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参考人(
室田武君)
室田でございます。よろしくお願いします。
大体四項目にわたってお話ししたいと思うんですけれども、
参考資料がお手元に既に配付されていることと思いますのでそれも見ながらということでお願いします。
日本の
エネルギー供給全体を見ると、言うまでもなく、依然として中近東の
原油に
依存している度合いが強いわけです。これに関して、言うまでもなく、
イラン、イラクの間での戦争がずっと続いているというようなことで、中近東の政情不安、そのことに関連して
原油の
供給見通しということについても、安定しているとはちょっと言いがたいような
状況というのがあるんじゃないかということが
一つと、それともう
一つは、中近東に限らないわけですけれども、
原油の産出に関して、二十年ぐらい前と現在ということの比較で考えてみると、やはり
海底油田への
依存度が高まってきているという問題があるんではないかというふうに思うわけです。
従来ですと、陸上の大
油田からほとんど自噴
状態で大量の
原油が噴出してくる、そういった部分がかなり多かったわけですけれども、そういう自噴してくるような陸上の非常に大規模な
油田の新規発見といったものが少なくなって、
アメリカにせよ、それから中近東諸国の中でも
海底油田に手をつけ始めている、そういった新しい
状況が生まれてきているわけで、陸上の
油田と
海底油田を比べた場合、直観的にもわかることですし、またデータの面でも幾つか試算がありますけれども、どれだけの
原油を掘り出すためにどれだけの
エネルギーを使うか、
エネルギーの投入と産出の比率ですけれども、それが海底になるとぐっとその収支が悪くなってくる、そういったこともあるわけです。
それから、
海底油田の場合は、陸上に比べて、同じ量の
原油を手に入れるために
発生する環境汚染の量がやはり比べものにならないということがあると思います。陸上
油田で事故が起きても、例えばパイプが破断した、それをつなぐのは比較的、目に見えてやりやすいわけですけれども、海底で事故が起こると、大体その破断箇所を見つけるまでに時間がかかる。見つかっても海底のことですからなかなかそれがつなげない、あるいは穴があいた場合にそれをふさぐのが難しいというようなことで、海の汚染もきつくなってくる。そういった新しい問題、中近東の政情不安が続いているということと、
海底油田開発に
世界各国が向かっている、そういった
状況を考えますと、
日本に入ってくる
原油について、それほど大量なものが安定して次から次へと長期にわたって入ってくるかどうかということに関しては、やはり必ずしもそうでない。
原油そしてそれから精製されてつくられる
石油製品にどっぷりとつかった
経済のあり方ということに関して、やはりそこから少しずつ脱却していくような方向が今求められているんではないか、そういった基本認識を持っております。
一つには、
石油大量
消費社会そのものが生み出しているさまざまな問題、その中に特に環境問題、これはやはり、石炭
中心の時代とは比べものにならない環境汚染が、
石油文明と言われるような
石油中心の社会になってきてからいろいろな形で顕在化してきているわけで、
エネルギー大量
消費社会というのは必然的に環境汚染も激化するような内容を持たざるを得ない。そういったこともあって、これまでの
原油を
中心としたあるいは
石油製品を
中心とした
エネルギー大量
消費社会そのものがこれでいいのかどうかということがやはり問われているんではないかというふうに思います。一九七三年、
昭和四十八年に
オイルショック、第一次
石油危機があって、それ以降
日本の省
石油政策というのが官庁のレベルでも、また民間のレベルでも徹底的に追求されて非常に大きな
効果を奏した。それは事実としてそうなわけですけれども、先ほどのように
エネルギー多
消費社会がこのまま継続し得るかどうか、あるいはそのままでいいのかどうかというような凝固に照らして考えるときに、今日の
日本のいろいろな
石油製品間の需給
状態にかなり大きなアン
バランスがあるんじゃないかというふうに考えております。
それは具体的にどういうことかということなんですけれども、資料の①というのがお手元にあると思いますけれども、それをさっと見ていただきますと、ここではアン
バランスを特に強調する意味で、ガソリンと、軽油と、C重油という三つの種類の
石油製品を取り上げて、その
需要量、具体的には
消費量にこれはなるわけですけれども、それを数字を千キロリットル
単位で見たわけです。そうしますと、省
石油政策は確かに功は奏してはいるわけですけれども、その一方で全くそのことと無
関係に
消費量が伸び続けているものがあるわけです。それがガソリンと軽油ということになるわけで、
消費量の各年度内の数字、それに関してここでは一九七三年から八二年までの十年間をとっているわけですけれども、その十年の中で
消費量がそれぞれの油に関してピークを示した年を一〇〇としたときの指数を括弧内に何カ所か書いておきましたけれども、省
石油、省エネ
政策というのは全国的に展開されたにもかかわらずガソリンと軽油について見ると
消費量のピークというのはここにある数字で見る限り、一九八二年が最高で一〇〇ということで、むしろ
オイルショックが年度の終わりの方にあった七三年の数字の方が、例えばガソリンの場合七七、軽油で七五・八、大体八二年をというか比較的最近を一〇〇とするとむしろそれよりもっと
消費が多かったのではないかと思われる十年前の方がピークの一〇〇に対してその七割五分
程度ということで、言いかえれば省
石油政策は徹底的に遂行されたにもかかわらずガソリンと軽油の
消費量はどんどんむしろ伸びているということがあると思います。
それに対して、それと好対象をなすのがC重油の場合でして、この場合
オイルショックの年がC重油の
消費が最高の年で一〇〇と、これに対してその十年後に指数は五八・八まで落ちているということで、ピークの年に比べてその六割ぐらいまでC重油の
消費量が落ち込んでいるということがあって、その一方でガソリン、軽油の
消費はどんどん伸びる、他方でC重油の
消費は極めて大幅に低落している、そういう
状況があるわけです。このことは
原油の精製ということを考えてみると、
石油業界としてはかなり以前から既に議論されていることですけれども、かなり大きな問題ということになるわけで、
原油の種類が決まってしまうとその
原油から出てくる油、各種の
石油製品がどれだけ得られるかという得率は決まってくるわけで、ある
原油からガソリンだけをたくさん取り出して重油は全然手に入れないとか、あるいは潤滑油はそこから
発生しないとかいうことはないわけで、
原油を精製すれば
石油ガスから始まって揮発油、灯油、軽油、重油、アスファルトと、そういった順序で比例的に各種の油がそこからとれるわけです。したがって、省エネとは言うものの結局自動車交通というのはその後もどんどん発展しているということがあって、乗用車だとか大型のトラックが使うガソリンないし軽油、その
消費がどんどん伸びる
傾向を示しているわけで、その伸びるガソリン、軽油の
消費に合わせて
石油業界としては
原油の精製量をふやさなければいけないわけですけれども、ふやすと重油もそれに伴って
発生してくる。ところが、重油に対する
需要量は大幅に低落しているわけですから、重油の過剰問題ということが起こってきて、この
状態というのはずっと前から指摘されていることですけれども、依然としてそのアン
バランスの問題というのが現状においても解決されていないということがあると思います。
したがって、現状ないしごく近い将来の
日本の
エネルギー問題というのを考える場合に、ガソリンとか軽油の
消費量を抑制するような方向に持っていくのか、あるいはその
消費をそのままほっておくとしたら余ってくる重油をどうするのかという、
一つの問題の二つの
側面ということになると思うんですけれども、そういう大きな問題があるということが最初に指摘できるように思います。
C重油が余ってくるというのは、御
承知のとおりセメント産業なんかで石炭
転換を図ったということがありますし、それから資料①の二番目の「
発電用燃料実績」という表がありますけれども、それを見ても
日本全体としてやはり
発電用の重油の
消費量が
オイルショックの前に比べてやはりかなり減っている、その反面原子力がふえている、あるいは石炭が一時期よりもふえてきているということがあると思うんです。そういった形で発電部門での重油
消費量が
減少傾向を示して、それから鉄鋼、セメント、電力が重油
消費の三つの大口
消費者ということになるわけですけれども、その三つの大口
消費者全体として重油
消費を減らしてきているということですね。その一方で自動車交通は減らないということがあって大きなアン
バランスが生まれてきている。これがこれからどうなっていくのか、あるいはそれに対してどういう
対応をとるのかということが依然として解決策のないままずっと残り続けているということになるんではないかというふうに思います。
一つそれに関して言えることは、重油はどっちみち
余りぎみなわけですから、それをある
程度消費していかないと今度は重油の貯蔵ということが難しくなってくるわけで、それを使うということを考えると、そのこととの
関係でやはり電力産業のこれからの問題ということに話がつながっていかざるを得ないということになるんじゃないかと思います。
今日の
日本の電力の
供給というのは、水力、火力、原子力、大別してその三つに分かれて電力の
供給がなされていると思うんですけれども、その中で原子力の比重がこの間がない大きくなってきているということがあって、そのことの持っている意味に関して若干の
意見を述べさせていただきたいんです。
原子力の利用というのは、かつては非常に多様な分野に応用可能だと、例えばいろんな交通機関だとか製鉄であるとか、さまざまな人間生活のあらゆる分野、人間生活の中で必要になってくる
エネルギー需要のほとんどすべてに原子力がこたえ得るんではないかということが四十年ぐらい前には言われていた、そういう時期があったと思うんですけれども、その後の
開発の歴史の中で、結局平和利用ということを考えた場合に、核兵器をつくるというんでしたらまた話は別ですけれども、核兵器以外の原子力の利用として大きな意味を持つというと結局発電しかないということが、過去四、五十年の歴史の中ではっきりしたんではないかというふうに思うんです。発電ということになると、結局原子力は何の置きかえになるのかというと、一般に言われているように
石油製品全体の代替品として意味を持つんではなくて、火力発電の
燃料の
中心である重油、その重油の代替品として
原子力発電は意味を持つ。その意味は持つわけですけれども、逆に言えば
原子力発電というのは重油の代替にしかならないということですね。具体的には、先ほどガソリンとか軽油の
消費がどんどん伸びているということをデータを含めて申し上げたわけですけれども、原子力がガソリンとか軽油に取ってかわって、そのことによって
石油製品全体の置きかえになるかというと、そういうふうに技術的にならないということが非常に大きな問題ではないかと思うわけです。自動車にしろ何にしろ電気自動車にしてしまったらいいじゃないかという、そういう話は恐らく一世紀ぐらい前からあるわけですけれども、電気自動車というのは部分的な利用というのはできるわけですけれども、実際、
日本全体の自動車交通を電気で賄おうというようなことをしますと非常に無理があるわけです。電力のそれは特性ということがあると思うんですけれども、いろいろなバッテリーの問題その他あって、電気自動車というのは百年も前から言われているけれども、日常生活全体をカバーするものとしては結局実現しなかったということがあると思います。
特に、出力の大きな
原子力発電所の場合、夜間の余剰電力というのがあるわけで、もしガソリン、軽油のかわりに電力が意味を持ち、またその電力は原子力が
供給するんだということであれば、
原子力発電所の夜間の余剰電力を使ってかなりの数の乗用車とかトラックが既に
日本じゅうを走り回っていないとおかしいわけですけれども、そういうことはなされていない。じゃ、夜間の余剰電力はどうなっているのかというと、例えば山間部にダムをつくっている。それもダムを二つつくって、二つのダムに対して
一つの発電所といういわゆる揚水発電所を建設して、それで夜間の余剰電力を使って下のダムの水を上にくみ上げて、昼間になって
需要がふえたときに上の水を下に落とす過程で水力発電を行う、そういう揚水発電所ですけれども、その揚水発電所のような形で使われるだけで、決して自動車を走らせるような力として
原子力発電所からの電気が利用されていない。あるいは将来もそういうふうにはどうもなりそうもない。そういった見通しを考えますと、結局従来言われてきた
石油代替エネルギーとしての原子力という位置づけ、これは非常に誤解を生みやすい表現の仕方であって、原子力でできることは火力
発電用の重油を幾分か置きかえることができる、そういう
程度のものだというふうな理解が必要なんではないかというふうに考えております。
そういう非常に限定的な意味しか持たない原子力に関して、私の考えからすると、そこに
余りにも大きなお金が使われ過ぎている。実際問題として原子力が安いというふうに言われるわけですけれども、必ずしも安くはないわけであります。その辺が資料②のところに幾つかありますけれども、よく
昭和何年度運開ベースの発電単価という数字が公表されるわけですけれども、そういう数字を見ますと、水力が一番高くて、次が
石油火力、その次石炭火力で、原子力が一番安いということになるわけですけれども、そういった運開ベースの
発電コストの比較というのはあくまでも仮定に基づいた数字ですから実績とは必ずしも
関係ないということで、例えばそこに実績値から見た東京電力と
北海道電力の発電量一キロワット時
当たりの電気事業営業費用というのを電源別に見た表がありますけれども、これは費用というのをごく狭く解釈して、有価証券
報告書に出てくる電気事業営業費用、それだけに限ってみても、やはりキロワットアワー
当たりの単価が一番安いのは原子力ではなくて、一番高いというふうに一般によく言われる水力が実は一番安い。その次に原子力で、火力が一番高い。電気事業営業費用で見るとそういうような順序になってくるわけです。
ところが、電気事業営業費用というのは必ずしも
消費者サイドから見た場合の電力のコストを反映するということにはならないわけで、今日の全国九ブロックプラス沖縄ということで全国十ブロックがあって、それぞれのブロック内で電力の
供給が独占されている、そういう
日本の現状の中で、電気料金の決定方式は総括原価法によっているわけですけれども、概念図が第1表に載っておりますけれども、そのやり方で結局レートベースを決めて、その八%を適正利潤ないし適正報酬として、その適正利潤が必ず回収できるだけの電気料金をつけることが許されているという今日の電気料金制度のもとで、改めてレートベースに相当するような数字を有価証券
報告書の中から拾い上げて、それでもう一度例えば東京電力について電源別の
発電コストの近似値を求めてみる。そういう計算をやってみますと、先ほどの図の場合に比べて原子力がずっと高くなってきて火力に接近してくるということがわかります。この場合、レートベースの中に入る具体的な数字の全部が公表されておりませんので、そういう特定
投資だとか、運転資本だとか、繰り延べ資産だとか、レートベースに入ってくる数字を正確に知ってこの計算をやり直して、第二次近似、第三次近似ということをやっていくと、恐らく原子力と火力というのはほとんど同じようなことになってしまうんではないかというふうにも想像されるわけで、その辺で具体的なデータをできるだけ公開していくということも大事じゃないかと思います。
いずれにしろ、現在の総括原価方式のもとで、実際は原子力にかかるコストというのはかなりのものになるわけですけれども、それは料金に転嫁するということが独占のもとで許されているために大事な問題が隠されてしまっているということがあるのではないかと思います。
特に再処理のことで考えてみますと、再処理というのは、一九八一年ですか、通産省が再処理費用と
燃料価値についてその見積もりを示しているわけですけれども、それを見ると、例えば資料②の第3表というところにありますように、再処理をやってプルトニウムが得られるわけですけれども、そのプルトニウムの
燃料価値というものは実は大したものではなかった。イギリスの場合だったと思うんですけれども、イギリスの場合は、プルトニウムが再処理で出てくるけれども、そのプルトニウムを実際に増殖炉その他で使うに至るまでにかなり長期間保管しておかなければならないということでプルトニウムを使うまでの保管の費用がかなりかかりますから、その保管費用が
燃料価値とほぼ相殺するということでゼロ評価という
立場をとっている。そうしますと、再処理をやっても何も得られるものはないというようなことになるわけですね。
日本の動燃の場合は
エネルギー等価というやり方で一定の
燃料価値をそこに付与するというやり方をとっているわけですけれども、いずれにしてもプルトニウム価値額に減損ウランの価値額を足し算した
燃料価値に比べて再処理にかかる費用の方がはるかに大きい。使用済み核
燃料一トン
当たり再処理費用というのは大変な額、二億一千百万円ですか、それに対して得られる
燃料価値の方は、プルトニウムゼロ評価を使って三千四百万円、
エネルギー等価というやり方を使っても六千百万円にしかならないということで、費用の方が三倍ないし四倍
燃料価値よりも高いということで、再処理というのはやればやるほど損をするということになるわけです。普通の
市場経済ということを考えると、やればやるほど損をするような事業は初めからやらないというのが原則だと思うんですけれども、
日本の場合独占禁止法があるにもかかわらず、その独占禁止法の中の適用除外規定を受けている産業の
一つとして電力があるわけで、独占的構造のもとでは、損をすることがわかっているようなものもそれをコストの中に組み入れて、最終的には料金値上げという形でその損失を回収するというような仕組みになってくるわけで、再処理の不
経済性が非常に明確になっている今日、
市場経済の
メリットというのも一方であると思うんですけれども、それのデ
メリットもあると思うんです。それに完全に反するような電力の独占的な
供給のあり方ということについて、今後さまざまな角度から再検討がなされてしかるべきではないかというふうに思うわけです。重油というのもいずれにしろ
余りぎみなわけですから、無理に、今後再処理とか廃炉とかいろんなことでコスト高になっていくことが明らかなんですね。原子力ということをやらなくても余ってくる重油を使えば十分火力発電、それと水力発電を組み合わせることで
日本の電力の
供給というのは安定的にいけるんではないか、そんなふうに考えているわけです。
アメリカの最近の
状況なんかを見てみますと、御
承知のとおり原子力
開発というのはかなり低迷
状態にあるわけで、発注された原発の契約がキャンセルされる、そういう事例が非常に多いのは御
承知のとおりです。
これに対して
一つ注目していいと思われるのは、
原子力発電に匹敵するほど最近の
アメリカでは本質系
エネルギーの利用が進んでいるということを
一つ強調しておきたいと思うんです。これは資料④に若干のデータがありますけれども、一九七〇年代ぐらいに入って
アメリカでは本質系の
エネルギーの活用ということにかなり力を入れ始めているというふうな感じがするわけです。ここにありますように、「
アメリカの産業用ボイラー売上げ総数に占める本質系
燃料ボイラーの売上げ数のパーセンテージ」というのを見てみますと、それは本質系の
燃料、木材そのものと、それから廃材からアルコール発酵などをさせて得られる液体
燃料を使う場合、その両方合わせて本質系
燃料とした場合に、七〇年代に入って約一割ぐらいの産業用ボイラーというのは本質系
燃料を使うボイラーであるというような非常に驚くべき
状況になっているわけです。
そういったことを反映して、これは
アメリカの木材研究家のデービット・ティルマンという人の研究なんですけれども、
アメリカでの西暦二〇〇〇年までの種々の
エネルギーの
生産力というか、
生産可能性の評価、それを見ると、既に一九七六年の実績値で木材というのは原子力にほぼ近いところまできているということですね。八五年の
予測でこれは十の十五乗BTUという
単位ではかられていますけれども、八五年
予測だと原子力二・三に対して木材四・〇、二〇〇〇年の
予測では原子力がうんと伸びるとしても四・八、それに対して木材が四・五というような形で、大体木材というのは原子力とほぼ匹敵するようなものとして、実績値としてもそうだし、見通しとしてもそのぐらいの見通しを立てる人もいるという
状況なわけです。
これに対して
日本の場合は原子力が一次
エネルギー供給全体の既に数%を上回るところまでいっているわけですけれども、それに対して本質系
燃料の利用というのは著しく低下しているということ、これは一九六〇年、
昭和三十五年のころから始まるいわゆる
燃料革命、
エネルギー革命の過程でまきだとか木炭を
中心としたような本質系
エネルギーの利用というのを
日本の場合古臭いというような形で切り捨ててきた、その結果として原子力は非常に多いわけですけれども本質系の
エネルギーの利用が非常に低迷している。そのことが今度は転じて
日本の林業問題にもつながってくるような大きな問題を引き起こしてきたということがあるわけです。
そんな点から考えまして、
日本の言葉で水土という言葉がありますけれども、水土の保全と両立するような
エネルギー供給のあり方というものを、このあたりで根本的に考えてみることが重要ではないのか。
最後の表資料⑤というのがありますけれども、それなんかを見ていただいても、いかに
日本で本質系
エネルギーの利用をないがしろにしてきたかということははっきりわかるわけで、例えば木炭の
生産量ですね、大体
日本の木炭
生産というのは、こういった過去の数字を見る限り年産二百万トンぐらいはこれは十分できる、森林を荒らさない形で二百万トンぐらいはいけるということはあると思うんですけれども、ここに見るように例えば一九八〇年の
日本の木炭
生産量というのはわずか三万五千トンというようなところまで落ち込んでいるわけです。無理をすれば三百万トン台、あるいは普通無理をしなくても二百万トンぐらいできるはずの木炭がわずか三万五千トンのところまで低下している。それと並んでまきの利用量も大幅に低下しているというようなことで、
日本の場合木材系の
エネルギーと、原子力の比較なんというのは、比較すること自身
余り差があり過ぎて意味がないというわけですけれども、他方で、
アメリカのように農地の砂漠化というようなことが問題にされながら、他方でそのことへの
対応も含めて林業を非常に活発に展開して、木材系の
エネルギーをいかにうまく使うかということで、家庭用の暖炉の改良だとか、あるいはまきストーブの改良というような非常に小さな面での努力の積み重ね、そして他方で産業用の大型ボイラーなんかに関しても廃材も含めて本質系の
エネルギーを大いに活用する、そのことによって木材に対する
需要が喚起されることによってまた林業も盛んになっていく、そういった展開が最近見られるように思うわけですけれども、
日本の場合
エネルギーの問題と森林の問題というものが何か別個のもののように従来考えられてきているのではないか。実はそういった点を考えますと、
エネルギー問題というのは実は水の問題と表裏一体なわけで、例えば森林が保全されればそこから大量の
エネルギーも――大量というと語弊があるかもしれませんけれども、かなりの
エネルギー源もそこから
供給される、同時に森林の保全を通じて水源の保全もなされる、そういうような
関係というものがあって、そのあたりを今後見ていくことが重要じゃないか。そんな場合に大規模なダムをつくるというような形での山林の破壊ではなくて、非常に小規模な、水車のような小規模な水力利用も含めて薪炭の新しい形での再活用、そういったものも視野に入れたそれぞれの
地域の特性に合わせたような
エネルギー対策ということが重要になってきているんではないか、そんなふうに思います。
時間が若干超過したようで失礼いたしました。以上です。