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1985-11-13 第103回国会 衆議院 文教委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    国会召集日昭和六十年十月十四日)(月曜日 )(午前零時現在)における本委員は、次のとお りである。   委員長 阿部 文男君    理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君    理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君    理事 池田 克也君 理事 中野 寛成君       青木 正久君    赤城 宗徳君       稻葉  修君    臼井日出男君       榎本 和平君    北川 正恭君       田川 誠一君    中村  靖君       二階 俊博君    町村 信孝君       渡辺 栄一君    木島喜兵衛君       佐藤 徳雄君    田中 克彦君       中西 績介君    有島 重武君       伏屋 修治君    滝沢 幸助君       藤木 洋子君    山原健二郎君       江田 五月君 ————————————————————— 昭和六十年十一月十三日(水曜日)     午前十一時四十一分開議 出席委員   委員長 阿部 文男君    理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君    理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君    理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君    理事 池田 克也君 理事 中野 寛成君       青木 正久君    赤城 宗徳君       稻葉  修君    榎本 和平君       大島 理森君    北川 正恭君       田川 誠一君    中村  靖君       二階 俊博君    町村 信孝君       渡辺 栄一君    渡辺 秀央君       木島喜兵衛君    佐藤 徳雄君       田中 克彦君    中西 績介君       有島 重武君    伏屋 修治君       滝沢 幸助君    藤木 洋子君       山原健二郎君    江田 五月君  出席国務大臣         文 部 大 臣 松永  光君  出席政府委員         臨時教育審議会         事務局次長   齋藤 諦淳君         文部大臣官房長 西崎 清久君         文部省初等中等         教育局長    高石 邦男君         文部省高等教育         局長      大崎  仁君         文部省体育局長 古村 澄一君  委員外出席者         参  考  人         (臨時教育審議         会会長)    岡本 道雄君         参  考  人         (臨時教育審議         会第一部会長) 天谷 直弘君         参  考  人         (臨時教育審議         会第三部会長) 有田 一壽君         文教委員会調査         室 長     高木 高明君     ————————————— 委員の異動 十一月十三日  辞任         補欠選任   稻葉  修君     渡辺 秀央君   臼井日出男君     大島 理森君 同日  辞任         補欠選任   大島 理森君     臼井日出男君   渡辺 秀央君     稻葉  修君     ————————————— 十月十四日  学校教育法の一部を改正する法律案佐藤誼君  外二名提出、第百二回国会衆法第三号)  学校教育法等の一部を改正する法律案中西績  介君外二名提出、第百二回国会衆法第四号)  公立幼稚園学級編制及び教職員定数標準に  関する法律案中西績介君外二名提出、第百二  回国会衆法第五号)  公立障害児教育学校学級編制及び教職員  定数標準等に関する法律案馬場昇君外二名  提出、第百二回国会衆法第六号)  児童生徒急増地域に係る公立の小学校、中学校  及び高等学校施設の整備に関する特別措置法  案(木島喜兵衛君外二名提出、第百二回国会衆  法第八号)  義務教育学校施設費国庫負担法の一部を改正  する法律案木島喜兵衛君外二名提出、第百二  回国会衆法第九号)  日本体育学校健康センター法案内閣提出、  第百二回国会閣法第一八号)  私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する  法律案内閣提出、第百二回国会閣法第八二号  ) 同月三十日  私学助成増額に関する請願城地豊司紹介)  (第八七号)  学校事務職員等に係る義務教育費国庫負担制度  の堅持に関する請願齋藤邦吉紹介)(第一  〇六号)  障害児学校教職員定数法制定等に関する請願  (藤田高敏紹介)(第一〇七号)  私学助成大幅増額に関する請願田中美智子  君紹介)(第一二五号)  同(横江金夫紹介)(第一二六号) 十一月十一日  私学助成大幅増額に関する請願横山利秋君  紹介)(第一四七号)  同(青山丘紹介)(第一五二号)  同(伊藤英成紹介)(第一五三号)  同(春日一幸紹介)(第一五四号)  同(田中美智子紹介)(第一五五号)  同(横江金夫紹介)(第一五六号)  同(横山利秋紹介)(第一五七号)  同(横江金夫紹介)(第一六一号)  同(横山利秋紹介)(第一六二号)  同(石田幸四郎紹介)(第一七五号)  同外二件(草川昭三紹介)(第一七六号)  同外三件(柴田弘紹介)(第一七七号)  同(田中美智子紹介)(第一七八号)  同(横江金夫紹介)(第一七九号)  同(横山利秋紹介)(第一八〇号)  同(横江金夫紹介)(第二四四号)  同(横江金夫紹介)(第二八四号)  同(横江金夫紹介)(第二九三号)  障害児教育充実等に関する請願佐藤徳雄君  紹介)(第一七四号)  同(佐藤徳雄紹介)(第二四五号)  同(佐藤徳雄紹介)(第二八五号)  同(佐藤徳雄紹介)(第二九四号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国政調査承認要求に関する件  参考人出頭要求に関する件  日本体育学校健康センター法案内閣提出、  第百二回国会閣法第一八号)  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 阿部文男

    阿部委員長 これより会議を開きます。  国政調査承認要求に関する件についてお諮りいたします。  文教行政基本施策に関する事項  学校教育に関する事項  社会教育に関する事項  体育に関する事項  学術研究及び宗教に関する事項  国際文化交流に関する事項  文化財保護に関する事項以上の各事項につきまして、本会期中、国政に関する調査を行うため、議長に対し、国政調査承認要求を行うこととし、その手続につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 阿部文男

    阿部委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。      ————◇—————
  4. 阿部文男

    阿部委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  文教行政基本施策に関する件調査のため、本日、臨時教育審議会会長岡本道雄君、臨時教育審議会第一部会長天谷直弘君及び臨時教育審議会第三部会長有田一壽君に参考人として御出席を願い、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 阿部文男

    阿部委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。      ————◇—————
  6. 阿部文男

    阿部委員長 第百二回国会内閣提出日本体育学校健康センター法案を議題といたします。  この際、お諮りいたします。  本案提案理由は第百二回国会において既に聴取いたしておりますので、これを省略することに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 阿部文男

    阿部委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     —————————————  日本体育学校健康センター法案     〔本号末尾掲載〕     —————————————
  8. 阿部文男

    阿部委員長 本案につきましては、別に質疑及び討論の申し出もありませんので、直ちに採決に入ります。  日本体育学校健康センター法案について採決いたします。  本案賛成諸君起立を求めます。     〔賛成者起立
  9. 阿部文男

    阿部委員長 起立多数。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。     —————————————
  10. 阿部文男

    阿部委員長 この際、船田元君外五名から、自由民主党・新自由国民連合日本社会党護憲共同、公明党・国民会議、民社党・国民連合日本共産党革新共同及び社会民主連合の六派共同提案による附帯決議を付すべしとの動議提出されております。  提出者から趣旨説明を求めます。船田元君。
  11. 船田元

    船田委員 私は、提出者を代表いたしまして、ただいまの法律案に対する附帯決議案についての御説明を申し上げます。  まず、案文を朗読いたします。     日本体育学校健康センター法案に対する附帯決議(案)   政府は、左記事項について適切な措置を講ずべきである。  一 国民体力向上と健康の保持増進を図り、スポーツの振興をより一層推進するため、体育スポーツに関する研究体育指導者に対する研修を一本化し、さらに国民への体育スポーツに関する情報の提供等を併せて行う体育研究研修センター構想具体化について所要の措置を講ずること。  二 学校環境衛生及び学校安全の改善充実を図るとともに、養護教諭適正配置に努めること。  三 災害共済給付については、引き続き重度障害者に対する給付等改善充実に努めること。  四 学校給食については、教育事業としての重要性を十分認識し、その実施運営について、学校給食安全性の確保を図るとともに、質の低下を招くことのないよう適切な指導に努めること。   なお、本センターが行う学校給食用物資供給業務については、引き続きその縮小に努めること。  五 日本体育学校健康センターの発足に当たっては、職員の雇用及び処遇について、従前の労使間の慣行を尊重し、労働条件が低下しないよう十分配慮すること。   右決議する。 以上でございます。  その趣旨につきましては、前国会における本案質疑応答を通じて明らかであると存じますので、案文の朗読をもって趣旨説明にかえさせていただきます。  何とぞ御賛同くださいますようお願い申し上げます。
  12. 阿部文男

    阿部委員長 これにて趣旨説明は終わりました。  採決いたします。  本動議賛成諸君起立を求めます。     〔賛成者起立
  13. 阿部文男

    阿部委員長 起立総員。よって、本案に対し附帯決議を付することに決しました。  この際、本附帯決議に対し、政府から発言を求められておりますので、これを許します。松永文部大臣
  14. 松永光

    松永国務大臣 ただいまの御決議につきましては、その趣旨に即して十分検討してまいりたいと存じます。     —————————————
  15. 阿部文男

    阿部委員長 なお、ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  16. 阿部文男

    阿部委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     —————————————     〔報告書は附録に掲載〕     —————————————
  17. 阿部文男

    阿部委員長 午後一時三十分に再開することとし、この際、休憩いたします。     午前十一時四十七分休憩      ————◇—————     午後一時三十一分開議
  18. 阿部文男

    阿部委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  本日、参考人として臨時教育審議会会長岡本道雄君、臨時教育審議会第一部会長天谷直弘言及び臨時教育審議会第三部会長有田一壽君が御出席になっております。  参考人各位には、御多用中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございました。  議事の進め方といたしましては、委員質疑にお答えいただく形で、忌憚のない御意見を承りたいと存じます。  質疑申し出がありますので、順次これを許します。佐藤誼君。
  19. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 きょうは、臨教審委員の皆さんが御多忙中のところ参考人として御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。御礼申し上げます。  それでは、臨教審審議にかかわることについて逐一質問してまいります。  第一の点は、これは新聞の報道ですけれども、臨教審は十一月六日の総会で、教育基本法の今日的解釈について審議を深めることにした、日程については一月二十二日に「審議経過概要(その3)」を公表することを決めた、このような報道がなされておりますが、これは事実であるのかどうか。  それから、教育基本法解釈を今後検討するとすれば、それはなぜなのか。また、その理由は何か。以上の点をお答え願います。これは会長になりますか、第一部会長になりますか。やはり会長でしょうね。
  20. 岡本道雄

    岡本参考人 今おっしゃっていただきました予定でございますけれども、教育基本法解釈について検討を進めるということと、それから「審議経過概要」を発表するという、この予定についてはそのとおりでございます。  その次に、なぜ臨教審教育基本法解釈について検討するのかということでございますけれども、今次の教育改革は、教育基本法精神にのっとって進められるということがまず大前提でございますので、その精神というものをしっかり把握するということが第一に大事なことでございますので、これは最初から私どもが大変努力してまいったことでございます。それで、今改めて教育基本法解釈について検討すると申しますのは、第一次答申にも申しておきましたように、第一次答申については逐次答申で早急に改革すべきものについて述べましたけれども、次の第二次答申というものは基本答申ともいうべきものでございますので、これをさらに精緻を極めて十分詳しくということを心得ておりますので、教育基本法解釈についても、その精神を把握するために検討するということでございます。  それは、御承知のとおり、大変過熱した受験競争とか画一的な指導とか、いわゆるいじめの問題などを思いますと、教育の荒廃の現状を考えますと、これは必ずしも教育基本法精神我が国の現在の教育に生かされておるとは限らない、この現実の状況を考えまして、今後の教育検討に当たっては、教育基本法精神の正しい認識確立に努めるということが必要である、こういうことを第一次答申にも申しておりますが、それをひとつ再確認するということでございます。  それと、もう一つ作業としては、この教育改革の第一の仕事が「我が国における社会の変化及び文化の発展に対応する教育の実現を期して各般にわたる施策に関し必要な改革を図るための基本的方策」、そういうことでございますから、具体的には二十一世紀に向かってどういうふうな点をどういうふうに改革するということを検討施策基本方針を決めるに当たりましては、絶えずこれが教育基本法精神にもとっておらないかどうかということを検討してまいるということもこれから大変大事なことでございますので、こういう二つの点を考えまして、ひとつ本格的に基本法解釈について検討するということでございます。  したがって、この我々の仕事基本になるものとして我々が勉強すべきことでございまして、これを条文について法律解釈臨教審としてつくってそれを示していくというような目的を持ったものではございません。  以上です。
  21. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 会長から基本的な考え方が出されましたので、それに関連して質問していきますが、やや内部の問題も出てきますから、天谷第一部会長の方からお答えいただきます。  それで、まず簡単に言いますが、第一次答申が出ているわけですから、それを出すに当たって当然教育基本法解釈について検討してきたと思うのですが、これは検討してきているのですね。どうなんですか。
  22. 天谷直弘

    天谷参考人 検討いたしております。
  23. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そうすると、このたびまた解釈について検討するということは、再検討というか、見直しが含まれているわけですね。
  24. 天谷直弘

    天谷参考人 わかり切ったことを申し上げて恐縮でございますけれども、臨教審教育基本法を有権的に解釈するような権能を持っているものとは考えておりません。  ただ、教育改革に当たりましては、教育理念ということを考えなければなりませんし、その教育理念教育基本法精神にのっとっているものでなければならないと思います。  それから、教育基本法は非常に抽象的、一般的な表現で書かれておりますが、時代はいろいろ変わっておりますから、時代の要請とか教育現状とかと照らしまして、解釈のどこにアクセントを置くのかというようなことを考えていかなければなりませんので、そういうことにっきまして、教育基本法を今日的に読むのにはどうすればいいであろうかというようなことをいろいろと検討いたしております。
  25. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 いろいろ述べていますけれども、私は端的に聞いているのです。ですから、第一次答申を出すに当たっては、あなた方は教育基本法解釈検討して、そして今後の教育改革の方向というのを当然出してきたと思うのですよ。ですから、このたびまた解釈について検討するわけですから、したがって、これは再検討というか、継続検討となるか、見直しになるのか。  では、私は次の点で質問いたしますけれども、その解釈検討した結果、第一次答申解釈と違った場合どうなるのですか。
  26. 天谷直弘

    天谷参考人 第一次答申と全く違ったような解釈になることはないと思っております。ただ、第一次答申で言い足りなかった点とかを補うことはあり得ると考えております。
  27. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 先ほど会長は、さらに詳しくということと本格的解釈という両方を使っているのですよね。ですから、今の天谷第一部会長答弁によりますと、言うなれば答申の中の精緻という言葉、さらに詳しくといいますか、そういうふうに考えられるのですが、ただ本格的解釈ということも言われておりますので、その辺を整理してはっきり答えてください。まず会長、どうですか。
  28. 岡本道雄

    岡本参考人 一番最初に申しましたように、一次答申のときにも、当然改革案を述べるわけですから、その際に教育基本法精神というものを十分検討いたしまして、それに沿ったものを出しております。したがって、挙げましたあの改革内容教育基本法精神にのっとったものだと思っておるわけです。それで、第二次答申になりますとさらに多くの施策も提案いたしますので、それも教育基本法精神にのっとっておるかということをしっかり検討してやるということでございます。  精緻というのは、あらゆる点に精緻を期するわけでございますけれども、最前申しました第二段のことに関しましても、二十一世紀に向かって教育改革をするときにいろいろな施策を述べるについては、第一次答申以外のものも述べますから、その際もこれが教育基本法精神にのっとっておるかどうかということを詳しく検討するということでございます。  それで、これは我々の能力を尽くしてやるわけでございますから、一次答申のときも精神にのっとっておると思いますが、二次以降も教育基本法精神にのっとってやれる、それはそごはしないというふうに思っておるわけです。
  29. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 どうも答弁がよくわからぬのですよ、これは会長部会長も同じなんだけれども。つまり、第一次答申解釈しているわけですから、このたび解釈検討するといっても、第一次答申解釈した考え方と変わらないということですか、変わることがあり得るということですか、どうなんですか。
  30. 岡本道雄

    岡本参考人 第一次答申についても教育基本法精神にのっとっておる、したがって今後も変わらないと私は思っております。
  31. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 変わらないと思っていると言うのだけれども、思っているであって、変わることはあるのですか。  それから、重ねてだけれども、先ほどの本格的な解釈というのはどういうことですか。会長、どうですか。
  32. 岡本道雄

    岡本参考人 第一次答申教育基本法精神にのっとっておると確信しておりますので、それと変わっておればのっとっておらないということになるのです。そういうことはいたしませんということでございます。  もう一つ何でしたか……。
  33. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 さっぱり質問に答えてくれないのだよ。私の方では整理して端的に聞いていますから、わからないような答弁をずっと継続されるのは時間のむだなんです。ちょっと休憩して整理してください。委員長、預かってください。私が質問したことに対して整理して答弁してください。
  34. 阿部文男

    阿部委員長 暫時休憩いたします。     午後一時四十四分休憩      ————◇—————     午後一時四十七分開議
  35. 阿部文男

    阿部委員長 再開いたします。  岡本会長
  36. 岡本道雄

    岡本参考人 一つは、第一次答申を出しましたときのあれは教育基本法精神にのっとってやったもので、今後も精神にのっとってやるのですから、考え方は変わらないということなんです。  それから、最前ちょっと忘れて失礼しましたが、本格的にと言ったのはあれは何だとおっしゃられたことですが、第一次答申にも「二十一世紀に向けての教育基本的な在り方」についてというのがございまして、そこに「教育基本法精神が、今後の我が国教育に生かされるよう、その正しい認識確立に努める。」ということがあるのです。それで、全体を整理して正しい認識確立に努める、それに努力する、そういうことを言ったわけです。したがって、精神においてはもちろん変わらないわけですけれども、さらに精緻に詳しく全体の正しい認識確立に努める、そういうことでございます。  これでよろしゅうございますでしょうか。
  37. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 どうも時間が気になってしようがないのだけれども、もっとはっきり答弁してもらわなければ困るんだ。というのは、例えば今会長が言ったことをちょっと思い出しますと、教育基本法精神にのっとってやってきたし、これからものっとってやっていくんだということでしたね。そして、考え方は変わらないということを言っているわけだ。その考え方が変わらないということは、解釈も変わらない、こういうことなんだね、そこをはっきり。考え方が変わらないということは、解釈が変わらないと同じことなんでしょうということです。
  38. 岡本道雄

    岡本参考人 第一次答申のときに、教育基本法精神というものを考えたときも解釈をしてその精神を納得したのですから、このたびも精神が変わらないというのは解釈が変わらないということです。
  39. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 今後も変わらないということですね。
  40. 岡本道雄

    岡本参考人 そうです。
  41. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そうすると、解釈検討するということは、解釈が変わらぬのだけれども、変わらぬがさらに緻密にするということだな、変わらない原則に立って。そうなんだね、どうなんですか、そこは。
  42. 岡本道雄

    岡本参考人 それから、緻密にいたすわけですけれども、具体的な施策内容はさらに一次答申より先へ進みますから、それについても、立派にそれが生かされておるかどうかということを緻密に確認してまいるということでございます。
  43. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 考え方が変わらない、解釈が今後も変わっていかないのだ、こういうことですから、それはいいと思います。問題は、ちょっと重要な部分ですから再度言いますけれども、第一次答申の中で「教育基本法精神が、今後の我が国教育に生かされるよう、その正しい認識確立に努める。」というくだりがありますね。この「正しい認識」というのは、だれが正しい認識を出すのですか。第一部会長、その辺どうですか。
  44. 天谷直弘

    天谷参考人 第一部会検討し、それから臨教審総会検討いたしまして、その中でコンセンサスができ上がっていく部分、それを「正しい」と表現していると思います。
  45. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 最後に「正しい」と表現しているということですが、この「正しい」という表現したものは今後変わっていきませんね。
  46. 天谷直弘

    天谷参考人 何が正しいか正しくないかということに関しまして終局の権威というものはございませんから、我々としましてはできるだけ合意ができたものが正しいと思っております。
  47. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 合意ができたものが正しいというのですから、合意の仕方によっては正しいという内容が変わっていくということですか。
  48. 天谷直弘

    天谷参考人 臨教審委員の合意がそんなにくるくる変わるとは思っておりません。しかし、絶対に変わらないかどうかは私としては何とも申し上げることはできません。
  49. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 これ以上は深追いしませんけれども、どうもその辺の先のところが臨教審内部でもなかなか不統一な点があるような気が私はいたしますけれども、時間がありませんからこれ以上深追いの質問はいたしません。ただ、先ほど会長が、考え方は変わらないし解釈は今後も変わっていかない、このことをはっきり答弁されましたので、それで次に進みたいと思います。  そこで、もう一点だけこの機会に聞いておきますけれども、教育基本法のことと関連してお尋ねしますが、第一次答申の中で、簡単に言うと、「改革基本考え方」として個性重視の原則を最重視すべき基本原則として掲げる、そして、特に改革の目標として伝統文化の継承、日本人としての自覚、こういうことが挙げられております。教育基本法精神にのっとりとしながら、なぜ今申し上げたようなことだけが特定して取り上げられているのか。逆に言いますならば、なぜその教育基本法の中心になっているところの人格の完成とか平和国家の形成者というのが出てこないのか、このあたりについてお尋ねいたします、第一部会長
  50. 天谷直弘

    天谷参考人 教育基本法の中にはいろいろな理想や目的が掲げられておりますけれども、二十一世紀時代的要請あるいは今日の教育現状等を考えてみまして、特に個性の重視とかあるいは創造性、国際性などという観点を現段階において強調する必要があるという考えから、そういうところに重点を置いて書いてありますが、もちろんそれは人格の完成とか平和の追求とかいうことを疎外するという意味は毛頭持っておりません。
  51. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 これはこの前、石川会長代理が来て、このことに対する答弁も同じようなことを言っているのですが、簡単に言えば必要だから挙げた、こういう答弁だと思うのです。  私がなぜそのことを特に取り上げて言っているかというと、これはだれが見ても教育の目的の第一条は「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、」これが前面に出ているのですよね。その形成者として育てるための、簡単に言うと徳目的なものがずっと挙げられている、こういうことなんですから、だれが考えても、教育基本法精神にのっとりそれを生かすということで前面に挙げてくるならば、この二つは落とせないわけだと私は思うわけです。  それから、教育基本法解釈について文部省がはっきり示したものは、私が知る限りでは、昭和二十二年五月三日、時の高橋文部大臣が文部省訓令第四号で出したものなんだ。訓令の中身はずっとありますけれども、その中に次のように書いてある。これは後でごらんになって結構なんですが、はっきりすると思いますけれども、「即ち、この法律においては、教育が、何よりもまず人格の完成をめざして行われるべきものであることを宣言した。人格の完成とは、個人の価値と尊厳との認識に基き、人間の具えるあらゆる能力を、できるかぎり、しかも調和的に発展せしめることである。」こうありまして、もう一つは、「教育は、平和的な国家及び社会の形成者として」以下云々という、この二つが特に取り上げられている。制定された後の文部省の、この場合、訓令ですね。これ以後恐らく出ていないと思うのですよ。これは教育基本法が制定され、第一条の部分を訓令として出すに当たって、特にこれが取り上げられている。しかも、その後はこの解釈的な意味での通達、訓令というのは出ていないというふうに私は理解しているのです。そういう経過からいっても当然この二つは挙げなければならぬはずじゃなかったのかというふうに考えるのですが、重ねてどうですか。
  52. 天谷直弘

    天谷参考人 個人の尊厳、個性豊かな文化の創造あるいは伝統文化の継承というような目的、これは人格の形成とか平和の形成者ということの一部でございまして、両者の間に矛盾があるとは考えておりません。
  53. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 私は、矛盾があるなどということを言っているんじゃないのです。目的の最もメーンになる部分が人格の完成であり、平和な国家、社会の形成者という、それを達成するための言うなれば「徳目的」なことがずっと挙げられている。ですから、個性の尊厳とか尊重とか、個性の重視の原則を否定するのではないのですよ。その前になぜ最も重要なものを挙げてこないのかということです。しかも、とりたててそのことと関連して固有の伝統的文化とか日本人の自覚だけが特にこのたびの改革の目標として出てきたゆえんは何であるかという疑問を持たざるを得ないからあえて聞いているので、会長、どうですか。
  54. 岡本道雄

    岡本参考人 前回の石川会長代理の答弁もございますとおり、個性重視というものをうたいましたのは、このたびの改革基本考え方でございまして、当然人格の完成、平和的な国家、社会の形成というものは目的でございますから、それに行くために、それが特に十分でない、改革を要する部分は個性の重視である、そういうふうに申したはずでございます。
  55. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 このたびの改革に当たってということで、個性重視の原則あるいは個性主義ということになりましょうが、という言い方なんですけれども、それにしてもあなた方が第三の教育改革とまで言っているのですから、とするならば、最もメーンになっている人格の完成とか平和な国家、社会の形成ということを挙げない方が大体おかしいのです。  そこで私は、なおこの点はこれからのずっと改革基本になっていると思いますので、あえて時間を割いてもう少し質問いたしますが、人格の完成とは何かということが先ほど挙げましたところの文部省訓令第四号の中にはっきり書いてあるのです。私は非常に重要な部分だと思いますので引用いたします。先ほどもちょっと言いましたけれども、「人格の完成とは、個人の価値と尊厳との認識に基き、人間の具えるあらゆる能力を、できるかぎり、しかも調和的に発展せしめることである。」私は極めて重要な点を指摘しておると思うのです。それはなぜか。個性重視の原則と言うけれども、これはどちらかというと、言うなれば手段方法的な観点にたっているのじゃないか。つまり、画一主義、硬直性に対しての個性という言い方にどちらかというとなっている。しかし、私が重要に考えるのは、人格の完成の第一は個人の価値の尊厳なんです、このことが重要だという点。もう一つは人間の備えるあらゆる能力を調和的に発展せしめる、このことですね。今日の教育改革に当たって、今申し上げた人格の完成の内容の二つ、これはどうしても我々が改革基本的な考え方としてきちっと位置づけなければならぬことだと私は思うのです。  今日の教育改革にとって個性の重視が大切だということをあなたは言われた。これを私は否定はしませんよ。しかし、それ以上にのっとるべき大切なものは何かということを私は言っている。それは、この人格の完成の解釈の中で言っている人間の備えるあらゆる能力ということと調和的な発展、この二つです。つまり、ここで言っているのは人間としての能力の全面発達を言っているわけです。私は、今日の教育改革、特に後で問題になりますところの今日の教育の荒廃、非行、暴力、いじめ、受験競争、これらのものをいろいろと考えていったときに、ずっとたずねていけば、皆さんも第一次答申の中で出しているように、人間のつくり方にあると思うのです。それは何かというと、今日の教育のベースになっているものは、人間の備えるあらゆる能力を調和的に発展させるという観点ではなくて、人的能力の開発、つまり例の高度経済成長時代からできたマンパワーポリシーの考え方です。これがずっとつながっていると思うのです。人的能力の開発、つまり特定の能力です。人間の能力の全面ではなくて特定の能力。つまり知育偏重の能力だけが取り出されて、そしてそれだけが強調されて育て開発される教育になっているのではないか。これが、ずっと出発点に帰れば、よい企業、よい大学に行くためにという受験競争やペーパーテストやあるいは知育偏重の偏差値、こういうものを生んでいる。このことがひいては、皆さん御承知のとおりの偏差値に偏った受験競争、その中からのいろいろな教育のひずみ、ゆがみ——つまり子供の全的な発達、調和のとれた発達が教育の中で生かされておらない。人格の完成、このことが一番問題だと私は思うのです。ですから、皆さんが戦前戦後の教育、明治、大正、昭和教育は画一主義あるいは硬直性、したがって個性重視だあるいは多様化だ、弾力化だ、自由化だ、こういう発想をずっとつないで持ってきているのですけれども、今次教育改革にとって、子供の能力の全面発達、調和的発達、このことを基本に押さえない限り、本当の教育改革、今日国民が期待している教育荒廃に対する改革の原則にはならないと思うのです。  だから、私はあえてここのところを聞いているのでありまして、今私が所見として述べましたような教育基本法精神に本当にのっとって今次教育改革をしようとするならば、あの昭和二十二年の五月三日文部省訓令が出したこの人格の完成という趣旨にのっとって原則を決めていくのが至当だと私は思うのです。皆さんはこのたびいじめの問題について談話を出しておりますけれども、個性の重視の原則だけからは出てこないと私は思う。この点どうですか、重ねて会長の見解を伺いたい。
  56. 岡本道雄

    岡本参考人 今、先生の教育の目的に関するお話はまことにもっともでございまして、私もまさにそのとおりであると思っております。  それで、ちょっと整理していただきたいのは、本第一次答申の主要課題の中に、このたびは教育の目標というものでそういうものをきちっと、これは今は改革の方向を個性重視としましたけれども、教育の目的としては当然先生のおっしゃいましたことが入るわけですから、この目標の中にそれが入る。それから多様化、自由化ということは方法でございます。したがって、教育の目的、目標と改革の方向それから改革の方法、この三段に分けて考えておりますので、先生から今おっしゃっていただきましたことは教育の目標として、我々は当然そのことを教育基本法の中にあります、またこの文部省訓令第四号の内容もしっかり生かしてうたうべきものであると思っている。それから、改革のなにとしては個性重視、その方向を実現するために方法としては自由化、多様化、弾力化というものがある、こういうふうに整理いたしております。
  57. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それでは、質問を次に進めます。次はいじめの問題です。  臨教審はこのたび、いじめの問題について特に会長談話を発表いたしましたが、これはなぜなのか、いかなる理由に基づくものか、この点どうですか。
  58. 岡本道雄

    岡本参考人 いじめの問題につきましては、第一次答申のときから十分審議してまいりまして、この審議会の基本的な性格からしてその背後にある基本的なものをと思ってまいったのですけれども、最近のこの実情というものはまことに深刻なものでございまして、やはり教育の問題に携わる者としてはこれを看過し得ないという気持ちがいたしましたので、十月二十二日に緊急に総会において審議を行いまして、この際全員一致の意見として出したわけでございます。それは政府のみならず一般が大変各般努力してもらっておりますけれども、ひとつこの際、おのおの各部が一致協力しておやりになるということが大事でないかというような具体的な部分、それから窓口というようなものも入れまして、そしてやむにやまれぬ気持ちで出したわけでございまして、これが現場の努力に対してこれをエンカレッジする効果がありましたら幸いだと思って出した次第でございます。
  59. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 せっかく出したものを私は目くじら立てておかしいじゃないか、だめだなんてことは言いませんけれども、臨教審の性格というか任務というか、そういう点から言うとちょっとなじまないのじゃないか、あるいは越権、行き過ぎではないかということを考えるから私は質問をしているのです。これは私一人の臨教審の見方ではないと思いますけれども、どちらかというと臨教審に対する期待といいますか、一般的なコンセンサスは、二十一世紀教育を射程の中に入れてやや長期的に教育改革の諮問に答えていく、こういう考え方を持っておると思うのですよね。そういう点からいうと、唐突にいじめの問題を出してきたというのは、そういう性格、路線といいますか、それからいうと逸脱ではないのかな、こういうことやら、あるいは諮問機関という性格からいうと、教育行政の執行機関としては文部省その他もありますし、それから最高機関である国会もあるわけですね。それに照らしてみた場合には、諮問機関という性格からいって越権ではないのか、しかもこの種のものを今後とも続けるつもりなのかどうか、ちょっとお尋ねします。
  60. 岡本道雄

    岡本参考人 先生が今おっしゃいましたことにつきましては、私自身が大変それを考えまして、臨時教育審議会であるという性格から考えまして、常設のものでございませんので、起こってくる個々の問題に対してすぐ意見を述べるという安易な気持ちは持っておりません。ただ、このたびは御承知のように、国を挙げてといいますか、この深刻な状態に、最前申しましたやむにやまれぬ気持ちでというのが私の本音でございますので、その点御了解をお願いしたいと思います。
  61. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 やむにやまれぬ、そう言われると何とも言い方ないところがありますが、それについても、やむにやまれぬために急いだこともあるでしょうけれども、内容もちょっと私は、どうせ談話として出すならばもっと検討、考えてしかるべきでなかったのか。例えばこの談話の前文を見ますと、ずっとありまして、五項目書いてありますね。これを私流にうがった見方になるかもしれませんけれども、何かいかにもその内容は、各省庁も学校も家庭も地域も皆悪い、したがって何かやれというような談話になっているわけですよね。  例えば「各省庁をはじめ関係諸機関がそれぞれの必要な施策を進め、さらに相互の連携を強化し総合的に対策を推進すること。」見ると文部省の通達と余り変わらぬですよね。しかも「各省庁をはじめ」という中には警察も入っていると思います。そういうことを諮問機関が取り上げて「すること。」などという談話を出すというのは、私は越権ではないかなというふうに思うわけですよ。むしろ臨教審という立場からいけば、長期的な展望に立っての教育改革を大所高所から見る、しかももっとじっくり教育的立場、子供や教育現場に血の通うような談話でなければ、私は出した意味がないと思うのです。これを受けて早速文部省は云々対策をしたようではありますけれども、この辺、私はちょっと出すについては問題があるんじゃないか。特にその中でも「個性重視の原則」というのは前半にありますけれども、さっき言ったような意味で、ここにもいみじくも出てきておりますけれども、私はこれだけでは不十分だということをこの際指摘をしておきたいと思います。  以上、私の見解を述べて、次の質問をいたします。  今日の教育の荒廃、つまり非行、暴力、いじめ、これらを考えたときに、私は、学校や教師の責任、それの克服に向けての努力、これは当然しなければならぬし、大いにやってもらわなければならぬと思うのです。教職員団体等、例えば日教組等も大会の中でそのことについて議論し、そして申し合わせをして努力している姿を私たち見ておるのです。同時にまた、いろいろ皆さんも御案内のとおりそれぞれの自分たちの立場に立った教育改革についても提言をしている。十分だとは言いません。しかし、一方文部省のやり方を見ていると、それなりの努力はしていると思うのですが、形にとらわれるかもしれませんけれども、通達行政に終わるような気がしてならぬ。学校が悪い、教師が悪い、父兄は何やっている、教育委員会はこうしろ、これがずっと繰り返されてきている、今、中身のことは言いませんけれども。こういう一つのパターンでこういう重大なものをやっていって、果たして本当に国民の期待する、教育の荒廃をなくする、そこに展望を持った教育改革ができるのかどうか。  そこで、私は臨教審にお尋ねしたいのですけれども、この際、教育改革に当たって、文部省が戦後の教育行政を反省し、そして見直し指導を改めなければならない点があるのではないかと私は思うのです。文部省が反省し、見直し、改めなければならない点があるんじゃないか、その点について臨教審はどう考えますか。
  62. 岡本道雄

    岡本参考人 今お話がございましたように、私が常に申しておりますのは、教育現状というものは、これまで教育に力を及ぼした者が皆共同して責任があるという意味で、私は、国、文部省がまず第一に大きな責任がある。それから現場、これは日教組初めの現場というもの、それから私がいつもよく申しますのは大学というもの、それから一般国民というもの、そういうものがやはり全部反省をして取り組むということが大事で、今これだけが、おまえが問題だという言い方はとらないというのが私の主張でございます。その意味で文部省というものも大きな責任があることは十分承知いたしております。
  63. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 時間もありませんのでそういう中身に入ったことはちょっとやりとりできませんけれども、私はこの際臨教審に聞いてもらいたいのですけれども、文部省も——文部省だけじゃありませんよ。文部省も、この際謙虚に反省し改めなければならぬ点や指導のあり方を考えなければならぬ点があるのじゃないか。  私はこの際三つだけを言っておきます。子供は今どういう状況にあるのか、なぜそういう非行なり暴力が出てくるのか、あるいはいじめが出てくるのか、私は三つあると思う。  一つは、偏差値に偏って過熱した受験戦争の中に子供は置かれ、教師が置かれ、そこから逃げることができない。最大の犠牲者は子供だと思うのです。これであってはならないんじゃないかと思いながらも、自分の子供を考えればこれしかないという道を歩んでいるのが父兄だと思う。何とかしたいけれども悩みつつ歩んでいるのが教育の現場の方々だ。しかし、残念ながらこの偏差値に偏った過熱した受験競争から逃れることができない。これはだれが引き起こし、だれが解決しなければならぬのか、この点について文部省は考えなければならぬじゃないでしょうかね。確かに答申の中に、経済成長が学歴社会を生んでいった云々ということがあります。しかし私は、経済成長のためのマンパワーポリシーとして、つまり人的能力開発を進めるために文部省が手をかして、そして苛烈な受験競争なり学歴偏重、そしてやがて偏差値ということを生み出していったという側面はなかったのか。これが一つ。特に子供は偏差値の中でいじめられ、ついていけない子供が小学校で三割、中学校で五割、高校で七割と言われている。教室の中ではお客様なんです、力のやり場がない。こういう状況にある。  二番は、私は教育諸条件整備の立ちおくれだと思う。個性の重視と言うならばなぜこれを急がないのか。文部省のデータの中だって、マンモス学校にいろんな荒廃や非行が出ていることははっきりしているんじゃないですか。四十人学級の早期完結と三十五人の学級の実現なんです、目指さなければなもないのは。過大規模校の解消なんです。教職員定数増なんです。なぜこれを文部省はやらないのか。臨教審は個性の重視と言うならばなぜこれに大きく力を注がないのか。  三番目は、私は校則、体罰、内申書による生徒の管理だと思う。子供はがんじがらめに管理されている。ここに国民教育研究所の、生徒手帳についてずっと比較したものがある。これを見ると、驚くべき細則にわたって管理が徹底されているでしょう、子供は。私は子供を野放しにしろと言っているんじゃないのです。  この第二十八回の人権大会シンポジウムという、日弁連の権利擁護の大会の記録がずっとある。それを見ると、もっと教育の現場を考えなければならぬじゃないか、子供の人権を考えなければならぬじゃないか。子供は本来学校が好きなんです。新しい物を学び自分のやったことを褒められるなら子供は学校に喜んで来るはずだ。幾らやったって追いつかぬ、しかも管理が徹底する、何かあれば搾られる、こういう状況の中で、教育の現場にもっと自由と創造が必要だということを言っている、この中で。このことをなぜ考えないのか。私はそういう点からいうならば、時間がありませんからそれ以上言いませんけれども、文部行政の中でぜひ考えなければならぬのじゃないか、臨教審もこのことに思いをいたした改革を考えなければならぬのではないかと思いますし、私は、教師や学校教育現場の皆さんは逃げてはならない、真っ正面から取り組まなければならぬと思うのです。このことをバイパスしていくのではいけないということだけつけ加えて私の所見を述べておきたいと思います。  そこで、時間がありませんので次の質問に移らせていただきます。次は、教員の資質の向上の問題です。これは第三部会長に質問いたします。  私のところに「教員の資質向上の方策(二次素案) 六十年十月七日 第三部会」というこういうものがあります。これは第三部会検討され、十一月二十日の臨教審総会にかけられる素案だと聞いておりますが、そうなのか。それから、この素案は、来年一月ごろ予定されている「審議経過概要(その3)」に載せるためのたたき台の文書と考えているのか、この辺どうなんですか。
  64. 有田一壽

    有田参考人 いずれも御指摘のとおりであります。
  65. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そうすると、この素案にあるところの教職適格審査会と、七月十九日だと思いますが、この日に発表した教育陪審制度というこのものとは、名前は違うわけだけれども、性格や任務や内容は同じと考えでいいですか。
  66. 有田一壽

    有田参考人 大体同じと考えていただいて結構でございます。
  67. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 今は教職適格審査会という形になっていますが、この七月二十四日の新聞の発表によりますと、このときには教育陪審制度という形で新聞に発表されていますね。それを見ますと、ずっと発表が正しいとすればですから、誤りがあったら指摘してもらったらいいですけれども、あなたがメモを出されて、「「教育陪審制度について」と題し、まず「学校の荒廃に対する教師の立場」にふれ、「戦後教育学校の荒廃が始まる前に教師の荒廃が始まっていた」」こういう形からずっとこの記述がなっておりまして、そしてその中に、組合あるいは組合活動のことがずっと書いて、そして「特に異常な行動が目立つ問題教師の排除を取り上げ、「教委や校長は逃げてはならない」と指摘している。」こういうことなんですね。この記事はおおむねあなたの言ったとおりですか。
  68. 有田一壽

    有田参考人 そのとおりであります。
  69. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そうすると、あなたの考え方の中には、この前半の方に書いてある組合に加入している、それから組合活動をしている、「教師は労働者である」、これらをずっと取り上げてきて、「異常な行動が目立つ問題教師」という、これに当てはまるのですか。
  70. 有田一壽

    有田参考人 その御指摘の教育陪審制という最初それを部会審議いたしましたとき、あるいはその後で記者会見をいたしましたとき、ペーパーで部会にも出しましたので、今御指摘の組合に対する批判、それが前文のところに載っておりまして、それは私自身が筆をとって書いたものでございますので、そのとおりであります。ただし、組合、組合というよりもいろいろ戦後教育現場における教師の考え方、行動についての批判を述べたわけですけれども、さればといって、あと陪審制あるいは後に教職適格審査会というふうに名前も変わっておりますけれども、そこで、問題教師を排除するというそれは、初めの、例えばストライキをするとか校長着任拒否闘争をするとか、だから問題教師だと、ここは決して直結させていないつもりでございまして、本来認められておる組合活動について、批判はありますし私も批判はいたしますけれども、ここで考えております教職適格審査会というものはそういうものではありません。もっと厳しく、もっと限局された意味で三部会で議論いたしております。
  71. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そうすると、組合に加入している、組合活動をやっているというのは、あなたの認識からいえば「異常な行動が目立つ問題教師」というこの中には入るわけですか。入るけれども教職適格審査制度の対象にするつもりはない、こういう意味なんですか。どうなんですか。
  72. 有田一壽

    有田参考人 そのつもりでありまして、この教職適格審査会を拡大解釈していくとすれば、教育委員会の多少気に入らない者とか、正義感が強くて口返答する者とか、これは限りなく拡大されていくと思いますし、そこまで拡大されていくぐらいなら初めからこの制度はない方がいいというふうに私は考えておりますので、今御指摘の文章の流れから見るとずっと続いておりますからどうだというお気持ちがおありだと思いますが、これは教職適格審査会というものをつくって教育委員会意見を具申するという場合、そこでではどういう人間を審査するんだという場合は、そういう拡大されたようなことはむしろ排除する。いわゆる子供に直接凶暴性を発揮するとか、精神が不安定でいきなり二十分ぐらい黙り込んでしまうとか、そういう教師のことを予想して今審議を進めているところでございます。
  73. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 組合に加入したり組合活動をすることが、あなたの答弁を聞くと「異常な行動が目立つ問題教師」のような受けとめ方をしているようになります。これは大きい問題ですよ。教師だって教職という職業についている人間であり、しかも、賃金を収入としている限り労働者なんです。だから、そういう労働者が人間としての思想、信条の自由に基づいて団結して行動していることがなぜ問題になるのですか。私は、その認識を持つならば、重大なる問題の誤算だと思います。時間がありませんからその点だけ指摘をしておきますし、良識を持つ臨教審委員であるならば、そのような考え方は間違っているということを私は憲法の名において指摘をしておきたいと思う。  それともう一つは、教職適格審査制度が運用によっては云々と、この危険な部分を指摘してありました。どの世界だって問題の方はいますよ。それを摘発するといいましょうか、追放するためにそういう危険な制度をなぜつくらなければならぬのか。現行の制度だって地方公務員法なり教育委員会制度の中でやれるのじゃないですか。しかも、今あなたがしているのは、教育委員会が決定をするに当たっての諮問機関じゃないですか。そんなものをなぜ屋上屋を重ねてやる必要があるのか、私はこの際言っておきたいと思うのです。  それから、きょう、十一月十二日の新聞、これによりますと、時間がありませんから詳細言いますけれども、「好ましくない教師は一、二割はいる。」「昼寝中のような教委もある。」というような書き方をされているのですが、これはどういうことなんですか。その出し方が「戦後、日教組などが”民主社会では先生と生徒は友だち”といった誤った」云々がありまして、ずっとつないで「好ましくない教師は一、二割はいる。」こういうふうな形でずっとつながっているのです。これはいかなる根拠によって一、二割いるのですか。
  74. 有田一壽

    有田参考人 好ましくない教師というのは、子供の立場から見て好ましくないというのが正確なものでありまして、あるいは知事が見て、もしくは教育長が見て好ましくないというふうには考えられないと思います。また、それがどの程度おるかということは表になかなか出ませんから、正確な数字をここに出せと申しましても、これは文部省でも出ないと思いますし、私どもも出すほどの力はありません。だから、それを正確かと言われれば、正確であるとも言いかねます。
  75. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 そんないいかげんな発言を臨教審がされては困るのです。あなたの言動というのは新聞も取り上げるし国民の皆さんもよく見ているのですよ。にもかかわらず、はっきりした根拠もないまま、好ましくない教師は一、二割だなんて天下の朝日新聞に出ているなんてことは許せないですよ。これは撤回してください。  委員長、ひとつこの問題を協議してください。どうですか。見解をまとめてください。委員長、ちょっと休憩してください。
  76. 阿部文男

    阿部委員長 ちょっと速記をとめてください。     〔速記中止〕
  77. 阿部文男

    阿部委員長 速記を起こしてください。  有田参考人
  78. 有田一壽

    有田参考人 その文章にも書いてあると思いますけれども、いろいろ現場の校長に聞いたり教育委員会指導主事等に聞いたり、そういう機会が割に多いものですから、その結果の私の判断であります。
  79. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 私の判断ということであって、はっきりした根拠はないということですね。どうですか。
  80. 有田一壽

    有田参考人 私の方も、先ほど申し上げましたように、こういう問題は明確に何人というような数字は出せませんから、根拠があるかと言えば出しにくいのですけれども、しかし先生の方も、じゃ、そうではないんだという数字も出しにくいのじゃございませんでしょうか。
  81. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 あなたが言っているから私は聞いているのであって、私の方から理由を出さなければならないことは何もないじゃないですか。  委員長、私はまだ質問したいことがありまして、今の答弁では納得できませんので、この問題については委員長の計らいで理事会で取り上げてもらうということにしてください。
  82. 阿部文男

    阿部委員長 佐藤委員の発言も重大事項でございますので、後刻これは理事会で協議させていただきます。
  83. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 それじゃ、次の質問です。  六年制中等学校、これは国民が非常に関心を持っていますが、文部省は臨教審第一次答申を受けて今具体的に検討していますか。
  84. 高石邦男

    ○高石政府委員 第一次答申を受けまして、文部省としては、これを尊重するという観点で現在検討を加えておるわけでございます。
  85. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 いろいろ新聞等の中でも、このことについて各県の設置主体となる方々と協議をしているようでありますけれども、その中で、これは大体設置主体の自由裁量によるようですけれども、文部省としては、各県大体何枚くらいが設置されるものと想定して協議を進めていますか。また、どのくらいの見通しを立てていますか。
  86. 高石邦男

    ○高石政府委員 その内容もまだ白紙でございまして、そういうことを含めて検討中でございます。
  87. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 これは新聞などの報道では、報道の限りでございますからなんですけれども、現在の予算、財政等から見て、やるにしても各県大体一ないし三くらいではないだろうか、こういう言い方をしております。そうなりますと、各県の例えば百のうち二つとか三つという少数の学校になることは常識的に間違いない。そうすると、これはこの前からも、この学校はどういう性格の学校になるのか、つまりエリートの学校になるのじゃないかということは随分議論されましたが、これは間違いなくそうなるだろうと私は思うのです。しかも、私の推定からいえば二つか三つの少数の学校です。  この前の第一次答申の中でこのことについて触れてありますけれども、こういうことが書いてあります。タイプの五番目の中に、これは普通の六年制中等学校ということがずっとありまして、「例えば、最終学年において、教科の枠組にとらわれない総合的な学習の実施や」云々というふうに書いてあります。ですから、タイプとしては、一からずっと芸術、体育、専門コース、理数科、ずっとありまして、当然普通コースというものを、しかも六年という連続の中で考えていると思うのです。しかも、最後の年は教科の枠にとらわれないということをあえて書いてある。そうすると、我々から言えば、当然この分は五年間で大体のものはやってしまって、六年目は教科にとらわれないで、その学校から大多数が受験するとすれば、それを専らにするような形になっていくだろうということは、今の教育現状から見れば十分に想定される、国民の目から見て。そうなると、この学校は大学進学を目指した、しかも県内一、二の学校というふうに位置づけられますね。そうすると、今の受験地獄の中ではここに殺到することは目に見えて明らかだと思うし、そういう意味では進学のエリート校になるだろうと思われるのです。そうすると、そこが本来からいう受験競争を緩和して云々ということからいえば逆の方向に行き、しかもそれは受験競争を激化させ、しかもそれは小学校六年から全県下の方が集まるわけですから、これは受験競争の低学年化と学校を超えた広範な受験競争が展開されることも想定されるわけです。だからこそあなた方は、この答申の中で「普通科を設置する場合には、大学受験の準備教育に偏しないように」と書いてあるじゃないですか。受験競争を激化しないようにと、こんな言葉で書いたって、そうなるような制度をつくってしまって、言葉で幾ら書いたってどうにもならぬと思う。しかも、具体的に何にも歯どめがないわけです。ですから、この辺のところを本当に今検討されているとするならば、文部省はどう考えるのか。臨教審は、自分が生み落としたのですから、どう考えるのか。  時間がありませんから、最後にもう一つだけ。これは義務教育ですからね。そうなりますと、今の制度を残していくわけですから、六年生から義務教育として当然これは試験なしに入っていくコースもあります。ところが、六年制中等学校というのは、前半の三年は義務教育ですから、そこに入るに当たっては小学校から試験を受けて入ってくる、同じ義務教育公立義務教育でありながら、片一方はすとんといく、片一方は全県から集まって試験をやって入っていく。そういう点では、義務教育が本来望ましくない複線型の学校体系をつくってしまうし、または学区の問題はどうなるのか。義務教育の観点から多くの問題があると思うのです。その辺について、生み落とした臨教審としてどう考えるのか。受けとめている文部省はそれをどう受けとめてその問題を解決しようとするのか。  以上、質問します。
  88. 有田一壽

    有田参考人 これを構想し、提案までまとめる過程においていろいろ議論が出たことは事実でございまして、今御指摘のような意見も当然出ました。ただ、これは四六答申の当時からそうですけれども、その後も高等学校長会あるいは中学校長会等から六年制というものについての要望が過半数を超えた数であります。したがいまして、我々がねらっておるのは、御承知いただいておりますように、体育だとか外国語だとか、あるいは芸術だとか、あるいはそれぞれの職業教科、専門教科、工業とか水産とか商業とか、そういうものについての一貫した教育ということを考えておるわけでございます。  それから、義務教育の点につきましても、三年たったら、六年制の途中ですけれども義務教育年限は終わるわけですから、そこで義務教育の終了を確認いたしますし、そこからほかの学校に行くことも自由ですし、そういう弾力化を十分図る。  それから最後に、普通科でありますけれども、普通科は、御指摘のように、いや絶対それはエリート校にならないということを決して強弁するつもりはございません。ほっておけばなるかもわかりません。だから、可能な限り抽せん制等を導入してならないようにしてもらいたい。だから、ねらいは、例えば青年協力隊で外国に行くとしても、それはやはりそういう外国語を、中国、韓国あるいはそれぞれ中東の方の言葉を六年制で学んでおいた方がすぐ役に立つという考えもありますし、普通科を出ることによってエリートのみをつくろうとするようなことはさらさら考えておりませんけれども、事志と違うことがあり得ますので、そうならないように文部省とも話しておるところであります。
  89. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 時間がありませんから、文部省の方は結構です。  事志と違うことがあり得るということをいみじくも言われましたけれども、その方が大きくなるんじゃないですか。そのことだけ言っておきます。  あと、きょうの新聞の中で、第一部会で「小学校も九月入学検討」ということが出ておるのですが、検討されているのか、なぜそういう検討をしておるのか、このことだけ聞いておきます。
  90. 天谷直弘

    天谷参考人 第一部会の中で学校の始期を九月にしてはどうかという意見があったことは新聞に報じられているとおりでございます。それについて別に第一部会なりあるいは臨教審なりで決定をしたというようなことではございません。
  91. 佐藤誼

    佐藤(誼)委員 では、時間になりましたので、以上で質問を終わります。
  92. 阿部文男

  93. 池田克也

    池田(克)委員 公明党の池田克也でございます。  きょうは参考人の先生方には当委員会においでいただきましてありがとうございます。なるべくタブらないようにお伺いをしたいと思いますが、最初に、今やむにやまれぬということで談話を発表されたというふうにお話がありましたいじめの問題でございますが、いじめの問題の解決策、岡本先生、天谷先生、有田先生、お一人ずつから、どうしても今これだけは手をつけるべきだということについて、対症療法で結構ですが、御答弁いただければと思います。
  94. 岡本道雄

    岡本参考人 いじめの問題は、具体案で今すぐ取り組むべきというようなことにつきましては、私は各方面ができるだけのことをしてやっていただいておるということを感じておりますので、ただ、それを精査いたしまして、あの機会にこの点が大事だと思いましたのを五つほど挙げましたので、この中で協力といいますか連絡をとって総合的にということが一番大事じゃないか、そういうことを思っております。  そのほか、窓口のことも、これは第三部会でもいろいろ詳しく検討してくれておりますので、心安く皆が相談できるようなところができれば、これも早急にと思ったりいたしておりますが、そんなことを考えております。
  95. 天谷直弘

    天谷参考人 恐縮でございますが、第一部会ではいじめの対症療法ということは特に詰めておりませんので、御遠慮いたします。
  96. 有田一壽

    有田参考人 これはもう世間でも言われておりますように、大変難しい、また多くの原因が絡み合っておるわけでございますので、こういう決め手になるような対症療法はどうだと質問されましても、恥ずかしながらお答えが的確にはできないわけでございますが、一言言えば、今まで各省庁からもいろいろ聞いたり現場の先生にいろいろ聞いたりした結果から言い得るのではないかと思うことは二点です。  一つは、学校と家庭の連絡というものが不十分だ。これは学校にも相当責任があると思いますが、開き示しませんし、隠そうとする体質があるということは間違いなく言えると思います。それに対してPTA等が不満を持って連絡がうまくいかない。  それからもう一つは、各省庁の出先というのが私どもの想像以上にたくさんあるわけで、警察でいつでも四万人からの補導員がおりますし、法務局の方も一万一千人からの人権擁護委員がおるわけです。これがみんな各市町村おるわけですから、これが横にもう少し、社会教育主事だとか民生委員とか、皆が横に連絡をとって、学校を中心にしながら地域が固まって、情報を交換しながらいじめをなくすということで立ち上がれば、随分と減るのではないかというような実感を持ちましたので、それだけお答え申し上げます。
  97. 池田克也

    池田(克)委員 せめて自殺ですね、本当に子供たちの小さな未来をはらんだ生命が失われるということについては私は非常に残念なことだと思うのです。この自殺ということを私はいろいろ考えるのですけれども、人間の生命、それ以上とうといものはないと思っておりますが、教育基本法にも個人の尊厳ということがうたわれているわけでありますが、この個人の尊厳というものを突き詰めると生命の尊厳ということになるんじゃないかと私は思うのです。  そうした面で教育基本法を見てまいりますと、第九条に宗教の問題が出てまいります。人間の今日までの長い長い歴史の過程の中で宗教心というものは当然だれしも持っていることだろうと思います。そして、死後の生命という問題についてもさまざまな議論があり、今日もなおなされているわけでございます。したがって、そうした点から考えるならば、人は自分の命を絶てばそれで一切が解決をする、こう思われがちですが、これは教育の現場では非常に重要なことではなかろうか。そして、この問題がなおざりにされたまま今日を迎えているのではないか。今までもいじめの問題は、私も子供のころいじめられた方でしたが、いろいろございました。しかし自殺に及ぶということは余り聞かなかったように思うわけでございます。そうした点で、臨教審ではこの第九条の宗教の問題について議論をされたことがおありなのかどうか、どなたからでも結構ですが、お伺いしたいと思います。
  98. 岡本道雄

    岡本参考人 今お話のございました宗教の問題でございますけれども、これは教育基本法の第九条に「寛容の態度及び」「尊重しなければならない。」ということがございます。これは今先生おっしゃいましたように大変大事なことだと私は思っておりますが、これは一次答申の中でも、超越したものに対する敬意というものは大事だと申します、特に私は、近代の物質文明の中で、科学技術文明の中で、神仏といいますか、一般的な超越したものに対する敬けんの念というのが十分養われておらない傾向がある、この点は特に意識して重要だと思っておりますので、そのつもりで尊重してまいりたいと思っております。
  99. 池田克也

    池田(克)委員 ありがとうございました。  問題をほかへ移したいと思います。  臨教審には、第一次の答申がもう既に出ているわけでありますが、第一次答申がその後どうなっているかについて文部省とチェックする、そしてその進捗状況を見ながらこれからの答申に向けていく、こういうふうな動きというのがおありなのかどうか。私の申し上げたい趣旨はおわかりだと思いますが、次々といろいろな注文が答申として出ていくだろうと思います。先ほど、お話を伺っておりますと、いわゆる基本答申にはかなり精緻なものが出るということでございますが、課題はたくさんあるわけでございまして、非常に膨大なものが次には出てくるのではないか。そうなってまいりますと、それを受け取る側の文部省の方も大変で、それを一つ一つやってまいりますと、これは相当な期間あるいは相当な機構というものが必要であろうと思うわけでございまして、ある意味では、第一次答申で出された具体的な当面の課題は、非常なスピードでこれを片づけて、次への基本答申を受け、持っていくというふうな構えも必要なのじゃないか、その進捗状況を私は心配するわけでありますが、こういう第一次答申のその後についてチェックする機能あるいは会議というものがおありなのかどうか、お尋ねしたいと思います。
  100. 岡本道雄

    岡本参考人 御承知のとおり、答申を出しましてその後の政府の対応でございますが、政府においては最大限これを尊重して速やかに所要の施策を実施するということを閣議決定していただきまして、教育改革推進閣僚会議を設けていただいておる、それから文部省においても教育改革推進本部を設けて、第一次答申に対する教育改革の推進をやっていただいておるという実情でございますが、今先生おっしゃいましたように、この答申の後の実施状況につきましては重大な関心を持っておりまして、総会のたびに、政府の対応につきましてはその折々に報告いたしまして、重大な関心を示しております。特に文部大臣は、時々お出入りいただいておることがございますと、それに敷衍して実施状況などを御説明願ったりしております。
  101. 池田克也

    池田(克)委員 その実施状況ですが、満足でいらっしゃいますか、まあまあこんな程度だろうというふうにお考えですか。  もう一つ重ねて伺いますと、明年度にこの教育改革のためにどれだけの予算の概算要求がなされているか、会長、御存じでいらっしゃいますか。
  102. 岡本道雄

    岡本参考人 実施状況につきまして、率直に申しましてこの点は大変速やかに対応していただいておると思いまして、私は敬意と申しますか感謝をいたしております。  ただ、これに予算をどれぐらいということに関しまして、子細は存じませんけれども、それは事務局で詳しく検討していただいておるというふうに聞いております。
  103. 池田克也

    池田(克)委員 やはり会長が、どのくらいの予算がかかり、どのくらいの予算が今の財政状況の中で認められる、それを御存じなければ、いろいろな注文を出しても絵にかいたもちになるんじゃないか、国民はそう思うと思うのです。私は前にも、この問題で一貫して予算予算というふうに申し上げているわけです。中教審の当時と比較して、財政は極端に厳しくなっていると言われております。そういう状況の中で教育改革を進めるのには、やはり必要な経費というものをにらみ合わせながら答申を書いていかなければならないだろうと私は思うのでございますけれども、その問題は指摘をするだけにとどめたいと思います。  そこで、具体的な問題についてお伺いをしたいと思うわけでございます。  まず最初に、幾つか具体的な案が出たわけですが、いわゆる三年制の高等専修学校に大学入学資格を与える、こういうことが第一号として具体化したわけでございます。これは百二十三校こうなったわけでございますけれども、これは部会としての具体的な担当は第三部会でしょうか、私この動きを見ておりまして大変いいことだと思うわけでございます。そして、たしか有田部会長も前におっしゃっておりましたが、非行、暴行、学校の荒廃というものを防ぐのには子供たちが多様な選択の道を得ることが大事だ、こういうふうなことでこれは出てきたのだと伺っております。  ところが、見ておりますと、この百二十三校の分布は、都道府県的に見て非常にばらつきがあるわけでございます。例えば岩手県などはなし、宮崎県、鹿児島県もなしというふうな状況でして、今回一校も認定されない県が六つあるわけでございます。やはり最初ですから、申請されたものをある程度機械的と申しましょうか、それを選ぶだけになったのだろうと思うのでありますが、やはり子供たちの多様な教育的な関心というものを満たしていくために、必要な専修学校の整備、それが全国的に分布されていることが私は大事だと思うのです。  こういう第一回の具体的な通達なわけですけれども、それが本当に実を結ぶかどうかというのは、臨教審としてもこうした点に関心を持たれて、先ほどのいじめの問題でもありますけれども、連携をとった次へのステップというものがあってしかるべきだろう、この席ではそうした問題についてどうお考えか、第三部会長にお伺いをしたいと思います。
  104. 有田一壽

    有田参考人 高等専修学校の卒業生に大学入学資格といいますか、受験資格を付与するということ、これはおかげで実施面の具体的な措置も文部省の方で終わったようでございます。ただ、数からいいますと本当に今御指摘のとおりの数字でありまして、わずかといえば全くわずか、人数でいつでも三万数千人ということですし、そのうちの六、七割は女子ですから、上の学校に行かないかもわかりません。ただ、一つの可能性と申しますか、風穴をあけるということが今後の教育改革においては必要であろう。実際には、英語だとか数学だとか、基本教科が劣ります。したがいまして、高校卒業生に比して高等専修学校卒業生は不利である。ただし、自分の努力によって本当にそれを補って、そして大学に行きたいという者がおれば、私はそこに可能性を付与するということが大変青少年に夢を与えることだろうと思っております。  御指摘のように、これは大きな都市に偏りまして、御承知のとおり田舎に行けば行くほど高等専修学校は少のうございますので、今後そこら辺が問題であろう。ただ、上に風穴があいたということになりますと、これはまた今後十分にそういう学校もできてくるであろう、そういう誘導措置になることも期待をいたしておるわけでございます。私どもは今後それがさらに拡幅されていくことを期待をしておるところでございます。
  105. 池田克也

    池田(克)委員 誘導措置とおっしゃったのですが、一つだけ具体的なものが出てきた、これを単なる誘導措置とおっしゃらないで、ひとつかっちりやっていただきたい。国民の中には、国民全部とはあえて私は申しませんが、私も教育に関心を持つ者として、今までの教育改革はいろいろなことを虫食い的にやってきた、これは失礼な言い方かもしれませんけれども、いろいろな道をつけては引っ込め、それをなかなかとことんまでやり切っていないという感じを私は持つのです。この専修学校に力を入れるという考え方、これからの選択の道を広げるという臨教審の方針の一項目がございますけれども、これは傾聴に値すると私は思って見ているわけです。  例えば、私の地域でこの間ある専修学校の校長先生と話をしたのです。これは中学を出て洋裁学校へ来た子供の例ですけれども、洋裁学校へ来て割り算ができなかった。ところが、洋裁の製図をする中で幾つかに割らなければならない具体的な寸法の話が出てきて、そしてそれを、こういうわけだから割り算をこういうふうにやるのだということを教えたらすぐに覚えた。非常に喜んで生き生きし出した。いわゆる実学と座学と分けましょう、要するに概念として抽象化されていることはなかなか入ってこない子供も多い。やはりそうした現場でいろいろな作業を通じながら今まで果たせなかった部分を教えることができるし、そのことによってかなり突っ張りだった子供もよくなったという非常にうれしい体験を私はついこの間聞いたのです。  したがって、こういう専修学校あるいは各種学校でももっとライトを当てていくことは大事なことだと私は思いますし、今御答弁いただいたことは私は決して否定しませんが、この問題をもっと——さっき私は六県と申しましたが、八県です。八県ゼロなんです。あるいは一校しかない、徳島も高知も一校しかございません。長崎も一校です。風穴も本当に小さな風穴にすぎない状態でして、当面の課題として打ち出された臨教審の第一次答申をもっと深めていくべきじゃないかというように思って私は申し上げているわけなんです。  それからもう一点、これはまた第三部会に関係があるかもしれませんが、単位制の高等学校というのが具体的に打ち出されておりますが、これがどうももうひとつわからない。答申には割と短い文言で書かれておりますので、この場で、単位制高校というのはどういうことをねらっておられるのか、御説明いただければと思います。     〔委員長退席、船田委員長代理着席〕
  106. 有田一壽

    有田参考人 単位制高等学校の場合は、実はいろいろな意味を含ませてあるわけです。  一つは、高等学校の中途退学者が十一万人と言われておりますが、その中で、統計的には大体一年の終わりまでの間に五割から六割が退学するということなんですが、その人たちがまた専修学校に行って学んでいるという数字も出ております。したがって、今までのようにもとの学校に帰れるかというと、これはなかなか帰りにくい、双方事情がいろいろあるのが事実のようでございますので、今までの単位が八十のうちの三十済んでおれば、単位制高校で残った五十の単位をクリアすれば卒業証書を与えるというところがどこかにあった方がいいだろうということが一つであります。  ただし、そうすればそれは落ちこぼれ対策かと言われますが、そうかもわかりません。そういう面もあります。ただ、単位制高等学校に三年という学年を一切導入せずに、読んで字のごとく、単位制だから単位さえとれば一年でも二年でも全部卒業させるということにやりますと、先ほどから話が出ております飛び級ですからエリート校化することは火を見るよりも明らかでありまして、それを抑えるというような意味もあって学年制を単位制の中に導入したという、少し矛盾したような構成になっておるわけでございます。ただ、これが今後どういうふうになっていきますかは、定時制、通信制との絡みもあります。したがって、私どもは、それが例えば中途退学者の救済にもなる、あるいは中途退学ではなくてもいろいろな事情で高等学校に行きにくかったのが、その単位制高等学校に行けば、定時制のかわりにそこに入るというようなこともあるようですから、そういうのが要求に応ずることができればよろしいというような考えでございますが、これが果たしてどこまでどういうふうに具体的に実を結んでいくかは、今文部省の方が各県教育長等と協議中でありまして、最終的な結論は出ていないようでございますけれども、私の方は祈るような気持ちで、初めに考えたとおりの結果が出ることを期待しているというのが正直なところの気持ちでございます。
  107. 池田克也

    池田(克)委員 初中局長お見えなんで、単位制高校を具体的にやっていくのには教育関係の法令をどれぐらい直さなければならないということになるのでしょうか、あるいはこれは現実にいろいろ協議していらっしゃると思うのですけれども、相当難しいのではなかろうかと思いますが、始まったばかりかもしれませんが、現状答弁していただきたいと思います。
  108. 高石邦男

    ○高石政府委員 この単位制高校を全く新しいタイプ、今までにない学校のタイプとして、学校教育法上一条でそれを位置づけて設置するということになりますと、改正しなければならない法律は相当な数に上ります。十数に上ると思います。そうではなくして、現在の学校教育法の定時制、通信教育一つの新しいタイプのものとして位置づければ、その履修の仕方とか単位の与え方とかいうことを検討していけば、そう大きな法律改正をしなくていいということになります。  したがいまして、そういう二つの観点がありますので、今その内容を関係者と十分論議を深めているところでございます。
  109. 池田克也

    池田(克)委員 有田部会長に再度伺いたいのですが、今の文部省のお話を聞いて、一条校があるいはそのほかか、どっちをねらって答申が書かれているのでしょうか。私どもから見ますと、一条校として教育の本流の中に、こうしたものでなければ父兄も子供たちも希望を持たないのではないかと私は思うのですが、いかがですか。
  110. 有田一壽

    有田参考人 これも答申に出るまでの間にいろいろと議論が内部でもあったところであります。  それで、一つには、今初中局長がお答えを申し上げましたように、一条校になるのがいいか、一条校以外がいいか。そうすると、一条校がいわゆる学校であるという長い間の伝統があり。ますので、一条校でなければ学校と認めないというような雰囲気があることも事実でありますから、その意味から言えば一条校に位置づけた方がいいということも言えますけれども、私どもは、必ずしも無理に一条校でなくても、逆に言えばいろいろ縛り上げられる面があるわけですから、もう少し自由に発足して、数年歩きを見た上で格付してもいいのではないかということで、これにつきましては、一条校であるべきだとか一条校でない方がいいとかいう明確な結論は出しておりません。
  111. 池田克也

    池田(克)委員 だから困るのです。臨教審がやることは内閣総理大臣はこの答申を受けて尊重しなければならない、こうなっているわけです。臨教審がぽわっとした大枠の概念を出して、それをまた文部省の中でいろいろ議論して、いつまでたっても教育改革できないじゃないですか。これは会長にも聞いておいていただきたいと私は思うのです。臨時教育審議会をこれだけの体制でつくりました。文部省もあらゆる省庁が全部それに参加できるような体制になっている。これ以上の体制は国としてできないと私は思う。  そこで、言うならばできるのかできないのか。はっきり言って、臨教審はこういうものをやりなさいということを文部省に球を投げられる立場に立っている。文部省はそれを受けとめて一生懸命やるべきなんです。文部省からできませんという返事が出るようなことになっていないはずです。設置法には、内閣総理大臣は、もちろん内閣総理大臣の率いる政府はこれを尊重しなければならないとはっきりうたわれている。率直に言って、今の第三部会長答弁は、答申が不備だ、こういう答申を書いていればいつまでたっても政府側の、言うならばこれはできる、これはできない、それならば改革じゃありません。そういうふうにして今までの流れがずっとあったんです。教育改革は変わりません。どうしてもこれは変えねばならない、ここは大なたを振るって直していかなければならないということを臨教審が協議して詰めて詰まらなかった。答申すべきじゃないのです。詰めて書いたならば、必ずこれは実現されるというふうな方向にきちんとした明文化されたものが臨教審答申であるべきです。私は今日この臨教審答申を見ていて全体的に不満だと思っているのは、受けとめた文部省側が困っている。そうじゃありませんか、初中局長。中高一貫の六年制中等学校にしても、単位制高校にしても、さっきの、同僚委員から質問がありました、何枚つくるのだろうか、どういうものなんだろうか、青田買いの問題も学歴社会の是正も出ています。みんな望ましい望ましいで、一つの方向だけは出ていますけれども、こうねばならない、こうしなければならないというさまざまなデザインというものを詳細につくって、そしてこれをやりなさい、そういう性格のものでないか、それが国民の期待にこたえる今の教育改革の道筋ではないか、こう私は思うのですが、私の考えは間違っているでしょうか。岡本会長お願いします。
  112. 岡本道雄

    岡本参考人 今先生から答申の実現についての力強いお話を承ったわけですが、今のお話はこの臨教審基本的なあり方と大変関係がございまして、それで私がこのごろ申しておりますのは、委員の選択そのものが、あるいは各界で深い人生体験と申しますか、そういうものをお持ちの方々が集まりまして、そして現在の日本の教育はかくあってほしいということを強く指摘されると思うのです。それの具体的な問題は、あの委員の方一人一人が小教育者におなりになるよりも、こういうことを実現せよ、こういう方針、理念といいますか、それを強くおっしゃったときに、それを文部省などに投げまして、そして具体的に実現をするように工夫、努力するという方向でないかというふうに私は思っておりまして、ただいまの六年制やなんかに関しましても、先生の意思とちょっと合わないのですけれども、その可能性というか、これがいいんだということの指摘をしっかりやれば、各所掌の部がその実現に向かって努力するというふうに考えておりますので、その点でちょっと先生のお考えと違うかもしれませんけれども、現在私はそういうふうなことを考えておるわけなんです。
  113. 池田克也

    池田(克)委員 時間がありませんのでこれ以上この問題について議論できませんけれども、なぜ臨教審答申に財政支出の試算がついていないのか、前からこれはお伺いしております。つまり中教審にはかなり細かいものがありました。細かいと言っても、中教審の答申も大ざっぱと言えば大ざっぱな面があったわけであります。それでもお金の計算があったわけであります。先般の予算委員会で私この問題を総理に伺ったのです。やはり総理も、事と次第によるという条件はついておりますが、「事と次第により、また時期によりそういう点も考慮さるべきであろうと思いますが、臨教審がお決めになることですから、」こう総理は言っているわけです。総理は諮問する側です。私は総理にも申し上げたかったのです。きちっとしたデザインをして諮問してもらわなければ動きようがない。これが行政の実態だと思うのです。また文部大臣も、「臨教審で具体的な施策等について審議がなされる際には、事柄に応じ、また必要に応じて財政支出の試算等についても検討がなされるのではなかろうかというふうに私どもは見ております。その場合に、文部省に対していろんな相談があればいつでも臨教審の御論議には積極的に全面的に協力する立場でありますので、そうした協力も十分やっていきたいというふうに考えておるわけであります。」こう文部大臣は答えておるわけです。  要するに、臨教審が言っていることがどういう規模でどういう内容で進んでいくかということは、結局予算の問題を細かに見ていかなければわからない。ユートピアを描いたり理想的なこういうものをつくればいい、失礼な言い方で恐縮ですけれどもどうしてもそうなります、望ましいということは。現実の今の社会体制の中で財政支出の問題の中で人を動かし予算を動かしながら教育を変えていくわけでありますから、できない話はそこらじゅうにいっぱいある。みんな関係省庁いっぱいいっぱいの予算でやっている中でどうすればできるか。この問題をやっていくのには、せめて一つの六年制中等学校なら中等学校のモデルケースとして、こういう学校のモデルはこれくらいの人数でこれくらいの予算でできる、この予算が取れる都道府県はおつくりなさいという一つのモデルくらいはおつくりになれるのじゃないですか。全国で何十校、何百校になると大変な予算になってまいります。けれども、そういう具体的な例というものがこれからの答申になければ、今まで随分と教育議論はなされてまいりましたけれども、国民は信用しなくなってしまうのじゃないか。臨教審の今日までの推移から見まして、先ほどいじめの問題についての談話、どっちも率直に申しまして臨教審の設置の状況となじまないのじゃないかな。いじめの問題については、第一次答申にはいじめとは書いてありませんが、選択肢の拡大であるとかそうした問題についてそれを踏まえた答申であったはずです。その中に単位制高校もあったはずです、六年制の中等学校も学歴社会の是正もあったわけです。みんなそういうところからいじめの現象になっているのじゃないかと思うのです。私はああいう談話が出てきたのも唐突に受けとめましたが、しかし、ある意味ではいろいろなことが言える臨教審ですが、結果何もできない臨教審ということになりかねません。私はそういう意味で会長に、お金の計算というものを今後おやりになるお考えがあるかどうか、重ねてお伺いしたいのです。
  114. 岡本道雄

    岡本参考人 この問題は大変重要であるという指摘を前から受けておりまして、私も財政の問題を無視してということはあり得ないので常にこの問題に関心を持っておりますが、私の記憶では、例えば試補制度のことなどにつきまして、これを何年で実行すると幾らのお金がかかる、しかしそれはなかなか大変だ、これを二年に分けてとか数年に分けてというような試算をされておったことも実際見ておりまして、その点、各具体的な課題に即しては、やはり予算というものは検討されておると思いますし、今後も先生のアドバイスもありまして十分注意してやっていかなければならぬと思っております。
  115. 池田克也

    池田(克)委員 大きい声を出しまして失礼いたしました。しかし、私が思っておりますことは、何とか一つでも具体的に実現をして子供たちの教育の危機を救っていきたいという気持ちでございますので、またこれからもいろいろと御指導いただき、また私どもも提案を申し上げていきたいと思っております。きょうはありがとうございました。
  116. 船田元

    船田委員長代理 中野寛成君。
  117. 中野寛成

    中野委員 民社党の中野寛成でございます。きょうは三先生には御臨席をいただきまして感謝を申し上げます。同時に、臨教審として精力的に日本の教育改革に向けて御論議をいただいておりますことにもこの機会に改めて敬意を表しておきたいと思います。  さて、私は、まず臨教審とは一体何であるのか、そしてその臨教審の運営のあり方についてお尋ねをしたいと思います。  先日あるテレビ番組に出演をいたしました。そのときの番組のタイトルが「臨教審はいじめをなくせるか」というタイトルでありました。私はそのときにまずこう言いました。臨教審はいじめをなくしたりまたは具体的な教育行政をつかさどるものではない、ゆえにこの設問そのものが間違っているとその番組の中で冒頭申しました。  先般いじめについて会長談話が発表されました。私は決してそのことを非難するものではありません。むしろ、そのときの緊急課題について臨機応変に対応するということは臨教審に対する国民の期待でもあると思います。ただ、臨教審国民の皆さんから信頼される存在でなければなりませんし、それだけにルールを守らなければならないと思います。そういう意味で、会長談話はもちろん発表できないわけではありませんけれども、今回の問題は一つ施策に対する提言であります。国民に対して望洋とした形で呼びかける、またはいろいろな行政機関に対して呼びかけるというものではなくて——臨教審設置法第二条には、臨教審は内閣総理大臣に対して意見を述べることができるとなっているわけであります。私は、もっと積極的にいじめに対する対策を御論議いただき、もっと突っ込んだ建言も及び腰ではなくてやっていただく。そして内閣総理大臣に対して明確に意見を述べる、すなわち答申をする。緊急答申、臨時答申、名称は何でもいいけれども、この臨教審設置法の規定に基づいて、談話という、後でみんながあれはどういう意味があるのだろうと疑問を持つような形ではなくて、明確にそれを答申として意見として内閣総理大臣に述べる。そして内閣総理大臣は当然法律に基づいてそれを国会に報告をする。もちろん行政機関はその答申を尊重してその実行に当たっていく。これが本来の筋だったのではないでしようか。そのことについてどうお考えですか。
  118. 岡本道雄

    岡本参考人 今先生のおっしゃっていただきましたようなことについては実際問題としてよく審議いたしました。臨教審答申のあり方としては総理大臣に申すのが一番本道でございますけれども、最前から申しておりますように、いじめの問題は大変緊急で放置できないという気持ちで、早急にということでございますけれども、臨教審としては絶えず問題の背景、病理に関して基本的な施策を考えるという基本精神を持っておりますので、早急に現在各方面でやられている以上の対策を出すということはできないのではないかと思ったのですね。ですけれども、最前申しましたように、これは放置できないという気持ちから会長談話というところを選んで、現在各方面で努力してもらっておるのを少しでもエンカレッジしてこれの鎮静に寄与できたら、そういう悲願でございます。これは私が自分でそういうふうに考えまして、答申という議論もあったのでございますけれども、私は自分たちのできる範囲と本来の使命というものを考えるとこの形が一番適しておるのではないかという自分の判断で運んだ点がございますので、先生の御意見もまたよく考えてみますけれども、私の意思はそういうところでございました。効果としては、これで臨教審もこの問題を大変心配しておるということで少しでもエンカレッジできたらというようなことでございます。
  119. 中野寛成

    中野委員 私は、臨教審の公式の意思表示というのは総理への意見をもってなされるもの、そういうふうに解釈をいたしておりますし、今回のものもそういう意味ではその筋を通して、臨教審の公的な——先ほど御答弁で急いでということでございましたけれども、急いで総理大臣に意見を申し述べることはできるわけでございまして、むしろ具体的な実行行為までいく行政機関への、物申すという一つの実行のための担保がそこに明確にされていくことにもなろうと思うのでありまして、私はそのことをぜひとも今後強く御要望申し上げたいと思うわけであります。  というのは、例えば、このいじめの問題についてある新聞にはこういう書かれ方がありました。第一部会は、マスコミ等を含めてもっと広く社会的にこういう問題について基本的に考えて対応しなければならないという姿勢が出されておる。第三部会は、学校の先生が悪いのだ、これはちょっと極端にいっておりますが、という言い方をした。そして、それは対決をしている、または臨教審の中で意見の食い違いがあるというふうな結び方をされているわけであります。  これは、私は決してそうではない。第一部会の役割は、教育基本に関してお考えになり答申される。第三部会は初等中等教育についてお考えになる部会でありますから、それぞれの部会の役割を踏まえてお考えを述べられているわけで、それは決して相矛盾するものではないはずであります。これは例えば自由化論争等々も、ある意味でそういうことが言えると思うのです。ですから、審議の経過の中でいろんな報道がされること、それは言うならば意見交換がなされていることだ。例えば、第三部会長がもしいじめや校内暴力等は日教組の組織率が高いところに多いと言ったとしますね。それはどういう裏づけがあるんだという論議が当然なされるでしょう。反論もあるでしよう。そのときに、そういう論陣を張る人たちもおるし、そういう報道をする機関もあります。また一部そういう意見を持っている人たちもいるでしよう。それを集約をした形で有田先生がおっしゃられた。僕は、そこまでおっしゃることは自由だと思うのです。むしろ、それを一つの土台に置いて、それが本当であるのかないのか、それを具体的に、文部省を初めあらゆる機関を通じて追跡調査をするなり実態調査をするなりして明確な裏づけができたら、それが公式の臨教審の分析、土台となるんだろうと思うのです。  ですから、私はそういう意味で、答申として出されるまでは臨教審の公式見解ではない、こう考えておりますし、まして部会ごとに意見が違うなどという報道は、審議の過程においてそういうことが当然あり得るわけで、第一部会と第三部会意見が常に一致していたら、こんなのは審議する必要はない、第一部会で全部やればいい、または部会をつくる必要はない、こういうことになるわけであります。  そういう意味で、ルールを守る必要がある、そのためには、公式的にしっかりとまとめたら、それを法律に基づいて総理に答申をする。総理は国会に報告をする。このルールをこれから明確に守っていただきたい。それ以外はまさに非公式見解であったり個人的見解であったりするわけであります。そういうものではないでしょうか。そして、それを実行に移し、責任をとるのは臨教審ではありません。内閣であり、文部省であり、教育委員会である。そのルールを私は明確にしていただきたいと思うのですが、いかがでしょう。
  120. 岡本道雄

    岡本参考人 この臨教審の性格として申しているところは、答申として総理にという、これが一番オーソドックスな道でございますけれども、その際に、私が前にもお答えしましたように、臨教審臨時教育審議会という性格上、現存するいろいろ起こってくる問題にすぐ対処するというものではございませんので、この点、私が答申という形を大変ためらった理由でございます。そして臨教審としては、現実の問題にもすぐそれに対応すること、ないしそれの背後に、基本的な問題に目を注いで、そして長期的、基本的な政策の答申を総理に出す、それが基本的な臨教審のやり方だと思っております。  それで、今おっしゃってもらいました会長談話につきましても、これはやはり総会で最後はまとめましたものでございまして、そのときには最前全会一致でと申しましたが、第一部会、第三部会というような対立もなく、その点は議論はあっても、私がああしてまとめましたときには、そういうものは全部解消して記者会見をしたということでございます。こういうものは今後たびたび起こるとも思っておりませんのですけれども、きょうの御注意もよくまた念頭に置きまして今後対処していきたいと思っております。  そんなことで、臨教審基本的なあり方は、やはりその長期的な背景にあるもの、病理をしっかり見据えてという基本だけは堅持していきたい、そういうふうに思っております。
  121. 中野寛成

    中野委員 天谷先生、有田先生にお聞きしたいのですが、先ほど申し上げましたことについてであります。  各部会ごともしくは部会の中のいろいろな論議が、結局そのまま裸のままで、場合によっては憶測を含めて報道をされるわけであります。ところが、それがもういかにも既に決まったことであるかのごとく国民の方は受けとめてしまう、そういう錯覚を持ってしまう、そのことは御存じだろうと思うのでありますが、それだけにお二人の御発言、御発表等はやはり慎重であっていただきたいと思いますし、また同時に、そういう誤解を生むことがあり得ることを十分御認識をいただいて、誤解を生まない御発言をできるだけ心がけていただく、それを全面的に解消することはできませんけれども、その御努力がなお一層必要ではないか。今日までの経緯を踏まえて危惧するわけでありますが、お二人にそのことについての見解をお聞きしたいと思います。
  122. 天谷直弘

    天谷参考人 先生のおっしゃるとおりでございまして、そのように心がけたいと存じます。
  123. 有田一壽

    有田参考人 御指摘のとおりでございます。たまたまこういう情報化時代と申しますか、マスコミも熱心であるものですから、私どもよりももっといろいろなところに接触し、事務局に接触し、あるいはよそに当たりで何とか記事にまとめるということもあります。私どもも承知しないわけではございませんので、それを含んで、御指摘のように十二分に一なるべく決まっていないことが外に出ないように心がけるようにいたしたいと思います。
  124. 中野寛成

    中野委員 決まってないことが外に出たっていいと思うのです。しかし、それはあくまでも個人的見解であるとか、そういうことがより一層明確にされる、誤解を生まないことが大事。どういう論議がされているかは、やはり国民は知りたいし、また知らしめる義務もあると思います。ですから、私は、どういう論議があったか、個人的見解があったかを知らせることは一向に構わないと思いますが、誤解を生むことを極力避けていただきたい、その努力をしていただきたい。意図的に誤解を生むようなことをおっしゃっていると申し上げているわけではありません。なお一層御努力をいただきたいと思うのであります。  さて、教育基本法の今日的解釈の問題であります。これもややもすると誤解を招く問題であります。当然、教育基本法精神にのっとり論議がなされ、答申がつくられるものと解釈をいたします。ただ、例えばこの教育基本法につきましても、私は、この教育基本法についての今日的解釈というのではなくて、教育基本法解釈についての国民のコンセンサスをいかにつくっていくかということではないかと思うのです。今日的解釈といいますと、何か毎度解釈を変えるみたいに思われてしまう。教育基本法について今までいろいろ紆余曲折がありました。しかし、教育の混乱また現場の混乱等々は、ある意味では教育基本法解釈の違いが一つの原因であったことは事実だと思います。  ちなみに、例えば昭和三十一年の鳩山内閣時代に、忠孝は果たして教えられる内容かどうかという質問に対して、教育基本法精神から見て教えられないという答弁がなされているわけであります。ところが、昭和五十九年、昨年二月の中曽根総理の国会答弁では、親孝行や忠誠心を教えられるというのが中曽根内閣の基本法解釈である、こういう答弁がなされているわけであります。政府答弁でもこれだけ変わっていく。こういうことはやはり好ましくない。それはそのときの政府によって恣意的に解釈をされるという誤解を当然生んでくるわけであります。  そういう意味で、私たちはこの際、国民大多数が納得のできる教育基本法に対する解釈、それは昔と今では違うんだ、また十年先は違うんだというのではなくて、国民のコンセンサスを得るという努力をしていく、そのための提言を臨教審がおまとめになるという姿勢でなければならぬと思うのでありますし、それは私はむしろ積極的に評価をしたいと思うのであります。同時に、しかしこれは解釈がまとまったというだけでは困るわけでありまして、教育現場も一般社会もそしてまた家庭もみんながその解釈についてよく理解できる、わかるということでなければならないと思います。  そういう意味で、私は七、八年前から教育憲章を提言してまいりました。そして、臨教審でも一部御検討いただいたと聞いております。この教育憲章も、ややもしますと教育勅語とか期待される人間像とか、いろいろな過去のものと比較対照されまして、何かその焼き直しみたいに誤解をして報道をされるわけであります。私は大変残念でなりません。むしろ、教育基本法精神を具体的にだれにもわかりやすく具現化させる、または見ていただける、そして国民のコンセンサスがそれによってつくり上げられる一つのよすがとして存在すべきではないか、そういうものができたらなというふうに思うわけであります。  これらのことにつきまして、第一部会長そしてまた会長からお考えをお聞きをしたいと思います。
  125. 天谷直弘

    天谷参考人 法律学者が生ける法ということを申します。教育基本法基本的に生ける法でなければならないと存じております。生ける法とは、国民の魂の中に生きている法でございます。現在、教育基本法は本当に国民の魂の中で生きているのであろうかというふうに考えますと、私は若干危倶の念を禁じ得ないものでございます。     〔船田委員長代理退席、委員長着席〕 これを生ける法にするためにはどうすればいいのか。まず、国民の中で教育基本法をよく読み、それをよく理解し、そしてこれをどう解釈するかにつきまして討論が行われ、国民の間でコンセンサスが逐次成長していくということが最も望ましい過程であるというふうに私は存じておりまして、臨時教育審議会もそういう世論の形成、コンセンサスの形成に幾らかでもお役に立つことができれば幸いであるというふうに考えております。  教育憲章につきましては、第一部会の中で教育憲章を考えるべきだという一部の委員の発言がございました。しかし、それにつきましては、一体どの機関が教育憲章を作成するのか、その内容はどういうことになるのか等々、多くの困難な問題があると存じますけれども、その点はいまだ余り具体的に詰められていない。臨教審教育憲章というようなことを取り上げるのは果たして適当であろうか。どちらかというと臨教審の中ではその点に関しましては懐疑的な意見が強いというのが現状でございます。
  126. 岡本道雄

    岡本参考人 教育憲章のことにつきましては、今第一部会長答弁いたしましたとおりであります。  ただ、教育基本法国民のコンセンサスという意味では、やはりそれが基本でございますので、それで臨教審自身としましては、ただいまやっておりますことを申しますと、教育基本法の制定の経緯とか立案者の趣旨などもよく検討して、それ以外に学校教育法とか、いろいろその後これに対する見解もございますから、そういうものを総合いたしまして、本当に無理のないといいますか、現在一番国民のコンセンサスを得うるものを基本にいたしまして、そして我々がやろうとします教育改革がその精神にのっとるかどうかというような方向で勉強いたしておる次第でございます。そして、この方針で今後もやっていきたいと思います。
  127. 中野寛成

    中野委員 ありがとうございました。終わります。
  128. 阿部文男

  129. 藤木洋子

    藤木委員 参考人の先生方には御苦労さまでございます。これまでの議論と重なる点もございますけれども、重要な問題ですのでお伺いしたいと思います。  教育基本法について、新聞報道で、六日の総会では今後教育基本法解釈検討することになったと伝えられるのを私も拝見をいたしました。先ほどそのとおりだという御回答があったわけですけれども、そこで気になりますことは、第一部会長天谷先生にお尋ねをするのですが、教育基本法は文章があいまいだとおっしゃっておられるのですが、どの点があいまいなのか、お答えいただきとうございます。
  130. 天谷直弘

    天谷参考人 私は、公式の立場で教育基本法があいまいだと申したことはございません。ただ、私の全く純粋の個人的意見をお聞きになりますならば、教育基本法はかなり表現が抽象的で、主語と述語の関係が余りはっきりしていなくて読みづらい文章である、あれをもし普通の日本国民に見せますと、あれが読みやすくてするするとわかるとおっしゃる方は比較的少ないのじゃないかと私は思っております。ただし、これは全くの個人的見解でございまして、公的にこういうことは申しません。
  131. 藤木洋子

    藤木委員 続きまして、立法の経過も不明瞭というふうに述べていらっしゃいますけれども、何が不明瞭なのか、はっきりお述べをいただきとうございます。
  132. 天谷直弘

    天谷参考人 普通の日本の法律は日本の国会がおつくりになるわけでございますが、教育基本法につきましては、当時占領下であったという特殊の事情がございまして、そこに占領軍の意向がかなり強く反映されているということは事実であろうと存じております。しかし、当時の占領軍と日本政府との関係から、どの程度どういう形で占領軍の意向が反映されたのか、あるいはされていないのか、その辺のところはよく検討する必要があるという趣旨でございます。
  133. 藤木洋子

    藤木委員 次に、教育の価値の淵源を探求する必要があるともお述べになっていらっしゃるのですが、何を探求されるのか。教育基本法に書かれております淵源とあるいはあなた方が考えていらっしゃる淵源がそもそも違うのではないか、こういう疑問を抱きますが、その点はいかがでございますか。
  134. 天谷直弘

    天谷参考人 教育のうち、一足す一は二であるという式の知育のことに関しましては、真理は世界じゅう一つでございますから、そこでは議論の起こる余地はございません。  他方、何が善で何が悪であるか、何が正で何が邪であるかという、そういう判断が入る問題になってまいりますと、一体その正邪をだれが判断するかという問題が生ぜざるを得ないと思います。それから、一つ社会が秩序を保って存続していきますためには、やはり正邪とか倫理とかということがなければ社会は成立し得ないと思います。  ところで、キリスト教の社会では、例えば神様がその正邪の根本を決めておる。あるいは中国での毛沢東の時代には、毛沢東語録がそれを決めておったと思います。戦前の日本では、教育勅語がその作用を持っておったと思います。戦後の日本では、一体それでは何がその教育の淵源と申しますか、正邪の根源になるのであろうかということになりますと、それは日本国憲法と教育基本法ということになるだろうと思います。ところが、その教育基本法の文章が必ずしも明確でない、解釈が多義的になり得る、それから立法の過程等も必ずしも明瞭でない等々のことがございます。そこのところを明確にすると同時に、教育基本法等の解釈政府とか臨教審とかが一方的に行うものではなくて、結局は日本国民の心の中でそれが生きた法にならなければならないと私は考えておりますので、そういう方向で国民的な、国民の魂の中で教育基本法解釈が逐次コンセンサスを得ていくようにするべきではなかろうかと思っております。
  135. 藤木洋子

    藤木委員 第一部会長から、文章があいまいだという点は個人の見解だというふうに御答弁がございました。今お伺いをいたしました後の二つの点についても、これは個人的な御見解でいらっしゃいますか、それとも第一部会の総意でございますか。
  136. 天谷直弘

    天谷参考人 個人的見解でございます。
  137. 藤木洋子

    藤木委員 続いて、会長にお伺いをいたします。  「教育基本法をめぐり、国民の間や、日教組と政府・自民党などの間で、解釈が食い違っていることが教育に混乱を招いている」というふうに新聞で拝見をいたしました。どう食い違っておりますでしょうか。臨教審は、教育基本法が占領軍から与えられた教育方針だと、今天谷部会長は個人の見解とおっしゃいましたけれども、そのようにお考えになっていらっしゃるのではないでしょうか。
  138. 岡本道雄

    岡本参考人 今お読みいただいた文章は会長の談話ですか。そういうものが私が申したと出ておるのですか。私はそういう立派な話は余りしたことないです。
  139. 藤木洋子

    藤木委員 これは十一月七日、六日に総会が行われました翌日の読売新聞を私拝見しておりますけれども、ここでは「臨時教育審議会岡本道雄会長)は、」といたしまして「「二十一世紀に向けての教育基本的な在り方」について論議した。この結果、」ということで述べられている一文でございますが、そのようなことは臨教審として方向づけを出された覚えはないというふうにおっしゃるかどうか、お述べください。
  140. 岡本道雄

    岡本参考人 教育基本法解釈において、今おっしゃいましたように日教組とかそういうもののおのおの解釈が違っておる、そういうことは申したことございません。
  141. 藤木洋子

    藤木委員 それでは、その解釈が違っているとはお考えになっていらっしゃらないのでしょうか。いかがでしょうか。
  142. 岡本道雄

    岡本参考人 私は、教育基本法の正式な解釈というものは、今のところ学校教育法とかそういうもので補充されながらほぼコンセンサスを得たものがあると思っておりまして、その点では解釈の違いがあって問題になっておるというふうには思っておらないわけです。
  143. 藤木洋子

    藤木委員 そうしますと、改めて解釈をし直さなければならないという問題も余りないように思うのですが、その点はいかがでございますか。
  144. 岡本道雄

    岡本参考人 この改めてするということは、私どもが教育基本法精神を正しく認識するために改めてやるのでございまして、新しいものが出るというわけではないと思っておるのです。その点は繰り返し最前から申しておるとおりです。
  145. 藤木洋子

    藤木委員 いろいろおっしゃいますけれども、結局臨教審にとって都合のよい解釈をなさろうとしていらっしゃるのではないか、そういう危倶をぬぐえません。特に、日本の伝統的文化の尊重であるとか、徳育、自然や超越的存在を畏敬する心、国際的日本人としての自覚などを導き出そうということではなかろうかと思うのですが、戦前の反動的、軍国主義的教育を否定いたしまして、その反省の上に打ち立てられた教育基本法精神からは、それらを導き出すことができないのは明白ではないでしょうか。憲法の解釈改憲と同様の手法を踏襲しようとしているものにしか思えないわけでございます。  そこで、非常に気になりますのは、先ほどもお話が出ておりましたが、教育憲章の問題です。  首相はやらないと言われましたけれども、「審議経過概要」では論議を深める必要があるというふうにおまとめになっていらっしゃいます。先ほどのお話では余りよくわからないのですが、どのように議論が進められているのか、会長にお伺いをしたいと思うのです。
  146. 岡本道雄

    岡本参考人 教育憲章のことにつきましては、最前祭一部会長がお答え申した以上のことは、その後審議いたしておりませんのでそれ以上のことは申せません。ただ、最前おっしゃいましたように、伝統とか日本人としての自覚とかそういうものにつきましては、私は、平和な国家を建設するということにつきましては日本が何が変わったといって国際的に一番変わったと思うのですね。その意味で、自国の伝統とか自分のアイデンティティーをしっかりつかむということは国際性の基本のものだと思っておりまして、平和な国家をつくるときに一番大事なものだ、それは臨教審の中で読み得ると思って申しております。
  147. 藤木洋子

    藤木委員 では、日本国民の同一性というものを追求されるわけですか。
  148. 岡本道雄

    岡本参考人 同一性という言葉はどうも私はわからないのですが、アイデンティティーと申しますのは、本質的なものと申しますか、日本人が日本人であるということについてその自覚は大変大事なものでして、これはこんなことをこんなところでゆっくり言うておる間もないのですけれども、私は、国際社会においては、要するに各国民が自分の文化というものを評価して、そして伝統をしっかりよく認識しておるというものが世界で信頼を得るものだというふうなことを考えておりますので、平和な国家というのは、対内、対外でございますけれども、やはり対内にも対外にもこういうことは大変大事だというふうに考えております。
  149. 藤木洋子

    藤木委員 それでは、第一部会長にお伺いをいたします。  教育憲章について論議を深めるというふうに「概要」でお述べになっていらっしゃるわけですけれども、それが余り論議をされていないということでございますが、それでは教育憲章は重視をされていない、制定されまい、こういうふうに判断してよろしゅうございますか。
  150. 天谷直弘

    天谷参考人 第一部会で深く議論しておりませんので、第一部会としての見解を申すわけにはまいりませんが、もし個人的見解をお求めでございますならばお答えを申し上げます。
  151. 藤木洋子

    藤木委員 いいえ、結構です。  委員会が密室審議になっていて極めて不明朗、しかもあいまいなことばかりでございます。教育基本法にかかわる議論は教育の最も重要な根幹をなす部分でございますから、公開をしてわかるようにすべきではないかと思うのですね。今の御答弁でも議論の経過は随分不明瞭なままでございます。その不明瞭なまま、国民にとってはわからないまま教育基本法とは全く違った方向づけがなされる危険を感じないわけにはまいりません。そのようなことは決して認められないということを申し上げて、次の質問を申し上げたいと思います。  これは共通テストについてでございます。中曽根首相は、「新しいテストをつくる。これは任意のテストで、学校は採用しても採用しなくてもよろしい。本当なら、そいつもやめた方がいいと思うのです。しかし、臨教審が書いているからしょうがない、ある程度やらざるを得んと思うけれどもなるたけそういう性格のものにして、ポイントは大学の方の問題なんです。」と九月三十日内外情勢調査会の講演で述べていらっしゃいます。しかし、ここだけではなくて首相はたびたびこういう発言をしていらっしゃるわけですね。この共通テストはあってもなくてもよい、むしろやめた方がよいというのが首相の見解でございますが、臨教審はどのようにお考えになっていらっしゃるのですか、会長にお伺いをいたします。
  152. 岡本道雄

    岡本参考人 臨教審は、大学入試に関しましては、各大学がそれぞれ特有に自分の思うような試験をやるのが一番いい、そういうように思っております。しかしそれを助けるためには、学科に関しましては——御存じないかもしれませんけれども、あれはもう各大学が毎年新しい問題をつくるのは大変なんです。その労力を省くために共通テストをして、その力をほかの方に注いで各大学独自のものをやっていただくということを意図しております。  それから、総理のお言葉ですけれども、これは私も注意してちょっと読んでみましたが、私も共通テストなんてやらぬでできれば一番いいので、これは総理の願望でしょうな。その意味では、そういうものをやらぬで各大学がやれるなら結構なんですけれども、やはり臨教審としてはできるだけそれに近づけるために共通テストというものをやっておるということでございますので、総理の、何もない方がいい、本当に独自にやってやれればそれが一番いいという願望のように私は読んでおります。
  153. 藤木洋子

    藤木委員 そうしますと、全く臨教審とされても暫定的な措置であって改革措置であるというふうにはお考えになっていらっしゃらない、こう理解してよろしゅうございますか。
  154. 岡本道雄

    岡本参考人 暫定的な措置といいますより、私は共通一次ができる前から知っておりまして、ああいうものがやはりどうしても要るということも知っておるのです。ですから、今度臨教審がこれを出しましたときに暫定的だとも考えておりません。共通一次の欠点を除いたものとしてこのたび共通テストというものを新たに出したと考えております。
  155. 藤木洋子

    藤木委員 全くわからない御答弁で理解に苦しむのですけれども、あと一問だけお聞きしておきたいと思います。これは教員の資質向上にかかわる問題でございます。  第三部会の第二次素案のうち初任者研修制度は目玉の一つとして重視をされておるようでございますけれども、現行の公務員制度の根幹にかかわる問題をはらんでおります。特に条件つき採用期間の延長、給与など身分上の位置づけをめぐりましてどのような論議がなされているのか知りとうございますが、その点を明らかにお示しくださいませ。
  156. 有田一壽

    有田参考人 初任者研修制度につきましては、もちろんかなり議論はいたしておりますが、今のお尋ねの公務員制度との関係等について、例えば六カ月を一年に延長するとか議論として出てはおります、それから素案の中にも若干入っておりますけれども、必ずしもまだそれで決まったものでもありません。今度は第三次素案がその議論の後に実はありまして、まだ公表しておりませんけれどもできています。次の二十日の総会にかけて御審議を願うという形になっておりますので、今のところはそこら辺まででございます。
  157. 藤木洋子

    藤木委員 そういたしますと、私立学校や幼稚園の教員についてどのようにお考えになっているかという点はどうなっていますでしょうか。
  158. 有田一壽

    有田参考人 私どもが審議いたしておりますのは、御承知のように公立——国立の小学校もありますが、国公立の教員についてのことをずっと議論してまいっておりまして、それがもしそういうことで初任者研修制度というものが決定いたしました場合には、私立——私学ですね、もしくは幼稚園の方もこういうふうにというようなことで、御自分の計算によって初任者研修制度を導入するあるいはしないということをお決めになるわけだと思って、私どもの審議はそこまでを含めて審議をしておるわけではございません。
  159. 藤木洋子

    藤木委員 今の御答弁、全くおかしゅうございますね。私、公務員の中で教師にだけそのような制度を採用するということになりますと、これは公務員制度とも相入れませんし、もしそれを強行いたしますと教師は全部公務員ではなくなってしまうということになるのじゃないかと思うのですね。それを私学がまねるかまねないかは私学の自由だというようなお答えだったと思うのですけれども、非常に不可解でございます。これは試補制度の導入と全く変わらないのではないかという危惧を持ちます。教員としての適格性を判定する期間として位置づけられていることが極めて問題であるという私の見解を述べさせていただきまして、時間が参りましたので質問を終わります。
  160. 阿部文男

    阿部委員長 江田五月君。
  161. 江田五月

    江田委員 参考人の先生方、本当にどうも御苦労さんでございます。四時までお許しをいただいておると伺っておるのですが、私自身が委員会で許されております質問時間わずか十分ですので、もしよろしければ質問を続けさせていただきたいと思います。  先日、実は私、郷里で教育についていろんな皆さんと懇談をしておりましたら、ある人からこんな質問を受けたのですね。一体臨教審というのは、臨時教育審議会なんですか、臨時教育制度審議会なんですかと言うのですね。これはその人が正式の名前を知らないというのではないので、どうも臨教審が何か制度のことばかりに偏っていっておるのではないか。ところが、今この制度をどういじってみてもそれでどうなるわけでもないというような、大変なある意味の不信感、ある意味の挫折感が国民の中にあって、もっと何か教育の根本にメスを入れてほしいのだ、教育とは一体何なのだろうというところにまで突っ込んだメスを臨教審というのはぜひ入れてほしいという、そんな国民の、何といいますか、悲しい願いみたいなものがあってそういう質問が出てきているのだと思うのです。  今もお話しの、例えば共通一次を共通テストに。岡本会長のおっしゃることよくわかります、共通一次が出てくる前の実情が共通一次を生んだわけですから。しかし、共通一次がそれでは事態を改善したのかというと、また別のいろいろな問題を生んできている。そこで共通テスト。となると、今度は共通テストは、いや問題をつくる側のためにあれがいいんですと。これではやはり解決にならぬわけですね。  何か教育というのが、牛馬を調教するのと違うんだ、牛馬を調教するというのは、これはある競走という目的が単一に定まっておって、その中で速い素質を持った馬を選び出して、これをさらに速くさらに速くとやればいいのですが、人間の教育なんというものはそんなものじゃないわけですね。一人一人の子供が人間として持っている何かきらっと光る魂をどれだけ大切に慈しみながらこれを完成させてやるかという、完成させてやるというある意味の不遜な気持ちじゃなくて、自分自身もそういう玉を磨くことによって完成をしていくというような、そんな極めて人間的な営みだろうと思うのですが、そうした仕事をぜひ臨教審国民と一緒に悩みながらやっていただきたいというような願いがあると思うのです。  そこで、一体そうしたことが今臨教審にできるのかどうか。そうではなくて、先ほどの会長の言葉で言えば小教育者があれこれといじるだけというようなことになってしまうのか、そのあたりのことをちょっと聞いてみたいと思うのです。  先日、十月の二十九日に新制作座という劇団の創立三十五周年の祝賀の集いがありましたね。岡本会長もお出になっていらっしゃって、私ちょっとおくれて行ったのですが、ちょうど会長がお祝いの言葉を述べられておるときに入りまして、すばらしいお祝辞を聞かしていただいた。その後、真山美保さんがあいさつをされまして、そのあいさつの中で私は大変に感動的な言葉を聞きました。本当にうかつにも涙がこぼれそうになったわけですが、今の少年たちがいかにふびんであるかを私たちはもう一度考えきわめて、みずからを律し、俗悪なものと闘っていかなければならない。ということは、これは後でもう一度新制作座に確認をしてこの言葉を聞いてきたのですが、会長、この言葉をどうお聞きになりましたか。
  162. 岡本道雄

    岡本参考人 初めのお話でございますけれども、施策に堕しておるということでございますが、私もこの点は十分考えておりまして、この諮問そのものが「教育の実現を期して各般にわたる施策に関し必要な改革を図るための基本的方策」ということでございますので、やはり具体的には施策を示すということが大事だと思っておりますけれども、先生のおっしゃいますように、やはりそれの背後にあるというか基礎になる理念というものが大変大事でございまして、それを国民が納得するといいますか、そういうものに共感を得て初めて施策も生きるものだと思っておりまして、その点、大変大事だと思っております。したがって、私が最近申しておりますのは、各施策をするに当たっても、その一つ一つについてよく議論を深めて、そしてそれは恐らく「審議経過概要」にはそういうものが出るようにしようじゃないかというようなことを申したりしております。  それと、最前の新制作座の話でございますが、実は私も先生と同じように大変感動いたしました。  それで、私は実はこの問題が一番関心事でございまして、心の回復といいますか、私が申します場合には、近代西洋の科学技術が本当に理性というものだけに注目して、そして人間の温かい心というか、そういうものを失っておるということ、それの回復が大事だと思っております。この点に関しまして、近代の科学技術と人間そのものですけれどもいわゆる二十一世紀のときに送り出します子供について、私はやはり、今日まで近代科学技術文明を築いてきた我々は、二十一世紀に送り出す子供に対してそれの救いを可能性だけでも示すということが大事だと思っておりまして、この間の、心というものを中心にして子供がふびんだとおっしゃったあの話は大変感動したしております。  それで、この問題を、臨教審としてもこれが極めて中心的な問題と思っておりますので、果たしてこれがいかなる施策で実現できるかということにっきましては、ある意味で私はこれは国民運動というようなものじゃないかと思っておりますので、ああいう劇団そのものがああいうところに注目してあれをはっきり鮮明にしておっしゃることについては、大変評価して聞かしてもらった次第でございます。
  163. 江田五月

    江田委員 今のおっしゃる国民運動というような、国民運動と言うと言葉はいろいろなニュアンスを持っていますが、いずれにしても臨教審が、臨教審会議の席だけでいろいろな知恵を煮詰めて、それで模範答案を書いて、これを国民に実行しなさいというようなことで教育改革ができると思ったら、実はそれはとんでもない間違い、ある意味の思い上がりでして、そうではなくて、諸施策検討してくれと言われたからはい諸施策検討だけですよというのでなくて、教育について今国民みんなが本当にもう深い深い悩みの中にいるのだと思うのですね。ですから、その悩みを共有するところからでなければ、諸施策だって何だって出てはこないわけで、その意味で、子供たちの魂が病んでいるのだ、これがふびんなんだ、しかしそのふびんな子供たちのことを考えるときに、みずからも律しなければいけないのだ、大人の社会が実は非常に病んで、俗悪なものに——俗悪というのは何も俗悪週刊誌とかいうようなことではなくて、もっと本質的な意味で俗悪なものになってしまっているから子供たちの魂がふびんなんだという、そのあたりのところをしっかりと押さえないと、教育改革なんというのはそういう遠回りをしなければとてもできることじゃないのじゃないかということをどれほどおわかりいただいているかなということを聞きたいのです。
  164. 岡本道雄

    岡本参考人 実は私は、科学技術会議で今後日本の科学技術の行く方向というものに人間との問題を一番大きな三本の柱の一つに掲げておりまして、その意味で、最前申しましたように、子供に対して今日科学技術というものが大きな恩恵も与えていますけれども、同時に心の問題で大きな破綻と申しますか、そういうものを及ぼしておるということを痛感いたしておりまして、この点は先生の御意思と全く同じような気持ちで今後努力していきたいと思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
  165. 江田五月

    江田委員 どうぞひとつ、子供たちというのは決して悪餓鬼でもなければ、あん畜生でもなければ、どうしようもないくそ餓鬼でもないので、一人一人がどんなにゆがんでおっても、どんなに問題行動を起こしておっても、やはりふびんな魂、きらっと光る魂を持っておるものだ、そういうことを基礎に置いて検討を進めていただきたいと思います。  時間が来ましたので、終わります。
  166. 阿部文男

    阿部委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言お礼を申し上げます。  本日は、御多用中のところ当委員会に御出席をいただき、また貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  次回は、来る十五日午前十時理事会、十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時十一分散会      ————◇—————