○
参考人(
村上清君)
村上でございます。
年金制度について勉強している者といたしまして、ただいま審議中の
年金制度の
改正案について
意見を申し上げたいと思います。
今回の
年金改正には
二つの柱があると考えます。第一は将来の
年金財政の破綻を回避することでありまして、その対策としては、現役の勤労者とそれから
年金をもらう高齢
世代との間に
年金制度を通じて振りかえが行われた後で妥当な実
収入のバランスが保たれているということが必要であろうと考えます。それから第二の柱は、
年金の給付の
内容をより公平なものにすることであります。今起こっているいろいろな不公平は、多くは
年金制度が分立しているために起こっているわけでありますから、共通な
部分はこれを一元化するということによって可能であるというふうに考えます。
今、
日本では
年金問題が大変深刻に言われておりますけれ
ども、これは実は
日本だけでなくて
世界共通の問題でございます。むしろ欧米の方が
年金の歴史は古いし成熟化も進んでおります。
高齢化も進んでおります。したがって悩みはより深刻でありまして、欧米の現状というのは
日本の二十年あるいは三十年先を映す鏡であるというふうに考えてよいと思います。どういう問題があるかといいますと、第一はまず財政が大変苦しいということです。特に石油危機以後は大変苦しい
状態にあります。その対応としてはスライドを一部
停止するとか、あるいはある
期間見送る、実質的には給付の切り下げでありますけれ
ども、そういったようなことをしてしのいでおりますけれ
ども、いずれもその場限りの対応でありまして、問題は将来に持ち越されているのが実情でございます。それから二番目は給付の仕組みです。特に女性の
年金であります。国によりましては特に女性の
年金だけについて政府がグリーンペーパーを出しているというふうな国もございます。これについてはもう既に何人かの
参考人の方からお話がありましたけれ
ども、女性の地位が変わったということです。以前の
社会、ヨーロッパでも昔は男性が働いて女性は家庭を守る、被扶養者という考えでありました。今や女性が働くのは普通になったし、一方では離婚とか単身ということがふえておりますと従来のような
家族構成を想定した
年金では対応できなくなる。これに対する新しい解決が必要になってきております。
そこで、ここ何年も前から欧米では
年金の仕組みを抜本的に変えようというふうなことでさまざまな案が提案されております。私もこれが
日本の
年金問題の解決になるのじゃないかと思っていろいろと調べ勉強してまいりました。アメリカではまだ抜本的な
改正は行われておりませんけれ
どもいろいろな案が出ております。有力な案が
二つあります。
一つは
所得分割という案でありまして、例えば夫が働いて奥さんが家庭にいる、この場合に夫が稼いできた給料を
二つに割りまして夫と妻にそれぞれ
収入があったというふうにみなして、その記録に基づいて
年金を出すことになります。夫婦共働きですと両方足して半分に割るということになるわけです。アメリカの
公的年金は
日本の
厚生年金に似たようなものだとお考えいただいてよろしいと思うんですが、
所得比例
年金ですけれ
ども低
所得者ほど給付率が厚くなりますので、
日本の
厚生年金が定額プラス比例となっているそれに似たような仕組みですね。こういう仕組みの中で
所得を
二つに割って半分ずつにしますと一人がもらう
年金の半分ではなくてやや厚くなります。先ほど来、今度の
改正案で家庭にいる主婦が
保険料を納めないで
年金がつくというのは何か
年金の権利が身につかないのではないかというふうなお話もございましたが、このアメリカの例を見ますと、家庭にいる主婦は夫の給料の半分は
自分が稼いだもので、そこから出る
保険料の半分は
自分が出したのだというふうな考え方をとっているようでございますので、そういう考え方もあるのじゃなかろうかというふうにに考えます。
それから二番目は、二階建てという名前なんですけれ
ども、これは
年金を一階と二階に分けてしまいまして、一階
部分はだれにでも同じ定額を支払います。それから二階
部分は完全な
所得比例の
年金に切りかえます。こういうふうな形にいたしますと一階の方ではみんなに等しい定額が出るし、二階は掛金、
保険料に応じた
年金が出るという仕組みになるわけですね。先ほど島田先生からお話がありましたILOの専門家がつくった資料があるのですけれ
ども、二十一
世紀を目指してどんな
年金が未来に望ましいかという未来像です。それでもやはり望ましい
年金の姿というのは二階建ての
年金にしております。ここでは一階は全
国民を対象にする。勤労者とか労働者だけでなくて
国民全般に適用してだれにでも定額の
年金が出る、これが一階です。それから二階の
部分は勤労者、働いている人を対象にしまして、
所得に応じて掛金を払ってもらい、それに応じた
年金を出すというふうな仕組みになっております。
こういった外国の例と対比してみますと、
日本の今度の
年金の
改革案というものは他の国でこれからこんなふうにしたらどうだろうかというふうに審議しているその案をいわば先取りしたものだというふうに考え、評価していいというふうに思います。今度の
改正案は
基礎年金、そして
所得比例
年金、二階建てになるんですけれ
ども、この
基礎年金の
部分につきましては、仕組みがより
社会保険的、人によっては
社会保障的などと言いますけれ
ども、になったというふうに理解いたします。別の言葉で言いますと掛金と給付との対応関係ではなくて、保障のニーズにより比重がかかった仕組みになっているということであります。例えばサラリーマンで言いますと、単身者と妻帯者が同じ
保険料を払いまして、
年金をもらう段階ですと、それぞれの人に
年金がつきますから、結果的には妻のいる人は妻の
年金が出る。あるいは
保険料は
所得比例なんですけれ
ども、もらう
年金は定額である。あるいは自営業の方で
国民年金に入っていらっしゃいますと、掛けられる
期間は全部掛けてください、そうすれば等しく定額の五万円が出る。これは必ずしも
年金は掛けた年数、
期間に比例しておりません。こういったような面から見ますと、
年金というのが個人ごとに掛金と給付との対応関係ではなくて、負担は負担としてしていただきますけれ
ども、給付の面ではより保障のニーズに重点が置かれているというふうに考えてよろしいかと思います。
しかし一方、二階の
部分、
所得比例
部分はこれは完全にもう個人的な公平性というのでしょうか、過去に掛けた
保険料に見合った、それに比例した
年金という
構造でありますから、これはまさに個人的な公平性を貫いている。
年金制度で掛金とそれから給付との関係をどういうふうにするのが望ましいかということについては、実は
世界じゅうどの国でもあるいは
時代によってさまざまな議論がございます。
二つの極端な中を絶えず揺れ動いております。一番極端なのは個人的な公平性といいましょうか、要するに余計掛けたら余計にもらう。掛金に比例して
年金が出るという極めてわかりいい考え方ですね。それからもう
一つの方は、それとは全く別に保障のニーズというものを重視してそれに見合う財源を何かの形でみんなから徴収する。欧米では前者を私保険的、後者を
社会保険的と呼んでおります。
今度の
改正案ではこの
基礎年金部分、この方はより
社会保障的あるいは
社会保険的な給付にすっかり組みかえてしまって全
国民をこれで包括する。それから二階の
部分はこれは個人的公平性の方をはっきり打ち出しまして余計負担した人は余計出るというふうな形にしてそれをセットにして組み合わせております。アメリカの二階建て案もまさにこれと同じ構想で考えられていることであります。またILOの二階建ての案も似たような考え方でありますので、
日本はよその国に一歩先んじてこれを今採用しようとしている。恐らくこれが実施されますと他の国でも高く評価されることだと思います。
それから、私今までいろいろな機会に行われておりましたこの審議の記録な
ども拝見いたしまし
た。その中で、
基礎年金についてはこれを全部税負担にしたらいいのではないかというふうな関係もございました。かつて
社会保障
制度審議会からも付加価値税を財源にした基本
年金という案が示されております。これはまことに傾聴に値する案であります。私自身も同感する
部分もたくさんございます。そして欧米の例を見ましても、二階建ての国の一階
部分の財源は全額税負担という国もあります。スウェーデン、カナダなどはそうでございますね。一方、その一階
部分も
社会保険方式で行っている国、イギリスのような例もございます。
日本の場合どうだろうかということなんですが、私自身の考え方は、今回この
改正案においてはやはり全額税負担というのは無理ではないかということであります。それは
制度の連続性です。更地にうちを建てるということにはまいりません。今まで長年違った拠出をしてきているその中でいきなりこれを全部税負担に切りかえるということは仕組みの上から無理ではないかという感じがするわけです。
それから二番目はやはり負担の問題でございます。
保険料でなくて税でするとすればそれは膨大な負担になります。
保険料の負担を計算すると将来大変なことになると言っているのですから、それを税に切りかえれば当然膨大な大変な税を負担しなければならないことになるわけです。この
基礎年金を税負担でやっている国は、一般財源をつぎ込んでいる国もありますけれ
ども目的税を使っている国もかなりあります。例えば
所得税の付加価値税ですね。
所得税にもう
一つ上乗せをいたします。恐らく
日本でも
所得税の上乗せといったら多分賛成しないと思うんです。
所得税はもう十分である。付加価値税、間接税といいますと何となくまだ経験がございませんから、何か大した負担ではないのじゃないかという感じがあるのじゃないかと思うんですが、しかし実際はそういうことはないと思います。先ほど
久野さんがおっしゃいました
年金というのは働いている
世代から老齢
世代へのいわば仕送りでございますから、もらう人がいれば必ず現役はそれだけの負担があるわけでございます。そういったようなことが十分合意され納得されるならばいいのですけれ
ども、今すぐ
日本でそういった合意、納得は必ずしも容易ではないだろう。この
二つの理由から当面は
社会保険方式でいくのが妥当ではないかというふうに考えております。ただし、将来の問題といたしまして、こういったようなことももし
国民全体の合意、納得、それだけ負担していいんだ、それが公平な負担であるということであるならば、そのような財源も考え、これを例えば
基礎年金の財源により多くつぎ込んでいくというふうなことは考え得る選択ではなかろうかと思いますが、これは将来の問題でございます。
それから次に、自営業者に
所得比例
年金を設けてはどうかということでありまして、これも今後に積み残された
検討課題であると考えます。その場合に
検討し確認しておく点は次のとおりでございます。
所得比例
年金というのは、恐らく
保険料が
所得比例という意味だと思うんですけれ
ども、まず第一に給付は定額にするのか
所得比例かということです。それから二番目は、自営業者に
所得の公平でかつ確実な把握が完全に行われることができるかどうか。三番目は、
保険料の徴収が強制に完全に行われることができるかどうか。それから四番目は、
保険料の設定の仕方が平準
保険料を使うか、段階
保険料を使うか、こういったようなことでございます。任意加入でもどうだろうかという
意見もありますけれ
ども、任意加入は私は賛成いたしません。任意にいたしますと、得する人が得するときだけ入って有利でなくなったらやめてしまいます。そのツケはほかの
人たちが負わなければならない。
社会保険はやはり強制適用であるべきだというふうに考えております。
次に
年金の水準です。今回の
年金水準はどうだろうか。まずサラリーマンの場合です。六九%と言われております。ただし、これは諸控除前の給料でありますから、税金、
社会保険料を一五%ぐらいと考えて引きますと八五に対して六九であります。別の比率に直しますと大体五五対四五です。勤労者には給料のほかにボーナスがあると言いますけれ
ども、教育費とか住宅ローンなどかかりますからボーナスはそっちへ向けて、給料が
生活費と考えますと、現役で妻子を抱えた人の五五と引退した人の四五といったらどっちが苦しいだろうか。まあまあこの辺が抑制し得る限度ではないかというふうな感じでございます。
それから
基礎年金です。五万円が高いか低いかということです。二階建ての国が幾つか例がありますので昨年現在で調べてみました。この
基礎年金に相当する定額の
年金はカナダでは四万七千円。夫婦ですと二倍になります。スウェーデンは四万五千円。イギリスは四万八千円。そしてスウェーデン、イギリスは夫婦の場合倍になりません、六割増しでございます。これと比べますと
日本の五万円というのはまあまあいいところではないか、むしろ若干高いという感じがいたします。それから、先般来引用しておりますILOの報告書なんですけれ
ども、
基礎年金で目標にする額は、全
国民の一人当たりの可処分
所得、
国民全体の一人頭の使えるお金でございますね、それの二分の一ということになっております。これは現役の勤労者だけではなくて全
国民でありますから、それで計算いたしますと、やっぱり五万円というのは妥当なことではないかなという感じがいたします。
年金だけ見ますと、高いにこしたことはないわけですけれ
ども、今回の案で見ましても将来の負担は容易ではございません。そういったようなことを考えますと、まずこれは妥当な水準ではなかろうかというふうなことを考えます。
次に支給年齢です。本則では六十五歳、そして当分の間六十歳ということになっていることに関しましていろいろな不安とか、あるいは今の段階で六十五を書くのはおかしいではないかという
意見がございます。しかし私は、当分の間と書いてあるあの当分の間はそんなに簡単に変えられるものではないというふうに考えております。例えば欧米の場合、ヨーロッパの例を見れば大体従来六十五歳でした。しかしオイルショック以後非常に経済が悪くなり失業がふえてまいりますと、実際には特例を設けたり、あるいは繰り上げ支給とか、あるいは特別な失業保険で六十歳ぐらいから
年金を払っております。
日本でも
雇用が伴わない
状況のもとで六十五に上げるということは実際上不可能なことだと考えております。ただし将来を考えますと、
高齢化社会の中で若い人は減ってお年寄りがふえる。どうしても高齢者に働いていただかなきゃならない
社会が来るわけでありますから、それを目指して将来なるべく早い時期に六十五の
雇用が達成され、それとの見合いで当分の間という言葉が徐々に六十五の
年金に変わってくる。いわばこれはそういうことができるような
状況を早くつくるその覚悟を示すものというふうに私は理解しております。
年金制度の
改正、これは容易な作業ではないと考えております。そして
年金制度の
改正案を考える場合に必要な条件が三つあると私は考えております。まず第一は、
制度の
改正というものは全体として整合性があること。つまりある
部分だけ直して、それがほかとのバランスを崩したり、あるいは不整合になったりするのではこれは案にはなりません。それから二番目はもう既成事実がある。その現行からの移行が円滑に行われるということであります。既成事実から全く激変するようなことでは受け入れられませんし、かえって不公平が出ます。それから三番目は収支のバランスがとれていることであります。
年金制度についてはしばしば
年金だけ、あるいは負担だけ言われますけれ
ども、本来は
年金というのは振りかえでございます。
年金の規模は振りかえを
幾らにすることであると考えれば収支が常にイコールで考えなければならないことでございます。
この三つの要件を満たすものとして今回の案は考えられたわけでありますけれ
ども、その中では私は最大限の工夫、大変な努力、それからすぐれた決断があったと思うんです。これは故人になられましたけれ
ども山口
年金局長の功績であると私
は考えております。この両方の面で高く評価いたします。この案が
検討されていたころに私も何回か山口
局長にお会いいたしまして個人的に考えることなどを
意見として申し上げました。そして私自身としては、もし
自分が全部これをしなければならないという立場で考えたら一体どんな案があるだろうか。そしてその案は今申し上げた三つの条件を満たすものでなければ実際に動けない案のはずです。いろいろ考えました。大変難しい苦しいことで、最終的にはほぼ投げ出してしまうぐらいの問題でございました。その後で案が出ました。その案は私が考えていたよりも数段すぐれたものでございました。私が考えたものよりもすぐれた案でございますから、私はこの案に対して敬意を表しますと同時に、なるべく早い時期にこれが成立することを
希望するものでございます。