○林
健太郎君
岡本先生に
質問いたします。
岡本先生、どうも
臨教審の
会長としてまことに御苦労さまでございました。
この
教育改革といいますのは、確かに今日の主に
政治的な課題になっております。しかし、同時にこれは
国民の間の強い要望というもののあらわれとしてこういうことが出てきたものと思いますので、まことに任務重大だというふうに
考えます。それで、しかもこの
委員には各方面のそうそうたる論客が集まっておられますので、それを統率される
岡本会長もなかなかお骨折りなことであったろうと思います。今回、第一次の
答申が出されたわけでありますが、この創立の事情とか、今申しましたようなこの会の性格からいたしまして、前からいろいろと
内容についての議論が先行した
嫌いがありまして、ことに
委員が個人としてまたいろいろと外部に
意見を発表されたり、あるいはまた
委員同士の間の、
臨教審の内部でもあったんでしょうけれども、外における
論争みたいなのがあったりしましていろいろ世間をにぎわせましたけれども、しかしそれがこういう立派な第一次
答申となってひとまずあらわれましたことは、これはやはり
岡本会長の識見と手腕によるものと思いまして私は深く敬意を表するところでございます。
私が立派な
答申と申しましたのは、私はこれを採点しましてなかなかよくできていると思っています。点をつけると七十五点ぐらいだと私は思っております。合格は六十点ですから七十五点だと相当いい点だと私は見ております。なぜ七十五点かといいますと、第一部、第二部、第三部となっておりますが、三部は非常につまらぬと思うんです、私正直申しまして。ここは六十点ぐらいだと思うんです。しかし、最初のところが非常にしっかりしておりましてよくできておる、そう思うものですから七十五点と私は点をつけたわけであります。
ところで、これからの
質問の趣旨ですが、実は私も第一の
質問の項目としまして、最初に
自由化ということが盛んに言われましてそれが次に
個性主義になって、それが今度は
個性重視になった、そのいきさつについての御
説明のようなことを伺いたいと思っておりましたのですが、今既にもうその
質問が出てしまいましたので、同じこと聞いてもしようがありませんからこれは省略いたします。
そこで私は、第一部、
基本的な
理念の点を非常に高く評価しているということを申しましたが、その中でちょっと申しますと、これは
教育基本法の精神にのっとり、しかも
教育基本法の精神が必ずしも十分よく理解されていなかったからそれを正しく理解するのだというのに私は全面的賛成であります。と申しますのは、この
教育基本法はやはり自由ということを
基本理念としてできているわけです。ところが、その自由というものの理解が戦後の
教育におきましては必ずしも十分でなかったと思うのです。例えば今日の
教育の問題としてだれもが指摘されますのは、いわゆる学校の
教育の荒廃と言われますような学校における暴力の問題であるとか非行少年の出現であるとかそういうようなことが今最も深刻な問題でありまして、しかもそれがこの
臨教審を生む大きな原因になっていると思いますね。ところが、こういうような状況は、自由ということを単なる利己的な欲望の
要求、それから他人に対する思いやりを持たないところの全く
自分だけのエゴの発揮、そういうようなことが今日のような
教育荒廃ということを生んだのでありまして、これは
教育がこれまでどういうところに責任があるかということはいろいろ
考え方はあると思いますけれども、少なくとも
教育基本法の言っている自由はそういうものであるはずはないと思うわけです。ですからこの
答申におきましても、例えば「物質中心
主義と心の不在」とかいうようなことを指摘してありましたり、それからいろいろと思いやりの精神でありますとかそういうようなことを大いに強調しておられます。このことは私は
教育基本法の精神がよくまだ
教育界でもって理解されていないからそれをしっかりやろうということだろうと思いまして私は結構なことだと思うわけです。
それからもっと大事なことは、この
教育基本法の
理念のところでもって、十ページのところにありますけれども、「自由とは」「重い自己責任を伴うものであり、選択の自由の増大する社会に生きる人間は、自由を享受すると同時に、この自由の重み、責任の増大に耐え得る能力を身に付けていなければならない。」ということを書いておられますね。これは私まさに今日必要とされているところでありまして、ところが、これは
教育基本法に反しているかというと反してはいないわけです。
教育基本法を読んでみますと、ちゃんと第一条のところに、「個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじこということを書いてあるわけでして、
教育基本法にちっとも違反はしていないわけですが、しかし、
教育基本法の中で十分にこれまで理解されていなかったというふうに私は
考えるわけです。
それからまた、
個性ということに関しましても、この
答申の精神は、九ページ「
個性重視の
原則」のところでもって、ここでも「自由・自律、自己責任の
原則」ということを強調しておられますけれども、この
個性ということと自由との関係におきましては、「
個性とは、個人の
個性のみならず、家庭、学校、地域、企業、国家、
文化、時代の
個性をも
意味している。」、そういうことがここにうたわれておりまして、したがってこのことにつきましては「
基本的考え方」の最初のところに、「個人の尊厳を重んじ、
個性豊かな
文化の創造を目指す
教育を現実の
教育の営みのなかで
実現することを願い、また、伝統
文化を継承し、日本人としての自覚に立って国際社会に貢献し得る
国民の育成を図ることを目標とした。」と書いてあります。これ、私は実を言うと
教育基本法の成立の過程をいささか勉強したことがありまして、あんまり時間がないからもう簡単にやめますけれども、
教育基本法というのは元来アメリカの押しつけではなくて日本側が自主的にやっぱりやったものなんですね。ただし、その途中でいろいろ制約を受けたことは事実であります。それで、この
教育基本法の最初の素案は――何回も素案はありますけれども、ずっと最後まで、普遍的にしてしかも
個性豊かな伝統
文化を
尊重し、しかも創造的な
文化を目指す
教育ということがこの
教育基本法の素案にはずっと書かれておるわけです。ところが、これは最後の段階になりまして、これはアメリカの方の干渉があったと思いますが、この伝統という
言葉が削られてしまいまして今の
基本法には載っておりません。しかし、本来この
教育基本法で
考えられておりましたのは、この
個性ということは同時に日本という日本人の
個性、
個性豊かな
文化、そういうことを含んでいるわけでありまして、当然この伝統を重んずるということも入ってきているわけなんであります。そういうところをこの
答申では正しく取り上げられたということを私は敬意を表するわけでございます。敬意を表したんでは
質問になりませんが、しかし私は六十点つけたのはやっぱりこの第三の当面の
改革ですね、これは私はあんまり大したことはない。大したことはありませんが、別に有害だとは思いませんから、まあ六十点としたわけです。
ここでちょっと
質問いたしますと、さっき出ました
共通一次ですね、これは
岡本先生、私もそのとき
会長をやっておりましてね、国大協の、大いに
一緒にやりましたのでよく覚えております。それで、今おっしゃいましたようにこれつくるときに、その前は今までのもう
試験制度が諸悪の元凶みたいなことを言っておったのが、何かやれというわけでもってやったわけですが、しかしだからといって何かこんなものができたから特効薬みたいにすべてよくなるなんてだれも思っていなかったわけです。それが今日では今度は
共通一次が諸悪の根源みたいなふうに言われておりますが、これは確かに――まあ、ちょっと
質問しますが、これは確かに
政治というものの論理でしょうな、これは。何か
改革やるということのためには何かターゲットを設けて諸悪の根源とか何とか言わないと目立たないということもあるから、確かにこれはそうだと思うんですが、しかし
教育改革としては当然やらなきゃならないことがあるわけです。そこで
共通一次というのは、
改革でも何でも構いませんが、これと
共通テストの違いですね、これをちょっと御
説明願いたいと思います。