日本の伝統文化という考え方につながるんですね。それから、よき日本人というのは日本人としての自覚、国を愛する心というのは愛国心、こういう形で個性重視の原則は各論になってくるとずっとつながっていくわけだ。  そこで、よく新聞やその他で議論されるところの、これはかつての国家主義なり民族主義なり偏った愛国心につながるのじゃないかという危惧の議論が出されてきているのは、こういうところをずっとつないでいきますと個性の重視の原則につながっていくような気がしますね。この個性重視の原則というのは、私は全面的に否定するわけではないけれども、もっと教育基本法というのは一つの丸みを持った形でとらえないと、本当の教育改革の原則にならぬのではないか、正しい教育基本法の解釈にならぬのではないかということだけを私はここで指摘をしておきたいというふうに思うのです。  そこで、次の問題に移ります。  今日の教育荒廃の要因と背景は何だと考えるかということですね。これは、ずっと総会などで議論されたのを見ましても、膨大な分析になっていますね。私も読ましていただきました。「審議経過の概要(その3)」も読ましていただきました。でも、私は、この分析は文明論的な大づかみな分析、それからどうもデータ不足でないか。何か私はこう思うという形の分析になっている。果たしてこれは説得力があるのかどうかということをどうしても考えざるを得ない。追いつき型教育のもたらした画一化、硬直化によるとか、あいは高度経済成長の負の副作用であるとか、以下ずっとありますね。これは、否定するわけではないけれども、何か表現は悪いんだけれども、おもちゃ箱からいろんなものがたくさん出てきたという感じで、どれだという整理の分析がどうもはっきりしない。したがって、それに対して国民が最も期待しているところの教育荒廃なり当面するいじめの問題について、何をどうやればいいかというのはなかなか出てこないと思う。こういうことにつながっているのではないかと思うのですね。  ですから、会長、余りスタンスを広くしないで、国民の期待にこたえる形で、今の教育荒廃なり、特に病理現象であるいじめとか校内暴力であるとか少年非行であるとか、この原因を、私は例えば何と何と何だと思うと、全て尽くされるわけではないのですから、複合的な原因ですから。これはだれでもわかっています。特に私はこれを強調したいというのがありましたら、会長、ひとつ御披瀝を願いたい。お願いします。
  188. 岡本道雄

    岡本参考人 おっしゃるとおり、現在の教育荒廃と言われるものですね、これが実はこのたびの臨時教育審議会の発足の国民の大きな動機になっておりますから、そのものにしっかり目を注いで、それの解決をという、これは単に臨教審がやるだけでなしに、国を挙げて各方面、当事者はみんな努力をしていただいておるわけでございますが、そういうものもやはり重視をするということで、このたびもいじめに対しても――これにはいろいろ議論がございまして、臨時教育審議会の目的はもう少し深いところから理念的にしっかりつかむべきであるという主張もありましたのです。したがって、二十一世紀の教育というようなものも問われているのだと。しかしながら、この現状というものは無視できないということで、会長談話を出したり、審議を続けておるわけでございます。  先生が、文明なんかの問題ではっきりしておらないと、こうおっしゃることにつきましては、審議会の内容をやはり皆国民によく理解してもらうように努力しなければならぬということは、我々大変痛感いたしておりまして、答申もその線に沿って努力して出します。それ以外にも、何かの方法で努力して出しますけれども、これはなかなか重大な問題で、極めてはっきりしておりまして、まず教育世界だけでないわけです、この荒廃は。それから、日本の国だけでないわけですよね。そういう事実をしっかりつかみますと、やはり文明というものが大きく出てくるのです。私などは、まず近代の科学技術文明というものには人間を超えたものがありませんね。それから、この文明はとにかく理性から成り立っておるということで、人間の心というものを全体として把握しておらないです。それと自然がありませんね。こういうものは、どれもこれも、私は、大変重大な問題で、あらゆる弊害を生んでおると思っておりますので、これは、こんなことを私が言い出すと限りございませんのでここでやめますけれども、その近代文明を活用して経済成長というものがあったわけですね。その経済成長でこれだけ富んだことは大変よかったのですけれども、同時にその豊かさの負の副作用というものが強く出て、自律、自己、耐性とか抑制力等もなくなりましたし、それから、それを実行するために教育も画一であったとか、いろんな問題が起こっておりますので、現実的には経済発展と政策というものですけれども、その背後にあります近代機械文明のとうとうたる世界を席巻しておるこの状況、これはなかなか大きなものである、はっきりしたものだと私は思っております。  このたびの改革で、最前おっしゃいましたように四六というようなところに一つのけじめをつけたのもそういうところにございまして、この問題は大変はっきりしておると思って、これをしっかり国民に理解していただくためには、単に答申ということだけでは済まないのではないか。どうしたらいいか。差し当たりは、わかりやすくそういうことをしっかり書くようなものを考えようというようなことを考えておる次第でございます。
  189. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 これだけで大変な議論になりますから私は多く言いませんが、これは歴史的、社会的な背景がありますし、それから、その要因といっても、社会、学校、家庭等々複合的であることはそのとおりだと思うし、とりわけ、今会長が言われたような近代の工業文明の限界といいましょうか、負の副作用といいましょうか、そういう物、金主義、心の喪失というか、環境の悪化というか、こういうものがずっと背景になっておると思うのです。  ただ、私は、こういう一般論だけではなかなか済まされないと思う。ずばり学校ということに焦点を当てたとすれば、私は幾つかの要因が出てくると思うのです。私なりに言うと、時間もありませんから私の見解だけを述べて先に進ませていただきたいと思いますが、私は、学校に焦点を当てた場合に、いじめとか校内暴力とか少年非行に見られるものはまさに病理的なものだと思う。病理的な教育荒廃の現象だと思うのです。それは、端的に言えば、過熱した受験競争や偏差値等の進路指導、そして子供の輪切り、差別、選別の人間の序列化、非人間的扱い、これらが学校に焦点を当てれば端的な意味で荒廃の温床になっておると思うのです。つまり人間の差別、序列、非人間化。ついていけない子供は落ちこぼれになってしまうのです、簡単に言うと。これは教育基本法に言う個人の尊厳とは人間の持つ能力の調和的発展ということとは相入れないのですね、私から言うと。しかも、それは経過的に見ますと、経済の成長政策とともに教育に求められた経済発展の人的能力開発と教育投資論の発想、これと非常に結びついていると私は思う。つまり、それに乗っての物、金主義の社会背景あるいは社会的風潮、同時に、この能力主義を前提にした知育偏重、マンパワーですね、そういうもの、そしてそれはやがては偏差値教育を助長していくという、こういう一種の、戦後の高度経済成長政策と非常に結びついていると思う。私は、その人的能力の開発という分野を教育が受け持って、その部分だけが、マンパワーというか、ぐんと出てきた、これが今のような形で非常に強く結びついていったのではないか。この面での分析をよくしておく必要があるのではないだろうかなというふうに一つは思うのです。  それから、もう一つは、私は、くくればこういう言葉になると思いますが、教育国家統制と学校の管理強化という事実は紛れもない歴史的経過だと思うのです。私に言わしむれば、教師と教育内容の国家統制はちょうど教育二法に始まり、勤評、学テ、校長管理職手当、教頭の管理職の法制化、主任制の導入という形でずっと進んできておりますし、それは子供の受験競争の激化と相まって教師の多忙化は進み、さらに四十人学級のおくれなど教育条件は改善されず、学校自体が非常に暗く、自由なゆとりがなくなってきている。私もあの戦争直後の数年間学校におったことがありますけれども、まだ憲法、教育基本法が、何といいますか、教育改革の大きな柱になっておったころです。あのころはまだまだ自由があった。大変だったけれどもね。今学校に行ってみると、ほとんど沈滞している、暗い、管理の中に入れられている、こういう状態であることは一目瞭然なんです。  一方、学校の管理体制も進んで、学校の管理職というのは教育行政の末端に位置して、そして非行なりあるいはいじめなり何かあれば、これは通達という形で締めつけられる。それは教師を通じて子供の一人一人が管理されていく。これは学校の校則であるとかいろいろ見ますと、驚くほど子供一人一人に対する管理がされていますね。この間のある弁護士の方々の人権のシンポジウムの中では、まさに子供の人権の問題だということを言っている。この辺まで言っているのですね。私は、子供の立場からいうと最大の被害者は子供だと思うのです。もう逃げ場がない。家庭に行けばいろいろ受験だ、勉強だと言われる。学校に行けば序列化される。よく言われるのは、子供は学校の校門を出て家庭に入るまでが自由な時間だと言っているのです。こういうことを我々はおろそかにできないと思うのです。ですから、この辺のところをもう少しきちっと分析をする必要があるのではないか。  ただ、私はそれを考えたときに、今日の教育荒廃の克服のために学校なり教師がその責任を持ってがっちりやらなければならぬし、重大な責任があることは当然だと思う。しかし、一面、これは答申にも関係ありますけれども、どうも学校のそういういろいろな問題は、学校ひとり歩きでなかったのです。これは教育行政と深くかかわり合ってそういう条件が生まれてきたということを思いますと、この答申の中にも教育行政なり文部行政なりにどこか反省すべき点があるのかないのか、この辺の分析なり指摘が薄いのではないかというふうに私は全体的に見て思うのであります。    〔臼井委員長代理退席、委員長着席〕  したがって、その辺、これからの改革いろいろありますけれども教育改革は、教育荒廃をなくするために、もう一度戦後の教育の分析と、それから教育基本法の原点に帰った改革の原則を見詰め直す必要があるんじゃないかということを私はここで特に申し上げておきたいというふうに思うわけであります。その点について、私は学校というところに焦点を当てて申し上げたのですけれども、何かございましたら……。
  190. 岡本道雄

    岡本参考人 先生お話、皆ごもっともでございまして、私は、こういう状況学校だけに焦点を当てるというわけにもいかないと思っております。社会全体の問題であると思います。それから、子供が被害者といいますかそういうお考えも私自身も持っておりまして、大変もっともだと思っております。私がいつでもこういうときに繰り返し申しておりますのは、今も先生も結局そういうことをおっしゃっていただいたと思いますけれども、やはり現在の教育が荒廃しておる、こういうことを認める以上は、これは過去の教育の結果でございますから、過去に教育に対して力を持っておった者はひとしくこれは反省せんならぬということでございまして、それは国、文部省、日教組を含む学校現場、それから大学は自治を主張して今日に来たのですから大学、それからそれを容認した国民、すべてが反省をして、ここのときには一致協力して努力する。おまえが悪いという言い方は臨教審もできるだけしないように努めておりますので、その点はひとつ一致協力して教育の荒廃を救うように努力したい、そういうふうに思っております。
  191. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それでは、次の質問に入ります。  教員の資質の向上で、どちらかといえば各論的な質問になってきますが、この中では、初任者研修制度といわゆる教職適格審査制度、この二つについて質問をしていきます。  この初任者研修制度というのですが、いろいろ定かでない点がありますが、簡単に言えば、新任の教師に約一年間退職の教師等をつけて研修をしていく、アバウトな言い方ですがこういうような内容になっていますね。しかし、それを見ると、私はどうも、特定の教師をつけ特定の研修内容で研修させるということは何かしら枠をはめてしまうというか、しかもその内容は、簡単に言えば官側でやるわけですから官製の研修になり、言うなれば、言葉は不適切かもしれませんけれども官製型の教師をつくってしまうんじゃないか。これなどはこのことについてどうしても疑問として出てくるのじゃないか。ある人の言によれば、昭和五十年代以降の勤評であるとか校長管理職手当であるとか、七〇年以降の教頭主任化であるとか主任制の導入であるとか、国が教育にそういう枠をはめていく、学校を管理していく、こういうものの延長上としてどうしても見ざるを得ないのではないか、こういうとらえ方もあるわけですね。  特に、我々が戦前の教育考えてみますと、戦前の教育というのはまさに国定の教科書そして国定の教師、それは具体的には師範教育ということであったろうと思いますが、それでああいう戦争への教育をさせられてきたわけです、戦後の教師は反省したわけですが。そういう形になってはならないと思うのです。特に、今の教育改革の理念の中に、自由・自律、自己責任ということを非常に重要視していますね。ましてこれは教員にとっては極めて重要だと私は思うのです。そういう点から考えますと、今のような初任者の若い教師を一つの型の中に入れるというか一定の内容で研修をさせてしまうということは、自由・自律、自己の責任という臨教審の改革の原則にもどうも合わないのではないか。むしろ私たちが、教育に今望まれているのは、その教師が教育技術だとか教科内容にすぐれているというよりも、本当に教育の心を持っているのかどうか。つまり、子供は無限の成長の可能性を持っている、それを大事にしながらエデュケートする、つまり能力を引き出すという、このことの魂の技師になれるかどうかということだと思う。このことを勉強するためには、戦後のアメリカの教育使節団が言ったように、教育現場に大切なのは自由と創造だということ、これをまず第一にやる。そのことがむしろ教育現場に問われているのではないか。そういう意味で、教育改革の原則に自由・自律、自己責任ということを出したのはけだし私は大変結構なことだと思うのですが、このことはこれとなじまないのではないかと思うのです。この辺は慎重に考えなければならないのではないか。  特に個性重視の原則、つまり子供を一人の人間として尊重し、その個性を引き出すというならば、教師自身が一定の方向に枠づけられていったら、本当に一人一人の子供の個性を伸ばす教育ができるでしょうか。この辺の基本的な問題を私はこの初任者研修制度は抱えているということをこの際指摘しておきたいと思うのです。  特に、この中では、もう一つの問題は財政の裏づけの問題ですね。これは大蔵省からもちょっと申し出があったようでございますけれども、非常勤の退職教師であっても年間七百六十億、七年間で五千三百億と言う。常勤であれば一年間で一千二百億ないし二千億と言われる。今のこういう経済状況なり財政状況の中でこれだけの裏づけができるのかどうか。また、これだけの貴重な金を出して必ず成果を上げることができるのかどうか。むしろマイナスの効果として生まれてくる部分はないのか。この辺の問題まで、金の問題ではありますけれども、十分慎重を期する必要があるのではないか。  それから、ついでにもう一つ、教職適格審査制度ですが、この今のたたき台によりますと次のような表現になっております。教員の職に必要な適格性を欠く者について都道府県教育委員会がとるべき措置調査察議し、意見を提出する機能を持つ諮問機関を設置することも考えられる、こういうような表現になっていますね。これはずっと今までの審議経過なり答申等から見ると表現が随分変わっております。  そこで、先ほどの初任者研修については総括的な会長の御意見をいただきますが、この適格審査制度については次のような質問をしますので、お答えいただきたいと思います。  つまり、最後のところに、設置することも考えられるという表現になっていますが、この考えられるとしたその真意は何であるのか、どうも不鮮明である。つくるのだという断定でないことははっきりしております。つくることが望ましいとも言っていない。置くことが考えられるというのは感想でもなさそうなんだ、そういうふうに感ずるということでもないのですから。それから所見でもないと思うのですね。つまり、考えているでもない。所見でもないし、感想でもないし、ちょうどその中間ごろかな、考えられるというのですから。その辺のところの真意がはかりかねますので、その点についてお尋ねしたいと思います。
  192. 岡本道雄

    岡本参考人 初任者研修一般についてでございますが、先生のおっしゃいますことは本当に大事なことでございまして、やはり現場で、やる気と申しますか、みずから進んでというところが一番大事でございますので、これに関しましては、今おっしゃいましたような欠点、一方向にというようなことがあってはいけないので、そういう制度を導入してもやはり全学が一致してやれるような体制が一番大事だということを痛感いたしておりますので、何らかの表現をしたいと思っております。  それから、教育というのは個性を引き出すことで、先生自身も個性豊かにおやりになることでございますけれども、私は医者でございますので、考えますに、医術も教育も極めて高度な専門職だと思うのです。これについて先輩の指導を得るということはあってもいいので、大学におけるあの教員養成だけでもう飛び込んでよろしいということは、このたびこの提案につきましての世の多くの反応も、大変歓迎するという方向の内容をもらっているのですね。これはやはり教育という高度な、複雑な職業に対して、その出発においてできるだけ慎重に研修をしておいてもらいたいという国民の要望だとは思いますが、それが先生のおっしゃいますような方向にいってはいけませんので、学校全体が一丸となってこれに取り組むというようなことが大事だと思っております。  それから、財政のこと、これは審議の当初から大変やかましく論じられまして、大ざっぱな額というようなものは、今先生おっしゃいましたようなことも聞いておるのですけれども、これも大事なことであるということであれば、現在こういう厳しい状況ではありますけれども、このたびの教育審議会の一つの方針として、本当に大事だと思ったことに対しては、やはり、私が繰り返していつも申しますように、飛びついて手の届くところまでというような気持ちで、本当に大事なものは財政が相当かかっても実現してもらいたい、そういう気持ちを持っております。  それから、適性審のことですけれども、これは絶えず申しておりますのは、第一義的にはやはり教育委員会の責任だという気持ちを持っておりまして、それでそういう特殊なものを設けるということにつきましては、やはりその教育委員会の活性化といいますか、そういうものに期待したい、それの実現をこいねがいつつ、こういうものの要るような実態もあるのだという認識の表現じゃないかと思います。どういうふうにおっしゃったか、最後の、考えられるということでしたかな、そういうものが現状況では、教育委員会の機能であれ何であれそういうものの存在が希望されるという事実を述べたものだと思います。
  193. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 最後のところは、文字どおり考えられるということで素直に私も受けとめておきたいと思いますが、これ以上の議論はいたしません。感想に近い表現だなという程度にきょうのところは受けとめておきたいというふうに私は思います。  そこで、次、教育行政の改革ということを言っておりますが、画一より多様、硬直より柔軟、集権より分権、統制より自由・自律、こういう原則をずっと資料の中で言っております、たたき台で。これは大変結構なことではないかなというふうに私は思うのです。問題は、その原則がどのように具体的な点で生かされてくるかということであります。  そこで、これをずっと見ていきますと、学習指導要領の内容の大綱化、それから重点の明確化と言っています。これは、今日の学習指導要領の法的拘束力とはどういう関係があるのか。  それから、同じような意味で、この自由化、弾力化、分権というふうになれば、教科書の検定制度だって考えなければならぬじゃないかと思う。ですから、その辺の、学習指導要領の持つ法的拘束力とどういう関係があるのか、教科書の検定制度は、自由化、弾力化、分権というふうに考えたとき、どうなっていくのか、このことが一つ。  それから、次に、教育の地方分権ということを言っております。これは大いに賛成です。その内容とするところは私二つあると思うのです、この地方分権という場合は。一つは、中央集権的教育行政、つまりその頂点は文部省ですね、それに対して、地方に権限をゆだねるといいましょうか、つまり中央集権に対して地方分権だ、こういう意味が一つはあると思うのです。それからもう一つは、一般の権力行政に対して住民自治という考え方。つまりこれは、教育基本法第十条の、教育は直接国民に責任を負うというこのこととの裏返しの関係なんですね。今私が述べたような地方分権、住民自治、国民に対して直接責任を負うという、こういうことに基づいて生まれたのが戦後の教育委員会の公選制なんです。これは変えられましたね。しかし、今臨教審の中では、まさしく教育基本法で言っているようなことや戦後考えられたことがここではまたうたわれてきているわけです。大変結構なんですが、そこで、教育委員の公選制までいかなくとも、準公選制あるいは何らかの住民の意思を反映させる、そういう意味考えていることがあれば、私はぜひひとつお聞かせいただきたい。これは三番目。  四番目の質問は、教育長は国及び県の承認制になっていますね。これは、今のような自由化、多種、分権、自由ということからいうとこれは検討の余地があるのじゃないかというふうに思うのですが、その点どうでしょうかということです。  簡単にもう一度言いますと、学習指導要領の法的拘束性、それから教科害検定をどう思うか、それから教育委員会の公選、準公選、それからもう一つの問題は教育長の承認制の問題という四点。
  194. 岡本道雄

    岡本参考人 ありがとうございました。  学習指導要領のことでございますけれども、この法的根拠というものは、私自身は法的拘束力につきましては最高裁において確定しておるものというふうに理解をいたしておる次第でございます。  ただ、これの大綱化ということをこのたびはうたっておりますので、余りデテールにわならないで大綱化するという方向にいたします。  教科書の問題が早速関係するわけでございますけれども、これは大変重要な問題でございますので、このたびは、第二次答申以後の議論に入るというふうにいたしております。  それから、地方分権に関しまして公選制の問題でございますけれども、これにつきましては、現在のところ公選制にせよというふうな議論は全く出ておらないというのが事実でございまして、そういう気持ちは持っておりません。  ただ、教育長の任命制度などにつきましては、これは教育長に適材を得るための方策ということに関連しまして、市町村教育長の専任化とか、それから都道府県教育委員会の教育長も含めた任期制の導入というような、専任化、任期制の導入ということ等を含めまして、この教育長の任命承認制度というものの特質を考えて総合的に検討する必要があるというようなことを申して、提起しておるわけでございます。  以上が現状でございます。
  195. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 教育行政の改革の原則が非常に格調高く、多様、柔軟、分権、自由・自律というのに比べては、具体的な問題になってくると、どうもまだ会長がすとんと結びついた答弁になっていないので、非常に遺憾でありますが、私はまだこれから検討の余地もあると思いますので、第三次答申もあるわけですし、もちろん第二次もありますし、いろいろあるでしょうから、今のような原則が今の教育行政に生かされるように十分検討してもらいたいというふうに思うのですね。今まではとかく上から型をはめる、承認だ、管理だというのがどうしても先に出てきているという状況がありますから、この点については十分に御検討いただきたい。  最後になってきましたが、教育財政の改革です。簡単に言えば、このたびの臨教審答申、これからもあるわけですが、教育改革を進めようとするときに、当然これは財政的裏づけが必要です、どうなるのかという。この裏づけがなければまさに絵にかいたもちになることは当然でありまして、いろいろ新聞の報道等によりますと、昭和六十三年から十年間の試算をした場合に、十年間でおよそ四兆円ぐらいでないかということも言われておりまして、さらに、これはODA方式はどうだとかいろいろな議論がなされていますけれども、特に心配されるのは、今日、行政改革が進められ、財政の赤字が累増している、こういう状況。しかも、昭和六十五年に赤字国債を脱却するとすれば、まさに要調整額が六兆円だなんて出されて、国会の中では税制改革などということも出ている。そういう財政状況の中で、本当に裏づけになる財源がつくり出せるのかどうか、その辺をどう考えているのか。このことが一つ。  それから、もう一つは、私、今ちょっと資料がないので捜しているのですが、大蔵省の方から臨教審に対して財政についての注文がつけられていますね。しかもそれは、臨教審で討議している各項目についてずっと出ているわけですよね。こういうことは極めて変則であって、大蔵省の越権ではないかなと私は思うのだけれども、このあたりを臨教審としてはどう受けとめているのか。この二つをお伺いします。
  196. 岡本道雄

    岡本参考人 まず、大変金が要るが金はどうするのかということでございますけれども、財政問題というのは大変重要でして、いかにいい案をつくりましてもお金がなければできないということもございますわけですけれども臨教審としまして財政のデテールまで具体的に経費を算定するということはなかなかできませんので、案として提案する経過におきまして、ほぼどれくらいな金が要るだろうというような話はいたしますのですけれども、具体的にこの計画に対してこれくらいの金が要る、その財源はどうしようということは、こちらではそこまではよういたしません。  ただ、基本的に申せることは、教育というものが国の潜在力というかそういう極めて大切なものなのだから、これは絶えず積み上げで、文化とか教育というものは大変壊れやすいものですから、一遍中断するといけませんので、この点だけは連続的によく注意してもらいたいという気持ちは切に持っておりますので、その方向でできるだけのことは教育に対しては、こういう厳しい時代だけれどもしてもらいたい。したがって、資金の重点的、効率的な配分ということには努めてもらって、そして国家財政全体との関連において適切な財政措置を講じるということを期待しておるというのが現在でございます。  これはもう一度端的に申しますと、財政の問題は全く知らぬ、教育教育として理想を述べるんだという立場と、それからもっとデテールを考えてやるというのがございますけれども、その中間と申しますか、やはり具体的に改革の方向に即しては重点的、効率的に適切な財政措置を講じてもらいたい、そういうことでございます。  それから、大蔵省の話ですけれども、これは実は最前申しましたように、財政のことは全く知らぬということ、そういう態度もとっておりませんし、それと、我々は絶えずヒアリングをして勉強しながら改革案を具体的に考えていきたいという気持ちがございますものですから、この点は大蔵省に限らず自治省や文部省からも同時に、わずかな時間ですけれどもヒアリングをいたしております。その一環でございまして、大蔵省からも話を聞きましたのですけれども、これに対してこうしてくれというようなものとはとっておりませんので、それに該当する部分があったとしても、我々は参考にといいますか、勉強の糧として聞いておったということでございます。
  197. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 大蔵省との関係では、これからいろいろ具体化されていったときに、詰めの問題になるのか、相互理解になるのか、いろいろな接触が出てくるだろうと思いますけれども、今までのようなマイナスシーリングとかそういう形でぐっぐっと枠はめされてくれば、幾ら答申など出したって、私はできないと思うのですよ。この点は、これは一文部省の諮問機関、審議会じゃありませんで、国の審議会になっていますからね、その辺をどう考えるかということは極めて重要な課題だろうと私は推定します。  ただ、問題は、二十一世紀にかけての教育改革の中でやるとすればそれ相応の金が要るということは今申し上げたとおりですが、当面まず金が必要なんだね。これはいろいろありますけれども、例えば、急増地域のかさ上げの補助金がもう今の一括法案で削られるとか、あるいは過大規模校の分離促進に対する対策であるとか、四十人学級だってこの答申案を見れば計画どおり実現するんだという程度の域を出ていない、昭和六十六年まで。しかも、自然減に合わせた改善ですから何ら財政上の持ち出しはない。諸外国ではもう二十五人になっていますからね、この間西ドイツ教育使節団に聞きますと。ようやく今、四十人学級というのは大変おくれているわけです。ですから、この辺を早急にやるとすればこれまた金がかかるということになりますし、さらにその他、いじめの問題に対するカウンセリングであるとか、教育相談であるとか、いろいろなことで金がかかってくるわけですが、ただ、むしろ問題は、この間もこのたびの補助金一括法案の中で大蔵大臣とも議論したのですけれども文部省予算というのはマイナスシーリングの中でほとんど伸びていませんね。その中でどんどん人件費が上がってきて、物件費は相対的に少なくなってきて、今では人件費七四・七%ですか、七五%ぐらいだ。物件費つまり政策的な経費はほとんどなくなってきている。恐らく将来はますます人件費が累増していくでしょう。そうすると、幾ら改革をやろうといったって財政的にできっこないわけです。だから、この辺の問題は、本気になって議論しようとするならば、これを同時に議論しないならばどんな内容を盛ったって国民は信頼できないということになってしまうんじゃないかというふうに思いますし、非常にうがった見方をすれば、いろいろ答申を出した上で、金のかかるものはそっちに置いて、都合のいいものだけをつまみ食いするということだって考えられるのでありまして、この辺は基本的な問題だと思いますので、どうも判然としないのでありますけれども、この辺について重ねて、これからの扱いとして考えるところがあったら最後にお答えをいただきたいと思います。
  198. 岡本道雄

    岡本参考人 今おっしゃっていただきました点、自治省、文部省からも承ったこともございまして、それぞれ勉強の資にさせてもらっておりまして、人件費が重なって大変だということも存じております。  いずれにしましても、財政問題に関しましては、第三次答申に向かって本格的に検討しようということにはなっておりますので、ただいまの先生お話はよく承っておく次第でございます。
  199. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 まだ各論にわたってあるのですけれども、二十三日には答申が出るわけですし、その時点で、具体的にはっきりした段階でまた質問があるわけでありますから、きょうは諸般の日程もあるようでありますから、ちょっと早目に終わりたいと思うのです。大変長時間にわたりまして御答弁ありがとうございました。  以上で終わります。
  200. 青木正久

  201. 山原健二郎

    ○山原委員 岡本会長、きょうは御苦労さまです。  二十三日に第二次答申が出されるわけでございますから、またその直後に恐らく当委員会にもお見えくださいまして御説明いただくことになるのではないかと思いますが、きょうは最初に、一月に「審議経過の概要(その3)」が出ましたが、今度の第二次答申があの「概要(その3)」と大きく変わっているかどうかという点だけで伺いたいのです。  例えば、「(その3)」の場合には教育の目標を「ひろい心とゆたかな創造力」「自主・自律の精神」「世界の中の日本人」、こういうふうに三つの目標が出ておりましたが、これなどは今度の第二次答申では変化が出ているでしょうか。
  202. 岡本道雄

    岡本参考人 目標の点でございますけれども、「概要」のところには今おっしゃっていただいたように三つを挙げておるわけでございます。それで、これは前にも何かのとき申しましたように、「審議経過の概要」に即して答申というものは書きますので、そう大きく変わるということはございません。ただ、「審議経過の概要」というのはその間に国民の広く意見を聞いてということでございまして、先生方の御意見も拝聴しているわけでございますから、その間に検討いたしまして、入れるべきものとか除くべきもの、そういうものは考えておるわけでございまして、イグザクトにそのものどおりにやるということはございませんけれども、まず大綱はその方向にあるということでございます。  ただ、自主・自律という中には、余り個人のなにだけでなしに、やはり全体も大事だなというような意見もありますから、そういうものがまた入るというようなこともあり得ると思います。
  203. 山原健二郎

    ○山原委員 先般、各新聞紙上に第二次答申の素案のようなものが出ましてそれを読ませていただいたのですが、その中に「生涯学習体系への移行」を第二次答申の重要な柱にするということが出ておりましたが、そういうふうに理解をしてよろしいでしょうか。
  204. 岡本道雄

    岡本参考人 そういうふうに御理解いただいて結構だと思います。
  205. 山原健二郎

    ○山原委員 この表現に私は非常に関心を持って読ませていただいたのですが、大変重要な中身を含んでおりまして、こういうふうに書かれているわけです。本審議会は生涯学習体系への移行を主軸として、学校中心の考え方を脱却し、二十一世紀のための教育体系の総合的な再編成を提案する、こういうふうに伝えられております。これはそのとおりでしょうか。
  206. 岡本道雄

    岡本参考人 そういうふうに申しておるわけでございますけれども、この生涯学習というものは、現に存在しております体系は学校教育、家庭教育、社会教育、それからまた職場の教育というものもあるわけでございますね。それぞれのものがそれぞれの立派な役割を果たしているわけでございますけれども、この生涯学習の理念そのものは、そういうものを全体として、人間が成長していくにつれまして生まれてから死ぬまで学習を意欲を持って続けようというところに焦点がございますので、むしろ、学校教育中心の考えから脱却するというのは、学校だけで教育をするのじゃないというような意味にとっていただきまして、ほかの社会教育、職場教育、家庭教育、そういうものの中ですべてを学ぶんだということの表現だというふうにとっていただくことが大事だと思っております。  私は、学校教育教育の役割というものは大変重要なものだと思っておりますので、この表現がもしそういう誤解を生むなら今のようにお考え願いたい、そういうふうに思っております。
  207. 山原健二郎

    ○山原委員 これは、学校中心の考え方を脱却し、二十一世紀のために総合的な再編成を提案するということでございますから、これは、もちろん今会長がおっしゃったように、生涯学習あるいは生涯教育、これがどれほど大事なものかは私どももよくわかっておりますし、社会教育を含めましてそういう点の重要性はわかっているのです。生涯学習、生涯教育などという言葉は私ども使ってもきましたけれども、これはいわゆる「生涯学習体系への移行」というふうに命題が打ち出されておるわけでございまして、今おっしゃいましたけれども学校中心の考え方の脱却ということになりますと意味は極めて重要になってまいります。  そして、こういうふうに書かれておるのですね。教育体系再編成の目標というところがございまして、そこには、本審議会は、これからの学習が、各人の自発的意思に基づき、必要に応じて、自己に適した手段・方法を、みずからの責任において自由に選択し、生涯を通じて行われるべきものであると考えると述べておるわけでございます。これは今度の答申ではやはりこのような表現が出てくるのでしょうか。
  208. 岡本道雄

    岡本参考人 この生涯学習の一番基本的なものは、やはり自発的な学習意欲というものにあるということは大きな理念の一つでございますので、恐らく今度の答申にもそういうものが主軸に出ておると思います。  それから、みずからの責任において選択、これは選択ということにみずから責任を持てということでございますので、やはりこういう文章は出てまいると考えております。
  209. 山原健二郎

    ○山原委員 学校中心の考え方から脱却をして、自己に適した手段・方法を、みずからの責任において自由に選択し、生涯を通じて行われるべきもの、こうなってきますと、これが答申にこう書かれますと、例えば各人が自分に適したと思ったら、非常に極端な例を申して恐縮ですが、みずからの責任において、小学校は必要ない、私は中学校から勉強する、またそれだけの学力も家庭で積んだのだからもういいのだというふうな判断をして、私には中学校からの勉強が適しているというふうに、自由に自主的に選んだ場合中学校に行ける、こういうふうにも受け取られるわけですね。それからまた、高等学校に行かないで大学を受けることも自由である、こういうふうにしか読めないわけです、幾ら考えても。私は随分ここで悩みまして、「生涯学習体系への移行」ということになりますとそういうふうに読まれるわけですから、こうなってきますと、いわゆる学齢制度をとっている現在の六・三・三制度、この学校体系の否定にすらつながるのではないかとまで考えられるわけですが、これが、今会長がいろいろおっしゃるのだけれども、過去において臨教審の中に出てまいりましたいわゆる自由化論と結びつきますと、これはまさに戦後教育の体系まで変化しかねない中身を持っていると思わざるを得ないのですが、この私の考え方は誤りでしょうか。
  210. 岡本道雄

    岡本参考人 この文章は「学校教育の自己完結的な考え方を脱却する」ということでございまして、この点、学校教育中心の考え方を脱却するというのと、さらに限定した表現になっていると思っております。先生のおっしゃっていただきましたこと全くごもっともでございまして、私は最前申しましたように、生涯教育で一番大事なのは、現存しておるものとしてやはり家庭教育学校教育と社会教育それから職場の教育、そういうものがしっかりあるということを前提にいたしまして、それを個人が自分意欲に従ってよく選択して活用するというところにあると思っております。それぞれの教育が存在しておるということを前提にいたしておりますので、現在の学校制度の六・三・三制を廃止するというふうにも考えておらないわけであります。ただ、六年一貫とか、途中におけるフレキシピリティー、いろいろ理由があって行けなかったような人ができるだけ機会をまた得られるようにというようなことは考えておりますけれども、今のところ、家庭教育学校教育、社会教育がおのおの充実するということを大事にする気持ちは変わりありません。
  211. 山原健二郎

    ○山原委員 逆に、第二次答申に今のような表現が出てくるということが今のお答えでわかったわけです。義務教育は基礎、基本を教えるという意味で重要視されてきたわけでございますけれども、この表現だと、今会長がおっしゃったように、特別な事情のある学生に対して特別な手当てをする、これは結構なことだと思います。ところが、こういうふうに体系上の問題として描かれてまいりますと、これは非常に大きな混乱を招くのではないか。私はここで臨教審に対してこういうふうに変えろなどということを申し上げているわけではありませんけれども、これが今まで自由化論の中に出てまいりました義務教育民営化論であるとか、デレギュレーション、規制緩和とかいうものと結びついできますと、むしろ公教育そのものが解体する可能性を持っている。また臨教審の中の一部の人の間にはそういう理論さえあるわけでございますし、またそういう理論を持っている方の発言力が臨教審の中で極めて強く、また「審議経過の概要(その3)」を見ましても、私はむしろ個人的な論文ではないかと思うような非常に難解な表現が次々と出てまいりまして、全く国民になじまない言葉が羅列されて、それが巧みに結び合わされて三つの目標が出てくるというような経過から見まして、どうもこの辺が気になって仕方のないところでございまして、この表現のまま受け取りますと、むしろ公教育の解体につながりかねないという心配を持っているわけですが、再度お伺いして恐縮ですが、この点いかがでしょうか。
  212. 岡本道雄

    岡本参考人 この文章そのものは「学校教育の自己完結的な考え方を脱却する」、それから「学校教育においては自己教育力の育成を図り、その基盤の上に」ということでございまして、基礎というものを大切にして自己教育力の育成を図るものが学校教育であるという位置づけをしております。「その基盤の上に各人の自発的意思に基づき、必要に応じて、自己に適した」と、こういうことでございますので、先生の今御注意いただきましたような点は十分に注意して表現しなければならぬと思っております。
  213. 山原健二郎

    ○山原委員 今、会長がおっしゃるようなことであれば、この「本審議会は、これからの学習が、各人の自発的意思に基づき、必要に応じて、自己に適した手段・方法を、自らの責任において自由に選択しこという表現とはちょっと違うように思うのですが、この問題は、私の考えだけ述べておきまして、次に移りたいと思います。  今、佐藤議員からもお話がありましたが、今後の答申の実施に当たりまして、大蔵省から「教育改革と財政問題に関する基本的考え方」というメモが臨教審に示されたと聞きますが、そういう事実はありましたか。
  214. 岡本道雄

    岡本参考人 最前お答えいたしましたように、大蔵省に限りませず、自治省、文部省からヒアリングをいたしたことがございまして、さらに詳しく大蔵省のことを申し上げますと、現下の厳しい財政状況とその展望を説明をされ、資金の効率的、重点的配分とか、スクラップ・アンド・ビルドなどをするべきであるという意見は聞きましたが、これはどこまでも臨教審としては事実関係を勉強するためにやったものでありまして、それに従うというようなものではございません。ただ、臨教審教育改革の推進に当たっては、教育改革方向に即して国家財政全般との関連で適切な財政措置を講ずる必要があるということでございます。財政問題の詳細に関しましては、本格的には第三次の答申で答えられるように審議してまいるということでございます。
  215. 山原健二郎

    ○山原委員 大蔵省は、なかなか強烈な文章になっております「教育改革と財政問題に関する基本的考え方」というものを示した。臨教審が提案しておる初任者研修あるいは放送大学とか留学生の受け入れとかを実施しようとすればお金がかかる。そのお金をつくるためには、今まで文教行政の中で行われておった重要な柱を一つ一つ削っていく、それを彼らは「スクラップ」と「ビルド」というふうに分けて、それを実施しようとすれば義務教育国庫負担金の見直し、高等学校以下の私学助成の地方財源化、社会教育費の地方一般財源化、あるいは義務教育教科書の有償化、こんなことまで含めまして、これをスクラップしますよということなんですね。これは大蔵省の大変な越権行為だという話が先ほど出ましたが、私も本当にそう思いますし、この委員会でも問題になりまして、大蔵大臣を呼んでこのことについて真意を聞かなければならぬというところまで話が出ておるわけでございます。こういう大蔵省の態度あるいは申し入れに対して、臨教審としてはこれをお認めになるようなお考えか。もし、これを認めないとするならば、臨教審としても、文教行政の根幹をなすものが崩されるという立場から、断じてそういうことはしてはならぬという対応をすべきだと思いますが、そういうふうなお考えはないでしょうか。
  216. 岡本道雄

    岡本参考人 私が今申しておりますのは、正式にヒアリングいたしましたときの話でございまして、今おっしゃいましたような具体的な問題に対して大蔵省の意見を聞いたということは私は関知いたしておりません。ただ、最前申しましたように、具体的な問題に関する本格的な財政問題に対する検討は今後やるということになっておりますので、そのときにまた考えさせてもらうということでございます。ただ、全般的に申せますことは、大蔵省の話も我々は事実関係を勉強するという態度で聞いただけでございまして、その内容に従ってというわけではございませんので、その点は御了承願いたい。
  217. 山原健二郎

    ○山原委員 そういうお考えだということはわかりますが、これは私どもの方、皆に手に入っておるのがこういうメモといいますか、メモというよりもむしろ「教育改革と財政問題に関する基本的考え方」というのが出ておりまして、「スクラップ」の項と「ビルド」の項とありまして、例えば初任者研修制度をやればどれだけお金が要るかわかりません、会長お話を新聞で伺いますと年間七百六十億、七年間続けなければならぬという。お金が要るという。やり方によってはそれはその金額がふえたり減ったりするかもしれませんけれども、それをやるためには随分たくさんの、この委員会においてまた国会、文部省においてお互いが合意に達して続けてきた重要な文教行政の基本的な柱が崩されていく。こうなるとこれは重大問題ですから、そんな軽い受け取り方では私はこれは大変だと思ってあえてお尋ねしたわけでございますが、この枠をはめられてしまえば、臨教審が何を答申したって実現できないわけですね。その意味では相当重みを持った重圧ではないかと思いますけれども、そういうふうにはお考えになっていないわけですね。
  218. 岡本道雄

    岡本参考人 私は、ヒアリングを行いましたときの印象でございまして、再度繰り返して申しておりますように、今申されました内容はなかなか重大で、大変重大であることは意識しております。ですけれども、今そういうことがあれば大変重大だと思いますけれども、これに対して正式に私がそういうものを見たわけでもございませんので、本格的な審議のときにはしっかりやりたい、そういうふうに思っております。
  219. 山原健二郎

    ○山原委員 最後に、いじめの問題について何か特別な御提起がなされるというようなことも聞くわけですが、これについては現在、答申を直前にしまして、どういう形態で出されるのか、あるいはもう起案は終わっておるのか、この点を最後に伺いまして、私の質問を終わりたいと思います。
  220. 岡本道雄

    岡本参考人 いじめの問題は、会長談話にも申しましたように、臨教審そのものとしては本来基本的な立場に立って論議すべきものではあるけれども、これが大変深刻な現状になっておるのであえてこれには触れざるを得ないという立場で対処しております。しかし、今申しましたようにこのものの根源はなかなか広く深いので、これを一言でこういう対策があるということはなかなか言いにくいわけです。発見しにくいわけですね。これは各方面で現在最善の努力をしてもらっておりまして、会長談話としてはその協力をお願いしたということでございますが、臨教審が、最前申したように基本的なものに立ち返るという立場であれば、これに対して審議は、会長談話にも申しましたようにその後続けるわけです。続けてまいりまして、現在の時点までにこれが関係しておる部分につきましてはすべてこの問題については触れております。したがって、言いかえますと、一つの部分でいじめというものの全体にわたってこうしてこれは解決すべきだということはなかなか言えないわけですね。したがって、基本的には、答申の各部にわたりましていじめに関するものはそこの部分を膨らますという方針を確認しまして、その方針で進んでおります。その膨らまし方については、各部会いろいろありますから、特にこのあらわれておる現場ですね、学校というものに対しては、その膨らまし方が特に大きいというようなことは当然考えられるわけでございますけれども臨教審立場として、そういう形ですね、これは大変原因が深く広いので、各部にわたって、全体にわたってこれを記述する。しかしその部分部分は、膨らまし方は各部によって違う、そういうふうに理解していただいて結構だと思います。
  221. 山原健二郎

    ○山原委員 終わります。
  222. 青木正久

    青木委員長 江田五月君。
  223. 江田五月

    ○江田委員 二十三日の第二次答申を前に控えて大変に御多忙のところおいでくださいまして、ありがとうございました。せっかくの機会ですから、私も短い時間ですが、ちょっとお伺いをしておきたいと思います。  今の子供たちの状況を一体どう認識をされているかということなんですが、例えばきのうの新聞の夕刊によりますと「少女、相次ぎ飛び降り」というので、十六歳の女の子がまず昨日の午前零時五分ごろでしょうか、神戸で飛びおりた、即死。午前八時前には今度は東京の杉並で高校二年生の女の子が飛びおりて重体。午前九時半ごろには盛岡で、これは中学三年の女の子が飛びおりて死んだというようなことですね。その前にタレント、アイドル歌手の飛びおり自殺があったり、そのしばらく前にもやはり同じようにタレントの自殺があったようですが、タレントに限らず子供たちの自殺が大分続いておるという。まあ連鎖反応的なものもあるでしょうけれども、しかし、それにしても子供たちが何か非常につらい環境に置かれているということが日本全国にあることがこういうことでうかがわれると思うのですが、今の子供たちの状況について基本的にどういう認識をお持ちか聞かせていただきたいと思います。
  224. 岡本道雄

    岡本参考人 かつて新制作座の創立記念日のときに先生と同席させていただきまして、お話を聞いて大変感銘を受けたことがございましたですが、私、子どもがえげつないと申しますか、そういう気持ちにおいては先生と同じでございます。それがやはり私は、子供は大人の社会の端的にあらわれたものと申しますか、その意味で大変大人の責任を強く感じておる次第でございます。本当にえげつないと申しますか、子供の思い詰めた気持ちに対してはまことに痛ましい気持ちがいたしております。  それにつきましては、私自身はやっぱり十分それにきめ細かく対応して、そういうことのないように努力いたすことは大変大事だと思っております、現実的には。しかし、基本的に大事なのは、やはりしつけと申しますか、子供のときからの鍛錬で、耐性というか、私は子供同士がけんかしておる状態なんか見ておりますが、それはやはりああいうもので徐々に耐性というかそういうものを獲得していくという過程があると思うのですね。それで、これはいじめに関連してもですけれども、私はそういうものが大変大事だということを痛感いたしております。  要約すれば、現実的にはそういう子供の状況というものは本当に痛ましく、一日も放置できない。これに対してはできるだけきめ細かい対応が必要だけれども、同時に、基本的にはしつけというようなもの、これもやはり近代文明の大きな風潮に関係ありますけれども、そういうものをしっかり注目していかなければいかぬと考えております。
  225. 江田五月

    ○江田委員 今のは新制作座の真山美保さんの、たしか子供たちがふびんだという言葉でしたね、会長と一緒に伺わせていただいたことを私も思い出しました。この子供たちのいじめも確かにその一つで、いじめの問題の根は深く広いというようなことを言っている今この瞬間にも、本当に大変に心を痛めている、悩みの出口が見つからなくてどうしていいかわからない子供たちがおるわけで、じっとしていられないという気持ちに教育改革に携わる者としてはならなければいけないのではないかと思います。  耐性とおっしゃいます。そのことも一つ必要ですが、しかし、自分の気持ちを殺して何にでも耐えることができる子供を育てるのが本当にいいのか、こんなことはとても我慢できないと自分の意見を言える子供の方が本当は大切なんじゃないか、そんな気もします。  それはさておいて、仮に今自殺を考えている子供あるいは自殺を考えているようなサインが見られるのではらはらしている親から臨教審教育相談があったとしたら、どういう対応をとられますか、これは仮の質問ですけれども
  226. 岡本道雄

    岡本参考人 これは大変大事な問題でございますので、臨教審としては、先生の言われる子供の声を聞くという意味で、公聴会においても親に来ていただくとか、臨教審のヒアリングとしても学生生徒の話を聞くということに努めております。  今、仮定の話で、臨教審にそういうなにがあったらどうするかということでございますが、かねてから教育委員会の活性化というものを期待して、それに答えてもらうより仕方がないと思っております。臨教審自体がそれに乗り出すわけにも、何もできませんので、そういうふうなことを考えております。
  227. 江田五月

    ○江田委員 それはそうだと思うのです。臨教審が一つ一つの具体的な教育相談に乗るわけにはいかない、これは当たり前なんですが、そうした一つ一つの具体的な教育相談の中に今の教育現場の持っている大変な問題が噴出してきているわけです。  恐らく会長は御存じだと思いますし、私も前に指摘したことがありますが、女性による民間教育審議会という自発的な団体がございまして、女性の皆さんが二十二人で会をつくって月に一度公開の審議会を開いて、ついせんだって四月に「教育改革提言」というのを出しているわけですが、この皆さんはおもしろい方法をとられたわけです。まず最初に、三日ほどでしたか、教育一一〇番というのを設けて、とにかく教育についての緊急の相談事をいっぱい受け付けた。そうすると、次から次へといじめの問題、教師の問題、学校の問題、いっぱい問題が寄せられたというのですね。その悲痛な叫びのような教育相談の中から今の教育の問題点をじかに皮膚で感じ取って、そこからスタートしてこの教育の改革を考えたというのです。そういう方法は臨教審では恐らくおとりになれないのかもしれませんが、しかし、一方でそういう方法も非常に大切だ。つまり、これは事態の認識の方法ですが、写真に撮るように全体を一寸一分食い違わないように認識するのも一つの方法ですけれども、まさに問題の所在というものをクローズアップして、そこをぐっと大きく認識することがより必要な正しい認識という場合もありますね。写真もいいけれども、絵画というのも事実を正しく認識する非常にいい方法なんで、今の教育、勉強のできる子もできない子も、学校が楽しい子もつらい子もいろいろいるというように認識するのもいいけれども、そうでなくて、本来学校は本当に楽しくなければならぬはずだ、ところがつらい思いをしている子供たちがかなりの数いる、その部分をしっかり認識することが大切だと思うのです。  そういうところから始めておまとめになった女性民教審の皆さんの「教育改革提言」を臨教審の中で大いに生かしたらどうかという気が私はしておるのですが、まず、これはごらんになりましたか。
  228. 岡本道雄

    岡本参考人 各方面からいろいろな提言はもらっておるわけでございますけれども、この提言につきましても、臨教審で全員に回しておりますし、私自身も拝読しておる次第でございます。  それから、先生おっしゃいましたように、一つの例をはっきり目で見ることによって、本当にドライブといいますか問題解決の意欲が生まれるということは、私は大変痛感いたしておりまして、これは特に第三部会、中小学校教育のところでは、現場と個人に詳しく話を聞く努力を重ねておられる話をよく聞いておりますので、その点は先生のお説と全く同感でございます。
  229. 江田五月

    ○江田委員 それと同時に、もう一つは、先ほども山原委員から「審議経過の概要(その3)」に難解な表現が随所に見られるというお話がありましたが、この女性民教審の「教育改革提言」は実に易しい文章で、別に高等教育を受けていない家庭の母親でもすいすい読める、そして心にずしりと響く内容になっておりまして、この表現方法などもぜひ参考にしていただければと思います。  きょうはお忙しいところなので、時間がありませんのでこれで終わりますが、どうぞよろしくお願いいたします。
  230. 青木正久

    青木委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  岡本参考人には、御多用中のところ御出席いただきまして、ありがとうございました。  次回は、来る十八日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時四十八分散会