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国務大臣(
安倍晋太郎君) いろいろと当時のことを、今突然の質問でございまして、思い出しておるわけですが、今
山口労働大臣が言われたことは私もそのように思います。
というのは、当時逆転
委員会で、新自由クラブが野党の側で、新自由クラブの向背で予算が通るか通らないかが決まるという
状況にあったわけです。もちろん補正予算ですから通さなければならぬということで
政府は出しているのは当然でありますし、その予算を通すために私も
政府の官房
長官として動いたわけでありますが、しかし野党側から大幅な修正の要求が出た。これに対して党の方は、どちらかというと何とかスムーズにこの予算案を上げたいということであったわけですが、
政府の方はそこまではもうのめない、ある程度はのんでもそこ以上はのめないという限界があったわけで、そこで私は
政府を代表して、のめませんということを当時の大平幹事長あるいは
田中六助筆頭副
委員長との間で随分
論議をした覚えがあるわけです。
そういう
論議の内容がいろいろと表に出たことは事実ですね。そしてそのときに、解散とかなんとかいう、そういう声がマスコミなんかで、外で、いろいろと
政府と党がぶつかっている、
政府がこれをのまなければ解散になるというふうな声もマスコミにあったように思いますが、そこまで思い込んだ
状況じゃなくて、結局党と
政府の、何といいますか、議論といいますか、これはいつでもあるわけです、これはもうやりとりですね。そして、それが表に出るには相当シリアスな形で表に伝えられたようなことになったことは、これはもう事実ですけれども、しかし予算案を通さないと——
政府が出したものに対して官房
長官が通すという
努力をしたことは事実ですし、ただ余りにもやっぱり今と当時の
状況では開きがあった、野党との間の開きというより党と
政府との間の開きが相当あり過ぎて、そして私もそのときは相当駆け引きもしたということは、これはもう事実ですけれども、予算案を通すとか通さないとか、野党に対して通さないでくれなんということを言った覚えはないので、党と
政府との
関係でいろいろと駆け引きをしたということは、これは事実で、そういうことは、当時の新自由クラブの
山口国対
委員長はその辺の党と
政府との動きの中を十分承知しておられて、当時
田中六助筆頭副
委員長が、恐らく当時の福田内閣は我々の党の方の
考え方とうまくいかなければ解散するんじゃないかというようなことで、当時の筆頭副
委員長田中六助、おしゃべり六助とも言われておりましたし、故人を批判するわけじゃなくて、私は親友ですけれども、盛んに外に対していろいろなことを言いましたから、その辺は彼も相当野党対策としていろいろなことを使ったのじゃないか。私が直接言ったのじゃなくて、それはそういうことで
山口労働大臣がそれを非常におもしろく書いたのじゃないか。真相は、そういうふうに今実は思い出しておるわけですが、実際のところはそういうことであります。