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1985-11-15 第103回国会 衆議院 文教委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十年十一月十五日(金曜日)     午前十時三十一分開議 出席委員   委員長 阿部 文男君    理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君    理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 池田 克也君    理事 中野 寛成君       青木 正久君    赤城 宗徳君       稻葉  修君    臼井日出男君       榎本 和平君    加藤 卓二君       田川 誠一君    田中 直紀君       中村  靖君    二階 俊博君       町村 信孝君    木島喜兵衛君       佐藤 徳雄君    田中 克彦君       中西 績介君    伏屋 修治君       滝沢 幸助君    藤木 洋子君       山原健二郎君    江田 五月君       菅  直人君  出席国務大臣         文 部 大 臣 松永  光君  出席政府委員         臨時教育審議会         事務局次長   齋藤 諦淳君         文部大臣官房総         務審議官    五十嵐耕一君         文部省初等中等         教育局長    高石 邦男君         文部省高等教育         局長      大崎  仁君         文部省高等教育         局私学部長   國分 正明君         文部省体育局長 古村 澄一君         文化庁次長   加戸 守行君  委員外出席者         警察庁刑事局保         安部少年課長  根本 芳雄君         法務省民事局第         二課長     細川  清君         法務省矯正局保         安課長     馬場 敏高君         法務省人権擁護         局調査課長   永井 敬一君         大蔵省主計局主         計官      武藤 敏郎君         労働省職業安定         局業務指導課長 矢田貝寛文君         日本国有鉄道旅         客局長     片岡龍之助君         文教委員会調査 高木 高明君     ――――――――――――― 委員の異動 十一月十五日  辞任         補欠選任   二階 俊博君     田中 直紀君   町村 信孝君     加藤 卓二君   江田 五月君     菅  直人君 同日  辞任         補欠選任   加藤 卓二君     町村 信孝君   田中 直紀君     二階 俊博君   菅  直人君     江田 五月君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する  法律案内閣提出、第百二回国会閣法第八二号  )  文教行政基本施策に関する件      ――――◇―――――
  2. 阿部文男

    阿部委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。佐藤徳雄君。
  3. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 私は、いじめの問題を中心にいたしまして、幾つかの問題点指摘をしながら、文部大臣並びに関係当局に対してお尋ねをしたいと思います。  先般の文教委員会における臨教審集中審議の中でもいろいろ問題が提起されておりましたが、今日、教育問題は御承知のとおり一層深刻な危機に至っておるわけであります。そして、まさに重大な社会問題、政治問題としてあらわれていることは御承知のとおりであります。中でも、今日学校では、佐藤誼議員が前回の委員会でも指摘をいたしましたように、教育条件の整備がおくれ、偏差値による受験競争が依然として展開されておりますし、加えて、学校の校則、体罰内申書による生徒管理が強まっていると言わなければなりません。落ちこぼれとかいじめ中途退学登校拒否自殺非行校内暴力等表現はすべて教育の問題から出現をした表現でありまして、それは単に表現だけではなく事実を伴った教育荒廃現象なのであります。まさに一日も放置できない事態に来ていることを文教委員会自体認識を深めて、多くの問題を出し合いながら問題解決努力をすべきであろうと私は考えるわけであります。  最近、毎日配布されます新聞を見ましても、これらに関する記事が絶えたことがありません。例えば、けさの朝日新聞社会面でも出されておりますが、「”問題児”長欠させ働かす」、これは群馬県の中で起きた問題でありますが、この新聞記事によりますと、逮捕された三人の生徒を、PTAの関係者の経営する水道工事店で十月十七日から一日三千五百円の日当で十五、六日間働かせて、しかも学校側がこれを許可し、授業は出席扱いにしていたという、まことに奇々怪々な事件けさ新聞にも報道されているわけであります。  さて、そこで私がお尋ねをいたしますのは、去る九月二十六日午前七時四十分ごろ、福島いわき小川町上小川字細石の山林の中で、農機具小屋軒下いわき市立小川中学校三年佐藤清二君が制服姿のまま首をつって死んでいるのをクリ捨いに来た人が見つけいわき中央署に届けましたことから、県内はもちろん全国的に大きな問題として取り上げられたのであります。すなわち、恐喝、盗みの強要などでいじめられていたことを苦にし、耐えられずに自殺したと思われるからであります。いじめられたことによって耐えられずにみずからの命を絶ったということは、教育界はもちろん国民全体に大きな衝撃を与えたことは極めて重要かつ深刻な問題であります。  そこで、いわき小川中学校三年佐藤清二君の自殺いじめの事実関係について明らかにしていただきたいと思います。
  4. 高石邦男

    高石政府委員 事件の起きた内容につきましては、ただいま御指摘のあったような状況でございます。その背景に、同級生数名を中心にして金銭強要暴行などが行われ、二年生のときからそういう事態が繰り返されていた。判明しているところでは、金銭強要等が六回、暴行二回、その他顔にマジック、背中に苛性ソーダがかけられるなど各一回等の行為が行われていたということでございます。  学校側は、保護者申し出を受けまして、その都度それについての指導を行ってきていたところでございますが、学校側のその対応が、実は事件解決したととられるようなその後の甘い対応がありまして、依然として教師の目の届かないところでそういうことが繰り返されていたというのが事件の起きた後の調査で判明したわけでございます。したがいまして、こういう認識の甘さ、それに対する適切な対応がなされなかった、さらに少年期の微妙な心理、そういうものが重なり合って今回の不幸な事件発生したと見ているわけでございます。
  5. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 事実関係が明らかになるにつれまして、同校生徒七人が警察に補導されております。そして現在、いじめ首謀者と見られる一人が盛岡少年院収監をされていると聞き及んでいるわけであります。  この自殺問題で高校生一人が警察に補導され、学校からは家庭謹慎十日間の処分を受けたはずでありますが、高校生が介在をしていたという事実関係を明らかにしてください。
  6. 高石邦男

    高石政府委員 県の教育委員会報告ではまだそこまでの内容報告を受けておりませんので、高校生がどういう形で介在していたかについては具体的な内容については承知しておりません。
  7. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 それでは、重ねてお尋ねいたしますが、佐藤清二君の自殺の直接原因であるいじめ背景は何だと思いますか。
  8. 高石邦男

    高石政府委員 これは非常に複雑な要因が重なり合っていると思います。一つは、多くの金銭強要といういわば金銭的な強要が繰り返し行われてきた、そういうものに耐えられなくなったというようなことが重なり合っている。また、それだけではなくして、心身に傷害、要するにいじめによるいろんな暴行を受けるというような問題が重なり合っていたというようなこと、そして学校教師による適切な対応が最後まで届かない状況下にあったということ、そういうもろもろ要因が重なり合っていると思われます。
  9. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 県教委からの報告がないのでおわかりにならない。報告がなければわからないのは当然かもしれませんけれども、その高校生のさらに上にいじめ原因と見られる中心人物が、実は十八歳の二人の少年がこの頂点であるというふうに聞き及んでおるわけでありますが、二人の少年であるというその事実関係背後関係を、もしおわかりでありますればお答えください。
  10. 高石邦男

    高石政府委員 先ほども申し上げましたように、そこまでの内容について県からの報告がございませんので、現在のところ承知しておりません。
  11. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 私は、やはりこれは社会構造上の問題が一つは提起されていると思うのです。だから、自殺をされた中学校三年生――実は二人の少年高校生に金品の強要をしている、高校生がさらに上納するために中学生にそれを命じ、そしてそれが佐藤清二君のところにいって、また逆に金が少年のもとに渡ったという経過があるようであり童す。  事実関係でありますからいろいろ調査をしなければならないと思いますけれども、問題を解決するため、あるいは今後の大きな資料ともなるわけでありますから、その点について文部省が今後さらに調査をする考えがおありかどうか、お答えをいただきます。
  12. 高石邦男

    高石政府委員 当然、この事件の真相を明らかにして、適切な対応が必要でございます。したがいまして、今御指摘のありましたような事実関係があるかどうかを含めて、県の方に質問があったことを含めて問い合わせて照会をして、事実関係解明に当たりたいと思います。
  13. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 さらに、先ほど申し上げましたように盛岡少年院収監をされている一人が最近、いじめたのは私一人ではないと主張して弁護士を介して仙台高裁抗告をしたと新聞が報道しております。これは文部省法務省お尋ねいたしますが、その抗告をされた内容をもしおわかりでしたらお知らせください。
  14. 馬場敏高

    馬場説明員 お尋ね少年盛岡少年院に入っておりますが、この抗告につきましては、福島家庭裁判所いわき支部書記官名盛岡少年院長あて当該少年付添人から、これは弁護士でございますが、抗告の申し立てがあったという通知書はいただいております。  ただ、抗告があったというだけでございまして、その抗告理由等は何ら書いておられませんので、具体的な内容については承知しておりません。
  15. 高石邦男

    高石政府委員 十一月五日、仙台高裁に対して、事実誤認、処分不当を内容とする抗告がなされたということは聞いておりますが、具体的な抗告中身については聞いておりません。
  16. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 もちろん、これは裁判所に提出されたものでありますから、いずれ裁判の判断にかかわる問題でありますが、私は、真実であるかどうかわかりませんけれども、その抗告内容というものを実は重視をしたいわけであります。法務省並び文部省抗告中身は何であったかを把握できるようにぜひひとつ御努力いただきたい、こう思いますが、よろしゅうございますか。
  17. 高石邦男

    高石政府委員 裁判所と本人との関係でございますので、私たち立場でその内客を手に入れることはちょっと困難でございます。
  18. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 要望しておきますが、できるだけ内容把握をお願いしたい、こう思います。  それで、関連いたしまして、地方紙福島民友新聞という新聞がありますが、その十月三日の朝刊に「学校〝閉鎖的〟体質をなくせ」という見出しで社説を掲載しております。ちょっと紹介をいたしますが、先ほどの局長答弁との関連がこの社説の中に載っているわけであります。   学校ではいわき教委の調べに「いじめはない」と報告していた。なぜこんなウソの報告をしたのか。関係者の中には「いじめの事実を公表することになり、子供たちの将来にキズがついては困ると考えた」と、教育上の配慮をあげる向きもある。一理はあるが、この調査生徒個人の名前まで世間に公表される性質のものではなかったはずだ。  こと〝いじめ〟現場非行校内暴力などの〝実隠し〟、目にあまる。ある学校教師体罰事件発生教師はそれを認めたが、校長が否定し、教師〝かん口令〟を出した例などもある。  あえて言うならそこには教師自身の保身があるとは言えないか。世間には〝ヒラメ先生〟という悪口がある。教師教頭校長になるために校長顔色を伺い、校長は栄進するため県教委地教委顔色を伺う。上ばかり見て下(子供)を見ない、という意だ。それが今回の〝事実隠し〟になったとはいえないか。 こういう内容なんであります。つまり、後段に出てまいりました「教師教頭校長になるために校長顔色を伺い、校長は栄進するため県教委地教委顔色を伺う。」、私から言わせればまことに悲しむべき現象でおります。そして誤った態度と言わなければなりません。  学校教育における管理体制強化の内面と現状を私はこの社説が鋭く指摘しているものだと理解をしたところであります。憂うべき教育とその荒廃教育に対する情熱、子供に対する愛情の欠如等、あるいは教師創造性の芽を摘み、子供の側に立つことのできない管理体制に問題があるのではないかと考えざるを得ません。これは単に私どもの県だけにあらわれていることではなくて、全国的風潮であることを前々から私も承知をしているところであります。これでは教育はよくならない、子供教師に懐くはずがない、こんな感じもしないわけではありませんが、このような風潮を改めさせる考えはないかどうか、あるとすれば具体的方策を示していただきたいし、文部大臣見解をお伺いいたします。
  19. 松永光

    松永国務大臣 私は、いわき小川中学で起こった佐藤清二君の自殺事件関連で、その背景として多人数による佐藤清二君に対するいじめというよりも連続した恐喝事件があった、その被害から逃げることができないということもあって自殺したということのようでありますが、私は、前後の事情からいって、学校対応は極めて手ぬるかったというふうに見ております。  まず私は言いたいのですけれども、いじめという言葉から来る感じは、意地悪とかいたずらとかあるいは仲間外しとか、そういった感じいじめという言葉から受けるのでありますけれども、いわき市の小川中学で起こっているいじめという表現でありますけれども、これは意地悪とかいたずらとか仲間外し程度のものじゃなくして、重大犯罪行為がこの中学生によって佐藤君に対して行われておったということなんですね、したがって、私は、いじめということよりも、そういう重大な犯罪行為が継続して行われておったというふうなとらえ方をするのが適切じゃないかと思うぐらいなのです。そのくらいの重大性教育関係者が持っていただかなきゃならぬというふうに思います。  そうしてまた、言うなればいじめをしたということよりは犯人ですね。その検挙その他も実は佐藤清二君が自殺した後に行われている。もっと早く多人数による継続的な恐喝行為がなされておったという事実が発覚しておったならば、もっと早く犯人グループ検挙もできたかもしれない。とすれば、佐藤清二君が幼い命をみずから断つなどという痛ましい事件は起こらなくて済んだかもしれないというふうに思うわけでありまして、私は、いじめというのを、いたずらとか意地悪とか仲間外し程度のものから先ほど言ったような重大犯罪というものまで含めていじめという表現でありますけれども、この佐藤清二君に加えられた加害行為というものは、もういじめという言葉ではなくして重大な犯罪行為だという認識で我々は対応しなければならぬというふうに思うわけであります。  そういう意味で、学校対応の仕方は必ずしも適切でなかった。先ほど先生指摘になりましたように、なるほど中学生でありますから、そのいじめ子供加害少年の将来のことを考えれば余り公表されないことがいいでしょう。しかし、被害少年立場に我々は立たなきゃならぬ場合がしばしばあると思うのです。こういう加害行為がなされているということがわかれば、適切な手を打ってとにかくその加害行為をとめなければいかぬ、被害発生未然に阻止しなければならぬ、これが少年人権を守る上からも適切になさるべき処置だというふうに思うわけでありまして、その意味で、学校におきましては校長以下全教師が一致協力して、子供同士のいわゆるいたずらとか意地悪程度ならば別といたしまして、この事件のような集団による暴行事件、あるいは集団による暴行傷害事件、あるいはさらに恐喝事件などというものが起こった場合には、子供同士いたずらとかいじめとかいう取り扱いじゃなくして、起こってはならない重大犯罪行為学校の中で起こっているのだというぐらいの認識に立って、厳しく対応してもらわなきゃならぬというふうに私は思うわけであります。  そういうことで、実は、既に先生も御承知と思いますが、去る六月二十九日にも、いわゆるいじめということであるけれども、その中身は軽いのから重いのまであるが、とにかく学校が重大な事柄として校長以下教員が一致協力してこれに対応して、そしてそういう事件発生未然に防止するように、そうした事件が起こることを根絶するようにやってもらいたいという指導通知を各都道府県の知事さんそれから教育長さんあてに発しまして、そして適切な指導をお願いしたところでありますけれども、必ずしもそのことが徹底をしてないようでありますので、急遽、各都道府県及び指定都市教育委員会主管課長を東京に招集いたしまして、さらに適切な対応をするように指導すると同時に、今度は全国的な点検までして、いじめ問題が根絶されるように我々は全力をもってこれに取り組んでいきたいというふうに考えているところでございます。
  20. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 見解はわかりましたが、私が質問をいたしました全国的な風潮、先ほど社説を引用させてもらった教師の問題、これについての見解をお伺いいたします。
  21. 高石邦男

    高石政府委員 教育行政機関もそして校長教員も、基本的には子供教育をどうするかという子供に主体を置いて教育の展開が図られなければならないのは当然でございます。したがいまして、それがそうでなくして、子供焦点を合わせない対応というのは非常に問題でございます。  全国的にそういう風潮があるのではないかという御指摘でございますが、必ずしもそうではございませんで、むしろ的確なる教育委員会指導、そして校長のリーダーシップ、そういうものによって学校現場において全力を傾けて非常に困難な地域の子供教育に当たっている学校も相当あるわけでございます。校内暴力事件発生以来、この問題については再三論議が行われまして、そういう子供焦点を合わせた対応によって一致協力した体制づくりが行われて現場の問題が解決に向かいつつあるという状況にあるわけでございます。  ただ、一方において、そうした目に見えないいじめというような陰湿化した内容については、教師側学校側になかなか目が届かないという点があるので、先ほど大臣が御答弁申し上げましたようなところまで突っ込んでその実態の究明に当たって、その根絶に向けての努力をしたいというふうに思っております。したがいまして、一概に教職員校長を向いている、校長教育委員会を向いている、そういう全国的な風潮であるとは思っておりません。
  22. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 私はやはり現場を知らないなと思いますね。現場に入ってみてくださいよ。それがどういう状態になっているかということは歴然とするはずなんであります。確かに、おっしゃるとおり全部がそういう状況であるという言い方は私はいたしません。しかし、目に見えていない問題だけにかなり問題があるわけでありますが、そういう風潮は必ずあるというふうに指摘をしておかなければなりません。十分現場立場に立って、今日教育はどうあるべきか、教師はどうあるべきか、校長教頭はどうあるべきかという指導性基本的観点に立ってお願いをしたい、こう思います。  さて、公立であろうが国立であろうがあるいは私立でありましょうが、今日さまざまな事件が実は起こっていることは御承知のとおりであります。  そこで、また、これは私立学校の問題について事実関係をちょっとお尋ねしたいわけでありますが、三重県に日生学園という高等学校がございます。私立であります。この問題につきましては、十月二十三日に参議院決算委員会において、そしてまた、さらに十一月六日の予算委員会で我が党の同僚議員であります本岡昭次議員が、日生学園で起こりました集団リンチ事件教師暴行、連続する事故死自殺等実情をただして、日生学園暴力的体質根本的改善生徒人権保障立場からその解決を求めて、文部省も一定の答弁をされたはずであります。  私の調査によりますと、法令で定められております私立高等学校所轄庁である都道府県でありますが、この場合でありますと三重県になるわけでありますけれども、事実解明学校管理体制の見直しを図れという内容総務部長名で実は発しているわけであります。いわゆる指導文書であります。これは八月二十九日付でありますが、それを翌日の三十日に日生学園の副理事長に手渡した事実があります。三重県の方針といたしましては、日生学園改善方策を提示するまで補助金交付を停止することを決めて、現在交付は停止されているはずであります。予定といたしましては、第一次の交付決定は十月、第二次の交付決定は三月になっているわけであります。特に十月の場合の第一次の内訳は、日生学園第一高等学校に七千百十六万円、第二高等学校に九千九百九十九万三千円、合計一億七千百十五万三千円であります。私立学校に対する補助金交付を保留するあるいは停止するという思い切ったこのような措置は余り全国的にも例がないのではないかと思いますけれども、それだけに学園に重大な問題が発生していると私は判断せざるを得ません。それで、文部省把握をしております日生学園における事件実情について報告をいただきます。
  23. 高石邦男

    高石政府委員 県の報告によりまして、事件として報道されたのが幾つかありますが、一つは、上級生による集団暴行事件でございます。これは六月ごろ寮の上級生下級生いじめるというような事件で、打撲等傷害で全治二十日間の診断書つきの、いわば集団暴行事件発生したということでございます。  二つは、食堂での事故死事件でございます。これは七月十八日午前三時過ぎに学園食堂のシャッターに首を挾まれて死亡している生徒が発見されたということでございます。これは警察検視の結果、窒息死ということでございまして、事故による事故死であるという認定が行われているということでございます。  三番目は、飛びおり自殺、これは八月二十六日に発生した事件でございまして、時計塔の窓から飛びおりて死亡した。検視の結果は本件は自殺であるということで処理されているということでございます。  こういう生徒上級生によるいじめの問題、それから自殺、不慮の事故死、そして先生方指導による体罰問題を含めたもろもろの問題があるというふうに報告を受けているわけでございます。
  24. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 警察庁の方いらっしゃいますか。先ほど申し上げましたように、参議院決算委員会及び予算委員会本岡議員質問した際に警察庁答弁をされておりますね。それは日生学園内で起きた四つ事件について答弁しているはずでありますが、事件の事実関係について明らかにしてください。同時に、その背景と直接原因は何であるのかを含めましてお願いいたします。
  25. 根本芳雄

    根本説明員 お答えいたします。  ただいま御指摘いただきましたように、本岡先生の御質問に対して警察といたしましては四つの事案を認知して処理しております。これについてもう少し詳しく申し上げたいと存じます。  一つ目は、上級生による下級生に対する暴行事件でございますけれども、昭和六十年、ことしの七月四日に被害者から被害届を受理いたしまして、関係者から種々事情を聴取いたし、捜査を行いまして、同校の三年生五名が学校の寮内において、一人の一年生でございますけれども、掃除の仕方が悪いとかいろいろな理由をつけて暴行を加えた事件、合わせて五件を立件いたしまして九月二十日に送致しております。  二つ目の事案でございますけれども、これは七月十八日に発生いたしまして、学園食堂内において生徒が、食堂と厨房の間にちょうどシャッターがございますけれども、そのシャッターに首の部分を挾まれて死亡していた事案でございます。現場状況検視いろいろ調査した結果から、みずからの過失によって首をシャッターに挾まれて窒息死した、こういうふうに判断しております。  三つ目でございますけれども、これは八月二十六日に発生したものでございますが、日生学園生徒学園の中にございます時計台の下に倒れていたということで、いろいろ調査しましたところ、時計台の窓の付近に履物がきちんとそろえてあったというような状況、それから数日前にも本人が自殺をしようとした事案がございましたが、そういったことから自殺と判断しております。  四つ目は、九月の二日に発生した同校の、日生学園先生による体罰事件でございますけれども、これは三年生の生徒でございますが、先生の注意に従わなかった、非常に反抗的な態度をとった、こういうことに大変立腹してその生徒の顔面を殴りつけて鼻骨を折るというような傷害を与えた、こういう事件でございまして、これを立件して十月三日に送致しております。  先生質問の、その背景とかそういうことでございますけれども、実際問題として我々としては、こういう事案を法律に照らして事実究明して処断するということでございますので、そういった判断はなかなかできかねますが、ただ短い期間の間にこういうふうに四件もの事案が続いているというようなことで、非常に重大な関心を持ってこれらの動きを見てまいりたい、こういうふうに考えております。
  26. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 ちょっと文部省お尋ねいたしますが、同じ質問でありますけれども、今警察庁から報告をされました四つの問題に対する背景なり根本的な原因は何だとおつかみになっているんですか。
  27. 高石邦男

    高石政府委員 まず一つは、この学校の建学の精神といたしまして、いわば勉強だけではなくして日常の行動についても厳しいしつけをして、そして人格の完成を目指す、こういう建学の精神を創設のときから持っているようでございます。そういう方針のもとに、普通の学校では見られない、朝早くから掃除をさせるとかいろいろな厳しいしつけをやるというような教育方針がとられてきているわけでございます。したがいまして、そういう方針の学校であるということを承知をして全国から多くの親たちがこの学校子供を進学させるというような形で、三重県だけではなくして全国的な規模から生徒が集まっているわけでございます。したがいまして、そこの中での寮生活というようなものもあるわけでございます。また、預ける親の気持ちといたしまして、自分の子供の日ごろの状況を見て、そういうところで厳しい教育をしてもらいたいというような心情も重なり合ってきていると思います。したがいまして、そこに在学する生徒の気質なり、それから行動なり、これも非常に多種多様であろうかと思います。そういうところから学校は、集団生活の中できちっとした教育を展開したいということで、ほかの学校に見られない、ある意味での厳しい教育方針が展開されてきていると思われます。  それはそれで結構でございますが、その具体的な展開の場にあってそれが行き過ぎてまいりますと、いわば暴力事件になり、そして結果として子供たちにマイナスの成果を上げるということになろうかと思います。したがいまして、教育指導上はそういう点に十分留意しながら、およそ暴力事件を伴うような指導であるとか、上級生に上る下級生への暴力事件とか、そういうことが発生しないような指導を基本にやはり一方において考えてやらなければならない。そういう点の配慮というものが十分にバランスよくとられていなかったというところが、そういう事件を引き起こした一つ要因ではないかというふうに思っているわけでございます。
  28. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 確かに、今お答えの中にありましたように、建学の精神、学校の方針を是として、その厳しさに耐える子供に育てたい、そういう親と子供の気持ちの一致から入学をさせた事実は確かなようであります。私の調査でもそういう状態であります。  だが、問題は、入学をしてみたらその建学の精神や方針と実行行為は全然違っていたという事実が今日露呈をされてきているわけであります。行き過ぎどころか、以前戸塚ヨットスクール問題が大きな問題になりましたけれども、私の調べた範囲では、むしろ問題にならないほど上回っている、ひどい状態だということを言わざるを得ませんし、それは後ほど紹介をしたいと思います。  さてそこで、被害を受けた生徒の親たちが、余りにもひどい集団リンチ、教師暴行、連続する事故死に意を決しまして、日生学園被害者の会を組織して立ち上がりました。文部省法務省にちょっとお尋ねいたしますが、日生学園被害者の会が組織をされて、その改善を目指して運動している事実を知っておられますか。
  29. 高石邦男

    高石政府委員 三重県当局からの報告によりますと、人権擁護委員会被害者グループの方々から申し入れがなされているという事実は知っておりますが、どういう具体的な内容について申し入れられているかは承知しておりません。
  30. 永井敬一

    ○永井説明員 私どもの方には、被害者の会からは申し立てはございませんが、日生学園の元生徒から、上級生から集団暴行を受けたという人権侵害の申し立てがなされており、現在津地方法務局において、関係者から事情を聞く等をして調査中でございます。調査の結果に基づいて適正な対処をしてまいりたいと考えております。
  31. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 重ねて法務省の方にお尋ねいたしますが、十一月九日に、三重弁護士会が日生学園に立入調査を実施したはずでありますが、御承知でしょうか。もし知っておられるとすれば、その調査内容調査結果をお知らせください。
  32. 永井敬一

    ○永井説明員 お尋ね日生学園の件につきましては、御指摘の日本弁護士会のほか文部省あるいは警察庁立場から、それぞれの立場調査が行われておるということは承知してございまして、その結果につきましては関心を持ちながら調査を進めておるところでございます。ただ、個別的な調査につきましては、私どもの方で具体的に述べる立場ではございません。
  33. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 昭和六十年九月二十八日付で、代理人として弁護士一名、さらに申立人十二名の連名で、三重弁護士人権擁護委員会あてに救済申立書を提出しておりますが、その事実を御承知でしょうか。知っておりましたら内容をお聞かせください。
  34. 永井敬一

    ○永井説明員 そういう申し立てがあったという事実は承知してございますが、具体的な内容につきましては申し述べる立場ではございません。
  35. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 それでは、私の方で紹介をしておきます。  実は、今申し上げた救済申し立てが出されているのですね。これを見て私も驚きました。そう長い文章でもありませんから、必要な部分だけちょっと引用させていただきます。   私立日生学園高校における暴力事件に関し、その真相を明らかにされ、申立人らが蒙った被害の回復と同高校において今後暴力事件の起らないよう適切な措置をとられるよう救済を申立てます。 これが「申立の趣旨」であります。  そして、その「理由」として幾つかあります。「第一、申立に至る経緯」として  一、申立人らの子はいずれももと日生学園高校に在園していたものである。  二、日生学園は全寮生の学校であり、学園内では上級生によるシゴキやリンチはもちろん、教育の名による教師の暴力が横行し、いわば暴力学園の様相を呈している。  そのため、同学園に学ぶ子供達が、学園をやめたい、家に帰りたいなどと父母に訴えると、教員らはそれは家に帰りたいため、子供がいつもつかう口実だ。暴力事件はない。父母はその手に乗ったらダメだなどと事の真相を隠し、親と子を切り離そうとし、しかも学園をやめたいと訴える生徒には、教員上級生が暴力をふるい、二度と事の真相を親や他人にいわせないようにしている。  このような中で子供達の学園からの脱走が相次いでいるが、発見されると連れ戻されて悟がいるとのことであり、結局子供らは学園暴力的体質のためおびえきり、学園内のことは一切他言しない状況となり一層学園内の暴力事件が横行し、またこれらが世間の批判さえあびない状態となっている。  三、しかし、この数カ月の間に新聞報道などで表面化した事件をかい間みるだけでも、その異常さは顕著なものがある。  すなわち、昭和六〇年七月四日には、申立人永井の子永井清人が上級生集団リンチを繰り返され、全身に約三週間の傷害を負ったことで警察被害届が出され、同年七月一八日には同学園生○○○○が 名前はあえて伏せます。   同学園内で変死し、同八月二六日には同学園生○○○○が時計台から飛び降りて自殺するなどで、外にも自殺未遂が二名出ているようでもある。  四、このような、異常事態の中で、申立人らは「日生学園被害者の会」を結成し、日生学園における数々の暴力事件の真相究明とその責任の所在の明確化を求め、再び暴力事件発生しないよう、またさらなる犠牲者を出さないために緊急に然るべき措置が講じられるべく本救済申立に及んだ次第である。  第二が「被害の実態」であります。これが実は物すごいのですね。   次に述べる被害の実態は、氷山の一角であると思われ、今尚学園生の脱走が相次ぐ中で、隠された被害は甚大なものであると思料される。  一、申立人鈴木厚雄、弘子の子、鈴木勝巳は、昭和五九年四月五日に同学園に入学したところ、入学三日目から上級生によって暴力を受け、頭、胸、足首に青アザが絶えることない毎日であり、さらに毎日夜になると上級生がかわるがわる首をしめ気絶させられる状況で右側頭部挫創の傷害を負わされ、同年六月一八日退学するに至った。  二、申立人鈴木某の子○○は、昭和五九年四月に同学園に入学したものであるが、入学後暴行を受けるなどしたため、同年五月二二日集団脱走を図ったことから、上級生に首をしめられたり、床磨きの際、落下傘部隊と称して二段ベッドの上から背中に飛び降りたり、後から足蹴りや棒でこづかれるなどの暴行を受け、このままでは不具者にされてしまうと感じ、同年五月二九日夕、山中に逃げ込んで脱走を図り、同年六月に退学するに至った。  三、申立人○○の子○○は、昭和六〇年四月八日、同学園に入学したものであるが、同月一五日から上級生によるしごきが始まり、同月末日頃まで暴行・脅迫行為が繰り返された。右申立人は有事実を聞き及んだことから、同年五月一日に子を帰宅させ、同学園事態の改善方を申入れ、同年六月三日から子は再び学園に戻ることとなった。しかし、再び連日暴行脅迫が繰り返され、加療約二〇日間を要する右大腿部、同下腿部打撲、右足関節捻挫の傷害を負うに至り、命からがら脱走を図り、同年六月三〇日退学するに至った。  四、申立人○○の子○○は、昭和五九年四月八日、同学園に入学したものであるが、同年五月二一日、担任の先生から「学校をやめたい人は申し出る様に」と言われたので、申し出るや、いきなり手拳で鼻柱を殴打され、転倒して頭部を打ちつけ失神してしまった。そして翌日二二日子は集団脱走を図り、同年九月に退学届を提出した。尚、集団脱走の際、右申立人は同学園教師が折れた松葉杖をふりまわし、半狂乱でわめいている姿や、つかまった子供教師が腹部をケリあげるなどしているのを現認している。  五、申立人○○の子○○は、昭和六〇年四月八日、同学園に入学したものであるが、入学後三日程してから、床磨きのときに二〇分位にわたって上級生から足を蹴られたり、払ったりされ、また教室から寮へ帰る途中、いきなりとびげりをされたり、自習勉強の時には姿勢がくずれると後から安全ピンを伸ばしたもので背中を刺されたりなどの暴力を受けた。さらにトイレにもいかせないような仕打にあったり、熱い風呂に長時間入れさせられたりなどのいやがらせも受け、同年五月三〇日退学した。  六、申立人○○の子○○は、昭和五九年四月八日同学園に入学したものであるが、同年五月下旬頃、上級生らから、胸をなぐられ首をしめられるなどして傷害を負わされ、現在でも手をあげると鎖骨がつき出すような後遺傷害を残している。他にもマラソンが遅いと言っては、足を蹴られるなど常時であった。  また、同年六月一〇日頃、体調が悪いと親に訴えたことから、申立人らが担任の先生に申し入れたところ、健康診断をすることを約束したにも拘わらず、二週間放置された。結局同六〇年一月一〇日退学届を出すに至った。 「第三、学園の暴力実態」として  一、前述した申立人らの子の被害は、氷山の一角であり、申立人らで構成する「被害者の会」が調査したところでは、日生学園における暴力は狂気としかいいようのない事態となっている。    すなわち、最近では、教師に鼻を殴られ、入院している生徒もいるようであり、自殺未遂者が二名出ているようでもある。また二年前には集団リンチで殺された生徒自殺として処理されたとの声も耳に入ってきている。  また、昭和六〇年八月二六日に自殺したとされている○○に関しては、死亡時頭頂部及び上腕部に鉄パイプの様なもので殴打された痕跡があり、自殺直前に教師又は生徒にリンチされ、死に追いやられたのではないかとの疑念を強く抱く状況にある。  さらに同年七月一八日に○○が食堂のシャッターに首を狭まれて死亡したという事件については、前記○○が死亡前にリンチで殺されたと親に述べており、または死亡場所が食堂ではなかったとの声もある。  二、生徒間のリンチ、暴行の態様は既述したが、その外にもホッチキスを全身に打ち込んだり、ごきぶりやカブト虫を食べさせたり、あげくは大便を食べさせるなどという事態まで起きているようであり、これらの暴力は日常茶飯事に行われ、陰湿極まりないものがあり、到底正常な学園生活とはいえず、狂気の沙汰としかいいようがなく、生徒が人間として生きていくためにも早急に事態を正常化し生徒人権を守っていくことが社会的にも要請されているものである。 こういうのが――少し時間がかかりましたが紹介をさせていただきました。生徒の証言等の文書も私持っておりますけれども、子供人権にかかわる大変な問題だと私は理解をするわけであります。  そこで、文部大臣並びに法務省の、これからいろいろ審理がなされるのだろうと思いますけれども、この今私が読み上げました内容についての感想なりあるいは見解なりをひとつお示しいただきたいと存じます。
  36. 松永光

    松永国務大臣 今先生が読み上げられた内容自体については私どもとしてはただいまのところコメントする立場にありませんが、しかし、先ほど高石局長も申し上げましたように、この学校上級生による集団暴行事件、これは明らかでありますし、あるいは飛びおり自殺事件、こういったこともあったことも明らかであります。教育現場で暴力事件あるいは体罰事件等があってはならぬことでありますから、そういう意味ではこの学校管理体制には非常に問題があるというふうに私も受けとめております。  そこで、直接監督する立場にある三重県において、学校管理のあり方等について改善措置を求めておるところでありますし、また、この学校のあり方について調査もしておるようでありますので、そうした管理体制の是正措置が適切になされるように私どもは指導していきたいと考えておりますし、また、三重県を通じて真相の把握にも今後とも努めてまいりたいというふうに考えております。
  37. 永井敬一

    ○永井説明員 先ほど申し上げましたように、私どもの方は、元生徒からの上級生による極めて悪質なリンチと申しますか集団暴行が行われだということを起点にして現在調査中でございます。また、調査の過程で今先生指摘ございましたような他の集団暴行あるいは体罰等の情報も提供されておるところでございまして、鋭意調査を行いまして適切な処置をとってまいりたいと考えております。  ただ、私どもは、従来いじめ前あるいは体罰問題をとらえまして、人権意識の立ちおくれあるいは相手方に対する思いやりの欠如ということを感じておりまして、この面について積極的な啓発活動を行っていかなければならないというふうに考えております。
  38. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 それぞれの御見解を承ったわけでありますが、我が国のこの民主主義社会の中でこういうものが存在をすること自体が間違いなのでありまして、存在をしてはならないし、当然改善をしなければいけない、こう私も思っているわけであります。  そこで、所轄庁は前段申し上げましたように三重県だから、その処理等解決三重県でやってくださいというわけにはいかないでありましょう。事私立学校といえども、あるいは建学の精神や学校の厳しいしつけの方針が立派だとは言っても、行われている実態というものが、まさに非民主的といいますか子供人権にかかわる重要な問題、そして事教育の場で起こっている問題であるだけに、先ほど大臣からもお答えをいただきましたけれども、文部省自体ももっと強く指導、助言を積極的に行って、生徒、父母はもちろんのこと、国民の期待にこたえるべきじゃないか、私はそう思うのです。そのために担当者を文部省が現地に派遣をして、その真実を探求し、日生学園の改革に向けて努力すべきだと思います。そしてそのことは、生徒たちがリンチを受けている暴力あるいは恐怖心、そういうものから解放してやることができるし、誤った道からこれまた解放し、正しい民主主義教育のレールに乗らせることじゃないかと思いますけれども、そういうお考え文部省にありますかどうか、お答えをいただきます。
  39. 高石邦男

    高石政府委員 私立学校は、本来私学自身が一定の教育方針に基づいてやっていくわけでございます。したがいまして、自主的な改善策がまず先行しなければならないのでございます。  既に三重県の指導によりまして改善の方向がとられている点が幾つかございますので御報告申し上げますと、一つは、授業終了後十五時から夕食時の十七時半まで全員参加のクラブ活動を全教員で実施するということで、従来生徒による暴力事件発生が多かった時間帯については、教職員を含めまして全部の生徒を対象にしてクラブ活動をやるという方針が改善策としてとられております。二番目は、寮の編成を学年別とする。従来は上級生と一緒に寝泊まりしていたが、それがいろいろな問題を派生している、窮屈な思いを下級生がしているというような状況もあるようでございますので、できるところからそういうことをしていこうという改善策がとられております。三番目は、間食の増量。運動の激しいときないしは学期末の試験のときには、シャッターによる圧死事故などの事件が起きないように、子供たちに空腹感を与えないように十分間食の増量を図る。四番目は、朝の時間。従来は四時五十分から行われていたわけですが、これを五時二十分におくらせることで睡眠時間を長くするという改善策をとる。五番目は、月一回すぐれた映画の上映をしていく。六番目は、土日の生活指導の充実。球技であるとか運動を寮ごとに実施する。三重県当局の指導も相まって私学自体でそういう改善の方向がとられておりますので、この内容を見守っているところであります。  なお、文部省がそれぞれの事件が起きた学校現場に直接乗り込んで、いい悪いにつけてこうしろああしろというような制度になっておりませんし、あくまでその指導、助言をすべき三重県当局を通じて、そして学校の自主的な改善にまつことが必要でございますので、いい悪いにつけて文部省現場に乗り込んでああだこうだと言うことについては慎重でなければならないと思っております。
  40. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 制度上の問題もありますから、私は一定の理解はいたします。しかし、改善の中身について今申されましたが、それが果たして今日実行されているのかどうかについても私は疑問を持たざるを得ないのであります。したがいまして、私どもの党も、先ほど私が申し上げました観点に立ちながら積極的に日生学園問題に乗り出す決意でありますし、党の皆さんと協議をしながら、調査団など構成して事実解明と民主教育確立のために努力することをこの際表明しておきます。また、文部省もさらに積極的な指導、助言の態度をとっていただくことを要請をしておきたいと思います。  さて、時間もあと十五分ほどに迫りましたが、今まで挙げましたのはいわば一、二の事例にすぎません。冒頭私が申し上げましたように、非常に困った状況新聞紙上でもかなり紹介をされており、残念でならないわけであります。  そこで、大臣にちょっとお尋ねをいたしますけれども、前回の臨教審の集中審議の際に、岡本会長を初め部会長の先生方からもいろいろお答えをいただいたわけであります。臨時教育審議会並びに文部大臣がこのいじめの問題についてそれぞれ談話を発表していることも、その中身も私は承知しております。特に、臨教審が緊急総会を開いてこのいじめ問題を討議したと報告されました。そして一定の見解を出したことが越権行為であるかどうかという議論もあったわけでありますけれども、その臨教審会長の談話の前段に次のことが述べられています。「その要因背景として、受験競争の過熱や、児童生徒の多様な能力、適性等に対応し得ない学校教育の制度やその運用の画一性、硬直性あるいは閉鎖的な学校の在り方等の問題がある」と第一次答申でも指摘している、こう結んでいるわけであります。これにはいろいろな議論をしなければなりませんが、臨教審会長談話の今私が申し上げた部分について、一体大臣はどういう見解をお持ちになっているのか、その要因背景について見解をお示しください。
  41. 松永光

    松永国務大臣 いじめの問題、あるいは先ほど言ったように、いじめを超える集団的な暴力事件とか恐喝事件とかいったものが学校で起こる背景につきましてはまことに複雑なものがあるわけでありまして、臨教審の一次答申には、この間の審議会の会長談話のほかに、いじめ非行あるいは違法行為をする子供がどういう状況下で幼児期から育てられてきたかという家庭における養育の問題、実庭におけるしつけの問題、それから家庭教育の問題等々まで指摘をなされておるわけでありまして、いじめ非行、違法事件等々の起こってくる背景につきましては非常に複雑なものがあるわけであります。あるわけでありますが、これを分けて考えると、いじめとか非行が起こる場合にはいろいろな誘発要因があるわけです。しかし、一方においては、どんなに非行いじめ、違法についての誘発的な要因があっても、人間でありますからみずからの側にそれを抑制する力を本来持っておるべきだ、学者はこれを抑制因子とか抑制する力とかと言っておりますけれども。現在の状況では、一方においては誘発要因が前よりもふえているかもしれない。しかし、私は、抑制する力、抑制する因子がむしろ弱まっているのではなかろうか、そこに問題解決の難しさがあるような気がいたします。  そこで、こういった問題を解決していくためには、誘発要因を一方においては取り除いていく、一方においては抑制する能力あるいは抑制因子を強めていく、その両方のことを行うことによって根絶ができるのではないかと思っております。ただ、現に起こっている問題については、適切に機敏に対応して、加害行為によって被害を受けている人を速やかに救済することが大事なことである、こういうふうに私は思っているわけであります。  そういう意味では、いじめ校内暴力少年非行などが憂慮すべき事態にあることにかんがみて、臨時教育審議会で会長談話が出されたということは時宜に適したことではなかったかと私は評価をいたしておりますし、また、その要因背景の一、二について指摘がなされているわけでありますけれども、それも誘発要因一つとしては考えられることであるというふうに私は思っております。
  42. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 時間がないせいもありまして、これ以上言及できないわけでありますが、私は、いじめの問題を含めまして今日の子供の状態は、憲法十一条の基本的人権の尊重なり憲法第十三条の個人の尊厳の問題に触れる子供人権の問題ではないかと思っているわけであります。いずれ機会がありましたらこの問題について、大臣御専門家でありますからよくお話をお聞きいたしますが、それまで大臣やられているかどうかわかりませんけれども、もしやられておりましたら考えなども聞かしていただきたいと思っているわけであります。  さて、あと十分しかありませんので、最後になりますが、文部省は君が代それから日の丸の問題について通達を出されたはずでありますね。その通達の中身をひとつ紹介してください。いつごろ出されましたのか、日時を含めまして。
  43. 高石邦男

    高石政府委員 昭和六十年八月二十八日付で初中局長名で、各都道府県指定都市教育委員会教育長あてに、「公立小・中・高等学校における特別活動の実施状況に関する調査について」という通知を出しております。  これは特別教育活動全体についての調査内容でございますので、その中の一つに、第三に「学校行事について」という中で、「入学式及び卒業式において、国旗の掲揚や国歌の斉唱を行わない学校があるので、その適切な取り扱いについて徹底すること。」という内容の通知を出しております。
  44. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 議論の時間がありませんから、私も見解を異にする部分がありますので、いずれ時間を割いて意見を申し上げたいと思います。  次にお尋ねしたいのは、ことしの八月下旬の段階だと思いますが、文部省考えとして、「学校教育における国旗、国歌の取扱いについて」という文書を発したことがありますか、ありませんか。
  45. 高石邦男

    高石政府委員 文書は先ほど申し上げました通知でございまして、それをめぐりましていろいろな報道が行われているわけでございます。
  46. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 報道が行われるのは報道の自由でありますから結構でありますが、私が聞いておりますのは、その報道される資料として文部省が文書を発した事実がありますか、ありませんか。
  47. 高石邦男

    高石政府委員 文書は先ほど申し上げました通知でございます。
  48. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 その通知というのは、先ほどお答えになったのは学校に出したものでしょう。いかがですか。
  49. 高石邦男

    高石政府委員 先ほども申し上げましたように都道府県指定都市教育委員会教育長あてに出した文書でございます。
  50. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 その文書の中には、「参考」として「日教組の見解(概要)」としたような文字が入っておりますか、入っておりませんか。
  51. 高石邦男

    高石政府委員 国旗、国歌に関する内容につきましては、先ほど私が申し上げた表現でございまして、それ以上の内容はございません。
  52. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 それでは、重ねてお尋ねをいたしますが、八月二十八日の記者クラブ会見のときに、こういう文書を出しているでしょう、局長。極めて重要な問題なのでお尋ねいたします。
  53. 高石邦男

    高石政府委員 この資料は出しておりません。
  54. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 おかしいですね。文部省の方が配ったのにどうして文部省が否定されるのですか。私はこの資料を文部省に提出してもらおうと思いまして要求をいたしましたら、その文書を発した覚えがないというのであります。ところが、私の調べでは八月二十八日にこの文書を出していますね。しかも中身が重要なんであります。例えば「国旗、国歌の法的根拠」の問題については、「「日の丸」を国旗とし、「君が代」を国歌とする法的根拠はないが、長年の慣行により、」云々とあります。そして、「「君が代」の歌詞は、「天皇の御代は、千年も万年も、小石が成長して大きな岩となって、それにこけがはえるまで、いつまでも続いてお栄えになるように。」と言う意味であるが、現行憲法の下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇をいただく日本の繁栄を願ったものとして、理解すべきである。」とまで書いてあるのです。文部省が出した文書ですよ。どうなんですか。  大体、我々が審議しておるのに、資料要求して拒否して、出したこともないなんて言いながら、一方ではこういうのを配っているのは国会軽視じゃありませんか。どうなんですか。
  55. 高石邦男

    高石政府委員 公式の文書として外部に文部省の資料として配ったことはありません。ただ、文部省ではいろいろ内部で検討する際に資料はいっぱいつくるわけでございます。そういう内部資料の一つであることは事実でございますけれども、それを外部に発して、こうであるああであるという文書として配った覚えはございません。
  56. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 納得できません。記者クラブにこれを配ったんじゃありませんか。新聞記者クラブに配って、我々国会議員が資料要求したときにその提出を拒否したり、あるいは出した覚えがないという返事をするということはどういうことなんですか。
  57. 高石邦男

    高石政府委員 記者レクは担当課長の方でやりまして、今聞いてみますと、記者クラブの席でそういう資料は配っていないと言っております。
  58. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 とにかく、これが明らかになるまでこの問題について審議できません。
  59. 阿部文男

    阿部委員長 暫時休憩いたします。     午前十一時四十八分休憩      ――――◇―――――     午前十一時五十分開議
  60. 阿部文男

    阿部委員長 委員会を再開いたします。  佐藤徳雄君。
  61. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 これは内部資料であるということは認めますか。こういうものを内部資料として文字にしたということだけは認めますか。
  62. 高石邦男

    高石政府委員 記者クラブに配ったのは、通知と県別表、これは配りました。それで、今お見せいただいたものは、内部資料として私たちが作成したものはございます。
  63. 佐藤徳雄

    佐藤(徳)委員 時間も参りましたからこれでやめますが、しかし極めて重要だと私は思います。私どもが審議に必要なために資料の要求をして、ちゃんと内部資料があるということまで今お答えになったとおりでありますが、この資料要求に対して拒否をするという文部省の態度について、私は問題があると思うのです。だから、事実関係について私ももっと調査をして詰めますけれども、十分ひとつ内部検討もお願いをいたしまして、場合によっては理事会で協議を願いたいと思います。  以上で終わります。
  64. 阿部文男

    阿部委員長 ただいまの佐藤委員質問については、後刻理事会において協議させていただきます。  午後零時五十分に再開することとし、この際、休憩いたします。     午前十一時五十二分休憩      ――――◇―――――     午後零時五十二分開議
  65. 阿部文男

    阿部委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。中西績介君。
  66. 中西績介

    ○中西(績)委員 国鉄の方はお見えですか。――それでは、まず国鉄にかかわる問題を文部省がどう対応しているかについて簡単にお聞きしておきたいと思います。本格的な論議についてはまだ後日十分時間をいただいてやるつもりでありますけれども、この点だけ一つお聞きします。  五十二年ごろから国鉄側から文部、厚生両大臣に対しまして、総裁名で公共負担の軽減方についての申し入れをしておるはずでありますけれども、何回にわたって、いつやったのかを明らかにしてください。
  67. 片岡龍之助

    ○片岡説明員 お答えいたします。  国鉄総裁名で五十三年八月三日並びに翌五十四年八月十日、文部大臣並びに厚生大臣に対しまして、所要の措置を構じていただきたい旨の要望をしてございます。
  68. 中西績介

    ○中西(績)委員 金額は。
  69. 片岡龍之助

    ○片岡説明員 五十四年度について申し上げますならば、厚生大臣に対しましては四十五億円、文部大臣に対しましては六百四十九億円でございます。
  70. 中西績介

    ○中西(績)委員 その中身は何を指して公共負担としておるのか。厚生省は必要ありませんから、文部省の分のみで結構でありますから、この分の内容についてお示しください。
  71. 片岡龍之助

    ○片岡説明員 通学定期につきましては、国鉄運賃法に言う法定限度五割引きと実際の割引率との差額についての所要の措置ということでございます。
  72. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうしますと、文部省については学生生徒すべてを含むと思うのです。  それでは、文部省にお聞きしますが、文部、厚生両大臣に対しては五十三年八月三日と五十四年八月十日に行ったと言っています。文部省に対しましては、五十三年は六百九億、五十四年は六百四十九億、今お答えがあったとおりです。こうした総裁名で申し入れがあったことに対してどう対応したのか五十三年の対応はどうしたのか、五十四年の対応はどうしたのか、この点をお答えください。
  73. 大崎仁

    ○大崎政府委員 ただいまのお尋ねの件につきましては、そのような経緯を経まして昭和五十四年十二月二十九日に閣議了解がなされまして、公共負担等につきましての負担のあり方についての検討の必要性というものが了解されたわけでございますが、その閣議了解に基づきまして昭和五十五年五月から関係省庁によりまして国鉄公共負担軽減対策検討会議というものが設けられ、関係省庁において討議が進められたところでございます。
  74. 中西績介

    ○中西(績)委員 そういたしますと、検討した結果はどうなったのですか。
  75. 大崎仁

    ○大崎政府委員 五十五年以来、検討が随時なされているわけでございますけれども、ただ、公共負担の範囲をどのように考えることが適切であるか、あるいはその公共負担というものを具体的に負担していくべき機関をどう考えたらいいかということにっきまして、省庁間で種々の意見がございまして、現時点ではまだ結論を得るには至っていないという状況にございます。
  76. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうしますと、五十四年十二月からだといたしますと、六十年ですから六年経過したことになるわけです。それでなお出なくて国鉄は破産しようとしておる、この関係はどうなるのですか。国鉄側としては、こうした要望のしっ放しであって、閣議了解事項としてこうしたことをやるということの検討はされていることに対して、その後何か措置をしましたか。
  77. 片岡龍之助

    ○片岡説明員 ただいま文部省の方からお答えがございましたように、五十五年から関係省庁間の検討会議をお持ちいただいて種々御検討いただいておるということでございまして、その後、国鉄といたしましては、その結論を待ってということで、現在までの間、総裁名での所要の措置の要望はいたしておりません。
  78. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうなりますと、この要請をしたのは五十四年八月十日、今言う六百四十九億円を措置してくれということを申し入れして、それを受けて十二月には閣議でもってこうした了解をしておるわけですね。日本国有鉄道の再建についての閣議了解があるわけです。  ところが、六年経過しても何ら具体策は浮かんでいないということになり、国鉄側もそれについては全然追及していない、片や閣議了解はしたけれどもこの点についての検討は全く進んでいない、こういう結果だということをここで確認してよろしいですか。
  79. 大崎仁

    ○大崎政府委員 この点についてまだ結論に達していないという点につきましては、そのとおりでございます。
  80. 中西績介

    ○中西(績)委員 では国鉄側に聞きますけれども、国鉄側は、いつ果てるともない、そうしたものを破産するまで待っておるという態度ですか。
  81. 片岡龍之助

    ○片岡説明員 国鉄といたしましては、非常に重大な財政危機にかんがみまして一刻も早い所要の措置を望んでおるところでございます。しかし、国全体としての対応策として、先般監理委員会の意見にもございましたように、むしろ私鉄を上回る部分について政府等で所要の措置を講ずるべきではないかというふうな御意見もあったようでございまして、それらを総合しながら今後の対応措置をお願いしてまいりたいと考えておるところでございます。
  82. 中西績介

    ○中西(績)委員 これも今やってないから幾ら言ってもしょうがないのですけれども、私たち、国鉄問題を論議する際に、まず第一に、国鉄の態度がみずからが崩壊していくことを待ち望んでおるような状態であるということですね。これほど重要な問題、今一億円たりとも現場の皆さんの場合には徹底的にしごいておるでしょう。そのときに、六年間にわたってしっ放し、何も後やってないじゃないですか。文書があるなら出してください。しかも、今度は文部省側について見ますと、六年間やったけれども何も具体的なものが――「その経過について後で私は資料を出してほしいと思いますね、どういう審議の経過があったかということを。きょうはこれだけでとどめておきます。これらの問題についてはまだ後日詳しくやっていきたいと思いますから、両者ともこれから以降の対応の仕方はどうであったかというのを文書でもって出してください。  それから二つ目に、地方交通線の第一次廃止など相当決まっていったようでありますけれども、その結果学生生徒が通学する際に、あるいは通学不能になったためにどういう状況に置かれておるか等について、文部省調査をなさっていますか。
  83. 大崎仁

    ○大崎政府委員 国鉄の赤字ローカル線の廃止に伴います通学生徒の影響につきましては、昭和五十六年に都道府県教育長協議会が調査をいたしております。その結果によりますと、その時点で影響を受ける生徒が約三万人程度ではないかと想定されておるところでございます。
  84. 中西績介

    ○中西(績)委員 こういう廃止線が出まして、既に本年度に入ってからそうした具体的な影響が実際にもう出ていっておるわけですね。ですから、その点について、影響を受ける人が三万人いるであろうということは一応従前の経過からしてつかんでおるけれども、その後どのようになったかについてはまだ不明であると理解をしてよろしいですか。
  85. 大崎仁

    ○大崎政府委員 その実態につきましては詳細に把握はいたしておりません。
  86. 中西績介

    ○中西(績)委員 いよいよ第二次線の廃止になってくるわけですね。そうしますと、廃止に伴う問題点は二次の場合にはさらに強まってくる可能性が強いわけですね、数が多くなるわけでありますから。したがって、こうした点についてこれから以降とのようになさるつもりか。この一次線について調査をし、そしてこの分については、教育という視点からこれから追及をするつもりであるかどうかをお答えください。
  87. 大崎仁

    ○大崎政府委員 文部省といたしましては、教育上の観点から、路線が廃止された場合に他の方法、バス等による通学手段の確保、あるいはその際の通学費の軽減ということにつきましては、運輸省等に十分な配慮を要望しておるところでございますけれども、引き続き各地域地域の実情に応じた対応というものについては、関係方面と十分連絡をとってまいりたいと考えておるところでございます。
  88. 中西績介

    ○中西(績)委員 この点については追跡調査していただいて、第二次廃止に伴う問題とあわせて徹底的にやってほしいと思いますが、この点ぜひ手をつけてほしいと思います。要望しておきます。  そこで、もう一点だけ国鉄に聞きますけれども、先ごろにちょっと返りまして、運輸大臣の方にはこうした問題については何らかアクションを起こしましたか。
  89. 片岡龍之助

    ○片岡説明員 五十三年並びに五十四年、文部、厚生両大臣あてに要望いたしましたときに、同日付で運輸大臣にも同様の措置についての御支援をお願いしたところでございます。
  90. 中西績介

    ○中西(績)委員 何もしていないというのはようわかりました。国鉄問題については今一、二の例をこうして質問をいたしましたけれども、結果的には何ら対策は進められておらないという結果が出ております。したがって、これは寄ってたかってみんなで国鉄つぶしをやっておるという内容でしかないということが大体わかりましたから、この次に十分な時間をいただきまして、そうした問題等について徹底的に討論してみたいと思います――どうぞ、結構です。  それでは、私、給食問題について質問を申し上げたいと存じます。  既に御存じのとおり、現状から言いますと、子供の健康状態というものが、裕福になってきたあるいは豊かになったという反面、逆に破壊されておるのではないかということが危倶されていますね。特に骨が折れやすいとか、あるいは成人病と言われる糖尿病が続発をしておるとか、心臓病が子供たちに大変ふえてきておるという。さらにまた、顕著に目につく肥満児の問題等合わせまして、たくさん問題が出ております。しかもこうした問題というのは、正しい食生活でもってこれを防止できるということがだれしもわかっておるわけです。そしてまた、今子供たちの死因の第一位ががんになっておるということを考えますと、原因が何であるかということも考えなくてはなりません。そうなればなるほど、食教育というものが大変重要な位置づけを持つようになってまいりました。こうして、不足しておるときより以上に、今私たちはこうした問題について科学的に究明をしていかなくてはならぬということが言えるのではないかと思います。  そうした中で、先般私、十月十五日に延岡市立土々呂小学校というところで学校給食の米飯の中にネズミの頭部が混入しておったということが明らかにされまして、調査に行きました。この点、文部省は何回か向こうには調査に行ったのではないかと思っておりますけれども、確認の意味で、その事実を承知しておるかどうか、そして事態を重視しておりますけれども、その点どうでしょう。
  91. 古村澄一

    ○古村政府委員 十月十五日にそういった事件が土々呂小学校で起きたということを聞きまして、即座に状況報告を県から求めたわけでございます。と同時に、相次ぎまして文部省の担当官を派遣しますと同時に、日本学校健康会の方からも担当の人を現地に派遣して現地の調査を行ったという経緯でございます。
  92. 中西績介

    ○中西(績)委員 この事件発生して一週間後に私は行ったわけですけれども、十月二十二日に現地に入ったわけでありますが、県から報告を求め、文部省あるいは学校給食会からも行ったと言われておりますけれども、この土々呂小学校における対応、あるいは延岡保健所の対応、委託先のアサヒパンの対応を見ますと、問題点幾つかあります。ただ、その際に、特に私が気づきましたのは、この責任者から事情聴取をしてみた際に、責任逃れの弁としか聞こえないような回答が出てみたり、あるいは対応をする面におきまして全く欠落しておる部分があったり、そのために反省されてないという状況が私には映りました。その重大性というものをどのようにこの方たちはとらえておるだろうかということを非常に危倶しました。特に私は、この健康、安全、衛生あるいは教育面からこれらを追求してみますと、こういう現場の、あるいはこの中間的な指導すべきところがそういう状況であったわけでありますけれども、文部省としてはその後指導なり、あるいは直ちにどう指導したのか、その点があれば……。
  93. 古村澄一

    ○古村政府委員 学校給食を実施する場合におきまして、最も注意をしなければならないといいますか、留意すべき事項は、まさに安全なり衛生の面であろうかというふうに思うわけでございます。したがいまして、今御指摘のような非常に特異な事件発生いたしましたときには、やはり学校給食を開設いたしております設置者、それから物資の供給をやっております県の学校給食会、その県の学校給食会の監督官庁であります県の教育委員会、それからそのお弁当をつくりました炊飯工場、それぞれ学校給食についての責任を持っておるわけでございますので、それぞれのものが十分な責任意識を持ってほしいということを強く指導をしてまいったところでございます。
  94. 中西績介

    ○中西(績)委員 そこで、そうした指導をしたと言われますけれども、原因がいまだにわかっていないでしょう。この原因がどこにあったかということの追求がむしろ熱心でなかった、積極的でないという面が、私はこの前行ってみてわかったのですね。私はここに原因が、やはり刑事的な事件までも含めて、どうも非常に深いものがあるのではないかという感じもするのですけれども、我々の立ち入りあるいは調査権ではそこら辺までは立ち入ることはできません。しかし、日常的に立入検査をやっている各そういう今指摘があったところ、こういうところでは、わからないということで終わらしたのではこれはまた再び同じことを繰り返す結果になるのではないか。私はやはり積極的に、徹底してこれをやるべきではないかと思っています。なぜなら、もうそれは言うまでもなく、給食を受けておる人が一千七百万人もいるという事態考えてみたときに、こうした生命、健康、安全、衛生ということを考えれば、不明、わからないでは済まされない問題だと私は思う。これを追求することによって、どこかに幾つかの欠陥なりそういうものが出でくるのではないかと思うわけであります。したがって、この点ぜひ追求をしていかなくてはならぬと思います。  そこで、その間私が感じたことは、学校給食会です。この学校給食会が果たしてこうした衛生あるいは安全、このチェック体制が十分なされておったかどうかという、この点が一つ大変問題だろうと私は思うのですが、その点についての見解について……。
  95. 古村澄一

    ○古村政府委員 この問題は大変特異な事件だというふうに私申し上げましたのは、ネズミの頭の部分だけが弁当の中から出てきて、胴体の部分がどこへ行ったかわからないという形になっているということから、現場の保健所を中心として衛生管理をする機関は大変入りまして調査いたしましたが、なかなかどういった原因があったのかということはわからないということで今まで来ているわけでございます。  米の流れから見ますと、県の学校給食会が搗精工場に玄米から精白を委託いたしまして、そしてその米を袋詰めしたままアサヒパンの方に行って、アサヒパンの方で炊飯をするというふうな仕組みになっておりまして、搗精工場そのものの作業過程を見ましたときには、全くそういったネズミが混入するような状況にない。それじゃアサヒパンの方にということでアサヒパンの方も調査いたしましたところ、保健所の係官等からも、いわゆるネズミがいたというふうな痕跡がない、ネズミのふんのようなものがない。となると、このネズミの頭が弁当箱に入ったという経路については、大変今の時点におきまして原因がどこにあったかということがわかってないというのが現状でございます。
  96. 中西績介

    ○中西(績)委員 入っていることは事実なんですよ。だから、どこでこういうものが、ネズミの頭などが混入したと考えられるかということが非常に、問題になると私は思うのですね。それには、推測すれば幾つか問題出てきますよ。だから、その点で先ほどから言うように、給食会が契約者であるわけですから、そこを指名しているわけですけれども、行ったときの対応などが非常にあいまいですよ。積極的にそういう面についての追跡ですね、こういう検査が非常にあいまいだったと私は思うのです。  そのほか挙げますと、保健所あたりにおきましても、実は保健所の問題としてしかこれはとらえられていないのです、現地へ行きますと。保健所はどうなのかというと、延岡の場合には食料関係の監督官がわずかに六名しかいずに、実際行動する者は四名ですよ。じゃ、どれだけできるかということを聞いてみますと、年間十二回やらなくちゃならぬのにわずか二回しかやってないのが実態であるというのです。これが今の行革の本質ですよ。しかも、パーセントでいうと二〇%いくかいかない状況ですというのが、この保健所の私たちに対する回答ですね。ところが、そこにほとんどこうした衛生面についてのあれは任せられたような格好になってしまっている。だから、どこかに責任をなすりつけるような格好になる。  ですから、このことを考えると、私は、ネズミの頭というけれども、これがどこで入ってきたかということを徹底的にやらなくちゃならぬ。事は米穀そのものがどうだったかということもあるでしょうし、挙げていけば幾つもあるでしょう。そして、皆さんが一番危惧しておる、例えば米そのものが実際に給食米と指定されたものであるかどうかということまでさかのぼらぬといろいろな問題がある。なぜなら、そのことは給食会だって危惧しているわけでしょう。安い米、しかも質はいい米、こういうことになっている。ですから、そのことはあくまで推測だけれども、そういうところまでさかのぼって追求をしないと、この給食問題というのは余りにも問題が多過ぎるということが言えるわけですね。私は、こうした点、給食がだめだとかいうことでなくて、それをよりよくするための手段は何なのかということを追求していくためにきょう論議をしようと思うのです。そうしないと誤って、この新潮の記事なんかを見ますと、もうまさに給食が罪人扱いですね。こういうものであってはならぬわけです。  ですから、私は、そうした点をもう少し徹底して文部省指導できる範囲、どこまであるか私よく知りませんけれども、さらにまた内容的にそれを追求するという、この姿勢が今給食会なりあるいは教育委員会なりそういうところにない。このことを私は痛切に感じたわけでありますが、この点、給食会そのものの性格づけというか、これはどういう団体なんですか。
  97. 古村澄一

    ○古村政府委員 お尋ねの件は宮崎県学校給食会の性格というふうに理解いたしてお答えいたしますが、宮崎県学校給食会は昭和三十四年に財団法人として都道府県教育委員会から許可を受けた法人でございます。そこでやっております仕事は各県の給食会と同じでございまして、一つは給食用物資のあっせん、それから第二点として学校給食の普及充実に関する啓蒙の仕事という、二つが大きな仕事であろうかというふうに思っておるわけでございます。
  98. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうなると、契約者である学校給食会そのものが、先ほども申し上げるように、私が十月二十二日行ったのですけれども、その後、中央の給食会の方からも派遣をしていろいろ指導をしたようでありますが、ここの事務局長なりあるいは川越理事長なんかとお会いをした結果が、例えば問題になっているアサヒパンの方から、委託者側から事故発生後における報告などを受けたような状況は余りなかったですね。それから、私たちがいろいろ質問をしても、川越理事長なんかの答弁では、どこまでできるかわからないが解明努力をするというのが答弁ですよ。私に言わせると、非常に積極性に欠けた発言であるわけです。極端な言い方をしますと、無責任な発言だとしか言いようがないのですけれども、その結果が、そういう態度だからこそ十五日発生をして十六日にまた同じところから米飯を学校には運び込んでおるわけです、停止もさせずに。こういう結果になっていますよ。  ですから、私は、こういうことでは、安全、衛生面から見ましても、給食不可能だろうと思うのですが、この保障はどういうふうに考えたらいいのですか、ここの対策は。
  99. 古村澄一

    ○古村政府委員 県の学校給食会がどういう対応をしているかということでございますが、今、十月二十五日に異物混入調査委員会というものを県の学校給食会に設けまして、そこでの原因の徹底追求という体制を整えたわけでございます。したがって、そういったことが必要でありますと同時に、こういった県の学校給食会が委託炊飯をしていますその炊飯の相手方がほかにも工場があるわけですから、そういった工場、あるいはまたパン加工をパンの会社に委託しておりますが、そのパン会社といったところに対しまして、理事長から強い注意の喚起を求める通知文を出したというのが現状まででございます。
  100. 中西績介

    ○中西(績)委員 この調査委員会はいつ発足していますか。
  101. 古村澄一

    ○古村政府委員 十月二十五日に発足でございます。
  102. 中西績介

    ○中西(績)委員 パン会社に対する注意文は……。
  103. 古村澄一

    ○古村政府委員 十月十九日付でそういった通知を出しております。
  104. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうしますと、学校給食会は皆さんの指導によってそうした調査委員会の発足、徹底追求、そして注意文は出しておりますけれども、今私が申し上げたような事件発生当日の指導についてもあるいはその翌日の指導についてもこういうことは欠けておるわけでありますけれども、この注意文だけでこうしたことが果たせるだろうかと私は思うのです。私は決してそういうものじゃない。したがって、こうしたことを十分監督できなかった学校給食会に対する指導責任は今度はどこですか。県教委ですか。
  105. 古村澄一

    ○古村政府委員 財団法人を許可したという観点からいえば県教委でありますし、それから、県の学校給食会に対して物を発注したという発注者側とすれば今度は延岡市ということになるわけでございます。その二つが県の学校給食会に対してそれぞれの立場からの物の言い方があるだろうというふうに思います。
  106. 中西績介

    ○中西(績)委員 そうなりますと、私は県教委指導監督が特に強いと思いますのは、ここの学校給食会に理事が二名派遣されていますよね、県教委の方から。そして、特に私がこのことを申し上げたいと思いますのは、調査に入りまして、延岡市の教育長はその当時名古屋に出張であった。名古屋に出張しておって、その報が入ったので、直ちに給食は中止すべきだということをわざわざ延岡市の教育長はやっておるのです。ところが、そのことが全然とまらずに、明くる日も同じところの米飯が入ってきている。だから今度学校側からそれを拒否をする、こういう状況が出ているわけですね。  私は、こういうことを考えてまいりますと、県の教育委員会というのは、派遣理事がおるのですから、少なくとも事故発生後直ちに緊急理事会を開くなり何なりして、そうしたものを徹底化さしていくという対応が必要だったと思うのです。と同時に、そのための徹底究明、原因の究明等を含めましてやらなくてはならなかったと思うのです。ところが、この前行ったときの県教育委員会教育長発言の中にも、私たちのときにはっきりしなかったのだけれども、その後の他の団体の追及の中で初めて、最終的な責任は私たちに、県教委にあるでしょう、こういう発言はしていますけれども、私は、そういう給食会あるいは県教委、それぞれ監督あるいは立入調査なりをして絶えず指導しなくてはならぬ側がそうした点についての関心が極めて希薄であった、こういう感じを持つわけでありますけれども、その点はどうなんですか。文部省、今まで指導した中で、あるいは報告書を求められて、どういう感じを持っておりますか。
  107. 古村澄一

    ○古村政府委員 おっしゃいますように、これは物の受け取り方でございますが、県の学校給食会あるいは延岡市の教育委員会等に若干事態が起きたことについての対応の仕方で適切を欠くうらみがあったことは私の方もそういう感じを持っております。したがって、そういったことですから、県の教育委員会――県の教育委員会は監督官庁ですから、県の教育委員会を通しまして、強く県の学校給食会及び延岡市の教育委員会に対して、学校給食の基本に立ち返ったそういった責任意識の徹底ということを強く喚起いたしましたが、なお県の学校給食会に対しても、直接文部省からもそういった趣旨のことを申し上げた次第でございます。
  108. 中西績介

    ○中西(績)委員 私は、そうした点で、こういうような「学校給食必携」、これは文部省、おたくが編集をしたものですね。これを読ましていただきまして、第二章の「栄養・衛生・安全」などというところを見ますと、文章としては本当に内容的には整備されていますよ。褒めるわけじゃないですよ。指導は文章だけで終わるわけじゃないのですからね。ですから、こうあるけれども、実態は今言うように、現場の皆さんの場合にはそうした点がやはり相当なれというのか、そういうものの中でしか運営されていない、そういう感じを受けました。  したがって、直接接しました延岡市の教育長あたりは、確かにそうした点についての私たち指摘も認めました。ただ、問題は、設置者が直接立ち入ってどうだこうだという契約を結んでいないという、確かに文書の中にちょっと入っていますよ。入っておるけれども、両者の契約書そのものを見ますと、入っておるのは県学校給食会とこの製パン工場と、それと今度はそこに立会みたいな形でパン協同組合か何かの方が二名連署をしているのですよ。だから、私はそうした点で、民間委託を推奨するわけじゃないけれども、そのようにして完全に設置者が大変な責任を負わなくちゃならぬのに、そういう面におけるかかわり方からしますと、非常な手落ちがあるような感じがしますよ、実際の契約書を見せてもらったり何かしますと。こういう点、これから十分あれしなくちゃならぬと思います。  そこで、今後の文部省の具体的対応、この面における延岡における指導をさらに強めなくちゃならぬと思うのですけれども。どういう点について中心的にやっていくのですか。特に、一番最初から申しておる原因というものが何だったかということを明らかにせぬと、いつまでもどこかに責任なすり合いのままになって終わるのじゃないかと私は思うのだけれども、こういうこともあわせてお答えください。
  109. 古村澄一

    ○古村政府委員 先生指摘のとおり、私はこの問題の原因追求ということが大変重要なことだと思います。したがって、関係機関に対しましては原因の追求をしっかりやるようにということを今までも掛導いたしてまいりましたし、今後もその仕事をずっと続けていただきたいということをお願い申し上げたいと思います。  と同時に、これは言わずもがなのことかもしれませんが、学校給食の基本というのは、衛生、安全な食べ物を供給するということがまず基本でなければならぬということですから、その基本の精神を、設置者なり学校給食会あるいは学校給食の関係者としてはそういった意識を強く持っていただくようにという御指導を申し上げたいと思っております。
  110. 中西績介

    ○中西(績)委員 さらにそれは強めていただきたいと思います。  そこで、厚生省が指針を出していますね。それによりますと、「健康づくりのための食生活指針」で、「家庭の味、手づくりのこころを大切に」、近年、加工食品の消費が急増しているが、便利さに頼り過ぎると食卓が味気なくなり、栄養のバランスも偏りがちになる、忙しいときも手づくり料理を取り合わせる心がけが望まれる、こういうぐあいに報告をしています。  そして、文部省は今度は、学校給食は国民の食生活の改善に積極的に資する、学校給食の機能の拡充と、こういうぐあいに学校給食法を見ますと、目的はもうここで読み上げる必要はないと思います。さらに目標はということになりますと、ここに掲げられておるように、大変私たちが従来から主張しておる内容になっています。ただ、ちょっと問題になりますのは、この目標の中の三項目目に「食生活の合理化、」ということがうたわれています。この合理化というのは、その後の「栄養の改善及び健康の増進を図ること。」を指しておるのではないかと思うのです。そうしたことも含んでおると思いますけれども、ただ、ことし一月出しました通知を見ますと、この点が私は大変気になるところであります。一月二十一日ですが、「学校給食業務の運営の合理化について」ということで局長名で出されています。これは何からこういう通知が出されたかというと、もう行革審からの答申によるわけですから、そうなってまいりますと、先ほどから論議してまいりました一番充実しなければならぬ質の問題、あるいは安全、衛生、健康、命あるいは教育という側面、こういう面を児童生徒中心にして私たちはこれをとらえ考えなくてはならぬと思うのですね。これを抜きにして合理化というものがあってはならない。ですから、この目標の「食生活の合理化、」というのは、そうした行革審が出しておるような答申に合致するような合理化であってはならぬ、それのみで進みますと大変なことになるのではないかということを私は感じるわけであります。  だから、今度の事件も、一面から言うと、そうした民営という、そこにある人は活性化を求めてあるいは民営と言いますけれども、何を活性化するかというと、給食の場合には先ほどから申し上げるもろもろの問題が充足されて初めて活性化されたということになるわけですから、この点ひとつ十分考えなくてはならぬと思います。  そこで、特に調査に入りまして私感じましたのは、校長がこういうことを言ったのですよ。つくる人と食べる人の信頼関係学校給食の前提であるということを言いました。そして延岡市の教育長もそのことを認めています。私はここがこの中で一番大事ではないだろうか。ということになってまいりますと、この合理化通知というのは、そういうことを十分補完し得るものになり得る内容を持っておるだろうかと私は考えております。  そこで、文部省はそういう点についてどうお考えですか。
  111. 古村澄一

    ○古村政府委員 学校給食を実施する場合に当たって一番基本のことは、質の低下を来さないということだと思います。したがって、学校給食を合理化する、いわゆるむだをなくすという観点から、文部省といたしましては三つの方法を一つの例示として提示いたしておりますが、その場合におきましても、学校給食の本来の基本であります質の低下というものを来さないことが十分配慮されなければならぬということをこの通知の一番初めのところでうたいましたのもそういう趣旨でございます。
  112. 中西績介

    ○中西(績)委員 ですから、私は、今申し上げたように、質が一番重要だと言いますけれども、ただ、私は行革審の皆さんがやっておるその中身、詳細にわたってはまだ十分把握をいたしておりませんけれども、例えば民間に委託をした場合の多くの例の中に出ておる弁当的なものになってきておるというのがありますよね。例えば弁当一つ考えてみても、我々は旅行をするときに駅弁か何か買って、あそこのアナゴずしはうまいぞとか、こういう感覚でとらえてはいけないということなんです。毎日食するということを前提にしなくちゃならぬわけでしょう。ですから、そうした意味で、やはりそこには専門職の人がいて、その人が献立をつくるということがまず第一でしょう。しかも、それはその地域と密着をした内容でなくちゃならぬということでしょう。ですから、内容は、ただ質的にという一言であれされますと、これはいろいろ言い方がありますけれども、それはその地域における生産されておるいろんなものが何であるか、そしてそれをうまく使って今度は栄養的にそれがどうなのか等々を含めて――言うと長くなりますからやめますけれども、地域の食文化、そういうものと合わしてその学校の児童生徒の嗜好とどうマッチさしていくか、こういうものが今問われていると思うのですよ。ですから、質というのは今度は衛生面、安全も含んでの質になるでしょうし、さっきも言うように、地域の食文化そのものも合わして考えるという多角的な広い意味の質だということでとらえていきますと、今やっておられる合理化というこの中身は、これは行革審の中に、例えば二時間しか、三時間しか働いてないじゃないかという指摘がありますよ。ところが、実際にその地域のいろんな野菜を手料理でやるということになれば、そう単純なものじゃないですよ。ここいらが抜けているんですよ。ただ食わせる給食、食わせればよろしいという考え方に立ったならば、それはいろんな、ここにあるようなことを次々と実施していって、あなたたちが言われるコストを安くするということにつながっていけばよろしいということになるわけです。企業経営そのものから、財政的にどうなのかということだけを追求していくわけですから、質的なものは何もそこにはないわけです。ですから、あなたが言われるその質というものは、そうしたものを十分充足し得るものであるということを前提にしたものでなくてはならぬということをここで確認してほしいわけですね。
  113. 古村澄一

    ○古村政府委員 私が質の低下をしてはいけないと申し上げましたことも、今おっしゃることとまさに同じでございまして、献立の作成というのは、これは民間委託をした場合にでも受託者に任す問題ではない、いわゆる設置者が責任を持って献立の作成をすべきであるということ、あるいは物資の購入とか調理業務等におきます安全、衛生の確保については、設置者側で十分対応できる体制をとれるようなことを、民間委託をするときにはそういう体制が必要だというふうなことを申し上げておるわけでございます。  したがいまして、今おっしゃいました、例えば郷土に密着した食というもの、これは食生活、食文化という観点から大変重要なことであり、学校給食の面でも取り入れていただきたいというふうに私は思っておりますが、これにつきましては、献立を作成する側は設置者側ということで、設置者側には大体学校栄養士がおりますから、その人が中心になってそういった地域に密着した食事内容というふうなものを当然献立の中で入れていただきたいというふうに思っているわけでございます。
  114. 中西績介

    ○中西(績)委員 ですから、そういうことを考えてまいりますと、今言われることと一致するわけですけれども、そうなると、今回の事件のようなことは、自校方式なりで、本当に先ほどの校長が言われたように、お互いの信頼関係、それから生徒と調理員の信頼関係、それから栄養担当者、そういうすべての中身がそこにでき上がったときに温かさがある。ただ温度だけではないと私は思うのですね。私は、愛情あるものがどうそこに供給されるか、このことが一番大事ではないかと思うのです。ですから、今回のような事件が出てくるのは、結局、おたくが示されるようなこれをどんどん強めろ強めろということになってくると、第一義的なことが抜け落ちていくという可能性があるのです。ですから、少なくともそういうことがそこにはなくならなければ設置者はたまらぬですね、設置者の責任は。余り深く立ち入りはできぬで、今度の事件だってそうなんですよ。むしろ設置者はそういうことを言ったにしても、供給はいっているのですから、そのことは全然とめられなかったという事態、こういう具体的な事例があるわけですね。こうなってまいりますと、これは全うできないと言わざるを得ないわけです。  したがって、この機構、組織、安上がり至上主義、こういうことを改めなくちゃならぬし、先ほどから何回も申し上げる児童生徒の健康、命、安全、衛生、そして教育的な見地から、これが十分取り入れられた最善策をここで求めていかなくてはならぬ。そうなりますと、やはり私は、今あなたが言われるように、設置者が本当に責任の持てる体制ということをここで確認をしておきたいと思うのですが、よろしいですか。
  115. 古村澄一

    ○古村政府委員 学校給食を実施いたしますのは設置者でございます。したがって、設置者が責任を持てる体制を組んで、民間委託する場合にもそういった万全、落ちがないようにということを指導申し上げておるわけでございます。
  116. 中西績介

    ○中西(績)委員 そこで、そうなってまいりますと、最高の責任は県教委ということを県教委も認めておりますけれども、今言うように、具体的には一番近い設置者がそういう責任を持つ、やはりこういう体制がなくちゃならぬ。ところが、この前これを民間委託する場合に、米飯給食をする場合の議事録がここにあるのです。延岡市の議会。それで随分やりとりがなされている。もう大変危惧しているわけですね。ところが、明快な責任はどこにあるのか、そしてこれから以降のそうした介入できる体制なりあるいは検査なり、いろいろな体制はどうなのかということが、とうとう十分な回答が出ていないのですよ。文章上はあなたたちに言わせればここにあるじゃないかと言うけれども、その点が二次的なものになっているというようなことがあるわけですから。  そこで、その設置者が今度は給食のあり方というのを追求するということになってまいりますと、結局、生徒、父母、こういうものの声を十分聞いて、文部省なりからのこうしたものによって縛られることなく設置者が決めていくという態度が望ましいと私は思うのです。そうでなかったら、一元的な、画一的な、この文部省の言う、行革審が言う、しかもその目的というのは財政的な面だけからずっと追求しているわけですから、これだけすれば父母の負担はこれだけ安くなりますよということになり、何がふえていくかといったら、冷凍食品がふえる。だから、それを焼いても出てくるものは、今度はがちがちのものを焼くわけですからどうなるかというと、内容的に生焼けのものが出てきてみたり、表は焦げてしまっているけれども中はまだ十分でないというものが出てみたり、いろいろ挙げろといえばたくさんあります。ですから、そういうことにならぬようにいたしまして、結局おたくが示しているものは特定の方法ですね。こういうものを限定をしてはいけないということを私は言いたいのですね。その点はよろしいですね。
  117. 古村澄一

    ○古村政府委員 一月にお出しいたしました通知は、先ほどから先生指摘のとおりの経緯がありまして、要は結局、経費の効率的な運用ということがあるわけでございます。したがって、その方法論としては、そこでは三つの方法を例示いたしておりますけれども、学校給食を実施いたしますのはそれぞれの学校設置者でございますから、設置者側でその地域の実情というものを見て、いろいろな方の御意見もいろいろとあるでしょう、そういったものを聞いた上で、どういう方法をとって、むだな経費というものは当然削減していくべき性質のものでございますから、そういった点で十分な検討をしていただきたいというふうに思うわけでございます。     〔委員長退席、船田委員長代理着席〕
  118. 中西績介

    ○中西(績)委員 そこで、私は、経費の節減といいますけれども、そうした問題があるといたしますと、しかもその中身はどうなのかということの検討が果たしてこの行革審の答申の中に出ておるかということを見たときに、そういうものはありませんね。ずっと並べて平均値をみんなとって、千人以上になれば安くなるのだというような言い方しかないのですよ。だから、今言うように、三方法やる前提は質である、そのことの追求なしにはできない。  私はなぜそういうことを言うかというと、経費の面で問題があると思うのですね、質との関係で。宮崎市は全部自校方式です。延岡市は二、三校を除いて委託方式です。委託によって加工賃を二十六円九十五銭かな、を取っているのですよ。ところが今度は、給食費は余り変わらぬわけですから、そうすると、その一食分の加工賃はどこかにしわ寄せしなければならぬということになっております。ということになりますと、今度は質の低下をどこかで招かなければならぬという結果が出ているわけですよ。  それから、私はぜひこれは後でお願いしようと思ったけれども、ここで申し上げておきますけれども、民営化をした結果が追跡調査されていますか。特に、なぜ私がこのことを言うかというと、清掃事業などでいろいろもう合理化だといって民営化に移しているのがたくさんある。最初は確かに安いけれども、何年かたつ経過の中でどんどん値上げされまして、結果的には、例えば一つの例を申し上げますと、福岡市は委託です。川崎市は完全直営です。その結果は川崎市の方が今安いのですよ。こういう結果になっていますよ。だから給食だって、例えば埼玉県の久喜市あたりの例を見てみましても、明くる年には市の支出する経費がもう高くなっている。こういう例などを見ていただきますと、決してそのことが安くなっておるとは私は思いません。しかも質的には低下をしているということになりますと、これはもう大変なことです。  ですから、私は、最初確認いたしましたように質の問題だ。それを重視するということであれば、少なくとも追跡調査なりをしてみて、そして本格的にどうなのかということが明確になったときに、こういうものを文部省は出すべきだったと思うのですよ。その裏づけなしに、ただ言われだからという主体性のなさ、ここが私は一番問題ではないか、こう思うのですね。  ですから、この点でこれから後ぜひお答えいただきたいと思うのは、こうした学校給食を法律における定義あるいは目標、こういうものを完遂をするということが教育的に大変重要だということを今意味していますから、この点を守るためにも、こうしたことを強行しない、これから後さらに民営化を強めろとかなんとかということ空言わないと言ってください。
  119. 古村澄一

    ○古村政府委員 先ほど申し上げましたように、基本的には経費の合理的運用ということに主眼があるわけでございまして、民営化だけという方法論を示唆したわけではございません。その地域によって、例えばその地域においては民営化をしようとしても引き受ける会社がなければできないわけですから、そういった地域性というのは十分ある。いろいろな御意見もあるだろう。だから、それは各設置者におきます実情を踏んだ上で、やはり合理化という考え方だけは持っていただきたいというふうに思っているわけでございます。
  120. 中西績介

    ○中西(績)委員 その合理化というのが質を落とすための合理化であってはならぬ。だから、たくさん問題があるから私は質という言葉表現をしますけれども、少なくとも、先ほどから言っているように生徒の健康状態というのが大変問題になって、今や私たちが驚くようなことが出ているじゃないですか。倒れたら倒れ方を知らぬために骨が簡単に折れる。私たち子供の時分にそういうことは全然考えもしなかったでしょう。さらにまた、糖尿病にいたしましても、心臓病、肥満、挙げていけばがんだってそうでしょう。こういうものをなくす、このことが今一番大事だ。そして今度は、給食を行っておるときに教育的側面からの栄養という問題、例えば生徒が嫌うとするなら、それを通じて今度は教育材料にして栄養問題を語ることができるし、それからこの地域の生産物が何であるかということを語ることができるしというように、広げていけば際限なく広がる給食問題です。  ですから、この点を重要視するということからいたしますと、今言う合理化ということから今度はさっき言うような問題が出てくる、あるいは委託をすることによって質的な低下を招くようなことが出てきておる、具体的にこういうことがあるわけです。ですから、こうした点について局長の方で十分対応するようにするためには、ぜひこの点を今改めて、もう一度これを強要するとかなんとかいうようなことは絶対せぬ、こういうふうに言ってください。
  121. 古村澄一

    ○古村政府委員 若干繰り返しになりますけれども、その通知そのものの精神は御理解いただけるかと思いますが、その精神にのっとって学校給食業務というのは運営しなければならぬことではなかろうか。そのときに一番考えなければいかぬのは、学校給食の質の低下があってはならぬということを前提に置きながら、そういった経費のむだを省くところは省いていくということを設置者側で頭に入れて学校給食の運営というものをやっていただきたいと思っているわけでございます。
  122. 中西績介

    ○中西(績)委員 だから、出したからもう引っ込めるわけにいきませんというのが今の答弁だったと私は思うのだけれども、いずれにしても、設置者との関係の中でそうしたものが十分対応できるように、そして今ここで指摘をされるようなことにならぬためにも、その中身が本当に充実しておるということを胸を張って言え、そして教育という側面からもそのことが父母の皆さんに理解できるように文部省指導を強めるということが今一番大事だろう、こう私は感じます。  ですから、この点をひとつ御確認をいただいて、最後に、さっきの追跡調査、そういうことをぜひやっていただきたい。これを合理化をしたという側面からどういう結果が出ておるか。そして質的にどうなのか。質が大事ですよ。そこが本格的にどうなのか。そして人間の信頼関係が生まれるようなものに、調理員の皆さんと生徒との関係だとか、いうところのコンセンサスが本当にうまくいくようなそうした体制というのが大変重要です。でなくとも縦割りになっている。  ですから、むしろ推進すべきは、このことは文部大臣、どうでしょう、今一番具体的にこの成果の上がっておるのは食堂を持っておるところですよ。高学年と低学年の皆さんが一緒に食べているところの報告を聞くと、本当に、うんなるほどなと私らは思うのですね。私の近くの中学校の例で非行がなくなったという報告をしています。これは文部省も御存じだと思うのですよ。そうした例等をずっと聞いておりますと、今言うような、冷たい給食でなくて本当に我々が期待をするような給食になったときに成果が上がっています。やっておるところの人たちが、民営化したときには大変なことになるよということをみんな予言していますね。そういう人の意見を私はぜひ聞いていただきたいということと、むしろ積極的に食堂などについて設置をせよ、それを推進をせよという通知を出す意思はないですか、大臣
  123. 古村澄一

    ○古村政府委員 食堂につきましては、設置経費について一部国庫補助金も用意いたしておりますが、現下の財政事情のもとなかなかこの予算がふえていかないといううらみはございますが、私たち食堂が持っております効用というものが非常にいい教育的な効果があるというふうに思っております。
  124. 中西績介

    ○中西(績)委員 最後になりますが、思っておるなら、この給食という問題を本当に考え、そして教育的な見地から大変重要だというならば、その点に対するむしろ積極的なこういう通知を、制限する通知でなしに、逆にそれを拡大をするという一つの手だてとしてそういうものをやはり出していくべきではないかと思うわけです。  大臣。最後にそういう点について、大臣が今まで給食など食べてみてそして感じたことと、あわせてそういう積極策をとる意思があるかどうか、この点について。
  125. 松永光

    松永国務大臣 先ほどからの先生の御所論を聞いておりまして、先生は非常に健康なお体をお持ちで大変いいことなんでありますが、それは私は、先生の両親がその養育義務を果たすためにしっかりしたものを、栄養のバランスのとれたものを子供のときから先生は両親のおかげで食べていらした、だから元気になられた、こう思うのであります。最近、肥満とか骨が弱いとか、基本的には養育義務者である親が子供の食生活について十分な配慮をしながら、砂糖をやり過ぎないように、小魚も食べさせるように、カルシウムの摂取が不足しないように、こういった配慮をしながら、親が幼児期から食についてはきちっとしたものを食べさせるということをやっていくことが基本的な大事なことだというふうに私は思いました。  それから、学校給食の面は、前々から申し上げておりますように、最近のように豊かになってくればむしろ親が弁当をつくってやった方がいいじゃないかという意見も相当強いのでありますけれども、しかし、今の日本の社会の実情からすればそれはかえってうまくいかぬかもしれぬ。したがって、ここまで学校給食が普及したことであるから、この学校給食はあくまでも維持していきたい。しかしその経費はどうなるのか。材料費は親の負担になりますけれども、その他の経費は皆税金で負担するわけでありますから、その税金の使い方はあくまでもむだを省いて合理的にせにゃならぬ、こういう考え方に立たなければ、学校給食というものが国民の長きにわたる理解と支持は得られないのじゃなかろうか、そういうふうに考えるわけでありまして、そこで税金の使い方の合理化をしなければならぬ時代に入ってまいりました。  しかしながら、学校給食でありますから、先ほどから先生も御指摘のように質を低下させてはいかぬ、安全性と栄養の面を中心にした、質を低下させてはいかぬ、そういうことで、ことし一月の通知も、質は低下させては絶対にいけませんよ、したがって民間委託をする場合でも、その点をまず前提にして、そして献立は設置者が責任を持ってつくること、それから物資の購入、これも設置者が責任ある購入ができるようにすること等々の条件をつけて、質の低下を招かないということを十分注意しながら合理化はやるべきである、こういう趣旨で出した通知が先生指摘の通知なんであります。したがって、これは今の時世からいえば適切な通知だというふうに私は思っておるわけであります。  それから、食堂の問題でありますが、私の旧制中学は、戦時中でありましたけれども、一年生から五年生まで全部食堂がありました。なぜそれがあったんだろうかと言えば、その当時の東京市は非常に豊かだったんですね。そこで私は食堂のある中学校に通っておったわけでありまして、よかったと思っておりますけれども、問題は、食堂設置の場合にも設置者の財政負担がどうなるか。結局は税負担とのかかわりになってくるわけでありますから、税金を使うことであってもあえてやりたいという市があるならば、それについては推奨する意味もあって国も補助する、こういう仕組みにしておるわけでありまして、食堂をつくるという市町村があれば今後とも食堂の設置については我々としては推進をしてまいりたいというふうに考えておるわけであります。
  126. 中西績介

    ○中西(績)委員 今いろいろ言われましたけれども、結果的には、私が一番冒頭に申し上げた今の生徒児童の健康という中心的課題が絶えず財政で置きかえられるわけですよ。ですから、では負担は本当にできないかどうかというこうした徹底した追及というものがむしろ欠落してしまって、行革審が言いさえすれば何でもそういう方向に持っていくということになってしまいかねない、財政と言えば。ですから、このことは改めぬと教育というものはなくなりますよ。この点だけはひとつ給食面からなくなるということをあなたたちは自覚をしてもらわぬと誤ります。ここだけはひとつ確認をしておいていただきたいということと、それから、最後になりましたが、あの調査ですね、調査した結果については明らかにしていただくことを要請をして終わります。
  127. 船田元

    ○船田委員長代理 伏屋修治君。
  128. 伏屋修治

    ○伏屋委員 現在の日本は国際的に見ましてもいわゆる経済大国でありますし、経済強国と言われておるわけでございます。その一方では諸外国との経済摩擦というものが非常に国際的な問題にまで発展してきております。また、年々増加する防衛費、このことから東南アジア諸国は日本が軍事大国化するのではないかという危惧の念を持っておることも事実でございます。戦後、日本はそういう軍事大国化を目指すのではなくて、文化大国を目指そうということでスタートを切ったわけでございますが、今まさにその意義というものを認識し、もう一度深くかみしめていかなければならないときではないか、このように考えるわけでございますが、文部当局はどういうお考えを持っておられますか。
  129. 松永光

    松永国務大臣 総理も「たくましい文化と福祉の国」をつくるんだというのを所信表明演説でも就任早々なさったところでありまして、私どもも「たくましい文化と福祉の国」をつくっていくのが我々の目標でなければならぬというふうに思っております。
  130. 伏屋修治

    ○伏屋委員 文部大臣もそのようにお考えのようでございますね。総理も常々そのようなことを予算委員会のやりとりの中でもおっしゃっておみえのようでございますが、全くそれとは裏腹に、予算的な措置を見ていくときにはいわゆる文化と福祉の国を目指そうと言うにしては余りにも貧困な財政的措置ではないかということを危惧するわけでございまして、大砲かバターかという言葉もございますが、これを大砲か文化かという言葉に言いかえるならば、どうも大砲が優先されておるような感をぬぐい切れないものであります。そういう面からも、文化庁が昭和四十三年にスタートして以来、いわゆる高度経済成長期の四十九年をピークにいたしまして年々その予算は削減されております。六十年度の予算というのは〇・〇七%、千四百分の一、過去の最低の予算であるわけでございます。先ほどの総理の発言、大臣のその御意思からしましても、余りにも文化予算に対する考え方がおろそかにされておるのではないか、このように考えるわけでございますが、その辺のお考えをもう一度確認しておきたいと思います。
  131. 松永光

    松永国務大臣 文化の振興発展を図るためにはいろいろな施策が必要なのでありますが、我々としては国民に芸術鑑賞の機会をより多く与えていく、そのためには、地方都市等が文化センター、文化会館等々の設置をする場合には国の方で補助をつけるといったことを進めておりますし、また文化財の保護、あるいはまた我が国の伝統芸能の伝承事業、こういったことに必要な予算を確保することに今努力をしておるところであります。     〔船田委員長代理退席、委員長着席〕 おかげさまで地方文化施設等を大分充実してまいりまして、私のお世話になっている選挙区は文化センターというのか全部きれいに今できておるわけでありますが、そういった施設等を通じて国民に文化鑑賞の機会を提供するといったことも今後ともさらに進めていきたいと考えております。  ただ、国の財政状況が大変厳しいことは先生も御承知と思いますけれども、その厳しい財政状況の中で、先生方の応援もいただきながら、文化関係の予算を確保するように今後とも努力をしていきたいと考えておるわけであります。
  132. 伏屋修治

    ○伏屋委員 今までの文化庁予算の推移を見てみますと、四十九年をピークにいたしまして五十五年から本年まで毎年〇・〇〇五%ぐらいの削減をされておるわけでございます。本年は〇・〇七一%にすぎないわけでございまして、六十一年度の予算をこの流れから見ていきますと、さらにまた〇・〇〇五%ぐらい削減されてくるのではないか。言うなれば、何か予算の推移を見ておりますと、それは文教予算の削減というものもあるでしょうけれども、文化庁の予算がどうも予算削減のターゲットにされておるような感がぬぐい切れないわけでございまして、その辺、文化庁の財政の担当あるいは文部省の担当、大蔵省の担当の方からそれぞれお考えを聞かせていただきたいと思います。
  133. 加戸守行

    ○加戸政府委員 文化庁の予算につきましては、昭和四十三年に文化庁が発足いたしましたときの総予算額わずか五十億円でございまして、現在四百億近い金額まで年々伸びてまいったわけでございますが、先生指摘のとおり、五十五年の四百億をピークといたしまして、その財政状況のもとにありまして若干の減を毎年続けざるを得ない状況に至っていることは御承知のとおりでございます。  ただ、その中にありましても、文化庁といたしまして必要な経費を確保すべく重点的に施策の展開を進めているわけでございまして、少なくとも現在の財政状況の中における予算の仕組みといたしまして、文化庁といたしますれば精いっぱいの努力を続けているという状況でございます。
  134. 武藤敏郎

    ○武藤説明員 御指摘のその〇・〇七%と申します数字は、文化庁予算の国の一般会計総予算に占めるウエートということであろうと思います。確かに五十年前後におきましては〇・一%ぐらいでありましたものが、現在〇・〇七%ということで若干低下してきておるわけでございます。その原因はいろいろあるわけでございますけれども、何といいましても最大の原因は、一般会計に占める国債費のシェアが非常に大きくなったということでございます。言いかえれば、今日の財政状況がそのまま反映されておるわけでございます。ただ、長期的に見てみますと、文化庁予算といいますのはだんだんふえてきておるわけでございまして、途中四百億という時代から今三百七十億ぐらいの数字ということで、五十年代の中ごろから比べますと若干また下がってきておるわけでございますが、これにはいろいろな要因がございまして、当時いろいろな建物新営が文化庁関係でございまして、そういう予算を確保するために文部省全体の中で苦労しながらやりくりをしたといったようなことがございます。大きな流れの中で見ますと、大変厳しい状況でございますけれども、何とかその必要額を確保しておるということであろうと考えております。
  135. 伏屋修治

    ○伏屋委員 財政的に非常に危機的状況にあることはよくわかるわけでございますが、防衛費の異常な突出というものから考えていくならば、やはり文化的な予算ももっと伸ばしていかなければいけない、こういうふうに考えるわけでございます。ただ防衛費の突出だけが表立って、その財政危機的な状況という理由のもとに文化予算が年々貧困化していくということでは、冒頭申し上げましたような諸外国の危惧というものを払拭することはできないのではないか。いわゆる防衛費のGNP一%といわれるぐらいならば、これは飛躍するかもわかりませんが、文化予算もGNP一%ぐらいの、そういう論議がされるようになって初めて国際的にも、日本は軍事大国化を目指さない、文化国家を目指そうとしておるのだということが理解される、こういうふうに考えるわけでございます。そういう面での予算の配分をもう少し、初心に返って考えていかなければならぬときがきたのではないか、このように考えるわけでございます。  文部省の中でのいわゆる文教予算の中で占める文化庁の予算も一%に遠く及ばない〇・八%である、こういうような実情でございますが、文部省の中での文化庁への予算配分、そういう論議があったとすれば、それをお聞かせいただきたい。
  136. 加戸守行

    ○加戸政府委員 文部省予算の中、一般歳出予算の中に占めます文化庁予算のシェアといたしましては、昭和四十八年一%に到達したときがございますが、それ以後は一%を割りまして現在は〇・八%程度のシェアになっているわけでございます。ただ、文部省予算の構造といたしましても、人件費の占めるシェアが極めて大きゅうございまして、そういった相対関係におきますと、シェア自体は低下をいたしておりますが、事業、施策の展開の観点からいたしますと、文部本省の中でも文化行政に関します予算についてはある程度の配慮を文部本省からもちょうだいしていると考えているわけでございます。  ただ、そういった状況で私ども満足しているわけではございません。もちろん文化庁としても必要な、伸ばしたい経費もございます。しかし、文部省全体の枠の中でとなりますと、どうしても文部本省自体も厳しい中の配分でございますので、文化庁としても言える限度があるわけでございまして、そういった内部調整の結果として要求させていただきましたものにつきましては、精いっぱいの努力をして要求額に近い予算が確保できるように、今後とも努力をいたしたいと思っている次第でございます。
  137. 伏屋修治

    ○伏屋委員 そういうやりとりがあったようでございますが、文化庁の予算の中身にもかなり問題があるのではないかと思うわけでございます。いわゆる今現在の、六十年度の文化庁の予算総額というのが三百七十三億円、このうちの七三%が埋蔵文化財の整備、国宝・重要文化財の保存、国立劇場、こういうものに充てられておりまして、いわゆる地域文化の振興、それから芸術文化の創造のための援助という予算配分というものは、非常に少額しか充てられておらない。日本が文化大国を目指すという以上は、文化のすそ野を広げていかなければいけない。芸術の担い手の人たちへの援助というものに使うお金がこのような貧困なことで、文化国家を目指すということが言えるのかどうか、その辺御答弁いただきたいと思います。
  138. 加戸守行

    ○加戸政府委員 先生指摘なさいましたように、文化庁予算の四分の三に相当する金額が伝統文化の継承及び保存、いわゆる文化財の保護関係の経費でございまして、そういう意味では一種の硬直した形になっているわけでございます。ただ、その中にありましても、地方文化の振興はもちろん必要な事柄でございますし、国といたしましてもこども劇場、青少年芸術劇場等を初めといたします中央の芸術を地方に鑑賞の機会を与え、また地方の文化の活性化を図るというような施策の展開のほかに、地方の文化施設に対する補助金、あるいは地域におきます文化活動担当者の研修、あるいは国内の指導者派遣といった国と地方との関係におきまして、地域文化の振興に力を入れているわけでもございます。  そういった経費自体が、ひっくるめまして約十億ちょっとでございますけれども、もちろんこういったことが十分とは思いませんが、それぞれ国ないし地方の役割分担というものもございますし、従来に比べますと、それぞれの地方公共団体におかれましても、文化のためにいろいろな施策の充実、独自の施策展開を行っているわけでございまして、地域におきます力が備わってくる段階におきまして、国としてどの程度の役割を果たす必要があるのか、そういった事柄も予算全体の中で考えながら、十分に施策を進めたいと考えております。
  139. 伏屋修治

    ○伏屋委員 聞くところによりますと、六十一年度の概算要求の中には、文化庁長官の発想と聞いておりますけれども、国民文化祭というものの予算づけとして二億五千万を要求しておられるようでございます。その反面、今お話がございました地方文化の振興あるいは芸術文化の創造のための援助という予算がまるっきりゼロになっておるということでございます。先ほどの御答弁によりまして、いろいろ地方文化の振興の重大性というものは言われておるわけでございますが、そのような形で地方文化の振興が図れるのかどうなのか、その辺のお考えをお聞かせいただきたい。
  140. 加戸守行

    ○加戸政府委員 地方文化の振興につきましては、それぞれ各地方公共団体において各種の文化事業を展開していただくために、その刺激剤といたしまして、あるいは奨励的な意味合いも持ちまして、昭和三十二年から各般の形で、名称はいろいろ変わってまいりましたけれども、地方文化振興のための各種文化事業に対します国の補助金を出してまいったわけでございます。約三十年近く続いてまいったわけでございますが、それぞれの地方公共団体におかれましても、各種の事業自体がその県の事業として定着してまいっておりますし、従来のような形で続けるのがいいのかどうかという一つの転換の時期にあると考えているわけでもございます。  ところで、三浦長官の提唱によりまして、六十一年度からは国民文化祭という形で、地域の文化それぞれに根差しましたアマチュアの文化活動を全国的な規模で発表する場を与え、国民文化の活性化を図りたいという施策を展開するに当たりまして、予算的な意味合いの中で、スクラップ・アンド・ビルドという考え方で新しい施策を展開するための財源として、地方文化振興費補助金を廃止してこれに振りかえて施策を展開したいと考えているわけでございまして、そういう意味では二つの理由がある。  と申しますのは、一つは、従来から続けてまいりました補助金もほぼ実効を期してまいりましたし、今の補助金を廃止することによって、都道府県あるいは市町村が行っております文化事業というものがこれ以上後退する心配はないという見通しと財源的な意味合いにおきまして、振りかわりを考えたという次第でございます。
  141. 伏屋修治

    ○伏屋委員 そういう国民文化祭という発想なのでございますが、今までに地域の文化の振興、その基盤ができた、そういう認識の上に立って長官がこういう発想をされた、こういうような御答弁でございますけれども、まだまだやはり地域の特色のある文化というものは振興策を図らなければならない。昭和三十年代以来三十年間にわたる国の補助をやってきた、だから地方の文化というものは基盤ができたのだ。そういうような割り切った考え方はちょっと早計に過ぎるのではないかな。もっとそれぞれの地方にある埋もれたそういう文化というものの振興策というものを図らなければならない。そのための予算がゼロということであってはならないと思うのですね。  ですから、そういうすそ野、基盤をもっと、今答弁では基盤はできたと言っておりますけれども、いわゆる国の縦割り的な文化というような、国体とかオリンピックとかいろいろな行事、そういうものは比較的整然とやられておるわけでございますが、それ以外のもっと泥臭いそういう地方文化というものを宣揚するというようなことを考えれば、こういう地方芸術文化活動に対する補助というものがゼロでは余りにも無残ではないか、このように考えるわけでございます。そういうすそ野をうんと広げてその上に国民文化祭というようなものを考えられるならいいのですけれども、どうもこの辺の発想が私どもの認識からすると逆のような思いをするわけでございますが、その辺はいかがですか。
  142. 加戸守行

    ○加戸政府委員 繰り返しになりますが、いわゆる地方文化振興のために、地方公共団体で展開していた事業を奨励するために国が援助を行ってきたわけでございますが、今国あるいは地方公共団体がどのような役割を分担すべきであるかという立て方からいたしますれば、国としては、国でなければできない事業、あるいは特にこの事業は地方の事業であっても国としてなおかつ奨励、振興する必要があるといったような視点から補助金の性格が考えられるべきところでございまして、もちろん今の地方に根づいたという事業自体が十分であるとは申せません。地方公共団体においてもさらに努力の必要があるわけでございますが、この補助金の制度によりまして、全国的に文化事業というものが展開されるようになってきた。しかも、それは国の補助金を廃止することによっても地方がその事業をやめるということではなくて、自力で地方の文化をそれぞれ特色のあるものを伸ばしてもらえるであろう、そういう見通しに立ちまして、地方のは地方において役割を分担していただき、また地方だけではできない、国がなさねばならないこと、あるいは国が地方の手助けをすべきであると考えられるものについてはまたそれなりの手当てするという考え方で交通整理をいたしまして、今申し上げたような国民文化祭の実施ということとの振りかわりにおきまして、地方文化補助金を廃止するという要求を出させていただいている状況でございます。
  143. 伏屋修治

    ○伏屋委員 その概算要求がどういう経緯をたどっていくかそれはまだわかりませんけれども、できるならば、そういう地方文化の振興の補助というものがゼロというのは余りにも無残であるので、その辺の予算配分というものをもう一度考慮していただきたい、このことを要望したいと思います。  それからもう一点、そういう文化行政というか、文化の振興のためにいわゆる民間活力を導入したらどうなのかというようなことで、その調査費というものが三百万ついておるように聞いておりますが、それはどういう御意図のものなのかお聞かせをいただきたいと思います。
  144. 加戸守行

    ○加戸政府委員 六十一年度概算要求におきまして、芸術活動の分野におきます民間活力の導入に関する調査研究費ということで三百五十万円の要求を出させていただいております。この三百万強の予算要求の趣旨といたしましては、従来から芸術活動いかにあるべきかという問題があるわけでございますけれども、国といたしましても芸術活動費補助金というような経費によりまして芸術団体に対する助成を行ってきたわけでございますが、現下の財政状況の中におきまして年々削減されてきている状況の中で、かつ芸術団体の活動の中におきましても、例えばオーケストラ、バレエ、オペラといったような総合舞台芸術という非常に経費のかかる分野、あるいは実験的な芸術活動という余り収益の期待できない、自力ではやっていけない分野というのがかなり芸術の分野にあるわけでございますので、そういった分野が今後とも日本の芸術水準を低下させることなく続けていくためには、もちろん自主的な努力も必要でありますが、国、地方公共団体の援助も必要でございましょう。と同時に、そういったことだけではなくて、論外国の例に見られますような民間資金を導入するというような誘導策というのもあわせて講ずることによって、国、地方、自主的な努力あるいは民間活力といった日本全体の総合的な盛り上がりの中で芸術水準を支えていきたいということで一つの研究調査を行いまして、これからの芸術団体あるいは芸術活動の水準低下を来さないような方途を研究したいという趣旨で、三百万円余の調査費を要求している状況でございます。
  145. 伏屋修治

    ○伏屋委員 現在問題が顕在化しております貿易摩擦の解消に当たっても、いわゆる内需喚起、民間活力を導入する中で内需を喚起していこうという動きがあり、そしてその中で財政負担を軽減していこう、こういう意図が見え隠れしているように思えてならないわけでございますが、今民間活力を文化振興に導入するという面においてもそういう危惧が全くないとは言えませんので、そのあたりのお考えをもう一度お聞かせいただきたいと思います。
  146. 加戸守行

    ○加戸政府委員 先ほどお答え申し上げましたように、文化庁といたしましても、現在の芸術水準の維持向上という観点からいたしまして、現在行っております文化行政の施策では十分ではないという視点に立ちまして、また将来の予測も考慮いたしまして、もっと国民に芸術に対する高い関心を持っていただきたい、かつそれは物心両面にわたって芸術活動に対する国民的な支援、協力が必要である、そういう意味で、強制するわけではございませんが、誘導的な施策として芸術活動振興のために民間活力を導入したいという趣旨からの調査研究でございまして、決してそのことによって国あるいは地方公共団体の文化行政のレベルをダウンさせて肩がわりをしてもらおうという趣旨ではございませんで、両々相まって充実を図っていきたいという観点からの調査費要求でございます。
  147. 伏屋修治

    ○伏屋委員 いろいろ財政に関連した問題でございますが、日本の文化施策あるいは予算措置というものは諸外国に比べますとまことに貧困でございます。フランスを例にとると、フランスの文化省の予算は二千五百六十九億円、国家予算の〇・九%という高い率を占めております。そういうようなことを考えていくと、日本というものは、文化大国を目指すといいながら現状はまことに文化小国と言わざるを得ないのではないか。まして今民間活力を導入して地方の芸術文化の振興を図りたいというお考えがございますけれども、それに対しても理解が非常にない。フランスあたりでは、文化事業の推進に対して民間が貢献したという場合には免税措置を講じておるわけでございます。そういう面からしましても、日本ではまだまだ入場税とかいろいろな面での税を取られることはあっても、税が免除されることはないわけでございます。民間活力の導入を図り地方文化のレベルを上げようというお考えであるならば、せめてそういうような税制の優遇策もあってしかるべきではないか、このように考えておるわけですが、いかがですか。
  148. 加戸守行

    ○加戸政府委員 芸術文化に関します税制といたしましては、昨年いわゆる入場税の免税点を三千円から五千円まで引き上げていただきまして、芸術関係者は大変な朗報として喜んでこれを受けとめたわけでございますけれども、諸般の税制いろいろございますが、文化庁サイドといたしましても、芸術文化の振興の観点から、各般の税制改正の要望といいますか気持ちそれぞれあるわけでございますし、関係団体からの意見、要望を踏まえまして、これからも適切に対応して、税制当局に対する要望を行ってまいりたいと考えております。
  149. 伏屋修治

    ○伏屋委員 財政的な措置の問題を今申し上げましたけれども、それ以外にも、日本の文化施策は法体系の上からも貧困ではないか。今文化関係の法律としてあるのは、文化財保護法、文化勲章令、文化功労者年金法、著作権法などがあるだけでございまして、そういう法律のもとに、〇・八%の少ない予算の中から七三%を埋蔵文化財などの整備、国宝・重要文化財の保存に充てられているわけでございます。砂田文部大臣当時、日本の文化水準向上のための基本的な施策がなくてはならないのではないかというような話もあったと聞いておりますが、どうも現在では立ち消えになっているようでございます。戦後、文化国家としてスタートした意義を踏まえて、国際的な軍事大国化の危惧を払拭する意味からも、文化大国、文化国家を目指す上からも文化の基本的な法律があってしかるべきだと思うわけでございますけれども、その辺はどうお考えですか。
  150. 松永光

    松永国務大臣 文化行政の目標、文化行政の基本方針を明らかにすることで文化行政をさらに推進していくという立場から、先生指摘のような法律をつくることは意義のあることだと考えておりますし、また、かつてそのことの検討がなされたことも事実であります。しかし、現在の厳しい行財政状況等を考えますと、実効性のある施策を進めるための法律を今直ちに制定するかどうかという点につきましては慎重に対処せざるを得ないということであろうかと思っております。
  151. 伏屋修治

    ○伏屋委員 憲法二十五条一項の中にも、健康で文化的な最低限の生活を規定しておりますし、政府は、それを国に課せられた義務として、社会福祉、社会保障、公衆衛生、文化、こういうものにおいて国民の健康で文化的な生活を保障していかなければならない。そういうことを考えるときに、文化に対する基本的な法律が現状の財政から無理だと言う。そういう基本的な大綱は、財政的な裏づけも必要かもわかりませんが、文化はかくあるべきだという基本的なものでも国の文化施策として持つべきじゃないかと考えるわけでございますが、大臣いかがでございますか。また、日本の文化というものがその社会に生きる人々の人生観とか価値観に大きな影響を与えるということ、また生き方の骨格をつくるものだということを考えるときに、そういう基盤づくりに本腰を入れていかなければならぬ、これは非常に大事なことだと考えるわけでございますが、その辺についての大臣の御見解お尋ねしたいと思います。
  152. 松永光

    松永国務大臣 先ほども申したとおり、文化行政をより一層整合性のある形で進めていく上で、文化に関する基本法的なものの制定は私は意義があることだとは考えておるのです。そういう検討がなされたことも先ほど申したとおり事実でありますが、現下の行財政状況考えると、実効性ある法律にしなければなりませんから、そういう面で慎重に対応せざるを得ないというふうに申し上げた次第でございます。  なお、先生指摘のように、憲法にも文化的な生活の保障ということが書いてあるわけでありますが、これは文化庁で所管するいわゆる文化行政的なものも含めたより幅の広い意味だと思うのでありまして、日本国民がより豊かで、そして物の面だけで豊かではなくして精神的な面でも豊かな生活ができるような状態にすることを国政の基本方針とすべきである、そういう目標をうたい上げたのが憲法の規定だと思うのでありますけれども、これからもそういう憲法の規定を遵守して努力をしていかなければならぬというふうに考える次第でございます。
  153. 伏屋修治

    ○伏屋委員 今後さらに文部当局の真摯な御努力を心から要望申し上げて、次の質問に入りたいと思います。  午前中もいじめの問題等々についての御質問があったわけでございますが、このいじめの問題について、いわゆる初等中等教育局長の通達が出ておりますし、またけさほどのいろいろな御答弁等を聞いておりましても、いじめの問題という今の社会的な大きな問題に対する取り組み方がどうも皮相的で甘いのではないか、私も聞きながらそういう印象を持ったわけでございますが、その辺の認識の仕方というものは、どういう認識の仕方をしておられるのか、聞かせてください。
  154. 松永光

    松永国務大臣 私は、いじめということで、午前中も申し上げましたとおり、意地悪とかあるいはいたずらとかあるいは仲間外しのような精神的な圧迫とかそのたぐいのものから、きついのになりますと、集団による継続的な暴行あるいは暴行による傷害、暴力行為等取締法に違反するような悪質な暴力事件、さらには恐喝といったような重大犯罪まで含めた意味いじめということでくくって表現をされておるようでありますけれども、どうもこの表現の仕方が現状には必ずしも合っていない。やはり刑罰法令に触れるような、しかもそのやり方が暴力行為等処罰ニ関スル法律に該当するような集団による継続的な暴力事件あるいは暴行傷害事件あるいは恐喝事件などというのは、やはり少年による刑事事件というふうに規定するぐらいの心がけでなければきちっとした対応ができぬのじゃないか、いじめということの語感からすれば、先ほど言ったような意地悪とかそれに類する程度に軽くとられるおそれもなきにしもあらず、私はこういうふうに思っているぐらいなのであります。  しかし、きょうのところは全部含めていじめということで申し上げますが、私は、このいじめという問題は、児童生徒の健全な成長の上で極めて有害な、しかも著しく青少年の健全な発達、成長を阻害することになる、こういうことで重大視して受けとめておるわけであります。したがいまして、これに対応するためには、実はことしの二月に既に全国の都道府県教育委員会あてに、いじめという問題が相当多くなってきておる、したがって適切な指導をしてそういう問題の発生未然に防止するように、そして早期に発見をして適切に対応するようにという指導通知を出したところでありますが、さらに四月には専門家によって文部省の中にいじめ問題等学校の中で起こっておる問題行動に関する検討会議をスタートさせまして、そして六月にはその検討会議から緊急提言をちょうだいすることができましたので、直ちに翌日、全国の都道府県知事及び都道府県教育委員会指定都市教育委員会教育長あてに詳細ないじめ問題等に対する対応を適切にやるように指導通知を出したわけであります。しかし、いまひとつ徹底していないような感じもいたしましたので、先月の二十五日でございましたか、全国の都道府県教育委員会と政令指定都市教育委員会主管課長をそれぞれ緊急に東京に招集いたしまして、さきに出したいじめ問題等に対する指導通知の徹底を重ねて呼びかけると同時に、これらの問題についての全国的な総点検を実はお願いをしておるところなんであります。  私どもとしては、このようにこれは重大な事柄であるというふうに受けとめて、全力を挙げてこういう問題が起こらぬような措置をしなければならぬ、起こりそうであったならば、早期にこれを発見して迅速に対応しなければならぬ、起こった場合には適切な対応をし広ければならぬということで努力をしているところなんでございます。
  155. 伏屋修治

    ○伏屋委員 初中局長の通達で出ておるその調査票等々を見ましても、いわゆるいじめの問題を、学校あるいは教育委員会それぞれにそういう通達を出しておるわけでございますが、その中で一つ気になるのは生徒相談、そういうものを重視しておるように私は思えてならないわけでございますが、そういう問題が起こったら、そういう相談をする窓口というものを教育委員会も積極的に進めなければいかぬし、学校現場もそういう窓口をつくって、いち早くそういう問題を掌握すべきであるということを言っておるわけでございますが、今現在いじめられておる子供たちが持っていく先は一体どこなのか、学校のそういう生活相談の窓口へ持っていくのかというと、ほとんどノーと言わざるを得ないわけです。先生にその問題を持ち込んで相談に乗ってもらいたいと思っておる子供は、全体の二〇%ぐらいしかないわけですね。しかも、その問題提起した二〇%の子供のうちの三〇%ぐらいしかまともに取り上げてもらえないということからしましても、五〇%に近い、そういういじめに遭遇した子供たちの相談というものは教師の方には向いておらない、弁護士さんの方へ持ち込んでおるというような実態をやはり文部省は掌握しながら今のような通達を出し、そしてその調査票を今月じゅうに都道府県教委を通じて文部省に全部集め集計しよう、こういうような御意図であると聞いておるわけでございますが、その辺はどういう認識をしておられますか。
  156. 高石邦男

    高石政府委員 いろいろな調査では、先生指摘のような傾向が見られます。しかし、現実的には学校という場でこのいじめの問題が発生しているわけですから、教師学校にそういうことが相談できるような雰囲気、体制をつくっていくのは重要なことであるし、本質的な問題解決への道であろうと思います。そういう意味で、教育委員会学校がそういう相談を受けれる体制を早期につくってほしいという呼びかけをしているわけでございます。  ただ、御指摘のございましたように、他の機関とかそういうところに対しての相談も積極的に吸収して、相互の連携をとっていくという体制が必要であろうということで、きょう実は三時から総務庁が主宰して、各省レベルの局長会議で各省の共通した総合対策を打ち出していこう、そして末端に至るまで総合的な体制がとれるようにしていきたいという会議を開くことになっているわけでございます。  したがいまして、警察ないしはいろいろな相談施設、その他青少年育成に関係する諸機関が総力を結集して、この問題に当たる体制を政府全体として打ち出そうというふうにしているわけでございます。
  157. 伏屋修治

    ○伏屋委員 このいじめの問題に対しまして、いわゆる甘いという印象がぬぐえないと私が申し上げましたのは、この問題に対する社会的な関心度の高い、そういう論評を見てみますと、現在の学校教育の病理、これの最も根源的なところをあらわす現象だというとらえ方をこの問題に対する理解としてしておるということからいきますと、文部省の今おっしゃっておられることはどうも甘いのではないか、こういう感じを受けるわけでございます。  文部大臣も先ほど、いじめから大きな事件的な規模に広がりつつあるというようなこともおっしゃっておられましたけれども、子供立場から考えるならば、いじめられる子に対する対策は緊急的に立てねばならない、これは当然でございますけれども、いじめ子供それ自体も大きく言えば今の被害者ではないか、こういうふうに私は考えるわけでございます。そういう認識の仕方をしていかないと、この問題を根本的に解決することはできないのではないか。今の学校構造の中から生み出されてきた、そして学校を舞台にしたいじめ現象に対して、いわゆるいじめられっ子、いじめられておる子だけの対策であってはならない、いじめる子も被害者であるという認識に立ってこそ初めて解決の方途を見出すことができるのではないか、このように考えるのですが、その辺のお考えはどうでしょう。
  158. 松永光

    松永国務大臣 いじめの問題について現在の学校教育の病理現象どおっしゃいました。確かにそういう面があるわけでありますが、もう一つ言えば、子育でのあり方について相当問題もあるのじゃないか。そういう意味では、学校教育上の病理現象であると同時に、家庭における子育てに関する病理現象でもある、両方が複今されているものであると私は見ておるわけであります。  そしてまた、今先生は、いじめる子も被害者、こうおっしゃいましたが、子育てを十分にやってもらえなかったという意味においては被害者ではあるでしょう。しかし、学校に起こっておるいじめに関してはその人は明らかに加害者であるわけでありますから、それも被害者だということで緩やかな対応ではいかぬ。加害者である。しかもその加害行為たるや、他人の人権をじゅうりんして自分が悪いことをしたとはいささかも思っていないなどと見られるような子供すらおるわけでありまして、そういう者に対しては、他人の人権を侵害することは全くなしてはならぬことだということを厳しく教え込む必要がある、こういうふうに私は思っているわけであります。     〔委員長退席、白川委員長代理着席〕
  159. 伏屋修治

    ○伏屋委員 現在の学校教育が抱える病理の根源的なものであるという認識で、学校構造の見直しというものをやっていかないといけない。学校の要求する型にはまっておる人間はいいけれども、それ以外の者は不適なんだ、こういうような考え方で、学校構造そのものに人間を疎外するような要因があるわけでありまして、そういう面からも学校構造の見直しをしなければならない。そこまでメスを入れていかなければならない。それをやらない限りにおいては、いじめ現象というものは根本的におさまってこない、このように考えざるを得ないわけです。  家庭の親の育児の問題があるというのでありますが、確かにそれはあると思います。我々が成長する過程においては、地域において異年齢の子供たちと遊べという場がございました。大きい子も小さい子も一体となって遊んだ、そういう場がありました。また、家庭にあっては兄弟あるいは姉妹の数が多かったわけでございまして、親が意図的に子供にいろいろなことを言わなくても子供同士の中で社会的なルールというものを身につけてきたわけでございますが、今の子供にはそういう成長過程の環境というものがないわけです。それだけに、今大臣が家庭ということをおっしゃいましたけれども、学校も家庭も一体になって、今欠如しておる成長過程の環境というものをつくり直していかなければいかぬ。それをやらない限りにおいてはいじめ現象は鎮静化しない、こういうふうに考えるのでありますが、その辺のお考えはどうですか。
  160. 松永光

    松永国務大臣 先生指摘のように、社会情勢が変わってまいりまして、家庭の中においても兄弟の数が少なくなってきて、兄弟の間でもまれるうちに、人間としてしてはならぬことはしない、例えば盗みはしてはならぬ、人を殴ってはならぬ、弱い者をいじめちゃならぬ、これは本来ならば学齢に達する前に親がきちっと教え込むべきことであります。かつては親が十分教え込まなかったとしても兄さんや姉さんが教え込んでくれたかもしれない。  そういうことを考えますと、いじめの問題のいろいろな状況を見ましても、いじめを誘発するようないろいろな要因があることは私も認めます。例えば欲求不満が相当子供に蓄積しておる、情緒不安定な子供もいる、有害な漫画とか、あるいはこのごろは少なくなったと思いますけれども有害なテレビ放送等々もあったこともありまして、そういう意味では、いじめ非行等を誘発する要因があることは事実であります。そうした誘発する要因一つ一つなくしていくことが大事なんでありますが、もう一つは、誘発要因があっても非行いじめ等はしないという抑制要因が強くなければならぬわけであります。その抑制要因としては、外的な要因としては親あるいは教師による十分な指導、問題を起こした場合に適切な措置がなされる、こういった外的な抑制要因が適切に機能しなければならぬわけでありますが、もう一つは、行為をする本人自身の内的な抑制要因が強く働かなければならぬわけでありまして、それはすなわち本人自身の是非善悪の判断力、そして悪はしない善を行うという道徳的な適切な判断に基づく行動力、こういったものがその本人の中に強く育成されてくれば、誘発要因があっても非行いじめはなされない、こういうふうに私は考えております。そういう意味で、誘発要因をなくしていくということが一つ大事、さらにさらに大事なことは、むしろ内的な抑制の力をその本人自身に育成をしていく、培っていくということであると思っております。それが学校等における心の教育の問題であり、家庭におけるしつけの問題であろうと思っておるわけであります。
  161. 伏屋修治

    ○伏屋委員 この問題についてもう少し大臣と議論をいたしたいところでございますが、時間がございません。  最近、十三日でしたか、いわゆる熊本の丸刈り訴訟の判決が出ました。けさほども佐藤委員の方から日生学園のあの非人間的な取り扱いというものについて大きな問題とされたわけでございますが、そういう体罰というものは最も忌み嫌われなければならない。と同時にまた、現在学校子供人権を余り重視しない中でつくられておる規則、いわゆる校則、そういうものが子供をがんじがらめにしておるのではないか。我々大人は自分の権利を主張することができますが、子供はそれができない。それだけに、より子供人権というものを尊重する面においての深い配慮が必要ではないか。学校中心にして起こっておるこのいじめの問題であるだけに、学校がそういう子供人権を余り重視しない中で、その生徒規則を言えないような先生もおるような生徒規則が今ひとり歩きをしておるわけでございまして、そういうものもいじめと全く無縁であるとは言えないわけでございます。そういう訴訟の結果、一応原告敗訴ということからこれから学校の規則というものはもっとどんどん拡大したっていいんだというような危険な方向に行くとすれば、その学校いじめ風土というものはなくならない、そういうことを考えるわけでありますが、その辺の裁判の結果についての見解、またそういうような規則についてどう御認識が、お聞かせ願いたい。
  162. 高石邦男

    高石政府委員 学校の規則は学校教育の目的を達成するという観点からつくられるものでございます。したがいまして、その内容はそれぞれの地域、学校の実態に応じてさまざまであろうと思います。そういうことで、それぞれの学校でその地域の実態に応じた適切な内容のものがつくられて、そして子供たちがそのルールに従って集団生活をやっていくという基本的な態度は今後とも必要であろうと思います。ただ、その内容につきまして、余りにも細部にわたり、子供自身の自発的なそれらの規則を守っていくという意欲が逆に阻害されるというようなことがあってはならない、あくまでそういうルールが自発的に子供自身から支えられて守られていくというような内容でなければならないということで、規則の内容につきましては、一々、これでいいとかこういう内容がいいということを我々は示すわけにまいりませんので、それぞれの学校で適切な内容のものをつくっていただきたいというふうに思っております。
  163. 伏屋修治

    ○伏屋委員 時間も参りましたけれども、そういう意味において、いじめの通達を出されましたけれども、この校則、生徒規則というものも全くいじめとは無縁であるとは言えないだけに、やはりそういうものの実態調査、いわゆるいじめの総点検の中にそういうものも含めて、いかに子供人権学校の中で無視されておるか――ある人に言わせると、その学校生徒規則が完璧に守られておるところには校内暴力はない、このように言われておるわけでございまして、現にそうなっておるようでございます。しかし、それは、いわゆる懲戒するという担保をとった上での厳重な管理であるから子供は従順にならざるを得ない。こういうことからしますと、それが本当の教育の姿でないことはもう言うまでもないことだと私は思います。そういう面で、校則もやはり必要最小限の規則にとどめて、あとは教師子供、親がその生徒規則に本当に関与しながら話し合いの中でこれを進めていかないとがんじがらめになるのではないか。いわゆる今のいじめの対症療法としましても、四十人学級の編制というものも早急にやらなければならぬことでしょうし、スポーツとかいろいろなものを通じながら先生子供が一体になって溶け込めるという時間的なゆとり、これもいじめを直す対症療法の一つではないかと思います。また、疎外されておる人たちを見て、よりすぐれた人が立派なんだという価値観だけが横行するのではなくて、それぞれ人間にはそれぞれのよさがあるという、その価値観というものを子供たちと話し合えるような場を積極的に広げていかないと、この問題は解決しないと思います。  そういう面においての文部省の今後の一層の、実態調査というものを踏まえての、より根源的ないじめ問題解決等々の御尽力を要望いたしまして、質問を終わりたいと思います。
  164. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 池田克也君。
  165. 池田克也

    ○池田(克)委員 予算委員会でも私取り上げました学歴社会の是正の問題に関連いたしまして、いわゆる青田刈りと言われる問題についてお伺いをしたいと思います。  予算委員会でも大臣から答弁をいただいておりますが、私は、今問題になっている教育改革の一番根本は、大学有名校偏重、それに向かっての幼稚園からと言われるような教育の過熱ぶり、こうしたものがいろいろなところで問題を起こしてきたという認識を持っているわけでございます。  労働省お見えになっておりますか。冒頭、労働省にお伺いしたいのですが、ことしは大変過熱をいたしまして、七月ごろから企業と学生の間に、内々定であるとか、あるいはそれの取り消しであるとかというふうなことがあったようでございます。時には、決定を見たということで本当に本人は安心をしておったところが、実はあの話はなかったことにしておいてくれ。企業の側からすれば、いい学生を確保したい余りでしょうが、予定の数よりも多目に約束をしていよいよになってそれを取り消すという非常に身勝手な、学生の側からすればショックなこういう事件事件とあえて私は申し上げたいのですが、起きてきたわけでございますが、これは現行の労働法制、職業安定法制等いろいろあると思いますが、これに照らして問題はないのかどうか、最初にお尋ねをしたいと思います。
  166. 矢田貝寛文

    ○矢田貝説明員 御説明申し上げます。  大学生の採用問題につきましていろいろな御指摘がなされておりますけれども、私ども一番重視しておりますのは、今先生の言われました採用内定取り消しといったような事態が仮にも生じてくるという点につきまして最大の問題という意識を持っております。  法律的な問題でございますが、この採用内定、いろいろな態様がございまして、なかなか一律に議論するわけにまいらないわけですが、その採用内定通知というものが労働契約の締結の申し込みに対する承諾の意思表示ということで、きちっと労働契約というようなことで成立している場合につきましては、当然取り消すといったような場合には基準法上の一定の制約を受ける、例えば解雇につきましても一定の制約を受けるというような問題で、基準法上措置できるわけでございます。  問題は、先ほどいろいろなケースがあると申し上げましたけれども、例えば私どもの役所といいますか行政の場合ですと、十一月一日の採用試験を行いますとそこで採否を内定しまして、これは人事院の方にも内定しましたよということでの通知をいたしますし、本人からも、ではうちの役所に来るのだなということで、今申しますきちんとした契約関係といいましょうか、そういったような形が行われるわけですけれども、例えば学生さんの場合も、Aの会社、Bの会社、Cの会社もそれぞれ受けて、その中からいいのを選びたいということで、必ずしもおたくの会社にちゃんと行くんですというところまでいかなくて、何となく口約束で終わってしまっているというようなケース等々もあるわけでございます。  いずれにしましても、こういった採用内定取り消しが生じないということにするためには、先ほど申しました基準法上等の問題につきまして監督機関との十分な連携をとってやることが一つと、もう一つは、そういった採用内定というものの性格につきまして、文部省さんとも御協力しながら、やはりそこの仕組みというものを、採用内定という場合にはちゃんと文書でもらって、そのかわりあなたもその会社に行くよという格好でのいわゆる契約関係というものをきちんとしなければいかぬというようなことの指導を学生にする。それと同時に、企業にっきましても、単なる会社のOB等が口約束で何かするというようなことでなくて、人事の担当の役員の方で採用内定通知を明文化した文書で出すようにといったような指導を重ねるとか、そういったような方法でこの問題に対応していかなければいけないと思っておりまして、そういった努力を続けている段階でございますし、さらに今後そういった方向で文部省さんとも御協力しながら努力してまいりたい、かように考えております。
  167. 池田克也

    ○池田(克)委員 今御答弁がありましたけれども、整理して単純化しますと、口約束だけではそれは意味を持たない、学生の方にもきちっと会社側からの、君を採用するという意思表示を何らかの文書でもらっておきなさい、こういう指導をする必要があるという趣旨を労働省は考えていらっしゃる、こういうふうに理解していいでしょうか。
  168. 矢田貝寛文

    ○矢田貝説明員 そのとおりでございます。最終的に争いになりますとやはり証拠になるものがないといかぬわけで、もちろんそれは口約束でもちゃんとした何かわかるようになっていればいいわけですが、基本的にはこういったものは、かた苦しい話かもしれませんけれども、文書できちんと交わしておくということが、後々の争いが起こったとしても企業側の責任を追及できる、あるいは学生さんも一定の責任を持たなければいけないという問題ですけれども、基本的にはそういった文書でもってきちんと内定通知等を行っていくということが必要だろうというふうに考えております。
  169. 池田克也

    ○池田(克)委員 それは具体的には労働省から何かの機関を通じて各大学あるいは就職担当者に徹底をされるような御方針なのでしょうか。
  170. 矢田貝寛文

    ○矢田貝説明員 御案内のとおり、大学の学生の職業指導等につきましては、大学等で職業紹介機関としておやりになっておりますので、私どもとしましても、文部省の方に御相談いたしまして、そういったことが徹底されるようにというような御相談をしてまいりたいと思いますし、企業側につきましても、前回の臨教審の答申を受けました後で経済四団体との間でいろいろなお話し合い等もしておりますから、そういった場所等を通じながらやるとか、場合によっては文部省さんとも御相談しながら通知をするとか、そういった方法を当然考えなければいけないだろうと思っております。
  171. 池田克也

    ○池田(克)委員 いわゆる就職協定というものがまた問題になってきております。これは大臣にお伺いしたいのですが、労働大臣との間でいろいろ協議がなされている。総理からも、非常に重要な問題なのでできるだけ早期に手を打つように努力させたい、こういう答弁をいただいておりますが、この就職協定についてその後何らかの進展は見られているかどうか、お伺いしたいのでございます。
  172. 松永光

    松永国務大臣 民間企業が自分のところの従業員を採用する場合に、どういう人を対象に入社試験をするか、いつごろそれをするか、こういったことは、厳密に言えば、企業と就職希望者の相対の関係なのであります。ただしかし、それが適切な時期に適切な方法でなされませんと学校教育にも少なからず影響を及ぼす、こういうことがありますので、そこで、望ましい時期はこのころだから、こういう時期にこういう方法でということを、別に厳密な意味での強制力があるわけじゃありませんけれども、お互いに守りましょう、守ってもらいたいということでの就職協定があるわけであります。しかし、企業の側からすれば、人材を確保してこそ初めて企業が伸びていけるわけでありますから、十分な人材確保ができなければその企業は滅んでしまうことにもなりかねない、そういったことから、ほかの企業に優秀な人材を取られる前にこっちはいいのを採ろうなどということで、結局は今申したような紳士協定が守られずに、いわゆる青田刈りという現象が起こっておる、こういうことであろうと思います。  そこで、冒頭申し上げましたとおり、厳密な意味ではなかなか強制力がない話でありますし、結局、我が国の学校教育をいい姿で遂行できるような事柄に企業の方でも協力してもらいたい、こういう趣旨なのでありますので、そこでやはり協定は必要ではないのだろうか。しかし、必要な協定であってもほとんど守られないということであれば、これまたおかしなことでありますから、正直者がばかを見るという結果にもなりかねません。そこで、守られるような協定はどういう中身ならば守られるのだろうかということの勉強を今しているという段階なのでございます。
  173. 池田克也

    ○池田(克)委員 十月二十六日付の日経新聞の報道でございますが、労働大臣が二十五日に高知市内の記者会見で、青田買い問題について、「労働省、文部省、経営者団体と実務者会議を行っており、年内には何らかの新たな取り決めをしたい」、こう語ったということですが、年内に何かめどをつけたいという意向を労働省は持っていらっしゃるのでしょうか。
  174. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 労働省にちょっとお伺いしますが、先ほどの池田委員の言われたことにあなたは答えてないと思います。と申しますのは、要するに口頭であっても内定をしたというのを取り消した場合どうなのか、その労働法上の問題はどうなのかということで、だれが青田買いの最中に文書でもって採用通知を出すのですか。そういうことを含めてきちんと答えなさい。今の点は僕からの質問です。
  175. 矢田貝寛文

    ○矢田貝説明員 それでは、冒頭に今の点につきましてお答えいたします。  その採用内定通知にっきまして文書が望ましいということを申し上げたわけですが、文書によるかどうかは別としまして、先ほど申し上げましたのに重ねて申し上げますと、採用内定通知というものが、学生側ですけれども、労働契約締結の申し込みに対して、企業がそれに対して承諾をするという意思表示として行われているという事実がとらえられる場合につきましては、当然そのことにつきましては労働契約として有効に成立しているということでございますから、それの取り消しといったような場合につきましては、先ほども申し上げましたような、それが口頭であれ文書であれ、きちんと基準法上の法規が適用になっていく、そういった面での強制的な指導をしなければいけないということでございますので、説明不十分の点につきましてはおわび申し上げます。  それから、先ほどの御質問大臣新聞報道でございますが、私も報道で見ている範囲でございますが、多分これは、説明員の立場でございますのであれでございますが、就職協定というのは大体例年十二月、一月ごろにことしどうしようかということが決まっていくという、来年になりますとすぐ学生さんたちのいろんなあれも始まっていくとすれば、早い時点で何らかの格好でのそういった方法ができることが望ましいということを申し上げているのだろうと思いますし、私どもも基本的には、これが来年の七月とか八月とかいう時点になってでは、仮に新しい格好での何かの就職協定についての有効な手段を見出すにいたしましても、来年になかなか間に合わない。もちろん中身によりましてはかなり時間がかかるものがあろうかと思いますので、就職協定の基本から申しますと、やはりそういった時点で来年どうするかという点についての一定の関係者の合意というものができることが望ましい。私どもそういった努力はしてみたいというふうに考えております。  説明員の立場でございますので、お許しを願いたいと思います。
  176. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 委員長から一つ質問します。  青田買いの最中に、要するに解禁される前に文書で内定を出すというような例はあるのですか、ないのですか。
  177. 矢田貝寛文

    ○矢田貝説明員 御質問の趣旨は、協定違反の状況の中で文書で出すということがあるかどうか、こういう御趣旨だと思いますが、一般的にはないだろうと思います。したがって、その中では大抵口頭でやられているというのが現実の姿であろう、このように推察しております。
  178. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 解禁前の話でしょう。
  179. 矢田貝寛文

    ○矢田貝説明員 はい。
  180. 池田克也

    ○池田(克)委員 今早口でおっしゃったのでもう一遍確認をしたいのですが、労働省としては年内に何らかのめどをつけたい、こういう目標であるかどうか、そのことだけお伺いしたいのです。
  181. 矢田貝寛文

    ○矢田貝説明員 少なくとも大臣はそういったお気持ちをお持ちになっているだろうということを、説明員の立場としては申し上げさせていただきます。
  182. 池田克也

    ○池田(克)委員 これは文部省にもお伺いしたいのですが、要するに、大学としての学生に対する指導も当然必要だろうと思います。私は先ほど大臣からも協定が守られなかったという御答弁をいただいておりますが、やはり守られなかったというのは大学です。社会の秩序、正義、公正ということを教える場です。そこで協定が守られないで、ある時期いわゆるノンルールになってしまったということ自体、大学が教育の機能を放棄したというふうに私は厳しく受けとめてもいいぐらいの内容ではなかったかと思うのです。事柄は、企業が学生に接触をして、君、こちらに来ないかという状況があった。それについてだんだんとその時期が繰り上げられていって、学生にしてみれば、自分だけがいいポストを得ればいい、人のことはもうどうでもいい。ルールがあって、みんなで希望する会社に就職試験を受けに行って、そこで競争をして、力がなければあきらめる、力があれば自分の希望する職種に、企業に入れる、これがずっと今まで学生が経てきた公正な行き方の道だったと思います。それが突如として、そういう試験ではなしに、君だけちょっと来たまえ、君の意向さえよければ君を入れるよ。社会における駆け引き、裏工作、こうしたことが大学卒業という教育を積み重ねてきた最後の期間で行われて、それが放置されている。受かった人間がいかにも得得として、僕はいいところへ入れたんだ。こんなことがまかり通るということは、子供たちの社会におけるあらゆる秩序というものをぶっ壊してしまう。実はいじめの問題はここいら辺にも原因があるんじゃないかという気が私はするのです。したがって、今の協定を年内にめどをつけたいという労働省の御意向は、文部省も同じ気持ちなのか。そして、つくる以上は、守られる、協定内容がどうこうということではなしに、どんな協定ができようと学生はそれを守るべきだという指導をきちんと文部省は大学に指導していくべきではないか。  二つほどお伺いしたいのです。年内についての時期の問題とその性格について文部省がどういう認識を持っておられるのか。社会の事件ですから仕方がない、成り行きだ、こういう考え方というのは、文部大臣立場からおっしゃるのは私はどうかなというふうに思うのですが、いかがでしょうか。
  183. 松永光

    松永国務大臣 先ほど申したとおり、ある企業がどういう人を対象に採用試験をやるか、どういう試験方法をやるか、どういう時期にやるか、こういったことは、その企業とそれからそこに就職したいと希望する者との相対の関係なんですね。一つのルールをつくってそれを強制することが法的に可能かどうか。なかなか可能だという結論は出てこないです。そういう意味で、任意協定といいますか紳士協定みたいな形になっているわけです。それを企業に対して強制するということは、法的に言えば不可能なような感じが私はする。しかし、企業と個人との相対の関係だからといって野放しにしておけば、学校教育の適切な運営にマイナスがある。そこで、守ってもらいたいという希望を込めて協定をつくる、こういうことに今までなっておったわけですね。しかし、無協定という状態は、実は学生側も企業側も望んでいないようであります。したがって、何らかの協定があった方が望ましい。しかし、協定がある以上、企業の側でも守れるような協定にしなければならぬ。そこに内容面での難しさが実はあるわけであります。そこで、どういうことであるならば守れるだろうか、こういうことであるわけでありまして、そのことの勉強を今しているところだ、こう申し上げた次第でございます。  なお、そういう協定をつくる以上は、前からそうでございましたが、年が明けてからではやや遅い。したがって、年末ごろあたりに大体意見の交換をして、そして遅くとも一月早々ぐらいには翌年度の卒業者について何らかのルールづくりができれば望ましいというふうに思っておるわけでありまして、そういう方向で今勉強中であるということを申し上げるわけであります。
  184. 池田克也

    ○池田(克)委員 企業と学生の間、これはお互いに自由な契約だという御趣旨かもしれませんが、教育を今改革しようという時期です。しかも、学生は、特に大学教育に関しては、国は巨額の金を投じて足りないところを補い、学生の経費を負担して、国家の将来を担わせる人材を育成している。言うならば国家の財産だと私は思うのです、大卒の人材――大卒だけではございませんけれども。したがって、それを企業が企業の利益のために、ある意味では恣意的に教育にまで踏み込んだ時期にそうした交渉を行わせるというのはいかがなものか。むしろ、文部省は、教育行政をつかさどる上ではっきりこの時期までは困るのだ、交渉してはいけない、学生にも接触をしてはいけないと言うくらいの構えが必要だし、そのために前から私が主張しておりますのは、キャリアガイダンスと言うのでしょうか、就職に関する指導というものをかなり早い時期に大学のカリキュラムの中に組み込んで、そしてこれは必修で、学生たちが社会の現象、契約というのはこういう状況でなければそれを実らせられないのだ。あるいはまた、いろいろと私も資料を持っておりますが、中には、学生には、自分の力を十分知らないで有名な会社とか、いわゆる騒がれているところとか、力と現実との間に乖離があって、就職に随分と遠回りがあるというふうに就職担当者はいろいろと指摘をしているわけです。そうした点からも、私は、大学教育の中で適切なキャリアガイダンスをして、学生をむだなことをしないできちっといいところへ就職させていく、こういう活動が必要なのではないか、こういう考え方を持っているわけです。  したがって、文部大臣にお伺いしたいのは、文部省としてこの問題についてどういうおつもりでいらっしゃるのか。双方の間に立って考えることはいろいろできると思います。しかし、教育改革の一番の中心的ポストである文部大臣のお立場として、今の社会現象の中でこれをどう考えるか、キャリアガイダンスの問題も加えてお伺いをしたいわけです。
  185. 松永光

    松永国務大臣 大学ということに限って申し上げますと、大学はそもそも何のために存在し、また何のために大学へ行くのか。私は就職の準備として行くところとは思ってないのです。学問をするところが大学であると思っております。学問をした結果、知的能力が非常に発達をするあるいは人間的な向上もなされる。こういう知的能力があり人間的にも立派だということになってきて、企業が、あの人ならば自分の企業にとっていい働きをしてくれるからということで、そこで企業と個人との間の雇用契約がなされる、こういうことであろうと思います。  そういう意味では、それぞれの大学が自主的になされるべき事柄でありますけれども、大学の評価を高めるためには、結果的には自分の大学卒業者が、いいというか何というか、いわゆるいい企業にたくさん就職できるということがその大学の評価を高めることになるでしょう。そういったことで、各大学が自主的な判断で就職についての学生に対する指導、助言あるいは勉強会、それは大学が自主的に判断をしてなされるべきことだと思います。ただ、大学の本来あるべき姿は学問をするところである。その大学で学生としては自分の知的能力を高める、人間性を高める、そのための勉強をするところが大学だと私は思っておるわけであります。  そうしてまた、企業としては大学卒業生を採るかあるいは卒業前でもいい人材ならば採用するよ、こうなればこれはとめる方法はないわけであります、そういうものだと私は思っております。
  186. 池田克也

    ○池田(克)委員 もう時間がなくなってしまいました。それは確かに、大臣がおっしゃるように、卒業以前から、中退でも採ろうということであればこれは仕方のないことだと思います。しかし、問題は、今大卒ということが対象になっております。しかも、卒業見込みということで、学生の側から見ますと、六月とか七月とかいう時期はまだかなりの年数が残っている状況ですから、見込みはあるかもしれません。しかし、自分もそういう思いを持って企業と接するということは、学生の姿として余りいいことではないのじゃないか。したがって、それについて学生がその行動をどうするかは別ですが、大学側にもきちっとそれについて指導するようなキャリアガイダンスのような機会を設けるべきだということを前々から申し上げているわけでございまして、その必要は全くない、自分の進路についてはあなた個人で考えなさい、大学は学問をするところだ、就職については関係ないよ、それは一応の建前諭だと思います。現実にはそう動いていないので、私はキャリアガイダンスについて必要性を訴えたい。大臣に、最後にそれについての御意見を伺って、終わりにしたい。と思います。
  187. 松永光

    松永国務大臣 先ほども申したとおり、これは各大学が自主的な判断で自分の大学の学生について就職がうまくできるように親切な相談事業をしようということでやられることは、これは結構なことであると思います。
  188. 池田克也

    ○池田(克)委員 終わります。
  189. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 委員長から文部大臣一つだけお尋ねいたします。  民間企業と学生との関係については大臣の御答弁でも結構だと思うのですが、文部省以外のほかの役所でも同じような傾向があったと聞いておりますが、これは同じ政府機関の一つとして、何らかの対策がなかったのか、あるいはどういうふうに考えておるのか、来年はどうするのか、お答えいただきたいと思います。
  190. 松永光

    松永国務大臣 文部省はいわゆる就職協定を厳格に守ったのであります。よその役所についてはつまびらかでありませんので、コメントすることは差し控えさせていただきたいと思います。  なお、望ましいのは、役所の場合には国家で行う試験、公務員試験の合格者について採用をするわけでありますから、その公務員試験の発表時期等との関係で適切な時期の方が望ましいのじゃなかろうかなと思います。
  191. 白川勝彦

    ○白川委員長代理 滝沢幸助君。
  192. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 大臣、御苦労さまです。  私は、国語の問題並びに教科書検定等の問題について一連の質問を申し上げたいと思いますが、それに関連しまして、初めに、法務省から見えていただいているはずです。  これはたびたび法務大臣また省の皆さんに申し上げたことでありますから、詳しいことは省きますが、私が国語の問題の一環としてとらえている戸籍法五十条並びに同施行規則六十条におきまして、子の名前をつけようとするときに、二千百十一字でしたか、いわゆる常用漢字と特に定められた名に使うべき文字とされたもの以外には使えないということは、かたい言葉で言えば、憲法における表現の自由、思想及び良心の自由というものを侵害するものであるというわけだけれども、それはそれといたしまして、私がきょうここであなたにお尋ねしたいと思いますのは、文部省昭和二十一年に当用漢字というものを制定しました。千八百五十字でありましたか、これに対して五十六年には常用漢字というものに切りかえているわけであります。大体百字近くふえまして千九百四十五字、これに名に用いるべき文字をプラスしたのが施行規則に言う子の名に用いるべき漢字でありますから、これ以外は一切だめだというのが法務省立場でございます。しかし、現実には全国の市町村の窓口において子供さんのお名前をつけようとしたときにトラブルが起きているわけでありますから、そのことを思うときに、文部省が常用漢字に切りかえたということは、一つの生活の目安であって決して制限するものではないと私は言っているわけです。しかるに、法務省は、これを厳然として一つの規則として固定化して、それ以外のものは一切排除するということは、両省の態度が合わぬじゃないか、ちゃんと返事を用意してくれとこの前言ったのですが、どうなっておりますか。
  193. 細川清

    ○細川説明員 お答え申し上げます。  五十六年三月の国語審議会の答申におきましては、人名用漢字の問題は、戸籍法等民事行政との結びつきが強いものであるからその取り扱いを法務省にゆだねるものとされておりまして、またこれに先立ちまして五十三年七月には、文化庁から法務省に対しまして、国語審議会の審議の内容を御連絡いただくとともに、右のような御意向の伝達がありました。こういったことに基づきまして、五十四年一月から民事行政審議会で審議がなされて、現在の法制のもとになっている答申がなされたという経緯がございます。そして、民事行政審議会におきましては、従来の当用漢字の制度が常用漢字の制度に改められるということを念頭に置きまして十分審議がなされまして、その結果、答申の中では、常用漢字表は漢字使用の目安であってその範囲を制限する趣旨のものではないが、その目安が一般の社会生活において効率的で共通性の高い漢字によってわかりやすく通じやすい文章を書きあらわすことを目的として立てられているという基本的な考え方からすれば、子の名に用いる漢字について、右に述べた事情を考慮して、その漢字を一定範囲に制限することは常用漢字の表の趣旨と必ずしも矛盾するものではないという答申になっておるわけでございます。したがいまして、民事行政審議会が人名用漢字の制度につきまして検討をされた際には、そういった常用漢字が目安であるということを十分意識した上で、このような答申がなされたものであるというふうに理解しております。  以上でございます。
  194. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 私は、答申がどのようにあったかを聞いておるわけではない。それは両省の態度が一致しないということだと聞いているわけです。  そして、つけ加えてお尋ねしますが、実は会社を設立した。この会社を登録するときに、会社の文字は何らの制限もない。実は自治省では市町村等の合併その他によって町の呼称の変更等に携わっておいでになる。しかし、町の名前も何の制限もない。また、いつも言うんだけれども、名前を制限しましても、いわゆる姓、名字は何らの制限も加えることはできない。ならば、実質効果がないのではないか。そして、これを自由につけさせても、国家が財政的、制度的に何らの犠牲も負担もないのではないか。国家が財政的にも制度的にも何らの負担も犠牲もなくて、しかも国民の声が反映できるというならば、思い切ってこの制限を撤廃することが望ましいと私は思う。このことについては、私は再々、この次もまたお尋ねをしますから、きょうはきちんといきませんけれども、ひとつどうか省内で意見を整理してちょうだいして、次にお答えを願いたいのです。ひとつこれから省に持ち帰っていただく立場について一言。
  195. 細川清

    ○細川説明員 お答え申し上げます。  確かに、従来の方には制限がないわけでございますので、制限としては中途半端かもしれませんが、やはりそれなりに現行制度に存在意義があるのではないかというのが従来の考え方でございます。そして、この人名用漢字として使用できる漢字の数でございますが、これは先生御案内のとおり、当初は当用漢字表の千八百五十字に限られておりましたが、その後三度にわたって追加されたという状況もございます。ですから、やはり制度としましても私どもは不変のものであるというふうに考えているわけでもございませんので、先生の貴重な御指摘を踏まえまして、今後もこういった制度の研究に努めてまいりたい、このように考えておるわけでございます。
  196. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 御苦労さま。どうぞ省に帰って御相談してちょうだい。  ところで、お聞きのようなことで、文部省が戦後のどさくさ紛れにおきまして、元来のローマ字論者のような方々の主張が、GHQのいわゆる日本の制度改革という言葉はいい言葉でありましょうけれども、私たちに言わせれば日本解体政策、こう言いたい。     〔白川委員長代理退席、委員長着席〕 いずれにしましても、そのような状況の中でできましたあの漢字の制限、これは今お聞きのような部面にまで、国民生活に深く犠牲を強いている、このように私は申し上げさせていただく。  ならばここで、どうだろう、これはたびたび繰り返してきたことだけれども、漢字の制限というものはどのような意義があるか、私はもう一度文部省は勉強し直していただきたいと思うのです。  ここに加えまして仮名の遣い方、いわゆる現代仮名遣いというあの制度、これが歴史的仮名遣い、正仮名遣いと言ってもよろしいでありましょう、これとのかかわりについて私はたびたび議論を申し上げているわけでありますけれども、ここに二つの団体からの意思表示がございます。  と申しますのは、国語審議会がこの二月に三年間の議論の末に出しました改定現代仮名遣い案、この案につきまして五月ごろから精力的に、たしか五カ所でありましたか、公聴会といいますか説明会を持ちまして、各界の意見を聞いておられるはずであります。その説明会にあらわれました数数の方々の御意見、加えましてここに二つの団体からの意見が表明されているはずであります。その一つは国語問題協議会という団体がございます。これは木内信胤先生が会長をお務めであります。この団体から出てきました一つの意見書、これは十一月九日に提出されたと報じられております。つまり、歴史的仮名遣いが正則なんだ、これが本当なんだということを宣言してほしい、そして、現代仮名遣いもこれを使っていけないというのではないけれども、標準は歴史的仮名遣いが正しいのだ、こういうことを宣言してほしいというような趣旨であったと私は理解しております。これについていかにお考えですか。
  197. 加戸守行

    ○加戸政府委員 十一月九日でございますが、この国語問題協議会の会長であります木内信胤先生の方から文化庁に今の文書の送付がございまして、翌々日でございますが十一月十一日付をもちましてこの意見書、文書を国語審議会の委員全員に送付させていただきまして、来月になりますが十二月十三日に国語審議会の全員協議会が開催予定でございますので、当然そこで議論として取り上げられることになろうかと思っております。
  198. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 続きまして、これは少しさかのぼりますが、四月三十日に文芸家協会というところから意見書がお届けされているはずであります。これは俳人の山本健吉先生が会長をお務めでありまして、一千三百人余りの方々がこれに署名されているはずであります。これも表現はややさきのものと違うのでありますが、しかし要するに、現代仮名遣い――文部省・国語審議会が進めました、さらにはこの改定も含めてのこのことを批判している立場に立っているわけであります。歴史的仮名遣いが正しいのだ、これでこそ初めて日本の伝統ある文学としての、ないしは生活文化としての国語があり得るのだという立場をとっていらっしゃるわけだけれども、これについてどのようにお考えであるか。私が申し上げたいのは、次の審議会でこれが議題になるであろうということではなくて、この二つのもの、さきに申し上げた国語問題協議会のものもお読みでありましょうし、この文芸家協会のものもお読みでありましはうから、それをごらんになった上の今のあなだのお考えはどうか、このように承っているわけであります。
  199. 加戸守行

    ○加戸政府委員 四月五日付で日本文芸家協会がまとめられました御意見が寄せられてございます。先生承知のとおり、改定現代仮名遣い試案を公表いたしまして、各界からの意見を聴取したわけでございますが、文書で寄せられました意見としましては、団体からは五十件ほどございまして、ほとんどが改定現代仮名遣いに総論として基本的に賛成の御意見でございますが、団体といたしましてはその日本文芸家協会が現代仮名遣いそのものに対します批判の御意見でございます。数的な意味ではそうでございますが、一応寄せられました御意見は、団体、個人すべて印刷いたしまして、国語審議会の総会にもお配りしまして、御検討の材料とさせていただいている状況でございます。ただ、審議会での今までの御議論の経緯からいたしますれば、文芸家協会の御意見をそのまま受けとめてどうというような状況では現時点ではございません。
  200. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 その団体ないしは個人から寄せられました文書による意見等を資料としてちょうだいできますか。  続けて申し上げきせていただきます。  先ほど申し上げましたあの説明会に表明されました意見、特に独協大の名誉教授の市原豊太先生等がいわゆる批判の立場、歴史的仮名遣いが正しいとおっしゃっている立場に立って御意見を開陳されているはずであります。ないしは、さっき申し上げました二つの団体その他から寄せられました歴史的仮名遣いを正しいとする論理は、大変字間的な立場に立ってこれをおっしゃっているのが多いと思うのでございます。このようなことを思うときに、私は、次に開かれますそして二月には結論を得られるでありましょうところの国語審議会における現代仮名遣いのいわゆる改定の作業というものに対して、あの発表されました案に対しては大きな変化が出てくるであろうと期待するのでありますが、そのようなことがありましょうか。
  201. 加戸守行

    ○加戸政府委員 まず、先ほど御要請のございました改定現代仮名遣い案に対しまして寄せられました意見は、文化庁がそれぞれ文書で照会をしちょうだいしたもの、あるいは個人から寄せられたもの、印刷したものがございますので、資料として先生の方へお届けさせていただきたいと思います。  それから、ただいまおっしゃいましたような各個人からの御意見、あるいは市原先生の雑誌に発表された御意見、あるいは今度国語問題協議会から寄せられました御意見等いろいろございますが、主として、木内先生が会長でいらっしゃいます関係もございますので、多分今度の国語審議会におきまして木内先生の方から国語問題協議会の意見の御披露並びに指摘等もございましょうし、御議論もあろうと思います。ただ、その結果がどのような形になるのかというのは、審議会、全くフリーで各人の御見識で御発言され、議論が進められると思いますので、予断をもって今申し上げる立場にはないと考えております。
  202. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 これはあなたに言っても仕方がないが、私は、いわば今日、日本の政府の基本的な態度の中にあるものと実は申し上げさせていただきますけれども、それは審議会が御自由に御討論されて出てくる結果だがら予断を申し上げられない、こちらには何もございませんとおっしゃるのはまやかしでありまして、これをこのようにしたいという一つの意図があって審議会というものをつくられるのでしょう。大抵そうですよね。ですから、審議会の委員の顔ぶれすらもそのような点に立って考えていらっしゃるのじゃありませんか。そのことがたびたび議会等で、審議会というものが議会をバイパスするものであるというふうに議論されているゆえんじゃありませんか。ですから、私は、審議会がどのような結論を出されるかはわからぬけれども、今のような状況ならば、改正になることが望ましい、それを期待する、あるいは今の案のまま通ることを期待するというものが政府にないならば、審議会というものは何ですか。何らの意図もなくて、政府が任命してみずから結論を出す、そのようなものであると断言してはばかりませんか。ならば、委員というものはどのようにして選定されるのです。まさか国民の投票じゃないでしょう。
  203. 加戸守行

    ○加戸政府委員 この問題につきましては、もちろん昭和二十一年十一月に内閣告示、訓令で定められました現代仮名遣いについての見直し作業を行っていただいたわけでございまして、それを四十年たちました今日の時点においてどのようにあるべきであるかという内容で諮問した形が、まだ答申に至ります前段階として一応試案が公表されたわけでございます。  そこで、審議会の構成自体は四十五人の委員の構成でございますけれども、少なくとも各界各層を網羅する形で、見識のある学識経験豊かな方々を委員としてお願いしておるわけでございまして、少なくとも文化庁サイドの考え方といたしましては、今の全国的な立場からあらゆる分野を網羅した公正な御審議が進められているものと理解しているわけでございます。
  204. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 それは水かけ論でありますが、四十五人で日本のすべての知識を網羅することはできぬわけであります。いろいろの立場があるわけでありますから、それをすべてを公平に網羅することはできないでありましょう。一つの目安と期待があって任命していると私は理解する。  いずれにしましても、しかし既に四十年これが定着しているという考えは間違っておりますから、しかも今日今このように多々批判する立場の意見が寄せられているわけでありますから、ひとつ謙虚に受けとめて、二月までに作業してちょうだいするように要望しておきたいと思います。  ところで、釈迦に説法でありまするけれども、国語というものは四十年ぐらいでただ単に定着するものではございませんよ。御存じのように、あの万葉の昔からいろいろの国語が苦悩の中で成長してくるわけであります。そして、ちょっと言われておりますのは、藤原定家、これが大変努力をされていわゆる仮名遣いというものを整理された、こういうふうに言われているわけであります。しかも、なおそれを継承されまして僧の契沖がこれに基本的な検討を加えて完成をしたと言われているわけであります。さらには、例の国学者として知られました本居宣長が、いわばこれをさらにさらに精度を加えて完成した。ここに日本の仮名遣いはいわばきわまったりと言われているわけであります。しかも、それが徳川時代にやや乱れた時期もありましたが、明治政府がこれを受け継いで、いわゆる歴史的仮名遣いというものが小中学校その他正しく行われるようになって、戦後の改革に至るわけであります。  ところが、文部省というものは一体どういうものでありますか、明治四十一年にこれをいわゆる今の仮名遣いのふうなものに改定をしようとしましたね。しかし、これはそのときに文豪森鴎外が命を略してこれを阻止しているわけであります。委員に任命されました、そして委員会において堂堂たる意見を開陳し、著書を著してこれを阻止しておりますね。そして、これは故意か偶然か知りませんけれども、その鴎外が大正十二年に亡くなりまするのを待ったごとく、大正十三年に文部省はまた改定案を出しているわけであります。ところが鴎外は、このことを憂えて、遺言をもってこれを自分の後輩といいますか弟子というのでありましょうか、東北大学の教授でありました後輩にこれを託しているわけであります。そして、しかもこれに対して、これも文豪芥川龍之介、これが大変な論文を発表してこれを学界に問い、国民に問うている。そして、これは文部省がまた引っ込めざるを得なかったわけであります。  なおまた、先ほど申し上げました東北大の教授は――どうもメモというのは、なかなかどこにあるかわからぬのが私のメモの特徴でございまして、それは役所のようにはなかなかいきません。いずれにしましても、そのようなことでいきましたものが、戦後にあのようなことで歴史仮名遣いは現代仮名遣いに書きかえられるわけでありますが、山田孝雄さん、これが「明星」、あの有名な「明星」に論文を発表して、これは鴎外先生の遺志を継いでこれを阻止したということになっているわけでありますが、先ほど申しましたように、何しろ戦後はあの食うや食わずのどさくさ紛れでありますから、皆さんが生活のことに追われているうちにあのようなことになった。このときに日本の政治家ないし文人が、かつての森鴎外のごとく命を賭してこれを阻止する者があらわれなかったのは、日本文化の不幸と言わなければなりません。しかし今日、四十年にしてこのようなことであります。  実は、先ごろ私たちはヨーロッパの教育文化事情を視察ということで旅をさしていただきました。そのときに私はフランスの学士院を訪れまして、フランスにおきまする国語の取り扱いはいかになっているか、これは世界に有名なことでありますから、アカデミーフランセーズ、これは何しろ十七世紀の前半、最初は十数人と言われましたが、後ほどから四十人になりまして、それが今も定着をしている。四十人の権威ある学者が一生涯、任命された以上は死ぬるまでこの仕事を継承するということで、週に一回学士院に集まって、そしてフランス語の番人といいますか、フランス語の研究をしていらっしゃる。そして、数十年ごとに一冊ずつの辞典、字引をつくる。これが非常に権威あるものとされているわけであります。その間に革命があり、政変があり、戦争がありましても、この制度、この習慣は変わらぬわけであります。今用いられているものは一九三二年にできた辞典だというわけでありますから、五十年を経ているわけであります。そろそろ新版が出てくることかもしれませんけれども、それにしても、この五十年の間にあの戦争をフランスも経験しているわけですよ。文部省が四十年でもはや新仮名遣いが定着しておりますなんと言うのは、全く文化を知もざること甚だしいと言わなければなりません。  私は、このフランスのアカデミーに学んで、これは市原豊太先生のおっしゃることでありますが、私はもちろん昨年の委員会におきまして、三月二十三日でありましたか、国語審議会はとにかくこの罪万死に値する、百害あって一利なし、一日も早く行政改革の名においてこれをやめなさい、こう申し上げたのだけれども、市原先生は学者先生だけあって少し優しく、これを改組をしてフランスアカデミーのごとく日本語を大事に守る審議会を、権威あるものをつくりなさい、二年、三年というのじゃなくて一生涯かかって学者の先生方が研究する、これをつくりなさいと提唱していらっしゃいます。しかし一方、小堀東大教授のごときは、私以上に厳しい文章をもって、国語審議会は一日も早くやめろ、そして再び国語のことについて役所は口を出すな、こういうふうに書いていらっしゃいますけれども、いずれにしましても国語というのはこういうものです。官僚の手によって簡単にそこら辺の学者をちょっと任命して、この前の昭和二十一年のときはわずか六カ月のうちにできたのですから、フランスが五十年も六十年もたって一冊の字引をつくっているのに、わずか六カ月の審議であのことをしたわけであります。今度も三年かかって改定案をつくったでしょう。三年かかって、そして一年間国民の声を聞いたということで、この二月に最終案を出すというのだけれども、合わせたって四年でしょう。ちょっと軽率じゃありませんか。  どうかひとつ、文部省に一片の文化を思う良識があるならば、この際、国語審議会のごときは、歴史的仮名遣いが正しい仮名遣いだということを宣言して、いち早く解散をされた方がいい、こういうふうに思うのだけれども、いかがですか。
  205. 加戸守行

    ○加戸政府委員 国語問題についてはいろいろと御議論のあり得るところでもございますし、先生指摘のように、昭和二十一年の現代仮名遣いの功罪についてはいろいろな意見も国語審議会で開陳されまして、もちろん多数といたしましては、四十年間の間に国民生活に定着をしている、あるいは自然かつ容易に文章表現ができるようになった、国民生活が向上した、文化水準が上がったと、いろいろな功の方もございますし、一方におきまして、過去の歴史、伝統との乖離を来しているという批判もあったわけでございます。そういった点を踏まえまして、今回の改定現代仮名遣い案におきまして、いわゆる一般生活のよりどころとするという規範性を緩やかにすると同時に、歴史的仮名遣いが尊重されるべきであるという考え方を表明いたしまして、従来の現代仮名遣いを改めるに当たりましての十分な意は用いておるところでございますし、またかつ、一年の時間をかけまして全国的に公聴会を開き、御意見を拝聴しながら、やはり国民の総合的なコンセスサスのもとに多くの国民が納得できるようなものにまとめていきたいと考えて、作業を進めている段階でございます。
  206. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 一番大事な国語審議会やめてしまえということについては御意見ありませんが、そういうことです。とにかく国語問題をそのように簡単に手を加え得ると思うのが間違い。四十年にして定着しているのならば、学会からこれほどの抵抗があろうはずはないじゃありませんか。  ところで、役所もそのように思っている。現場先生方もそうではないかなと思う。ゆえに生徒諸君もそうだと思っておるのは、日本語は難しい、漢字というのは難しくて嫌なものだという気持ち、これが間違っているわけです。  私は、先ほど申し上げましたヨーロッパを視察しましたときに、ベオグラードの日本人学校というのを拝見させていただきまして、非常な感銘を受けてまいりました。ここに短歌を教えていらっしゃる先生がありまして、小さな子供さんがつくった歌がありました。「遠くなる祖国日本を眼下にし文との思いに涙落とせり」というのです。全生徒の作品が壁に張ってありました。小さな二十人くらいの生徒学校ですけれども、私は、大したものだ、国語教育はこういうものなのだ。しかしこの子は、例えば「遠くなる」というのを「とほくなる」と書くということを知っているのだろうか、そして「友との思いに」というときに「おもひ」ということを知っているのだろうかと思うときに、私は、この小さい子供がいわば気の毒だ、今の国語教育の中に育つ子供を気の毒だと実は思ったわけですよ。  ところで、私は昔若き日に教壇に立ちまして、どんな教育を私はしてきたかなと思いましたときに、思い起こしましてこんなものをちょっと書いてきました。それは漢字というものは教え方によってはとてもおもしろい、先生、早く国語の時間にしてちょうだいと言うようになるわけです。ちなみに、私は愛読書ということを五つ挙げろと言われましたならば、論語、法蓮華経、修訂義、字典、それにバイブル、こういうふうに申し上げておるわけです。字典というものは愛読書に非常によろしいものであります。  私がこう申し上げておるのは、私は子供に、四、五年生に言ったのは、天からちゃんちゃんちゃんちゃんと降るのが雨だよ、みんな書くわけにはいかないから四つだけ残したのだよ、こう言うと、「雨」、なるほどなとこうわかるわけでしょう。ところが、その雨が降るなあと言うのが「雲」だよ、ですから雨の下に「云」うという字を書いて、ああ雨が降るとみんな言うのだ、雲を見れば。ところが、その雲がお日様の下にあるから「曇」るのだよ。ですから、小学校でこれを教えろ、中学校でこれを教えろ、三年生までにここまで教えるという字数の問題ではなくて、雨が降った日に「雨」という字のたぐいをずっと教えてしまうのですよ。歩きながら「歩」くという字を教えるのですよ。そういうふうにしていくと、子供は非常に文字をおもしろがって覚えますね。小さい子供というのは頭がとてもいいですから、画数が少ないから多いからということはございませんね。雨が一時やんだけれども、雲から滴が落ちるようなもの、これは「下」と書けば「雫」だよ、こういうふうに、本当だとこれは文字ではなくて漫画入りで教えでもよろしい。そして、雨が上がって野っ原に出てみたら「路」に残っているもの、これが「露」だよ、こういうことでございましょう。これが凍ってばらばらばらと散るものはあれは「霞」だよ、こういうふうに教えていくのですね。今のカリキュラムにだけ頼って国語教育では漢字はおもしろく覚えることはできませんね。「霞」にしても、難しい字のようだけれども、これは「假」にあるように思うけれども実際はないんだ。政治家は雲や霞を食って生きているのじゃないなんと言うのです。ですから、実際はないものだ。だけれども、あるように見える。だから「假」なものだ、こう教えるわけですね。  そういうようにしてきますると、雨冠の字が大漢和辞典によりますと三百七十三個あるのです。ところが、ここの中で十三しか常用漢字では指定していないのです。これで日本人が日本人らしい生活ができようはずはないわけです。ちなみに漢字は五万とか五万五千とも言われるほどあるという中で、わずか二千字でやっていきようはないじゃありませんか。だから目安だ、こういうふうにやや後退なさったのだと私は思うけれども、しかし文部省がそのようなことをおっしゃるものだから、法務省は、先ほどもおっしゃるようにあんなかたい態度で、子供の名前をつけるときに、それは字引にありませんよと言って拒否なさる。甚だ残念なことではありませんか。  ところで、大臣、私は自民党に心からの友情と敬意を表しているわけであります。と申しまするのは、自民党におきましては、四十七年ですかな、政務調査会と文教制度委員会というのですか調査会ですかの連名でですか、国語問題の大きな研究成果を発表していらっしゃいますね。私は、実は私がこれらの論理をいささか積み重ねてひっ提げてきたと思いましたら、これを拝見しましたら私が書いた本とほとんど同じなんだ。これは著作権がどちらが優先するか知りませんけれども、そういうものなんですよ。どうぞひとつ、勇気を持って国語の本来の姿を取り戻すために立ち上がってちょうだいするように要望したいと思いますが、一言。
  207. 松永光

    松永国務大臣 先ほどから先生の国語に関する高邁な理論を聞かしていただきまして、非常に勉強さしていただいたわけであります。ただ、仮名遣いの問題につきましては、法令に基づいて審議会でやっていただいておるわけでありますので、その審議会の審議の結果を待たなければならぬというのが私の立場でございます。  なお、国語、文字、非常に大事なことでありますので、これからも一生懸命勉強して、よりよい言葉遣い、よりよい国語が使われるように努力をしていきたいものだというふうに思っております。
  208. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 どうぞひとつ、お帰りになりましたら、党の政調会の机の奥の奥の方から十数年忘れられて久しかった自民党の国語問題のいわば基本方針を出していただきまして、原点に立ち返ってひとつ御検討をお願いしたい、こういうふうに思います。  ところで、今いじめなんというようなことでいろいろと議論されてきました。私は、このいじめということ一つ考えましても、国語の問題をも含め、歴史教育、情操教育、道徳教育、こういうものが不足をしているということがあらわれた一つの事象ではないか。今日、日本はすべてのことにつきまして出てきました事象だけをとらえて議論をして、審議会を設けては対策を講じ、そして通達を出していらっしゃるように思うのだけれども、こういう点についてもう一回立ち返った反省が必要だろうと私は思うのです。  ところで、歴史教育のことにつきまして私はたびたびこの委員会で申し上げてきたことでありますが、二つ三つ、簡単なことでありますが、お尋ねをしてみたいと思います。  それは、五十七年十一月六日付、日本教育新聞というものの、リコピーが大変鮮明でないけれども、リコピーを私は手に入れることができました。ところがこれを見ますると、文部省は、あの例の五十七年の中国からの歴史記述、特に戦争等の記述についての抗議が来ました後、いろいろの作業の末に検定基準の(15)という項目を加えられる。その間にありましていろいろと苦労した作業をしていらっしゃるように見受けます。そのときに、実は検定方針案というものを出されたというのであります。これはいかなるものが出たのか、そしてこれはいつ出されていつ決定されて実行に移されたものかどうか、承りたい。
  209. 高石邦男

    高石政府委員 あの問題の際に改定いたしましたのは、検定基準ということで、近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いには国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていることという項目を加えただけでございまして、それ以外に改正したものはございません。
  210. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 そうしますと、検定方針案という文書はあったことはないですね。
  211. 高石邦男

    高石政府委員 そういう内容のものはございません。
  212. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 そのことがある前、中国から抗議が来る前も、いわゆる検定についての方針というものは文書化したものはなかったのですか。
  213. 高石邦男

    高石政府委員 規則として改正いたしましたのは先ほど読み上げた内容でございまして、それをもとにして検定を行い、そして検定審議会で論議していただいて最終の検定結果を出すわけでございます。
  214. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 それなら、先ほど申し上げました五十七年十二月六日付日本教育新聞というものに紹介をされている「文部省検定方針案」というものは、これは随分細かく内容等も書いてあるのですが、架空な文書ですかな。私はこれを読みまして、ははあ高石局長のこの前の答弁はこれだな、こう思いましたよ。いろいろ二年間にわたり議論してきました末に、結局あなたがお答えになったのは、例えば「侵略」という項目があります。これを読んでいきますと、「特に不適切と認められる場合を除き、侵略、侵攻、侵入、進出、進攻等の表記に、ついて、検定意見を付さないこととする。」結局あなたは、そういう記述については検定意見をつけないことになっていると最後におっしゃいました。そうならば(15)というのは意味ないじゃないか、こういうふうに私は申し上げたことを覚えているのですが、これを見まして初めて私はあの答弁はここから来ているんだな、こう思ったのだけれども、この検定方針案というものは架空なものですか。
  215. 高石邦男

    高石政府委員 規則として改正しましたのは先ほど申し上げたものでございまして、それをもとにしていろいろ申請されたものについて審査をしていくわけでございます。その審査結果の概要というのを新聞に報道、レポをするわけでございますが、その際に、そういう文章表現については意見を付さなかったという説明、そういうものをして説明するということはございますけれども、事前にこれについてはこういう尺度で審査をするのだという文章化した基準があるわけではございません。
  216. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 ですから、私は、法律とかないしは規定、規則という文書の格式を議論しているわけじゃありませんよ。このようなものが内部的な資料としてもないのかどうか。あるのかどうか。  それでは、ちなみに申し上げますけれども、この文書を見ますると、これは案のまま終わった、決定をしなかった。どうして決定しないかというと、決定すれば身動きならないものになって、みずからそれによって縛られるからである、こう言っているのだけれども、これはやはりなかったのですか。こういう文書は全然ありませんか。それとも内部のメモとしてはありますか。
  217. 高石邦男

    高石政府委員 内部でいろいろ議論をする際に、いろいろな方々、いろいろな立場で文書をもとにして論議をしていくということはあるわけでございます。したがいまして、その過程である人がそういうような内容を書いて、そして論議の対象にしていくということは当然あり得ると思います。しかし、文部省がそれを案として提示して、その案を最終的にこういう物差しで運用するというような文書の取り決めをするというような形での文書として案をつくったのではございません。
  218. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 では、ありませんね。こういう文書は一切省内にはありませんね。
  219. 高石邦男

    高石政府委員 文部省の公式上の文書にはございません。
  220. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 検定審議会の中の検定審議委員みずからつくった文書としてありますか。
  221. 高石邦男

    高石政府委員 どういう文書がどういう形でどう配付されて、どういう議論が行われたかというのは、突然の御質問でございますので、私がここで断定的に申し上げることはできませんが、要するに、そういう物差しの基準をつくって検定をしていく、そういう内容のものは先ほど申し上げた基準以上のものは公式にないのでございます。
  222. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 では、検定の基準はあくまでもあの検定基準(15)、これ以外には一切ないということですね。それでいいですね。わかりました。  そこで、私は最後に申し上げておきますが、そのようなものがなくて何ら拘束されるものがない。例の(15)だけだということならば、あの議論の原点が、日本のマスコミの取材活動の中における過ちから出発したというふうに言われたわけであります。その後でサンケイ新聞は、間違った記事を報道してまことに済みませんでした、読者各位におわびを申し上げますという記事を発表していることであります。それが発表になった瞬間というぐらいに速やかに中国との間にあのことが結論を見て解決をするわけだけれども、もしもあのような検定に際して文部省が強く筆者に対して不本意な訂正を迫ったということがないならば、あのことは一切誤報に基づくものであるということで諸外国の理解をとるべきであったと私は思うのであります。これからでもそのようなことをなさる考えはありませんか。
  223. 高石邦男

    高石政府委員 当時、当該年度における検定のやり方がどういう形でやられたか、そしてその際にどういう件数であったかというのは、あの報道を我々としては中国に対しても外務省等を通じて説明をしてまいったのでございます。
  224. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 時間がありませんが、今の説明ではちょっと説明になりません。今申し上げた資料がもしもない、それ以前にも資料、そういう基準はなかったとするならば、どうぞその当時の、あのことの前後の一切の文献等をもう一度あさっていただきまして、どのようなものがもとになってあのような抗議を受けたのか、中国が抗議をした原点の文書というものはどれなのか、そしてそれがどのような作業を経て今日に至ったのかということを歴然と説明できる資料をちょうだいしたいと思います。委員長、いいですか。  終わります。
  225. 高石邦男

    高石政府委員 私たちのできる範囲内で整理をして、差し上げたいと思います。
  226. 滝沢幸助

    ○滝沢委員 どうもありがとうございました。
  227. 阿部文男

  228. 山原健二郎

    ○山原委員 三重県にあります日生学園第二高等学校の最近頻発しております暴力事件といいますか、あるいは自殺事故死の問題につきまして報告をいただきたいと思います。  最初に、けさ佐藤議員の方から質問がありましたからお答えがあったと思うのですが、私はちょっと所用で出ておりましたので、もう一度お答えいただきたいと思うのです。最近の日生学園における幾つかの事故につきまして、どういう調査対応をされておるか、これを最初に文部省、それから法務省警察庁の方に伺いたいのです。
  229. 高石邦男

    高石政府委員 まず一つは、上級生による下級生への暴行事件でございます。これは、寮内において下級生に寮の役員が暴行事件を行いまして、三針を縫うような傷害事件発生したというような事件でございます。  それから六十年の同じ六月にも、そういうような上級生による暴力事件発生したわけでございます。  それから六十年七月、シャッターによる圧死事故。食堂と厨房との間を区切っているシャッターに首を挟まれて三年生が死亡し、警察検視の結果、死因はそのシャッターの圧迫による窒息死であるという事件が起きたのでございます。  それから六十年八月、これは剣道部員が時計台から飛びおりて自殺をしたという事件でございます。  それから六十年九月、教師生徒に対して、平素の態度が悪いということで殴りまして、鼻の骨を折るというような教師体罰による事件発生した。  こういうようなのが主な内容として報告されているわけでございます。
  230. 永井敬一

    ○永井説明員 御指摘日生学園の件につきましては、同校に在学しておりました元生徒から、上級生から集団暴行を受けたという申告がございまして、現在、津の法務局において、この事件のほか体罰等、情報を得ました事案を含めまして、関係者から事情聴取をする等して調査をしております。調査の結果により、適正に対処してまいりたいと考えております。
  231. 根本芳雄

    根本説明員 現在までに警察におきまして、日生学園関係の事案として四つの事案を認知して処理しております。  一つは、上級生による下級生に対する暴行事件でございますが、昭和六十年、ことしの七月四日、被害者から被害届を受理してこの事件を認知いたしまして、その後関係者から事情聴取等の捜査を実施いたしまして、現在までに、同校の三年生の生徒五名による同じ学校の一年生の生徒一名に対する暴行事件を五件立件いたしまして送致しております。  二つ目の事案でございますけれども、七月十八日に発生いたしましたこの日生学園の中の食堂、この中で生徒が圧死した、こういう事案でございますが、検視等の結果から事故死、こういうふうに考えております。  三つ目は、八月二十六日に起きた同じ日生学園の中にございます時計台から飛びおりた事案でございますけれども、本人がその飛びおりる数日前からどうも自殺したい、こういうふうな言動もあったようでございますし、その他の事情から自殺、こういうふうに判断してございます。  四つ目の事案は、九月に入りまして九月二日に発生いたしましたこの日生学園先生による体罰事件でございまして、これで教師一名が同じ学校の三年生の生徒に対して傷害を与えた、こういうことで傷害事件として立件いたしまして送致しております。  以上でございます。
  232. 山原健二郎

    ○山原委員 最初に警察庁の方へ。この馬塚君のいわゆる食堂のシャッターによるところの圧死という判定ですが、これにつきまして、三重県の人権擁護委員会三重県警に会いましたところ、うつ伏せで死んでおり、シャッターに首と肩を挟まれていた。しかし、首と肩の骨は折れていず窒息死であったというふうに県警の方からお聞きしておるようであります。さらに、このシャッターのすき間は三十センチと言われておりますが、これも県警の方では神のみぞ知るということであいまいな回答をしておるというふうに私は報告をいただいておるのですが、この点はどうでしょうか。
  233. 根本芳雄

    根本説明員 今御指摘のように、この圧死事件、シャッターに挟まれた事案でございますけれども、その検視の結果からいうと、これはやはり過った事故で亡くなったのだろう、まあ事故でございますからいろいろな要素がございますけれども、そう考えてもおかしくない合理的な理由があった、こういうふうに判断しております。電動シャッターも、これは当時の同じ学校にいて、やはり食べ物を取りに行く、こういう状況を見ますと、やはりちょっと上げてさっとすき間から抜け出て――ボタンを上の方にまず上げまして、そして上がった段階でさっと下のものをまた押す、こういうような格好で狭い間からはい出る、こういうことをどうもやっていたようでございます。ですから、この生徒も同じことをどうもやったのではないか、こういうふうに推測されるわけです。ですから、亡くなっている事故の周囲の状況、それから検視状況、こういうことから判断しますと、やはり本人の過った事故ではないか、こういうふうに判断しております。
  234. 山原健二郎

    ○山原委員 シャッターは電動式で、大人四人で持ちこたえられないほどの圧力を持っておるようです。通常なら肩や首の骨が折れるとか傷がつくというようなことが起こり得ると予想されるわけですが、首や肩の骨には異常がなかったと言われているわけですね。あるいはあおむけで死んでいるならばまだ理解できるわけですが、そういった問題はどう考えてもおかしいという意見が出ております。また、シャッターのすき間が三十センチぐらいでくぐり抜けるなどということは考えられないということも言われているのでございます。この点で、私としては警察の検死結果を提出していただきまして、その真相を明らかにしたいと思うのです。疑問がある限りこういう点は明確にしておいた方がいいのではないかと思いますが、こういう資料の提出はできますか。
  235. 根本芳雄

    根本説明員 私どもの今までの捜査では、これは事故死と判断してございます。検死の中身については、個人の問題でございますので提出するのは私どもの方ではちょっと差し控えさせていただきたいと思います。
  236. 山原健二郎

    ○山原委員 後でもう一回要請したいと思います。  もう一つは、多田君の飛びおり自殺の問題です。これは両足首の骨折、骨盤のずれ、肺損傷というふうにお聞きしておりますが、当時現場で見た人の話を聞きますと、頭に鉄パイプ様のもので殴られた跡が二本見られたというわけですね。頭と肩であったかもしれないとも言われておりますが、この点はいかがですか。
  237. 根本芳雄

    根本説明員 時計台から飛びおりた事案でございますけれども、私どもの検死の中ではそういった鉄パイプで殴られたというような痕跡はございません。ただ、飛びおりるときに顔等に擦過傷とかそういうものはございましたけれども、ああいう事故の中で当然あり得るけがであったと判断しております。
  238. 山原健二郎

    ○山原委員 この多田君は家に帰ったとき、助けてくれ、殺されるという言葉も言っておられる。そして、学校へ帰る途中で名古屋で一度自殺未遂をして警察に保護されておりますね。そして、学校が責任を持つというので八月二十四日に学校に連れ帰られまして、翌々日の八月二十六日にいわゆる飛びおり自殺をした。全く痛ましい話でございますけれども、問題は、そういう大変なところへ一人の子供が追い込まれているということです。なぜこんな問題を取り上げるかというと、私はこのことが非常に大事だと思いまして、このままおきますと、ここではまたこういう事故あるいは事件が起こらないという保証は全くありません。そればかりか、今子供たちの中に、このままでは何人か人を殺して事件を起こして学校が廃校になったときに初めて自分は解放されて家に帰れるのだという声まであるということをお聞きしているのです。率直に言って驚くべき事態ですよ。  この学校は十二年前の昭和四十八年に教員が二人も入って集団リンチによる殺人事件があったこと、文部省承知でしょうか。
  239. 高石邦男

    高石政府委員 当時そういう事件があったことは承知しております。
  240. 山原健二郎

    ○山原委員 これは時間がありましたら後で申し上げますけれども、私資料を持ってきたのですが、十二年前のことを私も覚えております。驚くべき事態ですよ。その校長先生が、当時第二局等学校でしたけれども、今第二高等学校で同じ校長をしておられるのですけれども、その後、秋の生存者叙勲によりまして勲四等旭日小綬章を受けております。それから、その直後に三重県の県民功労者として表彰されているのです。その前にこういう大事件が起こっているわけです。教師が二人も入って一人の生徒暴行を加えて、明らかに殺人事件なんです。学校の中で暴力によって殺人が起こるなどということはちょっと考えられない。しかも、その校長先生が表彰され、功労者としてたたえられる。これは一体どういうことなのか。どういう功労で表彰されたのか。こういう表彰問題になってきますと、文部省ではなく総務庁かもしれませんが、その辺倒承知でしょうか。
  241. 高石邦男

    高石政府委員 五十七年の勲四等の生存者叙勲を受けられていることは承知しております。一般的に地方の公立学校先生の叙勲につきましては、県の教育委員会、県等の推薦をもとにして行うわけでございます。
  242. 山原健二郎

    ○山原委員 これはこれとして一つの問題だと思いますけれども、警察庁の方にもう一回聞きますが、私の疑問に対してこの場で直ちにお答えになれないかもしれませんが、検死結果を私に見せていただくわけにはいきませんか。もう一回伺っておきます。
  243. 根本芳雄

    根本説明員 ただいま申し上げましたように、亡くなった方の個人の問題でもございますし、私どもとしてはぎちんと判断して検死している、こういうことでございますので、差し控えさしていただきたいと思います。
  244. 山原健二郎

    ○山原委員 この問題は別の角度から後刻やりたいと思いますので、警察庁の方、結構ですからお帰りください。  そこで、この学校に起こったさまざまな事件について私はちょっと報告したいと思うのです。私も現地へ参りまして、実際に被害を受けました生徒の親御さんたちにもお会いをしました。また、生徒自身の作文や親御さんの聞き取りの文書をいただいてきておりますので、その一部を読み上げてみたいと思います。  これは鈴木政彦君の場合でありますけれども、親御さんはこういうふうに書いております。結局、先生方は、「家に帰りたいために適当なことを言っているのだ」「父母はその手に乗ってはだめだ」ということを一貫して父母たちに言っております。そのために子供たちが暴力、暴行を受けておることが完全に隠されてきているのが実態だということが書かれておりまして、この鈴木政彦君の御両親はそういう言い方が、  リハーサルまでしている。この様な少年達の必死の訴えをふみにじり、父母への信頼を失なわせる様な学校教育がまかり通っている。多感な少年を育成するにはあまりにも乱暴な教育環境であり、大小の負傷者は相当数あると思われる。  そして、暴行され心ならずも学園を去って行ったまじめな少年達の無念の思いをはらすため、徹底的に学園の非をあばき、この無神経な学校運営の事実を広く世間にアピールして、この学園への警鐘としたい。 というふうに、これはまじめな気持ちで書かれているわけです。  それからもう一つ、これは鈴木享君の場合でありますけれども、彼は暴行を受けまして、こういうふうに書いております。   五月一日から中川原内科で嘔吐が始まり、食欲不振が始まった。内科診断。(二日間ねたきり)  五月三日帰省、朝、内科で栄養剤をもらい学校まで連れて行った。その翌日先生に電話で聞きましたら食欲があるとの事でした。(実際には食欲なし)  五月末日から六月初めに第一高校に転校したいと手紙有り。理由として、マラソンが楽でしたからと友達から聞き。  六月十日頃でした。体の調子が悪いとの事、手紙着く。担任の先生に電話、本人に会わせてほしいと言ったら二度目の電話でOK。  本人と面会した時、体の調子が悪いから家に帰りたいとの事。先生が健康診断するからと約束して帰る。  二週間位病院に連れて行ってもらえなかった。電話して見ると、先生が用事があったと言って遅れた。正常との診断。  七月二十九日帰省。  八月一日、浜松の北病院診断、骨の異常に気づく。本人に聞きましたがなかなか言いません。何かなぐられた事なかったかと医者が聞いたが言いません。ころんだと言った。  八月二十四日帰省。本人が泣いて行きませんでした。無理に連れて行きました。  十月十八日帰省の時、手術をするからと言って帰ってきました。それから日生学園に帰らず。  浜松北病院で手術をやめ、とうとう学校をやめました。  一月十日でした。初めて、学校でなぐられたとの事でした。上級生から親に言ってはいけないと口止めさせられた。その本人の名前すぐに言っていただけなかった。  二月の終りでした。本人、もう日生学園をやめたからと言って初めて上級生の名前を言いました。これは、名前は書いてあります。  夜中の十二時に、第一高校転校なまいきだと言って胸をなぐられたと言いました。又、首の所を持って気を失う様な事もしたそうです。マラソンが遅いと足を足げりも何回もあったそうです。上級生の方から電話があっても暴力はなかったとの事で、親が子供の事を信用してはいけないと言われました。 こういうことが書かれて、首の骨が突き出ているわけですね。これが図面まで書かれておるわけでございます。  こういうのは幾つもありまして、鈴木勝己君の場合は、入学三日目から暴力を受け、頭、胸、足首に青アザがたえることなく毎日ありました。決定的と思われたのは、毎日夜になると上級生かかわるがわる二、三回首をしめて気絶させられたことで、本人も精神的にまいってしまいました。  日生学園での暴力は悪いとも思わないで、むしろ人に暴力を加えることでストレスが発散できるので、善悪も分からないでやっています。 というふうなことで、これは診断書が出ているわけでございます。「縫合処置施行」と書かれておりまして、縫い合わせをしているわけですね。   それから、鈴木典彦君の場合は、リンチの時、入口に見張りをおく。  寮内での床磨きの時、二段ベッドの上から落下傘部隊と称して背中の上に飛びおりる。床みがき中、後からけったり、棒でこづく。風邪で三十八度五分もあり安静と医者の診断を受けたにもかかわらず、マラソンをさせ、たおれて一瞬意識不明となり、同級生に助けられ、宿舎にねかされるも、上級生にたるんでると無理に床みがきをさせられる。入浴(風呂)は一分でゆっくりはいれない。先輩より少しでも後れるとなぐられる。 ということでございまして、これは親御さんが聞き取りでこう書いております。   子供自身も日生の事は早く忘れたいと言って関係書類は全部焼却してしまいました。子供の手記の書き始めに、お母さん、お父さん、僕は日生学園の敬天寮に此の世の地獄をみた。何の理由もなしにやたらなぐる、ける、床を磨いている二段ベッドの上から落下傘と称して背中に落ち、打撲を受ける。封書はやたらとあけ、都合が悪ければ破り捨てる。どうしてこんな暴力学校にはいってしまったのか……お母さん早くやめたい、助けて……こういうふうに書いてあるのですね。  この子供は脱出を図るのですが、これはお父さんが書いております。   私の息子典彦も五十九年四月、日生第二高校に入学、暴行をうけ、同年五月二十二日に集団無断離校、脱走のことです。  理由をきくも何もしゃべらず。五月二十三日無理に学園に戻す。無断離校のリーダーと言う事で一週間の罰を受け、上級生に首をしめられたり、床みがき中、背中に落下傘部隊と称して、わざと背中の上に落下し、打撲をうけ、此の状態が続けば不具者にされてしまうと感じ、二回目の単独離校を決意、五月二十九日の夕方、山中に逃げ込み、夜が更けて、近鉄線路伝いに名鉄中川駅まで必死に歩き、名鉄一番電車で名古屋ヘマイカーで迎えにいき、浜松市に連れ帰る。三十八度の熱が十日以上も続き、肺炎をひき起す。 こういうふうに書かれて、これは警察官の方と立ち会いで事情聴取がなされておりますが、こういう状態の報告をされております。  それから、永井清人君の場合です。これは実はお父さんが今度被害者の会を構成されまして、三十数名の親御さんたちが集まっているのですが、この方はこの問題につきまして学校に対して非常に丁寧な手紙を出しておりまして、その善処方を求めているのです。これは、   清人は昭和六十年四月八日貴校に入学し附属寮に入寮致しましたが、入寮早々の同月十五日から、上級生による所謂しごきが始まり、同月末日頃迄暴行脅迫行為が繰り返されました。私は清人からの右事実を聞かされ、同年五月一日、清人を一旦帰宅させると共に、貴校に対し右事実の解明及び善処方を申し入れを致しました。  貴校はこれに対し、具体的な対策は示されなかったものの、一応の謝罪をなされたので、私は貴校に改善の意思ありと判断して、同年六月三日、清人を帰校させました。  ところが、右当日から再び上級生のしごきがなされ、以後同月八日に至る迄、連日暴行脅迫が繰り返され、ために清人は加療約二十日間を要する右大腿部及び同下腿部打撲、右足関節捻控の傷害を負いました。貴校の教育理念からすれば当然、右の如き暴力行為は否定されるべきものと考えますし、かような状態が放置されるのであれば、被害者の生徒のみならず、加害者の生徒も、より一層人間性を喪失し、共々不幸な結果を招来することとなるものと考えます。  右の事情の詳細について、私は既に貴校に対し、口頭及び文書をもって伝達しており、再度事実の解明及び善処方を申し入れておりますが、貴校からは、何等具体的回答が得られず今日に至っております。そこで、本書面をもって、貴校に対し、本書面到達後一週間以内に具外的回答をして頂くよう要望すると共に、右期間内に何等の回答なき場合、然るべき手段を講ぜざるを得なくなることを申し添えておきます。 ということを親御さんは学校側に通告しているわけでございます。  このようなことはこれ以上申し上げる時間的な余裕はございませんけれども、もう一つ、これは谷浩久君の場合ですが、集団脱走をこの生徒もしております。  親が面倒を見られない子供を預かっているのだから暴力ぐらいと先生が住民の前で暴言する。松葉づえの折れたのを先生が振り回して半狂乱になり県道でわめく。捕まった子供、K君などは、先生は足で腹の部分をけり上げる。特に子供の担任は新任でもあり、生徒に手をかけることがたくさんありましたと親御さんは述懐されておりまして、このお母さんはこういうふうに書いております。   子供が入学して一ケ月余りたった五月二十一日、担任の先生から、学校をやめたい人は先生申し出る様に。子供は他の二、三人と申し出たのです。  先生はいきなり「ふざけるな」と大声でいうなり、ゲンコツが鼻にとんできました。余りの力の強さに後によろけ倒れ、左頭を打ちました。その時気を失なったのか、どこで頭を打ったのか覚えていないそうです。  その夜、子供からの連絡で、面会に来てほしいとの事。面会の許可を得て夜七時敬天寮に面会。その時子供は口の中を見せて「これ」といっただけでした。口の中はいっぱい切れていました。鼻を殴られた事、頭を打った事、何一つ親にはいいませんでした。  その夜先輩とお風呂に入ったら鼻血が流れ出たそうです。  その翌日、二十二日、集団脱走で子供は家に帰ってまいりました。 こういうことです。  それからさらに、これは田中君の場合でありますけれども、お母さんが聞き取りで書いております。  昭和五十八年六月十九日腰を痛めて連れ帰る。期末テストに間に合うようにと逃れていく電車の中から足腰が痛み出し、先生と話し中に激痛となる。足腰はほとんどよくなり、嫌がる子供を無理に学校へ行かせる。胃痛と嘔吐のため家へ帰ってくる。その前に学校で二回血を吐く。これは京都の日赤病院へ入院をしておりますが、仮死状態となっているわけであります。そして、友人のI君が学校へ行こうと誘ってきて、その夜になって、僕がどうなってもいいのか、死んでもいいのなら学校へ帰ると言う。そこで恐ろしいリンチのことを言い出しましたというふうに書かれておりまして、彼は一度学校へ荷物を取りに行くわけです。そうすると、十五人ないし十六人ほど退学、休学で友達はいなくなり、隣の組も同じ状態で、主犯格の五、六人を退学させたと先生から聞いたのに、その生徒たち学校にいることがわかりましたということを書いてあります。  そのほかに、その後彼は五人でまた脱走するわけであります。つまり五十九年一月十八日に退学届を提出して学校をやめております。  六月十九日に家に帰った。その日から、午前四時前後になると、痛い痛い、先輩やめてください、許してくださいとうなされる状態が一月ごろまで続いたと書かれております。そして、そういう中でこの子供たちから聞き取りがなされております。  一晩じゅう殴るけるの暴行を受けたこともある。おふろに入っても湯を使わせてくれない。リンチのために顔が砕け歯が全部折れた二年生を見たことがある。酒、たばこ、シンナーを拒否するとリンチ。一晩じゅう見張り番、その中でトランプ、花札のつき合い。暑くなってくると衣装缶のふたで先輩をあおぎ続ける。オールナイトアンマーといって一晩じゅうあんまをさせられる。ここから先はちょっと私は言いにくいのです。女子寮のことも書かれておりますし、私自身確認をしたわけでありませんので、これはここでは言わない方がいいかもしれませんけれども、全裸にしてほうきで殴るというようなことも出ているわけです。そして、勉強しようと本やノートを出すと殴られる。夜眠れないために学校で授業中睡魔に襲われ居眠りをすると、寮に帰ってからリンチを受ける。寮に食事を持ち帰り、においをかがせながら心行をさせられて食べさせてくれない。欲求不満のはけ口として、寮をリングにしてのリンチ。石ころの上に三時間ぐらい正座をさせられる。ニンジンを盗みに行かされた。帰省のときはみんなからお金を巻き上げる。Tシャツを家より持ち出す。金づちで手の甲を二十回ぐらい殴られる。勉強は教室でも進まず、一学期と同じところを二学期も習う。こういう状態。さらに、手紙を書くとき、監視が厳しくリンチのことなどとても書けない。リンゴニケースを盗んできたが、一年生はもらえずビン入りジュースをもらった。二学期は恐ろしくて顔を上げずに下ばかり向いていた。僕も中学校時代に酒やたばこの練習をしておけばよかったとひとり言を言う。ゴキブリを食べさせられているのを見た。セミやカブトムシを食べさせられた。石ころの多い山道に正座して殴ったりけられたりした。学校をやめたいと言ったら、先生が足で教室からけり出した。おまえら人間扱いしてもらえると思ったら大間違いだぞ。おとなしい生徒はおかまをさせられる。針金、カッターナイフ等があればどんなかぎでもあけられる方法を下級生に教えて盗みに行かせる。脱走をして暴力団に入り込む人もいる。今度丁が来たら半殺しに遭うだろうと一年生の間ではわかっていたというようなことが書かれておりまして、私はオーバーに言っているのではなくて、こんなことを子供たちがみずからつくり事で言うはずはありません。  時間をかけてこんなことを申し上げたわけですけれども、どうしてこういうふうになったのか。この学校はスパルタ教育では有名だそうです。永井道雄文部大臣がこの学校へわざわざ視察にも行っておるわけでして、そういう意味では教育における今日の情勢の中でこういうスパルタ教育が一定の権威を持っているのではないか。だから功労者として表彰されておるわけですね。けれども、どこか狂いがある。これはやはり今の体罰いじめの問題を初めとした教育荒廃の中で、見た目にはすばらしいのですね。朝の五時にこの子供たちが旗を持ってずらっと並んでいる姿を見ると、こんなきびきびした、こんな規律の正しい学校があるかと思わず涙を流した、そして子供を入れてみると中身はそれと違った状態であったと親御さんは言っておられます。だから、一定引きつけるものを持っているわけです。しかし、こういう状態が続いたら大変なことだと私は思うのです。また、それをいささかでも助長するような、またそれを励ますようなことを我々が言ったら、これまた大変なことになると思うのです。  この体罰の問題について、これは最後に文部大臣にも伺いたいのですが、これはもう断固として教育の場からなくするということを、各党含めてこの文教委員会でも決意をする必要があるんじゃないかというふうに私は思います。  この間、日刊スポーツを読んでおりましたら、日本の競走馬は国際試合には勝てないと書いておる。なぜかというと、日本の競走馬はいざ競走に向かうと、いらいらしたりあるいは跳んだりはねたりするというのですね。だから国際試合には勝てない。なぜそうなるかというと、日本では競走馬に対してとなったり殴ったり、時にはけったりすることがしばしば見られるけれども、外国ではそんなことは全く見られない。動物も愛情を持って接したときに動物はそれにこたえるのであって、そういう姿は外国ではない、だから国際試合になったら日本の競走馬は負けるということをスポーツ紙が書いておりましたけれども、ましていわんや人間の子供ですよ。人間の子供などということで教育ができるはずはないわけですね。そのことを、もちろんいろいろな理由があると思います、しかも、今四十五名学級で過密学級、これをまず解消しなければならぬわけですけれども、だからといって、現実にはそれがあるわけですから、子供たちをきちんとさすためにはいろいろな校則もできる、その校則がまた問題になってきて、東京都教育委員会はこの校則の問題について再び調査をするということが昨日も新聞に出ておりましたが、校則ができれば、これに従わなければ従わすために武力をもって鎮圧する、それもやむを得ないのじゃないか。また、親の中には、少しはうちの子は殴ってでもきちんと教えてくださいという気持ちがあることは事実です。でも、教育関係する者がこの問題ではきちっと意思統一をしていないと、そういう理由をつけて体罰が行われるということになりますと荒廃は一層大きくなってくることは火を見るよりも明らかなところです。だから、この点では、本当に体罰を一掃するという決意を持つ必要がある。それと同時に、教育条件の整備を責任を持って国政はやっていくということが今問われているのではないかというふうに思うわけでございます。  一つ学校の例を挙げて大変恐縮な思いもするわけですけれども、これほど出てきた以上は、これを等閑視することはできません。ましていわんや、十二年前にこの学校とこの校長先生が起こしたあのリンチ殺人事件ですね。しかも、その前から暴行事件があって、また暴行事件明るみにということで、しかも校長先生はこれでほとんど反省をしていないのです。言いわけはしておりますけれども、一人の子供が殺されたという事件に対してほとんど責任ある発言をしていないということが今まで放置されたところに、今回このような問題が再び明るみに出てきたのではないかというふうに思いますと、この際、ぜひこれは松永文部大臣見解を伺いまして、総力を挙げて体罰を征伐するというくらいの決意で臨む必要があるのではないかというふうに私は思いますが、この点について文部大臣見解を伺っておきたいのです。
  245. 松永光

    松永国務大臣 三重県の日生学園の設置する高等学校で、先ほど警察の方からも報告がありましたように、上級生数名による下級生に対する暴行傷害事件あるいは飛びおり自殺事件教師による体罰による傷害事件発生しておるということはまことに遺憾なことであると思います。  先生も御指摘のように、教育の場においては、いかなる理由であれ暴力が振るわれることは許されないところであります。また、教師による体罰というのも、これは法律も禁止しておるところでありますが、これまた許されないのでありまして、我々としては、体罰が行われることのないよう今後とも強く指導していきたいというふうに考えております。  日生学園につきましては、いろいろな事情から見ると、およそ教育の場としてはふさわしくないそういう環境があるように見られますので。速やかに教育の場にふさわしいような環境になることを強く希望しておるところでありまして、この点につきましては、所轄庁である三重県において日生学園に対して学校管理体制の見直しなど厳しく指導をしておるようでありますけれども、我々としても、三重県ともよく連絡をとりながら、この学園の正常化のために努力をしていきたいと考えておるところでございます。
  246. 山原健二郎

    ○山原委員 この日本においてどうしてこういうことが行われるか、やはり私は、明治以来の日本の軍隊教育、特に陸軍の教育があると思うのです。先に入った者はいわゆる古年兵などといって、後から入ってきた者を殴る権利を持っている。あの当時、軍隊へ行けば私的制裁禁止という立て札はいっぱいあった。しかし、公然とリンチが許されておったわけですね。けれども、父母に聞いたら、あのときはまだましだと言うのです。日本軍隊は天皇の赤子だということで命まではリンチで奪うことはほとんどなかったけれども、この場合は子供たちが――子供たちが悪いのじゃないのです、先生方が背後におるわけですからね。だから、中には死ぬる子までいるかもしれない、このままほっておけばそうなるかもしれないということでしょう。だから、中曽根さんがこの間、我々は戦争中の軍隊の教育を受けたからいいけれども、今の若い人はそれがないから気の毒だというお話がありましたけれども、これは世界の教育界にないですよ、子供を殴るなどということは。少なくとも、子供人権に対してこれを尊敬するという立場がなければ教育は成立しません。殴って教え込むなどという野蛮なやり方というものをもう一掃しなければならぬ、戦後四十年たったわけですから。その点は今はっきり文部大臣がおっしゃいましたけれども、お互いにこの点では頑張ってなくしていこうではありませんか。その辺がまだまだあいまいな点が残されておりまして、それでこういう体罰が温存される結果になっている。体罰の中からまたいじめが出てくるわけでしょう。そういう意味で、この禍根を絶つためにもぜひ頑張っていく必要があると思います。教育条件の整備等、教育理念の問題としてはっきりさしていくべきだと思います。  文部省、先ほど佐藤議員に対してお答えになりましたが、例えばクラブ活動の時間をふやすとか、四時半から起こされているのを五時半にするとかというようなお話がございましたね。それはそれで一定の改善策だと思いますけれども、これはそういう甘いものではないのです。なぜかというと、生徒上級生指導をゆだねているのです。教師がやらなければならぬ、学校がやらなければならぬ子供に対する教育指導の部門を上級生にゆだねたら、これはもう教育の放棄ですね。だから、上級生先生方のそういう背景のもとに、少々下級生を殴ってもいいんだ、少々傷つけてもいいんだということが出てきているのです。だから、ここの禍根を絶たなければならぬ。それは、この日生学園における真に民主的な教育力を高めていくことです。先生方の民主的な論議や先生方の意見が反映されるような学校にすれば、この問題はなくなっていく。そこのところをすっぽかして、ただ目の先の時間を、朝三十分起こすのをおくらすとかいうことだけでは解決しないと私は思うわけでございます。  そこで、最後に、時間がありませんから初中局長に要請したいのですが、この学校の校則を本委員会に提出をしていただきたい。それから教員名簿、うわさによりますと無資格者が教育に携わっておるということを聞きますが、まさかと思いますけれども、これを御提示いただきたい。それから、学校法人認可に当たっての申請書類を提出していただきたい。同時に、校務分掌についても御提出をいただきたい。それから退学者の実態。この幾つかの点についてこの委員会に御提出をいただきたいと思いますが、これについてのお考えを最後に聞きたいと思います。
  247. 高石邦男

    高石政府委員 御指摘内容につきましては、三重県と十分相談した上で善処してまいりたいと思います。
  248. 山原健二郎

    ○山原委員 終わります。
  249. 阿部文男

    阿部委員長 菅直人君。
  250. 菅直人

    ○菅委員 きょうは文教委員会の質疑に、本来江田五月委員がこちらの委員をしておりますけれども、差しかえて私が幾つかの御質問をさせていただきたいと思います。  まず、大臣に少し御意見を聞かせていただきたいのですけれども、ことしは一九八五年ですが、今からちょうど百年前に日本において特許制度がスタートをしたということを、あるいは御承知ではないかもしれませんけれども、そうした事実があるわけです。今日、日本の特許制度というのは、ある意味では世界の中でも最も数多い出願件数を抱えて、今日の日本の科学技術の発展の中で大変大きな役割を果たしているという状況にあるわけです。こういう状況の中で、せんだってこの文教委員会の中でもコンピューターソフトの保護に関連をして著作権法の改正なども行われておりますけれども、特許とか著作権といったようなものはなかなか子供たちにとって、あるいは大人にとってもわかりにくい性格のものになっているわけです。そういった意味で、見えるもの、つまり船だ、自動車だ、テレビだ、家だというのは、子供に船の絵をかけと言えばだれでもかけるわけですが、じゃ子供に特許というのは何だと思うかと聞いてもなかなかわからない、発明というのは何だと聞いてもなかなかわからないわけです。わからないだけに、こういった問題を、小学生と言わないまでも、中学生高校生の間からある程度理解をできるように教育をしていくということは、そういった制度の持つ今の社会的な重要性の中で大変意義のあることではないか、こんなふうに考えているわけです。  そういったことで、たしか三年ほど前にも河野洋平議員の方から教科書の中に特許制度などの解説を盛り込むことをやられたらどうか、あるいはことしの春にも同僚の江田五月議員の方からもそうした提案を大臣あるいは文部省にいたしまして、その時折それなりの前向きな御返事をいただいておるわけですが、こういった科学技術あるいは特許とか著作権という問題について大臣教育の中でどのように重要性を感じられているか、そういった点について御見解を伺いたいと思います。
  251. 松永光

    松永国務大臣 日本の特許制度によって我が国の科学技術や生産技術の飛躍的な進歩発展がもたらされたと思っております。その意味で、特許権についてこれを尊重していくという考え方が国民の間に定着することが極めて望ましいことであるというふうに思っております。それと同じように、日本の文化や芸術の発展のためにも著作権の思想が定着をしていくことも同様に大事なことであると思います。  そこで、著作権や特許権についての教育をどの段階からやるべきかということなのでありますが、結論からいえば私はやるべきことだと思います。ただ、先生も御承知のように、特許権とか著作権というのは、私も少し法律をかじった一人なんでありますけれども、私どもの立場でもなかなか難しい面があるわけでありまして、児童生徒の発達段階を見ながら、適当な段階で特許権や著作権についての教育もするのが適当であると思います。  そこで、現在どういうふうになっているかというと、小中学校の場合などにおいては、特許権とか著作権とかということもありますが、要するに他人の権利を尊重する、他人の権利を侵害しない、そういう意識、物の考え方をきちっと教え込んでいくことが大切であろうと思います。そして、著作権とか特許権とかという難しい権利関係になってまいりますと、これは小学校中学校の段階ではやや無理なのではなかろうか。やはり高等学校等の段階で適当な方法でそれを教育していくことが妥当ではなかろうかと私は思っております。
  252. 菅直人

    ○菅委員 確かに、大臣指摘のように、これらの権利の理解というのは難しい面があるわけです。しかし、小さい子供のころを思い出してみても、エジソンが電球を発明したんだとか、最近ではコンピューターとかいろいろなものがどんどん発明され、それが特許という言葉としてまで理解されているかどうかは別として、発明ということではかなり子供たちの中にも理解ができる状況にある。あるいは例えばドラえもんという漫画がありますけれども、その漫画をつけたいろいろな筆箱とかいろいろな洋服などを子供たちが使っている。権利というのはただ、他人が持っている筆箱をとってはいけないと同時に、そういうものを、例えば漫画の絵を黙って別の人がそういうものに使って売ったりしてはいけないというようなことも考えれば、難しい面はありますけれども、ある意味では、逆に難しいからこそ、説明しなければわからないことであるからこそ、小学校中学校あるいは当然のことながら高校生にも理解を求めるような説明が分野分野においてはあっていいのではないかと私は思うわけです。  ちょっと話を進めまして、そういうことの中で、たしか最近教育課程審議会が発足したと伺っておりますが、そういった審議会などにおいて一つの議論の対象になるようにすることができないだろうか。この点についてはいかがお考えでしょうか。
  253. 松永光

    松永国務大臣 先生のおっしゃいましたように、先般、教育課程審議会をスタートさせたわけでありまして、その中で、私の方で審議会に諮問いたしたのは、社会の変化に適切に対応する教育内容のあり方等について審議をしたわけであります。この社会の変化に適切に対応する教育内容のあり方と言えば、従来よりも特許や著作権やそういったことが社会の中で非常に重要視され、またいろいろな人が数多く関係するような社会になってきたわけでありますから、そういう変化を考えますと、先生おっしゃるように、学校教育の中で特許権とか著作権とかということに関連した教育教育内容の中に取り入れられるということも、当然議論としては出てくるだろうと思います。先生も御指摘になりましたが、特許権とか著作権の内容まで教えるということは児童生徒がある程度発達しないと適当でないかもしれませんが、権利の中には、人のもの、つまり所有権とか財産権とかということの一部として、新しい発明をしたというような場合には特許権というのがある、あるいは芸術等の分野では著作権というのがある、こういったことを適切な方法で教えるということは、やり方によっては中学生などの場合にも子供の理解の中に消化ができるのじゃなかろうかというふうにも思うわけでありますが、いずれにせよ、この教育課程審議会でこういった問題についても議論として取り上げていただけるのじゃなかろうかというふうに思います。そうして、その議論の末答申がなされれば、その答申の趣旨に沿って教育内容のあり方についての改善措置を私どもはやっていきたいというふうに考えておるわけであります。
  254. 菅直人

    ○菅委員 大臣の方から大変前向きな見解をいただきまして、今大臣の方からおっしゃった社会の変化に適切に対応する、まさにその社会変化の中でますます重要性の高まっているこういう問題に前向きにそういう審議会の中でも議論が進むであろうということを大臣もおっしゃったわけですが、ぜひ事務当局の皆さんもそういう方向で御努力をいただきたい。そして、教科書あるいは学習指導要領あるいはその解説書などいろいろな場面がありますから、その中で適切なものにぜひ盛り込まれるように私からも努力をお願いして、次の問題に移らせていただきたいと思います。  今話題にも出ました著作権の改正が最近何度がにわたって続いているわけですが、昨年の改正の中でいわゆるレコードレンタルに対しての一つのルールづくりというものが行われたわけです。そして、その法律改正のときに、いわゆる権利者の「著作者等の貸与権の行使に当っては、公正な使用料によって許諾し関係者の間の円満な利用秩序の形成を図るよう指導すること。」という附帯決議がなされたわけであります。そういった意味で、この附帯決議に沿って、今日そういったレコードにかかわる権利者の皆さんとレコードレンタルという業を営む皆さんとの間で一定のルールがつくられて運営がなされているというふうに聞いておりますけれども、その内容といいましょうか現状について、概略で結構ですけれども、どんなふうになっているのか、どう認識されているのか、お尋ねをしたいと思います。
  255. 加戸守行

    ○加戸政府委員 昨年の本委員会におきまして、著作権法改正を成立させていただいております。その際の附帯決議の趣旨に基づきまして、文化庁といたしましても、権利者、利用者双方に対します各般の指導あるいは御相談に乗るという形で円満なる解決を図ってまいったわけでございますが、既に作詞・作曲者側でございます日本音楽著作権協会とユーザー側の代表でございますレコードレンタル商業組合との間におきまして、昨年の四月に協定、合意が成立いたしまして、それに基づきます著作物使用料規程の改正が音楽著作権協会の方から申請がございまして、昨年の六月に文化庁長官が許可をいたしております。そういった料率等に基づきまして、途中経過、つまり暫定的な料金軽減といった暫定措置はございますが、基本的なルールとそれに至りますまでの間の経過措置、暫定措置等含めまして両者の間に合意が成立し、既にレコードレンタル店二千二百点ほどとの間に契約が成立して、円滑な業務が遂行されている状況にございます。  もう一つ、権利者側といたしましては、レコード製作者と実演家の二つのサイドがあるわけでございますが、レコード製作者側の代表でございます日本レコード協会と、先ほど申し上げましたレコードレンタル商業組合との間におきまして、若干時間は延びましたけれども、本年の六月一日に協定が成立いたしまして、お互いの間の合意が取り交わされております。また、実演家の団体でございます日本芸能実演家団体協議会と同じくレコードレンタル商業組合との間におきまして本年の六月二十九日に協定が結ばれておりまして、いずれもその協定に基づきます基本的なルールと、それから途中段階での暫定措置を含めまして、合意に達しました線でそれぞれのユーザー側と権利者側との間の契約も締結され、二千店を超えるレコドレンタル店と今申し上げましたレコードメーカー側あるいは実演家団体側との間に円滑なる秩序が形成されて進んでいるという状況のように把握いたしております。
  256. 菅直人

    ○菅委員 大変文化庁の方も努力をされて、一つのルールがしかれて、それがスムーズにスタートしたということはよかったと思う一人でありますけれども、最近、実際にこれを利用しているいわゆるレコードレンタルの利用者の立場から見ると、特別許諾という制度のレコードと一般の許諾のレコードがあって、かなり特別許諾というレコードの割合がふえている。多分これは今おっしゃった中のレコード協会と商業組合との間の契約に基づくものだと思うのですけれども、そういった特別許諾というのがある程度の割合予定をされていたというふうには伺っているのですが、実際上はかなりその割合がふえている。そうしますと、利用者の方も簡単に言うと料金がその分上乗せになるということで、若干負担が大きくなっているというふうに理解しているわけですが、こういったことが本来の附帯決議を含めた趣旨を踏襲する形で、本来のルールにのっとった形で運営されるように、さらに新しいいろいろな、コンパクトディスクの問題とかいろいろな問題がまだ残っているというふうにも聞いておりますけれども、今後一層のこの趣旨に沿っての文化庁の指導というものをお願いしておきたいと思います。  もう一点、あと短い時間ですが、同じく著作権にかかわる問題で、昨年のといいましょうか、ことしの通常国会で可決をされたプログラムの保護について幾つお尋ねをしておきたいと思います。  コンピュータープログラムを著作物という形で認定をされた法律改正が行われて、来年の一月一日に施行というふうに理解をしておりますけれども、それと同時にといいましょうか、それをフォローする形で新しい登録制度を次の通常国会で提案をされるように聞いているわけですが、この次の登録制度の概略及びそれの時期的な進展状況、そういったことについてお伺いをしたいわけです。  短い時間ですので、二、三具体的に聞きたい点を申し上げておきますと、まず、創作日登録制度というものを提案されるように聞いておりますけれども、その場合には、一つは、登録をしたときにその著作物の内容を公開するのかしないのかという点。これはコンピュータープログラムを保護するという趣旨が、ある意味では二重投資を防ぐというような趣旨も含まれているという立場からすれば、公開しなければおかしいわけです。しかし、従来の著作物の保護という観点から言えば必ずしもそうでないという点で、そういった点がどうなっているのか。  また、実際に登録申請を受け付ける機関を現在と同じような著作権課だけで行うことができるのか。一説には第三者機関をつくられるというように聞いておりますけれども、そうだとすれば、そういう準備はどの程度進んでいるのかという点が第二点。  もう一点は、実際の登録申請を、創作した後のある一定期間内しか申請を認めないというふうな手続をとるというふうにも聞いておりますけれども、もしそうだとすれば、その理由とその期間、あるいはその期間が適切であるかどうかという点について、この三点を含めて、プログラム保護の具体的な登録制度の今後の状況についてお聞かせをいただきたいと思います。
  257. 加戸守行

    ○加戸政府委員 ただいま御質問ございましたプログラムの登録にっきましては、本年六月可決成立いたしております著作権法一部改正の中で、プログラムにつきましては創作年月日の登録を行うことができる旨が規定されておりまして、その同じ法律の中で、プログラムの著作物の登録については「別に法律で定める」という規定を設けております。したがいまして、それを受けた法律の提案をただいま文化庁において準備中でございますが、その内容で盛り込むものといたしましては、登録の手続であるとか、プログラムの複製物、コピーの納付であるとか、あるいは今先生指摘ございました二重投資の防止というような趣旨も含めまして、公報の発行という形でプログラムの概要を公開することを考えております。  そこで、先生の御質問ございました第一点のプログラムの内容をどの程度に公開するのかという点でございますが、もちろんこれは企業秘密との関連もございますし、現在私ども考えておりますのは、プログラムの名称並びにその概要といいまして、どのような機能を果たすプログラムであるのかという説明書を出していただきまして、そういった簡単な概要を公開するということで、プログラムそのものの内容が判明しないような十分な留意をしたいという考え方で対応しようと思っている段階でございます。  それから、第二点は、受付機関といいますか登録機関でございまして、法律上は現在文化庁長官が登録を行うシステムになっておるわけでございますけれども、今度は別に定める法律でそれをどのように取り扱うのかという問題がございます。これはプログラムの登録の申請件数がどのような形になるのかという状況の見きわめがまず必要でございまして、数少ないケースが想定されるのであれば文化庁が直接行うことは可能でございますけれども、一般のプログラムあるいはゲームソフトのようなプログラム、相当いろいろな種類、それから大量に上る登録というのがある程度予測もできないわけでございませんし、そういった実情把握の上、場合によっては第三者機関に登録を委託するというシステムを導入することも一つの案として内部で検討を進めている段階でございます。  それから、創作後の登録の問題でございますが、法律改正によりまして、プログラムの創作年月日の登録につきましては、創作後六カ月を経過した場合には登録することができない旨の規定を設けておりますので、したがいまして、申請を受け付けますのは創作した時点から六カ月以内のものに限るということになっておるわけでございまして、プログラム登録法でこれを変更するという考え方はございません。この理由といたしましては、いつ創作したものかということを、例えばこのプログラムは三年前に創作しました、あるいは五年前に創作しましたという登録を認めることは、真実の立証自体も非常に難しゅうなりますので、一応その創作の時点が疎明できる期間ということを考えまして、六カ月ということを著作権法の中に規定している状況でございます。
  258. 菅直人

    ○菅委員 ついせんだっても、アメリカのIBM社が、これはアメリカ法に基づく事件だと理解しておりますが、日本の富士通に対して著作権に基づくコンピューターソフトの侵害があるという提起を行ったという報道なんかを見ておりますと、日本においていよいよこのコンピューターソフトの保護が実際にこういう登録制度を踏まえて行われるようになった場合に、どういうふうな影響が出てくるのか。これはこれまでの著作物という、従来のいわゆる著作物とはやや違った分野に対しての影響が非常に大きいわけですね。  そういう点で、今おっしゃった中で公開の問題などは、確かにどういう考え方に立つべきなのかというのは、まだ私自身も確定的な意見を持っているわけではありませんけれども、保護するという以上は、独占権を与えるという以上は、その中身を公開をするというのが一つの筋論だとも思いますし、例えば先ほど申し上げた特許制度などはそういう形で制度が仕組まれている。しかし、独占権は認めるけれども公開は必ずしもしないということになれば、これは二重投資を避けるという趣旨が生かせないという問題もある。しかし、同時に、企業間の秘密という問題もある。そういう点で、果たして今おっしゃったような名称と概要、あるいは機能の説明ということでいいのかどうか、これはさらにいろいろな立場の意見というものを十分に聞きながら、権利者とそれによって影響を受ける人のバランスのようなことを十分に考慮していかなければいけないのじゃないだろうか。そのあたりも十分考慮されているとは思いますけれども、若干の疑問を感じるところがありますので、申し添えておきまして、もう時間になりましたので、私の質問を終わらせていただきます。      ――――◇―――――
  259. 阿部文男

    阿部委員長 第百二回国会内閣提出私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  この際、お諮りいたします。  本案の提案理由は、第百二回国会において既に聴取いたしておりますので、これを省略することに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  260. 阿部文男

    阿部委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     ―――――――――――――  私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する   法律案、     〔本号末尾に掲載〕     ―――――――――――――
  261. 阿部文男

    阿部委員長 これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、これを許します。船田元君。
  262. 船田元

    ○船田委員 きょうは非常に時間が限られておりますけれども、自民党を代表しまして、今議題になりました私立学校共済法の改正案につきまして、若干の質問を行いたいと思います。  我が国の社会は、諸外国にも例を見ない非常なスピードで急速に進行しつつあるということはだれもがわかるわけでございます。特に六十五歳以上の老齢人口というのは、十五年後には全人口の約二八%、そして二十五年後には全人口の一九%という数字に達することが予測されております。また、現在我が国社会の重要な担い手として活躍している戦後のベビーブームに生まれたいわゆる団塊の世代も、今から約三十年後の二〇一五年には年金の受給者、年金を受けるようになるわけでございますし、そのころには我が国は高齢化社会のピークを迎えることになるわけです。このような状況にあって、老後生活の柱となる公的年金制度の役割は一層重要になることは言うまでもないと思います。  しかしながら、一方で、現在の我が国の公的年金制度というのは、その沿革とか対象者の職域等の違いによって、三種七制度に分立をしている。このため、例えば産業構造とか就業構造の変化によって、運営の基盤が非常に不安定になる、そういう制度が生じることも避けられないわけであります。今問題となっております国鉄共済というのも、その一番いい例であろうと思います。  本来、社会保障制度というのは、例えば目先の利益といいましょうか目先の見ばえのよさを追求するばっかりに、将来どうなっても構わないということではありませんで、やはり社会保障制度として国が責任を持ってやっていくわけでございますので、当然将来にわたって安定的に運営をされる、そしてその中で国民一人一人が自分の人生の将来の青写真をきちんと描けるようにする、これが社会保障制度の本筋であるというふうに考えております。したがいまして、公的年金制度が真にその役割を果たすためには、決して将来パンクをすることがなく、信頼される制度ということで整備されていかなければいかぬ、私はこういう考えを持っておるわけであります。  今回、このような観点から、我が国の今後における人口構成それから社会構造の変化に適切に対応し得る公的年金制度を確立しよう、こういうことを目的として、公的年金制度の一連の改革が現在進行中、既に前国会においては、国民年金、厚生年金、これの制度改正が成立したわけであります。今度この委員会に提案されております私学共済法の改正につきましても、以上のような公的年金制度の改革の一環として行われていると理解をしておりまして、他の共済制度と足並みをそろえて実施されるべきものだと私は基本的に理解をしておるわけでございます。  そこで、若干の質問を始めたいと思いますが、文部大臣に最初に二つほど御質問いたしたいと思います。  第一点は、現在の私学共済は、昭和二十九年の設立以来非常に順調な発展を遂げてまいりました。この私学共済制度というのは一体どういう考え方に基づいて設けられたのか、そして、今日までこの私学共済が果たしてきた役割についてどう評価しているか。これがまず第一点。  第二点は、年金制度の今後については国民の非常に大きな関心事となっておりまして、高齢化社会がピークに達する二十一世紀においても健全で安定した制度を確保していくことは重要でございます。この状況下にあって、今回の私学共済年金制度の改正の基本的な考え方、それが二点でございますが、文部大臣にお伺いしたいと思います。
  263. 松永光

    松永国務大臣 私立学校教職員共済制度の果たしてきた役割等についてでございますが、先生承知のとおり、我が国の学校教育の中で私立学校の果たしてきた役割は極めて大きいのでございますし、また、これからも大きな役割を果たしてもらわなければならぬと思っております。  その私立学校が、そうした学校教育上の大きな役割を果たしていくために基本的に大事なことは、私立学校教職員が安んじてその職責を果たしていけるような福利厚生制度を整備することが必要なのでありまして、そういう立場で、先生指摘のとおり、昭和二十九年からこの共済組合が設立をされたわけであります。設立後、教職員の福利厚生の充実に逐次努めてきたところでありまして、これによって私立学校の振興がなされてきたことは極めて大きいのであります。我々は、我が国の学校教育の中で私立学校の果たす役割の大きいことにかんがみ、私立学校教職員の福利厚生をきちっと果たしていくように今後とも努力をしていきたいと考えておるわけでございます。  二番目の点でございますが、先生指摘のとおり、我が国は世界のどこの国も経験したことのないような早いスピードで、また高齢者人口が極めて多いという世の中を迎えることは確実なのであります。そういうことを考えますと、それに備えて、公的年金制度全体が長期的に安定したものになるように改革措置をしていかなければならぬわけであります。  今回審議をお願いしておる改正案は、そうした公的年金制度改革の方向に沿って、公的年金制度の一元化を展望しつつ、給付と負担の均衡を確保するため、給付水準の適正化を図る等の措置を講じようとするものであります。そういう考え方に立ちまして、私立学校教職員共済組合の組合員等に対しても、国公立等教職員の場合と同じように、全国民共通の基礎年金の制度を適用するとともに、共済年金を基礎年金に上乗せする報酬比例年金として設計をし、その給付水準についても厚生年金と均衡のとれたものにすることを目的として今回の改正をお願いした、こういうことでございます。よろしく御審議を速やかに賜りたいというのが私の願いでございます。
  264. 船田元

    ○船田委員 確かに、現行制度のままでは、三十年、四十年先は大変危なくなるわけであります。確かに、ほかの共済年金や国民年金、厚生年金に比べますと、私学共済はかなりいい条件でございまして、その成熟度はそう高くはないわけでありますけれども、しかし、だからといって今のままでいるというわけには決していかないわけであります。  今回の制度改正でありますが、特に今回の制度改正では基礎年金の導入とか給付水準をもう少し下げる、期待したよりも下げるということでありますけれども、その辺の改正の主要なポイントについてかいつまんでお話をいただければありがたいと思います。
  265. 五十嵐耕一

    ○五十嵐政府委員 お答え申し上げます。  改正案の主なポイントでございますが、ただいま大臣の方から御説明申し上げましたように、私立学校共済組合の組合員につきましても、全国民に共通いたします基礎年金を適用いたしまして、私学共済年金はその基礎年金の上乗せとして支給いたします報酬比例の年金といたします。  年金額の算定基礎額につきましては、現行の退職前一年間の標準給与から、厚生年金と同様の全期間平均の標準給与額といたします。  また、年金額の算定方法でございますが、基本的には厚生年金と同様の方法にいたします。ただし、職域年金でございます共済年金の特殊性等を考慮いたしまして、厚生年金にはない職域年金相当部分の加算、これは厚生年金相当部分の二割に相当いたしますけれども、これを行うことといたします。  また、国の拠出の方法でございますが、国はただいま申しました基礎年金の拠出金の三分の一を補助することにいたします。  それから、掛金につきましては、組合員と学校法人の折半により負担するという方式でございます。  それから、既に退職し年金を受けている方々のことでございますが、この方々につきましても、法施行日以後の退職者との均衡を考慮いたしまして裁定がえをいたします。ただ、この場合におきまして、従前もらわれております金額は保障いたします。しかし、その従前額につきましてはスライドは行いません。  また、施行期日は昭和六十一年四月一日からとするということの六点でございます。
  266. 船田元

    ○船田委員 もう与えられた時間が終わりそうなんでまとめなければいけないわけでありますけれども、特に今回の改正におきまして検討を文部省の中でもいろいろとやっていただいたわけでありまして、経過措置のことについてもかなりいろいろと配慮していただいておりまして、改正案そのものについては私もおおむねよろしいのではないかと考えております。  実は、私自身も私学共済の組合員の一人でございまして、気持ちの上ではちょっと複雑なところもあるわけでございますけれども、私学共済だけがいい目を見ているというわけにはいきませんで、全国民が共通に痛みを分かち合うという観点から、これは速やかに改正していただかなければ困るということでございますので、それを最後に申し上げながら、私の質問を終わりにいたしたいと思います。
  267. 阿部文男

    阿部委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時四十九分散会      ――――◇―――――