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参考人(
室田泰弘君)
室田でございます。
お手元に
資料があると思いますので、
資料をごらんになりながら聞いていただければと思います。私はやや広い
立場からきょう与えられた
課題について申し上げたいと思っております。
先ほどの御説明にもありましたけれども、自前の
枯渇性資源を大量に保有しない
日本にとって、
供給計画を立てるに際しましてはその適切な
データと明確な
論理構造に基づく
需要でありますね、要するにどういった形でどれだけ使われるのかといったことを把握することが極めて重要であります。ところが、そのための
努力が現在のところ余りやられていないということがその基本的な
問題点であるというふうに考えております。
したがって、あるべき姿としましては、その下に書いてありますように、まず、例えば
国際石油価格がどうなるかであるとか、
日本の
経済成長がどうなるかといったようなこと、そういった
外部条件の設定をいたしまして、それから
需要の推定をする、どの
程度エネルギーが必要かということを検討する。その次にそういった
需要をどの
程度石油とか
石炭とか
既存の
エネルギーで賄えるかということを検討して、それで貯えない部分を
代替エネルギーの
開発計画としてとらえていかなければならないというふうに考えております。ところが、なかなかこのような形になっていないというのが私の
感じであります。
そういったプロセスがないために、
政府は例の
エネルギー需給見通しというのを出しておられるわけでありますけれども、これは
昭和四十二年ごろから出しておられるわけですが、その下の表にありますように、常に過大な
供給計画になってきているというのが
現状であります。したがって、
現実にどういう形で
供給計画が決められていますかといいますと、その一ページ目の一番下に書いてありますように、ある
意味で一九七三年の
石油危機以前は
高度成長を謳歌してきたわけでありますけれども、そういった
高度成長期を
前提とした割とやや恣意的な
需要の高
成長を想定する。次に、
石油に対してはやや悲観的な
見通しを置いて、したがって、過大な
代替エネルギー計画を立てるという形になっているという
感じがいたします。
これが
国内での議論で済んでいるうちはまだよろしいわけですけれども、現在のところ問題がありますのは、それが非常に大きな
国際摩擦の原因になっているということであります。
例えば
エナージーエコノミストという雑誌がございますが、これにブライアンズという人が書いておりますけれども、例えば
MITIというのは通産省のことでありますけれども、「
MITIの一九七九年
長期需給予測は、非
石油系エネルギー原材料の
成長を公式に予想したもので、
石炭や
ガスの
世界の
輸出業者にとっては全く励みになるものであった。今、一九八四年の冷ややかな
現実に照らしてみると、一九七九−八〇年の
予測値は官僚の
手品まがいの誤魔化しに過ぎなかったのは明白である。」といったようなことがありまして、つまり過大な
予測をする、それに基づいてその
供給国が過大な
供給計画を立てざるを得ない。それで
現実に引き取る
段階になると
需要が小さいから引き取れない、もしくは
価格交渉をやり直せという形で言う。ということになりますと、我々はよくわかっているわけでありまして、それは何もインチキでも何でもないわけでありますけれども、
向こうからすると、これは非常に意図的にそういうことをやったのではないかということを言われるわけでありまして、例えば
参考人が
オーストラリア国立大学で
エネルギー会議に出た際にも、やはりベン・スミスという
向こうの学者からその点について非常につかれまして、
日本の弁護をするのに大変苦労した覚えがございます。したがいまして、こういった無用な
国際摩擦を避けるためにも、またむだになりかねない投資を避けるためにも次のようなことをやはり基本的にやっていく必要があると考えているわけであります。
第一番目には
エネルギー問題の
専門家の養成をしなければならないということであります。現在、
石油とか
電力等各
エネルギー源の
専門家は多数おられます、これは事実でございますが、
エネルギートータルについて、特に
社会科学から見た
エネルギー問題に関する
専門家というのは非常に少ない。私どもの見るところ、民間ではせいぜい
電力中央研究所の
経済研究所におられるぐらいではないかというふうに考えております。したがいまして、適切な
データと
論理構造に基づく
需要見通しが立てられないということが
現状でありまして、そのために国際
会議等でも
日本の構造
分析に対する質問に対して余り明白な答えが出てこない。外国からのいろいろな人が来たときのいつも不満になっているわけであります。もちろん
日本の場合官僚は非常に優秀でありますけれども、官僚はある
意味でローテーション制でございますから、
専門家にはなりにくいわけであります。しかも今、エナージーエコノ
ミックスといいますか、
エネルギーの経済
分析というのはかなり高度にテクノクラートな分野になっておりまして、それを踏まえた上で議論しないと余り
意味のある議論ができないという
段階に既になってきているわけであります。したがいまして、明確な
論理構造と
データに基づく
予測システム、特に
需要面に対する
予測システムというものをつくっていく必要があるわけであります。
現在の
政府の
予測というものは先ほども申し上げましたように、基本的にはある
意味で各業界から代表がお出になって、それの積み上げという形でおつくりになっているわけでありますけれども、したがいまして
予測が外れたとき——先ほど申し上げたように何回にもわたって過大
見通しをお出しになるといったような、外れたときになぜそう外れたのか、それはどういう
意味を持つのかといった検討が非常にできにくいという形にもなっているわけでありますし、また
石油価格の想定、これはまあゴッドノーズといいますか、だれにもある
意味ではわからない面が多いわけでありますけれども、それが変わったときどういう形で
需要が変わるのか、もしくは
供給見通しが変わるのかという検討を非常にやりにくいということが
現状であります。
これに対しまして外国でも似たような問題があるわけでありますけれども、専門の学術機関がそれぞれの
特性に応じてこういった
予測システムをつくっておりまして、それが
政府見通しとある
意味でいい緊張
関係にあるといいますか、検討
関係にあるということが事実であります。例えばアメリカでは、東海岸ではMIT、マサチューセッツ工科大学のエナージーラボでありますとか、西海岸に行きますとスタンフォード大学のエナージー・モデリング・フォーラム、EMFといっておりますけれども、こういったものがある。イギリスに行きますとケンブリッジ大学のキャベンディシュ研究所というのが割と有名であります。ドイツへ行きますとミュンヘン大学、またフランスに行きますとグルノーブル大学でこういったことを検討しているということであります。しかしながら
日本では、そういった検討がないために、ある
意味で
政府見通しに対して緊張
関係を持った検討ができないというのが
現状ではないかというふうに考えております。
さらに今度は、ある
意味で野党を含めた民間側からの
論理構造と、それから価値基準の明確な代替
見通しをつくっていかなきゃならない、それを用いて実は
エネルギー政策論争を積み重ねていく必要があるわけでありまして、その点に関して以下二点ほど簡単に、
参考になるようなことを申し上げたいと思っております。
第一点は、
エネルギー問題というのは非常に大げさに言いますと文明論的な視点を持っているということであります。これは例えば十八世紀から始まりました産業革命が、例えばワットの蒸気機関の発明でありますとか、それから十九世紀後半のオットーによる内燃機関の発明でありますとか、それから
電気、磁気革命といったようなことがすべて
エネルギー源の
利用可能性を開くに至っだということをお考えになれば明らかだろうと思います。
したがいまして、その工業化もしくは経済発展ということと
エネルギーの需給ということは非常に大きな関連を持つわけでありまして、こういった
意味からいいますと、
エネルギー論争というのはどういう基本視点に立つかということが極めて重要になってくるわけであります。
例えば、私はソフト・
エネルギー・パスという形で進んでいくのがいいと思っておりますけれども、
現状はこれに対してハード・
エネルギー・パスという形で進んでいくわけであります。こういった点で基本的な論点をまず正確に論議していく必要があるというのが第一点であります。
それから第二点は、
政府見通しはそれなりの
意味があるわけでありますけれども、民間側からなるべく
論理構造の明確な、つまりモデル等を用いた代替的な
エネルギー需給見通しをぜひつくっていく必要があるということであります。
例えばマクロの経済
見通していいますと、企画庁がお出しになる、これに対して民間では
日本経済研究センターでありますとか、それから各銀行、証券等が代替的な
見通しをお出しになって、それによって例えば
成長率論争や貿易をどうやっていくかということの検討が行われるわけでありますが、残念ながら
日本の場合、そういった
政府の
エネルギー需給見通しに代替すべきような
見通しがこれまではつくられてこなかったというのが
現状であります。御
承知のとおり、
エネルギー経済研究所が幾つかの研究をなさっておられますけれども、
エネルギー経済研究所のスタッフが
政府エネルギー需給見通しに強くかかわっておられることは周知のとおりでありまして、そういった
意味では
エネルギー経済研究所の
見通しというのは代替的な
見通しとはある
意味では言えないという
感じがするわけであります。
一九八五年三月、先月に
日本経済研究センターで「一九九五年の
エネルギー需給予測」というものが出されましたけれども、そこではかなり
政府見通しとは違った内容が出ております。以下、それについて若干御説明したいと思っております。
五ページ目をごらんください。この
見通しは主に計量型モデルによってつくられたものでありまして、まず
石油価格モデル、
国際石油価格がどうなるかといったモデルが
一つあって、それから特に
世界の
エネルギー需給に関しましてはアメリカ経済の
動向というのが非常に重要でございますので、アメリカ経済のモデルがある。こういったようなことから、
石油価格とかアメリカ経済がどうなるか、アメリカの
金利がどうなるかということを入れまして
日本経済のマクロモデルが動く。
日本のマクロモデルが動くと、それから最終
需要等が出てきますとそれが、産業連関表という産業構造を検討する表がございますけれども、その中に入って各産業別の産出高が出てくるという形になります。これを
利用することによって産業用の
エネルギー需要、特に産業用の場合には鉄鋼産業、化学産業、紙パルプ、それから窯業、土石——セメントとかガラスですね、こういった産業が
エネルギーを大変使うわけでありますけれども、こういった産業の
需要構造が出てくるということになります。
他方、そういったことを
参考にしながら運輸用の
エネルギー需要ですね、自動車のガソリン
需要でありますとか、飛行機の
エネルギー需要、鉄道の
エネルギー需要といったものがその横で出てくる。さらに家庭とか業務用、ビルで使ったような
エネルギー需要というのは以上のようなことを
参考にしながら家庭用、業務用
エネルギー需要という形で
需要が出てまいりました。こうして産業、運輸、民生用の
エネルギー需要が出てきますと、それが最終
エネルギー需要マトリックスという形に、用途別、
エネルギー種別になってきますけれども、それを一次
供給転換モデルというのに入れてやります。つまり、一次
エネルギー換算するとどうなるかということが出てくるわけであります。この場合に再生可能
エネルギー、太陽でありますとか、風力、
水力、こういったものがどの
程度可能性があるか、それから省
エネルギーがどの
程度可能性があるかということがさらに検討されるわけであります。
そうして一次
エネルギー供給が出てくると、これがさらに
石油価格モデルに戻ってまいります。一番上のモデルに戻ってまいります。なぜ戻るかというと、
日本は
世界の
エネルギー、特に
石油貿易
市場においてはかなりのシェアを占めておりまして、
日本の
エネルギー需要がどうなるかによって実は
石油価格が非常に大きく振れてくる可能性があるからであります。
こうした
一つの流れの中で需給構造が、一九九五年でございますから十年後の値が出てきているわけでございますが、その簡単な内容が三ページ目と四ページ目に整理してあります。結論といいますのは三番目以下に書いてあるわけでありますけれども、一番目は
石油価格は八〇年代後半は下がるけれども、九〇年代になるとまた上がってくる可能性が高い。それに対して
世界経済というのは最初高い伸びを示すけれども、後になってインフレが高くなって
成長率は低くなってくる。
日本経済は八〇年代は四%台で、九〇年代になると二・五%の
成長になるというようなことがいろいろ書いてありますけれども、内容は
省略しまして、特に
代替エネルギー関連で重要だと思われることだけを申し上げますと、四ページ目の七番目というところをごらんいただきたいと思います。
ここではまず
需要を出すと同時に、その
需要の温度別分布、つまり質の低い
需要と質の高い
需要がございまして、その質の低い
需要を、例えば家庭用の暖房等に関しましては二十度
程度の温度上昇があればよろしいわけですから、何も数千度も温度が上げられるような
エネルギーを使う必要がないわけでありますけれども、そういった温度
需要がどう変わるかということを検討しております。この検討によりますと、やはり低温
需要、百度以下の
エネルギー需要が特に九五年に至ると非常に大きくなってくる、全体の六分の一
程度を占めるということが出てまいります。
そういったことから省
エネルギーや再生可能
エネルギーの可能性が出てくるわけでありますけれども、この点を勘案して、産業構造の変化、例えば鉄鋼業で申し上げますとこれからは輸入代替化が進んで輸出が非常に困難になるだろう、
国内でつくるというかわりに製品輸入がふえてくるだろうといったようなことを考えていきますと、九五年の原油輸入は、産業構造の変化と省
エネルギーがかなり進むということを勘案すると、
政府見通し程度でおさまる可能性が強い。つまり、
代替エネルギーの積極的な
開発という
方向が
一つの
政府のお考えでありますけれども、それ以外に産業構造が変わっていく、それから省
エネルギーが経済的な
市場メカニズムを使うことによって進んでいくということを勘案すれば、
石油輸入量はそれほどふえないで済むという答えが、可能性がここで
一つ示されているわけであります。
ちなみに、
石油価格の
動向等を示してありますのが六ページ目のグラフでありますけれども、ここでは八三年までの実績値、これはドル・バレルでありますけれども、実質価格というのは要するに八三年の値段、インフレを含まない値段ということでありますけれども、これが八八年、九年まで下がって、それからまた九〇年代にかかって上がっていくというのがこのモデルの
一つの結果であります。
それからその下に示してありますのが基準ケースと省エネケースの比較でありますが、基準ケースというのは省
エネルギーとか再生可能
エネルギーの可能性を余り考えない場合でありますけれども、それを考えた場合どうなるか、
石油輸入量がどうなるかということが十の十三乗キロカロリーベースで示してあります。大体九五年で二百二十ぐらいで済むのではないかというのがこの計算であります。
こういったことを出すためにはどういうことが必要かというのは、例えば七ページ目、八ページ目に出ているわけであります。七ページ目はこれは
日本のマクロ経済の主要指標、つまり、国民総支出というのはGNPでありますけれども、これがどう動いていくか、それからその下が賃金、物価、インフレや何かはどう変わっていくか、賃金はどう変わっていくかというような検討がなされているわけであります。
それからそういったことを
前提にして、八ページ目をごらんになると最終
需要がどうなるかということがまず上にあるわけでありまして、先ほど申し上げましたように、最終
需要ベースで言うと、
エネルギーというのは産業で使われる
エネルギー、それから運輸、つまり交通部門で使われる
エネルギー、それから民生ですね、業務用とか家庭で使われる
エネルギー、その他と分かれるわけでありますけれども、八二年と比べると、産業用のシェアが落ちて、運輸用のシェアが若干落ちて、民生用、つまり業務とか家庭で使われる
エネルギーがふえるという形になっているというのが上の図であります。
次が、省
エネルギーとか再生可能
エネルギーの可能性を考えない場合の原油輸入と
石炭輸入の可能性を、八二年実績と九〇年、九五年で示したという形になっているわけであります。
これはもちろん一例にすぎませんけれども、要するに何が現在必要かというと、一番最初に戻って申し上げたように、
枯渇性資源、
石油とか
石炭等を余り持たなくて
需要が非常に大きいというのが
日本の特色でございますから、まずその
需要特性というのをきちんとつかまえていかなければならない。そのためにはきちんとした
データを積み上げて、それから
論理構造に基づく
分析をやっていく必要がある。それに基づいて将来推計を行って、それも
政府が
一つおやりになり、それから民間側もしくは野党側が
一つおやりになって、それの恐らくいろいろ有違い、視点の違いでありますとか考え方の違いもしくは想定の違いが出てくるわけでありましょうから、それに基づいていろいろな建設的な
エネルギー論争をしていくことが必要ではないかというのが私の
感じでございます。
どうもありがとうございました。