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佐藤(誼)
委員 時間もありませんのでそういう中身に入ったことはちょっとやりとりできませんけれども、私はこの際
臨教審に聞いてもらいたいのですけれども、文部省も——文部省だけじゃありませんよ。文部省も、この際謙虚に反省し改めなければならぬ点や
指導のあり方を考えなければならぬ点があるのじゃないか。
私はこの際三つだけを言っておきます。子供は今どういう状況にあるのか、なぜそういう非行なり暴力が出てくるのか、あるいはいじめが出てくるのか、私は三つあると思う。
一つは、偏差値に偏って過熱した受験戦争の中に子供は置かれ、教師が置かれ、そこから逃げることができない。最大の犠牲者は子供だと思うのです。これであってはならないんじゃないかと思いながらも、自分の子供を考えればこれしかないという道を歩んでいるのが父兄だと思う。何とかしたいけれども悩みつつ歩んでいるのが
教育の現場の方々だ。しかし、残念ながらこの偏差値に偏った過熱した
受験競争から逃れることができない。これはだれが引き起こし、だれが解決しなければならぬのか、この点について文部省は考えなければならぬじゃないでしょうかね。確かに
答申の中に、経済成長が学歴
社会を生んでいった云々ということがあります。しかし私は、経済成長のためのマンパワーポリシーとして、つまり人的能力開発を進めるために文部省が手をかして、そして苛烈な
受験競争なり学歴偏重、そしてやがて偏差値ということを生み出していったという側面はなかったのか。これが
一つ。特に子供は偏差値の中でいじめられ、ついていけない子供が小
学校で三割、中
学校で五割、高校で七割と言われている。教室の中ではお客様なんです、力のやり場がない。こういう状況にある。
二番は、私は
教育諸条件整備の立ちおくれだと思う。個性の重視と言うならばなぜこれを急がないのか。文部省のデータの中だって、マンモス
学校にいろんな荒廃や非行が出ていることははっきりしているんじゃないですか。四十人学級の早期完結と三十五人の学級の実現なんです、目指さなければなもないのは。過大規模校の解消なんです。
教職員の
定数増なんです。なぜこれを文部省はやらないのか。
臨教審は個性の重視と言うならばなぜこれに大きく力を注がないのか。
三番目は、私は校則、体罰、内申書による生徒の管理だと思う。子供はがんじがらめに管理されている。ここに
国民教育研究所の、生徒手帳についてずっと比較したものがある。これを見ると、驚くべき細則にわたって管理が徹底されているでしょう、子供は。私は子供を野放しにしろと言っているんじゃないのです。
この第二十八回の人権大会シンポジウムという、日弁連の権利擁護の大会の記録がずっとある。それを見ると、もっと
教育の現場を考えなければならぬじゃないか、子供の人権を考えなければならぬじゃないか。子供は本来
学校が好きなんです。新しい物を学び自分のやったことを褒められるなら子供は
学校に喜んで来るはずだ。幾らやったって追いつかぬ、しかも管理が徹底する、何かあれば搾られる、こういう状況の中で、
教育の現場にもっと自由と創造が必要だということを言っている、この中で。このことをなぜ考えないのか。私はそういう点からいうならば、時間がありませんからそれ以上言いませんけれども、文部行政の中でぜひ考えなければならぬのじゃないか、
臨教審もこのことに思いをいたした
改革を考えなければならぬのではないかと思いますし、私は、教師や
学校や
教育現場の皆さんは逃げてはならない、真っ正面から取り組まなければならぬと思うのです。このことをバイパスしていくのではいけないということだけつけ加えて私の所見を述べておきたいと思います。
そこで、時間がありませんので次の質問に移らせていただきます。次は、教員の資質の向上の問題です。これは第三
部会長に質問いたします。
私のところに「教員の資質向上の方策(二次素案) 六十年十月七日 第三
部会」というこういうものがあります。これは第三
部会で
検討され、十一月二十日の
臨教審総会にかけられる素案だと聞いておりますが、そうなのか。それから、この素案は、来年一月ごろ
予定されている「
審議経過の
概要(その3)」に載せるためのたたき台の文書と考えているのか、この辺どうなんですか。