運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1985-07-09 第102回国会 参議院 文教委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十年七月九日(火曜日)    午前十時開会     ―――――――――――――    委員長異動  六月二十四日真鍋賢二委員長辞任につき、そ  の補欠として林寛子君を議院において委員長に  選任した。     ―――――――――――――    委員異動  六月二十四日     辞任         補欠選任      安永 英雄君     本岡 昭次君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         林  寛子君     理 事                 杉山 令肇君                 粕谷 照美君                 吉川 春子君     委 員                  山東 昭子君                 林 健太郎君                 林  ゆう君                 久保  亘君                 中村  哲君                 本岡 昭次君                 高木健太郎君                 高桑 栄松君                 小西 博行君    事務局側        常任委員会専門  佐々木定典君        員    参考人        臨時教育審議会  岡本 道雄君        会長        臨時教育審議会  石井 威望君        第二部会長        臨時教育審議会  有田 一壽君        第三部会長     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○教育文化及び学術に関する調査  (臨時教育審議会教育改革に関する第一次答  申に関する件)     ―――――――――――――
  2. 林寛子

    委員長林寛子君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  この際、一言あいさつを申し上げたいと思います。  私、先般、文教委員長に選任されました林寛子でございます。何分ふなれではございますけれども、皆様方の御指導と御協力を賜りまして、円滑かつ公正な委員会の運営を行いたいと思います。  何とぞよろしくお願い申し上げます。(拍手)     ―――――――――――――
  3. 林寛子

    委員長林寛子君) まず、参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  教育文化及び学術に関する調査のうち、臨時教育審議会教育改革に関する第一次答申に関する件について、本日の委員会臨時教育審議会会長岡本道雄君、同審議会第二部会長石井威望君及び第三部会長有田一壽君を参考人として出席を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 林寛子

    委員長林寛子君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ―――――――――――――
  5. 林寛子

    委員長林寛子君) 次に、教育文化及び学術に関する調査のうち、臨時教育審議会教育改革に関する第一次答申に関する件を議題といたします。  本日は、先ほどお決めいただきましたとおり、午前には臨時教育審議会会長岡本道雄君を、午後は同審議会の第二部会長石井威望君及び第三部会長有田一壽君の御出席を願っております。  この際、岡本参考人一言あいさつを申し上げます。  岡本参考人には、御多忙のところ本委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。  本日の議事の進め方でございますが、教育改革に関する第一次答申につきまして二時間程度各委員質問にお答えいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。  それでは、これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  6. 粕谷照美

    粕谷照美君 日本社会党は、「審議経過概要」が公表されました際に、岡本会長もおいでになりまして直接お話をしたわけでありますが、そのときに、改革理念のない答申教育改革答申に値しない、二番目に、改革理念がないのに具体的な政策を打ち出すのは本末転倒である、三番目に、中高一貫六年制中等学校単位制高校、これは非常に国民の間にも疑念がある、四番目に、学歴社会についての見方が非常に一面的であるというようなことを申し上げまして第一次答申の中止を要請したわけでありますが、その要請が無視されまして、政治日程に合わせまして答申が出されたということはまことに遺憾であるということを申し上げ質問に入ります。  「審議経過概要」から答申まで約二カ月間あるわけでありますが、大きく何か変わったとこみがありましょうか。「審議経過概要そのもの答申にきちんとそのまま入っているという考え方にお立ちでございましょうか。
  7. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 答弁に先立ちまして一言あいさつ申し上げます。  先生方大変お忙しいところ、きょう我々の作成いたしました第一次答申のためにいろいろお聞き願うためにお集まりいただきまして本当にありがとうございました。どうぞひとつよろしくお願いします。  前の「審議経過概要」からこのたびの第一次答申の間には、御承知のとおり、公聴会などをやりましたり、その他各団体からも意見を多数お寄せいただきまして、その後第一次答申の作成に当たりましては、そういうものを十分参考にいたしまして作成したものでございますが、変わった点と申しますと、「改革基本的考え方」というものを大変整理いたしました。最前の先生お話に、改革理念がはっきりしていないのに具体的なものが出るのはおかしいじゃないかということでございましたが、この改革理念については、これはもう十分検討いたしまして、このたび一から八までのものをきちっと整理して挙げておるということは、これは「審議経過概要」と違っております。  それからまた、学歴社会見方と申しますか、とり方、これに対しましては、これは石井部会長からもお話があると思いますけれども、「審議経過概要」のときには少し誤ってとられた傾向もございますので、それに対しては正しい認識を得られるように努力して、このたびの第一次答申には整理しております。そういうところが主な点でございます。
  8. 粕谷照美

    粕谷照美君 「改革基本的考え方」が教育改革理念に当たる、こういう御説明のようですね、一から八までありますということは。それはどうなっておりますか。
  9. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) この改革理念、このたび第二次答申といいますか、基本答申というものをこれからほぼ一年後に想定いたしておりますが、そのときには教育理念からそういうものを全部入れます。それで、このたびのは、改革方向といいますか、改革原則というものでございまして、それがこの一から八というものでございまして、その点、「本審議会主要課題」というところをごらんいただきますと、全体の構成というものはこういうものであって、このたびの改革基本方向というものにつきましては、これの位置づけがきちっとしてあると思っております。
  10. 粕谷照美

    粕谷照美君 今、会長もおっしゃいましたように教育理念は本答申にまつ。本答申というのは随分これからかかるわけですね。だから、その教育理念そのものがないのに教育改革理念が出るわけがない、基本方向が出るのは本末転倒だということを先ほど申し上げた次第でございます。  まあ、出されたものですから、出されたものに従って質疑をいたします。  一つは、「個性重視」という考え方が今回出されました。その前は「個性主義」ですね、概要のときには。そして、その前が「自由化論争」というものが非常に大きく取り上げられて報告書の中にも載っています。この答申を見ますと、九ページに「改革基本的考え方」として「「個性重視原則」は、今次教育改革で最も重視されなければならないものとして、他のすべてを通ずる基本的な原則とした。」、こういうふうに書いてあります。ところが、その二カ月前の「概要(その2)」は、「個性主義」の表現をしているわけであります。その「個性主義」と「個性重視」というのは一体何が異なっているのか、国民は明確でないわけであります。「概要(その2)」で言いますと、三十二ページに、「画一主義から個性主義への、大胆かつ細心な移行改革」とは、「移行」ということを言っているわけでありますが、その「改革」というのは一体具体的にはどういうことなのか、これもわからないわけであります。その「大胆かつ細心な移行改革」というのは、第一次答申で言う第三部の「当面の具体的改革提言」になっているのか、その辺の御説明もいただきたいと思います。
  11. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) この「個性主義」とか――「自由化」という言葉と、それから「個性主義」になりまして、それから「個性尊重」、「重視」と言葉が転々と変わったように一般的に言われておるのでございますけれども、これはこのたびの審議会の特徴が、およそ審議内容をそのまま外に出しておるものですから、そういう印象をお受けになることはまことにもっともなことでございますけれども、およそ意見の違った者が集まって審議するのでございますし、それが徐々に審議経過で変化してまいるということは当然なんですが、普通ならこれをそこらを全部カバーしておいて最後のところだけ出すわけですけれども、このたびの審議につきましては、そういう点が全部経過がわかるようにしておるというところでそういう御非難も受けるかと思います。その点で自由化とかそれから個性主義――なぜ個性主義個性尊重になったかということだけ申しておきますと、個性主義ということは、個性というものは従来の画一性に対して個性を大事にしようということはわかるけれども、主義というのを一緒につけてというのはどうもなじみにくいじゃないかと、教育というものは、本当にすべての人が意見を持ち、また自分考えを持たれるものですから、わかりいいものにということで個性尊重とか重視の方がわかりいいじゃないかということで変えたんでございますけれども、こういう言葉を繰り返し論議しておりましても切りがないので、ひとつ具体的な問題に即してこれはどこまで自由化できたり個性化できたりするものかということを具体的な問題でやろうということを申し合わせまして、私もこういう言葉の何はこれでやめて今後は具体的な問題に入りましょうと申しましたので、その具体的な問題というのは、このたびの具体的課題もそれに入りますけれども、それ以外に重要課題というのは第二部に挙げておりますが、あの中のすべてに対してどこまで弾力化自由化多様化ができるものか、そういうことを審議しょうということを約束しておりますので、この点、このたび挙げましたものだけでなしに、今後すべてのものに対して、具体的なものに対してどこまでやれるかどうかということを審議する、それに対して、私が前に国会で申しましたとおり、自由化多様化個性化で論議しておれば切りがないけれども、具体的なものに入りましたら二十五人の委員の方はおのずから落ちつくところがあるだろうと思って、私はそれに対して不安を持っておらないというようなことを申し述べておる次第です。
  12. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうしますと、この自由化論争というのは決着がついていない、これから具体的な問題をやるときに自由化論争が起きてくる、こういう理解でよろしゅうございますか。
  13. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) この自由化というもの、それから個性化というもの、多様化というものはこれがベクトル方向が同じであると、明治の改革昭和改革もすべて追いつけ追いつこうということで団体的に一斉でやったと、画一的でやったということに対する反省は皆同じでありますので、それの長短は別にしまして、これを多様化しようというベクトル方向は同じであるということで言葉論争はもうやめて、具体的な問題でどこまでいけるかということにしようということを総会でこれはきちっと私が申しまして決議しております。論争が再び起こるということは、そのときに、私はそういうことは、あのときの約束でもしないというふうに申しております。
  14. 粕谷照美

    粕谷照美君 第一次答申の十ページを見ますと、自由の問題が随分書いてあるわけであります。随分私はこれを読みながら道徳教育なのかな、修身教育の本を読むような感じだなと思いながら拝見をしておりましたが、教科書だとか学習指導要領、非常に拘束力が強いわけでありますけれども、それをめぐる規制をどうするのかなとということも、この自由化論争の中ではちっとも明確にならないままに個性主義そして個性尊重と、こういうふうに移っていったことについても納得がいかないものがあるわけですけれども、一体、この現行教育制度を否定するのか、あるいは現行教育制度を前提として改革をしていくのか、この点は明確になっておりましょうか。また、この自由化論争が非常に火花を散らしてたときに、新聞なども拝見いたしますと、そこに総理が登場して、義務教育段階においては自由化はしないんだ、逆を言えばその他においては自由化をするんだというようなこともなされた、それ以来鎮静化したというような報道もありますけれども、それでは何か臨教審首相の一声で左右されるような感じがしてなりませんけれども、その点はいかがでございますか。
  15. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) この現行制度を否定してということではございませんので、現行制度を改善、改革していくということでございます。  それから自由化に関しまして、義務教育というものに関する考えは何も総理に言われたんじゃございませんで、むしろこれは私が一番考えておることかもしれないんですが、やはり義務教育における基礎、基本というものはそう自由化する余地のないものであるというふうに私自身は考えておりまして、むしろ自由化というのは逆ピラミッドというか、高等学校から高等教育の辺は大いにひとつ多様化弾力化していかなきゃいかぬと思っておりますけれども、義務教育のところはこういうものは余りやわないものだと自分は思っておりませんし、総理から言われてということでは全くございません。
  16. 粕谷照美

    粕谷照美君 そうしますと、マスコミが書いていることはあれはマスコミ自体の思い違いであったと、こういうふうに今の会長の御答弁では受け取られるわけであります。  ところで、概要要旨を読んでみました。この要旨の二ページのところに、自由化の問題とも関連するわけでありますけれども、教育機会均等実現を目指す余り、平等の概念が強調され過ぎた。そしてまた、自由の概念が軽視されてきた嫌いがある、こういうことを言っていらっしゃるわ けですね。本当にその平等の概念が強調され過ぎたというふうにお考えになっていらっしゃるのか、自由の概念というものが軽視されてきた嫌いがあると言うけれども、一体その軽視したのはだれが軽視をしたのか、そこの辺はどのような意思統一がなされておりますでしょうか。
  17. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 機会均等、自由のことが尊重され過ぎたというようなことですね。これはいろいろ公聴会とか何かでもまだ機会均等は十分でないというような意見もございまして、その点も十分考えておりますけれども、平等というものが大いに実現された、機会均等実現されたということは本当に国民要求によって事実でございまして、それの陰として個性というものが必ずしも十分に生かされなかったというようなことを言おうとしておるものです。  それから、自由というものに関しましても同じでございまして、自由、平等、この二つは大きな教育理念でございますけれども、その自由というものに対しても一つ画一化の陰に、平等の陰に十分尊重されたとは言えないというような認識を言ったものでございます。
  18. 粕谷照美

    粕谷照美君 自由の概念が軽視されてきた嫌いがあるということを否定するものではありません。しかし一体だれが自由の概念というものを軽視してきたのか、そこの反省といいますか、分析がないということを私は今指摘をしているわけでありますが、しかし、今、会長がおっしゃいますように、機会均等が大いに前進をしたことはいいことだとおっしゃるのは私はそうだと思います。しかし、この文章は概念が強調され過ぎたと言っているんですね。まるでいけないことであると、機会均等実現を目指す余りの平等の概念が強調され過ぎるということ、私はされ過ぎてなんかいなかったというふうに思うわけであります。例えば障害児教育はどうであったか、あるいは部落の出身の子供たち教育はどうであったか、本当に機会均等が保障されていたんだろうか、私はされていない、され過ぎたなどということはこれは間違いだというふうに思いますね。そういう批判をいろいろと持ちながら、時間がありませんから具体的な問題について一、二質問をいたします。  一つ共通テストであります。  「審議経過概要」、この九十七ページを見ますと、共通一次試験改め共通テストを創設する。こうなっております。ところが、二カ月後の第一次答申の二十九ページを見ますと、「共通一次試験に代えて、「共通テスト」を創設する。」とあります。この「改め」と「代えて」というのは、字が違うだけじゃなくて非常に大きなニュアンスが、内容が違っているのではないかと思いますが、いかがですか。
  19. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 共通一次というのは今まで国立大学が主にやってまいりました試験でございますけれども、その長所もございますけれども、その欠点が大きく論議の対象になっておりますので、このたび共通テストというものを行おうとしましたときに、共通一次とは別のものだということをはっきりさせることが必要だということでございまして、それを「改め」というよりも「代えて」の方が、別のものだということです。おまけに、「新しく」という言葉と「創設する」という言葉共通一次と共通テストとは違いますよということを強調をしたものでございます。
  20. 粕谷照美

    粕谷照美君 「改め」よりは「代えて」という方がはっきりすると、まあ、内容的にはそう意味が変わっていないんだと、こうおっしゃるわけでありますが、そうしますと、この「改めて」と「代えて」という部分の後の「「共通テスト」を創設する。」というのは共通のことになりますね。この報告の時点では共通一次試験廃止するということが明確に入っておりましたでしょうか。もし入っているとするならば、「改め」とか「代えて」などというよりは、廃止し、共通テストを創設すると、こう出した方が国民には非常によくわかるんじゃないか、こう思いますが、いかがですか。
  21. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 我々は、大学入試に関して根本的に考えておりますのは、各大学が自主的に、自分で決めてやるものだと、そういうことを考えておりますので、その点、国立大学協会などはあの共通一次を改善しようと思って長く議論して、六十二年からの案までお出しになっているので、この点、できるだけ各大学のあり方を尊重しようという気持ちで、廃止というような言葉は明らかに使わないで、この点、「代えて、新しく」「創設する。」というような言葉にいたしたのでございまして、基本的な私たち入試に対する考え方は、各大学が自由におやりになると、そういうことを根底にいたしておるので、そこに注意をいたしております。
  22. 粕谷照美

    粕谷照美君 そういたしますと、私がよくわからないのは、今の臨教審考え方があるにもかかわらず、七月の三日に早々と藤波官房長官が、六十二年度からこれを廃止すると、こういうふうにおっしゃっていますね。それから、六月の四日、松永文部大臣中曽根総理と会いまして、首相はこの「代えて」というものを廃止と解釈すればいいじゃないか、こういう提言をしたと報道をされております。そしてまた、六月の二十一日には砂田元文部大臣が、廃止と解釈すればいいんだ、臨教審もそういう気持ちだと思うというようなことが、これは、おっしゃったかどうかわからないんですが、新聞報道に載っておりますので、臨教審は本当にそんな気持ちだったのかどうか、これをお伺いをしたいわけです。こういうニュースを見てみますと、非常に政治の思惑が臨教審を引っ張っている、教育基本法十条は踏みにじられているんではないか、こういうふうに考えざるを得ません。こういう政府の動きについて臨教審はどのようなお考えをお持ちですか。
  23. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 私はまだ政府から直接そういうことは聞いたわけでないので、新聞だけでございますけれども、あの答申を出しましたときには、答申に沿って――私がよく言いますのは、平時だから、いわゆる外圧も何もないときだから強力にこれを推進してもらいたいということをお願いして答申を出しておりますので、これをできるだけ早く強力にやってもらうということが審議会の方の希望でございます。私のとり方は、共通テストというものをできるだけ早く創設しようということをおっしゃっておるので、ああいう使えるものをつくりますよというふうにとっておりますので、その点は私は、審議会としては、自分たち希望に沿ってできるだけそういう使い得るものを準備していただくというふうに理解しておるわけでございます。
  24. 粕谷照美

    粕谷照美君 しかし臨教審は、大学入試改革をめぐって五項目にわたってこれに関連する問題を同時に提起しているわけですね、共通テストだけを出しているわけではないと思います。共通一次を廃止して共通テスト導入だけが今、前面に出てきているような感じがいたしますけれども、これは総合的にやっぱり一緒に進められなければならないと、こういうふうに判断いたしますが、いかがお考えですか。
  25. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) それで、臨教審としての答申はこういうことで、特にこの中に、実際やることにつきましては、国公私立の各大学それから高等学校関係者が対等のなにで参画してそれを協議できる、そういう機関をつくってやってもらいたいということを申してありますので、政府は、そういうものを早急につくって、そしてそこで審議して、すべてここに書いてあるようなことを実行していただければと、そういうふうに考えております。
  26. 粕谷照美

    粕谷照美君 臨教審のお考えはわかりましたから、あとは文部省に聞くという以外にないと思いますけれども。  これはまことに変な質問なんですけれども、会長が、六月の五日ですか、赤坂の料亭で、総理に呼ばれましてちょっと御慰労いただいたことがありますでしょうか。
  27. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) そうですね、いつでしたか、かねてから慰労したいと思っていたが、機会がなかったからということで慰労していただいたことはありました。そのことでございますか。
  28. 粕谷照美

    粕谷照美君 あったのかなかったのかよくわからなかったわけですけれども、あったというふうに私は今受けとめてよろしゅうございますね。――臨教審の第一次答申を出される前に、強引に臨教審を発足をさせた総理と直接お会いになるということは非常に問題があるというふうにお考えになりませんでしたでしょうか。答申が終わって、御苦労さまでしたと言うのならわかるんですよ。その中でいろいろのことが、例えば自由化の問題だとか、共通一次を廃止できないものだろうかというふうなことが言われたと新聞報道に載ること自体だって問題じゃないですか。私は、そういう意味で大変あれは軽率な行動であったのではないかというふうに思うわけです。その共通一次を廃止させられないか、廃止をしなさい、そして、もう共通テストなんて言わないで任意テストにしたらいいじゃないかというようなことを総理がおっしゃっているということを考えてみますと、大学改革を先送りして共通テスト導入を先に持ってくるという態度は、非常に軽々しいといいますか、問題が大きいというふうに思いますけれども、いかがですか。
  29. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 任意テストとか共通テストという言葉ですけれども、これは総理がそういうことをおっしゃっているというようなことを新聞で読むだけなんでございますけれども、我々が共通テストと言いますときにはですね、試験内容とかやり方、方法が共通だからという意味共通テストと申しておりますが、恐らく総理のは、あれが各国公私立自由に、任意に使えるから共通テストとおっしゃっているんだと思いますけれども、その点は総理のお考えですから何とも言えません。ただ、共通テストというものと共通一次というものは、共通一次というのは二次を予期したものなんですけどね、共通テストというのはその点自由にということで、入試全体に関して、前にも言いましたように、入試は各大学が自由に行うというところを基本にして申しておりますので、その点入試全体に対する何がなくて共通テストを打ち出すのはおかしいじゃないかとおっしゃいますけれども、その点はこれからの入試共通テストもあって、各大学が自由にお使いになるということでございます。したがって、その時点では共通一次というものは予期しておらないといいますか、そういうふうに考えております。  返答になっておりますかどうか。
  30. 粕谷照美

    粕谷照美君 会長答弁が長くて、私質問の時間がもう切れてしまいますので、意見だけ申し上げておきますけれども、教育の大改革というには財政論が非常に弱くて、そしてつけ足しの感じがあるわけであります。この辺のところもきちっと出していくべきであろうかというふうに思いますし、今おっしゃいました共通テストのお考え方についても、大変御答弁をいただけばいただくほどわからないものがたくさん出てまいりますので、いずれ各部会の会長からもおいでいただくわけでありますから、またその時点で詰めていきたいというふうに考えまして、私の質問を終わります。
  31. 久保亘

    ○久保亘君 ただいまの粕谷委員質問に少し補足をする意味でお尋ねをしたいと思いますけれども、今度の答申をお出しになりました会長のお立場でございますが、臨教審会長というのは委員によって選ばれた会長ではなくて、政治家である総理中曽根康弘によって任命をされた会長ですね。だから、会長代理というのは単なる運営上の名称であって、会長代理は会長を代行することはできない、設置法上そういうものだと私は思っております。そういうお立場である会長に今度の答申についてお尋ねしたいんです。  一つは、今度の答申は二十五人の臨教審委員の総意に基づくものであるか、臨教審委員審議を取りまとめて会長の責任で答申をお出しになったものであるか、どちらでしょうか。
  32. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 総会主義と申しまして、あの審議会は総会の審議を大変重要視いたしております。その際、どうしても合意の得られないものは投票をするということもあるんですけれども、今の場合にはそういうことはございませんで、私が全体の審議を取りまとめまして、まずここらに焦点があると、それでいいかということで取りまとめたものでございます。
  33. 久保亘

    ○久保亘君 ということは、今度の答申については二十五人の委員が全員一致されたと、こういうことですか。
  34. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 総会で決定するということを合意いたしておりますので、総会で決定いたしましたことは全員が一致したと考えるわけでございます。
  35. 久保亘

    ○久保亘君 それでは次に、今度の答申の中で、先ほどの質問にもございましたけれども、答申はやはり戦後教育を否定したとは申し上げませんけれども、戦後教育理念を否定的に見てこの答申は提出されたと思われるのであります。内容を子細に読ましていただきますと、そのように書かれてあります。そして、とりわけ戦後教育理念をつくってきた教育基本法について、確かに教育基本法の精神にのっとりとはなっておりますが、今日まで教育基本法の正しい認識が確立されていなかったという前提でこの答申が書かれているようであります。したがって、教育基本法の精神が生かされるように正しい認識を確立することが必要であるという答申になっておりますが、教育基本法の正しい認識とは何でしょうか。
  36. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 戦後教育というものを全面的に否定しておるわけではもちろんございませんので、その長所ですね、機会均等とか、あらゆる長所というものはそのまま継承するわけです。ただ、今、ここに申しておりますのは、我が国の教育に十分教育基本法の精神が生かされたかどうかということに対しては必ずしも十分でないというわけで、それをひとつ認識を新たにするということでございますが、そういうことはどういうことかということですけれども、私の理解としては人格の完成ということが目標でございますけれども、それは個人の価値とか尊厳というものを十分認識して、人間の備えた能力を調和的に発展させて、そして平和的な国家及び社会の形成者として心身ともに健全な国民の育成に努める、そういうことをやはり改めてしっかり認識して、私の認識内容というのはそういうことで、教育基本法内容に書いてあることでございますけれども、それをしっかりこのたびは認識して出発せんならぬ。そして、主要課題の中に一番最初に上げておりますのは、「教育の目標」というところがございますが、そこにまず最初に教育基本法の精神をしっかり再認識してという出発にいたしておりますので、この点基本答申のところでまた見ていただきますと満足してい。ただけるかと思っております。
  37. 久保亘

    ○久保亘君 会長の今のお考え答申に正しく書かれていないんじゃないでしょうか。認識を新たにするというようなことではないんです。この答申に書かれているのは、教育基本法の精神が生かされるよう正しい認識を確立しなければならぬと書いてある。ということは、今日まで戦後の教育教育基本法の正しい認識に欠けるところがあったという前提に立つからそういうことが書かれているわけなんです。認識を新たにするとか、再認識するとかいうような表現ではございません。正しい認識をと書いてある。じゃあ今まで正しくなかったということになるんじゃないですか。そこが私は会長が今おっしゃったような意味で表現されていないように思えるんですけれども、いかがですか。
  38. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) もちろん戦後の教育教育基本法の精神を尊重して出発したものでございましたけれどもね、御承知のように窮乏から脱出するために大変急激な改革でございまして、その点こうやはり明治の改革に似たところは、追いつく、一斉にというところが重視されて、必ずしも個性尊重と、そういうものが十分でありませんでしたんで、その点正しい認識、今までのが間違っておったということではございませんので、それを改め内容を強く認識するということでございますので、私のというか、審議会もそういう趣旨でございます。
  39. 久保亘

    ○久保亘君 そこで、今度は具体的なことをお尋ねしたいんですが、個性重視ということが、いろいろ自由化から個性主義個性重視と変わってまいりましたけれども、要するに自由化に発するこの個性重視という考え方は、教育基本法の精神に沿って戦後子供たちの能力の内なるものを教育を通じて全面的に引き出し開花させるという意味での個性尊重、これが教育基本法の精神にうたわれた個性重視ということだと私は思うんです。ところが、今そのことが教育基本法の精神が正しく認識されていなかったかのごとく臨教審審議をされ答申を出されているその根底にあるものは、機会均等主義を悪平等主義と解していわゆる知的能力のあると考えられるもの、経済力のあるもの、そういうものに選択の自由を制度上広く与えてやる、そして能力のあるというものに対してはいろいろ教育の条件、環境を別途に与えてやるという考え方に立った今まで教育基本法で言われてきた個性とは違った個性、そういうものを臨教審は勝手に議論することによって教育基本法の精神をここで取りかえようとしているのではないかという疑問が残るんです。しかもそういうことに符牒を合わせるようにこの臨教審に関する議論が起こりました当初のころ、中曽根総理は衆議院において、教育基本法の解釈は私、これは中曽根さんのことですね、私の解釈が中曽根内閣における正しい解釈であるという答弁をされておりますが、この臨教審の言われる教育基本法の正しい解釈というのも中曽根さんの言っているこういう考え方と一致しておりますか。
  40. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) おっしゃるとおり、個性尊重ということは各個人の個性を十分開花させるということでございます。それで、個性というものは御承知のとおり多様なものでございますので、おのおの多様な個性を伸び伸び発揮させる、育成するということで、その点多様化というか、そういうものが必要だと申しておるわけでございます。それで、中曽根総理の解釈というものは、特に私その内容を聞いておるわけじゃございませんけれども、私どもは基本答申におきまして教育基本法の精神というものを皆ひとつしっかり検討してそこにまた提示できるというふうに思っております。
  41. 久保亘

    ○久保亘君 私は、今度の答申の出る少し前からの中曽根さんの言動、答申が出てから今度東京都議選を通じて街頭で教育問題を論ぜられた中曽根さんの発言というものをずっと見てまいりますと、岡本会長の意思がどこにあろうとも、結局、臨教審は中曽根という大きな権力の手の平で踊った孫悟空にすぎぬのじゃないか、こういうふうな感じがするんですよ。教育基本法の解釈についてもそうだし、それからこういうことを言われておりますよ。今度臨教審をつくったねらいは共通一次の廃止にあったんだ、だから今度の答申共通一次の廃止を言ったものだと私は解しておる、この共通一次こそが子供たちをいろいろと教育の荒廃に導いていった諸悪の根源だと言っておられる。ということになれば、国大協の会長として共通一次の設置に責任を持たれてきた岡本会長としても一言なかるべからず、こう思うんですよ、私は。あなたの任命権者である総理大臣から、この共通一次こそが日本の教育をゆがめてきた最も根源的なもので、これを廃止するために臨教審をつくったんだ、こういうことを言われて岡本会長一言ありませんか。
  42. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 御承知だと思いますけれども、この審議会の発足の総会で、この審議会はいかなるものにも左右されないで自主的にしっかりやろうということを申し合わしておりまして、その点は私自身が特にどういう注文を受けたということはございませんわけです。  それと、共通一次というのは私があの委員会委員長をいたしておりましたので、いいときには生みの親と言っていただきますが、悪いときには元凶だと言われるわけですが、これはよい点も悪い点も皆知っておりまして、それで当時、共通一次をつくるときにも、その当時の入学制度が諸悪の根源だと言われたんです。改革というものはいつでもそういうものなんですね。それで新しくなるわけですけれども、これは何でもいい点と悪い点がございまして、悪い点を注目視すればそれを除くということが私は大事でないかと思っております。その点、共通一次をつくりましたけれども、あれは完璧なものであるという言い方を私はしておりませんのでね。それで入試センターをつけまして、あそこに研究部をつくりましたことは、これはこの国が初めて本格的に入試というものを検討する会をつくったんだと、いよいよこれから本格的なものだというふうなとり方もしておりまして、やはりこれが時代とともにいろいろ改善されていくということにつきましては、私はその点は何もこだわっておらないんです。
  43. 久保亘

    ○久保亘君 今のあなたのお考えでいきますと、共通一次は今七年たっただけだから、これのいい点もあれば悪い点もあるんだから十分研究を尽くして改めるべきは改めていかなきゃいかぬと、こう言っておられるですね。ところが、その答申を、実施に責任を持つ政府の側は、そう受け取っておらぬのです。この共通一次ぐらい悪いものはない、これを直ちに廃止しろ、六十二年から中曽根流に言えば任意テストに変えろ、こういうことなんですよ。だからそう言われればやっぱり私は国大協としても、国大協にかかわった先生方としてもこれは教育改革を論ずる前に、それだけ臨教審をつくった当の権力者から言われたらその責任をどう感ずるか、反論があるのなら反論をどうするか、それをやらなきゃ政治教育の関係が私どもが臨教審の設置のときに危惧し指摘したようなことが今起こっているじゃありませんか。そのことを私は会長にぜひ理解してもらいたいんですよ。そうしないと国大協は六十二年から五教科五科目で改革しようと言っている。臨教審は手順は示さないまま共通一次テストにかえて新たに共通テストをつくると言っている。これを受けた総理大臣は共通一次ぐらい悪いものはない、これを廃止するためにおれは臨教審をつくったんだと言っている。答申はまあ満足すべきものである、だから直ちに廃止しろ、官房長官をして六十二年度から任意テストに変えると、こういうことを言わしめておる。これで何が起こっているか。高等学校教育に携わっている者と高等学校の生徒は混乱し、不安が大きくなるばかりですよ。その責任を教育改革の論議をしている、法律に基づいて論議をしている臨教審はどうとってもらえるんでしょうか。
  44. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 今おっしゃいました総理言葉というのは私は知らないわけですね、そういうことをおっしゃったことを、私にはおっしゃったことございませんし。その意味政府が、総理はそういうふうにお考えということなんでしょうが、臨教審としてはその点、今申したとおり、答申した制度ができるだけ強力に早くということでございますが、国立大学協会がどう考えるかということでございますが、これはやっぱり国立大学の方が政府と検討されることであって、それを検討されるような場を、我々としては国公私立共同、高等学校も入った、ここでしっかり審議してくれと。そうでないとこれは本当に入試のことは、おっしゃるとおり公共性がございまして、多くの受験生を抱える親にしたって、本人にしたって不安でございますから、この点は十分に慎重にしていただきたい、そういうことでございます。
  45. 久保亘

    ○久保亘君 六十二年度からの実施をめぐって国大協に一つ共通一次の部分的改革意見がある。臨教審は時期を示さないまま共通テストにかえて二次試験を含む大学入試制度の改革をやるべきであろうという答申をしている。政府の方はそれを受けて、共通一次を廃止して六十二年度から任意テストにかえる、こう言っている。こんなことをやられたんじゃ高等学校は大混乱です。だから、そういうものについては臨教審はもっと確固たる信念を持ってそのようないろいろな意見をどう調節するかということについても方針を示さないと、ただ答申でそういうことを出しておけば後は国大協でおやりなさい、政府がやることだ、こういうことなら臨教審はしかるべき時期に解散をされて、もう教育改革についてはそれぞれおや りいただけばいいということで、できればまた文部省を中心とした専門家の議論にお返しになればいいんじゃないか、私はこういう気もするんです。その辺がやっぱり今臨教審政治教育の関係で中曽根内閣に振り回され、意識するとしないとにかかわらずそういうことになって教育に混乱を起こす元凶になっている。共通一次がもし教育荒廃の諸悪の根源であるならば、やがて臨教審が日本の教育の諸悪の根源にならぬとも限らぬ、私はそういう心配もいたしております。時間がありませんからその点については私の意見を申し上げ、今後会長の方で十分私どもの申し上げていることについても御検討をいただくようにお願いをいたしておきます。  終わります。
  46. 林健太郎

    ○林健太郎君 岡本先生質問いたします。  岡本先生、どうも臨教審会長としてまことに御苦労さまでございました。  この教育改革といいますのは、確かに今日の主に政治的な課題になっております。しかし、同時にこれは国民の間の強い要望というもののあらわれとしてこういうことが出てきたものと思いますので、まことに任務重大だというふうに考えます。それで、しかもこの委員には各方面のそうそうたる論客が集まっておられますので、それを統率される岡本会長もなかなかお骨折りなことであったろうと思います。今回、第一次の答申が出されたわけでありますが、この創立の事情とか、今申しましたようなこの会の性格からいたしまして、前からいろいろと内容についての議論が先行した嫌いがありまして、ことに委員が個人としてまたいろいろと外部に意見を発表されたり、あるいはまた委員同士の間の、臨教審の内部でもあったんでしょうけれども、外における論争みたいなのがあったりしましていろいろ世間をにぎわせましたけれども、しかしそれがこういう立派な第一次答申となってひとまずあらわれましたことは、これはやはり岡本会長の識見と手腕によるものと思いまして私は深く敬意を表するところでございます。  私が立派な答申と申しましたのは、私はこれを採点しましてなかなかよくできていると思っています。点をつけると七十五点ぐらいだと私は思っております。合格は六十点ですから七十五点だと相当いい点だと私は見ております。なぜ七十五点かといいますと、第一部、第二部、第三部となっておりますが、三部は非常につまらぬと思うんです、私正直申しまして。ここは六十点ぐらいだと思うんです。しかし、最初のところが非常にしっかりしておりましてよくできておる、そう思うものですから七十五点と私は点をつけたわけであります。  ところで、これからの質問の趣旨ですが、実は私も第一の質問の項目としまして、最初に自由化ということが盛んに言われましてそれが次に個性主義になって、それが今度は個性重視になった、そのいきさつについての御説明のようなことを伺いたいと思っておりましたのですが、今既にもうその質問が出てしまいましたので、同じこと聞いてもしようがありませんからこれは省略いたします。  そこで私は、第一部、基本的な理念の点を非常に高く評価しているということを申しましたが、その中でちょっと申しますと、これは教育基本法の精神にのっとり、しかも教育基本法の精神が必ずしも十分よく理解されていなかったからそれを正しく理解するのだというのに私は全面的賛成であります。と申しますのは、この教育基本法はやはり自由ということを基本理念としてできているわけです。ところが、その自由というものの理解が戦後の教育におきましては必ずしも十分でなかったと思うのです。例えば今日の教育の問題としてだれもが指摘されますのは、いわゆる学校の教育の荒廃と言われますような学校における暴力の問題であるとか非行少年の出現であるとかそういうようなことが今最も深刻な問題でありまして、しかもそれがこの臨教審を生む大きな原因になっていると思いますね。ところが、こういうような状況は、自由ということを単なる利己的な欲望の要求、それから他人に対する思いやりを持たないところの全く自分だけのエゴの発揮、そういうようなことが今日のような教育荒廃ということを生んだのでありまして、これは教育がこれまでどういうところに責任があるかということはいろいろ考え方はあると思いますけれども、少なくとも教育基本法の言っている自由はそういうものであるはずはないと思うわけです。ですからこの答申におきましても、例えば「物質中心主義と心の不在」とかいうようなことを指摘してありましたり、それからいろいろと思いやりの精神でありますとかそういうようなことを大いに強調しておられます。このことは私は教育基本法の精神がよくまだ教育界でもって理解されていないからそれをしっかりやろうということだろうと思いまして私は結構なことだと思うわけです。  それからもっと大事なことは、この教育基本法理念のところでもって、十ページのところにありますけれども、「自由とは」「重い自己責任を伴うものであり、選択の自由の増大する社会に生きる人間は、自由を享受すると同時に、この自由の重み、責任の増大に耐え得る能力を身に付けていなければならない。」ということを書いておられますね。これは私まさに今日必要とされているところでありまして、ところが、これは教育基本法に反しているかというと反してはいないわけです。教育基本法を読んでみますと、ちゃんと第一条のところに、「個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじこということを書いてあるわけでして、教育基本法にちっとも違反はしていないわけですが、しかし、教育基本法の中で十分にこれまで理解されていなかったというふうに私は考えるわけです。  それからまた、個性ということに関しましても、この答申の精神は、九ページ「個性重視原則」のところでもって、ここでも「自由・自律、自己責任の原則」ということを強調しておられますけれども、この個性ということと自由との関係におきましては、「個性とは、個人の個性のみならず、家庭、学校、地域、企業、国家、文化、時代の個性をも意味している。」、そういうことがここにうたわれておりまして、したがってこのことにつきましては「基本的考え方」の最初のところに、「個人の尊厳を重んじ、個性豊かな文化の創造を目指す教育を現実の教育の営みのなかで実現することを願い、また、伝統文化を継承し、日本人としての自覚に立って国際社会に貢献し得る国民の育成を図ることを目標とした。」と書いてあります。これ、私は実を言うと教育基本法の成立の過程をいささか勉強したことがありまして、あんまり時間がないからもう簡単にやめますけれども、教育基本法というのは元来アメリカの押しつけではなくて日本側が自主的にやっぱりやったものなんですね。ただし、その途中でいろいろ制約を受けたことは事実であります。それで、この教育基本法の最初の素案は――何回も素案はありますけれども、ずっと最後まで、普遍的にしてしかも個性豊かな伝統文化尊重し、しかも創造的な文化を目指す教育ということがこの教育基本法の素案にはずっと書かれておるわけです。ところが、これは最後の段階になりまして、これはアメリカの方の干渉があったと思いますが、この伝統という言葉が削られてしまいまして今の基本法には載っておりません。しかし、本来この教育基本法考えられておりましたのは、この個性ということは同時に日本という日本人の個性個性豊かな文化、そういうことを含んでいるわけでありまして、当然この伝統を重んずるということも入ってきているわけなんであります。そういうところをこの答申では正しく取り上げられたということを私は敬意を表するわけでございます。敬意を表したんでは質問になりませんが、しかし私は六十点つけたのはやっぱりこの第三の当面の改革ですね、これは私はあんまり大したことはない。大したことはありませんが、別に有害だとは思いませんから、まあ六十点としたわけです。  ここでちょっと質問いたしますと、さっき出ました共通一次ですね、これは岡本先生、私もそのとき会長をやっておりましてね、国大協の、大いに一緒にやりましたのでよく覚えております。それで、今おっしゃいましたようにこれつくるときに、その前は今までのもう試験制度が諸悪の元凶みたいなことを言っておったのが、何かやれというわけでもってやったわけですが、しかしだからといって何かこんなものができたから特効薬みたいにすべてよくなるなんてだれも思っていなかったわけです。それが今日では今度は共通一次が諸悪の根源みたいなふうに言われておりますが、これは確かに――まあ、ちょっと質問しますが、これは確かに政治というものの論理でしょうな、これは。何か改革やるということのためには何かターゲットを設けて諸悪の根源とか何とか言わないと目立たないということもあるから、確かにこれはそうだと思うんですが、しかし教育改革としては当然やらなきゃならないことがあるわけです。そこで共通一次というのは、改革でも何でも構いませんが、これと共通テストの違いですね、これをちょっと御説明願いたいと思います。
  47. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) おっしゃったように先生一緒にやりました共通一次でございますが、これは共通一次というのは二次を予想したもので共通一次でございますけれども、それではそれには御承知のとおり問題の内容などにつきまして大変大きな長所があるわけですね。これは衆知を集めて難問、奇問を排除した。これは毎年褒められておるわけですが、それでいいものまで捨てる必要はございませんので、その点共通テストというのはその共通二次のそれ以外にいろいろ問題点がございます。あれは一斉に全部国立大学がやったわけですけれども、このたび共通テストというのはあれのいいところ、問題などは衆知を集めて難問、奇問でないものを、そういうもの、学科についてはああいうものがありますよと。したがって、それをあのときも、共通一次をつくりますときにも議論ございましたように、アメリカのSATとか尋問テストがございますが、そういうふうに自由に使えるものとして学科のテストにはこういうものをお使いになればいいと、そういう種類のもので、ちょっと共通一次とはその点が一斉にやるということを予想したものではございません。それで、そういうふうな学科に対してはあれを使うことによってそうすれば時間が、各大学が固有の入学試験をやるのに余裕ができますから、それで学科はあれをもし利用するなら利用して、それ以外の余裕を各大学固有の、これが大事だと思うようなものについておやりなさいと、そういうふうなものでございまして、根本的に二次を予想して一斉にやる試験とは違うというわけですね。共通というのは問題が共通であったり、やり方が共通だという意味でございまして、その点根本的に違いがあると思っております。その違いを浮き彫りにするためにいろいろ言葉も注意して入っておるということでございます。
  48. 林健太郎

    ○林健太郎君 次のことですけれども、答申の九ページのところです。これちょっと世間に誤解を与えているようなところもあると思いますので改め質問いたしますが、この九ページの第四節というところの終わりごろに、「教育改革の推進に当たっては、」云々とありまして、「国家財政全般との関連において、適切な財政措置が講じられなければならない。」となっております。これがしばしば今日の重要な政治課題として行政改革というものがあるわけで、行政改革は省力化であるというようなことから、とにかく予算を非常に縮減するというようなことが一般的に大義名分みたいになっているわけですが、したがって教育もあんまり金を使わないということをこれ意味しているんだというようなふうにとられがちなんですけれども、その点はいかがなんでしょうか。
  49. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) これは総会の初めのときからそういう質問委員の方から出まして、それで臨調と臨教審教育改革とは別のものであるという認識には立っておりますけれども、しかしおよそ国の、教育をやるんですから、それが国の財政と無関係であるわけではございませんので、その点、これは常識的に「国家財政全般との関連において、適切な財政措置が講じられなければならない。」と申しましたのは、そこにも焦点がございまして、必要なものは、よく具体的に具現しておりますのは、手が届くというか、飛び上がってでも届くぐらいなところまではやろうじゃないかと、そんなことを申しておる次第でございます。
  50. 林健太郎

    ○林健太郎君 今の御発言は大変重要なことだと思います。もちろんそれは国家全般にわたって行政改革のような事業は、これは私は重要な事業だと思っておりますけれども、しかし教育改革をやるためにはやはり予算の必要なこともあるわけでありまして、そういうよう力場合には十分に大いに要求をなさいまして、これは臨教審要求するんじゃないかもしれませんが、教育当局としてもそういう予算を要求してつけてもらうように努力しなければいけない、そういうふうに私は思います。  それから、ちょっと飛び飛びの質問になりますけれども、私、最初のところでここに出ております教育理念のところを高く評価したわけですが、結局そういうような理念をもっともっと体現してということは、教育に当たるところの教員の問題ということになる。これは私は間違いないところだと思います。これにつきましては、例えばこの中にも二十一ページのところに「教員の資質向上」ということが書かれております。私はこれは非常に重要なことだと思いますので、しかしこれは今後の課題としてお考えになることだと思いますけれども、大体これについてのちょっと会長の御意見を伺いたいと思います。
  51. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) おっしゃるように教育は人だということはもう常識でございまして、したがって今後の教育改革にはどうしても教員の資質の向上ということを第一に考えております。それは大変重要なことでございますので、今までも相当資料を集めまして審議はいたしておりますけれども、これを基本答申の中に入れまして本格的に審議するわけでございますが、その際、養成、採用、研修、評価などを一体的にひとつ審議しようと、そういう本格的な構えでこれからやるということでございます。
  52. 林健太郎

    ○林健太郎君 大変この点一番重要だと思いますので、しかもこれは非常に何と申しますか、いろいろ複雑な難しい問題含んでいると思いますが、今後の審議の上において十分にその効果のあるような方策をお考えをお出しになりますことを切に希望いたしまして私の質問これで終わります。どうも失礼いたしました。
  53. 高木健太郎

    高木健太郎君 今回の答申までこぎつかれた臨教審の御努力に対しましては敬意を表しておきます。また、これまでいろいろの意見をお聞きになった、各政党からもお聞きになり、また一般からもお聞きになりまして、それらの意見が非常にうまく取り入れられているということに対しても高く評価いたしたいと存じます。  これまでほかの答申がいろいろ出されましたけれども、それと同様に、国民全般から一〇〇%の支持を得るということはこれは不可能と言ってもよいと思います。殊に、国民の自由意思に任せられて、問題がすべての家庭に関係する教育という広い問題でございますからして、これで全部の支持を得るということはまず不可能であると考えてもよいと思います。しかしながら、私この答申を拝見しましても、またいろいろのマスコミ意見なんかを見ましても、今回の答申に対しての意見の中には幾つか共通意見もあるように思います。それらは十分今後考えていただきたいと思いまして、注文と申しますか質問と申しますか、これから私の考えを申し上げたいと思います。  その第一は、この第一次の答申といいましても、その答申には少しその提出に対して臨教審そのものに焦燥感があったんじゃないか、慌てておられるんではないかということを憂えるものであります。このことにつきましては多くの評論に共通意見でございまして、このことの裏には、審議会の自主性あるいは主体性というものが政府その他の要求によってゆがめられて、強制された結果ではないかという危惧の念を抱いておられる方が多いようでございます。また、ほとんどの多くの審議会委員が、一方には自分自身の正式な職務を抱えながら委員としての仕事もやると。この委員の方々は、それこそ選ばれた、教育に一審言を持っておられる方でございますし、定見のある方でございますからして、たとえ片手間でありましても立派な意見が聞かれるということはわかるわけでございますけれども、しかしいま少し時間をかけて答申をされることがよかったのではないかと。特に、今、林委員からもお話がありましたように、一、二部については七十五点と、三部については六十点という点数をつけられましたが、やはり全体としての意見がもう少し煮詰められればよかったのじゃないか。総括としてもう少しきちんとしたものが出てから各論に入る方がよかったのではないか。そういう点、各論をここで出したということは何だか腑に落ちないところがあるというのがかなり多くの人の意見であるように思います。  ある報告書によりますと、この短時間の答申に対しては政府からの圧力があったのではないか、中には、答申は国家が教育に介入すべきではないという基本法の第十条ですか、の確立した原則への自覚が欠落していたんではないかと、こういう疑問を呈する向きもございますので、この点は今後ひとつ十分にそういう疑惑を持たせないような態度が必要であろうかと思います。  しかし、全体としまして、総論としましては、さきに発表されました審議経過報告よりもはるかに教育観が確立されてきたように見られます。また、表現、字句その他も非常に適切でありまして、例えば我々が言いました畏敬する心とか自分の頭で考えるというようなものも取り入れてございまして、全体としては、美辞麗句が多いという批判もございますけれども、私は見るべきものもあると考えているわけであります。しかし、一般的にはどうも抽象的であるという感が免れないように思います。  また第三部にもいろいろの、中高一貫教育であるとかあるいは共通一次試験とか、そういう改革が出ておりますけれども、やはり何としてもこれはまだ早過ぎたのではないかという感を免れないのでございます。  また総論のところにいたしましても、先ほどから何回もお話が出ておりますように、教育自由化論争というのがございますが、これは自由化をそのまま言えば競争原理であぶるという意味でよくない面もございますけれども、教育の強い上からの締めつけとか、管理化の排除とか、画一化を是正するとか、そういう非常にいい面もございます。従来ありました悪い面を是正する一つ方向であったと思いますので、これがいつの間にかと言っては悪いかもしれませんが、それがこの答申の中から消えてしまったということはまことに残念に思うわけでございます。  そこで、私申し上げましてから、後で岡本会長からお答えを願いたいと思います。  それから、それじゃ先に一つお聞き申し上げたいと思いますが、こういう答申をお出しになるにつきましては日限が切られていた、あるいは期日が決められておった、それに対して審議会としては御不自由を感じられた、これは無理だというふうな意見委員の中から出たのではないかと思いますが、この日限が切られたということについては、審議会経過及び会長はどのようにお考えでございますか。またこれに対しては、少し急ぎ過ぎたのではないかということ、批判がございますが、それについてはどのようにお考えでございますか。
  54. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 御承知のように九月五日から審議を始めましてから百五十一回という、急いでやったというふうにおとりでございますけれども、これは私も実はここまで皆が頑張っていっていただけるとは期待いたしておらなかったようなことで、これにはマスコミの力もございますが、本当に国民がこの問題に前代未聞の熱意を示されたということもございまして、各委員先生が今おっしゃっていただきましたように、皆それぞれ重要な仕事をお持ちなんですけれども、本当にどうしてこれだけデボートできるかと思うくらい時間をお割きいただいて熱心な討議をしていただく、それでそういう結果が――それはやはりまあ国民の、渇くようなとよく私が申しますが、教育荒廃というものに対する要請が強いのが身に感じられたからだと思うんでございますけれども、ただそれがどこかから日程を切られてということは全くございませんので、これは最初からそういう国民の要請、この審議会ができないきさつなんかを思いまして、やはり逐次答申と、できたものからできるだけ早くと。その際、改革方向だけははっきりしておかぬといけませんけれども、それははっきりいたしまして、そしてそれと整合性のあるものであって、しかも直接でなくてもこの教育荒廃の改革基本をなすようなものをしっかり、できるだけ早くやっていこうというようなことでこの第一次答申ができましたんですが、これ今まあ六十点というお話もございましたけれども、これは主要課題のところを全部見ていただきますと、あれもうほんの初めでございまして、この点あそこで六十点もらいますなら、全体出ましたらもうこれは百点を出るかと思いますが、また本論のところもこれは教育の目標だとか本格的にこれそろいますともっと立派なものになりますので、その点ひとつ林先生、また点が思い切り上がって百点を上回るかもしれませんです。しかし、いずれにしましてもそんなことで、決して急ぎ過ぎたと、何かに急がれてということはございませんのです。  それで、実際大変だと思っておりますけれども、全体がそういう雰囲気になっておりまして、それで今後ですけれども、この十カ月の間に蓄積ですね、ここへ出しましたもの以外の蓄積というものは本当にたくさんのものがございまして、その点大変忙しいなにでございましたけれども、本当に自主的にひとつやったということでございます。  それから、自由化の問題は、大変これはよかったけれども、消えたということでございますけれども、私も当時自由化論争のときにはこれは大変いいことだと、思い切り自由化というものも一つの抜本的な改革というのにはいいことだと申しておったんですが、御承知のように、今、林先生からいろいろ御注意がございましたが、自由ということについてはいろいろ誤解もございます。自由放縦とか、それから教育の自由という言葉内容の自由、設置の自由というようなものもございまして、教育基本法でできないものもございましたり、誤解も多いので、そういう言葉はやめて個性主義にということになりましたので、個性主義個性尊重になったことは前に申しましたけれども、そういうふうな審議内容が外に出ましていろいろ先生方にも御迷惑をかけたんでしょうけれども、そんなことで一貫してこれは審議をいたしておりまして、やはり自由化論争というようなものを根拠にしてこの点を自由濶達に審議していったということでございます。  そんなことで、先生の御質問基本的なものは、国民審議会に対する期待の盛り上がりに応じて、各委員が本当に盛り上がって審議していただいた。しかも、逐次答申ということで三回くらいと思っておりますけれども、第一回目はこのころというようなことを初めから皆で申し合わしておりました。その次はもう一年ほどたって五月ごろ。それから、最後が数カ月残したころに最後のをというようなことを総会で申し合わしておる次第でございます。
  55. 高木健太郎

    高木健太郎君 ある程度疑惑を持たれているということを十分御承知の上、今御発言になりましたことはいずれ発表をどこかでなさるかもしれませんし、また、この委員会報告もどこかで出されるという意味で私いいことだと思います。審議会先生方が自主独立の精神で、とらわれない心でおやりになったということを聞いて、私は今のような誤解は解けるのではないか、こう思っております。  もう一つの問題でございますけれども、過日の本会議で、私たちの伏見康治議員が、自分の座っているいすを自分で持ち上げることはできぬということを言っておられました。国会改革が国会においてなされることがなかなか困難であると同じように、教育改革というものも、教育者自身が教育改革をやっていくということには極めて困難なところがあるだろうと思います。改革自分たちでやるためには、自分たちがそれまでやってきて得た指導的な権威を自分から覆すということにならない限り全く新しい改革論が生まれてはこないのではないかということも一つ言えるわけでございます。これは十分委員皆さん御反省の上やっておられると思います。また教育行政をやっておる文部省としても同じようなことが言えるのではないかと思います。だから、抜本的な改革は文部省からではなかなか困難であろうということになりますと、教育の専門家というものが委員の中に多数を占めているということは余り委員構成としては望ましいことではなかったのではないだろうか。また、この間ジスカールデスタン・フランス元大統領のもとで教育改革を進めておりましたシラクという人が総理に会ったときの発言として、フランスの教育改革の中には教育専門家は入れない方がよいという意見があったということを総理に話しましたら、総理も、それは自分もそう思うとこう言われたが、もう実はできてしまっておったというようなことがございまして、私は、今後今のままの委員でいいのかどうかということも、一つの時期として考えた方がよいのではないかなと思うわけでございます。今まで会長がおやりになってきた経験を踏まえまして、もっと一般の人、家庭の婦人、あるいは家庭の人、あるいは教育で専門家でない方、そういう方々の意見ももちろん聞いてはおられますけれども、今までやってこられた経験から何か委員の構成について自分でお考えになったことがございますでしょうか。
  56. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 今おっしゃっていただきましたことですが、委員の構成につきましては、教育、特に初中の現場の方は少ないと一般的に言われております。私なんかも教育の中へ入れますと相当な数がおるわけでございますけれども、おっしゃいましたように、私は、あの委員は、御承知のように各分野でそれぞれ自分の生き方で一生を送ってこられ、大変その点では高明な御見識をお持ちだと思うんですね。そういう人が率直に、今の教育このままではという発言を受けまして、そして教育の専門家と申しますか、十分な見識を持った人がそれを実現すべく努力するというような、構造としては、そういうこともいいんじゃないかと思っておったりしておりまして、その意味で、この委員の構成でほぼそういう何は達し得るんじゃないかと思ったりしておるわけでございます。その点、先生の御趣旨もよく理解しまして今後の運営に努めていきたいと思っております。
  57. 高木健太郎

    高木健太郎君 ほかに共通一次のこともお尋ねしたいと思っておりましたけれども、私もこの設立のときには関係して岡本会長とも一緒にやってきたので、私こそいろいろの質問を投げかけられる方でございますので、まあいろいろ会長もお考えでございましょう。ただ、先ほどもお話がありましたように、国立大学でも検討している。それから高等学校の方でも混乱が予想されるような問題でございますからして、共通一次試験共通テスト任意テストというような名前の問題、その内容の問題がどうも国民にはっきりしていないように思います。またその時期についても、六十二年であったり、六十三年であったり、六十四年であったり。その間に大体何をするのか、どのようにこれを皆さんに納得させていくのか、理解させるのか、そういうことを臨教審があれをお出しになった以上はもう少しはっきりしてお示しになっておいた方が私は混乱を起こさないでいいのではないかというふうに思いますので、この点私岡本会長に御注文を申し上げておきます。  以上、時間もございませんのでこれで終わりますが、私申し上げたいことは、臨教審としてはそういういろんなものにとらわれない、特に権力のあるところからそれを強いられないというように不鶴独立の気持ちでおやりになっているということはわかるんですけれども、どうもそういうように考えられがちであるということは十分私は注意をしておかれる必要がある。というのは、まだまだ臨教審に信用がないということでもあるわけなんですね。だから、臨教審がおやりになったからもうあれでいい、あの人たちに任しておけばよい、どこからか何かやられているのじゃない、あの立派な人たちがお考えになったんだということがもう少し浸透するような今後態度をおとりになるということが私は非常に重要であると思っております。  また大事につきましても、だから、例えばある時期ということに余りとらわれないようにする、まだできませんということをはっきり断れることもできるし、あるいはまた、こういう委員の構成を変えるというようなことも、岡本会長なりあるいは総会でもう少し、こういう委員を入れたらどうだ、この委員はやめてもらった方がいいんじゃないかというような、審議会自身の中でそういうことが行われるようにならないといけないんじゃないか。単なる向こうの押しつけの任命である委員が入ってきたというんじゃなくて、私は、できれば岡本会長総理と会って、私はこう思うという自分の責任でもって委員の構成から答申の提出の時期というようなものが、かなり岡本会長意見がそこへ反映できるような、私はそういう方が将来臨教審答申をお出しなさいましたときも国民の信頼を博する非常に大きな要因になるのではないかというように考えるわけでございます。  どうぞそのおつもりで、注文でございますけれども、なかなかやりにくい面もおありだろうと思いますが、自分のいすを自分で上げることはできませんが、ぜんまいがありまして、ねじがあって、こう回せば自分でいすを持ち上げることもできるわけですから、まあ、そういうことも自分で、ひとつ強い意思を持っておやりいただくようにお願いをして私の質問を終わりたいと思います。
  58. 吉川春子

    ○吉川春子君 岡本先生、どうもきょうは御苦労さまでございます。  第一次答申の第二節で明治五年の学制公布を「第一の教育改革」、戦後の教育改革を「第二の教育改革」としておりますが、二つをひっくるめて「明治以降の追い付き型近代化時代の教育」というふうにしています。しかし、これは大変乱暴な括弧のくくり方であると思います。  天皇主権で自由も民主主義も法律の留保つきでしか認められなかった明治憲法下で、男女の差別を含む複線化の教育と、戦後の国民主権それから平和主義の憲法と教育基本法のもとでの教育をどうして同列に考えられるんでしょうか。
  59. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 私は、この教育改革を第三の教育改革と呼ぶかどうか、そのことにつきましても大変関心を持っておりまして、明治の第一の改革、第二の終戦のときの改革がどういうものであったかということをいろいろ深く考えておりますけれども、まあ極めて大ざっぱに言って、第一は国の近代化というものを国家と産業社会の発達、そういうものを主としておる。第二は、個人、人格の完成、そういうものを主にしておるという、この点は政治の形態やそういうことを別にしまして、やはり教育理念といたしましては一番大きなものでないかと思っておりまして、そういう線でとらえておるということでございまして、今おっしゃったような点を第一、第二の時期の相違、時期の特徴というものであれば当然でございますけれども、教育というものではやっぱり今申しましたようなところが主点でございます。  ただ、第一の改革も第二の改革も、第一はとにかく国の近代化を急いだということもございますし、第二の改革については、御承知のとおり、あの窮乏から一日も早く脱したいという国民のなにがございまして、急いで、画一、一斉にということで、第二の教育改革の個人の尊重個性尊重というようなものがややもすれば実現しなかったということで、このたびの我々の教育改革についてはそういう面を特に強調しておるということでございます。
  60. 吉川春子

    ○吉川春子君 今回の答申の中で教育勅語について批判がないのはなぜでしょうか。  教育勅語は国民を臣民と呼び、忠孝を説き、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とか、私、戦後の教育受けたのでよく読めないんだけど、そういうふうになっているんですけれども、こういう文章を全体として肯定なさるんですか。
  61. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) このたびの審議でまだ教育勅語について審議したということはございません。その点、それに対する見解、私から申し上げるものは何にもございませんわけでございます。
  62. 吉川春子

    ○吉川春子君 結局、「第二の教育改革によりもたらされた義務教育期間の延長、高等教育の大衆化なども、大局的にみるならば、明治以降の追い付き型近代化時代の教育の延長線上にある」などというのは見当違いも甚だしいど思うんです。これは憲法の普通教育の保障、教育機会均等という、その前の時代までは絶対になかった、国民の権利としての教育が認められた結果であります。追いつき追い越せという国家目的、あるいは経済的な目的のために利用しようとした者がいたということをもって、戦後の教育改革をそういう側面からだけ見て明治時代の教育と一くくりにするということは非常に間違っているということを私は指摘したいと思うんです。  次の質問なんですけれども、自然の畏敬、超越的な存在、伝統文化、こういう言葉が出てまいります。本答申は、戦後教育改革はややもすれば我が国の伝統文化の特質・長所の否定をもたらしたと批判し、臨教審の役割として、我が国の文化を見据えて、日本人としての自覚をはぐくむ教育のあり方を示すこと。また、自然や超越的な存在を畏敬する心など時代を超えて、人間にとって不易なものの重要性を指摘することとしています。  第四節「改革基本的考え方」では、「伝統文化を継承し、日本人としての自覚に立って国際社会に貢献し得る国民の育成を図る」という記述もあります。  これらは「戦後政治の総決算」をうたう中曽根総理が、ことしの一月二十五日、国会で施政方針をなさいましたが、我が国は西側諸国の一員であること、米国との同盟関係の強化を強調し、続いて教育改革に言及した部分と非常によく似ております。すなわち総理の演説というのは、「教育改革は、我が国固有の伝統的文化を維持発展させるとともに、日本人としての自覚に立って国際社会に貢献する国民の育成を期し」云々と来て、「豊かな個性と創造力をはぐくむことを目標として行われるべきものと考えます」と述べておられるのでありますけれども、これは単なる偶然の一致なのか、それともこの部分を引用されてこの文章に持ってきたんですか。
  63. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 教育理念でございますけれども、これは私が好んでよく「不易なもの」というようなことを申すんでございますが、私がそういうことを申しますときには、これは極めて特殊であるかもしれないんですけれども、脳の問題とか、それから科学技術の近代文明の人間にかかわる問題というようなものも大変私の頭の中にありまして、したがってここに申しております「超越的存在を畏敬する心」なんというのは、私は、近代科学技術文明において人間に最も重要な問題でないかと思ったりいたしておるので、これをよそから借りてきたように言われるということはまことに私にしてはさみしいんでございまして、日本人としての自覚の問題も、これは私は大事だと思っておるんです。国民としての自覚とかそういうものが、ナショナリズムというような狭いものじゃなしに、大きく日本が変わった、国際社会の中へ出た日本を外から見て、国民というもの、国を自覚すると。その際に国の個性尊重せいということで、私は、歴史とか文化とかそういうものをしっかり知っておることが国際社会にも信頼を得る道だと思っておりますし、それから国際化という問題にも、ほんとに自国を尊重すれば他国も尊重する。しかもそれに貢献するというようなところに視点を置けば、こういうものがひっくるめて日本人としての自覚というような意味で私は大変大事だと思っておりますので、こういう点につきましては、だれからも教えられなくても、委員もこういうことにはほんとに心から賛成しておられると思いますし、決してこれをよそからとってきたというようなものではございません。
  64. 吉川春子

    ○吉川春子君 よそから借りてきたものではないということですけれども、さらに申し上げますと、太平洋戦争末期、教育を戦争遂行目的に合わせようとして、昭和十六年三月に出された国民学校令の施行規則一条三号にこういう記述があります。「我ガ国文化ノ特質ヲ明ナラシムルト共ニ東亜及世界ノ大勢ニ付テ知ラシメ皇国ノ地位ト使命トノ自覚ニ基キ大国民タルノ資質ヲ啓培スルニカムベシ」と、総理の演説や臨教審答申がこれと同一の流れをくむものではないということを私としても期待したいと思います。  ところで、「自然や超越的存在を畏敬する」というのは具体的に何を指しているんですか。神ですか、天皇ですか。
  65. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) このことは私は高齢化社会についても特に痛感しておりますので、人間が本当に人間以上のものの力をかりて、神というか仏というか、それは自由でございますけれども、そういうものを畏敬するという心が今後大事じゃないかと思っております。
  66. 吉川春子

    ○吉川春子君 今非常に大変重要な答弁をなさったわけですけれども、神とか仏とかそういうものを尊敬するものを教育理念として持ってくるということは、これは会長、憲法違反ですよ。いかがですか。
  67. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 私の言っておるのは、教育基本法にも宗教的な理解を深めるということは大事だと書いてございますので、そういうものはやはり教育基本法の精神に反していないと、そういうふうに思っております。神とか仏を固定、固定しておるものじゃございません。それの表現として「超越的存在」と、こういう表現でございます。
  68. 吉川春子

    ○吉川春子君 神とか仏とか特定しなくても、宗教的なものということは、これはもうはっきり宗教的な立場を教育の場に持ち込まないと、そういう憲法の立場と相反するものなんですね。だから、こういうことを教育改革理念として持ってくるというのは非常に大問題だと思うんですよね。本当にそういう答弁でよろしいわけですね。私は、時間がないからもう次の質問へ進みます。とんでもないことだということだけ指摘しておきます。  財政要求をなぜしないかという問題ですけれども、岡本先生教育改革の必要な財源は確保すべきであるということを何回かここでもおっしゃっておられるわけですが、教育費がこの十年来ずっと減らされているということは御存じと思います。臨調行革で教育費がどうなっているかということを五年間を例にとってみますと、八一年が教育予算が九・六%であったものが八五年は八・七%になっています。それに対して軍事費は八一年が五・一%であったものが八五年は六・〇%になっています。この五年間に文教予算が〇・九%減り、防衛予算が〇・九%ふえています。この金額はざっと四千七百億と思いますが、ちょうどその文教で減った分だけ防衛費の方へ持っていかれていると、これは予算の数字が非常に明確に示しているわけです。これを教員の人件費、平均五百万として計算しますと十万人分の教師を雇える費用だと、そして同時に新採、新卒を雇うとすると十五万人分の給料に該当するわけなんです。非常に大変な金額が教育予算から減らされている。四十人学級計画は四万七千人の教員の採用計画ですけれども、こういうことと比べても非常にたくさんの教育費が減らされているという現実があるんですけれども、教育費を削って軍事費がふやされているわけですけれども、この現実を会長としてはどうごらんになるか。そしてまた、本答申が批判している戦後の教育改革は予算を大幅にふやせと政府に注文をつけているんですね。だから、臨教審も本当にその教育改革をやる気があるならば、こんなことで防衛費をふやすのじゃなくて教育予 算をふやせと、こういうことを政府に要望することこそが子供の立場に立った教育改革を推進する臨教審だと思うんですけれども、その御答弁をお願いします。
  69. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) それで、これに対する考え方を前回からも繰り返し申しておりまして、このたびは「国家財政全般との関連において、適切な財政措置が講じられなければならない。」ということでございますけれども、このたびの教育改革に関しましては、やはり必要なものはそれに対する対策が講じられなければならないということを基本にいたしておるということは御理解願えると思います。
  70. 吉川春子

    ○吉川春子君 注文つけますか、政府に。
  71. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 九ページに「国家財政全般との関連において、適切な財政措置が講じられなければならない。」というふうには申しておるわけでございます。
  72. 吉川春子

    ○吉川春子君 時間なので終わります。
  73. 小西博行

    ○小西博行君 岡本会長、本当に御苦労さまでございます。教育問題は、各委員先生方も御質問なさっておられましたように、大変今日的な課題としては大きなものだというふうに私も認識しております。今回のこの答申を三十七ページという小さな書にまとめられたという、この努力も大変だったと思います。  私は、まず第一点は、この答申を読ませていただきまして、この内容については私はほぼ賛成をしたいし、割合できのいい答申ではないかと思います。と申しますのは、主に主要課題、これからやるべき主要課題という面ではほぼ全体をまとめられているんではないかと思います。ただ私が心配しますのは、今の段階というのは先ほど先生もおっしゃいましたように各委員から出ましたいろんな御意見を大枠でまとめられたというようなことで、多分各委員の御意見というのはほとんど網羅されている、そういう意味で私はよくまとまっているというふうに申し上げるわけでありますが、しかし実はこれから詳細にわたって具体化の案を出せば出すほど賛否両論といいますか、大変難しい事態を迎えるんではないか、そのように実は考えるわけであります。そういう意味で、この最初の理念、あるいは先ほど同僚の委員が申されておりました教育基本法、こういうような問題の解釈につきましてはほぼこれで満足すべきではないか。しかし、具体化すればするほどこの点数が悪くなっていくという、そういう性格を私は持っていると思います。したがいまして、これから先の、いよいよ来年に向けてまたいろいろ審議されるようでありますけれども、その辺に対する決意ですね、特にどういう問題について会長はお考えになっていらっしゃるのか、何を先にやりたいのかというような御意見がもしございましたら御意見をいただきたいと思います。
  74. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) これからの全体の計画でございますけれども、「第二部 本審議会主要課題」というものが挙げてございますので、これに従って今後審議を進めるということでございますが、これの各部会の今後の予定でございますけれども、それは最近からひとつ審議をしていこうということでございますので、全体としてはこういう課題について本格的に取り組もうということでございます。
  75. 小西博行

    ○小西博行君 もう一点は、画一性の打破というのは自由化論争の中にもたくさん出てまいったように私は思います。それともう一点は、それに相反するような言葉で「基礎・基本重視」と、こういうようなものをあわせて強調されているわけであります。大体意味は私もわかるような気がいたしますが、その点についてもう少し詳しくお話をいただきたいと思います。
  76. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 「基礎・基本」というものはやはり何の改革に対してもこれは重要なものでございまして、それの実現のために画一的な一つの形式だけでなしに多様な形式でそれを実現しようということだと私は考えております。
  77. 小西博行

    ○小西博行君 私は、特に小学生の教育というのは今やや忙しいという感じがしてならないわけであります。つまり、私ども親社会といいますか、考えてみますと管理社会そのもののような状態に今なっております。したがって、子供さんの教育におきましてもたくさんのものを一度に焦って教えてしまう、子供さんはそれを必死になって記憶する、そういう教育が今日までかなり長い間やってこられたと思うわけでありますが、実は小学校の教育というのはその子供さんが何かの問題について興味を持って対処していく、つまり動機づけるというのが実はこの教育という問題に、特に低学年においては私大切だと思うんです。そういう意味でさっき申し上げた画一性の打破とあるいは基礎、基本というものをうまくそこを併用していかないとアンバランスになるんではないか、私、そんな感じがしてならないわけでありますが、現状のそういう教育、さっき申し上げましたいろんなものを一斉に教えなければいけない、受ける方は記憶しなければいけない。そうしないといい中学、高校へ進めない、こういう現状について会長はどのようにお考えでしょうか。
  78. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 先生のおっしゃいますようにやはり画一性は打破して、やはり基礎、基本というものがしっかりしておればあとの方法というものは多様であり得るわけですね。やはりその意味では基礎、基本というものをしっかりしておいて、そしてその方法を多様化する、そういうふうなことで私は今後いけるんじゃないかと思っておりますが、したがって多様化については各生徒、児童、皆個性も違うわけですから、それが十分興味の持てるような多様なものを考えてやるということも大事だと思っております。
  79. 小西博行

    ○小西博行君 いや、私は具体的に、例えば基礎、基本といってもたくさんのものがあるんではないかと思うんです。こういう社会だから余計に基礎、基本というものも複雑化してくる可能性があるから、その問題については十分私は絞って、これはどうしてもやらなきゃいけないというものの整理をするべきではないかということを御意見として申し上げたいと思うわけであります。  それから三点目でございますが、答申を見てみますと、当面の具体策というような項目がございまして、かなり具体化はされていると思うんですが、これはいよいよ政府において来年度からぜひ実施していただきたい、そういうような要望が非常に強いものを意識的にまとめられたのかどうか、その点についてお伺いしたいと思います。
  80. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 「当面の具体的改革提言」というものでございますけれども、これは社会の要請といいますか、今社会が渇くように求めておる課題というものにこたえることが大事でございますが、しかし臨教審基本的ななにとしまして、それに直接こたえるというよりも、その基本にさかのぼって考えればこういうものがあるということでございます。  これにもちろん尽きるわけでございませんけれども、前から申しておりますとおり、現在まで審議してまいりまして、そういう社会的要請も考えて、しかも一応結論の得られたもの、そういうものを急いで出したということでございます。
  81. 小西博行

    ○小西博行君 第一部会で理念というその問題についてかなりいろいろ検討されているようでありますけれども、この理念につきましては大体この第一次答申でほぼ終了したというふうに考えてよろしいでしょうか。あるいはこれから先もこれをもっと具体化するためにいろんな問題についてさらに検討されようとしているのか。その点もお伺いしたいと思います。
  82. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) それで、「本審議会主要課題」というのが十五ページにございますけれども、それは「二十一世紀に向けての教育基本的な在り方」という中に「教育の目標」、それから「教育の歴史と現状の分析」、「教育の未来展望」というような課題がございますんですけれども、こういうものを今後精緻にいたしてまいります。しかし、このたびの「教育改革基本方向」というものは既に今日までこういう「教育の目標」、「教育の歴史と現状の分析」、「教育の未来展望」、そうい うものを広くヒアリングいたしまして、各委員が十分それに一つの蓄積を持ちまして、そして具体的なものを提案するための一つ方向として、改革基本方向としてこのたび八カ条を出したものでございまして、今後これを精緻にするということはございますけれども、こういう項目が重要であるということには変わりはないと思っております。
  83. 小西博行

    ○小西博行君 最後に、大学入試の問題についてちょっとお伺いしたいわけでありますが、日本の大学というのは、入るのが非常に難しい、卒業するときは割合出やすい、これはアメリカであるとかヨーロッパなんかに比べますと、全く逆の方向でありまして、その面について私は、大学というのは入りやすいが、出るのはなかなか出にくい、そういうような方向が順当ではないかと思いますが、この点について会長の率直な御意見をいただきたいと思います。
  84. 岡本道雄

    参考人岡本道雄君) 御指摘のように、本当に我が国の大学入試、入学というものは、入るところはなかなか厳しいけれども、中へ入ったら大学が必ずしもその線に沿っておらないということにつきましてはこれはもう強く感じておりまして、今後やはりこれは大きく考え、検討されにゃならぬものでございますけれども、これはひとつ大学自体が評価を厳格にして、入っても、それに対する卒業ということに対しては厳格に臨むというそういう方向を打ち出すということが大事だというふうに思っております。
  85. 小西博行

    ○小西博行君 終わります。
  86. 林寛子

    委員長林寛子君) 以上で岡本参考人に対する質疑を終了いたします。  この際、一言あいさつを申し上げます。  岡本参考人には、御多忙にもかかわりませず、貴重な御意見を賜りまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、心から御礼申し上げます。  それでは、午後一時まで休憩いたします。    午前十一時五十七分休憩      ――――◇―――――    午後一時二分開会
  87. 林寛子

    委員長林寛子君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、教育文化及び学術に関する調査のうち、臨時教育審議会教育改革に関する第一次答申に関する件を議題といたします。  この際、石井参考人及び有田参考人一言あいさつを申し上げます。  両参考人には、御多忙のところ本委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。  本日の議事の進め方でございますが、教育改革に関する第一次答申につきまして二時間程度各委員質疑にお答えいただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。  それではこれより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  88. 本岡昭次

    本岡昭次君 まず、教育改革に関する第一次答申の中にあります「教育改革の意義」について、石井有田両部会長にお伺いをいたします。  私は、教育改革はすべての人間の未来にかかわる歴史的事業であり、教育は子供や青年の希望を育て、人間の尊厳と平和の確立に寄与するものでなくてはならないと考えています。したがって、教育改革を行うに当たっては、子供たちが経済成長のみに寄与する人間の育成を求める要求に屈することなく、また教育を政党、政治的権力の介入から擁護することが最も重要であると考えますが、その点についてはいかがお考えでございますか。
  89. 石井威望

    参考人石井威望君) 今の件に関しましては、経済成長の点で我が国が特に戦後復興の過程、あるいは明治以来でいいますと欧米先進国に追いつくということで、それを国家目標として経済成長を重視したということは事実でございますけれども、またそれなりの効果を上げたと思いますけれども、他方、やはり個性尊重とか自由の理念とかそういうものが十分に定着しなかったという点では反省する点もあるわけであります。  このため改革基本的な考え方といたしまして、個性重視原則教育環境の人間化、個人の尊厳を重んじて個性豊かな文化の創造を目指す教育実現を目標とすることにいたしております。また、人間性を回復いたしまして、学校に本来の学校らしさを取り戻すことこそ国民の切なる願いであるというごとも答申で指摘しております。政治権力に左右されるべきでないというのが教育の重要な特色でございまして、当然臨時教育審議会におきましても教育改革審議するに当たりまして主体的、自主的な運営を原則としてまいったわけであります。
  90. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 今、石井参考人が御答弁申し上げたと大体同じでございます。
  91. 本岡昭次

    本岡昭次君 きょうは一つ一つの問題を論議する気はありませんので、ずっと全体的にお考えを承って、これから両部会長がどういうふうに審議会に参加されるのかということを私は心構えとして知りたい、こういう意味で順次質問していきますので、よろしくお願いします。  次に、有田会長にお伺いします。  答申の第一部第一節、教育の現状や問題点の分析があります。この分析は教育改革案を検討するための前提事項であるにもかかわらず、私の印象としては非常に平面的抽象的な事項が羅列されているだけで、十分な突っ込んだ分析と考察が行われていないと思います。特に小中学校の義務制の現場で子供たちや父母と泥んこになってのたうち回りながら、極めて困難な教育諸条件の中で頑張り、ある意味では戦っている皆さん方にとっては、いかに文章は立派であり教育理念がいろいろな面から書かれてあっても、本当にその中から感動し希望が持てるというものでないという率直な意見を私たちは聞いております。特に学校教育の問題状況の原因、背景となるものの中の重要なものとして、学校や学級規模あるいは教職員配当定数、学校の施設、設備などといった教育諸条件の未整備というものが今日の教育のいろんな問題を起こしてきた背景、原因にあるということを的確に指摘してほしかったという声は非常に強いのでありますが、有田会長はこの第一部第一節のところにそうしたことが突っ込んで書かれてないということについてどういうふうに見ておられますか。
  92. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 前文の方で現状認識その他に触れた箇所が相当部分書いてあるつもりでありますけれども、今御指摘のように、またある面から言えば不十分ということも言えないことはないとそれは思います。ただ、そこに書いてありますことが、十分、不十分は別として、私どもの臨教審の内部では、今御指摘のような教育条件の整備等が非常に大事な事柄であるということの共通認識はございます。したがいまして、恐らく次の答申において、教育条件、特に生徒定数その他教職員の配置の問題等含めまして教育の質を向上させるために、もっと言えば教育をもっとやりやすくするために可能な限りいろんな手だてを講じるということは、現実に答申の中にあらわしていくつもりでございます。
  93. 本岡昭次

    本岡昭次君 この答申には「日本人としての自覚を育む」という文言が幾たびか出てまいります。有田会長にお伺いしますが、義務教育のレベルで、それでは具体的に今まで日本人としての自覚をはぐくむ教育が欠けていたというのはどういうふうに欠けていたのか、あるいはこれから日本人としての自覚をはぐくむ教育というのを義務教育のレベルでとらえていくためにはどういうことが必要だとお考えになっておりますか。
  94. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 特に義務教育の段階においてということでの御質問でございますが、義務教育、言いかえれば小中の教育を通じまして日本人としての自覚を起こす教育が十分であったか十分でなかったか、まあ、やや欠けた面があったのではないかという気はいたします。ということは、本岡先生はもう専門家ですから御承知のとおり、いろいろ徳育等の項目も二十数項目決まっておりまして、最後は人類愛というところまでいっているわけですけれども、それが十分に行われなかったという現実は、私はそう指摘したいわけですけれども、先生もその点はおわかりのことと思います。  ただ、今後日本人としての自覚をはぐくむ教育とは何だ、どうするんだということでございますけれども、答申の中の文言としては、「我が国の文化、社会の個性をしっかり見据えて、日本人としての自覚を育む教育の在り方を示すこと」を掲げておるわけであります。そしてそういう教育改革のあり方として、「人間の生命は過去・現在・未来と結ばれており、また、各個人は家庭、学校、地域、国家などの各レベルにおいて複雑な相互依存関係のなかに生きている。」したがって、個人の個性のみならず、家庭、学校、地域、企業、国家、文化、時代の個性があり、それを育てることが大切であると述べておるわけでございます。要は、日本人として将来国際化していき、創造性を開発した人間を育てていくとすれば、やはり何よりもまず日本の伝統的な文化あるいは国家というものをよく理解し認識した上で国際化に取り組んでいくということがバランスのとれた教育の手法ではないかというふうに考えておるわけでございます。
  95. 本岡昭次

    本岡昭次君 それは通常愛国心と言われるようなものとイコールで結ばれるように考えておられますか。
  96. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 愛国心というのと国を愛する心をはぐくむというのはそこに多少ニュアンスの差があるように思うので、愛国心、これをどうするんだ、こうおっしゃられますと、それは間違ってはいない、日本人で日本のことを愛することですから。ただ、そこに過去の、多分御指摘の背後にそういうことがおありだと思うんですけれども、過去に愛国心というものがやはり強く出過ぎて、国がそれによって戦争に突入し、戦争に負けたという厳然たる事実がある。だからそのことが、やはり愛国心という言葉を表に出したとき何となくつきまとっておることは事実だと思います。したがって、なるべくそれを避けて、そうじゃない、もっと純粋な意味で日本人だから日本を愛し、世界を愛するんだというそのニュアンスを出したいというのが私どもの気持ちでございまして、したがって愛国心という言葉は今後も余り出てこないんじゃないか、またそういうことで誤解を生じたくないという気持ちはございます。
  97. 本岡昭次

    本岡昭次君 今も個性という言葉を幾つかお使いになりましたが、ちょっと関連してお聞きしておくんですけれども、答申の中に、個性というのは個人だけでなく、家庭、学校というふうにずっといろいろなものにもあるんだ、「家庭、学校、地域、企業、国家、文化、時代の個性をも意味している。」、こうあるんですが、この中で、私これにある程度自分共通するような認識があるんですが、賛成する部分もあるんですが、そこで、小中学校をとった場合の個性と言ったらどういうふうなものを想像されますか、有田会長は。
  98. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 今御質問の趣旨は、小中学校個人でしょうか、学校の意味ですか。
  99. 本岡昭次

    本岡昭次君 学校です、学校の個性
  100. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 画一教育がなされ過ぎておるということが言われて、その中で今後個性重視していく、その中には学校も個性を持っておると指摘しているがどうなんだという趣旨の御質問だと思います。  確かに教科書も検定教科書でありますし、学校もなるべく過大規模校を解消しようということで、四十五人学級、今後四十人学級という、数も校地も、言いかえれば学校の規模もほぼ同じようなことを目標にして指導して今日に至っておりますので、個性がないではないかと言えば個性が不足しておるかもわかりません。ただそうは言いながら、都会の学校と田舎の学校、まして離島の学校あるいは山の学校、海辺の学校というふうに見てまいりますと、私は画一的に見える中でもやはり十分個性というものはあり得て今日教育は行われてきたことは間違いはないというふうに認識しておるわけでございます。しかし、御指摘のように、今後やはり個性をもっと重視して、個人に個性の差があるように、学校にもそれぞれ個性の差がはっきりとあらわれるような、それが集まって全体の教育を構成するというのが正しい姿であろう、それを求めて私ども勉強してまいりたいと思う次第であります。
  101. 本岡昭次

    本岡昭次君 学校の個性とそれから子供たちの学校を選択する自由というものが結びつくのですか、結びつかないんですか。
  102. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 学校に多少の個性があるということを前提といたしまして、今御質問のように、しからば子供の方にあるいは父兄の方に学校を選択する自由がもっとあってしかるべきではないのかということでありますが、これは、義務教育段階においては学校選択の自由は学校教育法施行令の八条に書いてあります特別の場合に学校をかわることができるというその事項を越えて自由に選択をする、仮にそれによって個性ができるとした場合は、それによってできた学校というものは、個性は間違いなく個性ですけれども、やはり多少よくできる者、もしくは経済的に豊かな者の方がより選択の自由があり、そうでない者の方が選択の不自由さがある、そこで多少機会均等が害せられるのではないかという――杞憂ならいいんですけれでも、恐れを持っておる次第であります。
  103. 本岡昭次

    本岡昭次君 私は学校選択の自由は反対なんですが、今の部会長のような立場で検討を進めるべきだと思います。  ただ、学校の個性という問題を見たときに、私はやはり校長のあり方に多分かかわると思うんですね、特に小中学校の場合で。もっとやっぱり個性的な校長というものを育て、校長が一校の経営者として自分教育理念、信念に従って、そしてそこの働く教職員と力を合わせてそれぞれの学校というものの内容を、その地域社会の中に私どもの学校はこれだけのレベルの教育を実施し、こういうものに特色を持っているんだというものを自由闊達にやらしていくということをもっと基本に据えなければ、今のように文部省、県教育委員会、とにかく校長というのは教育委員会の鼻息をうかがうことばかりやっているんですからね。本当に一番何に個性がないかといったら校長に個性がない。なぜ校長の個性をなくしてしまったか、文部省、教育委員会、学校というこの厳しい管理体制が校長をつぶしてしまった。現職の一般の教員のときには本当に個性豊かな立派な先生が管理職になった途端にだめになってしまう。だれがだめにするのかという問題、いろいろ議論あるんですが、やはり私は学校を個性化するためには、個性豊かな教員があり、そして個性豊かなそこに校長が存在して、そして個性豊かに学校を経営していくという、そういう自由な雰囲気というものを一体どうつくるかということなくして、学校の、子供たち個性なんてとてもじゃないがこれは育たぬどいうふうに私は考えるんです。  だから、個性豊かな子供を育てたいとおっしゃるんなら、義務制の段階でそうした上からの厳しい管理、統制というものをどう緩和して、今言いましたように、本当の持っている教職員の力を思う存分その学校あるいは地域社会に発揮させるかということにこそ意を注がなければ、個性個性個性と幾ら並べたって義務制の段階では絵にかいたもちになる、こういう危惧を持ちますので、今後ともそうした点についての配慮をいただきたいと思います。  それから次に、中学校、小学校段階で一番大きな問題になっておりますのが、校内暴力、いじめ、非行、登校拒否、自殺等の問題状況であるんですが、その背景、原因等の問題について有田会長に伺います。  今回の答申では、この問題が幾つかの箇所に書いてあるんですけれども、その原因、背景をずばりと突っ込んで分析して、だから総合的にそうした状況をなくしていくためにどうしたらいいのかという対策の提示がないんですね。時間がなくてそこまでできなかったとおっしゃればそれまででありますが、しかし、この問題こそ多くの国民が一番今次の教育改革論議の中で求めていたものであり、この問題の解決のための総合的な対策を臨教審として打ち出すことができなければ、私は今度の臨教審という問題が、本当の親や子供や教職員の悩みや苦しみを素通りして、ただ二十一世紀に対して日本はどうあるべきかというふうなところだけにかかわっていたということで、厳しい現場からの、あるいはまた父母や子供たちからの批判を食うと、こう思っているんですが、この問題についての解明をこれからどうされようとしているのか、お伺いしたいと思います。
  104. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 緊急性ということから申しますと、御指摘のように、第一次答申になぜ入れなかったかということであろうかと思います。緊急性もさることながら、事柄の非常に重要性並びに複雑性ということから考えまして、それにプラス、臨教審の任務ということから考えまして、次の答申ていいだろうという判断をさせていただいたわけでございます。  と申しますのは、御承知のとおり、一口にいじめあるいは登校拒否、校内暴力、家庭暴力と申しますけれども、いろいろな要素が絡み合っており、家庭も教育力が低下しておる、これは家庭が核家族化し、あるいはパートで主婦も働きにいくという現実があるということもありますし、あるいは学校の教師の教育力あるいは教育の情熱の不足ということも指摘しなければならないと思いますし、さらにもっと言えば、そういうものを包んだ日本の社会の特質、べとべとした社会と申しますか、何となくそういうものも原因の一つにあると。したがって、そういうのをずっとたぐっていきますと、本当に随分と我々の力では及ばない、気が遠くなるような、そういう印象を持たざるを得ない深さを持っていると思うわけでございます。  したがって、私どもの方としては次の答申に向けて、教師の質も向上をしなければならない、それから徳育の面でも、主としてしつけですけれども、ここでも思いやりの心その他、友情、人に迷惑をかけない等の人間が共回生活を営んで生きていく上の最低のモラルミニマムと申しますか、それ自身さえ欠けておるのではないかと思われる現状でございますので、それを含んで政府として、あるいは教育委員会として、もっと言えば校長あるいは現場の教師としてどういうふうにこれに対して対応するがいいか。それから家庭においてもいろいろ宿題があると思いますが、これは第二部会の方で取り組まれるようでございますから、時々二部会、三部会合同会議を開いてやりましょうという話を合しているわけでございまして、この問題は御指摘のとおり非常に重要な問題でございますので、逃げる気はさらさらございませんが、第一次答申には入り得なかったと、力不足もあったと思いますが、決して逃げはしないということをお約束をさしていただきたいと思います。
  105. 本岡昭次

    本岡昭次君 ぜひそれをお願いしたいと思うんですがね。  今の有用さんのお話の中で、言葉じりをとらえるわけじゃありませんが、教員の情熱の不足という言葉が出ましたけれども、できれば私はそういう形でその問題を論議してほしくないわけで、中にはそれは当然大勢、百万人近くいるんだから、それは何人かはいますけれども、みんな本当に情熱を傾けて、今の厳しい状況の中で精いっぱい頑張って今の状況だと、こう思い、本当にどうですか、土曜も日曜も、あるいは大型連休というふうなものを放置しながら子供のために、家出した子供のために飛び回っている。家へ帰って晩御飯を食べていたら電話がかかって、さあ子供がいなくなったといったら食事もほったらかして、表現は悪いですけれども、親は家で酒を飲んでおっても先生は走り回って子供のためにやっている。学校は、とにかく子供たちを早く帰したら問題があるからといって、六時、七時になってもクラブ活動ということで全部の先生がかかわって、とにかく子供を一生懸命守っている。その中でもああいうことが起こるという今の現実の中でのたうちまわっておるのですよ。だから、あなたのおっしゃっている教師の情熱というのはどういう種類のものか知りませんが、少なくともみんなへとへとになってやっているのが現場なんですよ。それでもけしからぬとおっしゃるなら、どうせいと言うのかと居直りたくなるのですがね。ここのところはやっぱり慎重に言葉を使っていただいて、現場で頑張っている教師にやっぱり励まし、希望を絶えず与えていくような形で臨教審が進まなければ、私は現場からのやはり協力を得られないということを一言申し上げておきたい。  それから、答申の中で私は大きな柱として挙げていただけるんでないかと思っておったことで入っていない点があるんですね。それは高校入試制度の改革ということに触れてないわけです。高校入試方法、入試選抜方法を検討するということは一カ所ありますがね。大学の問題をかなり取り上げられているんですが、なぜ高校入試制度の改革というものが検討課題にならないのか。私に言わしてもらいますと、戦後、教育改革の原点にとにかく立ち返ってみると、この前期中等教育、後期中等教育を接続させていくやり方として、将来は入試選抜というものをなくしていく方向を目指しながらこれから新しい教育を進めていくんだということであったわけですが、それが現在のような大変な受験戦争を過熱化させてしまった、その原因をここで論じている暇はありません。ただ、この論議の中でも、中・高一貫というふうな問題も六年制中学というふうなところで出ているように、かなり重要性を指摘しておりながら、全体の教育制度の問題として高校入試制度という問題を今のままでいいのかどうかと、入試選抜方法じゃなくて高校入試制度、前期、後期のこの中等教育の接続のさせ方の問題ですね。ここのところをなぜもっと突っ込んで検討されようとしないのか、ひとつお伺いしておきたいと思います。
  106. 有田一壽

    参考人有田一壽君) これもまことに御指摘のとおりでございます。  実は、第一次答申に部会として総会に上げるか上げないかというときに、高校入試の問題について検討もいろいろな角度からしたわけでございますけれども、延ばすことにいたしました。  理由の一つは、昨年の七月に文部省から全国の教育委員会に向かって、高校入試についていろんな例示を加えながら、いろいろな例えば推薦制を導入するとか、これをどの程度まで導入できるかとか、それからペーパーテスト以外に実技だとか面接だとか、その他考えられるいろんな手法を導入するということを加えてやってみてくれ、そうしてそれのはね返り、反応を見たいということで、ちょうど去年の七月に出したばっかりでありましたので、やっぱり一年か一年半程度その成果をずっと見てみよう、で、それを参考にして私どもの方の一つの案を組み立ててみようというような考えから延ばしたというのが実情でございます。ただし、これは総会で決めることでありますから、部会の方ではこれは現在のところは私の個人的な見解ということになりますけれども、次の第二次答申に高校入試は当然入れるというつもり」で今月予定されております総会に提案することにいたしております。
  107. 本岡昭次

    本岡昭次君 まあ、そのときにはぜひ、戦後教育の問題もいろいろ論議になっているわけで、戦後教育の原点あるいは初心というものは何であったのかという問題を厳密に振り返り、ひとつ分析をしていただきたいということをお願いしておきます。  それから、六年制中等学校の構想について伺いますが、私は率直に言いましてこの六年制中等一学校の設置ということがこの答申の中で「受験競争過熱の是正のために」というテーマのところにあることがどうも奇異に感じて仕方がないんです。受験競争過熱の是正になるのかどうかという点、ならないという結論を出さざるを得ないわけですが、かえって過熱するんではないか、過熱させるつもりかと、こう反論したいんであります。しかしその点はちょっと論議するのはやめまして、ただ気になるのは、新聞報道有田会長がこの問題で発言されておる中で、エリート校になってもやむを得ないというようなことを言っておられるのを見て困ったなあと思っているんです が、もう本当に有田会長はエリート校になってもやむを得ないと、こうお考えなのかどうか。そうであるならば、まあこれからのさまざまな義務制段階の教育改革というのは、要するにエリートをどう養成していくのか、二十一世紀の産業社会をリードしていく――まあ言うたらひとつ将校集団ですね、幹部集団をどうつくっていくのかということにこれはねらいがあるんじゃないかと、こう思ってしまいたくなるんですがね。これは、エリート校になってもやむを得ぬというのは、これはどういうことなんですか。
  108. 有田一壽

    参考人有田一壽君) エリート校になることは希望しないけれども、今おっしゃいましたように、エリート校にもうなってもやむを得ないというような言葉を私が使ったことは事実でありまして、なぜそう言ったかという背景ですけれども、まあ一言で言えば、この六年制中等学校あるいは単位制高等学校は都道府県あるいは学校法人が設立をする、で、こちらの方はそれぞれの法改正を用意し、必要な予算があれば予算を用意してそれをバックアップするということなので、選択はあくまでその都道府県教育委員会と学校法人が持っているわけでございまして、したがって、この答申にもありますように、私どもの方はエリート校と受験校とちょっと分けて考えておるんですけれども、例えば六年制中等学校は才能開発学校、これをエリートと名をつければあるいはそうだと思うんですが、受験校にはあくまでしたくないと。したがって格段の配慮を望むと。それからまた、いろいろな入試の手法の中にも、ぺーパーテストだけではなくて、実技、面接、推薦制、なおかつ抽せん制の導入考えるということで、あくまでも受験校に偏しないようにということを考えながら提案したわけでございますけれども、最終的な選択権はこれが都道府県教委にあるということでありますので、まあ仮にある県が、それは私が新聞社の質問に対して答えたわけでそのとおりを答えたんですけれども、あくまであるAという県が教育委員会も知事も県議会も全部が合意して、そしてこういう種類の学校をつくると、しかもそれは受験校を目指してとは言いません、それが結果的にもし受験校に数年後になったとしたときどうするんだという質問であったわけですから、それは仮にそれがエリート校になったとしてもこれはやむを得ないんじゃないですかと、そこまで画一的に国が一つ一つ指示してこれはいかぬ、こうせいと言うことはできない、それがいわゆる民主主義教育体制の一つの出発点ではないかというふうに私はあえて考えたものですから、まあ多少へ理屈に類するようなことで恐縮ですけれども実はそう申したわけでございまして、決してエリート校を目指しているわけではございません。
  109. 本岡昭次

    本岡昭次君 まあ、しかし、もうちょっと責任のあるやっぱし臨教審であっていただきたいですね。地方自治体がつくって何年か先にどうなるか、そこまで責任持てぬと言われたら、ちょっと私は臨教審の部会長に無責任だといって腹が立ってくるんですが、どうかそういう突き放したことじゃなくて、あなた方がエリート校にしたくないとおっしゃるんなら、断じてエリート校にしないということでやっていただかなければいけません。  それでひとつ、例えば私学ではもう既に高等学校の中学部ということで中・高の一貫という形が随所にあるんですね。だから、今度はこれを地方自治体、公共自治体がつくる場合に、現在ある県立高等学校附属中学あるいは何々市立高等学校附属中学というふうな形でこうつくられていくんじゃないかと見ておるんですがね。まあ一番お金もかからぬ方法だし、大体そういうことを考えていても間違いありませんか。
  110. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 間違いありません。
  111. 本岡昭次

    本岡昭次君 それでは答申の次、第一部第四節の中にある「教育環境の人間化」、まあこれはこの文書の中で一番光っているんじゃないかと思って私は読んだんですが、学校において「児童、生徒の間あるいは児童、生徒と教師の間に、心の触れ合いや人間的なつながり、友情、信頼」を強め高めていかなければならないんではないか、あるいはまた「教師ひとりひとりが子どもの心や体を理解」し、「自然環境のなかで心身を鍛練できるような教育のシステムを導入」し、「子どもの豊かな心を育て、たくましい体を作」ることができるような学校、ここの箇所はこれは現場の教職員はそうだ、そうありたい、そうしてほしいと言って、これは一〇〇%うなずくところなんですよ。私も大賛成です。  ところが、したくてもできないというその間に、はざまにあるものをどうするかということを臨教審が解いてもらわなければいけません。それは私は結局のところ物理的な問題として、大規模校をなくして六百人から七百人程度の学校規模の適正化、あるいはまた学級規模をとにかく三十人前後というふうな形にまで縮小していく、あるいはまた中学校で免許外担任ということで子供を教えさせられているような先生をなくする、あるいはまたカウンセラーを配置するとか、小学校へ専科の教員を大幅に増員をして小学校の教員も一週間当たり子供を教える時間を十八時間程度にする、あるいはまた養護教員のいない学校というのはなくする、また今千五百人というふうな大規模校がありますが、このごろ、こういうところには事務職員、養護教員を複数配置する、まあ、こういうことを言うと切りがないんですけれども、今私がすぐ頭に浮かぶ教育諸条件の問題を申し上げましたが、こうしたことをきちっと整備してこそ、学校に責任を持ってくださいと、また先生方の教師としての情熱はいかがでございますかということをですね、私は突きつけることができるとこう思うんですよ。  だから、こうした、今個々に言いましたけれども、こうした教育諸条件の整備の問題を臨教審として具体的に答申の中に盛り込んでいく用意があるのかないのか。もしそういうことができないというなら、先ほど私が大賛成だといったようなことも全く絵そらごどのようなことになってしまって、現場の教職員や親の、子供の共感を得られないと思うんですが、その点いかがですか。
  112. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 今御指摘のとおり、いろいろ教育環境の人間化、もっと学校らしい学校ということになりますれば、当然どなたが考えても教育条件が整備されなければ絵にかいたもちではないかということ、もうまことにそのとおりでございまして、私どもの方でも先ほど申し上げましたように、過大規模校の解消は当然ですけれども、学級生徒定数の適正化、それから小学校の上学年に教員を増置する、言いかえれば専科の教師を少し配置定数を上げるという問題、その他いろいろあるわけですけれども、それに対して第一次答申で具体的には触れておりません。まことに御指摘のとおりですけれども、これは必ず間違いなく教育条件の整備につきましては答申に入る予定でございまして、既にプロジェクトチームももう発足しておりまして、今の教育諸条件の内容について資料を集めたり、検討を始めておる段階でございます。
  113. 本岡昭次

    本岡昭次君 その点で現場の実態ということで部会長に聞いておいていただきたいことがたくさんあるんですが、時間もありませんので二点だけひとつ申し上げておきますので、どうぞ聞いておいていただきたいと思います。  私は、養護教諭のいない学校というのは欠陥学校だと思うんです。養護教員のいない学校は学校でないと思うんですが、しかし現にそれが多数存在する。そしてそこでどういうことが行われているかというその問題をもう想像していただいてもわかると思うんですね、多発する子供のけが、病気に対してだれがそれは一体どうしているんだという問題。それで全く資格のない教員が処置に当たったらこれは無資格診療に類するような行為をみんな学校の教員がやっているんですわ。けが人を病院に運んでいく、どうすること、みんなやっている。小学校へ行きますと、学級担任ですからみんな自分のクラス持っている。あきの先生は一人もいない。だれか病人が出るとクラスはもう一日自習して、先生はその子供を連れて走り回っておるわけだ。家へ帰っても親はおらぬ、共働きでというふうな状況の中で、養護教諭のいない学校なんてもう教育以前の問題が現出しているということをここでひとつ強調して、ぜひ養護教諭のいない学校の実態を臨教審調査をしてもらいたいんですよ。本当に人間の生命が守れるのかどうかというようなこと、これは絶対臨教審で現場の実態調査してください。どういうふうにそれではやっているのかということなんですよ、養護教諭がいないのに。ここにも「健康教育」なんて書いてありますけれども、全くなこと。  それともう一点は、いまだに情けないことなんですが、先ほど言いましたように、中学校で免許状を持たないで、そして教えさせられている教師が文部省の調べでも、昭和五十八年度に三万九千七百十七件あるんですよね。例えば数学の免許状しか大学でもらって勤めていないのに理科をやらされたり、国語をやらされたり、社会を教えさせられたりするわけなんですよ。この三万九千七百十七件というのは、中学校の本務教員、校長、教頭除いて一七%に相当するんですよ。よろしいですか。一つの教科では二〇%から三〇%が免許状を持たない教員が仮免、臨時の免許状を教育委員会からもらって、それは大学まで行っているんですから、中学校の子供のそのぐらい教えてもいいじゃないかということになりますけれども、そんな状態が今中学に多数存在しているという事実、教職員の質がいいとか悪いとかという問題以前のところがこういうところにも存在している。教えられる子供はかわいそう、教える先生も大変、しかし現にそういうことが便宜的にどんどんと進んでいるということ、こうしたひとつ実態をぜひとも次のときには克明に皆さん方の立場から一度調査をして、それをくみ上げていただきたいということを要望しておきます。  最後に一点、教員の今言いました資質の向上の問題について伺っておきたいんですが、教員の資質の向上について、現在、具体的にはどのような構想を持っておられるかという点であります。  簡単にお聞きしたいんですが、私の意見を申し上げます。私は教員がみずから教員としての力量を日常不断に高めていく研究機能を小中学校にも持たせないかぬと、こう考えているんです。そしてやはり我々教職員が今まで過ちを犯していた点もあります。それは、いつの間にか子供たち一つの集団としてとらえながら、できる子、できない子、普通の子というふうに束にして子供を見る習慣というものをつけさせられてきたんです。初めから教師が持っていたんじゃない。だけど、評価とかいろんな関係でそういうふうな状況にやはり置かれてきたという点を率直に私思います。それで個性という言葉もそちらから出てくる。私たちも、結局一人一人の子供は違った人間だと、こうとらえていくという、そこのところに非常に弱さというものを現に持っていて、その違いというのもかけがえのない違いなんだ、だから教師は一人一人の……
  114. 林寛子

    委員長林寛子君) 時間ですから簡潔に。
  115. 本岡昭次

    本岡昭次君 いや、こちらでやっていますから、社会党の時間です。  だから、そういうふうに教職員の側も新しく一人一人の子供を伸ばしていく研究能力というものを求めていかないかぬというふうに考えるんですね。そのために、先ほどから私は繰り返し言っているように、小中学校の教育活動の中に教職員が自主的、自発的にやっていくその時間とかゆとりとかいうふうなものを一体どうつくるのか。東京へ来なさい、どこそこへ来なさいと言って教師を呼びつけて、そこで研修させるんじゃなくて、学校の中自体に研究機能をどう持たせるか。研究するところは僕は大学だけじゃないと思うんですね。小中学校にも当然そういう時間やゆとりというものを与えて、そして現におる子供との関係でみずからの教師としての力量を高めていかせる、いく、そういう場がある、教師のやる気を起こさせる、そうしたものをぜひ考えていただきたい。  もう時間もないですから答弁結構です。私の気持ちを幾らかでも酌んでいただければありがたいと思います。終わります。
  116. 久保亘

    ○久保亘君 まず最初に有田さんにお尋ねいたします。  会長の御意見も前に伺ったことがございますが、教育基本法の定める諸原則臨教審はこれを守る、こういうお立場だろうと思うんですが、三条の教育機会均等、四条の義務教育九年、五条の男女共学、六条の公教育における法定主義、これは臨教審としては守る、こういう立場で部会においても、総会においてもいろいろと議論をされていると、このようなことで理解してよろしゅうございますか。
  117. 有田一壽

    参考人有田一壽君) そのように理解していただいて結構でございます。
  118. 久保亘

    ○久保亘君 それから、第一の教育改革が明治の教育制度づくりであったということで、このことについて岡本会長は、第一の教育改革の時代というのは富国強兵の考え方に貫かれてきた、戦後の第二の教育改革によって個性尊重教育機会均等ということが大きく発展してきたのである、このように述べられたのが四月の二十五日、この場所でございます。ところが今度の答申では、第二の教育改革機会均等主義のために個性重視という面で欠けるところがあったというか、非常に問題を残してきたというような意味で書かれているように思うんですが、私は本当の意味での個性重視ということは機会均等ということが土台になければあり得ないことだと、こう思っているんです。教育機会均等が確立した上に初めて個性重視される教育ができると、こう思っておりまして、この二つの考え方が対立するような立場で論ぜられることは誤りだと思うんですが、いかがでしょう。
  119. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 私も今回本会長の述べられたことと久保先生の述べられたことがどの程度ずれになっているか、これちょっと私もわかりにくいんですけれども、今久保先生が言われたこと、私は全然同感であります。言いかえれば、人権思想というものが背景にあって、そして機会均等ということになり、それが教育基本法にも憲法にもあるわけですけれども、それを表現の仕方として、いろいろあると思うんですが、個性重視あるいは個性尊重という個性に照準を合わせた教育改革一つの手法というものもこれはもう間違いでなくあり得ると思います。ただ、重点の置きどころは、これはまあはっきり言えば人、人によって、臨教審のメンバーによっても少しずつ違うんですけれども、答申に盛られましたように、個性重視ということは一貫した変わらざる共通理解事項であるという点においては同じでありまして、しかもその背景は機会均等ということ、それかも、教育基本法の精神にのっとりというのがもう一つ背景にあるということは決して私どももそれと違った理解をいたしておりません。
  120. 久保亘

    ○久保亘君 有田会長の御意見新聞報道等を通じてしばしば教えていただきました。それで私承知をいたしておりますけれども、臨教審の中には、教育基本法の定める基本的な諸原則と違った立場の主張をなさっておられた方もあるように思います。それから機会均等個性重視という関係についても、今述べられたような立場とはいささか違う新たな発想の主張をなさっておられた方もあるように思いますが、これらの意見というのは一次答申をまとめられる過程において全部克服されて、そしてこれらの主張は退けられたものと理解をしてよろしゅうございますか。
  121. 有田一壽

    参考人有田一壽君) なかなかお答えしにくい御質問でありますが、要は第一次答申というものが曲がりなりにもまとめられました。曲がりなりにという言葉の方が正直かと思いますが、それはもうそれぞれ二十五人の委員がおり、各部会には専門委員の方が二十人おり、合計四十五人、それぞれ主義主張を持った方々の集まりでありまして、いろんな甲論乙駁、これは途中でいろいろ新聞等にもどんどん出ましたので御批判もあると思いますが、そういう紆余曲折を経て最後にあれにまとまったという以上のことの返事が私としてはできないわけでありまして、その途中ではいろんなことがあり得ました。第三部会長といたしまし てもいろいろ意見は遠慮なく述べましたし、それぞれ今言われたような基本法について、あるいは機会均等について特殊な意見を持たれた方の意見も御承知おきいただいているように発表されたことも間違いありませんが、要は第一次答申のあの文言の中に全部おさめられたというふうにぜひ御理解を願いたいと思うわけであります。
  122. 久保亘

    ○久保亘君 時間がございませんから、それでは具体的なことを一つ、二つ、第三部会にかかわってお尋ねしたい。  先ほど本岡委員から高校入試改革について御質問がございました。次の答申に向けて高校入試改革をテーマとして審議をしたい、こういうことでございますが、高等学校入試というのは本来学力検査を、いわゆる入学試験をやるべきものであるのか、入学試験を極力緩和しなくしていくことが望ましいのか。これは学校教育法も最初の段階では高等学校の入学については、定員を超える場合には学力検査をやることができるとなっておったんですが、これがだんだん変わったのではないかと私は思っておりますが、現在の高等学校の状況等もお考えになりました上で、高校入試の改善について議論されていきます場合の目標をどこに置いておやりになりますか。
  123. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 高校入試につきましては、今久保先生が御指摘になりましたように、率直に言ってどう考えるかといえば、高校入試はなくなるという方向に向かっていくのが正しいことだと思います。準義務教育と言われておりますように、既に九四%といいますけれども、いろいろなあれを入れますとほとんど全入に近い状態なんですね。ただし、ところがそれをじゃ百万人分校舎を用意するよと、そうしたら人数が百万人だよと、そうしたらここで入試がなくなるというわけにいかないのが自由主義社会の特色だと思いまして、これは釈迦に説法ですけれども、どうしても希望によって偏在するものですから、試験というものは必ず起こる。これは単一学区に指定すれば別ですけれども、全部起こる。したがって、入学試験があるということと、入学試験をないような方向に向かって努力をするということとは一致しない場合があるということは御理解いただけると思います。  私どもの方、はっきり言えばあの段階でどんどん入試によって落とすということを主眼に考えておりません。絶対におりません。
  124. 久保亘

    ○久保亘君 次に、六年制中等学校の新しい試みを提言をされておるんでございますけれども、これは六・三・三制の三・三の部分を中高一貫教育に直していく試行的なものとしてやられたのか。それともあくまでもごく一部にそういう学校をまた別につくると、こういうものなのかということと、全国の教育長や高等学校の関係者などは提言されている六年制中等学校については非常に疑問や不安を持っている人が多いようですね。そういうことで、これを具体的にやる上には、一応の提言はしたけれども、まだ相当詰めて検討しなければこれを実行に移すということはなかなか大変だと私は思っておりますが、この点はどのようにお考えになっておりますか。
  125. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 今御指摘のとおりでありまして、結論から言えばこれが簡単に、しかも国民の合意を得てすいすいと実行されるという種類のものでないと思っておるわけでありまして、しからば先導的試行かと言われますと、四六答申のときも提言があったんですけれども、先導的試行ということは、御承知のように、やってみてこれが、この十年なら十年やってみて、よければ後全部これに直すんだという伏線があるわけですけれども、そこまでは考えておるわけじゃありませんので、先導的試行ではないと。  それから、三・三をつないだら六年制中等学校で、カリキュラムを整理すれば、それで教育的には今までダブリのあった面がなくなるから、結局五年ぐらいのカリキュラム編成で、今までの六年の目的を達することができると、それでいいではないかと言われると、それでも悪くないんです、私学は既にそうやっておりますね。ところが、公立でこれをやりますときにどう考えるか。したがって、これは新しくこれを創設するという言葉を使わしていただいたわけでありまして、今までの六・三・三プラスバイパスとして複線化して新たにこういうものを個々につくると。ただし、これを全国一斉につくらないと。つくらないで、今教育長の話が出ましたけれども、それぞれの都道府県で研究して、これは我が県ではぜひやりたいということになった場合にやってもらえばいいと。それから特に芸術、あるいは外国語を主にする六年制中等学校の場合は割に都会、都市に偏るのではないかと。田舎の県では割に発足しにくいのではないかと思っております。  で、この六年制中等学校については二つほど大きくありますね。先ほどもお話が出ましたように。小学校を出た段階で人生の進路を選択するというのは無理ではないかということですけれども、これはその必要はないわけで、入るのは入って結構ですけれども、初めの三年は義務教育ですから、二年半ないし三年はほかの一般の学校と共通のカリキュラムでやるわけで、終わった段階で義務教育終了証も渡すわけでございますから、しかもそこは自由にほかにも行けるようになっておりますから、かたく考えて小学校出たときに人生の選択をしてしまうのは無理ではないかと言われても、そうではないんだという答えしかできません。  それとついでに申しておきますと、この理数を主にする中等学校というものがあるとき、これがエリート校になるんじゃないか、受験校かと。これは受験には大変不利ですね、社会とか国語は非常に劣るわけですから。ただし、理数を主にする大学に行くときは有利であります、そこに風穴をあけてくれさえすれば。したがって、進学校に全部がなるということは普通科を主にする高等学校の場合は大体考えられないと思います。したがって、普通科のみを主にする高等学校については今いろいろ私どもも絶対に受験校にならないようにするにはどうしたらいいかということで、場合によっては発足を少しおくらせるとか、抽せんを非常に厳しく導入するとか、そういうことを今文部省と一緒考えているところでありまして、何としてでも国民の合意を得る種類の学校にしたいという考えてあります。
  126. 久保亘

    ○久保亘君 時間が参りましたので、石井部会長にもちょっとお聞きしたいことが学歴社会の問題でたくさんあったんですが、一つだけお尋ねいたします。  なかなか第二部会でも我が国の社会は学歴主義の偏重主義の社会がどうかということについていろいろな御意見がおありのようにお聞きしておりますが、この中で、今度提言されております中で官公庁と企業の採用の段階からの人事でこの学歴偏重主義を是正しろということが提言されておりますが、日本の場合に官公庁と企業とでどちらが学歴偏重主義が強い、こういうふうに分析されておりますか。
  127. 石井威望

    参考人石井威望君) まあ、民間とお役所という区別で言いますと、この業態といいましょうか仕事の内容が全然違うとか制約がございますから一概に比べられませんけれども、一般の常識では官公庁の方が社会の常識では学歴社会だというふうに言われております。ただし、公務員の試験その他につきましては、これはまあ世界といろいろ比較いたしますと非常に公平な学力試験をやっておりますけれども、まだまだ結果として有名校、一部の学校の出身者が非常に多いということは事実でございますので、この点が問題だろうと思います。
  128. 久保亘

    ○久保亘君 法律や行政指導でもってこの学歴偏重社会を是正することが可能であるのかどうかというような問題について私どもも非常に検討しなければならぬ問題がたくさんあるように思っておりますが、今度の提言では具体的な中身というものは非常に抽象的なような感じがいたしますので、今後、私どももまた機会を見て御意見を申し上げたいと思っておりますので、十分具体的な対策を御検討いただきますようにお願いをいたしておきます。  終わります。
  129. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 午前中に林先生から今次答申は七十五点とかという大変いい点数がつけられたんでありますが、誤解していただきたくないのは、これは一次試験でございまして、最終テストをパスしたということではない、こういうふうにお考えいただきたいと思います。  私は、これからやっぱり今一番問題になっている問題二、三時間のある間御意見を承りたいと思いますし、同時に国民合意の形成という意味で私の考えをやはり開陳をして御参照していただきたいという気持ちで私の考えも述べさせていただきたいと思います。  まず、個性尊重重視が今次改革を貫く最も重要なポイントであるということが指摘されておりますので、この点について私の質問意見を述べさせていただきたいということであります。これは全体の問題でございますが、やっぱり第三部会長有田先生でしょうかね、お願いいたしたいと思います。  私、これ前にも文教委員会意見として申し上げたときに紹介したんですけれども、ハーバード大学教育学部長をしたフランシス・ケッペルという人が学校教育に期待をするものは何かということで二つのことを挙げているんですね。一つはコンペティティブバリュー――競争的価値、もう一つはコオペラティブバリュー、これは協調的価値、つまり競争は自由の理念を支えるものであり、協調はこれは平等の理念を支えるものだと。この二つは相争うものではあるが、現代社会におけるような高まっているテンションに対してはやはり協調的価値を競争的価値に優先させるべきであろう、こういうことを言っております。今回の改革の中で私がやっぱり一番関心を持ったのは自由化が非常に叫ばれたことであり、それがひとつ変わって個性ということになったわけですけれども、この自由というものがやはり今私が申し上げたフランシス・ケッペルの言葉と相反して自由が非常にウエートを置かれてきたような気がするんです。それで果たして教育というものはいいのだろうかということが一つございますが、もう一つついでにお話をさしていただいた方がいいかな――ああそれだけ先にどうぞひとつ御意見を承りたいと思います。
  130. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 個性重視ということは確かに今回の答申を貫いておる一つ原則でありまして、まあ、そこに来るまでに多少の紆余曲折があったことは御承知おきいただいているとおりであります。ただ、なぜそこまで個性重視と今さら叫ばなければならないのかということですけれども、それは個性尊重が行われにくいからこれをここまで不自然なぐらいに強調しなければならないということであろうと思います。  それで、それは長い間のというか、戦後とっても四十年の間、やはり一方で個性重視だ自由だといろいろ叫ばれながら案外個性尊重されなかったというこれは事実がある。なぜ尊重されなかったかという、これはもうむしろ高桑先生にお伺いしたいところですけれども、これは日本の社会体質の中にそういうべとべとしたと申しますか、完全な個人主義には移りにくい集団主義的なものが盤踞していると。その中においての教育ですから、ほっておけば画一的な教育になりやすいと。だからそれではいけませんと、今後の国際化を考えた場合に。あるいは創造性の開発をしなければならない二十一世紀に向かっての教育の場合はあえてここで個性重視ということを強く打ち出すべきであるというのが臨教審考えであったわけでございます。お答えにはならないかもわかりませんが……。
  131. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 わかりました。  そこで、個性重視という言葉で私がやはりちょっと危惧いたしましたのは、個性尊重するというのは、みんな私には個性があってこれ伸ばしていけるんだという、教育を受ける側はそう思ってしまう、まあ仮定でございます。ところが、自分個性はだれも尊重してくれないと。これは私が悪いんじゃなくて親が悪いんだと、個性を伸ばしてくれなかった親、学校が悪いんだと、さっぱりおれのを伸ばしてくれなかったと。社会はおれを認めてくれなかった、みんな人が悪いんだと、そういうふうに思うことはないかと。つまり、甘やかしの構造が出てこないだろうかと。そして教育を受ける側、社会に失望した、自分個性を伸ばしてもらえなかったという失望というのが、何というか、自分はいいんだというようなナルシシズムといいますかね、自己中心主義に陥っていくということはないだろうかと。みんな人のせいにする、そういうことを私は恐れておりますが、私が大学紛争の折に学生に対応したときの私の主張のポイントの一つは、個の確立ということを私は唱えてまいりました。これは個性重視と違うんです。個の確立というのは、存分自身をしっかりと認める、自分の能力も認める、自分の限度も知る、自分というものをしっかり持つ、だから自分意見もちゃんと持つ。  これから個の確立というのは国際化にとって最も重要だと思うんです。日本人は自分の意思を外国人に発表できない。これは語学が悪いという点もあると思います用語学の、発言がもう全然違うものだから、これは困るんですね。まあ、ついでに国際化をちょっと触れますと、私は国際化という――何だか飛びましたけれども一緒にさせていただきます。国際化というのは、自分意見が外国人に伝えられなければ、それで終わりだと思うんです。ですから発言が最も大事なんですね。それで、日本人のrとlというのは何も区別がない。fとvと全く区別がない。外国人が言っていましたよ、世界のエアポートヘ行って全くわからないのは日本だと。羽田、成田、何にもわからない。「英語なの」と言うんですね。それはrの発言が入ってこない、fが入ってこない、vが入ってこないんです、thが入ってこないんです。ですから私は、これは総理大臣にも言ったんですけれども、英語の歌を歌わせるとかと言っておられたから、それはまあ一つの例で挙げたんでしょうが、私はまじめに発言記号を教えたらいい。完全に発言記号を教えて、人の名前でも何でも括弧、発言記号で新聞で書いたら正確に読めるんです。あれは片仮名で書いたら全く不正確なんですから。全然だめですね。ですから、発言記号がはっきりしていて、それをマスターすれば、どんな外国語でもそれで頼って発言ができるわけです。ですから、その発言ができないのが日本人は国際化になじまないんですね。帰国子女のことなんか言ったってだめなんです。いや、その方々にとってはいいですよ。しかし、国際化というものに役立つのか。ですからやっぱり自分の意思を外国人に伝えられる方法をどうしていくのか、それから個の確立だと思うんです。自分なくして何にも、一体国際的に通用するんだろうか。  ですから、先ほどもお話が出ておりましたが、愛国心というのが出ておりましたけれども、今グローバルのことが問題になっているのに、一国を論じているんじゃないだろうと思うんです。二十一世紀を目指すのであれば、まさに地球人として存在理由をどう自分は思うのかと。それで、私は人間性教育だと思っているんです。道徳教育という言葉は私はよくわからない。人間性教育ということで初めて世界に通用するモラルが出てくるんじゃないか、こういうふうに私は思っているんです。  それで、今の個性尊重というものがナルシシズムに落ちていかないかというようなこと。それから個の確立ということが私は個性尊重よりもずっとポイントを置いて、これは文部大臣にもお話ししてありますし、意見は出してございますけれども、ちょっと御意見を承りたいと思います。
  132. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 個性尊重個性重視ということが、私もほうっておけば決してこれで物事をいい方向に解決しそうだとは思っておりません。  今、ナルシシズムという言葉をお使いになりましたけれども、それは個人を大事にするということは、これはもうデモクラシーの社会の基本なんですけれども、大事にされる本人の立場からいえば、ここに甘えが起こり、得手勝手が起こり、人を利用しというのが、ほうっておけば人間はそっちに走る本能を持っていると私は理解しておりますから、やはりこれには、おっしゃったような個の確立というか、本当の意味の個というものがわかってこなければ、これは甘えに堕し、利己主義に堕し、決して成功すると思っておりません。  したがって、それぐらいの慎重な考えで私どもが対処していかないと、個性尊重だといえば、じゃ全体との関係、いい意味での全体との関係の場合も、全体を無視して個だけで生きられるかといえば、全と個の関係はやはり私はそういうふうな理解をいたしておりませんので、やはり御指摘のように安心せずに、もっと言えばびくびくしながら、この言葉を理解し、これを教育の中に間違いなく取り入れる努力をする必要があるだろうというふうに理解をいたしております。
  133. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 有田参考人の御意見、私、大変満足しておりますけれども、個性尊重というのを個の確立というふうに今度の第二次答申で変われば大変うれしいなと。これは国民合意の形成の一つだと思って聞いていただきたいと思います。
  134. 有田一壽

    参考人有田一壽君) なるべく努力してみます。
  135. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 ところで石井参考人に承りたいんですが、学歴社会でありますが、これの中に幾つかのポイントを挙げておられて、生涯教育社会をつくるとか、あるいは学校教育をどうするかとか、採用をどうするかというふうなことが挙げられておりますが、要するに多面的な評価ということを書いてあるんですね。  私は、多面的な評価というのは、言う方はいいけれども受ける方は大変だと思っているんです。多面的というのは何でもいいというふうに聞こえますし、何でもいいと聞くことは非常に不完全なことでございまして、必ず非難を受ける。といって画一的でないというところが本品の銘柄でございますから、画一的ではだめなわけですね。  そこで、学歴社会がいけないかどうかということに私は若干批判を持っているんです。学歴社会、学歴を尊重するということは大事だと思っているんです、僕は。というのは外国、私はアメリカでマスターダムを取ったものですから、非常に厳しい教育を受けたので、日本とどんなに違うかはよくわかっているんです。私も大学院を教えてきましたけれども、自分で不満足なんです。我々がアメリカと同じようなマスターやドクターの教育をしようと思ったら、教授一、助教授一、助手二じゃだめですよ。できません、そんなもの。全力を挙げたってかないません。学部も持っているんですから、研究も持っているんですから、できません、それ。アメリカのようにスタッフをばあっとそろえてくれたら、非常勤でたくさん持っていますから、それならできるんです。  だから、今の学歴というのは、日本の学歴と外国の違いは、日本人は学校を出たということが問題なんでありまして、向こうの人間はどういう単位を取ったかなんです。ようやく高等学校で単位制度をとおっしゃっていますけれども、日本はその単位が、どういうことができるかということの証明になっていない。極端なことを言いますと、私は現場を知っていて言っているんですから、例えば体育を取っていない。おまえバスケットを六時間やったらいいわと。それでバスケット、遊んで通る。これが日本の単位でございますから。  そういうので、じゃ採用側は何で一体判断するんだ。単位取ったといったって何ができるかわかりはせぬというのが、まあ全部じゃありませんよ、私、極端な例を挙げておりますけれども。したがって結局、どこの学校を出たか、つまり大学試験がどんなに厳しかったか。そこを通ったのは偉いんだ、あいつはやっぱり能力があるんだ、そういう入学試験の厳しさイコール評価という価値がある。そして卒業するときに何ができたかということは価値がない。わからない。アメリカでは、この大学でこれとこれとこれを取った、この単位はよその大学へ行って取ってきた、証明をもらってきた。あわせてあなたはマスターをやる、こうなっているわけです。それがちゃんと取っているんですよ。きっちり取ってきているんです。試験を受けているんです。そういうことができないんだ、日本は。  ですから、改革をなさるんだったら、やっぱり予算の裏づけがなくてできるはずがないんです。私は一番最初にそれを主張したんです。スタッフをそろえてください。それならもうやれる。日本の大学もやれる。スタッフをそろえる必要があるんです。今のように一、一、二で、その一をどこかへ回せといって、一、一、一、そんなようなことでやれますか。それなら文部省は許可しない。私は本当は許可しないで、少数の方がいいと思うのです。その方がよっぽどいい教育ができますと僕は思っているんですけれども。  それで学歴社会は、その習得をした技術とか、何ができるのかとか、そのアビリティーを証明することを単位とする、あるいは卒業資格とすれば、それは学歴は大事になってくるんです。今は学歴社会じゃない、学名社会、大学名社会。何大学を卒業したか。  もう一つあるのですね、大学卒業したという。あいつがいいか悪いかじゃないんです。その友達がみんな立派だからです。だから、あの大学の人を引っ張ってくればいいんだと。学閥社会です。だから、この答申で出てきたのを私は立派だと思うだけで、何も役に立たないのじゃないかと思うんです。先生がおっしゃっていましたけれども、入学は緩くて卒業は厳しくというのは、そこを言っているんです。がっちり卒業した人は、これだけの能力がある、世界で通用する。世界で通用しないんだから、日本の学歴が。情けないじゃありませんか。天下の東大の医学部を出た外国人が――東南アジアですよ、国家試験落ちたというんですからね。とんでもないですよね。どういう教育をしているのか。いや、東大が悪いんじゃありませんよ、東大は立派なんです。ただ学生が――いやどうしたのかわかりませんがね、灯台もと暗しということもあるからしょうがないかもしれません。しかし私は東大という、天下の東大を挙げたんです。外国で通用するかしないかを申し上げたんです。  そういうことで国際化なんか図れるわけがないと私は思うんですが、それで学歴社会というのは、やっぱり青田買いがやまればいいとかということじゃないんじゃないか。だから学歴社会をなくしようというなら、逆に学歴社会こそ尊重すべきだ。それに対応する資格試験をがっちりやれと。いかがでしょうか、石井参考人
  136. 石井威望

    参考人石井威望君) 今の点、先ほど学歴社会の御質問があったときに、ちょっと時間がございませんで、採用とか職業関係のことだけ申し上げましたが、今度の答申におきましては、三つの方向から学歴社会についての取り組みを考えておりまして、第一が基本的には生涯学習社会という長期的に現在の日本で欠けておるような部分を強力にやらなければならない。第二が、今御指摘がございました学校自身の活性化といいましょうか、学校の中での、例えば大学の中でのきちんとした学歴と内容が伴った、名ばかりではない、名実ともにしっかりした単位なり何なりを与えていかなければならない。それの第三番目としまして、先ほどの採用とかそういうことが問題になる。この三つの方向からやろうとしているわけでございまして、第二番目に申し上げました学歴社会が本当に学校教育がきちんとできれば学歴尊重社会になり得るという御指摘はそのとおりだと存じまして、むしろ無学歴社会を目指すというようなことをもちろん考えているわけではございませんし、学歴自身の内容につきましても、単に漠然と考えるだけじゃなくて、学校の格差、真横の学歴といいましょうか、それから我が国では縦の高校、大学という格差がございますし、あるいは専門別に普通科と職業科というような学歴の髪もございまして、こういうことを社会に根深く根を張った社会慣行とか、あるいは社会の人間全体に対するような学歴を引き伸ばした学習歴以上の評価を社会でするという点もあわせて、多面的に総合的に取り 組んでいかなきゃならないというふうに考えるわけであります。
  137. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 次は問題の大学入試を伺いたいと思いますが、私はやっぱりちょっと驚いたのは、午前中、久保先生質問をしておられたのと同感でございますが、臨教審にゆだねたいろんな制度を中曽根さんがツルの一声で第一次を廃止せよと。しかも選挙のときにぶっておられるというのは、私はやっぱり一国の総理大臣としては甚だ軽率だろうと思うんです。そして臨教審はなめられたと、私もそう思っております。しかし私たち臨教審に期待したのでありまして、決してだからやめちまえというふうに申し上げているんじゃなくて、やっぱり筋は通してもらいたい。だから言われたからやめ、もしあれを廃止するんだというところへいったら、中曽根さんの言うとおりになったと私は思います。ですから、私はここはちょっとしっかりふんどしを締め直してもらいたい。  教育は国家百年の計を立てるところでありまして、我々の時代ではないんですね。我々の責任でやると言ってでも、それを受け取る人たち、そしてそれを眺めて評価する人たちは二十年後、三十年後、五十年後なわけだ。だから我々は後世の歴史に何をやったかということを責任を持って、墓場の中からでも責任を持てるような、そういう改革を目指してもらいたいと、こう思います。  そこで教育改革の、どうしてもちょうど医師国家試験が医学部の教育をコントロールするように、やっぱり大学の入学試験というものは、高校、中等学校、小学校、幼稚園までひょっとするとコントロールするというのが我が国の社会でございますから、ですから大学入試が最も重要である。中曽根さんがそれを選挙のときのスローガンに掲げた。それはなかなかちょっとしたものだなと思います、賛成不賛成は別でございますけれども。  そこで、大学入試が今までは大学の自主的入試にゆだねられていた。それがだめだったから共通一次になったんでしょう。これはもうはっきりしているんですよね。それは自主的なんです。勝手にやってたんです。そのときに私の理解ではデメリットが何だったか、難問奇問が出た。それで、したがって受験生は受験技術に走ってしまうということが一つあったと思うんです。そしてその試験科目にないものは勉強をしなくてもいいという風潮ですね。高等学校が落第させないんだな。だから何ぼほっておいても受験科目だけやっていればいいんですよ、そのほかのはどんな落第点でも落第させないんだから。そしてその科目だけ取ればいい。何ぼでも僕は知っています。これを防ぐために共通一次ができた。  共通一次の目的は二つあった。一つは高校の修学の到達度を見るというのが一つ。二つ目は大学における教育を受ける基礎学力があるかどうかを見る。これは入試センターのパンフレットに書いてあるんです。我が文教委員会で視察をいたしましたときによく確認をいたしました。なるほどそのために標準的問題を作成し、やったわけだ。ところがデメリットが出た、偏差値、輪切り大学の序列化で。それは極めて単純明快なんですね。これはなぜかというと、共通一次試験を点数で加算したからなんです。  それは例えば、まあよく点数知りませんが、例えば東大を受けるなら一次試験は九百点プラスマイナス偏差値がある。これよりも下の人はもう二次試験頑張ってもだめですよ。北大なら八百点とか、いや点数はでたらめですからそうじゃないかもしれません。プラスマイナス何点以下はだめなんですよ、医学部ならこうですよ。偏差値なんだ。輪切りなんだ。そして九百点と八百点とでランクがつく。何のことはない、これはランクづけと輪切りをしたのを加算したからです。  それで、そういうことからいうと、今の共通テストというのは何なんだろう。そして共通テストは私は何偏聞いてもわからなかったんですけれども、最近の新聞でやっとわかったのは任意テストだということです。任意テストということは自主的テストですね。元へ戻るんですわ。それでいいんだろうかと。そうすると、文部省が考えたのかどうか、共通一次のときにやったこの二つのポイントが全部崩れますよ。高校の到達度は見れなくなる。全科目にゆがみのない、ひずみのない教育はできなくなります。五教科五科目になっただけで二科目は捨てますからね。高等学校先生は嘆いていると思うんだ、私のところは学生勉強しなくなる。当たり前ですよ。五教科五科目から今度三教科三科目になってごらんなさい、もうどうにもならなくなると思うんです。そういう我が国の高等学校教育のひずみを自由にひずませるのかというのが一つあると思いますね。  ですから私が主張したのは、これは実は私、大変うれしかったんですが、六月三十日のNHKの政治討論会で、臨教審答申教育改革ということで各党の代表がお座りになって、松永文部大臣がおられる。最後に共通一次のときにおっしゃったんですね。国会でこういう意見を出した先生がおられますと言って、実は私のこれから述べる意見を紹介してくださいました。私、大変やっぱりよかったなと思ったんです。言うべきことを言っておくべきだ。私はあの発言を聞いて、松永文部大臣は私に賛成だなと自分勝手に思っておりますけれども、それは一つは加算をしないということです。共通一次テストを加算をしない。点数に入れなければもはや輪切り、偏差値はなくなるし、序列化はなくなります。そのかわり五教科七科目全部やるべきだ。それは高等学校教育のゆがみをなくすためです。そして、ただそのハードルをぐっと低くする、低くすればいい。一科目零点があってはならない、平均点は何点以上であればいい。あれは五〇%の平均値が百点満点で言うと六十点のところへ持ってきているんです、入試センターは。  ついでに入試センターのことも言いたいんだけれども時間が……。いいのかな。
  138. 林寛子

    委員長林寛子君) 三十三分までです。
  139. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 はい。  入試センターというのが今度のこれを見ますと進路指導の仲介的役割を果たすと言うんです。そんなの、お役所の入試センターやらぬ方がいいです。予備校にお任せなさい。あの方がよっぽどまじめで、皆さんが一生懸命、学校よりも塾が立派だと褒めたと同じように、入試センターに仲介的役割、冗談じゃありません。あの予備校の方がずっとプロでございます。ですから予備校にお任せになったらいい。入試センターは何をやるのか、問題を作成するだけなのかな。しかも最初に使った人がいたら後の人は、新聞に出ますからその問題が使えないということになるんでないですかね。あれは困ったことだと思うんです。要するに、スタンダードの問題製作株式会社になるだけなんだな。そんなら予備校の方がいいですよ。予備校というのは本当に大変すぐれています。学生の心理ものみ込んでうまくおだてたり激励したりします。だから入試センターよりずっといいと思う。  しかし、偏差値というのは、進路指導にとっては非常にリライアブルなんですね。私も一番下の子供が共通一次受けたものだからよくわかる。これだけだとどこに入ったらいいかなと、ちょっと下げれば女の子は絶対大丈夫、そのとおり入りました。リライアブルといったらこれに過ぎたるものなし。高等学校先生は、もう全然進路指導は偏差値に頼っている。偏差値が悪いとだれが言ったんだろうか。私もやや偏差値賛成論者なんですが、加算しなきゃもっといいと思います。  以上でございますが、私の意見とそちらの意見をあわせてひとつお話を承りたい。
  140. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 共通テストあるいは中曽根総理の方で受け取られた後に発言されたこと、あるいは任意テストという言葉等を含めての御意見を承らしていただいたわけであります。  共通一次テストにかえて新しくという言葉を使ってあるわけでございまして、わずかな言葉なんですけれども、これ午前中、会長があるいはそういう答弁を申し上げたんではないかと思うんですが、いろいろ深い意味が入れてありまして、「に代えて、新しく」と。だからそうするとそこに全然廃止というような意味はみじんもないのかといえば、そうすると日本語の用例からいってそれは正しくないということになるし、じゃ廃止そのものかといえば、それなら廃止と書いた方が早いと。そこにちょっと実はいろんな、あなたは十分おわかりの上で質問しておるわけですから私もそれ以上申し上げませんが、千万無量の思いを込めてあれを出した。ですからこれを総理がこういうふうに解釈した、間違いだと言われれば、どうぞ御自由に御解釈くださいというのが実は私どもの方の姿勢でございまして、決して悪いとかいいとか申し上げません。要は、今御指摘のように、生徒の立場から見て過重負担にならない、不公平にならない、そういうことが達せられれば大変いいんだと。  それから共通一次テストについては、今御指摘のことに何にも反論はございません。実は、共通一次テストをこの場で審議しあるいはしたときの五十一年、私もちょうどそこに座っておりまして、一緒になって、久保さんもおられたんじゃないかと思うが、共通一次テストああでもないこうでもない、しかも二次試験は軽やかなものである、論文もしくは面接だということで、しかも私学もこれに参加し得るんだといういろいろなことを想定して、しかも難問、奇問を今まで出していたのは出さないんだという、言いかえりゃ八年かかってあれは一歩も二歩も前進さしてできたのが共通一次テストですけれども、つくったものの予想したものと反対のというよりも九十度ぐらいずれたものになってくるということは、やっぱり試験の場合は往々にしてあり得ることだと思っていろんな思いを込めて私いろいろ複雑な心境でございますけれども、今のところは共通テストにかえるということでありまして、今の輪切りだこうだの、御指摘のあれはやはりそのとおりであって、決して違うというような意見もありません。だから何とかこれが生徒に災いをなさないような制度であることを祈るということで今まで議論を重ねてまいったわけで、これが百点と思っておりません。どうせ入学試験は百点のことはまあありませんから、やはり可能な限りよかれと思うことをそのときそのときまとめていくという以上のことはないんだなというまことに頼りない立場でございますけれども、正直に言えば本当に悩み、苦しみ、そして現在のこういう答申になったということで、いいお知恵をこれからうんと拝聴さしていただきたいということをお願いして答弁にかえさしていただきます。
  141. 高桑栄松

    ○高桑栄松君 終わります。
  142. 吉川春子

    ○吉川春子君 有田参考人にお伺いいたします。  参考人は英才教育とかエリートというものを肯定的に述べていらっしゃるわけですけれども、そこで英才の定義を伺いたいんですけれども、英才というのは生まれる以前から遺伝子によって決まってくるのか、それとも教育によってつくられるものなのかという点です。もう生まれたときに人間の能力というものは決定されてしまうんだというようなことを大胆におっしゃる臨教審委員もおられるわけですが、この点はいかがでしょうか。
  143. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 英才というのは遺伝的なものと後天的に教育によって達成されるものとどうだという御質疑でございますが、私も今まで本に書いたりしていろいろ発表しておりますので、ここでその場その場のごまかしもできませんので、はっきり申し上げますが、遺伝的なものが六〇%ある。これは私個人です。臨教審で決議したわけではありませんけれども私はそう思っておりまして、教育の効果というものは四〇%だと。ただし特別な場合においてはこれは十分逆転し得る。それは何だといえば特殊教育その他の場合は逆転し得る。普通の場合はやはり六〇%は遺伝的なものである。これは私が言うんじゃなくて、いろいろ学者がそういうふうに八〇%と言っているアメリカの学者もありますし、まあ六〇%といっている学者もおりますけれども、ここは専門家ばっかりがいらっしゃいますから余り大きなことは言えないんですが、率直なところそう思っております。
  144. 吉川春子

    ○吉川春子君 生まれながらに人間は個性、能力の違いがあるということは否定できないわけですけれども、各人が持って生まれた能力を最大限に伸ばすのが教育であり、それを保障するのが国の責任ではないでしょうか。こういう立場に立つならば、まずすべての人に普通教育機会が保障されなければなりませんし、それが憲法、教育基本法の言う教育機会均等であると私は思いますが、いかがですか。
  145. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 御指摘のとおりであると思います。
  146. 吉川春子

    ○吉川春子君 国民にひとしく教育機会を保障するということは、教育画一化とはしたがって別物であると思うわけです。個性的な教育を行うためにはやはり教育の条件整備ということが不可欠だと思いますが、教育機会均等が何ですか個性的な教育の妨げになっているかのような表現があるんですけれども、この二つが矛盾するものとお考えなんですか。
  147. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 矛盾するものとは考えておりません。あるいは言葉に御指摘のように多少の幅がありますから、一部オーバーラップしたりあるいはずれたりする解釈があり得るかもわかりませんけれども、本当の意味では私は矛盾すべきものではないと理解をいたしております。
  148. 吉川春子

    ○吉川春子君 石井参考人に対して同じ質問をお尋ねしますが、教育機会均等ということと個性尊重教育ということは矛盾しないと思いますか、いかがでしょうか。
  149. 石井威望

    参考人石井威望君) むしろ個性尊重しそれを発揮させるためには十分な機会が与えられる必要があると思いますので、おっしゃるとおりだと思います。
  150. 吉川春子

    ○吉川春子君 ちょっと個人的なことをお伺いして恐縮ですけれども、石井先生は現在の小中学校に当たる教育はどちらでお受けになったんですか。
  151. 石井威望

    参考人石井威望君) どちらという意味は普通の公教育という意味でございましょうか。私は全部戦争中ですから国民学校へ行きまして、あとは全部公立の学校へ行っております。
  152. 吉川春子

    ○吉川春子君 幼年学校という意味ですか。
  153. 石井威望

    参考人石井威望君) 戦争中でございましたから国民学校終わりまして中学へ入りまして、これも公立の中学校でございますが、途中で一年半ばかり陸軍の幼年学校へ参りました。戦争が終わりましてからもとの中学へ復学いたしました。その後は旧制の高等学校、あとは大学、すべて公立てございます。
  154. 吉川春子

    ○吉川春子君 詳しくお述べいただきまして恐縮です。  先生は陸軍幼年学校は何期生でいらっしゃいますか。
  155. 石井威望

    参考人石井威望君) 私は四十八期生でございます。
  156. 吉川春子

    ○吉川春子君 そうしますと、一クラスと申しますか学班の人数は何人でしたか。
  157. 石井威望

    参考人石井威望君) 二十数人だったと思います。
  158. 吉川春子

    ○吉川春子君 全国からよりすぐった子供を集めて教育した幼年学校が一クラス、今で言うと一クラス二十五名、後に三十名になったのですね。ということなわけですから、多種多様な一般の子供を地域的に集めて教育する場合に四十五人学級ではとても無理というのはこれは常識だと思うのです。アメリカのインディアナ州では近く十八人学級が発足するそうですけれども、非常に個性的な人間を育てるためには学級定数の縮小というのは不可欠ではないかと思うのですけれども、石井先生の体験からいかがでしょうか。
  159. 石井威望

    参考人石井威望君) どのくらいの人数がいいかということは、私は大学の方で教えておりまして今の小学校とかそういう初等のレベルのことはよくわかりませんけれども、やはり余り少な過ぎるということはまたほかの弊害が出てまいりますから、幼年学校がよかったかどうかわかりませんが、三十人とか四十人以下というような辺が一つの常識的な線じゃないかというふうに個人的に考 えております、臨教審の討議とは関係ございません。
  160. 吉川春子

    ○吉川春子君 それから、第二部会の審議の重要な課題である学歴社会について、審議の中で一体どういう論議がなされ分析がされたのかということを伺います。  学歴で人間を評価する風潮が学歴社会を生み出したとしていますけれども、大手企業の学歴主義、指定校制、高級官僚の学歴主義が重要な学歴社会の原因であることが明らかにされるべきじゃないでしょうか。こういう学歴社会をもたらしてきた企業とか政府の責任を明確にして、その上に立って指定校制の廃止を初め学歴社会の原因を取り除く道を示すことが必要なんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。
  161. 石井威望

    参考人石井威望君) 今御指摘の点は、歴史的にはおっしゃるとおり、もともと我が国の伝統的な江戸以来の社会では近代的な意味での学校の学歴というのは、例えば商業を営むという場合にはほとんど問題にされませんでしたし、農業を営む場合でも伝統的な技術が中心でございまして、政府が近代化を急ぐ経過で積極的に近代的な学校を出た人を登用した、もう一つは地域格差とか各藩の封建的な縦て割りから離脱して統一国家というようなことで政策的な影響が非常に強いと思います。当然官営のいろいろの事業を通じまして大企業の中にそういうパターンが、後進国が急速に経済的に先進国に追いつく過程では政策的にとられたという意味では、これは今日の情勢で考える以上に当時は緊急の問題であったというふうに理解もできるわけでございます。  そこで、おっしゃるように歴史的なそういう背景から、どういうところにそういう学歴偏重の傾向が残っているかということは、当然大企業とか、そういう古いルーツを持つ官公庁に近い体質のところほどそういうことがあるわけでございますが、しかし一方、当然時代の変化とともに、現在みずから企業の体質を民間等におきましては活性化するために、学歴にとらわれないいろいろの人事も努力しておるわけでございまして、指定校その他御指摘がございましたが、そういう問題でもこの十年ぐらいで数字の上では一方で非常に急速に、例えば二〇%ぐらいだったのが一〇%を切るというようなことも数字の上で出ておりますが、一方、しかし数字だけではわからない、やはり指定校の実質的な部分というのも大企業の方に強いというようなデータもございます。したがいまして、非常に複雑に歴史的に根深い問題でございますので、今御指摘のところは十分考えに入れながらこの学歴社会の弊害の問題と取り組んでいかなければならないというふうに考えております。
  162. 吉川春子

    ○吉川春子君 具体的な問題を二点お伺いいたしますが、「高等教育機関の組織・運営」、十九ページのところで、「高等教育機関とくに大学の機能を積極的に発揮し、それを活性化し、」云々というところがありまして、そして「大学教員の教育研究活動の評価、教授会を含む大学の組織・運営、設置形態や財政の在り方について基本的な検討を加える必要がある。」とありますが、これは大学の法人化を打ち出した、こういうふうに受け取ってよろしいんですか。
  163. 石井威望

    参考人石井威望君) 本日、第四部会長の飯島部会長が御担当で中心にやられた部分でございまして、ちょっと私、必ずしも十分でございませんが、必ずしも今御指摘のような内容について十分これ今まで審議がなされたというふうには伺っておりませんので、まだわからないと思います。
  164. 吉川春子

    ○吉川春子君 そうですか。  それでは質問を変えまして、共通テストの実施の問題なんですけれども、非常にこれは何というんですか、先を急ぐ余り、今子供たちが、盛んに勉強している高校生たちが、一体どうなるんだろうかという、こういう不安を持っているわけですが、例えば共通テストとの関係で国大協の役割はどうなるんでしょうか。
  165. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 国大協との関係について御質問でございますが、今まで御承知のとおり共通一次テストについて国大協が検討し、それを決定した。最終的に決めたのは文部省の形になっておりましても、実際に研究を続けたのは国大協であったわけでありまして、今度の共通一次の変更案についても国大協がみずからやった。これはもう大学入試に関しては、それを研究し決定するのは大学自体だということはもう御承知のことであろうと思います。したがって、この共通テストを提案はいたしますけれども、これはそれを受けた政府がやはりまた国大協と話し合いをするという協議機関が必ずつくられるわけで、もう既につくられたかと思いますけれども、国大協だけで独走もできないかわり、主たる部分は国大協で決めるということは争えない事実でございますから、その程度においての関係があるということまでは言ってよろしいかと思います。
  166. 吉川春子

    ○吉川春子君 例えば共通テストの問題はどこでつくるのかというようなことですけれども、今まで国大協が主にかかわって共通一次のいい問題をということでつくってこられたわけですけれども、今度共通テストということに変わりますと、これはこのテストは文部省がつくることもあり得るのか、あるいは民間に任せるということで塾の経営者などが集まってそういうところでその問題をつくるというようなこともあり得るのか。それはいかがですか。
  167. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 当然に入試センターでつくるということになると思います。文部省自体がつくるという形にはならないと思います。それから、塾でつくるということにもならないと思いますが、恐らくそう質問されるということは別に暗示的な意味もおありだと思いますけれども、真正面からお答えを申し上げれば、入試センターでつくりますと、共通テストの場合、それ以外のお答えができません。
  168. 吉川春子

    ○吉川春子君 非常に入学試験のやり方というようなものを安易に変えて、そして、しかも一、二年後には変わったやり方でやるんだと、こういうような非常に乱暴なやり方をされますと、政治的なお手柄にするという意図があるのではないかと勘ぐりたくなりますし、しかし、それでは実際に子供たちが大変迷惑するわけですから、そういう点は改革をするにしても慎重にやっていただきたいと、そのことを最後の質問といたします。
  169. 有田一壽

    参考人有田一壽君) そのとおりに心がけて臨教審としては対応してまいりたいと思います。
  170. 吉川春子

    ○吉川春子君 終わります。
  171. 小西博行

    ○小西博行君 本当に大変なお仕事をやっていただきまして心から感謝申し上げる次第でございます。  私はもう既に皆さん方も十分質問でおっしゃっておられますし、この答申案を見せていただきますと、かなり具体的に書いていただいておりますので、特別な質問はございませんが、ただ、三、四点だけ質問さしていただきたいと思います。  まず一点でありますけれども、この学歴社会の是正ということで、指定校制度というのがやはりこの中でも問題になっております。その問題についてどのようにお考えか、まずお聞きしたいと思います。
  172. 石井威望

    参考人石井威望君) 指定校制度は学歴社会の弊害の一つのシンボルといいましょうか、象徴的な事柄だと存じまして、いろいろの御専門の方とかデータを集めまして検討いたしましたが、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、統計データとしては近年減少の傾向にあるというデータもございますが、一方、大企業等で実際に実質的に指定校といいましょうか、そういうふうに言われているような名柄、有名大学の出身者を重視して採っておるという同じような調査結果もございます。したがいまして、指定校自体の文字どおりの指定校をとっているかと、アンケートのみならずその実態との問題ということになりますと、これなかなか根深い問題でございますが、一方、これは採用時における機会均等にしなくちゃいけないという点から就職の機会均等を害するという点で非常にシンボル的な意味でも問題であるというふうに考えまして、相当勉強もいたしましたし今後もやはり学歴の問題の研究として続けていく必 要があると思います。  この指定校の、例えば昭和五十九年度では現在八・九%存在していると言われておりますが、違うまたこの調査によりますと、五十三年ぐらいで見ますと、事務系と技術系でやはり大分違います。事務系ですと五・四%、技術系で一六%というふうに段がついておったり、なかなかこの指定校の内容も問題でございますが、一方、企業におきましても指定校をとらないという方向あるいは出身校にとらわれないで実力中心の人物登用をするという傾向が強くなっておりますし、またこの間、総理府がやりました就職とか就職後の昇進等につきましての国民の意識調査等におきましてもかなり実力本位というふうに国民感じているというデータも出ております。  こういうような指定校の問題を臨教審におきましてもやはりまだ残存しておるという部分を十分重視いたしまして、答申におきましても指定校の撤廃に向けてさらに努力するように強く要望した次第でございます。
  173. 小西博行

    ○小西博行君 まあ私、そこで一番問題なのは、やっぱり実力がありながら有名大学の学生でないから自分希望すべきところへ行けないと、これが実は私問題だと思うんです。  そこで、私自身も大学に長くいましたから、その立場からお話をさしていただきますと、一つは各大学の努力というのもあわせて相当考えるべきことではないかと思うんです。  ある学校によりますと、先生方の昔のいわゆる同級生といいますか、先輩後輩それぞれの分野の方々が企業で例えば活躍している、そこへ夏休みなんか利用して十分自分の教え子についてのPR活動をやって歩くという非常に熱心な例えば大学もございます。私どもも一人やっぱり優秀なやっをそういう大学からいい企業なんかへ入れますと、あとやはり評価が高い場合にはぜひあなたの学校からあるいはあなたのゼミから学生をよこしてくださいと、これが一つの突破口になりまして、そういう会社に対してはどんどん入っていくと、こういう現実も実はあるわけでありますから、私はまあ旧制の帝大であるとか、あるいは私学でも伝統のある学校というのはそれだけ古いわけでありますから、当時大学も少ないわけでありましたから、そういう意味ではだんだんそういう根深い関係ができているのじゃないか。そういう意味では、一方ではやっぱり私はそれぞれの大学において努力をしなければいけないと、そういう分野についてもある意味では皆さん方からいい御意見を出していただきたいと、このように考えておりますが、いかがでしょうか。
  174. 石井威望

    参考人石井威望君) 全く御指摘のとおりだと思います、  学歴社会の問題で、大学側の努力と、大学に限らず学校側の努力ということと、それを受け入れる社会側の両方がうまくかみ合うということが大事でございまして、臨教審答申の中でその点は学校側の活性化ということを先ほど申し上げましたが、今の就職に関連いたしましても、当然大学が進んで開かれたといいましょうか、PR、あるいは特に新しい大学等は古い大学に比べましてその辺の努力が一番御指摘のとおり大事だと思いますので、単に就職面、採用面、企業面というだけでは不十分だと考えております。
  175. 小西博行

    ○小西博行君 もう一点は、生涯学習体制の整備というものもはっきりうたっておられます。私もこれは実はもう大賛成でありまして、できるだけそういう機会を多くつくっていくということはいいことだと思います。特に、例えば放送大学というのもいよいよ発足ということで、これからまた新しい形が生まれてくるのではないか。そういうことで期待もしているわけでありますけれども、しかし、現実に企業を見てみますと、やっぱり例えば定時制――定時制と言いませんか、二部と言いますか、大学の場合は、夜間ですね。夜間の大学を出てもなかなかそれが認められない。恐らく今度は放送大学の卒業生が果たして、会社へ勤めながら勉強するわけでありますから、卒業の時点で認めないという一流企業の場合が多いわけでありますが、そういうのが非常に私は多いと思うんですね。だから努力して実力をつけてもその価値を認めてもらえないようなことでは生涯学習なんか言っても言葉だけで終わるのではないか、そのように考えますので、この点については十分御認識をいただいているのかどうか、これをお聞きしたいと思います。
  176. 石井威望

    参考人石井威望君) この点につきましては、臨教審委員の中に、企業の方あるいは組合の御関係の方、いろいろ経験豊かな方がたくさんおられまして、御指摘のとおりの点が非常に審議の初めから問題になっております。  特に、いかに生涯学習で、我が国の場合、もともと生涯学習でも大学のリカレント教育といいましょうか、社会人を受け入れるという点は必ずしも十分じゃございませんが、今御指摘がありました、むしろ苦労して取った資格だとか、自己啓発努力による成果が後で十分評価されないと、それでは幾ら生涯学習のそういう便宜を今後ふやしていってもだめではないかということは十分承知いたしておりまして、これをどういうふうに今後評価する側で取り上げていくかというところをぜひやっていきたい。したがいまして、今生涯学習に関するプロジェクトチーム等を特に中心に今後第二次の基本答申に向けてこの点あたりは十分検討していきたいと思っております。
  177. 小西博行

    ○小西博行君 単位制高校についてちょっとお伺いいたします。  この単位制高校というのが実現いたしますと、従来のいわゆる定時制といいますか、これは一応廃止方向でいくのか、あるいはどのような検討をされるのか、その辺についてお聞きしたいと思います。
  178. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 単位制高校につきましては、答申にも書きましたように、定時制並びに通信制との関連について十分検討する、ということにいたしておるわけでありますが、御質問のように、大体ねらっている角度が同じでございますので、要するに学年制よりも単位制、したがって、定時制の中に変化が起こるとすると学年制よりも単位制に重点が置かれていく。それから、その定時制の中で特別のというか、非常に人数等が少なくなって経営自身も難しいというようになった定時制は、単位制高校移行するということは十分考えられますし、それかといって、御質問のように、全部が定時制高校は単位制高校に変わるのではないか、それは変えるという指示もいたしておりませんし、これは自然の中で処理されて合理的な方向に選択されていくのではないかと私どもは考えておる次第であります。
  179. 小西博行

    ○小西博行君 と申しますのは、私もたびたびここの委員会で御質問申し上げておるわけですが、例えば東京には定時制高校というのは百何枚という全国の大体一〇%ぐらいがこの東京に存在するわけです。そしていろいろ授業時間だとか、公務員の先生方の稼働時間とかいろいろ調べてみますと、非常にそこに問題があると、つまり、一時ごろから出勤して五時半から実は授業があるということでありますから、当然その間をどうするかということがございまして、これがある高等学校では自宅研修ということで毎日毎日五時半まで出てこない、あるいは週一研修、これは東京で既に決まっておるようでありますが、そういうことでいろいろ調べてみますと、本当に勉強したいというそういう生徒さんが昔に比べまして相当数が減っている。したがって、先生方も授業をやるにつきましても熱意をやっぱり喪失するような現実がそこにある。例えば、高等学校の英語の教科書を使ってやるわけでありますけれども、ローマ字で自分の名前書くのがやっとだというのも実は生徒の中にいらっしゃるということになりますと、先生方が勢い塾の方にアルバイトに出る。こういう問題が実はございまして、私も指摘し調査をしていただいて、そのとおりだという答えも受けたわけでありますが、そういう面も踏まえてこれから先の単位制高校にどう生かしていただけるのか、その辺の決意をお伺いしたいと思うんです。
  180. 有田一壽

    参考人有田一壽君) 御承知のように、定時制高等学校というものが戦後四十年の間に果たした役割それからまた変わってきた姿の経緯、それを見ますと、率直に言えば、非常に今向学心が強いが貧しいから行けないという子供の数が割に減ってきたということは間違いないと思います。それで普通の高等学校に行けなかった者が入っているという部面もございます。もろもろの意味を込めまして、この単位制高等学校というものが設置された場合に、御質問のように、必ず一番先に起こるものは定時制、通信制とこの単位制高校の関係でありまして、ただ、単位制高校については単位のばら売りではないか、単位の累積加算はいいけれども知的な教育に偏して情緒的教育というか全人教育に欠けるのではないかと言われますが、でき得べくんば、全人教育余り欠けないように心がけるべきものと私は思っておりますけれども、多少そちらに移るということは単位制高校の趣旨から見てある程度やむを得ないかな。しかし少なくとも、定時制高校の生徒がこちらを希望した場合は、これと接点ができるという形にすることによって定時制高校も救いがあるという形にぜひしたいものだと思っております。
  181. 小西博行

    ○小西博行君 時間が参りましたので最後にしたいと思いますが、先ほど午前中にも会長さんにお願いしたわけでありますが、まず第一次答申という段階では各委員の皆さん方からいろいろな御意見が出て、そしてその方向性を示した。重要課題はこれだということで各委員の方がおっしゃったことを総花的にまとめた、と言っては言葉が悪いかもわかりませんが、そういう形で皆さんの賛同でもってまとまった。ところが現実は、これからもっとこれが具体的に細かく答申という形になってくればくるほど、それぞれ委員の方々の賛否というのも明らかになってくると思いますので、むしろ私は、これからが実はこの臨教審の本番ではないか、そのように考えまして、ひとつ思い切って勇気を持って、こうあるべきだということを出していただきたい。そのことを申し上げまして終わりたいと思います。ありがとうございました。
  182. 林寛子

    委員長林寛子君) 以上で両参考人に対する質疑は終了いたします。  この際、一言あいさつを申し上げます。  両参考人には御多忙にもかかわりませず、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日の調査はこの程度といたします。  これにて散会いたします。    午後三時六分散会